神聖ローマ帝国 第二帝国

このエントリーをはてなブックマークに追加
1世界@名無史さん
962年から1806年まで中欧に存在した政体について。
1300年ごろの版図→ http://www.euratlas.net/history/europe/1300/index.html

前スレ
http://academy5.2ch.net/test/read.cgi/whis/1110257427/
2世界@名無史さん:2011/01/19(水) 22:40:30 0
神聖ローマ帝国第二帝国って何ですか?
3オツガイ ◆EAbyJft1LY :2011/01/19(水) 22:46:39 0
>>2
普通、第二帝国って言ったら「ドイツ帝国(1871年〜1918年)」のことを指して、
「神聖ローマ帝国」は第一帝国、「ナチス・ドイツ」を第三帝国というふうに呼ぶけど。
まぁ、ナチスの勝手な呼称だし、神聖ローマ帝国は第一帝国だし。良く分からないや。
4スレ立て依頼者:2011/01/19(水) 22:59:09 0
「神聖ローマ帝国について語るスレpart2」

という意味のタイトルに過ぎません。。ハイ・・・。
5世界@名無史さん:2011/01/19(水) 22:59:34 0
2スレ目だからなんじゃない?
>第二帝国
6オツガイ ◆EAbyJft1LY :2011/01/19(水) 23:00:33 0
>>5
ああ、そういうことか。変に深読みしすぎてたorz
7世界@名無史さん:2011/01/19(水) 23:45:21 0
センスなさすぎ>スレタイ
8世界@名無史さん:2011/01/19(水) 23:48:09 0
神聖でもなく、ローマでもなく、帝国でもない。
その上「第二」でさえない。
9世界@名無史さん:2011/01/20(木) 16:55:46 0
けどEU統合で最近は再評価されてる
群小諸侯が連携してフランスを食い止めたり
10世界@名無史さん:2011/01/21(金) 04:08:24 0
第二帝国といえば陸軍は邦国単位だが海軍は帝国直轄
すると将兵たちはやはりドイツ全土から集めてたのか?
海軍への徴兵システムはどんな風になってたんだろう?
11世界@名無史さん:2011/01/21(金) 10:31:55 0
>>8
ワロタ
第二くらいは認めてやれw
12世界@名無史さん:2011/01/21(金) 17:21:57 0
>>陸軍は邦国単位
16世紀になるとマクシミリアン一世の帝国改造で
帝国は10個ぐらいのクライス(県みたいなもの)に分けて
群小諸侯が多い地域では諸侯は資金を出してクライス軍を形成してる
外敵に対して諸侯が金を出して皇帝を援助するケースもあるね
海軍はさっぱりわからんな
13世界@名無史さん:2011/01/21(金) 18:58:44 0
三十年戦争でヴァレンシュタインが海軍がなくて臍を噛んでるから
なかったか、あっても微少なものだったんじゃないか?

ハプスブルクにとってバルト海は戦略対象外だったし
地中海も、そこまで出れた頃には、スペインが主導していたし
14世界@名無史さん:2011/01/22(土) 23:46:06 0
>>4-5
「古代ローマ帝国を継ぐ、”第二の帝国”」だと俺は思ったw。
15世界@名無史さん:2011/01/23(日) 04:42:41 0
ハンザ同盟諸都市の海賊船が主力かな?
16世界@名無史さん:2011/02/02(水) 20:20:28 0
気分が落ち込んでいて元気を出したいあなたへ

http://www.youtube.com/watch?v=pEdoLKknCi0&feature=related


気分が高揚しすぎてこころを落ち着かせたいあなたへ

http://www.youtube.com/watch?v=Q3mXYLj-FGc
17世界@名無史さん:2011/02/16(水) 13:49:11 0
スレスト
18世界@名無史さん:2011/02/20(日) 02:25:32.34 0
age
19世界@名無史さん:2011/02/20(日) 09:57:39.54 O
教皇と宗教的な権威について争ってた頃は神聖と言えるかもしれない
20世界@名無史さん:2011/02/20(日) 16:58:46.77 O
西洋人のパチモンローマ帝国の歴史は長い。
21世界@名無史さん:2011/02/20(日) 20:01:47.20 0
>>19
叙任権闘争のことか?
あれも結局は教会財産の分捕り合いみたいなもののような気もしないではないが…
22世界@名無史さん:2011/02/23(水) 03:44:20.64 0
>>3
過去 (Das Erste)

現在 (Das Zweite)

未来 (Das Dritte)
23世界@名無史さん:2011/02/25(金) 20:34:56.92 0
本当は1300年頃は、神聖ローマとかイングランドとかフランスなんて存在しない

ローマ諸国連邦の一部
24リチャードさま:2011/03/07(月) 16:15:17.21 0
リチャード教のデキータ宗をなめんじゃねぇ〜ヽ(^o^)丿
リチャァ〜ド\(^o^)/

初代リチャードさまはな、偉大なやつなんだぞ!!
わかってんのか?あん?
リチャードだよ?リ・チ・ャ・−・ド!!!!

25世界@名無史さん:2011/03/07(月) 17:20:39.18 0
>>20
夢想(東ローマ系などは除く)
古代ローマ帝国−カロリング帝国−神聖ローマ帝国−フランス帝国…中央アフリカ帝国
26世界@名無史さん:2011/03/07(月) 23:08:38.46 0
エチオピア帝国もキリスト教が国教。
27世界@名無史さん:2011/03/14(月) 20:54:07.13 0
東フランク王国
28世界@名無史さん:2011/03/14(月) 21:06:12.69 0
滅亡の仕方がぶざまだった。
「国家滅亡はぶざまにきまっている!」と言われるかもしれないが、
それでもやはり、ぶざまな滅亡だと言わざるを得ない。

最後の皇帝が、
「封建領主どもは、どいつもこいつも好き勝手なことばかりしやがって。
皇帝をなんだと思ってるんだ。もう、俺なんかいなくたっていいだろ。
やーめた!」
と言って、退位してしまったのだ。

側近がつっこむ。
「あんたもその封建領主の一人でしょ」
「あ、そういやそうだったな。うわぁはっはっはっはっ」

こうして神聖ローマ帝国は滅亡しました。
29世界@名無史さん:2011/03/14(月) 23:07:59.28 0
あるいは、
「え?俺って神聖ローマ皇帝だったの?オーストリア国王だってことは知ってたけど、そんな位についていたっけ?ところで神聖ローマ帝国って何?めんどうくさいからもうやめようよ」

こうして滅亡した。
30世界@名無史さん:2011/03/17(木) 19:13:39.45 0
>>28-29
いちいち的確な感じでワロタwww
31世界@名無史さん:2011/03/17(木) 22:36:56.54 0
東ローマ帝国の滅亡では、皇帝みずから陣頭に立ち、
首都を包囲する敵の軍勢に斬り込んで、壮烈な戦死を遂げた。
同じ「ローマ帝国」だというのに、滅亡の仕方や皇帝の態度は、まったく
雲泥の違いだね。
32世界@名無史さん:2011/03/17(木) 23:45:58.58 0
政治体制が全然違うから比較する意味がない
33世界@名無史さん:2011/03/18(金) 00:08:35.81 0
西帝国も気がついたら皇帝がいなくなっていた。
34世界@名無史さん:2011/04/14(木) 20:36:14.97 0
まあ確かに東ローマ帝国の最期といったら世界史でも有数の壮烈さだからなぁ
神聖ローマ帝国のあっさりさとは比べるべくもない
コンスタンティノス=ドラガセス=パレオロゴスさんマジ漢すぎるだろ
35世界@名無史さん:2011/04/24(日) 18:35:00.23 0
ドイツよ、全てに冠たる、
世界に冠たる我がドイツよ!
マース川からメーメル川、
エッシュ川からベルト海峡まで
護りの為めに いつも
兄弟の如く団結せば
ドイツよ、汝は全てに冠たる、
世界に冠たる我がドイツなり!

Deutschland, Deutschland über alles,
Über alles in der Welt,
Wenn es stets zu Schutz und Trutze
Brüderlich zusammenhält,
Von der Maas bis an die Memel,
Von der Etsch bis an den Belt
Deutschland, Deutschland über alles,
Über alles in der Welt.
36世界@名無史さん:2011/04/25(月) 04:25:31.48 O
ナポレオンには「自分は西ローマ皇帝」とは思ってなかったのかな。カール大帝の故事に因んだ戴冠をしたり、息子をローマ王にしたり、意識はしていたような気がするけど。
37世界@名無史さん:2011/04/25(月) 11:34:08.62 0
>>36
欧米の指導者は常にローマ帝国を意識しているよ
あのブッシュ元大統領(子供のほう)
は911のテロの後にアメリカもローマみたいに潰れてしまうのでは
と考えて、ローマ帝国についての勉強会をしたそうだし、
38世界@名無史さん:2011/04/27(水) 17:05:55.95 0
>>37
アメリカ合衆国の大統領って、強大な軍の統帥権と行政上の強い権限を持っています。

元老院に推戴されて帝位についた初期のローマ皇帝とかさなる部分があります。
39世界@名無史さん:2011/04/28(木) 10:37:40.89 O
軍の総司令官インペラートルと法律執行の拒否権たる護民官特権か。

州知事の力も強いしなぁ。多民族国家だし。確かに似てる

でもまぁ沿革上は19世紀の立憲主義の下の君主大権が、何故か21世紀に生き残っている
不思議な民主主義ってことなんだろうが。
40世界@名無史さん:2011/04/28(木) 11:59:10.40 0
アンヴァリッドのナポレオンの墓にはローマ皇帝と刻まれてたのを見た
41世界@名無史さん:2011/04/28(木) 12:16:26.25 0
アメリカは露骨に古典ローマを気取っているところがあるけど、
EUは完全に神聖ローマ帝国化しているだろう
最初にEUを構想したEU官僚たちはまだ生き残っているだろう?
一度どういった形のローマ帝国を夢想していたのか
聞いてみたいものだな
ちなみに通貨統一が夢物語だった時代の統一通貨モドキの
記念貨幣にはカール大帝が刻まれていたけど
カール大帝は古典ローマ的ローマ帝国を夢想していたのかな?
ビザンツのパクリでいいと思っていたのかな?
まさか神聖ローマ帝国みたいな形の封建諸侯分立を夢想指定のかな?
42世界@名無史さん:2011/04/28(木) 14:15:17.75 0
>>41

カール大帝とビザンツ女帝のエイレネの婚姻による東西ローマ帝国の統一が
企てられたと聞いています(出典は忘れてしまいました<(_ _)>企画したの
は当時の教皇庁のようです)。

ただ、エレイネがその後に廃位されて流刑になった為、この企ては消えて
しまいました。

当時の教皇庁が古典ローマ的ローマ帝国(コンスタンティヌス大帝の時代の再来)
を夢想していたのかもしれません。
43世界@名無史さん:2011/05/01(日) 11:21:03.59 0
神聖ローマ帝国の全盛期は何時なんだろうな

版図だけで言うとカール5世の時なんだろうけど
いまいち神聖ローマ帝国としてカウントする気になれない不思議
44世界@名無史さん:2011/05/01(日) 15:19:44.42 0
ハプスブルク帝国を省くならザクセン朝の頃じゃないかなぁ
ハインリヒ二世とか?
45世界@名無史さん:2011/05/05(木) 13:29:37.22 0
「辺境伯」とか「選帝侯」は名前がかっこいいな。
46世界@名無史さん:2011/05/05(木) 14:57:15.93 O
>>40
やっぱり。
47世界@名無史さん:2011/05/06(金) 15:59:10.74 0
名前を初めとして中二病くさい連邦
選帝侯が名前だけの帝国官職もってたり

ちなみにビザンツは過去の栄光に固執する老害帝国
48世界@名無史さん:2011/05/07(土) 07:37:18.10 0
日本の江戸時代でいえば薩摩や長州みたいな反幕府の諸侯がうじゃうじゃいたという感じだからな
それに加えてケルンみたいな聖界諸侯もいたし
日本にも比叡山や本願寺教団があったが信長家康が勢力を弱めたので神聖ローマ帝国ような聖界諸侯
化することはなかった
49世界@名無史さん:2011/05/07(土) 20:13:40.22 O
日本の坊主は本願寺とか一向衆以外ショボいでしょ。
一神教でかつ、冠を授ける天皇みたいな力があった
キリスト教とはかなり違うなぁ。
50世界@名無史さん:2011/05/08(日) 22:21:54.32 0
宮中伯ってのは、日本だと内大臣みたいなもんかな?
51世界@名無史さん:2011/05/08(日) 23:43:35.52 0
>>50
初期には文字どおり宮中に伺候して職務を行う皇帝の側近としての役目も負っていたので内大臣というより政府の大臣に近いかな?
後には地方での諸侯の監視も役目になるけど
52世界@名無史さん:2011/05/09(月) 08:24:35.82 0
じゃあ江戸幕府の大目付みたいなもんかなあ。
53世界@名無史さん:2011/05/12(木) 08:14:33.12 0
>>49
一向一揆以外にも比叡山の僧兵や法華一揆などがいた
和歌山の新義真言宗の根来衆も相当実力をもっていた

>>50 >>52
江戸幕府における旗本みたいなもんじゃないの?
54世界@名無史さん:2011/05/21(土) 15:23:12.49 0
皇帝の一覧見てたら、
ロタールとルートヴィヒは
前者は2世が、後者は3世が欠番で
いきなりズップリンゲンベルク家のロタール3世、
ヴィッテルスバハ家のルートヴィヒ4世が
ポッと現れるのですが、欠番になる理由は
何かあったのですかね?

あわせて、ルートヴィヒは2世も
ロタール1世の子なのはわかるのですが
20年も在位しながら、治績やエピソードが
分かる資料が見当たりません。
何した人だったのでしょう


55世界@名無史さん:2011/05/21(土) 16:08:20.79 0
ロタール1世の子、ロタール2世は帝位に就かずロタリンギアの王だったがどうもカウントするみたいだ
ただ、カウントせずにロタール3世を2世とする場合もあるみたい
盲目帝ルードヴィヒ3世の方は901-905年に在位してる

ルードヴィヒ2世のエピはググれば英語版やドイツ語版wikiあたりで簡単に読めると思うが……
文献ということであればピエール・リシェの Die Karolinger. Eine Familie formt Europa とか?
56世界@名無史さん:2011/05/22(日) 00:45:37.39 O
>>44
ザクセン朝の頃はそれこそ「神聖」でも無いし「ローマ帝国」とも名乗って無いからな
まあ皇帝って言えば当時の誰が聞いてもローマ皇帝だからそれは良いとしても、神聖ではないし
「神聖ローマ帝国」としてはカール5世が最盛期としか言い様がないんじゃね?
広大な版図はむしろ最もローマ帝国的と思うが、イタリアを含まないのが画竜点睛を欠くな
5754:2011/05/22(日) 01:45:14.70 0
盲目帝ルートヴィヒ3世ってそんなのがおったんですね
アルヌルフ帝の息子、ルートヴィヒ小児王とは別人ですよね?
カロリング朝の皇帝はアルヌルフ・フォン・ケルンテンが最後で
以降オットー大帝まで皇帝はいなかったかのように
書いてある本もあるんですが、
じゃあその本はスカタンですね。
58世界@名無史さん:2011/05/22(日) 02:23:40.31 0
>>56
カール5世は両シチリア王も兼ねてるしイタリア北部諸都市も緩い支配下に置いてる
全土を完全に、ではないけどイタリア含んでるよ
59世界@名無史さん:2011/05/22(日) 15:23:55.43 0
>>56
カール五世をいれないって前提設定は俺じゃなくて>>43なんでそっちに言ってくれよ
60世界@名無史さん:2011/05/22(日) 17:51:05.88 0
>>59
「カール5世を含まない」じゃなくて「イタリアが領土に含まれない」ってところを>>58で指摘してるんだが
61世界@名無史さん:2011/05/23(月) 02:08:36.85 0
>>59
長靴のつま先まであまねく支配した上、神聖とか言い出して以降でないとダメだってんなら、それは>>43に言ってよ
カール五世がダメだって言い出したのは俺じゃないんだから
それにザクセン朝の頃だって北イタリアの占領とローマでの戴冠はやってるんだし
62世界@名無史さん:2011/05/23(月) 02:09:19.72 0
自己レスしちゃったよw
>>60なw
63世界@名無史さん:2011/05/23(月) 02:43:42.27 0
>>61
落ち着け

認める認めないの話してるんじゃなくて
>>56の「イタリアを含まないのが画竜点睛」というのに対して
カール5世の支配領域にはイタリアのかなりの部分も含まれてるって話だ
64世界@名無史さん:2011/05/23(月) 20:27:49.35 0
>>63
あぁ、そこの部分を言ってるのか
俺が勘違いだったスマン
65世界@名無史さん:2011/06/05(日) 01:18:39.04 0
神聖童帝帝国
66世界@名無史さん:2011/06/05(日) 01:19:03.62 0
朕は神聖童帝である!
67世界@名無史さん:2011/07/07(木) 20:12:34.03 0
婚姻は他家に任せておけ。幸いな神聖ローマよ、汝は戦争せよ。
68世界@名無史さん:2011/08/01(月) 23:09:05.00 0
ハインリヒ6世の世襲帝国化計画が成功していたら
ドイツの歴史は変わっていたのだろうか?
だとしたら、帝国議会で大反対したケルン大司教アドルフは
別の意味でドイツの歴史を変えた男になると思ふ
69世界@名無史さん:2011/08/06(土) 00:28:02.12 0
固定化したドイツ王家なりドイツ皇帝家なりが成立したとしても
割と早々に男子断絶、血統消滅してなかったことになりそう
70世界@名無史さん:2011/08/08(月) 12:19:05.15 0
親父のバルバロッサがハインリヒ獅子公を討伐するときに
授封強制の前例作っちゃったから、ドイツ内での皇帝権力拡大は
難しかったろうな
71世界@名無史さん:2011/09/08(木) 22:01:29.77 0
選帝侯とか辺境伯とかは名前がかっこいいのな。
72世界@名無史さん:2011/09/09(金) 00:05:19.37 0
ドイツ語にするとさらに心地よく中二魂を刺激してくれる
帝国書記官長→ライヒスカンツラー
公→ヘルツォーク
73世界@名無史さん:2011/09/09(金) 01:56:27.17 0
ドイツの子供たちは神聖ローマ帝国期のダラダラとした長い1000年の歴史をやっぱり学ぶの?
74世界@名無史さん:2011/09/09(金) 12:40:05.68 0
カール大帝の頃から神聖ローマ帝国として学ぶらしいな
75世界@名無史さん:2011/09/09(金) 13:27:16.75 O
>>47
目、鼻、耳、手、ナニの内でどれがいい?
削がれる部位は。
76世界@名無史さん:2011/09/09(金) 22:12:18.86 0
ドイツの教科書も興味深いが、オランダやベルギーも知りたいところだな
日本ではマイナーな帝国諸侯のホラント伯やブラバント公の歴史も学ぶのかね
77世界@名無史さん:2011/09/10(土) 00:13:33.79 0
フェデリコ2世は神聖かつガチで格好良い
78世界@名無史さん:2011/09/10(土) 18:06:33.85 0
Reichは帝国じゃねーよっと
79世界@名無史さん:2011/09/10(土) 18:49:24.25 0
神聖ローマ王国
80世界@名無史さん:2011/09/11(日) 00:17:55.43 0
┏━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┓
┃ヽ,.-、, '  ________  さ い た ま 銘 菓    .┃
┃‐(.゚∀゚)‐<風が語り掛けます   _|_  ┬─ ┬─     . ┃
┃ , '`,、',、  二二二二二二二二   .|  .ノフ  ノ口      ┃
┃∩( ゚∀゚),<うまい、うますぎる     食曼  豆頁       ┃
┃ Y  イ   ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄      (株)十万石ふくさや ┃
┗━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┛
81世界@名無史さん:2011/09/11(日) 23:32:56.88 0
>>77
中央公論からカントーロヴィチの「皇帝フリードリヒ二世」やっと出たね。
厚い本を買ってきたばかり。
82世界@名無史さん:2011/09/13(火) 20:23:15.16 0
>>81
http://www.chuko.co.jp/tanko/2011/09/004257.html

これですか。
ボリューム満点ですな。
83世界@名無史さん:2011/09/13(火) 22:59:47.43 0
流れ切りでスマンが、いつ頃から「ドイツ」って言う地名が使われ出したんだろう?
それ以前は「ゲルマニア」って呼んでたのかな?
84世界@名無史さん:2011/09/14(水) 01:49:06.96 0
>>83
wikipediaにはこうある。
『Deutsch (ドイチュ)の原義は「民衆、大衆」で、フランク王国時代にラテン系言語ではなく、ゲルマン系の
語を用いるゲルマン人系一般大衆をこう呼んだことに由来する。』
『それまで国名にドイツが冠されていなかったが、15世紀からは「ドイツ国民の神聖ローマ帝国(Heiliges Rö
misches Reich Deutscher Nation」と称し』
『1667年にザミュエル・フォン・プーフェンドルフ (de:Samuel von Pufendorf) が著した書ドイツ帝国憲法
について (Über die Verfassung des deutschen Reiches) において初めて、ドイツ帝国という呼称が
確定できる。』

ローマ時代はゲルマニア。(の一部かな?)
フランク王国時代にザクセンとかバイエルンとか平定されて行った。その後フランク王国が分割されて東フラ
ンク王国になる。(ドイツ人という意識やまとまりはまだ無い)
力を伸ばした東フランク王オットー1世が西欧の盟主となってローマ皇帝として戴冠。(神聖ローマ帝国)
85世界@名無史さん:2011/09/14(水) 17:06:53.39 0
>>83
ハインツ トーマスの「中世の「ドイツ」―カール大帝からルターまで」はまさにその
問題を扱っている。今のドイツの地域を「ドイツ」と呼び出したのは、グレゴリウス7世
くらいの頃のイタリア側らしい。それ以前のドイツは84にもあるように、「民族の」と
いうような意味で、地域名ではなかった。それ以前は、アレマンとか
シュヴァーベンとかザクセンとかバイエルンとかフランコニアとか、部族起源の地域名を
用いていたようです。ザリエル朝の途中から国王はイタリア王とは別に
ローマ王を称するようになり、事実上ドイツ国王=ローマ王となったわけだが、
そのうちローマ王が皇太子の称号になったそうです。
86世界@名無史さん:2011/09/14(水) 22:16:02.52 0
>>84-85
サンクス。
そうすると、「ドイツ」が使われ始めたのは11世紀のイタリア。
本場のドイツ人が確実に「ドイツ」を自称とするのは15世紀以前ってところかな。
「ローマ王」の自称以前は、「東フランク王」としか呼んでなかったのかな?
87世界@名無史さん:2011/09/14(水) 23:32:46.68 0
>>86
西フランク王の国号は、わかりませんが、東フランク王の自称は「フランク王」
だそうです(「中世の「ドイツ」」によれば)。東とか西とかは、東ローマと西ローマと同様、
後世の学者がつけたものだと思います。。

 こちらWikiに、842年の東フランク王カールと西フランク王ルイの間での盟約
シュトラスブールの誓いのラテン語原文と英訳があります。
ttp://en.wikipedia.org/wiki/Oaths_of_Strasbourg
 これによると、ロマンス語とドイツ語(teudisca lingua、romana lingua)
という表現は登場していますが、国王の称号は記載が無いのが残念です。
 同書に、1270年頃成立したとされる「大フランス年代記」に、「roi de France
(フランス国王)」「nation de France(フランス人)」とあるとのことなので、
東西両国王とも、9,10世紀あたりは、「フランク王」を自称し続けたのかも知れません。
88世界@名無史さん:2011/09/15(木) 02:55:32.93 0
>>86,87
東フランク王国という言葉は国号としても称号としても実際に使われているよ。
"rex in orientali Francia" 東フランクの王
"Regnum francorum orientalium" 東フランク王国
参考
ttp://de.wikipedia.org/wiki/Ostfrankenreich
Grimald von Weißenburg(800-872)というルートヴィッヒの宮廷に仕えた人が
残した史料で使ってるらしい。
参考
ttp://de.wikipedia.org/wiki/Grimald_von_Wei%C3%9Fenburg
ただし他には見られないようなので、"regnum Francorum"が一般的だったのかも知れない
(こちらは多くの史料に登場する)。
8987:2011/09/15(木) 20:45:39.22 0
失礼しました。東フランクという用語は使われていたのですね。
グリマルドという人は索引を見たら「中世の「ドイツ」」にも
載っていました。それによると、833年にルートヴィッヒドイツ人王の宮廷
司祭長になったときに、称号の変更が行われた、とあります。
更に、833年は、ルイ一世(在814-840年)の治世中なので、皇帝の領土の下位の
地域の称号だった、とあります。
一方、同書には、オトフリート・フォン・ヴァイセンブルグ(800頃-870年頃)という
同時代の修道士の著作「福音詩」では、ルートヴィッヒ王を「Frankono kuning(フランク人の国王)」、
「Frankono lant(フランク人の国)」と記載しているとのことです。
更にザンクト・ガレン修道院の修道士ノートカー・テウトニクス(950年頃-1022年)は、
オットー朝諸王を「Saxones reges(ザクセン人の国王たち)」と呼んでいたそうです。
9087:2011/09/15(木) 21:07:55.44 0
追記
10、11世紀のフランス国王の正式称号も同書にありました。
教皇庁でも承認されていたその称号は「rex Franconum(フランス国王)」
「regnum Frankonum(フランス王国)」だそうです。
91世界@名無史さん:2011/09/16(金) 21:35:27.50 0
ドイツ史の本に「神聖ローマ帝国は、ドイツ王国、イタリア王国、ブルグンド王国から成る」みたいなことが書いてあったけど、
今までのレスから、この時代の「ドイツ王国」というのは後世の後付けの呼び名ってことか。
92世界@名無史さん:2011/09/17(土) 00:38:28.81 0
そういうこと。第二帝国からナチスドイツ時代のドイツ歴史学では、ドイツの
成立をできるだけ早期に求める風潮があった。その頃の研究書では、初期王朝時代
のドイツが「ドイツ王国」となっていても不思議ではない。このあたりは、
近代ドイツの歴史研究史についての文献を読むとよいかも知れない(どれどれ
とあげることはできないが)。現在でも民族主義色彩の強い研究者は早期に
求める傾向があるらしい。

このあたりは、史料に登場するDeutschという言葉の元になった単語を
どのように解釈するかで変わってくる(言語を指しているのか、民族名を
さしているのか、「民衆」という一般用語なのか、名詞なのか、形容詞なのか、
誰がその用語を用いているのか。イタリア人なのか、ドイツ人自身なのか、
ドイツ民衆なのか、皇帝なのか、教皇なのか)。
93世界@名無史さん:2011/09/19(月) 09:58:17.40 0
移動できない農民は「ドイツ」なんて意識しようがないけど、
ハンザ商人とか、バルトの騎士団なんかは大雑把な形で「ドイツ」を意識し始めてなかったのかな?
アイデンティティの形成は、やっぱ外部との接触がきっかけになると思うし。
94世界@名無史さん:2011/09/19(月) 12:04:42.25 0
ハンザ商人の時代は「ドイツ」を意識し始めていたかも知れないけど、
アイデンティティとしては、ザクセン人、シュヴァーベン人、バイエルン人の
方が一般的だったのではないかと思う。例えば一般に「ドイツ人の東方殖民」
とされる話は、史料や、より詳しい歴史書では、「ザクセン人」とかに
なっている。史料ではないけど、15世紀初のポーランドの歴史映画を見ていたら、
「シュヴァーベン人」という言い方が出てきた。

デーン人とか、ノルウェー、スウェーデンあたりは、国が分かれたからそれぞれを
呼ぶようになっているが、カルマル同盟みたいなのが発展して統一国家に
なったとしても、デーン、ノルド、スウェディシュの呼び方の方が定着し、
「ノルド人」みたいな全体名称は定着しなかったかも知れない。

同様のことは英国にも感じていて、Englandが語源のイギリスという言葉を
使うのには抵抗がある。ウェールズ人、スコットランド人、北アイルランド人に
反発されそうな感じがしてしまって。英語では、基本UK、たまにブリタニア
とか使うけど、絶対に地域名・民族名についてEnglandやEnglishは使わない
ようにしている(言語を指す時だけEnglishを使うが)。
95世界@名無史さん:2011/10/16(日) 17:04:03.91 0
71 名前:世界@名無史さん[] 投稿日:2011/09/08(木) 22:01:29.77 0
選帝侯とか辺境伯とかは名前がかっこいいのな。

       
            ↑

           あるある
96世界@名無史さん:2011/10/24(月) 00:48:25.01 0
神聖ローマ帝国っていったい何が神聖なの?この場合の神聖ってどういう意味?
97世界@名無史さん:2011/10/24(月) 14:02:17.14 0
教皇権、宗教界という意味。ローマ皇帝は、宗教界と俗界両方を統治するから、「神聖」と
「帝国」がついた。
98世界@名無史さん:2011/10/24(月) 20:54:49.32 0
だが神聖ローマ帝国の校庭はローマの皇帝でもなければ宗教界を統治してもいない訳だが。
99世界@名無史さん:2011/10/24(月) 21:06:42.21 0
まぁ校庭が皇帝ではないという点については肯定せざるを得ないなw
100世界@名無史さん:2011/10/24(月) 22:28:50.55 0
をを、何とっ!!

>>96
ローマ教皇が認可したって意味。
101世界@名無史さん:2011/10/26(水) 00:37:19.76 0
長文で申し訳ないが、最初に神聖な帝国(sacrum imperium)と言い出したのは
シュタウフェン朝のフリードリヒ・バルバロッサ。

当時、西方での主導権をめぐってもめていたローマ教皇ハドリアヌス4世や、
二帝問題やシチリア・ロンバルディアへの介入で争うビザンツ皇帝マヌエル1世等の
周辺勢力に対して、皇帝の権威を強化する必要があった。
そのためにバルバロッサは腹心のケルン大司教ライナルト・フォン・ダッセルと、
自身が擁立した対立教皇パスカリス3世を動かして、カール大帝を列聖して箔付けもしている。

この「神聖」の中身は諸説あるが、大雑把にいえば
・古代ローマ帝国の伝統と権威の強調(当時の常識では、帝国=ローマ帝国)
・ローマ帝国をキリスト教帝国として神聖なものとみなしている
ぐらいのもの。

バルバロッサは、神の摂理でローマと世界の統治権を手中にしたので、
神聖なる帝国と神の国を保護しなくちゃね、と頑張りすぎてレニャーノで凹られ、
最期はサレフ川で溺死しちゃった。
102世界@名無史さん:2011/10/27(木) 23:36:56.38 0
要はローマ教皇が、「俺の宗教活動を邪魔するヤツが現れたら、
お前どうにかしろよ?」といわれていたのが、神聖ローマ皇帝?
103世界@名無史さん:2011/10/28(金) 00:11:34.08 0
皇帝と教皇は思いっきり対立してたじゃん
104世界@名無史さん:2011/10/28(金) 00:48:23.89 0
まあ教皇に邪魔者を消せと言われたのは皇帝に限った話じゃないしね
105世界@名無史さん:2011/10/31(月) 10:50:08.23 0
神聖でもなければ、ローマ的でもなく、帝国でもない。
ドイツ人の、と言ってもベーメンとネーデルラントを含み、皇帝はハンガリー王で、
皇帝と覇権を争った国の王は、異教の民族プロイセンの地の王を名乗る。

まさにヨーロッパの妖怪。
106世界@名無史さん:2011/10/31(月) 14:36:38.16 0
>>101
「バウドリーノ」って小説でフリードリヒ1世を出迎える騎士たちが剣を掲げて
「カイザー、神聖なる王(サンクティシムス・レックス)」とかいう場面があったけど
そういうのも実際に呼ばせてたの?
107世界@名無史さん:2011/10/31(月) 22:46:43.39 0
手元にソースがないので、皇帝が諸侯や配下の騎士・ミニステリアーレに、
式典で自分を神聖皇帝と呼ばせていたか否かははっきりとはわかんない。すまん。

元々がバルバロッサが1157年にイタリア遠征の招集状に用いた名称で、
ぶっちゃけ初めは教皇に対する挑戦状のようなものだった。
それが1180年に皇帝の公証人が「神聖なローマ帝国の公証人」と記されるようになり、
帝国書記局でバンバン使われるようになって国号となっていった。
108世界@名無史さん:2011/11/12(土) 12:17:41.39 O
『ルネサンスを先駆けた皇帝』っての読んだんだが、ヘルマン・フォン・ザルツァって何者なの?
皇帝の命令で教皇とのパイプ役としてあちこち飛び回ってるけど、ドイツ騎士修道会の総長って騎士なの?修道士なの?
109世界@名無史さん:2011/11/12(土) 16:28:38.53 0
騎士修道士じゃねぇの?
110世界@名無史さん:2011/11/12(土) 16:32:08.33 0
騎士修道会というのは、騎士団とはいうが修道会の一形態であり、
その構成員の立場は修道士であって、世俗の騎士ではない。
111世界@名無史さん:2011/11/23(水) 19:11:13.29 0
ドイツ統一はまだ終わっていない。
オーストリア、スイス、ルクセンブルク、
そして、フランスに不法占拠されているエルザス=ロートリンゲン、
イタリアに不法占拠されている南チロル、
ベルギーに不法占拠されているマルメディー=オイペン、
ポーランドに不法占拠されている東部ドイツ(シュレジエン、プロイセン)
ロシアに不法占拠されているケーニヒスベルク
これらがドイツに復帰したとき統一が完成する。
112世界@名無史さん:2011/11/23(水) 19:53:16.07 0
ボヘミアもだろ
113世界@名無史さん:2011/11/23(水) 21:51:23.23 0
ボヘミアはスラブ人の国。
オーストリア、スイス(のドイツ語圏)、ルクセンブルク、
エルザス=ロートリンゲン、南チロル、マルメディー=オイペン、
シュレジエン、(東)プロイセン、ケーニヒスベルクなどは、
一応、ドイツ人の土地。

まあ、シュレジエンや東プロイセン、ケーニヒスベルクにドイツ人は、
ほとんど残ってないけどね。
114世界@名無史さん:2011/11/23(水) 22:10:40.12 0
>>113
ドイツ人の神聖ローマ帝国に組み込まれてた土地は全部ドイツと強弁してみる
ハンガリーもボヘミアも全てドイツ
115世界@名無史さん:2011/11/23(水) 22:14:06.98 0
フランスに対してはエルザス・ロートリンゲンだけじゃなく、ルイ14世が侵略する前の国境を回復するのが望ましいんじゃ?
116世界@名無史さん:2011/11/23(水) 22:21:38.32 0
ドイツ語圏を全部ドイツにするとなったら、「ナチスの再来」と欧州中で叩かれまくるわな。
まあ、ヘルシンキ条約で「国境は変更しない」となってるし、EUとNATOでタガをはめられてるから無理だろうけど
117世界@名無史さん:2011/11/23(水) 22:43:08.05 0
今のドイツはヨーロッパ合衆国の支配者になるというもっと壮大な野望を持っています。
ドイツの回復なんて小せぇ小せぇ、どうせならヨーロッパを統一してやるって。
今はギリシャでの火消しに失敗して試練の最中です。
118世界@名無史さん:2011/11/24(木) 11:11:28.99 0
ドイツは凄い。二度も戦争を引き起こしてるけど今やEU・ユーロ圏の中心的な存在だからな。
戦後66年経ってもいまだに中国・韓国は植民地支配を標榜して日本に圧力をかけてくる。
119世界@名無史さん:2011/11/25(金) 21:54:42.51 0
>>114
ロンバルディアやシチリアもお仲間に入れてあげて下さい
120世界@名無史さん:2011/11/26(土) 12:53:39.04 0
ヒトラーの親戚って今どこに居るんだろうな。やっぱり名前を変えて別の土地に移住したのかな。
ヒトラーというと独裁者の代名詞みたいな感じになってしまったけどアドルフが出なかったら
何の変哲もないありふれた家の名前だからな。
121世界@名無史さん:2011/11/28(月) 17:55:58.13 0
戦争でもないのにイタリアに足引っ張られるドイツ萌え
122世界@名無史さん:2011/11/30(水) 16:07:45.64 0
>>120
名前を変えてアメリカに移住してるらしいよ。
123世界@名無史さん:2011/12/11(日) 21:21:15.94 0
現代の神聖ローマ(EU)もイタリアに足引っ張られそうだし
124世界@名無史さん:2011/12/13(火) 00:04:05.61 0
>>117-118
支配者にはなれないよ
ドイツと産業構造や社会資本が似ているイリノイ州(シカゴのある州)見ればわかる
イリノイ州がアメリカを支配しているか?してないだろ
商品取引や工業の中心のひとつではあるが、アメリカを支配しているのはあくまでワシントンDCで、
それを裏から隠然たる力を持って支配しているのはあくまでニューヨークの金融業者だ
かといってニューヨーク州がアメリカを支配しているわけでもない

EUは思想的にも構造的にも帝国(Empire)とは真逆の組織、合衆国(Commonwealth of states)だから
125世界@名無史さん:2011/12/13(火) 00:08:26.63 0
ドイツ第二帝国は帝国じゃない、というのは、
良い意味に解釈すればこれも名目はEmpireだが実態はCommonwealthだったから
独裁的な領邦群のCommonwealthだったのでアメリカやEUともまた違うが

なお、アメリカやEUや英連邦は晩期のポーランド・リトアニア共和国(The Commonwealth)に近い
126世界@名無史さん:2011/12/13(火) 00:09:44.21 0
>>123
したがってEUは現代の神聖ローマと似ている点もあれば決定的に違う点もある
127世界@名無史さん:2012/02/11(土) 18:18:11.92 0
シュトラースブルクは、エルザス地方の中心都市で、
日本人滞在者も多い街です。
ユーロ議会も置かれている、ヨーロッパの中心的な街。
フランクフルトからDBの特急で4時間、飛行機で1時間の距離にあります。
ライン川沿いにある、フランス国境の街であり、
フランス領になった経験も持つ街ですので、
町並みや食事もフランス風。こういうと、食事が美味しそう・・と思われるかもしれません。
しかし、ドイツ1の食いしん坊の地方と言われるだけあり、
食事の美味しさではドイツ一かもしれません(3星レストランの数も多し)。
フォアグラ発祥の地であり、ワインだけでなく、ビール会社も数多くあり、美味しいものに溢れています。
また、食材も豊富で安く、自炊をすれば生活費はグンと抑えられます(で、その分を外食代に)。
また、町の中心部(イル川の中)が世界遺産に登録されてる、美しい街です。
エルザス人は、堅実で真面目、と、まさにドイツ的。
ドイツ国内では、日本人も住みやすい場所と言えると思います。
128世界@名無史さん:2012/02/11(土) 18:38:13.48 O
神聖ローマ帝国の政府軍って末期にもいたらしいし
七年戦争ではプロイセンと戦ってるらしいけど
兵力とか財源とかどのくらいだったんかな
129世界@名無史さん:2012/02/24(金) 23:41:09.49 0
>>128
帝国諸侯の集会で認められて、資金援助が認められたりする事もあったけど
普通は皇帝位についている自家の軍隊と、それに呼応する諸侯の軍隊を
帝国軍と呼んでただけ。
130世界@名無史さん:2012/03/06(火) 02:21:07.75 0
当初は単に“帝国”と称していたらしい
インペラトールを皇帝の意味に使ったのもこれが初めてなのか
もともとインペラトールは凱旋した将軍をいう言葉で、王の王という内容ではない
ラテン語を正しく知らないゲルマン人たちが、単語の意味を拡大解釈する様子が窺えます

ドイツ国王でブルゴーニュ公でかつイタリア王というのが、皇帝の資格だったそう
131世界@名無史さん:2012/03/10(土) 21:24:35.65 0
>>130
インペラトルが古代ローマの軍司令官が語源なのはその通りだけど
インペラトルが皇帝の称号のひとつになってたのは、古代ローマの頃からだよ。
だからドイツ人が皇帝をインペラトルと称しても全然不思議じゃない。
ついでにいえば、諸王の王を表す皇帝の称号はバシレウス(これはギリシャ語)
で、オリエントから伝来したものだから、インペラトルとは語源的には全然関係がない。

更に言うとブルゴーニュ公とブルゴーニュ王は全然別物だよ。
ブルグントは当時の先進地帯だったので、色んな称号が乱立してる。
132世界@名無史さん:2012/03/11(日) 19:54:33.40 0
>>131
公国王が公爵ではないわけ?
ふーん
133世界@名無史さん:2012/03/12(月) 20:35:11.39 0
ブルゴーニュ公国の君主は、ブルゴーニュ公で公王なんて称号では呼ばないね。
このブルゴーニュ公の封主はフランス王で、神聖ローマ帝国があった頃の
ブルゴーニュ王国とは何ら関係がない。
だから日本の文献では、この王国をブルグント王国と表記して
ドイツ勢力圏だって事を暗に示してる。
134世界@名無史さん:2012/03/12(月) 23:17:48.36 0
バシレウスってのは人名であったよな
ラテン語を流用していたんだな
よく知らずに
135世界@名無史さん:2012/03/13(火) 04:05:20.31 0
ラテン語よく知らないんだけど、バシレウスってギリシャ語じゃないの?
136世界@名無史さん:2012/03/14(水) 20:14:15.95 0
ブルグント王ってカール大帝の戴冠の段階で他のランゴバルド王などの周辺諸王とともに
神聖ローマ皇帝位に吸収されちゃってて後の時代のブルゴーニュ公爵とは全く関係ないよね

まあ、神聖ローマ皇帝カール5世がフランソワ1世との和平の条件で
フランシュ・コンテとブルゴーニュ公領に拘ったことと多少は関係ありそうだけど
ブルゴーニュとフランシュ・コンテはハプスブルク家のオランダ支配に必須であるスペイン街道へ
フランスからちょっかい掛ける絶好の橋頭堡で且つハプスブルク領アルザスの玄関口であり
スイス、イタリア、そして地中海へとつながる15〜16世紀フランスの生命線でもあったから
父祖の地という感傷や帝国の象徴的な意味以上に地勢上の実利によって狙われてるとは思うが
137きよた ◆EDbFpD72Yc :2012/03/16(金) 08:59:55.17 0
かっくいい
138世界@名無史さん:2012/03/18(日) 04:26:15.28 0
>>131
そりゃーいわゆる軍人皇帝とかの場合じゃないの?
その時代は一般的なローマ帝国の概念が終った頃だ

だいたいローマ“皇帝”という呼び名自体、明治の日本人の無理な当てはめだ
いわゆるローマ帝国の正式名称はラテン語で「レースプーブリカ」、
元老院と民衆の共有財産を意味する
元老院の筆頭がアウグストゥス(尊厳なる者)で、これを皇帝と呼ぶのも誤訳だ
レースプーブリカは元老院直轄とアウグストゥス直轄の地域があって、
この国内に多くの土地を支配する領域を持っている様子から、皇帝の文字を当てはめたと思われる

“ローマ皇帝”が軍人だった場合、インペラトールの称号を与えられるだろうが、
これは凱旋式を終えるまでの過渡的な称号に過ぎかった
オレが言ってるのは「もともとそうだ」という話な
139世界@名無史さん:2012/03/19(月) 19:26:53.14 0
>>131
アウグストゥスとかアウグストゥルスとか、要は古代のローマの支配者を
皇帝と訳したのに無理があるという指摘は色んな学者が言ってる話だけど
インペラトルがローマの支配者の称号のひとつに固定されたのは
ユリウス朝が滅んだ後からだから、かなり初期の頃からである事は間違いないと思う。

中世の皇帝(神聖ローマ皇帝)とひとくちに言っても
色んな性質・称号の寄せ集めという点では一緒だね。
140世界@名無史さん:2012/06/03(日) 15:51:10.03 0
カロリング朝の皇帝て
カール大帝→ルートヴィヒ1世→ロタール1世
→ルートヴィヒ2世→カール2世→カール3世→アルヌルフ、
で途絶えるわけだけど、
その後ザクセン朝のオットー大帝までの間に出てくる
ルートヴィヒ3世とかベレンガリウスとかいった諸帝は何者?
141世界@名無史さん:2012/06/03(日) 21:30:59.12 0
アルヌルフの子のルートヴィヒ小児王ではなくて?

ベレンなんとかは知らん、スマソ
142世界@名無史さん:2012/06/04(月) 02:42:05.00 0
>>140
ルートヴィヒ3世は2世の子のザクセン王
ベレンガリウスは2世の子のカール3世(肥満王)の子でイタリアを継承して後に皇帝になった
どちらも「フランク人のローマ皇帝」、要するにカロリング朝皇帝で
このベレンガリウスが死んだ後の数十年間空位だった帝位に
オットー大帝が即位して神聖ローマ帝国が始まる

英wikiにまとまってるから読むといい
ttp://en.wikipedia.org/wiki/Louis_the_Younger
ttp://en.wikipedia.org/wiki/Berengar_I_of_Italy
143世界@名無史さん:2012/06/04(月) 08:22:16.45 0
>>142
そのルートヴィヒ3世は882年没、アルヌルフは899年没だから、
140の人の言うアルヌルフの後の皇帝ルートヴィヒ3世ではないだろ?
144世界@名無史さん:2012/06/04(月) 08:38:14.55 0
>>143
あ、>>139ちゃんと読んでなかった
ルートヴィヒ3世については>>140だね
失敬失敬
145世界@名無史さん:2012/06/04(月) 16:36:51.27 0
a.ルートヴィヒ1世は皇帝かつフランク王だからいいとして

b.「皇帝ルートヴィヒ2世」はaの孫
c.「東フランク王ルートヴィヒ2世」はaの子
d.「皇帝ルートヴィヒ3世」はbの孫(娘の子)
e.「東フランク王ルートヴィヒ3世」はcの子
f.「皇帝ルートヴィヒ4世」は、こいつらとは無関係
g.「東フランク王ルートヴィヒ4世」はcの曾孫
h.「皇帝ベレンガリウス」はaの孫(娘の子)

ややこしや〜ややこしや

※dとhがカロリング朝皇帝の一員として扱われない理由
(女系だから?実勢力が小さかったから?)は判りません。

※皇帝ルートヴィヒ3世の英wikiは
ttp://en.wikipedia.org/wiki/Louis_the_Blind
が正解
146世界@名無史さん:2012/06/04(月) 18:25:59.06 0
西フランクと東フランクと皇帝でそれぞれルートヴィヒ3世いるからややこしすぎる
西フランクのルートヴィヒは日本語だとルイ表記だけど英語だとルイスで一括だもんなぁ
147世界@名無史さん:2012/06/04(月) 22:24:29.00 0
イギリスだとこうなるのかw

「皇帝ルイス1世」と「フランク王ルイス1世」は同一人物
「皇帝ルイス2世」は「皇帝・フランク王ルイス1世」の孫
「西フランク王ルイス2世」は「皇帝・フランク王ルイス1世」の孫
「東フランク王ルイス2世」は「皇帝・フランク王ルイス1世」の子
「皇帝ルイス3世」は「皇帝ルイス2世」の孫
「西フランク王ルイス3世」は「西フランク王ルイス2世」の子
「東フランク王ルイス3世」は「東フランク王ルイス2世」の子
「皇帝ルイス4世」は、こいつらとは無関係
「西フランク王ルイス4世」は「西フランク王ルイス2世」の孫
「東フランク王ルイス4世」は「東フランク王ルイス2世」の曾孫


幼児番組の「みいつけた!」じゃあるまいし、イスイス五月蠅いっ
148世界@名無史さん:2012/07/21(土) 03:34:07.36 0
皇帝選挙の際に選帝侯達が具体的にどういうやり取りをしてたのか
調べたいんだけど何かいい資料とかってないかな
選挙という事は実際に何がしかの紙に書いて投票してたのか、それとも全然別な方法なのかな
149世界@名無史さん:2012/07/21(土) 07:20:02.31 0
 
ローマ法王も日本の日付に語呂合わせ
http://ichiba.geocities.jp/gbsg0309/0202/9/191_1.html
http://ichiba.geocities.jp/gbsg0309/C/04/06.html
ローマ法王庁とイングランド国教会が和解した日は、
「板垣死すとも自由は死せず」の事件の日から100周年だった。
ローマ法王庁自体、日本が作り出し、支配している証拠のひとつ。
日本の陰謀は底知れない。
(仮説を含む)
150世界@名無史さん:2012/08/02(木) 16:20:30.29 0
>>149
し、知らなかった・・・。
151世界@名無史さん:2012/11/13(火) 22:41:18.03 0
>>148
選挙って、今の言葉で考えちゃうから投票を連想しちゃうけど
選定権を持っている有力者が、誰それを王と認めると宣言する儀式なんだよ。
“神の意志”で選ばれるべき人物が選ばれるという建前なので
多数決どころか、全員一致でないといけない。反対者はいてはいけないという儀式。
だから少数派になっちゃうと即戦争になるので、発言の順番は非常に重要だったわけ。

この辺、ミッタイスとか読むと面白いかも知れない。
152世界@名無史さん:2012/11/14(水) 21:23:17.79 0
『前田敦子はキリストを超えた』
http://awabi.2ch.net/test/read.cgi/mnewsplus/1352883667/401-500
153世界@名無史さん:2012/12/01(土) 10:49:50.01 0
154世界@名無史さん:2013/02/12(火) 02:22:55.75 0
ベーメン王を兼ねたルクセンブルク家の皇帝ジギスムントはハンガリー摂政のフニャディヤーノッシュを通じてワラキア公ヴラドツェペッシュと陪臣関係にあったんだな
155世界@名無史さん:2013/02/19(火) 17:48:16.75 0
ルドルフ∩゚∀゚∩age
156世界@名無史さん:2013/02/19(火) 21:28:34.74 0
>>154
ねぇよ
ヴラドがワラキア公になる前にジグモンド死んどるやろ
157世界@名無史さん:2013/04/04(木) 10:22:05.11 0
カール大帝(´∀`∩)↑age↑
158世界@名無史さん:2013/04/27(土) 00:41:30.29 O
オットー大帝('Α`)age
159世界@名無史さん:2013/08/12(月) NY:AN:NY.AN 0
神聖神奈川県とか神聖横浜市とかに改名すれば話題になりそうだ。
160世界@名無史さん:2013/08/12(月) NY:AN:NY.AN 0
神聖神戸市

神が二つもついて胡散臭いかな?
161世界@名無史さん:2013/08/12(月) NY:AN:NY.AN 0
>>160

神聖大輪田の泊とか神聖福原京にすればOK
162世界@名無史さん:2013/08/15(木) NY:AN:NY.AN 0
>>37
ブッシュはイラク派兵を十字軍って言ってたしな
163世界@名無史さん:2013/09/02(月) 00:10:51.35 0
各領邦の軍を集めるだけ、
のちに、帝国クライスで協力体制を構築した。
しかし、神聖ローマ帝国中央軍・連邦軍は存在しなかった?
164世界@名無史さん:2013/09/02(月) 09:18:01.00 0
帝国騎士とかのちのいわゆる皇帝軍(傭兵部隊)は違うの?
165世界@名無史さん:2013/09/05(木) 14:38:46.39 0
>>151
ミッタイスによると国王選挙は選定(Kur)と選挙(Wahl)という二段階に分かれてたらしいね
166世界@名無史さん:2013/10/25(金) 18:17:51.21 0
フリードリヒ2世が知識しかない知恵も武勇もない無能ってマジ?w
167世界@名無史さん:2013/10/26(土) 18:58:21.78 0
当時において
交渉によるエルサレムの無血奪取
なんてことを思いつくだけでも
卓越した知恵者と思うが。
まして実際に成功しているからな。

武勇の方は無かったかもしれんが。
168世界@名無史さん:2013/10/26(土) 19:13:45.66 0
武勇がないのはその通り
っていうか、そもそもフリードリヒが武勇に優れてるって主張してる人自体いないと思うが
169世界@名無史さん:2013/10/26(土) 19:14:50.59 0
むしろ「武勇だけ」のクール・ド・リオンとかが現代では無能扱いだが
170世界@名無史さん:2013/10/26(土) 19:37:06.69 0
2世って文武両道で何やらせても一流って評価だったはずだが
趣味は鷹狩だし
171世界@名無史さん:2013/10/26(土) 22:28:33.55 0
>>169
お?ライオンハートさんの悪口か?
172世界@名無史さん:2013/10/26(土) 22:49:41.72 0
武勇だけでなく人望もあったしな

近縁者とは不仲だったけど
173世界@名無史さん:2013/10/26(土) 22:58:12.06 0
当時はそりゃ武勇≒人望だろ
なぜかイングランドでは英雄扱いされてたし

ほとんどイングランドにいなかったし
多分英語話せないし
イングランドなんか戦争の費用集めるための税源としかおもってなかったのにな

あくまで「現代の歴史家好きの視点では」ってこと
個人としては俺もリシャール好きだよ
為政者としてはそりゃランク低いでしょ
174世界@名無史さん:2013/10/26(土) 23:03:29.96 0
いろいろ書いたけど
なんかスレチだな
話題もどすか

今、三佐川さんの本よんでる所
ハインツ・トーマスのも持ってるんだけど
あっちは専門家向けで前提とされてる知識が「ドイツの歴史学者」だから
さすがにちょっとキツ過ぎてまだ読んでない

三佐川さんの本はあるていど素人でも読みやすいね
最初にざっと政治史の概説してくれてるし
175世界@名無史さん:2013/11/16(土) 18:12:34.40 0
王様だし武勲より政治でしょ
176世界@名無史さん:2013/11/25(月) 19:55:46.54 0
シュルツェの西欧中世史事典III:でるやん!
めっちゃ欲しいけどお金が・・・・
177世界@名無史さん:2013/11/25(月) 19:56:36.24 0
第T章 王権――起源と概念
第U章 中世初期の国王支配の基礎
第V章 王位継承と国王選挙
第W章 摂政、代行、帝国代理
第X章 王宮――統治の中心
第Y章 統治形態としての巡幸王権
第Z章 フランク王およびドイツ王の行動範囲
第[章 国王宝物
第\章 王領と帝国領

めちゃめちゃ読みてええええええ
食費けずって買うかな・・・
178世界@名無史さん:2013/11/26(火) 01:19:57.10 0
>第Z章 フランク王およびドイツ王の行動範囲

なぜか笑えた
179世界@名無史さん:2013/11/26(火) 10:32:29.57 0
なんで?
「ドイツ王」なんてタームを無批判に使ってるからかな
180世界@名無史さん:2013/11/26(火) 12:04:54.23 0
でも、「鎌倉幕府」とか、当時は無かった言葉を
歴史叙述の際に或る概念に対して使うのは
普通にあることだから、或る程度はいいんじゃね?
「当時はドイツ王などという概念は存在しなかった」ことさえわきまえていれば
181世界@名無史さん:2013/11/30(土) 20:07:38.73 0
昔ドイツからのの留学生にベーメン、シュレジェン、プロイセン、アルザスとかを
加えた地図を手書きで描いて「ドイツの領域はこんな感じだったよね」ってとぼけて
見せたらすごいウケた、
「今はそんなに広くない」って言われたら
「あれ?自分が使ってる地図はちょっと古いのかも」って答えといた。
182世界@名無史さん:2013/12/09(月) 14:07:44.37 0
>>181
それ韓国人にやったら超ウケるだろうなw
朝鮮半島はもとより遼東半島も沿海州も中国東北三省も竹島も対馬も韓国領の地図を見せてやる
どういうかな?
183世界@名無史さん:2013/12/15(日) 01:47:32.27 O
ドイツ王は普通にあるで?東フランクの王のことをそう呼んだりするから。

だから>>178のタイトルは要するに、東西フランク王の行動範囲、ってことだろう。
184世界@名無史さん:2013/12/22(日) 23:59:39.51 0
ねえねえ、塩野七生がフリードリヒ二世の本書いたみたいだけどもう読んだ奴いる?
やっぱ塩野さんのことだからシチリア王としてのフリードリヒ二世なのかな?
ドイツでの事情も書いていてくれたらいいのに
185世界@名無史さん:2013/12/23(月) 18:38:54.92 0
ステマ死ね
186世界@名無史さん:2013/12/25(水) 12:43:28.51 0
エーコのバウドリーノと塩野七生のフリードリヒ二世を読んだらとりあえずはシュタウフェン王朝はOKかな
187世界@名無史さん:2013/12/25(水) 21:40:04.37 0
ステマ史ね
188世界@名無史さん:2014/03/21(金) 23:13:03.06 0
一般には1806年に神聖ローマ皇帝フランツ2世が帝国解消を宣言してして、オーストリア皇帝フランツ1世に即位したなどよく書いてあるが、実際にはオーストリア皇帝即位は
帝国解消前の04年であり、当時名目上は神聖ローマは存在してたのに、フランツは何故、そしてどんな根拠に基づき皇帝宣言したの?
189世界@名無史さん:2014/05/07(水) 07:53:10.22 0
恐らくナポレオンの登極に対応して
「フランス」の君主が皇帝ならば「神聖ローマ帝国」ではなく「オーストリア」の君主も皇帝でないと
格落ちになるからだと思われる

神聖ローマ帝位はヴェストファーレン条約以降、何時立ち消えてもおかしくない状況だったしな
190世界@名無史さん:2014/08/05(火) 10:03:48.66 0
既出或いはスレチなら申し訳ないです。
ウェストファリア条約を例える文言に「古い帝国の死亡証書」という有名な言葉があるけど、
この「古い帝国の死亡証書」という言葉の1次ソース(1次出典)は何処にあるか誰か知らない?
実は30年戦争とウェストファリア条約に関心があるのだが
この言葉が初めて登場したのは
「いつの時代」
「何処の国の誰」によるものかが知りたいんだ。

「死亡証書」が、いつ、どこの誰から発せられたのかを知る事で
当時のドイツ人の心情を伺い知ることができるかもしれないと考え、
1次資料を当たってみたけどどうしても見つからない。

浅識なので、まだ日本で出版された入門書レベルしか当たり切れないけど、
「ウェストファリア条約は古い帝国の死亡証書と呼ばれている」とは書かれているものの、
例えば「神聖でもなければローマ的でもなくー」はヴォルテールの言葉ーーのように
自分が当たったどの本にも出典が明らかにされていなかった。

いちばん古い本で「河出書房 世界の歴史13 絶対君主の時代 今井宏 昭和44年6月15日初版」
ここに「古い帝国の死亡証書」という見出しがあったので、
これかな?と思ったんだけど、ここにも「古い帝国の死亡証書と呼ばれてる」
としか書いてなかったので、まだどこかに出典があるのだなという事は判ったんだ。
明石 欽司さんの「ウェストファリア条約 その実像と神話 」にひょっとすると1次資料が紹介されてるかもしれないけど
本が周辺の図書館には置いてなく、取り寄せたいけど値段がネックになって難しい。
それで、ここなら、と思って伺ってみました。
どうぞよろしく!
長文すみません。
191世界@名無史さん:2014/08/12(火) 13:29:56.77 0
>>190

すいません。知らないっす。
192世界@名無史さん:2014/08/15(金) 21:44:40.41 0
>>191

190です。
了解しました。わざわざありがとうございます。
193世界@名無史さん:2014/08/15(金) 22:42:31.61 0
wwwww
なんだこのやりとり
194世界@名無史さん:2014/08/29(金) 22:48:59.95 0
1668年 プルゴルド
1694年 ブッキシュ
1736/37年 グントリング
1776年 モーザー
1795年 ピュッター
1796−97 コッホ
1804年 ゼンケンベルク
1808/09年 ヴォルトマン
1940年 コップとシュルテ
1841年 ホィートン
1942年 シュテディング
1959年 ディックマン
1962年 ブラウバッハとレプゲン

1998年 見直し論展開

2003年 テシィケ
2005年 伊藤
2009年 明石

コッホからホィートンまでの時代あたり。
一般向け・教科書・新聞用に、わかりやすい表現をしたんじゃないの?
そうすると探すの大変。
195世界@名無史さん:2014/09/18(木) 01:24:20.25 0
「死亡証書」ってのも観念的だよな
皇帝の権威は落ちたけどクライスなどの帝国組織は残ってたし
まあ皇帝主導の帝国改革はなくなったけど
196世界@名無史さん:2014/09/18(木) 09:28:51.48 0
ここでポーランドのように本格的分裂にいかなかったのは選定候のおかげかな
197世界@名無史さん:2014/10/27(月) 23:57:07.46 0
むしろポーランドの大貴族はなにしてたのかと
198世界@名無史さん:2014/10/28(火) 08:06:03.23 0
>>196
中世まではそれなりに帝国の実態があったし、以降はハプスブルク家は帝国を武力統一できるほどは強くなかったが、外国の草刈場になるのを阻止する程度には強かった。
そして欧州中原だけあってバランスオブパワーのお手本みたいな所で、小国乱立の状況を変化させようとするとハプスブルク家自体も含め帝国内外から全力で足を引っ張られた。
199世界@名無史さん:2014/10/28(火) 08:56:26.67 0
戦乱になると諸侯達の連携がすごい
皇帝の専横にもフランスの介入も食い止める
分権の国って外圧があると普通はポーランドみたいにグチャグチャなるんだがな
だからこそ神聖ローマは特別
200世界@名無史さん:2014/10/28(火) 08:58:41.62 0
イタリアも分権だったけど神聖ローマみたいに統一的な帝国議会や法律も司法もないんだよね
201世界@名無史さん:2014/10/28(火) 23:03:37.86 0
ここまで多くの諸侯に分裂してた民族もあんまり居ない気がする
オーストリアは統一出来なかったが、プロイセンはすごいな
202世界@名無史さん:2014/10/29(水) 00:41:01.57 0
314の領邦と1475の帝国騎士領か
たしかに滅多にというか空前絶後なような気がするな
203世界@名無史さん:2014/10/29(水) 01:24:56.73 0
分かれてるのは諸外国もそうだろうが
それぞれがある程度自立性もって近代まで続いたのは珍しい
204世界@名無史さん:2014/10/29(水) 23:56:07.56 0
バイエルンって第2次大戦後アメリカに「独立させてくれ」って頼んだらしいな
205世界@名無史さん:2014/11/04(火) 08:14:12.60 0
かっこいい世界史用語、1位は「神聖ローマ帝国」
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20141102-00000000-resemom-life

gooは、世界史を勉強していて「この言葉かっこいい」と感じた言葉を500人(男性250名、女性250名)に調査し
ランキングを発表した。
1位になったのは「神聖ローマ帝国」、「カノッサの屈辱」「薔薇十字団」が続いた。
206世界@名無史さん:2014/11/04(火) 14:53:06.16 0
英語でもかっこいいな
207世界@名無史さん:2014/11/22(土) 08:08:51.03 0
アニメでもコードギアスが「神聖ブリタニカ」として利用している
208世界@名無史さん:2014/11/23(日) 05:50:31.71 0
「薔薇十字団」って半裸のマッチョがオッス連呼でハッテンしてるイメージしか湧かない
209世界@名無史さん:2014/12/06(土) 09:55:37.23 0
>>199

> 戦乱になると諸侯達の連携がすごい

そのようになる特別な理由はあるのだろうか?
210世界@名無史さん:2014/12/06(土) 10:00:15.31 0
>>209
諸侯同士が会議ばっかりやって地域別の軍隊作ってたりしたから意志疎通はよかったんだよ
仲が悪くて破たんしてる地域もあったけどね
211世界@名無史さん:2014/12/06(土) 11:47:04.75 0
選定候やクラウスの存在がでかいんだろうな
212世界@名無史さん:2015/01/02(金) 00:35:45.25 0
>>204
彼らは徹底してるよね
戦前は中央党というローマ教皇直結のローマカトリック政党があったり戦後も若干その政党の影響を受けたキリスト教社会同盟という保守政党がCDU(キリスト教民主同盟)とは別に存在する
213世界@名無史さん:2015/02/16(月) 01:43:13.61 0
>>209
等族制は外に対しては既得権益の維持を目的に団結するから。
代わりに改革をしようとか、メンバーを増やそうとかいう権益を
侵害することにも徹底して反抗する
214世界@名無史さん
神聖ローマ帝国って非常に曖昧模糊とした概念なんだよな
962年オットー大帝の戴冠をもって始まるのか800年カール大帝の戴冠をもって始まるのか二つ説があるし実際神聖ローマ帝国と名乗るようになったのはもっと後の時代だし
ナポレオンに潰されるまでよく生き残ったなあと思う