3 :
世界@名無史さん :2010/06/02(水) 06:16:26 0
116 :起源の捏造 1/2:2010/05/27(木) 02:20:21 0 例えば 『形而上学』の原文、ギリシャ古註、中世ラテン訳と 近代訳を幾つか比べてみれば 近現代のある時期まであった、ギリシャ起源を無理にでっち上げようとする傾向が 簡単に、具体的に分かるんだけどね ■アリストテレス 原文の文脈は『形而上学』第一巻第一章冒頭の有名な 「すべての人間は生まれつき知ることを欲する」に続く一連の話 ある意味で知識社会学的な記述 人間にとって重要な二種類の知についての記述が続く ・ひとつは個別なものに付いての知であり、習慣に基づいた経験empeiria ・もうひとつは原因の知に基づく、普遍的な知である技芸知 techne(ars) 後者は原因を知る知であるがゆえに、他者にも伝達しうる学問的知識である つまり、技芸知とは学問的知識epistemeであり、単なる経験ではない ところで、技芸知にも、必要を満たすものと、そうではないもの(=純粋な学問的探求としての技芸知)がある 後者の方が、より叡智的なものである 後者は、有用性のための技芸知が一通り完成して、人々が余暇を有する(esckolasan)に至った土地でうまれた 「そうしたわけで、エジプトにおいて、最初にproton数学の諸技芸知hai mathematikai technaiが起こったのである。 というのも、そこでは僧侶階級に余暇を持つことskholazeinが許されていたからである」
■トリコ訳(1953年) このアリストテレスの文章に対し 例えばトリコは20世紀の半ばに 「ギリシャが絶対的な起源であるという視点は、近年の研究に基づき捨てる必要がある」と述べた後で 「しかし、東方で生まれた学問は、有用性と経験に基づくものに過ぎなかった(!)のであり、 理論的抽象的知識になったのは、ギリシャにおいてであると言うことも可能かも知れない(!)」と アリストテレスの記述を完全にねじ曲げる注をつけ さらにアリストテレスの文章を次のようにバイアスのかかった形で翻訳する 「たとえば、エジプトは数学の諸技芸知の揺りかごberceauであった。というのも(…)」 つまり、アリストテレスは、はっきりと「最初にエジプトにおいて、有用性から切り離された、 普遍的なものに関わる学問的知識と技芸知が形成された」という話をしていたのに それは、揺りかごに過ぎなかったというニュアンスの文章へとねじまげられる これに対して、例えば2003年のツェクル訳は、エジプトに学問の起源がある、と、アリストテレスを素直に訳す ■古註、中世ラテン訳 ちなみに古註(アリストテレスへの古い時代の註釈)として、たとえばアフロディシアスのアレクサンドロス(2〜3世紀)は 同箇所への註釈で、エジプトに置いてhai mathematikai epistemai(もろもろの数学の学問的知識)がうまれたとした上で 単なる空の観察から天文学が、実用的な測量などから幾何学が「学問的知識として」「エジプトで」生まれたという過程を記述している 中世のメルベケのギョームによる改訂ラテン訳は Vnde circa Egyptum mathematice artes primum constiteruntと素直に訳してますな
ところでヨーロッパや中東世界では自然科学に関する本が盛んに出版されてたのに、 それらの国々にひけを取らないほど自然科学が発達していたはずの 中国やインドでは、そういう本があまり出版されず、 自然科学者の地位が低かったのはなぜでしょうか? 中国では文学と史書と文系の学術書、インドでは哲学書と神学書ばかりが やたらと出てるイメージがあります。
>>7 自然科学と哲学や神学がほぼ完全に分離したのはわりと近年のことだから。
経験則ガー
10 :
世界@名無史さん :2010/06/03(木) 00:19:11 0
>>7 アリストテレスが科学を発見するまで人類は経験則の世界だったから。
>>10 アリストテレスは「重い物は軽い物より早く落下する」とか割りと経験則じゃない?古代ギリシャに既に
大地(地球)が丸い説や地動説もあったのにアリストテレスが平らな大地と天動説という日常的な
直感に素直な説を取り、それが権威になってしまった為に科学の進歩は長く停滞した。
>>7 ヨーロッパだって、別に自然科学者の地位が高かったわけではないよ
ガリレイなんて、教会に逆らえなかったろ
13 :
世界@名無史さん :2010/06/03(木) 03:52:19 0
どうしてポーランドのスレはいつも変に荒れるんですか
14 :
世界@名無史さん :2010/06/03(木) 07:03:58 0
波蘭がいつも波瀾万丈だから
ははは、そやつめ
16 :
世界@名無史さん :2010/06/03(木) 08:44:41 0
自宮僧に関する質問には未だ誰一人として返答出来ぬのかゑ? 痴れ者ばかり打ち揃いおって!!!!!!!!!
>>10 単に、現在では欧の方が過去のことがよく知られているだけで、
これから中国やインドが経済発展してメジャーになれば、昔のことも
発掘されて、アリストテレスよりもっと過去の人が知られるようになるよ。
たぶんメソポタミアに最古のアリストテレスが。
19 :
世界@名無史さん :2010/06/03(木) 15:24:51 0
ヨーロッパ史において歴史上の人物で同じ名前が多くみうけられるが ややこしいとは思わないのだろうか、またなぜ似たような名前をつけたがる のか
>>19 日本のようにいくらでもオリジナルな名前をつけられる文化の方がむしろ少ない
人名のバリエーションの中から選んだり、一定の規則に基づいて組み合わせて名前をつける文化の
方が一般的
中国でも、名が漢字2文字の組み合わせになるのは漢ぐらいからで、それ以前は漢字1文字の名で
姓の方の種類もそんなに多くなかったから、同時代に同姓同名の人間もけっこういた(劉邦の部下の
韓信と、韓王の韓信とかね)
当然、名前のバリエーションには限りがあり、同姓同名の人間が多くなるが、そんなに不自由は
感じなかったようだ
欧米なら愛称を使ったり(同じ名にも何種類も愛称があったりする)、出身地をつけて○○の誰それと
呼んだり、仇名をつけたり(赤髭帝とか、欠地王とか)、親子で同じ名なら息子には「ジュニア」をつけ
たり、同じ王朝で同名なら〜世とつけて区別したりしている
21 :
世界@名無史さん :2010/06/03(木) 16:17:18 0
♪ハメハメハっ 覚えやすいがややこしい
>>7 あんたのイメージはあんたの問題だから
推測するに、あんたは先入観を持ちつつ、あえて偏った情報収集と蓄積をしてきたんだろ
燕雲十六州の帰属を求める宋は、実効支配している遼に対して軍事行動だけじゃなく、 経済立国らしく経済的に買い取ろうと考えそうなものだけど、どうだったの? 軍事行動で失敗して、その後カネでなんとかしようとしたとか、 あるいは遠征と経済対価交渉を交互に繰り返したとか。 それとも意外と意固地で、あくまで軍事的奪取にこだわっていたとか。
第二次世界大戦で一時的にヒトラーが大ドイツ主義を実現しましたが、 それ以後はドイツとオーストリアの合邦の話は一切出てませんね。 なぜでしょう?ドイツ人だけの国になったオーストリアと、 ドイツが一緒になって全ドイツ人の国民国家を作る障害はもはや無いと思うのですが。 大ドイツ主義は現在では完全に終わってしまった思想なんでしょうか?
>>24 たとえば、君が住んでいるA県を、ある日突然、隣のB県の人たちが力づくで襲ってきて、
県庁を占拠し、A県の住民の意思を無視して勝手にそのA県を併合してB県の一部に
してしまったあげくに、反対する者や、A県では差別されている人々をかたっぱしから
処刑したりした歴史が、ほんの数十年前にあったとする
数十年前のできごとだから、A県には、まだその当時のことをよく覚えている老人もいるし
そんな老人たちから当時のことを聞いて育った人たちも多い
(余談だが、福島県民は、今でも戊辰戦争での山口県民への恨みを忘れていないそうだ)
さて、その状況で、同じ日本人なのだから、A県はB県と合併するべきだ、なんて、君は
言えるかい?
>>24 1955年のオーストリア主権回復の際の条約でドイツとの合邦は永遠に禁止、とされている
また同じEUの現在ドイツとオーストリアが殊更に合邦する必要もない
一応オーストリアの極右政党には今でもドイツ民族主義を謳うところもあるが
そもそもあいつらを「ドイツ人」「ドイツ民族」とひとくくりにしていいものか… 同じ「ドイツ語」といっても北部(プロイセンやザクセン)と南部(バイエルンやオーストリア)で相当に違うわけだし 民族や言語が同じでも国家が違う国だって、北欧諸国とかフィンランド&エストニアとか、 ポーランド&チェコ&スロバキアとかいろいろあるし…
しかしドイツ南部や、オーストラリアが本家ドイツで プロイセン系は新参というか、ドイツの征服地
>>23 金で領土を買うという発想がそもそもなかったんじゃないかな
当時としては、国土は国のすべての基盤
経済力も兵力も、土地の生産力があってこそのもの
だから、買いたいという側にその発想とやる気があったとしても、売るように求められた側にとっては
国土を売るなんてとんでもない話
よっぽど他にどうしようもないぐらい追い込まれた状況でもなければ、金で国土を売ってくれなんて
話に応じたりはしないだろう
ドイツ人はオーストラリアの先住民だったのか
バイエルン人はケルト系ゲルマン人だろ?
33 :
世界@名無史さん :2010/06/04(金) 17:37:15 0
>>24 ヒント↓
ドイツ「EU肩書の第四帝國成立うめぇ」
イタリア「EU肩書の大ローマ帝國再興うめぇ」
フランス「EU肩書のナポレオン帝國再興うめぇ」
ベルギー「EU肩書のシャルルマーニュ帝國再興うめぇ」
スペイン継承戦争にフランスとハプスブルクだけでなく、 利害関係のないはずのヨーロッパ諸国がどんどん参戦してきて、 戦場がスペイン、イタリア、南ドイツ、オランダ、大西洋、北海に及ぶ、 欧州大戦と言っていい規模までの大戦争になったのはなぜですか?
36 :
世界@名無史さん :2010/06/04(金) 20:27:19 0
フランスのブルボン家がスペインをゲットしてしまうと、 スペイン・ハプスブルク家の領地であったナポリ王国やミラノはもちろん、 アメリカ大陸の広大な海外植民地までもがフランスのものになってしまう そうするとヴェストファーレン条約以来の勢力均衡が一気に崩れ、 英国やオランダの海外植民地までも脅かされかねない またスペイン内部でも地域ごとに支持する王家が違ったりしたし、 バイエルン選帝侯がフランスに味方したりして大戦争になった
南ネーデルラント(のちのベルギー・ルクセンブルク)もスペイン領だったが、 スペイン継承戦争の結果オーストリア領になっている
>>35 たとえば、東西冷戦時代に世界のシステムが資本主義であるべきか、社会主義であるべきかが
対立の根本的な問題であったのと同じようなレベルで、当時のヨーロッパにおいては(少なくとも、
各国の王家にとっては)、ヨーロッパの覇権を握るのがブルボンか、ハプスブルクかが、大問題
だったのさ
中南米からの金銀収奪がピークを過ぎスペインの国力が下がった結果、 支配領域を減らしていった。 という理解でいいの?
>>40 まあ、あながち間違ってはいないけど、より正確に言えば、スペイン本国で新大陸からせっかく収奪した金を
国外に流出させただけだったため
中国の科挙の問題の具体的な内容を知りたいんだけど、問題文や回答文の実例を読めるサイトはありませんか? また、八股文という文章形式の実例も見てみたいです。
すいません。一行目のは、専用スレがありました
45 :
世界@名無史さん :2010/06/05(土) 03:14:49 0
自宮僧に関する質問には未だ誰一人として返答出来ぬのかゑ? 痴れ者ばかり打ち揃いおって!!!!!!!!!
46 :
世界@名無史さん :2010/06/05(土) 07:52:51 0
さすがは持久走の達人!
47 :
世界@名無史さん :2010/06/05(土) 11:22:53 0
>>43 宮崎市定の科挙という文庫本には具体的な問題内容が書かれてなかったお
イギリスがアルゼンチンと、本国から遠く離れたフォークランド諸島の 領有権をめぐって争って、本格的な軍事衝突に至ったのはなぜですか? イギリス本国から遠く離れた小島なんかのために、 わざわざ軍を動員して戦争する価値があったのでしょうか?
フォークランド諸島の住民は、すでにイギリス系が多数を占めており、彼らはイギリスに帰属することを選択していた。 また島事態の経済的価値は低くても、冷戦下の南大西洋における戦略的拠点としては重要。 キューバやパナマで異変があった場合、太平洋とイギリスを結ぶ船は南米最南端のホーン岬を通ることになるが、 それには本国に属する補給港がこのへんに位置しているととても助かる。 さらに、南米や南極での資源開発を進めるにもここが重要な基地になりえた。 そして、かつての大英帝国の面影もなくなったとはいえ、 少なくとも民主主義陣営であるイギリス(というかサッチャー)としては、 国際法に反した「自国領土」への軍事独裁政権からの侵略は、法的にも英国人のプライド的にも許されなかった。 (まあイギリスは1833年から「実効支配」してるんであって、法的には微妙なんだが…) 仮に出兵しなければ、大胆な国内改革で低下していたサッチャーの支持率はさらにガタ落ちしたかもしれない。
卑怯な奴はいつの時代でも栄えるのですな。
その後のイギリスは栄えてないけどな
>>49 アメリカのグアム、インド洋真ん中のイギリス領チャゴス諸島、スペインのイギリス領ジブラルタル
フランス領タヒチ、
一度得た既得権は手放さない、それが国家
竹島や北方領土や尖閣諸島もな
>>51 いつだって往年の大国振りを発揮できるさ。英王室が中心となって
白人至上主義を掲げればオーストコリアとかカナダとか、アメリカとか
南アフリカとか、インド、香港、シンガポール、日本などといった
2流ダメ国家の5流人間が勢ぞろいでこぞって支持するぞ。英は世界征服
できたけど、あえてしなかったのと同じ。ジャップが旗を揚げても
白人国家にいる薄汚い娼婦まがいの混血児連れたマンコしか手を上げないだろ。
アメリカも豪州もカナダもインドも英国コンプがすさまじいんだぜ。
英国が何らかの号令をかければ 世界人口の70%以上は英国の支持に回るだろうね それだけ英国の影響力はすごい 一流国家の格の違いだね アメリカは二流国家で領土も英帝国最大版図の5分の一にもみたない イモのドイツ人ばっかのダサ国家
次
>>55 >イモのドイツ人ばっかのダサ国家
英米の共通点だな
ドイツ人の英国王家ディスってんのか
>>52 香港にしろインドにしろ返された。
実力主義なら中国は今でも列強の植民地。
61 :
世界@名無史さん :2010/06/06(日) 08:15:11 0
インドは再び奴隷の道(英連邦議長国w)にもどり、 ホンコンは今でもマンコぬらして英国紳士が戻ってくるのに期待してるよ
ところでイギリス人女性と結婚した世界の有名人てあんまり聞かないよね。 絶望的にモテないのか?イギリス女性って。
63 :
世界@名無史さん :2010/06/06(日) 11:10:35 0
世界史板に住みついてる「白人」や「ギリシャ」の話題を異常に拘る池沼がよく現れるが
>>54 >>55 ←こういう汚物を触れない様に皆ちゃんとスルーして華麗にシカトするから偉いよな
↑お前もシカトできれば偉かったのにね
65 :
世界@名無史さん :2010/06/06(日) 13:06:07 0
質問です。 中国(主に明、清)にて、異民族の将軍(例えばモンゴル人とか)はよく名前を見ますが、異民族の 高級官僚というとあまり聞きません。 科挙制を布いていたのですから、当然漢族、満州族以外の高級官僚もいたと思うのですが、どんな 人が有名でしょうか?
明清の話じゃなくていいなら阿倍仲麻呂とか
清朝なら湯若望(アダム・シャール)と南懐仁(フェルビースト)が正式に官僚となっている。 天文台長官という特殊技能職だから科挙は免除されただろうけど。
それ以前はイスラム教徒なんだよな。こうやって「知恵の外注」を 繰り返し、己は科挙に受かって権力闘争なんてやってるから今のからっぽの支那人がいるのだな。
明清の科挙を受ける者は、まず受験資格として「童試」に合格せねばならん。 童試は県試→府試→院試と進み、院試に合格した者は「秀才」として国立大学(国子監)への入学を許可された。 科挙の本試験にも、各省の省府での「郷試」、首都北京での「会試」、皇帝臨席の「殿試」の三段階がある。 殿試に合格した者を進士といい、特に成績が一番だった者を状元という。 これらに合格して始めて、特権階級である高級官僚への道が開ける。 これだけの試験を受けようと思えば、漢人でない異民族には基礎から漢文などの素養を勉強せねばならない。 だから武挙という武官登用試験に行く方がラクではあった。
百年戦争中の1343〜1346年は休戦協定が結ばれているはずだけど、フランス側はカンペールを落としてる。 イングランド兵が守備についていたのに攻撃したっていうのは問題にならなかったの? 加えてこの時期、戦争(上記のカンペールような拠点?落としも含めて)は本当になかったの? 最後にもう一つ。この辺りの時期(百年戦争前半)の歴史や人物などについて資料に良い本があったら教えて下さい。
武科挙通って高級武官になった人なんてほぼいないけどね。 武官に異民族が多く見えるのは、武官の地位が低いゆえに逆に実務の実力重視だったからだろうな。
>>70 だけど、
>加えてこの時期、戦争(上記のカンペールような拠点?落としも含めて)は本当になかったの?
は、『他に』戦争(〜〜の間違いでした。
「世界は欧米化しているのではなくて、支那化しつつあるんですよ」 宮崎市定
フランス王本人じゃなくてブロワ伯シャルルがやったからいいんじゃねえの?
>>65 明が潰れさえしなければ、鄭成功はおそらく科挙を受けて文官目指しただろうから
日明混血の官僚が生まれていたかもしれないな
鄭成功が官僚として大成できたかな…? まあIF過ぎるから考えても仕方ないけど
唐の時代は異民族の高官が大勢いて、まさに国際帝国と言った感じなのですが、 どうして元を除く宋の時代以降の中国には、 征服王朝の支配民族以外の異民族の高官がいなかったのでしょうか? 科挙を経ないコースで登用された高官や、 軍の高官あたりにはもっといても良さそうなものですが。 宋も明も漢人の国民国家と言う感じで、唐にあった国際色が失われてる気がします。
>>77 状元になった者に雲南麗江の木氏と親戚のものがいたはず。木氏は麗江の土司。
雲南省の蒙自県出身の高官が何人も出ている。渡橋米線の話の舞台は土司地区。
あと、四川省も今の土司地区から科挙官僚がでている。全部漢姓を名乗っているので、見分けがつかないとのこと。
これらは、漢人扱いなのだが、現在の納西族・彝族・白族などであると考えられている。
でも、高官を出している少数民族って、地域的な偏りがあってまんべんなく出ているわけではない。
おそらく雲南と四川だけ。
79 :
世界@名無史さん :2010/06/06(日) 19:48:09 0
支那の科挙がなかったら学歴社会もないんだぜ、すごいだろ? 欧米ってのは日本以上に超学歴社会で、ブルーとホワイトカラーじゃ 天と地ほどの差。 ところで欧米で実際に「学歴」がモノを言うようになったのはいつごろなんだろ?
漢人ナショナリズム的なものは宋(特に南宋)が起源だからなあ
81 :
世界@名無史さん :2010/06/06(日) 20:40:08 0
>>75 今川氏真とかが明に渡って、科挙に合格することはできただろうか?
(とりあえず、語学力はおいておく)
82 :
65 :2010/06/06(日) 21:41:29 0
ありがとうございます。テクノクラートみたいな人はいた、という感じでしょうか。 やっぱりそもそも科挙に合格するだけでも漢人じゃないと大変で、合格した後も人脈みたいな 点で異民族出身だと出世が難しいということですかね…。 大変参考になりました。
>>79 その代わり超縁故社会社会だろうけど。
いや、どっちが良いとか悪いとか俺は言えないけど。
ところでイギリスでは昔からオックスブリッジ卒が幅利かせてなかったっけ?
ぐっと遡ってローマ時代だと、「大学」そのものがないな アレクサンドリアやアテネやロードスで勉強しました、というのはいるが その手の「大学卒」で皇帝になったのってほとんどいない
いやまて、そんなこと言ったら現代的な意味での「大学」みたいな教育機関は、 科挙が布かれてた時代の中国には存在しないぞ? 中国の国立学校は(創設直後はともかく)名前ばかりの存在だし。
学歴っていうより学閥じゃね? 英国なんかは貴族社会が最近まで(今もか)あって、そういうのが パブリックスクールからオックスブリッジに行くわけだけど、 在学中に生徒会やってたとか、王侯貴族や有力者の子弟と友人になっとくとか、 そういうのがなけりゃ意味なし 昔の日本や今の韓国みたいに「○○大卒」だけで第一段階クリアみたいなものはない
87 :
世界@名無史さん :2010/06/07(月) 17:25:49 0
日本にそういうのがあるとすれば芸能界だけ
88 :
世界@名無史さん :2010/06/07(月) 17:26:09 0
>>82 そんなことないよ。誰だったか支那の有名な学者で、ときの支那政府が
制圧した異民族を優遇するために異民族出身の挙人を状元にしたので彼は
なれず、官僚出世の道をあきらめたという。
>>85 「産業革命のレトリック」乙。そりゃ欧州をすべての基準にしたら
どんな地域でも「ない」状態にになるわな。だってそれが「あった」状況に
なるには欧州基準の何かをそこに含ませないといけないわけだから。
バカは自分のチンポコの皮でヤキトリを作り、幼女に売って逮捕されて拘置所で死ねよ
>>88 清朝の苗族だけは、特別枠があったですよ。
もともと大幅なゲタを履かせてあって、毎回一人は挙人が出るような配慮がしてあった。
苗族は、文字を持たなかった民族で、中国内外に2000万人ぐらいいる。
苗族は、他の少数民族のように、土司土官というリーダーがいて、朝貢してくるわけでもなかった。
苗族は、一揆一揆と、めちゃくちゃ暴れてるので、清朝は、大規模反乱の三回目に徹底的虐殺をやって制圧した。
その後は、識字教育をやって科挙特別枠を持たせた話がよく知られている。
新彊のほうだと、もう「化外の地」扱いなので、そこの異民族は科挙を受験する資格が無かった。台湾も同じ「化外の地」扱い。
制圧された異民族で、科挙受験資格が与えられたのは、どうやら苗族っぽいな。
唐朝だと、
>>77 のような状況だろうか。。。
19世紀末に確立した金本位制経済が、世界恐慌後機能しなくなり、すべての国が金本位制をやめて、 為替本位制に切り替わっていったのはなぜですか?
>>90 資金(マネー)の供給が、各国の経済の実態ではなく、
金(AU,ゴールド)の量という物理的な物に制約されることに不都合が生じたからです。
>>88 洋務運動の前段階として、従来型の官僚ではなく新しいタイプの官僚が求められる段階があった。
林則除の勢力が、湖南省の左宗棠や曽国藩を抜擢しているので
今までに官僚になったことがない地方の人や異民族の挙人もとりたてられてきている。
浙江省や江蘇省の状元輩出地域からではなく、湖南省や安徽省など少し内陸に
人脈の厚いところが移っていってた時期がありますね。
唐の李氏は北魏以来の鮮卑系(胡人)なので、高官に漢人以外が多いのも当然。 北方には突厥やウイグルがいたが、国家としての体制は緩く、唐は各部族長に官位をばらまいて形式的に服属させていた。 高仙芝は高句麗人だが、彼の時代には高句麗はすでに滅ぼされており、高句麗系唐人とでも言えようか。 しかし異民族を登用しすぎて安史の乱を招き、国内に藩鎮が割拠すると、 皇帝の実効支配地域はかなり狭くなり、盛唐までの「国際色」も失われていく。 晩唐には仏教弾圧や儒教・道教の宣揚活動もあり、唐の「漢化」が進んだしたといえなくもない。
94 :
世界@名無史さん :2010/06/07(月) 19:56:23 0
質問です。 例えば、日本では「秋篠宮文仁親王」の「秋篠宮」の部分は「宮号」と呼ばれますが 中国清朝における「恭親王」とか「慶親王」の この「恭」「慶」という部分はどう呼んだらいいのでしょうか? 日本じゃないから「宮号」とも「親王号」とも呼びませんよね?
95 :
世界@名無史さん :2010/06/07(月) 19:58:18 0
何を以って唐が国際的だなといえるのだろ?つうか単に漢土が 異民族に征服されて出来たってだけやん
ローマ帝国時代のグラディエーターって、例えば現在では世界チャンピオンの座があったり 戦闘機乗りだと5機撃墜でエースだとか、そういった基準がありますよね グラディエーターにも、○人抜きで位が変わったり、エースみたいな肩書きってあったんですか?
>>95 北朝胡族の五胡って、もとから潜伏していたっぽいけど。
どうも周の武王の頃から、八つの異民族とか、周や殷の王室とは違う民族が漢土に居た。
99 :
世界@名無史さん :2010/06/07(月) 21:13:56 0
>>96 ありがとうございます
「封号」でも通るかと思ったけどちょっと違いますよね
>>99 清の親王は封地の名前で呼ばれたわけじゃないから。
101 :
sage :2010/06/07(月) 22:24:43 0
>>100 ああ、そうか
参考になりました、どうもです。
102 :
世界@名無史さん :2010/06/07(月) 22:38:06 O
春秋時代・斉の桓公を輔佐した宰相・管夷吾と… 先代襄公を暗殺した管至父は… 親族なのでしょうか?
>>102 歴史上に二人の血縁関係を示す資料は無い。
104 :
世界@名無史さん :2010/06/07(月) 23:25:01 O
タイのチャクリ王朝の 創設者は中華系なんですか?
>>104 鄭姓だからといって陝西河南の韓人だとは限りませぬ。
異民族でも鄭姓はいますから。
例えば回族の鄭和とか、倭人混血の鄭成功とかいろいろ。
タイ族自体が中国南部から移動した民族
>>97 何度も試合をして勝ち残った者は当然ながら存在しているし、剣闘士は引退も許されていた
実績を積み上げた者に対しては、志願者だろうが奴隷だろうが褒美を与えられ、引退後は優雅に暮らした者もいるようだ
また、血の臭いと命の駆け引きを忘れる事が出来ずに、自ら剣闘士の道に戻る者もいたようだ
当然ながら強い剣闘士は、英雄のような扱いを受けただろうと思われる
>>98 潜伏というとまるで黄土高原がもともと農耕民だけのものだったとらえかねない
農耕民と遊牧民の混在地域だったというのが妥当だろう
109 :
世界@名無史さん :2010/06/08(火) 07:10:03 0
>>88 ようするに「大学」という公的機関の有無が説明できないだけだろ
お前の言う欧州基準っていうのは都合の悪いことを誤魔化す為の戯言なだけだろ
>>97 剣闘士の墓誌などを調べると、彼らには5つか、それ以上の階級があったという。
一番上がプリムス・パルス(筆頭剣闘士)で、スパルタクスもここにいたという。
次いでセクンドゥス(次席)、第三位、第四位…と続き、第八位と読めるものが今のところ最下位らしい。
何人倒せば何級上がるとか、そういうものかどうかは定かでない。
他には訓練生、古参(ベテラン)、指南役(ドクトル)といった称号があった。
また華々しい活躍をした者は、「ルディス」という木刀を与えられてルディアリウスとなり、奴隷や囚人身分からある程度は解放された。
前近代的官僚制国家の東の横綱である中国の官僚登用制度に関しては、 いやというほど聞かされるんですが、 西の横綱であるビザンツ帝国の官僚登用制度については調べても良く分かりません。 ビザンツでは、どのような身分の人間がどのような選抜方法で官僚に登用されたのでしょうか?
賄賂と人脈、すなわちカネとコネだろう。 だからって腐敗してたというのは早計で、コネさえあれば農民でも官吏になれた。 多少の試験はあっただろうが、公用語である中世ギリシャ語が話せたり読み書きが出来れば申し分ない。 また宦官や聖職者や貴族や軍人も、官僚にならないと公的な爵位がもらえない。 官僚とはもともと皇帝の私的な奴隷に過ぎないから、宦官が官僚になるのは当然ともいえるが。 あと、実際のビザンツ帝国の官僚は意外に少なく、9世紀末でも中央政府の官僚は600人しかいなかった。 12世紀以後には悪名高い売官制度により官僚が激増し、結局は財政が破綻してしまう。
ビザンツというと宦官が重視されていたようなこと聞いたけど、 どうだったの?
115 :
世界@名無史さん :2010/06/08(火) 20:21:49 0
>>109 ちがうよ。
勝手に欧州基準で物事を定義すればどこにもそんなものは(欧州以外)
存在しなくなるし、それを現在あるすべての起源としたら、まさに白人が無から
すべてを創造した「白人至上主義」の世界となってしまう。行き着くところは人種差別思想ですね。
君は自分の出力の低い脳みそを駆使してなぜこうなるのか考えてみ。
歴史を暗記ものとして捉えてるならクイズ王にしかなれないよ?
傍からやりとりを見ていてよく分からないのですが 昔の中国に「現代的な意味での大学」がないと何か不都合な事でもあるのですか?
頭の不都合な人がいつものように騒いでいるだけだからほっときなさい 2chの自然現象です
118 :
世界@名無史さん :2010/06/09(水) 12:52:32 0
人とは金髪碧眼長身である アジア人はそれに当てはまらない つまり人ではない 大学とは古代ギリシャ起源である アジアにそれはない つまりアジアに大学はなかった わかる?
119 :
世界@名無史さん :2010/06/09(水) 12:55:09 0
人権とはキリスト教に基づく概念である アジアにキリスト教はなかった つまりアジアに人権はない だからアジア人は野蛮である 民主主義とは欧米起源である アジアは欧米ではない つまりアジアに民主主義は存在しない だからアジア人はバカで低能で経験則の神秘主義者である もっと続けようか?
次
アゾレス諸島にはポルトガルの発見以前に原住民は居ましたか?
122 :
世界@名無史さん :2010/06/09(水) 14:03:04 0
>>121 フェニキア人とかが住んだ形跡があったとかないとか・・
取り合えずポルトガルが進出したころには無人だったはず
ただねぇ。
>>85 が言うように現代的な意味での大学は科挙の時代の中国には無かったのは確かで、
>>88 が脊髄反射的に突っ込んでるのが間違い。
台湾は中国のあんなに近くにあるのに、 なぜ清代まで中華王朝は台湾を実効支配も開発もしようとしなかったのでしょう? 海南島は漢代から中華王朝の支配下にあったのに。
125 :
世界@名無史さん :2010/06/09(水) 18:29:36 0
風土病や未開のクビ狩り族がいたからじゃないか。
126 :
世界@名無史さん :2010/06/09(水) 18:30:54 0
>>123 現代的な大学って何?アリストテレスが世界で始めて発明した組織だっけ?
>>124 台湾の先住民、特に多数派の阿美族は、当時としては高度な文明(製鉄やガラス)を持っていたうえに
台湾は非常に地形が複雑なので、大陸の人間が戦さをして勝てる相手ではなかったのです。
128 :
世界@名無史さん :2010/06/09(水) 18:38:08 0
大学とは 1古代ギリシャのアカデメイア起源 2白人(ホワイト)がここ数百年の間に無から作った 3建物の外観は真っ白(ホワイトピーポーを表す) 4パルテノン宮殿を彷彿させる真っ白で巨大な柱が必ず門前にある 5教える内容は白人が無から発見した定理か、古代ギリシャ起源の学問 6使われる教科書は英語かラテン語で書かれてないとダメ 7以上を満たしたものが「現代的な大学」という条件を満たす概念である。 つまりバカしかいないアジアに大学はないし、古代エジプト、古代メソポタミアにもない。 はい「産業革命のレトリック」です。 こういう話になるよ。
昔から無数の蛮族がいたし、明代には倭寇の本拠地のひとつになってた また海南島は雷州半島の先端から30kmほど渡れば着けるが、 台湾海峡は最も狭いところでも130kmはある
倭寇や漢人は小規模な拠点しか持ってなかったのに オランダが台南地域の港を占有していたのが、大規模開発の始まり。
131 :
世界@名無史さん :2010/06/09(水) 19:44:23 0
>>129 日中戦争のとき、日本軍が対岸の福建省をほとんど占領してないのも同様の理由か。
三国時代の呉が出兵した「夷州」というのがたぶん台湾のことだと思われるが、送り込んだ兵士が 病気でバタバタ死んでしまい、そのあげく、成果といえばわずかな現地人を連れ帰っただけ 兵力の供給地にできると期待しての出兵だったのに、連れ帰った人間より死んだ兵の方がずっと 多かったのだから、人的資源の上で(もちろん金銭的にも)大赤字で、話にならない つまり、台湾に出兵しても割に合わなかった 鄭成功やその子孫が根拠地にしなかったら、清だっておそらくわざわざ手を出したりしなかったろう
基本的に中華の人間は、海での活動がそれほど得意な方ではなく(もちろん、明の鄭和の航海のような 例外もあるけど)、陸路でつながっていない島国に船で攻め込むのは嫌いだし、苦手だったんだよ だからわざわざ自分から、島に攻めこんだりするようなことは、あまりしない (日本を攻めた中華王朝は、モンゴル人の元だけだろ?) 高句麗や新羅なんかには水軍で侵攻したこともあるけど、朝鮮半島は上陸さえしてしまえば、たとえ その後船が失われても陸路で帰れるから、安心感が違う
>>128 >1古代ギリシャのアカデメイア起源
古代ギリシャに「現代的な意味での大学」は存在しませんよ?
アカデメイアが何なのか知ってて書いてます?
>2白人(ホワイト)がここ数百年の間に無から作った
1と矛盾してますよ?
>3建物の外観は真っ白(ホワイトピーポーを表す)
>4パルテノン宮殿を彷彿させる真っ白で巨大な柱が必ず門前にある
例えばハーバード大学とかイェール大学とか全然その外観と一致してないけど
あれは大学じゃないわけですね。
>5教える内容は白人が無から発見した定理か、古代ギリシャ起源の学問
>6使われる教科書は英語かラテン語で書かれてないとダメ
欧米の大学で仏教学研究所とか中東イスラム研究所を持ってるところは大学じゃないわけですね。
ヨーロッパで独語や仏語の教科書を使ってるところは大学じゃないと。
135 :
世界@名無史さん :2010/06/09(水) 20:30:47 0
こんばんは。はじめまして。 聞きたいことがあります。 12さいです。 朝鮮半島というのは、北朝鮮と韓国全部のことをいうのですか? 昔はひとつの国で、北朝鮮と韓国に分かれたのですか? 分かりやすく教えて下さい。お願いします。
>>135 大間違い。
朝鮮半島というのは間違い。
朝鮮大陸がただしい。その朝鮮大陸の一部の半島に栄光あるペダル民族の末裔は捲土重来を期して逼塞しているのだ。
138 :
世界@名無史さん :2010/06/09(水) 20:46:56 0
ありがとうございます。 朝鮮大陸はいつ、どういう理由で北朝鮮と韓国にわかれたのですか?
139 :
世界@名無史さん :2010/06/09(水) 20:47:13 0
次
このスレはもうだめなんですか?
141 :
世界@名無史さん :2010/06/09(水) 20:55:10 0
135ですが、ちょっと調べたのですが 韓国はまだ六十年しかたっていない国なのですか?? わかりやすいサイトなどがあれば教えてください。 お願いします。
大学の起源ていやぁボローニャ、ナポリ、サレルノ、パリあたりだろう? 建築に白亜石が多いのはたくさんとれるから。 ギリシャ起源か、白人起源か、ねぇ……。一番重要な神学はどうなるんざんしょ。 サレルノの前身はアラビア語書物の翻訳所だったし。
>>141 サイトなんか調べる必要ないんじゃい!
わしに何でも訊かんかい!
144 :
世界@名無史さん :2010/06/09(水) 20:59:40 0
>>137 知識はひけらかすものではなく
相手に伝わる様に説明できるようになろうねw
>>140 何事も「もうだめ!」ってあきらめちまったらそこで終わっちまうんだ/
「まだまだ!」っておもってりゃあ続くんだ。ちがうか?
146 :
世界@名無史さん :2010/06/09(水) 21:01:45 0
>>144 えぇ???
つたわってないんですか??
がっくし。。
148 :
世界@名無史さん :2010/06/09(水) 21:03:00 0
自演ならVIPか東亜かハン板でやれ 次
>>146 それは第二次大戦後に独立したからという意味で
その理屈でいくと日本も65年しか経ってないことになるよ
NGワード:産業革命のレトリック
152 :
世界@名無史さん :2010/06/09(水) 21:12:39 0
>>147 生意気言って悪いのですが、
最初に12さいとお話しました。
突然難しい漢字や言葉を使われても分からないです。
>>149 朝鮮大陸は昔から二つにわかれていたのですか?
朝鮮王朝時代というのは
韓国のおはなしなのですか?
色々聞いてばかりでごめんなさい。
>>138 >>朝鮮大陸はいつ、どういう理由で北朝鮮と韓国にわかれたのですか?
いい質問だね。
じつはきみだけじゃない、疑問に思ったのは。
昔、アルフレッド=ウェゲナーという地質学者が世界地図を眺めていて不思議なことに気がついた。。
北朝鮮大陸と韓国大陸。。
切り抜いてみて端っこをくっつけてみるとまるで割れたクッキーのかけらをつなぎあわせたみたいにぴったんこ!
「これは!! きっと昔は一つの大陸だったにちがいない! それが別れて移動したんだ! そして北朝鮮大陸はアラスカの北方に、韓国大陸は喜望峰の隣に流れるように移動していったんだ!!」ってね/
これを「大陸移動説」っていうんだよ。
>>153 ひょっこりひょうたん島でもそんなに動かねーよw
>>152 分かれたのは最近
戦後にアメリカvsソ連の構図に巻き込まれて南北に分かれたの
大昔は3つだったりしたけど、中世頃には1つにまとまってたと考えていいよ
>>152 まず朝鮮大陸なんていうデタラメを信じるのは止めろ。昔から分かれていたのかはその通り。大昔には
三国時代もあった。でも日本に併合される前の李氏朝鮮は統一王朝だよ。現在の形になったのは
第二次大戦後にアメリカとソ連が二つに割ったからだな。
たしかに中世は三つの国に分かれていたってことは結構重要かもね
>>アメリカとソ連が二つに割ったからだ そのとおりだ。 朝鮮大陸の右手をアメリカが 左手をソ連がそれぞれ握って 「朝鮮ちゃんはわしの子!」「いいえ!うちの子よ!」 ってひっぱりあったんだよ/ 朝鮮ちゃんは 「痛い!いたいよぉ!やめてぇ〜!」っていったんだよな。 遠山金四郎さんは 「はて?どちらが先に手をはなすかな?いたいと泣く子をみて手を離した方にこそまことの愛があるよの。そっちが朝鮮大陸の親じゃな。。」ってかんがえてたんだけどね。 でも。。 朝鮮ちゃんはまっぷたつになっちゃいましたぁ〜 だから今でも泣いているんだよ。
>>135 どうだい?
いい宿題のレポートが書けたかい?
>>128 古代エジプトのパピルスに
「お父さん、ぼくは大学に行きます。新しいノートをください。新しい上着もください。お弁当に種無しパンの塊とビールをください。」
って書いてあるのがでてきたのを知らないのか。。
>>131 近代の事いっしょくたにしてどうすんだ?
南洋支配してハワイまで攻撃するぐらいだったのに。
単に戦略的な優先度や旨みの違いだな。首都の北京や南京支配してた方が
まだましだったから。台湾一つ奪還できないくらい弱小なんだし、
別に全土支配する気もなかったし、蒋介石を潰す方を優先するのが正しい。
163 :
世界@名無史さん :2010/06/09(水) 22:13:14 0
沢山ありがとうございます。 まとめると、大昔三つの国からひとつの国になって 第二次世界大戦後、二つの国(北朝鮮、韓国) にわかれたのかな・・・? もう少し教えてください。 *朝鮮王朝時代と、李氏朝鮮って同じ意味ですか? *チャングムっていうドラマの時代の国の名前は 韓国なのですか?そのころの国名は何ですか?? それと、朝鮮大陸というのががデタラメってどういうことですか? 間違っているのかな・・
>>163 >朝鮮王朝時代と、李氏朝鮮って同じ意味ですか?
たぶん違うだろ
朝鮮王朝は色々あるし、李氏朝鮮はその中で最後の王朝
>チャングム
ぜんっぜん知らんがおそらく李氏朝鮮時代
>朝鮮大陸
半島のことを大陸とは言わない
>>164 朝鮮を自ら名乗っているのは李氏だけですよ。
朝鮮大陸=ユーラシア大陸
>>163 こんなところで質問をしない方がいいと思うけどね。
答えが正しいかどうか、あなたには判断できないんだから。
だから、「朝鮮大陸」なんていうでたらめを吹き込まれるんだよ。
調べ物ならやっぱり図書館がいいと思うよ。
で、だいたいあなたの理解であっているよ。
国の名前っていうのは、結構ころころ変わるもんでね。
中国も「秦」「漢」「唐」とか、かわっていくだろう?
李氏朝鮮は「李さんが王様の朝鮮という国」という意味。
チャングムはわからん。
チャングム=長今 そういう女官がおったんだ。李氏朝鮮時代に。
>>163 >大昔三つの国からひとつの国になって
そこはそんな簡単な話じゃない。
朝鮮王朝時代は「朝鮮」という国号を名乗ってる時代で、当てはまる王朝はいくつもあるから区別しないと
いけない。チャングムの時代は李氏朝鮮だが、これも国号は「朝鮮」。王様の名字が「李」だからそれをとって
李氏朝鮮と呼ぶ。
>朝鮮大陸というのががデタラメ
地図を見ればどう見たって半島だろう。インドですら亜大陸だ。(亜大陸は大陸のようなモノ。)
171 :
世界@名無史さん :2010/06/09(水) 22:34:29 0
李さんが王様の朝鮮という国=李氏朝鮮 わかりやすかったです。 ありがとうございます。 朝鮮王朝時代=朝鮮で王様が支配していた時代のこと ですね!
朝鮮大陸。 葉加瀬太郎のバイオリンの音が聞こえます
>>171 >朝鮮王朝時代=朝鮮で王様が支配していた時代のこと
微妙に違う。国の名前が「朝鮮」であるという条件がつく。例えば新羅は朝鮮半島を支配した王朝だが
朝鮮王朝とは呼ばない。
174 :
世界@名無史さん :2010/06/09(水) 22:45:32 0
チャングムでは、たしか王様の名前が中宗 (チュンジョン)という人でしたが 李氏さんと二人王様だったのですか?
中宗は、李さんだよ。
176 :
世界@名無史さん :2010/06/09(水) 22:49:20 0
複雑で頭がごちゃごちゃになってきました。 色々教えてくださって、私がもっと理解できればいいのですが むつかしいので、 簡単にわかる、まとめてある様なサイトがあれば どなたかおしえてください。 ごめんなさい。
177 :
世界@名無史さん :2010/06/09(水) 22:50:51 0
>>175 日本でいうと、
李(苗字)中宗(名前)みたいなものですか??
だからわしに訊けよ!
>>177 宗とつくものは廟号で墓に刻むときの名前
中宗は李(姓)○○(名)
ああ1字名だったのね 朝鮮は儒の国ですからな
「朝鮮」という国名は紀元前からあり、半島北部を主に支配していた。 また半島南部には「韓」と呼ばれる地域があり、無数の部族に分かれていた。 しかしどちらも漢に征服されてしまう。 4世紀頃、半島北部には高句麗が、南部には百済や新羅などが興る。 7世紀には唐によって高句麗と百済が滅ぼされ、新羅が半島をほぼ統一。 10世紀に唐が滅ぶと新羅も内乱で滅び、高麗が興る。 14世紀末に高麗が滅び、李氏朝鮮王国が興る。 この国は明や清に服属していたが、19世紀末に日本が日清戦争に勝つと、 朝鮮の国号を「大韓帝国」と改めさせ、形式的に独立国とさせた。 いろいろあってこの国も日本に併合され、日本領朝鮮となる。
183 :
世界@名無史さん :2010/06/09(水) 23:08:10 0
死んだ後は名前が変わるのですね。 色々ありがとうございます。 もうこんな時間になってしまいました。 みなさんアリガトウ!!おやすみなさい☆ミ
184 :
世界@名無史さん :2010/06/09(水) 23:11:29 0
>>182 私は中国と日本の勉強がもっと必要。
難しいけど、少し理解できました!
ありがとう。
日本が世界大戦に敗れると朝鮮は連合軍の支配下に入り、38度線以北はソ連、以南は米国が占領。 ソ連は北朝鮮に金日成を送り込んで共産主義国家「朝鮮民主主義人民共和国」を作らせ、 米国は南朝鮮に李承晩を立てて共産主義勢力に対抗するための「大韓民国」を作らせる。 その後、朝鮮戦争が勃発し、紆余曲折のすえ現状のような状態に落ち着く。(落ち着いてないけど) で、あの半島は、中国や北朝鮮では「朝鮮半島」と呼ぶ。日本でも歴史的に朝鮮半島と呼ぶ人が多い。 しかし韓国人は「朝鮮という名前は中国がつけた名前だからいやだ」といい、 わざわざ「韓半島」と呼ぶようになった。北朝鮮のことも「北韓」と呼ぶ。 また英語圏など西洋諸国では、かつて半島を統一していた「高麗」からとって「コリア」と呼んでいる。 誰がどう呼ぶかはその人次第。
しかしドラマとはいえ、なんで在位中の王様を廟号で呼ぶんだろうな… いやまあ、そう呼ばないと誰だか分かんないんだけど
>>186 しかもあっちの発音でチュンジョンとかチャチャンソンとかイェージョパンソとか呼ぶから個人名かと
思ったらそうじゃなくて役職だったりして判りにくい。イェージョパンソは別のドラマだけど。
まあ、日本のアニメでも、それぞれ存命中の厩戸皇子を「聖徳太子」、隋の皇帝を「煬帝」と 呼んでたのがあるし まあ、呼び方がどうこう言う以前に、ジャージ姿の聖徳太子自身が小野妹子と一緒に煬帝の ところに行ってみたら、煬帝は宇宙人だったというギャグアニメなんだけど
>>188 あんな事しても国辱扱いされない現代はけっこう素晴らしいと思うよ
>>189 アメリカ様が天皇圧政から日本人を解放してくれたおかげさ
191 :
世界@名無史さん :2010/06/10(木) 08:42:39 0
>>182 >>184 >朝鮮の国号を「大韓帝国」と改めさせ、形式的に独立国とさせた。
認識不足。
国名は自分で選んだんだし、名実共に独立国となった。
ところが当の大韓帝国自身が独立国となった自覚が無く、独立国とはなんたるかも知らないありさまだった。
わかっていたのは事大先を自由に選べるようになったということだけ。
余計にひどいな…
李王家の子孫は戦後どうなったんですか?
ただの金持ちになったんだろ
ほんと?
>>193 日本で暮らしていたが、韓国に帰国して一市民に。
よくもまぁ処刑されなかったよね。韓国国民に
李成桂って高句麗系?満州系?の軍人でしょ?
コリアンの脳内では満洲も中国も日本も世界も韓国領です
モンゴル系説もあったな
>>203 国民国家形成以前にももちろん戸籍はあったが、その時代の戸籍は、徴税、兵役、雑役、治安対策
などのために民を国が把握・管理するための単なる資料でしかない
むしろ、人を把握するための資料ではなく、土地、領地の資料というべきか
その戸籍に記載された個人に国家の構成員としての資格を与えるためのものではなく、したがって
その国の国民としての権利や保護を保証するものでもない
>>203 管理、という意味では教会でやってた
出生届、洗礼、結婚、死亡届(葬式)全部現地の教会でやんなきゃいけないから
聖職者が管理
革命でフランスはキリスト教を否定したんで、代替物が必要になった(後に復活するが)
国民番号を導入してない国では今も教会だが、結局これは国内で生地を離れれば判らなくなるんで、
それで重婚騒ぎとかニュースになることも(そう滅多にないが)
>>203 宗教組織、つまり教会が管理してたんだよ。
教会が与える罰に「破門」てのがあるけど、それはつまり、
個人の帰属先、保護される権利等を全て喪失することを意味する。
単に破門されたら信仰を止めてしまえばいいというものではなく、
かなり深刻な社会的抹殺だったんよ。
世界で一番古いオナニーの記録ってあるの?
ヘブライ神話の『創世記』 兄エルが死去したため、弟オナンは、兄嫁タマルに子種をつける義務があった しかし子が産まれても自分の子孫にはならないため、いつも膣外射精していた このオナンに因んで、オナニーという言葉が出来た
エジプトの創造神アトゥムは、「自らの手を妻として」大気の神シュウと湿気の女神テフヌトを産んだという。
>>208 、209
thx
どっちが早いのかな?
ってかどちらも神話だよな
もっと現実的な奴ってないの?
ローマの騎士階級とは、具体的にどのような人々の事を指すのでしょうか?
>>208 なんで?
自分の遺伝子が残るんだからいいじゃんか?
>>210 きっと人間になる前からオナニーしてたとおもう
>>211 なんで騎士階級って翻訳したんだろうね。
中小企業のおっさんでしょ。
>>214 では、ローマ時代の中小企業のおっさんとやらがどのような経済活動を行っていたのか、
それは元老院階級の経済活動とどう違っていたのか、
また、騎士階級と訳された人々が具体的にどのような社会的地位を持っていたのか教えてください。
>>215 ローマの中小企業っていうても農業だよ。
いわゆる地主階級といってよい。
自らも畑を耕す。
服装も成金趣味。もしくはださい。
いくらがんばってもだささがぬけない。
元老院のおっさん達は いわば大企業のオーナーだよ。
農業をするにしても奴隷を多く抱えて広い土地を運営する。
金も貸す。
とにかくリッチなんや。
セレブなんや。
ローマの騎士階級(エクィテス)は、文字通りには「馬(エクウス)を持つ者」。 旧来の貴族(パトリキ)には属さないが、平民(プレブス)の中でも多くの資産を蓄え、 貴族や元老院議員に匹敵する力を持つようになった人々のこと。 共和政ローマでは市民皆兵で、保有資産に応じていくつかの階級に分けられたが、 特に資産の多い者には「重装騎兵」としての出陣が求められた。 優秀な軍馬は高級品で、馬術はギリシャ・ローマ人には縁が薄く、騎馬民族でなければ富裕層しか馬には乗れなかった。 現代でいうと、戦車とはいわんが装甲車を自前で準備できる感じか。 元老院議員も戦場では司令官であり、馬に乗って戦うことが多かったが、 エクィテス級の上層平民は公職につけば元老院議員となり、新貴族(ノビレス)になることもできた。
やがて「元老院議員は商業を禁じる」とした法律が出来ると、 こうした上層平民の一部は経済活動のため元老院議員への道を閉ざし、エクィテスにとどまった。 また、軍制改革によって市民皆兵でなくなり、重装歩兵と軽装騎兵が主戦力になると、 「騎士」階級とは言っても実際には軍務につかなくてもよくなり、経済界で活躍する上層平民を指すことになる。 キケロの親友だった大教養人のアッティクスも、代々のエクィテスで大金持ちだったが公職にはつかなかった。 さらに帝政になると、皇帝に仕える高級官僚として、軍団の指揮官や属州総督に任命されたりもした。 帝政期の元老院議員の財産資格は100万セステルティウス=25万デナリウス以上で、 騎士階級の財産資格は40万セステルティウス=10万デナリウス以上。 一般労働者の日当が1デナリウスという。
元老院議員が商業を禁じられたといっても、奴隷や解放奴隷、 クリエンテス(部下というか子分)を使っての経済(貿易)活動は大いにやった。 農業は奴隷や小作人を大勢使った大規模農業。 もちろんエクィテスも大規模農業や海外交易、徴税業務の請負(&税金ピンハネ)に精を出した。 クラッススなんかは元老院議員だが、当時のローマの歳入に匹敵する財産があったといい、 この手の悪徳エクィテスたちを利権団体かつ票田としてたくさん抱えていた。
>>212 現代人の感覚だとそう思うんだけど、何故かオナンは嫌だった。兄の嫁とその子供として養う義務が
あった訳だけど。あげくに神の「産めよ、増やせよ。」という使命に背いたとして罰を受ける事になる。
>>219 クリエンテスってのは自由民で元老院議員の子分になってる人?
オナンが兄嫁を娶ったのは、死んだ兄の家系を絶やさないための結婚だった なので、生まれた子供は「兄の子」として扱われ、 遺産もオナンのものにならず、その子のものになってしまう 兄嫁に子が生まれなければ、オナンは兄の遺産も父の遺産もまとめてもらえる
>>220 むしろ、気持ちいいことしたいけど、子供欲しくないって考えは現代人に近くね?
帝政期に入って階級として元老院階級と騎士階級が分かれるまでは「一番金持ってる連中」でいいんじゃないの? 使われ方としては共和政期でも「一番の金持ち連中のうち元老院議員を除く」ではあるけど法的に言えば区別はないし その辺の使い分けがややこしくはあるんだろうけど アッティクスもキケロもカエサルもマリウスもスッラもみんな階級としては騎士階級 ケントゥリア民会では最初の方に投票するし、仮に軍に呼ばれれば騎兵として参加する ただ騎士階級の利益とか言った場合は元老院議員を除いてこの場合アッティクスだけを指すことが多い
おなん自身の嫁はいたの?
いや、一応は古来のパトリキ(貴族)とプレブス(平民)という分け方も残ってたんだわ 護民官はプレブスの権利を護る公職なんで、家門がプレブスでないと就任できん だからパトリキ系のユリウス・カエサルは護民官にはなれなかった
騎士階級は成り上がりものでもあったんだよな?
>>228 それなら膣外射精もなるほどだね。
自分の子供がいるのならば。
それより疑問なのは、オナンのやってたことは膣外射精だったのに なぜ自慰が彼の名で呼ばれるのかじゃね?
実は兄嫁はいなかったから。想像上の兄嫁
オナンとかサドとかマゾッホとか。。 恥ずかしい奴らやなぁ
>>226 プレブス系の公職は他にアエディリス・プレビスがあるけど
パトリキとプレブスは騎士階級とは直接関係ないと思うんだが
ケントゥリア民会では貴族も平民も投票できるだろ?
>>229 しかしオナンが神罰で死んだ後、舅のユダが嫁に下の子が成人するまで待ってろって言ってるのを
みるとオナン自身の嫁は居ないかもしれない。「成人=嫁を取る」かもしれないけど。
>>230 古来問題にされてきたのはそれが膣外射精か自慰かではなくて、生殖を目的としない行為だった。
実際には膣外射精よりも自慰の方が多かったので自慰=オナニーとなったのではなかろうか。だって
レビレート婚じゃ無い社会では膣外射精する理由はあまり無いけど、自慰はするだろう。
ローマの騎士階級とオナニーの起源の話が同時に進む変なスレ。
旦那が死んだらその兄弟と結婚するはずなのに、舅がそれ邪魔してたから キレた嫁が遊女のフリして舅の子孕んで、証拠もがっちり取って訴えたなんて話も旧約にあったな で、勿論再婚させなかった舅の方が悪いと言う事になった
>>オナンが神罰で死んだ後、舅のユダが嫁に下の子が成人するまで待ってろって言ってる どういうことなんだ?? 兄嫁に子供がいたのか??
父 ユダ
長男 エル
次男 オナン
三男 シェラ
嫁のタマルは最初エルの妻だったがry次男まで死んだんで、
ユダはこの嫁縁起悪いんじゃね?と「再婚はシェラが成人するまで待て」
と実家に戻すが、シェラが成人しても音沙汰ない
で
>>236 で結局ペレツとゼラっつー双子が生まれて、その片方がジーザスクライストの先祖
じゃあオナンは既婚ではなかったぽいね。
241 :
世界@名無史さん :2010/06/11(金) 23:14:38 0
>>234 おれのうろ覚えだと生殖を目的としない行為は神の意図に反することであったから、
それを軽蔑する意味でその名称が生れたような気がする。
つーか、それ系のネタは「オナニズムの歴史」とか「マスタベーションの歴史」
って本に詳しく書いてあるぞ。
オナニーの歴史は最近スレ立ったからそっちにも話題提供よろしくな
ナポレオンが実行した大陸封鎖令は英国に対して実際には効果があったのですか? あまり効果がなかったのでロシアは止めたのでしょうか?
効果はぼちぼちあったろうが 困ったのは英国と貿易してた国々 なのでロシアに限らずどこも守らなかったし それでナポレオンがブチ切れては戦争するの繰り返し
高句麗と現在の韓国には連続性は存在しないんですか? 中国との間で帰属問題が起きていますが、世界史板的にはどう見ているんでしょうか?
わからないものは、わからないにしてますがな。
周朝を建てた、文王・武王の存在は確実なんですか? なんか神話めいてるような気がしますが…
248 :
世界@名無史さん :2010/06/12(土) 06:16:44 0
含む所がない限り素直に信じましょう
>>247 もちろん、史記等の史書のその時代についての記述を鵜呑みにするわけにはいかないが、
周王朝や殷王朝は確かに存在していた以上、殷に代わって周が勃興した時期の周の
君主自体はいただろう
それが後世に、文王や武王と呼ばれていると考えれば、文王、武王は「確実に存在した」
とも言える
250 :
世界@名無史さん :2010/06/12(土) 08:43:46 0
いや、ヤマトタケル伝説みたいに何代にもわたる事業を文王・武王という聖者の功績として 纏め上げたという可能性もある。
文王・武王の功績って言ったって西の方で勢力を延ばしてきた新興国の周が、殷が東夷との戦争で弱った 隙を突いて倒したってだけで何代にも渡る事業じゃないよ。少しずつ国土を浸食した訳じゃないし、他の 諸候を叩く必要があった訳でもない。いっぱいある逸話の類いはほとんど創作だろうし。 逆にこの時点で頭をつぶしただけで終わった事が後の三監の乱に繋がるのだろう。
周って江戸幕府みたいなもん?
むしろ室町幕府かな。前半(西周)はそれなりに諸候を支配してるけどそんなに強い訳でもなく、 後半(東周≒春秋戦国)はお飾りに近い。
>>《牧誓》 武王戎車三百兩,虎賁三百人 リアリティーのある人数だね。
実際そんなもんだったろうな。
伝説では八百諸侯の軍勢をあわせて40万、対する殷が70万というが、さすがに誇張もいいとこだろう。 一応、周軍には戦車300両、勇士3000、歩兵4万5000がいたとされる。 『周礼』によれば、戦車1両につき馬4頭、御者1人、戟と弓を持つ重装戦士(貴族)が1人ずつ。 これに甲士(武装した戦士)10人、歩兵20人が従う。戦車300両なら合計して約1万人。 非戦闘員(輜重隊)を含めれば1両につき100人ぐらいはいたともいうから、300両で3万人。
パンとサーカスは、ローマ市民権があれば、属州から流入してきたローマ市民権保有者にも与えられたのですか? それとも、元からのローマ居住者でないと受けられなかったのですか? あと、どうしてローマは無産市民を辺境に送り込んで開拓させたり、 軍団に編入して兵士にしたりせず、 パンとサーカスを与えて働かなくても最低限の生活を受けられるようにしたのですか?
ローマでは、ベン・ハーのような戦車競技が盛んだったようですが 競技ではなく、実戦で使われた例ってありますか?
ローマ市民権を持ち、ローマに在住している17歳以上の成人男子ならば誰でも。 ただし人数制限があって、アウグストゥス以来20万人ほどと決まっていた。 とはいえローマ市の人口は最大で100万人ほどだったから、20万人なら市民の成人男子のほぼ全員だろう。 最初は4万人から始まり、一時は32万人にも増えたが、カエサルは15万人に減らしている。 毎月の配給に並べば「サーカス」のほうの無料入場券ももらえたが、並ぶのが面倒ならパスできた。 もともと「パン」、すなわち小麦の配布は、共和政時代後期にガイウス・グラックスが提案したもので、 国家が一定量の小麦を買い上げ、市価の半値で都市の無産市民に売るとした法律による。 一種の社会福祉政策であり、無料配給になったのは共和政末期から。 それに無産市民といっても無職という意味ではなく、「資産が少ないから日々働かないと食っていけない人々」のこと。 一応は市民ゆえ参政権はあったので、この法律は大いに彼らの票を集めた。 スッラは民衆派の地盤を崩すため撤廃したが、彼の死後にすぐ復活している。
働かなくても最低限の生活を受けられた、というか、餓死だけは防いだというほうが実情に近い。 毎月小麦だけもらっても、パンやお粥にしないと食べられん。煮炊きする薪代は無料ではない。野菜やたんぱく質も取らないと栄養が偏る。 市民だから免税こそされてたが、働かないと家賃も払えんのでホームレスになる。嫁をもらうことも家族を養うこともできん。 親が生きてればそのスネをかじれるが、働く必要は十分にあった。 軍団兵は、マリウスの軍制改革以来「市民皆兵」から「志願制」になり、多くの無産市民を吸収できたが、 兵士の質を高めるため試験や訓練も厳しかったので、誰もがなれる職業ではなかった。 それに、軍隊以外にもいろいろと職は見つけられる時代にもなっていた。 開拓団として辺境に送り込むといっても、蛮族と戦ったり土着民と交渉したりせねばならんし、 これもローマの戦略上、退役軍人を殖民させるほうがてっとり早くて役に立った。 まあ、そこらへんの貧弱なあんちゃんを軍隊や開拓団に送り込んでも役に立たんわけです。
そこでパトロヌスですよ 早朝に挨拶に行くだけでお小遣いもらえる 帝政期に入るとクリエンテラが皇帝を頂点として再編されるからそれがなくなる だからパンとサーカスの配給の必要も出てくる
ローマすげえな。 日本じゃ弥生時代とかやってるころにそんな都市社会の基礎が完成していたとは。
>>259 ギリシャやローマでは、王政時代には戦車を実戦に使ってたようだが、
重装歩兵が主戦力となってからは、競技や凱旋式ではともかく実戦では使われていない
(なにしろ平地でないと走れないしな…)
オリエントやケルトでは割と遅くまで戦車を用いていたから、補助軍として参加したことはあるかも
>>そこでパトロヌスですよ 早朝に挨拶に行くだけでお小遣いもらえる なんだそれ? 共産党と生活保護受給者みたいなもんか?
>>265 そんなもんと言えばマジでそんなもん。現代アラブでも
政治家が地元支持者一人一人と対面していろんな要望を聞く風習は
残っているらしい。当然数百人から数千人が列をなす
>>266 ローマの伝統は意外なものがアラブとかに残ってるから面白いよね。風呂とか。
ま、ローマが吸収したオリエントの文化が、今の時代まで残ってるともいえるが。
268 :
世界@名無史さん :2010/06/13(日) 15:58:34 0
ナショナリズムがフランス革命をきっかけにヨーロッパで広まり、ナショナリズムがドイツ・イタリアの統一などに代表される19世紀の流れとなった。 とされていますが、なぜナショナリズムが広まり、ドイツやイタリアの統一が主張されたのでしょうか? 当時は話し言葉が統一されておらず、国民意識も希薄だったはずです。ナショナリズムのリーダー的なフランスでさえ半分位しかフランス語を話せなかったと聞きます。 言葉も違うのに何故統一しようとしたのですか? それならば言葉が通じる国ごと、ドイツなら北と南などにいくつかの国で良かったのではないでしょうか?
>>262 究極の利権構造だな
ばらまきが過ぎて破綻コース
>>268 その希薄な国民意識を揺すぶり起こして昂らせるのがナショナリズムだろ。
フランスの周辺国は革命が伝播してくるのを恐れ、つぶしてしまおうとした。それがかえって
フランス国民の危機感をあおり、ナショナリズムが高揚した。それに刺激を受けたドイツや
イタリアでも統一の気運が高まった。
統一の枠組みはいろいろあり得るけど、小さい国では吹けば飛んでしまうから無理の無い
範囲で大きい国が良いじゃない?
271 :
世界@名無史さん :2010/06/13(日) 16:35:00 0
>>267 唐代の古き良き中国文化が日本に深く根付いてるのと似てるな
>>271 そうだよ。唐には、鮮卑族拓跋部族が結構いたんだ。
皇帝もその部族で、大野氏という氏族だったのだ。
日本にも、大野さんっていっぱいいるでしょ?
唐の文化と日本が親和性がいいのは、ぼくらの先祖も鮮卑拓跋部だからなんだよ。
(ソースは民明書房)
今じゃ、年号を使用してる国は日本だけだし
>>268 集団の原理だよ。
・圧倒的多数の側からすると、単純に集団が大きな方が都合が良い。
・少数の側からすると、集団内での割合が高い方が都合が良い。
・弱者の一部となるよりも、強者の一部となる方が都合が良い。
の三つで動いている。
言葉の違いもその中の一つの要素に過ぎない。
おおのさんとタイヤ氏とは関係ないんじゃ…
なぜ、列強が無理やり一つにまとめて植民地にした様々な文化や民族を含むアジア・アフリカの地域が、 独立した時も植民地の時の枠組みで独立したのでしょう? どの国も多様な民族や文化を抱えて、その違いで様々な争いが絶えない状況だから、 初めから民族自決、地域国家の枠組みで小国を乱立させた方が良かったと思うのですが、 独立運動家はなぜ列強に無理やりくっつけられた植民地を丸ごと一つの国家として独立させたのでしょう?
それでなくても新興独立国なんて弱小なのに、それがさらに小国に分裂すると、個々の国が 経済的・軍事的にあまりに弱小勢力になりすぎる また、植民地時代の統治機構のシステムを一度ぶっ壊して再構築するよりも、利用できるも のはそのまま受け継いだ方が効率がいい
「同じ民族」で無理やりくくったところで、 その中には部族あり氏族ありでまとまらない アラブやソマリアを見てみるがよい ならば「民族国家」でなく「国民国家」を作ればよい 国なんてのはもともと多民族なのが普通だ それがうまくまとまれば、部族や民族を超えた国になる ローマやアメリカを見てみるがよい
●●教原理主義者がいると、そうはいかない。 それぞれの唯一神が違う。 また、それぞれの宗教指導者には宗教紛争を制御できず、 原理主義者が暴走しやすい。
近代に入る前にエスニッククレンジングが完了した国が勝ち組なんですね。
ロシアやシナも多民族国家だが、多数派民族が上から軍事力で抑えてるだけだな 民族紛争も宗教テロもガンガン起こってるし
例えば、グルジアだとオセット人自体がもともと部族同士でいがみあっているので 民族自体に統一されていること自体が稀なんだよ。
>>269 パトロヌスがクリエンテスにばらまいてたのは、公金ではなくて自分のカネ。
カエサルなどは借金してでも女と民衆にばらまいてた。
富の再分配というか、私財を福祉や公共事業に還元するのは金持ちの義務でもあった。
クリエンテスももらうばかりではなく、親分が窮地に陥ったら身を張って援助するのが当然。
しないと「信義を忘れた恩知らず」として社会的信用を失う。
皇帝がパンとサーカスをばらまいてたのは、人々の支持を集めるため。不人気な皇帝には市民から必ずブーイングが飛ぶ。
生活保護やスポーツ観戦を「無駄だ」とか言ってやめさせたら、皇帝の首が文字通り吹っ飛ぶ。
それも毎日とか毎週やってたわけではないし、皇帝はエジプト全土を所有する大富豪だから、少々身銭を切っても大丈夫。
この「パンとサーカス」は、なんと7世紀、東ローマ帝国の初期まで続いていた。
軍事費増大による財政破綻はあったが、それはパンとサーカスのばらまきによるものではない。
286 :
世界@名無史さん :2010/06/14(月) 08:48:25 0
国民国家という言葉が分かりません。 1つの国家に1つの民族という国だと言います。 国民国家はnation-stateの訳語だと言いますが、↑のことを言うのなら民族国家の方が訳語として近いのではないでしょうか? 国家にはそりゃ1つの国民しかいない訳で..... 多民族国家であっても1つの国民しかいませんよね?
>>286 他民族国家では民族間の対立がしばしば国家としてのまとまりを妨げる。あるいは宗教の違いも
またそう。そういう民族や宗教の違いに依る対立を国民という意識を持って乗り越えてまとめようと
いうのが国民国家じゃないかな。
民族というものが幻想。実際には氏族の連合体である部族ごとに共同体に集まって住んでいる。 元遊牧民や元焼畑農民は、あちこち動いた結果今の共同体に住んでおり 隣の共同体は、たいがい異民族。おなじ民族は遠く離れたところにいる。 現代は1950年代と違い、道路や通信のインフラが整い、外部と接触が増えて 民族意識も人為的に作れて求心力がある反面、 どの近隣勢力と合従連衡するかをめぐって、部族ごとにバラバラになる遠心力もはたらく。
遠い親戚より近くの他人
ナショナリズムと国民国家の流れが理解できんーー フランス革命後 国民国家が誕生。 軍事的に強ス→うちらも国民国家作るべ!(ナショナリズム) なのか?
291 :
世界@名無史さん :2010/06/14(月) 15:51:13 0
徴兵制が国民国家の要件ならば、軍閥→共産党の私兵が国家の主力軍である某大陸国家はまだ国民国家ではないのか?
>>266 >>267 パトロヌスとクリエンテスとの関係が、近代の政党や選挙区や政党の起源だからな。
建前上、市民はだれでも民会に出たり高位官職の選挙権があったりするけれど、ローマ帝国は
国土は広いから民会に出るのは大変だし、根回しやら付け届けをしっかりやって顔つなぎをして
いないと、意見は通らない、実質的な発言権は無い。
弁の立つ、根回し上手で、金の使い方の巧いヤツ(パトロヌス)を代表にして送り込む。地域の
利益代表とて送り込んだり、特定の主義主張権益でまとまったりして、その代表を支援するわけだ。
自主的・自然発生的なものだけれども、それを制度化して、地域を区切れば選挙区、主義主張での
まとまりを単位とすれば政党となる。
関係が武力を伴う安堵・庇護と奉公・貢納に変質すると、中世的封建制になるわけだ。
>>277 どこで線引したところで新たな争いの種にしかならいなから、しゃあことなしに、
旧支配国の決めた統治単位でやっている。
日本人感覚では外国と行き来するのはすげえ大変なことみたいに感じるけれども、
アフリカにしてもヨーロッパにしても国境またいだ両方でさして文化や暮らしぶり
が変わらない、目印になるような地形も無いというところでは、隣町へ行くような
感覚で国境を越えて商いや買い物や勤めに出たりする。農家の田んぼが一部分は
こっちの家のある側の国に、国境の向こうに沢山、という具合にあったりして、
日々国境を超えて耕しに行ったりもする。
フランスで生まれたナショナリズム(国家主義)が周囲に広まるうちに ナショナリズム(民族主義)に変化していったと思えばそんなに間違ってなかろう。 ネイションステイツに関しても、それに準じているのではないのかな だから国民国家的用法もあれば民族国家的用法もある。
フランス革命を「フランスの民族革命」とはいわんもんな
297 :
世界@名無史さん :2010/06/15(火) 01:06:04 0
>>286 国民国家とは単にその国の国籍を持つもので運営されている地域、と
考えればいいですよ。いわば国民一人ひとりが「〜国」という株券を持ち、
その国に税を納める代わりに安全保障・配当がくるという。そこに民族とか
宗教の別は関係ない。あるとしたら言語の壁くらいだ。これが国民国家。
それでも忍び寄るアルカイダの影。 パシュトゥーン人の大統領とタリバン過激派が敵対内戦。
299 :
世界@名無史さん :2010/06/15(火) 05:07:15 0
ここはカンペ見ながらカキコしてる人いないの? 記憶だけを頼りにこれだけの答えだせる人ってすごくね?
300 :
世界@名無史さん :2010/06/15(火) 05:09:27 0
ということで質問です。なぜ古代ローマ帝国は長らく 共和制という政治体制を採ったのでしょうか? それとも単に「帝国内に権力者が乱発したので結果として寡頭制に なった」というだけなのでしょうか?
>>299 俺はググりながら書いてるよ。
>>300 意味不明。帝国時代は共和制じゃなくて帝政。共和制だったのは帝国になる前の共和政ローマの時代。
>>300 古代ローマというと巨大な帝国のイメージが強いのかもしれないが、その出発点は一都市国家だ
ローマが王制を廃止して、共和制を採用したのは、まだ、都市国家に毛がはえた程度の狭い領域しか
なかった頃(伝承によれば、紀元前509年)のことだよ
都市国家は、ギリシャのアテナイなどのポリスがそうだったように、市民の中に力を持って有力者となる
者も出やすく、そんな有力市民は君主の独裁を嫌う傾向があった
また、ローマを追放された最後の王タルクィニウスはどうもエトルリア系(つまりよそ者)だったらしい
それも王制廃止に関係していると思う
303 :
世界@名無史さん :2010/06/15(火) 12:25:50 0
羅馬は一日にして成らず
パリとかヨーロッパの都市じゃどこの家もウンコは ゴミ感覚で当たり前のように家の窓から道に投げ棄ててたらしいけど いつの時代までそんな意味不なことやってたの? 臭いだろうしせっかくの石畳の道がウンコで溢れて台なしだろうし ウンコへの抵抗感や拒絶感が当時の人間にはなかったの?
ローマの寡頭政って、いつからいつまでを指すのですか?
>>304 少なくとも今よりはずっと、排泄物が道にあることへの抵抗感はなかったはずだよ
自動車が普及する前、鉄道や河川・運河の通ってない場所の交通・物資の流通は、馬、馬車などに頼っていた
当然、馬はその辺に糞尿をまき散らすから、都市の道路は、馬糞だらけ
それに犬の糞もある(散歩中の犬の糞を飼い主が持ち帰るのがマナーになったのは、ごく最近のことだ。ちょっと
年配の人なら、昔は犬の糞が道によくあったことを覚えているはず)
どうせ馬や犬の糞尿だらけなんだから、人の排泄物も道に捨てて何が悪い、ってところだろう
もちろん、悪臭はひどかった
だからヨーロッパでは香水が発達した(肉中心の食生活で体臭がきついのも一因だが)
>>304 ちと記憶が曖昧だが、19世紀のテムズ川は悪臭(垂れ流しだから)で近寄れないほどだったとか。
そもそも「清潔」という概念が現代に入ってから出来たもの。
>>305 あまり寡頭政って言い方はしないね。共和政ローマは元老院が権力握ってて実務を行う執政官
とかは選挙で選ぶ。貴族政治ではあるが寡頭ではない。逆に帝政期に入れば基本的に皇帝
一人に権力が集中する。
あえて言えばカエサル・ポンペイウス・クラッススによる第一回三頭政治とオクタビィアヌス・アント
ニウス・レピドゥス(それ誰?)の第二回三頭政治の時くらい。でも普通はわざわざ寡頭政なんて
言わないで三頭政治と呼ぶ。
>>307 風刺画があったな。歴代ロンドン市長がテムズ川のヌシに挨拶に行く絵。
川はドロドロだったんじゃなかったか
でも普通は都市生活を少しでも快適にしたいと思うのが自然じゃないの? 下水道とかインダス文明時代にもあったんだからできないはずはないだろ
>>310 文明が常に前進してると思ったら大間違いだ。時に後退する事はよくある。
>>310 ハラッパやモヘンジョダロに下水つけるのは、ロンドンやパリにつけるよりもはるかに楽だよ
単純な構造の古代都市に下水道つけるのと、建物が密集し規模も人口もはるかに大きく、
無計画に発展した近代の都市に下水道をつけるのとでは、後者の方が困難にきまってる
そこでロンドン大火だ
>>310 んー、「快適」の基準も時代と場所によってかなり変わるしねぇ。
限られたリソースの振り分けっていう面でも考えなきゃいけないし。
下水に関しちゃ、
>>312 の言ったようなこともあるし、
個人宅まで引っ張ってこなきゃいけないからねぇ。貧乏人にはきついんじゃないかな、と思うよ。
>>306-307 汚い話に御丁寧に解答いただきありがとうございます
排泄物の投棄に対し道徳観が薄く当時はそういう認識が当たり前とされてきたのですね
確か貴族の貴婦人達も舞踏会などに招かれた時、宮殿の庭でそのまま平気で用を足してたみたいですしね
そうした退廃した気風が改まったのが近代化が成され馬などが減少した結果たまたまであったり
昨今の歩きタバコ問題のように誰ぞやが人の手で街中を汚す事は間違いだと声高に提唱するまでは
清潔という概念自体が存在せず疑念を抱くことすらナンセンスであったとは驚きでした
316 :
世界@名無史さん :2010/06/15(火) 23:31:35 0
>>315 パリでは衛生意識がだいぶ高まったのは第二帝政後期ぐらいからだ。
20世紀初頭ですら、ろくに風呂に入らない人はたくさんいた。
アラン・コルバンの「においの歴史」や鹿島茂の「19世紀フランス原風景
おしゃれと権力」なんかも興味があれば読むといいよ。
本当に当時の汚さに驚くし、読んでて面白いよ。
317 :
世界@名無史さん :2010/06/16(水) 02:41:47 0
>>302 フムフム・・その頃の共和制による執政官はやっぱり選挙で選ばれたのでしょうか?
>>308 おれの寡頭政についての認識は間違っていた様だ。wikipediaによれば共和政ローマも寡頭政になるらしい。
そうすると最後の王様を追放してからオクタビィアヌスが帝政を始めるまでずっと寡頭政だった事になる。
319 :
世界@名無史さん :2010/06/16(水) 09:05:41 0
>>312 「昔はすべてが楽だった」「古代人はバカだった」
こんなレスをいまどき(というか歴史板で)堂堂とするやつがいてびっくり。
>>316 トイレに関しては、日本や他国も似たもんじゃないの?
今でも、トイレ無し民家が普通の国や地域ってあるよね
>>320 江戸の町では糞尿を近郊の農地の肥料としてリサイクルしていたから大分違うぞ。
町は比較的綺麗でも、農村部はすごい臭そうだ…
>>316 乾燥地帯の人は風呂に入らないよ。
アリゾナやネバダで風呂に入りたければ、ラスベガスでも行くこった。
江戸以降は知らんけど 日本も戦国時代までは“風呂=体を清める”とした概念はなく湯治目的だったはず 殿様や貴族クラスの女性は匂い袋を愛用し屋敷の部屋では汗やアカの匂いをお香を焚いて解消していた
325 :
世界@名無史さん :2010/06/16(水) 14:55:09 0
ま、風呂炊くための燃料は飯炊きよりも多いわけだから、 贅沢といえば贅沢な行為。
326 :
世界@名無史さん :2010/06/16(水) 15:08:25 P
インドはカーストによって上のカーストが下のカーストに対して高圧的な態度をとるみたいですが、たとえば同じ職場で親と子くらい離れた上のカーストの女の子が、下のカーストのおじさん相手に偉そうな態度を取ってお茶くみなどをさせたりなんてこともあるんですか? 日本では職場で先輩や上司でも目上の人に対する態度がありますが、むこうではカーストによる身分が違うとこのようなことも普通なの?
ありません。 カーストとジャーティを勘違いしてませんか? 同じ職場なら、同一ジャーティなんですよ。
328 :
世界@名無史さん :2010/06/16(水) 15:44:28 P
>>327 http://www.risingsunsnext.jp/invest/india7.html カースト制度によれば、低カースト層の人々は高いカーストの人達に服従を強制さます。
カーストが低いのは前世の行いが悪かったからであり、
それに報いるため彼らはそのカーストを一生受け入れなければならない。
インド人のどこか配慮に欠ける高圧的な性格は、
このような階層社会の中で身に付いたものなのかもしれません。
彼らは低いカーストの人達を使います。
水がほしくなったら、机の横にあるブザーを鳴らし、彼ら(男3人、女2人)を呼ぶ。
そして、「水」と一言。
タバコやコーヒーがほしくなっても、彼ら自身が動く事はありません。
329 :
世界@名無史さん :2010/06/16(水) 15:48:53 0
>>326 これは、「群盲像を撫でる」みたいな質問だから、世界情勢系のスレへ行って聞いてくれ!
330 :
世界@名無史さん :2010/06/16(水) 16:00:55 0
♪信じ、られないことばかり、あるの。もしかしたら、もしかしたら、そうなのかしら。
>>328 最下層カーストの人が交通事故や殺人で殺されても
警察は無かったことにするらしいです。
人扱いされていない。
共和制ローマの軍司令官は軍事の素人の政治家あがりの執政官や独裁官で、 軍首脳部もほとんどプロの軍人がいない状態でしたが、 なぜそんな状態で地中海を制する強力な軍事力を持てたのでしょうか? 共和制ローマの軍隊は軍事の素人が率いても勝てるぐらい、軍制がしっかりしてたのでしょうか?
共和制ローマは市民皆兵だから、軍事経験がないってことはないんじゃなかろうか。
でも、兵としての経験と司令官としての資質は関係ないのでは?
当時は、政治も軍事も両方やらなきゃエリートじゃない。 軍事作戦に政略は不要かといえばそんなことはなく、兵站を築いたり地元勢力と交渉したりするのも司令官の仕事。 このため「ローマ軍は芸(アルテ)で勝つ」とも言われた。 それに、ローマ兵は百人隊長を中核として行動マニュアルが叩き込まれており、 上からいちいち言われずとも宿営地を築いたりしてきびきび動けた。 また、人を率いて目的を果たすという「芸(技能)」があれば、それは政治でも役に立つ。 一方で司令官の能力は軍の勝敗に関わるから、無能な司令官は兵士にも人気がなく、 すなわち平時の市民からの支持も得られないということになった。
あと、独裁官は臨時職なので普通軍隊を率いるのは執政官だが、 執政官になれる資格は四十歳以上の元老院議員で、当然それまでにいろいろと実戦を積む。 エリート階級の若者はそれにふさわしい文武の教育を受け、戦場へ士官候補生として送り込まれる。 当時のローマは毎年戦争していたわけだから、実戦経験を積む機会はいくらでもある。
337 :
世界@名無史さん :2010/06/16(水) 20:08:58 0
>>320 今は絶版になってるけど、「18世紀パリ生活誌」に当時のフランスのトイレ
事情が詳しく書いてある。
家にウンコ出す管があるが、それが詰まって管が破裂したりすると最悪だったそうだw
>>323 確かにそうだけど、当時は汚さがハンパじゃなかったんだよ。
第二帝政に入る前は、一生の間に一回も風呂に入らない人の方が多かったみたいだし、
きれい好きな人でさえ、一月に一度も風呂に入ればいい方だった。
現在の価値観で物を見てはいけない。
>>325 > ま、風呂炊くための燃料は飯炊きよりも多いわけだから、
> 贅沢といえば贅沢な行為。
その着眼点なかったわ、なるほど
だから共同風呂や温泉になるんだな
そんな話が漫画であったな
その漫画を持っていくと、1010円で
共同風呂つうてもボイラーが無いので大量のお湯が沸かせない そこで入り口あたりで鍋で沸かした手桶一杯分のお湯を買って浴場に持っていく これが「銭湯」の由来なり
>>325 >>338 確かに薪は当時は大変高価だったのであろうし見解として申し分ない
ただ貴族等の富豪クラスが解せんのだが
たとえば炭なんてものを応用すれば良いわけであれだけ
ド派手な暮らしを日々送るような人間達がはたしてケチるかね
今でも、アフリカなどでは、煮炊きする燃料に事欠いて、重労働の薪集めが日課に なっている地域がある、風呂を考える状況でないな。
>>342 炭にしても、流通経路がないと無理ですろ。
熱帯雨林のような場所から運んでこないといけない。
13世紀頃から、東アジアで石炭が流通しはじめるが
街道整備とかがあったおかげだろう。
マジャパヒトがあれだけ広大な東南アジア島嶼部を征服できたのはなぜですか? あんなに広い海を渡って、兵を送り込んで島を一つ一つ征服していくのは、 補給の面でも大変だろうし、地元勢力の抵抗もあるだろうし、 征服したとしてもあれだけ広い海の中に散在する島々を一つの王国が統治するだけでも大変だと思うのですが。
実際には本拠地のジャワ島周辺を支配していただけで、 各地に土着の王侯がおり、それに朝貢させたりして権威を及ぼした程度。 またそれらの王侯にしろ、港湾や都市国家を支配していたほどのもので、 内陸部までの島全体を支配していたわけではない。ジャングルでは野獣や土人がウホウホしてた。 これらの諸王侯をつなぐ交易網が「王国」を形成する。
ネシアとかマレーって、火山爆発で滅んだ地域があるからね。 スマトラ島とかには王朝があったかもよ(笑)
>>347 いや、その時期のスマトラは海上交易で大いに繁栄してるんだが。
349 :
世界@名無史さん :2010/06/17(木) 20:15:49 0
第2次大戦へ参戦したかった合衆国(またはル大統領)の目的とはなんでしょうか? 米国の主敵は独逸だったというのが一般のようですが、その最大理由はなんでしょうか? ・欧州の貸金回収・権益防衛? なら、英は回収済み、仏独では独の方が大きい。 ・英国を救う? だったら、BOBの時に起つべき。 やはり、第1次大戦で味を占めた2匹目の泥鰌を狙ったのでしょうか? 米国の国力ならば、直接参戦でなく、対独交渉で十分に優位に立てたと思われます。 欧州独占が狙いであれば独ソ開戦前に参戦すべきで、史実の太平洋経由は迂遠と思われます。 1941年後半〜1942年初頭の参戦をねらった米国の事由・目的はどこにあるのでしょうか?
は?
351 :
世界@名無史さん :2010/06/17(木) 20:38:37 0
ひ?
>>349 ナチスドイツにあっけなく蹂躙されるヨーロッパを見ていればルーズベルトが不安に思うのも当然でしょう。
しかし選挙公約で参戦しないって言ったんだからそれを撤回するのは容易な事ではない。チャンスを
狙ってるうちにあの時期になった。それだけの事。
>米国の国力ならば、直接参戦でなく、対独交渉で十分に優位に立てたと思われます。
それに何の意味があるの?
354 :
sage :2010/06/17(木) 21:24:37 0
349です。帯電はしてますが、電波は発しておりません。m(__)m
>>350 >>351 不!
>>353 ナチスドイツにあっけなく蹂躙されるヨーロッパを見ていればルーズベルトが不安に思うのも当然でしょう。
具体的にル大統領は、何を不安に思ったのでしょうか? 欧州の自由とか人権とかでしょうか?
アジア方面での英蘭植民地〜支那の米国資産・権益は理解してます。が、具体的にナチスドイツは米国の欧州権益を接収なり蹂躙なりしたのでしょうか?
>>353 狙ってるうちにあの時期になった。それだけの事。
ル大統領の狙いは早期参戦だったのですね。米国市民なり世論なりの厭戦から時期を逸したとお考えでしょうか?
>>354 ルーズベルトは参戦前から、膨大な物資をイギリスとソ連に送って、
事実上連合軍側として行動してる。ただ、国内世論が参戦を望まなかったため、
物資援助に留まっていた。世論が動いたので参戦できるようになった。
できればもっと早く参戦したかったはず。
>>354 当面の間直接的な影響が無いにしても、ドイツがヨーロッパの大国として君臨したら目障りだし、
危険かもしれないと思わないの?予測される危険が現実として迫ってくる前に対策を考えるのが
政治家でしょう。
時機を逸したかは判らない。もっと早ければ戦後のソ連の影響力をもっと小さく出来たかもね。
欧州の権益っていうか、米国は移民国家だから 国民の多くがもともと欧州から渡ってきた連中じゃね?
358 :
世界@名無史さん :2010/06/17(木) 22:08:57 0
当時のアメリカではドイツ軍がフランスを撃破した勢いで中南米まで押し寄せて来るという噂が流れていた。 中南米のフランス植民地はヴィシー政府に従ってたし、その時点ではイタリア海軍の戦力が過大評価されてたからね。
349です。みなさま、ご回答ありがとうございます。
>>355 できればもっと早く参戦したかったはず。
はい、「もっと早く」は承知しました。でも「参戦したかった」のはなぜですか?
>>356 ヨーロッパの大国として君臨したら目障りだし、 危険かもしれない
はい、隣国ないし欧州の国なら理解できます、いずれわが国にも・・・と。
でも、合衆国は大西洋を隔てた遠国です。すぐに戦禍が及ぶとは考えないはずですが。
>>357 米国は移民国家だから 国民の多くがもともと欧州から渡ってきた連中じゃね?
はい、そうなんです。分けても、アイルランド系とドイツ系が多かったです、当時は。
私は、「基本的なこと=米国が脅威と感じたこと」をいまいち具体的に理解できずにいます。それで、このような質問をさせていただいています。
欧州で、独逸ないしナチスドイツが伸張した場合、米国が直接参戦しなければいけないような脅威ないし権益の喪失とはなんだったのでしょうか?
>>359 当時のアメリカ政府は英仏寄りだったんだよ。
欧州でのパートナーの英仏が叩かれてたら助けに行きたい。
参戦理由はそれだけのこと。
・イギリスが落ちたら印中の利権がドイツにシフトして、 中国市場に行きたいアメリカと直接角突き合わせる事に成る ・上述の通りアメリカは英ソに物資援助(つか貸し付け)してたんで、 連中が負けたら借金が回収できない
349です。みなさま、ご回答ありがとうございます。
>>358 ドイツ軍がフランスを撃破した勢いで中南米まで押し寄せて来るという噂が流れていた。
はい。世論レベルではあったみたいですね。しかし、米国も中南米では活動期なんです、少なくとも中米とカリブ海の諸島は万全でした。(というか、米軍は侵攻作戦の真っ只中)
>>358 中南米のフランス植民地はヴィシー政府に従ってたし、その時点ではイタリア海軍の戦力が過大評価されてたからね。
はい。当時、南米では米国はいまいちです。仏海軍・伊海軍ともに大きいですが、結局は独軍との共同作戦にはいたっておりません。
すみません、(興味はありますが)本質問349とはずれています。
>>360 英仏が叩かれてたら助けに行きたい。 参戦理由はそれだけのこと。
了解です。
>>361 中国市場に行きたいアメリカと直接角突き合わせる事に成る
ずいぶん先と思いますし、それより日本が邪魔でしょう。直接的に。
>>361 連中が負けたら借金が回収できない
349の読み直しをお願いします。ちょっと時期がずれてると存じます。
>>359 >すぐに戦禍が及ぶとは考えないはずですが。
結果論だが太平洋を隔てた遠国に攻撃されたじゃないか。
それくらいの想像力が無くて国家の安全保障が出来るか。(国家のリーダーたるルーズベルトとお前さんの差だ。)
古代中国ではこういうのを「唇が無ければ歯は寒い。」って言うんだ。唇ってのはこの場合英仏の事だ。
加えてヨーロッパの危機を救う事で戦後の世界をリードする野望もあったかもしれない。
ルーズベルト曰く 「欧州やアジアの戦争は、アメリカに関係ないという人たちがいる。 しかし戦争を引き起こしている者に、アメリカにつながる大海原の支配権を渡すわけにはいかない」 アメリカの領土は、二つの大洋に護られた北米大陸だけではない。ハワイや米領フィリピン、中国租界などにも米国の利権があったので、 ここで日本と戦争をおっぱじめると、敗北はせずとも直接被害が及ぶ。 だいたい、古代アテナイにもローマにも現代日本にも「シーレーン」ってものがあるだろう。 欧州にはそうした利権は少ないが、米国人の多くは欧州や英国から渡ってきた者であり、 母国を蹂躙するファシズムにも共産主義にも同調しかねる人々が大勢いた。亡命してきたユダヤ人もスラヴ人もいた。 すでに英国にも中華民国にもアメリカは大規模な支援を行っていたが、戦線ははかばかしくなかった。 ここで食い止めておかないと「アメリカも危ない」と、誰も思わないだろうか。 そして、政治や戦争には経済的な利権が絡むが、必ずしもそれだけではない。 人や国が動く理由は恐怖や感情、宗教やイデオロギーなどさまざまだ。 すべての出来事が経済的な理由で解決できたらどんなにラクだろうか。
365 :
世界@名無史さん :2010/06/17(木) 23:03:36 0
>>342 当時は貴族の書いた作法書が結構売れていた訳だが、
清潔さを幾分軽視するような傾向もあったんだ。
風呂にあんまり長時間風呂に入ったり、頻繁に入ったりするのは
良くない。心地良さゆえに人間を堕落させるということを書いた書物さえあった。
ドゥロージョブスカ伯爵の書いたその頃の作法書には「風呂は一ヶ月に一度位が良い」
と書いてある。風呂の湯の愛撫するような効果が品性に悪影響を及ぼすと考えられたようだ。
また、清潔さに凝りすぎると人間性が矮小化するという意見や、多少衛生に
関する行為は投げやりなほうがいいという意見も当時は多く見られた(というか、当時の作法書の大半)。
19c頃だと富豪なら薪は高いとはいえ、普通に買えるわけで、
風呂に入らなかったのは物理的背景より、文化的背景の方が強い。
>>361 借金が一番でかいだろうね。
349です。
>>363 国家のリーダーたるルーズベルトとお前さんの差だ。
拙とル大統領との比較、恐縮です。
>>363 ヨーロッパの危機を救う事で戦後の世界をリードする野望もあったかもしれない。
ということは、米国に対する直接的な脅威は二の次で、その先を見越していたわけですね?
>>364 欧州にはそうした利権は少ないが、・・・・恐怖や感情、宗教やイデオロギーなどさまざまだ。
理解できます。つまり、米国は直接的な権益や脅威で参戦したのではない訳ですね?
>>365 借金が一番でかいだろうね。
349にあります通り、1次大戦の分はあらかた回収済みと理解しております。
であれば、「今次大戦の分を取りこぼしなく」が主因というわけですね。
次
>>362 大戦前に貸してた金は回収で来てたけど、
開戦後にレンドリースで英国とソ連への貸し付けが莫大な額になったからね。
それも参戦前から大規模にやってる。英国とソ連が負けたら貸し倒れ。
参戦して英国とソ連を勝たせて、回収する必要があった。
>>366 >その先を見越していたわけですね?
有ったかもしれないし、無かったかもしれない。そういう資料は無いけど、歴史上そういう理由で
参戦する事はよく有る事だし。
371 :
世界@名無史さん :2010/06/18(金) 02:34:09 0
なぜアジア人は英国によって民主化されるまで掛け算や割り算を 知らなかったのですか?知り合いの白人が「アジアは数学を知らないのに 3000年もやってこれてとても神秘的だ」といってました。 これはもしかして反ってすごいことなのではないでしょうか?
372 :
世界@名無史さん :2010/06/18(金) 08:40:59 0
それを一生涯掛けての研究テーマにしてください。 学士院会員を目指して。
次
フルシチョフはなぜスターリン路線を否定して、 覇権主義路線から国際協調路線に転換したのでしょうか?
375 :
349 :2010/06/18(金) 18:51:57 0
>>369 はい。そちらは一通り読ませていただいてます。
>>370 そういう資料は無いけど、歴史上そういう理由で参戦する事はよく有る事だし。
ああ、資料はないんですか。残念です。
米国の参戦理由は、直接的な権益・脅威ではなかったようですね。チャーチルの働きかけが一番大きいのかな。
>>375 戦争は直接的な脅威や権益だけでするものではないと言う事を覚えておいてください。
>>374 フルシチョフは、激しい跡目争いのすえにどうにかソ連の最高指導者とはなれたが、
周りには大戦期からスターリン時代を生き延びた世代の人々が多く、実権は脆弱だった。
そこで、前の政権を批判することで「スターリン派」を粛清し、自分の権力基盤を固める必要があった。
まあ、自分も忠実にスターリンに仕えていたことは棚上げするしかないが。
>>377 スターリンを批判してスターリン派を粛清しても、対外政策まで変える必要はないのでは?
対外強硬路線を捨てたのはなぜでしょう?当時のソ連には、対外強硬路線を貫く力はあったし、
実際ハンガリー動乱などでは武力弾圧してますし、西側との協調は必要無かったように思うのです。
より大きな理由は、もはやスターリン的な政策が立ち行かなくなってきたから。 戦時中ならまだしも、戦後まで軍拡や統制経済や農業集団化をやってては、経済が破綻する。 民衆にとってスターリンは、皇帝のごとき恐怖と尊敬の対象だったが、 生活そのものは困窮していたので、体制を変化させないとやっていけなかった。 スターリン批判の衝撃で世界中が動揺し、なかなかうまくいかなかったが。
米ソ冷戦の背後で、中国やインドなどアジア・アフリカの「第三世界」が台頭してきたこともある 強硬路線を貫きすぎて全面核戦争が起きたらソ連も破滅だ
ハンガリーは西側じゃなくてソ連の属国だしなあ
と、ソ連の方では考えていたことがギャップを生んだようで 実際、武力弾圧を実行したことで、西側もソ連に対する態度を硬化させたような 「ハンガリーなんて元々ソ連の属国なのだから、ソ連がハンガリーに対して何してもかまわないよ」 なんて態度じゃなかったでしょ>西側各国
383 :
349 :2010/06/18(金) 20:27:24 0
>>376 戦争は直接的な脅威や権益だけでするものではないと言う事を覚えておいてください。
はい。ちょっとショックです。
さらには、米国にとっての真珠湾攻撃の国際法的必要性が理解できたと思います。
「ハンガリー動乱」は、フルシチョフがスターリン批判を行った影響で 反ソビエトの民主的政権が成立してしまったからじゃろ 西側と協調することはソビエトのために必要だったが、 ソビエトの覇権がひっくり返ることまではフルシチョフは認めなかったちゅうこと
西側はこの件でハンガリーを支援したりしてたの?
387 :
世界@名無史さん :2010/06/18(金) 23:10:29 0
アメリカの銃社会につて質問です。 コロンバイン高校銃乱射事件の犯人の達は小学校や中学校でどのような教育を受けてきたのでしょうか? なぜあんなことをしてしまったのですか? 参考になるサイトなどがありましたら教えてください。お願いします。
>>387 教育もなにも、普通に勉強を学んできただけだよ。
コロンバインの事件について知りたければ、
「スクールカースト」でググってみるといい。
犯人たちはスクールカーストというアメリカの学校内階級社会の最下層に置かれ、
上層の人間からいじめられてきた。その怨念があの事件につながった。
389 :
世界@名無史さん :2010/06/18(金) 23:24:09 0
今の形の学校制度ってのはああいう事件を引き起こすだろうな。 だからこそ私学に入れたがるわけで。
391 :
世界@名無史さん :2010/06/19(土) 12:12:03 0
唐・新羅同盟の具体的年号 できればソースつきでオナシャス
392 :
世界@名無史さん :2010/06/19(土) 12:43:47 0
子供時代は運動神経の良し悪しが人間の値打ちを決める。 いくら成績や性格、顔が良くとも運動オンチなだけで台無し。クラス内の地位は最下位。 地方に行くほど、その傾向が強い。 だから子供時代苦労した地方出身のインテリは、 過去のトラウマ、あるいは運動オンチの遺伝子を受け継いだ我が子に 同じ苦しみを味あわせないため、どんどん都会に出て定住してしまう。 かくて、地方は一層衰退する。
393 :
世界@名無史さん :2010/06/19(土) 13:16:27 0
バック・トゥ・ザ・フューチャーで、 主人公のオヤジの貧弱メガネ君がいじめられっ子で、 ジャイアンみたいなガキ大将が威張ってたけど、 主人公が過去を変えるまでは、現在でもジャイアンが威張ってたな。 過去が改変されるまでは、現在のママはピザで、 主人公の兄弟姉妹もみんなピザのオタクだったような。
つか。公立の学校ってのはエリートを育てる場所ではない。 将来の兵隊や工場労働者になるための諦めを子供のころから身につけさせる為の訓練施設でしかない。
>>394 自分がそうだからって公立の生徒を一律に扱うのはどうかと思うの。
オレはエリートだっての。しかも大学まで公立出身のね。
苦笑
苦笑してもいいよw
撒き餌はほどほどに。 いまどき学歴程度じゃつれませんよっと。 次いってみよう
べつにこんなとこで勝ちたいわけでもないのでおれもどうでもいいw ただ決めつけられたからちょっとむかっときただけなので。 次行ってくれて結構。
ハワイ王国は何故白人に乗っ取られてしまったの? 日本もいずれハワイのように朝鮮人に乗っ取られる可能性はあるの?
403 :
世界@名無史さん :2010/06/19(土) 16:43:53 0
マリー=アンリエット・ベルトロ・ド・プレヌフ夫人について詳細を 知ってる方いたら教えてください。また、参考サイトや文献等もあれば そちらの方もお願いします。
漠然とした疑問で申し訳ないのですが、中世インドはどの程度発展していたのでしょう? 経済・科学技術・インフラ・統治機構・軍事力など。 中国やイスラム世界のような先進地域だったのでしょうか? それとも、ヨーロッパのような立ち遅れた後進地域だったのでしょうか? 中世インドの文明レベルに関する資料が少ないので、なかなかイメージできません。
「中世インド」がどのへんを指すのかようわからん。 グプタ朝やヴァルダナ朝が滅んだあと、デリー諸王朝やムガル朝成立までか? ラージプート時代や南インドでもごっつい寺院建築とかあるけど。
オレンジ公の称号は果物のオレンジと関係あるんですか?
>>408 関係ありません。南フランスのオレンジ公爵領の領主だからオレンジ公です。
オレンジ(オラニエ)公の名は、遡れば南フランスの「オランジュ」にある。 オランジュはローマ時代の遺跡が世界遺産になってるぐらい古い町で、 ケルト人の水の女神アラウシオが祭られ、町もアラウシオと呼ばれていた。 前2世紀末にはゲルマン人が攻め込み、この地でローマ軍を破ったこともある。 12世紀には小さな公国となり、やがてナッサウ家の一族に相続された。 柑橘類のオレンジはインド原産で、サンスクリットではナランガと言った。 これがペルシャでナラング、アラブでナランジュ、イタリアでアランチャ(ナランチャ)と伝わり、 中世に南フランスでアウランジャ、英語でオレンジとなった。 なので、もともとアラウシオ(オランジュ)の町と果物のオレンジは全然関係なかったのだが、 音が似ていることから12世紀頃から結び付けられ、今では町の紋章にもオレンジが飾られている。
インドだと正確にはナガルンガだな なんでも「象が好む果物」という意味らしい 蛇神もナーガというが、象も鼻がナガいからかナーガというそうな
414 :
世界@名無史さん :2010/06/20(日) 08:46:54 0
現在のように入浴が一般化する以前の時代、 中世や近世の人は、いまみたいな梅雨のじめじめしている時期に風呂に入らなくても、 気持ち悪くなかったのだろうか?
世界史板で質問するからには日本以外で梅雨が有るのはどの辺の国かをまず検討しなきゃならんな。 識者頼む。
416 :
世界@名無史さん :2010/06/20(日) 09:47:04 0
(梅雨)日本、半島、中国中南部、台湾 (モンスーン)チベット、ネパール、ブータン、ガンジス川流域
梅雨っていうか熱帯地域がどうなっているかじゃね?
風呂が嫌いな人もいるもんね
チベットとかネパールとか風呂入るイメージ無いな。軽くググってみてもやっぱり風呂は無いらしい。 雨期以外は日本と違って湿度が低いから気にならないらしい。 熱帯も水浴びするから風呂は入らないんじゃね?アマゾンとかニューギニアの旧石器時代と変わ らない暮らしをしてる村をイメージしてるんで、質問にあった中世とか近世の人じゃないけど。
というか、そもそも
>>414 の質問自体がナンセンスだろ
入浴の習慣自体を知らない者は、入浴しないことによる不快感など認識のしようがない
たとえば、ウォシュレットに慣れた人が、まだ1度もウォシュレットを使ったことのない人に向かって
「排泄後にウォシュレットで洗わずに、紙で拭くだけだなんて、気持ち悪くない?」と聞くのと同じ
不毛な山岳地帯にある吐蕃が西域を支配して、唐と互角以上に戦えたのはなぜでしょう? チベット高原に生まれた唯一の強国なので、なぜ吐蕃だけが強かったのか気になります。
熱帯ではスコールがあるから、これが風呂代わりになる。 スコール来たぞ、シャンプーするぞ。
>>421 「不毛な山岳地帯にある」というが、個人のレベルでは、厳しい不毛な環境に生まれ育った人の方が、
文明地でぬくぬくと育った人よりも、戦士として強いのは自明の理
あとは、そんな剽悍な戦士たちを指導・統率するリーダーが現れて、その軍を維持・管理できるだけの
国家システムが成熟してくれば、その国は軍事的には強国になれる
>>423 じゃあ、吐蕃以外のチベットの政権はなぜ弱かったのかね?
リーダーと国家システムの問題?
現代でも高地トレーニングとかあるしな 遊牧民による大騎馬軍団が 鉄壁の守りの大高原から攻め下りてきたら そりゃ強いぞね
>>419 北欧ロシアにはサウナの伝統があるし
朝鮮半島にも同じくハンジュンマ(汗蒸幕)だっけな?があったぞ
日本もかつてはサウナ式だったけど江戸時代に公共浴場が一般的になって、
人の出入りごとに蒸気が逃げるからいっそ湯に直に浸かれ、となった
日本は温泉が縄文時代からあっただろ!
>>422 あ、わかるぅ〜
車も雨の日に洗うもん!
>>424 頭悪かったんだろうな。
「思うに奴らには兵法がありません。」って馬謖って人に言われてるよ。
吐蕃は広くなりすぎた。 インドや唐から攻め込まれても、大高原ゆえに非常な地の利があるが、 首都から遠く離れた土地まで中央政府の命令を行き届かせるのは困難だった。 遊牧民の帝国は特にそうで、各地に将軍や土豪・大寺院が封建諸侯として割拠した。 また国王がインドや唐から仏教を輸入し、国教としたのに対し、 住民の多くは土着宗教のポン教を信じていて、二つの宗教勢力が互いに習合・対立した。 まあ同時期に唐も衰退してたし、その後もシナは宋・西夏・契丹・金などに分裂して、 モンゴル帝国の時代までチベットのような辺境へ攻め込むどころではなかった。
チベットは吐蕃以降は外に攻めていかなかっただけで弱くはなかったんじゃない? 歴代シナ王朝に対しては宗教的そして政治に相当な影響力をもっていた。 チベットが仏教化して外国との交渉や交易も平和裏に行えるようになって、 貧しさを略奪で補わなくてもよくなったのではないでしょうか。
433 :
世界@名無史さん :2010/06/21(月) 04:54:35 0
ナチスって党名に社会主義って入ってますけど左翼なんですか右翼なんですか?
チベットは中国の一部です。 中国の人々を尊重し、米帝による分離主義者の妄言に耳を貸さないように。
中国歴代王朝が軍事的にチベットを支配できるようになったのは清朝からだしな それ以前はハッキリ言って触れもしないほどチベットを恐れていた
>>432 つーか、西蔵は吐蕃以降全部異民族支配なんだけど。
吐蕃王朝の源流は、發であり、おそらく氐か羌。敦煌文書から類推すると後継の青唐と大理の北域は、今の康巴蔵族。
次の元は、ハルハ・モンゴル。今の外モンゴル。
その次のグシハーン王朝は、オイラート・モンゴル。青海のモンゴル族や安多蔵族。
そして、文殊皇帝は、ツングースの満族。
>>434 主権のことを、ダライラマ14世は何も主張してないけど
政治犯に対して、人権尊重と早期釈放を要求しとるよ。
438 :
世界@名無史さん :2010/06/21(月) 08:32:37 0
>>433 複数政党があってこその左右であるので、単一政党の場合は左右は無い。
チベットの歴史も良く分からんなー インドやペルシャ方面との関係はどうなんだろ
チベット自治区の領域の古い時代がようわからん しかし、南詔や大理国が茶馬古道を整備して、カイラス山麓回りの交易ルートを持ってたり 青海のもと青唐国が河西回廊を避けて、もとの吐谷渾地域経由でホータンへ行く交易ルートがあった。 ラサ地域は、ダライラマ5世とか17世紀にならないとよくわからない。 ジョカン(大昭)寺やサムエー(桑耶)寺は、17世紀以前から現在の位置にあったみたいだ。 元朝の時代は、シガツェ地区のほうが中心っぽい。そこは茶馬古道の本線。 パスパの一族も青海が地盤みたいだし、歴代ダライラマも青海の西寧付近から出ている。 西チベットには、周辺の異民族がいくらでも侵入してきてるんだなー
ヒマラヤの民族史は難しいなぁ
ボン(ポン)教は「タジク(イラン)」から来たとされ、ゾロアスター教っぽい二元論がある あと伝説上の英雄王ゲセル(ケサル)はカエサルの称号が伝わったもんじゃないかとか
全て中国領土と思えばいい。
ボン教って仏教より古いのかな
>>444 ボン教は人類最古の宗教の一つと言われている。
>>442 ケサル王のお話は面白いにゃー
大国主の話に似ているのと
弓の腕比べやモンゴル人との戦いのところが興味深い
あれは文字記録でなく口承文学だというで
いろんなバージョンがあるから話が矛盾しているのも魅力
ルイ14世の治世ってぶっちゃけ失政と成果の少ない戦争だらけで、 宮廷文化は華やかだったけど、太陽王と呼ばれるほどの人物ではない気がします。 むしろ、フランスを派手に食いつぶしただけのような。 どうしてこのような愚かな王が評価高いのでしょう?やったことが派手なだけで内実には欠けているのに。
中国からイスラーム世界経由で伝わった技術で、遠洋航海を可能にしたもの・・・ なんでしたっけ・・・弟に聞かれて答えられませんでした
>>448 近代ヨーロッパあたりらしいんですが・・
>>448 指南車か?
三国志で曹操が使ったという話がある
これマジレスしていいの?
>>450 なるほど。
でもなんか私の高校の時習ってないような・・
あれだろ? ライラが持ってるやつだろ
羅針盤か
羅針盤ってなんで羅針盤なんだろうな 方位磁針って言えばいいのに、俺小学生で火薬製紙羅針盤って憶えたけど、 なんのことだかわからなかったぞ羅針盤、説明しねーし ちなみに東方から西欧にその原理がもたらされたのは事実だが、 実用度を高めたのはアマルフィ公国の手による すぐに高精度かつ携帯可能なサイズにまで小型化して、 砂漠横断の必需品として逆に中東へ輸出するようになる
ルネサンスの三大発明と言われる羅針盤、活版印刷、火薬は、
実は全部中国からイスラム世界経由で伝わってるんだよね。
それをルネサンス三大発明って図々しい気がする。
まあ、紙まで入れなかったところに最後の良心を感じる。
>>448 羅針盤。
「新羅が世界で最も早く羅針盤を作った」と主張。 根拠は主に『三国史記』の記述の中で「唐の僧侶法案が新羅で磁石を貰った」と書いてある事と、 「羅針盤」の名称は元々新羅にちなんで「新羅針盤」だったからだとしている。
伝来した時点では技術的には未完成品もいいところだったからな 現代の概念から見て中国やイスラム圏が、以前からこれらを大々的に活用していた事実はない 「てつはう」は爆音に主眼を置いたこけおどしだったが、つまりそういうことだ 羅針盤もオモチャ程度の代物だったのを、外洋航海の指針にできるまでに改良したのはイタリアの技術 印刷に至っては、本の真の意味での量産を可能とし 「出版社」というシステム概念を作り書籍の爆発的な普及をもたらしたところに大きな意味がある
ああ、けど大砲火薬に関しては先進的だったのはオスマンだな これは西欧はずいぶん遅れる
火薬は、中国でも北朝胡族ですわ。 時代的には、唐の道士の関係で出てくるのが最初。レシピは不明。
五胡族の道士が煙幕どろろ〜ん それ以上の使い道がみつからないのが隋や唐の限界
火薬は一応、明までは独自に進歩させたけど(もののけ姫のアレ) 結局は西洋式の銃砲に駆逐されちゃうんだよね
諸星大二郎の『西遊妖猿伝』で、 竹筒に初期の火薬入れてワニに噴射してた場面があったなあ
>>458 まあ、中国もイスラム圏も沿岸航海が主流で、遠洋航海はしなかったからね。
海の道も沿岸航海の航路で成り立ってたし。
>>458 火薬に関しては、中国は独自に銃器も大砲も開発してるよ。
>>464 ヨーロッパ人も、コロンブスが大西洋を横断したり、ガマがインド洋に乗り出したりするまでは、
沿岸航海が主流だったけどね
沿岸航海に羅針盤が不要と思ったら大間違い 夜間航海が可能になるというだけで天と地ほどの違いがある
曇りのときの夜間航海な。
紀元前から中国やインドや中東や東南アジアの商人は羅針盤なしで長い道のりを航海してたけど、 曇りの時の夜間航海はできなかったの?天候が悪くなると上陸してたの? そんなんで海の道を使った交易が成り立つの?
沖合いに出すぎたら船から鳥を放つのだ さすれば鳥が飛んでいく方向に陸地があるであろう
昔は山とか目印だったんでしょ? しかも風まち。 良い風がふくまでは港でぶらぶらしてたらしい
紀元前は、週一回ぐらい上陸してたはずだよ。 途中を通過せずその港町も交易拠点。 最初から明の鄭和船団みたいなわけがない。
季節風が吹き出すまで何ヶ月も待ったりしたらしいよね
最初からつーて、紀元前と永楽帝の時代まったく時代がちがうやん。 なんにしても技術はプレ段階があるなんて常識だろ。
>>470 現在地を見失ったらどうにもならない
これはインド人だろうが何人だろうが基本的に同じ
さらに、沿岸部では座礁の危険があるため目暗状態では絶対に動けない
唯一の例外は、季節風に任せてさえいれば絶対にインド洋のようななにもない外洋を渡れる、という場合
水食料の問題は技術ではどうにもならんしな、冷蔵庫の登場までは 特に、水は腐るんだよ 貿易風に乗れる航路でない限り、無補給の長期航海より 補給しながら海岸伝いで行ったほうがはるかに効率がいい
船にニワトリとかのっけていったけどね。
シルクロードの隊商も年単位であちこち寄りながら交易してたから、 海の道の海商も年単位で中継地に小刻みに寄りながら交易してたんだろうな。
昔の西洋人にとってはジパングなんてそれこそ火星でしたよ。うん。
>>474 なんか、そういう風待ち港って賭博場ができそうだな。
港には酒場と賭場と娼館がつきもの
>>447 最終的には戦争のし過ぎで財政破綻してるけどそれを別にすれば重商主義は巧くいって儲かっている。
そして中央集権化を進め絶対君主制を確立している。つまり歴代フランス王で一番権力があった訳だ。
問題無かろ?
築地には潮待ち茶屋ってのがあったらしい。
>>483 正解だよね。
太陽王っていうのは貴族階級を没落させて唯一の輝きを持つ存在に王権を押し上げたことをいうんだもんな。
それが最終的にフランス革命につながってゆくわけだけどなぁ
っていうか、ヨーロッパの王様の「〜王」ってのは、単なる仇名程度のもので、 かならずしもその人物を正当・客観的に評価して呼んでたわけじゃないし 太陽王みたいにいい意味の場合は、多分に王家に媚びてそう呼んでた面が あるんじゃないの?
少なくともその時代の人間がそれなりにいい目を見たのは間違いないがな 業績を史観の中で客観的に比較検討するより、そういう体感のほうがウェイトははるかに大きい そしてそれが本来、為政者に対する評価の全てでもある
失地王とか寡黙王とかってあだ名もあるよねぇ
まぁ、大王ではなくて太陽王だった時点で軍事的能力の評価でないことは
>>483 漢の武帝みたいなもんか。派手な事業をどんどん起こして、
皇帝権力の強大化に成功して、経済活動に介入して大儲け。
王朝の最盛期を築くも、国力を多大に浪費したみたいな。
ルイ14世の太陽王って仇名は、もともとは本人がバレエにのめり込んで、 自ら太陽神アポロの役を演じたことからついたらしい
>>491 糞レスを承知でかくが、当時ビデオカメラや写真があったらなあ・・・・。ぜひみてみたいものだが・・・・。
若いころは痩せてたんだろうとおもうけども
>>492 写真は無理だが
ウィキペディアでルイ14世を見てみ
逸話のとこ
近代以前に地所や荘園を売買するとき、 なんか地価の相場のようなものはあったのでしょうか その土地の年間収入や地代の何倍を支払うだとか
498 :
世界@名無史さん :2010/06/22(火) 12:31:48 0
土地の所有権という考え方は明治になってから。
>>497 売買側の身分と力の差と財力によります。
貧しい農民が足元見られてなけなしの土地を金持ちにタダ同然で買い取られる事もあれば、
金持ちの有力者同士が大金払って売買する場合もある。
管が善良な日本国民から消費分の10%を巻き上げて害国にばらまくようなものか。
じゃあ金持ち同士で売買する場合は?
六本木ヒルズでIT長者が庭先で商談するようなものだ。
・福田首相は中国講演で歴史認識について村山談話をかみくだいて語った。 ・だがそれは、日本人に向かって言ったのでも、日本人が聞いていたわけでもない。 ・こういう大事なことは、日本に向かってこそ語りかけるべきだ。
>>501 その場の状況に応じてとしか言いようが無い。
恩を売るためにタダ同然の値段で売ることもあれば、
相手が欲しがってるのをいい事にふっかけることもあるし、
交渉して希望買値と希望売値をすり合わせ、双方が合意できる値段で取引することもある。
>>503 村山談話は日本政府の公式の外交見解であり、安倍も村山談話を否定していません。
酷使様の演説など誰も聞いてませんw
アレクサンドロスの帝国とキュロスの帝国を比べて不思議な事があります。 どちらも一代で空前の大帝国を築きあげましたが、 アレクサンドロスの帝国はアレクサンドロスの死後あっけなく空中分解し、 キュロスの帝国は分裂せずにさらに拡大を続け、繁栄を続けました。 マケドニア帝国とペルシャ帝国のこの差はどこから来ているのでしょうか?
シルクロードを通り、中国からヨーロッパに絹が伝わった。 これは、ある商人が蚕の卵を盗み、持ち帰ったからという話をよく聞きますが、 これは本当なんでしょうか?長安からイスタンブールまで、約1万kmもあったと思うのですが。
>>506 キュロスは生前から後継者を息子のカンビュセスに定めており、代替わりには何の問題もなかった
これに対し、アレクサンドロスが急死した時、後継者は決まっていなかった
彼が死亡した時点で、正妃ロクサネは妊娠中で、腹の中の子はまだ男子かどうかわからない
たとえ男子が生まれたとしても(実際、男子で、アレクサンドロス4世となるが)、赤ん坊だ
庶子ヘラクレスを後継者に推す者、アレクサンドロスの異母弟で知的障害者のフィリッポス3世を立てる者、
ロクサネの腹の子が男子なら立てるべきだと主張する者と、将軍たちの意見が分かれる
そんな状況だから、誰が後継者になったところで、たいして権威がなく、将軍たちを抑えられない
結局、実権を握るのは将軍達の誰かだ
「大王の生前には同格の将軍だったあの野郎の下につくぐらいなら、いっそ俺が王位を……」ってことになり、
将軍たちはディアドコイ戦争に突入、帝国は分裂する
アレクサンドロスの遺産をそのまま受け継ぐに足ると、自他共に認めるほどの後継者がいなかったのも事実 これは人がいなかったのではなくアレクサンドロスの格が違いすぎたということ 誰が継いでも分不相応、荷が重過ぎるので分割ということに
>>507 なんか誤解してない?
長安からイスタンブールまで一気に養蚕が伝わったわけないでしょ
中国から、ソグド人とか、ペルシアとかを経て、少しずつ養蚕は西に伝わった
その途中の過程では、カイコの卵を盗んで持ち帰った者もいただろう
養蚕業は、絹という高価な商品を生むから、どこの国でも秘密にしがちだったからね
>>507 嘘です。シルクロードによる東西交易は紀元前から行われており、
途中で大勢の商人が交易拠点で中継しつつ交易をおこなうので、
一人の商人が中国からヨーロッパまで旅することは紀元前にはあり得ません。
よって、その話は有り得ない話です。
>>497 たとえば聖書では、いろいろな地所の売買契約が出てくる。
アブラハムがマクペラの地所を墓地として購入:銀400シェケル
ヤコブがシケム郊外の地所を祭壇のために購入:銀100ケシタ=400シェケル
大麦1ホメル(約230リットル)を播く広さの畑:銀50シェケル
オムリ王がサマリヤの丘を購入:銀2タラントン=6000シェケル
預言者エレミヤが従兄弟から買った小さな畑:銀17シェケル
ユダがキリストを売って得たカネ:銀30シェケル →陶器職人の畑を買い、異邦人の墓所とされる
1シェケルは11.4gほどの銀貨(秤量貨幣)。
4シェケル(1ケシタ)ほどで羊が1匹、30〜50シェケルで安い奴隷が一人買え、
1ヶ月の労賃が10シェケルほどという。面積が分からんから相場も分かりにくいが。
1日10kmずつ移動しても、1000日もあれば1万km移動できるぜ!
まあなんにせよ、早い段階でヨーロッパの気候じゃ 上質の絹は作れないとわかったから 養蚕の移動についてはあんまり注目される事柄じゃないんだけどね
>>507 中国は製品としての絹は取引したが蚕や養蚕の技術は国外に出す事を許さなかった。だからシルク
ロードやローマの人たちは高い絹を買うしか無かった。やがて西域の小国(ホータン?)の王が何としても
養蚕の技術が欲しいと思い、中国の皇帝に姫様を嫁に欲しいとお願いした。さらにその姫に降嫁の際
に蚕を持ち出すように頼んだ。そこで姫は蚕の繭を髷の中に隠して持ち出した。こうして養蚕の技術が
中国の外に伝えられた。
これが「蚕種西漸」または「養蚕西漸」と言われる伝説である。イスタンブールまでは行ってない。
つうか、根拠がイスタンブールまで1万キロいじょうあるから捏造というロジックが
>>510 の意見で一蹴されているしなあ。
普通に中継貿易だろうし、マルコ・ポーロみたいなヤシもいたりしたわけだから全部同一資本で東西貿易に携わったヤシも
いる訳だしな。時代がずっと後世とはいえ、現にいたんだしな。 机上の空論で俺の考えでは存在しない!と演説したけりゃ
他所でやれよ。
絹ってのはカイコがいりゃできるもんでもないし、えらく眉唾だがな
たぶん核拡散と似たようなもんかと 金になる以上モノも技術も流出は避けられんものだ で、結局アジアでしかまともに養蚕できなかった点では、こりゃ香辛料に近いな
伝説にそんなツッコミ入れてもしょうがないぞ。
一応、古代ローマに支那の商人がやってきた記録はあるから完全に不可能ではない が、直接そんなとこまで生きた蚕を売りこみにくる理由がそもそもない
524 :
世界@名無史さん :2010/06/22(火) 20:44:05 0
ベルギー南部にはフランス系住民が、 ベルギー北部にはネーデルランド系住民が住んでいますが、 何故フランスとネーデルランドはそれぞれ、 ベルギーを分割して併合しようとしないんですか? 当のベルギーも、二つの民族でいがみ合いながら呉越同舟状態で国を運営するよりも、 いっその事、それぞれの母国に併合されてしまった方がいいと思いますが。
ローマスレでモンゴロイド系が埋葬されていたのが見つかったという話があったな。
民間レベルの商業活動はあったろう。
>>523 一気に来るわけ無いでしょ。
まずは中国をセリカの国と読んでいたサーサーン朝あたりみたいにジワジワと拡大していくものだ。
ギリシャから伝来してきた唐草模様をかんがえてみるとわかるが、文化の伝承ってのは今みたいに一瞬で伝わるものではない。
大抵数世代かかって伝播していくケースが多い。
>>524 仏語圏の住民は仏への統合を望んでいる有権者が多いとされている。
まあ周辺諸国の思惑もあるだろうし、日本人は真の意味で民族問題を
理解出来ないと思う。 宗教や民族が絡むというのはどういうことか
ロジックで克服出来る事ではないのだろう。
仏語系ではあってもフランス人ではない 蘭語系も同様 最近、蘭語圏が経済格差による社会福祉費の不平等を理由に分離独立する気運が高まってるそうだが 別にだからってオランダへ身売りしたがっているわけでもない
>>526 日本にも民族問題はあるよ。
徹底した同化政策と全体主義で有耶無耶にされてしまったけど。
次
フラマン圏は独立志向だし、ワロン圏は併合論者が強いぞ。 彼らの支持政党がそれぞれ選挙で大勝利しているよ。
まあ、
>>507 はシルクロードが中継貿易で成立してることも、
文化伝播が簡単でない事も想像が付かなかったんだろうな。
だから、あんなヨタにも引っかかったと。
>>531 厨房だろう。 多少のオイタは許してやれ。
質問スレなんだから別にええことよ。
533 :
世界@名無史さん :2010/06/22(火) 21:01:41 0
ワロン圏はフランスと同一視されても気にしないけど、フラマンはオランダと一緒くたに扱われるのを嫌がるらしいね。
>>533 うん。微妙に違う。 頭でっかちの学問板では仏人じゃないからあり得ない!という人もいるようだが、
実際のところは現地の中の人でないと分からないし、現に分離主義政党の主張や支持率みると
そういう話になるんだよな。 まあ、彼らの中の自意識や国家像なんて遠く離れた日本人にすぎない
わしらではなかなか実相に迫れないだろう。 大同小異というように、総論賛成各論反対かもしれないしな。
これからの成り行きをもう少しみてみないとベルギー国民の最終的な「選択」はまだ分からないし。
最も有名なベルギー人はエルキュール・ポワロ、でFA?
>>535 創作上のキャラクターがありなら、一番有名なベルギー人はネロ&パトラッシュに決まってるだろ
ハジでしょ
>>516 >イスタンブールまでは行ってない。
おい
ユスティニアヌスの時代にはもう、東ローマ帝国に養蚕が伝わってるぞ
つーか、絹は、20世紀の列強にとっての石油と同様に、中世ヨーロッパ諸国に対する
ビザンティン帝国の戦略物資だぞ
そりゃあ、伝来しているだろうな。ホータンの故事は紀元前一世紀ぐらいの話なんだろうし 500年も後の時代なら伝っているだろ。
どうしてヨーロッパでは養蚕しないんですか?
>>526 台湾とか朝鮮で考えれば理解しやすいだろ。
台湾は日本人のままで居たかった奴も大勢居て
日本領土のままで良かったろうに、
国際政治の兼ね合いで結局グダグダになって現在みたいな中途半端に。
朝鮮も日本人になりたがった奴、留まりたかった連中も居たが、
独立問題や帰属のゴタゴタでねじれた状態で現在のような状況に至る。
>>542 そんなこと思っている台湾人いねーよ。
口に出るのは「国民党ガー!」「蒋介石ガー!」だ。
タイワン人だけで暮らしていきたかったんじゃね?
>>541 歴史的な事柄はともかくとしてウィキの英語版みると、Europe地域では仏、ロシア、イタリアなどでも養蚕やっているみたいだぞ。
ただ、歴史的にいつ頃からやっているかまでは書かれてない。
ついでに今世界の養蚕のシェアは中国とインドらしい。 出典は明記されてないがね。
ナイロンが発明されてからは養蚕なんて。
ちなみに、気になる記述があるな。 Cruelty towards silkworms Strict Buddhists refrain from wearing or using silk products, as the silkworm pupae are killed in the process of making silk. Animal activists[which?] say that the practice of boiling cocoons in hot water for silk is cruel. 仏教徒の一部には、絹が蛹の中の蚕を殺してつくられるから、これを嫌う人々もいるそうだ。 日本ではちょっと聞いたことが無いが、何処の国の人々なんだろうな? タイとかスリランカとかあの辺なんだろうか? 国や地域が書いてないからよく解らん。 日本では多分そういう戒律はなかったと思うが、仏教オタクの山野あたりにきかないと分からないかも。
>>543 そうとも言い切れんだろ。
たとえば実際には大多数のチベット人やウイグル人は中国人になりたがっているし、
中国の領土に帰属したいと願っているにもかかわらず、
マスメディアが飯の種にするために対立を煽っているというのが現状でもあるわけだし。
>>544 の補足
中印あわせて2国で60%のシェアを誇るそうだ。
蛇足ながら、戦前は日本も養蚕が盛んで主要輸出品でなかなか優秀な外貨獲得商品だった。
もちろん次第に石油製品に駆逐されていくんだがね。
>>541 おまえ、イモムシの世話なんかしたいと思うか?
ベルギーの民族問題なんかこのスレで深入りしても仕方ないだろ。 フラマン圏とワロン圏の個人のブログやメディアや掲示板をみている人間でもなきゃー ちょっと聞きかじったぐらいで日本人が彼らの本音わかるわけがないのだから。
でも蛾の繭を集めてきてわざわざほぐしてワタをつくった原始人ってすげぇ! カイガラムシを集めてきてイチゴジュースつくってる現代人もすげぇ!
何で日本では、縄文人種と弥生人種で領土争い・独立闘争・民族浄化・民族紛争などが起きないのさ? 日本はどうやって民族問題を解決したの?
そうそう。 養蚕の最初の段階は山野から繭を集めてきて綿づくりからだよね。 糸を紡ぐ技術は暫くたってから発明されたものとおもわれる。
ヨーロッパで養蚕が限られているのは桑の植生と関係あるんじゃない? 蚕が桑以外にも食うのかどうかよくしらないけど 一応ウイキのEN版みると桑はヨーロッパにもあるらしいけど、いろいいろと種類があるらしい。 農業系に詳しい人でないと分からないけど、特定の桑でないと食べないとかあるんじゃないかな。(憶測だけど) むしろ世界史より農業系の板の方が詳しい人がいるんじゃないかこういうのは。
縄文人って、最盛期でも日本列島全体で26万人ぐらいしかいなかったらしいが。
別に蚕でなくてもいいじゃんか。 ヨーロッパにだってでかい蛾はいるんだよ?
>>547 ウイグルは、ネット上に情報が無いのでワ・カ・ン・ネ。
チベットは、「俺達中国人」と必死にわめいているのは地址が雲南や四川のやつらばっかり。
珍しいのがいたなーと思ったら地址が青海。
自治区のやつらのカキコがめちゃくちゃ少ないからワ・カ・ン・ネ。
GoogleBlogerやBaidoに書いているやつの地址みれば、一目瞭然。恥ずかしい〜!中国。
>>552 なかったわけではありません
勝者である弥生人種(その中でも大和の王権)が、なかったことにしているだけです
平安時代初期にも、東北の蝦夷民族が事実上、領土争い・独立闘争を行い、負けて、
大和民族に同化されてます
民族浄化と言っていいでしょう
蚕以外に養蚕に向いた蛾なんているのか? まあ特に専門知識もないし、WIKI見た範囲でしか分からないからなあ。 東京農大あたりでている人がこのスレにいりゃあもっと詳しい解説もあるんだろうけどな。 素人にはこの辺が限界だな。 興味ある人は専門知識もっている板で質問した方がいいかも。
イヌワシだって アイヌのワシ って意味だからな。
そんなに難しいわけがない。 子供の頃、アゲハチョウのイモムシをちゃんとビンの中で育て上げたおれがいうんだからまちがいない
蚕の項目みると、単食性だけど、クワ科以外にも他の植物を食う場合もあるらしい。 詳しくは書いてないから何を食うのかまではかいてないが。 ちなみに、日本版の蚕の項目には書いてないが、EN版みると、蛾が蛹になったときに呼吸するために 繭に穴をあけて絹の品質がおちてしまうので煮殺すっぽい。 長野あたりでは御蚕様と呼ばれたりもするそうなのにちょっとショック〜まぁWIKIみるだけじゃあ これ以上は無理〜もっと詳しいヤシが解説してくれや。
ちなみに、蚕の項目、桑の項目などを総合的に勘案すると、どうもヨーロッパの蚕は日本のとちょっと繭の色がちがうらしい。 ヨーロッパの桑は赤や白などいろいろ種類があって葉を摂取した蚕が桑の種類に影響されて吐き出す繭がちがうみたい。 ただ、一般的な絹は繭のまんなかあたりを使うから白いのが取れる模様。 こんぐらいっすかね。 後はよく解らん。
>>蛾が蛹になったときに呼吸するために 繭に穴をあけて絹の品質がおちてしまうので煮殺す そりゃそうだろ。繭玉は蚕ちゃんが口から吐くたった一本の糸でできてんのさ。 それをほどいて寄り合わせて糸にするのさ。 穴あけられたら糸紡ぎしてる途中でぶちぶち切れるじゃんか。
>>563 だったら、アゲハチョウは繭を作らないってことぐらい知ってるだろ
>>543 いや李登輝みたいに心の底から日本人になりたがってる奴も
大勢いたんだよ。
フランス義勇軍以上に志願者も集まってたし。
台湾人なんていっても元はいないし、統一したのは日本。
高砂族にしろ誰にしろ戦国時代からオランダと台湾めぐって
争ってたんだし、日本領土で留めとくべきだったんだよ。
変に帰属をはずすから今みたいにややこしい状況になったんだよ。
>繭玉は蚕ちゃんが口から吐くたった一本の糸でできてんのさ。 あれそういう仕組だったのか知らなかったぜw
>>568 そうそう。
高校野球も台湾の高校から参加してたんだもんな。
朝鮮、満州はそんなのなかった。
>>568 オランダと争ったのは鄭成功であって、台湾の土着の人間じゃないだろ
たいわんは思い出の中だけの存在にしたほうがいいよ
ま。たいわんよりたくわんのほうがなつかしいけど。
日本がどんどん台湾人を受け入れて外国人参政権を与えればいいと思うよ
台湾人は受け入れてるよ 日本の「国民」栄誉賞第1号は台湾人の王貞治だぞ
次
歴史にifを持ち込むとフィクションの世界だな ラノベ板がふさわしかろう
だが、断る ラノベ板住人
戦前なら、国を支える産業でもあっったし、蚕のスペシャリストが一杯いて 薀蓄山ほど持っている人がいたんだろうけどなー。 今の時代では、すっかり駆逐されて少なくとも今の日本では養蚕家なんて かなり数が減ってその辺のノウハウに詳しい人が少ないよね。 インドや中国が今の世界シェアの6割占めているそうだから、あちらの方が この手の話題に強い人いそうな予感。 技術や薀蓄ってのは継承者がいないと廃れちゃうからね。
>>575 王さんは本人も親も祖先も台湾に住んだことないし
行った事もないから台湾人と言われるのは抵抗あるといっていたな
王は中華民国人だよ
ちなみに蚕の原種っていわれているのがヤママユ蛾。 緑がかった光沢の繭玉をつくる。 それを山から集めてきて天蚕糸って青い糸を採るんだけど高級品だと。 ところでヤママユ蛾。 珍しくないw あんたらも絶対そこらで見かけてる様な蛾です。 繭も見たことあるはずだよ。
>>583 都会で生まれ育った人間は、蛾(というか、ハエ、蚊、ゴキブリなどの害虫以外の昆虫)自体
たまにしか見かけないし、まして繭なんて、そこらではまず見ないよ
えぇ? そんなもんですか?? でも。たしかに郊外では見かけるけど都内では無理かな。
結局、養蚕が欧州でそれほど普及しなかった理由は何なの? wikiの解釈なんかいらねえんだよ。
外国の事情は知らんが日本の蚕は人が世話をしないと駄目なぐらい特化していると数ヶ月前に新聞で読んだな
すっかり流されちゃったなぁ。
>>536 あれは日本だけで有名らしいぞ。とくに地元ベルギーでは誰も知らなかったらしい。イギリス文学だから。
日本人観光客が大勢来るようになってやっと(少しだけ)有名になった。
>>583 えー、天蚕てヤママユガなんだ。ヤママユガと言ったら教科書に載ってた「少年の日の思い出」。
美しくて珍しいと書いてあったのに、と思ったらあっちはクジャクヤママユガという別の蛾だった様だ。
天蚕は皇室でも飼っていて、皇后様が手ずから世話する事になってる。小石丸という品種だそうだ。
でも古くからの伝統では無いらしい。日本書紀に皇室で養蚕してる記事があるのに基づいて明治
4年に昭憲皇太后が復活したそうだ。
>>549 韓非子曰く「女性たちがキモイ芋虫(蚕)を世話するのも高価な絹を得るという利益があっての事だ。」
昭和天皇が田植をやりだしたのと似ているな
>>588
天照大神が自ら養蚕してるしなあ
>>571 日本人も台湾まで攻め込んで
オランダの総督府陥落させたり、オランダ人の総督生け捕りにしたりしてる。
あと霧社事件とかが取り上げられがちだが、
明治の台湾戦役の時点で既に日本側につく土着の高砂族も
多く、台湾鎮護に一役買ってる。
>>586 気候と生育する桑の質が問題らしい
糸が細く短いものにしかならんそうだ
支那のそれと比べて目に見えて質が落ちるから誰も見向きもしない
そもそもが高級品だから、富裕層は高品位を求めるし
そうでない人間は羊毛で満足する、そういうこと
593 :
世界@名無史さん :2010/06/23(水) 09:10:34 0
594 :
世界@名無史さん :2010/06/23(水) 15:38:42 0
東西問わず奴隷の抜け道ってどのようなものがあったのでしょう?
>>594 奴隷の抜け道?どういう意味?
奴隷が逃亡する方法?奴隷身分から解放される方法?
あと、東西問わずと言いますが、時代と国によって奴隷の扱いと形態は違いすぎるし、
一つの社会に扱いも待遇も違う数種類の奴隷が同時に存在することは珍しくなかったので、
そんな大雑把な質問には答えられません。
>>595 うーん…
出来ればどちらも聞きたいのですが…
じゃあ古代ローマの奴隷とイスラムの奴隷の身分から開放される方法で
無理でしたら広範にわたる奴隷についての本を紹介して欲しいです
イスラムも別に統一的な制度があるわけじゃないが… イスラム教はイスラム教徒を奴隷にすることを禁じているから、改宗してしまえばその時点で奴隷ではなくなる 古代ローマは使用者の裁量で奴隷を開放することがある、これは生活を共にする相手に対する愛着と慰労 さらに、奴隷と言っても私有財産の概念はあり、一定の労賃が支払われることは法で定められていて 自分自身を「身請け」することで開放するケースもある なんにせよ、「奴隷」という言葉のイメージを前提とする限りこれらの実態は理解できない 前近代の奴隷は現代の奴隷的ではない場合が多いからだ
イスラムは奴隷いないのか… じゃあイスラムは無しにしてインドで イメージを前提というか先入観無しに知りたいだけです
奴隷がいないというのは違うぞ イスラム教徒でなければ奴隷にできるから、常にキリスト教圏や未開地で奴隷狩りをしてきた歴史がある インドの奴隷というのは最下級カーストのことか? 社会的な差別と絶対的な階級固定はあるが、労働条件としては現代の労働者と大差はない カーストは覆らないから、身分開放というものはないが
ok 分かった 知りたいのは雇い主がいる奴隷身分でそのような身分の階級から抜け出す手段 合法非合法は問わない 奴隷に関する解説はいらないからそのような手段、 もしくはそのようなことが記載されている本を知りたいです
なんだかなぁ。 奴隷制自体が場所と時代により様々なんだから、 一様にこれという奴隷身分からの脱出方法を言えるはずがないんだが。 「いつ」「どこで」くらいは絞ってくれないと答えようもないんじゃないか。
「解放奴隷」になれば奴隷じゃなくなる。 たとえばローマでは、主人の遺言で解放されたり、生前でも長年の功績の褒賞として解放したりする。 奴隷自身がカネを貯めて自由を買い取ることもできた。(奴隷をやってた間に犯罪歴があると解放されないが) 元主人との縁が切れるということではなく、彼のクリエンテス(子分、私兵、部下)となった。 こうしたパトロヌス―クリエンテス関係は代々受け継がれる。 解放奴隷は土地を購入することもできる。 また、3万セステルティウス以上の財産と子供がいれば、ローマ市民権を取得することもできた。 別に元奴隷だからって差別されることもなく、帝政時代には人口の5%も解放奴隷がいたという。 有能な解放奴隷は皇帝直属の官僚として重用され、エジプトの長官に任命されたりもした。
>>600 1 親・兄弟・親戚などの身内に金を出してもらい、買い戻してもらう
2 自分で金を貯めて、自分自身を買う
3 主人が解放してくれる
4 故国やそれに近い勢力が攻めてきて、解放してくれる
5 逃亡する
6 反乱を起こす
7 宗教的な理由で解放される
8 その国で奴隷制度が廃止される
基本的にはこんなとこだろ
イスラーム世界の場合も、人種を問わず多くの奴隷がいた。 宗教上は奴隷を解放することは善行だったが、異教徒ならええやろということで奴隷狩りをした。 酷使されてた黒人奴隷が南イラクで大反乱したこともある。解放の条件はローマと対した違いはない。 マムルークも、訓練中は買い取った主人の奴隷だが、使えるやつと見られれば解放された。 ハレムの女奴隷でも跡継ぎを産めば奴隷ではなくなった。 ただ、解放されても社会の中では異邦人なので、主人を保護者とする「被保護者(マワーリー)」となり、 ローマのクリエンテスよろしく私兵や子分として扱われる。 近世の中南米や北米の黒人奴隷が「抜ける」なら、まあ官憲の手が及ばぬジャングルに逃げ込む。 そこには逃亡奴隷が村や町を作り、巨大な共同体になると「王」をいただくこともあった。 もちろん法的には保護されてないから、討伐されれば虐殺されるか、従順そうなら再び奴隷として売り飛ばされるか。
>>602-603 簡潔で詳細な回答をありがとうございます
質問にない薀蓄を語られるよりよほど為になりました
あなた方に格別の感謝を
>>604
女奴隷ってやっぱり性的に扱われたのか…
ジャングルに逃げ込んで村や町を作るってのはおもしろいなぁ
ありがとう!
古代から続いてきた奴隷制度がすたれた理由ってなんなんでしょう? 給料を払う必要が無く、最低限の衣食住さえ与えていればいい奴隷労働者は、 企業家や大規模農業経営者にとってはとても都合がいいと思うんですが、 どうして奴隷や農奴が自由身分の下級労働者や小作人にとって変わったのでしょう?
簡単な話だ、人権思想の台頭と拡大 憲法を読めば基本的人権が列挙されてるだろう、奴隷とは基本的にあれらが保障されない人間のことだ これには少なからぬ偽善が混じる 奴隷でなくとも奴隷のように働かされる、働かざるをえない層は常に存在する それでも法的には奴隷は禁止している、禁止することに意味がある その程度のものだ
当然のことだが、奴隷身分に落とされた人間には開放と自由を求める社会圧が存在する 社会構造として奴隷を使役するには、この圧力を抑え続けなければならないが、 これは国家にとってそれなりに負担になる 近代黒人奴隷のようにその抑圧が強ければ強いほど、 反発する圧力も強まりやがて政治的な力さえ持つようになる こうして結局は自然の力学として、奴隷制度は開放へと向かう 具体的には例えば、南北戦争時に開放を求める黒人が 大量に北軍に加担し勝利をもたらしたりということだな
ゆえに、賢明な奴隷制社会は必ずその階層を固定せず、開放される可能性を少しでも与えるようにする 自分の力量と努力しだいでは、いつかは自由になれるという希望が適度のガス抜きとなり圧力をやわらげる 現代に奴隷は存在しないと言うが、「力量と努力しだいでは富裕になれる」社会の中で 最底辺から抜け出せずにいる貧困層は、古代の奴隷と実は少し名目を変えただけの存在に過ぎない
女の奴隷について詳しく
271 名前: 世界@名無史さん 投稿日: 2006/01/20(金) 08:42:19 0
人のねだん
http://www1.u-netsurf.ne.jp/~sirakawa/A008.htm ヨーロッパ 14世紀
14世紀後半、イタリアの商人ダティーニさんが購入した奴隷:
○タタール人の少年アントネット 47 フィオリーノ
○10または12歳の少女 50 ドゥカート(+物品税5ドゥカート)
○大人の女バルトロメア 47 フィオリーノ
○大人の女ジョヴァンナ 60 フィオリーノ
フィオリーノはフィレンツの金貨、ドゥカートはヴェネチアの金貨で共に3.53gの純金。
このころの女中さんの給料は年10〜12フィオリーノだったので、奴隷を買っても5〜6年で元がとれたらしいです。
このころの奴隷にはスラブ人が多く、スラブ(Slav)は奴隷(Slave)の語源になっています。
274 名前: 世界@名無史さん [sage] 投稿日: 2006/01/28(土) 01:51:01 0
>271
バルトロメアはドジッ子だったのかブスだったのか。それが問題だ。
女衒行為(奴隷を使った娼館経営)は禁止されてるケースが多いな 個人的に楽しむのは良くても不特定多数を対象にした商用利用は不可 …なんか映画DVDみたい
英国植民地下での マハラジャってどういう扱いだったんですか ザミンダール制やライヤットワーリ制などが機能してるのに 皇帝はともかく豪族のように王様が各所に生き残ってるって不可解な感じがします
天下に王はワレひとりか? アジア的だな 地方統治はそれが中央に反抗しない限り王侯豪族等の現地有力者に任せるのが一番いい 地元を理解できるのは地元だけ、民族を理解できるのは民族だけだからな、地縁血縁は政治の基礎だ 中央派遣の役人に実務をやらせるなんていうのは、遠隔地統治政策としては下の下だよ これを利用するなら、別にそいつの名目が王だろうがマハラジャだろうが構やしないわけだ
日本語で藩王と訳される通り、一地方自治体の長として自治行政を認められているのがマハラジャであって 当然王といっても英王と同格ではない
いや別に王様をそんな広大な領域を治める権力者と規定してないから だから豪族のようにとわざわざ書いてる訳で ただマハラジャと呼称されるからには古くからその地域で権力を振るっていた存在だろうから 英国が差し向けたザミンダールらと二重の統治になっていたのではないかと聞いてるの
マハラジャをザミンダールにして徴税させればよくね?
ザミンダールを税務署の職員とか思ってるのかw
ザミンダーリーは、英国(インド帝国)が徴税人として新たに代官を差し向けるのではなく 旧来の大領主・大地主(ザミンダール)に自治権や徴税権、所有権を認め、 英国へその「あがり」の一部を上納させる制度 現地語で「土地(ザミーン)を持つ者(ダーラ)」だからザミンダール ライヤットワーリーは、英国が自営農民(ライヤット)から直接税を取り立てる制度
ザミンダールがマハラジャなんてのは聞いたこと無いけどな
ザミンダールの管轄地とマハラジャの領地は別だろ、なんで二重権力なんて話になるんだ
英国もマハラジャをつぶそうとしたんだよ。 でもそういうことをしたもんだから復讐に燃えるマハラジャの一人が潜水艦でイギリス船を沈めまくる事件がおきた。 だから英国も政策転換したんだよ。 ちなみに潜水艦の名前はノーチラス号であり そのマハラジャの名前は通称ネモ船長という。
マハラジャの子孫もいろいろなんだってね。 前にテレビでみたけど。 大会社の社長になってる人もおれば飢え死にしかけてたり
英国の支配権がインド全域にべたーっとあったわけではない。 地域によってマハラジャあり、ザミンダールあり、直轄地ありとモザイク状。 なにしろ人口数億で、気候も民族も言語も宗教も恐ろしく様々だから、 まとめて統治するには非常にめんどくさい亜大陸ではある。
潜水艦とかネモとかのフィクション上の話はともかくとして、英国が藩王国をつぶしてたのは本当 藩王が正統後継者の男子がなくて死んだ場合は、昔なら養子をとって継承できたのだが、 英国東インド会社は、その継承を認めずにお家を断絶させて、強引に領土をぶんどった シパーヒーの乱が起こると、そうして継承を認められなかった各地の王家の残党が、大きな 力になった
まさに由井正雪
海底二万海里ってそういう設定だったのか…
ネモ船長はもともとロシア帝国と戦うポーランド貴族って設定だったけど、 著者ジュール・ヴェルヌの母国フランスがロシアと結んでたから没になり 「じゃあ憎き英国をキリキリ舞いさせちゃおうぜ」ってことで設定変更されたそうな
こうして見るとムガル帝国も統治には相当苦労しただろうな
映画「リーグ・オブ・レジェンド」のネモ船長がインド人っぽかったので違和感があったんだが、 あれって原作の設定通りだったのか
『海底二万里』だけではそこまで分からん。続編の『神秘の島』で全部が明らかになる。
634 :
世界@名無史さん :2010/06/24(木) 12:03:05 O
受験生です。フランス革命について質問です。 1791年に成立した立法議会ではジロンド派が指導権を握り共和主義が台頭しましたが、 なぜ92年に同じ共和主義の国民公会が召集されて共和政宣言をしたんですか? すでに共和主義の議会があるのに、って思います。 ただ改めて国民公会にして、って感じなんでしょうかそれとも共和主義立法議会と共和政宣言した国民公会にはなにか大きな違いがあるんでしょうか。 初歩的ですみません。 お願いします。
>>634 >>1 も読めないようじゃ、受験も失敗するよ
質問文読み飛ばすタイプとみた
636 :
世界@名無史さん :2010/06/24(木) 13:04:51 O
FAQのことですか?それとも中高生用にいけということですか? まえにこちらと中高生用で質問したらこちらのほうが納得する答えが返ってきたのでこちらでしてみました でも質問自体変なのかもしれないのでスレチかもしれません すみません。
>>635 >
>>1 も読めないようじゃ、受験も失敗するよ
読めないじゃなくて、読んでないか、読む気が無いだな、
オレも人のことは言えん
日本で少女を買う事ができなくなったのはいつからですか?
>>634 スレ違いなので回答は中高生用スレに書いておきました。
旧植民地だったASEANやその他アジアの国々がそれなりに経済成長してるのに、 同じく旧植民地だったアフリカの国々が経済的に貧しいままなのはなぜですか? そんなに土地の生産力や資源で不利があるとも思えないし、 白人の収奪の傷跡も、逆に植民地経営の遺産も両方残ってると思うので、 条件的にそんなに差はないと思うのですが?
今まさに発展しつつあるという番組をNHKでやってる。ルワンダとか南アフリカとか。
まずアフリカが貧しいというのは偏見だ 北アフリカ地中海沿岸、白人に限るにしても南アなどは、 東南アジアの最貧国よりはましな状態でやってきている 飢餓にあえぐほどにひどいのは紛争地帯に限られる 内戦の原因遠因については、旧来の部族対立からマフィアの利権までいくらでも求められる
>>640 アフリカは植民地期間が長く、収奪が進行し、もともとあった社会構造がかなり壊された。
アジアは後から植民地化されたので、アフリカの経験から、現地の支配構造を残して、
その上から支配したので、社会の壊され方の程度が少なかった。
それとアジアは、中国やインドと交易があったり影響を受けており、社会的に先に行っていた。
東南アジアは唐、元の侵攻を受けたところもあり、侵略に強かった。
多くのイスラム諸国がトルコと欧米列強の植民地や従属下に置かれる中で なんでオマーンだけ植民地化を免れることができたのでしょうか?
>>644 いや、オマーンはイギリスの保護国なんですが。
オマーン国際空港
>>638 「買う」の意味が人身売買のことだとしたら、建前上は、1872年(明治5年)の芸娼妓解放令
これは、日本は人身売買などしていない近代国家だと欧米列強に示すための意味合いが強く、
現実に即していなかった(たとえば、解放後の遊女の身の振り方などを考慮していなかった)ので
借金で縛って、あくまで本人の意志という形で女性を遊郭で働かせることはその後も続き、あまり
機能しなかった
「買う」というのが買春の意味なら、1958年(昭和33年)の売春防止法(赤線禁止法)
売買春行為は禁止された
これまた、法の目をくぐってソープランド(当初の呼称はトルコ風呂)という営業形態ができることに
なるが
>>640 植民地時代、経済は宗主国に頼りきりで、農業は商品作物のモノカルチャー中心、地下資源があっても
それを宗主国に持っていかれるだけだったから、地元に工業、商業が発展しなかった
だから独立しても地元資本の商工業がなく、経済基盤が弱い
結局は、先進国やその企業の資本と技術に頼るしかないから、商品作物や地下資源は安く買いたたかれる
その国の商品作物や地下資源が国際的に値崩れすれば、それだけで大不況
それをなんとかすべき政治家たちは、なにしろまだ民主政治に慣れてないから、身内をひいきしたり、
私腹を肥やしたりなんてことが目立ってしまう
そうすると、軍人が「あんな政治家に任せておけない、この国は俺たちがなんとかするしかない」と考え
クーデター発生
あるいは、民衆が「社会主義ならこの状況もなんとかなるかも」、と思って、革命発生
しかし、クーデターにせよ革命にせよ、商工業が弱いという根本的な問題を解決できないので、結局また
国はうまくいかなくなる
そうすると、またクーデターや革命が起こって政権が交代し……
政権交代がうまく進まないと、内戦に突入
そんなことを繰り返しているから、国はますます疲弊して経済が悪化するという悪循環
>>645 オマーンはイギリスと対等条約の独立国ですが?
>>649 変ですねえ。手元にあるどの資料を見ても、1891年イギリスの保護国に。
1971年独立とあるんですが。
対等条約の独立国と言うソースを教えてください。
アジア(中東含む)で植民地にならなかった国は日本とタイだけで他はすべて植民地なり保護国なりにおかれた。
>>651 清・中華民国は植民地なのか? 香港やマカオ、遼東半島、満洲、上海の租界など
一部とは別として、他は(一応)、保護国ではない独立国じゃね?
実質的には列強に逆らえない半植民地としても
>>652 植民地ではないから列強に徴税権はないけど
行政への関与や裁判権が奪われたりしてるところもあるからなぁ
列強の勢力圏もあったし建前上独立国だけど正直微妙だ
アフリカはマンパワーとそれまでの文化的蓄積による所が大きいと思われる
カージャール朝・パフラヴィー朝ペルシアも、一応、ずっと独立国だな イギリスとロシアの影響力が強くて、清以上に半植民地的だったけど
今も植民地はチベット、ウイグル王国
次
>>650 世界各国便覧をみると独立年の欄が空欄になっている。
タイも日本もオマーンも空欄。だから、オマーンは植民地になっていないんだと勘違いしていた
>>651 中東を含むアジアで植民地にならなかった国なら、トルコを忘れてるぞ
659 :
世界@名無史さん :2010/06/25(金) 05:54:01 0
トルコ、イラン、ネパール、ブータン、タイ、中国、日本とアジアにも 植民地化を免れた国は多いな。
660 :
世界@名無史さん :2010/06/25(金) 07:37:12 0
ネパール、ブータンは実質、インド藩王国みたいなものだし、 日本は1945年から7年間、主権を失った非独立国として、 異民族支配のもとにあった。
661 :
世界@名無史さん :2010/06/25(金) 12:14:54 0
次
662 :
世界@名無史さん :2010/06/25(金) 13:44:56 0
今、朱蒙を見終わりました。 漢の時代と言うと日本ではまだ、弥生時代です。 そんな中、朝鮮半島にあれだけ立派な衣装や建造物、政治制度があったなんて信じられません。 韓流ドラマの朱蒙はどこまでが本当なのでしょうか?
当時は漢に征服されると同時に文明が大量に移入された時代でもあるから 小漢と言っていい程度の技術文化水準だったと推測はできる よって、考察はおそらく漢代のレベルに準拠する
ローマ帝国が、征服した各地に、ローマ式の劇場、石の道路や水道橋を作ったみたいなもんだね。 征服側、支配者側の居住区域だけで、一般の人はボロ家屋に貧しい暮らし。
明代の小説『封神演義』は殷周革命の頃の話だが、 仙術はさておき戦争や生活の描写は明代のものだ 史実と娯楽作品の時代考証を混同してはいかん 高句麗というか朝鮮半島には、紀元前からそれなりの部族国家はあり、 燕や匈奴や秦に服属したが、のち漢が攻め込んで郡県(漢人の殖民都市)を置いた だから当時の漢の辺境都市ぐらいのもんはあっただろう 部族長というべき高句麗侯というのもおり、王莽に謀殺されたのが朱蒙のモデルではないかという
『論衡』や『魏略』『後漢書』夫余伝の、夫余の始祖「東明」 『後漢書』高句麗伝の、王莽に殺された「高句麗侯の[馬芻]」 高句麗・広開土王碑の「十七世の祖である鄒牟王」 これらが高麗後期(12世紀末)に「三国史記」で結び付けられ、 高句麗の始祖である東明聖王・朱蒙となった
【韓国】平和な独島脅かす日本の漁師、抵抗むなしく倒れる「リアンクール大王」〜映画「アシカを探して」7月公開[06/21] 「平和な独島(ドクト、日本名:竹島)にアシカの一家が暮らしていた。ある日、日本の漁師たちが独島に現れてアシカ一家 を脅かした。パパアシカは日本漁師の網を破って、助け出した。家族を 守るパパアシカの名前はリアンクール大王。銃声を恐れず咆哮を張り上げるリアンクール大王におじけづいた日本漁師た ちは武器を捨てて逃げ出した。再び平和を取り戻した独島。しかし、平和 は長く続かず、再び現れた日本漁師たちはさらに強力な武器でアシカ一家の命を狙った。リアンクール大王が今回も抵抗 を試みるが、ついに頭に弾があたって倒れてしまった。独島の最後のアシカはこのように消えていった。」 映画「アシカを探して」はBボーイ(B-Boy、ブレークダンサー)チーム、ラスト・フォー・ワン(Last for one)が独島アシカ「リアン クール大王」を探しに出るところから始まる。リアンクール大王は独島に 実在した雄アシカ。体長2.9メートルに体重750kgに達したリアンクール大王はアシカ猟のため独島を訪れた日本漁師たち が唯一恐れた存在だ。ラスト・フォー・ワンはアシカの集団棲息地であっ た独島からアシカらがどのように消えていったかを追跡し、これを知らせるためにBボーイ・パフォーマンスを作って公演を 行う。
次
「アシカを探して」は独島に住んだアシカと彼らが消えていった過程を淡々と紹介する。この映画を演出したチョ・ハンソン
監督は「独島という素材は国粋主義に流れやすいので、情報が歪曲されないよう努力した」と話した。全く関連がないと
思われたBボーイとアシカの連結の輪を探し出したのもまさにこのため。Bボーイたちは踊りを媒介に「海のダンサー」と
呼ばれるアシカを知らせる。
製作期間は1年6ヶ月。アシカが生きた美しい独島の風景を表わすのに多くの時間が必要とされた。Bボーイとアシカが
水中で会う場面も独島で撮影された。この場面は映画で最も劇的な場面に挙げる価値はある。
この場面を撮影するためにラスト・フォー・ワンのシン・ヨンソクは水中撮影専門家も水中に入るのを敬遠する悪天候に
もかかわらず、独島近海に飛び込んだ。絶滅したアシカはアニメーションで再現された。
「アシカを探して」は7月に全国主要芸術映画館で上映される予定だ。
ペク・ワンジョン、東亜ドットコム記者
ソース:東亜日報(韓国語) 独島アシカ知らせるB-Boyたちの物語
http://etv.donga.com/view.php?idxno=201006210034038 自分たちが絶滅させた動物を日本のせいにするのが彼の国のドキュメンタリー
世界各国の反応 ■スペイン・TV実況 ・本田は、ナカタの次に欧州でスターになれる「アジア」のプレーヤーだ (キノコと朴の立場はw) ・ナガトモはちびっ子モンスターだ ・アルゼンティーナやブラジルのフィジカルには全く及ばないが 、 日本には頭脳がある ・誰もが予想しなかった勝利、しかしこの試合を見ればすべての人が納得するだろう ・ボール、ピッチ、気候、ブブセラのせいにしている選手はただちに 今日のホンダとカワシマのプレーを見るべきだ ・オカダが今まで負け続けていたのは油断させる演技をしていたからだ イギリスのブックメーカーにもね ← (ノ∀`)ww ・クイックリーなパス回しはスペインに次いで世界2位であろう ・あとマツイ、アベ、タナカ このあたりを褒めまくり ■英国・BBCなど ・(日本のプレーは)まったく感動的だった。本田はまるでロナウドのよう、傑出したプレイだった GK川島も凄い! ・まったく素晴らしいとしか言いようがない。皆が感動している ■フランス・レキップなど ・日本が、イッポン勝ち(柔道用語)−日本が完勝 チーム力は完全にデンマークを上回っていた ・守備は堅固で、攻撃は魅力的だった。これは決して幸運に恵まれての勝利ではない ・日本代表の実力は欧州トップの国と同等のレベルにある。フランスはもちろんの事、ドイツでも勝てないかもしれない。 ・本田と遠藤の「スーパー・フリーキック」はまさにワールドクラス ■ブラジル・民放テレビ・グロボなど ・日本の代表チームの質の高さを示した。確実に進化している。日本はフリーキックで世界のお手本になった ■ロシア・タス通信など ・日本は「センセーショナルな大勝」で、決勝トーナメント進出を決めた。あとはロシアリーグ所属のホンダ一色 ■デンマーク・TV2など ・我々は、青いサムライ・忍者部隊にやられた。デンマーク代表は問題外、愚か過ぎた。欧州予選1位通過したのに ■韓国・朝鮮日報 ・独島は韓国の領土だ。
672 :
世界@名無史さん :2010/06/25(金) 15:39:59 0
W杯関連でテレビでデンマークの王室は日本の皇室とともに世界最古と言っていたけどそんなに古いんですか?
王室が続いたということであって 同一王朝じゃないと思うよ デンマークは何度か王朝変わってるし
10世紀半ば頃にゴルムというのがデンマークを統一したという その曾孫が北海帝国を築いたクヌート大王 まあ何度か女系相続で王朝交代してるし、200年前の王様の子孫とか女系の曾孫とかもいたが 12世紀末の「デーン人の事績」ではゴルム以前の55代の伝説的な王を並べ立て、 起源をローマ時代まで遡らせるが、さすがに無理がある
古いが、並んでとまではいかない というか中世中期以前のデンマークはよくわからない、ヴァイキングの親玉として伝説、おとぎ話の中に溶けちまってる 9世紀、ゴルム王によるデンマーク統一まではおそらく間違いはないだろうが
あ、10世紀だっけ?
デンマーク王といえばゴルムの次のハーラル1世は青歯王と言われているけど本当に歯が青かったのだろうか?
W杯と言えば次はパラグアイと対戦ですが、そもそもなんであんな変哲なところにあんな形の国が生まれたのですか?
>>677 wikipediaによると青歯じゃないってさ。「浅黒い肌の英雄」って意味の古デンマーク語を英語に音訳して
Bluetoothになったんだと。
うわ。歴史を今読んできた。 19世紀南米唯一の成功国家が伯・亜がめちゃくちゃにしたのか・・・>パラグアイ パラグアイって漢字略記ないのん?
本国のポルトガルは王国なのに、独立したブラジルはなんで帝国を名乗ったんでしょ? 帝国を名乗るほど力のある国にも見えないんですが。
面積で見たらブラジルは広大だぞ、EU全体よりでかい つまりそういうことだ、これだけ広い国を治めるには皇帝にでもならなきゃ合わないだろうということ
あらかたアマゾンだから人口はそんなでもないけどな ポルトガル王室を追い出したナポレオンが皇帝名乗ってたから、そんなら俺も、という感じか 同じ頃メキシコ帝国もできるがすぐ潰れた パラグアイは、ラ・プラタ副王領が共和国になってスペインから独立したとき スペインにもブエノスアイレス政府(アルゼンチン、裏には英国)にも服従したくなかった土地 僻地なうえ有能な開発独裁者のおかげで意外にうまくいってたが…
まあ、ハイチですらナポレオンをリスペクトして帝国になったしな
ブラジルは一応、五大陸のひとつに君臨する大国となる気概は帝国の名に込めてたと思うよ あっさり倒れたけど
ブラジルよりアルゼンチンの方が強いし帝国を名乗るにふさわしいと思うんだけどね。 南米最大の強国は20世紀半ばまではアルゼンチンだろ。
19世紀末から世界恐慌までの一時だけな それもイギリスあっての繁栄だったが
>>662 君は、日本の時代劇を見て、当時、日本中そんなに悪代官だらけだったのだとか
タイツ(?)を履いた足をむき出しにしたミニスカクノイチが活躍していたと思うのか?
娯楽性の高いテレビドラマの時代考証はいい加減きわまりないというのは常識だと
思うのだが
タイツじゃねぇよ。 網襦袢っていうんだよ、あれは
>>682 巴拉圭、一字なら巴、だったような。多分。
ソビエトや中国は、どうして平時では粛清や無理な経済政策で多くの人を死なせ、 戦時では戦死者がいくらでも出るような作戦を行う、 人命軽視な国になってしまったのでしょうか?
そんなん紀元前からそうですがな ロシアは中世からかも知れんけど
696 :
世界@名無史さん :2010/06/26(土) 07:32:22 0
>>683 ヨーロッパの慣習では王になるのは王の血統である必要があるわけだ。
皇帝には全くの成り上がりでもなれる。
>>694 なぜなら「共産主義は歴史的必然であり無条件に正しい」とされていたから。
だから共産党の指示は絶対であり、それに逆らう事は「反革命」として粛正
の対象になるから、仮に間違っていてもその通りに実行せねばならない。
共産主義、資本主義。関係ない。 個人の人命を尊重し人権(いやな意味がついちまってるけど)を尊重するかどうかというのは文化の成熟度の問題。
そう思うと、民主主義は偉大だな。 この世に存在する政治体制の中で、唯一人命尊重と人権重視が行きとどいている。 戦争でもあまり死者出すと非難されるし、 国の政策で死者が出るようなことすると非難されるし。 近代民主主義のルーツはアメリカとフランスにたどれると思うんだけど、 もともとどっちもそんなに人命重視な体制じゃなかったよね? いつの間にか民主主義国家=人命重視になったんだろ?
経済の概念的には、共産主義←→資本主義 民主主義は、政治の概念なので軸が違うよ。
政治の概念における民主主義の対立軸は何になるの?
F.D.ルーズベルトによれば、全体主義(totalitarianism)だろうな。 国家コーポラティズムとかファシズムとかそのへんもggr!
>>702 君主制、貴族制や独裁制等の中でも特に主権が国民に
ない体制じゃね?
現代では対立軸の定義が複雑で難しいから「非民主制」で一くくりにした方が現実的。
アメリカはなぜ、18世紀の独立当初の時点から、 あんなに独裁者の登場に神経質だったのでしょう? 独裁が悪とされてなかった時代に「カエサルを作らない」ことを国是とするのは、 かなり異質な気がするのですが。
思想という点ではアメリカが突拍子もなかったわけではなく、啓蒙思想を経て次第に発展したものだ 欧州王朝支配に嫌気が差していた人間が多く新大陸へ渡っていた事実もあいまって、 新国家形成にあたって当時先端の政治思想を取り入れたということになる
しかし、同じく啓蒙思想が発展した民権思想を取り入れて成立したフランス革命政府では、 寡頭政のトップと言う形で独裁者が何人か出現しています。
そもそも、ユーラシア大陸と言う名前とか、 アジアと言う概念がおかしいな。 アジアの意味は、ユーラシア大陸に於いて、 ヨーロッパとロシア本土以外の地域や文化圏を指す言葉だろ。 アラビアも中国もトルコもインドも日本も同一文化圏とか無理があり過ぎる。
711 :
世界@名無史さん :2010/06/26(土) 20:32:49 0
アメリカ人民「俺たちが苦労して開拓した国を王などに盗られてたまるか!」
アジア(アシアー)は「日の昇る方」、エウロパ(エレブ、エレボス=暗闇)は「日の沈む方」。 フェニキア人とギリシャ人が地中海交易をしていた頃からの言葉で、 同一の文化圏でも文明圏でもない、ただの方角を指す言葉だ。 アフリカ大陸が同一文化圏とかだって無理ありすぎる。
>>710 インドとイランとトルコって食い物が似ているだけか
715 :
713 :2010/06/26(土) 21:22:48 0
ナンというパンケーキが似ているかな〜と感じただけ
>>715 いや、インドとイランのナンは全然違うし、
トルコではナンは食べられていない。
権力者に盲従する日本と違い、ヨーロッパでは貴族制の時代にあっても 地方自治が行き届いていた。
幕藩体制は?
>>717 遠いと詳細が分からないからよく見えるだけ
遠目だけ美人
武家の支配と在地の自治がうまくかみ合っていた。
>>712 黒人はみんな一緒
ニガーでもブッシュマンでもそんなに違わない
アメリカはドミノ理論にのっとってベトナムやカンボジアやラオスに よせば良いのに介入したわけだけど、このドミノ理論って実証されて るんですか?世界の歴史でドミノ現象が起こったことあるんですか?
フランス革命が欧州に波及したり 大戦後に植民地独立が世界に波及したりとか
>>722 ドミノが起きた後の話が問題にしてたんじゃないのかな?
アカ同士の内戦が始まって、中央集権化する過程があるわけで
結果的にみんなモスクワの共通路線になっていくのの繰り返しだったわけで。
東欧とかモンゴルで、旧体制がひっくりがえった後に、ソ連の支援を受けた勢力が
イニシアティブをとって、ドミノ倒しが起きてしまったみたいな。。。
ごく近年でも、東欧から始まってソ連とかがドミノ式に崩壊したろ。
ドミノってああやって倒して遊ぶゲームじゃないって知ってた?
ソ連や中国等による共産圏拡大圧力をドミノ理論に含めるかどうかは微妙 あくまで自然連鎖的な政治変動というニュアンスが強いわけで
>>716 本当はケバブはウズベキスタンやキルギスあたりの食い物で
トルコの食べ物ではないというオチ?
ケバブなんてアッカド時代からあるぞ
黄禍論と言うのがありますが、 欧米では、「民族衣装を着た黄人は取るに足らない相手だが、白人の格好をした黄人に気を付けろ!」と言われていますが、 それは何故でしょうか?
>>730 そりゃ、欧米人にしてみりゃ、欧米文化を身につけた者の方が、そうでない者より脅威だろ
後者に白人が仕事を奪われるとしても単純労働ぐらいで、たいしたことはない
だが、前者は、社会の重要な地位を白人から奪っていくかもしれない
自分の仕事だって奪われかねないし、自分の上司になるかもしれない
実際のところあと10〜20年程で中国はGDP1位になっちゃう訳で
>>729 ほんと?
ケバブって、鉄がないとできないんだけど
木串だと焼けてしまう
>>730 そりゃ、2ちゃんねらーにしてみりゃ、無能な酷使さまより欧米文化を身につけた韓国や中国のスキル持ちの方が、そうでない者より脅威だろ
後者に日本人(酷使様)が仕事を奪われるとしても単純労働ぐらいで、たいしたことはない
だが、在日コリアンは、社会の重要な地位を日本人から奪っていくかもしれない
自分の仕事だって奪われかねないし、自分の上司になるかもしれない ようは日本人よりコリアンの方が優れているが、酷使様は亜細亜の人々に
嫉妬していると言うこと。 同じ話ですよw
ケバブってどうしてこんなにうまそうなんすか?
トルコ系がこれまでのアナトリアの住民を駆逐して、 アナトリアの多数派民族となったのはいつ頃ですか? また、何が原因ですか?
一番大きな分水嶺はやっぱ第一次世界大戦後のギリシャとの住民交換事件やアルメニア人虐殺だろうな 規模の大小についてはトルコ厨がうざいからこのスレでは言及しないが。 それまではポントスやカッパドキアなどのアナトリア半島各地の都市部にはには少なからぬギリシャ系住民がコミュニティ形成していたしな。 ただ、かれらがいなくなったあとも、トルコ政府がみとめていないクルド人はトルコ国民の実に三分の一の人口を占めるとも言われている。
いや、中世のチュルク人の進出とセルジューク・トルコによるトルコ化じゃない? それから、アナトリアはトルコ系国家による支配が続いたし。 それまではギリシャ系が多数派だったと思うけど。
近代以前なら、テュルク系の言語を話してれば誰でも「テュルク」になれる オスマン皇帝なんて母方がみんなヨーロッパ系の奴隷だ
>>734 トルコ発祥って書いてあるじゃん。(以下ループ)
鉄串がないなら 青銅の串を使えばいいじゃない
つうか。 ドネルケバブだって鉄串で焼くんだよ?
質問があります。 なんでうんこは臭いの?
746 :
世界@名無史さん :2010/06/27(日) 21:07:38 0
>>740 ギリシャ系もテュルク系も同じようなもんだ
ただ単に喋ってる言葉が違うただそれだけ
ギリシア語遣いの舌抜いて、チュルク系に言語統一したんかな? 閻魔大王って、トルコにもいるんだよね?
閻魔大王のルーツのジャムシード大王ならペルシャ人だが。
いやね。モンゴル国製作のチンギスハーン映画で 肉刑といって舌を抜かれた人が、テムジンの書記をやる設定があったので トルコにもあったのかなーと思ったまでよ。
セルジューク朝やオスマン帝国なら普通にやってそうだから困る
トルコ支配下のアナトリアのギリシア語話者の宗教はキリスト教だったのですか? イスラム教ならトルコに同化していいよね?
どうでもいい質問ばかりだな 相変わらず言語と民族の区別がつかん馬鹿が一匹いるが
改宗ギリシャ人もいれば正教徒もいる ただしオスマン下では非イスラム教徒はせいぜい二級市民 民族的にはどこからをトルコ人とするかは実に微妙 アナトリアの山奥で遊牧生活をしていた原トルコ人(オスマン人)は、オスマン帝国にあっては極めて少数であり しかも皇帝はじめ帝国中枢にいるオスマン人は早々に混血が進み血統としては原形を止めていない 文化的にも同様で、なんでも外部から取り入れるチャンポン型の性向のため固有のものをあまり持たない オスマン帝国臣民としてのトルコ人もまた本人たちでさえ自覚しない概念で、 強いていうなら帝国に住みオスマン語を話すイスラム教徒をトルコ人と呼ぶ ために、改宗して暮らすギリシャ系トルコ人というのもたくさん、というか混血も含めトルコ人のうちの何割かを占めるほどいる
トルコーギリシャの住民交換はかなり乱暴なもので根こそぎコミュニティが崩壊した例も数知れず。 ポントスとかアレクサンドリアとかキレナイカとかすごく起源が古いコミュニティ全部壊滅した。 まあ、ポントスなんかはロシアやソ連の支援で共和国作りかけた事もあるんで住民交換を名目に ギリシャ人を追放したというのもあるんだけどね。 中東や北アフリカにはよく古の大帝国の移民が近代までのこっていたが、ギリシャ人やユダヤ人の コミュニティはギリシャやイスラエルへの集積でほぼ壊滅した。 まあ、都市部にはまだ残っているけど、往時の面影はないな。 国民国家の弊害やら 汎〜何何主義っていう目があるとどうなるかはユーゴの崩壊でも現代人にもう想像がつく。 帝国が崩壊すると陣取りゲームが発生し、負けた方は大量に虐殺される。 日本やドイツでもおなじみですね。
>>739 トルコ領内でクルド人が主に分布している地域は、ユーフラテス河の東側、
アナトリアではなく旧アルメニア、地中海世界ではなくイラン世界だよね。
>>741 中世ならば、ギリシャ語を話してれば誰でも「ローマ人」になれる
ビザンツ皇帝なんてみんな蛮族騎兵あがりだ
路上検問で民族識別をするには、言語しか方法がない。 トルコの官憲が、クルド人かどうかを判定するにはこの方法をとっている。
聖書にもでてきた「シボレテ/セボレテ」だな
またその人に「では『シボレテ』と言ってごらんなさい」と言い、 その人がそれを正しく発音することができないで「セボレテ」と言うときは、 その人を捕えて、ヨルダンの渡し場で殺した。 その時エフライムびとの倒れたものは四万二千人であった。(士師記 第12章)
またその人に「では『じゅうごえんごじっせん』と言ってごらんなさい」と言い、 その人がそれを正しく発音することができないで「チュウゴエンゴチュセン」と言うときは、 その人を捕えて、渡し場で殺した。 その時コリアびとの倒れたものは四万二千人であった。(ニダ記 第12章)
>761 満州ツングースも一緒に頃されるわな
コリアびとは、吉林の吃音マンチュリア人に、支配されたから仕方ない。
764 :
世界@名無史さん :2010/06/28(月) 14:34:00 0
では日本人にはLaurelを正しく発音せよ、と
ラウレルと発音したらイスパニヤびと
>>764 実際、第2次大戦中、太平洋の島々で、アメリカの海兵隊は、夜間に人影を見た時などに
日本兵か味方か識別するための合い言葉として、「リンカーン」など、日本人が発音を苦手
とする「L」のつく言葉を使ったそうだ
767 :
世界@名無史さん :2010/06/28(月) 16:35:53 0
19世紀初頭のイギリスの食文化に関係する質問なのだけれど この時代スコッチウィスキーのイングランドにおける普及状況は どんなもんだったのでしょう? たまたまその時代を扱った芝居を見てたら、イギリス貴族がスコッチを飲む描写が出てきて 「おや?」と思ったので。 自分で軽く調べたレベルでは ・18c〜19c途中までは密造酒扱い ・製法も今とはかなり違う ・スコッチに限らずウィスキーが世界に広まったのは19c後半のフィロキセラ禍以降 なのでそう一般的ではなかったと思うのだけれども、一部の趣味人は飲んでいた みたいなことはありますか?
そのイギリス貴族がスコットランド系だったとか
まぁ、日本人はLとRの違いが分からないというのはアメリカンジョークの定番ネタ。 その中でも定番なのはelection(選挙)だ。 みんな、erectionを辞書で引くなよ! 絶対に引くなよ!
ヨーロッパにおいて、「ある国の王様がある国では公爵や伯爵」とか、 一人で複数の国の公爵や伯爵やって複数の王に仕えたり、 いくつもの国にまたがる独立公国を作ったりするのがが当たり前な状況が解消されて、 一人の貴族が一人の君主にだけ仕えるか、 一つの国の中だけで独立した公国を作るようになったのはいつ頃からでしょう?
絶対王政の時代からだぬ だから近世から 中世とは別に近世という区分を作ろうとなった際、 コレが中世と近世の違いだよと定義された要素の一つ
>>772 そういう中世的な状況は、どうやって解消されていったのでしょう?
一人の貴族が異なる国にまたがって持ってる領土の処分とか、
複雑な封臣関係の整理とか。
室町時代の守護大名とかも様々な場所に飛地抱えていたが 日本で何故あんな形態ができたんだ? 中国や朝鮮では見られんのに
またその人に「では『赤穂四十七士』という文字をよんでごらんなさい」と言い、 その人がそれを正しく発音することができないで「あこうしじゅうひちし」と言うときは、 その人を捕えて、矢切の渡しで殺した。 その時、江戸っ子の倒れたものは四万二千人であった。(ふうてん記 第12章)
>>774 貴族が日本各地に飛び地の荘園を抱えていた名残り。
鎌倉幕府がその離れた土地の地頭職を一人の人間に兼任させたり、
離れた国の守護職を一人の人間に兼任させたりしてた。
室町幕府の守護大名がやたらと飛び地抱えてるのも、
鎌倉幕府のそういう体制の影響。
地頭職の飛び地は分家して土着することによって解消されたけどね。
カール大帝なんか一生、自分のあちこちの領地をぐるぐる回り歩きながらすごしたらしいからな
まともな徴税機構がないから 王様が直接家臣団ぞろぞろ引き連れて行って 現地で徴税&消費してたのだ
それじゃ王というより不動産屋だよ
いや、イナゴだよ。
781 :
世界@名無史さん :2010/06/28(月) 23:31:37 0
中国人民解放軍って中国の軍隊みたいだけど、日本の自衛隊みたいなもの?
あれは共産党が私有する軍隊
党は無謬だから軍隊を保有していても実害無いんだけどね。 日本のように間違いも犯せば、公約も守らない首相が最高司令官を やっているよりよっぽどマシ。
次
>>781 外国との関係という点では自衛隊相当と考えても問題ない。
中国国内においては共産党中央軍事委員会には党主席以外の政治局委員はいないので党の軍と言うより党主席の軍。
昔の日本では、障害者、例えば盲人には按摩や琵琶法師、三味線など食っていく仕事はあったそうですが、 他の国でも障害者に対して仕事はあったのでしょうか。
何故、東亜細亜は、欧州に比べて文明化に遅れを取ったんですか? 平均IQは欧州人よりも東亜細亜人の方が高いのに。
IQ論は不毛だな
>>786 乞食、大道芸人、楽器演奏&詩吟、寺男。按摩や針灸はないからそんなもんだろう。
いろいろ差別はあったが、教会や修道院に身を寄せれば貧民程度の食事は出る。
昔は文盲がほとんどだから、盲目でも口承で学べば聖句や詩文や法律をそらんじることはできた。
インドやイスラムの聖者には「聖なる痴愚」みたいなのもけっこういる。
近世になると、領主や国王が初期の福祉施設を建設したりもするが、
身内に障害者が生まれたからその救済というか罪滅ぼしみたいなケースが多い。
聴覚障害だと意思伝達が結構大変そうだな。
791 :
世界@名無史さん :2010/06/29(火) 10:24:36 0
>>781 人民解放軍は、中国共産党の軍。実態は清末に勃興した軍閥の系統で、その勢力範囲は軍管区として今も健在。
軍管区の境界を越えて行動することは「シマを荒らした!」と内戦の原因となりかねないので事実上できない。
国の軍隊は四川大地震で名前が知られた武装警察。
こっちは全国を対象とした治安維持行動が任務だが、人民解放軍との関係は当然険悪。
792 :
世界@名無史さん :2010/06/29(火) 10:31:30 0
サンマリノは4世紀に建国と聞きますがその中でなんでイタリアに併合されることなく千数百年以上も独立を保ててのですか?
あそこは地形が厳しくて攻め辛い上に イタリア統一の英雄、ガリバルディを匿った事があるため統一時に独立を許された経緯がある
>>791 滇系、川系、桂系など地方軍閥が人民解放軍に旗幟変更しとるけど
沿海部は清末軍閥の直系の軍隊ではないよ
准海・徐蚌で、国民党系軍閥がワッーと戦闘中に
共産党側に投降したり寝返っているので沿海部はドミノ倒しだ
桂系が、准海・徐蚌の後に旗幟変更して大勢決定
795 :
世界@名無史さん :2010/06/29(火) 11:04:37 0
社民党の人とか自衛隊・アメリカ軍いらないと言うけど世界史的にそんなことありえるの? アッシリアやササン朝ペルシャやモンゴルや列強諸国やドイツやソ連や北朝鮮など問答無用で襲ってきた実績があると思うのですが・・ どんな事例をモデルにしているのでしょうか? 例えば1世紀前後のローマとパルティアの間の諸国のようにその時々の強いほうに従えばいいんじゃね!?みたいな感じなんですかね? あるいは、北斗の拳にでてくる無抵抗の村みたいな感じを理想としているのでしょうか? よろしくお願いします。
>>795 コスタリカは軍隊もってないよ
北斗の拳みたいな国ばかりの中米でかなり昔から軍制を廃止して
唯一といっていいくらい政情が安定してる
あとアイスランドも軍隊ないね
以前米軍基地を追い出してニュースになってた
他にも色々あると思うけど、他のはもう国家というより地方自治体クラスだろう
797 :
世界@名無史さん :2010/06/29(火) 11:37:20 0
社民党は、日本が滅べばいいと思っているのですよ
>>795 自衛隊は不要だが、党の私兵は必要でしょう。
799 :
世界@名無史さん :2010/06/29(火) 12:21:36 0
なるほど、私が考えているよりも人類は大人なんですね、成功した実績をお聞きできて多少は安心しました。
>>593 他のアンドラ公国とかモナコみたいな点のような国がヨーロッパで生き残ってるのも地形が関係してるのかな。
803 :
世界@名無史さん :2010/06/29(火) 13:04:25 0
日本のような「大きい」国が、こんな物騒な位置にあるかぎり、 非武装中立なんてできるわけがない。 平安時代にも江戸時代にも武装した連中は山ほどいた。
>>795 >あるいは、北斗の拳にでてくる無抵抗の村みたいな感じを理想としているのでしょうか?
その無抵抗村自体が、拳王の前には無力で意味なかったし
仮に拳王が来なくても、あの食糧の乏しい世界で、要求されるままに無抵抗で人に食糧を渡していたら、
自分たちは飢えて死ぬしかないだろう
彼らはひょっとすると、ガンジーの非暴力主義を何か誤解して、誤った理解のまま取り入れてしまったの
かもしれない
だが言うまでもなく、ガンジーの非暴力は、不服従とワンセット
暴力は使わないが、それ以外のあらゆる手段で不当な支配に抵抗する、だからこそ意味がある
これに対し、暴力に抵抗すらしない無抵抗村は、長く存続することはありえない
もし日本を無抵抗村のようにするのが理想だとしたら、それこそ日本は確実に滅ぶ
アイスランドとは外国との関係や位置が全く異なるから比較はできないと思われ。
ローマとパルティア間の諸国だって、武装してないわけがない 両大国に緊張があれば軍事支援を求められるし、 砂漠にはヒャッハーな盗賊だっているし、治安を維持するのにも必要 まあ大国の軍事的保護があれば軽減はできるけど、 直轄統治でもされないかぎりべったりというわけにもいかん
>>797 党首、日本人じゃないという話もあるらしいしね
808 :
世界@名無史さん :2010/06/29(火) 14:40:25 0
となると・・日本非武装の最後の手段は・・ 「無抵抗の村」を現実的にして国連に税金を払うかなんかして、危機の時には 「私達(日本国民)は皆さん(常任理事国の面々)の羊です、外敵から助けてください」 こんな感じですかね?これなら国際貢献しながら非武装できる気が・・ 非武装論の方は考えが深い可能性より浅い可能性が強い気がしますね。(根拠的に)
国連がそういうのに役立ったためしがあったか? 血も流さずにカネだけ出すなんて、世界から軽蔑されるか一笑に付されて終わりだろ
金で済むなら金でいいだろ 今はその金すら無くなったから人間を派遣するようになった訳で
811 :
世界@名無史さん :2010/06/29(火) 15:05:51 0
金が尽きた最後の最後の手段(笑)として 国土を国連に差し出すことによって(教皇領のラヴェンナ(バチカン的な)ことをイメージして) 安全を・・・
「目には目を、歯には歯を」と言われていたことは、あなたがたの聞いているところである。 しかし、わたしはあなたがたに言う。悪人に手向かうな。 もし、誰かがあなたの右の頬を打つなら、ほかの頬をも向けてやりなさい。 もし、誰かがあなたをしいて1マイル行かせようとするなら、その人と共に2マイル行きなさい。 求めようとする者には与え、借りようとする者を断るな。(マタイによる福音書 第5章) …とイエスは言っているが、これは一種の逆説的皮肉だ。 面と向かった相手に「右の頬を打たれる」のは、相手が左利きでなければ 圧倒的に強い奴が「右手の甲でぺちぺち頬を打って侮辱している」ということ。 そいつに「ほら、ちゃんと右手で右の頬も殴れや」と差し出してやれば、 殴った相手が傷害罪に問われたりするかもしれないから、せめてもの非暴力的抵抗になる。 また、ローマ兵がユダヤ人に荷物を背負わせて1マイル歩かせることは一応認められていたが、 わざと2マイル歩いてやれば、歩かせた奴が軍法違反で処罰されるかもしれない。 あと、こうした非暴力的抵抗は「圧倒的に強い征服者に対する被占領民の抵抗」を説いたものでしかなく、 対等な国家同士の国際関係とは全然関係がない。
>>812 つまんねーこと書くなーお前は
よく人からも言われるだろ
814 :
世界@名無史さん :2010/06/29(火) 15:12:31 0
次
815 :
世界@名無史さん :2010/06/29(火) 15:13:53 0
>特定アジアの現代史に関する質問も、他のふさわしい場所でどうぞ。 >議論は各分野のスレで。
ムガル帝国以前のインドは、ヨーロッパみたいなものと考えればいいんでしょうか? 各地に王国や諸侯が乱立していて、たまに大国が出来るけど崩壊して、 基本的には群雄割拠みたいな。
>ムガル帝国以前の ここに区分を設けたい意図は?
ムガル帝国だって、ずっとインド全土を支配できてたわけではない。 17世紀には強大な帝国だったが、18世紀に入ると無理がたたって一挙に衰退した。 大領土は無数の藩王が離合集散して再びバラバラになり、さらにアフガンやイランに攻め込まれ、 とうとうムガル朝の王権はデリー周辺にしか及ばなくなった。
マウリヤ朝とか
ヒンドゥー教の教皇がいたわけでも、神聖マガダ帝国を名乗る連中がいたわけでもないのに、 どこに「ヨーロッパみたいなもの」という共通点を見出せるのか。
中央集権が確立したことがないってことじゃないの
>>817 ムガル帝国だって完璧に国土を統治できたわけではない
地方の有力者に宗主権を認めさせて表面上だけ支配していたにすぎない
インド全体を村単位まで管理できるようになったのは英領時代から
>>812 いや。
キリストは合気道の基本を説いているのだよ。
ほっぺを叩かれる。 逃げようとする。 あいてはさらに図に乗って反動をつけて顔をなぐりにくる。 ほっぺを叩かれる。 さらにたたかける前に自分がふみこむ。 ほっぺをあいてのほほにおしつける、こすりつける。 「あんた、すきよ!」という。 あいて死ぬ。 キリスト式護身術の極意です。
合気は愛気だと植芝先生も説いておられる 大本教徒だけど
差し出せと言われてほほを差し出すのではいけない! 差し出せとも言われていないのにほほを「ぶって!ぶって!ぶってぇ〜!!!」と押し付けてゆくからこそいみがあるのだ。
次
ムガルとはモンゴルなんだよな
大本というのはフラクタル理論を唱えた宗教だ。
世界史を普通以上にたしなむ皆さんに質問です。 人の意見では「昔のことなんざ知る必要がない、現代史だけ知ってりゃいいだよ」 ってマジデスか?多くの人が歴史に興味を持っていなくて心配です。
どうぞご自由に 現代史も歴史になるけどね
歴史なんか知らなくても生きてゆくのには困らん。 でもさ。 歴史を知っていると楽しいんだよなぁ〜
サッカーだってそうだ。 本田が活躍してるが、本田の歴史を知ってたらW杯見てて二倍楽しい。 中村の歴史を知ってたらもっと楽しい。 岡田が女物のパンティーをはいてたなんて逸話をしってたらもっともっとたのしい。
人に歴史あり。
例えば、孫子とか考え方が冷静すぎて興味深いですよね。 戦争のノウハウたくさん持ってても、できれば戦争しないで解決したいみたいな。 歴史勉強してると面白いですよね
現代史っていつが起点になるんだろう 終戦のころなんて生まれてないし 平成元年?冷戦終結?同時多発テロ?
みんなこの世界を三次元の世界だという。 でも我々がそう思っているだけで本当は四次元の世界なんだよな。 過去とのつながり無くここに我々が存在することなどありえない。 未来と無関係に我々が生きて死んでゆくこともありえない。
神がいるとしたらきっと 我々が一枚一枚めくってゆくことでパラパラ漫画のなかで動く絵を見てる様なかんじで、 三次元の我々が時間の流れの中でぱらぱらと動く姿を外の次元から眺めていることだろう。 だから神は過去であり未来でもある。 歴史というものを考えるだけでそんなことも考えちまう。
ポエマー乙
>>831 にマジレスすると、過去を知らない人間に未来は作れない
ま、同じ轍を踏まないようにする必要はあるしな と言っても、人間社会がどつぼにハマりこむときは大抵 人間の普遍的性質に根ざしたどーしょーもない勢いでもって落ちていくものだから 歴史を知っていようがいまいがどうしようもないんだが、が、避けられるものもあるだろう
>>843 第一次世界大戦の戦後処理の失敗は、第二次世界大戦の戦後処理に生きたな。
未だに世界は第二次世界大戦後の体制で動いている。
>>808 戦後日本はそれを国連じゃなくてアメリカにやってきた。元々はあっちが日本の再軍国化を懸念して一切の
武力を認めなかった。(押し付け憲法9条) 吉田茂はそれならそれで軍事費の負担が無くなれば経済復興が
早まると考えた。もちろん安全保障は必要だから日米安保条約が結ばれる。「日本は軍備を持たない代わり
にアメリカの基地を置かせてあげる。日本が危ない時は頼んだぜ!」
その後負担の大きさに日本を再軍備させたいアメリカとアメリカ様の平和教育で戦争大嫌いな日本国民との
間に挟まった形で、日本政府の政策がある。
自衛隊は作ったけど専守防衛だから海外には出せないよ。(代わりにお金を出すよ)
「Show the flog!」って言われたから国連の活動として出すよ。
「鞭打ちを見せろ」?
海南島ってWikipediaの海南省の歴史の記述では 古くから珠崖と呼ばれ、三国・呉の時代に珠崖郡が成立した。唐代の李徳裕、宋代の蘇軾などが流刑され、また、唐代に鑑真が漂着した。 くらいしか書かれてないんですが、唐代以降から清代まではどんな土地だったのでしょうか。
>>845 間違えた。「Show the frog!」だ。これ自体「Show the flag!」を間違えてるんだけどね。
849 :
世界@名無史さん :2010/06/30(水) 05:53:27 0
>>796 ありがとうございます! やはり日本は無防備宣言すべきでしょうね。 話せばわかると思います。自衛隊は解散すべきでしょう。
日本はアジアのコスタリカを目指すべきです!
>>823 英領時代どころか、独立してしばらくまで、中央政府の力の及ばない藩王領がいっぱいあったろ。
廃藩置県をするに紆余曲折のあった、ニザーム領ハイデラバード藩王国とかシッキム藩王国とか
カシミール藩王国とか。
結局支配が及ばずまんまと逃げおうせて独立してしまったネパール藩王国とかブータン藩王国とか。
ネパールは単独ではないと思う。 あそこは単一起源ではなく寄り合い所帯。
852 :
世界@名無史さん :2010/06/30(水) 09:22:28 0
>>849 話してもわからない奴が「話せばわかる」なんてぬかしてもw
>>849 だからコスタリカは警察が軍隊に匹敵する装備を持っているし、軍事費も高額。
無防備宣言なんてしてないし、そもそも無防備でもない。
無防備宣言もドレスデンという前例があるし、中立国が侵略されたり戦った例も沢山ある。
釣りだろ ほっとけや
非戦国家日本の自衛隊こそ意見の存在。わたしたちは原爆の被害者や沖縄で無くなった人々に自衛隊解散の報告をしたいものです。 安らかに眠って欲しいですよね。
しっしっ
まぁ非武装な国がいままでなかったわけではないが そういう国は軒並み再軍備してるか滅んでるからなぁ 平安時代の日本なんか常備軍が無かったけどそのせいで乱に対する即応性がなくなって 武士の出現、朝廷政治の崩壊により後に700年続く軍備重視の武士の時代になるし モルディブなんかも軍隊が無かったけど外国の傭兵雇った クーデター未遂が起こって以来、今では軍隊に相当する組織がある 敵は外国ばかりではなく国内にも出現するもの その辺を無視して軍備を軽視すると反ってクーデターに対応出来なくなって 軍事政権が誕生するリスクが高まる
そもそも、おかしいよね。米軍が沖縄といないと抑止力がないと日本政府が主張しているが、 なら、自衛隊の意味なくね? どうせ竹島や北方領土も奪還できないままだしいてもいなくても一緒。 なら事業仕分けだろ 日本の国土防衛できてないし、同盟国守るというのなら、米軍だけでよくね。
自殺者が増えているニュースが流れていますが、 何か励みになる世界史スレからの心温まるエピソードを紹介してください。
860 :
世界@名無史さん :2010/06/30(水) 13:22:26 0
ああ・・生命力が湧き上がってって、オイW
なおさらである(キリッ
自殺者をとめるなというが、生きる能力のないものが淘汰されているだけ。 生き残った真の日本人は能力がすばらしいエリートなんだ。 自殺防止しているキリスト教やイスラム教より日本人が強いのはそのため。
お前が言っても説得力がないな
自殺した分だけ、移民を許可すればいい。 これでいいのだ!
やっぱり、自民党が真の日本人のデフォだな。
エリートだけじゃ国は回らんのだよ、夢いっぱいのお子様やニートは勝ち組にしか目がいかないんだろうが まーなんにせよ、どんな理屈をこねたって過大な高齢者負担が若者を押し潰してる現状は変わらん 死ぬのは年寄りではなく、若者 死ねば死ぬほど、生き残った人間にさらに負担が行く 歪なピラミッドの怖ろしさがいよいよ本領を発揮してまいりました
おっと、高齢化負担の間違い
使い捨てがいくら死んでも国の根幹には関係ない。 使い捨て用の人員は移民よめばいいし、単純な労働力は中国にいくらでもいる。
次
百済無いは、百済出身者でない倭人は人に非ずという意味で出てきたと思います。 賛同してくれますか?
シルラ そんなこと 新羅!
874 :
世界@名無史さん :2010/06/30(水) 17:27:13 0
高麗(コマ)ったことを言う奴だ
このスレもう駄目だな
876 :
世界@名無史さん :2010/06/30(水) 17:54:10 0
このスレも歌目だな
7世紀の高句麗は隋の煬帝の三度にわたる遠征と、 唐の太宗による二度の遠征、高宗による三度の遠征を退け続けましたが、 なんで朝鮮半島の小国が中華の統一王朝とこんないい勝負できたのでしょう? 他の時代の朝鮮半島の王朝は戦争ではパッとしないのに、 7世紀の高句麗はどうしてこんなに強かったのでしょうか?
ひとつは突厥と同盟していたこと もうひとつは補給線が伸びきったところで叩く戦略 これらは乙支の智謀ひとつによると言われるな
唐って、いろんな地方政権が普通の外交ではなく 武装集団を率いて都付近にやってきては、 「朝貢してやるから、お小遣いと公主様を頂戴」と恐喝される立場だったんだぞ。 それなのに長安に行かずに、国境で小競り合いをする程度の 高句麗は欲がないというか何というか。
小競り合いじゃねーだろ 東アジア最大規模で戦争してるよ
遣唐使も黄巣の乱までは 貢いだもの以上の御土産をくれたので 日本も損益上プラスだったらしいし
高句麗も結局は滅ぼされたけどな
でも渤海は滅ぼせなかったね 唐王朝って過大評価なんだよ、あの巨大な領域だって別に長安政府が直轄支配してるわけでなく 殆どが半独立状態の軍閥や異民族に統治されているだけ
>>883 それって安氏の乱以降だろ。それ以前は直轄支配が行き届いてた。
辺境は要所に軍を置いて監視して、異民族の自治にゆだねていたけど。
あと、唐は一度も渤海を攻めてないから、滅ぼしようが無い。
>>879 日露戦争で勝ったのにそのままペテルブルグまで行かなかった日本は無欲かい?
兵站が続かないだけだろ。後年シベリア逝った時もシベリアの広大さに何も出来なかった。 日本軍はその時の経験を太平洋やオセアニア、東南アジアの輜重にいかせないカスの軍隊。
兵站以前にそんなことする国力がない 高句麗も同様、撃退するのが精一杯 馬とパロひとつでどこにでも乗り込んでいくモンゴル人とは違う
888 :
世界@名無史さん :2010/06/30(水) 19:43:41 0
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http://hideyoshi.2ch.net/test/read.cgi/skate/1277120346 織田信長公の末裔を語った罪により晒し首
隋と高句麗の構図は確かにロシアと日本に似てる 日本に対するロシアのほうが強大ではあったが
結論からいうと日本は中国の一部になるべき。 中国軍と戦っても核兵器で終わりです。自衛隊を解散して完全平和主義を選ぶ勇気を!
日本人に言葉を授けた韓国人って偉大ですよね?
>>877 そりゃ、東胡だからだろ。
東胡ったら、鮮卑だの契丹だの女直だの、支那を支配したり皇帝を虜囚に取ったり
する戦争の強い人種だ。
東胡=DongHu=ツングース?
>>896 ちげーよ。
遼朝支配下〜金朝成立以降の女直の言語がツングース諸語に分類されるものだということは判ってるけれども、それ以外の東胡として
挙げられている集団については、判らない。
あのさー、日本人のような、長く続いて血統と帰属意識と言語と居住地域がセットになって継承されているような集団は、歴史上それほど
多くはなくて、血統、帰属意識、言語、居住地は、バラバラに継承されるものだということをまずは念頭に置け。
もう一つ、大きな集団が分かれて新たな集団が生じた、時代が古いほど集団の数は少ない、というようなことを先入観として持つな。
太古のある時代に原ツングース族とでも呼称するべきものがあって、そこから東胡が出て、東湖が分かれた一つが女直で、女直の言語は
原ツングース族かのものに祖を辿ることができる……というようなとを漠然と思っていたりするなよ。
東胡というは、胡のような生活ぶりをしていて、胡ではない、胡よりも随分と東に居住している連中、くらいの意味だ。
言語は今に残っているような大言語群とは違うものであったかもしれないし、そのうちの一つだったかもしれない。北方遊牧民族は大移動を
度々繰り返していたし、強力な集団が急伸長したり、ある小集団が他集団を吸収して急膨張したり、逆に、大集団が小集団に別れたり、
離散集合に伴って言語や帰属意識が入れ替わってしまうことが多々あった。
まして、ツングース語族とかアルタイ語族とかいうのは言語の性質だけについての分類で、集団の分類ではない。
変な先入観に囚われて漠然とした見方をしていると、見誤るぞ。
つーか、有名な乙支文徳の薩水での勝利も、隋軍の兵士に病気が蔓延したり、補給の困難などもあって 士気も下がっているところに、乙支文徳の方から降伏を申し入れてきたから、それを受けて隋軍が撤退を 開始し、薩水を渡河していたら、降伏したはずのその乙支文徳が背後から襲ったというもの そのことは『三国史記』に記されている 戦争なのだから勝つためにはどんな卑劣な戦術もアリ、騙される方が悪いといえばそうかもしれんが、 そんな方法で勝利した乙支文徳が民族の英雄扱いされているあたりから見ても、「隋、唐の高句麗遠征を 撃退した」という他のケースも推してしるべし
そのことは『三国史記』に記されているww 三国史記wwwww 捏造史観wwwwwwwwwwwwwwwww
>>898 卑劣って言っても漢の高祖も項羽に同じような事してるからなぁ。
ツングースはテュルク語で「豚(トングズ)を飼う連中」のこと
>>898 はて、そんなんだったか?
偽装降伏は敵情視察のためだったと記憶してるが
大体、征服しにきて降伏したら引き上げって意味わからんだろ
なんにしろ、侵略する大国と攻め込まれる小国じゃ
正正堂堂なんてほうが筋違いってもんだ、大目に見ろ
チョン校は授業中に携帯触って良いのかwww ってか白旗あげて攻撃するのは国際法違反だぞwwwww そんなのを誇りにするチョウセンミンジョクwwwwwwwwwwwww
>>904 偽降は近代以前は普通に使われてたオーソドックスな策略だよ。
その程度の知識も無くて世界史板に書き込みとか恥ずかしい。
>>792 F-1グランプリは、一ヶ国一開催が原則だが、
サンマリノの開催権でイタリアは二回開催する事ができた。
サンマリノはイタリアの国際的権利水増しの為に必要。
オナニーは人に見られたら恥ずかしいもの 一人でコッソリ隠れてするものという風潮になったのはいつからですか? そうなったキッカケはなんだったのでしょうか?
>>904 ハーグ陸戦協定どころか騎士道精神もない時代に国際法って言われてもな
まあ蛮習ではあるかもしれんが、名乗りの最中に鎌倉武士を撃ち殺したモンゴル人を卑劣と言うのと同じくらい筋が違う
それに、戦場での信義とは自信を守るためにあるんだ
投降したふりをして逆を襲えば、次の機会にはひとり残らず殺されるだろう
そういう戦争は地獄だから、最低限の紳士協定が成立していくんだが、
国家存亡のかかる生存戦争ではそんなことも言っていられないのは当然だろう
スペインやポルトガルやオランダが、 強国の地位から転落して中小国になっても、 広大な海外植民地を数世紀にわたって 維持できた理由を教えてください。 植民地を維持するには、 それ相応の軍事力と国力が必要と思うのですが。
>>903 >偽装降伏は敵情視察のためだったと記憶してるが
最初の偽装降伏はその通り、敵情視察のため
その後、改めて部下を派遣して「高句麗王が隋の皇帝に朝見します」と申し入れている
>大体、征服しにきて降伏したら引き上げって意味わからんだろ
隋は、高句麗が隋の言うことを聞かず、遼西を侵したり、突厥と勝手に同盟したりしたから懲罰として
遠征したのであって、領土の征服は副次的な目的でしかない
高句麗が今後ちゃんと隋に臣従するというのが本当だったなら、撤兵は別におかしくはない
>>912 いや、コピペじゃないですよ。
同様のコピペは見たことありますが、オランダは入ってませんでしたし、
文面も全然違ってたように記憶してます。それに答えも付いてませんでした。
>>910 は私の純粋な疑問です。
口から嘘がスラスラとでてきてまるで半島人ですね。
915 :
世界@名無史さん :2010/07/01(木) 19:52:28 0
>>907 それを一生涯かけての研究テーマとしてください。
学士院会員を目指して。
文明人が戦争を繰り返した結果、大気が汚染されて生きていけないレベルまで深刻化 ↓ 大気の汚染を浄化するために、大気を浄化する菌と蟲を精製(腐海) ↓ 腐海が大気を浄化するまでに数千年はかかるため、文明人は大気が浄化されるまで卵となり眠りにつくことを決めた ↓ 全員が眠ってしまうと眠りを覚ます者がいなくなるため、眠る前に人造人間を精製(将来のナウシカ達) ↓ 眠りから覚めた際、人造人間と争いが起こる可能性があるので、人造人間を浄化された大気では生きていけないように作る ↓ 文明人が眠りについてから数百年後、腐海は順調に世界に侵食 人造人間たちは大気を浄化する腐海が自分達にとって毒であるため、敵視する。更に世界で戦争を続ける←ここが映画 ↓ ナウシカは世界の戦争と関わる内に、自分達が人造人間であり、大気が浄化されるまでの“つなぎ”の存在だと知る ↓ 納得ができないので文明人が眠る場所を探し当て、皆殺しにする ↓ 現実を知ったナウシカは森でイケメンとセックル三昧で余生を過ごす ↓ end
>>916 まあ、常識的に考えたら、
>文明人が戦争を繰り返した結果、大気が汚染されて生きていけないレベルまで深刻化
の時点で人類の歴史は終わるな。
>大気の汚染を浄化するために、大気を浄化する菌と蟲を精製(腐海)
>↓
>腐海が大気を浄化するまでに数千年はかかるため、文明人は大気が浄化されるまで卵となり眠りにつくことを決めた
>↓
>全員が眠ってしまうと眠りを覚ます者がいなくなるため、眠る前に人造人間を精製(将来のナウシカ達)
>↓
>眠りから覚めた際、人造人間と争いが起こる可能性があるので、人造人間を浄化された大気では生きていけないように作る
ここまで考えれる奴がこれまでの歴史上に存在していれば、
歴史はだいぶマシな方向に行ってた。
>全員が眠ってしまうと眠りを覚ます者がいなくなるため、眠る前に人造人間を精製(将来のナウシカ達 これ違う 作中の人類は旧世界人のれっきとした子孫 人類は徐々に汚染が進む地球にあわせて自分自身を遺伝子改造していったんだよ 墓所の中にいた卵のほうが人造人間、というより完全に別種の人類
汚染に適応して逆に清浄な世界で生きられなくなったんだったか 卵は遺伝子操作で作った平和を愛する真っ白人間
ここは何スレですか?
妖精さんがなんでも答えを出してくれるスレだよ。
カリマンタン島がブルネイとインドネシアとマレーシアの三国に三分されているのは、 どんな歴史的経緯があってのことなんでしょうか?
カリマンタン島はブルネイ王国が全島を統一していた時代もありましたが、英国やオランダの進出により次第においやられました。 今の国境線は英国領と蘭領時代の境界が反映されています。ブルネイはシンガポール同様にマレー連邦に加盟する形の独立を 選びませんでした。 シンガポールはそのまま独立しましたが、ブルネイは1980年代になってから初めて独立を選びました。 私見ですが、インドやパキスタン、マレーシア、インドネシア、ビルマなどでは近隣の藩王国やスルタン領などの併合や権限縮小化、 あるいは植民地への武力併合、自治権限縮小化などがあったため、情勢を判断し、あえて英国内に留まったのではないでしょうか。 50-70年代までは東チモールやゴアやマレーシアとシンガポールとの軋轢、緊張、藩王国の併合、侵攻ラッシュなど自立して 生きるには難しい時代でした。 ブルネイは天然ガスが豊富なため、マレーシアとインドネシアはもちろんイリアンジャワや東チモール または国内のスルタン領の権限縮小化のようにいろいな意味で「関心」をもっていたと思われます。 まあ蛇足な話でしたね。
森の人は清浄の地で暮らしてゆけるんでしょ?
>>907 猿は隠れてオナニーしない。
オナニーが恥ずかしいものというよりセックスに関連したことが恥ずかしいものという観念が何時でてきたのかが興味あるね。
服を着るようになってからじゃないかな
>>926 ええ??
マスクはずしてなかった?
清浄の地で??
それは脳内世界、心でしか辿り着けない聖地って言ってる
ああそうか! あれはさらに未来の世界なんだったね。。
普通にナウシカスレになっとる…
なぜ紅の豚スレにならない
ナウシカには歴史があるからじゃね?
あれだって大恐慌後のイタリアが舞台だけどな
紅の豚には歴史は無い。男のロマンだけがあるのだ。ぶひ
ブタは死ね
ナウシカとモノノケ姫ってキャラかぶってね?
かぶってる。 もののけ姫以降はおれは才能の枯渇だとおもってる。
ホームズが犬でポルコ・ロッソが豚って何かの暗喩なの
この季節になると必ず地上波で放映される紅の豚を見てたんだが、カーチスって 実は謎の人物だよな。水上戦闘機の入手やドッグファイトの経験をどういう経緯で行ったのか 劇中では全く説明がない。ポルコのような軍人崩れって感じはしないし。「アラバマ州生まれの 若い野心家」以外の説明が全く無かったりする。 実はアラバマの実家はすごい裕福で、親の金で機体を購入したり教官を雇ったりしたとそんなオチか。 惚れるより慣れかー……
ここは何スレですか?
941 :
世界@名無史さん :2010/07/03(土) 14:16:17 0
75スレ目です
いいえ、本当は76スレ目です。
>>937 千と千尋は
なかなかいいと思うけどなあ…
もののけ姫は最近見たら面白かった あと動く火竜槍を見られるという点で貴重
結局ポニョを見ないままアリエッティの時期に
ビザンツが中央集権制度下の属州制からテマ制、プロノイア制へと、 徐々に中央集権制度から軍政両方の権限を有する軍閥による地方統治から 事実上の封建制度へと統治体制を退化させていった背景を教えてください。
退化といわずに変化といっておあげなさい
日本人はなぜ韓国起源を認めないの?
韓国は通過点でしかないから・・・
孔子が韓国起源という段階で信頼性が乏しい
>>948 日本人だけでなく、韓国人以外の誰も認めてないんだが
>>946 蛮族や敵国に周囲を囲まれ、絶えずどこかしら攻撃を受けている中で、従来のシステムでは
全方面の敵に対応できなかったり、必要なだけの軍を維持できなかったりしたため、それぞれ
の地方にテマという形で防衛軍を持たせてその地方に維持させるしかなくなった
その結果、相対的に地方への中央の統制力は衰えることになり、コムネノス家やドゥーカス家
のような地方軍閥貴族が台頭した
>>952 なるほど。。
律令国家だった唐が節度使をおかざる得なくなって。
安禄山みたいな軍閥割拠に至ったのとにてるねぇ。。
耳が聞こえなくて文盲な人は、昔はどうやって自分の意思を伝えていたんでしょうか。 身振り手振り?っていうか、手話みたいなのって古くからあるのかな。
こげな人間うまれても、どもならんと産婆が首をひねって裏の畑に産めるか、川にながされるのが相場だろ。 まともな子でも口減らしで和紙のせて間引きするのが当たり前。聾唖がどうなるって?かんがえてみるまでもないな。
>>954 不自由なのは耳であって、口じゃないんだろ?
なら、しゃべって意志を伝えたんじゃね?
(まあ、耳が聞こえないのが、生まれつきや乳幼児期からだと、そもそも言葉をおぼえられないけど
ある程度成長してからの後天的なものである場合は、発音を自分で確認できないために発音が
多少おかしくはなるけど、ちゃんとしゃべれるよ)
と揚げ足取りはこれぐらいにしてマジレスすると、その文化圏で通用する身振り手振りってのは
昔からあるだろ
首を横にふればノー、縦にふればイエスとか(ブルガリア人はこれが逆らしいけど)
まあ、現代の手話みたいに細かいことは伝えられないだろうけど
>>954 656 :おさかなくわえた名無しさん:2009/05/04(月) 20:08:43 ID:LPcaFqv+
助産婦が出来損ないをキュッとシメて死産扱いにするっていうのは、復活させていいと思うんだよね。
うちのひいばあちゃんが産婆やってたんだけど、産婆として最初のお産立ち合いで生まれたのが、
今で言うダウン症だったようだ。
ひいばあちゃん、当時20歳、躊躇うことなく先輩に教わった通り〆たそうだよ。
ひいばあちゃんいわく
「生かしといても、畑耕すわけじゃなし、兵隊できるわけじゃなし、読み書きソロバンするわけじゃない。
そういうのは穀潰し言うてな、養うことはなかったんよ」
庶民は大体こうやって死産扱いしたそうだ。
ただ金持ちだとたまに殺さず生かしといて、これがハイパー池沼化、村の娘を襲ったり、
お女中さんが飼い主に監禁されて池沼の性玩具にされたり、ということはあったそうだ。
実際ひいばあちゃんが立ち会ったお産で一番悲惨だったケースが池沼絡み。
戦中のケースだけど、12歳の女の子が池沼にレイプされ続けて妊娠、
堕胎も出来ずひいばあちゃんが呼ばれて立ち会うも、
女の子は出血と痛みに耐え切れず死ぬわ、何とか取り出した赤ん坊は、一目見て異常な奇形だったので、
その場で処分したそうだ。
この12歳の可哀相な女の子を両親公認でレイプしてたのが、この女の子の5つ年上の実の兄。
ひいばあちゃん、割と温厚な人だったけど、こんときは人生で一番激怒して、
「17年前にワシがこんゴクツブシを〆てやる言うたんを、やめさせたんはおのれら夫婦じゃ!
なぜあのときワシの言う通りにしなかった!今からワシがあの出来損ないを処分しちゃる、それが産婆の責任じゃ!
連れて来い!」
って池沼飼い主を怒鳴り付けたらしい。
まあ結局池沼はその後土蔵に 閉じ込められて、10年くらいで死んだみたいだけど、
ひいばあちゃんは多分このケースのせいで死ぬまで知的障害者全てを忌み嫌ってた。
オレのばーちゃんもオレのかーさんも、ひいばあちゃんに「出来損ない産んだらワシに言え。
始末してやるから安心しろ」言われてたってさ。
でもオレ、ひいばあちゃんは間違ってないと思うんだよな。うちのクラスの池沼♂とかみてると、
こんなん生きてる価値ないだろって思う。
>>954 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%89%E5%B8%9D_ (%E6%9D%B1%E6%99%8B)
安帝 (東晋)
安帝(あんてい)は、東晋の第10代皇帝。
生涯 一切の意思表示ができないという重度の知能障害児であったが、396年に父・孝武帝が殺された後、皇帝として擁立された。勿論、安帝自身に政治を行なうことができるわけもなく、
最初は司馬道子による専横、そして司馬道子が殺された後は桓玄(桓温の庶子)に反乱を起こされ、403年には簒奪されて、一時的に皇帝の地位を廃されてしまうというありさまであった。
翌404年に桓玄が殺され、劉裕の助力のもとに復位したが、今度はその劉裕の専横を許すことになった。そして418年、劉裕の手によって殺害された。齢37。子はいなかったという。
>>957 お産直後にダウンかどうかなんてわかるわけないのに妄想力豊かなコピペだねえ
>>954 ですが、色々ありがとうございました。
生まれつきの聴覚障害者が大成した例ってどんなのがあるんでしょうね。
チンパンジーですら手話を教えれば人間と会話できるという。
>>960 ヘレン・ケラーを知らんのか?でも三重苦のヘレンに言葉を教えたアン・サリバンも凄いよね。
後天性だとベートベンは勇名だよね。
>>961 中国人や朝鮮人もカネ カネ キンコ とだけは覚えてから日本に来るよ。 そういう手合いはなぜかすぐ本国に帰るけどね。
>>962 ヘレンは幼少時に大病患って以来聞こえなくなったんじゃ?
生まれつきとは違うような。
古事記・日本書紀によれば、垂仁天皇の皇子ホムツワケという人物、髭がのびるぐらいの年齢まで 言葉を発しなかった、ということになってます 後になって発言しているところからみて、ほんとうに口が不自由だったわけではなく、自閉症などの 精神疾患、あるいは、宮廷闘争上の理由で保身のためにそう装っていたニセの身障者など、解釈は いろいろできるでしょうが 彼が言葉を発するきっかけとなった白鳥を、天皇はわざわざ捕まえさせました その捕まえた人々が鳥取部という人々の祖だといいます(鳥取県の地名はこの鳥取部に由来する、 と書くと民明書房みたいでうさんくさいですが……) まあ、神話上の架空の人物と言えばそれまでですが、仏教が普及する以前の古代日本では、口が 不自由な人間はさほど差別はされず、むしろ大事にされていたようです(もちろん、ホムツワケは皇子 だからという事情はあるでしょうが) なぜ仏教普及の前と後で違うのかというと、「輪廻転生」と「因果応報」という概念が入ってきた結果、 「今生で身体が不自由なのは、前世で悪いことをした報いなのだ」ということになってしまい、人々を 救うはずの宗教が逆に差別を生むという、皮肉な現象が起こったからです
聾唖をどうするかは、古事記でイザナギとイザナミが最初の子ヒルコを産みに流した件でどんな風にされたかわかりきっている話じゃん。 きれいごと言うなよ。
関東大震災で朝鮮人が流言飛語で虐殺されたが、地方出身者や意思表示ができない聾唖者たちも 朝鮮人認定されて自衛団に虐殺された件は意外と知られていないよね。
次スレたのむ
ヒルコは海に流されたが、のちに神様になって日本に帰国している
この世にうらみ残して死んだものは祭らないと叩かれるからな。 菅原道真、早良親王、安徳天皇など等 祭られて怨霊から御霊にされるものだ。 大体、神様って誤解あるけど、昔は恐れられる「モノ」だった。 だから祭って御霊になってもらうわけだ。
この世にうらみ残して死んだものは祭らないと叩かれるからな。⇒この世にうらみ残して死んだものは、祀らないと祟られるからな。
座敷わらし伝説、人柱伝説、山の神様、水の神様への贄 私見だが やはりこういう方面に活用されたのではないだろうか。
次スレ立てないと祟るぞ
両面宿禰も朝廷に退治された。今で言うシャム双生児だが、日王の軍勢が殺す寓意はヒルコ伝説同様に同時代の庶民が不具者を 如何に遇してきたかの反映であり寓意。
ちなみに↓は知的障碍者はどうされたかの暗示であり、当時の世相の反映ではないかとも考えている。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%84%E3%82%AF%E3%83%A8%E3%83%9F 『書紀』第五段第十一の一書では、天照大神と月夜見尊がともに天を治めるよう命じられたが、のちに天上で天照から保食神(ウケモチ)と対面するよう命令を受けた
月夜見尊が降って保食神のもとに赴く。そこで保食神は饗応として口から飯を出したので、月夜見尊は「けがらわしい」と怒り、保食神を剣で撃ち殺してしまったという神話がある。
保食神の死体からは牛馬や蚕、稲などが生れ、これが穀物の起源となった。天照大神は月夜見の凶行を知って「汝悪しき神なり」と怒り、それ以来、日と月とは一日
一夜隔て離れて住むようになったという。これは「日月分離」の神話、ひいては昼と夜の起源である。
自分流に解釈すると、かつては知的障碍者を豊穣の季節、たとえば神無月などに出雲にいったまま帰らない神を呼び戻すために悪しきもの(障碍者を見立てて)を贄として捧げ、
「秋の祭り」としたのではないだろうか?と以前から考えている。
キリスト教圏でも土着の習俗を起源として犠牲祭やっているがやはり豊穣を祈願して祀り、人身御供したとみる向きもあるそうだ。 神への供物として社会的弱者が捧げられ、
流血を機械にハレの日 非日常のカーニバルとして交わり、祭りとしたと考えられなくは無いだろうか。 収穫の季節は「刈り取られ、また神への供物を捧げ、新たな種を撒く
季節でもある。 そう犠牲者が豊穣を祈願して捧げられ、同時に戦前までの祭りのように乱交し、神からの授かりモノとして種をうけいれたのであろうと私は考えるー。
>>976 怨霊信仰なんて常識だろ。無論私は怨霊が実在するとは考えていないが、当時の人々の知的レベルではそれが現実であり、怨霊を鎮め、奉ることによって
御霊になってもらう訳だ。
魏志倭人伝にも裳なる人身御供専門の海を沈める民を倭人が村の箸に住まわせ、海に出る際にかの者を海のあれ具合に応じて殺した話が伝えられている。
ついでながら、豊穣際では但馬から丹波にかけて明治期まで馬を池に連れ出して斬首し、翌年の豊穣を祈願した話が伝わっているが、
馬が一般的でなかった時代は果たして何が生贄にされていただろうか。 不謹慎ながらある想像をしてしまうのだが・・・。
>>978 細かいところだけど、<知的レベル>という言葉が気になる。<精神世界>とか普通言わないか?
古代人を必要以上に野蛮で恐ろしく見すぎている気がする。
>>977 どっから『知的障碍者』が出てくるんだ?『悪しきもの』って何だ?仮に贄として捧げるんならそれは
聖別された神聖なるものだぞ。『悪しきもの』では受け取り拒否されるわ。
『秋の祭り』は基本的に収穫に感謝する収穫祭だろ。『帰らない神を呼び戻す』って何処から
ひねり出したんだ?
一応書いておくと旧暦は五月が五月雨で梅雨、六月が水無月で夏、神無月は晩秋と考えるべき。
豊穣の季節では無い。そして新たな収穫を祈るのはむしろ春祭りだ。
>>978 >何が生贄にされていただろうか。
鹿か猪だな。
たぶん現代人の方がよっぽど残酷、残酷、残酷物語!
そもそも残酷に思うことの基準が時代によって違うから何とも言えんな 斬首刑も昔は普通の刑だったが、今じゃ残酷としてまず行なわれないし
>>982 俺の基準では、「頂きます」といわずに動物性たんぱく質を、それも大量に摂取することかな
高度経済成長期の養鶏場では生きたオスのヒヨコを、バケツにいれて踏みつぶしていた。 今ではスマートにガスで窒息死させているけどね。
今はダウン症は遺伝子診断を妊娠初期にできるからね。 中絶するのか、産み育てるのかは親の意思にかかってる。 これは難しい話だね。。 でもダウン症でもごく軽度の障害ですむ人もいるしなぁ。。 知的障害とかいいだせばねぇ。。 実際この世の中には病名こそつかないがまともに小学校レベルの学習すらできずにレイプや犯罪をおこしながらガキだけはやたらこさえてゆく「一般大衆」というのがおりますんで。 まぁ、むつかしいわなぁ
>>984 丸ごと唐揚げにしたらうまいとおもうんだけどなぁ。。
唐が領土の拡大に伴い、節度使などの常備軍にシフトしていき、 やがて常備軍が軍閥化してコントロールできなくなったのに、 唐より領土が広い上に征服王朝である清が、 太平天国以前までは多民族からなる常備軍が軍閥化せず、 一応中央がコントロールできていたのは、どういう理由でしょうかね?
唐の玄宗 「ああ、もう政治あきた。朕は楊貴妃と楽しんでるから、あとはよきにはからえ」
安禄山 「んじゃ、地方はあっしら節度使に任せてもらいますよ。へっへっへ、力蓄えてやれ」
清の雍正帝「地方の責任者はちゃんと報告書提出しやがれ! 朕が毎日何時間でもチェックしてやんよ!
あ、今後アホや怠け者の皇帝が出ないように、この王朝では、後継者は『太子密建の法』で
決めっかんな! 怠け者の皇子は、皇帝になれないぞ。朕のように勤勉になりやがれ」
……いや、これは
>>988 の指摘してることの主因じゃなくて、せいぜい一因程度なんだろうけど、俺的には
なんかそんなイメージ
唐の建国から清の建国まで1000年以上が経過している。 その間の歴史を研究した結果、ちょっとは統治の方式が上手になったということでは。 宋だって唐末五代に藩鎮が暴れまくってたのを反省して、地方長官から軍権を取り上げているし、 明でも農民反乱やそれを基盤とする軍閥はあったが、地方常備軍の軍閥化はなかった。
たしか、だれかが清の皇帝ってのはよそから呼ばれてきて婿養子で跡を継いだ二代目社長みたいなもんだと言ってたなぁ 自分の価値を証明すべく優等生になって必死で社長するんだと。 でも漢民族自身の王朝はいけない。 なんせもともとが自分の家、自分のおやじが作った会社なんだから、もんくあっか?って良く有る創業者一族の二代目みたいになる。 いばりちらす、女かこう、ゴルフ三昧。。 そりゃ、副社長グループ、専務グループ。おかしなことになる。 唐とかこういうかんじなんでしょ。
宋・明はともかく唐は漢民族か?
唐は鮮卑拓跋部だよ。 五胡族の一派。
とはいっても、数百年華北に住んでるね
任期をきめて地方軍の指揮官を交代させてれば軍閥化はふせげるよ。 でも非常時はそうはいかないもんな。 有能な指揮官に軍団を把握させて内乱や外憂が収まるまで対処させざる得なくなる。。 どうしても軍閥化しちゃう。 唐末、清末にかぎらず王朝末期はそうでしょう。 折をみて皇帝がその有能な指揮官を左遷させれたり、冤罪で処罰、処刑できればまぁいい。 「狡兎尽きて走狗煮られる!」とかうらみごとをいわれるけども。 はやすぎると敵国や反乱軍にまけちまう。 遅すぎると失敗して皇帝がころされちまう。。革命ですよ。
乙
>>994 倭の百済王家分家も、千年前は平安京で古代朝鮮語を話していたし、そろそろ唐が征服王朝だったように、
倭も縄文人の王朝だった出雲、吉備、長野、機内、坂東などを滅ぼし、残存勢力である阿弖流為や尚氏政権の
併合、北海道干拓で百済王家による征服が完了し、倭人が近代化できるようになった。倭人は韓国に感謝の気持ち
をもつようにならないとね・・・。
百済も五胡族征服王朝だったりしてな(w
1000 :
世界@名無史さん :2010/07/05(月) 00:15:30 0
_,,r〜、 ,,,,,,r´⌒,,、 ,,,,,,,,r⌒ ⌒ヽ, ,,、ノ⌒ _,,,,、,,,,___,,,,r' ̄⌒'-,,,,,_ /,,/゙゛ `゙゙゙'''ヽ ゙ヘ , ",/ ) ,__ ´"ー--、ー、 l゙ ,i´ ヽ、 l ,リ ,广) ケ `;;;;;ヽ l゙ l゙ ,,,,,,__, `./'''i" ゙‐'~ `~リ l゙ | __,゙,l´ ┴_、 ,,r' | .| _,,,,゙l,,,,,/i、  ̄`r _,,,,,,,r-" ゙l ゙l、  ̄ _,‐ ゙l `、Z´ / 「" 1000 ゚i、゙l, ‐" / ,,,rl、 ゙'-,ヽ、 `''r,,ー-、,,,,,,,,_,,,/ `゙レィ'ーt、 ` 、_t_ `゙"''''''''"゛ ヽ`!,,_ _,〕 r‐'" ̄ )' ノ
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