2 :
|ω・`):2011/08/21(日) 22:26:59.60 0
おう
3 :
世界@名無史さん:2011/08/22(月) 07:43:44.28 0
アメンホテプは俺の下部
七生タンがさ
スッラ、ポンペイウス、カエサルらの虚栄心と野心を円で表した図があるじゃん
あれって・・・見てて顔赤くならないか?安っぽいというか、表した意味あるのかというか
彼等の性格と政治性を表したかったんだろう。別に恥ずかしい事でも
ない、政治方針が明確で逆らう奴は容赦しなかったスッラ。政治方針が
不明確で人や状況に流されてしまうポンペイウス、政治方針が明確で人
の意見に流されず、でも自分と違う意見の人でも許したカエサル。
>あれって・・・見てて顔赤くならないか?
この一文よりはマシかな
おkおk
忘れてくれw
>>5 似た様な物を中学高校の暇な時、ノートへ書いた奴は多い筈w
好きなればこそだしまあいいんじゃね。黒歴史だけどw
>>
乙
>>9 あの辺の若書き感は対応に困るレベルw
サッカーのオフェンスとディフェンスのベストイレブンで例えてたこともあったな
プロ野球初期から現代までのベストナインで対戦させたらなんて類と一緒
しかも状況や技術の違う共和制初期から帝政後期までの千年でそんな比較しても
全く無意味だっつーのって一人ツッコミ入れてたなぁw
ばあちゃんなりのローマ史知らない人への説明の工夫なんだよ
多分
あそこは政争がらみで堅い話が続いてたから人物分析でワンクッション入れてんだよ、構成の問題
アレは工夫じゃなく、剰りにも書きたくなって
つい衝動的に載せちゃった気がする、嫌いじゃないけどw
読者との間で人物鑑定観を共有しとくのは意味のあることだしね
野心と虚栄心の自分なりの定義つけておいて話進められるのも
ばっちゃの洞察力が深い証拠だよ、並みの人間なら通り一遍の紋きり解釈しかしないんだから
そんなものは洞察力とは謂わない
とりあえず否定から入るならお前のカエサル、スッラ、ポンペイウス観をしゃべっていってくれな
レッテル張りで逃げられるのはもうたくさんだぜ
>>17 何故単なる塩婆の思い込み披露を「洞察力」などと定義したいのか意味不明
はい↓逃げずに解説宜しく
間に入って悪いねw
第三者が記した資料から見えるものと実際の人物像がかけ離れることは、過去も現代も一緒
一方の新聞じゃ糞味噌なのに、もう一方じゃ絶賛している場合も多々
つまり記した者の立場や目線の違いでしかない
まぁとかく悪く言われがちなスラが冷酷無比を「演じる」人物であった見解と
ポンペイウスがスキピオ気取りで虚栄心が強い、理念に乏しい風見鶏ってのは同意
だからカエサルやカトゥの掌でいいように転がされたってのは個人的な見解だが
ばっちゃは史料にない部分を自分の考えで補うとき必ずわたしの考えではと前置きしてるから
それでもケチつける奴は考え方にケチつけてるか読解力不足を疑われるつもりでしゃべれな
彼女はこういう、しかし自分はこう思う、なら分かる
ばっちゃはこうだからなあ、で終わるのはただのレッテル張り
>>20 どこからどこまでが資料でどっからが自分の意見なのか分からないのか問題。
それは十中八九読み手の問題だ
あの手のは半分以上塩婆の感想だからな
とはいえ小説としては、自分の感覚と合ってれば感情移入し易い
合ってないと少し興醒めするけど
そもそもロマ物のように英語版、韓国語版、台湾語版と出されて国外的にも通用するようなのを書けるのがどれだけいるというのだ
売れるものが正しいとは限らないのには同意だが、そもそも人目に触れなきゃ評価されようが無いのも事実だ
リウィウス、プルタルコス、タキトゥス、カエサル(ガリア戦記・内乱記)
更にギボンを読んだあと、塩婆のを読んだ
個人的思い入れの部分を取り除いて読めば、それなりにわかりやすいし・・・とは思った
それにしても本人はカエサル好きなのに、叙述がまったくカエサルらしくないってのが面白いと思うw
26 :
世界@名無史さん:2011/08/25(木) 00:14:35.68 0
ローマ初心者として、素朴に感じている事・・
ローマは今のラテン系国家のイメージと被らないと思った。
ローマはとにかく周囲の民族よりも用意周到で、3歩進んで2歩下がって少しずつ進む、
そんなイメージ。
>>25 モンタネッリのローマ史ぐらいは追加で読んどいていいよ、文庫版程度の厚さでローマ全史ダイジェストだし
ばっちゃとの違いではキリスト教の功罪を少し擁護する形で説明はしてた
今、文庫版の32巻まできた。蛮族の大侵入がかなり興奮するわ。
やっぱり文明人の知恵は野蛮人の力にはかなわないのかな。
堕落した文明人は文明征服に燃える野蛮人に勝てないよね
命の値段が違い過ぎる
30 :
世界@名無史さん:2011/08/25(木) 13:33:21.02 O
蛮族より文明化した民族が強い。
が、文明化も度が過ぎて活力ある蛮性が抜けきったある時期から、弱くなる。
文明の中毒という人もいる。
モンタネッリのは面白いっちゃ面白いんだけど
アレはアレでばっちゃとは別方向にバイアスが凄いからなぁ。
塩婆の言葉でナルホドと思ったことは「平和が続けば文明が女性化する」ってこと
まぁでも食住が満たされ続ければ、やがて権利と義務の意識が逆転
有事に於いても権利が先に出るから有事でも後手に回って衰退する法則もある
33 :
世界@名無史さん:2011/08/25(木) 20:21:13.32 0
正直、ギボンは観点が凄いと思う。さすが啓蒙主義って感じ。
とくに後半はローマにも新ローマにも拘らずに、旧ローマ帝国世界の
主導権を握った勢力の趨勢を徹底して追っていった姿勢が凄い。
そのくせ最後はローマに戻ってペトラルカで締めるし。
>>32 スレ違いだがイスラエルの軍事史家マーチン・ファン・クレフェルトが
フェミニズムは戦争文化の敵、みたいなことを書いていた
流石は人類と人道の敵イスラエル人ですね
と、人類ですらないチョウセンヒトモドキがほざいております。
>>980 >産業革命以前で革命後の暮らしに最も近そうなのは宋代の中国(産業革命寸前レベル)
今グローバル経済とか行き詰ってるけど、もし今日本や各国が鎖国して内需のみで経済を回したら
どんだけ技術やコストパフォーマンスが向上したとは言え、他国に物を輸出して儲けるシステムができなくなれば産業革命前の貧しい生活に戻らざるえない?
流れ豚切りスマソ
「寛容」というばっちゃが好きな言葉で思い出したんだが、イスラム圏やビザンツは、
西欧に比べて異端審問や魔女狩りが非常に少なくて、その意味では「寛容」だった罠
歴史関係のブログなんかでも、異端審問や魔女狩りが盛んだった西欧と比べてイスラムを
持ち上げている人がいるけど
でも漏れは、もし西欧がビザンツやイスラムのように異端や呪術に対して寛容だったら、
おそらく近代科学は生まれなかっただろうと考えている
>>38 どこから「ビザンツ」か、という問題はあるにしても、4あるいは5世紀前後くらい
からと考えるならば、異端に対してどれくらい寛容だったかという点に関しては、強
い疑問を感じるなぁ。
いわゆる「単性説」や「単意説」、おまけに「イコノクラスム(偶像破壊運動)」を、
どう考える?
>>38 近代科学が生まれたのは異端に対して寛容になった時代だよw
>>37 それ以前に1億2千万を養うのに必要な近代農業すら出来なくなる、
オイルや肥料輸入せずにどうしろと
蛮族の大侵入で黒海・地中海まで侵入され、ギリシャ世界の大都市が軒並み略奪されたのに
次の皇帝はリメスの再編成を頑張った だけで済まされるのはどうかと思うんだが。
日本にしてみれば、北朝鮮軍が大挙侵入して 東京・大阪・福岡を破壊して数万人を虐殺したようなものだが。
歴史ってそういうものだし
ばっちゃはハドリアヌス以降、大目に見てもマルクス・アウレリウス以降は明らかにやる気ないし
歴史書丸写しみたいな記述になるのはしゃあない
それ以前に史料がそこまで詳細に残ってねーんだよ
ローマ史で史料が質量共に揃ってるのはカエサルの時期
>>38 最近の研究じゃ中世魔女狩りは現代がイメージするほど盛んじゃなかった様子で
実際の処刑数も桁が一つ少なくて、火炙りなんてのは本当に稀
>>45 まぁその頃はキリスト登場以前で時代が最も新しい時期だからね
>>44 基本的に歴史書丸写しだろ
というか確実な史料がある場合はそれにぴったり沿いつつ
無い場合に塩野小説になって読み手を飽きさせない点がいいんだし
あと「ばっちゃ」「ばっちゃ」気持ち悪いわ、他の呼び方しろよ気色悪いから
ナナミお譲とでも呼べと言うのか、君は!?
塩野女史、ななみん、塩婆
好きなのを選べ
塩屋先生でいいだろ。
アオスタって当時の帝国では都会なほうだった?今の日本でいう札幌ぐらい?
ロムルス・アウグストゥルスって最期どうなったん?
退位後も結構長期に渡ってカネを貰いながら生きてたみたいだけど。
45 :世界@名無史さん:2011/08/26(金) 19:23:15.53 0
それ以前に史料がそこまで詳細に残ってねーんだよ
ローマ史で史料が質量共に揃ってるのはカエサルの時期
46 :世界@名無史さん:2011/08/26(金) 20:49:17.89 0
>>45 まぁその頃はキリスト登場以前で時代が最も新しい時期だからね
理由の説明になっていないと思う
>>53 キリストが支配者層になって、「よーし歴史資料破棄しちゃうぞー」となった時に、一番標的にされたのが
その時期ってことだろう。
正直、それならキリストが処刑された時代の皇帝だったティベリウスなんて
ネロやディオクレティアヌスやユリアヌスを超える極悪非道皇帝になってても良さそうなもんだ。
直接命じたわけでもあるまいに
キリストを殺した=キリストは神になった、だから殺害当時の皇帝には恨みとかは全然無い。
正直、見たこともないキリストよりも、同胞の「キリスト教徒」を迫害した皇帝の方にこそ恨みが沸く
って、知り合いのキリスト教徒の人が経典の話をしてくれた。>その人自身の考えじゃなくて、経典に書かれてることね。
58 :
43:2011/08/29(月) 01:44:33.45 0
柘植久慶の「戦争で読むローマ帝国史」も並行して読んでるけど、
こっちでは「略奪したゴート族をローマ軍が撃破、ぬっ殺しまくって逃げ延びたのは僅かだった」って書いてるし。
どっちが本当?とは言わないけど、ここまで違うと笑える。
日本人や中国人と違って
ギリシャ人やローマ人は筆をぐにゃんぐにゃんに曲げまくるのが常態だから仕方ない
>>58 皇帝が誰の代で、何年のことかぐらい書いてくれないと照らし合わせようもないんだが
61 :
世界@名無史さん:2011/08/29(月) 20:37:19.49 0
柘植は桐生と同じく奇想小説家なんだから無視したほうがいい
歴史ものを書くとき状況証拠しかなくても書くのが塩野
柘植は状況証拠さえない妄想を書く
まぁ、仮想戦記書いてる人だからな>柘植
逆撃シリーズは面白かったけど。
文庫版の最終巻は来月発売か。感無量だ。
もしローマ人がギリシア語文献を全部ラテン語に翻訳していたら、西欧中世は
相当違ったものになっていたんだろうか
鮮卑は中国文化を継承したのに
なんでローマはエジプトやギリシャの文化をそれほど継承しなかったんだろうか
モンゴルっぽいな
文化はギリシアにのっとられてるぞ
あと鮮卑みたいな蛮族とちがうし
軍事的には中国を制圧したものの文化的には取り込まれていった女真や鮮卑のように
ゲルマンの蛮族たちはローマ文化に染まらなかったのか謎
別にイタリア・ガリア・ヒスパニア・北アフリカそれぞれで蛮族と旧来のローマ人との共生の形が違うからなんとも言えんわ
イタリアの場合はテオドリックの分断政策がすべてだったんだろうとしか
>>24 翻訳版でてるのか
ところで、最終巻の文庫、いつの間に出てたんだ
てっきり9月だとおもってた
>>65 訳しはしたが、中世に「書写リスト」から漏れたのが多いんでしょ
キリスト教の最大の汚点のような。
でも、文庫版1巻前書きには「修道士は異教の書物も書き写してくれたので」
とかあるな
どっちが何やら
中世のビザンツ世界と西欧の隔絶した文化レベルの差を比べれば
だいたい想像はつくかと
ビザンツなんてオリエント物産と地政学上の富で栄えたんであって
ローマの継承者としては全くだめじゃん
慢性的財政難、ひ弱な軍事力、暗躍する宦官、不安定な政権、こんなんばっか
ローマがそもそも地政学上の要地だろ。地政学上の要地を押さえ、維持すること自体結構困難
>>73 12世紀あたりの西欧のイメージまんまで笑えるw
経済的にも軍事的にも非常に強力な国家だったし、宮廷の陰謀は古代もひどい
宦官もビザンツ時代に実権握れたのなんてバシレイオス・ノソスくらい
偶像について、ビザンツではイコンまで容認
西欧では立体的な彫像まで容認
文化はおろか、技術の継承が出来なかった所為で
中世ヨーロッパじゃ水道橋が悪魔の所業になってたり
トイレが無くなって汚物を道路に撒き散らしたり色々酷いな。
水洗トイレが再発明されるのって19世紀だったっけ?
上下水道の不備でハイヒールが発明されて香水が発達したことは確かだけど
水道橋が悪魔の所業ってのは現代が暗黒中世オカルトを誇張した話として余りにも有名
なにせキリスト教自体がカルトだからな。ローマもこれを受け入れてから決定的に没落したし。やっぱりコンスタンティヌスは売国奴
科学技術全体としてはそうなるだろうが、ペスト以前の中世後期は温暖で豊かな時代
何より欧州全体としての人口は倍増している
宗教で結束できるシステムは何も悪い面だけじゃなく
キリストの正義のためだからゼニカネ抜きで動いてくれたり
異端を隔離排除する正当な理由ができたり
互助と監視の世界なので犯罪の抑止にも繋がるから、治安維持に必要な支出も抑えられる
ルネッサンス以降、個人の思考が尊重され始めて自由民主化が進むと
倫理道徳面での抑止が利きづらくなって、相互監視から本格的な警察機能の導入が必要になってくる
つまり価値観の基準をどこに持っていくかの違いだけで
ルネッサンスや産業革命以降の物差しを基準にしてもしょうがない
まぁ自分も中世にあまりいいイメージは持ってないけどねw
>>68 北アフリカのヴァンダル人はローマ文化に染まって惰弱になっていたよ
キリスト教化=ローマ帝国の東方化
ヴァンダル族が東ローマにあっさりやられた理由って
ローマ人を弾圧しすぎたのが原因と聞いているが。
ベリサリウスを解放者として進んで迎え入れたみたいだし。
ヴァンダル族の場合当時既に異端とされたキリスト教徒も関わってるから難しい
しかし中世の建築技術はゴシックあたりからローマのそれも越える(数千年ぶりに世界一高い建築物の記録塗り替え)し、
農業技術も12世紀の農業革命で古代ローマ・ギリシャ以来の地中海農法のビザンツの生産力を上回るし、
アンティキティラの機械に複雑さは譲るとはいえ、脱進機の発明と機械式時計の進歩はすごい
と、実は中世期西欧でも科学技術は進歩を見せている
天文学なんかは教会にとっても重要だしね
他がどんどん先行っちゃったけどね
灌漑排水製粉など、初の実用的自動式機関の水車風車や
鎧鐙に攻城兵器や以前にもスレで色々と記載されていた弩も中世に大きく発達している
>>85 機械式時計そのもの以上に構造や精度向上に部品の信頼性
正確な礼拝時間の徹底が基だから、中世オカルトがなければ進歩はなかった筈
日本は高度な文明レベルの江戸時代でもその辺はかなり適当だしねw
灌漑排水製粉などの実用的自動式機関の水車風車は東方にはとっくに在ったし
鐙は東方遊牧民から伝わったものだし
鎧はただの帷子使ってたし
弩は東方から伝来したものだし
脱進機も機械式時計も既に東方にはあったという
悲しいな
モンゴルに滅ぼされてりゃよかったのにな
そんなに征服地を広げてもどうせすぐ撤退することになると思うよ
ユスティニアヌスさんのことですか
ローマ最盛期が2世紀、ゴシックやらが出てくるのは14世紀以降。千年
以上差があればね。
>>87 正確な時間を知る必要性から発達した真の意味での精密時計は、礼拝のためなどというアバウトなものではなく
経度を正確に知るという航海上の必要から生まれたもの。
時代はかなり下るから、ローマ帝国には関係無いけどね。
暗黒の中世というけど、もともと地中海世界の西部は東部に比べて文明のレベルが低かったからな
ただ単にもとの状態に戻っただけじゃね?
95 :
世界@名無史さん:2011/09/11(日) 15:18:51.16 0
最終巻の文庫買ったが、相も変らぬビザンツ嫌いだな。
96 :
世界@名無史さん:2011/09/13(火) 12:25:17.07 0
AD410年のローマ拷掠がローマ帝国世界でのショッキングな事件と塩ばあは述べていたけどローマの軍事力が どのようにして衰退したのかってのは、どこら辺を読めば解るんどぜうか?
>>96 11巻・終わりの始まりから読めばおk、ただどのように衰退したかより、
ローマ軍の組織と社会制度との関係に注目しないと分からない
得意の会戦形式でもスマートに勝てなくなったのは士官級の人材レベルが落ちたといえるがそれは既に哲人皇帝の時代から見られる
カラカラ勅令による軍団兵と補助兵の境界消滅と財政悪化、相次ぐ軍人皇帝時代の内乱による国力消耗、
ディオクレティアヌス前後からは元老院と軍人とのキャリアの行き来も禁止でどちらの質も落ちる、
同時に各セクション、日本でいうなら省益しか考えなくなる結果の行政・軍事組織の肥大、財政悪化のスパイラル、
コンスタンティヌスの銀貨中心経済から金貨中心の金本位制切り替えも恩恵は金貨で給料もらう行政官・軍人のみで
帝国経済はますます疲弊したこと、蛮族のスピードへの対応に重装歩兵から重装騎兵への転換
これら全てが複雑に絡み合った原因としか言えん、端的に言えることはない
>>97 すごく丁寧な御教示ありがとうございます
ローマ拷掠当時、ローマを防衛する軍事力は崩壊していたということですかね?
指摘された要因をコンスタンティネス帝は100年前に感じとって遷都したのかな?で、人材も軍事力も東に流れたとか
このスレは塩ばあの著作好きな人多いけど自分はお塩さん以前は星野之宣の「妖女伝説」好きでした
パート1のクレパトラ、アントニウス、オクタビアヌスの時代からクレパトラが転生してサロメになったイエスの時代のローマ帝国勃興期
パート2の更に転生してパルミラ国の女王ゼノビアになってローマ帝国の兵隊の中にもキリスト教徒が浸透していった帝国衰退期の描写は面白かったです
>>97 哲人帝を出すなら、その前の慈悲帝が遠因でしょ
更に内政安定で文帝路線を打ち出した二面性皇帝こそ元凶になる
ハドリアヌスの国境安定への諸判断は適切で半世紀の国内安定を齎したことは確かだが
外に打って出なくなって、国境で反乱起こされてもお慈悲で程々だから周囲の国力が上昇
しかも規模の大きな戦闘機会の減少で兵士の練度も将校の判断力も下がって当然
そして相変わらず重装兵が中心だから、ゲリラ陽動には後手に回りやすくなる
それで半世紀経って、トライヤヌススタイルを経験した将兵が世代交替で消える
人材が落ちたと言うより、小規模の防御(維持と対処)には長けるが
中規模以上の攻撃や殲滅型鎮圧に向かない将校と兵士しかいなくなったことが大きいかと
まぁ長くなったけど、個人的には繁栄の絶頂期少し前の
ハドリアヌスの内政重視路線にあると見ている
>>98 コンスタンティヌスが遷都した理由は、
キリスト教の公認・いずれは国教化によるローマ皇帝権威の確立・世襲化と、
その結果としての長期政権による政治の安定化だから、軍事的な意味はちょっと違うと思うよ
現にローマが古来から脅威だったのは北方蛮族であって、フン族にも東ローマは先に蹂躙された
カエサルとアウグストゥス以来の河川の国境選定・帝国防衛システムが崩壊したのなら
軍団兵の高齢化と蛮族が賢くなったのもある
末期のローマ劫掠を迎えた前後の経緯は、スティリコやアエティウスの粛清が要因としては大きい
>>99 それは因果関係の繋がりに説得力ないだろう、ならアウグストゥスが原因だったとしてもいいわけだし
トライアヌスの拡張路線のままだったら
際限なき国境拡張による財政破綻・早期の帝国倒壊もありえたわけで
システムのメンテナンスによる帝国の根本的寿命延長に貢献した
ハドリアヌスに責任が来るとは到底言えない
一口にトライアヌススクールの人材というがユリウス・クラウディウス朝・
フラヴィウス朝の時代にだって言えることだろう
ネロ死後の内乱の時代でも会戦の技は落ちてたが、
五賢帝以後落ちる一方になった原因の方を追求すべきだろうよ
102 :
世界@名無史さん:2011/09/13(火) 14:17:38.78 0
軍事力の衰退はパックス ローマも原因のひとつと考えて桶ですかね?
日本史で比較すると平安末期の朝廷と類似するのかな
平安初期には大和朝廷拡大路線で坂上田村麿呂などの活躍で東北エゾを平定して、たとえ平将門が出てきても朝廷の軍事力で叩き伏せていたけど
平安の時代の平和がが朝廷を貴族的に変貌させ、平安末期には血縁、地縁で結束した武士団に都の防衛を頼るしかなかったわけで
個人的には200年以上後のことで五賢帝に責任求めるのは酷だと思うけどなあ。
必要ならその時代に対応すると思ってただろうし。
せいぜい責任問えるのは死後100年くらいまでだと思う。
帝政ローマの場合だと五賢帝の責任問えるのはディオクレティアヌスの登極くらいまでか。
>>102 日本史のそれは政権を藤原氏にハブられた結果のくいっぱぐれの親王・貴族・下級役人の地方傘下、
寄進系荘園に代表される在地領主の中央政府離れ、地方の武装化等々事情が違いすぎる
質量と幾多の外征・内乱の戦績を持つ常備軍ある古代ローマとは比較できない
カラカラもディオクレも、それ以前の多くの通弊に対処したまでで
原因が生まれたのは五賢帝や軍団内戦時代にあるは
蛮族の襲来自体は有名なケルト人による占拠やマリウス・スッラの時代からずっとあったことも忘れるでないぞ
↑
そんなのは参考にならん。
政治の変動は奴隷供給がストップしたことによる
経済構造の変化なんかも要因と成りうるわけで
単純に誰かのせいというのもなかなかに難しいのでは
汎ローマというか帝国が限界まで拡大して
手頃に略奪出来る対象が無くなっちゃったしな
ローマの奴隷制なんて勘違いしてる奴もいるしさ・・・
家庭教師も家宰も奴隷だし、逆に剣闘士はローマ市民でもなりがたる花形職業だったりする
軍団兵が志願制になった時点から国家を守るという気概では落ちてる面はあるのさ
最近は市民:奴隷比は4:1くらいだけどモムゼンの頃は1:50とかだった。
>>111 これ、ほんと?
それぞれ、ソースを指示してくれると嬉しい。
>>112 中公新版『ギリシアとローマ』p.373
>人口の二割弱
『古代ローマを知る事典』p.46
>15%から20%ほど
1:50というのは読み直してみたら全然書いてなかったスマン
弓削達『地中海世界とローマ帝国』p.150あたり
属州を含めたローマ全体で20%もいるんじゃ
イタリア半島内は凄い人口比になりそうだなw
奴隷労働力需要のメインは大規模農園での労働だろうから、
技能奴隷の方を必要としていたであろう本国イタリアでは奴隷の人口比が少なくなり、
穀倉地帯でこそ奴隷の比率は高くなるんでは?
市民ってのはローマ市民権取得者ではないよな?
奴隷の大部分は農園奴隷と鉱山奴隷だよ。
剣闘士なんて奴隷の中のエリート。
>>116 五賢帝時代までならローマの基本は中小自作農であって、一家に一人いるかどうか
それもほとんど家族扱いであって、近代の奴隷扱いではない
待遇と社会上での身分呼称をごっちゃにしがちなのがローマ史
>>119 ローマの奴隷は近代欧米の奴隷そのもの
供給源を考えれば自明、あまり電波飛ばさないように
>>120 >ローマの奴隷は近代欧米の奴隷そのもの
どこを縦読み?
>>98 コンスタンティヌスの遷都以前、ビュザンティオンは重要ではなく、
パルミラのように自力で大都市に成長する事はなかった。
軍人皇帝時代にオリエントで挙兵した将軍らは、シリアの
アンティオキアを本拠地とする者が多かった。
アケメネス朝やアレクサンドロス大王とそのディアドコイらも、
ビュザンティオンに支配拠点を設ける事がなかった。
おそらく、ゴート族の南下で黒海北岸の農業が盛んになったので、
ビュザンティオンの大都市化が可能と判断したのだろう。
遷都以前からアナトリアやトラキアは栄えてたけどね
ただペルシャ帝国にとってのビザンチウムは辺境だし
アレクサンドロスの王国にしても西へ寄り過ぎてるし
マケドニア王国はトラキアとギリシアの中央に首都がある
エフェソスのアルテミス神殿がゴート族の海からの襲撃で破壊されたりしたので、
ゴート族の水軍を防ぐ為に、ビュザンティオンの重要度が増したと思われる。
ゴート族以前は、キンメリオス、スキタイ、サルマタイら遊牧民が黒海北岸の
支配者で、海から襲撃してくる事がなかったのだろうね。
125 :
世界@名無史さん:2011/09/14(水) 07:56:51.03 0
ローマ帝国市民と呼ばれる人々はローマ帝国崩壊後には、どう変貌していったのでしょうか?
分かりやすい事例がゴート族によって被支配者にされたわけですよね
で蛮族の国が形成されるに従ってローマ帝国市民という概念が消滅していって各国の民に変貌したのでしょうか?
>>125 例としてはヴェネツィア共和国の誕生のように、その土地で独立した国の国民になったり、
ガリア、ブリタニアなら既に帝国から切り離されて早いんでそこの原住民になったりだろうね
軍団兵の撤収はあったけど市民権を持つ大半まで渡海したはずはない
元老院階級なら東ローマに楽々逃げ延びたのでは?という考えはたぶん違う
東ローマの分裂の理由といい宗教上のすれ違いは深刻だし、そもそも二度のローマ劫掠で
主だった元老院階級は捕囚の身に遭い物理的に死滅してる
東西ローマ分裂の理由は単に行政上軍事上の不備を補うため
ガリアでローマ市民権を持ってたのは土豪でむしろ分離独立を意図してた側
128 :
世界@名無史さん:2011/09/14(水) 13:13:43.55 0
ローマ帝国のシステムが次第に破綻して水道や公衆浴場等の優れたインフラの恩恵よりも社会不安から救済を求めキリスト教やイスラム教に民衆が傾倒していき中世に移行していくと、お塩さんを通じての考察に至りましたが桶ですか?
>>128 どう読んだらそうなるんだろうw
国力の衰退によって街道・水道のインフラ整備も滞るようになったけど、決定的なのはキリスト教の国教化以後の
肌を人前にさらすことの禁止が世俗組織と強固に結びつくようになった宗教界から
トップダウンで決まったことの方が大きいのであって民衆の傾倒の結果ではない
キリストの勝利は王権神授説利用できる皇帝の思惑と、
税制優遇によって本来裕福だったはずの元老院階級知識層の流入による合理的組織化の寄与する所であって
民衆という数の暴力のボトムアップでは断じてない
いつの世だって人々の考えが突然180度変わることなんてない、だからこそコンスタンティヌスも実質遷都をしたようなもので
古きよきローマの神々や公衆浴場の恩恵がなくなることを悲しむ人々は少なくなかっただろうと
14巻の最後にも異端・異教を巡ってのローマ人同士の論戦が載ってたし読めばいいよ
130 :
世界@名無史さん:2011/09/14(水) 14:06:32.62 0
そうですか…40巻以降の記述に そう感じたものですから
一神教のキリスト教やユダヤ教は民族の苦難の歴史から現世の苦難から救いを求める教えで一方、
現世肯定のユピテルを初めとするローマ人の信仰する多神教はパックス ローマが機能していた時はよかったけど帝国が衰退 する従って社会不安が増し救いを旨としたキリスト教が浸透していったと著述してましたが
皇帝の世襲には都合が いいというのは その通りです
なんか、違うなぁ。
>>130 そもそもキリスト教も初期と比べて大いに変容してること忘れてないか?
荒野に生まれたオリエントの一神教とはいえ、弾圧・迫害の歴史の中でローマ社会に溶け込む工夫はしてる
割礼の義務がなくなったり、本来一神教のはずなのに聖人信仰と認めたりとかそういうのな
カエサルのものはカエサルに、という教えに忠実なら国教化以後の戸籍管轄やら教区やらやってられない
133 :
世界@名無史さん:2011/09/14(水) 15:10:43.43 0
ユダヤ教と違ってキリスト教からの歩み寄りが あったとは、ありましたね
え〜と聖人崇拝以外に何だっけ?そうだ職業を持って世俗に生きても良いとかで、より現実路線に歩み寄ったと ありますた
>>130 塩本を読めば多神教に対するローマの考え方がはっきりと書いてあると思うんだが
彼らの神様への認識は共和制から日本の「願掛け」と一緒
現代宗教で見るなら儒教のような道徳倫理儀礼や生活習慣で、「神を信じる・信じない」の概念とは少し違うかなあ
まキリスト教、と言うよりパウロ原理教は、受難や苦難を逆手に取ったロジックを
支配者層が統治手段として有用だと気付いて活用し続けた結果ですな
>>133 人民寺院みたいな周囲を断絶状態の原始共産制カルトは別にして
社会性を持つ宗教は総じて一部制限をかける職業はあっても、職業自体がないなんてあり得ない
職業がないと都市や文明自体が発展以前に発生しない
ユダヤのラビはお布施でいけるとして、王侯貴族など特権階級も畑耕しながら羊飼って潰してなの?
統治は一体誰が?国や盗賊連中からは誰が守る?で
大都市エルサレムに居住する人々は、衣服を着て羊の肉を食うためにどこから調達してた?
そんなことを先ず考えるべき
・ローマ宗教とギリシア宗教は儀礼だ。
・世俗で上位の人間は宗教上も上位。
・ローマ宗教を拒否することは儀礼を取り仕切る共同体を拒否することなので、反社会的とみなされる。
日本でいうなら会社で上司・同僚の壇家の宗派がバラバラでも、
地鎮祭は神主の下、社長以下ビシッとやるのと一緒だ
そうそう。
地鎮祭みたいなのに参加しなかったら、昔なら村八分されがち。
なるほど、うまい事いうな
ネロ皇帝の項で「ローマではギリシャ以上に人身御供が嫌がられた」とありますが
とすると、トロイ戦争でアガメムノンの娘が人身御供にされたというエピソードは
ただのフィクションなのか、それほどのタブーを犯した異常事態ということなのか
はたまた別の解釈か、どうなのでしょう?
タブーじゃなく勿体無いの精神だなうん
トロイ戦争はミケナイ時代の話だよね。剣闘士の試合は犠牲みたいなものだね。
>>143 人身御供が嫌がられたのは共和制以降じゃね?
>>140-141 なるほど
確かに剣闘士の試合を神に捧げる名目でやっているのなら人身御供みたいなものですよね
>>142 塩野さんが人身御供の有無についてギリシャを引き合いにだしていたので
ギリシャってそうだったっけ?と疑問に思っただけで
ローマは直接関係ないのです
カルタゴの人身御供の話は墓地などが残っていて信憑性があるけれど
エトルリアの人身御供についてもなにか残っているのかな
カルタゴの人身御供の話も実は殺害痕のある遺骨は無くて
宗教的か習俗的な理由で造られた子供用の集団墓らしいけどね
>>146 そういう説が最近結構有力なんだよね。
でもないことを証明するのはムズイよね。
「野蛮な風習」は人気ありすぎ盛り上がりすぎで実態を捉えるのが難しいのう
巨大グラディエーター養成所跡を発見
オーストリアのウィーン近郊で、古代ローマの巨大な剣闘士養成学校の遺跡が見つかった。大規模な複合施設で、ローマのコロッセオ周辺の養成施設に匹敵する。
発見された遺跡は木製の訓練用ダミーの痕跡など、ローマの剣闘士養成学校(ラテン語でルードゥス)にはこれまで見られなかった特色がある。
門の外で剣闘士の墓地が見つかったが、ルードゥスの構内にあるのは初めてだと調査チームは話している。
遺跡が発見されたカルヌントゥム考古学公園の科学主任であるフランツ・フーマー氏は、「私のキャリアで考えられる最も興味深いもののひとつだ」とも話している。
養成学校はおそらく、隣接する1万3000人収容の円形闘技場と同時に作られている。
円形闘技場はマルクス・アウレリウスがローマ皇帝だった西暦150年ごろに建設されたもので、1920年代と1930年代に発掘された。
アウレリウス帝はカルヌントゥムに滞在したことがわかっており、その息子コンモドゥス(2000年の大作映画『グラディエーター』に同名の悪帝が登場)が
剣闘士の試合を初めて見たのは、ここカルヌントゥムだった可能性がある。
中庭にはローマ版の外野席が完備された小型の円形闘技場があり、剣闘士はここで動きを練習することができた。
大半が奴隷だった剣闘士たちは、買ってくれそうな人を求めてここで実演したのかもしれないとフーマー氏は推測する。
養成施設の隣には壁で囲われた敷地があった。これは剣闘士が戦う野生の動物を閉じ込める、あるいは馬を訓練するといった用途で使われていた可能性がある。
これまでのルードゥスには認められなかった機能だとフーマー氏は話す。
面積は施設全体で1万9000平方メートルほどあるが、カルヌントゥムの剣闘士養成学校の中心的な建物群は、
ローマとポンペイで発掘された従来の養成学校の遺跡と非常によく似ている。
調査チームはこの類似性から、カルヌントゥムで見つかったものは、まだ発掘してはいないがまさしく剣闘士の養成学校だと確信している。
http://www.nationalgeographic.co.jp/news/news_article.php?file_id=20110914003&expand&source=gnews
サラブレッドみたいなもんか
つーか一度でいいからローマの一等地大規模に掘り返してほすい
剣闘士って、軍に参加する事もあったのかな?
カルヌントゥムだと戦場のすぐそばだよね。
剣闘士の軍団入りは基本不可。オトー帝が元老院の反対無視して投入して
健闘した位。混迷期・衰退期に入ると人手が足りないと強制加入される例も多く
なるが、その頃には剣闘士試合も衰退期に入って失業者吸収の意味合いもあった。
肉体的に頑健で武器の取り扱いになれて仕事も無い連中をほっぽらかしておくのは
治安上も問題だったんだろうな。
トラキア出身のスパルタクスとかは元から乗馬に親しんでいただろうけど、
剣闘士は乗馬の訓練もあったのかな?馬に乗れないと兵として使いにくいよね。
買い主と言うか飼い主を探してってくだりが当時の奴隷制の実際を知るにあたって興味深い
貴族や商人に囲い込まれて名誉と地位を目指す前時代ボクシングのボクサーの考え方と一緒
>>155 金持ちの護衛みたいな感じで雇われるというか買われることもあったのかな。
剣闘士なら強いだろうし。
有閑マダムに買われた話あったよな
まあ性具としてらしいが
>>156 個人的なボディーガードを雇う必要が無いからパックスロマーナ。それこそ
>>157の言う通り性欲処理の美少年やら執事やら料理人やらの方が需要が高い。
金持ちは自分のウェラに友人達を呼んで、踊り子や剣闘士を呼んでショーを観ながら
宴会を開くのがステータスだった。堕落した文化と言えばそうかもしれないが、
そういう事を楽しめるのも平和だったからだろうな。
個人的な従者をずらずら並べるのがローマ社会のステータスなのに
何を言ってんだオマエは
>>157 佐藤賢一のスパルタカスか。
今でいえば、ダルビッシュや本田を呼びつけて相手させるような感じだな。
>>159 機械が発達していない時代にあっては人を多く使うのがステータスの証で
あるのは古今東西変わらない。とはいえローマ時代の金持ちが自分のボディー
ガードに高名な剣闘士を雇ったり、それを自慢したなんて記録は無く文化も無い。
従者には当然危機があった時に主人を守る事も期待されただろうけど、主人が
従者に求めたのは主人に代わって商売が出来たり、資産を管理したり、手紙を
書いたり、料理ができたり、マッサージができたり、子弟に教育できたりノーメン
クラトーゥラできたりの能力だった。またそういう奴隷の方が値段も高かった。
こいつは従者と奴隷の区?が付いてなさそう
読んだけど、コンスタンティヌスが何故「新しいローマ」を作りたかったのか、最後まで分からんかった。
首都を変え、古来からの信仰を変え、皇帝を専制君主に変え。何故それをしたかったのか?
コンスタンティヌスは皇帝になる以前からキリスト教に洗脳されていたらしい。
トップが洗脳されたら専制君主制は終わりだからな、民主主義で良かった。
まぁ、
中国・韓国の命令を受けたテレビが洗脳放送を流し、国民が民主党に投票する っていうシステムも出来上がってるけど、
選挙があるだけマシかな。
でも何でキリスト教だったんだろ? ユダヤ教他、いくらでも宗教はあったのに。
ママンが新興宗教の耶蘇教にはまっちゃったから・・・。
ママンが摩尼教にはまってたら、もちっとましな中世になってたかもな。
>>163 キリスト教以前にローマ兵にミトラ教が盛行したり、
軍の主力がサルマタイ&パルティア式の重騎兵になり、
イラン的なものの価値が高まったので、ササン朝の
ような専制君主制が理想となったのでは?
>>163 一神教を肯定する宗教だから、という点で王権神授説の利用に都合いいからでしょう
もたらされる恩恵は世襲の肯定と能力に関わらずの政権の安定化
キリストならなんとか帝国領土内の宗教になるし、ユダヤ教は選民思想と教義が厳しすぎるし
ハドリアヌス帝でディアスポラやったのが点で無理
一神教と言っても王権神授説に都合よく、かつ当時それなりの規模をもっていたのがキリストしかないということだ
ばっちゃのスタンスはコンスタンティヌスが近親者の影響からキリスト教に好意的だったというより、
政治的冷徹さで利用したという考えのはずよ
マクセンティウスと戦う前にキリスト教徒に後方で騒ぎとか起こされたら
嫌だっただろうし、キリスト教をいくら罰しても根絶できない位に勢力が増して
た存在である事も認識していただろう。だったら公認して味方にした方が良いって位の
政治判断だったんじゃないだろうか。
>>169 ディオクレティアヌスの大弾圧もあったしそこまでとは言えん
それにおもねる目的だったらリキニウス倒して一人の皇帝になった時点でまた従来の弾圧してただろう
初期キリスト教会の隆盛は没落しつつあった元老院階級の宗教界入りによる
世俗組織化としての効率化が大きいんであってそれまでは恐れるに足らん、
ユリアヌスの方針転換で傾く程度には脆弱だった
逆に言えば従来のローマ皇帝は異教の神々さえもローマの神に加えられたけど
キリスト教の内包する危険を感知していたからこそこれだけは弾圧したとも考えられるわけで、
実際、哲人皇帝と迫害さなかのキリスト教徒との対話が残ってばっちゃもわざわざ書いてたでしょ?
寛容と同化のローマ文明だからこそ、キリスト以外の神は神ではないとする一神教の存在はだめだったということだよ
単純にカルトを禁止しただけだろ
言いたい事は判るけど時代が違うでしょ、哲人皇帝の時代ならキリスト教徒は極少数で
国家に忠誠を誓わず他者の宗教を否定する共同体の敵と罰しても大して社会問題にならなかった。
しかしコンスタンティヌスの時代の特に東方地域にあってはディオクレティアヌスの大弾圧
後も信徒は増え続け、官僚や兵士の中にもコンスタンティヌスの身近で言えば母親が熱心な信者って
いう始末。ここまで行ってしまったら弾圧するより公認した方が良いと政治判断してもおかしくは
ないだろう。それに彼としてはあくまでも公認であって国教になるなんて想像もしてなかったんじゃ
ないだろうか。そもそもコンスタンティヌスがキリスト教徒になったのは死ぬ間際の息も絶え絶えの
の状態で強制的に洗礼を受けた時。
>>172 税制優遇と遷都してまでのローマ社会への導入に至ってはしぶしぶの公認どころじゃないだろう
その辺りで公認といいながらも国教化へのレールを最短距離で突っ走ってた
コンスタンティヌスの政治利用の意図は明らかじゃん
洗礼を死の直前にしたのは、生前の聖職者の政治介入を避ける以上の意味はないだろ
あるいは死の直前でも神はわけへだてしないよって皮肉のつもりだったかってところだ
コンスタンティヌス大帝のキリスト教信仰というテーマは面白いと思う。
はっきりしているのは、政治的な合理性(策謀)のみではないし、かといって、信仰
に燃えたからでも、もちろん、ない。
問題として設定すると、次のようになると思う。
当時の人口比でせいぜい一割に過ぎなかった、しかも、その大部分は中・下層階
級で占められていたキリスト教徒をなぜ優遇したのか?
ばっちゃは、確かどこかで、皇帝継承の正当性を確保するためだという王権神授説の
はしりのような論点を出していたが、それも一つの見識だと思う。
神が皇帝位を授けるという意味での戴冠式が初めてローマ帝国で成立するわけだ。
それから、当時のキリスト教社会では、入信=洗礼ではなかった、むしろ洗礼を受け
るのは入信してからずいぶん経た後が普通だったという事実は知っておいた方がいい。
つまり、コンスタンティヌスが死ぬ寸前にやっと洗礼を受けたからといって、その時
に初めて入信したのではない、ということだ。
ギリシャではキリスト教は権威ある皇帝の下に位置し
皇帝の権威は血と生まれた場所に依拠したことをお忘れなく
>>174 >当時の人口比でせいぜい一割に過ぎなかった
いやアンタ、1割ってそうとうな数ですよ。
もし日本で12000万人の信徒を持つ宗教団体がいたら、政治家は片っ端から土下座して優遇政策するでしょ。
まぁ、当時のローマ皇帝にはもう集票という目的は無いけど、世論は無視できんでしょ。
178 :
174:2011/09/17(土) 07:43:09.40 0
>>177 ちょっと意味がわかんないな。
12000万人って何? というのは、おいておくとしても。
もし仮に、当時、現代的な意味での集票や世論が意味を持つとしても、一割の連中だ
けを税金免除など特別に優遇することには一定の説明が与えられなければならないで
しょ。
それは、ただ単に「一割だから」では説明にはならない。むしろ、「なぜ、その一割
が?」という問題だということ。
それに、コンスタンティヌスにとって、社会上層部つまりは官僚や将校にキリスト教
徒がほとんどいないということは、自分の身近にいる連中を敵に回すことになる、つ
まりは、常識的に言えば、政治的に不利な状況を招くのに、それは一体なぜ?という
問題だと思う。
完全に統制された5%がいれば残り95%を牛耳れるという理論が70年代にあってだな
そこまで行かなくてもアメリカのユダヤ票は人口の2倍から4倍の力があるとされてるな。
大帝に関しては自身が信じてたっぽいが。
まあ資料捏造の可能性も高いが。
1割もいたようには思えん
現実に日本だって5%どころか全体の1%すらない特定利権団体の圧力で
統制されたり重要議案ですら通されかねない状態だよ
小規模組織でも狂信グループ独特の結束力で特定分野を押さえて
代表を支配者層に送り込んで、その組織力を利用したい非狂信の一派閥に取り入って恩を売る
ひとまずこれで安全と更なる利権誘導が保証される
似たような利権団体も対立しなければ引き込む
そして更に規模がデカくなれば、状況次第でその連立派閥内での主従関係が逆転すらする
後は様々な重要ポストに身内をつけるだけ
そうなれば雪崩式
つまり数百年後には創価が日本の国教になってるかもしれないんですね。
「日本人の物語 14巻 大作の勝利」
巨大化固定化癒着した再生産を続ける官僚構造体
近世中国の轍をぴったりなぞってるは
官僚組織の腐敗構造は古今東西一緒であって中国をなぞるなんて片腹痛いわ
中間層の衰退した国家は漏れなく滅亡の道へと歩む。
これは最早歴史が証明している法則だ。
不安定にはなるが滅亡するとは限らん
新たな中間層を作っていけばいいし
>>182 それもあるが、その他糾弾し続けなければ存在意義がなくなって甘い汁を吸えなくなるから
因縁をつけ続ける諸団体もあるね
>>187 新たな中間層を作るなんて簡単に言ってもなぁ
今や教育も職場も社会倫理意識も、今やアメリカ同様に左端近くと右端近くにヒストグラムのピークが来る時代
この状態を以前に戻そうと思ったら教育現場じゃ最も短期間で効果の出る小学校でも10年
社会全体としてだと30年はかかる
その間に横槍が入れば延々先送りで国力が落ち続ける状態になる
新たな中間層ってなんだ?
収入のピラミッドが綺麗になってるバランス状態を指してると思ったんだが
>>187の頭には違うものが見えてるらしいな
作っていけばいいの意味がわからんのだな
つまり、多くの労働者は平均的な給与が支払われる
国営企業で働く国家体制にするってことか。これなら創れる
あかん、それ公務員だらけで悲惨なことになったギリシャプラグや
ディオクレティアヌス帝の目指したソレは、世界最初の社会主義国家だったんじゃないのかねぇ。
最高価格令とか。
>>193 古代の帝国は大概そんな感じ
マウリヤ帝国も唐帝国も最高価格制限あった
中央銀行のない古代中世の取れる対超インフレ経済政策ったらもうそれしかなくない?
貨幣を改鋳して金・銀の純度の高い新貨幣を発行すればインフレは収まる。
とはいえこれを実行するには増収なり支出削減で政府が純度の低い通貨と交換
するのに耐えられる黒字を確保するか、政府が市民に旧貨幣を強制回収して回収費
+改鋳費を差し引いて新貨幣を渡すしかない。ビザンチン帝国の場合、前者を行う
程財政に余裕が無く、後者を行う程権力がないから公務員や軍人に給与として払う
金貨以外はだだ下がり。その金貨にしても末期になるほど、小さかったり薄かったり
混ぜ物入ってたりする。
そういや、増税すると反乱が起きて、それを鎮圧するために軍備増強の増税、この負のスパイラルがあるため、
歴代皇帝は増税を極力避けた。 って設定はどっか行ってしまったね。
当たり前だろw
ローマは属州から収奪する為の重税と鎮圧する為の強大な軍事力が柱石の
軍事国家なんだから
金銀の供給が限定的なので
実体経済の貨幣需要に金銀の供給が追いつかず
額面価値を維持しようとするとデフレ不況に突入してしまうこともしばしば・・・
いつの間にどこかいったことになってるんだよ
捏造すんな
>>201 正帝副帝ができた辺りから重税あたりまえになってたじゃん。
それもうローマ末期だろ
属州を武力で〜なんてこたない
軍人皇帝以降の方が旧属州の税は軽いだろ
>>204 何で税金軽くなるんだ?そんな史料有る?正直3世紀〜5世紀のローマ領には
住みたくないだろう、度重なる蛮族侵入、重い税、内乱、疫病等々のオンパレード。
206 :
世界@名無史さん:2011/09/21(水) 07:56:59.81 0
記事を書いた医者がバカなのはよく分かった
カエサルが癲癇とか今更なデマだな
>>163 そのレスだけ読むとケマルってコンスタンティヌスとやったことそっくりだな。
このスレ、ローマ暗黒史観信じちゃってるアホが居着いちゃってるからなあ
ハンニバルとスピキオをテーマにした漫画がウルトラジャンプに連載してたんだね
ティベリウスは蓄財に励んだ結果、経済がデフレになったらしいな。
後世からみた結果論なら財政を健全化した名君なんだろうけど
当時としちゃ不況の元凶かぁ。
それはカリグラが4年ぐらいで使い果たしたからいいじゃん
>>174 思いつきですが。
当時の人口に占める徴税率はどうだったのでしょう。
教会組織は数少ない、統制された組織だったので、教会を支配すれば、
徴税率はかなり高くなる。一割であっても、徴税率が高ければ、
相当統治に効果的と言える程、徴税漏れが多くなっていた、
ということは考えられないでしょうか。
>>213 他の宗教もきちんと組織化されてると思うから、そこら辺は微妙じゃないかな
コンスタンティヌス帝前まではキリスト教は非公認団体であって、その活動は
当然非合法。その活動を公認する事で非合法を合法にして経済の安定を図った面
はあったかもね。とはいえ当時のキリスト教徒は中・下層階級ばかりで豊とはとて
もいえない。教会とか建ててやってるから持ち出しの方が多かったんじゃないかな。
それに公認→国教の流れの中で教会が合法脱税機関になってるから、コンスタンティヌス
帝にその意図があったとしたら大失敗だと言える。
>>215 何でお前、そんなイミフなところで改行すんの?
句読点か文節ごとに改行しろよ
多分オツガイだから
>>213-214 キリスト教と他の宗教の違いは
その組織化がちゃんと全国規模で維持発展されてるかって部分だと思う。
それまでの宗教は往々にして民族・部族単位で組織的に完結していて
ローマ帝国の全国規模で維持発展しているとは言い難い。
せいぜいローマや大都市に、同じ民族出身者のコミュニティが
宗教施設を中心にある程度だろうね。
ミトラ教もコンスタンティヌスの時代には衰退傾向だったそうだし。
そうなると帝国自体の組織や人の流れを維持するのに
キリスト教が最も「使える」宗教と考えたんでないかと思う。
キリスト教が他の神を許容しない一神教以外の点以外でも特色がある
左の頬をぶたれたら右の頬を差し出せなんていうほどの隣人愛だろう
こういうのは民族・部族社会が基本の古代には画期的で、それらの壁を超える概念ではある
それも大帝が多民族のローマ帝国で王権神授説に利用できると踏んだ一因
逆に信じてるものと信じてないもの、異端との戦いは絶えないのだけど
220 :
174:2011/09/22(木) 11:16:31.33 0
>>218 ユピテル信仰(神殿)とかはローマ帝国全域にあったのではないかと思うけど、おお
むね同意できるなぁ。
俺自身も、コンスタンティヌスがキリスト教を優遇した「政治的な理由」は、キリス
ト教独自の教会論つまりは組織論にあったと思ってる。
教会組織の垂直的な階層性、その求心性と比例した徹底した排他性、祭祀階級の専門
(専業)性、帝国行政の弱体化を補完するような旺盛な慈善活動など。
でも、やっぱりピンとこないのは、キリスト教徒は、当時の一割程度しか存在せず、
しかも中・下層階級に集中して上層階級にはほとんどいなかったにもかかわらず、な
ぜ、そのような冒険をしたのかという点。
だけど、このような疑問を持つのは、コンスタンティヌスだけを切り離して見ている
からで、その直前の大迫害を行ったディオクレティアヌスやガレリウスは既に迫害を
諦めているんだよな。
そこからの「流れ」として理解すれば、それほど不自然な決断ではなかったのかもし
れないが…。
婆に言わせりゃ「大都市からブリテンの田舎町までほぼ等しくその1割が存在した」でしょ
しかも1割といってもノンポリ層じゃない
現世の受難を尊び聖なる死で永遠の理想郷に辿り着けると教えられている狂信めいた1割
イザとなれば一斉蜂起して死を恐れない1割の便衣兵が皇帝の味方につけば
敵対派閥の有力師団や近衛クラスも迂闊に手を出せないでしょ
下手にキリスト教と敵対姿勢を見せればその師団内部にも1割の死を恐れない信者がいるから
下手すりゃ決死隊組まれて寝首を掻き切られる
んでもって失敗して死んだら聖人や受難者として崇められる存在になるから統治者としては非常に厄介
まぁ結局はその1割を弾圧するより取り込んで利用したほうがいいと思う状況だから
そうしただけのことでしょ
222 :
174:2011/09/22(木) 13:50:04.62 0
「便衣兵」には笑ったが、すまん、まだ説得されないなぁ。
確かに、この一割は狂信者に近い集団だったと思うけど、だからといって、他宗教
(伝統的なものを含む)と比較して、
* 単に「公認するのみならず、税制などを免除するような優遇措置」
を取る理由にはならない。
つい昨日までは、一般民衆からは「火付け・強盗・無神論者」の類とみなされていた
集団だったんだ。
問題は、コンスタンティヌスのこの決断にはある種の政治的な飛躍があり、その飛躍
を埋めるものは何か、という点にある。
BBC地球伝説 夜8:00〜
9月29日(木) 古代文明のルーツを求めて 古代ローマの興亡1
9月30日(金) 古代文明のルーツを求めて 古代ローマの興亡2
10月7日(金) ジュリアス・シーザー ガリア戦記をめぐる旅
大帝がそんな瞬間的な利得のためにやったとは思えんな
後世に残した影響で言えば負の側面は強いと思うけど、並みいるライバルを下して
完全に世襲の専制君主のローマにした力量の為したことがそんな俗な迎合的なこととも思えん
225 :
世界@名無史さん:2011/09/22(木) 17:40:49.71 O
結局のところ、やっぱり大帝自身が信仰してたからってことかもね、意外と。政治的な意図もあったかもしらんけどそれが主ではなくて。
226 :
世界@名無史さん:2011/09/22(木) 17:59:55.09 O
それに、大帝の母親はキリスト教徒だったらしいじゃん?仮に大帝自身は信仰していなくても、皇帝位にまで登った男が、自分の母親が差別されてるのを黙って見てるというのは逆に考えにくい、と思う
携帯の奴、政治に携わる人間が庶民感覚であれこれやっちゃうという点では想像力なさ過ぎだな
家族が原因なら弾圧の手を緩める程度でいいんであって、遷都や税制優遇など帝国規模でやる必要などさらさらない
史書にばかり当たってると、史書には登場しないが確実にいた人間に対する想像力が欠けるって本当だな
身内のそれで決めてたら大帝の部下がどう思うか考えてみろ
>>222 そもそも本当に「一割」だったかどうかという問題があると思ってる。
今より大家族で一家族5〜6人だった場合、物凄い単純計算だけど二家族に一人は
「統計上のキリスト教徒」がいたということになるからね。極論すれば一軒おきに一人。
周りの家族は全然影響受けてなかったのか?と。
「キリスト教徒」という存在を許容する、例えば自分は信仰しないけど
家族や隣人がキリスト教徒でも今まで通り付き合っていたり、
もしくは市場で時々会うキリスト教徒に対して
「あの人たちは真面目だしよく働くからいいんでないか」と思っていたり
「何も弾圧までしなくても良いんでないか」と思っていたりした
住民も含めれば、「キリスト教徒への理解者」は、もっといた可能性がかなり高い。
彼らを「火付け・強盗・無神論者」の類とみなして弾圧まで叫ぶ人たちは、
「狂信的なキリスト教徒」自体と同じくらいの少数派だった可能性すらある。
これまで弾圧されて迫害視もされたきた集団がそうそう1割にも達するわけないだろと
ローマの神々は無視してこっそり集まって何かやってる集団だぞ
>>228 ふつうに考えれば十家族に一家族だな
家父長に絶対の権限があるローマ社会なら尚更
231 :
174:2011/09/22(木) 22:16:40.31 0
>>228 うん。
バランスのよい意見だと思う。
当時のキリスト教は、都市部に集中していて、農村部にはほとんどいなかったという
研究があるくらいだから、都市部に限定すれば、もっと割合が上がったはず。
しかも、ご指摘の通り、むしろキリスト教徒に同情的な市民も一定数はいたはずで、
以上を考えれば、コンスタンティヌスの政治的な決断も理解できそう?
それから、例の「天空に十字架」というコンスタンティヌスに対する啓示の話も、当
時の宗教感覚からいえば「勝利に導く神」としてコンスタンティヌス自身の信仰を高
めたはずで、これも含めれば、コンスタンティヌスの政治的な決断も理解できそう?
だんだん、理解できそうな気分になってきた(苦笑)。
なんでそんな無駄に空白いれんの?
帝国自体が過去今までにない求心力を求めていた時期だし、キリスト教にはその求心力足る力があったわけだし、当然の結果だったとは思うよ
ギリシャの哲学ではローマの求心力にならない時代に決定的になった
人を支配するにはキリスト教ほど便利な思想はなかったし、貧富や民族や生まれや運の壁を超えて具体的に自らの理想とする世界観をキリスト教は示したわけだし、それに対抗出来るだけの世界観を古代宗教は持てなかった
ローマ帝国という多民族国家の民心を安定させるためには、キリスト教という支柱が最適だった
ただそれだけじゃない?
動物の犠牲や偶像じゃあローマ人は満足出来なくなったんでしょ
自分達で法律を作ってその法律を体系付けて考えるのが好きな文明だしね
都市で急速に増えた一割の人間を弾圧し続けるとなれば、それだけでも間違いなく国は崩壊するでしょうし、ただでさえ混乱している帝国で、そんな事続けてたら間違いなくすぐ滅びるよ
>>235 今の日本でだと浄土真宗で名義上の信者を各派合わせると1割強いるが、それを禁止する、信者は殺すと言ったら社会崩壊を起こすだろう。
237 :
235:2011/09/22(木) 23:13:23.48 O
>>236 そうだね、その通りだ
だから、キリスト教を取り込むしかなかったんだと思う
コンスタンティヌス本人の思想や心情関係なく、ローマ帝国を安定させるためには取り込むしか選択肢はなかったと考えるしかないと思うんだ
だから一割もいたかどうかってことだろ
>>238 研究者達がその位居ただろうと推定してるから、それを大幅に否定する証拠
が出てこない限りそれをある程度信用するしかないだろう。まあ、何度も禁教
令と大弾圧があったんだから社会問題にはなっていたのは確か。
>>238 東方のローマ帝国が中心になって文化がそこから流れこんで西方に流れるようになるから、マケドニア、シリア、小アジア、エジプトこそがその時代のメインでしょ?
イタリア半島が文化の中心だった時代と背景が違うし、東方の中心にキリスト教が集まれば、自然と帝国に広がって行くんじゃないかな
しかもキリスト教が広まって300年以上の時間の経過もあるし、一割は言い過ぎじゃないと思うよ
禁教令と大弾圧が何度もあった事自体が国としては異常事態だし、上に立つ人間としては解決策を考えなければいけないわけで
それだけ国家を脅かす力があるって事だしね
>>231 >当時のキリスト教は、都市部に集中していて、農村部にはほとんどいなかったという
当時、皇帝とって最重要の権力基盤である軍の主力が騎兵となったので、幼少より乗馬に
慣れ親しむ者が多い牧畜地域のパンノニアやモエシア、フリギア、カッパドキアなどの
出身者が将兵の多数となっていたとされるので、まさにキリスト教徒の多い都市民とは
かなり対照的な連中に、コンスタンティヌス帝らは担がれていた事になるよね。
>>79に同意
ローマを滅亡に導いたのはキリスト教
244 :
世界@名無史さん:2011/09/23(金) 07:30:18.05 O
東ローマはその後も続いたけどね
ローマが滅んだのは歴史の流れとしては当然の成り行きだし、キリスト教だけが原因じゃない
整ったインフラや法律、そして文化が広がった結果、その時代の人間の欲望を古代ローマという国家政体では吸収出来なくなっただけで、単純にキリスト教のせいだけには出来ないよ
ローマにとってはキリスト教はむしろ延命策にはなったろうけど
東西分裂と暗黒の中世、長年の十字軍によるヨーロッパの疲弊の要因になったのは否めない
コンスタンティヌス1世=小泉純一郎
表向きはヒーロー、実際は帝国を修正不能なほうへ導いた最悪の売国奴
確かにそうなんだけど、元々東方の方が西方よりも文明的に進んで豊かだったわけだし、中世の暗黒時代がなければ近代ヨーロッパの発展もなかったわけだし、歴史の流れとしては必然なんでしょうね
ぶっちゃけ、帝国を修正不能にしたのはカラカラの方だと思うがな。
>>249 同じ意見だ
カラカラ帝の失政が古代ローマを滅ぼす遠因だと思う
カラカラは昭和史でいうなら三木か?政治資金規正法
小泉はコンスタンティヌスかディオクレティアヌスかセプティミウス・セヴェルスってとこか
>>251 カラカラ帝はほとんど革命と言える政策で失敗しているから、昭和史の人間達では役不足だと思う
カラカラ帝と後継者達=アッバース朝
東にしろ西にしろ、キリスト化したことで、延命してもしょーもない文明になってたから、延命に寄与してたとしても、むなしい結論。まぁ文明が荒廃したのはキリスト化だけが原因じゃないけど。
カラカラは破綻国家に陥りつつあったローマの現状を追認しただけ
有効な政策を執れなかったし有能とは到底言えないが、特に拙いこともしてないだろ
兵役等を済ませればローマ市民権を代々与えるって政策に根本的な欠陥が
あったと思う。あれで結局ローマ市民権がインフレ起こして税制その他で優遇
される人が増え政府税収は減り支出は増え、ローマ市民としてのアイディンティティーも崩壊
した。そういう意味ではそういうシステムを作ったアウグストゥス帝にも責任の
一端はあるような気もする。塩野女史はこの点には触れてないけどローマ帝政の
この矛盾にアウグストゥス帝は気づかなかったのか?とは思うな、時間が経つご
とに税収が減って支出が増える矛盾。
とはいえ、アウグストゥスからカラカラまで200年も間が開いているわけで、
仮に矛盾があったシステムにだとしてもそこまで先の責任をアウグストゥスに負わせるのは少々酷なような気もする。
>>255 アントニウス勅令みたいな法律を広大なローマ帝国で施法するならよっぽどきちんと国内の税制度をその勅令のために準備しておかないと無理だよ
間違いなく税制は混乱するし、ただでさえ破綻寸前な状態で更に税制が減るような勅令を起こしたら、ゆくゆくは致命傷になる
従来の徴税人に属州民からの重税取立を請負わせる仕組みが
地元有力者の徴税協力拒否に遭って破綻していた以上
カラカラは現状を追認しただけでしょ、元々混乱していたのだから混乱しようがないし
税金が大きく減ったとも思えない。アントニウス勅令に意味があったかどうかは別として
260 :
258:2011/09/23(金) 18:47:36.31 O
>>259 そこが一番重要だと思うんだよ
領土が拡大傾向にあるならまだしも、領土が縮小し始めて防衛能力の限界を超えてしまった帝国にその政策は不相応でしょ
徴税拒否自体が国家に対する反逆とも言えるし、ティベリウス帝みたいな人間であれば許さなかったろうし
アントニ『ヌ』ス勅令
262 :
258:2011/09/23(金) 20:35:36.60 O
>>261 間違えてたよwwww
先生ごめんなさい
>>260 管理通貨制度が確立する20世紀まで足りない財政を征服による略奪で補うという発想がずっとあったんだけど、
征服地の管理費用がかかるという視点がほぼ抜けてるんだよね。
本来ならそのリスクを避ける管理費の少ない拠点征服(沿岸や河川沿いに都市を征服)を進めるべきだったんだけど、ハドリアヌスのメソポタミア放棄でそれも無くなったし。
あのままオマーンのようにインド洋拠点制圧を進めていったらもう少し帝国の寿命は伸びたと思う。
264 :
258:2011/09/23(金) 22:08:15.64 O
>>263 だから保守的な軍人としても政治家としてもティベリウスは良い皇帝だったと思うんだ
保守的で現実的
当たり前だよね、苦しい戦争にずっと勝ってきた人だから、神や人間に理想を求めない
こういう人じゃないとこういう局面では打開出来ない
>>260 カラカラ帝に「領土が縮小し始めて防衛能力の限界を超えてしまった」
という認識がどこまであったのかという問題があると思う。
後世だからそう言えるんであって、当時は「一時的に押されている」
程度の認識だったかも知れない。
212年だよ?西ローマ滅亡を江戸幕府滅亡に当てはめて
同じ年数遡ると、秀忠が将軍になったとか家光が生まれたとかそんな時代だ。
あと根本的な話をすれば、ローマ市民権に含まれる諸特権のうち
所得税免税特権に、どこかで手をつけなきゃ行けなかったと思う。
年収一億の属州民がローマ市民権取れば、1000万の税収が減るわけで。
富裕層の方がローマ市民権取りやすかったと思うから、そんな風に
漸減していって、徴税拒否とかなくてもいつか間に合わなくなったろう。
免税に親戚の兵役参加などの新たな条件をつけるか、
完全な免税ではなく税率引き下げとするか。
それが出来なかった以上、形は違っていたかも知れないが
誰がやってもローマの衰滅は避けられなかっただろうと思う。
そもそも、連日剣闘試合や戦車競争やってたらカネが幾らあっても足りんよね。
アウグストゥスやティベリウスはそれなりに自重してたみたいだけど。
ティベリウスは剣闘試合が嫌いだったってばっちゃが書いてたけど。
剣闘試合や戦車競争なんて、軍事費や免税措置に比べれば
大した費用は掛からん。だからこそディオクレチアヌスは政府組織を大きくしたのだし
誰も連日催し物なんてやってないだろ
多かったアウグストゥスでさえ年に一度程度だぞ
>>263 メソポタミアに大軍で遠征しているとその隙にゲルマンが本国を狙うから、
ハドリアヌス以降の皇帝らも結局メソポタミアを諦めざるえなかった。
帝政ローマはかつてのアケメネス朝と比較するとかなり不利だったようだ。
アケメネス朝はマケドニア軍に対してガウガメラに全国から大軍を集結させたが、
北方からサルマタイやサカらがペルシャ領に雪崩込んでくる事はなかったとされる。
ペルシャ帝国の前の時代は、北方からの遊牧民が
常にイラン高原からパキスタンにかけて侵攻、流入し続けていたし
トゥーラーンからパキスタンにかけてのマケドニア系諸王朝も
北から侵入してきた遊牧民に滅ぼされたからね
ペルシャ帝国の外交が上手かったとも言えるし
帝政ローマの外交が下手だったとも言える
アルメニアの存在無視かよ
サカ族はペルシャの残党とともにマケドニアと戦った。
スティリコが西ゴート族に対して兵を集結させたら、
ヴァンダル族らにライン国境を突破されてしまった。
スティリコはヴァンダル族出身とされるが、この時
ヴァンダル族を対西ゴート戦の援軍には出来なかった。
ディオクレティアヌス帝の治世はテトラルキアとされるが、対ササン朝戦では
副帝ガレリウスがイリリアから遠征してきたので、ディオクレティアヌス領の
オリエント軍だけではササン朝に対抗出来なかったようだ。
4頭制になっても別に国を分割してる訳じゃない。ローマ最盛期のトラヤヌス
帝だってパルティア侵攻にはドナウ戦線から軍団引き抜いてるし、ハドリアヌス帝
による属州ユダヤ叛乱鎮圧にもドナウから兵を呼び寄せてる。相手と戦う時に、手持ち
の兵力では不足なら他から援軍を呼ぶのは別に変な事ではないだろう。
>>256 >そういう意味ではそういうシステムを作ったアウグストゥス帝にも責任の
>一端はあるような気もする
ねーよw
アウグストス「俺が死んで200年経っても、その制度を社会の変化に合わせて変えない阿呆どもばかりとは思わなかった…」
って言われるぞ。
日本「憲法9条はアメリカが押し付けたんだ!お前らのせいでまともな国家になれないんだ!」
雨「いや、勝手に変えろよwwww」
みたいなもの
中国語の中古音とか宋代の文化は
中国じゃなく日本が一番残ってるんだよな、功罪両面ある
>>276 憲法九条に関しては冷戦が致命的だったと思う。
国連は機能不全だし周りは敵ばっかだし
守りを固めるために自衛隊は必要としても、実際の行動に関しては
「軍事的引きこもり」になるのも無理はないわけで
憲法九条は口実に使われたというか。
で、そういう状態が数十年も続いてれば「習いが性になる」のもよくある話。
単に55年体制の中では経済問題は進められても、外交・国防問題は野党・社会党のせいで進められなかっただけだよ
歴オタはなんでそんな抽象論に逃げるのかと思うときが多すぎる
習いが性になる()
平凡社から出版された
『ベストセラー炎上』という本の中で
塩野氏がメタメタに叩かれてるらしいんだけど
どんな内容なんだろう。
他に俎上に載せられてるのは勝間和代さんや村上春樹さん
内田樹さんもいるらしいけど
そういうのは書けない物書きの嫉妬だから気にすんな
小説家としての塩婆に叩かれる要素なんて全く無いような
メディアが歴史家として出演させる塩婆はダメだけど
文が下手とか?
小説家として捉えた場合は個人の主観、村上は長編の訳書でも一気に読ませる
勝間はどうせ原発擁護に対するネガキャンでしょ
まぁ歴史として捉えた場合は、たとえば司馬遼なんてイメージがひとり歩きして
事実ベースの創作が事実上の一般標準になってしまったりしてるから問題はあるが
ま事実誤認の粗探しでネガキャンやって売上を上げるって次元じゃないの?
歴史家と小説家の狭間の問題ならルネサンスの女たちのあとがきで言ってることが全てだろうに
あれ以来未だろくに社会一般に読まれるものを出さない人間に批判する資格は無いよ
売れるものが正しいとは限らないのは概ねその通りだけど、
売れないものが正しくないのはそれ以上に真に近い
amazonニ投稿された書評の一部をコピペ
(ルール違反だったらごめんなさい)
塩野七生については、佐高は、「おんな司馬遼太郎」、「経済音痴」、と貶している。
塩野七生が、司馬遼太郎賞を取り、吉村昭は、その賞の受賞を拒否したことで、
吉村昭を賞賛している。佐高のいつもの手である。
ちなみに対象となっている著作は
『日本人へ リーダー篇』『日本人へ 国家と歴史篇』
でありロマ物ではないらしい?
天下国家を語る姿勢を批判してるってことなのかな。
でもベストセラーって言うならロマ物外すのは変だよね。
ああ、つまり「日本人へ」で言ってる内容が気に食わないってだけなんだろ
だいたいロマ物ですら一般人のための優しい読み物という奴がいるが
本当に読んでるのか疑わしい批判ばかりだしな
>>286 なんだ、その二冊か。小説じゃないのなら正直どうでもいい。
>>286 その2冊なら批判した奴は正しいな
意味のほとんど無いセコい小物染みたやり口ではあるけど
「合法」を積み上げていって絶大な権威と権力を手にしたという意味でアウグストゥスとプーチンは似ているのかな
>>290 40年も君臨するのかよ
勘弁してくれよ
言動は多分にカエサル的だけどね
似てると言うよりそれが混乱時の権威&権力掌握の王道なんでしょ
それを是認する社会的背景があるのも共通だな。
カエサルよりスッラって感じだが
とうとう40巻まで読み終えた。
41巻以降のローマの衰退を読むのが辛い。
強い蛮族に対して、領土を渡して許してもらおう って。衰退する国家ってのは悲惨だ。
日本も人事じゃないな。衰退はしてないかも知れんが軍事力が無いというのは伍するものがある。
いや、日本は確実に衰退してるって。
衰退というよりは混迷の時期が長引いてるというべきだな
ローマが共和政から帝政、ヴェネツィアが十人委員会発足したように
日本も現状を踏まえた政治改革しないと厳しい
スレチだけど戦後日本はCIA岸系列のアメリカ傀儡に成り下がっちゃったけどね
強気にしたいが、アメリカと距離を置く経世会の主力は潰された
経世会(贈収賄スキャンダルでの失脚と急死続き)
田中 金丸 竹下 中村喜 鈴木宗 小渕 橋龍 二階 野中 梶山・・・・・・
清和会(全員安泰)
福田親子 阿部 森 三塚 塩川 小泉 竹中 中川 町村・・・・・・
経世会系主力で何とか生き残ってるのは小沢だけ
民主党政権だというにいまさらciaでもなかろう
中南海系の話の陰謀論でもろんじなはれ
>>299 残ってるのは親米の岡田派・野田派・前原派
中立路線の小沢派・鳩山派・菅派は官報メディアに徹底して誹謗中傷されたね
陰謀っちゅーか、企業ならそんなこと特別でも何でもない
「協力会社」を作って劣勢になった派閥ごと「出向」させて
実質の親会社としてジメジメ苛め抜いた後に企業ごとグループから切り離して後は野垂れ死ねなんて
15年前あたりに流行ったね
旧財閥や重厚長大系なんて取引先と結託してだから中央政界の落とし合いと一緒の構図
今は価値があるうちにスパッと売っ払う世の中だけど
中央政治で巨額のカネが動くから大掛かりになるだけで、ミクロ単位なら普通にあること
小沢が中立って頭腐ってんじゃないのか。
親米路線ってのは要するに現状維持派なんだから安定政権なのは当たり前。
小渕の親米を装いながらの面従腹背がよかったのだが、死んじゃったな・・
橋元も米国債売り払おうとしたり、行革真剣に考える人は面従腹背を選択肢に入れてたわな
小沢はもはや平成以来の政治の混迷の元凶だろう、
こいつには角栄みたいな全世代に通じるカリスマがない、
身内の新年会ですら常に一階と二階で分かれて和気藹々とは縁もない状態だと言うし
>>297 マキァヴェッリのディスコルシを今日読んでたけど、似たような話が出てたな。
共和国には緊急時に即応出来る仕組みを作っておかねばならない。
緊急時だからって場当たり的にそれまでの体制や法を逸脱して対処すると、
共和国としての基が危うくなると。
流石マカベリ、3流らしい中二病の発言だわ
お前よりはるかに説得力あるけどな
>>305の補足。
ディスコルシでの例示はヴェネツィアの十人委員会とローマの臨時独裁執政官だった。
カエサルが臨時独裁執政官になって共和制を壊したゆえに、制度自体に問題があったとする人がいるがそれは違う、
臨時独裁執政官を永続化し権力を手放そうとしなかったのが悪いのだと。
まあマキァヴェッリは共和制シンパみたいだし当時の認識はそうなのかもだけど、
帝政への移行やカエサルが独裁権を握った事情に関しては塩野的な解釈の方が正しい気はする。
ローマの領域拡大とそれに伴う諸問題への解決が、元老院体制では限界を迎えた為、
皇帝と側近が決断すればすぐに対応できる元首制・帝政に移行したと。
封建制度的なものに移行する選択肢もあったような
先日BSやってたBBCのローマ帝国特集でも、ローマが衰退したのはキリスト教のせいだって言ってたね
やっべ、録画し忘れた。くそ。
>>310 そらあ、まあ、ギボンの大英帝国だからなぁ。
一神教の導入なくても、五賢帝あたりからあまりにも属州出身の皇帝が増えすぎて
寛容をはじめとしたローマ的なるものを理解した皇帝が少なくなっていったじゃないかと思うんで
キリスト教関係なくローマらしさを失って滅亡してた可能性はあると思うがな
そのローマらしさって何なんだ。
時勢によって柔軟に変質しているのに。
その柔軟さを生んだ寛容の精神がキリストによって失われたのは確か
(建国の)父たちよ、新たに加わった者たちよで始まる呼びかけの意味をもっていた頃の寛容さだろう、
あとは同化と運命共同体、ファミリアの概念
まあこのスレはローマ暗黒史観信じてるようなやついるしなー
そうなの?
まあ今となっちゃ推測するしかないかw
ただ、今生きる人間達の何かしらのきっかけを創った偉大な文明なのは確かだ
>>316 その寛容の精神が結果的にローマを滅ぼしたのかもしれないしね
人間の欲望に耐え切れなかったから滅びた
>>318 ばっちゃはヴェネツィア史書いた頃は国家・民族の特質が興隆の原因になると同時に
それゆえに衰退の原因にもなるそれゆえにやっかいなのだと書いていたが、ローマの場合はどうなんだろう
たぶん今も同じように考えてるだろうとは思うけど
やり過ぎが毒に転化した二つ、カラカラ勅令やキリスト教受け入れたのだって
カラカラやコンスタンティヌスの強権による上からのものだし
ローマ人の総論として言えることでもない気がしたの
文化、風習が違う人間をまとめるのは大変なんだよな。
寛容さは必須になるが、統制できん
非寛容に強硬な統治を行ってる厨狂政権はうまく他民族を浄化してるかないか。
民族浄化は同化とは言わん
男は去勢・女はレイプとか人間扱いですらない
323 :
310:2011/10/01(土) 18:45:59.40 0
ちなみにその番組でも”トドメ”を刺したのはコンスタンティヌスという見解でした
>>316 寛容ったって奴隷制が存在していた社会じゃないか
奴隷が頑張り次第で解放奴隷、ローマ市民になれるような制度を後代の奴隷制とごっちゃにされても困る
外からの人は誰でも最初は奴隷から、そのあとはあなたの頑張り次第です
軍団キャリアあがりからの皇帝なら一世代前は何やってたか分からんようなのまでいたんだぞ
>>323 TV番組は不特定多数が対象になるからその時点での当たり障りのない「常識」を伝えるだけのこと
一般次元でフン族からキリスト教に原因を求め始めたのは比較的最近
>>325 中国は統治者がどんな穢れた血でも時間が経てば純粋で神々しくなる思想だからねぇ
古代ローマ型は近代欧米列強が行なっていた非ヨーロッパ植民統治の搾取型より
インフラ衛生教育を整備した大東亜共栄圏思想に近いイメージ
>>321 ローマの政策に比べると中共の政策はかなり寛容で穏健的
何言ってんだ、チベットでやってることはなんなんだよ
法輪功もな陰険だ。
ネットで現代の中共ネタは荒れることしかないな
ローマの話に戻そうぜ
上の続きでローマ興隆の原因について
興隆なら直接的には軍事を重視し、兵の確保のための組織が整っていたことだな
有名な道路もあれは軍事道路
グラックスの改革なんかも結局軍人確保をどうやってするかの手法の違い。
ばっちゃの紹介した3人だと興隆原因がこうで、3つとも共に正しい、すごく同感である
ハリカルナッソスのディオニッソス:宗教に対する考え方、律するより守護する神の有り様が
狂信的でなく、対立より内包を旨とする行動哲学を備えていた
ポリビウス :王政、貴族政、民主政の良い点を活用したローマ共和制の政治システム
プルタルコス :敗者も同化するローマの生き方
いずれも共通して中途参加者に優しい社会ということ
属州民として相当な重税を課す搾取身分に分ける政策を行い
卓越した軍事力と苛烈な処断で押え込む事のどこが敗者も同化なんだか
カエサル以前の共和制ローマは、専らエトルリアやカルタゴ、ギリシャ諸国など
先進国の富を狙い征服していった。
カエサル以降、本国と豊かな属州を守る為に、蛮族を定住化させる為に蛮族を征服して、
海で隔てられていた領土を地続きに一体化した。
歴代皇帝らは、カエサル以前の政策とカエサル以降の政策の両立を、目指したようだ。
しかしながら、東方の大国イランを征して第二のアレクサンドロスとなる事だけでなく、
アウグストゥスの意志を継いでゲルマン人らを征服し無害化する事も実現しなかった。
当時のゲルマニアは退役軍団兵が入植したがる土地ではなかったし
パルティア帝国もアレクサンドロスの頃のペルシャ帝国やムハンマドの頃のサーサーン大王国みたいに
内憂外患でボロボロってわけでもなく、そういう環境に無かった
ディオクレティアヌスやコンスタンティヌスら帝政ローマ後期の将兵の多くが、
ドナウ河やライン河一本隔ててゲルマン人と同じ気候で生まれ育った連中だった
とされるので、ゲルマニアへの入植はアウグストゥスの頃よりもかなり抵抗が
なくなっていたはずなのだが、ダキアなどを放棄してしまったね。
そもそもカエサルのガリア征服は、ガリアが多少なりとも国家として成熟して
文明化されていたから出来たことであって、同じことをゲルマニアにやろうとしても
上手く行ったとは思えないんだよね。
例えば当時のガリアの主要部族であるハエドゥイ族は、
カエサルがガリアに行く半世紀以上も前から
ローマの友好部族だったし、それなりに国家システムも整備されていた。
兄弟で長官職になることを禁止する規定もあったようだし。
交易してゲルマニア人を文明化して統制しやすくする方が
先だったんでないかなあ。
>>333 1000年近く多民族とあれだけ広大な地域を軍事力だけで支配できるものではない
中国人の馬鹿主張っぽいぞそれ。
無視しとけ
>>337 ゲルマニアから本国から距離が遠すぎるし、文明化してそこまで利益を産み出すとは考えられなかったからじゃないかな?
341 :
世界@名無史さん:2011/10/02(日) 10:14:28.90 O
古代のラテン系は計画的だったんだな。
>>341 計画的つーか、自分達の欲望に対して合理的だよ
昔も今もw
カエサルもいってたじゃん
ゲルマニア征服には森を切り開いてローラー戦術でいくしかねえと
カエサルがそんなこといっちゃったら後続の連中はどうしようもない
切り開く前に焼き払うということは出来ないのか
習慣の前に文明は抗えない。
文明化文明化言うけどソレが簡単に出来れば誰も苦労しないって。
むしろ、コンスタンティノープルばりの大城壁でも作っとけば良かったんだ。
森焼いちゃダメじゃね?非戦闘員皆丸焼きにでもしようもんなら
ゲルマン団結しちゃうかもしれねーじゃん、
347 :
世界@名無史さん:2011/10/02(日) 14:17:09.85 O
>>338 スペインやカルタゴ出身の皇帝、アラブ人やゲルマン皇帝なんかでてるもんな。
単純に属州から搾取してたわけではない。
異民族と共存といったって、ユダヤ人とは結局共存できなかったからな
ハドリアヌスの時代に決定的な破局を迎える
ユダヤ人は本当に特殊だな
>>347 単純に属州から搾取していた、そしてそれを支えたのは
ローマ市民特権を与えられた地元有力者だけど
2世紀後半以降は地元有力者層にもローマから離心的な動きが増え
軍団割拠時代と、その後の大きな政府への整備が進んだのは御存知の通り
あれは選民思想がだめだからなあ
いくらローマ人が寛容で高度な自治を許そうと、ああなんども歯向かわれちゃどうしようもない
寛容と非寛容、多神教と一神教の共存は難しい
搾取も何も各地方ごとに大幅な自治を認められていた点はどう考えるのか
属州税を調べ直せよ
>>352 自治じゃなく丸投げなw
属州民にかかる重税の徴収と上納は地元の役目
それを押さえ付ける軍事と政治に特化したのがローマの本分、典型的軍事国家
属州民に掛かる全ての税を合わせれば50%で、古代の国家としては相当重い
ユダヤは当初は、ローマと友好的だったんだけどな。
カリグラ以降からおかしくなりだした。
ハドリアヌスのユダヤ嫌いは、ギリシア被れだったハドリアヌスが
肉体を傷つける割礼が許せなかったという子供じみた理由。
>>351 現代のヨーロッパではムスリム移民が問題を起こしている
50%もかけるか
ユダヤ以外反乱がどうして起こらなかったか考えてみろ
不作豊作に関わらず五公五民の計画的搾取だと生かさず殺さず状態になって
ライン以北やパルティアに逃げるか共闘しての反乱続きだろう
同じ五公五民な享保の改革を見りゃわかる
藩に小分けされてどこにも逃げられないから、決死の覚悟で庄屋が直訴したり一揆起こしたり
隠田で何とか食い扶持を凌ぐかのレベルで人口も減少する訳
こんなやり方は緊急事態みたいなもんだし、数百年どころか数十年も持ちゃあしないよ
平和と一定水準の文化インフラ享受の代償としてはちょいと高すぎる
寛容は非寛容に対しても寛容であるべきか
50%も取ってたら国力と経済が衰退してあっという間に蛮族に滅ぼされとるわ
ローマ史すなわち蛮族との防衛戦の歴史
一応いっとくと、五公五民は税率50%という意味ではないぞ
ユダヤの反乱も苛烈な搾取というよりは、アイデンティティーの問題だしな。
もし、欧州各国がムスリム移民に対して豚肉喰いを強要したらユダヤ戦争並みの反乱が起きるのは間違いない。
そもそも古代の基幹産業は農業であって、ローマ市民に限らず属州民だろうと基本が中小自作農
その物納で50%もとって、それをどう誰が消費するんだよ、アホか
ちなみにこの問いは五公五民をバカ正直に信じてる奴にもむいてるからな
7%の武士階級だけで消費できるか
ムスリムって、豚肉は食べないけど酒は飲むんだよなw
いや一応内緒でやってるだけだ
日本に来てる分はとんこつラーメンでも食っていくが
>>360 だね、五公五民だと高く感じるけどローマの属州民と比べれば軽い
しかも中世末期と古代だから、生産力を勘案すればローマ属州民の負担は相当重かった
>>362 現実に、人頭税、10分の1税、穀物税、50分の1税を取られてたからね
特に10分の1税は収入の約1/3と推定されてるから古代国家としては重税
ローマ帝国は自由でいい時代だったな
現代の確定申告じゃあるまいし、所得の増減に税収が対応してたのか考えろと言うに
五公五民は検地が実質ほとんどなかった江戸時代は擬制もいいとこなんだぜ
集約農業による開墾増収分はまるまる農民側の丸儲け
文字通り武士が収奪だけしてたら武士の内職だの困窮するかっての
370 :
世界@名無史さん:2011/10/02(日) 21:25:54.89 0
ローマ人の物語 文庫本完結おめでとう
あらためて読むと本当によくできたシリーズだ
魚は頭から腐る、
国家のシステムが機能しなくなる、それまで上手く機能していたからこそ
誰もがその機能不全に陥ったことに気がつかない
カエサルのような天才型の為政者が現れれば国家の寿命は300年くらい
伸びるのかな
現代日本にとってのルビコン川とはなんだろうか
>>369 そもそも表高×升高(税率)は大体何処の大名領国でも、割と似たり寄ったりだからな
有力者や都市の機関に徴税を負わせて、がっつり徴収してたローマの属州とは大違い
だから属州からそんな収奪してねえだろ
研究者はしてたと考えてるよ
属州特有の税が33%前後、他に穀物税と商税があるから40後半から50だろう
そんな取ってたら反乱起こりまくりだろ
どんな社会生活送ってんだよ、常識なさ過ぎる
375 :
世界@名無史さん:2011/10/02(日) 23:19:23.60 0
だな
生かさず殺さずでは活力ある成長社会は実現できません
広く浅くが徴税の基本
>>374 だから反乱起こりまくりだろ
ローマ史知らな過ぎる
反乱はもっぱら軍人が権力闘争としてやってたのに。
恣意的解釈というのはキモイのう
こいつら塩野に完全洗脳されてやがる。。。
反乱と内乱をごっちゃにしてるよなあ、ばっちゃの洗脳とか何言ってんだと
属州によっちゃ一個軍団しか常駐してないのにどうすんだよ
本気で蜂起してたらいくらなんでも普通にローマ軍団負けるよ
むしろこういう奴こそスヴェトニウスのゴシップ丸呑みで信じてるから困る
正規の軍隊に、武器も無い民衆の群れが敵う筈もなし
どの世界の反乱でも体制側や有力者から離反者が出ない限り成功してない
それはトートロジー
成功しそうになると正規軍や体制側の人が参加するともいえる。
塩野信者って言ってるやつはよく沸くが
自分が塩野しか読んでないから、塩野の書いたことであると知っていると同時に
塩野以外も書いていることを知らないんではw?
とりあえず史実的に行こう。重税・属州民反乱論者はアウグストゥス帝の
即位、紀元前27年〜コンスタンティヌス帝の即位の紀元306年の間の
属州反乱の数と規模とどこの属州で起こったか列記したらどうだろう。そうで
なければ罵りあいにしかならないよ。
物納だか現金徴収だか知らないが、火山噴火で世界的不作の19世紀前半の異常低温状態だと
そんな税収ならまず間違いなく人も国も潰れる
徴税人の「見て見ぬふり」を国も「見て見ぬふり」これなしではやっていけないね
それがなけりゃたちまち飢饉で治安が悪くなって経済効率が下がって
政府は余分な出費を与儀なくされて更なる悪循環に陥って瞬く間に国力が衰退する筈ですよ
10分の1税が収入の3分の1じゃあ10分の1税じゃないじゃん。
10分の1税は、あくまで属州の総生産額の1/10をローマに納めるってだけだからな
加えて、支払われるべき諸経費は税に含まれないし
>>属州の総生産額の1/10を
お前が税金と無縁の生活してるのはよく分かった
間違いだがしょうもない間違いに食いついて煽るなよ。
劣等感丸出しの底辺が。子供もしくは馬鹿に対して馬鹿って言って
自分を慰めてるだけやないかい。
ローマ帝国における富裕者の数は、地中海全域の人口約6000万のうち、わずか20万人にすぎなかった
2世紀後半のマルクス・アウレリウス帝の時代の兵士の数は全体でおそらく50万ほどだったが、
これは帝国住民の1%にも満たない数である
都市に住んだ人々も、帝国住民の15%ほどにすぎなかった
農村の人々の家計は不安定であり、予測不可能な凶作や旱魃、洪水、あるいは地主や
金貸しや徴税人の法外な要求があればたちまち崩壊しかねないものだった
現代人はともすれば、小規模の自作農というローマ帝国のサイレント・マジョリティ
について忘れてしまう
>>388 属州の総生産額の1/10だから重税なんだよ
違うと言い張るなら具体的な説明を↓どうぞ
>>390 東側では自作農がある程度生き残れたが
西側では大半が農奴に転落してしまった
393 :
389:2011/10/03(月) 20:23:57.24 0
>>388 すまん俺が間違ってたわ。
マチガイでなくキチガイだった。
気にスンナ、気付くのが遅いか早いかの問題だったのさ
暴れてる子はローマにひどい目に合わされたゲルマン人
ローマ帝国のインフラ整備のおかげで蛮族でもインターネッツを使えるようになったのだ
>>391 人口の7割は確実に農牧業に従事していた時代に、そこから属州税だけで
三分の一も農民から取ってたら
>>391の主張する属州の総生産の十分の一を
大幅に超えるだろうとみんな思ってるんじゃないかな。
仮に1/3も物納で税を納めさせたとして、それをどこに集積してどこで捌くんだよ、最終的に誰が消費するんだよ
>>396 効率化した江戸時代だって農民で8割強なんだから
それよりも確実に収穫効率が低くて栄養価も劣る麦で7割なんて維持できないだろう
>>397 都市での市民への最低保証としての配給や救護院以外にもし考えられるとすれば
軍駐屯地と商人を通じた輸出と凶作や有事に備えた備蓄だろう
どこに輸出してたんだろうねえ、
備蓄なんてしてたら経費がかかってどうしようもないだろうに
食い物は腐るものだと分かってんのかね
ローマ人の行った飢饉対策はローマ街道や港湾整備による流通確保。ローマ
帝国崩壊後、こういう広域行政も広域流通ネットワークも崩壊するから各地で
飢饉後の集団餓死なんかも頻発するようになる。まあ古代にあって数百年間、
数千万人に集団餓死の事例を発生させなかっただけでも古代ローマは偉大だとは
思うけどね。
>>396 オマエが属州の総生産の十分の一を大幅に超えて欲しいと思うのは勝手だが
研究者の見解は約1/3前後だろうというものなんだよね
>>397-399 貴族や軍人や兵役対象者の富や富を生み出す土地や施設の貯め込みに回る
それこそがローマ市民権者の特権
>>400 ローマ人が飢饉対策を行ったことは1度も無いよ。
食料生産の偏在による集団飢餓が起きなかったのは評価に値するけど
広域の安定と分配機能の維持こそが、古代ローマやその他古代帝国の存在価値なんだから
長期に渡って政権が存続した以上当然ではある
>>401 とりあえずその研究者の名前や史料だしたら。みんなから否定されて悔しい
でしょう。
>>402 自分で書いててそれが飢餓対策って気づかない。広域安定と分配機能が無ければ
自然任せで数百年間も集団飢餓が起きないなんて事はあり得ない。そしてそれを具体的
に保障するのがローマ街道の整備や港湾整備、食糧送る手段が無ければどうにもならない。
前近代は基本自給自足
ローマの盛んな貿易もあくまでそれを前提とした議論
古代の食料は保存に限りがある腐るものって分かってるか?
古代ローマの最盛期の人口は150万を超えたとまで言われている。これだけの
人口維持するのに自給自足だけで間に合う訳ない。前近代が自給自足が基本だが、
それとは別に広大な流通ネットワークがあったのは明らか。そういえば前にローマ
軍団は物資の流通に河川や海を利用しなかったとか、ゲルマン人の方が農耕生産が
ローマより優れていたとか書いてみんなからフルボッコにされた過度な自給自足論者
がいたなあ。
>>406 イタリア半島内の食料ならシチリア島分がメインで、
パクスロマーナ期以降ならエジプト・カルタゴの北アフリカ分の追加輸入で事足りる
>>406 ローマ市が特別ということ。アテネとボスポラス王国の関係も特別なもの。
イタリア・ローマへの食糧の広域流通に関しては、むしろ因果関係の方が気になる。
インフラが整備されていたから食糧の広域流通が出来てローマの人口が増えたのか、
ローマの人口が増えたから政府の判断として輸入確保のためにインフラを整備したのか。
古代ローマの街道整備は軍事や情報伝達目的という見方が多かったけど、
平時の食糧輸送目的が加わるのかどうか。
究極的には、エジプト辺りの侵略目的に食糧確保が含まれていたか否か
という話でもあるんでないかと。
普通に考えたら人口が増えたからよそから持ってくるってことなんだろうが。
食うに困ったから侵略ってのは
ローマ人じゃなくてゲルマンの蛮族の流儀だなあ
>>411 産業革命以前は寒冷化した時に紛争事が増える
何を指すか?単純明快なことで収穫高が落ちて人口分を養いづらくなる
基本は食うに困るから侵略するってこと
中世十字軍なんて逆に余裕ができたからだが
動機は支配層は更なる支配欲で現場は狂信、動機自体が全く違う
>>409 待て。
この辺り、よくは知らんが、カエサルの時代に「ローマ帝国の穀倉・エジプト」を押
さえたからこそ、安心してローマの人口が増えたんじゃないのか?
経済的に考えて供給で需要が生まれる流れより、需要があって供給があるのが普通
その言い方は分かりづらいw
食糧供給が価格・量共に安定して生活余裕が出来てから、子供が増える算段
>>403 研究社の名前は田村孝、栗田伸子、小田謙璽、だね
ローマの属州民は概して重税に苦しんだ。
属州民に課された直接税は収穫の1/3程度で厳しい収奪であったと考えられる。
ガリアの農民達は頻繁に反乱を起こした。
これに加えて、軍隊の駐留や総督の赴任があればその経費も負担させられたのだから
十分に重税といえるね
>>409 ローマ軍団やローマ市への食糧供給は特殊な例で
一般的には1世紀後半になると小さな経済圏の内で自給自足し
国内での交易は不活性化したんだってさ、インド洋交易は相変わらず盛んだけど
>>416 そこら辺って典型的なマル系の階級闘争史観な人じゃないん?
日本のアカデミックな人ってそこから調べた方が楽だわ
ガリアでの頻繁な叛乱って、軍団兵投入しての鎮圧例はティベリウス帝の時の
オータンでの反乱とネロ帝の時の南仏での反乱位。ローマ帝国も末期になるとガリア
も目茶苦茶になるけどね。数百年で2回も反乱が起きるなんて頻繁な叛乱だね。
422 :
世界@名無史さん:2011/10/05(水) 08:39:29.36 O
ブリテンの方が多いのか
しかしなんでローマはあんな辺境の島国の維持に尽力したんだろうか?
ブリテンで死去した皇帝もいるし
豊かなガリアを守るためじゃね
すでにカエサルの頃にブリタニアでは、カトゥウェッラウニ族らベルガエ人が、
ブリトン人を圧迫して勢力を拡大していたとされる。
ベルガエ人はガリア北部からブリタニアに分布しており、ベルガエ人には
ケルト系だけでなくゲルマン系の部族も含まれていたとされる。
北からガリア人が侵入してきてウゼー
↓
北イタリア属州化
↓
せっかく属州にしたんだからアルプスの向こうのガリア人から北イタリア守らなきゃ
↓
ガリア属州化
↓
せっかく属州にしたんだからブリタニアからちょっかいかけてくるブリトン人からガリアを守らなきゃ
↓
ブリタニア属州化
↓
ガリアは最後の最後までソワソン管区が残ったじゃないか。
長い長い東西分割統治時代を経て最終的には分裂したけど
いつ頃まで東西を一元支配してたんだろうか
最後の統一(?)皇帝はユスティヌアスだっけ?
ヨウィアヌスかテオドシウス1世かな、ふたりとも極めて短期間の単独帝
>>425 その論法だと最終的にはアイスランドまで侵攻しないとまずいw
アイスランドはローマ時代にはまだ無人島だったはず
アッティラを説得して引き返させたレオ1世、名前すらでてこないんだなw
>>432 ローマ皇帝じゃなくてローマ法王じゃん。
ヨウィアヌスって世界初の練炭自殺で有名な皇帝だっけ
41巻まで読んだが、あのローマ帝国が西だけとはいえ、3万の正規軍すら集められなないって、涙がでるわ。
一番は財政難だろうけど、
相次ぐ内乱で軍団兵ってなんだろう?各地で皇帝に名乗り上げる私兵?というように
ローマの栄えある精神的支柱がなくなってきちゃったんもあるかもねえ
そもそも、末期のローマ人ってネトウヨ状態で
レイシストの癖に、兵士になるのを嫌がったみたいじゃないか。
たとえば日本人の意識や美徳
たった150年で主君への義の滅私から契約型へと真逆に変化している
文化もほぼ別物
貞操概念も〜幕末、明治〜終戦直後、戦後昭和、現在とハッキリと区分け出来る程
まぁ現在は江戸期までの概念に近いとも言えるが
世の東西を問わず国としての求心力を失えばそんなもの
>>439 元からして御恩と奉公のギブアンドテイク的なものが基本だったのに?
下克上を排し城下集中住まいと土地との分離でサラリーマン化させ
さらに儒教・朱子学で道を説いたのが江戸時代入ってからだぞ
ヨコ社会としての合議・連帯・惣一揆の特色は連綿と続いてる
お前は日本的なる物を全く理解してない
ちなみに貞操観念なるものは庶民にはなかったのが中世日本だぞ
ここ古代ローマスレな。
ひとつ言えるのは朝鮮人がこの世で最も不気味な生命体ってことだな。
キリスト教の貞操観念に染まった後は
「禿の女ったらしが来たぞ!」というのも冗談じゃすまなくなるのかな?
>>437 ローマ・ラテン人が、元来イタリア本国でも少数派だったからだろうね。
イタリア人の大部分はラテン語を話すエトルリア人とギリシャ人だね。
ローマ帝国の三大民族は、ケルト人とギリシャ人とエジプト人だった。
ローマ・ラテン人がユダヤ人よりも少数派だったから、ローマ帝国は
キリスト教化してしまったのかもしれないね。
ローマ帝国の隣国でライバルのイラン系帝国では、多数派のイラン人が西方の
バビロニア人やアルメニア人らを押さえ込んでいた。
イラン系帝国ではアケメネス朝からササン朝に至るまで軍の主力がイラン人で
あり続けたが、ローマはしだいに軍の主力がバルカン出身者になっていった。
ペルシャ帝国はギリシャ人やらインド人やらサカ人やらエジプト人やら
シリア人やら、色々な傭兵が居たけどw
アケメネス朝軍ではギリシャ傭兵らが軍の大部分ではなかっただろう。
ギリシャ兵が主力ならばアレクサンドロス大王に完敗しなかったはず。
イランなど今でもイラン人はやっと過半数で後はアゼルバイジャン人やバルーチ人などイラン人とは親戚レベルの民族が多い。
寛容精神で不寛容な人々を受け容れてしまってセーフティネットが崩れればどういったことになるか?
現代の中欧北欧で起きている事象を見ると帝政後期の状況が見えてくるね
どうやってキリスト教化されていったかって意味で
でも先日のスウェーデンでの事件を機に少し調べてみたら現状は既に大変みたいだね
オランダなんて下手すりゃ15年先にはキリスト教徒がマイノリティになるって一体w
この先アラブ移住民が帝政ローマでのゲルマンのようなローマ化するまでに一体どれほどかかるのでしょうね
>>447 ギリシャ兵が主力ならばアレクサンドロス大王に完敗するのは当然
ギリシャ軍はマケドニア軍に全く歯が立たなかったんだからね
この先の世界はグローバリズムの終焉と中世化だと思うよ
G8あたりでアメリカ発のファンド規制、先進国の雇用不安からの関税障壁復活、
食料・資源の囲い込みによる新たな覇権構造転移と読めることはある
欧州大戦後のブロック経済進行は中世化だったのかw
随分と技術の発達した中世だな
>>449 移民の旧態然としたコミュを破壊できなかったのが原因。
先進的なオスマン帝国はキリスト教徒の旧態依然とした
宗教的コミュにやられたんだよな
>>449 >この先アラブ移住民が帝政ローマでのゲルマンのようなローマ化するまでに
>一体どれほどかかるのでしょうね
エジプトがアラブ化、アナトリアがトルコ化したようになるだけでしょう。
ゴート族らはアリウス派のキリスト教徒だったから、西欧へのロシア東欧
からの移民や北米におけるヒスパニックに近いと思う。
>>450 キュロス2世やダレイオス1世の時代のペルシャ軍でも、アレクサンドロス3世の
マケドニア軍にはやはり勝てなかっただろうね。
逃げなかったらダレイオス3世は、キュロス2世のように戦死したかもしれないね。
>>448 イランがアラブ化しなかったのはモンゴル軍の虐殺おかげかもしれないね。
メルブやサマルカンドなどイラン都市は、中世イスラム時代に大都市化して
いたとされるから、アラブ人やトルコ人の移民で人口増加していたのだろう。
モンゴル軍がイランの大都市を殲滅したので、山地のイラン人が多数派と
なったのではなかろうか。
東欧ではモンゴル軍がキプチャク族やハンガリーに大打撃を与えた後に、
ワラキアとモルダビア、トランシルバニアのルーマニア人国家が台頭した。
>>457 おいおいw電波飛ばし過ぎだろw
イスラム教が浸透した10世紀でも宗教や法律を除けばペルシャ語が使われ
シースタンやトゥーラーンは都市があまりなく、人口の多数は各地に点在する田園にいたし
モンゴル軍が大きな打撃を与えたのはポーランドだ
ポーランドよりもハンガリー方面のモンゴル軍が大軍で本隊だったのでは?
ttp://blog.goo.ne.jp/mugi411/e/71216dd4f20793da8a3e4b8f661da17f 人口統計の試算によれば、1世紀のローマ帝国の人口は5千万人、7世紀の唐の人口が
成人男性だけで6千万人と推定されるのに対し、3-7世紀のペルシア帝国の人口は
どんなに多くとも1千万〜1千5百万人を超えないと見積もられている。ローマ、
ビザンティン帝国と覇権を争った超大国と言われたサーサーン朝だが、人口で
比較すれば国家としての実力は数分の一に過ぎないと著者は書く。メソポタミアからの
税収によりイラン高原の地主や農民を動員し、パルティア王朝から継承した
重装騎兵戦法を頼りに、かろうじてローマ、ビザンティンに対抗していたというのが
実力相応と青木氏は結論付けている。
ローマ帝国内、特に西部がしだいに定住化、文明化していったのに対して、
イラン系帝国内は紀元前からあまり変化がなく、イラン系の諸族らは尚武の
気質を維持し続けていたのだろうね。
アケメネス朝とマケドニアでは戦術が異なったが、ササン朝とビザンティンは
ともに重装騎兵戦法だった。ローマ・ビザンティン側がイラン式の戦術を模倣
するようになっていた。
>>460 その人口統計やった奴が無知で無能なだけだけどな
古代〜中世のシースタンやイラン高原は、乾燥した不毛地帯の今と違って
灌漑設備の張り巡らされた開発の進んだ土地
シースタンやイラン高原が乾燥した理由って何?
気候変動
>>462 昔から殺風景な不毛地帯が多かったような。
まあ人口としてはメソポタミアの分がかなりあるから1500万は少なすぎる気はするけど。
そんなに違和感あるか?
ローマ帝国のピークが5500万人だから、もともと2000万人前後を想像していたんだが。
他地域との兼合いでナイル流域が1000万ほどだろうから、メソポタミア平原もその程度だろう。
で、高原地帯とカスピ南東岸で+1000万という感じ。
メソポタミアの人口は500万から最大1000万ぐらい。
セレウキアやクテシフォンの人口はともに60万で、
バグダッドは通常80万で最盛期150万から200万。
ササン朝時代のメソポタミアは500万ぐらいかな。
1258年から19世紀頃のイラク総人口は100万前後。
イラクの総人口が100万前後のわけねーだろハゲ
>>465 昔は割と広い地域が不毛地帯でなく生産性の高い土地だったそうだよ
北アフリカやシリアと同じ様に
俺もイラクの人口がエジプトと同じく1000万ほど
イランが同じく1000万ほどで2000万人くらいだと思うな
ローマの5000万は明らかに過大で、3000〜多くて4000万人だけど
ユスティニアヌス1世即位時の東ローマ帝国が総人口3500万人と推定される。
その後ペストの大流行で地中海と中東の人口が激減、東ローマ帝国よりも
はるかに広大なウマイヤ朝帝国の総人口は3000万人と推定される。
エジプト1000万、シリアナトリア1000万弱、バルカン500〜1000万
イタリア500万前後、シチリアフリカ数百万
即位時じゃなく没時の間違いだな
>>471に、ガリアとイベリアの+800万、ブリタニアとゲルマニアの+200万、
北アフリカのヴァンダル荒廃前で+200万、イタリア荒廃前で+300万、と追加して、
計5000万という感じかな。エジプトを基点にすると、おおむね妥当感があるな。
>>472 北アフリカは既に数に入れてるし
ガリア+ヒスパニア+ブリタニアは最大でも500万は越えない
イタリアはセンサスからして+100万
1000+800+600+300+600+400で、計3000〜4000万人だな
>>473 あなたの言うイタリアのセンサスには奴隷の数が入ってないし、調査漏れもかなりあるとされている。
たぶんその600万人を基点して他地域も類推してると思うから、再考してみてね。
あと北アフリカはヴァンダル族統治が酷くて人口減ってるからね、ベリサリウスの奪還までに。
475 :
世界@名無史さん:2011/10/11(火) 15:30:10.67 0
専門に勉強している人が多いのかな、ここに書き込んでいる人は
素朴な疑問
「なぜローマだけがそんなに強いんですか?」
あの時代、あの地域で連戦連勝を重ねた要因とは?
>>475 専門ではもちろんない、ほとんど趣味の範囲内
それっぽく話す奴ほどそういう傾向にある
イタリア半島内統一まではもちろん何度も負けもしてるが
その度に軍を率いる執政官のせいにしなかった点、貴族と平民の抗争も
外敵が現れるや立ち消えになるという平民の行儀のよさと
陣頭指揮厭わぬ貴族のノーブレスオブリジュの鑑といってもいい傾向に因る
戦術面に原因を求めるならもとはマケドニア準拠のファランクスだったがケルト式の小部隊柔軟編成レギオン方式にしたこと、
ハンニバル戦争以後はハンニバルに学んで包囲殲滅戦法を機械的に実行できるようになったことが
以後蛮族・外国を問わず数に上回る敵をなぎ倒せるようになった大きな要因
しかし当たり前のことだけど戦争は相手がいて初めて成り立つものだから
この手の考証は比較できる文明・国がいないと独善主張になりがちな点考慮されたし
477 :
世界@名無史さん:2011/10/11(火) 19:28:04.70 0
そりゃ、ウソと大袈裟と誇張で鳴らしたローマに関する数字ですからw
歴史をコリエイトする連中よりは幾らかマシでも
ローマ時代の遺跡認定された、2千年紀になっても使われていた遺跡がごろごろしてるのが
20世紀中頃までの西方切支丹の創り出したローマ歴史観ってもんだよ
>>477 アウグストゥス帝の頃よりも五賢帝らの頃には、
欧州属州の人口がかなり増加していただろうね。
>>471 領土拡大したがペストの大流行で帝国総人口は
むしろ減少したとされる。
480 :
世界@名無史さん:2011/10/11(火) 21:39:45.30 0
ディオクレチアヌスの時代は行政機構が整備されたにも拘らず
アウグストゥスの時代よりも税収は少なかった
それがローマ帝国の実態
482 :
世界@名無史さん:2011/10/11(火) 21:46:48.87 0
しかし、1086年のイギリスの人口がたった110万人
一方それより300年後1328年のフランスが1900万人というのもすごいな。
>>480 紀元48年が最後で598万4072人、イタリア半島の市民がこの数字なら
帝国全体ではやはり3000-4000万人というのが妥当だろうね
16世紀フランスの人口が1800万に前後だから
200年間何してたんだって話だよな
ようやく統一王国が形成できた時代なのに
485 :
世界@名無史さん:2011/10/11(火) 22:17:11.70 0
ネロ帝がホモだったのは有名
>>484 1350年前後にかの有名なペストの大流行
487 :
世界@名無史さん:2011/10/11(火) 23:09:51.76 0
>>484 フランスがイタリアと同じぐらい、またエジプト、カルタゴもイタリアと同じくらいあったからやはり5000-7000万人が妥当だろ
古代ローマのガリアがたった600万人で、中世フランスが1900万人というのもすごい。
>>477 1492年時点で世界人口2億人って言われてるから、さすがに多すぎ。
ペストさんは凄まじいぜ。
この時代にコレを兵器として利用しようとした奴がいなかったのが不思議なくらいだ。
ペスト菌の概念を知らなくても、膿を使うとか幾らでも手段はありそうなもんだが。
投石器で病死体を城壁内に投げ込んだりした
>>491 タキトゥス『年代記』にもそのシーンあった。
>>491 取り扱う兵士も命がけだね
>>489 中世の温暖化から一転した世界的な寒冷化で欧州はペストだから
16世紀初頭あたりでもペスト流行以前までには人口は回復していない
でもどの推定でもその倍以上、総数4〜5億と見積もられている(「歴史上の推定地域人口」を参照)
>>487 16世紀のスペインとイタリアの大半を加えたスペイン王国が2000万弱な
ポルトガル入れても島嶼部を除くと2000万いかない
カルタゴの人口はエジプトの1/4〜1/5程度
3000〜4000万人が妥当な数字
>>493 でも日本や周辺の東アジア地域は紀元前1000年頃から寒冷化し続けてて
1700年前後が寒冷化のピークなんだよね、繁栄の極みにあった元禄時代なのに
なんか一人だけローマ人口を少なくしたくて頑張ってるヤツがいるなw
ペルシア好きなんかね、可愛らしいもんだ。
願望と史実は違うからね
特に韓国や西欧のような歴史の乏しい国では
関係ないことかもしれないけど、
司馬遼太郎の「街道をゆく」と「ローマ人の物語」って、
文庫本全43巻で、巻数が同じなんだよね。
日本やローマについて大雑把にわかった気になれて便利だから、
各国についてこういう本を書く人が増えて欲しいね。
で、それ以上に詳しく知るには?という点で長谷川博隆以外碌にあがらんのは学者の怠慢でもあると思うの
>>499 それ以上になると、欧米人の研究書を翻訳した方が早いという状態だからね。
考古学系の史料だと日本人にはどうしたって不利になるし。
それに、それ以上の研究内容を求めるとなると、
例えば五賢帝期中心とかユリウス・クラウディウス期専門とか
美術史メインとか法制史専門とかに細分化せざるを得ない。
日本で古代ローマに関してそこまでの研究者需要はないんだよね。
ラテン語の壁は相当だよ。
ただ、取りあえず岩波はキケロー選集のピリッピカを文庫に下ろせと。
むしろ新選組研究のように、在野の研究者や物好きが論文形式で
古代ローマについて書いた方が良いかも知れない。
新選組に関しては、大河ドラマの時代考証すら在野の研究者がやったからね。
誰か同人誌みたいな形で出さないかなあ。今は同人誌専門の書店もあるし。
ローマ史に限らず今は通史は学者の仕事じゃない。
そもそも「誰いつどこ」については当然考古学頼みな訳で歴史作家も頼みとしてる
けど「なぜどのように」の史料では明確に言語化されない部分を
補足的にしろ学者が全然言わないか、
言っても的外れが多い非常識なのはどうにかならんかね
ばっちゃが受けてるのは決して分かりやすいからなんてことではない
そもそもローマ史なんか義務教育と一般教養で概略しかやらない一般人が
手に取るものとしては十分難しい方だ
ローマ観に対する賛意がなけりゃロマ物もここまで翻訳されてないわ
たしかに近代学問はセクショナリズムになりがちで通史をやらないけど
通史視点がないと「こういう発掘があればこういう裏づけになるんじゃ?」的な
突破口もないから困る
医療にも細分化されたあとで現在総合医療があるように、
歴史学にも通史部門は必要だと思うな
「現在の実証研究に求められるレベルでの通史は一人ではできない」が「人文学は一人でやるモノ」のジレンマ
>>503 情報量が増えたり、実証的になったりすると、通史書くのはどうしたって1人の手に余る
複数人で編纂したとしても、史記〜三国志や集史や日本書紀その他や吾妻鏡
資治通鑑・続やギボンの小説ちっくな通史や塩婆の通史ちっくな小説くらいの分量は読み通せても
唐代以降の史書となると流石に全部読み通すのは難儀だし
仮に戦国時代の通史を徳川幕府が編纂してたとしても、アホな分量になって到底読み切れなかったと思う
506 :
世界@名無史さん:2011/10/12(水) 19:39:56.72 0
>>494 古代のスペインはフランスと並ぶ人口大国だぜ。
遺跡の数と質、属州出身皇帝が最初に出たのもスペインな
イタリアが600万、奴隷等入れて800万。曲世紀の2世紀はもっと多いはず。
フランスおよびスペインも同程度とすると、西帝国だけで3000万人前後は1世紀の時点であるだろう。
またアフリカのティムガッドやキュレネの遺跡を見ても、エジプトと同じ程度の人口というのは妥当、ローマの支配地はカルタゴだけじゃないからな
古代から栄えて、中世も耐えた東帝国の人口が少なかったとも思えないし
保守的な推計でも6000万人前後には成るな
>>488 ガリア戦争前のガリア 500万人
↓
ガリア戦争直後のガリア 200万人
↓
五賢帝時代のガリア 1000万人
509 :
世界@名無史さん:2011/10/12(水) 22:27:34.19 0
>>507 カエサルが300万人に殺したってか?w
ヘルウェティー族36万人のうちスイスに無事に戻ったのは12万人とかの様な事が、
あちこちで繰り返されたとカエサルは記しているね。
ガリア人らは100万人ぐらいは間違いなく戦死しているはずだろうね。
ガリアからドナウ流域やブリタニアなどへ逃亡した者も少なくなかったらしい。
>>506 古代イベリアは現仏地域と並ぶ程度の人口でしかないし
ガリアの人口はイタリアよりも大分少ない、ガリアヒスパニアを最大限多く見て600万
イタリアとシチリア、ガリア、ヒスパニアの計を最大限に見積もって1300万だろう
アフリカの人口が最大250万、エジプトが500万、シリアとアナトリアで1000万
ギリシャとイリリクムの600万を合わせて2400万
最大限に見積もって4000万人が精々だね
>>510 そのガリア戦記の記述自体、敵の被害に関しては相当眉唾物だよ。
例えば二年目の戦争で「戦闘員は六万人中五百人しか生き残らなかった」と自称した
ネルウィイ族だが、五年目にはキケロ弟の軍団を包囲して
危機的状態に追い込んでいるし、それで負けたあと
七年目のカエサルとウェルキンゲトリクスの戦争では、
5〜6000人の出兵を要求されたことが明らかになってる。
ハエドゥイ族が35000人要求されたときにネルウィイ族は5〜6000人だから
まだ余裕がある数だったと思う。
数年でネルウィイ族の戦闘員が急増したとは思えないから、
恐らく実際には最低1〜2万人は戦闘員が生き残っていたはずで、
非戦闘員も含めると実際減ったのは人口の四分の一くらいじゃなかろうか。
513 :
世界@名無史さん:2011/10/13(木) 01:17:16.11 0
>>511 帝政太平期を例に取ってみる
今で言うメガロポリスクラスの10万〜都市人口を合わせただけでざっと350万
内訳は省くが、この大都市人口は決して多めに見積もった数値じゃない
そして大都市ってことは非農耕職比率が圧倒する
産業革命以前の都市人口率は水気候土壌に恵まれて品種改良も進んで人口密度を高めた日本でも2割弱
18世紀江戸を例に取れば、人口2500〜3000万弱に対して三都合わせて180万
金沢名古屋がそれぞれ10万、仙台鹿児島堺神奈川山口その他数都市が5万クラスって具合
ちと脱線したが古代なら農漁業従事率9割が妥当な所だから、これで見積もれば3500万ってことになる
まぁ農奴制で集約してるから9割未満かもだが、日本ほど効率化されてる訳じゃない
それと江戸時代の例では小規模都市とそこに供給する生産圏は含まれていない
最低でも3500万を上回るってことになる
>>513 内訳を省かずに都市名を書けよw
10万超えてる都市は10も無いからさあ
ローマ、カルタゴ、アンティオキア、アレキサンドリアくらいか
ラベンナもアテナイも当時は10万に届いてないだろうし
それと都市国家に代表される古代の城郭都市と中世後期以降の都市は成立からして異なる
概して前者は防衛のために集って成立してるのに対して
後者は交通の便などの経済的理由によって成立した所が多い
ローマ時代の特に西側都市の大半は、特殊例の数都市を除けば大多数が農民
↑
五賢帝後期例
80万以上 ローマ
50万前後 アレクサンドリア
40万前後 アンティオキア
30万前後 カルタゴ
20万前後 カプア ペルガモン エフェソス
10万前後 シェルシェル イズミール アパメア カイセリ カエサリア エルサレム シラクサ メリダ 他
あと
特にライン以南の内陸都市の少なくない数が防衛拠点以上に交通の要衝として機能していたから
中世を経て近現代諸国の首都や最大都市規模クラスまでに成長した訳だ
軍事的な立地選定が優先されたならこうはいくまいて
時代の変化で淘汰または発展に限界があった筈
>>516 つーかもともとライン以南の内陸都市って
多くがガリア諸部族の中心都市だったはずだから
カエサルが来た頃には既にそこを中心に交通が発達していたはずで、
ローマから来た支配層はそれを利用しただけでないかなあ。
ガリア諸部族の都市は部族間抗争の為の避難城塞だったので、山城が多くて
反乱の拠点になりやすいので、ローマ政府は近くの平地に新都市を建設して
住民を移住させて、旧都市は廃城にした場合が多かったとされる。
>>515 通商で大発展したとされるパルミラも、アウレリアヌス帝に敗れるまでは
10万超えてる都市だっただろうね。
エルサレムは2度の反乱鎮圧を経てかなり衰退していたのではないだろうか。
>>515 五賢帝後期に入ると支配力の低下が目立つから五賢帝前期がいいと思うよ
推計の数字は酷く盛り過ぎまくってるけどね
50万以上 ローマ
30万前後 アレクサンドリア
20万前後 アンティオキア
10万前後 カルタゴ アパメア
数万都市 エフェソス シドン カエサリア
あんまり知られてないけどハドリアヌス帝は陥落後すぐに復旧工事をやらせてる。
だから旧エルサレム市街はローマ式の街造りになってるのは歴史の皮肉だわなあ。非
ユダヤ人かき集めたんだろうな。
都市としての捉え方が人によって違ってそれぞれの結果が異なる
都市単体で捉えるか建物の続く都市圏として捉えるか
現代でもたとえばサンフランシスコ単体なら80万だが、オークランドやサンノゼを含めれば200万
都市圏として見れば最大800万前後になるね
東京なら単体で900万だが、江戸同様に建物の連続として評価すればその倍
影響範囲全体としてなら更にその倍って具合になる
韓国なんて国内の全都市がソウルの衛星都市みたいなものじゃないか
前近代の都市の人口は一般に城壁内人口
ローマやバグダードの最盛期は例外的
気のせいか、人口問題はだいたい似たようなレスに落ち着くんだな
中世中期頃までの都市人口はほぼ城壁内の人口
中世後期頃から近郊にも人口が増えだす
例外は幾つもあるけどね
ローマは地中海を我が物にしたことにより穀倉地からの輸送
唐代の長安は大運河で肥沃な江南から穀物輸送
バグダードはわからない、メソポタミアの生産力かと思ったがもう衰退してるな
つまり100万都市の維持には単なる規模だけでなく、豊かな穀倉地と輸送力が必要
また100万前後が都市人口として維持できる限界だろう、19世紀前半まで世界最大の都市はおおむね100万くらい
しかし19世紀末期、1900年にはロンドン648万人、ニューヨーク424万人、パリ333万人…と産業革命で一気に限界突破する
江戸は海運と東北の新田の余剰か
あと必須なのが水だね。生活用水。
多くの都市は川の近くに出来てるから水の確保にはさほど苦労してないけど、
近くに川のなかった北京は水で苦労してる。
紫禁城近辺に遊水池が多いのも、一つには生活用水のためだった。
>>527 アッバース朝時代初期、奴隷を使った土壌改良によりメソポタミア南部は、
古代シュメール時代なみに農地が復興していたとされる。
ザンジュの乱の鎮圧後、メソポタミア南部は穀倉ではなくなった。
イラク南部は6世紀末の両大河の大規模氾濫と
流路変更で荒廃して既に穀倉じゃなくなってるよ
江戸時代の穀倉地帯は越後と関東
東北だろ、江戸に流通する米の大半は仙台伊達藩から
533 :
世界@名無史さん:2011/10/14(金) 18:22:36.93 O
コロッセオの大きさだとアフリカにも4万人収容クラスのがあるんだな。
クロアチアの田舎町にも3万人収容クラスがあるし
人口3万人の都市には過剰だ、夕張に東京ドームを立てるようなものだ
>>531 ササン朝末期に荒廃したのはクテシフォンがあったイラク中部なのでは?
イラク南部はシュメール末期以降塩害で農地が駄目になっていたのを、
アッバース朝が復興を目座してかなりの成果を達成したが、ザンジュの
反乱で元の木阿弥となってしまった。
>>533 現代の田舎にでも住んでみりゃいいと思うよ
日本のある地域は半径100km圏で最もデカい都市は8万人、人口密度換算じゃ80人程度
その中で都市化区域は5万いるかどうか
そこにある野球場の収容人員は1万だが、昔はパ・リーグキャンプ地での平日オープン戦でも満員
何でそんだけ集まるかって理由は周囲50kmが商圏で、100km以上離れたもっと辺鄙な場所からも結構やってくる
で実質5万足らずの都市でも50万近い商圏があるからそんだけ集まる
資材集積と市場の機能を持つ地方の中核都市は、影響圏に10倍の農業人口を抱えてるからだよ
都市人口3万ならざっと30万が広域圏にいるってこと
特に娯楽の少ない当時、祝祭日イベントで満員になったって何ら不思議じゃない
>>534 ササン朝ペルシャ末期に洪水で荒廃したのはイラク南部だよ
つーか現代に至ってもまだ湿地帯だしw
そもそも塩害で農地がダメになったわけじゃなく収量が落ちただけ
イスラム帝国下においてイラクの両大河一帯はバグダードの穀倉だけど
湿地帯は当然放置されたまま、イラク南部といってもより上流部分
クテシフォンが洪水で泥だらけになったとされるが、イラク中部は無事だったのか?
538 :
世界@名無史さん:2011/10/14(金) 22:47:12.97 0
>>535 しかし、西方帝国だけで300もコロッセオがあるんだぜ。
30万人が広域圏なら、人口9000万人?、西帝国だけで?、あり得んよ
・老朽化でつかわれなくなったり衰退した都市の数(千年)
・新しく出来た都市の数
・メセナ思想=個人の虚栄心
・都市としての見栄・虚栄心(現代の松山や岡山の野球場)
・実際の収容人員が平均3万なのか?
・用途別分化
その30万の都市圏の中に3千人の農民主体の城郭都市が10あって
その中にそれぞれ3千や5千収容のコロッセオがあったって別におかしくもないがね
>>537 大洪水の被害にはあったけど
下流域みたいに河床変動で半永久的にダメになったわけじゃないし
そもそもペルシャ湾岸は上流から土砂の堆積で前進しており、シュメール時代には
シャトル・アラブ川もなくバスラは海底だった。638年にバスラが軍営都市として
アラブ軍に創建されたので、この地がササン朝末期に陸地であった事だけは確かだ。
>>538-539 50km圏で10倍の周辺人口を考えるってのは
古代の交通事情考えるとさすがに非現実的だと思う。
徒歩だと往復だけで二日がかりだから。
より現実的な数字で考えてみるとこんな感じか。
例えば都市人口が二万人で、周辺人口を日帰り可能な半径10km圏内として
四万人いたとする。これでも足したら六万人だから
年に一度の祭りか行事のために、2〜3万人くらいは収容出来るのがあった方が良いと
考えたかも知れない。
そもそも大都市の近隣でも、近郊集落が形成されるのは
もっと後の時代になってからっていう
古代じゃローマでも漢でもマウリヤでもパルティアでも、そこまで経済活動は発達してないし
>>542 いや田舎だと昔話でよく残ってるよ
農閑期なんかで祭りや相撲大会や参勤交代通過イベントなんかがある
勿論車なんてない時代
そんな時に何日もかけて徒歩で見物にやってくる
都市人口3千人の中心にある境内が黒山の人だかりで入れないなんてね
んでそんな地域だと大体10km毎に宿場町兼物資の集積地が連なってる
場所によっちゃあ起伏が激しく蛇行する山道だから、10km圏でも丸一日がかり
その数多い集落から荷車がやっとの山道を通って普通に集まってくる
ま日本のざっと100年前までの田舎の出来事だがね
545 :
世界@名無史さん:2011/10/16(日) 00:07:57.71 O
西方帝国は遺跡がよくのこってるから人口推計は正確なんだろうな。
コロッセオ1箇所辺り10万人くらいか。
ローマみたいに100万人に1箇所のところもあれば鹿島みたいに5万人に1箇所の見栄張りの町もあるだろうし
546 :
世界@名無史さん:2011/10/16(日) 00:09:15.07 0
栄光のローマ
>>545 遺跡認定そのものが無茶苦茶、ゴッドハンドなんて目じゃないレベル
人口推計もバラバラ、2倍差で収まればいい方で3倍4倍当たり前
548 :
世界@名無史さん:2011/10/16(日) 10:32:14.71 O
さすがに大量に残っているローマ遺跡を捏造扱いは無理があるぞ
うーん程度問題だから547も548も多分マチガイじゃないのが困る。
でも547は極端な例を一般的な例として書いてる典型だな。
有名なポンペイは五賢帝時代にはとっくに土の中だよね。
いっぱい遺跡があるけどそれぞれ存在した時代が違う。
551 :
世界@名無史さん:2011/10/16(日) 19:45:02.44 0
>>550 イタリアの気候では100年くらいで火山灰は土にならないだろ
人口推計は実際に難しい
現代の地方中小都市の殆どゴースト化して久しい空き家だらけのシャッター通り商店街が
火山で埋もれてしまったとする
んで後世に掘り起こされる
当然現地での紙やHDDなどに保存されたものは全て消え失せている
最大の人口はほぼ正確な推測ができても、各時代でそれぞれどれ位の地区人口かはわからない
戸籍や売買記録が正確ならわかるが、その記録が不十分だったり曖昧なら何を比重に置くかで推計は変わる筈
ま、でも他の同時代の遺跡類や資料や傾向から判断して、全体としてはそんなに大きくズレるもんじゃないと思うけどね
人口推計なんて、まともに推定出来るもんじゃないからね
統治機構の残した史料頼み
イタリアとエジプト、それに後年の東ローマで調査された地域はなんとかなるけど
それ以外は手掛かり無さ過ぎて、なんとでも増減出来ちゃう世界
554 :
世界@名無史さん:2011/10/16(日) 21:31:31.35 0
うわー不毛、不毛すぎるぜここのところのレスポンスは・・・
自己満足じゃないレスポンスを願いますよ
皆さんテルマエロマエ知ってるでしょ?
塩野先生の著作の大大ヒットを引き替えに古代ローマブーム来てますから
ハンニバルに負けていればローマはそれまでだろ?
カエサルがいなければそれまでだローマ?
キリスト教を弾圧しきれば21世紀にも生き長らえたのかローマ帝国?
そういう観点で語ってね!
つまらない、つまらないからあなた方のレスポンスは。。
ググったらギャグ漫画じゃねーかそれ
ブームなんてきてねえよ!
ローマ市民特権持ちの有力者が富を蓄え、逆にローマからの利益と負担が割に合わなくなって
離心的な傾向が一般化した時点で、ディオクレさんの行政組織整備は不可避だったし
当時のローマの国家体制や行政機構では四帝分割統治も避け難かった
東西の経済格差と経済交流の乏しさもあって、四帝分割が東西分裂に到ったのも必然
カラカラの市民権開放って完全な愚策だよな
ネロよりカラカラをアホ皇帝にしろよって思う
マジいらつくわー、こっから転げ落ちてく続きよみたくねーわー
>>557 そもそもあれはどういう理由でやったんだ?
カラカラが「俺ってスゲー人道主義者。カッコイー」って思ったからなのか?
物語ではその理由までは書かれてなかったよな。不明ってことかな。
トップの思いつきで国の運命が決まる政策が決まるってのは恐ろしいな。
>>558 相続税や奴隷解放税を取るため、つまり税収拡大が大きな理由
他に、上でチラっと出てだが、すでに税の徴収が滞ったり、逃亡が多くて破綻したりしている所があったので
市民権与えてローマの共同体にしっかり組み込もうという目的もあったらしい
但し最大の理由の税収拡大は失敗してむしろ税収が落ちた(上のような金持ちはすでに大体ローマ市民権を持っていたため)
税収拡大が狙いだったとは思えんな
属州税全廃になることが明白だし、歳入の比較では属州税>ローマ市民権持ちの贈与税・相続税でしょうに
日本で言うなら菅が「日本に住んでいる以上、同じ日本国民です」とか言って在日に国籍と選挙権与えるようなものか。
で、今までの免税特権は維持されると。
>>559 それ以外のものもある
ラテン系だが軍閥でフェニキアの肌を持つ父とオリエントの母
バックが軍隊で特に属州の代弁者だから
文官元老院のローマじゃゲタの一件がなくてもあまり居心地も良くない
まぁ当時の側近の意見に従って「良きに計らえ」って感じじゃないかな?
そんで居心地の良い属州で思わぬ民衆からの反乱と過度な破壊と粛清で反感を買ったが
私怨での呆気無い暗殺がなきゃ生き永らえて
経済の失策はともかくとして、全体としては上手く軍=実際の権力者全体の代表者として彼らを統制できたかもよ?
実際上手く統治してただろカラカラ
死様が無様だし名君とは言えないけど、優秀な部類でしょ
支持する母体は無視できないからね
軍なり属州民をからの要請に抗し切れなかったとも言える
現代の日本政治でも個人の保身(良い悪いを別にしての)で外国人参政権を可決させようとする動きもある
情報があって、明らかな失敗例(オランダ)があって、可決後を見通せる人が多い現代
反対が多くて私人としては如何なものかと思っても、さりとて長年の支持母体を切れば権力を失うどころか
身の安全すら保障されなくなりゃあ、そりゃ不都合な部分は可能な限り目を瞑るでしょうな
まあ日本の官僚組織は出発からして
米の意向に完全に服従する事から始まってるから仕方ない
煽り方が下手だなぁ
そりゃあ、煽ってないからな。それを無理矢理煽りだと思う奴には下手に見えるんだろうさ。
アウレリアヌス帝が帝国を再統一しなかった方が良かったのかも。
パルミラがササン朝を、ドナウ軍団がマルコマンニ族やゴート族、
ガリア軍団が西ゲルマン諸族で分担し続けた方が生き残れたかも。
アウレリアヌス帝らドナウ河以南の属州出身者にとって、ドナウ河
以北の蛮族らは自分達自身の直接の敵だった。
最初にアウグストゥス帝がマルコマンニ族を征服しようとしたが、
イリュリア人の反乱で中止となった。後にはユスティニアヌス1世が
対東ゴート戦を優先したのでバルカンがスラブ化する事となった。
イリュリア人らドナウ河以南の民は自滅したようだ。
>>564 こうやってすぐ現代日本の外国人参政権と結びつける奴がいるが、当時と今じゃ概念状況その他全く違うんだが
まあオランダの例って多分移民に乗っ取られて云々だけど、あんなん信じてる時点な
いつの時代もローマの衰退期を自国と重ねる人間はいるもんだが
>>568 ユスティニアヌス自身もイリュリア系なのにな
だから良し悪し別だと但し書きしてるんだが、理解できないかな?
まぁ概念は違うだろうが、今も昔も根は似たようなもんだろう
たまたまたとえ話として挙げただけで、衰退期と自国を重ねている意識はないね
外見以外にも信教や習慣など微妙に違えば軋轢が生じる
現代米国の民間企業でも宗派が違うだけで交渉破談以前に物別れになっちゃうことも以前はよく聞いたもんだよ
まぁカエサルがズボン履いた、彼の支持母体の一つのガリア代表を元老院に取り入れた時に
イタリア本国人は抵抗なく受け入れたか?
少数ならまだいいが、一定の勢力を持って権力を握ってくるようになればどうか?
後年でも帝都ローマで力をつけて豪奢に振る舞う外省人を素直に受け容れたとは考えづらい
何らかの形で上下の差を持ちたいのが人間だからね
ま、んなもの一切なかった、真のコスモポリタンだと主張するからには
まずはラテン本流とその他とで全く分け隔てがなかったって証拠だね
元老院議員でも配下にローマ市民権を持つクリエンテスがほとんどいなかったろうから
ガリアの元老院議員はローマではたいした力は振るえなかったと思う。
名誉職だろ。
>>571 ガリアの元老院議員はローマ市民権のお蔭で
地元で儲けまくりですけどね
元老院議員はそもそも支配層じゃないか。
役得の一種だろ
574 :
世界@名無史さん:2011/10/17(月) 20:45:16.83 0
しかし自省録は名著だぜ
フラフラお遍路してるどっかの元総理にも読ませたいよな
人類史上、最優秀の国家元首なのでは
名目上は部下として位置づけられてる筈の集団に絶対服従する
どっかの現総理には読ませなくていいのかねw
人間的高潔さと君主の適正は一致しないのがあれの教訓なんでは
>>573 元老院議員は基本商業活動禁止
もっともクリエンテスの解放奴隷に資産運用させるわけだけど
ローマ帝国の継承国家が現れなかったのは何でなんだろうな
東ローマ帝国の版図はオスマン帝国が再統一したし
ペルシャ帝国の版図はアレクサンドロスの帝国とイスラム帝国が継承・再統一
モンゴル帝国も漏れはあるにしても多くの部分をソ連が再統一したのに
何を持って継承とするか、それが問題だ
為政者からすれば形式的でも宗教の名の下の平等で奴隷は作れない
宗教で統治したほうが民衆(信者)の不満を逸らせやすく思考停止させやすい
多くが「神のご意思」「悪魔の仕業」として諦めさせることができる
要するに政教一致だと上手く愚民化できて必要な時に搾取もしやすくなる
イリュリア人やトラキア人らドナウ河以南の属州民が滅んだからだろうね。
軍人皇帝時代以降のローマ帝国は、彼らの意志と武力で統合されていた。
後の中世イスラム時代では、ホラズムのトルコ人がモンゴルに滅ぼされた後、
かわってアッバース朝がモンゴルを追い払い帝国を再建する事は出来なかった。
軍人皇帝時代以降のイタリア本国&元老院はアッバース朝化していたようだ。
フワーリズムのトルコ人は、元からアッバース朝とはあまり関係無いよ
イーラーンとは密接に関係してたけど
それにバグダードのカリフと違って、例外の時代はあるにしても
軍事国家ローマの皇帝は、基本的に何より先にまず軍事指揮官だし
583 :
世界@名無史さん:2011/10/18(火) 21:42:37.05 0
フランクのカール大帝はザクセン族を征服して、
アウグストゥス帝の夢のひとつを実現したね。
自省録は名著かもしれんけど、アイツは哲学のし過ぎで自分の息子の教育をしっかりしなかったからな。
つーか、何であの親父からあんな子供が出来たんだ?
当時の噂通り、剣闘士の間男でもいたのかね。
あれだけ似てるんだから浮気は無いだろう。まあ政治的才能とか責任感
とか人格的高潔みたいなのはいくら親子でも必ずしも似るもんじゃないん
だろうな。だがコンモドゥスの一生観てるとことごとく父親と正反対の事
やってる様な気がする。偉大過ぎる親父持つと息子は大変だなとちょっと
同情する。
親父が高潔なら息子も高潔になってるなら世の中苦労しない
>>587 母親もマルクスの従妹だから、父親の血に関わりなく
似る可能性はあるけどな
カリグラもコンモドゥスも暗殺未遂後におかしくなったって話があるけどね。
塩婆の解釈はそうだけど、近い時代の記録だとどう書いてるんかね
そもそも人間の内面など史料としては残らんだろ、本人の日記や自省録に頼るしかない
だからこそ人間への洞察力優れた塩ばっちゃの書くものに人が興味引かれるわけで
結局予想しかできんよな
>>591 そりゃ時代を遡るほど"偉大なる初代と哲人に、トンでもな小靴と剣闘士皇帝"が増えるだけだよ
それと婆は洞察力と言うより、先入観を疑って複眼的多面的に捉える視点ってことだよ
ただどうしても女性だから意識しても主観が入る
まぁ文学だからそれでいいのだが
主観が入るのは男性女性関係ないだろう
客観的に共有しあえる史料だけじゃ歴史なんて枯れ木にしか見えないよ
人間の織り成す歴史を知るには想像力で埋めるのが必須だと知る必要がある
それに関しては塩婆が
歴史を綴るとは著名な事実の間を埋める作業といってるじゃん
資料で埋めれない場合は想像でうめる
>>595 本人もそういっている
だからこその文学的表現で生きてくるんだよ
戦国期の、しかも共和制から帝政への橋渡しをしたキーマンとは言え
15年/1200年の、しかも個人での動きに過剰な評価が目立つがね
作品中の守旧派、特に小カトゥの扱いと比べてみりゃ見えてくると思うが
カエサルの件なんて極力客観的にはしているが、全体的には偏りが強い印象
集中的にスポットライトを当てたものとも違う
小カトなんて本来は理想のローマを体現したような醜聞と無縁の人物で
政治実務や理念としてみりゃカエサル以上の項を割いたって不思議じゃない
だたクソ面白くもない人物でもある
>>598 >>本人もそういっている
おいおい塩婆の御託宣は全部真理なのかよw
こりゃとんだ宗教だな
ある種の宗教でしょ、小説は事実とは異なるのだから
あくまでわたしはこう思うと、文章の形にされてそれに賛同する人がたくさん本買ってる現状で
宗教だとかレッテル張り貼られても現実見てねえとしか言えん
もともと塩婆は左系の人からは裏切り者扱いな粘着されてるわけだから
ネットのアンチ工作なんか一顧だにしない
左翼は軍備必要というだけで敵対視してたからな。
ばっちゃの言うことにも全面賛同することもあれば、これはどうだろう?ってことはある
宗教とか信者とか言い出す奴ほど盲信か魔女裁判の異端狩りかの2択でしか
世の中見てないんじゃないの?と思う
塩婆信者は宗教を毛嫌いし過ぎだな
熱狂と言い換えれば、反論すらしないだろうに
言ってる側から信者信者とw
他に言い方はないのか
同好の士で良くない。私は塩野女史のローマ本以外の本も持ってるけど
別の人のローマ本も読むし持ってる。自分と違う意見の奴を信者とか言って
レッテル貼る奴がいけないと思う。
607 :
世界@名無史さん:2011/10/20(木) 05:37:58.07 0
傑作に面白い本だったら、なんと言っても『西洋古典学事典』が最高!
この『西洋古典学事典』には、毎ページに男色やフェラチオ、全裸男性スポーツ、美青年の真裸覗き、
男同士の69、男性カップルで編成された精鋭軍隊、少年愛、勃起した男根像、ドでかい陽物崇拝、同性婚、
男色のもつれによる暴君殺害とか、美男子をめぐっての刃傷沙汰が満載されていて、面白くって堪んねえぞ!
最初は値段が高いと感じてたけど、あんなに傑作で面白く読める本なんて
絶対に他にはあり得ない、と今じや断言できるよ。
文句なしに、★★★★★★★★★★・・・ 5×5星
カエサル教徒からすれば、他の宗教は全て悪に映るのだろう。
ブルータスが何か言ってるぞ。
610 :
世界@名無史さん:2011/10/20(木) 11:18:44.41 0
今のローマ市って古代から2000年間使用されてる
鉛の水道管がいまだにあるらしいね
2000年も使ったら摩耗や石灰成分が沈着して使いもんにならない。
遺跡として埋まってるならともかく流石に現役は無理だろう。ロマンはある
けどね。
612 :
世界@名無史さん:2011/10/20(木) 13:00:48.72 O
ローマンバスは2000年後も現役だぜ。
もっともローマ以前から沸いてた温泉らしいけど
正確には、今のローマ市って古代の鉛の水道管の頃から
同じ場所で2000年間使用されてる水道があるらしいね。かな
これならウソにならないし
アメリカ合衆国が衰退するときはどんな感じかな
ローマやビザンツやイギリスのようにゆっくりと衰退していくのだろうか
それともハードランディング?
来年のことを言えば鬼が笑う、一寸先は闇
而して陽の下に新しきものなし
歴史を熟知してようとも分かることと分からないことがあるということ、
そのわずかに分かる部分さえも正確な現状認識無しには無理だということ、を念頭に考えればいいよ
アメリカは古今稀に見る武器好きだが戦争は下手な覇権国家、
それでも軍事力以外の、覇権国家に足る何ものかはしっかり持ってる
比較に足る軍事力を持つロシアや中国といえどもそれがない以上それらは一強の覇権国家にはなりえない
当分は現状維持が続くだろうがそれ以上は分からない、グローバリズムよりは中世化のほうが可能性は高いこと
アメリカほどの超大国なれば内的要因だけでは盛衰は決まらない、
内憂も外患も同時にやってくるということはローマ史=蛮族との戦いの歴史というのと同じ、
経済危機や難民・移民問題に形を変えているが本質は同じこと
戦争以外の要因による急速な衰退って、今じゃほとんど考えられないでしょ
中世北伊諸国や西欧列強は無謀で無理がある植民地収奪がついに破綻して衰退したけど
アメリカは植民地にそれほど依存してないし
エジプトの2つの大王国とアッシュールは気候変動に伴う食糧環境の悪化が招いた
内紛で滅びたけど、今の時代に先進国での食糧難は考えられないし
ローマやモンゴルは支配組織の弛緩と解体の中で消滅したけど
これだけ行政の発達した時代にそれは無いし
ペルシャや晋は内乱と辺境の尚武の集団が侵入した事で滅亡したけど
今の時代に辺境なんてねーし、そもそも産業=軍事力だし
国土の潜在余力の乏しさから衰退したのは、北アフリカとイベリア半島の国だけど
米は恵まれ過ぎるほど恵まれてるし
唐やマガダ王国やイスラム帝国やティムール朝や清は地方が分離して分裂したけど
米の州制度は分権的でも流石に分裂は考え難いし
貧富の格差拡大っつーと仏王国や後漢で、これは似てるかも?
アメリカは常に爆発寸前の内憂を如何に逸らすかを続けてきた国
外欝と言うより、外に敵を作らないと内部から崩壊すらしかねないシステム
まぁ中国を始め、多民族の大国はどこも似たようなもんだが
星条旗への絶対的服従の精神は、過去欧州で宗教が担った役割に置き換えればわかりやすい
愛国心も宗教
ところが南部国境あたりは違う思考習俗言語の民族が交わらずに独自コミュニティを急速に拡大
愛国政策をより強化しようが意味のない状態になりつつある、少なくとも短期的には。
崩壊が始まれば想像以上に速いんじゃないかな?
それといつでもどこでも資本家>国の構図
資本家が甘い汁を吸えなくなれば、新たな旨みのある所に擦り寄るだけ
資本家がアメリカが見限った時が終わりの始まりどころか既に真っ只中状態だろうね
欧州は統一通貨ユーロのレートの巧妙な維持で食ってる感じだな、もうこの先もずっと斜陽
アメリカは行政組織の肥大、とりわけ法曹界のような国際競争力を必要としない業界に
有為の人材ごっそり持ってかれるのが国力的にもったいない
日本は日本で医学部偏重になるけど先進国では一番マシ
中国やロシアは相変わらず人材の有効活用という観点がない
新興国だと台湾の成長振りが目覚しいが中国の脅威的にはどうなることやら
アメリカはここまで野心的な軍人が現れなかった、
いたとしても軍として台頭しえなかったのは大いに評価していい
退役しての立候補に鷹揚な点では人材の有効活用を理解してる国だ
ローマスレな国際情勢語りたいなら他スレ行ってくれ。
またブリテン島とアフリカで反乱が起きたらしいな
奴隷が増えてなによりだ
アカエアの反乱もやばいな
総督は何やってんだよ
アメリカは凄いし超大国かも知れないけど、ローマほどのカリスマ性って無いよね。余りに嫌われすぎているし
きっと2千年後にもローマほど偉大だと思われてないと思う。
当時のローマが周辺から好かれていたのかは疑問だが。
属州の中でもローマ滅亡を嘆いたのはガリアくらいだろ。
ブリテンなんかローマが撤退して当初はむしろ喜んだんじゃないか?
昔々ガリア帝国という国がありまして
ローマ帝国のローマ市民ということでは民族を問わず誇りであったのに何を言ってるのだろうか
ローマ人でなくなったら自分は何者なのか?という代替のものが当時あったかすらわからないのに
ブリトン人の親ローマ派の生き残りの逸話がアーサー王の元ネタの一つだろ。
それなりの人気はある
あえて言うならキリスト教徒か。
ローマという合理主義と現実主義の帝国のあとに神話が始まるってのもなんとも不可思議なことだよね
大帝国のあとの大崩壊の中で神話が生まれるのか
実利主義ではあっても合理主義ではないな
地縁血縁によるコネの蔓延が、戦時はともかく平時にあって合理的なわけが無い
それにカエサルやアウグストゥスは帝政期に既に神として祀られてるし
合理性の判定は程度問題すぎる
ゴート族やヴァンダル族がローマ人なんてアイデンティティーを持ってるわけないし
そんなもんにしがみつく理由も無いだろ。
だからこそ、帝国が世紀末になったわけだし。
>>630 その手の神は東郷神社や乃木神社と似たような神格化なんだってば
既に幾多もある神に追加するってだけのこと
過去の大国と現代日本を引き比べて
この国はこうなったから日本もこうなるかもしれんだから気をつけようぜ、
という論調は毒にも薬にもならないから構わないが
逆パターンはちょっと頂けない
そりゃ過去の歴史を分かりやすく解説するあまり曲解すりゃだめだけど
神格化はそんなもんだよ
国家主義としてマルクスなり毛沢東なりの偶像をおっ建てることと
アウグストゥスや乃木大将が祀り上げられることは意味合いが全く違う
前者は国家体制を維持するためであって、直接具体的的な統制・洗脳の手段
後者は直接的には願掛けお札の類、間接じゃひょっとして国威掲揚に影響があるかも?な程度
637 :
世界@名無史さん:2011/10/21(金) 05:48:55.73 0
3 :名無しさん@恐縮です
「テルマエ・ローマエ」に関して、平井堅に就いては既に何度も俺が云ったけど、
日本の芸能界にはファンファンをはじめ草刈政雄や城田優、ウエンツその他
大勢の雑種(混血児)どもが居るんだから、連中をもっと起用してやっても
よかったんぢゃネエのかナッ?
序でに室伏広治も風呂場でブラブラとうろついてりゃイイだろうゼッ!!!!
温泉地や公衆浴場へ行くと、いつも必ず「いい身体してますネ」などと
言って舐めるように俺の全裸を眺めるヤツがいるゼッ!!!
こういう人たちは多分ゲイなんだろうナッ!!!!
たしかに俺は「競泳選手」兼「ビルダー」だから、よく理想的な肉体美だ
と賞賛されるんだけどサッ!!!!!
あんまり凝視されると、なんだか「形のいいデカマラを隠すべきかナ」と思っちまうゼッ!
まあ公衆浴場は発展場、売春所としての役割もあるわな
ビザンツ時代でも悪魔にとりつかれた修道女がビッチになって公衆浴場で男誘惑しまくった逸話とかあるし
古代ローマの浴場に一番近いのは日本のスーパー銭湯なのかな?
浴場にアカスリ、マッサージ、食堂、娯楽施設と揃っているし
入場料以外はそうかもしれんな。
いや、幾らなんでも一度だけとか観光ならともかく
ローマ時代の浴場に入りたいとは思わんぞ
確実に現代日本の銭湯やヘルスセンターだっけ?の方が快適だし
まぁ温泉が湧き出る場所以外は湯に浸かることもないんでしょ?
蒸気サウナ→ザラついたものでアカ擦り(石鹸は高価だから使えない)→流してから水にドボーンって感じで
まあ現代の快適度と2000年前の快適度を比べても仕方ない。現代人は
考え様によってはローマ皇帝さえ凌ぐ贅沢を日々送ってる訳だから。後、ローマ
時代にも普通に湯船はあるから。
しかし、その入浴の習慣が消滅したり水洗便所が無くなる辺り
案外、生活の快適さというのは優先順位の低いものなのかもしれん。
首都の大型浴場がどんな雰囲気と設備だったかは、体験してみたくはある
アレだよ、設備の遺構が残ってるカラカラ浴場を修復すればいいんだよ。
快適制をどこに取るか、だね
古代浴場の多くは柱廊と装飾が施されていて
少なくとも現代浴場のような機能重視の無機質さは感じないだろう
個人的には現代よりも関東方面の銭湯なんかのほうがいいよ
茹だるような熱湯と水風呂だけだったけど、壁一面の富士山やアーチ式でドーム型の天井とか趣があった
648 :
たーたん。 ◆BwPzKYONvU :2011/10/23(日) 23:26:40.63 0
>>578 直接後の時代の後継国家ではないが、ローマ帝国の主要部分を再現したという意味で、
冷戦時代のEC(ヨーロッパ共同体)がほぼ唯一ローマ帝国の再来だと強く思う。
北アフリカが入っていないことを除けば、長期間ローマ帝国の領域だった
エリアがほぼそのまま入っている。
(ローマ帝国西方世界 + ギリシャ − 北アフリカ)
北アフリカが古代に比べて乾燥化していることを考えれば、
地理風土的には、北アフリカが除かれて、ブリテン島全体が入っているのは自然。
ECの経済的な中心だった西ドイツも、ドイツの内でローマ人の軍団基地が
集中して、多く入植したエリアのみがちょうど含まれていた。
必死ですね
夏季に温度が上がって湿気る中国の黄河以南や、雨季乾季が3ヶ月毎や半年毎でも
年中湿気でベトついているような地域もあるインドこそ入浴が発達して然るべきなのに
同時代のローマほど盛んじゃないと言うか、そんな話自体もあまり聞いたことがない
まぁ年中気温も高いから水浴びでいいんだろうが
夏季に乾燥して、インドや中国と比べて日中の気温も上がらないローマのほうが
入浴習慣が大衆レベルで浸透なんて不思議な感覚
他の文明はどーなのかな?
中国はふつうに入浴の習慣あったし
インドは暑いから水浴びで十分というか、そっちのが快適な面もあったろ
世界一入浴大好き民族の日本人でも庶民も含めてゆっくり入浴できる
ようになったのは江戸期以降、それ以前はどうしても食や安全の確保と
かが優先される時代だった。そういう意味では国家が市民に入浴の権利
を保障するローマの選択は非常に先見の明があったと思う。衛生面と娯楽
の確保の意味は現代の人達には信じられない位大きかったんじゃないかな。
ローマ帝国はローマ市民権者にも入浴の権利を保障してないけどね
居るよねーこういう心の狭い人。法律に書いてないだろうとか、料金取ってる
のだから権利じゃないだろうとか言う人。
やはり世界風呂サミットの開催が望まれるな。第1回はローマ。
考えてみれば、現代みたいに多種多様じゃないが
質的にはほぼ同等の娯楽が揃っているんだよね
休日なんてあるのかないのかだろうが、徒歩圏内の通勤で拘束時間も午前中
農家やサービス業は別だろうが、一般の都市生活者は昼から観劇や音楽鑑賞や競馬観戦して入浴施設
一杯飲みながら将棋や双六やサイコロ賭博したりで、日が暮れたら家に帰って寝る
むしろ現代の都市生活より格段に快適かも知れん
脳に糞でも詰まってるのか?この馬鹿は
一般の都市生活者は朝早くから日が落ちて1,2時間労働
観劇や音楽鑑賞や競馬観戦はもちろん、入浴や飲酒や賭博もたまの娯楽
現代の底辺でも遥かにマシな生活送ってるよ
現代のほうが遙かにマシな生活を送ってると確信する理由は?
快適性については何を基準に置くかで全く変わってくる訳だ
電気ガス水道衛生など社会インフラを基準に置くか
通勤時間やストレス度を基準とするかだけで快適度合いも変わってくる
人それぞれの主観であるものを客観的に評価できないおこちゃまだね
次元の浅い煽りに参加するつもりなど毛頭ないが、底の知れた単眼思考と言わざるを得ない
まぁ現代人が当時の都市に住んでも不便極まりないだろうが
>>614 ローマの場合、
全盛期からの脅威はゲルマンとイラン系帝国(パルティア&ササン朝)、
フン族は4世紀後半、スラブ人は6世紀、アラブ・ムスリムは7世紀、
トルコ・ムスリムは11世紀後半に台頭して脅威となった。
ローマ・ビザンツはフン族ら新興勢力を防ぎ切れず最終的に力尽きた。
アメリカの場合
全盛期からの脅威は日本、ドイツ、ソ連、中国、ムスリムだろうか。
アメリカも未知の新興勢力に滅ぼされるのかもしれない。
農地の荒廃、もあげとこう
ローマでは外敵の侵入が続いて農村が荒廃したが、
アメリカに限らず現代は管理のまずさで農地が荒廃している…
アウグストゥス時代ですら皇帝の振る舞い演劇・剣闘士試合は1年に1度程度なのに
毎日観劇するとでも思ってるのか、アホか
ttp://jp.reuters.com/article/oddlyEnoughNews/idJPJAPAN-23784320111024 世界遺産ポンペイ遺跡の一部が倒壊、政府対応に非難の声
2011年 10月 25日 07:46 JST
[ローマ 22日 ロイター]
イタリア当局は22日、同国南部にある世界遺産ポンペイ遺跡の一部が倒壊したと発表した。
ポンペイ遺跡では約1年前に、約2000年前のものとされる「剣闘士たちの家」と呼ばれる建物が倒壊、
当時のボンディ文化相が辞任に追い込まれている。
ポンペイの管理当局は声明で、悪天候を受けて遺跡にあるポルタノラの壁が21日までに崩壊したと発表。
被害は「限られており、対応済み」としている。
あまり観光客の訪れない場所ではあるものの、崩壊した部分にはおよそ縦4メートル、横2メートルの壁も含まれている。
イタリア政府のガラン文化相は、ポンペイ遺跡の管理は同省にとって優先事項との立場を示したものの、
野党議員からは、政府はイタリアの遺跡を保護できていないとの非難の声が上がっている。
週一の安息日のあるユダヤ人にギャーギャー言うくらいなのだから
それなりに働いてたんだろ>ローマ人
まぁ、でも催し物は皇帝主催以外にも選挙活動とかで開催されてたし
地方都市にだって、劇場や剣闘場があるくらいなんだから年1ってことは無い筈。
>>660 現代アメリカの場合は地下水の枯渇と気候変動で土地枯れの結果だろうね
個人で広い土地を持っての栽培なり放牧だから、大雑把にはなるが・・
管理が悪いと言うより、従来式の管理が出来なくなったと考えたほうがいいかも
>>661 年一度の皇帝主催での催し以外は開催すら一切認めないとでも仰るつもり?
そんなこと、あのドケチな二代目皇帝ですらやってないよw
毎日のように長時間開催されていた戦車競走はご存知?
特に祝祭日に集中するが、上流の虚栄心や営利目的のもので娯楽の供給は日常的に行われている
大規模劇場や各種競技場も数百単位であるから、巡業する一座もあれば固定の一座も色々とある
首都ローマ以外での年一度の大規模催しデー以外に観劇も剣闘士試合も戦車競走も禁止なら
そもそも各都市にそんな建築物すら必要ないし、そんな職業も成立しない訳でね
煽り文句・パンとサーカスの方に史実を合わせようとしてないか?無茶するな
さすがに毎日とかは無理だろ。皇帝ならいざしらず、選挙とかでやるのは小規模じゃないのか?観劇に
しろ。剣闘士にしろ
ローマの税のシステムや生産力でそんなに支えられるのかい?塩野さんだって当時の貧民に支給される
量の小麦でパン焼いてみたらとてもそれだけじゃくっていけねぇって書いてたし
俺なら劇やら試合する金(余剰生産力)があるなら貧民救済にあてるよ。その方が直接きくだろ
一応公職のエディリスが催し物やることはあるがそれだってたかが知れてる
カエサルだって政界デビューした当時、公費じゃ間に合わんから例によって借金して開催して人気取りしたほどだしな
マジレスするとローマ時代の祝祭日は60日前後あってこの時が公的な休み。
国主催の祭事が行われる。とはいえこれが一般庶民にどこまで浸透していたかは不明。
今でも日曜日働いてる人が居る様にその人の仕事や経済状態に左右されたのが
実態だったんじゃないかな。
古代世界はどこも週の休みなんて無いからな
それこそ貧民階層はその祝日とかに働くなり金持ちのお情けにすがりに駆け回ってた
だろうし、いくらパトロンとかの結びつきが強いローマで大貴族でも自分の手下全員を
丸抱えして食わせれないだろうしなぁ。農場でこき使うのは農奴って言いそうだし
パトロンといっても給料払うわけじゃなくコネだろうに
貴族と平民の抗争時代を知ってたら農奴なんて言葉ホイホイ出てこないと思うんだがな
それ使っていいのはカラカラ勅令以後のローマだろに
クリエンテスとパトローネスの関係はあれだ、地元議員とその後援会と思え
直接の雇用関係になくとも結婚や就職斡旋など顔役として相互が恩恵もたらしてる状態だと
上納金と脱法脱税の相互互恵関係の方がより正解に近い気もするがw
クリエンテス関係がそんな俗すぎる関係だけじゃ
ラビエヌスがカエサルの下を去った理由にならんだろ
法的に定められた関係じゃなく慣習的な関係なわけで
実態は2つの間に幅広く存在したなだろ
>>672-675 どっちかというと「江戸時代辺りの」ヤクザに近いというか
「有力者の横暴に対抗するためにこっちも有力者に頼る」的なものだったと
思うんだけどなあ。
例えば属州総督が横暴しないように、中央に繋がりを作っておくみたいな。
属州総督時代にやらかした人がどういう弾劾受けるか知ってて言ってんのか?
アレだよ、現代日本だって公民館とか市民ホールに行けば週一で何かしらやってるだろ。しょぼいオケとか。
普段はあんな感じだったんじゃないかな。
ローマ人の物語の中ではクリエンテスとパトローネスという言葉を
帝政移行以降めっきり見なくなるけど
帝政期からはこの関係も薄れていったのかな?
元老院が形骸化していくに連れて議員を支持する旨みもどんどんなくなっていっただろうし
(1)平和になって双方共関係を持つ必要が無くなった。
(2)皇帝制度の確立で公的な請願が一般的になった。
(3)元老院選挙が互選になってクリエンテスを持つ必要が減少した。
(4)元老院議員の任命権が皇帝に移り元老院議員の出身が軍人やイタリア
以外の出身に移った
等々かな。
単に塩婆が他の話や説明に集中するため放置した
が正解だろう
属州では一番上にローマ植民市があり、
その次にラテン市民権をもつ自治都市とラテン植民市があり、
一番下にキウィタス(ローマ市民権を与えられず、ローマに隷属しているとみなされた都市)があったが、
キウィタスの住民はローマの高度な文明に触れる機会などほとんどなかったのだろうか?
むしろ高度な文明に属していた良立地に住む人民を
ローマ人が武力で追い出してローマ植民地を造ったんだろうに
今でもこんな風に考えてる奴いるんだな。
ある程度勉強しなきゃ当然。
日本人の半分はローマ帝国と神聖ローマ帝国の違いを知らんだろうし。
686 :
世界@名無史さん:2011/10/26(水) 23:31:37.28 O
ギリシャに較べると、ローマは血生臭さが漂う点は否めない。
むしろ、それ故にこそ汝らはローマを崇拝するのだ。
ローマ時代のブリタニアってそんな魅力的な土地だったん?
というか、あの辺の人たちって高度だったの?
ドルイドの野蛮な儀式をみたローマ人がドルイドを恐れたとかそんな逸話はあるが。
一番影響しちゃうのはやっぱグラディエイターはじめとするハリウッド映画のローマ描写だろうな
ローマといえば多国籍軍当り前なのを理解してくれない
689 :
686:2011/10/26(水) 23:51:10.73 O
3.11の直前に虫の知らせで滅亡した古代文明を取り上げた
古い歴史ムックを読んでて、当たり前のことにハタと気づ
いたのだ。
>>687 魅力的なんて描写あった? 蛮族が来るからどんどん領土を広げざるをえなかったって解釈してたけど。
そのためにブリタニアの南半分も占有。
>>688 高価な赤色をふんだんに使ったキンキラキンの統一装備が
現代における当時のローマ軍イメージだからねぇ
もちっとリアルにできんのかと思う
>>690 まイギリスは北端でも厳冬なんてない地域
見通しのいい平野や丘陵地帯だし、対峙しての会戦ならまず負けない
ラインみたいな大きな河川や鬱蒼とした森や寒い冬もなく
蛮族が来るからって防衛一辺倒にならずに土塁なり石垣で守れたからより北上できたといえるかも
ブリテン島も森が生い茂ってたけど
英国人が根こそぎ伐採して禿げただけな
昔は薪で暖を取り冶金の燃料にしてた
>>684 いまでもじゃなく、近年は欧米でも無条件のローマ賛美が薄まってきたよ
>>687 アウグストゥス帝は、ブリタニアをローマ領に加えてはならないとしていた。
ダキアは向こうが大攻勢をかけてきたけど、ブリタニアはそうではなかった。
ブリタニアを征服するよりは、イタリア本国の直接の脅威となるボヘミアの
マルコマンニ族の方を征服すべきだっただろうね。
アウグストゥス帝のゲルマニア派兵でマルコマンニ族が南下、ダキアに敗れて
衰退していたケルトのボイイー族をマルコマンニ族が征服してドナウ河北岸に
到達した。
アウグストゥス帝は、マルコマンニ族をよりイタリアに近いボヘミアへ追い払った。
かつて秦の始皇帝は、匈奴をオルドスから追い払い、匈奴を気候の厳しい土地に
追いやりより遊牧民的にした。匈奴は他の遊牧民を征服して大勢力となってゆく。
アウグストゥス帝と始皇帝は、ともに国境線を短縮して防衛力を強化しようとしたが、
自ら新たな脅威をつくりだしてしまった。
リメスが破られるのは3世紀以降、アウグストゥス帝が死んでから300
年近く経てからだわ。家康が薩長生かしてたから幕府が潰れたのと同じ論法
かもしれないけど、流石にそんな先まで読めたら神だわ。
イリュリア人やケルスキー族が反乱を起こしたり、
アウグストゥス帝当時、極めて不穏だったぞ。
アウグストゥス帝は、マルコマンニ族を征服しようとしたが、
徴兵対象のイリュリア人が反乱を起こしたので断念した。
それを言ったらカエサル暗殺からアウグストゥス帝による帝政確立
までの間の内乱で当人が殺されるのは勿論、下手したらローマ自体が瓦解
しかねなかった。イリュリア人の反乱が鎮圧し終わったと思ったらトイトブルク
の虐殺が起きてる。あれだけ広大な領域の防衛線確立なんて一朝一日に誰にも出来ん
わ。内乱を鎮圧して帝政確立してローマ領内を平和路線に導いただけでも
立派なもんだわ。
始皇帝は匈奴の強大化を予想していなかったようだが、アウグストゥス帝は
マルコマンニ族をただちに危険と看做し手を打とうしたが失敗した。
万里の長城作った始皇帝の評価がどうかと思うし、マルコマンニ族への評価
もどうかなと思う。当時のマルコマンニ族が徹底してローマに敵対していた訳で
はないし、イタリアに一番近い有力部族であった事は確かだが、同じ規模の蛮族
はライン以北にはごろごろ居るし、国で言えばパルティアも健在だった。それに
ローマはマルコマンニの消滅は出来なかったが穏健化には十分成功している、ティベリウス
帝はマルコマンニ族内での内乱に上手く介入して有利な関係築いてるし、リメスの建設は
成功して3世紀までリメスは鉄壁だった。十分にローマは成果を上げていると思う
んだがなあ。
>>699 始皇帝の時代は匈奴を撃ち破り北へ押しやってるが
秦漢交代の内乱期にまた南下して北辺を占拠した
始皇帝の時代は匈奴は匈奴だけの戦力だったが、秦漢交代の内乱期に、
東胡や丁零など他の遊牧民を征服して、大幅に戦力を増強したとされる。
蒙恬が戦った時と劉邦が戦った時では、匈奴の戦力が異なっていた。
比較的肥沃なオルドスにいた匈奴よりも、厳しい土地に住む丁零や月氏ら
の方が野蛮であった想像されるが、蒙恬に追われた匈奴は、先祖帰りして
他の遊牧民らを征服出来るようになったのではないだろうか。
ギリシャ・イタリアの現状を見ると古代ギリシャ・ローマ人は宇宙人だったと思わざるをえない。
>>700 アウグストゥス帝とティベリウス帝の頃は、まだローマ人のローマだったし、
パルティアがイタリアにまで攻め込んでくる事はさすがにありえないから、
所詮はひとごとだろうね。
当時のローマの軍事力は圧倒的だっしな
>>703 中国、インド、モンゴル人も宇宙人だったのか
>>704 ローマ人のローマの意味が良く解らんが、史実のローマはパルティアを舐めて
ない。何度も負けた相手でもあるし、ポンペイウスが中東制圧後ローマの国庫収入
が倍になったと誇った程、当時の中東地域は豊かな地域。もしパルティアに小アジア
からエジプトまで占領されたら財政的にも食糧の安定供給の面でも多大な影響を受け
地中海の安定も危うい。だからローマはこの地域に8個軍団、10万近い兵を置いている。
所詮ひとごとでは済まないわ。
ギリシャ人のメンタルはそんなに変わってない気がするなぁ。
古代ギリシャの最期のグダグダぶりや東ローマ滅亡のグダグダや
ニカの乱なんかまんまじゃないか。
ローマ人?そんなものはとっくに絶滅してるだろ。今のイタリア人は
ゴート族やランゴバルト族の子孫だろ?
ゴート人は数が少なかったそうだし、ランゴバルド人も言語を失ったからなあ
小アジア発で定着の過程でそれぞれの土着と混交していったイタリア中西部人及び
主にイタリア半島のフェニキアやギリシャ殖民系の末裔って意味だろうな
>>706 カラカラやコンスタンティヌスの様に属州出身ではないだろう。
パルティアからさすがにイタリア本国まで進軍は無理だろうが、
ガリアやイリュリアはイタリア本国のすぐそばだ。
>679
塩婆以外の本も読めよ・・・・・
めちゃくちゃだなココのバカ共は
おこぼれに預る庇護民は寧ろ2世紀以降の方が増えているわい
>>698 カエサルが内乱を鎮圧って・・・色々と揉め事起こして引っ掻き回したから元老院最終勧告までされた訳で
元老院側から見れば、借金しまくって、その借金返すために更に金バラ撒いて三頭体制作って
しかも平民バックも利用して政策を通すなんてな邪道政治だからね
カエサルがやらなきゃ誰かがやったって性質でもない
内戦終結後の独裁官就任宣言は、スラの前例があったからお互いに油断したのかなぁ
スラが2年で退いた前例があるから反対派は渋々ながらも認めたんだし、カエサルもそれで油断したかと
>>707 ローマ統一以前のイタリアでまずラテン人自体が少数派だったけど、さらに
ローマ人は海外属州に植民市を建設して分散していくよね。
ミトリダテス戦争当時の旧ペルガモン領とか、かなりのローマ人がイタリア
から流失していたから、ローマ人は帝国各地に拡散してしまったようだね。
>>711 クリエンテスはそもそもおこぼれに預る庇護民っていう立場じゃないけどなw
ドンマイw
>714
マジキチかよ、断片的な事象のみを挙げてどうすんだ?
塩婆本だけでもちゃんとクリエンテス関係は何度も繰り返し説明されてるのに
印象操作で塩婆sageに来るアンチがかき回す構図は変わらんなー
>>710 イタリア出身の皇帝が当たり前の時代から、つまり帝政初期から8個軍団を
置く事に歴代の皇帝達もローマ人自身も何の疑問も持たなかったのが史実なん
だけどね。皇帝ともなれば本国と自分の命さえ無事なら属州は裸で良いなんて
事やったらすぐ帝国は瓦解する、実際属州の防衛さえ出来なくなってからローマ
は下り坂を急速に転げ落ちてる。防衛費を削りながら防衛力の強化に力を尽くして
帝国中を駆け回ったハドリアヌス帝の気持ちになってもう少し史実に忠実になったら。
ハドリアヌス帝も属州出身だろうがw
それは突っ込みとしてはだめだろ
常識過ぎるし属州防衛の如何に関わることじゃないじゃん
>>718 スペイン出身のな。でもスペインだけを優遇するなんて決してしなかった。
ハドリアヌスがローマ全域の利益を疎かにする事なんて許されない皇帝の
責務を理解していた証拠。
>>706 西のローマと東の大月氏&サカに挟まれて持ち堪えたパルティア帝国は
たしかに強大だった。
匈奴と対立した大月氏らが移住してこなければ、おそらくパルティア帝国は
アケメネス朝やセレウコス朝と同様にインダス河からエーゲ海にいたる地を
平定出来たであろう。すなわち、ローマはアナトリアとシリアとエジプトを
長期間支配し続けられなかったわけだな。
ローマは始皇帝や冒頓単于と月氏王らに感謝すべきなのだろうな。
カエサルが殺されずにパルティア攻めてたらどうなっていたか・・・
ほんと歴史ってのは一人の人間に集約される時があるわー
そらー間違いなく首都まで攻め込んで城下の盟を結んで帰還だろ、しかも2年で
国境はユーフラテスで確定、その際オクタヴィアヌスに経験と実績積ませてゆるぎない継承にもする
オクタヴィアヌスは、叔父貴に守られて育ったらクラウディウス上位変換くらいで終わった気がする。
やはり、自らの足で修羅場をくぐり政敵を倒してっていかないと、アウグストゥスになれていないかと。
そう考えれば、史実通りのほうが案外ローマの長命にとっては良かったかもしれない。
カエサルはオクタヴィアヌスの叔父貴じゃなくて大叔父な
姪の息子だから
カエサルの時代じゃトラヤヌスの頃ほど兵力もないし
権力基盤も磐石でないから、首都まで攻め込むのは絵空事だね
裕福な土地柄なので侵攻はしただろうが
東で戦闘始めた途端にローマでカエサル派は「王を援護する者」って名目で混乱するだろうな
ヘタすりゃマリウスvsスラが繰り返される
今度は王になる野心を持った人物を制裁だから、反カエサル派の大義名分が正当で鼻息も荒い
休戦協定結んで戻って何とか平定しての繰り返しで、国力は弱体
10年後カエサルの寿命が尽きる前に無期限独裁官の座を譲られたら、その時こそ大問題が発生
ゴタゴタ続きの中で「特権が継承された!」「やっぱり王だ!!」「王政ローマに戻す気か」
オクタビアヌスは特権行使以前に継承できる状況じゃなく、やがて老獪な連中に翻弄され続ける
自分が危険だからって護民官同等の待遇を要求しても通らない
当然対立派からも「じゃあオレも危険だからくれ」「ワシもそうだ」って話になる
外に打って出るどころか政策もまともに通せず、身の安全と懐柔策に手一杯って所でしょ
帝政移行は夢のまた夢だったかも
結局カエサルがああなって内戦を勝ち抜いたから、その後の特権要求が通ったとも言える
そういう政治的な部分はローマを固めてから行くに決まってるだろ
さすがに暗殺を警戒するのは性にあっていなかったからしょうがないが
兵数も常に少数ながら勝ってきたカエサルのことだから全然問題ない
そりゃ相手は無統制な蛮族だからな
クラッススが敗れたスレナスは、いつパルティア王に粛清されたのだろうか?
スレナスは紀元前52年に殺されたようだから紀元前44年にはいないはず
クラッススの息子が生きてたら、カエサルとポンペとどっちについたかな?
かなりの軍才があったらしい、惜しいことだ。
そら間違いなくカエサル側だろ、クラッススJrの有能ぶりは異常
息子が有能なだけに余計無能に見られてしまうクラッスス(父)カワイソス
ローマ帝国時代の駐車違反の罰金(利息付き)が請求される
http://www.afpbb.com/article/life-culture/life/2837812/7997472 【10月27日 AFP】イタリア・シチリア(Sicily)島の警察当局が、駐車違反を犯した女性に対し、
誤って紀元208年からの利子を上乗せした罰金3万2000ユーロ(約340万円)の請求書を送付してしまった。
伊紙レプブリカ(Repubblica)が26日、報じた。
同紙によると、請求書を受け取った女性は、封筒を開けたその場でめまいに襲われ、病院に搬送された。
本来、違反があった2008年からの利子が加算されるべきところ、
担当者が間違えて紀元208年からの利子で計算してしまったという。
警察は間違いがあったことを認め、女性の夫は正しい請求額102ユーロ(約1万円)の罰金を支払った。(c)AFP
久しぶりにワロタよ。
カエサルは種が薄かったの?
あれだけ浮名を流したのに子供の少なさからいって
優秀なプレイボーイは、種を撒いても実らせるようなヘマはしないんだよ。
カエサリオンェ
ガリアに一杯ご落胤いたでしょ
あれはかなり「自称」が混じってるんでは・・・
カエサルは恋愛の達人であって、別にsexの達人って訳じゃないからな。性欲
だけが目当てなら売春婦と乱痴気騒ぎをしたアントニウスの様にすれば良い。
あるいは半分妻化した女奴隷とか抱えこんでも良かった。でもカエサルにはそういう
人物は誰もいない。カエサルにはやっぱり男だろうが女だろうが惹きつけて離さない
魅力があったんだろうな。
かもしれないし、アウグストゥスが記録を上手く消したのかもしれない
一方、ネロは女奴隷の愛人がいた。
>>745 あのドラマ、面白かったな。
役者のブリテン臭が玉に瑕だが、街や風俗の再現具合はよかった。
別にローマ人は金髪碧眼でもないしちょうどよかったりする
現地の人にマジローマ人じゃんと言われてたぐらいだし
金髪碧眼はむしろ蛮族の特徴だしな。
近代にこいつらが白人至上主義とかを標榜していたのは実に笑える。
アウグスティヌスは黒人だったしな。
>>746 あのドラマはアイリッシュの俳優とかが多かったが、
ウェルキンゲトリクスの扱いが悲惨過ぎたよな。
なんか台詞があれば良かったのに、例えば凱旋式で
「余はガリアの王であり、これからもそうだ」とか。
ケルト系の血が濃くても、ブリテン経由でのローマ系列文明に属すると思ってるんだろうね
本省系の血で文化習俗言語は中華圏でも
国民の意識と政治姿勢は対中国で親日的な台湾と似たようなもんでしょ
ブレイブハートやロブ・ロイとかケルトものやIRAネタの映画が、90年代に
数多く作られていたから、あのウェルキンゲトリクスの扱いは意外だったな。
ポンペイウスと同様にカエサルが敗れたかもしれない強敵だったわけだし。
今原語のガリア戦記見てるが、本当にすごいな
まさに無駄のない完成された文体というのが良くわかる
他のラテン語の文と比べてもかい?
とうとう現代のローマ人ベルスコさんが退陣か‥
現代のローマ人は植毛し、
古代のローマ人は月桂冠をかぶった
植毛痛かったみたいだね。
↑
調査に支障が出ても樹脂コーティングなんかで守る必要がありそうですね
壁画の絵とかも大分消えたみたいだね。もったいない。
ポンペイウスの墓は一度いってみてぇなぁ
>>755 悪い、ちょっと見栄はった
そこまで多くのラテン語文献読んでない、そんなスラスラ読めないし
だが日本語訳の時点ですげえとは思ったよ
>>754 日本語しか読んでないけど、無駄が無さ過ぎ。
当時のローマ人には行間の共有前提常識があるから、
あれだけで熱狂できたかも知れんけど、
それは想像できなくもないけど、
現代の日本人には、何にも無いから、さっぱりわからない。
もっと基本資料おくれって嘆いちゃったよ。
無駄がないけど、味気ない戦争報告書ではなく、その興奮やら兵士たちの動揺なんかが伝わってくるのが素晴らしい
感情描写なんかは極力省かれてるのに、容易に情景が浮かんでくる
ところどころに、人間の本質をついた言葉などもあってドキっとする
例えばウネッリ族との戦いの記述の
「quod fere libenter homines id quod volunt credunt」
(人間はたいてい自分の欲することを喜んで信じる(ということ))、とか
ヒルティウスが8章の前に、自分がどれだけ渋々執筆を引き受けたか、カエサルの優雅な文体と比較されるようなことは
どうかやめてもらいたい云々と述べているのが笑える、超人気作家のシリーズ物の続き書かされるような感じかw
うーん、ラテン語は大学の頃、初歩をかじっただけで挫折したんだよなぁ。
うらやましい。
ところで、上の方に「ポンペイウスの墓」というのがあったけど、どこにあるんだ?
>>745 プッロ役のレイ・スティーヴンソンは、皇帝だと
マクシミヌス・トラクスが似合いそうだったね。
>>764 私も日本語しか読んでないけど、好きな本は繰り返し読む方だから嫌でも結構覚える。
(何だかんだで多分50回以上は読んでる。ローマ関係で訳文引用しようとして
探してたら、その年の分読んじゃったなんてこともある)
知識がないのは割り切って、異世界ファンタジーとか架空戦記辺りを
読む感じで読むのがいいかも。
講談社学術文庫版などの解説付きのを買うのが前提にはなるけど。
内容把握したらカエサルが書かなかったことを想像して楽しむのがお薦め。
769 :
世界@名無史さん:2011/11/13(日) 13:21:22.82 0
ガリア戦記、漢文のように素読を繰り返したら、なんだか癖になりそうな文体だなw
内乱記を最後まで読むことを断念した自身にとっては
意訳っぽくていいから五七調で簡潔明解に表現できる訳者を求む
最近は、歴史本をGooglemapを開きながら読んでるw
学問の世界ではラテン語を統一言語にすべきだったな。
誰でも分かる自国語でとか言ってるうちに英語限定になっちまった。
カエサルの著作では、「ガリア戦記」よりも「内乱記」のほうが面白いように思う。
ただ、日本ではあまり知名度が無いこともあってか、
一般向けに市販されてる「内乱記」の和訳は一種類だけ、
しかもかなり装飾的訳文のものしかないのが残念。
あの訳本の翻訳者さんは、非常に高名なラテン語学者さんではあるけれど、
どちらかというと装飾的な文体が持ち味の文学者の作品のほうが専門分野だったんだろうか?
詳しい事情までは知らないのだが。
結局ラテン語って何で廃れちゃったの?
>>774 単語の屈折がどんどん簡略化されていって、
今のイタリア語やスペイン語とかになっていったってことでしょ、
極々かいつまんで言うなら。
>>774 活版印刷で書籍の大量生産が出来るようになったから、と言ってみる
>>775が言うように話し言葉としてはより簡単になっていったことだよね
文語としては日本の文語体同様長く続いたけど、各国語を書き言葉にするようになってそれも廃れた
実際スペイン語わかって、今はラテン語も勉強中だが、圧倒的に今のスペイン語などロマンス語は文法的に楽になってるよ
>>772 日本で言えば弥生時代の日本語を使えと言ってるようなもんだぞ。
どちらかというと、律令国家時代みたいに全部漢文で書け
って方が近いような
漢文に相当するのはギリシャ語だったのじゃないかな
ゲルマン人にギリシャ語は普及してないべ
ゲルマン人に漢文は普及してないべ
新説来ました、日本人に漢文は普及してなかった!
自費出版で本出すのマジオススメ
俺35になってからかなりザビエルハゲになってきて、食生活を変えたらかなり改善。
今38だけど、フサフサだよ。進行が止まるとは思ってたけど、まさか毛が生えてくるとは思わんかった。
本出したら売れそうだな。
「ローマ人に学ぶフサフサになる食生活」
スエトニウス『皇帝伝』より
ドミティアヌス『頭髪の手入れについて』
「…若き日の毛髪が老いさらばえるのを気丈に耐えるのだ…」
>>787 食生活を完全に変えた。
脂っこいものをやめて、ラーメンや焼きそばなどもかなり減らした。
後は毎日シャンプー。
でもホームレスの奴らはふさふさ多いんじゃね?はげいなくない?
ハゲのって、原因が分からないのが一番問題なんだよね。
父親がハゲでも息子がフサフサとか普通にいるし、不定期な生活しててコンビニ弁当食ってても禿げない奴多いし。
何か美容系のサイトによると、790の言う通り
ハゲというか薄毛対策には頭皮の老廃物を洗い流して栄養与えるのが基本みたい。
あと髪はタンパク質だからちゃんと肉や魚を食べるといい。
一般的なハゲというのは、頭髪が細くなって皮膚が見えてしまうから起きるんであって、
血行を良くして髪に栄養与えればまた太くなるから。
病気で髪が生えてこないというのとは違うんだよね。
「終身独裁官に学ぶハゲでもモテる方法」
ワロタ
そりゃカエサルみたいに魅力ある奴はハゲてても関係ないからな。
実際ハゲてもモテる奴はモテる。俺のダチもモテてる。
ハゲの女たらしが来たぞ
凱旋式で一兵士が大っぴらに凱旋将軍の悪口や強烈な皮肉を言う伝統っていいね
指揮官も天狗にならないし、兵士も鬱積したストレスを発散できる
ローマ軍が強かったのはこんな点にもあるかな?
軍の強さというより、ローマ帝国が強大になれたのは ってところだと思う。
権力者への不平や不満を大っぴらに口に出せて、言われた側もそれを良しとする。
オクタビアヌスだっけ?「今急いでるから陳情を聞いてる暇無い!」って言ったら平民の女に「ならばあなたには
皇帝の資格は無い」って言われて、反省して話を聞いたのって。
>>799 ハドリアヌスな。まあ言論の自由がなきゃダメだよな。
それを間違えるなよw
元老院には評判の悪かったハドリアヌスだが
権力のあやうさと振るい方のバランスをもっとも理解していただろう皇帝だな
ローマ皇帝の中でも好きな皇帝の一人だ
ディオクレティアヌスかコンスタンティヌスなら有無を言わさず抹殺してそうだ
802 :
世界@名無史さん:2011/11/18(金) 17:46:46.70 0
>>799 前から思ってたんだけど、それで話聞いたらドカッと陳情客行列ができて、ハドリアヌスでもパンクしちゃうと思うけどね。
エピソードなんて昔の史書は投げっぱなしで終わることが多いけど、この件はどうなったのかな?
ローマの特有の関係じゃね?パトロンとかの
他の国じゃそんな事したら死刑だろ
日本の目安箱のシステムがあったけどアレもどっちかといえばガス抜きみたいな
ものだしなぁ
だわな、強力なコネのあるローマ市民権持ちの奥方が
ローマシチューに何人いるんだよって話だ
805 :
世界@名無史さん:2011/11/18(金) 23:18:28.91 O
同じ貴族制でもカルタゴなら凱旋式で指揮官をコキ下ろしてお互い無礼講で済ますどころか
賞賛しなければ処罰されそうなお固いイメージ
それに敗ければ傭兵じゃない責任者には挽回のチャンスもなく失敗=死か亡命
三次ポエニを見る限りは民衆と一体化している印象だが
全体としてはローマと比べて窮屈な共和制社会だったってことでいいのかな?
>>799 100年前の中国なら最高権力者は見ただけで目が潰れると言われた存在だよ
日本でも150年余り前までは一地方の弱小藩大名でもそう
だから一百姓どころか名代が直訴する時は磔獄門覚悟だし、家老格ですら陰腹覚悟
どんだけ暗黒自虐日本史観で妄想ローマに夢見てんだよw
頭がお花畑過ぎ
これが日教組教育か
ペクチョンは人類を代表するクズだから
>>806 いくら史料が残っていないからって、自分のイメージを根拠に
〜ってことでいいのかな?ってw
811 :
世界@名無史さん:2011/11/20(日) 19:37:48.90 0
>>806 君、町人や有力農民の間で武士としての株が売り買いされてたとか知らないでしょ。
あと、江戸中期以降は切腹といっても扇子や木刀で形だけを取っていたこととか。
アントニウスって最期は負けちゃったけど。この人の生き様って男としては最高だよね。
いい女抱きまくって、酒飲みまくって、指揮官として好きなだけ戦争しまくって。
晩年は穀物地帯と東方からの交易品が溢れる一番おいしい東方属州アレクサンドリアで
アレクサンドロス所縁の高貴なクレオパトラとやりまくりで楽しく過ごす
アウグストゥスの称号なんか貰えなくても悔いはなかろうな
オクタウィアヌスの人生とアントニウスの人生どっちか選べるなら、
迷わずアントニウスのほうを選ぶ
>>812 その頃、アウグストゥスの称号なんか、存在しないよ。
残念だけど。
まぁ、アウグストゥスは勝利者だけど、最高権力者としての責任を背負いながらの一生だったからね。
アントニーみたいな人生の方が良いかも。歴史に悪名残したわけじゃないし。
オクタウィアヌスとアントニウスの管轄境界線って、
後のホノリウスとアルカディウスの東西分割とほぼ
同じなんだよね。ローマ帝国が最初から東西ふたつ
だったかもしれないわけだよね。
アントニウスはローマじゃなくてクレオパトラ(プトレマイオス朝エジプト)の操り人形だけどな。
スレ違いですまんが、ばっちゃの本に感化されたせいか昨今のTPPなんかはキリスト教みたいに思える
参加して開国する流れには逆らえないけど国の本質というのは変わっていくんじゃないだろうか
別に流れ()なんてないよ、そんなもんマスコミが作り上げた幻想
歴史を重視するならWWTのブロック経済圏の流れを思い出すべきだろう
どの道日本が参入しないTPPなんざ腰砕けで終わる
ペルガモンとかユダヤなどローマの属国が、
ローマの属州になっていく感じかな。
大東亜戦争=ミトリダテス戦争かな。
カエサルは天才
暗殺されなければとっくに地球を統一してたな
そもそもPPTに参加して、はたして米や野菜の値段が下がるのか? と疑問。
下がるわけない、作る側のコストが競争で下がるようにもっていけない、農家廃業するだけ
そもそも農家はどうなるんだ、消費者だけいい目すりゃいいってか?
そんで自給率ごっそり下がった頃に足元見られて輸入食料値上げされたら一巻のオシマイ
モンサントみたいな巨大資本が生き残って自営農民が農奴のごとく零落するんじゃない?
仮に数世紀を経て、全て農業が大資本傘下で工業化商業化されれば
農奴が許容されるとは思えないけど、機械化と情報技術管理が進んで
失業者になるか奴隷になるかでしょ
日本の農家の現状わかって言ってるの?
農業就業人口の平均年齢は毎年上がり続けて今や65.8歳
新規就農者6.7万人のうち、39歳以下はたった1.7%
昔ながらの家族型経営じゃ時代に追いつけなくて、研修生という名の奴隷を使わざるをえなくなって外国から非難される始末
もうとっくに崩壊見えてるよ、古代中世近代の人口のほとんどが農業従事者だった頃からすれば、ありえない話だな
間違えた
>新規就農者6.7万人のうち、39歳以下はたった1.7%
→新規就農者6.7万人のうち、39歳以下はたった1.5万人
いや、そういう意味じゃなくて。果たして入ってくる外国の米や野菜が本当に安くなるのか?って意味。
円高になっても輸入品は一切安くならないんだから。
では輸入品の物価高と低金利のスタグフレーションに陥ると。
その場合物価高は国の戦略ではなく各企業の個々の思惑により為されるように思われる
要因は様々だが、ローマ世界の終焉は北方の寒冷化がデカイ。初期〜中期のゲルマン民族との防衛戦も気候と戦っていた感がある。
農民なんて古代エジプト時代から虐げられる存在なんだから仕方ないだろ。
ローマ時代だって兵士に農作業やらせた所為で暗殺された皇帝もいるのに。
神の子に治められる典型的なオリエントのエジプトと
王制廃して古くからの市民社会であるローマと比べてどうする
ローマを市民社会と表現するのは、あまりにも誤解を招くと思う
古代の基幹産業が第一次産業だのに農民がってなんという江戸時代史観?
古代社会は農民に支配されていたのか、斬新な史観だ。
コロヌスなんか明らかに社会的な地位は低そうだが。
なんで農民が支配と飛躍したんだ?w
>>830 共和制時代のローマ兵はイタリア農民だけど、
プロブス帝の頃のローマ兵は牧畜民出身者が
多いから農作業に不慣れだっただろうね。
当時牧畜民だったのはゲルマニア、イフリキア、パンノニア
あとどこよ
トラキアとかアルメニア
どう見ても今西欧に住んでる人種とは別物だな
地中海沿岸にはわりと居そうじゃね?
南イタリアやシチリアなんかにごろごろ居そうな顔だけどな。ローマ人
語るなら思想や行動様式、アイデンティティーだろう。人種で語るのは
不毛。
教えて頂けますか?
ネロの巨像は、コロッセオの横にあったようですが、その後何処に行っちゃったんですか?
西欧と南欧は別とでも言いたいのか?
ギリシャは西欧に入らないが、イタリア・スペイン・ポルトガルは入るぞ。
848 :
世界@名無史さん:2011/11/23(水) 09:35:49.60 0
「がんばろう日本」は どこに行った?
塩野 七生(作家・在イタリア)
一年ぶりに帰国した日本で、日本人の残酷さに直面して愕然としている。世に言う「風評被害」
である。
都五山送り火をめぐつての一騒動。
愛知県日進市で起った花火をめぐる騒ぎ。
大阪府河内長野市の、橋桁をめぐる騒動。
福島県産というだけでの、食品への拒絶現象。
これらは日本のメディアさえも問題視した例で、これ以外にも表面に出てこない
ヒステリー現象は数知れず存在するにちがいない。しかもそのほとんどは感情的なものに
すぎず、単なる思いこみだけで日本人が同じ日本人に対して拒絶反応を起しているのだから、
卑劣な振舞いと言うしかないのである。
各地で起っている放射能騒ぎに至っては、醜悪以外の何ものでもない。このような母親を
見ながら子供は健全に育つと思っているのだろうか。
『文藝春秋』十二月号のP.92・93
>>848 全く同感だよ、地震や放射線問題もだけど農作物一つに対する傲慢さがひどい
こちとら飢えを知らない世代だけど、忘れたかのような上の世代の傲慢さは恐ろしいばかりだ
福島原発のせいで東北の地震が人ごとじゃなくなると、助け合いの精神から面倒ごと押し付けんなと変わってるから醜いもんだよ
歴史をネタにした大衆向け読み物に耽溺し過ぎて、現在が見えておられないようですな。
まあ、大義名分とプロパガンダに唆されて集団自殺行為に走った、無数の民衆と社会・文明の惨禍を
自らと大切な人々を素材として追体験し費消するという、変態的なご趣味がおありなのでしょうな。
ネロ帝のように迷惑ですわい。
852 :
世界@名無史さん:2011/11/23(水) 11:38:48.76 0
>>850みたいなまともな奴も一応この板にいるんだな
大多数は
>>849みたいななんのために歴史を学んでるのかわからんような連中だが
日本語が不自由なのか、目がご不自由なのか、いずれにせよお気の毒に存じますよ。
853は851宛ね。歴史を鑑とすることが大切だとおもうのだが、しおみん、老いたな。
>>850 意味わかんね。むしろ、無理やりこじつけてるお前が愚か。
塩野七生△
>>848 その残酷さの原因は国民のせいじゃなくて腐った官僚組織のせいだと思うけどな。
政府と官僚そして東電が事故時に事実を伝えず後だし情報に終始したあげく「ただちに・・・」なんてあいまいな発言を連発したせいで
国民は何が危険で何は安全なのかわからない状態になって、結果原発含め福島のものすべてを拒否って状態になった。
日本の官僚と政治家は自身の保身と責任逃れに終始して国民の安全なんかこれっぽっちも気にしない腐敗組織の典型例。
>>858 官僚組織ってのは自己肥大と保身はするけど、オーダーが間違ってなけりゃ働くものよ?
その点では日本の霞ヶ関は世界一と言ってもいい
危機を正しく伝えないマスゴミと指導力を発揮出来ない与党政治家の責任だよ
災害危機に対しては官庁が能動的に出来ることは限られてるってば
政治家が無能でも国が回ってるのは超有能な官僚のおかげだけどな
この点、皇帝がアホでも一応国が運営できた元首政ローマと似ているかもしれない
勿論自己保身や権益保護にやっきになることが欠点だが、中南米とか中国と比べれば国民が糾弾すれば改善させられるから大分いい
その手法は問題あるけどな、外圧利用したり自給率始め危機感煽って補助金引き出すとかもう少し手段選べと思うこと多々
バブル崩壊全く無為無策だったり、土地売買に関する法が悪法になったり、
却って外圧が国を傾けたり、冷戦後ゆえに自給率問題がマジになってきて危機感に新鮮味が無くなっちゃったりとか
海外研修という名のご乱行や途中退職のキャリア付け組なんぞアホが増えてきてるし
ここローマスレな。現代史語りたいなら別スレ行ってくれ。
863 :
世界@名無史さん:2011/11/23(水) 15:58:09.24 0
>>848 もう死んだ方がいいな
ただの空想小説家が分を弁えず何の知識も無く感情論のみで
政治に対して御高説垂れるとか屑老害以外の何物でもない
もうババアは死ぬべき、晩節を汚し過ぎ
塩野七生正論すぎw
アンチの俺でも何も言い返せないw
しおのんは結局、良くも悪くも、『終わりなき日常』のなかで大衆に知的遊園地を提供する、ふつうの物書き屋さんだったのだよ…
思想家ではなく、悪人でもなく、まして古代ローマの賢人ではない。文筆の才はあるが。終わりなき日常は、3.11で永久に失われたのだ。
カエサルを研究しても、塩のん本人が直面する現実世界の難局については、その認識を全力で拒否するより他に道を知らない。
ふぅ〜orz
七生はよくわかってるね
踊らされる愚民だらけだからな
今の民衆は
ID出ないところで何言おうが信用されるかよ
どうしても証明したきゃフシアナさんやるかsageるのやめればおk
ところで、やっぱりポンペイの生き残りは差別されたりしたわけか?
福島と比較したいんじゃね?
ポンペイは疫病で壊滅したのか、知らなかった
福島で疫病が流行してるのか、知らなかった。
874 :
世界@名無史さん:2011/11/23(水) 22:47:56.02 0
>>841 現代のアングロサクソンや某ユダ金を遥かに上回るほど、もっともっと狡猾で頭のいい民族だったのかな?アングロサクソンより狡猾な民族ってちょっと想像も付かないよね。
でも、実際に彼ら白人やユダヤ人を奴隷にしたり貢ぎものさせてたりしてたんだからすげーよなー
白人に比べて20cm以上小柄だったらしいけど最先端兵器を発明して不利な相手をも蹴散らす老獪さ。
物だけじゃなく建築物・快適な暖房、水道などインフラを作り出す能力、そんな超巨大で世界中の富が集中する大金持ち国家なのにちゃんと一般民衆のことも考える民度・政治
今のアメリカを中心とする強欲無慈悲資本主義の世界よりずっと立派だったよね
そんな超頭脳と民度を誇った完全無欠の民族も、白人と混血して劣化しちゃったせいで
中世1000年間も暗黒時代の黒歴史を作り、新大陸で破壊と殺戮で後世に何も残さない、二度の世界大戦引き起こし、
で、今の極々一部の資本家が世界を好きなように料理する無慈悲な資本主義世界だから・・・
>>848 日本人の島国根性、弱いものいじめの好きさは大昔からだろ。
弱いものいじめ大好き=権力者には絶対服従。だからこそデモも起こさず大人しく
結果「民度が高い(笑)」となる。 良いか悪いかは別にしてそれが日本人の民族性だろ。
今更何を言ってるんですか。
それと、放射能汚染された福島の農作物を日本中にばら撒くことが、何で「がんばろう、日本」ってことになるんですか?
>>875 今現在も夥しい量の放射性物質が撒き散らされている福島の農作物を「ただちに影響は無い」と枝野に言われたら
食いたくなる奴らなんだろ。ほっとけw 一種の宗教だ。
判官びいきって言葉もあるのに
弱いものいじめ大好き国民ってことになっちゃってるのかー
どっちにしろ、日本の放射能汚染はもう取り返し付かないんだけどな。
あっちこっちから放射性セシウムが検出されてるんだ。
農作物拒絶しようが花火拒絶しようが薪を拒絶しようが。
しかし、この現実を隠蔽し続けられる日本政府の情報統制力は異常。
国防に関わる軍事機密は垂れ流しの癖に。
東電は官僚天下り先の超お得意様だからな、そりゃOBもいるしなかなか手が出せんわ
何故自分が知っているのに隠蔽し続けていると思っちゃうのか
ネットde真実っすか
>>877 判官贔屓って、悲劇のヒーロー可哀想って意味だろ。
そんなのどこの国にでもあるだろ、アホか。
>>880 国内の大手メディアが報道してないのは事実だけどね
ヤバ気な情報はいつも何故かドイツやアメリカメディアっていうw
しかも数週間数か月して東電や保安院も同じ発表するという
>>881 頼むから脊髄反射する前に国語辞典くらいは調べてね
>>883 今どういう意味で使われてるかってことだろ。アホか。
そんなことより、判官贔屓って言葉があるんだから弱いものいじめは無い
というのは甚だ無理がある。
まぁ、日本人は弱いもの虐め好きだわな。
好きっていうか、虐めないと村八分ってお国柄なんだよね。 島国ってみんなそうなのかな。
両班知らないのか
歴代朝鮮王朝の収奪の酷さは世界屈指だよ
>>881 シナだと岳飛、フランスならジャンヌダルクか?
ポーランドで、ナポレオンの頃の貴族の将軍が該当するかな?
あとは思いつかないな。
>>874 日本ユダヤ同祖説やキリスト日本渡来説wがあるけど、
ローマ人が日本に来た可能性だってあるんじゃないかとおもう。
ペルシャにつかまったローマ軍団が各地でインフラやらされたという
シベリア抑留にだぶる故事があるけど、
彼等がローマに帰らずに、日本まで移動してきてたなら面白い。
おいおい、コルブロとか色々いるだろ
>>888 コルブロはたしかに惜しむに足る傑物だけど、
判官贔屓までいくかな?
それでいくなら、自害させられた秦の王子とおつきの将軍とか、
シナだとそういう讒言で無念の死を遂げた人はたくさんいそう。
問題になってるのは、当時も今も惜しまれてるかってことでは。
逆に、ネロが死んでもこっちでは礼拝させてくれってペルシャから言われたのは知ってる。
楠木正成も入るかな?、でもあれは江戸時代の朱子学なんかが盛んになったころからでは。
悲劇的な最後と言えば、アーサー王なんかは入るのかどうか。
890 :
世界@名無史さん:2011/11/24(木) 02:03:42.20 0
もし西が崩壊するよりずっと前に、ローマ人のエンジニアや頭脳層が北米大陸に挙って移住できてたら?
ゲルマン人や匈奴みたいな発展の妨げになるであろう不安要素はなくなるし資源も土地も豊富
恐らくインディアンはローマ人に凹られて奴隷にされるだろうけど、それでも風呂にも入らない味覚感覚が狂ってる残忍な基地外カルトキリスト教の白人に支配されるよりかは
人類にとって恐らく有意義だったろう。
>>845 誰か教えてください。
ネットで調べてもわかりませんでした。
ネロの巨像がまだある可能性ありますか?
>>889 コルブロが非業の死じゃなきゃ他に何が当て嵌まるんだよw
ってくらいピッタリしてるでしょ、コブルロ
スッラやマリウスに粛清された面々も入るか
一方で戦いに赴いて戦死した楠木正成を入れちゃう感覚は全く以て理解不能
それだとポンペイウスもアントニウスもガリア帝国の面々やコンスタンティヌスに粛清されたお歴々も皆含まれないといけない
>>892 いや、だから、俺が問題にしているのは、
コルブロが惜しむに足る人物であることではなくて、
当時あるいは後世でそこまで熱く語られたかどうかってことだよ。
もしも、そういう文献なり戯曲でもあるなら教えてくれよ。
義経なら、「義経記」もあるし、牛若丸弁慶の逸話もある。
正成にも、「太平記」があるし、江戸期から忠孝の鑑として祀り上げられた経緯がある。
不文にもそういう英雄譚っぽいのをコルブロについて聞いたことは無いね。
>>893 判官贔屓と関係無いじゃん
コルブロの英雄譚は
>>893が聞いたこと無いだけだろ、当時のローマでは巷間に広まっていたに違いない
スティリコも忘れんな
>>894 そうかなー、関係あるかどうかはともかく、
皇帝から自決を命じられるようなやつの英雄譚じゃ、
反逆罪になりかねないから怖くて話題に出来ないだろ。
ネロの死後なら話題に出来たかも知れんが、そういうのも聞かんし。
ローマは滅びローマ語も途絶えたからな
スティリコは指揮下の蛮族からは崇められてたんだろうけど
ローマ人からはあまりよく思われて無さそうなイメージがある。
彼自身はどういう思惑かは知らんがローマの為に奮闘したのは間違いないだろうけどね。
アエティウスと違って、自身の右手を切り落とした云々みたいなエピソード無いし。
899 :
世界@名無史さん:2011/11/25(金) 00:55:12.57 0
白人が有色人種にコンプレックスを抱えて心から崇拝して媚びてた時代か…
>>899 つまり、阿部寛がローマ人を演じるのは正しいとw
901 :
世界@名無史さん:2011/11/25(金) 11:34:21.63 0
古代ローマの武器とか戦術(グラディウスとスクトゥムの無駄のない連携と最小限のフォームで急所狙って仕留める)見てると、
すげー洗練されて合理的なんだけど、身体能力ではどうしてもゲルマン白人には敵わなかったのかな?(今のワールドカップや格闘技で黄色人種がどうしても白人に及ばないように)
ローマ人にとってはゲルマン人はゴリラだったかも知れないけど、傭兵として雇って武器と戦術を教え込んだら当然ローマ人以上の戦闘力を見せて
それが何百年も続いて知恵も力も身につけてしまったらそいつらが手に負えなくなってしまったと。
>>901 蛮族が手強くなったのは別にローマの影響ではなかろ、フン族との接触なんかはそこまで昔からじゃなかったし
数は劣れどローマ得意の会戦形式で勝てないほどローマ軍団の質量が低下した方が大きい、
その原因は財政難と上流階級の社会的意識など質の低下
2chを見ろよ、偉そうな事をドヤ顔で書き込んでる奴に限って
徴兵という言葉に拒絶反応を示す。
当時のローマ市民だって兵役なんて出来れば行きたくないものだったはずさ。
>>901 >>903 ローマのあの戦闘スタイルは、どう考えても鈍重な上に損害も多数見込めるから。
どうして、弓兵隊に鞍替えしなかったのかねぇ。
日本の足軽スタイルのほうが野戦混戦に強い気がする。
>>904 重装歩兵の意味分かってるか?当時の矢なら飛んできても密集隊形と盾で防げる
そんな図解なんかしょっちゅう見られるだろ
906 :
世界@名無史さん:2011/11/25(金) 13:37:01.76 O
身体能力と一口に言っても、いろんな能力があると俺は思うんだが、ゲルマン人やガリア人は体格に優れている分突進力では平均的ローマ人を上回っていたと思う。
ただ持久力ではローマ人が上ではなかったかと。
で、規律や戦術や精神的持久力などなどまで含めてしまうとローマ人が総体的には上回ると。
確実に身体能力じゃないなw
>>905 平野部で戦うことの多い黎明期・勃興期ならそれでよかったとおもうんだけどね。
安定期を過ぎると、重装備で戦うのをローマ市民が嫌がって、兵役に就かずに、
従属民に戦いを任せちゃったようなところがあるとおもう。
でも、弓とか強力なバリスタをつかう部隊とかなら、
遠距離攻撃な分、損害が少なそうな兵科だから、
贅沢で惰弱化したローマ市民でも、金と暇だけはあるだろうから、
訓練も出来て参戦しやすくなったんじゃないかなと思うわけだが。
それに、重装備を生かせる密集隊形を取れる地形でいつも戦えるわけじゃないし。
戦術能力も大事だけど、宿営地ごとに陣地構築したり糧食確保したり
他民族や他国を組み込んで指揮下に入れるロジステイックや外交力も重要
だな。
910 :
世界@名無史さん:2011/11/25(金) 19:54:45.03 O
そもそも戦争に必要な体力とは、一にも二にも持久力。
近代以前ならば体格がでかいと威嚇効果もでかいし良いことはたくさんあるが、まずは歩き続ける体力、時には走り続ける体力がないと話にならない。
兵士に必要な体力は格闘家よりむしろ登山家に近い。
俺は持久力も身体能力の要素だと思っているけど、身体能力は瞬発力と言う人もいるから、体力という言葉に置き換えた。
とはいえ、大柄で野蛮な蛮族と戦うのは相当な恐怖心があったらしい、特にゲルマン人は古参ですらビビってたときもある
ガリア戦記一年目のゲルマンの王のアリオウィストスと戦うことになったときに、その恐慌状態が述べられている
ガリア人にゲルマン人の噂(信じられないほど巨大な体躯を持っている、戦場では外見や眼光の鋭さだけでもう直視できない、など)を聞くと
『たちまちローマの全軍隊は、猛烈な臆病風に吹かれ、ついに全員の精神や士気が、異常なまでに混乱してしまう。
この現象が最初に見られたのは、副官や援軍隊長や、その他カエサルの愛顧を目的に、ローマから随いてきていた、戦争経験の浅い者たちの間であった。
その中の幾人かは、めいめい違った口実をあげ、どのような急用で出発せなばならなくなったかを訴え、カエサルの承諾を得て、ローマへ旅立ちたいと乞うた。
ある者は羞恥心にかられ、臆病者との疑いを避けるため、踏みとどまっていた。
そのうち、彼らをとうとう体裁を繕ろうことも、不安の涙を抑えることもできなくなった。
天幕の中に隠れて、ある者は自分の運命を嘆き、ある者は友人と一緒に、共通の危険を慰めあった。
全陣営のそこかしこで、遺言書に署名し封印する光景が見られた。
この者らの話や恐怖心から、戦争経験の長い上官や、兵卒や百人隊長、騎兵隊長まで、次々と気持ちを乱されていった。』
----------ガリア戦記より
この後従軍拒否をほのめかす者まで出るのだが、カエサルが演説で勇気を奮い立たせて士気を上げる
カエサル「おまえら頑張れよ、気合いだ、気合。元気があればなんでも出来る。」
913 :
世界@名無史さん:2011/11/25(金) 20:21:24.81 O
まあ、でかけりゃ怖いよな普通はw
しかも戦う前にゲルマン人の武勇伝をあれこれ聞いたらなおさら・・・。
カエサルが勇気づける場面を映画で見たいなw
その見た目のでかさを補うためにローマ軍の兜には飾りがついてんだけどな
それだけで敵からの身体的な侮蔑は軽減される
915 :
世界@名無史さん:2011/11/25(金) 20:35:46.97 0
人間の男にとって一番サイズ的にバランスがいいのは175cmぐらいかな。ビジュアル面抜きでね。
これ以上デカいと摂取カロリーも高くなって食料のコストも掛かるし病気になりやすいし機敏な動きもチビに比べて劣る。
175cmなら現代の成人男性で白人黒人ラテン人黄色人種全人類ひっくるめてもチビではないし。
孫悟空も175cmだったしね。あれぐらいが何かとバランスがいいのだろう
孫悟空wwww
漫画なんかと比べんなアホ
あんなもんバランスも糞もねぇだろ
飛んだりしてんだからよ
やっぱカエサルは偉大だね
七生の言うとおり
やっぱカエサルは偉大だね、それに引き替え塩婆は晩節を汚しまくり
またいつもの塩婆アンチか
>>911 ていうか、ローマ兵もたいがい繊細だなw いや、笑い事じゃないんだけど
兵士たちはギリシャ神話のサイクロプスの大軍と立ち向かうくらいの恐怖だったのか
日露戦争でロシアは巨兵と日本軍は恐れていたが実際には貴族出身の将校がでかいだけで農民出身の一般兵はそれほどでかくなかった。
海の方は水兵の体格より船の武装の時代になっていたし、陸も銃器がものをいう時代になっていたのにそれでもそういう風評があった。
922 :
世界@名無史さん:2011/11/25(金) 22:27:24.58 0
これから宇宙進出や人口爆発の問題でも食糧難が起きるので、より小柄なほうが余計なカロリーも必要なく宇宙船でのスペースも取らない(宇宙食でも大柄な人より節約できる)ので優れている
人類って黒人→白人→黄色人種と進化していったらしいけど、これって案外ほんとかも。チビだとヴィジュアルではカッコ悪くて身体能力でも劣ってもそれを補う頭脳で圧倒できるのは
古代ローマ人(当時の平均身長150cmは、現代でいう170cmぐらいか)が証明している。驕らずにやっていけばだがな、残念ながらローマ人も日本人も平和ボケで驕って怠慢になり衰退したが…
924 :
世界@名無史さん:2011/11/25(金) 23:03:42.46 O
ローマから離れてしまうが・・・
身体能力って言葉は個人的にはサッカー絡みでよく聞くんだが、結局なんだかよく分からない言葉だよな。
サッカーではアフリカ系の選手を指して言う場合が多いらしいな。
>>921 確かに後から見れば日露戦争がWWTの前哨戦といわれるぐらい近代火器がものをいう時代に入ってたが
それまでは銃の性能的にもまだまだ白兵戦が重要だったりしてたのよね
>>924 瞬発力と筋力とバランスとスピードと俊敏性と持久力、全部引っ括めてフィジカルだろw
927 :
世界@名無史さん:2011/11/26(土) 00:29:28.26 O
身体能力と言った場合、幾つかの要素を含む総合的な意味を込める人と、あくまでパワー系の瞬発力とスピードを指す人がいるらしい。
自分は前者だが、違う板で否定されたことがある。
結局、今のところ身体能力という言葉は多分にイメージの占める部分が大きい
>>924 >>926 いちおう海外サッカーオタだが、日本人が不足しているという文脈では瞬発力と筋力を指すのに使われる場合が多い。
現象面で顕著に現れるのは、シュートの強さ、ボディコンタクト時の耐久力、ゴール前でのヘディングの競合い力など。
実際のゲームでそれがないと不利になるが、要所(3名程)に同等の能力を持つ者を抱えれば、組織力でカバーは可能。
他方、小柄なことで俊敏性という点では有利な面もあり、組織力向上に寄与する。持久力は体格とは無関係という感じだ。
929 :
世界@名無史さん:2011/11/26(土) 01:00:12.29 0
>>841みたいな純粋なローマ人の人口は帝国末期にはどれぐらい残ってたの?もうゲルマン人と混血しまくってて居なくなってた?
人口8000万の内、属州民の割合はどれぐらいだったの?末期にはローマ人の出生率が下がりまくってたらしいけど、個体数が少なくなってるところに蛮族が傾れ込んで来て
数で圧倒され混血化しちゃったから今のヨーロッパは金髪青目色白の白人(金髪じゃなくても色白碧眼)ばっかになっちゃったのかな?
どっかに時代別の人口分布図ないかな
もともとローマ人やラテン人はイタリア半島内でも少数派
間違いなくケルト人やギリシャ人よりも圧倒的に少数民族
つうか皆ローマ化した、イタリアならマグナ・グラエキアの一部のギリシャ人以外ローマ人になった
例えばかつて一大勢力を誇ったエトルリア人も、共和制末期には歴史研究家の書物でしか現れなくなっていた
北イタリアのガリア人はカエサルの時代のキサルピナではすでに「ガリア・トガタ(トーガをまとうガリア)」になって、オクタウィアヌス期にはイタリア本土に編入される
イタリアはローマ化したが、ガリアはローマ化はしても同化はされず
東側は文明度の違いからローマ化もしなかった
934 :
世界@名無史さん:2011/11/26(土) 02:04:11.96 O
ガリアじゃ、ローマ系住民が6世紀にはゲルマン名を付けるのが流行。
カロリング初期までは、俗ラテン語とフランク語が公用語として話されてたよ。
10世紀のローマ市人口は約5千人。
>>932 929はローマ化した異民族の事ではなく純粋なローマ人について質問している
純粋なローマ人の定義が解らんと何とも言えんだろ
王政ローマの頃の子孫か、共和政ローマの頃のローマ市民権者の子孫か
圧倒的多数が縄文弥生ハイブリッドの日本人に「純粋な日本人」とは?って質問しているようなもの
血統として一般でイメージする2000年以上前のイタリア半島中部の特徴を持つ人の割合ってことでしょ?
その「純粋な」ローマ人ですら民族移動で混交を繰り返しながらイタリア中部に土着したグループ
そこから更にその以前から遺伝的に枝分かれしていた先住や海洋植民の末裔などと混交した民族を指すんだろう
その遺伝的特徴を強く持つ者同士の混交を維持することは、領土を拡大すればするほど困難になる
末期ローマ帝国で政治的な意味で問題になる「ゲルマン系」だが、よく「この頃の西
ローマ帝国ではゲルマン人名が見られなくなる」と言われるけど、ここで質問。
現代であれば、俺にも、これはドイツ系の名前だとかラテン系の名前だとかの大雑把
な識別はできる。
ただ、アイルランド系とか、より細かな識別はできない。これは、語学的な知識とい
うよりも、より広く文化的な知識が欠けているからだと思う。
で、ゲルマン人名であるとの識別は、どんな感じなんだろう?
例えば、スティリコという名前がゲルマン系である、というのがピンこない。
ラテン語やゲルマン語(?)の知識、特に後者に関しては全く無知なので、わからな
いのが当たり前なんだろうけど。
-ius系がローマ人、それ以外がゲルマン系と思うけど、
これは詳しい人の説明希望
ローマ史学べば人種論なんて不毛の限りと気づきそうなもんだが。
>>939 ありがと。
でも、もうちょっとなんだよなぁ。
そのあたりが基本ということはわかるんだが、例えばカエサルはどう?
>>932 >つうか皆ローマ化した、イタリアならマグナ・グラエキアの一部のギリシャ人以外ローマ人になった
その割りには忠誠心の欠片もなく惜しみなく帝国を滅ぼしちゃったんだね>ゲルマン
943 :
世界@名無史さん:2011/11/26(土) 11:08:56.64 0
ローマは男性だとイウスがほとんど。
女性は、社会的地位が低いこともあり親父さんや夫の名前を元にウィア、ティアの
名前をつけていたはず(例ヴァレリウス→ヴァレリア)
古ゲルマンはウィン、リク、リックなどが(例エクスウィン)
女性は-アダ、レイド、ルダとか(例ヒルダ、アデレイド)
ケルト系スコット族だと、苗字にマク、ミクがつく(例マクドナルド)
〜の息子って意味で。
ケルト系ブリトン族だと、オーウェン、コナンとかo'で表示できる名前や
グリフィス、グワルフマイなど。
またローマ系からコンスタン。
女性ならグウェンなど。
ノルド系だとソン、ドッティル(女性)。これも〜の息子、娘って意味。
(例エリクソン)
アイスランドではこの慣習を今も使ってる。
>>942 オドアケルやテオドリックは一応ローマの外に居たし。んでゼノン帝の代理を
名乗って元老院保持するし。まあそうしないと支配出来なかったんじゃない?
>>943 うーん、このスレは素晴らしい。
ありがとう。
こういった知識は、どうしても地道な積み重ねが必要だと思うけど、俺みたいなド素
人にもアクセスしやすような資料(?)は、ないでしょうか?
近くに研究者がいれば聞くことができるんだけどなぁ。
どうも、このあたりのことが気になって気になって。
>>945 とりあえず発狂する奴はいるけど無視して「ローマ人の物語」をオススメ
>>942 ゲルマンはまだローマ化してなかったし、ゲルマン人自体侵入というより当初は移住・ローマへの編入目的
多くのゲルマン人が帝国に移住して、帝国のために他のゲルマン人と戦っていた
>>946 いや、読んでるんだよ。
他にも多少は、それなりに。
ただなぁ、古代史に関する基礎がないからね。
ちょっと踏み込んだ疑問を持つと、すぐに壁が、というわけ。
>>948 学者関係では一応長谷川 博隆氏の著書抑えとくのがいいと思う、というか他がクソ過ぎる
これならロマ物の方が断然上だというようなひどい本が多いんだよ、暗黒ローマ史観の
951 :
世界@名無史さん:2011/11/26(土) 13:59:14.31 0
70年代に講談社から出てた「世界の歴史」シリーズは、
当時としてはよくできたシリーズだったと思うけど、
ローマ時代を扱った弓削達の「永遠のローマ」は時系列無視のエッセイ調で、
予備知識のないものにはチンプンカンプンだった。
あれでローマ史が嫌いになった。
弓削も暗黒史観かな
953 :
世界@名無史さん:2011/11/26(土) 14:06:53.52 0
通史なのに、通史のスタイル無視したエッセイ集みたいな本だったけど、
当時のローマの上流階級のライフスタイルを批判的に書いてたな。
954 :
943:2011/11/26(土) 14:23:06.72 0
>>942 ゲルマン族はローマを滅ぼすために進入したのではないよ。
彼らの多くは軍司令官(マギステル・ミリトゥム)の位を求めていた。
軍司令官(マギステル・ミリトゥム)はいわば小王で自治州のトップ。
つまりローマという文化圏の中で、一族の勢力を維持したかったの。
現実としてローマ帝国は、ひっそりと消滅したに等しい。
滅ぶ数世紀から内戦などで荒廃していたため、各地域が独立して行政を
行っていたから、おそらく最後の皇帝が滅んだことも気付いていない。
滅んだ後も、各地域のセナトール貴族らの手で行政システムが
継続しており、ゲルマン系が支配した後も継承されてる。
>>945 本としては岩波文庫あたりとかなー。結構ローマや中世初期(ポストローマ期)
とかが紹介されてるのがあるんだ。古いのは、廃刊になってるのが残念だけど。
あと簡単なら中公文庫の世界の歴史シリーズとか。
僕は、海外の文献とかも参照にしてるよ。
>>954 最後の皇帝っても詐称な上、その後ゼノンもオドアケルにユリウス・ネポスを尊重するように言ってるし
そもそも東ローマが残ってる
だからローマ帝国がひっそり消滅したわけではない、5世紀当時の人間は滅亡したと言う意識は間違いなくない
956 :
世界@名無史さん:2011/11/26(土) 14:39:30.35 0
シアグリウスの国ってのは、あの部分だけ西ローマ帝国が存続してたと解釈していいの?
>>955 オドアケルがイタリア王国を建国したとき、住民は東ローマ領へちゃんと逃げたの?
それとも今の放射能汚染の日本みたいに富裕層だけが海外へ逃げたみたいに貧困層はゲルマン化させられたの?
なんでもその当時ローマでは歴代皇帝の墓まで荒らされたらしいけど
弓削は自分も一冊持ってるけどひどいよなあ
ロマ物読んだ後に「ローマはなぜ滅んだか」読むと失笑しか沸いてこない
959 :
943:2011/11/26(土) 15:10:28.98 0
>>955 ああ悪いね。西ローマって書くの忘れたよ。
>>956 ネポス帝の名前で硬貨を発行してるし、ゲルマン系からは「ローマ人の王」
と呼ばれていたから、そう解釈しても良いかも。
彼の父はマギステル・ミリトゥムと同時に、フランク人の族長でもあったね。
クローヴィスの親父さんが族長として戻ったあとも、その地位は剥奪されてない。
クローヴィスがシアグリウスの本拠地ソワソンを攻めたのは、彼が持つフランク人従士団や
行政局、造幣局などを奪うことでガリア支配を一挙に手に入れれるから。
シアグリウス亡き後も子孫はフランク王国に仕え、6世紀には外交官のような
職にもついていた。8世紀までは名前が見られるね。
本当にローマが滅んだのは
1453年(ここで東ローマ滅亡)
1806年(神聖ローマ滅亡)
1923年(ローマの継承帝国露土独墺が全て滅亡)
1945年(ローマ復興を唱えたムッソリーニ死亡)
のどれなんだろう?
961 :
世界@名無史さん:2011/11/26(土) 15:16:10.35 0
なんで普通に時系列どおりに書かないのだろうね。
初心者には、話があっちにとんだり、こっちにとんだりで理解不能。
予備知識がないと読めないような通史ってなんなのよ。
>>957 入ってきたゲルマンなんて少数だし、オドアケルは元老院も存続させてるし、そもそも西ローマは統治機関としてはとっくに崩壊してるし
今更東に逃げる理由もないんじゃね?勿論逃げる金もないだろうが
今富裕層が日本国外に脱出してるの?初耳だわ
963 :
世界@名無史さん:2011/11/26(土) 15:17:13.10 0
>>960 1453年
あとは全部古代ローマからの連続性のない自称
965 :
世界@名無史さん:2011/11/26(土) 15:24:41.62 O
文庫本ローマ人の物語を読み始めて39巻まで来た。
ローマに思い入れなど全くなかったのに。
966 :
世界@名無史さん:2011/11/26(土) 15:30:10.98 0
ただ、今から読み始めるのはしんどいと思う。
ばっちゃと同じように西ローマが滅んだ時点でローマは滅んだのだと思う
>>948ですが、コテをつけてみた。
で、弓削達は面白かったけどなぁ。
確かに「世界の歴史・ローマ帝国とキリスト教」は、時系列に忠実に書いてはないけ
ど、各論・各所で面白さを感じたし、同様に時系列的じゃないけど「永遠のローマ」
も面白かった。
「なぜローマは滅んだか」なんて、しょっぱなから道路や農業・商業の話が出てきて、
面白くなかった?
初学書の俺には、とっても面白かった。
ただし、弓削達の本は、いささか金太郎飴みたいなところがあるけど、それはまあ、
あれだけ書いている人なので、致し方ないかと。
969 :
世界@名無史さん:2011/11/26(土) 15:33:43.60 0
>>963 分かるww
最初??って感じで分からなかった。
>>964 だね。
カール大帝の「ローマ帝国」から自称だったから。
当時の法王も東ローマからのクレーム対応として「コンスタンティヌス大帝の寄進状」
って偽造文書まで作っちゃったからね。
>>968 同じローマ街道についてでも、ローマ人の物語10巻がインフラオンリー本になっててこっちのがはるかに上だわ、
街道の図解(初版はミスってるけど)、瀬戸大橋との比較など理系の視点も強い
弓削のはせいぜい15ページで街道語ってるけどそのインフラの意味やローマの意思までは触れてない、
あと別研究者丸呑みにして小麦の水上輸送を過小評価しすぎなのはかなり気になった
971 :
世界@名無史さん:2011/11/26(土) 16:15:40.48 0
ローマ人は肉食の割合が増えてゆくにつれて、戦争に勝てなくなっていった。
>>955 476年よりも546年に起きた事の方が重大だろうね
>>950 暗黒史観じゃなく現代のローマ研究の本流的史観
戦後暫くまでのローマ史観がお花畑だっただけ
>>960 5世紀中頃
ビザンツはローマの皮を被ったギリシャ帝国
>>973 そんなお花畑史観があったことすら初耳だがな
>>962 >、そもそも西ローマは統治機関としてはとっくに崩壊してるし
なんで?
ローマの破壊で一番悲惨だったのはアラリック、ヴァンダル族侵攻、イタリア戦争、第2次大戦のどれ?
546年のローマ陥落に比べればいずれもたいした事ではない
カール五世の方だったメンゴ
ローマ陥落時はそれまで使ってたインフラが復旧不能になるくらい荒らされたからな。
今度は独仏が送り込んだ借金取りがローマを略奪しに行くのかね?
やっぱローマ人のこと憎んでたんじゃん>ゲルマン人
>>974 ねーわw
ユスティニアヌス期とか、まだまだ古代ローマの延長線上だろ
少なくともヘラクレイオス帝までは公用語はラテン語、パンとサーカスも、公衆浴場などの市民生活も維持されていたし
それなのに東へ逃げなかったんだ
>>984 表面的なことはともかく、元老院とローマ市民というSPQRの旗印に相応しい国かったら既にそうじゃないだろう
それを言い出したらディオクレティアヌス帝あたりからとかなるだろうけど、自分は西ローマ滅亡が一つの終焉だと思うぜ
>>986 「元老院とローマ市民」の実質まで求めるなら、3世紀の危機でもうローマ帝国は滅亡だな
それ以降のディオクレティアヌスやコンスタンティヌス、東西分割時代は認めるのに、ユスティニアヌス期は認めないとかおかしな話
>>987 曲形にも発祥の地ローマが支配下にあったか無かったかの違い
コンスタンティノープルがローマからどんだけ離れてるか知ってて言ってるのかね。
そんな簡単に逃げられたら苦労しないし、そもそもそんな簡単に逃げられるなら
ゲルマン人だって簡単にコンスタンティノープルを征服できるわ。
東側は国家として成り立ってたから征服出来ないよ
ゲルマン諸部族からの距離はビザンチオンよりローマの方が遠いし
>>988 発祥の地とは言うが、3世紀からローマにどんな価値があった?
ディオクレティアヌスのテトラルキア以降、イタリアの統治拠点ははミラノに移ってるじゃん
しかも一応ビザンツ期もユスティニアヌスが再征服して、200年ほどは支配下においてるしね
992 :
世界@名無史さん:2011/11/26(土) 23:51:56.03 0
早く次スレ立てろ
そういう機能上の価値と元老院の存在する象徴的価値、加えて当時の世界の首都としての知名度・ブランドとは別だろ
都市国家から始まったローマを失ってのローマ帝国は存在し得ないだろうよ
日本史で言うなら鎌倉時代は鎌倉が首都って言っちゃうようなものかな
単なる精神論じゃん
実質首都機能は三世紀には失っていたし、東西で見ても比重は明らかに東
なら今の西日本、特に京都が外国に奪われたら、日本は滅びたことになるのか?
>>994 史実とは違い仮に満州の方が日本本土より発展していたと仮定して
実質首都機能が満州へ移り日本列島が米族により占領されたら
大日本帝国は滅亡したと言えるだろ
西ローマと東ローマの問題は、古代マケドニアならばセレウコス朝や
プトレマイオス朝はマケドニア王国かという事だよね。
>>995 その場合、首脳が満州に亡命し、大日本帝国を名乗ったら亡命政権として存続したことにならないか
つーか、単純に今日の京都人を見れば分かるだろ。
あいつらは自分達を日本人の中でも特別な存在だと信じて疑ってないぞ。
>>996 東のローマ帝国は支配階級の出自がイタリア出身者で占められていないので
という事ではないかな。
メディア、アケメネス朝、セレウコス朝、アルサケス朝、ササン朝らと同様に
ローマ史も支配民族で分けるべきなのだろうか?
1001 :
1001:
このスレッドは1000を超えました。
もう書けないので、新しいスレッドを立ててくださいです。。。