1 :
世界@名無史さん:
もうすぐセンター試験
今から世界史の用語をpspから書き込みつつ覚えようと無駄に努力する
中国が苦手
2 :
世界@名無史さん:2011/01/09(日) 14:51:40 0
エーゲ文明
世界最古の海洋文明。エーゲ海に面してたからエーゲ文明。
クレタ島だとクレタ文明、ギリシア本土だとミケーネ文明
3 :
世界@名無史さん:2011/01/09(日) 14:53:57 0
アカイア人
東から来たギリシア人。ミケーネ文明を築いた。
4 :
世界@名無史さん:2011/01/09(日) 14:56:47 0
ドーリア人
西から来てミケーネ文明を潰した。
代わりにギリシアに鉄器をもたらしてくれた
5 :
世界@名無史さん:2011/01/09(日) 15:00:31 0
集住
みんなで集まって住むこと、というより、とある王のもとに集まって住むこと。
カッコよく言うならシノイキスモス
6 :
世界@名無史さん:2011/01/09(日) 15:04:36 0
貴族
ギリシアの貴族は大土地所有者で重装騎兵で政治家で、とにかく偉い。
7 :
世界@名無史さん:2011/01/09(日) 15:09:39 0
都市国家
王のまわりに貴族が住んで、貴族のまわりに平民が住んで。
都市の中心にはアクロポリスがあって、そのふもとには広場があって。
カッコよくいうならポリス
8 :
世界@名無史さん:2011/01/09(日) 15:11:11 0
ヘレネス
ギリシア人のこと
9 :
世界@名無史さん:2011/01/09(日) 15:14:43 0
バルバロイ
ギリシア人以外はみーんなバルバロイ。
中国人もイタリア人もインド人もナメック星人もみーんなバルバロイ
10 :
世界@名無史さん:2011/01/09(日) 15:17:45 0
ヘイロータイ
ギリシアの奴隷。だいたいお金の問題で奴隷にされる
11 :
世界@名無史さん:2011/01/09(日) 15:20:54 0
アルコン
執政官(えらいひと)。
足なんてただの飾りだとはたぶん思ってない
1000まで行けば、世界史マスターできるかもね
13 :
世界@名無史さん:2011/01/09(日) 15:24:39 0
ドラコン
執政官。ドラコンの成文法を作った。
貴族にも平民にも満足されなかった。無駄な努力乙
14 :
世界@名無史さん:2011/01/09(日) 15:28:20 0
>>12 がんばります
ソロン
改革を行った人。平民の不満をちょっとだけ取り除いた
15 :
世界@名無史さん:2011/01/09(日) 15:32:07 0
ペイシストラトス
偕主という、武力で政権を握った人。いわゆらなくても独裁者。
平民の味方だったらしい
16 :
世界@名無史さん:2011/01/09(日) 15:35:55 0
クレイステネス
改革実行者。区や民会を作ったり、陶片追放(オストラシズム)を行ったり。
苦手の中国モノが全然出てないのは何故だ?
iPhoneに変更。こっちのがやりやすいぜ
陶片追放
カッコよく言うならオストラシズム。ヤバいと思った人の名前を陶片(オストラコン)に書いておいて、一番多かった人が追放されるというすごい制度。もはやクジ引き罰ゲームでしかない
>>17 教科書を全部やるから多分そのうち出てくるかと。漢字変換考えるだけでぞっとしますw
スパルタ
ドーリア人が先住民征服して作った都市国家。きびしい身分制度があってものすごく強い軍人。
微妙に関係あるけど、300って映画かっこいいよね
ペルシア戦争
アケメネス朝ペルシアVSアテネ・スパルタを中心としたギリシア連合軍の戦い!
ペルシアがイオニアのギリシア人植民地を奪っていったのが始まり。第1回は嵐で延期、第2回はマラトンの戦いでアテネが勝利に貢献、第3回はテモルピーの戦いで300したあとサラミスの海戦でアテネの名将・テミストクレスが勝利し、プラタイアの戦いで最終的にギリシア人の勝ち
マラトンの戦い
海からギリシア本土へと上陸したペルシア軍を、アテネの重装歩兵軍団が撃退した戦い。
これには現代のマラソンへと変化するお話があるらしいけど知ってる人解説よろしく。我はよくわからぬのだ
サラミスの海戦
アテネの名将・テミストクレスが、市民を率いて海の上でペルシア軍と戦って勝利した。
ペルシア軍をサラミス湾に閉じ込めて集中砲火を浴びせた模様。詳しくは知らん
デロス同盟
アテネを中心としたペルシア対策。また力をつけて襲ってきたらヤバいよねー
とか言って周囲のポリスから兵船や資金を出させた。
これ、アテネ帝国の始まりらしい。
ちなみにパルテノン神殿が出来たのもこの頃
ペリクレス
将軍ペリクレスのこと。民主政治を徹底してギリシア文化の最盛期になった。
民主政とは名ばかりで、実際はペリクレスがデロス同盟を独裁していたらしい。
すげぇなペリクレス
ペロポネソス同盟
スパルタを中心とした同盟。対デロス同盟。戦争もふっかけてます
ペロポネソス戦争
ペロポネソス同盟がデロス同盟に戦争をふっかけて始まった。
軍人中心のペロポネソス同盟とは対照的に、ダメ政治家ばっかのデロス同盟。ペストも大流行りしてたし、デロス同盟は敗北した。
ちなみにデロス同盟のダメ政治家は扇動政治家(デマゴーゴスとかデマゴーグ)とか言うらしい
扇動政治家
デロス同盟のダメ政治家。カッコよく言うならデマゴーゴスかデマゴーグ。
戦争やれやれの戦争廚、だっけ?
ペロポネソス戦争後、ギリシアのポリス社会は衰退していった。
ところでセンター世界史を経験済みの人がいたら教えて欲しいのだが、やっぱり文化史も大事なのでしょうか?
ホロメス
盲目の詩人。なんて中二病な響きなの。
「イリアス」「オデュッセイア」の二大叙事詩を書いた。
我もオデュッセイア読んだけど、オデュッセウスかっこいいね。
ヘシオドス
神々の伝承を「神統記」にまとめ、日々の労働の尊さを「労働と日々」というそのまんますぎる書物にうたった。
今ギリシア神話が読めるのはこの人のおかげなのか。ありがとうヘシオドス
三大悲劇詩人
アイスキュロスの「アガメムノン」、ソフォクレスの「オディプス」、エウリピデスの「メディア」
アリストファネス
喜劇作家。「女の会議」「女の平和」。
女好きだな。我も好きだけど
フェイディアス
彫刻家。パルテノン神殿の「アテナ女神像」を彫った。
ヘロドトス
ペルシア戦争を物語風に書いた、歴史の父。
平家物語みたいなもんなのだろうか......
タレス
自然哲学の祖。万物の根元は彼によると水らしい。日食も予言した。
ピタゴラス
数が万物を構成するとした数字フェチ。
なんであの教育テレビのスイッチの番組が彼の名前を有するのか。響きだけ?それとも意味あるのか?
ヘラクレイトス
万物は火らしい。あと、「万物は流転する」とかドヤ顔で言ってた。
デモクリトス
万物の根元が原子(アトム)らしい。というか今の化学から見ても正解だよそれ。
タイムトラベラーなのかもしれない
ソクラテス
哲学者。つまりニートだったのか?
「汝自身を知れ」と自分の無知の自覚をスタートとして考えた。
これって孫子の「敵を知り、己を知らば百戦危うからず」と同じ考え方なのでしょうか......?
プラトン
やっときた、ギリシア人で名前が「〜ス」で終わらない人。
哲学者。彼によると、心理・実在は理性によって認識される概念(イデア)らしい。
王様は哲学者がいいとも言ってた。
アリストテレス
プラトンの弟子。イデアだけじゃなく感覚とかそういう曖昧なものも大事だとか。語学の基礎を作ったのも彼。
ギリシア終わって42までほぼ一人で埋めた悲しさ。
少し休憩してまたもどってきます。
戻った。続きをやろうじゃないか
マケドニア
ドーリア人の一派がギリシア北方にたてた王国。
ドーリア人=スパルタ人なので強いですよ
フィリッポス2世
金山をゲットして国を強くした王。軍制改革とかしてギリシアのポリスらに恐怖を与えたぜ
カイロネイアの戦い
アテネらをこれで潰す。最強だったアテネがすんなり潰されてびくびくしてたギリシアのポリスたちを自分のコリントス同盟に取り込んだ。
スパルタだけは最後まで戦ってたみたいだけど
アレクサンドロス大王
フィリッポス2世の子供。東方遠征を行った。あと、アレクサンドリアという街をたくさん作った
イッソスの戦い
333bcという覚えやすい年号。
ペルシアを破ってシリア・パレスチナ・エジプトを征服した
アルベラの戦い
ペルシア軍を破ったとしか書いてない。誰か補足お願いします。
これのせいでアケメネス朝ペルシアが滅亡した
ヘレニズム
「ギリシア風の」という意味。
ヘレニズムアニメ=ギリシア風のアニメ
ディアドコイ
ディアドコイところがどっこい。
すみません意味はないんです。
アレクサンドロス大王の後継者のこと。彼らのせいでマケドニア大国は三つに分裂した
マケドニア王国
アンティゴノス朝マケドニア。ローマにやられて終わる
>>21 伝令の人が戦場から街までずっと走ってきて、勝ったぞ!と人々に向かって叫んで死んだことからあやかった
伝令の人の名前がマラソンとかなんとか
シリア王国
セレウコス朝シリア。 パルティアとバクトリアがここから独立して、本体であるシリアはローマに滅ぼされた
エジプト王国
プトレマイオス朝エジプト。三つのうち一番繁栄した。首都はアレクサンドリア
>>52 おお、そうだったのか!ありがとうございます!
じゃあ我が父にはマラソン終わったあとに「勝ったぞ!」と叫んでもらおうw
ストア派哲学
ゼノンとかいうかっこいい名前の人が始めた。禁欲によって個人の心の平静を求めた。我はストア派は無理だ
エピクロス派哲学
心の平静こそ最高の快楽。苦痛から逃げるために政治生活から隠遁した。
エヴァのシンジ君はこれに共感しそう。「辛いことから逃げて、何がいけないんだよ!」
まぁ逃げちゃダメですけどね。我も勉強から逃げたい
エウクレイデス
自然哲学者。またか。
「幾何学原本」の著者
エラトステネス
自然哲学者。地球球体説を唱えた。
異端とされなかったのか?
アリスタルコス
自然哲学者。太陽中心説をとなえた。
あれ?これも異端じゃないの?
アルキメデス
教科書(文英社シグマベストの理解しやすい世界史B)には「この時代最高の数学・物理学者。」としか書いてないwww
ローマ入る前にちょっと一息
何かカラムーチョとか食べてこよう
そういう考えが異端になったのはカトリックがヨーロッパを支配するあたりから
イタリア人
インド=ヨーロッパ語族のイタリア人が鉄器を携えてイタリアへやってきた♪やってきた♪
エトルリア人
イタリアへやってきた。特になにももたらさなかったw
ローマ
ラテン人というイタリア人一派が建てた都市国家。始め王政、中共和。でも最後はやっぱり皇帝政
パトリキ
ローマ貴族。政治、社会上の権利を握って政権を独占した。やっぱり貴族はどこでも貴族か
プレブス
平民。中小農民を主体としていた。参政権もなければ貴族とも結婚できなかった。いわゆる生まれてきた時点で負け組
護民官
平民がみんなそろって聖山で新しい都市国家を作ろうとしたので元老院が譲歩して作った職。平民を不等な権力による攻撃から守るのが目的。大活躍する
平民会
護民官を選ぶための組織。民会の一種
十二表法
ローマ最初の成文法。平民にも公表され、貴族の独裁を防いだ。
コンスル
頭領。執政官でもおk。一番権力の強いポジションで、貴族から二名が一年の任期で選ばれた。
非常時になると一人が独裁官(ディクタトル)となり半年だけ全権を委託された
元老院
セナトゥスとも。最高の決定機関。エヴァでいうゼーレ。
貴族ばっかりで構成され、終身まで議員として働いた。
どう考えても貴族の独裁だこれ!ww
リキニウス=セクスティウス法
コンスルの一人は平民から選ぶことが決められた
ホルテンシウス法
平民会の決定は元老院より上、というか元老院に相談しなくてもいいことになった。
これにより平民と貴族はほぼ対等となり、身分闘争はなくなった。
あんた偉いよホルテンシウス。つーかディクタトルパワーすげー
そろそろ夕飯のようです
お腹空いてるし、行ってきます。また戻るアルよ!
これ見てる人がいればいいなと思いつつ、行ってきます
なかなか面白い
なかなかに美味な夕食であった
ローマの人々は食べて吐いてを繰り返していたらしいが、なるほど確かにある意味幸せかもしれないなw
さて、大学入るために続きをするかw
>>79 ありがとうございます
アッピア街道
ローマからぎゅいーんと伸びる軍道
ポエニ戦争
ローマとカルタゴの戦い。カルタゴは丁度伸び盛りで、その行く手にローマがあった。ローマとしては攻め入るカルタゴをどうにかしなければ滅亡しか道はなかった。
三回に渡る戦争の末に、ローマが勝利した。
あと我はハンニバル好きだよ。かっこいいぜハンニバル
シチリア島
ローマのすぐ下にあるけっこうでかい島。第1回ポエニ戦争でローマがこれを最初の属州とした。今もいい所だと聞く
ストア派とエピクロス派の説明がかなり微妙・・・
もう一度勉強しなおしたほうがいいよ
ハンニバル
カルタゴの名将。アルプス越えはあまりにも有名。カンネーの戦いでは面白いくらい大勝利するものの、ザマの戦いでは見事に負ける
>>84 ま、マジで? えっと......
ストア派はゼノンの理性に従った厳格な禁欲によって個人の心の平静を求め、また公共に尽くすことも良しとしたため、ローマ政治家の間ではストア派が流行。
皇帝ネロの師であるセネカ、ギリシア奴隷出身のエピクテトス、五賢帝の一人であるマルクス=アウレリウス=アントニヌスなどもストア派哲学者として名を馳せた。
エピクロス派の説明少ないー!
すみません参考書だけだとこれくらいしか情報が出てこないッス......足りないようなら我に補足説明お願いします
>>86 ざまをみろ、はそれが語源だとウチの母が申しております。真偽のほどは定かではないが......
カンネーの戦い
アルプス越えを果たしたハンニバルがローマ軍をフルボッコにした戦い。ハンニバルが一番輝いていた時かもしれない。
本人もザマの戦いではカンネーのような見事な勝利を目指していたらしい
ザマの戦い
スペイン経由でカルタゴ入りしたローマの将軍スキピオが、戻ってきたハンニバルを打ち負かした戦い。
このせいでカルタゴはスペイン・ヌミディアなど、海外の全領土を失った。
......本当にざまをみろ状態だなwこれはひどいww
>>90 ちなみにスキピオの年齢は20何とかで、カンネーの戦いを参考にしていたとかなんとか
>>91 スキピオ若っ!というかすごっ!
ローマの政治も軍事も若手が必要な時だったのだろうか......
というか、ザマの勝利ってほぼスキピオの手柄じゃないですかwww
ピュドナの戦い
第2回ポエニ戦争と同時進行で行っていた、ローマとマケドニアの戦い。
この戦いでローマはマケドニア王国を滅ぼし、その地を属州とした。
ちょっち弟の世話焼いてきます
pcの容量取り過ぎだろおめーとか言われた
戻りました
ポンペイウス
東地中海、というかシリアの海賊を討伐してそのままセレウコス朝を滅ぼしたコンスル
アクティウムの海戦
プトレマイオス朝の女王、クレオパトラがローマのアントニウスと手を結んで領土拡大を謀っていたのでオクタヴィアヌスがこれを破ってプトレマイオス朝を滅亡させた
ローマによる地中海統一が完成したのだ!
クレオパトラ
クレオパトラ7世。プトレマイオス朝最後の女王ですごい美女らしい。そりゃアントニウスもホイホイついてくわけだw
アントニウス
カエサルの部将で第二回三頭政治の三頭の一人。クレオパトラと手を結んだもののアクティウムの海戦ではオクタヴィアヌスに負けた。
それ以外の情報が載ってない......
オクタヴィアヌス
カエサルの養子で第二回三頭政治の一人で、アクティウムの海戦の後、元老院からアウグストゥスの称号を受けている。
実質皇帝だったけど、自分は皇帝であるとは言わなかったがために長生きした
ラティフンディア
ローマの大土地所有、大農場経営のこと。
ローマ市民の間に格差が広がっていく前触れ。
過酸化水素水、シノイキスモスに並ぶ、言ってすごく気持ちのいい言葉(我の判断基準による)
100がラティフンディアとか......www
スパルタクスの反乱
剣奴スパルタクスが起こした反乱。一時期勢力が10万を超え、ローマ軍もたじたじになるくらいのパワーを持っていたものの、ポンペイウス・クラッススに鎮圧された。
ちなみに剣奴というよりグラディエーターと言った方がかっこいいと思う
無産市民
カッコよくいうならプロレタリイ。文字通りお金のない人。
政界の野心家たちはこのプロレタリイを食料と娯楽で操って政治を左右させていた
グラッスス兄弟
兄はベリウス、弟はガイウス。二人とも護民官で、リキニウス=セクスティウス法を復活させて平民救済を目指した。
どっちも閥族に反対されて失敗したけどね
閥族
貴族や有力な家柄の平民。元老院議員、属州知事などの高位官職を独占し始め、裕福になり始めた。
あくどいけど、やっぱどの時代でも人は人なんだなぁ
第一回三頭政治
閥族派のポンペイウス、平民派のカエサル、騎士出身のクラッスス(日陰者)とか結んだ私的な盟約。三人がかりで元老院に対抗してたが、次第にカエサルが独裁するようになった
カエサル
ユリウス=カエサル。英語だとジュリアス=シーザー。ガリア遠征を行った。
ポンペイウスをやっつけ、終身ディクタトルとなり独裁を始めたが、結局元老院に暗殺された。
第二回三頭政治
カエサルの養子オクタヴィアヌス、カエサルの部将アントニウス、レピドゥスが行った三頭政治。最終的にオクタヴィアヌスの一人勝ちで終わった
レピドゥス
第二回三頭政治の日陰者。オクタヴィアヌスに早期に失脚させられている
アウグストゥス
尊厳者という意味の称号だが、オクタヴィアヌスのことを言う
これを得てオクタヴィアヌスは独裁を始めるのだが、共和政の伝統や元老院を尊重したため、アウグストゥスの帝政はプリキンパクトゥスという。
プリキンパクトゥスはプリケンプスの統治という意味で、プリケンプスは「第一人者」らしい
五賢帝
96〜180年のローマ帝国の最盛期。
ネルヴァ、トラヤヌス、ハドリアヌス、アントニヌス=ピウス、マルクス=アウレリウス=アントニヌスの五人を指す。
トラヤヌス帝は最大領土も実現した
カラカラ帝
ローマ市民権が全属州の自由民に与えられた。
ローマにいなくてもローマ市民を名乗ることができるようになったけど、これってそんなにすごいことなの?理解出来ないんだが、それは我がアホだからですか?
ゲルマン人
北より来たりしゲルマン人。同時期ササン朝ペルシアもローマを狙っていた
軍人皇帝時代
26人もの皇帝が入れ替わり立ち替わりした時代。まさに混乱
ディオクレティアヌス帝
軍人皇帝時代に終止符を打った皇帝。皇帝崇拝を強制して専制君主制(ドミナトゥス)を始めた
コンスタンティヌス帝
ローマ帝国の東方化を実現した。都を東のビザンティウムに移し、そこをコンスタンティノープルと改名した。
おまけにキリスト教を公認して統一帝国の維持に役立たせようとした
テオドシウス帝
キリスト教を国教にして帝国を再統一した
西ローマ帝国と東ローマ帝国
テオドシウス帝の死後、彼の子供二人がそれぞれ西と東ローマを分けたため、ローマは見事に分裂した
ちょっくら風呂でも入ってきますか
もう100超えたのか…
アイス食べたらすごい寒くなってしまった
>>119 はい、おかげさまでw(?)
もしかしたら親にiPhone取り上げられるかもしれないので今日一日でどこまでいけるかわかりませんががんばるぜw
いざとなったらpspもあるし!
コロヌス
小作人。もともとは農民という意味だったが、どんどん隷属的になっていった。
封建社会の農奴の先駆けで、これを使う大土地所有者は自給自足の傾向を強めた
ローマの文化やったらローマも終わりか......
キケロ
ローマ最大の散文家・雄弁家。ラテン語普及に貢献した。
キケロっていい名前だと思うんだが
ヴェルキュリアス
英語だとヴァージル。
ローマ第一の詩人で、ローマの建国叙事詩である「アエネイス」を書いた
ストア派哲学については
>>87でみっちり書いたから飛ばす
リヴィウス
「ローマ建国史」を書いた歴史学者
タキトゥス
「ゲルマニア」著者。当時のゲルマン人の様子を知る重要な資料
プルタルコス
「対比列伝」でギリシアとローマの人物を比較した
ストラボン
地理学者。「地理誌」を書いた
プトレマイオス
英語読みだとトレミー。なにこの差。
天動説を唱えた。しかもこれがヨーロッパの支配的な学説となった
万民法
市民法のうち、非ローマ市民にも適用できるところを発展させた法。多民族を統治するためには必要だった
ローマ法大全
6世紀にビザンツ皇帝ユスティニアヌスによってローマ法がまとめられ、後の世界の法律に大きな影響を与えた
コロッセウム
円形闘技場。剣奴を戦わせたり水を張ってアクティウムの海戦を再現したりと色々やっていたらしい。
あと、個人的に「コロセウム」の方がしっくりくる
ユダヤ教
イスラエル人が作った宗教。自分たちがメシアによってローマから開放され、世界を支配することを望んでいた
メシア
救世主のこと。ユダヤ教徒を救い、世界の頂点に立たせてくれるという存在らしい。
ユダヤ教徒超受身www
イエス
紀元前4世紀ごろにパレスチナ北部に生まれた。
貧困?差別?そんなの関係あるかっ!人は神の愛にすがることによって誰でも救われるんだよ!
隣人を愛せよ! 神を信じろよ!
最後の審判が重要なんだよぉお!
らしい
キリスト教
イエス復活を信じる宗教。デカすぎてちょっとまとめられないw
>>136 ユダヤ教の教えに対してイエスが不満持ったからその部分だけ改変してキリスト教にした。そのためユダヤ教とキリスト教はよくにている。だったはず。
大きな違いは、ユダヤ教が選民思想ばりばりなのに対して、キリスト教は神を信じれば民族も性別も年齢も貧富も何も関係ないってこと。
かな?w(←ちょっと自信ない
ネロ帝
ローマ皇帝。彼の時代からキリスト教に対してすごい迫害しまくる。理由は「肯定崇拝をしないから」、「下層民がどんどんキリスト教を信じて結託していくから」
ちなみに完全に逆効果で、キリスト教はどんどん広かっていった
カタコンベ
地下墓地。ここでキリスト教信者は集まって信仰を守り続け、迫害から逃れた
ミラノ勅令
コンスタンティヌス帝が出した勅令で、キリスト教を公認するもの
ニケーア公会議
コンスタンティヌス帝の招集した宗教会議。三位一体説(アタナシウス派)を正統教義とした
アリウス派
アタナシウス派の逆で、キリスト教の異端。これがゲルマン人の間に布教されていった
アウグスティヌス
北アフリカの司教で、「神の国」を記した。世界は神の国と悪魔の国の間にあり、最後の審判がキリスト教信者を救うとするキリスト教的壮大な世界観を展開した一冊
やばいセンターまでに全然終わらないよこのままじゃwwwwww
死ぬwww我死にますwwww
とりあえずローマ終わったので休憩してきます。
戻ったらインドの古代文明やります
メガテンやればインド神話はわかるようになる
さて続きやるか
>>147 覚えなきゃいけないのはインド神話ではなく実史なんですけどね......
とはいえ興味はあります。インド神話を扱ったものってまだあんまり手ぇ出してませんから
受験落ち着いたらググってみます
インダス文明
インダス川流域の古代文明。下流にはモエンジョ=ダーロ、上流にはハラッパーという遺跡が残っている
ドラヴィダ人
インダス文明を築いたとされる人々。今はインドの南部や東部に住んでいる
インダス文字
インダス文明で用いていた文字。未解読
アーリヤ人
インド=ヨーロッパ語族で、インダス川の上流をパンジャープ地方に侵入してドラヴィダ人を征服して定住。
ガンジス川にも進出していった
パンジャープ地方
インダス川上流の地方。特に記載すべきことを我は知らない
ヴェーダ
自然現象を神格化した宗教を持っていたアーリヤ人が、神々への賛歌を記したもの。知識という意味らしい。
最古のものは「リグ=ヴェーダ」という
ヴァルナ
ヨーロッパではカースト制度という。身分制度の一種。
個人的にヴァルナ支援
バラモン
ヴァルナのトップに立つ司祭階級
クシャトリヤ
王侯・武士階級。政治や軍事の担当者がここ。ちなみにブッダことガウタマ・シッダールタもここ
ヴァイシャ
一般庶民階級。普通。農民とかそのへん。平民
シュードラ
奴隷階級
ウパニシャッド
奥義書。内面思索によって宇宙や人生の本質を知ろうとしていた。宇宙の根源・ブラフマンと人間の本体・アートマンの合一によって人は輪廻から解脱できると書いてある。
インド思想の根源で、仏教やジャイナ教に影響した
マガタ国
ガンジス川中流におこった国。
バラモン支配に対する抗いの始まり
仏教
クシャトリヤ出身のガウタマ=シッダールタが始めた宗教。正しい精神的修行で人生の苦しみから解脱可能だとか
ジャイナ教
クシャトリヤ出身のヴァルダマーナが始めた宗教。苦行と禁欲による解脱を説いた。あと、不殺生も大事だとか
二大叙事詩
王侯や武士の活躍をえがいた「マハーバーラタ」と「ラーマーヤナ」のこと。
すっげぜ言いづらい
マウリヤ朝
チャンドラグプタがたてた王朝。首都はパータリプトラというすごくかわいい名前の場所。ギリシア勢力をインダス川から一掃し、セレウコス朝とも戦って勝利して国境を安定させた
アショーカ王
マウリヤ朝の全盛期。
インドの大部分うぃ統一し、統治組織や軍備などの国家システムを整え、ダルマという法律を作って厳守させた。
あと、アショーカ王は仏教保護者で、彼のおかげで仏教が広まった。仏典結集もやったし
クシャーナ朝
大月氏国からイラン系のクシャーナ族が独立してバクトリア地方にたてた王朝。
インダス川にやってきた
カニシカ王
クシャーナ朝の全盛期。首都はプルシャプラで、パルティアと後漢と国境を接した
ガンダーラ美術
ガンダーラ地方で発展した仏教美術。ヘレニズムと仏教が合体してこうなった。
ギリシア彫刻の手法による仏像など、なかなかカオスなものが生まれた
大乗仏教
菩薩信仰を中心に広く大衆の救済を説く。ナーガールジュナが基礎を確立させた
眠くなってきたしけっこう疲れてきた
一日で171くらいいけばいいもんだろ。明日チェックテストしてまた続きやります
見てる人いるかわからないけど、とりあえず今夜はここまでー
>>59-60 異端も何も彼らはキリスト教徒じゃない。というかキリスト教はまだ無い。
>>61 世界史的にはそれで良かろう。物理ではアルキメデスの原理やてこの原理で有名。
>>109 プリケンプスやない。プリンケプスや。
>>111 現代で例えるとアメリカ国籍を貰えるようなもの。色々な権利が付いてくる。
>>123 ウェルギリウスの方が一般的じゃないかな。ダンテの『神曲』にも登場する。
>>129 頭のPを発音しないのとイオスもラテン語の語尾だから英語にすると消えて無くなる。
>>138 ユダヤ教はヘブライ人の宗教。旧約聖書に出てくるダビデのような救世主があらわれてユダヤ王国を
復活させると考えていた。
イエスはヘブライ人の宗教だったユダヤ教を他の民族に開放し、救いの内容を現世での救済(王国の復活)
からあの世(天国)での救済に改めた。
>>169 >ギリシア彫刻の手法による仏像など、なかなかカオスなものが生まれた
ギリシャ彫刻の影響を受けて仏像が生まれた。それまでは偶像崇拝を認めなかったので仏像は無かった。
今起きたが、iPhoneの電池がヤバいので書き込みはもっと後にします
>>172 うわぁああああ、ありがとうございます!
よっしゃ覚え直そう
本当にありがとうございます
iPhone充電率100%!いけます!
グプタ朝
チャンドラグプタ1世がたてた王朝。首都はパータリプトラに戻る
チャンドラグプタ2世
グプタ朝最盛期の王。中国だと超日王と言うらしい
ヒンドゥー教
バラモン教に仏教や民間信仰がミックスしてできた宗教。インド宗教の主流となり、カースト制度と一体となってインド社会を作った
マヌ法典
生活する上でのルールをまとめたヒンドゥー教の聖典
カーリダーサ
サンスクリット文学の黄金期に、戯曲「シャンクタラー」を書いた。
同時期に医学・薬学・天文学・数学なども発展した
エフタル
5世紀末にグプタ朝を衰退させた遊牧民
ヴァルダナ朝
ハルシャ=ヴァルダナがたてた王朝。首都はカナウジ
ハルシャ=ヴァルダナ
ヴァルダナ朝を始めた人。仏教を保護した。唐の玄奘とも会っている
玄奘
インドまで仏典を取りにいった唐の仏僧。ナーランダー寺院で学び、唐に戻ったあとは経典の翻訳を行った。
西遊記で役に立たない割に悟空をいろいろ縛り付けてた人(違
サータヴァーハナ朝
別名アーンドラ朝。マウリヤ朝崩壊後、南インドにドラヴィダ人がたてた王朝。ローマと貿易してた
中国来たよちくしょう
まぁがんばるか
黄河
中国の北の大河。中流付近で仰韶(ヤンシャオ、ぎょうしょう)文化がおこった
仰韶文化
ぎょうしょうだろうとヤンシャオだろうと同じこと。黄河中流域を中心に、竪穴住居を作って粟・黍を栽培し、犬や豚なんかを飼育してた
竜山文化
りゅうざんでもロンシャンでも。
黒っぽい黒陶土器が今見てもなかなかかっこいい。黄河下流域を中心に仰韶文化頃より集落の人口が増え、馬や牛の飼育も始まった。
一部では獣骨の占いもやっていたとか
夏
伝説にのみ残る中国の最古の王朝。最近それっぽい遺跡が見つかったらしいが、定かではない
殷
いん。黄河中流域、下流域に集まった有力な氏族集団が邑という都市国家を乱立させた。
それを商という邑がまとめて、殷王朝をたてた
邑
ゆう。古代中国の都市国家のこと
甲骨文字
亀甲や獣骨に文字を刻んだから甲骨文字。漢字の原型
周
しゅう。殷を滅ぼした。都は鎬京(こうけい)。東には洛邑(らくゆう)を置いて、華北一帯を支配した
中国史苦手です。わかりやすく覚えるためのアドバイスとかあったら教えてください。
封建制度
周王室を中心に、その血縁関係により主従関係を形作っていた。ヨーロッパの封建制度とはちょっと違うので注意
東周
とうしゅう。西や北の異民族に鎬京を乗っ取られてしまったため、周が東に遷都。これ以降が東周、これ以前が西周
春秋時代
しゅんじゅう。東周の前半のこと。周が滅んだわけじゃないけど弱体化したため、諸侯が力をつけ始めた頃
覇者
はしゃ。春秋時代の有力諸侯のうち、「尊王攘夷(そんのうじょうい、周王室万歳、異民族をうち払え、という意味)」をスローガンにかかげて他の諸侯たちと同盟を組んで天下に号令しようとした人たち
戦国時代
東周の後半。周の封建制度は解体、中国世界が弱肉強食となった頃のこと
戦国の七雄
戦国時代の七つの強国、秦・楚・斉・燕・韓・魏・趙(しん・そ・せい・えん・かん・ぎ・ちょう)のこと。
いずれも王を名乗り領土を巡ってバトルした。
そのうち秦が強くなり、他の六国と対立するようになったけどまぁ最終的には一人勝ちしたね
諸子百家
しょしひゃっか。春秋・戦国時代に排出された学派や書物の総称
儒家
じゅか。封建制度の復活を主張した。
のちの中国では正統的な思想となった
200ー
孔子
こうし。儒家の祖。家族道徳の実践によって最高の得である「仁」に辿り着けると言った。政治もこれにもとづいてやるべきと主張した。
彼の言葉は「論語」という言行録に記されている
孟子
人間の本質は善であるという性善説を説いた
荀子
人間の本質は悪であるという性悪説を説いた
飽きたので少し英語してくる
えー
>>204 戻りました
墨家
ぼっか。墨子が祖。仁は差別愛であるとして、無差別愛と相互扶助を主張。戦争にも否定的
道家
どうか。儒家は人為的だとして、宇宙の原理である「道」を求め、無為自然を説いた
老子
ろうし。道家の祖。自給自足の小国を理想とした
荘子
無為自然らしく自由に生きろと説いた道家の人
法家
ほうか。君主の法と権力によって秩序を築くべきだと説いた。絶対君主と官僚制度の確立を主張
秦
しん。首都は咸陽(かんよう)。戦国の七雄を滅ぼし、最後に残った。全国統一したのちに自らを始皇帝と名乗った。群県制を実施
群県制
全国を36群に分け、群はそれぞれいくつかの県を統治するというシステム。
それぞれの管理者は始皇帝が任命した官吏(かんり)という役職
焚書・抗儒
ふんしょ・こうじゅ。始皇帝が法家思想賛同者なので、儒家を弾圧しその書物を燃やすという言論・思想統一策
万里の長城
戦国時代に秦・燕・趙などが作っていたものを大幅改修し、北方民族、特に匈奴などの侵入を防いだ
>>192 流れを掴めとしか言えない。苦手の理由は何かあるの?
>>195 「尊王攘夷」ってキーワードはあんまりイメージないなぁ。尊王なのは確かだけど、どっちかって言うと王室を
ないがしろにして暴虐な諸候を討って懲らしめるイメージだな。たしかに異民族とも戦うけど。
>>198 書物なのかなぁ。諸子は孔子とか老子とかの思想家の事。百家は儒家とか法家とかの学派の事。
>>199 儒家は歴史が長いだけに時代ごとに色々と変化してるんで一言でまとめるのは難しい。封建制度の復活を
主張、は疑問。徳治主義とは言える。荀子=性悪説も正しくない。
>>205 墨家の「兼愛」は自分を愛するように他者を愛しなさいという。「非攻」は侵略戦争には反対するが、同時に
墨家は当時最強の戦闘集団でもある。侵略を止める為に戦争に介入した。(受験には出ないと思う。)
>>211 >群県制→郡県制
>>212 「坑儒」とは儒者を穴埋めにする意味だが、弾圧の対象は儒家だけでは無い。
陳勝・呉広の乱
中国初の農民反乱。これを機に各地で農民反乱が起き、秦は滅亡した
>>214 おぉ、我が愚かなミステイクの修正と補足を感謝します!
飯ってました。
その前はなんらかのエラーですとか言われて書き込めなかった
ちくしょー!
さて、取り戻すか
項羽
こうう。楚の武将で旧勢力代表。劉邦と垓下の戦いで敗れた
>>214 苦手な理由......なんだろ、雰囲気?w
漢字難しいし、どことなく令や制度多めな気もするし......
すみません、自分でもよくわからないです......orz
劉邦
りゅうほう。農民出身で新勢力代表。垓下の戦いで項羽を打ち負かし、漢王朝を樹立、高祖として初代皇帝となった
垓下の戦い
項羽と劉邦がぶつかった戦いで、劉邦が勝利し漢王朝を樹立した
郡国制
都の長安周辺は郡県制をしいたが、遠方は封建制度を実施するというもの
呉楚七国の乱
えーっと、呉、楚を中心に七国が企てたクーデター、でいいのか? よくわからないです......誰か教えて。
この反乱はすぐ鎮圧され、漢の中央集権化に役立った
>>217 ミス
× 劉邦と垓下の戦いで〜
○ 劉邦に垓下の戦いで〜
武帝
漢の7代皇帝で、前漢の最盛期。いろいろやった
推恩の令
武帝の出した令。諸侯の力を弱めるのが目的。名目上は郡国制だが、実質郡県制になった。中央集権体制を確立
なんか調子悪い
今日はノートに書き溜めて、また後日うpります
センターなら何世紀に起きたかくらいは認識しといたほうがいいんじゃない?
6世紀に起こったことを選べ
とかに対応するために。
頑張れ
来週か
頑張れよ
>>226 世紀ですね、了解しました、暗記します
はい、頑張ります! ありがとうございます!
さて、大学の書類も書いたし、いっちょやるか
というか書き込みの調子悪い
>>227 ありがとうございます
必死ですよwwもう本当にww
董仲舒
とうちゅうじょ。儒学を官学とし、郷挙里選も行った
郷挙里選
きょうきょりせん。前漢では地方長官が地方有力者と話し合って推薦者を決めた。
後漢になると豪族の発言権が強くなり、儒学的教養を重視した
匈奴
北方民族。たびたび中国を引っ掻き回している
張騫
ちょうけん。匈奴を挟み撃ちにするため大月氏に派遣されたが、失敗
楽浪郡
らくろうぐん。朝鮮支配のための郡
調子悪いな
均輸法
その土地で多く生産するものを税として徴収、足りない地域に転売するというもの。
財政難に見舞われた漢王朝が行った経済政策の一つ
平準法
物価が下がると政府が商品を買い付け、上がるとそれを売る。
財政難に見舞われた漢王朝が(ry
外戚
がいせき。皇后の一族。実権欲しさに娘を皇帝に差し出した人たちち
宦官
かんがん。去勢され宮廷で働いた。皇后ら女性陣の世話をしてしばしば政治の実権をにぎった
王莽
おうもう。外戚で、幼少の皇帝を廃して自ら皇帝の座に。新という王朝をたてた
新
前漢と後漢の間にある短い王朝。
これがなければ漢一つでよかったのにめんどくさいことをしてくれたな王莽め
世界史のカードゲームがあってもいいと思った。まるっきり遊戯王みたいとかヴァイスシュヴァルツみたいとかじゃダメだけど、なんかこう、カードゲームしながら世界史を覚えよう!的な
我はすごく欲しいよ。他の人がどう思うかは知らないけど
劉秀
りゅうしゅう。漢王朝を復活させた。光武帝。対外には消極的な儒教主義者
後漢
25年、劉秀によってたてられた王朝。都は洛陽
班超
はんちょう。西域都護で、カスピ海東岸まで漢王朝の勢力を拡大させた
甘英
かんえい。班超の部下。パルティアを経由してシリアへ行き、地中海だか西海だかにぶつかって引き返してきた
書き込めなくなる時が何度かある。時間があいてしまうのはそのせい
党(金固)の禁
とうこのきん。何故か「こ」の字が出てこない。あれで伝われば幸い。
宦官はずるいなどと正式の推薦で官吏になった人たちが言ったのを、宦官が宮廷と結託して弾圧したこと
246 :
世界@名無史さん:2011/01/11(火) 19:15:34 0
志望校はどこ?
黄巾の乱
2世紀末、民間信仰の宗教結社・太平道の教祖、張角が起こした大規模な民衆反乱。
これにより後漢は滅亡した
>>246 第一は法政などという無謀の頂点を目指しています。無謀すぎて自分でも少し笑ってしまう
あとはまぁ、いろいろ?ww
249 :
世界@名無史さん:2011/01/11(火) 19:17:35 0
MARCHか
がんがれ
>>249 がんばります。ありがとうございます
訓語学
「語」は本当は違う字。
古典の字句解釈を主とした儒学(でいいのかな?
司馬遷
「史記」の著者。太古から武帝時代までの歴史を紀伝体で記した
班固
はんこ。「漢書」という前漢一代の歴史書を書いた
そろそろ夕飯かもしれぬ。我が腹部がいなないておる
帰還
続行しよう
あと、関係ないけどエヴァ最高
蔡倫
さいりん。紙の発明者。それまでは木簡やら竹簡やらを使っていたからこの発明は斬新
仏教
>>162参照
中国には前1世紀〜後1世紀半ばにやってきた
スキタイ人
南ロシアを中心に活躍したイラン系遊牧民
冒頓単于
ぼくとつぜんう。匈奴の人で、単于は匈奴の君主の称号。紀元前2世紀ごろに強大な遊牧国家を形成した。
オアシス都市国家
内陸アジアの南半分、中国の北西あたりからタリム盆地、イランに及ぶ地域に建設された都市国家。
東西貿易の幹線であるシルクロードが通じていた
月氏
げっし。タリム盆地周辺を支配していたが、匈奴に西に追いやられる
バクトリア王国
アレクサンドロス大王の遠征後、紀元前3世紀ごろにギリシア人がたてた王国。
これが匈奴に追われた月氏に支配されて大月氏国となる
ちなみにインドのクシャーナ朝はここから独立してできた
古代中国前半が終了
このまま唐までいけいけって感じだけど、ちょっと休憩
万が一ここ見てる人がいたら、覚えやすい年号とか教えてくれると嬉しいです
んじゃ十五分後にまた
二倍速でアニメ見てくる!我の活力の源ッ!
続行する
と思ったが風呂が先だ
明日も学校あるし、風呂へいってこよう
264 :
世界@名無史さん:2011/01/11(火) 23:52:56 0
>>261 バクトリアからクシャーナ朝は独立してない。流れを言うと
アレクサンドロスの帝国→セレウコス朝→バクトリア王国→遊牧民(いろいろ)→大月氏→クシャーナ朝といった流れ
我も来年受験だから今のうちに受験の準備を始めておこう
セシルローズ
アメリカじゃない。
楽しく見てるぜ。この覚え方だと縦で覚えちまうな。
AD@@@に中国では@@。ヨーロッパでは**みたいに横でおぼるとテストは点取りやすい。
まぁセンターまで時間がないから、これで仕方ないかもしれないけど。
頑張ってくれ!来年受験の人は自分で年表作ると色々覚えるぞ!
↑にあるように横のつながり覚えとくと正しい順番を選べ、みたいな問題もわかって理解しやすい
例えば下のように
661 ウマイヤ朝成立
712 唐で玄宗即位、唐の絶頂期(開元の治)
718 ビザンツ、ウマイヤ朝の遠征軍を撃退
729 ビザンツ、聖像破壊運動開始(ローマ教皇庁との関係悪化)
732 トゥール・ポワティエ間の戦い(フランク軍がウマイヤ朝軍を撃破)
750 ウマイヤ朝が滅び、アッバース朝成立
751 タラス河畔の戦い(アッバース朝、唐軍を破る)
755 唐で安史の乱(唐の衰退)
756 ウマイヤ朝の王族、イベリア半島に逃れて後ウマイヤ朝建国
昨日は親にiPhone見つかって書き込めなかった
今日はもう少し注意します
学校、塾、夕飯とイベント目白押しなので今日は少し遅くにまたきます
>>264 大月氏からクシャーナ朝ですね、了解しました
来年はがんばってくださいwもうほんと、すごい大変ですから。親からのプレッシャーが特にww
>>265 えっと、イギリスの人でしたっけ。アフリカ南部のケープタウンまで電線引いた人。ダイヤモンド鉱脈発見者だった木も......
>>266 横繋がりですか、意識するようにします。ありがとうございます!
年表はすごく便利ですよ!もうあれをちまちま作り続ければ無敵!我も最初の頃はやってたんですけど、気力が続かなくて......w
>>267 うぉおすげぇえ!
中国終わったら少し並べてみます
269 :
世界@名無史さん:2011/01/12(水) 19:15:58 0
【台湾】馬英九総統「日本には謝罪責任がある」…従軍慰安婦問題で日本は自国の「恥部」を隠すべきではない [12/27]
台湾の馬英九総統は26日、台北市文化局や台湾婦女救援基金会が主催した、台湾の
元従軍慰安婦らの対日訴訟に関する特別展に出席し、「日本政府は歴史の過ちに対して
謝罪する責任を持つ」と発言。注目を集めている。環球網が台湾の報道を受けて伝えた。
主催者となる台湾の元従軍慰安婦らが対日訴訟を求めた2000年から、同基金会の活動
は今年で10周年を迎える。展示会では、元従軍慰安婦らによる日本への賠償要求や、
従軍慰安婦問題の教科書記載などを求める運動などが紹介された。
馬総統はこれまでも元慰安婦の名誉回復活動に積極的に参与しており、同基金会が制作
した台湾人元慰安婦に関する記録映画の撮影や、元慰安婦への補償活動などに関わった。
また、2008年には、元従軍慰安婦8人と会談し、同問題への関心の高さを示している。
馬総統は、特別展開会のあいさつで「日本は歴史で犯した過ちと向き合うべき」と述べ、
日本は自国の「恥部」を隠すべきでなく、また、謝罪責任を逃れるべきではないとの見解を
示した。
http://kamome.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1293436105/
おぉ部屋が寒い
いつ書き込めなくなるかわからんが、あと三日だしがんばるぞー
曹操
そうそう。後漢末の豪族。一度華北を統一したものの、劉備&孫権連合軍に赤壁の戦いで破れる
赤壁の戦い
3世紀(208年)に曹操と劉備&孫権連合軍がぶつかった戦い。曹操の敗北で終わった。
映画「RED CLIFF」にもなっている。我は見てないが受験終わったら見たいぜ
曹丕
そうひ。曹操の子供。3世紀(220年)に魏を建国する。文帝
魏
ぎ。曹丕のたてた国で、都の洛陽を中心に華北を支配してた。官吏採用のために九品中正を使用。屯田制もしいた
九品中正
きゅうひんちゅうせい。魏の官吏採用制度。地方に中正官をおいて、彼らに官吏になるべき人材を推薦してもらう。
推薦者は9つのランクに分けられ、政府がその人のランクに合った官職を与えた
で、いいのかな......?
だれだっけ、それ提案したの?陳羣だっけ?
結局、失敗に終わったんだよなぁ
賄賂云々で
>>276 すみません、誰かは書いてないです
門閥貴族と中正官が結びついてダメになったんですよね
屯田制
とんでんせい。行き場のない民を一定地域に住まわせ、そこの所有者のいない土地を耕作させた。魏の重要な財源。
ちなみに魏の他にも秦、漢でやってるけど辺境の防衛を主な目的としてたみたい
蜀
しょく。劉備が建国。都は成都。三国の中で最弱。国としてしばらく続けられたのは諸葛亮のおかげ
呉
ご。孫権が建国。都は建業。晋に滅ぼされた
晋
しん。司馬炎が3世紀にたて、4世紀入ってすぐに五胡の攻撃をうけて滅んだ。都は洛陽。占田・課田法という土地政策をしいていた
司馬炎
しばえん。武帝でも。魏の将軍で、王位を奪って晋をたてた
占田・課田法
せんでん・かでんほう。晋の土地政策。
占田は土地所有の制限、課田は農民への土地の割り当てのこと
五胡
ごこ。北方の匈奴・羯・(けつ)鮮卑とチベット系のてい(←見つからなかった)と羌(きょう)のこと。
これらの侵入が晋王朝滅亡の原因
あれれ三国志はもう終わりかい?
もっとてやってよ
関羽とか赤壁とか
東晋
とうしん。4世紀、司馬炎の一族である司馬睿(しばえい)が東の建康に逃げてそこを都としてたてた王朝。
江南の開発が進んだ
赤壁は
やってた
>>271 >一度華北を統一したものの
赤壁で負けても失地は無い。南下を食い止められただけ。
>>285 受験勉強としての世界史の中ではこんなもんだろ。
289 :
世界@名無史さん:2011/01/12(水) 22:01:11 0
連続投稿で規制された
しばし去る
書き込めなくなってましたw
投稿しすぎですだって
>>285 無茶言わないでくださいw
我だって周瑜とか孔明とか調べてこういう戦略であーだこーだ調べたいんですけど、センター試験のための勉強ですからそこまで細かくできないんです、ごめんなさい
もしスレがあと3日で1000超えて結局覚える2とか立てることになって、これが習慣化したらもっと深く世界史の単語書き込んでもいいかな
とにかくここは先に進むぜっ!
>>287 勉強を?映画が?
どちらにせよ我に教えてくださいw
>>288 おぉ、失墜ナシですか。踏み止まりますね曹操さんw
そう、世界史の三国志ってかなり小さいんですよorz
我も興味あるのに......
お、解除されたようだ
これってどうにかならないのかねー
門閥貴族
もんばつきぞく。土地や農民を支配して強大化した豪族。えらそうなところは他の貴族と変わらないね。
やっぱり政治を(悪い意味で)動かした
南北朝時代
東晋と華北に別れた後からカウント(439〜589、おぉ、見事に50年)
五胡十六国でごたごたしていた華北は北魏によって統一されてそっからややこしくなる。
華北は北魏のあと東魏と西魏に分かれ、それが北斉と北周となる。
一方東晋のあとは宗、斉、梁、陳と変化。
最終的に隋が中国を再統一するまでの期間を南北朝時代と呼ぶ
まさに受験生いじめ
ちょっとお風呂へゴー
また規制されてもたまらないし
戻らなかったらそれは親がって地震きたぁああ!ww
294 :
世界@名無史さん:2011/01/12(水) 22:20:48 0
だめだー、親強いー
また明日
295 :
世界@名無史さん:2011/01/13(木) 02:35:54 0
いいスレだな
がんばろう
>>295 そうか?
これってガイドラインにも反してるばかりか、本人とっての学習効果も???だと思うが。
それとも理系のセンター対策なのか?
>>295 ありがとうございます
>>296 まぁ、再確認的な意味が強いですから......ガイドライン?
センターはばりっばり文系ですww
>>292 うぉお小学生レベルの計算をwww
× 50年
◯ 150年
これは恥ずかしいw
均田制
きんでんせい。土地は国有で農民に年齢・性別・身分に応じて一定の土地を支給するというもの
隋
ずい。楊堅がたてた王朝。都は長安で、6世紀、589年に陳を滅ぼし、中国を統一した
楊堅
文帝。特になし
科挙
かきょ。隋から始まる中国の官吏採用試験。鬼みたいに難しいらしい。
今でいう受験
大運河
だいうんが。超鉄合金ダイウンガー(関係無い
要はでっかい運河。煬帝がデカくしたんだけど、けっこう便利らしい。いや、制作は死ぬほど大変だったらしいけど
煬帝
ようだい。外征に積極的で、色々滅ぼしたものの高句麗だけは最後の最後までダメだった。
この失敗こそ、隋滅亡の原因
そーいや聖徳太子とかこの辺だな......
李淵
りえん。618年に長安を占領して唐をたてた。高祖
李世民
りせいみん。太宗でも。ごったごただった国内を制度統一とかしてまとめ上げた人。彼の統治は「貞観の治(じょうがんのち)」と呼ばれる
律令格式
りつれいかくしき。よくわからいので誰か説明してくれると嬉しいです
三省・六部
さんしょう・りくぶ。唐の中央官制。天皇の下に中書省・門下省・尚書省の三省が設けられ、尚書省の下に吏部・戸部・礼部・兵部・刑部・工部の六部が設置された
センターまでに終わらせるのかい?
>>310 絶対終わりませんwww
租庸調制
そようちょうせい。均田制で土地を支給した農民から、租として穀物、庸として労働、調として布を納税させる制度。日本にもやってきた
都護府
とごふ。辺境の地に設置され、官吏と軍隊を派遣して、服属した異民族を支配した
則天武后
そくてんぶこう。中国史上ただ一人の女帝。唐の治世を引っ掻き回し始めた人
>>313 やべ、書き忘れw
一時期、国号を唐から周に変えた
寝る前にまとめて読ませてもらうわ
センター何割とるつもり?
>>315 今、4割くらい取れてるっぽいんで、あと少し上昇してくれたら嬉しいですね
あまりセンターにはかけてないです
玄宗
げんそう。文化・経済的に唐の絶頂期。
ただ、それ以外では農民の没落や大土地所有があったので、均田制は崩壊していった
節度使
せつどし。都護府にかわって地方におかれた辺境防護
募兵制
均田制が揺らぎ、府兵制が崩れてきたため新たに導入された制度。兵士を募集した
この軍隊は節度使が行使した
安禄山
あんろくざん。華北の節度使。部将の史思明と反乱を起こした
史思明
ししめい。安禄山の部将で、安禄山と一緒に反乱を起こした
志望校教えてくれw
センターにかけてないってことは私立で一般受験か
俺と同じ匂いがするぜ
夕飯食ってきた
お母さんありがとうありがたやー
>>321 一応第一希望は法政というバカみたいな高みです。いける気がしない。他にもいくつか願書出しましたがここで公言するのはやめておきましょうw我の傷を増やすだけだw
おぉ、受験生ですか。お互い頑張りましょう
ニートにならないようにww
安史の乱
あんしのらん。755年、安禄山と史思明だから安史の乱。
洛陽と長安を占領したものの、唐がトルコ系のウィグルと手を組んで763年にようやく鎮圧した。
均田制は完全崩壊、節度使も勝手に力をつけ各地に割拠した
藩鎮
はんちん。各地に散って分権勢力状態となった節度使のこと
両税法
藩鎮のせいで収入の減った唐王朝が実行した徴税制度。原則銭納で、夏と秋の二度徴税されたから両税法
黄巣の乱
こうそうのらん。875年に塩の密売人・王仙芝(おうせんし)が蜂起。同じ密売人の黄巣もこれに加わり、反乱軍は2年あまり長安を支配。
884年に鎮圧されたけどね
朱全忠
しゅぜんちゅう。907年に帝位を奪って唐を滅ぼした節度使
高句麗
こうくり。ツングース族。北朝鮮に進出して楽浪郡を滅ぼした。隋の宿敵
新羅
しらぎでもしんらでも。4世紀後半に南朝鮮におこった。百済のお隣さん。7世紀になると唐と連合して朝鮮を統一した
百済
くだらでもひゃくさいでも。4世紀後半南朝鮮におこった。新羅のお隣さんで負けたほう
遣隋使
けんずいし。日本が隋に送り出した留学生。日本の発展に貢献してくれました。
わかる人にはわかるが、どうしてもギャグマンガ日和を思い出す
遣唐使
けんとうし。遣隋使の唐バージョン
やったぁああ!中国脱出!
マヤとオセアニアって必要かなぁ?
必要なければイスラーム世界へ行く
10分休憩
イスラームいく
イスラムとイスラームって違いあるのかなぁ?
アラブ人
アラビア半島で部族ごとに遊牧生活を送っていた
ムハンマド
クライシュ族の商人。7世紀初めに神の啓示をうけて預言者となり、イスラーム教を創始した
イスラーム教
アッラーを唯一神とする宗教。偶像崇拝は禁止で、平等主義。六信五行の義務がある。聖典は「コーラン」
メッカ
貿易の中継都市。商人が多く集まった。紅海に面している
メディナ
メッカのちょい上にある都市。迫害されたイスラーム教徒が移住した先
ヒジュラ
メッカで迫害されたイスラーム教徒がメディナに移住した事件。622年
メッカの無血征服
630年、イスラーム教徒がメッカを無血征服し、メッカをイスラーム教の聖地とした
カリフ
ムハンマドの死後、選挙によって選ばれた彼の後継者のこと。政治的な権限を持つ
正統カリフ時代
初代から4代目カリフの統治の間。アブー=バクル、ウマル、ウスマーン、アリーの統治をいう
ニハーヴァンドの戦い
642年、ササン朝ペルシアを倒し、イラン・中央アジアを手に入れた戦い、というか聖戦(ジハード)
>>308 律は刑罰法令、令(りょう)は律以外の法令。格(きゃく)と式はその補足とか細則とか。
東南アジアって結構センターで狙われるよな
お風呂入ってきた
ハラージュとジズヤ
ハラージュは地税、ジズヤは人頭税のこと。これらさえ払えば異教徒でも受け入れられた
特にユダヤ教とキリスト教はイスラーム教以前に預言者を持った「啓典の民」として信仰を保証された
>>343 おぉ、ありがとうございます!
りつりょうきゃくしき。りつりょうきゃくしき。刑罰法令とそれ以外+α+α
>>344 心なしかアフリカも狙われ所な気がしますww
東南アジア、がんばります
ウマイヤ朝
ウマイヤ家出身のシリア総督ムアーウィアがたてた王朝。都はシリアのダマスクス
ムアーウィア
4代目カリフのアリーが暗殺されたあと、カリフを称してウマイヤ朝をたてた
トゥール・ポワティエ間の戦い
イベリア半島の少し上、トゥール・ポワティエ間であったウマイヤ朝対フランク王国の戦い。
フランク王国のカール=マルテルにやられてウマイヤ朝が敗北した
アッバース朝
アル=アッバースがバグダードを都にたてた王朝
タラス河畔の戦い
751年、タラス川周辺で唐軍と戦い、アッバース朝が勝利した戦い
ハールーン=アッラシード
アッバース朝最盛期のカリフ
後ウマイヤ朝
アッバース朝成立後、イベリア半島に逃れたウマイヤ朝の一族がたてた王朝。都はコルドバ
アブド=アッラフマーン3世
後ウマイヤ朝最盛期。イスラーム文化が発達した
>>349 ヨーロッパ勢がイスラムの侵攻を食い止めたので重要。
>>351 負けて捕虜になった唐軍の兵士の中に紙の製造方法を知っている者が居た為にイスラムに製紙法が伝わり、
後に西洋にも伝わるきっかけになったので重要。
>>355 ニハーヴァンドとタラス河畔はすごい重要ですね。東西が接触したとか個人的に歓喜w
明日はセンターなんですみませんが今夜は書き込みナシです
カキコミ、何かヒットするといいね
センター終了。
>>375、正直いくつかヒットしたよwただ、ヒジュラのあの問題はないわwww
さて、スレ続けるかどうか。それが問題だ
やれやれ
ところでスレ主は何点だったんだ
じゃあ本当に少しずつですが続けるとします
>>360 明日学校で採点してきます
多分すごい笑っちゃうくらい低い。40台もあり得るかもしれないです
焚書抗儒出たな
16世紀多かったけど大丈夫だったかな?
>>362 大丈夫じゃないです
今自己採点したら50点超えなかったwwやっぱ難しいわーwww
あ、英語はやっぱりよくできたw
点数晒すべき?
364 :
世界@名無史さん:2011/01/17(月) 00:44:50 0
大学卒業して3年たつけど
今やってみたら77点だったわ
昔は中国の王朝史と18世紀〜19世紀の欧州がメインだったような気がするけど
だいぶかわったな
文化大革命とか天安門事件とかインターネットが出てくるとかびっくりだわ
365 :
世界@名無史さん:2011/01/18(火) 18:20:47 0
>>363 けっこう楽しみにしてたんだけどな、このスレ。
もう終わり?
なかなか面白いから
続けてくれよ
勉強になる
367 :
>>1:2011/01/18(火) 22:28:57 0
すみません最近忙しくてというか親の監視が厳しくて入れませんでした
つーか今もビクビクしてます
再開の目処はしかし立ってますので、とりあえず明日、明後日にはできれば50ほどは書き込みたいです
間違い備考などありましたら追加してってくれるとありがたいです!
そゆことでまた近いうちにお会いしましょう!
センター試験
1979年から始まった日本の大学入試の一つ。正式名称は大学入試センター試験。
意地悪な問題や難問をなくし、一般学力を測るための試験。マーク式テスト。
2006年に「世界で初めて英語のリスニングにICプレーヤーを導入した試験」とされている。
我は英語国語世界史でトータルして7割の成績を出しましたw
二次で何使うの?いつ本番?
369 :
世界@名無史さん:2011/01/19(水) 11:17:59 0
一橋受けるんだけど論述ってなにすればいい?
370 :
>>1:2011/01/19(水) 13:42:21 0
>>368 二次=一般でおk?
とりあえずこれからは英語と現代文が中心となります
あと、世界史一回、小論文一回です
>>369 論述......っつぅと、課題文を与えられてそれについて論じるやつですよね?
世界史関係なら「要点を落とさないこと」、「きちんと理解しているというとを伝えること」、「主観的にならないこと」
小論文タイプなら「筆者の言いたいことをきちんと理解すること」、「文章が支離滅裂にならないこと」、「自分の意見をきちんとバックアップできること」
でしょうか......?
すみません一橋は受けないんでよくわからないです。こんな問題、って言ってくれればもう少し具体的なアドバイスも......かな?
まぁなにあともあれお互い頑張りましょう!
371 :
>>1:2011/01/19(水) 13:45:11 0
最後アブド=アッラフマーン3世だったんでそっから
ファーティマ朝
シーア派の一派がチュニジアにたてたz。首都はカイロ
372 :
>>1:2011/01/19(水) 13:46:53 0
サーマン朝
中央アジアのソグディアナからおこり、首都をボハラにおいたイラン人の王朝。カラ=ハン朝に滅ぼされた
373 :
>>1:2011/01/19(水) 13:51:30 0
ブワイフ朝
カスピ海の南に起こったイラン系シーア派の軍事政権。バグダードに入ってカリフから実権を奪うと、アッバース朝の事実上の支配者となった。
セルジューク朝に滅ぼされた
374 :
>>1:2011/01/19(水) 13:53:13 0
カラ=ハン朝
サーマン朝領土の東らへんにいたトルコ系民族がたてた王朝。ハンとつくからといってモンゴルじゃない。
ホラズム朝に滅ぼされた
375 :
>>1:2011/01/19(水) 13:54:24 0
ガズナ朝
サーマン朝のマムルークがアフガニスタンで樹立した軍事政権。ゴール朝とともにインドのイスラーム化を助長した
376 :
>>1:2011/01/19(水) 13:55:56 0
セルジューク朝
11世紀前半、トルコ系スンナ派のセルジューク家がイランにたてた王朝。ヨーロッパ世界が十字軍を必要としたきっかけでもある。
イクター制をしいた
377 :
>>1:2011/01/19(水) 13:57:35 0
トゥグリル=ベク
1055年、バグダードに入城してブワイフ朝を滅ぼし、アッバース朝のカリフから「スルタン」の称号を授けられた。
アッバース朝の実質的支配者
378 :
>>1:2011/01/19(水) 17:06:52 0
スルタン
支配者という意味。
イスラーム世界の世俗君主の称号。
早い話が、王様
おーい、急に失速してるぞw
380 :
世界@名無史さん:2011/01/20(木) 04:40:47 0
大変そうな時期だ、歴史を愛する心があればそれでいい
国立か私立か知らんが二次試験もがんばれ、応援している
きっとうまく行くだろう
381 :
>>1:2011/01/20(木) 14:18:23 0
>>379 書き込み規制なんかが厳しいもので......すみません
>>380 ありがとうございます。苦痛の受験生脱出まであと少し、頑張ります!
イクター制
農民の土地を軍人に封地として分与する制度。
封建制度となにが違うんだ?
382 :
>>1:2011/01/20(木) 14:19:44 0
アイユーブ朝
サラディンが12世紀にたてた王朝。ファーティマ朝を倒し、十字軍のつくったイェルサレム王国を滅ぼした
383 :
>>1:2011/01/20(木) 14:20:36 0
チャガタイ=ハン国
13世紀前半にモンゴル軍が中央アジアを征服してたてた王国
384 :
>>1:2011/01/20(木) 14:22:11 0
フラグ
チャガタイ=ハン国の人。バグダードを叩いてアッバース朝を滅亡させ、カリフ制度とイスラーム帝国を消滅させた。
イル=ハン国を建国した
385 :
>>1:2011/01/20(木) 14:23:10 0
イル=ハン国
フラグがイラン・イラクにたてた王国。最初はイスラーム教と対立していたものの、のちに改宗
386 :
>>1:2011/01/20(木) 14:23:54 0
マムルーク朝
アイユーブ朝のマムルーク軍がエジプト・シリアにたてた王朝。首都はカイロ
387 :
>>1:2011/01/20(木) 14:24:38 0
ベルベル人
ハム語族系の人々。アフリカ人。11世紀にイスラーム化が進んだ
388 :
>>1:2011/01/20(木) 14:25:41 0
ムラービト朝・ムワッヒド朝
ベルベル人がモロッコを中心にたてた王朝。それぞれ11世紀と12世紀の出来事
389 :
>>1:2011/01/20(木) 14:28:33 0
国土回復運動
レコンキスタ。英語だとreconqueste、国土回復運動というより再征服って感じ。
イベリア半島からイスラーム教を追い出そうとして失敗した
>>382 アイユーブ朝がイェルサレム王国を?
アモリー家のアッカのあれはイェルサレム王国じゃないってことになってるのか
>>384 チャガタイ=ハン国の人って……フビライの兄弟なのにぃ
>>389 レコンキスタって失敗したのか?
1492年までかかっているから12〜13世紀の時点で失敗と言え……るか?
>>389 グラナダ王国は残ったけど大筋成功じゃね?
392 :
>>1:2011/01/21(金) 19:52:04 0
教科書(参考書)には失敗ってありましたのですが......違うの?ww
あとなんか駒澤大学受かりそうなんですけど......
自己採点の結界がもどって来ましてね、A判定だとかなんとか......
なんかたくさんの受験生にごめんなさい&応援してくれる方々にありがとうでちょっとパニック状態うわぁぁぁw
頭冷やすためにもちょっち書き込みします
393 :
>>1:2011/01/21(金) 19:53:19 0
ナスル朝
13世紀にアラブ人のムハンマド1世がたてた、イベリア半島最後のイスラーム王朝。首都はグラナダ。
このときアルハンブラ宮殿も建造されている
394 :
>>1:2011/01/21(金) 19:54:07 0
ガーナ王国
8世紀ごろに樹立した黒人王朝。ムラービト朝に滅ぼされた
395 :
>>1:2011/01/21(金) 19:56:54 0
マリ王国
マリと聞くとエヴァ破の真希波・マリ・イラストリアスが浮かぶ我はエヴァオタ。
それはさておき、13世紀にマンディゴ族がたてたイスラーム教黒人王国。トンプクトゥを中心に金と塩の交易で栄えた
396 :
>>1:2011/01/21(金) 19:57:37 0
ソンガイ王国
15世紀、マリ王国を滅ぼして建国された。首都はガオ。がおー
397 :
>>1:2011/01/21(金) 19:58:21 0
クシュ王国
紀元前8世紀ごろにエチオピアにあった、製鉄と商業の国
398 :
>>1:2011/01/21(金) 19:59:04 0
モノモタパ王国
ジンバブエを中心に12世紀ごろ建国。記載事項とくになし
399 :
>>1:2011/01/21(金) 20:00:20 0
マジャパヒト王国
東南アジアのジャワ島を中心に13世紀の終わりから始まったヒンドゥー教の王国。
その前はシュリーヴィジャヤ王国というどうにも言って気持ちのいい国だった
400 :
>>1:2011/01/21(金) 20:01:04 0
マラッカ王国
15世紀に国際交易都市マラッカに成立したイスラーム教の王国
>>392 よかったじゃん。どうせならそれを止めにして
もう一段上を狙ってみたら?というかセンターで受かっちゃったら
絶対行かなきゃいけないんだっけ?
まあこういうご時世だしなるべく高い学歴はあって損になることはないから
チャレンジしてみるのもよいかも。
402 :
世界@名無史さん:2011/01/21(金) 22:14:21 0
>>392 とりあえず、御目出度う!!
>違うの?ww
国土回復の目的はおおよそ果たされてる。キリスト教勢力が分裂しようが、それはまた別の話じゃね。
十字軍とレコンキスタは時代的に
重なってるんだね
時代的にも何も、守勢に立たされ続けたヨーロッパがようやく攻勢に出れた時代ですがな
受験にはまったく出てこないけど、
リトアニアやバルト三国がキリスト教化された北方十字軍も組まれたりしている
だからこそ後に東欧でタタールのくびき(モンゴルショック)や
コンスタンティノープル陥落(オスマンショック)が起こった訳で
406 :
>>1:2011/01/22(土) 21:24:37 0
>>401 いや、行かなきゃいけないということはないです
もちろんこの後も受験戦争は続きますよ
できれば法政行きたいですしね
>>402 がおー
これで忘れないぜw
>>403 ありがとうございます!
あ、果たされてるんだ。
>>404 重なってますね。
我も別なものだと思ってました。別々に習ったし
>>405 かなり重要じゃないですかこの時代!
けっこう北の方までいってるんですね。すごいな十字軍パワー
407 :
>>1:2011/01/22(土) 21:27:59 0
イブン=ハルドゥーン
チュニジア出身の歴史家。「世界史序説」の著者。
RPGで位置付けするなら、物語の中盤でパーティーに入ってくる博識キャラ
408 :
>>1:2011/01/22(土) 21:29:25 0
イブン=バットゥータ
モロッコ出身の旅人。「三大陸周遊記」の著者。
RPGで位置付けするなら、主人公。というか旅人って主人公としか......
409 :
>>1:2011/01/22(土) 21:30:50 0
イブン=シーナー
中央アジア出身の医学家。「医学典範」の著者。
RPGで位置付けするなら、回復キャラ。レベル上がって行くにつれサポート魔法をがんがん覚えて行く便利なキャラ
410 :
>>1:2011/01/22(土) 21:32:14 0
イブン=ルシュド
スペイン出身の哲学家。
RPGで位置付けするなら、なんだろう......困ったな。魔法も使えなさそうだし......
イブンRPGは我の趣味を活かした暗記方法ですごめんなさいw
411 :
>>1:2011/01/22(土) 21:32:55 0
ゲルマン人
今のドイツ人。昔はすごいでっかい土地を支配していた
412 :
>>1:2011/01/22(土) 21:33:47 0
ケルト人
今のアイルランド人。昔はローマに住み、ローマを脅かしたこともある
413 :
>>1:2011/01/22(土) 21:35:23 0
スラヴ人
今のロシア人。今も昔も北に住み着いていた
414 :
>>1:2011/01/22(土) 21:36:57 0
ガリア戦記
カエサルの著作。当時のゲルマン人の生活を知ることのできる貴重な資料
>>414 すごいどうでもいいけどガリア戦記は妙に面白くて困る
高校の時分に単行本で読んだが
リアルに寝食を忘れちゃって翌朝学校に行くのが辛かった
東欧の民族の出題多いよな
センターにも出てたらしいし
>>411-412 待て!!ゲルマン人はドイツ人だけじゃないし、ケルト人もアイルランド人だけじゃないぞ。単純化し過ぎだ。
あえて簡単に言うとライン川の西、今のフランスとかスペイン、イギリス辺りに居たのがケルト人。ライン川
の東、ドイツ・オーストリア・それから北欧の方辺りに住んでたのがゲルマン人。どちらもその後移動したり
分散したりしてるから現在の何処かの国民とイコールでは無い。
例えば北欧神話はゲルマン系の民族伝承として、ワグナーのニーベルングの指輪などの作品と関連が有る。
それからケルト系の民族としてフランスのブルトン人とかイギリスのウェールズ人とか居る。
>>414 ゲルマンも出てくるけど、メインはガリア人。
ガリア人は、ケルトだったっけ?
ガリア人はケルト系に含まれる。むしろブリテン島のいわゆる「島のケルト」は実はケルトじゃないという
議論がある様だ。
ケネディ一家もケルトなのかな
>>417 もうちょい言うと紀元前2世紀くらいまで(ハルシュタット文化とかラ=テーヌ文化とか)に
ヨーロッパの相当広範囲にわたって住んでいたのがケルト人で、
その後ユトランド半島・ドイツ北部あたりから広がったゲルマン人に押され
ローマに征服されながらローマ帝政時代の紀元後3世紀くらいまでには
ライン-ドナウの西、つまりローマ帝国領内がケルト人、東がゲルマン人、
という感じじゃなかったっけ?
で、いわゆる民族大移動期にさらに押されて結局今はブルターニュやアイルランド・スコットランド
ウェールズに残存。
422 :
>>1:2011/01/23(日) 12:58:26 0
盛り上がってますねw
流れを断ち切るようですみませんが投下します
ゲルマニア
タキトゥスの著作。当時のゲルマン人の生活を(ry
423 :
>>1:2011/01/23(日) 13:00:52 0
ゲルマン人の大移動
アジア系のフン人の西進を始めに、ゲルマン人がヨーロッパ各地にどんどん移動を始めたこと。その途中でゲルマン人がドナウ川を超えてローマ領内に入ってきたりした。
4世紀の後半から約2世紀続いた
424 :
>>1:2011/01/23(日) 13:01:59 0
オドアケル
西ローマを滅ぼしたゲルマン人の傭兵隊長。476年の出来事
425 :
>>1:2011/01/23(日) 13:03:45 0
フランク王国
5世紀末、メロヴィング家のクローヴィスがたてた王国。今のベルギー・フランス辺りで、王朝はメロヴィング朝
426 :
>>1:2011/01/23(日) 13:04:35 0
昼食のようなのでちと行ってきます
戻ったら続き
427 :
>>1:2011/01/23(日) 13:38:46 0
宮宰
きゅうさい。マヨル=ドムス。宮廷の最高官職
428 :
>>1:2011/01/23(日) 13:40:58 0
トゥール・ポワティエ間の戦い
イスラームのウマイヤ朝がイベリア半島から上ってきた。それをフランク王国の宮宰、カール・マルテルが撃退し、キリスト教世界を守った
429 :
>>1:2011/01/23(日) 13:42:10 0
カール・マルテル
フランク王国の宮宰。トゥール・ポワティエ間の戦いでフランク貴族を総動員してキリスト教世界の防衛に貢献した
430 :
>>1:2011/01/23(日) 13:43:44 0
ピピン
カール・マルテルの子供。751年にフランク王国の王位を奪い、カロリング朝を開いた。
イタリアのラヴェンナ地方を教皇に寄進した
431 :
>>1:2011/01/23(日) 13:45:37 0
カール大帝
色々やってローマ教皇レオ3世から800年にローマ皇帝の帝冠を授かった
世界史の勉強において大事なのは、
ひとつのことに深入りしない
ということだね
433 :
世界@名無史さん:2011/01/25(火) 01:53:20 0
おや、今日は書き込みお休みだったのか。
受験生はたいへんだね。がんばってね。
いやiPhoneを親に取り上げられたと見る
>>429>>431 カール・マルテルとシャルルマーニュが
ドイツ語とフランス語の違いというだけで一緒の言葉だった、と知ったときのあの衝撃は忘れられない
>>435 キャサリンとカトリーヌとエカテリーナは?
437 :
世界@名無史さん:2011/01/27(木) 01:19:23 0
>>435 え?カールとシャルルは一緒だが
マルテルとマーニュは別じゃないか?
マーニュは「偉大な」の意味だったような…
うをっ!俺も引っかかってもうた。マルテルは「槌」の意味で、トゥールポワチエの戦いで戦った人。
シャルルマーニュはカール大帝なのねー。
カールマルテルは宰相でトゥールポワティエ間の戦いで勝った人
シャルルマーニュはカロリング朝の王でカールの戴冠の人
だよな?
440 :
世界@名無史さん:2011/01/28(金) 00:17:37 0
441 :
世界@名無史さん:2011/01/28(金) 01:37:59 0
>>1 君はかなり真面目で素直な性格だね。大人になっても成功のキーポイントになると思いますよ。
子持ちのおっちゃん(40代です)は、いつか法政(自宅近くなんで)辺りの夜間大学で歴史学徒に
なる願望をもっています。
試験ガンバレ!!
442 :
>>1:2011/01/28(金) 01:54:11 0
とりあえずiPhone入手。こっそり返事書くぜー
>>433 大変です。替わってくれると嬉しいですw
>>434 なぜわかったし!
お前はエスパーかっ!?w
>>435 あれドイツ語とフランス語なんですか......同一は知ってたがそれは知らなかったのです
>>436 エカテリーナも!?
>>437 そ、そうなんですか.....?
>>438 カール、ピピン、カールであの辺り本当にややこしいです
なんで親族と同じ名前つけたがるんだよ昔の人はww
>>439 ですよー
カールの戴冠が800年の12月25日というのが忘れられない年号w
>>440 死んでませんよ!勝手に殺さないでください!ばりばりいきてます!www
>>441 うぇぇ?そ、そうでしょうか......?
ありがとうございます。
貴方も願望実現がんばってください!
我も頑張らなきゃなぁ......
それにしてもあと数日で受験......怖いぜ!ww
>>442 >エカテリーナも!?
エはロシア語の接頭語みたいので、それを取るとカテリーナ⇔カトリーヌ
まさか1は土日は休日とか思ってさぼってるんじゃないだろうなw
本番まで頑張れ
447 :
世界@名無史さん:2011/02/01(火) 19:48:11 0
また親に取り上げられたなw
1はiPhoneでこのスレに書きこんで勉強してるって親に素直に言えばいいのに。
間違いがあったら訂正してくれるから勉強になるんだ、とかなんとか言って。
まあ事実だろうし。
明日かな?幸運を
449 :
>>1:2011/02/05(土) 09:16:33 0
本日、決戦の日!
空は快晴、戦の用意は不備あり!
こ、怖いです。めっちゃ怖いです。
同じ教室に何人か座ってるんだが、みんな我よりできるんだろーなーとか思うともう死にそう
Wi-Fi飛んでると思ったら鍵かかってるし!もういやだ!逃げたい!
とりあえずがんばってきます。今日帰ったらここも少し書き込もうかと
それでは!
450 :
世界@名無史さん:2011/02/05(土) 11:05:42 0
>>449 > 空は快晴、戦の用意は不備あり!
不備ありを強調するなw
受験生はみんな周りが自分よりできると思い込んでしまうもんだ。
気にせず突撃してこい。健闘を祈る。
受かってるといいねえ
452 :
>>1:2011/02/09(水) 18:15:10 0
どうもお久しぶりです。
本日は報告に参ったでござる
成蹊大学受かりました......
あはは、不思議なこともあるもんですねぇ
まぁそこに行くかどうかはまだ決まってないんですけど、とりあえず合格しました
ありがとうございますトゥーエブリバディ!
453 :
世界@名無史さん:2011/02/09(水) 22:09:25 0
>>452 おめでとう。まあとにかく良かったではないか。
おめでとう!!
法政も受かるといいな!
頑張れ〜
456 :
世界@名無史さん:2011/02/16(水) 00:32:16 0
まだ受験は終わってないのかな?
あるいは相変わらずiPhoneを親に没収されたままか?
457 :
>>1:2011/02/18(金) 10:52:12 0
法政大学合格!
458 :
>>1:2011/02/18(金) 10:52:53 0
一日一レスくらいずつはせめて続けていこう、うん
ありがとー!
459 :
世界@名無史さん:2011/02/18(金) 11:20:40 0
>>457 おお!合格したか!おめでとう。
実のところまさかあの知識で合格するとは思ってなかったw
このスレ面白いから
現代まで続けておくれよ
1は今大はしゃぎで遊びまわってるだろうなw
俺も続けて欲しいが、1だけだと続かないだろうから
みんなでタラタラ1の形式で続けていくのはどうかな?
じゃあやってみるか
そうだね、カール大帝の次からだね
次はなに?
466 :
世界@名無史さん:2011/03/04(金) 06:49:25.47 0
ヴェルダン・メルセン条約→神聖ローマ帝国あたりか。
封建制に行ってもいいし。
467 :
世界@名無史さん:2011/03/04(金) 08:44:30.94 0
>>1君おめでとう
大学生活を楽しめることを祈っているよ
ヴェルダン条約(843)・メルセン条約(870)
フランク王国3分割で後のフランス・ドイツ・イタリアの原型となる。特に面白いことはなし。
たまに短文でニヤリとさせてくれると
うれしいな
>>470 1のあの味は受験生じゃないとなかなか出ないと思うな。
受験生ってとにかく大量の情報を頭に叩き込まないといけないから
自分のよく知ってるゲームやアニメに強引に結びつけて覚える。
そこに史学的に構成された印象との乖離が生まれて、あの味が出てくるんだろうな。
後で読む受験生が居るかもしれないのでいくつか訂正しておこう。
>>29 >ホロメス
ホメロス
>>31 >オディプス
オイディプス
>>39 >哲学者。つまりニートだったのか?
古代ギリシャでは奴隷が色々やってくれるから皆暇だった。暇つぶしに詩を作ったり哲学したりしてた。
>これって孫子の「敵を知り、己を知らば百戦危うからず」と同じ考え方なのでしょうか......?
同じかどうか判らんが似てるかな。世間の知識人は皆自分の知識を誇るけど、知らない事はもっと
有る事に気が付かない。自分が何も知らない事を自覚する事が知者として立つ第一歩であると
ソクラテスは言っている。
>>52 >伝令の人の名前がマラソンとかなんとか
人名じゃなくて「マラトンの丘」という地名に因んでいる。
>>431 ここからかな?
アヴァール人
モンゴル系遊牧民。カール大帝にやっつけられた。
ザクセン人
ゲルマン人。カール大帝にやっつけられた。金印勅書のザクセン公とはちがうのかな?
カールの戴冠
800年のクリスマス。西ローマ帝国の復活。レオ三世はビザンツ帝国と争う後ろ盾にフランク王国を選んだ。
伯
カール大帝が置いたえらい身分。集権化に繋がった。
巡察使
伯を監視する人。
あ、僕は
>>1ではありません。ごめんなさい。
彼は大学の準備をして忙しいんでしょう。
神聖ローマ帝国
962〜1806 オットー1世がローマ教皇ヨハネス12世から冠をもらってできた。ローマだけどドイツのこと。イタリア政策に夢中。
マジャール人
ハンガリーにいたアジア系の人。オットー1世がレヒフェルトの戦いで退治した。
>>480 こういう基本の復習スレって需要は結構あると思うんだ
つまり
>>1じゃなくてももっとやるんだ
>>476 元々ザクセン公国は、カール大帝がザクセン人を征服して建てた公国
のち、神聖ローマ皇帝と並ぶドイツ有力諸侯になった
でも、金印勅書の頃はザクセン人という括り自体が意味をなしていない
ちなみに、アングロ・サクソン人のサクソン人というのはザクセン人と同じ
>>483 ありがとうございます。
ザクセン意外と深いですね
ユスティニアヌス
六世紀のビザンツ皇帝。超強い。ヴァンダル(アフリカ)と東ゴート(イタリア)をとりもどした。ササン朝のホスロー一世とも戦った。
ローマ法大全
ユスティニアヌスがトリボニアヌス作らせた。ローマ帝国時代の万民法をまとめた(?)
テマ制(軍管区制)
七世紀。屯田兵制をもとに軍事的集団を作って支配した。ヘラクレイオス1世による。
聖像禁止令
(726)ビザンツ皇帝レオン三世による。(カールの戴冠の教皇レオ三世とは違う)
イスラームの一神教に対抗するため
プロノイア制
十一世紀から。よくわからんが土地制度。イスラームのイクター制と似てるって先生が言ってた
叙任権闘争
聖職にだれを選ぶか決める権利を求めた戦争。だらしない僧侶が増えていたらしい。けしからん
カノッサの屈辱1077
叙任権闘争で一番激しかった。ドイツのハインリヒ四世は自分で僧侶を選びたかったのに、教皇グレゴリウス七世はダメって言った。ハインリヒ四世はムシしたら、破門された。ドイツ諸侯と仲良くしてなかったのが敗因。三日間土下座とかマジ天使
ヴォルムス協約1122(覚えやすい)
教皇>皇帝となった。国の王が宗教の長に負けるって恐ろしいね
インノケンティウス三世
最強の教皇。フランスのフィリップ二世とイギリスのジョンを破門。第四回十字軍を計画。
魔術師に使われてそうな名前(笑)
加納さんの屈辱
ってのもあったね
十字軍
セルジューク朝が攻めてきてビビったビザンツ皇帝がウルバヌス二世に助けを頼んだ。クレルモン宗教会議でやることが決定。宗教の盛り上がりがスゴかった。
>>493 その時まだ僕産まれてないですww
笑う犬は好きでした
第一回十字軍1096
唯一のまともな十字軍(笑) イェルサレムを奪還しイェルサレム王国としたが、我らがサラディンに倒された。十字軍は超残虐だったらしい。
仲谷昇の「カノッサの屈辱」には誰も触れないのか?
>>495 その書き方だと、第一回十字軍を撃退したのがサラディンに見えるぞ
サラディンは12世紀末の人で、サラディンが撃退したのは第三回十字軍
サラディンがエルサレムを奪回したのを契機に第三回十字軍が組織された
いい流れだねえ
そろそろ海の都ヴェネツィア共和国も登場?
このスレ、勉強になって、いいね
近現代史、あまり勉強できなかったので
「今から近現代史覚える」
みたいな別スレ作ろうかな、などと思ったりもする
500 :
世界@名無史さん:2011/03/27(日) 11:11:55.31 0
500
501 :
世界@名無史さん:2011/04/02(土) 17:28:16.60 0
>>492 一応英語読みではイノセント。魔術師とはイメージが反対だなw
>>499 いいね。応援するぞ。俺も近現代史やり直したいし。
インノケンサウルスは恐竜にいそうだけど。
イノセンティウスなら全然イミッヂは違うね
505 :
世界@名無史さん:2011/04/10(日) 02:52:09.47 0
>>499 いいね!
俺もマリアテレジア辺りから苦手だw
来年受験だ。一応関西大と立命志望w
506 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/04/10(日) 12:36:32.07 0
>>502>>505 「メイフラワー号」
あたりからやろうと思うんだけど
スレ立て禁状態なのです(泣
>>506 じゃあ、俺がスレ立てれるかどうか試してみる
立てれたら、ここにURL貼って放置しておく
509 :
世界@名無史さん:2011/04/11(月) 19:04:57.47 0
510 :
世界@名無史さん:2011/04/11(月) 19:08:06.09 0
ウルバヌス2世
ビザンツ皇帝から頼まれ十字軍を提唱したローマ皇帝
511 :
世界@名無史さん:2011/04/11(月) 19:09:57.86 0
クレルモン教会会議
十字軍を聖地イェルサレムに派遣することを決議した会議
512 :
世界@名無史さん:2011/04/11(月) 19:12:09.78 0
イェルサレム王国
第一回十字軍が建国した王国
513 :
世界@名無史さん:2011/04/11(月) 19:17:12.82 0
第3回十字軍
ドイツ皇帝が溺れ死んだりリチャード獅子心王とサラディンのライバル関係は有名。
第3回キングダムオブへヴンも大体この頃
ボーボードゥアンは仮面して大谷吉継みたい
514 :
世界@名無史さん:2011/04/11(月) 19:19:05.44 0
↑訂正
ボードゥアン
第4回十字軍
聖地奪回というよりベニスの商人の利益のために出兵
いつの時代も人の欲は怖いな・・・・
そしてなぜかコンスタンティノープルを占領してラテン帝国を建国。
515 :
世界@名無史さん:2011/04/11(月) 19:20:29.77 0
宗教騎士団
ドイツ騎士団とかテンプル騎士団が有名。
ドイツ騎士団はこの後出てくるプロイセンの元みたいなもの
テンプル騎士団は最後がかわいそす・・・・
516 :
世界@名無史さん:2011/04/11(月) 22:30:47.88 0
>>510 ウルバヌス2世の名前ってインパクトがスゴイ
そしてローマ皇帝じゃなくてローマ教皇
>>514 第4回十字軍はビザンツを滅ぼしたせいで、かなりの論争巻き起こしているんだよな
ちなみにコンスタンティノープル征服記はラテン皇帝アンリの登位までだが、かなり面白い
>>515 この流れで分からない人は居ないだろうけど
○○騎士団のほとんどは十字軍関連で成立している
ちなみに十字軍の向かった方向は基本3方向
シリア・エジプト(十字軍)、イベリア(レコンキスタ)、東欧(北方十字軍)なり
517 :
世界@名無史さん:2011/04/12(火) 10:26:30.79 0
>>516 うはw
ローマ教皇と書いたつもりだたのに間違えた
518 :
世界@名無史さん:2011/04/14(木) 05:19:01.83 0
サンチャゴデコンポステラってなんで無駄に長いんだろ
age
520 :
世界@名無史さん:2011/05/27(金) 17:36:19.27 0
ヘレニズム期のアテナイ
デモステネス(-322死歿)弁論家。政治家としてアレクサンドロス3世のマケドニアを弾劾するも失脚。
デメトリオス(-280死歿)政治家。テオフラストスの弟子。カッサンドロスの家臣としてマケドニア支配下のアテナイを統治。
メナンドロス(-292死歿)アテナイの喜劇作家。ローマのテレンティウスやプラウトゥスに影響を与える。
521 :
世界@名無史さん:2011/05/27(金) 17:50:27.93 0
クリュシッポス(-206)ストア派の哲学者で学頭。
カルネアデス(-129)アカデメイアの学頭。ストア派を論駁。
-317 デメトリオスによるアテナイの支配。
-307 デメトリオスがアテナイから離れる。
-196 フラミニウスの解放。ギリシアのポリスがマケドニアから独立。
522 :
世界@名無史さん:2011/05/27(金) 18:00:41.68 0
アレクサンドロス3世がギリシア征服を始めた頃のアテナイは傭兵制。
しかし、兵役義務それ自体は廃止されておらず、現にエピクロスも徴兵されている。
523 :
世界@名無史さん:2011/05/28(土) 18:13:11.81 0
イロコイ 残忍で獰猛。虐待や拷問が横行する。スパルタやプロイセンに匹敵。
ラコタ 遊牧民。スペイン人から馬を輸入。今ではサウスダコタに定住。
チェロキー 白人の風習を率先して継受。議会制の導入など。もとはミシシッピ川に居住。
インディアンの部族でイロコイばかりが知られているのは、
19世紀から連邦議会や大統領に対してマキァヴェリズムの如く権力を行使してきたから。
オクラホマ(インディアナ準州)はインディアンの強制移住のために設けられた区域で、
今ではチェロキー、アパッチ、セミノールなどの部族が居住する。
524 :
世界@名無史さん:2011/05/28(土) 18:26:41.41 0
ラコタとスーは同じもの。
チェロキーとチョクトーは似たようなもの。
ナバホとアパッチは近縁。
525 :
世界@名無史さん:2011/06/02(木) 05:31:24.04 0
『老子』の校定を行った人物
前漢の厳遵
魏の王弼
六朝の偽河上公
唐の傅奕(ふえき)
唐の成玄英
このうち、王弼は何晏とともに正始の音(240s)の主導者であり、玄学の祖。
傅奕は唐初の天文・暦学の官僚で廃仏の主唱者。
526 :
世界@名無史さん:2011/06/02(木) 06:00:16.43 0
魏は早くも曹操の次世代から曹氏と司馬氏の間で権力闘争が繰り拡げられていたが、
司馬懿のクーデターが成功すると曹爽に仕えた吏部尚書の何晏はそのまま処刑された(249年)。
何晏は麻薬の常習者であり官僚としても汚職が酷かったので、あながち不幸な出来事とはいえない。
王弼も直後に癩病によって死亡した。
二人の親友であった鍾会という不良はクーデターの後に武将として司馬氏に仕えたが、
竹林の七賢の一人である嵆康を私怨によって処刑するなど心悪しき人物であった。
527 :
世界@名無史さん:2011/06/05(日) 00:35:07.47 0
12世紀ルネサンスとプトレマイオス論争
ボナヴェントゥラは反プトレマイオス派。
ロージャ・ベーコンとグロステストは中立派。
トマス・アクィナスはプトレマイオス派。
アルベルトゥス・マグヌスは反プトレマイオス派だったがプトレマイオス派へ転向。
最終的にトマス・アクィナスの神学大全が決定打となり、プトレマイオス派が勝利した。
なお、トマス・アクィナスはアリストテレスの天文学を批判するためにプトレマイオスを援用していた。
論争の発端は、12世紀ルネサンスの時に、
プトレマイオスのアルマゲストとその批判書(アラビア語)が同時に翻訳されてしまったこと。
528 :
世界@名無史さん:2011/06/05(日) 14:52:27.73 0
近世ヨーロッパの中等学校では、生徒はまず地図を見ながらギリシアの地名を憶えたに違いない。
そして、ホメロスの叙事詩や、ヘロドトス、トゥキディデス、プルタルコスの歴史書を読んだのであろう。
やがてプラトンやアリストテレスの哲学へと進んだのであろうが、
その範囲が政治学や動物学や気象学にまで及んでいたかはわからない。
論理学と倫理学と形而上学にとどまった可能性もある。
また、ローマ史も併せて教えられたようであるが、
旧約聖書や新約聖書が講読されたかは不明である。
学校は関与せず家庭や教会に任されていたのかもしれない。
ギリシアの悲喜劇は授業中に詳述されたのか、娯楽とみなされ退けられたのかは判断できない。
529 :
世界@名無史さん:2011/06/05(日) 14:58:45.58 0
この時代の中等学校については、
ローマ法やガレノスの医学は教えられなかったのか?
イブン・スィーナーのような中近東の人々はどう教えられたのか?
オスマン帝国、プロテスタント、新大陸といった現代の国際問題の授業は行ったのか?
など疑問点は尽きない。
初等教育から聖書の勉強が排斥されたのは
19世紀半ば〜20世紀初頭にかけてのことだったと思うが……
初等教育じゃなくて中等学校って書いてあるぞ
532 :
世界@名無史さん:2011/06/16(木) 01:52:27.56 0
イギリスとフランスは新大陸に関心がなかったのではない。
征服しようにも海軍力が足りなかったのである。
ハマイカとサン・ドマングは早くからスペイン・ポルトガル領でなくなった稀有な例である。
カリブ海には無人島を牙城としてスペインを妨碍するための私掠船が常駐していた。
スペイン継承戦争や七年戦争の際の新大陸での戦いは多くは私掠船を動員したものである。
スペイン継承戦争の終結によってブルボン家のフェリペ5世は即位を国際的に承認された。
同君連合の消滅によりポルトガルはイギリスと親密になり、スペインとポルトガルに断絶が生まれた。
スペインはカトリックでありながらローマ教皇庁から独立して聖職者の任命を行う特権があった。
ポルトガルはイエズス会をメソアメリカに派遣して先住民を教化した。しかし後にボルボン王朝によって一掃される。
メソアメリカではイエス・キリストよりも聖母マリアが熱心に信仰されている。
ドミニカは戦争のたびにイギリスとフランスの間で帰属が変わり、ヨーロッパにおけるアルザス・ロレーヌに近い。
エンコミエンダは先住民に賦役を課すことでクリオーリョが不労所得を得る制度。
ミタは先住民に賃金を支払うことを条件として強制的に労働者として雇傭する制度。
アシエンダは宏大な農耕地をクリオーリョが独占し、小作人とならない先住民は狭い土地に従属させる制度。
メソアメリカの独立に際してはトマス・ペインやジェファーソンの著作は読まれたが、啓蒙思想の影響は少ない。
メソアメリカの独立は、先住民の叛乱というよりも本国の政策から自由に振る舞いたいクリオーリョの運動という性格が強い。
メスティーソは白人とも先住民とも一体化せず、多くが暴力団の構成員として活動。
先住民人口の減少という統計は、たとえ総人口は減らなくとも、メスティーソは先住民として計上されないというう事実を反映していない。
先住民はヨーロッパ人から齎された天然痘だけでなくアフリカ人との接触によって黄熱病とマラリアにも感染。
メソアメリカの特産物は銀、カカオ、インディゴ、コチニール。ポトシ銀山は日本の石見銀山と並ぶ。
533 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2011/06/16(木) 06:00:49.93 0
>>532 メソアメリカ(つまり現在のメキシコ辺)の独立運動は確かに最終的には、
クリオーリョたちの運動であったけど、独立運動初期にはインディオや、
メスティーソも参加してたよ。イダルゴやモレロスなんかのときだけど。
それと、ポトシ銀山があるのは今のボリビアでメソアメリカではないよ。
ていうか、メソアメリカという呼称はどっちかというと先スペイン時代に、
使われる呼称で、スペイン征服以降の時代にはあまり使われないよ。
おお、1は無事大学合格したのか
おめでとうおめでとう!
ウィーン会議からの流れを覚えるか
メッテルニヒが議長をやって、フランスのタレーランが正統主義っていうことで
フランス革命以前の情勢に戻そうとする。
とにかく長くて終わるのに一年かかったけ?
ツッコミどころあったら指摘お願いします
途中でナポレオンの百日天下で妥協した
538 :
世界@名無史さん:2011/06/30(木) 07:28:14.13 0
と、ナポレオンがヨーロッパで暴れている間に
ラテンアメリカじゃ独立運動が盛んとなる。
シモン・ボリバルやサン=マルティンなどの指導によりブラジル以外は独立を果たす。
その影では大英帝国が糸をひいていたとか何とか
>>537 ナポレオン復活忘れてた
ワーテルローの戦いですぐやられたけど
539 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2011/06/30(木) 17:34:09.34 0
>>538 ブラジルの独立もほぼ同時期だけどね。後、メキシコなんかも、
シモン・ボリバルやサン=マルティンの手助けなしで独立してる。
540 :
世界@名無史さん:2011/06/30(木) 18:59:06.14 0
ラテンアメリカで欠かせない用語は
クリオーリョ、メスティーソ、ムラートだな
左からえらい地位にいると。
ウィーン会議後のヨーロッパじゃ比較的安定していたけど、
ナポレオンが起こした民族自決(早い?)は抑圧できるフランスで二月革命が起きる
結果、貴族重視のシャルル十世はイギリスに亡命。
そしてルイ・フィリップを王にして立憲君主制が始まる
ナポレオンは民族自決というよりナショナリズムでしょ
チェック人マジャール人の独立国家を作ろうとする民族主義
ドイツイタリアの統一国家を作ろうとする国民主義
542 :
世界@名無史さん:2011/07/01(金) 07:31:07.49 0
いかん、どうしてもそのあたり混合してしまう。
その後、数年フランスはそこそこ安定するけどルイ・フィリップの
金満家、銀行家重視政策に不満が募った労働者たちが再び革命を起こして
ルイ・フィリップうぃ亡命においやる。
結果、第二共和制が開始。結局ナポレオン三世が皇帝になる。
ナポレオン三世って軽く調べたけど変なやつだよなぁ……
543 :
芸術家とコミンテルン:2011/07/01(金) 23:59:55.04 O
メキシコの壁画画家シケイロスは、亡命していたレオン・トロツキーを暗殺しようと銃撃
プロレタリア小説家の小林多喜二は、コミンテルン32年テーゼに従い、反天皇制テロリズムを特高に察知されあぼん。
544 :
世界@名無史さん:2011/07/04(月) 07:15:32.79 0
『1984年』のジョージ・オーウェルはイギリスの小説家として知られるが、
出生地はインド帝国のベンガルであり、またロンドンのイートン校を卒業してからは、
再びインド帝国へ戻ってビルマの官憲を務めている。
この時にアジア人の下劣さと白人の傲慢さに挟撃されて苦悶したと後に回想している。
彼の著作でソヴィエト連邦への揶揄である『動物農場』は、原稿は1944年に書き終えていたが、
第二次世界大戦でイギリスとソヴィエト連邦が同盟していたためにイギリスの当局から出版を妨害された。
また、彼が1936年のスペイン内戦で反フランコ派の義勇兵となったことは有名で、
それより少し前にパリで浮浪者をしていたこともある。
545 :
世界@名無史さん:2011/07/04(月) 07:16:38.79 0
× また、彼が1936年のスペイン内戦で反フランコ派の義勇兵となったことは有名で、
○ また、彼が1936年のスペイン内戦で反フランコ派の義勇兵となったことは有名だが、
546 :
世界@名無史さん:2011/07/06(水) 17:19:30.58 0
19世紀の小説家ジュール・ヴェルヌとフランス大統領ポワンカレの関係。
ポワンカレは若い頃に代言人として、名誉毀損で訴えられたジュール・ヴェルヌを弁護したことがある。
二審まで争い、最終的にジュール・ヴェルヌの側が勝訴した。
547 :
世界@名無史さん:2011/07/11(月) 02:12:20.82 0
三菱財閥が有する静嘉堂文庫は中国の古書を保存していることで歴史学者には有名だが、
これは二代目の岩崎弥之助が、清末の陸心源(有名な蔵書家)の子である陸樹藩から僅か十万元の廉価で買い取ったものである。
同じく三菱財閥の東洋文庫は、三代目の岩崎久弥が大蔵大臣の井上準之助と結託して中華民国のお雇い外国人モリソンから東洋学の洋書を購入したものである。
静嘉堂文庫と東洋文庫はどちらも戦災による財政難から、1947年以降は支部として国立国会図書館に併合されていた。
静嘉堂文庫は1970年に改めて独立するが、東洋文庫は2009年まで国立国会図書館の支部であった。
中国の文庫としては天一閣と汲古閣が歴史的に知られる。
天一閣は浙江省にあり、明の学者が建てた現存する最古の書庫である。
厳格な規則によって書庫の管理を徹底し、中華人民共和国の時代になるまで一度も火災に遭わなかったといわれる。
汲古閣は明末清初の毛晋が建てた書庫であり、公募によって市中の書物を買い集めた。
また、古書の保存だけではなく積極的に刻書の出版を実施した。
今のブックオフと会員制図書館と出版社を合わせたような巨大な事業体といえる。
サン・シモンは強情で傲慢な性格。
アメリカ独立戦争ではラファイエットの率いる義勇軍に参加し、フランス革命にも関わっている。
カール大帝の末裔を自称していた。
シャルル・フーリエは頭のおかしい夢想家。
ポストモダニストに信者が多いらしいが、俺はポストモダンが嫌いだ。
ユートピアの描写は妙に具体的である。
549 :
世界@名無史さん:2011/07/13(水) 18:07:20.68 0
1789年に50歳だった者は1739年に生まれている。
1789年に20歳だった者は1769年に生まれている。
1789年に20歳だった者は1819年に50歳となっている。
1789年に50歳だった者は1819年に80歳となっている。
1848年に50歳だった者は1798年に生まれている。
1848年に20歳だった者は1828年に生まれている。
1848年に20歳だった者は1878年に50歳となっている。
1848年に50歳だった者は1878年に80歳となっている。
550 :
世界@名無史さん:2011/07/14(木) 20:03:12.27 0
セルシウスの提唱した温度計は100℃が水の凝固点、0℃が水の沸点で、現在とは真逆である。
20年〜30年ほど後に植物学者のリンネが冷温ほど数値を低くするよう改めたといわれる。
セルシウスよりも前に、プロイセンのファーレンハイトとフランスのレオミュールが独自の温度計を開発していた。
ファーレンハイト及びレオミュールの時代とセルシウスの時代の間にはオーストリア継承戦争が起こった。
ずっと後に19世紀末の物理学者であるケルビンは絶対温度の概念を普及させた。
ケルビンは物理学者にありがちな偏狭な態度の持ち主で、X線やライト兄弟の飛行機を疑似科学と決め付けた。
551 :
世界@名無史さん:2011/07/17(日) 02:03:25.53 0
ローマ帝国とマラリア
イタリア半島は古来から気候的に暑く、しかも蚊を発生させる沼地が多かった。
その上、アフリカを属州として黒人奴隷や黒人兵士を大量に移住させたので、
2世紀〜4世紀にかけて頻繁にマラリアが猖獗した。
また、ローマ帝国を襲った疫病には天然痘もあり、こちらは165年にシリアの遠征軍から持ち込まれた。
552 :
世界@名無史さん:2011/07/17(日) 03:10:00.86 0
ペストは鼠と蚤が原因で発生する。モンゴルの風土病。
初期症状は高熱であり、やがて皮下出血により皮膚が黒くなって死亡する。
病原体は咳によって空気感染する。蚤が原因なので布団の接触によっても感染する。
発症した者は隔離して殺害しなければならない。
マラリアは蚊(ハマダラカ)を媒介して発生する。アフリカの風土病。
発症すると激しい頭痛と高熱が起こる。
数日で自然回復するが、それは見せかけの治癒で、忘れた頃に再び発熱する。これを死ぬまで繰り返す。
ハマダラカは沼地にしか棲息できないので、保菌者が移動しなければ他の地域へは普及しない。
アンデス山脈のキーナの樹皮を用いて治療することができる。アルカロイドのキニーネは現在でも有効な治療薬。
黄熱病はヤブカが原因で発生する。アフリカの風土病。
ヤブカの幼虫は僅かな水分でも孵化できるので、乗り物や積荷に潜み込んで感染を拡げることがある。
発疹チフスは虱を媒介して発生する。
発症すると全身に薔薇色の発疹が現れ、高熱を伴う。致死性は高い。
戦争、飢饉、船旅といった不潔な環境で流行する。
腸チフスは、症状は発疹チフスと似ているが、飲料水の汚染によって発生するので別物である。
コレラは飲料水の汚染によって発生する。ベンガルの風土病。
発症すると激しい下痢を繰り返し、その結果、脱水症状になって死ぬ。
患者は時に白い下痢を出し、水分の消耗によって老人のような醜い顔貌になることが知られる。
井戸水や川の水を飲む前に必ず煮沸し、生野菜も食べないことで予防できる。
下痢や吐瀉物に触れての感染はあまり起こらない。
553 :
世界@名無史さん:2011/07/17(日) 18:57:36.54 0
ウェリントン、ハイネ、メッテルニヒ、ビスマルク、ディズレーリ、セシル・ローズはロスチャイルド家の傀儡。
ロスチャイルド家が世界に君臨するようになったのはナポレオン戦争の頃からで、
大陸封鎖令によってイギリスとフランスの通商が断絶されたことを逆用し、両国の密貿易によって巨富を築いた。
当初はナポレオンを利用する計画であったが、彼に傀儡としての価値がないとわかると躊躇なく見捨て、
敵軍のウェリントンに莫大な金貨を与えてトラファルガーでの勝利に導いた。
メッテルニヒとの関係はウィーン会議から始まり、
戦勝に貢献したロスチャイルド家の代理人が呼ばれなかったことに激怒し、
アーヘンに乗り込んで貴族たちを恫喝したのが発端である。
この時に破格の厚遇と条件に無礼を許してもらえないかと懇願したのがメッテルニヒで、
出会った時からメッテルニヒはロスチャイルド家に頭が上がらなかった。
ディズレーリは「ド・イスラエル(D'israeli)」という名の如く、まさにロスチャイルド家の代弁者である。
そもそもユダヤ人である彼がイギリスの代議士になれたこと自体が異常なのである。
当然、それは既に王族をも凌ぐ大富豪となっていたロスチャイルド家が手引きしたからに他ならない。
ディズレーリの業績として最も有名なのはスエズ運河の買収であるが、
株式を取得するための資金は全てロスチャイルド家が融通したものである。
セシル・ローズは南アフリカの鉱物資源を丸ごと奪い取るために送り込まれた刺客であり、
イギリスの帝国主義者というよりも、ロスチャイルド家の工作員といった方が正しい。
この時にセシル・ローズの手足となるため設立された会社が、日本でも有名な宝石商のデ・ビアスである。
余談だが、「結婚指輪は月収の3倍!」というスローガンは、デ・ビアスが宣伝したものである。
また、ロスチャイルド家のダイヤモンド・シンジケートは今でも現存する。
宝石の先物取引価格はロスチャイルド家が自在に操っているといっても過言ではない。
554 :
世界@名無史さん:2011/07/17(日) 19:35:11.87 0
ロスチャイルド家の開祖はマイヤー・アムシェル・ロートシルト(1744-1812)。
フランクフルトでしがない骨董品屋を営むユダヤ人だったが、
ヘッセン選帝侯ヴィルヘルム1世に取り立てられたことで運命が変わる。
マイヤー・アムシェルは、とあるきっかけからヴィルヘルム1世を裏切って莫大な財宝をそのまま手に入れ、
これが商売や工作活動の元手となった。
マイヤー・アムシェルには五人の息子がおり、これがロスチャイルド家の実質的な創設者である。
ロスチャイルド家の家紋は五本の矢であるが、それは彼らの団結を表したものである。
名を挙げれば、ロンドンのネイサン・ロスチャイルド、ウィーンのザロモン・ロスチャイルド、
パリのジェームズ・ロスチャイルド、フランクフルトのアンセルム・ロスチャイルド、ナポリのカール・ロスチャイルドであり、
ヨーロッパの各都市に分散することで、独自の情報網を築いて通信と貿易が有利になるように働いた。
中でも有力なのはネイサン・ロスチャイルドであり、マイヤー・アムシェルの死後は彼がロスチャイルド家の取り纏め役となった。
ディズレーリを通じてヴィクトリア女王に取り入り、イングランドの政財界に確固たる基盤を築いたが、
セシル・ローズを操ったのは彼ではなく、子のナサニエル・ロスチャイルドである。
ウィーンのザロモン・ロスチャイルドも当時から有名であり、彼を「メッテルニヒの高利貸し」と呼ぶのは当時の社交界の常識であった。
これに対して、ナポリのカール・ロスチャイルドはイタリア統一戦争に巻き込まれて全財産を失い、歴史的には最も無名である。
ロンドンのロスチャイルド家が強大なのは今でも変わりないが、
ウィーンでの権力は衰え、代わりに第二次世界大戦が終わってからはパリで急激に勢力を伸ばした。
というのも、反ユダヤ主義のドイツ第三帝国を潰すためにロスチャイルド家は多額の資金をフランスに与え、
その縁でシャルル・ド・ゴールやポンピドゥーの絶大な信頼を勝ち取ったからである。
歴代のフランス第五共和政の大統領の中で、少しでもロスチャイルド家の言いなりにならなかったのは、社会党のミッテランだけだという。
なお、フランクフルトについては、ベルリンが首都となっても創業の地を離れたがらず、それが禍いして自然に没落していったという。
555 :
世界@名無史さん:2011/07/22(金) 20:32:39.02 0
アメリカ独立戦争は「革命」であったかという性質規定をめぐって異なる学派が対立している。
主流派は、独立戦争を経たことで大英帝国の旧弊を引きずる植民地に民主主義が定着したので、これは「革命」であったとみなす。
反主流派は、北米での民主主義は17世紀の植民地建設の時点で既に実践されていたのであり、
アメリカ合衆国の独立は、単なる本国人と入植者の間での政治権力の分離にすぎないから、これは「革命」ではないとする。
アメリカ独立戦争の頃のアメリカ軍は、独立派の正規軍と州の民兵という別個の組織の混合である。
イギリス人に対するアメリカ人としてのアイデンティティを有する正規軍に対し、
民兵はむしろ「家族と故郷を守るため」だけに戦っているので、遠方への援軍などには行かず、戦闘が終われば勝手に戦線を離脱する。
しかし、サラトガの戦いはほぼ民兵だけでイギリス軍を打ち負かしたものであり、アメリカ合衆国の独立に民兵が果たした役割は大きい。
ボストンは北米植民地(ニューイングランド)におけるイギリス船の寄港地であり、
ボストン茶会事件の前から頻繁に本国人と移植者の間で軋轢が生じていた。
特に大きな紛争はイギリス軍による横暴な徴兵をめぐるもので、
イギリス軍はグレートブリテンでやっていたのと同じようにボストンのアメリカ人(主に水夫と船大工)を次々と拉致して海軍に編入していたので、
これに激怒したアメリカ人がイギリスの軍艦を襲撃し、ついには植民地総督が出動してイギリスの大使を謝罪に追い込む事態にまで発展した。
アメリカ独立戦争に特に大きな影響を与えたのはヴァージニア植民地とマサチューセッツ植民地である。
特にマサチューセッツ植民地は、独立戦争の前後にはアメリカの頭脳となっていた。
この地は17世紀の建設当初から清教徒の牙城だが、
イギリスでチャールズ2世の王政復古が起こると、ニュートンをはじめとするロンドン王立協会の科学者と積極的にコンタクトを取るようになった。
アメリカ最古の大学とされるハーヴァード大学はマサチューセッツに建てられた。
なお、同時期にはイェール大学とプリンストン大学が他の州に創設されているが、マサチューセッツ工科大学はまだ生まれていない。
ヴァージニア植民地はアダムズ父子を除くアメリカ建国初期の大統領(5代目モンローまで)の故郷であり、アメリカの胴体となった。
アダムズ父子はマサチューセッツ植民地の出身である。
彼らはフェデラリスト、リパブリカンの対立はあるにせよ、おおむね高学歴の教養人として政治学的な国家制度の確立を推進した。
これに対して、7代目のジャクソンは初の西部出身者であり、だからこそ彼の庶民的な改革はジャクソニアン・デモクラシーと呼ばれた。
財務長官ハミルトンは建国当初の閣僚としては最年少で、ヒュームの経済学に通じていた。
増税と財政支出で国家を運営しようとし、国営銀行の建設を提案して、ジェファーソン、マディソンらのリパブリカンから大反発を受けた。
ハミルトンは金融政策と工業化政策の推進を計画していたが、ジェファーソンとマディソンは農園主として従来通りの農業中心の産業を思い描いていた。
ジョン・アダムズはハミルトンと同じフェデラリストだが、古代ローマの皇帝や貴族を美化していたといい、やや特殊な感性の持ち主である。
フレンチ・インディアン戦争の後にイギリスは「有益なる怠慢」を放棄してニューイングランドへの締め付けを強めるが、
その中の一つにアパラチア山脈以西の開拓の禁止があった。なんで禁止したのかちょっと思い出せないがとにかく、
このようにインディアンを利用して移植者を支配しようとするイギリスの政策は、独立戦争時に多くのインディアンを親英反米の勢力に駆り立てるという思わぬ成果を生んだ。
しかし、それによってアメリカの白人の間でますますインディアンは危険なので排除しなければならないという共通認識が生まれていった。
アメリカ独立宣言が起草された頃の独立の指導者たちは、
ジョン・ロックだけでなく、法学者のクックとブラックストンの思想も勉強していた。
モンテスキューの思想はブラックストンの理解を介して輸入されたものである。
ジョン・ロックはカロライナの移植者代表に依頼されて、当地の憲法典の草案を書いたことがある。
しかし、移植者代表とジョン・ロックのどちらの意向かは知らないが、割と貴族政を擁護するものだったので、施行されなかった。
清教徒革命、王政復古、名誉革命を通じて、ニューイングランドは亡命者(王党派もいれば共和派もいる)の憧れの地となっていったようである。
チャールズ2世の王政復古の際には、クロムウェルによって追放されていた貴族たちが、ニューイングランドのいくつかの地を支配する勅許を与えられている。
トマス・ペインは当時のイギリス王ジョージ3世と、中世のノルマンディー公ウィリアムを名指しで非難している。
実はイギリス王室そのものに対する非難が公然化したのは、『コモン・センス』が発表される直前であり、トマス・ペインはうまく時流に乗ったものといえる。
なぜ急にイギリス王室が批判されたのかよくわからないが、ヴァージニアかマサチューセッツのどこかでの戦闘が原因だったような気がする。
558 :
世界@名無史さん:2011/08/14(日) 01:51:24.42 0
ケーニヒスベルクはバルト海(グダニスク湾)の沿岸にある国際都市。フランス語、ドイツ語、ポーランド語、リトアニア語が通じる。
今のカリーニングラード。ロシア領だが飛び地なので自然地理的にはリトアニアの附近。
ベルリンよりもビリニュスに近い。ポズナニ、クラクフより東にあり、ワルシャワとほぼ同じ緯度。
フリードリヒ大王は晩年になってもイマヌエル・カントの言論に対して殆ど干渉しなかったが、
フリードリヒ・ヴィルヘルム2世は反フランス革命の時勢もあって国内の言論統制を強化し、カントに対しては名指しで神学の研究を禁止した。
『純粋理性批判』はフリードリヒ大王の時代に執筆されたもの。
『永遠平和のために』は六ヶ条から成る条約案という体裁をとっている。また、共和政、国際連盟、世界市民法という三つの大原則を含む。
カントは明言していないが、これは1795年のバーゼルの和約を非難したものである。
カントとヘルダーは人類学(人類史と人種論)について論争する関係。
リンネ(1707-1778)、ビュフォン(1707-1788)、フォルスター(1754-1794)は当時の啓蒙思想家にとっての教養。
ブルーメンバッハ(1752-1804)の人種区分:白人、アジア人、マレー人、黒人、アメリカ人。
ゴビノー(1816-1882)の人種不平等論。アーリア人の概念を生むが、本人はフランス人であってドイツ人ではない。トクヴィルの知己。
なんかスレの雰囲気変わったな
元気にしとるかね
561 :
世界@名無史さん:2012/02/23(木) 16:40:38.42 0
自分も世界史苦手だから参考にします!
ありがとう!
te
564 :
世界@名無史さん:2014/08/13(水) 23:13:01.52 0
パルティアとセレウコス朝とプトレマイオス朝の関係がよくわからん。
要するにディアドコイ戦争からローマの三頭政治までのオリエントなのだが。
565 :
世界@名無史さん:2014/10/28(火) 01:46:52.76 0
『近年ノーベル賞を取った日本人』
南部陽一郎 1921年生
小柴昌俊 1926年生
下村脩 1928年生
赤崎勇 1929年生
鈴木章 1930年生
根岸英一・大江健三郎 1935年生
白川英樹 1936年生
野依良治 1938年生
利根川進 1939年生
益川 敏英 1940年生
小林誠 1944年生
中村修二 1954年生
田中耕一 1959年生
天野浩 1960年生
山中伸弥 1962年生
2011年:( 2011 )東日本大震災
1877年:( 1868 )西南戦争(明治維新。 戊辰戦争。)
1744年:( 1732 )享保の大飢饉
1611年:( 1615 )大阪夏の陣
1477年:( 1467 )応仁の乱(-1477年)。室町幕府が衰退し、戦国時代へ。
1344年:( 1333 )鎌倉幕府の滅亡。
1211年:( 1221 )承久の乱
1077年:( 1073 )後三条天皇が崩御し、白河天皇が即位。
0944年:( 0935 )平将門・藤原純友による承平天慶の乱(- 941年)。
0811年:( 0810 )薬子の変
0677年:( 0672 )天智天皇没する。壬申の乱で第40代天武天皇即位。
0544年:( 0538 )日本に仏教伝来。
0411年:( 0413 )倭国が東晋に朝貢する。雄略天皇?
0277年:( 0266 )倭の女王が晋に使節を派遣する。神功皇后?
0144年:( 0147 )147年頃 - 倭国大乱(- 189年ごろ)卑弥呼?崇神天皇?
0011年:( 00xx )神武東征?神武天皇?
1945年:( 1945 )大東亜戦争敗戦
1812年:( 1808 )日本の長崎でフェートン号事件。間宮林蔵が樺太を探検。
1679年:( 1680 )徳川綱吉が江戸幕府第5代将軍となる。
1545年:( 1543 )日本へ鉄砲伝来。
1412年:( 1411 )足利義持は明と国交を断絶し、冊封関係も消滅した。
1279年:( 1274 )文永の役。1281年 - 弘安の役。
1145年:( 1142 )崇徳天皇が譲位し、第76代近衛天皇が即位。1156年 - 保元の乱。
1012年:( 1011 )一条天皇が譲位し三条天皇が即位する。
0879年:( 0878 )藤原保則が陸奥の蝦夷平定に出発。元慶の乱
0745年:( 0743 )墾田永年私財法を施行。大仏建立の詔。
0612年:( 0610 )隋に使を派遣する。
0479年:( 0478 )倭王武が宋に入貢して上表する。
0345年:( 0346 )朝鮮半島でツングース系夫余=徐族が馬韓を統一して百済を建国する。
0212年:( 0212 )xxx
0079年:( 0079 )xxx
567 :
世界@名無史さん: