>>193 >中東のセム系の文化はギリシャの文化の追従
まあ実はギリシャはヨーロッパじゃないんだけどな
インドは二十七宿発祥地 インド占星術・天文学でいうナクシャトラである。天体の位置を表すのに使われる。
その流れをくむ宿曜道の基本要素となっている。
なお、中国で使われている二十八宿とは発祥が異なるが、大蔵経に含まれる摩登伽経において、下記の通り二十八宿と同じ漢字名が割り振られた。なお、二十八宿にあり二十七宿にはない宿は、牛宿である。
斯くして古くインドではその日の月の占める星宿により日の吉凶を見、その日に生まれた人の運勢を占う習慣がありました。この法は中国を経て我が国に伝わり、
平安初期より800年の長きに亘って朝廷の儀式までも律してきました。ところが時が経つにつれ中国では牛宿を含む二十八宿を単に周期的に日に当てはめるようになったため俗に二十八宿の名称が習慣上用いられるようになりました。
その後、二十八宿を年や月にまで配されるに至っては占法上から見ても、また、星宿の成り立ちから見ても全く無意義に使用されている訳ですが、徳川時代には我が国にもこの法が用いられることになりました。
しかし、歴史も古く、かつ確固たる根拠を持った二十七宿の古法には、星宿にて吉凶を占するには当然の理があり、
根強い信奉者も多く、現在も日蓮宗、真言宗でもこの二十七宿法が厳然と伝承されています。
インドのウーツ綱は古今無双で世界最強の鉄
1600年間の風雪に耐えいまだ錆びないデリーの鉄柱は99.72%という高純度鉄で作られており、表面にはサンスクリット語の碑文が刻まれている。
直径は約44cm、高さは約7m、地下に埋もれている部分は約2m、重さは約10トンの巨大さ。
科学専門誌ネイチャーは、ウーツ鋼でできたこの柱の製造にはカーボンナノチューブテクノロジー゙が使われていたらしい、という論文が掲載された。
それによると、電子顕微鏡で観察するとナノチューブ特有の格子構造が確認できたという。
インドの製鋼は非常に古い時代から優秀で、インドの都市ナグプールの傍の町 のウリー・ガオンのそばの墳墓から鋼の丸ノミ等が発掘されており、これは紀元前1500 年ごろのものである。
ほぼモーゼの時代のものと 思われ、デリーの柱の可能性のあるもっとも
古い日付よりもさらに数百年前のものである。
ウーツ鋼は柱用の鋼としてではなく刃物用として有名であった。
ウーツ鋼で作られた刀剣は、“もし絹のネッカチーフが刃の上に落ちると自分の重みで真っ二つになり、鉄の鎧を切っても刃こぼれせす、柳の枝のようにしなやかで曲げても折れず、
手を放せば 軽い音とともに真っ直ぐになる”といわれている。
1000年前から欧州各国がインド・ウーツ綱を コピーしょうとしたが失敗した
その出来損ないがステレスだがね
ムガル帝国軍は圧倒的な兵力の集中、騎兵の運用、砲兵部隊の大火力を特徴。
火器時代の戦象として特徴的なのは戦闘用と輸送用を問わず、銃砲の音や硝煙の臭いに馴らす、という新たな訓練課程が加わったことだろう。
雄の戦象によって編成された突撃部隊の戦象には、ガジュナルという重マスケット銃を装備した狙撃兵を跨乗させるなど、火器の装備も進んだ。
同時に火器に対抗するため、戦象の防備も大きく変化する。十六、十七世紀では、主に耳、頭部、鼻などを中に金属プレートを入れた厚手の布で覆い、弱点を保護するにとどまったが、十八世紀になると、チェインメイル(鎖帷子)で全身を装甲された大袈裟な戦象も現れる。
鎧をまとった一部の戦象は、鼻で斧や剣、青銅製の重い球を自在に扱って敵兵と渡り合ったという。
また戦象は大重量の火砲や弾薬を運搬するという新たな輸送任務が割りあてられた。
雌の戦象は輜重部隊や砲兵部隊に所属し、重砲を重んじるムガル帝国砲兵の機動力を高めるのに大いに役立った。
三、四頭で大型の重臼砲を牽引し、一頭でも小型の砲を背部に搭載した。また、伝統的な用法である指揮官の望楼になり、兵の集合場所として軍旗が掲げられた。軍楽隊に配備され大太鼓の運搬にも使用されたという。
インド人自慢のもののスレ?
210 :
世界@名無史さん:2013/05/16(木) 00:27:47.05 0
211 :
世界@名無史さん:2013/06/30(日) 22:29:09.48 0
インド大反乱でジャイナ教徒はどっちの陣営に参加したの?それとも不参加?
ロマニ語ってドラヴィダ語が起源ってマジ?
つうか、ドラヴィダ人の血をジプシーが引い
てるってウィキペディアに載ってるけど、
いつ頃に都市生活を捨てて流民化したんだ?
アーリア人の奴隷になった後?
>>212 マジで根拠が無く、嘘っぱち。ロマの言語は、印欧語族。
語族外の影響は、モンゴリアン/テュルク/フィンウゴルにほぼ限定。
ドラヴィダやムンダの影響は皆無。
214 :
五十音ってなんでローマ字打ちできるの?:2013/07/06(土) NY:AN:NY.AN 0
インドの民謡と日本の民謡って共通項があるって聞いたけど
どんなのがあるの?
215 :
世界@名無史さん:2013/07/06(土) NY:AN:NY.AN 0
ちび黒サンボ
216 :
世界@名無史さん:2013/07/13(土) NY:AN:NY.AN 0
シッキムとかブータンとかスリランカとかはここでいいのか?
どうせ過疎ってるんだし、良いんじゃね。
218 :
世界@名無史さん:2013/07/13(土) NY:AN:NY.AN 0
インド界隈ってなんで暑かったり寒かったり空気薄かったり季節風来たりするのに人住んでるの?
季節風来るから作物ばかすか実ってたくさん人住めるんじゃね?
食える土地に人が住むのは当たり前やね
221 :
世界@名無史さん:2013/07/16(火) NY:AN:NY.AN 0
222 :
世界@名無史さん:2013/08/06(火) NY:AN:NY.AN 0
>>213 ロマではY-DNAハプログループHが約13%(マケドニア)からコソボ・ベオグラード・ボイボディナ(約43%)
インド圏ではアーリア系らしきグループでは約4%(ネパール)からカラシュ(約21%)
ドラビダ系らしきグループではマレーシアのインド系(約19%)からコヤ族(71%)
はっきりアーリア系より高いロマのグループはスロバキア(約31%)、コソボ・ベオグラード・ボイボディナ(約43%)、ブルガリア(約40%)、リトアニア(50%)で、後の調査地点は13〜20%。
頻度の高さがドラビダとのつながりを示唆するとしてるけど、遺伝的浮動もあれば、サンプルサイズが適切か、調査地点の偏りがないかなどの疑念もあるわな。
http://en.wikipedia.org/wiki/Haplogroup_H-M69
、ヒンズー教と仏教は、非常に近いと実感した。お題
目の唱和も鈴で拍子を取るのと、木魚などで取る違いはあるが、同
じような感じである。お題目も南無シバ神であり、南無妙法華教や
南無阿弥陀仏などと同様である。密教寺院では、声明で読経を1つ
の音楽のような印象を受けるが、それと同じ声明をヒンズー寺院で
聞く。
このように宗教を取り巻く雰囲気が非常に近い。
そらそうよ、曼荼羅のなかで諸仏がとっているポーズもインド舞踊とかなり共通するものがある
少なくとも唐中期まではインドからほぼ直輸入できてたから、教義以外の周縁物は似てくるさ
ヒンズー教は三神一体(トリムルティ)とよばれる近世の教義では
、中心となる3大神、すなわち
ブラフマー:宇宙の創造を司る神
ヴィシュヌ:宇宙の維持を司る神
シヴァ :宇宙の寿命が尽きた時に世界の破壊を司る神
は一体をなすとされている。しかし現在では、ブラフマー神を信仰
する人は減り、ヴィシュヌ神とシヴァ神が二大神として並び称され
、多くの信者がいる。その中でブッダはヴィシュヌ神の生まれ変わ
りとして描かれた。ヒンズー教での仏陀は、第9番目の聖人としてい
る。
また、輪廻はインドにおいてサンサーラと呼ばれる。サンサーラと
は、生き物が死して後、生前の行為つまりカルマ(karman)の結果
、次の多様な生存となって生まれ変わることである。
228 :
大東亞戦争の遺産:2013/12/03(火) 20:50:37.68 O
スルヤ・クマール・ボース氏の講演(大東亜会議70周年記念大会)
11月6日、東京憲政記念館において大東亜会議70周年記念大会が開催されました。
70年前の大東亜会議で、感動的なスピーチをした、インド仮政府のチャンドラ・ボース首班の親族(兄の孫)である、スルヤ・ボース氏が、基調講演を行いました。
素晴らしい内容でした。ビルマのバー・モウ首相が会議で「インドの独立なくしてアジアの独立なし」と述べたこと、
そしてこれに答えて、チャンドラ・ボースが「本会議は解放された諸国民の会議であり、正義、主権、国際関係における互恵主義及び互助の原則に基づき、世界のこの地域に新秩序を創建しようとする会議です。」と述べたことを紹介しつつ、
いかにこの会議がアジアの人々にとって画期的な意義のある会であったのか、またそれは世界にとって大きな意味のある会議であったのか、ということを述べています。
大東亜会議が、日本の傀儡政権を集めた会議だなどと偉そうに言う人は、このボース氏の講演に耳を傾け、さらに会議の参加者の烈々たる主張に一度は耳を傾けてほしいものです。
あなたこそが欧米の傀儡かもしれません。アジア人を馬鹿にしてはいけません。
英文を下記の通り英語版サイトに掲載し、NewsletterNo.62で海外に広く発信しました。
日本語訳はこちら:
http://hassin.org/01/wp-content/uploads/Bose.pdf 平成25年11月30日 「史実を世界に発信する会」
古代のインドは木造建築だったらしいですが
具体的にいつから石造建築になったんですか?
モヘンジョダロとかハラッパーのころから石造に思えるが
石造ではなくて煉瓦ではないでしょうか。
そう煉瓦やね、すんまへん
ところでインドの木造建築でググると、神谷武夫って人の調査研究が大量に出てくるな
メ ガステネス(セレウコス朝からマウリヤ朝に派遣された使節。「インド誌」を記す
インドの町の数はその数あまりにも多いために、正確にかぞえ上げることができない。
町のうちでも川のほとりとか海岸沿い にある町は、いずれも木で建てられ ている。
煉瓦造りだと雨のため、それに川水がよく岸の土手を越もえて、
平地を一面水浸しにするため、長年にわたって保 たないからだ。
これに反 して平地を見下ろす高台の、
〔川筋から〕離れたところに建てられた町はどれも、
煉瓦や粘土でできているのである
なるほど、インド誌にそんなドンピシャな記述があったのか
理由もいたって明確だ
明治大正時代が煉瓦作りだったけど
関東大震災で消失したのに似てるね
240 :
世界@名無史さん:2014/02/16(日) 23:40:21.70 0
真壁 刀義 @GBH_makabe 2分
いつか戦いたい奴等とパシャリッ☆♪
241 :
世界@名無史さん:2014/09/27(土) 16:03:55.96 0
>>238 入学枠は設けているが、卒業は同じ基準なので、
SC/STは、長期学生とドロップアウトが多い。
1999/200年国家統計局サンプル調査
インド都市部の学位取得者
ST/SCで、10%、人口比15.5%
問題はない、途中で追いつくことをそもそも想定している。
日本のように、入学すれば余裕で卒業ではない。
243 :
世界@名無史さん:2014/10/31(金) 01:43:26.13 0
質問です
インダス文明を作った人はドラヴィダ人(系)なんですか?
インダス人だろ。
>>40 いまさらだけど、石井の本は作り話だらけ、
らしいね。
山田和(『喪失の国、日本』で似非インド人本を
書いた人)なんかもそうだけど、ガセネタ撒き
散らしても「ありかな」と思ってしまうほど
インドは深いってことか。
246 :
世界@名無史さん:2015/01/06(火) 20:30:46.85 0
山際素男は?
247 :
世界@名無史さん:2015/01/08(木) 21:00:22.29 0
ふと思った疑問です。
籠城戦で兵糧攻めなどにあったときや、飢饉の場合、
洋の東西に関わらず人肉食が見られます。
インド人は、基本的に肉食度は低いそうですが、他の地域で人肉食やむなし
という状況にあっても、インド人は決して人肉はしなかったのでしょうか?
249 :
世界@名無史さん:
殺された肉でなければOKってこと?
仏教の「三種の浄肉」でも、死肉は含まれてないよな