1 :
世界@名無史さん:
何で東ローマ領にならなかったルーマニアが正教なの?
というか何気にルーマニアてかろうじてだけど
オスマン帝国の領土化をまぬがれた唯一の正教圏じゃね
それってすごくね?
2 :
世界@名無史さん:2010/09/13(月) 04:11:09 0
ルーマニアというかワラキア、モラヴィアな。
あそこはヴラドツェペシュが有名だけど
それ以外にもオスマン帝国に抵抗していた勇士が大勢いる。
3 :
世界@名無史さん:2010/09/13(月) 04:16:58 0
近代に入ってスラブ系の単語を浄化したとはいえ
よくラテン系の言葉を話す民族が生き残っていたな。
ブルガリア、ペチェネグ、クマンといった異民族の支配下に
あり続けたのに
4 :
世界@名無史さん:2010/09/13(月) 04:29:16 0
元々ルーマニアは古代のローマによって
キリスト教がもたらされていた。
そしてそれから以後ローマカトリックに鞍替えせずに
正教を進行し続けた
ということだ
ルーマニアに居座ったクマン族が正教を進行するようになったかどうかは知らない
5 :
世界@名無史さん:2010/09/13(月) 04:44:14 0
第2ブルガリアのイヴァン・アセンはヴラフ人だったんだとよ
>>1 オスマン帝国からの派遣役人ファナリオティスの支配下だったけどな
7 :
世界@名無史さん:2010/09/13(月) 05:09:35 0
>>5 だからか第二ブルガリア帝国の反乱にはブラフ人とクマン人が
大勢加わったんだってな
8 :
世界@名無史さん:2010/09/13(月) 05:24:25 0
ドナウから南の山岳に住み着いたブラフ人は
アヴァールやペチェネグとの衝突を嫌って南下したルーマニア人
9 :
世界@名無史さん:2010/09/13(月) 05:33:01 0
ブルガリアによって荒廃した所をついて南下していった
連中もいる
バルカン半島にいたヴラフ人が北上して
ワラキアやモルダヴィアを建国したんじゃないの?
11 :
世界@名無史さん:2010/09/13(月) 22:09:51 0
遊蕩児カロル国王陛下万歳
12 :
世界@名無史さん:2010/09/13(月) 22:12:27 0
ミハイ国王陛下万歳
アントネスク逝ってよし
13 :
世界@名無史さん:2010/09/13(月) 22:39:07 0
ヨハネス2世が滅ぼしたペチェネグ族の軍にはルーマニア人もいた。
14 :
世界@名無史さん:2010/09/13(月) 22:45:58 0
ローマがダキアを捨てて以後
ドナウ川の北がローマ領になったことなどない。
クマン族のように今のルーマニアに住み着いた民族が
分裂以降の東ローマと敵対したとかで文献に出てくることはあっても
被支配層のブラフ人が文献や年代記に出てくることはあまりない。
ルーマニアよりハンガリーのほうがよほどバルカンに関係している国だ。
15 :
世界@名無史さん:2010/09/13(月) 22:49:38 0
ハンガリーがバルカン半島の一部とみなされなかったのは
オーストリアの一部になってカトリックだったからだ
よかったなハンガリー
16 :
世界@名無史さん:2010/09/13(月) 23:02:23 0
ルーマニアでジプシーの話題は厳禁である
17 :
世界@名無史さん:2010/09/13(月) 23:20:31 0
周辺にスラヴ語民族が多く、
教会(現在のルーマニア正教会)の典礼言語が
かつては教会スラヴ語であったことから、
スラヴ語の影響を極めて多く受けた。
語彙にスラヴ語の影響が多く20%がスラヴ語からの借用である。
十九世紀以前の記録はキリル文字で書かれている。
教会スラブ語をブラフ語に翻訳できていれば。
近代にスラブ語の単語を消滅させるという事態にならなかったのでは
18 :
17:2010/09/13(月) 23:26:19 0
19 :
世界@名無史さん:2010/09/14(火) 01:19:34 0
スヴャトスラフが南下してブルガリアを攻撃したときも
オグズトルコがドナウを超えてマケドニアに侵攻してきたときも(なんと30万と記されている)
通り道になったであろうルーマニアのことは年代記にはまったく出てこない
20 :
世界@名無史さん:2010/09/14(火) 01:25:05 0
21 :
世界@名無史さん:2010/09/14(火) 02:32:39 0
ルーマニアにいたブラフ人が東ローマを攻撃したという記録ある?
22 :
世界@名無史さん:2010/09/14(火) 03:48:02 0
4 :世界@名無史さん:2010/09/13(月) 04:41:01 0
一次大戦で一番弱体をさらしたのはルーマニア
5 :世界@名無史さん:2010/09/13(月) 10:02:11 0
>>4 それでも戦勝国で広大な領土を獲得だものなぁ
>>19 ビザンツ史とか読んでると
ドナウ川から北はクマン族とかの土地みたいな感じだよなあ
ドミニコ会が「クマニア司教区」を設立しようとしたのも
たしかワラキアのあたりだった
24 :
世界@名無史さん:2010/09/14(火) 17:48:30 0
ヒマワリの種を食いながらあげ
25 :
世界@名無史さん:2010/09/14(火) 17:50:18 0
おそらく異教の民族が長い間支配していたのに
よくロマンス語系のキリスト教民族が生き残っていたもんだ
26 :
世界@名無史さん:2010/09/14(火) 19:24:36 0
ハイビジョン特集 発掘!謎の黄金文明:古代トラキアの秘宝 〜ブルガリア・甦る幻の戦闘騎馬民族〜
NHK BShi 9月25日(土) 午後8:00〜9:30
5千年以上の昔、エジプト文明より古く精密な黄金文明を確立し、紀元前5〜3世紀に最盛期を迎えた謎の民族“トラキア人”。古代ギリシャの文
献には「死をも恐れぬ勇猛果敢な騎馬戦士」として、トロイ戦争やアレクサンダーの遠征で活躍したことが記されている。しかし彼ら自身が“文字”の
文化を持たなかったため、その実態はほとんど解明されないまま、トラキア人は歴史の中で幻の民族となっていた。
今世紀に入り、手つかずだった遺跡に発掘の調査が入るや、王の黄金のマスク、絢爛豪華な黄金の冠など次々とゴージャスな副葬品が発掘され、
トラキア人が、黄金文明の担い手であったことが明らかになってきた。
ブルガリアの各地には今も、未発掘の王家の墳墓群や神殿跡が数多く残っている。ブルガリアの考古学者ディアナ・ゲルゴヴァさんは、今年7月新
たな墳丘の発掘調査に入る。表土の下を掘り進めたとき、数千年の時空を超えて、はたしてどんなものが現れるのか?そのスリリングな瞬間をドキュ
メントし、地中海文明興亡の歴史の裏側で活躍したトラキア民族の実態を掘り起こす。
>>25 平地をスラヴ人に占領されたから。
山岳地帯で移牧民として生きるほかなかった。
28 :
世界@名無史さん:2010/09/14(火) 20:47:59 0
アナトリアの特権階級が治めていた東帝国の文献に
バルカンに住み着いたブラフ人の事が書かれていないのは
仕方ないことだ。
アナトリアの大名どもなんてのはなバルカンのことなんてしったこっちゃねー
と思ってるんだよ。
29 :
世界@名無史さん:2010/09/14(火) 20:52:15 0
ブルガリアのシメオンに敗戦してたのはフォカスだったか。
カッパドキアが本拠地の。
そいつが失敗していくのを他のアナトリアの貴人は「ざまみろ」
の目で見ていただろうよ。
そしてタウロス山脈の向こう側のアラブ人太守が次々
バグダットのカリフから離反して独立していく様を羨望のまなざしで
見ていたことだろう
30 :
世界@名無史さん:2010/09/14(火) 22:40:21 0
ひまわりあg
31 :
世界@名無史さん:2010/09/15(水) 02:18:23 0
タウロス山脈付近でクルクアネスがアラブと戦争してた頃
ルーマニアではヴラフ人が羊と共に遊牧していた
トラキア人が住んでた頃から遊牧は盛んだったらしい
32 :
世界@名無史さん:2010/09/15(水) 03:00:59 0
>>1 ウクライナやロシアやグルジアとかもおなじだろ
33 :
32:2010/09/15(水) 03:11:21 0
>>1 ウクライナやロシアやグルジアもオーソドックスだろ
まあでも確かにルーマニアのように
国家建設が遅れた国がオーソドックスというのも興味深い
34 :
世界@名無史さん:2010/09/15(水) 09:27:34 0
自らの国や王の事績、または回想録を残すような知識人は
13世紀ぐらいまで、ルーマニアには存在しなかったんだな。
皮肉にも、モンゴル襲来がなければ国家形成はもっと遅れていたかもしれん
36 :
世界@名無史さん:2010/09/15(水) 11:16:27 0
ヴラフ人どもはスラブ語で書かれた経典を理解することは
ほとんどできなかったという。
38 :
世界@名無史さん:2010/09/15(水) 21:51:55 0
当のスラブ人でもメフォディとキリルの訳したキリル経典を理解することは殆ど不可能だったが
40 :
世界@名無史さん:2010/09/16(木) 02:26:11 0
書いてる意味がわかんなーい
わかんのはスラブのごく少数のインテリぐらーい
だけど中世なんてどこもそんなもーん
41 :
世界@名無史さん:2010/09/16(木) 19:52:13 0
無政府状態のワラキアにどこまできりすときょうが広まっていたか疑問
42 :
世界@名無史さん:2010/09/17(金) 07:27:36 0
レオン・フォカス
「コンスタンティノープルが落ちてもカエサリアがあるからいいか」
43 :
世界@名無史さん:2010/09/17(金) 08:56:17 0
葬式で読経されても参列者のほとんどが内容を理解できない日本は
中世並みだな。
45 :
世界@名無史さん:2010/09/18(土) 08:27:29 0
彼(テオフィロス)は皇帝にルーシと名乗る民族を使いに出してきた。
彼が言うには、この者たちの帰路には獰猛な蛮族がはびこっているため
帝国領内を通らせてほしいということだった。
そのあとこのルーシ人がスウェーデン人ということがわかり
ちょっとした問題になった。(まだヴァイキングの記憶が生々しい時代)
46 :
世界@名無史さん:2010/09/18(土) 10:53:23 0
スウェーデンのヴァイキングてあまりイメージないな
え?
スヴェーアは?
ノルマン、ルーシ、ゴート、スヴェーアあたりがヴァイキングの有名どこじゃんよー
ゴートはヴァイキングじゃなくね
>>45 それ神聖ローマ皇帝への使者だっけ?
たしかルーシの君主が「可汗」と呼ばれてる史料だよね
51 :
世界@名無史さん:2010/09/19(日) 01:33:06 0
ノルウェーやデンマークよりも、陸上での活動が多いように思う。
おもな活動地はロシア方面〜コーカサスだからかも知れんが
海賊というか陸賊
52 :
世界@名無史さん:2010/09/19(日) 01:36:29 0
たまにエストニア人の海賊に襲われる事があったスウェーデン
53 :
世界@名無史さん:2010/09/19(日) 06:25:11 0
イサキオス・コムネノスは文官の専横に怒り、首都に向けて兵をあげた
不滅隊、ヴァリャーグ、ドイツ傭兵の三部隊が守備する要害に攻めよせた。
イサキオスはどの部隊が守る所から攻めるのが良いかをドゥーカス一族の者に聞いてみた。
その者は「不滅隊は現地出身だから難しい、ヴァリャーグは忠誠心が厚いからこれも難しい
ただ一つドイツ傭兵だったら交渉でなんとかなるかもしれない」と答えた。
その忠告通り、イサキオスはドイツ傭兵のギルブレヒトと交渉し、その要害を突破した。
54 :
世界@名無史さん:2010/09/19(日) 06:26:41 0
不滅隊はこれ以後文献に現れなくなるので
解散したのかもしれない。
55 :
世界@名無史さん:2010/09/19(日) 07:07:56 0
帝位についたイサキオス・コムネノスは改革を断行しようとしたが
アナトリアの田舎者に対する首都の文官貴族の反発は根強く。
彼の改革の必要性はついに同時代の人間からは理解されずに終わった。
56 :
世界@名無史さん:2010/09/19(日) 13:31:23 0
セルジュークからの防波堤となっていた
アルメニア王国を滅ぼしたのは
後から考えれば実に失敗だった
57 :
世界@名無史さん:2010/09/19(日) 14:06:56 0
さらにその後アルメニア人とグルジア人の軍団を解散させて
アルメニア、東部アナトリアの警備をガラ空きにしちゃうもんだから
58 :
世界@名無史さん:2010/09/19(日) 14:41:37 0
>>54 不滅隊は明らかに古代ペルシャを習ってつけられた名前だな
59 :
エビちゃん親衛隊:2010/09/19(日) 17:05:36 0
>>1 単に地理的に近いからそうなったんでしょ。
西欧はローマの支配下になかった地域もプロテスタントが出来るまでは
カトリックだった訳だし。
ワレキアは結局頑張ったけど、最後はブルガール、セルビア同様トルコの支配下に入っただろ。
オスマン帝国はクリミア半島とバルカン半島全域を支配下に置いていたはずだが。
60 :
世界@名無史さん:2010/09/20(月) 04:34:26 0
トルコの支配下といっても
間接的なものだ
61 :
世界@名無史さん:2010/09/20(月) 04:38:37 0
一次大戦と二次大戦のルーマニア軍がもろすぎる
冗談抜きでイタリア軍のほうがまだ戦意がある
64 :
世界@名無史さん:2010/09/21(火) 04:18:22 0
コンスタンティノープルを取り戻したミカエル8世は
十字軍国家にとどめを刺すべく
コンスタンティノス・パレオロゴスに兵を授け、アカイア公国に出兵した
アカイア公国の兵力が自分たちよりはるかに少ないことをしった
東ローマ軍は油断をして夜に宴会を開いた(と記録にある、古代オリンピアの
近くの谷間だった)そこをアカイアに奇襲され大敗した。
65 :
世界@名無史さん:2010/09/21(火) 04:27:52 0
東ローマは1263年に、もう一度アカイアに出兵するが
もたもアカイアに敗北した。
ペロポネソスの統合は遅れることになる。
66 :
世界@名無史さん:2010/09/21(火) 04:42:50 0
1273年
東ローマはテッサリア君主国にも攻めよせ、
首都のネオパテラスを包囲した。
だがヨハネス1世は変装して脱出に成功し、
テーベに向かい、アテネ公国と同盟を結ぶことに成功し、
500人ほどの兵士共にテッサリアに戻った。
その頃東ローマ軍は他の砦に支隊を送っていて本体の兵力は激減していた。
本体の野営を発見したヨハネスは急襲を行い、本体を壊滅させた。
将軍の部隊が壊滅したことを知った支隊もすぐに逃げ去り、
テッサリアは東ローマの攻撃を退けることに成功した。
67 :
世界@名無史さん:2010/09/21(火) 04:51:03 0
ミカエル8世は、ブルガリアの農民であるイヴァイロとの戦いにも敗北し、
あやうくトラキアを失いかけた。
ラテン帝国はなくなったが、他のライバル勢力はまだまだ健在だった。
68 :
世界@名無史さん:2010/09/21(火) 13:24:14 0
そして結局アカイアやアテネは最後までつぶせませんでしたとさ
この地のフランス人はしぶといね
69 :
世界@名無史さん:2010/09/21(火) 16:58:18 0
本国は百年戦争で火の車
70 :
世界@名無史さん:2010/09/21(火) 17:07:41 0
71 :
世界@名無史さん:2010/09/21(火) 17:31:01 0
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/- - i .| ←アレクシオス1世
/⌒ヽ /⌒ .| |
,' _ ` ´ _ | .| ドナウブルガールは悪の帝国と戦っていた
|.ノ-・、.〉 , /-・ヽ .|/,⌒i
|  ̄./  ̄ .>ノ.| 正義の国家なんやで!
.', .| -、 .、_ノ
ヽ `¨i⌒´ / / .| ブルガリアと関係が深いわしらが皇帝になったということは
.|ヽ,ヽlエlエlアヽ / / |
.ヽ、 .ヾ二ノ / .| ブルガリアが東ローマを乗っ取ったということや
i\ ‐ ./ / |
| ヽ___,/ ,' .| 十字軍を呼んだぐらいでごちゃごちゃぬかすな!!
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/ .| — .\ ミ、
,' ,' ⌒ヽ '⌒ヽ/ ←ヨハネス2世
| / ( , ノ
| ,' `ー・二ヽ. , 〈 r・二ー'ヽ
i'^ヽ| _ノ '、ヽ_ 〉 gayreekはバシターを見習え(笑)
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.`r‐| ,.へへ、 .イ ホンマバシターは民族の誇りやで(笑)
'リl\ 、_∠ィ'lエlュ.レ /
| \ ヽ\ェェン/ / まずはバシターを見習ってgayreek国旗を燃やさんかい!
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72 :
世界@名無史さん:2010/09/21(火) 19:54:17 0
>>68 結局オスマン領土となるから
ノルマンコンクエストならぬ
フレンチコンクエストは成立しなかったな
フルチンマンクエスト?
アテネ公国は結局カタルーニャ傭兵団に滅ぼされたね
75 :
世界@名無史さん:2010/09/22(水) 07:03:18 0
アカイア公国は最後のほうはイタリア人になってるな
国外では、婚姻とか制服とかで外国人が支配者に収まるということは
珍しくないがな
現地の貴族の女性と婚姻を結ぶ際に相手に制服の着用を強要する外来の征服者とな……ごくり
77 :
世界@名無史さん:2010/09/22(水) 08:33:56 0
俺ならレオタードの着用を強制する
78 :
世界@名無史さん:2010/09/22(水) 15:36:03 0
ヴラフやアルバニアが反乱を起こしたという話は聞かないな。
スラブの反乱なんて山ほどあるのに
>ヴラフやアルバニアが反乱を起こしたという話は聞かないな。
第二次ブルガリア帝国を建てたペタルとアセンは?
80 :
世界@名無史さん:2010/09/23(木) 07:27:26 0
あ、そうかそいつらはブラフ人だったな
81 :
世界@名無史さん:2010/09/23(木) 18:01:29 0
ルーマニアを見てると
スポーツじゃなくて科学や工業発展に力を入れればいいのにと
思えてくる。
スポーツを否定しないが、あれはあくまでもサブカルチャーだろ
どうも、共産主義政権の時に
スポーツで有名人を出そうという
スローガンがあったらしい
ルーマニアはモンゴル系のアヴァール人の支配下にあった時期が長くあった。
85 :
世界@名無史さん:2010/09/24(金) 16:17:46 0
それ以降も異民族の支配だったな
ワラキアとトランシルバニアの最後の支配者は
ハンガリー王国だったか
86 :
世界@名無史さん:2010/09/24(金) 20:54:22 0
一次大戦と二次大戦の間にハンガリーをレイプしたのが
近代ルーマニアの輝きか。
87 :
ヨハネス:2010/09/25(土) 08:50:10 0
ベロイアでの戦いで負けたペチェネグ族は
小高い山で荷馬車を倒して砦を築いた。
東ローマ軍は何度もその砦を攻撃したが、
いずれも矢を浴びせられて失敗した。
皇帝は今度はヴァリャーグに攻略を命じた。
ヴァリャーグは砦の破壊に成功し、そのご全軍の攻勢により、
ペチェネグ族は滅亡した。
サーガではヨハネスはキリアラックスと書かれているが、
これは彼の父のアレクシオスのことで
ヨハネスは彼の父と混同されたためである。
88 :
世界@名無史さん:2010/09/26(日) 08:54:09 0
ちなみにキリアとは陛下という意味
89 :
世界@名無史さん:2010/09/26(日) 17:08:35 0
サーガてヴァイキングのサーガか?
90 :
世界@名無史さん:2010/09/26(日) 17:11:06 0
>>87 ヴァリャーグの戦闘記録で目立った記述がある最後の戦いだな
91 :
世界@名無史さん:2010/09/26(日) 18:32:00 0
ブルガリアの反乱はマラズギルトの敗戦後とか
ミカエル4世の治世に起きているけど
ペタンの反乱にブラフ人が加わったのは
やはりこいつらがブラフ人だったからだろうかね
>>87 >小高い山で荷馬車を倒して砦を築いた。
倒してはいないと思う
93 :
世界@名無史さん:2010/09/27(月) 09:00:02 0
94 :
世界@名無史さん:2010/09/27(月) 11:18:04 0
ワラキアのブラフ人に仲介をお願いしたんだろうよ。
95 :
世界@名無史さん:2010/09/27(月) 15:53:05 0
96 :
世界@名無史さん:2010/09/27(月) 15:57:06 0
パレオロゴスの中期のコンスタンティノープルを訪れた
アイスランド人の述懐によれば、
現地住民は首都のことを「エスタムボール」と呼んでいたという。
97 :
世界@名無史さん:2010/09/27(月) 17:08:47 0
>>68 ヨーロッパで一番先進的だったイタリア人の手に渡っていたら
もしかしたらもっと発展していたかも知れんね
イタリアにそんな強い勢力はいない
99 :
世界@名無史さん:2010/09/27(月) 18:10:21 0
イタリアの都市国家は強力な海軍と
陸上でも北方からの侵攻を跳ね返すほどの力がある。
シチリア王国は中世のヨーロッパで最先端の国だが。
そこの国民のイタリア人は間違いなく当時のヨーロッパで
最先端の国民
100 :
世界@名無史さん:2010/09/27(月) 21:00:59 0
あまり知られていないが、第二回十字軍の最中に
シチリア王国が攻撃を仕掛けてきて、
首都近くのマヌエルの官邸も攻撃を受けている。
第4回十字軍の時とは違って占領はされなかったがな。
101 :
世界@名無史さん:2010/09/28(火) 12:16:04 0
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|.ノ-・、.〉 , /-・ヽ .|/,⌒i
|  ̄./  ̄ .>ノ.| そのブルガリアと関係が深いわしらが優秀なのは当然や
.', .| -、 .、_ノ
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102 :
世界@名無史さん:2010/09/28(火) 19:15:13 0
ヨーロッパて王族が外国人の血脈だったなんて珍しくないだろ(笑)
103 :
世界@名無史さん:2010/09/28(火) 20:17:57 O
しかし相変わらず腹立つAAだな
105 :
世界@名無史さん:2010/09/29(水) 10:24:54 0
植物性ひまわり油うめぇ
106 :
世界@名無史さん:2010/09/29(水) 11:39:06 0
轆轤首?
107 :
世界@名無史さん:2010/09/29(水) 21:17:59 0
>>105 ルーマニアとかほんとひまわりが多いよな
108 :
世界@名無史さん:2010/09/29(水) 21:30:32 0
109 :
世界@名無史さん:2010/09/30(木) 19:19:25 0
スラブ語の単語がかなり入っているといっても
やはりルーマニア語の基層はロマンス系だと思う
110 :
世界@名無史さん:2010/10/01(金) 19:36:12 0
コンスタンティノス9世
1045年にアルメニアを滅ぼすが、セルジュークからの防波堤の役目を
果たしていたアルメニアを滅ぼしたことから直接セルジュークと接触することになり
その上アルメニア人とグルジア人の兵団を解散させて東方の防備を弱めた。
バルカンでも反乱を誘発させて防備を弱まらわせ
ペチェネグ族に5年間なすすべもなく荒され
1060年代のオグズトルコ30万人の
バルカンへの侵入のきっかけを作った。
この時代が決定的な転換期
ルーマニアとかハンガリーってオスマン帝国に制圧されたときに美人を根こそぎ持ってかれたってほんとなの?
112 :
世界@名無史さん:2010/10/02(土) 19:43:24 0
キリスト教の子弟を人質にしたりイエニチェリになったりしたことの
話が大きくなって出来た都市伝説では
>>109 テュルク系の語彙も結構多いらしいですね。
114 :
エビちゃん親衛隊:2010/10/03(日) 14:33:51 0
>>81 北朝鮮の親戚国家の美学が分からんか?
そういう発想があったらチャウシェスク時代からもっと発展しとるわい。
115 :
世界@名無史さん:2010/10/03(日) 15:23:56 0
>>114 じつはそういう発想をもっている
政治家というのは案外少なかったりする
116 :
世界@名無史さん:2010/10/03(日) 16:48:00 0
ルーマニアは航空機に関しては先進的だったんだけどな
117 :
世界@名無史さん:2010/10/04(月) 00:24:02 0
>ルーマニアは航空機に関しては先進的だったんだけどな
初耳。
ロシアの間違いでなく?
石油採掘では先進的だったけど。
118 :
世界@名無史さん:2010/10/04(月) 14:39:40 0
そうだ、石油があったんだったなルーマニアは
枢軸陣営にとっては重要な領土だったな。
戦時中だから買いたたかれたらしいが。
119 :
世界@名無史さん:2010/10/04(月) 23:13:08 0
だが実戦では
120 :
世界@名無史さん:2010/10/05(火) 13:22:21 O
そ、装備が貧弱だっただけだよきっと
121 :
世界@名無史さん:2010/10/05(火) 17:29:36 0
test
122 :
世界@名無史さん:2010/10/06(水) 18:41:59 0
京都大学学術出版会から出版された名事典『西洋古典学事典』を読むといい。
かなり詳しく載っているからね
123 :
世界@名無史さん:2010/10/11(月) 00:55:03 0
>>120 装備もそうだが
組織や戦い方も旧態依然で
おまけに戦術もあやまった
124 :
世界@名無史さん:2010/10/12(火) 16:22:32 0
ルーマニアは連合国側に付きたかったがフランスがあっけなく敗れて仕方なく枢軸国側に付いた。
そして渋々独ソ戦に参加した。
125 :
世界@名無史さん:2010/10/12(火) 23:46:35 0
ルーマニアが渋渋対ソ戦に参加したって初耳。ソース教えて欲すいかも。
126 :
世界@名無史さん:2010/10/13(水) 08:04:48 0
アントネスクが今でも国民的人気があるのは何で?
127 :
世界@名無史さん:2010/10/13(水) 19:34:07 0
ムッソリーニとアントネスクは自国での再評価が進んでるようだね。
128 :
世界@名無史さん:2010/10/14(木) 12:26:48 0
オスマン帝国に支配されたり、ソ連のせいで赤化したりとバルカン半島は悲惨だ
トランシルヴァニアとペンシルヴァニア
トランシルバニアのブラショフはドイツ系住民が多かったとのことだけど
ルーマニアがオスマントルコに征服されたときはドイツ人たちはどうなったの?
トランシルヴァニアはハプスブルク領じゃなかったっけ?
モルダヴィアとワラキアがオスマンに征服された。
東ハンガリー王国→トランシルヴァニア公国→カルロヴィッツ条約=ハプスブルク君主国
という流れ
133 :
世界@名無史さん:2010/11/06(土) 06:23:52 0
>>131 亀レス失礼。
トランシルヴァニア公国は名目上は独立国だが、
カルヴィッツ条約でハプスブルク帝国の支配下に入るまでは
実質オスマンの属国状態。
属国とはどういった状態で?農民の娘やその土地の貴族の娘を抱き放題?
135 :
133:2010/11/06(土) 18:56:56 0
>>134 う〜ん、オスマン帝国によるトランシルヴァニア公国支配の様子を書いた資料が少ないんだよなぁ。
同帝国のハンガリー支配の実態について書いた本はそれなりにあるんだけど・・・・
ただ、トランシルヴァニア公国は戦争では基本的にオスマンの味方だったが、
たまにハプスブルク側につくこともあったみたいだから
そう単純にオスマンの言いなりだった訳でもなさそうだ。
136 :
世界@名無史さん:2010/11/06(土) 21:02:14 0
17世紀後半辺りになるとハプスブルクの影響力が増大してもう半属国状態になってた。
137 :
世界@名無史さん:2010/11/06(土) 21:11:39 0
ハプスブルクにしてみればハンガリーの野郎はいつの時代も目の上のたんこぶだな
>>137 婚姻戦略と王の戦死でうまいこと手元に転がり込んできたんだから贅沢言わない
>同帝国のハンガリー支配の実態について書いた本はそれなりにあるんだけど・・・・
どう描いてあった?
140 :
133:2010/11/06(土) 23:13:38 0
141 :
世界@名無史さん:2010/11/14(日) 07:23:46 0
東欧やギリシアは下手に独立しないほうが幸せだったよな
142 :
世界@名無史さん:2010/11/14(日) 07:28:15 0
>>141 そういうのは他国に支配されたことのない日本だから言えるセリフ。
当人たちにとってみれば、後にグダグダな結果になろうと、独立できてるだけマシだと思う。
あなたはアフリカ諸国にも同じ事が言えるのか?
143 :
世界@名無史さん:2010/11/14(日) 07:33:47 0
モロッコやチュニジアやエジプトもリビアも
民族主義などいらなかったよ
オスマン帝国に支配されていたほうがましだった
144 :
世界@名無史さん:2010/11/14(日) 07:34:48 0
145 :
世界@名無史さん:2010/11/20(土) 05:18:03 0
民族主義は「いる」「いらない」の問題じゃないだろ
146 :
世界@名無史さん:2010/11/20(土) 05:25:23 0
民族主義は勝手に起きてしまうものだからね。
それに、たとえどんなに独立後の状態がグダグダだろうとその国の人たちにとってよそから、
「お前らの国はなかったほうが良い。他国に支配されてれば良かった」って言われるのは酷なものだよ。
アフリカの紛争状態だけみて「やっぱりアフリカは欧米の植民地だったほうが良い」なんて言えるか?
で、なんでハンガリーはこんなに落ちぶれちゃったの?
IMF救済常連国で、自殺率世界トップクラスの駄目国家
女を日本に輸出してほしいな
149 :
世界@名無史さん:2010/11/22(月) 01:20:49 0
何でルーマニアは、同じラテン系のフランス・イタリアから蔑視されてんの?
150 :
世界@名無史さん:2010/11/22(月) 01:32:27 0
東条英機とアントネスクの共通点は、
1、陸軍大将
2、内閣総理大臣
3、宮廷陰謀で失脚
4、敗戦後死刑
romania roman ロマン ロマニー
いわゆる旅芸人たちの国?
ローマと関係あんの?
152 :
エビちゃん親衛隊:2010/11/22(月) 14:55:00 0
>>143 北アフリカの生活レベルは意外に高い。
それから北アフリカでモロッコだけはオスマン帝国に支配された事がない。
イベリアや西アフリカを支配した事はあるが。この辺はモロッコの自慢だろう。
中東でオスマン帝国支配下に入らなかった国はモロッコ、オマーン、イランくらいで、
中東四強の一つだな。未だにモロッコはアフリカ大陸で睨みを効かせている。
アフリカの中でリビアとアルジェリアにとって最大のライバルだな。
エジプトもオスマン帝国からの独立を宣言をしたムハメド・アリーの時は
アフリカ全土を手中に収めるような動きをしたが、すぐに英国の属国化して後は振るわなかったな。
トルコから独立してイギリスの属国になったエジプトの支配下に置かれた
スーダンから起きたマフディー国家もエチオピアやコンゴに侵攻するなどしたがイギリスに滅ぼされた。
まあ、19世紀はオスマン帝国の支配が衰えて、アフリカが群雄割拠の時代に突入した時代と言える。
最終支配者は結局「欧米かっ」だったが、中東が統一と分裂を繰り返すのは欧米支配以前からだ。
中東て中東アジアのことだろ、アフリカ
154 :
世界@名無史さん:2010/11/22(月) 20:48:58 0
西サハラをいじめて、イスラエルに媚をうる
モロッコは断固認めない
モロッコと西サハラのどっちを取るかと言われれば、どの国も圧倒的に前者だものな
西サハラに関しては同情するが、貴重な海洋資源国家である北アフリカの雄、モロッコ
との関係を拗らせたくないのがどの国も本音だろうね
アフリカに明るいフランスなんか、我関せずだしなぁ
なんのスレだが一瞬わからなかったぞ。
要するにルーマニア人はキリスト教徒化されたトルコ人ってことでおk?
158 :
世界@名無史さん:2010/11/24(水) 21:59:38 0
>>そんなもんだな
ルーマニア人はローマ化された誇り高きダキア人と
思いたいのだろうが、バルカン半島っつう地理要因がそれを許さないわな
160 :
世界@名無史さん:2010/11/24(水) 22:43:27 0
>>159 スラブ人の血なら混ざってるかも知れないけど、
トルコ人の血はほとんどないでしょ。
オスマン帝国のルーマニア支配はあくまで間接支配だったし。
>>159 混ざっているというか、ほぼ完全にスラブでしょ。遺伝子的にも宗教的にも
言語にも。なんせ、正教会だし、典礼にはスラブ系の言語使っていたし、
18世紀以前はキリル文字使っていたし。浄化運動後、文字はラテン文字になったし
スラブ系・トルコ系語彙をなるべく追い出したけど、それでもスラブ系語彙が
残るぐらいだし。
162 :
世界@名無史さん:2010/11/25(木) 06:02:05 0
>>159 どっちみち
>>157の言い分はおかしいよね。
トルコ人の血はほとんど混じってないんだから。
163 :
162:2010/11/25(木) 06:03:43 0
>>162 だね、トルコの影響は言語的には結構大きいけど、遺伝子的には
ほとんどないんじゃないかな? そもそもヨーロッパ側のトルコ人自体が
結構スラブ入っているわけだし。
でもルーマニア語ってイタリア語とスペイン語の中間みたいな語源だよね
>>165 それは18世紀の浄化運動でロマンス語系の語彙を大量導入したから。
ちなみに、18世紀末にギリシャ語も似たようなことをしている。
ギリシャ語の場合は、明治時代の日本の英語系語彙を漢語的造語に
よって訳したように、外来語起源の語彙をギリシャ語的な造語で置き換えた。
ルーマニア人にスラブ人って言ったら怒られたお
我々はラテン系だ、あんなスラブ人共と一緒にすんなだってお
>>167 そりゃ、実態は完全にスラブ人なのに、周囲との差別化図るために自分たちは
ロマンス系だということにして、言語改造したり歴史捏造したりして
立国したんだから、怒るでそ。
>>169 染めているのかどうかはわからないけど、金髪って時点で遺伝子的には
スラブ系の人種になる罠。ラテン系の地中海人種だと黒髪が基本。
もちろん、ラテン系だのスラブ系だのの民族っていうのは人種よりも
言語・宗教・風俗・本人たちがどう思っているのかというほうが
はるかに重要だし、金髪でラテン系の人間も多いけどね。
ルーマニア人などの他称である"ヴラフ"という言葉は元は異邦人
といった意味だったそうな
ある程度言葉や血が混ざったとしてもお互いに別集団と認識しておる
のではどうにもならん
172 :
◆EAbyJft1LY :2010/11/27(土) 23:39:56 0
>>171 確かに、民族移動の激しかったバルカン半島で混血がどうとか言い出したらキリがないね。
ある民族がそうである条件は本人の帰属意識によるっていうのが良いんじゃないかな。
そして、そういった本人たちの帰属意識と同時進行する形で周囲の人も、
多少言葉や人種に類似点が見られたとしても、異民族と認識するようになるね。
173 :
◆EAbyJft1LY :2010/11/27(土) 23:41:31 0
>>172 脱字訂正。
誤)そして、そういった本人たちの帰属意識と同時進行する形で周囲の人も、
正)そして、そういった本人たちの帰属意識の形成と同時進行する形で周囲の人も、
ルーマニア人は先進国にやたら移民してるけど
そんなにルーマニアって貧しいの?
175 :
◆EAbyJft1LY :2010/11/27(土) 23:56:26 0
176 :
◆EAbyJft1LY :2010/11/27(土) 23:57:53 0
>>175 また脱字訂正。スマソ。
誤)ウィキペディアに載ってるIMFの順位によると世界第62位ぐらいだね。
正)ウィキペディアに載ってるIMFの1人あたりGDPの順位によると世界第62位ぐらいだね。
>>175 そうなんですか。でもその移民にロマの占める割合も結構大きいですよね
移民先の国では住民との軋轢が生じてると聞きます
ヨーロッパの南側か。
旧オスマン領(もしくは影響圏)はまだ停滞したままと。
旧オスマンでは、ギリシア(25位)・キプロス・マルタあたりが高く、
ついでトルコ(56位)・レバノン、ルーマニア、ブルガリア、セルビアなど。
低いところは、エジプト(113位)、グルジア(114位)、アルメニア(106位)、イラク(117位)など。
中東地域やアジアの山国は未開発。
全体としてヨーロッパの周辺部としての性格が今も濃厚。
179 :
◆EAbyJft1LY :2010/11/28(日) 07:45:22 0
>>177 ルーマニアにおけるロマ問題は結構深刻だからね。
ルーマニア政府の見解としては「国内にはロマはいない」という事になってるらしい。
ルーマニアと言えば恋のマイアヒで有名なO-Zoneの出身国・・と思ってたが、お隣のモルドバだったのね
でも、両国とも文化的・言語的・人種的に殆ど違いは無いよね?
181 :
◆EAbyJft1LY :2010/11/28(日) 17:27:16 0
>>180 ロシアが無理やりルーマニアから引き剥がしたようなものだからね。
今でも、モルドバでは時々ルーマニアとの統合運動が起きてたりする。
>>175 ルーマニア人の移民先がイタリアやスペインに集中してるのは言語的に近いからなんでしょうか?
物知り顔のルーマニア大先生が
いらっしゃるなw
184 :
◆EAbyJft1LY :2010/11/28(日) 22:33:26 0
>>182 さぁ。多分そうなんじゃない?良く知らないけど。
>>175 ブルガリアとセルビアとウクライナがルーマニアより貧しかったのが意外だ
チャウシェスクのようなDQN指導者がいなかったのに
187 :
◆EAbyJft1LY :2010/11/28(日) 23:48:13 0
>>186 セルビアはユーゴスラビア時代の紛争が酷かったし、
ウクライナはソ連支配のせいで今でもロシアの経済的従属下にいるし、
ブルガリアにはジフコフという良いんだか悪いんだか良く分からない微妙な指導者がいた。
>>186 ずっと内戦していたセルビア、東西に分裂しかけて内政大混乱なウクライナが
貧しいのは当たり前かと。
189 :
◆EAbyJft1LY :2010/11/29(月) 00:02:52 0
>>178 ギリシャも最近の経済危機の影響もあるから、
現在はそのデータよりも値が下がってるかも知れないね。
それにしても、ギリシャとキプロス以外の旧オスマン領の地域は、
みんな旧宗主国(≒トルコ共和国)より経済的に貧しいのね。
後、マルタはオスマン領になってなかったと思うんだけど・・・・。
結局EUROに入れないトルコがいまのところメシウマ
てことでいいんでしょうかルーマニア大先生?
192 :
◆EAbyJft1LY :2010/11/29(月) 23:18:00 0
>>191 ルーマニア大先生って何だよw
ユーロはルーマニアもまだ導入してないね。
(EUには入ったけど)
183=191=ただのキチガイ
日本にいるルーマニア人女性は娼婦ばっかだね
195 :
世界@名無史さん:2010/12/01(水) 15:00:12 0
ルーマニアはバルカン半島じゃないだろ
196 :
世界@名無史さん:2010/12/01(水) 15:05:05 0
本当はな、バルカンではないのだが。
ハンガリーもバルカンに入れてしまっていい気がするが。
197 :
世界@名無史さん:2010/12/01(水) 15:08:33 0
,,-—————-、
,r´ `\
| ,.-''" ̄ ̄ ̄ `"''-,, .ヽ
|./ ', ',
/- - i .| ←アレクシオス1世
/⌒ヽ /⌒ .| |
,' _ ` ´ _ | .| わが王朝の国歌じゃ
|.ノ-・、.〉 , /-・ヽ .|/,⌒i
|  ̄./  ̄ .>ノ.| 百回聞いて覚えとけ
.', .| -、 .、_ノ
ヽ `¨i⌒´ / / .|
http://www.youtube.com/watch?v=m5I8SXW-Frk .|ヽ,ヽlエlエlアヽ / / |
.ヽ、 .ヾ二ノ / .|
i\ ‐ ./ / |
| ヽ___,/ ,' .|
,, -''"´ ̄ ̄`"''- 、
/ \
/ /レリ(( ̄ ̄ ̄\ \
/ .| — .\ ミ、
,' ,' ⌒ヽ '⌒ヽ/ ←ヨハネス2世
| / ( , ノ
| ,' `ー・二ヽ. , 〈 r・二ー'ヽ
i'^ヽ| _ノ '、ヽ_ 〉 gayreekはバシターを見習え(笑)
',( {|\ (c、,ィ) /
.`r‐| ,.へへ、 .イ ホンマバシターは民族の誇りやで(笑)
'リl\ 、_∠ィ'lエlュ.レ /
| \ ヽ\ェェン/ / まずはバシターを見習ってgayreek国旗を燃やさんかい!
| \. `ー‐'´/
.|\ '、 . \____/|
_,, -く `"''ー————''|- ,,_
\ ,ノ
198 :
◆EAbyJft1LY :2010/12/01(水) 16:55:25 0
>>195 そこら辺は微妙なところだね。でも、地理的にはバルカン半島に入ってるし、
歴史的にもビザンツ正教圏の影響が強いから、バルカン半島でいいんじゃないかな?
まぁ、ロシア・ウクライナ南部の草原地帯にいた遊牧民やハンガリーの、
影響もかなりあったからバルカン半島の中でも特異な地域ではあるけど。
まぁ、最近じゃバルカン半島っていうくくり自体が無意味になりつつあるけどね。
(元々、オスマン帝国のヨーロッパ地域の部分を指して言ってただけだし)
おおっとルーマニア大先生のお出ましだぜ
みんなありがたく拝聴するようにw
>>199 お前、ルーマニアはトルコ云々で知ったかこいて一撃論破されてから
ひたすら粘着しているんだなぁ。ところで、気が狂うってどういう気分だ?
最高にハイな気分さ!
202 :
世界@名無史さん:2010/12/03(金) 13:19:23 0
203 :
世界@名無史さん:2010/12/03(金) 13:20:32 0
バルカンてドナウより南の部分だな
204 :
世界@名無史さん:2010/12/03(金) 13:45:16 0
キリキアの最後
マラズギルトの戦いの後のトゥルクメン人の侵入によってアナトリアは
ほぼ無政府状態になった。その混乱に乗じてキリキアではアルメニア人の
王国が建てられた。小さな王国だが険しい山脈に位置していたこともあって
当初は比較的平穏な状態が続いた
205 :
世界@名無史さん:2010/12/03(金) 13:52:33 0
しかし、ルームセルジューク、ダニシュメンド朝を抑え込んだ
ヨハネス2世は侵略の手をキリキアに向けた。
シリア遠征のためにも要所のキリキアはなんとしても手に入れなければ
いけない所だった。大量の攻城兵器を用いたヨハネスはキリキアを
滅ぼすことに成功した。
(こんなの)
http://en.wikipedia.org/wiki/Siege_engine キリキアの王族の一人と有力者のほとんどは処刑され
キリキア王国は一時滅亡した。
バグラトゥニ朝につづきキリキアのアルメニア王国も
東ローマによって滅亡した。
206 :
◆EAbyJft1LY :2010/12/03(金) 15:42:14 0
>>202 一応、確かにどっちも文化的にはビザンツ正教圏ではあるね。
地理的にはバルカン半島に入ってるとは思えないけど・・・・。
まぁ、さっきも言ったようにある国がバルカン半島かどうかなんていうのは、
あまり意味のある区別じゃないからそんなにちゃんと考えなくても良いんじゃない?
適当にここら辺がバルカンかな〜という認識で良いと思う。
いい加減しつこいぞ。
>>152 日本はモンゴルの支配下に入ったことが無いから極東四強の1つですね!!!
211 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2010/12/04(土) 13:17:15 0
>>152 亀レス失礼。中東4強って言ってるけどその中でオスマン帝国と並ぶのは、
サファヴィー朝イランぐらいだと思うよ。モロッコは確かにオスマン帝国の侵略を防いだが、
オスマン帝国自体が元々マグリブ地域の支配に熱心ではなかったし、
国力的に考えてもオスマン帝国と並ぶ位置にいるとは思えない。
オマーンが独立できたのも基本的にはモロッコと同じ理由だし。
ルーマニアってさ、トルコ系のペチェネグ人やクマン人などの支配を受けてたんだよな。あとノガイ人とか。
という事は完全にトルコ人の血が混じってるな。
ワラキアやモルダヴィアがオスマン帝国の支配下に入る以前からトルコとの関わりが深いね。
213 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2010/12/04(土) 23:48:41 0
>>212 そうだね。13世紀以降は一時的にモンゴルの支配も受けてるし、
トランシルヴァニアを長く支配してたハンガリーも元は遊牧民だ。
結構、遊牧民の影響が強い地域ではあるね。
>>152 モロッコは西経なんだから中東ではないし
215 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2010/12/08(水) 19:15:29 0
>>214 まぁ、確かに普通は中東って言ったらマグリブのほうは含めない事が多いね。
でも、「中東=イスラーム圏」と定義して最近じゃマグリブを含める事もあるみたいだよ。
>>215 国際的に通用しない、日本だけの感覚だし。
中東は中東、回教圏は回教圏、別の概念だし。
ちなみに、国際的に、極東というと、インダス川流域・カイバル峠ら辺が境になる。
アメリカがやいのやいの言ってきてアフガニスタンの戦争について日米安保条約に基づいて極東有事の当事者意識持てというのも、当然の要求。
精々シャム湾かどうかするとトンキン湾以東と思ってたら大きな見当違いだ。
217 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2010/12/09(木) 07:37:05 0
>>216 欧米でも広義での中東はマグリブを含めることもあるよ。
G8によって提案された「拡大中東」にはモロッコも入ってたし。
>>217 横文字で書かれるときには、訳すと、「拡大中東および北アフリカ」とか「北アフリカを含む拡大中東圏」とかいう
ふうになるように、必ずアフリカ北部を指し示す語句が伴うんだけれど。
219 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2010/12/09(木) 22:08:32 0
>>167>>168 ルーマニア人よりポーランド人のほうがラテン的に見える。
宗教はローマ・カトリックだし。
民族はスラヴ系だけどね。
ロシアにルネサンス人文主義の成果が入ってきたのは、ポーランド=リトアニア
連合王国を通してなんだが、ルーマニアの場合はどうだったのかな。
221 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2010/12/09(木) 22:40:00 0
>>220 ルーマニアは長い間オスマン帝国の属国だったからね。
人文主義の影響が国内でどれくらいあったのかはちょっと良く分からないや。
223 :
世界@名無史さん:2010/12/27(月) 18:19:11 0
age
だな
しかしルーマニアより貧しいのか、琴欧州は・・・
モルドヴァの影の薄さは異常
トランシルヴァニアがルーマニア領でモルドヴァがルーマニア領じゃないのはヘン
228 :
世界@名無史さん:2010/12/29(水) 23:03:31 0
東欧が決定的に立ち遅れたのは共産圏に入ってから
229 :
世界@名無史さん:2010/12/29(水) 23:06:05 0
>>212 アナトリアのトルコ人はオグズ系だから
入っているとしたらトルコでもカザフ系だろうな
東欧から経済先進国は生まれるの?
231 :
世界@名無史さん:2010/12/29(水) 23:26:15 0
あと何年かすれば生まれるんじゃない?
ポーランド・・は中欧か
233 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2010/12/30(木) 11:50:56 0
>>228 ソ連が出来る前から東欧は独立が遅れたせいもあって、
西欧に比べて立ち遅れてたけどね。共産主義も一因だけど。
>>232 でも、ポーランドなんかは東欧に含める事のほうが、
多いんじゃないかな。まぁ、中欧でも間違ってないけど。
中欧ってのはどちらかといえば、冷戦後に出てきた自称だからね。
客観的に見れば東欧だろうな。
235 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2010/12/30(木) 13:31:26 0
>>234 「東欧=スラヴ圏(もしくは旧共産圏)」とみればポーランドは、
東欧だけど、「東欧=正教圏(もしくはそれに近しい文化圏)」と、
みればポーランドは中欧になるかな。まぁ、ここら辺はただの主観だね。
宗教で線引きすると、国内に境界が引かれるから厄介なことになるな。
ホーランドも東部は正教も多いし、ルーマニアも旧ハンガリーのトランシルバニアは
カトリックが多い。
237 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2010/12/30(木) 14:04:08 0
>>236 確かにね。だから、ここら辺の定義はどうしても曖昧になるんだよね。
古代ローマ帝国が崩壊して
西ローマがゲルマン世界へと変貌していく中、東ローマはどれほどギリシアなどの高度な文明社会を
残せたの?
イスラムがアリストテレスの哲学を研究しインドからは天文学・数学をとりいれて
アラビア数字をつくったり、代数学や三角法を発展させ、のちに西ヨーロッパ世界が中世的暗黒世界を
ぬけて大きく飛躍するための土台をつくったわけだけど、その間東ヨーロッパは何をしてたんだろう?
239 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2010/12/30(木) 14:16:40 0
>>238 ビザンツ帝国は文学面で古代ギリシャ文明の継承の役割を、
果たしてたよ。特にビザンツ帝国による古典の編纂や保存は、
後のイタリアにおけるルネサンスなんかにも影響を与えてるよ。
イスラム興隆前からネストリウス派が学問や医術を布教の道具にしてたからね
241 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2010/12/30(木) 14:38:56 0
>>240 ビザンツ帝国(というかギリシャ正教)じゃ、ネストリウス派は異端だけどね。
>>239
そのへんがイマイチよくわからない、塩野七生にたよるしかないのか
ビザンツが東ローマの支配層で構成されていたようではあるけど
文化的な勢いがかけているようでならない
243 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2010/12/30(木) 14:51:18 0
>>242 >ビザンツが東ローマの支配層で構成されていたようではあるけど
ごめん。この一文が意味不明なんだけど。ビザンツ帝国と、
東ローマ帝国は完全な同義語だよ。勘違いしてない?
ふーん、そうなんだ
ビザンツ帝国って途中でいったんなくなったり、名前変えてたりする(亡命政権?)するから
まったくそのままを継承しているんじゃないのかと思ってた
245 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2010/12/30(木) 15:00:50 0
>>244 >ビザンツ帝国って途中でいったんなくなったり、名前変えてたりする(亡命政権?)するから
第4回十字軍の時だね。この頃はもうビザンツ帝国史でも、
末期のほうだし。まぁ、本人たちは滅亡する最後までずっと、
「ローマ帝国」と自称してたから、「ビザンツ帝国」というのは、
後世の呼称でしかないよ。どこら辺から、そう呼ぶべきかは、
ビザンツ史の専門家たちの間でも、意見が分かれてるけど。
そもそも東ローマって言い方も正確には他称みたいなもんで
本人達にとっては滅亡するまで「ローマ帝国」だからな
つまり東とか西とかって言う方角すらありえないって言う
んじゃ395年の東西分裂は何なのかって事だけど
あれ以前に既に4分立共同統治の時代が有ったから
その時点で既にローマは分割しつつ1つの存在として見てた訳でしょ
分割統治始めた頃には既に首都はビザンチウムと制定してて
ローマという都市は既に地方の中心みたいなもんになってるよな
248 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2010/12/30(木) 22:05:19 0
>>247 もう、その頃には「ローマ」は都市じゃなくて文明を指してたという訳か。
>>247 >>248 と言うか遷都する100年以上も前から実際は既に街の勢いとしてビザンティウム>ローマとなってたし
閉塞化して発展より衰退化してたローマよりも発展著しいビザンティウムが既に有力な実質都市になってたし
西暦200年代の頃で既にビザンティウムの方が優れた街と化してたもんだよ
だから有る意味遷都したのも当然の成り行きっつうか寧ろ状況からして遅すぎたくらいだった訳で
250 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2010/12/30(木) 22:33:33 0
>>249 まぁ、その割りにはテオドシウス1世の時代まで、
コンスタンティノープルは、軽視されてたんだけどね。
>>250 コンスタンティノープルが一般的な意味での首都として機能しだしたのは5世紀ごろからだと思う。
都市ローマに皇帝が滞在しないことが恒常化した3世紀半ば以降は、野戦機動軍を率いて常に帝国内を移動
する皇帝とそれに付随する宮廷こそが「首都」だったのだから。
>>250 その地理的な位置故に軽視はされてないよ
ローマ帝国と東ローマ帝国の境目はシリアの陥落かなぁと個人的には思う
あそこが世界の構造的な面で見てもキリストvsイスラムという宗教的な争いの境目だし
アフリカ、シリア、エジプトを抑えた最後の時期だから
253 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2010/12/30(木) 22:55:51 0
>>251 まぁ、そこら辺が妥当かな。現在のイスタンブルの、
風景の原型もこの辺りの時代に出来たんだし。
254 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2010/12/30(木) 22:58:21 0
>>252 軽視というか首都として機能してなかったって意味ね。
テオドシウス1世まで誰もコンスタンティノープルに、
多くの時間留まって住まう事がなかったんだから。
255 :
世界@名無史さん:2011/01/01(土) 16:08:40 O
>>252 強いて区分するならギリシャ語が主要言語になった時だと思う
ギリシャ化って要素が一番東ローマには大きい転換点
256 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2011/01/01(土) 16:19:18 O
つまり、どっちにしろヘラクレイオスの時が境目ってことかな。
257 :
世界@名無史さん:2011/01/03(月) 00:53:32 0
しかし、軍制度はマウリキウスからニケフォロス2世の時代まで変化なし
258 :
世界@名無史さん:2011/01/03(月) 00:54:21 0
>>そのへんがイマイチよくわからない、塩野七生にたよるしかないのか
た よ る な
259 :
世界@名無史さん:2011/01/03(月) 01:04:04 O
いい加減東ローマスレ立てたいな
260 :
世界@名無史さん:2011/01/03(月) 01:18:58 0
261 :
世界@名無史さん:2011/01/03(月) 02:20:30 0
ニケフォロス2世の戦術論
アラブ人が攻めて来るときには事前に馬の餌になりそうな牧草を刈り取っておくこと
重騎兵は敵重騎兵の殲滅、および敵の兵站線破壊を任務とする
軽歩兵(フィン人投石隊、アルメニア人弓兵隊)は敵軍錯乱を任務とする
ニケフォロス2世
「バルカン方面の戦場及びブルガリア戦は知らね、俺の領土はカッパドキアだし」
262 :
世界@名無史さん:2011/01/03(月) 03:25:19 0
人材提供、規模、戦略的な重要度
カイサリア>>>>>コンスタンティノープル
263 :
世界@名無史さん:2011/01/03(月) 04:22:33 0
規模はさすがにコンスタンティノープルだろ
264 :
世界@名無史さん:2011/01/03(月) 06:39:22 0
フィン人投石隊
へー、そんな連中がいたんだ。
やはりドニエプル川経由で来たのかな
トライアヌス
三つのケツ穴?
268 :
世界@名無史さん:2011/01/05(水) 03:32:02 0
>>257 変化がないどころかニケフォロスの時代までは明らかに退化している
269 :
世界@名無史さん:2011/01/05(水) 04:55:40 0
シュメオン年代記
それからマケドニアのストラテーゴスから、ブルガリアのアルコンのシュメオンが
ローマ帝国に侵入したという報告が寄せられた。そのことを知ると皇帝はストラテラテスのクリニテスを、多くの武器やアルコンたちを首都からシュメオンに対して送り出して、ブルガリアに対すべく派遣した。そしてマケドニアで戦ったものの、
ローマ人は敗北してクリニテスやアルメニアのクルティケス、
そして他の全員が戦死した。またレオンのヘタイレイアに属していたカザール人の
何人かは捕らえられ、鼻をそがれて、ローマの不名誉を示すべく
シュメオンによってコンスタンティノープルに送られた。
この戦いなんだが、マケドニアのどこで行われた戦いか知っている人いない?
271 :
世界@名無史さん:2011/01/06(木) 21:40:39 0
フィン人て聞いたことないか?
フィンランド人のことだが
ジャスティンアヌス
274 :
世界@名無史さん:2011/01/19(水) 21:44:57 0
キレナイカ
キレナイカはシリアなどと共に東ローマから永遠に失われたのだ…
276 :
世界@名無史さん:2011/01/20(木) 16:38:30 0
街の最盛期状態の規模
パレルモ(シチリア王国の首都)>カエサリア(アナトリアの都市)
=プレスラフ(ブルガリアの首都)>コンスタンティノープル
277 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2011/01/20(木) 16:56:48 0
>>276 その規模って何を基準に決めてるの?人口?
278 :
世界@名無史さん:2011/01/20(木) 19:19:51 0
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::: 元来ギリシャ人・ローマ人は草食である :::
' ― ―‐ -- 」 L_:::::
然るにシリアの草木は全て…  ̄ ̄ ̄
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:::::::::'、 即ち之食料なのである /:::::::: ´` '
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./ , ' \ / `、 \
ロマノス3世↑
279 :
世界@名無史さん:2011/01/20(木) 20:51:40 0
>>269 テッサロニキ以北、コンスタンティノープル以西だろう
どこかの都市の近くだったら都市の名前が書かれているはず
ルーマニアはロマ多すぎだお
財布盗まれたお・・・
281 :
世界@名無史さん:2011/01/23(日) 11:01:41 0
>>280 多分、ヨーロッパ住民のほとんどがロマを嫌っているが
それでもロマに対して「差別的な発言」をすると批判されるらしい。
非難はいいが、差別はだめということだろうか
差別、つまり「生まれながら」と断言してしまうと改善の余地も
妥協の余地も無くなる。
差別のメリットは…差別を吐いたときの気晴らし、ただそれだけ
283 :
世界@名無史さん:2011/01/23(日) 13:27:09 0
>>279 案外ブルガリア領内のマケドニアだったかもしれん
それにしても戦闘の詳しい記録が残ってないもんだろうかね
>>281 日本だって四つ指の差別とかあるし、それみたいなものだろ。
285 :
世界@名無史さん:2011/01/26(水) 03:11:08 0
286 :
世界@名無史さん:2011/01/26(水) 13:14:58 0
考古学で戦場跡地とか特定できるもんなの?
>>286 出土する武具や貨幣の年代で特定できるものもある。その戦闘年以後に鋳
造された貨幣は出土しないとかな。最近じゃ、ローマ帝国がゲルマンのア
ルミニウスに負けたトイトブルクの戦いの跡が特定されてる。
288 :
世界@名無史さん:2011/01/26(水) 16:52:27 0
289 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2011/01/26(水) 16:55:15 0
>>288 ヘラクレイオスの「シリアよさらば」という言葉に表れてるように、
当時のシリアはかなり豊な土地だったよ。だから領有したがった
290 :
世界@名無史さん:2011/01/26(水) 17:35:40 0
291 :
世界@名無史さん:2011/01/26(水) 18:59:26 0
マダラの像にはライオンが描かれているが
昔はトラキアにもライオンがいたんだろうか
292 :
世界@名無史さん:2011/01/27(木) 00:47:54 0
293 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2011/01/27(木) 05:54:10 0
>>292 プレスラフのほうがコンスタンティノープルより人口多かったって本当?
まぁ、時代にもよるし最盛期もずれてるから分からないけど信じられないなぁ。
>>290 市域の広さや駐屯兵力でいえばアモリオンはそんなに大規模とは言えない。
295 :
世界@名無史さん:2011/01/27(木) 19:00:07 0
そうなん?アラブではアンムーリヤの占領が名誉として
語り継がれているからたいそうな都市と思っていたが
296 :
世界@名無史さん:2011/01/27(木) 23:01:10 0
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ヽ ゙!!!|||||||||||| |||||||!! iヽ── /
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\ / |ミミヽ──‐'"ノ≡- ゙'──''彡| |、 | |
 ̄| |ミミミ/" ̄ 、,,/|l ̄"'''ヽ彡|| |、/ / ロマンティックageるよ
ヽ、l| |ミミミ| |、────フヽ |彡l| |/ /_
\/|l |ミミミ| \_/ ̄ ̄フ_/ |彡|l/  ̄/ ロマンティックageるよ
\ ノ l|ミミミ| \二二、_/ |彡| フ
 ̄\ l|ミミミ|  ̄ ̄ ̄ |メ/ \トキメク胸に キラキラ光った
| \ ヽ\ミヽ  ̄ ̄"' |/ /
/ \ヽ、ヾ''''ヽ、_____// /_夢をageるよ
/ ヽ ゙ヽ─、──────'/|  ̄/
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───'''" ̄ ̄ ゙゙̄ヽ、__,,/,-'''" ̄ ゙''─
297 :
世界@名無史さん:2011/01/29(土) 18:55:01 0
298 :
世界@名無史さん:2011/01/31(月) 01:23:08 0
>>290 ちなみにその戦いはマムルークのデビュー戦でもある
299 :
世界@名無史さん:2011/02/01(火) 22:11:51 0
カッパドキア人て何?
300 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2011/02/01(火) 22:17:24 0
>>299 その名の通り、アナトリアのカッパドキアに住む人たちの事だけど?あそこは、
その地理的特徴のせいで、ちょっとした独自文化を形成してて1つの民族みたいに、
認識されてたらしい。カッパドキア王国というのが古代に存在したみたいだし。
301 :
世界@名無史さん:2011/02/01(火) 23:26:11 0
302 :
世界@名無史さん:2011/02/02(水) 22:06:55 0
スポーツと観光では経済が安定しないということは
南欧東欧諸国が体を張って証明している
303 :
世界@名無史さん:2011/02/03(木) 01:41:23 0
304 :
世界@名無史さん:2011/02/03(木) 04:06:33 0
306 :
世界@名無史さん:2011/02/05(土) 17:12:49 0
ルーマニアで魔女に課税されることになった
307 :
世界@名無史さん:2011/02/05(土) 21:20:31 0
>>125 スターリングラードの戦記を読むとドイツ軍の包囲線だか防衛線のなかで
ルーマニア軍が弱点だというのでソ連軍に狙われている。
NHKの歴史散歩のような番組で、ルーマニアのなかのドイツ人村のこと
をやっていたな。その村の青年たちが民族意識にめざめて対ソ戦に志願した
のが多かったと言っていた。
308 :
125:2011/02/05(土) 22:05:22 0
>307
?えらい亀だがレスありがとう
そういう話を聞きたかったんじゃないんだけどね
309 :
世界@名無史さん:2011/02/06(日) 14:54:32 0
>>ルーマニアのなかのドイツ人村
ザクセンか
トランシルバニアは本来ならルーマニアにいれるべきではないことろだしね。
311 :
世界@名無史さん:2011/02/06(日) 20:11:05 0
>>307 ウラノス作戦の目標がルーマニア軍だったのは
よく知られた話
312 :
世界@名無史さん:2011/02/07(月) 12:19:57 0
ルーマニアに必要だったのはコマネチではなく
クルップだった
若い頃のコマネチとSEXしたいとみんな思っていたあの頃。
>>15 亀だけど、ハンガリーは紀元1000年ごろからカソリック教だよ
315 :
世界@名無史さん:2011/02/09(水) 12:33:57 0
316 :
世界@名無史さん:2011/02/09(水) 17:26:45 0
>>257 いや、マウリキウス以降は変化に乏しいよ。
タクティカでの戦い方もほとんどマウリキウスの焼き直しにすぎない
カタクラフトとかクリバノフォロスとかの重騎兵って役に立ったの?
ヴァリャーギ親衛隊は北欧の歴史でも名高いけど、
その割に北欧には正教は伝播しなかったよね。
318 :
世界@名無史さん:2011/02/11(金) 15:57:46 0
>>310 トランシルバニアはハンガリー領ではあったが、
最大多数の民族はルーマニア人。
なのでルーマニアだと言えばルーマニア。
ワラキア、モルドバ、トランシルバニアの
統一ルーマニアの視点から見れば、
現状はモルドバが東西に分断されている状況。
319 :
世界@名無史さん:2011/02/14(月) 23:56:18 0
現在のルーマニア国の平原部は中世を通じて遊牧民の土地だったのではないだろうか?
14世紀にリトワニアが黒海沿岸まで進出して,ルーマニア平原と黒海北岸の
ジュチ・ウルスとを分離した.
この後に山から下りて来たのが現在のルーマニア人の祖先なのではなかろうか?
320 :
世界@名無史さん:2011/02/14(月) 23:58:32 0
>>319 だから,13世紀以前のルーマニアに関する記録がないのではなかろうか?
13世紀頃はノガイの支配下にあったのかな?
322 :
世界@名無史さん:2011/02/16(水) 16:18:10 0
>>318 布教できそうな知識人はヴァリャーグにはいない
323 :
世界@名無史さん:2011/02/17(木) 21:10:27 0
324 :
世界@名無史さん:2011/02/18(金) 21:57:23 0
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::: 元来ギリシャ人・ローマ人は草食である :::
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然るにシチリアの草木は全て…  ̄ ̄ ̄
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マヌエル1世↑
そーいやカエサルの軍も草の根食ってしのいだことあったっけ
326 :
世界@名無史さん:2011/02/19(土) 19:30:53 0
やってくれましたね、みなさん…
よくわたしの皇帝になるという夢を見事に打ち砕いてくれました…
ニコラオスの反応がありませんね…あなたたちが殺したんですか?
どうやったのかは知りませんが、これはちょっと意外でしたよ…
はじめてですよ…
このわたしをここまでコケにしたおバカさん達は……
まさかこんな結果になろうとは思いませんでした…
ゆ…
ゆるさん…
,-‐,,ii||||||||||||ii、-、
`゛!!!iiiiiiiiiiiiiii;;;;;;;;;;,,,,,-‐/ i||||||||||||||||||||||||i ヽ‐-、,,,,,;;;;;;;;;;iiiiiiiiiiiiiii!!!"´
'''''!!!!!|||||||||||||/ i||||| |||||||||||||||||i ヘ|||||||||||||!!!!!'''''
''''''''!!!!!I/ |||||| |||||||||||||||||| `iI!!!!!'''''''' /Vー-へノ\ノ\ノ\ノ\
ヽ, !|||||||||||||||||||||||||!" 〈 ノV \
─────----了 ゛!!||||||||||||||!!" `ヽ---─く
| | | `ゝ.__  ̄Y ̄ ___ノ ノ
| | | ,| ]下ミ ̄`。、_|_;'。´ ̄7エ"┬| | ノ ぜったいゆるさんぞ虫けらども!!!!!!
| | | |└、 トミミi─'´<_,l、三´,E=|#ナノ | )
| | | | | `ヽトミ||^=====^|E彡/ ' | | |< じわじわとなぶり殺しにしてくれる!!!!!
、 | | | | | ーヾミ||]⌒i⌒「|ソ‐'-─/ / | )
ヽ、 | /^‐━, \_ `、`===='',/ _/ /\ | └、
ヽ、 | /ノ―、='、 \_二二`─´二二_/ \ Vヽ
ヽ/´ / / ̄`i、  ̄|| ̄ / \ ヽ/ ̄ ̄ヽノ⌒Vー-、/⌒V
ノ 丿 l | `i---┼-----------'´
| 〈 l 〈 〉 |
ゝ ,/
シメオン↑
ブルガリア人とルーマニア人が罵りあうときは、
どんな台詞がならぶんだろうか。
どっちがより貧乏なのかを競い合う
329 :
世界@名無史さん:2011/02/20(日) 00:28:44.30 0
大体日本人と中国人韓国人がののしりあうときと同じようなこと言ってるよ
謝罪賠償云々言ってるのか?
331 :
世界@名無史さん:2011/02/20(日) 01:13:53.43 0
youtubuでは日本人と中国人はいつも喧嘩してるが
それと大体同じようなこと言い合ってるよ
332 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2011/02/20(日) 07:44:59.26 0
>>330 ブルガリアは第2次バルカン戦争及び第1次世界大戦で南ドブロジャを、
ルーマニアに割譲してるけど今でもその賠償を巡って争ってたりするのかな?
334 :
世界@名無史さん:2011/02/20(日) 22:59:52.37 0
第二ブルガリアのイヴァンとアセンの出自が問題になっている
というか議論になっているページ見た事あるな、youtubeで
335 :
世界@名無史さん:2011/02/21(月) 17:29:29.22 0
ジプシーの生産地ルーマニア
336 :
世界@名無史さん:2011/02/22(火) 02:29:19.69 O
野犬が多い国
EUで生保受けてるジプシー多いんだってな
337 :
世界@名無史さん:2011/02/22(火) 04:42:04.79 0
出来る事ならルーマニア政府はジプシーを皆殺しにしたいと思っている
人道上の問題で出来やしないが
338 :
世界@名無史さん:2011/02/22(火) 18:24:48.29 0
やっとコンスタンティノープルに帰ってきたと思ったのに
十字軍に反乱をおこされアレクシオスはそれどころではありません
でもくじけちゃダメだよアレクシオス! 人生とはそういうものだから
339 :
世界@名無史さん:2011/02/22(火) 22:21:51.21 0
エピロスの王族がアンゲロスじゃなくコムネノスを名乗ったのは
アンゲロスじゃ評判悪かったからなんだろうな
340 :
世界@名無史さん:2011/02/24(木) 19:19:13.80 0
>>317 その「重騎兵」は実はそれほど(アラブやマジャールに比べれば重いが)
重くなかったという話もある
341 :
世界@名無史さん:2011/02/25(金) 21:46:00.97 0
342 :
世界@名無史さん:2011/02/25(金) 23:04:53.02 0
343 :
世界@名無史さん:2011/02/28(月) 12:35:56.67 0
ルーマニアは独立後軍事力強化?
344 :
世界@名無史さん:2011/03/01(火) 02:55:26.51 0
>>341 騎兵といっても遊牧民の軽騎兵に毛が生えたものだったんだろうか
345 :
世界@名無史さん:2011/03/07(月) 08:45:05.20 0
周りの国の騎兵がみんな軽騎兵だったからな
347 :
世界@名無史さん:2011/03/12(土) 00:04:56.79 0
アラブ人の侵攻を耐えたアナトリアが
トルコ人になぜたやすくとられたのか
傭兵
349 :
世界@名無史さん:2011/03/14(月) 06:52:09.38 0
コンスタンティノス9世の分地主義が大きいのでは
まずアルメニア、グルジアの兵団を解散させため
防衛者がいなくなったアルメニアがセルジュークに占領され
グルジアも荒された。
さらに続いてアンティオキアもトルコ人の手におちた
イタリア駐屯の兵力をアナトリアに回したらイタリアも完全に失うという失態も犯している
350 :
世界@名無史さん:2011/03/14(月) 08:21:19.48 0
カイサリアがあっさり陥落するなどフォカス家があったころには考えられない事だ
>>347 アラブ人と戦ってた頃は、イスラムの遠征軍が攻めてきても
決戦を避けて様々なハラスメントをしつつ退却せざるを
得ないように仕向けていたそうで。スキタイ人みたいだな。
んでトルコ人が来たらマンツィケルトで決戦してああなったと。
352 :
世界@名無史さん:2011/03/14(月) 11:31:53.10 0
マラズギルトの前にもトルコ人との戦いは散々あった
バイブルトの戦いや一回目のマラズギルトの戦いは(よく知られる
マラズギルトでの戦いは2回ある)東ローマが勝っている
別にマラズギルトはそれほど軍事的には大きな負けではない
アナトリアの軍事力はまだ健在だった。
直後に起こったブルガリアの反乱は鎮圧されている。
問題は、西のコンスタンティノープルの貴族と東のアナトリアの貴族が
対立していたのが大きい
353 :
世界@名無史さん:2011/03/14(月) 11:35:17.28 0
>>347 アラブ人にはキリキアの要塞があった
セルジュークに対しては要塞となるべきアルメニアを無防備にした事が災いした
354 :
世界@名無史さん:2011/03/14(月) 11:43:21.49 0
そもそもセルジュークのスルタンにはアナトリアを征服する意思はなかった
スルタンの強権を嫌うテュルクメン人が過去のゲルマン人の移動のごとく
アナトリアに押し寄せたというのが真相
355 :
世界@名無史さん:2011/03/14(月) 11:59:44.58 0
アラブ人にだってコンスタンティノス5世やバルダスが決戦を挑んでるよ
ニケフォロス1世も負けてばかりだけど決戦を挑んでいる
セルジュークの時には単純に軍が堕落してたんだろう
356 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2011/03/14(月) 18:17:58.17 0
>>354 セルジューク朝はスルタンに対して反抗的だったトルクメンたちを、
アナトリアへと厄介払いしてたね。アナトリアのトルコ化に関しては、
マンツィケルトの戦いよりもそっちのほうが原因として大きいからね。
357 :
世界@名無史さん:2011/03/18(金) 10:43:42.37 0
>>355 1042年にはセルビア人やアルメニア人に大敗してるからな
358 :
世界@名無史さん:2011/03/18(金) 23:19:36.54 0
359 :
世界@名無史さん:2011/03/20(日) 03:09:30.96 0
360 :
世界@名無史さん:2011/03/20(日) 03:14:39.29 0
>>354 アルプ・アルスラーンは、シーア派のファーティマ朝を倒してエジプトを
併合するつもりだったとされるね。
ロマノス4世らの活躍は、ファーティマ朝の寿命を100年のばしたとされる。
>>356 ニザーム・アル・ムルクが、トルクメンらをアナトリアへ厄介払いしたので、
イランはトルコ化を免れたされる。ニザーム・アル・ムルクは祖国を救った。
東ローマが、ゴート族らを西ローマ領へ厄介払いした事に、よく似ているね。
362 :
世界@名無史さん:2011/03/20(日) 07:58:19.51 0
しかし、ドナウ川を超えてやってきたオグズ族を殲滅してたりする
363 :
世界@名無史さん:2011/03/20(日) 23:26:23.31 0
ところで、次の本を読んだ人はいますか?
・志田恭子
『ロシア帝国の膨張と統合――ポスト・ビザンツ空間としてのベッサラビア』
北海道大学出版会 2009年
あきらかにスルタンはトゥルメクンを統制できていなかった
>>351 有名なカッパドキアの地下都市などにこもって、粘り強く抵抗したのだろうね。
そもそもアラブ人がカイサリアを攻めた事はないよ
大抵カイサリアに到達する前に撃退されているから
>>364 最後まで遊牧民らを統制出来なっかたので、カラ・キタイやモンゴルに敗北した。
>>364 いつまでも遊牧民らを統制出来なかったので、カラ・キタイやモンゴルに敗北した
369 :
世界@名無史さん:2011/03/24(木) 12:01:08.07 0
大体セルジュークのスルタンには東ローマと争う予定もなかった
セルジュークの配下部族が勝手にアナトリアに攻め込んで
スルタンも仕方なく出兵していったというのが本当の話
マンツィケルトの会戦直後、ユーフラテス河を境にアルメニアをセルジューク領、アナトリアをこれまで通り
東ローマ領とする事で、スルタンと皇帝は講和したのだが、アルプ・アルスラーンとロマノス4世がともに
殺されてしまったので、和平は守られずアナトリアにトルクメンらが雪崩れ込む事となった。
>>352 >問題は、西のコンスタンティノープルの貴族と東のアナトリアの貴族が対立していたのが大きい
ギリシャ人とアルメニア人の対立だろうね。ユーフラテス河を国境とするアルプ・アルスラーンの提案に、
ニケフォロス・ブリュエンニオスらは大いに賛同したが、ロマノス4世らには同胞を異教徒の手に委ねる事
なので、ロマノス4世がマンツィケルトの敗北以前に同意する事はなかった。
371 :
世界@名無史さん:2011/03/27(日) 21:05:00.51 0
:::::::::: ┌────────────────‐┐
:::::::: | クレタがほろんだようだな……. |
::::: ┌───└───────────v────┬┘
::::: | フフフ…奴は我らアラブ四天王の中でも最弱 … |
┌──└────────v──┬────────┘
| ルム人ごときに滅ぼされるとは. │
| アラブの面汚しよ… . │
└────v─────────┘
|ミ, / `ヽ /! ,.──、
|彡/二Oニニ|ノ /三三三!, |!
`,' \、、_,|/-ャ ト `=j r=レ /ミ !彡
T 爪| / / ̄|/´__,ャ |`三三‐/ |`=、|,='|
/人 ヽ ミ='/|`:::::::/イ__ ト`ー く__,-, 、 _!_ /
/ `ー─'" |_,.イ、 | |/、 Y /| | | j / ミ`┴'彡\
イフシード朝 ハムダーン朝 アグラブ朝
エジプトのファーティマ朝は、1071年に滅ぶはずだった
373 :
世界@名無史さん:2011/03/28(月) 10:14:37.81 0
コンスタンティノス9世がグルジア人とアルメニア人の兵団を解散させたのは
経費の問題の他に反乱を恐れたからと想像する
374 :
世界@名無史さん:2011/03/28(月) 10:23:41.60 0
>>197 ,-‐,,ii||||||||||||ii、-、
`゛!!!iiiiiiiiiiiiiii;;;;;;;;;;,,,,,-‐/ i||||||||||||||||||||||||i ヽ‐-、,,,,,;;;;;;;;;;iiiiiiiiiiiiiii!!!"´
'''''!!!!!|||||||||||||/ i||||| |||||||||||||||||i ヘ|||||||||||||!!!!!'''''
''''''''!!!!!I/ |||||| |||||||||||||||||| `iI!!!!!'''''''' /Vー-へノ\ノ\ノ\ノ\
ヽ, !|||||||||||||||||||||||||!" 〈 ノV \
─────----了 ゛!!||||||||||||||!!" `ヽ---─く
| | | `ゝ.__  ̄Y ̄ ___ノ ノ
| | | ,| ]下ミ ̄`。、_|_;'。´ ̄7エ"┬| | ノ 地方貴族の上に半分アルメニア人のサムイルの
| | | |└、 トミミi─'´<_,l、三´,E=|#ナノ | )
| | | | | `ヽトミ||^=====^|E彡/ ' | | |< 一族の貴様らがブルガリア人きどってんじゃねー!!!!!
、 | | | | | ーヾミ||]⌒i⌒「|ソ‐'-─/ / | )
ヽ、 | /^‐━, \_ `、`===='',/ _/ /\ | └、
ヽ、 | /ノ―、='、 \_二二`─´二二_/ \ Vヽ
ヽ/´ / / ̄`i、  ̄|| ̄ / \ ヽ/ ̄ ̄ヽノ⌒Vー-、/⌒V
ノ 丿 l | `i---┼-----------'´
| 〈 l 〈 〉 |
ゝ ,/
シメオン↑
375 :
世界@名無史さん:2011/03/28(月) 15:23:51.13 0
>>370 そういう条約が結ばれたとしても
トゥルクメン部族はお構いなしにアナトリアへの襲撃を続けていただろうね
1071年当時、ロマノス4世は、セルジュークの侵略を撃退するだけでなく、
セルジューク本国の都市レイ攻略を目指していたとされる。
すなわち、ロマノス4世は第二のアレクサンドロス大王に目標としていた。
この大遠征の為に彼が、フランク人やノルマン人、ペチェネッグ族など
多くの外国人の傭兵で大軍を編成した事はよく知られている。
戦利品目当ての傭兵があまりにも多かったので、傭兵らが東ローマを略奪する
事を恐れたロマノス4世は、戦わずにスルタンと講和出来なかったとされる。
マンツィケルトの会戦、もし、アンドロニコス・ドゥーカスらの裏切りがなく、
ロマノス4世が勝利したのならば、傭兵らの略奪により、モンゴル来襲以前に
イラン・イラクは壊滅していたのかもしれない。
傭兵たちの軍律を厳しくしようとしたら全フランク人(ドイツ人)
傭兵が暴動を起こしたというな
スルタンと皇帝はともに全将兵を統制出来ていなかったと言う事だね。
アンドロニコス・ドゥーカスは、帝位をドゥーカス家に取り戻そうとして実行した。
ロマノス4世を皇帝にした事は、彼らにとって失敗だった。あくまでもロマノスは
現場の司令官にとどめて、ドゥーカス家かコムネノス家の者がそのまま帝位を
継承していたのならば、決戦場での裏切りなど無用であったろう。
ロマノスが皇帝でなければ、第二のアレクサンドロス大王を目標とする大遠征を
強行出来なかったはずなので、東ローマはアルメニアを放棄してセルジュークと
すぐに講和出来た事であろう。
多くがギリシャ正教徒である東ローマのアルメニア人は、アルメニア正教徒である
アルメニア本国人をギリシャ正教に改宗させようとしていたので、アルメニア本国人
の多くが、マンツィケルトの会戦ではセルジューク側に参戦したとされる。
緒戦で敗退したトルクメンの多くが逃亡してしまったので、アルプ・アルスラーンは、
マムルークとクルド人、アルメニア本国人からなる士気旺盛な軍を率いる事となった。
ブルガリア人とセルビア人の傭兵はいなかったのかな
マンツィケルトの東ローマ軍にもブルガリア人とセルビア人も当然参加していただろうね
セルビア人とモルドバ人の傭兵部隊なら知ってる
ウクライナのヘーチマンに仕える親衛隊として活躍した
382 :
世界@名無史さん:2011/04/02(土) 18:20:12.06 0
ブルガリア滅亡後も
皇帝位をねらって修道院にぶちこまれる
ブルガリア人貴族に乾杯
383 :
世界@名無史さん:2011/04/03(日) 14:25:13.82 0
384 :
世界@名無史さん:2011/04/03(日) 22:19:58.43 0
ブルガリア軍はブルガール人の騎兵の後に
スラブ人の歩兵があとからついてくるという感じなのか?
385 :
世界@名無史さん:2011/04/05(火) 15:48:37.92 0
バシレイオス1世を除いたアルメニア系の貴族にアルメニアに対して
同胞意識を持っていたとは思えない
アルメニア系として白い目で見られていたやつらが
必死になってアルメニアに厳しくしていたように見える
387 :
世界@名無史さん:2011/04/05(火) 17:30:18.98 0
388 :
世界@名無史さん:2011/04/05(火) 21:21:37.65 0
389 :
世界@名無史さん:2011/04/07(木) 23:18:13.44 0
ブルガリアのイヴァイロ率いる農民軍にも余裕で負けるミカエル8世
390 :
世界@名無史さん:2011/04/11(月) 14:37:58.66 0
ディゲニス・アキリタスのモデルはなんだろう
391 :
世界@名無史さん:2011/04/13(水) 13:46:48.30 0
>>372 だからファーティマ朝は十字軍にセルジュークへの共闘を持ちかけたのか
393 :
世界@名無史さん:2011/04/16(土) 15:18:31.61 0
>>多くがギリシャ正教徒である東ローマのアルメニア人は
正教であるうえ、アルメニア語も話せないそいつらを
アルメニア人とは言えない
394 :
世界@名無史さん:2011/04/16(土) 16:03:19.04 0
1045年に東ローマがアルメニア王国を滅ぼしたが
それはセルジュークへの防波堤を自ら破壊してしまった事を意味していた
しかも同じ年にペチェネグ人がブルガリアを襲撃している
それなのにコンスタンティノス9世は軍を弱体化させ
アナトリア喪失のきっかけを作った
395 :
世界@名無史さん:2011/04/16(土) 19:56:36.20 0
>>369 それでルームセルジュークはセルジューク国家であることの正当性を
他のムスリムから疑われた
396 :
世界@名無史さん:2011/04/18(月) 00:42:05.39 0
傭兵としてはあまり使い物にならないブルガリア人
397 :
世界@名無史さん:2011/04/18(月) 12:18:52.49 0
398 :
世界@名無史さん:2011/04/19(火) 19:00:31.71 0
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_く彡川f゙ノ'ノノ ノ_ノノノイシノ| }.: '〈八ミ、、;.)
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__ノ ヽ \ ヽ\ 彡 ,イ_
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ユスティニアヌス
「何?ギリシャにスラブ人が侵入してるって?
逆に考えるんだ、ギリシャはほっておいてもいいんだと
イタリアが良ければあとはどうでもいいんだと
そう考えればいいんだ」
399 :
世界@名無史さん:2011/04/19(火) 19:17:29.18 0
400 :
世界@名無史さん:2011/04/20(水) 01:05:44.91 0
>>376 アルメニアの扱いは古代のころから変わらないんだな
401 :
世界@名無史さん:2011/04/20(水) 23:27:35.00 0
>>398 ダルダニアにもおもいっきりスラブ人が侵入してますがいいんですか?
402 :
世界@名無史さん:2011/04/23(土) 17:33:10.59 0
ダルダニアもスラブ化したのだったか
ダルダニア=現在のセルビア
404 :
世界@名無史さん:2011/04/23(土) 21:52:00.34 0
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`、 \ /ヽLf___ハ/ {
′ / ! ヽ
ユスティニアヌス
「何?大城壁の外側の土地すべてがスラブ人に占領されたって?
逆に考えるんだ、トラキア以西はほっておいてもいいんだと
イタリアが良ければあとはどうでもいいんだと
そう考えればいいんだ」
まあ実際問題なかったよな。バルカン半島より豊かな小アジアさえ取られなければな。
406 :
世界@名無史さん:2011/04/23(土) 23:48:08.16 0
いやスラブ人が侵入したからバルカンは荒廃したんだから
イスラム軍の主力がアラブ兵からトルコ人マムルークになったように、
ローマ軍の主力もイタリア出身者からバルカン出身者のドナウ軍団に
なったので、バルカンのスラブ化は地中海帝国に止めをさす事になった。
3世紀以来ローマは、バルカン出身の将兵らによって広大な領土を維持
してきたので、ユスティニアヌスの夢見た帝国再建は再挑戦不可能
となり、彼自身やベリサリウスらの出身民族自体も滅亡してしまった。
後のマウリキウスやヘラクレイオスは小アジアのカッパドキア出身だ。
408 :
世界@名無史さん:2011/04/24(日) 21:59:34.33 0
マウリキウスの、バルカンの過疎地にアルメニア人を移住させるという政策が成功していたとしても
将来バルカンのアルメニア人勢力が強大になって反乱をおこしそう
反乱を起こして皇帝になったフォカスは、かつてのマクシミヌス・トラクスと
同じく、トラキア出身だがトラキア人ではなかったみたいだな。
10世紀のカッパドキアの軍事貴族としてフォカス家が有名だが、マウリキウスを
倒したフォカスもアルメニア人だったのではないだろうか?
彼がトラキア人ならば故郷をスラブ人から守るべく、反乱を起こさなかったはずだ。
この当時すでにユスティニアヌスらの同胞は滅び去っていたという事だろうな。
410 :
世界@名無史さん:2011/04/24(日) 23:05:31.68 0
一方時代が下ったヨハネス2世の時代では
戦いでとらえたバルカンのスラブ人を
逆にアナトリアの開拓地に移住させた
411 :
世界@名無史さん:2011/04/25(月) 03:07:12.38 0
>>409 皇帝に擁立されたのを拒んだら兵士たちに殺される可能性大だから、反乱をおこす道を
進むしか選択肢がなかったのかも。
それにマウリキウスはペルシアとの講和成立後に東方から兵力をバルカンへ移しているから
590年代から対アヴァール・スラヴ戦に従事していたのは地元出身者だけじゃないし、
給料カットor一部現物支給されたり、ろくな補給もなしに何度もドナウ以北で越冬しながら
作戦継続を強要されたら地元出身の兵士だろうと不満もたまると思う。
欧州の気候に慣れた地元出身者が、減少してしまった事が仇となっているわけだね。
413 :
世界@名無史さん:2011/04/25(月) 18:04:58.45 0
一方ゲルマニクスは兵士に反乱教唆されたがやめた
414 :
世界@名無史さん:2011/04/25(月) 20:37:31.31 0
415 :
世界@名無史さん:2011/04/26(火) 19:42:53.06 0
>>409 多分そうだろうね
ユスティニアヌスの時代にドナウ以南はあらかたスラブ人に占領されてるし
ユスティニアヌス1世は、モエシアの守りを固めてウクライナ方面から南下した
スラブのアント人らを撃退する事には成功したが、東ゴート王国を滅ぼしたので、
西方が無防備となってしまい、スロバキア方面からのスラブのスクラヴェンニ人が、
パンノニアからイリリアを経て西北から、トラキアとギリシャへ侵入する事を阻止
出来なかった。
当時、イタリアのみならずイリリアとパンノニアも領する東ゴートを倒す事は、
東ローマにとって自殺行為だった。
話全く変わるけど
ギリシャの政治家のパパンドレウって
ルーマニア系の姓じゃないか?
英語のウイキペディアあたってみても
それらしい事書いてなかった。
可能性があるとすればヴラフ系なのかも知れんが
どうでもいいが世襲政治家て日本だけの現象じゃなかったんだな
トラキア人はもういなくなってたのか
420 :
世界@名無史さん:2011/04/27(水) 18:36:39.50 0
>>416 スラブ人てパンノニアから侵入したのか
堂々とトラキアからはいたのかと思ってた
421 :
世界@名無史さん:2011/04/27(水) 19:42:44.43 0
スラブ人のギリシャ移住はゴートがほろんでからだったのか
ゴート健在の頃からだと思ってた
東ゴートが健在の頃からスラブ人は少しづつ侵入していた。
スラブ人は統一されておらず部族単位で活動していた。
スラブ人同士対立する事もあり、東ローマ側に味方して
移住を認められた部族もいた。
>>420 モエシアから東ローマ領に移住しようとしていたアント人は、
602年にアヴァールによって壊滅的打撃を被ったとされる。
生き残ったアント人は、スクラヴェン人に吸収同化されて
東スラブ人となっていった。
アヴァール配下のスクラヴェン人は、バルカンのみならず
東欧全域に勢力を拡大していった。
アント→ブルガリア
スクラヴェン→旧ユーゴ
では?
425 :
世界@名無史さん:2011/04/28(木) 00:01:29.39 0
アント → ウクライナ、ベラ・ルーシー、ロシア
スクラヴェン → チェコ・スロバキア、ユーゴ・スラビア、ブルガリア、ウクライナ、ベラ・ルーシー、ロシア
ヴェンド → ポーランド
ということは、スラヴ人はヨルダネスやプロコピウスなどの歴史家が
つくったカゴテリー(アントやスクラヴェネ、ヴェンド)に沿って
集団を構成していたのか。
しかもそれらは現代の国々の地理的枠組みに沿っていたなんて
スクラヴェン+アント+ヴァリャーグ = ウクライナ
スクラヴェン+バルト+ヴァリャーグ = ベラルーシー
スクラヴェン+フィン+アラン+ヴァリャーグ = ロシア
>>424 ウクライナ方面からのアント人のバルカン侵入は、
最終的にアヴァールに阻止されてしまったようだ。
ウクライナ方面からのアント人のバルカン侵入が
成功したのならば、侵入経路にあたるモルダビア
とワラキアもスラブ化してウクライナとなり、
ルーマニアはダキア=トランシルバニアだけに
なっていたはずだ。
430 :
世界@名無史さん:2011/04/29(金) 18:10:56.82 0
>>426 セルビアとクロアチアは後発組で
元々はポーランド人と同じく西スラブ人だったのでは
セルビアとクロアチアはイラン系のサルマチア人だったのでは?
ブルガールがトルコ系でヴァリャーグがゲルマン系だったように、
当初はセルビアとクロアチアも支配層が非スラブだったのでは?
>>429 >ウクライナ方面からのアント人のバルカン侵入が
>成功したのならば、侵入経路にあたるモルダビア
>とワラキアもスラブ化してウクライナとなり、
>ルーマニアはダキア=トランシルバニアだけに
>なっていたはずだ。
14世紀にカルパチア山脈からヴラフ人が降りてきた時点の
ワラキアとモルダヴィアは、まだタタール人とスラヴ人の
混住状態では?
>>431 セルヴォイ族とホルヴァト族ね。
433 :
世界@名無史さん:2011/04/30(土) 04:56:23.42 0
その遊牧民は今のポーランドのあたりから西スラブ人を引き連れてる
>>432 もし大量にスラブ人が定着していたら、トラキアやイリリアと同様に、ヴラフ人もお手上げだったろう。
近世ポーランド士族にはサルマティア人を自分たちの先祖だとするサルマティズムがあったというが
アント人は農民化したサルマティア人だったとされるので、
6世紀ではまだ言語がスラブ化していなかったかもしれない。
アント人は7世紀以降スクラヴェン人に同化されながら
スラブ人となっていったのではないだろうか?
437 :
世界@名無史さん:2011/05/01(日) 04:06:00.51 0
ブルガール人というのは大ブルガリアがあったウクライナからスラブ人を引き連れたのか
それとも現地トラキアにいたスラブ人を支配してスラブ国家になっていたんだろうか
>>430-433 セルビア族とクロアチア族の到来時にあの辺りはアヴァールの支配下にあり、
アヴァールの征服をビザンツ史料でみると、蛮族の軍勢がアヴァールだったり
スラヴだったり、アヴァールとスラヴが同義的に使われていることから
すでにバルカン東部に根を張っていたスクラヴェンを引き連れて侵入したと
考えられる。
セルビア族とクロアチア族のバルカン到来についての主要史料はコンスタンティヌス
7世の「帝国統治論」だが、クロアチア族はダルマティアにいたアヴァールを
倒して征服、セルビア族はビザンツ皇帝がリム河流域等に移動させることによって
蛮族に奪われていた帝国の主権を回復した、と書かれているので明らかにアヴァール
及びスラヴの侵入より後で、しかも新たなスラヴ人を大規模に連れて来たような
記述はない。
>>436 6世紀のプロコピウスはアントとスクラヴェンは言語も外見も
同様だったと記している。
440 :
世界@名無史さん:2011/05/01(日) 13:10:14.73 0
スクラヴェンからスモリャニ族とかベルジート族などの部族にわかれていった?
6世紀にスクラヴェン王国とかアント王国とかに統一されていたわけではない。
パンノニアの北から来る農民の諸部族をスクラヴェン、黒海北岸にいた農民の
諸部族をアントとローマ人らが呼んでいた。
スクラヴェンはアヴァールの支配下という事では統一されていたと言えるかも。
>>437 現地トラキアにいたスラブ人を支配してスラブ国家になっていったとされる。
スクラヴェン+ホルヴァト = クロアチア
スクラヴェン+セルヴォイ = セルビア
スクラヴェン+ブルガール = ブルガリア
444 :
世界@名無史さん:2011/05/01(日) 18:45:34.08 0
>>363 志田恭子
『ロシア帝国の膨張と統合――ポスト・ビザンツ空間としてのベッサラビア』
北海道大学出版会 2009年
この本では、ルーマニアを含むビザンツ法文化圏や、
ロシア帝国がバルカン、中東で展開した正教への支援活動が説明されている。
445 :
世界@名無史さん:2011/05/02(月) 00:36:10.40 0
どうも、ギリシャ地域は比較的早く東ローマに最征服されたため
復興が進んだが
他のスラブ人地域はただ東ローマに従っていたというだけで
復興もギリシャ人の再入植もそれほど進まなかったらしいな
後の十字軍からもバルカンのスラブ人地域は未開扱いされていし
スラブ人はろくな規律も法律もない豚飼い民族とか呼ばれてる
ビザンツ領のままだったトラキアやマケドニアはどうだったん?
入り込んだスラヴ人も元からいたビザンツ人に吸収された?
他のスラブ人地域は、かつてトラキア人やイリリア人とかが住んでいた所だから、
ギリシャ人が入植するのには寒過ぎる土地だったのじゃないかな。
448 :
世界@名無史さん:2011/05/02(月) 01:38:47.46 0
元から?マケドニアは大部分スラブ人にとられてるぞ
トラキアもそうだ
おかげで沿岸部以外のマケドニアはスラブ人だらけだ
大体ギリシャ化したのはロドピ山脈の南
すまんよく見たら後ろ3コマだ
ポーランドボールってサイトの海外の人達のサイトだけど
あっちの国別ジョークって色んな意味で凄まじいものが有るっつうか
公の場所では民族ジョークはもう放映できない見たいだな
差別につながるからって
452 :
世界@名無史さん:2011/05/02(月) 04:49:05.50 0
ユスティニアヌス1世即位当時、イリリアとパンノニアは東ゴート領、
ボヘミアがバイエルンでスロバキアがロンバルディアだった。
ユスティニアヌス1世が東ゴートを倒さなければ、ゲルマンに武力で
劣るスラブはゲルマン諸国を突破出来ず、南下するスラブは比較的
無防備なモルダビアとワラキアに殺到した事であろう。
ユスティニアヌス1世は、ルーマニアを救った。
454 :
世界@名無史さん:2011/05/02(月) 22:58:54.90 0
そのかわりギリシャを滅ぼした
バルカンを滅ぼしただな
456 :
世界@名無史さん:2011/05/03(火) 01:03:49.80 0
トラキア人はすでに5世紀までにローマ化ギリシャ化してた
457 :
世界@名無史さん:2011/05/03(火) 01:20:39.42 0
王様の耳はロバの耳をユーゴスラビア民謡と放送した
まんが世界昔ばなし
458 :
世界@名無史さん:2011/05/03(火) 02:12:51.50 0
スラブ人の侵入がなかったら?
パンノニアからモエシアはラテン語圏で
それ以外はギリシャ語圏だった?
まぁスラブ人なんて有史以来搾取され続けるだけの存在だったわけだし
同じスラブのロシアにイジメ続けられて海外進出・植民地なんて夢のまた夢
スラブ人が誇れるのは美女が多いぐらいのもん(ポーランド人は微妙)
460 :
世界@名無史さん:2011/05/03(火) 02:33:53.01 0
スラブ人でもチェコとポーランドは戦闘力が高くないか
ゲルマン人と比べるとスラブ人やケルト人はより農民的で戦闘力が低いみたい。
フン族がゴート族やヴァンダル族を追い払ったので、スラブ人は独立出来た。
アヴァールが東ローマ軍を撃破したので、スラブ人はバルカンに移住出来た。
>>458 パンノニアとかは既にゲルマン化していたようだ。
アルバニア語が現存している事から想像すると、
イリリアのラテン化は不完全だったようだ。
463 :
世界@名無史さん:2011/05/03(火) 05:23:06.01 0
>>452 このバルカンでの戦役について日本語で詳しく書いてある文献てないよね
マウリキウスの治世話とか大抵1ページぐらいで終わっちゃう
464 :
世界@名無史さん:2011/05/03(火) 08:08:25.58 0
そもそもゲルマン人の大移動と並ぶべき
スラブ人の大移動の知名度が日本で低い
>>448 コンスタンティノープルやテッサロニキあたりのテマでも
ギリシャ語使うのはある程度上流層だけで
農民はスラヴ人だったのだろうか?
オスマン帝国時代とかはどうだったんだろう?
466 :
世界@名無史さん:2011/05/03(火) 10:34:34.51 0
そこらへんの大都市はさすがに母語はギリシャ語という人が多かった
すなわちギリシャ人が多かった
スラブ人もいたけど定住するならギリシャ語習得しないといけなかった
キュリロスとメトディオスの母親がそうだな
467 :
世界@名無史さん:2011/05/03(火) 10:38:19.31 0
>>461 神聖ローマやドイツ騎士団との戦争で常に勝ち続けてきたポーランドや
716年のアラブ人のコンスタンティノープルの包囲戦で
アラブ人数万を葬ったブルガリアが弱いとは思えん
それともこいつらは例外的な存在か
468 :
世界@名無史さん:2011/05/03(火) 11:11:06.40 0
スラブ人の繁殖率はすさまじい
>>467 >>461が言っている時代と全然違うじゃん
ドイツ騎士団と殴りあったのは12世紀以降だし
8世紀のブルガールはまだ完全にスラブ化してなかっただろ
>>467 ポーランドの場合も、ベラルーシーとウクライナを征服したのはリトアニアなのでは?
471 :
世界@名無史さん:2011/05/03(火) 19:55:43.61 0
スラブ人が入ったから東欧は狼男と吸血鬼の伝承だらけだよ
西欧でも煉獄の概念が広まるまでは、吸血鬼とほとんど変わらないことをする
亡者の存在が広く信じられていたらしい。
473 :
世界@名無史さん:2011/05/04(水) 11:22:49.75 0
>>442 なるほど
コンスタンティノス4世が敗戦したときはもう
今のブルガリアのあたりは
スラブ人イワン共でいっぱいだったんだ
吸血鬼の伝承は古代ギリシャからあったから、スラブが来る前から欧州全体に波及していたんじゃないの
475 :
世界@名無史さん:2011/05/04(水) 23:40:50.85 0
476 :
世界@名無史さん:2011/05/05(木) 08:21:11.99 0
>>470 リトアニアは・
中枢支配層がルテニア人みたいなもんだから
ルーシーという語末に母音が入った呼び方は
ルーシの複数形?
>>476 リトアニアも建国当初の領土急拡大は、リトアニア人が主体だったのでは?
479 :
世界@名無史さん:2011/05/06(金) 20:30:46.82 0
7世紀に侵入したスラブ人の武具はどんなもんだったろ
槍、刀、斧はともかく
鎧は金属ではなく皮か木でできたものなんだろうか
スクラヴェンとアントらの多くが、古代ケルト人と同じく鎧を着ていない軽装歩兵だったとされる。
重装騎兵を主力とするゴート族やアラン人に比べて、見るからに弱そうなので東ローマは油断した。
481 :
世界@名無史さん:2011/05/06(金) 22:19:07.73 0
ブルガリアも上層部のブルガール人部隊は鉄騎兵だったが
スラブ人部隊は軽歩兵だったそうだね
ローマ帝国の軍団兵ならともかく、蛮族の歩兵部隊じゃ重武装はしてなかろう
ローマの軍団兵は、帝政後期にはゲルマンに対抗して、ゲルマン式に鎧を着ない身軽な軽装歩兵となっていた。
逆に騎兵は、サルマティア人やササン朝に対抗して、カタフラクト&クリバナリウスの重装騎兵となっていた。
484 :
世界@名無史さん:2011/05/07(土) 09:17:19.87 0
アンドロニコス3世
「最も強きものが我が帝国をおさめよ」
ヨハネス・パレオロゴス ヨハネス・カンタクジノス オルハン イヴァン・アレクサンデル ステファン・ドゥシャン
「おっしゃあああああ」
第二次ディアドコイ戦争と名付けたい
485 :
世界@名無史さん:2011/05/07(土) 09:25:18.78 0
上でブルガリアの血統云々て話が出てるが
天ちゃんが桓武天皇の母親は百済から来たと言っただけで
大騒ぎする日本と違って
ヨーロッパの王族貴族は国際結婚が普通だったから
あまり意味がない気がする
>>479 プロコピウスによると、盾以外の防具は身につけていなかったそうだ。
487 :
479:2011/05/07(土) 15:23:51.01 0
スラブ人はサルマティア人やゴート族に長年支配されていたとされるので、
盾以外の防具は身につけていなかった事は、奇妙と言えば奇妙な事だな。
ゴート族は、もともと軽装歩兵が主力だったが、サルマティア人を模倣して
重装騎兵を主力とするようになったとされる。
489 :
世界@名無史さん:2011/05/08(日) 14:41:04.45 0
どっちにも収まりきらないな。時間的・空間的に。
492 :
世界@名無史さん:2011/05/10(火) 06:11:39.23 0
>>488 茸を食う事に夢中だったので鉄製の防具を揃えられなかったのだろう
493 :
世界@名無史さん:2011/05/11(水) 23:04:38.14 0
>>484 6年間内戦して国内はセルビアとオスマンに分割されるという状況に陥った
494 :
世界@名無史さん:2011/05/14(土) 13:46:20.40 0
中央政府の統制崩壊
地方の領主が争いあう
後継者争い寝返りなんて日常茶飯事
なんて状態が100年以上続いた日本はよく異民族に支配されなかったな
495 :
世界@名無史さん:2011/05/14(土) 14:12:32.54 0
ヘタレの感じがするニケフォロス・ボタネイアテスは
ある時自分を暗殺しようと襲撃してきたヴァリャーグの兵士数人と打ち合って
救援隊が駆けつけるまで持ちこたえたというから
個人的な武力は高かったらしい
>>494 ルーム・セルジューク朝末期の小アジアもそんな感じだったが
むしろトルコ人の海賊がヨーロッパ側を襲ったりしてるな
>>494 白人たちが武力的に手を出す気にならないくらい、
当時の日本人は強かったというか戦争状態だったかと。
むしろ日本人を改宗させて中国侵略の尖兵にしようとしてなかったかな。
499 :
世界@名無史さん:2011/05/16(月) 05:50:50.82 0
絵に残っている倭寇の船は、あれじゃ小さすぎて略奪した戦利品を持って帰れないはずだろうということ。
本当は背後にポルガル人などの白人の母船が控えていて、倭人は戦争奴隷に使われていた。
500 :
世界@名無史さん:2011/05/16(月) 08:48:47.87 0
マジャール人、セーケ人、ザクセン人に奴隷のごとく塵芥のごとく扱われてきたのがトランシルバニアのルーマニア人ですたい。
>>499 小さい船って、、、バイキングさん、忘れてないかい?
>>498 海を隔てた所に大軍は送れない
人口が少ないフィリピンや台湾でさえ
ヨーロッパ勢は全土を支配してなかった
日本の周り
明 鎖国状態、わざわざ日本海を越えて行く気がない、があれだけの勢力だから
鎖国じゃなかったら、九州あたりの大名が朝貢→
明の援軍を要請、て形で介入してたかもしれん
李朝鮮 鎖国状態、しかし結構な数の大名が交渉したりしてるから
鎖国じゃなかったら、どこかの家が援軍要請してたかもしれん
アイヌ人 統一国家を最後まで築けず、逆に和人に近寄ったりする部族がいた
実は一番まずかったのが南北朝時代
戦国時代以上の乱戦状態なうえ
明が出兵寸前だった
そういえば明も内乱でほろんでるんだったな
>>500 あそこにラテン語話す民族が残った事が衝撃
鎌倉幕府も明王朝も内乱で滅んでいるね
かの漢王朝も、匈奴の冒頓単于が遊牧民の統一よりも秦への報復を
優先したのならば、中国を統一出来なかったかもしれないね。
華北は匈奴や東胡が侵入して五胡十六国状態で、項羽は楚に劉邦は
漢中に押し込められる事になっただろうね。
>>506 イタリアから遠く離れたダキア人らが、ラテン化した事自体が驚異的だね。
逆にイタリアの真正面にいるアルバニア人が、ラテン化していない事も驚異的だね。
大西洋岸にバスク人が残存している事は、何ら驚異的ではないが、イタリアから
ギリシャへの玄関だったアルバニアが、ラテン化していない事は不可解だよね。
おそらく、ローマ時代にアルバニアは内陸までラテン化していたけど、ブリトン人が
アングロ・サクソンに追われてアルモリカに避難したように、スラブ人に追われた
イリリア人がアルバニアに移住してきたので、ラテン人は内陸から追われてイタリアへ
帰還したのだろうね。
510 :
世界@名無史さん:2011/05/17(火) 18:47:08.34 0
>>445 一応テマも設置されていたはずだが
実効支配は出来ていなかったんだろうか
511 :
世界@名無史さん:2011/05/17(火) 20:31:40.86 0
ダキアからはローマ人は100年ちょっとで撤退。
バルカン半島内陸に居たヴラフというアルーマニア語を話す浮浪者が、
スラブ人、マジャール人の居たところに、再び住み着いた。
512 :
世界@名無史さん:2011/05/17(火) 21:06:34.33 O
ルーマニアと言えばブレダ
>>510 マケドニア・テマやトラキア・テマあたりでも
農民はギリシャ語よりスラヴ語を話す者が多かったりしたんだろうか?
モンゴルがマジャール人やクマン人を虐殺した事が、
ヴラフ人には幸いとなったわけだ。
かつて、ゲルマンのキンブリ族がケルト人に大打撃を
与えた事も、大ダキア王国成立のきっかけとなった。
515 :
世界@名無史さん:2011/05/17(火) 21:18:54.19 0
ギリシャ語は学問のある人間しか話せません。
516 :
世界@名無史さん:2011/05/18(水) 09:54:41.46 0
∩___∩
| ノ ヽ
/ ● ● |
| ( _●_) ミ
彡、 |∪| 、`\
/ __ ヽノ /´> )
(___) / (_/
| /
| /\ \
| / ) )
∪ ( \
\_)
クマン人が現れた
517 :
世界@名無史さん:2011/05/18(水) 09:57:09.66 0
>>510 オスマン帝国時代のマニ半島のように形式的な賜杯だったのかもしれん
518 :
世界@名無史さん:2011/05/19(木) 21:59:08.89 0
>>513 多かったのかもしれないが
問題はスラブ人地域が原始時代のままで開発が進まなかったということ
519 :
世界@名無史さん:2011/05/21(土) 11:26:20.41 0
スラブ人の侵入を追い払っていたら
トラキア人やパイオニア人は現代まで生き残っていたのだろうか
トラキア人やパイオニア人はギリシャ化していただろう。
521 :
世界@名無史さん:2011/05/26(木) 19:10:02.48 0
、--‐冖'⌒ ̄ ̄`ー-、
/⌒` 三ミヽー-ヘ,_
__,{ ;;,, ミミ i ´Z,
ゝ ''〃//,,, ,,..`ミミ、_ノリ}j; f彡
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_く彡川f゙ノ'ノノ ノ_ノノノイシノ| }.: '〈八ミ、、;.)
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ヽ ! `'゙! ,.,,.`三'゙、,_ /´
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__ノ ヽ \ ヽ\ 彡 ,イ_
\ \ ヽ 丶. ノ!|ヽ`ヽ、
\ \ヽ `¨¨¨¨´/ |l ト、 `'ー-、__
\ `'ー-、 // /:.:.} `'ー、_
`、\ /⌒ヽ /!:.:.|
`、 \ /ヽLf___ハ/ {
′ / ! ヽ
ユスティニアヌス
「目の前にスラブ人が侵入しているというのに、イベリアのゴート人に
出兵している暇があるのかって?逆に考えるんだスラブ人は怖くて手が出せないから
放っておこうと、勝てそうな奴とだけ戦おうと、そう考えるんだ」
522 :
世界@名無史さん:2011/05/26(木) 22:14:39.76 0
>>366 単純にアラブ人よりトルコ人のほうが強かったんだろう
ムウタスィムのアモリオン遠征でもアラブ人の部隊は総崩れになっている
傭兵のトルコ人騎馬部隊のおかげでなんとか勝利できた
マムルークはパルティア&ササン朝以来のイラン式装備の騎兵だったそうだけど、
アラブ兵の多くは、アラブ馬に乗った騎兵、それともラクダ兵だったのだろうか?
524 :
世界@名無史さん:2011/05/27(金) 00:33:01.94 0
確か移動はラクダで戦いのときはアラブ馬に乗っていた
>>521 >勝てそうな奴とだけ戦おうと、そう考えるんだ
後のヘラクレイオスの決断しだいでは、
カルタゴを首都とする南ローマ帝国?が
発足するかもしれなかったんだよね。
>>525 あなたの弟君がアント人をフルボッコにしているのに何言ってんですか
>>524 やはり馬が貴重だったのだろうね。
白兵戦が得意だったらしいので、アラブ軍は歩兵が多かったのかも。
アラブ軍は、ローマ軍やモンゴル軍の様に厳格な規律で勝利したの
ではなく、兵士個人の武勇でビザンツとササン朝の組織力を圧倒した
とされる。アラブ軍は同じく野蛮な?フランク族には勝てなかった。
529 :
世界@名無史さん:2011/05/27(金) 01:15:37.31 0
いや、正統カリフの軍隊は歩兵と軽騎兵の連携が取れていた
かなり組織だった軍隊だったよ、宗教的な情熱とハーリドの采配もあるが
アラブ軍はマームーンのころまでは、ローマとの戦いで優勢だったが
ムウタスィムのころになるとテオフィロスの東ローマにおされぎみになり
メソポタミアの都市を何度も荒されている
それで新しく雇い入れたのがマムルークというわけだ
>>526 アント人ではなく、ササン朝に負けそうだったのでは?
(プロコピウスの叙述が正しければ、)ゲルマヌスのアント人に対する
勝利はアント人の中で世代を超えて語り継がれているほどだったよ
>>525 ちなみにテオフュラクトスによれば、マウリキウスは遺言書の
中で息子たちに帝国分割統治を指示していた。
アント人を撃退する事には成功したが、東ゴートを滅ぼしてしまったので、
無防備な西北からスクラヴェン人とアヴァール族が大挙侵入してきた。
533 :
世界@名無史さん:2011/05/28(土) 05:53:52.18 0
>>442 ドナウを超えないほうが
ブルガール人にとっては良かったな
534 :
世界@名無史さん:2011/05/28(土) 06:00:47.67 0
:::::::::: ┌───────────────────‐┐
:::::::: | テッサロニキがほろんだようだな……. |
::::: ┌───└───────────v──────────┬┘
::::: | フフフ…奴は我ら十字軍四天王の中でも最弱 … |
┌──└────────v──┬─────────────┘
| ギリシャ人ごときに滅ぼされるとは. │
| フランスの面汚しよ… . │
└────v──────────────┘
|ミ, / `ヽ /! ,.──、
|彡/二Oニニ|ノ /三三三!, |!
`,' \、、_,|/-ャ ト `=j r=レ /ミ !彡
T 爪| / / ̄|/´__,ャ |`三三‐/ |`=、|,='|
/人 ヽ ミ='/|`:::::::/イ__ ト`ー く__,-, 、 _!_ /
/ `ー─'" |_,.イ、 | |/、 Y /| | | j / ミ`┴'彡\
ラテン帝国 アテネ公国 アカイア公国
渡辺金一著ビザンツ社会経済史研究を古本屋で680円でげっと
536 :
世界@名無史さん:2011/05/29(日) 00:21:54.96 0
ブルガール人がスラブ化してなかったら
スビャトスラフにも負けていなかった
西ゴート族がローマ化してなかったら
アラブにも負けていなかった
538 :
世界@名無史さん:2011/05/29(日) 05:43:17.35 0
フォカス家 知行地 カイサリア
コムネノス家 知行地 カスタモン
スクレロス家 知行地 マラティヤ
539 :
世界@名無史さん:2011/05/29(日) 05:45:25.01 0
帰属意識は国ではなく一族と御家の領土
540 :
世界@名無史さん:2011/05/30(月) 22:16:39.14 0
:::::::::: ┌───────────────────‐┐
:::::::: | アルメニアがほろんだようだな……. |
::::: ┌───└───────────v──────┬┘
::::: | フフフ…奴は我ら周辺国四天王の中でも最弱 … |
┌──└────────v──┬─────────────┘
| ギリシャ人ごときに滅ぼされるとは. │
| 四天王の面汚しよ… . │
└────v──────────────┘
|ミ, / `ヽ /! ,.──、
|彡/二Oニニ|ノ /三三三!, |!
`,' \、、_,|/-ャ ト `=j r=レ /ミ !彡
T 爪| / / ̄|/´__,ャ |`三三‐/ |`=、|,='|
/人 ヽ ミ='/|`:::::::/イ__ ト`ー く__,-, 、 _!_ /
/ `ー─'" |_,.イ、 | |/、 Y /| | | j / ミ`┴'彡\
ハンガリー グルジア セルビア
セルビアよりは強くね?w
542 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2011/05/30(月) 22:49:42.55 0
543 :
世界@名無史さん:2011/05/31(火) 18:17:43.84 0
アルメニアがほろんだときは(1045年)
ブルガリアもなくなっているから
544 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2011/05/31(火) 20:07:02.01 0
>>543 あ〜、確かにそうだね。気が付かなかったよorz
ルーマニア美女を10万人くらい輸入するべき
546 :
世界@名無史さん:2011/06/02(木) 15:37:40.58 0
547 :
世界@名無史さん:2011/06/02(木) 15:40:46.51 0
ユダヤ人も寄り付かない国日本
548 :
世界@名無史さん:2011/06/02(木) 16:21:02.66 0
、--‐冖'⌒ ̄ ̄`ー-、
/⌒` 三ミヽー-ヘ,_
__,{ ;;,, ミミ i ´Z,
ゝ ''〃//,,, ,,..`ミミ、_ノリ}j; f彡
_) 〃///, ,;彡'rffッ、ィ彡'ノ从iノ彡
>';;,, ノ丿川j !川|; :.`7ラ公 '>了
_く彡川f゙ノ'ノノ ノ_ノノノイシノ| }.: '〈八ミ、、;.)
ヽ.:.:.:.:.:.;=、彡/‐-ニ''_ー<、{_,ノ -一ヾ`~;.;.;)
く .:.:.:.:.:!ハ.Yイ ぇ'无テ,`ヽ}}}ィt于 `|ィ"~
):.:.:.:.:|.Y }: :! `二´/' ; |丶ニ ノノ
) :.: ト、リ: :!ヾ:、 丶 ; | ゙ イ:}
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ヽ ! `'゙! ,.,,.`三'゙、,_ /´
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__ノ ヽ \ ヽ\ 彡 ,イ_
\ \ ヽ 丶. ノ!|ヽ`ヽ、
\ \ヽ `¨¨¨¨´/ |l ト、 `'ー-、__
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ユスティニアヌス
「テルモピュライまでスラブ人が達したって?、逆に考えるんだ。
そうすればペロポネソスの住民がTHIS IS SPARTAAAAA!
とか言って勝手に防衛するだろう。だから放っておいても大丈夫だと
そう考えるんだ」
549 :
世界@名無史さん:2011/06/02(木) 16:29:37.39 0
>>THIS IS SPARTAAAAA
そんなサクソン人の言葉なぞ誰も知りません。
>>547 ユスティニアヌスの時代、テルモピュライには2000人の兵士が駐屯していた。
東ゴートとの戦いのときには援軍として一時派遣されたけど、558/9年のザベルガネス
率いる大侵入の際にはテルモピュライに正規兵がちゃんと駐屯していて防衛成功している。
知らなかった?w
551 :
550:2011/06/02(木) 20:52:59.45 0
552 :
世界@名無史さん:2011/06/02(木) 21:13:56.25 0
サムイルの所にてめーんとこの娘が嫁いでいるのどういう事だ?ああ?
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄∨ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ∧ ∧
/ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄\/ ヽ_ / .∧
/ / `、⌒ヾ⌒ヽ/ ∧
/ / u (.....ノ(....ノ / ヽ
l:::::::::. \,, ,, | u .:(....ノノ
|:::::::::: -=・=- / ̄ ̄ヽ ::::::::::::::/`ヽ
|::::::::::::::::: \_(___..ノ u::::::::::::::::::::(....ノノ
ヽ:::::::::::::::::::. \/ ヽ u ::::::::::::::::::::::::::::ノ
↑バシレイオス2世 ↑アルメニア王アショット2世
553 :
世界@名無史さん:2011/06/02(木) 21:21:58.91 0
554 :
世界@名無史さん:2011/06/02(木) 21:38:07.64 0
>>552 それはアルメニアがローマの傀儡となる事を嫌っていたため
アショット2世は東ローマの援助のおかげで即位した人物だが
そのせいもあって外国の影響力が増す事を恐れていた
555 :
世界@名無史さん:2011/06/03(金) 10:19:33.11 0
ティベリウス・コンスタンティヌス・アウグストゥス
「露助の先祖に攻め込まれて困っている」
556 :
550:2011/06/03(金) 18:38:52.35 0
>>556 ユスティヌス2世
「突厥と同盟した、これでペルシアに勝てる!
貢納金止めたし兵士も減らしてるけど大丈夫だよね」
557 :
世界@名無史さん:2011/06/03(金) 21:23:49.20 0
レオーン6世
「だれかブルガリアに勝つ方法を教えて
フォカスが思ってたより使えなかった」
558 :
世界@名無史さん:2011/06/08(水) 01:34:34.07 0
559 :
世界@名無史さん:2011/06/11(土) 10:36:39.45 0
すっごぉ〜いッ!
何回も失策しながらも皇帝をやめないッ、イサキオスーッ!
なんという低脳 なんという浅知恵 まるで猿ですッ!
飛び出したのは…アレクシオス!
ぬけたァーッ、単独走ですッ!
華麗だ、相変わらず華麗な裏切りっぷりッ!
滅亡!
やったァー、コンスタンティノポリスを滅亡させましたァーッ!!
アレクシオス「やったなイサキオス、またまた僕らのコンビで勝負を決めたな!」
イサキオス「うん! アレクシオス、見事だったよ、君の謀反は!!」
アレクシオス「ありがとう! だがイサキオス、君の愚策あっての滅亡さ!!」
イサキオスはアレクシオス5世によって殺される予定!
かたやアレクシオスは依然として生き続け娘婿の足をひっぱり続けます!
この東ローマ帝国崩壊ももこの二人あっての快挙!
まさに我が国の汚点!! カリギュラより最悪です!!
560 :
世界@名無史さん:2011/06/12(日) 08:27:07.09 0
モルダヴィアはポーランドの支配下にはいったほうがよかったね
561 :
世界@名無史さん:2011/06/13(月) 17:35:00.37 0
やっとユキチカのアップデート始まったのか
563 :
世界@名無史さん:2011/06/14(火) 10:58:52.97 0
アラブ人勢力のクレタ領有はもうちょっと注目されてもいい気がするな
制海権がアラブに移った証でもあるし
コンスタンティノープルも陸海から包囲できるようになったのもこのためであるし
いったい何の不足があるのか
マケドニア、トラキア、テッサリアの小麦の取れる平地ではあるまい
ワインでもあるまいそれは我々がつくりだしたものだ
テーベで作られた織物でもないだろう、
我々の物は川が海に流れるように都市の女王(コンスタンティノープル)に
流れてゆく
アテネの司教による重税の不満を表している書簡
565 :
世界@名無史さん:2011/06/16(木) 12:13:21.93 0
公用語がラテン語からギリシャ語に代わっても
ローマが属州から搾り取るという構図はかわらない
566 :
世界@名無史さん:2011/06/19(日) 02:04:05.05 0
コルフ島はノルマン人に占領されたときに
ノルマン人を大歓迎したそうだな
567 :
世界@名無史さん:2011/06/19(日) 09:31:56.72 0
豪族の地方分権や離反や自立が進んでいたから
1204年の十字軍がなかったとしても
末期の神聖ローマ帝国見たいな感じに分裂して
いつの間にか消えていたと思う
568 :
世界@名無史さん:2011/06/22(水) 23:44:17.53 0
>>560 ポーランドの支配下にはいったウクライナは反乱したけどな
569 :
世界@名無史さん:2011/06/26(日) 16:57:48.69 0
あるフランス人
「ロマーニア(当時の西欧人の東ローマ帝国の呼び名)で
とっても色が黒い人間を見たよ。びっくりした。」
ドイツ
571 :
世界@名無史さん:2011/07/16(土) 14:57:26.15 0
イタリアみたいに最後は連合国側について戦勝国顔したんじゃなかったっけ?
フィンランドやタイだって戦勝国顔してるしな
いいんじゃないの別に
フィンランドの外交的成果には眼を見張るものがあると思うよ
575 :
世界@名無史さん:2011/08/11(木) 18:48:24.97 0
戦勝国だなどとどこの国も認めていないよ
国連の敵国条約を見てみろ
576 :
世界@名無史さん:2011/08/11(木) 20:31:01.82 0
>>566 たしか、中央からの重税から解放されると思ったからだったか
577 :
世界@名無史さん:2011/08/15(月) 00:37:07.42 0
地方の住民は重税と貧困にあえいで
首都政府に貢ぎ
首都の住民と貴族はぜいたくに暮らす
それが美しい国、東ローマ帝国
まるでビザンツだけが圧制を敷いてたような書き方ですね。
搾ったはずのカネやモノが雲散霧消するような蛮族国家よりは、
千年前の栄光を今に伝える建造物や帝都市民の福利厚生になっただけマシではないでしょうか。
579 :
世界@名無史さん:2011/08/31(水) 12:24:13.32 0
アテネの主教が悲鳴をあげるほど地方から搾取し
コルフ島の住民がノルマン人を歓迎するほど重税を施し
重税から解放されると思ったギリシャ地区の住民はフランス人を歓迎し
テッサロニキでは共和制国家樹立を訴える熱心党が活動を開始する
地域格差が拡大していた国
それが美しい国東ローマ帝国
580 :
世界@名無史さん:2011/08/31(水) 12:44:33.87 0
ギリシャ地区なんて十字軍国家樹立後
首都へ貢ぐ重税がなくなったから
経済的に繁栄したというからな
581 :
世界@名無史さん:2011/08/31(水) 17:37:01.99 0
エジプトに侵入したアラブ人は解放者だった
ギリシャに侵入したフランス人は解放者だった
582 :
世界@名無史さん:2011/08/31(水) 21:53:27.29 0
室伏アレクサンダー広治
ルーマニア人とのハーフ
583 :
世界@名無史さん:2011/09/01(木) 22:35:53.89 0
>>581 美しい国を維持するためには地方から搾取しないといけない
584 :
世界@名無史さん:2011/09/02(金) 11:20:31.66 0
オスマン帝国が何もしなかったとしても
フランス革命みたいな事がおこって結局滅亡していただろうな
585 :
世界@名無史さん:2011/10/07(金) 07:48:00.48 0
あげ
586 :
世界@名無史さん:2011/10/08(土) 22:49:30.08 0
考えてみれば十字軍国家も50年ぐらい続いてるんだよな
滅亡したのも内部反乱とかじゃなくて併合だったし
やはりフランス人は現地ギリシャ人の支持を得ていたんだな
587 :
世界@名無史さん:2011/10/23(日) 05:04:51.08 0
重税絞りまくるやつらよりはましだと思ったんだろ
588 :
世界@名無史さん:2011/10/27(木) 12:26:47.63 0
ユスティニアヌスの再征服をもっと前倒しで出来なかったのかな?
と思う。
レオ一世ぐらい長い治世なら再征服出来たんじゃないのかな、と。
甥っ子ネポスは西帝の最後の皇帝と言われていたのだし、その救援と言う事で
レオ一世が、バルカン西部、ダルマチア、イタリア、カルタゴ、シチリア等の
再征服を命じても良いと思う。
それと西ローマの元老院が、レオ一世やネポス帝を嫌っているが、イタリア半島
以外は、異民族に征服されているのだから、そうも言っていられない筈なのだがw
アスパル親子は、早めに始末しないとダメでしょうけどね。
東ローマが財政再建に成功したのはアナスタシウス1世の頃じゃなかったっけ?
レオ一世の頃はまだ財政的に無理だったのかも。
ヴァンダル族がより勇猛だったし、ユスティニアヌス以前は不可能。
ユスティニアヌス当時も対東ゴート戦は無謀、アペニン山脈を境界に
アペニン山脈以北に東ゴート王国の存続を容認すべきであっただろう。
東ゴート王国はイタリアのみならずパンノニアとイリュリアも領有、
ランゴバルト族やスラブ人に対する防波堤の役割をはたしていた。
仮に、財政的、政治的状況について再征服を許す条件が満たされていたとしても、
実行段階でうまくいかなかったんじゃないかな。
ベリサリウスやナルセスみたいな有能な司令官がゴロゴロいるとは思えない。
ユスティニアヌス時の最大領域はラッキーパンチに近い。現に維持できなかった。
>>589 レオ1世は西の皇帝アンテミウスと共同でヴァンダル討伐部隊を派遣したでしょ。
惨敗して壊滅したけど。
軍船500隻、10万人の兵員という史料中の数字が正しいかどうかはわからないけど
相当の兵力を注いだんじゃない
593 :
世界@名無史さん:2011/10/29(土) 02:51:13.09 0
作り話ではないかと思う話
ヘラクレイオスの「シリアよさらば」という発言
盲目の列をみたサムイルがショックで死亡
ドアのかぎをかけ忘れた所からオスマン軍侵入でコンスタンティノープル陥落
594 :
世界@名無史さん:2011/10/29(土) 04:49:44.08 0
テッサロニキで共和制国家樹立を訴える団体の名前が
あの熱心党
まあ地方の連中が帝国に対してどういう感情もってたか
よくわかる
595 :
世界@名無史さん:2011/10/30(日) 01:31:46.12 0
596 :
世界@名無史さん:2011/10/30(日) 01:33:39.07 0
建築技術はアルメニア人に任せきり
戦いでは後進国のブルガリアやフランクに負け
ヴァリャーグやアルメニアの傭兵に頼り切り
実は先進国でもなんでもなかったんだろう
597 :
世界@名無史さん:2011/10/31(月) 22:08:58.12 0
今日はリディア シモンが大阪マラソンを制した
599 :
世界@名無史さん:2011/11/02(水) 07:00:21.85 0
「バルカン半島」て地名はいつごろ考え出されたの?
東ローマ存命中はあった?
600 :
世界@名無史さん:2011/11/06(日) 10:06:57.86 0
601 :
世界@名無史さん:2011/11/06(日) 12:47:45.51 0
バルカンに移住しようとしたスラブ人は、スロバキア方面から南下する連中が
スクラヴェンと、ウクライナ方面から南下する連中がアントと呼ばれたが、
スクラヴェン王国やアント王国に統一されていたのではなく、さらに小さな
部族にわかれていた。これらの部族には、武力でバルカンに侵入した部族と、
東ゴートやビザンツの臣下となりバルカンに移住した部族がいた。
603 :
世界@名無史さん:2011/11/06(日) 15:05:15.39 0
ウマイヤ朝がほろんでアッバース朝になってから
ローマへの攻撃頻度が小さくなったと書いてある所があるが
実際はアッバース朝になってから攻撃が激化している
604 :
世界@名無史さん:2011/11/06(日) 15:17:52.85 0
アラブ人の侵入をアナトリアで食い止めていたと言う部分は
知られてもいいな。
14世紀ではトルコ人を東欧に呼びこんじゃったけど。
>>602 スクラヴェネとアントはそんな大ざっぱな区分じゃないだろ
スクラヴェネとアントが、考古学的に作っていた土器の様式が違う事が確認
されているけど、6世紀のビザンツ人らが土器とかに着目していただろうか?
607 :
世界@名無史さん:2011/11/06(日) 16:14:47.99 0
×ビザンツ人
○ギリシャ人
>>605 あの時代は民族系統の区別が不正確であることが仕様だから
細かく深く考えても仕方ない。
609 :
世界@名無史さん:2011/11/06(日) 16:31:31.42 0
>>594 サロニカが第二の都市と呼ばれるがあれも半分嘘らしいな。
第二の都市となったのも別に爆発的な発展を遂げただけじゃなく
アナトリアの諸都市がトルコ人の侵入で失われていったからだそうで。
○遂げただけじゃなく
×遂げたわけじゃなく
611 :
世界@名無史さん:2011/11/06(日) 16:37:11.27 0
コンスタンティノープルの繁栄とやらもまた悪い仕方の反映で
何か取れたわけでもなく
特別な製品や技術があって金儲けできたわけでもなく
産業技術が発展し続けたわけでもなく
地方から物資や金や穀物を搾取しまくって繁栄していただけだからな
そりゃ落ちぶれてトルコ人に征服されるわけだよ。
612 :
世界@名無史さん:2011/11/06(日) 16:54:08.21 0
ハプスブルク300年の枷の中でチェコは工業国として発展した
東ローマ1800年の枷の中でコンスタンティノープル以外の都市は何も残らなかった
これが美しい国
東ローマ帝国の政治
>>601 スラブ人はゴート族らゲルマン人を恐れていたらしい。
スラブ人側から積極的にゲルマン人を攻撃しなかったようだ。
東ローマが東ゴート族を倒し、ランゴバルト族とアヴァールが
ゲピド族を倒し、ランゴバルト族がイタリアへ移住したので、
スラブ人はバルカンに移住する事が出来た。
614 :
世界@名無史さん:2011/11/06(日) 22:17:43.25 O
君っていつもドナウ下流域のこと無視してるよね
ドナウ下流域からバルカンに侵入しようとしたアントは、
602年にアヴァールに撃破されたので、アヴァール配下の
スクラヴェンほどバルカンへの移住は成功しなかった。
616 :
世界@名無史さん:2011/11/07(月) 05:21:57.71 0
ウマイヤ朝がなんでいきなり首都を攻めたんだろうと不思議に思ってたけど
考えてみれば当然だな。
アナトリアはシリアの門で阻まれて攻め込めない
バルカンも未開人がほぼ占拠していてうま味がないし
未開人の相手をしなければいけない
制海権も確保しているんだからそりゃ
アフリカ制覇したんだから
次攻めるのはコンスタンティノープルしかない
617 :
世界@名無史さん:2011/11/07(月) 20:47:31.65 0
シリアナの門
シリアの門って何ですか?
>>618 陸路でシリアからキリキア方面へ入るための関門の一つ。
でもシリア門以外の峠を超えればキリキアへ入れる。
キリキアからさらに進むには、タウロス山脈にあるキリキア門を超えるのが
常道だった
620 :
世界@名無史さん:2011/11/09(水) 21:39:32.50 0
金属製の鎧がない未開スラブ人に
ドナウ川をとられたあほな国があるらしい
アヴァールの騎兵が東ローマのカタフラクトと戦ったのだろう。
622 :
世界@名無史さん:2011/11/12(土) 07:14:20.98 0
ライバルやセルビア人に勝つためにトルコ人を呼び寄せ
そのトルコ人に滅ぼされたあほな国があるらしい
アナトリアにトルコ人を呼び寄せ、エジプトの
ファーティマ朝を救った国があるらしい
624 :
世界@名無史さん:2011/11/12(土) 09:12:58.22 0
ノルマン人に征服されるまでは
イタリアにも領土があったらしいが
イタリア領土の守備兵は現地イタリア人で賄っていたんだろうか
625 :
世界@名無史さん:2011/11/12(土) 09:29:06.64 0
11万も兵士を出しておきながらブルガリアにぼろ負けしたあほな国があるらしい
626 :
世界@名無史さん:2011/11/12(土) 17:29:15.46 0
ゾグ1世が治める神聖アルバニア帝国はこの時期どうなっていたのだろうか
627 :
世界@名無史さん:2011/11/12(土) 17:47:42.60 0
スカンデルベグの一族がコムネノス家と関係があるって聞いて驚いた
>>627 正確にはスカンデルベグの奥さんドニナ・カストリオティが
コムネノス家の子孫だね
629 :
世界@名無史さん:2011/11/13(日) 07:52:31.06 0
アリアニティ家自信も元々東ローマの将軍職についていた家
630 :
世界@名無史さん:2011/11/13(日) 12:59:09.66 0
ガリアやイタリアに侵入したゲルマン人はさっさと現地人に同化されたのに
ボバンやストイコビッチの先祖のスラブ人は未開人のくせに繁殖率と同化率が高すぎるんだよ
ガリアとかはローマ支配下に農耕定住化が進んで人口が増大していたが、
騎兵が主力となった軍に多くの将兵を供給したイリュリアやトラキアは、
牧畜が盛んな地域で人口がローマ征服以前よりも増大しなかったのでは?
おそらくイリュリアやトラキアは、ガリアやヒスパニアに比べて開発が進まず
人口希薄であり、文明化が進まず尚武の気質を維持し続けていたので、この地
から多くの将兵とそれを率いる皇帝が続出したのだろう。
またアルバニア語が現存している事は、ブリタニアと同じくローマ化が
不完全だった証なのだろうね。
633 :
世界@名無史さん:2011/11/14(月) 01:29:16.50 0
そのイリュリアやトラキアをスラブ人にとられた
兵力を増強してササン朝に勝つ為に西ゴート族を
トラキアに招き入れた国があるらしい
6世紀のバルカンでは、イリュリア人とトラキア人、ゴート族、アラン人、
フン族らの生き残り達が、牧畜と兵役で生活していたとされる。
永年の戦乱でバルカンの民が、激しく消耗していた事は間違いない。
そこへ農耕民のスラブ人が移住してきて、人口が少ない牧畜民らは
後のブルガール族と同様にスラブ化していったのだろう。
636 :
世界@名無史さん:2011/11/15(火) 20:08:47.30 0
杉内によって皇帝がウボァーされたあほな国があるらしい
637 :
世界@名無史さん:2011/11/15(火) 20:14:22.22 0
6世紀にトラキアはまだいたの?
638 :
世界@名無史さん:2011/11/15(火) 20:21:03.28 0
○6世紀にトラキア人はまだいたの?
アレクサンドロス大王の死後のディアドコイ戦争時に、ケルト人が南下して
いたから、ローマ時代にバルカンの民族分布は既に複雑だっただろうね。
マクシミヌス・トラクス帝はトラキア出身だけどトラキア人ではなかった。
640 :
世界@名無史さん:2011/11/17(木) 19:16:05.72 0
なぜ今のギリシャのあたりは
ギリシャ語化できたのか
マンジケルトの敗戦後、アナトリアからトルコ人に追われたギリシャ人が
避難してきて、ギリシャ本土の再ギリシャ化が促進されたのでは?
642 :
世界@名無史さん:2011/11/17(木) 21:49:25.83 0
スラブ人濃度が比較的薄かったから
乾燥地はスラヴ農法に適さなかったとも聞いた
644 :
世界@名無史さん:2011/11/18(金) 18:12:28.11 0
進撃のスラブ人
645 :
世界@名無史さん:2011/11/18(金) 18:51:09.47 0
コンスタンティノープルの壁外はスラブ人に占領された
646 :
世界@名無史さん:2011/11/20(日) 11:33:03.05 0
コンスタンティノープルも元々は蛮地のトラキアか
647 :
世界@名無史さん:2011/11/23(水) 19:48:36.57 0
シュテファン大公とヴラド三世は、ほぼ同年の生まれで(1433年と1431年)、
同じ頃即位(1457年と1456年)しているのに、シュテファンは、47年も在位し、
オスマンの圧力をうまくしのいで長期政権を成したのに、ヴラドは途中で
ハンガリーに監禁され、短命で終わってしまった。どちらもポーランドや
ハンガリーといった北方勢力の圧力下にあり、南方からはオスマンの圧力を
受けていた。
二人の命運を分けたのは何だったのだろう。単純に才能だったのだろうか?
それとも国内の政治・経済情勢だったのだろうか?
ご意見いただけますと助かります。
648 :
世界@名無史さん:2011/11/23(水) 21:21:45.14 0
ヴラドは国内に敵が多かったんじゃないの?
649 :
世界@名無史さん:2011/11/23(水) 21:28:16.15 0
第一次世界大戦のルーマニア軍と中世のルーマニア(に値する地域)軍が戦えば
中世のほうが勝ちそうだな
>>647 ふたりともフニャディの弟子みたいな感じだし従兄弟だし似た境遇なのにね
シュテファンのモルドヴァのほうがヴラドのワラキアより実入りが良かったこと、
ドイツ系商人と対立したり抑えたはずの貴族層が自身の弟を立てて反抗したヴラドに対して
平民を支持母体に持ち貴族層を抑えるのに成功したこと、
色々あるけど戦争が強いだけのヴラドと違いシュテファンは内政も外交も戦争も強い万能型だったからというのが一番大きいかもね
オスマンの攻撃時期が10年以上遅いというのも
シュテファン3世の強みだろうな
ヴラド3世には準備期間がわずか6年だった
なるほどー参考になった。
ところで、シュテファンの内政上手というのは具体的にどういうことを
言うのだろう。自分で調べろといわれそうだけど。
ヴラドも、重商主義政策みたいなのをとろうとしていて、頑張っていたので、
シュテファンも同じようなことをしたのだろうか。
>>650で指摘されている
ようにドイツ系商人との関係をうまく扱えなかったのは、事実だけど、
これは彼の才能不足なのだろうか?それとも、ドイツ系商人とハンガリーなどの
外部要因なのだろうか。
シュテファンは、東方については、リトアニアがポーランドと統合されたので、
外交政策がある程度単純化されたところもあるのではないかと思ったりしている。
653 :
世界@名無史さん:2011/11/26(土) 17:34:21.30 0
調べろつってもルーマニア語できないと調べられないよな
654 :
世界@名無史さん:2011/11/27(日) 00:19:50.97 0
タグマはコンスタンティノスの時代に造られたというが
それ以前の皇帝は
直轄軍がない足利幕府のようなもんだったんだろうか
655 :
世界@名無史さん:2011/11/27(日) 20:53:41.70 0
テマっつーのがあってだな
>直轄軍がない足利幕府
つ 奉公衆
ヴラド串刺し公がトルコと戦ってた頃のワラキア軍ってどんな感じだったんだろう?
658 :
世界@名無史さん:2011/11/30(水) 21:02:14.33 0
ハイドゥークや民兵に毛の生えたもんじゃね
659 :
世界@名無史さん:2011/12/01(木) 00:24:19.00 0
,-,ii|||||||||||||||||ii、‐、
,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,_/ i|||||||||||||||||||||||||i ヽ_,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,
゛゛llll||||||||||/ ' i|||||| |||||||||||||||||i ` ヾ|||||||||||llll""
゛lll/ ||||||| |||||||||||||||||| ,llll""
\ l|||||||||||||||||||||||||||l / / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
彡 ゛ll||||||||||||||||||ll" ミ |
\_ ゛゛Y"" __ノ |
| ]下ミ─-。、_|_, 。-―テ「 [ l |
ゝ_,. lミミi=´<_,.`=i=ヲ 、__ノ <
>>625当たり前だ、たった11万匹のアリ が恐竜に勝てると思ったのか?
ヽlミ| 「‐、=ラ7 |ヲ'´ |
_______ , へ ノ`i=、_ 二 _,=iゝ、_,へ、 _ \_________
i i i  ̄| |――-\ ̄∠-――| | ̄ i i i
↑シメオン
ニコポリス十字軍のときにオスマン軍の出方を見るために
とりあえずワラキアの軽騎兵隊を前衛にしようとしたら
連合軍に加わっていたブルゴーニュのジャン無畏公が
「あんな百姓どもに先駆けの功を許すというのか!」
と怒ったそうだw
>>658 その理屈を発展させると、豚飼いのイヴァイロは牧畜民が豚に乗って闘った事になるな。
662 :
世界@名無史さん:2011/12/07(水) 17:39:01.61 0
雑兵は農民だろうな
663 :
世界@名無史さん:2011/12/12(月) 21:16:30.73 0
フランスから見たらワラキア軍は百姓軍か
664 :
世界@名無史さん:2011/12/13(火) 00:51:29.40 0
ニケフォロス2世は
レオンとコンスタンティノス親子の再来だ
軍人皇帝である点と宗教勢力と戦った点がそっくりだ
665 :
世界@名無史さん:2011/12/20(火) 09:09:10.36 0
ダルダニアやモエシアに侵入したスラブ人はクロアチアセルビアという国を立てた
なぜギリシャに侵入したスラブ人は国を立てられなかったんだ?
クロアチアとセルビアはアラン人の部族がスラブ人を征服した国、
後のブルガリアはトルコ系ブルガール族がスラブ人を征服した国、
同じくロシアはゲルマン系ワリヤーグがスラブ人を征服した国で、
ギリシャに侵入したスラブ人は東ローマに征服された。
667 :
世界@名無史さん:2011/12/20(火) 17:12:31.88 0
つまりギリシャに侵入したスラブ人は支配されていた民族がいなかったから
最征服されてギリシャ化したということ?
アラン人やブルガール族、ワリヤーグは支配下のスラブ人に対して
圧倒的少数だったとされるが、暑い気候のギリシャではスラブ人の
移住者が少数だったとされる。
669 :
世界@名無史さん:2011/12/24(土) 21:45:56.19 0
十字軍が侵入してきたときもまだスラブ人がいたらしいが
671 :
世界@名無史さん:2011/12/25(日) 07:37:29.72 0
ペロポネソスのタイゲトス山脈に潜んでいたスラブ人がいた
672 :
世界@名無史さん:2011/12/26(月) 04:12:41.16 0
ニケタス・コニアテスとプロコピオスの著作は
日本語訳されていないのだろうか
>>671 そういやギリシャのどっかの山には10世紀ぐらいまで多神教徒が住んでたらしいが・・・
674 :
世界@名無史さん:2011/12/28(水) 04:26:12.28 0
マニ半島?
675 :
世界@名無史さん:2012/01/01(日) 04:11:10.69 0
r,''ヘ_
_,,,,_⊂-くノ`ヽ,
_ 〆_゙'ir''⌒" )
ξ⊂! っ》` く ∠___
.''\ノ''''‐`` i、 ,ノ │,-ヽ7=、、 ,,rー'"`-、
\_゙l、,,,_,/i゙、 ,ノ 〈 ゛ `ヌ⌒ )/=i、 l
`゙゙'''"`'ミ--/-,_ ´ /" `''
\ .,,、`lニン-゛
\__ノ
スラブ人↑
676 :
世界@名無史さん:2012/01/01(日) 23:06:32.40 O
An nou fericit
677 :
世界@名無史さん:2012/01/02(月) 06:46:56.61 0
トルニキオス家 グルジア
レカペノス家 アルメニア
スクレロス家 アルメニア
678 :
世界@名無史さん:2012/01/13(金) 20:10:10.61 0
クマン系の貴族もなかったか?
679 :
世界@名無史さん:2012/01/15(日) 10:41:59.67 0
680 :
世界@名無史さん:2012/01/15(日) 18:42:42.86 0
中華に入った蛮族はそれまでの文明を破壊することはせず
同化されていった
一方ギリシャに入った蛮族はすべてを破壊した
スラヴ人もすっかり同化されてしもたがな
まああの辺(現ギリシャ領)だと入った数が現ブルガリア領に比べて
少な目だったのかもしれんけど
682 :
世界@名無史さん:2012/01/15(日) 20:10:22.89 0
コンスタンティノープルの政府に最征服されて
最移住したギリシャ人や同化されたスラブ民衆が
幸福になったかといえばそうでもなく
容赦ない搾取に悩まされた
>>678 ヨアンネス・シルギアネス。
パレオロゴス朝の外戚だがセルビアのステファン・ドゥシャンに寝返って
マケドニアの征服に力を貸した。
俺たち極悪非道のペタルアセンブラザーズ!
プロニャ貰いに行ったら殴られたからブルガリアごと取るからな!
 ̄ ̄∨ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
∧_∧ ∧_∧ аге
(・∀・∩)(∩・∀・) аге
(つ 丿 ( ⊂) аге
( ヽノ ヽ/ ) аге
し(_) (_)J
685 :
世界@名無史さん:2012/01/17(火) 16:18:42.11 0
>>681 だけど一度滅亡して古代との断絶をまねいた
686 :
世界@名無史さん:2012/01/19(木) 20:04:32.33 0
687 :
世界@名無史さん:2012/01/19(木) 21:30:43.59 0
>>686 素晴らしい・・・!
実現の見込みは薄いだろうけど
もし本当に王政復古したら何かルーマニア産の品買って
祝杯挙げるよ。まじで。
なんでそんなに王制がいいんだよw
689 :
世界@名無史さん:2012/01/19(木) 21:39:48.33 0
>>688 ルーマニア国民が一番ましな生活を送れたのは王政時代。
それに立憲君主制は国家の安定に役立つ。
共産化する前のときの王様がまだ生きてるのか・・・・70年近く前のことなのに長寿だなぁ。
おうさまという税金食いのごくつぶしが増えるだけ
>>691 だいとうりょうよりましだろ。文化財的側面も生むわけだし。
693 :
世界@名無史さん:2012/01/21(土) 05:55:53.85 0
その人によりけりだな
最近王政廃止した国もあるし
694 :
世界@名無史さん:2012/01/21(土) 06:32:47.85 0
>>694 ヴラフ人らしいね。ビザンツ軍に対抗する主戦力はクマン人だったらしいけど。
696 :
世界@名無史さん:2012/01/23(月) 02:51:52.57 0
fuck roma
697 :
世界@名無史さん:2012/01/23(月) 02:53:57.65 0
再ギリシャ化したとはいえ
スラブの血が入ったギリシャの住民は首都の住民からは
民国扱いされていたことだろう
698 :
世界@名無史さん:2012/01/29(日) 22:04:03.66 0
コムネノス家の嫡流はトレビゾンドでいいのか?
699 :
世界@名無史さん:2012/01/30(月) 01:40:35.61 0
>>697 そりゃスラブの血が入ってるだろうな
中世なんて占領されたり町の女とか
本能の赴くままにレイプされたろうし
侵入してきたスラブ人は城塞都市を攻略する力はなかったそうだ。
んでスラヴの海の中の孤島状態。
701 :
世界@名無史さん:2012/02/01(水) 16:47:08.69 0
その城塞都市にもスラブ人が移住してきているけどね
テッサロニキのスラブ人で反乱を企てて
コンスタンティノープルで処刑されたのがいるが
その除名懇願書にはスラブ名と
明らかにギリシャ名と思わしきものもある
>>700 トラキアにあるTopeirosという町がスクラヴェネに攻略された(550/1年)事を
プロコピウスが叙述しているけど?
偽装退却によって町の守備兵を城壁外へ誘い出してせん滅し、それから
住民による絶望的な籠城戦の後、攻略されてTopeirosは略奪されたって
スラヴと一緒に侵入してきたアヴァール人は中国式の投石器をもっていたそうだから
それで城壁をがんがん砲撃してたかも
トラキアの町かコンスタンティノープルのすぐ近くだな
ギリシャに侵入したスラブ人は
テッサリア、マケドニア、ラコニアといった平地に多くすんだらしい
コリントスやアテネは東ローマにとどまった。
だがとどまった都市も重税を課せられて苦しめられた。
東ローマ帝国はギリシャにとってよき支配者じゃなかった。
>>704 都市に課された重税って具体的にどんなの?
テッサリアやマケドニアは小麦
コリントスは絹製品
それと税金も取られた
そして税金取られた地方には大した還元もされなかった
707 :
世界@名無史さん:2012/02/11(土) 02:30:04.53 0
ルーマニアの1万2千年前の遺跡からアルミニウムが発見された件について
708 :
世界@名無史さん:2012/02/11(土) 03:24:15.17 0
>>698 イサキオス1世が嫡流じゃね?
断絶してるけど
709 :
世界@名無史さん:2012/02/12(日) 20:07:43.99 0
710 :
世界@名無史さん:2012/02/14(火) 02:59:50.75 0
>>702 どうやってプロコピオスをよんだの?
日本語訳出てないよね?
英訳されたのを読んだの?
711 :
世界@名無史さん:2012/02/14(火) 07:49:11.64 O
712 :
世界@名無史さん:2012/02/19(日) 17:22:59.30 0
なぜ東ローマは古代に比べて建築物が少ないのか
建築技術が衰退したのか?
なんで少ないって言えるの?
714 :
世界@名無史さん:2012/02/19(日) 17:58:15.34 0
古代ローマは地中海一帯から搾り取る事が出来たが
中世はアナトリアとバルカンからしか苛斂誅求できなくなったから
それとバルカンは蛮族の侵攻と移住で荒廃した
715 :
世界@名無史さん:2012/02/19(日) 17:59:43.28 0
城壁の類はアルメニア人に作らせていたというな
716 :
世界@名無史さん:2012/02/19(日) 18:01:55.14 0
>>713 古代で作られたみごとな上水道や街道や「悪魔の橋」は中世ではまるで作られていない
それに中世時代の地方都市は衰退していく一方だし
717 :
世界@名無史さん:2012/02/21(火) 18:19:39.33 0
首都は、コンスタん家のポリス
>>716 オスマントルコ時代にも水道橋とか作ってたらしいから
技術は残ってたのでは?
719 :
世界@名無史さん:2012/02/24(金) 21:12:39.23 0
それはアラブやペルシャの技術者に作らせたのでは?
十字軍はアラブやアルメニアの建築に感銘を受けたと言われるが
東ローマに特別驚いたという話は聞かないな
大航海時代のポルトガルやスペインのように
搾り取るだけで技術革新や資本家を養成することはできず
技術でも西欧に後れを取っていたのだろう
>>719 >東ローマに特別驚いたという話は聞かないな
第1次、第2次、第4次の十字軍は、大城壁をはじめとするコンスタンティノープルの建造物のすごさに絶句してるぞ
水道といえばユスティニアヌス時代に作られた地下貯水池(いわゆる地下宮殿)は
おもろいですな。138m×65m×9mとのこと
>>720 コンスタンティノープルだけでしょ
4回目の十字軍の後
アテネやアカイアの十字軍国家は地元技術者
の技術が低すぎて
建築や城が築くにくかったり
古い様式のものしか作れなかった
723 :
世界@名無史さん:2012/02/25(土) 10:45:13.54 0
そういえば、アルメニア人に作らせた大聖堂は地震でもびくともしなかったのに
ギリシャ人の建築物はすぐこわれたそうだな
724 :
世界@名無史さん:2012/02/25(土) 18:19:32.75 0
東ローマ
ジョフロワ・ド ヴィルアルドゥワンの
「コンスタンチノープル征服記―第四回十字軍 (講談社学術文庫)」は読んだことが無い
のだけど、ロベール・ド クラリの
「コンスタンチノープル遠征記―第四回十字軍 (筑摩書房)」を読むと、
確かに驚いてはいるんだけど、少し記述があっさりしすぎな印象なんだよね。
ロベール・ド クラリの表現力といってしまえばそうかも知れないんだけど。
テッサロニキは建設活動が盛んだったようやね。まあ第二都市だし
コンスタンティノープルの大城壁も古代末期に建てらた者でしょ
まあ補修や拡張は行われただろうが
それでも古代が元になっている
やはり古代に比べて大規模な建築やインフラ整備はみられなくなっている
728 :
世界@名無史さん:2012/02/26(日) 12:56:04.52 0
防衛と待ち伏せに適して騎馬があまり使えない
今のブルガリアに当たる地域を
未開スラブ人にとられた馬鹿な国があるらしい
未開スラブ人は徒歩で移動していたからブルガリアにあたる地域に
移住できた。
730 :
世界@名無史さん:2012/02/26(日) 17:17:52.33 0
徒歩で移動と言っても
山岳地帯だから守備側が有利なはずだし
その頃のスラブ人なんてろくな装備はないでしょ
アヴァールの騎兵っつても山岳じゃあまり動けないはずだし
ササン朝やイスラム帝国との戦争に忙殺されていて、
バルカン戦線は後回しにされていたからだろうね。
732 :
世界@名無史さん:2012/02/29(水) 00:29:43.33 0
>>726 建築って言っても修道院関係な
それぐらいなら他の都市でもみられる
それとアナトリアの都市のほうがテッサロニキより大きかったよ
733 :
世界@名無史さん:2012/03/01(木) 23:34:47.12 0
はじめ人間ギャートルズのころから大して進歩していない
未開人に首都近郊の都市まで攻めとられた馬鹿な国があるらしい
734 :
世界@名無史さん:2012/03/10(土) 12:54:44.86 0
昔のローマはカルタゴやガリアを復興させたけど
東ローマは破壊したプレスラフをヨアンネポリスと改名したまま
復興させることはなかった
735 :
世界@名無史さん:2012/03/11(日) 12:16:17.85 0
古代に比べていろいろ技術は劣っているだろな
アンティキティラの計算機なんて東ローマ政府に造れたとは思えん
736 :
世界@名無史さん:2012/03/11(日) 23:55:28.24 0
一回の敗戦であっというまにアナトリアをトルコ人にとられた馬鹿な国があったらしい
737 :
世界@名無史さん:2012/03/15(木) 23:41:11.46 0
ササン朝の使者
「ローマは我々が滅ぼした10の民族のうちでもっとも取るに足らない相手だと考えている」
738 :
世界@名無史さん:2012/03/17(土) 12:38:38.16 0
ギボンに出てくる
イタリア遠征の際にナルセスに与えられたペルシャ人兵士
てクルド人の事だよね
739 :
世界@名無史さん:2012/03/17(土) 22:15:36.36 0
その時代ならキリスト教徒のペルシャ人もめずらしくなかろう
740 :
世界@名無史さん:2012/03/17(土) 22:28:23.13 0
最近十字軍国家が消滅せず
フランスの海外県という形になっていたほうが
現地人にとって幸せだったんじゃないかと思えてきた
普通にアルジェリア状態になっただけだろうな。
742 :
世界@名無史さん:2012/03/18(日) 11:50:21.56 0
フランスの資本が投下され
インフラが整備され
それなりに発展していた
そして泥沼の独立戦争で全て灰燼に帰す。
さらにフランス植民者の意を受けた軍部のクーデターで
本国政権が崩壊していたかもね。
744 :
世界@名無史さん:2012/03/18(日) 13:17:34.97 0
なお独立時現地フランス人の手によって
「フランス以前の状態に戻す」ということで破壊活動が行われた模様
745 :
世界@名無史さん:2012/03/18(日) 19:44:23.61 0
十字軍国家はフランス本国の指令を受けていた総督府のようなものでもないから
アルジェリアはないんじゃない
それに中東でもギリシャでも支配下に入った現地人は
十字軍に反乱を起こしたことはない
746 :
世界@名無史さん:2012/03/22(木) 22:52:43.48 0
フランス人の支配のほうがコンスタンティノープルからの支配よりも
すごしやすかったのかな
747 :
世界@名無史さん:2012/03/23(金) 22:31:04.36 0
塩野は好きじゃないが
キリスト教によって発展は停滞したんだと思う
748 :
世界@名無史さん:2012/03/24(土) 09:49:04.53 0
天体測量は間違いなく停滞したな
749 :
世界@名無史さん:2012/03/24(土) 10:33:36.42 0
そうだ、古代は何であんなに天文学が進んでいたんだろう
シュメール人はすでに冥王星を知っていた。
アンティキティラの計算機はケプラーの法則も知っていた
750 :
世界@名無史さん:2012/03/24(土) 10:49:34.77 O
天文学に限った話じゃないが、回り道がひどいな。
751 :
世界@名無史さん:2012/03/24(土) 14:07:36.43 0
おそらく
シリアやエジプトやイランの古代では
現代の科学に匹敵する研究成果があったのだろう
それが伝わらなかったのは残念なことだ
752 :
世界@名無史さん:2012/03/24(土) 19:18:51.65 0
中世はやはり停滞期
753 :
世界@名無史さん:2012/03/24(土) 23:01:29.52 0
イランやエジプトは外敵の侵入と戦乱で技術が残らなかったのだろうと思うが
ヨーロッパ世界の停滞はやはりゲルマンとスラヴの大移動が原因か
754 :
世界@名無史さん:2012/03/24(土) 23:48:32.64 0
>>743 別にフランスの海外県が全部アルジェリアのように独立したわけじゃない
今でも海外県はある
現地ギリシャ人にとっては先進的だったフランス人の支配のほうが幸福だったろう
755 :
世界@名無史さん:2012/03/25(日) 01:47:32.73 0
>>753 それはもちろんだが、古代の文明って何によって支えられていたんだろうな。
多分それを失ったから停滞したんだと思う。
>>754 >現地ギリシャ人にとっては先進的だったフランス人の支配
どういう具合に先進的だったのか具体的に挙げてくれ
757 :
世界@名無史さん:2012/03/25(日) 12:40:43.61 0
アテネ公国などは蜜蝋や木材やオリーブオイルの輸出で大いにさかえた
東ローマ時代じゃ考えられない事だ
当時すでにフランスは産業でも政治的にも国力でも東ローマを超えていた
銀行制度をつくったのもフランス人だし
758 :
世界@名無史さん:2012/03/25(日) 20:58:14.02 0
フランスよりはヴェネツィア人に支配してもらった方がいい
759 :
世界@名無史さん:2012/03/25(日) 23:08:32.65 0
中世の後半くらいですでに
西ヨーロッパ>>ビザンツ
だったってことか。
軍事力はもちろん、文化、経済全ての面で。
オスマンに支配される前から現在ギリシアの惨状の種は蒔かれていた。
軍事、経済はともかく文化は(少なくともその一部は)末期でもまだビザンツが上だろう
パライオロゴス朝ルネサンスがあったし
そもそもイタリアでのルネサンスに影響を与えるのはビザンツ滅亡で亡命したギリシャ人が
もたらした知識や文化だ
ビザンツじゃなくローマか東ローマとかけ
ヴェネツィアよりはジェノヴァかピサのほうが筋がよさそうだ
ヴェネツィアはどうも「マヌエルの処刑だ」と言って
ムーア人奴隷(コムネノス一族は色黒で「ムーア人」とあだ名をつけられていた)
を面白半分に処刑した事件があったこともあるし
コンスタンティノープルで虐殺されているしで
相性が悪い
十字軍は首都の壮麗さに目をむいたが
その他のギリシャ都市には特に目をむくものはなかったようだ
というか自分たちの故郷の都市とそれほど大きさは変わらないと思っていたようだ
所詮クルド人アルメニア人グルジア人におんぶにだっこだった国
>銀行制度をつくったのもフランス人だし
イタリア人では?
まあ、最初にギリシャは十字軍支配下の方がいいとか言い出した奴は
ギリシャの財政破綻のニュースに感化されただけらしいので、
財政破綻のお仲間と噂される「現代」イタリアでは意味がないんだが。
767 :
世界@名無史さん:2012/03/26(月) 20:54:52.18 0
イタリアは一応産業があるからまだ大丈夫だよ
むしろ今はイギリスのほうが危ない
768 :
世界@名無史さん:2012/03/26(月) 20:57:39.12 0
ギリシャかどうか微妙だが
コルフ島の住民は攻めてきたノルマン人を
政府からの重税から解放してくれると
歓迎したと
ニケタス・コニアテスははっきり書いてるな
769 :
世界@名無史さん:2012/03/26(月) 21:01:26.25 0
×政府からの重税
●重税をとりたてる政府
まあイタリアだのフランスだのに支配してもらった方がいいのかどうかわからんが
けつをふく習慣と風呂に入る習慣がない土人にバルカンの大部分を占拠された
馬鹿な国であるという事実は変わらない
771 :
世界@名無史さん:2012/03/26(月) 22:02:49.74 0
どの時点で逆転したんだろうか。
772 :
世界@名無史さん:2012/03/26(月) 22:07:55.05 0
各テマを独立国にしてたらよかったんじゃないの?
テマ・セルビアは実質的に独立してたよ
というかまともに支配できてなかっただけだけど
優秀なテクノクラートと理系の人材と技術者がいなかったんだろう
775 :
世界@名無史さん:2012/03/27(火) 21:53:07.11 O
キリスト教が原因じゃね
錬金術が流行ったとも
アラビアのように数学が発展したとも聞かんな
東ローマ帝国は大東亜帝国並みのFランだった
779 :
世界@名無史さん:2012/03/28(水) 00:55:25.88 O
どうすれば発展できたかアイデアを出そう。
近代まで残っていたらさすがに近代化出来ていただろう
その後100%革命が起こって帝政は崩壊していると思うが
781 :
世界@名無史さん:2012/03/28(水) 20:17:19.39 O
>>780 ビザンツが西欧に先んじて近代化するのは無理でしょうか?
まあ革命が起きて帝政が崩壊しても間違いなくローマって名前が残って
ブルータスが英雄として持ち上げられるだろうな
>>782 残らない、ローマも帝政もなくなってギリシャ共和国て名前になってる。
オスマン軍襲来前にすでに古代ギリシャを求める知識人と
共和制を唱える熱心党がいた
オスマン軍をバルカンやアナトリアから追い出して
近代に生き残ったとしてもこれらルネサンスの流れは止まらず
革命が起こって帝政もローマも完全になくなることだろう
西欧のロマン主義の影響もうけてな
ギリシャ共和国だが、史実よりは広く、タウロス山脈以西のアナトリア
とコンスタンティノープルぐらいは保持できるだろう
だけど首都はアテネになる
なんか史実とそう変わらないと思われるかも知れんが
エピロスをめぐってアルバニアと
東アナトリアを固有の領土とするアルメニアと
テッサロニキの領有権を主張するブルガリアと緊張関係にさらされる事となろう
>>783 西欧主導なら「ローマ」の名前は邪魔だろうし確かにそうなるだろうな
>>785 西欧主導というわけじゃない
ギリシャ人自身の間から古代や共和制を思う人間や動きが現れ出していたから
あのまま帝国が存続していても
ルネサンスが続く限りギリシャ人の共和制を望む動きが強まると見る。
ギリシャのルネサンスが西欧に影響を与えたように西欧の動きもギリシャに影響を与えるだろう
その結果、フランス革命ならぬギリシャ革命が起こり、ギリシャ人自らローマ帝国を否定し
ギリシャ共和国を築く事になるだろうと予測する。
共和国設立後も
おそらく独立しているだろうセルビア、ブルガリア、アルメニアと戦争が起きるかも知れんが
788 :
世界@名無史さん:2012/03/28(水) 23:37:38.23 0
テマから都市国家に分裂する流れが一番ベストだと思う。
テマは地方分権ではないし
コムネノス朝で形骸無実化してる
都市国家になったとしても
また統一しようとするだろう
791 :
世界@名無史さん:2012/03/29(木) 22:14:32.31 0
>>757 西欧の貴族は自己の領地から収益を上げようとし、
ビザンツ貴族は中央で出世することしか考えていなかったということか?
>>791 中央政府は地方へ過酷な重税を課すだけでインフラも投資もしなかった
つまり地方へとった分だけ還元しなかった
だから地方は厳しい生活を強いられたし発展も出来なかった。
フランス人支配下になったらそれなりに産業開発されるようになった
実業にたけているか長けてないか
まあコリントスは絹織物工場があったらしいけどね
そこもノルマン人に襲撃されて工場職員を連れ去られたけど
アナトリアは小さな国々が乱立していたがオスマン帝国が統一したな
クルムのヴァルビリツゥア峠の戦いと
ニケフォロス・ウラノスのスペルヒオス川の戦い
戦闘経過と勝ち方が似ているな
引き上げる所を襲って勝つという
797 :
世界@名無史さん:2012/03/31(土) 13:44:17.59 0
強力な軍勢、画期的なシステム、新しい武器が生み出せてないんだよな
ヤン・ジェシカのような騎士の突撃を完全に粉砕する方法とか
イングランドのようなクロスボウの連射でヨーロッパに衝撃を与えたというのは
まるでなかったし
ニケフォロス2世の成功も敵のアラブ人が小王朝作って分裂しまくっていたからと思われるし
798 :
世界@名無史さん:2012/03/31(土) 13:49:20.53 0
往年のように敵を圧倒できる戦術だとか
破壊力がない感じだ
グルジアのような小さな国と戦った時も完全に併合できなかったし
(東ローマも大きな被害を出したから)
サムイルだって最初はソフィア周辺の小さな領土しか持ってなかったのに
プレスラフを取り戻されてセルビアやギリシャまで支配されてるし
んでそのサムイルの勢力をつぶすのに30年だろ
799 :
世界@名無史さん:2012/03/31(土) 14:00:47.05 0
アレクシオス1世ノルマン人撃退できたのも傭兵の力だし
テオドロス・ラスカリスがルームセルジュークのスルタンを打てたのも
ラテン人の傭兵がいたからだし
どうも勝った戦いを見てもすっきりしない
第4回十字軍では壁を突破した一人の従軍僧にビビって全軍壊走したそうじゃないか
攻撃力がない、攻撃を受けると崩壊が止まらない
敵に勝ったときは傭兵頼み
>>800 似たようなもんウマイヤ朝も使ってたし
フリードリヒも使ったらしいし
ヴェナツィアも使ったらしいし
そもそも使い勝手が悪いから思われるほど圧倒的な兵器じゃないらしい
なお小国であるアルメニアに負けまくり
満州事変並みの詐欺を行って併合した情けない国があるらしい
ゲオルギオス・マニアケスが無理に首都に攻めず
そのままシチリアにとどまり
自立国家を建てていたら面白かった
804 :
世界@名無史さん:2012/03/31(土) 20:59:32.82 0
アルモガラバスを使い続けていたらオスマン帝国だって潰せたかもしれないのに
契約金を払い切れずにアナトリアにアルモの国を建てられるだけだな
まあ東欧がイスラム国家に支配される事はなくなるから
それもよかったかもしれんが
ここの住人ってほんとビザンツ嫌いなんだな
何ていうか悪い点ばかり取り上げてる様な
>>799 総主教セルギオス対ペルシャ連合軍の帝都開戦とか、11世紀からのバシレイオス2世なんかはどうなんだ?
>>799的にはNG?
>>806 バシレイオス2世ですらアルメニアの傭兵やバリャーグ傭兵に頼ってたでしょ
最初は小勢力だったシメオンに西側の領土を多く奪われてるし
まあ最終的に勝った事は認めるけど勝利に30年かかってるし
カロルス・マグヌスやチェコのヤン・ジェシカやモンゴル軍のような軍隊の破壊力がないんだよね
>>805 ていうかカタルーニャ軍団ってアテネ公国乗っ取った後どうなったんだ?
土着化して衰退とか?
>>808 アラゴン王国の公国となって後にオスマン帝国に征服された
810 :
世界@名無史さん:2012/04/02(月) 08:11:17.83 O
李氏朝鮮の軍人が
「日本軍は大名が各地方で軍を編成するから意欲がある」とか言ってたが、
これって封建制のことか。
>>810 同じ地方人同士で仲たがいがしくて
外部の勢力を呼び込む事もあったけどね
なお東ローマでは貴族の土地の世襲は禁じられていたが
世襲を行っていた家もある模様
>>812 プロノイアは帝国が末期になるにつれてそうなっていったそうだな
でもそれって今更書くことでもないだろう
カンタクゼノス帝とか、大土地所有貴族の利害の代弁者で
それでテッサロニキのゼーロータイなんかには敵視されてたんでなかった?
セルディカの戦い
○ブルガリア ×東ローマ
ヴァルヴィリツアの戦い
○ブルガリア ×東ローマ
ヴェルシニキアの戦い
○ブルガリア ×東ローマ
メセンブリアの戦い
○ブルガリア ×東ローマ
アドリアノープルの戦い
○ブルガリア ×東ローマ
アルカディオポリスの戦い
○ブルガリア ×東ローマ
クルム「強靭!無敵!最強ーーー!」
ここら辺の農業の仕方
古代から現代まで変わってないんだそうだ
ギボンじゃないが
絹だけじゃなく
印刷や紙の作り方を唐からコピーしていたら
もっともうける事が出来ただろうに
818 :
世界@名無史さん:2012/04/08(日) 17:39:05.60 0
>>アテネ公国などは蜜蝋や木材やオリーブオイルの輸出で大いにさかえた
リュートプラント
「オリーブオイルなんてまずいもの誰も食いやしねーよ」
819 :
世界@名無史さん:2012/04/09(月) 04:52:43.74 0
トルコ人
「私は十本の指を持っているが、おぬしらローマ人は10の舌を持っておるようだな」
リュートプラント
「我々の間では「ローマ人」とは惰弱、怠惰、臆病な人間をさすときに使われるのだ」
820 :
世界@名無史さん:2012/04/12(木) 07:00:01.40 0
東帝国は将軍はまあまあかもしれないが
兵隊が弱すぎる
なぜあんなに弱いのか
衝力がまるでない
よくも悪くも文化人気質ばかりだからな
だからラテン人に女々しいと言われたんだろう
822 :
世界@名無史さん:2012/04/12(木) 21:16:47.25 0
一般土民は度々暴動起こしたりラテン人を虐殺したりしているから
そんな文化的でも知性的でもないように思うがな
無論お偉いさんや官僚や司祭レベルは教養あるだろうが
一般兵士を担うその土民も虐殺おこすように穏やかな性格じゃないが
戦場で究極的な勇気を保つことはできない
>>818 リュートプラントの時代にアテネ公国はまだ存在しないし、そもそも、中世において、
オリーブオイルは、美味い不味いの問題よりも、主に食品の保存のためのものだろう
電気冷蔵庫も缶詰もなく、香辛料もまだ高価だった時代に、食品の保存の基本は塩漬け、ハーブ漬け、薫製、油漬けだ
ぶちまけた話訓練とかしなかったらしいね
国民は弓矢を日頃から練習するようにという義務があったらしいが
制度とか腐敗しきっていて
だれも国民のだれも弓矢の練習も兵士の訓練もしてなかったらしい
>>823 確かにないけど
オリーブはまずくて口に合わないだの
油がまずいだの
はっきりと書いている
料理まずいは坊主憎ければ袈裟まで憎いで出たものだと思うけど
別の油では
827 :
世界@名無史さん:2012/04/13(金) 05:50:32.30 0
東の軍上がりの皇帝は
外交使者の扱い方も知らなかったらしい
828 :
世界@名無史さん:2012/04/13(金) 20:59:28.70 0
近代的な徴兵制度はどこの国もなかった
そのヨーロッパの中でも兵士が弱い東ローマ帝国
国民はラテン人を虐殺したりするなど
理性と節度とからほど遠いが
かといって戦場で蛮勇を見せることはなく
戦場の困難辛苦に耐えられず、戦意のある敵と打ちあえば負けて
恐怖にかられてすぐ逃げ出す
下がこれほど使えないと将校連中もさぞ大変だったろう
華奢品とかは造るの上手だったらしいよねこの国
宋代ぐらいの中国にそっくり
831 :
世界@名無史さん:2012/04/14(土) 10:44:21.72 O
>>831 ヴェネツィアが持ってる
馬の像はうまくできてた
理系脳じゃなかったから
近代化や戦闘に使えそうな
ハードやソフトが発明できなかった
銃を発明出来ていたら
835 :
世界@名無史さん:2012/04/15(日) 14:27:37.36 O
>>834 発明できる可能性があるのかはわからないが、
万が一発明できても大量に作って配備して適切に運用するのは出来なさそうな気がする。
使ってる一般兵士が馬鹿すぎるから
すぐに銃を放り投げて逃げ出しそう
各国植民地支配
イギリス インド、パキスタン、シンガポール等を近代化し発展させた
香港やシンガポールは去っていくイギリス軍を恋しがっていた
アメリカ フィリピンに善政をしきマニラを「東洋の真珠」と呼ばれるほどの
大都市に成長させた。また1947年に独立させる予定だった
フランス インドシナの近代化に取り組みサイゴンを東洋のパリと言われるほどに発展させた
ドイツ クールラント、カメルーンに高度な教育を施し発展させたカメルーンは
今でもドイツと強い結びつきがある
美しい国 ブルガリアの首都プレスラフを徹底的に破壊しヨアンネポリスと改名した後も
復興させることはなく、ブルガリアから税金を搾り取り何度も反乱をおこされた
なお時代をさかのぼってエジプトでは民衆に襲いかかられた
838 :
世界@名無史さん:2012/04/16(月) 10:11:30.00 O
日本でも、平安期の国司や鎌倉期の守護は首都にすんでおり、
地方からは収奪するだけだったが
中央の力が弱まった室町期の守護は地方に住み、地方を開発したらしい。
貴族には強制的に地方に住ませたらどうだ。
中央の力が弱まったのがまさにパレオロゴス朝なんだよな
トルコ人やセルビア人に土地を取られまくって
地方と呼べるところはペロポネソスぐらいだったが
>>838 中央の力が弱くて
隣の大和で20年戦乱を鎮圧できなかったし
周防から攻め込まれたりしたり
結局滅びた
室町の場合強力な異民族は海の向こう側だったのが幸いした
陸続きだったら女真か高麗の治める国が出来ていた
841 :
世界@名無史さん:2012/04/17(火) 11:32:43.60 O
>>840 日本でそれなら、四方敵国だらけのビザンツはどうなるんだ?
>>841 という流れで、粘ったビザンツを間接的に称えているレスじゃないかと想像する
だとしたら、その割にはビザンツ嫌いが多い印象だが
844 :
世界@名無史さん:2012/04/18(水) 01:00:04.20 O
>>838 勝ち残った軍事貴族が皇帝となり、
ギリシアで即位して国名もギリシア帝国としたらどうか。
>>844 同時代の呼称だったらギリシアじゃなくてヘラスじゃない?
>>841 だからさ、日本と違って異民族が近かった東ローマはほろんだだろうが
>>844 どうせ勝ち残るために
異民族の力を借りちゃって
その異民族に乗っ取られて終わりだよ
史実でもそうなったし
近代まで生き延びたとしても
ルネサンスが高まり
革命が起きてギリシャ共和国成立だな
イスラム教徒に支配されるよりは
ましじゃないか
>>848 革命で終わるそっちのほうが
発展的な解散という感じがしてまだいい
外敵に占領されるよりはいいな
850 :
世界@名無史さん:2012/04/18(水) 11:07:39.60 O
>>844 日本の戦国やイギリスのバラ戦争みたいなのを想定してるわけだな。
>>850 まさにアナトリアがそういう戦国状態になって全部オスマン帝国にとられた
バルカンの方だってカンタクジノスが帝位につくためにトルコ人の力を借りて
結局オスマン帝国のバルカン進出の足掛かりを与えてしまった
ノルマン王国に攻撃されて
製造業が破壊されてからはコリントスも寂れてしまった
地方の都市をアラブ人やトルコ人やノルマン人に略奪されまくった
東ローマ政府は批判されてしかるべきでは?
西欧の国はヴァイキングやマジャールの略奪軍を撃破しているが
イタリアの都市国家海軍もアラブ海軍に勝っているし
強力な兵士を養成できなかったのが悪い
他の国はどうやって兵士を養成してたのかね
>>855 10世紀までは、世界最強の軍事システムを保有していたと思う(専守防衛だったけど)
11世紀以降の軍事的凋落は、本当に不憫だわ
強かったのはニケフォロス・フォカスの時代から数十年ぐらいの間だけでしょ
バシレイオス2世もちょっと微妙
その前はアラブにアナトリア荒されたりブルガリアに貢納金支払ったりで
859 :
ゼウス:2012/04/21(土) 22:36:20.34 0
俺の侵攻をやめたから堕落したんだ
860 :
ゼウス:2012/04/21(土) 22:37:08.70 0
俺をあがめたてまつれ
ギリシャではネオペイガニズムは盛り上がっていない
多分今は宗教どころじゃない
俺がウマイヤ朝の人間ならやはり首都ではなく
アナトリアを占領を狙うね
どうせ制海権もっているんだし
キプロスから上陸して補給も海路を使えばいい
863 :
世界@名無史さん:2012/04/22(日) 08:06:07.41 0
クレタもアラブ人海賊の拠点になっていた時があったんだよな
864 :
世界@名無史さん:2012/04/24(火) 19:53:09.65 0
>>858 ダマスカスやアレッポも奪い返されてるしな
865 :
世界@名無史さん:2012/04/25(水) 19:34:51.96 0
互角の兵力で負け
数が多くても負け
勝った時でも大損害
なぜ戦闘力たったの5のごみなのか
この国の軍は
866 :
世界@名無史さん:2012/04/25(水) 21:26:40.31 O
なんで古代のギリシアローマから衰退したのか。
867 :
世界@名無史さん:2012/04/26(木) 06:32:36.94 0
>>866 蛮族の侵入
それと塩野は好きじゃないが
キリスト教
868 :
世界@名無史さん:2012/04/26(木) 20:01:10.41 0
トラヤヌス以降は下り坂のローマ軍
おすすめのルーマニア史の本を教えてください
中公文庫から出てた外国の学者によるものは読みづらかったな
若い頃に読んだからこちらの力不足だっただけかも知れんが
>>869 Vlad Georgescu "The Romanians: A History"
872 :
世界@名無史さん:2012/05/01(火) 10:52:38.90 0
中世のイランて古代の帝国時代から衰退してる?
中世なかばまで(サーサーン朝後期からアッバース朝中期くらいまで)は衰退してなかったんじゃないの
874 :
世界@名無史さん:2012/05/01(火) 15:06:13.97 0
古代イランの科学とかって残ってないよね
875 :
世界@名無史さん:2012/05/02(水) 13:09:30.73 0
>>836 そうだな銃があってもピサロのようにインカを滅ぼすなんて勇士はまずあらわれないだろうな
ましてトルコ人を壊滅させるなんて無理
876 :
世界@名無史さん:2012/05/03(木) 17:29:05.69 0
各国の異民族から勝ちえた忠誠心
イギリス インド、パキスタン、シンガポール等を近代化し発展させた
香港やシンガポールは去っていくイギリス軍を恋しがっていた
アメリカ フィリピンに善政をしきマニラを「東洋の真珠」と呼ばれるほどの
大都市に成長させた。また1947年に独立させる予定だった
マッカーサー「アメリカに忠実なフィリピン人を救わなくてはいけない」
じっさい多くのフィリピン人がアメリカ側のゲリラとして勇敢にたたかった
ドイツ クールラント、カメルーンに高度な教育を施し発展させたカメルーンは
今でもドイツと強い結びつきがある
一次大戦時は植民地から兵士を募集していた、彼らはドイツに忠実だった。
美しい国
ヴィルアルドゥアン
「(西部アナトリアには)アルメニア人が多く住んでいたが
彼らはギリシャ人を憎んでいたため、我々に協力的だった。」
877 :
世界@名無史さん:2012/05/04(金) 07:05:46.25 0
【5月3日 AFP】ルーマニアの首都ブカレスト(Bucarest)の国立歴史博物館前にこのほど設置されたローマ皇帝の裸像が、人々の失笑を買っている。
この銅像は、古代ローマ人とダキア人を祖先とする現在のルーマニア人の起源を表現したもので、ローマ皇帝トラヤヌス(Trajan、在位紀元98年〜117年)が
ルーマニアで象徴的な動物とされるオオカミを腕に抱いているデザイン。彫刻家バシリー・ゴルデュス(Vasile Gorduz、1931〜2008)氏が制作した。
ところが、男性のシンボルもあらわに突っ立っているだけのような姿勢や、オオカミの首に巻かれたダキア人の旗を表すスカーフの奇妙な形が、
道行く人々の失笑を誘い、インターネット上でも冷やかしの的となっている。
ある40代女性はこんな感想を漏らした。「こんな奇怪なものは見たことがないわ。ブルドッグみたいな顔にトカゲみたいな尻尾を生やして、
おまけに首が腫れあがったオオカミを、全裸の自分にうろたえているのが一目瞭然の男性が抱いている像なんて」
博物館員のエルンスト・オーベルランデル・タルノバヌ(Ernest Oberlander Tarnoveanu)氏でさえ、こうした批判に同意を示している。
同氏はAFPの取材に「わたしは上品ぶる気はないし、保守的でもないが、この銅像はここに建てるべきでなかった。芸術性に
疑問符が付く作品だからだ」と述べ、遅かれ早かれ撤去すべきだと語った。
国名が「ルーマニア=ローマ人の国」なんだから良いんじゃね。
先祖が古代ローマ人なのがルーマニア人の誇りなんだろう。
それにしてもヒドイ銅像だなw
880 :
世界@名無史さん:2012/05/04(金) 14:04:33.78 0
いやどうもダキア人とローマ人の両方とも自分たちの先祖だと思っているらしい
征服者と被征服者を両方とも自分の先祖とみなすのはなんか珍しい
というかいいとこどりのような気もするが
しかし、その後の民族大移動で・・・・というファクターもあるがなw
何回も部分的に上書きされてるなら、一番ハデなのにしといたほうがいいわな
母なるダキアと父なるローマ、レイーОから生まれる恋だっていいじゃない・・・・て感じかな
北部にいるハンガリー系とドイツ系はどう思ってるだろうな
ハンガリー人に言わせると「ルーマニア人はダコ=ローマ人の子孫なんかじゃなく
バルカン半島のヴラフ人が13世紀ぐらいに北上してきただけ」
その割にハンガリーの年代記でも、マジャール人がトランシルヴァニアに
やってきた時そこに住んでいたスラヴ人とヴラフ人に遭遇したとか書いてあるけど
でもハンガリーの人もそう言いたい理屈も分かる
今のルーマニア語の原型は1800年代にイタリアから輸入した近代ラテン語で有って
それ以前のルーマニアの言語ってラテン系って言うよりもスラブの言語の混交だし
少なくともルーマニア人が主張してるような古代ローマからの直系って説は
最早ルーマニア以外の何処からも全く支持すらされてない
>今のルーマニア語の原型は1800年代にイタリアから輸入した近代ラテン語で有って
>それ以前のルーマニアの言語ってラテン系って言うよりもスラブの言語の混交だし
現在のルーマニア語にもスラヴ系の語彙はかなり多いぞ。特に宗教関係。
ふーん、己のアイデンティティ像に近づくためって理由で、自主的に生活言語を置換するのって珍しいね。
ぱっと思いつくところでは、現代イスラエルのヘブライ語くらいしか出てこないな・・・・。
>>883 現代ハンガリー人はルーマニアが嫌いだからな
下手すると日本と中国韓国よりも仲が悪いかも知れん
>>886 ギリシャのカサレヴサ(純正語)がある
純正語と訳されているが、古代ギリシャ語と19世紀の口語ギリシャ語を折衷した人工言語
これに対し、ギリシャの民衆が日常的に使っていた言語はディモティキ(民衆語)と呼ばれる
ディモティキはトルコ語など外国語の影響を受けて変質してしまったギリシャ語だったため、古代ギリシャ文化を
民族のアイデンティティとして独立したギリシャの知識人は、なるべく古代ギリシャ語に近くなるようカサレヴサを
作り出し、公用語とした
トランシルヴァニアをルーマニアに取られちゃったからな
>>887 ハンガリーが一番ルーマニアを嫌ってるのは最早超有名だけど
他にもイタリアやクロアチアやスロベニアなんかも滅茶苦茶嫌ってる
つかようつべで英語投稿のコメントでだけど
「ヨーロッパ最低最悪のクソ人間の集団ルーマニア」
「ルーマニア人は他国を荒らすクソ乞食」
とか散々なセリフが書いてたりしてたからなぁ
現代ルーマニア人とギリシャのアルーマニア人って話通じるのかな?
意思の疎通は結構難しそう
沖縄語と日本語並みに違う
ロマのイメージもあるんだろうな
>>886 バルカンの言語みんな
>>888みたいな感じ。純化して民族語を創出。
現代トルコ語もオスマン語からペルシャ語・アラビア語語彙をなるべく
排除して創出した言語。
>>893 欧州でルーマニアが蛇蝎の如く嫌われているのはロマの影響が大。
>>888 >>894 事例紹介ありがとう。外来語の侵入(たぶん混血をも伴ったもの)の痕跡を消すというのは結構ありそうだね。
ただ、ルーマニアのケースはコトによっちゃ全く異言語への乗り換えって可能性もあるだけにレアかもね。
>>894 ケマルが「純国語化運動」とかってのをやってたな
アラブ文字からラテン文字の転換もその一環だったりしてるし
この手の一見保守的に見える実は大革新の変換運動ってのは
国粋化の一部において時々見られたりするな
>>887 ポーランドボールって言う海外の外国いじりネタサイトみたいなのには
日本と中国はいがみ合ってる様で実は仲良い感じだし
日本と韓国に至ってはお互い兄弟みたいな間柄の描写有ったりする
あっちの視点から見れば日中韓のいがみ合いなんって
仲良い連中のじゃれあいにしか見えないんだろう
あと何故かなんだけどと日本つるんでる仲間が中国とカザフスタンの描写が有るけど
これはさっぱり分からん
>>898 ヘタリアのようなもの知らずの作者が書いているんだろう
実際は日本と中国は仲が悪い
カザフスタンなんぞあるのがいい証拠だ
日本の船とぶつかったのがポーランドか台湾かトルコの船だったら日本人は
あれほど怒りはしなかったし
中国の船とぶつかったのがセルビアかパキスタンの巡視船だったら
中国人はあれほど怒りはしなかった
日本人は歴代政府の対応を中国に卑屈だとか媚びていると言うが
中国人も共産党は日本に弱腰とか中国外交は日本に弱いと評している
国民同士が相手にもっと強硬になれという関係は仲が悪いと評するほかはない
>>899 アレ描いてるのは大抵ドイツの連中だから
ドイツの連中の史観がどんなのかまぁ分かるってもんだろ
もっともドイツヲタ多い二次裏mayでそんな事言い出したら簡単にファビョるけどな
901 :
世界@名無史さん:2012/05/05(土) 14:57:07.35 0
>カザフスタンなんぞあるのがいい証拠だ
カザフスタンに恨みでもあるのか
なんか必死にしか見えないぞ
ふと思ったが
ルーマニアが成立した時のスラブ人が
西欧諸国よりも先進的で発展していたら
ルーマニア人は言語浄化しなかったんじゃなかろうか
>>901 日本と中国とあんまり関係がないカザフスタンなんぞ出てくる時点で
アジアの事にかんしてわかってない将校だろうが
○わかってない証拠だろうが
喧嘩(戦争)は望まないが友達づきあいも望まない
仕事上だけの関係(貿易)気づければそれでいい
>>902 ルーマニアはロシア嫌いだった
というのもありそう
907 :
世界@名無史さん:2012/05/05(土) 15:45:54.68 0
だからなぜ「なんぞ」なんて言ってるか分からん
ムキムキし過ぎて誤字やらかす方が恥ずかしい
>>907 つか中国とカザフスタンがあんまり関係無いとか
明らかに分かってないで上辺で書いてるの丸出しだろうよ
まぁこう言う手合いは何言っても俺は認めないの一点張りだから
説明するだけムダ
お前も相手してるだけムダだからほっとけ
ルーマニアって第一次大戦ではセルビアにつぐ勝ち組ですよね。
バルカン諸国の中では結構長く日和見して、でロシアが勝ちそうと思ったから
協商側で参戦したけど、ロシアと戦う片手間でドイツ・オーストリア軍に軽々と倒されて蚊帳の外へ。
ついでロシア革命が起きて混乱しているロシアを見て
これはチャンスとモルドバを占領。大戦後、
共産化したソ連が講和会議からはぶられた関係で現状追認的にモルドバを獲得というね。
戦争って利益を得た者が最終的な勝者なわけだから、軍事的に激弱でも勝者。
>>886 >>888 ギリシャ語はギリシャ人居住地が異民族によって分断されてから
相当年月が経っていたため方言分化が激しかった。
遠方から現ギリシャに移住した人達にとっては
アテネ方言を元にしているディモティキはちんぷんかんぷんだったとか。
他方で古典ギリシャ語が教会用語として残っていたため、
全てのギリシャ人が理解できるという意味では
むしろカサレノバの方が好ましかった、という事情があったそうだ。
911 :
世界@名無史さん:2012/05/09(水) 08:51:47.69 0
モンゴル人よりも文明度が低かったスラヴ人
コナンザグレートを思い浮かべてみた
913 :
世界@名無史さん:2012/05/10(木) 19:17:43.43 O
コナンガンダム
914 :
2Hndred Yars' Wr… Arena_Oda_Medici_St.:2012/05/11(金) 06:23:17.15 O
施洟鷭、阯亥槃、厮遺鐇、嗣衣袢、姉異飜…朝鮮総連と名乗る組織の無い一族の監禁、拘束中の人質をアジアに御確認下さい。
戦争兵器製造の「挺陝」の殺人兵器を操る
「カニバリズム脳症(クールー病)」や
「先後天性水銀治療中毒症」の一族が
日本国内外の 要人や著名人を
「無差別爆撃」等の脅迫で集め 監禁、拘束中の犯人一族とは…
中国華喃省の村は○部の山の梺出身の
不法滞在の中国系フィリピン人の狆閔贐-チュォミ人は自民党員ではありません。
自民党名の薬物混入の飲み物を配送させ、
中国で摘発された「人肉カプセル」を日本国内で製剤、アジアに送付させた
「朝鮮工作員」とも名乗る国際手配犯ばかりの一族で知的障害ばかりの笑うドラえもんオバサンは「朝鮮見本の豼簸」笑う顔河馬網と呼ばれる人の家族が
サイバーテロリスト軍団です。
天皇家 織田 繪璃奈(横濱・野島えり) 會理主宮
A(E)rena Oda Medici Lamcasta Vintevecom Yokohama
Freemasonry & MicroSoft co.USA tp.
壞閼髏 繪鴉路 薈亜炉 衞鴉隴 壞椏鏤
母方の祖父 遠田 静治(蓙甌惺貮[瀞怩]・伊達政宗)の祖父は…嘉藤浄將 太穫 乃木将軍
父 織田 家暢(横濱康一・野島功一)の母
野島(横濱) かほる(織田 迦讚瑠)の母は
野口(横濱) 碧(みどり) 「釈迦」
薤臺 諧詒 塊帶 隗靆 鞋蔕
隗颱 平 驪襤(りらん) 明治皇后
915 :
世界@名無史さん:2012/05/17(木) 20:09:38.16 0
オングロスの戦い
ブルガール人の木造砦を落とす事が出来ずに大敗する
年代記には「永遠の恥」と書かれる
ヴァルヴィリツアの戦い
少数の敵しかいなかったプリスカを破壊した後油断しまくっていた所を
襲撃され、皇帝も戦死する
ヴェルシニキアの戦い
十倍の兵力でブルガリア軍と正面から戦ったが
星を取ったマリオとぶつかった敵キャラのごとく蹴散らされる
アケロオスの戦い
かつてない兵力でシメオンと戦ったが数十年後まで死体が残るほどの大敗を喫する
ブルガリア皇帝を認める羽目になる
美しい国の戦績
916 :
世界@名無史さん:2012/05/20(日) 12:13:16.74 0
バシレイオス2世がスウェーデン人を雇ったのも
自国の兵士が役立たずだったからだったな
917 :
世界@名無史さん:2012/05/21(月) 10:09:55.20 O
軍事以外もあまり聞かないな。
学問とかはどうだったのか?
ギリシアは帝政ローマ期からもう学問は衰退していたとも聞くが。
キリスト教の浸透で、アカディメイアが閉鎖されちゃったからねえ
それでも一応、名の知れた学者みたいなのは東ローマ帝国にはたまに出てくるけど
数学者レオーンとか
実学が発達したという話は聞かないな
ルネサンスがあったという事は
やはり古代に比べていろいろテクノロジーが落ちていたんだろう
920 :
世界@名無史さん:2012/05/21(月) 12:22:58.14 O
フランスとイタリアの主要都市はみんな古代から続いてるのに、
ギリシア以外のバルカンではほとんど無いからな。
スラブ人の被害がそれだけ大きく、
古典古代の文化にも打撃だったろう。
ギリシア人は黒海沿岸にも多くの殖民都市を作ってたけど、
残ってる都市はあるのかな。
黒海沿岸なんてそれこそ遊牧民の襲来が激しい所では
黒海北岸の都市は、遊牧民の庇護のもとでの交易で栄えた
ボスポロス王国も紀元後はサルマタイ系の王になってる
>>920 ギリシャだってアテネやスパルタなどの古代都市は近代になるまで完全な
寒村とかしていたからなぁ。
>>924 アテネはともかく、スパルタの後継都市ミストラスは
中世〜近世のギリシャの代表的な都市の一つなんだけど。
926 :
世界@名無史さん:2012/05/22(火) 00:00:22.30 O
>>926 それはその通りだが、
ミストラスはスパルタの避難民が建てたモネンヴァシアや
スパルタ故地に再建されたラケデモンに取って代わる形で成長した。
でもって、現代スパルタはギリシャ独立戦争で荒廃したミストラスを
古代スパルタの故地に移転させてできた都市。
むしろ古代スパルタとの繋がりの方が乏しい。
928 :
世界@名無史さん:2012/05/22(火) 00:18:15.15 O
クテシフォンとバグダッドの関係みたいなもんか。
清洲と名古屋とか。
黒海沿岸都市となるとケルチとかトラブゾンとかコンスタンツァあたりか
んでコンスタンツァが現ルーマニア領
ベオグラードやウィーンはローマ人が造った都市だったんだな
931 :
世界@名無史さん:2012/05/22(火) 22:15:53.03 0
ビザンツの皇帝や上流階級の意識は
「俺達はギリシア・ローマの正統後継者!
だけど共和制時代には興味なし!
興味あるのはギリシアはアレクサンドロス、
ローマは帝政時代だけ!」
だからな。
ポリス時代にも多少なりとも興味持ってたら
多少はマシだった可能性もあるかもしれん。
学術面では。
932 :
世界@名無史さん:2012/05/22(火) 22:51:11.49 0
ベオグラードってローマ都市とどれくらい連続性あるんかな。
第一に名前がスラブ語に変わってるしな。
933 :
世界@名無史さん:2012/05/23(水) 05:35:04.49 0
ルーマニアのトランシルバニア地方に住んでいるハンガリー人は、
在日コリアンみたいな存在だろ。
935 :
世界@名無史さん:2012/05/23(水) 10:05:59.94 0
カトリック文明圏に属するハンガリーが、ルーマニアを蔑視するのは、
中華文明圏に属する韓国が、日本国を蔑視するのと似たようなものだろ。
>>934 そうだな、確かに少なくとも千数百年前からコリアンは日本にいるな
>>924 それはスラブ人のせいだ
さいごまでスラブ人が侵入することはなかった
コリントスは近代までさかえ続けた
少なくともスパルタ崩壊はスラブ人の仕業
スラブ人だけでなく
いろんな民族が混入してきてわけがわからない事になっている
中央が自由にできたのはコリントスやモネンバシアぐらいで
アテネも実効支配できていない
そもそもアテネ昔さかえたのは
オリエントとの交易のおかげ
土地自体は農耕にも牧畜にも適さず
鉱物もない
スラブ人侵入で商工業者がいなくなって
交易することもできなくなったんじゃ
衰退するのは当たり前
地方から搾り取ることしか能がないコンスタンティノープルの連中では
ほろんだ都市を復興させることはできない
>>934 いや、トランシルヴァニアのハンガリー人の話
943 :
世界@名無史さん:2012/05/24(木) 11:43:04.73 O
>>940 ポリス時代のギリシアの先進性が異常。
ローマはギリシアの劣化コピー、
中世ヨーロッパはそのまた劣化コピーだし。
中世は古代に比べて
人口が減っていると聞いた事がある
945 :
世界@名無史さん:2012/05/24(木) 19:38:35.11 O
>>943 ローマってギリシアより進んだ要素あるのかな
土木技術はローマっていうか、エトルリアだよな。
そのギリシャよりも早く文明が開けた
アナトリア シリア メソポタミアはロストテクノロジーの宝庫だったのでは
ローマの土木と建築はすごいと思う
あの上下水道は
あのインフラがそのまま残っていたら
ペストもはやらなかったのでは
ローマの土木を支えたのはコンクリートなんだっけ?
このスレではよく「東ローマ帝国は搾り取るだけで地方に還元しなかった」みたいな書き込みがあるけど、
アナトリアの東まで初等教育が行き渡っていた点についてはどうなの?
ギリシャ古典の教育や継承・保護なんかを子供の頃からさせるのは普通に良い点だと思うけど
953 :
世界@名無史さん:2012/06/09(土) 05:56:33.47 0
ヨーロッパ各国が植民地に学校を作ったように
都合いいエリート官僚や
生産性がいい奴隷を作るための教育だろう
954 :
世界@名無史さん:2012/06/10(日) 02:20:39.85 0
コムネノス家が古代ローマ貴族の末裔だというのは本当だろうか
>>953 それってある程度はいろんな教育にも言えることじゃ・・・
>>952の最後の行に関していえば、文字を読めないものが多かった西欧と比べ良い点といえるでしょ
956 :
世界@名無史さん:2012/06/17(日) 11:17:51.68 0
>>954 ムーア人のように醜く浅黒かったと書かれているから
ローマじゃなくアフリカ人が先祖だったんだろう
957 :
世界@名無史さん:2012/06/18(月) 04:41:04.20 0
>>955 その教育が本当に行きとどいていたのかという事だな
国民は一種の徴兵制があって
兵役の義務があったが実際はほとんど訓練行くものがいなかったように
教育も実際はほとんど受けていなかった可能性もある
国民性や社会システムに左右されるだろうな
末端にまで寺子屋制度の発達していた江戸時代なら簡単な漢字を含む読み書きに足し算引き算
町民は平仮名片仮名なら読めたから町民用ゴシップ新聞の瓦版が発達
田舎の農民でも若いうちは街の武家や商家に奉公に出されることも一般化していたわけで
男は丁稚小間使いに女は飯炊き子守りにご両さんの雑用等の家政婦
上流階級のお相手をする花魁候補は子供の頃から質の高い教養を徹底して叩き込まれる
男女を問わずに字を覚えて足し引きができないと出来ない仕事も多い
江戸時代という一応安定していた時代からできた事だな
一応ローマ領のセルビアなんて
ほとんど実効支配できなかった
「実質的に独立している地域」?
キリスト教が国教にならず
広まらず
古代の多神教が生き残っていたら
中世の停滞はなかったと思うか?
963 :
世界@名無史さん:2012/06/20(水) 23:45:52.88 O
その場合は他の宗教がキリスト教の役目を負うだけじゃないか
965 :
世界@名無史さん:2012/06/21(木) 08:16:45.94 O
例えば一神教の方がゲルマンやスラブに受け入れられやすかった、
とかなら効果ありと言える。
ゲルマンとスラブはキリスト教で文明化したの?
多神教のままでも変わらない気がするが
巨大な船を造っていたヴァイキングは非キリスト教徒だった
船をつくり、動かすというのは高度な技術力と科学力が必要となる
つまり中世で一番先進的だったのは非キリスト教のヴァイキングだった
ムスリムに統治されてたイベリアの方がよほど文明的だな
>巨大な船を造っていたヴァイキング
ロングシップはせいぜい中型船
970 :
世界@名無史さん:2012/06/22(金) 10:07:29.05 O
>>968 その割には新大陸獲得で一山当てただけだった
>>969 でも船を造って航海していたぐらいだから
同時代のゲルマン人よりは技術と文明進んでたんじゃない
>>966 キリスト教化ともに農耕定住化、都市や貨幣経済が発展した。
フン族の時はゲルマン民族大移動が起きたが、モンゴルの時には
ロシア人やポーランド人、マジャール人らが西欧へ移動しなかった。
973 :
世界@名無史さん:2012/06/22(金) 20:24:23.89 O
>>972 キリスト教はゲルマン人、スラブ人、マジャール人などにギリシャローマ由来の文明を伝える媒介だったということか。
>>967 ノブゴロドやキエフなどロシアの都市はヴァイキングが創建した
基督教化によって都市化って・・・逆だよ
共和制ローマの時代でも推定人口1万以上のゲルマン/ケルト都市があるってのに
ライン近隣は農耕化しているし、農耕化しないと都市化もそれだけの人口の維持もほぼ不可能
逆に中世の小国乱立で城壁が再び必要になったから、都市数は増えても規模は数百〜数千単位に落ち込んだ
ルネッサンス以降でも16世紀あたりのドイツ/オーストリアで1万超えてる都市なんて2つ3つしかない
総人口半分未満の帝政前期ローマ時代はその倍以上だよ
それとルネッサンス前の中欧主要都市のほぼ全てがローマの都市インフラがあってこそで
しかもロンドン/パリを除いて殆どがローマ支配時代よりも都市人口を減らしている
976 :
世界@名無史さん:2012/06/23(土) 09:57:57.87 O
>>975 まさか建物も数百年前のローマ時代のものをそのまま使っていたのか?
>>974 ノルマンでも
ノルウェー、デンマークとスウェーデンは種類が違う気がするんだよな
スウェーデンはあまり船で航海に出ていたというイメージがない
陸地や川が主な活動場所だから
>>972 ガリア・ダキアの平定あたりから、ローマに接しているすぐ外側のゲルマン人も
定住化・農耕化してるけれど・・・・・・
早い時期に農耕化したケルト人が言語的にゲルマン化しただけかもしれんが。
>>977 スウェーデンもバルト海や、バルト海から大西洋に出るカテガット海峡やらオレスンド海峡の制海権を争って、盛んに戦争してるよ。
バルト海の対岸のフィンランドも長らくスウェーデンの領土だったことがあるし。
東欧荒らしまくってルーシ諸国を建国したのは主にスウェーデン人ヴァイキングだよ
>>978 ローマに接しているすぐ外側の西ゴート族は、ご存知の通りに大移動しているから、
中世の西欧人ほど定住化していなかったのだろう。
ゴート族やヴァンダル族らは半農半牧の支配層で、スラブ人やダキア人らが農民で
移動せずに定住し続けた。
>>979 バルト海は所詮近海でしょ
デーン人のように新大陸やアイスランドに行ったとか
ノルウェーのように北方に島を持っているとかじゃないでしょ
他の北欧と比べて航海の比率が小さいように思う
まだラトビアのクール人のほうが海に近しい
ワリヤーグはバルト海だけでなく
ドニエプル河とボルガ河を経由して
黒海とカスピ海も航海していた
>>981 ヒットアンドアウェイでないところが異動前に既に農耕化していた証拠だ。
南の農耕好適地にがっつり居座ってるだろ。
遊牧民なら、支配が上手くいかなくなったら、本拠地に引き上げるわな。
>>982 そもそもデーン人とスウェーデン人ってそんなに違う種族なの?
>>984 たまたまうまく征服できたから居座ったのでは?
遊牧民だったマジャール人もそうして定住化している
ゴート族とマジャール人は、もともと森林地帯の半農半猟民で、
ステップ地帯に南下してから騎馬民族化したとされる。
>>984 古代ゲルマン人らは焼畑農耕民なので、
ローマ領内や中世西欧の農民のように
定住していなかったのでは?
ゲルマン民族移動後にスラブ人の人口が急増して、
バルカンにスラブ人が押し寄せるまでになったが、
何故スラブ人の人口が急増したのだろうか?
ゴート族がバルト海南岸から黒海北岸に移住した時、
追われたスラブの部族がローマ領内に逃げ込んだ事
という記録はなかったとされる。
土地が異常気象で荒れ果てたとか
遊牧民に追われてとかじゃないんだよね
スラブ人の移住
アヴァールと一緒に広がった
ゴート族やサルマタイがフン族に追い払われた後、フン族の人口が少なかったので、
それまでの放牧地の多くが農地になり、スラブの人口が増え始めたのかもしれない。