朝鮮が清朝に送った宗氏の書契の一部が清実録に収録されてるんだってね
五山文学で有名な禅僧の漢文も本場の文人から見るとかなりこなれない文章だったみたいで
原史料と対照するとかなり読みやすい漢文に修正されてるとか
向こうからすると、「私、日本の使節アル!今度から交易する、よろしある」みたいな文書読んでるような
気分だったんだろうな。
明の時代は八股文の文体が確立して
隋唐なんかに比べれば官の文書はずっと安定しているはず。
でも寺院はもともとヘンテコな鳩摩羅什 不空 玄奘なんかの漢訳を
使っているから僧侶の漢文は主流の文体じゃないはず。
八股文ねぇ
確かに文体「だけ」は整ってるだろうが実用性が。
>>592 禅僧などは宗教的境地を詩で表現しようとするので
一般の漢詩には無い規則があったりして
奥が深いといえば深いが部外者にはわかりにくいのは確か
>>591 日本で漢詩を作ると同じ用語でも中国とは異なるニュアンスで使ったり
日本語の文法に引きづられて構文がおかしくなったりするから
ただ阿倍仲麻呂以外の事例を挙げるなら
胡惟庸の事件に連座して雲南に流された日本僧がいるが
彼らが流刑先で作った漢詩は倭臭が無いので
中国で高い評価を得て『列朝詩集』等の著名な詩集にも収録されている
>胡惟庸の事件に連座して雲南に流された日本僧がいるが
くわしく
>>596 元の順帝の時に中国に来た日本人僧侶10人がそのまま残っていたのだが
胡惟庸が日本と通謀したという疑いをかけられて処罰された際に
事件に連座して雲南の大理に流刑となった
彼らは流刑先では厚遇され後に罪も許されたが
そのまま現地の寺院の僧侶となって客死した
大理には彼らの墓である日本四僧塔も残っている
「滄海遺珠 漢詩 日本人」でググれば関連する論文や記事が出てくると思う
598 :
世界@名無史さん:2014/12/18(木) 15:12:57.26 0
知識人粛清した重八は貧農・乞食坊主時代に余程酷い目にあったのかね?
599 :
世界@名無史さん:2014/12/19(金) 14:00:03.03 0
>>598 知識人というのは政治に対して文句ばかり言うものだ
始皇帝の焚書坑儒だって古代を引き合いに出して今の政治を批判する儒者達がうっとうしかったから
現代でも同じだろ
知識人なんて政治に批判的なのが普通だ
600 :
洪秀全:2014/12/25(木) 13:58:28.57 0
r´ `ヽ
______ | i
/ \ |
/ _ 洪 ヽ ノ 太平天国! 太平天国!
|:::::::: ○ ○ | ー ´ ノ 今日は天兄(キリスト)の
|:::::::::: \__/ | ー ´ ノ 誕生日だよ。
|:::::::::::: \/ | ー ´
ヽ:::::::::::: ノ
rー― ー ´ノ
( ー ´ ノ
ヽ___ー ´
やっぱり太平天国ってクリスマス祝ったんだろうか
どちらかというと上帝(エホバ)と洪秀全を崇めてるよな。
602 :
世界@名無史さん:2015/01/08(木) 11:11:22.41 0
個人的には石達開が好きだ。
最後は大渡河で失敗して投降して凌遅刑で殺されたけど
603 :
世界@名無史さん:2015/02/06(金) 00:30:34.83 0
明代に限らないんだけどさ
中国って凌遅とか酷刑やるけど柱に縛り付けて火刑ってやらないよね
西洋や日本ではやってたのに何でだろ
604 :
世界@名無史さん:2015/02/06(金) 09:47:36.98 0
思いつかなかっただけ。
ま、方法はほかにもたくさんあるのでw
605 :
世界@名無史さん:2015/02/07(土) 15:17:19.12 0
棄市という言葉があるように市場の小屋のすぐ近くで処刑するため引火の危険があるためとか
日本だと生活の場から離れたところで行って非日常的なものだけど
中国だと生活の場で行われてて日常の一シーンみたくなってるのかな
市場に物を買いに来たら死体が晒されてたとか
あるいは
市民を遺体冒涜に参加させるため残しておかなきゃならないとか
日本人だと遺体に触れるのは「穢れ」(衛生的なものから怨念まで含めて)が付くから嫌がるけど
中国人って処刑後に皆で肉を切り取って噛んで辱めるとかあるよね
ああいうの呪われるとか思わないんだろうか
しばらく不衛生な牢にいて殺された遺体を市場に放置して病気が発生したりしないんだろうか
606 :
世界@名無史さん:2015/02/07(土) 17:12:29.05 0
>>592-593 岡田英弘は「科挙は漢字の使用能力のテスト」と言っていたが、
そうであるならば、文体が整った八股文は科挙の受験資格保有者を大いに増やしたことにならないか?
実際、明・清代には、苗族などの異民族出身者も科挙を受験しているわけだし。
八股文は文体が整ってるというより形式「だけ」に拘ったパズルのような代物だろ。
実用性は極めて低いぞ。
608 :
世界@名無史さん:2015/02/07(土) 18:57:00.09 0
なんか明・清の上表文って
全体として読んで意味が分かる古典の一部を切り取って持ってきてるから
その文だけ読んでると意味がよく分からない箇所があるよな
>>603 殷の紂王がやったとされる炮烙の刑
史実かどうか分からないが
610 :
世界@名無史さん:2015/02/08(日) 15:40:01.92 0
>>609 炮烙って実際には肉を焼いて供える儀式の曲解らしい
酒池肉林も餅花みたいに枝に肉を刺して酒池もそれらしいのを作って
それくらい豊かな実りになってほしいという祈りの形だったようだ
ひょっとして紂王がやったと言われているから
やると自分の代で王朝が絶えると思ってやらないのかな?
612 :
世界@名無史さん:2015/02/19(木) 11:16:05.70 0
>>603 古い記録(史記)で項羽が劉邦の身代わりになって捕らわれた紀信を
火炙りの刑で処刑したとある。
613 :
世界@名無史さん:2015/02/24(火) 22:21:26.18 0
うろおぼえなんだけど
「万歴十五年」で
明代は大昔の土地台帳使ってて税率自体はきわめて低く
官僚や胥吏が変則的に徴収したり地主が取るので農民が苦しかったみたいに書いてあったと思うんだけど
明代ってちゃんと検地ができる人間っていたの?
科挙官僚は数学は全然習ってなさそうだし
胥吏はそんな権限もなければやっても何も得がなさそうだし
胥吏が官僚の手足となって実務を請け負ってるので、胥吏は算盤に長けてると思う
官僚が命じるままに税率上げたり下げたり、多少は自分の懐に入れたり
>>613 万暦会計録、山東経会録のような財政の専門書が編纂されているので
明朝官僚の計数能力はそれほど低いものではなかったはず
ただし検地の場合は民戸、官戸と諸王・勳臣の荘園が入り組んでて
土地の所有が複雑になっているので地方官だけでは手に余る
そのため万暦9年に行われた検地では現地の大地主や豪族に調査委員会を作らせ
彼らが出した数字や資料をもとに朝廷への報告書が作成された
当然のことながらかなりの申告漏れがあったようだ
616 :
世界@名無史さん:2015/02/25(水) 01:58:19.71 0
>>613-615 「官」(=科挙の合格者)は科挙を受験しているから儒教の経典については詳しいが、
法律、財務などの実務には疎い。
法律、財務などの実務については、現地の胥吏の方が詳しかったりする。
「官」自身が積極的でない場合には、現地の行政は胥吏に牛耳られる。
「官」が積極的である場合には、法律や財務に詳しい者を幕僚として雇って、
彼らからアドバイスを受けながら任務を遂行する。
出版業が盛んになった明・清代には、
科挙の合格者向けの、法律や財務などの実務の手引書も出版されている。
中華王朝の検地(丈量)は次の手順で行われる
自丈→覆丈→会計
自丈は
>>615で書いたような民間の土地所有者による測量と自己申告
覆丈は官によるチェック
会計で土地台帳が作成される
当然のことながら覆丈が有名無実化して隠田や税負担の不公正が常態化することも起こる
>>613,616
ただ公文書の作成や法知識で科挙官僚を補佐した幕友や
地域社会で官の下請けとして税の徴収や公共事業を取り仕切った郷紳層も
科挙受験の経験者であることが多かったから
儒教的教養と実務的な知識は必ずしも矛盾するものではないんだな
619 :
世界@名無史さん:2015/02/25(水) 17:26:09.93 0
しかし挙人と落伍者とでは天と地の差
>>619 官途に就かない名望家知識人の中では挙人は大物で
場合によっては省レベルの影響力を持つこともあるが
それ以下の生員だって顔の広さを買われて土地争いを調停したり
村祭りを取り仕切ったりして村の顔役として結構忙しいのだ
進士>>>挙人>>>>>>>>>>生員
科挙についてその制度を研究していた時代は
落第生なんて鼻もひっかけられない存在だったが
社会史的な視点を導入するようになってからは
生員クラスも地域社会の指導者として重要な役割を果たしていたことがわかってきたのさ
623 :
世界@名無史さん:2015/02/28(土) 07:23:49.10 0
ま、科挙に受からなくても気にすんな
明が一番繁栄してた頃の名臣の楊士奇や夏原吉だって
郷試も受けてないんだから
624 :
世界@名無史さん:2015/02/28(土) 11:14:10.09 0
楊士奇や夏原吉って建文帝が殺されたとき
最後の土壇場で永楽帝に寝返ったんだよな。
したたかというか・・・。
明の皇帝は人徳薄い
明朝最後の皇帝・崇禎帝が自決した時、殉死したのは宦官一人だけとか
南宋が滅んだ際には殉死者多く出たようだが
初代からしてアレですしおすし
627 :
世界@名無史さん:2015/02/28(土) 13:51:46.79 0
建文帝生存説をみんな笑っているけど
肝心の中国では信じている人意外に多いそうだ。
日本でも弘文帝生存説が千葉県に存在するね
日本の安徳帝や豊臣秀頼、近代の西郷隆盛まで生存説がある
そうあって欲しい、と言う大衆の願望が生み出したモノだろう
その最たるモノが、チンギス・ハンになったとか言う源義経
630 :
世界@名無史さん:2015/03/02(月) 19:44:15.48 0
>>624 黄福(『明史』巻百五十四)なんて
奸党二十九人に入ってたのにちゃっかりそのまま留任ですぐ後に工部尚書やってるからなw
その後も部下への給料未払いとか何か法に触れたとか何回も左遷されてるけど何度も高官に復帰してる
永楽帝南京入城時に李景隆に「こいつ奸党ですよ」って指差されたけど
「お前には言われたくない」って気持ちだったろうなw
631 :
世界@名無史さん:2015/03/02(月) 19:55:31.53 0
>>625 大概の明の皇帝が、有能だが冷酷か、放埓だが大らかかだけど
崇禎帝は放埓で冷酷だから救いようが無いよな
宦官べったりだし
632 :
世界@名無史さん:2015/03/02(月) 21:27:41.70 0
633 :
世界@名無史さん:2015/03/02(月) 21:45:13.84 0
>>629 ヒトラー生存説もヒトラーが生きててほしいという民衆の願望なのか?
>>623 官僚になる科挙以外のルートとして恩蔭(親の七光)や
捐納(献金)があるのは有名だけど
明初は事情が特殊で洪武17年に科挙が始まったにも関わらず
有力者の推薦で進士以外の人間もバンバン重要ポストに登用していたからな
趙翼が詳しく考証しているけれども建文の時の楊士奇も永楽の胡儼も
みんな学識が認められて非進士で翰林院入りしたクチ
景泰になるとそういう事はめったになくなったけど
635 :
世界@名無史さん:2015/03/03(火) 20:41:51.42 0
>>634 洪武・永楽あたりだと現場で苦労してるから人材の良し悪しを判断できるんだろうけど
宮殿の奥で育った世間知らずの皇帝だとそういう判断がつかないから
科挙という判断基準が最も有効なんだろうな
悪名高い錦衣衛だが、
元々は皇帝の側で儀礼に加わるきらびやかな錦衣を身につけた衛兵部隊だったんだね。
最近知った。
文武に通じた超優秀な人材が揃っている部隊だったため、
皇帝が活用したわけだ。
古典暗記猛者の試験馬鹿に比べたら、錦衣衛のメンバーの方がずっと実用的ではある。
637 :
世界@名無史さん:2015/03/06(金) 20:27:04.19 0
>>625 殉死した王承恩だが
wikiの項で「王承恩のみは崇禎帝に忠実で、目立たぬ存在だったという。」
って、なんか二世皇帝混じってるよな
王承恩は、絶大な権力握って、周延儒に魏忠賢の再来と言われたり
京営提督として北京の軍の総司令官やってた超大物だろ
638 :
世界@名無史さん:2015/03/07(土) 07:31:33.30 0
>>636 錦衣衛って皇帝の親衛隊だからねえ
王陽明も武功により世襲の錦衣衛武官職与えられて
それにプラスして伯爵まで貰って
子孫が北京陥落時に殺されてる
親軍としては、二十六衛もあったらしい。
孝陵衛だと陵墓を守るのが任務で、活きてる皇帝に会うことは、皇帝が参拝するときだけ。
錦衣衛は明初時では、厳格な審査と面接、各種訓練に通過できた者が選ばれる。良民であり、前科者は排除される。
万暦帝の時は朝鮮に来た日本軍の情報を収集する任務に錦衣衛が活躍してたとか。