ハンニバルvs劉備軍

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560世界@名無史さん:2010/09/01(水) 13:17:34 0
>>559
それは呉の話で海沿いに進行してベトナムを攻めたという話だろうw
ミャンマー〜雲南のような険阻な地形とは全く異なる。

大体にして、無敗の諸葛亮に対して戦績で劣るハンニバルじゃ相手にならん、
スキピオかカエサルかベリサリウスを持ってこい!
561世界@名無史さん:2010/09/01(水) 13:27:38 0
戦績ってパーセントだけで語るものではないだろ
562世界@名無史さん:2010/09/01(水) 13:35:23 0
>>557
いやまぁ、会戦ではある。平野部のそれと全く違うが
中央に掘築いてあったり王平の守った右翼の地も守り固めた山だしで
五丈原のそれといい基本的に防衛拠点有きが前提で、
この時代もうハデな歩兵同士のぶつかり合いってあんまない
563世界@名無史さん:2010/09/01(水) 14:05:09 0
>この時代もうハデな歩兵同士のぶつかり合いってあんまない

司馬懿も非凡な将であるから諸葛量との決戦の愚を避けたんだよ。
真正面から諸葛亮と対戦したら完敗するのが分っていたので、
持久戦に徹して相手の食料が切れるのを待った。

姜維は諸葛亮と違ってさして脅威に思われてなかったので、魏でも会戦に出て、
段谷の戦いではケ艾率いる魏軍が姜維を破って大勝している。
564世界@名無史さん:2010/09/01(水) 14:31:37 0
>>560
諸葛亮が南征に行ったのはまさにそこなんだけど…
アホなの?しぬの?
565世界@名無史さん:2010/09/01(水) 14:41:16 0
>>563
いや、正面から完勝できるなら
五丈原でも諸葛亮さんがに攻めればいい話になるだけだから
566世界@名無史さん:2010/09/01(水) 15:59:45 0
567世界@名無史さん:2010/09/01(水) 17:10:18 0
決戦て言ってもどっかがどっちかの陣地に攻めるってのが普通で
両者場外に出て展開しあってガツーン、
なんて并州軍もあんま経験ないんじゃないだろうかとふと思ったり
568世界@名無史さん:2010/09/01(水) 20:42:16 0
司馬懿ってせいぜいファビウスレベルじゃん
ハンニバルの敵じゃあないな
まして孔明なんぞ、ハンニバルを相手にしたら、知らないうちに四川に攻め込まれて、徴兵されるガリア人レベル
569世界@名無史さん:2010/09/01(水) 20:47:51 0
せめてウェルキンゲトリクスで
570世界@名無史さん:2010/09/01(水) 21:22:09 Q
ファビウスレベルってハンニバル相手には最高の褒め言葉じゃね?w
571世界@名無史さん:2010/09/01(水) 23:14:11 0
劉備軍を押す人の方が理論的で説得力があるな。
ハンニバルを押す人は根拠のない推測ばかり話すし。
572世界@名無史さん:2010/09/01(水) 23:30:02 0
>>571
自画自賛ww
573世界@名無史さん:2010/09/02(木) 00:01:13 Q
劉備軍とハンニバルを押す人の方が理論的で説得力があるな。
諸葛亮を押す人は根拠のない推測ばかり話すし。
574世界@名無史さん:2010/09/02(木) 00:17:47 0
>>573
正解
575世界@名無史さん:2010/09/02(木) 19:29:58 0
だいたいスレタイがおかしい
ここは
「ハンニバル軍対蜀漢軍」とか
「ハンニバル対項羽対韓信」とかだろう
劉備メインでネタが進む訳が無い
576世界@名無史さん:2010/09/02(木) 22:53:24 0
劉備は孔明を配下にする前から三国時代では曹操と並ぶ天下の英雄ですよ。
だから皇帝になれたの。
孔明が幾ら頑張っても、君主が無能では皇帝になるのは不可能だったし、
英雄だからこそ孔明は劉備の幕僚になったの。
577世界@名無史さん:2010/09/03(金) 00:30:01 Q
しかし剣闘士試合の勝敗を考えるときに
「彼なんかはすごいお母さん思いで…」と言われても困っちゃうわけで
578世界@名無史さん:2010/09/03(金) 01:01:07 0
>>573-574
自作自演ww
579世界@名無史さん:2010/09/03(金) 02:11:15 0
>>576
曹操と比較されてもなぁ(曹操、あるいは劉備が凡庸だというわけではない。念為)。
同時代人との比較じゃ「その時代の中では優れている」としか言えないでしょう。
たとえばどちらにとっても没落の原因となったザマの戦い・夷陵の戦いでの
戦の発端、戦力差、経過、敗因、被害等々を比較してみると、
戦場指揮官としては劉備よりハンニバルの方が優れていると思うんだ(正史を知らんから訂正して欲しいが)。

ところで、「劉備軍」っていつのことを指すんだろうな。
ハンニバル軍はイタリア侵攻中はほぼ陣容が変わらないし、そのときが最高の状態でいいんだろうが。
さっきから街亭だの五丈原だの言っている人がいるが、この時には将器が小粒だと諸葛亮に言われているし、
益州攻め以降は関羽がいないし、
荊州以前は兵力に乏しいし、
いつの劉備軍を想定して議論すればいいんだ?
580世界@名無史さん:2010/09/03(金) 17:04:38 0
>>579
>いつの劉備軍を想定して議論すればいいんだ?

劉備が漢中王になった時でいいんじゃない?
関羽、張飛、趙雲、馬超、黄忠、魏延などが将軍
法正、馬良、黄権が軍師
諸葛亮が幕僚&内政

超豪華メンバーだ!
581世界@名無史さん:2010/09/03(金) 17:36:00 0
五虎大将軍が強いってのがもう演義設定だからなあ
582世界@名無史さん:2010/09/03(金) 23:08:20 0
>>581
演技だけではない。

『関張馬黄趙伝』の「評」によれば、関羽・張飛は「万人之敵(一人で一万人と戦えるほどの猛者)」。また、『張飛伝』でも、程cらが同様の賞賛をしている。
『馬超伝』本文では、馬超は「剛力(の持ち主)」、楊阜が曹操に進言した際には、「韓信・鯨布の武勇」。「評」では「猛勇」。
『黄忠伝』本文では、「勇毅冠三軍(黄忠は三軍筆頭の勇者)」。
趙雲は、『季漢輔臣賛』に「忠義と勇猛さを兼ね備えていた」、と記述されている。

これは全て正史の記述。
五虎大将軍は魏軍からも恐れられていた。
583世界@名無史さん:2010/09/03(金) 23:37:58 0
>>579
ザマの戦いで修正不可能なほどの大敗北を喫したのがハンニバル。
夷陵の戦いで敗北したが数年後には魏への北伐ができたのが蜀軍。

戦場指揮官としては、再起不能なほどに負けたハンニバルの方が、
劉備よりも過失は大きいと言える。
584世界@名無史さん:2010/09/03(金) 23:56:18 0
ハンニバルは殆ど本国の支援に頼らず自前で戦っていた
諸葛亮は北伐で国を疲弊させ結果として蜀を滅ぼしてしまった
585世界@名無史さん:2010/09/04(土) 00:10:45 0
>>594
ハンニバルはザマの敗戦後ローマへの服従と多額の賠償金を請求されたべ。
諸葛亮にはそういう失態はねーべ。
586世界@名無史さん:2010/09/04(土) 00:36:48 0
それは本国の連中があまりにもヘタレということ
ハンニバルの失態ではない
587世界@名無史さん:2010/09/04(土) 00:37:37 Q
>>582
余計なお世話だけどさ
こういうとき示して説得力持つのって謡い文句じゃなくて実際の戦果だと思うよ

>>583
ザマはもう戦略的に勝敗が決してた段階での戦いだけどね
それでも何も考えない馬鹿じゃなくて打開しようと全力は尽くしてる

開戦から十数年、カンナエの圧勝から十五年かけて戦況をひっくり返され
そもそも、ザマのあんな遠回りな決着自体、戦場指揮官として優秀じゃないと起こり得ない訳で



と、いうか
夷陵の戦いのたった一回で何もかも持っていかれた対呉時の劉備は
「戦場指揮官」としては誰と比較するまでもなく落第クラスじゃないの?
588世界@名無史さん:2010/09/04(土) 00:46:50 Q
ハンニバル戦争の決着って、蜀で言うなら劉禅の降伏時じゃないのか?
だって宣戦布告から和睦までだろ?
589世界@名無史さん:2010/09/04(土) 02:11:49 0
劉備は戦の才能はない、あいつが判断すると大抵ろくでもないことになる
人格者で人が集まるのがウリ、ということらしい
590世界@名無史さん:2010/09/04(土) 03:44:16 0
戦闘経緯が詳細に残るハンニバルと、
具体性を欠く三国志じゃ比較のしようがない、今さらだけど

ただし、漢代までに見られる兵書(大体は春秋戦国時代の諸子のものだが)というのは、
おおよそは軍略、謀略を示すものや陰陽呪術で勝とうとする怪しげなもので、
兵法の代名詞であるところの孫子にしても、戦闘時の具体的な軍団運動については示していない
「兵は高いところに置いたほうがよい」とか、そういった類のことで
まあ要するに事前準備はしても、始まったらあとは兵をぶつけあうだけということだろう
高度な戦術機動が当時の支那で常識だったということは、まずありえない

これは別に、当時の支那の戦い方がとくに稚拙だったというわけではなく
そもそも戦闘中に有機的に兵を動かすということは、通信技術の発達した現代でも困難なことで
同時代のローマでもその後の時代でも、ひとたび戦いが始まれば基本的には成り行きに任せる戦い方だった

一方でハンニバルのほうも、技術としてとくに図抜けたことをしたわけではない
彼は必勝パターンを編み出しただけで、この戦術の本質さえ理解していれば(応用は別として)誰にでも扱うことはできる
現に、後のローマ軍はスキピオをはじめこの戦法を完全に習得し、それによって地中海を制覇してゆく

しかし、このことはすなわち、この戦術は確立されているのであれば、
それがそのまま兵法書にも書かれていなければおかしいということになる
ハンニバルの戦術は、軍集団というものの普遍的性質の上に成り立つものであるために
現代地上戦にも通用する、ということは洋の東西は問わず必ず有効な方法ということだ
陣形としては孫子(厳密には孫子が書いたのではないが)が似たような形を著しているが、
これはハンニバルのものとは似て非なるもので、
肝心の「機動力によって優位に立ち兵数の不利を覆す」という点がない
591世界@名無史さん:2010/09/04(土) 03:54:57 0
もっとも、この「ハンニバル式」がなかったからといって必ずハンニバルが勝つというわけでもない
初戦、初見でこれを仕掛けられればまず勝てないのがハンニバルの戦法だが、
十分以上に分析、理解力のある天才であれば、ハンニバル式を用いずともこれを破る方策を見出すかもしれない
ユリウスカエサルなどはハンニバルのような定法を持たず、常に戦場、戦況を見てからその場で戦術を考えた
稀有ではあるがこのタイプの将軍であれば、幾度か敗れつつも最終的に勝ちを拾える可能性はある
592世界@名無史さん:2010/09/04(土) 07:00:53 0
大規模な野戦に関してはハンニバルが上手だろうが
堅陣築いてハンニバルの小細工潰す策謀長けた能臣を粒揃えりゃサンプル的に勝つる
問題は見得切って格好良く勝とうとしてはいけないことに(総大将が)早く気付けるかどうか
593世界@名無史さん:2010/09/04(土) 09:19:57 0
>>592
>堅陣築いてハンニバルの小細工潰す策謀長けた能臣を粒揃えりゃサンプル的に勝つる

これはローマにはできても、蜀では無理だよな
人材がダメすぎる。
諸葛亮最大の弱点はワンマン経営で人材を育てなかったことだよな
次々有能な人材が出てきたローマとは違うな
594世界@名無史さん:2010/09/04(土) 11:21:30 0
孔明に侮辱され憤死した曹真の復讐戦を志した司馬懿は、大軍を率い、孔明に挑戦状を突きつけた。
この挑戦を受け入れ、「明日戦おう」と返事をした孔明は、翌日待ち構える司馬懿のもとへ愁然と現れた。
「どうやって戦う?」と孔明が尋ねると、司馬懿は「陣立てを比べよう」と答え、両者の陣立て合戦が始まった。

まず司馬懿が陣を弾いてみせた。司馬懿が用いたのは「混元一気の陣」であった。
次に孔明が陣を敷いた。こちらは「八卦の陣」である。
お互い両国を代表する天才軍師であるだけに、ともに相手の陣を一目で見抜いた。
そこで、孔明が「この陣を破ることができるか?」と司馬懿に尋ねた。
司馬懿はすぐさま「破ってみせる」と宣言した。
ところが、孔明の陣はまるで城壁を重ねたように堅牢で、切り込んだ司馬懿の部下は突き進むことができない。
本陣に切り込むはずが、やがて方向も分らなくなり、武将や兵はあえなく捕らえられた。
孔明は捕らえた武将の着物を脱がせ、顔に炭を塗りつけて、彼らを司馬懿のもとに送り返した。
その際、捕らえた武将に、「司馬懿にもう一度勉強しなおしてから雌雄を決死に濃いと伝えろ」と申し渡したという。
これを聞いた司馬懿は怒り狂い、大軍を率いて打って出たが、前後から挟み撃ちにされ、ほうほうの体で逃げ帰ったという。
595世界@名無史さん:2010/09/04(土) 12:59:28 Q
きもちわる
596世界@名無史さん:2010/09/04(土) 14:00:47 0
演義の話したければ三国板ですれば良いのに
597世界@名無史さん:2010/09/04(土) 20:03:16 0
諸葛亮の軍事能力は、蜀漢の滅亡後、文帝と追尊された司馬昭が陳坊に、
亮の陣立て・用兵術などを学ばせるほど重視されている。
また、西晋の張輔は、楽毅と諸葛亮を比較する中で、亮のことを
「奇策は泉が湧くが如く、智謀は縦横」と評している。
諸葛亮の軍事能力を称える声は諸葛亮が没して直ぐに上がったのである。
598世界@名無史さん:2010/09/04(土) 20:21:38 0
どこかで読んだ文だと思ったら
http://www.daito.ac.jp/~y-wata/prof/gyou/ronbun/g_r_12.pdf
の9ページとほとんど同じだったとさ
まあワタナベさんが書いてる通り人物の評価なんてのは時代の要請でコロコロ変わるもんだ
599世界@名無史さん:2010/09/04(土) 20:41:14 0
北魏での孔明の不人気ぶりとその理由は↑にも書いてあるが
その頃には魏延の関中攻めの策を高く評価して、孔明に策が無かったことを批判したっていう
現代の魏延厨みたいな人物もいた
これは上の論文には無い話だが、要は孔明の評価とか関中攻めの可否みたいな
三国ループネタは千何百年経っても解決しないんだよ
600世界@名無史さん:2010/09/05(日) 14:18:23 0
ハンニバルは頭のいい呂布だろ、そりゃまともにやったら手に負えんわ
ローマがやったように、ハンニバル個人ではどうにもならない部分から攻めるしかない
601世界@名無史さん:2010/09/05(日) 15:08:37 0
西洋は軍事学が戦術のレベルまで細かく研究されているイメージ。
東洋はなんだかどこまでいってもあやふやなイメージ。
602世界@名無史さん:2010/09/05(日) 16:06:00 0
孔明って、イギリス軍の進撃に女性の尿の魔よけで対抗した中国の将軍とかぶるな
当然ボロ負けたが
603世界@名無史さん:2010/09/06(月) 06:17:33 0
しかし、ハンニバルvs諸葛孔明になってるのな、このスレ

個人的に、ハンニバル側も諸葛孔明側も
相手個人のネガキャンで優位に立とうとしないで欲しいな。不毛だ

しかし、三国時代の兵科とか軍制ってどうなってたんだ?
ハンニバル時代のはファランクスとかある程度把握できるんだが

三国時代に、
ファランクスに相当する歩兵部隊が居たのか?
騎兵は鐙を使ってたっけ? もしそうなら騎兵戦力で劉備はハンニバルに優位に立てる
補給は、牛車で運んでいたんだっけ?
略奪主体で機動力に優るハンニバル相手だとかなり不利になる
ただし、占領統治するんだったら劉備の方が有利だが、軍と銘打っている以上それは考えなくてもおkだよな?

議論の基礎になる、共通の基盤が欲しいなー
604世界@名無史さん:2010/09/06(月) 10:56:21 0
支那の鐙は晋末というのが定説
三国の時代にはない
605世界@名無史さん:2010/09/06(月) 15:28:32 O
前漢代の巴蜀地域の少数民族の遺跡から発見されてたはずだが、それを漢人も使っていたかどうかはまた別の話だな。
606世界@名無史さん:2010/09/06(月) 20:48:12 O
>>592
なんか、その話を聞く限り後漢が異様に相性良さそうだな>ハンニバル

堅陣に籠ってひたすら兵站破壊と、敵主力を引き付けての戦略要地奇襲は後漢軍の十八番だし。
特に堅陣を築いて敵の疲弊を待つ戦略は、そのために法を整備するほどで、
それが必要なら州ごと地方ごと縦深として用いることにも躊躇わない。
そして実行者としての太守陣も、些細なことには惑わされず、計略や土木事業、兵站や交渉に長ける人材が揃っている。
中央には地味に暗殺・謀殺の多い皇帝である劉秀を中心に、
策謀・戦略に長ける人間として馬援・来歙・馮異・呉漢・寇恂・岑彭ら、数えるのもバカらしい数の能臣が居る。
加えて、所謂ハンマーと金床戦術の名手である耿エンなどがいれば、
本人を相手どってのザマの再現とまでは無理でも、そこそこの戦果も得られそうだな。

まぁスレチの極みだが。
607世界@名無史さん:2010/09/07(火) 09:39:51 0
>>604
皮の鎧だったら春秋の昔からあるわ。
鉄の鎧は漢の時代から登場。
http://www.gaopu.com/gunpuku.html
608世界@名無史さん:2010/09/07(火) 11:10:49 0
ヨロイ(鎧)じゃなくてアブミ(鐙)
609世界@名無史さん
>>589
実は劉備って兵力や状況さえ整えば曹操にも勝ってるって知ってた?
劉備って兵力が少なくても曹操の部下に勝ちまくってるって知ってた?