★古今東西の食人の歴史★

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145世界@名無史さん
清の順治9(1652)年、南に逃げた明の残兵が新会の県城を包囲し、場内が飢餓に見舞われた際、
清の官軍は住民を殺して食糧に当てた。

ある将軍が老婆を食べるために殺そうとしたところが、
莫という婦人が老婆の命乞いをした。
将軍は老婆を解放し、かわりに莫婦人を煮て食べた。

李婦人は夫を兵士に連れ去られた。婦人が泣いて懇願することには
「夫にはまだ子供がありません。このままでは血筋が絶えてしまいます。
かわりに私を食べて下さい。」
兵士は李婦人を煮て食べ、骨をその夫に与えて埋葬させた。

またある時、周辺数百人の農民が保護を求めて城内へ立ち入ろうとした。
県令は許さなかったが、例の将軍は
「城内に入れろ!いざというときは我々の十日分の食糧となる。」と、
彼らを城内に避難させた。

城は八ヶ月に渡って包囲され、一万人もの住人が清の官軍に食べられた。

戦乱が収まった後、将軍が道を歩いていると一人の男が彼を跪いて拝んだ。
訝しがって訊ねる将軍に彼は答えた。

「私の両親も妻も皆あなた様の腹の中で眠っております。
彼らには墓がありませぬ.
もうじき寒水節だというのに
あなた様の腹を拝まなければ他の何を拝めば良いのでありましょうか」

さすがに将軍は恥じ、逃げるようにその場を去ったという。