635 :
世界@名無史さん :2015/02/06(金) 01:12:18.56 0
>>631 俺もローマ亡き後の地中海世界なら読んだよ
そんなIFものもおもしろいかもね
地中海都市の興亡(新潮選書)って読んだ人いる? 図書館で見つけたんだけど、他の読むの溜まってて手が出せない
638 :
世界@名無史さん :2015/02/07(土) 08:57:24.04 0
>>636 ローマが現れなかったらカルタゴは地中海の覇権を握れたんだろうか?
ローマが現れなかったらイスラムは環地中海に拡大できたんだろうか?
ヴァンダルはローマを蹂躙したが長続きしなかった
640 :
世界@名無史さん :2015/02/09(月) 21:19:26.30 0
>>570 >>575 ニンギッジドゥは、ラガシュのグデア王の守護霊みたいなんだけど
こんな個人神が大々的に祭られるようになるのかなぁ、、、
641 :
世界@名無史さん :2015/02/09(月) 22:15:14.39 0
>>639 ヴァンダルの統治能力のあるが、宗教の違いもあるのでは(ヴァンダルはアリウス派)。
642 :
世界@名無史さん :2015/02/09(月) 22:30:21.66 0
>>638 カルタゴの野望はヒメラで潰えちゃったのかな
うんこうんこ
>>638 カルタゴの覇権とローマの覇権はおそらく内容が違う
ビュブロスの自称がゲバルかと思ってた、、、
>>131 >>136 >>144 >>211 世界大百科事典内のグブラの言及
【ビュブロス】より
…現在名はジュバイル。
旧約聖書ではゲバルGebal,
古代エジプト史料ではクブナ,
アッシリア史料ではグブラと呼ばれた。
ビュブロスはギリシア語名であり,ギリシア人は当地を経て輸入されたパピルスをビュブロスと呼んだことから,後世,本,聖書Bibleなどを表す語が派生した。…
うんこっこ
>>267 へー、へー、へー
79 : 世界@名無史さん[] 投稿日:05/02/24 00:06:16 0
現代でもモロッコやアルジェリアのベルベル人が用いている表音文字
「ティフィナグ」はフェニキア文字の流れを汲む古代リビア文字の末裔で、
名称の「フィナグ」が「フェニキア」と同語源だそうな。
余談だが「ポエニ」も同語源なんですね。
うんこ
650 :
世界@名無史さん :2015/02/13(金) 21:54:49.68 0
>>643 どうやったんだろうねぇ
って船で渡ったってことしかわかんないなぁ
いずれにせよ、行って帰ってきたんだから
フェニキアお得意の農作物の種を持っていったんだろうね
星を見て自分の位置を調べるのは現代でも現役だし、
航行術に関してはなんとかなったんじゃなかろうか
651 :
世界@名無史さん :2015/02/13(金) 22:17:14.31 0
>>619 >>620 人が長く住んでいた場所は
日干し煉瓦が風化して丘になるという
話を聞いたことがある。
ところでせっかく日本隊が発掘してるのに
カマン・カレホユックに関する書籍ってこれしかないの?
できたらもうちょっと新しいやつが読みたいなぁ。
アナトリア発掘記 ~カマン・カレホユック遺跡の二十年 (NHKブックス)
653 :
世界@名無史さん :2015/02/15(日) 15:34:45.24 0
>>426 >>430 >>442 http://www.ozawa-katsuhiko.com/5egypt/egypt_text/egypt06.html 勝利の神ウルスラグナ
この神は「戦いの神」であるため当然「王侯・戦士」たちにとって最重要の神となり、こうしたタイプの神はどこの民族も主要神として持っていました。
でから「ササン朝」にはこの神の名前に由来する名前を持った王も存在していたほどです。
昔日はおそらくインドのインドラがそうであるように主神的な位置を持ち多くの機能をもっていたと思われますが、
その地位を「アフラ・マズダ」に譲った時にその機能の多くも失ってただ「戦の勝利」だけを管轄するようになったのでしょう。
この神の姿は「変身」の神として謳われており、その姿は十となります。
第一にこの神は「風」の姿となって現れ、ゾロアスターに対して「我は最強にして、もっとも多くの勝利を得、悪魔と人間の敵意とを打ち砕く」と語ったと言われます。
第二にこの神は、黄金の耳と黄金の角を持つ雄牛に変身する。
第三にこの神は、黄金の耳を持ち黄金の飾りを付けた美しい白馬に変身する。
第四にこの神は、鋭い歯を持ち足が速く長い毛を持つラクダに変身する。
第五にこの神は、鋭い爪を持つ猪に変身する。
第六にこの神は、15歳の輝く若者に変身する。
第七にこの神は、どの鳥よりも早く飛ぶ大鴉に変身する。
第八にこの神は、野生の美しい雄羊に変身する。
第九にこの神は、鋭い角を持った戦う雄鹿に変身する
最期にこの神は、黄金の刃がついた太刀を持つ人間に変身して現れる。
以上の中でも第七の大鴉の羽根はとりわけ大事で、この羽根を持つ者は敵の呪いをはね返し、だから羽根の力によって誰も彼を倒すことはできなくなる。
また、戦闘があって勝負が付かないとき、両軍の間に四枚の羽根が投げられると、いち早くそれに気付いて「ウルスラグナ」を拝んだ方に勝利が与えられるという。
この神は先に指摘したようにアーリア民族の太古の神の一人でインド側では「インドラ」として展開したと考えられていますが、,、、
ウルスラグナとインドラの関係についてだけど (以前他の板に書いたもの)
ヴェーダ時代のインド人は、ウルスラグナを礼拝しなかった。というのも、彼らの先祖たちは、
古い勝利の神をインド・イラン語族の英雄時代の戦士の原型である神インドラ(Indra)に
置き換えたとみられるからである。 (M・ボイス:ゾロアスター教 3500年の歴史)
インドラは「ヴリトラを殺す者」(Vrtrahan:最初のrの下に.がついてる)と呼ばれている。
Vrtrahan(最初のrの下に.がついてる)は、イランの勝利の神ヴルスラグナ(Verethraghna)
に対応するから、武勇神インドラの崇拝はインド・イラン共同時代にさかのぼる。
(上村勝彦:インド神話)
あとは補足で
http://www.toroia.info/dragon/index.php?%3AShaw M・ボイスだとウルスラグナとインドラは違う?
>>654 なるほど
一番下の行は変身といえばヴィシュヌかな、って思ったので入れてみました
そういえば、ヴィシュヌも蛇(龍)とは関係が深くて
アナンタはこの世が始まる以前、宇宙が混沌の海だった時に、ヴィシュヌがアナンタを船の替わりにして、その上に寝ていたという。
また、この世が終わる時、全ての生物が滅び去った時も、再び世界が創造されるまでの間、ヴィシュヌはアナンタの上で眠り続けるとされる。
ヴィシュヌの使いとされる。
このバリエーションはいっぱいあるね
マンビジ
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%83%B3%E3%83%93%E3%82%B8 古代のマンビジはギリシャ語ではバンビュケ(Bambyce)の名で登場するが、大プリニウス(v. 23)はそのシリア語名をマボグ(Mabog, または Mabbog, Mabbogh)と述べている。
もとは古代アルメニア王国のコンマゲネ地方の聖地だと考えられるが、歴史記録への最初の登場はセレウコス朝時代であり、首都アンティオキアとチグリス河畔のセレウキアを結ぶ国道上にある拠点であった。
またシリア地方の女神アタルガティス(Atargatis、ギリシャ人は縮めてデルケトー Derketoと呼んだ)の祭祀の中心であり、
ギリシャ人はこの都市を「聖地の都市」(ヒエロポリス、?εροπολι?、Hieropolis)または「聖なる都市」(ヒエラポリス、?εραπολι?、Hierapolis)と呼んだ。
アタルガティスの神殿は、紀元前53年、パルティアとの戦いに赴くローマのマルクス・リキニウス・クラッススにより略奪された。
アタルガティス神への信仰は、コンマゲネの住民であるルキアノスによるものとされる有名な小冊子『シリア女神について』(De Dea Syria) に登場する。
この文章では神殿での崇拝や飲めや歌えの大騒ぎぶり、アタルガティス神の聖なる魚が泳ぐ水槽について詳述されている。
『シリア女神について』によれば神殿では男根崇拝がされており、信者達は木や青銅でできた小さな男性像を捧げている。
大きな男根が神殿の前にオベリスクのようにそそり立ち、年に一度はよじ登る儀式が行われる。
神殿には神官しか立ち入れない聖なる部屋があり、その前には青銅の大きな祭壇が立ち奥に神像群がある。
その前庭には犠牲に捧げられる動物や鳥達がいる。神殿には300人ほどの神官が仕え、その他大勢の人が奉仕している。
聖域の中央には大きな池があり、信者達は中へ泳いで水の中に立つ祭壇を飾り付けるのが習慣となっている。
境内では自傷行為やその他の乱痴気騒ぎが行われる。また街に入ったり神殿を最初に訪れる際には複雑な儀式があるとされる。
マンビジは本によってはメンビジュ(ヒアラポリス)と表記されてたりする 地図でもMenbejやManbij等いろいろ アタルガティスはイシュタルやアナトが習合したも地母神と 小川英雄の本には書かれてる
>>658 エシュムンと関係が深いのかな?
シドンの神殿テンプルではエシュムンとともに
ベイルートのコインでは、ポセイドン、アシュタルテ、エシュムンとともに
また、ピュルジ銘板にも名前が出てくるらしい
http://en.wikipedia.org/wiki/Astarte より
http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/a/a0/As-Julia_Maesa-Sidon_AE30_BMC_300.jpg Other major centers of Astarte's worship were the Phoenician city states of Sidon, Tyre, and Byblos.
Coins from Sidon portray a chariot in which a globe appears, presumably a stone representing Astarte.
"She was often depicted on Sidonian coins as standing on the prow of a galley, leaning forward with right hand outstretched, being thus the original of all figureheads for sailing ships." [4]
In Sidon, she shared a temple with Eshmun. Coins from Beirut show Poseidon, Astarte, and Eshmun worshipped together.
Other faith centers were Cythera, Malta, and Eryx in Sicily from which she became known to the Romans as Venus Erycina.
A bilingual inscription on the Pyrgi Tablets dating to about 500 BC found near Caere in Etruria equates Astarte with Etruscan Uni-Astre, that is, Juno.
At Carthage Astarte was worshipped alongside the goddess Tanit.
Donald Harden in The Phoenicians discusses a statuette of Astarte from Tutugi (Galera) near Granada in Spain dating to the 7th or 6th century BC in which Astarte sits on a throne flanked by sphinxes holding a bowl beneath her pierced breasts.
A hollow in the statue would have been filled with milk through the head and gentle heating would have melted wax plugging the holes in her breasts, producing an apparent miracle when the milk emerged.
The Aramean goddess Atargatis (Semitic form ?Atar?atah) may originally have been equated with Astarte,
but the first element of the name Atargatis appears to be related to the Ugaritic form of Asherah's name: Athirat.
>>663 んー、「第○次発掘調査」と示してあるとこのリンク先は見てる?
論文には到底及ばないが、俺的には「アナトリア発掘紀」の6掛けくらいの情報密度はあると思ったけど
すでに、カマン・カレホユック発掘の基礎情報はあの本で仕入れ済みなことを前提とするとね
それより、飲んだ帰り?以前のレスと比べて文が乱れてるけどw
>>664 いやいや、ビールやワインや日本酒なんてノンデナイヨ
とすると「アナトリア発掘紀」はホントに発掘記なんだね、、、
>>654 メアリーボイスはおもしろかった?
本が読みにくくなければ読んでみたいかな
図書館にあった筑摩のを読んだけど、読みやすかったよ 今だと講談社学術文庫から出てるけど、文庫だからか巻末に牽引一覧が無くなってて不便かも? ただ内容はアップデートされてるから文庫のほうがいいと思う
>>612 羊毛と織物はバビロニアの特産品だった希ガス。それも進入以降の
牧神ドゥムジが牧畜製品を誇っていたけどどんなだろう
羊毛のドメスティケーション
ウールの発達と紡錘車
須藤寛史
http://www.um.u-tokyo.ac.jp/publish_db/2007moundsAndGoodesses/07/007_02_01.html から抜粋
後述するように青銅器時代以前にもウール・タイプのヒツジは成立していたようだが、その頃の毛刈は春の生え変わりの季節に摘み取っていたものと思われる。
ところで家畜化開始期以降、ウールの有用性はどれほど認識されていたのだろうか。
先述の通り、野生あるいは家畜化初期段階のヒツジでは、繊維原料として便利なウールは、死毛や獣毛の下に隠れており、生え変わりの時期にしか表面に現れなかった。
したがってヒツジの家畜化が始まった新石器時代の人々は、柔らかなウールを目にする機会が少なく、繊維原料としての利用度が低かった可能性がある。
現在見られるような体毛がすべてウール状の柔らかい毛に発達したヒツジをウール・タイプのヒツジと呼ぶが、その最古の証拠としてよく引き合いに出されるのがイラン西部のテペ・サラブ遺跡で出土した前5,000年頃の動物土偶である。
胴体にV字の刻文が連続して刻まれており、ウール特有の縮毛を表現しているとされる(Ryder 1993:Fig.4)。しかしこれだけでは証拠として不十分だ。
ライダーが示したモデルでは、青銅器時代に獣毛あるいは死毛が細くなった品種が出現し、鉄器時代になってようやくウール・タイプのヒツジが出現するという(Ryder 1993: Fig. 3)。
西アジアでは前4千年紀末頃から文字が使用され始めるが、前3000年頃の粘土板文書にウール・タイプのヒツジが明確に区別されている(Green 1980)。
青銅器時代には意図的にウール・タイプのヒツジを利用していたことがわかる。
671 :
世界@名無史さん :2015/02/26(木) 23:34:05.92 0
>>123 >>571 フェニキア人であるカドモスとハルモニアーの娘イーノーがいちまいかんでいる
ということなんだけどあんまりうまく説明できてるとは思えない、うーむ
イーノー(古希: ?ν?, ?n?)はギリシア神話に登場する人物である。長母音を省略してイノとも表記する。
テーバイの王女として生まれ、のちにボイオーティアの王妃となった。
死後、ゼウスによって女神とされ、海の女神レウコテアー(Leukothea)あるいはレウコトエー(Leukothoe)として信仰された。レウコテアーとは「白い女神」の意である。
ネペレーの子たちとイーノー
アタマースには最初の妻ネペレーとの間に二人の子、プリクソスとヘレーの兄妹があり、イーノーはこの二人に悪意を抱いていた。
イーノーは、密かに土地の女たちに種麦を焙らせて作物が実らないように工作した。
穀物が芽を出さないのを怪しんだアタマースがデルポイの神託を仰ごうと使者を送ると、イーノーはこの使者を買収し、プリクソスをゼウスの生け贄に捧げるよう神託があったといわせた。
アタマースがプリクソスを生け贄にするために山頂に引き立てたとき、ヘーラクレースがプリクソスを救った。
一説には、救ったのは実母のネペレーともいう。
プリクソスは妹のヘレーとともに金毛の羊の背に乗って逃れ、二人が乗った牡羊はコルキスの「金羊毛」として後のイアーソーンとアルゴナウタイの冒険につながる。
後は衣装と交換、、、
バッコスの饗宴にまつわる神
後になってイーノーが健在であることがわかり、アタマースは乳母といつわってイーノーを宮中に入れた
。テミストーはこれを見破り、テミストーの子には白い衣装、イーノーの子には喪服を着けさせるようイーノーにいいつけ、翌日護衛に命じて喪服の子供を殺させた。
しかし、イーノーは危険を察して子供の服を取り替えていたので、殺されたのはテミストーの子だった。アタマースはこれによって乱心したのだという。
673 :
世界@名無史さん :2015/03/02(月) 00:21:33.27 0
ダメリカがイラクから撤退したらゴキブリのように 現れたヤツら。 米軍に責任取って鎮圧させればいい。
しかしイラクの集団間抗争を見てると、ルワンダの民族融和政策って奇跡的だな ヨーロッパでカガメ大統領が独裁的だとか批判がポツポツ出てきてるみたいだけど、 相応の強制力ないとヤバいだろアホかと言いたいわ チトーとかカガメみたく、ひとまず復讐の連鎖を回避させてんのがいかに凄いことなのか想像しろよと
675 :
世界@名無史さん :2015/03/02(月) 02:05:08.67 0
>>651 >>662 この本が出た時点で19年だからもうかれこれ30年以上を掘り続けてるのか
ほんとに発掘紀だったけどこれはこれでよかったww
本の中ではガシュガ
>>669 だね
勢力圏のイキズテペ遺跡ではイスタンブール大学が1974年以降発掘を続けているらしい
>>675 ガシュガの動向が「マシャトホユック文章」にあるらしい
ちなみに日本語で検索するとこんな感じ
24 : ライラック(dion軍)[] 投稿日:2009/05/11(月) 08:02:41.77 ID:x3PDeu5T [2/2回]
>>22 ヒッタイト帝国滅亡の原因は核戦争だった!?
“地獄の業火”−−これは比喩ではない。アナトリアの数多い遺跡のこの時代の地層には、すべて大火災の跡が一面に残っているのだ。
例えば、首都ハットゥシャシュからしてそうだ。発掘報告書によれば、この要塞都市は「原因不明の非常な高温」によって滅び去った。それは考古学者ビッテルが、
「この町に可燃性物質がどれほど貯蔵されていたにしても、通常の火事ではこのような高温を出すことは絶対に不可能である」
といっているほど、凄まじいものだった。
日干しレンガの城壁や建物が融解して、赤色の塊になっていた。石は焼結して、ひびができていた。ハットゥシャシュには、想像を絶するような高熱破壊の跡が残っているのである。
同じような高熱破壊の跡は、この時代の他の都市でも認められる。コルジュペテ、ハラバ、カラホユク、パトノス、カーノスなどという遺跡が、厚い焦土層を残している。
マシャトホユックという遺跡は、壁という壁が強烈な熱を受けたために真っ赤にただれ、カチカチになっている。
出土した粘土版文書の中には、強い火を受けたため、2枚が完全にくっついているものがあった。焦土層の厚さは50センチ以上にも達している。
紀元前1200年というその時代、アナトリア高原全域がいっせいに炎と化して燃えつきた。これがヒッタイト帝国滅亡の日の姿なのである。
677 :
世界@名無史さん :2015/03/03(火) 02:54:42.27 0
>>675 これは意外な拾い物ww
http://en.wikipedia.org/wiki/%C4%B0kiztepe Although ?kiztepe means "twin moulds" in Turkish, the site contains four mounds and a burial ground amidst those. ?kiztepe II mound contains the earliest findings.
Most of the findings are dated to the Early Bronze Age, but the earliest finds date back to possibly the sixth millennium BCE. Finds from ?kiztepe exhibit similarities to material of the same age found elsewhere in Anatolia.
There are also parallels with findings from Eastern Europe. Among the artifacts found are pottery, metalworks and spindle whorls.
According to one theory, the Bosphorus might have been blocked temporarily during the Late Calcolithic to Early Bronze Ages,
exposing a wider shorline at the coast of the Black Sea, making it possible to easily travel from Varna to ?kiztepe region.[1]
The Hittite city of Zalpuwa is sometimes associated with ?kiztepe. However, this identification is not certain.[2]
The large amount of textile materials (spindle whorls) found in the site may indicate sailing activity.[3]
The excavations in ?kiztepe started in 1974 and continued intermittently into the 21st century.[4]
http://en.wikipedia.org/wiki/Zalpuwa Zalpuwa was by a "Sea of Zalpa". It was the setting for an ancient legend about the Queen of Kanesh, which was either composed in or translated into the Hurrian language:
678 :
世界@名無史さん :2015/03/03(火) 03:13:10.03 0
>>675 本を書いたのが2004年4月で熱く鋼について語っててこの流れは熱いなww
それがしかも自分とこの遺跡っていう流れは学者冥利に尽きるだろう。
2005年05月14日
世界最古の鋼 紀元前18世紀 500年さかのぼる発見
http://www.konesite.com/weblog/archives/2005/05/post_77.html トルコのカマン・カレホユック遺跡で出土した紀元前18世紀(アッシリア植民地時代)の鉄片が鋼だったことが、岩手県立博物館の赤沼英男上席専門学芸員の分析で判明した。
これまで世界最古とされてきた紀元前14〜12世紀(ヒッタイト帝国時代)の鋼を約500年さかのぼる発見。
今回の発見について、中近東文化センターアナトリア考古学研究所の大村弘所長は「メソポタミアからやってきたアッシリア商人が、優れた冶金技術をヒッタイトに伝えた可能性が出てきた。
ヒッタイトと鉄の関係を根本から考え直す必要がある」と話している。
2012年4月3日 朝日新聞
「最古の鉄鋼生産か・・トルコで発掘 前期青銅器時代」
http://blog.goo.ne.jp/blue77341/e/426b9a23634e1fd3726e33cd495f6144 中近東文化センターが発掘調査を進めているトルコのカマン・カレホユック遺跡で、紀元前2100年〜前1950年ごろ(前期青銅器時代)の地層から出土した遺物に、
鉄器の原料となる鉄鉱石や、製鉄や精錬の際に出る不純物である鉄滓が含まれていることが、岩手県立博物館の赤沼英夫氏の分析でわかった。
この層からは鋼の鉄器も出土しており、世界最古の鋼の生産が行われていた可能性が強まった。
確認されたのは、破砕された鉄鉱石が2点と鉄滓が2点。
鋼と推定される鉄片も新たに1点みつかった。
また鉄鉱石から鉄分の少ない部分を取り除いたとみられる岩石片もみつかっており、赤沼さんは「選鉱も行われていた可能性がある」と見ている。
中近東文化センター付属アナトリア考古学研究所の大村所長は、「注目すべき発見だ。今後出土した遺物の年代測定を行うとともに、鋼の生産遺構の発見に努めたい」と話している。
679 :
世界@名無史さん :2015/03/04(水) 22:44:10.97 0
>>675 いま見てる「古代のメソポタミア」に古アッシリア時代の交易路が載ってるんだけど
その中にカネシュ(キュルテペ)までの推定ルートが掲載されている。
アッシュールから出発してティグリス、ユーフラテスの両大河を使わずに
ほぼ真っ直ぐ西へハブール川を横切ってバリーフ川沿いの都市ハルランを経由して
パドナ→カルケミシュ→ウルシュムに至り
そこから北西へ折れ
マムマ→ティメルキヤ→カネシュ
へ至るという超内陸非河川ルートなんだけど、これなんでなんだろうww
680 :
世界@名無史さん :2015/03/06(金) 05:15:19.64 0
681 :
世界@名無史さん :2015/03/07(土) 22:15:23.33 0
>>679 ちなみにこのルートはおそらく▲カールムや●ワバラトゥムの分布から復元されたものなんだけど
ハットゥシャ → アラジャ・フユク を経由し北へ向かい
東へいったん蛇行した後に戻ってきて、最後は赤い河の下流の黒海近くまで
ドゥルフミト▲ → トゥフピヤ● → ザルパ●
と続いている。
さて、ここで疑問が二つ
この蛇行はなぜかという点と、
そしてなぜかザルパが地図中二2つあるのだ
ひとつは黒海のザルパ、もうひとつはバリーフ川のザルパ
682 :
世界@名無史さん :2015/03/07(土) 22:44:43.91 0
683 :
世界@名無史さん :
2015/03/08(日) 22:33:09.06 0