>>619 突厥
そもそも遊牧そのものが黒海周辺で発生して日本海近傍まで伸びて来てるだろ
いや、日本海に近づくと気候がやや湿潤になるから、
ツングース系諸族みたいに半農半猟みたいな生活が優勢になる
遊牧はやはり乾燥地帯で優勢だな
もちろん半農半猟部族でも遊牧民に匹敵するくらい好戦的な連中もいたが
632 :
世界@名無史さん:2015/02/10(火) 03:16:17.55 0
まさにゲルマンとかか
ゲルマンや女真を考えると、アイヌも大躍進する可能性はゼロではなかったと思うけど
実際樺太ではあのモンゴルを撃退したそうだし
刀伊の入寇なんてのもあったな
>>631 支那史だと遊牧民は「猟民」「猟戸」って出てくるよ。商周のような半伝説時代から清末まで一貫している。
バリバリ遊牧政権のモンゴル帝国での「一官二吏三僧四道五医六工七猟八民九儒十丐」という日本の士農工商みたいなヤツ、
七番目の「猟」は無位無官の遊牧民。ちなみに八番目の「民」というのが農家だ。
半猟半農というは、半牧半農と同じ
西戎、北テキは遊牧民だろう
南蛮と東夷は農耕メインじゃないのかな 雨多いし
636 :
世界@名無史さん:2015/02/10(火) 22:52:37.50 O
ローマ時代に50万人ぐらいだったアイルランドは
19世紀に800万人になった
638 :
世界@名無史さん:2015/02/11(水) 00:13:55.09 0
ジャガイモとサトウダイコンがあればな
639 :
世界@名無史さん:2015/02/11(水) 06:10:18.85 0
>>584 だからソース出せってあちこちで言ってるのに
まあ仮にスラヴ祖語がケントゥム語だったとしてもゲルマン語との距離はぜーんぜん縮まらないんだが
>>625 スキタイに圧迫されたキンメリア人が西ではなく
南に移動したのも不可解と言えば不可解
当時のダキアやパンノニアにはキンメリア人が
勝てない強大な勢力があったのかも
アーリア人ではないけど印欧語族のトハロイは
ミヌシンスク盆地から天山山脈周辺に南下した
トハロイに押されて東へ移動した諸族の末裔が
匈奴や月氏なのだろうね
641 :
世界@名無史さん:2015/02/12(木) 02:31:16.23 0
>>584 第二次口蓋化の特徴がないからって古ノヴゴロド方言がスラヴ語の枠をはみ出るわけではないし、
東スラヴ語群の一方言という枠からも出はしない
ましてやゲルマン語との密接な近縁関係の証明となり分離年代を数千年も早めるなんて噴飯物もいいとこ
この電波の震源地はwikipediaの「スラヴ語派」の項目らしいが、
どっかのバカが1人で暴走してるだけらしく
ソースの論文もリンク切れ つか削除?w
642 :
世界@名無史さん:2015/02/12(木) 11:29:34.26 0
むしろ古ノヴゴロド方言が、口蓋化子音だけを単品で発音できない言語の話者がスラブ語に切り替えたことで生まれた方言ってことはないのかな
それこそ基層はウラル系とか
643 :
靖国参拝、皇族、国旗国歌、神社神道を異常に嫌うカルト:2015/02/12(木) 14:28:56.76 0
★マインドコントロールの手法★
・沢山の人が偏った意見を一貫して支持する
偏った意見でも、集団の中でその意見が信じられていれば、自分の考え方は間違っているのか、等と思わせる手法
・不利な質問をさせなくしたり、不利な質問には答えない、スルーする
誰にも質問や反論をさせないことにより、誰もが皆、疑いなど無いんだと信じ込ませる手法
偏った思想や考え方に染まっていたり、常識が通じない人間は、頭が悪いフリをしているカルト工作員の可能性が高い
10人に一人はカルトか外国人
「ガスライティング」で検索を!
...
>>641訂正
誤> 分離年代を数千年も早める
正> 分離年代を数千年も遅らせる
>>642 第二次口蓋化が解消されていわば「先祖返り」を起こす現象は
17世紀のロシア語にも一部で起こったらしい
ruka(腕)という単語のkが格によってchに口蓋化していたのがkに変化した(より規則的になった)
活用・曲用に関しては類推で起こり得る変化
ウラル語との接触は、もっと前に軟音化の現象を起こしたと考えられていて
(軟音化すなわち口蓋化は母音調和を持たない言語が持つ言語と接触すると起こりやすい)
その考えに従うなら疑わしい
言語接触は情況証拠でしか言えない事が多いが、ノルド人の影響かもしれない
>>644 んじゃあ、なんで、ухоとかдругとか動詞のмочьとか
格・人称・数で一部の試飲が変わってしまうまま残ってるん?
>>640 匈奴は周代あたりからオルドス付近に蟠踞してた淳維、西戎、犬戎、
鬼方、ケンイン、クンイクなどが前身って説もあるようだけど・・
もちろん西方からやってきた群と混合した可能性も十分あると思うが
>>645 名詞については同じ普通名詞で、しかも身体名詞・人間名詞という条件だから未知数だね
頻度の差として説得力のある理由を調べて出せるかはわからない
17世紀の変化は元々ごく一部で起こったということで、何か音的な条件があったのかもしれない
それらの語にも起こったのが規範によって押さえつけられたり一部方言にのみ残ったりしたのかもしれない
>>646 アファナシェヴォ文化=トハラ人
オクネフ文化=モンゴロイド
アンドロノヴォ文化=アーリア人
ミヌシンスク盆地のアファナシェヴォ文化は
紀元前2500年に終わり住民がタリム盆地に移動した
とされるからこの民族移動は周代よりもはるか以前
月氏はトハラ語しゃべってたってのが有力になってきたんだろ?
クシャーン朝以後に現地のイラン系バクトリア語になったという流れでさ
ということは、月氏はタリム盆地から河西回廊に侵食してきたんだろ
言うまでもない事だけどトハラ人が南下する以前に
タリム盆地に先住民がいたはずだからその先住民も
トハラ人に押されて移動したはず
小河墓遺跡(BC2000年頃)より古い遺跡って、タリム盆地で発見されてるんだっけ?
マダガスカルとかニュージーランドじゃないから誰かいたはず
653 :
世界@名無史さん:2015/02/13(金) 22:03:49.54 0
克里雅人とかいう未識別民族がいるそうだけど、そのトハラ以前の先住民の末裔なんだろうか
なにそれ クリミヤ人って読めないか?w
克里雅人はグゲ王国の後裔だとか楼蘭の末裔だとか古くからの砂漠の民だとか
色々言われてるらしいな
すごく原始的な生活をしてるというけどウイグル語を話すムスリム(たぶん)の特殊集団らしい
656 :
世界@名無史さん:2015/02/14(土) 21:32:59.10 0
トハラ人の外見はウクライナ人に酷似していそうだな。
ケントゥム語派だからなぁ
サテム語派のスラブ系ウクライナと外見が似たとしてもたまたまとしか
658 :
世界@名無史さん:2015/02/14(土) 21:44:19.87 0
ミヌシンスク盆地の近辺には現在シベリア・テュルク系の民族が住み、その中にはトゥヴァ人やトファラル人というのがいるけれども
名前の似ているトハラ人とは何か関係があるのかね?
トファラルは旧称がカラガズ、つまりは堅昆の末裔を名乗ってる様だが
隋書あたりで都播との表記がみられるから、トゥバという発音は少なくともその時点からほぼ固定されてる。
トファラルはトファ人ともいい、普通に考えればトゥバからの派生もしくは転訛だろう。
一方で同時期のトハリスタンのトハラは吐火羅と書いていて、おそらく「ハ」の部分は口蓋音っぽい発音。
正直言ってこの二つの単語は、あまり近い気がしない。
ぶっちゃけ吐蕃のほうがトゥバ近い発音だが、それでチベットとトゥバの関係を云々いう者はいない。
660 :
世界@名無史さん:2015/02/14(土) 22:36:07.80 0
東南アジアのはドヴァーラヴァティーを転写したのかな
そして日本のトカラ列島は...?
タシュティク文化(紀元1世紀から4世紀) = 堅昆
>>656 ウクライナからカザフスタン北部をへてミヌシンスク盆地まで肥沃な黒土地帯
おそらくフン族はこの黒土地帯を移動してきたのだろうね
烏孫、大月氏、トハロイ、アシオイ、パシアノイ、サカロウライらは
甘粛からジュンガル盆地をへてフェルガナ、ソグディアナ、バクトリア、
そしてインドへ向かう通商ルートを移動した
エニセイ・キルギスは中国史書においてコーカソイド特性の強い描写がなされているし、
タシュティク文化の遺跡から出土した仮面からも混血的容貌が見て取れる。
ただそのコーカソイド的性質がトカラ系かイラン系のいずれによるものなのかは分からない。
普通に考えれば、時代の下るアンドロノヴォ文化の痕跡すなわちイラン系と見るのが妥当かと。
その後テュルク系をはじめとするモンゴロイドと混血がさらに進み、現在の容姿になったんだろう。
タシュティク文化は4世紀で終わったとされるから
アファナシェヴォ文化人がタリム盆地に移住したように
タシュティク文化人もどこかへ移住したのでは?
4世紀後半にフン族がアラン族を征服したとされる
トハラ人がタリム盆地に移住した当時のタリム盆地は肥沃だったとされるが、
砂漠化により小河墓遺跡とかが放棄され、後から移住してきた砂漠慣れした
イラン人により楼蘭とかが建設された。
タシュティク文化人がトハラ人の様にタリム盆地に移住する事は困難になっていた。
665 :
世界@名無史さん:2015/02/15(日) 01:15:16.74 0
後漢に木端微塵にされた北匈奴の残党が
欧州では向かうところ敵なしになったのだから、
ロマンを感じずにはいられない
北匈奴 → 悦般
黄色人種って戦闘民族だったんだな
遊牧民は体が弱い者は遠くに移住しないで残ることがある。
一部は悦般として中央アジアに残り、さらに西方へ向かった者たちがフン族になったのだろう。
670 :
世界@名無史さん:2015/02/15(日) 13:09:47.94 0
>>662 その一方で、遺跡の人骨を調べると、ブロンドの髪であったりする。
トカラは欧州系なのははっきりしているが、古代イラン系も欧州的だったのか否か。
このあたりは今後の調査結果を待ちたい。
671 :
世界@名無史さん:2015/02/15(日) 13:33:10.77 0
>>665 ディオクレティアヌス帝のときに4分割統治を始めたのがそもそもの起源。
その後離合集散を繰り返した末、テオドシウス帝の子の東西2分割が最終的分割、
二度と合体すること無く西帝国の解体へ突き進む。
ギボンは、実質的な東西分裂は364年のワレンティニアヌス1世とワレンスの分国統治の
時であると書いているね。
アスカ君?
諸子百家の時分には、黄髪というだけで尊敬されてたからな
674 :
世界@名無史さん:2015/02/15(日) 18:13:44.98 O
>>671 西欧人の認識によると、
・コンスタンティヌスが西半分を教皇に寄進した
・西ローマ?何それ?
>>669 体が弱くて遠くに移住できない者は亀茲の北に住んだ
676 :
世界@名無史さん:2015/02/15(日) 18:59:40.94 0
>コンスタンティヌスが西半分を教皇に寄進した
西欧史最大の偽書のことだねw
コンスタンティヌスの寄進状
叙任権闘争
タシュティク文化は4世紀で終わったとされるから
トハラ人がタリム盆地に南下移住したように
タシュティク文化人もどこかへ移住したのでは?
トハラ人が移住した当時のタリム盆地は肥沃だったが
砂漠化の進行により小河墓遺跡とかが放棄され
西からきたアーリア人により楼蘭とかが建設された
タシュティク文化人がトハラ人の様にタリム盆地に
移住する事は砂漠化の進行により困難になっていたはず
フン族が4世紀後半にアラン族を征服したとされるけど
タシュティク文化人はフン族の移動に参加したのかも
あるいはアラン族や東ゴート族のようにフン族に征服され
タシュティク文化は滅亡したのかも
トハラ人の小河墓遺跡はインダス文明と同世代だな
ともに砂漠化で衰退してアーリア人にとって代わられた