1 :
世界@名無史さん:
明王朝・満洲族・盗賊李自成等がせめぎあった明末清初を語るがよい
2 :
世界@名無史さん:2010/09/11(土) 12:44:19 0
張献忠が行った虐殺って、どこまでが真実なんだろうな。
>>2 重慶あたりは疫病の痕跡がある。鼠が媒介した何かの伝染病だといわれている。
重慶、遂寧、広安、南充では湖北省の言葉が話されている。
成都は普通話が土台になっていて湖北省の言葉の訛りがある。
住民がかなり入れ替わっているのは族譜からも明らか。
遂寧の住民は殆ど全部が湖北省からの清初期の移民だった。
虐殺があったかどうかと言い切れないが、疫病対策が後手に回るような失政があったかもしれない。
蔓延を防ぐために、地域封鎖してしまった後、人口激減したので湖北から移民させたと。
そのまま満州国でいて欲しかった。
万暦帝あたりはスレ違い?
6 :
世界@名無史さん:2010/09/11(土) 16:48:42 0
>>3 疫病の可能性もあるのか。
そうなると、対策を怠った失政は、批判されるのも致し方ないが、
人格まで否定されている現在の評価はあんまりだな。
噂があって、また虐殺を否定する事実もないから、評価は難しいだろうが。
秀吉軍の大侵攻によって疲弊した明は
女真族なんていう蛮族ごときに敗北するほどに傾いた
秀吉が死ななかったり、だれかが引き継いでいたら
確実に日本のものだった
8 :
世界@名無史さん:2010/09/11(土) 20:01:11 0
>>7 明は秀吉と同時にボハイの乱と楊応龍の乱の相手もしてたんだよ。
明本国が崩壊状態に陥るまではまだ少し時間がかかる。
秀吉が生きてたり、誰かが引き継いでても無理。大体、満州人はどうするの?
日本軍が鼻先を通り過ぎるのを黙って見てるの?
協力し合うにしても、取り分の切り分けはできるか?
南と北で分け合うことにしたら、日本だけが南明の相手をすることになるぞ。
9 :
世界@名無史さん:2010/09/11(土) 20:06:12 0
いや一時的に支配に成功したとしても、それを持続するには相当な政治センス
を持った人物でないと無理。しかも清朝みたいに代々優秀な人材が続かないか
ぎり中原の民の上に君臨し続けるけることは不可能。少なくとも家康とその
後の凡庸な後継者じゃ無理だったろうな。
当時の国力差を考えれば先に音を上げるのは日本だろ
孫子を筆頭に数々の兵法が生まれ最大1000万の動員兵力を誇る国だぞ
比較するに値しない
>最大1000万の動員兵力
洪武帝の時代の衛所軍全体でも100万ちょっとでなかった?
満州が侵攻するのを待ち
潰し合いになった頃、唐入りすればよかったんよ
ただし今頃は中国の一部
日本のものになったとしても、天皇は京都から動かないだろうし、
征夷大将軍が任命されて中華幕府を開いても各地のゲリラは止まず
2代くらいで終わりそうだ。3代目は中国人とのハーフかなんかで日本に亡命、滅亡。
いや、天皇は北京紫禁城に入るでしょ
その後、印度征服をたくらみ、自滅
15 :
世界@名無史さん:2010/09/12(日) 12:49:46 0
>>12 潰しあいなんて大したもんは起きてないぞ。
三藩の乱の頃の方がいいんじゃないか。それでも負けるか、
征服するには至れないだろうけど。
満州国、南明、順が並び立っていたのに
全部統一なんてつまらないにも程があるだろ…
>>9 優秀さや国力ではなく、統治手法の差で、中華の支配は無理のはず>日本
これは、豊臣秀吉の統治手法を考えればすぐに分かる。
秀吉は、太閤検地で農地を隅々まで測量し、収穫高の計算をして
中間的な領主層を一掃して、土地と農民に対する直接支配を目指した。
つうか、豊臣政権はこの統治手法しか知らない。
中華本土でこれを貫徹することは絶対に無理だと思われる。
あの原始的な朝鮮ですら、太閤検地の貫徹は全く出来なかった。
そもそも数千年来中央官吏を絶対に入れてこなかった中国の村落に、
日本の武士がノコノコ入って測量し、義務を課せるなどとは思えない。
21世紀の現在ですら、共産党の官吏の入れない農村なんて中国にはいっぱいある。
清が成功したのは、中華では少数支配で上前だけはねればよいという北アジア的統治手法を、
モンゴル伝来で熟知していたから。
信長の恐怖政治のほうが
中華支配に適応しそうだね
比叡山焼討みたいな
北方異民族と違って日本人は農耕型だし、征服王朝の歴史や支配を全く学んでないから
一時、征服に成功しても、あっという間に中華化されてしまうんじゃないかと思う。
確かに、清は、金という
前例・模範があったからね
でも、愛新覚羅氏は金の為政者層ではなかったみたいだよ。
>そもそも数千年来中央官吏を絶対に入れてこなかった中国の村落に、
>日本の武士がノコノコ入って測量し、義務を課せるなどとは思えない。
清のときはよく知らんが、明の洪武帝のときに全国で検地や戸籍調査をやって
魚鱗図冊や里甲制を布いてなかったっけ?
モンゴル帝国以降の社会は大変革しているのに
漢代で頭が止まっているヤツがいるのか・・・
社会が変革というか、人間がごっそりと入れ替わっているからなw
五胡十六国時代の入れ替えが一番大規模だろう。
26 :
世界@名無史さん:2010/09/14(火) 21:29:44 0
んで清は戸籍調査とかやらなかったの?
世界史の教科書くらい読んだら?
正直、中国本土はいらないから台湾に手を伸ばしていればなぁ…
まー 当時の台湾を考えれば机上の空論とは理解しているけどねw
台湾から中華の影響を排除出来れば御の字だから、
いっそオランダの植民地化か……
国性爺が余計な事さえしなければねぇ
台湾、済州、樺太、千島、勘察加、辺りは領土に欲しかったなぁ
>>29 台湾が中華の影響をがっつり被ったのは戦後からだよ
>>31 清朝の台湾支配(その前の国性爺の台湾侵略)が無ければ、
歴史的にも台湾は中国じゃ無いので、中華民国の台湾逃亡も
無ければ、中共の「一つの中国」論からも台湾は外れる事になる。
ましてや日本以外の西欧諸国の植民地になったなら間違いなく、
中国とは別の独立国家として独立させてくれるでしょう。
朝鮮半島を清太宗が征服した時に
きちんと後金国の版図に組み込んでくれていたら良かったのになあ
>>32 香港マカオは結局返還されちゃったから、植民地が必ずしも独立国になるとは限らないけど、
台湾ならば、蒋介石がモンゴルとかチベットに逃げてたら、日本の引き上げ後は米軍占領のまま
今頃はグアム化してたか独立してたかだったろうね。
鄭成功による歴史的中華圏を主張してるのは現在の実効支配を正統化しようとする
外省人と中国人だから、例え鄭成功がいなくても、他に何か見つけて来て正統化するだろうな。
蒋介石以後の台湾は歴史修正が盛んだから
日清戦争後の台湾共和国の奮戦ぶり抵抗ぶりやら
日帝の残虐行為やら台湾人の自助努力による発展ぶりやら
歴史の本も言ってることがむちゃくちゃ
大陸側も湘軍が台湾でがんばって
フランス軍や日本軍を壊滅させたとか言いたい放題w
米軍占領下になってて
沖縄みたいに返還されれば
よかったのにね
清朝が頑張ってしまったからなぁ
鄭氏政権があと100年頑張ってイギリス辺りの保護国→植民地というコースを
たどっていてくれらねえ。
若しくは鄭氏政権が何とかして永暦帝を台湾に回収出来ていればなぁ…
38 :
世界@名無史さん:2010/09/15(水) 22:38:50 O
北海道もアイヌの国になってりゃ面白かったのに…
アイヌは、台湾首狩族みたいに
ものすげー組織力と暴力装置を持ってないから
フツーに考えて松前藩のほうが強いだろう。
清代も朝貢してた琉球は中国の一部だからと言って中国人は返還要求してるよなw
アメリカは沖縄を基地化して自分の保護国か何かにする計画だったから却下したが。
41 :
世界@名無史さん:2010/09/15(水) 23:42:51 O
でも、アイヌとちがい台湾先住民は民族意識はもって無かったろ?
日本軍と戦ったときも民族の独立を守る、とかいう動機で戦ってたわけじゃあるまい。
外敵侵入への防衛意識と郷土意識があったから、それが要するに民族意識の萌芽じゃないのか。
だからこそ、中華民国がやってきた時にも、俺たち台湾人だと言って従わない台湾人を
大量虐殺をしなければならなかった訳で。
43 :
世界@名無史さん:2010/09/16(木) 00:36:24 O
内省人と先住民どちらの話をしているんだ
44 :
世界@名無史さん:2010/09/16(木) 00:51:40 0
>>40 よく考えたら、
琉球が清に朝貢してたからって、
中華人民共和国が琉球の所有権を主張するのはムチャクチャだなw
45 :
世界@名無史さん:2010/09/16(木) 01:00:43 0
ササン朝ペルシャに所有権を主張しておるのか?
>>44 中華帝国的には間違っていないから困る。
もっとも中華帝国(清)が西欧諸国にコテンパンにされて
この思想は今の所否定されてしまっている。
将来的に中国が世界最強になったら、
この中華思想が世界を支配しかねない…
それにしても大順帝国も不甲斐なかったな…
呉三桂の阿呆が満州民族に降伏すると思っていなかったのが痛かったな。
清 − 順 − (南)明 で中華が三分割されていたらなぁ…
48 :
世界@名無史さん:2010/09/16(木) 01:23:07 O
いや、虐殺や疫病が無かったら四川もだろ。
49 :
世界@名無史さん:2010/09/16(木) 01:26:53 0
張献忠が、麗江の木氏政権を取り込んで大理国復活だ ヒャッハー!
>>44 沖縄の所有権と返還を要求したのは当時の中国代表蒋介石だよ
その時、朝鮮半島も中国の一部だから中国に返せと要求した話は有名
まぁ、中華人民共和国の国民も、モンゴル国だって本来は中国の一部だと今でも思ってるがw
西洋の最新武器を自由に出来たポルトガルが早々と清についちゃったのがな〜。
>>51 いや別に清軍は火力で中国征服した訳じゃないし・・・
53 :
世界@名無史さん:2010/09/16(木) 19:57:56 O
>>49 張楚みたいに「張理」という名前で。
劉備の持ってた領土より広いかな。
(劉備+孟獲)同盟ぐらいの規模だろう。
55 :
世界@名無史さん:2010/09/16(木) 20:51:09 O
あんなに頑張って開発した満州を簡単に放棄するなんて
>>47 一番情けないのはアッサリと清の軍門に下ったモンゴル族
テムジンの末裔達も落ちるところまで落ちたな
清は、金が元に攻められたことに懲りて(反面教師にして)
モンゴルを取り込んだんじゃないの?
58 :
世界@名無史さん:2010/09/16(木) 23:09:57 O
満州に後金、華北に順、河南に明、
西南部に張理、
周りをモンゴル、ベトナム、オランダ領台湾、朝鮮、日本が囲むと。
賑やかな空想歴史世界。
ここまで多彩になると、ポルトガルもマカオを
正式に南明あたりから割譲して貰ってそうだね。
大砲100門と引き替えにとかで
正直、中華帝国は存在するだけで周辺国家の迷惑になるので、
幾つかに分裂してくれていた方がいいや。
秀吉が出兵しなかったら、明はどんくらい延命できたのかな
明の延命ねえ…
確かにヌルハチの急成長に秀吉の影響はでかいけど
むしろ問題は、48年の長期に渉って帝位にいた万暦帝だからなぁ
万暦帝があと20年早死にして、泰昌帝がその20年をフルに活用出来れば…
ただ、泰昌帝の嫡男が天啓帝だからな、魏忠賢を排除出来なければ結局元の木阿弥か
その点、満州側は歴代名君続きで羨ましい…
あと、スペインさんも日本なんて貧しい島国に拘らずに
とっととポルトガルのマカオ辺りを拠点に明に浸透していくべきだったと思う。
スペインが来たとこであんま変わらない気がするが
>>61 清の皇帝などは過労死してしまうから、ワーカホリックなだけでしょう。
なんか愛新覚羅家の家訓でもあったんじゃまいか?
>>63 宗教が絡んでくる分、倭寇よりも遥かにタチが悪い連中ですからねえスペイン人は
中米でのやり方を是非そのまま持ち込むような頭の悪い政策をとって欲しかったのですよ。
バイオテロですか?
ユーラシア大陸では疫病で原住民を全滅させるようなわけにはいかない
どうせアジア人はインディオと違い抗体を持っていたに違いないから
スペインが中米で滅茶苦茶やれたのは
インディオが内部分裂で権力が分散してたのと武力に差がありすぎたから。
明の状況では到底無理な上に、そもそも中国本土に拠点持つ事すらできなかったじゃなかw
69 :
世界@名無史さん:2010/09/18(土) 13:48:49 0
雲龍和尚の活躍は映画になったりしないのか
70 :
世界@名無史さん:2010/09/19(日) 11:18:56 0
「明末清初をおおいに語るスレ」というのに、
まともに明・清の中国に関する話がされてないんだが。
このスレの話題の主は明・清代の中国であり、日本とかスペインだのは従だ。
日本がああだったらとか、スペインがああだったらとかいうifは語るな。
また、世界史とありながら日本のことをやたらと語ろうとするのもやめろ。
鄭成功の事は語ってはだめですかそうですか
ある意味、清朝とのライバルなのに
72 :
世界@名無史さん:2010/09/19(日) 14:38:06 0
イギリスがインドじゃなくて、中国にかかわってたら歴史は変わってただろうな
>>68 漏れは武力よりは免疫力の差だと思ふ
天然痘で8000万の人口が800万になったんだから、どうしょうもない
>>72 武力差もあるでしょ
あの短期間で征服されたショボさを考えれば
まさにスペイン無双
洪武帝○VS×ヌルハチ
建文帝×VS○ホンタイジ
永楽帝○VS×順治帝
洪煕帝×VS○康煕帝
宣徳帝×VS○雍正帝
正統帝×VS○乾隆帝
景泰帝×VS○嘉慶帝
成化帝×VS○道光帝
弘治帝○VS×咸豊帝
正徳帝△VS△同治帝
万暦帝×VS○光緒帝
崇禎帝○VS×宣統帝
明 4勝7敗1分
清 7勝4敗1分
永楽帝はエース級
順治帝がカワイソス
永楽帝と順治帝なら引き分けにならないかな…
6歳で即位して、24歳で崩御するまででドルゴンがいたとは言え
清の中華統一の礎を築いたのは間違いないんだし。
>>70 日本乞師という現実があるからなぁ
それじゃ南明が如何にすれば生き延びれるのか
って語るとしてもだな、当時の情勢を考えると海外勢の援軍なしに
南明の生き残りって無理じゃね??
日本やスペインが仮に南明に援助したとしても清朝相手には敵わないと思う・・・・
スペインはフィリピンまでしか進出してないのに
なんでマカオ経由の明入りなのなの?
>>77 難しいな・・・江戸初期の日本じゃ戦国時代より戦闘力は劣っているだろうし
スペインも海軍は強力だが既に衰退していた時代
やはりあの当時で周辺に清朝を倒せる勢力なんてない
80 :
世界@名無史さん:2010/09/19(日) 17:24:01 0
>>79 ロシアがいるし、すでにイギリスが日本と貿易していたぞ
実際にイギリスが清朝をボコボコにするのはもうちょっとあとだが
もしアンボイナ事件がなかったら、イギリス艦隊に干渉されて、弱体な南明がオスマン朝のように温存されたかも
>>80 しかし建国初期の清朝軍の勢いには敵わんでしょ・・
俺にはどうしてもあの時代に南明が存続するなんていうifを想像できない
当時の英国のアジアの軍事力って、オランダより力無いと思う・・・
そしてそのオランダも鄭氏勢力にも勝てなかったし、清を恫喝させる事は出来なかった
英国やオランダにとって、あくまで東アジアは地球の裏側だということを忘れずに
そして当時の東アジアの勢力は、片手間でどうにかなる存在でもない
英国のインド支配も、ようやく18世紀後半に
・ムガル帝国崩壊後の戦国時代という状態
・西洋式装備・戦術を叩きこまれた現地兵
この二つがあって、運良く、半ば偶然に成功したんだし
83 :
世界@名無史さん:2010/09/19(日) 17:36:56 O
後金が満州の開発と内政に力を入れること。
モンゴルが後金にやられないこと。
明と朝鮮が日本から受けたダメージが史実より少ないこと。
呉三桂が順に付くこと。
などが条件。
次に、
>>82 さすがに偶然っていうのは行きすぎでは
18世紀はすでにイギリスはかなり強大、産業革命が既に始まっているし
18世紀にインド支配が確立して
それから100年もしないうちに清朝はイギリスに大敗するわけで
>>82 清国の藩属国として、鄭氏政権が台湾に存続とかぐらいじゃね?>南明存続の可能性
鄭氏政権が南明と呼べるかどうかは別問題だけど
あるいは、鄭成功死去直前に計画していたマニラ征服が実際に発動され
結果、台湾からフィリピンにまたがる華人による海上貿易国が誕生していたら、面白いかも知れない
>>84 確かに偶然とは言い杉かもしれないけど、実際どうなんだろうね?
イギリスの代わりに、フランスがインド帝国を気付いたかもしれないし
あるいは、マラータ同盟がアフガン勢力に大敗しなければ、インド全土の植民地化は避けられたかもしれない
ま、ベンガル及びカーナティックの支配を確立した時点で、英国のインド支配は約束されたものだと思うけど
康熙帝時代からは弱体化するとは言え、
初期の満州八旗の強さは世界数指だからな
88 :
世界@名無史さん:2010/09/19(日) 19:08:26 O
順+呉三桂+南明+朝鮮+モンゴル+日本浪人なら余裕で勝てるよ。
後金国内でも満州にとどまるべき、という意見も根強いだろうし。
不安なら台湾やマカオみたいな領土を譲渡する代わりにオランダやスペインポルトガルから武器を仕入れる。
… さすがに順と南明の連合は不可能だろう…
ただ、順に呉三桂が即降伏してそのまま清朝への防壁になれば…
それと朝鮮に後方で蜂起させて鎮圧・虐殺されている間に
順が南明を制圧してしまえば……
あと、日本浪人を10万程、呉三桂への援軍にして、あとは西欧から
大砲を買い込んで最前線に送り込む…
それでも順が南明を制圧する前に、清朝に中原に乱入されちゃうかなぁw
清朝初期って皇帝が名君続きで内から乱れるってのが想像できないのが
対抗する側にしたらもの凄く痛いのよねw 特に南明諸皇帝を見ているとw
康熙帝以前にもドルゴンやホーゲといった名将達がいるからな
それに蒙古八旗や漢軍八旗など一度投降させた勢力を取り込むのも上手い
やはりあの時代の清朝に烏合の衆如きが勝てるわけない
>>89 不利と見るや速攻で朝鮮が清に寝返りそうだなwww
92 :
世界@名無史さん:2010/09/19(日) 23:45:32 0
>>87 その頃はポルトガルは落ち目だ
ロシアの進出はもう少し先だし
清は運がいいな
>>91 つ三田渡碑
他国との同盟、連合以前に南明諸勢力の仲違いをどうにかせんとどうにもならんでしょw
94 :
世界@名無史さん:2010/09/22(水) 00:03:46 O
よく考えたら南明は後金と接してないな。
朝鮮も南明や後金普通に貿易したいだろう。
順とモンゴルと大理で戦え
それ以前に南明と順は修復しようもない仇敵関係
(南明の本家(明)を滅ぼしたのは順、いわば東漢を滅ぼした魏と蜀漢の関係)
だから南明が南宋のように一致団結出来ていたら
順を協力して滅ぼす事によって、南宋と金の関係みたく中華を南北分割出来ていた可能性もある。
その為には、順が清に一気呵成に滅ぼされない必要もあるんだけど…
それにはやはり呉三桂(明の最後の精鋭部隊)が順に付く必要があるんだよなぁ
大理は元の時代に分解済
いくつかの民族は東南アジア蹂躙に行ったきり帰ってこない
>>95 呉三桂が素直に順へ降っていたらどうなっていただろうね
17世紀中には中華世界が一つに纏る可能性は相当低くなりそう
順って李自成派と張献忠派に分裂しそうww
そこへ更に呉三桂加わるとなれば天下三分の計になっちゃう
何れにせよ清朝が史実より成長できないとするとモンゴル高原のオイラト部とかが逆に巨大化しそう
99 :
世界@名無史さん:2010/09/22(水) 09:24:51 0
従不従十箇条を探してるんだがどうしても見つからない。
>>98 順王朝成立時には張献忠は四川に逃亡・独立済みです。
四川は守りやすい地勢のはずなので、順王朝が即死していなければ
天下三分もあったかもね…
個人的には清には河北・山東辺りまで取って貰って、
順にはそれ以外の華北+西域+湖北あたり、
南明は華南、四川に張献忠の4分割かな…
台湾はオランダ始め西欧の植民地化で中国から完全分離…
チベットも独立を守って…
ウイグルは露西亜と清と順との間でバランスを取って独立…
朝鮮は定期的に中原政権に唆されて清に謀反、その都度制圧・弾圧でもされて……
日本は赤面疱瘡でも流行って女の国になっていなさいw
んんんんーーーーー
明王朝を持ち直させるとして、どこら辺がデッドラインなんだろうか?
現実には崇禎帝の在位17年間あれだけ努力してもダメだった訳で…
泰昌帝があっけなく死んでしまったのが明の死亡確定だったのだろうか…
サルフの戦いで負けた時点でデッドライン
袁崇煥の処刑かなデッドラインは
コーエー数値化スレより
明
万暦帝 統率26 武力17 知力41 政治31 魅力30
崇禎帝 統率15 武力22 知力78 政治30 魅力72
順
李自成 統率73 武力70 知力71 政治17 魅力40
清
ホンタイジ統率92 武力74 知力90 政治83 魅力80
ドルゴン 統率85 武力74 知力88 政治79 魅力36
順治帝 統率87 武力76 知力85 政治98 魅力67
106 :
世界@名無史さん:2010/09/22(水) 19:57:37 0
>>105 ドルゴンよりホンタイジのほうが全てにおいて上かい?
知力41 なんじゃそれ
108 :
世界@名無史さん:2010/09/22(水) 23:32:20 0
>>107 ちょっと清の数値が高すぎだね
グスタフ・アドルフやクロムウェルと同時代なんだが
明の絶望感が如実にあらわれているな
清初ならジュンガルのガルダン・カーンが南明と組んでいればね・・・
111 :
世界@名無史さん:2010/09/23(木) 11:57:08 0
明末清初と聞くと反射的に朱舜水を連想する日本人の俺
朱舜水みたいに海外に亡命した明の要人って
日本以外にどこか行ってるんだろうか
台湾は別として
東南アジアはけっこうありそう
要人以外の官吏を含めるとモンゴル、チベット、インドも行ってるかもしれないな
北米はまだ早いか
明末は日本と同じくらいにまで人口が激減したという。
朝鮮も秀吉の侵攻で人口が壊滅した。
さらに、大阪の秀吉を滅ぼして国内の禍根を摘み、
キリシタンを島原の乱で根絶やしにして欧州の横槍を防いだ。
この4点、邪魔者の一掃があったればこそ、徳川の泰平の世があったとおもう。
で、明末は本当にそんなに人口が激減したんだろうか。
そして、清はどうして人口の回復を防げなかったのだろうか。
113 :
世界@名無史さん:2010/09/23(木) 14:09:00 O
二国の停滞を招いたので、近代の東アジでの日本の絶対的な優位が生まれた。
その意味では秀吉は近代人の恩人?
>>112 明代だと
人口 = 戸籍上の人口 = 一条鞭法での徴税額(人頭税)
で、明末の動乱で
民衆の流民化 = 戸籍上から居なくなる = 戸籍上の人口減少
だから、人口減少と言っても税金を取れる範囲での人口減少なので
実際にはそこまでは減少していない。(動乱な以上人は死にまくっているけどね)
で、清代に入って1711年に康煕帝即位50年を祝って、その前年の成年男子人口2462万人を
定数にし、それ以降の人口増加には課税しないとする盛世慈生人丁を始めました。
そしたらそれ以降、戸籍上の人口は増加し100年後には3億人を突破しましたとさ…
115 :
世界@名無史さん:2010/09/23(木) 15:24:22 O
現代ウイグルはどうでもいいが、天山ウイグルは惜しかった。
遊牧系国家が次々と清朝やロシアに滅ぼされていく過程は何とも言い難い感情になる
あっ・・・これで一つの時代が終わったんだなー・・っと
117 :
世界@名無史さん:2010/09/23(木) 15:34:44 0
ソグド人かチュルク語を話している現代偽ウイグルよりも
ユグル=裕固族こそ本物の天山ウイグルとの近縁者だ
119 :
世界@名無史さん:2010/09/23(木) 17:43:10 O
東アジアに中国朝鮮日本の3つだけになるとか…
農耕民強し。
>>114 お答えくださり、ありがとうございました。
康煕帝のアホー!
万暦帝
>>117 裕固族も半分はモンゴル系の言語話してるけどね
あの皇帝が最後の一人だったとは思えない・・・・
乾隆帝が働きすぎたので
後の皇帝はやることが残っていなかった。。。
126 :
世界@名無史さん:2010/10/09(土) 23:39:11 0
127 :
世界@名無史さん:2010/10/10(日) 19:09:24 0
>>74 △徳川家康ー奴児哈赤△
× 秀忠ーホンタイジ○
× 家光ー順治帝○
× 家綱ー康煕帝○
× 綱吉ー雍正帝○
× 家宣ー乾隆帝○
× 家継ー嘉慶帝○
○ 吉宗ー道光帝×
× 家重ー咸豊帝○
× 家治ー同治帝○
× 家斉ー光緒帝○
○ 家慶ー宣統帝×
徳川将軍2勝9敗1分
129 :
世界@名無史さん:2010/10/10(日) 21:07:07 0
どーせならイギリスとかロシアとかオスマンとかと比べようぜ
黒竜江流域へ進出してきたコサックと清朝の抗争もちょうどこの頃だよね
最初にやって来たポヤルコフは流域に住むツングース系の部族を襲撃したが
清朝とは直接衝突することはなかったが、続いてやってきたハバロフ、ステパノフとは戦火を交えた
明の万暦年間に起った3つの戦争を「万暦の三征」という。
1592年、モンゴル人ボハイが寧夏城で明に離反し、オルドスと同盟して陝西一体を席巻した「ボハイの乱」。(経費80余万)
1592年、豊臣秀吉による朝鮮出兵(文禄・慶長の役)。明は、ボハイの乱鎮圧に動員した軍勢を朝鮮援軍として派遣。(経費780余万)
1592年、ミャオ族の多い貴州播州の土豪、楊応龍が朝鮮援兵に乗じて明への反乱を起こした、「楊応龍の乱」。(経費200余万)
これら3つの戦争により、明は財政難に陥り、万暦帝は増税で対応し、明は内乱へと衰退の道を進んでいった。
それにしても秀吉の朝鮮出兵には、明はずいぶん手こずったようだ。経費の額がダントツだ。
>>131 実は・・・貴州は明代で20回も土豪蜂起があった・・・のだ
>>131 悪名高い宦官の劉瑾が処刑された後に没収された資産は
金250万両、銀5,000万両で明の歳入10年分に相当するそうだ
それに比べれば大したことないな
嘉慶帝が即位直後に宦官のワシンを粛清した時も
国家予算の何倍か、という額が出たそうな
135 :
世界@名無史さん:2010/10/19(火) 11:10:03 0
>>114 人頭税を導入すると戸籍の持たない人間が沢山出てくるからね
136 :
世界@名無史さん:2010/10/19(火) 11:50:53 0
二大悪税
人頭税、地租
どうやって集めたのか?
138 :
世界@名無史さん:2010/10/19(火) 12:55:51 0
徴税請負人
139 :
世界@名無史さん:2010/10/19(火) 17:15:41 O
間接税は脱税しにくにが税率を高くすると脱税が横行するようになる
140 :
世界@名無史さん:2010/10/19(火) 17:28:17 0
間接税は連動する把握手段が無ければ脱税やピンハネ、不正課税がしやすいのである
141 :
世界@名無史さん:2010/10/20(水) 08:33:41 0
>>136 先進国だとイギリスでサッチャーが一時人頭税を導入してた時期があった
>>131 万暦帝自身はドケチだったらしいしさぞやイヤだったろうな…
お気に入りの身内には大金を掛けるけどねw
愛息子の福王の婚礼に30万両をつかったそうだし。
143 :
世界@名無史さん:2010/10/27(水) 12:17:35 O
政府や王朝が崩壊する前は必ず財政破綻が起きている
>>142 おやじにかわいがられすぎたせいで、
はんらんぐんに禿げしくうらまれ、
最後は細切れにされて喰われちゃったねい
福王様が即位していたら明朝ってどうなったのかな??
魏忠賢の専横が無くなるだけ延命できるのか?
それとも福王様が頑張ってより短命になるのか?
まあ、福王様がいくら頑張っても万暦帝の25年間ニート生活には敵わないんだけどねえw
>>142 たかが息子の一人の結婚式の出費が、万暦の三征の出費の合計の3%にも達するのだから、
いかに宮廷でめちゃくちゃな金の使い方をしていたのかだよなぁ。
康熙帝は明の一日分の宮廷費用を
清における年間宮廷費用とした
倹約した康熙帝も凄いが、明の皇帝は365倍も何に使ってたんだ
148 :
世界@名無史さん:2010/10/30(土) 23:55:02 0
おぼげ
,.、 .,r.、
,! ヽ ,:' ゙;.
! ゙, | }.
゙; i_i ,/ ,.、 .,r.、
,r' `ヽ、 ,! ヽ,:' ゙;.
,i" _, ._ ゙; ! ゙;; }
!. ・ ・ ,!. ゙; ii ,/
ゝ_ x ,::'' ,r' `ヽ、
(^ン''`'''''''''''''' 0∞o。 i" _, _ ゙;
`"! ( ::) ∧ !. ・ ・ ,!
゙'ンーr-‐-'") / < >ゝ_= x _::'
(__ノ (_,ノ ∨ /`''''''''(⌒';’∵∴;;゙
(⌒ヾ;;, `ソ :‘
゙゙`ヽ、、、__,,ノ゙
(,,,ノ'
>>147 何時の時代の宮廷費用なのかな。
崇禎帝は倹約に努めたとはいうけどそれでも1日分が康熙帝の1年分なら、
万暦帝、天啓帝はどんだけ無駄使いしたのかね。
ただし、康熙帝でも節約は洪武帝には及ばないと思う。
153 :
世界@名無史さん:2010/11/11(木) 00:53:04 0
南明は紹武帝と永暦帝の内ゲバが酷い。
清という共通の強敵がいるのに、なぜ一致団結して戦わないのかと。
154 :
世界@名無史さん:2010/11/11(木) 09:13:14 0
>>152 明末は女官・宦官の給料(食費)だけでも十万人分だからね。
人件費考えると康熙帝の節約もとことん切り詰めた結果なのだろう。
洪武帝と比較するとどうかね。
ボンボンの康熙帝と乞食坊主出の洪武帝じゃ金銭感覚が違うだろうし
>>153 一致団結出来ていたら、そもそも明朝が滅んでいなかったのでは…
明末の政治混乱は皇帝の責任が最大だけど、官僚の派閥争いも酷かったからな。
金と宋みたいに清と南明で南北二国でしばらく保ったかも知れんね。
>>154 一回でどーんと使う出費よりも、恒常的な出費の方が高い。
女官や宦官を減らすのは、皇帝の身内を捨てるようなもんだからなかなかできることじゃない。
>>157 明の末期は皇族の数も10万以上とかいたらしいからこれも出費が嵩む原因かな。
10万人? 日本はお寺に捨てるのに、中国はちゃんと養って偉いな。
日本の場合は財政難と皇位争い防止の問題があった。
一方、表向き儒教国家となっている中国では出家させて皇位継承権を奪うと言う発想が無かった。
北京大学で清皇帝の末裔!話題のモデル白莫菲、「1000人に1人」美女―中国
2010年11月26日、最高学府・北京大学に在学中の女子大生モデル・白莫菲(バイ・モーフェイ)が、
セクシーショットをぞくぞく公開している。捜狐網が伝えた。
才色兼備の女子大生モデル・白莫菲は、1988年生まれの22歳。北京大学に在学中で、さ
らに清朝皇帝・愛新覚羅(あいしんかくら)家の末裔という血筋など、話題満載の異色美女として人気を集めている。
さらに白莫菲は、「1000人に1人」の競争率が自慢の美女ユニット「妖姫宅」のメンバー。
女優やカーモデル、ネットアイドルなどがしのぎを削る中、頭一つ抜けた存在としても活躍している。
その白莫菲がこのところ、セクシー写真をぞくぞく大放出。開催中の「2010年アジア競技大会」(広州アジア大会)に焦点を当て、
「スポーツ美女」ショットでお色気をのぞかせている。(翻訳・編集/Mathilda)
http://www.recordchina.co.jp/group.php?groupid=47368
>>159 >>160 寺に捨てる以外にも清和源氏や桓武平氏みたいに臣籍降下させる方法もあったしね。
明は両方とも実行しなかったみたいだからそこまで増えちゃった。
清はその反省か皇族は代を経るごとに爵位のランクを下げ、
最後は平民にすることで皇族の増加を抑制してた。
明朝の場合は迂闊に皇族を民間に落とすことによって
皇族に対する監視が届かなくなることを恐れたのかもね。
明朝の皇族の扱いって、曹魏の皇族並みに酷いからなぁ
明という王朝は、太祖朱元璋からして乞食僧がいつの間にか武将になってたような人だし
出家だの還俗だのという宗教上の手続きが政治権力にとって何の意味も持たない事は
身にしみていたんじゃないだろうか
もちろん仏教が国教でなかったということもあるだろう
南朝の梁をはじめ仏教を国教にした王朝は長く続いたためしがなかったしね
文殊菩薩を信奉した清は?
満人は文殊菩薩を守護神とした時期があったようだけれど、
仏法で清を動かそうと考えるほど非現実的ではなかった。
官吏の登用は儒教と科挙に拠り、曲阜の孔家も尊重し保護し、
北京の国子監の五経の碑林には満文の詔勅の碑があった。
孔廟と国子監とチベット仏教の寺院である雍和宮が仲良く隣り合っている北京は
満州王族のバランス感覚を象徴しているようだ。
>>164 つーか、ニヒルな中国人の国民性からして宗教原理主義はありそうにない。
原理主義に走ったのは儒教の新ぐらいじゃないのか。
>>165 非漢民族も支配していたせいじゃないのか?
たしかモンゴルはチベット仏教が盛んだったはずだから、宗教的権威が政治に活用できたんだろう。
169 :
世界@名無史さん:2011/01/12(水) 18:11:46 0
明も清も南京大虐殺をやらかしている。
548年 東魏の降人侯景、南京(建康)を陥落、徹底的破壊され大虐殺。
589年 隋、陳の南京(建康)を陥落、徹底的破壊。大虐殺。
618年 隋の煬帝、南京(江都)で殺害され、南京大虐殺。
907-960年 十国五代時代 戦乱で南京(金陵)大虐殺続発。
1273年 元軍、南京(建康)攻略略奪、南京大虐殺。
1368年 朱元璋、南京(金陵)攻略、南京大虐殺。
1645年 清軍、南京乱入略奪、南京大虐殺。
1842年 英軍、南京突入、南京大混乱。
1853年 太平軍、南京乱入。腐敗清軍南京略奪。
1862年 ウォードの常勝軍、南京(金陵)乱入。南京大虐殺。
1864年 曾國軍、南京乱入。南京大虐殺。
1911年 辛亥革命、南京略奪。
1927年 国民党の国民軍、南京占領。南京事件。
1949年 中共軍、南京乱入、資本家の財産強奪、国民党員を大虐殺。
>>168 宗派の本山の権威は利用しても、本山に僧侶の人事に一切口出しさせない。
それが仏教を民族宗教にする場合の鉄則。
文殊皇帝=清朝、ハルハのボグドハーン=単独冊封した門跡、ラサのダライラマ=駐蔵大臣の支配下。
>>164 少なくとも大乗仏教では、「国を治められない」んだよ。
これは教義の問題というより「手持ちの経典の問題」で、
仏教、特に大乗仏教には、世俗社会を統治するための規範のツールがほとんど存在しない。
これは、世界宗教の中では例外中の例外で、
イスラム教は、イスラム法を含む社会規範全体が、コーランとその解釈学としてパッケージになっている。
だから、コーランを読めるイスラム教徒は、すぐにイスラム国家を作ることが出来る。
キリスト教はここまで明確ではないが、
それでもローマ法やギリシア政治学の力を借りなくても、カノン法が存在するわけで、
民衆の法的統治は可能。中世前半のヨーロッパは、聖書とカノン法の統治だった。
だが、大乗仏教の経典には、この手の「法規範」が全く存在しない。
この部分は、中華の在来経典(広い意味での儒教経典)の専権だったわけで、
仏教経典とは完全な住み分けだった。
これは東アジア世界共通で、「法規範」としての仏教経典は、記紀にさえ劣るレベルで役に立たない。
埋蔵経典でいくらでも、注入できるので
「手持ちの経典の問題」というのは四川・雲南・シッキム・シェルパには存在しない。
ダライラマ法王庁がニンマ派仏教を弾圧したのは、埋蔵経典を掘り当てることが原因。
>世俗社会を統治するための規範のツール
チベット仏教には、『ペマ・カーたん』とか『チャガン・テウケ』とかあるな。
174 :
世界@名無史さん:2011/01/26(水) 19:24:54 0
>>172がどうして不適切な発言なんだ?チベットに関することは書き込んではい
けないのかい?もしかしてこのスレって中国共産党の監視下にあるの?
仏教は、いろいろな矛盾する経典を抱え込んでおいて
教相判釈して宗派ごとの教義を作り出す宗教です。
>世俗社会を統治するための規範のツールがほとんど存在しない。
教相判釈して、ハルハ・モンゴルも、きっちり『チャガン・テウケ』とか作ってますよ。
ルールに則って教義を導き出し、法秩序も創造できるのですよ。
>175
え?チャガン・テウケで民事裁判とか出来るの?
民事裁判は難しいにしても、刑事裁判(これはどんな社会にもそれっぽいものはある)が出来るのかね?
ちなみに、イスラム教では、経典だけで民事も刑事もできる。
殺人罪の処断から、遺産相続の方法まで書かれている。
キリスト教、カノン法規定は分野が偏っていて、忘れられつつあったローマ法の残骸が活用されていたが、
まあなんとかこなせるレベルにあった。
大乗仏教は、この部分が絶望的に存在しない。
その意味で、「仏教立国」というのは無理。
中世の日本における、大寺院領の庄園は、寺の僧侶たちが実質的に行政司法活動を行っていたわけだが、
使っていたのは在来慣習法と中華古典で、仏教経典はどこにも出てこない。
仏教というのは、埋蔵経典という制度を活用してその都度新しく法を作るのだよ!
ナポレオン法典の流れを組む法律論がとあるモンクによって、発掘された。。という風に、
その時々の法律学の成果を交えて、新しく作る創造の宗教なの!
178 :
世界@名無史さん:2011/01/31(月) 02:47:40 0
頭を留めるものは髪を留めず、髪を留めるものは頭を留めず
179 :
世界@名無史さん:2011/02/10(木) 02:19:32 0
半島だけにとどまらず、勢い駆って満州まで攻め込んだ加藤清正公
その戦いに恐怖と尊敬を覚えた満州族は、清正公にあやかって後に国号を「清」としたのは有名な話
180 :
世界@名無史さん:2011/02/12(土) 03:29:57 0
元明天皇は日本国内では影の薄い感が免れないが、
都を定め、歴史書を編纂し、貨幣を鋳造し、更には律令制を制定するなど
史上特筆すべき事跡は多く、賢明な女帝としての評価は高い。
特に女帝というものの稀な中国にあっては、賢明な女帝のもとで国家が安定的に発展するということが
ある種のエキゾチシズムをもって受け入れられたばかりでなく、
13世紀頃までには東方に棲む女仙のごとく、ある種神格化された扱いさえなされていた。
13世紀に征服民族によって興された王朝、それについで漢民族が建てた王朝が
元明天皇にあやかって国号を定めたのは有名な話。
>>180 ……全否定するつもりはない(明の方は確認できていない)けど
元史本紀第七世祖フビライの所で
可建國號曰大元,蓋取易經「乾元」之義。
って書いてあるのはどう思う?
そこまでマジレスするんなら、全否定しろよwww
>>182 おいおい、ここは世界史板だぜ?
中途半端なネタだったから、どこまでジョークなのか判断に迷ってこうしたんだよ
それに物凄く稀だが独自のルートで調べた真面目な結論でした、なんていうこともあるから
その辺り突っ込みたかったんだよ、ってここまで言わせんなよ恥ずかしい
大学冬厨の活躍期間か……
むしろ易経が元明天皇から名をとったんじゃないかな
>ダライラマ法王庁がニンマ派仏教を弾圧したのは、埋蔵経典を掘り当てることが原因。
2ちゃんねるでは、チベット関係でさりげなく大ウソつく投稿が時折が目につく。
他の分野でもおなじなのかな?
ダライラマは、5世以降(1642年以降)はニンマ派を弾圧なんかしてないぞ。
五世の父ちゃんはニンマ派の行者で、五世ダライラマも、
ニンマ派の師匠から教えをうけてニンマ派の行の奥義をさずかり、
ニンマ派の教義に関する著作もある。
六世はニンマ派の行者で、比丘戒もうけなかった。
14世も、ゲルク一辺倒ではなく、ニンマへの造形も深いし、
モンゴルが人民革命党の一党独裁体制を放棄して宗教の自由化を始めると、
配下の一部にニンマ派布教の使命を与えてモンゴル入りさせている。
「埋蔵経典を堀り当てる」という理由で「ダライラマ政庁」が「ニンマ派を弾圧」したって、いつのできごと?
西暦の年号と、その時のダライラマが何世だったか、おしえて♪
雲南迪慶の中甸/徳欽 四川の理塘/康定/新竜/甘孜 青海の玉樹くらいしか
バックパッカーとして入れないから、いかしかたない。
そっちより東の丹巴とか馬爾康へ行っても実質異民族で仏教信者ではない。
189 :
世界@名無史さん:2011/02/22(火) 23:27:04.36 O
今はヌルハチを初代皇帝に数えるの?
俺が高校で習った時はホンタイジから数えたけど
ホンタイジを教えるとはハイレベルな高校だな…。
中華風の帝号の初代ということで順治帝から数える向きもあるが、
そうではないんだよな。
マンジュシュリーはモンゴリアンじゃないわな
193 :
な:2011/06/07(火) 14:18:20.90 O
文殊師利菩薩様もビックリでございます菅さんには三人の補佐が必要ですな
菅には補佐官が定員いっぱいの5人もいるのに使えないから問題がある訳で
195 :
世界@名無史さん:2011/06/14(火) 13:19:06.98 0
196 :
世界@名無史さん:2011/06/15(水) 22:19:40.41 0
明最後の皇帝は先代の浪費を見てこれはいかんと思い努力して国を建て直そうと
したんだけど、結局最期は山から飛び降りて自殺しちゃったんだよね?
>>196 立て直そうとはしたんだけど、猜疑心が強すぎて名臣功臣を粛清し過ぎてかえって崩壊を早めた
199 :
世界@名無史さん:2011/06/25(土) 15:09:33.53 0
明スレで質問したけど返答もらえなかったんでここで質問します。
慶長の役の蔚山城の戦い1月4日に戦意不足で捕縛された明将李化龍と
楊応龍の乱を鎮圧した李化龍は同一人物ですか?
本人の李化龍伝には文禄・慶長の役に関する記述は無いけど、その当時の上司だった董一元伝にはチラッとだけ書いてありますね。
蔚山城の戦い自体あんまり記述が無いのでなんですが、時系列等々から考えて同一人物と判断して問題無いと思いますが。
回答ありがとうございます
蔚山での李化龍捕縛の記載は
明史にはなく、朝鮮側記録にだけ記載されてるようですね。
朝鮮側の記録にしかないのですか。
百度百科とかで検索しても明史の記述以上のものはありませんでしたね。>李化龍
もしも、彼の子孫が史書編纂に責任ある立場の人間として関わっていたとした
ら、近しい先祖の不名誉な事跡を記録から消し去ろうとしたのかもしれない。
まあ、ただの妄想だけどねw
貴州の楊応龍反乱鎮圧から、李化龍が転戦しているのは奇異。
貴州の戦闘は朝鮮より長引き、李化龍が再び貴州へ呼び戻されている。
戦闘継続状態で戦線離脱したわけじゃないから。
貴州は明の後半から清朝まで生苗が20〜30回も反乱。
清朝が漢字を教えて何とか巡撫工作をした。
明代には南方長城(苗彊辺墻)というのが作られていていた。
207 :
世界@名無史さん:2011/08/28(日) 19:41:15.27 0
あげ
ていうか、
明以降なんかドイツも盗賊ばっかw
清19世紀
日本に本位両依存していたため社会経済が崩壊する。銀ストップ
18世紀末
スデに麻薬が蔓延して、社会経済が混乱崩壊状態。戦争前かよ。くらいのひどい状態。で
相当カオス状態。食料生産なんか日本でいうと5000〜万石(日本の2〜倍)程度で頭打ってた。スデに貧困状態
とイギがいってる。
17世紀
日本に喧嘩うって明がほろんで匪賊がトップになる。そのとき日本と対等貿易結ぶ
そのとき日本の銀依存経済属国になる。
16世紀
日本に喧嘩うって終了
15世紀
日本に穢にだまされて戦争売ってしまう。
14世紀
匪賊がトップになる。このとき日本に、
【この国王承認とか妄想だろ。ヲマエの妄想だろ。しかもヲマエいまだ属国ナシだろ。ヲマエあんまなめてると潰すよ】
とかいわれる。このとき、日本に絶対勝てないから戦うな。と遺言残す。
こんな強盗属国だぞ。むしろ日本の経済、認可、承認ないとやってけないんだから。
承認とかおごりで事実上日本の属領承認ないし、日本がチョン領有認めますよ承認
にしかなってないだろ。
清ピークの歳入が
銀1280トン これが日本両単位に換算するとたった800万両
たった日本のGDPの8パーセントしかない
日本の歳入は全合計で1500〜2200万両以上はあった。
ぶっちゃけ全く比べ物にならないよ。超弱小。
日本のGDPの3割くらいの超弱小国家。
歳入がたったピークで800万両しかないとかなんだよwプゲラw
当時のインド以東の経済は、日本産の金銀で成り立っていたのだから、
比べること自体が変ではある。
それと、戦になったのは明が喧嘩売ってきたというよりも、当時の武士は
現代人よりも更に現代的なところがあったので、「日本の金銀で経済が
成り立っている地域は、当然自分達の支配下にあるべきだ」と考えたから。
そういった当時の常識から考えれば、貧乏国は戦わずして平伏するだろう
と思っていたのだけれど、何故か狂信的抵抗をしたから驚いただろう。
現代人がイスラム原理主義者に対して感じる不可解さと、似たようなもの
だったかもしれない。
金銀があっても、それに見合う消費財が供給されない場合は
インフレ社会でしかなく貧乏このうえない。
日本がインフレならば、金銀は明清に流出していってしまう。
何かを明清から買えば、とんでもない「外国為替レート」元高円安で金銀が流出する。
マネーサプライが滞るので、景気が悪くなる。
すると改鋳をするのだが、さじ加減を間違うと、インフレになる。
金融ってものに音痴だと、とんちんかんなレスしか出でこないのじゃ!
>>210 >当時のインド以東の経済は、日本産の金銀で成り立っていたのだから、
銀はともかく、金を輸出できていた期間は短期間だろ?
213 :
世界@名無史さん:2011/11/16(水) 09:31:50.45 0
この明が朝鮮の国号を選んでやったという文章は何に載ってるの?明史?
「大臣李成桂廢王自立 “朝鮮和寧等號奏請” 明朝,明賜李成桂為朝鮮王,王氏高麗於是改號朝鮮」
にしても明の末期はトンでもなかったな。
1 事実上農民、卑属、丁稚が王になる。
2 調べてもいない。事実関係もないのに、いきなりチョン海賊を日本にスケープゴーとして攻撃
文書的報復でそんななめたこというと報復して殴り殺すぞ。といわれる。
3 やむなくぶっちゃけ自称武家の頭領で領土もってないものを王に認定←その返しでシナのチョン直接領域を認める(これはどうあってもさくほうにならないんだよな)
4 その後シナ、日本人によるクーデターが起こる。眼前まで刀が迫ってクソびびる。
5 日本とだけは戦ってはいけないという遺言書を残す。
6 チョン鎮圧業務が潜在してまかされたのに、チョン海賊鎮圧できない。チョン海賊支持して、日本侵攻を画策する。
ボコボコに殴られて、仕方なく、半島南部の港を貸与する。有名な三浦割譲
7 それ以降シナは経済がふるわなくなる。日本は経済が栄えていく。
8 マジ布した日本にじゃまだから振る簿っこされる。そのとき相当ビビッてらしく、びびった。絶対勝てないとかいう文書が後世残る。
9 有名なシナ人 鄭 李旦 王直とかのシナ人海賊を日本海族〜とかいう。シナ海賊、明海賊であることがバレル。
と最初から最後までしっちゃかめっちゃかだったな。まともに政治的な采配も政策も(伝統的だが)一切なくてボロックソになる。
10 最後はシナ海賊に助けてもらう。
1 最初から最後までまともに事実確認、できない(情報がごみすぎる)
2 最初から最後までまともに外交承認、交渉できない。 典型的なシナ社会にいる丁稚
3 経済では大失敗する
4 最初から最後まで一切周辺鎮圧できない。
と最低レベルだったな。最後まで最悪だったよ。
清の場合。
1 日本に最初から対等貿易(厳密な対等貿易ではない) をしようという
日本はスルーモードだったが、貿易提携。尚すでに当時レベルからシナくっそぶんど低いとしってた。
2 17世紀に明残党、海賊を征伐する。これで海賊があらわれなくなる。
3 周辺侵略と討伐を繰り返す。少なからず何気に周辺事態は多少安定する。?
4 経済政策が例によって失敗しはじめ(というより何かしら事業投資でもしてないと赤字らしいねw)
崩壊はじまる
5 ばかげたアヘン権利をかけたアヘン戦争はじめる。大敗する。
6 GDPはアヘン戦争前後ですらあれでピーク。しかしのGDPは金銭ベースで事実上薩摩の10倍ないし薩摩の全借金分しかない。GDPで
江戸800万両>>薩摩の借金500万両>>明500万両>>大阪200万両>>薩摩20〜40万両
しかないwくっそ低いよ。
7 たった2億テール 事実上1000〜2000万両
だけの金払うだけで国家破綻。日本のGDPのたった5文の1なのに、シナはどれだけ経済弱小なんだ。薩摩4倍の借金で破綻するのはおかしい。
違った。
たった2000〜3000万両弱だ。
ついでに2億テール3.5億とかわけのわからない試算があるが、
当時の貨幣水準だと
1テールたった1.17円とかだぞ。どうあっても2.3億くらいだぞ。小銭でびびるなよ。たった2300万両くらいなんだから
もともと、シナってのは、日本侵略しようと思ってた国だけどね。
ただしその原因性の大半はほとんど、経済関係。日本に経済を依存してるのがわかってない。
力関係。日本に軍事的に劣ってることに気づいていない。からくるカン違いだけどね。
そして
元は、シナが地域を支配できなかったことからおきた。地域管理能力不足(支配力、地域征伐力不足)からきた氾濫
明は最初日本に恫喝をほのめかしたが、使節が斬殺される。その後、日本に軍事的におとり、恫喝されるような状況で、
明周辺域の支配権を任命される。そのとき日本国王を事実上承認する。
さくほうなんてのは法律でも制度性でもなく、シナの妄想≠ナあって、当時でも指摘されてる。このちょうけんってのはシナの支配性の確立っていうよ、制度的に確立されない、自分の妄想でしかないんだよな。シナの汚点
で、日本が多少まぎれる明クーデターでクソびびりまくって、日本と戦っちゃいけないと遺言wびびりすぎ
そしてその後、その遺言忘れて尚、【アレ?シナさくほうしたのに下長しないとかおかしくね?】とかカン違いモード。しつこくつきまとう。
そしてその後、いったん国王やめるわーとか恫喝とかなる。
でその後明白に対馬侵攻ほのめかして、海賊ブロパガンダして侵攻、その時対馬に征伐されて。対馬侵攻はあやまりでした。チョン海賊でした。お詫びにチョン領土割譲認めますとかいって、
三浦割譲。
ところがその後、その約束反故にされる。
そしてその後、明海賊、明寇、王直などの海賊、鄭寇などを日本海族とブロパガンダこのころになると意図的にやってるよね。
そしてシナはいまだ周辺地域安定できないで、海賊とかブロパガンダするんで、明征伐。
すでにそれまでの政治〜社会的やりとりで日本侵攻してるから、十分征伐の報復権もつんだよね、かつ日本侵攻は常に潜在的にほのめかしてるし。
そして日本が明をつぶして地域安定。清は国力的地位などを間違えず。かつ日本を過小しなかった(当時)から成功。
おかげで後に日本から銀をたくさんもらえるようになる。
日本が明らかにバランスオブパワーとして機能してる。
つまり明のカン違いから〜ないし元から始まった不透明な周辺状況は明らかに明征伐で安定するんだ。
厳密には少し違うけどね。
でその後清もそれ繰り返し。
チョンが暴れて、シナが暴れて、しかもその時、
歴代の日本と戦っちゃいけない〜を無視して日本侵攻画策。しかもこのとき日本から膨大に銀買ってるのに(輸入超過)力関係わかってないんだよね
で失敗。結局その後地域は日本が勝って安定。バランスオブパワー(それ以後の大陸本格進出は評価しない。あれでバランスがおかしくなった)
で、その後、日本がつぶれても、それでも尚シナ支配権は実質獲得ならず。いまだに、経済軍事の日本が潜在的なバランスオブパワー。
誰が見てもたびたび日本侵攻画策して、地域安定なしで日本に征伐されて地域安定の繰り返し
あるいは、
自分の侵攻主義からぬけれない、妄想、驕りの塊の丁稚が驕り的通年【さくほう】
からぬけれなくて、それのみに固執し大敗退して失敗する歴史しかない。
黒龍江省は、少数民族特権ほしさに朝鮮族登録しているのではなく
ほとんど、朝鮮語と漢語のバイリンガル家庭の子のはずなのだ。
本貫を聞いてみるといいかもね。
224 :
世界@名無史さん:2011/12/24(土) 23:00:51.10 0
あげ
225 :
世界@名無史さん:2012/02/17(金) 12:59:18.82 0
ネタ切れ?
226 :
世界@名無史さん:2012/02/29(水) 21:36:55.63 0
辺境といえど近代化に抵抗したわけでない
四川雲南はフランスの影響下のベトナムのハノイから
近代化への強い渇望があった
紅河ー玉渓ー昆明から楚雄や大理麗江から金沙江へかけて
土司地区などはミニエー銃の導入が盛んだった
満州族や湖南貴州を軸にみても
全てを俯瞰しきれないのが難しいところ
もしわかる人いたら、
方以智と、薫説、アダムシャガールあたり解説お願いできませんか?
訂正
アダムシャール
>>230 ありがとうです。
アダムシャールって、当時最高レベルの人だったんだってよ。
なんかスレが寒いね。
人気ないんすかねこの時代
万暦帝の時代ですからねw
234 :
世界@名無史さん:2012/05/19(土) 15:14:09.56 0
>>232-233 明清代史研究の醍醐味は、檔案(同時代史料)を用いた行政過程のリアルな復元、
徽州文書のような史料を用いた社会史研究にあり、
近年、そうした研究成果が多く出ている。
それにもかかわらず、明末清初に関する話題がまともに出ていないのはおかしい。
何よりも、2chにおける朱元璋のヨイショぶりは異常だ。
朱元璋をやたらとヨイショする某スレのお陰で、
同時代史料、研究成果の蓄積ともに充実している明末史をまともに語る環境が形成されずにいる。
「朱元璋、永楽帝を手放しにヨイショする」、「君主独裁体制礼賛」、
「暗君続きだから明代中期以降は語らない」、 「皇帝ばかりに注目して官僚以下の階層は無視」など、
「朱元璋スレ」がつくった弊害は甚だしい。
元末明初と比べると、割と整然と事が運んでいる印象があるな。
あの時代は本当にカオス。
238 :
世界@名無史さん:2012/08/02(木) 21:27:55.88 0
>>228-230 明末清初来華のキリスト教宣教師については、
矢沢利彦『西洋人の見た十六〜十八世紀の中国官僚』(東方書店、1993年)など、
矢沢利彦氏の一連の研究を参照するとよい。
239 :
世界@名無史さん:2012/08/03(金) 01:06:38.34 0
まだアジアが世界に通用していた時代だな このへんからヨーロッパに
ぶっちぎられたんだが何が原因なんだろうな?
240 :
世界@名無史さん:2012/08/03(金) 02:10:27.71 0
明末:
鼠疫、旱、澇、小冰河期
李賊、滿洲人
三藩の乱で、清朝に叛いた呉三桂政権が発行した貨幣は、
古銭市場ではやたら量が出回ってて安い(100円とかで買える)。
どのような背景で、そんなに発行され流通したものだろうか?
耿精忠政権のそれはそこそこ稀少価値あるんだけど
(尚之信政権は発行せず)。
242 :
世界@名無史さん:2013/01/17(木) 19:36:52.16 0
袁崇煥の処刑はもったいなかったな。
崇禎帝はやることなすこと全て裏目に出た。
何もしない方がマシ。
やる気のあるバカは始末に悪いってか
でも有能であったとしても先帝達の負債が大きすぎてどうにもならんか
>>244 我が国もちょっと前までそういう総理大臣がいたなww
明を滅ぼしたのが清だと思っているやつ、大杉。
たまには李自成や大順のことも想い出してやってください。
映画レイダースで、なんでヌルハチの骨をあれだけ一生懸命求めていたんだ?
関係する伝説なんてあったっけ?
248 :
世界@名無史さん:2013/03/06(水) 22:40:36.07 0
多分、織田信長が本能寺を抜け出して大陸に渡ってヌルハチになったことを証明するため
249 :
世界@名無史さん:2013/05/02(木) 08:29:21.52 P
マンジュ国とアイシン国
test
マンジュシュリー まんせー