匈奴やスキタイから始まり、柔然、鮮卑、突厥、エフタル、フン、アヴァール、
ハザール、ウイグル、契丹、ブルガール、マジャール、モンゴル、ティムール。
その他、世界史に名を馳せた遊牧民たちの輝かしい歴史を大いに語るスレです。
2 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2010/12/31(金) 21:39:31 0
>>1 やはり、遊牧帝国はティムール帝国までなのか。
その後もジュンガルとかがあったけど、もはや、
騎馬の軍事的優越性はなくなってしまったのかな。
3 :
世界@名無史さん:2010/12/31(金) 21:55:41 0
>>2 遊牧民を山賊国家と規定すると、今のアフガンは遊牧帝国に
近いのではないかな。
4 :
世界@名無史さん:2010/12/31(金) 21:58:19 0
モンゴル語とトルコ語は同じ言語から分かれたことばなのだろうか
5 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2010/12/31(金) 22:01:52 0
>>3 杉山先生はアフガニスタンのドゥッラーニー朝こそ、
最後の遊牧帝国だと言ってたね。現在も遊牧生活してるのかな?
6 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2010/12/31(金) 22:07:09 0
>>6 一応、どっちもアルタイ語系だけどどれくらい似てるのかは良く知らないや。
7 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2010/12/31(金) 22:09:00 0
8 :
世界@名無史さん:2010/12/31(金) 22:21:02 0
アルタイ語族は否定されてなかった?
9 :
世界@名無史さん:2010/12/31(金) 22:21:11 0
>>5 高山正之さんが週刊新潮の最後のコラムで
この王朝のことを山賊王朝だと書いていたことがあった、
実際もともとはどうも山賊で規模が大きくなって
国まで取ってしまったとか書いていた。
遊牧生活はともかく、山賊気質が抜けきらないことは間違いない。
10 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2010/12/31(金) 22:28:42 0
>>8 そうなの?正直、語学はあまり良く知らないので。
>>9 まぁ、遊牧と山賊は違うけど、アフガニスタンは結構近代まで、
クリルタイみたいな部族会議をしてたっていうのを聞いた事あるし、
それなりに遊牧国家的なのかな。歴史的に遊牧民が多くいた場所だし。
11 :
世界@名無史さん:2010/12/31(金) 22:31:11 0
吐蕃と羌は遊牧民か?
12 :
世界@名無史さん:2010/12/31(金) 22:37:27 0
トナカイ遊牧のチュクチ、コリャークを思い出してあげてください
13 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2010/12/31(金) 22:50:29 0
>>12 なるほど。「遊牧=馬」とは限らないね。ベドウィンだってラクダだし。
14 :
世界@名無史さん:2010/12/31(金) 22:54:23 0
15 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2010/12/31(金) 23:03:00 0
>>11 吐蕃は知らないけど羌は遊牧民だったと思う。
16 :
世界@名無史さん:2010/12/31(金) 23:44:31 0
17 :
世界@名無史さん:2011/01/01(土) 00:40:00 0
もし今遊牧民族的な生き方をやろうとしたら、ジプシーになってしまうのかな
イセドン=烏孫って聞いた事があるけど、どうなんだろ
ペルシア、アラブ、ベルベルも本来は遊牧民
20 :
世界@名無史さん:2011/01/01(土) 02:46:44 0
スラブ人遊牧民はいたのかな
21 :
世界@名無史さん:2011/01/01(土) 04:52:56 0
>>17 今の遊牧民はカシミヤや羊毛を売って生活しているらしい
スキタイと匈奴 遊牧の文明
>>2 ティムール朝は都市周辺の遊牧的生活をするチャガタイ人が軍事力の核だが、あく
までも基盤がオアシス都市にあるから、純粋に遊牧国家とは言いがたいぞ。
シビル、アストラハンなんかも基盤はオアシスで、モンゴル以降、トルキスタン
の国はハン国を名乗って軍事力が騎馬でも、"遊牧民国家"とは言い切れない状態。
>>5 アフガニスタンは多数派のパシュトゥン人は本来遊牧民だが、ソ連の侵攻前に米
ソの援助合戦で定着政策してたり、アフガン侵攻以降、グチャグチャの状態だか
ら、大多数は遊牧生活なんて不可能になってないかな。
旧版の中公世界の歴史は、出版がアフガン侵攻以前だったから遊牧民の写真資料
に結構アフガンの遊牧民が使われてたが。
23 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2011/01/01(土) 07:40:24 0
>>17 現在のモンゴルにいる遊牧民なんかは、結構現代的な生活してるらしい。
24 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2011/01/01(土) 07:45:05 0
>>22 まぁ、ティムール帝国は確かに遊牧国家の中でも、
定住民的な要素が強いほうだね。サマルカンドで都市的な、
文化が流行ったし、本人たちは遊牧国家のつもりだったろうけど。
後、パシュトゥン人は現在遊牧生活あまりしてないのか。
今でも遊牧民がそれなりにいるのはモンゴルとカザフスタンくらいかな。
>>23 こないだ、イッテQでモンゴルの遊牧民が出てたけど、太陽電池で電気賄って
テレビなんかの家電も結構あったな。けれど、それもまた現代の遊牧のあり方
としてはいいんじゃないか。エコと言えばエコだし、見た限りじゃ遊牧的生活
そのものは捨ててないみたいだった。
寧ろ遊牧地域が国境で分断されてしまってるのが辛いとこだろうな。
>>24 >本人たちは遊牧国家のつもりだったろうけど。
ティムール帝国の前身の西チャガタイ・ハン国は遊牧的様式の強い東を盗賊
と軽蔑してるぞ。遊牧国家のつもりじゃなくて、モンゴル国家のつもりだろ。
この認識は似ているようでも全然違うからな。
27 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2011/01/01(土) 08:37:11 0
>>25 そう。僕もそれで見たんだよね。結構意外だったけど、全然ありだとは思うよ。
まぁ、遊牧地域が国境で隔てられてるのは、確かに遊牧生活の上で不便だね。
>>26 >遊牧国家のつもりじゃなくて、モンゴル国家のつもりだろ。
>この認識は似ているようでも全然違うからな。
そうなのか。でも、確かティムールって遊牧生活してなかったっけ?
遊牧的様式を軽蔑しながらチンギスは尊敬するというのも何か不思議だね。
ティムール自身は遊牧生活してた印象あまりないよね
名を挙げる前は山賊として名を挙げてからは宮廷生活に移ってるし
イスラム系君主と言ったほうが適切かも
29 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2011/01/01(土) 09:54:04 O
>>28 宮廷生活してても、テントで暮らしてたって聞いたけど、
あれって、確かティムールの事じゃなかったっけ?
>>29 >>22で少し説明が入ってるだろ?
遊牧的生活を維持しつつ、都市文化を背景に定住生活してるから、テント
暮らしであっても、もう、純粋な遊牧民とは呼べないんだよ。歴史上じゃ
チャガタイ人、もしくはチャガタイ・トルコ人という呼び名で言う。ティ
ムールもその系統だから、天幕で暮らしつつ、サマルカンドの壮麗化に熱
心だったんだよ。
ティムールの軍事力の中核も遊牧民じゃなくて、このチャガタイ・トルコ人。
だから、定住した彼らはモグーリスターン・ハン国の遊牧民を侮蔑してたし、
モグーリスターンの方でも定住したチャガタイ人を混血と呼んで侮蔑しあっ
ていたの。
31 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2011/01/01(土) 14:45:48 O
>>30 いや、純粋な遊牧民と言えないのは分かるけど、遊牧文化も背景にしてるんだから、
遊牧国家と言っても間違いじゃなくない?まぁ、ここら辺はただの主観の問題だけど。
同じようなのだと、天山ウイグル王国なんかも遊牧国家と言えるかどうか微妙だね。
オスマン帝国なんかだと、もう完全に遊牧国家と言えないような気がするけど。
>>31 生活基盤が遊牧にないというか、遊牧してないのに遊牧国家とはとても言えない
と思うがな。
主観というより、文化区分の認識の違い。普通はこういう場合、生活基盤で区分
する。一番確実な分け方だからな。テント暮らしだから遊牧っていうのはちょっ
と無茶だ。祖先が遊牧民で遊牧的雰囲気持ってたら遊牧国家なんて曖昧な区分じゃ、
そもそも遊牧と定住という、文化人類学の基本的区分を無視しすぎてる。これは歴
史学でも共通の区分だ。
天山ウイグルなんて、微妙どころかもろにオアシス国家に区分されてるはずだが。
普通、概説書でもテュルク系民族が都市に定住民した典型例として書かれてて、
これはオアシス定住民のテュルク化であって、遊牧民国家なんて書き方されてい
ないと思うが。
悪いがオツガイのは単なる印象論と本当に主観的区分で、緻密に考えて言ってる
とは見えない。
33 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2011/01/01(土) 23:24:22 O
>>32 う〜ん、確かに遊牧的文化を持った国と遊牧国家を混同してたかも知れないorz
結局、ティムール帝国や天山ウイグル王国は遊牧国家とは言えないのかな。
34 :
世界@名無史さん:2011/01/02(日) 00:55:38 0
また、本稿の検討結果によると、匈奴は最古形を保持すると言われるハラジ方言(dがyに変化していない)やチュワシュ方言ではなく、
むしろウィグル方言(dやnがyに変化)に近い言語をしゃべっていた事になります。上で紹介したように、
Hirthというドイツの学者が、匈奴語はトルコ語の中ではウィグル語に最も近いと結論したそうですが、
私の検討でも同じ結論に至りました。Hirthの論拠が分らないのがいささか残念です。
今回は、匈奴語の音韻を調べたのが「漢書」までだったのですが、「後漢書」、できれば「晋書」あたりまで、
匈奴の末裔達の言語を追跡し、中国内の音韻変化によって表記が変化したかどうかも
確認する必要があります
ttp://homepage3.nifty.com/rosetta_stone/wissenshaft/hunna3.htm
35 :
世界@名無史さん:2011/01/02(日) 04:39:41 0
ブルガールのドゥロ族はフン族の主要メンバーだったんだって
>>30 定住化したチャガタイ・トルコ人の平時の経済基盤は何だったの?
37 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2011/01/02(日) 18:34:21 0
>>36 場所的に考えて普通に交易か農業をやってたんじゃないの?
トルコ化する前からオアシス都市の経済基盤は基本それだし。
それにしても、チャガタイ人は遊牧民を軽蔑してたらしいけど、
ティムールの尊敬してたチンギスも紛れもなく遊牧民だよね。
チンギス統原理なんかもあるし、ここら辺との矛盾はどう考えてたんだろう?
38 :
世界@名無史さん:2011/01/02(日) 20:20:49 O
アルサケス朝やセルジューク朝は遊牧国家と言える?
39 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2011/01/02(日) 20:52:23 0
>>38 アルサケス朝は言えるんじゃないの?支配層はスキタイ系の遊牧民だし。
セルジューク朝は初期以外はほとんど定住化してるからだめな気がする。
ティムール帝国と同じで遊牧的文化がかなり強い定住国家というところかな。
>>10 アメリカ上院なんて部族会そのものではないか。
例えば北魏や遼なんかもルーツは草原だが支配層は完全に宮廷生活
42 :
世界@名無史さん:2011/01/03(月) 02:21:56 0
遊牧民が建てた国でも
建国した遊牧民がすぐに遊牧生活を捨てちゃう所があるな
43 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2011/01/03(月) 07:24:16 0
>>42 そういう国は結構多いね。逆に、匈奴や突厥とかモンゴル高原を拠点に、
置いてる国は遊牧生活を保ったままな場合が多いね。モンゴル帝国だって、
割りと長い間、遊牧生活を保ってたし。(いくつかは定住化してるけど)
44 :
世界@名無史さん:2011/01/03(月) 07:28:28 0
匈奴の領土(縄張り)には漢族の定住者や農民が住んでいて
匈奴がやってきたら物資を貢納していたらしい
45 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2011/01/03(月) 07:47:29 0
>>44 国内に定住民を連れて来て自国の統治に利用するのは、
匈奴に限らず、割りと多くの遊牧国家がやってる方法だね。
ウイグルなんかは多くのソグド人を重要な地位につかしたし。
>>15 吐蕃は滅亡後どこへ逃げたか?
青海に逃げたものはオイラート・モンゴルの構成員になり・・・(A)
四川雲南に逃げたものは羌に近い言葉を話す大理国のカム人になった。・・・(B)
いずれにしても吐蕃は遊牧民的性格が強かったであろう。
ジュンガル滅亡のおり、モンゴルの皮を脱ぎ捨てて突然アムド・チベッタンになり
青海に現れる連中は、(A)であろう。話す言葉はチベット古語に近い。
(B)はナシ族や土家族になっているものもいるであろうが、仏教に改宗したものは
チベット族カム人になっているといわれる。ただし土家族は複数の起源を持つため
白蘭を起源とする部族に限定されるであろう。
47 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2011/01/03(月) 09:42:57 0
>>46 まぁ、場所的に考えて吐蕃が遊牧的性格の強い国だったとしても不思議ではないね。
僕はあまりここら辺は知らないんだけど、チベット人は遊牧民ではなかったよね?
>>46 アムド・チベットとラサ・チベットの関係は謎。
言語的にアムドとラサは同じ群になるので、大和と沖縄の関係に近い。そこが言語の系統が少し異なるカム人と違う。
アムドもラサもカム語ではなくチベット語を話すということで、どちらもチベット人。
ラサはヤルツァンポ川の農耕民であるが
アムドは青海側から侵入してきた遊牧民。
吐蕃の起源は諸説あるので、青海に逃げた部族は遊牧民だったという点をとらえて
吐蕃は青海の側から侵入してきた征服王朝とする見方もある。
>>47 自治区住民には二重構造説があり
在来農耕民と青海遊牧民の二重構造だといわれる。
さらに雲南四川からのカム人逆進出で、ラサの言語が現代では羌系の声調言語という
特徴を持つようになってしまっているので余計に複雑になっている。
50 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2011/01/03(月) 10:10:19 0
>>49 なるほど。何か複雑で分かりにくいけど、青海遊牧民を例外とすれば、
基本的には農耕定住民だろうから、吐蕃もそうだと考えていいのかな?
51 :
世界@名無史さん:2011/01/03(月) 10:15:23 0
エフタルに興味あり
天山ウイグル=遊牧 ソグド=定住だという
>>45に近いのではないだろうか?
53 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2011/01/03(月) 10:26:30 0
>>52 僕が
>>45で言ったウイグルはまだトルキスタンに移住する前の、
回鶻可汗国の事なんだけどね。この時は、国の支配層は普通に、
遊牧民だったけど、天山ウイグル王国は支配層も定住化してる。
吐蕃の場合は、支配層はあくまで遊牧民で定住民を利用したのか、
それともその逆なのか。僕は詳しく知らないけど、後者だと思うなぁ。
>>53 おそらく後者だろう。
9世紀頃の吐蕃は、定住民が遊牧民に対してクーデターを起こした結果倒れた。
55 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2011/01/03(月) 10:41:36 0
>>53 まぁ、そうだろうね。結局、吐蕃は遊牧国家とは言えないのかな。
56 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2011/01/03(月) 10:43:09 0
すまん。
吐蕃自体は、遊牧民>定住民。
クーデター後は、定住民>遊牧民
吐蕃王がいたころは遊牧国家なのであろう。
58 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2011/01/03(月) 10:51:16 0
>>57 あぁ、そうなのか。じゃぁ、吐蕃の支配層は遊牧民で、
滅亡後にチベットは定住民中心の社会になったという事かな。
血統と、文化(生活様式)と、言語と、帰属意識と、必ずしもセットになって継承されるものではないよ。
往々にして、組み合わせが入れ替わる。
遊牧民が農耕化したのか、農耕民が遊牧民に同化したのか、そこはなかなか難しい問題だ。
それとは別に、遊牧圏は経済的に自立していなくて、農耕圏からの物資の供給が必要。農耕圏は
必ずしも遊牧圏の産品を必要とせず、むしろ、別の農耕権の産品に対しての需要がある。
この構造から、農耕社会との交渉権の確保という遊牧側の要求によって、遊牧帝国は広域化しやすい。
60 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2011/01/03(月) 11:47:21 0
>>59 まぁ、定住社会も交易などにおいては遊牧民を必要としたらしいけどね。
とは言え、遊牧圏が農耕圏に比べて経済的に自立してないのには同意。
遊牧国家がすぐに大帝国を築く傾向にあるのはそこら辺も一因なのかな。
61 :
世界@名無史さん:2011/01/03(月) 11:52:22 0
現在のウイグル人は原ウイグル人とトハラ語派のアーリア人との混血。
62 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2011/01/03(月) 12:04:26 0
>>61 現在ののウイグル人は、近代になって作り出された民族だからね。
歴史上のウイグル人以外の血も実際には多く混じってるはずだね。
まぁ、古今東西「民族」なんていうのはそんなものでしかないんだけど。
63 :
世界@名無史さん:2011/01/03(月) 12:45:11 0
ウイグル語を話すやつがウイグル人でええねん
64 :
世界@名無史さん:2011/01/03(月) 13:01:33 0
ダレイオス1世とスキタイ人は通訳なしに会話できたのかな
65 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2011/01/03(月) 13:05:55 0
>>63 まぁ、それで別にいいんだけど帰属意識の問題ね。
前近代のウイグル人は自分たちが「ウイグル人」という、
1つの民族なんだという意識を持ってなかったからね。
66 :
世界@名無史さん:2011/01/03(月) 14:50:31 0
>>65 遺伝子研究で現在のウイグル人には、
コーカソイドの遺伝子が入っていることが確認されている。
しかもR1aとR1bの両方だから面白い。
さらに妄想が逞しくなる。
67 :
52:2011/01/03(月) 15:17:47 0
>>58 エピソード編
モンゴル帝国が滅亡した後、オイラート・モンゴルのグシハーン朝は、再び遊牧民優位。
ロブサン・ダンジンの乱 (1723)、ダライバートルの乱(1751)を平定後、
清朝期はラサの法王庁を統治機構に組み入れ、再び定住民優位。
四川のゴンポ・ナムギャルの反乱で一時雲南四川カム地方は遊牧民優位。(1848)
これをラサが近代兵器で平定して、ゲルク派仏教を布教し改宗。
法王庁は、雲南四川系カム人の王(ジャン王木氏)を屈服させ、四川カム地方を割譲させる。
20世紀になって清朝の張爾豊が四川カム地方を取り戻すが、木氏土司に返さず、清朝から直接土司を任命。
1950年にカム人が四川雲南から攻めてきて、ラサ滅亡。
カム人と中国共産党が主導権争いをして、1956-1957年にカム動乱。
しかし、現在の自治区の要職は玉樹や那曲出身のカム人によって占められている。
こんな流れじゃないだろうか? 史料によって食い違いが多数あって難しい。。。
68 :
世界@名無史さん:2011/01/03(月) 15:33:02 0
ラサ(定住) O3a3c-M134, O3a3c1-M117, N1-LLY22g
自治区狩猟民 O2a1-M88, O3a3c1-M117
アムド(遊牧) D3a-P47, O3a3c1-M117, C3-M217
カム人(半農半牧) D1-M15, O3a3c1-M117, O2a1-M88, R1a ・・・雲南は坩堝だから仕方ないな
70 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2011/01/03(月) 15:41:16 0
>>67 なるほど、ありがとう。チベットのほうの歴史は、
良く知らなかったので助かるよ。
71 :
世界@名無史さん:2011/01/03(月) 16:14:31 0
>>64 ラテン語から分かれた
フランス語とイタリア語は会話できない(習得しなければ)
スキタイ人とダレイオスも会話できないだろう
もっともどっちかがバイリンガルである可能性もあるが
>>66 歴史の或る時点で、純粋なコーカソイドとか、典型的なコーカソイドとか、
たとえばヤペテのような一人に遡り得るコーカソイドの大始祖とか、
そういうものがあると思ってたりしないかい?
73 :
世界@名無史さん:2011/01/03(月) 18:01:57 0
コーカソイドの典型とされる北欧の金髪の人たちって
鼻も彫りもそんなに深くないし頭がアジア人みたいに横に大きな人がいる
南欧の人たちは白人としては下位に思われており
金髪や碧眼は少ないけど顔の造形は西欧世界のなかで最もギリシア彫刻に近いと思う
74 :
世界@名無史さん:2011/01/03(月) 23:38:35 0
>>58 >>67 なんかチベット自治区(中央チベット)って朝鮮半島みたいだわな。
古新羅の王朝が、途中でクーデターみたいに入れ替わって「極東のローマ」の消失。
百済の扶余族が王族滅亡で支配層は逃亡。
高句麗は、統一新羅によって滅亡。
吐蕃の遊牧民は追い出されても、モンゴルや大理の支配下になって周辺に潜伏。
いっぽうで扶余系高句麗系民族がどこに潜伏したのかはわからないけど、
秀吉が扶余系だったりするのかもしれん。
75 :
世界@名無史さん:2011/01/04(火) 01:33:07 0
76 :
世界@名無史さん:2011/01/04(火) 04:48:36 0
扶余の民族系統は明らかになったわけ?
ツングース?モンゴル?
77 :
世界@名無史さん:2011/01/04(火) 06:56:15 0
テムジン以前の遊牧民には
トルコ語を話せるモンゴル系部族
モンゴル語を話せるトルコ系部族
のようなバイリンガルの遊牧民がいたらしい
メルキト、ケレイト、ナイマンは、テムジンのボルギジン・キヤトとは
ものすごい方言差があったとされている。
>>77 バイリンガルは遊牧民だけじゃなくて中央アジア住民全体の特徴だな。
宮脇淳子なんかは、もっと大胆に遊牧民のトルコ語とモンゴル語が別言
語として完全に分化していったのはモンゴル帝国以降だろうと言ってた
気がする。どちらも故地はモンゴル高原だし、混在していた高原では、
明確に言語の差が分けられなかったろうってな。
まあ、確かにモンゴル高原の歴代遊牧民帝国に言語という障壁があった
ようには見えないしな。
80 :
世界@名無史さん:2011/01/04(火) 07:58:27 0
モンゴル祖語とトルコ祖語は違う言葉だったが
話者が混在していくうちにだんだん似かよった言語になっていった
という話もある
81 :
世界@名無史さん:2011/01/04(火) 08:27:30 0
中央アジアの共通語
古代ホラズム語
中世ソグド語
現代テュルク語
でいいのか
82 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2011/01/04(火) 09:31:20 0
>>79-80 現在のモンゴル語とトルコ語ってどれくらい似ているの?
結構、相違点もあるから意思疎通は出来ない程度だと思うけど。
>>77 バイリンガルというよりも、接する地域に住んでいれば、生活上の必要から相手方の言葉も話す、通婚関係あって家族に一人や二人は
流暢に話せるのが居るという状況。
遊牧は経済的に自立していないので(物質的に自給自活が不能なだめ)、他集団との交易が不可欠。相手は言葉の同じ同族とは限らず、
農耕民だったり、農耕民と接触の多い他の遊牧民族だったりする。
接触があって通婚関係が生じないというようなことは人類史上ありえないし、特に遊牧社会では、盟約関係の確認や争いごとの和睦処理
での人員の交換を行う習慣があり、それがしばしば渡嫁というかたちで行われる。
>>79 その割には、語彙の差異が激しい、同じものから分化したものと仮定すると1000年や2000年では
説明がつかない差だし、中間形態のようなものも無い。
84 :
世界@名無史さん:2011/01/04(火) 11:23:30 0
>>82 文法や発音は似ている所があるんだが
これぐらいの類似は隣り合っていると
よくあることなんだそうな
冒頓も檀石槐もチンギスも、統一した内外モンゴリアの全土を三つに大別した。
東(左翼・ジューンガル)は東胡の領域で、北はアムールから大興安嶺やハイラル、遼寧、北京北方に至る地域。
東胡の末裔たる烏丸・鮮卑・契丹はもとより、契丹と同族で室韋の一部族たる初期のモンゴルもここに興った。
中央(中部・コル)は匈奴の領域で、北はヘンテイ山脈・ブルカン山(狼居胥山)から陰山・オルドスに至る地域。
11世紀以後モンゴル部族(ボルジギン氏)の中心地となり、チンギスはここに大オルドを置いた。
西(右翼・バラウンガル)は月氏の領域で、北はセレンゲ川・ハンガイ山脈・アルタイ山脈から寧夏・甘粛に至る地域。
西方のスキタイ文化の影響が強く、のちにはバイカル湖方面から南下したテュルク諸族の本拠地となる。
突厥やウイグルはもとより、メルキト・ケレイト・ナイマン・オイラトもテュルク系の出自か、テュルクに強い影響を受けた。
86 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2011/01/04(火) 16:30:34 0
>>84 なるほど。ある程度は似てる点もあるのか。
日本語と朝鮮語ぐらいの違いかな?それとももっと近い?
>>86 語順から見ると、人間の言語には二つの型があって、
一つは、述語がセンテンスの頭の方に来る、被修飾語が修飾語に先行する、助辞が名詞に先行する、という形のもの。
こっちは、フランス語、マレーシア語、スワヒリ語、アラビア語なんかがそうだ。
もう一つは、述語がセンテンスの末尾に来る、修飾語が被修飾語に先行する、助辞を名詞に後置する、という形のもの。
こっちは、日本語、朝鮮語、モンゴル語、トルコ語、ハンガリー語、チベット語、ヒンドスタン語、ゴットランド語等。
例外的に、゜前者に近いが、修飾語が被修飾語に先行するというものがあって、何故か、英語、ロシア語、中国語という
大言語がその例外の性質を持っている。
で。
モンゴル語、ツングース諸語、チュルク諸語、ウラル諸語が比較的まとまった地域で、二番目の性質をもつから、語彙や
文節構造の研究が浅いうちは、大まかに見た語順だけで類縁関係をもつものとされた。これが所謂「ウラル・アルタイ語族」
ところが、文節構造や語彙の研究が進むと、モンゴル語、ツングース諸語、チュルク諸語、ウラル諸語がそれぞれ別の
系統に属するということが明らかになってきた。勿論、日本語や朝鮮語との類縁関係も否定される。
大まかな語順だけ見ると、チベット語や、印欧語に属するヒンドスタン語も、同じタイプだし、今は一番目のタイプに属するように
見えるドイツ語なんかも基本構造は二番目で、且つ、古い文献ほど二番目の型のように見えてくる。単に、或る時期から単文でのみ
述語動詞が文頭に置かれ祖の゜直前に守護がおかれる構造に変化したように見える。
語順というものは、全く言語の系統をみるにはアテならないということがわかる。
大まかに見ると、述語がセンテンスの末尾に来る、修飾語が被修飾語に先行する、助辞を名詞に後置するというところでは、
日本語、朝鮮語、モンゴル語は似ているけれども、文節の中のでの助辞の語順では相当に違いが有り、細部までみると、
文法は全く似ていない。
>>87 うおー。研究者さん?
すごいなこういうの。言語学研究ってそういう風に進んでるんだな
89 :
世界@名無史さん:2011/01/05(水) 04:28:12 0
やはりみんなの守備範囲は中央アジアか
俺もだけど。今でも(一部が)遊牧生活をしている
サーミ族やマサイ族はあまり日本ではあまり有名じゃないな
90 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2011/01/05(水) 05:46:10 0
>>87 お〜、ありがとう。という事は、モンゴル語と、
トルコ語は一応は別系統という事になるのかな。
>>87 日本語だけでも四苦八苦しているのによくそんなに
結局、語順も分類の最重要事項じゃないということ?
92 :
世界@名無史さん:2011/01/06(木) 04:14:48 0
>>91 語順なんか簡単に入れ替わるよ。
同系統で基本語順の違う例なんてわんさかあるし。
94 :
世界@名無史さん:2011/01/06(木) 23:46:18 0
フン人さんは匈奴だったけ?漢にに追われて遥々ヨーロッパに来たのわさ
サーミみたいに、白人ともモンゴロイドともわからないような得体のしれない集団だろう。
>>94 メルカトル図でイメージするからえれえ遠く感じるけれど、北緯50度ら辺では経度1度あたりの東西距離が
北緯35度ら辺のと比べると3分の2くらいしかないよ。
真四角のメルカトル図では殆ど同じ距離に見えるウランバートル〜キエフは、西安〜イスタンブールよりも
3割も短い。これは、経線を直角に横切って同じ緯度で移動した場合の話で、実際のルートだと、蛇行する
低緯度のルートと、草原を大圏コースで近道する北回りのルートでは、2倍以上の差になる。
仮にフンと匈奴が同じ集団だとして、漢に追われてではなかっだろう。単に、遊牧政権がなるように従って
膨張しただけで、遊牧民からすると、大した距離ではない。その後にも、突厥やモンゴルのように渤海湾から
黒海にまたがる政権は繰り返し出てきている。
和蕃公主にしたって後漢の遅い時期まで続いているだろ。支配層の人員の交換、力関係で下位の側が
女を差し出すという形の、遊牧民族の流儀に則った和睦・盟約の確認のやり方が続いていた以上、追われた
というのは後の中華思想に基づく曲解釈で、実際には、漢と匈奴の関係は、後の遼・金と宋のような関で、
遊牧民族間の勢力争いの結果、契丹が金に、金や西夏がモンゴルに取って代わられたようなものだろう。
97 :
世界@名無史さん:2011/01/07(金) 07:17:47 0
フン族にはいろいろな民族が参加していたらしいが
中核の同盟民族はブルガール族だったらしい
98 :
世界@名無史さん:2011/01/07(金) 08:23:26 0
フン族にチベット系が参加していた可能性はあるかな
99 :
世界@名無史さん:2011/01/07(金) 12:25:16 0
モスクワて元々はサーミ人の都市だったんだぜ
誰だったかは忘れたけど、秦の始皇帝の跡を受けて中国大陸を再統一したのは、
冒頓だっていってたな
>>96 >メルカトル図でイメージするからえれえ遠く感じるけれど、北緯50度ら辺では
>経度1度あたりの東西距離が北緯35度ら辺のと比べると3分の2くらいしかないよ。
なるほど盲点
今、100均で買った地球儀でみると、
上海−カシュガル(中国西端) = ウランバトル − モスクワ
だった。
>>98 フン族は3〜4世紀と遅い時期だからねー
もう遊牧チベットが青海に入ってきちゃって陣取り完了だろうな
吐蕃建国がそろそろスタート、東欧へ行ってるヒマはないだろう
>>99 タキトゥスが書いたフェンニーって本当にサーミ人の先祖か ?!
104 :
世界@名無史さん:2011/01/08(土) 07:47:52 0
>>99 サーミかどうかは知らないけどウラル系の民族がいたそうだな。
サーミよりも、今でも近くにいるマリとかモルドヴィンとかその辺の親戚筋なんじゃないの?
>>103 フィンランドの「フィン」って英語で沼地を指す「fen」と同根なのかな?もちろん自称ではないけど、ゲルマン人が沼地の国とか沼地の民とスオミ人かサーミ人
とその土地を呼んでたとか
でそれがタキトゥスの耳にも入った?
105 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2011/01/08(土) 08:29:15 0
>>94 フンは多くの民族を抱えた部族連合みたいなものだったらしく、
匈奴と完全に同じ集団とは言えない気がする。匈奴とフンが、
どれくらい関連性があるかはまだ意見が分かれてて良く分からないね。
DNA調べるための、遺骨とかないんだろうか?>>フンと匈奴
ただ、匈奴が漢音で「フヌ」って話、なかったっけ?
107 :
世界@名無史さん:2011/01/08(土) 12:47:58 0
>>106 匈奴は昔の発音ではフンヌと言ったらしいが
それだけでは匈奴=フン族の証拠にはならない
108 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2011/01/08(土) 12:59:45 0
>>106 その手の遺骨が見つかったというのは聞かないね。
時代も古いし難しいんじゃないかな?発音は確かに、
推測の根拠の1つにはなるけど、
>>107の言うように、
それだけじゃ完全な証拠とは言えないね。もっと史料が、
出て来れば、詳しい結論が導き出せるんだろうけど。
遺伝子で民族の系統なんてわかりませんよ
110 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2011/01/08(土) 13:24:00 0
>>109 うっ、確かにそうか。じゃあ証明するのはかなり大変だなぁ。
匈奴の支配氏族である攣鞮氏と
フンのアッティラの一族は
テュルク系だろうと言われてるけどね
112 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2011/01/08(土) 14:49:56 0
>>111 匈奴は良く知らないけど、フンがトルコ系かどうかは、
確かまだはっきりしてないんじゃなかったっけ?フンの、
言語がトルコ語かどうかの議論はまだ続いてたと思うし。
北方民族でもツングース系は狩猟民でモンゴル系遊牧民とは若干異なるという。
いや、なんで、三つか四つの大族のどれかに分類するという発想しかないの?
言語が或る時点で消失してしまって後裔が残っていないだけもしれんで。
>>114 遺跡がない限り検証しようがないこと言われても
116 :
世界@名無史さん:2011/01/08(土) 17:45:14 0
>>112 匈奴もそうだよ、トルコ説が有力だけど。
フンは同時代の欧州の記録からすると、
モンゴル高原の遊牧民を彷彿とさせるものはあるが、
遺跡・人骨等の出土がないと確定的なことは言えないだろうね。
117 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2011/01/08(土) 17:53:42 0
>>116 匈奴も同じなのか。詳しい史料が出ない限りは、
当分この手の議論は決着がつかないままかな。
>>116 匈奴のほうは墳墓があるから、人骨が出ているよ。
日本人にも多いmt-D4, mt-M10。
カザフ民族や西北中国人、チベット民族などに多いタイプ。
ハルハ・モンゴルになると、mt-A1なんかが増える。
日本はこのmt-A1と近いといわれるmt-A5がいるけど、全く同じタイプは少ない。
120 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2011/01/08(土) 19:31:21 0
>>119 そうなんだよね。だからフンや匈奴がトルコ系という事を証明するには、
遺伝子云々よりも、何の言語が使われてたかを調べたほうが早いね。
実際、フンがトルコ系か否かの根拠のほとんどは言語に関するものだし。
その点は否定派も肯定派も同じだ。文化的特徴で論じても良いんだけど、
言語のほうがよりはっきりと白黒つけやすいからね。まだ結論に達してないけど。
>>119 ソビエト崩壊の際に、結構な数、と言っても数千だけれど、トルコに逃れてきてるよ。
123 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2011/01/09(日) 07:53:07 0
>>122 でも、それって最近の事だし、数千人じゃトルコ共和国の人口のうち、
1パーセントにも満たないからね。現在のトルコ共和国に住む人々の、
大半はトルコ化したギリシャ人あたりで、移住してきたトルコ系遊牧民の、
子孫は少数だろうね。まぁ、現在のトルコ共和国にもまだ遊牧生活を、
している人はわずかだけど存在するから、彼らがそれの子孫だろう。
>>123 アナトリアに流入してたテュルク系民族は100万人だそうだ
125 :
世界@名無史さん:2011/01/09(日) 07:59:28 0
>>123 遺伝子研究の成果だと、
トルコは基本的に欧州と中東のミックスで、
それに少し中央アジアをふりかけたぐらいという感じ。
様々な顔の人がいて面白い国だ。
>>123 遊牧をやっているのは、クルドの民でしょう。
127 :
世界@名無史さん:2011/01/09(日) 08:12:55 0
日本の少数民族だったウィルタも遊牧のような生活をしてたんだってよ
もうウィルタもほろんでしまったけど
ультаはロシア語を話すようになったが
一応、ウチはультаが先祖だったという自称はあるらしい。
129 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2011/01/09(日) 08:25:34 0
>>126 いや、トルコ人で遊牧生活を続けてる人もいるらしい。
少数派の上、最近は彼らの定住化が進んでるけど。
130 :
世界@名無史さん:2011/01/09(日) 08:38:58 0
>>129 そのとおりです。
そしてそういう集団にはモンゴロイドとの混血の特徴があるとのこと。
131 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2011/01/09(日) 08:48:53 0
>>130 という事は、やはり彼らはトルコ系遊牧民の子孫とみていいのかな。
まぁ、アナトリアという場所を考えると他の民族とも混血してるだろうけど。
132 :
世界@名無史さん:2011/01/09(日) 08:59:11 0
>>131 彼らというのが遊牧民を指すのなら、そのとおりでしようね。
言葉や習慣も中央アジアに近いものがあるようです(訪問者の話)。
トルコ国民からみれば、ほんの数%でしょうけど。
133 :
世界@名無史さん:2011/01/09(日) 11:11:30 0
トルクメニスタンやカザフスタンにはもっといるらしい
>>119 バルカンへは、突厥、ブルガール、ハザール、クマン、ポロヴェツ、ガガウズ、キプチャク・タタール
アナトリアへは、トルクメン、セルチュク、イル・ハーン国、ティムール、マムルーク
と、1000年以上前から波状的に中央アジア出自の勢力が侵攻してきている。
契丹人が西に遷って最終的に落ち着いたのがイラン南部のケルマーンで、そのケルマーンから興ったカージャール王朝ペルシャとオスマン帝国は
激しく領土の取り合いをしている。カージャール王朝は遊牧部族連合政権の性格強い王朝で、オスマン帝国もこれまた遊牧的慣習を色濃く残していて、
戦争になればも構成員が部族まるごと寝返ったり、講和の際には支配層の人員の交換をするし、領土の異動があればそこに住む人も一緒に帰属が
変わる。
18世紀までクリミアにはジンギスカン裔の王を頂くキプチャク・タタール系の国があり、実質的にはオスマン帝国の一属領で深い関係にあった。
露土戦争でクリミア王国が滅亡すると数十万の難民がオスマン帝国に流入する。
ざっくりみるとこういう状況で、アナトリアやイスタンブールの住民で、極東・中央アジアの血をひかない者を探し出す方が困難なのではないのか?
バルカン側のスラブ人やギリシャ人やルーマニア人やマジャール人の間にすら相当にチュルク人やモンゴル人の血が浸透しているだろう。
アメリカ大統領のジョージ・ブッシュとかイギリスの現王室にだって、帰順したタタール土候を期限とするロシア貴族を介してジンギスカンの血を
引いてるんだし。
135 :
世界@名無史さん:2011/01/09(日) 11:19:35 0
先進国で遊牧民族的な生活を送ろうとしたら、
ジプシー的な生活か、テキヤか旅回りの芸人にでもなるしか
ないのかねぇ
136 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2011/01/09(日) 11:37:48 0
>>134 全く血を引いてない者は少ないだろうね。ただ、割合的には、
少数派だと思うよ。アナトリアやバルカンは古くから色々な
民族が混血しまくってるからね。元々、遊牧民は人口少ないし。
>>135 先進国かどうかというより地理的条件のほうが大きいと思う。
それなりに広い平地がないと遊牧生活は不可能だと思うし。
137 :
世界@名無史さん:2011/01/09(日) 11:48:59 0
テュルクの血ならカザフのほうがどっちかといえば濃いだろうな
138 :
世界@名無史さん:2011/01/09(日) 12:01:55 0
>>134 そもそもアナトリア侵入の時点でトルコ系はかなり混血している。
むしろイランの血の方が濃いくらいだ。
それでトルコ国民のせいぜい1〜2割だから、
遺伝子の割合でみるとほんの数%にしかならない。
ただ、ブルガリア人と比べるとI遺伝子の割合がかなり低いから、
ブロンドは多くない。
まあ、ギリシャ人+レバノン・シリア人+イラン人+コーカサス民族の
混合体にモンゴロイドとスラブ人とを少々ふりかけたという感じかな。
実際に行ってみた感想。
ラップランドやシベリアにも遊牧民はいるな、トナカイの
140 :
世界@名無史さん:2011/01/09(日) 13:46:55 0
>>137 テュルクがモンゴロイドの意味なら、
(濃い順)
キルギス>カザフ>ウイグル=ウズベク>トルクメン>アゼルバイジャン>トルコ
141 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2011/01/09(日) 16:46:57 0
>>140 まぁ、当然西に行くほどモンゴロイドの血が薄くなるだろうね。
ただ「トルコ人」というのは言語集団に近いから人種はあまり関係ないね。
>全く血を引いてない者は少ないだろうね。ただ、割合的には、
少数派だと思うよ。アナトリアやバルカンは古くから色々な
民族が混血しまくってるからね。元々、遊牧民は人口少ないし。
なんだかなーあまり反論になってないだろ
全く血の引いていない者は少ないが、割合的には少数派とか
日本語になってない要するに負けず嫌いなんだろ君は。
>ただ「トルコ人」というのは言語集団に近いから人種はあまり関係ないね。
誰も人種の話していないだろ。 そんなのいいだしたら何の集団だって
アイディンティティ以外の根拠は曖昧になる。
144 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2011/01/09(日) 17:08:07 0
>>142 いや、別に反論も何も混血の多かったアナトリアにおいて、
支配階級とはいえ少数派のトルコ系遊牧民の血がそんなに、
多く入ってるとは思えないと言っただけなんだけど。
>>134のレスに、
全面的な反論をした訳ではない。どっちかというと賛成してるし。
それに僕は、そもそも
>>134がレスしてる
>>119とは別人だからね。
>>143 モンゴロイド云々は人種の話だと思うんだけど。後、僕はそもそも、
「民族」の根拠は、本人たちの帰属意識(≒アイデンティティ)だと、
思ってるから。「民族」なんていうのは基本的に曖昧なものでしかないよ。
はぁ? 元々トルコ人はモンゴロイドの集団だったろ。
西進するにつれてコーカソイドとの血統が混じってきたというだけの話で基本は変わらない。
例えてみると、白人の侵入・混交で純粋な米大陸先住民は減ったが、彼らをコーカソイドと
考える人はまず居ない。 同じことだろ。
146 :
世界@名無史さん:2011/01/09(日) 17:30:03 0
古代の夏王朝も遊牧民の羌の王朝である可能性あり
>>144 ん?民族は人種の上位の概念ってこと?
つまり多人種だけど黒人も白人もその他も「アメリカ民族」と呼ぶことが出来うると?
アメリカ人というのはあるが、アメリカ民族というほどには概念共有してなくね?
階層分化大きすぎる。
149 :
世界@名無史さん:2011/01/09(日) 18:00:28 0
>>99 モスクワ・ルーシ周辺はモンゴルの支配をまぬがれた所だったけど
元々はスラブ人の土地ではなかったという罠
150 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2011/01/09(日) 18:11:26 0
>>145>>147 民族と人種は全く別の概念だよ。コーカソイドかどうかと、
民族は全く関係ない。民族が上位の概念とかいうよりは、
全く別物と考えたほうがいいと思う。たとえアメリカ人だって、
彼等が自分たちを「アメリカ民族」という1つの民族だと思えば、
それで成立する。まぁ、彼等がそういう意識を現在持ってるかは別だが。
151 :
世界@名無史さん:2011/01/09(日) 18:21:23 0
>>150 微妙だね。
ある時NHKのテレビで、トルコの取材番組を放送していて、
トルコ人のおっさんが「トルコ人の1/4はバルカン半島起源」と言っていた。
街の普通のおっさんがだよ。
だから、自分たちの帰属意識を持つ集団がある一方で、
出自はそれなりに意識しているのだろう。
そうすると、民族(というか国民か)は人種の上位概念というのは当てはまる。
152 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2011/01/09(日) 18:28:22 0
>>151 まぁ、現在のトルコ共和国の人の多くはもはや自分たちが、
本当に全て中央アジアから来たトルコ系遊牧民の子孫とは、
思ってないだろうからね。でも、「だから、本当は自分たちは、
トルコ人ではない」と考えてる人は少数派だね。そこら辺の、
定義が微妙になるのは仕方ないよ。さっきも言ったように、
「民族」なんてものはもともと極めて曖昧な概念でしかないから。
EU加盟とかが絡んでアイディンティの持ち方が変ってきてるのかもしれんね
>>150 つまり、各人の帰属意識の問題だと?
アングロサクソンとかそういった呼称とは別だと?
155 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2011/01/09(日) 18:39:00 0
>>154 そうだよ。基本的に民族なんていうのは各人の帰属意識による。
アングロ・サクソンはあれはあれで少し大きめな民族概念だけど。
肌の色が違うと明らかに違う集団だと意識するとおもうがな。
1960年代の公民権運動なんか明らかに黒人というエスニックグループの権利拡大運動だったし。
白人側も排除していた。同じアメリカ人とかアメリカ民族というのはないよ。
157 :
世界@名無史さん:2011/01/09(日) 18:45:44 0
アレは中華民族と同じで、アメリカ教という一種の宗教かねぇww
人類史上人工国家としては唯一の成功事例じゃないのかねぇ
ソ連は完全に潰れたし、
それに近いというのは中華民族とユダヤ人かなぁ
158 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2011/01/09(日) 18:48:03 0
>>156 だから、それは白人及び黒人双方が自分たちは違う集団だと、
認識したからでしょ。結局は帰属意識じゃん。このスレで話題に、
なってるのはトルコ人だからそれについて例を示すけど、例えば。
トルコ共和国内のトルコ人と中央アジアのトルコ人は見た目が、
全然違うよ。アラブ人だって、スーダンのほうのはほとんど黒人で、
アラビア半島にいるアラブ人とは異なる。けれど彼らは自分たちを、
「トルコ人」や「アラブ人」という民族だと思ってるからそれでいいんだよ。
159 :
世界@名無史さん:2011/01/09(日) 18:50:39 0
>>154 アングロサクソンも数十年前まではひとつの民族と意識されていたようだが、
現在では、ベースはケルト人というか、
アングロサクソン侵入以前の原住民というのが主流だから。
「イングランド人」より「ブリテン人」というのがよく使われている。
>>158 あんたトルコ人、トルコ人といっているけどさあ・・・・
部族もちがうし、中央アジアはオスマン朝との関係薄い。
トルコ側がいろいろ野心あって連帯を呼びかけているけど
いうほど中央アジアのトルコ人とやらはトルコに親近感もってないぞ。
新疆ウイグルなどは亡命政府をアンカラにおいているけど
あれも政治的なものだしな。
>アラブ人だって、スーダンのほうのはほとんど黒人で、
アラビア半島にいるアラブ人とは異なる。けれど彼らは自分たちを、
「トルコ人」や「アラブ人」という民族だと思ってるからそれでいいんだよ。
アラブ人は「アラビア語が使える人々」程度のカテゴリーにすぎず、
中の人はしゃべっているのあまり通じてないよ。
地方方言の乖離が大きく、いうほど中の人の連帯感はない。
階層分化も大きいしな。 アラブ人やトルコ人という語感にとらわれすぎ。
どうもオツガイ氏は自分の意見に固執しすぎて視野が狭くなっているように感じられる
誰に対しても必ず言い返して最後は有耶無耶にするが悪い癖だぞ。
162 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2011/01/09(日) 19:01:18 0
>>160 だから、民族なんていうのは曖昧なんだよね。ただ、汎トルコ主義は、
中央アジアの発祥だし、向こうも全く帰属意識がない訳ではないよ。
まぁ、所詮は帰属意識なんていう極めて曖昧なものが根拠だからね。
「トルコ人」という民族概念も極めて曖昧なものになってしまうのは仕方ないよ。
>>161 だから、僕は最初から「民族」のカテゴリーはその程度のものだと言ってる。
せいぜい同じ文化・言語を持ってると感じる人の集団でしかない。それを、
帰属意識によるものと言ってるだけだ。人種は民族とは全く関係ないものだよ。
163 :
世界@名無史さん:2011/01/09(日) 19:05:33 0
トルコ人とは、トルコ国民としてのアイデンティティを有し、
現在トルコ語を常用している集団を指すのだろうね。
元ギリシャ人・アルバニア人・ブルガリア人・クルド人・ペルシャ人等、
ルーツは様々だろうね。
トルコ人たちは自分たちのルーツは意識しながらも、
文化的にはある程度は中央アジアがルーツという意識もあるようだ。
こういう民族集団は難しいね、簡単にカテゴライズ出来ないよ。
164 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2011/01/09(日) 19:10:47 0
>>163 そうなんだよね。何度も言うけど、所詮「民族」の概念なんてかなり曖昧で、
その上、アナトリアは歴史的に多くの民族が出入りしてる地域なんだから、
余計にカテゴライズが難しくなって当然だ。帰属意識で分けるしかなくなる。
165 :
世界@名無史さん:2011/01/09(日) 19:22:09 0
そういう意味からは、「トルコ人」というのは、
半ば強制的に創られた国民なんだろうね。
これはアーノルド・トインビーも指摘しているけど。
>>162 あんたさっきスーダンの黒人云々といっていたけどさあ、中の人は分離独立寸前で随分前から
アラブ人と内戦して親近感も糞もないんだが。
さっきから発言おかしいぞ。
>>164 むしろ、本人の帰属意識によるのは「○○人」という区別であって、民族は客観的なものではないのかと。
トルコ人とトルコ民族は違う。
だから『多民族国家アメリカ』があるのであって、人の数だけ民族がある、というのとは違うと思うが。
というか、民族とは言葉として定義されてるんじゃないのか?言葉というのはねらーが「自分はこう思う」というのとはちがうのではないのか?
>>157 あの国の場合、漢民族、朝鮮民族、はあるが、中華民族はないのでは?
あすこも「多民族国家」をうたってる
>>165 元々近代の国民国家の概念に無理矢理にあてはめただけだからな。
オスマン帝国と国民国家としてのトルコ共和国は似て非なるものだし。
まあオスガイ氏の意見はどうも納得できないが。
正直あまり好きではないな。
169 :
157:2011/01/09(日) 19:28:59 0
>>167 失礼しました
確かに中華民族とは名乗っていませんでしたね、
中華と名乗っていましたね、
ただ、あそこの場合はいずれ中華に統合されるべきだと
心の奥底で思っているみたいですね
170 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2011/01/09(日) 19:33:28 0
>>167 正直、「民族」の言葉としての定義をめぐる議論は色々あって、
客観的な概念だという人もいなくはないけど、現在の主流派は、
民族というのは個々の主観的意識によるものという見解だよ。
それで、僕も基本的には後者の意見に同意してる。まぁ、
そこら辺の議論はかなり古くから多くの人がやってるから、
詳しく調べると色んな意見がみれるよ。少なくとも「民族」は、
極めて曖昧で定義しにくいものという点では一致してたと思う。
http://tyaksou.blog38.fc2.com/blog-entry-50.html 中国においては『民族』と『族』は明確に区別して使われている。日本では「漢民族」と呼ぶが、
中国では「漢族」である。中国に昔から在る「族」という言葉は、チベット族・漢族・ウイグル族といった、
言語系統・文化を共有する集団に対して使われる。
それに対して日本語から輸入した『民族』の使い方には、漢族・チベット族・ウイグル族などの中国
領土内の全ての『族』を含んだ概念として用いているように、国内の帰属意識の共有という中国政府
の意図がある。このことは、同じモンゴル族でも中国に住む内蒙古の人々は中華民族であるが、
モンゴル人民共和国(外蒙古)の人々は中華民族ではないことからも分かる。
以上のことから、『中華民族』とは中華人民共和国の領土内に共通の帰属意識を醸成し愛国心
を育て上げるという、極めて政治的な意図を背景に使われ始めた言葉であることが分かる。
ある意味中国政府は、明治日本が『民族』という言葉を生み出した当初の意図に忠実である。
むしろ現在の日本人の方が嘗てとは異なる意味合いで『民族』という言葉を使っている。
従って、『中華民族』という言葉や概念の歴史とは、どんなに遡っても中国政府が国民統合という
政治的意図を持ち始めた時点までしかない。つまりどんなに拡大解釈しても清朝滅亡による
近代中国成立以降なのである。
>>171 近代中国の民族主義者が持っていた領土欲ね。
西洋列強から権益を取り戻すことを目標とする一方で、近隣諸国を自国領と主張してはばからなかった。
そこらへんは、明治維新から覇権国へと突き進んでいった日本とやや似てる感じがする
174 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2011/01/09(日) 19:40:22 0
>>165>>168 だから基本的にはそれで良いと思うよ。トルコに限らず、
「民族」なんていうのはどこもそんなものだよ。だから曖昧なんだ。
中国の回族なんて各地の○○人の集合で
話している言語は各地まちまちだよ。
翻訳したクルアーンを使うムスリムは全部回族。
海南島の回族は回輝人であって、マレー系の言語=回輝語話者だ。
一番難しいのは楚雄彝族なんかだろ。彝族のうちの楚雄人というのがまず基本にある。
方言区が違えば、違う彝族○○人になってしまう。
固有の道教的アニミズムを信仰していれば、彝族登録だ。
イスラム教を信仰していれば、彝回であって回族登録が可能だ。
仏教を信仰していれば、藏族登録が可能だ。
使っている言語は一緒でも、宗教が違えば違う民族登録になる。
176 :
世界@名無史さん:2011/01/09(日) 20:08:49 0
モンゴル帝国のウルスとアメリカ教と中華と考えてみれば
似たような感じになってくるなww
他国民をアメリカナイズしようとするアメリカに比べモンゴルは他民族を文化的に同化させようという意思が乏しかった。
ムチャ言うなよwwww
農耕民に遊牧やれって言ったって、
だいたい1億もいるのにどうすんのよww
少なくとも他国民・他民族を同化させようとする衝動は
アメリカ>中華>>>>>モンゴル
アメリカは先住民をキリスト教化を強要したが
モンゴルは基本的に信教の自由を保障してラマ教を押し付けなかった。
180 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2011/01/09(日) 23:54:06 0
>>179 >モンゴルは基本的に信教の自由を保障してラマ教を押し付けなかった。
支配層のモンゴル人だって全員がチベット仏教を信仰してた訳じゃないよ。
西側はほとんどイスラム教徒だったし。まぁ、基本的にモンゴルは他民族を、
同化させようという事はあまりしなかったね。そんな事しても意味ないし。
181 :
世界@名無史さん:2011/01/10(月) 09:45:15 0
>>178 そういう時は皆殺しにするのです、
実際モンゴル帝国の時代、何回かそういったことを
提案した人がいたはずです。
182 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2011/01/10(月) 11:28:51 0
>>181 モンゴルは抵抗した地域の住民に対して徹底的な虐殺をした事も、
確かにあったけど(まぁ、意図的な誇張も大きいが)、いくらなんでも、
農耕民全てを皆殺しにするなんて非効率的すぎるし、何の意味もない、
行為だよ。モンゴル帝国は基本的に利益さえ取れれば、征服した地域の、
社会体制を無理に破壊することはしなかったし。ある程度は変えたけど。
>>166 スーダン北部のアラブ人って結構色黒いから
そのこと言ってんじゃね?
184 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2011/01/10(月) 11:36:18 0
>>166 だからそのスーダン内戦でアラブ人と思ってる人たちも見た目は、
ほとんど黒人じゃん。少なくとも中東のアラブ人とはかなり違うよ。
>>183が代弁してくれたけどさ。
185 :
世界@名無史さん:2011/01/10(月) 11:48:55 0
>>182 アメとモンゴル帝国は大量報復戦略という恐怖で
統治したという点で一致しているのだよなぁ
186 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2011/01/10(月) 11:54:16 0
>>185 モンゴル帝国はあえて残虐なイメージを広めて、
敵対勢力の降伏を促そうとしてた面もあったしね。
187 :
世界@名無史さん:2011/01/10(月) 14:26:58 0
モンゴル人は敵対勢力には容赦ない。
中央アジアのアーリア系民族はそれで壊滅的打撃を被っています。
もし彼らが素直にモンゴル支配を受容していれば、
西トルキスタンは今頃イラン系民族の居住地だったはず。
民族・人種構成まで変えてしまうモンゴル族の侵攻はまさしく歴史的なもの。
良いか悪いかは何とも言えませんがね。
西トルキスタンはモンゴル以前にテュルク広がってるんじゃね?カラハン朝とか
結局モンゴル征服後もモンゴル語でなくてテュルク系言語使ってるし
>>153 オスマン政権がアナトリアの小公国だった時分から名目的なローマの同盟市とか廷臣とかの地位を欲しがっていたし、
国力が増大するにつれ、ローマの庇護者だったり、相続可能な大官だったりとしたわけで、コンスタンチノープル奪取
からは自らローマに取って代わった地中海の支配者たるべきものという意識。
ロシアも相続可能な大官という地位から、コンスタンチノープル陥落後は、自称「第三のローマ」、オスマン政権の方は
第二のローマを奪取してとって代わった継承政権の立場でローマそのものとして振舞った。
>>159
191 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2011/01/10(月) 14:49:02 0
>>188 西トルキスタンのトルコ化は確かにもっと前から進んでたけど、
モンゴル帝国及びその後継国家のティムール帝国の時代に、
それが完成したって感じがするね。特にトルコ=イスラーム文化は、
ポスト・モンゴル時代(特にティムール帝国)に隆盛を極めたからね。
>>189 オスマン帝国で「ルーム・カイセリを名乗ったのは一部だけだけどね。
>>159 イングランド人というのは、ナショナリティーの概念で、エスニシティーの概念ではないよ。
アングロ人というのは、逆に、エスニシティーの概念で、ナショナリティーの概念では無いよ。
例をいうと、スコットランド人。これはナショナリティーの概念。長城の北に住んでいるという地縁関係、大陸法によって統治される
スコットランド政府を頂くという国家概念が、紐帯の基になっている。
スコットランド人=ゲール人(ケルト系)と誤解している人も多いけれど、これは誤り。17世紀の頭の同君連合の始まる前後で
スコットランドの住民は既にアングロ人が7割以上、ゲール人の3倍もいた。
アングロ人だけれどイングランド人ではない、スコットランド人というものがわんさか居る。
スコットランド人だけれどもアングロ人ではないという人もそれなりに居る。
>>191 メッカの庇護者の方が回教徒受けはいいしな。
195 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2011/01/10(月) 15:24:41 0
>>192 日本語の「民族」はエスニティーとナショナリティーが混同してるからね。
基本的にはnationの訳語として使う場合がほとんどだけど。
ああいう文明の十字路で、単一の言語しか話せなかったソグド人は少なそうだ
197 :
世界@名無史さん:2011/01/10(月) 17:43:14 0
>>195 逆だろ、nationの訳語として民族を使う場面なんてねぇよ。
199 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2011/01/10(月) 18:16:13 0
>>198 いや、一応nationを「民族」として訳す場面もなくはないよ。
ただ、確かに逆だったね。普通はethnicのほうを「民族」と、
訳す場面のほうが多いね。僕もさっきまでそっちの意味で、
「民族」という言葉を使ってたし。nationだともっとややこしくなる。
>>199 じゃあ、nationが民族をさす場合って、どんなんよ?
201 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2011/01/10(月) 18:51:34 0
>>200 例えば良く「ナショナリズム」を「民族主義」って表現する人がいるでしょ。
他にもスターリンが論文で書いた「民族」はnationのほうの意味だし。
>>201 ナショナリズムは、民族自決とセットになっている概念だし、
民族自決というのは、ぬっちゃけていえば、ナショリティーとエスノシティーが一致するように国境線を引きましょう、
というこじゃん。
ソビエトだって、タテマエ上は複数の主権国家が連合する連邦国家として主要民族ごとに高度な自治を行わせるという形で、
ナショリティーとエスノシティーが一致するように自治区界を線引きしましょうということだったろ。
203 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2011/01/10(月) 19:10:51 0
>>202 う〜ん、上手く言葉にしにくいんだけどそもそもnationの意味自体が、
色んな解釈があって、ナショナリズムというのはあなたの言うように、
nationとethnic(=一般的な「民族」)がイコールであるはずだという、
思想から来ている訳で。だからこそ、先述したスターリンの論文の、
例のようにnationを「民族」と訳す場合もある。思想的立場の違いだけど。
実際にはそんなに単純な分布ではなく
タタール語なんかは広く分布していたのに
話者は数箇所に集められて「タタール区」になってしまった。
ひどいケースは、ウズベキスタン。
ブハラやホラズムは消滅して
イラン・タジク系の住民もウズベクにされて
ペルシャ語やタジク語は奪われてしまった。
205 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2011/01/10(月) 19:22:50 0
>>204 現在のタジク語は西トルキスタンがトルコ化される以前に、
あの地域で話されてた言語とみていいのかな。ブハラは、
現在でもタジク語を母語とする人が多くいるみたいだね。
ウズベキスタンも、タジク語を隠れて使っている人達と
もともとチュルク系の人達の争いがある。
キルギスにも同様の争いがあって、帰属意識が
イラン系なのかチュルク系なのかは常に動揺している。
207 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2011/01/10(月) 19:32:09 0
>>206 つまり、現在でもあの地域は完全にトルコ化されてるとは言えないのかな。
まぁ、多くはトルコ系だろうけど、タジク人みたいにイラン系も結構いるし。
>>203 だからも、さー、場合がある、だけでなくて、どういう場合にそうしているか、を出して御覧よ。
209 :
◆axCVsGomao :2011/01/10(月) 19:33:47 0
アフガンのハザラ人みたいに形質が違いすぎると
差別の対象となってしまうな
タジキスタンは周囲の国が嫌われていて
国境を鉄条網で囲まれてしまい、今でもその状態は継続している。
トルコ系地域からみたら、言葉が通じない野蛮人扱い。
ウズベキスタンにタジク語放送が入らないように、ウズベクは妨害電波を飛ばしている。
211 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2011/01/10(月) 19:36:54 0
>>208 ちゃんとレス読んでくれよ。一例としてスターリンの論文を挙げてるじゃん。
>>204 ソビエトの民族政策、タテマエ上は、民族ごとに自治ができるように境界。
実際にやったのは、離反を防ぐために、どの自治区界に無視できない数の、隣の自治区界の主要民族が
分布するように区切った。今のカフカス諸国の紛争とか、トランスドニエステル問題とかの遠因になっている。
交通の要衝に或る程度まとまって住んでいたりすると、わざわざ遠方のほかの土地に移送。
有名なところで、ボルガドイツ人とか、クリミアタタール人とか、な。
213 :
◆axCVsGomao :2011/01/10(月) 19:41:29 0
朝鮮民族も移住させられたよね確か
>>211 スターリンの、何という論文のどういう部分でどんな文脈で、書いてんだよ?
おまえさん、本当にスターリンの論文とか読んだことあるのか?
共産政権のボスらしく、数だけはアホみたいに多いぞ。
215 :
◆axCVsGomao :2011/01/10(月) 19:43:38 0
スターリンの論文をガチで読むのなんてロシア史とか近現代史の研究者くらいだろ
216 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2011/01/10(月) 19:46:08 0
>>214 ちゃんと読んだ訳ではないけど確かタイトルは、
「マルクス主義と民族問題」だったと思う。あれの、
「民族」は確かnationのほうの意味だったはず。
>>186 その残虐イメージの宣伝戦略というのは、多分岡田史観か杉山史観だと思うんだ
が、相当な無理があると思うけどな。敵対した城市を破壊しなければ、全然宣伝
にならないし、もし破壊がそれ程でもないのなら、あっという間に噂が広がって
敵対する城市が余計に増えるだけ。結局敵対したら徹底した破壊、すぐに降伏す
れば温存ということで、従来の見解と全然変わらないことになる。
あと、オツガイは民族意識を本人の帰属意識としていて、前もエジプト・マグリ
ブのアラブ人を帰属意識云々で言ってたが、それすらも近代以降のナショナリズ
ムの中での概念の話だからな。
前近代史じゃ本人の帰属意識すらせいぜい自分たちの住む村とか都市の共同体レ
ベルだから、〜人の区分なんて、大雑把にその言語話者と生活文化・宗教・地域
的な区分などを現在の目で便宜上、色々組み合わせた形でしか使ってない。って
か、そうとしか使えない。
中世のエジプトの、現在歴史的にアラブ人として扱ってるアラブ語話者に、
「あなたはアラブ人ですか?」と聞いたら、
「は?私はエジプトのカイロの住人ですよ?」って言われるだけだろうし、
トルキスタンの都市の住人に「トルコ人ですか?」って聞いても住んでる都市の
人間だって言うだけだろう。それを前提に前近代の一定の集団を民族という曖昧
な言い方で、便宜上使用してるだけだ。それを頭じゃ分かってても感覚として捉
えてない感じをいつも受ける。
オツガイは近代史から歴史に入ったクチじゃないか?
>>216 思う、はず
ねぇ。
で、どういう文脈だったのさ?
219 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2011/01/11(火) 11:54:17 0
>>217 いや、まぁ僕はモンゴルの破壊活動が大したことないとは言ってないけどね。
ただ、そうした破壊活動には宣伝的な効果を狙った面もあったと言ってるだけ。
後、民族概念の話だけどそもそも前提として僕は「民族」というのは、
大部分が近代になって作られたものだと思っている。(例外はあるけど)
つまり民族的帰属意識というものが近代になって政治的目的のために、
意図的に作られたのが大半だから、「民族」も近代以降に出来たのがほとんどだ。
まぁ、前近代にも民族主義に似た思想が全くない訳でもないんだけど。
>>218 というか、そもそもタイトルの英訳がnationのほうになってたからね。
結構、有名な論文だしググれば大量にヒットするから直接読めばいいじゃん。
集団で動く遊牧民はわりと民族意識・国家意識のようなものを持ったのかな?
特に世界史的に派手に動くような場合。むろん盛り上がったり盛り下がって
分裂したりを繰り返すのだろうけど
遊牧民にとって重要なのは分け前をはずんでくれる親分。
部族にとって死活問題
交易政策の公約に釣られて集まる面もあるよね。
当時は公約守らんかったら離反されたり取って代わられたりしたから必死だわな
224 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2011/01/12(水) 06:40:47 0
>>220 そうなんだよね。前近代でも遊牧民は多少の民(部)族意識はあったと思う。
アラブ人だってウマイヤ朝の例があるように全く帰属意識がない訳ではないし。
まぁ、確かに現在ほどではないかも知れないけど
>>217
帰属意識帰属意識とうるさいが、当の中の人たちは部族主義なんだわ。
これは現代までずーとおなじ中の連中はアラブ人とかトルコ人とかねえよ。
そんなのいってるの都市部での支配層だけで部族への帰属意識はあっても
国家への帰属意識なんてごくごく最近だわ。
汎トルコ云々も中央アジアの独立主義者らが18.19世紀ごろから言い出している「だけ」で
ロンドン帰りな訳ですよ 身も蓋もないことをいうとね。
全然遊牧民にそんなの浸透してねえから頭でっかちに考えてもしょうがないの。
現場をみろって話ですね。
あとチュルクシンパシーというのも虚構だから。中央アジアがチュルクで一体化しているのって
アンカラ発のプロパガンダを初な日本人研究者がエヴァンゲリストよろしくてめえの思想を
おしつけているからだ。 イラン系のアイディンティティをもっている部族も多く、
都市部の連中がおもうようにはっきりと区分けされているわけじゃないんだお。
この頃はレッテルつけたら全てを理解できたように考える人が多いが、もっと頭を柔軟にしろ
国民国家的発想や俺のルーツが汎XX主義なんて実際に遊牧生活している連中の大半は
かんがえてやしねえよ。 そんなん欧米にいって帰ってきた連中が独りよがりで汎XX主義といってるけど
笛吹いても踊る奴いないんだよ。
その辺は例えばバルカン半島の民族主義の浸透とは決定的にちがうから。
>>221 日本の元寇なんて遊牧圏対農耕圏の勢力争いだったけれど、単に守っただけの鎌倉政権は恩賞が出せなかったものだから、
あっけなく崩壊したで。
家中=部族、幕府・執権=親分とみると、同じ構図だわな。
あれはしかし、当時の御家人連中は、守っただけで新領地は1mm2も獲得してないんだから恩賞は出しようが無いって理屈、ホントにわからんかったんかなあ?
結果として倒幕は混乱を招いただけだったし、室町幕府も鎌倉に比べて健康的な政権とは言い難かったしなあ
鎌倉幕府ってホント質素倹約型の理想的な政権で、もっともっと続くべきものだったと思うんだが
230 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2011/01/12(水) 17:01:55 0
>>225-226 まず一言言っておくと民族の帰属意識と国家への帰属意識は意味が違うから。
まぁ、中央アジアのほうは確かにタジク人なんかもいるし、全員がトルコ人だとは、
思ってないだろうけど、トルコ共和国の国民ぐらいだったら帰属意識あるでしょ。
とはいえ、彼らも自分たちが一体どれくらいトルコ系遊牧民の血を引いてるのか、
怪しい事は重々承知してると思うけど。多分ウズベキスタンも基本的にはトルコと、
同じだと思うんだけど、こっちのほうはあまり詳しくないので断言はできないや。
(ただし、ウズベキスタン国内のタジク人やトルコ国内のクルド人は除く)
それと、個人的には部族主義も広義での民族主義と同じだと思うんだけど。
>>230 ウズベキスタンが一番怪しいんだろうな。
隠れタジクがいるから、表面上はウズベク語を話すウズベク国民だが
家庭ではタジク民族というそりゃ複雑なものがある。
それは数はぐっと減るが、隠れタジクはいるようだよ。
タジキスタンはCIS諸国で、突出した最貧国だから
隠れタジクは送還されるのも嫌だろうし。
232 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2011/01/12(水) 21:37:46 0
>>231 まぁ、それを言ったらトルコにもクルド人がいるし。それさえ除外すれば、
あそこのウズベク人は基本的にトルコ人だという帰属意識があると思う。
まぁ、断言はできないけど。彼らはティムールを英雄として崇めてるらしいし。
これは多少矛盾してるようだけど(ティムール帝国を滅ぼしたのはウズベク人)、
これこそ、「民族」が後付けの帰属意識で作られたものなんだという証だね。
ウズベク人はウズベク人だろ 馬鹿か
先祖がウズベク人のウズベク国民なんて、3割ぐらい。
ホラズムやブハラの隠れタジクのほうが7割ぐらい。
だからキルギス暴動でも、キルギスの隠れタジクがウズベキスタンに逃げ込んだ。
235 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2011/01/12(水) 21:44:51 0
>>233 そう簡単に中央アジアの民族は割り切れないものなんだけどね。
現在のウズベキスタンに、ウズベク人とされながらタジク語を話す、
隠れタジク人が住んでたりするし。
>>234が代弁してくれたけど。
まぁ、このような事情はトルコ共和国内のトルコ人にも共通してるね。
割り切れないといいつつ、なぜトルコ人と話が飛ぶんだ あんたのいうこと筋が通ってなさすぎ。
このスレずっとこんなんだろ。
トルコ人ガーとトルコ共和国の代弁者みたいな話ばっかりでうんざりするな・・・。
238 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2011/01/12(水) 21:54:52 0
>>236 だから、最初から僕は「民族」というものは極めて曖昧な概念だと言ってる。
「トルコ人」という概念も同じ。帰属意識というものは得てして曖昧なんだから、
それによって定義される「民族」も曖昧になって当然。それに、僕はただ単に、
>>234で言われてるように先祖が必ずしもその民族とは限らないという点で、
ウズベキスタンとトルコ共和国は似ているねと言っただけ。話が飛んだ訳ではない。
カザフはモンゴルと共存しているほうだろう。
モンゴル国にもカザフ民族は住んでいて、公用語の一つとしてカザフ語が認められている。
トルコのキチガイ論者が、モンゴル民族をトルコ系認定をしたがるけど
現地では、そんなモンゴルに喧嘩を売るようなことはしていない。
正直トルコ共和国のトゥラン主義話なんかどうでもいいわ。
一種のカルトにちかくて嫌悪感しか感じない。
思い込みの強すぎる人って伝道者になってしまって
会話が成立しないからなあ・・・・
241 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2011/01/12(水) 22:01:28 0
>>239 実際カザフ人はモンゴル人に近いところがあると思う。まぁ、ただの印象論だけど。
モンゴル語とトルコ語は結構違いも大きいらしいし、モンゴル人もトルコ人もあまり、
同一民族とは思ってないんじゃないの?モンゴルをトルコ系というのは一部でしょ。
242 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2011/01/12(水) 22:07:06 0
>>240 大トルコ主義なんか現在のトルコ共和国ではあまり見られないけどね。
だいたいスターリンに作られた人工国家のカザフやウズベクにアイデンティティ求める方が無茶な話
強制移住させられたクリミア人だのカフカス系だのコリアンだの支配層だったロシア人だの中国から流れてきたドルガン人やらウイグル人等々・・・
中南米と同じでしょせんは作られた人工民族
244 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2011/01/13(木) 16:26:18 0
>>243 それは程度の大小の差はあれどどこも同じだね。「民族」意識なんてものは、
大半が近代になって政治的意図の下で作られたもの。むしろ全く人工じゃない、
「民族」のほうが少ないんじゃないの?「日本人」も含めて。
カザフ、それなりにアイデンティティあんじゃね?
反アブルハイル勢力として始まり、ジュンガル、ロシアの外圧かかりまくり。
外圧とくれば集団じゃからのう。むろん部族主義もバリバリだから
多段階なアイデンティティだけどそれも何時ものことさね
246 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2011/01/14(金) 05:30:29 0
>>245 まぁ、タジキスタンやウズベキスタンと違ってカザフスタンは、
一応、ロシア帝国の進出前に元となる国が存在したしね。
247 :
世界@名無史さん:2011/01/14(金) 05:55:04 0
2chって気に入らない民族にあれは人口民族とレッテルはるの多く見るな。
ギリシャ厨とトルコ厨の争いなんかかなり醜いだろ。
セルビアやクロアチア関連でのムスリムあるいはボニャック人は人口民族!わが民族の一部!だから問題ないも
酷いものがあった。
要するに思惑がいろいろと絡んでいるわけであの民族は実はこうだってのはたいてい利害のある周辺諸国がいろいろと
ネガって初なねらーが真に受けているパターンが多いな。
248 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2011/01/14(金) 06:03:12 0
>>247 完全に同意。「民族」のほとんどは近代になって帰属意識を作られた、
パターンだしね。まぁ、さっきも言ったように、前近代にだって全く「民族」という概念が、
存在しない訳ではないんだけど。そこら辺が余計に「民族」を曖昧にさせる。
>>239 ケレイトとかナイマンとかジャライルとかコンラドとか、モンゴルとカザフとどっちにもいる部族とかあるよ。
>>229 武士道にはノブリオブリージュなんて無いんだもん。
今までの特権はイザというときの貯蓄、これからも特権を享受するには危機に際して率先して血や財産を賭して戦う、
なんてものが無いんだもん。
建前と欲だけ。恩賞が出ないのは、欲が満たされず、名誉を汚された、というふうになる。
>>231 そもそも、自分ががどっちか判らないという人も多数いたろうに。
フェルガナの住民、タシケントの住民くらいなもので、ペルシャ語もトルキスタン語もどっちも同じくらい使う、親類縁者の人名も
トルキスタン風なものペルシャ風なものごちゃ混ぜ。
こういう人をも、むりやり、どっちかに分類した。
似たようなことは、時期の近い、たとえば、ハプスブルグ帝国解体のときにもあって、、ドイツ人かチェコ人か自分自身で判らない、
マジャール人かスロバキア人か判らない、スロベニア人かベネチア人か判らない、といった人が大勢いた、
252 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2011/01/14(金) 17:39:29 0
>>249 歴史的に多くの遊牧民は、モンゴルとカザフスタンの両方とも行き来してた、
訳だしね。実際、モンゴル国内(西部)にはカザフ人が結構な数存在してるね。
253 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2011/01/14(金) 17:40:44 0
>>251 トルコとギリシャでは住民交換の時にそういう人たちを宗教で無理やり区別したね。
宗教かなあ? 一応それも要素であるが、言語でも区別していたと思う。
イズミールやカッパドキアのギリシャ語話者のコミュニティなんか典型例じゃないか?
まあ、住民交換の実務書いた本などいっさいみてはいないからネットで拾い読みした
知識だけでいってるんだけれども。
>>251 帝国と近代以降に成立してきた国民国家の概念とは相容れない臣民も数多くいたからなー
国民国家に移行する段階でパーテーション区切ると範疇におさまらない人々は当然出てくる。
昔、2chにいたトルコ人留学生と思われるエリン氏なんかはかなりトルコに近い是非判断をしていて
あれはどうかとおもったけど、中の人的にはそういう風にみえたんだろうなあ。
256 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2011/01/14(金) 22:43:45 0
>>254 いや、無理やり「キリスト教徒はギリシャ人、イスラム教徒はトルコ人」としてたよ。
だから、「トルコ語を話すキリスト教徒」や「ギリシャ語を話すイスラム教徒」などが、
面倒くさい事態になってしまった。「民族」を客観的に区別する基準はないという証だね。
>>256 このサイトから引用まるごとパクったな
http://www.geocities.co.jp/SilkRoad-Lake/2917/middleeast/ismil.html ちなみに「ギリシャ人」と「トルコ人」を判断する基準は宗教とされ、ギリシャ正教徒はみんな「ギリシャ人」、
イスラム教徒はみんな「トルコ人」として扱われた。トルコ領内で「ギリシャ人」が多く住んでいたのは、
イズミール地方のほか黒海南岸とカッパドキア(キリスト教徒の地下都市遺跡で有名なところ)で、
イズミール地方のギリシャ正教徒はギリシャ語を話していたが、黒海南岸の住民が話すギリシャ語はギリシャ本土では全く通じず、カ
ッパドキアの住民はもっぱらトルコ語を話していた。しかし彼らもすべてギリシャ人とみなされ、先祖代々住みつづけていた土地から
追い出された。これらの地域では古代ギリシャ文明やビサンティン帝国時代の遺跡が観光スポットになっているが、そ
の横には数十年前のギリシャ人村の廃墟があったりする。
258 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2011/01/14(金) 23:01:32 0
>>257 いや、新井政美あたりの本だったと思う。というか、住民交換をするさいに、
宗教を基準にしたというのは、トルコ近代史の本なら大抵書いてあるよ。
そのサイトの存在は初めて知ったけど、適当にトルコ近代史やケマルを、
扱った資料を探してみたら?新井政美や永田雄三あたりを探せばあるよ。
そんなに厳密にできていたのかなー。
村丸ごと移転するからついていくとか、生活基盤があって離れられないから隠れキリシタンになったり
隠れ回教徒になったり、或いは、慌てて改宗したり、結構居たんではないの?
260 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2011/01/16(日) 13:49:10 0
>>259 まぁ、そういうのがいたかも知れないけど、どれくらい存在したかは分からないね。
当時の両国はどちらも戦争直後で混乱期だった訳だし、あまり厳密には出来なかったかもね。
ウィキペディアにあるカルムイク共和国ページの文章が面白すぎる件
262 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2011/01/16(日) 20:21:25 0
>>262 大統領の記事を読めばわかる
(でも某島国では、宇宙人が総売り大臣にっているし、アリといえばアリなのかなぁ)
264 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2011/01/16(日) 20:30:16 0
国章もかっこええ
266 :
世界@名無史さん:2011/01/17(月) 11:21:09 0
カルムイクの人は今でも仏教を信じているのかな
レーニンはわりと仏教の空の思想を高く評価していて、
仏像とかを収集していたそうだが、
267 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2011/01/17(月) 17:26:33 0
>>266 信じてるんじゃないの?チベット仏教だから普通の仏教とは少し違うだろうけど。
顕教部分のチベット仏教は、普通の仏教だよ。
シェルパやシッキムの仏教は埋蔵経典によって、禅宗みたいになっている。
カルムイクは、宗喀巴(羅桑札巴)の中論によっていて、中観思想だ。
欧米で布教されているニュー・カダンパ・トラディションではないよ。
269 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2011/01/18(火) 06:30:12 0
>>268 なるほど、ありがとう。カルムイクのチベット仏教は中観思想なのね。
仏教に詳しくないから正確に理解したか怪しいけど、いわゆるニュー・
カダンパ・トラディションではないということは分かったよ。
>>267 普通の仏教ってナニよ?
阿育王の結集からしばらくすると宗派教派は分かれまくりだが。
271 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2011/01/18(火) 16:39:56 0
>>270 う〜ん、確かに「普通の仏教」って言い方は色々問題だったかも知れない。
「日本人が一般的にイメージする仏教」と言い換えるよ。まぁ、日本の仏教も、
他の国の仏教とは結構違ってたりするんだけどね。
山野あたりが出現するとうざいが、はっきりいって日本の仏教の大半は葬儀屋と繋がって政治家と連動して
脱税や女遊びばかりしている破戒僧ばっかりのイメージがあるんだけどね。
他の国はどうだかしらんが、日本はもういろいろと宗教界おわっているんじゃねえの。
>>270 大乗仏教か小乗仏教かでまるきり違うし
大乗仏教は釈迦の教え(とされるもの)とはまるきり別物で、「他の宇宙の仏にすがって極楽浄土へ」とか言ってる時点で、もはや仏教ですら無いとも言えるよな。本人たちが仏門だと言い張ってるだけで。
キリスト教も原始キリスト教とは別ものになってるしな
マリアの像作った時点で偶像崇拝しちゃってるし
プロテスタントも質素とはいえ会堂つくっちゃってるので
>>274 定義するのは難しい
とりあえず大乗も認めるとして、信者をどれくらい獲得してるかで考えた方がいいか
そうなると草加も普通の仏教のうちか
>>275 あんたの定義での「普通の仏教」ってナニよ?
ちみなにチベット仏教は大乗だが。
横からですが
それぞれの国・地域で長期間続いていて、多数の信者があり、
原型から大きく変わっていない宗派かな。
まあ、国によりいろいろ。
分別点は、ヴァジラヤーナ(金剛乗)をどう扱うか否かだろうな。
経典同士に矛盾があるので教相判釈によって
宗派の教義を作り上げるが、金剛乗仏教を封印していることが多い。
特に15世紀以降は、後期密教の教相判釈が進み、現状では否定に近い。
オウム真理教は、金剛乗仏教を肯定して教義としていた。
>>282 キミの定義をきかせたまえ
エラそうに言う前にな
定義を云々するからには、それなりの定義とやらを持ってるんだろう?
普通、さー、近代以降の考え方ならは、宗門やら信仰やらに普通も何も無いわな。
ギッミーラーヤ以前のフルリ人やカシュカも遊牧民なの?
騎馬ではない徒歩の遊牧民、あるいは半農半牧&商業の民か。
フルリ人はミタンニ時代からチャリオットは使ったが、馬に直接またがってはいない。
アーリア人もケルト人も周の貴族もチャリオット乗りで、騎馬遊牧民ではない。
「騎馬」「騎射」という高等技術が確立し、部族単位で遊牧や戦闘に活用する、
いわゆる騎馬遊牧民が誕生したのは、南シベリアを起源とするスキタイからのようだ。
キンメリオイがスキタイ以前から騎馬遊牧をやっていたかどうかは定かでない。
前4000年に黒海北岸で馬の飼育と騎馬遊牧が始まった、という説はかなり怪しい。
遊牧民がほぼ絶滅してしまい
古代から続いた遊牧民と農耕民族の対立が終焉
近代からは大陸国家と海洋国家の時代になった
288 :
世界@名無史さん:2011/01/30(日) 10:45:56 0
急にはやめられないので、牧畜民になっておるよ。
ウランバートルのあたりでは、牧草地の確保の努力をしていて
砂漠化防止の総量規制までやっいる。
定住化すると、方言ではなくハルハ標準語を使わざるを得ないので
職にあぶれて、マンホール暮らしになりかねない。
遊牧カザフ人はロシア語も操って、ロシア人を手玉にとるようになるであろう。
290 :
世界@名無史さん:2011/01/31(月) 15:48:53 0
在日朝鮮人は、大阪を乗っ取って高麗人民共和国を建設するようになるであろう。
291 :
世界@名無史さん:2011/01/31(月) 22:50:41 0
最初の遊牧民はアーリア系か。
みたいだね。
8000年前のクルド地域が遊牧発祥らしく、イラン系という説がある。
素人だけど、文字すら無い時代になんでイラン系と検討がつくの?
素人なりに考えると、墳墓や社会形態から検討つけているの?
牧畜民族のアーリア系を騎馬民族のスキタイ系がステップからどつき回して
スキタイ系に蹴散らされたアーリア系民族がギリシャやインドを征服した
騎馬のスキタイに牧畜のアーリア人は歯が立たなかったらしいが、
それでも定住民のギリシャやインド相手には圧倒的に強力だった。
アーリア系の遊牧民諸族がインド・イラン方面へ南下を始めるのは4000〜3500年前で、
3000年前以後に形成されたっぽい騎馬遊牧民よりはるかに古いが。
メディア人やペルシア人はスキタイの一派を取り込んで騎馬戦闘を行えるようになった。
デレイフカ遺跡の年代測定に誤りが無ければ騎馬は5000〜6000年以上前に成立してる。
素人なりの妄想だが、スキタイをおいはらったフィリップス大王がアレクサンダーの代でペルシャ破った後、インドを目指した理由って
>>294みたいな理由での世界観が彼にできていて征服したろうかと思ったんだろうかね。
遺跡の年代測定法って炭素がどうやらこうやらって奴なの?研究者じゃないのでよく知らんが。
その「デレイフカ遺跡で騎馬遊牧民が誕生した」説に誤りがあるんだよ。
年代測定は6000年前頃で馬の骨は出たが、集落としては規模が小さく、数家族しか住んだ形跡がない。
出土した馬の年齢は5歳以上8歳未満が半数で、しかも牡馬が9割という偏りがある。
馬を群れで飼うには種牡馬を中心にハーレムを作る必要があるので、牝馬の方が多くなくては家畜化の証拠にならない。
それも騎乗用馬や車の牽引馬にするには、最も体力のある5〜8歳で死ぬのは早すぎ、せめて15歳頃まで使役しないともったいなくて殺せない。
食肉用に飼育するなら2〜3歳の若馬で大きさも充分になり、肉質ももっとも柔らかいのだが、5〜8歳では成長しすぎてやや肉が硬い。
おそらく季節的にやってくる野生馬の群れを数家族の狩人が待ち伏せて襲い、牝馬を逃がして狩人に立ち向かったハーレムの中心牡馬ばかりが殺されたのだろう。
また、出土した馬の歯には「銜(はみ)」を使った跡のような磨耗痕があり、一緒に見つかった鹿の角に穴を開けたものが「銜留め具である」ともいうが、
銜そのものは見つかっていない。縄を銜がわりにしたとしても、「銜留め具」とやらの穴が縄を通すにも小さすぎるうえに一つしかない。
どうも印欧語族の起源に関わるクルガン仮説のために年代を合わせたい研究者の捏造らしい。
>>293 戦争をしたときの相手方の記録した集団名や有力者の人名等から推測。
けどあんまりアテにならん。
スキタイもイラン系だけど、アーリア系とは言わないの?
302 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2011/03/16(水) 08:33:05.54 0
>>301 アーリア人がインドやイランに移動し始めた時期はスキタイ人が歴史上の記録に、
現れ始めた時期よりも古いからね。まぁ同時代の人で
>>294のように考えた人は、
いたかも知れないけど。スキタイ人が移動せずに残ったアーリア人の子孫という、
可能性もなくはないのかな。スキタイの起源は結構なぞだからね。
アーリア人(笑)云云という不毛な突っ込み禁止
何故スキタイと言う名前を見るとモンゴル系が思い浮かぶんだろ
305 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2011/03/17(木) 19:28:20.06 0
>>304 単に「遊牧民=モンゴル系」というイメージが染み付いてるだけじゃないかな。
スキタイはヘロドトスとかに記述されてるかせいか僕自身はイラン系のほうが、
イメージ的にぴったりだと思うけど。まぁ、あくまで個人の主観の問題だけど。
ギリシャの北あたり、っていうイメージが
307 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2011/03/17(木) 20:11:14.24 0
>>306 なるほど、スキタイのいた地域には現在モンゴル系がいくつか、
いるからね。まぁ、スキタイのいた時期とは全然時代が違うけど。
308 :
世界@名無史さん:2011/03/25(金) 17:10:29.92 0
309 :
世界@名無史さん:2011/03/25(金) 17:25:01.35 0
310 :
世界@名無史さん:2011/03/27(日) 04:35:20.26 0
『乙嫁語り』(おとよめがたり)
乙嫁語りは19世紀だそうだが、あの頃の中央アジアって
丁度ロシアが本格的に侵攻してくる時代だから
描き方によっては相当血腥くもできるんだろうな。
トルクメンのヨムート部族なんかはコサックに
女子供に至るまで虐殺されてる。
312 :
世界@名無史さん:2011/03/29(火) 09:18:40.17 0
トルクメンの嫁=イランから略奪してきた女が多かった
乙嫁語りは、綺麗な民族衣装を着て、豪華な住宅を家に敷き詰めているが、
本当にあんな生活をしていたのかな。
実際には、汚れてドロドロの服だったんだろうか。
× 住宅→○ 絨毯
315 :
世界@名無史さん:2011/03/29(火) 20:04:05.74 0
現在写真で見られるような、女性の綺麗な民族衣装は婚礼の時だけでしょ?
316 :
世界@名無史さん:2011/03/29(火) 20:05:30.43 0
いちおう嫁入り先は定住民の跡取り息子(末子相続で)
婿は12、嫁は20
あの辺だと遊牧民で縄張り争いに勝つ武力も家畜もない連中は
本当に悲惨な暮らしをしてたらしい
>>313 遊牧系つながりで、麗江ナシ族のように泥だらけなんじゃね?
着脱式のエプロンや前掛けに装飾がついている形式にしてある。
319 :
世界@名無史さん:2011/04/01(金) 01:06:01.39 0
遊牧民廃業したら、何の技能もなき悲しさ
傭兵だけ
つ狩猟
321 :
世界@名無史さん:2011/04/03(日) 11:14:40.08 0
ローマ帝国にも壊滅的打撃を与えヨーロッパで圧倒的な軍事力を誇っていた
ゴード族とアラン族、しかし、突然現れた遥か東から遠征してきた
見たこと無い未知の軍団によって簡単に滅ぼされた。
その名はフン族
何でウクライナ・カザフスタンあたりの遊牧民は
東から新たな遊牧民の波が来るとたいてい撃退できずに
吸収されたりハンガリーやバルカン半島に追い出されたりするの?
その東から来た連中もモンゴルあたりから追い出された
負け組だったりするし
323 :
世界@名無史さん:2011/04/04(月) 01:40:55.62 0
太陽は東から昇るから。
太陽を背にした側の方が、西の人間の目にとっては逆行となって不利だから。
324 :
世界@名無史さん:2011/04/04(月) 01:41:50.11 0
訂正
太陽は東から昇るから。
太陽を背にした側の方が闘う際に有利で、西の人間の目にとっては逆行となって不利だから。
325 :
世界@名無史さん:2011/04/04(月) 01:42:42.59 0
再訂正
太陽は東から昇るから。
太陽を背にした側の方が闘う際に有利で、
西の人間の目にとっては逆光となって不利だから。
北ユーラシア遊牧民の原産地は東で
西に来る過程で多くの遊牧民を吸収して大きくなってるのが普通だからじゃないか?
327 :
世界@名無史さん:2011/04/04(月) 03:48:52.67 0
西⇒東という事例は
アラブ人⇒中央アジア
ユーラシア大陸の幅が東のほうが広いっつうのと関係あるかな?
例えばトクタミシュ汗が再統一した時点のキプチャク汗国と
同時代のオイラト・北元あたりが戦ってもやはりモンゴル側が勝つのか?
330 :
世界@名無史さん:2011/04/05(火) 01:51:23.60 0
モンゴルの強さは朝青竜をみればわかる。
モンゴルは相撲が大人気で相撲層の人口が厚い
それに比べ、日本はサッカー、野球、柔道など多種目のスポーツが在る為
相撲層の人口は少なく朝青竜みたいな強い相撲取りが出てこない。
>>250 武士はもともと労働者だからね。
貴族じゃないもの。貴族のしない汚れ仕事をする階級。
かつかつだもの。会社くるしいからずーっと給料無しで働いてって言われても
無理でしょ
国にお金ないからタダでドカチンしろって言われても出来ないでしょ
江戸時代の武士も高楊枝くわえて傘張り内職してたし、
将軍家や大名家だって外国の王侯貴族ほどに豪華な暮らしはしてないしなあ
334 :
世界@名無史さん:2011/04/07(木) 08:56:17.56 0
最後の遊牧帝国はアフガン人のドゥラニー朝 インド・ペルシャまで一時支配したものの行政能力が無かったのですぐに撤退した。
335 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2011/04/07(木) 09:28:07.95 0
>>334 杉山正明氏がそんなこと言ってたね。これ以降は、
もはや遊牧民が積極的に征服活動できなくったしね。
18世紀にペルシアを統一したナーディル・シャーもキジルバシのアフシャール族出身だが
勝利の決め手は鉄砲隊(ジェザイルチ)の運用だったらしいな・・・
337 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2011/04/07(木) 20:41:05.64 0
>>336 イランの王朝は歴史的に遊牧民出身が多いね。アフシャール朝の後に、
イランを統一するカージャール朝も遊牧民出身だし。この時代になると、
もはや遊牧民の軍事的優位は消え去ってるけど。だから、ナーディルの、
勝利の決め手も鉄砲隊(ジェザイルチ)だったんだろうし。
騎馬遊牧民に鉄砲を装備させれば強いんじゃね?機動力的にも
コサックですな
20世紀の中国内蒙古騎兵旅団(西北野戦軍→第1野戦軍)が最強だったろう。
鉄砲装備の上に、無線が使え、航空機からの物資投下を的確にやって補給を受けた。
対する馬家軍には航空機がなかったようだ。
341 :
世界@名無史さん:2011/04/07(木) 21:02:26.69 0
東に逝けば行くほど敵の軍隊が強くなってくる
アレキサンダーがアジアを落とせなかったのもそれ
モンゴルも西に勝てても東は苦戦し完全に落とせなかった。
342 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2011/04/07(木) 21:07:22.34 0
>>341 モンゴル帝国って西のアッバース朝やロシアは割りと簡単に、
征服できたのに東の南宋は征服するの手間取ってたからね。
南宋だって衰退期に入ってたはずなのに。確かに東のほうが苦戦してる。
おそらく都市の城壁の材質が大きな原因だろうね。
華北からイランやイラクは版築や日干し煉瓦、ロシア東欧は木、
華南や西欧、地中海沿岸は石や焼き煉瓦で城壁が作られていた。
モンゴル軍に対して、日干し煉瓦や木の城壁は全く無力だった。
後に明王朝は焼き煉瓦による城壁建設に邁進する事となった。
344 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2011/04/07(木) 22:20:38.87 0
>>343 なるほど。華南の南宋は焼き煉瓦だったから、
モンゴルも征服するのに手間取ったのかな。
高麗もけっこう手間取っていたな。
山だらけで人口がかなり多い相手は相性が悪いのかな?
あと石はよく使う。
346 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2011/04/07(木) 22:35:11.72 0
>>345 モンゴルは高麗を完全征服しないであくまで属国の地位に留めてたしね。
朝鮮半島も雨量に恵まれた土地だから、日干し煉瓦建築が困難な土地だね。
アレキサンダーは中央アジアとインドまで行って引き返したが、
騎馬遊牧民の軍でもないのに出発点から遠ざかりすぎて疲労の極にあったし、
旧アケメネス朝の支配もパミールやインダスの彼方までは及ばなかったから、無理して進む理由もなかった
ローマは西のイタリアを拠点としてギリシャやオリエントを征服したが、
それ以上アジアの奥地へ進んでも維持防衛が難しいので、パルティアを温存して防壁にしている
モンゴルの東というと華北と満洲の金(女真)、江南の南宋、それに高麗と日本だが、
最後まで征服できなかったのは海の向こうの日本だけで、南宋や高麗も島に逃げ込み海を防壁として抵抗している
高原地帯のチベットや雲南はわりと楽に攻略できたが、南宋・東南アジアは暑熱と湿気と密林のため遊牧民には向かない
草原と沙漠が延々と続く内陸ユーラシアはどこまでも遊牧民の天下で、
モンゴルの進撃を食い止めたシリア・エジプト・北インドにはモンゴルと同類のマムルーク政権がいた
版築や日干し煉瓦は、やはり風雨で劣化するので、
こまめに修築し続けなければならないとされる。
アッバース朝初期に建設されたされるバグダッドの円城も、
フラグの遠征時には、すでに風化して跡形もなかったとされる。
350 :
世界@名無史さん:2011/04/08(金) 00:52:13.13 0
東方見聞録にはモンゴル軍が日本に住みついたと書いてある。
>340 1930年代は馬家軍のほうが人民抑圧軍より強かったのだがな
>>336-337 トルコ歴代16大帝国は他のスレで結構出てきたけど
アゼルバイジャンじゃさらにアフシャール朝とカジャール朝まで加えて
トルコ系18大帝国とかウィキペディアで書いてるのな
あの国の連中の自民族認定国家はやたらと広い
353 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2011/04/08(金) 12:49:57.91 0
>>352 アゼルバイジャンは確かサファヴィー朝も、
トルコ系国家として扱ってたと思う。まぁ、
クズルバシュの力が強い国だったから、
あながち間違いとも言えないんだけどね。
古代のスキタイ人や、昔はヒッタイト人もトルコ系と言っているそうな
>>353 すまんアフシャール朝じゃなくってサファヴィー朝だった
サファヴィー朝をアゼルバイジャンがトルコ系認定してるのは仰るとおり
始祖のイスマイール1世の親族にテュルク系がいるからなんだよ
あとトルクマーン系の軍事力を中心に上がってきたって言うのも有ったからな
>>354 スキタイは今ではイラン系とほぼ言われてるけど右寄りトルコ歴史学者はこれもテュルク系に入れてんのな
You Tubeの自国歴史宣伝動画でもスキタイを入れたりしてる動画有ったりするし
今じゃ削除されたけど一時期トルコ語やアゼルバイジャン語のウィキペディアでは
中国の古代周王朝まで自民族認定しててやりすぎだろこれって大笑いした事有った
356 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2011/04/08(金) 13:32:28.31 0
>>354 流石にそこまで行くと無理がありすぎだね。スキタイは遊牧民だから、
まだ何とか分からなくもないけど、ヒッタイトはどう考えても違うからね。
まぁ現在のアナトリアのトルコ人に古代ヒッタイトの血が入ってるのは確かだろうけど。
357 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2011/04/08(金) 13:37:37.82 0
>>355 イスマーイール1世ってトルコ系の血が入ってるのか。まぁ、あの地域じゃ、
そんなに珍しいことでもないけど。それ以上に、サファヴィー軍の中心が、
トルコ系のクズルバシュだったということのほうが根拠としては強いかな。
359 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2011/04/08(金) 16:46:42.85 0
>>358 まぁ、そこら辺は匈奴がトルコ系かどうかという議論と同じかな。
はっきりとトルコ系だと分かる最古の国は突厥になるのかな?
>>358 紀元前14世紀頃の竜山丁公陶書を、チベットビルマ系とするかチュルク系であるか
東アジアの歴史学者間でも、意見が二分するところ。
チベットビルマ系言語も北部では4世紀頃まで、膠着語要素が多く残っており
タイ系やミャオ系の言語と接して、孤立語になったという。
甲骨文字の時代になると、孤立語化が進む。
362 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2011/04/08(金) 19:16:15.95 0
>>361 そうか考えてみれば丁零のほうが先か。すっかり忘れてたよ。
丁零の末裔が今のサハ=ヤクートだって説も有るらしいんだけどその辺どうなんだろう
364 :
世界@名無史さん:2011/04/10(日) 16:04:03.96 0
>>363 ウイグルにもその一部へ混入していると思う。
365 :
世界@名無史さん:2011/04/10(日) 23:14:14.86 0
タタールが日本に来てタタラ製鉄業者になったの?
五代十国の頃には、韃靼と呼ばれていたというのがいまのタタール
タタールの年代が新しいすぎね?
367 :
世界@名無史さん:2011/04/11(月) 21:57:43.62 0
トルコ人は元来は新モンゴロイド
368 :
世界@名無史さん:2011/04/15(金) 03:04:56.99 0
アメリカ大陸に遊牧民はいただろうか
369 :
世界@名無史さん:2011/04/15(金) 04:39:40.84 0
家畜がいなかった。
白人が来てから発生。人口の多い農村を白人が潰滅させたので、野生化牛を狩る狩猟民に。
370 :
世界@名無史さん:2011/04/15(金) 12:27:19.07 O
一応、家畜はいたけど、馬が絶滅してたからな
白人が馬に乗って現われた時には、アメリカ先住民たちはもう馬の記憶はなかったのかな?
372 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2011/04/15(金) 16:48:50.56 0
>>371 アメリカ大陸で馬が絶滅したのって1万年以上も前だったと思うから、
スペイン征服の頃にはそんな記憶はないでしょ。確かインカ帝国が、
征服される時、馬に乗ったスペイン人を1つの生物だと思ったらしいし。
元々馬がいなかったのにしまいには騎射までこなすようになった
平原インディアン恐るべし
374 :
世界@名無史さん:2011/04/16(土) 14:06:49.86 0
アステカ人とかメキシコに到着する前は遊牧っぽい
トルコ系をモンゴル系とまとめてに「アジア系」と言うのは違和感がある。
マジャール人もアジア系とは言え、モンゴロイドではなくコーカソイドだろ?
ブルガリア人ってダキア人も入ってるんだろ?
数的にスラブの方が上回ったとは言うものの、
ブルガール人+スラブ人+オスマン人だからトルコ系もかなり強いな
ブルガリア人ってトルコっぽい顔もいるし、色が茶色っぽくて濃い顔、茶色っぽくて若干アジアの風味がある顔とかいるしよくわからない。
普通のネットに人たちなんで、ロマでは無いし
377 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2011/04/16(土) 14:39:51.65 0
>>376 ダキア人っていうかトラキア人かな。まぁ、両者は同族らしいけど、
そこら辺はあまり良く知らないや。そもそもブルガール人も大きな、
意味ではトルコ系に入る上に、オスマン帝国時代に来たトルコ系も、
いるからね。言語は完全にスラヴ系になってるけど確実に他の血も、
混じってるだろうね。バルカンやアナトリアはどこもそんな感じだしね。
あぁトラキア人でしたね。
やっぱダキア人と同じ系統なのかな? まずどういう系統なのかわからないけど…
キリル文字はブルガリア人が発明したらしいけどね。
379 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2011/04/16(土) 15:04:46.20 0
>>378 僕も古代はさっぱりなので自信ないけど、確か同じ系統だったと思う。
それと、キリル文字(というか、その元となるグラゴル文字)を発明した、
キュリロスとメトディオスってブルガリア系だったんだっけ?確か母が、
スラヴ系だったというのは聞いたことあるけど、ブルガリア系なのかな。
今、手元に史料がないから何とも言えないけど、少なくとも生まれは、
テッサロニキだったはず。僕はビザンツ人と言った方が近い気がする。
ギリシャ語話してたからキュリロスはギリシャ人でいいよ
381 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2011/04/16(土) 15:20:47.00 0
>>380 そうだね。たとえブルガリア系の血が混じってたとしても、
生まれも育ちもビザンツ帝国だからね。ただそれ以前に、
この兄弟がブルガリアの血を引いてるのかどうかという、
時点で疑問なんだけど。スラヴ系とは聞いた気がするけど。
382 :
世界@名無史さん:2011/04/16(土) 18:10:07.14 0
イリュリア人語とトラキア語はサテム語族らしい。
とするとダキア語もそうか。
遺伝子的にもR1aが多いからサテムの方がしっくりとはくるが。
彼らはロシア南部から侵入したのだろうね。
ハザールが面白いね。ユダヤ教っていうあたりが
384 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2011/04/16(土) 19:50:49.39 0
>>383 イスラーム帝国とビザンツ帝国に囲まれてたからね。彼らが、
ユダヤ教に改宗したせいで後世にユダヤ人の起源を巡って、
論争が起きてしまった。最近は否定説のほうが有力なのかな。
まぁ、僕はあまりその論争の詳しい経緯は知らないんだけど。
ハザールは王族が西突厥の傍流なんだっけ
だから一応西突厥の後継とも言えたんじゃ
ハザールの伝説的始祖のイルビスって西突厥の可汗トン=ヤブグの事だし
ハザールの可汗ってイルビス=トン・ヤブグの後継だとか
>>385 それ、初めて聞いたな
ヘラクレイオス1世がまさにクテシフォンを攻めようとしている時に
統葉護可汗が死んで、その混乱でハザール騎兵が戦線離脱したのは知っているが
>>381 キュリロスの生まれたマケドニアはスラブ人が多く住んでいたため
スラブ人地域との境目でもあったため、スラブ語にも詳しかっただろうが
ブルガリアの血は引いていない
父親は東ローマの海軍士官で母語がギリシャ語であるから
母親がスラブ人であったとしても、ローマ人=ギリシャ人でいい
ちなみにブルガリアよりも最初の赴任地であるスロバキアのほうが評価が高いようだ
>>386 まずミスを
イルビスはトン=ヤブグじゃなくてトン=ヤブグの息子だったな
トン=ヤブグは別名をジエベルだった
んでまず例えばなんだけど
ttp://www.jinruisi.net/bbs/bbs.php?i=200&c=400&m=216602 の一番したのユダヤってのの
まぁユダヤ人の主流なんちゃらとかってのはトンでもだからそこは飛ばすとしても
西突厥の可汗のトン=ヤブグが死んだ後に西突厥内で激しい騒乱が起こって可汗が乱立する状態になった時に
トン=ヤブグの息子でシェグイ(中国の記述で肆葉護か?)の弟のイルビスは
更に西方に向かい勢力を集めそこで半ば自立する様に可汗になった
って言うのは当時の西突厥混乱期を考えると確かにありえるかもしれない
ウィキペディアで申し訳ないんだけど英語版のハザールの支配者達ってのの項目ね
http://en.wikipedia.org/wiki/List_of_Khazar_rulers ここの618-650の項目なんだけどここのZiebelってのがつまりトン=ヤブグの別名或いはハザール可汗の異名なんだと
その後 ブリ=シャド と続いてイルビスがいるんだけどこのブリ=シャドも
実は西突厥の並立可汗らしいのか英語版の西突厥の可汗表に載ってるんだよな
この辺は日本語よりも英語やトルコ語の方が色々詳しく書いてるみたいなんだけど
自分は日本語以外はあんまりちゃんと読めないのでところどころ色々間違いも有るかもですまん
ただ要約としてはトン=ヤブグの死後に西突厥自体の勢力が更に分裂して
多数の可汗の並立状態になった時にイルビスが更にカスピ海より西のコーカサス辺りを勢力としてそこで可汗となった
と言う感じみたいだな
今ブリ=シャド見てたらブリ=シャドは沙鉢羅咥利失可汗の弟で兄が敗れて落ち延びた先の人間みたいね
つかこの辺りの遊牧民の人間関係ってひっくり返りまくりで統一感が無いから
何度読んでも分かり辛い…
誰かそろそろヘブライ人の人種を教えてくれ
そして今のイスラエル人はどうなのか
391 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2011/04/17(日) 08:26:34.93 0
>>387 なるほど、ありがとう。やはりこの兄弟がブルガリア人という事はないのか。
>>390 ユダヤスレで訊いたら?ここは遊牧民に関するスレだし。
392 :
世界@名無史さん:2011/04/17(日) 09:18:15.05 0
>>390 アシュケナジムとセファルディムで異なる。
昔の分類だと、アシュケナジムはアナトリア人種、
セファルディムは南東人種。
「ユダヤ鼻」はアシュケナジムの特徴だが、
クルド人やアルメニア人にもよく見られる。
そいえばアフリカの遊牧民はwikipediaによればトゥアレグが520万人、
フラニ(フルベ)が2700万人と中々の大人口やな
394 :
世界@名無史さん:2011/04/18(月) 20:23:31.99 0
トゥアレグはベルベル人と黒人との混血。
フラニもコーカソイドネグロイド双方の特色があるんだっけ
そいえば地図帳に乗ってたジルケアトラスの人種分布図では
アフリカ北部と南部の間にコーカソイドネグロイド混血、
カザフスタンとかウイグル自治区とか中央アジアの広範囲に
コーカソイドモンゴロイド混血と描かれてました。
間に居って動き回ればそりゃ混血するだろなあ
それにしても「ジルケアトラス」だけ覚えてる状態で検索して
「Diercke Weltatlas」に行き着くのは一寸手間かかるのう
396 :
世界@名無史さん:2011/04/19(火) 06:16:57.50 0
>>395 その混血の成因を調べていくと歴史が見えてくるよ。
397 :
世界@名無史さん:2011/04/19(火) 21:20:48.15 0
フラニはもともとサハラ砂漠の遊牧民(ベルベル系?)が南下して地元言語に取り替えたという説。
トゥアレグも本拠地の内陸北アフリカでは完全にベルベル人だろう。
黒人との混血は南に張り出した辺境民だ。
400 :
世界@名無史さん:2011/04/29(金) 12:45:53.02 0
ロマはインドアフガン人種かドラビダ人種。
ロマは、人種的にはコーカソイドとモンゴロイドの混血で、蒙古斑が出る子供もいる。
ドラヴィダ人は肌が黒い地中海人種で、太古にイラクあたりから移動してきたらしい。
402 :
世界@名無史さん:2011/04/30(土) 08:23:05.79 0
ドラヴィダ人にもR1aが2〜3割は混じっている。
これは彼ら本来のものなのか、アーリア人との混血によるものなのか。
究明はまだこれからです。
蒙古斑ならばスラブ系民族にもでる。
胎内での位置取りで決まるので遺伝ではないかもしれぬ。
モンゴロイドであるはずのクメール人やマレー人にはでない。
今のスラブ系はモンゴル人の血が流れているの多いからね。
405 :
世界@名無史さん:2011/04/30(土) 18:18:53.30 0
>>404 ロシア人のモンゴロイドの遺伝子の大半はフィンランド人の血統。
トルコ・モンゴル系は意外と少ない。
406 :
世界@名無史さん:2011/04/30(土) 19:16:29.56 0
なぁ、いつ元フィンランド人がロシア語を話すようになったん?
ジョチ・ウルスの連中が、ルーシになってロシア語を話すようになった記録はあるけど
フィンランド人は、スウェーデンやロシアの支配を受けても、フィン語を捨てた記録ないだろ。
有史時代にそんなことは起きていない。
フィンランドやサーミに対する物凄い冒涜だと思いませんか?
植民地時代に、スウェーデン語やロシア語に転向したやつらは、裏切り者なんだぞ。
407 :
世界@名無史さん:2011/04/30(土) 20:56:07.17 0
>>406 Y遺伝子のN1C1だ。
フィンランド人・バルト三国人・北部ロシア人の基層遺伝子のひとつ。
東南アジアで誕生し、モンゴル高原から西進して、
今から1万年ぐらい前にバルト海東岸に辿り着いた。
言語的にはフィンウゴール系。
ちなみにロシア北西部の地名の起源はフィンウゴル語族のものが多い。
ロシア北西部のロシア人はフィンウゴル系の原住民を同化して成立したもの。
そこまでは知っていたが、まさかバルト語族までフィンウゴル系を同化して成立したのを知ったのは最近。
遺伝子の勉強もやっていただきたい。
スレチ スレチ 人類学だろ?
有史以前の話を混入するんじゃねぇやww
> フィンランド人は、スウェーデンやロシアの支配を受けても、フィン語を捨てた記録ないだろ。
> 植民地時代に、スウェーデン語やロシア語に転向したやつらは、裏切り者なんだぞ。
何この矛盾
裏切り者は、歴史記録から抹殺されるのだ・・・
>>405 使っている用語が不適切なんじゃろね?
歴史学上のフィンランド人と人類学上のフィンウゴル系は、
包含関係はあるようだが、一緒ではない。
412 :
世界@名無史さん:2011/04/30(土) 21:16:00.73 0
>>411 それはそうかもしれない。
安易に書き込みすぎた。
ロシアというかモスクワあたりは、ベラルーシやウクライナに比べるとスラヴ系比率がもともと低そうだ
414 :
世界@名無史さん:2011/05/01(日) 08:40:31.95 0
ロシア人のY遺伝子の多様性はびっくりものだ。
415 :
世界@名無史さん:2011/05/01(日) 11:16:13.24 0
>>414 そりゃ指導者を見たってすごいことになっているじゃないか
ロマノフ王朝なんか
母方をたどればジンギスカンに連なり
最後の頃は半分ドイツ人になっていたのだから
その後のソ連時代になれば
レーニンなんかロシア人の血は流れていないし
スターリンはグルジア人
その他、いろいろな民族が多数登用されているだろう?
416 :
世界@名無史さん:2011/05/01(日) 12:40:22.29 0
エカテリーナ2世以降って、半分どころかほとんどドイツ人化してるよな。
ロシア革命で市民からの共感を得られず最終的に処刑に結び付いた原因の一つ
418 :
世界@名無史さん:2011/05/04(水) 18:12:09.24 0
ロシア人というのはコーカソイドではあるが、様々な遺伝子が混じり合っている。
ロシアが自国の象徴みたいにしてるヴォルガの上流域は
歴史的にもモンゴル以前からテュルク系のテリトリーだったみたいね
ポロヴェツとルーシは仲良かったから交雑もしてるだろう
420 :
世界@名無史さん:2011/05/05(木) 10:28:35.34 0
モンゴロイドからコーカソイドに脱皮したのが遺伝子N1C1のみなさん。
どこら辺でブロンド白色化したのだろうか。
日本人と白人のハーフ見てると、たいていは白人系の形質が顕著に出るから、
孫の代以降も代々、白人と結婚重ねていったら、2、3代で白人化するんじゃないの?
422 :
世界@名無史さん:2011/05/05(木) 12:53:50.05 0
>>421 金髪・碧眼は劣性だから、混血でもそう簡単にはあそこまで白くはならないよ。
フィン人の50%以上がN1C1の保有者だから、N遺伝子の変化があつたのだろうね。
>>421 形質支配力が強いのは新モンゴロイド種だよ。東アジア全域を支配下に置くのも時間の問題。50対50で白と黄をDNA隔離し中で交配させれば形質は時間が経てばほぼ黄だろ。
424 :
世界@名無史さん:2011/05/05(木) 13:28:37.28 0
でも、岡田真澄とか草刈正雄とかウエンツとか梅宮アンナとか、
白人の形質の方が目立ってるけど。
金髪ではないけどね。
金髪碧眼は劣性だけど高い鼻とかは優性じゃなかったっけ
つまり褐色のコーカソイド顔に
426 :
世界@名無史さん:2011/05/05(木) 17:57:43.09 0
鼻は狭鼻が優性だけど、
これはコーカソイドだけでなくオーストラロイドもそうだからね。
人類がかなり初期に獲得した形質なんじゃないかな。
>>423 何のソースを見たのか分からないが、結論から言えば違う。
調べてみれば分かるが新モンゴロイド種の形質は殆どが劣性。
(まぶた、直毛、耳垢の湿気等)
コーカソイドの形質は殆どが優性で、
薄い色素に関するもののみが後発であるため劣性。
428 :
世界@名無史さん:2011/05/05(木) 23:35:53.21 0
劣性形質が東アジアでこれだけ繁殖するかよw
日本のボンクラ学者は縄文、弥生にすり替えてるがな。
ところが中央アジアの死の砂漠と
ヒマラヤの絶壁により他人種から隔離されたため、
その劣性形質が大繁殖したんだなこれが。
劣性であるO型や乾燥耳垢は多いし、減りもしない。
劣性だから減るとは限らない。大規模な混血があれば
発現の可能性は減るけど。
431 :
世界@名無史さん:2011/05/06(金) 21:32:16.37 0
コーカソイドを色黒にするとオーストラロイドと大差ない。
432 :
世界@名無史さん:2011/05/13(金) 18:57:30.76 0
433 :
世界@名無史さん:2011/05/16(月) 13:33:25.09 O
コーカソイドはネアンデルタール人とフン族の混血で産まれた。
オバマさんは、父が黒人、母が金髪色目のスウェーデン人。
434 :
世界@名無史さん:2011/05/16(月) 14:18:07.12 O
古代欧州や古代中東に居たのはモンゴロイド。
モンゴロイドとネアンデルタール人が混血してコーカソイドが産まれた。
435 :
世界@名無史さん:2011/05/16(月) 17:07:24.02 O
フン族、アヴァールが有名
436 :
世界@名無史さん:2011/05/16(月) 19:34:28.77 0
昔地中海にいたのは黒人系というのは言われている。
437 :
世界@名無史さん:2011/05/16(月) 21:31:05.05 0
>>429 ついでに土地の生産性も関係あるのではないかな
ヨーロッパは米作ができるところはごくわずかしかないけど
アジアは米作ができるから
米と麦とでは生産性が格段に違うから
アジアは物価が高いので、自ずから生産性が高く見える。
誰も信じねーよ
ただの白人コンプ野郎だろ
441 :
世界@名無史さん:2011/05/21(土) 11:26:14.35 0
そういえば黒人の遊牧民てサハラ以北に侵入してないね。
442 :
世界@名無史さん:2011/05/21(土) 11:35:36.00 0
戦闘民族トルコ人
モンゴリアンチョップ!
444 :
世界@名無史さん:2011/05/22(日) 15:54:10.89 0
>>441 フラニ民族が西アフリカからスーダンまで移動している。
445 :
世界@名無史さん:2011/05/25(水) 01:47:34.30 0
>>441 ヌビア人が黒いファラオになって…
まてよ、ヌビア人は遊牧民じゃないか
アッシュールバニパルにサクっとやられた連中か。
その前からリビア人の王朝になってたりで、エジプトはグダグダだな。
外人傭兵が権力握って好き勝手に暴れまわる、よくあるパターン・・・。
ユーラシアの遊牧民ってモンゴル人とトルコ人しかいないのかよ
ツングースは半農半猟だし
種類少なすぎてがっかりだぜ
448 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2011/06/03(金) 22:37:53.13 0
>>447 今でもアラブ人のベドウィンがいるでしょ。歴史上の、
遊牧民だったら他にもスキタイなんかもイラン系だし。
パシュトゥン人も現役だし人口も多い
ウラル系も一応いる
451 :
世界@名無史さん:2011/06/04(土) 02:34:53.54 0
>種類少なすぎてがっかりだぜ
生存競争が激しいので、弱い民族はとっくにモンゴル人とトルコ人に吸収されたのだわさ。
ケット サモイェドそのほか記録にも残っていない民族が消えていった。
>>1に挙げてる民族、結局はモンゴルかトルコ系に集約されるもんなあ
モンゴルってツングースの一派の後世での名称なの?
鮮卑ってばツングース系だった気が・・・。
454 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2011/06/04(土) 21:44:21.84 0
モンゴル人は1000万人かそこら、テュルク系のカザフとキルギス合わせりゃ
千数百万人〜2千万人はいるけどイラン系のパシュトゥン人は5千万人や
そこらは居るよー
遊牧民てなんでユーラシア大陸しか居ないの?なんで?
草原と家畜さえあれば遊牧生活って可能だよね。
アフリカにもアメリカにもいくらでもいるだろう
459 :
天問:2011/06/05(日) 01:39:05.08 0
>>457 ブラックアフリカはマサイ以外は聞いたことないね。
アメリカに遊牧民なんて居たか?リャマは遊牧しないよ。
基本的に牛・羊・カリブ・ラクダの何れかが居ない地域では遊牧民が存在しない。
ごめん、ここでいう遊牧民って狩猟民族は含めないの?
文字面だけで解釈すると、畜産・放牧しないと遊牧民の資格なし?
461 :
天問:2011/06/05(日) 07:40:14.00 0
狩猟民族が何で遊牧民なんだよw
ネイティブアメリカンは馬や羊が持ち込まれてから遊牧化してるけど
それじゃ駄目なのか
>>459 アメリカバイソンの放牧は駄目かい?ン、モウ
>>460 狩猟民は牧畜民ではないよ。
飼育して搾乳・刈毛・屠殺をするのは狩猟民にとってタブー。
飼えば疫病をばらまくから禁忌事項だ。
ユダヤ人は遊牧民?
>>461>>466 そうなんだ
狩猟だけで喰っていけるんかなあと思ってさあ
牧畜の発想はなかったんかな
アホな質問に答えてくれてありがd
>>467 ユダヤ人はどうだか分からんが古代のヘブライ人は遊牧民的な要素は感じるな
旧約聖書の描写を見る限りではかなり遊牧っぽいんじゃないの
470 :
エビちゃん親衛隊:2011/06/05(日) 20:01:59.63 0
>>459 スーダンでもナイジェリアでも部族争いは遊牧民と農耕民の土地争いである。
サハラ地帯というかナイジェリア北部まで遊牧民がいる。
黒人アフリカでイスラム文化圏で遊牧民地域はここまであるのだ。
大体、北緯10度辺り。ここから南になると農耕民、狩猟民で非イスラム教徒の
クリスチャンやアニミズムが多数派となる。ムスリムがほとんどなくなる。
アジアには当てはまらないが、アフリカのみに限れば確かにイスラムは遊牧民の宗教と言える。
だが、通常遊牧民=イスラム=アラブ=非黒人とイメージする人も多いであろう。
黒人アフリカは大きく分けて東・南部のサバンナ地帯、南西部の熱帯雨林、北部のサヘル地帯と区分できる。
471 :
世界@名無史さん:2011/06/06(月) 19:34:55.30 0
アフリカならベルベル人も半遊牧民かと
473 :
世界@名無史さん:2011/06/08(水) 19:41:15.44 0
農民が浮浪者になったのが遊牧民?
Burchard
476 :
世界@名無史さん:2011/06/08(水) 21:35:04.78 0
狩猟民が起源ではないの?
狩猟民が起源で遊牧をやるようになったのは、考古学資料や歴史書からみる限りとても少ないね。
農耕牧畜民から変移したケースは確かに多いですね。
カザフ草原からバイカル湖あたりのは、半遊牧的牧畜からスタートしてますな。
牧畜というのは、草木の栽培や藁のサイレージをして、端境期の食糧を補完する必要があるので
農耕の経験を経ていないと、遊牧民には移行しにくい性格がある。
自分で栽培しないとしても、圃場のマネージメントをしないと持続可能ではなくなる。
伝説の話だと匈奴の遠い祖先は夏王朝滅亡後に北に放逐していった一族の子孫
みたいな記述がどっかに有ったな
コレ自体はとりあえずとしてもそう言う伝説の記述が有るって事は
実際に元々定住民が遊牧化した何かが有るんだろう
481 :
世界@名無史さん:2011/06/10(金) 01:18:30.13 0
村を出て行かないといけないほど貧しくなった農民が多くの家畜を持っているわけないとおもうぞ。
人間が食べられる作物が旱魃傾向の気候で不作であった時に
雑草であっても食う反芻動物からの搾乳に依存して
しのいだというのが実態に近いのであろう。
人間だけなら浮浪者だが、牛や羊とともにいることで
とにかく生き延びることができた。
盗賊や山賊が起源かもしれんぞ
略奪した家畜から遊牧が始まったとかさ
狩猟民が山賊になっても、家畜を食べて終わりだろうな。
もともと農耕民であって、ある程度牧畜をやっていないと
家畜の持つ細菌やウィルスに対する耐性が低い。
飼い出せば、急に免疫系が活性化するというわけでないだろう。
当時は免疫とかそんな概念なかったろ
生き残った者が遊牧し始めたんだよ
生き残れるのは、農耕民が多いだろうな
487 :
世界@名無史さん:2011/06/10(金) 04:11:06.81 0
遊牧民の男は戦争と略奪だけがお仕事でええぞ。家畜の世話はほとんど女子供がする。
488 :
世界@名無史さん:2011/06/10(金) 04:26:29.41 0
ドイツ語のジンギスカンの歌。ありゃモンゴルというよりもコサックやんけw
489 :
世界@名無史さん:2011/06/10(金) 06:14:12.67 0
490 :
世界@名無史さん:2011/06/10(金) 23:08:39.15 0
>>480 アルタイ語族諸民族の起源は、中国東部の先住民族か?
遊牧民に、先住も後住も関係ないと思うのだが・・・
また東アジアの遊牧は、4000年ぐらいしか歴史がない。
492 :
世界@名無史さん:2011/06/11(土) 01:25:16.34 0
遊牧はいつごろ発生したとされるのですか?
古い時代の遊牧民は、徒歩で羊を追っていたから
騎馬という武力を持っていない。
だから青銅器時代の定住民より武力で優位とはいえず、「双脚羊」といわれても不自然ではなかった。
一般的に牛のほうが先に導入され、馬のほうが後。
東アジアでは、匈奴が大規模な騎馬隊を持った最初の集団。
>>492 7000年前ぐらいだろうか?
>>490 色んな説は有るんだけど有力なのがバイカル湖〜アルタイ山脈〜東トルキスタン辺りだとか
因みにトルコやテュルク系の国家の歴史の時も自分達の祖先はそこから拡散したみたいな書き方はしてた
495 :
世界@名無史さん:2011/06/11(土) 07:50:48.09 0
今のブルガリアやハンガリー、ルーマニアやギリシャ人は
朝青龍の親戚と見なしてよろしいか?
ドルゴルスレン・ダグワドルジ
497 :
世界@名無史さん:2011/06/11(土) 14:05:57.48 O
朝青龍汗国(ドルジ・ウルス)
達瓦多傑(ダグワァ・ドルジェ)
博爾済吉 達瓦多傑 多爾克瓦聯
(氏姓) (名) (父称)
トルクメニスタン・ウズベキスタン・キルギスタン・カザフスタン・タジキスタン・
ダグワドルジスタン
なるほどね
世界の遊牧民は朝青龍と共にあり
ってことなのね
502 :
世界@名無史さん:2011/06/13(月) 07:50:22.26 0
遊牧民=文明破壊者、治安かく乱集団⇒あぼーんされて当然?
東アジアは西や北から遊牧民がやってきた。
文明も西や北からやってきた。
モンゴル相撲の歴史は新しいのかな?
太ってたら騎乗射撃とか難しいだろう
モンゴル・チュルク・チベットは合成弓を使ってヒット&アウェイするんだから
タイマン張るのには自信がないはず。
相撲は、自分達に欠けているものを欲しがる姿であろう。
506 :
世界@名無史さん:2011/06/13(月) 21:20:52.80 0
モンゴル人とは?
507 :
世界@名無史さん:2011/06/13(月) 22:15:52.37 0
ヒョロヒョロのもやし集団のことである。
結局、ユキチカとたいして変わらないね
定住しないがゆえに強く
定住しないがゆえに近代化出来ずに衰退していった
510 :
世界@名無史さん:2011/06/16(木) 11:45:50.13 0
>>509 同感だが、
定住したら、いつの間にか溶けてなくなってしまうというところが
あるのかもしれん。
511 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2011/06/16(木) 19:30:38.61 0
>>510 ヨーロッパにやって来た遊牧民(フン族やアヴァール人など)は時間が経つと、
定住民と同化して消えてるしね。何故かマジャル人だけそうならなかったけど。
512 :
世界@名無史さん:2011/06/17(金) 00:44:25.52 0
先住スラブ人は、ゲルマンによって奴隷として売りとばされていて無人地帯になっていた。
513 :
世界@名無史さん:2011/06/17(金) 06:11:23.08 0
>>511 ブルガール人。
本当にオツガイの知識は浅いな。
514 :
世界@名無史さん:2011/06/17(金) 07:27:41.26 0
>>511 >>513 外見だけだったらほとんど白人と区別がつかないが
マジャル人は言葉だけは残しているな
ブルガールのほうは、言葉までスラヴ化しているのではないのかな?
515 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2011/06/17(金) 20:03:49.53 0
>>513 いやだってブルガール人は言語的にスラヴ化してるじゃん。
僕は
>>514が言うように言語的な意味で同化してないのは、
マジャル人だけと言ってるんだけど。それだけ知識が浅いと、
言われてもねぇ・・・・・。
516 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2011/06/17(金) 20:05:39.97 0
>>515脱字訂正。
誤)それだけ知識が浅いと言われてもねぇ・・・・・。
正)それだけで知識が浅いと言われてもねぇ・・・・・。
517 :
世界@名無史さん:2011/06/17(金) 22:32:34.76 0
>>516 どこに「言語的に同化」と書いてある?
言い訳するなよ。
518 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2011/06/17(金) 22:40:56.19 0
>>517 なんでそうやっていちいち人を不快にさせるようなレスしかできないの?
言い訳も何も本当にそういう意味で言ったんだけど。ブルガール人の、
存在くらい知ってるよ。ただ、普通はブルガール人はスラヴ人と同化し、
消えたとされてるでしょ。主に言語的な理由からだと思うけど。確かに、
名前だけは現在も残ってるけど、同化されたと言って差し支えない気が、
する。まぁあなたの主張も一理あるとは思うけど、ただもう少し言い方を、
考えてレスしてよ。そういう口調はスレを荒れさせるだけだと思うよ。
オツガイ、
>>513からしてお前さんを煽る目的なのが丸分かり
ここはぐっとこらえてスルーするんだ
520 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2011/06/17(金) 23:07:07.23 0
まーた自演始まった
523 :
世界@名無史さん:2011/06/18(土) 12:38:14.49 0
ブルガール人は国名を現在に残したのでたいしたものだ。
ヴォルガ・ヴルガールの方はどこに消えたんだろうな
>>333 しかし、五公五民で上前はねといて郷士足軽から将軍まで貧乏って
どんだけ行政能力乏しいのやら。
>>524 他の遊牧集団に統合されてしまった。
生活ぶりや言葉やなんかが似ているチュルク系の集団になら簡単に
合流できたろうよ。
チュヴァシとヴォルガ・タタールの間でヴォルガ・ブルガールの
後継争いが起きたことがある
マジャール人が頑張ってたらハンガリーじゃなくてマジャリアになってたんだろうか
ヴォルガ川は、そのほとりにブルガールがいたんでルーシから「ヴォルガ川」と呼ばれた
スキタイはラ、テュルクやブルガール自身はイティルと呼んだ
スラヴ諸語で「湿気」の意だともいうが、あのへんにスラヴが来たのは後のこと
530 :
世界@名無史さん:2011/06/18(土) 19:10:11.47 0
531 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2011/06/18(土) 19:12:28.55 0
>>529 ヴォルガ川流域でも南部のほうは結構昔から遊牧民も、
いたしね。決してスラヴ人だけが住んでた訳ではないね。
同化と書いてないなあ またwikiをみて勝手に話をこしらえたのだろう。
>>528 別に今からでも頑張ればマジャルになるんじゃね?
イランや中国の例もあるし
ただそれでもラテン語風に「マジャリア」にはなりませんが
当然「マジャリスタン」にもならないが
オツガイ君の知識が浅いという意見には同意。
535 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2011/06/19(日) 05:48:15.18 0
>>528>>533 一応今でもハンガリー国内では自分たちの国をMagyarorszagと呼んでるらしいしね。
国内における公式表記と海外における表記が違うという意味では日本も同じかな。
>>529 ラチュルク?なんでおフランスな冠詞つけてんだよ?
>>511 同化してんじゃん。
オーストリアで準一等民待遇されるくらいに。
540 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2011/06/19(日) 17:05:35.36 0
>>538 それだけじゃ同化してるとは言えないような気がするなぁ。まぁあくまで、
主観だけど。少なくとも言語やそれ以外の文化的特徴(例えば人名)も、
まだ残ってるし、自分たちの民族意識もマジャール人にあると思うから、
同化してないと言って良い気がする。ブルガリア人とかだと自分たちは、
スラヴ人だという意識も大きいだろうし言語的にもスラヴ化してるからね。
とは言え単なる僕の感覚に過ぎないと言われればそれまでなんだけど。
僕の感覚を語る板じゃないの?
人の学説そのまま書き込んでも
ただの受け売りじゃん
同一民族のはずなのに大阪人のように東京人と気質が異なる人種もいるわけで
オツガイは早朝に書き込む癖があるので
>>542はほぼオツガイ
545 :
世界@名無史さん:2011/06/20(月) 20:09:09.47 0
オツガイは知識が浅いくせに反省しないから向上しない。
俺からしたら
>>541,
>>544-545の方がよほど単一の人間による自演に見えるんだが。
スレに沿った話もしない癖にくだらないコテいじりでスレ汚すなよゴミ。
批判している奴は全部同一人物w バーカ
何言ってんだ?
ここは最初から俺とおまえと二人だけだ
仲良くしようぜw
下手花道より三人目登場
>>529 なんで、bもvも発音持ってるルーシの言葉で、
ブルガール(bulgar)とヴォルガ(vorga)がと混ざるの?
チュルク諸語でもスラブ諸語でもrはかなり強い音で簡単に脱落もしないし。
一時期、東方正教会でラテン語の/b/がスラヴ語の/v/と同一視されたことがあるみたいよ。
キリル文字では/v/にあたる文字がВなんだ。(/b/にあたる文字はБ)
今でもその混同は残っていて、西欧で「symbol」にあたる言葉が
ロシア語で「символ―simvol」になったりしてる。
同様にギリシア語のΘ(セータ/th/)はΦ(ファイ/f/)と共に
キリル文字のФ(エフ/f/)にまとめられていたりする。
>>551 言語学者に詳しく聞きたい所だけどスペイン語ではvとbの音が余り区別しないってのは本当なのかね
正確には違う部分も有るんだろうけど
因みに全然関係無いけど日本語では(古代はどうだか知らないけど)
基本的にv音とl音は無い子音だよな
元から無かったのかかつては有ったけど欠落したのかその辺もよく分かんないけど
553 :
世界@名無史さん:2011/06/26(日) 18:43:06.86 0
ところでスキタイ人とスラブ人は直接無関係でOK?
否
555 :
世界@名無史さん:2011/06/27(月) 12:48:13.25 0
ところでスキタイ人とサカ人は直接無関係でOK?
スキタイ人を含め全ての遊牧民は朝青龍に通ず
557 :
世界@名無史さん:2011/06/27(月) 12:52:17.92 0
達瓦多傑 多爾克斯聯
ドルゴルスレン・ダグワドルジ
559 :
世界@名無史さん:2011/06/27(月) 14:16:58.83 0
遊牧民は言語が共通化する
中央ユーラシアはチュルク、モンゴルで統一されてしまった。
サモエド、ユカギル、プルシャスキ、ドラビダ、印欧語族トハラ、同ヒッタイトなどは
辺地に追い込まれたか絶滅。
560 :
世界@名無史さん:2011/06/27(月) 18:56:48.81 0
>>559 ドラビダ人は血統的にはインド人の中核だよ。
それとトハラ人はウイグル人の先祖のひとつ。
ヒッタイト人はトルコ人の。
おわかり?
今のウイグル人はチュルク系だし、トハラは言語も習俗も帰属意識もなんもかんも失って絶滅してるだろ。
562 :
世界@名無史さん:2011/06/27(月) 20:00:26.44 0
ドラビダ人はパキスタンからアフガニスタン国境あたりに今もいる。インド南部に追いやられたけど。
おそらく西アジアから中央アジアが故地。
ドラヴィダ人は純粋ではないにしろオーストラロイドに近縁らしいから
一度東南アジアまで行ってコーカソイドから分岐した後に
東アジアからのモンゴロイドの南下が始まる前に
インド亜大陸に戻ってきた人達じゃないだろうか
ウイグル、カンクリ、キプチャクなど中世の頃の中央ユーラシアは総てチュルク
その中にあってキルギスなんかはチュルク化した
でもキメクとかはどうだったんだろ?
その北のユグラの辺りとかは?
キルギス人って日本人に本当に似ている
567 :
世界@名無史さん:2011/06/28(火) 10:55:16.42 0
本来のキルギスは今のハカス
ハカス人っは日本人に似ていない
日本人はこんなウーパールーパーのような顔をしていない
573 :
世界@名無史さん:2011/06/28(火) 22:49:35.80 0
ハカス ワロス
古代キルギスと現代のキルギスやハカスは違う民族じゃないのか?
唐代の回鶻と現代の維吾爾みたいに違う民族に同じ名前がついているような・・・
575 :
世界@名無史さん:2011/07/01(金) 18:58:29.59 0
古代キルギスに近いのはハカスか?
いや、古代には白人的風貌でサモエド語系かケット語系だったろうが。
古代にはサーミが東のほうにいたのでは?
言語はアジア系のネネツと類似、風貌は白人的。
トナカイはモンゴルの北方の地点にもフィンランド北部にもいる。
民族自体は移動してしまった。
モンゴルの周辺部にいれば、キルギスと呼ばれ地名的に使われていたが
17世紀頃にその地点にいた民族名になっただけでしかない!?
577 :
品川庄司:2011/07/01(金) 19:27:38.62 0
ハカサカハカス!
>>576 サーミなんて20世紀中盤まで原始時代だろ
579 :
世界@名無史さん:2011/07/03(日) 11:02:48.39 0
ハカス地方古代文明⇒古代キルギス帝国についてロシア以外であまり知られていないのはなぜ?
オクネフ文化ね。日本語Googleすると出てくるけど
イェニセイ・キルギス(Yenisei Kirghiz)は、英語Googleすると出てくる。
アンドロノヴォ文化とイェニセイ・キルギスとの関係がよく知られていない。
日本語Googleで出てくる情報が良質ではなく電波っぽいのがよくないなw
581 :
世界@名無史さん:2011/07/03(日) 14:23:32.87 0
古代印欧語族の動向解明近し
なんで東ローマ撤退以降は
イタリア半島全然統一されなかったの?
>>584 ベリサリウスから赤シャツまでの期間、でしょ
なぜか群雄割拠だったね
港湾の都市国家が貿易の富でフランスやスペインと
一国で渡り合えるくらい強くなっちゃったからかも?
団結する必要性がない
南部のシチリアはノルマン人国家だし
北部の商業国家と気質が違いすぎる
遊牧民とどう関係が?
別のスレの誤爆です
今気づきました
ごめんなさい
589 :
世界@名無史さん:2011/07/06(水) 01:02:46.96 0
遊牧民は売春業もするの?
通い婚だから、貢物を持ってテントに男がくるし、一妻多夫もあるんだし、
子供は母親の持ち物になるし、間男しようが構わない。
稼ぎの少ない夫は、DV的にぶっ叩かれる。
豹や狼に威嚇射撃してくれるやつが足りていれば問題ない。
よって、そういう事はする必要性がない。
通い婚、貢物、テント、一妻多夫、子供は母親の持ち物、間男、DV
全部そろっているのは、遊牧民のアムド・チベット族な。
ジプシーは遊牧民なの?
593 :
世界@名無史さん:2011/07/06(水) 02:51:20.62 0
遊牧民は嫁さんは家畜と交換に買うか、弱いところから略奪するか、同盟・従属部族から政略結婚でもらう
594 :
世界@名無史さん:2011/07/06(水) 04:06:04.89 0
595 :
世界@名無史さん:2011/07/06(水) 04:11:45.67 0
カザフ、キルギス、チベット、モンゴルなどでは女性の地位が高いので
人身売買で嫁をとるという習慣はない。
新婦仔/童養媳みたいなのは、南宋の時代から記録されており
福建などの南方の習俗。
596 :
世界@名無史さん:2011/07/06(水) 04:19:00.60 0
597 :
世界@名無史さん:2011/07/06(水) 10:38:44.84 0
>新婦仔/童養媳
幼いころから同じ屋根の下にいっしょにいたら、数年後の夫にいじめられないと思いきや、
妹みたいな関係になってしまい実は萌え関係以上になれず、夜の関係がうまくいかず幼な妻と性愛関係が築けないので不幸なことになる。
598 :
世界@名無史さん:2011/07/06(水) 10:40:24.16 0
漫画の世界と現実は結構異なるようだ。
持参金出せないないから
使用人奉公させてチャラにするが
婚家になじみすぎて嫁という感じが無くなるというのだな。
600 :
世界@名無史さん:2011/07/06(水) 19:57:31.19 0
601 :
世界@名無史さん:2011/07/09(土) 00:00:18.46 0
元朝がモンゴル遊牧民と境界争いするから定住化させた。
しかし、もともと敦煌の西夏が滅ぼした青唐王国は遊牧民が殆どだった。
清朝の皇朝通典の藩属各官一覧をみても、青海は「旗」となっている。
(玉樹や那曲は、アムドの言葉が通じにくく除外。
玉樹は「戸」の表記だが、税制は牧畜民である。)
甘南は、「戸」なので清朝の頃には定住化が完了していた。
(天祝は、チベット仏教の要素でチベット族認定されている飛び地なので除外)
瑪沁は、社会主義化の過程でむりやり定住化させているので、1956年に暴動が起きている。
606 :
世界@名無史さん:2011/07/10(日) 11:55:42.67 0
遊牧は男の浪漫すからね
女主人に使われる用心棒みたいな存在は許せねぇ・・・ってか?
>>605 青海方面って、民衆はチベット人、王侯貴族はオイラト人・モンゴル人だよ。
征服王朝のようなものだけれど、事情は少し違っていて、ジンギスカン時代からチベットとモンゴルは盟友関係にあって、
同格の友邦。
宗門はモンゴル人やオイラト人もチベット密教で、チベットは寺が支配する宗教国家なんだけれど、軍事・警察・徴税の
ような雑事をモンゴル人やオイラト人にやらせるために呼び寄せる。ここら辺は、日本で言うと中世前期の寺社領での
地頭請とか、イスラム国家でのトルクメンやマムルーク、西欧での封建制成立初期と同じようなものだ。
モンゴル人やオイラト人のナントカハーンが実質的な支配者となっていくわけだけれど、ここに清国の支配が及んできて、
モンゴル人やオイラト人の軍事組織をそのまま支配構造に組み入れたので、行政組織的にも「旗」なわけよ。
実際にどっちが多かったか、はまた別問題。現に熱河や直隷なんて農耕民の地域だれど、首都圏だから、満洲人貴族に
分配されて行政は「旗」だったろ。
青海省になったり四川省に組み入れられたのも、こういう事情。
ホンタイジがリンダーンハーンから蒙古帝国玉璽を禅譲されたという建前でのモンゴル人に対する支配権の主張、18世紀
にはオイラト勢力を征服し、チベット及びジュンガルに両属だったアムド方面を直轄地に加えたため。
青海省や四川省の少数民族地域で里甲制・地丁銀制が敷かれたところは極めて少ない。
松潘、理蕃、シ文川と北川県ぐらいじゃないかな?
ここらへんはチベット族認定されていないで、チャン族と回族みたいだ。
609 :
世界@名無史さん:2011/07/10(日) 12:53:16.10 0
根っからの農耕民ではなく、半農半牧の五胡十六国〜鮮卑拓跋や氐羌みたいなもん?
610 :
世界@名無史さん:2011/07/10(日) 12:54:55.67 0
あっ、拓跋の王ってトルコ系だったっけ
雲南四川の土司地区は、土司当主の母系相続パターンも
多く現れ、双系相続だった。
カムバ(康巴)人の民族名の命名方法は、
両親の姓の第一音節を一づつとって、二音節の合成姓を姓とする。
順序は裕福な家のほうが前。同格ならば父方が先。
今になっては判らん。
大王の称号が「河汗」、唐の頃のイスラム勢力の記録でも「タングのシャー」(唐の農耕圏王)ではなく「タブグトのハガン」(拓跋の遊牧大首長)だったから、
チュルク系説モンゴル系説がある。
小さな部族が自らの何十倍もの規模のものを支配したりすることは多々あったし、別の文化圏で既に用いられて広く知れ渡っている称号を支配者が使うと
いうことも珍しいことではなかったから、「河汗」だけでは、判別できない。
>>611 カム人はアムド・チベット人とは成り立ちが違って、大理国起源であるし
ゲルク派仏教伝来が19世紀と遅いので、
涼山彝族(
>>596)などを研究しながらだと
その社会制度を理解しやすい。
>>613 今の最大勢力のゲルク派の勢力が伸びてくるのが遅かったとしても、仏教徒でなかったわけでなし。
そもそも、チベット仏教ったって一枚板でなくて、宗派対立に世俗勢力がからんで対立してたわけだし。
18世紀まではポン教だったのですよ。
今はニンマ派で色達(セッタル)の益西彭措(イシ・プンツォ)という僧侶が人気があります。
晋美彭措(ジグメ・プンツォ)というカリスマ僧侶の姉妹の息子という血脈らしいです。
616 :
世界@名無史さん:2011/07/13(水) 23:57:30.76 0
617 :
世界@名無史さん:2011/07/13(水) 23:59:16.57 0
昔中国はトルコ人に占領されて支配されたことがあるんだよ
って言っても誰も信じてくれない
鮮卑、突厥、契丹はトルコ系かどうか明確ではないし、
モンゴル帝国では戦闘員としても行政官としても回教徒トルコ人を第一身分同格として多用したけれども、
あくまでも政治中枢はモンゴル人主体だし。
620 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2011/07/23(土) 10:22:20.76 0
>>619 契丹や鮮卑は知らないけど突厥は明らかにトルコ系じゃないの?
碑文なんかに書かれてる言語は、普通にトルコ語だったと思うし。
まぁ、トルコ系以外の民族もいただろうけど中枢はトルコ系でしょ。
五代は征服者が突厥だろう
>>621 なんか吐谷渾、似てるな。
敗戦でエーゲ海を追われたトロイアの王族の一人アイネイアースが西に遷り最終的にアペニン半島のラティウムに至って
ローマの前身であるアルバロンガ城市国を建国した。
モンゴルで冷遇されていた西部オイラト諸部族のうちの一つホシュート部の一団がダライラマの招聘に応じてア・ムドおよび
カムに移住、内乱を平定した功により、チベット東部に封土を与えられ叙爵される。所謂グシ・ハーン政権。
どっちももともとの言語とか慣習とか殆どなくして、完全に現地化している。
甘粛、青海、四川には、チベット語を喋るモンゴル人
遼王朝の末裔が紆余曲折を経てイラン南部のケルマーンの土豪になった経緯も似ている。
これまた、契丹語は全く失っていて、全くのイスラム教徒イラン人になっている。
624 :
世界@名無史さん:2011/07/24(日) 03:18:59.83 0
ローマのアイネイアース伝説はまったくの創作文学だろう。
青海には少しはモンゴル語が残っているのでは?
残っているけど、ホシュートとは限らない。
蒙古族の自治県があるので、モンゴル語が通じるはずだが
トルグートかドルベトかもしれない。
新彊にも蒙古族の自治県がある。
漢語かモンゴル語ができないと、方言区についての情報はよくかわない。
わかっても、地名がピンとこないので、GoogleMapに無い古い地名である場合が
含まれることが予想され、私には翻訳ができない。
結構な数の、チベット語を話すモンゴル人というものか、青海やら四川やらに居るんだよ。
>>626 四川は、ナシ族モソ人と言語が共通みたいです。あと涼山イ族とも意思疎通可能。
チベット語の標準語はここでは通じなく、カム方言ならば意思疎通可能。
場所は、涼山州にあたります。
グシハーン期に土司・宣撫司に封じられた層の家とつながりがあると自称している人達は
四川のアバ州およびカンゼ州に居て、その自称割合は2〜3割。
ここの自称モンゴル裔は、チベット族登録かチャン族もしくは回族登録。
雲南省もかなり南のほうには、ハニ族言語が通じる蒙古族自治県がある。
住人の容貌は、文山ミャオ族に近く、ハニ族や地元のイ族や内蒙古の蒙古族とも違う。
またタイ系のチワン族とも違う。
彼らの自称の渡来年代は、元朝期。場所は紅河州にあたります。
ここのイ族は、隣接するハニ族と意志疎通可能だけど、四川のモソ人やチベット族とは意志疎通困難。
>>618 宋の趙匡胤のことか
>>619 鮮卑、契丹は東アジア系だろ
たぶん満州系だろうな
契丹はトルコ系濃厚らしいが
629 :
世界@名無史さん:2011/07/24(日) 23:02:38.44 0
意外や意外。契丹語はモンゴル系です。
ホルチンやダフールが契丹です。
>>628 トルコ系濃厚なのは突厥な
なんか最近ケアレスミスが多い
631 :
世界@名無史さん:2011/07/24(日) 23:17:21.39 0
鮮卑は部族によって構成も王族の自称もちがう。
拓跋の王は「可汗」と称しトルコ系を臭わせる。
>>629 ジンギスカンの頃の時代。
モンゴルは契丹を介して支那の産品を買っていた。
契丹人=支那人と思っていた。実際に、宋から租税をふんだくったり物を売ったり買ったりしていたから、
漢語喋れて漢字読み書きできる契丹人も少なくなかった。
それで、モンゴルやモンゴル支配下の西方の国では、支那を指し示す単語は契丹と同源の語だし、
クビライカンの時代にまで契丹人を南宋領域の支配に駆り出している。
633 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2011/07/25(月) 07:37:11.68 0
>>631 可汗の称号は、確か柔然も使ってたよね。まぁ、柔然自体も民族系統が、
良く分かってないけど拓跋などの鮮卑と同系統の可能性はあるらしいね。
突厥より柔然や拓跋鮮卑のほうが先だよな
けど、政治用語って割と借用されやすい単語の一群だし。
既に通りの良い支配者の称号とかあったら、自前の称号より、そっち使うだろ。
皇帝号の大ボスを頂く支配的部族の配下にあった言語系統の違う部族が、下克上して
その支配権を奪取したら、広域に多数の部族をまとめる大ボスの称号として、自前の
言語での単語で称するか、前の支配者のトップの称号“皇帝”をで呼ばせるか。
皇帝をカガンに置き換えても、同じではないのか?
ある時期に隆盛を誇った勢力のトップがカガンを称号としていたら、その後釜に納まった
勢力のトップは、前の支配層と違う言語をもっていても、やはりカガンと称しただろうよ。
636 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2011/07/25(月) 11:35:39.44 0
>>634 そうだね。それらの民族がまだ詳しく分かってないから何とも言えないけど、
「可汗」の称号自体は何もトルコ系に限ったものじゃないのかも知れないね。
637 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2011/07/25(月) 11:39:17.88 0
>>635 柔然と突厥の関係がまさにそんな感じかな。「可汗」の称号は、
すでに柔然が使ってたけど、それを倒してその後釜に納まった、
突厥もまた「可汗」の称号を使ったからね。称号が同じだからと、
言って民族も同じだと考えるのは確かに少し早計な気がするね。
639 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2011/07/25(月) 12:03:27.03 0
>>638 なるほど。明らかに異民族であるルーシも可汗を名乗ってるね。
640 :
世界@名無史さん:2011/07/25(月) 14:44:29.33 0
中央チベットにもモンゴル系はいるのだが、蒙古族規定されていないみたい。
>>640 そりゃ、スターリン・毛沢東型民族分断政策だからな。
細分化して、違う連中とわざわざまとめて行政区画を設定する
642 :
世界@名無史さん:2011/07/25(月) 23:50:16.67 0
>>640 回族みたいに、信仰のほうを優先選択できるんですよ (^^)
643 :
世界@名無史さん:2011/07/26(火) 21:34:09.48 0
同じチベット仏教徒だからチベット化したんでしょ。
今更ながら杉山先生の「遊牧民から見た世界史」を買いました。
読みづらい本だな。いちいち、脇道にそれて蘊蓄たれるから話が進まない。
どこかで聞いたような訳語問題を長々としたり、このパートいるの?
正確な翻訳なんてできないなんて当たり前でしょ。
英語だって語源となったラテン語の意味と英語で与えられた術語の意味が
乖離している単語は結構あるわけで。
ともかく、歴史学概論を買った訳じゃないのに、そんな話があちこちに出るから
テンポが悪い。
645 :
世界@名無史さん:2011/08/14(日) 01:45:25.56 0
遊牧民に就職するにはどこに行けばいいですか?
都会では就職先が見つからないし、農村漁村もきつくていやです。
杉山の新刊はこの間立ち読みしたけど買って読むレベルじゃないなと
相も変わらずすぐに「〜に比べて〜は」とかってどうでもいい個人の感想がすぐ出たり
ちょっとした事でムキになった感情論を垂れ流したりで
おおよそ学者として論文を理論的に言えない幼稚なオヤジだと思った
647 :
世界@名無史さん:2011/08/14(日) 10:29:58.13 0
>>645 何を持って遊牧民とみなすべきかだが
北海道に言って牧場を持つというのは駄目なのかな?
東アジアのやり方だと、野営しながらの放牧ローテーション。
これで遊牧民認定するといいんじゃないかな?
そして、現役の当主だけでなく、子供達や老父母も連れて移動する。
649 :
世界@名無史さん:2011/08/14(日) 12:11:12.21 0
>>648 マジな話
それができるとこはあるの?
船乗りでさえ、昭和30年代までは船に住み込みで
働いていた例があったけど
今は家族は定住させているし
650 :
世界@名無史さん:2011/08/14(日) 13:59:03.38 0
651 :
世界@名無史さん:2011/08/14(日) 14:26:49.10 0
652 :
世界@名無史さん:2011/08/14(日) 20:13:33.29 0
遊牧民=貧乏?_
>>645 本家のモンゴルでもホームレスが社会問題化しているのに……
>農村漁村もきつくていやです
農村漁村がきついとかいってるヘタレに遊牧の生活なんか出来るわけない
おとなしく時給640円程度のバイトでもやってろ
655 :
世界@名無史さん:2011/08/16(火) 15:14:19.37 0
家畜を持つホームレス=遊牧民
>>655 遊牧民って、縄張りが決まっていて、且つ、その土地を有効に使えるだけの財産を持ってるものだよ。
縄張りは、血縁や、親分子分関係やらで、相互に保証しあっていて、土地を有効に使えるだけの財産がなければ、その土地も
取り上げられてしまう。身内とか親分とかから分与されたり借りたりできるけれど。
657 :
世界@名無史さん:2011/08/16(火) 21:34:30.41 0
土地を有効に使えるだけの財産=家畜?
&武器
>>656 モンゴルに縄張りはない。ただ後から家畜を連れてきた者は待たねばならない。
掟として牧草地の縄張り争いのために口論してはならない。
659 :
世界@名無史さん:2011/08/16(火) 22:37:34.60 0
清朝がモンゴルの縄張りを定めた。
>>658 縄張りがないなら、先も後もないだろうし。口論禁止の掟とかも無いだろうに。
チベット族やカザフ族と鉢合わせすると、あっちが強引に家畜を入れてきて
トラブル多発しとるのよ。しまいには猟銃でバーン。
群れを分離するのが大変になるし、カオスになることうけあい。
662 :
世界@名無史さん:2011/08/17(水) 18:01:12.10 0
それでカザフは青海から1985年に立ち退かされたのかーー 1930年代に新疆方面から侵入し、この地の住人となっていたカザフ族を新疆に再移住させ、海西モンゴル族蔵族自治州と改称
>>662 いや。弾圧というか少数民族撲滅策というか民族浄化というか……
665 :
世界@名無史さん:2011/09/14(水) 07:07:05.09 0
>>665 高句麗の支配的氏族が狛で、狛は東胡の一派で、東胡の別の一派に契丹、柔然、烏桓、鮮卑があって、後の金や清が
女真族・満洲族を鮮卑拓跋の末裔を主張して、満洲語が所謂ツングース諸語の一つで……という間接的なもので、
高句麗の構成集団がどういうものだったかについては、ハッキリしない。
ツングースというのも言語系統だし、血統、帰属意識、言語は結構バラバラの組み合わせで伝わって組み合わせが容易に
入れ替わるものだし、血統と地域の組み合わせも入れ替わりがある。
高句麗について、ツングースでないと言い切る材料もないけれど、ツングースだと断言する材料も無い。
単純に北東アジア圏の興亡史の一つとしか言いようがない。、
そもそも高句麗=ツングースとかって戦前の資料の少ない学者の説で
今ではツングースの一部の影響も有った程度以外ほぼ否定されてる話だったろ
そいつの頭の中では70年以上昔の資料で止まってるのか?
669 :
世界@名無史さん:2011/09/27(火) 02:04:08.43 0
「アルタイ語族」という語族もうそ臭い説
670 :
世界@名無史さん:2011/09/28(水) 06:16:35.73 O
昔サーメ人のドキュメンタリ見たけど、遊牧の伝統を子どもたちに受け継がせるには学校をどうするかがネックぽかった
どういう教育スタイルが理想的なんだろう、また昔の遊牧民は教育はどう行っていたんだろうと疑問に思いました
貴族や富豪の家に教師が出向いたり住み込んだりして教育してたように、
遊牧の宿営に教師が付き従って行きゃあ完璧だろうに。
そんなに金かけてられないなら、その程度の教育しか必要ないってことで。
現代の遊牧民でも、20家族ぐらいの大規模で移動する集団には
冬営地に着任している小学校教員や保健師が同行している。
もともと、カザフスタンなどでも中等教育の年代だと冬営地にとどまる形になっていたし
高等教育は、遊牧民限定の学校は無く、都市住民や農村住民と混成になる。
砂漠化などにより、離牧した場合は、都市での生活になるため、
初等教育も、都市住民のカリキュラムに合わせる必要がでてくる。
ハルハ・モンゴルのように、単家族で移動する集団だと
なかなかそういう教育や保健のサポートはできない。
移動する世帯数を増やして集団化が、なされた時期があるわけだが、
砂漠化の進行で再び集団の規模は縮小している。
そうなると、子供は冬営地に残って学校へ行くしかなくなっているのが現状だ。
パソコン使って通信教育とか
>>673 人なんかタダみたいな後進国や旧共産圏で、学童個々に衛星通信機なんか持たせられるかよ。
モンゴルの場合、同じ遊牧民のカザフ族やチベット族と遭遇した時の交渉術やら、
方言や牧畜固有語彙なんかがあるから、師匠が教えるのが一番じゃね?
ウランバートルに住んでいるのと同じじゃ、遊牧民としてひとりだちした時に心もとないじゃろ
>>674 携帯電話はある程度普及している
広いので電話線はるより電波の方がコスト安
これを利用できればいいんだけど
バングラかインドでそういう話無かったっけ
>>676 何百ドルもする移動機を、月収入が十ドル換算のような一人に一個持たせられるか?
携帯電話の固定機はどうするよ? 何十キロ四方もカバーできないで。見通しでも2キロとかが精いっぱい。
隣の宿営まで30キロ50キロが当たり前の放牧期に、どうやるのやら。
679 :
世界@名無史さん:2011/10/10(月) 12:57:20.68 0
>>666 学会で質疑への応答に困ったときは「混血があったと思われます」と回答しておきます。
突厥は西突厥はもちろん、統一時代にも東ローマと国書を交しているのね。
ゲルマン民族移動は突厥の前だから、
匈奴は国内にスラブやゲルマンが居たかも。
昔ネットだか何だかで見た流し見のネタっつうか情報のだけど
ジョチ=ウルスはジョチ亡き後バトゥが名目上頭目の
バトゥとオルダの両翼のウルスになったってのはもう何度も語られたけど
1・時々でてくるシバンって時にシバン=ウルスって表現も有ったりで
オルダ程じゃないけど有る程度独立してたらしい書き方の資料も有るんだけど
その辺の部分ってどこまで独立性が有ったのかどうなのか
基本的にバトゥの幕下のウルスだと思ったんだけど
2・なんかの本だかサイトだか忘れたけどベルケ=ウルスとトカ・テム=ウルスって表記も有って
ベルケはバトゥ内の半独立ウルス、トカ・テムルはオルダ内の半独立ウルスって言い方してたけど
これってどこまで本当なのかよく分からん、実際にそうだったの?
ベルケもトカ・テムルもバトゥ&オルダからそれぞれそんなに強い権限有ったんだろうか?
しかもシバンを黒或いは灰色オルダ、ベルケとトカ・テムルをどっちがどっちだか忘れたけど赤と緑とか
そんな事書いてたみたいだけどこれってどうなんだろう?
682 :
世界@名無史さん:2011/12/12(月) 14:26:34.70 0
,、,, ,、,, ,, ,,
_,,;' '" '' ゛''" ゛' ';;,,
(rヽ,;''"""''゛゛゛'';, ノr)
,;'゛ i _ 、_ iヽ゛';, お前それサバンナでも同じ事言えんの?
,;'" ''| ヽ・〉 〈・ノ |゙゛ `';,
,;'' "| ▼ |゙゛ `';,
,;'' ヽ_人_ / ,;'_
/シ、 ヽ⌒⌒ / リ \
| "r,, `"'''゙´ ,,ミ゛ |
| リ、 ,リ |
| i ゛r、ノ,,r" i _|
| `ー――----┴ ⌒´ )
(ヽ ______ ,, _´)
(_⌒ ______ ,, ィ
丁 |
| |
>>681 オルダとウルスとを別モノとか、オルダが上位でウルスが下位とか、そんなふうな前提で言ってるみたいだが、そこがそもそもの間違い。
日本語で近い概念だと、オルダは政権、朝廷とか幕府とか王室とか城下とかそういうようなもの。ウルスの方は国家とか藩とか。
強力な君主が引っ張っていく形の国を形成していた以上、王室=政権=国家。日本でも、大和朝廷と国家としての大和とは不可分だろ。
モンゴル帝国全体でモンゴルウルスだし、ジョチを始祖とする地方政権はジョチ・オルダであり、その領域はジョチ・ウルスなわけよ。
>>684 その通り
なんか
>>683がずれた事言ってるけどあのオルダはバトゥの庶兄のオルダの事言ってるな
>>1 遊牧民の始まりは匈奴でもスキタイでもなくヒクソスですよ
そこは騎馬遊牧民と脳内変換していこうや。
ヒクソスって遊牧要素あったっけ?。弓とかは使ってたようだけど
ヒクソス首都アヴァリスは中々立派な都市だったらしいね
689 :
世界@名無史さん:2011/12/25(日) 21:00:48.81 0
エフタルが昔から気になっている。
エフタルは謎が多いけど、貨幣が残っているね
トルコではエフタルも自民族認定で大16トルコ帝国の1つとして教えてるんだよな
エフタルの建国の祖と言われてるアクシュンヴァルを記念切手にしたり
胸像を作って英雄として教えてたりしてるし
>>691 イラン系かトカラ系の可能性をまったく度外視してるんだな。
微妙なのを同族認定しなくても、確実なテュルク系だけでも十分な数の帝国があると思うがなぁ。
>>692 根拠がインドで言われてたスベータ・フーナや中国の白匈奴の由来からも有るんだろうな
あとエフタルの部族の中には一部確かにテュルク系の存在らしきものも有った痕跡は有った
ただその辺をかなり拡大解釈して自民族認定してるんだろう
そもそもトルコではエフタルって名前じゃなくってアク=フン(白フン)って名前になってるし
あとエフタルの成り立ちを匈奴の分裂期にヨーロッパに渡った集団とインドに渡った集団の経緯を説明してて
ヨーロッパに渡ったのが後年のフンで中央アジアからインドに渡ったのをエフタルと解釈してたりする
この辺はトルコ語の歴史サイトだと出てくるけど
まぁ分かり易いのだどトルコ語やアゼルバイジャン語のウィキペディアでも説明が書いてある
ウィキペディアはどっちかっつうとそう言う民族主観の文章を眺めるのが面白いって意味で使えるかもな
694 :
世界@名無史さん:2012/01/08(日) 23:19:24.42 0
するとハンガリーも自民族認定しているとか?
>>694 トルコ語では「マジャリスタン」だから、きちんとマジャール人の国と認識されてるね。
マジャール語はフィン・ウラル語派で、テュルク諸語とは別系統だから同族認定はしてないだろう。
なお、ハンガリーの語源は「フン族」ではなく、テュルク系の「オノグル族(十部族の意)」からきている。
マジャール人がドン川中流にいたころ当該部族と密接な関係にあったため、取り違いされたようだ。
トゥラニズム(ツラニズム、ウラル・アルタイ統一主義)になるとハンガリーまで
含めてしまうけどさらに日本語アルタイ語族説に基づいて日本も仲間という
突っ走った運動もあるにはあった
814814
699 :
世界@名無史さん:2012/01/21(土) 21:43:30.76 0
フン族はモンゴロイドなのだろうか。
700 :
世界@名無史さん:2012/03/08(木) 03:03:19.18 0
701 :
世界@名無史さん:2012/03/08(木) 08:19:46.63 0
フン族については専門に研究してる学者の本を読んたが民族、人種系統がわからない
らしい。あれだけのギリシャ語、ラテン語の文献があるのに言語、民族が分からないとは
どういうことだろう? アラン族とかキンブリ族はある程度、分かってるのに。
フン族らしい墓から出てくるのはコーカソイドだし、西方のチュルク系ならコーカソイドで
いいんだが。匈奴との関係も昔の一説であるだけで謎。
>フン族らしい墓から出てくるのはコーカソイドだし
さりげなく珍説だが
703 :
世界@名無史さん:2012/05/27(日) 11:23:35.27 0
>>701 それ本当に専門家の本かどうかかなりあやしいなw
というか、遊牧民の軍隊はどうやって、方角とか
知り得たのでしょうか?
伝令は走っている方角が正しい方向か?どうか?
どうやって知り得たのでしょうか?
遊牧民の軍隊は常に移動しているから、連絡をつけるのも
大変だと思うのですが
いまだと、GPSとかあるからわかるけど、無線も無いのに
数百キロとか走って連絡を付けたとか信じがたい話なんですが
705 :
名無し募集中。。。:2012/07/07(土) 18:37:41.35 0
太陽や星の位置
アストロラーベで計算
>>704 むしろ方角が判らないというほうが、その感覚がわからんなあ。
日が出てたら、腹時計と日の向きで。
足許をみれば草の生え方で。
簡単に東西南北判るだろうに。
軍隊の位置ったって、戦争になりやすい場所というのは大体決まってるし、そこに向かっていくんだから
交易路を伝って進軍している日数でだいたいこのあたりって判るし、馬が動いてるなら20キロ先くらい
からでも見えるだろうし。
大阪南港の割と高めの建物から明石大橋見ると自動車の数くらい数えられる。直線距離で27キロくらいか。
707 :
世界@名無史さん:2012/09/16(日) 11:53:05.92 0
印欧語をヨーロッパにもたらしたのは、遊牧民か農耕民か?
>>707 馬、羊に関する語彙が想定祖語に遡れるから、遊牧民だろう。
水利についての語彙はバラバラだ。
709 :
世界@名無史さん:2012/09/23(日) 11:18:22.46 0
>>708 すると、印欧語族アナトリア説は眉唾か。
>>709 アナトリアで遊牧が物理的に不可能なのか?
ヒッタイトもミタンニもフリギアもセルジュクもオスマンも遊牧的な性質のある集団なんだがなあ。
農耕民から遊牧民になることってあるの?
それが普通でしょ
冬営地で農業やっていることが多いから
遊牧民が農業やってるのか?
冬営地は交易の場、農耕民の産品を買うための場だから、冬営地の農業の人は
遊牧民でなくて、純粋に農耕民だろうに。
714 :
世界@名無史さん:2012/09/26(水) 00:00:48.31 0
親が農業やって、子や孫が遊牧をやるのじゃよ
ハイジに出てくるペーターみたいなものか?
716 :
世界@名無史さん:2012/10/02(火) 12:09:12.88 0
トナカイ遊牧民は国家を建てたことってあるんでしょうか。
女真族あたりの一派にいそうな…
あとはオビ川下流のオブドルとかコダくらいかな。
>>26 >>27 >>30 >>37 蔑称は現地語でなんて言うのでしょうか
シナ人が周りの四夷を東夷・西戎(せいじゅう)・南蛮・北狄と
言っていたように、
モンゴル人が、チベット人が、ウイグル人が、トルコ人が、カザフ人が
使っていた蔑称、現地語はなんて言うのでしょうか
718 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2012/10/07(日) 10:13:52.10 0
>>717 ウィキペディアの情報なので信頼できるかどうかは分からないけど、
チャガタイ・ハン国では、定住化したトルコ人のことを遊牧民は「カラウナス(混血児)」と呼び、
遊牧民のことを定住民は「ジェテ(夜盗)」と呼んでたらしい。
お互いにこういう蔑称で呼び合ってたのね。
夜盗って呼ぶのはやっぱり定期的に略奪に来るからですか?
定住民同士の泥棒でも遊牧民のせいにしとけば言い逃れられる。大方そんな存在だろ。
方角とか連絡については、大航海の航海術みたいなモンでシロウトにはすぐには理解できないんじじゃないか?
きっと代々培ったノウハウがあるんだと思うが。
すくなくとも目が尋常じゃ無く良い、ってことだけでも定住民の戦闘は不利だよね。
向こうは射程距離外からこっちの行動が表情まで見える。
こっちは当たるところまで近付く前に射たれる、とか。
721 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2012/10/07(日) 18:54:36.06 0
>>719 まぁ、あなたや
>>720が言ってることが主な理由だと思うよ。
「遊牧民は略奪ばかり働く野蛮人」という偏見に基づく蔑称だろうね。
722 :
世界@名無史さん:2012/10/08(月) 11:52:04.89 0
何かスレのレベルが下がったね。
知識の無い御仁はあまり出しゃばるなよ。
馬の遊牧よりもトナカイの遊牧の方が早かったって
何かの本で読んだな
スキタイ文化を生んだアルタイの人達の祖先はトナカイ遊牧民だったって
シカ石はその名残だって書いてた
うそぉん。
サーメやエベンやサモエドやらクートが狩猟から遊牧に移行したのって19世紀以降だよ。
精々勢力圏のような縄張意識の中のトナカイの群の季節移動に宿営が付き従って移動というものから、
所有概念の導入から群・個体の帰属を明確にし、近代国家の国境や土地所有の概念が入ってきて
狩猟の囲い猟・追い込み猟の技法の延長で群の移動を制御するというようなもの。去勢とか仔の数の
調整、牡牝比率の調整のような遊牧の記述の導入はあったものの、狩猟から遊牧になったところで
基本的な生活はさほど変わらず。
劇的に変化したのは20世紀中盤以降。モタリゼーションによる。自動車やスノーモービルによる
追跡で群の完全掌握が可能になって移動も誘導から強制になったこと、宿営全体が群に追従する
必要が無くなり定住化が進んだことで、遊牧の形態や生活が大きく変化した。
トゥバのトナカイ遊牧は古いと読んだおぼえがある
726 :
世界@名無史さん:2012/10/30(火) 22:19:58.79 0
高車さんが実際に高車に乗ってる画像ないかなー(チラッ
一番古い最初の遊牧は羊だろう。
一番簡単そうだし。
ブタではないの?
今でも東南アジアとかオセアニアの島嶼で放し飼い。
イノシシだかブタだか区別つかんような状態で、村落と周囲の山野を好き放題放浪させてる。
羊は、先頭に立って歩くものに付いて行く
性質がある。
また、群れを作って、必ず集団になるので
これも、管理しやすい。
従って、たぶん羊が一番最初の遊牧
>>730 でも、鵞鳥遊牧民っていないよね。
雁類も先頭に連れだって群が動くよ。
733 :
世界@名無史さん:2012/11/03(土) 13:22:45.57 0
山羊ってどうなの?
キリスト教において山羊は悪魔の象徴と言われているけど、それはそもそも異教において山羊を神格化させたものが信仰されていたからじゃないのか?
sage忘れ
AB型に遊牧民を非難する資格は無いよ、砂漠の民に対してもね
AB型は遊牧民的砂漠の民的なんだからね
それなのに遠藤周作は砂漠の民を非難しやがった
砂漠の民は気候が厳しいので父権的で攻撃性が強い
キリスト教が父権的だったら私は信じていなかっただろうと
宗教にハマる奴は馬鹿
宗教にハマる奴は馬鹿教
739 :
世界@名無史さん:2012/11/10(土) 02:45:43.38 0
遊牧民に貴族や平民といった階級ってあるの?
王族は除いて
貴族はあるけど平民は無いでしょ。
仕事が全員一緒だから。
血統が大事。さらには実力はもっと大事。
実力があると血統を上書きできる武士と同じ。
741 :
世界@名無史さん:2012/11/12(月) 23:19:52.64 O
なぜイブンハルドゥーンの『世界史序説』の話が出ていない?
ハルドゥーンの質実剛健な遊牧民が都市を征服するがやがて堕落してまた
遊牧民に征服され…説の具体例はやはりムラービト朝やムワッヒド朝と
いうことかな。で遊牧民の具体例はベルベル系ということになるんだろか
>>742 支那でも遊牧系王朝のときには支配が確としていて文化や技術がはってんし、
やがて支配層が漢化すると停滞期にはいって漢人の王朝のときには混乱衰退だろ。
>>743 そうでもない
どんな王朝でもとにかく経済が回ってる間は発展するし
首が回らなくなると一気に衰退する
>>745 シナ人の王朝のときは最初っから振るわんし、
遊牧民族王朝のときは遊牧民の気風が残っている間は発展し、
漢人の官吏が増えてきたり、支配層の気風がシナ化したりすると
堕落してくる。
>>746 フビライはどうかね?
元のフビライは中国王朝の制度を取り込んで
発展したけど。
現滅亡後の明だって、繁栄してた時期はあったわけだし。
現在の中国だって、繁栄してることに間違いない。
むしろ、遊牧民族の国家で繁栄してる国なんて、存在してるのか?
先祖が遊牧民であるとする民族がいる国は
割合多いようだが?
>>747 フビライ皇帝の時代は、遊牧民の気風の残ってる時代だろ。
元朝は本国でなくて、支那圏まるごと属地だよ。本国はザナドゥを中心とするモンゴル本土。
南面当地にあたっては、金・遼の遺臣遺民と宋の遺臣遺民とを差別待遇で扱う分割統治、
支那人の気質を理解している金・領の人材を使いながらも、基本方針はペルシャ人やアラブ人が
オアシス都市を支配する要領で実際に西方出身のイスラム教徒の文官を重用している。
750 :
世界@名無史さん:2013/01/18(金) 00:24:57.74 0
トゥアレグという民族集団は、遊牧民?
751 :
世界@名無史さん:2013/01/18(金) 21:00:52.70 0
上層部はベルベル人が起源。
黒人との混血防止のため徹底した階級制度を敷いた。
いま騒ぎになっているアルジェリアのテロリストって、
トゥアレグ民族が主力であるとかないとか
ベルベル人っちゃあ、モール人だろ。黒人じゃん。
トゥアレグ人の写真なんかみても、みんな青い服着てる黒人だよ。
755 :
世界@名無史さん:2013/01/30(水) 15:55:01.82 0
原印欧語族も遊牧民。
・福田首相は中国講演で歴史認識について村山談話をかみくだいて語った。
・だがそれは、日本人に向かって言ったのでも、日本人が聞いていたわけでもない。
・こういう大事なことは、日本に向かってこそ語りかけるべきだ。
757 :
世界@名無史さん:2013/12/13(金) 16:04:54.84 0
758 :
世界@名無史さん:2013/12/13(金) 19:50:19.07 0
>>757 いろいろな歴史書に出ているよ。
そういう質問が出ること自体意外。
759 :
世界@名無史さん:2013/12/13(金) 20:37:06.91 0
>>746 漢民族の王朝のときに文化が栄えるのではなかったっけ?
たとえば清の文化は明の文化の模倣。
万暦帝は偉大ですよね(笑)(笑)(笑)
761 :
世界@名無史さん:2013/12/18(水) 17:18:33.08 0
匈奴、独自に鉄生産か 愛媛大など、モンゴルで炉跡発見
【編集委員・今井邦彦】モンゴル高原を中心に紀元前3〜紀元1世紀ごろに遊牧国家を建てた騎馬遊牧民族、匈奴(きょうど)の製鉄炉跡が、モンゴル中東部で見つかった。
匈奴は中国の秦・漢帝国からの略奪で鉄を入手したと考えられてきたが、独自に鉄を生産していたことを示す遺構とみられる。
愛媛大とモンゴル科学アカデミー考古学研究所の共同調査団が2011年以降、ウランバートルの東約120キロのホスティン・ボラグ遺跡で小型の製鉄炉跡5基を発見。
放射性炭素年代測定で紀元前1〜紀元1世紀ごろのものと判明し、11月に愛媛大であったシンポジウムで匈奴の製鉄遺跡と報告された。
幅数十センチ〜2メートル、深さ30〜40センチほどの穴や地下に延びる細いトンネルに、鉄と分離した不純物(スラグ)や炭が詰まっていた。
地上に大きな炉を作る秦・漢と異なり、黒海周辺から中央アジアにかけての遺跡で多く見つかる地下型の炉とみられる。
http://www.asahi.com/articles/TKY201312160500.html
>>761 > 匈奴は中国の秦・漢帝国からの略奪で鉄を入手したと考えられてきた
え、そうなの?むしろこっちのほうが驚いたわ
>>759 元代は遠距離交易や東西文化交流もあって繁華な時代だったろ
明なんぞは鄭和の大航海の記録を抹消するような後ろ向きな連中だろが
モンゴルの支配がもっと長引いて儒教がより相対化されてりゃ、中国の歴史も随分違ったものになってただろうにな
764 :
世界@名無史さん:2014/02/18(火) 05:11:44.06 0
匈奴はフンか。
そしたら中国の歴史じゃなくてモンゴル帝国の東の辺縁の歴史になっちゃうぜw
このスレ偏ってるよ。
鉄という漢字はもともとは銕と書いたそうで
夷の金というくらいだから中国の外から入ってきたのでは
768 :
世界@名無史さん:2014/08/17(日) 16:54:43.85 0
>>761 匈奴は製鉄技術も持ってたんだね
金細工とかも作れたんだっけ
中国は遊牧民の蓄積した文化で発展したんじゃん。
何を今さら
770 :
世界@名無史さん:2014/08/17(日) 17:56:22.54 0
遊牧民は精力絶倫。
アジア全土でレイプしまくった。
教科書には書けない裏話。
771 :
世界@名無史さん:2014/10/25(土) 01:43:25.76 0
遊牧民はやり突撃や馬上で剣をふるうことをあぶみが開発される前からできてたってのは本当?
772 :
世界@名無史さん:2014/10/25(土) 08:45:11.22 0
遊牧民は、元来印欧語族からスタート。
それが隣接するモンゴル・トルコ系に普及したもの。
そして、モンゴル・トルコ系の乗馬技術が元祖を上回った。
ジャルモ遺跡ってクルド民族が多い地域だからって印欧語族とは限らんでしょう。
アラム語系だった可能性もあるよ。
>>770 低糖質食でデブは居なかったろうからなw
男は皆筋肉質で俊敏だった
775 :
世界@名無史さん:2014/12/23(火) 01:39:41.45 0
フン族次スレ誰か建ててくれ
776 :
世界@名無史さん:2014/12/24(水) 23:49:05.13 0
トナカイ遊牧民は世界史的には影うすいな・・・
チュクチはロシア軍を返り討ちにしたのにw
オビ川下流を除くと国家を形成しなかったから?
777Get!
778 :
世界@名無史さん:2014/12/25(木) 22:29:49.55 0
大国に囲まれたほぼ無勝、千敗の超〜賎な民は馬や船に乗って来たヒャッハー
なお兄さん達にGo韓され続けたため、その末裔こそが周辺より気性の激しい
△△魔となってしまったのは無慈悲な地政学的宿命。 リアル性器待つ覇者
○○○○ハーンと同一のYを継ぐ者が現在全世界で1600万人もいるが貢献大。
恨の文化や歴史捏造癖は、ドラマと異なり惨めな歴史故だがお陰で若干体格
は良くなりましたとさ。 あ〜キムい、キムい。
779 :
世界@名無史さん:2014/12/27(土) 21:41:12.34 0
鐙が発明される前から出来てた。
定住民が鐙を作って始めて技術向上したのに対して、
遊牧民はそれを得て元々の技術をさらに躍進させ雲の上まで進化してしまった。
その結果、空前の大攻勢が始まる。
>>776 農耕民が近隣にいないとヒャッハーできないから
トナカイに乗ってヒャッハーできるのか?
やはり馬じゃないと駄目なのでは…
782 :
世界@名無史さん:2015/01/13(火) 16:42:42.40 0
民族はなぜ西へ西へと移動していくんだろう
偏西風?太陽の位置?
アメリカ大陸やオーストラリア大陸の開拓もそう
気象スレにもあったが、同緯度だと西のほうが海洋性気候で冬の寒さは厳しくない
匈奴や柔然が欧州に移動したのも無意識のうちに寒さから逃れてた?
中央アジアの寒冷化、乾燥化も有力か
いや、寒いんなら南に下るだろう
昔の人間が緯度とかわかるわけないし
知ってたとしても同緯度に留まる意味もない
と思ったがインド方面に下るにしてもヒマラヤ山脈があるな・・・
785 :
世界@名無史さん:2015/01/17(土) 11:11:57.57 0
遊牧民は歴史上最大の敗者
こんなに一方的に狙撃され射殺されまくった民族はない
モンゴル帝国の末裔など、現在はほとんどゼロに近い
メチャクチャな根絶ぶりはインディオなみ
もともと遺伝的に限界があったとしか言い様がない
>>784 南下は強力な農耕・定住民族の王朝があって阻まれた?
787 :
世界@名無史さん:2015/01/17(土) 13:38:26.66 0
ユーラシア大陸は南だけではなく、西進しても暖化するんだよ。
中国の北方民族は皆南下してきたろ
勝ったら征服王朝開いてそのまま漢民族と同化するが
やられたら西へ逃げるしかない
東は海(日本海)なんだから
南匈奴は漢に投降してやっと暖かい南の地に住むことを許されたんじゃね
といっても東京や大阪基準では北京付近でも十分寒いけど
790 :
世界@名無史さん:2015/01/17(土) 19:45:48.64 ID:aTXxerda0
イランではキジルバシのようなテュルク・モンゴル系の遊牧民が天下を取り続けたし、
遊牧民が遊牧民であり続けたのに、不思議な話だ
イランと中華とでは、一体何が違ったんだろな
イランも遊牧民なんだからなんじゃないの
イランだと農地に適した土地は少なそうだ
標高高いし
793 :
世界@名無史さん:2015/01/18(日) 11:41:51.54 ID:O8nIibdd0
イランで湿潤なのはカスピ海沿岸部だけだよ。
あとはカレーズ頼み。
ロシアだけは東へ(極東、アラスカ)、南へ(バルカン、中央アジア)って
感じだけどな
遊牧民でもなんでもないけど
露助が極東まで出張ってこなかったら、北方領土問題もなかったわけで
ま、歴史にタラレバは無しだがねw
796 :
世界@名無史さん:2015/01/21(水) 22:27:38.35 0
まあね。
日本軍の部隊わずか45名が、シナ軍の8000人を全滅させた話にしたって、
いずれはシナ側から卑怯な戦法だったとかなんとか難癖つけられてさ、
賠償問題になるんじゃないかなあ。
もっともこの時のシナ軍は過半が朝鮮兵だったという説もあり、
だから賠償問題はもっと複雑になるかもしれないけど。
日本人を除くアジア人が近代以降に徹底的な弱者に堕ちたのは、
骨格的に重金属の兵器を扱えなかったというのが大きい。
例えばシナ人や朝鮮人はライフル狙撃の命中率が極端に低いし、マシンガンには腕が振り回される。
戦車や戦闘機や潜水艦に乗るとすぐに錯乱するのも、シナ人や朝鮮人の体質的な弱さである。
そういえばシナや朝鮮の古来からの武器は、日本の女性の長刀より遥かに軽く脆い。
何故日本人だけが、アジア人で例外的に重金属兵器と相性がよいのか、
いずれ解明されるだろう。
視力が半端無いモンゴル系の狙撃兵は独ソ戦で大活躍した
あんな小さい目なのに視力は凄いんだなw
レンズも絞りを入れれば焦点が合いやすくなるからな
研究代表者森部豊『ソグド人の東方活動の関する基礎的研究』(科学研究費補助金(基盤研究(B))研究成果報告書平成21年度-平成24年度 2013/3)。
ソグド人は突厥化した。
農耕民が商業民を経て遊牧民化したということである。
農耕民は牧畜民をへて遊牧民化するとされるから、珍しい。
匈奴=フン の解明まだー?
都市で罰を受けて、羊番をさせれらるというのもあるみたいだ。
この前のNHK番組で、モンゴル遊牧民の少女が鷹狩りやってたね
未だに遊牧民っているんだなーと実感
ぶっちゃけ、遊牧民も海洋民ってよく似てるよね
どっちも、イスラム教向き
遊牧民はテングリ信仰が一番しっくりしないか
大昔のモンゴルのような、海を見たことの無い内陸民族では、
抜けるような青い空の綺麗さ、偉大さは想像以上なんだろう
逆に海洋民族や沿岸民族では、海信仰も芽生えるのも至極当然だと思う
でも海の貝が流通していたり、内陸にも巨大な塩湖があったりで、海が想像でないってわけでもないんよ。
まさか2000年後にアラル海が干上がってしまうとは、康居も奄祭もビックリだな