1 :
世界@名無史さん :
2011/05/08(日) 06:31:28.94 0 西洋の中世に活躍した騎士について語るスレです。 十字軍時代から、騎士道が確立し、全身を覆う全身板金鎧によって ほぼ無敵の強さを誇る存在になった16世紀そして17世紀の騎士までが対象で、 それぞれの時代の騎士の平常時の暮らしぶり、騎士階級の子として 生まれた子が騎士になるまでの間の暮らしぶり(どんな訓練を毎日何時間受けたのか)、 そして戦場での活躍、馬上槍試合(トーナメント)の催し物での逸話などを語りましょう。 書き込むときには「どの年代の騎士の話か?」を明確にして貰えると 意思疎通がしやすくなりますのでお願いします。 騎士に対して劣等感を抱く可哀想な者が紛れ込んでるとも限らないので、 できたらソース(参考文献)もあると荒れずに済み、助かります。
2 :
世界@名無史さん :2011/05/08(日) 07:03:33.80 0
フランス革命以前の領主特権には、 狩りの際に農民の腹の中に足を入れて暖を取る特権があったそうな。 まさかと思ったが、BSの「大聖堂」の騎士のヒャッハーぶり見てると、 デタラメとも思えなくなった。
3 :
世界@名無史さん :2011/05/08(日) 16:54:29.08 0
>>2 それって腹をかっ捌いて中に素足を突っ込んだってこと?
腹の中ってそんなに暖かいものなのかだろうし
血や体液や油で足がギトギトで臭くなるかだろうし
普通に口を大きく開けさせて閉じられないようにして
その中に足を突っ込んだ方がよくないかな?
僕なら腹の中か口の中かと問われれば迷わず後者をとるよ。
乗馬しながら棒切れを槍に見立ててカッポカッポしてみたら すごくやりずらかった。槍とか従者に持たせるとしてもクソ重い鎧着て乗馬とかしてたら きっと戦場に行く前に死ねる。
5 :
世界@名無史さん :2011/05/10(火) 21:21:07.26 0
>>4 そういう環境があって羨ましいな。
棒切れ持って練習台に突撃かましてみたい。
騎士様は鎧が正装だったから慣れてたし、鍛え抜かれてたから、そういう行軍ができたんだろうね。
当時は馬に乗って移動するのが当たり前の生活だったから乗馬なんてお手の物ったろうし。
7 :
世界@名無史さん :2011/05/13(金) 23:32:47.20 0
騎士のカッチョイイ戦場でのエピソードを教えてくれ!!
>>2 それ、領主特権があったのではなくて、そういう暴虐な行為をした領主もいたと言う話。
そしてそのような行為を咎められる事が無い身分であるというのが特権。
Joust of peace
10 :
世界@名無史さん :2011/05/14(土) 21:39:19.82 O
Joust a l'outrance
11 :
世界@名無史さん :2011/05/14(土) 22:48:25.17 0
melee type of jousting with no rules and many knights got killed jouste a plaisance (Joust of Peace) type of jousting that was a friendly contest joust a l'outrance (Joust of War) type of jousting, fight to death
なんだよお前ら!日本語で書けよ!
joust(ジャウスト) 騎乗した騎士による一騎討ち、個人戦 joust of peace 穂先・刃を鈍らにして殺傷力を削いだ武具を用いた一騎討ち joust of war 実戦用の武具を用いた一騎討ち tournament(トーナメント) 二手の陣営に分かれて闘う騎馬集団戦、仏語ではmelle(メレ)とも 個々の騎馬戦のみを指す呼称とは限らず、大会全体を意味する 場合もあり(tournoi) 厳密には上記の通りjoustとtournamentは別物らしいが 一般的には区別されずごたまぜで使用されている
トーナメントの方法や手順等については、国や地方によって 相違が多々有り、細かく分類しだすとキリが無い 以下4要素の組み合わせを基に考えれば、理解容易ならしむると思われる @ 個人戦(1vs1) or グループによる集団戦(複数vs複数) A 騎乗 or 徒歩 B 得物・防具が何か C 対戦者が柵等の障害物により隔てられているか否か
15 :
世界@名無史さん :2011/05/15(日) 14:57:10.49 0
16 :
世界@名無史さん :2011/05/15(日) 17:18:14.25 O
トーナメントには王自ら参加することも結構あったらしいね フランス王アンリ2世は、モンモランシー伯との馬上槍試合で受けた傷がもとで死んでるし スコットランド王ジェームズ4世なんかはちょくちょくトーナメントに出ては、試合に敗けて相手に自分の槍を贈る時に 褒美として穂先に金貨のつまった袋をつけておいたとか
17 :
世界@名無史さん :2011/05/15(日) 21:13:35.60 0
18 :
世界@名無史さん :2011/05/16(月) 19:45:59.74 0
ある意味、立場上やむにやまれずジューストしてた中世の騎士より西暦2000年代にジューストしてるこいつらの方が、 金持ちでいい生活してると言える。
ジャウストを題材にした映画あったよね、確かチョーサーとか出てくるやつ まあ観たことは無いんだけど あれって面白いの?
>>19 「A Knight Tale」(邦題:ロックユー)ですね。
面白いよ。
騎士の従者だった主人公が主人の死をきっかけに、身分を偽ってジュウストに参加して…
と言う話。
21 :
世界@名無史さん :2011/05/17(火) 01:20:53.40 0
動画見ると、相手と1回対峙する度に1回木製のランスが折れてるから 決着がつくまで4、5本は消費してるね。 木製ランスの価格は1ついくらなんだろう? それも考えるとかなり裕福でないとジューストを続けることは出来ないだろうね。
長弓にも弩にも軽騎兵にも弱い 動く鉄塊のアレか
23 :
世界@名無史さん :2011/05/17(火) 02:36:36.31 0
劣等感丸出し野郎が湧いたw 長弓w弩w軽騎兵w 騎士の防御力の前では全く相手にならないな。
長弓の矢はプレートアーマーを貫通しないんだぜ。
>>20 へー観てみようかな
しかし原題はまんまでわかりやすいのに、邦題だとなんの映画だかよくわからんな
>>25 序盤に博打好きで身ぐるみ剥がされたチョーカーと出会うんだけど、このチョーカーがまた映画を盛り上げるんだよね。
話のテンポも良くて、お勧めの映画だよ。
訂正 × チョーカー ○ チョーサー スマソ。
トゥルネイの様子を3次元化した映像ってどっかにあるかな どちらかが戦線突破して小休止する時の様子が知りたい
湖のラーンスロットという騎士は、三日間に及ぶジャウストで500人の騎士を倒したんですよね!すごいですね!
戦争における騎士の死因は主に、落馬死。
31 :
世界@名無史さん :2011/05/25(水) 00:47:28.27 0
あんな立派な全身板金鎧で身を固めてるのに 落馬しただけで死ぬわけないだろw
あの鎧、矢とか槍は跳ね返しても落下の衝撃は吸収しそうもない。 重いからむしろ増幅しそう。
そもそも騎士の重装備時代って、「騎士」が時代遅れ感溢れてる頃だしな。 重装備なんて出来る人間も限られまくってるし。
重装備で落馬するともう動けないから、そこを敵にとどめ刺されて終わり
35 :
世界@名無史さん :2011/05/25(水) 14:15:14.15 0
実は騎士の最大の武器は馬そのもの。英仏の騎士が乗っている馬は、 ばんえい競走馬と同じぺルシュロンやブルトン。馬体重1トン。 アラブ馬の馬体重は400kg。体重40kgの中学生と体重100kgの大学生くらい違う。 スイス歩兵みたいに密集して槍ふすまつくったり、ウェールズ弓兵みたいに杭でも打たない限りまず勝てない。 また止まったり歩いている馬に全速力疾走の馬が激突すると遅い方の馬はほとんど即死するらしい。
>>34 海外にはスーツメイルの同好会みたいなのがあって
奴等の話だと結構動けるし、受け身もとれるらしいぞ
貴族は平時から鍛えてるし、落馬=死とは言い切れん
まあモノによるだろうな 全身で50キロもあるようなのを着てたら、さすがに起き上がれないんじゃないか でもエドワード1世なんかは、抜きんでた長身でそのぶん鎧も重かったのに、全身武装で鐙も使わず馬に飛び乗ったらしいけど まあこの頃は鉄板鎧の時代じゃないから、そこまで重くはなかったのかもしれんが
紺地にエッチング金塗りとか、めちゃかぶいて候
>>35 泥濘や上り坂に誘い込んで自滅させるって戦術が流行る訳だ。
>>36 そういう問題ではないでしょ。
普通に落馬しただけでも死ぬ可能性があるのに、
更に重量物を着こんで無理な体勢で落ちるんだから。
頭蓋骨を保護するのにバイクのヘルメットは重要だが、
その代わり首の骨にかかる負担が飛躍的に上昇するのと同じだよ。
また当時の騎士らが受身とか習ってたかは不明だしね。
ちなみに去年も騎馬警官が落馬して頚椎損傷で死んでる。
40 :
世界@名無史さん :2011/05/25(水) 23:48:44.27 0
>>39 馬の背ってそれほど高さあるわけじゃないだろう。
首の骨にかかる負担よりも防具なしで頭部を硬い岩にぶつけて死ぬ確率のほうが高い。
前者で死ぬなんてのはよっぽど無防備な体勢と落下角度で頭から落ちないと難しい。
それこそ普通は少しでも腕を出したり肩から体側で落ちるように反射神経的に防衛体勢をとるだろ。
落ちるのにまかせて身動ぎせずそのまま危険な体勢で落下するやついるのか?目が覚めてて?
>>40 戦闘中の落馬だよ。突き落とされたり、引きずり落とされたり、乗馬を攻撃されてバランスを失ったり。
体高120cm以上の馬の背から不意に落ちれば、受け身もそうそう取れないだろうし、受け身を取っても重いヘルムをかぶった頭を強く地面にぶつけてしまう。
外傷は無くても頭部が受ける衝撃は相当な物ではあっただろうね。
>>42 偏向した意図の下に描かれた現代絵画がどうかしたのか?
44 :
世界@名無史さん :2011/05/26(木) 01:54:51.53 0
>>42 カッコイイ騎士様にコンプレックスを持った奴が書いたとしか思えないwww
そんな原始的でダッサイ格好した奴なんて騎士様の一薙ぎで絶命させられるだろw
45 :
世界@名無史さん :2011/05/26(木) 03:32:39.58 0
モンゴル軍は異次元の強さだからしょうがない
46 :
世界@名無史さん :2011/05/26(木) 03:38:47.58 0
フス派のチェコ農民に負けた連中が無敵とか笑わせんなよ ベルギーの町民に負けた連中が連中が無敵とか笑わせんなよ リトアニアの異教徒に幾度も戦いで虐殺されてついに征服できなかった連中が無敵とか笑わせんなよ
47 :
世界@名無史さん :2011/05/26(木) 03:41:50.82 0
戦闘民族トルコ人に虐殺された第二回十字軍
そのトルコがヒクくらいって文献多いからな、モンゴル 現代の漢民族レベルで常識やモラルが無かったらしいぞ トルコ人の通った後は人が居なくなる モンゴル人の通った後は何もなくなる
49 :
世界@名無史さん :2011/05/26(木) 12:36:19.45 0
人がいなくなったり何もなくなったりするのは武勇のあかしだ
50 :
世界@名無史さん :2011/05/26(木) 14:24:29.51 0
ポーランドの騎士が一番強い
>>47 そのトルコ人もモンゴルと唐に無双されてるな
唐の皇帝は元鮮卑説が有力だけど長い南北朝時代で漢民族化が大分進んでたし本人たちは漢民族だと主張していた
その鮮卑も元東胡で元々は現中国北東部の満州あたりに割拠してたらしいから遺伝的には東アジア系だろう
モンゴルも元契丹族らしいが契丹族も元鮮卑らしいから東アジア系の要素が強いだろう
要するに中世は兵法の国中国とその周辺地域が最強
モンゴルは中国関係ないと言われるかもしれないけど、南宋も50年以上モンゴルの攻撃に耐え抜いたわけで
簡単に滅ぼされた中央アジアや西アジアの諸国を上回る強国だったと言えるだろう
52 :
世界@名無史さん :2011/05/26(木) 14:35:56.10 0
なんで騎士の話してるのに唐が出てくるんだろうな
唐なんて数でごり押ししただけだろ
54 :
世界@名無史さん :2011/05/26(木) 15:46:16.32 O
中国は基本的に人口で押すよな。 人口で押せるなら選択として別に間違っていない。 それも戦略の一つ。 トルコが人口で押したのも間違ってはいない。 それに対して軍事技術で対抗した欧州もまた間違っていない。
55 :
世界@名無史さん :2011/05/26(木) 17:14:11.73 0
とりあえず、騎士がトルコ人に虐殺される存在にすぎないことは間違いない
56 :
世界@名無史さん :2011/05/26(木) 17:48:37.51 0
何でドイツ騎士団は常にリトアニアに負けるんだろうね
ビザンツギリシアほどじゃないにしても、ローマ圏は夢見がちだからだよ
ドイツはローマ圏じゃない
59 :
世界@名無史さん :2011/05/26(木) 19:14:59.24 0
現在のイギリスでは、騎士(ナイト)は一代限りの名誉称号で、世襲身分ではないが、 中世のイギリス議会では下院が騎士や市民の代表とされていたから、騎士階級はいたはず。 近代になっても、フランスやドイツには世襲のシュヴァリエやリッターがいたし。 イギリスでは、いつ世襲の騎士がなくなったんだろうか?
60 :
世界@名無史さん :2011/05/26(木) 19:16:12.23 0
本来、世襲の騎士だった階層が、のちのジェントリ(郷紳・地主階級)と考えていいのだろうか?
そういう意味では侍さんなんかと同じで、商人貴族さんに食われてた あとは坊主
62 :
世界@名無史さん :2011/05/26(木) 23:22:02.24 0
>>55 >>54 の通りだ。
西欧軍は人数面で少なかっただけでなく、その中に占める騎士の割合を考えると
なぜ
>騎士がトルコ人に虐殺される存在にすぎない
という戯言がここで出るのか分からない。
騎士の突撃は実際にトルコ軍に酷く恐れられてたし、純粋に騎士とトルコ兵同数で戦えば
騎士が一方的な虐殺を行えることは、装備を見ても明らか。
トルコ兵2人掛りでも1人の騎士に太刀打ちできる姿が全く想像できない。
さらにトルコ軍の中で一番武勇に秀でていた「イエニチェリ」はキリスト教徒の子供
だったことを考えても、西欧人の戦闘能力の高さが分かるし、トルコ軍もそれが分かってたから
わざわざ西欧人の子供を強奪して戦士に育成したんだろう。
63 :
世界@名無史さん :2011/05/26(木) 23:28:39.99 0
いやイエェニチェリてバルカンだろ
64 :
世界@名無史さん :2011/05/26(木) 23:45:14.01 0
第二回十字軍はセルジュークに虐殺された ルイ聖王の十字軍はマムルーク(トルコ系)に虐殺された 十字軍国家もマムルークに虐殺された ドイツ騎士団はリトアニアに常に虐殺された リヴォニア帯剣騎士団は事実上リトアニアに滅ぼされた 神聖ローマ帝国の騎士はフス派のチェコ人に虐殺された
65 :
世界@名無史さん :2011/05/27(金) 00:30:28.53 0
>>45 フルプレートアーマー時代の騎士に出合っていたのなら
モンゴル軍の攻撃は何1つ通用せず無残に踏み潰されてただろうな。
鎖帷子時代でも接近戦ではモンゴル兵は騎士に対して全く勝ち目がなかったから
>>42 の画像はおかしいんだよな。
あんなに接近されてたら騎士にフルボッコされてた。
>>64 のいう十字軍も、フルプレートアーマー時代の騎士だったなら
トルコ兵は手も足も出なかっただろうね。
66 :
世界@名無史さん :2011/05/27(金) 00:36:46.90 0
フス派のチェコ人に負けたフルプレートアーマー時代の騎士 リトアニアに負けたフルプレートアーマー騎士
67 :
世界@名無史さん :2011/05/27(金) 00:38:27.87 0
>>62 に
>トルコ兵2人掛りでも1人の騎士に太刀打ちできる姿が全く想像できない。
って書かれてるけど、
鎖帷子の十字軍時代の時点でさえ騎士1:トルコ兵5くらいの実力差があっただろうね。
それがフルプレート着込んだ騎士にかかったら圧倒的な騎士無双状態でトルコ兵は蹴散らされたろうね。
他の地域と比べて、西欧の武器防具の進化の速度には目を見張るものがある。
68 :
世界@名無史さん :2011/05/27(金) 00:38:39.52 0
69 :
世界@名無史さん :2011/05/27(金) 00:40:07.26 0
>>67 実力差があるんなら何で第二回十字軍はセルジュークに虐殺されてんだよ
なんでマムルークにルイは負けてんだよ
なんで十字軍国家はマムルークに負けてんだよ
70 :
世界@名無史さん :2011/05/27(金) 00:40:57.17 0
>>66 騎士がフルプレートアーマー着て負けたっていうソースはw?
71 :
世界@名無史さん :2011/05/27(金) 00:43:10.73 0
72 :
世界@名無史さん :2011/05/27(金) 00:43:26.87 0
>>70 1400年代のフス戦争ならもうフルプレートだろうが
かりに鎖帷子でも騎士がリトアニアやチェコより弱かった事に変わりはない
73 :
世界@名無史さん :2011/05/27(金) 00:44:33.98 0
ここでいう「騎士がいる国」はフランス、スペイン、ドイツ、ポーランドでいいんだよな?
>>69 第二次十字軍は部隊展開できない狭隘の地に押し込められたのと
気候の違い(主に暑さ&水不足)で厭戦気分
ルイ9世の敗北は、市街戦での惨敗
十字軍国家の敗北は、そもそも数の上からして攻勢に出れない以上衰退は必至
というより、戦争の勝利敗北は心理戦やら兵站の問題やらが絡むから
戦争で勝利=軍が強いではないんだが……
まあ、盾と剣で武装したトルコ軍が正面突破で十字軍を蹴散らした戦いとかあるから
騎士1:トルコ兵5の数字がどこから出てきたのかよく分からん面があるけど
75 :
世界@名無史さん :2011/05/27(金) 00:47:27.59 0
>>72 その時代で高価なフルプレートアーマー着込めた騎士は相当に身分が高いだろう。
割合はかなり低かったのでは?
76 :
世界@名無史さん :2011/05/27(金) 00:58:20.97 0
>>戦争で勝利=軍が強いではないんだが それを言ってしまったらローマ共和国が領土を広げたのも強かったわけではないんかと モンゴルが領土を広げたのは強かったからではないんかと話になる
77 :
世界@名無史さん :2011/05/27(金) 00:59:16.06 0
>>76 確かにそうかもしれん
だがフルプレートではないにしても鎧を着た騎士の突撃が
リトアニアやチェコに通じなかったことは間違いない
イェニチェリ軍団、ということならマホメッド二世だよな ビザンツ滅ぼした
弱り切った状態になったあの国を滅ぼしたことなど なんの自慢にもならん イエニチェリならポーランドやオーストリアの戦いの時が光ってるだろう
>>79 自慢とかそーゆーんじゃねーだろーけどさぁw
コンスタンティノープル落とした時は味方をヌッ殺す役だったろうし
確かに自慢にゃならんが
82 :
世界@名無史さん :2011/05/27(金) 16:06:22.47 0
神聖ローマの騎士やドイツ騎士団はポーランドとの戦争で一度も勝った事がない いつもポーランドに負けている
無駄に騎士弱いって言う必要も無いが そこまで騎士を神聖視せんでもええわな、とは思う。
クレシーやアジャンクールを見ても、巨大な軍馬に跨った騎士さまは無敵だよな。 突撃してくる所に矢を射掛けられて大混乱、その場で停滞して大渋滞。 落馬して死ぬ騎士さま、自慢の愛馬に蹴られ踏まれて死ぬ騎士さま、 後続の騎士さまに圧迫されて死ぬ騎士さまetc 馬を棄て、名誉も棄て、疲労困憊の末にようやく死地を脱したものの、 のんびりと待ち構えていた軽歩兵にいいように狩られていく騎士さま… やっぱ堅牢で華美な鎧を着た騎士さまは無敵だよな〜。
騎士は装備とかじゃなく、生き様なんだ ってことにしとけよ馬鹿野郎
そう、生き様だな。美学であり倫理 その騎士道と、リアルで怜悧な軍事的上の戦略とがしばしば対立した
87 :
世界@名無史さん :2011/05/28(土) 00:51:17.68 0
リトアニアやポーランドに負ける素晴らしい生き様
一騎打ちで勝負を決めようとか、正々堂々と戦うために有利な戦局を捨てるとかw
>>84 フランス軍の敗因は低所から高所を攻めたことじゃないかな
90 :
世界@名無史さん :2011/05/28(土) 17:56:24.23 0
トルコにも鉄騎兵がいたモンゴルにもいた
いきなり何言ってんだ?
92 :
世界@名無史さん :2011/05/28(土) 21:21:55.24 0
マルタ騎士はプレートアーマ−来てたが野戦でも攻城でも海戦でも最高レベルだった。 クレシー、アジャンクールの騎士は確かにタルンでたんだろうな。
黒太子のは地形選択による勝利。 他は二次的要素に過ぎない。
ナポレオンに24時間でボコられたマルタ騎士団が何だって?
>>87 リトアニアもポーランドも騎士がいたんだけどw
>>59 ドイツとかでは下級貴族の世襲称号でリッター(騎士)が残ってたのに、
なんでイギリスではナイトは一代限りの名誉称号になったんだろうな。
97 :
世界@名無史さん :2011/05/29(日) 15:07:13.12 0
騎士と騎兵
モンジョワ!サン・ドニ!
99 :
世界@名無史さん :2011/05/29(日) 16:05:18.14 0
ウィキによると、 >ジェントリは中世における最下層の領主身分の総称であった。 >14世紀から15世紀にかけて、ジェントリは有力貴族の家臣となる事が多かったが、 >薔薇戦争を境に貴族の勢力が減ずると、その庇護下を離れる事となる。 >ジェントリはその後、黒死病や百年戦争を始めとする戦乱など、封建制社会の動揺を経て、 >16世紀には領主から地主への転化を始めていた・・・ とあるのが、大陸の騎士(下級貴族)とのちがいなんだろうな。 武家を捨てて、庄屋さんになったようなものか。
>>90 唐にも遼にも金にもいた
>>84 勝敗を決したのは騎士ではなく弓兵だよな
騎士は防衛戦や少人数単位の軍事行動の武勇伝は豊富
102 :
世界@名無史さん :2011/05/30(月) 18:34:30.87 0
日本の武士で騎士に相当するのは、鎌倉時代の地頭とか室町時代の国人領主だな。 江戸時代の一般武士なんて、ジェントリやユンカーに比べたら、ただの兵卒みたいなもんだろ。
103 :
世界@名無史さん :2011/05/31(火) 14:33:16.52 0
蒙古軍はドイツ兵を恐れていた ドーソンによると、ハンガリーにおいても、エステルゴムの内城 Albe-Julie Saint-Martinの三城は陥落せず、本国よりオゴタイ 崩御の報を得て囲みを解いたという。これとは別に蒙古軍は オーストリア に侵寇し、ウィーン南部のノイシュタイン城を包囲した。 この攻城戦は、『ローマ帝国衰亡史』のエドワード・ギボンが次の ように叙述している。 一方タタール人の側もフランク人(ドイツ人)の名声と武勇に恐れを なしていて、オーストリアのノイシュタインの町への彼らの攻撃は 五十人の騎士と二十丁の石弓兵で勇敢に防衛され、彼らはドイツの 一部隊の来援で包囲を解いた。 (「ローマ帝国衰亡史」巻10) このようにギボンは蒙古人がドイツ人(フランク族)の勇猛さに 恐れをなしていたと記している。 たった五十人の騎士で一城が守れるとは信じがたいがノイシュタット の防衛はドーソンも、 ノイシュタットには僅かに五十人の守備兵と 二十人の石弓兵とを備えるのみなりしが、蒙古兵はオーストリア公、 ボヘミア王、カリンチア公、 バーデン侯Agrar管長の連合軍近けるを 以て退却したり。(「蒙古史」) 今村明著 『封建制の文明史観』P60-P61
104 :
世界@名無史さん :2011/05/31(火) 18:27:30.74 0
ろくな装備がないリトアニアに戦うたびに虐殺されるドイツ騎士団
宋朝には重騎兵や軽騎兵はいたのかな?
まぁどうでもいいけど、 静かに(#^ω^)ビキビキな感じで喧嘩はすんなよ?
107 :
世界@名無史さん :2011/05/31(火) 21:43:58.34 0
>>104 リトアニアにも騎士がいただろ。
数少ない勝利を以って戦うたびって言うのはこれ如何に。
あと、虐殺されるって頭大丈夫かい?
攻める方は命をかけてまで攻めてないだろ。
守るほうは必死だけどな。
攻めて楽に蹴散らせられればラッキー、長引いたり
手こずりそうなら退却ってくらいのスタンスだろ。ドイツ騎士団は。
なんか知らんが、ドイツやら騎士やらを 妙にやっかんでいる子がおるよーだが・・・ くだらねーことでいちいち怒るなよ
>>58 ドイツはローマ文化圏じゃね?
ドイツ皇帝軍の戦の叫びも「われらはローマを守る」だし
110 :
世界@名無史さん :2011/05/31(火) 23:07:34.14 0
>>108 そうだったな。
いくら妄想やうわ言を書かれても騎士の圧倒的な強さと勇猛さは
動かない事実だから、気にすることなかったな…。
しかし騎士の格好良さや素晴らしさが分からない奴がいるとはなぁ。
>>110 格好良さや素晴らしさは身に染みて分かってると思うよw
だからこそ劣等感に苛まれてやっかんでいるのかとw
そういう自演もいらないけどな
113 :
世界@名無史さん :2011/06/01(水) 15:43:59.88 0
第一回十字軍でも、エルサレムまでの道程で 迎え撃つセルジューク朝(騎馬民族)の軽装弓騎兵の襲来を再三撃退している。 「騎士には、矢はまったく効果がなく、ことごとくはね返るばかり。 重武装なので、進む速度は遅いものの、矢も槍も剣も簡単には役に立たなかった。」 『十字軍物語1』塩野七生 新潮社
>>109 ローマ文化圏じゃないよ
ゲルマン人のローマ帝国を夢見たけど
イタリア人のローマを気取ってたわけじゃない
115 :
世界@名無史さん :2011/06/01(水) 18:32:26.36 0
>>113 頼むから塩をソースに使うのはやめてくれ。
塩野だって困るだろう
116 :
世界@名無史さん :2011/06/01(水) 18:44:56.78 0
>>107 戦場では自分が死なないために
命がけで戦うもんだよ
攻める方だってな
ブルグンド騎士も槍持ったスイス人に王様殺されちゃったね…
119 :
世界@名無史さん :2011/06/02(木) 00:14:04.06 0
>>116 騎士の場合は防御力が高く簡単には死なないからそうでもない。
弓矢も剣も槍も効かなかったからな。
ゲームやラノベの騎士様じゃないんだから
弓や剣は効かないからトゲ付きメイスでぶっ叩くんだよ。
弓と鎧を再現して実験した時のまとめが 昔立ってた弓スレに貼ってあったような。
弩でなくても長弓で十分痛いしな。 甲冑制作技術が全盛の頃って大砲銃も全盛だ。 「騎士」全盛で言うならゴツイのは頭だけで、 せいぜい鎖帷子にサーコートだろう。
リトアニアとかは大部分農民からの徴用兵だし 装備は木で出来た
南蛮鎧の技術で作った南蛮胴とか火縄銃に対して防御力を発揮したよ。 至近距離なら貫通だろうけど
126 :
世界@名無史さん :2011/06/02(木) 19:02:15.19 0
まあ矢や弾丸がかすったときに血が出ないだけでも実戦では相当助かると思うよ。 今のヘルメットや防弾チョッキだって至近距離で撃たれたら貫通するけど、つけてれば死人はだいぶ減る。
>>121 確かに、海外の番組で検証してたが、
西洋の剣では板金鎧には僅かな傷しかつけられなかった。
日本刀は流石に貫通したけどな。
>>125 よくある話だが、実際は鎧の性能を良く見せるため、
火薬量を減らして試し撃ちしてみせただけだってさ。
鉄砲足軽の扱う小口径弾(2匁筒)でも50mぐらいから南蛮胴を貫通する威力がある(当たれば)。
戦場では侍の扱う大口径の抱え大筒(20〜100匁筒)などもあるので、
重い鎧をつけた武者なんて格好の標的だよ。
農民兵が主体で木造装備が主なリトアニア軍に虐殺される騎士様
129 :
世界@名無史さん :2011/06/02(木) 22:31:12.88 0
>>127 >日本刀は流石に貫通したけどな。
西洋の板金鎧を貫通するなんてあり得ないだろw
130 :
コピペ :2011/06/03(金) 00:34:45.71 0
【戦場の】打ち抜け! 弓・弩全般スレ【主役!】
http://kamome.2ch.net/test/read.cgi/whis/1046634307/ 583 名前: Krt [sage] 投稿日: 04/04/24 14:17
以下の話は本来なら鎧スレ向きかも知れないのだが、見るとむしろこちらの方で何度も
話題に上りながらも立ち消えしてしまった話のようなので、ここに書かせてもらいたい。
それは、<<西洋の中世から近世にかけて用いられた武器の威力はどの程度のものなのか
そして鎧はその攻撃にどれぐらい耐えられたのか>>という基本問題である。
以下の叙述については下記の本が主なネタ元だが、上記のテーマに関心が深い人には
購入を勧める。かなり高価(279$)だとはいえ科学史畑出身の著者による大判で954p.の
この本には、質と量の両面で十分値段に見合った情報が詰め込まれていると思うからだ。
Williams,Alan:The Knight and the Blast Furnace:A History of the Metallurgy
of Armour in the Middle Ages & Early Modern Period:Brill:2002:90-04-12498-5
(以下における参照及び引用で「Williams, p.○○」とあるのはこの本のことである)
私はこのスレの諸氏ほど鎧や武器、及び戦史や戦術に明るくないので、不十分な記述も
多々あるかと思うがその点はご容赦願いたい。だがこと金物としての鎧の強度と武器との
力関係に関してならば、きちんとmechanical testを行った上でのシミュレーションに
基づいて書いているこの本の方がネット上や邦語文献の情報よりも信頼性は高いと思う。
584 名前: Krt [sage] 投稿日: 04/04/24 14:17 ではまず装甲用金属について基本的な事実を確認しておこう。対象は銅と鉄である。 基本的に装甲用金属の強度を高める方法は、成分の工夫、鍛造、熱処理の三つである。 まず銅に関して言うと純銅の硬さは40VPH(Vickers Pyramid Hardness(kg/mm^2)だが、 錫の添加によってその硬度は増加し錫を10%含む青銅の場合110VPH程度にまで達する。 さらに銅及び銅合金は冷鍛が硬度向上において効果的であり、純銅を厚さが70%減少 するまで冷鍛を行うと硬度は約100VPHに高まるし、青銅の場合も同様に冷鍛によって 硬度は増大し錫10%の青銅では270VPHに達する。(Williams p.5f.) なお銅合金の場合、焼き入れによる硬度の向上が可能なものと(ある種の黄銅系合金) 逆に柔らかくなってしまうもの(銅ーアルミ、銅ー金系)があり、青銅は錫の量にも 拠るが、錫が7-8%を超えるものでは急冷でかえって柔らかくなる可能性があるようだ。 (参:鹿取一男:工芸家のための金属ノート p.28f.:アクネ社:4-900041-03-3) これに対して鉄はどうかというと、実は純鉄の硬度は60-80VPH程度に過ぎない。 だがこれに炭素を吸収させる事で漸次硬度が増すのは周知の通りで(いわゆる鋼鉄)、 空気中で徐々に冷まされた炭素1%含有の鋼鉄の場合、硬度は230VPH程度に達する。 (ただ昔の鉄はスラグが多いため脆いが硬度に関しては低炭素でも100VPH以上あった)。
585 名前: Krt [sage] 投稿日: 04/04/24 14:18 だが鋼鉄といえど、このままでは必ずしも鍛造された青銅に硬度の点で及ばないことが わかるだろう。実際、前6世紀ギリシャの9-11%の錫を含んだ青銅鎧の史料は平均で 155VPHを示しており、これは16世紀のドイツで低炭素鋼によって作られた大量生産の 兵卒用甲冑(munition armor)の硬度に匹敵するほどなのである。(Williams, p.8) 従って鎧の素材としての青銅が鉄に駆逐された原因としては、古代においてはコスト、 特に近東の資源が枯渇して以後はイギリス南部まで赴かざるを得なくなったことによる 錫のコスト高に帰因する面が大きいと思われる(刃物ではなく鎧の素材としての話)。 (cf.Embrey,P.G.& Symes,R.F.:Minerals of Cornwall & Devon p.16f.:British Museum) だが鋼鉄の実力はこんなものではない。もちろん鉄にも鍛造は効くが、鋼鉄の場合、 焼き入れという遙かに効率的なやり方によって大幅に硬度を増す事が出来るからだ。 即ち800-900度に熱した鋼を水で急冷することにより、僅か0.1%程度の低炭素鋼ですら 約300VPHにまで、そして炭素含有量を増すにつれ硬度は上に凸の放物線を描いて増大し 炭素1%の鋼では1000VPH近くに達するのである。だからスラグの多い昔の鋼でも容易に 300-700VPHを得られただろう事は、強靱さを増すため焼鈍しで硬度を落した15世紀末 以後のインスブルック製良質鎧がなお400-500VPHを示していることからも明らかだろう。
586 名前: Krt [sage] 投稿日: 04/04/24 14:19 この焼き入れ技術自体は紀元前からあったものなのに、鋼鉄のプレートアーマーが 14世紀末あるいは15世紀初めまで作られなかったのには冶金学的な理由がある。 それは人類が長い間、鉄を完全に溶かす事が出来ず、鉄鉱石を比較的小さな炉の中で 木炭による還元を利用するやり方によって小さな塊(bloom)状態で鉄を得ていたため、 この塊鉄の大きさが最終製品である装甲板の大きさを限界づけていたのである。 この不純物を含んだ塊鉄から最終製品としてできる鉄の量はおよそ1/2〜1/4(研究者 によって見積もりが異なる)である。仮に1/3とすると、リベットでつなぎ合わせながら ブレストプレートを構成するやり方をとっても、その鉄板を作るのに必要な3〜4kgの鉄 を得るためには最低10kgの塊が必要だが、高炉技術の発達によってこれ以上の塊が 安定的に得られるようになったのがまさに14世紀末頃なのだ。(Williams P.877f.) 実は帝政時代のローマでも、ほぼこの水準の塊鉄が作られ始め、lorica segmentataを 超えるような板金鎧の製造も可能になる寸前だったのだが、平均的な炉の能力がその 水準に及ばなかったのか、それとも戦術思想の問題だったのか、結局実現しなかった。 そしてその後は製鉄技術の衰頽のため大きな鉄塊が得られなくなったせいで中世の鎧は 長い間、chain mail等の形で発達せざるを得なくなったのである。
587 名前: Krt [sage] 投稿日: 04/04/24 14:20 では、当時のロングボウやクロスボウ、さらにはピストルや火縄銃、マスケット銃は どの程度の威力があり、同時代の鎧との力関係はどのようなものだったのだろうか。 まずはロングボウとクロスボウの放つ矢の威力から話を始めよう。 種々の武器による打撃力を比較するには運動エネルギーとして一般化するよりない。 一般に、運動エネルギー(J)=1/2x質量(kg)x速度(m/sec)x速度(m/sec)、であるが、 古代から中世にかけての剣、槍、斧の出せるエネルギーは60-130Jであったことが (Blyth,P.H.:unpublished PH.D.Thesis, University of Reading:1977) の実験によって検証されている。 もちろんインパクトエリアはエネルギーと同じぐらい重要な問題で、同エネルギー なら、あたるポイントが小さいほど貫通の脅威は増大する。 例えばPope,Saxon:Bows & Arrows rep.1974、によればロングボウの矢のエネルギーは draw-weight50lbのものが10ft地点で170J、75lbので212Jであるが、矢頭については ソフトな目標にはbroadhead型のものが、装甲化された目標にはbodkin(尖った) タイプのものがエネルギーは同じでも、より効果的であったという。
588 名前: Krt [sage] 投稿日: 04/04/24 14:20 ではこれは当時のmail系の鎧に対してどれぐらいの効果があったのだろうか? Popeの実験では75lbの弓で7ヤードの距離からbodkinタイプの矢を撃ったところ、 松板の箱に張られた重量25lb、直径13mmで22ゲージワイヤの輪からなるmail shirt を貫き、さらに箱の両面をもぶち抜いたという。ただ彼の数字はやや過大であるか あるいは弓が材料等の関係で歴史上の長弓より過剰な性能が出ていた可能性がある。 なぜならMcEwen et al:Experimental Archery in Antiquity,62(1988)pp.658-70 の実験によれば、draw-weight36kg(80lb)のイチイ製のロングボウで射られた50gの field arrowの初速は53m/sec、90gのbroad-head arrowは43m/secにすぎずイニシャル エネルギーも計算上それぞれ約70Jと83J程度だからである。なお彼らはクロスボウに ついても考量しており、41kg(90lb)draw-weightのクロスボウから発射された100gの boltの初速は62m/secに達し192Jのエネルギーを得るとした(*)。(Williams p.919) (*)ただこれは初速であり空気抵抗を受けた矢やboltは徐々に減速するが、この抵抗は 矢より短く太い形をした弩のboltの方が著しく、例えば50mの地点では最初43m/sec だった矢が37m/secに減速しエネルギーは83J→61Jとなるのに対して、同じ地点での boltの速度は62m/secから41m/secへと減少し運動エネルギーも192J→101Jへと急減する。
狭い世界のルール内でガラパゴス進化した不様なええ格好しいチキン鉄塊廃棄物では 遥かに技術の遅れた相手にすら勝てない 方向の明後日な進化は、無進化にすら劣ると言う好例
鎧の所持率、長弓や火器、 12世紀以降の傭兵・農民・トルコ兵の軽装具合 普通にそういうとこから考えれば、喧嘩するような話題でもねーよーな気がするが
>>136 不様か?あの格好はカッコイイと思うが…
なんでもそうだが、特定手段への過剰なこだわりはダメだな。 手練れの用兵家に与える突撃騎兵としては、騎士って優れた戦力だったと思うが・・・。 クレシーやアジャンクールを見る限りは、他の兵種と同列に扱わず縛りゲーになってる。 司令官の問題もあるが、戦場まで価値観や美意識を持ち込む点で社会的要因が大きい。
140 :
世界@名無史さん :2011/06/03(金) 14:14:10.05 0
>>127 アメリカの番組だから西洋寄りで東洋には厳しい。
そのアメリカの番組が伝えているから正しいに違いない。
と思っているんだろうが、実態は違うよ。
むしろ現在のアメリカ人はゲームなどの影響で東洋にたいして
ファンタジーを抱いている。
だから実態は東洋寄りの番組づくりをしているんだ。
だいたい日本刀は日本の甲冑に対してさえ歯が立たない。
だから介者剣術(鎧の隙間を攻撃する)が発展したんだ。
そりゃぁ刀や弓に無力ならあんなクソ重い鎧を誰も着なくなるよ。
まー見た目はカッケーってことに加えて 当時でもロマンや厨二心をくすぐられたから 儀礼用・ボス用にはキッチリ残ったんだろうけどね。 何にしても、甲冑や日本刀を無駄に神聖視して崇拝するこたー無いと思うよ。 素晴らしい部分は素晴らしいけど 坊主偉けりゃ袈裟まで偉いでアバターもエクボーとなると、ちょっとね。
>>140 逆のことも言える。
このスレの一部の人間がそうだが、
ファンタジー小説やゲームの影響なのか騎士に幻想を持っている。
事実として歩兵の長槍と飛び道具の連携によって駆逐されたものを、
頑丈な鎧着てるから飛び道具は貫通しないだの剣が通用しないだの、
落馬しても訓練してるから平気だのとね。
>>141 今見れるようなクソ重くて頑丈な鎧はあくまで置物やトーナメント用で、
実戦で使われるのはちゃんと動けるレベルの鎧が使われてるよ。
基本的に実際に戦いに使われた鎧は損傷が激しいので、残ってるのは稀。
実戦で使われるのはちゃんと動けるレベルの鎧が使われてるよ。 ↓ 実戦ではちゃんと動けるレベルの鎧が使われてたよ。
というか、中世と言われて俺達が想像するような時代にもなれば 物語のような騎士様が出張ることなんて無いしな。 歩兵弓兵傭兵、農民騎士 せいぜいこの辺りで、大半は軽装か帷子、いいとこ半鎧。 ってな具合に歴史書や専門書だと言ってるし、 鎧辞典や武器辞典、コスチュームや街の作りの本なんかを見て考察しても だいたいそんな結果になると思うんだが。 ファランクスはギリシアだけのものでもないし。 あくまでも西欧メインの話ではあるけどさ。
>>143 >事実として歩兵の長槍と飛び道具の連携によって駆逐されたものを、
>頑丈な鎧着てるから飛び道具は貫通しないだの剣が通用しないだの、
>落馬しても訓練してるから平気だのとね。
全身板金鎧に飛び道具が貫通したと思ってるの?
剣や歩兵の長槍が通用したと思ってるの?
通用しなかったから全身板金鎧対策として重い武器が発達したんじゃないか。
剣や槍が効くなら、攻撃が遅く隙だらけで扱いにくい重量武器を使うメリットはないよね。
しかしそれらトゲ付きメイスや斧の脳天への一撃をもってしても
せいぜい騎士を落馬させるくらいで致命傷は与えられなかった。
しかしこの鎧の頑丈さは相手騎士にとっても都合が良かった。捕虜にした方が身代金を
請求できて旨みがあったからだ。
>>143 また「歩兵の長槍と飛び道具の連携によって駆逐された」のではなく
火器の発達(マスケット銃くらいの頃はまだ防げていたが)と
度重なる戦いと戦いの長期化で騎士も貴族階級の資金力が急速に衰えたという
時代の変化によるもの。
ジュースト(槍試合)や騎馬集団戦では落馬は付き物だったが、落馬による死亡者について
書かれてあるのを見たことがない。なお現在でもこのジューストは行われているが
ここでも落馬による死亡者の話は聞いたことがない。
トゥルネイでは度々死人が出てるけど、落馬によるものが多いんじゃないの? 模擬戦での死因が他にはあまり考えられないと思うけどどうなんだろう。
中世の矢は軟鉄で貫通力はカス、クレシーの戦いでフランス騎士が全滅したのは ぬかるみに足を取られたところをフルボッコに叩かれたからってディスカバリーチャンネルでやってた。
>>149 常識。この板でも何度も書かれてる。
実際に捕らえたのは長弓隊の後ろに控えていたイギリス騎士達で、
それも、捕虜にされるだけだからと気が緩んでいたフランス騎士を
捕らえる作業は抵抗もあまりなく容易だった。
弓矢による死者が出ていないことは捕虜にされたフランス騎士の多さから分かる。
151 :
世界@名無史さん :2011/06/04(土) 12:57:12.33 0
われわれがイメージする騎士が登場したのは9世紀〜10世紀ころで、 そのころ東方からはアヴァール人やマジャール人(ハンガリー人)が ヨーロッパに侵略してきていた。 彼ら騎馬民族の軽装弓騎兵の機動力に対抗するために生まれたのが 重装槍騎兵としての騎士なんだから、「騎士には、矢はまったく効果 がなく、ことごとくはね返るばかり。 重武装なので、進む速度は遅いものの、矢も槍も剣も簡単には役に 立たなかった。」と主張する塩野七生の『十字軍物語1』もあながち 間違っていないだろう。
152 :
世界@名無史さん :2011/06/04(土) 13:15:34.53 0
軽装騎兵を克服する方向に進化して誕生した騎士 当然、モンゴル騎兵に対しても相性が良い。 一方タタール人の側もフランク人(ドイツ人)の名声と武勇に恐れを なしていて、オーストリアのノイシュタインの町への彼らの攻撃は 五十人の騎士と二十丁の石弓兵で勇敢に防衛され、彼らはドイツの 一部隊の来援で包囲を解いた。 (「ローマ帝国衰亡史」巻10) このようにギボンは蒙古人がドイツ人(フランク族)の勇猛さに 恐れをなしていたと記している。 のもあながち間違いではない。
153 :
世界@名無史さん :2011/06/04(土) 17:33:48.11 O
アヴァール人相手にはカール大帝の騎士軍で大勝してるんだっけ
お前ら、パウンドフォーパウンド大好きだな
ポーランド・リトアニア共和国の重装騎兵「フサリア」が重装騎兵の究極の姿で、かつ騎士の時代の最後の華だったな 一度でいいから数千騎のフサリアの突撃の雄姿(もちろんイベントで結構)をこの目で見てみたい 大洪水時代に差し掛かった頃のコニェツポルスキ将軍の戦法でな 突撃の直前にグスタフ・アドルフ軍に大量のロケット弾の斉射をやるやつ
ウィングドハサーか。
日本での知名度はほぼ皆無だけど、
ヨーロッパでは結構人気あるみたいだね。
>>150-152 しかし、ここまで電波な騎士擁護って見たこと無いな。
ソースが塩婆の小説だし。
そもそも当時の遊牧民族の侵攻を食い止めたのが、
ヨーロッパ全土を覆っていた大森林だった事を知らないようだ。
ところで、重装騎兵である騎士が弓騎兵に対抗すべく生まれたっていうけど、 元軍には野戦で一蹴されてるし、どう対抗しようとしてたんだろうね? 紀元前から弓騎兵とやり合ってる中国諸王朝では、 弓騎兵の射程外から一方的に攻撃できるよう、長射程の弩を開発して圧倒したんだけど。
>>153 アヴァールはもうそのころかなり弱ってたけどね
161 :
世界@名無史さん :2011/06/04(土) 20:35:07.77 0
ファルシオンってこんなにごつい武器だったのかw
ファルシオンにも色々ある 一部が全部じゃーあるまいて
165 :
世界@名無史さん :2011/06/04(土) 21:53:22.92 0
>>161 ポーランドにもリトアニアにも騎士様がいるのを知らないのかい?
167 :
世界@名無史さん :2011/06/04(土) 22:21:15.66 0
だけどさぁモンゴルに滅ぼされた中国よりモンゴルの侵攻撃退した西欧騎士たちの方が強かったのはもはや常識だよね
169 :
世界@名無史さん :2011/06/04(土) 22:36:14.77 0
>>159 カール大帝以前にも何度かアヴァール討伐してるけどな
170 :
世界@名無史さん :2011/06/05(日) 00:39:05.79 0
>>167 質問だが、
「モンゴルに滅ぼされた中国より、モンゴルを撃退したベトナムの方が強かった」
っていうのも常識的に正しいと、本気で思う?
そしたら何でベトナムはあんなに長い間中国の属国状態だったの?
171 :
世界@名無史さん :2011/06/05(日) 00:56:03.37 O
金はともかく南宋に騎兵って全くいないイメージ
>>148 当時の多くは実際に戦闘で使われてたランスを使っていた(joust of war)ため死人が度々出て
度々時の権力者が競技の開催を法律で禁止してる。
トーナメント好きの権力者に変わった時には積極的に開催されるようになったりと忙しい。
>>162 ガラパゴス鉄塊の防御力マジ半端ねぇな。
これだけ丈夫なら、あんな重いもの着るわけだ。
>>157 やっぱり籠城戦だろ
有名な
>>152 の話もあるしな
野戦だと下手をすればワールシュタットの戦いみたいに大敗しかねない
175 :
世界@名無史さん :2011/06/05(日) 12:36:51.09 0
>>152 >重装騎兵である騎士が弓騎兵に対抗すべく生まれたっていうけど
>元軍には野戦で一蹴されてるし、どう対抗しようとしてたんだろうね?
そもそも鎖帷子は弓を通さなかったわけではないから
元軍と戦った頃はまだ発展途中だっただろ。
弓矢をことごとく跳ね返して相手のすべての攻撃を無効化しちゃえば相手に勝ち目はなくなる。
そのように対抗しようとしていたんじゃない?
その完成系が15世紀に完成された全身を板金で隙間なく覆うフルプレートアーマーで身を固めた騎士。
幾ら何でもさすがにそりゃ無いわ、としか言えない
>>176
178 :
世界@名無史さん :2011/06/05(日) 18:00:11.04 0
弓矢は防げるけど銃弾には敵わなかったと
179 :
世界@名無史さん :2011/06/05(日) 18:14:07.88 0
>>177 フルプレートアーマーが弓矢を完全に防げないとでも
思ってるのだとしたら相当薄弱だぞ。
>>178 銃弾に対しても長い間防げてたんだけどね。
それに対抗して際限なく増やされていった火力に対して
厚みを増やすことには限界があったから廃れた。
181 :
世界@名無史さん :2011/06/05(日) 19:16:46.92 0
いくら銃に威力があっても射程距離が短く弾をこめるのに時間がかかったから 重装騎兵の凄まじい突進はそれでも脅威で 銃だけでは太刀打ちできなかったんだよな。 射程距離内では一発打ったら二発目を撃つ間もなく轢き潰される。 だから銃はメインの武器とはなりえず、以降も白兵戦が勝負を分ける時代が続いた。 火縄銃に至っては雨の日はおろか湿っているだけで使い物にならなかったという バクチ的要素が強い武器で、そんなものに命を預けるのは心細かったことだろう。 銃が本当に戦場で脅威になったのは連射で一掃できるようになってからなのかも知れない。
>>181 その見解の場合、ヤン・ジシュカと愉快な仲間たちの無双はどう理解すればいい?
ヤンは戦車のおかげだろ
戦車ってか、堡塁車両な。そう、その組み合わせがデカい。 突進さえ足止めできれば、連射できないマスケット銃で無双できる。 この時点で重装騎兵が途絶えたわけじゃないが、転換点になったことは確かだよ。
騎士アンチさんがわざとやってんじゃないの? ってくらいの重装騎兵賛美だなw
ケースバイケースだったからこそ、それぞれの戦の結果があり、今に至る。 武器防具だけでなく、作戦、士気、数、備蓄、環境、諸々のことまで考えるから 一つの戦いのことが語れる。 武器防具礼賛は構わないが、如何にもそれが全てかのようにレスするのはどうかと。 意識せずに自然とそうなっているのなら尚更。
>>182 十字軍側は統制の取れた軍隊ではなくて、西欧各所の領主が郎党を連れてきただけ
この時代の戦争は、季節についても考えないといけない
作物の収穫時期や冬だと十字軍側は戦意がないから、とりあえず教皇の勅命だから戦場に集まって
それでちょこちょこ攻撃を仕掛けてアリバイを作ったらあとは領地に帰ってしまう
これを見たフス側は「わが軍による撃破」だと”喧伝”した
188 :
世界@名無史さん :2011/06/05(日) 22:54:25.11 0
>>182 >ヤン・ジシュカと愉快な仲間たちの無双はどう理解すればいい?
銃の攻撃に対抗するために重装騎兵の鎧の装甲がより重装化し、
80kgにもなる鎧まで登場するようになった。
その為、一人では歩けなくなり、その反動でフリューテッドアーマーや
キュイラッサーアーマーなどが出てくる。
>>187 スパニレー・イーズディ(偉大なる行軍)で攻め込まれる側の諸侯はどこに帰るの?
>>185 あれ、俺ってアンチ成りすましに釣られちゃってるかな。
190 :
世界@名無史さん :2011/06/06(月) 00:40:42.18 0
>187 クトナーホラとかネムツキーブロードの戦いは? 皇帝ジギスムント率いる軍が酷い被害を受けているんだが?
>>188 フリューテッドアーマーはともかく、キュイラッサーアーマーのほうは、
被覆範囲からいって今の防弾チョッキと似たような機能だよね。
時代的に、ヴァレンシュタインは着用してたかもしれんと思える一方、
グスタフ・アドルフが着用してるってイメージはわかんわ、不思議。
192 :
世界@名無史さん :2011/06/06(月) 02:36:10.93 O
マスコット銃だって、横一列で一斉射すれば、有効射程は100m以上 弓と比較しても十分に脅威。 ヨーロッパの大部分を除き、世界の多くの地域で弓は主力兵器だったわけで、銃も同程度には主力兵器だろう
日本に入って来た南蛮銅は胸甲であって、集中防御するから厚い それより古い時代の板金鎧は薄っぺらい。刃が立たなければ良しって程度だな。
世界のどこかで、海亀の甲羅を胸甲にした人っていないんだろうか。 弓と槍までなら、けっこう耐えられたんじゃないかと想像するが。
ゲーマー&ラノベ読者増えすぎだろw
196 :
世界@名無史さん :2011/06/06(月) 09:14:03.82 0
>>193 現在、トーナメントアーマーとして残っているものも
かつては戦場で着ていたんだよ。(15世紀後半)
ただ、重量が80kg程もあり、実用的じゃなかったので
16世紀ころからフリューテッドアーマーやキュイラッサー
アーマーが開発されてそれらに分担継承されていったんだよ。
結果、トーナメントのみで使われるトーナメントアーマーとして
伝承されたんだよ。
197 :
世界@名無史さん :2011/06/06(月) 09:20:31.38 0
マクシミリアン皇帝を始めとして指揮官クラスの騎士は フリューテッドアーマーを着て、エリート戦闘員クラス の騎士はキュイラッサーアーマーを着たんだよ。
セミガリア人やクロニア人を従わせ そいつらを兵力に加えたにもかかわらず 余裕でリトアニアに負ける騎士様
199 :
世界@名無史さん :2011/06/06(月) 14:56:53.62 0
そもそもリトアニア大公国って相当強かったじゃん。 ジョチ・ウルス(キプチャック・ハン国)相手に 1362年青川の戦いで大勝し、ジョチ・ウルスの 没落のキッカケを作ったのがリトアニアじゃん。 そんなリトアニアも自国より国力の劣るドイツ騎士団国 相手では守勢であり、同じくドイツ騎士団国の脅威を受けた ポーランド王国と同君連合をしてようやく攻勢にでることが できたんだから。(タンネンベルクの戦い:1410年) また、タンネンベルクの敗戦後、ドイツ騎士団国の多数派である 古プロシア人もプロイセン連合を結成して独立運動をはじめる。 それでもポーランド・リトアニア国は単独でドイツ騎士団国には 勝てないのでプロイセン連合とドイツ騎士団国の内外から攻勢を 掛けて13年にもわたる戦争の末。1466年ようやくドイツ騎士団 国を滅ぼした。 は内外に敵に苦しむことになる。
>>199 多分、騎士を礼賛するのが目的なんだろうけど、
ポーランド・リトアニア大公国にも騎士いるからね?
まさかチュートンだけが騎士だと思ってた?
>>181 曲がりなりにも連射できる銃が登場したのはアメリカ南北戦争(1861〜65)前後だと思ったが、
アメリカ独立戦争でモーガン率いるライフル兵がサラトガでイングランド軍を破ったのは、
あれはアメリカお得意の歴史の捏造だったのかな。
パヴィアでフランス騎士団の突撃が傭兵部隊のマスケットに撃退され、
フランソワ1世も捕虜になり、解放後は騎士を捨ててマスケットを主力にしたのも気のせいか。
三十年戦争のテルシオや三兵戦術でもマスケットは役に立たず、大砲と槍がメインだったか。
十字軍士をパレスチナから追い払ったのもイスラム騎士
203 :
世界@名無史さん :2011/06/06(月) 22:52:45.00 0
>196 15世紀後半といったらゴシック甲冑からルネサンス式甲冑への過渡期だと思うけど、 トーナメント用の甲冑を戦場で使用したなんてのは初耳だ。 後学のために参考資料を教えてほしい。
「甲冑」が話題のメインになる辺りこのスレの空気を察しろよ 高尚な冗談ではなく、かなりガチなスレタイなんだって
フランス騎兵がオスマン軍に無謀な突撃をかけて大敗した、ニコポリス十字軍 だの、ハンガリーやらポーランドやらの騎士がオスマン軍に大敗したヴァルナ の戦いとか、騎士を主力にした軍が大敗した例はどう考えるのかな?
>>199-200 リトアニアは軽騎兵が主力。
異教時代は投槍を使ったヒットアンドラン戦術を行っていて
ドイツ騎士団の遠征軍を倒すときは地の利を生かした奇襲などが多い。
近世のフサールもポーランドのよりさらに軽装。
207 :
世界@名無史さん :2011/06/07(火) 09:34:16.95 0
>>203 参考資料は無いよ。私論だから(笑い)。
ただ、15世紀後半には甲冑の装甲が肥大化し、
60kg〜80kgにもなったこと。(所謂、ハイゴシックアーマー)
皇帝マクシミリアン1世がアウグスブルクの鎧職人
コンラート・ゾイゼンホーフェルを招聘して鎧の軽量化
を図ったこと。(所謂、フリューテッドアーマー)
トーナメントは実戦を想定した軍事訓練なので戦場とは別仕様の
鎧を使用する意味がないこと。
また、『フルプレートアーマーを着た騎士は一度転んだら立てない』
などの偏見の由来などから推測したんだ。
208 :
世界@名無史さん :2011/06/07(火) 09:48:39.81 0
日本のように 古代の短甲や桂甲から 中世の大鎧(含む胴丸・腹巻) 近世の当世具足のような緩やかな変遷ではなく 激しい変遷を繰り返した西洋甲冑の場合は極端 に特化した甲冑も登場してるだろう。 との考えから実際、重すぎて一人で歩くのも おぼつかないような重装甲の鎧も登場していただろう。 その名残がトーナメントアーマーに残っているんじゃ ないだろうか、と推測したんだ。
>激しい変遷を繰り返した西洋甲冑 13世紀ぐらいまでメイルばっかりで それ以降だんだん板金で覆われる部分が増えてフルプレート化 ピーク後は装甲が徐々に減る という程度の変化だぞ、はっきり言って。
210 :
世界@名無史さん :2011/06/07(火) 10:19:37.14 0
ゴシックアーマーとルネサンスアーマーの違いは ゴシックアーマーは主にドイツ人が使用している 鎧(ゴシックとはドイツ人への蔑称) ルネサンスアーマーとはルネサンス期の主にイタリア人 が使用している鎧と理解している。
12世紀にもなれば騎士様の全盛期はとっくに終わっとるしな それ以後は、良くも悪くも、一部署一部隊という駒にしか見られてない 戦場以外でも商人と教会に美味しい所食われて、縁組で階級だけの価値になっていく
212 :
世界@名無史さん :2011/06/07(火) 20:49:37.13 0
無謀な正面突撃すればミハエル・ヴィットマンが車長のタイガー戦車だろうと、 戦艦大和だろうとやられる訳だし。 騎士や騎兵の真価値はド・ラ・ヴァレットやナポレオンのような奴が指揮してこそ発揮できる。
騎士や装備から人物に替わっただけで
>>212 みたいな極論言う人もこのスレの人達と大差ないだろ
地形や人員数、それに応じた戦法などによって個々の兵科は強くもなり弱くもなる。 だから「これこれが最強」なんてのは無い。
>>207 いわゆる逆説というやつだね。
ただ、槍試合は互いの走路を柵で仕切ったり試合用のランスを使う事が定められてから専用の鎧が発展したはず。
>>214 そういうのを考察した上で、考えに間違いがあるなら別にいいんだけどな・・・
最初から最強を求めて安易な道に走る
それを厨二と言うんだ
騎士達の問題で一番大きかったのは なによりも功名心だったような印象がある。 戦争や戦闘というのは手段であって決して目的ではないのに、 出世、名誉、功名心から気がはやり、作戦を台無しにしたり、 そのせいで勝てる戦いも落とすことがある例も少なくないから。 逆に、味方の歩兵の士気を高めたり敵陣に恐怖心をばら撒くことを、 騎士や騎兵の突撃や戦闘能力に頼る部分が大きかったのも事実だが。
218 :
世界@名無史さん :2011/06/09(木) 07:49:52.09 0
あの・・・80kgの甲冑なぞ存在しませんが。体の表面積を80kgの鉄で覆うとかんがえて比重で計算すると 平均7mmくらいになります。重ねの部分は14mm。 工学のために80kgという数字はどこから出てきたか教えてください
俺も知っている限りでは 「最後の騎士」辺りの全身甲冑で20`、 板金技術の拙いそれ以前のもの、全身で特殊兵科のものがせいぜい50`。 頑丈なダブレット含めても80てのは、少なくとも俺は聞いたことないな。 盾槍でモノによっては20`とかするが、それも特殊ケースだし。
冨士宏の「城物語」の再開をずーっと待ってるんだがいつ頃になりそうかね?
221 :
sporran :2011/06/09(木) 21:46:14.29 0
という自演
とうとうsporranまで来ちゃったよ
224 :
世界@名無史さん :2011/06/10(金) 00:34:49.80 0
>210 完全に間違いですな。
おーsporran卿が御降臨なされてる。
>>221 下記の偏見が散見されるので、sporran卿の解説で見識を正して頂けるとありがたいです。
「弓矢はフルプレートアーマーを貫通する」(そして決まってクレシーやアジャンクールの戦いを例に挙げる)
「歩兵の剣や槍はフルプレートアーマーにダメージを与えられる」
「フルプレートアーマーで身を固めた騎士は鈍重で思うように動けなく徒歩による戦闘では軽装の者より不利だった」
「フルプレートアーマーで身を固めた騎士は軽装の者より落馬で死ぬ確率が高かった」
226 :
世界@名無史さん :2011/06/10(金) 10:33:08.24 0
デアゴスティーニ・ジャパン社発行 『週刊 歴史のミステリー』 バックナンバー042? 巻末のミステリー年表のコーナーにて 重さ80kgの鎧について記述あり。
なんて書いてあんの?
228 :
世界@名無史さん :2011/06/10(金) 12:08:30.03 0
小さな記事で 西洋甲冑についての説明があり その際、「重いものでは80Kgにもなる」 と書かれていた。
トーナメント用の一部の鎧を指してんだろうと思うけど。
230 :
世界@名無史さん :2011/06/10(金) 14:17:08.20 0
まあ露鵬とか琴欧州みたいな貴族がオーダーメイドで甲冑つくって、 鎖帷子や盾の重量まで入れたら一式でそれくらいにならないとも限らない。
デアゴステーニの情報の出典とか分からんのかな? まぁ超特殊というより、畸型や規格外、例外とも言えるものだから 特に何の参考になるわけでもないだろうが。
そもそも重騎兵て大半は騎士ではなく、専門職だよな。 サージェントアットアームズ。
233 :
世界@名無史さん :2011/06/11(土) 15:30:02.89 0
>231 お前的には西洋甲冑はどのくらいの重さだと 考えているの。 いくら大男が着ていたとしても80kgの鎧があった 事実は動かないよ。
234 :
世界@名無史さん :2011/06/11(土) 15:37:36.64 0
西洋甲冑武器事典によれば1590年頃のグリニッジ甲冑で32.3kg
235 :
世界@名無史さん :2011/06/11(土) 16:33:16.16 0
30sだったら、甲冑としたら重い部類じゃないかな。
ゲルマン人は騎士階級が形成される以前から騎兵突撃をしてたよね
80キロさん、なんか微妙に必死だな
238 :
世界@名無史さん :2011/06/11(土) 19:05:00.60 0
例外的に「突拍子もないものがあった」ことと80キロの甲冑が一般的だった こととは大きな差があるわな・・。
>>234 やっぱ甲冑だけの話ならその本が一番参考になるよな。
実際作ったり考察したりしてる人間だと、文の端々に美味しい情報があったりする。
著者の三浦さんは兄弟で和洋の甲冑師だからすごいよな
ま、権威があるからと言って、著者の話を全部鵜呑みにするつもりも無いけどさ。 専門家や世間の興味が薄い分野なら特に。 とりあえず疑って、甲冑以外の中世の文化を学び、そしてまた甲冑に戻ったりすると面白い。 でも現代で甲冑師ってのは、俺の厨二心が疼くぜ・・・!て気分になるよなw
242 :
sporran :2011/06/12(日) 00:10:21.23 0
>むしろ有利。あなたがtシャツ1枚で、わたしがプレートアーマーを着ていてお互い同じ武器。武術経験は抜きにしても私が有利。 ありがちな見解。 戦争、戦闘と言い換えても良いが 「相手のやりたい事をさせずに自分のやりたい事をやる」 「少ないリソースで相手に出血を強いる」 これが出来たものが勝利する。 重装歩兵と軽装歩兵との正面からのぶつかり合いで重装歩兵が有利なのは 防御力というアドバンテージを活かせる状況だから。 軽装歩兵が有利になる状況を生み出して戦えば勝負はわからなくなる この点が同じ環境で戦う「試合」と何でもアリの戦闘との違い。 >もし、軽装が有利というならそもそも甲冑や戦車、戦艦など重装甲のものはないはず。 重装備が有利ならば、フルプレートアーマーは戦場では消滅せず、陸軍は戦車だけ、海軍は戦艦だけになる。 防御力と機動力との兼ね合い、土地の取り合いは歩兵がいる、戦艦一隻と同じコストの駆逐艦群が出来るミッション数の差 状況、勝利条件によって有利不利は変化する。 // 弓矢の件に関しては、弓矢の威力に抗するために甲冑が発達してきたという経緯もあるので、 (クロスボウ禁止は十字軍で異教徒と戦う場合は通用しない決まりごとだったので) 火器が登場するまで飛び道具に対する防御という点では役に立たないという事はないかと
>アジャンクールやクレシーでも全員が高品質なプレートアーマーということもないでしょうし、コート・オブ・プレートもかなりいたでしょうから。 >火器が登場するまで飛び道具に対する防御という点では役に立たないという事はないかと 問題は経済力かと 武装一式で現代の価値にすると戦車が一両買えるって話なので。 大抵の封建騎士には代替わりするごとに新調するなんて、時代が大分下るまで無理。 先祖から代々受け継いだものを手直しして使っている人たちが大半だろうし。 古くなったり体のサイズが合わなくて、パーツだけ新調する例は日本の甲冑にもあるし あとは)戦場で拾ったり、身代金代わりに他の騎士から取り上げたりしたものを使ったり
海戦は敵を沈める戦艦と、戦艦を小型艇や潜水艦の襲撃から守る駆逐艦がいれば十分であります。
甲冑の話題、というか甲冑が「強い」か「弱い」かの話をする人の 薄っぺらさって、なんなんだろうね・・・ 騎士が強いか弱いかの話をする人も同様に そんなもん、時と場合によるとしか言い様ねーだろーに
247 :
世界@名無史さん :2011/06/12(日) 09:44:26.08 0
まあ戦闘用の重甲冑ってのは基本的に集団同士の決戦用で、 落馬した奴は剣や槍で突っつくより馬蹄で蹂躙した方がずっと早い。 体重1トンの馬に踏まれたり蹴られたら間違いなく即死か重傷。 甲冑来て落馬した奴が馬より早く走れる訳ねーし。 偉い奴が落馬したら従騎士や従者が守るのが基本。 戦場では偉い奴が偉い奴をぶっ倒すことに政治的な宣伝効果があってあとくされない。 小物がはりきって偉い奴倒すと嫉妬とかされて後々面倒。
>>もし、軽装が有利というならそもそも甲冑や戦車、戦艦など重装甲のものはないはず。 第二次世界大戦後はその方向に進んでるね>戦車、戦艦の軽装甲化 戦艦も戦車も装甲貫通されなくても多数の中、小口径弾が当たれば戦闘不能になると実戦で証明されちゃったし あと、安くで数を揃えられる駆逐艦や装甲車でも、戦車や戦艦の任務をこなせ、反対に戦艦や戦車では駆逐艦や装甲車の任務こなせないというのも大きい
軽装は軽装で 重装は重装で それぞれ使い所があるに決まってんじゃん 馬鹿なのか?
3.5世代戦車はみんな重装甲やで。 前面装甲だけでなく側面や天井も厚くしたで。
sporran卿ご解説をありがとうございました。 動画も見ました! アジャンクールやクレシーでは騎士に弓矢は効かず白兵戦で捕虜にしたそうですね。 >むしろ有利。あなたがtシャツ1枚で、わたしがプレートアーマーを着ていてお互い同じ武器。武術経験は抜きにしても私が有利。 これはsporran卿が実際にプレートアーマーを身に着けて戦ってる経験があるから プレートアーマーが戦いに必要な身のこなしに制限を加えるものでないことを知ってての発言ですよね。 どうも軽装有利と言ってる輩は動きに物凄いハンデを科す物だと勝手に思ってしまってるようです。 僕は装備したことないのですが、甲冑の需要があったことや騎士の戦闘での強さを考えると 戦闘を不利にする物(そうだったら誰も装備しません…)ではないことくらい常識で分かるのですが。
>>243 は論理がめちゃくちゃだなw
まず質問の狭義の戦闘を広義の戦闘に勝手に議論をすり変えての能書きから始まってる。
また「軽装歩兵が有利になる状況を生み出して戦えば勝負はわからなくなる」
については抽象的な一般論を述べてるだけの空虚なレス。
徒歩による戦闘であの防御力を打ち破れる、またそれを上回るメリットを
発揮できるような状況なんてないんだが。身のこなしはほぼ同じだぞ?
次に海軍の例では、sporran卿の言ってることが理解できてない空回りレス。
「甲冑や戦車、戦艦など重装甲のものはないはず。」のどこを読んだら
「重装甲のものだけで十分」という意味にとれるんだ?
しかもここでも誰でも知ってる一般論をさも自分だけが知ってるかのように語ってる。
弓矢の話に至っては理由と結論がバラバラ…。カンベンしてくれw
sporranて人がキチガイなのはわかったから 長文もそこまでにしとけ
sporranはただの厨二コテ。 他の板でも無意味な長文電波飛ばしまくり。 年代や場所を省略し、参考文献も書かず、よく貼り付けるのはつべのURL そして妙な誤字脱字も多いのでチョンって話もあるが
>発揮できるような状況なんてないんだが。身のこなしはほぼ同じだぞ? Yes 短時間での身のこなしはほぼ同等。したがって「身のこなし」を競っては有利にはならない。 有利なのは全装備の重量差。身のこなしのハンデではなく持久力のハンデを利用する 正面から戦わず、長時間引っ張りまわしてやる。足場の悪い環境に引き込んでやる。 追いかけっこですね。どっちが先に疲れ果てるかという話です。 >次に海軍の例では、sporran卿の言ってることが理解できてない空回りレス。 引用は全て行う事 >もし、軽装が有利というならそもそも甲冑や戦車、戦艦など重装甲のものはないはず。 >「重装甲のものだけで十分」という意味にとれるんだ? いいえ。「重装備が有利なら軽装は存在しないはず」と言い換えているだけです。 同じ理屈をそのまま返しているだけですね。 >弓矢の話に至っては理由と結論がバラバラ…。カンベンしてくれw ふむん 1.鎧は飛び道具に対抗する為に発達してきた 2.よって飛び道具に対してはある程度の防御力があってしかるべき 以上 ドコがバラバラなのか後学の為に詳しく。
257 :
sporran :2011/06/13(月) 08:47:29.42 0
そして妙な誤字脱字も多いのでチョンって話もあるが へえ?それは知らなかった。本人もしらなかったです。 誤字脱字があるだけで国籍が判別できるんですねえ。 五時だつじは変換の問題だとおもいますがなあ・・ 揚げ足をとるのはハルバート使いのように巧みなことです。 ところで、質問。あなたは実際甲冑をつけてどのくらい動けましたか? 狭義の戦闘をかたるなら、文献ではなく、実際どうであったのかという話を聞きたい。 わたしは陳列だけの博物館よりも、ライブ、体験のできる博物館の方が好ましいと思っております。
誰だよこいつ呼んだの・・・ 格闘漫画のスレにでも閉じ込めときゃいいのに
259 :
世界@名無史さん :2011/06/13(月) 09:42:43.08 0
だから騎士の甲冑ってのは読んで字のごとく、馬に乗って戦うのが前提だから、 徒歩戦で機動力がどうこうというのは的外れ。 戦車兵や戦闘機パイロットが戦車や戦闘機から降りたら特殊部隊より弱いって言ってるようなもの。 ミヒャエル・ビットマンがタイガー戦車から降りたら植芝盛平より弱いっていうようなもの。
>>242 どれも資料的価値は微妙だが
とくに落馬に関しては資料の価値は絶無だな。
スピードやら故意に落馬してることやら突っ込み所が多くてコントレベル
正直クソワロタ
今は軽装甲の戦車なんて存在しないぞ。 戦車はみんな重装甲だぞ。 海兵隊が上陸作戦に使う戦車っぽい奴とか、歩兵を運ぶ戦車っぽい装甲車は戦車じゃないぞ。
今時コテなんて付けてる奴なんざ、馬鹿かチョンしかいねーよ
>>261 重装甲で価格&運用費高騰で装甲車とか数揃えられるほうにシフトしてるね
数揃えられない兵器は使い道限られるんだよね
使い道限られた兵器は作戦も制限する
>正面から戦わず、長時間引っ張りまわしてやる。足場の悪い環境に引き込んでやる。 >追いかけっこですね。どっちが先に疲れ果てるかという話です。 足場の悪い環境→身のこなしがほぼ同じなのでハンデにならない。 引っ張りまわし→相手がずっと追っかけてくれるお人好しならいいんだが。 しかし疲れが防御力の差を埋められるとは思えない。 例え相手が疲れていても攻撃で効果的なダメージを与えられないが、 こちらは獲物を少しでも当てられたら大怪我か死。 sporran卿:「もし、軽装が有利というならそもそも甲冑や戦車、戦艦など重装甲のものはないはず。」 →甲冑や戦車、戦艦など重装甲のものは存在してますよね? あなた:「もし、軽装が有利というならそもそも甲冑や戦車、戦艦など重装甲のものはないはず。」 →(言い換え)「重装備が有利なら軽装は存在しないはず」 →状況、勝利条件によって有利不利は変化するからそうとは言えない。 ↑ sporran卿はそもそも有利不利の話をこの文で述べているわけではないのだが… だから「言ってることが理解できてない空回りレス」だと言ったのです。
>1.鎧は飛び道具に対抗する為に発達してきた >2.よって飛び道具に対してはある程度の防御力があってしかるべき 1.鎧は飛び道具に対抗する為に発達した 2.よって完成された鎧(フルプレートアーマー)には飛び道具は効かない
>1.鎧は飛び道具に対抗する為に発達してきた >2.よって飛び道具に対してはある程度の防御力があってしかるべき 1.鎧は飛び道具に対抗する為に発達した 2.よって完成された鎧(フルプレートアーマー)には飛び道具は効かない
おっと連投失礼。
sporran「卿」とか何コイツ、きめぇw ドゥフフフwwwwwとか言ってそう
自演だろバカ
sporran卿、他板だと元気なのに・・・・ お前らが苛めるから・・・・
272 :
世界@名無史さん :2011/06/18(土) 10:58:19.93 0
西洋の騎士なんてカタフラクトとかマムルークには敵わないし
※ sporran卿は自分の気に食わない展開になると、1行ageレスで荒らし始めます
もっと生活部分について書いてくれよ 生活レベルはどの程度だったとか、一日のスケジュールとかをさ
別スレあったのね、サンキュー
もしかしてsporranがただのフカシこいてるオジサンだと思ってる?
>>279 ちらっと見てきたが
>野太刀を馬上で操り武名をとどろかせていたけどマサカリや金棒を馬上で操り
>武名をとどろかせていた武将は聞いたことがない。
太平記ぐらい読んで来いと言いたくなった
取りあえずビルとかハルバードとか、長柄武器相手にはどうなの? 多分引っかけられたら倒れて終わりだと思うが
>多分引っかけられたら倒れて終わりだと思うが まずサーコートを着ていない状態だと鎧の表面を滑って引っ掛けられない。 引っ掛けられてもそう簡単に倒れない。 仮に倒れてもそのまま受身とって転がりながらすぐ起き上がれるよ。 馬上からだと長柄武器持った相手をさらに長いランスで一刺しって所か。
ゲームじゃねぇんだから、そう簡単にことが済むわけねーだろ
>>281 >倒れて終わり
よくある偏見。そりゃ余程特殊なトーナメント用鎧
(重量があって腕が固定されてたりする物)の話であって、
実際の鎧は見た目から想像できないくらい軽快に動ける。
倒れたら起き上がれないは嘘だけど倒され易いとは思う。 重心のバランスや視界も狭いし見えないとこから引っかけられたら簡単に倒される。 でもプレート着られるような金持ち騎士なら殺されずに身代金払われるまで 丁重に捕虜になるだけだから問題なかったんじゃない。
ところで騎士が戦争で相手を殺した場合って 日本の首取りみたいに報償って出るの? 出ないなら敵を殺したら身代金を取れなくなる分儲からなくなるのかな。 イメージ的にヨーロッパの戦争って戦場外での略奪、虐殺が凄いけど 戦闘では騎士は人質、残りは奴隷にするんであんまり戦死は無さそうなんだけど。
>重心のバランスや視界も狭いし見えないとこから引っかけられたら簡単に倒される。 ちゃんとした鎧を着込んでみれば「重心のバランスや視界も狭いし」というのが そうでもないことが分かるよ。 特に重心のバランスや重量が1点にでなく体に均質にかかるように鎧には様々な工夫が凝らされている。 鎧は最先端技術の塊だし、鎧製作の中で生まれた仕掛けや技術がその後様々な分野に広まっていった。 詳しくは三浦さんを訪ねてみると1つ1つ謎を解き明かすまでの色んな苦労話が聞けて面白い。
こういう中世の鎧について学ぶ入門編みたいな本って何がありますか? 興味が出てきたんだが、このスレでは知識が錯綜していてイメージができない
>>289 ありがとう
やっぱり高いな、行き付けの図書館に置いてあるのを祈って探してみる
この程度のものを高いとか安いとか言ってる時点で 専門学をどうこうってのは無理だぞ・・・
自分の氏名に、所属する騎士団の名称を加えて名乗るっていう決まりのある騎士団って知らない? 騎士についてwiki漁ってたらそういう記述見た気がするんだけど、今探しても見つからない
294 :
世界@名無史さん :2011/07/23(土) 12:15:51.92 0
このスレって騎士という抽象クラスの性能については語られているけど、 騎士の個々人についてはあまり話題になっていないよね。 最強の騎士といえばフランスのバイヤールだと思うんだけど、 皆さんのイチ押しは誰かな?
ネフスキーの戦闘力が尋常じゃない件
∧_∧ ┌──────────── ◯( ´∀` )◯ < 僕は、アロンソ・キハーノちゃん! \ / └──────────── _/ __ \_ (_/ \_) lll
>>294 あのね、ちょとね、まって。ちょっとね
ほんとこれは私あきれすぎてですね、開いた膣がふさがりませんよ。
でも今ふさがりました。良かった〜。 フフッ
あのね、いいすか。「バイヤール」と来ましたかあなた。
ああ。
嘆かわしい。 つかまた膣開いたわ。
「最強」ですよ?「騎士」ですよ??お????あ゛??う゛ぇっ?
あのね、そのどちらにしても、その名乗りを上げることが許されるのは
只一人。
秋山好古。
「最強」。「騎士」。 はい。
ね、あなた。辞書ひいてご覧なさい。はい「最強」、ね。引いてみる。
「最強」 → 秋山好古の事。 出てるじゃないですか。ずばり。現代騎兵の乳っすよ。 僕の馬乳酒もガブ飲みされそうです。 つかまた膣開いたし。うける。 「騎兵」を、あえて騎兵なのに、「馬」に乗らない戦術を選んだ。(→じゃ馬の立場は?) 吉祥寺公園にギターとアンプを持ち込んで、 恥ずかし気な顔をしてもそれでも健気に、30分ばかりまごまごして、帰った。男。 「あえて表現活動をしないと言う表現方法」を選んだアーティスト(自称)。 無気力のなのに相撲をとった!→「無気力相撲」 わかる。わかるます。 私はそういうのわかるし、英検4級だって持ってる。=イングリッシュも分かる。 それなのにね、あなた方と来たらね、↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓
↓
黄金の鉄の塊の騎士の鎧の前にはロングボウも意味なし(なんせ鉄の塊の為)だとか
落馬しても受身をパシーン!と地面を叩いてとれば、
あの窪塚ですら9階からの落下にも耐えれた(人工肛門で済んだし奇矯な言動も無くなった)。
あの窪塚ですら!
って事は騎士サマにいたっては合戦の前夜あたりから肉とか食ってエイチピーがすごい事に
なってるわけで、下手したら日航機123便すらクリアするかも知れない!でも俺は再現映像だけでこわい!
↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑
なーんて。
いいですかあ?貴方がたは詰めが甘い。そんなんじゃないのっ!ブリッ!ビビッ!!
>>282 さんが仰っておるでしょう!よっく見とけよお前ら!
「馬上からだと人工肛門持ちの相手をさらに長いランスで一刺しって所か。 フッ。」
これです。幾多の戦場を転戦し続けた
>>282 氏の一言ならではの重さ。
人工肛門のノズルのリーチをはるかに超える股間のランスの一撃のえげつなさは
当然、時の教皇にもこの話は伝わり幾度と無く禁止命令が出されますがしばしば無視されました。
ここら辺のいきがかりは、騎士のトーナメントに百姓がちゃっかり身分を隠して出場し、
トントン拍子に勝ち上がり、たちまち売れっ子大騒ぎになり、
今じゃ適当に女とおセクするだけで大企業の取締役(ドアや窓を閉める役。窓際族。)を譲られてヘラヘラするという、
誰がどう見ても腹が立つ内容の漫画にまとめられてモーニングで今もなお連載し続け、
おかげで中央線に飛び込む万年係長さん達のマグロ発生件数の伸びに歯止めが効かない状態になっております。
あ、映画でも出てたな、邦題は確か「ファック・ユー」だったかな。
確かドリフ系。
皆さんもツタヤに行けば、
>>282 氏のまさに「槍働き」で築き上げた人生のハードさを見ることで、
今すぐでもほか弁のバイトを辞める決心がつく事請け合いです。てか辞めたし。 うける。
301 :
世界@名無史さん :2011/07/26(火) 15:19:34.29 O
フルアーマーの騎士団が軽装のモンゴル軍に負けたのは何故? あの鎧ならモンゴル軍の武器の弓矢も通さなそうなのに。
302 :
世界@名無史さん :2011/07/27(水) 03:16:12.93 0
軽騎兵の偽装退却で切り離されたところを重騎兵が襲撃し、 また反転してきた軽騎兵も攻撃に加わり逆包囲される為。 また、騎士に矢が当たっても貫通しない云々はあまり意味無い。 走行中の馬は、矢に限らず何か飛行物体が当たった場合、 棹立ちになったり暴れて操縦不能に陥る事が多いから。 最悪の場合落馬する。 馬鎧着せたりしてもあまり意味ない。ぼうぎょりょく が あがる。かも知れないが、 問題はそもそもぼうぎょりょくでは無く、 臆病で神経質で興奮しやすく、言葉も通じない動物は往々にして制御しきれないこと。
13世紀じゃそんな大層な鎧じゃないでしょ。 バケツひっくり返したようなヘルメットに帷子メイン。 それにプレートアーマーも見た目ほど強いわけでもなさそう。 この辺は、ディスカバリーチャンネルやヒストリーチャンネルの番組内の実験(実物の複製やそれと同じ厚さの鉄板使用)を見た限りでは。 まあ、こういうのはどこまで信じていいのかわからんけど、こちら側にはそれを肯定/否定する資料も実験結果も無いのでなんとも。 とりあえず日本刀があれば致命傷与えられるレベル、と言っておこうw
304 :
世界@名無史さん :2011/07/28(木) 07:13:37.68 O
ワールシュタットの戦いは史上稀に見る包囲殲滅作戦、 欧州騎士団は無惨に完敗したね。 でも常勝将軍バドゥでは相手が悪かったともいえる。 バドゥの他の戦いもみんな圧勝だしね。
>>301 >フルアーマーの騎士団が軽装のモンゴル軍に負けたのは何故?
当時の騎士はメイル・ホウバークぐらいしか装備してません。
イスラム王朝のグラーム騎兵なんかの方がメイルとラメラーアーマーを
重ね着してたりするからよっぽど重装甲でしょう。
306 :
世界@名無史さん :2011/08/04(木) 21:21:54.29 0
>>304 攻城戦では各地で撃退されまくってるけどな
よく調べてりゃ分かるが守りの堅い都市は放置しまくって避け続けたからあの短期間でウィーン手前まで侵攻できた
>>301 歴戦のモンゴル騎士相手じゃ仕方ないだろ
十字軍を負かしたのもイスラム騎士だし
どうしても厨二とゲーム知識溢れるスレになっちゃうよな・・・・ 頭のおかしいコテもたまに湧くし
>>301 >フルアーマーの騎士団が軽装のモンゴル軍に負けたのは何故?
当時はフルアーマーじゃなくて鎖帷子だったという知識もない人もいるんだなぁ。
仮に時空を越えてバトゥ率いるモンゴル軍が
ルネッサンス式フルプレートアーマーを着込んだ騎士団と激突したら
自慢の弓も剣も刃が立たず、ご想像通りちゃんとモンゴル軍はなすすべなく完敗するよ。
310 :
世界@名無史さん :2011/08/12(金) 07:50:42.64 0
>>305 貧乏な欧州の騎士よりも
裕福なイスラムの騎士のほうが重装備していたのは間違いない
311 :
世界@名無史さん :2011/08/12(金) 07:51:55.54 0
欧州が軍事力で優位にたつのはナポレオン以降だからな
312 :
世界@名無史さん :2011/08/12(金) 07:54:01.68 0
313 :
世界@名無史さん :2011/08/12(金) 12:00:43.72 0
>>311 17世紀の後半からすでに欧州が優位に立った
18世紀以降はイスラム?なにそれ?の状態に入ってる
314 :
世界@名無史さん :2011/08/12(金) 13:32:27.63 0
イスラムに対しては17世紀の段階でほぼ互角だろう 騎馬民族に対しては既に16世紀の段階で上回ってる
315 :
◆axCVsGomao :2011/08/13(土) 10:16:05.08 0
>>313 17世紀後半だとまだオスマン帝国は優勢だよ
ナポレオンのエジプト遠征でオリエンタリズムが始まった
316 :
◆axCVsGomao :2011/08/13(土) 10:18:21.04 0
ナポレオンはアッコ包囲戦の後に [1799年に]アッコを奪っていたら、私はターバンを巻き、 わが兵士に大きいトルコズボンをはかせ、どうしても必要な戦いにのみ彼らを戦わせただろう。 私は、彼らを神聖な部隊 - わが親衛隊 - としただろう。 私は、トルコとの戦いをアラビア人、ギリシャ人、アルメニア人の軍隊によって完遂しただろう。 私はモラヴィアで戦う代わりに、イッソスで勝利しただろう。 私は東洋の皇帝となり、コンスタンティノープルを通ってパリに戻っただろう。[1] こんなこといってるんだよな ナポレオンの時代まではイスラムを少なくとも見下してはいなかったということだと思う
317 :
◆axCVsGomao :2011/08/13(土) 10:19:38.38 0
ナポレオンがターバンを巻いて東洋の皇帝になりたいっていってんだからなあ これってアレクサンドロス大王の真似なんだろうけど ナポレオンの時代までは東方世界は豊かだという幻想が残っていたんだろう
318 :
世界@名無史さん :2011/08/13(土) 10:22:45.49 0
アッコ包囲戦。 あの鐘を〜 ならすのは あなぁたぁ〜
319 :
世界@名無史さん :2011/08/13(土) 10:25:36.88 0
320 :
世界@名無史さん :2011/08/13(土) 16:30:13.14 O
プレートアーマーの下は、肌着+股引+ショース?
321 :
世界@名無史さん :2011/08/13(土) 17:00:21.59 0
>>315 >17世紀後半だとまだオスマン帝国は優勢だよ
第二次ウィーン包囲の時オスマンの装備と軍制がすでに欧州諸国に遅れて
大きさだけが取り柄の国になってしまった
ハプスブルク家がスペイン継承を優先せずオスマンとの抗争を最優先すれば
ウィーン包囲が起きないままオスマンがハンガリーから駆逐されてた
もちろん大敗はないからオスマン勢力の退潮が史実より緩やかなものに
なってたと思うけど
オスマン帝国を粉砕したポーランド槍騎兵。 騎兵が敵をけちらすのがが戦場です。泥臭い歩兵なんかいらないんや! 騎兵ばんじゃい
>>323 装甲槍騎兵全盛期でも一応ハイドゥクやコサックの歩兵隊がいた
そりゃ騎兵だけで戦争はできないから当然だろ
327 :
世界@名無史さん :2011/11/01(火) 03:55:31.15 0
騎士の体格と農民や一般市民の体格の差ってどれくらいあったんだろう? 文献ないかな? 食生活も日々の生活(訓練)も全然違ったのだから 屈強な大学生と痩せた中1くらいの体格差があったのだろうか?
328 :
世界@名無史さん :2011/11/03(木) 00:27:18.28 0
流れブタ切りで先に謝るけど ジャンヌダルクこそは戦場の華だと思う と言うか、彼女以上の女騎士ってあまり居ないよな?
フィリッパ・オブ・エノーとかは?
ジャンヌは戦士でこそあれ騎士ではないだろう。 それもいいように戦士に仕立てあげられ利用されたマスコットだし。
フィリッパのご先祖様で、旦那のスティーブン王を奪還するために 傭兵引き連れ殴り込んで来たマティルド・ド・ブローニュとか
332 :
世界@名無史さん :2011/11/03(木) 14:20:37.00 0
ジャンヌは命令なくても勝手に突っ込む奴だからやっぱり騎士といっていいだろう。
命令もないのに突っ込む蛮勇が騎士だとは恐れ入る。 騎士とは何かを勉強する必要があるんじゃないのか?
>>332 「騎士」ってのは身分だから。君主からの叙任がなければなれないのよ。
335 :
世界@名無史さん :2011/11/03(木) 15:05:26.58 0
騎士ってノルマン人の劫掠に対抗するために生まれたらしいね
336 :
世界@名無史さん :2011/11/03(木) 15:11:18.87 0
>>327 庶民はもちろん、
ノルマン系騎士とゴール人やアングロサクソン人騎士でも
相当身長差あったんじゃない?
>>334 それはルネサンス以後の話で、当時はまだ、騎士である人なら誰かを騎士に叙任できたのでは?
Fount of honourの概念がいつ頃確立したのかよく知らないけど。
338 :
世界@名無史さん :2011/11/03(木) 19:47:25.30 0
命令なしで勝手に突っ込むのがフランス騎士の特徴。クレシーでもアジャンクールでもそうだった。 叙任とかどのくらい真面目にやってたのかよくわからんよね。 叙任にこだわったフランソワ1世はバイヤールに叙任してもらったらしいが、 臣下に叙任させる主君とか立場が転倒していて自己満足っぽい。 別に騎士の叙任式してないと家督・爵位を相続できないわけでもないだろうし、 叙任式とかしないで参戦してた国王や貴族も多かったのでは?
フランス騎士が命令なしで突撃する性質であるのと、命令なしで突撃した人だからその人は騎士だと言うのは意味が全く違うよね。
340 :
世界@名無史さん :2011/11/03(木) 20:08:09.39 0
いやフランス人は他人の命令がなくても真っ先に突っ込む勇気を騎士の最大の美徳と考えるんだよ。 たとえそのせいで大負けしたとしてもそれは不名誉ではない。 ましてジャンヌは肩に負傷した状態で剣を持ち、甲冑に身を固めて最強の英軍に突っ込んでいって勝利した訳で。 今フランス兵が同じことやってもシュバリエレジオンドヌールもらえるレベル。
すでに騎士である人の美徳ではないの?騎士道精神にあふれた人との評価ではあっても、そのことで公に騎士と認められるわけじゃないのでは?
342 :
◆axCVsGomao :2011/11/03(木) 20:13:47.41 0
銃火器登場以前の最強の騎士はマムルーク
343 :
世界@名無史さん :2011/11/03(木) 20:15:52.93 0
近代においてドイツ圏ではリッター(騎士)は下級貴族の世襲称号になっているのに、 イギリスではナイト(騎士)は一代限りの栄典になって、世襲称号ではないということ。 イギリスにも、大陸諸国のリッター、シュヴァリエに相当する下級貴族の末裔はいたはずだが、 そういう地主階層はなんで騎士身分でなくなったんだろう?
344 :
世界@名無史さん :2011/11/03(木) 20:55:13.89 0
イングランドにはジェントリーとかヨーマンリーってのもいるよね。 ヨーマンリーは爵位のない平民大農場主だが、戦時には義勇騎兵になる。 貴族ではないが社会的地位も高いから別に騎士である必要もなくなったとか。
345 :
世界@名無史さん :2011/11/03(木) 20:58:32.21 0
つまり騎士でなく紳士になったのか。
>>343 世襲の騎士=バロネットでしょ。騎士とバロネットの差は世襲かそうでないかしかない。
いま三銃士が映画で話題だけどフランスのお話なんだね バロワ朝時代のことなのかな?
348 :
世界@名無史さん :2011/11/04(金) 19:34:57.97 0
しかしここで言う騎士って身分称号のことじゃなくて、要するに甲冑着て槍もって乗馬して戦う白人キリスト教徒のことだよね。
スレの主旨は世界史板らしく「身分称号としての騎士」なんだけど、時折「創作物の騎士イメージ」で話す人がいるから・・・・
350 :
世界@名無史さん :2011/11/04(金) 20:52:14.90 0
称号としての騎士だとワイン騎士とかベルギービール騎士とか、 フランスチーズ鑑定騎士とかいうのも実在するらしいが。
それは「現代の称号騎士」でしょ?
352 :
世界@名無史さん :2011/11/04(金) 21:42:57.82 0
>>344 旧サクソン貴族と騎士身分が融合して、
ジェントリー層が作られたみたいだね。
>>343 シュラフタの別称はリツェシュ
語源はリッターと同じ
騎士について卒論書きたいんだけど、なんかいいテーマない?
>>354 ・騎士に預けられた5歳の子供が騎士になるまでの訓練の日々や生活について
・高度に発達した騎士の戦闘技術(剣術、体術、馬上槍術)のすべて
・第2の戦場、馬上槍試合について〜当時の記録を紐解く〜
・フルプレートアーマーに使われた当時最高峰の技術について
356 :
世界@名無史さん :2011/12/11(日) 20:21:14.18 0
グルンヴァルト歴史祭りに行ったことのあるやついるか?
357 :
世界@名無史さん :2011/12/11(日) 20:46:53.48 0
卒論だよ? 聖杯伝説がなぜ騎士の世界で広まったのか? そういう疑問を呈して自分なりの解答、考察がついて初めて卒業できるんじゃなくて?
358 :
世界@名無史さん :2011/12/12(月) 16:25:16.27 0
幼少からトレーニング積んだ遊牧民やマムルーク騎士のほうが強いお
騎兵と騎士は分けたほうがいいだろ 騎士は貴族の称号でもある 騎兵は機能から見たもの 貴族である騎兵は大概は重騎兵で、貴族でない騎兵は大概は軽騎兵 重騎兵の意義が薄れてきた18世紀半ば以降は貴族も軽騎兵になる
ポーランド・リトアニア共和国だけは例外 というのも貴族の数がめったやたらに多かったから そのため貴族では重騎兵フサリアに入隊する者が多かったものの、 軽騎兵ウーワン(ウーラン)に入隊する者も多数いたし、歩兵になる者も多数いた なお、現代でも最礼装とされるフロックコート(モーニングよりも上位)は もともとこのポーランド軽騎兵ウーワンの軍服
362 :
世界@名無史さん :2011/12/13(火) 00:40:58.13 0
「軽騎兵の最強はコサックとな?はっはっは、秋山閣下も勉強不足ですな!世界最強の軽騎兵はウーランですぞ。」
363 :
世界@名無史さん :2011/12/13(火) 15:46:28.13 0
欧州の騎兵の歴史に詳しい俺でもウーランなんて初めて聞いたわ
364 :
世界@名無史さん :2011/12/13(火) 18:54:56.12 0
イギリスの騎士だけど、中世の身分制議会では下院は騎士と都市の代表だったから、 当然、騎士身分というか騎士という下級領主層が存在したわけだ。 ところが近代以降は、騎士(ナイト)というのは一代限りの称号、栄典となっている。 一方、ドイツ語圏では騎士(リッター)を世襲称号にしている連中がごろごろいて、 WW2の国防軍将校にもリッター・フォン・なんちゃらなんてのが何人もいる。 なぜイギリスでは騎士身分や騎士号の世襲がなくなったのか?また、それはいつだったのか?
365 :
世界@名無史さん :2011/12/13(火) 18:58:28.78 0
イギリスの騎士だけど、中世の身分制議会では下院は騎士と都市の代表だったから、 当然、騎士身分というか騎士という下級領主層が存在したわけだ。 ところが近代以降は、騎士(ナイト)というのは一代限りの称号、栄典となっている。 一方、ドイツ語圏では騎士(リッター)を世襲称号にしている連中がごろごろいて、 WW2の国防軍将校にもリッター・フォン・なんちゃらなんてのが何人もいる。 なぜイギリスでは騎士身分や騎士号の世襲がなくなったのか?また、それはいつだったのか?
366 :
世界@名無史さん :2011/12/13(火) 19:17:32.43 0
オスプレイのメンアットアームスの「ウェリントンの将軍 ナポレオン戦争の覇者」 読んだら、ウェリントンの部下の85人の将軍(少将以上)のうち、 貴族は3人、貴族・准男爵の子弟21人、残りの61人は平民(ヨーマン・ジェントリ他)で、 パブリックスクールの卒業者は22人、大学卒業者7人、士官学校卒業者12人で、 あとは学歴なしだったという。 ちなみにこのころの中隊や連隊は、今のプロ野球チームのような感じで借金で給料払えなくなった中隊長連隊長が、 金のある平民に部隊を売却できた。部隊を買収した平民は部隊の指揮官になりいきなり大尉や中佐になる。
367 :
世界@名無史さん :2011/12/13(火) 19:20:16.35 0
第一次大戦のドイツのトップエース、リヒトホーヘンもウーラン(槍騎兵)だった。
368 :
世界@名無史さん :2011/12/13(火) 20:10:52.78 0
ジェントリは中世の騎士身分の後継者と考えていいのかな?
369 :
世界@名無史さん :2011/12/13(火) 23:49:59.57 0
>>363 ウーラン知らないなんてモグリだろ
>>367 プロイセンのウーランはあの独特のチャプカまで含めてほとんど完全にポーランド風
オーストリアのウーランはそもそもポーランド人が大半
ロシアのウーランだけまったくポーランド的でない
370 :
世界@名無史さん :2011/12/13(火) 23:52:10.74 0
第二次大戦で戦ったポーランド騎兵たちは地球最後の騎士といえるがあれはフサリアでなくウーラン
371 :
世界@名無史さん :2011/12/13(火) 23:53:32.95 0
ジェントリは自由民のうち有力層が起源だろ
373 :
世界@名無史さん :2011/12/14(水) 01:05:15.02 0
一方一時大戦中のイギリスのある将軍は フランス軍の将校に貴族が少ない事を嘆いている
第一次の航空機パイロットの貴族率の高さは異常
375 :
世界@名無史さん :2011/12/14(水) 14:26:37.06 0
ある程度お金持ちで教育レベルも高くないと飛行機乗りになれない つまり中産階級 そして欧州のほとんどの国で中産階級というのは下級貴族層から始まって商工民層に移っていった そのため航空機時代の初期はまだ飛行機乗りは下級貴族層が主流
376 :
世界@名無史さん :2011/12/14(水) 14:26:41.72 0
ドイツの戦闘機パイロットは騎兵から転科した奴が多いからそうなる。 つまり連中にとっては戦闘機=乗馬、機関銃=槍だった。
377 :
世界@名無史さん :2011/12/14(水) 14:32:48.49 O
ジェントリ層は、騎士身分と旧サクソン貴族身分が融合して生まれたとイギリスの教科書では教えられている。
378 :
世界@名無史さん :2011/12/14(水) 14:50:00.18 0
ジェントリは旧サクソン貴族というよりは有産の旧サクソン自由民 そもそも貴族じゃないし 身分的に融合したわけでもなく、要するにノルマン・コンクエスト以前からの土着の地主の子孫
379 :
世界@名無史さん :2011/12/14(水) 15:36:54.08 O
だからね、ノルマン支配下になった後、旧サクソン貴族のかなりの人々が貴族身分を保障されずに、自由民の地主層になったの。
380 :
世界@名無史さん :2011/12/14(水) 15:41:54.17 0
旧サクソン社会でも貴族がそんなに多かったはずはない
381 :
世界@名無史さん :2011/12/14(水) 16:42:24.59 O
ヨーマンと間違えてるよーな…
ヨーマン階層の内部で所得格差が発生して豊かな方つまり勝ち組のほうがジェントリになった
383 :
世界@名無史さん :2011/12/14(水) 18:04:44.08 0
そういえばヨーマンってゲームだとロングボウ(イメージ的にはアジャンクールの戦いの弓隊)の上位クラスみたいな最強の長弓使い的位置づけだけど何でなんだろう
>>382 それ、新興ジェントリ層だろ。
さっきから、やたらズレた知識をドヤ顔で答えてるヤツがいるが。
新興ジェントリ層www ジェントリそのものが近世の新興層(ニューリッチ)なんだがwww
つかさ、ジェントリって13世紀には出来てるものだけどwwww
初期のはサクソン領主、有力者中心。
後期のは14-15世紀のヨーマン富裕者層などが新たに加わったもの。
>>385 お前が馬鹿。もっと勉強しろよwwwwwwwwww
387 :
385 :2011/12/14(水) 19:45:16.67 0
まんこ
>>386 うはwww広げすぎwwwニワカ発見www
郷紳(弱小地主)としての意味の「ジェントリ」は1540年ごろからの用語
1240年ごろ現れた「ジェントレス」という、当時貴族を示した用語と区別するのが大常識
389 :
386 :2011/12/14(水) 19:55:50.34 0
まんこ
386即死
まんこが広がってるのかと
目新しいことを書かれても相手に「だからね」とか「ドヤ顔」とか「馬鹿」とか言っちゃあだめだよ 今回みたいに自分が知らなかっただけってこともあるんだからさ
393 :
世界@名無史さん :2011/12/14(水) 21:30:49.30 0
sporranまだいたのか・・ 冒険って変な文書く奴もまだいんのかな?
某研は最近見ないなあ
395 :
世界@名無史さん :2011/12/15(木) 00:17:16.65 0
イギリスの騎士なんて称号だけで実態がないだろ 騎士同士の戦いにしてもイギリスは傍流も傍流、辺境と言ってもよい そろそろイギリスから離れようよ くだらないから
396 :
世界@名無史さん :2011/12/15(木) 15:43:09.01 0
いや十字軍や百年戦争の主役だろ。 ただ十字軍のころのイギリス騎士はフランス出身が多かったりするが。
まんこ
騎士=まんこ
386も390も392もまんこ
400 :
世界@名無史さん :2011/12/15(木) 19:21:18.78 0
トーナメントって種類によっては、どういった競技かわからない物が あるんだっけ? 教えてー誰か。
百年戦争なんてのは、小紛争がダラダラ続いていただけ。 イギリス人の話が大げさなんだよ。
402 :
世界@名無史さん :2011/12/16(金) 01:29:06.64 0
百年戦争はもうほとんど傭兵が主役の時代 行軍して焼き討ちと略奪をするのが主なお仕事 ポワチエとかアジャンクールみたいな大規模正面衝突は稀 途中平和な時代もあったけどフランス王家で内紛が勃発すると フランスの王族のドアホの誰かがイングランド人を呼び込むのが毎度のパターン
そもそも中世騎士が勇壮に見えるのは儀礼のときだけであって、 戦場では総当たりの混戦になるとただの足手纏いだったからなー だからこそ本当に騎馬行軍や騎馬戦が必要だった中東欧では 騎士の鎧や武器がどんどん実戦的に改良されていったわけで
404 :
世界@名無史さん :2011/12/16(金) 14:20:05.41 0
いやいやフランス騎士の威力は甲冑より馬体重1トンのアングロノルマン馬そのもの。 東欧の軽騎兵が遊撃戦中心にするのは、馬が小さいから。馬体重400kgとかでアングロノルマンの半分以下。 真正面からぶつかったら馬で勝てない。散らばってる歩兵も速攻で轢殺される。 アングロノルマン種はばんえい競馬の馬で地方競馬のアラブ馬とは違う。 それが100頭並んで突っ込んできたら、クレシーみたいに杭を並べるか、 スイス歩兵みたいに長槍で槍ふすまつくるか、荷馬車で円陣つくるか、 スペイン兵みたいにテルシオつくるか、とにかく大集団で対抗する他ない。小集団では一蹴される。
405 :
世界@名無史さん :2011/12/16(金) 14:25:04.98 0
>>404 中世騎士にそんな横列ランスチャージなんかなかったよ。
映画とかぜんぶ嘘。日本の戦国映画でなぜかアラブ馬使ってるのと同じ。
だからこそそういう戦法ができればいいなっていう理想論があった。
406 :
世界@名無史さん :2011/12/16(金) 14:26:27.13 0
そもそもアングロノルマン種は19世紀に生まれた馬種だろうがw
どうも知られていないようだが、中世の英仏の騎士が乗っていたのは実はポニー
もうひとつ、これも知られていないようだが、 中世晩期にオスマン帝国との戦争や外交を通じて欧州ではじめてアラブ馬を導入して大規模に育成し、 欧州が何世紀にもわたって理想としながら実現できなかった、質量兵器としての巨大騎兵軍団を構築したのはポーランド
409 :
世界@名無史さん :2011/12/16(金) 14:34:59.35 0
>>408 いやそれは知ってるぞw
ヘタリアでもポーが羽根背負って馬に乗ってるからな
英国史の大半はウリナラファンタジー
ヘタリアって読んでないから知らないけどWW2のイタリア軍ネタ(=偏った知識)から発展した本だろ ポーランドはWW2の騎兵旅団ネタ(=偏った知識)で弄られてるだけじゃないの? 時代が500年以上違うんだがお前は一体何を知っているのか
WW2のポーランド騎兵は機械化ウーランであり、ポーリッシュ・ウイングド・ハサーではない ヘタリアのポーランドキャラは漫画の中で時おりポーリッシュ・ウイングド・ハサーに扮したりするようだ
ウーランて何?
>>407 ポニーや北アフリカ原産のバーバリ種だよ。
バーバリ種はスペインのムスリムを通じて、西欧に広まった。
英仏で使用された馬は体高120-140cm。
ポニーは130cm以下のものを指す。
当時、大馬と呼ばれたものはこの体高140cm程度のもの。
つまり当時の英仏の騎士が乗っていたのはポニーかそれよりほんの一回り大きい馬にすぎない。
英仏特に英国によくいるタイプの夜郎自大的な類の歴史家は170-180cmあったとか言い散らすが、
そんな大馬に合わせたような馬具は英国では見つかっていない。
ロンドン市立博物館の調査では、中世英国では最も大きな個体で150cm程度だったはずだとのこと。
ちなみに西欧におけるバーブ馬(リビア馬)の血統は大体130-140cm。
>>414 がバーバリ種と呼んでいるもの。
欧州における軍馬の本格的な品種改良がポーランドで始まったというのは
>>408 の言うとおり本当。
ジグムント2世アウグスト王の王立養馬場。
トルコとの戦争でトルコ軍を蹴散らしたときにトルコ軍の持っていた立派な馬を持ち帰っていたが、
16世紀初頭にジグムント2世が即位すると、そういった馬を種馬にし、地元の馬のうち
優れた素質を持つ個体と掛け合わせていった。
その約200年後にはピョートル大帝がロシアにおける軍馬の品種改良を始めているが、
それまで欧州における軍馬の品種改良ではポーランドの独壇場だった。
ポーランドのフサリア重騎兵が2世紀近くも無敵だった理由のひとつだろう。
ガリアは馬の産地。フランクが継いだ後も、ナルボ(ナルボンヌ)の馬市は有名だった。 今もやってるのかなぁ。
今は馬の産地だとノルマンディの方が有名じゃないかな
>>415 軍馬ではないけど、サラブレッドの古い血統を遡てみても、
表記上はドイツ産になってるのだけどポーランド地域で生産された馬も結構いるね
ポーランドでは20世紀までアラブ馬の品種改良では世界のトップだったが、 第二次世界大戦とその後の時代にドイツとソ連によってその養馬場のほとんどが潰された。 冷戦期にアラブ馬の品種改良はアメリカで本格化したが、その種馬は主にポーランドとエジプトから輸送された。 その技術もアメリカで亡命ポーランド人たちが代々継承していった。 それでも冷戦期にポーランドで細々ながら養馬が行われており、 世界史上最高の名馬エル・パソを生み出しアメリカに送っている。 ポーランドでは1989年12月の民主化により養馬事業が全国的に復活、再びアラブ馬の品種改良が盛んになっている。 隠された歴史を発掘するのはおもしろい。
いまエル・パソを検索してみたらポーランド在住日本人のブログで紹介されていて、 写真も載っている。
ルイス・フロイスだったか、日本に滞在した時 欧州(西欧だろうね)の馬もアラビアの馬と比べてたいしたことないが、 日本のサムライが乗ってる馬はポニーというよりむしろ駄馬だ みたいなことと言ってる
コーヒーと馬
結局、中世のイギリスやフランスの騎士の大半は騎馬で移動はするものの、 そのまま突撃するというのはほとんどやらず、 基本的には馬を下りて、後ろの兵にその馬を預けて、徒歩で前に出て戦っていた
日本の騎馬武士と同じだな
424 :
世界@名無史さん :2011/12/17(土) 08:53:28.23 0
11世紀ごろには十字軍遠征によってすでにアラブ馬はイギリスやフランスでも知られていたらしいし、 ぽつぽつは本国に持ち帰っていたらしいが、本格的な繁殖や品種改良の事業はポーランドが始めるまで西洋ではちゃんと行われなかったのはなぜか? 立派な馬を作ることに興味ないわけがないと思うが? 馬の品種改良の技術がなかったのか?当時のアラビア半島では盛んに品種改良をやっていたがそれはイスラム世界が当時の先進地域だったからか? それとも騎手が重い甲冑を着こんでいたらアラブ馬でも走るのが大変だったから品種改良を最初からあきらめていたのか? ポーランドは中世騎士の重装騎兵の時代から一旦軽装騎兵の時代になり、 ハンガリーから導入されフサリアと呼ばれた軽装騎兵がポーランドで再び重装騎兵に変貌したが、 フサリアの発展はポーランドで馬の品種改良事業が大規模に行われていった時期と重なるようだが?
ポーランド軍の馬の品種改良は実用的で、 あまりに体格が大きくて重い馬種は機動力が弱すぎるということで 程よく大きな体格でかつ重装備の重い騎手を載せて 自由に駆け回れるような身体能力の優れた馬が理想とされたんだよ。 だから比較的大柄な体格ながら軽馬種であるアラブ馬がちょうどよいとされ、 かつ身体能力の向上に自国やハンガリーなどで探してきた馬を掛け合わせた これが見た目にもまた非常に美しいんだな。 ポーリッシュ・アラビアンとして知られている馬種で。 18世紀の終わりにポーランド分割で国家事業としての馬の品種改良が途絶えると、 馬の品種改良の重心は19世紀からイギリスに移った。 イギリスやフランスでの馬の品種改良が19世紀にいきなり急に盛んになるのはそのため。 亡命ポーランド人貴族たちによってフランスを中心に飼育の技術継承が行われた。 まだ調べてはいないが間接的にはフランスを経由してイギリスにも技術が伝わったのだろう。
>>424 特にはっきりした理由がなさそうだから、はじめから諦めていたっぽい。
ランスによる敵陣への騎馬突撃は理想的とされたが、
実際は難しいので下馬して戦うことが多かった。
当時の戦争ではそのほうが有利だったから。
427 :
世界@名無史さん :2011/12/17(土) 09:37:49.69 0
ばんえい競馬で使われる重種・冷血種ぺルシュロンは8世紀からノルマンディーにいた。 北フランスの騎士が乗ってたのはでっかいペルシュロン。 下馬戦闘も多かったがイザって時に乗馬襲撃やってたのはバイユーのタペストリー見ても一目瞭然。
428 :
世界@名無史さん :2011/12/17(土) 09:45:28.97 0
やはり中世騎士といえばペルシュロンと甲冑と槍。 ポーランド騎兵は槍持ってても馬がちっこいアラブ馬だとやっぱり槍持った軽騎兵と言う感じ。
1. ポーリッシュ・アラブは小さくはない。 体格の大きな細マッチョというのが近い表現。 同じぐらい高い身長でも、相撲取り(ペルシュロン)と サッカー選手(ポーリッシュ・アラビアン)を比べるようなもの。 どちらも大馬になると体高160-170cm程度で、中世のペルシュロンはもっと体高が低かった。 のちに近世にアラブ種と交配が進んで体高が上がっている。 (ポーリッシュ・アラビアンの品評に耐える最低体高は155cm〜) 2. ポーランドでは重い馬種の中世騎士の重装騎兵が15世紀までに廃れ、 軽い馬首の重装騎兵フサリアに取って代わる。 フサリアは当初は軽騎兵の兵科であったが、比較的早いうちに重装騎兵になる ポーランドでは中世騎士の時代に軽騎兵だったのはタタール人であるが、 フサリアの時代になると軽騎兵も改良されウーランになる。 3. 英仏ではトーナメント(馬上槍試合)は騎馬で行われたが、 実際の戦闘では実用的でない為、やっぱり馬から降りて徒歩で戦った。 タペストリーなどでは単に理想が描かれている。 そこを碌々検証もしないで事実だと言い散らしそれを資料とする出鱈目が定着した。
もともとペルシュロンなどの重馬種は「輓曵馬」(draught horse/draft horse)といって、 軽馬種の「乗用馬」(saddle horse)と区別される。 大きな輓曵馬はフランスに限らずポーランドも含め欧州の多くの国々にすでにあった。 これは本来は騎乗用ではなく、馬車や橇や農具を引っ張るのが仕事。 戦闘では脚が鈍くてかつ大腹で騎乗しにくい輓曵馬はまったく実用的でない。 欧州で軍馬として品種改良されたのは軽馬種である乗用馬。
重装騎兵は重い甲冑を着込んでいるので長距離は歩けないから、 とりあえず馬に乗って戦場に行き、そこで馬を下りて徒歩で相手に当たった。 そのとき移動にはポニーがほとんどでドンキホーテのあのイメージだが、 立派な甲冑を着込んでいる者はポニーでは無理なため乗りにくい輓曵馬に乗ったが、 この場合当然のことながら単独で移動は無理で、馬丁の口取りを必要とした。
英仏ではと書いたが、15世紀のはじめぐらいまでは西欧文明圏ではどの国も中世騎士の時代で、 中世ポーランドも西欧文明圏であり事情はまったく同じ。 ただし英仏はその後は重装騎兵は不利だとあきらめて銃兵や砲兵などに集中しまったのに対し、 ポーランドではトルコなどとの戦争のから近世にも騎士(リツェシュ)の重要性が存続し、 近世式重装騎兵であるフサリアとなった。
433 :
世界@名無史さん :2011/12/17(土) 14:15:57.67 0
騎士がわざわざ乗りにくいペルシュロンに乗るのは戦場で乗馬襲撃して敵兵を圧倒蹂躙するのが目的で、 戦場と戦場の間、城と城の間の移動のためじゃない。それなら荷馬車で十分。 口取りは移動中の騎士を休ませるためで、乗馬突撃中に一緒に全力疾走で走った訳じゃない。 槍持ちが突撃中に自分で槍持って走るわけじゃないとの一緒。 移動中は確かに口取りが馬を引き、槍持ちが槍を持つ。馬が疲れたら騎士も馬を下りて歩く。 しかし敵を発見したら当然騎士本人が馬に乗り、手綱を持ち、槍を持つ。 ペルシュロンだから単独で移動できないなんてことは当然ない。
434 :
世界@名無史さん :2011/12/17(土) 14:23:05.09 0
ミンネザングで貴婦人をナンパしたい
戦闘時は降りる降りないっていつ話の決着つくの?
437 :
世界@名無史さん :2011/12/17(土) 20:19:44.69 0
>>436 映画か何かの作り話でフランス騎士に憧れをもっちゃって、その小さいころの憧れを事実で潰されたくない気持ちも考えろ!
思い込みの前では事実は無意味である・・・か
439 :
世界@名無史さん :2011/12/17(土) 21:37:15.54 0
中世の騎士は戦場では必ず下馬するという倒錯した思い込みか。通説破壊の快感に溺れてるんだろうな。 江戸時代の人はみんなナンバ走りしてるみたいな極論だな。
441 :
世界@名無史さん :2011/12/17(土) 23:00:35.93 0
ルイ11世がモンレリの戦いのとき乱戦になって落馬して 側近が必死で担ぎ上げて馬に乗せたって記録があったような気がするよ ポワチエの時は馬に乗ってるジャン2世の側に息子(多分徒歩)がついてて 敵がどこから攻撃してくるか教えてたんじゃなかったっけ どっちもソースは忘れた
壱:さすがに高位の人間が徒歩で前線というのはないだろ 弐:ポニーの可能性
443 :
世界@名無史さん :2011/12/17(土) 23:17:44.69 0
古仏語だと「destrier(軍馬)」と「palefroi(儀仗馬・女性用)」が区別されてるんだけど destrierがペルシュロンでpalefroiがポニーなのかな
444 :
世界@名無史さん :2011/12/17(土) 23:21:08.67 0
ジャンヌ・ダルクはコンピエーニュで英兵に裾つかまれて馬の上から引きずり落とされて捕虜になったとさ。 騎士が戦場で馬に乗ってなかったらハルバードとかもいらんよな。
445 :
世界@名無史さん :2011/12/17(土) 23:26:51.46 0
>>443 英語と仏語のWikiで手っ取り早く見たら、destrierは大型の馬でもなければdraft horseでもないらしい
サイズよりもその体力や性質を重視していたらしい
draft horseであるペルシュロンも当時の軍馬の子孫の可能性があるが、それは現代のものよりもずっと小さかったと
さらに大型の馬のシャイヤーを使っていたと主張する者もいるがペルシュロン説よりももっと証拠はない(出たw)と
446 :
世界@名無史さん :2011/12/17(土) 23:27:44.27 0
>>444 きみ、やっぱりちょっと異常
自分の精神衛生に気をつけたほうがいいよ
447 :
世界@名無史さん :2011/12/17(土) 23:29:55.82 0
だいたいフランスにポニーなんかいるのか?フランスのポニーはなんていう品種?
448 :
世界@名無史さん :2011/12/17(土) 23:30:48.21 0
>>443 palefroiはsaddle horseのうち最も高価で取引される高級馬のことなんだって
saddle horseでもポニー(<130cm)ではなくそれよりは大きいはずだね
449 :
世界@名無史さん :2011/12/17(土) 23:34:57.28 0
>>447 まず、ポニーは成長しても体高14.2ハンド(147cm)に満たない馬一般
なお、中世フランスではほとんど馬の品種固定がなかった
現代の種ではLe poney français de selleなど
450 :
世界@名無史さん :2011/12/17(土) 23:36:25.33 0
>>448 まで自分は勘違いしていた
ポニーが130cm未満だと間違って覚えていたよ
本当は147cm未満なんだって
ごめん
ということは中世フランスやイギリスのsaddle horseのほとんどはやっぱりポニー
451 :
世界@名無史さん :2011/12/17(土) 23:40:04.14 0
452 :
世界@名無史さん :2011/12/18(日) 00:25:13.63 0
つまり147cm以下の中世のペルシュロンの原種は確かに今の定義ではポニーになるかもしれないが、 それを基準にして中世のペルシュロンはポニーだったというのは若干無理がある。 少なくとも今のポニーとは違う。今より小さくてもペルシュロンはペルシュロン。 当時のペルシュロンが今のペルシュロンより小さかったとしてもイギリスのポニーはさらに小さい訳だし、 当時のペルシュロンが今より小さければ、アラブ馬も今より小さいはずだ。 そもそも馬車自体中世と近世では全然違うし、ばん馬の基準も違う。 その基準なら当時のばん馬はポニーだったとも言えることになる。
453 :
世界@名無史さん :2011/12/18(日) 00:32:03.71 0
つまり中世のフランス騎士はイギリスのウェルシュマウンテンポニーや アラブのポニーよりでかいポニー(ペルシュロン)に乗っていた、でいいのか。
太った輓曵馬にポニーという括りをしたかどうか知らないが、 当時のペルシュロンは体高から言えば147cm未満のチビデブだったかもしれないね。 ただし騎士のほとんどは乗用馬のポニーに乗っていた。 そのほうが輓曵馬(のポニー)に乗るよりもまだずっと機動的。 ところでアラブ馬ははじめからポニーじゃないよ。 もとはベドウィンたちが古くから品種改良して作ったもので、既に大馬。 リビア系よりもアラビア半島系のものが大きく、これはトルコ軍の軍馬としてよく利用された。 11世紀ごろからポツポツと十字軍がパレスチナから持ち帰っていたようだが、英仏では碌に繁殖できていない。 ポーランド人がトルコ軍との戦争でアラブ馬を分捕って来始めたのは15世紀からで、 このころはポーランド貴族のうち比較的裕福な人々が個人的に繁殖を試みていた。 ジグムント2世アウグスト王が品種改良を大規模に事業化整備したのが16世紀半ば。
>>415 で130cmと書いた自分が悪い。
それじゃポニーどころか駄馬。
リビア系のが上のほうで書いたバーブ馬。
457 :
世界@名無史さん :2011/12/18(日) 10:55:06.80 0
アラビア半島→トルコのはデカくても リビアのバーブ馬(バーバリ種)はポニーだろ
458 :
世界@名無史さん :2011/12/18(日) 12:50:31.63 0
ボクシングやレスリングと同じで、接近戦白兵戦では体高や足の早さより馬体重が重要。 サラブレッドの体高がどんだけ高くて足が早くても、格闘戦では馬体重の大きいペルシュロンの敵ではない。 サラブレッドは捕捉されないように逃げることはできるが、突撃して撃退はできない。 もちろん大草原の遊撃戦では足の早い方が有利だが、中世ヨーロッパの戦いは攻城戦が中心。 城を守るための近距離の機動防御用ならやはり体重大きい馬の方がいい。 ナポレオンはポーランド槍騎兵とフランス胸甲騎兵の両方を使ったが、使い分けたのは馬の都合による。 ペルシュロンに乗った胸甲騎兵とアラブ馬に乗ったポーランド槍騎兵が正面衝突したら馬体重で胸甲騎兵が勝つ。 側面衝突や追突なら別だがそれをさせないのが軽騎兵、猟騎兵の任務。 そいつらに左右を守らせて、胸甲騎兵に正面衝突させればウェリントンみたいに方陣でも組まない限りたいていの敵はグチャグチャ。
で、戦場では降りるの?降りないの?
460 :
世界@名無史さん :2011/12/18(日) 15:35:53.02 0
というか騎士は戦場では絶対に馬から降りるというソースはなんなの?
461 :
世界@名無史さん :2011/12/18(日) 20:56:57.89 0
>>459 降りる
乗ったまま突撃すると絶対に落馬して敵の農民兵にリンチされて殺される
462 :
世界@名無史さん :2011/12/18(日) 20:59:54.70 0
>>458 バカかお前?
ナポレオン時代にもうポーランドの栄光のフッサール重騎兵軍団は無いだろうが
そこにいたポーランド槍騎兵はウーランという軽騎兵軍団だ
463 :
世界@名無史さん :2011/12/18(日) 21:17:58.51 0
いやウイングドフッサールだって乗ってる馬は所詮ペルシュロンよりかは軽量のアラブ馬だし。
そう法律で決められたわけではないから絶対ではないんだが、 中世の騎士のほぼすべてが戦闘では馬から降りてしまうことは 現代の歴史学では常識
465 :
世界@名無史さん :2011/12/19(月) 14:57:49.62 0
だからそのソースは?
ソースは?じゃねえだろ。教えを請う側の立場をわきまえろよ。 「現代の歴史学では中世の騎士はほぼ全員戦闘時は馬から降りるということですが、 その事実が示されている専門書や論文などをご教示頂けませんか?」だろ。 ついでに教えて頂いたら文献には自分で当たるんだぞ。わかったな?
逆に、馬から降りないというソースのほうがまったく存在しない 降りないという「主張」ならいくらでもあるが、これに確証を与える資料がまったく見つからない上、 馬から降りたほうが合理的であることを示す現物資料はいくらでもある
で、その事実が示されている専門書や論文は?
469 :
世界@名無史さん :2011/12/19(月) 16:33:38.22 O
466は何様? 来なくて良いよ。根拠の無い話を上から目線でされても、ウザいだけだし。チラシの裏にでも書いてろよ。
>>468 ないんだなそれが
騎乗のままで突撃するということを証明をした研究は一切ない
一つもない
であるからこそ、降りたことが合理的である事実をもって
降りたであろうというのが定説になっている
現代では、降りない派は分が悪い
471 :
世界@名無史さん :2011/12/19(月) 17:27:01.14 O
逆説も通る話だな。
472 :
世界@名無史さん :2011/12/19(月) 18:16:02.91 0
逆は通らない。なぜなら乗ったままというのは非合理的で説得力がないから。
良くわかんないヤツが出た
474 :
世界@名無史さん :2011/12/19(月) 20:21:27.86 0
論拠示さずに常識とか定説とかを連呼するのは擬似科学の特徴。 定説だから説明する必要はないとか、常識だから説明する必要はないとか。 バイユーのタペストリーに描かれている乗馬突撃があくまで当時の理想で戦闘の現実ではないという説は、 どこの国の誰が何の史料・遺物を論拠として主張してるんだ?
馬具などの物証を無視して絵を根拠にするほうが非科学的だと思うが
476 :
世界@名無史さん :2011/12/19(月) 20:39:01.46 0
たぶんコイツ、マイナスイオンとか信じてる派
477 :
世界@名無史さん :2011/12/19(月) 20:39:09.87 0
おう、中世騎士スレか!
バイユーのタペストリーってさ、ノルマンコンクエストの時代で、
騎手はプレートアーマーでなく鎖帷子だし、
馬は騎手の脚が地面につくほど小さいし、
小さい馬だから騎手の鐙は騎手が脚を真下に伸ばした位置にあるし(モンゴルの騎手と同じポジション)、
槍と言っても馬上からランスで突くんじゃなくてジャベリンを投げてるし(ランスとジャベリンは違うぞw)
いったいどこをどう見ると
>>474 (こいつずっと上のほうからいるのなw)の論拠になるの?
478 :
世界@名無史さん :2011/12/19(月) 20:39:37.79 0
馬具が戦場で下馬した根拠になるのか?馬具いらねーじゃん。
479 :
世界@名無史さん :2011/12/19(月) 20:41:27.80 0
移動用だから当然馬具要るだろ
480 :
世界@名無史さん :2011/12/19(月) 20:46:05.98 0
何、ジャベリンって馬から下りて投げるものなの?ふーん。
481 :
世界@名無史さん :2011/12/19(月) 20:48:09.39 0
479さんの説によるとノルマンコンクエストの時代の中世騎士はジャベリンを馬から下りて投げてたそうです。
482 :
世界@名無史さん :2011/12/19(月) 20:48:49.81 0
ランスチャージのみを否定してんのかな
いやそういうバカみたいな間違いを偉そうに言うから突っ込まれるんでしょ? 何ジャベリンって。中世騎士がジャベリン使ってたって初めて聞いたんだが
485 :
世界@名無史さん :2011/12/19(月) 20:52:17.87 0
小さい馬で鎖帷子着てるなら乗馬したままジャベリンを投げれる 降りる降りないはより後の時代のプレートアーマーの重騎兵についてじゃなかったのか? これは降りるのが当然で、徒歩で互いにロングソード振り回して戦う
486 :
世界@名無史さん :2011/12/19(月) 20:53:56.36 0
>>484 じゃそのタペストリーの騎士はそもそも中世騎士じゃないわけだw
確認してみろ、投げ槍(ジャベリンあるいはスピアー)を投げてるから
中世でくくらず具体的に合戦の名前を挙げたほうがよさそうじゃね
488 :
世界@名無史さん :2011/12/19(月) 20:56:06.46 0
>>483 この厨房は巨大なペルシュロンに乗って密集体型で超高速で突進し敵陣にランスチャージをし敵を踏みつぶすそうですw
漫画かよw
489 :
世界@名無史さん :2011/12/19(月) 20:57:59.70 0
>>487 いま厨房が挙げたバイユーのタペストリーは具体的にノルマンコンクエスト(1066年)
ギヨーム2世(ウィリアム1世)の言い分が描かれている
490 :
世界@名無史さん :2011/12/19(月) 21:01:10.28 0
ノルマンコンクエストの決戦はヘイスティングスの戦いだから このタペストリーはヘイスティングスの戦いについてギヨーム2世の言い分を描いたと考えても差し支えない
491 :
世界@名無史さん :2011/12/19(月) 21:08:16.08 0
なんで槍に旗付いてるのかな。 降りて戦うには邪魔だよなぁ。 ビザンツのカタクラフトはさらに面倒。 馬まで鎧つけときながら降りるんだから。
492 :
世界@名無史さん :2011/12/19(月) 21:18:35.05 0
>>491 苦しい反論だな
その旗つきランスを持っている騎士は左から3分の1あたりにいる2人、
左から5分の3ぐらいのところにいる2人、左から3分の2あたりにいる2人、
左から4分の3ぐらいのところの2人だろ?
それは大きな盾を持っているだろ?
>>488 で要約したおまえの主張とどこが一致するのか?
あんな大きな盾を持って密集隊形を組んでランス突撃?2人ずつしかいないのに密集隊形?アホかw
まず第一にこれプレートアーマー時代じゃないだろw
チェーンメールの時代だろうがw
493 :
世界@名無史さん :2011/12/19(月) 21:19:08.04 0
まぁセックスするときは、馬降りるねー
494 :
世界@名無史さん :2011/12/19(月) 21:20:41.29 0
タペストリーでは騎馬の兵士と徒歩の兵士が同じ格好をしている
495 :
世界@名無史さん :2011/12/19(月) 21:21:09.62 0
>>492 つかよー、何勝手にプレートアーマー時代とか言っちゃってんの?
お前が先に中世って括りで話したじゃねーか。
496 :
世界@名無史さん :2011/12/19(月) 21:28:21.69 0
>>495 おめーだってよー、スレ違いのナポレオン時代の話もちだしてんじゃねーかよーwww
497 :
世界@名無史さん :2011/12/19(月) 21:29:39.30 0
>>495 おまえw今気づいた!w
おまえ、スレの前のほうで「新興ジェントリ層」という珍語を編み出した奴だなw
403 :世界@名無史さん:2011/12/16(金) 13:05:45.86 0
そもそも中世騎士が勇壮に見えるのは儀礼のときだけであって、
戦場では総当たりの混戦になるとただの足手纏いだったからなー
だからこそ本当に騎馬行軍や騎馬戦が必要だった中東欧では
騎士の鎧や武器がどんどん実戦的に改良されていったわけで
404 :世界@名無史さん:2011/12/16(金) 14:20:05.41 0
いやいやフランス騎士の威力は甲冑より馬体重1トンのアングロノルマン馬そのもの。
東欧の軽騎兵が遊撃戦中心にするのは、馬が小さいから。馬体重400kgとかでアングロノルマンの半分以下。
真正面からぶつかったら馬で勝てない。散らばってる歩兵も速攻で轢殺される。
アングロノルマン種はばんえい競馬の馬で地方競馬のアラブ馬とは違う。
それが100頭並んで突っ込んできたら、クレシーみたいに杭を並べるか、
スイス歩兵みたいに長槍で槍ふすまつくるか、荷馬車で円陣つくるか、
スペイン兵みたいにテルシオつくるか、とにかく大集団で対抗する他ない。小集団では一蹴される。
405 :世界@名無史さん:2011/12/16(金) 14:25:04.98 0
>>404 中世騎士にそんな横列ランスチャージなんかなかったよ。
映画とかぜんぶ嘘。日本の戦国映画でなぜかアラブ馬使ってるのと同じ。
だからこそそういう戦法ができればいいなっていう理想論があった。
499 :
世界@名無史さん :2011/12/19(月) 21:32:28.13 0
それが100頭並んで突っ込んできたら、 それが100頭並んで突っ込んできたら、 それが100頭並んで突っ込んできたら、 それが100頭並んで突っ込んできたら、
500 :
世界@名無史さん :2011/12/19(月) 21:33:16.16 0
馬体重1トンのアングロノルマン馬 馬体重1トンのアングロノルマン馬 馬体重1トンのアングロノルマン馬 馬体重1トンのアングロノルマン馬
501 :
世界@名無史さん :2011/12/19(月) 21:34:34.51 0
クレシーみたいに杭を並べるか、 クレシーみたいに杭を並べるか、 クレシーみたいに杭を並べるか、 クレシーみたいに杭を並べるか、 クレシーの戦いは14世紀!騎兵はプレートアーマー! ヘイスティングスの戦いは11世紀!騎兵はチェーンメール!
502 :
世界@名無史さん :2011/12/19(月) 21:36:24.80 0
もうこのスレ終わった
503 :
世界@名無史さん :2011/12/19(月) 21:36:33.51 0
スペイン兵みたいにテルシオつくるか、 スペイン兵みたいにテルシオつくるか、 スペイン兵みたいにテルシオつくるか、 スペイン兵みたいにテルシオつくるか、 テルシオは16世紀!
504 :
世界@名無史さん :2011/12/19(月) 21:37:24.61 0
>>502 フランス騎士厨を責めるべき
出鱈目並べてスレを荒らした
505 :
世界@名無史さん :2011/12/19(月) 21:38:23.64 0
>>497 はぁ????
なに言ってるの?キチガイか?
506 :
世界@名無史さん :2011/12/19(月) 21:39:35.41 0
「新興ジェントリ()」厨=フランス騎士厨は時代意識が滅茶苦茶
自分で時代滅茶苦茶にしておきながら
>>495 だよw
507 :
世界@名無史さん :2011/12/19(月) 21:39:45.22 0
508 :
世界@名無史さん :2011/12/19(月) 21:40:28.25 0
このスレ終わった
ここでいう中世っていつまで?
510 :
世界@名無史さん :2011/12/19(月) 21:42:12.04 0
511 :
世界@名無史さん :2011/12/19(月) 21:42:50.98 0
512 :
507 :2011/12/19(月) 21:44:22.00 0
513 :
世界@名無史さん :2011/12/19(月) 21:44:31.45 0
>>508 終わってない
以後新興ジェントリ厨=フランス騎士厨がおとなしくなれば、これからやっと始まる
>>509 おそらく新興ジェントリ厨=フランス騎士厨は
>>1 と同一人物
こいつは、
>書き込むときには「どの年代の騎士の話か?」を明確にして貰えると
>意思疎通がしやすくなりますのでお願いします。
と書いているくせに自分からスレの秩序を壊した
515 :
507 :2011/12/19(月) 21:49:45.41 0
うーん、ちょっと見苦しいですね。514氏もしつこい気がします。
この感じ、当事者以外はしばらく様子見したほうがいいな 混乱するだけだわ
だよね
17世紀のペルシュロンは体高15-16ハンド(152-163cm)程度。 しかも、ばんえい馬としてある程度改良された結果でこれであって 中世のペルシュロンはこれよりもはるかに小さかった。 おそらく体高はポニー程度のものだっただろう。 当時のペルシュロンはこのようにずっと小さい馬だから 人が乗ることもできたはずだが 中世の騎士がペルシュロンに乗っていたという主張はあるものの証拠はない。 実際に、中世の騎士の絵を見るとほとんどが酷い駄馬の類に乗っている。 18世紀後半になり王立養馬場でやっと体格が大きく乗りやすいアラブ種との 交配が始まるため、それまでのペルシュロンの体格はこれと同程度。 中世から近世にかけてのフランス騎士が大馬に乗っていたという主張は 100%嘘。 中世フランスには大馬そのものが存在しない。 さらに、ペンシルヴァニア大学のペルシュロンの歴史に関する調査では ナポレオン時代やその後に胸甲騎兵に使用された馬は ペルシュロンではないとされる。
ペルシュロンが大型化するのは 1830年にペルシュロンの血統制度が設けられてから。 そもそも胸甲騎兵の戦術目的は、相手を踏みつぶすことでなく 中央から敵陣にできるだけ速く肉薄し白兵戦に持ち込んで サーベルやピストルで戦い敵陣を混乱させて 後続して突撃してくる味方歩兵の便を図ること。 大馬が求められたのは とにかく重装備の兵を載せて高速で直線的に駆けることのできる馬の必要性から。 当然のことながら鈍重なペルシュロンでは無理。使いようがない。 彼らが急所である胸などに甲をつけているのは 走っている最中でも相手から銃で撃たれる危険があるから。 一応ランスは持っているがそれは敵陣に到達したその時に あったほうがいいからに過ぎないという、ただのおまけ。
この点で、ランスチャージを主、サーベルやピストルは従として ランスチャージが終わると隊列を整えて再度ランスチャージを 行うことを繰り返したポーランド有翼重騎兵部隊「フサリア」とは 一見似ているようでまったく異なる。 フサリアの目的は散開した状態から火器による攻撃をものともせず 徐々に密集しながら相手に高速で突撃し、極度に密集した状態で その膨大な運動エネルギーによるランス攻撃で相手陣を完全に突き崩し サーベルとピストルを用いて敵陣における白兵戦をすばやく脱出し 自陣に戻って新しいランスを取ってまた敵陣へ同じ攻撃を繰り返すという、 中世以来の騎士たちが長い間夢に描いていた理想を実現したもの。 胸甲騎兵の戦法がフサリアのそれと異なるのは ナポレオン時代になると火器がさらに発達していたのが最大の理由。 ポーランドは1770年に軍制改革を行い フサリアは火器の発達でその時代を終えたとして解散している。 だが、フランスの胸甲騎兵も長からず火器に対応できないことがわかって廃れる。
一方、軽騎兵はポーランドの軽騎兵部隊「ウーラン」を参考にし、 敵の両翼や後方などを攪乱、敵陣が崩れたら 正面でなく搦め手から突撃し身軽なことを利用して 白兵戦に持ち込むことを主眼とする。 これは坂の上の雲の秋山好古がフランスで 「フランス騎兵戦術」として学んだ戦い方。 本来これはポーランド軍の軽騎兵部隊ウーランの戦術。 さらにドラグーンの戦法が加わっているが秋山のはウーランに近い。 これは第二次大戦でもポーランド軍や日本軍(関東軍含む)が用いていた。 バイユーのタペストリーにおいては、 騎士は楔帷子を着込んでこの軽騎兵と同じ類の使われ方をしている。 当時は重騎兵と軽騎兵という兵科の区別はなく、 この時代では騎兵は重い鎖帷子を着てはいるが事実上の用途は軽騎兵だった。
表現上のアヤでわかりにくい点もあるるかもしれないので、 矛盾している?と疑問に思う点は遠慮なく書いておいてください。
>>521 ツッコミじゃなくて質問なんだが、
>サーベルやピストルで戦い敵陣を混乱させて
>後続して突撃してくる味方歩兵の便を図ること。
胸甲騎兵の突撃→白兵戦に続いて戦列歩兵が突撃(縦隊突撃だよね?)
した戦例を知ってたら教えてほしい。
英語の綴りを教えてもらえたら自分で検索しようと思う。
個人的には、当時の重騎兵は、互いの戦列歩兵がマスケットで撃ちあって
どっちかの士気が崩れそうになった時にチャージかまして
敵歩兵の戦列を崩して勝負を決める、ってイメージを持ってたんだが…
ただ、騎兵はコストが高いので、戦列歩兵の突撃で勝負が付くなら
騎兵は温存されたまま、って感じ。
ナポレオンが暴れた頃はこんな感じだよね?
526 :
世界@名無史さん :2011/12/20(火) 08:53:25.24 0
そもそもフランス胸甲騎兵はランスなんか持ってないぞ。持ってるのは拳銃と長剣だけ。 それに胸甲騎兵が歩兵に先行して突撃するなんてことはない。 先ず野砲が敵の銃列を崩し、銃列歩兵が先に前進し、敵が退却しそうになって初めて胸甲騎兵が敵を完全に殲滅するため突撃する。 ワーテルローでネイが胸甲騎兵を突撃させたのは、ウェリントンが砲弾を避けるため兵を丘の後ろに後退させたのを退却と誤認したため。 ライプチヒの会戦ではロシアで馬死んで騎兵が少なかったため、何度も敵の退却を阻止できなかった。 アウステルリッツではミュラー元帥の騎兵が敵兵を凍った池に追い込んで溺死させた。 秋山好古が日本の騎兵にハンガリアンフサールみたいな肋骨服着せて軽騎兵にさせたのは、 日本の馬が小さいから。北清事変のときには外国軍騎兵に「日本の騎兵は馬のようなものに乗ってる」といわれたくらい馬が小さかった。 機関砲をいち早く採用したのは馬が小さくて格闘では勝ち目が薄いから。
527 :
世界@名無史さん :2011/12/20(火) 09:00:45.35 0
ブレンハイムの会戦でのマールバラ公の重騎兵の使い方も最後の中央突破・各個包囲。 最初に野砲で次に歩兵で敵の兵力を左右に分散させ、最後に重騎兵が中央突破、各個包囲、退却阻止、敵司令官捕獲で完全勝利。 胸甲騎兵や重騎兵は一番大きくていい馬をつかって金かかってるわけだから、安上がりな歩兵の突撃のために使うことなんかない。
戦列は歩兵同士の白兵戦で既に崩れているはずだから、胸甲騎兵は歩兵の追走用 ポーリッシュ・ウイングド・ハッサーのように先鋒(かつ決戦兵力)として使われたことがあるかどうかは知らんが、かといって決戦兵力でもない 19世紀初頭のナポレオン戦争の時代は決戦兵力はあくまで「歩兵」であり、胸甲騎兵は退却する敵を追いかけて追加的打撃を与えるため 突撃した味方歩兵はすでに疲労している上、敵司令官は馬に乗っているため、歩兵では逃げる敵軍を追走するのが大変
いずれにせよ後にも先にも騎士・騎兵として最も理想な戦い方をしたのはポーリッシュ・ウイングド・ハッサーのみと言える それより前の時代は騎兵の決戦兵力としての実力が不十分 それより後の時代は騎兵はもはや決戦兵力ではなくなっており、騎士の栄華でさえない(没落した騎士階級)
530 :
世界@名無史さん :2011/12/20(火) 11:20:28.13 0
騎兵の理想というと時代によってその意味がいろいろ異なってくるから、 「ポーランドのハッサーはランサー(槍騎兵)としての理想形だった」 と言ったほうがいい 彼らがランサー・重装騎兵としては究極の理想形だったということは間違いない 重装騎兵というといの一番にランサーを思い浮かべる
531 :
世界@名無史さん :2011/12/20(火) 11:23:22.50 O
u stoned
>>528 >胸甲騎兵は歩兵の追走用
>決戦兵力でもない
>胸甲騎兵は退却する敵を追いかけて追加的打撃を与えるため
マジかよw
当然だ。ナポレオンの時代は騎兵に代わって銃兵や砲兵が主力として台頭した時代。
白兵戦で勝敗がついてきたところを見計らって胸甲騎兵が中央から入ってきて暴れて陣をさらに乱し、 その機動力を利用して散開して追走・包囲するか、あるいは別働の軽騎兵が広く展開して包囲 こんな感じじゃね?
判断をミスるとワーテルローに
>>535 >白兵戦
が始まってるってすでに突撃後じゃん?
そこは射撃戦じゃね?
ワーテルローでは
>>535 のような戦い方
このとき、戦線に突入してきたフランス胸甲騎兵に対し、イギリスは軽槍騎兵ウーランを投入し、フランス騎兵を一気に潰した
当時はもう重騎兵は軽騎兵に勝てなくなっていたんだね
539 :
世界@名無史さん :2011/12/20(火) 13:54:37.50 0
アホか、フランス胸甲騎兵をなんとか止めたのはイギリス歩兵の方陣だ。 羽ふさふさフサール・ウーラン好きはわかったがそれに合わせて何でも都合よく話を捻じ曲げるな。 歩兵だけじゃ諸国民戦争のときみたいに何度も逃げられて決定的勝利にならない。 つまり歩兵だけじゃ勝敗はつかない。ボロジノのときも逃げられた。 騎兵が野戦の決勝兵科と言う意味は、退却をさせずに包囲殲滅すると言う意味だ。
540 :
世界@名無史さん :2011/12/21(水) 15:24:48.68 0
フランス胸甲騎兵はイギリス歩兵方陣で動きを止められたところにイギリス軽槍騎兵の突撃でグサグサに刺されてフィニッシュされたというのが正しい。 ポーランド重騎兵に対する妬みもいい加減に。 時代が違う。 フランス胸甲騎兵の時代はもはや騎兵は終わってた。
541 :
世界@名無史さん :2011/12/21(水) 15:25:11.48 0
フランス胸甲騎兵の時代はもはや重騎兵は終わってた。
イギリス軍が槍騎兵を出したかどうかは知らんが、方陣で一斉射撃食らってペシャったのは確か 一旦突撃を開始したら相手が何をしようと刺し殺し踏み潰したポーランド重騎兵の時代と違って、ナポレオンの時代は重騎兵では対応できないほど火器の威力が発達していた
543 :
世界@名無史さん :2011/12/21(水) 19:16:46.25 0
つか方陣にぶつかってぺシャったのはネイが一時的避難と敗走を勘違いしたのが原因で、 重騎兵がただ突っ込んだだけで勝てるなら最初からそうしてる。 ポーランド重騎兵でも誘い込まれて突撃時機間違えれば「隊長ブーリバ」のラストみたいにボロボロやられる。
544 :
世界@名無史さん :2011/12/21(水) 19:51:05.00 0
ネイ:斜面で見えんかったんや
546 :
世界@名無史さん :2011/12/21(水) 20:42:43.44 0
547 :
世界@名無史さん :2011/12/21(水) 20:50:42.74 0
ナポレオンがお昼寝から起きたら大変なことに!
ネイがやらかしてる間にネイさんは逆売りで巨万の富を
549 :
世界@名無史さん :2011/12/21(水) 21:08:26.48 0
550 :
世界@名無史さん :2011/12/21(水) 21:09:17.47 0
そろそろ中世騎士に話を戻そうか。 で、戦場では馬から降りたの?降りないの?
551 :
世界@名無史さん :2011/12/21(水) 21:12:33.98 0
話をすり変えたクソが言うには、 板金鎧ならば降りるんじゃなかったかな?
貧乏騎士は降りて戦って、体格の良い馬を自弁できた騎士は騎乗で戦った、とかなのかな? 馬に乗らないより乗ってる方が強いのは常識的に考えて当然の話。 それにトーナメントもあったりタペストリーや絵画にも当たり前のように騎乗した騎士の姿が書かれてるんだから、 騎乗の戦闘が理想とされるだけの歴史的な前提があるはずだよね
553 :
世界@名無史さん :2011/12/21(水) 21:45:44.65 0
降りる降りないはより後の時代のプレートアーマーの重騎兵についてじゃなかったのか? これは降りるのが当然で、徒歩で互いにロングソード振り回して戦う っていうけど、イスラム教徒と戦うときはどーすんの?イスラム教徒は馬から降りてロングソード振り回したりはしないだろ。
554 :
世界@名無史さん :2011/12/21(水) 21:50:42.76 0
それに騎士の相手は騎士とは限らない。長弓持ったウェールズ兵かもしれないし、 ボーガンもったジェノバ兵かもしれないし、斧槍もった市民兵かもしれない。 特に集団戦では互いにロングソード振り回してなんて一々やるはずない。 異教徒相手ならなおさらない。
プレートアーマー&ランスの重騎士こそ騎乗で戦ってたんじゃないの? その時代には体格の良い馬が安定して供給されるようになったからそういう形になったのでは? 騎乗フルプレートランス騎士が脅威じゃなかったらスイスのパイク兵も生まれてないでしょう
556 :
世界@名無史さん :2011/12/21(水) 23:42:38.99 O
そろそろヤバそう
557 :
世界@名無史さん :2011/12/21(水) 23:49:24.92 0
もとはといえば100頭立ての槍突撃があると言い張ったクソがいて、 それを否定したらクソが粘着してきたんだよね。 どの書き込みだったっけ?
>>544 フサリアの戦い方じゃないなそれは
明らかにその部分は史実じゃないね
ロシア人の創作
フランス胸甲騎兵は槍騎兵じゃないから真っ直ぐ突っ込めないんだよね
敵を包囲するのが目的
>>555 パイク兵は必ずしも騎士を相手としたわけじゃないよ
>>553 中世型の騎士はイスラム教徒には通用しないよ
ドイツ人がいつまでもそのやり方だったため
ポーランドのヤン・タルノフスキ元帥が「あれじゃトルコ人相手に勝てるわけがない」と
ドイツ人を批判している
561 :
世界@名無史さん :2011/12/22(木) 10:29:19.62 O
ドイツの騎士って貧しそうなイメージ。残念ながら。
562 :
世界@名無史さん :2011/12/22(木) 14:06:11.74 0
いや第一次十字軍ではエルサレム奪回してるし、マルタ騎士団は何度もトルコ人に圧勝してるぞ。 胸甲騎兵がワーテルローの方陣突破できなかったのはウェリントンが沈着冷静だったからで槍騎兵でも突破できない。 アイラウでは方陣ごと胸甲騎兵にぶっ潰されてる。ワーテルローの方陣もいくつかは潰された。
563 :
世界@名無史さん :2011/12/22(木) 15:39:29.99 0
>>562 両方とも時代が違うのでは?
また、胸甲騎兵はしょせんは包囲部隊にすぎない。
当時はもう火器が発達してしまったので騎兵では相手陣中央は突撃粉砕できない。
中央に突っ込もうものなら逆に相手の銃弾で蜂の巣にされぶっ潰されてグシャるのがオチ。
>>560 同時代の鉄腕ゲッツの自伝読んでたら騎乗して片手でボウガン持って敵に追いすがって発射とかしてて格好良かった
片手用に切り詰めたマスケットよりボウガンの方が個人戦では信頼性があるということか
中世型というのもそういう話なのかな?
書いてから気づいたけどあの時代の火縄じゃ切り詰めても馬上では使えないか。失礼
566 :
世界@名無史さん :2011/12/22(木) 19:05:35.92 0
では時代を第一次十字軍に限ってドリュエラウムの戦い(1097年7月1日)を見ると、 セルジューク騎兵に奇襲され河岸に圧迫されたのを下馬して円陣を作って防戦。 左翼にボエモン、タンクレード、ノルマンディー公ロベール、ブロワ伯エティエンヌらの部隊が、中央にはレーモンやフランドル伯ロベールの部隊が、 右翼にはゴドフロワやユーグらの部隊が並び、セルジューク軍への反撃を開始した。なおもセルジューク軍を崩すことはできなかったものの、 午後の半ばになって教皇使節ル・ピュイのアデマールの増援が到着すると形勢は変わった。 彼らは戦場を取り巻くように、丘に隠れて移動し川を越え、左翼の弓騎兵を側面から急襲し、セルジューク軍の背後から出現した。 アデマールの兵らはセルジュークの宿営を焼き払った。テントが燃える光景におののき、数時間にわたって矢や剣をいくら浴びせてもなお倒せない、 分厚い甲冑をまとった騎士の奮闘に恐れをなしたセルジューク軍は退却をはじめ、クルチ・アルスラーンも撤退を強いられた。
>>562 ワーテルローでは、ウェリントン軍の方陣は一つ足りとも崩されてない。
唯一、崩されそうだったブラウンシュバイク軍の方陣の一つも、英驃騎兵連隊の援護で助かっている。
あと、上でフランスの胸甲騎兵が、英槍騎兵に敗れたとか書いている奴がいるが、
ワーテルローで、英軍には槍騎兵は一切存在しない。
槍騎兵はブラウンシュバイク軍の一個連隊のみ。
適当なこと言うな。
>>566 甲冑?1092年に?それはおかしいだろ
鎖帷子じゃないのかあの時代は?
第一回十字軍がエルサレムを奪取できたのって、イスラム諸国の 内紛も大きな要因だっけ?間違ってたらよろしくです。 たしかに11世紀は、鎖帷子でしょ。暑いからイスラムを見習ってサーコートを 着用する様になったんでしたけね。
570 :
世界@名無史さん :2011/12/23(金) 13:34:22.60 0
英語版wikiのBattle of Dorylaeumだと、 The Turks were terrified by the sight of their camp in flames, and by the ferocity and endurance of the knights, since the knights' armour protected them from arrows and even many sword cuts, and they promptly fled, abandoning their camp and forcing Kilij Arslan to withdraw from the battlefield. って書いてるな。ナイツアーマーとはプレートアーマーではなく鎖帷子、兜、盾のことかもしれない。
この場合単純に訳すなら「騎士の鎧」だよね。 なので、当時に合わせて鎖帷子で良いと思いますが。
572 :
世界@名無史さん :2011/12/23(金) 20:16:33.70 0
鎖帷子も重いことは重いのだがそれでも板鎧よりははるかに軽く、馬上で身軽に動ける。 そのため後の板鎧の重装騎兵とは戦い方が違う。
プレートアーマーにしたって特に重くは無いがな。 まさか、重量80kgとか一度転んだら二度と立ち上がれないとか信じてるわけだはないだろうが。
576 :
世界@名無史さん :2011/12/24(土) 12:25:29.48 0
>>574 人、鎧、馬具で150kgは優に越える荷物を背負ったら当時の欧州馬であるポニーにとっちゃ大変
ギャロップは絶対に不可能
しかも背で人に動かれたらバランス崩す
鎧自体の重さは、鎖帷子でも20kg前後、フルプレートでも30kg前後。 10〜15kg程度しか変わらないのに戦い方が全く変わるわけではない。 総重量で言えば、現代の歩兵の方が重い装備を抱えている。 ポニーというが、フルプレート全盛期の15、16世紀なら騎兵用軍馬の体高も 150〜160cm前後の大型馬。
578 :
世界@名無史さん :2011/12/24(土) 13:38:55.47 0
十字軍の頃にはイスラム軍でもかなり重装甲の騎兵がいたらしい。 デヴィッド・ニコル『サラディンとサラセン軍』より 「小さなでき事と、名のある個々の戦士がムスリム側と十字軍側の年代記の両方に記録されるのは まれだった。しかし1191年8月30日に行われたカイサリヤー(カイサリア)の戦いでのアイユーブ朝の英雄 「巨人のアヤズ」の死については別である。アヤズは早くから完全装甲の鎧を着ていたと記され、この 戦いで、馬から振り落とされ、投げ出された結果、自身の鉄製の鎧兜の重さによってふたたび騎乗 することができずに討ち取られた」
580 :
世界@名無史さん :2011/12/24(土) 21:56:32.57 0
つか落馬したときにどっか打ったんじゃね?
>>579 そういう相手はやはり組み討ちで装甲の隙間にダガーを刺して討ち取ったりするのだろうか?
582 :
世界@名無史さん :2011/12/25(日) 01:18:48.36 0
そういうときは万国共通だろうね。今の軍人もナイフは持つし。
583 :
世界@名無史さん :2011/12/25(日) 03:08:52.60 0
俺たち極悪非道のageブラザーズ! 今日もネタもないのにageてやるからな!  ̄ ̄∨ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ∧_∧ ∧_∧ age (・∀・∩)(∩・∀・) age (つ 丿 ( ⊂) age ( ヽノ ヽ/ ) age し(_) (_)J
584 :
世界@名無史さん :2011/12/25(日) 20:05:20.77 0
まあ今はガンダムもageだし
585 :
世界@名無史さん :2012/02/13(月) 21:34:18.86 0
今日、夕方のBS3でイラストレーターのおっさんが頑張ってたね
レプリカとかじゃなくて当事本当に使われてたフルプレートを 装着させてくれる所ってヨーロッパであるのかな? もちろん展示品は無理だろうから、博物館で倉庫に眠ってるやつを 引っ張り出してきてもらって。
587 :
世界@名無史さん :2012/06/27(水) 03:10:04.28 0
騎士むちゃくちゃかっけぇ・・・ 日本の大河ドラマみたいに騎士の歴史番組を作りまくってる国はないのかな。
>>579 つーか、そのイスラム将が着ていた鎧はまだ発展途上で
重かったのでは?
鎧だって進化する
589 :
世界@名無史さん :2012/08/14(火) 01:45:42.37 0
冶金技術のすぐれたチキン野郎だったから
表面をむき出しの板金のみにするセンスは独特だね
思うに、中東で同様の技術とメンタリティーがあったとしてこういう鎧をまとっただろうか。 たぶん、板金のうえで卵焼きが焼けたと思うんだが・・・
バルカン、中東、インド、中国、日本と それなりの冶金技術と軍備を持ちつつ、欧州並に涼しい気候の地域はないな 皆高音か多湿だ モンゴル、満州なら涼しいが、遠征には全く向かない装備だろう 明が対北方遊牧民用の騎兵装備に使えるかどうかってくらいか? でも、コンキスタドールはアッツイ中南米で分厚い胸甲つけてたよね
594 :
世界@名無史さん :2012/08/20(月) 21:38:42.54 0
フランス革命以前の領主特権には、 狩りの際に農民の腹の中に足を入れて暖を取る特権があったそうな。
実際に権利行使した例はどれくらいあるんかね
596 :
世界@名無史さん :2012/08/24(金) 18:28:06.59 0
いたから革命がおこったんじゃないの?
フランス革命時の王は、そんな暴虐じゃない。 むしろギロチンなる安楽死装置を作る性格。
598 :
世界@名無史さん :2012/09/08(土) 17:08:07.66 0
「フルプレートが重い」っていう迷信って根深いな。
あちこちのサイトにデタラメ情報が垂れ流されてる。
実際は25〜30kg程度で、日本の大鎧と変わらなく、現代の歩兵も30kgほどの
荷物を戦場で背負ってる。
カフェ・ヴォルチャー コラム TRPG 03 中級冒険者編
http://vulture.web9.jp/colmun-trpg03.htm こういった歴史の時には騎士の鎧といえばよく絵や写真なんかで見る頭のてっぺんから足の先まで鉄で包まれた「スーツアーマー」「フルプレート」「コンポジットアーマー」等と呼ばれる鎧を想像すると思う。
実はこの鎧は、所謂中世と呼ばれた時代の終わりに生まれた鎧であり、すでにその頃には騎士ではなく銃士が登場していたのだ。三銃士などで有名なアレのことである。
実戦に使われることはなく、主に騎士の礼装用として使われていたようだ。
大体この鎧、100キロ以上の荷重が人体にかかり、戦うことはおろか、転んだときなど自力では起き上がることはできないほどなのだ。
もしも実戦でこの鎧を着けるものがいたとしたら、たちまち殺されてしまうことだろう。
一対一の決闘ならばいざ知らず、乱戦となる戦では使用価値はゼロだ。
599 :
世界@名無史さん :2012/09/08(土) 17:39:53.26 0
ふたばの軍裏でいまスレ立ってるけど
重さで動けない話より関節の可動範囲が狭くて起き上がれない方が問題になってる
http://may.2chan.net/39/res/196924.htm >背中と胴に板をつけ、上腕、下腕、すねとももに筒をつけて、ガムテか何かで繋いで肩、ひじ、ひざの稼動範囲をせばめてみな
>重量なんか無くたって、上半身が曲げられないだけで、普通に起きられなくなるからやってみな
>筒状の覆いが多くあれば動けない
>ただそれだけの話なんだが、動きやすいのを持ち出してきて動ける動けるってのはおかしいだろ
>某武器屋のイベント参加の際に着込んだけど、サイズがあってても普通に動くのもままならない
>座るのも億劫だし、しゃがめないし、横になったら立てないのは保証する
>ちなみにフットコンバットアーマーでも最も軽いであろう20kg台のマクシミリアン様式な
>一度腹ばいにならないと容易に立てないのは、動画見てわかるだろうよ
>途中で足がまともに動かなくてふらついてんじゃねえかw
>もう書かれてるけど、orzの姿勢や腹ばいなら何とか立てるけど
>仰向けで寝転んでからだと起きるの大変だよ
>剣道の胴でも新しい固いのは体を大きくひねって、横から立つか、慣れない人はうつ伏せにならないと立つの大変
>上体起こせないからね
>すでにその頃には騎士ではなく銃士が登場していたのだ。三銃士などで有名なアレのことである。 少なくとも14世紀ごろにMusketeerはいない。何しろマスケットがまだないからw
601 :
世界@名無史さん :2012/09/08(土) 22:47:17.27 0
>大体この鎧、100キロ以上の荷重が人体にかかり、戦うことはおろか、 >転んだときなど自力では起き上がることはできないほどなのだ ただ、現実にこの様な鎧がなかったとはいえないだろう。 ㇷス派キリスト教徒軍の火器に大敗した西洋騎士達は勝敗を分けたのが火器 の大量運用にあったことなどから火器の攻撃に対応する鎧の制作をおこなった 可能性がある。 ゴシックアーマーからハイゴシックアーマーへの進化となって。
フス派の武器はタッチホール式銃よりフレイルと弩が多いんでない?
603 :
世界@名無史さん :2012/09/09(日) 11:57:23.81 0
火器に対抗するように鎧の重装化が進み ゴシックアーマーからハイゴシックアーマーへの進化していった。 その結果、一人では歩けないような重装甲な鎧が登場したんじゃないか。 その弊害からフリューテッドアーマーやクォーターアーマーへと進化した んじゃないか
歩けないとかはトーナメント専用じゃねーの
605 :
世界@名無史さん :2012/09/10(月) 22:34:04.15 0
実践的じゃない馬上槍試合なんて意味ないじゃん。
>>605 馬上槍試合はかなり専用装備が作られてて全く実践的じゃなかったよ
Jousting armorとかJousting armourで画像検索すると 頭が最初から固定されてたり顔から左肩まで増加装甲つけてる鎧でてくるね あと英語のwikiみたら馬上槍試合専用で50kgだって 地面で普通に戦うことは考えてなかったみたい
608 :
世界@名無史さん :2012/09/13(木) 19:26:31.75 0
>>599 そのurlだと404になってしまうので、結局そこでどんな結論が出たのか知らないけど、
現に当時の記録には、仲間の騎士達とふざけ合って横にとんぼ返りをする
フルプレートアーマー騎士の描写もあるからねぇ。事実に勝る結論はない。
>某武器屋のイベント参加の際に着込んだけど、サイズがあってても普通に動くのもままならない
どこの武器屋か知らないが、技術力の結晶のような当時の鎧と同程度の品質の鎧など存在しない。
稼動部の機構の謎などは本物の鎧を所持して研究したS.M.氏以外に再現できないし。
秋葉原にある店の鎧なんかは、置物(装着不可)を幾分かマシにした程度だしね。
なぜイニシャル?三浦さんのことだろ?
各人の体形に合わせて作られてるし、個人じゃかなり金持ちじゃないと検証できないんじゃないの?
611 :
世界@名無史さん :2012/12/08(土) 02:15:24.76 0
612 :
世界@名無史さん :2013/01/06(日) 15:57:46.86 0
質問です 騎士=騎馬で戦う戦士 ナイト=称号 とあったのですが、 ということは、騎士=ナイトでは必ずしもないのでしょうか?
たとえば大国だった時代の中世〜近世のポーランドではナイトの称号はない。 国内で公式にあるのはシュラフタ(貴族ないし士族と訳される)という称号だけ。 だがポーランドは最も騎士らしい騎士の国の一つですね。
>>612 騎馬で戦う戦士は「騎兵」。
騎士身分を持った者が「騎士」。
>>613 ピアスト朝時代にはIus Milites「騎士の権利」を持ったラテン語でMilites「騎士」
と呼ばれる階層が存在していた。
井内敏夫先生はスラヴ語ではおそらく「ヴォイ(戦士)」と呼ばれていたのではないかと
推測されている。
615 :
世界@名無史さん :2013/01/08(火) 03:34:32.72 0
ゲームや漫画、小説で美化されすぎたせいか信者が半端じゃないな騎士 上にこびへつらい下には尊大にふるまうくせに戦場で費用に見合うような活躍もしない 近代以降の騎士の称号与えられたものたちと中世のクズ騎士どもを一緒にするのはどうなんだ
上で議論されてる騎士が下りた降りてないわ結局両方あったってことだろ 良い馬と軽量でなおかつ防御に優れた良い鎧をもてる金持ちは馬上で、他の微妙な馬と鎧のやつは下馬が多く、無理に乗って闘って死んだやつもいた 映画とかであるような整然とした騎馬突撃はなかったけどだからと言って騎馬の攻撃が無かったってのも間違いだと思う
617 :
世界@名無史さん :2013/01/08(火) 04:37:43.91 0
宗教や政治方面に影響力をもった暴力団って感じだな マフィアより893っぽい印象
618 :
貴婦人 :2013/01/08(火) 20:11:28.44 O
騎士は貴婦人を守るものよね?
>映画とかであるような整然とした騎馬突撃はなかったけど ソースは?
620 :
世界@名無史さん :2013/01/10(木) 21:37:55.87 0
北斗の拳のヒャッハーしてたやつらが騎士のイメージでだいたいあってる
ヒャッハーが99% まともなのが1% まともって言っても異教徒虐殺と地位の低いものを虐げるのはしてた でもそれが当時としては普通の価値観だから別におk
というかそれ北斗の拳じゃなくてベルセルクからそのまま持ってきたイメージだろw
ベルセルクはそこまで宗教対立描いてなくね?
北斗モヒカンのひゃっはーには打算がなさすぎる
625 :
世界@名無史さん :2013/01/11(金) 22:03:40.47 0
日本で言うとこの地頭でしょ。 地頭も結構ワルだったし。
626 :
世界@名無史さん :2013/01/12(土) 02:13:55.03 0
また今夏も世界最大の中世騎士祭り「グルンヴァルト歴史祭り」がやってきますね。 一生に一度でいいからいってみたい。
怪我スンナよ
グルンヴァルトに参加するのは男の夢 日程のうち合戦の日は甲冑着て長剣と盾振り回して数万人が一度にガチバトルやるから毎年大勢が大怪我する が、だからこそ人気 不思議と死人は出ていない
629 :
世界@名無史さん :2013/01/13(日) 01:11:43.03 0
死んでも参加するぞ。 スキタイ帽子かぶってリプカ・タタール人軽騎兵の役やってやるよ。 絶対ウケる。
あんた何年か前も同じこと言ってなかったかw
631 :
世界@名無史さん :2013/01/14(月) 13:23:24.41 0
中世最後の騎士
632 :
世界@名無史さん :2013/02/03(日) 00:47:13.69 0
上げときますわ
633 :
世界@名無史さん :2013/02/03(日) 09:42:44.69 0
>>629 Beginのボーカルとかファンモンの坊主みたいな顔してるんだろ乙w
634 :
世界@名無史さん :2013/02/03(日) 10:01:27.55 0
>>614 ポーランドでは14世紀にカジミェシュ3世大王の行った身分制度改革で、騎士身分をシュラフタとし、これを唯一の貴族身分とする再定義を行っている。
よってシュラフタは武士であり、貴族であり、同時に騎士でもある。
ポーランドの身分制度は独特なので、理解するには発想の転換が要る。
ポーランドのシュラフタは古代のローマ市民と同じ「ポーランド市民」の身分でもあるしな 基本的にこの「市民」身分なんだろ 参政権を持つ有産者の人々
所謂騎士よりかササン朝や東ローマのカタフラクトのが好きだな 槍、剣はもちろん弓も使える オールマイティーなエリート兵って感じ?かっこええじゃん
637 :
世界@名無史さん :2013/07/21(日) NY:AN:NY.AN 0
東ローマのほうが西ヨーロッパのひきこもりヌルゲー戦争やってた騎士より 蛮族の侵入防がないといけなかったからはるかに実戦的だったしな
そのヌルゲー戦争やってた連中にコンスタンティノープル陥落させられたビザンツって・・・
639 :
世界@名無史さん :2013/07/21(日) NY:AN:NY.AN 0
国土広くて傭兵ばっかでやってたから不意打ち弱いねんビザンツ 湾封鎖できてなかったし
というより制海権握られたのが痛い
というよりまた内乱してました はい、古代ローマ時代から反省してません
平騎士が旗騎士になると領地とか増えるの?
騎士が成功したのはポーランドだけ。
成功したって何が?
平騎士 領地無しの騎士 旗騎士 領地ありの騎士 ネットで上記のような説明をしているのは笑った
646 :
世界@名無史さん :2013/11/10(日) 04:37:50.17 0
ポーランドは確かに騎士階級が人口の10%近くを占め、さらに力関係なく平等に参政権もった最先端の共和制、当時最も民主的な国家になった おかげで各地の騎士の力が増大して広い国土を保てたが、その統治体制は一瞬しか機能せず、すぐ力持った奴らが勝手し始めて無政府状態になっちゃった
647 :
世界@名無史さん :2013/11/10(日) 22:34:46.04 0
648 :
世界@名無史さん :2013/12/29(日) 14:36:45.40 0
>>17 この中でポーランドが最も武人らしくて好き。
ダッタン人はどこにでも現れるな。
第一回十字軍でのイスラエル他での蛮行を見る限り 騎士って野蛮だったんじゃないの?
651 :
世界@名無史さん :2014/01/19(日) 17:09:27.72 0
>>650 当時のポーランド騎士たちだけは、心は野蛮じゃなかったようですな。
ポーランドは11世紀に限らず、15世紀初頭のコンスタンツ公会議でも
同じ立場を貫いている。寛容の伝統が社会に根付いているようで。
>>651 寛容の伝統ねえ・・・
14世紀のポーランド軍は、教皇庁が東方正教の洗礼は有効であると認めていたにもかかわらず
正教徒の捕虜にカトリック式の洗礼を強制するという行為を行っているよ。
ハンガリーでもブルガリア等に侵攻した際に同様のことが行われた。
ユダヤ人の保護 タタール人の保護 異教リトアニアの保護 そして現代は大変な親日国 ポーランドは異教の民には寛容 カトリック主義による正教徒の冷遇 コサック反乱 ロシアとの対立 ポーランドは正教徒には厳しい と、思ったがアルメニア人も保護しているから 全ての正教徒に厳しいというわけでもないか 単純にルーシ人を見下しているだけなんだな
>異教リトアニアの保護 してない クレヴォの合同の条件に多神教徒のカトリックへの改宗がある
コンスタンツ公会議でリトアニアの立場を原則論から保護 またクレヴォの合同の際のカトリックへの改宗は大公家と合同支持者の貴族のみ ルーシ貴族の奉ずる東方正教や原リトアニア貴族の奉ずる多神教への介入はしていない
この件に関しては一橋大学の山内学長が相当なヲタだな 名著『北の十字軍』を著したりなど
>またクレヴォの合同の際のカトリックへの改宗は大公家と合同支持者の貴族のみ >原リトアニア貴族の奉ずる多神教への介入はしていない ノーマン・デイヴィスのポーランド史を見ると、改宗の対象となったのは「大公家と合同支持者の貴族のみ」 ではなく「彼(ヤギェヴォ)の異教徒の臣下」だぞ。 Norman Davies "God's Playground: A History of Poland" Vol. 1, pp. 116-17 On 14 August 1385, at Kreva (Krewo) in White Ruthenia, an agreement was signed, in which the Polish barons persuaded Jogaila to concede a number of very advantageous undertakings. In return for the hand of Jadwiga, the Lithuanian Prince was readey to accept Christian baptism, TO CONVERT HIS PAGAN SUBJECTS TO ROMAN CATHOLICISM, to release all Polish prisoners and slaves, to coordinate operations against the Teutonic Knights, and to associate the Grand Duchy of Lithuania with the Kingdom of Poland in a permanent union.
デイヴィスは嘘をついていない 洗礼することで話がついていたのはヨガイラ(ヤギェウォ)の配下のリトアニア人 大公国ではヴィタウタスが支配していて彼の配下はまた別の話で、 異教の貴族たちはまだ残っていた とはいえ大公国で政治的に強かった勢力は異教の土地リトアニア・プロパーのリトアニア人ではなく 現在のベラルーシやウクライナやスモレンスクに領地をもっていた正教徒のルーシ人たちだが
>>654 クレヴォの合同はヨガイラがポーランドと交わした契約だろ?
キリスト教化について自国内で根回しが済んだから締結されたんだろ?
どこに強制性があるのか?
従軍慰安婦のような論調に聞こえるが
>>658 >洗礼することで話がついていたのはヨガイラ(ヤギェウォ)の配下のリトアニア人
>大公国ではヴィタウタスが支配していて彼の配下はまた別の話で、
>異教の貴族たちはまだ残っていた
それは時系列が完全に間違っている。
1385年のクレヴォの合同の時点でリトアニア大公だったのはヨガイラで
彼がポーランド王に選ばれた後、弟のスキルガイラが大公の摂政という立場でリトアニア統治を担当する。
ヴィタウタスはすでに亡命をやめて帰国していたが、この時点では諸侯のひとりにすぎず
リトアニアの一部しか支配していなかった。
のちに彼とヨガイラの関係が再び悪化してドイツ騎士団へ二度目の亡命。
ヨガイラとの交渉で大公の地位を認められてリトアニアへ帰国したのはようやく1392年になってから。
要するに、クレヴォの合同の時点でのリトアニア大公国の君主はヨガイラで
彼の異教徒の臣民といえばリトアニアの多神教徒全般を指す。
>>659 それは論点がずれている。
そちらが言っていたのは「異教リトアニアの保護」「多神教への介入はしていない」
という話で、一国の国王に臣民を改宗させるなんて契約を結ばせたら介入以外の何物でもない。
662 :
世界@名無史さん :2014/01/26(日) 14:41:06.58 0
話がおかしい。 ポーランドによる強制性があったかなかったかと言えば無かった。 ヨガイラは自分が4年以内にリトアニア国内の多神教の貴族(ほかに正教徒の貴族がいた)をカトリックに改宗させるからと約束している。 繰り返すがポーランド政府が交渉した相手はヨガイラで、国内貴族のカトリックへの改宗はヨガイラが約束した。
663 :
世界@名無史さん :2014/01/26(日) 14:42:35.26 0
カトリック国のポーランドがリトアニアをカトリック極右のドイツ騎士団の侵略から守るにはリトアニアが形の上だけでもカトリックに改宗してくれないと困る。
664 :
世界@名無史さん :2014/01/26(日) 14:47:12.28 0
リトアニアが改宗したのはあくまで形式上であるという点について、実際のところグルンヴァルトの戦いの後のコンスタンツ公会議でクラクフ大学総長パヴェウ・ヴウォトコヴィツとドイツ騎士団の間で大論戦となった背景にはこれがあった。 騎士団側はあくまでリトアニアが形式的な改宗をしたにすぎず本当は異教の神々を信じていて実質は異教国家のままだから絶滅すべきだという主張。 騎士団の訴えは事実に基づいたものであったが、対するパヴェウはその論点に引きずり込まれることなく、大原則としての国際人権思想を提議しそれに普遍的な正統性があることを論証している。
665 :
世界@名無史さん :2014/01/26(日) 14:55:34.15 0
訂正 >実質は異教国家のままだから絶滅すべきだという主張。 実質は異教国家のままだからそれを支援したポーランド共々絶滅すべきだという主張。
コンスタンツ公会議か。ポーランドのほうがドイツよりずっと騎士道が精神あるな。
667 :
世界@名無史さん :2014/01/27(月) 18:32:55.33 0
貴族の城にいる家来と、領地持ちの騎士はどうちがうの?
>>664 コンスタンツ公会議で騎士団の代訴人ペーター・フォン・ヴォルムディットがまず訴えたのは、
北方十字軍の正当性、ヤギェヴォによる違約と騎士団領への攻撃の不当性などで、これに対して
ヴウォトコヴィツは騎士団の存立基盤そのものを揺さぶるために、教皇は武力による異教徒の
改宗を命じることができるか、皇帝は武力による布教に対して勅許を与える権利があるのか、
などを疑問視し、それに関連して異教徒の自然権といった点を主張している。
リトアニア人の改宗については、ヴウォトコヴィツは騎士団が武力によって成し遂げられなかったことを
ポーランドは平和裏に達成した、つまりリトアニアはカトリック化されたと断言している。
彼が論じた異教徒の自然権というのは所有権や領土主権などで、信教の自由については
問題にすらされていない。
またヴウォトコヴィツは、異教徒が自然法に違反した場合に教皇がそれを罰する権利があることは
認めていて、その違反というのは「偶像崇拝」「男色」「キリスト教徒への攻撃」「キリスト教布教の拒否」
なのだが、偶像崇拝だけでリトアニア人の多神教信仰はアウトだ(ただし彼は、教皇がキリスト教徒の
君主に命じて懲罰を行わせる場合でも異教徒の所有権などは尊重されるべきだ、としている)。
>実質は異教国家のままだからそれを支援したポーランド共々絶滅すべきだという主張。 ヴォルムディットやウルバッハといった騎士団お抱えの論客が主張してたのは 騎士団の存在意義や教皇の命によって異教徒に攻撃をしかけることの当否についてだよ。 ポーランド人を絶滅しろと言ったのはヨハン・ファルケンベルクという異端審問官で 勝手に論争に加わってきて、その過程で彼自身の著作の内容が問題になり 自分が異端の嫌疑をかけられたw 問題のSatiraという著作では、ヤギェヴォはポーランド人にとっての偶像で、それゆえ ポーランド人は全員偶像崇拝者で棄教者であり、キリスト教界を内側から蝕む、異教徒よりも 悪質な者たちであるから絶滅させるべきだ、などと頭のネジが飛んだとしか思えないような ことが書かれている。 なんとか異端宣告は免れたものの、Satiraは枢機卿たちに「(この書物は)引き裂かれ、千切られ、 足で踏みにじられるべきもの」と言われ、ファルケンベルクはその後フィレンツェとローマで 六年間投獄された。 エリック・クリステンセンの「北方十字軍」によると、呼んでもいないファルケンベルクが 騎士団の意図をカリカチュアにしたような主張を繰り広げたせいで騎士団の立場は さらに悪くなり、一方ヤギェヴォはファルケンベルクの主張が騎士団の指示によるものだと 言い出して中立的な出席者からも反発を受けた。 論争当事者のどちらにとっても迷惑な闖入者だったのは間違いない。
>>662 だから何で論点をずらそうとするの?
異教徒の君主に外交圧力をかけて臣下ごとカトリックに改宗させることの
どこが異教の保護なんだ?
>>655 で「原リトアニア貴族の奉ずる多神教への介入はしていない」
>>662 で「国内貴族のカトリックへの改宗はヨガイラが約束した」
と書いて自分で矛盾に気づかないのか?
リトアニア 「ドイツ騎士団が攻めてくる!ポー助けて!」 ポーランド 「助けてもいいんだけどさ、リトおまえたしか異教徒じゃ? 国としておおっぴらにおまえを助けたら俺が異教徒を助けたことになって 立場悪くなるんだよ。。」 リトアニア 「助けてくれるって約束してくれるんだったら4年以内にキリスト教に改宗するから。」 ポーランド 「んじゃ俺のほうも面目が立つな、じゃそれで手を打つよ。」 リトアニア 「ありがとうポー!」 2ch的結論:ポーランドがリトアニアを無理やりキリスト教化した。
リトアニアが弱小国だったとでも?
リトアニアの本質はルテニア(ルーシ)だからな。 元首にリトアニア人を置くことで、互いに牽制し合っていた東スラブ人が国家を統合した。
674 :
世界@名無史さん :2014/01/31(金) 13:14:52.95 0
ヨーロッパの重装騎兵のルーツはアジアのサルマタイ重装騎兵かのう?
サルマタイもあるがササン朝ペルシアのカタフラクトの影響も大きい。 ランスを腋に挟んで突撃するスタイルは東ローマで生まれた(流行したのは西欧だったが)。
西ローマ時代にブリテン北部に出稼ぎに行っていたアラン人重装騎兵は?
カタクラフトは本来はローマ騎兵です。 カタクラフトのランスチャージのアイデアはアヴァールからです。 アヴァールのランスチャージのアイデアはサルマタイからです。 アランはサルマタイの一種です。
また、カタクラフトは騎士ではなく単なる平兵士です。
さらに言えば、カタクラフトではなくカタフラクトです(恥)
>>667 貴族の城にいる家来が全員騎士とは限らない。
訊きたいことは、ドイツ史の家人じゃない?
681 :
世界@名無史さん :2014/01/31(金) 21:37:01.90 0
西欧の貴族はいつ頃まで、日本の侍のような武装した家臣を抱えていたんだろう? 19世紀の貴族の城館に仕えていたセバスチャンは、騎士の流れをくむんだろうか?
誰やねんセバスチャンってw
中世じゃないの? 近世には、貴族は王の直接の家来になり、家来の家来がいなくなる。 中世の家臣は、近世には召使いになってしまう。 召使いと言っても武器を所有したりしているし、傭兵を雇ったりして 私兵を保有したりしているが、国の軍隊とは別扱いとなる。 公爵の家来の伯爵とか、伯爵の家来の騎士とかがいない。
684 :
世界@名無史さん :2014/02/01(土) 08:33:39.93 0
ということは、近世の貴族の召使い(セバスチャン)は、 日本でいえば大名や旗本の家臣=武士と考えていいのかな。
いや、この点では日本の武士はポーランドのシュラフタと同じだろう? シュラフタの方が政治的には武士よりずっと平等だが
日本のシステムと違うから日本でたとえることはできない。 藩士は藩の部下であっても、将軍(幕府)の部下じゃない。
687 :
世界@名無史さん :2014/02/01(土) 11:09:44.84 0
イギリスとかフランスの貴族の城館や邸宅に仕えている執事とか使用人が、 日本でいえば藩士とか家士ってことじゃないの? セバスチャンは用人とか小姓とか近習の侍みたいなものなんじゃないの?
688 :
世界@名無史さん :2014/02/01(土) 11:17:47.66 0
>>685 武士とシュラフタは近い。
ただし武士はもっと封建的で身分差別があり、シュラフタの上下関係は単に職業上の契約によるもの。
689 :
世界@名無史さん :2014/02/01(土) 11:21:25.69 0
低位のシュラフタが高位のシュラフタを呼ぶ場合は「大きな兄弟(=同志)!」と言う。 あくまで兄弟という仲間意識であるから、「公に仕える」という騎士道の典型。 武士の場合はこの点もっと身分的な意識が強く、「私に仕える」という武士道の典型。
690 :
世界@名無史さん :2014/02/01(土) 11:25:08.15 0
なおシュラフタは全員が不輸不入権に基づく土地所有(権)と紋章という2つの要件を満たす騎士。 (土地は実際に所有しなくても、金銭さえあれば土地を購入・所有することが許されている権利があることが前者の要件) 14世紀に法律で正式にそう定義された。
そんで、セバスチャンって誰やねん 近習みたいな一般名詞的な意味でもあんの?
貞操帯ネタは概出?
693 :
世界@名無史さん :2014/02/02(日) 00:33:44.71 0
重装騎兵って モンゴルと火器のせいでバカにされまくってるよね まあしょうがないよねw鈍亀だしねwww
というか、あの時代でモンゴル軍に陸戦で勝てる方が凄いだろ
そもそも騎射が普通にできる時点で普通に練度がヤバイ 生活に基づいた技術とは言え
>>693 その反省があって勃興したのがフサリア
これで無敵化
重装騎兵は確か一時強かった 戦場の華形であった しかし、あまりにかっこいいので執着し引き際を見誤った
言語が違う為に、その手の指揮がマトモに取れないのもあったんじゃね? 単騎辺りの強さはともかく、実質的には烏合の集でマトモな作戦活動なんて出来んだろ
>>677 鐙なしでどうやってランスチャージすんだ?
700 :
世界@名無史さん :2014/02/04(火) 18:44:20.93 0
>>699 サルマチア人は鎖帷子の重い鎧を着ていたんだが
アーサー王のような中世騎士の鎧はみな鎖帷子だった
その西欧騎士の恰好はサルマチア人の恰好を真似た物
近年は初期西欧騎士は実はサルマチア人だったとも言われている
アーサー王は実在したローマ軍サルマチア人傭兵隊長の歴代呼称であるとか、
円卓の騎士最強のランスロットは(西欧では縁起が悪いとして忌み嫌われる)荷車に
乗って移動し荷車に住んでいたことでサルマチア人騎士像がモデルに違いないという
アーサーなんて明らかに複数人物をモデルにしてんじゃん マロリーなりモンマスなり
703 :
世界@名無史さん :2014/02/04(火) 20:23:39.50 0
ランスロットとグィネヴィアの不倫も ケルト神話のディルムッドとグラーニアがモデルって説あるしな
何もサルマティアンを否定することはない うーん、アーサー王のキャラ設定にサルマティアンの要素が入っているのは実に興味深い
705 :
世界@名無史さん :2014/02/04(火) 22:33:50.53 0
中世騎士と古代サルマタイ騎士の恰好がそっくりですが 鎧やヘルメットも ポニー(小馬)に乗った槍騎兵であるところも
そもそも似てるから同じって分けでないしな 収斂進化と同じで同じ目的のためなら 人間は似たこと考える
708 :
世界@名無史さん :2014/02/05(水) 10:12:49.17 0
>>706-707 馬鹿みたい
あなた横からしゃしゃり出てこなくていいよ
それ中世は中世でも後期の15世紀ごろの騎士じゃない
初期の騎士は11世紀頃までみんな鎖帷子を着て小馬に乗ってるよ
私はそれがサルマタイと酷似していることを指摘しているんです
706はプラハやウィーンを見て 「やっぱり中世の街並みって素敵〜」 とか言っちゃう類の人なんだろうな
>>708 鎖帷子ならローマの騎兵だって着てたよ。
サルマタイは鎖帷子の上にスケールアーマーやラメラーアーマーを(鎖帷子なしの時もある)着てたが
そういうスタイルはむしろビザンツ帝国や中近東・中央アジアの騎兵と共通している。
西欧の鎧の変遷は
中世初期 メイル
中世盛期 メイル・ホウバーク
中世後期 メイルの上にコート・オブ・プレーツやブリガンディン のちにプレートアーマー出現
そこまで必死にサルマタイを否定する目的は何?荒らし?
ヨーロッパにおけるホーバーク導入は4世紀ごろのダキア(ルーマニア)で、 おそらくサルマタイ傭兵と思われる騎兵たちが着ていた
ローマ軍の傭兵ね 腰のところで絞ったなかなかかっこいいデザイン チェーンメイルもサルマタイ騎兵から来ていた
>>714-715 ローマ騎兵のチェインメイル(ロリカ・ハマタ)装備に関する最古の史料は紀元前2世紀。
ポリュビオスの『歴史』にローマの騎士階級(エクイテス)が自弁すべき装備として
チェインメイルを挙げており、マケドニアを征服したアエミリウス・パウルスがデルフォイに
建てた記念碑にもチェインメイルを着たローマ騎兵が描かれている。
素人考えだと鎖帷子なんかより 鉄板繋ぎ合わせた方が作る手間も守備力も優れてると思うんだけど 当時は違うんだろうなあ
そんなに金属加工技術が高くはないだろうからな 大きな一枚板を作るのって高温の炉がないと不可能だし 対してチェインメイルを構成するのはあくまで細身の針金だから、低温の炉で済む ってのは効いた事ある
大きな一枚板ってより、ラメラーアーマーのことを言いたかったんじゃないの あの小札一つ一つを作るのはそんな難しくなさそうということで
ローマ時代のサルマタイはチェーンメイルとラメラーアーマーとを組み合わせているね。 また彼らは古くからホーバーグを着るようになっている。 これはペルシャ方面からの影響だろう。 自分も後のノルマン人のホーバーグはサルマタイ騎兵から来たと思う。
サルマタイはアラニとも呼ばれるが、彼らは色白金髪碧眼で、また誰も見たことのないほどの大柄な体格で大変美しかったらしい。 言語はイラン系だが形質的基層はイランあたりではなく、先史時代のドニエプル・ドネツ文化と共通している。
>>721 ローマ軍にハドリアヌス帝の時代から、サルマタイ式の装備をした騎兵部隊がいたが、
主な装甲はメイルではなくスケールだった。
ttp://i.imgur.com/kljlY.jpg 本当にサルマタイの影響を受けてたらこんな鉄のカタマリになるよw
中世前期にこの手の部隊を配備できたのは東ローマ帝国やイスラム王朝の一部だけだった。
ノルマン人についていえばメイル一枚で、防御力不足を補うために大型のカイトシールドを
用いたりと、西欧ではこんなのが重騎兵として通用していたのかって感じだ。
馬の装甲などは12世紀まで復活しなかったし。
NHKの地球ドラマチック見たらドラゴンの特集やってたわ ロードス島に凶悪な人食いドラゴンが現れたのをド・ゴゾンという騎士が退治して その後200年くらい町の入口にドラゴンの頭蓋骨が飾ってあったんだと まあ実際には大きなワニだったらしいんだけどね
誰がロードス島にワニ持ち込んだんだ・・・
なる 個人的にはドラゴン=恐竜の化石から連想した物だと思ってたが、ワニからか まあ恐竜の化石から竜/龍を連想した人達もいそうだけど
727 :
世界@名無史さん :2014/02/15(土) 13:21:24.27 0
>>723 サルマタイは全身スケールもホーバーグもどちらも用いている
中世後期ポーランドにおけるサルマタイ様式と呼ばれる鎧はスケール
内部の部族ごとの特徴によるものなのか、資産によるものなのか、それとも鎧職人の特長によるものなのか
728 :
世界@名無史さん :2014/02/20(木) 21:05:17.17 0
騎士ってヒャッハーして農民や民衆を虐げてたDQNだろ。 3年くらい前、NHKのBSで「大聖堂」ってドラマで見たけど、 騎士なんて野盗の集団みたいな極悪非道な連中だったぞ。
ドラマがソースというのは頂けないからおそらく釣りだろうが 夜盗みたいな連中がいたというのはその通り 釣られなくてごめんねw
強盗騎士 Robber Knight ってのが十字軍以降は氾濫しちまったのは確か そもそも中央集権がない封建主義だから、現地の武力持ってるやつが好き勝手やれたんだけど それをフェーデとかいろいろ武力行使を正当化するルールがあったせいでそれが抑えられなかった まぁ騎士階級没落以前からくずが堂々とくず行為できる状況だったのがな…
初期十字軍の主力のひとつが、ノルマン系の王侯だった時点でお察し
732 :
世界@名無史さん :2014/02/25(火) 11:38:37.98 0
>>727 ローマ時代のレリーフにもスケールの鎧姿のサルマタイが描かれている
733 :
世界@名無史さん :2014/02/25(火) 11:39:39.62 0
>>727 いっぽうホーバーグも用いている
特にサルマタイのうち欧州西部にローマ傭兵として入ったアランはホーバーグを着ている
734 :
世界@名無史さん :2014/03/02(日) 14:57:33.41 0
いやむしろ当時は農民や民衆の方が凶暴だった。 農民や民衆=善良というのはマルクス経済学的先入観。
まぁ農民の方が野蛮で無知で勝手であつかましく恥知らずだが虐げられてはいる
そもそも虐げられなきゃ農民がわざわざ勝ち目の薄い反抗なんてしませんし
737 :
世界@名無史さん :2014/03/04(火) 19:56:12.91 0
だいたいね、甲冑と長槍でフランス国王と契約したスイスの傭兵たちだって庶民であり農民たちなんだよ。 ウェールズの長弓兵もジェノバのクロスボウ兵もスコットランドのハイランダー兵も庶民だ。
長弓兵は富裕な農民階級が多いので 上級な庶民ではある
739 :
世界@名無史さん :2014/03/04(火) 20:52:27.92 0
長弓兵は大貴族もしくは王族の私兵だよ
741 :
世界@名無史さん :2014/03/08(土) 18:16:19.92 0
西洋甲冑や騎士が好きな身としましてはヨーロッパ騎士団オールスターキャストが リーグニッツの戦いで薄いペラペラの皮の鎧を着てたモンゴル帝国騎馬軍団に 完敗したというのが納得出来ません 何が悪かったのでしょうか? 戦法でしょうか? それとも財宝とか女とか略奪するものがないと騎士は やる気が起きないのでしょうか?
>>741 ペラペラの薄い皮の鎧がモンゴル軍の装備だと思ってる
ペラペラの薄い知識を何とかしない貴方の頭が悪いのだと思います
モンゴルにも中国にも重装騎兵はいるんだが・・ あと欧州のフルプレートアーマーの完成は少し後 そういう話がなくとも普通に欧州でも重装騎兵を 農民のフレイルやパイク長弓兵で打ち破ってるヤン 戦術もモンゴルは優れてるが指揮が統一されてたり 意外におもうかもしれんが動員人数も多い また戦いなれた精鋭兵も多い 掠奪は士気をますが一般的には弱兵になるとされてるな 無駄なものを抱えて移動するし、無駄な時間も費やされ 兵がばらばらになりやすいし仲間で喧嘩もおこる
チェインメイルとラメラーアーマーの戦いという事実をまず知ろう つーか、この話題何度目だ?
それだけご新規が入ってると肯定的に受け止めようぜ 742みたいに煽るのは良くないよ ご新規がはいらんと面白い新しい話は聞けないよ
もしかして革鎧がバッグやコートのような柔らかい革で出来てると思ってる人 意外と多いのか?
13世紀の騎士がフルプレートアーマーを着用している 中世の遊牧騎兵がレザーコートだけ着て戦場に到来する ・・・むしろ、こういう認識がどこから生まれてくるのかを究明すべき時なのかもしれない
>>742 すいません、こっちは知識が無いので詳しい方に御教授して頂きたく
質問させて頂いてるので回答できる知識を持ち合わせていない
ペラペラ脳の方は御遠慮下さい。
>>741 オールスターという名の言語もバラバラで指揮取れてない、烏合の衆ですし・・・
お陰でマトモな指揮系統や軍団コントロールもだな・・・
それに騎射できる時点で相手の練度はチート
>>747-748 最近、それ関係の話を別でしたんだけど
モンゴル帝国についてのwikiの記述(戦闘のパート)とかが、防具が最低限、となってるからでは?
別個で重装騎兵についても書かれているが、基本的に軽装ってイメージに引き摺られすぎてるんではないかと
防具は最低限(なお中国とイスラムの世界最高峰の技術吸収しまくった水準)
けどラメラアーマーは明らかに重装騎兵の方じゃ?
754 :
世界@名無史さん :2014/07/26(土) 21:01:59.48 0
甲冑師 三浦權利さんが紹介されるようです。
出没! アド街ック天国
平成26年7月26日放送予定『亀戸水神』(東京都江東区)
公式サイト:
http://www.tv-tokyo.co.jp/adomachi/ 【司会者】
愛川欽也、須黒清華(テレビ東京アナウンサー)
【レギュラー出演者】
峰竜太、薬丸裕英、山田五郎
【ゲスト】
京本政樹、眞鍋かをり、土田晃之
対モンゴル戦の敗戦を教訓にだんだんと進化して地上最強となった騎兵がフサリア
756 :
世界@名無史さん :2014/08/31(日) 19:48:24.29 0
ポーランドさんは欧州の肉壁だからマジ死に物狂い
自ら肉壁になろうと東進するプロイセン、ドイツさんマジかっこいいす
758 :
世界@名無史さん :2014/08/31(日) 21:58:27.59 0
ドイツ騎士団がノルド人狩してたけど 戦場で下馬したとしても、あの地方の馬はしょぼいのしかいないのによくがんばって移動したな
>>748 塩野先生の十字軍物語でもフルプレートアーマーを着てそうなイメージで書かれてる
矢が十字軍騎士の厚い鎧を貫通しなかったみたいな記述してるし
史実の十字軍騎士はこんな目にあってるというのに
165 名前: 世界@名無史さん [sage] 投稿日: 2007/10/31(水) 09:40:21 0
>>154 それはドリュラエウムの戦いの記述だと思うが
その戦いでGerard of Quiersyという騎士がトルコ兵を追撃していたとき
トルコ兵の放った矢が盾とメイル・ホウバークを貫通して
肺と肝臓の間に突き刺さって死亡。
トルコ兵は彼の馬を奪って逃げおおせた、という記録がある。
(John France "Victory in the East: A Military History of the First Crusade" p. 148)
そら矢なんて距離や使い手によって威力全然ちがうし
いちいち記録に残すほどまれなケースって事だろ。 いつも貫通しているなら、いちいち記録しない。
763 :
世界@名無史さん :2014/09/05(金) 22:11:14.30 0
十字軍のはプレートアーマーじゃなくて、メイルの下に皮や綿を詰めたモノを着て、それで防いでいたと記述されてるぞ 塩婆の小説とも言える十字軍物語ですらそう描写されてる いったいどこにフルプレートアーマーなんてかかれてるんだ
764 :
世界@名無史さん :2014/09/05(金) 22:15:41.00 0
記述されてるのは稀だからだ!(そんなことは全く書かれていないし、そもそもそういうニュアンスでかかれるはず、というツッコミはするな!!) (その文献に全く記述されてないけど)矢がプレートアーマーを通らない、と読み取る!、
中東であの鉄板の下にさらに厚手の服着るとか 暑さで死ねそう
メイル・ホウバーク
767 :
世界@名無史さん :2014/09/06(土) 21:50:32.02 0
マジであの暑さのなか欧州でやってたみたいに鎧一式着こんで全滅した十字軍…
メイル・ホウバーク
769 :
世界@名無史さん :2014/09/08(月) 22:15:31.83 0
中世の騎馬突撃ってどんなんだったの?
770 :
世界@名無史さん :2014/09/13(土) 23:53:34.51 0
それぞれの貴族とその配下があいずがあったら勝手にやりあうのが普通 一斉に横隊突撃するのはない 全体を指導できるほどの力量も権力もある王が少なかったせい
771 :
世界@名無史さん :2014/09/23(火) 03:05:44.09 0
ポーランドのフッサリアは騎士のうちにはいるんでしょうか
そら基本「士族」階級だし騎士でいいだろう
叙任式とか受けてないなら騎士ではないでしょう 西ヨーロッパでも騎士の家に生まれて実戦経験してても自動的には騎士にならないんだから
階級としての騎士に限定してしかもゲルマンの騎士に限定と いろいろ絞りすぎだろう
今の時代戦士階級っていないね つまんない
776 :
世界@名無史さん :2014/09/25(木) 20:57:16.90 0
ポーランドのアレを騎士と呼ぶならアラブやローマの騎士もこのスレの範疇なのか? 特に中世初期アラブ騎士は一騎打ち大好きっこだが
1に中世西洋の騎士と限定してるな
778 :
世界@名無史さん :2014/10/25(土) 01:44:39.22 0
鎧の値段を種類別に知ってるのあったら教えてくださいな
1441年 サー・ジョン・クレシーは、8p6s8d 従騎士用は、5pから6p16s8d 「イングランドの中世騎士」新紀元社
780 :
世界@名無史さん :2014/10/25(土) 12:19:25.99 0
馬上槍試合で使うような槍は 先の部分は取り外せるようになってたのか 知ってる人います? 前に読んだ本の挿絵で、「武具掛け」に 槍の穂先らしいのが掛かっているのを見てからの疑問なんだけど、 いろいろ調べてもわからんのよ。
781 :
世界@名無史さん :2014/10/26(日) 18:57:03.40 0
当時の貨幣価値わからないと意味不明だな値段だけでは
782 :
世界@名無史さん :2014/10/27(月) 00:04:42.43 0
>>771 フサリアの階級であるシュラフタは別名リツェシュと言うんだがそれは「騎士」と言う意味。
つまり騎士階級が発展して自由市民的な独特の貴族階級を形成したという社会。
ロシア語の「ルィツァーリ」等、中東欧〜ロシアはだいたいドイツ語の「リッター」からの借用語だな。 異彩を放ってるのはハンガリー語の「ロヴァグ」とセルビア語の「ヴィテーズ」だが。
西上野の小幡一党、赤武者にて、入れ替へ懸かり来たる。 関東衆、馬上の巧者にて、是れ又、馬入るべき行にて、推し太鼓を打ちて、懸かり来たる。 (『信長公記』長篠の合戦) ↓ 近江彦根に移住した甲斐武田の旧臣が発した驚きの声(『武田流軍書』) 「何たる事にや、上方の士、馬を入れる事が無きぞ」 何という事だ。我々甲州武士と違い上方武士は馬から下りて戦う。
過去ログより 百年戦争末期頃(1446年ごろ) 若い騎士一人を最高級品の武具で完全武装させるのにかかった金額は 125〜250リーヴル・トゥルノワで、 一般的な装甲騎兵の給金8ヶ月〜16ヶ月分に相当したそうな。 これよりワンランク落ちる装備では サレット兜が3,4リーヴル、 半甲冑ないしブリガンディーヌが11リーヴル 槍組全員の装備の価格が70〜80リーヴル。 安物の剣が1リーヴルを僅かに超えるくらい。 火器では ヴグレール長砲16門 セルパンティーヌ長砲20門、 クゥルヴリーヌ長砲40門、 リボドカン(多連装砲車)門数不明 が、合計で4198リーヴル +火薬20000ポンドが2200リーヴル。 (1リーヴル・トゥールノワはフランスのトゥールで作られたリーヴル貨1枚)
1384年に書かれた記録では、 コート・ド・フェール・ボンヌ(胴鎧?) +ガントレ(篭手) +アヴァンブラ(腕鎧) の合計が16リーヴル・トゥールノワ 裏側がチェインメイル貼りのアルノワ・ド・ジャンブ(脚鎧)が一対で5と2分の1リーヴル バイザーつきのバシネット兜が、2〜3リーヴル だったそうです。 以上、オスプレイ・メンアットアームズ 「百年戦争のフランス軍」からの受け売りでした。
1540年 Undecorated garniture :£12 Complate harness for field & tilt :£10 Complate harness for the field :£8 Armour without leg harness :£6 13s 4d Leg harness :£1 6s 8d Coat of Plate (Brigandine?) :£4 Cuirass & Collar :£2 Cuirass (Pair of curettes) :£1 13s 4d Collar :6s Pair of single curettes(?) :£1 6s 8d Brestplate :£1 Backplate :13s 4d Helmet :£1 6s 8d Pauldrons :10s Arm defence :6s 8d Gauntlets :10s Tassets/Cuishes :13s 4d
788 :
世界@名無史さん :2014/10/28(火) 00:00:12.32 0
>>755 教訓でってよりリブカタタール取り込んでるからこその強化だと思われるがな
リブカじゃなくてリプカね
791 :
世界@名無史さん :2014/10/29(水) 19:11:02.63 0
やりはともかく馬上で剣ってほんとに使えたんですか?
新田義貞による鎌倉攻めの時の戦死者人骨が大量に出土している んで、Discovery Channelが法医学検死官にそれらの骨を調べさせた とある頭蓋骨の刀痕は、馬上から日本刀を振り下ろしたときにできるものだった
木の棒に日本刀括って薙刀にしてたことが確認されたってことでおk?
薙刀だと振り下ろした時の位置が頭にきませんので・・・ 乗ってる馬をサラブレッドみたいなのと勘違いしてる?
>>792 世界中の騎兵は20世紀まで馬上でサーベル振り回してたんだから
使えないとする根拠がない
その論理はおかしい
798 :
世界@名無史さん :2014/11/10(月) 20:50:21.24 0
騎兵っていつ廃止されたの?
第二次大戦でも現役やで 各国によるが
800 :
世界@名無史さん :2014/11/15(土) 15:10:16.38 0
騎兵が軍隊の華だった時代は、いつ終わったんだろう?
19世紀
802 :
世界@名無史さん :2014/11/16(日) 02:06:50.46 0
騎士と言えば、騎馬突撃の勇壮さもさる事ながら、 下馬騎兵としての活躍も重要に思えますね 百年戦争の時代には英仏ともに、下馬騎兵としての徒歩戦闘をいくつもの戦闘で行っておりますし、 馬上突撃に固執しがち、というイメージのあるフランス騎士が実際は戦術的要請があれば 迷わず下馬して徒歩戦闘を行った、という所が戦闘プロフェッショナル的に感じられます。 地形踏破能力においては歩兵は騎兵を上回りますから、 小さいころから武技の修練を積み、全身鎧を身に着けた騎士達が槍をはじめとする武器をもって 重装歩兵的に戦う、というのは戦場で大きな効果を発揮したのでしょうね。 個人的には騎馬突撃よりもこっちの方に色々興味を魅かれる部分がございます。
>>802 実は昔のノルマン騎士も結構下馬して戦ってる
804 :
世界@名無史さん :2014/11/16(日) 17:41:02.80 0
スペイン、カスティーリャ、ポルトガルにとって重要な一戦である
アルジュバロータの戦いの戦いも下馬騎士が活躍しました
ただそれ以前の対イスラム戦でも騎士の歩兵が活躍した文献が見られますからそんな珍しくなかったかもしれません
>>803 さんの言うとおり、スカンディナビアおよび北方十字軍、ドイツ騎士団、リヴォニア帯剣騎士団は重装歩兵が多く見られます
重種馬ですら貧相で、さらに大量の飼育が困難だったため歩兵が多かったのかもしれません
歴史ゲームAOCではチュートンナイトととして登場するくらい有名です
805 :
世界@名無史さん :2014/11/16(日) 21:47:03.19 0
相手がバイキングであんまり馬を並べてのんびり対決とか期待できないのもあったんでは 対ルーシ戦では騎馬突撃の話が見られるが、どの程度の横隊だったのかは不明
カール大帝ごろの初期の中世騎士と言える人らはどうバイキングとやりあってたのか 誰か教えてくれい
807 :
世界@名無史さん :2014/11/17(月) 01:23:46.29 0
808 :
世界@名無史さん :2014/11/17(月) 01:27:40.53 0
コマルフの戦いはポーランド陸軍vsソ連赤軍の騎兵戦で、 ポーランド騎兵がなんと10倍の敵を叩き潰したという凄まじい戦闘だった これがまあ欧州における史上最後の大騎兵戦だろう ナポレオン戦争のライプツィヒの戦い以来の規模
809 :
世界@名無史さん :2014/11/17(月) 01:30:14.33 0
とはいえライプツィヒの戦いに比較するとはるかに小さい規模だが ちなみにこの戦いに参加した騎兵の最後の生き残りは昨年113歳で死去した この人は一時世界最高齢でもあったという健康派
810 :
世界@名無史さん :2014/11/17(月) 01:34:35.03 0
連投ですまんが、トリビアをひとつ書くのを忘れた このコマルフの戦いでポーランド側司令官だったユリウシュ・ロンメル将軍と もちろん第二次大戦ナチスドイツの有名な司令官「砂漠の狐」エルヴィン・ロンメル将軍とは 親戚同士
ポーランド厨のポーランドマンセーが惨すぎる。
騎兵といえばポーランドははずせないからなぁ ポーランド厨なんて常駐してるのか?「なんかろんそうがあったのか? お前の被害妄想じゃないのけ?
813 :
世界@名無史さん :2014/11/17(月) 05:43:42.43 0
騎兵っつーか、騎士なんだよなあ、このスレ。 これって微妙に似て非なるものだよね。 古代のヌミディア騎兵隊を騎士というものはまずおるまいて。
>>812 どこのスレでも書き込みが似たようなパターンで
しかもポーランド史ですらマニアックな論点を突っ込まれると上手く答えられなくなってるからすぐ分かる
このスレですら少なくともおれ以外に一人はいるなポーランドの事かいてるの
>>814 はちょっと妄想で敵を作るタイプというか偏見を固めるタイプだから
ネットはやめておいたほうがいい
つまり他に一人くらいしかいないのか。ポーランド厨いるじゃん。
ちなみに俺は
>>814 とは別人。
正直、
>>815 というか、
>>807 から
>>810 までのポーランドマンセー的な書き込みの書き方って
世界史板のあちこちで見かけられてて、結構知られてると思うから、
今更隠さないでもいいと思うが。
ポーランドマンセーでも面白い知識ならいいよ 807〜810もおれは面白かった ソースが日本語で欲しいが それを厨だなんだというのは正直ウザイ
別に厨なら厨で胸をはりゃいいじゃん。 あちこちでわざわざポーランドマンセー的な書き込みしてて ポーランド厨だといわれたら必死で否定する意味ってなんかあんのかね。
必死で否定してる厨とやらはどこにいるんだ?
>>820 俺は812、817、819だw
厨という煽り文句使ってるのに疑問呈したらこれだよw
ちなみに勿論810ではない
自演疑ってるようだが常識的に見て厨だなんだってのは普通に不快だよ
なんでもいいが面白い知識くれるのならあんたでもいいぞ
なんか面白いもん書き込んでくれ
騎士のはなしとか
ポーランドの騎兵なんて歴オタの間じゃ超有名なのに その常識のポーランドのことすら知らなかった自分を恥じればいいのにかわいそう
823 :
814 :2014/11/19(水) 00:05:07.43 0
>>815 ちなみにどれが君でどれがもう一人の書き込みなん?
>>821 誰も自演なんて言ってないけどなー。
なんか必死で過剰反応してる人がいて色々うわあ、って感じ。
っていうか、ぶっちゃけ、毎回毎回ポーランドマンセーしてるのは
文の書き方が毎回同じような書き方だから、
>>814 にも言われてるし、俺にも言われてる。
っていうか、世界史板にいる奴なら普通にわかるだけの話だろ。
常識的に見て、も何も実際にポーランドマンセーして、毎回毎回同じような書き方の文章書いてるんだから、
ポーランド厨としかいいようないだろ。
>>822 ポーランドの騎兵は有名だけど、
世界史板のあちこちで毎回毎回同じような書き方する、
ポーランドマンセーするポーランド厨がいる、って事に対して誰も恥じる必要のある事なんかないぞ。
826 :
821 :2014/11/19(水) 09:02:22.98 0
>>824 >もなぜだかポーランド厨と呼ぶ事に断固として反対らしい。
なんでだろ。
「なぜだか」、とか「なんでだろ」は明らかに自演疑ってるヤンw
おれから言わしたら少なくともあんた個人は過剰反応だわ
まぁ俺からは厨とか言わないでってだけ
あと面白いネタ書いてよ
マニアックな論点とかに興味あるんでそれかいてくださいな
>>826 俺は
>>814 じゃないよ。一応ポーランド関係も書けるっちゃ書けるけど、
スウェーデンとかを絡める事になるだろうし、
そもそもポーランド関係にすると、
騎士というより「騎兵」の話になりがちだから
このスレでは微妙にスレ違いな希ガス。
828 :
821 :2014/11/20(木) 10:11:55.56 0
>>827 いやあんたが814でなくとも
>誰もいっていない
ではないでしょ。
騎士問題についてはシェラフタが騎士かどうかという定義問題になるなぁ
まぁ騎士でもいいとおもうが
書ける話はグスタフアドルフをぼっこにした話ですかねぇ
リデルハートは読んだがあれは30年戦争にフォーカス当ててるからなぁ
>>828 なんで俺が言ってもいない事に責任もたにゃならん?
お前は自分の場合は自分は違う、と言って逃げようとしつつ、
相手にはそれ要求するわけか?
本当はご当人なんじゃないの〜?
ぼっこといいつつ、コニェ以外の将帥は普通にグスタフに負けてるし、
結局ポーランドは戦争継続が無理になって大幅にグスタフ優位で決したのが戦争結果。
っていうか、グスタフの戦術はあの頃は発展途上にあったことは既に複数の学者から指摘されてるしな。
>>829 何言ってんだ
あんさんが
824でないなら安価つけなさんな
あんさんが824なら責任はあるよ
何言ってんだ本当に
>自分の場合は自分は違う、と言って逃げようとしつつ
勝手に自演認定するな
信じたくないなら2ちゃんに問い合わせしろ
グスタフが発展途上にあったことは知ってるが
なんかおもろいはなしはあんのかい
830は821ね
832 :
814 :2014/11/21(金) 17:51:47.54 0
今後は他のスレでもそのトリップで頼む
>>830 よくみたら
>>814 と思われるレスだって、別にはっきり自演なんて明言してないだろ。
なんでこれで俺がいわれにゃならんのよ。
何言ってんだ、はこっちだろ。
問い合わせしても複数回線使われてたらアレだけどな。まあ、いいや。
そろそろこのスレ通りの話しようや。
おもろい話って言ったって、俺が提示したって、そっちが面白くない、と
喚いたらそれで終了とかやだし。
ぶっちゃけ、俺はポーランドなんぞより、上で書かれてた下馬騎士の話とかふりたい。
834 :
世界@名無史さん :2014/11/22(土) 12:01:42.34 0
それでは下馬騎士について話題振り。
>>803 ノルマン・コンクウェストのタペストリーとか見るに
持ってるのは普通に長槍で、装備は鎖帷子のようですね。
これで下馬騎士戦闘となると、槍の使い方が重要になりそうですね。
後代の騎兵槍ランスを使っての下馬戦闘よりは、こっちの方がやりやすそうですね。
騎兵槍ランスを使っての下馬戦闘って結構扱い難しそうに思えますが、慣れるとそうでもないのですかね?
835 :
世界@名無史さん :2014/11/22(土) 12:13:51.91 0
>>804 丁寧なご紹介ありがとうございます。
色々調べる興味が湧いてくる事象でありますね。
それでちと質問なのですが、ゲームのAOCではチュートンナイトは剣と楯で
戦ってますけど、実際のチュートンナイトの主武装はやっぱり槍ですかね?
下馬戦闘となると剣と楯のが使いようによっては有利、という事もあるかもですが。
836 :
814 :2014/11/22(土) 20:06:11.89 0
◆IHLDPKadxd4Zさん この書き込みはあなたと同一人物かい? 138 名前: 世界@名無史さん 投稿日: 2014/11/21(金) 23:11:57.98 0 ポーランドの完全勝利となると、 コペルニクスとニーチェはポーランド人ニダ というヤブレカブレの書き込みが見られるパターンがここ14年続いているw
>>836 もう話は終わっておろう
そんな書き込みはそもそも見たこともない
何なんだお前
自演云々は820が明らかにほのめかしている
そうでないと認定したいのならそれは各人の勝手
838 :
世界@名無史さん :2014/11/23(日) 01:46:19.31 0
前に読んだスイス槍歩兵の本では、 スイス軍勃興期の戦いである、シャルル突進公との戦闘では、 ブルゴーニュ軍は下馬して騎兵槍を構えつつ、スイス軍相手に槍勝負を挑んだそうで。 その本では「彼(シャルル突進公)は自らの騎士達の騎兵槍に絶対の自信を持っていたのだ。」 的な事が書いてあり、実際に序盤は優位に進めたそうですが、途中でスイス軍が身を挺して ブルターニュ軍に踏み込んで突破口を開いた事で逆転した、的な事が書いてありました。 この騎兵槍、ってランスの事ですかね? もしそうだとしたら、結構騎兵槍を下馬して使う、って大変に思われるのですが、 どうなのでしょうか?
その頃のスイス兵ってハルバードだな クルトレーの戦いで都市民兵が使っていたゴーデンダックも実はただのハルバードだという説があるとか
840 :
世界@名無史さん :2014/11/24(月) 18:56:17.97 0
>>839 その通りですね。
>>838 の戦いにおいて、スイス軍はハルバードなどを主体にして戦ってましたが、
シャルルの下馬騎士軍との槍勝負にやられそうになった事から、
その戦訓を生かしてパイクを使用した集団戦術への主体転換が進んだ、とその本には書いてありました。
やはり、勇猛をもって鳴るスイス軍といえど、重装備で正攻法に優れた騎士達に
下馬戦闘を挑まれては分が悪く、パイク集団戦術の有効性を認めるに至った、という所でしょうかね。
841 :
拡散 :2014/12/04(木) 17:45:37.92 0
842 :
世界@名無史さん :2014/12/11(木) 01:00:55.16 0
ついさっきBSでやってた2012英国製作の軍馬のドキュメンタリー抜粋 ・軍馬の98%が輸送用で、その他が純粋な戦闘用であった。サラブレッドではなく重種馬が多く徴用された ・泥や岩だらけの地帯では軍馬に頼るしかなく板をしいて軽いラバに渡らせていた ・しかし馬すら泥にうまって動けなくなったり馬蹄が傷つき病気になり砲声と塹壕に押し込められるストレスで次々死んでいった ・騎兵部隊は塹壕戦を想定しておらず、大量の志願者は都会の金持ちなどが「歩兵よりかっこいい」という理由で参加しており ・訓練から戦場での飼育までするのは困難を極めた。また、突撃はサーベルを前に突き出す方法。および馬から下りて射撃する方法の2種類 ・軍馬は英国全土から徴用され、それでも足りずアメリカなどから十万頭以上が輸入された ・海すら見たこと無い馬たちは混乱し輸送中に飛び降りたり怪我したり病気になることもあった ・塹壕戦によって騎兵攻撃はまるで成功しないことがわかり騎兵は砲撃と空爆の中、馬を抑え付けて後方待機した ・しかし戦争末期の100日間は塹壕突破の戦車や浸透戦術の発展で塹壕戦の様相が変わり始め、再び騎兵が活躍し始めた ・浸透したり、機動作戦で敵後方霍乱や部隊の合流阻止、追撃、電信の破壊を行った ・戦後はもはや帰れなくなった8万頭が処分された。食糧難のフランスが食肉として骨から皮にいたるまですべて利用した いくつかは騎士たちがいた時代でも似たようなことありそうな話
843 :
世界@名無史さん :2014/12/11(木) 01:02:56.67 0
WW1の話な
第三回十字軍のアッコン包囲戦で十字軍側はイスラム軍の救援部隊に包囲・挟撃される。 英王リチャード1世(獅子心王)は塹壕戦でこれに対応。 最終的には救援部隊を撃破しアッコンを陥落させた。
845 :
世界@名無史さん :2014/12/17(水) 16:42:40.00 0
アッカーでの包囲戦の十字軍側の勝利の要因は 塹壕に篭ったことよりも海上戦力がサラディン側に優っていたことによる 海上からの補給の容易さだったんじゃないのか?
東ローマのバックアップのおかげで海上は支配してたし、補給ばっちりよ
このころ海上を支配してたのって東ローマ帝国なの?
あのあたりはね マムルーク朝のバイバルスが海軍再編するまでまとまった海軍無いイスラム系国家群 ヴェネチアが勃興して東ローマと協力体制ずぶずぶでオスマンがはじけるまでは持ってた
849 :
世界@名無史さん :2014/12/20(土) 01:16:32.82 0
いやいや、聖地周辺の海域を12世紀に支配してたのはキプロス海軍だろ 第三回十字軍に対して一番初めに援軍を送ったのもキプロスだし
キプロスってそんな制圧するような海軍性格ではなかったはずだが なんか海戦とかして勝ってたっけ
851 :
世界@名無史さん :2014/12/23(火) 01:05:54.16 0
852 :
世界@名無史さん :2014/12/23(火) 01:08:42.42 0
持ち馬目録Horse-Inventoriesってのについて調べれば戦場での騎兵の総数がわかるんじゃないか? もちろん上のWW1のレスにあるように輜重用の馬も大量にいただろうけど
ちなみに
>>851 の論内で
フォルカークの戦いでは紋章官が行軍中に作成したフォルカークロールによって騎士が111人従軍したことがわかっている
そして戦いに参加した騎兵全体で2250人
111人の騎士以外にも参加したものがいたと考えて、
『戦闘技術の歴史』に書かれてた騎士を先頭に従士が続く騎兵楔形陣形と
その真後ろに続く随伴歩兵によって構成される小隊の連続によって構成される中隊規模の歩騎混成軍団って形にもあう
それを参考に単純に騎士の20倍計算でいくと、500人×20=1万人が最大騎兵動員力か
平均して20人くらいは馬のれる従士がいたってことか ドンキホーテの中で従者が2,3人の騎士じゃ馬鹿にされてたって理由がわかるな あと従者の身なりでも騎士の格が問われたとか 無理して馬にのせてたやつもいそうw
856 :
世界@名無史さん :2014/12/23(火) 16:59:02.07 0
でも騎兵の傭兵いたんじゃなかったっけフォルカーク
傭兵が4分の1くらいいたとして、騎乗する従士は平均15名くらいになるんかの
従士の馬とか鎧って雇ってる騎士が払ってたの金?
騎兵の傭兵って落ちこぼれの貧乏騎士か盗賊騎士多そう
最初に傭兵団立ち上げるときは、騎乗訓練積んでる必要がありそうだし没落騎士だろうなぁ 傭兵団内での二世代目ともなると、拾われたガキとかが能力身につけていったでもアリかもしれんが
861 :
世界@名無史さん :2014/12/25(木) 22:58:48.38 0
862 :
世界@名無史さん :2015/01/20(火) 21:23:35.81 0
やっぱり騎馬民族雇うのが一番いいな
863 :
世界@名無史さん :2015/01/31(土) 00:01:17.01 0
>>851 フランスは騎兵はイングランドより良質で数も多かったが
騎士の数ではどうなんだろう
同じくらいなのかな?
イングランドはそもそも人口が少ない。話にならない。
865 :
世界@名無史さん :2015/01/31(土) 19:47:45.88 0
100年戦争くらいの時期ならフランスに比べたらってだけで少なくはない
フランスと比較してのはなしでしょ
人口が少ないが騎士が多かったのか?
ブリテンじゃないほうの領土は、どれくらいの比率だったんだろ
869 :
世界@名無史さん :2015/02/01(日) 19:34:00.46 0
ジョン王が失う前?
フランス側の領土内の全ての騎士がイングランドに従ったわけでもないだろう
871 :
世界@名無史さん :2015/02/02(月) 20:42:12.42 0
自分の領地を離れてはせさんじた騎士が半分もいればいいほうでは 特に百年戦争前後なんて盗賊騎士うじゃうじゃだし
強盗騎士 ルノー・ド・シャティヨン
873 :
世界@名無史さん :2015/02/04(水) 02:04:01.53 0
強盗騎士も規模がどんなものだったとか文献ありませんかね 一匹狼ではなく徒党を組んだ野盗だと思うんですが
874 :
世界@名無史さん :2015/02/04(水) 14:05:54.91 0
ルノーは冴えない家柄だったけど 逆玉で一気に大シリアのカラクの領主になってムスリムの隊商相手に略奪しまくって キリスト教徒からもムスリムからも嫌われてた騎士 だっけ
>>863 ロジャー・モーティマーとイザベラ王妃の率いる反乱軍がイギリスに上陸してきた時
エドワードU世は4万7千人以上の兵力を招集したそうだ(そのほとんどは反乱軍側についたが)。
そのうち騎士がどれぐらいいたのかは知らん。
皇太子など最大クラスでも1000騎士封だからね。
877 :
世界@名無史さん :2015/02/15(日) 02:08:29.54 0
もとの英語版自体がいかにも・・・
3万の6ぶんの1なら5千騎か 欧州なら多く感じるけどハンガリーって遊牧民も混じった草原あるしもっといないもんかね
軽騎兵なら昔から多いが、重騎兵は鎧や軍馬など金がかかるから・・・ そもそもハンガリーには西欧的な封建制が存在していなかったという説まであるし
西欧でも同じだろ、1騎士に従者4−5人。
テンプル騎士団やホスピタル騎士団は 騎士一人に付き従者10人から20人とあったが
戦闘要員じゃない従者いれたらそれくらい金持ちは余裕でいきそう
騎士団の場合、戦闘以外の組織のための人数もいるから 比率は低くなるだろうね。
886 :
世界@名無史さん :2015/03/04(水) 01:45:32.63 0
ランスのタイプってどんなのがあったんですか? まるで剣みたいな円錐形のものは中世末期には使われていたんでしょうか
テリージョーンズは、美化やファンタジーを除いたら 結局暴力団みたいなもんだ、と歴史番組で結論してたな 彼はケンブリッジの歴史学学位持ちだけど
権力機関はすべて暴力団みたいなものとはいえるよ 左翼がよくいってた思想
暴力団だって実力ある組織がその暴力団しかないなら正当な統治機構になるさ
890 :
世界@名無史さん :2015/03/06(金) 07:39:09.49 0
フランス革命前の領主貴族には、 狩りの際、農民の腹に足を入れて暖をとる特権があった。
それ出典は?