3 :
世界@名無史さん:2011/01/21(金) 16:12:32 0
朝鮮王朝最強!
中国王朝最弱!
4 :
世界@名無史さん:2011/01/21(金) 16:15:45 0
二輪戦車は韓国起源
宇宙も韓国起源
5 :
世界@名無史さん:2011/01/21(金) 16:25:04 0
世界は韓国の一部
全ての人間は韓国人の子孫
朝鮮は中国の万年属国である事を、お忘れなく…。
7 :
世界@名無史さん:2011/01/21(金) 16:44:13 0
ダメだこいつw
こういうのは無視した方が良いよ。
構ってもらえなければ、ワンワン泣き出して逃げていくから。
朝鮮半島は中国の一部でしかない
いやいや、属領だな。
そっか
まぁ、同等に扱ったら失礼やしね
13 :
世界@名無史さん:2011/01/21(金) 19:46:22 0
14 :
世界@名無史さん:2011/01/21(金) 19:50:40 0
韓国>>>>>越えられない壁>>>>>中国(笑)=日本(笑)
15 :
世界@名無史さん:2011/01/21(金) 19:52:13 0
まーた、キチガイの活動が始まったか…。
17 :
世界@名無史さん:2011/01/21(金) 19:55:15 0
韓国人は天才
韓国人以外は気違い
そろそろネタ切れかな?(笑)
きもw
このスレは実質Part8です
23 :
世界@名無史さん:2011/01/23(日) 05:32:07 0
陳登が呂布や孫策を破ったって言うけど、呂布も孫策も大した事無いだろ
陳登が呂布や孫策を破ったってのは何ソースなのよ
「陳登伝」って何?
呂布は虎牢関で諸侯を瞠目させ、董卓を殺し、劉備を降服させ、袁術と劉備の和解を弓の美技でとりもった。
孫策は厳白虎、王朗、劉?、黄祖を打ち、人望扱った(ただい中央の人士には仕官を誘ったが尽く断れている
あくまで江東の虎(w
呂布や孫策はマッチョリズムの塊のような輩ではあるが、陳登の三十代は概ねこの両群雄との戦いで彩られ、
寄生虫に腹を食い破られて不慮の死を遂げた。
生きていればさらに活躍をかさねただろう
結局、一武将でしか無いからな。
せめて三国いずれかの君主になったなら、まだしも。
まあ呉厨と呂布厨はそんなに顔真っ赤にするなよw 史実なんだからw
>>27 司馬懿「諸葛亮は一武将でしかないな。俺のように晋の礎つくったわけでないし」といったら負け惜しみ以外に聞こえるか?
30 :
世界@名無史さん:2011/01/23(日) 05:42:33 0
諸葛亮も司馬懿も世界史レベルで見たら小(ry
http://d.hatena.ne.jp/mujin/20081002/p1 『三国志』張?伝の注に引く『先賢行状』によると、陳登は匡g城において2度にわたり孫策の侵攻を防いでいる。
この匡g城*1だが、まずその名称についてはおそらく人名に由来しているのだろうと言われている*2。ただ、場所が分かってない。
孫策伝の注に引く『江表伝』に、陳登は治府を射陽に置いた、とあるので、この匡g城もその近くだろうという説もあれば、
張昭伝の注に引く『呉書』に、張昭が匡g城を攻めたとある一方、呉主孫権伝では、九江郡の当塗県を攻撃させた、とあることから、
当塗県にあったのだという説もある。実際、陳登の支配領域から見ると前者の方が正しいように思われる。
対孫策戦のうち、2度目は功曹の陳矯を使者として曹操に救援を求めており、陳矯伝ではなぜか孫策ではなく孫権に攻められた
ことになっている。このとき陳登を攻めたのは果たして孫策なのか、孫権なのか。どちらかが間違っているのである。
わたしの知るかぎり、このころ孫権が広陵を攻めたという例はなく、おそらく孫策とするのが正しい*3。陳登の伯父にあたる
陳?が広陵郡の海西県に駐屯しており、孫策は呂範・徐逸に命じてこれを大破している。ただし孫策自身は呉郡の厳白虎を征討しており、
みずから広陵を攻めたわけではない。陳登はその報復として厳白虎の残党に手を回して孫策を暗殺させたのであるが、
ところで、その陳?が駐屯していたという海西は、会稽郡から見れば射陽よりずっと後方、つまり陳登の目前を通過しなければ
到達できない場所にある。陳登は2度の戦いのいずれも寡兵のため対応できず、奇策を用いざるをえなかったが、
それは呉軍が戦力の優位をたのんで敵地深く侵入した可能性を示唆している。匡g城の籠城戦と、呂範の海西侵攻が、
同一のキャンペーンのおのおの一部を構成していたのではないだろうろうか。
>>27 続き
陳登はこの戦いの功績により東城太守に昇進したとされ、下?国の東城県といえば魯粛の出身地でもあり、
これが分離独立して東城郡に昇格したと考えられているが、あるいは東郡太守の誤りであるとする説もある。
なるほど本郡から分割されたものとはいえ、このような片田舎の小郡の太守では昇進と呼びうるか怪しいものである。
ただし広陵の人民が郡境を越えて陳登にすがりついたという記述もあり、やはり東郡と解するのは難しいようだ。
なお、ほかに陳登を東城太守と呼ぶ記述はなく、たとえば華佗伝などでも陳登は広陵太守として見えており、
実際には着任する直前に死亡していた可能性がある。
また、陳登は呂布の誅伐により伏波将軍に任命されているが、のちに陳登自身が語るように後漢の元勲である
馬援も拝命した由緒ある名誉な称号で、陳登が当時、ひとかどの群雄として尊重、礼遇されていたことが分かる。
呂布厨、孫策厨涙目でござるwwwww
三国時代の中ではなかなかの名将だと思う
34 :
世界@名無史さん:2011/01/23(日) 05:50:07 0
呂布も孫策も天下取れる器ではありませんでした まる。
呂布も孫策も弱いからね。
あくまで「地方一」ってだけで。
>陳登はその報復として厳白虎の残党に手を回して孫策を暗殺させたのであるが
孫策を暗殺したのは許貢の残党で裏にいるとすれば郭嘉だというのが一般的な解釈だが。
2度目の大軍をもって侵攻してきて責められようとしているのは陳登だろ。
曹操より陳登の策なんじゃねえの。 厳白虎配下で恨みもっている人物の調略は
対岸の徐州の豪族であった陳登の方がいろいろとノウハウもっとるだろうし
>>32 呂布の捕縛に色々と功績があった。
荊州の劉表の下にまで名声が鳴り響いていた。
三国志じゃさらっとしか触れてないけどね、ゾウ洪と同じ扱い
徐州周辺では手強いな>陳登
>>27 君主だから凄いとは限らん
神輿の皇帝だっているのに
蕭何・張良・韓信を知らないのか
傑物ではあるけど、一代の英雄孫策と比べちゃだめだろ
まあ劉表にしてみれば孫策は孫堅の時代からの宿敵だからな
名声というより孫策が横死したとメシウマ状態だったろう
敵の敵は味方って言うしな。
一代の英雄が徐州を攻略できなかったとな? 呂布も孫策も陳登攻略できず、命を奪ったのは腹に巣食う寄生虫だったとか・・・・。
陳登も江東を攻略してないけどな
徐州は人住んでねえし
英雄というけど、旗揚げ当初、官位が何もなく中央の史大夫に仕官の誘いをしたものの、殆ど相手にされてないよ。
で、漢(実際は曹操)に官位を所望したけども、討逆将軍という雑号将軍もらった程度で鼻くそのような扱いを受けたまま。
呉厨が英雄ともちあげているけど、呉が重きを無したのは孫権になってからなんだな。
大体、甘寧とか元海賊なんだぜ。孫策軍団というのは劉備に負けず劣らず結構胡散くさい扱いうけていたぽい。
張コウなどの徐州人脈が呉にくるようになったのは曹操の徐州虐殺以降の話だな。
>>45 三十代の終に寄生虫症にやられて死んだから生きていたら後半生に豫州か揚州の都督諸軍事の目あったかも孫呉には強かったし
とは言え、呉の礎を築いたのは孫策だからなー。
孫策の長江沿岸の平定の速さは凄まじい。
孫呉がその後の江南王朝の礎を築いたのは明らか
>>49 孫策は揚州各地の群雄を討伐したが、手ごわい敵を倒したなというのは父の仇をうった黄祖戦ぐらいじゃね?
中央に進出しようとしたら、陳登を抜けなかったそれが実態。
あ、太史慈を降服させた戦いはあったな。劉?がクズ過ぎただけだけど。
52 :
世界@名無史さん:2011/01/23(日) 06:32:23 0
赤壁の戦いで曹操軍を跳ね除けるだけの兵力を用意出来たのは、
孫策が生前に揚州一帯を押さえておいたからなんだよね
孫策が徐州を押さえて中央への橋頭堡に成功していればそもそも、赤壁は怒らなかったんじゃね?それ以前に許昌急襲できていたろw
関羽でなく、孫策が猛攻かけられていたはずだけど全部画餅に帰しちゃったね。
周瑜は孫策時代の盟友で周瑜無くして赤壁の勝利は不可能だったと言っていいほど。
それは孫策が死んだ後の話だろ。 孫策自身の話ではない。
>>51 孫策は陳登相手にしてないしな、軍勢送っただけで出向いてないし
孫策が抱き込んだ周瑜は明らかに逸材。優に中原の人材にも匹敵する
58 :
世界@名無史さん:2011/01/23(日) 06:57:03 0
>>56 本人が出向いていないというのなら、2度目の侵攻時に刺客に屠られたのは替え玉だったのか?w
なかなか斬新な説だなw
>侵攻時に刺客に屠られたのは
通説では狩猟の際に許貢の食客に殺られたというが。
孫策は瞬殺で下手人を皆殺しにしたそうだが。
瞬殺で下手人を皆殺しにできるというのに自分が殺されたとかw
自分で書いていて疑問に感じないの?
傷を受けたが即死ではなくその場の下手人は斬り殺し張昭や周瑜、孫権を呼び遺言した。
それに関しちゃ疑問だな
死んでたから孫権が立っただけとも考えられるし
周瑜の子孫や張昭の冷遇を見ると胡散臭い
63 :
世界@名無史さん:2011/01/23(日) 11:09:48 0
案外、孫権が謀っ(ry
それにしては若すぎないか?
>>63 孫権(笑)なんかただのみこしやん
むしろ晩年は迷惑かけただけ
陳登厨は去ったかな?
孫策が大軍で攻めて陳登を滅ぼせないなら、呂布の猛攻に耐えた荀ユウや程c、謀臣郭嘉、カクの相手にもならんだろう。
呂布同様に鉄壁の布陣で固められて何もできないよ。
小覇王というけれども揚州の天下取りで終わった人だね。
しかし、陳登もマヌケな死に方してるなw
>>65 孫権は陳登の死去直後にちょろっと長江北部を占領したぐらいで
長い治世の大半で豫州徐州すら制圧出来なかった。
蜀漢も荊州取られてからオワコン感漂うけど、呉もなかなかのヘタレ。
魏→晋交代時になんとか反司馬勢力と糾合しようとしたけど、
結局何も出来なかった。
結局とのところ三国志のメインは袁紹が潰れた時点と
司馬氏の高平陵の変が転換期だったね。呉蜀は所詮
オワコン王朝。
>>67 孫策軍は呂布軍よりずっと版図広いし、呂布程度にしか勝てない荀攸・程c・郭嘉・賈詡程度では相手にならないな。
>>68 http://homepage2.nifty.com/o-tajima/san/chintou.html また、彼は意外な箇所でも正史に登場する。『魏書』「方技伝」のなかには天下の名医・華佗の往診カルテが記載されているが、
その患者の一人が広陵太守陳登だった。刺身を食べて寄生虫に侵されて胸がつかえ、顔がてかりだし、重体に陥ったので
名医華佗の診療を仰いだのである。華佗は即座に胃の中に寄生虫がいることを見抜き、特製の虫下し薬を処方して二升も飲ませたところ、
陳登は果たして大量の寄生虫を三升ほど吐き出した。だが華佗は「この病は三年後に必ず再発するので安静に。」と予言して去る。
果たして三年後に再び同じ状態となったが、このときは華佗がいなかったため、為すすべがなく亡くなったという。
虫入り刺身にやられた模様。 怖いのう。
孫策も孫策で詰んでたと思うけどな。
あれ以上は勢力拡大の余地が無い。
北へ行けば陳登に負けるし、西へ行けば劉表、南へ行くのは無理。
73 :
世界@名無史さん:2011/01/23(日) 11:52:24 0
>>72 何故無理なの?
まだ土地が空いてるはずだけど
てか、長江が有るせいで、陳登いなくても徐州に攻め込むの難しいよな
孫策と周瑜のコンビは相当破壊力ありそうだが。
>>69 長江北部って孫策の代から支配してないっけ?
>>75 周瑜なら陳登ごとき勝てるだろうな。
何故、周瑜が軍を率いなかったのか不思議だ。
交州や交趾にも孫権の代に進出しているけど、それでも魏や晋には全然かないません。
蜀漢から荊州奪回したりもしたけど、呉は飽くまでも合肥や寿春、東興にこだわったんだよなあ。
そもそも、呉は侵攻戦苦手なんじゃね? 寿春も合肥も東興も失敗していて
魏にまともにかてた侵攻戦って呂蒙が魏と連携して関羽を滅ぼしたときと、曹休を陸遜が破ったときぐらいじゃないか?
>>76 豫州のことならあれ袁術の勢力圏だろ。 オヤジが死んだ後、袁術に兵の大半ごともっていかれなかったか。
80 :
世界@名無史さん:2011/01/23(日) 12:13:49 0
>>78 揚州・交州ってほとんど空き地だよな
空き地を掠め取った程度では、中原の覇者に敵うわけ無いわな
>>79 だからこそ、孫策が江東を短期間で制覇出来たのは凄いよね。
確か孫堅って江南に独立政権を建てたかったんだろ
中華統一が目的では無いはず
いやまぁ、隙あらば中原へ攻め込んでくると思うけどね・・・。
実際そうだったし。
多分,孫堅と孫策はまったく基本方針がちがうはず。
揚州の地盤を固めた後は徐州に出ようとしていたから、
父の真意はともかく、孫策自身は中原で覇権を争う
意思はあったとみてよかろうよ。
先に交州を取ったという事は徐州制圧が一歩遠のいたわけだな。
それ以前に、一歩足りとも近づいてないけどね
87 :
世界@名無史さん:2011/01/23(日) 12:49:05 0
孫堅の夢は一応達成されたわけだが、
それでは国を維持するのが困難だったというね
中国でも王朝でもない人たちのこと語ってどうすんの?
三国志語りたいなら正史三国志スレ行け
89 :
↑:2011/01/23(日) 12:54:08 0
何言ってんだコイツ
確かに三国志語りたいなら他でやればばいいのにとは思うな
まぁ、それを言うと三戦板が有るのに、中英板や世界史板で三国志語るのもおかしい話だな
>>80 南部沿海部には、百越の南越・閩越、輋蛮・畬蛮、京人などもいましたが、何か?
前スレで出ていた山越や武稜蛮に比べれば、文書で交渉事が通じるだろうけど
無住の地ではなかったですよ。
無人というよりは、漢人のいない土地と言った方が正しいだろうな。
僻地ではあるが、人口はまあまあ(中原に比べるとやや少ない)
呉が現在のベトナムの一部まで支配していたってのは、本当?
96 :
世界@名無史さん:2011/01/23(日) 13:19:13 0
確かに中国の歴史は誇大表現される事も多々あるが
それは割と史実
南越国が解体されても、既存の世襲領主を通しての支配なので
各地域が自治をしていたよ。
士燮はその時代の世襲領主たちと孫呉との交渉窓口役だ。
五代十国や趙宋の時代には、また独自の動きがでてくるがね。
影響は及んでいたのは確かだな。
間接支配だが。
101 :
世界@名無史さん:2011/01/23(日) 13:42:54 0
天王
そういえば、前スレで漢族220万人、胡族400万人という人がいたが、実際は漢族がもっと多く、胡族はもっと少ない
何故なら、生き残るために胡族と称した者もいるからだ
>>102 モンゴルの人口は1955年で85万人だからね。
中世の時代にそんな多いはずが無い。
まあ、胡人のように鼻が高くて青い瞳で目がくぼんでて髭の多い漢人も多いだろうしな。
安定力や長生きは
李氏朝鮮>>>清≧漢
冉魏の時代になると、何故か人口逆転するんだろうな
>>104 五胡もコーカソイドからモンゴロイドまで様々だからな
西欧人に近い人も居れば、漢人に近い人も居る
「胡」はゴビの北にとどまってる連中だけではない
すでに長城の中で傭兵や牧畜民や奴隷になってる連中が多数いて、内側で増えた
曹操からして烏丸族の騎兵を用いているし、南匈奴は山西にいたし
陝西・甘粛・遼寧等も「漢人」しかいない土地ではない
109 :
世界@名無史さん:2011/01/23(日) 14:18:45 0
烏丸突騎
鳥桓じゃね?っていう。
辺境に住んでる人は、漢人でも遊牧文化に染まってる事がある
115 :
世界@名無史さん:2011/01/23(日) 15:01:50 0
秦檜の結んだ和平条約って、
結局好転したと言えるの?
紹興の和議 1141年
南宋滅亡 1279年
これをどう取るかだと思う
あのまま戦争しても国力で南宋が押し切れるんじゃないの。
当時の金には南宋を滅ぼすほどの力も無いし。
だとすれば持久戦になるから南宋有利。
結局、gdgdになって、膠着状態になって和平を結ぶ事になると思うけどな
秦嶺・淮河線が金の限界線とも言える
逆に言えばこれより北へ行くと金が優位という事だ
>>110-111 よっぽど解像度の低いモニタ使ってるのか
それともせっかちさんなのか、どっちだ?
同義かと思っていたのだが
違うのか
123 :
世界@名無史さん:2011/01/23(日) 15:45:52 0
>>120 そりゃそうだわ。
だから、あそこで国境線が固定されたんだ。
蒙古ですら40年かかったのに、女真じゃ無理だろうな
>>122 よく文字を見ろ
109 名前:世界@名無史さん 本日のレス 投稿日:2011/01/23(日) 14:18:45 0
烏丸突騎
110 名前:世界@名無史さん 本日のレス 投稿日:2011/01/23(日) 14:22:53 0
鳥桓じゃね?っていう。
>>124 清(女真族)は1年で征服してますけど。
まぁ金はそれだけの力が無かったけどね。
128 :
世界@名無史さん:2011/01/23(日) 16:11:15 0
清の時は内乱状態だったから、容易くイケたんだよな
それでも、三藩の乱まで華南は間接支配だった
極端やね。
>>107 部族数からすると氐・羌あわせて20程度あるから、胡族でもそのへんが多いだろう。
次が、拓跋・禿髪など西部の鮮卑後発組。
そして続くのが慕容・宇文など東部の鮮卑スタメン組。慕容部はツングース的な文化。
>>130 五胡は全種モンゴロイドだよ、東胡系もモンゴル系もテュルク系も全て
塞族は違うけど西域にしか居なかった
冉閔はどうやって漢と胡を見分けたの?
133 :
◆axCVsGomao :2011/01/23(日) 19:35:23 0
>>132 石勒の時代に「国人(匈奴、羯を始めとした遊牧民)」を「門臣祭酒」に、
漢人を「律学祭酒」にそれぞれ管轄させたとあるので、おそらく戸籍等の
登録はされていたものと思われるので、判別はある程度可能
しかしながら、髭の長いだけの漢人や彫りが深いだけの漢人が間違って殺された
という記述があったので、見た目で破れかぶれに判断していた可能性も高い。
袁紹の宦官殺害の逆パターンかいな
冉閔は胡人の首に賞金を賭けたので、漢人であっても胡人に見えれば
賞金目当てで躊躇無く首を討たれたという。
李世民すげー『貞観政要』おもれー
レッドクリフ見すぎだろw
>>138 昨日までの勢いが完全に止まったな。
しかし、partUは何で途中からアクション映画になったんだ。
どうみても、途中から戦場に数百人くらいしかいなさそうなあの展開は、
家族と大爆笑しながら見てたが。
Tって迷路で曹操軍がうろうろするヤツだっけ?
Uは剣で鉄鎧ぶった切るのがちょっと
>>134 >しかしながら、髭の長いだけの漢人や彫りが深いだけの漢人が間違って殺された
一見何の問題も無さそうで、よく考えると実に変なことだよな。
というのは、胡人というのは、トルコ系またはモンゴル系。
彼らは北方の「純血新モンゴロイド」であって、これは西遷前のトルコ系も同じ。
他方、漢人のほうは、今の華北の中国人とよく似た形質で、
要するに、魯迅や周恩来のような顔であることは、兵馬俑のころから変わらない。
つまり、漢人より胡人のほうが、最近の日本語の俗っぽい表現を使えば、「顔が『薄い』」はずなのだ。
今の朝鮮人やシボ族やモンゴル人のように、
のっぺりで一重まぶた、ヒゲも必死で伸ばさないとなかなか生えない。
胡人<`∀´> 漢人(`Д´ ) 南方人(・ω・)
チベットビルマ系の氐・羌も西遷前のトルコ系カザフのような感じで「顔が『薄い』」だろう。
魯迅は浙江省紹興市出身、周恩来は江蘇省淮陰市出身だが…
>>143 そりゃ知っているけど、彼らは何故かあまり江南的な顔立ちじゃないんだよ。
江沢民は典型的な江南風味の顔立ちだが。
ケ小平は、客家なのに、典型的な南方(広東系)の顔立ち。
>>144 ウィキ
居住地 [編集]
主な居住地域は、広東省・福建省・江西省・湖南省・四川省などの山間部である。在外華僑・華人としてマレーシア、シンガポール、タイなどの東南アジア諸国に暮らす者も多く、華人の3分の1は客家人である。
おかしくともなんともないじゃん
そもそも顔立ちは個人差が大きいから統計的な話ならともかく
個人に当て嵌めてどうこうとか無意味、オカルト
日本人の顔も、外から見ると意外に変化に富んでるらしいしなぁ
クソラエルのベキンとかみていると典型的なジュウ顔だけどな。
魔女のばあさんみたいな曲がった鼻で残虐なユダヤの性根が顔にでている。
「胡」という漢字はもともと「牛のあごに垂れ下がる皮」を意味し、
転じて「あごひげの長い人」を指すようになった。
だから「あごひげが薄い胡」というのは字義からすると矛盾しているが、
漢字を使用する人々が最初に接触した「胡」はあごひげが長かったのだろう。
百度文庫の無法地帯っぷりが酷いな
>>141 胡人の解釈全然違うから
西域の住民も含めて全て胡人と呼ばれる
トルコ系やらモンゴル系なんてのは現代の研究で成り立った憶測にすぎない
行動範囲広い遊牧民なら漢人とは異質の顔立ちになるのは当たり前で別に不思議じゃない
152 :
中国人:2011/01/26(水) 15:22:27 0
中日韓朝鮮は=大きい東アジアは共同で共に栄は東アジアの融
合を閉じ込めます 白人に対抗します
153 :
世界@名無史さん:2011/01/26(水) 16:47:55 0
>>144 ケ小平の先祖は張献忠の虐殺で無人地帯になった四川に
入植した江南人だったはず
>>154 袁世凱の死去以降中国に王はいねーからw
156 :
世界@名無史さん:2011/01/26(水) 20:30:53 0
>>107 >>西欧人に近い人も居れば、漢人に近い人も居る
・・・地理的に西欧人などいるわけが無いだろう。東欧人、ペルシャ人、トルコ人ならいるが。
>>153 ケ小平は両親共に客家で、客家話が母語だったよ。
血統だけいえば、朱徳も客家クォーターだな。話していたのは北方官話系四川話だったけど。
160 :
世界@名無史さん:2011/01/27(木) 01:20:50 0
香港教授意見「日中両国のパワーシフトが起こっているのだから、日本は、尖閣諸島を譲ったらどうか」
http://hato.2ch.net/test/read.cgi/news/1296056202/ 010年の国内総生産(GDP)で、中国が日本を超え、世界第2位の経済大国になることが確実となった。
先の胡錦濤国家主席が受けた訪米での歓待ぶりを見るにつけ、経済力=政治力であることを
まざまざと実感する。
地元英字紙には香港城市大学アジア・国際学部のブラッド・ウィリアムズ客員准教授の意見が
掲載されていた。要約すれば、「日中両国のパワーシフトが起こっているのだから、日本は妥協して、
中国が領有権を主張する沖縄県の尖閣諸島(中国名・釣魚島)を譲ったらどうか」とのこと。
長期的に考えれば日本のメリットが大きいとも指摘しているが、日本の右翼どころか、
一般国民も首肯しかねるだろう。
領土問題は国益の根幹で、それだけに双方とも譲れないものだ。経済規模で抜かれたとはいえ、
その分日本の政治と外交の力量が上がることを望みたい。(文)<香港>
http://news.nna.jp/free/news/20110126hkd001A.html 日本人よ!謙譲の美徳を思い出せ!戦いに叶わぬなら国譲り神話をみならおう!
漢と匈奴、宋と遼・金、いずれも経済力は漢族側の方が上だが譲歩を余儀なくされているし、
日清戦争の時ですら経済力は清の方が大きかったが日本が勝利し台湾を割譲することになった
>>161 遊牧社会と農業社会は、相互に経済力の根拠が異なるから直接的な比較は無意味
また、農業国同士でも、経済力はきわめて重要なファクターだが、それだけで勝敗が
決まるというわけではない
ただし、農業社会同士の長期的な対立関係であれば、経済力が強い方がきわめて優位
近代兵器を多用する戦争ならね
宋と金は経済力では圧倒的に宋が上にも関わらず宋はモンゴルが台頭するまでの
100年以上、金には軍事的には全く歯が立たなかった。
国境や領土の取り決めは経済力よりも軍事力がものを言う。
経済力が高くても、政治や軍事がてんでだめという場合もある。
また国民の大多数は貧乏だが数だけは多いから、総量としての経済力が大きくみえる、という場合もある。
前近代の兵器は経済に直結する産業との結び付きがあまり無い
>>165 どっかの国とどっかの国の20世紀後半から現在の話がしたいのだろうw
いろいろ示唆するところがあるね。
そもそも、戦後の日本の軍事力は、そんなに弱くないとも言える。
ただ、世界のお約束として、軍関係者の内輪話以外においては、
世界の政治家やマスコミの人は口をそろえて「世界最弱。1秒で降伏する。」と言うことになっている。
ただし、アメリカより圧倒的に弱いことは確実。
「日本の軍事力は、アメリカより弱いから、世界最弱である。」
この2011年現在の世界の常識は、大変に面白い。
一つは、圧倒的に比較しなければならない対象があるときは、その相対評価が絶対評価に拡張されてしまう。
もう一つは、一定の条約により国際関係が固定されている場合、
条約が破られない限り、「軍事力の評価」は変わらない。
昭和26年と、平成21年で、「日本の軍事力」の公式ポジションは、全く変わっていない。
これは安保条約(とポツダム宣言国内実施法としての日本国憲法)で、
日米の軍事的従属関係が固定されているから。
軍事力というのは、毎週試合のあるプロスポーツとは違うわけで、「実力を測る」ことは意外に難しい。
南宋の都市伝説的弱さと比較する上でも、重要な材料だと思う。
モンゴルの攻勢を長期間跳ね返し続けたのは南宋と朝鮮と我が国だけなんですけどね
169 :
世界@名無史さん:2011/01/27(木) 06:47:21 0
NHKの大河ドラマでやっていたろう。戦争はいけない。話合いをしよう。むしろ日本は開国すべきであった。
大河ドラマというと、死んだはずの赤マフラーの男が大活躍することでも有名だな。
それ何のネタだ ネタ元分からん
北条時宗。
史実無視で何故か生き残った北条時輔(渡部篤郎)が元代中国に渡って物語を展開し、
服装も相まって、歴史ものとしては必要のないアレな印象を与えたことから。
以降、2chの関連板では、大河で史実無視の生存をすることを赤マフラーと言うようになった。
北条時宗は今にして思えば、まだまだ良心的だろ
最近のはファンタジー
174 :
世界@名無史さん:2011/01/27(木) 14:18:05 0
左翼が日本を中国の一部にしようとあの手この手つかってセロンを扇動しているだけだからね。
当時の鎌倉がどうだろうが、どうでもいいんだよ。
中国の一部になって王国貴族の生活がしたいのであって、日本の歴史なんかハナクソ程にもおもってないというね。
え、一昨年から大河ドラマは「坂の上の雲」じゃなかったっけ
賄賂がなければまともな生活の出来ない現代中国官僚が良いとは思えんが。
賄賂を貰えば結局、政争の流れ如何で死刑にれっつらごーだし。
坂の上の雲が本当に大河なら良かったのに。
いっそ、坂の上の田村麻呂でやってみるとかw
漢霊帝の子孫(自称)が征夷大将軍という、後の代の流れには見られない血筋が面白い。
源平交代説とか、一発で吹っ飛びかねない先例があるのに、戦国の人は何故あんなに頑張って仮冒したんだろうか。
史書好きなくせに学ばないからな
長期間跳ね返し続けたというか、南宋と高麗は結局モンゴルに飲み込まれたけどな
跳ね返して征服されなかったのは日本、ベトナム、インドネシア、シリアとエジプト
え! 日本は元々百済王分家が征服した属国なんだけど。
モンゴル帝国も高麗人が立てたものだから、分家が本家を屈服させた程度のもんだよねー
まあ本家の王様が自ら分家の真似して辮髪になったりしたけど
>>179 シリアは一度征服された、マムルーク国もモンケが崩御して助かっただけ
インドネシアは攻め込まれてない
>>182 横レスだが・・・・インドネシアが攻めこまれていないとか、ベトナムも30年ぐらい首都制圧されてえらいことになっているのに
ドヤ顔されてもなあ・・・・。
184 :
世界@名無史さん:2011/01/27(木) 20:56:37 0
久しぶりにきたが、なんだこの寂れようは。 一週間前とえらい差やん!
首都の昇竜は一時制圧されても、その都度焦土作戦とゲリラ戦で撃退してるやん
1257年から87年までモンゴル軍がずっと首都に居座ってたわけではない
ゲリラ戦なんてどこでもやっているだろ・・・・むしろ天山ウイグル王国のようにさっさと降る方が珍しい。
大体、攻めこまれていないという表現自体がおかしいと指摘されているのに話替えるなよw
ジャワは攻めこまれて占領されてそこからモンゴルをたたき出すようにうごいているのだから明らかに
あんたの主張はおかしい。
ベトナムもそう。 首都占領されて占領行政の実体が伴っているのだから、ゲリラ云々と言い訳するな。
あんたは負けたの。それが全て。
そして高麗王国はモンゴル軍を一歩も国内に入れることがなかった。
>>183 ベトナムが服属したのは明の時代な、モンゴルは征服出来なかった
インドネシアに到っては攻め込んですらいないw
金の17騎が宋の歩兵2000人を撃破したのって何の戦い?
ジャワ東部にシンガサリ王国という国があり、フビライはこれに朝貢させようと数回使節を送ったが、
国王のクルタナガラは朝貢を拒否し、使者の顔に刺青をして送り返した。
激怒したフビライは1289年12月、500艘の船に2万の兵を乗せて泉州から出発させた。
この頃シンガサリ国内ではクディリの領主が反乱を起こし、王は娘婿のラデン・ヴィジャヤに鎮圧させていたが、
ラデンが戦っていたのは陽動部隊で、本隊は簡単にシンガサリの首都を突いて滅ぼしてしまった。
敵中に孤立したラデンはクディリ軍にいったん降伏したが、ちょうどフビライの派遣した軍が長旅の末ジャワまで到達した。
ラデンはこれにとりいり、「倒すべきはクディリ軍である」と説得して両軍を交戦させる。
クディリ軍が撤退するや、ラデンの軍は安堵し疲弊した元軍に攻めかかったので、面倒くさくなった元軍はさっさと帰国した。
こうしてラデンは王位につき、マジャパヒト王国を立てたという。
191 :
世界@名無史さん:2011/01/28(金) 00:49:46 0
>>187 高麗王妃が代々モンゴル人だったことを隠すな。
新羅王室は倭人、李氏朝鮮王室はツングースだったしな。
>>190 なるほど、モンゴルはロシアを支配し欧州を征服した
降嫁といって、モンゴルはそういうことやって支配するのだよ。
ロシア地方の諸侯もそうやってモンゴルの直接支配を受けたしな
なんでこのスレは急速に寂れたの?
小日本の首相が女真と室イの区別間違えたらしいアルね
198 :
世界@名無史さん:2011/01/31(月) 22:26:44 0
>>196 だいたい8スレいくと、歴代王朝や文化影響もののスレは話題が出尽くして
一旦収束しちゃゃうんだよ (^ ^)
199 :
世界@名無史さん:2011/01/31(月) 22:39:02 0
カンだから蒙古を持ち上げたかったんだよ
200 :
世界@名無史さん:2011/02/01(火) 00:09:03 0
菅首相の言うこともまんざら間違ってはいないけどな。 ある意味モンゴルとの連合政権だったからね。
朝青龍が親密にしていたエンフバヤルって人民革命党だったな
契丹はやっぱり蒙古に吸収されちゃったの?
もともと同族らしいし
イランのケルマン州(バルチスターン周辺と逝ったほうが分かりやすいかもしれない)あたりにカラ・キタイ作った連中の子孫がいるらしい。
内蒙古赤峰やホルチン(科爾沁)など東蒙に、契丹起源の宗族が多いらしい。
ルーツが耶律氏と関係ありと語られる。
ホロンバイルなどののダウール(達斡爾族)族のダウール語に契丹の語彙が残っているというが
そこは東蒙モンゴル語が通じるので、絶滅危惧言語である。
ウランバートルのハルハ・モンゴルと契丹がくっついて、契丹語がなくなったわけではないようだ。
205 :
世界@名無史さん:2011/02/02(水) 13:08:18 0
モンゴルの人、もう生き仏を探していないのだろう。
まだ仏教を信じているのかな?
生き仏の信仰なしに、チベット仏教系は生き残ることはできるのかな?
春秋戦国の韓って国力最弱とか言われるけど、始皇帝の頃までよく生き延びたよね
人材が良かったの?
張良の祖先とかいたし
>>205 宗派がいくつもあるので衰退していない。
選挙投票で、高僧の地位が決まる宗派もある。
セッタルのラルンゴンパなんかはそのタイプだ。
春秋時代ってすでに石造りで城塞都市で、我々がイメージする中国風の建築だったんですかね?
一般人の家とかどんな感じだったんだろ?そもそも豪華絢爛な城や城壁が築かれたのはいつ頃からなんだろ?
殷の時代からそういうのはあったのかな
>>208 豪華絢爛は唐かな。殷は版築(黄土を突き固めたもの)だな。
黄土のない長江流域では石積み
>>208 殷代から春秋時代は木造茅葺土壁
戦国時代から前漢前半は石造り瓦屋根で多様な様式が混在
後漢に入ると楼閣が流行
212 :
世界@名無史さん:2011/02/03(木) 21:41:49 0
>>209-211 サンクス。春秋時代は木造茅葺土壁ですか。
すでに城が建てられてたとは思いますが、それも木造だったんでしょうか?
瓦とかはまだなかったんですかね?
>>212 城の概念が違う。防壁で囲われた集落が城(城邑)だ。
古代ギリシャのポリスのような都市国家をイメージした方が近い。
>>212 木造なのは住居や宮殿の話で、城は版築に上部が焼き煉瓦
瓦は春秋中期頃以降に広まったらしい
城壁は邯鄲で幅3〜5m高さ6〜10mとかそのくらい
「韓は秦に入朝して秦に貢物や労役を献上することは、郡県と全く変わらない」(韓非子)
まあ、韓が生き延びれたのはパワーバランス的なものが大きい。
秦が攻め込めば一挙に滅ぼせるが、河南省という諸国の中心地にあったため、
うかうかと韓を取れば北の魏や趙、南の楚に挟み撃ちにされる危険がある。
他の国もこれは同じで、韓を列強の干渉国にしてにらみ合う状況が続いていたが、
始皇帝は前230年に韓を滅ぼすや前228年に趙をも滅ぼし、一挙に他の国々を潰して天下を統一した。
緩衝国としては後梁もクラクフチックでなかなか香ばしい感じ
江陵周辺数百里しか領有してないとか
ほとんど欧州の都市国家だろこれ
218 :
世界@名無史さん:2011/02/07(月) 11:25:26 0
>>187 済州島はモンゴル直轄の放牧場にされたそうだがな。
219 :
世界@名無史さん:2011/02/08(火) 10:45:57 0
>>169 明治維新は薩長土が関が原の恨みを晴らしただけという気もするな。
倒幕したあとは開国主義で旧幕府の役人まで大量に雇っている。
関ヶ原は後付の設定だろう。
単に徳川から政権を奪い、自分たちで新たな幕府をやりたかっただけ。
221 :
世界@名無史さん:2011/02/08(火) 14:39:14 0
>>220 維新は薩長土肥の下級武士が中心勢力で上士連中に対抗する権威として天皇を利用しただろう。
倒幕後は下級武士の地位などどうでもよく上士階級を潰すために秩禄公債で士族階級を消滅させた。
新幕府樹立して武家政治を続ける意図など薩長藩閥政治時代にも何も見当たらない。
明治政府に幕府的な要素はほとんど見当たらないしな
三国志の時代の城壁は
土壁でしょう。
なのに映画、
漫画などで
煉瓦積みになってて
時代考証が、いい加減すぎる。
大きな城は当然煉瓦や石積みだけど
そうでなくても版築して上部だけレンガとか
>>224 中国で何度も都になってる一番有名な都市、長安の城壁は、隋・唐代に造られた土塁(城壁)をもとに、
1370年(明代)から8年かけて築かれたと読んだ事がある。
>>225 そりゃ文字通り元にしただけ
三国志の時代から上部は煉瓦なんだから
漢代から徐々に増えるのよね>煉瓦
>>221 比喩的なものでいっただけだよ。鬼の首をとったように謗る輩ってなんなの。キモイ
実際比喩にしても、実質的に明治新政府を謗っているようなものなんだから、謗られる覚悟は持っておくべきかと。
東條らによる割と強引な排除を受けるまでは、薩長閥が優位であったのは事実なれど、
内部改革によって権力者の出身地域の偏在を防げるようにしたのは倒幕側であるわけだし。
たまにアホが「それだって同時代の欧州の民主主義後進地域からの輸入に過ぎない」とか無茶抜かすけど、
何事にも段階というものがあり、それをすっとばして理念の方に現実を合わせると新の王莽みたいな愉快痛快な事態になる訳で。
230 :
世界@名無史さん:2011/02/08(火) 22:11:50 0
明清と続く暗黒王朝を作り上げたのは洪武帝、彼がいなきゃ産業革命は中国から始まった可能性もある
>>230 工場制手工業は明・清代に発生してるけどね。
労働集約性が高すぎたがゆえに、産業革命が起こらなかったとも言われている。
これは、零細経営が主流だった農業も一緒
適度な人口ってのがひとつの条件なんじゃねーかな?
工場制手工業は宋代に既に誕生してるよ
ワットの蒸気機関のようなものは、宋にはないよ。
山西省や貴州省の炭鉱はもう掘っていたけど・・・
ただメカ的なギアや継手はあったみたいだね。
メカ的なギアや継手は前漢の時代からあるよ
常設の大規模な窯業や機械式の機織の工場はあったよ
>> 225
長城と同じで土塁だよ。
明代でレンガ造りになった。
>>235 戦国時代以降はレンガだよ、版築した上部にレンガや石を積む
237 :
世界@名無史さん:2011/02/09(水) 22:44:23 0
>>234 メソポタミアには電池があったらしいしな。
ギアって言うと誤解を招くから、歯車といった方が良いと思われ。
窯は発展の様子がよくわかるくらい遺構が残っているね。
ギア仕掛けの機械も高炉も中国が世界で初めて発明したものだしな
そもそも、人類の発明品の起源は朝鮮民族が発明した物だ。
242 :
世界@名無史さん:2011/03/02(水) 01:17:35.75 0
チト考えたんだが
あの時、辛亥革命が失敗して清朝が今でも続いたとしても
コロンビアみたいにテロが続く国になった可能性も否定できないんだよな・・・
共産党とかイスラム過激派とは国が不安定になる要素は多いし
(新疆省は1884年に設置されウイグルは直轄化される)
なんねーよ。
イスラム過激派なんて南彊ウイグル族だけで
カザフ族やキルギス族はスーフィーだし
回族東干人もスーフィーだ。
南彊ウイグルなんか、中国のムスリムからすれば
異端なんだから、カザフ族使ってぶっ殺せば済むじゃろ。
244 :
世界@名無史さん:2011/03/02(水) 06:53:20.66 O
そもそも旧共産圏ではムスリム人口減少が続いてるし
>>230 近代自体がかなり歴史の流れとしていたんだと思うから
中国じゃ無理でしょ
246 :
実態を明かすには:2011/03/02(水) 12:41:44.74 0
その御意見を基に世界的に活動しては、いかがですか?
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247 :
世界@名無史さん:2011/03/02(水) 22:27:22.42 0
>>243 まあ良く考えたらウイグルは中国と文化が違うのに清国崩壊でも独立出来なかった
(正しく言うと短期間で崩壊したと言うべきだが)
のはカザフ族や他の土着系民族との対立もあったんだろうな・・・
チベットとモンゴルは昔の世界地図にも載っていたのに
ウイグルは中国の地域扱いだもんな・・・
都市住民であるタリム盆地南部のウイグルやタジクが
遊牧諸民族と融和して暮らすってのがどだい無理ってもんだ。
んだな、あくまで新彊であって、東トルキスタンとか胡散臭さ全開の新造語だし
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■
< 第三十一代 三戦板自治新党党首 選考会のご案内 >
1.日時
2011年3月6日(土) 20時〜21時
2.場所
三戦板自治新党スレ(最新のスレ)
(その221)
http://yuzuru.2ch.net/test/read.cgi/warhis/1298771138/ (三戦板)
http://yuzuru.2ch.net/warhis/ 3.立候補要件(以下の全てを満たすこと)
(1)党首未経験のコテ。
(2)自治新党と学徒閣下に忠誠を誓うコテ。
(3)党首就任の暁には最低でも週一は新党スレに出席できるコテ。
(4)選考日の前日までに立候補を表明し学徒閣下の立候補者名簿に記載されること。
4.選考方法
(1)選考期間に自治新党スレ(最新スレ)で一回レスを行う。
(2)その際、カンマ以下(最後の2字)が大きい方が勝者となる。
(3)同点の場合はその前の字を見て、大きい方が勝者となる。
(4)最終的に閣下からの党首任命を受けて自治新党党首となる。
(5)次点のコテが副党首となる。
5.党首に関する規定
(1)党首の任期は3カ月。
(2)党首は2期(最長6カ月)まで再任可能。
(3)党首経験者は再度党首になることは出来ない。
(4)欠格要件に該当する場合、自動的に副党首が党首に昇格する。
6.その他の規定
いずれの規定も学徒出陣閣下の勅命に限り修正可能。
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■
イスラム教は、もともと都市住民の宗教であり、
スーフィズムのメヴレヴィー教団は遊牧民に受け入れられた宗教だ。
カザフ族といえば、メヴレヴィー教団のセマー(旋舞)だ
このmtvみても冒頭からスーフィー全開だ。
ウラマーの権威を遊牧民は認めない。行者であるファキールこそ指導者であるとする。
http://www.youtube.com/watch?v=5Y8EbOEJLbk ちなみに、中国には、西夏国城外の民の末裔だといわれる回族が
このメヴレヴィーの旋舞を各地に伝えている。
だいたい新彊は周囲と違ってテュルク系あんまり住んでねーよ
「東トルキスタン」なんてもともとキルギス族がいいだした主張で
遊牧国家構想でもあり、イリ盆地のほうの活動じゃなかったのかな〜?
南新彊のほうの暴動は、それとは全然違っていて
「東トルキスタン」なんてひとことも出てこない。
あくまでも、維吾爾(ウイグル)の権益であって、トルキスの権益ではない。
254 :
中国人:2011/03/27(日) 12:43:45.77 0
漢王朝が最高!
ここの皆さんは「漢武大帝」を見たことありますか?
おススメ!
漢は古すぎてイメージがわかん。
日本人には、隋・唐がまぶしくて光輝いてみえるから
その前の晋とか漢とかは、未熟で未開なイメージがある。
唐に比べればもちろん未熟で未開だよ、ローマ帝国は更にずっと未熟で未開だけど
東アジアは、唐がピークというわけでなく、北宋や元というルネッサンス期がくるんだよね。
その後の明がなんか暗黒時代で、朱元璋のむなくそわるい大粛清に始まり
万暦帝の放蕩ぶり・・・ もうイャーンな時期が多い時代。
>>257 でも清でまた最盛期を迎えるんだよな
その後急落するけど
唐も安史の乱以後はガタガタだけどな
唐にしては安史の乱以後ガタガタだけど
それを言ったら、ローマやウイグルや契丹は常にガタガタだからな
261 :
世界@名無史さん:2011/04/02(土) 16:45:49.20 0
唐時代の西方との交流が面白いね。
サーサーン朝やイスラーム帝国との外交や戦争、交易などに積極的だったし。
イスラームの著述家によって、中国(シーン)に関するまとまった記述が初めて登場する。
【サッカー】シャルケ・内田篤人がCL準々決勝第1戦のベストイレブンに選出「マイコンをしのぐパフォーマンス」[04/08]
1 :ジェリー大尉φ ★:2011/04/08(金) 13:54:25.82 ID:???0
◇内田がCL準々決勝第1戦のベストイレブンに選出「マイコンをしのぐパフォーマンス」
5日に行われたインテルとのチャンピオンズリーグ準々決勝第1戦で
フル出場を果たし、シャルケの大勝に貢献した内田篤人が、
『EURO SPORT』が選ぶ準々決勝第1戦のベストイレブンに選出された。
レアル・マドリードのクリスティアーノ・ロナウドや、バルセロナのアンドレス・イニエスタなど、
そうそうたるメンバーが顔をそろえる中、内田は右サイドバックとしてベストイレブンに名を連ねた。
『EURO SPORT』は、
「日本代表のスターが、インテル相手に強固な守備を見せた。それだけでなく、
右サイドから攻め上がる際に信頼できる攻撃のオプションであることも証明した」
と攻守に渡る内田のプレーを評価。
さらには、
「対戦相手のインテルで同ポジションを務め、世界的な名声を得ているマイコンを上回る
パフォーマンスを披露したと言っても過言ではない」とし、
世界最高の右サイドバックと言われているマイコンをしのぐプレーだったと絶賛している。
■チャンピオンズリーグ第1戦ベストイレブン
GK:エドウィン・ファン・デル・サール(マンチェスター・U)
DF:内田篤人(シャルケ)、リオ・ファーディナンド(マンチェスター・U)、
ジョエル・マティプ(シャルケ)、アドリアーノ(バルセロナ)
MF:クリスティアーノ・ロナウド(レアル・マドリード)、シャビ・アロンソ(レアル・マドリード)、
アンドレス・イニエスタ(バルセロナ)、ライアン・ギグス(マンチェスター・U)
FW:エマニュエル・アデバヨール(レアル・マドリード)、ラウール・ゴンザレス(シャルケ)
:SOCCER KING
http://news.livedoor.com/article/detail/5475822/
>>257 >>北宋や元というルネッサンス期
南宋時代も含めて、一般庶民にとって暮らしやすかった時代だったと思います。
>>263 個人的に近世的な宋が好きだな
武侠小説のもこの時代あたりだし江戸時代を題材とした時代小説に近くね
265 :
世界@名無史さん:2011/05/21(土) 11:40:02.68 0
ぶっちゃけまったくゼロですよ。
分度水準は低い
インフラ、幾何水準は低いってかない
貨幣経済はクソすぎて、常に偽造がまきおこる。
銀貨、金貨経済が始まったのは、世界に遅れて1500年、日本に遅れて1000年の16〜世紀(実質17世紀)
分度なし、影響も日本?あたりの対外戦争くらいで、他に影響だしたりってのは少ない。
18世紀の通商、経済も大本は日本、タイあたりの経済だしね。
ぶっちゃけ何か作ったか?どういう分度だ?社会水準は?
で少数の発明があるだけだけど、EU限定でリスペクト受けただけでしかもそれって相当改造されて影響うけただけで
実質影響も発明も弱い。
字、火薬、鉄印刷
全部外国に相当改造されて、まったく原型とどめないほどになって利用されて
工業力などはまったくなく
ヴェーダ、インドシステム、インド、マレー、アルタイあたりの治金を劣化コピーして
造船、船舶、銀、経済、幾何学、科学
全部外国からコピー、輸入、劣化コピーしまくって
外依存しまくって
自力の物とかあんまないんだよね。
で、社会水準は低いと
蛮族の対外戦争は常に収集できない
法がない蛮族
食料などは常に安定しない
学問はクソ
金融は常に不安定→ていうか、本位貨幣が安定しないんで、末端貨幣取引しかない。
266 :
世界@名無史さん:2011/05/21(土) 11:51:41.34 0
〜前1000年 宮を作る。ただし、当時の日本、マレー、アルタイ、EU、アメリカ?、インド、アラブ、ローマ、
どこにでもある村レベルの宮であり、かつ少なく小さい、宮じゃなくて村である
〜0年 城壁を作ったらしい、ただし当時の史跡、痕跡は相当な分度水準低いボロ壁しかない
〜500年 実質最初の都市計画、字、紙?竹?、火薬、貨幣経済をはじめる。 ただし100年で破綻する。
都市とかは相当低い幾何、分度水準で作られてる。こんなもんが平安京元かよwレベル
〜1000年 封建制度が始まりかけるが終了、なおこの間 合計30〜万くらい収容可能な都市などを作るが、
すでに日本の都市建設、都市人口はこれをこえている 、日本は紙を安くて薄い実用紙幣レベルにもっていく、日本は金貨経済をはじめる(失敗)、火薬がパクられる→火薬改ローマ炎
〜1500年 羅針盤を作成 航海技術を習得 時計を作ったらしいが崩壊する
〜1800年 やっと銀経済、海上通商(実質このとき)、を始める
くらいだよ
>>257 虐殺祭りの元がルネッサンス期w
中国の4大発明を西に横流ししただけだろ
最近、中国や韓国の偏向的歴史教育を笑えない日本人が増えてきている気がする……
自覚無いのだろうが、ひたすら同じレベルに落ちていっているのが何とも言えない
>>257 元ってルネッサンス期なの? ペストは流行するし、
モンゴルは開封や臨安では虐殺しなかったけど
燕京は皆殺しに近い状態だし、漢族・旧南宋人は
ヒエラルキーの下位に置かれて、基本的に重税で、
末期には朱氏一族の流転のような悲惨な例が・・・
小説と専門書の合の子な杉山本でも読んだんでしょ
2ちゃんはアキレスが亀においつけないと本気で信じてる奴が多いからな。
2ちゃんねる2大ネタ元、鈴木なんとか・杉山なんとか
まあ徹頭徹尾トンでもな鈴木なにがしと違って
杉山の方はまともなピース7:3空想モードなピースの切り絵みたいなもんだからまだマシだけど
阿片戦争と支那人の嘘吐き
http://nezu621.blog7.fc2.com/blog-entry-1299.html 阿片窟というのは、19世紀初頭、支那にあったとされる阿片の吸引所で、
映画や漫画では、よくその阿片窟で、阿片を詰めたキセルで煙をくすらせ、
ガリガリに痩せ細った人達が、眼をトロンとさせ、男女とも半裸の姿でと
きにえっちに励む姿などが描かれています。
けれど実はそんなものは「なかった」と言ったら、皆様は「ええっ?!」
と驚かれるかもしれません。
が、実は、そうなのです。
そーゆー捏造改竄はキリスト教徒の十八番だからね
276 :
世界@名無史さん:2011/07/28(木) 00:19:19.09 0
中国は、古代からの連綿とした持続性と文明のスケールがすごいけど、王朝が変わるたびに大規模な破壊があってリセットされてしまう
ロンドンにもあったのに?
アンカー付けるべきだった。274へのツッコミです。
走る棺桶 死の拘束鉄道
脱線死亡事故 おめでとう
クタバレ シナコロ
>>277 にほんこむちゅかしねー
×ロンドンにもあった
○ロンドンにはあった
282 :
世界@名無史さん:2011/09/04(日) 22:01:56.76 0
21世紀の中国は世界にプラスの影響を与えられるか?
それとも?
21世紀はchina perilの時代だ
284 :
世界@名無史さん:2011/09/06(火) 17:15:41.53 0
>>282 魯迅は著書の中で中国社会について、
「中国史は大まかに二つに分けることができる。
安穏と奴隷でいられる時代と
奴隷になりたくてもなれない時代だ」
と書き残している。
漢族の王朝ではないが、遼及び西遼の支配階級の契丹族の自称の複数形のキタイから、ロシアや東欧諸国語
では中国をキタイやヒタイと呼ぶようになった。
とにかく支那は滅ぼす一手
支那の死こそ全人類への奉仕
明も出来た頃は徐達や藍玉といった名将、劉基みたいな天才軍師がいたよな
鄭和の遠征など対外政策も活気があった
万里の長城も三国志演義も西遊記も明代
万暦帝の地下宮殿w
あげ
291 :
世界@名無史さん:2011/09/14(水) 06:56:05.46 0
わかっとらんな
シナにかかわること自体破滅フラグ
こちらからかかわらず、向こうからの手を撥ね付けつづければいいんだよ
戦前の轍を踏むな
シナチベ語族ってよく考えると
北はアルタイ語、南は百越や南蛮、タイ語族に挟まれて孤立してるよな
楚語・ミャオヤオ語族も立ててしまうと
准河から北と、四川と雲南しかシナチベ語族はいなくなってしまうのだよ(笑)
シナ語とチベット語・ビルマ語はどれほど似ているのだろう
>>295 開音節・少い声調の北方漢語しか似ていないよ。
タシ・デレと吉祥如意が同語源など、聞いてれば北方とは共通性がある。
もっとも今のラサの言葉は、雲南の大理麗江あたりの言葉に侵食されて漢語チックになっとるけど。
北方漢語というのは、春秋戦国や後漢三国の時代のとは違う。
南北朝・隋唐以降の助詞や介詞を多用する言い回しをして
語順固定が崩れたやつが、チベット語やビルマ語と類似なのだ。
大理白族の場合は、その崩れた北方漢語と語順も一緒。
だいたい上海や広州からみたら、チベット族なんぞ西北の胡族なのだよ。
南の漢語は、チベット語やビルマ語と全然違うから
語順固定が崩れてないし、タイ語のように閉音節もあり声調もすごく多い。
春秋戦国や後漢三国の伝統を受け継いでいるのは南の漢語なのだ。
南中国はチベットやビルマと疎遠なのだ
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ヽヽ___// 日本
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299 :
世界@名無史さん:2011/12/08(木) 21:39:22.49 0
各地で傀儡政権が倒れ、新しい傀儡の操縦もあまり上手く進んでないから締め付けに必死だなw
ワイは日本人やが聞いた情報によると、もうじき中国はバブルがはじけて昔の貧乏な中国に戻るらしいで
みんなも知っての通りもう経済は破綻してて、取り戻すのは無理なんだそうや
その世界ではごっつい有名な政府関係者筋から聞いた確かな情報やで
まあお前らほどの頭の良い連中には、今さらなくらいのネタやな、かえって失礼かもしれん
お前らからすればもう常識的なくらいの知識やろ?
>>149 「胡」とは字の如く古の月という意味だよ
月とは月光石(玉)の事
304 :
よろずこ:2012/01/05(木) 22:47:38.89 0
>302
>303
微妙にグレー。正はわからない。
305 :
世界@名無史さん:2012/01/18(水) 17:41:18.39 0
世界史的に中国は世界人口の3割とGDPの3分の1を占めていた
つまり世界史の三割は中国だったということ
今の共産中国が経済成長してももう過去の世界史的なプレゼンスはありえない
だって新大陸とアフリカとオーストラリアが文明化されてるんだから
アフリカはもとから文明があるし、オーストラリアは小国
>>305 このスレの意義はまさにそれ
人口・経済・文化において古代〜近世までの中国が凄まじく周辺が圧倒的に格下だった事実は誰もが認める
唯一対抗できたのはインドか統一イスラム圏くらい
しかしそれも近代以降は格下だと思っていた日本があっという間に経済大国となり
狩猟生活して都市国家群レベルだったインドネシアも超大国化して
蛮族レベルだった欧州ロシアもまた超大国化して
未開だった南北アメリカ諸国はさらに発展
確かに現在の中国の経済成長は凄いが近代以前のプレゼンに比べると全然及ばない
むしろショボ過ぎる逆に言うとそれぐらい嘗ての中国が凄まじかった証拠でもあるが
しかしもう今は地球全体が同水準に文明化されてしまった為もはや中国がそこまでの地位に
返り咲くのは不可能である
308 :
世界@名無史さん:2012/01/21(土) 08:06:35.53 0
日本の悪い部分は科挙や儒教から来ている物が多い
精神面で良い部分とされてるのも半分以上は儒教由来だな。
特に江戸以降に出来た風土関連。
310 :
よろずこ:2012/01/23(月) 21:04:10.21 0
>308
科挙はちがうやろ?
311 :
世界@名無史さん:2012/01/24(火) 17:40:19.57 0
受験戦争と言われていた時代の大学受験や公務員試験は科挙を彷彿させるよ
それは日本人そのものの特性だな
その根拠は?
日本には科挙が無かった、そもそも封建制の世襲社会だし
役人登用制度の影響過程
中国→フランス→日本
316 :
世界@名無史さん:2012/01/26(木) 21:29:12.71 0
幕末安土桃山に興味→飽きた→鎌倉室町→飽きた→日本史全般→飽きた
→中世欧州→飽きた→古代帝政ローマ→飽きた→メソポタミアに嵌る→
なんとなく飽きる→嫌悪だった三国史→嵌る→漢全般→嵌る→モンゴル
→嵌る→史書に辿り着く
世界史網羅の勝利過程かな?
>>316 インド・アフリカ・東南アジア・南北アメリカ・南半球がカバーできてないんだぜ
南北アメリカは映画趣旨で充分。
何も求めないし影響はない。
漫画のハンター×ハンターのハンター試験は科挙がモデルのような気がする
321 :
世界@名無史さん:2012/02/02(木) 23:19:49.08 0
インドエジプトお前が言いたいのはイラクってことか?
もう少し学習が足りんな
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2月24日 サッカー日本フル代表
親善試合
日本×アイスランド
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323 :
世界@名無史さん:2012/03/11(日) 20:07:55.70 0
たとえ一部とはいえ、非生産的な階級が存在することは、経済にとっては重荷である。寄生虫的有閑階級がはびこると、その国は滅びる。
かつて世界一の帝国であった清王朝は、アヘン戦争以降、新興工業国イギリスの半植民地となったが、それを予感させるこんなエピソードがある。
中国の高官は、従者にドアを開けさせて部屋に入り、召し使いに椅子を引かせてテーブルについた。典型的な直接性の否定である。
ところが、イギリスから来た大使は、自分の手で椅子を引いてテーブルについた。それを見た中国の高官は、
自分の手で椅子を引くような身分の低い人間と話はできないといって会談を拒否した。
椅子ぐらい自分で引けばよいという合理主義が理解できなかったのだ。
http://www.systemicsarchive.com/ja/a/leisured_class.html
つまり高級フレンチのお店で椅子を引いてもらってると国が滅びるんだな。
農林水産業と鉱工業とソフトウェア開発だけしろってことですか
328 :
世界@名無史さん:2012/03/26(月) 22:36:08.85 0
>>325 単に下座を用意されたから納得できずに自分で席を直しただけだが。
清側の官吏がそのように反応したのは事実だけど。
権限の委譲を否定するなら全ての官僚組織も会社組織も否定することになるな
椅子を自分で引くから合理主義()
330 :
世界@名無史さん:2012/06/09(土) 20:28:01.73 0
331 :
世界@名無史さん:2012/07/22(日) 01:12:12.13 O
中国の漢代における
貨幣について詳しい本とか
研究者をご存知ないですか?
332 :
世界@名無史さん:2012/08/12(日) 14:55:23.89 0
「キングダム」のカイネは実在したのですか?
李牧のほうは実在したみたいだけど‥
カイネは強かったのですか?
兵役の義務があったのも、戸主とされたのも、成年男子
孫権の妹みたいな例外もあるけど希少
>>333 孫権の妹がどんな例外?
本人が武装していたのは創作なんだが
337 :
世界@名無史さん:2012/09/18(火) 07:06:27.12 0
中国は、反日教育の江沢民時代に回帰しよるんかのう?
338 :
世界@名無史さん:2012/09/18(火) 07:28:55.48 0
大躍進の毛沢東時代
339 :
世界@名無史さん:2012/09/18(火) 07:36:55.76 0
三国志の時代かもね
日本が外国に征服されなかったのは地理的な要因が大きい
外国に占領・統治されまくりな滅茶苦茶な中国から影響を受け続けてきたのが日本なのに、
それをあざ笑うというのは一体どういうことだろうか
>>340 中国が荒れてる時代でも国力が下がった時代でも
日本が一貫して中国様々言ってたとでも思ってるの?
>>341 時の中国政府を尊崇していなくても、中国文化は常に尊崇の対象だった。
たとえば、日本人が中国の古典を読まなくなったのは戦後の事にすぎないが、
中国の古典を読まなくなったからと言って、
西洋の古典や聖書を読むようになったわけでもないので、
故事成語やことわざの類は未だに中国由来のものが多い。
西洋の古典や聖書ってのが意味解らんが
西洋の古典と対になるのはコーランや典礼
>>344 中国の書を?西洋の書を?どっちの事だ
そしてそれは「皆」と言えるほど多くの人が読んでいるのか
原書じゃないにしても中国古典は誰しも結構読んでる
学生の間はまず読まないし団塊世代もちょっとアレだが
今の30代くらいから下は中国古典は翻訳本ヒットとかもあって
初学者用の本は読んでる
347 :
世界@名無史さん:2013/07/10(水) NY:AN:NY.AN 0
348 :
世界@名無史さん:2013/11/03(日) 22:50:54.14 0
というより復古だよなあ
350 :
世界@名無史さん:2013/11/05(火) 19:48:19.73 0
現在リチャード・コシミズ氏をはじめ多くの人が、不正選挙の裁判をおこしていますが、
これが不正選挙を行なった人々を怯えさせ悩ましているようです。
不正選挙はなかった事にされるというのが、これまでの彼らのやり方のようです。
ところが今回の不正選挙の裁判はリチャード・コシミズ氏が相手なので、
どうもこれまでのようにはうまく行かないようです。氏は大変頭の良い人なので、
裁判長であった斉藤隆氏に女装癖があり、その筋では"ビクトリア"あるいは"ヴィッキー"と
呼ばれていることをつきとめ、ブログ上で暴露してしまいました。
くわしくはリチャード・コシミズ氏のブログでご覧下さい。大変盛り上がっています。
351 :
世界@名無史さん:2014/10/06(月) 22:31:04.21 0
>>348 中国では歴史ドラマが次から次に作られているが、
世界史板ではあまり話題にならんね。
352 :
世界@名無史さん:2014/10/08(水) 11:50:04.95 0
>>348 チョンドラよりまだ面白い。
孫文や孫子のドラマは一部嘘が有るけど、ほぼ忠実につくられてる。
役者の演技も上出来。
353 :
世界@名無史さん:
昨日、母校の研究室行ったんです。研究室。
そしたらなんか学生がめちゃくちゃいっぱいで座れないんです。
で、よく見たらなんか就職した同期が座ってて、就職したけど
博士号が取りたくて、退職して院生になった
とか言ってるんです。
もうね、アホかと。馬鹿かと。
お前な、人文系博士号如きで会社辞めて研究室に戻ってに来てんじゃねーよ、ボケが。
人文系博士号だよ、人文系。
なんか嫁も子供とかもいるらしいし。一家4人で無職生活か。おめでてーな。
よーしパパ塾講師のバイト行っちゃうじゃうぞー、とか言ってるの。もう見てらんない。
お前らな、博士号やるからその就職しろとと。
研究室ってのはな、もっとはつらつとしてるべきなんだよ。
テーブルの向かいに座った女といつ恋愛が始まってもおかしくない、
恋するか恋されるか、そんな雰囲気がいいんじゃねーか。30過ぎのおっさんは、すっこんでろ。
で、やっと35にして博士号が取れたと思ったら、その後の消息が不明なんです。
そこでまたぶち切れですよ。
あのな、博士号持ってる新卒なんてきょうび流行んねーんだよ。ボケが。
得意げな顔して何が、「私は博士号を持っています」だ。
お前は本当に博士号を取りたいのかと問いたい。問い詰めたい。小1時間問い詰めたい。
お前、就職したけど、プライドだけが高くて、社会に順応できなかっただけちゃうんかと。
行方不明博士通の俺から言わせてもらえば今、行方不明博士通の間での最新流行はやっぱり、
同窓生名簿に40近くになっても院生、これだね。
卒業生名簿就職先が空欄。これが通の博士号の取り方。
博士号取得まではにそいつの名前でグーグルで検索すると入ってる。そん代わり35過ぎて博士号取得後は検索0。これ。
で、「あのひと検索」のはずが、いつの間にか「あのひとは今」状態。これ最強。
しかしこれを書くとと次から「留学して日本にいないから」噂を意図的に流されるという危険も伴う、諸刃の剣。
素人にはお薦め出来ない。
まあお前らド素人は、まじめに就職でもしてなさいってこった。