韓国では統一新羅とともに南北国時代を担う朝鮮民族による王朝と
位置づけておりますが私たち日本人は世界史の授業で中国の一地方
政権と教えられてきました。
どちらが正しいのかよくわかりませんがこの謎の国渤海について
語ってみましょう。
4 :
世界@名無史さん:2011/10/19(水) 01:40:18.24 0
>>1 たて乙です。
興味がある話題なので、
いろんな人の意見を思っておりました。
>私たち日本人は世界史の授業で中国の一地方
政権と教えられてきました。
多分それは違うと思う。
手元にある高校時代の世界史の教科書(1999山川p79、古いけど)だと、
渤海は「唐文化の波及と東アジア諸国」の項に入ってる。
そのことからすれば、渤海は「地方政権」とか「中央政権」とかなしに、
東アジアの独立国として教えられている。
私見としては、近代国家の理屈をそれ以前の国家にあてはめて、
その帰属を取り合うことはナンセンスだと思うので、
この教科書のスタンスは正しいと思う。
5 :
世界@名無史さん:2011/10/19(水) 01:41:25.28 0
>>4 >いろんな人の意見を思っておりました。
すいません。聞きたいと思っておりました。のミスです。
6 :
世界@名無史さん:2011/10/19(水) 02:50:09.63 0
◆◆渤海国について語ろう◆◆
http://unkar.org/r/whis/1043509346 358 :世界@名無史さん:04/07/17 22:09
日本経済新聞 朝刊 文化面 (2004年7月17日)
「渤海 ベール外す古代王国」
以下、重要部分の要旨。
当時の東アジア世界では、中国を「親」とする周辺国は互いに「兄」「弟」といった関係を
認め合うことがあった。
舅甥関係は兄弟関係より疎遠だが、「おじ」が「おい」より上位。
渤海の前に栄えた高句麗に対して日本は「兄」として外交。渤海と日本については
、どちらが「おじ」「おい」なのか従来、議論がわかれていた。石井正敏・中央大学教授は、
「続日本紀」「新唐書」の記述を分析し、日本が「おじ」に当たると結論。
中国と韓国・北朝鮮の間で歴史認識が対立。
渤海は朝鮮続とツングース系の靺鞨族を主体とした複合国家だったが、
中国の研究者が「中国辺境にあった数多い異民族国家の一つ」と位置付けるのに対し、
韓国と北朝鮮は「祖先が建てた国」とする。
日本の研究者にも、どちらの立場か迫ってくることがあり、論文の書き方次第では、
現地調査や共同研究などで協力が得られず、研究に支障を来たすこともあり得る。
「舅甥関係」でも、韓国や北朝鮮の研究者が「日本がおじ」と認めることは
まずあり得ないという。
よくわかんないのだけど渤海の創始者の大祚榮は高句麗の将軍だったんでしょ?
太王四神記の新羅・百済とは造形が違って
高句麗や北燕寄りなんだな。>大祚榮
>>8 そのチェ・スジョンという俳優さんは高麗の始祖王建の役も別のドラマでやってたからごっちゃになったわ。。
11 :
世界@名無史さん:2011/10/20(木) 02:44:41.69 0
>>7 >高句麗の将軍
この言い方だと、高句麗王朝の武官だったようなイメージになるけど、
これだとちょっとちがってて、
大祚榮は高句麗に従属していた靺鞨の長だった。
彼が、滅ぼされた高句麗の遺民と協力して立てたのが渤海。
かといって渤海が靺鞨人だけの国家だったというわけではなく、
支配下に突厥やら契丹等いった連中もいた。
なんで渤海が朝鮮民族の王朝になるんだYO!
スレタイで釣るの辞めてくれ
過去の国を現在国の歴史として捉えるべきではない
それはあくまで地理上の、民族上の歴史であり、現在国家の歴史ではない
政治的にも良くないし軋轢を生む
渤海は渤海であり、中国でも朝鮮でもない
ユーラシア東部の満洲地方から沿海州に存在したというだけだ
支配層が同じ民族だから、被支配層が同じ民族だから
版図の一部が現在の国と被っているとか、文化を共有しているからと
一緒くたにして、現在の国の歴史と捉えてはいかん
朝鮮民族はまだ形成されてないんじゃね
大和民族のルーツを倭国に求めるように朝鮮民族が渤海(パレ)にルーツを求めてもよいのでは?
ただ一つ気になるのは南北国時代といってるが北の渤海国と南の統一新羅という二国の間で
どういった交渉があったのかあまりわかっていないことだ。
16 :
世界@名無史さん:2011/10/21(金) 00:54:13.36 O
エミシやハヤトを日本民族に含めるようなものか。
現代日本人の先祖の一部ではあるけど。
隼人は全量が日本民族に合流してるだろw
「蝦夷」も樺太アイヌとかまで含んでいた概念とは思えないから、
結局ほぼ全量が日本人に合流した格好だ。
逆に渤海を構成していた民族の大半が新羅人に合流して朝鮮民族を
作ったかというとはなはだ怪しい。
サクソン人と同系のザクセン人がいたからドイツのザクセン地方は英国史に入るのか?
という滑稽な話に思える。
どうも、大陸でもなく孤島でもない半島という中途半端に安定した位置づけにあることが
朝鮮人の歴史意識と実態とを乖離させてしまう状況を作り出しているようだ。
19 :
世界@名無史さん:2011/10/21(金) 07:58:45.17 0
>>17>>18 そうだよなぁ。渤海遺民で、高麗に亡命した者は一部で、
後は遼の支配下に入ったっぽいし。
その理屈で、渤海が朝鮮史に入るんなら、日本は百済や高句麗の遺民を
受け入れているから、百済・高句麗は日本史に入ってしまうことになる。
渤海の領土が、北朝鮮の領土に重なってたところから主張していくしかないんじゃないか?
中国は中国でおかしいな。中国の地方政権じゃなくて独立国だろ。
唐も渤海のことを「海東の盛国」って中国とは別の国と認識してたじゃん。
渤海を中国の地方政権と定義するのはあまりに政治的な認識だと思う。
ビザンツ史のドラマやるのにトルコ人が演じるみたいな。
22 :
世界@名無史さん:2011/10/21(金) 13:15:16.15 0
遣唐使よりも渤海使の回数のほうが多かった
京都の島原に平安時代は溝臚館という外国使節を接待する施設に渤海使がよく来たとある跡碑がある
国家使節だけでも36回だからな。多いよ。
高句麗、百済もそうだけど、渤海とも日本は何か特別な親密さがあるね。
不思議と新羅だけ昔から疎遠なんだよな。
統一新羅の頃って、海賊に身代金誘拐されたても、新羅の政府が放置みたいなのがある。
しかし、4世紀頃の新羅とは親しいのではないかな?
駕洛国(金官伽耶)の故地である伽耶を併合してしまった
6世紀真興王の金氏の頃から疎遠になっている。
いやいや4世紀以前の親密さでも段違いだよ。
日本書紀を見ても好太王碑文を見ても交流や衝突の話題がてんこもり、
往復したり縁のある人物の名前も山ほど残ってる。
新羅の方は岬が余ってたので国引きしたとか神功皇后の漠然とした征伐とか
「外国」ならどこでもいいようなあやふやな話が主体で
要人が往復するようなリアルな歴史的事件は圧倒的に乏しい。
しかし半島部はなんだってこんなに歴史的遺物が乏しいんだろうな。
日本の伝世品は異常にしても、出土品に関しては条件はそう変わらないし、
日本はもちろん中国側でも好太王碑をはじめ渤海遺跡から和同開珎が出たりしてる。
文献はまだわからなくもないが、半島は古代の遺物が少なすぎる。
698年、渤海が「震国」として建国された当初は、新羅と接近することで唐・新羅の連携を牽制していた。
しかし渤海と唐の関係が好転すると、逆に渤海と新羅が対立し、唐は両者の対立を利用した。
渤海は新羅を背後から牽制するため日本と通好したが、安史の乱の影響で平和政策に転じる。
790年と812年には新羅から渤海への使節も派遣されるが、大仁秀の時代には再び渤海が新羅を侵略。
10世紀初頭に契丹(遼)が興ると、渤海はこれに対抗するため新羅との和解を図るが、
新羅は契丹・渤海の両者に通じつつ、渤海の苦境に乗じて北方へ攻め込んでいる。
高句麗人は日本語をしゃべっていたんだろ?
日本語そのものではない。もっとも近くても琉球語よりも遠い。
したがってゆっくりしゃべってもあまり通じない程度。
ただ、あれだけ高句麗や百済と通交があったのに現在の日本語には
朝鮮語系統の言語との通交を思わせる痕跡がほとんどないので
高句麗語や百済語が朝鮮語に繋がる言語であった可能性はほとんどないだろう。
>>24 >不思議と新羅だけ昔から疎遠なんだよな
何いってんだよ、
新羅は日本人が建てた国という説がある。
浦島太郎伝説がそれ。
31 :
世界@名無史さん:2011/10/21(金) 20:39:47.62 O
朝鮮半島西南からは古代の水田遺跡がよく見られるから、
そこから日本にも水田耕作が伝わったと言われている。
32 :
世界@名無史さん:2011/10/21(金) 20:43:02.51 0
逆もまた真なり
>>31 それ逆だよ。日本から伝わったんだ。
だいたい稲みたいな熱帯植物の栽培法が北から南へ伝わるとか不自然極まりない。
日本からなら自然なルートだが半島からとなると半島へはどっから来た?って話になる。
34 :
世界@名無史さん:2011/10/21(金) 22:17:36.26 O
水田耕作は江蘇省や山東から恐らく海を渡って朝鮮半島西部に到達し、
そこで雑穀、農具や遼寧式銅剣などの北からの要素が加わったみたいだね。
大抵の日本や韓国ドラマはネットにあがっている中国だが、
大祚榮はあがらなかったし、海賊版DVDも売ってなかった(少なくとも
北京以南では)。渤海が韓国史となっているのが相当気に食わない様が
しのばれる。
渤海の話に戻ろうぜよ
…渤海で米はできたのかな
>>36 無理だろ、最南端でも青森くらいの緯度だぜ。
8世紀ごろに稲作が可能だとは思えない。黍・粟・麦といったとこだろう。
>>38 ひょっとして渤海使に対する日本の贈答品じゃねえのww
マジメな話、可能性高そうなのは新羅商人との交易品であるとか・・・。
41 :
世界@名無史さん:2011/10/22(土) 21:46:56.97 O
粟末が扶余系と高句麗系で、黒水がツングースでいいの?
粟末の末裔は朝鮮と女真になったと。
42 :
世界@名無史さん:2011/10/23(日) 17:14:57.52 0
粟末靺鞨にしろ黒水靺鞨にしろ、靺鞨はツングース系であったというのが今の通説(争いはあるが)。
扶余と高句麗も同じくツングース系。
女真の前身となったのは、黒水の方。
渤海遺民の中には、高麗に亡命した者がいて、高麗人と同化した者もいたと言われている。
しかし、黒水靺鞨がそのまま朝鮮人になったようなイメージは正しくない。
43 :
世界@名無史さん:2011/10/23(日) 17:16:39.21 0
失礼。訂正します。
×しかし、黒水靺鞨がそのまま朝鮮人になったようなイメージは正しくない。
↓
○しかし、粟末靺鞨がそのまま朝鮮人になったようなイメージは正しくない。
素人が基本的なところ聞くけど、高麗・朝鮮の世界に南北で区分される民俗形態はあったの?
こんな感じで。
北) ツングース系譜。扶余・高句麗・渤海遺民の子孫による風俗。黍・粟・麦からスタート。
南) 南方由来系譜。伽耶・百済・新羅の子孫による風俗。水稲耕作からスタート。
45 :
世界@名無史さん:2011/10/23(日) 18:26:34.61 0
>>44 史料に乏しい上に、
半島への民族の流入・混血が何度も繰り返されているために、
朝鮮民族の系統ははっきりしない。
ただ、中国の史料によれば、伽耶・百済は南方系(?)ではなく、
扶余と同じくツングース系であったらしい。
新羅は、言語や文化が伽耶・百済とは異なっていた。
中国の史料は王族や支配者層が中心ですぜ
47 :
世界@名無史さん:2011/10/23(日) 18:34:06.99 0
>>46 そういうわけで、百済は扶余系民族の国であったという説と、
扶余系の支配層が、朝鮮族を支配していたという説があるんです。
48 :
44:2011/10/23(日) 18:44:37.33 0
ははあ、まーよくわからんと。
高麗時代とか朝鮮時代の遺物で、北と南で食文化などの風俗の違いは確認されてない?
それは気候由来の可能性もあり、必ずしも民族系統の相違を意味しないけども。
49 :
世界@名無史さん:2011/10/23(日) 20:43:05.81 O
百済は漢陽から熊津に首都が移ってからかなり韓化した可能性もある。
後で国名を南扶余にしたのは韓化で失った扶余らしさと戦闘力を
取り戻したかったのかもしれない。
>>49 横から補足であいすまないが、
「漢陽」は後代の用語だね。
少なくとも高麗期の記録だと、
百済第一首都の漢訳名は「漢城」だ。
百済の支配層の起源は、高句麗が313年に帯方郡を接収した際に置いた駐留軍とみられる。
魏志東夷伝には馬韓の伯済国があるが、国と言っても部族程度で、特に王もいなかった。
342年頃、本国の高句麗は鮮卑慕容部の前燕に攻撃されて首都が陥落し、
この機に乗じて高句麗駐留軍の将軍であった肖古(照古、速古、余句)が自立して百済を建てた。
そのため支配層は高句麗と同じく穢・夫余系だが、国内には韓人や倭人、中国人もいた。
百済の王の称号は、王族の言葉で「於羅瑕」、民衆の言葉で「健吉支」と言ったが、
日本書紀でも高句麗の王を「おりこけ」、百済・任那・新羅の王を「こにきし」と呼ぶ。
では高句麗・夫余・穢の言語系統はというと、おぼろげな高句麗語も含めてはっきりしない。
夫余は「鹿」、句麗は「城」を意味するらしいが、単語が多少分かる程度。
ただ、夫余の後裔という豆莫婁の言語は勿吉(靺鞨)と異なり、室韋・庫莫奚・契丹と同じであったというが、
契丹語はモンゴル語と同系統らしいので、高句麗語はモンゴル語の遠い親戚だろうか?
52 :
世界@名無史さん:2011/10/24(月) 10:11:13.57 O
たしか、白村江の時代では百済王(コニキシ)だな。
>>51 百済は高句麗王朱蒙とソソノ(召西奴)との間に出来た温祚王によって建てられた国じゃないんですか?
肖古王ってその五代先の王だったと思うけど。
それは12世紀に書かれた『三国史記』の中の神話伝説で、同時代史料とはまるで違う。
朱蒙にしたって王莽に殺された高句麗侯と夫余の建国神話をくっつけただけだし、
3世紀の馬韓には隣の辰韓に宗主権(商取引権)を持つ月支国の辰王しか王がいない。
4世紀に実在した肖古を「近(2世)」とし、即位年の六十干支を3巡(180年)遡らせて作ったのが『三国史記』の肖古(1世)。
肖古の子の貴須(仇首)も同様にして「近仇首」にされた。「近」肖古の父は比流とされるが、これは温祚の兄の沸流と同じ。
蓋婁は5世紀の蓋鹵から引っ張ってきて、5世紀の方を「近蓋婁」にした。
あとは適当に系図をつなぎ合わせて、高句麗の始祖からの系譜のできあがり。
>>31>>34 稲のDNA検査によれば日本の稲は江南由来で、それも紀元前4000年代に伝わったよ
品種の多様性からみても江南→日本→朝鮮半島南部と徐々に多様性が乏しくなる
つまり南鮮への伝来は一番最後で遅い
56 :
世界@名無史さん:2011/10/25(火) 20:44:19.61 O
北方から韓に移動した百済はもちろん、
高句麗も征服と遷都によって、民族構成が大きく変わってるかもね。
57 :
世界@名無史さん:2011/10/26(水) 12:46:07.73 0
>>56 楽浪郡や遼東郡の中国人はかなりの程度逃げちゃったよ。
残ったのは高句麗内でもそれなりの地位を保った一部の上流階級だけ。
でも中国語じゃなくて高句麗語しゃべるようになって同化されたろう。
好太王碑文は漢文で書いてある
あんな多様な種族がいる国で、高句麗語しか話さないわけにいかんだろ
当時の中国周辺国家では日本も含めどこもチャイニーズ・アドバイザリースタッフ
とでも称すべき漢人官僚的な層が存在して、そいつらが外交、文書行政、文化事業を
とりしきっていた。なにしろ漢字漢文以外文字がなかったからね。
例えば百済から日本へ千字文を持ってきた王仁博士もそういう人で、当時の百済人は
百済風の名前を名乗っていたから、漢字漢文知識を日本に売り込みに来た
オウ・ジンと中国風に名乗るこの人は当然自分のことを「中国人」と認識し、
かつそう言って売り込んでいただろう。
>>59 高句麗、高句麗と近縁な種族、漢人、2種族しかいないな。
それに李朝の時代の碑文は満語、モンゴル語、漢語で書かれているし
突厥碑文は突厥語、漢文、ソグド文字で書かれている。
漢文のみで刻まれた好太王碑文を見るにつけ
如何に高句麗が中国から多大な影響を受けたかが解る。
総論としては間違ってないが時系列的に無茶苦茶すぎだろw
高句麗が存在した時期には近隣でまともに稼動していた文字は漢字しかない。
西方文化での対抗が可能な方面でもやっとまともに文化が頭を突き合わせるのは
唐代以降のこと。突厥碑文ですら大半は高句麗滅亡より新しい。対訳碑文の
大半は10世紀以降の擬似漢字新造ブーム後のもので、そのブーム自体、
唐代以降の東西交流の影響が大きい。不適切な例を対照しすぎw
たまたま結論が当たってもダメ出しが出るレベルの雑な論だw
種族w
またへんな「学派」が沸いている
民族 ならいいのか?
65 :
世界@名無史さん:2011/10/26(水) 19:26:17.16 0
「種族」だと、日本猿とか金絲猴みてーじゃんw
66 :
世界@名無史さん:2011/10/26(水) 19:27:47.35 O
日本人がああいう碑文作っても漢文になるんじゃないか?
なるね。特に碑文はかしこまるから一般公用文としては漢文はもう全く
使われていなかった明治時代になっても漢文による碑文がごろごろある。
渤海国では何語が話されていたのか?
渤海って人種のるつぼみたいな感じになっていたんじゃねえのか?
朝鮮民族はもとより漢民族、契丹、突厥、靺鞨(のちの女真族)など
色んな民族が混交した国家でそれぞれの言語が使われていたのだと思う。
ひょっとしたら日本語も話されていたかも知れない。
>>63とか
>>65とか、ドヤ顔してアホ面さらしてるのは
ゆとり出身のニワカなのかね。
ネットでしか字を読まず、まともな論文みたことないんだろうな
>>68-69 新唐書に渤海語の単語が20だか30だか載ってたはず。
靺鞨語っぽいのが6割7割、高句麗語っぽいのが2割3割って感じ。
初期は靺鞨語を用い、しだいに唐の文化を受け入れて漢語を用いた。
国内の高麗(高句麗)・突厥・契丹・室韋・ウイグルなどの諸族は各自の言語を用いた。
渤海の言葉では「王」を「可毒夫」と呼んだといい、これはツングース語らしい。
ただ靺鞨とか高麗とかいうより、彼らはもはや「渤海人」と呼んだ方がよかろう。
渤海国滅亡後も、渤海人は契丹や女真の支配下で生き延びており、
モンゴル帝国では旧金国民の「漢人」を契丹・女真・渤海・高麗などに区別した。
73 :
世界@名無史さん:2011/10/27(木) 08:13:39.58 0
>>72 >彼らはもはや「渤海人」と呼んだ方がよかろう。
「渤海人」といわれると、そういう単一民族がいたかのようだが、
そこまでの混交は進んでたとは思えない。
モンゴルでの区分は「漢人」の表記から分かるように、
モンゴル人から見ての政治的な区分で、民族区分とは完全には一致しない。
ただ、渤海王朝が滅亡して数百年たっても契丹、女真、高麗と並列される
程度には枠組が残っていたというのは注目に値するな。
民族と国家や集団は違うからな、契丹では熟女真と生女真を区別した。
>>69 ベースは靺鞨、そこに高句麗からの亡命者や唐から下った漢人がいた感じ。
朝鮮民族?なにそれ?詳しく教えてくれ
76 :
世界@名無史さん:2011/10/27(木) 22:34:27.96 O
>>74 金に所属していた旧渤海人が女真と区別されているということは、
女真の言語(ツングース)とは違う言葉だったんかな。
「扶余語族」か。
朝鮮とは、もともと平壌(楽浪)付近を指す地名らしい。その南は真番といい、後漢以後は韓と呼ばれた。
そこの先住民も朝鮮と呼ばれたが、数百年に及ぶ漢人の支配により、この「先住朝鮮人」はすっかり漢化して消滅した。
穢はより奥地の山岳部に住む狩猟民で、遅れて漢化したため従来の文化を比較的保った連中のようだ。
しかし、穢系の高句麗が5世紀に平壌へ遷都したからといって、国号や自称を朝鮮に変えたわけではないし、
南の韓人や倭人を「同胞民族」と見なしていたとは思えない(百済の支配層は高句麗人の一派だが、国としては仇敵)。
半島の各地には韓・穢・漢・倭・女真など様々な出自の人々が存在したが(李成桂は女真ともいう)、
7世紀後半以後、新羅・高麗・李氏朝鮮という統一国家が存在したことにより、
その領土の住民は、少なくとも対外的には一まとまりのもの(新羅人・高麗人・朝鮮人)と見なされるようになった。
近現代の朝鮮(韓)民族の民族名と民族意識は、直接的には李氏朝鮮→大韓帝国の住民だったことにある。
ただ檀君神話を生んだ高麗が「高句麗の後継国」を自認していたため、朝鮮(韓)民族にも「高句麗の末裔」という意識があり、
「高句麗は朝鮮(韓)民族の国」と見なしてしまうのだろう。
マルコ・ポーロが高麗地域を「カウリー」と書いたおかげで、
「コリア」が世界的にかの半島の呼び名になっちゃったしなあ
もともと高句麗後期の正式名称が高麗だったのに
79 :
世界@名無史さん:2011/10/28(金) 00:55:49.97 0
漢字〜契丹文字→女真文字
ではないかと
現在満州族(女真族)って漢民族に同化されて固有の民族としては存在しないらしいね。
あと漢民族というのも固有の民族のことではなく中国大陸にいた各民族が混交して出来た
いわゆる「中国人」の総称であると何かの本で読んだことがある。
81 :
世界@名無史さん:2011/10/28(金) 05:19:10.05 0
>>77 >高麗が「高句麗の後継国」を自認していたため
これがあるから、高句麗が朝鮮史ってのはまあ分からんでもない。
しかし、「渤海の後継」という認識は、戦後でてきたみたいで、
どうも胡散臭いんだよなぁ。
82 :
世界@名無史さん:2011/10/28(金) 07:37:02.59 O
いや、既に18世紀くらいから「渤海人は朝鮮の先祖」と主張する人間はいた。
李成桂が渤海人だったとか?
>>82 いや、18世紀に「渤海人は李朝の先祖」と主張する人間は極少数派の異端
ほぼ全ての李朝人は、渤海人は李朝と無関係という印象
今も満族はいるが、あえて満洲族や満州民族とは呼ばれない。
漢族もそうだが、現代中国の「民族」は中央政府が制定したもの。
中国人・中華民族と漢族はイコールではない、というところにミソがあり、
多様な民族集団を包括していた清朝を受け継ぐためにそうした。
なので現代中国の統一領土意識は最大時の清朝にある。
86 :
世界@名無史さん:2011/10/28(金) 16:18:15.70 0
李成桂は高句麗系というよりも新羅か百済の系統だろ。
李という姓から鑑みると新羅系じゃないかな。
…と「龍飛御天歌」などには記されているが
例によって系譜は捏造されるのが普通である
渤海の支配層はツングース系?扶余系?
>>88 高句麗系の乞乞仲象と靺鞨系の乞四比羽は唐に対する反乱を起こしました。
渤海はこの両民族を複合した国家として誕生しました。
その中で数は少ないものの文化的にも勝る農耕系の民族すなわち朝鮮系の
民族が高句麗の王族の血をひくという大氏をもとに支配層を形成していった
とみるのが妥当です。
このように靺鞨族が多く居住する地域に高句麗の旧族によって統一国家が
建国されその支配層は夫余・高句麗族がほぼ独占したので形としては高句麗の
継承国となったもののその国民の大半はツングース系の靺鞨であった。
(上田雄著「渤海国の謎〜知られざる東アジアの古代王国」より)
やっぱり渤海国は朝鮮民族の支配していた国だったんですね
>>90 支配層しか朝鮮に合流した形跡がない渤海を朝鮮民族支配の国と呼ぶなら、
支配層が日本に合流した百済は日本民族の国ということになるが、それでよければ。
新羅に合流した百済の支配層や高句麗の支配層もおるでよ
つまり朝鮮民族形成前のことをムリヤリ線引きしても意味はないってことさ。
渤海には「朝鮮人」なんていなかった。子孫が関係してるだけ。これがFA。
>>91 百済の支配層は扶余であって新羅(朝鮮系)じゃないでしょ
95 :
世界@名無史さん:2011/10/30(日) 01:28:51.81 0
この先生の専門は、遣唐使とか、日本と渤海の交通史やでぇ。
>>94 扶余人の子孫の大半が朝鮮人に合流したのも事実。
新羅=朝鮮というわけでもないよ。新羅人を中心に半島にいた住民を全部
合わせて形成されたんだから。当然半島在住倭人も吸収されただろう。
しかし渤海の場合、日本へ逃げてきた高句麗や百済の支配層以上の大規模移民が
新羅・高麗に押し寄せたとは考えられない。
渤海遺民の大半は上の方で出てるように金代にはまだ「渤海人」という枠組が
まだ多少残っていたらしいが元明代に「女真人〜満洲人」に溶けてしまった。
李氏朝鮮は旧渤海領への進出に成功して現在の鮮満国境以南を朝鮮領に
取り込むが、このときはもう別民族で、「土人」を清の故地へ押し出すことに
よって朝鮮に取り込んでいる。つまり渤海人の大半の子孫は朝鮮人には
合流していないと考えられる。
だから渤海人を朝鮮人視するのは無理があるし、間違っている。
分かってねーな
9世紀10世紀の初め頃は渤海だよ
唐が一部を占拠
半島南に新羅その下に武州だよ
>>96 渤海から高麗へは数千とか数万とかの流入が複数無かったっけ
白村江の戦いの後、日本へ来たのって数千人とかだったような?
現代朝鮮民族の本貫は新羅・高麗・中国起源があらかたで、百済・渤海はごく少ないけどな
また変なのが。「中国という固有名詞は存在しません」
渤海→女真(征服か民族鞍替えし)
まだ一部は遼
半島は高麗だよ
遼へ移住させられたほうが女真合流組より多いかもな
黒水部や韓の言葉が残って扶余系の言葉が残らなかったのは
大半が漢化が進み、なおかつ漢地へ移住したからかな?
適当に歴史意味を書いても大したことはない
高句麗建国はBC35〜40と言われている
だが半島制圧ではないらしい
前漢が勢力というより前漢の自治区なようなもの
半島南下方に韓という存在は色いろとでてくる
103 :
世界@名無史さん:2011/10/30(日) 09:16:14.79 0
簡単にまとめると、
渤海を現代の朝鮮に結びつけるルートとしては2つあって、
1.高句麗遺民ルート
高句麗は朝鮮の歴史→渤海は高句麗遺民が建てた国→渤海は朝鮮史
2.渤海遺民ルート
渤海遺民が高麗に亡命→高麗は朝鮮の歴史→渤海は朝鮮史
ってことでおk?
もうひとつ
3.領土が現在の北朝鮮と一部かぶってる
渤海滅亡後のかの地は女真族が金を建てるまで政治的空白地帯だったらしいね
107 :
世界@名無史さん:2011/10/30(日) 23:16:29.47 0
>>106 なるほど勉強になる。
熟女直やら生女真やらは、金の女真とか明代の女直の前身なのかな?
108 :
世界@名無史さん:2011/10/30(日) 23:18:23.77 0
失礼、原文だと生女真じゃなくて生女直か。
>渤海は朝鮮史
ないと思う
高句麗百済新羅加羅でいいと思う
110 :
ww:2011/10/31(月) 00:39:36.12 0
111 :
ww:2011/10/31(月) 00:40:41.43 0
>>103 高句麗は大半が満州の歴史
渤海は粟末靺鞨が建てた国→渤海は満州史
渤海遺民の大半が遼へ所属→遼は中国の歴史→渤海は中国史
ってことでおk
113 :
世界@名無史さん:2011/10/31(月) 18:06:31.43 0
>>112 103は考え方をまとめただけで、
個人的に渤海を朝鮮史に含めたいわけではないので、悪しからず。
>高句麗は大半が満州の歴史
渤海は粟末靺鞨が建てた国→渤海は満州史
渤海遺民の大半が遼へ所属→遼は中国の歴史→渤海は中国史
その理屈で言うなら遼が中国史ってのもおかしいんじゃないの?
遼の領土は大部分が満州とモンゴルだし、契丹人は漢民族じゃない。
契丹は一部とはいえ北京周辺の「シナ本土」を支配していたし、
モンゴル人は北シナ全体をキタイと呼び、その地の雑多な住民もまとめてキタイ(漢語文献では漢人)と呼んだ
シナ(あるいは中華)と呼ばれる歴史的領域には、漢語を話す人々(漢人)ばかりでなく、
様々な言語・文化・民族集団が歴史上存在し、現在も存在している
非漢人がシナ地域に立てた国々は多々あるし、清朝は漢人の国ではなく満洲族の国であった
現代の中華人民共和国の支配領域を過去に投影して、その中の歴史を「中国史」と称するなら、
満州も内モンゴルもジュンガル盆地もタリム盆地もチベットも雲南も「中国史」の範疇に入る
115 :
世界@名無史さん:2011/10/31(月) 22:39:39.48 0
>>114 >現代の中華人民共和国の支配領域を過去に投影して、その中の歴史を「中国史」と称するなら、
これが許されるなら、渤海の一部も朝鮮領にあるから、渤海は朝鮮史といってもおかしくないと
いうことになると思うけど。
渤海の大部分は中国領にあったから、満州史ではなく中国史になる
もちろん箕子朝鮮や衛氏朝鮮も中国史だ、
>>115の論法を援用するとね
渤海国があった地域はロシア・北朝鮮・中華人民共和国にまたがっているから、
各々の国が「歴史上わが国の領土に(も)存在した国」として調査するのは差し支えなかろ
一国が独占できるたぐいのものではないよ
118 :
世界@名無史さん:2011/10/31(月) 23:09:59.00 0
>>116 ん?箕子朝鮮(あったかわからないけど)も衛氏朝鮮も、
版図の「大部分は」朝鮮領だから朝鮮史でしょ?
そもそも115では「故A国の「大部分」が現B国の領土にあればA国はB国の歴史」という基準を採ってない。
「故A国の「一部分でも」現B国の領土にあればA国はB国の歴史」という基準で考えた場合を書いてる。
遼が支配してた内蒙古も満州も、中華人民以下略の領土内だからいいんじゃね
中央アジアや外蒙古や朝鮮北部にもかかってたけど
120 :
世界@名無史さん:2011/10/31(月) 23:45:41.25 0
>>117 おいどんもそう思うですたい。
現代の国とは違うのに、むりくり一国のみの歴史につなげられるもんでもないよね。
そもそも歴史はどこの国のものでもないからな。
「歴史を保有する」という感覚こそ「歴史を現政権の正統性主張の根拠」としか
捉えていない前近代的歴史観の産物でしかない。
そりゃ、政治からすれば歴史は正統性の根拠になりうるだろうけど、
歴史は政治によって決まってはいけない。
は?
島国のみの本位主張は今に語られている訳じゃねえのだがw
歴史文化というのは国益にも匹敵するんだ大げさだがなw
123 :
世界@名無史さん:2011/11/01(火) 00:17:14.60 0
島国?誤爆?
まあ、島国日本は、領域がわりと分かりやすくて、
この手の歴史の取り合いとは、縁遠いといえばそうだけど。
>>123 失礼した
まず日本人とはいえ正確に歴史認識を知らなくてはいけない
テーマは北方民族が趣旨なんだろ?
鮮卑(民族)は北魏。契丹(民族)は遼。4世紀の間隔はあるが表立って
日本語でおk
>>117 満州史か中国史とするのが適切だろう
ポーランド‐リトアニア王国があった地域はロシア・ポーランド・リトアニアにまたがっているから
ロシアが「歴史上わが国の領土に存在した国」とするのは差し支えない
カリーニングラードはロシア領だからね。これでは、詭弁以外の何物でもなかろう
歴史の無い国は往々にして歴史を創造するものではあるけど
それにしても北と韓国の捏造癖は重症だ
>>118 扶余・高句麗や渤海の版図の「大部分は」中国領だから中国史となるし
もちろん箕子朝鮮や衛氏朝鮮も創始者や支配層は周や燕の出身であり
一部分でも中国領にあるから中国史となる
二重基準三重基準を自分の好みで当て嵌める
>>118の論法を使えばね
中国でも朝鮮でもない満州史
というくくりでよしとしようや、もう
>現代の中華人民共和国の支配領域を過去に投影して、その中の歴史を「中国史」と称するなら、
これって、単に歴史を研究する側の立場で変わるってだけじゃ。
現代中国人が、満州地域を自国史で研究するのは自然だし、
フランスでもフランク王国を自国史で教育するだろうし、
日本人は蝦夷・アイヌを日本史の一ジャンルとして研究するだろう。
外国の史学会ではまた別の分類がされているだろうが、
日本ではフランクは「中世欧州史」の一ジャンルという面が強いが、
日本以外の史学者がわざわざ蝦夷史を日本史から分離するとは思えない(良く知らんけど)。
などと、国と場合によって異なるから、結局統一的な分類の定義なんて存在しない。
132 :
世界@名無史さん:2011/11/01(火) 02:24:45.47 0
ここの人たちは・・・
日本史スレにも似たものスレが多いのに
何故に日本史スレには書かないの?
133 :
世界@名無史さん:2011/11/01(火) 02:31:58.04 0
>>131 すごく正しいと思うんだけど、
渤海に関する当事国はそれでは納得できなくて、
取り合いを始めてしまったんだよなぁ。
正直どっちでもいいと思うところもあるけど、
中国が「琉球は中国の歴史」って教えてたら、
「それってどうなの?」って思うだろうし・・・
(ちょっとこの場合とは違うかもだけど)
うーん、悩ましい
>>128 実際問題、ジョチ・ウルス(キプチャク汗国)をロシア史から外しえない
ようにポーランド・リトアニアもロシア史から外せないと思うよ、ルーシの
半分を長い間支配してたのだから
136 :
世界@名無史さん:2011/11/01(火) 03:00:45.99 0
まあ2ちゃんなんてそんなもんだべ
>>134 ロシアの歴史から外せないのであって
ロシア史としては扱わないよ、朝鮮人のような捏造人種ではないから
もっとも事大主義に頭まで漬かりきってる在や本国人は
感覚が麻痺して2つの違いが解らなくなってるかもしれないが
>鮮卑(民族)は北魏。契丹(民族)は遼。4世紀の間隔はある
え?正確じゃねーのか?
北魏は漢民族に吸収されただけだろ?
140 :
世界@名無史さん:2011/11/01(火) 06:02:07.37 I
捏造とか事大とかの煽りは世界史板では止めようや。
「その主張は論理的におかしい」といえばいい話じゃん。
学者すら愚痴ってるからなあ
韓国人の捏造と事大主義は学問的な態度からは程遠い
願望重視の誇大妄想の類だと
142 :
世界@名無史さん:2011/11/01(火) 06:21:25.04 I
それを愚痴るのと他人の見解を貶めるのに使うのは別でしょ。
個人的には南北国とかいう歴史観は大いに怪しいとは思うけど。
で、肝心の渤海国の歴史になかなか入れないわけだが…
144 :
世界@名無史さん:2011/11/01(火) 06:48:19.90 O
まあどこの国でも自国を立派に見せたがるもんだが、
まだ一応発展途上国の上、
日本の隣だから声が大きく聞こえるんでしょ。
発展すれば捏造三昧を止めるのかねぇ、韓国人も
個人的にはあまりそうは思えないが
倭国の頃は「倭人の話は誇張が酷い」と言われてたけど、誇張と捏造は違うしな
何でもかんでも縁故認定して、あちこちで工作しまくる屑っぷりを見てると
発展すれば収まる性質の事とは考え難い。
宋か明の時代にも史書を国内へ持ち込んだ士大夫が処刑されているし
歴史に向き合う習性を本質的に持ち合わせてない気がする
>>143 このスレの中で渤海に関してのレスはいい内容が多いと思う
ほとんど合っているんじゃないかな
渤海から逸れたレスは付属で詳しいレスもあるよ
数十年前までは西欧列強やソ連が何かにつけて起源認定したり
ありもしない歴史上の出来事や針小棒大な誇張改竄していたのだから
韓国も発展すれば歴史を科学的な態度で受け容れるかもしれない。
148 :
墨田朱世代(スミダ・チュセヨ)熊津大学客員教授:2011/11/01(火) 07:10:51.55 O
最近、日本人が自信を失っているとよく耳にします。
しかし、日本民族はもともと神国朝鮮の出身であり、
つまり、かの偉大な檀君以来の神聖朝鮮帝国の民の末裔としての
誇りと矜恃を失ってはいけません。
朝鮮からの移住後、日本初の統一国家であった大和朝廷は
当時、世界的先進文化大国であった百済帝国の植民王朝であり、
百済皇族も大和を訪れるなど文化的に発達した国だったのです。
最近、日本人は大韓文化を“韓流”と称して崇拝し、
韓国語に対して憧憬と敬意を持って熱心に学習していますが、
これは日本人が韓国朝鮮という“魂の故郷”との同一化を夢想し、
自分たちの誇りを再び取り戻そうという願望の強い現れに他ならないでしょう。
朝鮮だったり大韓だったり忙しい奴だなw
150 :
世界@名無史さん:2011/11/01(火) 07:33:30.53 0
>最近、日本人は大韓文化を“韓流”と称して崇拝し、
>韓国語に対して憧憬と敬意を持って熱心に学習していますが、
単なるブームであって、そのうち廃れますよ
151 :
世界@名無史さん:2011/11/01(火) 08:46:26.77 I
名前からして露骨にネタじゃねェかw
大祚榮が高句麗の末裔というのなら別に渤海は韓国(朝鮮)の王朝といってもいいんじゃないかな?
ただ南北国時代というのだったら統一新羅との交流をもっと明らかにしないといけないだろうけどね
唐や日本との交流は相当明らかなんだけどねえw
しかし、渤海滅亡後の本当にまとまった住民の新羅流入があったとしたら
その理由はなんだろう?
遼は王朝を滅ぼしただけで、権力空白地帯になっただけでは土地を捨てる理由はないし、
渤海が高句麗の遺風を継いでいるのはあきらかな一方、当時は朝鮮人なんて意識も
枠組も実態もないんだから新羅は単なる高句麗を滅ぼした仇敵に過ぎないはずなんだが。
高句麗の領土自体は中国に押されてだんだん朝鮮半島の方に行ったけど、元々は
遼寧あたりが根拠だったはずだから高句麗にも渤海にも「半島国家」なんて意識は
みじんもなかったと思うし。
>>152 大祚栄が高句麗の出身なら渤海王家は中国の王朝だし
大祚栄が粟末靺鞨の出なら渤海王家は中国の王朝。
渤海の多数を占めていた靺鞨人は中国の少数民族だし
渤海で一定の役割を担った高句麗遺民も基本的に中国の少数民族。
渤海に関しては韓国との縁故は何所にも無いでしょ
高句麗は末期に平壌へ遷都したから、まだ縁故を主張する取っ掛かりはあるが
それでも歴史的に見れば、まともな感性の持ち主なら中国の王国とするだろう。
155 :
世界@名無史さん:2011/11/01(火) 22:07:57.21 0
その考えで行くと、
吐蕃や天山ウイグルや大理もベトナムまで「中国の王国」になりそうだね。
156 :
世界@名無史さん:2011/11/01(火) 22:17:27.41 0
>>153 王建の態度を見ると、
最初はただ高句麗の故地だから、新羅王権に対抗するために「高麗」という名前を
持ち出したのだろうが、
そのうちに本当の高句麗の再建を目指すようになったんじゃないかと思う。
で、そのためには高句麗人のもう一方の子孫である渤海人の取りこみを始めたとか。
推測だが。
渤海人は王族と一緒に来たようなんで、ここらへんにも理由があるのかも。
まあ、ただ契丹から追われたら高麗以外逃げる場所がなかっただけかもしれん。
ベトナムの李朝や陳朝は「中国の王朝だ」。
っていうとベトナム人に怒られるのかな? どうなんだろね。
DNA的にはわからんが、王家は中華系を名乗って血統に箔を付けたんだろうけど。
>>155 ならないよ、吐蕃やウイグルは高句麗と違って直接支配を受けた事がないからね
ウイグルが興った土地は中国ではないし、吐蕃は羈縻支配を受けたことも無い
大理は誰が見ても中国の王国だろう、ベトナムは今や独立国だ
朝鮮王朝は旧渤海領の端っこをちょびっと掠め取ってて、北朝鮮も一応受け継いでるけど
大韓民国は朝鮮半島北部の旧渤海領を支配してへんやんか
もう朝鮮民族と韓民族に分かれても誰も文句いわんやろ
身も蓋もないけど、古代朝鮮と三韓は2つの民族だしな
無理矢理こじ付けるとブーメランだわ
伝説の抗日の英雄金日成将軍(北朝鮮のあいつじゃない人)もほぼ渤海とかぶる土地で
抗日運動をやっていたのだから渤海も朝鮮の王朝といってもいいんじゃないのか?
>>153 渤海から高麗(既に旧新羅領の北部は高麗になってた)への流入で特に
大規模な内の一つ、大光顕らの場合(934年)は渤海後継政権樹立競争
に敗れて亡命したらしい
もう一方の大規模流入(979年)の場合、渤海滅亡から随分時が経って
いるわけで後継政権としては定安国があった
んでちょうどその頃に定安王位が烈万華から烏玄明に移っているのだが
姓も違うし、あるいはこの時揉めて亡命してきたのではないかとも
推測できる
何にせよ遼は強制的にも渤海人を移住させたりしてるわけだが
そちらには行かず、なんらかの理由で故地を出ざるを得ない場合
女真(旧黒水場)と並び高麗は選択肢として考えられる
敵対してた新羅は高麗に滅ぼされたわけだし
そう、選択肢としては考えられる、それで終わり。
多くの渤海遺民は上京や陽都ほか南方の遼西や遼東へ自主的に逃散
他にも遼によって同地域へ移住させられた住民も多いし
女真へ亡命した人達や故地に留まった人達も居ただろうから
多くの選択肢の中のあまり有力でない行先、高麗はその程度の位置。
>>161 宗主国の唐が倒れてしまい、後梁・後唐も自分の周囲で手一杯で、
契丹と戦って遥か遠くの渤海国を救うような余裕はなかった。
やむなく渤海国は新羅や日本と結ぼうとしたが、日本も遠すぎて海外遠征などできず、
一番近い新羅も内乱により崩壊中で、契丹と結んですらいた。
>>1-165 昔の2chでさんざんやり尽くした議論またやってんのか
新しい見解は一つもないね
167 :
世界@名無史さん:2011/11/02(水) 05:10:26.59 0
ねらーも新陳代謝して新しくなるからな。
うむ、古参の方よ
新しい見解を示してくだされ
むしろ古参の方は、
既出の論争と論点を過不足無く的確に整理した
レポートを上げてくれたらいいんじゃないかな。
かなり時間が省ける。
170 :
世界@名無史さん:2011/11/02(水) 19:58:13.29 0
>>166 お前は偽者w大した議論なんてやってねーよw
だったら昔にあったそのスレ名とURLを書いてみろよw
おっと、過去ログ逃げは許さねーw
【アメリカにおける韓国人観】
「 韓国系アメリカ人 Wiki 」もしくは「 Korean 差別用語 」でググると分かるが
アメリカではアパートやビルの賃貸売買広告に Koreanという言葉を使うことは
「法的に」禁止されている
Korean =黒人差別主義者、ラテン系差別主義者、 人種差別主義者と
いうイメージがあるからだ アメリカ連邦法院が認めるほど
韓国人の他人種に対する差別は悪名高い
その人種観は、ソフトバンクバンクによる日本人・黒人蔑視の 犬CMに如実に現れている
>>166 新しい見解なんてありゃしないよ。
しいて言うなら、中国史or朝鮮史っていうスレの立て方じゃなく、中国史or北アジア遊牧民族史という議論の仕方なら意味があると思うが。
靺鞨は遊牧民じゃないから中国史Or満州史だろ
176 :
世界@名無史さん:2011/11/05(土) 23:05:09.82 0
とりあえず朝鮮民族の王朝でもなけりゃ中国の地方政権でもない。
…ってことでいいんだろ?
確実に朝鮮民族の王朝ではないけど
絶対に中国王朝の地方政権でない、とは言い切れないでしょ
真面目に言っているのか?本当に知らないのか分からないが
歴史上領土支配って今まで散々にあるよな?
そういう事を考えれば自ずと分かるだろうが
ちゃんとした日本語で書いてくれないと
我々日本人は理解出来ませんがw
>>179 What we now distributed in the territory historically dominated?
Will understand?
Given that such.
無理してルビ振らなくていいよ
我々に解るような日本語文章なら何でもよい。
というかね、本気で
>>178の文章は意味が理解できない
territory historically dominatedってなんだろう。
英語で書いてもらってもさっぱりわからん。
日本に対しても高句麗・夫余の後継と称した渤海だが、
こないだ立ち読みした本では高句麗の統治機構取り込みの必要性も
高句麗の後継を名乗る理由の一つに上げてた
たしかにあの辺で統治経験者となると元高句麗の役人ということに
なるだろうな
渤海が高句麗の後継を自称した事実は存在しないけどな。
当時のあの地域で渤海以前に国家制度のある大国は
扶余と高句麗しかなかったのは確かだが
続日本紀の武芸王の国書に「復高麗之旧居、有扶余之遺俗」とあるのは?
高句麗の故地に在るよ、扶余っぽい習俗も残ってるよ。
それの何が高句麗の後継を自称したことになるのやらw
復高麗だからじゃね?
復高麗じゃなく、高麗之旧居に復す、ね
>>183 民族支配は後々に支配国のhistoricallyになってしまうだよ
現モンゴルをみれば分かるだろが
191 :
世界@名無史さん:2011/11/07(月) 00:54:08.35 0
>我々に解るような日本語文章なら何でもよい。
なんだコイツ?
オマエが日本語を出来ないんだろがw
日本語の勉強に役立っているのか?このスレはww
>ちゃんとした日本語で書いてくれないと
どこの方言でカバーしてんの?
「ちゃんとした」ってなんなのだよwww
"歴史上領土支配"でぐぐってもやっぱりわからん日本語だとわかる。
脱字がありましたすみませんとか断ってから事細かに定義を説明してくれないと
新語は他人には理解できないぞ。
Territorial domination in history.
>>193 gugurekasu!
っていいよなw
あ!ごめんw
間違えたw反目でしたorz
日本語検索 "Territorial domination in history"との一致はありません。
全体から検索でも一例しか出てこない。
造語じゃん。結局どういう意味なの。
ぐーぐる翻訳
What we now distributed in the territory historically dominated?
私たちが今地域に分布し、歴史的に支配?
territory historically dominated
領土は、歴史的に支配
Territorial domination in history.
歴史の中で領土支配。
Territorial dominion in history
歴史の領土支配権
198 :
世界@名無史さん:2011/11/07(月) 17:03:37.28 0
歴史って、領土を持つ又は支配権者及び人達が語っていいという事だろw
琉球や蝦夷も元々独立国なのに、今では日本と日本人として語られているじゃんw
なんて言うか、確実に日本人でも永住外国人でもない人いるよね
日本語上手いけど、母国語ではないし日常で常用もしてない。
で、わざわざ2chにこんなスレ立てて毎日書き込ませる国は1つしかないw
>>198 とはいっても、渤海は全く中国の歴史に属するけど
渤海が中国の一部だったかというと、それは違うだろ。
あくまで、唐の羈縻支配を受けた地方政権、と、冊封を受けた従属国
2つの間にある存在、地方政権に近いけどね
高麗、朝鮮も中国の歴史でいいんじゃね
完全に属国だったじゃん
朝鮮は中国の歴史だけど、高麗は一時期除いて違うだろ
モンゴルに征服された時代以外は属国だっただけだし
203 :
世界@名無史さん:2011/11/07(月) 17:29:51.24 0
Territorial domination in history.
物凄く正解だと思うけど
>>200 民族が独立国家を建てたとしても吸収されれば、その歴史は中国になるのでは?
現在では民族を主張しても国籍は中国。だから歴史的には中国になるのだ
204 :
世界@名無史さん:2011/11/07(月) 17:36:55.52 0
そうするとイランもモンゴルの歴史の一部?
渤海は朝鮮史か中国史かなどという問いが
現代のナショナリストと歴史教科書編纂者以外にとって意味があるのか甚だ疑問だが
>>203 あーなるほど、そう言われればそうか
古代の少数民族国家を中国と呼ぶのは、凄い違和感あるけどw
ところで今の韓国朝鮮でも新羅人とか百済人とか高句麗人とかの区別(差別)ってあるの?
南と北が反目してるし韓国国内では南部が粗末にされてると聞いた
沖縄の歴史も日本の歴史だもんなぁ
210 :
世界@名無史さん:2011/11/07(月) 22:48:44.20 0
嫌韓はいいけど朝鮮憎しの反動で
中国の「強盗の論理」を持ち上げるアホはなんなんだよ
渤海は日本にも朝貢してたろ。
中国の歴史の一部って理屈が成り立つなら
琉球も中国の一部になってしまうじゃないかw
いまは日本国沖縄県だけど
>>210 唐の一部ではないけど、中国の歴史の一部なのは間違いない
唐の地方政権か唐の属国かは、また別の問題でしょ。
楽浪郡や玄兎郡は漢の一部だが朝鮮の歴史の一部だし。
渤海が契丹に滅ぼされたあとに出来た国が遼ですか?
女真族が建てた金国はもうちょっと後だったような記憶があるのですが
遼はモンゴル系の言語を使う契丹人が支配者だったよ。
契丹が建てた(国号を漢風にした)国が遼
渤海の靺鞨人と金・清を建てた女真人は別の民族?
女真・満州スレぐらい見ろよw
>>216 渤海は主に粟末部と白山部、金は黒水部が中核。
靺鞨人と女真人は異音同義
あ、靺鞨ってモロ女真=満洲なんだ。
そりゃ地名としての満洲をムリヤリ「東北」に言い換える中国としては、
後金、金とともに渤海も是が非でも中国史に組み込まなくてはならない
モノだわな。
満洲支配、満洲人の漢化併合は現中華人民共和国の正当性の
中でも重大な支柱の一つな訳で。
一方、歴史の事実というものは当然そんな思惑とは無関係な訳だが。
>>219 清の時代から満州は東北三省(東三省)と呼ばれてる。
満州人の建てた大清が中国王朝だった以上、渤海が中国史に含まれるのは当然。
>>220 当然も何も、過去に存在した国を、現代のどの国の歴史に属すかなど決める必要があるの?
貴方は中国の教科書編纂委員か何かなの?
>>222 何の為に歴史が存在するか考えれば解るだろ
渤海−金−清が同じ民族によって建てられた事実を敢えてボカす意味が解らない
そしてそれは明らかに中国史あるいは満州史に属する
>>223 > 何の為に歴史が存在するか考えれば解るだろ
人間が今までに積み重ねてきた様々な行いとその結果が「歴史」
「何か」のために歴史が存在しているわけではない
> 渤海−金−清が同じ民族によって建てられた事実を敢えてボカす意味が解らない
誰もボカしちゃいないと思うが
【無限ループ】
226 :
世界@名無史さん:2011/11/08(火) 21:08:43.10 O
例えば、ドイツ(渤海)がフランス(中国)とポーランド(朝鮮)に分割されて、
ドイツ人(渤海人)は二民族にそのまま同化されたとする。
みたいなのを想像すればいいか。
分割されてないから的外れだな
渤海人は満州人になったりモンゴル人と漢人に同化されたが
どれも中国国内の民族であって、朝鮮の出てくる要素は1ミリも無い
チンギス・カンは中国の英雄だけど
モンゴル民族は外モンゴルと内モンゴルに分断されてるな
>>227 渤海の滅亡後、その領土の一部は高麗領土となったようだが
高麗の支配下に入った渤海人は、高麗人に同化されたのではないの?
>>229 なってねーよw 極僅か数%ならなったけどね
渤海人の大半は遼の支配下に入った、高麗が旧渤海領の極一部を併合したのは
渤海滅亡後1世紀以上経ってから
定安国とかとの境界はどのへんじゃったっけ
それら渤海後継政権をなぎ倒して遼がやってきてすったもんだの大騒動だが
・花王不買 → 花王より良い製品が見つかって幸せ・心も体も健康に
・他の会社 → 広告費かけないで売上げ増加
・花王ファン →いつもより花王が安く買えて幸せ
・花王社長 → 「不買の影響は全く無い!」
・2ちゃんねら → 今日も勝利で飯がうまい
・ネトウヨ連呼リアン → ネトウヨ連呼バイトが増えて幸せ
・地球 → 花王製品使う人が減って地球にもやさしい
* *
* +
n ∧_∧ n みんなが幸せになる花王不買
+ (ヨ(* ´∀`)E)
Y Y *
朝鮮民族の金王朝チームが勝ったな
韓民族のチームはレバノンに負けたけどw
>朝鮮民族、韓民族
その2つは同じものでしょ
現代における民族国家の原則に則り別れたのが
北朝鮮と韓国だと国際的にも認識されている。
国際的って、具体的に誰が認識してるのよ
韓国も朝鮮も英語ではKoreaで、SouthかNorthを上につけて区別される
歴史的経緯からみても、朝鮮半島が分断されたのはWW2後の米ソによる分割占領が基になってるのであって、
南北の民族が違うから分かたれたのではない
>>235 詳しい解説サンクス
これなら朝鮮民主主義人民共和国と韓国に別れているのが自然な気がする。
どこが詳しい解説?
何が「これなら」?
>>235 詳しい解説サンクス
このスレッドで2つの民族2つの国家を批判している人たちは
覇権主義に染まった軍政主義者なのだと納得した。
240 :
世界@名無史さん:2011/11/24(木) 22:57:19.00 0
「東北アジアの考古学」によるとカマドの煙道を室内に伸ばして
暖をとる工夫は遼東から朝鮮半島中部にまで広がり、これが
高句麗後半から渤海の時代にオンドル(カン)となったそうな(P178)
渤海後期には一般の平地住居にも普及したとのこと(P257)
渤海時代には竪穴住居から平地住居への移行も進んだという
言葉もはっきりせぬ国だが生活に与えた影響は今に至るほど
中々に大きかったのかもしれん
多分それ中国のオンドルが取り入れられて広まった
オンドル自体は漢代からあるし
高句麗・渤海は中国でも朝鮮でもないだろう?
>>112 >粟末靺鞨
なんて読むの?
wikipedia にすら読みがない。
>>242 それはそうだけど、技術伝来の話してるんじゃないの?
>>243 朝鮮人は周王朝の時代からいる古い民族
由緒ある国だよ、途中で断絶したけどw
>>124 英語で百済を Baekche と言うようだが、
百済と全く関係のない朝鮮語ベースなのは
世界中でコリアンが教育現場を
蝕んでいるんだろうなと容易に想像できるね。
>>247 酷い話だよな、ローマ時代のことはラテン語で
倭が百済新羅を支配していた時代のことは万葉仮名で記すべき
もちろん渤海のことは漢文で、新羅のことは漢文で
>>224 >人間が今までに積み重ねてきた様々な行いとその結果が「歴史」
>「何か」のために歴史が存在しているわけではない
これには意義があるな。そこまで歴史は科学してない。
国家が観測しない限り、歴史なんて存在しえないよ。
日本人の立場として、中国史よりも満州史を推したい。
(それが一番中立な見解だと信じるから)
韓国史、何それ?
>>234 というか大韓民国での呼称であって、日本語じゃないよね。(後者)
>国家が観測しない限り、歴史なんて存在しえないよ。
中国史関係のスレでそれは無いわ。
国史と軍事史の記録の主体は確かに史官と呼ばれた国家官僚だったが、
それを歴史と為す作業者、編纂の主体は古代では個人の史家だったんだぞ。
まして、国史と軍事史だけが歴史じゃない。
>>249 佐伝、史記、漢書、三国志、後漢書、資治通鑑
歴史、戦史、同時代史、年代記、内乱記、ガリア戦記、ゲルマニア
ぱっと思いつくだけでも色々ある。
歴史を厳格に管理・規制した歴代朝鮮王朝的な在り様が歴史の全てじゃないと思うよ
我々日本人としては
つっても後進文明の日本は欽定史書から始まったけどな
>>252 そんなもんなの?
大昔の出来事や、海の向こうの蛮族伝まで、
国際社会の大勢が国家の助けなしで正確に書けるものなの?
>>253 さらに後発の高麗は日本国の欽定史書を模倣したんだろうな
>>254 つ【博物誌】
プリニウスの方ね。
古代国家の力なんて高が知れているよ。
好事家や商人のネットワークの方が広い。
だから殆ど伝承や噂話の収集であり、遠方になるほど正確とは言いがたいが。
魏志東夷伝なんてその典型じゃないか。
>>254 国家編纂の史書が作られたのは中国では南北朝以降
とはいえ前4史も詳細な数字が記録されているよ
>>242 中国の史書に靺鞨の条と渤海靺鞨の条があるから
清王朝の祖先の渤海と靺鞨は中国の歴史だね。
高句麗は中原を支配した事が無いから、細かく分ければ満州史か
>>258 史書にあるかどうかで歴史を決定するの?
>>259 靺鞨の建てた金は華北王朝であり清王朝の祖先にあたる国でもある。
渤海靺鞨であって渤海高句麗でない、その心は?
>>18 その論法だとシンセキ参謀総長など政府要職に日本民族がいるアメリカ合衆国も日本史に入るねw
262 :
世界@名無史さん:2011/11/29(火) 09:36:53.05 0
s s s s s s s
ワイが聞いた情報によると、もうじき中国はバブルがはじけて昔の貧乏な中国に戻るらしいで
もう経済は破綻してて、取り戻すのは無理なんだそうや
その世界ではごっつい有名な政府関係者筋から聞いた確かな情報やで
まあお前ら頭の良い連中には、今さらなくらいのネタやな、
お前らからすればもう常識的なくらいの知識やろ?
>>261-263 どうやらよほどつごうがわるいようだな。
渤海は靺鞨の建てた国であり金、清へ繋がる。
高句麗は何だろうな、生まれた地方が悪かったんじゃなかろうか
色々なものが発達して高度化巨大化した時代に、中原と辺境に挟まれて逃げ場が無く消えた
>>264 高句麗が消えたって言うなら、渤海だって消えたんじゃないの。
266 :
世界@名無史さん:2011/12/06(火) 07:06:59.91 0
高句麗人の末裔は地球上のどこにもいないが渤海人の末裔は中国国内にいる
その違いが大きいね
なんか噛みあってない議論だな…。
高句麗の末裔は日本・新羅・渤海それぞれに散って同化吸収されたろう。
ただし貴族階級は日本に渡ったのが多いだろうけどね。
庶民階級は渤海の民籍に入ったのが多かったろうし。
意図的にはぐらかしてる気もする。
高句麗の末裔は同化されて消滅したが
渤海の末裔は女真であり、現在の満族の中にも末裔がいるだろう。
270 :
世界@名無史さん:2011/12/09(金) 22:23:38.56 0
朝鮮とその周辺の歴史地図を見ると
・新羅の国境が大同江〜清川江に北上している
・時代によって渤海が現在の平安道に当たる西部領土を失っている
(なお唐は平安堂全域または平安北道に当たる地域を支配)
・渤海の最初の首都は現在の黒竜江省
・渤海の首都は現在の咸鏡北道の清津市に移転するが咸鏡道の大部分は歴史的に満州の影響が強く
朝鮮の文化圏に入ったのは李朝時代
という事を考えると
朝鮮よりも満州の歴史と考えた方がしっくり来るな
仮に渤海が西部領土を滅亡まで維持してきたなら朝鮮史の一部とも考えられるが
沿海州も元々満州の一部でロシアに分捕られた地域だし
さすがに渤海=朝鮮史にするのは無理があると思う
今の国で言うなら現在のポーランド国土の大部分はドイツ・オーストリア領だったけど
ポーランドの歴史をドイツ史にするようなものだし
仮に李朝が咸鏡道の大部分を併合してなかったら
渤海=自国の歴史なんて考えは生まれなかった気がする
最初の首都は吉林な、しかも南海府は主要都市だが首都になった事は1度もない
そんな所まで嘘教えるのか朝鮮韓国学校は
<;ヽ`∀´>…
273 :
世界@名無史さん:2011/12/10(土) 03:50:00.98 0
>>269 女真は渤海国が滅亡した後で登場するが
女真人と渤海人はその後もかなり長い間、並行して存在したわけだから
「女真は渤海の末裔」という言い方は成立しないと思うよ。
女真は契丹人の訛りで渤海国を建国したのも女真の一派だから
女真人は渤海人の末裔という言い方は常にではないが成立するよ
>>270-271 しかし南海府首都説なんてものがあるとしたら誰がどんな論拠で出してて
どう展開したと思ってるのかちょと気になるな。そんなに対日貿易に賭けてたのか?
海渡らないといけないにしては、相当な回数来てたけど
やっぱ儲かったからなんだろうか
韓国語自体が、重子音の閉音節を多用して
アルタイ諸語の音声的特徴からかけ離れている。
この特徴は、タイ・カダイ語族など南方と共通性が高い。
ハングルには15世紀に母音調和があったが、それ以前はわからん。
現代語では緩いが母音調和は残るが、それがモンゴルの影響である可能性がある。
日本では7世紀には母音調和があったが、その後はどんどん緩和されている。
北朝鮮の言語も、ピョンヤン放送を聞いてる限りは、韓国語とは方言関係にある。
意外と韓国語・朝鮮語は、満洲や渤海とは言語での関係が薄いのかもしれない。
意外も何も、満語と鮮語は別の語派でかけ離れた言語。
>>278 地理的には近いのに、言語が離れてるってことあるの?
ベンガルとカンボジアは近いのに
言語的特徴が全く違う。
カンボジア語にはインド系語彙の借用が多いが
それはかなり古くから東南アジアにいたからという理由。
あと、華南沿海部漢語もモンゴル語とはかけ離れていて
タイ語の特徴をもっていたりする。
間に北方漢語がバッファに入っているけどな。
ギリシャ語とユーゴ語、トルコ語とギリシャ語、ロシア語とCIS諸国の言語
ポーランド語とドイツ語、メキシコ語と米語、チベ語とトカラ語は離れてるでしょ
満語と鮮語も隣接する以前は両者の間に漢人や夫余系が挟まっていたから
語彙や発音や文法に大きな差異があっても不思議ない。
>>276 日渤交渉って四面楚歌の渤海が安全保障求めて頻繁に来てたって印象だけど…
>>274 >女真は契丹の訛り
↑お前は電波すぎ。
>>274 >女真は契丹人の訛りで渤海国を建国したのも女真の一派
女真って言葉は渤海国が滅亡してから出てきた言葉だって
>>273に書いてあるだろ。
女真が渤海国を建国するのは不可能。
その頃まだ女真なんて存在してないんだから。
>>282 唐と関係改善した後は金儲けかねー
最後のほうでは北の黒水部も押さえたし、新羅との仲はいまいちといっても
どっちも唐勢力圏内だし
>>284 Sumoが属するMoheの自称Shulisinがモンゴル語化したJurchinが漢語化して女真
>>210 中国との間には冊封関係、つまり臣属の関係があったが、朝貢自体に臣属の意味はない。日本は渤海を冊封した事実はない。
渤海は唐・新羅に挟まれる危機的状況にあったから日本側が高圧的な態度をとると柔軟に迎合したが、臣称要求は拒否して最後まで啓という文書形式を用いた。
288 :
世界@名無史さん:2011/12/24(土) 21:10:56.77 0
Mukriをメルキトと誤認した電波だよw
好好・・・要高潮了
好棒!!好棒!!
再来!再来!
要去就去!!!
要去了!要去了!!
要去了!!要去了!!!要去了!!!!
私処要去了!!!!!!!
292 :
世界@名無史さん:2012/01/18(水) 06:38:49.07 O
渤海は夫余・高句麗の後継を自認していた。
檀君(Dangun)が祖ならば、ツングース(Tungus)系エヴェンキが祖だろう
箕子が祖ならば、古代中国が祖だろう
◎△中国オワタ〇◎
今あなたは落ちこむべき
>>286 なにを根拠にそんなこといってんの?
>>293 どっちも祖ではありえない。
檀君は実在しないし。箕子が半島を支配したこともない。
>>77 うむ、おおむね賛成
岡田英弘をよく読み込んでるね
アメリカみたいに「地域研究」にしちまえばどうだろう
満州地域史なら問題ないだろ
ほとんど内容が中国史扱いだったとしても
日本でも中国でもそんな感じじゃないっけ?
征服王朝の清を建てた女真族的な者の歴史、の枠内で書かれてたような
まあ先住民絶滅させちゃった米国と違って中国の場合は地域より民族で分けてるけど
>>77 その話聞いてると現在の朝鮮民族
は北方系の穢と南方系の韓の混交によって
生み出されたものってことかね。
302 :
世界@名無史さん:2012/04/07(土) 11:47:20.78 0
なんで清朝って樺太を支配しなかったの?
あれだけ領土欲旺盛な王朝、出身地のすぐ近く
なぞで仕方ない
樺太・北海道をロシアの魔手から守ってたとさえ思える
303 :
世界@名無史さん:2012/04/07(土) 13:12:55.13 O
>>301 高麗(李朝も?)は「三韓」とか「鶏林」とか自称してたが
まさにそういうことだろうね(南北の融合)。
>>302 樺太北部の先住民は朝貢していましたよ。
(中華王朝的にはそれで十分ですし)
元の時には鎮圧後、樺太南部に砦をつくったりしていたようですが。
中国側の見解では北京条約以前は清が領有していたことになってる
306 :
世界@名無史さん:2012/04/07(土) 15:21:31.10 0
307 :
世界@名無史さん:2012/04/07(土) 15:32:52.17 O
>305
ちなみに
北京条約は1860年
樺太を日露雑居地とした下田条約は1855年
>>303 鶏林き、慶州金氏の本拠地というだけで、集団の自称ではないと思うよ
309 :
世界@名無史さん:2012/04/08(日) 13:48:03.70 O
>>308 いや、高麗の自称として「鶏林」を使っていた。
スレを眺めてみたけど、俺と似た見解を持つ人があんまりいないなあ。
地政学的意味での「朝鮮」なる民族の括りが形成されたのは、最も遡っても「西暦676年」だと思うんだよね。
それ以前は、朝鮮半島は、北の「亜寒帯大陸勢力」と、南の「亜熱帯島嶼(海洋)勢力」の草刈り場だった。
いうまでもなく、前者が高句麗、後者が倭国となる。
気候的にも地政学的にも、朝鮮半島はこの遷移地帯となり、独自のエスニシティを形成しづらい。
広開土王碑の記述も、記紀の記述も、普通に読めば、この「倭国vs高句麗の南北戦争」を明確に描写している。
これは、一種の文明間戦争で、倭国は南朝鮮では元気だが、北上するとどんどん力を失う。
高句麗は逆に、南部に達すると進軍が鈍る。どちらも、故郷とあまりにも風土が違うから。
この草刈り場に、高句麗が建てて管理人を置いた倉庫を、倭国が乗っ取ったのが百済。
草刈り場に倭国が建てた無人倉庫に、どこからともなくやってきた流民が居着いてしまったのが新羅。
この「南北の草刈り場」に我慢ならなくなった現地民が、南北に対抗するため、
「西の中華に全面事大して、南北双方に対立するエスニシティを確立する」という行為を行ったのが、7世紀の新羅。
これにより、草刈り場の真ん中に、新しい民族領域が確立した。ここに朝鮮なる民族概念が始まる。
すでに、大韓3国=新羅&百済&高句麗、という韓国人の発想がそもそも間違いで、
これは中国史書や大和朝廷の伝統的な理解である「三韓」のほうが正確。ただしこれは草刈り場の名称。
311 :
世界@名無史さん:2012/04/10(火) 06:55:50.04 O
な新羅人は後から来たっていうのか?
312 :
世界@名無史さん:2012/04/10(火) 07:59:45.78 O
逆に
西日本=「大陸出身者の土地」
東日本=「大陸勢力をある程度食い止めた土地」
とも言えるな。
例えば、ヤマトは大陸勢力に先住民が敗れているが、
諏訪では大陸勢力と先住民が
大陸勢力>先住民
という関係を認めつつも共存している。
>>310続き。
この事実は、「朝鮮」という民族集団の定義と存立の条件そのものであって、現代史にまで繋がる問題となる。
朝鮮とは、
1、黄海の西に存在する中華に事大することにより、
2、北の満州と南の日本の双方を排斥して、地理上の朝鮮半島に確保される民族集団
というのが、定義そのものになる。
この定義を満たさない状態の場合、朝鮮(大韓)というエスニックグループ自体が、存在できなくなる。
A まず、「西の中華」に「事大しない」状態では、存立すべき領域を地政学的に確保維持出来ない。
B 事大したくても、「西に中華帝国がない、または劇弱な」状態だと大変に困る。
頼るべき西の中華がおらず、早晩南北勢の草刈り場に戻ってしまうからだ。
C また、中華が西に独立して存在せず、排除すべき南または北の勢力と一体化した状態でも存亡の危機に立つ。
南と一体化した例は無いが、北と一体化した例は歴史上2回ある(元と清)
朝鮮史を見れば、この事実は一目瞭然だと思う。
>>1に戻れば、
渤海国は、真正の北方満州勢力のスタンスに戻った「元高句麗」で、朝鮮とはエスニシティ的に何の関係も無い。
シナ史ではないから、中国史だと言うのは気が引けるが、東北工程どちらかを支持せよ、と言われたら、
俺は消極的に中国史説を採る。中華人民共和国は、一応、
後金王朝にしてモンゴル帝国の名目上の後継者でもある大清帝国の、事実上の孫国家でもあるから。
316 :
世界@名無史さん:2012/04/12(木) 01:22:38.93 0
>>961 なんでみんな朝鮮人を忌み嫌うのかなぁ・・・
確かに日本が統治するまで土人国で日本がインフラや教育制度、医療制度など
全ての近代化につながる基礎を整備してやったのに、台湾と違って逆うらみや
難癖、恐喝、強姦、詐欺、エセ右翼、パクリなど悪行の限りを尽くしてるけど、
それは、ああいう根っからの極悪非道民族だからしょうがないこと。
嘘つきに嘘はいけない、泥棒に盗みはいけないとうくら説教しても無駄なんだよ。
317 :
世界@名無史さん:2012/04/14(土) 13:53:15.26 0
>>312 言えねーよ。
西日本と東日本で多数派を占める民族が違ったなら
日本人とアイヌの言語系統が異なるように、
西日本と東日本で言語系統が異なるはずだろ。
西日本と東日本で日本語が話されているってことは、
両地域とも日本語を話す民族が多数派を占めていたってことだ。
その多数派を占めていた民族が縄文系か弥生系かは知らんがね。
宗教もあんまり西と東ではかわらないし、
その場で識別できる指標がないんだよな
>>315 元は違うんではないのか?
支那の中華思想史観では「蒙古人から支那の皇帝が出た」だけれど、
当事者的には(遊牧民世界観)では、支那はモンゴルの属領になった、
蒙古本国を治める大ハーンの荘園の1つが支那、ということで、
高麗もそういう属領の1つ。
元も完全に一緒だね。
元朝の首都はカラコルムではなく大都
冊封を受けて属国になった前後の宋代高麗や明代朝鮮と違い
元代半島が完全な直接支配地になった点は違う
321 :
世界@名無史さん:2012/04/14(土) 16:21:48.02 O
元と高麗は別国。
税の徴収も別。
軍も別。
税の徴収は一緒だよ、元領半島の徴税分は元朝廷の国庫に収められた。
軍も当然一緒、元領半島には元軍が駐留していた。
>>320 カラコルムが本国首都
カンバリク(大都)が属領カタイの首都だよ。
>>321 本国でなくて、属領で、在来の統治機構を利用したものだな。
モンゴル帝国は封建制だし。
大元大蒙古国征東行省高麗国
大元大蒙古国征東行省、ここで終わり。(旧高麗国)が注釈に付くかな?
集史にも、高麗王は居るが彼は何も支配していない、とある。
高麗地方とか高麗地区みたいな感じ
何も支配してない状態から元が傾いたとたんに支配を取り戻すとは中々のやり手か
夫余とか高句麗とか百済は意地張って滅びたのに
なんだかんだで新羅以来生き延びてきた連中だしな。
この場合はモンゴルの支配がざるざるってのもあるけど
てか渤海と何の関係も無いねw
その新羅も吐蕃が唐を攻撃してなかったら
百済、高句麗のように滅びてただろうな。
朝鮮人はチベット人に感謝するべき。
唐はあちこち手を広げすぎだからな。にもかかわらずあれだけ広範囲で粘ったのは
大したもんだけど
唐も征服王朝だろ。
属領漢土を支配するために漢土の皇帝を名乗ったけれども、漢土の外に対しての名宣は拓跋の可汗だしな。
河西回廊以西の中央アジア地域の支配なんて、唐の冊札国というよりは、拓跋の保護国・属国あるいは拓跋を
盟主とする同盟連合のようなものだし。
唐と吐蕃との抗争にしても、拓跋を盟主と仰ぐ連行の下に入れというものと、属領漢土の奪い合いと、2つの側面が
あるわけで。
五胡十六国時代よりあとは、大帝国といえばどちらの要素もあるのが平常運転だし
珍しい話でもない・・・・宋と明が例外的だっただけでね
趙宋も沙陀族軍閥の背景、明も傍系の永楽帝が帝位簒奪に北方民族の力を使ったので
背後には北方民族の影ありなのだ。
北方民族だの遊牧民族だのと言っても既に本国とか無い状態だけどなー
渤海も遼半ば以降は本国無しの民族ってとこか
人の集まりが国なのだ
漢人帝国の手下に北方民族が・・・ってレベルまで拡げると、漢代の南匈奴まで話が遡っちゃうからなぁ
帝国自身が北方民族の出自で、北方民族に対して同朋のなかの盟主という地位で臨むのが話のキモなんじゃ?
>>331 唐は違うよ、元、清、鮮卑の建てた諸燕は征服王朝だけどね
北魏でももう支配層の漢化と漢族の割合が増大して征服王朝とは言えないだろう。
>>336 同意するよ。
>北方民族に対して同朋のなかの盟主という地位で臨む
これがヤヌス的征服王朝の、「最も重要な要件」だろうなあ。
つうか、これを満たさないものまで、征服王朝的に理解するとなると、
周や秦まで含まれることになる。秦どころか周が含まれるとなれば、補集合のほうが無意味になるw
となると、おそらく唐がボーダーライン上だろうと思う。
宋だの明永楽帝だの言い出したらきりがない。
ただ、
>>310は、地政学的な話なので、朝鮮から見たときの中華帝国の版図だけが問題であって、
王朝の文化体質は、あんまり関係無いんだけどね。
朝鮮の民族国家の存立にとって何より重要なのは、「海の向こうに事大する」ということ。
中華本体とは、遼東でちょっと繋いでいる分には良いが、まともに半島の入り口を塞がれると、
それは、漢族勢力だろうが何だろうが、朝鮮から見れば「脅威の北方勢力」になってしまう。
華北と江南を両有した帝国が日本海側まで塞いだのって
前漢、唐、清、現代中国と、歴代統一国のほぼ半分じゃね
江南領有を条件に含まないなら、前秦、北魏、遼、金、モンゴルが加わるし
>>337 対外的に拓跋の可汗なんて言ってる時点で遊牧王朝だろ。
イスラム帝国との抗争で、なんで、イスラム帝国側の資料に、チンなりタングなりでなく拓跋で、
シャーでもファングでもなく可汗として手で来るのは、なんでよ?
西方の呼び名となるととっくに滅んだ秦や契丹由来(シナやキタイ)が延々使われてたりするからのう
>>340 対外的にも、渤海や日本、海南諸国、新羅、吐蕃には皇帝を使ってるよ
突厥や回鶻のような遊牧民に対しては解り易く天可汗を使ったけどね
要は初期北朝や遼、金の南面政策と裏返しの北面政策に過ぎない
中国王朝が遊牧民を遊牧国家的に支配する為使われた方便。
イスラム帝国側の資料にもfaghfur-i-chinやチンを統べるmalikとして出て来るよ
>>342 安南やら新羅やらは、漢土の属領じゃないか。
漢土の行政区分といっていってもいい。
遊牧系王朝が農耕民を支配するときは従前の支配機構を残したままで行うことが多々あるから、
漢土が辺地を支配する支配方法として、やったものだよ。
対外的ではないわなあ。
渤海・新羅・日本は漢字漢文が通じるからいいが、吐蕃相手はなあ
唐蕃会盟碑のチベット文だと「ギャの王のブンブヘウティグ=フワンティ」とか呼ばれてるが
345 :
世界@名無史さん:2012/04/17(火) 22:32:33.20 0
>>342 渤海日本新羅は中国文明圏にはいるけど、
突厥とウイグルは別文明、
漢文が通じない地域は蛮族として見ていたとも言えるけど、
傘下に入らない、ある意味対等に見ていたともいえる。
>>343 安南は領土、新羅は属国、海南諸国は一部が領土で多くは属国、区別付けような
>>345 いいや、全く以て絶対に言えない。
唐の皇帝は天可汗、突厥と回鶻の可汗はただの可汗。皇帝と国王、天皇とただの王くらい違う。
そもそも突厥は一時期属領にまでなってたよ。
>>345 まあタリム盆地のほうは、漢単語自体が流入していなく
アラビア単語の借用が多く、ペルシャ単語がわずかという具合だからな。
>>346 まあタリム盆地のほうは、漢語自体が流入していて
大量の行政文書が漢文で書かれ、発見されたその極一部が
敦煌学という学問分野にまでなるような具合だからな。
ああそういえば、突厥や回鶻の残した碑文もトルコ語・漢語・ソグド語の併記だったな
檀君が生きたのと同時代にはモンゴル高原の民も漢文を知らなかったようだが。
いや、その時代は騎乗すらしていなかった可能性絶大だなw
敦煌はタリム盆地と違い、西夏の都市だったんでは?
よって河西回廊というのが正確な地域名。
そこはタングートなので、シナ・チベット系だな。
>>349 タリム盆地に在った他の都市と同じく、敦煌も唐の都市だよ
亀茲、敦煌、高昌、いずれからも漢文で書かれた土地の権利関係その他の行政文書が発見されてる。
中国56民族言語のうち、ウイグル、タジク、ウズベクにだけは
漢語の単語が全くといって流入していない。
これは、漢語の借用語をアラビア語に置き換えたみたいね。
>>346 当の支那圏が外国なんて概念を二千年来持っていなかったんだから、区別もヘッタクレも無いだろ。
支配の及びやすい順に、国、州、省、郡、県 なだけ。
>>351 系統の近いカザフやキルギスには沢山入ってるの?
>>352 張騫伝に外国ってあるね、外国って。
後歳余,其所遣副使通大夏之屬者皆頗与其人倶来,於是西北国始通於漢矣。
然騫鑿空,諸後使往者皆稱博望侯,以為質於外国,外国由是信之。其後,烏孫竟与漢結婚。
>>353 中国のカザフ族やキルギス族は、公式の場では張とか馬とか漢姓名乗ってくるからな。
もと遊牧民で蒙古経由で流入しちゃた単語があるみたいね。
天堂、テンゲリのなんかの世界観と、蔬菜の名称とかで知らず知らず流入。
蒙古から漢族の江南・嶺南まで流入していった可能性も、年代的には否定できんが。
>>339 アメリカ大統領選挙の仕組みじゃあるまいし、「瞬間風速を足したら半分になった」、は良くないと思う。
7世紀以降、江南を支配しつつ同時に【持続的に】朝鮮半島を塞いだ中華国家は、
「元、清、人民共和国」の3つだけ。
この3つの時に、朝鮮がどうなったのか?(3つの時以外はどうだったのか?)ということは、
朝鮮なるものを理解する鍵であり、反射的に、渤海国の何たるかを理解する鍵にもなると思う。
つまり、朝鮮(典型的には新羅)は、「日本(と同じ地政学的ポジション)になりたかった国」なんだよ。
黄海を東シナ海に見立てて、中華との適切な距離を保ちつつ援助を求める関係を樹立したい。
だが、日本は島嶼なので、独立は地理的に自明だが、朝鮮はそうはいかない。
何時でも南北から突っ込まれる。しかも、時に西の中華が山海関の東側から化けて出てくることがあるw
だから、事大は生命線だが、事大自体には屈折した感情がある。
こう考えると、渤海国は、朝鮮的民族世界とは、全く無縁の国であることが分かる。
>>355 そういうことでなくて、さ、同じ事物を指し示す単語が、ウズベクやウイグルではアラビア語・ペルシャ語由来の単語、
カザフやキルギスでは支那語由来の単語、ってことが言語の系統も近く隣接して住んでい練るのに、そんなに高い
頻度でに有るのか?
遊牧民が先祖でモンゴルとつきあいが密か
定住民が先祖でペルシャとつきあいが密か
その違いだろう。
モンゴル人や東干人に反発があって
西のペルシャ寄りに寄って、意図的に東の単語を追い出したんだろう。
経緯ではなくて、そういう例が本当に多いのかと、問うてるのに。
そういう主義主張があるんだろう、某国が漢字廃絶運動と併せ
漢語由来の単語を新造語へ置き換える運動を進め、頓挫したように。
>>360 あるんだろう、とかそういう話ではなくて、実例が多いか少ないのかを訊いてるのになあ。
理念とか思想とかの話でなくてさ。
具体的には、どういう単語で、中共支配域のカザフやキルギスは支那語起源の単語を用い、
同じく中京支配域のウイグルやウズベクが西方起源の単語を使っていて、語彙に差が生じてるの?
>>355 名前を訳すことは別段珍しいことでもないしなあ。
本邦でなら、廃藩置県まで琉球の士分は唐名と大和名と二つ名前があったし、
帰化人なんかも和名がついてるし。遅いものなら、三浦按針とか小泉八雲とか武林治庵とか。
モンゴルやカルムイクが西方に媒介した語彙には、梵語由来のものもあるわな。
その時期は比較的近世にあたり清朝期。
その梵語もラサチベットの音に訛化しているのでサンスクリットとぴったり一致しない。
>>366 そりゃ、長くモンゴルとチベットは交流があるし、チベット密教は清朝の国教みたいなものだし。
本屋行ったら渤海舞台の小説(文庫)が出てて驚いた
「風の王国」ってやつ
五木寛之のサンカものと同じタイトルか・・・・ややこしいね
ちなみに吐蕃を舞台にした同名の小説とか高句麗・夫余を舞台にした同名のネトゲ
とかもあるんだぜー
誰が遊ぶんだそれw
韓国のネトゲですし。UOより古いネトゲの一つですわな
373 :
世界@名無史さん:2012/05/04(金) 16:33:24.44 0
粛慎→?婁→勿吉→靺鞨→渤海→女真
粛慎→ユウ婁→勿吉→靺鞨→女真
じゃないか? └→渤海
375 :
世界@名無史さん:2012/05/04(金) 22:05:08.76 0
だな
376 :
世界@名無史さん:2012/05/04(金) 22:06:46.01 0
あと、靺鞨か渤海あたりが現在の朝鮮人につながる。
李氏朝鮮の王と貴族が女真人だから
一般人民も文化的な影響を受けただろうが、直接的な繋がりは無いだろ
日本語で読める渤海史のオススメはありますか?
無いよ。渤海だけじゃリブレットにしかならん
最近吉川から出た本も糞以下の酷い内容
381 :
世界@名無史さん:2012/05/10(木) 13:47:37.52 0
382 :
世界@名無史さん:2012/05/11(金) 18:23:21.07 0
●真実を広めて下さい。〜竹島を韓国に奪われた経緯●
戦後、自衛隊が存在しない期間(1945年8月から1954年6月までは日本領土を守る組織がなかった)
韓国はその隙をついて竹島を不法占拠しようと考え、
1952年に国際法を無視して李承晩ラインを一方的に設定。
日本の外務省は直ちに抗議、アメリカ・イギリスもそれを支持した。
韓国は竹島周辺で漁業をしていた日本の船舶を漁船に擬装した武装船で
至近距離で警告なしに射殺、拿捕。捕虜には地獄のような拷問を繰り返した。
328隻を拿捕、漁民3929人を拉致監禁、日本人44人を虐殺。
韓国は人質を解放する条件として日本の刑務所にいる朝鮮人凶悪犯罪者など472人を、
放免して特別残留許可を与えることを要求、日本はその条件を受け入れた。
同時期に、韓国政府は密入国朝鮮人の強制送還の受入れを拒否。
収容しきれなくなった密入国朝鮮人に日本政府は一時的な在留を許可(入管特例法)した。
自衛隊は、1954年7月1日に設立された。
384 :
世界@名無史さん:2012/05/27(日) 22:11:04.53 0
>>378 だいぶ前の本だから古本でしか手に入らないだろうけど
2,3冊ある。内容的にそんな悪い本はないよ
385 :
世界@名無史さん:2013/02/20(水) 00:19:22.59 O
扶余語ってあったんですか?
あったよ
>>376 厳密にいえば
粟末靺鞨→女真→李朝じゃないかな?
李朝は女真の征服王朝だけど
支配民族が圧倒的少数だからDNA的にはあまり関係無いんじゃないの
朝鮮民主主義人民共和国はともかく南韓は特に
ドラマ「大祚栄」は渤海の史実に忠実なんですか?
韓国のドラマなんですが
渤海は旧高句麗の制度や軍政を元に構築してるし
高句麗遺臣が多く参加してるけど大祚栄自身は靺鞨人みたい
言語が高句麗語だったのか靺鞨語だったのかはわからない
ただ日本に来た渤海の使者は高麗人を名乗って高句麗の後継国家を自称してた
高句麗の王族は唐に強制移住させられたけどね
>大祚栄自身は靺鞨人みたい
高句麗遺臣じゃないんですか?
>>393 どっちなんだろーね
中国側は靺鞨人って認識みたい
高麗の言い分だと高句麗遺臣だね
旧唐書が「渤海靺鞨の大祚栄、本は高麗(高句麗)の別種なり」
新唐書が「本来高麗(高句麗)に付いていた粟末靺鞨の者で、姓は大氏」
か、いちおう高句麗側で靺鞨であるとの認識ではあるようだ
当時の中国から見てもスパっと分かり辛いのかもしれん
高句麗も渤海も文に漢語を使う多民族国家のようだし
渤海は公用語が漢語だったが後期になって靺鞨語に変えようとしたみたいだな。
高句麗は概ねワイ貊の単一民族と思う、漢人は多数居ただろうが
高度技能者としてだから、多民族国家という程居たわけでは無さそう
高句麗が朝鮮の政権か中国の地方政権かはなかなか難しいよな。どっちとも取れそう
朝鮮三国志に組み込まれているけど、中国からの干渉も受けてるしなぁ
ぶっちゃけ一番属国だったのが李氏朝鮮だしね
李氏朝鮮だと朝鮮人自治区扱いだもん
高句麗は中国の地方政権か満洲の半独立政権か
そのどちらかであって半島とは何の関係も無い
日本を本拠地とし政府高官が主に日本人から構成された大日本帝国は
半島を支配したが半島政権に認定する馬鹿は居ない
それと同じ事
満州族の王朝でいいじゃん。
401 :
世界@名無史さん:2013/09/20(金) 23:39:21.50 0
例えばフランスがスペインとドイツに分割されて、
フランス語も消滅したとする。
さて、今までのフランスの歴史はどちらに属するか?
>>401 その仮定は史実と全く合致しておらず問題外、お話にならない。
正しくはドイツがロシアに併合され、アルザスはドイツ民族と共に仏領となったが
今までのドイツの歴史は、ロシアに属すか、ゲルマニアに属すか、フランスに属すか
と訊かれれば、答えはロシアかゲルマニアの歴史のどちらかであって
フランスの歴史では決して無い、それと同じ事で高句麗の歴史は南韓とは無関係。
南ツングースは国家を失ってしまったから、中国や朝鮮から歴史をパクられるハメになった
小さくてもいいから国が残ってたら、面白いことになっただろう
404 :
世界@名無史さん:2013/09/22(日) 10:34:06.65 0
>>399 そもそもが渤海関連の研究者はたいがい韓国に取り込まれてるからな
「その道の権威」の本が
渤海が滅んでから遺民が高麗に逃げて
残った奴は反乱繰り返して消滅したみたいに書いているけど
実際には
遼では末期には渤海王の子孫の大公鼎が政府中枢にいて
天祚帝、耶律撻曷里、耶律余覩にも大氏が嫁いでるし
金では兄弟民族として扱われ
海陵王の生母だったり
渤海王の子孫の大㚖(金史80)や高句麗王の子孫の張浩一族(金史83)を筆頭に
高彪(金史81)張浩(金史83)高驕i金史84)高徳基(金史90)高衎(金史90)高пi金史100)を輩出し
元では
張礎(元史167)高觿(元史169)任速哥(元史184)攸哈剌抜都(元史193)を輩出して
元代まで渤海人としてのアイデンティティ持ってたものが
朱元璋の漢民族以外は漢地居住を認めない方針によって漢民族に同化したんだから
どう考えても中国史だろうにw
明史でその系統は消滅したんだから残った系統を後継扱いは
しょうがない気もするんだけど・・
高句麗→渤海でも本流は途絶えてる
渤海→高麗でも同じ
高句麗→高麗の流れは支流の支流なのはまぁそうなんだけど
他に残ってる系統がいないし
住民レベルでも高麗系の血統は北朝鮮にしかいないんじゃないかなぁ・・
訂正:高麗じゃなくて高句麗系ね
高句麗系の血統は満州に最も多く居るよ
北朝鮮の末裔も高句麗語喋れないしね
可能性としているだろうけど集団としてはいないんじゃない?
満州は上書きが激しすぎるし清朝の空地政策とかあるし
今住んでる住民は後から勝手に侵入してきた周辺国の子孫じゃないの?
集団としては北朝鮮にも1つも存在しないよ
中国の朝鮮族の血統的多数派は韓族ではなく高句麗系だろう
>>410 中国で朝鮮族が多くいる黒龍江省は、20世紀になってからの移民。
朝鮮族の集住地域のある吉林省は、清末からの移民。
吉林の朝鮮族の言葉は、集住しているため特徴があり
咸鏡道の訛りを保持していることかが有名。
くそ、王建が後百済に負けて、
渤海移民を連れ帰って渤海復興運動に加わればよかったんに。
そうすれば今も扶余系の国家が存在してたはず。
>>411 血統的には同じ事だよ
満州南部も半島北部も共に夫余系だから
>>413 夫余系っておまえいつの時代だよ…電波もたいがいにしろ
415 :
世界@名無史さん:2013/09/25(水) 01:46:34.54 0
>>399 だが、首都を釜山とか光州に移したとしたら…?
半島政権と認定されることが多くなるのではないだろうか
417 :
世界@名無史さん:2013/09/25(水) 18:44:38.73 0
要するに渤海では公用語として何語が使われていたかなんだな
もし朝鮮語だったら朝鮮の歴史に属するし中国語だったら中国の歴史に属する
公用語は漢語
中国の歴史で確定してしまったなw
古代地中海世界でコイネーが国際公用語だったみたいなもんじゃないの
公文書が漢語、口語はツングース語だろうね
文書が漢語なら中国史となると新羅や一時の日本も中国史になりそう
漢字は完全に記述言語で口語とは無関係だしね
>>417-422 前近代の漢字文化圏ではそもそもオーラルな公用語という発想はないでしょ
あくまで記述言語たる漢文が公式言語なんだから。
これは中国国内でも同じじゃね?
つまりオーラルな公用語を基準にすることは適切でないってこと。
但し渤海も日本と同じく
靺鞨語を漢字の仮借によって音表記したり渤海文字を作ったりしてるけどね
425 :
世界@名無史さん:2013/09/27(金) 01:38:50.65 0
ちょっと後代の話になってすまんが
「靖康稗史」1の第三十三程にある黄龍府の状況として
(なんかいきなりリンク禁止になってるんで
>>415にあるページの右上に「靖康稗史箋證」って貼って検索してほしい)
府為契丹東寨。當契丹強盛時,虜獲異國人則遷徙雜處于此。
(中略)故此地雜諸國風俗。凡聚會處,諸國人語言不能相通曉,則各以漢語為證,
(この府は契丹の東の要塞で契丹が強盛のときに異国の捕虜を取ってきてここに移り住まわせ雑居させた。
ゆえにこの地は諸国の風俗が混ざって集まり住んでおり
諸国人の言語も互いに通じないので漢語を共通語にしている)
426 :
世界@名無史さん:2013/09/27(金) 01:42:45.47 0
(長文禁止ってなってたんで
>>425の続き)
ってあって、
おそらくは契丹も女真も自分たちの間では独自の言語を使用していたけど
公用語としては自分たちの言葉を強要せずに漢語を公用語にしていたようだから
高句麗人をベースにした混成国家だった渤海も漢語が公用語だったんじゃなかろうか
427 :
世界@名無史さん:2013/09/27(金) 02:05:14.96 0
>>423 オーラルな公用語っていうか
漢語でも中原でしゃべっているのが標準語であとは訛りっていう意識はあったっぽい
「至正直記」で
文天祥が北に連れて行かれたときに
自分たち宋の人間の言葉が南方訛りだって分かってがっかりしたって記述がある
その漢語って唐の言葉?だとすると鮮卑語?
鮮卑って元匈奴だよね
>>426 渤海は日本と同じく靺鞨語を漢字の仮借によって音表記したり渤海文字を作ったりしている
公用語は漢語と靺鞨語(後期)、夫余語族の高句麗は契丹などと同じく少数民族
渤海国の主要民族は女真の先祖にあたる靺鞨人
女真になるのは黒水靺鞨
渤海にいたのは粟末靺鞨
同じ邑婁の末裔だけど系統がちがう
靺鞨は靺鞨、鮮卑や契丹が複数の部に分かれていたように
靺鞨も複数の部に分かれていただけ、言語や文化は当然よく似ている
百済や高句麗や新羅が複数の部族に分かれていたのと同じ
漢語でも普通にオーラルな公用語(官話)があるだろ
チャイニーズはみんな筆談で会話するのか
433 :
世界@名無史さん:2013/09/27(金) 21:47:14.40 0
>>428 匈奴や鮮卑の言葉はおそらく
日本から朝鮮、モンゴル、中央アジア、トルコにかけての
主語-目的語-述語の語順で膠着語のいわゆるアルタイ諸族だと思われるけど
漢語は一貫して主語-述語-目的語だし
漢字だから単語は膠着しないし
別物でしょ
北京語がもととなっている普通話は、跟などの介詞が多く使われ、語順はフリー。
介詞や助詞が多彩に使われ膠着性が高い。
広東語や福建語に比べれば普通話は
モンゴルやテュルクいった諸語の特徴が染みついているという。
モンゴルやテュルクいったではなく
ツングースやモンゴルな
436 :
世界@名無史さん:2013/09/27(金) 22:10:05.28 0
「新唐書」110「李多祚伝」
「李多祚,其先靺鞨酋長,號「黄頭都督」,後入中國」
(李多祚、その先祖は靺鞨の酋長で、黄色い頭の都督と名乗り、子孫は中国に入った。)
杜甫作「悲青阪」
「黄頭奚兒日向西」
(黄色い頭の奚の小僧どもは日に日に西に向かう)
「契丹国志」26黄頭女真の条
「髭髮皆黄,目睛多香C」
(ヒゲも髪もみな黄色で瞳は多くが緑である。)
北京語は元々マンダリン、官用満州語だからなぁ・・
漢語の元になった民族はもういないんでしょ
438 :
世界@名無史さん:2013/09/27(金) 22:15:45.31 0
>>436続き
三朝北盟会編3
「近東海則謂之東海女真多黄髮鬢皆黄目睛克メ謂之黄頭女真」
(東海の近くにいるものを東海女真という。多くが黄色い髪とひげをしており
みな黄色い目に瞳は緑である。これを黄頭女真という)
渤海は知らんが靺鞨、奚、女真は金髪碧眼のコーカソイドだからね
古い言葉ほど細分化されてるよね、方言の大部分が江南
客家は中原から南下してきた漢民族というアイデンティティを持つ
緯書がノストラダムスの大予言化したあたり
漢代には口語としての漢字書記は完全に喪失してるような気もする
客家は周代に成立だっけ?
本当の漢民族って周までなのかもね
口語としての漢字は前史時代から魏晋南北朝まで変化が無い
南北朝隋唐期に一度大きな変化が有り、清代に2度目の変化
歴史の中で途絶えてしまった朝鮮語と違い漢語は連綿と続いている
モンゴル族や渤海が属する満州族との混血がほぼ無い漢族は
大半が江南の住人だろうね。
しかし江南の諸民族とは混血したろうな
満州-朝鮮諸国は国境も激しく動いていたし、よく混血したことだろう
江南に在った南方の国という事で楚と呉越は一括りにされがちだが
楚と呉越は靺鞨渤海と夫余高句麗、狗邪韓国と三韓くらい違う
>>443 それホントなの?
漢字表記に発音表記の痕跡が出るのがその頃ってだけなんじゃない?
447 :
世界@名無史さん:2013/09/29(日) 20:43:40.55 0
>>443 客家みたいに土楼作って引きこもっていた連中ならともかく
クビライが南宋を滅ぼしたときに
モンゴル人、契丹人、西域人に恩賞として土地を与えて封建領主化してるんだから
だいぶ混ざってるだろ
>>447 馬鹿もここまで来ると哀れだなw
モンゴル人貴族や漢人、金人、契丹人の世侯へ
気前よく土地を恩賞として与えたのは華北、江南は国が接収。
更に封建領主の意味を全く理解して無いw
元朝期の封建領主は入植者でも開発領主でも無い
449 :
世界@名無史さん:2013/09/30(月) 22:49:28.57 0
南部は徴税請負で代理人が取り立てる方式じゃない?
>>449 話を逆さにして誤魔化しても駄目。
領地を与えられて代わりに軍事などの奉仕をするのが封建制
元朝期の封建領主は入植者でも開発領主でも無く
入植や開発を主として行ってはいない。
だからこそ元朝では北部と南部では収入に4倍以上差があったのだし
452 :
世界@名無史さん:2013/10/01(火) 22:21:54.26 0
>>448>>451 そちらが上で言っているのは
入植、開発を自分で行って自衛のため武装し
後に有力者の庇護に入って領有権の追認を受けるのが
封建領主だってことでOK?
こちらとしては手柄を立てて新たに土地を与えられた者も封建領主だと思ってたんだけど
封建制と封建領主の用語の意味の違いがよく分からなくて安直に使ってそれは悪かった
>>450 鄭和の先祖みたいなのもいるけど
伯顔不花は色目人だが徴税請負人みたいな下っ端じゃなくて
&#39385;馬都尉(皇帝の娘婿)でもとは高昌王家
高昌がチャガタイ・ハン国との争いの前線になったのであまり戦えない高昌王家は移封された
453 :
世界@名無史さん:2013/10/01(火) 22:25:01.54 0
>>452 文字化けしてすまん
&#39385;馬都尉じゃなくて
フ(馬偏に付)馬都尉
>>452 手柄を立てて土地を与えられた者が封建領主
少数を除けば部族を引き連れて入植、開発したりはしない
ぽまえら渤海の話しろよ
456 :
世界@名無史さん:2013/10/02(水) 23:19:34.47 0
>>455 スマン、話を戻そう
宋が遼や金にボロクソにやられたのは
上層部のだめさ加減もあるけど兵が弱かったのが一番だろうけど
契丹国志26に
男子多智謀,驍勇出他國右,至有「三人渤海當一虎」之語。
(男子智謀多く、驍勇他国の右に出る。「三人渤海人の一頭の虎にあたる。」の語あり)
ってあるから、渤海は文弱に流れたって事はなくて上層部がだめだったんだろうな
唐の世界秩序が崩壊したのだから
唐に所属する地方政権が動揺するのはやむを得ない
一概に上層部が駄目と決め付けるのはどうかと思う
それに当時は満洲が急激に寒冷乾燥化した影響で
同族の靺鞨黒水部が南下し、牧畜遊牧を営む契丹の生存環境も東へ広がった
それを除いても気候変動が農耕民族の渤海に大打撃を与えた事は間違い無いから
上層部が駄目だったかどうかは永遠の謎だな
え〜ちょっと
渤海滅亡に白頭山大噴火の事触れないのはまずいでしょ
この2000年で地球史上最大の噴火なんだし
領土の半分が使えなくなったんだし
有史以降で最大の白頭山噴火は1199〜1200年の物だし
10世紀の噴火は堆積物の分析で早くても940年以降と結論出てるから
火砕流の堆積層を調べたら
940年頃まで生えていた木が最も新しいと結果出てるよ
火砕流を含む大噴火が940年付近だったんでしょ?
火山活動自体は915年から
問題は日本まで届く火山灰が発生したなら
たぶん白頭山より東の牧畜や農業は大打撃を受けてしまう
そうして流民が発生してしまったんじゃないの?
数々の中華王朝を滅ぼしてきたあの流民の大発生
普通に考えればこれが原因でしょう
火砕流が発生したのが940年前後で
それ以前の噴火は確認出来無いそうだよ
だから日本で火山灰確認出来てるのに
渤海で降らなかったなんて物理的にありえないじゃん
しかも時系列的にその付近から渤海じゃ農民反乱が頻発してる
関係が無いなんて考える方がどうかしてるでしょ
465 :
世界@名無史さん:2013/10/03(木) 21:14:37.84 0
466 :
世界@名無史さん:2013/10/04(金) 01:22:34.95 0
>>464 農民反乱が頻発というのは何に載ってるの?
正史の渤海伝には無いようなんだけど
>>466 まあ農民が反乱、反抗して無いなら渤海国は存続していただろう
契丹の侵攻時には碌に組織立った抵抗を出来ていないから
農民反乱が頻発していたという記録は見た事無いが
前後の時期はそもそも渤海の記録自体が無いしな
長白山が噴火した時はもう渤海國が滅亡した後だろ
なにいってんだよ…
469 :
世界@名無史さん:2013/10/05(土) 21:56:45.43 0
降伏した後に寝首を掻こうと考えなかったら
奚みたいに大氏の支配はそのままで従属国として存続できたんだろうな
470 :
世界@名無史さん:2013/11/03(日) 10:36:56.81 0
なんか止まっているからネタ投入
『遺山集』巻十六「王黄華墓碑」
ttps://archive.org/details/06040262.cn(pdfのp20〜22あたり)
三十二代前・王烈:太原の祁の人。漢末の戦乱を避けて遼東に移住。曹操が招聘したが応じず。
遼東で乱が起き、子孫は東夷に散居した。
王烈の十七代後・王文林:高句麗に仕えて西部の将となる。
王文林の八代後・王楽徳:渤海の住人。孝行者で有名。
王楽徳の曾孫・王継遠:東丹王に仕えて翰林学士となり、遼陽に移住。
あとは遼・金と仕えて『金史』巻126の王庭キンに至る。
471 :
世界@名無史さん:2013/11/04(月) 21:52:08.85 0
>>471 早くもdat落ちしてんじゃねーかw しっかりしろ
473 :
世界@名無史さん:2013/11/18(月) 23:40:56.82 0
別スレで高句麗人と渤海人の民族的なつながりはあるのか?って疑問がでてたが
渤海人ってのは靺鞨人やら高句麗人やらが混血してできたわけだから
渤海人という特定の民族が最初から存在したわけじゃない。
渤海国ははじめは靺鞨六部の連合体から出発したがこの六部族は
東北の部族と西南の部族では民族系統が違うらしい
東北の部族と西南の部族で民族系統は一緒
はい、また願望準拠で
>>473はウソを吐いてしまいました
罵倒はいいから、ちゃんと筋道立てて反論しろ
願望ってなんの願望だよ?
味噌も糞もごっちゃにウリナラ認定する願望もったやつなら知ってるがね
>六部族は東北の部族と西南の部族では民族系統が違うらしい
願望に基づく憶測だけで、何の筋道も立って無い
はい、論破。
粛慎、ユウロウ、靺鞨は部族内での政権交代ではなく
別個部族による別の王統とする学者であっても
残念ながらチョンの願望とは違い、民族系統は同じとしているんだよね
477 :
世界@名無史さん:2013/11/19(火) 19:31:20.72 O
>>473 粟末は扶余系と聞いたことはあるがどうやら
続日本紀によりゃ二代目こと大武芸は日本に対して
復高麗之舊居、有扶餘之遺俗。とまあ高麗(高句麗)復興とともに夫余の遺俗
も持ってるようなことは言っている
もとより粟末と高句麗の連合で粟末は高句麗に付いていて高句麗は夫余との
関係を主張しておるってのはある
あと、粟末のおった辺りは旧夫余なわけで北夫余は494年に勿吉に滅ぼされた
ということだが、この際に粟末が夫余要素を取り込んだかもしれねえな
記念まきこ
>>476 靺鞨七部のうち東北の四部は石鏃を使う特殊な文化で
この四部は昔の邑婁の子孫と考えられている
その四部のうちもっとも北にあった黒水靺鞨は渤海国に属さず独立し続けて
後世の女真になっていく
粟末靺鞨ふくめた南西の三部は夫餘系だろう、三部のうち白山靺鞨は
「古(いにしえ)の沃沮」とされてるんだから明らかに邑婁とは別系統
伯咄靺鞨の伯も高句麗をさす貊からきた名。この三部は石鏃を使わない別の文化
こいつらがなぜ靺鞨と称してるかといえば
勿吉の配下に入って部族連合を形成したからであって民族系統の話は関係ない
渤海国が滅亡した後、靺鞨という名は使われず
雅名でもあった粛慎の名が女真と訛って復活した
黒水靺鞨は生女真になり、
渤海滅亡後の遺民は渤海人と熟女真にわかれたが元々別の民族だったから。
生女真と熟女真は渤海国の内外にわかれていたけど同じ邑婁の子孫だから同じ女真。
渤海滅亡後も渤海人と呼ばれた集団は渤海国の中核を担い都市化した人たちで
夫餘系の別民族(粟末・伯咄・白山)なんだよ
481 :
世界@名無史さん:2013/12/26(木) 00:14:02.83 0
>>476 たぶんどうせただの既知外だろうとは思うが
もまえのチョン認定は何を基準にしてるのかさっぱりわからんし
靺鞨が複数民族だといったらなぜ朝鮮人になるのかもわからんし
(北でも南でも主流は靺鞨は非朝鮮人説のはずだが?だからこそ
渤海建国が高句麗人主導か靺鞨人主導かでやつらは大騒ぎするわけで)
↓ここらが何を言ってるのかもわからん
>粛慎、ユウロウ、靺鞨は部族内での政権交代ではない
部族内っていうか、おまえは民族と部族をごっちゃにしてんじゃね?
>別個部族による別の王統とする学者がいる
王統あるなら示してくれよw 学者って誰?w
トルコ、モンゴル、ツングース、朝鮮、日本とならぶ
6番目のアルタイ系の言語なんだろうか。
アルタイ系とされる諸語に相互の繋がりはない
基礎語彙からして全然違う
トルコ、蒙古、ツングース語には共通する基礎語彙も多いんだけどw
それ漢語や梵語由来だろ(笑)
>>1 中原にあった国は周辺国を巧みに支配した。朝貢、領域化、羈縻政策などである。
渤海に対してはこの羈縻政策が用いられた。渤海王は蛮族の長であると同時に
中原にある国の地方政府の長官でもあった。
487 :
世界@名無史さん:2014/01/08(水) 16:12:27.10 0
バーレーン
横浜
イラン
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統一新羅の九軍団のうち、
・旧新羅:三軍団
・高句麗:三軍団
・百済 :二軍団
・靺鞨 :一軍団
で、この靺鞨というのはワイ族のことらしい。
ワイや扶余も全部靺鞨扱いするようになったのか?
489 :
世界@名無史さん:2014/01/08(水) 19:41:40.22 0
遊牧民は血統を非常に重んじる為
集団中心部の置き換わりは農耕民と比べ少ない
491 :
世界@名無史さん:2014/01/08(水) 21:01:49.31 0
それ朝鮮人とかの宗族の前でも同じこと言えんの?
そんな未開野蛮のキチガイ民族を持ち出されても困るよ
<丶`∀´> そうニダ!オランケなんかと一緒にするんじゃないニダ!
×朝鮮民族の王朝?中国の地方政権?
○女真族の属国王朝?中国の地方政権?
そもそもその二つが両立し得ないものでもないしなあ。
496 :
世界@名無史さん:2014/01/09(木) 22:22:35.13 0
朝鮮民族、女真族の共通の先祖であるってことね
今の朝鮮人・韓国人は朝鮮民族(扶餘新羅など)と靺鞨との混血
朝鮮人は夫余族(夫余高句麗など)の末裔で、北東部には女真人の子孫も居る。
韓人は韓族(百済下民加羅新羅)の末裔で、南部沿海には倭人の子孫も居る。
でしょ
燕や斉からの漢人の子孫もいる
501 :
世界@名無史さん:2014/01/11(土) 13:19:46.84 O
502 :
世界@名無史さん:2014/01/11(土) 14:01:12.87 0
おまえらみんなアフリカの血統な
504 :
世界@名無史さん:2014/01/16(木) 23:56:09.81 0
勿吉に追われる前は鄭州〜龍泉府西部以南に居たんじゃね
秦代以前は以っと北に居たみたいだけど
506 :
世界@名無史さん:2014/01/20(月) 11:54:01.23 0
中華バー
中華タウン
潜伏先中華バー
浮気in中華タウン那覇
光金シリア詐欺
>>488 ちがう、穢をすべて靺鞨に書き換えたのは『三国史記』の中でだけの話。
(新羅は本当は三国統一してないのを隠すため
満州の靺鞨と江原道の穢をわざと同じ名でよんでいる)
508 :
世界@名無史さん:2014/05/04(日) 01:46:08.38 0
>>500−501
半島と無関係な満洲にいた夫餘の血が消えないっていうなら
もともと半島にいて半島から動いてない韓族の血はなおさら濃いだろうよw
何がなんでも半島人を夫餘系にしたいってのはヒガミ鮮人の電波説
509 :
世界@名無史さん:2014/10/13(月) 20:06:34.30 0
『近年ノーベル賞を取った日本人』
南部陽一郎 1921年生
小柴昌俊 1926年生
下村脩 1928年生
赤崎勇 1929年生
鈴木章 1930年生
根岸英一・大江健三郎 1935年生
白川英樹 1936年生
野依良治 1938年生
利根川進 1939年生
益川 敏英 1940年生
小林誠 1944年生
中村修二 1954年生
田中耕一 1959年生
天野浩 1960年生
山中伸弥 1962年生
511 :
世界@名無史さん:2015/02/15(日) 00:45:28.58 0
>>503 日高市は高麗神社のとこだな。
伝統も格式もある神社だろうにZに乗っ取られてるの丸わかりなんだよね
高麗神社は将軍標がキモすぎて笑える。