ジハードの考え方が理解できません。
宗教は平和を願うものではないのですか?
力づくで布教する、それがだめなら金を取る
という感覚がどうもわからない。
>>3 宗教というものの性質を理解できていないと難しいかもしれない
宗教というのは、その宗徒にとっては絶対の教え。
理系で言う大統一理論にも等しい絶対の原理なわけ。
特に一神教の場合は解りやすくそうなってる。
宗教というのは営業なしでは倒産する企業と同じで、布教をその性質の中心に持っている
しかし厄介なことに、この地球上に布教の余地などというものは殆どない。
というわけで、異教徒を布教しにいくわけだ。
(ここで厄介なのは、そいつも宗教を奉じているわけだから、基督だろうがイスラムだろうが自分の教えを絶対と思って疑わない)
布教された異教徒からしてみれば、身の毛もよだつような異端話を堂々としたツラで説くのだからたまらない
異教徒同士というのは、そういう風に草の根レベルで対立しあう性質を持ってる。
国際政治的な問題もあり、それが戦争に発展することはあまりないが
ときたま、そういったナイーブな宗教関係のことに、無神経に突っ込んでくる指導者がいたり
何かの拍子で宗教対立が燃え上がることがある。
そういう時にジハードなんかが宣言されるわけだ。
まあ、宗教徒っていうのは、誰でもそうだが、どうにも異教徒が鼻につくんだな。
特に宗教圏の中で産まれてズブズブに育った連中は。
だからどうしてもイラついて喧嘩はじめちまうのさ。
俺の死んだ母親が基督教やってて、基督式で葬式やったが
仕方なく呼んだ親戚連中は、日本だから宗教様式には拘らないのかと思いきや
ジジババどもはやっぱりしっかりと嫌悪感丸出しだったよ。
「バチがあたるぞ、こんなことして。御先祖様に……」なんぞという、阿呆のようなセリフを言う連中が
現実にかなりいた。
基督教にこだわった母親が糞で宗教様式に拘った親戚の多くは阿呆と
日本は単に江戸幕府の施策で儒教も仏教も世俗化してるだけ。
全然無宗教じゃない。神道も生活に密着してるし、
生活習慣で一番規制されてるのは仏教とか神道も合わさった日本型儒教。
>>3 平和を願うからこそ、自分たちの平和を脅かす敵は力で屈服させなきゃならない
近現代ならともかく、前近代には別におかしな発想じゃない
まさか、祈ってさえいれば平和が維持できるなんて思ってないよね?
そんな当たり前の平和構築と聖戦思想をいっしょくたにするなよ
アメリカに負けた日本も大規模な社会改造を受けたな。
日本の側にキリスト教みたいな強固かつ頑固な精神的基盤がなかったから
まだましだったけど、戦前の文化はかなり破壊された。
にそういうものを想像できる文化だと、侵略がどんだけ怖いか
11 :
世界@名無史さん:2010/08/11(水) 14:20:58 0
ビスマルクはドイツを統一したくなかったって本当ですか?
>>11 なんで・・・?
ビスマルクの行動みてたら、ドイツを統一したくなかったなんて
小沢一郎が「権力が欲しくなかった」って言うのと同じくらいアレなんだけど
いや、ビスマルクはドイツ統一はしたくないという言葉を残している
14 :
世界@名無史さん:2010/08/11(水) 19:51:09 0
あと文脈だな。征服欲丸出しにしていい場所といけない場所がある
>>10 >>にそういうものを想像できる文化だと、侵略がどんだけ怖いか
最後の一文がよくわからん。
かつて正統カリフ時代に定められたカリフの資格に合致しない、
オスマンの君主がカリフ号を称して、
それをイスラム世界が認めたのでしょうか?
認めた。
日本の天皇をムスリムに改宗させてカリフにしよう、なんて馬鹿みたいな話もあったらしいぞ。
酒、もといコーヒー飲んでハイになった男たちの戯言だろうが
やがてこころはぁ うっきうっき!
ウズベキスタンなんか酒呑むやつ多いけどな
ビスマルクはオーストリア併合を目標とはしなかった。
そういうことだろ。
オーストリア併合は、その他のドイツ諸侯すべてを武力で併合するより難しいだろうからな。
ビスマルクがドイツを統一したく無かったと言うのは、
オーストリアを含めた大ドイツ主義を志向しなかったって程度に考えればいいんじゃね?
オーストリアも含めたドイツ統一国家をめざす大ドイツ主義
オーストリアは除外したプロイセン中心の統一を目指す小ドイツ主義。
ビスマルクは後者であった。
清仏戦争のころのフランス国内ってどうなってたんですか?
どうなってたって?
普仏戦争後なんとか第三共和政として復興するが、アルザス・ロレーヌ地方を喪失
共和国政府はブルジョワや右翼・左翼の寄り合い所帯で、野党の王党派やボナパルティストもまとまりを欠く
1882年には金融恐慌が起き、工業生産は米独に抜かれて世界第4位に転落
外交面ではビスマルク体制により国際的に孤立し、特に英独と対立を深める
かようによろよろしつつも一応列強ではあり、アジア・アフリカに植民地を拡大していったが
清仏戦争ではかなり苦戦したため、首相が引責辞任したり反政府運動が起きたりとしばらく混乱した
右派は欧州でドイツに復讐しろといい、左派は軍事費増大が国民に負担を強いると非難した
>>27 ありがとうございます。
国内混乱してたのに戦争はできたんですね。
むしろ国内をまとめるために対外戦争してるような
>>10 文化的な破壊は明治維新ですでにやってるだろ
たとえば、その当時は日本は朝鮮文明にかなわなかったという意味で
頭に「チョン負け」という印を付けさせられていたのだが、
それを法律によってはずさなければならなくなったとか
>>17 そもそも、オスマン朝にカリフ位を委ねた(ってことになってる)アッバース朝カリフ自体がもうその頃には
たいして権威のない名目上のカリフだったわけで
たとえば、藤原家が何の力も持っていない戦国時代に、秀吉が関白を称したって、公家はともかく諸大名
や民衆は秀吉にその資格があるかどうか自体は気にしないし、気にする者がいたとしても公式にはそんな
ことは言わないさ
>>23 ドイツという概念はいつごろからあったんですか。
単にドイツ語を話す人という意味なのかな?
カリーニングラドとか今のバルト三国、ウィーンとかも当時だと、
ドイツ人だったんですか?
なんでスイスはドイツ統一に入らなかったのですか?
スイスはロスチャイルドが影から暗躍してたというけどどうなのかね
スイスには「ドイツ人」という意識がなく、神聖ローマ帝国とは法的にも絶縁していた
スイス・ドイツ語はオーストリアやバイエルンに近いアレマン系で、北ドイツ語とはかけはなれている
永世中立国宣言をしているので併合すると国際世論がうるさそうだし、
イタリア語圏やフランス語圏もドイツ帝国に入れると近代民族主義がややこしそう
ことによるとバチカンが文句つけてくるかもしれない
チェコスロバキアが第一次世界大戦後に独立した時、
もともと民族構成的にも文化的にも異なるチェコとスロバキアが一緒にくっついて独立したのはなぜですか?
主権国家が成立する以前と後で、領域支配にどのような差異があったのか
うまくイメージできません。
>>36 もちろん、チェコとスロヴァキアでは、言葉や文化は若干異なるけど、どちらも西スラブ系なのでその差違は
そんなに大きいわけじゃない
それまで両国を支配してきたゲルマン系のオーストリア人との差違に比べれば、方言の違いがあるといった
程度の差でしかない
強国ひしめくヨーロッパの中で独立して生き残るには、ある程度の国力が必要だから、とりあえず協力して
一国として独立したって感じだろう
実際、それでもナチス・ドイツによって潰されたわけだからね
ハンガリー領で生まれた「汎スラヴ主義」の残滓、「チェコスロバキア主義」の影響。
チェコ人とスロバキア人は、共に西スラヴ系でほとんど同じ言語を話していたが、
チェコ(ボヘミア)が仮にも王国を築き神聖ローマ帝国の大諸侯になったのに対し、
スロバキアは1000年に渡り「ハンガリー王国の北部地域」でしかなかった。
19世紀になってようやく「スロバキア語」「スロバキア人」という言語・民族の名称が造られたほどだ。
第一次世界大戦では、オーストリア=ハンガリー帝国がセルビアやロシアなどスラヴ人の国々と戦ったが、
チェコ人やスロバキア人は帝国臣民として「同胞」のスラヴ人と戦うことになった。
その頃、民族運動の指導者にトーマシュ・マサリクという人物がいた。
彼はチェコとスロバキアの間に位置するモラヴィアの出身で、父はスロバキア人、母はチェコ人だった。
マサリクは亡命先の欧米諸国で「チェコとスロバキアの共同国家による独立」を唱え、大きな反響を呼んだ。
前線にいたチェコやスロバキアの兵はロシア軍に続々と投降し、ドイツ人やハンガリー人と戦った。
米英仏はマサリクの説得でこれを同盟軍と認め、戦後のチェコスロバキア独立を約束した。
しかし、独立してみれば「チェコスロバキア人」をあわせても国民の59%にしかならず、国内には28%ものドイツ人がいたし、
ハンガリー人やルテニア(ウクライナ)人、ユダヤ人やジプシー(ロマ)などもいた。
スロバキア人はドイツ人の半分しかおらず、チェコ人が主導権を握る政府に不満を抱いてもいた。
40 :
世界@名無史さん:2010/08/13(金) 11:51:12 0
漢の武帝は匈奴との大戦争の果てに勝利を収めましたが、
モンゴル高原から中央アジアにまたがる版図を有し、精鋭の騎馬軍団を誇り、
長年漢を圧迫してきた大帝国匈奴がなぜ武帝の代になって敗れたのでしょうか?
匈奴が負けた要因が良く分からないのですが。
42 :
世界@名無史さん:2010/08/13(金) 21:53:38 0
西域の情況が明らかになり対策が立てやすくなったのと匈奴内の内紛があったから。
ちがぁう!
武帝の頃になって初めて中国側の製鉄技術が発展して鉄の鏃の弩を主力にすることが出来るようになった。
青銅の鏃とちがって鉄鏃は匈奴の盾も鎧も突き通すんだ。
汗血馬をもとめたり衛青や霍去病といった騎兵運用にたけた将軍が採用されたのも勝因ではあったが、実際は漢の機械化歩兵が匈奴の騎兵を圧倒したのだ。
かの名将李広は歩兵軍の指揮官だったんだぞ。
日露戦争時に機関砲でコサック騎兵をなぎ倒したのとおなじだ。
鉄の鏃が青銅を〜ってのはちと眉唾だなあ
確かに鉄は硬いが、そこまでの運動エネルギーを矢に持たせるのは無理だろう
よほど薄っぺらい、銅板というより銅箔みたいな代物なら抜けるだろうが
漢土の政治的統一と、国家財政の充実も忘れちゃいかんざき
機械化歩兵だの機関砲だの俺様言葉で何かを語りたがる厨の文章で夏休みを実感する今日此の頃
鉄は武帝が専売制にしてたし、銅と錫がいる青銅よりは大量生産できたんではないかな
匈奴でも鉄器は作ってたようだが、漢に比べれば人口と生産量が桁違いに少ない
そのぶんを騎兵の質でおぎなうにしても、戦争で何万も死ねば部族連合の維持が難しくなる
漢は物量作戦と衛青・霍去病の騎兵戦術に加え、西域への進出と匈奴内部への離間策でなんとか粘り勝ちしたというところ
ただお互いに国内がガタガタになったので、匈奴と漢は和平を結び通婚するようになった
弩は確かに有効射程なら盾を貫く威力があるが、それを持つ歩兵隊は騎兵より遥かに機動力が劣る
相手が真正面から突っ込んできてくれればいいが、匈奴だって騎射ぐらいしてくる
弩は再装填に時間がかかるので、その隙に攻撃されると死ぬ
>>31 秀吉は藤原摂関家の関白太政大臣近衛前久の猶子じゃん。
あの司馬遷がそのへんの記述を偽るとも思えないが…
劉邦が冒頓に包囲されて屈辱的講和を結んだことも、武帝が匈奴の単于を騙し討ちにしようとしたことも、
漢に都合の悪い事だろうと包み隠さず書いているぞ
そのため武帝の生前には公表できず、孫の代になってようやく流布したほどだ
>>51 そりゃ、ストーリーの味付だから。
あんなに強い匈奴に対しても屈せず最後に大勝してリベンジを果たしました。
というふうな。
そうすると、漢に敗北することのなかった匈奴はその後どうなったのでしょうか?
54 :
世界@名無史さん:2010/08/14(土) 09:13:36 0
ん?
史記に武帝時代の対匈奴戦争は書いてあったっけ?
司馬遷が泣くぞ…
李将軍列伝、匈奴列伝、衛将軍・驃騎列伝など、同時代史料として一級品だ
ただ「孝武(武帝)本紀」は危険すぎてか削除されたらしく、封禅書の写しでしかないが
漢帝国5000万
匈奴100万
57 :
世界@名無史さん:2010/08/14(土) 15:51:20 0
あんなもん匈奴の内紛に乗じて局地戦で勝っただけの事だろ
別にお互い総力戦で勝負付けたわけでもないから
「太平洋戦争初期にドイツがアメリカに対して、対日同盟を申し込んでいた」(アメリカに断られる)と言う記事を、
小さい頃に新聞で見たような記憶があるんだけど、事実でしょうか?
2000年前でも支那人は支那人。数量やコトの善悪評価に信憑性は無い。
史記にしても同じだ。
国内に重税と専売制と強制徴兵制をおっかぶせて、
何十年もぶっつづけで戦争するのは総力戦とはいわんのか?
>>58 真珠湾攻撃直後の12月11日には、独伊とも対米宣戦布告してるけど
第一次世界大戦後、セルビア王国の領域に旧オーストリア領のスロベニア、クロアチア、ボスニアを統合して、
ユーゴスラビア王国が成立しまして、第二次大戦後もユーゴスラビアの枠組みは守られたまま、
社会主義国家になりましたが、汎スラブ民族主義を掲げたはずのこの国が、
どうして内部の民族対立の絶えない国になってしまったんでしょう?
汎スラブ主義と言うのは、国民統合の理念にはなりえないものだったのでしょうか?
東方正教会、カトリック、スンニ派イスラム教がお互いに非寛容な態度をとって
いるから汎スラブ主義など吹き飛んでしまったのでしょう。
異教徒や異端に対する聖戦なのだから、対立も正当化されるのでしょう。
ユーゴの人口の4分の1を占めるセルビア人が幅をきかせ、他の民族に恨まれるようになったから
チトーは巧みに民族対立を回避し続けたが、彼の死後はまとまりが薄れ
ミロシェビッチがコソボ問題でアルバニア人と対立してから全てが破綻していった
スロベニアもクロアチアもボスニア・ヘルツェゴビナもマケドニアもこれに異議を唱え、セルビアは孤立した
だから最初に民族対立があったのであり、宗教は民族主義の象徴としてあとから持ち出されたにすぎない
あと、アルバニア人は言語上はスラヴ系ですらない(印欧語族のアルバニア語派)
最初から民族対立があったなら、汎スラブ主義ってのはなんだったんだ?
アルバニア人ってスラブ系とは所作とか習慣がなんか違うんだよなー
スラブ系の中にするとちょっとセッカチで落ち着かない印象がある。
>>65 だから、アルバニア人はスラブ系ですらないんだってば。
バルカンの国でアルバニア人だけが過去に国家を作った歴史がないよな。
68 :
世界@名無史さん:2010/08/14(土) 23:56:32 0
アレクサンダー大王ってどうして西側ではなく東側を目指したんでしょうか?
>>68 アレクサンダーの征服戦争は、長年続いたギリシャとアケメネス朝の対立の延長上だから、
アケメネス朝と戦うために東征した。
71 :
58:2010/08/15(日) 00:37:05 0
>>60 日本が太平洋戦争初期にアメリカにたいして想像以上の打撃を与えたことで日本に脅威を感じたドイツが、
アメリカに対して(ドイツとの)講和と対日同盟をもちかけていた外交文書が見つかったという記事だったと思う。
(たぶん、ソースは共同)
他に知っている人がいないということは勘違いだったのかな
予備校の教師の話なのですが、ロベスピエールは恐怖政治をしましたが
最初はむしろ恐怖政治に対しては反対的だったというのですが本当ですか?
74 :
世界@名無史さん:2010/08/15(日) 15:44:38 0
>>74 予備校では強く印象付けるために誇張表現や異説を取り上げることがよくあるので、
予備校の講義をソースにするのは難しいです。
ビスマルクは武力によってドイツ統一を目指していたのは彼自身の演説からも明らかです。
>>73 理想家の秀才にはよくあること
野に居る間は綺麗事を並べても、実際に権を握り国を動かしてみると
そのままならなさ度し難さに癇癪を起こし、あっさりと反転する
>>74 ええええええええええぇぇぇぇぇぇぇぇ?
ビスマルクがドイツ統一したくないなんて言ったことあるの?
どの文献に書いていあるのさw
古代ローマとかの昔の軍隊は軍役中の性処理とかはどうしていたんでしょうか?
やはり男色とかは多かったのでしょうか?
79 :
世界@名無史さん:2010/08/15(日) 18:05:52 0
ま た 古 代 ロ ー マ か !
軍団基地には商売目的の娼婦もいただろ
軍役中の兵士は結婚できないが愛人を持つことは多く、退役後は正式に結婚した
まあ古代ローマだからガチホモやバイも無数にいただろうけど…
いやローマ人は基本的に男色は駄目だったんだがな
法とか宗教とかの問題でなく、生理的に
ギリシャやペルシャ文化の影響を受けてる奴は、そういうのに抵抗はなかったそうだが
世界史上において、しばしば少数の遊牧民の国家が、
多数の農耕民の国家を圧倒することが多いのはなぜでしょう?
生産力でも人口でも上回ってて、高度な文明を持ちやすい農耕民の方が圧倒的に有利と思うのですが。
普通、遊牧民の方が総合的に見れば数が多い。
そして打っても打っても沸いて出てくるからいつかは蹂躙される。
ただし農耕側が同化すれば解消できるから、そう長い対立はない。どうせ蹂躙といっても
金目のものを取るだけで都市そのものの支配はないし。
チンギスハーンは例外だな。
ん?遊牧民と定住民なら、砂漠のオアシス地帯とかでない限り、
定住民の方が数がずっと多いだろ。
遊牧ではそんな大した人口養えない。
農耕は都市内までしか増やせないから周辺の遊牧の方が数が多いだろ。
農地を拡大するためには他国の領土に手を出すか遊牧民の土地に突っ込むしかない。
遊牧民が農耕民より人口が多いというのはありえない
農耕地域では農耕に携わる人がいないと国家が立ち行かないから動員出来る割合と期間に限界があるが、
遊牧集団は交易・略奪によって経営しているから、戦時の動員率は極めて高い。
戦争に参加できる人数について言うならば遊牧民の方が勝っていたかも知れないが、
トータルの人数は圧倒的に遊牧民が多い。
定住民は住む土地を広げれば広げるほど農耕地が増えて人口を増やせる。
都市から離れたところに存在する農村の方が多い。
しかし、遊牧民はどんなに広い土地にいても遊牧の性質上、
家畜が草を食いつくしたら移動って生活パターンなので広い土地に住んでても、
人口は増えない。
遊牧民も部族連合レベルになれば都市を「作る」ぞ。
遊牧民自身は周辺の広大な牧草地で生活するが、交易や農作物・手工業製品の生産拠点として、
技術者や商人、農民や奴隷を連れてきて、いい土地に定住させる。
すでに都市があればそれを軍事力や交渉で服属させればよい。
庇護下の都市は貢税を遊牧民に払い、遊牧民は見返りに都市や隊商を護衛してやる。
点在する小さな都市国家が、個々にちまい兵力を雇うよりは効率的だし、武力の傘の下で経済圏も広がる。
遊牧民側も、覇権が揺るがなければ略奪や戦争せずとも定期収入が得られる。
こういうのは紀元前のスキタイがすでにやってるし、突厥や契丹なども行った。
>>68 それは帝国規模の遊牧国家ならどこでもやってるんじゃ?
91 :
世界@名無史さん:2010/08/16(月) 04:50:15 Q
素朴な疑問なんですが、インドネシアの諸王朝はなぜオーストラリア大陸に進出しなかったんですか?
距離的にもわりと近いし、先住民もアボリジニだけで容易に占領でき、広大な領土と資源が手に入ります。
やはり、航海技術の問題でしょうか?そもそも、オーストラリア大陸の存在は知られていたのですか?
普通に行き来はあったそうだが
インドネシアに比べたらオーストラリアなんて不毛もいいところだし、別に欲しくはないだろう
93 :
世界@名無史さん:2010/08/16(月) 16:16:17 0
質問です。
ヨーロッパの領主階級はいつ頃どのように形成されたんでしょうか?
臣下に手持ちの土地を少しずつ分け与える事で権力を維持していたんですか?
そうするとだんだん土地が減ってジリ貧になりそうですね。
封建制では王が諸侯に対して領地の保護を約束し、
代わりに諸侯が忠誠を誓う、というものです。
領土を与えることはもちろんありますが、
中世において王-諸侯-騎士の階級は領地の保護に対する中世、という契約的なものに過ぎません。
保護に対する忠誠、でした
専ら制度の維持は相互の契約関係になされていたということです
ヨーロッパ人が来る以前の中米や南米には大帝国が形成されたのに、
中米や南米より自然環境や資源に恵まれた北米に
大帝国ができなかったのはなぜでしょう?
北米が自然環境に恵まれている?おまえ、北米の地図見て来いよ。
砂漠から高山から寒冷地までよりどりみどりだが、
肥沃な大平原や河川も存在するだろ。
少なくとも中南米よりは過ごしやすい。
漢字文化圏では皇后でも諡された女性は少ないようですが、
皇后に諡するというのはあまり行われないものだったんでしょうか。
世界史の授業でも教えないし日本語で書かれたアメリカ史の本では解説されていないけど
北米(UAE)にもアデナ文化、バスケットメーカー文化などがあったよ。ミシシッピ文化では町も作られた。
確かにそれらが大帝国に発展しなかった理由は興味深い。
大帝国になるには近隣の部族(国家)を征服して大帝国になったわけだけど、北米大陸は土地が広大過ぎて
部族の分布もまばらで侵略するまでにはいかなかったのではないかと思う。
侵略ってサヨク思想に毒されてるな
>>100 歴史書をちゃんと読めばわかるが、皇后や皇太后には必ず諡されている。
ただ、一般向けの書物では省略されてるだけ。
漢代には、皇后でも諡のない女性も多い。有名な呂后にも特にない。
前漢末や後漢・魏晋では皇后にも諡がつくので、儒教の影響かもしれない。
また個人名を記すこともなく、姓氏と皇后・皇太后などの称号の上に、
配偶者である皇帝の諡を冠して記される。これは皇后に諡がある場合でも同じ。
たとえば漢の宣帝の皇后は史書では孝宣・共哀・許皇后と記す。魏の文帝の皇后は文・昭・甄皇后と文・徳・郭皇后。
諡そのものが一文字か二文字ならこれでよかったが、唐宋以後は皇帝の諡が超長くなるので、
それにあわせて皇后のも長くなってしまい、上に皇帝の諡を冠することも略された。
清の西太后の諡は、孝欽慈禧端佑康頤昭豫荘誠寿恭欽献崇煕配天興聖顕皇后という。
呂后の諡は「高后(高皇后)」だが、これも「高祖」の皇后だからかな
光武帝に剥奪されて、文帝の生母の薄姫に贈られているが
あと日本では和風諡号だったり院号だったりで、
漢風諡号になったのは奈良時代の一時期と明治以後
107 :
名無し募集中。。。:2010/08/17(火) 10:01:24 O
さしものアメリカも世界恐慌の頃は
麒麟の田村も
ゲゲゲの女房もビックリの貧乏人が
あふれかえってたりしてましたか?
>>107 どうなんだろうね。みんなリンゴを売っていたとか聞くけど良くは知らない。
109 :
93:2010/08/17(火) 13:44:25 0
>>94 ありがとうございました。
それぞれ所有する領地の維持を契約関係で行うということですかね。
王-諸侯-騎士と階級が分化する以前はどのような社会だったのでしょうか?
原始的な部族社会でしょうか?
110 :
世界@名無史さん:2010/08/17(火) 18:41:21 0
高校で世界史がどうしても覚えられません。立て横のつながりや人名・年号・細かい事件。。。
なんかコツとかありますか?
112 :
世界@名無史さん:2010/08/17(火) 18:49:00 0
あきらめること
>>110 ひたすら叩きこめ。教科書100回読め。
中公の世界の歴史とか、何か歴史関係の書籍を漁ってみたら?
因果関係が分かると物語化出来てスゴく楽
>>110 年号なんて後で良いんだよ。地域別とか国別の流れをつかむんだ。
興味の持てる人物や事件を軸にするのも良い。
116 :
世界@名無史さん:2010/08/17(火) 19:20:34 0
>>110 まず流れを押さえな。細かい事柄や年号はそれからでもいい。
117 :
世界@名無史さん:2010/08/17(火) 19:22:30 0
>>116 はげど
流れをつかめば記憶の定着がよくなると思う。年号は後からでOK
欧州に関しては各国がキリスト教や国家制度を中心に
密接に関係してるのでそれほど苦労はしない。日本史・アジア史なら頑張れとしか。
119 :
世界@名無史さん:2010/08/17(火) 20:25:34 0
>>110 あなたがもし受験や試験で世界史が必要なら過去問や問題集をやってみたら?
教科書をかじりついてもそれだけでは上手くいかない。教科書をサラリと読んで
該当箇所の問題を解く。どこが抜けていてどこが入ってるかをチェックする。
試験に出る内容と傾向は大体決まっている。
>>109 中世の封建制はゲルマンの従士制と、ローマの恩貸地制が結びついたものと言われています。
従士制は詳細は各部族・集団によってかなり変わってきますが、
支配者層が男子によって軍役奉仕のための集団を作ったものです。
恩貸地制は土地を貸与する代わりに貢納や労役を負わせるもので、
日本で言うところの寄進地系荘園に近いかもしれません。
中世以前となると、ゲルマンの社会制度は彼ら自身が移動を重ねていることもあり分からない点が多いです。
ローマは大枠では王政⇒貴族制⇒民主制⇒帝政という流れです。
原始的な部族社会、の定義が非常に難しいですが、
ローマにおいては血族よりも「ローマ市民」という非常に広い範囲で同朋意識を持っていたと思います。
>>119 世界史が苦手だって言っている奴の問題集を解けって拷問ですか?Sなんですか?
東部13州から出発したアメリカが、独立からわずか一世紀で西海岸までの広大な土地を獲得しちゃえたのは、
それだけ東部13州の国力が大きかったと言うことでしょうか?
東部13州はヨーロッパの先進地帯並みの経済力があったのですか?
>>122 開拓した土地は自分の物になるんだから移民が大挙押し寄せて奪い取ったのも無理は無い。
問題集なんてあと。まずは歴史の流れをつかむことが先。間違っているのはおまえ。
でも知識の定着を確かめるには問題集を解かないと。
知識よりも問題集よりも、流れと概念が先。
年号と知識は流れの中で画期だったことを覚えているだけだから、
それを流れの中で認識できないと全く理解が出来ない。
中世西欧の巡礼について教えて下さい。
十字軍とともに民衆の巡礼も活発化。
騎士以外にも巡礼団は貴族から農民まで雑多な身分の人々で構成され集団で旅したようですが、
封建社会の荘園で暮らす農奴は自由な移動を禁じられていたはず。
どの様な理由で巡礼に参加することができたのでしょうか?
巡礼について書かれたいくつかの本では参加者として農民、貧民、物乞い達などが、
また犯罪者が罪の代償として巡礼に出るのを命じられたこともあった、などの記述がありました。
ここで言う農民、貧民、とは自由農民や、都市の住民のことなのでしょうか?
それとも土地を離れることを許されない農奴も、巡礼に関しては特例などがあったのでしょうか?
教えて頂ければ幸いです。よろしくお願いします。
131 :
110:2010/08/18(水) 13:37:59 0
昨日は回答ありがとうございました。流れをつかむことが大切なのですね。ありがとうございました。
132 :
世界@名無史さん:2010/08/18(水) 14:48:01 0
辛亥革命に関する記録を読んでると、絶対専制君主に対する自由主義運動というよりも
異民族の支配に対する国粋主義的革命って印象が強いんですが、仮に清朝が満州族ではなく明朝みたいな
漢民族王朝だとしたら、このような革命は起きなかった可能性は強いんですか?
起きなかった可能性は低いでしょう。
広西のチワン族も漢民族のほうに溶出しちゃっているけど
その頃の基準で考えれば、異民族なので漢民族じゃないですよ。
国粋主義的革命だったら、苗族とか西蕃まで動員できないっす。
134 :
世界@名無史さん:2010/08/18(水) 15:09:18 0
ただ、清が科挙廃止後の立憲制移行に手間取らなかったら、
そして親貴内閣や鉄道国有化などで郷紳層を敵に回さなかったら、
ああもあっさり支配階層から見捨てられることはなかったと思う。
135 :
世界@名無史さん:2010/08/18(水) 15:12:40 0
136 :
世界@名無史さん:2010/08/18(水) 15:36:49 0
軍閥にしても地主層にしても、民主主義なんて理解も共鳴もしてないのに、
帝政を惜しげもなく捨て去ったのは、なんだったんだろう?
137 :
世界@名無史さん:2010/08/18(水) 15:42:36 0
外圧
138 :
世界@名無史さん:2010/08/18(水) 15:44:16 0
天津条約(1858年)より後だから外圧はひしひしと、、
「中華皇帝」袁世凱は漢民族?
自称してれば、誰でも漢民族
民族のアイデンティティを投げ捨てて他民族を名乗れれば、そりゃあ誰だってその民族になるだろ
言うのは簡単だが、それができないから民族対立やらが起こるんだ、血は関係ない
5世紀ごろに鮮卑や羌が漢民族を自称して、もとの漢民族のことを「南蛮」と呼びはじめておるのだが。
だいたい中国人で李さんは鮮卑、胡さんは家系図上は羌だぞw
143 :
世界@名無史さん:2010/08/18(水) 17:02:54 0
ま、袁世凱は皇帝即位の頃既に病身だったわけで、
もし大総統として10年くらいかけて権力を盤石にしておれば
皇帝即位はなんとか受け入れられる可能性はあったと思うのだが。
>>142 べつに鮮卑や羌族を名乗ってるわけでも文化を保持してるわけでもないし関係なくね
後漢や三国志の時代とその後では文化が相当違ってしまっているんじゃないのか?
いや、清朝が滅びたのは王族が満州族だったって要素がかなり強いだろう。
しかも清は歴代王朝と違って、満州族の文化を徹底的に保護して、辮髪や易服で分かるように
それを漢族に対して強制していたというおまけもついている。
辛亥革命前に孫文が駆除韃靼をスローガンにしてたことからも容易に分かるように、辛亥革命は漢民族による
反満族運動であり、
>>134が指摘する、革命直前の宮廷内のゴタゴタはおまけに過ぎない。
また、蒙古・チベット・ウィグル地域では、革命直後に清朝が倒れたことを理由に独立を宣言しているから
少なくとも革命の漢族による政権回復という面が、当時の時点で認識されたことは間違いない。
こう考えると、清朝の王族が漢族だった場合には「漢族の象徴」として一定の尊敬を受けることになるだろうし
少なくとも紫禁城を追い出される羽目にはならなかったと思われる。
満州族の郷紳っていないんですか?
148 :
世界@名無史さん:2010/08/18(水) 17:33:50 0
満州族の場合、はじめから「旗人」という特権階級だし、
漢人官僚のように地方の地主・有力者の出身ではなく、
北京など都市の貴族・高等遊民だから「郷紳」ではないだろう。
モンゴルにも黒龍江にも「旗人」が多くいた
これは今の蒙古族ではないのかな!?
「風呂に入らず小便で顔洗ったり豚の脂を全身に塗ったりしてた連中」・・・とかは日本人の俺達が言いふらす必要がないよ
仮に漢族王朝だったとしても、創業300年近くなって国の内外にガタがくれば
誰かが「天命が移る時期だ」とか言って易姓革命(or禅譲強要)を起こす
太平天国の乱みたいな宗教反乱は漢族王朝でも起きてるし、
明は李自成に滅ぼされたんであって、清はあとから来て残存勢力を潰したまで
海外列強は兵器を輸出して革命を煽ったりするかも
列強が革命を積極的に革命を煽動する必要はないんじゃね?
彼らとしては、半植民地状態で何でも言うことを聞いてくれる窓口が欲しいだけだから。
>>148 時々、現代中国の都市の構成民族を見てると、湖南省とかの県に1%ぐらいの割合で
満州族がいるんだが、こういうのは郷紳化した満族の子孫じゃないのか?
そこまで裕福ではなく屯田兵がそのまま残った感じじゃね?
駐防八旗つーのが反乱防止のために各省にも配備されてたから、その子孫だろう
>>68 ギリシャは田舎で、ローマはもっとド田舎で、エジプトやバビロニアやペルシアが先進国だったから。
当時は、バビロニアもエジプトもペルシアの属藩になっていたが。
>>78 戦時の略奪がなくなったのは歴史的に極めて最近のことだし、古代には人的資源そのものも略奪の
対象だった。
ようするに、勝ったら強姦し放題。
>>81 ローマ人って最初っから、ギリシャなんかよりもずっと節操の無い、なんでもありあり
ホモりまくりだったような。
ギリシャの影響もなにも、自称アイネイアスの末裔でで、ゼウスとエレクトラとアフロディーテの
末裔だろ。
>>159 ゲルマン人は戦場に女子供を連れてって、「負けたらあたしたちどうなるの?」と泣き喚く声を支えに頑張ったらしいな。
>>96 十分な人口が無かった。
人口密度が低いと、村落以上のもが維持できない。国を形成するには或る一定数以上の人口が必要。
或る一定数をかき集めるための領域と、国を形成した方が都合がよい人口密度のつりあうところで
一国の大きさが決まる。
人口密度が低い古代に大帝国が形成されやすいのはそういう理由。
ジャワ島やスマトラ島を統一する王朝が長年現れず、小王国が割拠してたのはどういう事情でしょう?
あの規模の島なら、統一期と分裂期が交互に訪れててもおかしくないと思うのですが。
>>160 ねえよ
ローマは古代地中海では珍しいホモ嫌い
>>163 割拠して小国乱立の方が普通だよ。
面積でいうと(単位万平方キロ)、スマトラ島47、ジャワ島13。他の地域で比べると、ブリテン島22
イタリア半島25、日本38、神聖ローマ帝国の領域50。
ブリテン島はこの400年くらい王様は1人だけれど、いまだに法域は2つで、統一王朝ではないよ、
2つの国に兼任の王様が1人。
イタリア、ドイツ、日本なんかは、19世紀半ばまで、何十何百の国に分かれていた。ドイツや日本は
形式上統一王朝だけれど、各地に世襲の領主が居て、統一王朝の最上位の首長の権限が、
各地の小領主の内政権を上回ることはなかった。
166 :
世界@名無史さん:2010/08/19(木) 03:45:23 0
>>162 すいません、便乗で質問させてください。
おいらも何で北米に南米みたいな帝国が出来なかったか疑問でした。
北米は狩猟が主で常に移動してたから、一定の場所で国を作ることがなかった、
一方南米は農耕が主で、定住してだから国が出来たってのは
間違った解釈でしょうか?
南米に比べて北米は人口が少なかったのでしょうか?
何か理由があるのでしょうか?
167 :
世界@名無史さん:2010/08/19(木) 04:03:21 0
東京裁判で民間人の大川周明がA級戦犯にされたのは何故なんでしょうか?
>>167 A級戦犯のA級というのは最悪とかいう意味ではなく
戦争犯罪類型の中のA、B、C、どの項に属すかということを表している。
A級なら戦争犯罪類型A項目戦犯ということになる。
A項というのは平和に関する罪に該当するものをいう。
大川の場合は民間の右翼活動家の中で最も影響力が強いと目されたため起訴された。
169 :
世界@名無史さん:2010/08/19(木) 06:31:16 0
A組、B組、C組
170 :
世界@名無史さん:2010/08/19(木) 06:43:19 0
>>166 あったけど進入してきた白人に知られなかったという可能性もある。
>>166 人口そのものが少ないから、精々都市国家の散在するレベルにしかならなかった。
非定住民だって帝国作るけどな
ホモ・サピエンス3万年の歴史から見れば誤差の範囲内なのかな
174 :
世界@名無史さん:2010/08/19(木) 13:11:32 0
>>130 農民は領主の許可を得て巡礼に出かけた。
巡礼は功徳を積むことになるので
領主は自分の功徳も願って旅に出してやったのだ。
実は自前で仏教+ゾロアスター教+シャーマニズムを混ぜ混ぜした新興宗教を作り
領内で完結させていた地域もあったりする
革命の光が及ぶ前は暗黒の農奴制宗教国家であったチベットのことですね
世界遺産の東巴(トンパ)教や達巴(タパ)教のことですよw
中国は外戚が実権を握るケースが多々ありましたがこれは中国独特のこと?
日本やヨーロッパや中東などではなかったことですか?
中国は非常に多いですけど日本も蘇我氏や藤原氏が影響力を持っていたほか
鎌倉幕府や室町幕府にも外戚の力が強くありました。
水戸徳川家 - 一橋家 - 有栖川宮家も外戚関係が強いといえますが
江戸時代の公家で財力があったのはそんなに多くないので、日本は外戚の力が弱いと感じるのでしょう。
日本の場合は摂関政治があるじゃん
ヨーロッパ中東や他のアジアには外戚が実権を握った例はないんですか?
モンゴル帝国や明王朝の影響が強い地域はあるんじゃないかな?
父方と同姓の氏族とは婚姻できない原則ができた一方
母方は同姓であっても構わないので、李氏の朝鮮は何世代かは同じ氏族から繰り返しきているので
端敬王后慎氏なんていう人がでている。
《女人天下》という韓ドラがあったが従来の悪人≒端敬王后のイメージを覆す有能な女性として描かれた。
183 :
182:2010/08/19(木) 15:54:17 0
文定王后尹氏なんかも同じパターンだろうか?
ムガル帝国は18世紀に入ると外戚のサイイド家に宮中を支配され、
皇帝の首がころころすげ変えられている
アラブでも外戚が力を持つ傾向があるわな
サダムフセインの母方の一族が猟官している
ヨーロッパは逆に外戚が勢力を伸ばすというのはないね
187 :
世界@名無史さん:2010/08/19(木) 17:51:59 0
ヨーロッパでは外戚は他国の王室という場合が多いので
外戚が力を持つというのはとんでもない事態になる
>>181 うそぉん。ローマでもエジプトでも外戚が実権じゃんよ。
外戚というよりは、女方の氏族に編入という形だ。婿殿が名目上の元首。
イスラム帝国の二代目(カリフとしては初代)のアブーバクルも、その地位を手に入れたのは、
自分の娘がマホメットの“最愛の妻”だったからだろ。
>>187 ナンチャラ継承戦争とか、薔薇戦争とか、百年戦争とか、いっぱいやってるし。
おまえら違うよ。外戚が権力を握る政治体制って東アジア固有のものだよ。なに勘違いしているの?
外戚って父系相続原理での王位相続をすると
明(9代)の成化帝や北元(19代)ダヤン・ハーンの時代のように現れる
ヨーロッパは双系相続原理なのと父系同族結婚okだから現れる土壌がちがう
>>188 エジプトは女系継承だって言うけど、日本で男の子が居ない時に家名を残す為に婿を取るのとどう違うのかねぇ。
エジプトも男の子が居ればそっちが継承する様だから同じ様に見えるんだけど。
>>189 それは外戚として政治運営に口出すのと違うんじゃね?
>>192 日本は父系の一族でないところから養子をとるので
シナの明朝や朝鮮の李朝とは違うと指摘されている
194 :
193:2010/08/19(木) 19:17:48 0
あっ指摘しているのは「民法学者らよって」ね。「歴史家によって」じゃないよ
195 :
世界@名無史さん:2010/08/19(木) 20:42:39 O
朝鮮も昔は婿取りやってたらしい。
ローマでは宦官を使っていたし、その後継国家であるビザンツも宦官を使っていました。
ローマの旧支配地域である北アフリカや中近東でも宦官を使っていました。
それなのに、なぜ西ヨーロッパだけがローマの旧支配地域なのに宦官を使わなかったのでしょうか?
宦官というのはその必要性より多分に伝統に拠る風習で、
西方世界はそれを継承しなかったというだけだ
地中海世界で宦官を使うようになったのは、ローマではなくてオリエントの影響。
もともと遊牧民が家畜の去勢技術を人間にも応用したもので、ペルシアやスキタイ、アラブなどで広く行われていた。
エジプトで宦官が使われたのはプトレマイオス朝以後で、ローマでもカエサルの頃はまだ宦官は珍しかったという。
さらに辺境のケルトやゲルマンでは、そもそも宦官を使う文化がなかったようだ。
松風や赤兎なんかがスゲー馬としてよく聞きますがこういうスゲー馬ってほかにどんなのがいますか?
>>199 穆王八駿。古代中国周王朝の穆王は八頭の駿馬を持っていたという。
土を踏まないほど速く走れる「絶地(ぜっち)」、鳥を追い越せる「翻羽(ほんう)」、一夜で5000kmを走る
「奔霄(ほんしょう)」、自分の影を追い越す事が出来る「越影(えつえい)」、光よりも速く走れる
「踰輝(ゆき)」と「超光(ちょうこう)」、雲に乗って走れる「謄霧(とうむ)」、翼ある馬「挟翼(きょうよく)」。
伝説によると穆王はこれら八頭の引く馬車で中国全土を回ったという。
>>192 仮に王様の一粒種の息子が王位を継いでも、王族のお妃がついていなければ簒奪者扱い。
父系が代わると王朝交代のようだけれど、お妃が前王朝のお姫様ならばすんなりと王様と
認められて政権移行している。
ってことが何千年も伝統になっていたということは、やっぱり、女系継承だろ。
>>181 チムール帝国。
ジンギスカン裔のハーン(王)を立てて、王家との婚姻を許された家柄の貴族という権威を
まとって実力を行使。
外戚ちゃー外戚だが娘婿だな…
昔のヨーロッパの人(主に貴族?)は部屋に水をいれた桶?があってそれで手を洗ったり寝る前には局部だけを洗って
朝には仕えている部下が水をかえにくるってってきいたんだけど、その水を入れるもの(入れているもの)に名前ってあるの?
ビデの原型か?
摂関政治って日本独特で海外にはないのですか?
209 :
世界@名無史さん:2010/08/20(金) 20:59:09 0
摂政も関白も日本固有のものです
>>208 摂政は外国にもあるけど、それを一つの一族が何世代も独占する事は稀。
ネパールであったぐらいか。
イェニチェリはなぜ、キリスト教徒の子弟からのみ徴集されたのですか?
イスラム教徒の子弟を採用しなかったのはなぜですか?
>>189 ヨーロッパに9条なんてないから、戦争は当たり前に政治手段、外交手段だよ。
>>205 李氏朝鮮の建国者である李成桂は、明に冊封された高麗王を廃位して王位を簒奪し、
「権知高麗国事(高麗王の代理)」と称して明に使者を送り、その地位を承認された。
ただし国号を改めろと明に言われたため、新国号として朝鮮と和寧の二案を提出。
結局「権知朝鮮国事(朝鮮王の代理)」として冊封された。
しかし、李成桂自身は明から「朝鮮国王」としての冊封を受けることができず、次の定宗も在位2年で没したが、
三代目の太宗は明との関係を改善させ、正式に「朝鮮国王」に冊封されている。
まあ明清交替期には丙子胡乱とかあったし、朝鮮側は中華王朝に対して(国王と称するよりも)へりくだった書面を送ったのだろうが、
朝鮮国王というのが明清によって承認された対外称号で、中華皇帝の臣下であったことは確かだ。
なお高麗の建国者の王建も、当時の中華王朝である後唐に対して「権知国事」として朝貢し、高麗国王に冊封されている。
15世紀に成立した大越国の建国者も、明から「権署安南国事」に冊封されたが、在世中は安南国王の封号を受けられなかった。
>>211 イェニチェリは当初はキリスト教徒との戦争の際の捕虜からなる奴隷の集まりだったから。
>>211 イェニチェリはキリスト教徒ではない、
キリスト教徒の子供をイスラム教に改宗させた上で皇帝への忠誠を叩き込むんだ
皇帝の手足として洗脳し、非人間的な兵士に仕立て上げるわけだから
イスラム教徒の子供を使うわけにはいかない
古今東西、新しい領土の有力者の子弟を連れてきて、征服者のところでそれなりの
役を付けて働かせるというのは、あたりまえの統治手段。
いくつか目的はあるけれど、一つは人質目的。イスタンブールに連れて行かれてる
息子や甥や弟なんかを案じて反乱起こしたりしにくい。
また一つは、宣伝。これから征服しようとするところへ、早々に降伏したら、そんなに
ヒドい扱いはしませんよ、元の土地も安堵しますよ、子弟は中央で出世もできますよ、
という具合に。取った支配地にも、地元の親分も従ってますよ、息子は中央で立派な
軍の中枢になって、同化が完了してますよ、本土編入済みですよ、という具合に。
もう一つは、とにかく、仲良くなること。若いうちなら仲良くなりやすい。日本の幕藩体制
の江戸参勤、妻子の江戸屋敷抑留とかは、まさにこの目的だし、ヨーロッパの植民地
支配で現地有力者の息子を宗主国側に留学させたり、支那圏でも土豪や外藩の子弟
を側用人に使うとかも、これだ。
ついでの目的として、最上位の支配者の側近は、譜代の貴族では扱いにくい。できれば、
力の有る古くからの貴族よりも、宮廷の力関係とは縁遠いところの者が良い。支那圏では
を世襲の道を断った上で使う宦官は外征時の捕虜や購入した奴隷だったし、日本なら、
側用人は旗本のなかの小身のものから抜擢だったし、ヨーロッパでも、宰相は宮廷貴族や
領地持ちではなく、下級役人から出世していたりする。
そういうのを見ると、新しい支配地の土豪の血縁者の若者を徴発して皇帝の側近や親衛隊に
育てるといのうは、別に変わったことでもなく、イェニチェリもごく当たり前の存在だ。
有力者???
なんかイスラム厨が頑張りだしそうな気配w
イェニチェリは別にキリスト教世界の有力者の子供じゃないぞ
基本的に能力主義で選抜された元奴隷だ
人質は人質で別に取ってる、スカンデルベクのように
というかスルタンの側近はみんな改宗キリスト教徒
オスマンの特殊なところは、原オスマン人や生粋のイスラム教徒が
権力中枢にあまりいないところ
221 :
世界@名無史さん:2010/08/21(土) 09:59:41 O
中央アジアのトルコ人の血なんてほとんどひろがってないんじゃ
>>220 別に珍しくないでよ。
幕藩時代だって側用人には譜代の有力大名からは出ていない。辺地の小藩だったり、
御家人や旗本だったり町役人だったり芸能人だったり。
ヨーロッパだって、小姓や側近は、城持ち爵位持ちからは出さないし。
>>222 全然基準が違う
異教徒を奴隷とする社会でない日本ではまず比較のしようがないし、
西欧でさらってきたイスラム教徒をキリスト教徒にして大臣に据えたことなんかない
イスラム社会は、イスラム教徒以外は社会の成員でないから、名目上は奴隷だよ。
でも、廷臣やお妃が、鞭で打たれたり頸木や足枷をつけられていたわけではないだろ。
奴隷ったって、リンカーンが開放するのしない言ったああいう近代奴隷とはまた別だ。
は? 臣下やイェニチェリはイスラム教徒だぞ?
よく知らないならうだうだ口を出さないでくれ
奴隷として連れてこられたイスラム教徒のうち、男子の未来は段階的にいくつかにわかれる
ひとつは本当に奴隷、使われる場によっては本当に鎖で繋がれ鞭で打たれ肉体労働を強いられる
戦場には最下級の消耗品兵士として送り出され、十把ひとからげで死ぬ
とりたてて能力のない者はこの運命になる
肉体的に優れる者はイェニチェリ候補として仕込まれる
まずイスラム教に改宗させられ、厳しい管理のもと言語、規律、忠誠等を仕込まれる
彼らは一般の臣民ではなく、イェニチェリ軍団にしか生存の場を求められないため
逆に強烈な帰属意識をもつ
イェニチェリ、あるいは奴隷の中から見た目の良いものは従僕として宮廷に召し上げられる
スルタンには少年趣味を持つものが多く、目に止まれば側仕えを命じられる
宮廷に上がった者、あるいは奴隷として市井で使役される者の中でも
特に知能の高い者は官僚、最高でパシャとして召抱えられる
際立って特殊な才能を持つ者はキリスト教徒のまま宮廷に入ることもあるが、
これは奴隷上がりではまずなく、キリスト教世界から学識等を売り込んだケース
優れた多民族国家は出自を問わない人材登用策を案出するもので、
オスマン帝国のこのやり方も、独特ではあってもそのひとつと言える
支那では科挙、ローマでは市民権授与特例などがそれに当たるか
現実問題として、オスマン帝国内のイスラム教徒やトルコ人のみを使っていたのでは
能力的にも、帝国内情勢の均衡を図る上でも不安だったということだろう
特にオスマン帝国という勝ち馬に乗ろうとするアナトリアの土豪勢は
一時期異教徒より目障りな存在で、奴隷登用制度(デウシメク)は
彼らを帝国権力から遠ざける効果も挙げている
科挙に合格するのは漢人か、少なくとも漢字文化圏出身でないと厳しそうだが…
いや、科挙は、どういう試験があるのか、どういう手続で受験できるのかといった
情報が特定の者に守秘されていて、お題目とは逆に、始めて早々特権階層の
特権維持や私服を肥やすものに成り下がっていた。
阿部仲麻呂は科挙コースで安南節度使に任官しておる
撈民と蛋民には受験資格が無かったのは事実だが
>>230 農民やら商工民が科挙を受けようとすると、村役人から県令からなんからにどっさり賄賂を積んで
初めて試験の話を聞かせてもらえる、というようなもの。
阿倍仲麻呂は外交官だろ。とりあえず皇帝に謁見はできる。そこで話が弾めば、「よし気に入った、
科挙を受けてみろ」なんてことは、ありえるわけよ。なんせ、古代だ、法治でもなんでもないからな。
治世は絶頂期の玄宗皇帝だろ、あいつ気に入った、と皇帝が言うものを、おいそれと外したり落としたり
できないだろ。
科挙も、全時代で完全に機能してなかったとも完全に機能してたとも思わんがね
どこにでも裏をかこうとする奴はいる、程度問題
>>232 いや、農民や商人が子弟に科挙受けさせて成り上がろうとするってのは、
良くある話なんだが。有名な失敗例が洪秀全。有名な成功例が曾国藩。
アメリカの工業化が進んで、ヨーロッパ諸国に匹敵する工業力を身に付けたのはいつ頃でしょう?
南北戦争の頃には既に一流の工業国だったようですが、いつそこまで急激な発展を遂げたのですか?
18世紀後半には、イギリスという当時の大国に独立戦争を挑んで勝つぐらいの国力はあったみたいだよ。
数百人から数千人規模の戦いばっかじゃん。総力戦じゃない。
国力なくても本国を遠く離れた土地での戦いなら地の利で独立戦争は勝てる。
そうな
工業力という点で見ると、資源と
フォード式に代表される量産志向から生産力は圧倒的であるものの
技術力に関しては二線級の状態がしばらく続いた
移民の流入と共に次第次第に技術水準も上がっていったんだが、
本格的にヨーロッパと並ぶようになったのは19世紀から20世紀にかけてか
古代から中世にかけての南米においてペルーやチリなどの高山地帯に強力な国家が成立したのに、
ブラジルやアルゼンチンなどの平野部が広い地域に強力な国家が成立しなかったのはなぜですか?
平野がでかけりゃ帝国ができるってもんじゃないだろ。
241 :
世界@名無史さん:2010/08/23(月) 10:20:09 0
遊牧民と農民、商人と農民、などで考え方が違うと思うが、その辺のことを詳しく聞きたいです。
例えばステレオタイプ的に言うと、農民から遊牧民見るとその辺をプラプラしていている不安定な奴らと思うし
他方、彼らから見れば農民は狭い土地にしがみ付いている臆病な奴らと思っていそうだし、
農民から商人といえば、右から左に物を動かすだけで金を稼ぐ軽薄な奴らと・・など等
個人的に一番知りたいのが、共産主義圏の人(政治家?)の命(人権?)の考え方、戦争、平和、などについてです。
昨今、中国、東南アジアなど共産主義国の台頭が目立つので知ってて損はないと思いました。よろしくお願いします。
個人的には、自国民を虐殺する彼らの歴史(ポルポトとか点アンモン事件とか)が理解できないので先生方にお世話になります。
242 :
世界@名無史さん:2010/08/23(月) 10:38:41 0
で、何が聞きたいの?
>>241 もう少し簡潔に書け、聞きたいことがあるのなら。
自国内の反乱者や異端を粛清するのはどこだってあっただろ。
245 :
世界@名無史さん:2010/08/23(月) 10:56:14 0
共産圏の大量虐殺の歴史や外交(短期間のうちに勢力を驚異的に拡大した事)についてよろしくお願いします。
「共産圏の大量虐殺の歴史や外交」のなにについて聞きたいんだ?
それを語りだすと1スレ作れちゃうぞ。
実は秦の始皇帝は共産主義者だったのだ。
248 :
世界@名無史さん:2010/08/23(月) 11:45:03 0
>個人的に一番知りたいのが、共産主義圏の人(政治家?)の命(人権?)の考え方、戦争、平和、などについてです。
それを一生涯かけての研究テーマとしてください。
学士院会員を目指して。
夏休み残り1週間ぐらいか
駆け込みでまたへんてこな質問増えそう
250 :
世界@名無史さん:2010/08/23(月) 13:30:38 0
チャーチル涙目の気がするが、日本が赤く染まったらみんなはどうするんだ?
ロシアも中国も手強いよ
それは第二次大戦後に日本がソ連や中国共産党により赤化していたら、という話?
あるいは現在から何年後かに日本が赤化したら、という話?(ソ連はもうないから中国の影響で?)
253 :
世界@名無史さん:2010/08/23(月) 16:52:12 0
世界各地の王宮にはSEXの指南役がいたって本当ですか?
254 :
世界@名無史さん:2010/08/23(月) 17:11:51 0
いいか、よく聞けよ。
一番大事なことは、歴史的事実がどうであったかということではなく、
日本にとって望ましい歴史とはどうあるべきかってことだ。
愛国心のある日本人なら、そこんとこわかるだろ。
問題なのは事実がどうだったかってことじゃない。
日本人にふさわしい日本に誇りを持てる歴史を書くってこと。
そんな韓国みたいな真似は戦前までにしときなさい。
>>254 「歴史を書く」という行為が、それが右翼であれ、左翼であれ、中道であれ、
特定の立場からしかできないということが戦後の歴史哲学の発展によって明らかになってる以上、
このコピペは見た目以上に歴史の本質をよく捉えている。
ゆえに、この提起が主張する「皇国日本の歴史」は戦前までの王侯貴族の政治史、戦後の庶民大衆のアナール的な生活史と、
あるいはそれらを折衷した一国史、地域史などと同列の文脈に置いた上で批判しなければならない。
日本国憲法の基礎となっているリベラリズムが世界的に劣化してる現在、
「日本国の歴史」のようなリベラルな立場からこれを批判するのは大変だろう。
左翼ならマルクス主義やらなんやらを基礎にした「日本人民の歴史」を対置すれば十分だけどな。
スレチよそでやれよカスども
258 :
世界@名無史さん:2010/08/23(月) 20:36:55 0
>251
確認したい事の始めとして、ロシアに絞って質問します。
@スターリン、フルシチョフの時代の共産主義は、現在の共産主義と違っているのでしょうか?
A戦後日本は、アメリカに復興援助されてきた主要な理由が日本が赤く染まると地理・戦略的に
まずいからだと思ってますが、それなのに日本人が(偏見無しの立場で)共産主義の実態に詳し
くないのは何故ですか?戦中末期に裏切られて北方領土取られたりしたじゃないですか?
朝鮮戦争で(韓国人には悪いが)ガッツリ儲けたじゃないですか?北朝鮮とか話題になるじゃないですか?
なんで無関心な人が多いのだろう?工作員が暗躍しているのかな・・
>>258 >@スターリン、フルシチョフの時代の共産主義は、現在の共産主義と違っているのでしょうか?
現在のと違うかどうかは知らんが、レーニンのとは全く違う。
>>258 @「現在の共産主義」が何を指しているのかわからんし,
スターリンとフルシチョフの二人の時点で相当思想が違うだろう。
(上の人が書いてるけど,レーニンとも違うしね)
スターリニズムも数多に分化した共産主義思想の一つ,というだけ。
ヨーロッパにおいて、傭兵が傭兵隊長の率いる小規模な傭兵隊の一員から、
国家に直接雇われる常備傭兵軍の一員に変わっていったのはいつ頃からですか?
歴史上で、なすびで殴られて暗殺された人物っているんですか?
1470年、スイス傭兵がフランス王の軍においてブルゴーニュで活躍したことを受けて、国王直属の常備傭兵軍が各地で編成された。
1486年にはハプスブルク家のローマ王(のち皇帝)マクシミリアン1世が、
スイス傭兵をモデルに「ランツクネヒト」という常備傭兵軍を編成している。
しかしカネがかかるので大国でしか作れず、イタリア諸国では小規模な傭兵部隊を雇うのが関の山。
フランス王が自分のところの常備兵を傭兵としてチェーザレ・ボルジアに貸し出したり
領主自らが傭兵として雇われたりするわけだし、
絶対王政になっての常備兵までは不安定なのは大差ない。
中世〜近世ヨーロッパの布製の日用品について知りたいのですが、なにか良い資料はないでしょうか?
服や絨毯などはネット検索でも割と出てくるのですが、荷物運搬用の袋や布巾となるとどう調べたらよいのか……
「先生は仏教徒なのになんでキリスト教やイスラム教の教義も詳しいのですか?」と
聞いたところ「世界史をやる上で宗教の知識は欠かせない」との返答が返ってきました。
俺の世界史の先生は創価ですが聖教新聞や大作の著作に混じって和訳コーランや聖書が机に置いてあります。
世界史をやる上で宗教の知識は教義も含めて必要なのでしょうか?
267 :
世界@名無史さん:2010/08/24(火) 09:09:34 0
世界史をやるというその程度による
洋の東西を問わず宗教を抜きにして世界史は語れないでしょう。
中世史なんかキリスト教の知識がないと意味が分からなくなる。
>>266 一神教の考え方とかさ、特にキリスト教関係は勉強しといた方がいいよ。
大航海時代とかで宣教師とかが出てくるじゃないですか?
『キリスト教を信じてる=魂が救済される → 信じていない=魂が救済されない』
こんな感じの潜在的価値観が他の人達に向けられた訳です、
彼らにとって自分達の信仰共同体以外は全くの範疇外だったのですね。
これらについては旧約聖書をざっと目を通しておくといいと思います。
阿刀田高の『旧約聖書を知っていますか』などはダイジェスト的で読みやすいですね。
旧約聖書は民族の流浪譚的な歴史ストーチーですから、
読みやすいので一度勉強されておく事をオススメします。
ここに出てくるユダヤの神様は傲慢で嫉妬深くて専制的なんですよね…
宗教と歴史が結びつくのって西欧イスラムだけで中国や日本は関係無さそう。
271 :
世界@名無史さん:2010/08/24(火) 10:42:39 0
どこの国でも宗教は歴史の一部だが?
中国は唐の時代には道教の強い影響を受けているし、朱子学や陽明学など
儒教が政治に影響を与えているよ。その影響を受けた日本も、仏教だけでなく
道教や朱子学の影響はあるからね。
ハプスブルク帝国が海外に植民地持ってなかったのは
内輪揉めで植民地政策やってる場合じゃなかったからですか?
274 :
世界@名無史さん:2010/08/24(火) 11:37:52 0
アドリア海沿岸の小規模な港からどうやって外洋に大艦隊を?
スペインと姻戚関係を結んで日の沈まない帝国になってたが。
そもそも「ハプスブルク帝国」というもの自体が存在しないし。
じゃなんていえばいいん?
オーストリア帝国
279 :
世界@名無史さん:2010/08/24(火) 12:29:47 0
ハプスブルク家のローマ帝国
>>266 例えばキリスト教の一派であるカルヴァン派は、予定説という説を唱えた。
これは神によって救われるものは個々の人間の努力や教会の赦免とは関係なく、
予め決められているという説である。
これによりカソリック教会が発行する贖宥状や破門は何の意味もないものとなり、
カソリックとの対立に至る事となる。
また、救われるものが既に決まっているとすれば現世においてどう生きれば良いのかという問題に対し、
神に選ばれたものはその証として神に与えられた現世での職業に励み、且つ質素に生きるものであるとした。
これによりカルヴァン派は現世の職に励み、熱心に働いた為に、豊かになり、職人は技術を高めた。
このカルヴァン派はフランスではユグノーと呼ばれ、あるいはスイスやオランダで改革派、
イングランドでピューリタン、スコットランドで長老派、新大陸でも長老派と呼ばれるようになる。
さて、懸命に働き質素に生きるとどうなるか、お金が貯まるのである。
つまり技術と資本が蓄積されるという事であり、資本主義に向いた宗教なのである。
スイスでは海に面しない山がちな地形等の問題もあり、精密機械技術は時計作りに、
資本は金融業へと向かった。つまり時計と銀行のスイスが生まれた原因はカルヴァン派にある。
同様にオランダの独立と商業の発展、イギリスでの清教徒革命、産業革命などもカルヴァン派に遡る。
オーストリアはわざわざ海を渡らなくても、
ドイツ統一、バルカン進出、イタリア進出と出て行く先はある。
ポルトガル、スペイン、オランダ、イギリスいずれも陸路で進出できないか、
できても無駄に大国と戦うしかない。
海というけど海に面しているデンマークやスウェーデンはなんで海外に植民地を持たなかったんだということになるが
北米大陸にいくつか植民地を持っていたが、
国力的に維持できず、オランダやイギリスにとられた。
一応グリーンランドはデンマーク領ではあるが。
??
デンマークはギニア湾岸、西インド諸島、ベンガル湾に、スウェーデンは北米に植民地を持っていた。
ただ、いずれもアメリカやイギリスに売却したけど。
286 :
世界@名無史さん:2010/08/24(火) 13:00:45 0
おまえら仕事早いなw
オランダは何で海に積極的に進出して植民地せっせと作ったんだろう
本国は欧州では強国に挟まれた小国に過ぎず、大西洋に向かって開かれている
海外へ目が向かない方が不思議だろう
国土が狭いというのはそうだが、前段階として
海運、海賊業(このふたつは歴史的に両立することが多い)で培った造船、操船技術の伸長がある
イタリアの海洋都市国家群が衰退し、その後をスペイン、ポルトガルが埋め、大航海時代に入り、
しかし国力にあかせただけの偽海軍国だった西葡を英蘭が駆逐したというわけだ
あの辺にはガリア戦記の時代から航海用の大型船を操る連中がいたからなぁ
>>289 スペインはアラゴンとカスティリアが合同して生まれたが、
コロンブスがアメリカを発見する直前の時点でアラゴン王はシチリア王、マヨルカ王を兼ね、
その艦隊は地中海でイスラムの艦隊を破るなど精強だった。
ヨーロッパ人の初めての外洋船キャラックやキャラベルはスペインやポルトガルで生まれた。
スペインの北海の領土であったネーデルランドはスペインが運び込んだ香辛料の交易地として栄え、
木材の少なかったスペインの造船所として船を量産し、造船技術をスペインから受け継いだ。
1588年にスペイン艦隊をイギリス艦隊が破るも、それは一時の事で、別に世界に進出できたわけでもない。
世界はその後1世紀はスペインの物であり、更にその後1世紀はオランダが栄えた。
その間イギリスはオランダ製の船を使っていたのであり、1651年に航海条例を出してイギリス製の船を使うようにさせ、
その後でようやく世界に乗り出せた。
ポルトガル、スペイン、オランダ、イギリスという順番はそのまま造船技術と造船能力の推移でもある。
スペインはスポンサー能力はあっても、実際の技術人材はジェノヴァとかだろ
293 :
世界@名無史さん:2010/08/24(火) 18:24:20 0
イスパニア、ポルトガルは新大陸へ人材が流出し過ぎて本国が衰退。
経済力の落ちたイタリアから金のあるスペインへ人が移るのは当たり前だが、
イタリアは所詮地中海国家だから外洋船の技術があるわけじゃない。
技術開発自体はポルトガル、スペインの独力。
イタリアが衰退したとは言ってもヴェネチア辺りがその気になれば
コロンブスやガマ程度の艦隊が用意できないわけじゃない。
ポルトガルやスペインの進展で危機感もあったはず。
足りないのは技術。
ヴェネツィアは直接オリエントと商売してるから、
わざわざ大西洋の彼方やアフリカの南端まで乗り出す必要はなかったの
まあベルギーや英国とも沿岸航路での取引はあるけど
外洋航海用の技術も船も、スペインにあったわけじゃない
大航海時代に模索してなんとかしたんだ
その模索の主軸を担ったのは、別にスペイン人じゃない
金を出したのはスペインだが
アメリカとヨーロッパの科学者と核開発の関係…に似てないこともないか
科学者はアメリカに移住したが、船乗りらは性質上スペインの畳の上では死んでくれないしなあ
日韓併合に関しての質問はここで宜しいのでしょうか?
★ Aさん
日本にもアメリカにもロシアの外交記録にも残ってる事実に
「日本陸軍が韓国の宮廷(当時、皇帝を韓国は作ろうとしていたので宮廷があった)及び
行政府を包囲した状況下で併合交渉が行われた」 と記録されている。
実際、その直前には日本軍による韓国の王族(皇族)の刺殺事件まで起きてる。
>軍事力、国力で圧倒的な差がある状況を指して、併合を強制されたと言ってるだけなんだよ
これは間違い。
歴史的な事実として、実際に施設を軍で囲み、銃つきつけて併合しろと迫ってた。
そして実際にその過程で韓国側に死者も出てる。
どうせ意見を言うなら正しい知識を得てから言ってくれ。
299 :
世界@名無史さん:2010/08/24(火) 20:43:11 0
☆ Bさん
第二次日韓協約(乙巳條約)締結時に、日本軍が朝鮮の宮廷前の広場にいたことは認める。
しかし、それは、当時李完用の邸宅が焼き討ちされる等の
不穏な状況にあったからで、要人の「警護」のためだった。
それが「銃つきつけて併合しろと迫ってた」行為だというなら、その根拠をどうぞ。
>実際、その直前には日本軍による韓国の王族(皇族)の刺殺事件まで起きてる。
誰のこと?
「日本軍による韓国の王族の刺殺」と言えば、閔妃暗殺のことか?とも思うが、
閔妃暗殺は1895年、第二次日韓協約(乙巳條約)締結は1905年。
10年前を直前とは言わないよな? 閔妃以外にいたか?
>歴史的な事実として、実際に施設を軍で囲み、銃つきつけて併合しろと迫ってた。
>そして実際にその過程で韓国側に死者も出てる。
そんな事実はない。
歴史的な事実として、日本軍によって警備された朝鮮の宮廷で、
朝鮮の代表者が署名して第二次日韓協約が結ばれた。
そして、その警備の理由は李完用の邸宅焼き討ちなど不穏な状況があったからだ。
第二次日韓協約の締結過程で、死者など出ていない。
300 :
世界@名無史さん:2010/08/24(火) 20:45:20 0
>>298-299の、Aさんと、Bさんのどちらが正しいのでしょうか?
テンプレに
>特定アジアの現代史に関する質問も、他のふさわしい場所でどうぞ
とあるのでここ以外の場所がいいのでしょうか?
その場合は誘導お願いします。
301 :
世界@名無史さん:2010/08/24(火) 20:46:16 0
302 :
世界@名無史さん:2010/08/24(火) 20:49:43 0
東南アジアの島嶼部が独立する時に、島ごとや民族ごとに独立せず、
旧植民地の枠組みで独立したのはなぜでしょう?
おかげで統治が面倒になったり、民族問題に悩まされたりと、
図体こそ大きくなったものの苦労が大きくなったように思うのですが。
せめて、マレー半島、スマトラ島、ジャワ島、カリマンタン島、その他の島々などの単位で独立した方が、
後腐れなくて良かったのではないでしょうか?
ひとつの島の内部ですら「民族」が無数におり、宗教も文化習俗も多様だというのに
いちいち細かく「民族国家」に分けていけば国そのものがなりたたんぞ
単一民族国家とやらが世界中にどれだけあるというのか
独立に際して戦う相手が同じなのにバラバラに戦っていたら宗主国に勝てない。
それに宗主国の統治時代にそれなりの繋がりなんかもできていて簡単に分けられない。
その分後で内部紛争が起きたりもしたわけだけど、優先順位から言えば先ずは宗主国から独立を勝ち取る事。
インドとパキスタンのように後から分離するにしても、独立もできない内から内部紛争を起したり、
バラバラに行動するのは不合理。
ヒトラーがユダヤ人虐殺をやらなければ、今のドイツでもユダヤ人が銀行の頭取や経営者など
社会上層部に多く入り込み、ドイツ人はその下で賃金をもらい働くといった構図が続いてましたかね?
>>308 実際に起きていないIFを問われても、このスレでは答えられません。
このスレで答えられるのは、実際に起きた過去の事象についてのみです。
ヒトラーがユダヤ人虐殺をやる以前は、ドイツではユダヤ人が銀行の頭取や経営者など
社会上層部に多く入り込み、ドイツ人はその下で賃金をもらい働くといった構図が続いていたのですか?
>>310 財界トップクラスはドイツ人の資本家が占めていました。
ヒトラーのスポンサーもこういう人々です。
ユダヤ人は大学教授や中小企業・商店の経営者・弁護士・医師など、
富裕層ではあるけど社会の上層部では無いという人々が多かった。
なるほど在日みたいなものか。
>>311 レス有難うございました
では政治家とかはユダヤ人はいなかったんですか?
ヨーロッパだと、男が身分の高い女性の手(手袋)にキスをする習慣がある(あった?)ようですが、
この習慣はどういう意味合いがこめられてるのでしょうか。
今現在、韓国民が学校等で並んでいる韓国史を知りたいのですが
日本語で紹介しているサイト等がありましたらお教えください
>>308 そもそもドイツにホロコーストなんて存在しないんだけど
大虐殺ってのは日本における南京大虐殺と同じ
317 :
世界@名無史さん:2010/08/25(水) 00:30:19 0
ドイツの学校教育について知りたいのですが、
ドイツは日本のように連合国に洗脳教育とかされているのでしょうか?
ドイツ国民も自虐史観なんですかね?
>>314 相手が男でも手にキスはする
指先へのキスはFINGERTIPS KISSと言い
手の甲へのキスはHAND KISSと言う
意味は色々
挨拶の場合もあれば愛情表現の場合もある
敬意の場合もあるし賞賛の場合もある
ぶっちゃけ、その場の空気読んで解釈しろ
相手が王なら敬意、親戚なら挨拶、という具合
>>316 レスありがとうございます。自分もネットなどで調べたところ仰るようにユダヤ人虐殺と南京虐殺は
存在しなかったというのが現在では通説のようです。自分も自虐史観の教育を受けてる身ですから。
>ヒトラーがユダヤ人虐殺をやらなければ、
↓
>ヒトラーがユダヤ人追放をやらなければ、
に修正させて頂きます。
ここ自演スレじゃないから
>>319 なるほど、相手が男の場合もあるんですか
男→女だけかと思ってました
どうもです
323 :
世界@名無史さん:2010/08/25(水) 13:46:32 0
>>320 >自分も自虐史観の教育を受けてる身ですから。
この辺が自演ぽかったね、気をつけよう
>>270 支那圏なんて儒教と道教でがんじからめじゃん。
たまに遊牧圏の王朝がくると、支配層が仏教で、前政権から引き継いだ完了や在来土豪やらと
すげえ軋轢があったりするし。
日本の中世後期なんて、ヨーロッパの宗教改革ほど血みどろの争いはしていないけれども、
禅宗の思想の強い影響を受けている支配層と、浄土信仰の影響の強い民衆とで対立が激しいし。
民衆側が立ち上がった一向一揆とか石山本願寺なんて、まさに、そういう例だし。
>>270 > 宗教と歴史が結びつくのって西欧イスラムだけで中国や日本は関係無さそう。
いや日本や中国だって大いに関係あるだろ。
中国の場合は、その無軌道さや倫理観念に歯止めが無いのもその宗教観からだし、
日本人の勤勉の精神もカルバン主義的な観念の形成だし、
あながち宗教と無関係はいいがたい
『日本人は無宗教』とかよく言われるが狭義の宗教こそは無いが、
ある種の宗教的価値観を共有してるのは明らか
儒教・墨家・黄老、太平道(黄巾の乱)、五斗米道、仏教東伝、唐末の廃仏運動、
新儒教(朱子学)、弥勒教・白蓮教、太平天国、義和団、法輪功など
シナの歴史にも宗教は様々に絡んでくる
マルクス主義や毛沢東主義だって一種の宗教だしな
国家神道というカルト宗教のおかげで大日本帝国を滅ぼしたことも忘れちゃったのかww
328 :
世界@名無史さん:2010/08/25(水) 18:05:08 0
現在、社会主義国なのは何カ国で、どことどこですか?
中国みたいな実質資本主義になってる国も含めた場合と、
名実ともに社会主義体制の国の場合と両方で挙げて下さい。
329 :
世界@名無史さん:2010/08/25(水) 18:25:09 0
330 :
世界@名無史さん:2010/08/25(水) 18:39:24 0
第4回目の十字軍遠征でコンスタンティノープルを攻略して、1453年にオスマントルコに滅ぼされるまでコンスタンティノープルって誰が統治してたの?
西側の人が統治してたらもう東ローマ帝国じゃないと思うんだけど、オスマンに滅ぼされるときの表現が「東ローマ帝国の滅亡」ってなってるんだけど。
あなたたちの夏休みはいつまでですか?
第4次十字軍が一旦コンスタンティノープルを奪いラテン帝国を建国するが、東ローマの皇族は各地に逃れて亡命政権を樹立。
1261年にニカイアの亡命政権がコンスタンティノープルを奪還し、ラテン帝国を滅ぼす。
これがパレオロゴス朝となるが、その後もセルビア・オスマンなど周辺諸国から攻められまくり、首都周辺を除く領土をほぼ失う。
14世紀末以後は皇帝の位すらオスマン帝国のスルタンに左右される程度に成り下がるが、一応属国として存続。
ついにメフメト2世が「首都をかの地に置いてムスリムのローマ皇帝になりたい」とか言い出して攻め滅ぼした。
334 :
世界@名無史さん:2010/08/25(水) 19:52:55 0
335 :
世界@名無史さん:2010/08/25(水) 20:41:50 0
亡命政権は、ニカエア帝国、トレビゾンド帝国、エピルス侯国
しばしば北インドには統一王朝や北インドの半分から大半を制する強力な王国が樹立されたのに、
南インドには統一王朝や南インドの半分から大半を制する強力な王国が樹立されなかったのはなぜですか?
239 世界@名無史さん sage ▼ 2010/08/22(日) 21:11:14
古代から中世にかけての南米においてペルーやチリなどの高山地帯に強力な国家が成立したのに、
ブラジルやアルゼンチンなどの平野部が広い地域に強力な国家が成立しなかったのはなぜですか?
336 世界@名無史さん sage ▼ 2010/08/25(水) 21:10:40
しばしば北インドには統一王朝や北インドの半分から大半を制する強力な王国が樹立されたのに、
南インドには統一王朝や南インドの半分から大半を制する強力な王国が樹立されなかったのはなぜですか?
時間まで34秒差、笑っちゃうね
レポート? それとも質問でっち上げてるいつもの奴?
わざとくせえんだよゴミクズ
消えろ
>>337 それのどこに目くじら立ててるのか訳分からん。
スレ違いな質問でもないし、荒らしてるわけでもない。
新参はお引取りください
おまえが失せろゴミクズ
見抜かれて逆ギレw
ん?このスレっていつから古参じゃないと発言しちゃいけないスレになったの?
俺も何年かいるけど、一見さんお断りみたいな敷居の高いスレだとは思わなかったよ。
何年も居て、くだらねえ質問延々とでっち上げてる奴がいることを知らないはずないんだが
それともご本人? 白々しいマネが得意だからなあw
一部の学のないカスが自治しているだけ。
一見さん、世界史初心者のためのスレでもある。
○○は××ですが、
△△は□□なんでしょうか
こういう書き方してる奴はまず同じ奴なのでスルー
>>349 別にいいだろう。知りたいんだから聞いているだけなんだし。
しかも最近過疎だからいい話題提供になる。スルーしたい奴だけスルーすればいい。
自演はこの板の常
過疎板なのに突然加速するからモロバレなのに、
本人は気づかないか、気づいていても気にせず続ける気狂い
後者はアンチロシアやアンチギリシャ等々自前のスレを持って暴れている
この質問スレにも昔からひとりおかしいのが住み着いていて、
ボランティアのつもりなのか次から次へ質問をつくってスレを回している
んで、さっきからおまえは何がしたいわけ?そんなうわごとを語るスレじゃないんだよ。
お前の方がスレチだし自演と同レベルの荒しだよ。気がついていないのかな?そういうことに。
おやおや、自分の遊びを邪魔されてご立腹ですかw
お前の遊び場じゃないんだよ、いい加減出てけや
お前が出て行けよ
つーか世界史の話をしろよ。
わかってる奴はスルーしてるし、いいだろ
わざわざ回答してる奴もいずれ徒労に気づくだろうし
>>328 名実ともに社会主義の国は、いままで存在したことは無い。
>>336 石造建築や粘土板の文書が北には多かったが、
南は木造建築に貝葉の文書なので腐ったり萌えたりして実態がよく判らないだけ。
>>346 一見さんが質問しに来て、回答されてなんの反応も示さないってのがまずないよ
質問するだけして消えるパターンは、まあ大体は例の人
南インドにも石碑もあれば巨大石造建築もありますわいな
羊皮紙やパピルスだって腐ったり燃えたりせんわけないし、
粘土板を文字書くのに使うなんて紀元前の西アジアぐらいなもん
近代にはイギリス向こうに回してキリキリいわしたマイソール王国だってあるし
ローマ帝国はなぜローマの無産市民に金では無く小麦を与えたんですか?
金だと穀物価格が高騰したとき餓死者が出るだろ
最低限食えるラインを保障するなら、それに足るだけの食い物を渡せば済む話だ
ローマの福祉は「健康で文化的な生活」なんてややこしいものは保障しないからな
>>364 ありがとうございます。しかし、食べ物だけでは生活できないんじゃないですか?
やはり、お金がないと。
小麦を売ったんだよ!ばか
皇帝が即位したり祝い事があったりした時には、首都の市民に記念貨幣をばらまいたりしてるが、それだけで生活はできん。
インフラ整備して水道も最低限の穀物も供給してんだから、それ以上は自分がやること。
つまり餓死はさせないが、人並みの生活を送りたいなら自分で働いて稼げ、ということだろ。
「貧しいことは恥ではないが、貧困から抜け出そうと努力しないことは恥だ」とアテネのペリクレスも言っとる。
生活保護費や年金で庶民がのうのうと暮らせる現代が異常なんじゃ。
>>367 つまりパンとサーカスを享受していたローマ市民も遊び暮らしていたわけじゃなくて、
働いていたということでしょうか?でも、働いてたら小麦なんてもらう必要ありませんよね?
「パンとサーカス」の話題は、何度も何度もこのスレで出てくるなあ…。
無産市民(プロレタリア)と呼ばれている人々は、「日々遊び暮らしている無職の連中」じゃない。
「働かなくても暮らしていけるだけの資産(主に不動産収入)がないから、日々働かなくては暮らせない人々」なの。
小麦を市民、無産市民だけでなく全てのローマ市民権保有者に配るようになった経緯は政治的なもので、
これは市民の既得権益だから、おいそれと撤廃できるものではない。すれば皇帝だろうと失脚する。
ただし、月一で受付に並んで申請しないと小麦の配給は受けられないから、面倒くさければ並ばなくてもいい。
並んででも配給を受けないと餓死するような貧乏人なら並ぶ必要はあるが、それだけでは暮らせないから働く。
人口100万の世界的な大都市に、目先と工夫次第で労働の口がないなんてことはない。
中世以前から古代までは南米においてブラジルやアルゼンチンなどの平野部が広い地域には弱小な国家が成立したのに、
ペルーやチリなどの高山地帯に弱小な国家が成立しなかったのはなぜですか?
やっぱり文体似てるし本当に知りたいという雰囲気もない
一見さんは当然書き方もいろいろ
全部質問自体が間違ってるのが馬鹿馬鹿しいいよな
>「パンとサーカス」の話題は、何度も何度もこのスレで出てくるなあ…。
これも同一人物が毎回質問しているんじゃね?
374 :
世界@名無史さん:2010/08/26(木) 06:20:19 0
猿でも分かるような下らねー質問で話題作ろうとする馬鹿は放置でいいよ
一度相手にするとまた繰り返すからな
俺も質問していい?
>「パンとサーカス」
>>368 自前の生産手段が無いから無産市民なんじゃんよ。雇用が途絶えたら、そりゃ餓死する危険があるわな。
市民が餓死するようなのは国の恥だから、これだけ食べてれば餓死はしない最低限の麦は配る。
でも、配収所に朝早くきて、実際にもらえるのは昼頃、もらえる分量は一日分。
ローマ時代の標準的な労働時間は、日の出から正午までだから、結局一日分の麦、しかも無加工の粒の
ために、まっとうに働くのと同じ時間費やすわけだ。
パンとサーカス、今で言うと社会福祉と安価な娯楽は、とりあえず庶民の不満をなくし政権を安定させるに
必要なバラ撒き。
ん? 配給は月イチだぞ
半日以上並ばなきゃならんのはそうだが
これは成人男子のみ、つまり多くの場合で世帯主のみが対象で、
1ヶ月30キロだから一家5人居るとしたら、主食の分量としては全然足りない
価格に直すと大体15セステルティウス程度で、当時ローマ市民として
まともに働いてれば最悪でも月200セステルティウスは稼げたはずだから
これは完全に失業者、ホームレス対策ということになる
日本がまだ弥生時代ぐらいの昔にローマではホームレス対策してたなんて
都市へ流入した没落農民が犯罪事件を起こすのを防ぐのが元々の狙いだけどね
もっとも、現代の社会福祉も大恐慌の教訓があってのことで
別に善意でやってるわけじゃないし、似たようなもんか
小麦の受給は必ず受給資格者が行って受け取らなければならない
妻子に行かせて小遣い稼ぎ、というわけには行かない
ローマは地中海の生活リズムとして、日の出と共に働き午前のうちに終え、
午後は昼寝と余暇に費やすために、受給の列に並ぶというのは事実上の1日仕事
奴隷を使う程度の、やっと中産程度の家庭にとっては、
支給される程度の小麦に稼ぎ頭の丸1日を潰すほどの価値はまったくなかった
日本ではお米30キロ1万2千円くらいだから、貧しい家にとっては結構な実入りだよな。
日本の米は国内農家保護の名目で国が価格調整してるからもうちょっと安くなるはず
ローマの小麦はシチリアなんかの大規模農場で作って輸入してるためにかなり安くて、
30キロだと5〜7千円くらい? 1万円は超えないはず
ちゃんと計算しよう
奴隷1,2人を使う中産階級の収入を月800セステルティウス、
日本では賃貸家電完備車1台の家庭として月収35万と設定して、
1セステルティウスは約440円、小麦1モディウスの市価が大体3セステルティウス、
配給は5モディウスの15セステルティウスだから6600円
>>383 ん?
食料として主たる穀物を餓死しない水準で給付ということだろ。
だったら穀物の量が起点で計算しないとおかしなことになるでよ?
>日本ではお米30キロ1万2千円くらいだから
二級米?
>>384 日本米とローマの小麦を同レートで換算はできないだろ
なんせ本国小麦農家が根こそぎ壊滅するほどの価格破壊が起きてるんだから
対生活費比で現代のアメリカの相場よりも安い
小麦の話はいいよ。というかつまらん自演するな。
労働者の日当が4セステルティウス=1デナリウスだから、1000円前後?
ローマ軍団兵の年給が900〜1200セス略だし、労賃で換算するともうちょっと貨幣価値は高くないか
辺境の東ローマ帝国が千年も生き延びたのに、
イタリア本国やその他豊かな地を多数抱えた西ローマ帝国があっさり滅びたのはなんでざんしょ?
王位継承関係で質問なのですが、
古代ローマなんかを除けば、基本的に中世ー絶対王政期のヨーロッパは長子相続だったと思うのですが、
例えば王が死に、王の嫡子が女性であって、有力な王の兄弟やその兄弟の息子が残っていた場合など
どういう事になるのでしょうか?
それか、例えば次王となる男子が知的障害者であった場合など、どうなるのか気になります。
普段の素行から、こいつを即位させたらとんでもない暴君になるぞ。国がめちゃくちゃになるぞ。
というのはある程度解るわけで、そういった場合継承順位を頑なに守って相続させると誰得状態になると思うのですが、
王位継承順位などを多少無視しても、貴族を含めた当時の政界のパワー・バランスで柔軟に次の王を決めていたのでしょうか?
392 :
391:2010/08/26(木) 19:51:23 0
上げ忘れてしまいました。申し訳ないです。
>>390 美女は真っ先に犯され姦されるが、ブ女は放置され誰の相手にもされない
>>389 軍団兵の給与は本当に安いよ
そこに満期除隊でボーナスがついてそこそこの金になる程度
>>396 でも、当時は安い変わりに掠奪を容認されていたんじゃなかったっけ?
>>396 軍団兵の給与が安いなら、退職時に得られるわずかな辺境の土地と退職金と
ローマ市民権目当てじゃ割に合わないと思うんだが。
>>391 長子相続だったら歴史上もっと女王が居た筈。男子優先長子相続で、嫡出の男子が有れば姉より弟が
優先されたんじゃないの。
>>399 そもそも親が死んでる年齢なら、長女はどっかに嫁いでる可能性が高いしね。
>>398 まともに暮らせる市民は軍団兵なんか志願せん
衣食が保障されてはるかド田舎の属州でも畑がもらえる
そのために軍団兵になる
その程度の連中がやってるんだ
ローマ軍団は幾度かストライキを起こしていて
その都度ギリギリのラインで賃上げが行われている
それでも、これは現代でもそうなんだが、兵卒は志願の際に金のことはあまり考えない
多少の愛国心と、若さからくる冒険心と、国家に必要とされる名誉心と
そういったものにかなりの部分を依存するわけ
もちろん志願するのは、ローマ市民(正規兵)の場合
大抵はとくに才能も学問もないプロレターリの次男坊三男坊とか、
もうヤクザになるしかないようなのがなるわけだけど
属州民(補助兵)の場合はこれに市民権ほしさが加わるというだけで、事情は大体いっしょ
もっとも各自治体によって徴募方法はまちまちだけど
>>391 んなもの、柔軟どころか、強行策だよ。
臣下も誰に付くのが得策かと考えるし、封建制と言ったって東洋の「忠臣二君に見えず」は中世ヨーロッパでは通用しないし。
代替わりの際には誰を王様にするかでモメる。
王子様にしたって、忠誠を尽くすに足る振る舞いができていないと、裏切り臣下に殺されてしまう。言い方を換えれば、巧く
家臣団を手なづける手腕があったり、優秀で忠実な家臣団を形成できて、はじめてトラブルなく継承できるということだ。
ローマ帝国にミステリーサークルが出現したって記録は
残ってないんですか?
ユリウス・カエサルをハゲ頭にしたのは宇宙人だそうです。
406 :
世界@名無史さん:2010/08/27(金) 16:16:16 0
>>404 当時「Mystery Circle」なる英単語は無かったよ
夏休みのこの時期に成ると学生はおかしくなるよねw
新学期が不安なんだろう、いらいらするんだろうw
>>409 おぅ!
新学期になったらいじめられんのやろw おめぇw
かわいそうやな〜
///////////ヽ,,
f メー-----ー弋メヽ
ト| ___ ____ ____ .|ミミ| _________________________
ト|_,,,,,,__メ __,,,,,,_ |ミミ| /おやおや 自分がいじめられっ子のくせに人をいじめっ子呼ばわりとはいかがなものか
f|.-=・=H-=・=~iー6}リ < これはまことに由々しき事態でありぞっとしない
'ヒ______ノハ、_____ノ !!| | 本来ならばこの場で怒鳴りつける所であるが
f _, ,ム、、_ ./ \ヤング諸君にもそもそと苦言を呈するにとどめておく
ヽ ィ-==ー-i, ,ノ 人  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
\,____// /~丶_
人,_____/ / \
>>414 キミも可哀想。見ていて哀れになって来たよー
どっちもよそでやれ
ロシアのウラル以東地域は、シビル・ハン国建国以前はどんなんだったの?
どんなん?っていわれてもなぁ〜
あれだよ?
日本のアイヌみたいな人が楽しくくらしてたの!
ケット人という人達が
アメリカのイヌイットやナデネになるために待機してたんだよ。
いや、シベリアまで行くとともかく、それより西のヨーロッパに近いあたりは、
今は結構大都市あってそこそこ開けてるけど、
そういう地域はどうだったのか知りたいんよ。
国の一つや二つあってもいいような気がするんだけど。
ニジニ・ノヴゴロドやフルイノフあたりのこと?
もっと北へ行くとオビ川がシビル・ハン国。
スラブやチュルクの住む前って、何なんだろう。。。
うん、そこらへん
スキタイかな?
スキタイからシビル・ハンまでの間は?
中世ヨーロッパの大貴族は一人でいくつもの爵位を持って、
領地もあちこちに飛び地持ってたけど、
そういう状態から一人の貴族が飛び地持たないで
一つの領土しか支配しなくなったのはいつから?
小林よしのりの「真実の世界史」の信憑性ってどんなもんですか?
どーもこの人偏った情報しか出してない気がする。
>>428 そういうのは人に訊くよりも違う視点から書かれた物を読んで自分で判断すべき事。
イスラム帝国を建国した勇猛なアラビア戦士が、
いつしか歴代のイスラム国家の主要軍事力から外されていったのはどうしてですかね?
自由主義と新自由主義の違いをおしえてください。
>>418 ノガイ・ハン国
キプチャク・ハン国
ハザール・ハン国
大ブルガル・ハン国
突厥
434 :
世界@名無史さん:2010/08/29(日) 17:35:51 0
日ユ同祖論についてお聞きします。
日本民族は10支族の末裔ということですがイスラエル人と日本人では
容姿も語族も違いますがこの日ユ同祖論はどこまで本当なのでしょうか?
435 :
世界@名無史さん:2010/08/29(日) 17:57:02 0
>>434 謎の疑似科学世界
ユダヤ説(日本=ユダヤ同祖論)は、最も多くの支持者を引き付けた説として知られるが、その論証は、
例えばその最も初期の論者の一人である佐伯好郎の論に見られるように、
「(京都の大秦の)『うづ』は"Ishu"、即ち"Jesus"(イエス)又、『まさ』は"Messiah"(メシア)の
転訛語に他ならぬものである。それは、アラマイク語及びセミチック語の“イエス・メシア”Jesus, the Messiahの
転訛語に他にならぬ。」
といった、語呂合わせ的な独断めいたものであり、とうてい学術的な説とは言い難いようなものでしかなかった。
これらの説が、ほとんど全ての場合において、日本人の先祖を、オリエントあるいはヨーロッパの古代文明の
建設者である、「優れた」白人系の人種に求めている点には注意しておくべきであろう。
まず、「日本人は優秀である」という根拠のない意識が先行し、この意識を正当化しようとして、同じく「優秀」な
民族を日本人の先祖に求めようとする。その先祖に求められたのが白人系人種であったことは、欧米に対する激しい
劣等感と、それを自らの先祖を欧米人であとすることにより優越感に変えようとする発想の現れと言えよう。また、
木村説に見られるが如く、日本人がかつて海外をも自らの版図としていたとする説は、日本の対外侵略を
正当化しようとしたものとも考えられる。逆に言えば、それらの主張は「偽史」を動員しなければ正当化出来ないような、
根拠のないものであったわけであるが。
http://homepage3.nifty.com/boumurou/tondemo/gishi/gishi.html
>>434 * *
* + うそです
n ∧_∧ n
+ (ヨ(* ´∀`)E)
Y Y *
セム人はコーカソイドだ
第一次世界大戦と第二次世界大戦では、南米や北アフリカ以外のアフリカでの戦闘の話は聞かないけど、
これらの土地は平和にやってたの?植民地以外は中立?
440 :
世界@名無史さん:2010/08/29(日) 21:12:32 0
第一次大戦ではドイツ領のアフリカをめぐってイギリス軍との戦闘はあったよ。
ナイジェリアのイギリス軍がドイツ領カメルーンを侵略したりとか。
第二次大戦でも北アフリカをメインに戦闘があった。
>>439 【西部】ガーナ,カーボベルデ,ガンビア,ギニア,ギニアビサウ,コートジボワール,
シエラレオネ,セネガル,トーゴ,ナイジェリア,ニジェール,ブルキナファソ,
ベナン,マリ,モーリタニア,リベリア
【中部】ガボン,カメルーン,コンゴ共和国,コンゴ民主共和国,
サントメ・プリンシペ,赤道ギニア,チャド,中央アフリカ
【東部】ウガンダ,エチオピア,エリトリア,ケニア,コモロ,ジブチ,セーシェル,
ソマリア,ブルンジ,ルワンダ
【南部】アンゴラ,ザンビア,ジンバブエ,スワジランド,ナミビア,ボツワナ,
マダガスカル,マラウイ,南アフリカ共和国,モザンビーク,モーリシャス,レソト
どこらへんの話をしたい?
>>437 うそぉん。
ノアの三人の子、セム、ハム、ヤペテは、それぞれ東、南、北・西に住むべき土地を賜って子孫が拡散したとあるでよ、
セムの子孫は東洋人だよ。
>>440 サンクス。質問では北アフリカ以外のアフリカって書いたけど、
第二次世界大戦でも北アフリカ以外のアフリカで戦闘あったの?
>>441 全部
>>442 意味不明、モンゴロイドの派生はアブラハムより15万年以上前だ
>>442 現代科学より聖書の記述を文字通り信じたい系の人?
>>442 聖書に書かれた時代より、人類が世界中に拡散した時代ははるかに古いわけだが。
当時のイタリアは、エチオピアとエリトリア・ソマリアを「東アフリカ帝国」などと名づけて支配下に置いていた。
そして1940年から、枢軸国イタリアは英領のアフリカ植民地へ侵攻している。
リビア、エジプト、ソマリランド、ケニア、スーダンなど。
しかし英国から支援を受けた現地人の反乱に遭ったり、砂漠でパスタをゆでたりしてイタリアらしく過ごした。
http://www.kaho.biz/italy/d.html#1
ヨーロッパ絶対王政期の国内統治について、疑問がいくつかあります。
絶対王政に至った国というのは、国内の貴族連中から抜きんでた権力を国王が持っていて
重商主義による国庫(=王の金庫)を潤沢にし、常備軍・官僚機構を王が私有化し
国内で絶対的な権力・軍力を王が持っていたということですよね。
どうも中世暗黒時代ヨーロッパの封建制とイメージが結びつかない、というか
統治システム自体が全く別物、という気がして、腑に落ちません。
絶対王政下の貴族たちはどのような権限を与えられていたのでしょうか?
封建制の貴族たちならば、自国領の徴税権・裁判権・etcの権力を握り、自軍も持っていたと思うのですが、
絶対王政の時期、王が官僚機構を張り巡らせ、常備軍も王の出資で整備していたとなると
貴族たちは何をしていたのですか?
戦国時代西軍について減封に減封を重ねられた大名のように零落した暮らしをしていたのでしょうか。
どうも、官僚機構の高官として適当に仕事をしていて、それだけを収入にする小役人のようなイメージしか沸いてこないのですが
誰か中世に詳しい方がいましたら、そのあたり教えていただけると幸いです。
449 :
世界@名無史さん:2010/08/29(日) 22:30:15 0
失礼、age忘れてしまいました。
>>448 ごめん。
長過ぎて全部読む気がしない。
>>448 \ / .::::::::::::::::::::::::;;:;;::,ッ、:::::: ) く 要 す
\ l ,ッィrj,rf'"'"'" lミ::::::: く れ 点 ま
Y ,!ミ::::::: ヽ な を な
`ヽ、 | くミ:::::::: ノ い ま い
|、__ ャー--_ニゞ `i::::,rく か と
``''ー- ゝ、'l  ゙̄´彑,ヾ }::;! ,ヘ.) ! め
゙ソ """"´` 〉 L_ て
/ i , /| r
≡=- 〈´ ,,.._ i 't-'゙ | ,へ ,r┘
,、yx=''" `ー{゙ _, -、 ; l レ' ヽr、⌒ヽ'
゙、`--─゙ /! `、
_,,、- ゙、 ー'' / ; `、
-''"_,,、-''" ゙、 /;;' ,' / 、\
-''" / `ー─''ぐ;;;;' ,' ノ
// / ヾ_、=ニ゙
>>448 本題じゃないが、西軍について減封に減封を重ねても大名である限りは1万石以上の藩を経営している
訳で、「自国領の徴税権・裁判権・etcの権力を握り、自軍も持っていた」だぜ。例えとして不適切。
>>448 常備軍の士官、官僚、王の側近、地方で荘園経営など。
早い話。廷臣化したんだろ。
外様を全部潰して親藩・譜代だけにした状態だな
>>455 いや、それも違う。大名全員取り潰して、旗本だけにした状態。
えっマジ? 国王から給付金貰えないとただの素封家じゃん
458 :
448:2010/08/29(日) 23:57:07 0
>>451 ヨーロッパ絶対王政期の国内統治について、疑問がいくつかあります。
貴族たちは何をしていたのですか?
459 :
448:2010/08/29(日) 23:58:53 0
なるほど、確かに大名の例を出したのはおかしかったでした。
すいません
>>457 上級貴族なら爵位にもよるけど、王からいろんな名目で多額の金もらえる。
下級貴族なら軍人や官僚として働くか、荘園主として収入を得ることになるが、
それでも一般市民寄りは豊か。
>>458 廷臣になってた。
>>453 それだと、一般人と殆ど変わらないと思うのですが、
貴族の方々は皆、自領を手放したのでしょうか。
貴族にとって自領というのはもっとも大切な持ち物で、己の権力のよりどころなわけで、
王が強権を握ったと言っても、そう簡単にポイと手放せるようなものではない気がするのですが。
>>454さんの言うように廷臣化したというのは解るのですが
その経過がどうも飲み込めないんです。
封建制と絶対王政では統治システムが全く別物になってしまっているのに、
間に革命のような時代の節目となるようなイベントが全くないので。
>>461 何言ってんの、そんな一般人は居ないよ。いろんな政治闘争の結果領地を奪われて、士官とか官僚に
ならざるを得なかった。それを成し遂げた国だけが絶対王政を敷けたんだよ。
革命みたいに一発でドンじゃないんだよ。少しずつジワジワとそういう事になっていったんだ。
日本史で全ての土地が朝廷のものだった班田収授法の時代が荘園だらけの時代になるのに革命とか
必要だったか?
没落した貧乏貴族もいれば、官位を買えるほど裕福な平民もいる。
前者はもう平民とたいして変わらんし、後者は新しい貴族階級になっていく。
中世末期から近世にかけて、欧州では百年戦争などの激しい戦争や内戦が続いた。
この過程で、旧来の貴族や諸侯は潰しあったりして弱体化し、王権は相対的に強化された。
中世の華であった騎士は、数を集められる常備傭兵団や銃火器に押されて戦場では活躍しにくくなる。
かくして没落した多くの貴族は宮廷や首都に集まり、王権に協力・寄生して出世する道をとるようになり、
興隆する富裕市民(ブルジョワ)も王権にすりよって、官僚や法服貴族に任じられる。
官位や爵位には俸給がついており、これを相応の値段で買い取れば、商人や農民でも貴族の列に入れるわけだ。
まあ「絶対王政」つっても、本当に絶対的な王権てわけでもなかったけどな
議会や聖職者や富裕市民を敵に回して革命起こされた国王もいるし
>>461 貴族・騎士階級の没落とは何か。
中世の基礎は農民が領主に作物などで地代を納める事。
それが貨幣経済の発展により貨幣での納付になった。
農民と領主の契約は年契約等の短期のものではなく、何代にも渡る長期契約である。
価格革命が発生して物価が上昇したが領主の地代は変わらない為、事実上収入が10分の1以下になる。
収入が減少して国王への務めを果たせなくなった貴族・騎士は領地を国王に返還し、
国王から給料を貰う役人・軍人等に成るしかなかった。
中世の崩壊にはペストや都市の発展なんかも重要なわけだけど、その辺は長くなるので割愛。
しかし全ての貴族が失敗したわけではない。
地代以外の収入を持つ貴族は生き延び、更にはブルジョア出身の新興貴族も生まれる。
そうした貴族達は英国なら議会、フランスなら三部会のように王に対し十分な影響力を持っていたし、
それを無視して王が無理押しすれば内乱が起きる。
フランスのように内乱を王が勝ち抜けば王権は強化されるが、
イギリスのように王が負ければ王権は押し込められる。
決して「絶対」王政だったわけではない。
>>465 なるほど。すごく良く解りました。
価格革命という観点は思いつきませんでした。
説得力のある論を教えてくださってありがとうございます。
>>465 物価が10倍になるほど状況が変わっても領主が領地返上するほどでも
農民と領主の契約は変更されなかったの?そんな対等な契約関係だったんだ。
イメージ的にはヤベこれウマくね?て喜ぶ農民を領主が槍でつついて
元のレートくらいに契約変更、な感じがするんだが。素朴な疑問。
>>467 そのキーワードがペストと都市化。
ペストで人口が激減した時代、領主が偉そうにすれば農民は逃げる。
逃げた農民は都市に行けば自由になる。こうして都市が発展した。
人口が回復した後、拡大した農民の権利を押し込めようとする封建領主の反動に対する答えが農民反乱。
ワット=タイラーやジャックリーの乱など、14世紀頃にヨーロッパ中で農民反乱が起きている理由がそれ。
そういう形で実質的な中世はその時に崩壊していたが、農民との契約が守られる限りは表面上封建領主で居られた。
17世紀の危機ではその表面までもがついに崩れたと言うだけなので、今更領主にできる抵抗は残っていない。
逆にペスト禍が少なかった東欧では農民の地位向上が発展せず、
東に行くほど農奴制が残る事になる。
中国の教育制度について質問ですが、
学問をやったり官僚になったりする家以外の人は、どうやって読み書きを覚えたのですか?
初等教育機関があったわけでもないし、下層階級で読み書きができないと務まらない商人や末端官吏などは、
どこでどうやって覚えたのか気になります。
爵位の継承って、国王の承認や日本でいう朱印状の提出みたいなことは
必要だったんですか?
まあ、国や時代によって違うと思うのですが、代表的なところを教えてください。
漢字なんか教わらなくても自然におぼえるよ。
2才のときに薔薇という時を書けたおれの意見
西洋の爵位は領地を世襲すれば勝手についてくるでしょ
>>469 明や清の時代には学堂(科挙受験向き)だけでなく、義学(私塾)があった。
私塾の師匠は郷試に合格した挙人でなくてもよく、敷居が低いので郷鎮単位にあったようだ。
学堂のほうは県城にあることが多く、現在の高級中学なんかの密度。
県下のそれぞれの郷鎮ルーラル・コミュニティー=hubは、4〜8箇所の村=spokeを抱えていて、
そこから私塾に通う形になるので、spoke側の住民がどんなふうに通っていたかはよくわからない。
郷鎮に一つだと初級中学や職業専門学校ぐらいの密度で、現在の小学校の村単位の密度までは達していない。
商人は郷鎮や県城に拠点を持っているはずなので、吏員の出身一族も郷鎮や県城に拠点があったと考えられる。
私塾の整備には、各地の布政史衙門が指導しているはず。
郷鎮の資力が乏しい場合は、布政史衙門が出資して建物をたてたりしている。
>>470 基本的には必要無かった。爵位は一度手に入れれば、後は誰の許可を得なくても自由に継承できる。
>>473 ありがとうございます。明や清の時代は近世だけあって、それなりに初等教育も充実していたんですね。
明や清以前の時代はどうだったんでしょうか?
477 :
世界@名無史さん:2010/08/30(月) 23:37:18 0
>>468 読みやすくて分かりやすいです。ありがとうございます!
478 :
470:2010/08/30(月) 23:40:35 0
皆さん、ありがとうございます。
そもそも疑問に思ったのは、近代以前の日本って地方分権的なのに
官位だけは中央集権的だと思ったのです。
ヨーロッパだと爵位は中央の権威付けなしに成立するんですね。
何で日本はヨーロッパみたいに権威が分権的にならなかったんでしょうかね。
>>478 誰の許可も要らず継承できるということは、逆にいえば力づくで奪い取られもする。
忠臣二君に見えず、みたいなものも要求されず、互恵契約のような封建関係だから、
「こっちの味方になるなら、どこそこを一緒に攻め取って、ナンチャラ公だのチャンラ伯だのの地位と
領地を山分けするぞ」のようなことわそそのかして戦争したりもする。
王権だって同じようなもので、ときには、隣国の田舎貴族が攻め込んできて国丸ごと取られたりもする。
>>478 だって官位は世襲じゃないし朝廷での役職なんだから、あくまで朝廷の権威が前提で意味を持つんだよ。
信長みたいに勝手に名乗る奴も多いけど。そういうシステム自体ヨーロッパには無かったでしょ。
>>478 >ヨーロッパだと爵位は中央の権威付けなしに成立するんですね。
>ヨーロッパみたいに権威が分権的
そんなわけがない。
どこからそんな発想を思いついたのか知らないが、
伯爵が男爵を叙爵したりする事はありえないぞ。
483 :
世界@名無史さん:2010/08/31(火) 09:12:14 0
叙爵は王しかできなかったはず。
んで、欧州中近世の皇帝は必ずなんらかの王位にも就いていた。
>>475 唐・宋・元の教育は、中央集権的ではなかったと考えられている。
元はほとんど言論統制をしない反面、貧困地区にまで「寺子屋」を建てたりもしていない。
明の16代天啓帝の時にすさまじい言論弾圧をして末端の教員達まで投獄した。
その結果として、末端の教育にも中央が面倒みるようになった。
漢とか西晋の時代には
>>471のいう通り、あんまり漢字の勉強を気張ってやっていた形跡はない。
485 :
470:2010/08/31(火) 18:48:34 0
>>481 なるほど。為になります。
>>482 そんなこといってません。馬鹿は消えてくださいm(_ _)m
>>485 476読んでりゃそんな馬鹿な質問は出ないだろ
そりゃなかには自称の伯爵だっていたのさ
漢字ってすげえよな。
大昔に鳥の足跡をみて、漢字を思いついた天才がいたんだってな。
漢方には神農、絹織物には女蝸。
農業は伏犠。
みんな仮託された技術の発明者がいる。
それなのに漢字の発明だけはそういうのがない。
いや。
仮名文字もそう。
アルファベットもそう。
くさび形文字もそう。
>>483 皇帝でもできる。
ただ神聖ローマ帝国の場合、皇帝が同じ家系で続くわけではないから、
帝位とは別に王位の担保がないと帝位が他の家系に移った場合に保証がないだけ。
皇帝としてだけの地位で爵位を与えたのは、フランク・ローマ皇帝、東ローマ皇帝、ロシア皇帝、
フランス皇帝(ナポレオン1&3世)、ドイツ皇帝(第2帝国)。
爵位には昔は領地がついてた。
領地を治める役職名にちかいものがあったんだよ。
それが封建制度の終焉とともに貴族はどんどん領地と切り離された。
領地を手放すものもおおかった。
没落するものもおおかった。
また、国王は功労者に爵位を与える際には領地のかわりに年金を与えるようになった。
そして、いまでは国王もほとんどいない。
爵位を授けられる権威も無い。
いまは 勲章 の時代である。
489と488はどっちもオレが書いたんだっての。
文字は堕天使が人類にもたらしたんだよ
アルファベットって誰が発明したんでしょうか?
でもな昔の人類には文字の概念をどうしても理解できないやつもけっこういたとおもうぜ。
師 「この 火 って文字はその炉の中の熱い光ってるそれな、ひ、な。それを指し示すものじゃ。」
弟子「先生! なっとくできません。この文字は触ってもやけどしないし明るくもありません!これは ひ ではありません!」
師 「。。 おまえには才能がないようじゃ」
たしかにアルファベットみたいな表音文字の発明ってもっとすげえよな。
一人じゃ無理だろう。
才能あふれる集団が存在したんだろう
時間差があるだろ。
矛盾ではない。
>>498 万葉仮名は漢字を表音文字として使ってるし、エジプトのヒエログリフも表音文字が多い。
もっとすげえとも限らないl。
>>501 万葉がなとかは後からできたし成り立ちもわかるけどさ。
アルファベットとかルーン文字とかあの辺は神様が授けたって思いたくなる様な不可思議なかんじがあるよ
なるほろ
>>502 ルーン文字が不可思議に思うのは見慣れてないから。
アルファベットの成り立ちは象形文字から始まっていろんな紆余曲折の末にああなった。
順に見ていくと甲骨文字から仮名になるまでとあまり変わらない。
>>504 なるほろ。
それで月を表す文字とかへんな注釈がついてるのか、ルーン文字
文字が普及してく過程ってどんなもんだったんだろね。
古代の識字率とか気になるなあ。
中島敦の文字禍って小説よんでみ?
おもろいで。
教育の始まりは、やはり村の長老が子供に手習いってところなんだろうか?
でも、そう考えると人類の歴史において長い間読み書きができたのが上流階級と知識階級だけってのが分からなくなる。
なんか最近思ったんだけど、源平合戦とか太平記あたり読んでて自害ってのが多いよなあ
武士は追い詰められてのっぴきならない状態だと敵の手にかかるよりはって、なるん
だろうけど、でもキリスト教信仰してた中世の西洋は自殺は罪になるんだよね?
西洋史はくわしくないからよくわかんないけど、捕虜になったりして身代金で保釈って場合が一般的?
彼らの美学的には捕虜ってのは恥ではなかったんでしょうか?それと自害した例もありますか?
>>510 身分の高い捕虜は身代金で釈放。政治的な理由がある場合はそのまま抑留して人質。
身分の低い捕虜は殺すか逃がすか奴隷に売り払う。
捕虜が恥と言う文化は西洋には無い。
>>511 ありがとう。
てことは、自害した人って全くいないのかな?
>>512 ごく稀にはいるけど、本当にごく稀。
西洋は捕虜になって生き延びてチャンスを待つ文化。
死んで負けたまま巻き返すチャンスが無くなるのを恥とする文化。
>>513またまたありがとう!
>>死んで負けたまま巻き返すチャンスが無くなるのを恥とする文化。
こういう考え方もいかにも大陸的でかっこいいね
古代の多神教時代、自殺は普通に行われたが褒められたものでもなく、埋葬地を一般人とは別にされたりした。
特に兵士の自殺は「軍務放棄の罪」にあたるとして処罰された。
ユダヤ・キリスト・イスラムでは、自殺を「生死を司る神の権限を冒涜した大罪」として禁じている。
中世欧州では、自殺者は地獄に落ちるとされ、死体は埋葬すら許されなかった。
法的にも自殺は犯罪で、財産没収や自殺未遂者の収監が近代に至っても行われた。
近世になると自殺に対する寛容も思想家の間で説かれるようになり、「精神病による自殺ならしょうがない」という論も出ている。
じゃあヒトラーの自殺なんかは珍しいことなんだ
キリスト教の権威が失墜して以後は、欧州でも自殺者はたくさん出てるよ
ナポレオンなんて2回も自殺未遂してるし、彼が率いた軍隊でも兵士の自殺が問題になった
>>510 逆に戦国の日本ではキリシタンである細川ガラシャが自害を拒否して家来に殺されたりしている。
>>509 教育の始まりはエリート養成所。古代エジプトでは読み書きはエリートである書記の特権であり力の源泉であった。
メソポタミアでも同様だった筈。
>>518 細川ガラシャは典型的なキリスト教徒ってかんじ。
昔から外人からハラキリ、ゲイシャって言われてるけど、自殺でも特に「なんでおなか切って
死ぬの?」って思われたんだろうね。
鎌倉幕府終焉のあたりなんて、何十人単位の集団でばんばん死んでるからね。一族郎党もろともに。
読んでると・・・って気分になってくるよ。敵に皆殺しってのがいいて訳じゃないけど
マサダでローマ軍に敗れたユダヤ教徒も集団自決したが、自殺はできないので互いに殺しあう形
ヨセフスともう一人だけがくじ運か計算かで生き残り投降した
トマス・モアが「ユートピア」(1516年)の中で自殺を正当化した辺りから自殺も認める風潮が出てきて、
「ロミオとジュリエット」(1595年?)では美化までされるようになった。
欧州の自殺観が変わったのはこの辺りから。
軍艦の艦長は、艦と運命を共にするのが美風なのでは?
>>506 古代セム人は古代エジプト文字の表音部分を慣例どおりに生かさずに
全体からランダムに借用して新たな表音文字・シナイ文字を作った。
万葉仮名が漢字の声符から作られたわけではないのと同じ。
どちらも元の文字との断絶は大きく、形が与えられすればよい。
アルファベットや数字を音節文字として取り入れたチェロキー文字を見るとその事がよくわかる。
>>505 ルーン文字って基本的にはただの「文字」で、多くの文書は
「垣根を越えてやってきた羊が生んだ子羊の所有者は誰か」みたいな調停の記録とかだぞ。
魔力も呪力も最初から宿ってない。ファンタジーでは異教世界への憧れから妙な力を与えられてるが。
日本では梵字がそれに似ている。カナと同じ原理だというのに
菩薩の名前の頭文字にむちゃくちゃ深遠な「意味」があるような解説をしている。
文字が同じならば言葉が通じるというわけでもないな。
ハンガリー人とチェコ人はどうやっても言葉が通じない。
ウラル語族とスラブ語族じゃ
外人が変な漢字や日本語を刺青してるような感じ
>>522 そんな習慣日本にしかありません。
外国では沈む艦なんかほっといてさっさと逃げろと軍人は教育されます。
艦長クラスの軍人を育てるのには30年かかります。
それが艦が沈むたびに死んでたら、軍にとって大きな損失です。
産業革命と市民革命の関係について教えてください。
市民が豊かになったから、政治参加の欲求が生まれたと言われてもピンとこないんです。
豊かなら、逆に政治に対する興味が薄れるのでは?
>>529 商船だろうが官庁艦船だろうが、沈没する船と艦長が運命をするという習慣はありません。
>>514 その割には、ボード戦争ゲームのルールでは逆になるな。
チェスは捕虜になった駒は死んだのと同じ。
将棋だと捕虜は取った側の見方で再参戦可能。
>>519 関東武士の戦時処理の論功行賞ってヒドいもんなあ。
首実験。致命傷を加えた証拠としてバラバラにして持っていかれてしまう。
それなら自害して、農民に具足を剥がれた方がマシだった。
>>531 将棋は、北インド→亀茲or高昌→唐→日本に伝来。
象棋は、南宋杭州が発祥で明代に中国大陸全体に伝播。
今の日本の将棋は、インド将棋がどこかで変質したものが「トマソン効果」的に残っているらしい。
>>524 いや、通じるよ。
両方喋る人も多いし、第一次世界大戦のときにハンガリー王国からスロバキアを剥ぎ取ってチェコスロバキアを建国する際、
民族自決の法則でやったけれども、肝腎の当事者が、自分自身、スロバキア人かマジャール人かボヘミア人か判らない、
喋る言葉で分けようにもどっちも同じくらい話す、とかいう人が結構な割合で居たそうな。
>>535 捕虜は取った側の味方で再参戦可能というのは、世界広しといえども日本にしか残ってないんだよ。
>>528 豊かになればこそ、政治に関わって権益を保護拡大する必要があるじゃろ。
国に重税とられたり戦争で負けられたりすれば大損だし、交易ルート上の覇権を確保しておけばより儲かる。
別に産業革命時代に限らず、どこでも相応の金持ちは政治に関わるもんじゃ。
>>539 >>531はチェスは再戦不可で将棋は再戦可能と言ってるんだよな?
象棋(シャンチー)が再戦可能とか不可能とか言ってるわけじゃないよな
突然何を言い出すんだ?
541 :
世界@名無史さん:2010/09/01(水) 21:21:40 0
世界史板なんだから西欧と日本の対比だけでなく
インド中国モンゴルトルコまじぇまじぇされたレスされるんのを覚悟しないといかんw
次
古文や日本史をやっていて思うのですが日本は政治文学文化など伝統裕ですが世界には日本ほど文化伝統歴史が豊かな国はありますか?
あるよ
次
>>543 日本ほど伝統豊かな国はないよ。
考えても見てごらんよ。今ある国の9割は19世紀に成立した国ばかり。
日本のように古代から連綿と続いているケースない。
中国ですら20世紀に途切れていて文化も伝統も無くなった。
547 :
世界@名無史さん:2010/09/01(水) 22:30:51 0
>>530 習慣までもっていったのは旧軍ぐらいだろうけど
美談としては諸外国でもいっぱいあるよ
マレー沖海戦では英国東洋艦隊の旗艦プリンス・オブ・ウェールズ撃沈の際に
フィッリプス提督とリーチ艦長が救命艇への搭乗を拒否して艦と運命を共にしてる。
548 :
世界@名無史さん:2010/09/01(水) 22:33:40 0
何この醜い自作自演・自問自答
と、自演している本人が申しておりますw
ageている奴が一番怪しい
メンヘルの人がいるな (;¬_¬)
メンヘルと言えばオスマントルコもマムルーク朝もメンヘラがスルタンになっていたけど
よくそんな奴に一国の主が務まったな。ヨーロッパではメンヘラが王や公になるケースってあったのか?
>>546 古代から連綿と続く伝統なんて日本にあったっけ?
そんなのがあるのは時代の移り変わりや近代化を経験していない孤島や高山や密林に住む部族ぐらいだよ。
554 :
世界@名無史さん:2010/09/01(水) 22:43:43 0
>>552 たくさんあるよ。代表的なのは百年戦争中のフランスのジャン王とか。バイエルンのルートヴィヒ王とか。
ただのメンヘラどころか狂人もいた。まあ、そこらへんの事情は古今東西変わらんね。
中国にもメンへラや狂人の皇帝は大勢いたし。
556 :
世界@名無史さん:2010/09/01(水) 22:48:26 0
>>552 メンヘラキティを皇帝なり王なりに据えておいて家臣や外戚や宦官が好き放題やっていたんだろうな。
ドイツにはメンヘル街道ってのがあるらしい。。
一度行ってみたいな。
ドイツ軍の男ヘルメットは有名だもんな。
補助カー付きのバイクで爆走すると。
>>507 話が出てる中国なら漢字のせいで格差がひどかったらしい。
加えてそこそこの知識人でも漢文は難しかったらしいから。
現代でも識字率百パーセントの日本に見習えって政府がキャンペーンやってるけど
読めるのは7割位で、統計に出てない一人っ子政策での戸籍なしの連中含めると
かなり低くなるらしい。近代以前では推してしるべし。
中国は作文書くのが難しいらしいな。
読むのはなんとかこなせても
文章をきちっと書けれる層は少ないらしい、
5000くらい漢字覚えてないと基礎的な文章作れないんじゃ農村部とかじゃ無理
ちゃんと教育に時間を取れる層じゃないと知から隔離されるんだろうな
そんなことないよ。貴州省のド田舎の子でも
手机電話の五筆入力でeメール打ってくるよ。
パソコンやら携帯とかじゃなくて
紙と鉛筆とかで書く場合の話。
日本人だって漢字読むのはスラスラ出来るが、
手で書けって言われたら考えながらってひともいるだろ。
中国の場合はそういうのがもっと顕著だって事。
だが同じ地方の者同士なら、英字に声調記号を付けたピンイン使って意志疎通しちゃう。
それはベトナム人やミャオ族がやっている方法と全く同じ。
ジジババは注音符号の 勹 攵 冖 匚 刀 とか使うし
臺灣省も注音符号を使うので全部漢字が書けなくても無問題
裸麦を一升持っていけば代書屋がピンインから漢字に起こして書いてくれるw
566 :
世界@名無史さん:2010/09/02(木) 12:57:20 0
裸女だったら?
567 :
世界@名無史さん:2010/09/02(木) 13:09:25 0
手紙だけでなく書籍一冊分ぐらい仕事してくれるかな
568 :
世界@名無史さん:2010/09/02(木) 18:02:26 0
ピンインとかスレチだろう。カスども。言語学板でやれ。
>>559??科挙制度によって世界で最も識字率が高かったはずだけど??
570 :
世界@名無史さん:2010/09/02(木) 19:04:07 0
質問があるのですが、なんでカナダ史ってマイナーなんですか?授業で出てこないし。
白人侵略以前のアメリカ大陸史を語るのはタブー。
理由は言わなくてもわかるよな?
授業に出てこないからってマイナーだと決めつける理由は?
573 :
世界@名無史さん:2010/09/02(木) 19:21:44 0
>>570 石器時代→イギリス無双→植民地→独立
こんなの知って何が楽しい?
574 :
世界@名無史さん:2010/09/02(木) 19:27:53 0
>>570 新大陸の動きは、植民地が独立するまでは本国の動きを見ていれば
そのついでに知ることができるし、独立して以降も新大陸以外に影響を及ぼすような
動きが表面上はほとんど無いので、優勢順位が下がるのだろう。
唯一の例外はアメリカ合衆国で、ハワイ(のちフィリピンも)に手を伸ばしたり日本に黒船を送って
開国を促したりと、19世紀から日本の近くで展開される世界史に関わる「列強」の一部となり、
20世紀には世界を二分する超大国となる以上、その前史にも無関心ではいられないという声が大きくなる。
本当はメキシコもカナダもブラジルもそれ以外の新大陸諸国もそれぞれ面白いのだが。
>>574 メキシコの前史はそれなりに文明が発達してて国家の興亡もあって面白いと思うんだけど、
カナダやブラジルの前史って見るべきものある?高度な文明も部族社会の域を超えた国家もないじゃん。
メキシコもカナダもブラジルも欧米人が入ってきて植民地化されていろいろあって独立してからの歴史は面白いけど。
カナダの端っこのほうに中世ヴァイキングが移住したヴィンランドが
>>567 ヴィンランド放棄して、アイスランドに住み続けるってのも良く分からねえよな。
>>575 脈絡無い
>>571からの流れで勝手に先住民史と決め付けられても困惑。
面白いと言ったのは植民地化以後の話。
米国の前史というのも植民地時代を指している。
ただし先住民社会の興亡には別の面白さが本当はあるのだが、
文明マンセーの偏見まみれのこの板住人には難しすぎて理解できまい。
>>574 そうか?
スペイン統治時代、グアム、フィリピンは、太平洋をまたいで、メキシコ副王の管轄だったで。
なんで伊達藩が使節を送るのがメキシコだったのかというのも、これに尽きるわけだし、だいたい、サラサゴ条約のように
極東での縄張を決めたりしていたろ。
西から喜望峰を回ってくるポルトガルと、東からマゼラン海峡だのパナマ地峡だのを抜けて太平洋を西に突っ切ってくる
スペイン配下メキシコ副王領との縄張争いがあってんじゃん。
米西戦争でメキシコからカリフォルニアだのフロリダだのもぎとったついでにグアムやサイパンやフィリピンを剥ぎ取ったのも
そこがメキシコ副王管轄だったからだし。
>>577 原住民の方が開明度が高くてコテンパンにやられて入植地が壊滅したり逃げ出したり。
この時期は、エスキモーやインディアンの方がよっぽど文化的だったわけで。
>>569 科挙なんて一部エリート層しか受けないだろ。
郷試におちた人が寺子屋の師匠になったんだよ
裾野は広がりそれなりの教育産業ができた
供給だけ有っても需要が無いだろ。
読み書き算盤ができれば、貧農の次男坊でも商人や下っ端役人にはなれるんじゃないか
よしんば盗賊になっても、読み書きできて損することはない
明治時代に学制を布いた時に庶民の親たちが働き手である子供を学校に取られる事にどれだけ反対したか
知らないのか?
江戸時代には寺子屋はあっただろ
孔子だって貧乏武士と巫女さんの野合で生まれた寺子屋の師匠だ
>>586 寺子屋が有ったのは人口の多い街場限定。孔子のは政治塾だろ。寺子屋じゃなくて。
>>587 もちろん現在の発展途上国の寒村でも事情は同じだ。親たちの同意を得るのにユニセフも苦労している。
>>586 孔子は元々は葬式屋だよ。
葬式の儀礼をやってるうちに礼節を教えるようになった。
孔子先生。。
まぁ、嘘つきだよな。。
ありもしない周の礼儀作法を頭の中で捏造して押し付けにいったんだもんな
test
主権国家体制とナショナリズムが定着する以前の国というものの概念について
教えてください。
ウェストファリア条約以前にも、イギリス、フランス、神聖ローマ帝国、オスマン帝国、
など、「国」として存在していたのに、
その国が所有していた領域とはいったいどのようなものだったのかがうまく想像できません。
じゃあ、逆にきくぞ。
おまえ、どこからどこまでが関西なのかこたえられるか?
とりあえずなんやねんって言わないやつは関西人じゃなくていいよ
そうだろ?
ウェストファリア条約以前にもそんなかんじで とりあえずイギリス人、とりあえずフランス人、オスマン人ってわけてたのだ!
わかったか!
わかんねっすw
じゃあ支配領域といっても実際は無法地帯だったってことですか?
南北戦争前夜、米国内で異常なまでに南北で分離してやっていこうという熱が高まってたのはなぜですか?
だって自分がどこに所属してるかわかんないようなやつらに、
どう法律適用できるのかと・・・
602 :
世界@名無史さん:2010/09/03(金) 21:22:35 0
第二次世界大戦が始まったのはドイツ軍がポーランドに侵攻した9月1日でしょうか。
それとも英仏がドイツに宣戦した9月3日でしょうか。
フランスってナチス傀儡のビシー政府は無かったことにするわ
女はジャガイモ野郎に簡単に股を開くわ
連合軍の空爆で何万人も殺されるわで難儀なことやね
千石w
↑すまん誤爆
>>604 あそこまで緒戦で無様に負けといて、
戦争が終わってみれば戦勝国に紛れ込んでて、戦後も大国の地位を保てただけマシ。
>>601 自分の御領主様が誰かさえ判っていれば問題ない。
>>602 第二次世界大戦が始まったのは、もとは日本の満州事変がきっかけ
611 :
602:2010/09/04(土) 08:19:26 0
第二次世界大戦を引き起こしたのは日本です。
>>611 教科書に書かれている9/1でいけない理由があるの?
1日か3日かなんてどうでも良い範囲じゃなくて開始時期の説は沢山ある。
1931年の満州事変
1935年のエチオピア戦争
1936年のスペイン内戦
1937年の盧溝橋事件
1939年の冬戦争
・
・
・
1941年の真珠湾攻撃
その上で1939.9.1が教科書的な開始日とされている。
曖昧に英仏の参戦まで含めて開始と言ってる場合でも、日付で言うなら1日。
それ以外の日を上げたいなら自分で理由を考えて諸説として言えば良い。
ロシアは近代化を推し進める上でなんでフランスから金を借りまくったんですか?
じゃあなに?
イギリスから借りろ!ってこと?
アメリカから借りろ!ってこと?
そもそもロシアに金を貸してまで近代化してほしい国なんてフランス以外にあったのか?
ビスマルクはロシアと結んでフランスを孤立させる外交政策をとっていたが、
1890年にビスマルクが辞任すると、ドイツ皇帝はロシアとの条約を更新せず自然解消した
ロシアはイギリスとユーラシアを巡るグレートゲームをやっていたので、新たな同盟先が必要
そこで伝統的に英独と仲が悪く、そこそこ金持ちの先進国で、今まで孤立させられていたフランスと手を組んだ
これが露仏同盟
フランスからすれば英独を向こうに回せる強力な味方を得たことになり、
ロシアからすれば近代化に必要な外資を導入できることになる
のちイギリスはフランス・ロシアと協商関係を結び、対独包囲網を形成してドイツを孤立させた
この頃アメリカは欧州への干渉をせず、代わりに欧州からの干渉も認めず、
北米西部や中南米・太平洋地域への進出(棍棒外交)を強化していた
ロシアとはアラスカとベーリング海峡挟んで隣国なので、近代化が進んでこっちに来られてはたまらない
訪問者があると犬が好きか猫が好きかを召使に尋ねさせ、
猫が好きと答えた人にだけ会った、
という逸話がある人物は誰でしたでしょうか
犬が好きな人は権力主義者的で
猫が好きな人は個人主義・自由主義的だと
思っていたからだという理由だったように思いますが
ご存知の方いらしたら教えてください
漢の景帝は人柄は軽率で乱暴で公の事より私情を優先。
政治もあまり見るべきものは無く、その治世で国を二分する内乱を引き起こしてますが、
こんな皇帝がなぜ名君扱いされるのでしょうか?
その反乱を鎮圧して、諸侯王の領地と権限を削り、皇帝の権力を強めた。
内政面では減税と重農政策につとめ、社会の安定につとめている。
重税を喜ぶ人民はおらんから、のちのちの皇帝に比べれば充分に名君の方だ。
武帝は外征面では功績を挙げたが、匈奴に喧嘩を売って大戦争を招いたのは武帝側だし、
重税と専売制度と厳罰主義で国内はガタガタになってしまった。
>>620 つまり中央集権化と民生政策による社会の安定が景帝の功績ということでしょうか?
地味だけど、それなら納得です。なんか景帝本紀や景帝時代の人物の伝記を読むと、
マイナス面ばかりが目立って仕方ありませんでした。ありがとうございました。
まー景帝が劉賢殴り殺さなくても、漢と呉はいずれ対決してただろうしなぁ
鎮圧に失敗した場合の最悪の例が八王の乱
テスト
あ、書き込めた
ごめん
どうせ規制が続いてると思ったんだ
>>623 八王の乱は中央の権力者が権力争いのために次々と地方の大軍を擁する王を引きずりこんで内戦して、
勝って権力者になった王が別の王を引きずりこんで内戦しての繰り返しだから、
呉楚七国の乱とは事情が違う。
関係ないけど、晋の武帝は諸王の軍以外の常備軍は解体したはずなのに、
八王の乱の時は大軍を擁した地方官が八王に混じって群雄としてあちこちで戦ってるんだけど、
連中はいつ軍隊を集めたんだろうね?知らん間に地方の常備軍が復活してたのかね?
ローマ神話ってキリスト教とは系統が違うはずなのに
ルネサンス期になっても絵画なんかで描かれ続けたのってどうしてなの?
キリスト教からみたら異端じゃないのか、とか思うんだけど
>>627 ルネッサンス期になって、ギリシャ・ローマの文化が見直されたんですよ。
ギリシャ・ローマの文化は本来、キリスト教社会では異端の文化。
それでも、ルネッサンスの動きでそういうのはどうでも良くなったと言うのと、
ローマの神々の信仰は既に死んでるから、それを芸術にしても異端にも何にもならんのです。
分かりやすい説明ありがとうございます
バイキングの侵略を受けたルテティア(パリの古名)で
奮戦した修道院長(軍事指導者でもあった)に
「軍神マルスの寵を受けた修道院長」
なんて、をいをいな称賛がされてる例もあるけど
中世はまだ、ローマ神話信仰の残滓があったのかねぇ
欧では、ジャンヌ・ダルクだとか、聖なんとかの、一般出の有名女性がいますが、
アジアでは、何とか皇后とか、楊貴妃、日野富子、大奥の局など時の政権に属する
女性しかいないのは、なぜですか?
そんなことはない
あと、美を追求する画家たちに、美しい裸の女性を描きたい(また絵を見る側もエロい絵を見たい)という
欲求があったことも見逃せない
当時はまだ、ヌードをおおっぴらに描くわけにはいかなかったが、神話の一場面を描いているのだから、
というのを口実にしたわけだ
ヴィーナスの誕生とかね
軽視されがちだけど、エロスは、文化を発展させる影の強力な動機だ
>>631 明だと唐賽兒あたりを挙げておくか。宗教指導者で何かが憑依したようなのが一杯でてくる。
>>631 巴御前や坂額御前、徴側・徴弐姉妹、ラクシュミー・バーイー
誰も知らないの?
>>631 君が無知なだけ
日本と中国に限っても、文化面では、紫式部や清少納言らの平安時代の文人(彼女たちは時の政権に属すると
言っても日野富子のような権力者の一族とは事情が違うだろう)、出雲の阿国、中国では、唐の詩人魚玄機、
明末の柳如是など
軍事面では巴御前、板額、宋の梁紅玉、明末の秦良玉など
戦国武将の一族の有名女性も多い(たとえば、細川ガラシャとか、前田利家正室の松とか、山内一豊正室千代
とか)が、彼女たちも「時の政権」に属したとはとうてい言えない
歴史上の有名女性はアジアにもいくらでもいる
後漢の歴史家班昭も入れといてくれ
>>631 >欧では、ジャンヌ・ダルクだとか、聖なんとかの、一般出の有名女性がいますが、
っていうけど、ほんとに庶民出身のジャンヌ・ダルクは例外的な存在で、中世・近世ぐらいまでの
女性の聖人は、たいてい王侯か貴族の家の出身だよ
東アジアだと秦代の孟姜女は庶民出でかつ古い時代になるかな?
>>632-637 そっか、あまり知らなかった=無知だっただけなんだ
ありがとうございました。
>>589 発展途上とはなあ、発展する見込があって、昔よりはちったぁマシになりつつあるところのことだ。
万年ビリケツ野蛮人ランドは、後進国だ。
>>640 言いたい事は判るが偏見に満ちた発言だな。
>>636 大名の妻・妹・娘は、その大名が政権の一角を担ったことで有名になって、
そのついでに有名になっているから、政権側にあったことが理由で有名
なんではないのか?
紫式部や清少納言やらは、表の政権闘争が後宮にまで及んだ結果だろ。
要は、藤原道長と藤原道隆との政権闘争で、
紫支部、、中宮彰子、大弐三位道長、藤原為時が、道長派
清少納言、中宮定子、橘則光、藤原棟世が、道隆派
文人としてしか見てないから、全然周囲まで見てないだろ。
係累をみてみろ、父、夫、兄なんかみんな四位以上の上級貴族ばかりだろ。
インドネシアのチュニャッディーンとか、おらヶ国のジャンヌ・ダルクと称される女傑は多い
加賀千代女
越中女一揆
>>642 五大老の前田家はともかく、(織豊時代の)細川家や山内家みたいな、
たかが一地方領主のどこが「政権の一角」だw
ジャンヌ・ダルクは近代まで聖人どころか魔女扱いだけどな
>>642 もともとは
>>631が、ヨーロッパとの比較で持ち出した話題だ
その辺まで「政権の一角」に含めるのなら、ヨーロッパだって近代以前に
「政権の一角」以外の有名女性がどれだけいるよ?
紫式部も清少納言も本人自身の才能で後世に名を残したのであって、権力は関係ないしな。
しかも紫式部の家は昔は良かったが今ではただの受領という没落貴族の出身であって、
権力者でもなんでもない。
本当に権力者の身内なら本人が中宮や皇后になってる。
>>649 紫式部の父藤原宣孝は、任右衛門権左、筑前守、山城守、ということは、五位上か四位下くらいか。
生まれた娘・大弐三位の夫は、正二位右大臣藤原道兼の次男正二位中納言藤原兼隆。
大弐三位も藤原嬉子(藤原道長の娘)に付いて後宮入りし、親仁親王(後冷泉天皇)の養育に
深く関わっている。
父親は、花山天皇側近から転落して受領になったというけれど、殿上に上がる中枢の貴族の
人数は精々60人か70人程度、国の数が66洲だから国司と受領と合わせて140は居ないわけで、
200人ほど。
その多めに見積もって200人かそこらの中に、父、弟、夫、娘の夫がすべて入っていて、母娘
二代でお妃に仕え娘は皇太子の養育に関わっている。
これが政治中枢に近い女でないとは、どういうことだ?
大体よ、父宣孝は越後守に任じられての下向で受領ではないし、弟惟規は従五位下に任じられ
父に従って下向だから、どちらかというと出世コースだろ。
「紫式部は時の政権に近かったか」というのと「紫式部が名を残せたのは権力に近かったからか」というのは別にしないと
もちろん後者は論外だと思いますが(宮廷文化に触れる機会を持つにはある程度の身分が必要というのは確かだけど)
>>579 >米西戦争でメキシコからカリフォルニアだのフロリダだのもぎとったついでにグアムやサイパンやフィリピンを剥ぎ取ったのも
>そこがメキシコ副王管轄だったからだし。
なんかひどくいろいろ間違ってる。
まず,アメリカがフロリダを得たのは1819年,スペイン本国からの買収。
このときの条約で副王領と合衆国の国境も画定したはずだったが,
直後にメキシコが独立したため,国境線に関する規定はうやむやになった。
この時点ですでにスペインは本国も副王領もない。
結果,テキサス領有を巡って開戦したのが米墨戦争。
アメリカの圧勝したためメキシコは非常に安い補償金でテキサス・カリフォルニアを売却。
さらにアメリカが1890年にフロンティアの消滅宣言を行い,海外進出を企図し始めた矢先に起こしたのが米西戦争。
フィリピン・グアムを割譲させたのはこのときで,もちろん前二つの領土獲得とはなんら関係も脈絡も無い。
サイパンにいたっては,米西戦争後の財政難でスペインが「ドイツ」に売却,一次大戦後に南洋諸島として日本の委任統治領になり,
二次大戦後にやっとアメリカ領。
どんだけ優秀な女官が自分の娘の下にいるのかを競っていた時代だから
紫式部や清少納言は、十分権力者側の陣営にカウントしてもいいと思うのだが
ジャンヌもシャルルという権力者に関わらなければ世に出ることはなかっただろう
>>651 権力に近いところになければ、名を残す機会も無いだろ。
平安女房文学みてみろよ、題材は政権中枢ばっかりだぞ。
源氏物語は、モデルが左大臣源融だろ。皇位の継承と政治闘争を知りえる地位に無ければ書きようが無い。
枕草子は、お妃様に褒められた、どういう客が来た、どういう贈り物をしたとか貰ったとか、どういう行事があったとか、
そういうことが過半だ。要は後宮を介した政界の裏工作だ。
マツが浪人中の利家にヘソクリを渡して馬を買わせて信長に取り入った話と、本質的には同じではないか。
帝政ロシアや帝政ドイツは世界屈指の海軍大国でしたが、
第一次世界大戦後、両国が再び軍備を強化した後も
再び強力な外洋海軍を持とうとしなかったのはなぜですか?
それマツと利家じゃなくて千代と山内一豊な
>>656 ナチス・ドイツは海軍を制限したヴェルサイユ条約を破棄して、海軍を再建しようと
したけど、その時間がないうちに第二次大戦になってしまった
それでも、大型戦艦ビスマルクや、ポケット戦艦やUボートを造ってる
659 :
世界@名無史さん:2010/09/06(月) 21:43:50 0
そもそも帝政ロシア自体が第一次大戦の最中に頓死しちまったわけで、
その後は内戦・ポーランドとの戦争→大粛正→冬戦争→独ソ戦と続くわけで、外洋海軍の再建なんぞ夢のまた夢。
つまり、ドイツにもロシア(ソ連)にも、
英米日のような強大な外洋海軍を再び保有する時間的余裕が無かったという解釈で良いのでしょうか?
>>660 それと金の問題な
でかい戦艦や空母を作るには、当然、莫大な金がかかる
ナチスのヴァルサイユ条約破棄・再軍備宣言と同時に空軍も復活したし、陸軍にだって金はかかるわけで、
海軍にばかり、限られた軍事費を投入するわけにもいかないだろ?
艦隊再建は、今年はこれだけ、来年はこれだけ、というようにちょっとずつ進めていくしかない(だから時間も
ない)
というわけで、戦艦ビスマルクなどをのぞいて大艦の建造はとりあえず後回しにし、まずは通称破壊戦用の
潜水艦やポケット戦艦を充実させるところから取りかかった
強力な艦隊もそりゃ持ちたかったろうけど、そんな一朝一夕に復活できるものじゃないってこと
>>662 ヤルタ会談かな?
第二次大戦末期の首脳会談であることはたしか
帝国主義時代以降の軍艦は、海外植民地の維持に必要であり、
また、その通商路の維持に必要だった。
しかしナチスドイツもソ連も海外植民地を持っておらず、将来の課題と言う程度だった。
むしろ守るべき海外植民地も航路もないドイツだからこそ、通商攻撃一辺倒のUボートという発想になる。
それでも将来は大艦隊を作るつもりはあったようだが、結局仮想戦記のネタにしかなれないのであった。
ソ連にいたっては国内だけで手一杯だったし、そもそも技術者も居なくなったし、
スターリンが更に減らしたし、船を作っても泊めて置く港が数えるほどだし、
所詮世界の嫌われ者で交易とかもしてくれる相手が居ないし・・・
ナチスドイツがユダヤ人を虐殺したホロコーストは有名ですが、ユダヤ人がまだヘブライ人と呼ばれていた時代には彼らが他の民族を虐殺し絶滅させたと聞きました。
その絶滅させられた民族とはどのような人たちだったのでしょうか。
旧約聖書のダビデとゴリアテあたりの話を読むと出てくるのでは?
〜でしたが 〜ですか?
オウム真理教はポアする事によって、むしろ魂を救済してあげれるから
場合によっては殺してあげる事が当人に対する善行だって説いてたんだわ。
旧約聖書における虐殺の論理もこれと同じで、
神の意志に従わない者達は命を絶ってしまう方が神の意志に沿うことであり、
神の意志に疑いをもったりするのは許されない事なんだわ。
だから初期のキリスト教(旧約聖書=ユダヤ教)は非常に危険な思想に満ちている。
自分たちの思想共同体以外には情け容赦無い行動に出る基本原理は
20世紀まで続いてしまった。
旧約聖書って現在進行中?
黙示文学系は、解釈のしようで2000年以上前から現在進行形。
最終的には一握りの選民しか生き残らないことになっている。
要するに選民思想なんだよ
ナチスは優生学を題目にアーリア民族こそが優等であると考えたり
衣は変われど今も昔もどこも中身は変わらない。
>>671 ユダヤ教徒にとっては新約なんてものは存在しないんだから現在進行中だ。
ダビデのような救世主の出現を待っている。少なくとも原理主義者は。
宗教の権威度と社会の進化度って逆比例するということでいいですか
(古代とか未開社会を除き)
宗教の権威=低→日本、旧ソ連、中国
宗教の権威=中→欧米、東南アジア、中南米
宗教の権威=高→
なんだ社会の進化度って
唯物主義史観か?