世界史に於ける秀吉の朝鮮征伐の考察その2

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409世界@名無史さん
立花宗茂の配下として碧蹄館の戦いに参加した
天野源右衛門の文書では、後衛から宇喜多隊八千
が前衛の毛利隊に対抗するためにずんずん前に出て
備えを立てたので毛利勢の先手から『備前勢があんな
に押し出したのは、定めて先陣せんとのつもりでござろう。
貴殿はすでに今朝いざぎよき合戦をとげられたのでござれば
先陣をお譲りくだされ。』との口上があり宗茂が先陣を譲ったとある。
410世界@名無史さん:2011/11/20(日) 16:03:27.76 0
>>409
「天野源右衛門覚書」の該当記事を見てみると

「三陣の備前衆八千ばかり、敵近づかば、立花に先んじて、一戦せんと進み出て見えしが、
敵の大勢なるを見て、引くともなく、進むともなく、ためらいしが、四五町ばかり引き退く」

とあり、宇喜多勢は結局「四五町ばかり引き退」いてしまっており
その後の戦いの場面にも毛利家と立花家しか出てこない
この記事には右方から明軍を攻撃したはずの小早川秀包、毛利元康、筑紫広門らが出てこず
毛利勢の粟屋・井上隊が敗走した後に立花隊が単独で明軍を大破したかのように書いてある
「天野源右衛門覚書」は合戦の当事者が書いたという点では極めて史料価値が高いけれど、
大名家が編纂させた文献ではなく一個人の覚え書きであるため誤解や記憶違いもあるだろうし
立花家を表彰したいがための脚色も多く留意が必要だと思う
411世界@名無史さん:2011/11/20(日) 20:23:14.19 0
怪しげな三次資料あたりの引用をドヤ顔で書き込んでみたら、
すかさず原文挙げて否定されて>>409涙目だな。