世界史に於ける秀吉の朝鮮征伐の考察

このエントリーをはてなブックマークに追加
1世界@名無史さん
朝鮮征伐を考察してみよう

関連スレッド

【文禄】 秀吉の朝鮮征伐 【慶長】
http://kamome.2ch.net/test/read.cgi/history/1284462898/
秀吉による朝鮮征伐の軍事分析
http://toki.2ch.net/test/read.cgi/army/1287830935/
【文禄慶長】 秀吉の朝鮮征伐スレ5 【壬辰倭乱】
http://toki.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1265715021/
秀吉による朝鮮征伐に関する考察
http://yuzuru.2ch.net/test/read.cgi/war/1220349972/
秀吉の朝鮮征伐を明の観点からの考察
http://yuzuru.2ch.net/test/read.cgi/war/1220349972/
2世界@名無史さん:2010/10/24(日) 09:01:55 0
2get!
3世界@名無史さん:2010/10/24(日) 20:45:11 0
この戦役での明軍の軍費は、
どのくらいだったのだろう?
4世界@名無史さん:2010/10/25(月) 07:54:56 0
日本軍が連戦連敗だったの?
5世界@名無史さん:2010/10/25(月) 11:23:41 O
大局では負けたかもしれんが局地戦は連戦連勝。秀吉の死が大きい。
6世界@名無史さん:2010/10/25(月) 12:02:57 0
秀吉が死ななければ、三路の戦いで数万以上の損害を出し、
逃げ腰になっていた明軍が春からの秀吉の帰朝之衆派遣計画
に対しきるのは不可能。

秀吉も年老いて、秀頼の誕生で明征服どころではなかったろうから、
明軍壊滅後、ある程度日本に有利な条件で戦役を終らせたかもしれない。
7世界@名無史さん:2010/10/25(月) 12:03:57 0
訂正
数万以上→数万
8世界@名無史さん:2010/10/25(月) 14:56:45 0
日本ってこの頃から外交が下手だね。
日露戦争でも戦闘には勝ってたのにね。
9世界@名無史さん:2010/10/25(月) 18:21:23 0
そうか?日露戦争は、戦闘より外交のうまさが際立った戦いだと思うけどな。

秀吉の外交も小西や宗に振り回されてたが、明帝国も沈惟敬一人に振り回されてる
ところをみると相当な外交下手w
10世界@名無史さん:2010/10/25(月) 23:08:28 0
秀吉も内心では、明の皇帝の臣下って自覚があったと思うよ。
11世界@名無史さん:2010/10/26(火) 01:18:57 O
ないない
12世界@名無史さん:2010/10/26(火) 07:39:23 0
>10 おかしい。
日本国王の金印を明から送られて、激怒してるよ、秀吉。
13世界@名無史さん:2010/10/26(火) 17:45:14 0
>>12
明からの書状で勘合貿易の復活を認可されていたら、
秀吉のリアクションも変わっていただろうにね。
14世界@名無史さん:2010/10/26(火) 19:08:39 0
秀吉が勘合貿易を許された場合のリアクションは、この人物が参考になる。

アルタン・ハーン(俺答汗、1507 - 1582)
モンゴルを支配したハーン(在位:1551 - 1582)。ダヤン・ハーンの孫。
1542年には明遠征での功績により、正統ハーンを補佐する次席ハーンとなる。
これにより、内モンゴルの西半分に遊牧するモンゴル右翼3万戸の最有力指導者となった。
1550年にも明に侵攻し、北京にまで迫った。
1551年には正統ハーン位に推戴され、即位した。
その後も明・モンゴルで積極的な活動を続けて勢力を拡大する。

1570年に明と和平交渉を行ない、1571年に和平条約を締結した(隆慶封貢/隆慶和議)。
このとき、明から順義王に封じられ、一族の者や配下にも明の官職が与えられた。
そして朝貢を許され、その地位に応じて年金が与えられた。
1582年に死去した。76歳。長男がハーン位につき、明から次の順義王と認められた。

1542年に山西省に侵攻した際、20万人を虐殺し、200万の家畜を略奪し、8万軒を焼き払った。
1550年に北京に迫った際、明軍を北京に籠城させるまでに追いつめたこともある。
その反面、亡命漢人の官僚、白蓮教徒、生活苦で逃亡してきた農民などを積極的に受け入れ、
彼らの文化を受け入れて多くの都市を建設するという優秀な内政手腕も持ち合わせていた。
15世界@名無史さん:2010/10/26(火) 21:03:43 0
李成梁を利用するべし
16世界@名無史さん:2010/10/27(水) 07:51:14 0
?
17世界@名無史さん:2010/10/27(水) 16:45:28 0
>>14
勘合貿易してねえじゃんw
18:2010/10/27(水) 17:29:16 0
19世界@名無史さん:2010/10/28(木) 16:00:13 O
歴史的に中国との付き合い方を熟知していた蒙古人と秀吉を一緒にできるか(笑)
20世界@名無史さん:2010/10/28(木) 18:38:42 0
藤原摂関家とか平清盛も宋とかに臣下の礼をとってたらしいよ。
21世界@名無史さん:2010/10/28(木) 21:18:07 O
ああ、だが戦争仕掛けた奴はいないな
22世界@名無史さん:2010/10/31(日) 21:13:23 0
413年前の鳴梁海戦、勝利のカギは「潮流」

戦闘当日の正午、満ち潮から引き潮に変わったのを機に一斉攻撃

朝方の満ち潮時には接近を防ぐため砲撃、夕刻の満ち潮時には後退…戦列を整備

http://www.chosunonline.com/news/20101031000012
Chosun Online | 朝鮮日報
23世界@名無史さん:2010/10/31(日) 22:02:53 0
李舜臣が、その後どんどん後退して制海権が日本側に移った事実は書かかないの?
24世界@名無史さん:2010/11/02(火) 21:38:07 0
朝鮮征伐
25世界@名無史さん:2010/11/04(木) 12:43:48 O
>>10

どこの国の人ですかwww
26世界@名無史さん:2010/11/04(木) 21:21:09 O
事実として有力大名は当然として、地方大名すら数える程しか死んでない(病死含む)
数年後の関ヶ原ではみんなガチ、朝鮮の役ではあれだけみんな死傷しました壊滅寸前ですって軍監に報告してたのに
関ヶ原では何事も無かったように大軍率いて大暴れ
27世界@名無史さん:2010/11/05(金) 05:33:03 0
\ | /
   ― Θ ―
   / °\
  ∧_∧  / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
 ( こ公こ)<  そうだったノカー!
 ( つ  つ  \_______
  〈 〈\ \
  (__)(__)
28世界@名無史さん:2010/11/05(金) 18:16:46 0
秀吉は、なぜ明に臣従する気になったのだろう?
29世界@名無史さん:2010/11/05(金) 19:43:44 0
秀吉はスペイン、欧州のアジア侵略を見据えて先手を打った
30世界@名無史さん:2010/11/05(金) 20:42:04 0
そして、明の皇女を日本の天皇に降嫁してもらい、
自らは日本国王に冊封されて、明の臣下になるつもりだったのに、
明からは朝貢(貿易)を認められず、ブチ切れたわけだ。
31世界@名無史さん:2010/11/05(金) 20:52:43 O
中学生でもわかるしょうもない釣りやめろな。

建前でさえも豊臣が臣従しなかったから戦争起きたのに。

世界史的には明の没落早めたのが主かのう。

ヌルハチにはまったく日本軍との経験が活かせなかったみたいだが。
32世界@名無史さん:2010/11/06(土) 20:00:49 0
文禄の役におけるソウル城防衛戦
慶長の役における朝鮮半島南部での各倭城防衛戦
ともに日本側が明・朝鮮側の攻撃を
恐れて城内に立て篭もった状態での
戦闘だ。日本側の勝率が高いのも
その多くは防衛戦での守備側だったからだ。
大体、日本側が明軍を恐れていたのは
文禄の役の戦略目標が大明国の征服だったのに
慶長の役では朝鮮半島南部の征服に変わったことでも
判る。


33世界@名無史さん:2010/11/06(土) 20:11:21 0
前線で戦ってた兵士と
秀吉の間に入ってた役人(石田三成)が何かやらかして
秀吉の前線に対する手酷い懲罰に失望して士気が失せて撤退したらしいよ
34世界@名無史さん:2010/11/06(土) 22:42:59 0
文禄・慶長の役で日本軍の勝率が高いのは日本軍が明軍より
強いからじゃない。
日本軍の実態は諸大名混成軍であり、それぞれ出兵した諸大名
は将兵から軍資金まで持ち出しで出兵している。
だから名護屋城大本営からの命令であっても、勝敗の覚束ない
戦いは避けるようにするが、明軍の将兵は将軍のその取り巻き
の手勢を除き、すべて皇帝の将兵であり北京からの命令は逆らう
ことが出来ない。だから結果的に勝率に開きが出てしまう。
だいたい日本が明に勝利した戦いはその殆どが倭城を守備する日本側
に対し明軍が攻め寄せている攻城戦ばかりだ。
慶長の役に投入された日本軍は14万以上にもなるのに10万ほどしか投入
していない明軍あいてに倭城の守備に徹しているだけでも日本側が明側
をいかに恐れていたがわかる。
35世界@名無史さん:2010/11/07(日) 02:40:25 O
自分の得意な状況で戦うのが当たり前。
ボクシングでインファイターがアウトボクサーにアウトボックスで血だるまにされたからって、インファイターが「足止めて打ち合わないのはズルい」なんて言っても、アウトボクサーとしては打ち合いに持ち込めないお前が雑魚、としか言えないわなぁ。
36世界@名無史さん:2010/11/09(火) 07:30:55 O
日本軍の方が多いと主張する馬鹿チョン再び沸いたのか。

どうでもいいが軍事的にみれば単純に日本が勝ってたのは明白。

攻め込んでたからな。

たんに維持する価値がなかっただけ。

37世界@名無史さん:2010/11/09(火) 20:21:13 0
維持しようと思えば出来たってのはちょっと過大評価し過ぎじゃないか
38世界@名無史さん:2010/11/10(水) 06:38:22 0
戦争目的を達成できなかった点では日本の敗北だろ
国土防衛できた朝鮮の勝ちは明らか
まぁーあれだベトナム戦争と同じだ
39世界@名無史さん:2010/11/10(水) 07:18:17 0
日韓併合前に朝鮮人は朝鮮討伐の件で日本人を嫌ってたそうだけど
300年経っても相当トラウマが残ってたのだな
40世界@名無史さん:2010/11/10(水) 09:59:29 O
秀吉の朝鮮出兵当時、日本に元寇の復讐をされていると思っちゃう民族だからね、朝鮮人にとって恨みは数百年続くのが常識なんだろう。
41世界@名無史さん:2010/11/10(水) 14:10:52 O
江戸時代の朝鮮って、朝鮮通信使をつかわして侵略国に一方的に挨拶に来て、
国書をはさんでとはいえ臣下の礼をするという、
割合屈辱的な儀礼を行うくらいの現実的な政治感覚あったのに
なぜ西欧の軍事力をみすごしたんだろうか。
42世界@名無史さん:2010/11/10(水) 16:42:53 0
>>38
単なる戦場が物を語るなw
43世界@名無史さん:2010/11/10(水) 17:13:12 0
>>41
朝鮮は今の日本と同じで、宗主国様に軍事的に依存してたからだよ。

でも、日本の方もずっと火縄銃だったわけでね。
西洋では火縄が使われていたのは10年足らずですぐにフリントロックに移行した。
日本の銃は西洋の銃が直接伝わったわけではなく、
いまのマレーシアかシンガポール辺りで大量にコピーされた劣化版がベースになってる。
その後、フリントロックが伝わってもコストや技術的な制約で普及はせず、
逆に火縄銃のまま洗練をかさねて火縄銃としては世界一の性能を持つに至る。
日本のガラパゴス癖はこの頃から、ていうかずっと昔からの持病だよな。

司馬史観の人はよく徳川家じゃなければ銃の進化も違っていたというけど、
西洋が紀元前から積み重ねてきたベースになる技術・理論が日本にはまったく無い。
銃尾をつめるネジ一つ満足につくれなかったんだから、結局コピーしかつくる能力が無く
進化など出来るわけはなかった。

朝鮮も同じように中国に武器開発や所持は厳しく管理されていた。
もって無いわけじゃなかったから、中期から重火器が大量に出てきて制海権を握られたわけだしね。
まあ、その火器も中国と同じタイプの物だから、純粋な西洋火器とは言えないが。
44世界@名無史さん:2010/11/10(水) 21:26:43 0
>>41
そんな寝言、誰に教わったんだ。
朝鮮通信使は完全に対等外交だぞ。
45世界@名無史さん:2010/11/10(水) 22:08:50 O
代替わり毎に挨拶に家に来る奴が主人か家来か考えたことある?
中華は返礼としての使者は出すが基本的に来させてたでしょ。
いろんな外交的に技巧的なことはしたがな。
46世界@名無史さん:2010/11/11(木) 18:03:41 0
朝鮮側は対日外交を対等なものと考えていたし、
幕府も朝鮮に対してそのように接した。いわゆる善隣外交だ。

朝鮮使節の来日を、琉球使節と同じように将軍家のご威光に利用はしていたが、
それは日本側の国内事情であって、朝鮮のあずかり知らぬこと。
異国(朝鮮・琉球・オランダ)からもはるばる公方様に挨拶に来るというのを、
幕府が諸大名や民衆に対する将軍の権威づけに利用したことは事実だが、
朝鮮との実際の外交は完全に対等なものだった。

むしろ、新井白石は朝鮮使節聘礼が厚遇すぎ、日本が謙譲しすぎだと考え、
接遇の簡素化と、大君号をやめて「日本国王」号の使用に踏み切った。
さらに対馬藩の実務レベルでの交渉では、対馬側が属国扱いされている。
(プサンの倭館では、対馬藩の役人が朝鮮国王の名前を書いた位牌のようなものに、
朝鮮側の官員が居並ぶ前で平伏・拝礼させられていた)
47世界@名無史さん:2010/11/13(土) 22:46:48 0
フリントロックが優れているだと・・・
マッチロックと大差ないわ
湿度の高いアジアでは火縄のほうが信頼性が高いから使われたんだろ
後込式ライフルまで五十歩百歩だろ
48世界@名無史さん:2010/11/13(土) 23:08:25 O
>>47
銃の進化については
「順番踏まえろよ派」と
「はあ?遠回りする必要ねえじゃん派」
があるのは聞いた事がある
49世界@名無史さん:2010/11/15(月) 01:37:35 0
>>46
>(プサンの倭館では、対馬藩の役人が朝鮮国王の名前を書いた位牌のようなものに、
>朝鮮側の官員が居並ぶ前で平伏・拝礼させられていた)

朝鮮側の史料を無批判に事実として認めるのはどうかな?
50世界@名無史さん:2010/11/15(月) 02:19:16 0
>>47
いや、かなり性能違うだろ。
集団射撃に向いてるし、多少の雨なら傘を使わずに撃てる。
しかも連射性能がいい。
日本でフリントロックが使われなかった理由は3つ。
国産のフリントがあまり良質ではなく輸入しなければならなかったコスト面。
日本には集団射撃という戦術概念が無かった点。(武田騎馬隊を全滅させた3段構えは後世の創作)
そして鉄砲鍛冶の加工技術が低く、信頼性がマッチロックに劣ったため。

ヨーロッパでも、フランスのような加工精度が低い国では不発率が問題となりマッチロックに戻そうとした事がある。
結局ドイツの高い技術が導入されてうやむやになったが。
51世界@名無史さん:2010/11/15(月) 02:24:21 0
>>50
>日本には集団射撃という戦術概念が無かった点。(武田騎馬隊を全滅させた3段構えは後世の創作)

そういう説があるだけだよね。
52世界@名無史さん:2010/11/15(月) 02:34:46 0
>>51
実際に集団密集射撃が行なわれていたのだとしたら
その後の戦争に戦術的な大改革が行なわれていたはず。
そのような傾向は無いし、何よりも集団射撃は当時の火縄銃では不可能。
53世界@名無史さん:2010/11/15(月) 02:56:49 0
>>52
>実際に集団密集射撃が行なわれていたのだとしたら
>その後の戦争に戦術的な大改革が行なわれていたはず。

局地的実態が他に必ずしも伝播するとは保障されない。
ネットがある時代じゃないよww

>何よりも集団射撃は当時の火縄銃では不可能。

という説があるだけ。ツールに不備があっても人は知恵を出して埋め合わせるものなんじゃないかな?

不明確な事柄を断定しすぎてるように思う。
ま、俺だって根拠なんてないけどねww スマソ。 おやすみ〜
54世界@名無史さん:2010/11/15(月) 11:20:11 0
>>52
火縄も雨の中撃てるように改良されましたが
55世界@名無史さん:2010/11/15(月) 12:35:40 0
改良?
子供の工作みたいな不格好なでかい箱を上にかぶせただけだろw
あんなもん改良でもなんでもないわ。
金属の加工技術が低い、
雷汞をつくるような化学の土壌がない、
ライフリングする意味を理解する物理学の基礎も無い、
だから300年も変化しなかった。

銃そのものの進化の話はただの題材なんだよ。
本質は、借り物の技術だったから発展性が無かったてこと。
56世界@名無史さん:2010/11/15(月) 12:42:08 0
>>49
その情景(「粛拝」といい、漢城の王様を遙拝するもの)を描いた絵がある。
日本側にも、対馬藩の武士がクレームをつけた記録がある。
位牌に平伏して拝礼するのはともかく、左右に朝鮮の官員がズラッと居並ぶのは、
まるで朝鮮の官員に平伏してるみたいだからやめてほしいと要求して却下された。
対馬は貿易の実利があるから、この儀礼を受け入れざるをえなかった。

詳しくは田代和生の「倭館」を読め。
57世界@名無史さん:2010/11/15(月) 18:20:54 0
>左右に朝鮮の官員がズラッと居並ぶのは、
>まるで朝鮮の官員に平伏してるみたい

李朝官人の「倭人」に対するはげしい蔑視感情と、
朝鮮役での侵略に対する意趣返しみたいなものかね。
58世界@名無史さん:2010/11/15(月) 18:50:48 Q
世界史的意義としては、この時の侵略は実は日本の朝鮮の植民地支配や泥沼の日中戦争への大きな時代の流れの伏線だったのかもしれない…
元寇→倭寇→戦国時代と来て日本はだいぶ国力に自信をつけてきたのだろう
戦国時代―南蛮貿易 明治維新―黒船の来航、を比較しても面白いと思う。
59世界@名無史さん:2010/11/15(月) 23:43:42 0
伏線と呼べるレベルだったかは解らないが、
「チョンもチュンも大した事ネエな、西洋の連中に比べりゃ子供だわ」
という意識が生まれたのは確かだろうね。
60世界@名無史さん:2010/11/15(月) 23:51:34 0
朝鮮通信使の来日時の日本側知識人たちの状況からは、
そんな傲慢な意識はカケラも見られないけどな。

通信使の接遇を簡素化して、朝鮮側から嫌味を言われた新井白石にしても、
あくまで対等外交という視点から、手厚すぎる接遇を是正したにすぎない。
まあ、内実は財政上、経費節約の必要があったからでもあるが。
61世界@名無史さん:2010/11/16(火) 00:03:46 0
>>55
オスマン厨
イスラム科学厨
アンチギリシャ厨
ニーダム厨の誘蛾灯のようなレスだw
62世界@名無史さん:2010/11/16(火) 06:00:54 0
>>59
古代の日本では渡来人のもたらす先進的で高度な文明をお手本にしたりして
中国や朝鮮の人々は見下すどころかむしろ尊敬する対象だったのに・・・何時からこうなった?
63世界@名無史さん:2010/11/16(火) 09:05:34 0
中国には畏敬の念を持っていたかもしれんが、朝鮮は無いわw
じゃないと、古代から朝貢を要求したり攻め込んだりしないw
64世界@名無史さん:2010/11/16(火) 22:50:13 O
新羅が半島を統一したから、日本は現在に到るまで半島を侮蔑し続けている。
65世界@名無史さん:2010/11/18(木) 22:55:56 0
>>63
ところがどっこい、そうじゃないんだな。
儒学者はじめ、江戸時代の文人墨客など知識人(当時は漢学が必須教養だった)は、
朝鮮通信使が来日すると、一行のゆく先々で宿舎に押しかけて学問の教えを受けたり、
詩文の応酬や揮毫を求めたりして、文化交流や交歓をしてたんだよ。

ちょっと調べればわかる程度のことも知らないで、レイシストみたいなこと言うなよ。
66世界@名無史さん:2010/11/19(金) 00:50:19 0
>65
それ、若い奴らは蘭学に夢中で儒学が流行らないと朝鮮人に愚痴る奴だっけ
67世界@名無史さん:2010/11/19(金) 09:30:32 0
>>65
当の日本人たちは、その朝鮮通信史を「朝貢」として受け取って
いたんだがwそもそも、一方的に挨拶しに来る関係を対等な関係と
見るほうが無理あるw
その超先進的な朝鮮通信使たちの日本の感想(日東壮遊歌)

1764年1月22日 大阪
100万軒はあると思われる家の全ては「瓦の屋根」だ。 凄い。
大阪の富豪の家は「朝鮮の最大の豪邸」の10倍以上の広さで、
銅の屋根で、黄金の内装である。 この贅沢さは異常だ。
都市の大きさは約40kmもあり、その全てが繁栄している。
信じられない。 中国の伝説に出てくる楽園とは、本当は大阪の事だった。
世界に、このように素晴らしい都市が他にあるとは思えない。
ソウルの繁華街の10000倍の発展だ。 北京を見た通訳が通信使にいるが、
「北京の繁栄も大阪には負ける」と言っている。 穢れた愚かな血を持つ、
獣のような人間が中国の周の時代に、この土地にやってきた。
そして2000年の間、平和に繁栄し、一つの姓(つまり天皇家)を存続させて
いる。 嘆かわしく、恨めしい。
1764年1月28日 京都
街の繁栄では大阪には及ばない。 しかし倭王(天皇)が住む都であり、
とても贅沢な都市だ。山の姿は勇壮、川は平野を巡って流れ、肥沃な農地が
無限に広がっている。 この豊かな楽園を倭人が所有しているのだ。悔しい。
「帝」や「天皇」を自称し、子や孫にまで伝えられるのだ。 悔しい。
この犬のような倭人を全て掃討したい。この土地を朝鮮の領土にして、
朝鮮王の徳で礼節の国にしたい。
68世界@名無史さん:2010/11/19(金) 10:36:30 0
>>67
今の半島人の負け惜しみと本質は同類で、非常にほほえましいwww
69世界@名無史さん:2010/11/19(金) 20:41:09 0
>>67
また、レイシストかよw
外交交渉にあたった新井白石にしても雨森芳州にしても、幕府の要人にしても、
誰もそんなこと思ってないのに、何がなんでも「朝貢」と思いたいヤツがいるなw

江戸初期の幕府の朝鮮との国交回復交渉や、その板挟みになった対馬藩の苦労、
その後の幕府と朝鮮の間で交わされた国書の書式やら、その他もろもろ調べれば、
朝鮮側は強気だったし、幕府側もそれに配慮した「対等外交」だったことは明白。

いい加減、思いこみで朝鮮を蔑視するのはやめろよ。
70世界@名無史さん:2010/11/19(金) 21:01:37 0
秀吉は大東亜共栄圏構想の先駆者。偉大なり!!
71世界@名無史さん:2010/11/19(金) 22:26:47 0
>>66
江戸時代は漢学全盛の時代だよ。
教科書なんかでは蘭学とか自然科学のことばかりが強調されているが、
武士や知識階級の間では漢学がすべての学問の基礎教養としてあって、
その上で蘭学とか国学を学んでいた。
本居宣長も村田蔵六も福沢諭吉もみんなそうだった。

また、近世の漢学はイデオロギー的な儒学(朱子学など)だけではなく、
文芸としての漢詩文を創作することが大流行していた。
幕末の志士や明治の政治家や知識人が漢詩を多く作っていたことからも、
その風潮はうかがわれる。

通信使は、国を代表する使節だから一流の学者・文化人が選ばれていた。
その宿舎には大陸での最新のトレンドを知りたがった人々が押しかけ、
さかんに文化交流が行われていた。

中国王朝と直接交流する機会が多い李氏朝鮮の科挙官僚(知識人)たちは、
日本の知識人たちが大陸の最先端の学問や文化のトレンドを知る上で、
もっともうってつけの存在だったわけだ。
72世界@名無史さん:2010/11/19(金) 22:46:41 O
>>50
>日本には集団射撃という戦術概念が無かった点。

織田勢と一向宗との戦闘は無視ですか。
73世界@名無史さん:2010/11/19(金) 23:04:53 O
>>72
日本の集団射撃は「集団狙撃」に過ぎないって>>50は言いたかったのかも
前レスのアンカをたどると、日欧の銃の発達についての話題みたいだし
斉射での制圧・牽制が、日本ではヨーロッパほど重要視されなかったって事なんじゃね?
74世界@名無史さん:2010/11/20(土) 01:07:27 O
日本の民衆は朝鮮通信使を朝貢使節だと思っていたようだ。
朝鮮側にも日本側から朝貢使として見られているという自覚があったが摩擦を避けるために問題にはしなかったようだ。
75世界@名無史さん:2010/11/20(土) 11:33:13 0
まあ当時の日本人も朝鮮人見て気味悪がってただろうな
76世界@名無史さん:2010/11/20(土) 11:54:49 0
好奇心と善意で暖かく接しようとした日本人。
序列と面子にこだわってあるがままを受け入れる眼を閉ざし、
>>67のような侮蔑と憎まれ口を残し、ニワトリを盗む絵のモデルとなった朝鮮の高級官吏。

徳?礼節?教える?ははは。
77世界@名無史さん:2010/11/20(土) 12:09:45 0
琉球使節と朝鮮使節は待遇的にどちらが上?
薩摩への遠慮から琉球が上だったりするんだろうか
78世界@名無史さん:2010/11/20(土) 13:17:08 0
まあ、後世のおまえらがいくら「朝貢」だのなんだの言い張ったところで、
当時の幕府はそんなこと全然思いもしてなかったのは紛れもない事実だけどな。

国内政治の都合で、無知な民衆相手に「公方様のご威光」をアピールする宣伝効果はあったが、
ただそれだけのこと。
対馬藩の役人はもとより、通信使接遇に携わった幕府の要人や饗応役の大名、実務官僚たちは、
みんな朝鮮国王と日本国大君(徳川将軍)との関係を「対等外交」と認識していた。

各地の知識人たちも、朝鮮使節に対して、2chの書き込みでありがちの蔑視感情などなかった。
中国での学問・文化の最新のトレンドを学ぶため、友好的な姿勢で交流していた。
学問上の質問をしたり、漢詩文の応酬をしたり、その添削や揮毫を求めたりしていた。
79世界@名無史さん:2010/11/20(土) 13:22:35 0
>>75
イヤ?貢物持っての来日ってイベント扱いだったよ
鎖国の時分に異国情緒なんてないから、行く先々の住人が揮毫(サイン)ねだったり
土産欲しがったりしてうざがられてるのが>>67の日東壮遊歌にもあるし
琉球使節も「朝鮮通信使と同じ様にもっと異国っぽい格好で来るように」ってお達しが出たくらい
80世界@名無史さん:2010/11/20(土) 13:35:26 0
>貢物持っての来日ってイベント扱いだったよ

それこそ、>>78で言っている
>国内政治の都合で、無知な民衆相手に「公方様のご威光」をアピールする宣伝効果はあったが、
>ただそれだけのこと。
ってことだろう。

無知な民衆のレベルでそういう認識があったにせよ、そして幕府がそういうPR効果を狙っていたにせよ、
現実の外交の担当者や多くの知識人・文化人は、「対等外交」「善隣友好」の認識だった。
幕府は朝鮮を対等な国として接し、徳川将軍と朝鮮国王は儀礼上、対等の関係だった。
81世界@名無史さん:2010/11/20(土) 14:00:10 O
将軍と朝鮮国王を対等な関係に設定することで日本(天子を戴いている)>朝鮮(中華に冊封されている)という力関係を明確にした
82世界@名無史さん:2010/11/20(土) 14:06:48 0
>>75
使節がやってくると当時のDQNが集まってきて
「朝鮮人に気合入ってる所見せてやれ」
とかいって印地合戦をはじめたりしたらしい。
83世界@名無史さん:2010/11/20(土) 14:41:39 0
家康以降、幕末の開国までは、天皇は外交には無関係のカヤの外の存在。
また、江戸幕府は中華王朝とは国交を持ってないから、中華皇帝云々は関係ない。

単に日朝二国間の関係において、日本の事実上の主権者、君主である徳川将軍(大君)と、
朝鮮国王が対等であるというだけのこと。
新井白石が一時、大君号を「日本国王」号に改めたのも、中華の冊封体制とかと関係なく、
徳川氏が日本の事実上の王であるから、国王号を名乗る朝鮮とのバランスを取っただけのこと。
(大君は朝鮮では王子より格下の王族の称号なので、日本側が謙遜したようにみえるから)
もっとも、吉宗は細かいことは気にしなかったので、大君号にもどしたが。
84世界@名無史さん:2010/11/20(土) 18:07:20 0
近代以降のイメージで、漢学は古くさい、旧弊というイメージができあがったけど、
江戸時代においては漢学や中国文化は、現代日本での英語やアメリカ文化に相当するもので、
文章で漢語的表現を多用するのは、いまの人間が英語や横文字使うような感覚だった。

明治以降、国文学では漢文学が軽視され、和歌とか俳句、小説とかが重視されるようになったが、
江戸の知識人にとって「文学」とは漢詩文だった。
漢文の読み書きは現代人にとっての英語の読み書きにあたり、知識人には必須の教養だった。
漢詩文は古くさいものではなく、当時としてはハイカラでオシャレな教養だったのだ。
85世界@名無史さん:2010/11/20(土) 20:46:04 0
今でも中国の古典は教養としては重要視されてるな
元号からして中国古典からとってるし
ネトウヨは平成って元号に文句いわねえのか
86世界@名無史さん:2010/11/21(日) 00:09:18 0
で、結局、征伐したことで朝鮮は日本を否応無く、対等の国と認めるに至ったんでしょ?
倭だなんて、侮蔑した名称を日本に対して使わなくなったとかの効果はなかったのかな。
87世界@名無史さん:2010/11/21(日) 08:10:02 O
対等になんか見てないよ。小中華様だぜ?日本も清も欧州も野蛮人にしか見えてないさ。
88世界@名無史さん:2010/11/21(日) 20:35:22 O
>>73
日本のマッチロックは狙撃が出来る程精度が良く、少人数の部隊単位で運用出来たのだが
ヨーロッパの銃は精度が悪く当たらなかったので、大部隊で固まって近付き撃たないと当たらなかった。
ヨーロッパではそこから射撃速度を追求してフリントロックになったが、日本では射撃精度を落としてまでフリントロックを必要としなかった
89世界@名無史さん:2010/11/21(日) 21:34:31 0
>>87
そういう腹の底のホンネのことではなくて、国交での儀礼上のことだろ。
>>86
李氏朝鮮の王が日本の将軍(武家政権の主)を対等な交渉相手として交際していたのは、
江戸時代からではなく、室町時代からのことだ。
日本国王(足利将軍)と朝鮮国王の関係は、日本国大君(徳川将軍)と朝鮮国王の関係同様、
対等の儀礼での外交だった。
まあ、腹の底では見下してたから、守護大名のことを陰で「巨酋」なんて呼んでいたけど。
90世界@名無史さん:2010/11/22(月) 05:21:31 0
>>89
本音と建前を使い分ける文化は朝鮮にはないだろ。
今だって天皇を日王と呼ばないと気がすまないんだから。
91世界@名無史さん:2010/11/22(月) 06:44:09 0
すくなくとも「ウチと外での使い分け」を行う文化はあるな。
92世界@名無史さん:2010/11/22(月) 08:36:34 0
>>88
逆だよ。
ヨーロッパの銃は、フリントロックにしたから命中精度が落ちた。
命中精度よりも火線の集中の方が戦術的に重視されたから。
平坦で広い大陸の地形と、遮蔽物の多い日本では求められる性能が違う。
93世界@名無史さん:2010/11/22(月) 09:59:13 0
プライドだけ高くて実力がともなってないのが朝鮮
94世界@名無史さん:2010/11/22(月) 12:55:17 0
>>91
敬語の体系が日本のような相対敬語(「田中(=課長)はただいま外出しております」)
から絶対敬語(「田中課長様はただいまご外出中でいらっしゃいます」)、
すなわち身内でも自分より上位ならよそに対して尊敬語の対象にする敬語に変化している点で、
日本のウチとソトの文化とは異質だがな。
95世界@名無史さん:2010/11/22(月) 13:36:31 0
幕府の本音と建前
建前
大君=朝鮮国王

本音
通信使を民衆から見ると将軍に朝貢する使節団と思わせ幕府の権威を高める事。
だろうね。

そもそも日本側(幕府側)に朝鮮と対等という意識(というか概念?)はあったのか?
通信使を江戸城の大手門から入れず平川口御門から入城させたり
将軍の代替わりに朝鮮に使節団の派遣を望むが、朝鮮国王の代替わりは無視してるし。
特に江戸幕府の初代将軍を祀る日光東照宮に朝鮮通信使を参拝させたことなんて通信使から見たら
屈辱以外の何者でもないじゃない?
96世界@名無史さん:2010/11/22(月) 16:08:22 0
「対等外交」といくら連呼しても全く説得力ないな、日本側の建前ということで全て説明がつくw
重複するが、本当に対等なら日本も朝鮮国王が変わる度に同規模の返礼の使いを出してるさ。
対等じゃないからこそ、朝鮮は清にも朝貢してる貧乏財政であるにもかかわらず、さらに多額の費用をかけて
日本へ使節を出さざるを得ないし、鶏泥棒まで働く体たらくになる。
それと>>67をレイシストとか、頭わいてるわな。
>>67の朝鮮人の記録こそレイシズムの見本だし、いまだに「倭」館、「倭」人の蔑視表記をスルーする奴が言うことじゃない。
朝鮮人のレイシズムは今も昔も滑稽なのは事実だけどなw
97世界@名無史さん:2010/11/22(月) 16:33:27 0
あれ?日本はほんとうに返礼使を出してないの?
自分に都合の悪い歴史だから朝鮮通信使のことだけ記録に残しているとか…
98世界@名無史さん:2010/11/22(月) 17:20:24 O
どう都合が悪いの?

使節は敵情視察も兼ねてるから朝鮮側は日本人に朝鮮国内を見せたく無かった。それだけの話でしょ。
99世界@名無史さん:2010/11/23(火) 00:22:26 0
>>98の言うとおりだよ。
朝鮮国王の代替わり云々とか返礼使云々とか言って、日本上位を強弁してる「朝貢厨」は、
秀吉の侵略があったから、朝鮮側は日本人を釜山の倭館から外に出したくなかったっていう、
至極簡単な理屈くらい理解できんのかね。
100世界@名無史さん:2010/11/23(火) 00:30:06 0
>>96の文章からは、朝鮮への憎悪と蔑視のレイシズムが滲み出てるなw

その情熱をもっと建設的なことに生かせよw
101世界@名無史さん:2010/11/23(火) 00:34:00 0
返礼使って言うか徳川も使いなら出してるけどトンネか釜山で足止め。漢城への上京は不可
秀吉軍に三日で都攻略された記憶があれば当然の処置だろう
文禄慶長前は出入りしてた日本人商人も都への立ち入り禁止になったし

>>96
一次史料はともかく二次史料すら読まずにいるようなバカは東ア板にでも行けば?

雨森芳州が通信使と話した時に「<倭>は蔑称だろ、止めてくんない?」と言ったが、
逆に「お前達が中原王朝を<おおから>として朝鮮を<から>と呼ぶのは蔑みではないのか?
滅ぼされた旧王朝の<高麗>と言ったり<こま>と言ったり朝鮮を朝鮮と呼ばないお前らは何なの?」
と返されて雨森がご尤もと黙り込む一面がある。

恐ろしいのはこの「雨森が意見した」という部分だけがピックアップされて
嫌韓厨が持て囃す呉善花なんかもここだけを紹介して朝鮮側の言い分を無視してるとこ。
編集が削らせたんだか本人が空気読んだのか知らんが、そういう抜粋を更に厨はコピペだけして
原典すら確認せずに「真実の歴史」とかつけて延々と広めてる。
こんなことやってりゃいつか足元掬われるわ。
102世界@名無史さん:2010/11/23(火) 05:12:54 0
まあ、昔から日本人はこんなだよ。
だから朝鮮出兵とか太平洋戦争とかおっ始めて、
始めてから「こんなはずじゃなかった・・・」って後悔するわけでね。
103世界@名無史さん:2010/11/23(火) 05:17:14 0
なにいってんの?
104世界@名無史さん:2010/11/23(火) 05:26:34 0
明側は万暦の三大征の一つと言う認識だから、普通に勝利した戦争だと評価してる。
その同盟国である朝鮮も同じ認識な訳で、
朝鮮が「敗戦国」の日本にへりくだる理由は何一つないわな。
105世界@名無史さん:2010/11/23(火) 08:23:26 0
英語版の朝鮮出兵の項目のウリナラファンタジーひどすぎw
どうやら朝鮮極右組織vankが24h体制で修正してるらしい。
書き直すとあっという間に修正されるw
朝鮮民族のエヴェンキ族との文化的類似性も書き込むのと同様。

http://en.wikipedia.org/wiki/Japanese_invasions_of_Korea_(1592%E2%80%931598)#cite_note-turnbull50-1-9
106世界@名無史さん:2010/11/23(火) 10:45:19 O
国の公式見解と本音は別物だろ
107世界@名無史さん:2010/11/24(水) 00:07:12 0
>>95
で、結局はその幕府の思惑は功を奏してるわけね。
イギリス人リチャード・コックスが1617年8月31日付の日記に

「ある人々(それは庶民であるが)は、朝鮮通信使が来たのは臣従の礼を表し、
貢物を献上するためで、もしそうしないと将軍は再び彼らに対して戦争を仕掛けた
であろうと噂している」
と記してる。幕府は朝鮮との摩擦を避け、表面上「対等」を装っているが
実際は自分たちの権威を高めるため朝鮮を利用してるだけなんだね。

15代将軍徳川慶喜なんてフランス公使ロッシュに向かって
「朝鮮半島は歴史的にも日本の領土の一部だ」(スエンソン「江戸幕末滞在記」)と発言してるし
本音と建前をうまく使い分てたんだろうね。
108世界@名無史さん:2010/11/24(水) 01:18:42 0
そうかねえ・・・?
実際には支配できてないわけで。
あそこは本当は俺のもんだけど、いまはちょっと人に取られてるよって言ってるわけでしょ?
逆効果じゃないか?聞いた方は「スネ夫かよっプッ」てならんか?
109世界@名無史さん:2010/11/24(水) 23:47:56 0
まーある意味ありがちだから流してくれるかもね…
んで明治にうまく立ち回って実行できた、バンザーイと思ったら
ずるずる後引きまくる事態になったがそれもありがちといえば
ありがちか
110世界@名無史さん:2010/11/29(月) 00:45:20 0
>>101
まだ原典を削ってでも使う辺り知性の一欠片を感じる。
日本の大手メディア様も同様の手法を多用するし

原典の1次資料も2次資料も何もない
嘘で塗り固めた妄想を書き殴ってるアジアのマスコミに比べたら水準は高いよ
(と言うアジアは学術論文ですら愛国無罪)

文系分野だけど、アカデミックですら無残な状況なんだから
そりゃ分野が違えど科学系ノーベル賞の受賞の道も遠いだろうね。
社会の雰囲気全体が「国益、民族益に敵えば大ウソも方便」が地で奇麗事すら言わない。
111世界@名無史さん:2010/12/02(木) 16:16:45 O
日本の将軍は朝鮮を見下してはいたけど
露骨に蔑ろにはしなかったよ
だって大切な流通におけるパイプでありパシリだもん
朝鮮自体を偉大だなんてこれっぽっちも思ってないけど
朝鮮経由で渡ってくる物がほしかった
だから朝鮮人に「もう日本なんて関わらねー」
っていう選択肢を選ばせない程度の礼儀は尽くしてたよ


要するに日本の将軍や大名の朝鮮に対する対応は
朝鮮経由の流通の価値に比例してた
112世界@名無史さん:2010/12/02(木) 17:41:30 0
>朝鮮経由で渡ってくる物がほしかった

             ____
           /      \
          / ─    ─ \
        /   (●)  (●)  \   
        |      (__人__)     |     ないない
         \     ` ⌒´    ,/
 r、     r、/          ヘ      当初主要な貿易品だった木綿も朝鮮人参も江戸中期には
 ヽヾ 三 |:l1             ヽ     国産化したし、清国の物品は直接長崎に入るし、むしろ朝鮮が
  \>ヽ/ |` }            | |     大砲とかの南蛮産品を日本でこっそり買い付けていってるな。
   ヘ lノ `'ソ             | |
    /´  /             |. |
    \. ィ                |  |
        |                |  |


113世界@名無史さん:2010/12/11(土) 19:59:20 0
>>111
朝鮮がパシリの役割を果たしたのは
新羅が朝鮮を統一するまで。
それ以降は仲も険悪になってダイレクトに中国と交流してるし
敵の敵は味方の論理で日本は丁度、渤海とで新羅を挟撃して牽制する形を取ってた訳だし
交流先でも主要な貿易ルートですら無かった

114世界@名無史さん:2010/12/28(火) 20:59:08 0
【韓国】『日本に伝えた学問・技術』〜韓国国立晋州博物館(朝日新聞)[12/21]
ソース:朝日新聞(佐賀)
http://mytown.asahi.com/saga/news.php?k_id=42000001012200006

イムジンウェランとは朝鮮を侵略したものの朝鮮各地での義兵の決起や、明の援軍によって敗れ
海上では忠武公李舜臣に敗れて制海権を失った倭軍が
ほうほうの体で逃げ出しながら大量の捕虜を捕まえて日本に連れ帰った戦争







なんて不思議な超絶世界
115世界@名無史さん:2010/12/28(火) 23:28:02 0
李舜臣の最後ってどうだったんだっけ?
日本艦隊を打ち破ったけど、戦死とか?
ならネルソンみたいなもんか。
116世界@名無史さん:2010/12/28(火) 23:55:22 0
日本艦隊なんてない。小西軍の撤退を妨害しようと待ち伏せていた明・朝鮮水軍が
島津や立花率いる本来陸上部隊の救援隊が急遽編成した水軍に苦戦し明水軍副将ケ子龍
や李舜臣を討ち取られ、その間に小西行長に撤退されてる。

陸戦しか経験がないような島津軍(しかも少数)に苦戦し、待ち構えていた側の明・朝鮮水軍
になんらいいことがなかったのが露梁海戦。ネルソンをこんなと一緒にしたらイギリス人は怒るよ。
117世界@名無史さん:2010/12/29(水) 10:43:55 0
そもそも李は朝鮮の特権階級から睨まれ、暗君であった当時の国王への讒言により
戦後の処断がほぼ確定してたのも朝鮮の人民は忘れているようだね。
最後の戦で戦死した方が英雄扱いになり、むしろ良かっただろう。

陸路の補給は滞って、釜山に軍事物資が山済みで腐っていたという話はあるが、
名護屋から釜山の補給が滞った話なんてないのに名提督扱いは如何な物か。

因みに太平洋戦争時は、海軍が通商破壊とシーレーン防衛に関して全く配慮していなかったので、
インドシナで獲得した物資を本土に輸送できず、港で文字通り腐っていたというのはある。
118世界@名無史さん:2010/12/31(金) 16:43:00 O
本土どころか南方戦線にも送れず(ryだもんな。
帝国陸海軍には兵站という概念がなかったのだろうか…
119世界@名無史さん:2010/12/31(金) 17:42:47 0
日清日露の頃は兵站重視だったはずなんだがなあ。
120世界@名無史さん:2010/12/31(金) 20:29:39 0
>>118
牟田口のような阿呆を除いて陸軍には兵站の概念は無論ある。
まず、日々兵を喰わせんと始まらないからな。兵站能力の多寡は
また別だが。

他方、海軍は兵站の概念なんぞ限りなく希薄。そもそも艦に食料・燃料満載で
出かけて、無くなれば帰ってくるというのが基本だから、飢えるということを
知らない。兵站線の維持という観点にも欠ける。南方の惨状は陸軍が
悪者にされている場合が多いが、ガダルカナル始めそもそもは海軍の無謀な
進出が引き金だわな。
121世界@名無史さん:2011/01/14(金) 02:25:01 0
朝鮮出兵ってほとんど日本が勝ってるね。 秀吉軍すごい。
122世界@名無史さん:2011/01/16(日) 01:40:35 0
当時の日本風の戦争しか知らん戦国武将じゃ
大陸の焦土戦やそれに伴う組織的な反抗に対応仕切れず
文禄じゃ餓死、病死、凍死にて大損害を被った

慣れて対応出来ればまた違ったのかもしれんが
信長や正宗みたいな特例を除いて
日本は戦国時代と言えども甘い世界だったから
それこそ、戦乱のたびに清野作戦にて占領軍に飢餓状態の農民をぶつけるなど
総人口が数分の1に激減する中華大陸の戦争を知らなかった。

123世界@名無史さん:2011/01/17(月) 21:33:24 0
>日本は戦国時代と言えども甘い世界だったから

意外とそうでもない。特に戦国後期〜安土桃山時代は皆殺しや奴隷取引が
凄まじく(ちなみにインディオ以降黒人奴隷以前に世界で最も多く取引された
のは日本人)、清野作戦も普通に行われた。ちなみに越前、加賀、越中の
住民は清野作戦で全て殺されるか奴隷として売られ、今の福井県、石川県
の住民は殆ど移民。その他、本能寺の変で明智方について殺されたのは
軍民合わせ十万以上、秀次事件で連座して命を失ったのも数万と見られて
いる。今では安土桃山時代の人口減少率はどう贔屓目に見積もっても太平洋
戦争期を上回ることは確実とみられている。
124世界@名無史さん:2011/01/17(月) 23:27:51 0
マジかよ
当時の日本人はそんなに殺してたのか
125世界@名無史さん:2011/01/18(火) 01:17:39 0
戦国時代も後期になると戦闘の進め方もシステム化して庶民は弁当片手に戦見物なんて光景も畿内ではみられた

>124
朝鮮系のスレでは創作作文を好んで書き込む奴がいるから書かれていることをマトモに受け取らないのが2chの常識
アジールとかの用語で検索してみたらどうだろうか、大名側も一次作物からの税収よりその種の収入の方が実入りが良いとか
最近誰かが論文で書いていた希ガス
126世界@名無史さん:2011/01/18(火) 21:39:27 0
>>124
マジ。なお、戦国時代最大の死者を出した大阪の役は推定30万と言われて
いる。その他、空地になった例は他に島原の乱も有名で、南島原、天草は
無人地帯になった。(もちろんその後移民が行われたが。)

残虐さでも中国、朝鮮の引けを取らない。荒木村重の妻子21人は、京都で
生きたまま車裂きの刑にあったのは有名な話だし、その他壮絶な処刑の
話も後を絶たない。江戸時代の島原の乱以降も、慶安事変(由比正雪の乱)
で連座し処刑されたのも万単位。そんな日本が中国、朝鮮と違い、残虐性が
封印されたのは、皮肉にも徳川綱吉の生類憐れみの令だったりする。それ
以降、残虐な処刑や大量処刑は余りなくなった。

余り、というのは、実は幕末にあった。一番凄いのは天狗等事件で、連座し
処刑されたのは数万。おかげで茨城県は幕末〜明治にかけて、ぺんぺん
草も生えない人材の枯渇振りだった。後は会津若松城下での虐殺も万を
超えると言われている。
127世界@名無史さん:2011/01/18(火) 22:08:35 0
情弱ゆとりのだまし方講座?(・∀・)
128世界@名無史さん:2011/01/21(金) 09:03:06 0
豊臣秀吉は、朝鮮征伐の後、関東仕置と同じ措置をとるつもりだった。
かの折、徳川家康に関東、織田信雄に東海地方への移封を命じたように、
遠方にして不毛の僻地、朝鮮半島への移封を命じるつもりだったのだ。
関東仕置の際、家康は移封に従ったが、信雄は逆らって改易されている。
家康が朝鮮転封の命に逆らえばその時点で改易または討伐の口実になる。
秀吉からすれば、自身の存命中に、禍根である徳川家を潰す好機である。
129世界@名無史さん:2011/01/21(金) 10:44:55 0
キチガイしかいねえのかw
130世界@名無史さん:2011/01/22(土) 01:49:31 0
ちなみに朝鮮征伐の際に小西行長が基督教伝えたらしい
131世界@名無史さん:2011/01/23(日) 22:45:52 0
中国なんて政権が変わる度に人口半減じゃ済まなかったような
三国志の時代なんて
後漢末5000万人→三国時代末1000万人ぐらいになってたような

>>123
一向宗に対する相当数の虐殺が有ったのは事実だけど。あと、キリスト教ね。
北陸の人間が消滅したってソースが欲しい
132世界@名無史さん:2011/01/27(木) 22:47:59 O
>>
133世界@名無史さん:2011/01/27(木) 23:02:35 O
>>123
ないない
土地が狭くすでに斜面まで耕されてる日本で奴隷だけ大量にさらってきても仕方ないだろ
一体その膨大な労働力はどこで働かせるんだ?
歴史上、奴隷が大量に生ずるのは新大陸開拓のときだ
広大なフロンティアを開拓するために労働力が不足するから奴隷を欲するんだよ
だから日本のすでに隅々まで開墾されてて地主と小作人がいて生産体制が整っているところに大量の奴隷を持ってきても意味ないだろ
134世界@名無史さん:2011/01/28(金) 19:21:54 Q
135世界@名無史さん:2011/01/28(金) 20:23:31 0
>>133
そうでもないぞ
日本戦国時代では開墾はまだ中途だ
ごく一部の大名がそれをやっていたに過ぎず、江戸時代になるにつれて
開墾は大規模になっていく
実際に江戸時代には開墾は大きく進められ、日本の石高は大幅に上昇してる
日本が戦国時代に既に隅々まで開墾されていたなんて空想もいいところだな
136世界@名無史さん:2011/01/28(金) 20:28:24 0
>>125
>最近誰かが論文で書いていた希ガス
お前の空想かよ
137世界@名無史さん:2011/01/29(土) 00:44:34 0
>>135
それでも朝鮮から陶工は連れてきたけど
農民を奴隷として連れてくることはしなかったんだよな。
そこら辺が奴隷制のなかった日本人の発想じゃないかな。
大陸からは技術や知識を求める。
138世界@名無史さん:2011/01/29(土) 06:50:48 0
>>137

日本でキリシタン弾圧が行われた背景には、ポルトガルやスペインの奴隷貿易が深く関わっていた。
ポルトガル宣教師が黒人奴隷を信長に献上した事実、
天正遣欧少年使節がヨーロッパで酷使される日本人奴隷を目撃してショックを受けた記録など、
当時の世界貿易の主要品目に奴隷の占める割合がかなり高かった。

刈田狼藉と言う戦場での略奪行為が当たり前だった当時の日本は、アフリカと並ぶ一大奴隷輸出国、
南米などの銀山に送り込まれて命を落とした人も大勢いた。

当然、朝鮮出兵時においては軍用金確保のため、捕虜にした朝鮮人を奴隷として転売した。
139世界@名無史さん:2011/01/29(土) 17:16:08 0
どの国でも奴隷は価値があった、特に女は
どんな時代でも若くてプリプリしてるオマンコの価値は普遍。

日本国内でも捕虜の売買は当然のように行われてる
そういう意味では信長や正宗のような根切りは当時じゃ珍しい行為だった。
売った方が金になるし。

刀伊の入寇といい新羅の入寇といい
昔から国内外含めて奴隷にしたりされたりが当たり前
140世界@名無史さん:2011/01/29(土) 17:50:45 0
>>137
>それでも朝鮮から陶工は連れてきたけど
>農民を奴隷として連れてくることはしなかったんだよな。

虜にした朝鮮農民も、奴隷輸出する以外に出兵で不足した国内労働力の
穴埋めとして使役してるぞ。
まぁ、農奴も喰わせんといかんので、余剰耕地に乏しい日本ではその数は
自ずと不足分の補完程度に限られるわけだが。

141世界@名無史さん:2011/02/05(土) 19:53:47 0
侵略した上、奴隷も取ったのか日本最悪だな。
142おれは日本人だパカヤロー:2011/02/06(日) 00:47:29 0
奴隷なのにウリナラより生活良かったんで、帰れるようになっても帰らなかったんだよね
143世界@名無史さん:2011/02/06(日) 01:21:38 0
>>125
俺も北陸焦土作戦のソースが欲しい。
この方面は専門ではないので、検証可能な発言をして欲しい。

wikipediaにも戦国時代に関する発言があるが、殆ど出典がなく困っている。
私もwikipediaを編集しているが、最低限出典はつけるように努力している。

そうしないと、厨房の発言と勘違いされても仕方が無いよ。
144125:2011/02/06(日) 01:34:47 0
>143
ん?俺に↓のようなことは無いことの証明を求めているのか
>越前、加賀、越中の住民は清野作戦で全て殺されるか奴隷として売られ
145名無しさん@お腹いっぱい。:2011/02/06(日) 01:35:43 0
近代の奴隷制度ならヨーロッパやアメリカの黒人とイスラム圏の白人+黒人奴隷が有名。

イスラム教徒がつい最近まで地中海を海賊が走り回り
スペイン〜ギリシャのキリスト教圏を襲撃しては奴隷狩をしていた、
塩婆の本を読むまでは中世以降の地中海の海賊の話は全く知らなかった、
この本を読むと世界観がかなり変化する。
146世界@名無史さん:2011/02/06(日) 02:19:17 0
>>144
アンカミスか、まあ知ってたら教えてよw

あながち嘘だとは思わないから、むしろ>>123にあったことを証明してみて欲しいね。
学術論文だったら、検証済みだから、むしろ問題ないでしょう。
147世界@名無史さん:2011/02/06(日) 02:40:41 0
>学術論文だったら、検証済みだから、むしろ問題ないでしょう
……
148国技は火病:2011/02/06(日) 08:23:20 O
【裁判】 君が代大嫌い先生 「『君が代』歌えと命じられ、憤りでめまい起こすほど血圧上昇。通院が必要になった」…東京地裁結審★9[[email protected](略)]
少し考えればわかることだが、朝鮮は世界一貧乏だっただけでなく、技術も資源もなにもなかったのだから日本の力なしに急成長などできるわけがない。なにもなかったのに借金だけあったから併合を望んだのだ。
木造のあばら家で雑穀を食って風呂に入る習慣も持たない土人のような生活をしていた韓国が、『たった数十年で』ビルが立ち並ぶ街に住み、米を主食に清潔な環境で暮らす国際的にも豊かな国のひとつになっている。
ある意味奇跡的ではあるが、それは日本の努力によるものである。そして日本が敗戦し、併合が終わる。
日本に繁栄させてもらっていた朝鮮半島はすぐに再び貧乏で騒乱の続く廃墟ばかりの国に逆戻りし、しかも独立後すぐに同族での殺し合いである朝鮮戦争が勃発し、半島内は困窮を極めた。
ここで朝鮮政府が恐れたこと。それは国民に、「日本統治時代の方が良かった…」と言われてしまうこと。
当時はまだ日本人として生きてきた朝鮮人たちがたくさんいたので、親日派が現行政府を否定しないとも限らなかったのだ。それを言われては新しい政府の面子が潰れるだけでは済まない。
反政府勢力が拡大して「国家が転覆してしまう恐れ」があるのである。そのような尻に火がついた状況においては、本来なら政府が必死の努力で国力を回復しなければならないはずであるが、本来怠け者の朝鮮政府はもっと簡単な方法を思いついてしまった。
それが『日本は韓国をボロボロにした悪逆非道の悪魔』という嘘をついて 日本を貶めて韓国国民を洗脳するという方法なのである。
149世界@名無史さん:2011/02/07(月) 02:27:34 0
結局>>123はガセでFA?
150世界@名無史さん:2011/02/08(火) 04:38:50 O
越前に本山を持つ幾つかの一向門徒は
親織田として本願寺門徒と戦ってて、
皆殺しの対象ではなかったはず

平定後に配された武将も、ほどなく普通に米の取り立てしてなかったっけ?

うろだから、誰か補強して下さい
151世界@名無史さん:2011/02/08(火) 23:52:37 0
152世界@名無史さん:2011/02/09(水) 22:55:39 0
>>151
これはマジか?
朝鮮には武具を作る被差別階級はいなかったのか。
153世界@名無史さん:2011/02/10(木) 23:05:50 O
妙珍とか穢多だったの?
154世界@名無史さん:2011/02/12(土) 23:29:32 0
>>142
女はとっくに強姦されてるし、孕まされたのも居た
そんなん帰るに帰れないだろ
幕府が回答兼刷還使に言われて、捕虜まとめて返すから名乗り出ろ、
ってお触れ出したのも相当後だったから
農民なんか自分の田畑は取られてると考えたし(実際にそうだった)
朝鮮生まれってことは覚えてても日本育ちで日本語しか喋れない年齢だっていたし
村が戦場になった人間はもう家族なんか生きていないだろうと諦めてた
そういうのは「敵に捕まって仕えた罪は全部許す」とお触れが追加されても名乗り出なかった
155世界@名無史さん:2011/02/22(火) 15:19:37.83 0
>>154
その可能性は否定しないけど確証がないね。

それに本当に日本で奴隷扱い
朝鮮で常民なら扱いなら土地がないのは日本でも朝鮮でも変わらんし
みんな朝鮮に渡るんじゃないの?
本当に日本で厳しい奴隷生活を続けてるなら
特に初代は言葉の分からん日本に留まる理由がない。
156世界@名無史さん:2011/02/22(火) 17:08:04.45 0
で、甘言に乗せられて朝鮮に帰ったら、釜山で放置プレイだったようだけどな。
157世界@名無史さん:2011/02/22(火) 20:01:05.12 0
そういや通信使が対等なんていってるやついたが
儒教の価値観だとあいさつに行く方が格下
前後の経緯からみて日本の武威に押されて仕方なく通信使を出したとみてよい。
朝鮮の国士様で朝鮮がやや格上みたいな妄想をかたる大学教授もおられたが
158世界@名無史さん:2011/02/26(土) 09:18:25.42 0
散々幕府の権威を誇示するための見世物に使われてたら格上も何もないでしょ


159世界@名無史さん:2011/02/26(土) 09:21:27.17 0
見世物ってことは要するに格下でしょ
160世界@名無史さん:2011/02/28(月) 20:05:25.16 0
将軍に頭さげてたのにねぇ
161世界@名無史さん:2011/02/28(月) 22:16:37.10 0
日本の将軍なり、天皇なりが朝鮮の使節に
三跪九拝してりゃまだ解るが

162世界@名無史さん:2011/02/28(月) 23:19:36.97 0
相変わらず、ネトウヨ的な論調が目立つスレだな。
163世界@名無史さん:2011/03/01(火) 00:08:41.32 0
http://blog.livedoor.jp/yumemigachi_salon/archives/51674240.html

こいつの仲間がまた沸いたのか
164世界@名無史さん:2011/03/01(火) 00:11:47.10 0
http://www.youtube.com/watch?v=dPmSjV9GqBk

チョンコロ嫌いには
笑える動画
165世界@名無史さん:2011/03/01(火) 00:59:33.94 0
>>155
>>特に初代は言葉の分からん日本に留まる理由がない。

奴隷業用の語彙1000くらいならすぐ覚えたんじゃない?
無文字社会の語彙数の限界が3000くらいだっけ?
字を書けないのは日本人も同じ。

専門家さん、史料にはどう書いてあるの?
若い世代は言葉忘れたと書いてあるが。
166世界@名無史さん:2011/03/01(火) 02:23:33.52 O
どっちに与するつもりもないけれど、虐殺はともかく日本の奴隷貿易に関しては、
戦国板だと上杉批判での頻出話題だから、向こうで聞けばソース得られそうな気がする。
167世界@名無史さん:2011/03/02(水) 18:34:37.82 0
まあ、秀吉も内心では、明の皇帝の臣下って自覚があったと思うよ。
168世界@名無史さん:2011/03/03(木) 22:10:25.35 0
またお前か
169世界@名無史さん:2011/03/05(土) 04:15:35.42 0
天皇いるのに、何で明の臣下とかの話が出てくるんだ?
170世界@名無史さん:2011/03/05(土) 09:39:04.71 0
馬鹿を相手にすんなよ
171世界@名無史さん:2011/03/05(土) 10:20:22.45 0
秀吉が勘合貿易(朝貢形式)の復活を講和条件に入れてたからだろ。
172世界@名無史さん:2011/03/05(土) 14:29:14.77 0
台湾とフィリピン制圧ならよかったのに。
モロ族VS薩摩武士

モロ族に負けるだろうな。
173世界@名無史さん:2011/03/05(土) 14:44:04.03 0
秀吉は明が秀吉を臣下にするなどといったからぶちきれたってのに
174世界@名無史さん:2011/03/05(土) 17:57:15.48 0
貿易が拒否られたからだろ。
175世界@名無史さん:2011/03/05(土) 20:48:26.53 0
島津氏がムスリム大名になったりして胸熱
176世界@名無史さん:2011/03/05(土) 22:54:48.09 0
モロ族ってそんなに強い民族だったの?
177世界@名無史さん:2011/03/06(日) 13:54:31.71 0
ジャングルでゲリラ戦とかやられたらアメリカ軍でもお手上げだったんだぜ?
拠点を落とせば勝ち、みたいな相手じゃないので。
178世界@名無史さん:2011/03/08(火) 10:52:21.43 0
朝鮮水軍の大砲の前になすすべなくやられた日本水軍www
朝鮮侵略しなければ豊臣はこんな恥かかなかったのにww
179世界@名無史さん:2011/03/09(水) 03:16:22.34 0
しょうもない
180世界@名無史さん:2011/03/10(木) 23:49:00.52 0
>>178
バカ?チョンの捏造の犠牲者がここにも。
「名将李舜臣の戦歴」
http://ameblo.jp/yamasiro02/entry-10645817840.html
181世界@名無史さん:2011/03/11(金) 07:57:33.01 0
>>171-173
世界史板的には、ほぼ同時代のモンゴルのアルタン・ハンのケースが参考になる。
182世界@名無史さん:2011/03/11(金) 14:10:32.54 0
>>180
朝鮮の大砲の前になすすべなくやられたのは事実
183世界@名無史さん:2011/03/13(日) 10:08:56.88 0
挑戦水軍の大砲とやらは、どの程度の威力があったんだろう?
弾丸の大きさは? 初速は? 射程距離は? 管制方法は?

ちなみに、これより200年後のナポレオン戦争において、大砲は射程自体は3マイル(約5.4km)に
達するものもあったが、命中率の関係から砲戦距離はせいぜい100ヤード(約90m)、長くても
1ファーロング(約400m)。
弾丸の大きさも、朝鮮海軍の砲とよりはるかに大きいものを使う。

韓国の大ドラマ「不滅の李舜臣」では、1km近い距離からとんでもない命中率で命中させているが、
これは全くのフィクション。
露梁海戦がどのように推移したかはいろいろな説があるが、砲撃はあきらかに決定的な役割を
果たしていない。
184世界@名無史さん:2011/03/13(日) 10:28:18.10 0
>>183
照準が付けられないし、そもそも照準器がついてない件。
大砲も弾も火薬も不均一で長距離の標的にどうしろと?
185世界@名無史さん:2011/03/13(日) 10:32:14.02 0
あのドラマの映像だと、はるか彼方の日本船に次々と命中しているんだよね。w
186世界@名無史さん:2011/03/13(日) 10:51:52.93 0
鳴梁海戦は大砲や亀甲船云々より難所である鳴梁渡に日本の水軍を
誘い込んだ智謀のほうをクローズアップすればいいのに韓国人ときたら馬鹿だからな
187世界@名無史さん:2011/03/13(日) 13:28:47.87 0
>>186
ってか、鳴梁海戦時点では、既に亀船は全没していて存在しない。
188世界@名無史さん:2011/03/13(日) 14:05:17.19 0
>>183
射程は、『壬辰戦乱史』李烱錫・著によれば、天字銃筒 射程距離96m、地字銃筒 同64m、玄字銃筒 同160mという数字。
現物はいかにも加工精度の低い青銅の鋳造砲なので、100m内外というのは妥当なところではないかな。

砲弾は、基本は弾丸ではなく火箭で、大口径のものは火のついた丸太を飛ばすようなもの。散弾を飛ばすこともあったらしい。

照準は、以前エンコリに上がっていた実射再現画像(まともに考証されているのか自体不明が不明)で、砲の傍らで射撃指揮官が
目盛りのついた棒を持った右腕を前方につきだして測距してるのを見たことがあるけど、まぁその程度の精度。
189188:2011/03/13(日) 14:08:53.36 0
>自体不明が不明

大事なことなので・・・^^;チガウ
190世界@名無史さん:2011/03/13(日) 16:19:10.54 0
典型的なコピペミスだろw
191世界@名無史さん:2011/03/14(月) 18:02:33.90 0
>>183
砲弾が届く距離と有効射程距離とは違うってことで
ナポレオン戦争時代の海戦で決戦距離は50メートル程だったらしい。
これは十分銃の射程内でネルソンも狙撃されて死んだ。
李舜臣も狙撃で死んでるんだから朝鮮水軍がアウトレンジ砲撃したとかありえない。
192世界@名無史さん:2011/03/27(日) 23:03:48.55 0
狙撃じゃなくて流れ弾っしょ?
てかトラファルガーを例にあげるんだったら
トラファルガーがネルソン本人が旗艦を戦闘に立てて
縦列でフランス海軍を早期に分断してから料理する、という
非常に攻撃的な作戦をとっていた事をあげなければアンフェアだと思う。
この作戦はいわゆるネルソン・タッチとよばれるもので、
この海戦が大勝利に終わった事から、長く戦史に刻まれる事になったが、
海軍戦史家の多くがハイリスクな作戦であった事を認めており、現にネルソンは戦死している。
まあ、生涯戦闘においては攻撃的な作戦を取り続け、傷を負ったネルソンらしい作戦といえるが
これをもって当時の作戦の水準や常識、戦闘距離を測るというのは難しいと思われる
193世界@名無史さん:2011/03/27(日) 23:55:07.15 0
「乱中雑録」には、李舜臣は日本船の船尾に伏せた兵の一斉射撃により撃ちたおされた
と書いてあるらしいけど。流れ弾になるのか?
194世界@名無史さん:2011/03/28(月) 00:02:12.93 0
流れ弾ってのはネルソンの事ね
李については言ってない
195世界@名無史さん:2011/03/28(月) 01:19:44.63 0
>>193
狙撃ではないだろうが斉射を浴びたわけで
流れ弾とは言わんのじゃないかな
196世界@名無史さん:2011/04/02(土) 22:13:59.09 0
流れ弾というものが発生するほどの射程距離がないしな。
といっても弾が見えるわけはないし、みんななるべく隠れてるはずだから、
パパパパーンと音がして、ふと見てみたら李舜臣が倒れてた、といったところではなかろうか。
それでも朝鮮の船には装甲板があったはずでは?という疑問が残るが
197世界@名無史さん:2011/04/02(土) 23:03:07.76 0
流れ弾云々は、韓国人としてはウリナラ英雄が日本兵にに意図的に討ち取られたとは
ウリナラ的に断じて認められないというだけだろ。

晋州城の金時敏も流れ弾で死んだことになってるしな。まぁ本来、戦闘正面での
銃傷を流れ弾扱いにするなんてのは韓国の他ではあり得ない罠。
198世界@名無史さん:2011/04/05(火) 16:55:34.97 0
この戦役の李舜臣の役割ってなんだ?

名前ばっかり有名だけど、李舜臣が戦局に影響を与えたことってあるのか?
結局存在しようがしまいが、この戦役の結果は変わらない気がする。
閑山島の海戦で勝利したところでわずか1500人の脇坂軍を破っただけの小規模な局地戦
で補給路を絶ったわけでもなし、鳴梁の海戦にしたって先遣隊を破っただけで日本水軍
の本体が到着したら遁走したわけで戦局になんら影響してないしな。
199世界@名無史さん:2011/04/05(火) 23:01:09.84 0
戦局に大きく影響を与えたあちらさんの人物といえば
平壌を奪還して日本軍の防衛線を後退させた李如松が思い浮かぶが
李舜臣よりもはるかに知名度が低いという不思議w
200世界@名無史さん:2011/04/06(水) 07:17:05.23 0
李如松はもっと日本で有名でも良いと思うが、過小評価だね。
201世界@名無史さん:2011/04/06(水) 13:39:21.36 0
そりゃま、同じ李でも明将だから、ウリミンジョクが持ち上げる
理由がないしな。

ってか、如松が評価されれば相対的に救国英雄たる李舜臣の
”功績”がかすむからウリナラ的にはむしろまずいでしょ。
202世界@名無史さん:2011/04/06(水) 19:03:29.37 0
李如松は碧蹄館で日本軍に完敗してるからなあ
そんでその後、武力で日本軍撃退を諦めて和睦方針を推進してるし、
いまいち向こう側としても持ち上げにくい存在だと思う
203世界@名無史さん:2011/04/07(木) 16:02:44.28 0
李舜臣ねえ
204世界@名無史さん:2011/04/11(月) 00:42:10.22 0
>>199
文禄慶長において、明確に日本側を力技で追い出したのって
平壌奪還以外にないんじゃないの?

>>197
ケ子龍も戦死してて、我が軍の圧勝だ!は無い
普通に考えて日本側が相手の布陣を押し込んだ形になってたんだろうと思う。
それとも明、朝鮮側は旗艦が先頭に立ち、しかも将軍が一平卒より前に出る伝統でもあるのかw

一方島津義弘も乗船を乗り換えてるぐらいだから
日本側も大苦戦してたのは事実だと思う。

205世界@名無史さん:2011/04/11(月) 02:33:18.74 0
>>204
島津義弘は乗船を乗り換えてはおらんよ。翌日後続の忠恒と落ち合った際の乗船の
様子は垣立てをことごとく破られて敵の矢が一面に立っているという散々な有様では
あったが。

閑山島海戦の脇坂安治と取り違えてないかい?
206世界@名無史さん:2011/04/13(水) 02:11:19.35 0
あぁ、このときに朝鮮人根絶やしにしてたら(ry
207世界@名無史さん:2011/04/13(水) 15:34:56.06 0
>>194
ネルソンを狙撃してみようって再現実験してみたら狙撃余裕だったよ。
ソースはディスカバリーかヒストリーチャンネル。
208世界@名無史さん:2011/04/13(水) 18:39:42.84 0
>>207
どっちかも不明なんかい
てか上で言われてんのはネルソンが自らネルソンタッチなんていうハイリスク作戦を
とって至近距離戦に持ち込んだ上での戦死という結果で
当時の海戦距離の標準を測ることはできないって事だろ
209世界@名無史さん:2011/04/15(金) 17:20:27.04 0
秀吉は死ぬ直前にこの戦役をどうするのか決めずに死んだんだよな。
何も言わなくても慶長の役の作戦計画である慶長4年からの
本土休息組派遣の侵攻計画が自分亡き後に実施されるとでも思っていたのか?

それとも、秀頼のことが心配でそれどころではなかったのか。
210世界@名無史さん:2011/04/15(金) 20:52:18.32 0
実はもう飽きてた説
211世界@名無史さん:2011/04/18(月) 14:10:38.40 0
飽きては無かったと思う。ただ、国内でゴタゴタが有り過ぎて最重要課題じゃなかったかもね。
結局は慶長の役も冬の居残りは九州勢6万だけで、3路で戦ったのは3万程度だけど、
明、朝鮮3路合計で10数万の大軍を朝鮮南部に誘引して最小の労力で戦って圧勝するって
青写真に描いた思惑通りの展開。

翌年のソウルまでの朝鮮南部制圧計画に向けて順調過ぎるほど順調に進んでた
212世界@名無史さん:2011/04/18(月) 21:39:12.19 0
>>210
豊臣政権は家康が仕掛けた秀次事件による粛清で信頼を失い
事実上崩壊していた。あの後、国内は疑心暗鬼で不穏な空気が
流れ、疑心暗鬼で統制が取れていなかった。その崩壊していた
日本軍に慶長の役でボコられた中国、朝鮮軍はいかに弱かった
かが判る。

逆に、家康は秀次事件を見事成功させたことで、豊臣政権の自滅
を招き、天下人への第一歩を踏み出す。
213世界@名無史さん:2011/04/26(火) 15:05:18.46 0
【韓国】「最も殺したいのは李舜臣、最も茶を共にしたいのも李舜臣」…日本で軍神と崇められる李舜臣、韓国での尊敬は言葉だけ[4/25]★2
http://kamome.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1303744470/l50
214世界@名無史さん:2011/04/26(火) 21:05:03.95 O
秀吉猿は少年の良さが分からない下層農民猿だから好かん
215世界@名無史さん:2011/05/02(月) 14:22:27.62 0
スペインのような植民地帝国を作りたかったのね。
216世界@名無史さん:2011/05/13(金) 22:40:04.79 0
そういえば、この秀吉による朝鮮侵略では
へうげものの甥が戦死しているよね。
このような大物将軍が戦死するくらい日本軍が惨敗していたわけだ。
朝鮮軍には無い大物将軍級の戦死者だ。
217 ̄ ̄∨ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄:2011/05/14(土) 00:17:41.77 0

   ∧_∧
   <丶`∀´> 
   / ∪ ∪  
   し―-J 


         〃∩∧_∧
        ⊂⌒(  ・ω・) あー、はいはい 大物、大物
         `ヽ_っ⌒/⌒c
             ⌒ ⌒
218世界@名無史さん:2011/05/14(土) 16:44:07.22 0
へうげものの甥は10万石級の大名だぞ!
219世界@名無史さん:2011/05/14(土) 21:46:17.30 0
>>216
>>218
正論ですな。
220世界@名無史さん:2011/05/14(土) 21:53:06.72 0
加藤や島津小西福島も討ち取られてるしな
日本軍壊滅や
221世界@名無史さん:2011/05/14(土) 22:13:53.83 0
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄∨ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
  ∧_,,∧    ∧_,,∧ ウェーハッハッハ
  <=(´∀`)  (´∀`)=>   
  (    )  (    ∪  
  し―-J   し―-J



              
         〃∩∧_∧   朝鮮脳だと、兵3000で大物将軍
        ⊂⌒(  ・ω・)   んで、後方の鷹狩りで暗殺されたら大惨敗か〜
         `ヽ_っ⌒/⌒c
             ⌒ ⌒

222世界@名無史さん:2011/05/14(土) 22:15:54.62 0
>>220
>加藤や島津小西福島も討ち取られてるしな

ソースは?
223世界@名無史さん:2011/05/14(土) 22:18:19.45 0
    ,-ー─‐‐-、
   ,! ||     |
   !‐-------‐
  .|:::i ./ ̄ ̄ヽi
  ,|:::i<丶`∀´>ノシ  <呼んだニカ?
  |::::(ノ ウリナラ ||
  |::::i |..ソ ー ス||
  \i `-----'/
     ̄U"U ̄
224世界@名無史さん:2011/05/14(土) 22:28:15.86 0
へうげものの甥が朝鮮軍と戦って戦死
225世界@名無史さん:2011/05/15(日) 01:08:38.54 0
鷹狩り中に襲撃を受けて
帰らぬ人となった中川さんのことか・・・
226世界@名無史さん:2011/05/15(日) 08:22:24.89 0
>>225
だからへうげものの甥が戦死するほど、
日本軍は大苦戦をしていたw
227世界@名無史さん:2011/05/15(日) 12:30:22.46 0
>>222
小西、福島は知らんが、加藤、島津を討ち取ったとマジで信じ込んでる
南朝鮮人は多いみたいね。
加藤清正はキーセンに抱きつかれて崖下に墜死したうっかりさんで、
島津義弘はウリナラ英雄李舜臣が大勝利した露梁で討ち取ったと
思いこんでるらしい。

実際に、前にWikipediaの英語版で島津義弘の没年を露梁海戦の日に
書き換えてたKoreanを見かけたわ。
228世界@名無史さん:2011/05/15(日) 17:30:44.45 0
>>226
鷹狩り中に死んだんだから戦死とは言わない
日本軍の戦死大名は来島通総一人だな

一方の朝鮮軍は名将と名高かった申砬も李鎰も日本軍にぶっ殺され
英雄の李舜臣も返り討ちにあって戦死w 
ちなみに明軍の方も日本で言えば大名クラスにあたる
副総兵を二人、参将を三人日本軍に討ち取られてる
229世界@名無史さん:2011/05/15(日) 19:15:23.06 0
でも、へうげものの甥が討ち取られたのは事実だから
日本軍がかなり苦戦していたのは事実だ。
230世界@名無史さん:2011/05/15(日) 19:57:37.18 0
半島だけにとどまらず、勢い駆って満州まで攻め込んだ加藤清正公
その戦いに恐怖と尊敬を覚えた満州族は、清正公にあやかって後に国号を「清」としたのは有名な話
231世界@名無史さん:2011/05/15(日) 22:09:20.57 0
義経チンギスハン説レベルの話としてなw
232世界@名無史さん:2011/05/15(日) 22:15:12.27 0
>>229
ただ単に中川さんが油断してただけだろ
この敵地での鷹狩りみたいに「無覚悟」による死は本来改易ものの失態
実際、中川家は事実を隠蔽して「戦死した」と報告したことがバレて
秀吉の怒りを買ってるし
233世界@名無史さん:2011/05/15(日) 22:18:17.07 0
山崎の合戦で先手を務めたほどの親父の遺徳があったればこそ潰されずにすんだんだねえ
234世界@名無史さん:2011/05/15(日) 23:34:39.30 0
>>232
うは、Wikipediaの受け売りバレバレだぞ。(・∀・)
235世界@名無史さん:2011/05/16(月) 00:13:48.16 0
>>234
で?
236世界@名無史さん:2011/05/16(月) 05:51:58.79 0
ゆとりの開き直り?w
237世界@名無史さん:2011/05/16(月) 08:16:04.97 0
>>232
でも、へうげものの甥が討ち取られたのは事実だから
日本軍がかなり苦戦していたのは事実だ。
238世界@名無史さん:2011/05/16(月) 10:31:53.85 0
(・∀・) ←まあ、こいつは昔から人の揚げ足取りしかしないキチガイだからな。
wikiの丸写しを見つけてよっぽど嬉しかったんだろ
239世界@名無史さん:2011/05/16(月) 14:15:40.95 0
気違い湧いてるの?
240世界@名無史さん:2011/05/16(月) 14:47:20.02 0
悔しくて泣き叫んでるゆとりは涌いてるな。
241世界@名無史さん:2011/05/16(月) 17:40:01.05 0
武士の存在をファンタジーとして受けとめている欧米人ならまだしも
自分たちの歴史として受け止めるべき日本人が武士にファンタジーを
抱いちゃだめだろ。
たとえば、数少ない国外戦争である文禄の役では朝鮮王国の位置付け
は「仮道入明」すなわち明国までの通り道だ。
初戦こそ朝鮮正規軍(7千人以上)を質量ともに圧倒していたが、
郭再祐を始めとする朝鮮民衆による義兵闘争開始後は、彼らの拙い
(義兵同士の連携も無く、武器も角弓や石礫のみ)ゲリラ戦に苦し
められ、1593年1月の明軍の本格介入により「仮道入明」は破綻
している。
プサンからソウルまで14箇所の御座所を建設(上杉景勝などはその為に
渡海している)してまで朝鮮半島に渡海しようとしていた秀吉も陸での
朝鮮義兵、海での朝鮮水軍の活躍による治安維持の悪化から家康・利家
の反対にあい、ついには北政所おねの斡旋で、正親町上皇や後陽成天皇
からの渡海を諌める勅使が使わされるに至り渡海をあきらめている。
242世界@名無史さん:2011/05/16(月) 22:18:54.60 0
>陸での朝鮮義兵、海での朝鮮水軍の活躍

まず、そういうウリナラファンタジーからはもういいかげん卒業しような。
243世界@名無史さん:2011/05/16(月) 23:28:05.37 0
>>242
じゃあ、なぜ秀吉は朝鮮に渡海しなかったんだ。
プサンからソウルまで14箇所も御座所を築城
したのに。
244世界@名無史さん:2011/05/16(月) 23:37:41.76 0
太閤が 一石米を買いかねて 今日も五斗買い 明日も五斗買い
この「五斗買い」は朝鮮への「御渡海」を掛けたもので、
秀吉自身も渡海をするつもりでいた。
しかし朝鮮での日本軍は兵糧に苦しんでいて、
京童に皮肉られている。
245世界@名無史さん:2011/05/17(火) 09:08:08.63 0
後陽成天皇(1571〜1617)が文禄元年(1593)、朝鮮への自らの出兵を強行
しようとした豊臣秀吉を諫めた消息。その渡海を「無勿躰」、朝家のためにも
天下のためにも「遠慮可然」として、必死に思いとどまるよう諭している。
http://www.emuseum.jp/detail/101050/000/000?mode=detail&d_lang=ja&s_lang=ja&class=&title=&c_e=®ion=&era=¢ury=&cptype=&owner=&pos=489&num=8
246世界@名無史さん:2011/05/17(火) 09:48:10.50 0
太閤が 一石米を 買いかねて
 今日も五斗買い 明日も五斗買い

[意味] 愚かな太閤は明の手前(米)の朝鮮一国(一石)すら手に
入れられず
今日も「御渡海(五斗買い)」明日も「御渡海」と空威張りで命じる
ばかりである。

勢い勇んで緒戦に先走った日本軍は、占領地の統治も後回しにして
朝鮮半島全域を蹂躙したものの、結局は押し戻される結果になる。
やはり無謀な外征は上手くいかず明への進軍どころか朝鮮一国さえも
満足に押さえる事ができなかった。
その様子を揶揄する狂歌が京の都で囁かれたという。
247世界@名無史さん:2011/05/17(火) 09:54:23.82 0
驚くべきことは
100年間年中戦争してた武士が
寸土たりとも得られず平和ボケ朝鮮人や腐り切った明軍に負けたということ
確かに個々の戦闘では圧倒してた面もあったけど戦略的には完全敗北を喫した
248世界@名無史さん:2011/05/17(火) 10:37:46.52 0
イデオロギー入ってるやつは放置するとして、秀吉が生きてたら3度目の攻勢が起きたかな。
明は朝鮮の一部の割譲を認めたかな。
249世界@名無史さん:2011/05/17(火) 10:52:21.97 0
西国大名はそんな体力は既に無いし
家康は動員を断固拒否で秀吉は強制できない
よって不可能
250世界@名無史さん:2011/05/17(火) 12:09:10.65 0
>>249
秀吉が死んで撤退するとき、明朝鮮連合軍は総攻撃をかけたけど
返り討ちにあってボロ負けしたんだろ?3度目の攻勢かけるチャンスじゃん。
その疲弊してたって言ってる西国大名はたったの二年後の関が原の時に普通に大軍を動員してるわけだし。
秀吉生きてたら太閤独裁状態なので家康も逆らえないよ。
251世界@名無史さん:2011/05/17(火) 12:30:07.74 0
>たったの二年後の関が原の時に普通に大軍を動員

国内戦では朝鮮の空手形と違って勝てば確実に恩賞を貰えるからね
しかもこれが最後の合戦になるって大名たちは解っていたし
商人から借金して農民から絞るだけ絞ってでも最大限の動員をかけるのは当然の行為
252世界@名無史さん:2011/05/17(火) 12:46:18.57 0
≫250
そもそも秀吉は朝鮮からの撤退を遺言してないぞ
それなのに撤退したのは家康はじめ大名たちが戦争を
辞めて国に帰りたかったからだろ。
そんな状態でなんで3回目の侵攻をはじめるんだよ!?
>その疲弊してたって言ってる西国大名はたったの二年後
>の関が原の時に普通に大軍を動員してるわけだし。
家康に付くか、反家康に付きかでお家の存亡がきまるんだぞ。
無理してでも動員する。
253世界@名無史さん:2011/05/17(火) 12:48:01.76 0
それは嘘だろ。基本的に西軍も東軍も最初は上杉征伐に出かけたんだぜ?
254世界@名無史さん:2011/05/17(火) 16:05:57.50 0
≫253
>基本的に西軍も東軍も最初は上杉征伐に出かけたんだぜ?
仮にも戦国時代を生き抜いてきた大名達が上杉征伐を文字どおり
受け止めるとは考えられんが?
255世界@名無史さん:2011/05/17(火) 17:49:15.79 0
まあ、とりあえず小西行長は朝鮮ではあれだけ武名高い活躍をしたが、
関ヶ原での戦闘ではさっぱりなのは、
朝鮮で戦力を消耗しすぎたからだとされてるな
256世界@名無史さん:2011/05/17(火) 17:57:17.55 0
>>254
20万石の小大名が西軍というものを組織し、
関が原の合戦というものが起こり、それもたった1日で終わったということを知ってる奴の意見だな。
257世界@名無史さん:2011/05/17(火) 18:29:41.66 0
20万石の小大名が西軍というものを組織し
関が原の合戦というものが起こり

ここまでは誰でも予測してたでしょ
もちろん合戦場所は解らないが
258世界@名無史さん:2011/05/17(火) 18:59:22.51 0
たった一日で終わったってことが重要なんだろ?
最後の決戦になるなんて誰一人分かってなかった。
真田も上杉も毛利も伊達も黒田如水でさえ。こいつら全員戦国乱世の再来を予期してた。
だから疲弊してるはずの大名が普通に4千とか5千とか石高相当の兵力を連れて来たのは
最終決戦になるから借金しまくってむちゃくちゃな動員をした結果という251の主張は嘘。
259世界@名無史さん:2011/05/17(火) 19:11:20.08 0
小早川や宇喜多は張り切って動員したし、徳川はそれこそ全力投球だったり
島津は内紛とかそもそも徳川に味方して留守番するつもりだったとかで全然連れて来なかったり、
それぞれの事情はあるけど、
関が原を見ると第二次慶長の役が可能かどうかといえば可能だっただろ。
260世界@名無史さん:2011/05/17(火) 19:21:59.50 0
へうげものの甥が討ち取られたほどに惨敗しているくせに、
第二次朝鮮侵略が可能だったとは目出度いなwww
261世界@名無史さん:2011/05/17(火) 20:10:06.14 0
>>259
2回失敗した全額自己負担のバクチ合戦なんて誰も参加しないよ
関が原は前に書いたように勝ち馬に乗れば恩賞が確実だから
あれだけの動員を行っただけ
262世界@名無史さん:2011/05/17(火) 20:15:47.06 0
まあ、秀吉も明の皇帝の臣下って自覚はあったと思うよ。
263世界@名無史さん:2011/05/17(火) 20:29:56.82 0
関ヶ原は秀忠が遅れず毛利輝元が陣頭に立てばもっと大人数の戦になった
264世界@名無史さん:2011/05/17(火) 20:39:17.06 0
当時大規模な金銀山を持ってた大名って毛利だけだよな?
残りは豊臣領で
265世界@名無史さん:2011/05/17(火) 20:58:54.27 0
豊臣秀吉は下層階級の出身ながら天下統一を成し遂げた英雄である。
266242:2011/05/17(火) 21:38:01.42 0
>>242-243
京童の戯れ歌とやらを上げてナニを言いたいんだw 当時の世相の参考にはなっても
為政者の意思決定仮定とは全く無関係だろ。


当時の書簡等の一次史料には、渡海延期の理由として義兵やら朝鮮水軍やらに言及したものは
無論皆無で、時季的な風浪の危険を表向きの理由とした家康、利家らの諫止で性急な渡海を
思いとどまったとしかない。

そして秀吉の渡海はそもそも天正20年5月2日の漢城陥落を受けてのものであり、また6月9日付の
浅野長政の書簡ではその時点ですでに渡海延期が決定されていることが判るため、秀吉の渡海が
検討されたのは5月後半の正味半月程度でしかない。

で、その間に義兵は何をしていたかといえば、ようやくあっちこっちでゲリラ活動を始めたかどうかと
いう頃であり、また李舜臣はといえば巨済島周辺で海上移動している日本側の小部隊を襲っていた
頃でしかない。
ちなみに韓国人が世界的大勝利と妄想している脇坂安治との見乃梁の戦い(閑山島沖海戦)は7月7日で、
李舜臣がたった一度だけ釜山浦に攻めいったのはさらに先の8月29日な(笑)。

要するに、義兵も李舜臣も渡海延期とはキッパリ無関係。


しかし、なんで朝鮮脳は超時空と妄想ばっかりで、論理的に時系列で思考するという当たり前のことが
できないのかね〜w
267266:2011/05/17(火) 21:40:14.87 0
おっとアンカー間違えちまった。

× >>242-243
○ >>243-244
268世界@名無史さん:2011/05/17(火) 23:04:16.07 0
元寇って韓国の教科書だと日本征伐って表記されてるんだぜ
269世界@名無史さん:2011/05/17(火) 23:56:50.02 0
第二次慶長の役は可能かといえば可能だっただろう。
明史にあるように「勝ち目はなかったけど太閤が死んで戦争が終結した」みたいに
本当に明の士気が萎えていたなら、明にしてみれば猫の額ほどの、しかも属国の土地の一部くらい
で「蛮族」の侵略がなくなるならそうしたかもしれない。
270世界@名無史さん:2011/05/18(水) 00:04:09.00 0
>>266
秀吉は何のために関白辞めたんだ。
秀吉は何のために肥前に名護屋城を作ったんだ。
それは、大明国を征服し寧波から東アジア
を支配するためだろ。
その為に、秀吉自身も家康、利家らと肥前名護屋まで
出陣してきたんだ。
朝鮮半島に渡海するのは当然だろ。
>秀吉の渡海が検討されたのは5月後半の正味半月程度でしかない。
なんてことはない。
事実8月にも渡海を宣言し、その際は後陽成天皇から親書により
渡海を延期してる。
その後も天正2年春に渡海する予定でいたのを戦況の悪化で有耶無耶
なっている。


271世界@名無史さん:2011/05/18(水) 00:07:46.25 0
って言うか秀吉はまさにその三度目の攻勢を計画してたけどな。
朝鮮水軍は無謀な攻撃命令のせいで漆川梁海戦で大敗し壊滅してたし三路の戦いで
明朝鮮連合軍はうそ臭いくらいの大敗して士気が萎えていた。
朝鮮南部で武威を示して領地の割譲を認めさせるくらいいけた可能性はあるよ。
272世界@名無史さん:2011/05/18(水) 00:12:18.78 0
計画したって西国大名はもう一銭たりとも金は出ません
商人もこんなバクチに金は貸せません
石見銀山持ってる毛利家はまだしもね
273世界@名無史さん:2011/05/18(水) 00:26:39.19 0
どこぞの厨房の戯言じゃなく、兵站の鬼の秀吉が出来ると踏んでるのだから可能なんだろう。
274世界@名無史さん:2011/05/18(水) 00:42:56.87 0
>>270
>事実8月にも渡海を宣言し、その際は後陽成天皇から親書により
>渡海を延期してる。
>その後も天正2年春に渡海する予定でいたのを戦況の悪化で有耶無耶
>なっている。

何訳のワカラン捏造してるんだw 文禄2年3月の渡海予定は、天正20年6月に
渡海延期を決定した際からの話(6月2日付秀吉書簡)で、8月にはそれを
予定通り執り行うと再確認しただけのことで、秀吉が8月に渡海しようとしたなんて
いう事実はない。

そして、実際に文禄2年3月時点では、碧蹄館戦後に漢城でにらみ合ってる
情況なんだから渡海なんてあるわけないだろ。

なんにせよ、朝鮮義兵も水軍も無関係なのにかわりないけどな。

275世界@名無史さん:2011/05/18(水) 00:43:25.37 0
朝鮮水軍がアホの上層部のせいで壊滅してなければそうはならなかった。
276世界@名無史さん:2011/05/18(水) 00:59:45.58 0
>274
>秀吉の渡海が検討されたのは5月後半の正味半月程度でしかない。
これは撤回するんだな。(プゲラ)
277世界@名無史さん:2011/05/18(水) 01:05:09.93 0
>>276
阿呆? 実際に渡海の可能性のあった期間を指しているんだが。

読みとれないのは無知すぎだろ。
278世界@名無史さん:2011/05/18(水) 01:13:02.89 0
>277
話をごまかすなよ。
おめえが
>秀吉の渡海が検討されたのは5月後半の正味半月程度でしかない。
ていったんじゃねえか、見苦しい。
>実際に渡海の可能性のあった期間
おめえの話なら
1592年5月〜1593年3月まであったんだろ。
279世界@名無史さん:2011/05/18(水) 01:15:48.82 0
日本語が通じないのな〜プゲラ

280世界@名無史さん:2011/05/18(水) 06:24:41.97 0
40代ならまだしも晩年の秀吉が「兵站の鬼」とはまた恐れ入った意見だなw
シナの皇帝じゃあるまいし3回目の渡海は絶対に不可能
281世界@名無史さん:2011/05/18(水) 08:40:36.00 0
まぁ実際に名護屋⇔プサン間の補給線を維持してるし朝鮮水軍も壊滅させたしな。
282世界@名無史さん:2011/05/18(水) 09:11:55.58 0
>>266
お前的には秀吉は元々朝鮮に渡海する予定じゃなかったと言いたいの?
または渡海するつもりでいたと考えているの?
その際はいつごろを想定していたんだ?
わざわざ肥前名護屋くんだりまで出てきた秀吉はいつごろ目と鼻の先の
朝鮮へ渡海するつもりとお前は考えているんだ。
283世界@名無史さん:2011/05/18(水) 18:43:14.02 0
秀吉はモンゴルのアルタンハンみたいに、貿易の利を得るのが最終的目的だから、
勘合貿易(明に対する朝貢形式の、朝貢国側に莫大な利益をもたらす貿易)再開と、
朝鮮南半の割譲さえ認められたら、喜んで冊封され明帝の臣下になったよ。

最初に秀吉が家臣たちに示した条件だって、
・明帝皇女の日本天皇への降嫁(いわゆる和蕃公主)
・勘合貿易(明の臣下としての朝貢形式での公貿易)
だからな。

秀吉の真意や、妄想めいたビッグマウスの陰にかくれた本当の目的は現実的なものだ。
284世界@名無史さん:2011/05/20(金) 10:43:43.96 O
秀吉が怒った逸話が嘘になるな。

なんでチョンはすぐバレる嘘つくんだろ。

自分の知能レベルが低いから
『自分レベルの知性』の持ち主を騙せる程度の嘘しかつかんのだな。
285世界@名無史さん:2011/05/20(金) 18:13:39.45 0
あの逸話は、日本外史で頼山陽が脚色しすぎ。
山陽は、現代の大河脚本家や歴史小説家なみに見てきたようなウソを書いてる。

激昂した秀吉が、その場で明の冠服を脱ぎ捨て、冊封の国書を破り捨てたというのは真っ赤なウソ。
冠服はもちろん、国書もきれいな状態で現存している。
286世界@名無史さん:2011/05/20(金) 18:35:47.35 0
大体、「勘合貿易(=朝貢貿易)の再開」を要求していた時点で、
なにをか言わんやだよな。
だめ押しで「明の皇女の降嫁」まで要求してるし。

朝貢と降嫁をはじめから要求してたんだよ、猿関白は。
287世界@名無史さん:2011/05/20(金) 18:37:19.33 0
>>286での「朝貢」ってのは、言うまでもなく、日本から明への朝貢ってこと。
288世界@名無史さん:2011/05/20(金) 19:13:49.19 0
朝貢なんて形式だしな、おだててやれば金もらえるんだから美味しい話さw
足利家も国王を僭称してしてたしな。
289世界@名無史さん:2011/05/20(金) 19:34:19.42 0
勘合貿易と朝貢はちがう。
しかも「降嫁を要求」するというこことは、形式的な臣下としての分さえ放棄しているということを意味する。
ここの点を理解しないで、半可通のボケは止めて欲しいと思う。
290世界@名無史さん:2011/05/20(金) 19:36:22.11 0
つまりどうゆうことだってばよ?
291世界@名無史さん:2011/05/20(金) 19:59:13.98 0
秀吉も当時の東アジアの国際常識として、
明の臣下だって自覚はあったってことさ。
292世界@名無史さん:2011/05/20(金) 20:00:49.54 0
289は、たぶんそうは言ってない。
293世界@名無史さん:2011/05/20(金) 20:53:03.57 0
勝ったのは俺なので朝貢はするけどおめぇに頭下げる気はねぇから。的な?
294世界@名無史さん:2011/05/20(金) 21:48:24.80 0
289だけど。w
秀吉的には、

明っちゅう自称大帝国らしきものが海の向こうにあるらしい。
こっちの天ちゃんと同じように、天下を取ったオイラがちょいと脅して金をやればなんとでもなるだろうな。
一応権威はあるらしいから、オイラ的には面倒だが格好だけはつけてやろう。
そうすれば愚民どもにもアピールするしな。
とりあえずちょいと金をやる話をして、お前の娘をオイラの側女に出せと言ってみるか。

てな感じじゃない?w
295世界@名無史さん:2011/05/20(金) 21:57:49.68 0
ちがうな。
秀吉は堺や博多の商人とも昵懇にしてたから、当時の国際社会の慣習くらい承知している。

国内向けのビッグマウスと、実際の戦略は区別して考えないといけない。
国内の大名や武士どもには大明遠征を呼号しつつも、その実、本当のねらいは中断していた勘合貿易の復活。
その際、日本側の代表者が明に臣下の礼をとる必要や、朝貢形式であることは承知している。
だから、大阪城に明使が来たとき、最初は喜々として明の冠服を着用していた。

激怒したのは、明が冊封(国王任命)のみ許可したものの、肝心の朝貢(貿易)を許可しなかったから。
296世界@名無史さん:2011/05/20(金) 23:24:19.54 0
じゃぁ小西がやったって言う講和条件の捏造もあながち嘘じゃなかったのか。
貿易の復活だけ目指すって言う。
297世界@名無史さん:2011/05/21(土) 02:08:18.66 O
貿易復活が主目的って。

アホかいな。

戦争やってんだから。
相手の怒りを買う事をわざわさやって交渉かい。

そんな高等外交戦術(笑)はこの時代ありえんよ。

領土の切り取りが目的だつーの。
298世界@名無史さん:2011/05/21(土) 02:26:28.84 0
戦国時代が終わりを迎えて、軍事費・軍人がだぶつく、
可能な限りは農民戻すけど、それでも無理な人間は放っておくと反乱分子になるから、
海外権益獲得のための遠征、となるわけでしょ

何を求めるかは何が獲得できるかにもよるけど
299世界@名無史さん:2011/05/21(土) 14:20:25.94 0
そうだよな貿易再開が主目的なら出兵したのはおかしいよな。
あくまで主目的は領土ゲットだよな。
300世界@名無史さん:2011/05/21(土) 17:23:24.58 0
>>294
秀吉は宣教師や倭寇から十分な情報収集をしてた、明のでかさを理解してたし。
しかし中国での倭寇の圧倒的強さ明兵の弱さを彼らから聞かされ
弱卒の明兵など処女の手を握るがの如しと過信し朝鮮に向かった
ただ、実際には宣教師も倭寇も知らない中華の精鋭北辺の騎馬隊
朝青龍みたいなのが何万騎もやってきて前線の小西隊は大混乱する。
結局、朝青龍集団は血祭りにあげたけど、こちらも前に進めなくなって戦線が膠着。


当時から侍が無茶苦茶強いのは知られてたから
食い詰めた中国人も朝鮮人もこぞって倭寇の真似をして自国を荒してた。
実際に山田長政もタイで偽倭寇退治をしてるしさ
日本の物をパクるって今でもお馴染みの事象が当時も行われてた。

301世界@名無史さん:2011/05/21(土) 17:35:24.14 0
あと、朝鮮は土地が痩せ過ぎてて大軍を動員するのが難しい。
明も楊応龍の乱では24万を動員してる。朝鮮の土地じゃその半分も難しい。

当時の朝鮮の国は一種の餓えた野犬しかいない荒野みないなもんだよ。
その過酷な土地ゆえに中華歴代王朝の属国扱いはされても国土に編入はされず
日本が軍事的に弱い時でもその過酷な土地が防波堤になり
日本が中国に攻める時も過酷な土地が邪魔をした
302世界@名無史さん:2011/05/21(土) 18:03:52.77 0
日本の半分くらいの広さで石高は700万石だろ?
そこまでガリガリじゃないんじゃね?むしろ朝鮮が貧しい原因は李朝の腐敗とかかと。
303世界@名無史さん:2011/05/22(日) 00:20:25.51 0
>秀吉は宣教師や倭寇から十分な情報収集
これは何を見ればいい?
304世界@名無史さん:2011/05/26(木) 21:21:46.17 0


当時の女真と日本を比較して、


李如梅 「倭兵30人で女真1人に敵すべからず」

ということらしい。

305世界@名無史さん:2011/05/26(木) 22:33:42.64 O
とりあえず明兵と朝鮮兵が日本兵より弱いことは実戦で明らかだが、
女真に関してはたんに褒美ほしさに明が過大評価してるだけだしなぁ。

実戦ないからよくわからんのだよ馬鹿チョン。
306世界@名無史さん:2011/05/26(木) 22:36:56.36 0
女真=明だろ?
李氏も女真の地域から出ているし
同族を褒めているだけのような
307世界@名無史さん:2011/05/26(木) 23:10:07.48 0
そもそも秀吉の目的は国内大名の力を削ぐ目的もあるからね
豊臣政権は領土自体は大名に気前良く与えた為に立脚基盤は弱かった
そこを貿易や鉱山で補っていたが
308世界@名無史さん:2011/05/26(木) 23:20:26.71 0
家康も出陣予定だったんだよな
兵力は5千人くらいだっけ
309世界@名無史さん:2011/05/26(木) 23:33:10.23 0
>>304
明将・祖承訓「俺は三千の兵で十万の女真を破ったことがある。」
→(明兵1人>>>女真兵33人)

その祖承訓は麾下五千の兵に朝鮮兵三千を加えて平壌をせめた結果、
日本軍1万3千にフルボッコにされ逃走する。
→(日本兵2.6人>>>明兵1人)※明兵のみの場合
→(日本兵1.6人>>>明兵・朝鮮兵1人)※朝鮮兵を加算した場合

つまり祖承訓軍団を尺度にすると
→(日本兵2.6人>>>明兵1人>>>女真兵33人)
→(日本兵1.6人>>>明兵・朝鮮兵1人>>>女真兵33人)

とういう図式が成り立ち

日本兵2.6人>>>>女真兵33人
または
日本兵1.6人>>>>女真兵33人

になり、李如梅の発言とは全く逆の結果が出る。
310世界@名無史さん:2011/05/27(金) 00:27:46.83 0
>>309
ワロタww
確かにいちいち李如梅の発言を持ち出すなら
祖承訓の発言の方も参考にしないとなw
311世界@名無史さん:2011/05/27(金) 23:56:33.78 0
明は女真に勝ち女真は日本に勝ち日本は明に勝つと
三竦みルールが採用されてるだけなんだよ!
312世界@名無史さん:2011/05/28(土) 20:42:04.77 0
>明は女真に勝ち
つサルフー
313世界@名無史さん:2011/05/31(火) 00:35:52.65 0
碧蹄館の戦いを勝利に導いた殊勲者として、小早川隆景より「立花家の三千
は他家の一万に匹敵する」と評された、立花宗茂隊に従軍していた、天野源
右衛門の覚書によると碧蹄館の戦いに際し、明軍の戦闘力について「武辺強き
唐人かな」と 参戦した諸大名皆感嘆したとの記載がある。
314世界@名無史さん:2011/05/31(火) 01:00:17.77 0
>>313
モンゴルや女真をたびたび討伐し精鋭無比を謳われた李家軍と
日本で「立花家の三千は他家の一万に匹敵する」と賞された立花勢
この二つの軍団が激突した結果、見事立花勢が勝利をおさめたというわけだね
315世界@名無史さん:2011/05/31(火) 09:19:11.41 0
>>314
李家軍が精鋭無比を謳われたソースは?
316世界@名無史さん:2011/05/31(火) 11:49:48.46 0
日本は明の国境からはるか遠い辺境で二線級の軍に勝っただけ
歴代中華帝国にはこの程度の苦戦はいくらでもある
317世界@名無史さん:2011/05/31(火) 12:30:52.21 0
李家軍が、他の明軍より優れているのは、
実戦経験が有無だけだ。
軍隊の強弱が実戦経験だけで判断できるわけじゃない。
常在戦場を心掛け、常日頃からの軍事訓練を欠かさなければ
実戦経験のみの軍隊より精強だ。
日々の鍛練を怠らなければ、実戦経験の乏しい鎌倉武士(元寇時)
やプロイセン軍(オーストリア継承戦争時)が経験豊かな元軍や
オーストリア軍に勝利することも可能だ。
戚継光の軍制改革後、明軍が強化されたのは、すなわち『練兵実紀』
などによる軍事訓練を導入したからに他ならない。
318世界@名無史さん:2011/05/31(火) 12:49:14.90 0
将を実戦を積むことで鍛えられるが
兵は実戦のみでは(戦闘による死傷者など消耗も激しい)
鍛えられない。
実戦経験は他の明軍より豊富だが辺境に配置されており
明朝廷から(かつての安禄山のように)脅威とみなされて
いない時点からも明軍最強なわけはない。
319世界@名無史さん:2011/05/31(火) 13:10:43.01 0
国民の生命・財産を守ることを前提とした
国民国家の軍隊なら、国境線に精鋭をそろえて
他国からの侵略に備えることも考えられるが、
君主制の明帝国では皇帝及び皇族を守ることが
すなわち国を守ることになるので当然皇帝や
皇族の住まう首都の禁軍を精鋭化する。
320世界@名無史さん:2011/05/31(火) 22:50:16.01 0
平時の訓練によって士気と練度は向上して、
戦時は戦闘によって士気が下がり損耗による人員の入れ替えで練度が下がるわな
戦闘で士気が上がるよーみたいな妙なことをやったコーエーの罪は重いな
321世界@名無史さん:2011/06/01(水) 02:11:40.27 0
>>315
は?
李成梁・如松親子とその私兵軍団がどう評価されてるか知らないの?
322世界@名無史さん:2011/06/01(水) 09:05:00.70 0
>>321
碧蹄館の戦いにおける勝利の立役者として小早川隆景より賞賛された立花宗茂
とその家来衆のように。
李如松とその私兵集団への当時の明の名将からの評価についてのソースを希望
してるんだが。
それがなければ、当時の明国では珍しい実戦経験のある辺境の軍団としか言い
様がないが。
323世界@名無史さん:2011/06/01(水) 13:11:22.40 0
>>322
「明史 李成梁伝」によれば「李成梁は遼の地に鎮すること二十二年、前後大勝を奏すこと十回に及び」、
「皇上からはすでにして郊廟に祭祀されることが約束され」、
「辺境にあって武功一等とされ二百年来彼を過ぎる辺将は現れなかったとまで讃えられた」。
「明史 李如松伝」には麻氏多將才。人以方鐵嶺李氏,曰「東李西麻」、とある。
つまり人々は鉄嶺の李氏と西方の麻貴一族の軍才を並べて「東李西麻」と称えたということ
少なくとも「実戦経験のある辺境の軍団としか言い様がない」わけではなさそうだね
ちなみに朝鮮役で日本軍と戦った査大受や李寧は、李成梁の代から活躍した李家子飼いの武将
324世界@名無史さん:2011/06/01(水) 13:27:31.25 0
>322
それってお父さんの李成梁についての評価でしょ。
息子の李如松についての評価じゃないよ。
また、
>ちなみに朝鮮役で日本軍と戦った査大受や李寧は、
>李成梁の代から活躍した李家子飼いの武将
についても結局は大将である李如松が彼らの能力を適切
に活用になければ意味ないじゃん。
たとえば、武田信玄なきあとも信玄以来の重臣は生き残っていた
のに彼らをうまく活用できずに長篠で大敗した勝頼のように。
325世界@名無史さん:2011/06/01(水) 13:32:53.29 0
それに大明国は中央集権国家だから辺境の地に
有力な勢力ができることを快く思わんよ。
事実、李成梁は1591年に罷免されている。

326世界@名無史さん:2011/06/01(水) 20:51:45.93 0
>>324
「東李西麻」は李如松伝の記述なんですけど・・・
都合の悪い箇所は見えないのかな?
それと成梁・如松の私兵軍団については「遼東鉄騎」といって
中国じゃ結構有名みたいだよ

参照↓
http://baike.baidu.com/view/1730394.htm

三千人前後の精鋭部隊で、
ヌルハチのお父さんとお祖父さんをぶっ殺したのもこの部隊
碧蹄館で査大受が率いた先鋒部隊もこの遼東鉄騎
327世界@名無史さん:2011/06/02(木) 00:31:34.59 O
マジに中国人の書き込みってあるんだなぁ。
328世界@名無史さん:2011/06/02(木) 00:43:05.17 0
なんで中国人扱いされんにゃならんのだ
329世界@名無史さん:2011/06/02(木) 16:56:33.60 0
久々にワロタwww
330世界@名無史さん:2011/06/03(金) 16:41:42.73 0
世界史というか他国にどう影響していったかという視点から考えるなら、
明に軍事費を使わせ、重税が原因で反乱が起き、明終了 順へ
朝鮮征伐に駆り出された東北軍が日本軍に蹂躙され、壊滅
軍事的空白地帯となった満州でヌルハチがしたい放題、ホンタイジが北元を支配
勢いに任せて清建国

って連想したけど中東の歴史が好きな俺には今ひとつ細かい事件とか動きとか流れが思い出せない
331330:2011/06/03(金) 20:14:12.48 0
読み直してみたら言葉が足りていなかった
>明に軍事費・・・←元々重税だったのにさらに追い討ちとして的な意味で書きました
>朝鮮征伐に・・・←(日本の)挑戦征伐(の防衛のため)に駆り出された(明の)東北軍

この地域のこの時代は専門どころかアマチュアレベルにも至ってないので(安土桃山時代らへんは好きですけどね)
勘違い甚だしい可能性大ですので、間違っている点を指摘していただけると大変助かります。
332世界@名無史さん:2011/06/03(金) 20:52:26.46 0
まあ日本軍より魏忠賢のほうが明の滅亡には役だってたろうけどね
333世界@名無史さん:2011/06/03(金) 21:11:07.53 0
高校の日本史すら怪しいネトウヨのレスは
スレの面白さを半減どころか殺してるよね
ホント迷惑なんだけど
334世界@名無史さん:2011/06/03(金) 21:28:40.07 0
マジで中国人の書き込みってあるんだなぁ。
335世界@名無史さん:2011/06/04(土) 00:39:57.78 0
ネトウヨ認定で思考停止、印象操作
今日もお盛んですな
金盾工程は
336世界@名無史さん:2011/06/04(土) 00:45:38.22 0
中国人の書き込みってどれよ?
337世界@名無史さん:2011/06/04(土) 04:05:16.49 0
鬼畜秀吉 鬼畜日帝 鬼畜小泉 鬼畜石原
338世界@名無史さん:2011/06/04(土) 07:28:47.10 0
あの時代のノウハウじゃ海越えて他国を征服するなんて事はできんな
339世界@名無史さん:2011/06/04(土) 09:36:57.43 0
>333ここ世界史板なんだし、日本史が曖昧でも大目に見るべきではないのか?
340世界@名無史さん:2011/06/04(土) 11:40:36.75 0
1569年当時の明軍の国防軍は
84万5,000人いた。
(定員は313万8,300人)
文禄の役では5万人弱
慶長の役でも10万人弱
この程度の戦場への投入で明国が傾くかな?
341世界@名無史さん:2011/06/04(土) 13:47:47.76 0
       ∈=━/,,;;:::::::::::::::::::::::::.;ヽ━=∋
            L::;;,__     ..:::ゝ
          //;;;;::::::.. ̄ ̄ ̄ ̄..::::;;;ヽ
          / ;;;;;;;;:::::::::::;;;;;;;;;;;;;::::::::;;;;; ヽ
         /j/三三三三三三三三三三ヾ、
         l::||::::              |l  
        / ̄\  (●)     (●)  ||  その通り、大明が滅んだのは朕のせいじゃないよ
      r┤    ト::::: \___/     ||   
     /  \_/ ヽ:::.  \/    ,ノ   
      |   _( ̄ l―---oo-――'"ヽ__
342世界@名無史さん:2011/06/04(土) 15:28:03.02 0
無能な皇帝ほど統治期間が長いという不運な国
343世界@名無史さん:2011/06/04(土) 17:06:07.40 0
そりゃ有能そうな皇帝はなぜか即位後急死したりするからな
344世界@名無史さん:2011/06/04(土) 19:29:34.43 0
>>340
大した兵力じゃないと思うけど問題は何万人討たれたかだな
345世界@名無史さん:2011/06/04(土) 23:36:30.95 0
サルフの戦いに動員された明軍も10万くらいだったよね
このくらいの兵力が外征に出せる限界だったのかな
346世界@名無史さん:2011/06/05(日) 02:17:42.22 0
そりゃそうだろあの時代に国家の基礎である農民をそんな軽々と動員なんて不可能てかその前に滅ぶ
>>340
こんな数字は無論架空だ
347世界@名無史さん:2011/06/05(日) 02:31:31.73 0
小田原攻めで20万将兵の兵站を余裕で維持した秀吉はマジ補給神。
348世界@名無史さん:2011/06/05(日) 06:11:41.63 0
小田原陣って最新の研究じゃ従来言われてきたのとは逆に
秀吉軍も相当補給に難渋していて追い詰められ具合は
北条方といい勝負だったらしいね
飢餓に苦しめられる部隊すら珍しくなかったと言うし
本当に余裕だったら”一夜城”なぞで威嚇する必要もないし
朝鮮で補給に苦しむはずも無いやね
349世界@名無史さん:2011/06/05(日) 12:41:05.89 0
篭城ってのは防御側が攻略側の疲弊を狙うものでもあるから
秀吉側も苦しむのは当然なんだがな

なんで篭城の目的は援軍がくるまでの時間稼ぎのみ、みたいな話が流布したんだろう。
350世界@名無史さん:2011/06/05(日) 12:46:13.35 0
>>346
明国の人口は末期には2億人近くいたんだが!
351世界@名無史さん:2011/06/05(日) 16:46:17.95 0
>>349
近代には蒸気船や鉄道があるからじゃね?
一ヶ月からせいぜい数ヶ月もすれば補給切れで撤退、するどころか鉄道や港を整備して補給状態が改善される。
352世界@名無史さん:2011/06/05(日) 17:03:22.66 0
あー、でもコレヒドールなんか日本軍も補給で難儀してたな。
アメリカ軍が先に飢えて降伏したけど。
353世界@名無史さん:2011/06/05(日) 19:47:52.66 0
ナポレオンの時代ですら普通は補給は現地調達が基本だったしな
籠城し続けたら包囲側の食料が先に尽きるパターンのほうが多かったはず
354世界@名無史さん:2011/06/05(日) 19:48:56.66 0
氏康だったら逃げ切ってただろうな
355世界@名無史さん:2011/06/05(日) 21:36:56.95 0
信長の配下の時から秀吉は城攻め兵糧攻めが得意だったな
356世界@名無史さん:2011/06/06(月) 03:08:06.75 O
>>350
兵力は全土の定数
満州に展開可能なのは北京周辺の部隊のみ
朝鮮で消耗したのも北京周辺の精鋭部隊
357世界@名無史さん:2011/06/06(月) 03:53:11.49 O
オスマントルコのコンスタンチノープル包囲戦と比べたら小田原攻めなんか小っちゃいよね
358世界@名無史さん:2011/06/06(月) 04:10:47.63 0
規模はでかいだろうが主将の背は小さいな
359世界@名無史さん:2011/06/06(月) 04:45:59.55 0
5月21日 全国一斉「パチンコ禁止デモ」 【在特会】 

http://www.youtube.com/watch?v=zL0jgbzOtUM
デモ隊 VS 在日ヤクザ?もどきのバトル
4:20〜が笑える

平成23年5月21日 パチンコ反対デモにからんでくる在日朝鮮人

http://www.youtube.com/watch?v=lGLdnkdkJcA
これも…
360世界@名無史さん:2011/06/06(月) 09:03:09.65 0
>>356
>朝鮮で消耗したのも北京周辺の精鋭部隊
のソースは?
361世界@名無史さん:2011/06/06(月) 09:29:23.59 0
NHKの『歴史秘話ヒストリア』でも島津兄弟の回で
秀吉の九州攻めに際し、根白坂の戦いに敗れた為、島津義久は
秀吉に降伏を願い出たが、秀吉からは薩摩国以外は没収する旨
沙汰があり、弟の義弘らがこの旧領没収が我慢ならずに抵抗する。
それはゲリラ戦法に近く、地の利を最大限に使った作戦をとり、
戦は長期化する。
その為、秀吉方の兵糧が枯渇してきたため、領地の回復を認めた。
362世界@名無史さん:2011/06/06(月) 09:42:06.48 0
風土病にも悩まされたみたいだね
363世界@名無史さん:2011/06/06(月) 16:43:37.88 0
日本海軍が李舜臣に負けたのは、日本海軍の船がことごとく長期航海向けの船だったから。
日本から半島への航海をこなすために、武装は控えめ、装甲もはれない。
一方李舜臣の船は、迎撃側になるため武装と装甲が強化されている。その一方で鈍重で航海に向かない。
日本海軍が負けるわけだ。
364世界@名無史さん:2011/06/06(月) 16:53:22.36 0
えっ、日本が負けたの?
朝鮮軍の提督みんな戦死してんじゃん
365世界@名無史さん:2011/06/06(月) 17:06:51.02 0
>>364
それは最後の最後。
日本側が船を現地改修して砲載せたから、逆にボコボコにされた。
366世界@名無史さん:2011/06/07(火) 21:30:34.92 0
ま、文禄・慶長通して日本水軍が明らかに負けたといえるのは
見乃梁(閑山島沖海戦)の一戦くらいだな。
367世界@名無史さん:2011/06/08(水) 02:04:20.83 0
>>340
幾ら常備軍が居ても使える兵隊って限られていたんじゃないの?
李如松、陳璘、劉綎、麻貴と、各々守ってる場所は国境線、海岸線と中華の四辺なのに
万暦の三征、サルフと結構色んな場所でこいつら顔を合わせてる
正直、このメンツがオールスターに近かったんだろうと思う
遼寧に居た李と倭寇に詳しい陳が呼ばれるのは解るが
劉綎はビルマとの国境線に居たし、麻貴も西の果てのイスラム教だし
こいつらは明が人材に精鋭に恵まれてたら朝鮮まで来ないでしょ

>>347
朝鮮と関東を一緒じゃないでしょ。
四川で起こった楊応龍の乱じゃ明も24万動員してる。
侵攻前から痩せこけてた朝鮮じゃ精々10万の展開が精一杯じゃないかな
368世界@名無史さん:2011/06/09(木) 19:38:59.50 0
>>367

>>322みたいに日本軍と戦った明軍は精鋭じゃない、
辺境の二軍だとか言い張る奴がいるが
だったら明は寧夏にも播州にも、さらにはサルフにも
その「実戦経験があるだけの」「辺境の二軍」を繰り出したことになるわな
具体的に誰が率いる、どの軍団が一軍だったと思ってるんだろう
369世界@名無史さん:2011/06/09(木) 23:59:19.49 0
>>322は馬鹿な事言ってるなあとは思うけど「辺境の二軍」と言ってるようには見えないが
370世界@名無史さん:2011/06/10(金) 00:05:48.40 0
別の人(たぶん)が「二線級」の軍団と言っていたのを勘違いしちゃったよ
371世界@名無史さん:2011/06/10(金) 23:26:14.34 0
たぶん、明国の最精鋭は北京の防衛を担う侍衛親軍
372世界@名無史さん:2011/06/10(金) 23:51:55.37 O
禁衛・親衛の類いって、装備・血筋・訓練・教育は充実してそう
ほぼ精鋭としての必須条件を備えてるとは思う

でも、辺境の経験豊富な私軍的なゴロツキも強そう
373世界@名無史さん:2011/06/11(土) 00:05:03.45 0
まあ、日本軍と戦った李家軍なんかは軍閥だからね
子飼いの私兵軍団だから徴集兵とは本質的に違う
ところで北京の禁衛・親衛って野戦や攻城にも長けていたんだろうか?
当然防衛に特化していただろうし、地方の軍閥のような汎用性があったのかどうか
374世界@名無史さん:2011/06/11(土) 10:29:51.80 0
李如松軍で強かったのは南方から連れてきた火器部隊で日本軍に負けた時は火器部隊は平壌に置いてきていていなかった
375世界@名無史さん:2011/06/11(土) 11:47:51.34 0
>>374
碧蹄館の戦いには楊元率いる火器部隊も参戦してるんだがな。
開戦時にも大砲や神機箭(ロケット式の矢)が使用されてる
大体、馬軍よりも火軍の方が強いって一体何を根拠に言ってるんだ?
376世界@名無史さん:2011/06/11(土) 13:31:17.41 0
1593年1月に来襲した明軍43,000人の内訳
中軍(李家軍か?)11,700人
左軍       11,500人
右軍       11,500人
遊軍        8,300人
その内碧蹄館の戦い参加したのは
中軍と遊軍のみ即ち2万人
ただし、平壌の戦いなどによる戦死傷者が出ている為
実態は2万人を下回っていたと思われる。
火力主体の南方の部隊は、中軍(李家軍)には余りいなかった。
碧蹄館の戦いの戦場は直前の雨で地面がぬかるんでいたため、李家
軍得意の騎兵突撃がしにくい環境だった。
その為、歴史家の中には火力主体の左軍や右軍をつれて来ていれば
戦局も違っていたというものもいる。
377世界@名無史さん:2011/06/11(土) 13:43:35.77 0
>>火力主体の左軍や右軍をつれて来ていれば

火軍や歩軍は進軍に時間がかかるから騎兵を先行させたんだろ
騎兵主体(ある程度は火器部隊も含まれていた)の編成で突撃した結果
日本軍の先鋒隊二万に大敗。
しかも戦闘終盤には楊元ら火軍の一部も増援として駆けつけてるが
そいつらもまとめて撃破されてる
火軍やら歩軍を連れてのろのろ進軍してたら、日本軍の本隊二万一千まで投入されて
ますます戦況は不利になってたと思うんだが
378世界@名無史さん:2011/06/11(土) 14:08:50.19 0
>騎兵主体(ある程度は火器部隊も含まれていた)の編成で突撃した
>結果日本軍の先鋒隊二万に大敗。
正確にいうと、雨の上がったばかりで地面がぬかるんでる状況で
無理に騎兵突撃を強攻したからだろ。
平壌の戦いの勝利で日本側の強さを侮った李家軍は、火力主体の
左軍や右軍と連携を図らず、李家軍だけで京城を落とせると過信した
その結果の大敗だったといっているんだが。
379世界@名無史さん:2011/06/11(土) 14:15:12.44 0
うん。李如松の油断が大敗の主な原因であってると思うよ
そこに異論はないけど

まあ、侮ったとか地面がぬかるんでたとか敗北の言い訳にもならないけどね
そういうのも含めて計るもんでしょ、軍隊の強さっていうのは
それに「火軍が馬軍よりも強い」などという間抜けな理屈の根拠にもならないw
380世界@名無史さん:2011/06/11(土) 14:27:13.08 0
戦争は結果だな

経験を利用できず国家や人が死んでしまう可能性あるから
内容がよくても意味がない
381世界@名無史さん:2011/06/11(土) 14:27:31.94 0
>まあ、侮ったとか地面がぬかるんでたとか敗北の言い訳にもならないけどね
>そういうのも含めて計るもんでしょ、軍隊の強さっていうのは
上の方で「モンゴルや女真をたびたび討伐し精鋭無比を謳われた李家軍」
として持ち上げられているじゃん。
382世界@名無史さん:2011/06/11(土) 14:33:05.08 0
禁軍ろうがバテレン軍だろうが、ぬかるんだ場所で突撃とかすれば身動きでずに大敗すると思うよ。
383世界@名無史さん:2011/06/11(土) 14:48:28.42 0
>まあ、侮ったとか地面がぬかるんでたとか敗北の言い訳にもならないけどね
>そういうのも含めて計るもんでしょ、軍隊の強さっていうのは
「モンゴルや女真をたびたび討伐し精鋭無比を謳われた李家軍」
として持ち上げられているじゃん。
その割には状況認識が甘いんだが。
李家軍の主将が李如松でなくその父の李成梁だったら戦況は違って
いただろうな。
結局、李

384世界@名無史さん:2011/06/11(土) 23:11:49.39 O
別のスレだけど
「日本の旧軍は強かった。ただ、上層部の連中が無能だっただけ」
「いや、そんな上層部がいる時点で弱いだろ」
って議論があったな、
かみ合わないまま荒れる
385世界@名無史さん:2011/06/11(土) 23:42:34.06 0
>>383
馬鹿じゃないの?勝敗は兵家の常と言うだろ
信玄や謙信だって敗北したことはある
李如松が碧蹄館で手痛い敗北を喫したのは事実だが、
寧夏の平定戦で多大な戦功を上げた名将であることも事実
朝鮮役では平壌を回復して日本軍の防衛線を後退させてる
朝鮮の雑魚武将よりはよっぽど活躍してるよ
386世界@名無史さん:2011/06/12(日) 05:19:39.43 0
李さんちの兵隊は強かったよ。
ただ指揮がまずかったから碧蹄館で大敗したよ。
387世界@名無史さん:2011/06/12(日) 11:37:46.53 0
>>385
平壌を回復したのは決定的な勝利だな
388世界@名無史さん:2011/06/12(日) 18:13:42.05 0
なんか、どうしてでも朝鮮役の明軍を過小評価したがる奴がいるな。
わかるよ、「こんな二線級の雑魚に苦戦した日本軍よわっ!w」って言いたいんだろ?
でも、残念ながら事実は逆で、李如松は明代の著名な名将の一人であり、
彼が率いた遼東兵も当時の第一線級の精鋭なんだな
で、その精鋭と日本軍はガチでやりあって勝っちゃったんだな。残念ながら
389世界@名無史さん:2011/06/12(日) 22:55:41.48 0
日本軍が強かったからではなく
朝鮮半島の日本と似た狭隘な地形が歩兵+小銃の日本軍に有利に働いたらしいね
逆に遼東を越えて満州の大平原で開戦したら騎兵+大砲の明軍に文字通り
殲滅されていただろうね
390世界@名無史さん:2011/06/12(日) 23:11:24.31 0
>>389
どう妄想してるのか知らんが、開平地なら長射程の銃が主力の
日本勢が完全にアウトレンジして殲滅してるだろ。
391世界@名無史さん:2011/06/12(日) 23:15:44.56 0
「成梁だったら」「火軍を連れていたら」「大平原で開戦したら」
いつもたらればの話ばっかだなw
泣き喚いてないで結果を見ろよ。碧蹄館だけでなく
稷山でも蔚山でも泗川でも明軍は野戦で負けてるじゃんw
392世界@名無史さん:2011/06/12(日) 23:21:52.97 0
>>390
徒歩移動の「備」なんて明軍の大砲の集中砲火の前ではいい標的だろうなあ
393世界@名無史さん:2011/06/12(日) 23:22:27.72 0
というか、当時の大砲って炸裂弾ではなくてただの鉄球が主流でしょ
城攻めならともかく、野戦でさほど役に立ったとは思えん
仮に大平原で開戦できたとしても、>>390が言うように
日本軍の火縄銃の餌食になるのでは
394世界@名無史さん:2011/06/12(日) 23:30:51.28 0
野戦では大砲がいかせないね。持ってこれないし、もってくるなら機動性がなくなる
野戦築城も必要。
395世界@名無史さん:2011/06/12(日) 23:34:33.59 0
>>388
李家軍が精鋭なのは同意だが
李如松が名将だあることには異論がある。
従一品太子太保まで昇進した著名な将軍
という意味で名将というんならわかるが、
華々しい戦績を残した著名な将軍という意味
で名将というんなら異論ありだ。
李如松なんて碧蹄館の戦い以前はおろか
以後もたいした戦績を残してない。

396世界@名無史さん:2011/06/12(日) 23:37:59.57 0
>>391
蔚山(城)の戦いや泗川(城)の戦いは
お前の脳内では野戦になっているんだ(笑い)
それに稷山の戦いは日本軍3万人に対し明軍は4千人
なんだが(笑い)
397世界@名無史さん:2011/06/12(日) 23:56:49.31 0
>>391
大体、日本軍が明軍より強かったら
そして、明軍もそれを認識してるなら、
どうして、文禄の役でも慶長の役でも
明軍の本格参入以降日本勢は占領地を
放棄して朝鮮半島南岸の日本海側に撤退
してるんだよ。
朝鮮半島の食糧事情を言い訳にするけど
それなら明軍や朝鮮義兵も条件は同じだろ。
明軍や朝鮮義兵より明らかに強いとお前らが
妄信してる日本軍が一方的に占領地を放棄して
朝鮮半島南岸の日本海側に撤退する言い訳になって
ない。

398世界@名無史さん:2011/06/12(日) 23:58:05.20 0
>>395
とりあえず中国の百度百科には「明朝名将」とあるけどな
http://baike.baidu.com/view/70277.htm

戦績なら寧夏と平壌大捷で十分だろ
399世界@名無史さん:2011/06/13(月) 00:06:36.48 0
>>396
蔚山でも泗川でも篭城戦と城外での野戦の両方が行われてるんだが
まさかそんなことも知らずに書き込んでたの?

>>397
どんなに強力な軍隊があろうが、現地に協力組織を得られなければ外征は失敗する
朝鮮の統治に失敗して戦略が破綻してたんだから、どっちみち結果は撤退だったろうよ
あと明軍と朝鮮ゲリラは少なくとも現地の協力は得られるだろ。
朝鮮王朝が明軍のために必死こいて食糧かき集めてたの知らないの?
「懲録」くらいは読めw
400世界@名無史さん:2011/06/13(月) 00:08:09.08 0
>>391
当時の海洋輸送技術ではまともに補給できないし
さらになれない風土病だのある
ナポレオンさえ現地調達だったから
401世界@名無史さん:2011/06/13(月) 00:17:22.83 0
>>396
その理屈だと世界史上で成功した征服戦
はすべて現地の協力組織のおかげで征服
できたわけだ(笑)
アレキサンダーのペルシャ征服も(笑)
カエサルのガリア征服も(笑)
第一次十字軍の征服も(笑)
チンギスハーンやナポレオンの一連の征服戦も(笑)



402世界@名無史さん:2011/06/13(月) 00:18:31.42 0
>>399
その理屈だと世界史上で成功した征服戦
はすべて現地の協力組織のおかげで征服
できたわけだ(笑)
アレキサンダーのペルシャ征服も(笑)
カエサルのガリア征服も(笑)
第一次十字軍の征服も(笑)
チンギスハーンやナポレオンの一連の征服戦も(笑)

403世界@名無史さん:2011/06/13(月) 00:28:12.42 0
>>399
おまえ的にはそれを野戦にカウントするんだ。
俺的にはあくまでも篭城戦の一部と見るけど(笑)
404世界@名無史さん:2011/06/13(月) 00:28:44.25 0
朕に北顧の憂いなし
405世界@名無史さん:2011/06/13(月) 01:30:46.53 0
>>401
トンスルでも飲んで落ち着きたまえ
406世界@名無史さん:2011/06/13(月) 02:59:16.80 0
ナポレオンは兵站無視、機動戦が一番で大成功した武将だけど
ロシアではそれが致命傷になったよ。
秀吉みたいな兵站マニアとは対極の武将だな。
407世界@名無史さん:2011/06/13(月) 09:40:40.24 O
>>406
軍隊を機動させるには兵站の整備が必要です。
兵站の整備されていない軍隊同士が戦わば、兵糧矢弾のある町を一個づつ奪い合う戦いになります。
408世界@名無史さん:2011/06/13(月) 12:06:59.57 0
>>401
落ち着いて世界史を勉強し直せ
あと軍事史の知識も少しくらい付けろ
いつまでも武力のみで征服地を支配し続けることはできない

>>403
蔚山では城外の援軍が襲い掛かって明軍壊走、三十里に渡って追撃されてるし
泗川じゃ城外へ打って出た島津勢が明軍を壊走させ、望晋まで退いて防ぎとめようとした明軍も撃破
さらにはるばる南江の岸まで追撃してる。この部分はどこからどう見ても野戦だろw
409世界@名無史さん:2011/06/13(月) 12:19:43.99 0
>>395
李如松が名将なら諸葛亮でも国士無双クラスの超名将だよなw
410世界@名無史さん:2011/06/13(月) 12:50:12.45 0
諸葛亮は優秀な政治家であり、有能な野戦指揮官だよ。
国士無双といっても良い。
411世界@名無史さん:2011/06/13(月) 13:19:57.75 0
>>408
お前が蔚山(城)の戦いや泗川(城)の戦い
を野戦だと妄信するのならそれでいいや(笑)
でもさもともとはおまえが日本軍の方が明軍より強いと主張して
>稷山でも蔚山でも泗川でも明軍は野戦で負けてるじゃん
ていったことがそもそもの始まりなんだが
なぜ朝鮮半島南部を征服するために14万〜18万もの大軍で
海を渡って攻め込みながら自分より弱い明軍相手に倭城
に立て篭もって戦っているんだ?
野戦で強い方が立て篭もる城に弱い方が攻め込むって変な話だな。
412世界@名無史さん:2011/06/13(月) 13:24:04.01 0
14万人も常に駐屯してないぞ。
攻勢かけた後は居残り部隊で南部の橋頭堡の守りを固める戦略で、
明朝鮮連合軍の総反撃は失敗して朝鮮軍は再起不能のダメージ受けてるし、
秀吉の戦略大成功じゃん。
413世界@名無史さん:2011/06/13(月) 13:29:55.37 0
慶長の役って倭城をめぐる攻防戦に終始していたように思いがちだけど
日本側が講和交渉で要求していた朝鮮南部の割譲を武力により達成しるために
始めた戦争なので、最初は日本側が下記のように攻勢に出ていた。
http://image.blog.livedoor.jp/kamuraitao/imgs/1/a/1ae09e65.png
開戦以来日本側は連戦連勝で朝鮮南部の占領は目前だったが、ここで文禄の役同様
明軍が本格的に参戦してきた。
日本側は防御拠点の無い内陸で戦うのは不利と、もといた南岸に撤退し、倭城に籠城し、明・朝鮮側の攻勢を凌いだ。
http://image.blog.livedoor.jp/kamuraitao/imgs/f/c/fc68063b.png
結局再度の攻勢に転じられないまま秀吉の死後撤退するまで南岸の倭城に籠城し続けた。
http://image.blog.livedoor.jp/kamuraitao/imgs/d/c/dc1b565e.png
以上が慶長の役の大まかなあらすじだ。
414世界@名無史さん:2011/06/13(月) 13:42:13.76 0
>>411
全体としては「篭城戦」でまとめていいと思うけど
野戦もあったってことを言ってるんだが。日本語わかりますか?

>>でもさもともとはおまえが日本軍の方が明軍より強いと主張して
はあ?俺がいつそんなこと言ったんだ?朝鮮役では日本軍が勝ち越したが
勝負は時の運。平壌大捷を見ればわかるように明軍にも勝算はあった

>>なぜ朝鮮半島南部を征服するために14万〜18万もの大軍で
海を渡って攻め込みながら自分より弱い明軍相手に倭城
に立て篭もって戦っているんだ?

拠点構築を進めてたんだろ
文禄の役の際に築いた倭城(一時的な橋頭堡的性格が強い)とは違う、
半永久的に維持できる近世城郭の構築が進められていた
また、全羅道・忠清道掃討を見ればわかるように、この頃には
文禄の役の時のように土地の征服にはこだわらず、攻めては引いて
敵を消耗させる戦法に切り替えている
なので、秀吉が死ぬまではおおむね日本軍の予定通りに進んでる
415世界@名無史さん:2011/06/13(月) 13:49:04.77 0
ソウルのあたりまで攻勢をかける→南部に城を作る→どうだ南部はもう取り戻せまい、朝鮮南部は俺のものだ
って作戦だろ?不利だから南部に撤退したなら何で毛利とか帰っちゃうわけ?
416世界@名無史さん:2011/06/13(月) 14:06:15.99 0
5万とか6万の居残り部隊で10万を超える明朝鮮軍の反撃を撃退したのだから秀吉の作戦大当たりじゃん。
417世界@名無史さん:2011/06/13(月) 14:33:21.72 0
そうやって既成事実を作っていく作戦なんだね。
わりといいプランだと思うよ、秀吉の年齢を抜きにすれば。
418世界@名無史さん:2011/06/13(月) 22:47:52.80 0
>>414
じゃあ、お前に聞くけど慶長の役の初期に
日本軍が大挙して内陸に攻め込んでたのは
なんで?(笑)
http://image.blog.livedoor.jp/kamuraitao/imgs/1/a/1ae09e65.png
それが稷山の戦いの勝利後、明軍から逃げるように元いた朝鮮半島南岸
の日本海側に撤退したのはなんで?(笑)
>文禄の役の時のように土地の征服にはこだわらず、攻めては引いて
>敵を消耗させる戦法に切り替えている
まさかコレがその回答じゃないと思うけど、もしこれが回答ならさ、
ついでにこの戦法についての裏づけ資料も出してくれよ(笑)
419世界@名無史さん:2011/06/13(月) 23:28:27.37 0
朝鮮の領土や水軍拠点を荒らしまわるためじゃね?
特に明軍に圧迫されてもいないのに、南岸に撤退してお城作ったら毛利も宇喜多も帰っちゃうんだぜ。
明の参戦で北進できなかった文禄の役とは様子が違うぜ。
420世界@名無史さん:2011/06/13(月) 23:48:01.14 0
>>418
秀吉の作戦支持が「立花文書」慶長二年二月二十一日の朱印状に残ってるんだが

一、赤国不残悉一篇ニ成敗申付、青国其外之儀者、可成程可相動事。
・・・全羅道を残さず悉く成敗し、さらに忠清道やその他にも進攻せよ。

一、右動相済上を以、仕置之城々、所柄之儀各見及、多分ニ付て、城主を定、則普請等之儀、爲帰朝之衆、令割
符、丈夫ニ可申付事。
・・・それが済んだら仕置きの城を築き、在番の城主を決めてそれ以外は帰国せよ。

一、自然大明国者共、朝鮮都より、五日路も六日路も大軍ニて罷出、於陣取者、各談合無用捨可令註進、
御馬廻迄にて、一騎かけニ被成御渡海、即時被討果、大明国迄可被仰付事、案之内候之條、於由断者可爲越度事。
・・・大明の軍勢を朝鮮南部に誘い出して殲滅し、その後大明に進撃せよ。

文禄の役で土地の征服にこだわって兵力を分散させてしまった反省から、慶長の役では
「仕置きの城」を拠点にして在番と帰国の兵力を定期的に入れ替え、
敵に打撃を与えては引き上げるヒットアンドアウェイの戦略を取るつもりだったと考えられる
実際、全羅道・忠清道の征伐を予定通り終えた日本軍は沿岸部に戻り、「仕置きの城」の築城に取り掛かってる
そして三路の戦いで明朝の11万の大軍を三城それぞれで撃破と。
こうして見るとすべて秀吉の支持通りに事が進んでるなw
稷山の戦いはそんな中起こった遭遇戦であり、たかだか四千人程度の明軍が日本の大軍に蹴散らされたというだけで
日本軍の行動自体にはなんら影響を与えていない
421世界@名無史さん:2011/06/13(月) 23:52:09.45 0
>>419
あのさー、朝鮮半島南岸の日本海側って
すでに文禄の役で占領し、講和交渉中にも
倭城を建設していたんだよ。
わざわざ慶長の役の初期に血を流して
手に入れた占領地を放棄してまで元いた占領地に
戻って倭城を増設をする意味がわからない。(笑)
あくまでも
>文禄の役の時のように土地の征服にはこだわらず、攻めては引いて
>敵を消耗させる戦法に切り替えている
と言い張るんならせめて秀吉の命令書を提示してくれよ(笑)
422世界@名無史さん:2011/06/13(月) 23:54:55.45 0
>>421
俺とそれかいた奴は別人だが、>>420に資料あるみたいだぞ。
野戦軍をおびき出して叩くことが目的ならまさに作戦通りじゃん。
423世界@名無史さん:2011/06/13(月) 23:55:57.00 0
>>420のあとにンなカキコしてる>>421、スゲー頭悪そうだなw
424世界@名無史さん:2011/06/13(月) 23:59:49.88 0
>>420
あのさー、この文章のどこに占領地を放棄して
元いた沿岸部に城を作れって読めるんだよ(笑)
素直に読めば
>全羅道や忠清道やその他にも進攻して
仕置きの城を作れって意味じゃねえか(笑)

425世界@名無史さん:2011/06/14(火) 00:03:19.36 0
>>420
あのさー、この文章のどこに占領地を放棄して
元いた沿岸部に城を作れって読めるんだよ(笑)
素直に読めば
>全羅道や忠清道やその他にも進攻して
仕置きの城を作れって意味じゃねえか(笑)
占領地を放棄して元いた朝鮮半島南岸の日本海側
に撤退して仕置きの城を作れなんて読めねねぞ(笑)

426世界@名無史さん:2011/06/14(火) 00:05:24.11 0
>>424
>>421
頭が悪そうなんで赤くしてやろう。
427世界@名無史さん:2011/06/14(火) 00:11:10.40 0
>>420
あのさー、この文章のどこに占領地を放棄して
元いた沿岸部に城を作れって読めるんだよ(笑)
素直に読めば
>全羅道や忠清道やその他にも進攻して
仕置きの城を作れって意味じゃねえか(笑)
>文禄の役の時のように土地の征服にはこだわらず、攻めては引いて
>敵を消耗させる戦法に切り替えている
コレについてのソースではないな(笑)
428世界@名無史さん:2011/06/14(火) 00:14:55.45 0
>>427
落ち着け馬鹿なのはばれている

420の最後の文を読んで
>>425が論破されると思って修正したな
429世界@名無史さん:2011/06/14(火) 00:19:40.91 0
>>420
>秀吉の作戦支持が「立花文書」慶長二年二月二十一日の朱印状に
>残ってるんだが
この朱印状の内容って結局は朝鮮半島南部を速やかに占領し
仕置きの城を作って城主を定めたら、城普請に関わった大名は
撤退しろ。
そして明軍を迎え打てってことだろ。(笑)


430世界@名無史さん:2011/06/14(火) 00:30:32.58 0
>>425
>>占領地を放棄して元いた朝鮮半島南岸の日本海側
に撤退して仕置きの城を作れなんて読めねねぞ(笑)

じゃあ全羅道・忠清道を掃討した後諸大名が一斉に築き始めた城郭群は一体何なの?w
秀吉の支持通書通り定められた在番の大名がこれらの城に居残ってるけど、それでも「仕置きの城」じゃないと言うのか?w

無知なようだから教えてあげるけど、文禄の役の倭城と慶長の役の「仕置きの城」は本質的に違う
文禄の倭城はおおむね補給拠点の確保を目的とした「つなぎの城」であり、一時的な使用を想定していた
そのため朝鮮の城郭を改造するなどやっつけ仕事の城が多い

一方、慶長の「仕置きの城」とは豊臣政権の直轄的な支城として新規に築かれた純日本風の近世城郭であり、
総構や本丸、二の丸、三の丸を備え天守や多聞櫓まで配備していた
多くは船着場があり、本土からの軍勢が容易に出入りできるようになっている
そのへんの違いも知らずに書き込むから馬鹿を晒すんだよw
431世界@名無史さん:2011/06/14(火) 00:48:14.55 0
>>430
お前それまじめに言ってるの?
もしまじめに言ってるなら重症だな。
朝鮮半島南岸の日本海側は文禄の役から
占領してるんだぞ。(1592年ころ)
それから5年近くも経った1597年6月からの
慶長の役で14万以上の軍勢を投入した目的が
沿岸部の倭城の増改築だというのかよ。
それに6月〜9月までの攻勢についてはどう説明するんだ。
http://image.blog.livedoor.jp/kamuraitao/imgs/1/a/1ae09e65.png
お前の提示したした資料を素直に読むと
>一、赤国不残悉一篇ニ成敗申付、青国其外之儀者、可成程可相動事。
>・・・全羅道を残さず悉く成敗し、さらに忠清道やその他にも進攻せよ。
このあたりだけど明軍が侵攻してきたら速やかに撤退しろとの命令はどこを
読めばいいんだ?
ましてこのあたりの主張については
>文禄の役の時のように土地の征服にはこだわらず、攻めては引いて
>敵を消耗させる戦法に切り替えている
お前の提示した資料のどこを読めばいいんだ?

432世界@名無史さん:2011/06/14(火) 00:55:16.17 0
>>431

>文禄の役の時のように土地の征服にはこだわらず、攻めては引いて
>敵を消耗させる戦法に切り替えている
>お前の提示した資料のどこを読めばいいんだ?

http://kindai.da.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/936356/129
↑ここで「立花文書」三月十三日付けの朱印状が読めるぞ!
これによると秀吉の戦略は仕置きの城を拠点として2、3年に一度大軍を渡海させて侵攻し、
それを繰り返して敵を疲弊させるという気の長い計画だったようだ
「来年はご人数を指し渡し高麗都まで進攻する」とあるように、慶長4年にも大規模な進行が計画されていた
どう見ても「攻めては引いて敵を消耗させる戦法」ヒットアンドアウェイだよなあ。違うか?
433世界@名無史さん:2011/06/14(火) 00:58:07.28 0
あと

>慶長の役で14万以上の軍勢を投入した目的が
>沿岸部の倭城の増改築だというのかよ。

文禄の「つなぎの城」と慶長の「仕置きの城」は本質的に違うと>>430で書いたはずだが
ちゃんと読めよ
434世界@名無史さん:2011/06/14(火) 01:07:25.06 0
>>433
それってお前の妄想だろ。
それともそれを裏付ける資料でも
あるのか?
435世界@名無史さん:2011/06/14(火) 01:09:54.83 0
>>433
どのへんが妄想?具体的に頼む
436世界@名無史さん:2011/06/14(火) 01:16:57.22 0
>>433
>文禄の「つなぎの城」と慶長の「仕置きの城」は本質的に違うと>>430で書いたはずだが
そのとおり、文禄の「つなぎの城」と慶長の「仕置きの城」は本質的
に違うだろう。
文禄の「つなぎの城」が沿岸部に築城したのに対して、
慶長の「仕置きの城」は内陸部に築城するつもりだっただろ。
それが明軍の本格的反攻が予想外に早かったんで「仕置きの城」
を作る暇もなく沿岸部に撤退した、これが事実だ。
けっして明軍をおびきよせるために沿岸部に撤退したんじゃない(笑)
437世界@名無史さん:2011/06/14(火) 01:49:55.90 0
>それが明軍の本格的反攻が予想外に早かったんで「仕置きの城」
>を作る暇もなく沿岸部に撤退した、これが事実だ。

な、なんだってー!?

明軍の本格的反抗って一体何だ?まさか稷山の戦いのことか?
稷山の戦いの時点で明軍は半島全土に一万七千人ほどしかおらず、
稷山にもたったの四千人しか投入できていない
しかも日本軍に蹴散らされると慌てて漢江まで防衛線を後退させてる
(賊勢已迫, 京城闊大, 守禦未固, 沿江列守, 其勢最重。 安危、成敗,
決於江上, 而但令 崔遠 守備, 凡事疎虞, 極爲寒心・・・「宣祖実録」三十年九月九日)

「仕置きの城を作る暇もなく沿岸部に撤退した」?
馬鹿を言うな。稷山で明軍を大破した日本軍右軍はそのまま悠々と安城・竹山方面へ進軍して
忠清道の掃討という戦略目標を達成してから南岸部へ帰還してる
これのどこが「明軍の本格的な反攻」なんだ?w
438世界@名無史さん:2011/06/14(火) 03:07:30.01 0
教科書では明や義兵の抵抗で戦線が膠着した事になってるな。
しかし10万の兵を押し戻すような明軍がいなかった以上、それは嘘だったのか。
439世界@名無史さん:2011/06/14(火) 07:20:13.27 0
>>437
お前って見苦しいなー
話を摩り替えてごまかそうって魂胆か(笑)
>文禄の役の時のように土地の征服にはこだわらず、攻めては引いて
>敵を消耗させる戦法に切り替えている
これについてのソース出せばいいだけジャン(笑)
話を摩り替えても無駄だから(爆笑)
440世界@名無史さん:2011/06/14(火) 09:05:47.21 0
俺は>>420と別人だけど、420に書いてね?城作ったら帰国組みは帰国しろ。
そうすると自然と明軍は朝鮮の都からはるばる出撃して来るから、そいつらぶっ叩けって。
明軍を撃滅したら進撃しようぜって。

俺は漢文とか苦手だけどさw
441世界@名無史さん:2011/06/14(火) 09:08:07.19 0
>>439

はあ?>>432でソース教えてあげてるじゃん。
寝ぼけてんのか?w
ほれ、「立花文書」三月十三日付けの朱印状w↓
http://kindai.da.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/936356/129
442世界@名無史さん:2011/06/14(火) 09:12:20.80 0
>>437
お前に質問があるんだ
>秀吉の作戦支持が「立花文書」慶長二年二月二十一日の朱印状に残ってるんだが
この朱印状で
>一、右動相済上を以、仕置之城々、所柄之儀各見及、多分ニ付て、城主を定、則普請等之儀、爲帰朝之衆、令割
>符、丈夫ニ可申付事。
この部分をお前は沿岸部の防衛を強化する命令だと主張し、
慶長4年以降に本格的な進攻を行う予定だったということだけど
当然、明・朝鮮軍もその間に内陸部の防衛も強化してるはずだが、
それだと慶長4年の再進攻に際し、文禄の役の晋州城合戦のように
占領するにも味方に多くの犠牲が出たり、幸州山城合戦のように敵に
撃退されるような戦いを多く経験することになると思うけど。
そのあたりを秀吉はどう考えていたの。
443世界@名無史さん:2011/06/14(火) 09:15:41.44 0
まさか明・朝鮮軍は内陸の防衛を強化もせず、
しゃにむに沿岸部に撤退した日本軍を攻撃すると
思っていたの。
もしそう考えていたならろくな作戦じゃないな。
444世界@名無史さん:2011/06/14(火) 09:25:37.98 0
実際、明朝軍は沿岸部に撤退した日本軍をしゃにむに攻撃してるだろ
秀吉の予想敵中じゃん
445世界@名無史さん:2011/06/14(火) 09:38:28.96 0
≫444
俺が言いたいのは明・朝鮮軍が内陸部の防衛力の
強化を図っていることを秀吉は想定してなかったのか?ってことだよ。
お前の主張では想定してなかったっぽいから
慶長4年の再進攻では文禄の役の晋州城合戦のように占領するにも味方
に多くの犠牲が出たり、
幸州山城合戦のように敵に撃退されるような戦いを多く経験することに
なるだろうな。
ずいぶん間抜けな作戦だね。
446世界@名無史さん:2011/06/14(火) 09:44:42.51 0
ちゃんと根拠となる資料を出した相手に言いがかりだけでなく、挙句に秀吉の脳内を教えろとかw
少なくとも明に圧迫されて南岸に撤退したって自分の主張の根拠を出さないと駄目だろ。
447世界@名無史さん:2011/06/14(火) 09:50:51.15 0
>>444
俺が言いたいのは明・朝鮮軍が内陸部の防衛力の
強化を図っていることを秀吉は想定してなかったのか?ってことだよ。
お前の主張では想定してなかったっぽいから
慶長4年の再進攻の成否はわからんけど、文禄の役の晋州城合戦のように
占領するにも味方に多くの犠牲が出たり、幸州山城合戦のように敵に撃退
されるような戦いを多く経験することになるだろうな。
慶長2年の進攻の際はあまり損害も出さずに占領したのに慶長4年の再進攻
では多くの損害の上に再占領できるかどうかもわからない。
お前の主張のとおりだとずいぶん間抜けな作戦だね。
448世界@名無史さん:2011/06/14(火) 10:30:00.90 0
>>446
お前が出してきた慶長2年の立花文書での秀吉の命令は
>・・・全羅道を残さず悉く成敗し、さらに忠清道やその他にも進攻せよ。
>・・・それが済んだら仕置きの城を築き、在番の城主を決めてそれ以外は帰国せよ。
>・・・大明の軍勢を朝鮮南部に誘い出して殲滅し、その後大明に進撃せよ。
これを素直に読めば朝鮮半島南部四道を速やかに占領し、占領用の倭城を築いて
城主となる大名を決めたらそれ以外の大名は撤退しろ、そして明軍の来襲を
迎え撃って撃退し、明国まで攻め込め、としか読めないんだが。
このどこにせっかく占領した朝鮮半島南部4道を放棄して元いた沿岸部に撤退し、
そこにある倭城の増改築を命じて、明軍の来襲を撃退しろ、的な解釈になるんだ?
449世界@名無史さん:2011/06/14(火) 10:58:09.92 0
>>448
それ出したの俺じゃねぇけどな。
まぁそんなことより、俺が聞いてるのは明に圧迫されて撤退したっていうお前の主張の根拠だよ。
日本軍を退却に追い込んだのはどの部隊だ?
450世界@名無史さん:2011/06/14(火) 11:19:31.47 0
>>448
でもここまで消極的な戦法は秀吉らしくないし時間もかかる
島津攻めでさえ秀吉兄弟が出陣すれば短期間で終わったし四国攻めは秀吉抜きで楽勝だった
秀吉は相当明軍を警戒してるのは間違いない
451世界@名無史さん:2011/06/14(火) 11:20:23.39 0
当初の命令が再占領した南部4道に倭城を複数構築し、
その倭城を守る大名を選んで、それ以外の大名は撤退しろ
との命令なんだから南部4道の再占領後、倭城の構築前に
明・朝鮮軍が来襲するという想定外の出来事が起きたので、
わざわざ勝利の覚束ない野戦や朝鮮式城邑での籠城戦を取らず
占領地を放棄して沿岸部に撤退しても命令違反にはならない。
特定の部隊とかではなく、明・朝鮮軍の本格的反抗を知り、
全軍戦わずに撤退したんだよ。
慶長の役に派遣された諸大名も文禄の役での失敗から秀吉の命令に対し
シビアに対応するようになったんだろ。
452世界@名無史さん:2011/06/14(火) 11:43:00.09 0
そうか、いったいどこで築城を始めてたんだ。
作りかけの城はどこ?
453世界@名無史さん:2011/06/14(火) 12:04:16.57 0
>>452
そんなことは知らん!
明軍の来襲が早すぎてまだ、築城工事を始めていなかったかもしれないし、
人の多く住む内陸部だから城址は壊されてなくなったのかもしれない。
ただ、慶長2年の立花文書から言えることは秀吉本人が明軍の実力を大変
評価していたことだ。
すでにある朝鮮式城邑ではなく、安土桃山時代に確立された日本式城郭を
構築して明軍を迎え打てとの命令からもそれはわかる。
その立場は朝鮮に派遣された諸大名も同じだ。
沿岸部に攻め込んできた明軍を日本式城郭で迎え打っている点からも
それはわかる。
454世界@名無史さん:2011/06/14(火) 19:01:59.17 0
>>452
和平交渉期から占領で増えた地域に築いた城だよ
455世界@名無史さん:2011/06/14(火) 20:08:50.82 0
>>453

>このどこにせっかく占領した朝鮮半島南部4道を放棄して元いた沿岸部に撤退し、
>そこにある倭城の増改築を命じて、明軍の来襲を撃退しろ、的な解釈になるんだ?

>明軍の来襲が早すぎてまだ、築城工事を始めていなかったかもしれないし、
>人の多く住む内陸部だから城址は壊されてなくなったのかもしれない。


おいおい、なんか慶長の役で沿岸部に築かれた城郭群は「仕置きの城」ではない、という前提で話が進んでないか?w
ご高説拝聴し恐縮なんだが、文禄二年の秀吉の朱印状にこう書いてあるぞ

「御仕置きは、領地を相抱えらるべき為にはこれ無く候の間、海辺に付いて然るべき所を見計らい、城々普請丈夫の申し付くべく候」
(小早川隆景宛朱印状 文禄二年七月十三日付け)

秀吉は「領地を相抱えらるべき為にはこれ無く候」という理由から
内陸ではなく沿岸部に「仕置きの城」を築くよう指示を出している
つまり南岸部に構築された城郭群こそが「仕置きの城」であり、
全羅道・忠清道を掃討した後南岸部に戻り拠点を構築、と日本軍の行動はすべて予定通り進行していたことになる
「内陸に仕置きの城を築きたかったけど明軍の襲撃にあって諦めた」なんて珍説は成立しない上に
「明軍の本格的な反攻により南岸部に撤退した」などという主張も成り立たない
残念だったなw
456世界@名無史さん:2011/06/14(火) 22:55:57.47 0
国力で勝る相手と戦うのだから妥当な判断だな。
「朝鮮出兵はもうろくじじいの誇大妄想」というのは嘘だった。
秀吉は死ぬ直前まで一流の武将だった。
457世界@名無史さん:2011/06/14(火) 23:09:35.91 0
>>455
慶長の役の話をしているのに文禄の役の際の朱印状を出してきて
なんの意味があるんだ。
それもソウルは明け渡し、明国との本格的な和平交渉のために
南岸に撤退しようとしている時期の小早川隆景宛朱印状に。
お前の脳内では文禄の役と慶長の役がゴッチャになっているんだな(笑)
お仕置きの城ってつまりは統治用の城の意味だぞ。内陸部だろうが
沿岸部だろうが統治用の城であればお仕置きの城だ。
ただ、慶長2年の立花文書での秀吉の命令は
>・・・全羅道を残さず悉く成敗し、さらに忠清道やその他にも進攻せよ。
>・・・それが済んだら仕置きの城を築き、在番の城主を決めてそれ以外は帰国せよ。
>・・・大明の軍勢を朝鮮南部に誘い出して殲滅し、その後大明に進撃せよ。
なんだぞ、すなおに読めば朝鮮南部を占領し、お仕置きの城を築けとしか
読めない。
文禄二年(1593年)七月十三日付けの朱印状で小早川隆景に命じて
占領統治を進めている沿岸部にわざわざ改めてお仕置きの城を作ることを
慶長2年(1597年)に立花宗茂に命じる必要があるんだよ(笑)

458世界@名無史さん:2011/06/14(火) 23:32:07.63 0
内陸部に城を作らなかったのは正解だろ。
居残り部隊は6万くらいしかいないのに、南部4道に広く分散させたら
スッカスカの迎撃体制じゃん。
459世界@名無史さん:2011/06/14(火) 23:55:21.00 0
|∀・).。oO( お仕置きの城ってナニ?w
460世界@名無史さん:2011/06/14(火) 23:59:39.98 0
>>457
休戦期間中に構築され始めた仕置きの城と慶長の仕置きの城は定義が同じと言いたかったんだが
>>431の書状にあるように在番と帰国の衆を定期的に入れ替え、そこを拠点に攻めては退くと
そのためには沿岸部に築く必要があった(領地を相抱えらるべき為にはこれ無く候の間)

以前「文禄のつなぎの城」「慶長の仕置きの城」と書いたから語弊があったが
厳密には「文禄の戦中のつなぎの城」「休戦期間以降の仕置きの城」で分けて考えるべき
この二つは築かれた目的が大きく異なる
461世界@名無史さん:2011/06/15(水) 05:12:39.32 0
>>457
休戦期の占領地域と比べて、慶長の役で占領地域は拡大してるじゃん。
蔚山、順天、泗川なんてのは慶長で進出した地域に築いた新城だよ。
462世界@名無史さん:2011/06/15(水) 09:54:05.14 0
慶長の役作戦計画

A案(慶長2年2月立花宗茂朱印状参照)
敵の警戒が手薄なうちに戦略目標の南部4道を速やかに占領し、倭城
を構築して明軍の反攻に備えろ。

B案(慶長3年3月立花宗茂朱印状参照)
(敵の警戒が手薄のうちに戦略目標の南部4道を荒らしまわれ、そして明軍の
反攻がある前に沿岸部に撤退し)倭城の増設をして慶長4年の再進攻に備えろ。
( )内は現実の歴史上の行動と朱印状の命令からの推測

実際の慶長の役を見るとA案は失敗しているのに対し、B案は秀吉の死により
永遠に可能性だけは残ったのでおまえらがB案押しなのはわかるけど、
客観的にはA案の方が優れているだろ。
A案が失敗したのは秀吉が明軍を恐れるあまり、防御拠点の構築に朝鮮式城邑
を利用せず、新たに日本式城郭を建設するように命じたことだ。
その為、明軍の反攻までに間に合わず、沿岸部に撤退することになった。
B案だとせっかく敵の手薄の内に占領した内陸部を放棄して、敵に南部4道が
手薄なことを教えてあげ、なおかつ慶長4年の再進攻までに防衛拠点の強化を
する猶予まで与えている。
当然、慶長4年からの再進攻に際しては、防衛拠点を強化した朝鮮式城邑が
日本軍の前に立ちはだかり、文禄の役での第二次晋州城合戦のように多くの
犠牲の上でようやく征服できるか、幸州山城合戦のように多くの犠牲を払った
上撃退されて失敗に終わるだろう。
463世界@名無史さん:2011/06/15(水) 09:56:24.19 0
もっとも慶長4年の再進攻は秀吉の死により中止されたのでB案成功の可能性
は永遠に残ったけどな(笑)
おまえらが頑なに慶長の役は当初からB案で行くつもりだったと主張している
のは『俺の秀吉がー、俺の秀吉がー、文禄の役に続いて慶長の役でも明・朝鮮
相手に負けるはずはねえー!もし秀吉が生きてたら慶長4年の再進攻で南部4
道を手に入れてたに違いない。』
と一縷の望みに託しているからだよな(笑)
それにしてもお前らと秀吉にとって朝鮮南部4道を征服するのってホント大変
なんだね。
何十万人もの兵を投入し、3〜4年もかけて、秀吉なんてその為に命が尽きちゃった
ほど大変なんだ。
120年にもわたる戦国時代で鍛えられてきた日本軍って朝鮮南部4道を征服
するのにも足かけ7年もかかり、天下人の命が尽きても達成できないなんて
なんかはずかしいね(笑)
464世界@名無史さん:2011/06/15(水) 12:42:43.42 0
もっとも「お前らの秀吉」だからきっと慶長4年には
自ら25万くらいの兵を率いて朝鮮にわたりそこに駐留してる
6〜7万の兵を吸収し、全軍30万人以上で内陸部への侵攻を開始するよ。
そしたらお前、明軍10万や朝鮮軍民数十万を相手にしても多分(笑)
遜色なく各地で朝鮮式城邑を陥落させてくれるはずだ。
なんたって「お前らの秀吉」は城攻めの達人だから。
30万人をいれば何万人か犠牲が出るだろうが、そんなのへっちゃらだよ、
念願の朝鮮半島南部4道を手に入れるんだったらおつりがでらー。
あれ、秀吉の念願って明国を征服することじゃあ?!(笑)
まあ、細かいことは言いっこなし。
8年越しで朝鮮半島南部4道は「お前らの秀吉」のものになるんだから。
「チョン、チャンコロ、見てるか! 俺たちの秀吉はお前らの抵抗を打ち破り
 念願の朝鮮南部4道をトッタドー!」
なんか想像するだけでもわくわくするな(笑)

とそんな妄想を永遠に続けていてくれ(笑)
465世界@名無史さん:2011/06/15(水) 12:53:25.76 0
>>462
>明軍の反攻までに間に合わず、沿岸部に撤退することになった

妄想で話を進めるなよw まず落ち着いてこれを見ろ。
慶長の役で南原城を攻略した日本軍左軍が全羅道井邑で軍議を開き、その結果を連署状として秀吉に送っている。

「一、先度全州より御使い衆へ申し上げ候如く、青国へ相働き、国中過半発向仕り、それより赤国のうち、相残るこほりこほり、
おのおの割府致し、発向仕る半ばに御座候、隙明き申し次第、御仕置きの城々、御普請に取り掛かり申すべき分に候事」
・・・全州会議で決まった通り、赤国(全羅道)と青国(忠清道)の掃討が終わり次第、仕置きの城々の普請に取り掛かるよ。

「一、御仕置きの城々、おのおの惣談相定まりし申し候、其れに就き、小西摂津守城の儀、最前はしろ国の内と御諚なられ候へども
、赤国順天郡内、所柄見合わせ候て、取り出し申すべく候事」
・・・小西行長の仕置きの城については全羅道の順天郡内に築く予定だよ。

言うまでもないけど、この時の日本軍は朝鮮水軍を殲滅して制海権を握り、南原・黄石山の両城を落として全州に無血入城するなど破竹の勢いの状態
つまり「明軍の反攻」を受ける前から、すでに仕置きの城は沿岸部に構築する方針だったということ
>>455で出した書状にある、秀吉の「海辺に付いて然るべき所を見計らい、城々普請丈夫の申し付くべく候」
という方針が慶長の役でも継続されていたことがわかる。なので>>420の書状にある「仕置きの城々」も
沿岸部の城を指していると解釈するのが自然。沿岸部への撤退とそこでの城郭郡構築は当初からの予定であり
「内陸部に仕置きの城を築け」なんて指示が出されたことは一度もないし、あるというのなら是非資料を見せていただきたいw
466世界@名無史さん:2011/06/15(水) 13:10:53.95 0
>120年にもわたる戦国時代で鍛えられてきた日本軍って朝鮮南部4道を征服
>するのにも足かけ7年もかかり、天下人の命が尽きても達成できないなんて
>なんかはずかしいね(笑)

じゃあ、大国の後ろ盾もない高麗一国を征服するのに28年もかかったモンゴル帝国はもっと恥ずかしいよねw
とりあえずお前に世界史の知識がないのはよくわかったw
467世界@名無史さん:2011/06/15(水) 17:44:26.52 0
なるほど政治的な思惑ってのが歴史をゆがめるのがよく分かるスレだ。
秀吉はもうろく爺でなければならず、その戦略は全部失敗したことにしないと駄目なのか。
468世界@名無史さん:2011/06/15(水) 17:56:10.65 O
しかしこのスレ見てると日本の教科書って捏造されてるのがよく分かる
469世界@名無史さん:2011/06/15(水) 18:16:48.92 0
徳川が朝鮮出兵に付き合わず、力をためたから天下とったみたいなこと書いてある本あるな
250万石は何なんだ
470世界@名無史さん:2011/06/15(水) 18:29:14.02 0
慶長の役の目標が野戦軍殲滅だなんてどの教科書も書いてないな。
それだと明朝鮮の総反撃を撃退して作戦が成功したことになるからまずいのか。
471世界@名無史さん:2011/06/15(水) 18:40:29.26 0
歴史教科書の記述だと慶長の役は
「ところは今度は朝鮮や明の激しい抵抗にあい、朝鮮南部から一歩も進むことができず・・・」
だもんなw 元寇と同じく、朝鮮役については世間にデタラメがまかり通っているのが現状
472世界@名無史さん:2011/06/15(水) 19:12:15.25 0
>>466
高麗はかつて契丹を退けた武の国だったが
李朝は腐敗してたどうしようもない国だった
473世界@名無史さん:2011/06/15(水) 19:21:31.94 0
武の国w
本当に歴史知らないんだな
474世界@名無史さん:2011/06/15(水) 22:17:59.96 0
>>471
俺も教科書の記述信じてた。
ソウルの前で進撃が止まってるから、きっとこのあたりで明軍の大部隊が出現したんだろうなって。
475世界@名無史さん:2011/06/16(木) 08:58:23.58 O
>>474
なぜか、押し返されて回頭撤退みたいな雰囲気で著述してあることが多いよな。
その後も年末まで二ヵ月くらい侵攻していた部隊もあれば、帰ってくる侵攻軍を収納するために新占領地に築城していた部隊もあったわけで。
476世界@名無史さん:2011/06/16(木) 20:59:44.61 0
日本軍は大勝利の連続だったらしいけど
なんで寸土たりとも結局得られなかったの?
477世界@名無史さん:2011/06/16(木) 21:10:36.77 0
馬鹿でもわかると思うけど上に書いてある通りじゃね?
478世界@名無史さん:2011/06/16(木) 21:30:03.62 0
いや、馬鹿だから解らないんだ
領土化したらいくら本国から撤退しろと言われても離れないと思うけど?
479世界@名無史さん:2011/06/16(木) 21:48:59.00 0
言葉通じない土地は支配したくはないなぁ
480世界@名無史さん:2011/06/16(木) 21:51:20.31 0
>>479
そりゃ戦国武士を舐め過ぎだろう
481世界@名無史さん:2011/06/16(木) 21:58:05.60 O
領土化しなかったから離れられたと思えばいいじゃん
482世界@名無史さん:2011/06/16(木) 22:03:05.45 0
もともと武士は土地を自分のものとして領有する権利はない
土地はあくまで民のもんでその土地から税金を取る権利だけがある
海外の貴族とはその辺が違う
483世界@名無史さん:2011/06/16(木) 22:09:14.87 0
だから日本軍が朝鮮で徴税権力を確立できなかったってことは
点(城)と線(街道)しか支配してなかったってことでしょ
それって負けも同然じゃないだろうか
484世界@名無史さん:2011/06/16(木) 22:42:42.20 0
そもそも朝鮮を取る気があったかどうかすらあいまいだ
秀吉は明確な目的がなかったから当然戦略もなにもなかった
無礼な明国に開戦して朝鮮は道案内せい程度の認識で
朝鮮自体を植民地化する目的があったかどうか
485世界@名無史さん:2011/06/16(木) 22:51:56.02 O
>>483
徴税権の確立を試みて失敗したって事?
486世界@名無史さん:2011/06/16(木) 23:23:03.80 0
朝鮮の統治に完全に失敗していたことは散々言われてるだろ
結局日本軍は戦闘ではいくら勝っても戦争には勝てなかったということ
まあ、この戦役自体勝者のいない戦争と言われてるけどな
487世界@名無史さん:2011/06/16(木) 23:35:31.91 0
大陸の戦争はどんな犠牲を払ってでも敵を追い出したら勝ちというものだから
李朝の防衛戦は勝利したと言えるだろうね
明を介入させたこと
焦土戦を行い現地調達を不可能にさせたこと
軍民の感情を日本への憎悪へと向けさせたこと
など戦略が全て日本を上回っていた
488世界@名無史さん:2011/06/16(木) 23:48:32.35 0
>>476
田舎者だったからだよ
逆らう連中は悉く皆殺しにして、その地に自国民かよその民族を入植させるぐらいのことはしないと
あと、捕虜や地元民を矢面に立たせて、相手を消耗させるぐらいのことすらしなかったから
統治出来ないなら全て殺しちまえ!って発想を現場の連中がしなかった。

死に狂いや、「武者は犬ともいへ、畜生ともいへ、勝つ事が本にて候」なんて言ってる割には
戦国時代ってある意味甘ったれな所があるから
489世界@名無史さん:2011/06/17(金) 00:12:27.44 0
>>488
海に守られた日本は、民族そのものの存亡をかけた殲滅戦の経験がない
490世界@名無史さん:2011/06/17(金) 00:19:46.62 0
>>487
ふーん、そう。それなら李氏朝鮮の大勝利と思っとけばいいんじゃない?
491世界@名無史さん:2011/06/17(金) 01:13:42.66 0
なんか>>487の脳内では、当時の李氏朝鮮指導部に
素晴らしい防衛戦略があったらしいな。w
492世界@名無史さん:2011/06/17(金) 02:10:50.22 0
なんか>>487って本場の鮮人の思考そっくりだな
本場の奴らも資料より妄想を重視して結論を出すんで現実との辻褄が合わなくなる
493世界@名無史さん:2011/06/17(金) 02:20:43.78 0
明史が分かりやすくまとめてる。
「自倭亂朝鮮七載,喪師數十萬,糜餉數百萬,中朝與屬國迄無勝算,至關白死而禍始息」
「中国と属国(朝鮮)に勝ち目はなかったが関白が死んで戦乱が終結した」と
494世界@名無史さん:2011/06/17(金) 09:43:20.23 0
明史は敵国の清が編纂した歴史書だから話半分
495世界@名無史さん:2011/06/17(金) 09:56:40.20 0
>>494
なんだそりゃ。不正確であるとの証拠ではないな
496世界@名無史さん:2011/06/17(金) 10:14:58.71 0
いや、清は現王朝(清)の正統性を強調するため、前王朝を基本的に貶めて書く
清に限ったことではないけどね
497世界@名無史さん:2011/06/17(金) 10:31:19.42 0
明史って中国正史の中では公正で評価が高いんじゃなかったっけ
498世界@名無史さん:2011/06/17(金) 10:53:52.14 0
>>494はコテつけて明史が不正確だという証拠を出してくれ
499世界@名無史さん:2011/06/17(金) 11:23:55.57 0
明にとっては南朝鮮を無理して奪還する必要は無かった
防衛線は平壌でも十分だからな
500世界@名無史さん:2011/06/17(金) 11:27:36.17 0
和平交渉が決裂したばかりで守備の手薄なうちに)戦略目標の南部4道に
攻め込め、ただし占領はせずに沿岸部に撤退し、倭城の増改築をして防御を固
め、明軍の反抗を迎え撃て、(慶長2年よりはるかに守備が厳重になる)慶長
4年の本格的攻勢に備えろ。

>秀吉はもうろく爺でなければならず、その戦略は全部失敗したことにしない
>と駄目なのか。
こんな戦略立てている時点で十分もうろく爺だ。
501世界@名無史さん:2011/06/17(金) 11:36:24.13 0
>>466
>じゃあ、大国の後ろ盾もない高麗一国を征服するのに28年もかかったモン
>ゴル帝国はもっと恥ずかしいよねw
>とりあえずお前に世界史の知識がないのはよくわかったw

モンゴルが高麗を征服した?
服属させたじゃなくて?
初耳だな(笑)
スレ違いだがモンゴルが高麗を征服するまでの28年間を時系列で
教えてくれよ(笑)
お前、世界史の知識にくわしいんだろ(笑)
502496:2011/06/17(金) 12:05:15.80 0
>497
そうだったのか、中国正史は全てひどく書かれてるって思ってた
503世界@名無史さん:2011/06/17(金) 13:10:01.30 0
酷いのは晋書の方。ある研究者なんかは、
「晋書は細かい所を間に受けずに大局的に読まないといけない」
とか中国史研究入門書に書いちゃうレベル

504世界@名無史さん:2011/06/17(金) 16:09:35.05 0
>>500
明朝鮮軍が大打撃受けてるから守りは手薄になる一方だぞ?
505世界@名無史さん:2011/06/17(金) 17:30:59.14 0
10 :名無しさん@社会人:2009/09/11(金) 01:27:16
ネトウヨ(netouyo people)の正しい語源

東アジアの民族。起源不明。李氏朝鮮で最下層の奴隷身分であったのを
朝鮮征伐の際に加藤清正が多数を解放し肥後国へ定住させた。
韓人、華人への恨(ハン)が根深いので、江戸幕府は民族の伝承を文字に
することを禁じた。
対馬国風土記によるとネト(根戸)、ウヨ(宇世)の二支族があるという。
今は習俗は和人におおむね同化しているが、火病を起こすと相手かまわず
「チ*ン」、「チ*ンコロ」などと罵ることで識別される。

参照 『日韓源流溯源』(昭和2年民明書房刊)
http://unkar.org/r/sociology/1251824562
506世界@名無史さん:2011/06/17(金) 17:42:18.57 0
>>504
突っ込みいれるのは勝手だが
よく人の文章を読んで理解してから
突っ込め
>(慶長2年よりはるかに守備が厳重になる)慶長
4年の本格的攻勢に備えろ。
507世界@名無史さん:2011/06/17(金) 18:01:07.58 0
>>505
お前もまた人を罵倒して精神の平衡を保つクズ。

しかし、韓国中国は国全体が歴史捏造のネトウヨか
508世界@名無史さん:2011/06/17(金) 18:35:12.67 0
>>506
まず防備が厚くなるって根拠がないぞ。
明朝鮮連合軍は慶長3年の総反撃が失敗して兵を失ってるから防備は薄くなるよ。
日本軍が多大な犠牲を払って力攻めせざるを得ない大城塞をどこに建てたんだ?
秀吉が元気いっぱいなら数ヵ月後には再侵攻して来るんだぞ。
509世界@名無史さん:2011/06/17(金) 18:45:16.02 O
>>483
朝鮮支配領域も反乱起きまくりだし、戦争のために絞りすぎて疲弊しているわけだが?
510世界@名無史さん:2011/06/17(金) 19:53:04.70 0
>>488
戦国時代って大した事無いよ
中国や欧州が偉大な戦略理論書や戦争哲学、国家論、国際論を生み出したのに
戦国なんて葉隠れとか五輪書みたいにサラリーマンの処世術程度の物しか
生み出せなかったんだから
朝鮮から叩き出されたのもむべなるかなって感じ
511世界@名無史さん:2011/06/17(金) 19:58:42.74 0
>>510
すごいな。単純に欧州全体と日本という地域区分を比較しているのみならず
戦国100年と欧州の数百年なのかなんなのか不明な時代区分を比較しているとは。


内容に踏み込むまでもなくお前が低能とわかる。
512世界@名無史さん:2011/06/17(金) 20:34:53.50 0
>>511
いや、だから挙げてみてよ
世界中の大学で教えられてる日本発の政治・軍事理論書を
一冊でも挙げれば百万言の罵倒より説得力があるよw
513世界@名無史さん:2011/06/17(金) 20:53:20.62 0
>>512
え?欧州全体と比較しているのが馬鹿って言ってんだが
さらに戦国は100年だよね。
数百年戦争続いたら戦争書もそりゃ出ないほうが変

100年しか戦争していず、その他の時代はおおむね平和の欧州の一国を抽出し、
かつその国家が軍事理論書を次々出しているなら
君の説は説得力あるんだが

細かく説明しないと馬鹿は理解できんのやなぁ。
514世界@名無史さん:2011/06/17(金) 21:40:51.49 0
>>513
日本は保元・平治の乱から元和偃武・島原の乱まで500年近く
断続的にあるいは恒常的に戦争してましたが何か?
その間一冊たりとも中国・欧州のものに匹敵する政治・軍事理論書はありませんが何か?
515世界@名無史さん:2011/06/17(金) 22:42:08.02 0
>>514
ん?
欧州みたいに民族存亡をかけた戦争でないのに何言ってんだ
しかも2勢力の対立が多い
すごく単純な勢力争いで構造が単純
欧州並みに群雄割拠の時代が続いたのは基本的に戦国

516世界@名無史さん:2011/06/17(金) 23:08:54.01 0
>>515
その通り。そこで>>510に戻る。
そういう単純で甘ったれた馴れ合い戦争を100年やったところで
平和ボケした李朝や腐りきった明にすら勝てないって事
517世界@名無史さん:2011/06/17(金) 23:11:35.95 0
どうやったら510のような結論に至るんだろ?
510の結論だと馴れ合いで戦争やってた国にシナはボコボコにされたということになるのに
518世界@名無史さん:2011/06/17(金) 23:21:03.81 0
>>517
「戦争」がシミュレーションゲームや火葬戦記と同じだと
思ってる人にはそういう感想しかでないだろうね
519世界@名無史さん:2011/06/17(金) 23:26:27.34 0
>518
「戦争」がシミュレーションゲームや火葬戦記と同じだと思ってるのは510でしょ?
520世界@名無史さん:2011/06/17(金) 23:31:57.32 0
そもそも、秀逸な政治・軍事理論書を生み出さないとダメって
一体何のギャグだ? という話なんだが
521世界@名無史さん:2011/06/18(土) 00:18:18.76 0
>>516
あたまワロス
戦国時代がたいしたことがなく
その理由として戦術論を生み出してないことの証明になっていないぞ。

>>510
>戦国時代って大した事無いよ
このたいしたことないってのは戦争哲学や、戦争技術が「たいしたことない」っていってんだろ
なぜなら
>戦略理論書や戦争哲学、国家論、国際論を生み出し
と続くから

>>516
の「たいしたことない」は
>甘ったれた馴れ合い戦争
といっているから
戦争の過激さが「たいしたことない」といっている


つまり「たいした事ない」が違う意味www


お前は主語を勝手に変えやがった。やっぱ「すごい」なお前
522世界@名無史さん:2011/06/18(土) 00:35:47.43 0
>>510
日本軍は朝鮮南部に城郭郡を築いて7年に渡って居座り、秀吉が死んでから悠々と引き上げたのに
お前の脳内では明・朝鮮軍が実力で叩き出したことになってるのか。凄いお花畑だなw
523世界@名無史さん:2011/06/18(土) 00:46:50.79 0
>平和ボケした李朝や腐りきった明にすら勝てないって事

そもそも明を過小評価し過ぎだな。当時の明は腐敗していたとはいえ
動員兵力世界一の軍事大国だぞ
524世界@名無史さん:2011/06/18(土) 02:18:14.66 0
こいつはイデオロギーに基づいてむちゃくちゃ言ってるだけだからな。
525世界@名無史さん:2011/06/18(土) 10:43:47.74 0
半島唯一にして最大の米作地帯・全羅道を占領しながら
本国からの撤退命令で即座に逃げ帰ってる時点で
何言っても説得力がないんだなあ
526世界@名無史さん:2011/06/18(土) 11:03:40.50 0
秀吉政権にまともな後継者がいれば
その理屈も説得力があったんだがな
527世界@名無史さん:2011/06/18(土) 11:09:48.08 0
>>525
全羅道は慶長の役初頭に掃討した後に、南東端の順天に
橋頭堡を残しただけで占領はしてないからその前提自体が
成り立ってないなw

ウリミンジョク史くらいまともに勉強しろよ。
528世界@名無史さん:2011/06/18(土) 11:26:54.26 0
>>465
>・・・小西行長の仕置きの城については全羅道の順天郡内に築く予定だよ。
小西行長についての仕置きの城が沿岸部の順天郡に作られたのはわかった。
ところで慶長の役に参加した他の大名の仕置きの城についても教えてくれ。

529世界@名無史さん:2011/06/18(土) 12:07:47.83 0
それにしても秀吉にとって、たかだか朝鮮半島の南部4道を征服するのって
本当に大変なんだね(笑)
文禄の役では16万〜20万人、慶長の役でも14万〜18万人
過去の世界史上でも稀な規模の武士団を投入し、足掛け7年もかかっても
征服できるめどさえ立たず、秀吉なんてその為に命が尽きちゃったけど
5大老・5奉行合議はその意思を継がずにさっさと撤退するんだから。
本当に朝鮮半島南部4道を征服するのは大変なんだね。(笑)
530世界@名無史さん:2011/06/18(土) 12:13:18.76 0
>>510
は反論できず逃亡してそしらぬ顔で煽りか。

相変わらず頭がわるい。
531世界@名無史さん:2011/06/18(土) 13:06:40.38 0
>>528
お前はいくら資料を教えてやっても自分で調べようともせず、
まだ教えろ、もっと教えろとそればっかりだな。クレクレ厨かw
いい加減疲れたから中野等の「秀吉の軍令と大陸侵攻」を読め
秀吉の書状や現地の諸将からの報告書などをまとめて解説してある
例えば>>465の書状なんかも全文が載ってる
お前のように無知なる者でも日本軍のおおまかな戦略がわかるだろうよ
532世界@名無史さん:2011/06/18(土) 13:12:39.24 0
>>529
島国の外征軍がアジアの超大国・明とその属国の連合軍とガチでやりあって
互角以上に渡り合ったんだから十分な戦果だと思うけどなw
無計画で戦略が拙かったとはいえ、戦国武士団の戦闘能力の高さを証明できたと思うよ
533世界@名無史さん:2011/06/18(土) 14:00:41.32 0
煽りを相手にすんな。
534世界@名無史さん:2011/06/18(土) 14:42:35.07 0
>>532
慶長の役については計画通りだったようだよ。
南部を掃討したあとに南岸に城を作り、ソウルから5日も6日もかけやってくる明軍を迎撃しろって。
535世界@名無史さん:2011/06/18(土) 16:00:28.08 0
2度も外征した上にすぐに関が原の大戦してさらに大阪の陣だから
豊臣なんて数十万石に落とされたのに10万の兵養ったくらいだから
いかに秀吉が経済力持ってたか
536世界@名無史さん:2011/06/18(土) 16:15:13.14 0
関が原のあとも実は蔵入り地が残ってた、見たいな話があるけど本当なの?
537世界@名無史さん:2011/06/19(日) 00:23:07.73 0
慶長の役を改めて整理すると

慶長の役開戦当時に秀吉自身が発行した朱印城が大雑把な概要についての指示
だったのでさも計画どおりとほざいているけど、
一、赤国(全羅道)不残悉一篇ニ成敗申付、青国(忠清道)其外之儀者、可成
程可相動事。
一、右動相済上を以、仕置之城々、所柄之儀各見及、多分ニ付て、城主を定、
則普請等之儀、爲帰朝之衆、令割符、丈夫ニ可申付事。
一、自然大明国者共、朝鮮都より、五日路も六日路も大軍ニて罷出、於陣取者、
各談合無用捨可令註進、御馬廻迄にて、一騎かけニ被成御渡海、即時被討果、
大明国迄可被仰付事、案之内候之條、於由断者可爲越度事。
– 慶長二年二月二十一日付朱印状より抜粋, 『立花文書』

慶長二年六月に14万人で再侵攻して、内陸深くまで進撃を続けていた日本軍が
http://image.blog.livedoor.jp/kamuraitao/imgs/1/a/1ae09e65.png
10月ころから、南岸まで撤退し、既存の城を改装し、または新たな仕置きの城
を作った。
http://www.nihonkaigaku.org/library/group/img/i030410-fig3_1.gif
すでに文禄の役で占領し、倭城も築城して拠点化しているところに改めて倭城
を構築する為だけに14万人で再侵攻する意味がわからない。
その為、一時は朝鮮の冬を越える為に撤退したとの論がネットでも言われていた。
慶長三年の立花家の朱印状では慶長四年に大軍を再派遣して攻勢を行うと主張
しているが、これなどは2chではやりの「慶長四年から本気出すコピペww
w」にしか受け取れない。

538世界@名無史さん:2011/06/19(日) 00:23:43.41 0
蔚山倭城への明の攻撃を撃退した後、宇喜多秀家・毛利秀元・蜂須賀家政ら
在地13将は蔚山(最東方)・順天(最西方)・梁山(内陸部)の三城放棄案(慶長3年
1月26日付、連署注進状)を秀吉に上申したが秀吉に却下された。
その後、秀吉も考え直し、内陸に侵攻するのには最も適しているはずの梁山倭
城のみ放棄を認めた。
これなどは、在地諸将たちと秀吉の間の不調和音が顕在化したものだろう。
在地諸将からすれば、慶長四年からの再侵攻については、「本気出すコピペw
ww」にしか思えなかったんだろう。

539世界@名無史さん:2011/06/19(日) 00:52:27.92 0
「秀吉の軍令と大陸侵攻」は読んだのか?
読みもせずにわからないわからない言うなよ。
わからないことはいくら考えたってわからないよ。
540世界@名無史さん:2011/06/19(日) 01:37:45.61 0
何でこの人、朱印状に野戦軍の殲滅って超重要目標を掲げてるのに見ない振りしてるの?
理解できないほど極度に頭が悪いだけ?
541世界@名無史さん:2011/06/20(月) 09:45:29.42 O
>>540
はあ?俺には書いてないもんは読めないが?
君は朱印状に書いてない字が読めんの?
542世界@名無史さん:2011/06/20(月) 11:06:32.76 O
>>538
〉不調和音
日本語なのか?
543世界@名無史さん:2011/06/20(月) 16:22:42.08 0
>>541
>>420に書いてあるぞ。
これって朝鮮を守る明の野戦軍を殲滅してから明まで進撃するぜってことだろ。
何でここで文句言ってる人は占領地の固守にこだわってるんだろうって。
占領地を死守してドイツ軍を全滅させたヒトラー見たいなアホな発想だなって。
544世界@名無史さん:2011/06/20(月) 18:39:48.98 O
>>543
はあ?
全羅道や忠清道の後方策源地になるようなところの一揆勢力の掃討を実施しろ。
倭城を築いて交替在番で長期持久態勢を取り、明が出てきたらて迎撃しろ。
いざとなったら秀吉も出撃する。 


と書いてあるな。
後の先を取れとは書いてあるが、野戦軍の殱滅は目的に挙げられてないよね。
545世界@名無史さん:2011/06/20(月) 18:46:52.62 0
その後に、明の者どもを討ち果たしたら明まで行こうぜ、的なことが書いてあるんじゃね?
546世界@名無史さん:2011/06/20(月) 19:17:43.98 O
>>545
だから、そーゆー段階になったらという条件が付いてるだろ?
あーそれとな、戦争の決着を戦闘で付けなきゃいかんという思い込みをなんとかしろ。
547世界@名無史さん:2011/06/20(月) 21:41:39.74 0
軍事板ならともかく世界史板なのに
戦争は政治の延長ってことが理解できない(目を背ける)アフォばっかだからな
548世界@名無史さん:2011/06/20(月) 21:53:11.54 0
それよくいうけど
政治の延長というからにはそれを操るものが必要なわけで

ユーゴ内戦みたいなタイプはもはや政治の手段としての戦争でないと思う

だったら他にも必ずしも戦争は政治の手段のひとつでない場合もあると思う
549世界@名無史さん:2011/06/20(月) 22:35:07.20 0
第一次大戦で割と破綻した意見じゃね?
戦争は政治の延長って。
それこそ核戦争なんて撃たれる前にすばやく敵を皆殺しにしたら勝ちって戦争だぜ。
550世界@名無史さん:2011/06/20(月) 22:55:48.20 0
うーん
核戦争は敵の殲滅という目標があるから政治といえるんでは?

ユーゴは最終的に達成すべき目標が集団で共有されず
ただ、だらだらと続いた。

第一次大戦は錯誤が相当あったね。
戦争に政治が従ったともいえる。
551世界@名無史さん:2011/06/21(火) 00:17:38.56 0
戦争は政治の延長だからこそ核戦争が怒ってないんじゃね?
そこまで行く前の段階、限定戦争で終わらせられてるというのは
552世界@名無史さん:2011/06/21(火) 02:47:02.15 0
どうだろ、キューバ危機なんかアメリカ本土が射程に入ると困るからって
どこのドイツ参謀本部だよって理由で開戦しそうになったし。
553世界@名無史さん:2011/06/21(火) 04:51:59.29 O
>>552
ああ、それは政治的要求による開戦動機だな。
で、ミサイル配備は回避されたわけだが。
554世界@名無史さん:2011/06/21(火) 11:59:48.60 0
そもそも政治で国家を纏め上げないと戦争に至れないだろ
プロパガンダが政治の手段なのか、戦争の手段なのかで意味合いは変わってくるだろうけど
555世界@名無史さん:2011/06/21(火) 14:17:26.03 0
そりゃ開戦側のみだな。
侵略される側は除く。
しかも政治手段としての脅迫が戦争にいたったWWTみたいなものもある。
現地が暴走した場合ははたして政治といえるか微妙だし
556世界@名無史さん:2011/06/22(水) 03:42:07.42 O
十字軍は政治とは無縁
レバノン侵攻も兵士を助けるため
メキシコあたりの麻薬戦争も政治とは無縁

今時クラウゼヴィッツかよ
戦争文化論くらい読めよ
557世界@名無史さん:2011/06/22(水) 04:52:06.93 0
>十字軍は政治とは無縁
これはないw
そもそも教皇の政治の手段ぢゃ

>麻薬戦争
は戦争ではない。

ただ戦争は政治的な手段でない場合もあるという趣旨は同意
558世界@名無史さん:2011/06/22(水) 06:13:51.60 0
十字軍=教皇の政治の手段
レバノン侵攻=20世紀を見てもフランス、イスラエル、シリア、アメリカ
などがやったがいずれも政治の手段
麻薬戦争=国家の徴税の独占権を貫徹するという政治だわな
秀吉軍の戦闘勝利=戦争勝利と言いたいんだろうが
あんたの論の組み立てやり直しw
559世界@名無史さん:2011/06/22(水) 06:20:06.05 0
>>556
典型的な利権や内政問題を外征政策で解決しようってケースじゃん。
560世界@名無史さん:2011/06/22(水) 06:32:55.13 O
教皇の政治目的は東西教会の統一だが十字軍でいつそんなことが目的になった?
十字軍の目的は神へのサービス

イスラエルのレバノン侵攻は私が言ったとおり

麻薬戦争で徴税が問題になったことは一度もない
戦争という表現はみんなが使用している

馬鹿すぎて話しにならないな
あんた勉強し直しなさい
561世界@名無史さん:2011/06/22(水) 06:35:40.13 O
第四回十字軍やリチャードや聖王ルイが
十字軍によってどんな利権や
内政問題を解決しようとしたの?
具体的に述べてもらいたいね
562世界@名無史さん:2011/06/22(水) 06:41:50.01 O
麻薬戦争が戦争じゃないってのが
世界史いたの低レベルさをはっきり示してるね

しかも徴税権!
いつ犯罪ビジネスに課税しようとしたんだよww
アホすぎ
現状が全然分かってないし
563世界@名無史さん:2011/06/22(水) 06:54:08.50 0
そもそも宗教組織の目的は布教と教化だが
軍隊を持つあるいは軍を組織し得る権威を持てば
即政治に転化する。ゆえに十字軍は紛れも無い政治行為
イスラエルのレバノン侵攻は私が言ったとおり→何も言ってません
麻薬戦争で徴税が問題になったことは一度もない→そりゃ新聞にはそうは書かないだろうよ
あんた物事の表面だけ見る天才だな。そこで満足できる点は尊敬する
564世界@名無史さん:2011/06/22(水) 07:04:03.51 O
神へ奉仕や名望の獲得、あるいは政敵からの排除圧力など、政治目的を達成するための政策として動員を行って戦争を実施しているわけ。
565世界@名無史さん:2011/06/22(水) 07:07:28.85 O
つまり十字軍が政治ってのは
あなたの根拠のない独断に過ぎないわけだね
妄想お疲れ様
現実は単なる神への奉仕です

イスラエルのレバノン侵攻は兵士を助けるため
これは明白な事実

麻薬戦争に関しては反論にも何もなってないな

あなたは根拠のない妄想を巡らす天才だね

俺は史実に基づいて話したいね
566世界@名無史さん:2011/06/22(水) 07:09:08.56 O
だから十字軍にはどんな政治目的があったの?
空想を述べるだけじゃ説得力ゼロ
567世界@名無史さん:2011/06/22(水) 07:17:28.16 O
フェリペ二世の戦争も
ほとんどが神への奉仕だった
レパントの海戦なんて
スペインへの利益なんて無かったし
借金が増えただけ
568世界@名無史さん:2011/06/22(水) 07:38:08.04 O
>>565
いや、だから。そのような政治的要求を達成するための政策として戦争しているじゃん。
569世界@名無史さん:2011/06/22(水) 07:47:23.34 0
>>567
どうでもいいが連投するならコテつけろ

あと安価つけて誰の何に対しての反論かはっきりさせろ
板のレベル批判するのもいいがそれ以前にお前は議論する形式さえ整ってない。

しかし例の出し方も下手糞だな。
レパントは地中海の制海権確保、具体的には海賊退治が目的だったが
単に失敗したから赤字になっただけなのに。

570世界@名無史さん:2011/06/22(水) 12:12:12.68 0
俺は戦争は政治の延長って考えはもう過去の考え方だと思うが
フェリペだの十字軍だのは政治のド延長だと思うw
571世界@名無史さん:2011/06/22(水) 17:27:00.60 O
議論で 思う とか使う人間に
議論の形式を講義されたくないわ
負け犬の遠吠え

現世的な富よりも宗教的な情熱が騎士を動かしたことの証拠として
ごどふろわ・ど・ブイヨンと弟のブルゴーニュ伯ぼーどぅあんが
自らの土地教会に寄進して出発したことがあげられる
572世界@名無史さん:2011/06/22(水) 17:32:37.52 O
数ある研究の一つは、宗教的情熱は従来想像された以上に強かったのではないか
と述べている
ケンブリッジ大学の歴史学者ジョナサンライリースミスは、
十字軍への参加がそれなりの出費を強いるものであったことを
明らかにしている
ユーグやノルマンディー公ロベール、れーもんどサンジルなどは
資産を売り払って十字軍の費用を捻出している
573世界@名無史さん:2011/06/22(水) 17:38:11.21 O
レパントの海戦が海賊退治!
夢一杯だね
海賊退治したら制海権ゲットできる、なわけないじゃん
おすまん帝国の艦隊が健在なんだから

根本的に無茶苦茶
574世界@名無史さん:2011/06/22(水) 17:44:04.93 O
低偏差値文系の妄言

レパントは海賊退治して制海権ゲットするため

真実 海賊退治したところで制海権ゲットできるわけありません
しかも相手はどうみても海賊ではなく
おすまん帝国の大艦隊です
発想がきちがいすぎです

十字軍は政治の延長!
真実 とりあえず根拠をどうぞ。
明確な目的は聖地の奪回という
純粋に宗教的なものです
575世界@名無史さん:2011/06/22(水) 17:49:10.22 0
なんだ単なるキチガイか。
オスマン艦隊≒バルバリア海賊だ
576世界@名無史さん:2011/06/22(水) 17:50:35.50 O
>>571
おかしいだろ?富や領土の獲得だけが政策目標とは限らないんだよ。

宗教的欲求が動機だとしても、自己の政策目標に向かって政治権力を利用した自己実現の戦争でをした事例。
577世界@名無史さん:2011/06/22(水) 17:57:50.76 0
この連投君、書く内容がひどく散らかっててなんか病気ぽくね?

同じ内容を繰り返したり、複数の人間が書いたと読める文を一人に認定したり。
支離滅裂
578世界@名無史さん:2011/06/22(水) 18:01:31.71 0
政治(せいじ,英: Politics)とは、広い意味において人々が生活する上で従うルール、
支配、統治を創造し、維持し、修正し、また破壊することを通じて行われる活動である[1]。
wikipedia
579世界@名無史さん:2011/06/22(水) 18:01:51.73 O
》575ばろす
アホすぎ。とりあえず
同一視する根拠あげて
576
だから十字軍の政策目標はなんですか?
ごたくはいいからはっきり答えて
580世界@名無史さん:2011/06/22(水) 18:04:58.40 O
577
反論できないと中傷か
分かりやすいね。負け犬くん


キプロスを征服した艦隊はばるばりあ海賊だった!

失笑
581世界@名無史さん:2011/06/22(水) 18:09:35.88 O
例えば第七回十字軍のルイ九世に
どんな政治的もくひょうがあったの?

低偏差値文系の皆さん
はっきり答えて
582世界@名無史さん:2011/06/22(水) 18:12:33.34 0
スレ間違えたかと思った
583世界@名無史さん:2011/06/22(水) 18:14:28.11 O
低偏差値文系の妄言

十字軍は政治的なものだった!

俺 リチャードやルイ9世にどんな政治的目的があったんですか?

低偏差値文系
沈黙

馬鹿を論破するのは簡単
584世界@名無史さん:2011/06/22(水) 18:17:29.51 O
日本の文系は馬鹿だから分からないと思うけど
学問は根拠を元に議論しないといけないんだよ
585世界@名無史さん:2011/06/22(水) 18:19:55.93 0
聖地奪還って政治目標があった、ではいけないのか?
あとそろそろ秀吉に戻ってくれ
586世界@名無史さん:2011/06/22(水) 18:23:32.61 O
それはどうみても宗教的目標です

日本語が分からない文系お得意の
拡大解釈だね
587世界@名無史さん:2011/06/22(水) 18:25:55.48 O
あと政治と宗教は別物ね
両者の分離は近代国家のテーゼの一つ

文系って何でこんなに馬鹿なんだろ
とりあえず言葉の定義から確認したほうがいいよ
588世界@名無史さん:2011/06/22(水) 18:28:24.28 O
意見を言わせれば根拠のない空想ばかり
おまけに言葉の定義も分からない

文系って何を勉強してきたの?
589世界@名無史さん:2011/06/22(水) 18:38:13.40 0
そろそろ朝鮮出兵の話に戻そうぜ。
590世界@名無史さん:2011/06/22(水) 18:49:45.58 O
でも文系の議論の前提が
史料ではなく単なる先入観ってバレちゃったし

価値あるかどうか
591世界@名無史さん:2011/06/22(水) 18:50:25.74 O
>>586
だったら神への奉仕が政治目標なんだろ。自分で言っててなんでわかんないの?馬鹿だから?
だから目標達成のための手段に政治力を動員して家臣や仲間を引きつれて戦争をしたんだろ。
592世界@名無史さん:2011/06/22(水) 18:50:45.31 0
ルイ9世が在位の時代って近代だったのか?中世だと思ってた
あと、秀吉の話もしてくれ
593世界@名無史さん:2011/06/22(水) 19:03:43.22 O
【チョン発狂】「我々は日本にだけは負けたくないからなぁ(笑)」スイーツ世界大会、韓国チームが日本チームを妨害→日本優勝、韓国最下位★15
http://raicho.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1308735443/
594世界@名無史さん:2011/06/22(水) 19:07:39.13 O
神への奉仕が政治www

馬鹿すぎwww

じゃああらゆる戦争が政治の延長になっちゃうな

でも今時んなことほざくのは知能が低い日本の文系しかいないよ

ケンブリッジ大学のジョナサンライリー氏のように
十字軍については宗教的動機を認めるのが
現代の傾向
595世界@名無史さん:2011/06/22(水) 19:10:32.92 0
百済の属国として始まった日本の劣等感が
豊臣を朝鮮半島における残虐行為に駆り立てたんやろな
596世界@名無史さん:2011/06/22(水) 19:11:19.67 O
Q十字軍の政治的目標とは?

Aふぁびょーん!神への奉仕が政治にだ!
とにかく何でもかんでも政治にだ!


失笑
597世界@名無史さん:2011/06/22(水) 19:11:54.82 O
まぁ、簡単に云えば島国である日本が国として拡大策を採る際には、支那大陸への拡大が最も地理的に簡単なんだよ。
平安中期に遣唐使が廃止されて以降、実質的に支那大陸の王朝の册封に組み込まれずに存続しつづけた東アジア唯一の国が日本だからね。
支那大陸側からすれば島国への拡大は選択肢の1つに過ぎないし、渡海にはべらぼうな経費が必要というのもあって、しかも実力行使しても見返りが少ないという事情もあるにはあるんだけどね。

しかも、日本の面的拡大は秀吉のときも大日本帝国のときも、目指したのはあくまで大陸であって、朝鮮半島はその通り道にすぎない、って事。

その事を踏まえておかないと、日本を含めた東アジア史は理解できない。
日本を含めない東アジア史ならばすごく単純な話で、支那大陸の王朝史を中心に周りの諸民族との抗争について、そのまま紐解けばいいだけなんだけどさ。
598世界@名無史さん:2011/06/22(水) 19:14:09.32 O
>>594
だから最初からそういう前提の話だったじゃん。
よく思い出してみろよ。

戦争は政治の一手段。
599世界@名無史さん:2011/06/22(水) 19:16:32.77 O
しな大陸への拡大が最も地理的に簡単なら
何で直接江南に乗りつけないの?
補給も簡単だよ?現地に一杯食い物あるから

地理的に簡単なんでしょ?
何でしなかったの?

馬鹿じゃないの?余りにも愚劣すぎる
600世界@名無史さん:2011/06/22(水) 19:20:16.98 O
598
うん。つまりそのテーゼの誤りが証明されたわけだね
あなたのように愚かしい
言葉の定義の歪曲抜きには
成立しえないんだから

十字軍の目的は神への奉仕。それは政治とは言わない
どっかのチショウの脳内は別にしてね
601世界@名無史さん:2011/06/22(水) 19:22:01.22 O
>>596
政治目標でないなんてどうやって否定できるのさ。
日本では勝利宣言は勝ってからするもんだ。
602世界@名無史さん:2011/06/22(水) 19:23:49.92 O
低偏差値文系
十字軍は政治的だ!


具体的にどんな政治的目的があったんですか?

文系
神への奉仕が政治的目標だ!


失笑
603世界@名無史さん:2011/06/22(水) 19:27:25.24 O
601
神への奉仕は宗教的目標です
宗教と政治とは定義上別物です
十字軍に他の目標があったとは証明されていません

従って十字軍に政治的目標はありません

証明終了

馬鹿を論破するのは簡単
604世界@名無史さん:2011/06/22(水) 19:28:19.38 O
まさか脳内基準で損なことをやるのは政治じゃないとか思い込んでる人?
605世界@名無史さん:2011/06/22(水) 19:31:08.33 O
604
妄想お疲れ様。
俺がいつそんなこと言った?引用してくれる?

負け犬くーん!早く現実に戻ってこい!
606世界@名無史さん:2011/06/22(水) 19:35:11.70 O
反論の余地もないから
ありもしない弱点を捏造して
攻撃しようとする

議論のいろはも分からない
素直に負けを認めればいいのに

文系の知能の低さよ!
607世界@名無史さん:2011/06/22(水) 19:37:19.37 0
>>602俺さんに宗教と政治の定義について教えて頂きたい
特に政治について
608世界@名無史さん:2011/06/22(水) 19:37:38.23 0
547 名前:世界@名無史さん[sage] 投稿日:2011/06/20(月) 21:41:39.74 0
軍事板ならともかく世界史板なのに
戦争は政治の延長ってことが理解できない(目を背ける)アフォばっかだからな
609世界@名無史さん:2011/06/22(水) 19:43:08.36 O
政治とは現実の社会に影響を及ぼすこと

神への奉仕は、神を満足させるためのもので
政治の定義から完全に外れる
610世界@名無史さん:2011/06/22(水) 19:46:06.62 O
もちろん聖地征服によって政治的影響は波及するが
それは付帯条件であり目的ではない

どっかのチショウも認めるとおり
目的は神への奉仕
それは政治ではなく宗教的な目標
611世界@名無史さん:2011/06/22(水) 19:48:00.21 0
>>609
それは違うな。自己満足という政治目的を実現するための政策手段が出兵。
612世界@名無史さん:2011/06/22(水) 19:53:28.14 0
法王の権威、権力補強の手段という意味で十字軍は法王にとって政治であって
東ローマからしてみれば安全保障を達成するためというまさに政治の手段である。
613世界@名無史さん:2011/06/22(水) 19:55:31.27 0
酉つけろよ
携帯連投君
まさかつけ方しらんのか?
614世界@名無史さん:2011/06/22(水) 20:03:09.17 O
611
自己をどうこうするのは政治の定義から完全に外れる
バカ過ぎ

612
法王の権力補強という意味が当時あったことを
史料的根拠をあげて証明してくれる?

また第四次もリチャードもるい九世も法王の権力補強にも
東ローマへの安全保障には何も寄与してないんだけど
どう説明するの?
615世界@名無史さん:2011/06/22(水) 20:05:15.57 0
>>614
自己をどうこうするのに、自己以上に政治力を使って兵隊とか動員しちゃうのは完全に政治の世界の話だねい。
616世界@名無史さん:2011/06/22(水) 20:06:14.04 0
損だと政治じゃないとか?
お花畑に蝶々が飛んでます。
617世界@名無史さん:2011/06/22(水) 20:08:10.28 O
それは宗教的目的達成の手段として政治力が使われているに過ぎないよね
はい論破

目的と手段を混同しないように
618世界@名無史さん:2011/06/22(水) 20:11:43.07 O
ところでさ、政治と宗教って分けて考えなきゃダメなの?
619世界@名無史さん:2011/06/22(水) 20:16:40.09 O
分けるべきところでは分けないとね

神への奉仕が政治だとか
自分を満足させるのが政治だとか言うのは
政治の定義から完全に逸脱している
しかも思考過程で目的と手段が区別されてない
愚劣極まりないね
620世界@名無史さん:2011/06/22(水) 20:39:25.26 0
政治力を選択的に使うのが政治じゃなかったのか?
621世界@名無史さん:2011/06/22(水) 20:44:10.71 O
そういう場合もあるかもね。で?
何がいいたいの?
622世界@名無史さん:2011/06/22(水) 20:51:18.34 0
>>614
だから酉つけろよ

東ローマにとっては政治目的が主でしょ。
実際第一次で東ローマの敵は倒したから目的は達成した
政治目的を達成したかはそもそも関係ないけどな


君は学歴コンプが強いみたいだけど、頭が整理されてない文は馬鹿に見えるよ。
623世界@名無史さん:2011/06/22(水) 21:04:31.74 0
>>523
>そもそも明を過小評価し過ぎだな。当時の明は腐敗していたとはいえ
>動員兵力世界一の軍事大国だぞ

って言うけど朝鮮半島に動員できる兵力って日明互角か日本の方が若干上じゃね?
当時日本の人口が2000万で明が6000万でしょ
しかも明は東西南北に敵を抱えていたし、ガバナンスも緩んでいたし
624世界@名無史さん:2011/06/22(水) 21:08:21.49 O
十字軍を実行したのは西欧諸国であり、東ローマではない
東ローマの目的がなにかは十字軍とは何の関係もない

しかも確かな史実として
コンスタンチノープル到着時点でもめてるし
にかいあ攻囲戦でももめてる

十字軍の目的と行動は
東ローマの目的は全然考慮してない

論破されまくりの負け犬が何を言っても負け犬の遠吠え
もう一つ事実を指摘しよう
今時文系なんて法学部以外は学歴にならんよ
バカの収容所
何を勘違いしてるんだか
625世界@名無史さん:2011/06/22(水) 22:04:14.99 0
>>624
東ローマ帝国の救援に応じてローマ法王が呼びかけたのが十字軍

一番最初から間違えてどうする。
理系のセンター試験でも十分出るレベルの基礎知識だよ
626世界@名無史さん:2011/06/22(水) 22:15:03.75 O
きっかけと目的は全然違う
文系はほんとに知能が低いんだね

日清戦争ではこうご農民戦争における日本人保護がきっかけになったが、戦争の目的とはなんの関係も無かった
627世界@名無史さん:2011/06/22(水) 22:17:46.09 O
いい加減辞書を引くことを覚えたらどうかな
手段が政治力であれ
きっかけが東ローマの要請であれ

目的は聖地奪還、神へのサービスに他ならないし
単に宗教上の問題なんだよ
628世界@名無史さん:2011/06/22(水) 22:21:49.14 0
>>626
いや東ローマの目的が自分の敵を討つこと
上手くのせて敵を排除した

まさに政治
629世界@名無史さん:2011/06/22(水) 22:36:30.10 0
>>627
ただのキチガイと思ってたが
どうやら君は東ローマが十字軍の当事者でないと考えているから、きっかけに過ぎないとか
びっくり仰天の珍主張をしてたのか

東ローマは当初から食料を提供し、ほとんどの十字軍諸侯に臣従の誓いをたてさせ、
軍事行動も連携して行った
完全な当事者だよ。

630世界@名無史さん:2011/06/22(水) 22:38:56.22 O
うまくのせるどころかコンスタんちのーぷるでは
指揮権を巡って対立してるし
にかいあでは街の帰属を巡って喧嘩してるけど?
631世界@名無史さん:2011/06/22(水) 22:42:49.75 O
629
珍主張はそっちだな
食糧を提供するまでに
武装して戦ってるんだが

どの辺が十字軍の当時者?
632世界@名無史さん:2011/06/22(水) 22:48:31.10 O
臣従の誓い

現実にはえでっさもあんてぃおきあもエルサレムも東ローマには臣従してません

文系の空想ぶりが次次と明らかになるな
633世界@名無史さん:2011/06/22(水) 22:53:09.50 O
十字軍はせいきょうかいのエルサレム総主教すら追放している

東ローマには自分の目的があっただろう
しかしそれは十字軍の目的とは別物
両者は別物

文系の愚かさには呆れる
彼らは史実すら知らない
634世界@名無史さん:2011/06/22(水) 22:59:20.83 O
低偏差値文系の妄想
臣従の誓い

現実
エルサレムのせいきょうかい総しゅきょうは追放された
十字軍国家もどこも臣従しなかった

妄想
軍事行動も連携

現実
東ローマはにかいあを手に入れるために
十字軍を出し抜かなければいけなかった
コンスタんちのーぷるでは小競り合いも起こった
エルサレムではせいきょうとも虐殺されたが東ローマは何もできなかった


大した連携だな (笑)
635世界@名無史さん:2011/06/22(水) 23:03:38.78 O
文系ってどうして空想をすぐ信じるの?
連携してたとかさ、史実を調べればすぐ嘘だと分かるのに

やっぱ考える力がないから?
だから楽な文系いくの?
636世界@名無史さん:2011/06/22(水) 23:08:13.39 0
あのね、
目的がある

目的が上手くいかなかった

とは違うのよ?
それがわかったら君の>>630>>632が全く無意味な主張してることがわかるでしょ
これが君の頭の中が整理されてないってことなの。

それがわかったら十字軍は政治的目的があったことが理解できるんじゃないかな。

>>633
東ローマに政治的目的があんだから。東ローマが十字軍の当事者でないとい主張は学者が認めないと思うよ

お前の中で勝手に思う分には勝手だが。
637世界@名無史さん:2011/06/22(水) 23:13:26.21 O
東ローマの目的と
十字軍の目的は違うよね
東ローマは十字軍じゃないから
イスラムも十字軍戦争の当時者だけど
十字軍じゃないし目的も違うよね

あなたは主体と客体のちがいがついてないんだよ
アホすぎ
638世界@名無史さん:2011/06/22(水) 23:17:15.70 O
しかも学者を持ち出すのは完全な負け犬の遠吠えだな
まああなたみたいなチショウを育てる学者なんて
信頼ゼロだけど

とりあえず確かなのはあなたが十字軍戦争の当事者であることと
十字軍の一員であることを全く区別してないってことだね

きちがいすぎ
639世界@名無史さん:2011/06/22(水) 23:22:46.21 0
ボエモン伯、ゴドフロワ・ド・ブイヨン、フランドル伯ロベールなどが東ローマ皇帝へ臣従の誓いをたて、
東ローマの旧領を返還するとの約束があったんだが。

十字軍をエルサレム解放という目的しかないと勝手に思ってるからそんな間違いが起こるんだよ

その約束が破られたというのは
政治的目的がなかったというわけでなく、単なる失敗

目的の存在と目的の失敗を混同してるよ君
640世界@名無史さん:2011/06/22(水) 23:23:29.54 O
俺は史実をあげて
十字軍と東ローマの目的が別物であり
連携もとれてないし
臣従の実態もないことを証明した

あなたはこれに対し
学者云々という説得力ゼロの
負け犬の遠吠えで応えた

自分が惨めになんない?
学者と史実、後のほうが信頼できるにきまってるじゃん
641世界@名無史さん:2011/06/22(水) 23:26:37.29 O
639
もちろん返還されなかったよね
しかもその誓いはコンスタんちのーぷるでの小競り合いの後に
食糧の供給と引き換えに間に合わせで誓わせたものだよね

そのこと自体十字軍の本来の目的と掛け離れていたことの証明だね
642世界@名無史さん:2011/06/22(水) 23:32:34.97 O
ますますあなたが
東ローマの目的と十字軍の目的を
混同していることが証明されたな

さあどんどん反論してくれ
同じことが起こるだけ
643世界@名無史さん:2011/06/22(水) 23:35:52.61 O
コンスタんちのーぷるで食糧と引き換えに強制された誓いでしかも
一切守られなかった誓いが
十字軍の目的と何か関係あるそうです


失笑
644世界@名無史さん:2011/06/22(水) 23:39:53.65 0
だから本来の目的の重大な要素が東ローマの救援なんだってw

あと
>もちろん返還されなかったよね
しかもその誓いはコンスタんちのーぷるでの小競り合いの後に
食糧の供給と引き換えに間に合わせで誓わせたものだよね

これはなんの反論にもなってないよ。誓わせたのは事実。政治的目的だとはっきり示された

この後の軍事行動は十字軍諸侯が東ローマのために軍事行動を行ったと言える

そのあと約束を破り自分の国家にしたが、これはたとえ東ローマへの忠誠が当初から白紙だとしても

「己の所領にするという政治的目的」
があることの証明。宗教上の目的だけではなかったね。




645世界@名無史さん:2011/06/22(水) 23:44:15.55 0





な ん で お 前 ら 十 字 軍 の 話 し て る の ? ? ?




646世界@名無史さん:2011/06/22(水) 23:45:42.53 0
>>645
サーセンw
647世界@名無史さん:2011/06/22(水) 23:48:35.56 O
どこが反論になってないの?

食糧と引き換えに強制しなければいけなかったことが
はっきり、それが十字軍の目的外であることを証明してるじゃん

本物の馬鹿じゃないの?
648世界@名無史さん:2011/06/22(水) 23:50:02.72 0
ボエモン1世なんか宗教的情熱なんぞより領土拡大がメインだろうね
って言うかそもそも親父の代から東ローマ帝国征服の戦を続けてるくらいだし
十字軍なんて口実でしかないでしょ

>>579
オスマン帝国が地中海の制海権を握ったプレヴェザの海戦はバルバロス・ハイレディンが司令官ね
649世界@名無史さん:2011/06/22(水) 23:51:30.23 O
にかいあで出し抜かなければにかいあも十字軍にとられてたんですが

にけーあもあんてぃおきあもエルサレムも
十字軍にとられたんですが

エルサレムではしゅきょうが追放されたんですが

どの辺が東ローマのための軍事行動?

空想と現実は区別しよう
650世界@名無史さん:2011/06/22(水) 23:57:46.03 O
644
己の所領にするという政治的目的があったとするなら
ルイ九世やリチャードの行動を全然説明できないね

しかも誰が君主になるかは本人の意思だけで決められるわけじゃないし

聖地奪還という目的を果たすためには守備者が必要
手段と考えるとあらゆる点が合理的に説明できるね
651世界@名無史さん:2011/06/22(水) 23:58:46.59 0
文系板にあるまじきクソ議論だな
煽りも的外してるようだし全員コテ付けろや
652世界@名無史さん:2011/06/23(木) 00:00:33.30 0
>>647
強制されてない奴もしぶしぶやったのもおるが。
まあ強制されたとしても、強制されて実行したならそこで宗教目的外の行動になるでしょw
653世界@名無史さん:2011/06/23(木) 00:00:49.64 O
最大の問題は、
例えばぼーどぅあんがエルサレムを自分の領土にするのを
目的としていた、という証拠が
全然ないことだね

法学部や理系では根拠がない意見は無価値だよ
654世界@名無史さん:2011/06/23(木) 00:02:57.95 0
>>650
だから、土地を求めたものや宗教情熱でやったものやいろいろいるんだよ。

655世界@名無史さん:2011/06/23(木) 00:03:13.58 O
652
それが実行されてないから問題なんだけどな
はい論破
656世界@名無史さん:2011/06/23(木) 00:04:42.45 O
654
653

アホまるだし
657世界@名無史さん:2011/06/23(木) 00:05:08.57 0
>>655
だから実行されたんだって。東ローマの旗の下トルコを討った。きちんと反論しろよ
658世界@名無史さん:2011/06/23(木) 00:05:48.47 0
>>656
653っておまえやないのかい!!!!!ww
659世界@名無史さん:2011/06/23(木) 00:08:31.60 O
657
634

本物の妄想家だな
掲げられてたのはカトリックの旗だよ

頭おかしいんじゃない?
660世界@名無史さん:2011/06/23(木) 00:10:10.69 O
658
2ちゃんねるに来てるんだから
ここの文法は理解してほしいな

一つ言えるのはあなたはアホってこと
661世界@名無史さん:2011/06/23(木) 00:14:27.31 0
>>660
なら安価をつけろ
>>659
まあ東ローマの支配に入っていたら政治的目的があり
そうでないなら侵略戦争という政治であるからこの論理は覆せないよ

もう罵倒しかできなくなってきてるな。
662世界@名無史さん:2011/06/23(木) 00:17:05.67 O
東ローマの支配下に入っていた
というあなたの説は
論理的に634の史実と矛盾します

とっくに覆えってるんだよ チショウ君
663世界@名無史さん:2011/06/23(木) 00:23:50.95 O
そうでないなら侵略戦争という政治


さらっと妄言吐いてるな
これは聖地奪回という
史料上はっきりした目的がある
宗教的侵略戦争です
664世界@名無史さん:2011/06/23(木) 00:28:19.59 O
低偏差値文系によれば
侵略戦争はすべからく政治だそうです(笑)
異端十字軍なども侵略戦争なので政治なんでしょうね(笑)
665世界@名無史さん:2011/06/23(木) 00:32:30.11 0
>>662
当初の大儀と約束が守られなかっただけ。最初は皇帝と連携が必要と考えていたが
次第に不和になった
>>663
領土的野心が主な奴もいたんだってタンクレードとかボードワン・ド・ブローニュ
みたいにね。
領土のために軍団離れる行為がどんな宗教的目的あんだw
666世界@名無史さん:2011/06/23(木) 00:44:29.77 O
665
連携を考えるどころか
武装して小競り合いまでやってるし
食糧と引き換えじゃないと
誓わせることもできなかったんだが
しかもその食糧が少ないと言ってあんてぃおきあでは公然と誓いを放棄してるし

史料に基づいて話しなよ
667世界@名無史さん:2011/06/23(木) 00:53:14.14 0
>>666
誓いを行ったのは事実
イスラムを討ったのも事実
無理筋の主張だったね。
細かいトラブルをあげつらっても大筋には関係なし
668世界@名無史さん:2011/06/23(木) 01:23:58.99 O
最初は誓いは無かったのは事実
誓いを公然と放棄したのも事実
誓い関係なしにイスラムをうったのも事実

負け犬の遠吠えだったね
途中で無理やり押し付けられ、
全然守られなかった
誓いをあげつらっても
大筋に関係なし
669世界@名無史さん:2011/06/23(木) 01:40:02.71 O
というわけで
十字軍は宗教的戦争だったことが証明されました

政治的だったとする主張はほとんど根拠がありませんでした
唯一の史料的根拠は、
最初と最後の段階には存在せず
実効性をもったことは一瞬もない誓いしかありませんでした


他方、聖地奪回という目的は、当初から一貫しており
また結果が証明しています


とっくに論破されたたった一つの事実を振り回すしかない文系って
惨めな負け犬ですね
670世界@名無史さん:2011/06/23(木) 01:40:30.40 0
>>668
なんと!
オウム返しという論破された人間の典型で逃げるとは

そもそも政治的目的があったかどうかの問題だって覚えてる?

>最初は誓いは無かったのは事実
当たり前ww十字軍前は誰もしてないよ。
論理力がないのがこういうとこに出る。無意味な主張は減点ですよ。論文書いたことないな。

>誓いを公然と放棄したのも事実
残念ながら戦争後だったね。政治的目的で戦争が起こった後

>誓い関係なしにイスラムをうったのも事実
大嘘。東ローマの目付けのもと戦争したからね。残念でした
671世界@名無史さん:2011/06/23(木) 01:42:35.61 O
あんてぃおきあでとっくに放棄されてます

東ローマの道案内はいましたがめつけなどおりません
672世界@名無史さん:2011/06/23(木) 01:44:37.74 0
>>671
うん戦争が起きたあとだったね。以上
673世界@名無史さん:2011/06/23(木) 01:45:22.35 O
十字軍は西欧で編成されそこから出発してます。その時点で誓いはありません

最初から最後まで史料に反してるのはさすが文系(笑)

論破終了
674世界@名無史さん:2011/06/23(木) 01:48:03.26 O
672
軍隊が編成され移動するのは既に
軍事行動の一部分だよ?

ほんと馬鹿じゃないの?
675世界@名無史さん:2011/06/23(木) 01:49:31.28 O
軍事には無知
史実にも無知

文系の存在意義ってどこにあるの?
676世界@名無史さん:2011/06/23(木) 01:53:22.80 O
文系お馬鹿発言

麻薬戦争は戦争じゃない!
現実
戦争です。

十字軍前は誰もしてない!
現実
十字軍はとっくの昔に存在しており、
その時点で誰も誓ってません
677世界@名無史さん:2011/06/23(木) 01:56:50.81 0
>>673
いやだからそもそも十字軍目的のひとつが東ローマ救援だった上に
皇帝の下で誓いを行ったんだから無意味なんだって
>>674
誓いのもとも軍事行動を起こし、ニカエアを攻略してるよ。残念だったね
678世界@名無史さん:2011/06/23(木) 02:06:44.62 O
670
より詳しい史実ね

残念ながら戦争後
現実
あんてぃおきあの戦いの最中
たてぃきおすが離脱している

東ローマの目付
現実
ただのあなとりあの道案内
しかも娘のあんなによれば
十字軍は助言を拒否し続け、あまつさえ殺そうとした

めつけするどころじゃないな(笑)

最後まで史料にそわずに空想ばかり述べてましたね

馬鹿な文系
679世界@名無史さん:2011/06/23(木) 02:10:27.67 O
677
十字軍の目的はエルサレムだけど?
馬鹿じゃないの?

にかいあを攻略したのは東ローマ軍です
黙ってたら奪われちゃうので
十字軍に秘密で交渉してね(笑)

徹底して史実に反してることばかり言うね(笑)
680世界@名無史さん:2011/06/23(木) 02:17:42.01 0
>>679
だから攻略にかかってるだろうが、攻城櫓とか

他にトルコ軍と戦争してんだろ
これらは東ローマの利益のためだよ
681世界@名無史さん:2011/06/23(木) 02:20:28.67 O
馬鹿な君が言ったこと
ニカエアを攻略してるよ

はっきり攻略したって言ってるね
どこにも攻略にかかったとは書いてないな(笑)
682世界@名無史さん:2011/06/23(木) 02:22:38.01 O
あなとりあまできたのは聖地に辿りつくためだし
あんてぃおきあとそれ以後の戦いは東ローマのためじゃないね

はい論破
683世界@名無史さん:2011/06/23(木) 02:24:57.03 0
>>681
十字軍を恐れて陥落したんだから攻略だね
で、つまり東ローマのために軍事力を行使。
よって政治でした。
ちなみにタンクレードとかガン無視?
684世界@名無史さん:2011/06/23(木) 02:30:23.53 O
683
十字軍を恐れたんなら十字軍に降伏するよね

今問題になってるのは目的で
それは聖地回復、つまり宗教です

馬鹿じゃないの?
もっとマシな反論をお願いしたいな
685世界@名無史さん:2011/06/23(木) 02:35:01.87 O
文系の言うことは
史実には尽く反してるし
論理的にもめちゃくちゃ。

もっと考えてから書き込みなよ
686世界@名無史さん:2011/06/23(木) 02:37:48.43 O
実際、俺のほうが史実に詳しいのはどうかと思うよ

まあ、歴史学部なんて
落ちこぼれの集まりだからある意味しょうがないけど
687世界@名無史さん:2011/06/23(木) 02:40:30.72 0
>>684
東ローマ領の回復も目的だと誓いによって明白にされましたね。政治です
法王も東方教会に触れてるしね。見苦しいよ逃避は


あとボードワンは明白に宗教と関係なく領土獲得に動いてるのはどう思うのかね
話を振っても何度も君は逃げたが

688世界@名無史さん:2011/06/23(木) 02:44:41.92 O
その誓いはすぐ放棄されましたね

十字軍の目的は聖地回復。つまり宗教。

だれしもが当初の目的に忠実じゃないからね
第四次なんて、
逆にコンスタに行かずに聖地行ってる奴もいるし
でも第四の目的が聖地での戦いだなんて
誰も言わないだろ?

あ、君は言うかもね
馬鹿だから(笑)
689世界@名無史さん:2011/06/23(木) 02:52:16.61 0
>>688
あれあれ相変わらず頭が整理されてないな。君厚い本読んだことないだろ。

誓いが破られても十字軍は少なくとも一時期は宗教のためでなく政治のために動きましたね
政治です。
つまり>>556が完全に間違いと自認したわけね。

それから第四次は明らかに556に反するね
宗教でないね。自爆乙

ボードワンはまたまた逃亡ですか
690世界@名無史さん:2011/06/23(木) 02:58:00.28 O
東ローマに協力したのは
同じキリスト教徒だから
つまり宗教です

第四次はヴェネチアへの船賃が足りなかったため
つまり経済です

君はじょふろわの本も読んでないんだね
691世界@名無史さん:2011/06/23(木) 03:03:24.07 O
馬鹿な文系にかかれば
宗教だけじゃなく
明らかな経済目的も
政治に含まれてしまうことが分かりました
692世界@名無史さん:2011/06/23(木) 03:03:51.24 O
あ、じょふろわって分かる?
693世界@名無史さん:2011/06/23(木) 03:10:26.15 O
第四の第一回のコンスタ攻撃は
ヴェネチアへの船賃を肩代わりしてもらうため

第二回は約束された金が支払われなかったため

徹頭徹尾かねが原因です

喜んで食いついてきたけど
結局は自分の無知さを露呈しただけだったね(笑)

あとじょふろわの本は薄いから、厚い本が読める君なら大丈夫だよ
是非よみたまえ
理解できるかどうかは保障しないけど(笑)
694世界@名無史さん:2011/06/23(木) 03:13:43.58 O
ちなみにじょふろわは
勝手に中東に向かった奴らにきれまくってるけど
それもかねが原因
頭数が減れば、その分
残った奴一人当たりの借金が増えるから
695世界@名無史さん:2011/06/23(木) 03:22:07.85 O
689

556では政治とは無縁と言ったが
経済と無縁だとは一言も述べてないな
自爆おつ(笑)

689の張り切った文体が
なおさら哀れみを誘う(笑)
696世界@名無史さん:2011/06/23(木) 03:23:24.24 0
レスをしたら負けだと思うよ。
697世界@名無史さん:2011/06/23(木) 03:29:05.89 O
馬鹿しかいないのはわかっててレスしてるから

全国の文系学部の偏差値の低さを見れば
察せられるでしょ
698世界@名無史さん:2011/06/23(木) 03:32:41.24 O
妄想
第四が宗教目的じゃないって奴が認めたにだ!
今まで論理的矛盾をつかれ
史実との不一致をつかれ
ボコボコに論破されてきたけど
ついに一矢報えるにだ!


現実
第四は経済目的でした

張り切るあなたはカッコ悪い(笑)
699世界@名無史さん:2011/06/23(木) 05:49:21.92 0
宗教的満足でも経済的利得でも同じ事。
指導者がそれを政治目標とし達成するための政策手段として戦争が行われている。
それに君主を国外へ追っ払いたいって勢力にとっても、十字軍を送り出すのは政治の一手段だな。
700世界@名無史さん:2011/06/23(木) 07:24:06.25 O
もしかして政治と宗教、あるいは政治と経済を排他的に分離しないと思考が進まない人がいるのか?

政教分離は話題が違うぞ。
701世界@名無史さん:2011/06/23(木) 07:36:26.66 O
宗教的満足は宗教的目的
経済的利得は経済的目的

政治的目的には定義上なり得ないんだよな


で、どんな勢力が君主を追い払いたがったの?
具体的にあげてくれる?
702世界@名無史さん:2011/06/23(木) 07:39:57.78 O
700
誰も排他的に分離はしてないよ?

日本語の定義が分からず違う意味の単語を混同する人
目的と手段の区別がつかない人
空想と現実の区別がつかない人

は一杯いるけどね(笑)
703世界@名無史さん:2011/06/23(木) 07:53:38.13 O
689

まさに馬鹿の記念碑(笑)

それから第四次は明らかに556に反するね

一切反してませんが(笑)
文系なのに日本語が読めないようだね

盛大な自爆だったな(笑)
704世界@名無史さん:2011/06/23(木) 07:56:02.43 O
何で文系は馬鹿なの?
史実も俺のほうがよく知ってる
文系は根拠のない妄想ばかり

俺は一次史料も読んでるが
文系はじょふろわが誰かも知らない

話しにならないな
705世界@名無史さん:2011/06/23(木) 07:58:59.41 O
ま、元が悪いんだろうね

数学や物理から逃げ出した
知能の低い負け犬の集まりだし
706世界@名無史さん:2011/06/23(木) 08:40:26.46 0
宗教的な優位や経済的な優位を目的とする場合でも十分に政治の範疇だと思うが

あと>>701-705はひとつのレスにまとめろよ
707世界@名無史さん:2011/06/23(木) 08:59:15.73 0
相変わらず病的な文章だなぁ
>>690
689>少なくとも一時期は宗教のためでなく政治のために動きましたね
の反論が
>同じキリスト教徒だから
か?
動機と目的を混同してるのは君だね
東ローマの目的のために働いたのは事実。

>693
>>560十字軍の目的は神へのサービス。という趣旨にも第四次は反するね


でボードワンは?
708世界@名無史さん:2011/06/23(木) 09:12:08.22 O
いくら分離しようとしても宗教的な政治じゃんw
709世界@名無史さん:2011/06/23(木) 09:55:51.52 0
携帯で頑張ってる人、まだいたんだね
歴史が嫌いなのか歴史好きが嫌いなのかはしらないが
よくそこまで熱意を持って書き込めるね、感心するよ

参考までに君の主張を肯定する書籍を教えてもらえないかな

あと他の住民はどうか知らないけど、少なくとも俺はサラリーマンだよ
アンチ文系を声高に叫んでるけど、社会に文系も理系もあまり関係ないよ
歴史は趣味だし、なるべく偏見持たないように歴史に接しているつもりだから君の意見もなるほどと読んでいたけど
いいかげんスレ違いだし、別のスレでしてくれないか
ちゃんとそっちでも読むから

最後に、論破論破といちいち煽らなくていいので、きちんとあなたの主張を述べてください
断片的でわかりにくい上に、趣旨がずれてきているように感じます。
710世界@名無史さん:2011/06/23(木) 12:23:18.46 O
外交軍事財政金融福祉まで、国家の意思決定はそもそも全てが政治であって当たり前
どれも政治だなんていう再確認に大した価値は無いな
711世界@名無史さん:2011/06/23(木) 12:34:00.70 0
なぜ朝鮮工作員は日本を守ろうと奮起している人たちを、
ネトウヨと名付け見下し嫌うのか?
それは「在日朝鮮人が隠しておきたい都合の悪い事実」を彼らに暴露されてしまったからである。
最近は特に女性を洗脳し、日本人男性を貶める方向で工作活動をしている模様。

以下、気になった単語を検索してみよう!

1、 ネトウヨに強制連行のウソをバラされた。
2、 ネトウヨに従軍慰安婦のウソをバラされた。
3、 ネトウヨに終戦直後日本において朝鮮人が残虐的テロ(朝鮮進駐軍で検索)をやりまくったことをバラされた。
4、 ネトウヨに朝鮮人がレイプ大好き民族であることをバラされた。
5、 ネトウヨに日教組と北朝鮮の関係をバラされた。
6、 ネトウヨにパチンコ業者とサラ金業者のほとんどが朝鮮人であることをバラされた。
7、 ネトウヨにマスコミ(特にテレビ局)に多くの朝鮮人が入り込み支配していることをバラされた。
8、 ネトウヨに日チョン併合の事実(朝鮮人が望んで日本と併合した)をバラされた。
9、 ネトウヨに朝鮮が反日国家であることをバラされた。
10、ネトウヨに外国人参政権や人権擁護法案の危険性をバラされた。
11、ネトウヨに民主党が反日朝鮮政党であることをバラされた。
12、ネトウヨに在日特権(日本人の税金から支払われる月17万円の特別生活保護費等)の存在をバラされた。
13、ネトウヨに朝鮮人がトンスル(人糞酒)大好きであることをバラされた。
14、ネトウヨに朝鮮人のチンコが9cmしかないことをバラされた。
15、ネトウヨに朝鮮人のほとんどが精神病であることをバラされた。
16、伝統の乳まるだしチョゴリをバラされた。

712世界@名無史さん:2011/06/23(木) 16:03:53.09 O
707
いつ東ローマの目的のために働いたの?
にかいあ奪還は東ローマ自らの努力だし
あんてぃおきあ以後は東ローマは完全無視だし

一瞬たりともないな(笑)

第四も当初の目的は聖地援助だから宗教だね
713世界@名無史さん:2011/06/23(木) 16:09:03.41 O
710
国家の目的が純粋に宗教
あるいは経済であることは
さんざん証明したからな

発狂した文系が騒いでるけど(笑)

十字軍の目的は神へのサービス

いい加減このテーゼを否定してみせてくれないかな
714世界@名無史さん:2011/06/23(木) 16:12:30.24 O
709
誰もアンチ文系なんて叫んでないけど?

文系の知能が低いっていう数字に裏付けられた事実を述べているだけ
715710:2011/06/23(木) 16:37:20.63 0
>714
>いいかげんスレ違いだし、別のスレでしてくれないか
>ちゃんとそっちでも読むから

>最後に、論破論破といちいち煽らなくていいので、きちんとあなたの主張を述べてください
>断片的でわかりにくい上に、趣旨がずれてきているように感じます。

こっちを読んでほしかったなぁ
あと煽らなくていいから せっかく知能が高い理系なのにバカっぽく見えるよ
716世界@名無史さん:2011/06/23(木) 16:53:17.89 O
バカにバカって言われてもな(笑)

俺は事実を述べているだけ

史実も尊重する

低偏差値文系は妄想ばかりだけどな(笑)
717世界@名無史さん:2011/06/23(木) 19:48:43.60 O
>>716
君が韓国人みたいに勝利宣言したいのはわかったからさー
政治家が政治力を使って政治をしたことを認められないとは哀れ。
718世界@名無史さん:2011/06/23(木) 20:05:45.73 O
717
韓国人みたいな中傷だね
まさに負け犬の遠吠え(笑)

政治家が宗教的目的に政治力を使ったことを認められないのは哀れ(笑)

ま、日本の歴史学は西洋に100年遅れてるけどね
英語読めないから(笑)
文系(笑)
719世界@名無史さん:2011/06/23(木) 20:09:23.08 O
591
神への奉仕が政治目標

文系の驚くべき愚かさの証明ですね(笑)

ちなみに一般的定義では
神への奉仕は宗教的目標です
720世界@名無史さん:2011/06/23(木) 20:11:51.57 O
神への奉仕が政治目標(笑)


愚鈍な文系ですこと!
721世界@名無史さん:2011/06/23(木) 21:26:29.87 0


当時の女真と日本を比較して、


李如梅 「倭兵30人で女真1人に敵すべからず」

ということらしい。

722世界@名無史さん:2011/06/23(木) 23:20:16.11 0
>>531
お前に言われた中野等の「秀吉の軍令と大陸侵攻」読んだぞ。
中野は同書304頁で慶長の役の当初計画において秀吉自身が朝鮮に渡海
するかどうかは明軍次第との点で秀吉の姿勢を批判してる。
同書316頁では全羅道の制圧が整ってから仕置きの城々を作る予定だった
左軍が詳細はわからないが戦況に左右されて計画どおり仕置きの城々を
作れなかったこと。
同書317頁では根拠を提示しないまま朝鮮王国による清野作戦の疑いを
指摘し、
同書319頁では北上を続けた右軍が稷山の戦いにおいて、明軍との戦いで
勝敗が付かず、冬季の行動がおぼつかないため撤退したと主張している。
ただ、稷山の戦いは日本軍が3万人投入したのに対し明軍は4千騎だったのに
決着が付かなかったことからも明軍を脅威に感じていたことが撤退の真意
ではなかったか、と思う。

723世界@名無史さん:2011/06/23(木) 23:31:11.51 O
決着付かないって馬鹿じゃないの?
明軍が惨敗してるじゃん

それともチクサンの三万で漢城占領して
文録の二の舞を演じるか?とても食っていけんぞ

アホな文系じゃないんだから
秀吉には学習能力あるわ
724世界@名無史さん:2011/06/23(木) 23:34:11.21 O
明軍が四千しかいなかった事実自体が
漢城に置いておける軍隊の適性値を示してるんだよ

ほんと馬鹿だね
文系って
725世界@名無史さん:2011/06/23(木) 23:42:17.99 O
大賊衝斥 将迫都城 天兵寡弱 我軍潰散 今日の事誠に痛哭すべし

朝鮮王朝実録から

どう見ても決着ついてます(笑)
文系(笑)

根拠のない妄想だけは得意だね(笑)

史料よりアホ学者の妄想重視(笑)
726世界@名無史さん:2011/06/23(木) 23:47:54.63 O
冷静に考えてみなよ
文系の場合、母集団が落ちこぼれの屑の集まりなんだよ?

そんなのに肩書ついたくらいで
いきなり賢くなるわけないじゃん

秀吉の姿勢を批判(笑)
秀吉は百戦錬磨の軍人
中野は軍オタ程度の知識もない無知無能なアホ

まともな論理があるわけねーわ(笑)
727世界@名無史さん:2011/06/23(木) 23:59:39.90 0
文句は>>531や中野等に言え(笑)
自分が信じたいことしか信じないんなら
幸せだな(笑)
秀吉が賢かったら朝鮮南部ぐらい征服してるって(笑)
728世界@名無史さん:2011/06/24(金) 00:06:54.58 O
727
信じたいも何も史料にそう書いてあるからな
しかも負けた側が自分で言ってるし(笑)

信じるしかないわな


それとも中野大先生は史料的根拠があって言ってるのかな
是非提示してほしいな

できなければ文系は上から下までアホな妄想野郎確定な(笑)
729世界@名無史さん:2011/06/24(金) 00:10:07.09 O
朝鮮南部が征服できない秀吉が賢くないなら

一兵すら集められない文系は
ミミズ未満の馬鹿ってことだな(笑)
730世界@名無史さん:2011/06/24(金) 00:19:38.32 0
秀吉だって文系じゃないか。
なに基地外みたいなこといってるんだか(笑)
文禄・慶長の役は6年半の歳月と通算で38万人もの
日本人を投入している。
それで寸土も得てないんだから日本軍が弱いのか
秀吉の戦争指導がまずいのか、はたまたその両方
しか考えられないんだが(笑)
731世界@名無史さん:2011/06/24(金) 00:29:55.68 O
当時文系なんてあるかよ(笑)
秀吉を勝手に君らの仲間にしないでください

寸土を得るどころか
南部をキープしてますが?

中朝と朝鮮とついに勝算なし。関白の死するに至りて、へいか始めてやみ
諸倭また皆退きて島巣を守る

明史からね

文系(笑)
史料くらい読めよ
732世界@名無史さん:2011/06/24(金) 00:32:47.57 O
史料から読み取れること

明には勝算がなかったこと
秀吉が死んで始めて撤退したこと
文系がアホな妄想家であること
733世界@名無史さん:2011/06/24(金) 00:36:49.27 0
朝鮮半島に14万以上の大軍で攻め込みながら、明軍の反抗を前に
南岸の倭城に撤退して迎え撃っている時点で
日本側にはまったく勝算なんてないんだよ(笑)
734世界@名無史さん:2011/06/24(金) 01:02:14.73 O
迎え撃ったのはソウルでだけど?

明軍惨敗(笑)

文系(笑)
735世界@名無史さん:2011/06/24(金) 01:07:05.93 O
文系って基本的な経過も頭に入ってないんだね

一体このスレで何を話し合いたいの?
馬鹿の分際で
736世界@名無史さん:2011/06/24(金) 02:01:50.73 0
よくわかんないが、文系というやや曖昧な基準をもとに
文系の人間は全て頭が悪いと言っているのか。
この場合の頭がよいとは、どういった基準なのであろうか。
しかし劣等感が丸出しだな
737世界@名無史さん:2011/06/24(金) 02:19:48.18 O
文系と理系は高校でも大学でもはっきり分かれてるけど?


しかも劣等感(笑)
とりあえず、論破されまくりであなたが劣等感を抱いているのは分かりました(笑)
738世界@名無史さん:2011/06/24(金) 02:21:41.16 O
意見を言わせれば根拠のない妄想ばかり

一次史料もろくに読まない

あなたがたに対して
劣等感を抱くほうが困難だわ(笑)
739世界@名無史さん:2011/06/24(金) 02:31:18.21 0
はあ。
低偏差値とか言う罵倒をする人間は、大抵学歴コンプがあるんだけどね

さて大学では文系と理系を融合した学問があるということを知らないらしいが
全ての文系が馬鹿というなら、それは単に高等数学が出来ないという基準くらいでしか馬鹿とはいえないね。
となると数学のみが学問といってるのかい君は
740世界@名無史さん:2011/06/24(金) 02:39:31.33 0
なんか知らんが、いつからここは二流理系と三流文系が
罵り合うスレになったんだ?(笑)
741世界@名無史さん:2011/06/24(金) 02:54:28.14 O
739
罵倒じゃなくて事実を言ってるだけなんだが(笑)
よっぽどコンプレックスらしいね(笑)

文系と理系を融合した学問ってどんなの?
工学、医学、理学のようなまともな学問じゃないことは確かだけどね(笑)
742世界@名無史さん:2011/06/24(金) 02:57:51.14 O
高等数学どころか中学レベルの代数すら出来ないのが
文系(笑)だよ

何を勘違いしてるんだか

あ、さすがに足し算と掛け算はできるはず(笑)
文系でも底辺の連中はどうか知らないけど(笑)
743世界@名無史さん:2011/06/24(金) 05:49:32.15 0
でも、神への奉仕を君主が政治で実行してるでしょ?比定できないよね?
744世界@名無史さん:2011/06/24(金) 07:06:40.77 O
文系を叩いているのは頭の悪い理系だな。
同じ理系そして恥ずかしいったりゃありゃしない。

政治についても理解できていない。
745世界@名無史さん:2011/06/24(金) 09:26:18.90 0
>>741
ほうほう。phdも知らない人間が書きそうな内容だねぇ
つまりノーベル経済学賞をとった人間もきみより馬鹿だというわけだね

しかも代数さえできないって単なる嘘じゃねーか。
センターうかんないだろ

全体的に工業高校クラスの知性しか君からは見えんよ。
746世界@名無史さん:2011/06/24(金) 09:49:26.99 0
みんな構ってチャンにやさしいんだなぁ。
747世界@名無史さん:2011/06/24(金) 10:58:17.97 0
そうだな、俺はあぼーんってコテを彼につけてあげた
748世界@名無史さん:2011/06/24(金) 11:00:11.20 0
俺は文系をNGワードにしてるよ
749世界@名無史さん:2011/06/24(金) 20:10:02.24 O
745
バロス(笑)

ノーベル経済学賞(笑)
LTCMは破綻しましたよね(笑)

今時何言ってるの?馬鹿すぎ

工業高校クラスの知性しか!って
空想ばっかのぶんけいより
工業高校生のほうが遥かに賢いし
社会に有用です

何勘違いしてんの?
偏差値低い分際で
750世界@名無史さん:2011/06/24(金) 20:13:40.41 0
一生懸命知恵を絞ったんだろうが…
今度は「ぶんけい」をNGにしないといかんのか?
751世界@名無史さん:2011/06/24(金) 20:15:12.35 0
偏差値でいいんじゃね?
つNG
752世界@名無史さん:2011/06/24(金) 20:15:25.45 O
ちなみに小柴先生は横須賀工業高校の御出身です

俺は工業高校を見下す気にはとてもなれないな

きっとぶんけいの皆さんはそろって小柴先生より賢いんでしょうね!
現実世界で結果が出せないだけで(笑)

ぶんけい=無価値(笑)
753世界@名無史さん:2011/06/24(金) 20:21:03.34 O
750
(笑)
あなたがこの程度のレスをするときには
一生懸命知恵を絞るんですね(笑)

とんでもない馬鹿だな(笑)


ぶん系ってさ、センター何割がボーダーなの?
二割?三割?
レベル低すぎて眼中に無かったから
分からないんだよね(笑)
754世界@名無史さん:2011/06/24(金) 20:23:37.39 0
食いつきが良いと言うかなんというか
動物園の動物を見てる感覚だなw

今日も元気だなー
755世界@名無史さん:2011/06/24(金) 20:24:10.53 O
横須賀工業高校
小柴先生を輩出!


ノーベル経済学賞
LTCM破綻(笑)


ぶんけー(笑)
アホ過ぎ(笑)
756世界@名無史さん:2011/06/24(金) 20:26:24.01 0
>>752
wwwww最終学歴とか旧制とか時代とか突っ込み所多すぎww
なかなか面白いな
しかし敏感に反応したってことはマジ工業高校卒だったのか。
757世界@名無史さん:2011/06/24(金) 20:28:52.10 0
>>756
大卒管理職にイビられてるんだろw
758世界@名無史さん:2011/06/24(金) 20:29:13.88 O
はいはい
ぶんけーは工業高校クラスより知性溢れてるんですよね(笑)
なんたってノーベル経済学賞もとってるしね!

横須賀工業高校は小柴先生を輩出してるし
LTCMは破綻したけどね(笑)


ぶんけー、実社会で結果出し過ぎ(笑)
工業高校見下すのも納得だね(笑)
759世界@名無史さん:2011/06/24(金) 20:37:14.59 O
安藤忠雄も城東工業高校の出身だな


他方、ぶん系の希望、LTCMは破綻(笑)
760世界@名無史さん:2011/06/24(金) 20:43:10.17 0
>>758
ああwwww
やっぱり大学行ってたとか大卒の証拠とかは出さんのね
phdを知らん時点で大学行ってないだろーなとは思ってたが。
理系といっても偏微分とか知らんのだろーな。
そもそも理系文系ってのは高校まで、最悪教養レベルのの分類
数学ってのは道具なんだよ。

君は数学を学問でも道具でもなく勉強という受験レベルの対象としか認識していない。

だから明らかに高卒レベルとわかってしまう。
761世界@名無史さん:2011/06/24(金) 20:44:21.57 O
756
単に工業高校には経緯払ってるだけだが?
実社会でこんだけ結果残してたら
何も言えんわな
実際賢い人ばかりだし

ま、ノーベル経済学はLTCMを破綻させたけどね(笑)


ぶん系のセンターのボーダーっていくつ?
ちなみに俺は9割7か8だった
国語は9割8分 世界史は9割6か7だったな
本職の皆さんはどんだけ取れたんでしょうね(笑)
762世界@名無史さん:2011/06/24(金) 20:48:23.14 O
760
俺の学歴をあなた方に披露したところで
厭味にしかならんわ(笑)

センターの点数からお察しください(笑)
763世界@名無史さん:2011/06/24(金) 20:52:24.52 O
760
はいはい
受験戦争の負け犬の
典型的な言い訳だね


受験レベルの数学すらまともにクリアできない
アホなぶん系が
数学をおもちゃにした結果が
LTCMの破綻だよ

受験競争にすら勝てない奴が、
学問を社会で使いこなせるわけないじゃん(笑)
764世界@名無史さん:2011/06/24(金) 20:55:56.05 0
>>762
可愛いなあwww

高学歴ならggってもわからん研究の内輪話くらいするんだが

あとセンターって。まあ足切りにはつかえるねwwしかも証拠もなしに。

phはゃぐぐったのか
安藤はggって新たに見つけたのが丸わかり。

文系理系の分け方ってのは大学院レベルの教育受けてたら恥ずかしくてそんな分類しないよww

765世界@名無史さん:2011/06/24(金) 21:00:22.77 O
764
アホ相手に内輪話するわけないじゃん(笑)

ま、ぶん系の大学院と理系の大学院はレベルが違うんでしょうね(笑)

我々は恥ずかしげもなくぶんけーと理系を区別してます
766世界@名無史さん:2011/06/24(金) 21:03:26.39 O
その足切りにひっかかって
泣く泣く文転した奴いたなあ


知ってる?一定のレベルを超えると
文系は悔し泣きしながら選ぶものなんだよ(笑)
767世界@名無史さん:2011/06/24(金) 21:05:19.60 O
ぶん系のセンターのボーダーどれくらいか教えてくれる?

受験したなら分かるでしょ(笑)
768世界@名無史さん:2011/06/24(金) 21:08:17.69 0
>>765
おおww反論できなくなったか

研究に際して指導教官からの教訓とかはないの?

「資料集めも研究者の能力」とかいう誰もが知ってるようなもんでいいからさw

769世界@名無史さん:2011/06/24(金) 21:11:10.26 O
内輪話しなかったら
反論できないことになるのか(笑)

ぶんけーの日本語はおかしいね(笑)
770世界@名無史さん:2011/06/24(金) 21:14:49.51 O
ぶん系の妄想
工業高校クラスの知能しか

現実
工業高校卒のインテリ多数

妄言
ぶんけーにはノーベル経済学賞がある!

現実
LTCM破綻

妄言
悔しかったら内輪話してみろ!

現実
嫌です


どう見てもぶんけーの負け(笑)
771世界@名無史さん:2011/06/24(金) 21:15:55.66 0
だいぶ焦ってるなw
772世界@名無史さん:2011/06/24(金) 21:17:41.73 O
711
センターにおける
ぶんけーのハイレベルなボーダーを答えて
是非焦らせてくれたまえ(笑)
773世界@名無史さん:2011/06/24(金) 21:29:34.29 0
>>770
うーん反論できずに罵倒ばかりかぁ。
まあ予想通り

ちなみに君の分類で文系とされる分野でも、数学は使うし使う能力もあるよ。
君は大学行ったことないから知らんみたいだが。

数学は俺らにとってはそれを知ってたからどうだというモンでなくて
それを使ってどういう新しい見方が得られるかなんだよ。

例えば小説家が日本語に詳しいのはよい事だが、小説家の評価はその日本語でなにを書くかだろ

それと同じ

君は「日本語に詳しいから小説家として偉大」と言ってるようなもん

だからこいつは高卒レベルだなってばれてしまう。
774世界@名無史さん:2011/06/24(金) 21:35:01.73 O
773
無理すんなよ(笑)

ぶんけー
幾ら何でも工業高校には優越感抱けるにだ!
現実
安藤忠雄 城東工業高校卒


つまり知ってるかどうか関係ない、要はあなた方は数学を知らないんですね?
了解しました(笑)

ぶんけー馬鹿すぎ(笑)
775世界@名無史さん:2011/06/24(金) 21:37:26.06 O
論破されたら

あいごー!罵倒されたにだ!


ぶんKの思考能力は幼稚で可愛いな(笑)
776世界@名無史さん:2011/06/24(金) 21:40:06.67 O
ところでぶんけーのセンターのボーダーの点数が
いつまでたっても出て来ないけど?

そんなに恥ずかしいの?(笑)
777世界@名無史さん:2011/06/24(金) 21:44:40.88 O
773
君のセンターの数学の点数はいくつだったの?

それであなたが数学をどれくらい理解できるか測ろう
あの程度もできないなら話しになんないからね。ちなみに俺はAもBも満点でした(笑)
778世界@名無史さん:2011/06/24(金) 22:07:29.57 0
>>777
うーん。
理系なら検証とか再現性とかわかってるよね。
君が勉強でなく学問をやってないのがよくわかるレスだ。


証拠もなしになにも語れないよ
しかも完全にこちらの話からは逃亡してるし。

大学の卒論をどうやって書き、それをどうするか語ってくれたまえ。

賢いきみがまさか学士をとってないものとは思えないからな。

779世界@名無史さん:2011/06/24(金) 22:27:50.52 O
逃げてるのはお前じゃん(笑)

俺は既に761でボーダーの点数聞いてるがね

君は涙目で話題そらし(笑)

数字が証明するぶん系のアホさ(笑)
780世界@名無史さん:2011/06/24(金) 22:29:24.83 0
泣くなよw
781世界@名無史さん:2011/06/24(金) 22:30:47.72 O
ちなみにある種の学部では卒論ないんだよね

君に言っても厭味になるだけで哀れだから
言わないけど(笑)
782世界@名無史さん:2011/06/24(金) 22:32:40.63 O
780
ボキャブラリーが貧困だね(笑)
783世界@名無史さん:2011/06/24(金) 22:38:01.28 O
大学にいるなら卒論書くに決まってるにだ!

低レベル丸出し(笑)

よくもまあ、
工業高校の皆さんに根拠のない優越感を抱けるもんだわ(笑)

彼らのほうがぶんけーより遥かに賢く、社会にも貢献してるのにね(笑)
784世界@名無史さん:2011/06/24(金) 22:41:06.36 O
実際、ぶんけー行くくらいなら、就職するか高専行ったほうが遥かに有意義だしね(笑)
785世界@名無史さん:2011/06/24(金) 22:41:35.20 0
>>781
法学部のことかいw。高校生でも知ってるよ。

結局卒論レベルのことさえ知らんのか。ggっっても論文指導の詳細はわからないからねぇ
まあ涙ふけww
786世界@名無史さん:2011/06/24(金) 22:43:06.22 O
爆笑


法学部のことかい


俺は理系です(笑)


馬鹿まるだし(笑)
787世界@名無史さん:2011/06/24(金) 22:45:12.56 O
なんでぶんけーってこんなに頭が悪いんだろ?

工業高校にも気持ち悪い優越感抱いてるし
無価値な馬鹿のくせに
788世界@名無史さん:2011/06/24(金) 22:47:57.78 O
ぶんけーとミミズって
どっちが頭いいの?
あえて知能に限って比較してほしい

だって有用性じゃミミズの圧勝で分かりきってるからね(笑)
789世界@名無史さん:2011/06/24(金) 22:48:41.13 0
>>786
理系で卒論書かんのか。
Fランってレベルじゃねーぞ
790世界@名無史さん:2011/06/24(金) 22:49:51.33 O
789
(笑)
791世界@名無史さん:2011/06/24(金) 22:52:07.41 O
知能が無いと恐れるものが無くていいね(笑)

工業高校の生徒さんを馬鹿にするのも同じ理屈かな

余りにアホすぎてむしろ哀れみすら覚えてきた(笑)
792世界@名無史さん:2011/06/24(金) 22:55:56.58 0
論文の書き方さえ知らない人にいわれても・・
793世界@名無史さん:2011/06/24(金) 23:01:58.33 O
卒論論文は書かないが
論文を書かないとは一言も述べてないな


ま、ぶんけーは論文を卒業時にしか書かないのは分かりました(笑)
とことんレベル低いんだね(笑)

工業高校に対する優越感の根拠がますます不明(笑)
794世界@名無史さん:2011/06/24(金) 23:05:22.94 0
誰だこんなとこに壊れたテープおいたのは
さっきから同じことしか言わないじゃないか
795世界@名無史さん:2011/06/24(金) 23:12:34.60 0
>>793
え792はより一般化して論文って書いてあげたんだけど。

早く論文の書き方と、どの性質の論文がどんな検証を経てどうするか書くんだ。
796世界@名無史さん:2011/06/24(金) 23:26:59.57 O
151
その占領し続けるってのが不可能なんだよ
だから敵の戦力をいち早く破壊しないといけない

ナポレオンもモスクワで言ってる
後二週間早ければ敵軍事を捕捉できたってね

オタクの脳内妄想を偉そうに披瀝するのは勘弁
797世界@名無史さん:2011/06/24(金) 23:35:54.39 0
ここは偏差値を論じるスレではありません。
「世界史に於ける秀吉の朝鮮征伐の考察」のスレです。
関係のない話を持ち出す人は相手にしないようにしましょう。
皆さんで注意を促しましょう。
798世界@名無史さん:2011/06/25(土) 00:02:57.32 O
795
早くセンターのボーダーを明らかにして
工業高校に対する気持ち悪い優越感の根拠を示してくださいね(笑)


愚鈍なぶんけーさん(笑)
799世界@名無史さん:2011/06/25(土) 00:17:03.11 O
ぶんけーのボーダーは九割は当然だよね(笑)

工業高校を馬鹿にするくらいだから
それくらいの圧倒的差を見せつけてくれないとね(笑)
大学の価値がないよね(笑)
800世界@名無史さん:2011/06/25(土) 00:22:32.37 0
ウーム
工業高校にこだわっているな。

君の劣等感を相当刺激してしまったようだ・・・。
801世界@名無史さん:2011/06/25(土) 00:54:02.38 O
工業高校を最初に持ち出したのはぶんけー
しかも
工業高校クラスの知能しか
みたいな気持ち悪い傲慢な言い回しでね

きっと
偏差値がいくら低くても工業高校よりはマシ
みたいに考えているんだろうね(笑)

愚劣で無価値なモラトリアム集団の分際で(笑)
802世界@名無史さん:2011/06/25(土) 08:18:23.35 O
文系叩きはますます朝鮮人づいてきてるな。脳内花壇は満開です。
803世界@名無史さん:2011/06/25(土) 09:23:43.82 0
すっかりクソスレ化しとりますな
804世界@名無史さん:2011/06/25(土) 09:45:05.28 0
スルーでおk
そもそも (笑) に品性が感じられない
議論したいのではなく、罵倒したいだけ
何を言っても無駄
あと、文系をひらがなにしたりするのはNGワード対策のつもりなんだろうけど
(笑) をNGワードに設定しているから関係ない

先に言っておくとwが二個以上もngワードに入れているから
それ以外のワードで書き込んでください、あなたずっとあぼーんになっています
805世界@名無史さん:2011/06/25(土) 09:56:09.80 0
俺が>>547で詰まらん事言ったばかりにクソスレ化してしまった・・
本当に申し訳ない・・
806世界@名無史さん:2011/06/25(土) 10:18:11.39 0
気を取り直してスレタイに沿った話に戻そう
807世界@名無史さん:2011/06/25(土) 10:45:51.34 0
>>805
ちなみに君の主張は一部否定せざるをえないがな
808世界@名無史さん:2011/06/25(土) 11:06:30.58 0
文禄の役は明軍の勝ちで終わったでいいと思うんだ
李如松と大砲は強かったよ
鉄砲は日本軍が上で大砲は明軍が上みたいだな
809世界@名無史さん:2011/06/25(土) 11:12:49.75 0
目的を達成したかどうかだろ。
基本的には侵略者を退けた明の勝利だろ
ただ軍が強いかどうかはまた別だろう
810世界@名無史さん:2011/06/25(土) 11:42:18.06 0
これは納得
811世界@名無史さん:2011/06/25(土) 11:43:08.17 0
>>810
すまん誤爆
812世界@名無史さん:2011/06/25(土) 11:59:57.60 O
>>808
いや「終わった」じゃなかろ?
813世界@名無史さん:2011/06/25(土) 12:37:56.04 0
野戦でほぼ全勝したのに最終的に撤退したのは
やはり補給路を絶えず脅かされたのと
耐寒装備の不備が原因だろうね
814世界@名無史さん:2011/06/25(土) 12:59:50.95 0
野戦が強くても拠点を突破できなくちゃ戦争では勝てないのだよ
それが最後まで勢力を拡大し続けたチンギスハンとカルタゴを衰退させたハンニバルの決定的な差
815世界@名無史さん:2011/06/25(土) 15:20:53.37 0
戦国期の東北兵って冬季の戦闘でもやはり「わらじ」を履いてたのかな?
朝鮮北部は「靴」じゃないと凍傷で戦争出来ないと思う
816世界@名無史さん:2011/06/25(土) 15:56:40.11 0
武将は足袋か
817世界@名無史さん:2011/06/25(土) 18:03:48.98 0
野戦が強いって(笑)
慶長の役14万以上の大軍で攻め込んでいったのに
全期間1597年8月〜1598年11月の
1年3ヶ月中1年以上倭城に立て篭もってた
だけなのに野戦が強いって(笑)
818 ̄ ̄∨ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄:2011/06/25(土) 21:17:12.23 0

と、蹴散らされた側の子孫が申してます。
819世界@名無史さん:2011/06/25(土) 23:58:31.66 0
朝鮮軍相手だと野戦ではほぼ一方的に殲滅してるし
明軍相手の野戦でも碧蹄館、稷山、蔚山と全部勝ってるからなあ
820世界@名無史さん:2011/06/27(月) 08:46:59.18 0
慶長の役は一揆勢力や朝鮮水軍の拠点の掃討と南岸での城の築城、明軍の反攻を跳ね除けるという
すべての目標を達成した日本の勝ちですか。
821世界@名無史さん:2011/06/27(月) 10:09:46.17 O
それら戦略目標の一切が戦争に勝つ為のものでなく
戦闘に勝つ為のものになってる時点で何とも
822世界@名無史さん:2011/06/27(月) 11:57:04.17 0
慶長の役についてはそのほとんどの期間
戦略目標である南部4道を征服しないまま
南岸の倭城に立て籠もって明・朝鮮軍を迎え撃って
いた時点で勝利も何もないけどな。
823世界@名無史さん:2011/06/27(月) 13:22:35.43 0
南原城の戦いのとき、楊元はなんで山城への篭城案を却下したんだろうね
平地の城にたった三千人程度で篭って、日本軍を迎え撃てると思ったんだろうか
824世界@名無史さん:2011/06/27(月) 14:01:11.81 0
小説的に言えば、泗川古城・泗川新城の鬼島津の奮戦で明軍が壊滅したときに
秀吉が存命か、後継者の意志がはっきりしてたらここから再侵攻、無人の野を行くが如しだったのかな?
825世界@名無史さん:2011/06/27(月) 14:07:40.34 0
島津義弘って泗川城の籠城戦での大勝利したことで
過大評価されてるよね。
文禄・慶長の両役に始めっから参戦し、朝鮮各地を
転戦してるけど、泗川城の籠城戦での大勝利以外に
目立った武勲ないね。
826世界@名無史さん:2011/06/27(月) 14:28:15.34 0
>>825
ウリナラ英雄李舜臣を義弘に討ち取られているのを忘れてないか?w
827世界@名無史さん:2011/06/27(月) 14:53:19.50 0
お前さんも他の大名が居たのを忘れてるぞ
誰が討ち取ったのか分からない
828世界@名無史さん:2011/06/27(月) 17:42:46.44 0
>>827
李舜臣が討ち取られたのは認めるのな。w

李舜臣は明側の先鋒で、日本側は島津が主隊で先鋒だから
島津隊が討ち取ったということで無問題だろ。
むしろ他の大名が討ち取った可能性があると主張するのなら
そのソース出せよ。
829世界@名無史さん:2011/06/27(月) 17:46:55.15 0
李舜臣より、明のケ子龍を打ち取ったことの方がはるかに価値が高い
830世界@名無史さん:2011/06/27(月) 18:12:09.67 0
>>821
慶長4年に予定してた再侵攻の地ならしだから戦争に勝つためじゃん。
831世界@名無史さん:2011/06/27(月) 19:00:58.25 0
>>828
相手が一人に見える癖は直した方がいいぞ。
多分今までも突っ込まれた事あるだろお前さん
832世界@名無史さん:2011/06/27(月) 19:25:09.68 0
>>831
一人でも二人でもいいが話を逸らさず
ソース出せよ。w
833世界@名無史さん:2011/06/27(月) 21:12:18.91 0
>>832
主攻で先鋒だと島津に限定されるソースからどーぞ
834世界@名無史さん:2011/06/27(月) 21:38:49.85 0
>>833
『日本戦史 朝鮮役』くらいも読んでないのか?

ざっと手元で確認できる史料は『征韓録』とか『淵邊眞元高麗軍覚』、
島津が戦闘の主体だったということは『乱中雑録』とか『宇都宮高麗帰陣物語』にも
載っとるな。ま、他にも色々あるだろ。


で、そっちは?
835世界@名無史さん:2011/06/27(月) 21:59:54.80 0
主攻だったソースは求めてないんだが・・・?
836世界@名無史さん:2011/06/27(月) 22:30:01.79 0
>>835
なに訳わからん泣きをいれてるんだ。w

関連資料をさっぱり読んでないどころか頭悪そうだからはっきり
言ってやるが、島津の公式記録である『征韓録』には島津が
李統制(李舜臣)を討ち取ったとしっかり書いてある。

だからオマエはそれを否定する、寺沢でも立花でも、露梁海戦に参加した
他の大名の家伝なり家記なりに”李舜臣を討ち取ったのはウチだ”と
いう記述があることを示せばそれで良いんだよ。

早くしろや。
837世界@名無史さん:2011/06/27(月) 22:52:17.95 0
>>830
>慶長4年に予定してた地ならしだから戦争に勝つためじゃん。
慶長2年の時点では慶長4年からの再侵攻の話しなんてないんだが(笑)
当初計画が破綻した慶長3年になってから出てきた話ジャン。


838世界@名無史さん:2011/06/27(月) 23:43:45.24 0
慶長の役は当初の計画通り進んだわけだが。
839世界@名無史さん:2011/06/27(月) 23:58:07.63 0
>>837
>慶長の役は当初の計画通り進んだわけだが。
ふーん。じゃあさ、開戦当時の作戦計画のソースを提示してくれよ(笑)
慶長2年の14万での再侵攻が実はすでに占領済みの南岸への
地ならしにすぎないこと。
あるいは右軍・左軍に別れての内陸への侵攻と撤退の意味について提示した
当初計画のソースを(笑)

840世界@名無史さん:2011/06/28(火) 00:09:44.79 0
こいつ同じ話を一体何回蒸し返すつもりなんだ?
841世界@名無史さん:2011/06/28(火) 02:13:47.30 0
政治的信念が彼を突き動かしています。
彼は政治が歴史をゆがめる良いサンプルでありますが
会話の相手としては壁と話したほうがマシです。
842世界@名無史さん:2011/06/28(火) 09:14:45.29 O
>>832
小西救助へ島津に出撃命令をしたのは九州取次の人では?
843世界@名無史さん:2011/06/28(火) 10:03:55.87 0
>>830
>慶長4年に予定してた地ならしだから戦争に勝つためじゃん。
だったら教えてくれよ?
どこの大学の歴史学教授(或いは名誉教授)が主張してるんだ。
どこの地方の歴史研究者(或いは郷土史家)が主張してるんだ。

ちなみに>>531が紹介してくれた中野等の「秀吉の軍令と大陸侵攻」
では、304頁において、明国の大軍が来襲した場合にのみ秀吉自身が朝鮮に
渡海するとの命令を「慶長の役に対する姿勢がなおざりだ」と批判している。
また、同書316頁では「赤国不残悉一篇ニ成敗申付」として皆殺しの対象だっ
た全羅道に対しても、左軍が方針を転換して敵対する者への制圧が整ったら
仕置きの城々を作る予定だったはずが、詳細はわからないが戦況に影響されて
計画どおり仕置きの城々を作れなかった、と主張している。
同書317頁ではその理由として内陸に進攻した左軍・右軍とも現地での食糧調
達がうまくいかず、それは朝鮮王朝による清野作戦(焦土作戦)によるもので
はないか、と根拠も提示せず主張しており、南岸へ撤退した理由の様に読者を
誘導している。
844世界@名無史さん:2011/06/28(火) 10:09:36.47 0
>>836
ああわかった
日本語理解出来てないんだな君は

仕方ないから曲解出来ないように細かくレスしてあげるが
まず最初に首を取った訳じゃないから誰が討ち取ったかは不明瞭で8割方島津としか判別出来ないのに何で島津が確定になってるのと聞いた。
そしたら君は何故か島津が主攻とか全く関係ない事を言い出した。
それを指摘したら今度は島津がそう言い張ってると言い出した。
これも聞いてる事の答になってない。
845世界@名無史さん:2011/06/28(火) 13:40:41.65 0
>>844
グダグダ言い訳せずに、さっさとソース出せよ。

素直に、”脳内ソースしかありません。聞きかじりの知識しかないのに
知ったっ風な口を叩いてごめんなさい”した方が楽になれるぞ。w



>>842
また珍説登場かよ。そういうのはまずソースを上げような。


846世界@名無史さん:2011/06/28(火) 14:00:30.26 0
ところで、300年後の日本帝国はなんで同じ朝鮮半島で戦争して
今度は40年近く保持できたの? 前回の反省が生かされたの?
847世界@名無史さん:2011/06/28(火) 14:15:20.58 0
>>845
無関係なものをソースと主張すればソースになる訳ではないぞ坊や?
848世界@名無史さん:2011/06/28(火) 14:26:54.41 0
逃亡宣言?w
849世界@名無史さん:2011/06/28(火) 14:40:53.65 0
>>845
お前「だが」か?
やってることまんま「だが」なんだが
850世界@名無史さん:2011/06/28(火) 15:54:48.09 0
>>849
誰よそれ、どこかのコテなのか?

で、そのコテ認定して一体何がしたいの?
851世界@名無史さん:2011/06/28(火) 18:02:40.14 0
852世界@名無史さん:2011/06/28(火) 18:02:59.53 0
>>843
スゲー権威至上主義な人だねキミは
853世界@名無史さん:2011/06/28(火) 18:39:26.76 0
久しぶりに日本語が通じない子を見た気がするな。
なんか無意味に煽ってるんだがそれすら意味不明っていう・・・
854世界@名無史さん:2011/06/28(火) 19:26:58.54 0
>>853
はいはい、くやしいのうくやしいのう。(AA略


通説に異を唱える側が肝心の主張のソース提示を全く来ず
グダグダ泣き言いれても馬鹿扱いされるだけだろ。
855854:2011/06/28(火) 19:55:49.18 0
おっと脱字。 ×全く来ず  ○全く出来ず
856世界@名無史さん:2011/06/28(火) 20:28:27.81 0
誰とも言ってないのに・・・自覚があるなら直せよ迷惑だから
857世界@名無史さん:2011/06/28(火) 20:37:58.27 0
地味な勝利宣言だな。w
858世界@名無史さん:2011/06/28(火) 21:09:16.89 0
慶長の役の目的は秀吉が出した講和条件から朝鮮南部の割譲、したがって南部の占領だと思われてたけど、
朝鮮南部を占領する気なんて最初からなく、
目的は敵対勢力の掃討やら朝鮮南岸の橋頭堡の拡張やらの再侵攻の下準備で
さらにはもしも明軍を全滅させたら明まで攻め入る、って文禄の役と同じ明征服を目標に掲げてる。

これって戦争の推移によっては南部4道よりもっと大きい要求したり、
本当に明軍を殲滅したら明征服に着手するつもりだったってこと?
859世界@名無史さん:2011/06/28(火) 21:53:26.59 0
慶長の役の目的に南部4道の領有は掲げていない。

明の征服を止めるとは一度も言っていない。
明まで征服するぞと言っている。
860世界@名無史さん:2011/06/28(火) 23:19:09.25 0
>>858
>目的は敵対勢力の掃討やら朝鮮南岸の橋頭堡の拡張やらの再侵攻の
秀吉の命令を素直に読めば、敵対勢力の掃討と朝鮮南岸の橋頭堡の拡張
ではなく、正しくは、敵対勢力の掃討と朝鮮南部への橋頭堡建設だろ。
>下準備でさらにはもしも明軍を全滅させたら明まで攻め入る、
秀吉の命令のソースは?

861世界@名無史さん:2011/06/28(火) 23:44:30.35 0
朝鮮役に関する欧米人の見解でこんなのを見つけたぞ↓

「六年半という期間、日本軍は大規模な軍事行動を二度起こしたが、彼らはこの中で殺戮と破壊のみに終始した。
日本側の地上軍は、その大部分の戦いで勝利し、朝鮮半島地域の大部分を席巻した。彼らはほとんど敗れることなく、
多くの将軍が子孫末代まで続くほどの名声を得た。こうした観点から見ると、
日本軍が起こした戦争はイピロスのピュロス王やハンニバルが起こした戦争と似たところがある。
ピュロス王やハンニバルともに、彼らが起こした戦争を通じてイタリア半島の広い地域を荒廃させ、
ローマの主導権を脅かし、ほとんどの戦闘を勝利に導いた。しかし結局、戦争そのものには敗北した。
一方、日本と彼らの間には異なる点がある。ピュロス王やハンニバルを倒した相手はローマであり、
その後ローマはギリシャを征服してカルタゴを破壊した。
一方、朝鮮や中国は、日本による征服は退けたものの、戦争に勝ったとは言いがたいのが実情であり、
再び戦争以前の状態に戻ったのである」・・・ウィレム・ブート オランダ、ライデン大学日韓言語文化学科教授
862世界@名無史さん:2011/06/28(火) 23:51:05.52 0
半島をさんざん戦場にして荒廃させて、何百年かあとに再入植して
渾然一体の経済圏ができかけたあたりまでは
むしろ第三次ポエニ戦争のローマが日本だよね

半島出身の議員や将官さえいたし。
863世界@名無史さん:2011/06/29(水) 01:47:39.28 0
>>859
じゃぁ文禄の役の講和条件を理由に、いつの間にか明征服を諦めたことになってるが、
あくまで最終目標は明征服なのかな。
明王朝が元気ならこんな発想はしないだろう、秀吉は明王朝は末期って情報を持ってたのか。
864世界@名無史さん:2011/06/29(水) 03:16:05.10 0
文禄の役後の講和交渉は
秀吉は本意ではないって言ってるよ
秀次を総大将に侵攻するプランもあったし。
865世界@名無史さん:2011/06/29(水) 09:16:17.18 0
>>858
>朝鮮南部を占領する気なんて最初からなく、
>目的は敵対勢力の掃討やら朝鮮南岸の橋頭堡の拡張やらの再侵攻の
>下準備でさらにはもしも明軍を全滅させたら明まで攻め入る、って文禄
>の役と同じ明征服を目標に掲げてる。
そんな話初めて聞いた(笑)
どこの大学の歴史学教授(或いは名誉教授)が何の本で主張してるんだ。
どこの地方の歴史研究者(或いは郷土史家)が何の本で主張してるんだ。
すぐにでも調べたいんで著者名と本の名前を教えて!

ちなみに>>531が紹介してくれた中野等の「秀吉の軍令と大陸侵攻」では
南部4道の占領が目的だと主張している。(笑)

866世界@名無史さん:2011/06/29(水) 11:26:58.47 0
中華思想全盛だった近世に於いては、夷蛮の国は自国を治めたら次は中原に進出して天命を受けるもの、
なんていう思想がまだ生き残っていた、って言う説もあったよね

まかり間違えばヌルハチ、ホンタイジの代わりにヒデヨシ、ヒデヨリが近代の中華王朝を立ててたかもしれないんだよね
867世界@名無史さん:2011/06/29(水) 13:27:38.82 0
なぜ、秀吉の戦争指導をそんなに買いかぶるのか?
天下統一までの秀吉の戦争指導をみれば
とりたてて優れていないのがわかるのに。
なぜ、武士の戦闘力をそんなに買いかぶるのか?
中国地方で毛利元就の謀略により滅ぼされた陶晴賢
や尼子家も
九州地方で島津兄弟により大敗した竜造寺や大友も
近畿地方で織田信長に滅ぼされた大名達も皆武士なんだよ。
決して毛利元就や島津兄弟や織田信長だけが武士なんじゃなくて、
彼らに敗れた多くの者たちも武士なんだ。
有名な(優秀な)少数の武士にばかり焦点がいき、無名な(無能)な
多数の武士の存在を無視している。
だいたい120年にわたる戦乱を統一した秀吉からして本来は武士じゃ
ないんだけどな。
その秀吉が天下平定している時点で武士とはなんなのかと思うけどな。


868世界@名無史さん:2011/06/29(水) 14:24:29.49 0
負けた奴らのことなんか知らんがなw
その戦乱の最終的な生き残りなんだから精鋭にきまってるだろ
869世界@名無史さん:2011/06/29(水) 14:32:53.95 0
>負けた奴らのことなんか知らんがなw
毛利も島津もその負けたやつなんだがw
>その戦乱の最終的な生き残りなんだから精鋭にきまってるだろ
最終的な生き残りw
戦国時代って高校野球のようなトーナメントじゃねえぞ(笑)
生き残った者の大半は毛利や島津のように負けたやつらだろ。
870世界@名無史さん:2011/06/29(水) 15:09:25.22 0
しかし、せめて徳川家が鄭和の3分の1でもいいから
外洋艦隊作ってくれてればなあ

大陸沿岸に拠点をたくさん作って一大経済圏ができてたろうに。
871世界@名無史さん:2011/06/29(水) 15:10:34.32 0
それをやると国内のパワーバランスが崩れるという懸念をしたからな
872世界@名無史さん:2011/06/29(水) 15:40:58.95 0
パワーバランスって?
873世界@名無史さん:2011/06/29(水) 15:51:26.74 0
貿易のできる藩とそうでない藩で経済格差ができるって事じゃね?
後は藩の水軍が強くなると幕府的にも危険になりやすいかもな
874世界@名無史さん:2011/06/29(水) 16:40:27.68 0
それこそ、旗本八万騎のかわりに
旗本八艦隊とか作ればええんちゃう
875世界@名無史さん:2011/06/29(水) 19:45:54.05 0
艦隊は金食い虫だから無理だろう
維持費を地方藩に振り分けられるならいいけど、
そんな莫大な維持費を押し付けられて見返りなしじゃ
藩もさすがに黙ってないだろうし
876世界@名無史さん:2011/06/29(水) 22:00:05.85 0
維持費くらい貿易で稼げないかなぁ
確かに鄭和の遠征は大赤字だったそうだけど。
877世界@名無史さん:2011/06/29(水) 23:08:53.38 0
その利益で艦隊維持するほど規模の貿易を独占するほどの力が幕府にあれば、
ああいう国制にはならなかっただろう
よしんば短期間実現できたとしてもどこかで無理が生じてたと思う
878世界@名無史さん:2011/06/30(木) 10:52:16.15 0
大坂冬の陣の際、江戸から伏見まで17日間で到着するという強行軍を重ねた。
このため、秀忠軍の将兵は疲労困憊し、とても戦えるような状況ではなかった。
このような不手際を重ねるほどすでに秀忠率いる江戸の幕府軍は平和ボケしていた。
当然、家康死後は平和ボケは一層進んだだろう。
その為、明国からの救援にも浪人達を派遣しようとしたぐらいだ。

879世界@名無史さん:2011/06/30(木) 12:52:01.08 0
『勝ちに不思議な勝ちあり、負けに不思議な負けなし』
戦国時代の合戦をこの言葉から分析すれば、
勝敗の鍵を握っているのは勝者ではなく敗者ということだ。
日本三大奇襲(川越野戦・厳島合戦・桶狭間合戦)についても
勝者である北条氏康・毛利元就・織田信長の側よりも
敗者である上杉家・陶張賢・今川義元の側により勝敗の原因がある。
880世界@名無史さん:2011/06/30(木) 12:58:24.41 0
戦国時代最強を謳われた武田信玄や上杉謙信が
玄人武将に率いられた忠誠心の高い強兵集団相手に
渋い勝利を重ねているのに対し、
日本三大奇襲の勝者たちは、
素人くさい武将に率いられた忠誠心の低い弱卒の大軍
相手に大勝を博したに過ぎないともいえる。
881世界@名無史さん:2011/06/30(木) 13:08:05.95 0
よく120年の戦乱で鍛えられたといわれる戦国の武士たちも、
よく見ていくと素人くさい武将か忠誠心の低い弱卒がそこかしこにいる。
平安末期・鎌倉時代の質実剛健な武士たちと比べると
武将も兵卒も平均すると劣化してるんじゃないかとさえ思う。
882世界@名無史さん:2011/06/30(木) 13:26:06.77 0
幕末の幕府艦隊は他藩に対して圧倒的だったわけだから、旗本八艦隊も可能だっただろう。
でも幕府にしてみれば体制の維持が最優先なわけで、外様が貿易で稼いだり
バテレンの教えだとかはいてきたりするのはウザくて仕方なかった。
俺らは歴史を知ってるのだから艦隊作って貿易しまくって日本人町を作りまくって
あわよくば植民地をゲット、西洋の技術もじゃんじゃん取り入れよう、が正解だと知ってるけど、
徳川さんは未来なんか知らなかったわけで。

まぁヒッキー政策も元禄までは大成功だったけど、以降は行き詰ってたわけで、黒船来るまで
変わらなかったのは怠慢といえるが。
883世界@名無史さん:2011/06/30(木) 13:34:06.93 0
太平の世が100年で終わってもいいから各雄藩で競うように海外進出してて欲しかったな
その過程でスペインやオランダの外洋艦隊とドンパチやることになるかもしれんが

そうすれば19世紀半ばには列強の地位にいただろうに
884世界@名無史さん:2011/06/30(木) 13:37:38.43 0
おっと、朝鮮半島と関係ない話を広げてしまった
すいません
885世界@名無史さん:2011/06/30(木) 18:57:56.75 0
>>880
勝つ奴がいれば負ける奴もいるのは当たり前だし、
どの時代だろうが強い奴がいれば弱い奴もいるのが当たり前だろ
あと東海一の弓取り・今川義元は「素人くさい武将」だったのか?

まあ、戦闘要員の大半が武士階級であった平安・鎌倉時代と、
戦闘要員の過半数を百姓が占めていた戦国時代を同列に扱ってる時点で話にならんけどなw
886世界@名無史さん:2011/06/30(木) 22:08:46.61 0
個人的な感想だが鎖国政策と朝鮮出兵の評価って、日本帝国主義批判から
捻じ曲がった見かたされてる気がする。
鎖国は過剰に持ち上げられてるし、朝鮮出兵は不当に評価されてる。
江戸時代の前半100年は言われてるように平和で経済発展もしたけど、
後半は平和じゃなくて停滞というべきじゃね?って思う。
朝鮮出兵に関して中原に進出して新しい中華王朝を作るのって、別に悪くないじゃん。
明は自爆することが分かってるのだから無謀でもない。
別に中華王朝になれなくても、鎖国なんてせずに東南アジア辺りに日本人町がいっぱいあるだけで
日本の近代史はもうちょっと明るいものだったかも知れないし。
887世界@名無史さん:2011/06/30(木) 22:37:57.25 0
日本人町は実際にいっぱいあったんだけど
その勢力を恐れた現地有力者に潰されたりしてるね

まあ本土からの補充や交流が止まった時点で見えていたことではある
888世界@名無史さん:2011/07/01(金) 11:55:25.00 0
話は変わるけど、文禄の役ってソウルには4万くらいの兵士かいなかったのに
兵糧確保が大変だったとかいう話なのに、慶長の役では明は10万くらいの兵で
南岸に作られた日本の城に攻めかかってる。明は兵糧どうやったの?前年の出兵で
南部は荒らしまくってたはずで現地調達も難しそうだし。
889世界@名無史さん:2011/07/01(金) 12:16:37.39 0
明軍の兵糧については朝鮮王朝の全面的なバックアップがあった
890世界@名無史さん:2011/07/01(金) 14:34:13.46 0
年末に蔚山を攻めてそれで当座の物資は使い果たしたのでないかな。

また三路の攻勢に出たのは、日本側の再侵攻からほぼ一年後だから
兵粮等の物資集積には手間取ってるのだろうと思われ。収穫時期に
合わせての南部進出だし。
891世界@名無史さん:2011/07/01(金) 14:35:25.37 0
>>888
鎖国が過剰に評価されているという主張には概ね合意だが、
朝鮮出兵が不当に貶められているというのには同意しかねる。
120年にわたる戦乱が終了したわずか2年後にそれまでとは
異なる価値観を持った相手に対し、ろくな準備もせず行った
侵略行為に対してどうして評価できるんだよ。
道徳的にはもちろんだけど、政治戦略的にも評価しようがない。

892世界@名無史さん:2011/07/01(金) 14:55:41.17 0
道徳的観点を抜きに考えて、侵略は結果が全て
勝てば戦利品も手に入るし、植民地も手に入れられる
負ければ出費だけかさみ、国内的な求心力も失う
893世界@名無史さん:2011/07/01(金) 14:56:55.66 0
あのまま、秀吉が内政に力を入れて政治をしていれば
二代目秀頼か、三代目国松あたりには明国の内乱に乗じて
大陸進出の機会がめぐってきたのに。
894世界@名無史さん:2011/07/01(金) 14:58:01.82 0
おいおい、道徳的価値観を持ち出すのが涌いたよ。w
895世界@名無史さん:2011/07/01(金) 15:31:41.97 0
>>894
>おいおい、道徳的価値観を持ち出すのが涌いたよ。w
それが、なにか問題でも?
それとも16世紀の東アジアには国際ルールなどなにもなく
弱肉強食の世界だとでもいうのかよ(笑)

896世界@名無史さん:2011/07/01(金) 15:46:50.77 0
>893
無理だろう
秀吉の寿命に朝鮮征伐が関わっていたなら別だけど
内政に力を注いでも、秀吉の死後政権が不安定な時期が続き、
やっぱり関が原が起きると思う
そして徳川が幕府を開き・・・
897世界@名無史さん:2011/07/01(金) 15:54:21.08 0
>>893
いいねえ、そういうの好き
秦の始皇帝も、唐の玄帝、清の乾隆帝も三代、四代の蓄積があってこその
あの業績だからね
898世界@名無史さん:2011/07/01(金) 16:09:33.79 0

Q.在日朝鮮人1世の出身地を教えて下さい。
A.99.4%が南部(現在の韓国)出身です。更に17%が済州島出身です。

Q.どうして99.4%が南部(韓国)出身なの?
A.日本に近い南部の人が日本に稼ぎに来ました。

Q.どうして17%が済州島出身なの?
A.戦後、李承晩大統領による済州島民の虐殺から逃げて、日本に密入国
したからです。(関連:済州島四・三事件-Wikipedia)

Q.在日は強制連行されたの?
A.200万人もいた在日人口のうち、大戦末期に他の日本人と同様に工場などに徴用された
 のは終戦直前のたった6ヶ月間の20万人。これが彼らのいう強制連行ですが、その殆どは終戦後に帰国。
 残ったのはたった245人です。(朝日新聞 1959年7月13日)六ヶ月日本にいただけだから当然帰りました。
つまり今日本にいて偉そうにしてるのは・・・

Q.在日は帰りたくても帰れなかったの?
A.戦前の在日人口200万人のうち140万人が終戦直後に帰国しました。つまり帰れました。

Q.どうして60万人は日本に残ったの?
A.朝鮮で白丁(ペクチョン)と呼ばれた奴隷階層が多く、帰ると差別されるからです。
また戦後のドサクサで得た財産を放棄するのが惜しかったからです。

Q.えっ?じゃあどうして在日が被害者ヅラしているの?
A.日本人に罪悪感を抱かせるしか自身の存在を正当化できないからです
899世界@名無史さん:2011/07/01(金) 16:11:38.50 0
>>895
まぁ戦場となった朝鮮の人は酷い目にあったわけだから、道徳的には0点。
日本の近所にさえ、当時はどの国にも属していない空き地がいっぱいあったのだから、
空き地に進出する方向で対外進出してればよかった。
それでも原住民は酷い目にあうだろうが・・・
900世界@名無史さん:2011/07/01(金) 16:21:11.76 0
その理屈だと、朝鮮人も空き地の原住民じゃないのか(笑)。
901世界@名無史さん:2011/07/01(金) 16:30:09.94 0
いや北海道なんてあんなに広いのに江戸末期の調査でも3万人くらいしかいなかったんだぜ、
樺太なんかもっと少ない。
これなら空き地といっても良いだろ。
朝鮮は700万の人口を持つ立派な国だろ。
902世界@名無史さん:2011/07/01(金) 16:48:57.03 0
当時としては北方は何のうま味もないだろ。

朝鮮進出か南方進出かの2者択一だな。朝鮮は現実的に南部四道確保は
無理ではなかったし、南方も話の転び方によっては松倉重政のルソン出兵が
あり得たからな。
903世界@名無史さん:2011/07/01(金) 18:30:30.06 O
>>888
明が蔚山を維持した日数は日単位だし、二度の南下も作戦期間は週単位だろ?

日本は文禄二年の正月から数えても約五万で半年の漢城維持。
慶長二年の進出も約十万で遠征期間は三ヶ月以上。

補給力も戦闘力も単純な比較では圧倒していた。
904世界@名無史さん:2011/07/01(金) 19:22:44.28 0
大軍を動かそうとなると、当時の朝鮮では長期間の作戦は無理だよな。
だからこそ、日本軍も明軍も作戦期間以外は朝鮮に大軍を駐留させなかったわけで
905世界@名無史さん:2011/07/02(土) 10:19:23.00 0
>>902
ルソン征伐についてくやしく
906902:2011/07/02(土) 22:30:27.69 0
>>905
一から書くのも大変なのでちょっとググって見たら、このブログ末の”貿易の絆”ってのが
時代背景コミで経緯が上手くまとまってると思う。
ttp://manpokei1948.jugem.jp/?page=1&month=201005


ちなみに、松倉重政は遅れてきた武断派戦国武将というタイプなので
上昇志向は強かったようだから、マニラ攻略は単にキリシタンの策源地を絶つ
という他に、所領拡大や貿易利権という意図も当然あったものと思われ。

また重政の突然の頓死は、主導権争いからの竹中重義による毒殺という風聞も
当時からあったらしい。
907世界@名無史さん:2011/07/04(月) 03:19:33.07 0
”補給戦”読めば秀吉の南部築城と朝鮮農民撫で斬りが
合理的だと確信したわん
逆焦土作戦は実に有効な戦略
今じゃすっかり忘れて去られてるが、季節による風向きも重要な要素
夏以外は日本から補給物資がまともに届かん
このあたりが失敗の原因の一つではないのか?
908世界@名無史さん:2011/07/04(月) 07:35:17.55 O
>>907
南岸なら届かんなんてことはないが?
909世界@名無史さん:2011/07/04(月) 07:35:48.15 O
>>907
南岸なら風向き要因だけで夏以外は届かんなんてことはないが?
910世界@名無史さん:2011/07/05(火) 09:41:43.48 0
なんで連投すんだ
考えてから書け
911世界@名無史さん:2011/07/05(火) 10:47:40.98 O
>>907
同意だな。
しかし、「慶長の役ではピョンヤンどころかソウルさえ落とせずに南部に引き込もるしかなかった」とか与太を垂れ流す学者以下の野蛮人をなんとかして欲しいものだ。
漢城を落としても戦争が終わらないことは実績で証明済みだから当然戦略を変えるべきだし実際に変えている。
しかしその状態に変更前の戦略を当てはめて評価して何がしたいのか文明人には理解しがたい。
妄想で「ボケたから」なんて安易に結論づけせずに、もうちっと秀吉の合理性を評価してもらいたいもんだな。
912世界@名無史さん:2011/07/05(火) 11:25:45.47 0
>>911
秀吉の合理性(笑)
日本平定後2年も経たず、征服相手の明国や朝鮮のことも
ろくに調査もしてないまま嫡男捨丸の死をきっかけに大陸征服
に乗り出し、案の定朝鮮で激しい抵抗にあい、明軍の来襲で南岸
まで撤退した秀吉のどの辺を評価できるんだよ(笑)
慶長の役って文禄の停戦(1593年7月)から4年も立っているん
だが(笑)その上、14万以上の大軍を送り込んでいるんだが(笑)
それほどの準備とそれほどの軍勢を投入してすでに占領済みの南岸の
防御拠点を固めるだけってもし事実なら秀吉ってよっぽど明・朝鮮軍を
恐れていたんだな(笑)
913世界@名無史さん:2011/07/05(火) 11:47:23.49 O
>>912
慶長の役で占領範囲が拡大しているのを知らん坊やなのか?
914世界@名無史さん:2011/07/05(火) 11:52:30.67 0
>>913
それって、4年以上の準備期間と14万以上の軍勢を
投入しないと占領できないほどの領土なの(笑)
915世界@名無史さん:2011/07/05(火) 11:53:51.05 O
>>912妙な歴史解釈をするもんだな。
916世界@名無史さん:2011/07/05(火) 12:04:15.49 0
構ってチャンなんてほっとけよ、つまらん。
917世界@名無史さん:2011/07/05(火) 12:16:33.95 0
秀吉が合理的なら
明国との和平交渉において明の皇女を天皇に嫁がせろ、との要求や
すでに放棄した南部4道の割譲なんかを交渉したりしない。
皇帝がかわいい娘を辺境の野蛮国(と明国からは見えてた)
日本なんかに嫁がせるわけないし、すでに放棄した南部4道を
渡す理由がない(南部4道を日本に割譲したらソウルは敵との
最前線になる)
ならば和平交渉は再度の侵攻までの時間稼ぎかなのかと思ったら、
それが、14万以上の軍勢で南岸の防備を固めることだったなんて。
918世界@名無史さん:2011/07/05(火) 12:27:19.89 0
>>917
単に情報がなかった
昔は手紙と口述くらいしか通信手段がないんだぞ
919世界@名無史さん:2011/07/05(火) 13:06:42.95 0
講和が破裂して懲罰的側面を持つ慶長の役は元から占領することが目的じゃない。
再挙前に秀吉は赤国(全羅道)と青国(忠清道)の明・朝鮮軍を成敗することを目標に掲げて
それが済めば仕置ノ城に守備の将兵を残して帰朝させると明言している以上、元から戦線の拡大は
望んいるようには見えないな。むしろ、守備を固めて明の大軍が攻めてきたら討ち果たすと
秀吉が言っている以上、北上しすぎて補給で散々な目にあった文禄の役の二の舞に懲りて、南部での
戦闘を望んでいたように秀吉の主張からは思える。
想像だけど、秀吉は南部で防御を固めて勝利しやすい体制を築いて明軍を誘って撃滅し、士気と兵力
を大きく損じた明軍を壊滅させて講和するつもりだったんじゃないかな。
秀吉が途中で死んだので、今後どういう動きをとるつもりだったのかは難しい問題だけど。
920世界@名無史さん:2011/07/05(火) 14:17:12.48 0
たとえば日本軍が朝鮮半島に作った倭城は以下のとおりだ。
http://www.castle7.org/wajou1.htm
全体では30もある倭城の内、慶長の役で築城したのは8つしかない。
秀吉が命じた仕置きの城ってこれら8つの城のことなのか。
921世界@名無史さん:2011/07/05(火) 14:19:18.27 0
たとえば日本軍が朝鮮半島に作った倭城は以下のとおりだ。
http://www.castle7.org/wajou1.htm
全体では30もある倭城の内、慶長の役で築城したのは8つしかない。
秀吉が命じた仕置きの城ってこれら8つの城のことなのか。
http://www.castle7.org/wajou.htm
922世界@名無史さん:2011/07/05(火) 15:26:38.39 0
一、御仕置きの城々、おのおの惣談相定まり申し候。其れに就き、小西摂津守城の儀、
最前はしろ(白)国の内と御なられ候へども、赤国順天郡内、所柄見合わせ候て、取り出し
申すべく候事。

上にもあるけど、9月16日に御仕置きの城の配分が決まったことを秀吉に報告して10月に蔚山城
などの築城に着手してるところを見るとそうなんじゃない?


923世界@名無史さん:2011/07/05(火) 15:33:42.33 0
すまん、10月頃に加藤清正らが蔚山方面に向かって
蔚山城を築きだすのは11月10日からだわ。
924世界@名無史さん:2011/07/05(火) 17:13:05.28 0
>>919
ということは、「島津奔る」の島津義弘の戦いぶりは、
太閤が死んでなくても似たようなもんだったかもしれないのか。

小説ネタで恐縮だけど。
925世界@名無史さん:2011/07/05(火) 18:38:43.80 O
>>919
そうだな。文禄期に交渉のために縮小した占領地を広げて補給可能な範囲で迎撃態勢を取る。
二度の明鮮軍の攻勢を挫折させているようにあの態勢での戦闘には死角はないだろう。
また敵性民衆による策源地の構築を妨害するための攻勢で明鮮軍も前進を阻まれて後方分散配置からの長征を強いられた。
秀吉はきわめて合理性の高い方策を取っている。
926世界@名無史さん:2011/07/05(火) 21:35:10.41 0
実際に四国勢と中国勢が帰国して6万しかいない日本軍に対して明は11万で反撃に出てるからな。
仮に本土からの支援があんまり望めないソウルを占領維持してたら、
1対2の戦力差では虐殺されるだけだ。
927世界@名無史さん:2011/07/05(火) 23:54:59.68 0
南岸部に仕置きの城を集中させれば後方を遮断されることはないし、
蔚山戦役のときみたいに相互救援できるからな。帰朝組と在番組の交代も安全かつスムーズに行える
これで長期戦やられたら明軍は成すすべがなく、攻撃しても損失ばかり増えて疲弊していく
秀吉の寿命の問題さえなければ完璧と言っていい戦略だな
晩年の秀吉は気がふれていたなんて大嘘。最後まで卓越した戦略家だった
928世界@名無史さん:2011/07/06(水) 02:34:53.41 0
いやさすがに長期戦は日本側の兵站が持たないよ
朝鮮も明も半島を食いつぶして戦ってるから現地補給もきつい
929世界@名無史さん:2011/07/06(水) 08:19:58.56 O
>>928
え?なんで?
朝鮮現地での補給が見込めないんだから、日明鮮では本土からの補給がある日本が長期戦では一番優位ですよ?
930世界@名無史さん:2011/07/06(水) 08:37:13.87 0
>>929
おまえはなにをいっているんだ
多少なりとも現地の支援があるなしでは全く違う
931世界@名無史さん:2011/07/06(水) 09:14:29.56 O
>>930
朝鮮中部に大軍を維持することに明も朝鮮も失敗している。
それに現地調達なら日本もしているわけだが?
更に中間地帯を敵に利用されないために進行する戦略は慶長二年も三年も実施した。
932世界@名無史さん:2011/07/06(水) 09:40:51.06 0
文禄の役開始(1592年4月)から4年4ヶ月
講和交渉開始(1593年8月)から4年
投入兵力14万〜18万
慶長の役開戦から一年以上経て、秀吉の作戦外の状況で
下記の領土を奪い合いしている時点でどんな展望があるんだ(笑)
http://www.castle7.org/wajou.htm
933世界@名無史さん:2011/07/06(水) 11:18:33.20 0
日の出の勢いの後金が、落日の明を滅ぼすまで何年かかったか知らないの?
4,5年で結果をどうこう言う事業じゃないから。
934世界@名無史さん:2011/07/06(水) 11:42:23.68 0
>>933
>日の出の勢いの後金が、落日の明を滅ぼすまで何年かかったか知らないの?
清が明の征服にの乗り出したのは、明が農民反乱で首都まで陥落した後じゃん。
実力で明を征服したわけじゃない。
935世界@名無史さん:2011/07/06(水) 11:52:17.52 O
>>933
明を倒したのは李自成なんだがな?
936世界@名無史さん:2011/07/06(水) 12:03:06.06 0
やはり信長、秀吉の唐入り構想は明の崩壊を予想しての事だったんだろうなぁ。
937世界@名無史さん:2011/07/06(水) 12:07:20.02 0
いつまでの朝鮮の征服にこだわっていると逆に足元をすくわれることになる。

徐光啓の徐文定公集に、薩摩と明軍が協力して秀吉を討伐する提案があ
ったと記されている。
「許儀後なる者が、撫公の金省吾学曽に対して情報を送ってよこした。
その内容は、秀吉は国を空にし、家を内虚の状態にしている。薩摩の軍
兵はことごとく義弘・忠恒に従っていますが、残っている者を集めれば
四万にはなるでしょう。
ただ、兵を運ぶ船がありません。もし福建より多くの船隻を準備し、
加えて二、三万人を以って薩摩に来て頂ければ、ともに合力して山城を
襲い破り、必ずや秀吉の首を取ることが出来るでしょう。というもので
あった。省吾は、直ちに中央へ伝えようと計ったが皇帝の耳に入れるこ
とは出来なかった…。」
皇明経世文編 「徐文定公集」巻之四 海防迂説制倭 徐光啓著
938世界@名無史さん:2011/07/06(水) 12:19:29.68 0
花見と言えば、歴史上最大の花見は慶長三年(1598)三月十五日、時の太閤
秀吉の醍醐寺の花見でございますね、折りしも慶長の役で言ってみれば
戦時下での一大イベントとなるのでございますが、開催は士気高揚を図
ったのでございましょう、表向きは6歳になった秀頼と淀君をはじめ側
室を歓待する家族サービスとなっております。
その派手さは桁外れでございまして、現在京都伏見区にある醍醐寺も
当時は応仁の乱以来、廃寺同然でございます、秀吉が下見に行きますと
座主の義演は寺の疲弊を訴えるのでございました。
そこで秀吉は三宝院や金堂など諸堂の再建を命じ、三宝院庭園を造営、
各国から桜の木を七百本集め、境内に植えさせるのでございます。
こうして支度は石田三成始めいわゆる五奉行がプロジェクトチームと
なり花見の準備は着々と進んでまいります。
さながら花見万博と云ったとこでしょうか、
女房たちの衣装の調達については、薩摩の島津義久に命ずるのですが、
これもまた半端じゃございません、女房衆は、およそ千三百人それが
三回着替えを致すのでございます。
義久は京都の西陣職人を集めまして誂えさせたのでございます。
これを受け持った島津は堪(たま)ったもんじゃございません、
一着ン百万としても3,900着になりますからあたしのような貧乏人には
計算不能でございますよ。
939世界@名無史さん:2011/07/06(水) 13:38:00.48 0
>>937
それ、ただの与太話だから
まさか真に受けてる奴がいるとは思わなかったw
940世界@名無史さん:2011/07/06(水) 14:53:34.25 0
>>937
それって、薩摩に居た一明人の「ボクの考えた最強の対日戦略」
にすぎないものでしょ。
941世界@名無史さん:2011/07/06(水) 15:48:35.02 0
これまでこの記事は、余りに荒唐無稽なためほとんど無視されてきた。だが、
薩摩や中国、朝鮮の史料を検討した増田勝機・鹿児島国際大教授(東洋史)は
「実際に提案された可能性は高い」とみる。「中国側の複数の史料でも、
許儀後は明と島津氏のパイプ役として登場している。
そして彼が何者かというと、薩摩側の史料に見える許三官という、当主島津義久
(義弘の兄)に極めて近い人物と同一人物であることがわかったのです」
http://kyushu.yomiuri.co.jp/magazine/rekishikou/003/re_003_040305.htm
942世界@名無史さん:2011/07/06(水) 17:17:40.50 0
薩摩に居た一明人にすぎない許儀後が「ボクの考えた最強の対日戦略」 として提案しただけの話でしょ。
政策決定に係るような立場の人間による提案でもなく
もちろん採用されることもなかった話にすぎないよね
943世界@名無史さん:2011/07/06(水) 17:23:23.21 0
>>941
そこ、島津義久による提案みたいなこと書いてるけど
ただの妄想にすぎないよ
実際は一人の明人医者によるものでしかない
944世界@名無史さん:2011/07/06(水) 17:54:22.65 0
義弘以下10000の軍を朝鮮に派遣してる島津家が
さらに4万も動員して上方まで攻め上るなんてできるはずがない。
領国は薩摩・大隅2か国だけだよ。

それに朝鮮への出兵中も
肥前名護屋には秀吉以下10万の軍勢が待機していたし
上方には豊臣秀次以下3万余の軍勢が存在していた。
仮に島津が少々に兵を動員して実施されたとしても
こんな状況では成功することなど有り得ない。余りに荒唐無稽。

結論として言えるのは、所詮この提案は一人の明人医者による全く現実味のない提案でしかなかったってことで
>>941のリンク先にある「島津の秀吉討伐計画」なんて言い方は全く事実を歪曲したもの。
945世界@名無史さん:2011/07/06(水) 17:57:06.83 0
訂正
>>944
×仮に島津が少々に兵を動員して実施されたとしても
○仮に島津が少々の兵を動員して秀吉への反乱を実施したとしても
946世界@名無史さん:2011/07/06(水) 18:14:55.52 0
リンク先
>泗川の島津軍は攻め寄せる20万の中路軍を撃破・・・
中路軍20万って・・・真剣言うなよwww
947世界@名無史さん:2011/07/06(水) 18:38:34.84 O
与太話なら秀吉の目的が明成敗だとか四百年以上のホラ話に付き合っている情弱にオレたち文明人は付き合わなきゃいけんの?
いい加減、目を覚ませよな?
948世界@名無史さん:2011/07/06(水) 18:52:49.42 0
ただ、兵を運ぶ船がありません。もし福建より多くの船隻を準備し、
加えて二、三万人を以って薩摩に来て頂ければ、ともに合力して山城を
襲い破り、必ずや秀吉の首を取ることが出来るでしょう。
949世界@名無史さん:2011/07/06(水) 19:08:19.71 0
>>947
ホラ話というのはどういう根拠があって言ってるんだ?
本人は明に攻め込むぞって言ってるぞ。女真は成功したから不可能な話じゃないぞ。
950世界@名無史さん:2011/07/06(水) 19:28:26.33 0
>>936
30年以上たって数々の敗戦を経て
帝も代わった後の事を予期してるとかどんだけ贔屓だよ
そんなら本能寺の変を戦国大名が皆予期してたとかいうのも
ありになっちまう
ま、信長は当時から安国寺とかに崩壊を予知されてるけどな
951世界@名無史さん:2011/07/06(水) 19:32:12.87 0
>>929
長期戦が有利とか(笑)
既に人足や兵の逃亡が続出してて
「逃亡されても探しやすいように身元の確かな者を選んで集めろ!」とか
指令をださなきゃならなくなってる豊臣政権がか(笑)
餓死や疫病での死亡者も含めれば
時がたてばたつほどに先細りしそうだな、おい
952世界@名無史さん:2011/07/06(水) 19:45:49.19 0
そう興奮するなよ
長期戦になれば明軍より有利だったのは事実だろ
953世界@名無史さん:2011/07/06(水) 19:48:07.03 0
>>952
興奮はしてねえよw
ただ逃亡、餓死、疫病続出の日本軍の内情を考えて
ものをいってんのかと思っただけだな
長期戦になれば明や朝鮮のほうが分があるだろw
どう考えてもw
954世界@名無史さん:2011/07/06(水) 19:52:22.59 0
指導者が犠牲に耐えられるかがキモだからあんまり関係ないな

まだまだ双方余裕はあったろう
朝鮮はやばそうだが
955世界@名無史さん:2011/07/06(水) 19:52:55.29 0
>>950
だろ?信長、秀吉は明王朝はガタが来てるって情報を仕入れてたんだよ。
宣教師や商人とかからも情報が入ってきてたろうし。
そうじゃなきゃ明遠征なんて発想が出るはずがない。
956世界@名無史さん:2011/07/06(水) 19:54:13.71 0
現地戦力が先細りになってる状態で関係ないとかw
合戦で負けなければ現地軍が疫病、飢餓、逃亡で消滅しても負けじゃありませんってかw
大日本帝国だって真っ青な考え方だなw
957世界@名無史さん:2011/07/06(水) 19:57:30.85 0
>>955
お前、文章読めんのかよw
秀吉や信長が明崩壊を予知なんて出来るわけないっていってるんだよw
朝鮮出兵から明崩壊までどんだけ年月あったと思ってるんだよw
明屈指の暗君である万暦帝相手でさえ朝鮮取れなかったくらいに
明の屋台骨は秀吉存命中は丈夫だわw
まして信長の時代なんて何をもとにしていってんのかとww
958世界@名無史さん:2011/07/06(水) 20:01:44.94 0
>>957
いや実際に安国寺は予想出来てたんだろ?
959世界@名無史さん:2011/07/06(水) 20:02:54.88 0
>>953
疫病は明軍も似たようなもんだし
本土から目と鼻の先の沿岸部を城塞化、
在番・帰朝のシステムを作って守りを固めてる日本と
わざわざ半島南岸部まで長征しなきゃならん明軍
どっちが有利かなんて普通に考えりゃわかると思うが
ただでさえ明は韃靼の侵攻やら内乱やらが頻発して財政を逼迫していたのに
その上朝鮮に大兵力を送り続けなきゃいけないんだからヤバい
960世界@名無史さん:2011/07/06(水) 20:04:52.55 0
というか、餓死・疫病・逃亡兵が損失の多くを占めるのはこの時代の戦争なら普通だろ
なにも朝鮮の日本軍に限った話じゃない
961世界@名無史さん:2011/07/06(水) 20:05:06.34 0
>>958
安国寺が予想したのは信長の崩壊だw
文章読み間違えんなよw
信長の領国は当時から粛清と反乱の嵐なんだから
そりゃ予想はつくわなw
それと明崩壊はまるで別次元の問題だわ
962世界@名無史さん:2011/07/06(水) 20:07:29.61 0
>>959 >>960
無理無理〜w
日本軍がどれだけ海を隔てて城を維持するのに苦労してると思ってんだよw
陸地伝いで同盟国の領土を通れる明軍のほうが負担軽いわw
てか、そもそも逃亡兵の多さはどう見てもこの時代の普通の戦争の常識を超えてますw
それまでの日本戦国時代の合戦と比べれば異常な状況だとあっさりわかるだろうよw
963世界@名無史さん:2011/07/06(水) 20:11:20.34 0
>>956
新たに軍を編成する意思と能力あれば戦争は続くというのが、
ポエニ戦争から第二次大戦まで続く歴史の教訓

君が例に挙げている大日本帝国がそのまさに実例だよ
朝鮮征討より悪く、補給がない上に敗北しているのにだらだら戦争は続いた
964世界@名無史さん:2011/07/06(水) 20:16:33.17 0
>>963
四年で崩壊したけどなw
てか大日本帝国レベルの悲惨な未来しか豊臣軍には待ってなかったといいたいわけですかw
「人足や下人が次々と逃亡している!本国に帰っているのを見たら突き上げろ!」とか
「武家奉公人が軍役逃れのために日本国中で隠居してる!」
「どいつもこいつもすぐに逃亡する!身元はっきりしない者を送るな!身元保証人を立てろ!」
とか素敵なパニック状態がうかがえて面白いぞ、当時の日本軍の内情はw
965世界@名無史さん:2011/07/06(水) 20:19:04.53 0
>>962
遼東の李氏ならともかく劉綎ははるばる四川から、陳璘は広東から海を渡ってやって来たし
麻貴なんか西方のイスラム教徒だぞ
日本よりもはるかに広大な領土からこれだけかき集めて最前線に送り込まなければならなかったのに
「地続きだから明軍の方が負担軽い」と言うつもりなのか
966世界@名無史さん:2011/07/06(水) 20:24:08.73 0
>>965
いえるな
どこから参集しようと陸地伝いの策源地から補給が繋がるというメリットは
海をこえて10数万の大軍を維持するよりも大きいな
てか、現に日本側はそれで満足できる状態じゃないから逃亡者続出なんだろうがw
本国も戦地も逃亡者続出でおおわらわなのが朝鮮出兵の豊臣政権w
気候が全く違うのに日本風土にあったわらじとかで動いて凍傷になったり
飢餓や疫病てんこもりの状態じゃ
そりゃ逃げ出したくもなるわなw
967世界@名無史さん:2011/07/06(水) 20:32:25.73 0
>>966が、明軍の補給は山東半島から海路行われたということを
知らないお馬鹿さんなのはよく判った。
968世界@名無史さん:2011/07/06(水) 20:32:48.69 0
>>965
ああ、それから明軍の出発地点と参集地点と
補給が送られてくる策源地がまるで異なるのは理解できてるよな?
中国側はどこから兵をしゅっぱつさせようと、
参集させた地点に陸地伝いに補給策源地から補給すればいい
日本側がどこからこようと補給のためには海を越えるしかない
969世界@名無史さん:2011/07/06(水) 20:36:23.34 0
>>967
山東半島と朝鮮半島の距離だけでも日本よりずっとマシだなw
しかも北方軍閥も普通に南下して参戦してるっつーの
970世界@名無史さん:2011/07/06(水) 20:37:59.77 0
>>967が日本軍逃亡者続出の実情を知らないおばかさんなのはよく判ったw
971世界@名無史さん:2011/07/06(水) 20:39:02.06 0
なんか明・朝鮮軍の方は常に士気旺盛、逃亡兵など一人もいなかった!
とでも言いたげだなw
972世界@名無史さん:2011/07/06(水) 20:42:00.14 0
>>971
そらいたろうなw
でも日本国内・戦地の両方で逃亡者続出とその対策におおわらわで
パニック状態の日本軍よりはよっぽどマシな状態だったわなw
973954:2011/07/06(水) 20:47:09.93 0
>>964
頭がよくない奴にありがちなんだが関係ない話すんだよな

大日本帝国が敗北したのは軍を編成する意思を失ったから「御聖断」がそれ
君は954の指導者が犠牲に耐えられるかがキモという意見に何の反論も出来ず
ただ「日本は不利だった」といっているだけ
それが何の反論でもないことに気付いていないのが非常に頭が悪い証拠

軍が一時不利でも戦争を続け犠牲を払って勝利した国はいくらでもある
974世界@名無史さん:2011/07/06(水) 20:55:11.13 0
>>973
物資も人員もどんどん低下して
本土爆撃されまくって生産力もがた落ち
制海権は取られてるから人員動かそうにもあっという間に沈められる、
こんな感じでどんどん領域とられて最後はすし詰めになって崩壊したのがなんだって?
犠牲に耐えられる?耐えれば耐えるだけ領土取られて最後は東京陥落で終了だな
この程度の事もわからずに支離滅裂な反論で逃げるとかまさに馬鹿そのものw

実例あげてみ?
その例があてはまっているかどうかで検証が可能になるだろうよ
ま、その例が日本軍にあてはまるとはとても思えんがなwww
975世界@名無史さん:2011/07/06(水) 21:02:58.89 0
>>961
なんだつまらん。何かの情報を得てたと思うんだけどなぁ。
まぁ「唐入りを目指すくらいだから明崩壊を予想してたのだろう」ってのは
ただ俺がそう思うってだけだが。
976世界@名無史さん:2011/07/06(水) 21:05:13.89 0
>>975
何かの情報ってなあ
宗氏のおべんちゃら信じて朝鮮が
あっさりいう事を聞くと思ってた時点で
秀吉の情報範囲ってもんが大体わかるだろ?
977世界@名無史さん:2011/07/06(水) 21:11:40.16 0
逃亡兵が多いかどうかって、長期戦に日本と明どちらが有利かという話に関係なくね?
当時の明は女真の侵攻に加えて領内いたるところで反乱が起こってる状態だぞ
日本軍が朝鮮に上陸したときもモンゴル人のボバイが十万騎規模の反乱を起こしてたし
楊応龍なんかは朝鮮援兵に乗じて反乱を起こしてるからな
一方の日本は七年の戦役期間中、梅北国兼とかいう小豪族が一揆を起こしたくらいだ
国内情勢が日本より遥かに不安定な分、朝鮮へ大軍を送り続けるのはかなりの負担だと思うんだが
978世界@名無史さん:2011/07/06(水) 21:17:28.81 0
>>977
逃亡兵や軍役拒否の続出で前線の戦力が先細りしまくりで
それでも日本有利っていう発想すごくね?
979世界@名無史さん:2011/07/06(水) 21:27:42.87 0
>>978
国内で反乱頻発、北慮の脅威も深刻、国内外への派兵や万暦帝の浪費により財政破綻寸前で
それでも明有利って発想すごくね?
980世界@名無史さん:2011/07/06(水) 21:31:23.18 0
ていうか「先細りしまくり」と言うほど逃亡兵や軍役拒否がいたのか。知らなかったな
具体的にはどのくらい先細りしたんだろう
「先細りしまくり」と言うからには兵力の中のかなりの割合が逃亡ないし軍役拒否したんだろう
981世界@名無史さん:2011/07/06(水) 21:36:11.65 0
>>979
ボバイは半年くらいで鎮圧されてそのまま軍勢が日本軍の相手に流用されてるし、
揚応龍なんて何度も官軍に賠償金払って降伏してるし、
結局明の本格的な反撃が始まったらあっけないもんだった
北慮なんてヌルハチの台頭はまだ始まってないぞ
ヌルハチが明に戦いを挑むのは朝鮮出兵終わってから20年近くたってからだぞ
結局明は財政破綻してなかったのは朝鮮出兵の中もその後も続いていくいくつもの戦争を見れば
明らかなわけだ
982世界@名無史さん:2011/07/06(水) 21:39:35.79 0
>>980
そうだな
「人足・下人が悉く逐電した」とか「誰でもいいからつれて来い」とか
(誰でもいいからとつれてきたら逃亡者続出するので)「身元保証人をしっかりたてろ!」とか
指令が2転3転して、それでも日本本国でも現地でもおおわらわになるくらいにはいたんだろうな
983954:2011/07/06(水) 21:43:50.64 0
>>974
本当に頭が悪いんだな。よし馬鹿を啓蒙してやろう
まず                   
963でも言っているように戦争が「継続」するかどうかは不利有利は関係ない
それは最終的な勝敗とは別の概念ね。それがわかっていない。
a が継続する意思があり、bが継続する意思なくば、たとえbが有利な戦争でも戦略目標を達しないという意味で
戦術で勝って、戦略で負ける、つまり戦争に敗北することもありうる。
ピュロスの勝利によって相手が逃げれば戦略的勝利
戦争に負けて不利になっても勝つまで戦争を継続し、大帝国になったのがローマ帝国だよ

ちなみに974は963のいう戦う意思がなくなった場合でなく能力がなくなった場合。こういう混同をするのが馬鹿っぽい

他には国力余裕だがその継戦意思が打ち砕かれたのがベトナムだな。
米の死者とベトナムの死者比べてみ?まさかべトが勝ったとは思えん。

つまり一時的な有利不利かどうかより、指導者の意思とその支配地域から軍を出す能力こそが重要


984世界@名無史さん:2011/07/06(水) 21:50:22.46 0
>>981
北慮はなにも女真族だけじゃないんだが
985世界@名無史さん:2011/07/06(水) 21:54:29.87 0
>>983
本当に馬鹿丸出しだなw
よしよし、馬鹿に丁寧に説明してやろうw
馬鹿は都合のいいところだけローマ帝国を引用しているみたいだが、
ピュロス戦にしろ、ハンニバル戦にしろ、もともと総合力ではローマが上回っており
さらに内陸に敵を引き込んで消耗を強いた戦いであった事を無視している
日本が海をはるばるわたって朝鮮攻め込んでるのは、ローマの戦争史でいうなら
日本軍こそがハンニバルでありピュロスである、って事になるわけだな
お前が馬鹿をさらして下であげているベトナム戦争も同様
最終的にホームの防衛側が粘り勝ちした例をもって
侵略側の日本軍をどう語るつもりなんだかww
ま、実際にはお前があげているのとは逆の実例で日本軍は戦術的勝利を重ねながらも
結局維持できずに撤退し、戦略的敗北とあいなった
逃亡者や戦争忌避者が続出したのもベトナム戦争でいうならアメリカ軍の状況だなw
つまり、お前の言い方でいうなら、日本軍は結局中国朝鮮に粘り負けするって事だ
残念だったなwww
しかし侵略側とホームの防衛側を逆転させて都合よく戦史を語る馬鹿がいるとは思わなかったww
世界は広いなww
986世界@名無史さん:2011/07/06(水) 21:56:36.77 0
>>984
朝鮮出兵の時期に勢力を伸ばしはじめたのがヌルハチだったわけでな
ここから北の覇権争いが始まり、長い時間をかけてヌルハチが統一する
987954:2011/07/06(水) 22:06:25.11 0
>>985
ああまだわかっていないのか

戦争は「一時的な有利不利かどうかより、指導者の意思とその支配地域から軍を出す能力こそが重要」

といっているんだが。攻勢側かどうかは関係ないのがわかっていないのが馬鹿丸出し

しかしピュロスもハンニバルも焦土戦術は結果論で最初から引き込むつもりなんてないよ
基本的な知識さえないとはな
988世界@名無史さん:2011/07/06(水) 22:08:41.93 0
まあ朝鮮出兵は明を介入させた朝鮮の戦略的大勝利とか言ってる人だしね
989世界@名無史さん:2011/07/06(水) 22:11:11.24 0
>>987
本当にわかってないんだなw
お前が勝手に連呼してる定義を呪文みたいに唱えれば勝てると思ってるのかw
指導層が精神力なんてもんを連呼してた大日本帝国もナチスドイツ帝国も崩壊したわw
ナチスドイツなんか首都まで蹂躙されて酷い有様
降伏しなけりゃ大日本帝国もこうなるオチだったろうな
馬鹿は精神力を連呼すれば勝てると思ってる時点で笑えるわw

攻勢側かどうかは十分関係あるだろうがww
お前が馬鹿丸出しであげた三例がいずれも防衛側だったのに何をいってんだかw
ファビウス戦略もしらない馬鹿が基本的知識とか言っても笑い話にもならんわww
本当にここまで馬鹿がいるとは世界は広いなww
990世界@名無史さん:2011/07/06(水) 22:12:25.95 0
>>988
>まあ朝鮮出兵は明を介入させた朝鮮の戦略的大勝利とか言ってる人だしね
こんなことだれがいったんだ?
誰か別の奴と勘違いしてないか?レス番あげてみ?
俺は今日はじめてこのスレにきたぞ


991世界@名無史さん:2011/07/06(水) 22:13:30.80 0
維持できずに撤退したんじゃなくて秀吉が死んで豊臣政権から指導者がいなくなったから撤退したんじゃね?
これが成人男子の跡継ぎがいれば話は違ってた。
992世界@名無史さん:2011/07/06(水) 22:15:03.35 0
>>991
秀吉が死んだらすぐさま皆引き上げて
その後誰も朝鮮出兵なんかしようとしなかった事が
雄弁に物語ってるだろ
逃亡者・軍役忌避者の続出はそれを如実に示しているな
993世界@名無史さん:2011/07/06(水) 22:15:07.95 0
>>990
マジで?それは悪かった。謝るよ
俺が言ったのは>>487のことね
994954:2011/07/06(水) 22:16:27.01 0
>>989
そもそもローマはイタリア半島統一で何度も負けているのをまさか知らないのか?
立派な攻勢側なんだが
本当に基礎知識がないんだな。

定義もなにも俺の主張の反論ではないな。一時的な有利不利は関係ないってことはわかっただろ。
反論できないからって火病おこすなよ。


995世界@名無史さん:2011/07/06(水) 22:20:18.25 0
>>994
まさに馬鹿の戯言w
ハンニバル戦争当時のローマはイタリアを征服して
ハンニバルの侵略を半島で迎え撃ってる防衛側だろうがww
どこまで馬鹿をさらせば気がすむんだお前ww
ピュロス戦争だって防衛側に変わりないw
ほんとにさあ、年表すら頭に入ってないんじゃないか?

だからよー、ぼこぼこに反論されてお前がてんぱってるだけだっての
一時的な有利不利関係ないってもろに日本軍にあてはまってるだろうが
戦術勝利重ねても結局関係なく撤退
もろにお前定義でいうところ明と朝鮮の勝利だな
反論されまくりなのに脳内変換すんの見苦しいからやめれ
996世界@名無史さん:2011/07/06(水) 22:21:04.37 0
>>992
どーかな−、秀吉が死ぬとすぐに次の天下人を決めるぞレースが始まって
豊臣家滅亡まで国内は安定してないわけだし。
997世界@名無史さん:2011/07/06(水) 22:23:14.77 0
つーか、「豊臣軍の勝利」とかいうのにこだわる連中ってこんなもんなのか?
マジで知識以前に理性を疑うレベルだぞ
必死こいて一時的な有利不利はと真逆の例とか使って自爆しながら主張してるが
その理屈だとどう見ても明朝鮮勝利で日本軍完敗で終了だろ

998世界@名無史さん:2011/07/06(水) 22:25:04.58 0
>>997
まぁあんた討論してる奴は話し広げて自爆してる感があるが
明史が「すげぇ不利だったけど秀吉が死んで戦乱終わった」って言ってるわけで
999世界@名無史さん:2011/07/06(水) 22:25:19.29 0
>>996
本当に有効な戦略と思われていたなら
徳川幕府が安定した後に再試行されそうなもんだろ
ヌルハチや清が動き出した時期なんかまさに好機だったろ
でも誰もやろうとはしなかった
懲りてたんだろう
1000世界@名無史さん:2011/07/06(水) 22:26:26.28 0
>>998
ま、秀吉死んで終わったのは事実だが
秀吉側も笑ってられるもんじゃなかった内情なわけでな
10011001
このスレッドは1000を超えました。
もう書けないので、新しいスレッドを立ててくださいです。。。