イスラームはドレイ階層やカーストから人々を解放した。
イスラム商人の行くところ、イスラムに帰依しないものは皆
ドレイにされて売り飛ばされた。
↑
陝西の中国人だろ、それ。
カザフスタンは放牧といえば、白い円形テントを持ち出して
何ヶ月も家には戻ってない。
家といっても、囲いと井戸しかない場合があって
白い円形テントが、そのまま草原から戻ってくるだけの場合もある。
隊商の宗教だしな
キリスト教もイスラム教も、もともと移動性があった集団が始めたのに
定住民のほうに流行してしまって
いつのまにか宗教指導者が司法権まで持つようになったのは何故かね?
印象主義とか美術潮流はあるけど
現代の美術潮流はなんていうの?
あと百年すれば○○主義と名付けられるよ
グーツヘルシャフトと再版農奴制って同じ?
>>944 それも耳学問だな〜
俺、インドネシアから工場に研修受け入れしているんだけど、アラビア語理解できている人多いよ。
インドネシアといっても広いから辺境ならいざしらず、別段ウラマークラスでなくても、アラビア語で
クリアーン読める人いるお? ホワイトカラーでもなんでもないブルーカラーの人でだぞ。
よく酒は飲んだら如何とかそういうこと言う人を2chでみるが、実際に現地の人と接触していない・
あるいは実際にしゃべっていても階層が偏っている・サンプルが極少数だと結構その辺杓子定規になっているの
日本人の方なんだよね。 実際は理解のレベルに応じて使い分けしているというのが大半っす。
わしはブローカーだから、別に学究の輩ではないが 青瓢箪が偉そうにイスラムがこうだーといってるのみると違和感を覚える。
宗教なんだから、千差万別だぞ。杓子定規に戒律守る奴もいれば、酒やぶたまんかっ食らう奴もいる。
知識人はいざしらず、現地に生きる庶民はそんなに素朴でもないよ。 ジャカルタなんて一昔前の東京とかわらんお。
宿敵ハプスブルク家との政略結婚に成功して
万事安泰かと思ったら革命で滅びたルイ家、
共産主義ばかり警戒していたら原理主義に潰されたパーレビ王朝のような
想定敵への力負けではなく、
完全に予想外のファクターで終焉した王室・国家を教えて下さい。
>>962 ロシアのロマノフ朝、オーストリアのハプスブルク朝、ドイツのホーエンツォレルン朝
いずれも第一次大戦中、またはその末期に、直接の交戦国にではなく、国内の
革命勢力によって権力を失っている
ロマノフ朝とかは従来予想出来得た革命だから、含まれないかな
時の大臣が、対日戦争を
「民衆の不満を逸らすに丁度良いショー」とか言ってる位だし
革命分子の方がロマノフ朝にとっては主敵
五代十国の後周は?
確か遼(契丹)が攻めてきて、迎撃する為に送った趙匡胤のクーデターで滅亡
>>964 まあ1905とかで慣れちゃって
革命勃発当時はいつものこと、戦争中だしまさかロシア帝国が
終焉を迎えるほどとは思ってなかったみたいだがな。
代表選手はもちろんソ連だろう。
まさか常識的には正しい方向のはずの構造改革で滅びるとは
ソ連はおろか世界中が予想だにしなかった。
会社更生法の適用は最善のリストラって誰かが言ってたお
>>959 どちらも同じ時代の同じ地域の同じ制度を指している。
ただ「再版農奴制」は、中世の農奴制とは異なるというニュアンスを強調した用語だ。
グーツヘルシャフトはドイツ語だから16世紀頃のプロイセンを中心とした東欧固有の制度という
意味を言外に含めた用語だともいえる。特にドイツ語を習った人でなくても「グーツヘルシャフト」
と聞けば、英語でもフランス語でもなくドイツ語だと勘で気づくと思う。
歴史というより言語感覚の質問だな。要は話者がどちらのニュアンスを強調したいのかに
よって言葉が使い分けられるってだけなのだ。
中世封建制度は、国王が諸侯をきちんと保護しなかった場合
諸侯から契約解除することもあり得るという話ですが、
この場合、もちろん契約時に与えられた領地は国王に返還することになるんですよね?
現君主に不満を持った諸侯が領地持ったまま他国の王と契約
(イメージとしては、領地Aの領主がAごと他国に移動してしまう)
なんてことはあり得ない話と考えていいのでしょうか?
>>969 とんでもない。一度手にした領地は死んでも手放しません。
新しい国王を擁立するか、独立するか、その辺は他の諸侯の動静も見ながら決める。
最初は親分が強くて、手下に切り取った領地を貸し与えるという状態だったが、
それが世襲財産化され諸侯が強くなっていくと、君主がおいそれと領地を召し上げることが実力的にも難しくなった。
また、西欧封建制は上下の忠義とかでなく私的な双務契約だから、
相手が自分の領地を安堵してくれないなら、こっちも兵役義務を果たす必要はない。
対立する両者と同時に契約していたら、今日はあっちの軍に加わり、明日はこっちにつくなんてのが普通。
国王だって伯爵とか修道院長とかを「封主」にして領地契約を結んでる。
たしか契約で軍役の義務何日…ってレベルで決まってたから
それが終わったらとっとと引き揚げ
敵側につくのも自由 って感じだな
なんでベルサイユ体制で15年も軍隊が無かったドイツの軍隊があんなに強かったの?
逆になんでフランスはあんなにあっさり負けたの?
契約なんてものは、違える為にあるとは言いすぎだが、金科玉条ではない。
遵守も違約も、利益とペナルティを天秤にかけてるだけだ。
>>973 いや、別に「があんなに強かった」なんてことはない。
他があまりに弱すぎただけ。
イタリアが弱かったのは
国民性と言うよりも意識というか教育の問題
個人を大事にしてるから国のために本気で死ぬのはバカバカしいと言う
社会的風潮があったから
敵前逃亡してる兵隊が多い国はそりゃ軍規も乱れる
>>976 その理屈ならアメリカ軍なんて弱っちいはずだが……
なんだかんだでキャラメルラテとか当時のイタリアで発展してるしなー。
軍事より企業、それも文化の方を優先してた感はある。
それが倫理観の高さを生んで中世のポーランドみたいになっちゃったのかも。
スペイン内戦にせよイタリア軍が真面目に戦う時は敵と味方の強弱よりも
「やり返す」場合だし。
>>977 アメリカの背後には世界を動かすユダヤがいる。
ユダヤはイスラムを滅ぼし、国家をうちたて同時テロをおこした
世界最悪のカルト集団 あとは分かるな?
スペイン内戦のイタリア軍って何か活躍してたの?
キリストの磔刑って、磔にされてどうやって死ぬのかと言うと窒息死だそうですが、
絵画などを見ても腕を(釘で)固定されてるだけに見えるんですが、そこからどういう原理で窒息するんですか?
ロンギヌスに槍で突き殺されたんじゃなかったっけ?
>>982 ロンギヌス「の」槍だよ
>>941 十字架に掛ける刑罰とは、両手両足と十字架に釘で固定させて衰弱死させるもの
窒息はさせない
放置された罪人は、文字どおり死の苦しみを何時間も味わう
両手だけを固定させていれば、ぶら下げられることで肺などが圧迫されて死が近くなるが、
足を柱に固定されていることで、罪人は胸が苦しくなると両足の激痛をこらえて体をよじって
胸を楽にすることができる
こうして罪人の苦痛はさらに長引く
さらに残酷なことに、ときどき酢などを加えた水を含んだ海綿(スポンジ)が口もとに与えられ
罪人は一息ついて苦痛の時間を長引かせることになる
>>983 続き
それじゃあいつまでたっても死なないでうめいている罪人がいて困る(?)ので、
一定の時間を決めて、それを越えると槍で突き殺す事になっている
そのまま放置したこともあったらしいが
>>982 あ、思い出した
ロンギヌスくんが槍で突いたんだっけ
君の言うとおりだった スマン
槍は性器の暗喩 突かれた大地は女陰 豊かな麦の穂は 性行為の後、10月10日で生まれてきた赤ん坊
987 :
世界@名無史さん:2011/04/24(日) 12:46:42.65 0
パキスタンがイスラム教の居住区なのは、イランやアフガンと地続きなので
延長線上としてのイスラム地域なのはわかりますが
なんでヒンズー教のインドを飛び越えてベルガル人居住地のバングラがイスラム化したのでしょうか?
あとバングラVSパキスタンあるいはインドって今現在どういう関係なんでしょうか?
敵国?
インドもイスラム化した。インドの北半の支配層的には
その後、ヒンディズムが復権した
しかしインドのイスラム教徒も、あいかわらず多い
>>987 イギリスがイスラム多数域になるように操作したから
>>987 根本的に勘違いしています。
ベンガル地方のイスラム勢力とヒンズー勢力が対立し、
東側にイスラム勢力が集まり、西側にヒンズー勢力が集まった。
東側はパキスタンを経てバングラデシュとして独立し、
西側はインドに留まった。
そもそもはイギリス領インドの時代に少数派のイスラム教徒が
多数派のヒンズー教徒からの迫害を逃れて、東のバングラデシュと
西のパキスタンの領域に固まって住むようになって、
イスラム教徒多数派の地域が戦後、イギリスから独立する際に
ヒンズー教徒多数派のインドと分離して、パキスタンになったということです。
イスラム化されたのではない。イスラム教徒がだんだんと集まって、
逆にその地域で少数派に転落したヒンズー教徒がでていったという話。
次スレはまだかのう
「近世日本における教育」的なので良いのない?
逝きし世の面影
迫害を逃れてと言うが、イスラム側もヒンズー教徒側の村落を襲撃しているからな。
そもそも、東パキスタンの内情もベンガル人が抑圧されて独立に動き、その中でも
チッタゴン丘陵地帯に住む仏教徒のモンゴロイド系諸部族が虐殺や抑圧されているしな。
996 :
世界@名無史さん:2011/04/24(日) 16:42:51.93 0
まあベンガル地方を宗教を理由として東西に分けたのはイギリスなんだが
歴史は当事者片方の主張だけでは見えてこないからな。
インパ分離時、一億人が独立前後数年間で亡くなったと推定されているという。
不適切なたとえかもしれないが、東日本震災で行方不明者合わせて3万人の人的損害、
東京大空襲で10万人、原爆広島で30万人、独ソ戦ですらソ連側の死者が2千万人あまり・・・
一億の人的損害出した分離独立案件がどれほど途方もなく凄まじいものであったか
想像もつかない。
次スレ
ぬるぽ
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