三国時代を統一した晋の生き残りについて。
テキスト 大唐帝國 宮崎市定著
司馬懿って幾多の群雄が争った挙句に曹爽一味を始末しただけで天下とった糞虫だよね。
石虎がいっているな。
劉邦なら直ぐに馳せ参じ家来になる
劉秀なら一戦してみる価値はある。
曹操なぞ、漢室の衰えたのを見越して乗っ取っただけ
司馬懿に至っては、曹一族と皇帝が子供なのを見越して押しのけたネズミだ
司馬一族の晋建国してからの劣化具合は異常。
士大夫階級だったというのになんであんなに
ひどい事になったんだろ。
市定氏の推測は、多分に異民族の血が混ざっている軍人階級に問題がとかあったな。
まあ、それは西晉以後の話しだけど。
>>6 有名人じゃん
なんか石虎って誰だったかなーと悩んでたYO!
まあ劉邦も戦国時代真っ只中に生まれていたら、箸にも棒にもかからずにやさぐれものとして
生涯を終えたろうな。 秦末に生をうけて韓信や肺(字でない)の同胞を力で孺子項羽を倒した8年で
天下とっちゃうのだから。 巡り合わせというものもあるのだろうな。
>>4 3世紀はまだまともな奴も多いよ。
でも3世紀の末に絶滅する感じだな。
あとはやっぱり権力構造が狂ってた(恵帝)ってことだろう。
政権が安定してれば、皇族もそれなりにまともに役割を果たしたと思う。
11 :
世界@名無史さん:2010/09/11(土) 13:47:11 O
なかなか南には英雄性を持つ人が出にくかったようだね
曽国藩、林則徐、孫文、蒋介石まで待たないと出てこないな。
中共だと彭徳懐か。もっと内陸までいってよいなら龍雲、盧漢も入るかな・・・
なにいってんだ 朱元璋が文字通り「南」から天下統一した英雄だろ。
戦国七雄の魯国地域出身というのが微妙な位置だな
首都圏でもない近畿圏でもない三河みたいなビミョーさがある
ああ、あるねえ。
王導・陶侃・ユ亮・祖逖・謝安とか名政治家・名将が引っ切りなしに出てくるんだけどねー
あと桓父子も
何もかも司馬道子が悪い
>>16 毛沢東の先祖もたしか朱元璋の配下だっけ?
王導とユ亮って名政治家か?
人格は高潔でも能力には疑問がある。
>>19 おっしゃる通り名政治家より「当時を代表する政治家」の方が正しい表現かな。
普段仲悪いし
21 :
世界@名無史さん:2010/09/13(月) 05:39:29 0
また分裂しちゃって領土を半分失いましたとさ
終わり
司馬道子=秦檜
謝安=岳飛
それとは違うじゃろ
宰相ではなく皇弟だもん
こまけぇことはいいんだよ 野暮天はしんどけ
後の時代の岳飛のほうが、知名度が高い。
26 :
世界@名無史さん:2010/09/13(月) 21:22:28 0
恭帝は最期は確かに悲惨だが
劉裕に「自分に王室恢復の野心なんかないよ」と媚びるために
自分の后妃が妊娠すると中絶させていたって本当なの?
なんか同情する気を無くした。
宋の創作にきまっているだろ
前政権の正当性を否定する為に池沼だったとか、淫虐だったとか、まじないかけたとかよくあるパターンじゃん。
28 :
世界@名無史さん:2010/09/13(月) 21:37:12 O
劉裕の誕生時の瑞祥って何だっけ?
どの権力者もこんな話が出てくるよね
宋なんだ
>>28 「始生之夜、有神光照室、其夕、甘露降于墓樹」
宋書符瑞志ね。南史だと武帝紀に載ってる。とくに珍しい内容でもない。
万能薬もってたっていう方が珍しいかなーとか思う。
31 :
世界@名無史さん:2010/09/14(火) 14:08:09 O
南朝ではあまり異民族出身者は出世しなかったのかな?
陶カンの他には段氏の一族がいるくらいかな
32 :
世界@名無史さん:2010/09/14(火) 14:11:43 0
明清でいえば朝貢国に相当するので
二品官待遇があたりまえじゃ
>>31 武陵蛮は長裙苗族か果雄苗族であるらしいな
長裙は西楚の末裔らしいので、陶カンは項羽の流れをくむ西楚旧王族かもしれぬ
>>1 >テキスト 大唐帝國 宮崎市定著
早速アマゾンで買ってみた。
まだ読んでないけど、パラパラ見た感じでは
東洋史の人間ではない自分にはこれから先、重宝しそう。
自分は三国志ファンで、最近、晋書を読み始めたばっかりなので、
南北朝も隋唐も全然知らないから。
ただ、そんな俺でも突っ込めちゃうところがチラホラなのはどうなんだろう?
分かりやすく簡略に書こうとしてウソが混じるならともかく、
ちょっとこれは間違って理解をしているのは、と思うところがある。
「賈皇后の暴虐なのを見かねた一族の長老、趙王の司馬倫」という記述はあり得んでしょ。
そう言えば、以前に陳瞬臣の「中国の歴史」を図書館でパラパラ見たら、
八王の乱がばっさり簡略化というか、調べてないから省略、みたいな雰囲気がプンプンで驚いたことがあった。
まぁ、政治史の細部は学者にはそれほど重視されないのかも知れないが。
おいおい陳舜臣は学者じゃねえぞ。学生時代の専攻も歴史学やってないしな一般教養課程でとったぐらいのものじゃないか?
司馬と大して学歴かわらんよ。
あの人はそもそも推理小説家出身だし、あんまりこういう言い方は好まないが通俗小説の人だから、読者にとって興味あるかないか
あからさまにいえば本が売れるネタになりえるかなりえないかで題材の取捨選択しているんじゃないの。
>>35 分かりにくくてスマン。
学者の部分は宮崎氏のことね。
いちさだたんは、わかりやすく中国中世の時代の歴史に対する
入門的な本を書いたわけだな。<後漢より宋まで
しかも初版持っているが、当時は580円だった(価格
今ははい、ボロボロです。 とりあえず初版にはご引退で
最近のを買う予定。
大唐帝國での見所
税制の話→唐の税制が変質化し屯田になっていることを指摘。
九品官人法の話
北魏と、その武川鎮の話
三国時代は裏返せば実は貴族外交の世界だった(劉備が何故地盤を持てなかったか
南朝貴族制を日本の宮廷と比べながら説明(浮き上がっていく流寓貴族) 文化も説明。
熟蕃とは何か。 北魏の皇帝に混ざる中華民族の血の率を表で
経済の不景気好景気を古代中世に当てはめてみるのはどうか
つうかなり野心的な部分も多い。
宮崎市定、内藤湖南あたりは神という教育を受けました。
40 :
sage:2010/09/16(木) 21:53:07 0
>34
陳さんの本じゃ、八王の乱については小説十八史略のほうがもう少し詳しく書いてあるぞ。
勿論かなり小説化・簡略化してるけど、少なくともある程度ちゃんと調べているのは分かる。
まあ、概説で八王の乱を一々細かく書いても仕方ないからな。本質的な原因とか異民族の
台頭のほうが歴史的事象としては重要だし。
宮崎先生もその辺端折って趙王の大義名分だけで済ませたというだけか、細かく解説する
必要感じなくて、チェックが甘かったかもね。あの時代だと先生の関心はやはり九品
官人法なんかの制度史のほうにウェイトがかかってるだろうし。
久しぶりに書き込んだらsageの欄間違えたw
42 :
世界@名無史さん:2010/09/17(金) 08:36:07 0
漢→魏→晋→宋
南北朝最後の陳までいくとなんでそれまで南朝が漢族正統政権っぽくみられてきたのに隋唐になると漢族政権ぽく
捏造されるのだろう。政治的事情なんだろうか。どう見ても鮮卑系拓跋氏が支配階級なのに。
鮮卑族政権を前面に押し出した北周との差別化、旧北斉に多かった漢族
名家への配慮、旧南朝も含めて圧倒的多数の漢族や他の胡族等、支配下
の民衆の統合のため・・・隋唐政権が漢族政権を名乗る理由は色々考え
られる。
漢族というよりは中華正統政権を看板にするには、漢族出身と
したほうが都合がよかった。
文字を持たず持とうとしなかった民族は漢化が早い。
そういう民族にとっては豊かになる=文化を向上させる=漢化だから。
所詮東胡というか、楊貴妃を息子から奪った玄宗皇帝の故事をみても、
塞外民族っぽいティストは後世になっても残しているよね。
子の妻妾を奪うなんて事は生粋の漢族ではちょっと有り得ない発想だと思う。
曹魏の曹丕が曹操の死後に後宮の女性を自分の後宮に移して生母が人倫に
背くと批判したような事はあったけれどもね
>>44 唐王朝は、その辺のしがらみを武后の粛正で取り除いてスッキリしているからな
大唐帝國 367頁 身軽になった王朝
それに比べると、唐王朝はかなりおおらかのような<玄宗皇帝
>漢代には近親相姦で国替えされた王
誰?
>>49 見せしめが必要なくらいやってたってこと。
漢人は儒教倫理の内面化に失敗したんだよ。
今の中国でも売春婦は市中引き回しみたいな屈辱にあうのに
売春行為はぜんぜんなくならない。
麻薬の取引も極刑ものなのに麻薬は蔓延している。
前漢武帝晩年の失政の最大は、ふこの変だったかな。
人形埋めて呪うので何とか、
54 :
世界@名無史さん:2010/09/17(金) 21:36:56 O
太子を廃したりしたことかな?
でもこの話題はスレ違いだな
>>52 そんな論理ならどの刑法も当てはまるぞ。刑法がある所はみな無法国家になる。嫌中は
構わんが余所の板でやってくれ。
そんでそれは置いておいて、張家山漢簡なら漢初だから正確には儒教国家以前だな。
儒教は元々漢族社会の祭礼・文化を思想化させたものだし、伝統的な生活習慣として、
近親相姦はおろか同族・同姓とも結婚を許さない同姓不婚の原則がある。
それを破れば人倫を犯すとして極刑くらいはついてもおかしくないな。
もともと棄市って人倫犯した者に対する極刑じゃなかったか?うろ覚えだけどね。
57 :
世界@名無史さん:2010/09/17(金) 23:11:54 0
どうでもいい王朝語ってむなしくないのか
お前らは
しかし北府の軍ってどういう組織だっったんだろうねえ。
>>55 漢人と楚人は元々いっしょじゃないよ。
楚人の掟のほうが優位になったんだよ。
60 :
世界@名無史さん:2010/09/17(金) 23:56:42 0
だからむなしくないのか
テメエらは
61 :
世界@名無史さん:2010/09/18(土) 00:05:19 0
>>57 じゃあどうでもよくない王朝って?
大晋万歳。
>>55 たとえば禁固や懲役は「見せしめ」にならないから公開銃殺刑にする。
死体の写真を警察の外に貼ってさらに見せしめ。
こういう選択の仕方を見てなんで「刑法」全般批判と読めるのか、
その思考回路に論理を見出せないんだがw
知中家はそういう所もひっくるめてあの国に惹かれるのだよ。
ピュアな感性でなんでも受け入れすぎるとこっちの常識がやばくなって
日本社会に迷惑だから媚中もほどほどにね。
63 :
世界@名無史さん:2010/09/18(土) 07:19:25 0
晋が好きってどういう感覚してんだ?
駄目な子ほどカワイイ
65 :
世界@名無史さん:2010/09/18(土) 14:31:42 0
>>48 則天武后が評価されてるのって
女だからということでやさしく甘く評価されているだけのように思えるな
66 :
世界@名無史さん:2010/09/18(土) 14:54:42 0
晋は戦乱の始まりの王朝だから重要
67 :
世界@名無史さん:2010/09/18(土) 15:10:37 0
呉を滅ぼした280年から司馬倫が賈皇后を殺して即位する300-301年までわずか20ー21年しか戦乱がおさまってないよなあ。
実質黄巾の乱から589年の陳滅亡までずっとずっと戦乱のターンだったような・・・。
なあ、仲達の子供たちーつまり、司馬師、司馬昭の同母弟に当たる、平原王 司馬幹って司馬師、司馬昭生んだ後に
仲達が側室の伏貴妃に寵が移ったあと、何年もご無沙汰で春華が42の時に生まれた子だから古女房と久しぶりに義理マン
やったら子が出来た!とい感じアリアリだよな。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BC%B5%E6%98%A5%E8%8F%AF 張 春華 189年 - 247年とあるが、司馬幹が生まれたのは
子女
1. 景帝 司馬師 (母:宣穆皇后)
2. 文帝 司馬昭 (同上)
3. 汝南文成王 司馬亮 (母:伏貴妃)
4. 瑯邪武王 司馬? (同上)
5. 清恵亭候 司馬京 (同上)
6. 扶風武王 司馬駿 (同上)
7. 平原王 司馬幹 (母:宣穆皇后) →231年出生)42歳の時の子
8. 梁孝王 司馬? (母:張夫人)
9. 趙王 司馬倫 (母:柏夫人)
つまり、42歳の時の子なんだが
ちなみに、231年というと・・・・
http://www15.atwiki.jp/soutoku/pages/118.html 九年春二月、諸葛亮はまた軍を出して祁山を囲む。初めて木牛を以って運搬する。魏の司馬懿?張?は祁山を救援する。《三国志蜀書後主伝》
夏六月、諸葛亮は食糧が続かず軍を還す。張?が追撃してきて青封で交戦となり、矢に当たって戦死した。《三国志蜀書後主伝》
秋八月、都護の李平が廢され、梓潼郡に流される。《三国志蜀書後主伝》
とあるから、蜀漢の第4次北伐の祁山攻防戦の時だよな。
おそらく、第3次北伐後、久しぶりに家にかえるや否や伏貴妃と臥所を共にしていると、古女房がヒステリー起こしてなだめすかして
久しぶりに致したら子が出来たと謂う所だろうか。
それとも、第3次北伐撃退でまたしても諸葛亮を破ったと意気軒昂と凱旋した勢いで久しぶりに作ったものかと想像してみるテスト
ちなみに司馬駿は伏夫人の腹だが。232年に産まれているらしい・・・・ちなみに230年頃司馬懿は50前後。
孔明と北伐戦っていた頃は公私共に気力充実しているのが伺える。
1子しかもうけられず、50代で死んだ孔明とは大違いだな。
司馬懿は子11人成した。
脂ぎったオヤジだったんだろうな。
司馬駿で終わりにしておけばな。
下の二人は余計だったろ。
あまりいいたくはないがその2人だけ他の兄弟と母親の腹が別なんだよな。
畑がわるかったということか。
世説新語おもしれー
>>69 なるほど。
関係ないが俺の陶の弟は、母が41出産の子だ。
歳の差は23
78 :
世界@名無史さん:2010/09/19(日) 08:52:18 O
王敦〜桓温〜桓玄
どこで東晋が滅びてもおかしくなかったね
桓玄で実質的に滅びたがなかなか粘り強い
能力 人格 野望
司馬師 8 6 9
司馬昭 8 7 8
司馬亮 6 7 5
司馬伷 8 8 4
司馬京
司馬駿 8 9 3
司馬幹 4 7 1
司馬肜 5 5 6
司馬倫 5 3 9
80 :
世界@名無史さん:2010/09/21(火) 17:14:56 0
司馬
東晋って司馬懿の子孫が立てた王朝だけど、諸葛誕の娘が皇后だから諸葛氏の子孫(孔明の族弟I)の王朝でもある。
諸葛誕自身は司馬師にぶち殺されたが。
82 :
世界@名無史さん:2010/09/21(火) 20:43:06 O
諸葛誕の外孫か何かにあたる宗室のひとりは、誕を裏切った文オウを殺させたりしてるからそんな意識が微妙にあるのかも知れないね…
諸葛誕の三族は皆殺しになったはずだが、東晋の元帝は誕の孫だよな。
当時の三族皆殺しは結構例外が多い。
賈充の前妻(李豊の娘)も配流→復活してる。
その娘は斉王・司馬攸(司馬炎の弟)に嫁いでるほど。
>東晋の元帝は誕の孫だよな。
曾孫だと思う。
>>81 皇后ではないよ。
85 :
世界@名無史さん:2010/09/21(火) 23:44:19 O
晋書見ると辺境の部将クラスでは正史にアザナが記されてない人がいるが、混乱期とかで資料が残らなかったりしたんだろうか?
異民族出身者でも記載してるから、わかれば記載したんだろうけど…
八王の乱、永嘉の乱で猫もへちまも殺されまくったからな。
つか、華北は塞外民族だらけになっただから漢人より異民族出身者の方が記録そりゃ残るだろうな。
残っただけマシだったと言うべきか。
劉禅や孫亮の子孫などもほとんど殺された。晋の国家崩壊状態がどれだけ凄まじいモノかわかろうというもの。
貴族層ですらこれだから、華北に残った漢族はかなりすりつぶされたんじゃないか。
塞外の連中が野蛮から抜けだして次第に漢化=文明化していく過程はローマ帝国の崩壊に相通じるものがある。
華南では六朝文化が花開いたけど、華北は漢人にとっては地獄だったろうな。
国家の庇護を失った民衆がどうなるか、俺達も60年前に大陸や半島で経験して想像出来るだろ?
俺達日本人も、過半数が突厥・鮮卑や羌の子孫らしいからなー
まぁミトコンドリアは語るといったところだ。
南朝漢人の血なんか受け継いでいないし、同時に旧石器時代からいるやつも極めてすくない。
沖縄人は長江の河姆渡良渚の人達とミトコンドリアD-Loopが同じタイプのが多いから
一応南朝漢人の血統ではあるわけだ。
>>88 南宋の朱子学誕生は晋の国家崩壊に根っこがある
91 :
世界@名無史さん:2010/09/22(水) 23:24:13 0
一言も近代なんて言ってないけどねぇ。
漢化=文明化をどう履き違えたものか知らないけど、文意汲みとる練習不足しているんじゃないの。
93 :
世界@名無史さん:2010/09/23(木) 00:54:14 0
国家の庇護ってのが4世紀では違和感あるのう
何も難しく考える必要はない。司馬一族が政争、戦争に熱中せずに
塞外民を国内に引き入れる愚をおかさなげれば歴史は大きく変わっていた。
まあ、どとのつまり、指導力皆無の恵帝を更迭できなかった司馬炎に遠因が
あるのだろうが。
もともと曹操が匈奴鮮卑を軍団に引き入れたり
諸葛孔明が蜀州や鄂州の氐羌に依存したり
三国の頃から動きがぁゃιぃ(*゚ー゚)
96 :
世界@名無史さん:2010/09/23(木) 01:31:55 0
>>88 貴族層ですらっていうか、貴族層だからじゃないの。
それにその二つはただの貴族ではなく、君主に擁立されうる貴族だろ。
>>93 日本と違い、都市国家から発展した歴史を持つ中国では、都市国家同士の戦争の歴史を持っている。
城塞の中に民衆を入れて攻城戦する
思想が戦国時代からあった。負けたら邑ごと奴隷にされるということも珍しくなかったからな。
漢王朝という統一政権の時代を経ているとは言え、国家が領民を庇護するといった考えは
そんなに違和感がないと思う。
>>96 司馬氏も琅邪王家以外は一族ほぼ殲滅されている。
陸遜なんかの子孫もほぼ絶えた。
長江をこえられた貴族層はほんの一握り。
おそらく難民も何十万もでてかなり悲惨な事になっていたろう。
東晋という形で復興したの奇跡といってもいいぐらいだ。
建業や准安って長江よりも北じゃないのか?
100 :
世界@名無史さん:2010/09/23(木) 01:52:52 0
洛陽とか鄭州のあたりって輪作障害や気候変動の影響で
草木性の雑草草原になってしまって
牧畜兼業で畜乳を得られた胡族以外は餓死したんじゃね?
それにあんまり羊や牛を増やされると疫病が流行って
えらいこっちゃになったのでは?
胡族は遊牧専業ではないから、民牧草撒いたり、牧草のサイレージやったり
何とか洛陽・鄭州に踏みとどまれるし、疫病に対する耐性がありそうだ。
血が濃くなり過ぎたから薄めたという考え方もあるな。
歴史という物に意思があるなら。
>>98 司馬の王族なら、五胡の侵入より以前に、八王の乱で絶滅した系統も多い。
陸遜の孫が死んだのも八王の乱。
あとは、行軍中に司馬越が死に王衍が率いた軍(皇族多し)が石勒に一網打尽にされたこと、
洛陽から逃げた皇族一団が石勒に捕獲されたことが大きいだろう。
でも、東晋まで続いた血筋もそこそこあるよ。
それに石勒は君子営という漢人主体のスタッフチームを作ったし、
慕容鮮卑を頼った漢人も多い。
>>101 元帝の父祖、つまり自分たちの血統上の祖先を祭る人間が必要だから、
皇族の中で血統の近い者を琅邪王に封じたということだと思う。
で、直系が途絶えれば当然、その血統の近い琅邪王が皇位を継ぐことになる。
106 :
世界@名無史さん:2010/09/25(土) 12:40:09 O
鉄弗は匈奴と鮮卑の混血だそうだが、他にはそうして別名のついた例はないのかな?
107 :
世界@名無史さん:2010/09/27(月) 19:32:17 0
質問スレで
505 名前:世界@名無史さん[sage] 投稿日:2010/09/27(月) 19:13:14 0
東晋の北府軍のルーツは祖逖の軍団、西府軍のルーツは劉弘から陶侃に引き継がれた軍団と考えて正解ですか?
と質問がきているぞ 答えてやれや。
答えてきた
ご苦労。 後世、過去ログを見る人用に答え転載しておく
507 名前:世界@名無史さん[sage] 投稿日:2010/09/27(月) 20:14:23 0
>>505 祖逖系の軍団は後に反乱を起こしてるから、直接の北府軍の起源は郗鑒の軍団
になる。
西府軍は劉弘から陶侃に軍団が引き継がれてるかどうかはなんとも言えないが、
陶侃が劉弘の元部将である以上、陶侃軍に劉弘系の将兵はいただろう。
陶侃の軍団が西府軍の元なのは間違いない。
陶侃も郗鑒も東晋政府に軍団の後継者の選定を委ねていて、そこから北府、西
府が出来てくる。
劉弘死後、陶侃が赴任するまでに荊州・江州の権力構造が
何度も変わっているから、劉弘はルーツとは言えないだろうな。
良く解らんのだけど、なんで北府、西府で別々に軍作戦するんだ?
両軍協力しあえば中原奪還できたんじゃねえの。
西は四川再制服して北上し、華北の政権とも戦ってきたんだろ。北は泗水の戦いなど
100万とも号する軍勢を撃破する力あったのにね。
ま軍閥みたいなものだろうけど。
112 :
108:2010/09/28(火) 05:29:23 0
>>111 西府は成立からしても東晋政府とは一線を画していて政府内政府みたいな所があ
るからな。北伐は桓温の個人的政略によるもので、この頃はもう東晋も南方政府
として固まっちゃっていて北伐を積極的に行う意思がなかった。
それに桓温はあくまでも西府の頭であって、北府を統括する権限がなかった。
北府は東晋末までは何とか建康政府のコントロール化にあったけど、上述のよう
に政府に積極的に北伐を行う意思がなかったから動かなかった。
あと、東晋は西府、北府、地元豪族、北来貴族と色々なパワーのバランスの上に
立っていて、そのバランスを取るだけで一杯一杯で、北府・西府双方を統合させ
る力はなかったんだな。
全くその時代はおもしろいねえ。
今とあんまし変わらん構造な気もするから特に。
114 :
世界@名無史さん:2010/10/02(土) 15:10:24 O
前燕や前秦の間で反復を繰り返した張平って、どんな経緯であれだけ力つけたんだろう
晋王朝からの官位受けてたようでもないみたいだし…
>>114 張平は、後趙の太守で冉閔の乱で生き残った数少ない
有力太守の一人だね。
娘婿で養子となった張[虫毛]が前秦に仕えて有名やね。
116 :
世界@名無史さん:2010/10/03(日) 09:04:28 O
>>115 どうもです
四方から攻撃されないような地方に拠ったのが良かったんでしょうかね
張【虫毛】は苻丕の代になってから高位に登ってるけど、一将軍の頃みたいな活躍は出来なかったみたいですね
宋
http://logsoku.com/thread/kamome.2ch.net/whis/1286292385/ .. :.. __ ..
. + |: |
|: |
.(二二X二二O 南朝スレは短命にゃ。。。
|: | ..:+ ..
∧∧ |: |
/⌒ヽ),_|; |,_,,
_,_,,_,〜(,, );;;;:;:;;;;:::ヽ,、
" "" """""""",, ""/;
"" ,,, """ ""/:;;
"" ,,""""" /;;;::;;
東晉王朝は滅ばぬぅぅぅ
119 :
世界@名無史さん:2010/10/30(土) 23:55:17 0
西楚は滅ばぬぅぅぅ
121 :
世界@名無史さん:2010/11/13(土) 18:32:06 0
おいなんか話題ないのか 全然不人気じゃねえか
自由惑星同盟って東晋がモデルで良いのかな?
ここまで外征(北伐)がグダグダな政権も珍しいと思う。
外征出したら、中央で政治闘争により補給をサボタージュするなんてクズすぎるだろう。
「中央との意思疎通を欠いた」とかってサラリと流すなよ、晋書
123 :
世界@名無史さん:2010/11/13(土) 19:23:38 0
晋書って出来悪くね? オカルト書かと見紛うような記述ばかりで
大唐帝国がよくこれだけ変な代物を世に出したなと謂うわ。
もしかして神仙思想に被れた李世民がオカルティストに変な逸話
いれまくったんだろうか。
>>123 実は読みやすい?(世説新語とかの影響かもしれないが)から晋書は好きな方だったりする。
時系列も意外と追いやすいしね、三国志ほど混乱も見られないし。
ただし、戦争の内容がかなり省略されているのは残念
桓温の事跡なんて曹操に匹敵するだろうに、あの分量はちょっとさびしい。
(逆に言うと、曹魏の簒奪が失敗していれば曹操の事跡もかなりカットされていたのかもな。)
125 :
世界@名無史さん:2010/11/13(土) 20:05:32 0
>>121
そりゃあの時代の南朝はどこか軟弱で、生きる意欲がないというか
引きこもりニートの集団、日本に例えたら平安貴族の集団みたいで
現世にはさほど関心がなく、極楽往生のみに関心がある
集団みたいで、
最近の中国をみてると、その歴史もどこまで信じていいかわからんがな。
湖南、湖北、安徽あたりの文物はあやしいといわれている。
後漢の時代といわれる墳墓からは明や趙宋の時代のものが同時出土。
楚簡は出土したとあちこち騒がれても、2割弱しか本物がない。明の時代の竹簡らしい。
石碑もわざわざ趙宋の時代に地中に埋めたものがある。
怪しいのは、江南地方&楚〜後漢〜六朝の時代に、集中している。
どうしてもつきまとう趙宋の文化工作の疑義。
そうなの?
六朝の石碑ってあまり数あるような感じがしないし、
めぼしいのは北朝系ばかりって印象あるけど。
>>127 明の時代に竹簡使ってたのか?
だいたい楚簡じゃ小篆以前だから、書体もまるきり違うだろう?
炭素14年代測定法で偽者判定されるとのこと
>>128 有名どころは湖南衡山の禹王碑
11世紀宋の時代にわざわざ新たに制作して地中に埋蔵したといわれている
132 :
世界@名無史さん:2010/11/17(水) 21:54:46 0
133 :
世界@名無史さん:2010/11/21(日) 21:13:32 0
ttp://www.47news.jp/CN/201011/CN2010112101000485.html 王羲之の模写、38億円超で落札 北京で、2番目の高値
【北京共同】21日付の中国紙、新京報によると、東晋時代の著名書家で
「書聖」と称される王羲之(推定307〜365年)の作品「平安帖」の模写が
20日、北京で競売にかけられ、3億800万元(約38億7400万円)で落札された。
競売にかけられた中国の書画としては、6月に4億3680万元で落札された
北宋時代の書家、黄庭堅の作品に次ぎ、過去2番目の高値。
ほかの絵画や陶磁器なども競売にかけられ、落札総額は6億9400万元に達した。
新華社電によると、米国や英国の美術品市場が景気低迷の影響で縮小しているのに対し、
中国は富裕層の増加に伴い、市場が拡大。
中国市場の2009年の販売総額は8億3千万ドル(約693億円)と、世界市場の17・4%を占めた。
王羲之の直筆の作品は戦乱などでほぼすべて失われたとされ、
落札された作品は後世に複写されたものか拓本と考えられている。
2010/11/21 20:10 【共同通信】
そこまで高値って誰の臨書なんだろ? そっちのほうを記事に書くべきだと
思うが。
書に関心が行くのはいいけど、昔の日本みたいに投資対象の美術品バブルに
はしてほしくないなあ。
あと、一緒に墓に埋めろなんてアホな遺言もしないようにしてほしいもんだ。
>>135 サンクス。俺も中国語よく分からんが、乾隆帝のコレクションの平安帖の前半
部分が出たってことかな?
それだったら、多分国宝級だわ
137 :
世界@名無史さん:2010/12/06(月) 15:52:28 0
東晉時代の実力者の変遷ってどういう感じ?
>>137 三庾以前は、各個たる実力者なんて皇帝権力を含めても特定できないくらい
権力が分散されている状態だった。
地方には劉弘以来の荊州軍閥(陶侃、次いでその地位を強奪した王敦)が
健在であったし、建康政権内は北来の亡命貴族と土着の江南豪族の鍔迫り合い
というどうしようもない状態
330年代後半〜340年代前半(成帝・康帝期)
●統制派:三庾(庾亮、庾冰、庾翼)
●協議派:琅邪王氏、何充
340年代後半〜360年代前半(穆帝・哀帝期)
●統制派→独自路線:桓温
●統制派→桓温抑制:褚太后臨朝体制(司馬氏の諸皇族、殷浩)
●協議派:その他大部分、と言うか風見鶏と言うべきか、琅邪王氏、陽夏謝氏、高平郗氏ら
360年代後半〜桓温逝去(廃帝・簡文帝期)
●桓温一党による専権
●謝安を筆頭とする桓温抑制派(サイレントマジョリティ)
桓温死後は、三度目の褚太后による臨朝称制(実質謝安の専権)
東晋が最大で外征戦力を保持したのは、桓温の西府軍・殷浩の北府軍・謝尚とツーカーの
姚襄率いる後趙残党軍(羌族主体)、350年代後半ごろ
三庾はまんまと桓温にしてやられた感が強いが、三名とも寿命が短かったゆえに
外戚として専権を揮えた期間が滅法短い上に、当の皇帝たちからは警戒されまくりで
何と言うか、空気読めなさ過ぎだわ。
とりあえず、北府と西府と朝廷のトップが権力者かそのライバルって覚えとけば間違いないんじゃないかな?
140 :
世界@名無史さん:2010/12/20(月) 11:46:25 0
東晋と北魏の時代、吐谷渾の下でチベットのアムド地方あたりで興っている白蘭ってチベット系? 隋唐のころには見なくなっているよね?
敦煌文書なんかが出典になっているから
西夏側の情報+口承文学から起こしていると思われ
東晋じゃなくて西晋のお話だけど恵帝に「お米がないならお肉を食べれば良いじゃない」って発言は
後世の捏造だと思ってたんだ。「そんなアホが居るわけがないw捏造乙ww」って。
でも現代で「職がないなら起業すれば良いじゃない」って
結構な地位の人が言ってるのを見ると、そんなアホが居てもおかしくないと思えるようになりました。
作物が実らなければ、雑草を食う牛や山羊を放牧して乳を絞ればいいと
いう意味のことは言っているよ。
拓跋や氐・羌はそうやって寒冷化の4世紀を生き延びていたので、捏造なんかじゃなかろう。
実際今の陝西や甘粛の地域は農業でも品種改良が盛んなので
林檎の樹木でもバサバサ切って接木してしまうぐらいだから
五胡のほうが寒冷対応の穀物を、晋よりも早く見つけているし
トウモロコシやジャガイモの栽培は内陸西部のほうが早いよ。
>>144 たしかに、玉蜀黍が新大陸から渡来して普及したのが早かったのは
その字のとおり、蜀(四川)、特に西部地域だったらしいな。
また、蕎麦の原産も魏晋期の中国東北部、今の黒龍江省付近で栽培が
開始されたって話らしいけど、当時は明らかに鮮卑の領内だよねえ。
灌漑等の農業技術では中原が圧倒していたかもしれないけど、必ずしも
生産力にイコールでは結びつかないような気もするな。
東晋スレのくせにこのスレ戎狄くさいじゃんw
>>145 苦蕎麦は雲南北部あたりの2000m級山地が原産。
苦蕎麦はダッタン蕎麦の名前がついているけど
甘蕎麦のほうが草原性で、苦蕎麦が山地性。
どれぐらい昔から栽培されていたかはよくわからないが、北宋&大理や元の記録から頻出してくる。
苦蕎麦の原産地はナシ族(あのトンパ文字の)・彝族・デチェン蔵族、
梅里雪山、母系社会の残存、半農半牧。・・・・北方系遊牧民がルーツらしい。
水系でいえば長江、メコン、サルウィンの三つの川の上流部=三江併流といったあたり。
>>146 戎狄くさいのは北がそうなんだからしかたないじゃんw
149 :
世界@名無史さん:2011/02/05(土) 20:55:28 0
戎狄くさい⇒胡散くさい
150 :
世界@名無史さん:2011/02/23(水) 10:45:26.05 0
age
151 :
shinnE:2011/02/26(土) 14:41:49.97 0
陶淵明最高
152 :
世界@名無史さん:2011/04/02(土) 16:19:58.24 0
西晋って影が薄いね
153 :
世界@名無史さん:2011/04/21(木) 22:01:25.64 O
154 :
世界@名無史さん:2011/04/22(金) 18:22:33.08 O
恵帝とか八王の乱とか見ると司馬仲達の子孫のやることとは思えないよな
一族の仲が良すぎて仲違い?
司馬懿とその兄弟たち、その子達はマシ
司馬炎とその子孫とかが駄目
全力で仲悪かったと思うよw
責任感や義務感は下手すると野心になるからね。
ノブレスオブリージュが最悪の形で発揮された結果かな、みたいに思ってる。
元はといえば外戚の専横を排除しようとしたからなわけで。
158 :
世界@名無史さん:2011/05/08(日) 13:40:59.23 0
age
159 :
世界@名無史さん:2011/05/18(水) 12:30:00.76 0
外戚の楊氏を排除しようとした初期段階はまだいい。
その後10年近くの平穏が保たれたわけだし。
だが司馬倫、てめーはダメだ。
なのでダメなのは司馬炎の子孫に限らない。
司馬氏って本当にダメだったね。
司馬の八達だけかな、マシだったのは。
保守司馬
皇弟司馬攸のことも、たまには思い出してあげてください……
杜恕に「キチガイ」って言われた司馬通、字雅達がいるよ。
とにかく司馬氏って何かおかしいよな。
司馬懿からして性格が性悪に出来ている。
時代のせいかねえ
あの陰湿さは清流派士大夫が当時の状況から取り得た
権益確保のための最善手というか、最強硬手というか、そんな気もするが。
司馬氏でなくても同じだったろ?という意味合いと、
それを後代の第三者的立場から冷静にみると陰湿に見えるという意味を込めて。
秦漢的な中央集権を是とする視点からするなら、
中央を食い荒らす寄生虫が中央そのものになってしまったわけだし、
実際、司馬家を上手く転がそうとして破滅の扉を開いたのはお仲間の楊氏や賈氏だしな。
>>165 そうかもしれないねえ。
南朝のとある王朝で宰相になった某人が貴族の仲間入りをしたくて
某貴族の領袖に合いたいと皇帝に願い、その人にあったら。。。
このものから座を下げよ!
だからな
167 :
世界@名無史さん:2011/07/23(土) 21:30:25.98 0
>>166 そもそも士大夫なんていうのは一代限りの寒門人士であって
世襲貴族じゃないんだから、棲む世界がちゃうやろ。
宰相は、サラリーマン社長みたいなものだから当然だよ。
諸葛亮は孫や曾孫に世襲のなにかを用意しようとしなかったが、
司馬氏はそれをやってしまったからトホホな結果になったんだろう。
>>167 諸葛亮の息子は、皇帝の娘婿になって、大した功績もないのに昇進街道を驀進して
30代で宰相になるというすばらしい二世っぷりなんだが。
子孫に何も用意できなかったのは諸葛誕だね
息子は呉で大司馬、孫は東晋で宰相だから立派なもん?
司馬一族との姻戚関係を用意したじゃないか
あー確かに、反司馬よりのわりに息子が司馬炎と幼馴染で家付き合いしたり
娘を司馬懿息子と婚姻させてたり意外と周到だ。
それと瑯邪諸葛の本家?だったぽいのも孫のほうで結構影響してるね。
息子は大変だったけど土台自体はあるんだね。
172 :
世界@名無史さん:2011/07/31(日) 19:22:53.13 0
この時代の晋はまるでペルシアみたいだ。
173 :
世界@名無史さん:2011/08/19(金) 00:19:26.06 0
東晋の皇帝って全員短命なんだよな
東晋どころか、後漢・曹魏・南朝の諸天子は皆短命
北朝も何人かを除けば殆ど短命
>>175 北朝は文化と言うか制度というか、中国的な王朝じゃないような気がして省いてたよ
短命の理由が別(遊牧民的)なような気がするんだ
175だが別に突っ込んだわけでもなかったので。
北朝の皇帝は半分くらいが殺されてるからねえ。
後漢
14人中、20代以下自然死3人、30代自然死5人、暗殺2人
東晋
11人中、20代以下自然死5人、暗殺3人
南朝(劉宋・南斉・梁・陳)
24人中、30代自然死1人、暗殺14人
北朝(北魏・東魏・西魏、北斉・北周)
27人中、20代自然死4人、30代自然死5人、暗殺16人
後漢・東晋は若年崩御が目立ち
南北朝は半分以上が暗殺されているな
現代日本もこの時代と似てきたな。
ネットは五胡で、晋が新聞・テレビなどのマスメディア。
180 :
世界@名無史さん:2011/08/25(木) 19:18:45.20 0
倭(大和朝廷)との交流はどうだったんだろうな?
>>179 五胡は一応隋唐帝国を創ったが、現代はどうだろうね。
このまま暗黒時代突入かな。
ところで
>>181 突入の可能性が高いが、現在の文明が維持できるかが問題かな。
行政的には「もう統一された中央政府は結構、地方は地方でやるわ」って言う感じになり、
連合や共同体は、世界各方面でブロック経済ならぬブロック小世界を形成すると思う。
歴史は繰り返すのかねえ
184 :
世界@名無史さん:2011/11/28(月) 22:56:45.69 0
倭の五王の武の上奏文に司馬曹達とあるけど
まさか司馬一族?
さあ。司馬は姓じゃなくて官職名かもね。
187 :
世界@名無史さん:2011/12/06(火) 14:14:00.07 0
>>184 董厥と並ぶ平尚書事だが、諸葛瞻が政治を執ったとの記述がいくつもあり、
録尚書事姜維は前線に貼り付いてるので、諸葛瞻が当時の政権首班だったっぽい。
司馬は役職
高句麗の文献にも司馬〜と出てくるし、将軍位をもらっているから開府して任命されたと見るべき
高句麗じゃなく百済だった
南斉書に鎮東将軍に任じられた百済王が司馬楊茂、長史高達、参軍会邁を派遣したとあるから安東将軍をもらった倭王が派遣したのは、司馬という職だろう
ちなみに開府は便宜的に使った
王導、劉裕はメジャー
桓温、謝安あたりもまあまあメジャーだけど
チ超やユセン辺りだと有能なのに知られてないよね
晋から東晋辺りの正史って何を読んだら情報量が多いかな。
192 :
世界@名無史さん:2011/12/09(金) 19:07:53.82 O
片っ端からがいい
>>191 晋書、魏書、宋書、資治通鑑、世説新語あたり。
194 :
世界@名無史さん:2011/12/09(金) 20:12:39.78 O
石勒時代に南下政策が進言されたけどとられてたらどうなったかな
南船北馬のいい見本がまた一つできただけかと
196 :
世界@名無史さん:2011/12/10(土) 20:11:04.46 0
河北統一してなけりゃ、むりでは?
華北統一の状態も重要だね、各国の末裔とか手元に置いてちゃダメ<後秦だったか前秦だったか
前趙、後趙
前燕、後燕
前仇池、後仇池
前涼、後涼
とりあえず最初は前後なのかな?
晋だけちがうけど
>>199 晋とか宋は連続する国家の首都の位置を問題にしてるから、西→東、北→南
晋や宋は遷都はしても断絶してないわけ
そこで挙げてるのは一度断絶してる。趙と涼に至っては全く別の国家だから
>>200 別国家とかそんなのは知ってる。それをいうなら秦もだし
燕なんか見ると
前後のあと東西南北なのかな?と思っただけ
>>201 そんだけわかってるってんなら、だいたい察しはつくべ?
時期で区分するから前後、
ほぼ同時期に存在してて地理的に区別するから東西南北だよ
後秦に対する西秦や後燕に対する西燕ってのもあるし、
特に順序があるわけじゃなかろう
前後東西南北は後代の史家が便宜的に名づけただけでしょ。
西晉王朝をほしゅ
205 :
世界@名無史さん:2012/08/07(火) 06:12:30.45 0
夏休みも中盤戦、エンドレスエイトの開始まではまだ日が浅いですが
そのループから抜け出す31日の宿題をキョンの家でやる、もしくはハルヒがキョンの家に行くのフラグのように
夏休みの課題に三国志以降の正統王朝晉のおはなしで埋め尽くしてみないか?
建康に都して前秦と戦うとかどうでしょうかage
206 :
忍法帖【Lv=2,xxxP】(1+0:8) :2012/10/12(金) 23:08:35.47 0
何時になったら北魏を倒せるか
>>206 宋の文帝のようにぼこられてそれまでの努力を無駄にするのが落ちですw
208 :
世界@名無史さん:2012/10/13(土) 00:53:17.18 0
北魏…というか前秦もそうだけど、かなりの中国知識人(士大夫)が
協力してますからねえ。
その時期って王朝がころころ交代するわりにはすぐまとまって
ほぼ同じ領域が継承されてるよね
軍閥と官僚組織が盤石で、皇帝の首がすげ替えられるだけで
国としては事実上つながっていたんではないかとさえ思えてくる
キリスト教化する直前のローマ皇帝の交代劇を見るような
210 :
世界@名無史さん:2012/10/13(土) 18:07:25.84 0
>>209 なんか戦後の日本みたいだな<上はコロコロ変わっても官僚群と地方自治体が有能。
米軍が難なく占領政策をとれたのも、官僚群と統治機構が死んでなかったためとか言うし。
歴史を見ると、1700年前も今もあんまり変わらんな
>>210 三国時代もそうだが領域で見ても仕方がないよ。人間の頭数が勢力の力なんだから。
後趙にしろ前秦にしろ北魏にしろ住民の強制移動で首都に集めて管理するやり方
なんだから支配力は脆弱なのは石虎死後の混乱やヒ水戦後のカオス振りを見ればよくわかる。
212 :
世界@名無史さん:2012/10/13(土) 20:23:30.24 0
>ヒ水戦後のカオス振りを見ればよくわかる。
カオスというか、見事に分裂しましたね。
南燕・後燕・後秦・西秦・南涼・後涼・北涼・西涼……そして北魏
石虎死後同様強制移住された各民族が移動を始めたら
どうにもならん。
>>211 梁犢の乱の時点で、もう自立の方向に動いている連中がチラホラいたけどな
(特に苻洪さんあたり)
姚弋仲さん、めっちゃ恰好良すぎですわ
でも、彼らの奮闘を裏切る、石氏本家の自滅っぷりが
>>214 姚弋仲と石虎のエピソードはどこの武侠小説だよって言いたくなるけど。
姚氏は息子の東晋に拠った姚襄もそうだけどなかなか自立しないんだよな。
216 :
世界@名無史さん:2012/10/22(月) 14:29:40.38 O
洛陽取れてたら関中へ向かわずにそのまま割拠したのかな?
ローマ人の物語を読んで古代人のくずっぷりを知ってからはもう同情する気に
はなれない遊牧民に荒されてざまあwって感じ
法顕の渡印も昔は東晋のくせにと思ったが今は
だろうな、支那(仏教語)より身毒(あえてこう書く)のほうがレベル高いもんなと思うようになった
もう釈迦の教えを研究している時代としてしか見れないわ
古代人のどこがクズだって言うんだ?
219 :
世界@名無史さん:2013/09/23(月) 01:17:48.70 0
age
221 :
世界@名無史さん:2014/05/29(木) 11:38:11.78 0
東晋って南朝の中で最も領土が大きかったんだな
領土の大半は貴族豪族のものだけどね。
223 :
世界@名無史さん:2014/05/30(金) 16:07:39.05 0
あと王族。 10の力はあるがせいぜい中央政府が出せる力は2ぐらいか
20年ちょっと前に買った宮崎市定氏著の大唐帝国を時々読んでるが分裂・混乱した時代は
それなりに面白いな。だけど本の大きさもあって写真が小さくてモノクロだし地図も割りと簡単だな。
225 :
世界@名無史さん:2014/05/31(土) 17:01:58.93 0
>>224 入門書としては最適だと思う<通史(多少はツッコミどころあるけどな
次は講談社の魏晋南北朝と東方選書の五胡十六国―中国史上の民族大移動を買おうと思ってる。
227 :
世界@名無史さん:2014/05/31(土) 18:06:09.42 0
228 :
世界@名無史さん:2014/08/03(日) 12:09:44.74 0
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世界@名無史さん:2014/10/26(日) 07:22:28.08 0
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世界@名無史さん:2014/10/26(日) 16:32:35.72 0
昨日、母校の研究室行ったんです。研究室。
そしたらなんか学生がめちゃくちゃいっぱいで座れないんです。
で、よく見たらなんか就職した同期が座ってて、就職したけど
博士号が取りたくて、退職して院生になった
とか言ってるんです。
もうね、アホかと。馬鹿かと。
お前な、人文系博士号如きで会社辞めて研究室に戻ってに来てんじゃねーよ、ボケが。
人文系博士号だよ、人文系。
なんか嫁も子供とかもいるらしいし。一家4人で無職生活か。おめでてーな。
よーしパパ塾講師のバイト行っちゃうじゃうぞー、とか言ってるの。もう見てらんない。
お前らな、博士号やるから就職しろと。
研究室ってのはな、もっとはつらつとしてるべきなんだよ。
テーブルの向かいに座った女といつ恋愛が始まってもおかしくない、
恋するか恋されるか、そんな雰囲気がいいんじゃねーか。30過ぎのおっさんは、すっこんでろ。
で、やっと35にして博士号が取れたと思ったら、その後の消息が不明なんです。
そこでまたぶち切れですよ。
あのな、博士号持ってる新卒なんてきょうび流行んねーんだよ。ボケが。
得意げな顔して何が、「私は博士号を持っています」だ。
お前は本当に博士号を取りたいのかと問いたい。問い詰めたい。小1時間問い詰めたい。
お前、就職したけど、プライドだけが高くて、社会に順応できなかっただけちゃうんかと。
行方不明博士通の俺から言わせてもらえば今、行方不明博士通の間での最新流行はやっぱり、
同窓生名簿に40近くになっても院生、これだね。
卒業生名簿就職先が空欄。これが通の博士号の取り方。
博士号取得まではにそいつの名前でグーグルで検索すると入ってる。そん代わり35過ぎて博士号取得後は検索0。これ。
で、「あのひと検索」のはずが、いつの間にか「あのひとは今」状態。これ最強。
しかしこれを書くと次から「留学して日本にいないから」という噂を意図的に流されるという危険も伴う、諸刃の剣。
素人にはお薦め出来ない。
まあお前らド素人は、まじめに就職でもしてなさいってこった。
231 :
世界@名無史さん:
>>229 そりゃー税払わない人間(戸)を減らす政策だしな。
小規模でもやればそれなりに効果があることが解ってたとか
あと、そういう土断政策を遂行すること自体が公平な政治と見なされたとか