食物と酒、嗜好品の歴史@世界史板 52皿目

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952世界@名無史さん:2011/07/02(土) 22:11:44.86 0
そうだよ。
それをガンとして認めない香具師がいるから…
953世界@名無史さん:2011/07/02(土) 22:18:43.07 0
>>949

頭悪いな

だからその帝大ができてから、貧農、貧民が増えたのは
なぜかね
954世界@名無史さん:2011/07/02(土) 22:25:27.95 0
近代化というのは貧農の出現と彼らの都市流入による労働者階級の発生を求める物であるからだ
955世界@名無史さん:2011/07/02(土) 23:57:00.28 P
>938
普段米50%の糧飯なら、米40%にすれば7日に1日は白米の日
つくれるよ。
ハレの日だけしか白米食えないなんて大袈裟としかいいようがない。
一生米の飯をくえず、死に際に竹筒に米を入れて音を聞かせて慰めてた、
なんてのは本当としてもごく限られた地域、期間の話か、明治以降に
つくられたプロパガンダだったということだ。
956世界@名無史さん:2011/07/03(日) 00:07:47.32 0
>>941
俺調べでは成人男子が人力のみで耕す場合で収量が桃山時代なら19石は生産可能

土地の耕せる面積は口分田を準拠だから実際はもっと耕せると思う
957世界@名無史さん:2011/07/03(日) 00:10:10.38 0
>>953
超頭悪いな

それ、帝大と関係ないだろ

原因は地租改正だつーの

IQ20ぐらいだろ?
958世界@名無史さん:2011/07/03(日) 00:13:01.47 0
貧農層が都市部に流入する傾向は江戸時代から既に顕著だっただろ
田畑が一部の大土地所有層に集約されていく現象も江戸時代からだし
959世界@名無史さん:2011/07/03(日) 00:18:39.57 0
土地所有が認められるのは、地租改正以降だな
960世界@名無史さん:2011/07/03(日) 00:19:58.21 0
>>955
そんな計算しないのが水呑百姓。
ていうか、白米なんて食ったら糧飯の糞不味さを実感しちゃうだろ!
美味しいものはたまに食うから美味いの。
毎日食ったらダメダメ。
ヨーロッパの貧農もライ麦パン食ってたが、白パンが普及した途端に不味いと言い出した。
遂には農民の欲求は回り回ってファシズムの台頭を招き、国を動かし、第一次世界大戦に突入。
我慢してライ麦パンだけを食っていたスイスは永世中立国のまま、平和を維持した。
961世界@名無史さん:2011/07/03(日) 00:21:26.53 0
>>941
手を抜くなよw

自力で調べろよ
962世界@名無史さん:2011/07/03(日) 00:22:22.36 0
>>950
ボブってんじゃねーよw
963世界@名無史さん:2011/07/03(日) 00:25:41.94 0
>>938
その雑穀はどうやって調達したのよ?
単位面積あたりの収量は稲が一番大きいんだし、平らで水の利の良い条件の良い農地の大半は
稲に割り当てられているという状況で、どうやって米の何倍も雑穀が得られるんだよ?
964世界@名無史さん:2011/07/03(日) 00:26:45.39 0
>>960
計算は出来なくても、年表ぐらい
見たこと有るだろ
965世界@名無史さん:2011/07/03(日) 00:30:58.60 0
>>959
地租改正前から事実上の土地所有はあっただろ
相続可能で質流れ等で実質的な所有権移転も可能だったんだから
966世界@名無史さん:2011/07/03(日) 01:18:15.19 0
もってかれねえ麦やら雑穀やらが手元に残ってるだけだろ
967世界@名無史さん:2011/07/03(日) 01:33:34.13 0
>>963
農作物の全てが水稲だと思ってる?バーカw
水の引けない土地。それを畑と言います。
そこでは米以外の穀物や野菜や桑を栽培していました。

>>964
農民が歴史の勉強なんてする筈ねーだろ、バーカw

>>965
土地持ってない農民もいたんだよ、バーカw

>>966
それすら持って行かれる場合もあるだろ、バーカw
968世界@名無史さん:2011/07/03(日) 02:10:00.34 0
まあ、苛斂誅求 農民を絞り続けた藩もあるんでなぁ

水戸藩なんか代表格だな、江戸末期にいたるも朝三が続いたそうだ

すべては、黄門さまの歴史書編纂が藩滅亡まで続いたせいだとwwww

969世界@名無史さん:2011/07/03(日) 02:12:31.59 0
薩摩は特にお取立てが厳しくてなぁ…
その苛斂誅求のおかげで、明治維新への原動力が蓄えられたのだが。
970世界@名無史さん:2011/07/03(日) 02:35:30.04 0
奄美の農民は年貢で納める砂糖黍以外の栽培を禁じられて
蘇鉄でんぷんを食ってたそうだな。
鶏も薩摩の役人をもてなすためだけに飼ってたとか⇒鶏飯
971世界@名無史さん:2011/07/03(日) 02:41:30.79 0
せったいも こめはじさんと とりめしや
972世界@名無史さん:2011/07/03(日) 03:51:18.39 0
薩摩の人は貴重な米を目いっぱい食う事を憚って、米を動物の体内に詰めて調理したそうだ。
所謂「えのころ飯」というやつだ。
973世界@名無史さん:2011/07/03(日) 04:00:32.54 P
薩摩は本土の方言自体が他国対策らしいからなぁ
[本土の僻地]→[さらに離島]
こんな感じじゃ直訴や目安箱とか絶望的なんだろうな…
974世界@名無史さん:2011/07/03(日) 05:03:15.73 0
ところで海外にもハムカツってあるの?
975世界@名無史さん:2011/07/03(日) 08:03:59.84 0
>>973
目安箱は幕府がやっていたもので、島津藩はかんけーねーよ。
家中は大君の与るところに非ず(大名の領地経営に幕府は干渉しない)って公言しているんだし。
976世界@名無史さん:2011/07/03(日) 09:34:27.77 0
続日本紀にはむしろ米よりも粟稗栽培を指導してたと書かれてるが
977世界@名無史さん:2011/07/03(日) 13:58:19.92 0

 先日の時事ニュースにあったけど 東北のとある漁村のお祭りで

  ごはん(白飯)、ワカメと貝のすまし汁をたらふく食う。ってのがあった。
  村人が給仕側と給仕される側にわかれて。
  
   給仕される側「もう、食えん。勘弁〜!」
   給仕側「なにいうか!もっと食え!ほらおかわりついだべ。さっさ椀あけるべ!!」

  みたいな光景だとか。

  記者は古くからつたわる大飯食いを競う「奇祭」。なんとも滑稽で村人達は爆笑しながらお祭りはすすんだ。とコメントしていたが、なにが奇妙なんだろう?
  お祭りのときしか白飯は腹一杯くえなかったのだ。
  
   白飯と貝のお澄ましが 年一回のごちそうだったのだ。
 
  この若い?記者にはそういう貧しかった日本の漁村の姿も、もっと食え、もっと食えの哀しみもわからなかったんだろうか。  
 
978世界@名無史さん:2011/07/03(日) 14:12:22.53 0
感想はチラ裏 に書けよ

979世界@名無史さん:2011/07/03(日) 14:16:29.90 0
>>978
いやなやつ。
980世界@名無史さん:2011/07/03(日) 14:24:20.00 0
>>続日本紀にはむしろ米よりも粟稗栽培を指導してたと書かれてるが

飢饉に備えて、ね。
 あくまでも米をつくっていないところでの作付け奨励で 稲作すべき田をそれに振り向けたわけでもなんでもない。
 農民にとっては余分な労作だわな。飢饉に備えた国の倉におさめさせられたわけだし。
 
 どうして考察力が不足するんだろうな。
981世界@名無史さん:2011/07/03(日) 14:29:43.60 O
リスクヘッジなんじゃない? 米が不作でも雑穀なら豊作になる気候なんかもありそうだし。
982世界@名無史さん:2011/07/03(日) 14:29:43.73 0
続日本紀によれば、米の裏作としての麦作も奨励されていた。
しかし庶民は麦を作っても食用にせず、青刈りして馬の飼料として転売していた。
当時は製粉技術が未発達だったため、粉にしなければ食べられない小麦は庶民の手に余った。
そのため、このような事態になったものと思われる。
983世界@名無史さん:2011/07/03(日) 14:34:34.98 0
まったくな、米作不適なとうほぐまでも米作強要してんだから
あほかと

牧畜させときゃよかったのになぁ
984世界@名無史さん:2011/07/03(日) 14:37:39.86 0
>>981
実際、ヒエなんかは冷害で米が全滅してもしっかり実るからな。

南部藩なんかは米で年貢を納めさせるのをやめ、
馬や鉱山資源、工芸品で年貢を納めさせればよかったのだ。
庶民には食用として稗や粟、馬鈴薯を栽培させる。
こうすれば飢饉の常襲地帯にはならなかったのに。
985世界@名無史さん:2011/07/03(日) 14:44:50.30 0
稗は田んぼの雑草なんだぞ。
雑草のほうが強いのはあたりまえだろ!
986世界@名無史さん:2011/07/03(日) 16:01:18.32 0
三日来なかったけどまだ米雑穀の話してんのか
987世界@名無史さん:2011/07/03(日) 16:20:13.30 0
最近の日本は暑すぎて、北東北と北海道以外は稲作不適になりつつあるけどな。特に西日本の米は高温障害で不味くなってきている
いま、北海道は日本一の米どころ。品種改良以上に気候の変化のおかげが大きいんだろう
988世界@名無史さん:2011/07/03(日) 16:29:30.06 0
日本史板から食物スレが無くなって久しいね。
あちらにもあれば少しは役割分担出来るんだけども。
989世界@名無史さん:2011/07/03(日) 16:32:41.04 0
>北東北と北海道以外は稲作不適になりつつあるけどな

原産地や東南アジアで今でも大量生産されてることを考えればさすがにこれはない。
味とか今の寒さ慣れした日本の品種に不適とかはあっても、米の種としては有り得ないおかしな言い方。
990世界@名無史さん:2011/07/03(日) 16:38:19.92 0
今の日本で栽培されてる温帯ジャポニカと東南アジアのインディカは別種でしょ

今の日本の気候ではインディカや熱帯ジャポニカの方が適しているかもな
991世界@名無史さん:2011/07/03(日) 16:44:29.86 0
いや別種じゃないからアホかと
992世界@名無史さん:2011/07/03(日) 16:45:12.96 0
あとジャポニカは別にインドにだってあるから
993世界@名無史さん:2011/07/03(日) 17:18:28.19 P
>975

あのー?『直訴』って意味判ってる?
本来の手続き無視して殿様や将軍とかに直接訴状を出す行為これが直訴。
他藩から直接将軍や幕閣に訴えるのは珍しい事じゃない、違法だけどな。
一揆が頻発したり領民の扱いが悪すぎると行政介入とか最悪お取り潰しとかあるよ。
そういう風な内情暴露が距離的に遠過ぎて『難しかったんじゃね?』って事
994世界@名無史さん:2011/07/03(日) 17:32:23.50 0
卵かけご飯なんてのはまさにご馳走の中のご馳走だったんだろうな
995世界@名無史さん:2011/07/03(日) 18:01:06.69 0
>>994
玉子は売り物であって、口に入る事は無かったんだよ。
そういう昔の人の実情も知っとけな。
996世界@名無史さん:2011/07/03(日) 18:25:47.86 0
玉子を病人の為に買い求めた話とか聞いたなぁ。
つい東京オリピックの手前ぐらいまで玉子は高価だったんだってね。
鶏かってる農家も自分とこで食べられなかったんだろうか?
997世界@名無史さん:2011/07/03(日) 18:28:44.60 0
つか。薩摩藩の領民から江戸幕府に直訴なんかありえないだろ
998世界@名無史さん:2011/07/03(日) 18:38:11.18 0
玉子は藁苞につつんで売り歩いたらしいが、藁苞ってなかなかの防護作用だったらしいね。
今の牛乳パックよりも優れた緩衝剤だったって以前にテレビで検証していたなぁ
999世界@名無史さん:2011/07/03(日) 18:41:11.35 0
>>996
病気になって玉子食べられる人は上級武士か豪商だけ。
庶民なんて死ぬまで食えなかった貴重品。
1000世界@名無史さん:2011/07/03(日) 18:43:24.94 0
さすがに農家は食ってたと思うけどさ。
売れ残りとか割れたのとかあるっしょ。
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