正史「三国志」には、烏丸・鮮卑・東夷伝はあるけど、
重要ではあったはずの匈奴や西戎の伝がないのはなぜでしょう。
注や後漢書や晋書にはあるのに。
蜀は、西戎そのものズバリだろ?
魏には、匈奴が河北省西部あたりで深く食いくいこんどるし。
>>282 西晋は、魏の時代に移住させた匈奴の石勒などにより
洛陽を追放されて江蘇省の建業(いまの南京付近)へ移った。
その後、北から鮮卑が押し寄せてくるわ、西は氐や羌が定住化して
居座っているわで、晋の政府はどんどん東南に逃げるしかなかったと考えられる。
その立場からの目線だから、晋は匈奴だ西戎だと区別して書けるのだろう。
唐の時代は異民族のおかげで、漢語の音も語順もばらばらになったから
漢文の丸暗記(八股文とか)が科挙の科目になったといわれている。
>>282 匈奴は三国時代には内地に移住して漢化しているから、
まったくの風俗を異にする異国の異民族というわけじゃないから、
伝を立てる必要がない。
西戎は涼州や雍州に漢民族と混じって居住してて、
風俗も文化もだいぶ漢化してて、
小規模なグループごとにまとまって住んでるだけで独自の国を持っていなかったから、
伝を立てる必要がない。
>>284 西晋を滅ぼして華北に割拠した鮮卑だの匈奴だの氐や羌だのは、
だいたい漢地に住みついて漢化していた連中で、
純粋な意味での異民族の侵入とは言えないような気がする。
単に漢人政権が転覆され、在留異民族がそのまま居住地域に割拠して、
ドンパチやってただけのような気が。
ツングースが豚を持ち込み、西戎が羊を持ち込んで
バイオテロを起こしたのかと思っていたよ。
西戎は、蜀漢や馬超、張魯の勢力なんかがそれかもしれん。
南蛮は、孫呉や交州の士氏にあたるだろう。どれも一応は漢人だが。
三国志に東夷伝があって、魏と通好のあった西域諸国(大月氏など)の伝がないのは、
晋王室の祖である司馬懿が東夷(遼東)を平定したのに対して、
彼のライバルであった曹爽らに西域諸国を朝貢させた功績があり、
これを黙殺して晋を称揚したのだ、と岡田英弘センセは唱えている。
後漢書は東晋の次の劉宋で編纂されたし、晋書などは唐の太宗が作らせたもんだが、
陳寿はもともと蜀の人で、晋が成立し呉を滅ぼした直後に三国志を書いた。
なので、当時は三国時代の関係者やその一族が多数生き残っており、いろいろ配慮して書かねばならんかったわけ。