2 :
世界@名無史さん:2011/04/24(日) 22:06:01.86 O
人生初の2get
じゃあ、通りすがりの俺が手慰みに3get
4 :
世界@名無史さん:2011/04/25(月) 07:48:57.40 0
阿部寛が演ずる三流漫画「テルマエ・ローマエ」には男性同士のセックスが
続々と登場するそうだ!!
5 :
世界@名無史さん:2011/04/25(月) 12:10:33.43 0
それは是非とも見たいもんだ
6 :
世界@名無史さん:2011/04/25(月) 13:47:08.14 O
塩野七生の「ローマ人の物語」で意外だったのは、カラカラが「政務に熱心な皇帝」とされていたこと。
やる気満々でも国を傾けることがあると実感したわ。
8 :
世界@名無史さん:2011/04/25(月) 15:48:34.70 O
>>7 なるほど。
話は飛ぶけど、コンモドゥスはやればできる子だったのかね。ゲルマン人との講和、最近ではむしろ評価されてるそうじゃないか。
「ローマに帰りたかったから講和した」という話も怪しい。帰りたいだけなら部下に戦争任せるだろう。
コンモドゥスがパルティア遠征をしなかった事は、やはり評価すべきだな。
毎度ゲルマンを撃退しても、東方遠征の為に守備兵を動員してしまうので、
またゲルマンに国境を突破され、東方遠征を中止してまた対ゲルマン戦に
なる事が繰り返された。
コモドゥスはゲルマン戦線からの撤退に関しては自分にできないことと見極めての撤退だから
情状酌量の余地はあるけど、その後ローマに居続けて何もしてないのが問題じゃないかな
>>9 それは結果論でしょ
たしかに、アレクサンドロス大王とかもそうだけど、コンモドゥスは若死したからね。
コンモドゥスが父と同じぐらい生きたら、パルティアに遠征する事もあっただろうね。
アレクサンドロス大王も老齢まで生きたら、おそらくテーベのようにアテネを破壊
せざるえなくなる事に直面しただろうね。アレクサンドロス大王は若死する事により
ギリシャの英雄となった。
パルティアに遠征しようとしたローマ皇帝は、ほとんど死んでるんだよな。
生き残ってるのってコルブロとトラヤヌスくらいだろ。
パルティアが暗殺者を送り込んでいるとしか思えん。
パルティアはローマにとってまさしく鬼門。
>>12 トライアヌスは首都攻略の偉業まで成し遂げたけど
その後ゲリラ戦にあい歳もあってアンティオキアから戻る途中で病死だもんね
、.._ /~" ̄~""''''""~ ̄~""`ヽ、
~i" /
>>1乙 l.l.| l }
:、_r/,. l .| ; } '.' || .}
V ,!、|、,-- ,〉ヽ; . __,,./〔 |
‘ー" } ハ~|""~ ) } .|
ノ、{ 〉.l、 ノ_{,}._|
∩_∧∩ 彡
/丿・∀・)
. / / エイッ サイは投げられた!!
_,,..-―'"⌒"~⌒"~ ゙゙̄"'''ョ
゙~,,,....-=-‐√"゙゙T"~ ̄Y"゙=ミ
T | l,_,,/\ ,,/l |
,.-r '"l\,,j / |/ L,,,/
,,/|,/\,/ _,|\_,i_,,,/ /
_V\ ,,/\,| ,,∧,,|_/
昔、カゴメがサイのイラスト描いたサイダーを売ってたな
17 :
世界@名無史さん:2011/05/08(日) 16:00:38.60 0
最後に阿部寛扮するローマ人が包茎手術を受けて露茎になり、
ズル剥けチンポを振りかざして、古代へ戻りギリシア・ローマ人の間に
露茎マラを流行させるって寸法なんだナッ!!!!!!!
その結果、ユダヤ人の迷信を受け容れる素地が出来上がり、
耶蘇教が蔓延する世相が醸成された、云々といった筋書きなんだゼッ!!!
分かったナッ!!!!!!!!
18 :
世界@名無史さん:2011/05/09(月) 00:52:32.33 O
>>17 当時でも初めから剥けてる奴はいたんジャマイカ?
因みにイスラムに改宗した奴が既に剥けてると「天使が割礼してくれたのね」と言われるらしい。
小説ならなんでもありだろ
ローマ残酷史観大好きねえ
切り捨てご免横行江戸史と同じぐらいゆがんでんな
21 :
世界@名無史さん:2011/05/09(月) 22:25:26.18 O
>>19 主人による奴隷殺害が殺人罪に問われるようになったのは何時からだっけ?
確かヴェスパシアヌス帝の頃だったはず
23 :
世界@名無史さん:2011/05/09(月) 23:50:47.17 O
>>22 じゃあ奴隷をウツボの餌になんかしたはずがない。ポンペイ滅亡はティトゥスの治下だもの。
24 :
世界@名無史さん:2011/05/10(火) 02:52:17.49 O
ありえないはないんでないかい。
殺人を禁止しても殺人事件は起きるよ。
麻薬は禁止されても麻薬パーティーあるし。
25 :
世界@名無史さん:2011/05/10(火) 03:16:01.29 O
>>24 そのパーティーは誰が主催して誰を呼んだんだ。衆人環視の下に殺人をやるようなパーティーをやって、挙げ句に後世に記録まで残したのか。
>>19 ウツボじゃなくてアナゴならネタになったのにw
27 :
世界@名無史さん:2011/05/10(火) 10:54:32.15 O
奴隷って貴重な財産じゃなかったっけ?
殺人罪のリスクを冒しながら貴重な財産を無駄にする…当時でも存在した「奴隷が可哀想」という人々の感情を逆撫でしてまで、そんなことやる奴いるかな。
百歩譲ってやる奴はいたにせよ、他人に公言するかね。
キチガイはいつの世も居るんだから別にいてもおかしくはない
そういう奴が多数居るような世の中だったとは考えにくいが
西洋のインテリはどうしてもエキセントリックなローマの上流階級描かない
と気が済まないみたいだね。
そりゃー・・・
食べたモノ吐いてまた別な料理食べるとかやってるわけだし、
奴隷云々は嘘としてもちょっと普通じゃないとは思うぞ。
31 :
世界@名無史さん:2011/05/12(木) 04:08:35.65 O
>>30 それって"vomitorium"って単語の誤訳から発生した誤解じゃなかったっけ。
>>31 >>30の言ってる事は本当。吐かせる為だけの奴隷がいたり、食べ残しはテーブル
の下に捨てたり、ナイフやフォークが発明されてないとはいえ手掴みで食べた後
の手を奴隷の髪で拭いたりとやりたい放題。現代人が観たら、勤勉なローマ人の
イメージが壊れる事確実。
イメージが壊れるも何も、もともとローマ人って「パンとサーカス」の悪印象で、
妙に退廃してたイメージ持たれてることも多いじゃん
パンとサーカスを未だ勘違いして使う奴に説明しなおすの、いい加減飽きたお・・・
35 :
世界@名無史さん:2011/05/12(木) 20:59:16.58 P
勤勉なローマ人のイメージなんて抱いた事無いわ
ゲルマン人やモンゴル人と同じくヒャッハーなイメージ
36 :
33:2011/05/12(木) 21:05:52.48 0
>>34 まあ焼き付いたイメージはしょうがない
古代ローマの民衆や文筆家だって、結構イメージで皇帝を断罪したりしてるしな
37 :
世界@名無史さん:2011/05/12(木) 21:26:37.37 0
『西洋古典学事典』を読まずして、古代ローマを語る資格は無いぞ!
飲んで吐いてはローマだけの伝統?ギリシャとかエジプトとかには
無かったの?
39 :
世界@名無史さん:2011/05/13(金) 13:06:57.29 0
東ローマ帝国〜繁栄と滅亡 皇帝たちの軌跡〜最強の皇帝が残した華麗なる芸術
もとよりイタリア以外の地では侵略者なんだからネガティブに扱われるのは当然かと。
チャーチルが何ていったか覚えてる?ん?
ただの侵略者として見てるなら
神聖ローマ帝国なんて名前つけたりしないし
ユリウス一門の末裔名乗る貴族とか出てこないでしょ
44 :
世界@名無史さん:2011/05/17(火) 11:24:15.03 0
『西洋古典学事典』を紐解かずして、古代ローマを
したり顔で語っているアホウ揃いのスレだな。
ローマ付近でネアンデルタール人の人骨が一杯発見されているみたいですね。
>>733 プルタルコスはパルティア遠征でのテストゥードの記述をしているよ。
矢は少しすり抜けるが、もっとも確実な防御だといっている。
またカッシウス・ディオは、テストゥードをすればパルティアは重装騎兵クリビナリーを突撃させ、
横隊に戻せば弓騎兵を繰り出し、ローマは破れたと書いている。
共和制中期、マニプルス(中隊)は横20列、縦深7〜8列、基本横1m間隔で、
基本横長の長方形なのには異論は無いと思う。
ファランクスのような極端な密集陣ではないにしろ、大きな楕円盾(マリウス以前)を持っているのを考えれば
十分密集じゃないかな?
>>733 日をまたいでいろいろ話が錯綜してるけど
マリウスの改革以降、または帝政期の軍制は共和制期と異なるので、
横長の長方形の陣形はマリウス以前の共和制期だと俺は最初に断ってるよ。
49 :
世界@名無史さん:2011/05/20(金) 02:10:45.25 0
古代ローマやギリシアに関しては『西洋古典学事典』を熟読、味読してから
書き込むようにせよ。
よいな。
拒否権を行使します
古代ローマは日本人の一派が居たと思ってる。
インドとは交易があったらしいけど
東アジアまで大っぴらに行き来するのはさすがにまだ無理だろう
落とし格子の議論は終わったのだろうか
>>53 ローマ帝国自体が半端でなく広いからねえ。
例えばシリア辺りのローマ市民権所有者
(これだって定義によっては立派なローマ人だ)
の商人が、交易で中央アジアに行くくらいはあったろうと思うし
そこが後漢の領域である可能性も結構高かったと思う。
セリス(絹)セリス(絹)汝は貴婦人を裸にする。なんてセネカが詠って
る位だから上流階級は中国の品を見たり手に入れたりする機会はあった。でも
それを作る国や人々については想像に任せるしかなかったのが実情じゃないかな。
確か1世紀と3世紀に、それぞれ中華に関する伝聞記録あったでしょ
彼等は神仏や星を畏れず、慣習や仕来たりよりも法律に従う、とかそんな感じ
58 :
世界@名無史さん:2011/05/26(木) 02:05:16.44 0
「西洋古典学事典」も読まずして、
人並みの口をきくなヨッ!!!!!!
59 :
世界@名無史さん:2011/05/26(木) 08:38:53.05 0
神戸市立博物館で開催中のギリシャ展?は、本物なの?
本物としたら凄いんじゃないの。あまり報道されないけど。
吹きガラスはローマで発明されて世界に普及したっていってるけどマジ?
ソースはBSでやってた東ローマ帝国〜繁栄と滅亡 皇帝たちの軌跡
>>60 ローマ時代もしくはヘレニズム時代のエジプトで発明された技法
主要輸出品の一つ
シリアだったかも
>>61 なるほど
あんまりガラスについては本でも触れられない気がする
衣食に関する資料は豊富なのに
64 :
世界@名無史さん:2011/05/27(金) 14:17:12.73 P
>>60 東ローマ帝国の領域で発明されて普及したっていうならウソじゃないw
ローマが支配する前のフェニキアで発明されたけど
『キリストの勝利』の中で、エウセビオスが宦官になってたけど、その歴史的な根拠
は何?
>>59 神戸市立博物館のギリシア展行ってきたよ。
石の彫刻が多くてよかった。
俺は石造りの建築とか石萌えだからなw
教科書にも載ってる「円盤投げ」とか
のちの女神像の手本になった前360年のアフロディテ像とか
いろいろあって面白かった。石萌えを堪能できたわw
ただ、解説読んで知ったんだけど、ほとんどの彫刻がオリジナルではなくて
ローマ時代あたりのコピーみたいだったな。
あとは壷とかもいっぱい展示されてたがそっちはあんま興味なくてヌルーw
>>63 そういえばNHK教育のあなたもアーティスト(?)っていう番組で
ガラスの皿とかを作るシリーズがあって
そのなかでガラスの歴史が紹介されてた
たしかローマのガラスについても出たような
トンボ玉だったかな???
ロバート・グレーヴズの古代ローマもの「この私、クラウディウス」をミニシリーズ化
映画じゃないのかな
●シリーズ“異端の王”
第1集「ブラックファラオ〜古代エジプト/スーダン紀行〜」
7月2日(土)午後10時00分〜11時30分
●シリーズ“異端の王”第2集
「アフリカからきた皇帝〜ローマ帝国/リビア紀行〜」
7月9日(土)午後10時00分〜11時30分
http://www.nhk.or.jp/bs/hvsp/
74 :
世界@名無史さん:2011/06/26(日) 16:18:45.42 0
グラックス兄弟の頃のローマは、今の日本とよく似ている。
>>72 今の欧米はキリスト教視点から観ることを強要されていない
ようやくオカルトの呪縛から逃れ始めて自由に言える雰囲気になってきただけの話でしょ
当時力を持ち始めたキリスト教徒でも統治者から見ればカルトだしね
最近まではこの事実を知っていながら頭ごなしに悪と決め付けるキリスト絶対正の社会だっただけのこと
それと敗死するってことは前線指揮を続けてケツまくらなかった証でもあって
公じゃ蛮族に負けた皇帝は恥さらしにはなっても、兵卒や下士官の視点からすれば概ね好意的でしょう
中には「田舎者がローマの絶対性を損なった」なんて言う若手エリート将校なんかもいるでしょうが
現代で言えば製造メーカーでの立場に当て嵌めてみればわかりやすい筈
>>75 昔に比べてローマ以外のゲルマン・ケルト・スラブサイドの歴史も書かれるようになったな。
77 :
世界@名無史さん:2011/06/28(火) 03:06:33.58 0
古代ローマを語る前に先ず『西洋古典学事典』を読むことだナッ!
さもなければ、とうてい一人前の口を利けないからネ。
尤も『西洋古典学事典』も理解出来ない低能児には無理な話だが。
>>77 固定観念に縛られて思考停止するタイプだね
カルトの偶像崇拝なんかに気をつけるよう
79 :
世界@名無史さん:2011/06/28(火) 15:10:28.68 0
ですね
京大出版か執筆者に恨みがあってネガキャンしてるんじゃないの
事典自体はとてもいいものだと思うよ
なんだ、ただのネガキャンで、このバカは読んでもいないのか。
俺も、この事典は欲しんだよな。
とにかく古代のことは、余りにもわからないし、調べるのにとっても手間がかかる。
俺は残念なことに古典語ができないのでなおさらだが、多少できたところで大同小異
だろうな。
よい事典は必須。
俺も欲しいけどたけーよ馬鹿、一般人に売る気無いだろ
10000円なら買う
本質は西洋古典学事典にあらず
>>77の思考
言うまでもなく誰もが理解していると思ったが、そうじゃないことに驚く
>>85 東正代表、東副代表、西正代表、西副代表の4代表制かw
まさしく共和制だなあ
ぜ〜ったいうまく行かないと思う
>87
西が切り捨てられるってことだろw
ラストは
ジャーマンユニデン
オーストリア・ハンガリーユニデン
オスマンユニデン
ロシアンユニデン
になってるんだろうw
西の一つは確実に切り捨て前提で、東の一つは微妙か
反主流と使えない連中は不良資産と共に移動
転勤→協力企業=別会社化→当面出向
そこから先は連結から切り離すから後は勝手に自分でやれ、で従業員丸ごと転籍
良くてどこかのベンチャーに買い取って貰うしかない
その後大コンスタンティヌスが東と西を再統一して大帝となる
つまり体の良い再構築の過程で、正に「冷徹な判断」
>>90 西はジャーマンユニデンとラテンユニデンでしょw
ユニデングループが全滅したあと、ユニデンの復興を訴えイタリアで社員の子孫がヘタ・・・もといイタリアユニデンを設立。
しかしいろいろあって最後は社長が愛人と債権者に捕まってつるし上げにあうのであったw
>>12 カエサルもパルティア遠征の直前に暗殺されたんだよな・・・
16軍団も用意して、成功は確実と思われていたのに。
パルティアを征服した者が王になるという予言があったと囁かれ始め、
共和制主義者を恐怖のどん底に落としたというが、まさか・・・
>>94 今でもイランは厄介な相手だからな。
大麻などドラッグの産地として裏社会で存在感があり、敵対国のマフィアとつながっていたりする。
「パルティア征服は王者によってしか成功しない」じゃなかったけ
あの頃の予言はどうとでも取れる含みが多すぎてなー
エジプトもパルティアと同じ理屈で回ってるけどな
コンスタンティヌス1世=キリスト教を受容して帝国を二度と取り返しのつかない方向へ導いた史上最悪の売国奴、ユダヤ・蛮族の血を引くいやしい子
現在のキリスト教欧米諸国だからマンセーされてるだけ、こいつがきてから帝国はガラっと代わり右肩さがりに没落していった
アウレリアヌス帝が暗殺されなければ、帝国の伝統を取り戻せたかも知れない。最後の希望の星だった
アウレリアヌス帝は優秀な皇帝だったけど、魚で言えば胴体部分である
中間層が完全に疲弊してたからローマ帝国の寿命を10年位は伸ばしても
結末はそう変わらなかったんじゃないかな。
軍人皇帝がああも乱立したんでは属州都督の権力削って中央集権的にせざるを得ないし
内戦と蛮族の侵入で地方から都市へ人が流入する一方だったから、移動を制限して土地に縛り付けざるを得なかったし
アウレリアヌスが長生きしても、結局ディオクレティアヌスの改革が目指したような国家にいずれ変質せざるを得なかっただろう
なんだかんだでローマ市民を中心とした中間層を保護する政策が
ローマ帝国発展・保全の要だったんだよな。その維持が出来なくなった
時点でローマは滅びざるをえなかっただろうな。
ローマ市民は文句なしに上流層、中間層は自由農民とかでしょ
ローマ市民にも中間層、下級層はいるし
その前提、カラカラで崩れるから。
カラカラ以降はどいつもこいつもローマ市民。
カラカラはやれ弟殺しだアホだお人よしだと散々だが
カリスマオヤジが死んで不安定な、北アフリカとシリア属州の合いの子
元老院もカルタゴ系が幅を利かせ始めてるとはいっても、所詮は本流じゃないマイノリティ
支持母体のため・税収アップの皮算用以上に、保身のため仕方なくって部分じゃないのかな?
たとえば市民権を大盤振る舞いしなきゃ属州ごと寝返りされるとか、軍や軍シンパ議員連中からの突き上げとか
>>98 一人で全土のことに対処するのは、もう限界に達した時代ってことでディオクレティアヌスが判断して
その判断を継承の上で人口の多い東方重視の判断を下したのがコンスタンティヌス
キリスト教の本質は別として、元は敵にするより味方にしたほうが有用って理由でしょ
日本で言えば自民党が公明党を取り込んだようなもん
ま過去の世界の遷都事例なんかを参考にしてみればどう?
日本なら平泉や鎌倉遷都なんかも含めて
カラカラがローマ市民権を自由民全てに与えてしまったのが
ローマ崩壊の第一歩とか言われるけど
軍に属州民をどんどん受け入れていって、国防の主力がローマ人でなくなっていったら
市民権が属州民にも認められるようになるのは不可避だよね
>>106 属州民でも兵役20年勤めればローマ市民権取れるようになってたと思う。
あとカエサルが始めたんだっけか、教師になればローマ市民権が取れるというのもあった。
ただ、これだとローマ市民権の所有者が増えるにつれて、属州税が減るのは避けられない。
個人的には、属州民でも富裕層〜有産層は
カラカラ帝の頃にはほとんどローマ市民権持ってて、属州税を納めなくてもよく、
カエサルやアウグストゥスの頃より属州税の額は結構減ってたんでないかと思う。
しかもローマ市民権は世襲されるから、今後も減り続けただろうし。
>>106 西洋人(ローマ人)が開けてしまったパンドラの箱→キリスト教
日本人が開けてしまったパンドラの箱→朝鮮併合
減収どころか、ハドリアヌスの頃には最盛期のはずだが
110 :
世界@名無史さん:2011/07/05(火) 12:57:03.64 O
>>109 だってトラヤヌスまで領土拡大が続いてたもの。
>>108 キリスト教がパンドラの箱ってったって、あくまでも千数百年経った
プロテスタント登場以降の視点であって
カソリックにとっては現代でもパンドラの箱でも何でもなく、文化習慣常識
思考の変化なら平成以降、文化習慣の変化なら戦後
欧化になれば幕末以降現在に至るまで進行中の日本にもある
結局かつて反目していたものが生き残って一定の勢力を持ち始めると
どこかで取り入れる必要があるから取り入れただけのことで、
それが五百年千年後に点として評価されるか、それとも線や面で評価されるか、それだけだよ
112 :
世界@名無史さん:2011/07/05(火) 17:31:54.50 P
>>105 ほとんど同じ意見だけど、鎌倉に開府したのは遷都じゃないよ
全国の1/10も統治してない調子くれた軍閥が本拠地宣言しただけ
つーか日本は天子のいるところが都だったからな
鎌倉より支配がはるかに強固だった(幕府体制以前の、平安や奈良なんかよりも強固な)江戸幕府の頃でさえ
江戸は都ではなかったわけだから。
日本的に考えると帝政ローマは
元老院=天皇
皇帝=征夷大将軍
なのかな
なんでやねん、無理にあてはめようとするな、違うものは違うんだ
近いところで言えば元老院は天皇じゃなく朝廷+為政者側の重臣全体
皇帝は天皇の権威も併せ持つ権力者=征夷大将軍
高級権力と権威を併せ持つのが元老院で、皇帝は最高権力と権威を併せ持つ
ところがローマのこの最高権力ってーのは実は実体のないものであって、
初代が保身半分野心半分でいくつかの特権を元老院で承認された結果に過ぎないのはご承知の通り
王や皇族の封建社会は血の繋がりを重視するけど、血の継承があったのはざっと500年で
初期のクラウディウス朝4代(5代)に便所税親子に哲人親とバカ息子、それに北アフリカ系親子ぐらい
システム的には古代中世の封建領主よりも近現代の大統領や社会主義の書記長に近く
違いはその大統領や書記長が任期無期限で、より権力を集中させて絶対性を強めたもの
具体的にはスターリン時代のソ連、文化革命前までの毛沢東
そして現代の北朝鮮なりキューバなりが最も近いかw
そこまでいくともはや例える方が理解に遠くなるわ!
ここの人ってガリア戦記は当然デフォなの?
ガリア戦記。岩波読みにくいが講談社はどうなんだ?
アマで注文すべき?
ガリア戦記は講談社の方が読みやすいと思う。
あー、俺もむかし岩波ガリアは挫折したわ。
123 :
118 :2011/07/08(金) 00:52:28.47 0
ありがとう
実は少し前に岩波挑戦して、、、だったのでw
講談社いってみるね。
それ以外にも平凡社とあと2冊くらいある
いっそ塩婆のユリウスカエサル 上 の文庫版2、3巻で済ます手もある
読み比べたけど中身は大してかわらん
同じく余裕でおkだと思うよ、ローマ人の物語で十分だと思う
原典に当たるべき何ていう奴はラテン語原典読めばいいよ、
文学の香りもするだろうし訳本は中身や流れを理解すること重視なんだから
ただ塩野は独自編集だからな
塩野で大体のことつかんでから読むのは読みやすくなってありだな
文句つけるのは言いが違う場合はこう違うとはっきり言ってくれな
ミソつけるだけはただの嫉妬厨塩婆アンチ
単純に量が少ない編集と言っただけ
誤解与えたか
こうやって安易な方へ導く奴ってなんだかなぁ
両方読めよ
どの程度まで没入するかは人によるから強制はできまい。
さらりと全体の概略だけ分かればそれでいいという人もいれば、
それこそラテン語を勉強して原書で精密に読み尽くさないと気が済まないという人もいるだろう。
研究者でないのならば、そこの選択は好きにすればいい。
>>130 そうやって自分でも読んでなかったりするのに勝手に狭き門にするから人がこねーんじゃんw
歴史に触れる楽しさを感じてもらうのが第一だろ
知識溜め込むのは歴史じゃねえ
ならガリア戦記を進めろよ、わざわざ塩婆小説で済ますな
134 :
125:2011/07/08(金) 21:56:55.49 0
オラは両方よんだからね
そのうえで、手軽に済ます方法もあるといっとる
それで不満を感じたらオラみたいに原典よめばいいべ
実際には書いてあること、省かれてること多いけど
雰囲気だけなら問題なかべ
喧嘩腰はやめよーぜー
ローマ人の物語に続くだけの本が現れない、これまでに無かったって言うこと自体日本人の関心なんてその程度のものだったんだぜ
このスレでは読破とは言わんが「ローマ人の物語」を読んでることは前提にしていいんじゃないの?
ここで塩婆すすめるっておかしくない?
138 :
世界@名無史さん:2011/07/09(土) 00:14:38.97 0
日本人の関心もその程度のものだし、次スレも要りませんね。
>>136 それは単純に身近かどうかだけ
日本じゃ春秋三国に戦国幕末ものが豊富だが、西洋ではそうじゃないってことと一緒
もっと言っておけばエジプトモノなんて、未だにマイナー本がチョコチョコ程度
エジプトが一般レベルで知られているのはピラミッド関連だけ
チグリス・ユーフラテスに至っては、教科書以上のことを知ってるほうが珍しい
>>137 無論読んだ上での評価が前提だが、読んだこともないのに読んだようなレスが時折見られるね
140 :
世界@名無史さん:2011/07/09(土) 00:25:24.66 O
十字軍物語マダ?
十字軍も一年一冊じゃなかった?
塩野単体ソースのレスについては
注意を喚起する程度でいいと思うんだがなー
ただ世界史板の立ち位置が俺には分からなくなってるから困る
一昔前と違って、院生未満お断りじゃもう人口的に成り立たないし
歴史を肴にした雑談スレ扱いにするんだったら、世界史板に拘る必要ないし……
世界史板は元々マル系学者の巣窟だったから、その名残はあるしな
ばっちゃはちゃんとした学者とコネあったころはともかく、
その学者たちの死後は異常に敵視する人ばかり残ったからなあ
144 :
世界@名無史さん:2011/07/09(土) 01:33:36.10 O
>>143 司馬遼太郎を敵視する日本史家は少ないのに、塩野七生が敵視されるのは何故?
むしろ塩野のほうがオーソドックスな歴史学に近い記述なのに。
こう一気に書き込みの量が増えることが度々あるのを見ると、ひまになった奴が一人で自演しているか
2,3人で回しているように思えてならない
>144
個人的には無意味に冗長な書き方をして話を分かりにくくしているところ
そのせいで同じことを何度も何度も書いている
そして話の腰を折るように入れている塩野の感想も要らない
147 :
世界@名無史さん:2011/07/09(土) 02:23:15.95 O
>>146 なるほどね。
でもそれは「歴史学者に嫌われる理由」じゃないよね。
一般人には、あの文体を嫌いでない人も大勢いるわけだ(だから売れてるんだろう)。歴史学者って、あの文体を嫌いな人ばかりなの?
7/9は
>>73があるよー
再放送は次の日の午後4時半あたり
149 :
世界@名無史さん:2011/07/09(土) 02:33:17.75 O
>>119 岩波は直訳っぽくて読みにくい本が多いよね。
余談だけど、学術書は逐語訳でないと駄目なんだそうだね。昔、教授に言われて訳した文献、文体が気に入らずに全面的にリライトしたら、教授に怒られた。
でも時間が無いから一般向けにそれでプレゼンしたら、意外な好評だったよ。
院生未満お断り時代からのROM専なめんな
書き込まないだけでROM専な奴が俺以外にも居るんだよ
(ドヤァ
>>149 直訳っつうか、岩波って結構訳者の力量が劣る本多い気がする
単語はきっちり訳したけど文脈繋がってないとか
当時の事実関係調べてねーだろオマエ、とか
単語ごとに直訳したら文の意味が変わってました、とか
>>147 塩婆本の嫌な所は、史料とか近い時代の文献準拠で構成してる章の中に
突然どうでもいい塩婆の感想とか底の浅い政治観をぶっ込んで来る所
なんつーか蛇足
154 :
世界@名無史さん:2011/07/09(土) 04:22:52.19 O
学士でもずっと書き込んでいましたが何か?
無論知識では及ばないしラテン語の読み書きもできないが
日本語訳を元に、現実の実務に沿った解釈はできるからね
まぁローマって言っても原理原則主義で強権主義ならあんなにデカくならず、あんなに続かなかった筈
それについては塩本にもそれに似たようなことが書いてある
たとえば「現実直視」
微妙な匙加減が必要な天秤と解釈している
院生以上の皆さんはどう解釈されているかは知らないが
法治主義は一神宗教ほどの拘束力を持たず、ましてや狂信など決してない
ま婆は主観的で情緒的で特定個人へのえこ贔屓的な所が、学者からすりゃ非科学的に見えるんじゃない?
「ま〜た一見研究者然としたロマンティストの文学者が小賢しい文言入れて一般に誤解を与えやがってw」
「統治手段に好きも嫌いも正義も悪も糞もあるか!」ってねw
でも塩本は入り口としては十分過ぎるほどで、自身もリアルタイムでそこから泥濘の世界に入った口
あっちこっちに飛びまくりーのだが、泥酔の戯言とご容赦の程を
ローマ人の物語に対する共通したツッコミが
塩婆あんたカエサルLoveって言いたいだけじゃないか、っていうのがあったなあ
まあでも、司馬遼然り、モンゴル小説家の杉山然りと、小説家はそういう方がいいのかもしれない
愛するものについては常に語り損なうというやつかね
>>152 有名なバークのフランス革命の詳察みたいに岩波はまだ翻訳者がそれほど揃っていない時代から刊行続けて改訳していないのが多い気がする。
抄訳も目立つ。ホームズものなど戦前から出しているのに未だに全訳していないしね。
>>157 杉山って小説家のくくりなのか?たしかに愛憎あふれる文章だけど。
確か呉茂一が塩婆の卒論を学問ではないと言って、それで文筆業を目指すことにしたとか。
塩野本はこの分野で格段に売れているから、目に付くがゆえに
間違い(自分と見方違う)を正すという正義感やら、功名心やら嫉妬やらで批判が多そうだなぁ
まあ感情的で情緒的だがそれが素人が読みやすい結果につながってるんだろ
思想入れるのは、思想あまり勉強してない人間にとっては、
思想入れられると賢くなったみたいで気持ちいいからかな。
言うほど思想なんて入ってないよ、あえて言うなら現実主義だ
染め上げてやろうなんて意思が行間から読める程度の知性や文章力ではここまで多くの読者の心は掴めないよ
流行で買われるエンタメ小説とは違うんだぞ
「悉く書を信ずれば則ち書無きに如かず」的な話は昔から言われてることなのに、
ことさらに塩野の本にだけ否定的な過剰反応があるのは、
やっぱこのジャンルのビッグネームだからなのかねえ
興味があれば他のも読むといいかもよ程度の話で、
四の五のと目くじら立てるほどのことじゃないと思うんだけど
まあでもマキャベリ的な思想はいってない?
中三のときサイレントマイノリティ読んでかなり人生の見方変わったよ。
賢くなった気がしたw
>>166 それはもちろんあるだろうよ、塩婆自身が安保闘争で疲れた後マキャベリで目が覚めた的なこと言ってたはず
その後カエサルも好きになったというパターン
>>167 疲れるほど運動に入れ込んでたんだw 意外
>>168 マキャベリの巻末自分で読んだ方がいいぞ
こっちも今手元に無いから記憶で言ってる
ファッション感覚でやってたこと、穏当な学習院のグループから慶応の方に混ざっちゃうぐらい刺激を求めてたこと、
官邸や国会を囲むうちにも現実の政治・外交は進んでる現実とそれで勝利宣言あげる左翼どもの欺瞞を見たこと、
その後卒論の時期にマキャベリに出会って・・・という感じだったはず
マキャベリって恐ろしく低レベルだけど日本では何故か有名なアレだよな
塩婆の小説的な文が続く時は好きだけど、政治とか軍事に感想なり意見を書き始めると
途端に糞にもならない文章が続いてげんなりするのも納得
塩婆は腐女子気質だからキャラクターに入れ込んで話書いてる時が一番気合入ってる
だからハンニバル戦記とカエサルの話あたりが一番面白い
まあでも、巷に氾濫している三国関連の誤解よりはずっとまし
演義世代は蜀贔屓で、マンガ世代は横山ならバランス、最近のものなら魏贔屓
ファミコンから入った世代に至っては、ゲーム開発者が設定した能力値で贔屓が決まる
しかもその読み物にしたって、送り手の身勝手な設定に左右される
張飛が元エリート将校(北方)とか関羽は寺子屋の先生(吉川)が常識として一人歩き
>>171 逆に塩本はローマ終焉のころの話になると
そりゃーつまんねーのなんのってなw
仕事ですからーという声が聞こえてくるよ
>>172 もう三国志はジャンプ漫画みたいな立ち位置でしょ。
歴史としての厳密性なんて取りまとめられないくらい、
多様な解釈(ゲームも含めて)が横行してる
たとえ学者の書くものであっても公正中立なんかありえないと何度言えば
ギボンの東ローマ時代の放置っぷりなどを見ていると学者自身が偏向しているからね。
そもそも学術書に「野蛮」とか「醜女」とか主観的用語を説明なしに連発している時点でおかしい。
>>174
西側先進国に歴史学者が誕生したのは1970年代以降だけど
それまでは歴史学も無いし歴史学者も居ない
>>176 随分主観的意見だね。ちなみに第1号の人は誰?
>>175 ギボンを学者に分類するのはどうかと思う
ネタかと思って触れてなかったw
学者というならむしろモムゼンの方だよな
彼の場合ですら十中八九フィクションだとされてる話を捨てるに忍びないエピソードとして挿入してる
>>179 カリギュラやネロが本当に変態だったのかは1次資料が出てこないと判定不可能だね。
それもこれもスヴェトニウスが悪いんや・・・
モムゼンはギボンの逆で共和制時代までだけどな
塩野の意見なり感想なりが出てくると途端につまらなくなる、という意見があるけど、
ちょっと具体例を挙げてくんない?
いちいち覚えちゃいないが、それほどつまらないと感じたことはないなぁ。
異論を感じたことはあったけどね。
今のうちに、菅や鳩山を賞賛する文章を残しておけば
1000年後には名宰相として歴史に名が残るわけですね。わかります。
>>183 称賛者1人、批判者100万人なら後者を取るのが学問。
今本が手許にないから詳しくはかけないけど
突っ込みどころはいっぱい有りすぎて書ききれないけど1つ
ライン川やドナウ川を防衛線にしゲルマニアのリメスやハドリアヌスのリメスを戦略的に適切だとか言っていたのに
すべての道はローマに通ずで中国は長城を作ったけどローマは道を作った(キリッ
とかいきなり比べられないものを比較していたこと
これまでのこともありローマを持ち上げたいだけなのか何も分かってないのかどちらのも取れて困るw
>>185 すべての道はローマに通ずのその記述のところでも、ローマ人が防壁を作らなかったわけでは無いと述べてる
また、街道を作ることに注力したことと、適切な防壁の作り方をしたことは、両立しないわけでもない
ちょっとソレは言いがかりに近いと思うわ
うーん、そうかい。
つまらなくはないがカエサル編はキモかったなw
まあほほえましいとも言えたが
>>188 俺は必死に「塩婆は閉経済み!閉経済み!」と唱えながら読んでたわ。
文章書きながら濡れ濡れになってる塩婆の映像が頭から離れなんかったもんで。
>186
だから長城とはライン・ドナウ川とリメスの防衛線が比較すべきものだって言ってるんだけど
ゲルマンの蛮族よりも遊牧民族の匈奴の連中から国土守るほうが大変そうだ
ゲルマンですらフン族にかかればあっという間に蹴散らされるし
>>186 同じく中国人も道を整備した、幹線なんかはローマより大規模に
でも個人的には、ローマを称賛したいが故の知識不足なままの突っ走りより
政治や軍事に対する、的外れな御意見御感想の方がイラっとするわ
具体的な内容は覚えてないけど、カエサル‐ポンペイウスの戦いが佳境の所に
いきなり御意見御感想ぶち込まれて萎えまくった感触が残ってる
>>189 こら!!!!!!!
キモイ想像するなw
てか想像しちまったいorz
>>185 中国の発想は予防でローマの発想は対処
万里の長城もやっぱり予防に重点を置いたものだね
現代に至る薬学や医食の考え方がそのまんま当てはまる
ただ上下水道(衛生)については逆かな?
ローマが余りにも有名なことに対して、中国の事情はあまり誰も知らないで・・
遺跡の画像を見る限りは中堅都市含めて街の中心なんかは上下共に土管で通してたみたいだが
全体としての普及率はどんなモンなのかな?
>>192 その的外れだと思った内容を書かない限りお前はただの塩婆アンチの妄言としか見なされない
自分の主観を他人とそうそう一致させられると思わない方がいい
ばっちゃはローマ街道と中国の長城を防衛思想の違いとして民族の違いとしては言ってたけど、
その優劣までには言及して無いだろ、普段から言ってるように単に違うというだけなんだよ
パクスロマーナの時期の主戦力は重装歩兵だし、中国とは事情が違う、
ローマなら河川利用の警戒システムとリメス・ゲルマニクスに代表される防壁、
戦術は戦力集中と押し出しての会戦が多かったのも防壁戦闘がメインの中国とは違うしな
あんま感情的になったり
相手の否定(人格否定含め)が目的になったりするとつまらんよ
どうせ歴史記述なんざどうしても著者のバイアスが掛かるんだから、
塩野に限らず「こういう考え方もあるんだな」程度に読んどくだけのことなのに、
やたら塩野の記述に食ってかかりたがる向きがいるのは、
あまり色々なのを読み込んでないからなんだろうなあ
まあ、とりあえず塩野のは評価揺れや、推定根拠が薄かったりするところが
散見されることはされるけど
俺もそう思うな。
一定の水準には達しているのだから、あんまり大雑把に否定するのは、まるで2チャ
ンネルみたいだろ。
具体論でいこうか。
で、前にも質問したんだが誰も回答してくれなかったので、あらためて博識なおまえ
らに聞く。
『キリストの勝利』でエウセビオス(カエサリアの)が宦官だったとの記述があるが、
その根拠は何だ?
俺はただのローマ史(あるいはキリスト教史)の素人だが、まだエウセビオスが宦官
だったとの記述は今だかつて見たことがない。
もちろん、専門家には常識なのかもしれないので、誰か俺に教えてほしい。
>198
初期のキリスト教では去勢は讃えられたらしいw
だから高名な司教なら去勢していてもおかしくはない
当時なんで精巣がホルモンの源って分かったのかなあ
かなり不思議
>>199 それはわかっている。
オリゲネスあたりは有名だ。
俺の疑問は、そういった背景はあるにせよ、史上最初のキリスト教会史家であったエ
ウセビオスが宦官だったというのは塩野を読んで初めて知ったが本当か、ということ。
>201
なんか偉そうだなw
『キリストの勝利』の参考文献でも読んどけよ
すまん。
偉そうにしているつもりはないんだ。
異論じゃないんだ、素朴な疑問なんだ。
それから、今、『キリストの勝利』がどっかに埋もれてしまっているんだが、文庫本
バージョンに参考文献ってリストされてたっけ?
どうも見た記憶がないんだが。
参考文献丁寧に乗せてくれるんだから、著者を信用しない以上は自分で調べるものだ
14巻キリストの勝利で述べてることに理が通ってると思えないならその理由も言わないと突っ込みづらいだけなんだよ
まあ宦官か否かなんて枝葉のことだと思うんだけどな
塩婆の対ローマ観を覆すくらいの言葉を語れる奴は全然いない
>203
文庫本なら下にしか載ってなかったかも
文庫本バージョンにも文献リストはあった。
今、確認した。
エウセビオスの著作は二つリストされているが、それは両方共(ざっとではあるが)
読んだことがある。
しかし、そこには自分が宦官であることは書いてなかったと思う。間違っていたら指
摘してほしい。
ただ、研究書に関しては、とてもトレースできないなぁ。せめて日本語文献でお願い
したいが。
>>204 うん、原則、おまいが言っていることには賛成なんだよ。
ただな、繰り返すが、これは、異論じゃなくて、素朴な疑問なんだよ。
それならこっちでもちょっくら調べてくるか
揚げ足取りじゃないんならやって見る気にもなるし
>>207 おお!
それは心強い。
俺は古代キリスト教史(原始キリスト教より後だな)に関心を持っていて、とはいっ
ても、ただの素人にちょっとだけ毛の生えた程度に過ぎない。
この件は、その辺りの問題関心に由来しているんだが、まあキリスト教関連の文献は
どうしても護教論的な視点が優越しているので、なかなか見えないところがある。
ちなみに、この問題は、ギボンは触れてなかったと思うが、ブルクハルト(『コンス
タンティヌス大帝の時代』)はまだ読んでいないので知らん。
209 :
世界@名無史さん:2011/07/10(日) 13:21:02.72 O
塩野七生が偉いのは、参考文献をきちんと掲げること。著作権法の求める水準を超えている。
アンチでも、事実を元に議論できるわけだ。
>>198の宦官だったって何ページに書いてある?キリストの勝利なんだから新書版の方でいいんだよな?
>>210 例えば、次の二箇所。
『キリストの勝利(ローマ人の物語)上』(新潮文庫)p.90
『キリストの勝利(ローマ人の物語)中』(新潮文庫)p.48
うん、俺は文庫本しか持っていない。
>>200 当時はホルモンって概念はないけどな
生殖の制限ならそういうことに長けた遊牧民族系の知識からで
玉カット、竿カット、両方カットなどの方法が古くからあった
それを人間に応用するにあたっても
元は後宮を管理させるための応用だろうな
ホルモンの概念はなくても
データサンプルが増えれば
「玉ナシはヒゲが生えないなど女性的になる」というような知識は生まれる。
>>212 そういう場合は章のタイトル出して、その中盤とか位置を言えばいいだろ・・・
歴オタってどんだけコミュ障なのー
おお、そうか。
いっそのこと引用しよう。
『キリストの勝利(ローマ人の物語)上』(新潮文庫)p.90
「第一部 皇帝コンスタンティウス 賊将マグネンティウス」
皇帝コンスタンティウスは、父の教えを父以上の律儀さで守った人だが、大帝コン
スタンティヌスが確立したことの一つである臣下たちと距離を置くやり方も、父よ
りも徹底して実践したのである。この彼と臣下たちの間をつないでいたのが、去勢
高官のエウセビウスだった。ということは、コンスタンティウスにあがってくる情
報の多くが、この去勢高官を通して伝達される、ということである。
『キリストの勝利(ローマ人の物語)中』(新潮文庫)p.48
「第二部 皇帝ユリアヌス ユリアヌス、起つ」
正帝への擁立をそのままにしておいては、もう一人の正帝から反逆罪に問われるの
は確実だった。宦官高官のエウセビウスが、肥え太った顔に埋まりそうな細い目に
陰湿な喜びさえ漂わせながら、コンスタンティウスに耳打ちする情景が眼に見える
ようだった。わずか五年前にもエウセビウスはこうして、副帝ガルスに反逆の罪を
かぶせ、自らポーラの牢獄に出向き、そこに護送されてきたガルスを拷問し首を斬
らせたのである。このガルスに続いて、今度は弟のユリアヌスだ。宦官に見られる
彼ら特有の暗い怨念が、遠く離れたセーヌ河のほとりにまで漂ってくるようだった。
>>216 解けた
少なくともばっちゃの本読む限りでは13巻最後の努力の最終、〜〜つまりは支配の道具の章で
エウセビウスは二人はいる
全体を通して読んでも詳細以下
・ニコメディアの司教にしてコンスタンティヌス大帝に死の直前洗礼を授け、
のちコンスタンティノープルの司教に昇格した方
アリウス派の代表のような人物(14巻邪魔者は殺せの章)
・カエサリアの司教でその死の直前の洗礼を書き残し、
『キリスト教会史』や『コンスタンティヌスの生涯』等の著者になる方(13巻ニケーア公会議の章)
上のエウセビウスが宦官になった経緯やホントに宦官だったのかの真偽はさておき
たぶん人違いだぞ
>>217 待て。
ニコメディアのエウセビオスとカエサリアのエウセビオスの二人がいることは、知っ
ている。
後で読みなおしてみるが、引用した部分で塩野が言及しているのはカエサリアのエウ
セビオスのことだと思っている。
これは俺の勘違いかもしれないので、再読してみるが、どちらのエウセビオスであっ
たにせよ、俺の疑問は消えないんだ。
どちらにせよ、宦官だったとは初めて聞くからだ。
これで俺の疑問と噛み合うか?
>>218 そっちが引用したのは文脈から明らかに上のコンスタンティノープルの司教になってた方で
大帝死後の虐殺劇の後ガルスとユリアヌスを預かった方でしょ
そもそも14巻ではその教会史の方で有名な方は出てきてない
>>219 今、読み返してみた。
ご指摘の通り。
引用した箇所のエウセビオスは「ニコメディアのエウセビオス」の方で、カエサリア
のエウセビオスではないですね。
この点、誤解していました。ありがとう。
同名の2人なのか。
アソウのタロウもコウノのタロウも同じ名前で同じ党、派閥の政治家だから紛らわしい、というようなものだな。
とりあえず解決したようでなにより
223 :
世界@名無史さん:2011/07/11(月) 18:07:20.60 P
そういや姓がアホみたいに多い日本人だと全く見掛けないけど
ローマ時代の有名人で同姓同名な奴ってどれくらいいるんだろ
>>148です
再放送はケネディの再放送でつぶれてた
ごめん
225 :
世界@名無史さん:2011/07/12(火) 05:05:33.24 0
羽柴筑前守木下藤吉郎秀吉
>>223 従兄弟同士で全く同名のガイウス・クラウディウス・マルケッルス
ってのがいたな。カエサルの政敵で。
紀元前50年と49年の執政官。
あとキケロの息子も親と同じ名前だった記憶がある。
こっちも紀元前30年に執政官になってる。
オクタヴィアヌスはエジプト遠征で留守だったから
それなりに重要な役職のはず。アントニウスに対する復讐心を買われた
可能性も否定出来ないけど。
ローマ人の名前の付け方は適当。日本人が多過ぎるだけなのか?読めない名前
や苗字大杉。
>>227 昔の日本も由緒あるところ以外は氏姓もなく名前も太郎、一郎、ウメ、ハナなど適当なものだった。
>>228 俺の友人の名前が太郎、その妹がハナw
しかしそいつコロンビアphd、妹津田塾、、、、とても平民とは思えんw
>>229 政治家一家なら投票のためにあえて分かりやすい名前をつけるというのはあるが、
そうじゃないのにその名前なら今の時代ではかなり変わっているね。
>>230 由紀夫くんは政治家になってほしくないとしか思えない名前w
>>223 現代日本と古代ローマじゃ姓やファミリーネームの概念が全然違うだろう
それにヨーロッパとかは限られた名前パターンを使いまわすのが普通で
親子で同名とかも普通にあるんだろ。
○○シニア、○○ジュニアとか。親や親戚の名にあやかって同じ名をつけるとか。
姓や家門がない人は(ある場合でも)官職名や通り名、容貌、
自分か父親の出身地などで区別していたな
高麗とか吐蕃、契丹、女真なんかもそんな感じだな
古代ローマ式だと菅直人は
直人・菅原・菅
だな。
日本の場合祖先は自称が多いし・・・
まあ孔子の子孫とかよりは系図整えてくる辺り手が込んでるけどな
2chなんか、武士と公家の末裔だらけだもんなwww
朝鮮人と高学歴、中卒も異様に多いぞ
童貞もな
勿論俺も純潔だぜ!
>>235 じゃあ熊本の細川護熙なんかは 護熙・細川・細川 だなw
>>237 イブ仮説に準じれば、人類全員がアフリカのある地区の7人だったかな?の血統だよw
その武家なり公家なり血が混ざる確率から言えば鎌倉時代から起算すりゃあ
2chだろうとそうでなかろうと高確率でそうなるだろう
系譜の有無どころか本人すらも知らずに
その数十分の1なり数百分の1以下なりの血が混入している確率は非常に高いかと
たとえば天皇や親王の娘なんかは大抵は上流の武家公家財閥系商家に出される
その子孫の娘も上流民間同士が基本だろうが、既に没落した民間もあるでよ
妾腹なら血は濃くとも、多くは出生時点で単なる妾なり父親代わりの者の身分として生きる運命
その子の時点で既に身分相応の相手選択となる
ま、それ以前に当時の政治体制で武家なり公家の身分の人がいたってことだけで
自分自身との繋がりなんて、本家以外は基本的にDNA配列の確率的混入以上の価値はないよ
241 :
世界@名無史さん:2011/07/15(金) 23:02:48.65 0
今思えば古代ローマの時代って何よりも人類の幸福の時代だったのかもな
ユダヤもキリスト教も白人も封印されてた人類にとって幸福の時代
科学が進み法整備も進んだ現代が最高の時代なんて幻想も甚だしいよな
俺もローマ時代が最高のように思える、、意外や大家族性だしな、これ幸福の必須条件
>>241 白人はネアンデルタール人とフン族のあいの子とか電波唱えてる方ですか?
>>241 ローマ市民権階級にとってはな、属民や奴隷にとっては総力戦時代並みに不幸な時代
>>240 護煕・源・細川でしょ。
個人名・家・氏なんだから。
一人のローマ市民の優雅な生活の為に何人の奴隷が必要なんだって話だよな。
まぁ、奴隷といっても何処で働く奴隷かでコレまた天国から地獄まであるんだろうが。
農場や鉱山奴隷は最悪だけど元老議員の屋敷務めなら市民権持った貧乏人より悪くないかもしれん。
どこのスパルタ国家だよ
広大な帝国が奴隷で持ってたとかいつの史観だ
近代の奴隷とはわけが違うんだぞ
家庭教師も医師も教師も奴隷だぜ
最近の史観だよ、最近は奴隷制社会としての側面が強調されてるだろ
家庭教師も医師も教師も所詮は奴隷
移動にも休息にも労働にも自由は無いし殺害されても主人にはお咎め無いからな
奴隷の性質が新大陸の黒人奴隷とちと違うんだよな
意図的に混同する人がいるから面倒
ただ名目と実際が大きく異なるものもあるからな
話は少し逸れるが武士の無礼討ちなんていい例で
町人に侮辱されたからって程度の理由じゃできないし、自らに非があると判断されれば無礼討ちした自分が切腹
更に理由を適当にでっち上げれば、禄取り上げや最悪お家断絶で子孫や周囲にも迷惑がかかる
奴隷に対する生殺与奪の権を有していても、無制限に行使すれば収拾がつかなくなる
>>249 全く同じ。奴隷制社会の意味解ってないだろオマエ
>>248 アレ?帝政後期には奴隷の殺害は犯罪だった気がしたが。
>>248 昔からそういう側面は結構言われていて、最近になって特段に強調されてたとは思わないんだが
なにか根拠あるん?
>>252 後期どころかフラヴィウス朝のころには既に犯罪、当然法の民であるローマなら立法化前の慣例も重視したろうこと考えないとダメよね
>>251 すごい無知だな。
全く同じって本気か?
お前歴史知らんのに世界史板にくるなよ
彼の脳内には奴隷と言ったら農場で鞭打つ農場主とその他大勢の奴隷という貧困な想像力しかないんです、お察しください
>最近の史観
そもそもこの表現がおかしい
>>252 帝政後期にようやっと殺害が軽い罪に問われるようになっただけで
根本的にローマの奴隷は、農場で鞭打つ農場主とその他大勢の奴隷な
奴隷制と全く同じ扱い、もしくはそれ以下
アホ過ぎる、共和政時代と帝政時代の人口比と奴隷反乱の記録を洗いなおせ
奴隷は反乱を起こせないから奴隷として役に立つのは自明
農奴ほどの自由すら無い事も理解してないよね、ロマ物厨って
>奴隷は反乱を起こせない
これは…
相手にしないほうがいいよ、長期休暇の時期になると出現する類の奴だろうから
前にも、地中海世界での輸送や交易は全て陸送で、海や河川は
全く使用されなかったって言い張っていた奴がいたような
論拠知りたいな、妄想だとしてもだ
確かにそれは知りたいw
子供向けの学習漫画でもそんな描写してないはずなんだがw
>>262 そういや、五賢帝時代以降の軍隊の移動が専ら陸路になり
海上交易の量も半減してた論拠を提示されても、頑なに認めたがらない奴がいたな
色々想いついて検索した情報持ってきたけど全部論駁されちゃった無知なのが
西ローマの穀倉地帯がシチリアやアフリカ属州にあったのに
海運全面禁止じゃ作った小麦がローマ本国に届かないじゃないですか
267 :
世界@名無史さん:2011/07/16(土) 19:22:58.26 0
ラヴェンナって日本でいう江戸みたいなもん?ローマ=京都で?それともラベンナですら北方の僻地扱いだったの?
>>266 反論出来なくなると前提を突然変える奴っているよな
海運全面禁止なんて馬鹿以外誰も書いてないのに
>>267 その例えで言うならローマが奈良の平城京、ラヴェンナやコンスタンティノープルが長岡京とか平安京というべきかもしれない
平城京は当時は開発の進んでた大都会だから、ローマ時代のアンティオキアとかベッラとか多分あの辺
ローマは鎌倉、ラベンナは品川かな
271 :
世界@名無史さん:2011/07/16(土) 21:37:01.64 0
ローマ人は寒いところ、雪が降るところには本拠地を置かなかった?
ヒント:ミラノ勅令
イスタンブールも真冬は東京なんかよりも寒い
つーか、中長期的な温暖期と寒冷期があるし
大規模火山噴火があって太陽光線が遮られれば
降雪のない地域でも雪が降ったり、夏でも早朝に氷を張ったりする地域が出てくる
同様に東京も大昔は寒かったのをお忘れ?
そうなんだよなぁ、東京も昔は寒かった。
徐々に熱帯化していると思うが、どうだ?
275 :
世界@名無史さん:2011/07/16(土) 22:45:23.76 0
でも、ミラノってローマ人じゃなくガリア人が作った街だよな
え?
隅田川が氷結する日はこの先来るのだろうか
イタリア半島の山がハゲ山化したのはローマ時代?
エトルリア時代から森林破壊は進んでたのかな?
後期ローマの貨幣の純度が下がるのはともかく
品質まで明らかに低下してるのは何なんだ?
鋳造技術の断絶でもあったのか?
>>281 貨幣改鋳・悪貨になるのは財政悪化による収入に比しての予算激増が最大要因
ネロ帝の改鋳の場合はパクス・ロマーナによる適度なインフレに対応したものだけどな
そりゃ意図的に貨幣価値落としてるんでしょ
政府支出の増大支えるために
そりゃ国が国内外で信用失えば貨幣の相対的な価値も下落するでしょ
そうすれば次なる手法は質より量で、足りない分を大量に刷ってタイムラグ稼ぎ
量が増えれても人員が増えなければ、一人あたりのノルマが増えるだけでね
国家収支が厳しくなって増員なんてことあり得ないし
どこかで効率アップのために工程を削るなり、工期を短縮しないと無理
鋳型の使い回しや耐用限度や頻度も伸ばす訳
そうしてどんどん負のスパイラルにハマり.com
それに国だからと言って絶対的な信用がある訳でもなし
現代でも所詮は紙に価値を置いてるだけのことで
たとえ$でもここ数年刷ってる量なんて尋常じゃないほどの二次関数的な上昇
もしアメリカがバンザイすりゃあ、たちまちただの紙切れ
281が聞いてるのは、「品質だけじゃなくて鋳造技術まで下がったのは何故?」ってことでしょ
そりゃコモドゥス以来の相次ぐ内乱ではしょうがない、
五賢帝時代の肖像とそれ以後コンスタンティヌス大帝とでも明らかに違うし
公の部分に有能な人材がいかなくなった、そもそも有能な人材が減った、技術の伝承が滞るほど内乱のダメージが大きかった、
この辺でしょ、内閣の面々は皇帝が選抜するんだから元老院の堕落と戦いばっかの皇帝ではね
銅貨は元老院直轄だから案外質はそれほど落ちてないのかもしれない
鋳造技術の低下が目に見えるようになってくるのは三世紀中盤以降くらいだと思うけど、
この時点で銅貨は存在価値が著しく下落して、挙げ句発行が停止されてる
大量生産したら職人が足らんのだから質は落ちるだろ
手工業の時代なんだから
当時の貨幣は鋳造なの? ハンマーコインじゃないの??
ハンマーコインが多い。だからハンマーの作る職人の腕やコインを叩く職人の
腕、道具が重要になってくる。
ローマコイン収集してる人いるの?
俺、一個くらいは欲しいなあと思ってる
確かローマのコイン紹介してるサイトあったね
古代ローマで検索すると結構上のほうに出てくる
高いぞ。不当に思えるくらい高い。
五賢帝のなんか銀貨でも凄まじい値段だ。
保存状態悪い安いの売ってないんだろうな
軍人皇帝時代のはやっぱ安いのが多いな。質も悪いし、人気もないんだろう。
貨幣改鋳乱造される時代に入って、通貨の値減りを恐れて正貨はタンス預金、悪貨が流通したもんで
タンス預金分がそのまま発掘されると綺麗なパターンなんだよ
ローマ時代の貨幣発掘が乱造時代の正貨が多いのはそのため
297 :
世界@名無史さん:2011/07/17(日) 22:20:34.65 0
西ローマが崩壊したときに、ローマ人は東ローマに大量に亡命したの?逃げれたのは貴族だけ?
>>297 その前に2度のローマ劫掠があっただろ?あの時相当数の元老院階級が拉致されたり、物理的消滅してる
東ローマはむしろ分裂の経緯から言っても身分そのままで受け入れたわけがない
大半はイタリア半島の地方に逃れたと思うよ
そもそも共和制以来の名門貴族は五賢帝の頃には政争や子孫断絶などで消えてる
貴族というより平民貴族や騎士階級から元老院階級した人間こそがエリートだったから貴族というべきかは疑問だ
紛う事無き貴族、資産も権力も名声も持ってる
まぁ、西ローマの元老院が名実共に終わるのは東ゴート王国滅亡の時なんだけどな。
一応、オドアケルもテオドリックもローマから統治を委託されてる建前を取って元老院を潰さなかったから。
301 :
世界@名無史さん:2011/07/17(日) 23:17:23.69 0
ネロのコイン見てると首が異様に太くてアゴがないんだけど、
甲状腺の病気か何か?
厨な質問ですが、この時代教育期間はあったんですか?
それとも個々の仮定で教師を雇ってた?
というのも元老院などの知識人達の知力のベースがどれほどだったのか知りたいのです
>>302 義務教育はないし、公共機関としての学校もない
有力門閥の子弟は共和制期はアテネやロードスに留学、
もしくは家庭教師を雇い入れるのが常、
カエサルは教師と医者にローマ市民権を開放し、
ヴェスパシアヌスの頃にはローマに学者も招聘されたので首都で勉学、というのもあったが
ギリシャの存在意義が薄くなったほどではない
属州化されたガリアなどの部族の有力者の子弟はローマで留学して教育受けるのが義務だった
社会的にはフォロ・ロマーノ辺りでまとめて教えてるの教師ならば市民、
家庭教師ならば奴隷という区分
ま、貴族階級はギリシアに留学するのが基本だよね。
305 :
世界@名無史さん:2011/07/18(月) 01:16:16.41 0
>貴族というより平民貴族や騎士階級から元老院階級した人間こそがエリートだったから
この人たちはどこへ逃げたの?蛮族が侵入しまくってもう手に負えない状況になったとき?コンスタンティノープル?それともイタリア半島の地方?
>>305 そもそもそこまで生き残ってない件
属州も帝国と運命を同じくしてるのに逃げるところなんてない
世界の首都として属州から多種多様の人種がいたローマなんだから
大半はガリアや北アフリカなどに散った
なんか質問の裏に贅を極めた貴族様の存在を確信してるかのようなんでそれは誤解だと言っておく
>>305 土着して豪族になったか、打ち破られて略奪と殺戮に遭ったか
多くはゴート族の支配下で2級種族として豪族になったんじゃないの
そもそも手広く事業を行っているが最富裕層が騎士階級
詰まるところ今で言うブルジョアで、必要に迫られれば敵対国とも取引する
たとえ元老院議員であっても、最末期じゃ都市国家レベルに成り下がったローマで誇りを持って
騎士が一族ごと殉国なんて愛国心に溢れた者がどれだけいたか?
普通に考えりゃ元の資本家の論理が優先するかと
「沈没を見越して船から逃げる鼠」として考えれば見えてくる筈
「窮鼠猫を噛む」ような時まで居残るような騎士は余程の物好きであって
そもそも商人の特質である「世渡り」なんてできない
そこまで人心荒廃・堕落したのはなぜだ?
ガリエヌスの元老院とミリタリー分離化からか?
>>309 それはどっちかっていうとエリート層の人材の質の低下、人材流動性減少の要因
もちろんそれはそれで重要
どちらかというとカラカラ勅令によるローマ市民権の価値の低下によってそれを目ざす活力が帝国全体から失われたこと、
平行して財政悪化や内乱による国力消耗から国防悪化、中小自作農への打撃、
ついで職業選択の世襲化が義務付けられたことの方が要因としては大きい
腐敗・不正というならポエニ戦争直後から始まってるわけだしさ、
要はそれを立て直せなくなっただけの変容にこそ注目すべきだろう
カラカラ勅令によってローマ人の本質が変容させられたと言う考えは、
かび臭い研究室で史書とにらめっこしてる研究者には届かないと思うが
ギボンなんかカラカラ勅令スルーだからな。
カラカラ勅令以前から兆候はあったよな、正直ローマ市民権保持者が増えすぎた。
結果支出は増加し、税収は減った。経済成長も開発し尽くされて帝政初期みたいに
伸びなくなったし、国内の鉱山も枯渇してきた。
そういえば、少し前のTBSの世界遺産でスペインの鉱山特集したけど
三世紀辺りから金銀の産出量が枯渇したと言っていたな。
314 :
世界@名無史さん:2011/07/18(月) 12:02:32.23 0
ローマのエジプトで作られた貨幣ってアウレウスとかデナリウス
でなくてドラクマとかのギリシア基準なの?
エジプトやシリア・パレスティーナではドラクマが流通していた。
>>310 ローマ市民権の価値が低下したからアントニヌス勅令が出されたんであって
順番が逆だな、兵隊に困らないなら誰も勅令出さない
それと元々ローマ社会は強固な職業世襲制、法律で義務化されるようになったのは
その慣習が崩れてきた為の対策に過ぎない
アウレウス、デナリウスはあくまで基軸通貨だからな
それでも信用度は高いからインド方面でも発掘されるのがローマ貨幣
>>316 徴兵要員埋めるために出された勅令だなんて世界で誰一人述べてない新説だぞ、どこの本だそれは
職業選択の自由も共和政時代から鷹揚だったろうが
>>318 2世紀末のローマが、地方支配の弛緩で金の徴収が上手く機能しなくなったのと
正規兵と補助兵の成り手減少で軍団編成に支障を来してたのは常識だろ
元々ガチガチの血縁社会で父親の職業を世襲するのが
ローマ人の美徳とした処だろうに、何を言ってるんだオマエは
また変なのが湧いてきたな
地方支配の弛緩()
おいおい常識だろw
地方豪族の反中央姿勢が強まってローマの地方支配が弛緩
軍人皇帝時代もそれが要因ってのが一般的な見解
とりあえず構ってちゃんは豪族の定義からすり合わせていけ
323 :
世界@名無史さん:2011/07/18(月) 17:39:08.47 0
エリュトラー海案内記が中公から復刊。
キリストの時代の地中海・アラビア・インド貿易の実態を知る数少ない一次史料。
なくならないうちに買っとこう。
宣伝乙 いま買った
325 :
世界@名無史さん:2011/07/18(月) 19:06:11.24 0
>>310 カラカラってアフリカ人のセウェルスの息子なんだよな。やっぱこういう2流民な奴に超大国の舵取りさせるのはマズいんだよな
優秀か否かじゃなくて、人間ってのは基本的に弱くて賤しい生き物だから。所詮どんなに優秀なやつでも自分のことを最優先に考える
セウェルスは属州民ってのがコンプだったらしいし、そのせいで属州民を優遇する政策取ったりキリスト教を受け入れたり碌なことせんからな。
案の定息子のカラカラはクズだったし。
スティリコみたいにバーバリアン出身なのもすべて受け入れた上で
帝国に忠誠誓って、帝国の伝統の為に命まで差し出す覚悟あるやつなんてそうはいない
326 :
世界@名無史さん:2011/07/18(月) 19:09:32.19 0
基本的に、出自関係なく皇帝って一部を除いてろくなのがいなかった印象
日本の総理大臣よりはマシじゃね。
とりあえずそのろくでなし皇帝とまとも皇帝を挙げろ
>>325の想像するアフリカ人とセウェルスの人種って相当違うと思うけどね。
コレだから、薄っぺらい上辺だけの知識しかないネトウヨニートは・・・(嘲
どうせそいつの中のアフリカ人=半裸で槍もって砂漠で豹追っかけてるイメージなんだろう
シュメルと並ぶ人類最初の文明社会はネグロイドが建てたエジプトなのにな
ハンニバルも広義のアフリカ人やで
フェニキア人そのものがギリシャ系移民じゃなかったっけか
いや、フェニキア人は普通にセム系民族だけど。
フェニキア人を模倣して出来たのが新ギリシャ文字や政治体制なのに
フェニキア人はギリシャ系移民なのか、凄まじい電波だなw
336 :
世界@名無史さん:2011/07/18(月) 23:23:05.49 0
>>330 でも、その”ネトウヨ”を発明した朝鮮人は黒人嫌いのレイシストで有名だよ?
338 :
世界@名無史さん:2011/07/19(火) 04:14:07.48 0
古代ローマ及び地中海世界を語るには、『西洋古典学事典』を読んでからにしろ。
さもなくば、赤恥をかくだけだからナッ!!!!!!!!!!!
>>338 久々にみかける幼稚レス
通ってる中学校はもう夏休みにはいったのか
こいつのせいでいったい何人が西洋古典学事典をNGワードに突っ込んだことやら
バカは自分のやってることが逆効果だと気づかない
なんで無視しないの?
>>279 遅レスだが、ローマの経済的破綻に木材価格の高騰を挙げた環境学者がいたな。
彼の意見を要約すると、現在の原油価格高騰みたいなもん。帝政初期に比べて徐々
に木材価格が高騰して五賢帝後には価格が2〜3倍になってる。それが物価の高騰
を招き、政府税収の減少を招き、中産階級の生活を破綻させ、それが政情不安を招き
異民族の侵略と権力者達の権力闘争の果てに滅んだって説。
木材なんてガリアに山のように有ったのに。
長い間に木材の枯渇していた東側は中産階級生き残ったし
内陸部には山のようにあっても南部沿岸は既に禿げ山
格段にコストのかかる陸路で沿岸にまで運んでの海路で
燃料用途での需要が相当高いのに地産地消でもない
しかも人口集積が著しいローマや南部の大都市に向けてだから航行日数もかかる
まぁでもそれは1つの仮説なんだろ?
インフレを加味しないで高騰と言われてもしょうがないだろ
それにそもそもローマのインフラ整備は道路・水道・コロシウム・テルマエに至るまで
元老院階級や騎士階級のノーブレス・オブリジュに因る所大だったんだから
インフレする要因ってなんかあったっけ?
硬貨の発行額が増えたとか聞かないけど
>>347 ネロ帝の時代には早くも通貨切り下げしてインフレ対応やってる
単純に金銀の海外流出を防ぐ目的もあった。
パルティアやインドに大量に輸出できるもの、なかったんやろか?
ずっと輸入超過な感じだよな。バランスするほど、相手の内需が大きくなかったんかな。
インドは物産豊富だしね、技術も高くて色々な手工芸品も揃ってるとなると
鉱物資源以外に輸出する物が無かったのも仕方ない気はする
コインが主要な輸出品だと考えればいい
国に信用がある間は、相場で金銀含有率以上の価値で引きとってくれる
絶頂を極めて国内での生活水準=人件費が上昇して生産コストが割に合わなくなれば
あとは為替の力と文化で凌いでいくしかない
今やプライドのみの英国や今後の日本が辿る道
今一番貨幣を売ってるのはアメリカだろうな
アメリカの場合は軍事力を背景に転売不可の国債という名のミカジメ料を押し付けてるだけの気がするが
>>352 ローマ硬貨に対する信用はもちろんあっただろうけど
別に価値は貴金属としての値段とほぼ等価だぞ
インドにも中国の物産を中継するペルシャにもかなり持ち出しになってるし
356 :
世界@名無史さん:2011/07/20(水) 09:56:43.65 0
ローマはモンゴル帝国みたいに不換紙幣や管理通貨の発想を
しなかったのですかねぇ
為替や手形の発想はあったのだろう
そこからもう一歩踏み出して、信用という概念を作り出せなかったのですかねぇ
貨幣の信用という概念ならあっただろう
そもそも古代は政府が介入せにゃならんほど投機に左右されやすい金融経済気質なんぞではないしな
そもそも発行される金貨銀貨は額面価値と素材価値がイコールだからこそである
近代以降の価値観や選択枝や価値観の基準が違う訳でね
職業選択の自由や個人の尊重なんてものは基本的にない訳で
特に共和ローマ末期のゴタゴタ続きの中じゃ
軍人は殺すか殺されるか
ならローマ民として死ぬか味方の上官から奴隷同然にコキ使われるほうがマシ
軍属の限りは衣食住は一応完備で、恩給っちゅーか、永年勤続で先の見返りも期待できる
それにカエサル軍っちゅーことは、現代の代表的な大企業勤務と一緒みたいなものでしょ
有象無象の見返りもあるしプライドも生まれる
「あれが噂のカエサル軍」って内外から羨望や畏怖される存在で自負心を満足させられる
不満爆発でストは起こしても暴動が起きなかったのは、そういった心理面が大きいだろうね
無論一兵卒にまで自負心を与えたカエサルの能力とカリスマ性があってのものだけどね
ペルシャとかあの辺はローマコインを装飾品として使ってたと聞いてるが。特に金貨。
危険が迫った時、すぐに持って逃げられる様に貴金属を装飾品にして
身に着ける習慣は色んな国にある。ローマ金貨は基本純度100%だから
装身具としては良いだろうな。そもそもローマ人には海外投資の観念が不足
してるよな、属州で大荘園を築いて大儲けしたり、属州民に金貸しして法外
な利息取って非難された元老院議員はごろごろ居るけど、黒海での交易で
財をなしたとか、パルティアに投資して向こうに広大な牧場持ってます。的
な元老院も騎士階級も聞いた事が無い。
貨幣の貴金属としての価値が落ちてくると
貴金属としての価値の低い新貨幣を専ら使用に回して
貴金属含有割合の大きい古銭は溜め込んじゃう人間が結構いたようだね
>>360 パルティアに投資して牧場造ったら没収されるに決まってる。あほかw
ローマ市民権階級にとっては属州が植民地だったんでしょ
ペルシャや中国の様な、普天の下王土に非ざる土地は無し的発想は持って無かった気がする
植民地ってアホか?
364 :
世界@名無史さん:2011/07/20(水) 20:35:44.47 0
しかし、ローマ及び中東世界は金銀にやたらこだわるなぁ
今のアメリカやEUは、かなり本気で金本位制に戻すことを
考えているようだし、
中東の独裁者も金塊を蓄えているし、
古代ローマだって、貧乏だった時代は塩で兵隊さんに給料を
渡していたのだろう?
徳川幕府みたいに、金、銀が不足してきたら、
米本位制にするとかの発想は出なかったのかねぇ
俺は米ならいいけど、小麦や小麦粉で取引するよう定められたら発狂するぞ
重すぎるだろw
絹の反物を札束扱いにするのはいいような
>>350 江戸時代の日本のようなものだな。
輸出品は陶器や美術品など少額で、莫大な金銀銅をもとに海外から薬品や技術書を輸入した。
>>364 徳川時代でも基本は金銀。米は腐るし虫食いに合う。
ある程度通貨が発展した世界では塩や米など現物給与は換金(銀)できる市場があって初めて受け入れられる。
>>365 あくまで信用の担保だろ
金本位制下でも金の延べ棒でやり取りしてたわけじゃないぞ
政府発行紙幣は政府の信用で金とも出来ますよ、発行紙幣と同額の金は常に準備してますよって制度なんだぜ
現行の通貨管理体制だと政府、行政財務当局官庁、中央銀行が結託して無制限に紙幣発行するリスクはある
あの、わかりきったことを、、
>>369 ローマ時代は金銀そのものでやり取りしてたわけだぞ
米も信用の担保じゃなく貴金属と同じく現実の価値がある
372 :
世界@名無史さん:2011/07/20(水) 22:49:12.33 0
>>306 >そもそもそこまで生き残ってない件
そんなに少ないの?ラテン人
ラテン人は全部で何万人ぐらい居たの?ゲルマン人の奴隷が1世紀の時点で60万人ぐらい居たらしいけど
373 :
世界@名無史さん:2011/07/20(水) 22:55:04.56 O
ローマからは話が逸れるが、塩と兌換する紙幣を発行した元は天才だわ。金銀以上の必需品で、しかも「準備金」(準備塩か?)は絶対枯渇しない。
塩の兌換券は宋の制度を引き継いだだけだぞ
ローマ人が兌換券と活字を発明しなかったのは謎だよね。
蒸気機関は作ったのに。
376 :
世界@名無史さん:2011/07/20(水) 23:17:55.01 O
>>374 それは知らなかった。サンクス
いずれにしても、発明した奴は天才
パンの無償配給チケットじゃだめなの?
378 :
世界@名無史さん:2011/07/20(水) 23:35:05.91 O
>>377 塩との兌換は、塩が専売だから成り立つ話。他所では金銀で買えるとなったら、貴方の言うとおり塩引は単なる引換券にしかならない。
小麦の専売なんて無理でしょ? 第一小麦が専売でも、野菜や肉で何とか凌げちゃう。塩はそれが不可能。
>>377 市場原理が働いちゃうものはダメでしょ、中央がある程度管制出来ないと
それに流石に主要穀物の専売は取扱量が多過ぎて無理だろうし
>>379 日本って国では江戸時代。主要穀物である米が大々的に取引されて、
遂には大阪で世界初の先物取引まで行われたってんだから。ローマ時代
でもやろうと思えば出来たかもしれん。だが、歴代の皇帝の誰も、例えば
来年のガリア地域の税収を担保にして商人から金借りてパルティアに遠征
する、みたいな事はやってない。やはり当時はそこまで経済学が発展して
いなかったんだろうな。
ただ日本の経済学が発展してたと言われると、それも非常に疑問あり過ぎるけど
だって古代のローマ帝国がやってた商業課税も商取引の把握も出来てないんだぜ?
大商人ぼろ儲け
>>381 あれっ?やってなかったの?
じゃあ、信長の楽市楽座って何が画期的だったんだ・・・?
>>382 個々の商人の収入・財産が判りにくいから、ギルドや座や都市参事会みたいな
組合作らせてそこから税を取った。簡単に言えば同業者や御近所に監視させた訳
、他に関所や市で場所代や通行料を取るという手もある。要する帳簿からではなく
商売上必要な場所やルートを通過する物・人から取るって言う方法。信長の画期的
なのはそういう事は経済を委縮させるとして撤廃した事。
>>382 別に何一つ画期的なことは無いよ
他の大名もやってるし、楽市楽座したのは極一部の場所でそれも追認しただけ
画期的だと思われてるのは、戦後の馬鹿学者が何の根拠も無く持ち上げたから
とりあえずそういうのも含めてソース出せな
他の学者はアホ、俺偉いとしか聞こえん
>>384 信長の時代は萌芽期・過渡期。全国一律一斉にって訳にはいかんわな。そういう
事情判って書いてるんだろうけど、いじわるな書き方だな。
>>385-386 調べれば解るけど、信長が生まれる数十年前から大内は領国の一部でやってるし
斎藤道三も六角定頼も今川氏親もやった、名前が出て来ないけど
他にも幾つもの大名が楽市楽座していて、それ自体は何ら目新しさも革新性も無い政策
ロクな史料にも当たらず漠然とした印象と適当な想いつきでいい加減な事を吹聴し続けた
戦後〜70年代以前の連中は学者と呼ぶに全く値しないし、そもそも給料貰っていいレベルじゃない
昔の歴史学者が(今でもか)ダメなのは多少同意するが、まともな奴もいるだろうし貶すのはやめとけ
そうやって糾弾してるお前だって他人のふんどしで威張ってるようなもんだ
領主権の確立と経済活性化のどちらに重点がおかれていたか、
城下町以外の流通経済にはむしろ大商人優遇の統制経済措置がとられていたのではないか?等の視点も必要だろう
まあそろそろスレチ
ローマのロの字もでてこないな
ローマのロじゃん
十イ弋□−々
○
五賢帝頃からローマ帝国の鉱山が枯渇し始めるけど、ローマ領内に鉱山が
なかった訳ではなかったんだよな。11世紀にはフランス(ガリア)やドイツ
の諸河川で砂金が取れ始めるし、アルザス・シュバルツバルト・チロル・ハルツ
山地等で大々的に銀鉱山が開発される。要するローマの北方国境地帯には大金が
眠っていた訳だ。土木の鬼で当時最高の採掘・治金技術持ってたローマ人が何故
気づかなかったんだろうな。
>>396 なるほど。
ローマ人の採掘・治金技術が何らかの理由で衰えた(継承されなくなった?)、とい
う可能性はないの?
塩野の本だったかどうか忘れたけど、建築物に残っているレリーフの技術が、古代末
期から中世へ向けて徐々に衰えていく様子が一目瞭然だったのを思い出した。
知りすぼみにならなきゃヨーロッパの反映は継続されたはずだよね
つまり逆説的に継承されなかった、と
単純にガリアやバルカンに金銀が埋ってることに思い至らなかっただけでしょ
あとローマの採鉱冶金技術は、中印はもちろんペルシャやギリシャと比べても高くない
>>399 ダルダニアや上部モエシアでは早くから鉱山開発が進んでいたよ
401 :
世界@名無史さん:2011/07/23(土) 23:08:29.25 O
中国は五胡に、ペルシアはアラブ人に征服されたが、
文化レベルは落ちなかったのだろうか。
南北朝時代は停滞気味ではあるけど落ちてはいないかな
元の時代は文化その他色々と衰退した
>>400 冶金が盛んだったとは良く聞くけど、貴金属も掘ってた?
だとするとなんでガリアを開発しなかったんだろ、あとヒスパニアとか
403 :
世界@名無史さん:2011/07/24(日) 01:03:19.01 O
中国とペルシアでは文明人が蛮族の宗教を受け入れるようになる(仏教イスラム教)。
この過程で旧来の文化がかなり破壊されたのでは
逆にヨーロッパでは蛮族が文明人のキリスト教を受容してる。
なのに文化レベルは大きく落ちた謎。
そうは言っても東側のローマは順調に発展したんだし
順調?どこがよ
壁画や彫像の技術だけでも劣化したままの中世だぞ
その他社会インフラや軍事に関してはいうまでもなし
東ローマの建築物や壁画?壁や天井の装飾のが、余程洗練されてるだろ
社会インフラってのが何を指すのかもよく解らない
いわゆる中世暗黒期を言っているならコレはゲルマン民族に問題がある。
入浴の習慣が無かったから水道や公衆浴場に価値を見出せなかったし
手先が不器用だから写実的な彫刻や絵画を作れるようになるのはルネサンスに入ってから。
>>406の通り、結局有能な人材の大半が需要のある東に移っただけのこと
西は中世移行時に大都市が消えて需要がないから、結局需要のある地域に移るか
大工なり田畑を耕す仕事に鞍替えするしかない
蛮族が長期の伝承で洗練された旧ローマや東ローマに倣おうと思っても、既に人材は東に移動
いないから手前味噌で見よう見真似だが、技術継承ベースがないから所詮は稚拙な出来栄えとなる
言い方は悪いが、一昔前は中国韓国あたりが日本製品を盛んに真似してたが
外観は一見してわかるほどの違い
現代でも特に精密機器類は質感やデザインや安定性に難があるのは周知の通り
いやでも、中世の西側ではイタリアは比較的進んでるような
色々な麺で
フェットチーネやリングイネとかマカロニがあるしな
411 :
世界@名無史さん:2011/07/24(日) 10:16:06.44 0
江戸時代の漆器だって数十もの工程があって
それぞれに専門の職人が必要だったから、
もしその中で何人かが欠けただけでマトモに作れなくなるかもしれない。
なぜ両ゴートやフランクの王が
「ワシのために立派な建築物を作れ」とか言わなかったかが不思議だけど。
あとなんで中国の北朝で技術がそれほど衰退しなかったのかも気になる。
南に逃げては行かなかったのかね。
>>411 10世紀11世紀のドイツフランス王侯の宮殿って
ローマ時代やビザンツと比べるとギャグみたいなお粗末さだもんな
北魏を筆頭に中原の文明へ憧憬があったのか知らんけど
早い段階で中国化してるのが文化が伝承された大きな要因な気がする
王国を作った当初は、蛮族の酋長たちはローマ人から奪い取った屋敷とかに住んでたみたいだけどね。
ローマ西部の繁栄を支えた穀倉地帯のアフリカ属州を失った時点で
「豊かさ」の上澄みである「文化的生活」を維持できる国力も失われた
416 :
世界@名無史さん:2011/07/24(日) 20:30:12.31 0
四大文明がそのまま存続していたみたいなもんか。
@エジプト,地中海文明→ヨーロッパ文明
Aメソポタミア文明→中東文明
Bインダス文明→インド文明
C黄河文明→東アジア文明
A〜Bまではその後継文明もその発祥地(豊かな土地)を中心としながら拡散しているのに
@のエジプト,地中海文明はその中心地を次々と動かしながら拡散しているのが
興味深い。
417 :
世界@名無史さん:2011/07/24(日) 20:48:29.00 0
ゴート人やフランク人は古くからローマ人と接触して、
その文明のすばらしさはイヤというほど知っていたんだろうに。
でも一応国家を作っていたということはローマ人のおかげだよな。
それまではただ部族しかなかったわけだから。
418 :
世界@名無史さん:2011/07/24(日) 20:51:04.90 0
ここで塩野七生語っていいの?
今11巻のマルクスアウレリスんとこ読んでるんだが、4、5巻と西暦二桁あたりはいいとしてカエサルカエサルうざいわー200年近く経ってるんだから状況違ってあたりまえだし
なんかお勧めのローマ本あるー?
読み物ならギボンのヤツでいんじゃね
アーヘンの教会ってゴミみたいなヤツじゃん
422 :
世界@名無史さん:2011/07/25(月) 00:16:21.46 0
>>417 思うに、中世にゲルマン人の文明が停滞したのはキリスト教が元凶
ローマでもキリストが入ってからおかしくなりだしたし(他にも原因もあるけど)
その証拠に宗教革命起きてカトリックからプロテスタントに変わったら
あっつう間に産業革命まで駆け上がって白人圧倒的天下になった
キリスト教は人間のダメなとこ、邪悪なところを助長させるような矛盾した宗教だ(欲を禁止する割りに上部層は強欲まみれでドヤ顔偽善顔)。
423 :
世界@名無史さん:2011/07/25(月) 00:24:44.42 O
イタリアやフランスやドイツではそうかも知れないが、
ポーランドや北欧やリトアニアではカトリックはローマ文化を伝える媒介となったのではないか。
>>422 それは所詮結果論だろう
古代合理主義への憧れたるルネサンスだってイタリアで起こっても、宗教改革の本場ドイツで起こらなかったことも考えるんだ
宗教の及ぼす影響なんて一刀両断に語れるもんじゃない
ばっちゃですら一神教の弊害と、行政宗教軍事に人材予算を割かれることの亡国への道を述べてたに過ぎないし
モンタネッリに至ってはローマ伝統の宗教すら既に人々に見捨てられていたと指摘してる
コンスタンティヌスがなりふり構わず政権の安定のために宗教を利用する方向に持っていったのはたしかに功罪あるだろうけどさ
受難と差別と排他性=選民思想に単純で伝わる倫理道徳を売り物にするキリスト教は
信者を一定の方向に導きやすいからねぇ
しかも輪廻がなくて、現世で苦難を浴びれば浴びるほどあの世の極楽が待ってると思わせる
つまり現状の不満を諦めさせられる
ユダヤ教ほどの排他性もないし、現代に至るまでカルトの原モデルとして生き残っている
同時に権力側とすれば統治でこれを使わない手はないってほどの完成度w
小さく分割されてしまった各国としても、謀反を起こさせないようにするためには
往来を制限して情報を遮断、オカルト的な教育を施しての愚民化が最も手っ取り早くて効果的な手法
しかも人気取りのための皇帝主催の各種大会などのコストは「宗教の名の下に」ほぼ不要で
王とその周辺が信心深いポーズを取り続ければ、信心深い信者がそうじゃない信者を民衆レベルで勝手に監視してくれる
こうなれば内憂は不作凶作のみで、更に隣国との敵対心を煽れば多少の失策も大衆からの目を逸らせられる
ただ攻城兵器や弩や鎧鐙なんかの軍事関連や農工関連・・・粉挽き水車やより複雑な構造の機械等
中世なんかでも発明され効率化し続けているんだよね
そう見れば一概に暗黒だ退化だと決め付けられない
王侯貴族と聖職者にとってはより効率的に統治し搾取できるシステムになったと解釈すればいい
攻城兵器や弩や鎧鐙なんかの軍事関連や農工関連・・・粉挽き水車やより複雑な構造の機械は
東の発明品が漸く伝播してきただけだね
弩は肝心の東では廃れちゃったんだけどね。
十字軍の装備を見て『見た事の無い弓を使う』とか書いてる奴がいるし。
428 :
オウガイ:2011/07/25(月) 12:25:12.90 O
東ってギリシアか中東かどっち?
>>422 >欲を禁止する割りに上部層は強欲まみれでドヤ顔偽善顔
そうでない宗教があったのか逆に知りたい。
430 :
世界@名無史さん:2011/07/25(月) 12:39:18.28 O
中世の方がトータルでは生産性上がったと信じたい。
10世紀〜14世紀あたりの人口増なら俗に言う「中世温暖化」の影響
温暖化すれば耕作域が北上して、単位あたりの収穫量が増えて
より多くの人口を抱えられるようになる
同時に同じ宗教圏同士の戦争は減少するので、その分も増加する
そして余剰が出るから、ヨーロッパのような小国でも非農業者で形成される市
つまり都市が発展する
>>431その時代でロクに整備されていない道路で、しかも米より栄養効率の悪い麦で
農業従事者が下手すりゃ9割にも届いての都市人口10万は、現代で言う100万200万の人口に相当する
しかも中世人はスブッラのように都市人口を集積させる中層建築物を好まない気質
確か10年余り前に塩野が出た正月特番で、当の本人が「物音に鈍感なローマ人」
それと「物音に敏感なゲルマン人」これが都市の人口集積を阻んだと結論づけていた
これは古代ローマ時代の話だから直接的には関係ないだろうが
中世の面影が残る諸都市の街並みを思い出して妙に納得した記憶がある
まあ元に戻して、中世の温暖化とはいっても現代よりもずっと寒冷だろうが
長期的な自然変動での温暖化は、生物全体として見れば正の作用をもたらす
結局のところ食い物の取り合い
中世の温暖化で「衣食足りれば何とやら」で「金持ちケンカせず」状態ですなw
逆に寒冷化するから耕作地域も収獲単位も減少
現状の人口を維持できなくなるから「弱肉強食」同じ宗教の隣国間でも戦争が起きる
五賢帝時代のローマ人の体格に中世の人間の体格が追いついたのがルネサンス入った頃じゃなかったっけ
暗黒の中世というのは地中海海賊大暴れの沿岸荒らしまくり浚いまくり、インフラ崩壊、社会経済規模も含めて間違っちゃいない
>>428 イスラム世界とビザンツ両方だね、あと北西アジアの遊牧民からも技術伝播があった
435 :
世界@名無史さん:2011/07/25(月) 20:07:41.32 0
>>433 ローマ人の身長って男で150cmぐらいだったんでしょ。で同時代のゲルマン人が172cmなんじゃないのか
>2cm
なんでそこまで細かいの?
>>435 その古代ローマ人の体格にすら負けるほど栄養状態が貧弱だったのが中世人を支える経済規模のせいだったわけで
ローマ人男性の平均値が155前後なのに、身長170cm弱のアウグストゥスが背が低いという記述は奇妙
ちなみに後漢末期の曹操も160cmで小男扱いされているが、こちらも当時の平均は150代だったらしい
英雄は背が高くなくてはいけないのかw
>>439 野茂英雄 188cm
だからこれより高くないといけない。
>>439 栄養状態の良い上流階級出身者は有る程度は平均身長より高いのが普通だろうけど…
>>430-432 ガリア戦記辺り読んでると、集落からそんなに離れていない場所でも森やら林やら
未開発な土地が結構あったようだから、中世になって領土が小さくなった結果
領土内の開発を進めて農地面積が増えて人口増加というのも普通にあり得ると思うんだが。
そこは食糧生産よりも安全保障と衛生事情のほうが大事なのよ
後者2つの方は国家の仕事だから食糧生産技術が多少上がったところで
帝国時代の後者2つのメリットには遠く及ばない
>>439 後漢の平均身長150cm台はデマだよ
前漢時代を通じて、男子が16歳と見做され徭役を課される様になる身長がほぼ150cm
大半は150cmを超えていたから平均150cm台ってのはありえん
150cm台って150〜159じゃねえの?
大体が150cm越えるくらいなら、150cm台であってるじゃん
成長晩期の16歳、その最低基準で150cmだから、平均は恐らくもっと高い筈ですね
志願が多くて選抜度の高い中での150cmなら話は別ですが
ちなみに太平洋戦争の日本の徴用基準は五尺余り≒150cm強
当時の男性の平均身長は160cm強だが、成長の止まった20歳以上が対象
>>439 現代とは比較にならないほどデカさへの幻想があるのです
隣国との力比べで、統治者の身長が5尺より6尺のほうが確実に畏怖対象になりますね
現代のようなG7や首脳会談なんかでも、人は互いの能力よりも目に見えるデカさの違いを見るものです
デカい幻想が一人歩きすれば、護国神として崇められる存在にすらなり得るのは数々の事実が証明しています
関羽は何故か商売の神になっちゃいましたがw
三国武将なんて最も信頼できる晋書だったかな?それでも名のある武将は総じて170cm以上
演義あたりになればほぼ2m前半で、中には3m近い巨人(呂布)もいます
将を出すような豪族貴族であれば栄養状態が良い筈なので、相対的には一般よりもデカくて当然ですがね
もちろん晋書の記載も厳密には信用に足りるものではなく、圧倒的多くは過去の書物や伝聞からです
447 :
世界@名無史さん:2011/07/26(火) 09:39:25.90 0
>現代とは比較にならないほどデカさへの幻想があるのです
ゲルマン人に容姿コンプあったの?>ローマ人
ローマ人とゲルマン人ってドラゴンボールのサイヤ人とツフル人の関係に似てるよね
コンプレックスというか憧れだな
兜の上の飾りだって敵から見れば身長に下駄履かせる効果はあったし、それ狙いだった
遠景からだと特に効果的
>最も信頼できる晋書
最も信頼できる有能な詐欺師みたいなもんでしょうか。
宋史、元史等に匹敵する、中国史上有数の信頼できない史書の一つにも挙げられる晋書に「最も信頼できる」という形容が付く日がこようとは……
本題は多分間違いじゃないとは思うが、この段には素で吃驚したわ。
別に広く信頼出来ないわけじゃなく、史書として出来が悪いって話で、それは宋史も同じ
新唐書は逆
452 :
世界@名無史さん:2011/07/26(火) 17:58:52.73 O
453 :
世界@名無史さん:2011/07/26(火) 18:02:12.16 O
>>442 よくわからんが、日本史初めて勉強した人が
「平城京とか大仏あって奈良時代すげー
中世しょぼ
中央から地方官派遣できなくなってるし退化してね?」
とか思うようなもんか。
454 :
世界@名無史さん:2011/07/26(火) 19:06:09.79 0
最富裕層(栄養状態完璧)且つ貴族出身(貴族同士なら両親は当然平均より容姿身なりがいい=少なくとも当時では小柄ではない筈?)のアウグストゥスが170cmなら
古代ローマのラテン人が現在の栄養状態で育ったとしても、日本人などの東アジアのモンゴロイドと同程度の平均身長(170cm前後)と同じぐらいだったのだろうか
やっぱりゲルマン人(栄養状態豊富な頭打ちになった現在の平均身長180cm)とは人種的にかなり違ってたんじゃないのか
現在のローマ人の子孫と言われてる南欧系の国々も平均身長は176cmぐらいらしいけど、あれは大柄なゲルマンやガリア人とローマ人が混血したハイブリッド種だから
当てにならない
あのね、遺伝子なんてたかが2000年で変化しないよw
栄養状態が現代並みなら、現代人と同等の身長になるよ
だから逆説的に考えれば、当時の栄養状態はそれほど劣悪だったってことか、、、例えそれが貴族であっても
つーかいくら栄養価が違うとはいっても、一般の平均身長と富裕層の平均身長が15cmも20cmも違うのはありえない
富裕層が巨人軍団になってしまう
457 :
世界@名無史さん:2011/07/26(火) 20:46:43.52 O
ローマ人はあまり肉食しなかったというのは本当ですか?
動物性タンパクは魚のほうがメインだったという話
牛や馬はあまり食べなかったみたいだけど豚は結構食べてたんじゃなかったっけ?
豚は腐りかけが美味いなんて文が残ってるらしいし、腸詰もあったらしいし。
ゲルマン人がローマに豚輸出してたね
劣悪ではないだろう
同じ麦でも今と昔じゃ単位あたりのエネルギー量が違う
たとえばコシヒカリと同量のタイ米を焚いて食えばエネルギー効率も悪いし不味いが
調理法が違うだけで、焼き飯にして食えばコシヒカリはビチャビチャでタイ米のほうがずっと美味い
>>456 階級毎の食生活の違いで随分と変わってくる
日本の場合は昭和初期と昭和末期、たった半世紀で平均身長は12cm以上変化している
違いは食生活で、欧米のように牛乳と卵と牛肉豚肉食が日常の大衆食になったこと
462 :
世界@名無史さん:2011/07/27(水) 00:29:52.77 0
現在のアラブ人やイラン人でも平均身長は175cm以上はあるから同じコーカソイドでもラテン人はとりわけ小柄な民族だった
ラテン人はコーカソイドと何の関係も無いぞ
南西地域まではコーカソイドも拡散してきてない
原ラテン人は小アジア付近発かな?
トロイ伝承もあるんだしね
合ってるかどうか知らないが、彼ら原ラテン人が先住エトルリア人や
一部海洋殖民のフェニキア系と混合して、ラテン人が形成されたような印象
黒髪黒瞳で猪首胴長短足、肌も北欧のような白さじゃないって
巻き毛で彫りの深い日本人のようなイメージ
確かエトルリアと言えば、文化技術的にその地域じゃ特殊で孤立しているよね?
血統的にもどこに属するのかがイマイチ不明
エトルリア人が非コーカソイドだったかどうかはともかくとして、
言語的にはインド・ヨーロッパ語族でない、不明系統だったのは確か。
つながりはなかろうが、イメージ的に現代のバスク人のような孤立言語。
ローマ人も非コーカソイドだしな、コーカソイドより古い人種
>>461 言ってることはわかるが、さすがに昭和初期と昭和末期の食生活の差ほどは、ローマの階級間の差があったとは思えない
それにローマ人の上流階級の食事は、さほど栄養感に富んだものではない
肉は日常的に食されるものではないし、庶民も最低限の野菜はとってたし、卵や乳製品くらいじゃないかな差があったのは
何か当時の食事を知る手掛かりになるような記録残ってないの?
手掛かりとして有用なのは当時のレシピの記録や貝塚やゴミ捨て場
特に公共便所での人糞の化石なんかは重要で、その成分割合や寄生虫に気候に周辺地域の特産
それから当時の国力や政治体制を加味すればある程度の食生活が凡そ推測できる
一応、帝政時代の大衆食の一つで
日本では蕎麦に相当する小腹を満たす次元のお八(や)つはハンバーガーだよ
あと書き忘れた
多少の素材や手順の違いはあれ、10世紀あたりの遊牧民族や傍系ドナルドに求めるのは結構ですが
その原型を求めるのは結構ですが、同じようなものはもっと過去にも遡れるのです
傍系ドナルド兄弟の発明とされるものは今で言うマイクロソフトのOSと一緒
その創始者は偉大なる発明家じゃなく、偉大なる商売人ってことです
つまりマイクロソフトのDOSと一緒で、権利買いとパクりの連続ってことです
>>468 色道楽の残したレシピはある
それ見ても結局庶民の小麦おかゆやパンは基本だと思うはずだが
>>464 ラテン人やサビニ人、サムニウム人などイタリア民族は、ケルト民族に近縁で、
ケルト民族から分離して、アルプス方面からイタリア半島に南下したとされる。
ラテン語とケルト語が近縁なので、帝政時代にケルト人の多くがラテン化した。
エトルリア人とリグリア人やクレタ人は、印欧語族到来以前からの地中海原住民
だとされる。
クレタ→ギリシャ、エトルリア→ローマ、エラム→ペルシャ、ウラルトゥ→アルメニア、
遊牧民だった印欧語族は、先住の非印欧語族の影響で農耕定住化したとされる。
驚くべき事は、これら非印欧語の多くが、死語となってしまった事だな。
リグーリア人っていつ頃ローマの支配下に入ったんだっけ?
476 :
世界@名無史さん:2011/07/27(水) 12:03:45.14 O
ゲルマン語も他の印欧語に無い特徴を多く持ってるらしい。
非印欧語の先ゲルマン語みたいなものの存在は確実か。
ゲルマンは本拠地がユトランド半島で、ケルトやイタリア、イリュリア、トラキア、
ギリシアらドナウ河流域を発祥の地とする印欧語族と成り立ちが異なるようだね。
478 :
世界@名無史さん:2011/07/27(水) 15:05:09.12 O
言語が単一の始祖から分岐したという考え方を見直す必要が有りそうだな。
見方を変えると、今のゲルマン語は印欧化された先ゲルマン語とも言えるかも。
479 :
世界@名無史さん:2011/07/27(水) 15:23:12.24 0
アフリカの穀物地帯を失ったから没落したっていうけど、イタリア本土もフランスやスペインって地図帳見るとほとんどが耕作地なんだけど
百歩譲ってヒスパニアやガリアは属州で当時はまだ寒く農作技術も未熟だったとしてもイタリア本土では賄えなかったの?
海を隔ててるアフリカから輸送するよりイタリア本土やガリアやヒスパニアで作ったほうがコスト安上がりじゃ?
しかも当時は北方の辺境地より南の北アフリカのが発展してたんでしょ。北の蛮族の奴隷捕まえて農業に従事させればよかったのに
ゲルマン人はかなりコーカソイド化されてるもんな
>>479 スペインは荒地が多いよ、それにかなり乾燥してるし、今でも伊仏ほど耕作地ない
スペイン王国全盛の時代でも牧畜-農耕半々までいかないけど、牧畜の割合高め
ガリアも当時の推定人口密度はエジプトの1/10未満で
南部の地中海岸以外は人影疎ら、もしくはローマの把握していない地域
それにそのガリアもイベリア半島もゲルマン人に荒らされてたからな
西ゴート族がアキタニアに定着を許されたのに満足しなかったのは、食わせられる収穫がなかったから
>>479 そもそも昔の物流事情では、船>馬車 だからな圧倒的に。北アフリカは立地として理想的。
動力機関がなければ、ローマの街道網があっても大量の穀物を運送するのは非効率的。
>>479 まず古代ではライン川周辺はもちろん、ガリアでもそこまで開発されてない
エジプトや旧カルタゴに匹敵するほど生産数・効率があったのは黒海沿岸ぐらいだろう
そして古代の輸送は河川・海による運輸が大半だ
順風に乗れば3〜4日でこれるアフリカ〜ローマ間の方がガリア中部〜ローマ間よりも近い
それにローマはスパルタではないし奴隷に対する考え方も違う
解放奴隷からローマ市民への道が開かれてるなんて古代にはどこにもない
貴族階級のやる集約農場でなければ中小自作農にいる奴隷など
一人か二人がいいとこでそれはもうほとんど家族の形態だった
当時のインドじゃ最下層の奴隷でも解放奴隷並みの待遇だけどね
ローマ人の奴隷待遇は劣悪、ギリシャのポリスよりはマシってだけ
ローマは街道が整備されてるから馬車による輸送も捨てたもんじゃないよ
積載量は2t程度で1/10以下だけど運搬速度が速いし
帝政時代は年代が下るほど海上輸送が減って陸上輸送が増えてる
>>479 海路のほうが輸送コストが格段に安くつく
日程的にも積載量にしても安全性にしてもね
それとアフリカ北岸域は温暖で当時は穀倉地帯、つまり既に輸出可能なレベルの開発度ってこと
更にガリアヒスパニアとカルタゴマウリタニアのローマまでの輸送距離はほぼ一緒
南部ルートのほうが古くからの文明化されている地域で人口密度が高く輸送の安全度も高い
あと最も重要なのは船は片道だけじゃないってことでね、復路も満載状態なら万々歳
エジプトならアレクサンドリア、チュニジアならカルタゴ、途中にはシラクサと大都市がいくつもある
周辺人口を含めれば、その桁が一つ多くなる
帰る港やその途中の寄港地がデカい都市じゃなければ、ほぼ空便で戻ることになる
それと現在もフランスの主要都市である南部のニース、マルセイユ、リヨンは共和制当時も重要拠点
都市にはそれなりに人もいるが、それでも沿岸部以外は鬱蒼と繁る森
いくら農地を拡げても、栽培し収獲する人がいなけりゃどうしようもないし寒冷に強い種じゃないと効率も悪くなる
その時代のイベリア・ガリア情勢は陸上輸送は厳しかった
そしてアフリカを奪われたことにより、アフリカ→イタリアの糧食とその輸送路を奪われた(ピレンヌ)
さらにフン族に対応してる間に、その後西ゴート族はイベリア半島の大半を抑えた上に
ナルボンヌを占領してプロヴァンスを攻撃するような事態に
488 :
世界@名無史さん:2011/07/27(水) 17:48:43.07 O
「アフリカ」という言葉からはブラックアフリカを連想してしまうな。
だからついついギリシアやローマとは分けて考えてしまう。
当時は地中海沿岸全体がひとつの地中海文明を形成していたと考えればいいのだろうか。
エジプトから西はエジプトとは違う文化圏でしょ
東地中海がローマ文化圏と違うように
>>488 ブラックアフリカとの落差と比較すると、当時の地中海沿岸は同一圏と言ってよい程度のもの。
有名どころでいえば、アウグスティヌスの履歴を知ればそのへん理解できると思う。
カルタゴとかポエニ戦争まで地中海の覇者で当時の先進国でしたし
昔は本当に豊かだったんだよ
あの辺は紀元頃から降水量減少の一途だしな
ガリア戦記とか見るに、ガリアには紀元前時点で「毎年のように戦争出来る程度の」
余剰生産力はあったと思う。
輸送路の問題もさることながら、ガリアの余剰食糧は
かなりの割合がライン川の防衛線のローマ軍に回ってたんでないかと推測してる。
ローマ軍も、ライン川の基地までは最終的に陸路に頼る以上、
アフリカから船で運んで積み替えるより最初から地元で調達しただろうし。
ガリア側もローマ軍という安定した取引先があれば、
敢えてイタリアまで山越えて送る必要もないわけで。
余剰生産力が乏しいと人口が増えないのは誰でも知ってる
495 :
世界@名無史さん:2011/07/27(水) 22:42:38.14 0
ローマの高い建築技術や治世などは古代エトルリア人から教わったのはほんと?
ローマ人は初めから賢い民族ではなかったのかな。本当に文明人だったのはエトルリア人?
気候と土地と水に恵まれた地域が日本
麦よりも栄養効率に優れた米作が中心で
国として人口密度100人/kuなんて当時じゃ桁違いの人口集積度
余剰が出来れば都市が発展する
その日本の江戸時代後期で推計3000万強の人口、うち8割強が農民
これで残りの武商工身分の都市人口を養えて、凶作に備えた備蓄もできる計算
戦闘は基本的になし
ちなみに江戸100万、大坂50万、京30万、名古屋と金沢が10万、残りは数千〜5万未満の都市
それ以前の戦国時代後期〜末期は推計1300万でその半分未満の人口
京、山口、駿府が10万前後の三大都市
鎌倉初期から250年はずっと微増だが、応仁の乱以降100年以上は横ばい又は減少
何も戦乱で戦死者が増加したり、農民が直接的なとばっちりを受けたことだけがその理由じゃない
余剰があれば戦闘できることは確かだが、同時に万一の備えを使ってしまうことを意味する
つまり毎年の戦闘は可能な余剰は生産しているが、実はかなり無理がかかっている
戦闘は基本的に食糧の分捕り合い、戦国時代も中世の温暖期が終わっての寒冷期にあたる
単位収穫量の減少と耕作域の南下は当然で、実質各国共に背水の陣状態で戦闘
同時に戦闘続きで農民への更なる負担増を強い続けてもいるから人口が増えないって面のほうが大きい
そして万一の凶作になれば国も民衆もその時点でほぼ壊滅
ましてやその中世の温暖期以降の寒冷期より寒い古代で
しかも品種や土壌改良も進んでいない中、ガリアのような地中海から見れば寒冷な地域で
毎年余剰を出すためには一体どれだけ負担がかかるのよーって話
長い、三行で
ガリアというくらいでして
ガリガリの痩せ地なのでありました
499 :
世界@名無史さん:2011/07/28(木) 01:22:23.76 O
>>495 建国当初時点ではエトルリアの方が優れてただけで
その後の征服で他文化を吸収+独自の国制で発展したと言うところ
まーそもそも、エトルリア人自体が何かを生み出したわけでもないからな。
“海の民”の構成メンバーだった頃に東地中海の先進地域を荒らしまわって、
そっから文明を吸収したにすぎない。古代史においては平凡な事象。
501 :
世界@名無史さん:2011/07/28(木) 10:06:33.25 O
ギリシアが直接間接問わずいくつものルートでエジプトから文明を吸収したように、
ローマもギリシアからいろいろな方法で文明を取り入れてるな。
それなのにゲルマン人はなんで1000年間も停滞してたの?カトリック?
かと思えば産業革命とかトンでもないこと偉業成し遂げたり不思議な人種だなあ
ローマ時代もガリアやヒスパニアは未開の地だから
停滞してたわけじゃなくスタート地点がすっげー下にあった
中世でもイタリア、特に南部はそこそこ繁栄してるし
おそらく、帝政期にガリアやヒスパニアは農耕定住化が進展したので、かつて
勇猛な戦士だったガリア人やイベリア人が、兵士に適さなくなったのだろう。
一方、バルカン半島は農耕定住化が進まず、イリュリア人やトラキア人が騎兵
としてローマ軍の主力となったが、半農半牧のままで人口が増加しなかったので、
農耕民のスラブ人が移住してくるとバルカンはスラブ化してしまった。
帝政期に人口が増大していたガリアやヒスパニアでは、侵入したゲルマン人らは
ことごとくラテン化していった。
>>490 アフリカ自体多くの文化圏にわかれているからな。
他スレにも出ていたが紅海沿岸はオスマン帝国の影響下にあった。
>>496 気候と土地と水に恵まれた地域はインド
マウリヤ朝のアショカ王の時代に総人口1億人
中国が人口でインドに追いつくのは北宋時代
>>506 マウリヤ朝ってそんな人口いたんか?ソースある?
紀元前3世紀の終わりの世界人口が2億人前後と記憶してるが、インド一国で世界人口の過半数占めてるのか
ソースというか直接的な史料無しだけど、一応研究者の推測じゃなかったっけ
人口推計は人によって平気で2倍3倍差があるからあまりアテにならんが
古代インドは既にガンジス河流域が穀倉だった
中国の長江流域が穀倉となるのは北宋時代以降
長江流域が穀倉になるのは南北朝以降っすよ
確か梁の時代に江南と華北が同じくらいの人口になってた筈
インドは元々支配層になったのが牧畜民だったし
マカダ王国の時代でも牧畜民の割合が結構高かった感じ
南北朝の頃だと、後漢末から五胡十六国時代の戦乱による減少から、
華北の人口はまだ回復途上だったのでは?
北魏の段階でも西晋の頃と比べて増えてた、流入人口が凄いけど
江南が開発されていない漢代で、すでに人口5000〜6000万あったからなあ
江南が開発され、運河で華北と繋がった唐代も6000万前後、但し都長安は運河の輸送で100万人の人口を養えるように
そう考えると地中海のおかげでシチリアや北アフリカから輸送できた穀物で100万の人口維持できたローマは恵まれてる
帝国初期ローマと中国はそれぞれ大都市に相当する推計10万以上の都市が10前後ある
残念ながらインドの場合はローマと中国の半分しかない
ローマ中国並の領土内人口を持っていて、その総人口相応の規模を持つ都市が半分、しかも集積度が低いってことは
収獲効率が悪くて余剰が少ないのか、元々の農耕従事者比率が低いってことで
必然的に文明の洗練や諸技術の発展ペースがローマ中国と比較して遅くなるってこと
同じ系統のポリネシアンなんかにも言えるが、小島でも年中温暖で雨が多いから水に困らない
腹が空けば庭栽培レベルでどデカいタロ芋が取れて、甘いものが欲しければ木に登ってバナナを取って
タンパク源が欲しくなれば近海で底引きすれば魚が無尽蔵に採れる
飢えない環境だからこそ変化して発展する必要がなかったと言えるのかも
冶金に関してはローマよりインドの方が進んでたし
政治や行政も実理論見る限りじゃ結構整ってる印象ある
インドの知識無いから実態は知らないけど
>>495 王政ローマの7人の王の最後の3人はエトルリア系であったとされる。
かのアケメネス朝ペルシャのキュロスとカンビュセスもペルシャ人
ではなく、エラム系アンシャン人だったという説がある。
>>515 ローマよりインドの方が文明的に発展していたとしても、
その後2000年くらい大した発展がなければどこかで逆転される。
ただ、個人的には中国(漢時代)の場合、国土自体が広いから、インドと
同一面積当たりの平均的な集積度としては
余り変わらなかったかむしろ低かったんでないかと思う。
同じ人口なら狭い土地にいた方が交流や競争とかで文化が発達しやすいと思うんで。
食糧生産事情とかあるから限度モノではあるけど。
輸送で食糧の壁を乗り越えたのがローマであり唐の頃の長安でなかったかと思う。
で、インドは気候的に輸送路を維持するのは不利だと思う。
熱帯ということは道に草も生えやすいだろうし、嵐で土砂崩れが起きれば
道路を寸断されやすい。
第一、年中高温多湿だから輸送中に食糧が腐ってしまう恐れもある。
勢い各地域の自給自足になりやすいんでないかと。
各地域の自給自足は禁止とまでいかないけど
地元で売買する前に城郭都市や都市に集積させる定めがあったみたいよ、紀元前3世紀のインド
漢代というか今でもそうだけど、中国の農業適地は平坦なインドや欧州と異なり国土に比して狭い
漢代だと2割くらい、山岳地帯や丘陵地多いし
ただ丘陵の場合はデメリットだけじゃなく、散布式農作法に適したものだね
暖かくなってヒエ、アワ、ムギなんかの穀物の種を散布して
芽が出始める時期が夏前から雨量が増えて、夏に成長、そして秋に収獲
地中の水分は必須だが水はけが悪いと根腐れしてしまうから、これらの栽培は
温暖な季節に一定の降雨量がある丘陵地が最適
収獲効率は悪いが水田と違って基本は放置なんで、その間に別のことができる
少しズレるが日本の古代神話も全くの創作じゃなくて、幾つかは自然現象の象徴化
伝承しやすいように物語仕立てにしている
その有史以前の謎解きで重要になるものが当時主流だった丘陵への散布農法
その手の丘陵はもちろん農業適地に含んでの話だよ
河東なんかは主にそんな感じの土地が続く
乾燥地や起伏の激しい丘陵、まあでも山岳の多さかな
丘陵農法は、耕作地の土壌が流出して長持ちしないけどね。
千年ほどしたら岩が表出しだす。それを防ぐため段々畑にするのには手間がかかる。
古代初期に栄えた地域で今さびれてるとこは、そうした場所が少なくない。
関中が衰退したのはそれが原因
華北だと土壌流出させるようなヘマはしてないけどね
その観点でいえば、ローマ帝国はエジプトの耕作地を抱えていて幸運だった。
ナイル川が勝手に新たな土壌を継ぎ足してくれるから。
ギリシアなど青銅器時代から開発されてたとこは、既に土壌流出後だったみたいだしね。
524 :
世界@名無史さん:2011/07/29(金) 19:04:18.87 0
ローマ人も中国人もどちらも恐ろしいバーバリアンの侵入に悩まされていたけど
ローマは勝てば貴重な金髪碧眼の美しいゲルマン人の女というご褒美があったからいいけど
中国人は醜い遊牧民の女という中国にとって無価値のものしか手に入らなかったから悲惨だよな
しかも、ゲルマン人より匈奴のがおそらく残虐非道だし・・・まさにいいことなしだぜ
>金髪碧眼の美しいゲルマン人の女
えっ?
俺の脳内ゲルマン人女って、カーンみたいなのしかいないは
ポーランドとかウクライナとかスラブ人の方がキレイなイメージ
金髪碧眼はむしろ北欧系だわな
ガリア戦記のあのトップはどうだったかしら
当時のローマ人って金髪碧眼を珍重したの?
当時、一大産業だった売春宿においてゲルマン女が好まれたって逸話は聞いたことがない。
金髪はカツラとして人気あったらしい
売春系はヘリオガバルスとかのオリエントが本場だろうね。
先進地域のギリシャやエジプトとかの女が好まれたのでは?
所謂コーカソイドは非文明的な野蛮人な時代だぜ。
ゴリラとかと同じように見なされてた時代。
そんなものが珍重されてたとは思えん。
トイトブルクの戦いのアルミニウスのイトコ?は親ローマ派でアダ名が「金髪」
ローマの中流以上の女はデリケートゾーンを剃毛してたくらいだから、
毛深いのはNGだったんじゃね?
たとえ金髪碧眼とデカい身体を羨んではいても
それ以上に野卑た未開人として蔑んでいただろうね
立場は違うが、一昔前の日本の製品が圧倒していた頃のアメリカ国内の反応
民族として蔑視して、メディア主導で排斥のデモンストレーションを行なうものの
結局その裏で多くのアメリカ人が壊れずに安いトヨタホンダの車に乗って
ソニーの黒物家電、パナソニックの白物家電を使っていたってことに似ている
無論その和製ブランド製品が金髪碧眼長身って意味で
70年代以降のアメリカでは、非ユダヤ対東欧ユダヤの主導権争いで、
非ユダヤも南北で対立していたから、ユダヤ&南部が西独と日本と
韓国を利用して北部の製造業に打撃を与えたんだっけ?
アメリカ南部は、第二次大戦の軍需工場や日本企業の現地工場が
進出する以前はあまり工場とかなかったんだよね。
脱線はそこら辺で止めましょう。
>>524 一応ですね、日本に16世紀の戦国後期
バテレンなんかが来た時の日本の反応は「醜い南蛮人」で「鬼」「天狗」です
それと平安時代の美女は長い髪です
アフリカのある部族の美女はデカい尻です
ポリネシアのある島の美女は太っていることです
そして清代なんかの美女は足、つまり「纏足」です
ロクに歩くこともできない小さな足がモテた訳ですね
つまり文化や習慣で物事の価値観は変化するってことです
「北欧」女性の「顔立ち」が「至上」云々ってのは
文化侵略した強国の刷り込みが上手くいったってことだけです
白い肌は見栄えするけど、青い目は見た目悪いよね、金髪は悪くないw
てことは文明のお手本だったギリシャ系の顔がモテたりしたのかな
美男美女の産地といえばコルキスやアバスギア
だから近代の白人はみんなアレなのか。白人至上主義とかKKK作ったりとか。
文明に刻まれたコンプレックスとは恐ろしい。
542 :
世界@名無史さん:2011/07/31(日) 09:31:39.25 0
>バテレンなんかが来た時の日本の反応は「醜い南蛮人」で「鬼」「天狗」です
中国ではどんな反応だった?
>>539 モテたかどうかは知らんけど乳母はギリシア人がいいと思われてたそうな。
子供が最初に学ぶのは乳母の言葉だからという理由。
当時ってギリシア語もイタリア語も同じだったの?
そもそも当時イタリア語なんて無いが
何語話してたの、、、、ラテン語か、納得
、、、ってイタリア語と近似値だろ、しかしギリシア語は違った言語だ
どーすんだよぉ
元々、ラテン語は帝国でも日常的に使われてた範囲はそう広くない。
むしろ東側じゃギリシア語が常用語。だからこそ後々公用語が変わるワケだが。
とりあえずラテン語が基本だけど、ギリシャ語も学ぶのが上流階級の嗜み。
ギリシャは長らく文明のお手本でもあったから、子供にはギリシャ人の家庭教師をつけて、
ギリシャ語やら弁論術やらを勉強させるのが富裕層のステイタスだった。
そうだっけ?
ギリシャがなんぼのもんじゃ、武力は俺達のが上!なイメージあるけど
東はフランス語で欧州文化、西は英語でアメリカ文化のカナダ
南の一部がスペイン/ポルトガル語で中米文化
言語文化習慣以前に、独立したエスニックコミュニティが大増殖中のアメリカ
大都市部は言語文化習慣が違って、互いの意思疎通も乏しい複数のコニュニティが同時並行する
共和制末期からの首都ローマってこんな感じだったんだろうね
キケロもアカデミアに学び、ギリシャ語での弁論も身につけ、
あまりにうまくやったものだから、ギリシャ人を嘆かせた
>>550 もとより帝国領内の先住民の原語などバラバラだったと思うが。
そもそもギリシャ語って当時でも統一されていたのかね?
アカイア人とドーリス人なんて、方言のきついかっぺ同士みたいなもんじゃね
554 :
世界@名無史さん:2011/07/31(日) 22:43:21.57 0
>>538 逆だろ、金髪はどうでもいいけど
白い肌に青い目なら見栄えよくなるだろ
おれがローマ人だったら、絶対ゲルマン人狩りまくって
男は片っ端からぶっ殺して女は誘拐して抱きまくるけどなー(チンギスハーンみたいに)
ガリアと違ってローマ化は無理だったっていうけどさ。戦争で奴隷となった
ゲルマン人の子供や赤ちゃんをローマに連れ帰り、小さい頃から風呂入れて身なり整えさせて魚食わせれば
同化させられたんじゃないか?ハーフとかじゃない純粋な白人でも小さい頃から日本に住んでたりするとジャニーズアイドルが好きになるっていうぜ?
>>554が主観による刷り込みのいい例です
「ゲルマン系」の「白い肌」に「青い目」と言うものが優位だとする価値観なのですョ
たとえば黒髪黒瞳のみで他と完全に交流を絶っているグループがあるとします
金髪碧眼優位の価値観の教育や文化も情報もない状態で、その容姿の方を初めて見た時の反応は
恐らく「突然変異の奇形者」で、奇異か畏怖の目で見るか
「疫病持ち」下手すれば新手の流行病持ちと見るでしょう
まぁローマも都市国家時代から当然ゲルマンの容姿に関する情報は持っていたでしょうし
「眼の中に宝石がある」と反応したかも知れません
>>542 中国は知りません
ただ推測するに、古代の秦や涼などの西方、そしてキルギスなど中央アジア系は
コーカソイドやインド系オーストラロイドっぽいモンゴロイドの顔立ちのイメージです
史書にある月氏は「金髪碧眼長身」などと書かれているようですし
始皇帝もそれっぽい顔立ちだったようですしね
ちなみにローマ同様、現代の漢民族と古代ローマ時代の漢民族とは別物です
ゲルマン人の血なんかいれたいと思わんだろ
ローマ人のゲルマン系に対する「憧れ」ってのは、要するに詳しく知らないもの、
エキゾチックなものに対する過剰評価みたいなところがあるでしょ
タキトゥスにもそういう意識がでてるし
>>555 それ月氏じゃなく康居、康居以外は黒目で濃褐色か黒い髪
最初の人類は恐らく黒髪黒目だったので途中で金髪や碧眼が発生したはず
どうしたわけか始めて見たはずの金髪碧眼は駆逐されず、地域によっては
多数派となるまで膨れ上がった
気象条件もあるが、北のほうにも黒髪黒目集団は居るのでそればかりでもない
なかなか人間の持つセンスというのも謎じゃのう
一重瞼と平面顔も駆逐されず、地域によっては多数派となるまで膨れ上がった。
>>549 組織力などで自負があったのは確かだと思うけど、
文化面でギリシャに一日の長があるのは認めていた。
ローマのレギオンにギリシャのファランクスは敗れ去ったわけだが、
騎兵に対してはローマのよりもギリシャの戦術の方が有効だっただから、
ローマは学問だけでなくギリシャの戦術も温存すべきだったと思う。
ケルト人との戦いでは、ローマは粘り強く戦って勝利したが、ギリシャは
正面対決であっさりと勝利している。帝政ローマにファランクス部隊も
あったのならば、ゲルマンやイランも征服出来たのではないだろうか。
パルティアの弓騎兵とかにファランクスって通用しそう?
レギオンより機動性ない印象なので、
遠方からひたすらアウトレンジされて終わる気がするんだが。
>>騎兵に対してはローマのよりもギリシャの戦術の方が有効だっただから、
こういうのをちゃんと解説しないところが狭視野の歴オタ
まあ
>>562の通りであったとしても、組織だからこそ色々な力関係が作用する訳でね
基本は一般市民=軍で上流階級市民=将校
その将校になる元老院なり騎士階級の多くは、戦争がなければ政治や行政など実務の世界にいる連中
たとえば軍事改革の議題になれば、騎兵強化派閥もいればメインは重装歩兵派閥もいて
それぞれの力関係で決まるってな所でしょ
つまり寡頭システムから考えた場合、良いからと言って採用される訳じゃない
逆に多くの人が見てダメなもの非常識なものは採択されないってこと
原則は5段階評価すれば、常に4±の判断をベストとした共和ローマ
ただ国がデカくなり過ぎて何も決まらない状態になり、そのやり方に限界が生じたから
カエサルが寡頭の上に立つ専制のガイドラインを作ろうとした
これが塩本の肝
>>550 交易記録とか共通の神話とか都市国家間の交渉結果などを文書で残す必要があっただろうから
ある程度統一された文法とか標準語はあったと思う。
ホメロスみたいな吟遊詩人(ホメロス自体は架空としても)は
離れた地域でもある程度同じ言葉でないと成立しにくい職業だと思う。
そんなに何カ国語も覚えてられないし。
567 :
世界@名無史さん:2011/08/01(月) 12:36:34.61 O
ギリシア人はエジプトで傭兵になってその時に直にエジプト文明に触れたらしいが、
ローマ人もギリシアの傭兵になったりしてるの?
傭兵じゃないが
ペリクレスの時代にローマの元老院から視察団が来てるね
ギリシャやロードスなどへの留学も、ずっと盛んだった
珍しい例ではカンネーの戦いのあと、8,000人のローマ捕虜が
ギリシャに売り飛ばされてる
自主的なもんじゃないが、30年後くらいに一部は帰国できたらしいな
>>568 20年後だ
それもフラミニウス率いるローマがフィリッポス5世のマケドニアを破ってギリシャを解放した結果だ
解放金はギリシアが払い8000人中帰れたのは1200人程度だったらしい
>>566 広大な中国なんかよりはましだが、江戸時代の一例
薩摩藩武士と津軽藩武士なんて通訳を入れても十分な疎通ができないから
「〜也し候」みたいな侍の書き言葉が共通語
自分も近年まで周囲と隔絶されたような東北(失礼)の集落の方(ちなみに町役場のエライさん)の話し言葉は
初めて聞いた外国語のように理解できなかった記憶があるんだよね
それでも方言による発音の制約や取り違え、それから階級毎の言葉の違い
参勤交代で定期的に江戸を往来することもある侍はこれでいいが、問題は庶民間
薩摩の農民と津軽の職人なんてのは全く違う言葉
ま庶民にもある程度まで私塾が普及してたから、平仮名で最低限の意思疎通はできるだろうがね
共通語を知ってたとしても発音の問題があるから、地域次第で会話を耳で理解することは難しい
自分たちはたまたま幼少期にTVなり教育なりで共通語に触れる機会があったから聞いて喋れるだけ
帝国ローマもそんな感じかと
以下コピペ
識字率については寺子屋の生徒数から嘉永年間(1848から1854年)の江戸府内では70から80%、
江戸府内の農村部を除くと90%という推測結果もあり、かなりの高水準である。
武家階級は、ほぼ100%といわれている。
幕末の全国では男性40から51%、女性は15から21%と当時の日本の識字率は世界一といわれている。
方言の違いは歌舞伎言葉で埋めたとも言われてるな
>>569 マケドニアを破って代わりにギリシャを占領した際
解放金をギリシャ人から巻き上げ放免させた。筆を曲げるのは良くないw
それこそ解釈の違いじゃねえか
>>240 イブ仮説は一人だよ。
7人はミトコンドリア分類の仕方のひとつから派生した本がある
1人になるのは母系だけを辿った場合
血統という意味なら複数人いる、何人だか知らんけど
576 :
世界@名無史さん:2011/08/01(月) 18:55:32.18 0
>>555 ローマ人の顔ってクリスティアーノロナウドやアントニアバンデラスみたいな感じだったの?あれよりもっと非白人的?
スパレッティとかザッケローニみたいな感じじゃね
ローマ崩壊前後のゲルマン人の侵入で人種的にはだいぶ引っ掻き回されてそうな・・・
>>571 江戸時代の寺子屋同様にローマには私塾制度があったようだが
中世欧州や東ローマにはあったのかな?
イメージからすれば教会がその役割を果たしていそうなもんだが
それともオカルト史観で意識操作しやすいように敢えて教えなかったとか?
東ローマは宮廷内に大学があった。
宮廷内の大学が私塾とはとてもいえまい。
大学が有るのに私塾が無いのは考え難いよね
>>578 古代ローマ人は風呂好きらしいけど、今のイタリア人って風呂に入らないらしいからな。
やっぱり別人種になってんじゃないかなー
そもそもパクスロマーナ以降イタリア本国でも混血が進んでたしな
民族としてのローマ人というのは後代のどの民族にも当てはめがたい
民族論は不毛な論争になるよ。そう言えば確かにローマ人には海外傭兵の概念は無い
ね。後代のスイスの様に国家傭兵も無ければ個人・集団含めた私営傭兵も無い。
近世の日本人は刀が好きなのに、現代の日本人は武器が嫌いだよね。やっぱり別人種に名ってんじゃないかなー
という方向で反論を試みたくなる。
慣習で人種を決めるのはイカンと思うなぁ。
風呂文化が断絶したのは中世のペストやら梅毒やらの流行で
公衆浴場が目の敵にされたからでしょ
人種とかあんまり関係ないと思う
ヌミディア騎兵とかは?
>>587 それ以前にキリスト教の公認と国教化で人前で肌をさらすことがタブーになってる
キリストの勝利とはそういうローマ人の慣習も葬ったのだよ
敬遠なキリスト教徒が邪教徒のローマ・ギリシアの慣習・文化を進んで遠ざけることはあっても間違っても親しくするわけないじゃんw
敬遠なキリスト教徒って
排他的で選民思想の強いオカルティストってことじゃないの?
選民はユダヤ教だろう
キリストはむしろ人類(ただしキリストを信じるものに限る)皆平等思想
民族・部族の垣根を取っ払えって部分では革新的ではあった
だからキリストの名の下での平等=排他的
世情に合わせてマイルドな所もあるユダヤ教
ユダヤ人はユダヤ教信者だから、そもそも部族民族は関係ないから
モンドロイドのユダヤ教徒もいるが?但し割礼が義務のようだがw
民族部族の垣根はズボンを履いた見なし蛮族が元老院入りしてたり
辺境に近いヒスパニア出身者が全盛の礎を築いたり
後期は黒人近東人どころか親の代は開放奴隷が皇帝だったりな多神教ローマが大いに取っ払っている
だからユダヤはユダヤ民族以外に布教しようとはせんだろ
一方キリストは人種民族超えて布教するし、民族が違えど同じキリスト教徒という広がりを見せる
そこは排他性とは言えん
敬遠なキリスト教徒は異端も許さないよw
古来のローマ宗教は邪教じゃあとか言って排除しきったら
今度はアリウス派とかアタナシウス派とかで内ゲバ始めるもんな
何言ってんだ、内部闘争は迫害時代からあったぞ
大体ローマの宗教を邪教だと排斥できたのは国教化以後、ニケーア会議はその前だろ
迫害時代ってなんだよw
ローマのスレなんだから駆除時代だろ
リドリースコットのグラディエーターは神だったな
民族性や血統なんて言い出したら、イスラムその他を信仰する現代パレスチナ人のほうが
よっぽど正統なユダヤ教徒やモーゼやキリストに近い
>>599 為政者からすりゃあさ、勝手に7曜日を設定して日曜とか言う日は労働を拒否するわ
目の届きづらい所に集まって、ローマとは全く違う習慣や儀礼を行っているわ
しかも取り締まれば「受難」として犠牲者を英雄にする発想だから余計に不気味
これじゃあ為政者がキリスト教徒を利用せざるを得ない勢力にならない限り
国家反逆もやりかねない危険分子として見られて、予防のために排除され続けて当然だね
近世以降の日本でもバテレン追放令や神仏希釈など色々ある
パレスチナ人はユダヤ人の反乱鎮圧後に入植したローマに忠実だった人々の末裔、
パレスチナとはローマ人が名付けた地名、パレスチナ人はアラブ化したローマ人。
言うまでもなく、ヨーロッパの属州出身者でパレスチナに入植した者がいたはず。
>>601 それどっちか言うとユダヤ。
>>589 それじゃ東ローマに浴場が残った理由を説明できない。
キリスト教が原因で消滅した習慣って剣闘士くらいじゃないの?
>603
水道が破壊されて浴場みたいに大量の水を使えなくなったことが西で消えた原因じゃね?
東ローマでのテルマエも遺跡としてはともかく使用に応える形で続いてたと言うわけじゃないんじゃ
スペインかどっかで最近まで使ってた水道なかった?
>>605 ビザンツは大浴場あったけど、画や記録残ってるし
>>603 破壊されたこと以上に、浴場設備を再建して運営しようとしなかった、
あるいはできなかったことのほうが重大かと
>>605 シルミウムやアンキアロスでは6世紀後半でも浴場の使用が記録されているし、
対ブルガール戦に赴いたコンスタンティノス4世は途上のメセンブリアで浴場
を使用したけど、バルカンや小アジアの大抵の都市では6世紀ごろまでに使用
停止、放棄あるいは要塞へ転用された。
>606
全体から見れば一部が残っていようと意味ないし
>608
水が来るあてもないのに浴槽設備を整備する物好きはいないだろ
>606
全体から見れば一部が残っていようと意味ないし(キリッ
>608
水が来るあてもないのに浴槽設備を整備する物好きはいないだろ
そうだね。水道と水源の整備が前提だね。
ビザンツも首都近辺は水道も浴場もあったけど
田舎はどうだったんだろ
つーか、西ローマも末期だと仮に水道を復旧させても
浴場を維持管理する奴隷の確保とかそういう問題もある気がする。
613 :
世界@名無史さん:2011/08/03(水) 17:18:53.66 0
田舎は衰退
首都以外で大都市といえるところも中期以降はテッサロニキだけになっちゃったし
test
615 :
世界@名無史さん:2011/08/04(木) 17:19:25.81 0
ローマ帝国とともに世界史板も滅亡?
滅亡しないよ
東西世界史板に分裂したり
ギリシャ人の世界史板として命脈を保ったり
神聖世界史板として名前が残ったりして生き残るよ
やがて第三世界史板が登場し、世界を支配するのだ。
ジーク・ライヒ! ジーク・ハイル!
618 :
世界@名無史さん:2011/08/04(木) 21:24:05.23 0
>>552 おまえコイネーを知らんのか
マケドニアによる統一からローマの征服まで数百年あったんだぞ
コイネー浸透しまくってるだろjk
東ローマ帝国とは、実態はほとんどの住民がギリシャ人でギリシャ人の帝国だったの?
だから”維持”はできても、その後盛り返すのは無理だったん?ローマ人とギリシャ人は関東人と関西人ぐらい性質が違うのだろうか・・・
だとしたら停滞も無理ないな。
>>619 現実主義や実利・法の概念を尊重するローマ人と、
哲学・観念を重視するギリシャ人とじゃ違いすぎる
当然宗教に対する考え方も違う
ローマ人のそれは日本人のそれに近いけどな
>>618 文章はまだしも、山川1つ隔てただけで方言が出来る昔で会話の統一など厳しかったと思われるが。
そのギリシャ人もキリスト教価値観を受け入れて
古代のギリシャ人とは別物の観念を持った民族に変質してたんじゃないかという気も
>>622 今の脱税と年金で生きるヘレネーとも別人だな。
キリスト教自体オリエント発祥のもんだしなー
海外雄飛の志向強かったギリシャ人とユダヤ人は
宮廷・宦官文化なんか寛容というか当たり前と言うか
法というか法体系や法秩序を重視するのはむしろギリシャ
ローマ人が重視したのは慣習の継続性と階級秩序の維持
>>619 東西分裂当初は、バルカンのトラキア人らが軍の主力で支配層だった。
バルカンにはユスティニアヌス1世のようにラテン系も分布していた。
スラブ人の侵入でトラキア人らが滅亡、さらにシリアとエジプトが
イスラム領となった結果、東ローマ帝国はアナトリア国家となった。
アナトリアは西部と沿岸がギリシャ化していたが、カッパドキアなど
東部の内陸部にはアルメニア人らが分布していた。
1071年マンジケルトの戦いの時、皇帝ロマノス4世はカッパドキア出身、
裏切ったアンドロニコス・ドゥーカスらは帝国西部出身だった。
マンジケルトの敗戦でアナトリアの大部分をトルコに奪われた結果、
東ローマ帝国はようやくギリシャ人の国となった。
よく1000年続いたね。日本人ですらトクガワーナ280年が限界だったのに
同じ王朝が1000年も続いたわけではないな
日本の場合は初期の天皇親政を含めて
権威授与システムとしての朝廷が少なくとも1400年は存在しているが?
現代でも総理大臣の任命権は「国民の第一人者」としての天皇だが?
権力と権威を分割している日本と、権力権威一致の帝政ローマを比べることはナンセンスだよ
>>629 皇帝に権力を与えていたのは元老院や教会ですが。
徳川と比較すべきなのは〜朝とかいう方だな。
あと元老院は機関であって君主という上に君臨する「主権者」のような存在ではないな。
微妙な表現だが「主権者」たるローマ市民の代表
天皇は君主。そういう大きな違いがある。
総主教には皇帝を破門したりする権限があった一方で
総主教の任命権を持っていたのは皇帝で
皇帝と教会の関係ってどっちが上とは言い難い。
633 :
世界@名無史さん:2011/08/05(金) 13:45:06.91 O
うーん。
ローマ皇帝の権力と権威の問題は難しいね。
そもそもローマ皇帝には「戴冠式」がなかった、という文章を読んだことがある。
例の桂冠は、確かに元老院などから授与され、権威付けられたとしても、それはあく
までも「第一の市民」としてのもの。
それが、コンスタンティヌス大帝以後には、神が皇帝としての権威を授与するという
形での権威授与システムとなってきた。
王権神受説の起源?
王権神受説は皇帝や教皇の権威に対抗するために
フランス王やイギリス王が唱えたもんでないかい。
王権神受説は伯爵や公爵など領主らを王に従わせる為じゃないかな
意思決定の頂点=権力
最高の位=権威
国内一般はもとより、外国の目から見ても皇帝よりも元老院のほうが格上だと思う?
軍や元老院単体の実権を握ったからといっても皇帝にはなれない
市民の第一人者=代表であって、日本や英国のような現代型君主国家で言えば
対外的に重要な親善友好の代表者は天皇(王・公)で、実務は首相に分かれている
皇帝はその両方を人気無期限で委託された存在でしょ?
強いて言えば塩本通り、国家の最高意思決定者で「自由博愛平等」精神の象徴でもある米国大統領
権威の元老院としても、その上に立つ権力者であって「親愛なる元老院及び市民諸君」
逆に元老院が「親愛なる皇帝及び市民諸君」なんて聞いたことがない
つまり日本で朝廷=元老院を権威の頂点としてみた場合
諸君呼ばわりしただけでヘタすれば逆賊扱い
まぁラテン語は読めないから実際言ったかどーだか知らないけど、そんな和訳がある以上
ローマ皇帝は位の上でも元老院を格下に見て、元老院も不都合なく受け入れている
>>634 うん、それはわかってる。
ただ、王(皇帝)の権威の由来を神に求める、という概念スキームという視点から見
れば、起源がそこにあると。
でも、こう書いてから思ったんだけど、これはただの祭政一致とどう違うんだ?
>>627 ローマや東ローマは王朝名じゃなく国名だけどね
エジプトは二千数百年、日本は1300年くらい続いてる
>>638 古代中世の国家なんだから、祭政一致、政教一致がふつう
>>640 いや、うーん。
どうなんだろ。
キリスト教化する以前のローマ帝国では、皇帝が慣例上最高神祇官も務めていた。
これを以て、祭政一致国家と言うことができたとしても、しかし、それは「戴冠式」
に典型的なように「皇帝の権威は神に由来する」ということができるか?
権門貴族の血って観念も一種祭儀的なもんじゃね?
むしろ皇帝権威の裏付けであった存在が
元老院から教会に摩り替わっただけじゃないかという気も
形を替えてという意味ならそうだね
645 :
世界@名無史さん:2011/08/05(金) 20:38:52.16 0
ローマの皇帝崇拝は
今の日本でも、ベイスターズが優勝したときに、
一時的に浜の大魔神神社ができただろうww
あれと同じような感覚で、天下を取った人は偉いとうことで
皆が祭り上げるような感覚じゃなかったのかな
別に本気で信じていなくても、適当におだてあげていれば
祭りの時に酒が飲めるしご馳走ももらえるから
いいやとでも一般民衆は思っていたのかもしれない。
大体祭り上げられる皇帝自身本気で神様になったとは
思っていなかったのではないかな
ある皇帝なんか死ぬ時に、「俺もこれから神様になるのだなww」
とジョークを飛ばしていたみたいだし
カノッサの屈辱や十字軍派遣の影響力からしたら帝政期の元老院どころじゃないだろう
結局ローマカソリック教皇こそが権力と権威併せ持つ絶対的で不可侵な存在でおk?
>>643 やっぱコンスタンティヌスってろくでもない売国奴だな。後の中世暗黒時代の教会の腐敗を見れば一目瞭然
>それが、コンスタンティヌス大帝以後には、神が皇帝としての権威を授与するという
形での権威授与システムとなってきた。
権力はいつの時代にもあったといえるかどうか
最盛期の影響力というのを権力というのも違うだろうし
ユリアヌスが反動を起こすくらいには急速に権力を掌握したよね
権力の具体的な行使先と方法を言わんことにはねえ
皇帝権威と教会権威が決定的に逆転するのはテオドシウスの懺悔の辺りか
>>647 西側ではね、といっても絶対的だったのは12世紀頃迄の話だけど
日本でも寺社が幕府や朝廷に優越してたのは14世紀前半までだし
日本の寺社は優越とまではいえんだろ。
巨大諸侯みたいなもんで教皇みたいに地上の最高権威になろうとしたわけでもない。
最高権威になろうとしてはいないけど
鎌倉幕府や室町幕府の支配体制の外にあった、より大きな別秩序だから
優越してたと言ってもいんじゃね
>>647 インノケンティウス3世前後はな。
以後はフェデリコ2世やらフィリップ4世やらに踏みにじられるし、ハプスブルク時代には逆に皇帝に助けられたり異教徒のオスマンと手を組む始末w
何で地上の最高権威が、東ローマの皇帝に逮捕、連行されるんだよ。
8/6(土)午後4:30〜6:00 BSプレミアム
世界遺産 一万年の叙事詩「第3集 帝国〜境界をめぐる興亡〜」
教皇は地上の最高権威じゃないんだが・・・
「カトリック」の「精神世界」の最高位であり、どちらの要素も抜けばただの偉そうなおっさんに過ぎない。
一般的民衆からすれば二者択一を迫られた場合にどちらを優先して敬うべきか、だよ
教皇と自国の王なり皇帝なりどちらの肩を持つか、最近はどーだか知らないが
中身はいくら権力闘争に明け暮れた政治的俗物であっても
教皇と自国の最高権力者が両者が対立した場合、国境を超えたキリスト教圏じゃ
例外を除いては普遍的権威として存在する教皇を支持するイメージだがね
それがいくら大国であっても欧州の覇権を握った個人であろうとそう思うがどうなのかな?
それは西側の話で、東側の総主教は皇帝より下の立場
東側でも総主教が寝返って皇帝殺されたり、総主教がキングメーカーになってる
例は多々あるんだけどな。
>662
下の立場の者が上の者より力を持つことなどよくある事だけど
だからといって身分まで入れ替わることはないと思うが
君らの話は皇帝、総主教、という概念の話ばかりで
実際に何例あったかとか、それぞれ代替わりごとの力関係がどうだったか?という視点が全く欠けてる
日本国憲法持ってきてそれだけで20世紀の日本はこうでしたーと総括しちゃうようなもん
皇帝、総主教、という概念の話ばかり
という割に教皇や法王のことは抽象論ばかりだよな
東ローマがgdgdになりながらも、今も存続してたらどんな扱いだった?
フランス、イタリアよりも文化的にもデカい面してたのかな?最も史実でさえジリ貧になりながらなんとか1000年しぶとく生き残ってただけだから
尊敬はされてないのかな?
存続してたらそれはそれで意味があるだろう
何せヨーロッパ随一の王朝になるわけだし、欧州の文明の祖を受け継ぐ国として敬意は払われる
まあ現実的にはローマのローマ的なる元老院とローマ市民は
西ローマが滅んだ時点で完全に消滅したのさ、それは間違いない
都市ローマのローマ元老院と市民は西ローマ滅亡時は存続している
滅んだのはゴード戦争の時期
状況的にオスマンには対抗し得ないから
オスマンの中の一領主として生きていくか、あるいは西に亡命して小さい領地をもらって細々やっていくか・・・
どちらにしても政治的に大したことは出来なさそうだし、文化を維持できる経済力も持てないだろうけど
とりあえず無形文化財くらいの価値はあるだろう
いや、元老院はともかく市民の方は西滅亡時に色々詰んでる。
居住区域制限受けたり、職業が制限されたり、財産没収されたり、法律に二重に縛られたり
それ以前の2度のローマ劫掠によっての方が大きいな
身代金目的でごっそり元老院階級が連れてかれて死滅した件
安全な日本に亡命させてあげたいな^^
浜通りに定住させてNewローマ人の誕生ですね
ローマ人のローマ人らしさというなら
首都在住の一般市民が自分の力で帝国を防衛するという気概をなくしつつあった
元首政初期には失われていたのかもしれないな
どこかの誰かが言ってたっけ、帝政は寿命を延ばしただけって
400年伸ばせば十分だけどローマらしさという観点なら確かにそうかもしれない
何をもって『ローマ』らしさというかが問題だけどな。
確かに共和政開始以来の自由と権利を行使するギリシア民主主義的市民としては帝政初期どころか共和政末期には形骸化してた。
でも後世のカロリング西ローマ帝国や神聖ローマ帝国がめざした『ローマ』は自らが以って他の民族すべてを支配する『帝国』としてのローマだろうし。
共和政最盛期のローマ人が神聖ローマ帝国を見たら何て言うんだろうなww
市民の価値観自体も時代によって移り変わっていくものだし
むしろ、それに合わせて王政→共和制→元首制→後期帝政と政体を柔軟に変化させて
中身を変えてもローマを守ったローマ人はやっぱりすごいのではないかと。
小カトーみたいに共和制じゃないローマなんてローマじゃねえ!って人も沢山いるんだろうけど。
本質の面に注目するなら寛容と同化の精神、そして法の民、現実主義ってことになるだろうけど
都市国家として出発したローマの気概が失われたのは比較的早い方ではないかね
マリウスの志願制からといってもいいかもしれんけど
678 :
世界@名無史さん:2011/08/08(月) 00:34:19.60 0
中期以降のビザンツとか古代ローマの面影1mmも無いもんなwww
>>677 現実主義以外全てローマの精神に相反する特性だな、意味が解らない
>>679 突き詰めてけば全て最後は現実主義に行き着くだろ
あ、だからローマではギリシアみたいな独創的思想家が居ないんか
>中期以降のビザンツとか古代ローマの面影1mmも無いもんな
やっぱり蛮族との混血化よりも宗教の影響力のほうがデカい。宗教とは、人類の成長を妨げる本当にろくでもない害悪そのものなのである。
その引き金を引いたのがコンスタンティヌス1世
環境の変化もあるだろ。寒冷な場所で古代ローマ風の服装してたら絶対風邪ひくよ。
>>682 いっとくけど、現代より2000年前のほうが1度近く寒冷
現代ローマの冬でも日本の太平洋ベルト地帯並に寒くて、ヴェネチアやミラノあたりなんて東北だよ
コンスタンティノープルの冬も東京より寒い
それから10世紀あたりからの中世真っ只中は「中世の温暖化」(それでも現代より寒冷)
要は習慣と慣れで、古代には空調設備も気密性の高い建物なんぞ生まれた時からない
そうだっけ?
日本や東アジアは今より1度強高いけど
>>678 王冠や騎士とかビザンツ的&中世西欧的とされるモノのルーツは、
ササン朝やサルマタイのイラン文化だとされる。
イスラムもアッバース朝がササン朝の伝統を復興したとされる。
>>683 そもそも裸で昔は暮らしていたからな。雪降ってようが灼熱の砂漠だろうが。
またいいかげんなことを
最近、フランク人どもが、自分たちがローマの後継者だという戯言を言ってて困る。
フランク人どもはビザンツ帝国という戯けた名称を使うのはやめろ。
人が服を着るようになったのは約7万年前
地球の平均気温が今より摂氏6度下がって生態系が変化、エサを探して四方八方に大移動せざるを得なかったから
まぁ雪が降る地域はアルプス山麓で見つかった、怪我が原因(凍死ではない)で亡くなった「5000年前の男」が証明しているが
それでも裸じゃなくて革靴も履いている
それと灼熱の砂漠で裸は危険、イスラム圏で見られる民族衣装はイスラム普及より遙か以前からのもの
第一、砂漠で白い風景なら太陽光線で目がやられるし、肌も焼け焦げてしまう
欧州は紀元頃寒冷?
この辺は紀元前4000年頃が+2℃紀元頃が+1℃なのに
どっちにしろ、ローマの伝統的な正装じゃ寒いよ。
しかも、ズボン履かないし足はサンダルだし。
尤も、廃れた原因は襞を維持するのが難しいとかそういう理由らしいけど。
よく神聖なコンスタンディノープルをイスラム教徒に奪われたーとかいってる西欧人(キリスト教徒)がいるけど
おまえらもそうだろ(ローマ人から西ローマを奪ったろ)って思う。
ローマを制圧したゴート人はキリスト教化したけど
オスマン帝国はキリスト教を受け入れなかったってことじゃね
そもそも西方正教と東方正教じゃ別もんじゃねーかっていう
元々、コンスタンティノープルって聖母マリアに捧げられたキリスト教の都市だし。
>>693はちょっと的外れじゃねぇかなぁ。
つーかビザンツの話するならビザンツスレきてくれよ
こっちと違って人いないんだよ
ふつうにビザンツ総合スレはねーのかよ
>>696 >元々、コンスタンティノープルって聖母マリアに捧げられたキリスト教の都市だし。
でたらめを言うな
>>699 トレビゾンド帝国スレがビザンツ総合スレ。
サーバーが壊れたときに名前が変わってスレが立てられただけ。
ぶっちゃけ西ローマ滅亡後の暗黒の中世なんかあんま興味ないし
ローマ帝国そのものよりローマ人の歴史を知りたいのだからな、
スティリコが最後のローマ人といわれる理由も考えればいいさ
>>700 オススメのトンカツ屋を知っているんだが一緒にどうだい?
目黒のとんきとか言うなよ
目黒は秋刀魚だろう
新宿すずやだろ
707 :
世界@名無史さん:2011/08/10(水) 12:20:23.90 O
一時期、「ローマと現在の西欧は無関係」みたいなことを言うのが流行った。
ローマと現在の西欧は無関係
中国と現在の日本は無関係
現在も何も日本は一度も中国王朝の統治下に組み込まれた事無いよ
直接領土にならなければ無関係なのか
むしろこっちが華北支配してただろ、50年ぐらい前に
あそこを支配するともれなく腐敗するのは嫌な法則だな
漢化すると精強な遊牧民は堕落するね。
基本的に豊かだからかな。
日中戦争の影響ってラーメン、餃子の普及以外あんのかな。
>日中戦争の影響ってラーメン、餃子の普及以外あんのかな。
むしろそれを初めて知ったよ
いい豆知識をありがとう
ほんとかよ?
適当ぶっこいてんじゃねえwww
そんなもんそれ以前からあったろ
漢民族文化ってのは武力軽視、科学技術軽視、
文官重視、文系学問重視だから漢民族文化に染まるほど戦争には弱くなっていく
その割には色々発明してるんだよな
謀略重視、結果としての自滅も入れといて
同じ謀略重視でもビザンツ帝国はひとつの国家として千年以上独立を保ったというのに中華ときたら……
721 :
世界@名無史さん:2011/08/10(水) 22:07:34.76 0
唐とローマってどっちが偉大なの?
それ宋代のイメージだろ
漢族文化に見も心も染まった鮮卑の隋唐とかめちゃくちゃ強いじゃん
>>716 あるにはあったが珍しいものだったんだが。だから普及
基本戦後だよ。
背景に小麦の流入もあったと思われ
戦後いろいろな物が増えたからといって関係ないだろう
それなら戦後カレーが普及したのはインパール作戦のおかげなのか?
海軍の影響ならあるかもしれないが
725 :
世界@名無史さん:2011/08/10(水) 22:58:10.18 0
>>717 フランス外人部隊って
日本人はいるけどシナ人、韓人の話って聞かないんだよな
>>724 ん?満州含め中国に駐屯した部隊が持ち帰ったもんだろ。
栃木の餃子とか
>>721 後代に与えた影響の強さ、周辺からの敬意、文明の祖としての大きさ等々比べても
ローマに適うものが人類史上ない、せいぜい大英帝国ぐらいだろ
領土の大きさってんならモンゴル帝国一択でいいからな
>>725 そりゃまあ儒教の影響いまだ強い国ですし
武人のポジションは低い
252じゃない725だった
>>720 ビザンツの謀略(というか外交、水面下の交渉その他全て)はお粗末過ぎるからあまり褒められたもんじゃない
ばっちゃだって十字軍物語でわざわざこう言ってたじゃん
二十一世紀の今でもヨーロッパには、「ビザンチン方式」という言い方がある。
些細なことにこだわったあげく大局を見失い、そのときはトクしたように見えても結局はソンすることになる、
という意味を端的に示した言葉である。
ビザンチン帝国の皇帝たちには、この種の人間が多かった。
>>730 でもなんだかんだで結局生き残ってるじゃん
シチリアの晩鐘事件仕向けたりとか成功してる例の多いし
でもフランク人を上手く利用してイスラムに対抗しようとしたら
逆にヴェネチア人に利用されて国を滅ぼされかけたとかもあるよね
733 :
世界@名無史さん:2011/08/10(水) 23:40:10.10 0
>後代に与えた影響の強さ、周辺からの敬意、文明の祖としての大きさ等々比べても
その割りに西ローマポシャった後に、1000年も文明を停滞させてたんだよね。
敬意があるんだかないんだか>後にやってきた白い人たち
>1000年も文明を停滞させてたんだよね
中世神学の思考訓練は凄いよ
あれがなかったら近代科学はありえなかった
逆に技術偏重思弁軽視のローマに足りなかったものを準備したとも言える
純粋数学をほとんど無視したローマ時代から
イスラム、インド数学の導入を経てルネッサンスの入り口まで発展させたのも中世
進歩史観信じてる人にとって一番邪魔なのは暗黒の中世だろうなあ
中世持ち上げるのはどうも眉唾、ルネサンスの爆発の方をもっと評価すべきだろう
中世の学問って空理空論って思われてるけど
大まかなフレームはギリシャ哲学・自然学と新約旧約聖書との
すり合わせだからね
少なくとも朝鮮儒学のように礼の形式を巡って党派作って抗争するほど
不毛だった訳ではない
そうか?キリスト教内でいかに多くの派閥ができて血みどろの抗争を
やった事か。流れた血の量から言えば朝鮮儒学が幼児に見えるレベル
と思うんだが。
初期ならアリウス派への弾圧、有名なのなら中世魔女裁判やテンプル騎士団壊滅とか?
血みどろの抗争と不毛とは、別に重ならないだろ?
いや、中世神学無くして現代科学無しってことを言いたいだけ
朝鮮儒学なんて何も後世に残さない完全な空虚な学問だけどな
知恵の書11章において神は「長さや、数や、重さにおいて、すべてに均衡がとれるよう」世界を作ったとされており
数学を学ぶ事は神の意思を知る事とされた。
そしてエラトステネス( 紀元前275年 - 紀元前194年)以来の数学的発展と言われるのが
「算盤の書」(レオナルド・フィボナッチ:フィボナッチ数列で有名:1202年著・1254年改訂)
純粋数学においてローマ人はアルキメデスを殺した以外に何もせず、1000年にわたって停滞させた。
744 :
世界@名無史さん:2011/08/11(木) 00:49:27.44 0
キリスト教、ユダヤ教、儒教、層化学会、モルモン教
宗教が碌でもないのは明白だろ、人間の強欲さを正当化してるだけ、宗教は弱いやつが縋るもの
そう考えるとカルト宗教に染まらずにやってきた日本人とローマ人は偉い(ローマは途中で心折れて受け入れて案の定滅亡したけど)
現代のカルト宗教とごっちゃにするなよ
古代は宗教と共にあるのが普通なんだ、
人類の進歩にどう関わったとかじゃなくてメシとか火とかそんぐらいのレベル
不合理なものも併せ持つのが人間であって、それによって作られる歴史だからこそ面白いんじゃないか
ローマ人はギリシャの神々を崇拝する多神教徒だったような
ゼウス→ユピテル
アテネ→?
?→マルス
あと色々あった気もするが忘れた
>>744 いや、仏教も念仏唱えたら救われますよとか教えたり
十分救済を唱えた宗教だから
>>744 時代背景とか民衆のポテンシャルとかいろんなこと考えないと一概には言えんわけだけど
たとえば一向一揆とか島原の乱とか知ってる?
光学の発展
ギリシア:ユークリッド・プトレマイオスの研究
ローマ:何もない不毛の時代
中世イスラム:イブン・アル・ハイサム(ヨーロッパ名アルハーゼン)「光学の父」(965年 - 1040年)
メガネ、カメラ(カメラ・オブスクラ)の発案者、アルハゼンの定理など数学でも活躍
中世ヨーロッパ:13世紀、メガネの発明
>>720 中華はひとつの国家として前3世紀後半〜13世紀後半までの1450年以上独立を保った
>>741 中世神学は空虚だよ
イスラム世界やモンゴル、オスマン帝国からの科学技術流入がなければ
緩慢に停滞したままだったろうね
五代十国もこのスレを気にしているようです
>>741 あとビザンツからの技術や科学の流入も、外からの影響の方が大きいでしょ
吾代 礼もこのスレを気にしているようです !?
>>753 スコラ学無しで西欧が有り得ただと!
ゴシック建築におけるベネディクト会やシトー会の光と色に関する神性の議論を知らない訳でもあるまい
>>758 当たり前だろ
イスラム諸王国やビザンツからの知識流入が無ければ
後進文明の遅々としたお遊戯に過ぎない
中華はまず皇帝(君主)ありきの国家
易姓革命といわれるように、君主の姓が変わることで、国号(国家)も変わる
この易姓革命は欧州から見れば同じ家同士にも見えるが、中華的には異性が新たな王朝を興したと認識される
一方ローマの主権者は元老院とローマ市民
皇帝はあとから出てきて、この二つから統治権を委任されているに過ぎず、王朝交替は重要ではない
建前とはいえこの二つが消滅するときまでローマは存続していることになる
東西で概念が違うのに、王朝が変わったからと言って国家が変わったというのは浅学
763 :
世界@名無史さん:2011/08/11(木) 09:11:31.82 0
古代ローマのことを聞かれてちょっとした蘊蓄を披露したのだけれど、
途中で腰を折られ
「"カエサル""カエサル"って耳障りだ。普通に"シーザー"と言え!」と言われた。
んで、
「シェイクスピア劇の中でなら"シーザー"でいいけど、ローマの歴史を語るときは
"カエサル"と言わなきゃ収まりが悪いんだ。
"キケロ""アウグストゥス""マルクス・アウレリウス""ユリアヌス"などと言ってる中に
"シーザー"を入れたらバランスが悪いのはわかるだろ?」
「知らん。"カエサル"などと言ってると気取ってるようにしか聞こえない」
「あっそ」
そもそもユリウス・クラウディウス朝とかフラヴィウス朝とかは後代の名称であって
血統は単なる権威の正当化に過ぎず、力量が無ければネロのようの元老院から不信任される
初期帝政はまさにデリケートな政体なのよ、今の歴史学者が元首政とつけるぐらいには
>>760 駄目だこいつ
完全に外から来た他民族によって征服されてその民族が国家を建てるのよりもなんとか撃退したものの地方の軍司令官がクーデター起こして帝位に着いたほうが重症なんだと
負け惜しみでなく本当にそう思ってんのなら高校世界史からやり直してこい
>>763 そいつの名前だけを中国語か朝鮮語の発音で呼んでやればいい
カイゼルでもいいはずだな
ローマ帝国の概念を最大限に拡張して
ローマ帝国の最終的な崩壊はロマノフ朝滅亡の1917年にしようw
769 :
世界@名無史さん:2011/08/11(木) 11:10:01.66 0
ドイツ語では「ケーザル」なのでは?
770 :
世界@名無史さん:2011/08/11(木) 11:11:56.42 0
>>768 それを言ったらアメリカ合衆国はローマ帝国をモデルにしたのだから、今も続いていると言えるw
ドイツ帝国および第三帝国はローマ帝国
>>763 英語発音に統一すればシーザー以外は誰が誰だかよくわからんw
たとえ話が逆で、シーザーと言ってる人にカエサルと指摘する場合だったとしても、
そういうところで会話の腰を折ること自体がどうかと思うw
>>765 イスラーム軍の侵攻で失陥した領土の割合は、華北失陥より広いからな
北部もアバール人やスラブ人の侵攻で失って、しかも王統も替わったという
775 :
世界@名無史さん:2011/08/11(木) 11:44:22.53 0
>>772 "キケロ" → シセロ
"アウグストゥス" → オーガスタス、オーガスト
"マルクス・アウレリウス" → マーク・オーレリアン
"ユリアヌス" → ジュリアン
そういえば、ブルートゥスはもちろんあいう人だけど、
それがなんで英語読みのブルータスになると強力の野蛮な男になんの?
いたいどこでどう取り違えられたかと疑問なんだ
778 :
世界@名無史さん:2011/08/11(木) 12:27:51.66 O
クローヴィスは皇帝になるべきだった。
ブルっていかにも強そう
ブルータスの元々の意味は「馬鹿者」だからね
トロイ英雄の末裔の親殺しで追放されて、放浪の果てにブリテン建国したのは「馬鹿者」
タルクィニウスを追い出して共和制を創ったとされる者も元々「馬鹿者」で
カエサルを殺った首謀者の一人も「馬鹿者」、遠縁でその暗殺に参加した者も「馬鹿者」
つまりブルトゥス
欧米でのイメージならシェークスピアで
思慮に乏しい英雄カエサル暗殺のヒールイメージからでしょうな
>>774 ひとつの国家の存続について話をしてるのがわからないの?
どこの店のラーメンが美味いかについての話をしてるのに突然「でもカップラーメンならあそこのが売上いいよ!」とか言い出すレベルで的外れ
>>776 おまえは魏と西晋以外の東晋宋梁陳前秦北魏北斉周全部知らないんだろうな
>>782 ローマ帝国は地域名で断絶した継続性はアル複数の国家の総称
ビザンツ帝国も同じ
ローマ→ビザンツ帝国に似たとりあわせというなら
古代中国の漢を受け継ぐものとして五胡十六国の漢は果して後継者かっていうと・・・という問題になる
当事者じゃないんだから大義名分の有無と実際の政治体制両方見なきゃいかん
歴史を後から見る視点と、当時の視点両方が大事さね
政治体制でいうならコンスタンティヌス大帝がビザンチウムに遷都した時点でもうローマらしさは大分薄れている
内実の政体でいうならヴェネツィア共和国の変遷の方がよっぽどローマ史をなぞっておるわ
農民のローマ→商人のローマ→不労所得のローマ
こう見るとアメリカ合衆国こそ
786 :
世界@名無史さん:2011/08/11(木) 17:37:55.38 0
ローマらしさってなんやねん?
ローマ帝国が変質したのはディオクレティアヌスによる専制君主体制からだが?
>>786 あれはディオクレティアヌスの軍事能力と現実認識能力も加味すると
まだ蛮族の脅威が激化した当時のローマ防衛に対するローマ的現実主義の延長ということは出来る
どちらかというとテトラルキアは内乱を辞さずに廃止したくせに専制君主制は維持した
コンスタンティヌス大帝の方が影響度は大きい
788 :
世界@名無史さん:2011/08/11(木) 18:01:46.99 0
ローマ→東ローマは政治もだけど、鎧や兜もダサくなってるよね。
なんか遊牧民とかトルコとかっぽいアジアンチックな感じ。芸術性が感じられない
>>786 変質させたわけじゃなく変質させなければならなかったんだろ
ざっくり任せただけで税収がきちんと入ってくる上世は終わり
社会情勢に合わせ改革を遂行したと
変質しなきゃ生き残れなかっただろう
とりあえず中身を変えても看板を15世紀まで守ったのは大したもの
京都本店が東京本店になりつつも暖簾は守った
京都店の方は先に潰れたけど
792 :
世界@名無史さん:2011/08/11(木) 19:19:55.70 O
ナナミ婆の本読むとカルタゴやマケドニアが6万の兵だの書いてるが
古代でそんな大規模な動員が成り立ってたのか
そもそも都市国家を基盤としてギリシャ民主制を参考にしながらも
寡頭体制の共和制で続けた専制君主制までのローマと、
専制君主制だけでなくオリエントの影響で皇宮宦官や密室政治がはびこる以後のローマ+ビザンツじゃ
ローマの欠片も残ってないと思うのだが
>>792 マケドニアは後方の守備兵も含めての数字じゃね、軍勢が5万超えたことは無いから
ペルシャは実数で10万20万動員してるけど大帝国だし例外
>>788 それはなんかわかる
ロリカ・ハマタとかよりロリカ・セグメンタタのほうが圧倒的にカッコいい
まぁもちろん、とって代わられたのにも理由はあるんだろうけど
ビザンツの正規兵は小札鎧着てたから言ってることが矛盾してる
>>793 宮廷宦官なんて古代ローマ時代から普通にいるし、宮廷のドロドロした政争も古代もひどいだろ
ユリウス・クラウディウス朝とか大分血なまぐさい
そうやって感覚や偏見で語るのはよくないぞ
>>795 ロリカ・セグメンタタのイメージが強すぎるが、あれほんとにわずかな間だしな
でも段々ああいうチェーンメイルのが好きになってくるw
>>797 ユリウスクラウディウス朝に去勢宦官まではいなかったろ、いい加減なこというな
女たちや近衛軍団長官を巻き込む陰謀と宦官のそれとは違うだろ
ほっといてもスティリコやベルサリウスみたいな有能な奴が貶められるようなデメリットの目立つシステムはなかった
スティリコやベルサリウスは位人臣を究めた高官中の高官じゃねーか
その二人が処刑されたり失脚されたのは皇帝取り巻きの宦官のせいだろ
その手の佞臣が元首政や五賢帝時代にいたか?
801 :
世界@名無史さん:2011/08/11(木) 22:53:38.88 0
白人が人種差別されてた決定的証拠だね
佞臣は居ない時期でも親衛隊が結構好き勝手していたり・・・
>>800 その手の佞臣なんて歴代親衛隊長に何人も居たじゃん
>>803 カリグラのときぐらいだろ、それも失政続きで幼少の頃から知る近衛軍団隊長が見るに見かねての決断、
暗殺後は責任とって自害だぜ
>>798 >ユリウスクラウディウス朝に去勢宦官まではいなかったろ、いい加減なこというな
いる
サトゥリコンでもトリマルキオ所有の宦官(去勢奴隷)が出てくる
つまり一介の成金でも持ってる奴がいたということ
クラウディウスとか妻の陰謀に何度も巻き込まれてるし、コルブロとかスティリコの最期知らんのか?
親衛隊なんて何度皇帝をぶち殺してるか
マリウスとスッラの政争なんかも相当に血なまぐさいしねえ
親衛隊に殺されたといえばヘリオガバルス帝だよな
彼の性癖は2000年前の時点でかの変態超大国・現代日本をも超えている
成金所有の宦官にまで拡大して強弁とかマジ引くわ
国政に口出したのか?
そもそも
>>793に対しての
>>797の返答がズレてんだよ
>>793は宦官の有無をローマらしさの争点にしたのに、なんでいつの間にか陰謀の有無が争点になってんだよ
有能なやつが出てきたら叩かれるのは昔も変わらんよね
失脚させられた大スキピオとか、暗殺されたカエサルとか
>>797 そんな中、ヨーロッパでは近代に入ったあたりで廃れた帝政ローマ末期以来の鎖帷子をつい150年前まで着たていた日本
>>クラウディウスとか妻の陰謀に何度も巻き込まれてるし、
大小アグリッピーナの陰謀はローマ史知ってりゃ誰でも知ってるだろ
>>コルブロとかスティリコの最期知らんのか?
コルブロはネロに命じられての自死、
スティリコは宦官に讒言されて話も聞かれず処刑だよな
前者はユリウス・クラウディウス朝時代、後者は末期でローマらしさが失われていた頃でいいだろ
>>親衛隊なんて何度皇帝をぶち殺してるか
近衛軍団暗躍の激増は五賢帝後、3世紀の混迷に入ってからだろ
それもほぼディオクレティアヌスがとめることになるが
知ってる分だけぶちまけて何とかなると思ったか?
日本が長期の平和を実現していた時に、中世並みの戦乱から抜け出せなかった欧州だろ
平和だと文明の進歩は戦時と比べて明らかに遅くなるけどな
260年引きこもって火縄銃しか知らない日本が目にしたのは産業革命を成し遂げたヨーロッパ諸国の姿
まぁオランダを通じて世界の事に関してまったくの無知だったとは言わんが、国のトップだけが知ってたところで技術の進歩とか望むべくもない
武器や戦術の進化に力を注がずに済むのは重要なことだしな
内需拡大、自給自足、学問奨励、民力の農地への投下、全て明治維新の原動力
ローマにしてどうして教育機関が私塾任せだったのかは疑問だな
>>808 当然皇帝の宮殿にも宦官はいた
しばしば男色の皇帝が相手を去勢させたことからわかるように、人間の去勢技術があったということ
そして帝政初期でもトリマルキオの話からわかるように特別奇異な存在ではなくなっていたことを言った
>>812 誰でも知ってることを知らないと思ったから説明したんだよ
自分への暗殺疑惑からの賜死だろ、宮廷の陰謀劇じゃん
スティリコも内通疑惑を讒言されての処刑、ビザンツでよくあった陰謀劇と何が違う?
そもそもローマらしさとは何か?
セイヤヌスの暗殺未遂、オトの帝位奪取時、ペルティナクス殺害とふざけたオークション、ディディウス・ユリアヌスへの手のひら返し
こんなに多くあって少ないと言えるか?
しかも親衛隊の力削ぐのはウェスパシアヌスやセプティミウス・セウェルスも行ってる(これらの時代にも力を削がねばならなかった)
そうそうカリグラもあったな
クラウディウスが自分も殺されると思ってガタガタ震えていたのは知ってた?
賢帝だったのにクラウディウス(´・ω・)カワイソス
>>816 当時創作された小説を元に語られるのは無理があるぞ
社会背景、風俗までは知れても、実態として組織されていたのか?内閣との力関係は?というの知るのはそれじゃ無理
>>自分への暗殺疑惑からの賜死だろ、宮廷の陰謀劇じゃん
コルブロの死はネロの決断だろ、ネロは疑心暗鬼や虚栄の塊であることには違いないが
取り巻きに左右されて判断を誤るというタイプじゃない
自死を命じる原因が「ベネヴェントの陰謀」、若手将校によるその陰謀計画では
皇帝位につくのがコルブロの予定だったからもうしょうがない
そして皇宮に篭ってではなくギリシアまで出かけそこに呼びつけて命じてる、
このスタイルは宦官に吹き込まれて、とか宮廷の陰謀劇というタイプとは違う
いい加減陰謀・謀略の多さを勝手に混ぜてくるのはやめろって
オリエントスタイルの宦官の国政関与が強くなったのはローマらしさを失ったときからだよね、としか言われてないだろ
カリグラって言えば、彼の時代に作られたとされる巨大船があるんだよね。
発見された時期がアレだったせいで焼けちゃったけど。
当時の造船技術はかなりのものだったみたいだけど。
陰謀が増えたのはローマらしくないよね!なんて誰も主張してないのになぁ
勝手にシャドーボクシング始めて語り続ける子がいるとは困ったもんだ
>>811 平安末期から鎌倉辺りで鎖帷子より造るのが遥かに難しい大鎧になってるけど
>>814 第三の男じゃないんだから、戦争と進歩には何の関係も無い
戦後日本が停滞してたか?江戸時代は世界的に見て発展の時代だ
ライプニッツと同時期の関孝和、田中由真による高次行列式、
ヨーロッパに40年先駆けた華岡青洲の全身麻酔による手術、
世界に100年先駆けた先物取引、
ライト兄弟の128年前にグライダーを発明した浮田幸吉、
世界に200年先駆けた入れ歯、
この中の一つでも知ってるか?
>>819 どう見ても宮廷の陰謀劇に巻き込まれて死んだだろ、コルブロ
正誤は関係なく情報が上がるのに取り巻きは居ない、んなわけはない
>>819 いや小説だけじゃなく、実際に宮廷にいたし、去勢技術もあったんですけど
宦官が当時特殊なものなら小説の中とはいえ、登場人物につっこまれたり解説が入るだろ
内閣との力関係とかわけのわからんことの前に、ユリウス・クラウディウス朝に宦官がなかったと言い出したのはそっちなんだが
ネロの決断に至るまで、クーデター騒動や暗殺未遂やってるから立派な陰謀劇だろ
コルブロはそれに巻き込まれてるんだぞ
宦官の国政参与や宮廷陰謀がはびこるビザンツ期はローマらしさ(←まずこれがどういうことだよ)を失ってるとか言ってたよね?
宮廷陰謀はこれまで挙げたとおり古代から大いにあったし、宦官で国政牛耳れたのなんてビザンツでもバシレイオス・ノソスくらいだぞ
中国みたいに後宮の宦官が政治に口出していたとでも思ってんの?
>>823 現代国家はどの国も総力戦体制でしょ
徴兵制の為に戸籍を整備し、兵器の為に産業を発展させ、兵士と家族の為に社会保障を整える
>>823 んじゃそれらがどれだけ世界に影響を与えたよ
全世界に自らの発達した文明を波及させたから西洋文明は偉大なんであってその点は戦後日本も同じ
内輪だけで嬉々として使ってたところでなんになるんだよ
そんなんで起源を主張するのはどっかの半島の国だけで十分だw
>>822 どっかの新鮮組さんも使ってなかったっけか
>>827 戦争がないと進歩しないとかいう中学生の発想を否定されたら
とたんに関係ない起源論争とか
自分で言っておいて何の話してたかもわからないの?
そんなんだから今時西洋文明は偉大とか言っちゃうんだよ
偉大な中華も偉大な韓国も偉大な西洋も同じだよ
>>828 あれは、ただの治安維持だからな
そこら辺のゴロツキ退治するのに軍隊との戦いで使う重装備要らん
>>825に
一応追加しておくと、アルカディウス時代にコンスルまで登り詰めて政治の実権を握ったエウトロピウスという男もいた
ただ、エウトロピウスも宦官であっただけで、官僚としてキャリアを積み重ねてきている
後期ローマ帝国以降、宦官が要職につくことがあったが、これは宦官でも官職につけた、という社会制度だったというのが正しい
中国みたいに後宮から君主の個人的な寵愛で権力を握ったわけではないので、宦官につきものの弊害もない(皇帝にとって最も危険なのは有能な将軍)
さらに国政を左右できるほどの立場にいたのは長い歴史でもエウトロピウスやバシレイオスくらいで、宦官がはびこる社会ともいえない
よって宦官云々は古代ローマとビザンツを別国扱いするにたる十分な理由とはいえない
832 :
世界@名無史さん:2011/08/12(金) 02:17:28.33 0
ユースティーニアーヌス帝までのローマ帝国の「宦官」に就いて知りたければ、
『西洋古典学事典』をしっかりと読むことだ。
>>829 読解力の無いお前のために補足してやると
>>814は別に平和なら進歩が皆無とは言っていない
ただ戦争、あるいは今にも戦争に突入しかねない状態の場合に進歩は加速すると言っている。
キリスト教の影響から脱却したヨーロッパは戦争やらギリギリの状況で少しでも相手の優位に立とうと切磋琢磨して国力(=文明度)を上げた。行き着いたのは産業革命。
アメリカも経済でヨーロッパ諸国に負けたら死ぬから必死で文明度(=工業製品の質)を上げた。
そこ行くと鎖国中の日本がそんな努力をしたか?
明治維新の後は目が世界に向いたから競争の中で文明が進んだ。それは戦後も同じ。経済や科学で負けたら日本は没落するから。
「世界に先駆けたグライダー」。へーすごいねー。で? それが何か役に立ったの?
飛行機は第一次世界大戦を経て急速に進歩した
よ? 必要だったからね。役に立ったからね。
宇宙技術も弾道ミサイルに通じるからこそ冷戦下で超発展した。今は特に必要なくなったからこそ宇宙開発は進展しない。
戦争だけが進歩の条件とは言わないが戦争で進歩する軍事技術は多くの場合、実生活に応用可能だから文明が進歩するスピードが上がるって言ってるの。資金が惜しげ無く投入されるからな。
わかった?
>>831 中国で宦官が権力を握れたのは後漢後期、明後期、西太后の時代と
長い歴史の中のほんの一部だよ
>>833 ま当たらずしも遠からずって所
産業革命以前は正確には戦争と言うより寒冷化
結局のところは戦争といっても概ね食糧の分捕り合い
寒冷化すれば収穫物が減った上に温暖化で増えた人口を養わないといけない
だからまず単位あたりの収獲効率の向上を図るから、その方面での技術が伸びる
それで無理なら略奪=戦争で、その方面の技術が伸びる
そしてその関連の発明や省力化・効率的技術が一般にフィードバックされ応用されるから
技術進化サイクルが速くなるって理屈
それで限界があったり政治的規制があってできなきゃ新天地に足を伸ばす必要に迫られる
女子供なんかも大量輸送しなきゃいけないから、安全且つ短期間に効率よく輸送する技術が発展して
その技術が他分野にも応用されて・・・
戦争があるから技術が発展するんじゃなくて
新天地開拓や戦争を行なわざるを得ない環境に置かれるから発展するってこと
つまり「必要に迫られるかどうか」だよ
思考の順序を整理し直せば、戦争による発展は主要因じゃなくて
あくまても要因の一部ってことがわかるよ
>>834 ほんの一部と言い切れるほどでないないだろう
基本的に皇帝の寵愛で権力を握る宦官は長期に渡る政権を維持することはできない
比較的長く宦官が権力を握ったことがあるのは、後漢、唐、明
また王朝の衰退期にもよく宦官は出てくる(秦の趙高、明の王振など)
一人一人の権力を握った期間は長くなくとも、影響は非常に大きい
色々行数稼いで必死に反論してるけど、
結局元首政〜五賢帝時代に宦官が大きな影響力を持ったことは示せてないですよね
むしろローマで宦官が大きな影響力を持った時期っていつ?
どう考えても東西分裂した後のローマですよね>大きな影響力
それ以前の陰謀や暗殺だって皇宮勤め人や家族のが影響強かったのに一晩で無茶理論展開されすぎ
せめてスティリコ処刑に持っていったエウセビオスほどの影響力がないとあったとは言えないだろ
俺は上にも書いてるように、「勢力」としての宦官に否定的なんだけど
中華みたいに後宮にこもった皇帝との連絡役として宦官が力持ったとか思ってんの?
あとスティリコ処刑に持っていったエウセビオスとは誰だ?
>>840 スマン、素で間違えた
スティリコじゃなくてユリアヌスの兄のガルス処刑の方だ
教会史で有名な方じゃなくて宦官のエウセビウスな
浅学だがその宦官のエウセビウスの略史のせてくれ
塩野の本に載ってたやつか?
>>842 というか塩野本以外は無いな、長谷川博隆氏の著作でも載ってたか?という微妙なところ
あとは塩野本のリンク参考にして原史料あたるしかないようだ
ニコメディアの司教だったらしいが
>>216-221でも誰かが問答してた
今英語版wikipedia見たりいろいろ検索したが、このスレくらいしかヒットしない
とりあえずそのエウセビウスに関しては保留でいいと思うんだが
コンスタンティウス2世は親父同様メチャメチャ猜疑心強いし、誰も讒言しなくても勝手に殺すだろう
そのエウセビオスは「ニコメディアのエウセビオス」と呼ばれているやつだ。
教会史の創始者として有名なのは「カエサリアのエウセビオス」。
両者とも、古代キリスト教では有名な奴らだ。
特に「アレイウス論争」との絡みでは必須の登場人物。
宦官であるのは「ニコメディアのエウセビオス」の方で、塩野の本でそう書かれてい
る。
が、それ以外の「日本語の文献」(当然古代キリスト教関連を含む)で、こいつが宦
官であると書いてあるのを見たことがない。
が、塩野が文献的な証拠もなく書くとは思えないので、俺が無恥なだけだと思ってる。
それから、辻邦生の「背教者ユリアヌス」でも「ニコメディアのエウセビオス」が陰
湿な政治家として出てくるが、宦官として書いてあったかどうか、もはや忘れた。
>>845 >塩野が文献的な証拠もなく書くとは思えないので、俺が無恥なだけだと思ってる。
君みたいに奥ゆかしい人が無恥なわけないだろ
塩野がソースにした文献がわからない以上、エウゼビオスが宦官だったかいまいち確証はないし、
そもそも宦官かどうかはあまり重要でないのではないか?
それを持って東西分裂後のローマは宦官が多大な影響を持っていたとはいえないだろう
>>836 ほんの一部と言い切れるほどだよ。唐は宦官が権力を握ったわけじゃなく
皇家に仕える人間が権力を握った、そういう意味でローマ的
というか、宦官外戚は権力者に近い私人が権力を握るという意味で
非常にディオクレティアヌス以前のローマ的
もっとも、ローマの場合は中国の様に宦官ではなく奴隷だったけどね
卑賤とされた私人が権力者との近さ故に権力を握る点では酷似する
現代日本の小説をソースに当時の小説は史実を反映していない (キリッ
塩野厨wwwww
甲陽軍鑑や三河物語を否定する司馬厨や老害糞学者厨みたいだなw
>>851 煽りやる奴って本当に馬鹿だなぁ
お前高等教育受けてないだろ
ばっちゃ批判は結構だが、ちゃんと煽り以外もやってくれよ
考えの違いと史実の間違い指摘は違うというに
ラテン語の認識がどうの、ぼくのかんがえるろーまかんとちがう!きれいにかきすぎ!だのどうでもいいことばっか
>>853 1回やってみたいなと思って普段自分が見ないスレでやってみたんだ
思いのほか気持ちいな
>>854 塩野厨も塩野先生の著作によると間違いじゃない!しおのせんせいのろーまかんとちがう!わるくいいすぎ!だの反論でなく現実逃避ばっかじゃんww
>>855 当時の小説の話なんてしてないぞ
嘘が多くても当時の資料さ
煽りも下手糞だな
難癖つけるほうが
「ばっちゃは○○と言ってるけど、史料△△によるとこうなので自分は□□のようにも思う」
とかならちゃんとした議論になるんだけど
アンチ塩婆の言うことって必ず○○の部分で飛躍・曲解するし、
△△の部分で子供向け歴史漫画やスヴェトニウス出典だったり、
□□の主張もぶっとんでるからだめなんだよ
>>857 >>855 >思いのほか気持ちいな
これに象徴されるように、まともな日本語も書けない馬鹿が
人を罵倒してウサ晴らししたいだけなんで。
最初から議論する気ないんだよ。
煽りやる奴って追い詰めたらボロがどんどん出てくるぜ
人を罵倒するにも最低限の知性必要だが、こいつらのほとんどはそれさえない。
まあ、タコは放っておいて、ボチボチいこうじゃないか。
たこといやローマ人は蛸食ってたよな
レシピはどんなんだ
政治に関心を失ってグルメ三昧に走ったって塩婆が書いてたの、レピドゥスだっけ?
>>861 それはたぶんアピキウスのことだろうけど、ばっちゃの本で出てきた覚えは全然ない
マエケナスじゃないか?
>>861 そのエピソードはルクルスじゃないかな?「勝者の混迷」の後半あたり。
ルクルスは確かにあったな、キケロに押しかけられてそのまま自邸まで招いた
サプライズ訪問でも部屋指定で常日頃から贅沢なディナーにしてることアピールできた話だっけ
ルクルスの故事なら、英語圏でも、喩えると日本人が「臥薪嘗胆」の故事を知っているレベルで人口に膾炙している
>>860 朝は現代と同じで、昼は前日夜の残り物
晩は海鮮と野菜のサラダが前菜で
ソーセージに豚肉料理に粥、フォアグラもあるしハンバーガーもある
現代とそう変わらないと言うか、違いは外食が中心で
素材は豚羊が中心で牛鶏は一般的じゃないってこと位
そのことから考えればほぼ現代同様のレシピでしょ
オリーブオイルもあるんだし
読み物なんかでもサテリコンとか参考になるものがあるじゃない
テルマエロマエで出てきた焼き鳥は?
重要な問題がある。食器が皿くらいしかないから
手掴みで喰うというのと、ワインは水や蜜で割って飲むってコト。
あとビールは下品な飲み物だからゲルマン人くらいしか飲まなかったってコトだな。
とはいってもゲルマンの方がビール文化からは遠かったんじゃねえの?
ワインは北で生産できんからな
品種改良が必要
ローマ時代はライン以東での麦の生産も殆どやってなかったのでは?
なにを言ってるんだゲルマンは定住農耕してたぞ
wikiによればエジプトの南方、それからケルトの北方経由でローマに伝わった様子
ただしケルトなど北方は収穫祭など祭祀用の飲み物で、ビール飲酒は非日常だったらしい
ワインでもなきゃゲルマンやケルトなんかの寒冷地は何を素材に使ってたんだろーね
栗やりんご位しか思い当たらない
ひょっとしてもっと原始的な人の唾なのかな?
>>868 アヒルのほうが一般的だったらしいね
北欧神話ではエール(ホップなしビール)とミード(蜂蜜酒)が出てくる
リキュール作ってシャーマンが儀式や医術に使ってたらしいな。そのイメージ
が西洋魔女にも繋がってる。エジプトもイスラム化する前は結構ワインも作ってた。
カエサルやアウグストゥスやハドリアヌスはエジプト来た時、ワインを飲んでたのか?ビール飲んでた
のか?興味はあるな。
ワインの鉛割りか。
鉛化合物は甘いらしいな
酢酸鉛IIな。コレが甘いらしい。
ちなみに水銀は飲める、無害。
これ豆な
問題になっているのは有機水銀のことだと思うがね。
>>880 有機水銀と比較して毒性がすごく少ないというだけ
無害は言いすぎ
>>882 なんで害だけで語るの? あまいなw
液体水銀の比重が非常に大きいので、体内に吸収できないんだよ
>>864-865 ああ、そうそうルクルスだった。THX!!
有力司令官で、豪奢な生活送ってベッドで死ねたヤツいたな〜から先がでなかった。
水銀は常温でも気化するんだよ、気化した水銀蒸気を吸い込んだらどうなるかくらい想像つかんのか?
負け惜しみもほどほどに
>>883 水銀でも体内に入れると少しづつ体内にとりこまれるぞ
何言ってんだ君は
ここは単純に水銀無害論を主張する
>>880=
>>883に実際に飲んで貰うのが手っ取り早い。
つーか、本当に無害だったらわざわざレントゲンに硫酸バリウムなんか使わないっつーの。
>>880なんて聞きかじりの生半可な知識をひけらかしたい夏厨だろう
本気に取りあう方が寒々しいよ
>>890 この記事、内容か写真選択のどちらかが間違ってないか?
写真みると、観光業者の装束は「軍団兵」のフェイクに見えるが。
確かに剣闘士の防具とは違うように見えるけど(剣闘士の兜はフルフェイスだったはず)
実際、どうだったん?剣闘士が軍団兵の装備で戦う事って無かったの?
ローマ兵の裸に鎧ってバランス悪いよな。鎖帷子とかは、まだ無かったんだっけ?
せめて布でもいいから着た方がいいと思うのだが。
ロリカ・ハマタは鎖帷子だよ。
つーか、中世末期にプレートアーマーが作られるまで
鎧の主役は鎖帷子だ。
ローマじゃ一時ロリカ・セグメンタタも使ってたみたいだけど一瞬で廃れてる。
>>891 例として扮装して記念写真に応じる業者の写真を載っけてるだけで、
その悪徳業者のモノじゃないだけでしょ
軍団兵だが兵卒の装備ではないな
鎖帷子じゃ正規兵の武装としては軽装だろ
ふつうは鉄板か小片の撚り合せ
ローマ軍の正規兵の方が装備は軽装だよな。まあ武装以外の荷物が半端無い
けど。
ローマ軍団兵って漠然と重装備のイメージあるけど、どっから来てんだろうか
パランクスもマケドニアのは軽装だし
軽装歩兵と比べれば重装備じゃん
901 :
世界@名無史さん:2011/08/16(火) 00:37:56.49 0
荷物が半端ないといっても、それを持てないとローマ軍に入隊すらできない
つまり必須の能力ってことだよ
「八甲田山」なんて演習でも数日かけての真冬の山越え計画
重装備の上に鉄砲担ぎながら物資満載のソリ引いたり鉄の大鎌を背負う訳でね
一応、現代人でも20kg程度までなら慣れれば山道でも日に数時間程度は歩けるようになるよ
軽く調べてみたけど、普通におかしいだろ>軍団兵の荷物
補給部隊と戦闘部隊を分けるって概念がまだ無かったんだな。
903 :
世界@名無史さん:2011/08/16(火) 01:19:19.35 0
>>894 たしか、鎖帷子を使うガリア人と接触するうちに採用したんだよな。
904 :
世界@名無史さん:2011/08/16(火) 01:39:14.25 0
ネロの首が太いのは病気ですか?
それとも単なるデブ?
それで何で鎧を着ているのに、一部は肌を露出させてるの?
>>904 病気説や体質説あるけどよく解らない。古代人が書く病名は当てにならないし、
かと言ってネロが大食いであったとする記述も無い。基本的に憶病な人だからストレス
で過食症気味だったかもな。
>>902 ローマ軍にも現代軍の様な定常的ではないけど補給部隊は居る。さすがに天幕や功城機
や補充武器は牛馬使って荷台使わないと運べない。牛馬専用の獣医らしい人まで居たんだから
ローマ軍は進んでいた方。
907 :
世界@名無史さん:2011/08/16(火) 04:47:19.49 0
>>904 SVETONIVSの記述に、「晩年のネロー帝は腹がつき出ていた、云々」といった記述があるではないか?
やはり、京大の『西洋古典学事典』を買って読むしか汝らの無知無教養を癒す手立てはあり得ない、と
よくよく心得る事だネ。
貧民は図書館で、しっかりと読み込むしか方途がないだろうがな。
クラウディウスは過食症というか、大食らいだった
宴会のあともわざわざ吐いて、また新たに食べた(←これがわざわざ書かれてるということは当時一般的でなかった証拠)
909 :
世界@名無史さん:2011/08/16(火) 07:14:03.92 0
クラウディウス帝までは結構美化されてるよね、皇帝の肖像
ネロ帝から猪の首っての?首周りが太い姿でコインなんかの肖像がえがかれてる
カエサル期は普通の首だけど、アウグストゥス期のコインは猪の首のしか記憶にないね
ネロは歌って踊れるデブ
パパイヤ鈴木なのか
つまりダイエットにも成功
え〜、ネロって実は名政治家だったって意見はどーなんのさー
カリグラ、ネロ、コンモドゥス、カラカラ
この辺は、市民人気は悪くない。
逆に、ディベリウスなんかは市民人気最悪
※ただしセネカ存命中に限る
ユリウス=クラウディウス朝って王朝創成期とは思えないほどネタ皇帝の宝庫だよな。
917 :
世界@名無史さん:2011/08/16(火) 15:48:19.06 0
>>913 すくなくともキリスト教徒がいうほど悪帝では無い。
代表的悪帝にネロを上げてマクシミヌス・トラクスを上げない意見には承伏しかねる。
918 :
世界@名無史さん:2011/08/16(火) 17:12:53.65 0
古典ラテン語の母音の長短すら会得して居らぬ者どもが多いド素人板だね
せめて『西洋古典学事典』ていどは日本語で読めるから購入するべし。
ただし、極貧人はその限りにあらず。
阿呆どもの談義には呆れ返るぞ。
ほんとに、おまえはネガティブキャンペーンだなぁ。
『西洋古典学事典』の作者に恨みでもあるのか?
920 :
世界@名無史さん:2011/08/16(火) 17:18:17.02 0
古代ローマで去勢奴隷や宦官たちが活躍ないし暗躍した事実も知らぬ低能児は
絶対に『西洋古典学事典』を熟読して蒙を啓くしかないだろう。
永遠に愚鈍無知のままに留まりたければ、その必要は無いが・・・
古典学会も狭い世界で大変らしいからなぁ。
おまえも、ドロップアウトして逆恨みしているクチか?
>>919 というよりその名前しかしらん奴の
まさに「バカの一つ覚え」だろう
2ch見渡せば
議論に加われないから
判を押したように流れに関係ないくりかえしレスばっかしてる廃人が何人もころがってるよ
本を、しかも一冊だから素人のたわごとかネガキャンだよなぁ
違う分野の博士持ちだが、本は知識というより知性の深淵を知るものだわ
こういう風に書いたらわかりやすいとかね。
924 :
世界@名無史さん:2011/08/16(火) 19:14:40.43 0
東ローマはとにかくダサい
博士号取ろうが教授だろうが、ばっちゃの数千分の一でも分かりやすく簡潔に伝えられないものかねえ
どうせ世界史板に入り浸ってるようなのはマル系時代遅れの窓際教員か就職難の史学崩れだろうし
926 :
世界@名無史さん:2011/08/16(火) 20:08:46.97 0
首太ネロのコインも忠実にネロを写したものなんだよね?
ネロは嫌がらなかったのか?
当時ローマ皇帝の像は大量に作られ、軍団基地や各都市では儀式や祭りや人
が大勢集まる所には必ず置かれた。表現は悪いかもしれないけど、戦前日本の
御真影や北朝鮮の金親子写真みたいなもんだ。皇帝が代わるたびに全身像作る
の面倒臭いってんで首の無い像を作るなんて事をやってるとこもある。こうすれば
首から上の像置き換えるだけで済む。こういう状況だから記録抹殺刑が存在自体の
否定に繋がる重い刑だったかも判る。だからネロが内心嫌がっても忠実にコインに
せざるを得なかっただろう。それにローマ皇帝は祭事や神事で民衆の前に出ていく
事も多い。テレビや写真が無い時代とは言え隠し様もなかったんじゃないかな。
首太ネロ、ユーモラスで好きだな
アウグストゥスも30歳代のイケメン盛りの頃の顔をコインに刻んだんだから
ネロも細くてイケメンだった頃の姿を刻めばよかったのに
アウグストゥスって、イケメンだったのかなぁ?
むしろ胃弱というか神経質そうなイメージだけど。
まあ、これじゃあ、さすがのクレオパトラの色仕掛けも通用しないわなと妙に納得し
た覚えがある。
大胆さと繊細さを共存させている人間をあまり見てないからじゃないか?
ドラマに出てくるようなステレオタイプな人間で世界は満ちてるわけじゃない
カエサル、アントニウスと使い古した女には流石に勃たないだろ。
オクタビアヌス「クレオパトラさんのアップで見る小じわはちょっと無理でしたw」
当時の書物ではオクタビィアヌスはスゲーイケメンとされてるが
彫像みる分には雰囲気はイケメンだよなぁ
カエサルよりかイケメンだと思う。
アウグストゥスがローマ市民に訴えた公式の宣言はローマに敵対するエジプトと
そのエジプトの女王に籠絡されて祖国に弓引くアントニウス指揮下の反乱軍討伐が
建前。だから敵対者の公式な最高司令官はクレオパトラであってアントニウスは副将に
すぎない。そういう状況であるならば彼女を罰しなければローマ市民や兵が納得しない。
政治の天才でそういう状況を演出した彼がそんな事が判らなかった訳がない。自死してくれて
せいせいしたってのが本音だったんじゃないかな。まああの状況では誰がやっても殺さず
ともローマの牢屋か僻地で幽閉がクレオパトラの相場だっただろうけど。
虚弱体質な上にアトピーもちだったんじゃなかったっけ?
その割にアグリッパより長生きしてる
健康管理がしっかりしてたんだろうか
>>937 うん。
アウグストゥスの、そこがイヤ。
病気上手死に下手っていうぜ
じゃあ曹丕とか好きなんじゃね?早死にした点で
941 :
世界@名無史さん:2011/08/17(水) 13:44:33.87 0
むしろオクタウィアヌス本人はわざと自ら戦場に出なかったんだろ。自分が虚弱体質なのわかってたから。
そもそも自分が出なくてもアグリッパという有能な将軍に恵まれてたしな。
むしろこいつが出ると負ける
その割にウァルスにムチャ振りした上に八つ当たりしちゃうww
別に八つ当たりはしてないだろう。任務が重すぎたのは事実だっただろうけど。
やはり征服は隔絶した才能か、犠牲をいとわない忍従かが必要なんだろうけど
どちらもなかったんだろう。
アウグストウスは犠牲に耐えれなかった。
初代皇帝は計画を立ててその通り実行するタイプなんだろうね
所謂「線が細い」
計画通りにいかなければ途端に冷静な判断を失うタイプなのかな?
確か塩本じゃ演説がイマイチで
元老院での鋭いツッコミには切り返せずにアタフタなんて書かれていた筈
ツッコミであたふたしたり、計画が頓挫すると冷静さを失う人間が
偉大な皇帝になれる筈もなし、塩婆小説をソースに持ってくんなよ
細心で用意周到だったようには思うけど、
そのへんのコミュ障とはわけが違うだろうな
コミュ障はすぐ虐殺や粛清に走るからな
批判する権利も与えたアウグストゥスはまじ偉大
そうだな、義父カエサルの実子を遠慮なく処刑した彼は寛大だ(w
カエサリオンは殺さなきゃ駄目だろ?筋目が悪すぎる。
スピード決断タイプじゃないから、会戦ベタだっただけだよ.。
母が野心なかったら許しただろうけど
カエサルの庶子は他にもいたんだろうな
ユリアへの処分みても寛大であるより冷徹さを感じるな
日本だと秀忠っぽいかな、あと山県有朋
去年の末も工事中遺跡出たとかやってたぞ
年中遺跡出るんじゃね?
>>955 ローマなんて怖ろしくて地下深くにしか作れない。
957 :
Ryuju ◆RlujhF6VrA :2011/08/18(木) 16:53:52.19 0
>>952 カエサルの庶子はガリアに沢山いそうだね。
九年も遠征してたら現地妻の一人や二人はいても不思議じゃないと思う。
愛人とか情婦レベルなら、各部族に一人レベルでいても驚かない。
カエサルの愛人たちって、有名な人は大部分がガリア行く前に出会ってるようなんだけど、
ガリア遠征後に愛人作ったのはクレオパトラだけじゃないと思うんだよね。
ただ記録には残ってないというかカエサルが残してないだけで。
オクタヴィアヌスがカエサルの手紙燃やしたってのも
その辺のゴタゴタを避けて自分が唯一の後継者ってことにしたかった
のが大きいんでないかと思う。
実際、兵士たちが凱旋式でカエサルのことをハゲの女たらしと叫んだってのは
ガリア遠征以降も兵士たちの耳に入る程度にカエサルの女関係が盛んだったからだろう。
兵士たちは属州出身だから、ガリア遠征より前のカエサルの女性遍歴は
話でしか知らないだろうし。
カエサルの庶子じゃなく父親がカエサルのガリア人有力者の子供かな
ネロ帝に反乱したユリウス・ウィンデクスとか
ホノたんって鶏飼育が趣味の無能だと思ってたら実は結構なレイシストでローマ人主義者なんだな。
何て言うのかな、ネトウヨがある日突然権力者の地位を手に入れちゃったみたいな感じなのな。
>>947 そんなに馬鹿にしたもんでもないと思うが
実際のところなんて誰にもわからないのだし、解釈の一つと捉えるべし
佐藤賢一のカエサル像のように
有能なブレーンがいて、その意見を重用するか・しないか
前者が初代で、後者がネロってところか
初代もカエサル暗殺がなくてカエサルからの禅譲だと
不安定な時代だから疑心暗鬼で果たして・・・だよ
963 :
世界@名無史さん:2011/08/20(土) 15:57:19.87 O
>>956 まさにご指摘の理由で、ローマの地下鉄計画は打ち止め。
代わりに路面電車にしたらしいよ。
964 :
世界@名無史さん:2011/08/20(土) 18:44:02.95 0
帝政初期(AD14頃)のローマ帝国の一人当たりGDP(PPP、1990年国際米ドル購買力平価)は、
777ドル(Bang)〜1,284ドル(Goldsmith)と推定されている。
妥当な値として1,071ドル。
イタリア本国は属州より40%〜66%高く、推計1,300ドル〜1,800ドル。
西暦150年頃の黄金期は、これより更に15%程度高かったと推測される。
1830年の西欧平均が1,243ドル、1913年(大正2年)の日本が1,387ドルであるから、
2000年早く産業革命初期の生活水準に達していたことになる。
奴隷とローマ市民、騎士階級と元老院議員とで圧倒的な格差があったろうが、
古代としては驚異的な水準と言ってよい。
でも今みたいに奴隷を使えなかったらローマの栄光は無かった?奴隷なしでやってるアメリカのが凄い?
966 :
世界@名無史さん:2011/08/20(土) 18:54:46.45 0
産業革命前でこれを上回るのは、中世ヴェネツィア、17世紀のオランダだが
いずれもローマとは比較にならない、サイズの小さな小国。
大国として比較できるのは、1000年時代が下るが、宋代の中国。
税収から逆算して2,280ドルという計算がある。
南宋の栄華を見る限りあり得そうでもあり、また中国サイトの情報なので眉唾でもある。
いずれにしてもローマ帝国は一種のオーパーツだな。
>>965 無かったかもね。極端なことを言えば奴隷は
コンピュータと車両と重機の役割を受け持っていたわけだし、
国家人口のドーピングにも役立っていたわけだから。
アメリカだって工業が発達して、それが奴隷より清潔で便利だからこそ
北部で奴隷解放という発想が育ったわけだで
>>965 社会的に身分制が公認されてるか否かの違いはあれど、今のアメリカの格差はローマ帝国よりひどい
というよりローマ帝国の奴隷制はムチ打って働かせるような近代の奴隷制じゃねえと何度(ry
家庭教師も秘書も、自由民すらなりたがる剣闘士も、全て奴隷からスタート、
実力さえあればのし上がれるというシステムだからこそ活力があるローマ、
一方アメリカンドリームは過去の話、現実にはガラスの天井とばかりに夢を見させて一定以上は
絶対に上れない社会、人種差別は表向きなくなったとはいえ黒としては
大統領もゴルファーも白黒ハーフにいいとこ取りされてる現状、税制は逆進性高すぎて身分格差拡大なアメリカ
>>965 奴隷を使えなかったらって発想が現代人、古代にあっては奴隷がいて
当たり前。奴隷なしでやってるアメリカのが凄いって発想も現代人、
現代は奴隷には出来ない事や何倍も何十倍も効率的に働いてくれる機械文明
の時代。現代には現代の当たり前があって、昔には昔の当たり前がある。
比べるにも限度があると思う。そういう意味では
>>964もどうかと思う。
10年〜20年位では参考になるかもしれないけど、さすがに2000年
前では生産財も技術もまるで違うのだから参考にはならないと思う。
まぁ、逆に奴隷の所為で機械が発達しなかったとも言える。
活字作るより書かせた方が早いし、蒸気機関はインテリアとして作られた。
>>964 PPPを使ってる時点で馬鹿な経済学者が電波飛ばしてると解りそうなもんだけどねふつう
南海貿易の西の端に位置したインド〜ローマの貿易で
ローマの経済力に比して大規模な財貨流出があったが、インド側から見れば些細な量でしかない
つまり物産の豊かなインドの諸王朝から見れば、ローマやローマ人の経済力はカス並み
972 :
世界@名無史さん:2011/08/20(土) 20:58:20.39 0
>>971 PPPが捏造まみれの糞指標なのは同意だが、ローマ人の経済力がカス並みとは大きく出たなw
2000年も時代が違うんだから、例えば小麦1モディウス当たり3セステルティウスと仮定して比較する
PPP以外方法がないだろうが。
産業革命以前は人口の多いインドと支那の経済力が圧倒的だったのは周知の事実だが、
人口比で見ても紀元150年頃のローマ帝国の人口6130万人、古代インド9000万人と、後代ほどの差は無いぞ。
百歩譲ってローマ人の経済力がインド人と同等以下だったと仮定しても、
カス呼ばわりされるほどの経済格差は存在しない
実体経済基準で比較しろよ
金融経済やファンドでふくらまかしてる現代と比べられんだろ
それが出来ればやってる。当時はローマ帝国に限らず金銀本位制で紙幣の概念が無く
信用創造も無かったからnominal/capitaの国力比較は無理だろ。
現代経済との比較が困難だからといって、古代の経済研究を非科学的と決め付けるアプローチからは
何も生まれないと思うのだがどうか。
そう言えば、エルサレム神殿から略奪した金が多すぎてインフレになったとかって話があったけどマジなのか?
まあ、ネットや飛行機などの移動手段がないのは不便かも知れないけど
好きなときに女と寝て子供を産み、会社やストレスとは無縁の生活っぽいからローマ時代のが幸せかもな。
ユダ金みてーな持ち悪いのもいないし、破壊願望の強い白人キリスト教徒も封印されてたわけだしね。
あっちの地中海地方って年中暖かく且つ乾燥してて過ごしやすいだろうしね。海もすごく綺麗で泳げるし
寝て食って女抱いて子を産むという人間として最も幸福なことを現代人は忘れている
まずローマの中で属州じゃなく僅かな部分を占めるイタリアに生まれ、かつ
大多数の奴隷ではなく限られたローマ市民権者の両親の下に生まれ、かつ
無数の貧民の下ではなく何十人もの奴隷やローマ平民を従える裕福な家に生まれないとね
978 :
世界@名無史さん:2011/08/21(日) 00:08:39.64 0
飛行機こそ無いが、エジプト行ってピラミッドやスフィンクスだの、
アレクサンドリア灯台だのは観光旅行に行ってたらしいな。船旅も悪くない。
ローマで良いと思うのは、午前は短期集中で仕事、
午後は銭湯行ってのんびり晩飯食って休むライフスタイルだな。
下手に週末2日休むと、仕事や生活のリズムが崩れて生産性にも健康にも悪い。
ウニとか牡蠣を食ってたらしいし、食い物も問題なさそう。
コミュ障でも市民権さえあれば小麦の無料配給受けてニートできるし、
働けばガリアかスラブ女と所帯持つこと位はできそう。
ネット無いのが欠点だが、地中海沿岸に住んでれば別の娯楽で凌げそうだな。
>>977 そこまで裕福な上流階級に生まれなくても、普通にナルボ属州民あたりでいいよ。
ただ近代奴隷とは異なる扱いだったとはいえ、奴隷に生まれるのは嫌だな。
主人がDVサイコパスでも控訴権ないから地獄だし、大規模農園の農奴や鉱山でタコ部屋労働させられんのは勘弁。
奴隷は全人口の2割くらいだっけか。
まず現代人がローマ時代の暮らしなんてしても不便すぎて発狂するだけ
現代の記憶がないのならどの時代の何に生まれようが、こんなもんかと思うだけ
産業革命以前で革命後の暮らしに最も近そうなのは宋代の中国(産業革命寸前レベル)
それでも医学のレベルが比較にならんのでキツそう
>>978 小麦の配給は飢え死にするかしないか最低限の分量しかないぞ
パンとサーカスは皮肉であって史実ではない
宋代もローマも前近代ではトップクラスのホワイト国家だが、不便な点では大差ないだろ。
それに宋はローマから1000年後の国家だぞ。
宋は経済的には良いんだが、法治国家でない点と(宋のせいじゃないが…)
北の騎馬民族がゲルマン人以上に野蛮だったのが痛い。
>>982 現代日本の生活保護ほど手厚い手当ては想像してないよ。
飢え死にしないという一点だけで十分。これってBIじゃないかw
足りない分は働けばいいんだから。
一応、選挙活動の一環として候補者によるばら撒きがあったから
配給された小麦以外にもただ飯を喰う手段はあるな。
日本の生保はいい加減、現物支給が引換券にすべきとは思うな。
>>984 収入があったら支給されないのは古代ローマでも一緒だぞ
首都在住で本人が並ばないと無理というのもあるし、現実的には中産階級であるところの自作農が
パクス〜専制時代まで続いたからこその繁栄だ
>>983 宋が法治国家じゃないなら
ローマ帝政期は法が存在しない無法国家になるよ
>>986 収入があってもローマで一日行列に並べば製粉前の小麦をもらえるのかと思ってた。
たしか有力者でも誰彼構わず並ぶと批判してた当時の文章がなかったっけ?
しかし日本で言うと、虎ノ門あたりで成人一人当たり玄米5kgを配ってるようなイメージか。
江戸時代に制度として根付いていればともかく、コメ換算にしたら急にしょぼいイメージがw
幕府批判のスローガンが「コメと落語」みたいなw
>>987 それは帝政末期のことだよな?
秦以降、中国に法治国家が存在したとは思えん。
宋は例外的に人治国家でもあったのか?
言われるほど配給は期待できない
金はないけど何か欲しけりゃパトロヌスの所に行く(運が良ければ宴会に招待してもらえる)
ダメなら浴場行って金持ちと仲良くなって宴会にお呼ばれする
それでもダメなら諦めて家帰ってパンかじって寝る
>>989 ゲルマン進入してきてもローマ法は健在だし、秦以降法治国家でなかったというのは偏見
あと人治国家は法治国家と真逆や
>>989 秦代はまだ体系化が簡素で未熟だけど
漢代以降はビザンツのように律令が体系化されたよ
>>989 世界初の律令は西晋の泰始律令
268年に施行されたそうだよ