2 :
世界@名無史さん :2010/11/04(木) 22:48:40 0
フランス革命前の貴族は、 狩りの際、農民の腹に足を入れて暖を取る権利があったそうな。 byマティエ(岩波文庫)
フランス革命直前は、もう近世であって中世ではない。
1769年辺りは近世の曙?ナポレオン誕生
曙どころか近世終わるわもう
一方中国は、既に近世は終わっていた? 1500年当時のヨーロッパ人はまさか自らが三百年後、世界を分割する立場に立つとは思ってなかった 人口でも欧州はアジアやインドに負けており、どんなに統計をかき集めても1億を超えない しかし、中国はそのレベルをかなり以前尾段階で突破していた。 また、中央集権の完備された官僚機構、科挙による官僚選抜試験。 どれも、欧州には実現できてない物だった、物資も商品もたくさんあり、技術でも勝っていたが 当時の欧州人の船乗りが、この偉大なアジアの帝国を見て思った事は 内に籠もっていくような、外への興味を失っていく姿であったろう 明の中頃には溶鉱炉も河北では全部火が消えた (大国の興亡 前巻 より
>>3-5 例えば
>>2 みたいに、フランスの片田舎の農村では1450年と1750年で
大して生活に違いはなかったんでないかというのも一種の偏見でないかと。
中世から近世通じて、戦争とか覗けば農村での生活には
大して変化なかったんでないかという。
マティエがそれ書いた時期に何をしてたか知ってて言ってるのか?
前スレでも書いた気がするが、近世と近代が名前似てるのが問題な気がする。 両者がごっちゃになったあげく、近代の一個前は中世だ!! となって 近世っぽいものが中世と呼ばれてしまっているような。
11 :
世界@名無史さん :2010/11/05(金) 18:12:43 0
一般社会では、近世ヨーロッパの絶対王政の頃の文化も「中世」で通っている。 バロックとかロココの文化も。
ウェストファリア条約(1648)あたりが中世と近世の分かれ目だっけ? まぁ、地域によっても違うだろうけど。
近世と近代の境目はどの辺だろう。 それこそナポレオン没後くらいか?
古代:西ローマ帝国の消滅まで 中世:東ローマ帝国の消滅まで 近世:神聖ローマ帝国の消滅まで 近代:第三帝国の消滅まで
第二帝国の終わりには、何も起きなかったのか?!
よし、近世と近代の間に、もう一つ時代を作るんだ!!
必要無い 古代:フランク帝国の消滅まで 中世:低地諸国の反乱まで 近世:フランス革命勃発まで 近代:第二次欧州大戦の終結まで
日本史だと確かこう↓だった。
古代:奈良時代まで
中古:平安時代
中世:鎌倉・室町
近世:安土桃山・江戸
近代:明治維新〜敗戦まで
>>14 それは多分ドイツ中心の区分だね。世界史全体でなら
古代と中世は同じで
近世:フランス革命まで
近代:第一次大戦終了まで
と習ったんだけども。
最近だと近代は第二次大戦終了までの方が違和感ないかも知れない。
現代が百年というのは長すぎるから。
ただ、三〜四十年後には冷戦終結までが近代扱いされると思う。
>ただ、三〜四十年後には冷戦終結までが近代扱いされると思う。 これは案外早くそうなる気がする。 冷戦後の世界の姿を模索して低迷期が続いてるからそろそろ次の動きが出てくる。 それが見えてきた時点で、契機は冷戦終了だねとなると思う。
映像の21世紀 第一集 それはマッハッタンから始まった イスラムの衝撃 第二集 それもマッハッタンから始まった ウォール街の憂鬱 第三集 米国人は米国の未来をチェンジした オバマの野望 第四集 イラク・アフガン・そしてグルジア 米国は地獄を見た 第五集 極東の悲劇果てしなく 極東冷戦構造の崩壊 第六集 世界の指導者は最終兵器エコを担いで対峙した エコの中の経済 第七集 世界が揺らぎ始めた AUの衝撃 第八集 月はやはり遠かった 科学技術の限界 第九集 平成、○○、そして○○ JAPAN
マ ン ハッタン
しょこで、文字しかなかった(紙の伝来)時代の場合は 文章の中世 第一集 文字は中世の歴史をつむぎ始めた 西ローマ滅亡の衝撃
衝撃だったのか?何十年も前からローマ支配は瓦解してたのに
だったと思うけど、むしろ強権的な支配が軽くなって平和になったやれやれと思ったら 蛮族が来でござるの巻で衝撃を受けたのではないかと。
マンハッタン始まりすぎw
26 :
世界@名無史さん :2010/11/06(土) 05:45:57 0
>>20 ,25 第十集(最終回) それしかマンハッタンは始められない アイアム・レジェンド
27 :
世界@名無史さん :2010/11/06(土) 07:42:20 0
>>18 中古というのは文学史の概念で、日本史なら
原始・古代、中世、近世、近・現代では?
最近の日本史教科書だと、
原始(旧石器〜古墳)・古代(飛鳥〜平安後期)
中世(院政期・鎌倉・南北朝・室町・戦国)
近世(織豊〜江戸後期)
近代(幕末・明治・大正・昭和戦前)
現代(昭和戦後・平成)
イタリアとバルカンとイベリアが欧州中心部と歴史を連続させてないから、日本と違って分け方難しいよね 原始 〜ローマ滅亡 古代 〜100年戦争 中世 〜スペイン帝国崩壊 近世 〜フランス革命 近代 〜第二次大戦 現代 〜俺が死ぬまで
29 :
世界@名無史さん :2010/11/06(土) 10:23:29 0
最近の日本史の時代区分では、古代と中世、近世と近代の時代区分は、
政権やその所在地で分けている時代区分と微妙にズレている。
昔は平安から鎌倉への時代の変わり目が古代と中世の分け目だったが、
いまは
>>27 のように、院政期や平氏政権は中世史に入っている。
また、一般世間では江戸時代は幕末まで含めて近世と理解されているが、
教科書では近世は天保改革までで、ペリー来航以後は近代になっている。
院政期や幕末は古代や近世ではなく、中世や近代に位置づけられている。
古代:縄文〜古墳 中世:飛鳥〜室町 近世:戦国〜江戸 近代:幕末〜終戦
原始:古墳時代以前 古代:飛鳥時代以降 中世:平安末期以降
32 :
世界@名無史さん :2010/11/06(土) 14:24:04 0
そもそも古代だとか中世だとか近世だとかの時代区分はヨーロッパの歴史に沿った分け方なので、 それをヨーロッパ以外の地域で用いるのは間違っていると思う。
じゃあ気候変動でわけるか 前10世紀〜前3世紀:寒冷期 前2世紀〜紀元後2世紀:温暖期 3世紀〜7世紀:寒冷期 8世紀頃〜12世紀頃:温暖期 13世紀頃〜1850年頃:寒冷期 1850年頃〜現在:温暖期
この分け方は良いかもね。 歴史の変動は、気温の変化に関係するって説もあるし。
前10世紀〜前3世紀:寒冷期 縄文時代 前2世紀〜紀元後2世紀:温暖期 弥生時代 3世紀〜7世紀:寒冷期 大和王国時代 8世紀頃〜12世紀頃:温暖期 平安時代 13世紀頃〜1850年頃:寒冷期 幕府時代 1850年頃〜現在:温暖期 近代日本 前10世紀〜前3世紀:寒冷期 殷周王朝 前2世紀〜紀元後2世紀:温暖期 秦漢帝国 3世紀〜7世紀:寒冷期 五胡十六国時代 8世紀頃〜12世紀頃:温暖期 隋唐宋帝国 13世紀頃〜1850年頃:寒冷期 南宋元明清帝国 1850年頃〜現在:温暖期 内乱期・現代中国 前10世紀〜前3世紀:寒冷期 無文明無文字時代 前2世紀〜紀元後2世紀:温暖期 ローマ形成・安定期 3世紀〜7世紀:寒冷期 ローマ崩壊滅亡・ゲルマン部族支配 8世紀頃〜12世紀頃:温暖期 小領主が合従する時代 13世紀頃〜1850年頃:寒冷期 王国の形成・発展期 1850年頃〜現在:温暖期 西欧列強 日本と早期の中国はピッタリするけど早期の欧州はなんか微妙じゃね
36 :
世界@名無史さん :2010/11/06(土) 19:00:58 0
>>35 中東やインドや中央ユーラシアや東南アジアだとどう?
寒冷期と温暖期のタイミングは、ユーラシアの東と西では若干違ったような。
仏独 前10世紀〜前3世紀:寒冷期 ケルト・ゲルマン系諸部族(鉄器文化) 前2世紀〜紀元後2世紀:温暖期 ローマンガリアとゲルマン部族連合の形成 3世紀〜7世紀:寒冷期 軍人皇帝〜フランク王国・部族国家 8世紀頃〜12世紀頃:温暖期 カロリング朝〜カペー朝前期・神聖ローマ帝国 13世紀頃〜1850年頃:寒冷期 大空位時代〜ウィーン体制崩壊 西地中海 前10世紀〜前3世紀:寒冷期 エトルリア・カルタゴなど〜ポエニ戦争 前2世紀〜紀元後2世紀:温暖期 ポエニ戦争〜セウェルス朝 3世紀〜7世紀:寒冷期 軍人皇帝〜ゲルマン系諸国家 8世紀頃〜12世紀頃:温暖期 イスラムの侵攻〜十字軍とレコンキスタ 13世紀頃〜1850年頃:寒冷期 初期ルネサンス〜ウィーン体制崩壊 東地中海 前10世紀〜前3世紀:寒冷期 フェニキア・イオニア〜ヘレニズム諸国の角逐 前2世紀〜紀元後2世紀:温暖期 ローマによる属州化 3世紀〜7世紀:寒冷期 軍人皇帝〜東ローマ帝国へ 8世紀頃〜12世紀頃:温暖期 イスラムの侵攻〜十字軍時代 13世紀頃〜1850年頃:寒冷期 ラテン帝国崩壊〜クリミア戦争
前10世紀〜前3世紀:寒冷期 ペルシャ帝国 前2世紀〜紀元後2世紀:温暖期 西部をローマに占拠された時代 3世紀〜7世紀:寒冷期 サーサーン帝国 8世紀頃〜12世紀頃:温暖期 イスラーム諸帝国 13世紀頃〜1850年頃:寒冷期 テュルク・モンゴル系の帝国に支配される 1850年頃〜現在:温暖期 西欧列強にレイプされる 前10世紀〜前3世紀:寒冷期 ペルシャに侵入、王朝建国 前2世紀〜紀元後2世紀:温暖期 匈奴・クシャナ 3世紀〜7世紀:寒冷期 中国に侵入、王朝建国・フン・エフタル・突厥 8世紀頃〜12世紀頃:温暖期 草原でガチャコン時代 13世紀頃〜1850年頃:寒冷期 モンゴル大征服・インドトゥランイランイラクアナトリアバルカンに侵入、王朝建国 1850年頃〜現在:温暖期 ソ連に食べられる 遊牧民は寒冷期のが調子いいな
植物が余り育たず、牧草くらいしか育たない地域に適応した 遊牧民の暮らしは、耕作しづらい寒冷期に適応したスタイルなのかもな。
ウイグルやキタイやセルジューク朝やホラズム朝は8〜12世紀に拡大しとるが まあ内陸部は旱魃や寒冷化の影響が激しいのかもしれん 黒死病も14世紀の大規模な気候変動に併せて大流行したし
42 :
世界@名無史さん :2010/11/06(土) 20:12:39 0
ここまでスレ始まらずワロタw
寒冷期は遊牧民が今までの暮らしが成り立たなくなって固定民の土地に侵入するんじゃないのか 温暖期は基本自分達だけでやりくりしてるから歴史には残らない
あー、どっちかっつーとそっちか。 確かにそうかもしらんな。
>>6 近世どころか、21世紀の今もって律令時代だろ。
ローマ帝国を支配したゲルマン人の数ってどのくらいだったんだろ? ローマ人とそっくり入れ替わるほど多かったのかな。
なわけないだろ まぁフランス北部とかイタリア北部はそれなりの数が移住したと思うけど
>>46 そっくり入れ替わるほど多いはずなかろう。
そんなに多けりゃ、イタリア語だのポルトガル語だのは今頃無えよ。
ゲルマン人の王様ががっちり支配したフランク王国ですら、もともとローマ領だった部分には
文法や単語の殆どをラテン語から引き継いだフランス語が後後まで使われてるだろ。
フランス語は結構ゲルマン語の影響受けてるけどね
神聖ローマ帝国の公用語はラテン語?
>>50 西ヨーロッパの中世の国家はどこも基本的に公文書を書くときはラテン語。
>>48 欧州の文系学者は主観だらけの嘘八百披露するの得意だからなw
ガリア語の痕跡は何も残ってないとされてるのだから
文法や単語の殆どをラテン語から引き継いだってのもよくある大本営発表だろ
ガリア語の痕跡も結構残ってるみたいだけど
今はそうされてるのか、じゃあ前言撤回で
というか、ガリア語って大陸と島に残存してるやつじゃどんくらい違ったんだ?
>>54 文法や単語の殆どがラテン語から引き継がれたというのも事実じゃないけどな
57 :
世界@名無史さん :2010/11/08(月) 23:10:47 0
島のケルトと大陸ケルトの言語はかなり違ってたんじゃない? 島のケルトの影響が多少残ってる今のスコットランドとアイルランド、ウェールズでも伝承、言語に 結構な差異があることを考慮したら、当時の交流困難な時代なら孤立化、特殊化していくんじゃないの? いや、むしろ他の文化との交流がある分だけ大陸ケルトの言語の変質化の方が大きくなってるかな。
Pケルト Qケルト
59 :
世界@名無史さん :2010/11/09(火) 12:20:08 0
逆に本当に暗黒だったものってなんだ? ・・・食い物?
栄養に関しては近世の頃の方が悪かったりする
神の平和運動以前のフェーデとか・・・
ローマに比べて食生活が後退してるんじゃね メニューのバリエーションって意味じゃ。
ローマのメニューと中世のメニューを比べないとわからんな 時代や地域、階級によっても違うし
64 :
世界@名無史さん :2010/11/10(水) 01:35:24 0
中世と言ってもウラルの麓とシチリアの真ん中とライン川のほとりでは食うものが違う気がする。
ローマ時代もローマ市自体はともかく、 ガリアだのヒスパニアだのは、極一部以外は 中世より良い暮らしだったとは言えないだろうな。 単純に農業技術一つとっても中世の方が進んでるわけだし。
>>65 ローマは農作物も含めて帝国全体に流通網が張り巡らされてたからな。
一般の人間が贅沢な食事をしてたとは言わないが、中世の農業技術の
進歩は限られた地域での自給自足の必要が生じたからこそとも言える
から、一概に言えない。
問題は旨いかどうかだな。
イギリスに行けば中世そのまんまの料理が食えるって聞いたよw
中世といっても地域によって違うからな
中世の水の代わりに飲まれたワインを飲んでみたい。 コロンブスが持ち帰った煙草を試しに吸った貴族が咳き込んだ後 ワインで口をすすいだような描写が、映画1492であったが、あんな感じかねえ
中世の方が今より平均気温が4〜5℃くらい高かった だからワイン製造はブリテン島でも盛んに行われており 農業生産性も高かった
74 :
世界@名無史さん :2010/11/10(水) 22:04:59 0
>69 ブリタニアの料理は石器時代以下と思うがw
>>73 大ブリテン島でのブドウ生産は10世紀頃までじゃなかったかな。
12世紀にはほぼムリポな感じだったみたいだけど。
>>74 テレビでイギリスの家庭料理作ってるのを見たが、野菜をコトコト煮込んで、
スープでも作ってるのかと思ったら、その煮汁全部捨てて野菜だけ食ってたw
あと、イギリスの給食普及運動でイタリアの給食センターのおばちゃんたちに
イギリスの子供たちが食ってる給食というか飯見せたら、「こんなの食べ物
じゃない」って、全部ゴミ箱捨てられてたw
>>75 中世のブリテン島住民が一番好んだのは確か、ギリシアのマルヴァジア産ワイン
だったかな。
>>59 農業技術、建築、政治、行政、文化、芸術、産業技術、武具、軍備
同時代の他地域と比べちゃうと普通に色々と暗黒だな
貨幣はどうだったろう、当時は日雇いには貨幣で払っているモザイク画もあるが。
5〜8世紀 西欧:フランク王国、西ゴートなど 東欧:東ローマ帝国、ブルガール、ハザール 中東:ササン朝→イスラーム帝国 中央アジア:エフタル→突厥→ウイグル インド:グプタ朝→ヴァルダナ朝、ラージプート 中国:南北朝→隋→唐 9〜12世紀 西欧:カール大帝→帝国分割、ノルマンとマジャルの襲撃→叙任権闘争、十字軍 東欧:東ローマ帝国、ブルガール、ハザール、マジャル、ルーシ 中東:アッバース朝・ブワイフ朝・サーマーン朝など→セルジューク朝 中央アジア:天山ウイグル、カラハン朝、カラキタイ インド:ラージプート諸国、チャールキヤ・ラーシュトラクータ朝、チョーラ朝 中国:唐末五代→遼・宋・夏→金・南宋 東洋の諸帝国と比べればアレだが、他はそう違いはない気もする そういやカール大帝がハールーン・アッラシードに珍獣もらったりしてるな
中世の頃の技術レベルの差なんてたかがしれてる
>>78 遅刻・早退・欠勤などを正確に記録して帳簿につけ、計算して月末に給料を渡す
なんて中世の簿記能力では無理でしょうな。
全部日給なんでしょうね。
そもそも複式簿記が使われるようになったのは12世紀だけどね
84 :
世界@名無史さん :2010/11/11(木) 22:23:53 0
>77 オセアニアやアフリカ中央部、朝鮮半島と比べると上と思う。
>>82 銅貨とかどういう風に流通してたんだろうねえ?
それと税制か
中国中世じゃ、早い段階で税は物納から銭による納付になっているし。
律令制の下では、租庸調もかなりの部分で銭に置き換わって、雑用等も銭で代替されてたとか。
ただ、戦乱時代三国の頃は、屯田においては物納だったそうで、しかもべらぼうに税率が高い。
しかし、あくまでも収穫物での納付だったので農民が集まったそうで。
銭の絶対流通数が足りない無い状態に陥ってデフレ気味になったのが中国の中世の一面とか言う話しだ。
所謂金詰まり。
銅貨は東洋、支那〜インドにかけて流通してたが、西は銀金の貴金属貨幣だけじゃなかったかな。 欧州は銭納早かったはずだぞ。 カトリックの坊主が「貧乏人は銀貨四分の一にカットしたのばかり納めるやがるから・・・」どうのこうのと文句書き残してたのが残ってるw
>>52 音韻の癖としては残っているが、少なくとも語彙はすっかりラテン語に入れ替わっている。
文法にしても、法とか時制とか態とかもラテン語との関連から見る方が、今残っているどのケルト語との比較よりも明確だしな。
なるほど。 >銀貨四分の一にカット つまり、棒銀とか粒銀みたく重さで流通してたのか<銀貨の貨幣単位は中世欧州ではメチャクチャになりそうだし
>>86 それでちょっと前20世紀前半くらいまで、25シリングとか25ペンスとかいう硬貨があったのか。
25が必要とかではなくて、100/4という意味で。
>>88 逆に、小国家乱立だと、自前通貨を作るところが少なくて、銀の産地を持っているところが
発行する地金型通貨が広く流通する。
後発のところが何かの理由で地金型通貨を発行するときには、先発の信用のある硬貨に
量目も品位も合わせる。しばらくの間は信用が薄いので、なんぼかディスカウントして流通
するしかない。
貨幣史で見る欧州中世も愉しいかもなあ むしろお金という砕けた視点で。
>>90 >先発の信用のある硬貨に量目も品位も合わせる。
(以下割愛)
なるほど。 しかし欧州で銀が出る地域って限られるような。
原則は既に良く流通していて信用のある銀貨に規格を合わせる、なんだけれども、 あまり頭の良くない領主というものは度々出てきていて、悪貨をバラまいている。 何々公国の銀貨は品位の良いのと悪いのがゴチャ混ぜだ とか こんど新しく出された○○王国の銀貨は前のよりも銀か少ない とか 言われると、自国の納税にしか使われないという最悪の状況にしかならない。 騙したつもりの悪貨でも、発行元はその額面で受け取るしかないから。
>>92 中世だと南ドイツ〜ボヘミア〜ハンガリーあたりとか。ハンガリーは金も出てたな。
金とか銀ってわりとどこでも出るんだけど、文明が発達するとあっさり掘りつくされるって感じじゃない?
>>79 増えた結果も微妙な数字だけどな
元々中世後期になるまで未整備と分裂で統一的な把握なんて夢のまた夢だし
微妙な数値つーても最終的に現代の1/5とか十分に立派だと思うんだが…
>>85 それは宮崎市定の中世論で、金詰りになったのは銭じゃなくて交易の交換手段と
しての黄金のことを言ってる。全面的に支持できないことでもあるけどな。
銭の絶対的流通不足で銭荒が深刻になったのは宋代で、代わりに紙幣や地金の銀
なんかが通貨として重要になってくる。
増えた結果が微妙ってw 最盛期で9000万 中国、インドに並ぶ大量人口地域だったけどな 11世紀以降になると文字資料が増大して 教会や城にいけば税帳簿がごろごろ残ってるわ だいたい分裂どうこういうならインドやイスラム、日本の中世も封建的なところがあってバラバラだぞ
>>94 金に関しては火山帯と関係あるという話だったけどな。
造山活動の一環で金を含んだ鉱石が出来るとかなんとか。
文明圏に火山帯のなかった古代中国に、金の産地があったという話も聞かないし。
>>98 最盛期で9000万っていつの話?
16世紀前半の時点でスペインとナポリ王国、ポルトガルとその地中海大西洋島嶼部を合計して2600万強
フランス王国がそれより少し少ないくらい、ドイツがフランスより少ないから、どう頑張っても7500万届かない
インドと日本の鎌倉時代なら同意出来なくもないけど、イスラムと日本の室町以降は違うね
>>100 それに北欧と中欧のカトリック圏足したら大体数字としてはあう気がするが。
ペスト直前が9000万 1500年だと5人の学者の平均値が8000万ちょいだな
あとイスラムはアッバース朝後期からイクター制だから中世の時代は半封建制みたいなもん 強力なリーダーが現れないと小領主が割拠する状態になってるよね
ビザンツ帝国史の本を読むと末期はプロノイア制によって帝国の封建化が進み 弱体化したなんていわれてるが、その割に思いっきり封建制のノルマン人や 十字軍に苦戦してた件について
イスラム圏って、殆どが、初めッから現代までずーっと社会的に中世のまんまじゃん。
「イスラム世界への偏見」スレを立てたらどうだ?
ノルマンの場合イギリスやシチリアでもそうだが 征服王朝で陪臣にも影響力をある程度もってたらしい さらにウィリアムの場合、封土を部下たちに計画的・均一に自らの手で与えたから 大貴族は生まれにくく中央権力は強かったとか 逆にその均一な領主たちは連携して後に議会勢力になってくけど
108 :
世界@名無史さん :2010/11/13(土) 01:14:00 0
>105 イスラム教地域でもソマリアやボルネオは古代のまんまな気がする。
>>106 極論書いて混ぜ返すのは知識が無い奴の常套手段
>>105 うん、まず「社会的に中世」という言葉を定義しようか。
112 :
世界@名無史さん :2010/11/13(土) 10:07:57 0
中東で中世のまんまな生活してるのってイエメンぐらいじゃん。 他の国は普通に現代的な生活してるよ。
それって認めてんじゃんw
古代や中世にAK47はないだろ。
なんか下らん流れになったな
116 :
世界@名無史さん :2010/11/13(土) 12:47:09 0
>>113 認めてないだろ。
イエメン以外の中東諸国は現代的な生活してるって言ってるんだから。
117 :
世界@名無史さん :2010/11/13(土) 12:56:21 0
イエメンはそれを考えたらうまくやっているほうだなww 少なくとも政府が機能しているのだからww 中世の社会にAKが野放しになってしまったら ソマリアになってしまうからな というより、中世の封建社会はどこでも AKなきソマリアじゃないのかな
中世を無秩序かなんかと勘違いされていないか?
中世の仏独英東岸を除く北伊は無秩序じゃあないけど無政府に近くはあるよねっていう
120 :
世界@名無史さん :2010/11/13(土) 17:48:00 0
>>119 中世のイスラム社会はちっとも無秩序じゃないぞ。
ベルリン攻防戦の時に「秩序をー」と頭煮えてキメたようなのが一般人を該当や街路樹に吊して 「私は共産主義者です」とかの看板を首から提げさせて廻るのが秩序と思っているんじゃないの
122 :
世界@名無史さん :2010/11/13(土) 18:26:30 0
イスラム世界が封建制を経験していないのは大ウソだよな
123 :
世界@名無史さん :2010/11/13(土) 18:27:37 0
>>122 おまえ、封建社会と無秩序を混同してないか?
124 :
世界@名無史さん :2010/11/13(土) 20:01:07 0
封建社会は原則自力救済主義ではないのか?
そもそも封建制は安全保障から発展したようなもん 自分の領地を守るため相互契約を結びまくると
126 :
世界@名無史さん :2010/11/13(土) 20:45:49 0
イスラムの場合は傭兵のマムルークに金払えなくなっただけだけどな
127 :
世界@名無史さん :2010/11/13(土) 20:46:56 0
>>126 それもあるけどイスラム世界の封建制は、
一般的にイクター制の事を言うんじゃないの?
128 :
世界@名無史さん :2010/11/13(土) 20:47:30 0
ローマ帝国の全盛期が7000万だから、中世の方が人口多いのね 中世はヨーロッパと中国が両立して、その間に中東―中央アジアの小国が並ぶ感じなのか、意外だ
129 :
世界@名無史さん :2010/11/13(土) 20:57:44 0
>>128 中世はヨーロッパより中東のほうが発展してたけどね。
首相が脱税しても起訴もされない秩序だってある
>>120 当然だろ、そして欧州と違い無統制でもない
>>128 中世の南欧を除いた欧州には小国と呼べるほどの国家すら存在していない
132 :
世界@名無史さん :2010/11/13(土) 21:09:19 0
>>131 どうかヨーロッパの大国ビザンツの存在を忘れないで下さい。
中世の中東は人口減少だけどなw
>>131 フランスの人口はペスト直前で2000万
中東で一番豊かなエジプトは500万w
人口は気候=農業生産力の影響があるから 人為要素だけで増減するわけじゃないけどね。 人口だけで言えば今なら中国とインドが世界の極で 残りは全て周辺地域なのかという話になる。
ローマ帝国は欧州・アジア・アフリカの三大陸にまたがってて、 欧州といってもライン・ドナウの向こうは支配下にないが
中東なんてろくずっぽ人が住めねー地域で繁栄とかむなしすぎる
138 :
世界@名無史さん :2010/11/13(土) 21:25:59 0
>>133 9世紀のバグダードは人口100万人の世界一の大都市だったよ。
ローマ帝国時代の欧州人口は3000万とも5000万とも 史料が少ない時代のせいか推定値の幅がひどい
>>133 それで人口減少してるんだから世話ねーよ
バクダットが減ってもイスパハンが増えて16世紀には世界の半分と言われる
>>138 人口のほとんどが少ない緑地に集中しただけだろ
McEvedy & Jones (1978)によると当時のイラク人口は250万
まぁあくまで推定値だが大して人口がいなかったことは確か
>>108 ソマリアなんて中世真っ最中ではないか。ありゃ、群雄割拠の戦国時代だし。
ボルネオは北部海岸は回教圏だけれど、それ以外は回教圏ではないからね。
>>111 広域宗教が流布。
武断政権による割拠。
宗教による社会制約を支配階層が強制。
>>122 UAEなんて封建社会真っ最中だし、トルコイスラム政権だってインドのデリースルタン諸王朝から
ムガル帝国まで含めて例外なく封建社会だし。
UAEってまだ軍事封土制やってんの?
147 :
世界@名無史さん :2010/11/13(土) 22:12:05 0
>>142 中東は基本的に都市中心の世界だから、
ヨーロッパのように農村がまんべんなく広がることはなかった。
けれども、その代わりに都市経済が発展したからヨーロッパよりは先進的だった。
単に住む地域が狭いから集住してるだけだろ
149 :
世界@名無史さん :2010/11/13(土) 22:26:03 0
>>148 そうだよ。基本的に沙漠が多くて住める地域が少ないため、
その分、都市が多く形成され結果的にヨーロッパより経済が発展した。
当時の生産高はほとんど農業生産 ゆえに一人当たりGDPはほとんど差は生じない だから人口が多いほうがGDP高いね
>>132 ビザンツは南欧、しかもビザンツと西欧は別世界
>>134 当時はまだフランスなんて国は影も形も存在してないよ
>>150 GDPは時代ごとに変動する
バカなお門違いの学者がたまに的外れな極論披露するけどね
じゃイクター制のイスラム諸国ものきなみ存在してないと
>>152 18世紀以前の一人当たりGDPはほとんど変化しないけど
155 :
世界@名無史さん :2010/11/13(土) 22:47:14 0
>>151 ビザンツは東欧じゃね?
南欧っていうとイタリアのイメージなのだが・・・。
ビザンツが西欧とは別世界なのには同意。
GDPで言う国はどの範囲で言ってるのかから話さないといけない気がするが。 ヴェネチア共和国のGDPとか、自由都市はどうなのかとか。 農業中心のフランス、商業中心のイタリア諸都市、チロルの領邦国家みたいな牧畜中心の地域だってある。 ノルウェーあたりじゃ海賊をやめた後は漁業が中心だし、どれも同じ程度の稼ぎだったとはとても言えない。
157 :
世界@名無史さん :2010/11/13(土) 23:05:20 0
ここの議論にろくに出てこないラップランドやスオミランドの人はどうだったのかね?
時代を経てのGDP向上は身分の安定化や商品作物の増大を見ても解る
>>154 は専門外の学者が思いつきで適当に出したチラ裏を真に受けちゃったんだろ
イタリアの都市国家なんて人口が少ない上に世界中から金が稼いでたから 高い一人当たりのGDPの数値を出せただけで イタリア全土の農村人口も含めたら一人あたりのGDPはせいぜい平均の1・3倍ぐらいだ
>>151 さすがに14世紀のペスト流行の頃はフランスもかなり王権が強くなってるよ。
それ以前もフランスという国がないんじゃなくて、フランス王国という名称
で括られる地域というべきだな。下手すれば諸侯より弱くても一応王はいた
わけだし。
まあ、16世紀のフランスの推定人口が1600万っていうのもあるから、
>>134 の2000万ってのは、かなり大きいほうの見積もりだと思うし、フランス王
の直轄地に限ればもっと人口減ると思うけどな。
そのかなり強くなった王権も、前代よりは進歩してるとはいえ 鎌倉幕府程度の統制力しか保持していなかった 12世紀以前は周王朝とか大和朝廷の時代かな
>>159 別に人口は少なくないし、農村も沢山抱えてるよ
名称は同じでも古代の原始都市国家とは別物
>>159 イタリア全土って、今のイタリアのこと言ってる?
それなら確かにあんまりかわらないかもしれない。
ヴェネツィアとかトスカナとか遠隔貿易の大都市を抱えた国で考えたら農業中心の仏独とは
比べものにならないと思うんだけど。
仏と独じゃ大分違う
イタリア全土も何も、独立都市国家乱立状態の当時のイタリアを 現代の領土で括って平均化してどうこう言うこと自体意味ないだろ。
ドイツも独立小領主乱立状態 フランスも14世紀頃までは分裂状態だしな
貴族だの僧侶だの芸術家だのという生存に関わらない職業の人間を、 どれだけ養えるかが国を全く別のものに変える。 ヨーロッパの地域だけでも差があるのに、 イスラムが同じ様なGDPなわけない。 東アジアまで行けばもっと差が出る。 米と麦じゃ生産性が違うから、養える余剰人口も変わる。
>>161 鎌倉幕府なら当時としては上等な方だろ
むしろ室町幕府よりはだいぶマシ
>>167 養える人口がどれだけであれ、その人口まで自動的に人口は増加する法則ってなかったっけ?
搾取だけで生きていけるブルジョワジーの誕生はまた別の問題だしね
農業生産高が増えればそれだけ人口が増えるから結局農民の一人当たりGDPは大して変わらない それに当時のイラクの人口が300万程度とすればバグダード人口100万全員商人だったら飢え死にするわ 古代・中世の巨大都市の人口のかなり割合が農民と考えないと都市民が飢え死にするって 人口が増えれば増えるほど富裕率も落ちる傾向あるしな(それは現代でも同じだよな) だいたいイスラムがいくら商人が多いといっても人口の大多数が農民に決まってるだろ そうじゃないとどうやって生きていくんだよ ちなみにルネサンス期のイタリア諸都市はせいぜい数万、最大のベネチアでも10万程度だ
一人当たりGDPが大幅に変化するのは 産業革命以後だ、工業化が進んでから
172 :
世界@名無史さん :2010/11/14(日) 09:37:32 0
中東は交易圏だから商品作物も買えばいいだけじゃねえのか
そりゃイタリア諸都市がしょぼいだけ、狭い京都ですら20万都市で非農民多数
大消費地として各地の物資と資本、技術が集積された
>>170 安定期は農業生産高が増えても人口は増えないよ。大地主は別として
農家の資産は積み上がるけど資産分けせず継げない連中は都市や小作
174 :
世界@名無史さん :2010/11/14(日) 09:38:28 0
全盛期のバグダッドは帝国内から富が集まってくるんだからな それに貨幣経済だったわけで
帝国内からくるってことは結局帝国全体は平準化されてるってことだな それに外部からの輸入だけじゃ古代はやってけない実際バグダッドは穀倉地帯だから農民もたくさんいた 農業生産高増えても人口が増えないってメチャクチャだなおい 実際安定期は人口増えまくってるだろ 世界の人口増加において農業技術の向上や新大陸の作物の導入は不可欠 イスラムは砂漠化が進んで減ってるけどな ちなみにイタリア諸都市の稼ぎは京都なんか目じゃない 地中海・ヨーロッパだけだなくスペイン・ポルトガルにも深く関わってたから世界中と取引してようなもん
176 :
世界@名無史さん :2010/11/14(日) 10:00:10 0
バグダッドの南イラクで黒人奴隷つかって大規模農場やってたな やってることはアメリカと同じw
平安京も右京の部分は農地化されたらしいな それと大陸の都市は城壁に囲まれて 郊外が農地なのが普通、城壁内に農地や家畜小屋があっても珍しくないから 農民もたくさん住んでるよ
>>175 イタリアの公国が行っていたのは東地中海との交易が大部分だよ
おまえが知識も無く思いつきでお喋りしてるのは解ったからもういいよ
>>177 農地化されたんじゃなく京都が拡大して農村が取り込まれた
古代以来の城郭都市と人口流入による都市は別物
ぷっw ジェノヴァ商人がどんだけスペインとポルトガルに関わってたか 全くわかってねーのに適当なこと言ってなんよ どっちにしても第一次産業が圧倒的な古代中世では全体的に差が生じないことは 否定しようがないがね
スペイン・ポルトガルの出資者はネーデルラントやイタリアの商人だから かなりの金がネーデルラントやイタリアに回ってるんだよ おまえが知識も無く思いつきでお喋りしてるのは解ったからもういいよ w
京都が農村取り込んだら京都も農民人口がいたってことだろ それに右京が荒廃して農地化されたのは事実だし
>>147 いや、ヨーロッパの中世だって、城壁で囲んだ町にしか人が住んでいない状態。
田畑も町から歩いて通えるような範囲にしか作られていない。
>>173 日本は伝統的に城壁を作らないので、耕作可能なところはことが悉く詰まって耕し、結果、
街を支える耕地も人口も多くなる。
イタリアもそうだが、ヨーロッパで城壁の外にも人が沢山住んであちこち耕しだすのは
18世紀に入ってからのことだ。農民も街に住んで、農地に通って、毎日街の我が家に
帰って寝ていた、
そもそも、乾燥する夏季に生活用水の得られるところにしか街はできないし、生活用水と
農地(食糧生産)の限界が、人口の限界、ひいては街の規模の限界だった。
>ヨーロッパ全体で農村人口に対する都市人口の割合は、1500年でわずか10%、1800年でも15%にすぎなかった。 >都市人口が農村人口を追い抜いたのは、19世紀の終わりから20世紀になってからのことである。 「貧乏貴族と金持貴族」220頁
>>177 太閤区割の前までは、大きな区画の通りに面したところにだけ家や役場や店があって、
区画の内側は畑だったんだよ。
ヨーロッパの街が中庭があって通りには洗濯物干すと怒られるが、中庭の側には干し
まくりだったりするだろ、あの大規模な状態で、蕪だの菜っ葉だの葱だの茄子作っていた。
>>181 荒廃するというよりは、開発が進まないままだったという方が正しいような。
室町時代には、京の町そのものが堀切で南北で分けられていて、南半分は荒廃に
任せて田畑ばっかりだったし。
だいたい巨大都市の人口は都市圏で考えてるとしか思えないね となると郊外の農地も含んでるはず
>>184 農村の人が住んでるところ自体が、城壁で囲った街だからね。
>>187 それなら都市人口に入るだろ?農地で働いているだけなんだから
>いや、ヨーロッパの中世だって、城壁で囲んだ町にしか人が住んでいない状態。
>田畑も町から歩いて通えるような範囲にしか作られていない。
これってどの本(論文)に書いてあるの?
チェコってどう?ヨーロッパの歴史でどんな位置づけ? 一応プラハが神聖ローマの首都になったり、ルターよりも前にフスが宗教革命起こそうとしたけど、ポーランド辺りよかは格上なの? 所詮ドイツ人のパシリでしかない?
>>179 んー、全体的な差が生じないって言うのに違和感がぬぐいきれないなぁ。
一次産業が圧倒的っても商業がなかったわけじゃないし、
三次産業があるところはないところに比べるとやはり差があるんじゃないだろうか。
と、いうか三次産業が貧弱なところとそうでないところとに有為な差がないのであれば、
それは一次産業で三次産業の穴埋めをしているってことだよね。
ヴェネツィア共和国の貿易やローマの巡礼で得るのと同じくらい農業生産で稼ぐって無理だと思うんだけど。
>>189 何をもって格上とするのか……。
一応ボヘミアは帝国内唯一の王国で、格式は高かった。
首都時代の皇帝カール4世は名君で、プラハをライン以東随一の都市に作り上げ、
帝国で最初の大学を設立した。
が、その息子が暗君で皇帝位を奪われ、そのせいもあってチェコナショナリズムに傾倒していく。
住人も言語もドイツ系じゃないし、
そういう意味じゃ帝国の他の地域と同様に扱うわけにはいかない、
扱いにくい地域ではあっただろうね。
>>189 格上って概念が良く解らんな。時代の中心になったことがあるかないかで言えばあるが。
>>179 どっちにしても?何と何のどっちだよw
第一次産業だけ見ても古代帝国の農民に商品作物や低級工芸品の生産は見られないが
中世の帝国ではそのどちらも普遍的に見られるようになる。
交易に関しても古代には極小規模な支配層の直接交易を除き域外交易はほぼ全く見られないが
時代を追うごとに文字通り交易量は倍々で増加してる。否定されまくり
>>181 そりゃ農民人口はいるが、大半が農民だった古代以来の城郭都市とは違い
流入や消費地を背景にした商売、職人、賎業に就く非農民人口の割合も多い
>>183 仏独は普通に農村が存在しまくってるよ都市は都市、村は村、日本に似てる
>>192 あーやっぱそれかw
そのデータは信憑性に乏しいゴミだ
じゃ信頼できるデータ出せよ 証明が逃げるって卑怯だろコラッ
証明できねーからって逃げんなボケ
>>191 >>193 ふーん、大体ハンガリーと同格ぐらいか>欧州での地位
女はすげえ美人は多いんだけどな
おいおいデータ出せよ 具体的に
その農民人口とそれ以外の場合がどれくらいか ちゃんと出せや、取引量もどれくらいかちゃんと提示しろや
>>199 チェコ≒ハンガリー>ポーランド、なのか?君の中では。
基準がなんなのかさっぱりわからんな。
伝統的に工業生産についてはチェコは圧倒的(WW2前で世界7位だっけか)。
一方で版図・軍の精強さではチェコはハンガリー、ポーランドと比べるべくもない。
>>202 中世ってなんだっけ、と時に思うことはありませんか?
じゃさっさと出せよ
過去スレ見たらオスマンスレで一生懸命アンガス否定してたアホ? 否定するのはいいけどよお前も変わりに自分の推測値出せよ
>>206 むしろアンガス支持したのはオマエ1人だけだったよねっていう
推測値出す?意味不明 色々思いついた理由付けで擁護する度
アンガスのトンでも推測値を否定する数字と根拠が挙げられてたよね
税収のほぼ全部が農業からの古代と、交易港のある州とはいえ
商税収入とは別の交易税収入が15%程ある11世紀頃の近世
しかも城内中に露店が立ち並ぶからには、人口の大部分が農民で
必需品のみ農業生産し、それでも没落する農民の多かった古代とは
何をどう操作しても1戸当たりGDPが違う
むしろ「自分の」はいらない 他の学者の論文なりを示せば良い
>>202 ああ、あるある。ヴァーツラフ大聖堂のステンドグラス眺めたときとかな。
>>207 アンガスのこと議論したのは俺じゃねーよ
俺は初期のウォーラステインやブローデルの話しだ
でお前はこの二人の学者をトンデモって言ったら他のやつが否定して
お前が無知を露呈しただけだろ
だいたいアンガス否定してたのお前一人だろ、印象操作すんな、どのサイトみてもアンガスにそこまで否定的なやつはいいない
それにアンガスの資料でも1000〜1500はどこの地域でも一人当たりGDPは2.3割増しだ、(ヨーロッパほぼ2倍だが)
お前のいうとおり中世のGDPはあがってるよ よかったな(つか最初っから俺もそんなことはわかってるが)
とはいえ第一次産品が圧倒的なのは変わらんがね(最初っ俺はこれおを主張してる)
10年分の家族の食費は一月で7万ぐらいと考えて1000万ぐらい、10年使う家具や服飾品にそんなにかかるわけねーだろ
訂正 とはいえ第一次産品が圧倒的なのは変わらんがね(最初から俺はこれを主張してる) 中世はどの地域も現地生産・現地消費が基本だ 産業革命の頃みたいに安値の服飾品をバカスカ買えるわけじゃないんだからな
単純に第一次産業とくくっているが、 フランスの農民と、北欧の漁労民と、日本の農民と、モンゴルの遊牧民と 例えば13世紀で比較した場合に、生産力や生活レベルは対等と考えられるのかね。
だから食糧生産高に応じて人口が変化するから 全体的にあまり差が生じないと言っている ちなみにすごく大雑把な話だから地域による例外は出さないように 平均化すれば大して変わらん
>伝統的に工業生産についてはチェコは圧倒的(WW2前で世界7位だっけか)。 確か、コンタクトレンズ発明したのもチェコ人だったよね?フスが宗教革命成功させて、 WW2後に共産園に組み込まれなければ、現在のオランダとかスイスぐらいの存在感になれてたかもな>チェコ
WWU以前の数少ない戦車生産可能国だしなw>チェコ チェコ製の35t戦車と38t戦車が無ければドイツの電撃戦も上手くいかなかったともいわれている。
>>191 20世紀以降の民族構成で語ると大間違いだぞ。
二つの大戦の戦後処理のドサクサで追い出したけれども、ボヘミアやシレジアはドイツ人のが多くて、
なんぼかチェコ人やらポーランド人の少数民族のように居たくらいのものだったろ。
そこをソビエトが侵攻してきて、ドイツ人やハンガリーを追い出し、チェコ人やスロバキア人やら
ポーランド人の難民を押し込んで、元から居たような顔して暮らせと命じて住まわせた。
ビロード革命なんかも、神聖帝国のチェコとハンガリー王国支配下だったスロバキアとでは気質が
そもそも違うとか、尤もらしい理由付されてるけれど、都市住民のチェコ人と、農民のスロバキア人の
気質の差だ。都市住民のチェコ人やハンガリー人が一掃されて貧乏で蒙昧な農民だけになったから
スロバキアが貧乏になった、ドイツ人を追い出した穴埋めにチェコ人を使った、という具合。
>>212 前近代の一次産業従事者は生活費需品の生産以外は貢納で剥ぎ取られて
食糧生産が追いつかず多数の死者の出るような飢饉が度々起こっていたと
いうのはどこも同じだ。
>>217 人口構成に関する史料を見たことがないから何とも言えんが、
素直に納得できない話だな。
少数民族っていう言葉の語感によるのかもしれないが、
「チェコ」に少数民族ほどしかいなかった「チェコ人」をドイツ人を追い出してからチェコに押し込んだの?
ヴァーツラフ四世によるプラハ大学のドイツ国民団追い出しとか、
ボヘミアにチェコ人が少数民族ほどしかいなかったのなら不可能だと思うんだけど。
まぁ、人口比49:51とかなら不思議はないけどね。
・騎士は鎧の重さで転んだら自力で起きられない これって偏見じゃなくて事実だよね
そういうケースもあったってだけだろ ヒストリー・チャンネルの「古代からの発見」みたけど 騎士たち普段から相当な訓練をしてたし 鎧は関節の可動性もかなり高く、重量も分散してるから 慣れればかなり自由に動けるようになる それと平均的な重量は30キロだが、現代米兵の通常装備は40キロなんだと 訓練してれば楽勝じゃね
米兵だってずっこけたらそのままじゃ起きられないから一度背嚢を下ろして立ち上がるだろ しかも最盛期の鎧の重量は30キロどころじゃなくて40キロが当たり前、50キロのもあったわけで
全ての騎士達がこけたら立ち上がれないってのならともかく データがないからそういう例があったってことぐらいしかわからん
戦場で倒れるのって大抵は突撃の時か組み打ちのときだから 前者なら味方の後続に踏み潰されるし後者ならそのまま制圧されて殺されるので そもそも起きれるかどうかは重視されなかったんだろうな
やっぱトイレ行くのは大変みたいだ
なにもないとこですらそんな感じなんだから 戦場だったら十分死ねるだろうな 雨がふって下がぬかるんでる泥とかだったら終わりだろう
226の動画だと簡単に立ってるけど どっちにしても自力で起き上がれることはわかった
フレイルって強かったのかな ヘッドの重さは所詮1キロちょっとだから食らっても投石程度のダメージしかなさそう それだったら普通に鈍器で殴ったほうが
上だと80メートル(アーチェリーで20メートル) 下は30メートルと20メートル と俺のつたないヒアリング能力でそう聞こえる
自分で起き上がれないのは馬上試合用の鎧で 戦場で使う鎧は普通に動けるって前スレで出てたぞ
しかし鎧を着た状態で一度両肩が地面に着いてしまったら、 すばやく起き上がるのは無理だろうな。胴体が曲げられないんだから。 言わば死に体になるわけで レスリングや柔道のルールもそういう所から端を発してるんだろう。
そりゃ素早く起きるのは厳しいよね ただそのデメリットより頑丈な防具を重視したってことじゃない
甲冑つけてるようなのは貴公子で随身がずらずら付いてくる。 しかも最前線に出てこず、ずっと後方から伝令飛ばして形だけの指揮をやっているに過ぎない。 伝令も前線で戦ってる兵員もあんな甲冑つけてないって。 チキンなお公家さんをなんとか戦場の近くにまで引きずり出すには、これで槍でも鉄砲で防ぎますよ、 とかいうエクスキューズが必要だっただけ。 本物の兵員はあんなもの着けては戦えないって百も承知だ。
今まで議論されたプレートアーマーについての疑問はここに全部書いてあるな
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%97%E3%83%AC%E3%83%BC%E3%83%88%E3%82%A2%E3%83%BC%E3%83%9E%E3%83%BC >>全身に均一に装甲されることから、訓練された騎士であれば十分な運動性を発揮でき、馬に跳び乗る事もできた
>>それよりも問題なのはプレートアーマーは熱を溜め込みやすいことで、兜を着けると熱が頭にこもって熱中症の原因になったりする
>>後に発生したプレートアーマーの過剰な重量化の一端には、戦乱期の終息と共に盛んになっていった馬上槍試合用の防具(一種のスポーツ用プロテクター)としての発達
>>馬上試合では前方のみ見えていれば事足りるためでもあるが、これらは関節の自由度も低く、落馬すれば文字通り「自力で動くことができない」ものも存在する。
>>「西洋甲冑は重くなりすぎ戦場で転倒したら起き上がれない」と言われることもあるが、この誤解はトーナメント・アーマーと戦闘用アーマーを混同したことによる
>>ただ甲冑を着た騎士を転ばせることは、これら甲冑に付き物の狭い視界や装備重量の関係で必ずしも無効だとはいえず
>>歩兵装備としてはこういった騎士を馬上から引き摺り下ろしたり集団で群がって打ち倒すための武器も見られる
ここが面白いな >>プレートアーマーは防具としての意味合いが強いが、ある意味では着る武器であった >>甲冑の重量は武器となりより強いインパクトを与えた。 >>片側のガントレットだけで1kgもあり、装甲の薄い兵士がこれで殴られることは、その重さのハンマーで殴られることに等しい
フルプレートアーマーは史上最も発達した全身防具だと思う。 wikiにもそれ自体が武器だとかかれてある通り、殴っても蹴っても体当たりしても頭突きしても 軽装の相手に致命的なダメージを与えた。 当時最も強力な弓矢やボウガンも歯が立たなかったというし、 銃器が発明されてからも百年程度使用時期が重なっている。 良く「銃器の発明でフルプレートアーマーは廃れた」と勘違いされているが それは現代人の無知から来るもので、実際当時は完成した鎧に対して 試し打ちを行って大丈夫なことを保証していたし、戦場でも飛んでくる弾に対して 抜群の防御力を誇っていた。 鎧の流線型のフォルムはただ格好が良いという理由でそうなっていたのではなく 最も強力な弓矢や銃弾も反らして跳ね返すためのものだった。 これは弓矢や銃弾に限らず、鈍器による打撃にも威力を発揮し、 打撃の運動エネルギーは殆ど鎧に伝わらなかった。 そのためフルプレートアーマーが廃れるまでそれに対抗できる武器は存在しなかった。 なお、フルプレートアーマーが廃れたのは度重なる戦争で どの国も慢性的な資金難に陥り騎士の時代が終わったからである。
>>238 J.F.VerbruggenやP.Contamineは指揮官は
・中世の軍団が小規模だったこと
・騎士道的な理由
・戦場にいることで兵士に安心を与えるため
等の理由から指揮官は最前線の騎兵と共にあらねばなかったとしてるんだが、最近新しい学説がでたのかな?
できればそのソースをお願いしたい。
>>241 余談だけどM.Prestwichによると資金難に陥ったのは国じゃなくて騎士らしい。
で、個々の封建領土から得れる税収を鎧の値段が上まったためにその傾向がひどくなったんだとか
逆に国の資金力ってのはそれらによる相対的な中央強化でむしろ強まってるはず。
>>239 鎧武者が飛び乗ったら、それこそ、馬が潰れるわ
>>242 だから、お公家さんはチキンハートなので、あんなごっつい防具でも用意してやらないと
戦場へご参上願えなかったんだってば。
戦場に来てもらわなければ兵隊が怠ける、でも、戦場は怖い、だからああいう過剰な
防御っぽいものを着せて引っ張り出してくるしかないわけ。
まぁ、ああいうごっついのを着ているおかげで、だれがウチの御館様なのか、敵視点では
誰が大将首なのか一目瞭然で都合が良いッちゃあ都合が良かった。
ソース無しで長文書くのがはやってるのか?
>>210-211 いやオマエだよ
このスレでも何度もアンガス嘘情報に言及してる以上取り繕っても無駄
ちなみに15世紀の50年間で非必需品の取引による低地諸国からの関税収入は2割も増えてる
>>218 西欧の農民がよく生産していた羊毛は必需品なのかな?w
それに全量徴発とか聞いた事ないわ、悪の大魔王でももっと優しいぞ
>>244 お公家さんが前線で指揮した記録なんて無数にあるし
被弾して戦死した事例も結構あるよ
>>244 すまない、誤解を招く言い方だったな。
ソース何?
ちくま学芸の聖王ルイではルイ(王)は他の騎士と変わらぬ武具だったと書かれているし、J.F.Verbruggenだって他の騎士と変わらぬ装備で戦場に出たって言ってる。
P.Contamineは指揮官は戦場でよく一番槍を競ったって書いてるが、それは過剰で戦えないとされるほどの重装備とチキンハートにしては身軽で勇猛に聞こえる
百年戦争あたりでも平気で王侯クラスで戦死したり捕虜になった奴いるしな。 前線で指揮どころか自ら突撃かまして
>お公家さんが前線で指揮した記録なんて無数にあるし >被弾して戦死した事例も結構あるよ >百年戦争あたりでも平気で王侯クラスで戦死したり捕虜になった奴いるしな。 >前線で指揮どころか自ら突撃かまして ここまでソースなし
百年戦争でバー公のエドワード三世、ミハエル・デ・ラ・ポール、クラレンス公のトマスやブルターニュ公のシャルル一世は戦死してるし、トーマス・モンタクテやジョン・フィツァランは負傷が原因で後に死んでる。 もっと知りたいつーんならJonathan SumptionのHundredYearsWarが安い上に情報量も多くておすすめ。
ドンキホーテか…>甲冑が高い、時代が変わった
>>241 プレートアーマーは史上最も発達した防具というのは同意。
だが、防御力を追求しすぎたために廃れてしまった。
「銃器の発明でフルプレートアーマーは廃れた」は一面真実だ。
確かに銃弾からの防御力を高めたり、矢を受け流すマキシミリアン式の考案などで
銃の使用後も十分実用に耐えうる防御力を持っていたが、
そのために鎧は重く(軽い物はある程度防御を捨てている)、高価になり、扱いにくい物になった。
だいたい中世どころか近世になっても戦場に行ったら 銃撃以外にも剣や槍や棍棒や弓矢で攻撃される訳で
>>252 散々否定されてるアンガス嘘情報しか論拠が無い時点で
Youの決戦的大爆敗は致命的に明らか
>>250 フランソワ1世がとっ捕まったフランス王国とスペイン帝国の抗争でも
ボルボン公が結局攻略できた攻囲戦の指揮中に先陣切って戦死してる
はい敗北宣言きましたw アンガス否定者はお前だけ
つーか2日前のにレスしてる時点で逃げてるのが丸わかり 忘れた頃にレスして勝者気取ろうという浅ましい行動だな
>>257-258 思い出したところで相手してやるから
オマエの僻論が否定された中のどの例でもいいから反論してみたら?無理だろうけど
何を反論すんの?
>>254 そんなもんだよね。車輪の無い戦車みたいなもんだもん、あれ
>>254 >「銃器の発明でフルプレートアーマーは廃れた」は一面真実だ。
>確かに銃弾からの防御力を高めたり、矢を受け流すマキシミリアン式の考案などで
>銃の使用後も十分実用に耐えうる防御力を持っていたが、
>そのために鎧は重く(軽い物はある程度防御を捨てている)、高価になり、扱いにくい物になった。
「銃器の発明でフルプレートアーマーは廃れた」ってのは有名な偏見。
で、さらに指摘すると、
・ マキシミリアン式は従来のフルプレートアーマーよりも軽い。
・ 銃は最も強力な弓矢と同程度の威力で、命中率はそれよりも低かった。だから従来のフルプレートアーマーより
さらに防御力を高めたり重くする必要はなかった。
>>241-242 に書いてあるように、経済状況の悪化でフルプレートアーマーを買える騎士が少なくなって
徐々に廃れていったというのが正解。
今の日本も、このまま経済状況が悪化し続けたら50年後とかにはマイホームを持つという習慣が廃れ
賃貸住宅が当たり前の世の中になってるかも知れないぞ。そういうこと。
いや、もう既にそうなってね?
そもそもフルプレート買う騎士なんていないけどね、買うのは王侯貴族
>>263 まぁ、銃器を過大評価するわけじゃないが、弓(つーかクロスボウ)は機構が複雑化して、16世紀ごろには技術的限界に達していた
逆に銃のほうはといえば、火薬量と銃の構造を巨大化させれば命中率に使いやすさは下がるものの、フルプレートアーマー相手にも貫通が見込めるように強化することが簡単にできた
プレートアーマーは一応のところマキシミリアン式で完成形態を迎えたのに、銃のほうが未だ発展の余地が十分にあったため、最終的に能力競争に負けて薄れた側面も否めないんじゃないのかな?
>そもそもフルプレート買う騎士なんていないけどね、買うのは王侯貴族 ソースは?
金さえ払えば誰でも買えたそうだが
火器高いからね、物価は上がっても年貢の量は変わらないし
中世ヨーロッパって臭そう
完全にプレートアーマー型が廃れたのって16世紀頃? スイス傭兵の装備が非常にシンプルだったので
>>246 西欧で羊毛は、衣料の繊維原料として、必需品だよ。
中世のヨーロッパ人が裸で暮らしていたとでも思っているのかい?
>>251 そりゃ、戦争は目的の地面やなんかを占領するか大将首を取るかするのが勝利条件だから、
偉そうなヤツの居そうなところを重点的に攻撃するし、勢い次第では、矢でも投石器の石でも
大将の要る本陣に直撃するし、タマ取りにくる兵隊も一番偉そうヤツに斬りかかってくるだろ。
カネさえ出せばったって、農民が甲冑かっぱいで売り飛ばせば三代遊んで暮らせるような値段だぞ。
農民が買えるわけないだろw 何言ってんだ 金持ち騎士なら買えるってこった
騎士が金持ちというのは偏見
金持ちの騎士もいたんだよ 貧乏な貴族もいたけどな
275は金持ちの騎士って書こうとしたんだよ やっぱり訂正しておいた方がよかったか
279 :
世界@名無史さん :2010/11/18(木) 18:58:46 0
当時の平均的な小作農民の月収を今の10万円とするとフルプレートアーマーはいくらくらいなんだろうか? まあ良質の鋼鉄そのものが今よりはるかに貴重だと思うが・・。 チタン合金でつくったレプリカ甲冑着て春コミ夏コミに参加するようなものだろうか? 500万円くらい?
>>271 「グスタフ・アドルフの騎兵」って本の再現イラストで
17世紀のリヴォニア騎兵がまだフルプレート着てた
武器はピストルだったが
車買うようなもんなのかね
どっかで戦車一両買うくらいって見たぞ
283 :
世界@名無史さん :2010/11/18(木) 23:53:42 0
鎖かたびらを代々使うぐらいだからな。
ボロの戦車ならそこらの金持ちでも買えるかな
>>274 労働年数33年、三代というからには世代交代ありだから、最低限同時に三人で、
とりあえず食う分だけで100年分、穀物で45トン。ここでざっと200万円か。
遊んで暮らすということはエンゲル係数20%、主食よりも副食の方が高いから、
少なくとも穀物の購入額のざっくり10倍は必要。
最低で2000万円か。
>>285 そう考えるとランクが低い高級車レベルか。
庶民には手は出せないが金持ちなら出せなくもない程度。
大貴族の城に大量に飾ってあるイメージがあるけど、間違ってはないのかなぁ?
大貴族って諸侯や領邦の主しか該当しないからな 2000万なら平均的な騎士の年収が40万として50年分、買えるのはほんの一握り
年収40万とか生命活動の維持ですら危機感があるレベルだろ
>>288 三人が生きていけるだけの穀物が年2万程度なら、40万ありゃあ充分だろ
中世と言っても1000年あるから一緒くたに論じること自体が無理があるというかねえ。 奈良時代と室町時代じゃ違うでしょさすがに。 取りあえず騎馬試合が成立してた頃にはある程度安くなってたと思うけど。 でないと勿体なくて試合なんかやりたくないと思うんだよね。
>>288 中世の経済なんて現代の最貧国並でしょ。
平均所得が1日米ドル換算10ドル未満が最貧国だから、1ドル80円として、29万円。
ありえなくはないよ。
じゃ最貧国並みの物価にあわせて アーマーも100万ぐらいか
>>290 概要の項目で解説してるのは16世紀のお話、中世最末期
それと板金鎧は着ることが出来ただけで、騎士の持ち物でも兵士の物でもなく支給品
支給できて兵士も着れるってことは その頃にはかなり安くなってたんだな マクシミリアン式はマジクソ高かっただろうが それとプレートアーマーが出てくるのは14世紀以降だから 200年で相当普及したってことだな
ネット検索してたら薔薇戦争の頃には既に装甲兵士が出現してたらしい 量産化は思いの他はやかったのだな うむ
>>296 一介の騎士や平民には到底買える値段じゃないが
諸侯が一部兵士に支給するくらいには量産化された、ってだけな
しかも当時はまだ軍の規模が小さな時代
オスマン終了後のトルコ、ショボw ざまあw
じゃ騎士も全部支給か 諸侯はすごい金持ちだな
プレートが高くなって廃れたていう説
銃器に対抗できなくて廃れたという説もどちらも正しいんじゃないか
これは仮説だがようするに量産化された安物のプレートは銃器に対抗できなかった
銃器に対抗できるような軽量で硬い高価なプレートは量産化できなかった(構造が複雑)
だから廃れたって感じじゃねーの
安物のフルプレートなら
>>232 の動画のようにロングボウでも貫通する
まぁあんな至近距離から撃つことはないだろうけど
どっちにしても兵士に支給できる時点でそこまで高価とは思えん
要は鍋の大きいような打ち物だろ。そんなに高価なはずなさそうなんだが
ロングボウで貫通できるならボウガンならもっと簡単に貫通できたはず
>>300 ほとんどはそうだよ、農民戦争のとき出張ったバンベルグの平騎士で
プレートアーマー持ってた騎士いないし
>>304 よく知らんが、鉄腕ゲッツとかは自前の鎧持ってたの?
支給されるなら騎士としては最初っから自分で買う必要もないな 持ってたら自慢できることぐらいか
>>305 出が低くても有能で軍歴を積み昇進を重ねた騎士なら買えるだけの俸給貰ってる
>>306 基本的にはもっと安い鎧しか支給されないから、買えるなら買うんじゃないの
しかし騎士達への鎧の貸し出しともなると かなりの鎧を揃えておかないといけないな やっぱり戦争は金かかるね
そうなると、たまにしかない戦争のために武備を揃えるのは馬鹿馬鹿しいね。 戦のたびに、武器と武術を備えた者を一時的に雇った方が効率がいいね。 現代の技術系派遣と同じこと
17世紀中頃までは一時雇用の傭兵が大半でしょ、武具は支給で鍛錬もされてない傭兵だけど
封建制度ってものそのものが多額の武器などを戦争の度々に領主が購入するのは高くつきすぎるからそれらを土地による収入で維持させ、必要な時に格安で募兵するシステムだろうに あ、後期中世?というか近世?シランガナ
>>311 武器云々はともかく・・・
ちゃんとした官僚(徴税官・裁判官)がいないので、、法令はほとんど伝わらない(王の威光だけは届くが・・・)。
そこで僧侶や武人に一部領地を与え、土地と人民を統治させた。
という一面もあるが・・・。
>>310 傭兵の武具は(少なくともドイツでは)自弁だぞ
傭兵個人が全て自弁したかはともかく、傭兵隊長は部下の傭兵たちの武装に責任を持っていた のは間違いないだろう。 傭兵が武具を支給されていたとすると、それぞれの傭兵隊の中でのことではないのか? 王とか諸侯とかが傭兵を雇う時、「戦争を出来る役に立つ即戦力の兵隊」が欲しいのであって、 戦闘の用具も整えていない数だけ揃えた集団を雇うはずがない。
スペイン帝国もフランス王国も戦闘の用具も整えていない数だけ揃えた個人を傭兵した 騎士だけでは頭数が絶対的に足りないし装備も期待出来ない 諸侯はそりゃ募兵も武具も自弁だけどね 傭兵(騎士)の武具が自弁なのはプレートアーマーが普及する前の時代の話
皆それぞれ言ってるがどこまで本当かどうかよくわからん
ソースすら無いのは全部間違っていると思ったほうが無難
しかし、中世の特に軍事史なんてまともな日本語のソースがないからなぁ
ランツクネヒトは募兵をかけられて傭兵になると、強制的に装備を買わされる。 高給に惹かれて傭兵になった奴らは、装備の支払いで結局はそこまで儲からない、という寸法。 資料が手元にないのでやや不正確だが、いちおうバウマンの『ランツクネヒトの文化史』から。
>>308 戦死したら取りっぱぐれるよ、それでも貸すような商人はいるのか?
>>320 きょうびのタクシー運転手とか小口荷物配送の募集のようなものか。
分割払いで給料から天引きされるのはパイクや火縄銃なんかの主武器だけだな。 防具類は持ってると募兵時の査定がアップするが、持ってなければそのまま。 ついでに剣術の免許状とか持ってると倍給傭兵って更にアップ。 まあ本当に倍になるわけじゃないが
http://mltr.ganriki.net/faq11f02.html ドイツ農民戦争時のバイエルン公の貴族への召集令にこうある
>>「何時,何処へ諸君を召集しようとも,諸君は諸君の職務によって定められているに相応しく,従者,馬匹,甲冑を携え,
>>装備を整えておくように」
また都市民に対しては
>>都市は馬と兵車を用意すべきであり,「市民並びに都市住民はただちに武器と甲冑を完全に整え,
>>4隊を編成してうち2隊は長槍兵,1隊は弩兵と銃兵であるように」
百年戦争時のフランスにおいては没落貴族の野武士団が平時に略奪集団と化していた
平時でも武装してたと考えないとおかしい
金銭の報酬に関しては書いてあるけど武器の支給に関しては直接書いてないな
英国の騎士の武器防具もM.Prestwichによると持参なわけで… あと、町でもクロスボウのボルトを平次でも一定本数保有していることが求められていたらしい。
>>324 貴族と騎士は国人と平武士くらい違うし
火器や重装と槍等や軽装じゃ掛かる費用は段違い
百年戦争みたいな小規模抗争の時代と
それなりに規模が大きく成りだした中世末期じゃ負担が違う
都市住民はどうかな、武装農民もいるし ていうかさソース出して
野武士団がいちじるしく跳梁したのは1360年前後と1430〜1450年と 後期は完全にプレートアーマーの時代だな
>>326 百年戦争ってフランスの面積の四割くらいが係争地でけっこう大規模な抗争ではないのかい?
>>326 それにこれは貴族といっても騎士も対象だろうね
>>また,ルドルフという郷士は次のように訴えている
>>「私は3週間も瀕死の床についておりまして,ただ今も病気で家から一歩も出ることがかないません
>>そこで息子に馬と甲冑をつけて同盟軍に差し出しますが,私自身はこの度は馳せ参ずることができない次第です」
郷士は日本語で下級武士のこと、ほとんど騎士と同等だろ
そもそも騎士は立場的に準貴族的なところがあるしな
>>330 郷士って地侍だろ。半農半士で、馬なんか飼っていて、普段は年貢米の収集や運搬、犯罪者の護送くらいしか
支配層的な仕事はしてなくて、戦時にも精々足軽の補充くらいにしかならない、帯刀している豪農レベルのもの。
郷士の定義はこうらしい 1.城下士とは明確に区別され、在郷していること 2.所持地の全部、または一部を「知行」として与えられ、生活の基礎をそれに置くこと 3.家臣団の身分階層性の中に「郷士」(名称は各様)として正式に位置付けられていること 4.軍役を負担する 騎士と似てる面もあるな 騎士は小領主から住み込みまでいろいろいるけど
>>328 野武士団が著しく跳梁跋扈したのは騎士階級が困窮して他に生活手段が無かったからだよ
プレートアーマーを着ていたのは極々々一部
>>329 双方最大でも10,000人程度しか動員してないし
戦役の経過ものんびりしたもんだよ
>>330 >>324 を見てみたけど騎士も含むね
給金か糧食を支給するなら定め通りの動員に応じる
従卒どころか一族郎党すら連れて行かない
まあ、農民戦争で一揆が何十城も騎士の館(自称城)を落とした事から分かる通り
自弁の騎士が大昔の定め通り軍役を負担するのも、騎士だけで必要な兵員を賄うのも
当時はどちらも既に不可能だった
なんでもいいからさっさとソース出してくれ 口ではいくらでも言えるっての
>>333 ソースは?
>>334 一万いるってことは千ぐらいのプレートアーマーが必要だな
それを全部諸侯がもっていていちいちメンテナンスするの?
13世紀からは軍役に金銭支給するのは当たり前になってるし
ランツクネヒトみたく給料払って、武器は自前でメンテナンスも自分でしろって方が楽だと思うがね
なんにしろソースが必要だな
>>336 おまえがソース出した事って一度でもあるっけ?無いよね
320に出してるだろ はやくソースだせ
ソースないならお前の言ってること全部嘘になるぞ とにかく何でもいいから武器。防具の支給に関して読んだ本の題名をいえ
>>337 ドイツ中世の日常生活
賃金払ってるなら自弁も糞もねーよ
16世紀初頭のスペインは火縄銃も火薬も支給、給与を貰う傭兵用の工具も支給、剣は自弁
いや自弁だし なんにしろソースだしたからOK
いつの年代のどこの話なのやら。
先生のオカルトゾーンは恐ろしいな
百年戦争関係の洋書とか読んでると出てくるMen At Armsってのは 全身板金鎧装備で徒歩で白兵戦する連中、で合ってる?
>>348 ちと間違ってる
Men at Armsは多くの場合重装兵(下馬、騎馬両者含む)を示す。
前期中世では騎士がすべての重装兵だったものの、後期になると常備軍や、傭兵などの重装兵が増えたため、このような表現が取られた
ソースはM.Prestwich
馬上も含むっけ?
351 :
世界@名無史さん :2010/11/24(水) 18:41:46 0
352 :
世界@名無史さん :2010/11/25(木) 20:18:55 0
『傭兵の二千年史』(講談社現代新書)菊池良生著ってどうよ。
>>352 手元にないので記憶だけど。
ペルシアに雇われたギリシャ傭兵から始まって、スイス傭兵、ランツクネヒト、
そして日本の武士、傭兵の時代の終わりを告げたフランス革命の時のかけ声、
それから現代の傭兵まで、傭兵の歴史をざっと洗ったもの。
読み物として面白いし、軽く読める良い本だと思う。
個人的には内容は悪くないんだが、突っ込んだ内容に乏しくて微妙だった
二千年分を一冊でやるとそうなるんだろうな。
西欧で最初の大規模な傭兵団って 14世紀のカタロニア軍団とかあのあたり?
357 :
世界@名無史さん :2010/11/27(土) 17:54:07 0
ラテン帝国関係のアカイア侯国を支配したイベリア出身の傭兵団?
>>356 カルタゴノバ(ヒスパニア)でかき集めてエブロ川河岸に集結しアルプス越えでローマと交戦した
第二次ポエニ戦役のカルタゴ軍ではないの?
それは傭兵を寄せ集めた軍勢であっても傭兵団とは違うだろう
>>358 >>359 一応名前で呼ばれた傭兵集団なら第一次ポエニ戦争の発端になったイタリア出身
のマメルティニがあるが。
あと、ローマと戦ったエペイロス王キュロス軍も傭兵みたいなもんだったな。
問題はヨーロッパ世界自体が存在しない時代を含めていいものかどうかだが。
>>360 西欧どころかヨーロッパ世界にも含まれない(時代的に)と書いてあんじゃんw
南欧でもいいならギリシャ人はエジプトやペルシャなんかで傭兵やってるけど 西欧は蛮族居住地→ローマ支配地→蛮族征服地と激変してるからな
>>362 ゼウスがエウローペーをかッ攫って逃げ回った範囲がヨーロッパだから、範囲は確定しているだろ。
>>364 アジアは元々はアナトリアだけだしヨーロッパも元々バルカンと島嶼部だけだし
ヘカタイオスやヘロドトスは黒海北岸のスキタイまでヨーロッパに含めてるし、 イベリアもイタリアもケルトもギリシャ人が植民したマルセイユ経由で知っていた 当時はドン(タナイス)川か、グルジアのリオニ(パシス)川、カフカース山脈がアジアとヨーロッパの境
中世のTO図とあまり変わらんのだね。 なぜか現代ではウラル山脈がヨーロッパの境だとか思われてるが。
>>367 そりゃ、ギリシャ人やローマ人の知る範囲が黒海の北岸のそれほど内陸に至らない部分で、知ってる範囲の一番東がウラル山地だっからだろう。
ウラルが境になったのは、モスクワ・ロシアとシビル・ハン国が対峙してた頃だろ。
>>366 ゼウスやエウロパが生み出された時代はバルカンと島嶼部だけがヨーロッパ
時代と共に範囲が拡大してるのだから、当時の西欧がヨーロッパに含まれてなくても不思議ない
>>370 その頃はまだモンゴル帝国の系譜を自称するトルコ・イスラム国家がカフカスに陣取っていたいたし、
最終的には18世紀後半までジンギスカン裔を称する政権が黒海北岸にあったんだし。
当時の鎧と現在のフライパンどっちがつええの?
そりゃもちろん当時の鎧、フライパンは薄くなきゃ熱伝えないし
376 :
360 :2010/11/29(月) 17:57:46 0
なんかヨーロッパの話が地理的なものになってるな。俺が言いたかったのは、 ヨーロッパ世界は古代地中海世界の崩壊後に初めて誕生してるから、当時は ヨーロッパ「世界」というまとまりがなかったという意味なんだが。
>>372 でもルブルクのウィリアム修道士なんかはまだバトゥが生きてた頃の
ジョチ・ウルスのど真ん中旅行しながら、それとは全然関係なく
「このドン河がヨーロッパとアジアの境である」等と書いてる。
>>376 それを言ったらローマ帝国の瓦解以降、ウェストファリア条約まで、中世丸々ヨーロッパなんて無いじゃん。
>>377 バトゥはまごうことなきジンギスカン裔の王族じゃないか。
なんでウェストファリア条約でヨーロッパが誕生すんだよ
カール大帝のフランク王国が「東ローマ世界」とは別の「中世ヨーロッパ世界」の範囲だというなら、 その外にあった北欧諸国やスラヴ諸国、イベリア半島や南イタリアの立場がない。 せいぜいフランク・西ローマ世界とかローマ・カトリック世界程度。 モンゴル人やトルコ人が立てた国はアジアだというなら、マジャル人によるハンガリー王国はどうなるのか。 イスラームを信仰する国はアジアだというなら、現代アルバニアはいまだにヨーロッパではない。 ドン川の西側にあるクリミア半島には、現在もイスラームを信仰するクリム・タタール人が住んでいるし、 ヴォルガ川西岸にはチベット仏教徒のモンゴル系カルムイク人がいる。
後ウマイヤ朝のイベリアはヨーロッパじゃなくても良いと思うが
>>381 後からイスラームに改宗したような地域は、元キリスト教ってことでヨーロッパで良くないか?
中世の終わりとされる15世紀中頃までに、一度でも住民の多数がキリスト教の信仰に入った地域で、
かつ地中海の北側にある地域くらいの感じで良いと思う>中世ヨーロッパ世界
384 :
世界@名無史さん :2010/11/29(月) 23:49:03 0
>>383 その定義だとトルコもヨーロッパになるね。
>後からイスラームに改宗したような地域は、元キリスト教ってことでヨーロッパで良くないか?
カルタゴヨーロッパ説浮上中
イスラム勢力の侵入がなかったらアフリカ北岸地域もヨーロッパ概念の内に入ってたんだろうか
アフリカはアフリカでしょ
サハラ以北はヨーロッパか。 その場合”白人”という概念も変わってたかもな。
アナトリア半島は確かに地中海の北側にあるな そうするとキプロスやマルタ島はどうなるのだろう
>>384 うん。実際トルコはEUに加入したがってるから
ヨーロッパ扱いで良いと思う。
>>385 後のイスラム教の進撃ぶりを見るに
あの辺にそれほどキリスト教が普及してたとは思えんのだけど。
>>390 それは同時期のヨーロッパ地域でも似たようなもので…
ただ、キプリアヌスが三世紀初頭生まれで洗礼が四十六年、そしてたった三年で司教までなったことを見ると少なくとも人手不足ではありそう
古くからキリスト教国であるアルメニアやグルジアもヨーロッパ扱いでいいですかね カフカースの南側になっちゃうけど
>>390 アウグスティヌスはアルジェリアだし、その後のヴァンダル(アリウス派)、東ローマとキリスト教世界に属している。
アウグスティヌスはキリスト教の重鎮だから調べてみると良いよ。
そしてゲルマンの侵入後、ゲルマン人に広まったアリウス派がチュニジア周辺にも広まる。
だがアリウス派が異端とされると、ヴァンダル、東ゴート、東ローマの関係が怪しくなる。
結局アリウス派のヴァンダル、東ゴートを東ローマが占領する。
そして異端であるアリウス派への弾圧が始まる。
イスラムが浸透できたのは、むしろアリウス派がアタナシウス派(正教会)よりイスラムに近かったからだ。
正教会によるアリウス派への弾圧が後にイスラムへの改宗を後押しする結果になった。
西ゴート(イベリア)もアリウス派だったものが、後にアタナシウス派(カトリック)に改宗し、アリウス派が弾圧された。
イベリア、シチリア、南イタリアの一部にまでイスラムが侵入できたのはこのキリスト教内部の宗派争いがある。
>>392 エチオピアは仲間外れですか
かつてはエジプトもシリアもパレスチナもメソポタミアもキリスト教圏だったしな 11世紀初頭にはモンゴル高原のケレイト王国がメルヴ経由でシリアのネストリウス派キリスト教に改宗しとる
395 :
360 :2010/11/30(火) 05:35:38 0
だから、厳密な地理的概念としてヨーロッパ世界を限定してるんじゃないんだ
って。カール大帝以降本格的にヨーロッパ世界が誕生してるけど、ザクセン戦
争やレコンキスタ、布教活動なんかで当然拡大もしてる。
「中世ヨーロッパ」なら、普通、おおまかに言えば東は東西教会の境目辺りま
でだろう。東欧やバルカンのほとんどはビザンツ世界だし、中世世界としてな
ら、EUなんかの現代区分や地理的区分で当時の「ヨーロッパ」を定義するの
は意味がないと思うし、逆にそうやってああでもないこうでもないと混乱する
だけだと思うが。
>>390 イスラームはキリスト教徒を保護してたからだよ。エジプトの占領がスムーズ
だったのは、現地のコプト教会がビザンツやカトリックと違う解釈だから、
ビザンツの正教会に反発感じてたからでもある。
改宗も簡単じゃなくてイスラームの征服後に徐々に数世紀かけてイスラー
ム化してるんだよ。
それでもまだエジプトにはコプト教会残ってるし、人口の1割くらいは
コプト教徒だったと思ったが。
>>380 ウェストファリア条約まで
ヨーロッパ「世界」というまとまりがなかったという意味なんだが。
>>382 ずっと後の人も、ピレネーから南はアフリカだと言っているし。
高野山から南は地続きでも四国ってなものだな。
398 :
世界@名無史さん :2010/12/01(水) 00:59:26 0
マデイラ島やアイスランドはどういう扱いになるんだろう?
ドラクエの世界≒中世ヨーロッパ っていうイメージが有る。
最近出たSFで「異星人の郷」というのが本気の中世だった。 舞台は95%が1348年のドイツ。 5%が現代で1348年の言葉と概念では説明できないSFギミックの説明。 ドゥームズデイ・ブックより明るかった。
>>399 ゼルダの伝説も中世ヨーロッパ想定してるっぽい
王様がいて魔法使いがいて怪物がいると中世ヨーロッパだと思うのは、たんなるステレオタイプに毒されているだけ。
でもさ中国の王様みたいなのがいて 中国風の装備きせられて魔物退治に出発しても なんかイマイチ盛り上がらない
十二国記がつまらないとな?
日本人によくいる欧米コンプ君だよ
ドラクエ自体向こうのRPGの影響で生まれたんだから コンプとか言われましても
日本でも中国でも鬼退治とか化け物退治の話は幾らでもあるのにな
指輪物語さらに19世紀のワーグナー当たりのゴシックリバイバルと関係がある 指輪物語の世界観があまりにもかっこよすぎたので その世界観が普通になった
ドラクエ8の世界観は鳥山明のドラゴンボールの世界観って感じしたがな
指輪物語の世界観をベースにファンタジー小説が生まれて、それをTRPGのD&D が受け継いで、今のRPGの剣と魔法の世界のイメージへと、それなりに歴史経て 出来てるから、全く別の世界観だと違和感感じるのはしょうがないだろう。 欧米コンプレックスとかあまり関係ないわな。 確かにTRPGの央華封神なんかはソードワールドと比べてあまり流行らなか ったかもしれんが。
412 :
世界@名無史さん :2010/12/02(木) 14:22:23 O
中世盛時は意外にイスラムより強かった
中世盛時は今のロシア軍より強い
>>412 どこがだよ。十字軍のボロ負けぶり知ってて言ってるのか?
知らないから言えるんだろ
でも、「意外に」ってどういう意味? 元々、中世ヨーロッパが弱いと思ってたけど、何かがきっかけで強いと思ったんだろ? そのきっかけは何なの?
第1回十字軍でエルサレムを占領し、その後約200年に渡って中東にキリスト教国家を 維持し続けたのは十分に強いと言えると思うけどなぁ
イスラムはシチリアもスペインも占領されだからな それに十字軍も全然ボロ負けじゃない つかボロ負けなら最初の時点で撤退してる
地中海もベネチア、ジェノバ、アラゴン当たりの活動で イスラム勢が後退してるよな
420 :
世界@名無史さん :2010/12/02(木) 20:32:13 0
第1回十字軍はたまたま中東が内乱状態だったから成功しただけ。 第2回以降は全部失敗してる。第6回は聖地回復できてるけどあれは和平によるものだし。
おいおい、たった一部分をだけを取り上げて、それを全てかのように考えるのはおかしいだろ。 全体を見ろよ。
>>421 そうだね。たった1回の十字軍の勝利だけを取り上げて、
あたかもキリスト教世界がイスラム教世界に比べて優れていたと考えるのはおかしいね。
名将サラディンもエルサレムは占領したけど リチャードに負けてアッコン奪われるし エジプト遠征にしてもイスラム側の要塞がおとされたり楽勝ではないな イスラム側も余裕で勝ったわけでなく必死こいて戦って勝ったわけだ ボロ負け雑魚みたいな言い方は言い過ぎだね
>>423 だな、内戦中の空き巣狙いに一時期成功しただけの十字軍と
イベリアの過半を数世紀に渡って制した新月軍じゃレベルが違う
>>423 サラディンの時代はまだ中東は内乱期だろ。
それでも最終的には十字軍側が負けてる。
政権が安定してきた第5回以降は勝ててないじゃん。
ていうか、内乱期の第2回ですら十字軍は速攻で負けてる。
内乱期どうこういったら ヨーロッパは中世通して内乱期だろ
427 :
◆EAbyJft1LY :2010/12/02(木) 21:04:20 0
>>426 十字軍の時代の西欧は政治的にそこそこ安定してるから内乱期とは言えないんじゃない?
まぁ、安定してるからこそ、十字軍遠征出来た訳だし。
封建制とってる時点で安定期とはいえないだろ ずっと室町政権状態なんだから 現にリチャードは弟に投獄されてる
430 :
◆EAbyJft1LY :2010/12/02(木) 21:14:12 0
>>429 封建制と内乱は全然意味が違うと思うんだけど・・・・・・。
封建制だと社会が安定しないと言うんだったら日本の江戸時代なんかはどう説明するのさ?
それ以前に中世の封建制は江戸時代と全然違う
室町時代とも全然違うけどね。
>>430 江戸時代の官僚がいる封建制と中世欧州や鎌倉時代の丸投げ封建制は全く別物
封建制を採ってると安定期じゃない、ってのは意味不明だけど
だいたい十字軍の時代でも戦争しまくってるからな 戦争の合い間に「ちょっくら十字軍行ってくるわ」って感じ出しなw
そもそも、「封建制≒安定期じゃない」と言うのがおかしい。
そもそも封建制という用語自体が混乱のもと 誤訳に近い
>>434 大々的に十字軍募集してるよ
そもそも中世欧州の戦争なんてヤクザの抗争と大差無いおままごとだし
封建制=混乱じゃないのは確かだけど 前後の時代と比較したら比較的安定してるってだけで 半分内乱状態みたいなのが恒常的でしょ、それが面白いのが封建制だし 日本も鎌倉、室町期は領主間の争いはしょっちゅうで ヨーロッパもフェーデとかな イスラムもイクター制で半封建的なところがあるけど十字軍期は一番封建的な時代だったね
セルジューク朝でイクター制の完成を見たわけで 地方政権が割拠してお互い争っていたんだろ ようするにヨーロッパの諸侯とやってることが大差ないな
>>439 総督-代官-官僚の居たイスラム世界と
精々一族郎党眷属がするドンブリ経営の集合体じゃ大違い
無知って怖いね
そもそも、封建制って言ったって、時代や場所によって全然違う。 一括りにするのはおかしい。
軍事封土もらってそこからの収入で独立してんだから たいして変わらん
漢帝国に藩屏として親王国があったようなもの 全てが封建領主の同時代西欧とは何もかもが違う
部族社会のイスラムが偉そうにw
そういえば、中国も部族社会の鮮卑に苦しめられていたようだ。
だいたい漢帝国の藩屏とは全く違うだろ
後ウマイアやエジプトの政権あたりはともかく セルジュークやマグリブのベルベル系の国家はまともな官僚制があるとは思えんけどな 求心力が失われるとすぐバラバラになるのはまともな官僚制がなく部下たちに封土あげてるからだろ
でも鮮卑やなんかの北方系の奴らの方が文明的に優れていたのはどうしてなんだろう? 漢人の政権の時代だとまっとうな暦すらよう作らんし。
けど北方系はエラの張ったチョン顔だぜ
チョンは東夷だろ。
>>448 暦は漢人どころか殷夏王朝時代の発明だよ
>>447 知らないなら口挟むなよw
セルジューク王国もシチリアも官僚を務めたのはイスラム学者
>>451 太陰暦はメソポタミア
太陽暦はエジプト
セルジュークなんて部族国家みたいなもんだろ
ニザーム・アル・ムルクがいろいろやったみたいだが あんなに簡単に崩壊するようじゃ大した官僚制じゃないな 千年続いたフランスの官僚機構の方がはるかに上
455 :
世界@名無史さん :2010/12/03(金) 00:09:43 0
よく篭城戦だと敵味方とも生物兵器的に死体や汚物を投げ込んでいたけど、戦闘終了後掃除したのかな?
>>452 中国での話だろ、話すり替えるなよ
暦が発明されたのは殷夏王朝時代、隋唐の遥か昔
>>454 フランスで官僚機構が形作られたのは15世紀以降
シャルル7世の少し前頃からだよ
おまえ何もかもに無知過ぎ
セルジュークって概説読むと ニザーム・アル・ムルクでようやっと国家らしい組織作りをはじめた段階で暗殺されて混乱状態から分裂へ はっきりいってまともに機能してないな
イスラム教徒の私としては、イスラムの方が強かったと思います。
フランスの官僚制は科挙の真似
中世欧州って概説読むと何の組織的な構造も無くて原始人と変わらない生活だな
ぷっw
俺もイスラム最強だと思う 俺アラブ人だし
結構健気によく頑張ってたと思ったんだが、結局ここも荒れちまったか
ここはまだマシな方じゃね。 もっとひどいスレ有るぞ。
いや、終わってなくても、終わりの始まりではあるから
どうしてこうなった
ログ消失後の世界史板、キチガイ1〜2名が盛り上がっていそうなスレに 出没しては荒らしていっているからなぁ。 真っ先に食スレが餌食になってひどい状況になったし。
キチガイ荒らしが暴れたスレほど荒れちゃいないけどな 一人どうしても中世欧州をイスラム世界と同レベルの水準だった事にしたい 勉強不足の名誉ヨーロッパ人がいるから、ちょっとした拍子に荒れる素地は元からあるし いままでも何度か荒れかけたことはあったろ
そういう割にはソースは一つ(しかもKoeiゲームの攻略サイト)しかなくて水掛け論になってたけど? ここらへんは日本語のソースも充実してて、「アラブから見た十字軍」や「文明の道〈4〉イスラムと十字軍」みたいな古典や最近では「封建制の文明史観」みたいなのもあるし 人物中心の本でも「聖王ルイ」や「イスラームの「英雄」サラディン」とかあるじゃないか しかも日本で人気の塩野七生さんは最近「十字軍物語」や「絵で見る十字軍物語」とかもだしてるしソースがでない分野ではないよね? せめてソースだして外見だけでも秩序を保とうや
>>457 暦は支那圏の独自発明ではないんだよ。
大体、黄河文明だって四大文明というにはおがましい。ほぼ同時に興った他の三つに対して、
支那圏の文明は1200年くらい遅れての開始だ。
西の方で始まった農耕・牧畜・記述というものが伝わってから開始なんだよ。
そもそも四大文明自体がうそっぱちだが
>西の方で始まった農耕・牧畜・記述というものが伝わってから開始なんだよ。 滅茶苦茶言ってる奴がいるなあ・・・。得意げに支那という奴に限って、大抵 無知なんだよなあ・・・。差別用語ってのは用語自体じゃなくて、使う奴の 精神性で意味を持つってのを地で行ってる。 中国の農耕はアワ・ヒエ・米で始まってるから全然違うし、記述もクソも甲骨 文字と西方の文字になんら関連性もないし、暦の体系も殷は天体だけによらな い観象授時暦だから全然違うのに。 世界史板なんだから双方の特徴くらい下調べして相対的に見る訓練積んで欲し いもんだわ。
>>470 名誉アラブ人にはかなわんよ
しかしこの日本で名誉アラブ人ってお前かわってるな
人口の0.0001%ぐらいしかいないんじゃね
>>474 何で支那が差別なんだ、宮崎市定先生が悲しむぞ
>>476 文明じゃなくて、農耕で限れば、アワ・ヒエ・米が先に栽培されてて麦はずっと
後なんだよ。だから農耕が西から伝わったことが成り立たないこと示してるだけ。
>>477 だから「用語自体じゃなくて、使う奴の精神性で意味を持つ」って言ってるんだよ。
457を宮崎先生と一緒にするほうが宮崎先生が悲しむわ。
しかしイクター制は中央集権的な官僚機構が弱体化したから導入したのに 必死こいて官僚どうこうってバカかって話だよな
西の方で始まった農耕・牧畜・記述というものが伝わってから開始なんだよ。 こんな知識一体どこで仕入れたんだろう
仕入れたんじゃなくてその場の思い付きだろう
いいものは何もかも西の端から来ると考えてるんじゃないの
昔はそういう説が主流だったからね 氷河期が終わって人口が多く肥沃な土地で農耕がはじまったのは全世界的な傾向じゃないのかな ただ青銅に関しては今でもメソポタミアから拡散した説が有力だな
シュメル、アッカドの冶金は確か外部からの伝来で確定してるけど
そら鉱山どころか山のない南部メソポタミアで冶金が生まれるわけもないわな アナトリアやアルメニア南部、ザグロスあたりから農耕や冶金が広まったようだ
冶金はアナトリア発祥説が割合有力だけど 農耕はバビロニア→アシュール→アナトリアでしょ
農耕はシリア北部でしょ 大規模な農耕集落が発生して都市国家が誕生したのはバビロニアだけど
だから、冶金の発祥地はイラクじゃないし 農耕が始まったのはアナトリアじゃないでしょ
でも、四大文明(三大文明)って不思議だよな。 それまでは、何万年〜何億年と文明が無かったのに、ほぼ同時に四つ(三つ)の地域で文明が発達したんだから。
>>483 農耕が始まった地域は、寧ろその作物の生育限界の地域という辺境説も今はある。
元から野生種が豊富な地域じゃ採集で十分だが、一旦それに頼った食生活が出来
上がった文化圏が広がると、寧ろ野生種が採れない地域で必要に駆られて農耕が
始まるというな。
あと、一時的に寒冷化したヤンガードリアス期に野生種が採れなくなったから、
栽培をするようになったという説も同じ話だ。
文明論に当てはめりゃ、シュメール地域はある程度の農耕技術がなければ住めな
い所だし、灌漑農耕を知ってる集団がやってきて灌漑技術を発展させたから、他
地域より寧ろ農耕生産量が高くなって、しかも資源がないから他文化との交流が
増えて文明の温床になったという流れかな。
おお詳しいね
491は同時間帯に世界史板各所に湧いているキチガイか。死ねばいいのに
話を暦にもどすと、漢人の政権では暦のズレが大きくなって、天文の運行と暦とのズレが大きくなり、律令制=神権政治だから、 エンペラーの賜った暦が蝕を予告できなくなると人心が乱れて政権が崩壊する。 西方とも交流のある北方民族の政権になると、新しい天測に基づく正確な暦が伝わり、一定期間は正確な暦で政権が安定する。
それが唐王朝か。
>>493 蝕の予測が出来なくて崩壊した政権なんてないがな。神権政治って点でもう中国の
王朝の性格も律令も理解が間違ってるぞ。
あと、暦自体が伝わるんじゃなくて、西方の天文観測知識等も交流で入ってきて、
観測精度の上がった暦が作られてるの。授時暦にしてもイスラム天文学の影響ある
にしても、実際に作ったのは漢人の郭守敬だ。
一々そこまで漢人のものじゃないって言ってたら、西欧もイスラム科学の影響
で天文・数学発展してるんだから、同じことだ。
とりあえず、もう暦も無視して中世ヨーロッパに戻さないか?そもそもの暦の
話が間違った知識披露から始まってるんだし、ここで支那とか漢人の何々は元々
西方からって言い出す奴の中国史知識は根本的におかしいのは十分突っ込まれて
これ以上こいつらが何言っても無駄なのもはっきりしたと思うし。
>>495 律令が何かすら理解してないんだろうな
天文学や暦にしても漢代には既に世界最先端、惑星儀もギリシャローマより早い時期に作られてる
エジプトよりは遅いけどね
>>495 支那が神権政治でなくなったのって、民国以降だぞ。
皇帝は天子、つまり、天命を人語にて伝える預言者であり、清まで、天壇にお祈りするのが、皇帝の一番の仕事。
>>495 去年七月の皆既日蝕のときだって、人民解放軍が張り付きの厳戒態勢だったじゃんよ。
どこの近代国家が、日蝕だからって、軍が平時に警戒出動するかよ。
ああもう・・・天子ってのは皇帝制度が始まった時から解釈が違うんだよ。基本 は天から与えられた爵位と天の子という二重性があるの。後世ごっちゃになって るが、皇帝と天子も本来役割が違うから当初は厳密に使い分けてる。 そんで、天命を人語で伝えるなんて、そんな巫女みたいな仕事はない。理念上、 天の委託を受けて地上を治めるのが仕事で、預言なんぞしない。天は祀るのみ で基本遠ざける、文字通り「敬遠」するんだよ。それに災異説だって瑞兆だっ て、全部臣下の奏上で、天子が判断なんかしとらんし天子の仕事でもない。し かもそういう「天の意思」みたいな異変の話なんて、政治的理由がない限り、 滅多に出てこないものだ。しかも、それは「人間活動の結果」として出ている であって、天が一々ああでもないこうでもないと干渉してるわけじゃない。 そんな一々天意を伺ったのは殷の時代で終わってるわ。 中国の政治は儒教理念からして、ヨーロッパやイスラム、エジプト、メソポタ ミアと違って、一番神から離れた、あくまでも人間中心のもんなんだよ。 どこでそんな馬鹿な知識仕入れてきたんだか。中世ヨーロッパスレなら自分の 与太話が通じると思ったのか?
わりとどうでもいい
クスクス ___ / \ /ノ \ u. \ !? / (●) (●) \ ← 500 | (__人__) u. | \ u.` ⌒´ / ノ \
>>499 その前に蝕が原因で滅んだ王朝挙げてくれ。歴史上そういう王朝がないと言って
るんであって、去年の人民解放軍がどうとか近代国家がどうとか言われても知ラ
ネと言うしかないんだが。全然関係ない話じゃん。
名誉中世欧州人のアジアコンプは酷いな
496が絶賛粘着中…。コイツ死なないかなぁ。
491だろアホか
あー492かどっちにしても504は俺じゃないね つかお前が死ね
そもそも、
>>491 は何でキチガイって言われてるの?
特にキチガイらしい所は見当たらんが。
むしろ、
>>492 の方がキチガイに思える。
名誉漢民族が荒らしているんだろう こういう時代錯誤の中華思想野郎に何言っても無駄
名誉イスラム教徒のキチガイぶりは群を抜いていると思う
おお詳しいね
やあ詳しいね
ヨーロッパで祭祀王の伝統が一番遅くまで残ってたのって やはりリトアニアあたりか?
515 :
世界@名無史さん :2010/12/05(日) 21:31:42 0
スウェーデンのウプサラでキリスト改宗済みの王がおこなってた祭祀も、 異教のものだけど。 リトアニアとどっちが古いの?
ヴェネツィアのドージェがやってた海との婚礼もある意味祭祀王(聖婚)じゃね
海との婚礼はそれほど宗教的意味合いないんじゃないかね。 別に海神を祀ってたわけでもないし、祭祀というより政治儀礼的意味合い が強いだろ。ただでさえ教皇庁に睨まれてたのに、別にその件で異教的だ のケチつけられてたわけでもないし。
518 :
世界@名無史さん :2010/12/05(日) 22:10:40 0
アンチキリスト
519 :
世界@名無史さん :2010/12/05(日) 23:02:01 0
アンチキリストのイメージは、さすがに無いなぁ。
中世ヨーロッパというとちょうちんブルマに白タイツの王子様てイメージが挙げられるが あれ実際どこら辺のどの時代の格好なんだろうな
中世末期の肖像画でよく見るけど、15世紀末から16世紀終わり頃の
>>521 大体500から400年前くらいか…日本だと室町〜戦国期かな
ありがとう
南蛮屏風のあれか
ロビンフッド見る?
中世ヨーロッパの道具の値段って今の額に換算してどれくらいだったのかな。 当時の絵とか見ると大抵帯剣しているけど、一般民衆でも買える値段だったんだろうか。
十四世紀中盤にて質の悪い剣は6ペンス 当時の騎馬弓兵や装甲歩兵の日給が6ペンス 通常の弓兵の日給が3ペンス 騎士の鎧が16ポンド(3840ペンス) 軍馬が80ポンド(19200ペンス) 農民の反乱を招いた重税として知られているワット・タイラーの乱の人頭税は12ペンス どう解釈するかは任せる
>>526 高いことは高いけど、目が飛び出るほどのものではない、というところでしょうか(日給2日分として)。
イメージ的には1万〜数万円ってところかな?
騎士の鎧は日給1280日分、丸3年と半年
軍馬が日給6400日分、17年と半年
軍馬は高いですね。日給5000円とするとマンションを買うレベル。
修正し忘れたけど、軍馬は最上級の軍馬。レベルとしては王の馬とかそんなレベルだと思う 軍馬の平均値段は資料によってまちまちで600-2400ペンスってかんじ
>>528 ありがとうございます。
特注のロールスロイス、と思えば妥当な額ですね。
普通の軍馬が乗用車並み、と考えればこれも妥当と。
馬は生き物ですから、値段に応じてよくなるというより、王様のための馬というプレミア価格なんでしょうか。
この手の生活とか技術関連の資料として、どういう本を読めば良いですか。
阿部謹也先生の本とかクセジュあたりは何冊か読んでいるんですけど。
元々は農民でも自由民なら剣や槍は持っていたけど、 神の平和運動の発展の中で武装の制限が行われてゆき、 装備の発展で騎士と農民兵の格差が広がり農民兵が軍事的に重要でなくなると ついに自由民であろうと農民の武装が禁じられるようになり、 同時に従軍しない自由民の権利も制限されて、自由民の農民も不自由民の農民も 大差ない農民層という層に統合された。 しかしペストによる農民の地位向上、火器や歩兵武器の発達により、 再度農民出身の歩兵が重視されるようになると、 最終的に農民が武装の権利を獲得できたかどうかは国によって異なる。 だから武装は単に値段の問題じゃなくて、権利と義務の問題でもある。 王や領主の名の下武装して参戦する義務を持つ人間は武装する権利も持つ。 義務の無い人間は権利も無い。
>>530 時代を5世紀〜16世紀と考えても1100年ありますからね。
時代によって武装の意味合いが違って当然だとは思います。
ただ、領主が村々を守るというより共同体が自ら自衛するという意思が強かったと読んだことがあり、
また阿部謹也先生も、誰もが当たり前のように武装していた時代だったと書いていた記憶があって。
>>527 剣は誰でも身に付けてたからね
軍務の日給が5000円ってのはあまりにも安過ぎるけど、弓兵でも最低倍かな
ヨーロッパは秀吉みたいな強力な刀狩とか無かったからな。
>>531 >誰もが当たり前のように武装していた時代
これはフランク期あたりの自由農民の話。
彼らは畑に出るときも剣を持っていった。
不自由民は当然武装なんて許されない。
自由民と不自由民の区別が不明確になった後も
本当に誰もが当たり前のように武装できていたなら、
民衆十字軍のような話にはならない。
ドイツの農民はふつうに帯剣してたけどな
剣といってもどの程度の剣をもってたかだな
剣は剣だろ、鉄製なんだし数回ぶっ叩いたくらいじゃ壊れやしないべ
その程度ならナイフでもトンカチでもOKだな
ナイフやとんかちは短いからダメだよ それにどっちも軽すぎる
>>538 たしか百年戦争のポワティエの戦いで、最後は乱戦になって
矢を射つくした弓兵がそれこそその辺の木槌なんかまで使って
戦ったとか。
第一次世界大戦でもスコップで殴り合いしてたしな
スコップ突撃は第二次大戦でもやってるけど 殺傷力ある様に作ってあるからな、ナイフやトンカチじゃなんの役にも立たない
木の棒は戦場でもかなり有効だったらしいな
岡っ引きなんかは木の棒使ってたしな、3.6mの
棒の打撃力はバカにできんよ。 手軽に作れるし農具としても使われているし集団でぼこられるとたまらん。 手加減しないんだから。 角材で撲殺なんてザラにある話だぜ。
つーか畑にもってくんなら鉈みたいな剣じゃないのか?
>>533 刀狩は文字通り刀狩だぜ、槍や弓やは提出させてない
戦場じゃ刀より槍や弓の方がよっぽど有効なのにな
あれは鉄をラクしてしこたま集めるのも目的ってどっかで聞いたけど、 よく考えたらあんまり効率いいとは思えんな
雑兵と足軽の身分分けを進めた時期だから シャンビーヤとか冠の色みたいなものじゃね
>>549 いや、砂鉄や鉄鉱石から精錬するより鉄の形になっているものを集めた方が効率が良い。
どこぞの人民共和国でやったのは大失敗に終わった気がするが…
>>552 〃∩ ∧_∧
⊂⌒( ・ω・) はいはい大躍進大躍進
`ヽ_っ⌒/⌒c
⌒ ⌒
>>552 >>553 当然、再生産をきちんと管理した上で、ということですよ。
アルミをボーキサイトから作るよりアルミ缶を回収したほうがエネルギーの節約になりますが、
アルミ缶をただ火にくべるだけではゴミを作るだけです。
日本も戦前はアメリカから鉄クズを買って鉄鋼を生産していたわけですし。
でも、江戸時代初期の鉄生産量って 重量にして備中一国で最低12万貫以上推定20万貫強備後で10万貫弱 大阪で取り扱われた売買量が100万貫 刀を鋳溶かして集まる量なんてカスみたいなもんだぞ
>>555 まっとうな日本語で頼むよ。
10万貫弱というのは、どうなった量なん?
おれの思いつきだけど、刀狩って天下統一間近にこれ以上の下克上 は罷りならんとのみせしめの意味合いが強いのでは?
武士以外の帯剣を認めない事で、曖昧な武士と農民身分を固定化した
って説が一番説得力あると思うわ
>>556 10万貫にやや足りない場合に10万貫弱と表現する
>>545 一撃では死ににくい、リーチが長い武器で、集団でぼこるってのは
殺人の心理からもすごく合理的な戦い方なんだよな。
たとえ戦場でも、人を殺さないように動いてしまうのが、人間の心理なわけだが
殺人に対する抵抗感は、相手とのリーチが短く、確実に自分が殺したと分かる状況ほど強い。
長い木の棒で集団で凹るのは、殺人への抵抗感を低くする、かなりお手軽かつ合理的な戦闘方法。
どこの平和ボケ国民限定だよ
>>558 いや、10万貫よりちょい少ないくらいのものが、どうなったの?
なんか色々間違ってた 備中代官が差配したのが年間約18万貫 備後半国で申告された生産量が年間約13万貫 大阪市場で売買されたのが年間約100万貫
>>559 旅客機の窓から地上を見るとたまに思うからな
確かに、この高度で爆弾落としても何の罪悪感は感じないと
ヨーロッパでフォーク持って一揆とか書いてたから食器棚からフォーク持って仕事人のごとく代官に襲いかかる農民を想像したw
>>565 モンティパイソンが思い浮かんだ。
あれ?凍ったバナナを振りかざした殺人鬼だっけ?
現代の日本で登録されている刀が230万、戦後GHQがやった刀狩で集まったのが100万 秀吉が本気で集めようとすれば量的には100万単位で集まるだろうからそう馬鹿にしたものではない 本気で集めたわけじゃないという説が有力だけどね
ドイツ人とスラブ人が混血し続けた最高美を持つチェコ女
>ドイツ人 は?
チェコにはドイツ人がたくさんいたってことじゃないか 中世にはチェコは帝国の中心でドイツ人が人口の3割ぐらい占めてたからね
ドイツジンッテカーンミタイノバッカジャン
>>572 ネアンデルタールの血
それがスラブ人と混血しブロンドや青い目、均整の取れた骨格だけ受けがれた最高傑作=チェコ人
574 :
世界@名無史さん :2010/12/28(火) 11:17:25 0
あるドイツの資料を見た所、 農村において雑貨などを扱う酒屋が ドイツ騎士団の許可制で農村での独占商業権を得ていたらしく、 このような制度はドイツ以外にもスラブなどにも存在するとのこと。 ネットでググってもまったく情報は皆無で、 参考資料さえ不明なので 詳しい方、宜しければ「キリスト教圏の専売制酒屋」という題材に関して 参考資料や基礎知識などを教えて戴ければ幸いであります。
フレイルがまるで強力な武器だったみたいな風にかかれてるサイトとかあるけど 実際あれってパワーがダイレクトに伝わらないしあんまり使えないよね
むしろ遠心力で打撃力は増すだろ
577 :
世界@名無史さん :2010/12/28(火) 14:38:21 0
>>576 打撃力っていったって打撃部位が直接は固定されてないでぶらぶらなんだから
石が飛んできてあたるようなもんだろ
フレイルがいかに遠心力で破壊力を増すといっても 結局打撃に使う部分の重量が限られるからな 所詮は農具の転用でしかない フス戦争でもフレイル兵がやたらいたけど そいつらはあくまで戦車の随伴歩兵である農民だけで まともな歩兵はハルバードとか持ってたし
フレイルが主装備の兵士っていたの? 取り回し悪くて白兵戦にも集団戦にも向かないから わざわざ支給するとは思えないんだけど
>>580 支給じゃない
自腹で持ち込み
歩兵は脱穀に使ってたんでそれの先端にちょっとトゲトゲつけたり改造して
金のない貧乏な農民が持ち込んでた
柄がすごい長いのでヌンチャクのオバケみたいなイメージかな
騎兵も槍とか剣だとすぐぶっこわれるけどモーニングスターとかのフレイルなら適度に力抜けるってんでつかってた
最終的に廃れちゃったけど
>>579 というかフス戦争の農民兵以外でフレイル実戦で使ってる例ってあったの?
>>582 Wikipedia先生によるとドイツ農民戦争でも使われてるらしい。
あと、たしかポーランド・ソビエト戦争の写真で、フレイル持った民兵の写真を見た覚えがある。
日本の一揆で鍬を担いだ農民が登場するようなもんなんじゃない。 どこにでもあって、使い慣れていて手入れも自分で出来る凶器という意味で。
じゃあ、なんで、大鎌でなくて、脱穀棒なんだろう?
相手を間に入れてから手前に引っ張らないと攻撃できないし その間自分はノーガード
鎌はリーチ短くね
鎌は金属を使う量がフレイルより多く高価だからでしょ 壊れたりしたらシャレにならない
反乱とか一揆とか、タマの取り合いに、値段の高い安いなんか考えてられるの?
>>587 鎌だと短いけれど、中世で刈り取りに使うような大鎌は柄ががメートル半、刃渡が80センチくらいあるから、
鑓や矛と同種の武器になりえるだろ。
いや農耕用の大鎌を戦闘で振り回すとか不可能だからあれ。
あの鎌ってブレードが使い手の側を向いてんだろ? その時点で相当無理。敵を懐に誘い込まないと威力が半減なんて
>>592 んなもの、持ってく前の日に付け直せばすむことだし。
付け直したって使いようが無かろう。形を知らないでレスしてんのバレバレ。
基本的に打撃系の武器の方がメンテナンスフリーでしょ。
原形をとどめてさえいれば武器としての能力は失わない。
それに訓練を受けていない民間人の先頭で切れる方向を考えないといけない刃は使いにくい。
>>589 どんな優れた武器でも揃わなければ意味がない。
ちょいと工夫すればフレイルならそこら辺のもので作れる。
そういやなんか古代のダキア人だかトラキア人が 大鎌の刃を無理やり剣にしたような武器を使ってたような気がする
兵器において最も重要視される要素は信頼性であり、それは中世ヨーロッパでも変わらない 最初から脱穀機に打ち付ける子を前提に作られている殻竿を改造したフレイルと 人間や鎖帷子といった硬いものを切りつけることを前提に作られてない大鎌を改造した軍用大鎌 どちらがより信頼できるかはいうまでもないだろう
信頼性ってそういうことじゃないと思うんすけどw
コストも大きいんじゃないかな
ゴーデンダックってのもたしかフランドルの反乱限定だっけ? すごくマイナーな歩兵用武器
軍事利用
戦鎌(ウォーサイス、war scythe)は、農具として長柄と直角に取り付けられていた刃を、
長柄を延長する方向に取り付けたもので、ハルバード(鉾槍)と同じ様に使用された。
18から19世紀におけるポーランドの農民兵(kosynierzy)によって広く用いられた。
大鎌はまた、鎌戦車(en:scythed chariot、車体や車輪に鎌の刃を取り付けた
二輪戦車)にも使われた。
大鎌 - Wikipedia
ttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E9%8E%8C
>>603 そういうのはそういう向きに取り付けられるように作った刃をあらかじめ用意しておく必要が有る。
エジプトの中王国頃から使われたコピスも鎌っぽいっちゃ鎌っぽいね
>>598 杵と鎌といえば、農民反乱の象徴だろ。
ソビエトの旗とか……
「修道士カドフェル」とかもNHKでまたやらないかな
>>574 手元にある本の中では『ドイツ中世後期の世界〜ドイツ騎士修道会史の研究』P179〜182に
居酒屋(Krug, Taberna, Kretschem)についての言及があった。
重要そうな部分を以下に抜粋してみる
これは元来旅人宿として発達したもので、古くから地域の交易所としての機能を果し、
ドイツ騎士修道会進出以前から存在していた制度であった。
このようにドイツ騎士修道会は、農民の憩の場であり、農民が他の世界と接触する
唯一の場であった居酒屋を掌握することによって村落を生きた姿でとらえようとしていた。
しばしば同一村内に別の居酒屋が作られないような配慮がなされている。こうして
居酒屋は村内で商品流通における独占的な地位を保証され、一三二五年のレーツ村の
居酒屋へのハントフェステにみられるように、農民は特定商品(塩、肉、パン)を売却する
ことは許されていなかった。
旅籠としての居酒屋の制度は古来シュレージエンからメーレン、更にプロイセンにあり、
こうした地域における経験からドイツ騎士修道会士は学んでいたと考えられる。
あと、今手元にないがスラブのについては『パンと塩―ロシア食生活の社会経済史』に詳しく載っていた記憶がある
>これは元来旅人宿として発達したもので、古くから地域の交易所としての機能を果し、 具体的な姿が想像できないんですが、一階入ってすぐの客が酒飲んでるようなところで 商売すんの?
ドイツ騎士団の植民地とかだったら、フィールド出ると投槍もった多神教徒が襲ってきそうだしw
モンスターに無辜の農民とかが出てきてSatugaiしまくる、の間違いだろw
それは宣戦布告した敵の領土内であれば法的にすら問題ないが 自分や関係者の領内でやるのはただの馬鹿
時代考えろwドイツ騎士団が東方に大移動してた頃の話だぞ
異教徒ならsatugaiしまくるのがむしろ善行な時代
少し前にフレイルの話題あったけど 鎖の先に鉄球が付いてるフレイルは実際使われてたの?
教会で一人でも多くの異教徒を殺しなさい それだけ天国に近づきますって教えてたんだよね
それも極端な偏見だな。 チュートン騎士団も焦土戦術ばかりやって全然布教してないって しょっちゅう抗議されてたよ。
偏見ですらないだろ 洗礼式でイスラエルの民を絶滅させよ、異教徒を打ち殺せとか、宣誓させる人種なんだから
またイスラム信者か ここで布教すんな
8: かるた(神奈川県)[] 10/12/13(月) 20:53:19.19 ID:e44KeerT0(1) やんわりイスラエル批判した記者は解雇、キャスターは降板、教授は解職、役員は解任 洗礼式でイスラエルの民の絶滅を誓わせるキリスト教国の方が怖いよね これ書いてるキチガイw
>洗礼式でイスラエルの民を絶滅させよ、異教徒を打ち殺せとか、宣誓させる人種なんだから イスラエルの民が人間の手で絶滅したら聖書の内容と矛盾しちゃうよ? 聖書原理主義派がイスラエル支持してるのもそういう理由
>>洗礼式でイスラエルの民を絶滅させよ こんなの聞いたことないな、何が出典なんだ
>>627-628 中世西欧の洗礼式では一般的なんじゃないの?
フェリペ2世が洗礼受けたとき
大司教がイスラエルの民を撃滅せよと唱えてるけど
どの本に書いてあるんだ? 基本的に洗礼式に異教徒やユダヤ人は典礼文にでてこないぞ まぁ騎士団や国王ともなると一般と違う典礼文使ってるかもしれないけど あるいは勝手にその司教が言ってるだけか
あ、ごめん。読み返したら イスラエルの神の民の敵を絶滅させよで、真逆だったw
そういう落ちかw
洗礼といえば、ひょうきん懺悔室のおっちゃん、死んでしまったね。
いい人は先に逝くのか
>621 ウィザードリィの棒を連結して振り回す側にトゲが付いたフレイルは実在したのか?
一つの大きい鉄球がついてるやつ、複数の小さいオモリみたいなのが複数つないであるやつ 鎖が柄より長いやつ短いやつ、全部メトロポリタン美術館にある ・マール社「武器―歴史,形,用法,威力」
しかしよくそういう実用一辺倒の武器がそのまま残ったもんだ。 骨董品という考え方がなかった頃は、中世の先祖が大枚はたいて買った グレートヘルムをバケツに改造する奴とかいたらしいがw
こいつか. ∧ . | :| イ.ト || || || ||. __ ハハ、 || |_][__ .| /(・)::::\ || |_][_:| . 〈`)::X:::::::::ヽG゙.「  ̄l〉 ` ヾ:::::::::::::[ト、_ノ]::::::ヾミ、 |:::::::::::::::::し':::::::::::::|ilil |:::::::::::::::::::::::::::::::::::|lil . `||〔 ̄ ̄} } √ ノ;ノ;;イ ノ;;ノ;;イ
640 :
世界@名無史さん :2011/01/15(土) 09:52:07 0
>639 穴埋めたらバケツ、というかバケツに穴あけたようなものだからな。
バイユーのタペストリも「発見」されたときはフランスのどこかで ただの敷き布として使われてたらしいな・・・
643 :
世界@名無史さん :2011/01/15(土) 13:46:39 0
日本軍の鉄カブトも、戦後は鍋に転用されたじゃないか。 って、これはレベルが違いすぎるな。
中世でもシャペル・ド・フェールなんかだったら 戦国時代の陣笠みたいに鍋に使ったりできそうなもんだが
645 :
世界@名無史さん :2011/01/16(日) 09:50:59 0
>641 紛失した残りって切り取られて雑巾にでも使われていたのかもな。
戦場では兜を鍋代わりに云々って話はよくあるが あれは戦争の非日常性を強調するために ごく例外的な話を拡大解釈してるだけだと思うな
ベルリンでドイツ女を抱きまくったロシア人は幸せものだよな ルーシ女を根こそぎ抱きまくったモンゴル人と2強だな今のところ歴史上 あれ、ロシア人はモンゴル人の血の繋がった子孫じゃんか
>ベルリンでドイツ女を抱きまくったロシア人は幸せものだよな え?えっ?wっうぇ?
649 :
◆axCVsGomao :2011/01/16(日) 14:53:14 0
日本人のロシア差別は日露戦争に起源を持ちそうだな・・
白村江→刀威→元寇→朝鮮役 西日本の民ばかり馬鹿を見る
中国との交易で様々の利益を得たのも 倭寇で散々ぼろ儲けしたのも西日本の民だろw
>>651 ちっ!バレタカ そりゃあ今だっていろいろ繋がってますから。
上の無能共はどうにもならんわ。
上に政策有れば、下には対策有りですわ、戦中戦後変わらず繋がった、
露中韓日の海賊の末裔は仲はいいですからなあ
>>647 モンゴルは間接支配だからそれはないね
むしろロマノフ朝によるシベリア・タタール系住民レイプしまくったコサックの一強状態
654 :
世界@名無史さん :2011/01/16(日) 21:53:15 0
とはいえ、婚姻による結びつきの強化やモンゴル支配者に対する貢女等々は行われていたわけだからねえ。
だね、散々貢女してるし、年賦金も毎年納めてる 完全な間接支配というのはいくらソ連人でも無理がある
泣き出すほどの屈辱を感じ、何百年も恨みを忘れない程度の間接支配ということで。
ぐぬぬ間接支配ぐぬぬ、とな
遊牧民のテクノロジーではそれが限界というのが実情か 近代型の帝政ロシアは極北僻地の先住民すら逃さないマジキチ
むしろモンゴルの鉄人に20世紀文明を与えるとグルジアの鉄人になるという方が実情だな。
でも自国民を虐殺した人数だと、グルジア人政権下より 革命政権初期から30年代前半までのユダヤ系が党幹部の多数を占めた時代のが多いんだよな グルジア人が殺したのは400〜600万人だけど、ユダヤ系政権下だと1400万人以上殺してるし
グルジア人は直接が1260万で餓死が100〜150万だな
>むしろモンゴルの鉄人に20世紀文明を与えるとグルジアの鉄人になるという方が実情だな。 大粛清の頃のスターリンは事態を完璧に掌握してなくて しかも粛清のターゲットになった連中が本当に反逆者だとナイーブに 信じている単なるバカだった。 集団化の失敗と飢饉に至っては単なる失政(共産主義自体の失敗でもあるけど)。 チンギス・ハーンは戦争に勝つためには平気で都市をいくつも住民ごと 消滅させたりするけど、辺境の部族の寄せ集めだった自国を 世界の大国にする礎を築いた。スターリンと比べるべくもない。 >モンゴル支配者に対する貢女 貢女を行っていたのは朝鮮。ロシアではタタールのくびきの初期の数十年間に 男女の雑役奴隷を含む税をバスカクという(主にムスリムの)徴税請負人を通じて 収めていた。その後は大公を通じた金納になる。
>>637 太閤千成瓢箪で、軍用だけれど武器ではない馬印ではないの?
>>654 >>655 それどころか韃靼人の知事とか徴税官とかが土着化してロシアの支配体制に組み込まれて
ロシアでの名門貴族にまでなっていたりするし。
>>661 1次2次ともホロドモールはグルジア人じゃなく
ユダヤ系が過半数を占めた党中央と党幹部の指示だよ
ポグロムの報復にやった、ウクライナ併合の際の虐殺も同じ動機
>>666 具体的にどういう事か詳しく説明してくれ
>>664 あくまで土着化した貴族層だけなんだよね
遊牧生活送ってた末端の連中はまさにコサックの餌食
土着化した貴族層の下に居る遊牧生活送ってた末端の連中が万単位でいるんだけど
>>668 スラブ人が馬賊化したコサックもいれば、韃靼人がスラブ化したコサックも居るよ。
前者はウクライナコサックに多くて、後者はロシアコサック(ドンコサック、ボルガコサック)に多い。
すでに定住化している時点で末端の連中なんていないだろ たいていは別の遊牧集団に合流するかクリミアハンの庇護を受ける
>>670 元々は敵対していたが敗北して必然的にコサック集団に取り込まれたというところか
銃器・火砲と騎兵の組み合わせとかチート過ぎだなコサックw そりゃ19世紀まで大陸で最強なはずだわ
それほど強いコサックが20世紀ではエゴスという弱小新興宗教の信者に瞬殺されるほど弱体化したとは。
ロシアって普通に遊牧民いたんだけど、それも広範に
>>671 バトゥの遠征から離反したタタールやら、大ブルガルやハザールの遺臣遺民の一部やらが再結集して
ポーランドの支配下に入ったリトアニア・タタールなんて18世紀まで、騎兵軍団として重用されていたしでよ。
そりゃクリミアだけでなく多民族国家ポーランドの庇護受ける連中もいたからね
>>672 敵対ばかりしていたわけでない。
バトゥの遠征からして途中の占領地から駆り出された必ずしも親モンゴル部族ばかり出なくて脱落や離反が出てたし、
ロシア側も一枚板ではなくてモンゴル方について勢力を拡大しようとした者と西や南のキリスト教諸国の援軍に頼った
者とで争い合っていた。
タタールのくびきが弱くなった時点でも、双方小政権乱立のなかで複雑な同盟だの裏切りだの繰り返して争っていた。
コサックにしたって、スラブ人が騎馬戦術を獲得しタタール風の社会構造や習俗を真似したのか、タタール人が言語的に
スラブ化したのは、はたまた混交によって生じたのか、本当のところは判らなくなっている。
結局だれが美しい白人女性をファックしまくった勝ち組なんだ?
>>679 あの時代ならオスマン皇帝だろうな・・・
オスマン皇帝は白人だがな
白人とは融通無碍で広大だからな、偉大な黒人は白人だ
683 :
世界@名無史さん :2011/01/17(月) 23:18:14 0
結局鉄道が出来る前の世界だと、 モンゴル高原からロシアにたどり着く頃には いつの間にか白人になってしまっていたのか?
チンギス・カンは白人だし、秦の始皇帝も白人だよ 徳川家康ももちろん白人だし、山県有朋も白人
>バトゥの遠征から離反したタタールやら、大ブルガルやハザールの遺臣遺民の一部やらが再結集して >ポーランドの支配下に入ったリトアニア・タタールなんて18世紀まで、騎兵軍団として重用されていたしでよ。 リプカ・タタールとカライムを混同してないか
つーか、中世の西欧王侯の肖像画って 同じ様な顔の奴が街中歩いてても違和感無いのっぺり顔だよな
688 :
◆axCVsGomao :2011/01/18(火) 05:32:38 0
北欧にだって金髪だけどのっぺりしたアジア人みたいな人いるしねえ
689 :
世界@名無史さん :2011/01/18(火) 12:10:41 0
古代のカエサルやキケロ、アウグストゥスも日本の街中にいそうな顔だろ。 カエサルなんか居酒屋で管巻いてるおっさんそのものw
明治期の政治家や将軍って同じ日本人とは思えないくらい立派な顔してるよね
肖像画なんて当てにならないだろう 実物はごつくて堀が深い顔してるよ>中世王候 あと明治初期の白黒写真も当てにならない あれは低解像度、陰影が現れやすく、かつ白黒で実物以上に立派な顔立ちに見える 現代の高解像度のカラー写真くらいしか当てにならない ビスマルクの写真とかも現在のドイツ人の中でもめったに見られないくらい威厳のある顔してるし
で君はいつ祖国の半島に帰るの。 在日の書き込みはすぐに分かるよ。
カエサルでイタリア半島なのか
694 :
世界@名無史さん :2011/01/18(火) 13:17:07 0
696 :
◆axCVsGomao :2011/01/18(火) 21:28:24 0
>>689 古代ローマの彫像みれば日本人とは全然ちがうのはわかるだろ
平たい顔族
699 :
◆axCVsGomao :2011/01/18(火) 21:47:39 0
古代ローマの彫像は見事なまでに出っ歯は居ないな
鼻根部が盛り上がり、おでこからつながるようにして鼻が隆起してるのが モンゴロイドとコーカソイドの最大の違い 彫刻とか、色が全くついてないし、多少デフォルメされて、目も本物の白人とはちがってケバくなってないから 日本人に見えるものがたまにあったとしてもわからなくもない ただし実際には実物は全く違うだろう
中世の肖像画だとぺったん鼻ばっかりなんだよな 古代ローマの彫刻もだけど
ルネサンス迎えるまでは彫刻も肖像画もそこまで写実主義にこだわらなかっただけでは
いやルネサンスの肖像画こそ結構のっぺりしてるよね
まあそんなこと言い出したら日本の浮世絵とか、平安、鎌倉時代の絵も 人間としてはあり得ないくらい扁平に書かれてるからな
ルネサンスの肖像画みると鼻は比較的西洋人らしく大きく書いてるけど コーカソイド特有の奥目がほとんどない 西洋人の美意識で奥目はあんまり好まれないのかも
706 :
世界@名無史さん :2011/01/18(火) 22:40:06 0
「現実に、」昔のヨーロッパの人間が顔が扁平だったなんてことはあり得ないけどな。
どこの満州貴族だよって感じの顔だな
709 :
世界@名無史さん :2011/01/18(火) 22:48:30 0
>707 この顔だと李氏朝鮮の王女と言っても通用する気がw
710 :
世界@名無史さん :2011/01/18(火) 22:49:47 0
現代の日本のマンガの主人公だって造形的には日本人と全く別だし 絵なんてそんなもんだ
中世後期のフィレンツェの絵画史料で、黒海のジェノヴァ植民地から 輸入されたタタール人奴隷を描いたものを見たことがありますが 目につく特徴といえば眼が切れ長なあたりだったな。 髪はウェーブがかってました。
>>700 ギリシャとかポルトガルとかスペインとかクロアチアとかセルビアとか
むしろ根元から盛り上がってる奴の方が少ないぞ
それは逆。地中海系は一番鼻が高い人種。 ノルウェーとかフィンランド当たりに行くとのっぺりした人も意外に多い。
714 :
世界@名無史さん :2011/01/18(火) 22:59:32 0
イタリアとスペインは旅行で行ったことあるけど やっぱ皆ハンパなく鼻高かったわ。北欧は知らん。
ってか、なんで、ミケーネ文明からローマ時代まで絵が上手かったのに、 中世のあいだ下手くそになってるの?
或る様式に則った絵は難しいけれど、写実的な絵なら簡単に習得できね? ラスこー洞窟の原始人よか下手糞ってどういうこと?
宗教的な理由があったんじゃねーの 日本の昔の絵も呪術をおそれてわざと写実的に描かなかったし けど鑑真や清盛の彫像はかなり写実的 古代エジプトもアマルナ美術は写実的だがすぐに宗教的理由で抽象画に戻った ビザンツも初期の頃は写実的な彫像が多かったけど、だんだん抽象的になる わざと抽象的に記号的に描く風潮があったんじゃね、イスラムも人物画を写実的に描かなかったしな 写実的に描くこと自体はそんなに難しいとは思わん、なぞればいいだけだから
写実的に描くと偶像崇拝に結びつくという おそれがあったのかもしれんな
>>719 作風とか様式とか無いじゃん。
小学校の二年か三年くらいの子供の描いたようなものばっかり。
作風や様式のない絵なんて存在しないだろ そもそも作風や様式は似たようなものをまとめて勝手に名前つけてんだから その小学生が書いてるように書くのが作風なんだろ
訂正 そもそも作風や様式は似たようなものをまとめて後代の人が勝手に名前つけてんだから
教育と画材の入手ルートがきっちりしていればピカソのように小学校で写実性の高い絵を描くことも可能だからな。
中世初期の絵画はビザンツ様式 後期はより写実的なゴシック様式、それがルネサンス絵画につながる つまり当時先進的だったビザンツやイスラムが小学生みたいな絵描いてたわけだ 意図的に描いてたとしか思えん
イスラムの細密画は精緻じゃんよ。 ひらぺったく描いてるけれど、ちゃんと、一定の法則に則った作風だし。
けど人物は小学生レベルだろ
とにかく中世初期の頃は原理主義な傾向が強かったから 一神教圏では人物はあまりリアルに描いたらやばかったのさ ビザンツでも13世紀のパレオゴロス朝ルネサンス、西欧でも同時期のゴシック美術あたりから だんだん写実的になってくる イスラム圏では最後まで人物を写実的に描かなかったけどね
でも14~15世紀の西欧肖像画はちんちくりん
>>728 トルコイスラム王朝での戦役絵巻ものやら、サファビー朝の王宮での宴席を描いたものやら、オスマン帝国やムガル帝国の皇帝の肖像画とか、
結構しっかりした人物画があるじゃん。
オスマンやムガルは中世じゃないだろ しかもオスマン初期は西洋人に描かせてるし どちらにしても写実というレベルじゃないな
本来の宗教美術は普遍的で超越的なものを表現しなくちゃならないから、どうしても非写実的、表現主義的な作風になってしまうのでは ルネサンスは美術の世俗化でもあったわけで
>>731 イスラム圏では最後まで、って最後はいつを指すの?
だいたい、イスラム圏なんて植民地時代に入ってもまだ中世のようなものじゃん?
アマルナ時代は青銅器時代の技術レベルでそれまでの経験がないのに それなりに写実的なものを作れた 実は写実は大してハードルが高くない ダビンチレベルで描けというなら厳しいけどな 宗教的禁忌さえなければ中世でもイスラムでも写実的に描けたと思うぜ あとムガル絵画見直したけどそれなりに写実的ではあるな ただやっぱり限界あるね、躍動感ないし、あそこがイスラムが許容できる限界か
>>733 西欧に半植民地化されるまでかな
今ならイスラム圏でも西欧画はかける
"西欧画" 検索オプション 約 4,720 件 (0.42 秒) 検索結果 もしかして: "西洋画" 上位 2 件の検索結果 騎馬民族国家奴婢君の説得力無さは異常
>>734 そりゃ、宋→契丹→モンゴル帝国→トルコ・イスラム王朝→ムガル帝国って具合に、平べったく描く様式が入ってきているし。
ゴビ南縁に陣取っていた契丹がトルキスタンに逃れてカラ・キタイを建て更に追われて最終的に今の地図で言うとイラン領東南部のケルマーンで
土豪に落ち着いている。
カエサルの顔の彫刻、ネットでみたけど、なんだ、横顔見たら今の白人と同レベル、 いやむしろそれ以上に立派な高い鼻してるじゃん
カエサルの胸像ってブッシュそっくりなんだよな、それも2世の方に
カール大帝は中世のくせに結構写実的な胸像だね
カール大帝も今じゃ美化されてるが冷静に考えればただの蛮族の親分だしな
つまらん
冷静に考えなくても蛮族の親分だろw
>>740 まだローマ人の工芸職人とかいるからではないの?
カール大帝の胸像って14世紀のものらしいが
カエサルは当時の胸像が出てきたというのに
中世は結構後にならんと胸像なんて出てこないだろ 偶像崇拝になってしまう イスラム圏もほんと彫像ないしな
それにつけてもカール大帝はおやつのカールを発明したのが偉い
カールおじさんはカール大帝だったのか!
日本で商品名になった中世 カール ピピン あとなんかある?
751 :
世界@名無史さん :2011/01/22(土) 13:55:58 0
ブルボン
752 :
世界@名無史さん :2011/01/22(土) 14:00:42 0
>>751 ブルボン朝は中世じゃなくて近世じゃね?
カステラ
マグナ・カルタってRPGがあったな
デビルメイクライの主人公ダンテ
滝川ルネッサンス
髭男爵「ルネサァーンス!」
759 :
世界@名無史さん :2011/02/04(金) 23:42:40 0
ファウスト博士は元ネタもゲーテの作品も近代だな。 こう言うのが中世風に見えてしまうくらい時代がたったということなのだろうか?
ファウストのモデルの生きた16世紀初頭は近代というか近世というか初期近代というか
761 :
世界@名無史さん :2011/02/05(土) 13:56:01 0
間違えたw
763 :
世界@名無史さん :2011/02/05(土) 19:52:55 0
どこによwww
16世紀初頭は中世末期だろ何言ってんだ
765 :
世界@名無史さん :2011/02/05(土) 23:14:43 0
よいこのみんなは「大聖堂」見たよね
766 :
世界@名無史さん :2011/02/05(土) 23:22:14 0
城の中の女どもに本当の勇者のたくましさを見せつけてやれって・・・、 要するに「ヒャッハー!!、さすが俺たちの大将だぜ」ってことかい?
767 :
世界@名無史さん :2011/02/12(土) 15:19:00 0
中国では2世紀から10世紀くらいまでが中世らしい。 近世長ぇぇぇぇぇ!!!
そりゃまあ当時の先進地域だし
>>967 時代区分、唐で分けるか宋で分けるかの議論とかはいまだにあるのかな?
とまれ、宋代は石炭火力の使用、科挙の完成などなど、画期なのは確か。
>>767 中世、ねぇよ。
ラストエンペラーまでずーっと律令時代だろ。2500年間古代だろ。
>>769 宋ならまだ解るな。モンゴル帝国が中世だから、宋まで古代、元は中世もしくは植民地時代、
明からまた古代に逆戻り。
まあ無知な人間が現実離れした妄想するのはよくあることだけど たまには事実を直視することも大切っすよ
律令って紀元前4世紀からだよ
>>773 〜春秋戦国 : 上代
支那の封建制、邑里国家の地縁紐帯、氏姓(同祖クラン)の血縁紐帯
秦〜金・宋,明〜清 : 古代
神権政治、広域支配、律令制
元 : 中世
中世的封建制(武断政権による階層割拠)
共和制から帝政前期のローマやギリシャのような奴隷制社会にあたるのが 夏王朝から春秋時代まで 帝政ローマからや初期のビザンツのような古代にあたるのが 戦国時代から東漢まで、中世には三国時代から五代までがあたり 宋以降清朝後期までが近世、清末から1980年代が近代
>>776 何を以って中世とか近世とかいうの?
律令時代のまんま2000年以上時が止まっているような社会のどこが近世なんよ?
火薬や鉄砲があれば近世なのか?
>>777 これが熱湯浴って奴か、知識無さ過ぎだろw
いまだに唯物論史観で時代がとまってるのか…
中国の時代区分は学者が強引に当てはめただけだからな 俺も宋がいくら発展してたとしても近世はピンとこない そもそも西洋式に分ける必要もないし
>>780 そりゃ、日本に対抗したい、日本よりも先進的だ、と主張したいだけだろ。
日本は前九年の役・後三年の役あたりから、ヨーロッパのフューダリズムによく似た政治体制に入ってゆく。
中近東でも、イクター制の導入から、9〜10世紀には、事実上の武断政権の割拠・階層支配となって、
これまた、中世的封建社会となってゆく。
で、前九年の役のあった頃の支那では北宋の四代目た。
だから、秦漢からさして変わらない律令制をとる社会体制、文化的にも唐宋とごっちゃな状況を、無理矢理にでも
「中世」に定義しているだけだ。
部族制度を残した遼や金やモンゴルは中世に入りますか?
>>783 遼の後期やモンゴルは南面もあるし部族制でも法令で負担や役目が事細かに規定・文書化されてるから
中世には入らんよ
すると、ルネサンス以後のヨーロッパは古代に逆戻りしたんですね?
日本も明治初期まで律令制の国なんだけどw
日本は明治初期まで律令制なので古代古代 西欧各国も19世紀初頭まで律令制なので中世以降は古代
このスレは「中世ヨーロッパへの偏見」なんで、アジアとかはよそでやってくれ
>>782 その手の書籍や文献やデータを全く見た事が無いから知らないかもしれないけど
三国時代〜唐代は貴族制と呼ばれる体制
律令支配というの統治技術の1つで体制ではないよ
>>782 俺が習った中国史とあなたの認識している中国史は別物のようだ。
唐宋変革ってもっとメジャーな概念だと思っていたが。
>>790 “アジア的停滞”を否定しようとしてでっちあげた無理な概念だからなあ。
どうあがいたって、辛亥革命まで停滞していたんだし。
大国の興亡でも読めば
あんな古臭いゴシップ本読んでも意味無いわな、マンガでも読む方がマシ、安いし
>>791 >“アジア的停滞”を否定しようとしてでっちあげた無理な概念だからなあ。
詳しく
内藤湖南にヘーゲルの歴史哲学への対抗的意図があったということ?
明から明らかに内向きになっていっているからな。 鄭和だって予算が足りなくなったのと、北元の脅威が元で切られたし。
その明にも行政組織や技術や科学や産業や軍事、どれ一つ勝ってないんだけどね 西欧各国+ドイツハンガリアは
スペイン人に大砲作ってもらってよく言うぜ
西欧より進んでるなら16世紀の時点で17世紀レベルということか 1500年代の明にデカルト、ニュートンレベルがいたのかね
>>798 えっ
大砲は明の前期から明軍の標準装備なんだけど
あっもうレスしなくていいよ レベル低くなるから
中世のヨーロッパでの貿易ってどうやってたの? 城門や桟橋で身元確認とか税の徴収をしてたのかな?
>>799 いねーよ、
それどころか、蒙古人といっしょに西方回教徒も追い出したものだから、天測ができず、暦が狂いまくり。
地動説天動説どころか、正確な日付すら怪しいのが、明の時代。
ようやく清の時代、チャイナの暦使えねー、回教徒もあんましいねーし、ドイツから来てるんだっけか、
アダムシャールやい、暦を作れ、と命じてなんとかまっとうな暦が出来た。
最先端の天文学や暦学は、モンゴルが引き連れた中国人学者と共に モンゴルの西征+オマケの欧州征服によって西へ伝来したんだけどね まあ事実を認められないキチガイに何言っても無駄だけど
はぁ?モンゴルによって先進的なイスラムの暦学が中国に伝わったんだろ 中国人は日本から出てけよ
そもそもモンゴルが勃興する前の12世紀の時点で 最先端のイスラムの天文学が翻訳されてヨーロッパに入ってるし 時系列的にむりがあるわ
お前らはまた出典なしで喧嘩か仲いいな
>>806 マテオリッチが中国人学者との対談に際して記録を残した当時でも
停滞気味だった中国の天文学の方が、西欧の天文学より進んでいたのが事実なんだけどね
ソースは?
確かマテオリッチと日食予想で中国の天文学者は惨敗した ヒストリーチャンネルでやってたな そもそも中国の天文学は占星術と結びついてたようなレベルだろ 地動説も知らん、地球儀見てびっくりしたことから地球が丸いってことすらわからなかったろうぜ
妄想と思い込みもここまでくると面白いね
具体的な反論ができない
>>810 夢渓筆談、楓奥小讀に書かれてるように、唐宋代には天文官や民間人が
毎回食を予測していたし見れる地方の予測も行ってる、明代の予想は間違いだらけと記録されてるが
そんな状態ですら西欧の古いプトレマイオス的宇宙観に比べて近代的な観念を持ってた
西欧の天文学は18世紀まで占星術の為のモノ
地球の観念は漢代に張衡が唱えてるし地球儀も元代の文献に見える
救世主が生まれたとナザレの町に訪れた東方の三博士は何を見てそれを知ったのか。 星を見て知ったのだ。 天文とは何か。 天に書かれた文字、そして文章。 これを読み解けるのは選ばれた賢者、一部の知識階級のみ。 個人的な疑問を書くことが許されるのであるならば、 ナザレの町を訪れた三人の賢者、博士が中世欧州では三人の王(ヨーロッパの王、アジアの王、アフリカの王)とされていたこと。
Warbandスレは史実厨お断りとまでいかないけど ファンタジーなんだから固いこと言うなよってスタンスだろw 史実準拠にしたらバランス崩壊する
>>213 >>毎回食を予測していたし見れる地方の予測も行ってる
それよりすぐれてるからイスラム式を元代に導入したんでしょ(授時暦)
郭守敬もイスラム式の影響下、で明末にヨーロッパ式を導入(時憲暦)
>>西欧の古いプトレマイオス的宇宙観に比べて近代的な観念を持ってた
そりゃプトレマイオスより新しいイスラム式やヨーロッパ式を導入してるんだから当然
ていうか元代にはプトレマイオスの系譜を引くイスラム式の天動説を導入したんだが、
それ以前の中国の蓋天説・渾天説・宣夜説どれも近代的要素はナッシング
>>西欧の天文学は18世紀まで占星術の為のモノ
西欧では伊藤俊太郎「近代科学の源流」に中世の時点で占星術と天文学ははっきり分離されたとある
アラビアの影響で占星術は人気はあったけど基本カトリックは占星術に対して否定的で西欧圏では一定の距離がおかれた
中国は伝統的に天体の動きによって現実の事象を予測していて、天文学と占星術が渾然一体化してる
>>地球儀も元代の文献に見える
イスラムの影響だろうな
>>817 イスラム式を導入した元代は暦の齟齬が少なくなった反面
文献や学者の喪失で唐宋代より食の予測精度も渾天儀の質も落ちてる、明代は偉大な皇帝陛下の虐殺で更に悪化
暦では中国式は不便さから廃れたけど、黄道座標系も同じ様に廃れた
16世紀の段階では、新しいヨーロッパ式というのは即ちプトレマイオス的宇宙観
蓋天説・渾天説・宣夜説は新しいヨーロッパ式プトレマイオス的宇宙観より近代的要素に富んでる
つーか、いつも知りもしないで断言するよな十字軍騎士って
カトリック世界でも占星術は普遍的に広く行われてる大学にすら占星術がある時点でお察し
西欧教を熱心に信仰する伊藤俊太郎には事実であっても見えないのか、創価創価
渾天説はともかく他の二つは単なる妄想だろ、近代が聞いてあきれるw カトリック世界では占星術は天文学と別だし 占星術の方が金儲かるから天文学者もバイトでやってた程度だ 一緒くたになってる中国とは全然違う それに伊藤俊太郎はかなりのアラビアびいきだが
>>813 唐の頃は突厥やペルシャの人材がいっぱい入ってきていたしね。
宋は後進国だが、同時代の遼は西方と北回り通商路で連絡が密でこれまた回教徒の天測で暦は正確、
宋には貢物のお釣に暦を渡していた。
>>819 ならルネサンスの学問らしきものは単なる妄想以下だな
カトリック世界では占星学と天文術は同一だし
大学においても18世紀まで占星術が残ってた、近代が聞いてあきれるwとは思わないけどね
だから同一じゃないってのに 文読めないのかこのアホ
>>蓋天説・渾天説・宣夜説は新しいヨーロッパ式プトレマイオス的宇宙観より近代的要素に富んでる つかここを具体的に聞いてみたいわ
ケプラー 「このおろかな娘、占星術は、一般からは評判のよくない職業に従事して、その利益によって賢いが貧しい母、天文学を養っている」 どこが同一なんだか
>>824 張コウも郭ナントカも趙某もその他天文学者も朝廷お抱えの占星術には関わってない
どこが渾然一体なんだか
>>826 張衡は運天や暦の経歴はあっても占星術に関わっていた記録は史書の何所にも無い
西欧占星術は王家のために存在していたし大学にも占星学がふつうに存在
16世紀に到ってもなお停滞した明代天文学に劣る部分も多かった
>>明代天文学に劣る部分も多かった だから具体的にどこなんだよはっきり書けよ
宇宙空間の観念、天体座標系、天体運行の観測、運天儀もしくは天球儀の精度
それを当時の西欧と比較してどう優れていたかを数値を出して具体的に書け
暦が300年で4日ズレるくらい。
○○について、西欧では××の水準にあることがAという資料によって確認でき、 他方明については△△の水準にあることがBという資料によって確認できるから、この点については明の方が優れている。 みたいな感じで書けばいいのに
それは授時暦か時憲暦か
しっかしなんで暦をだしてくるかね 明代ならどっちもプトレマイオス式の影響下だろ意味なし 比べるなら他のジャンルで比べればいいものを
他のジャンルで優れてるものが無いから仕方ないw
>>830 当時の西欧には宇宙空間の観念がまだ無かった
当時の西欧は黄道座標系で天体運行の予測にしばしば誤差が生じた
運天儀もしくは天球儀の造りや精度も必然的により前近代的
だから具体的に数値出して比較して証明しろよ
宇宙空間については宣夜説についていってるんだろうが あれは数学的に証明して言ってるわけでもなんでもないから科学とはいえない単なる思想、宇宙観 結果的に似てましたってだけの話し、 もっともプトレマイオスの宇宙に大気が存在するという発想の方がより現代的ともいえる 現在宇宙空間には大量の暗黒物質の存在が確認されてるし、宇宙空間は宣夜説のいう虚空ではない さらに宇宙は有限だというのも宣夜説の無限と比較して正しいね ただそれも結果的に似てたってだけで科学じゃないな、惑星の運行の計算は科学だけどな 宇宙観は科学というより思想であってそれで現代に近いかどうか比較してもあまり意味がない 例えば古代の地動説より天動説の方が科学的には高度だったし
>>835 >>当時の西欧は黄道座標系で天体運行の予測にしばしば誤差が生じた
>>運天儀もしくは天球儀の造りや精度も必然的により前近代的
だから中国と比較してどうこういうなら全体的なデータ出して比較しないと意味ないね
天球作るにしても郭守敬がイスラムの天体観測機を導入してるからな
それに明の時代はどこもまだ前近代だ
>>838 運天儀は唐、北宋代にも創られてるし、元、明代より優れてるからな
その明代天文学より前近代的なのが同時代の西欧天文学だ
>>836 早く具体的に数値出せよ、比較対象を出してやるから
>>837 大量の暗黒物質、の意味を理解してればそんなアホな書き込み出来ないけどなw
宇宙は大気より遥かに虚空に近い、また前近代の観測技術を以ってすれば有限の観念は非科学的
天体運行の予測は一応科学、その点で優れていたのは西欧ではなく中国
じゃ唐・北宋時代のを出して郭守敬のものより優れてるかどうか証明してくれないとな それと俺は数値はわからんが優れた暦を作るには当然観測もしっかりしてないと駄目なわけで やはり全体的に西洋のものが優れていたと類推できるわけなんだな それをひっくり返すにはちゃんと証明してくれないとね
虚空ってのは何もないことを言う、だから近いどうこうじゃない >>前近代の観測技術を以ってすれば有限の観念は非科学的 何も根拠がないのに無限だ有限だと言ってるのはどちらも非科学的、50歩100歩 古代人の空想にムキになっても意味ないよ
ところで中世ヨーロッパさんが部屋の隅っこでいじけてるぞ
具体的な数字 明代の暦のズレの蓄積が4日。 補正不能で自力で解消できず。 ヨーロッパはグレゴリオ暦に改暦するに至る経緯で1万年に3日以内の誤差の暦法を作成。 先送りしたけれども、その1万年に3日の誤差の出方も既に判っているので補正可能。
>>842 宋代には天文院と司天監が相互に天体観測を記録して、近現代以降の計算による推定ともよく一致するけど
元明代の記録はそうでもない
蘇訟の運天儀を南宋、元の時代に再現しようと試みて失敗してる
もう天文の話しはいいわ
>>846 だから、元の時代、西方(インド圏、回教圏等)文明の理解度に従って、被支配層を、
蒙古人同格の色目人(回教徒、インド人、チベット人、アルメニア人、ユダヤ人等)
漢人(契丹人、西夏人、女真人)
蛮人(宋、高麗、越南の支配下の出身者)
に分けていたんだよね。
>>845 具体的な数字
1674年にイエズス会が造った運天儀は郭守敬のそれより数′ラジアンよりズレを生じ精度で劣った
ブラーエが製作する以前の物も同様
それならやっぱり宋代よりイスラムの機器使った郭守敬の方が正確だってことになるな もっとも17世紀になるとそんな誤差より力学の発展の方が重要 これによって惑星運動を証明できるようになる 近代科学は力学なしではありえん
まあそれはそうなんだけども 誰も近代科学を生み出したのが西欧人な事を否定してるわけじゃないし
ところでその郭守敬に関する細かいソースはどこから? そういう本があったらちょっと見てみたいんで
853 :
世界@名無史さん :2011/03/02(水) 01:26:19.74 0
2chでやたらと出典を求めてくる奴って 純粋な好奇心や向学心からというよりは、 何か「こいつ気に食わないから批判しよう。揚げ足を取ってやろう」みたいな連中ばかり。 講義の終わりに教壇まで質問に来る大学生とは本質的に誠意が違う。 そんな奴らに叮嚀に対応してやる義理なんかないわな。
なんか被害妄想強いね 具体的なこと書いてある本なら見てみたいわな
というか、誠意がないのはソースをつけない側だよ
>ソースをつけない側 つまり欧州厨のことだな
少なくとも俺はソースつけてるけどな それに授時暦や時憲暦への西方の影響みたくぃな当たり前はソースつける必要もない もっと細かい話しならソースつける必要あるけど
>>849 数ラジアンも違うはずねぇだろ。
1ラジアンは、円周に半径と同じ長さの弧を描く角度だぞ。
円周全部で6ラジアンちょいしかないのに、2とか3とかずれたら半周近く形が歪むぞ。
1分角(一度の60分の一)と勘違いしてるんじゃないの しかしそういうミスをするとは849も大して詳しいわけでもないのか いかにも専門的なソースもってますみたいな感じだったのにな
天測の1分角のズレなら、60年で1日分のズレになるな。明代280年で4日の暦のズレの蓄積と大体一致するわな。 明の方が間違っていた傍証にもなるわな。
>>857 いや、ついてた試しが無いな
>>858 ′も読めないのか、創価創価「ラジアンより」は消し忘れな
>>860 1分角じゃなく数′もズレていた、当然天球のある方向全部な
天体運行観測用の天球儀と暦は何の関係も無いの理解してるか?w
でソースは
で、そっちのソースは? wikipedia情報じゃなく全て典拠と索引付きの
授時暦や時憲暦の西方の影響のソースが必要なわけ? そんなの教科書レベルだろ そっちのいうもっと高度な知識のソースが欲しいね
教科書レベルなら簡単に出せるな、よかったよかった もちろん西方の影響じゃなく具体的な数字が必要だけどね
ってかよ、グレゴリオ暦の公布が、1582年。明の神宗の10年に相当。 そこから400年以上経っているけれど、基本的に同じ暦だぞ。秒の定義を変えたために、何度か、太陽日との補正で 閏秒の挿入があったし、公布当時から知られていた3400年に1日に相当する誤差は含んだまま見切で実用化していが 現代に通用する正確な暦だ。 明末清初、支那圏になまっとうな暦なんてなかったろ。
結局ソースは一切無しと、しかも苦しくなった時の暦頼み ってかよ、郭守敬がギリシャやイスラムの黄道座標系を一切採用してない中国式運天儀を創ったのが1276年 イエズス会が天球儀を造ったのが1674年、4世紀経っても数′も誤差が出るようなモノを製造 蘇頌の創った脱進機で運動する時計駆動の運儀と似た様な物が西欧で作られたのは18世紀
その時にはそんなものどうでもいいぐらいの差がついてる
でソースは?
>>867 郭守敬がイスラム天文に無関係なはず無いだろ。
回民で、クビライ皇帝の宮廷に出仕していて、イスラム天文や知らんはず無い。
むしろ、イスラム天文やら、カナートの技術やら、支那人のために翻訳しただけだろ。
アラビア人やペルシャ人とも、支那人とも話がつけ易い、回民だからな。
どっちにしても力学ができない時点で中世レベルで頑張りましたって程度
>>870 イスラム天文学を知っていたから地球儀は採用してるよ
天文観測や運天儀の面では大きく劣っていたので採用しなかった、それだけ
>>871 力学は中国の方が優れてたんだけどね
脱進機と連動する時計駆動の観測機、西欧製と違って歪みの少ない運天儀
力学のことわかってないね 物質の運動を抽象的に研究することであって ようするに万有引力につながる研究 時計の駆動などは技術の問題で科学じゃないね
お前ら無意味な優越感ゲーム好きだなw
>>874 物質の運動を抽象的に研究するのは物理学の中の力学だし
万有引力はニュートン力学じゃん、中学で習わなかったっけ?
わざわざ技術や工学を含む力学なんて単語使わず、最初からそう書けばいいのに
中国には物理学が存在しなかったからね
正確にいうと物理学における力学か めんどせー
足し算引き算もできないチャンコロに物理や数学が理解できるのか?
>>879 は足し算引き算もできないけど、日本には物理や数学の研究者がいるよ
中国人にはいないけれどね
ギャグで馬鹿っぽいことするのは笑えるけど マジで馬鹿は笑えんわ
中世ゲーならCrusader KingsとかEuropa UniversalisとかMedieval II: Total Warとかあるのに何で架空ものなんだよ。 ゲーマーとしてもぽっと出だろう。
Warband面白いじゃんM2TWも架空モノだし、クルキンはつまらん
専門書とか論文読めよ普通に
専門書たけーよ、売る気無いだろあの値段設定w 何で日本だけあんなに専門書の価格帯が高いんだか
洋書でも下手すると1万2万台のがある
The Knight and the Blast Furnaceは値段を見て買わなかったが、今じゃ買わなかったことを後悔してる。
>>883 いいな。TW系の虫ゲーなんかよりこっちが雰囲気ある。
リアルタイムストラテジーはあんまりやったことないな EU2にははまったけど、ところでEU3ってそんなにいいのか
ぶっちゃけEU2やってればEU3はスルーしてもいいと思う
単純にSLGとして見るなら向上してる 操作性他色々はEU3の方が大分上 歴史ゲーとしては好みが分かれる 多分世界史板に居るような人種だと2のが好まれるだろう
ここじゃ専門書を読んでないやつしか居ないから専門書を読むやつは書き込まない
専門書も数冊読んだけど 中世だけでも全てのジャンルの情報を取り入れるにはアホみたいに金かかるから趣味じゃ無理だな
EU2でも新しいFTG版買ったほうがいいのかね? 昔のEU2にAGCEEPをダウンロードしていれてやってたけど 300年ぐらいたつとロードで5分ぐらい時間かかってストレスたまる
>>894 レガシー媒体に取り付かれた紙媒体信者さん?
CiNiiみたいなものもある時代に、専門書といわれて紙媒体と決め付けて妄想するとか どんだけ世間知らずの決め付け厨だよ
専門書といえば紙媒体だろw
単位が『冊』なら紙媒体だろう。 論文なら、何本とか何タイトルとかいうだろうし。
Ciniiなら専門書まるまる一冊入っていたりするよ てか、活版印刷以前の史料とかもあるのにレガシーもくそも無いだろ
「中世ヨーロッパの変革は、産業革命や近代化よりも劇的な変化であった」 という説はどうなんだろ?
宗教家になるか精神科に通院した方がいいじゃないかな
>>903 極めてRevisionistな考え方だけど、ある程度は正しいと思うよ。
ただ、劇的や近代化、そして産業革命の定義にもよるよ。
個人的な興味が軍事史なもので、軍事史しか語れないんだが、二度のMRは近代化と産業革命、それぞれがもたらした一度のMRより回数だけで言えば多い。
ただ、もちろんそのぶん期間も長いので、急激な変化ではなかった。ここが劇的の定義による部分ね。
そして、中世に基礎が築かれた輸送システムってのもある程度は評価するべきものがある。
特に多くの場合過大評価されている鉄道輸送よりは。
そして、リチャード王の快挙はおそらく補給史上、重大な意味を持つはず。
全体的に見ても、中世における人口の上昇や、金銭システムの発展、文化的にもイスラームの影響などがあり、近代化・産業革命よりも劇的だと言えなくもない。
ただ、全ての面において、近代化、産業革命以上と言うのは激しく問題があるだろうな。
そして、中世というものそのものが長い時代である故に短い期間で多くのことが変わったという意味の劇的は中世に適用するには的外れだと思う。
興味が軍事史、を自称する割に鉄道輸送を過小評価、少量のガレー輸送を過大評価 だいたい解るよね
>>906 そりゃ、規模に差があるし、人数にも差がある。
だが、時代を考えれば、リチャード王の快挙もまぁ、ある程度はうなずけるはず。
たとえば、第二次世界大戦においてドイツ軍は350万の兵を補給するため、約7000両の鉄道車両含める車両を補給に使用した。
逆にリチャード王は数万の十字軍を補給するために、ガレー船やカッター船舶含め、各種船舶を約300隻運用した。
たしかに、それは鉄道輸送に比べれば少量の量しか運べないかもしれない。
しかし、船舶数だけを見ればそれは少量と俺には思えない。
むしろ、時代差を考えるとこれはおそらく快挙だろう。
比較を続けよう。
たとえば、両者共に重要な攻囲戦が不毛の地にて行われた。
たとえばドイツ軍はスターリングラードで戦い、そしてリチャードの軍はアッコを攻囲した。
しかし、スターリングラードは半年しかかららず、アッコの攻囲は2年近くかかった。
その間、ドイツ軍は陸路の鉄道輸送からのトラック輸送ないし空輸に依存し、逆にリチャードの軍は陸路からの輸送はほとんど望めず、海路の補給に依存した。
規模の差はあるとはいえ、八百年の差があることを考えればやはり快挙だと思う。
それと、出港地が違う各種船舶が、船団を組み、補給を遂行したのも、護衛船団方式を思い出させる。
まぁ、一番の問題はリチャード王だけじゃなくてこれは諸王とかの連合軍が全力で兵站を維持した結果だってこと。
リチャード、リチャード言うのはやっぱ悪いくせだとは自覚している。
あと、補給上の基地がキプロスだってツッコミはよしてくれ。
1000年前のローマ帝国の時点で既にその程度のガレーは動員してるし もっと前のペルシャ帝国も動員してるっていう
あ、ペルシャとローマの記述を信じている人でしたか。 すいませんでした。
中世史家は、中世の変化を大きくとらえ、 近代史家は、近代の変化を大きくとらえているだけ?
自称軍事史好きの書き込みの程度見れば答えは簡単だろw
そりゃ、比較的入手しやすいクレフェルトやニコルソンの著書すら読んでおらず、少量のガレー輸送とか1000年前のローマ・ペルシャ帝国ってツッコミを入れる人から見れば答えは簡単ですね。 まぁ、ジャンの著者の一つでも読めば、少なくともローマ・ペルシャの部分はわかるんじゃないですか? ついでに中世の部分はLogistics of warfare in the Age of the Crusadesがおすすめです。
陰謀厨で世界史に興味がある自称軍事史好きは 質の低い知識が特徴的な感性でさらに複雑骨折起こしてるんだろうなw 世界史板にいる割に基礎的な物語すら読んでないという 紀元前レベルの兵站輸送を快挙と呼び、鉄道輸送の非常に大きな意義を否定する自称軍事史好き いやいやいやいやw
ジャンの著作は読んだ? 彼の著作ではちゃんと、紀元前の船の積載量は一部巨大だったものの、平均は一括して低かったと書いてるよ。 そして、彼の著作の結果を引き継いだ研究はローマの歴史家が提示する数値の軍をその物資では支えきれなかったとしてるわけ。 軍隊が補給にて支えきれない場合、それが示す二つの可能性くらいはわかるよね? あと、鉄道輸送に意義があったのは認めてるけど、過大評価されていると言ってるだけ。論拠はクレフェルトの著作参照。 それと、テイラーがなんであのように主張したくらいは知ってるはずだよね?
基礎的な物語ちゃんと読んでる? どんなものでもいいけど、海戦や航海でのガレー船団の記録を見れば 搭乗人数が紀元後1千年紀と大差なく、場合によっては大遠征に従い補給の利かない沿岸地域が続く土地を延々と航海し 聖戦略奪軍規模の軍隊を海路から進ませ、延々と沿海部島嶼部を占領しながら目的地へ侵攻したのは どれも非常に有名な出来事、当然知ってるよね 軍隊を補給で到底支えきれない十字軍が各地で略奪しまくった事は、もちろん知らないはずが無い それはクレフェルトの著作がトンでもなだけであって 鉄道の登場と共に各国で船舶による国内輸送が消え、何処でも島嶼部の人口は減少 普仏戦争でも兵装の差違はそれほど無いにもかかわらず結果は御存知のとおり 過大評価って便利な言葉だよね、あとで幾らでも後付け調整出来るから
すいません。私が間違ってました。 そうですね。クレフェルトの著作なんてトンデモに決まっております。 それに、普仏戦争の結果は鉄道輸送が有効であった証明ですよね。 また、十字軍は略奪に依存していた軍であり、アッコ周辺に二度の収穫期を略奪で二年の攻囲維持が可能なほど小規模な軍でした。 馬や水など、アッコ周辺ではふんだんに手に入らない物資も十分に手に入るほど高度な略奪能力を持っていたことは衆智のとおりです。 イーリアス、Memoirs of Louis IX, King of Franceや代表されるように、紀元前からガレー船の船員数が変わらないのは当たり前の事実でしたね。 もちろん、積載量の変化や、艦隊に占める大型船の比率、また造船技術の進化などは古代から中世のあいだ一切ありませんでした。 また、ジャン殿の史学研究など、論ずるに足りぬただの妄想でしかありません。 もちろん、紀元前の軍隊は基礎的な物語に書かれれているように、数万や数十万の軍隊を高度な補給にて維持しており、それに比べれば中世の兵站輸送など、卑下されるべきものです。
いえいえとんでもございません
技術の進歩だけは如何なる時代にも見られるものですよね、失念しておりました
積載量の変化や、艦隊に占める大型船の比率、造船技術の進化なども古代から中世中期の間にありました
もちろん到底劇的とは言えないもののちょっとした変化がありました、その通りです。
それ以外は
>>916 の書き込みに全面同意
>>916 恥垢くさい。包茎手術してこい。狂った頭はもう治らないけど、包茎は治せる障害。
論理立てて反論すべき。学問板で人格攻撃などもってのほか。
正直、論拠だしたら、それはトンデモか、史学研究より基礎的物語のほうが正確な記述とか言われるんで、論理による反論はできない件。 クレフェルトの記述が随所にて反論可能・他解釈が可能(鉄道輸送含める)と聞いたことはありましても、一括でトンデモだとは聞いたことはありません。 まぁ、こちとら鉄道輸送を見下しすぎ、中世の補給を持ち上げすぎたなと感じてるのは事実ですよ? ただ、中世軍が略奪に依存してたというのは、(たしかニコルソン氏の主張だったと思いますが)海からある程度はずれたらすぐさま十字軍が補給困難で海岸沿いに向かわねばならなかった事実が反証していると思います。 そこには不仏戦争の結果がセダンの戦いに依存した程度には戦術的な結果の複合性もあるんでしょうが、その前に中世の補給を快挙というには、海岸から離れた位置への補給も可能でなければいけないでしょう。 そして鉄道輸送は桁違いの物資輸送を可能として、動員可能兵力・投入可能兵力をケタ違いにしました。 クレフェルトの論は、ドイツ軍や他史家達はその違いを大きく認識しすぎており、また鉄道だけでは十分の物資を補給することはできず、ドイツ軍も他輸送形態に依存していたとも主張しておりました。 もちろん、前近代的な輸送手段ではひとつの戦場に百万近い軍を投入し、補給し続けることはほぼ不可能でしょう。 フランス軍も普仏戦争では(ある程度)その変化の恩賞にあずかってるため、差が小さく見えてしまっていますが、記述ではな実数で双方の軍が短期間の戦争で百万を数えれたのは補給の進化なしに語れないはずです。
>>192 漢代中国では人口の7割ほどが都市化されていたけど
都市化率の下がった唐代中国はGDPが向上しているよ
フルプレートアーマーが格好良すぎて大好きです!! 写真が一杯載ってる本、戦いで装備して活躍してる騎士の絵が挿絵に 一杯載ってる本を探してます!! お勧めありますか?お勧めサイトでもいいです。
>>922 実用品ではなくて装飾品だよ。
精々チキンハートな貴族の領主様を戦場の一番後ろの陣営に引っ張り出すくらいの役目しかない。
戦場に親分が来るのと来ないのとでは士気が全く違うのに、
これで矢も鉄砲も刀も槍も防げますよ
ってなぐあいに納得させないと出てこないから。
実用品ではないから、あんなもの着てたら動けないし、矢や刀はなんぼか防いでも、棍棒で殴れば脱げなくなって死ぬし。
>>926 鎧兵を攻撃したり歩兵の盾を粉砕しながら攻撃す目的のメース(先端に金属の重りをつけた鈍器)は、中世の
ヨーロッパ全域で全時代を通して使われていたし、ヨーロッパ人の脅威に晒されていた地中海イスラム諸国も
対抗上使っていた。
いや、金属を使っては棍棒じゃねぇよ、ってなら、メースは棍棒ではないかもしれんが。
ヨーロッパの弓は、日本のヘナチョコ弓ではなくて、強い弓だし、しかも、機械補助のついた横弓だと、人が入って
動かせるくらいの鎧なら貫通するよ。
>>926 棍棒で殴って、殴った側の手が痺れるなら、殴られた側も相当に参った状態にならないかい?
>ヨーロッパ人の脅威に晒されていた地中海イスラム諸国も >対抗上使っていた。 ヨーロッパ人が全然来ない中央アジアあたりでも普通に使ってますが
>ヨーロッパの弓は、日本のヘナチョコ弓ではなくて、強い弓だし、 百年戦争のポワティエの戦いでは突撃してきたフランス騎士に対して イングランドの弓兵が矢を放ったが、騎士どころか馬の前面にまで 装甲がつけられていたので効かなかった。 しかしフランス騎士が向きを変えたときに装甲のない馬の横腹に 次々と矢が刺さったそうである。
武器の強さってオタを暑くするけどさ、道具というのは使い方が最も重要なんだよね 全身金属鎧はそれを着たもの同士で同じように殺しあうという前提の下では高性能だろうし 洋弓和弓だって殺せりゃ同じなわけだ、特に弓なんかどう射たかが重要なので そのあたりを置いておくと信仰の強さ勝負になってしまうな
>全身金属鎧はそれを着たもの同士で同じように殺しあうという前提の下では高性能だろうし じゃ軽装の相手には簡単にやられるの?
重装備は量産体制が整ってなければお高いし 飛び道具扱うには邪魔で足もおっせーから 単科だと不利じゃね
兵科としても、重騎兵としてはその装備で十分にいいと思うが。 あと、弱点を補うために散兵とかが随伴したわけで…
>>930 棍棒なんて、それこそ、お猿さん時代から使ってるだろ。
>>931 そりゃ嘘だろ。
馬のような臆病な生き物の性質からしてありえない。
馬の鼻先で、金属板に鏃が当たったりしたら、音に驚いて暴れて騎手を振り落としてしまう。
単に、面積の小さい正面ではたまたま当たらず、面積の大きな側面ではなんぼか当たった、というくらいのことだろうよ。
>>935 じゃ後期百年戦争とか薔薇戦争で徒歩でフルプレート着て
白兵戦やってた連中の存在意義って・・・
>>935 鎧兵の周りに軽装の随伴兵ねぇ……
随伴兵どうしの戦闘での決着が、鎧兵を含む小隊の決着になってしまうだろう。
いみねし。
>>937 ナポレオン時代で恐縮だが、銃弾食らっても走り続けた馬の話がけっこうあったりする。
訓練すれば可能なんじゃないのかな?
>>938 基本下馬されたのは、防御的運用しかされてないから、機動力は問題ないかと。
防御的運用なら塹壕掘るなり、据え置きの盾の後ろにいるなりできるから、飛び道具に対して不利ってわけじゃないしね。
それと、やっぱり重装兵の主なる運用は騎兵としての運用だったわけで…
>>938 だから重騎兵としてはね。
多少の誇張はあるとしても、500の重騎兵は一万の散兵に勝利するって当時の傭兵隊長だかも言ってるわけだし。
それと、小隊(つーか大隊)単位は単一兵科で編成されてたはず。
ここでいう随伴ってのはあくまでも近距離に支援部隊が展開してたって意味。
そして、下馬した鎧兵は防御的運用だから、攻撃してきた敵を撃退することに専念できるし、密集陣形を組めば軽歩兵では相手にならないはず。
ただ、下馬戦闘はあんま詳しくないんで間違ってる可能性もある。
>>937 シャンフロン(馬面)はヨーロッパ・中近東から中国まで使われてるぞ
16世紀末から三十年戦争の頃になると馬上で小銃や短銃発砲するようになるし
>>940 鞭を入れると足が速くなるって知ってる?
パニックになると、ともかく前進するんだよ。
叩かれてパニック、銃弾でパニック。
競馬と違って、戦場につれてくる足場の悪いところ荷物が沢山のるような馬は皮が厚いから
鉄砲のニ・三発では簡単に死なないよ。
弾が当たった痛さでパニックになって駆けてんだよ。
>>940 動きの遅い重装鎧兵の密集陣なんて、砲弾くらわせれば一発じゃねえかよ。
砲弾はただの鉄球とか石弾だけど
防御的運用だから塹壕に隠れることもできるし、砲兵の対抗射撃だって期待できる。 それに、中世時代の大砲なんて命中そこまで期待できず、連射もできないし、脅威ではないでしょ。
鎧兵が密集してキビキビ動くの、ナウシカのアニメのトルメキア兵かスターウォーズの銀河帝国の歩兵みたいな絵柄を想像してるんだろうな。 ホンモノの兵隊がホンモノのタマの取り愛しているときに、あんなふうに整然と動けるはず無いだろ。しかも、中世の稚拙な技術で作った熱くて重たい鉄の鎧で。
なんでそこでフィクションの軍隊が出てくるんだよ ホプリタイやレギオンにも出来てたやないか
ホンモンのタマの取り合いしてる時に整然と動けるから ホンモノの兵隊って言うんじゃないのかな
パイク兵の方陣だと、敵に向かって左右は古参兵で固めて 新兵をサンドイッチするw ギリシャのホプリテスは盾を持ってる関係上右端が一番危険なので そこに立つのは最も勇敢な者とされた。
>>954 古代ギリシャは勇敢というかええ格好しぃなので、楯と兜と脛当はしていたけれど、全裸だからね。
ここ一番ということき、戦争に、民会の演説に、都市対抗運動会に、王様に発明を報告にいくとき、全裸が基本。
>>928 メイスなんて鉄の鎧の前ではオモチャだし。
衝撃であわよくば落馬させるための武器だろ。
フルプレート相手にダメージを与えられるとしたら当時ランスチャージくらいしかなかった。
弓矢についてはフルプレートの装甲の前では弾き返されるだけの存在だったのに
こんなに弓矢信仰者が多いのは弓矢が鎧を貫く描写の漫画が多いからか!?
>>931 にも例が挙がってるが史実では貫けなかったのだよ。
鉄鎧つっても色々種類あるじゃん 十字軍のとき着てた帷子とか小片鎧は、鈍器で苦も無くボコされちゃったし プレートアーマーも厚くないから質量の大きい鈍器で勢いよく殴られればダメだし 矢はよっぽど同じ位置に当たりでもしなければ貫通しないだろうけど
>フルプレート相手にダメージを与えられるとしたら当時ランスチャージくらいしかなかった。
>プレートアーマーも厚くないから質量の大きい鈍器で勢いよく殴られればダメだし
ルネサンス頃の武術書では、フルプレート相手には剣で腋の下や股間やバイザーの隙間を
刺すのが推奨されている。
>
>>931 にも例が挙がってるが史実では貫けなかったのだよ。
現代の実験では距離と角度がよければロングボウでもある程度の
鉄板は貫通できている。
戦場でそんな芸当がしょっちゅうできたかは疑問だが。
>>958 鉄板はプレートアーマーにあらず。
プレートアーマーと鍛錬されてない鉄板を一緒にされちゃ困る。
鉄板の方が強度あるだろ、でないと無茶な重さになる
板金鎧も鍛錬はされてないんじゃ・・・ 打ち出して曲面やアングルが出てるから多少は強度が出るだろうけど。
> プレートアーマーでは貫通しません。聞いた話ではニューヨークのSCAグループの実験で、プレートメールにヒトをつめてリアルポイントの矢尻をつかって撃ったそうです。 > 距離は忘れました。弓の強さは50ポンドか80ポンドだったかです。ことごとく跳ね返し、その間鎧はダンスステップを踏んでいたとか。
>>956 棍棒で殴ってひん曲がらない鉄板とか、どんな重量だったんやら。
クロスボウは400ポンド平均で、強いのだと巻き上げ式の700ポンドとか1200ポンドになるけど 実験してないんかね、まあ弩はボルトが矢より短いけど
>>963 硬い物殴ったことないだろ。
壊そうと思いっきり叩いたらそれこそ骨の細い指の方が先にぶっ壊れるぞ。
力任せに叩いたらあの丸っこいフォルムに沿ってツルッ!と滑るんじゃない? そしたら攻撃した側は隙だらけ、体勢は崩れ武器を構えなおす間もなく 脳天に騎士のきっつい一撃を加えられて絶命させられちゃうよ…。
>>965 そんなに硬くないから、板金鎧。
儀礼用の装飾鎧じゃなく、実戦で使われたアンティークとして残っている板金鎧はへこみまくり。
フルプレートで身を固めた騎士に戦いを挑むのは自殺行為でしかなかった。
>>968 同じ武器で同じように戦うんならな。
しかし、戦場はスポーツのように同じ条件で競うものではないし、後ろからの殴打も転ばしてからの袋叩きもなんでもあり。
>>968 騎士は幼少の頃から栄養価の高い食事をとり戦闘の訓練に明け暮れてきた戦闘のエリートだからね。
さらに目が飛び出るくらいの大金と引き換えに、攻撃を無効化する防具で全身を覆ってるんだから始末に終えない。
>>969 後ろから殴打しても袋叩きしても効いてる様子もなく向かって来る様は相手にとってさぞかし恐怖だったろうな。
>実戦で使われたアンティークとして残っている板金鎧はへこみまくり。 実戦で使われた板金鎧でもへこんでるのはほんと稀だよ。 美術館に寄贈されてまだ手を入れる前の鎧を何度も見る機会があったけど。
>>970 ただ一般の兵士や傭兵にとって幸いだったのが
戦場で騎士の数が少なかったこと。
運悪く出会ってしまったらそれこそ騎士に虫ケラ同然に惨殺されてしまうが
恐らく出食わす確率なんて1%もなかったんじゃない?
973 :
世界@名無史さん :2011/05/03(火) 16:58:02.15 0
>>969 後ろに回れないようにいろいろ戦術的な工夫がされているわけだが…
>>964 クレシーの戦いでもロングボウの矢に
フルプレートが貫かれなかったのを思い出してみよう。
>>974 ロングボウはクロスボウより大分威力低いからな
>>971 そりゃ、全身を覆うような鎧は実用品ではないからだよ。
実際に戦争に使ったという意味では実用品だけれど、刀傷やら矢弾やらを防ぐものではない。
単純に、目印。あれが大将だよ、見方からはあの方向が本陣、敵からスト、捕虜にすることで戦争の勝敗が決まる、人質にして身代金が取れる、という目印。
日本の殿様の兜だの馬印だの陣羽織だのも現存しているものはあまり損傷していないだろ。同じく、目印だからさ。
>>974 14世紀半ばにフルプレートはまだなかったのでは?
せいぜいメイルの上にブリガンディンやコートオブプレーツでしょ
>>977 それだと百年戦争やバラ戦争で一般騎士までフルプレート着て
白兵戦やってたのが説明できませんな
>>978 フルプレートは十三世紀からあったはず。主流になるのは後だけど。
>>979 事実と、脚色されたものとを、ごっちゃにするなよ。
立派な身なりをして、負傷しても小奇麗なままで、隊列は整然としている、絵のなかのものを
そのまま事実と思いこむなよ、
後世に残る絵なんてものは、プロパガンダだからね
私・私の先祖は、こんな大きな戦で、こんなふうに立派に戦いましたよ
という宣伝のためのものなんだから、そりゃ、歩兵まで、大将級の鎧で格好よく描くわな。
というか、そもそも大半の騎士はフルプレート着てないけど
完全オーダーメイドで、現在の価格にすると物による違いはあるものの数千万円もした代物だからね。
中世は着るもの全部オーダーメイドだろ。 吊るしの服が出てくるのは産業革命から後。 日本の中世のような、規格品の布を断つ長さまで決まっていて、ほどいて完全再利用可能な衣類の 形態というのが例外中の例外。
>>981 いいから、まともな中世軍事史関係の本一冊でも読めよ
てめーの脚色された妄想を歴史家の理解とごっちゃにするなよ
>>984 鉄板をひん曲げた物のお話をしてるのに、何で衣類がどーこーと噛み付いてくるわけ?
んで、吊るしの鎧(Suit of armour ではない胸甲とか)は領主が歩兵に貸し与える為に、或いはローマやギリシャの軍団兵の為に紀元前から存在してる。
>>986 ギリシャは防具も自弁だし、中世西欧州の諸侯が防具を貸し与えるのは全く一般的じゃない
中世末期(16世紀)なら解るけど
>>987 指摘サンクス。いろいろごっちゃになってた。すまん。
>>981 >後世に残る絵なんてものは、プロパガンダだからね
>私・私の先祖は、こんな大きな戦で、こんなふうに立派に戦いましたよ
>という宣伝のためのものなんだから、そりゃ、歩兵まで、大将級の鎧で格好よく描くわな。
中世の身分意識から考えると逆でしょう。
大将級が雑兵と同じ鎧着てたら格好付かないこと夥しいですな。
990 :
世界@名無史さん :2011/05/04(水) 00:15:00.51 0
和弓はフライパンも突き破るから神州相手にはプレートメイルは役に立たないであろう
>>990 それは何人引きの弓で的との距離とか的の厚さはどうなの?特殊な剛弓の一例を取り上げて「和弓」と一くくりで述べるのは乱暴だよ。
992 :
世界@名無史さん :2011/05/04(水) 00:30:17.67 0
和弓一人用の弓に決まってるだろw 100メートルの距離からフライパン射抜くのはいとも簡単
>>992 「何人引き(何人掛け)」は弓の張力の強さのことだよ.。洋弓のポンドと同じ。
一般的な和弓の有効射程は100mなかったはずだけど、並外れた剛弓だね、それ。
994 :
世界@名無史さん :2011/05/04(水) 00:38:10.55 0
フライパンってアルミか鉄だろ? しかも、防御用じゃないから、避弾傾始形状的加工もされてない。 和弓の弓の強さも強くても50ポンド程度。 メイルの部分は厳しいだろうが、プレートの部分は距離によっては問題が出るはず。 一律に役に立たないは言い過ぎかと
995 :
世界@名無史さん :2011/05/04(水) 00:58:41.67 0
洋弓なんて所詮ただの木で作った弓だからな 100年戦争でフランス騎兵を全滅させたイギリスのロングボウ隊もただの木弓 和弓は木弓と比べ物になら無い威力を持つ複合弓だね モンゴル軍が世界を席巻したのも機動力耐久力ある馬と武器の複合弓のおかげ もっとも元寇の戦いではモンゴル側の弓は飛距離がとどかず鎌倉武士に一方的に矢で射抜かれ死んだが
弓矢に幻想持ってるやつがいるがあれは大勢の雑兵を一層するだけのもの。 現実にはロングボウもクロスボウも初期のマスケット銃も板金鎧には歯が立たなかった歴史を無視して フライパンとか持ち出して貫けるとかどんだけ妄想逞しいんだ。
>100年戦争でフランス騎兵を全滅させたイギリスのロングボウ隊もただの木弓 正確に言うとフランス騎士を壊滅させたのはロングボウの射撃ではなくて メンアットアームズ等による白兵戦 >元寇の戦いではモンゴル側の弓は飛距離がとどかず鎌倉武士に一方的に矢で射抜かれ死んだが これよく見るけど、出典は?
>正確に言うとフランス騎士を壊滅させたのはロングボウの射撃ではなくて >メンアットアームズ等による白兵戦 正解。これテンプレに入れて欲しいな。 ロングボウ隊の後ろに陣取ってたイギリスの騎士が最終的にフランス軍騎士を捕らえて一時捕虜にした。 フランス軍騎士達も恐らく騎士に捕らえられるんなら捕虜にされるだけで済むんだろうなと思って そこまで激しく抵抗しなかったのではないかと憶測してる。
>>995 材質はその他多くある要素の一つでしかない。
貫通性能には鏃の形状や材質も重要だし、弓の重さや長さ、流体力学的特性も重要。
それと、先に言われているように張力の強さも重要。
和弓は材質では長弓に勝るかもしれないが、張力において、和弓は50ポンド程度なのに対し、長弓は最大200ポンドと大きなさがある。
また、後期のクロスボウは150ポンドだが、鏃は鋼鉄製なので、貫通力は長弓よりも高い。
また、現代の競技用の和弓は技術的発展による改良もあるわけで、一概に当時の和弓と比べることはできない。
>フランス軍騎士達も恐らく騎士に捕らえられるんなら捕虜にされるだけで済むんだろうなと思って >そこまで激しく抵抗しなかったのではないかと憶測してる。 まあ後で小屋に閉じ込めて焼き殺されたりしたがな。
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