943 :
世界@名無史さん:2012/05/24(木) 11:43:04.73 O
>>940 ポリス時代のギリシアの先進性が異常。
ローマはギリシアの劣化コピー、
中世ヨーロッパはそのまた劣化コピーだし。
中世は古代に比べて
人口が減っていると聞いた事がある
945 :
世界@名無史さん:2012/05/24(木) 19:38:35.11 O
>>943 ローマってギリシアより進んだ要素あるのかな
土木技術はローマっていうか、エトルリアだよな。
そのギリシャよりも早く文明が開けた
アナトリア シリア メソポタミアはロストテクノロジーの宝庫だったのでは
ローマの土木と建築はすごいと思う
あの上下水道は
あのインフラがそのまま残っていたら
ペストもはやらなかったのでは
ローマの土木を支えたのはコンクリートなんだっけ?
このスレではよく「東ローマ帝国は搾り取るだけで地方に還元しなかった」みたいな書き込みがあるけど、
アナトリアの東まで初等教育が行き渡っていた点についてはどうなの?
ギリシャ古典の教育や継承・保護なんかを子供の頃からさせるのは普通に良い点だと思うけど
953 :
世界@名無史さん:2012/06/09(土) 05:56:33.47 0
ヨーロッパ各国が植民地に学校を作ったように
都合いいエリート官僚や
生産性がいい奴隷を作るための教育だろう
954 :
世界@名無史さん:2012/06/10(日) 02:20:39.85 0
コムネノス家が古代ローマ貴族の末裔だというのは本当だろうか
>>953 それってある程度はいろんな教育にも言えることじゃ・・・
>>952の最後の行に関していえば、文字を読めないものが多かった西欧と比べ良い点といえるでしょ
956 :
世界@名無史さん:2012/06/17(日) 11:17:51.68 0
>>954 ムーア人のように醜く浅黒かったと書かれているから
ローマじゃなくアフリカ人が先祖だったんだろう
957 :
世界@名無史さん:2012/06/18(月) 04:41:04.20 0
>>955 その教育が本当に行きとどいていたのかという事だな
国民は一種の徴兵制があって
兵役の義務があったが実際はほとんど訓練行くものがいなかったように
教育も実際はほとんど受けていなかった可能性もある
国民性や社会システムに左右されるだろうな
末端にまで寺子屋制度の発達していた江戸時代なら簡単な漢字を含む読み書きに足し算引き算
町民は平仮名片仮名なら読めたから町民用ゴシップ新聞の瓦版が発達
田舎の農民でも若いうちは街の武家や商家に奉公に出されることも一般化していたわけで
男は丁稚小間使いに女は飯炊き子守りにご両さんの雑用等の家政婦
上流階級のお相手をする花魁候補は子供の頃から質の高い教養を徹底して叩き込まれる
男女を問わずに字を覚えて足し引きができないと出来ない仕事も多い
江戸時代という一応安定していた時代からできた事だな
一応ローマ領のセルビアなんて
ほとんど実効支配できなかった
「実質的に独立している地域」?
キリスト教が国教にならず
広まらず
古代の多神教が生き残っていたら
中世の停滞はなかったと思うか?
963 :
世界@名無史さん:2012/06/20(水) 23:45:52.88 O
その場合は他の宗教がキリスト教の役目を負うだけじゃないか
965 :
世界@名無史さん:2012/06/21(木) 08:16:45.94 O
例えば一神教の方がゲルマンやスラブに受け入れられやすかった、
とかなら効果ありと言える。
ゲルマンとスラブはキリスト教で文明化したの?
多神教のままでも変わらない気がするが
巨大な船を造っていたヴァイキングは非キリスト教徒だった
船をつくり、動かすというのは高度な技術力と科学力が必要となる
つまり中世で一番先進的だったのは非キリスト教のヴァイキングだった
ムスリムに統治されてたイベリアの方がよほど文明的だな
>巨大な船を造っていたヴァイキング
ロングシップはせいぜい中型船
970 :
世界@名無史さん:2012/06/22(金) 10:07:29.05 O
>>968 その割には新大陸獲得で一山当てただけだった
>>969 でも船を造って航海していたぐらいだから
同時代のゲルマン人よりは技術と文明進んでたんじゃない
>>966 キリスト教化ともに農耕定住化、都市や貨幣経済が発展した。
フン族の時はゲルマン民族大移動が起きたが、モンゴルの時には
ロシア人やポーランド人、マジャール人らが西欧へ移動しなかった。
973 :
世界@名無史さん:2012/06/22(金) 20:24:23.89 O
>>972 キリスト教はゲルマン人、スラブ人、マジャール人などにギリシャローマ由来の文明を伝える媒介だったということか。
>>967 ノブゴロドやキエフなどロシアの都市はヴァイキングが創建した
基督教化によって都市化って・・・逆だよ
共和制ローマの時代でも推定人口1万以上のゲルマン/ケルト都市があるってのに
ライン近隣は農耕化しているし、農耕化しないと都市化もそれだけの人口の維持もほぼ不可能
逆に中世の小国乱立で城壁が再び必要になったから、都市数は増えても規模は数百〜数千単位に落ち込んだ
ルネッサンス以降でも16世紀あたりのドイツ/オーストリアで1万超えてる都市なんて2つ3つしかない
総人口半分未満の帝政前期ローマ時代はその倍以上だよ
それとルネッサンス前の中欧主要都市のほぼ全てがローマの都市インフラがあってこそで
しかもロンドン/パリを除いて殆どがローマ支配時代よりも都市人口を減らしている
976 :
世界@名無史さん:2012/06/23(土) 09:57:57.87 O
>>975 まさか建物も数百年前のローマ時代のものをそのまま使っていたのか?
>>974 ノルマンでも
ノルウェー、デンマークとスウェーデンは種類が違う気がするんだよな
スウェーデンはあまり船で航海に出ていたというイメージがない
陸地や川が主な活動場所だから
>>972 ガリア・ダキアの平定あたりから、ローマに接しているすぐ外側のゲルマン人も
定住化・農耕化してるけれど・・・・・・
早い時期に農耕化したケルト人が言語的にゲルマン化しただけかもしれんが。
>>977 スウェーデンもバルト海や、バルト海から大西洋に出るカテガット海峡やらオレスンド海峡の制海権を争って、盛んに戦争してるよ。
バルト海の対岸のフィンランドも長らくスウェーデンの領土だったことがあるし。
東欧荒らしまくってルーシ諸国を建国したのは主にスウェーデン人ヴァイキングだよ
>>978 ローマに接しているすぐ外側の西ゴート族は、ご存知の通りに大移動しているから、
中世の西欧人ほど定住化していなかったのだろう。
ゴート族やヴァンダル族らは半農半牧の支配層で、スラブ人やダキア人らが農民で
移動せずに定住し続けた。
>>979 バルト海は所詮近海でしょ
デーン人のように新大陸やアイスランドに行ったとか
ノルウェーのように北方に島を持っているとかじゃないでしょ
他の北欧と比べて航海の比率が小さいように思う
まだラトビアのクール人のほうが海に近しい
ワリヤーグはバルト海だけでなく
ドニエプル河とボルガ河を経由して
黒海とカスピ海も航海していた
>>981 ヒットアンドアウェイでないところが異動前に既に農耕化していた証拠だ。
南の農耕好適地にがっつり居座ってるだろ。
遊牧民なら、支配が上手くいかなくなったら、本拠地に引き上げるわな。
>>982 そもそもデーン人とスウェーデン人ってそんなに違う種族なの?
>>984 たまたまうまく征服できたから居座ったのでは?
遊牧民だったマジャール人もそうして定住化している
ゴート族とマジャール人は、もともと森林地帯の半農半猟民で、
ステップ地帯に南下してから騎馬民族化したとされる。
>>984 古代ゲルマン人らは焼畑農耕民なので、
ローマ領内や中世西欧の農民のように
定住していなかったのでは?
ゲルマン民族移動後にスラブ人の人口が急増して、
バルカンにスラブ人が押し寄せるまでになったが、
何故スラブ人の人口が急増したのだろうか?
ゴート族がバルト海南岸から黒海北岸に移住した時、
追われたスラブの部族がローマ領内に逃げ込んだ事
という記録はなかったとされる。
土地が異常気象で荒れ果てたとか
遊牧民に追われてとかじゃないんだよね
スラブ人の移住
アヴァールと一緒に広がった
ゴート族やサルマタイがフン族に追い払われた後、フン族の人口が少なかったので、
それまでの放牧地の多くが農地になり、スラブの人口が増え始めたのかもしれない。