【政略的】ノモンハン事件の評価【惨敗?】

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1世界@名無史さん
日本の大惨敗から引き分け・戦術的勝利まで色々とありますが
どうなんでしょう。
2世界@名無史さん:2010/03/25(木) 23:30:49 0
まあ日本の惨敗なのは否定しようがないだろうな。
3世界@名無史さん:2010/03/25(木) 23:35:43 0
損害だけなら日本の優勢勝ちというがそんなことにたいした意味はないだろうし。
4世界@名無史さん:2010/03/25(木) 23:50:13 0
和平交渉の直前に、南部で日本軍がモンゴル側に進出したから、引き分けだってしがあるけど
どの程度食い込んだんだろうな。地図なんてあるの?
5世界@名無史さん:2010/03/26(金) 09:48:15 0
>>4

>和平交渉の直前に、南部で日本軍がモンゴル側に進出したから、引き分けだってしがあるけど

8月最後の 日本の攻勢に関してなのかな?
一応空爆を仕掛けたりして日本側もやる気をみせたけど
すでに三倍以上の兵力に包囲されて地上部隊もほぼ壊滅状態だったわけで
攻勢に転じたところで何の意味もなかった。止めをさされに出て行ったようなもの。
事実この攻勢で日本の歩兵部隊は大打撃を受けて継戦能力をほとんど失った。
ノモンハンに関しては日本の惨敗以外の結論を導くのは難しい。戦術的優勢も一時的なものだったし。
6世界@名無史さん:2010/03/26(金) 10:58:40 0
辻が全て悪い
7世界@名無史さん:2010/03/26(金) 11:40:39 0
>>4
wikipedeiaにもそう書いてあったんで調べてみたんだが、こんなのを見つけた。

ttp://yamanekobunko.blog52.fc2.com/blog-entry-138.html
ttp://blog-imgs-34-origin.fc2.com/y/a/m/yamanekobunko/nomonhan_map1.png
ttp://blog-imgs-34-origin.fc2.com/y/a/m/yamanekobunko/nomonhan_map2.png
ttp://blog-imgs-34-origin.fc2.com/y/a/m/yamanekobunko/nomonhan_map3.png

どう見ても引き分けには程遠いな。
ソ蒙が譲ったところは、北は砂漠で南は山地など、両国にはあまり魅力の無い土地だし。
特に北はグーグルアースで見ると、モンゴル側の緑地が国境できれいに終わってる。
8世界@名無史さん:2010/03/26(金) 23:04:48 0
>>6
辻権作タンは悪くないよ。
9世界@名無史さん:2010/03/27(土) 00:48:13 0
10世界@名無史さん:2010/03/27(土) 10:03:08 0
動員した兵力や損害を考えるとソ連側の完勝ともいえないけどな。
ジューコフは回想でドイツ軍との戦いよりノモンハンの戦いのほうが困難だったと語ってる。
戦後、旧日本軍憎しでソ連側の発表を鵜呑みにして
日本側の過ちばかりを叩いてきたところはあると思う。
11世界@名無史さん:2010/03/27(土) 10:18:02 0
結局ソ連側の目的はなんだったの?
国境線の拡張?
それならソ連側の完勝ということにならないか?
12世界@名無史さん:2010/03/27(土) 11:20:58 0
ソ連の目的は日本軍が戦争をしかけるコトができなくさせること。
実際、独ソ戦が始まっても日本は満州から攻め込めなかったのだから、このノモンハン事件はソ連の成功だろう。
また、独立があやふやであったモンゴル共和国の独立が確固たるものとなったな。

もう一つ、ソ連は田中上奏文の存在を信じていて、「日本の世界征服への陰謀」をくじくという意図があった。
まあ、これに関しては日本だって「シオン賢者の議定書」(プロトコル)の存在を信じて、ソ連がその議定書通りに
作られた国であるという陰謀論にどっぷりはまった人がいたから、どっちもどっち。
13世界@名無史さん:2010/03/27(土) 11:25:39 O
「試合に勝って勝負に負けた」ってヤツか

…贔屓目に見すぎか
14世界@名無史さん:2010/03/28(日) 23:10:55 0
試合にも完敗だろ。
日本側は最後は参謀も逃げ出すほどの惨状だったってのに。
15世界@名無史さん:2010/03/28(日) 23:24:23 0
岩波新書の「ノモンハン戦争」(田中克彦)によると、辻正信が自著「ノモンハン」の後半部分を和平交渉
の記述にあてているのは(復刻版ではこの部分はカットされている。面白くないんだろうな)辻の「戦争は
負けたと思う者が負け」という考えに基づくということだった。

wikiにもあるように、辻は和平工作を妨害してまでも、ノモンハンの戦闘を続けようとしてたわけだな。
まさに、彼の持論の実践。
16世界@名無史さん:2010/03/28(日) 23:41:41 0
中央の作戦中止の命令を無視して紛争を拡大したのは辻のせいと言われるが
現実に大軍を動員して南下してきているソ連を前にしたらやらなきゃやられるって感じではあったろうな。
辻はとにかく戦死したり自決したりした前線の将兵が可哀想。
17世界@名無史さん:2010/03/28(日) 23:59:53 0
元をただせば、現地の状況や歴史を十分に知らないソ連が、一時的にハルハ河が国境だと
勘違いして地図を作成し、それを入手した日本側が、本来、モンゴル河の主張する国境が、
歴史的にも正当なものと解ってたのに、ソ連の間違いに乗じてハルハ河までの領有権を
主張したのが原因だろ。

清朝時代の境界線を実地調査で確認しているのに、それを無かった事にして始めた、
本来ならやらずに済んだ戦い。
結局、ソ連モンゴル河の主張にほぼ沿った結果になったんだからなあ。
にもかかわらず、実質的に事件を推進した辻はじめ参謀連中はほぼお咎めなしだもんなあ。
前線の将兵はまさに無駄死に。
18世界@名無史さん:2010/03/29(月) 00:01:44 0
>>17
ふーん。そういうこともあったのか。
19世界@名無史さん:2010/03/29(月) 21:45:42 0
戦術的な面では日本軍の将兵は十分善戦したといえるのかもしれないが。
ソ連側の講和のプランに飛びついて紛争地域から撤退してるのだから負けとしかいいようがない。
前線と後方の意思がまったく統一できておらず現場の参謀が中央の命令を無視して中央も援軍をよこさないとか
そんな中でも善戦した将校が自決を強要されたり左遷されたり
責任者の一部はトンズラしたり日本軍の悪いところの縮図みたいな戦いだったんだな。
20世界@名無史さん:2010/03/29(月) 23:47:39 0
岩波新書の「ノモンハン戦争」(田中克彦)で面白かったのは、ロシアの研究者と田中克彦が会合を持って論議
するんだけど、ロシアの学者は田中上奏文が念頭にあるのか、なにやら日本の陰謀でノモンハンが起きたかの
ような感じでいるわけだ。(同姓なのが面白いけど)

で、田中は辻政信の存在と、彼が先導して「満ソ国境紛争処理要綱」を作成し、ノモンハン戦争の下地を作った
ことを言うと、ロシアの学者は信じない訳だ。

曰く、そんな下位の者の言うことで日本軍が動き、これほどの戦闘にまでなるのか?

まあ、気持ちは分かるな。
21記録写真:2010/03/30(火) 17:43:18 0
日本軍憲兵隊員とソ連軍捕虜(1938年)
http://www.ww2incolor.com/japan/C__pia+de+021.html
破壊されたソ連軍の戦車を調査する日本軍兵士(1938年)
http://www.ww2incolor.com/japan/008.html
ソ連軍の装甲車を輸送する日本軍のトラクター(1939)
http://www.ww2incolor.com/japan/nita.html
ソ連軍捕虜
http://www.ww2incolor.com/japan/C__pia+de+Nomonhan+_79_0.html
Soviet BA-10 と日本軍兵士
http://www.ww2incolor.com/japan/kg_sovietac.html
japanese army air force officer with a shot down soviet plane
http://www.ww2incolor.com/japan/Nomonhan+_59_1.html
鹵獲したソ連軍のガスマスクと機関銃を見せている日本軍兵士(ノモンハン1939)
http://www.ww2incolor.com/japan/Nomonhan+_77__001.html
22世界@名無史さん:2010/03/30(火) 22:57:48 0
参謀だった辻と服部は戦後に議員になってるんだもんな。
ひどい話だ・・・
23世界@名無史さん:2010/03/30(火) 23:05:16 0
関東軍は援軍を送るつもりだったらしいがあのまま停戦せずに
戦闘を継続してたらどうなっただろうか。
24世界@名無史さん:2010/03/30(火) 23:09:31 0
関連スレ

アメリカ合衆国陸軍参謀、服部卓四郎
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/history2/1218894464/
25世界@名無史さん:2010/03/30(火) 23:30:05 0
ノモンハンに援軍で出ていた満州国軍の石蘭支隊が裏切ったけど、その後どうなったのだろう?
やっぱり時を見て粛清?
26世界@名無史さん:2010/03/31(水) 00:36:16 0
>>23
23師団が精鋭でなかったという点が強調されることが多いけど、
元々最初の部隊にしても内地からの虎の子も含む部隊で増強
されていたわけだからね。
戦車しかり、野戦重砲兵しかり、航空部隊しかりで。
で、戦車や航空に関しては被害甚大で、「育成にあたるべき
中堅〜ベテラン層の不足」という形で後々に禍根を残したほど
の状況だし、重砲兵にしても壊滅した野戦重砲兵第一、第七の
両連隊より大幅に強力な増援なんて見込めるとは考えがたい。

結局のところ、極論すれば歩兵の頭数が増えただけという状況
に近かったわけで、事態が改善したとは思えないね。
27世界@名無史さん:2010/03/31(水) 21:56:19 0
根本的に日本軍には戦車や火力に対する認識が甘すぎた。
ソ連の戦車に歩兵が肉薄して戦果を挙げたりもしたけど最初のうちだけだったし。
砲戦ではワンサイドゲームで攻勢に出てもただ戦力を消耗するだけだったしな。
死傷率8割くらいだったらしいからほとんど玉砕みたいなもんだったろうな。
28世界@名無史さん:2010/03/31(水) 22:47:39 0
>関東軍は援軍を送るつもりだったらしいがあのまま停戦せずに
>戦闘を継続してたらどうなっただろうか。
ソ連はポーランド・バルト三国への侵攻をあきらめ精鋭を極東に投入してくる。
29世界@名無史さん:2010/03/31(水) 23:53:13 0
政府が独ソ不可侵条約の交渉が進展しているという情報を関東軍に通知していれば
関東軍の動きも慎重になったはず。
30世界@名無史さん:2010/04/01(木) 19:47:42 0
広野での戦闘は大変だったろうな。
31世界@名無史さん:2010/04/01(木) 21:45:18 0
宮崎繁三郎はノモンハンで唯一勝った日本の指揮官と言われてるが
それも眉唾らしいな。実際は無謀な突貫をかけて損害を増やしただけらしいし。
最近になってソ連側の損害が修正されて「戦術的には日本軍の勝利」なんていわれてるが
日本側の損害や戦果の発表もかなり怪しいわけでどう転んでも日本の勝利とは言いがたい。
32世界@名無史さん:2010/04/01(木) 22:11:02 0
日本側の5〜10倍の戦力を動員しながら大損害の末に敵軍を撃破できなかったジューコフは
その後一時左遷されてるんだがな。
33世界@名無史さん:2010/04/01(木) 23:04:23 0
プライベートライアンでも最後の見せ場では火力が不足した
現場連中が歩兵操典に基づいて靴下に爆薬入れてドイツ戦車に
特攻する場面あるが、状況が変わればやっぱどこでも同じなんだな。
立派に戦術として認めらてるわけだ。

最後は空軍の援護が出現するが、ノモンハンでも航空爆撃は効果あったんだろ。
それが不拡大方針で中止されたりで現場とチグハグになってしまってこの辺が
ジューコフの「上がダメ」評価につながったんじゃないか。
ソ連みたいに総動員体制かつ全体主義で一元的に戦争遂行できるとなると、
確かに効率性は日本みたいな民主国家より一時的に高まるだろうな。
34世界@名無史さん:2010/04/01(木) 23:48:04 0
>>32
極東の軍管区司令官から最重要軍管区司令官へ
の異動が「左遷」かよ。馬鹿馬鹿しい。
35世界@名無史さん:2010/04/01(木) 23:48:57 0
>>32
後、5〜10倍の戦力ってのも大嘘だな。
渡辺昇一あたりの与太話を鵜呑みにしないで、少しは調べろよ。
36世界@名無史さん:2010/04/01(木) 23:57:18 0
唯一の成果というか
スターリンとジューコフに
「日本人(日本軍ではない)侮りがたし」の評価を与えたこと
くらいだな。
37世界@名無史さん:2010/04/02(金) 00:28:34 0
まあ、あれだけ独ソ戦でやられていながら、極東に兵力を温存していたからな。
38世界@名無史さん:2010/04/02(金) 01:43:13 0
極東軍管区に温存していたというよりも極東は新規兵の訓練場で精鋭はやはり対独戦に投入していた。
39世界@名無史さん:2010/04/02(金) 09:54:44 0
>>36
いや、わざわざ与えなくても、日本は技術レベルでも、錬度的にも世界有数の強兵国家だと言う評価をノモンハン以前から受けているのだが。
むしろそのメッキが剥げかけたのがノモンハンだろ。
ジューコフいわく
「日本軍はよく訓練されています。若い指揮官たちは、よく訓練され、狂信的な頑強さで戦います。古参、高級将校たちは訓練が足らず、積極性がなく紋切型の行動しかできないようです。」
と、上層部の弱点を看破されてる。
40世界@名無史さん:2010/04/02(金) 15:16:28 0
>>33
戦車への肉薄攻撃はどこの国でもやってるが、あくまでも応急的対処法。
関東軍は火炎瓶を配備数において対戦車戦闘の主力兵器としたのが間違ってたということ。
41世界@名無史さん:2010/04/03(土) 10:50:16 0
戦術的にみても関東軍の大敗北。
ジューコフもソ連の主張する国境線より前進できないという
政治的制約があったから、まさか関東軍主力を包囲して殲滅
できるとは考えてなかったと思うよ。
常識的に考えりゃ関東軍は一時後退すりゃいいだけだもん。
42世界@名無史さん:2010/04/03(土) 11:19:10 0
>>33
応急的な処置であって、常用するような戦術じゃない。
日本だって速射砲が本来の戦術だし、撃破した数もそっちの方が多いはず。
後、不拡大方針で云々も勘違いだね。効果があった航空爆撃云々というのは、
越境しての航空基地への攻撃の話だろうけど、そもそもが明確に禁止されてい
たのを出先が無視してやっただけの話だ。
で、「お前らの命令を無視したけど、大戦果だ。どうだ」と軍中央に言ってのけて、
中央を激怒させている。
改めて中止を命令されたことに対して、辻あたりが吠え立てたというだけのこと
で、民主国家云々とは次元が全く違う。
単に、統帥を無視した下克上の話で、「軍としての体をなしていない、日本軍の
出先の暴走」の典型に過ぎない。
43世界@名無史さん:2010/04/06(火) 23:09:35 0
もともと過小な兵力でソ連と戦うことになったのは、単なる国力の差だけでなく
一個師団くらいなら中央を無視して関東軍が自由に動かせるから、だったんでしょ。
44世界@名無史さん:2010/04/06(火) 23:39:52 0
兵の多寡に関わらず必勝を期す!
45世界@名無史さん:2010/04/07(水) 00:03:17 0
>>17
経緯はこう言うこと。つまり

日本陸軍がハルハ河を国境と認定したのは、1727年に帝政ロシアと清国との間で締結された
キャフタ条約の境界設定基準を準用した。
ところがソ連側が自己都合で勝手に国境線を変更したため問題が生じた。

> ソ連軍は1932年から34年にかけて、兵要図を作成するとき、ハルハ河東岸に国境線を変更した。
> 日本軍がそれを知らされたのは、ノモンハン事件が起こってから敵の20万分の1の地図を
> 手に入れたときであった。
> それまでハルハ河東岸に国境が変わっているなど考えても見なかった。
> 
> 「ノモンハンの夏」P66  半藤一利 文春文庫
46世界@名無史さん:2010/04/07(水) 00:08:20 0
>>39
そう言うのは最近の研究で間違いと判ってきてる。ジューコフ将軍の
責任逃れのためのシロモノ。
ソ連側の数々の失策を無かったことにと。
47世界@名無史さん:2010/04/07(水) 00:10:59 0
>>42
関東軍の反応は簡単に言うと、領土を侵害されたので反撃し撃退しようとした、だけと。

そして大兵力を送ってもよかったのだが、一個師団も有れば充分すぎると判断した。
48世界@名無史さん:2010/04/07(水) 00:24:50 0
>>46
ジューコフの失策とは何のことかな?
そもそも人員の損害は、ジューコフが来る前の最初の日本側攻勢
のときに多く出ているんだが。
後、対独戦のときもそうだが、ジューコフが自軍兵士の損害防止を
重視する将軍だという評価を得たことは、一度も無い。あの連中の
発想は、とにかく勝てばよいというだけ。死傷者数がソ連側の方が
多いから勝ちなんていうたわ言とは無縁だよ。
しかも、「死傷者数」はともかく、戦死者数は日本の方が多いという
ことからも目を背けているし。これは、硫黄島の件でも同じだが。

後、>45〜47は同一人物かな?
なんか、中村某だの渡辺某あたりのたわ言のコピペをしているように
しか思えないんだけどね。
49世界@名無史さん:2010/04/07(水) 00:37:47 0
>>47
それは、モンゴル側についても同じことが言える話だ。国境紛争とはそもそもそういうものだよ。
関東軍の暴走は、例えば禁止されていた越境爆撃をしたうえ、叱責されたことに反発してます
ます暴走したようなことに如実に現れている。
それに、一個師団で十分云々というのも不正確だ。
主体こそ二十三師団だが、精鋭七師団からも増強兵力を得ているし、関東軍所属だけでなく
本土からも虎の子の野戦重砲兵二個連隊や戦車二個連隊、航空部隊など、大幅な増強を
された部隊だ。だからこそ、ノモンハンでの結果に軍中央があれほど衝撃を受けたわけだし。
戦車部隊や航空部隊に関しては、人的被害が大きすぎて、将来の新部隊の中核となるべき
人員が不足したため、後年にまで禍根を残したほどの状況になっている。
それに、十分すぎる云々以前に、現地に投入された部隊への補給に苦慮している状況だっ
たんで、あれ以上の兵力投入はそもそもが困難だった。

そもそも、最終的には、「あんなつまらん土地にこだわる意味は無い」として中央が講和に動
いたり、(その当時には反発して続行を主張していた)辻某も同じような論法で南進へと変わり
身をやってのけたりしたという時点で、紛争の無意味さは明白だと思うんだけどね。
50世界@名無史さん:2010/04/07(水) 10:27:59 0
>>45
>1727年に帝政ロシアと清国との間で締結されたキャフタ条約の境界設定基準を準用した
それはソ清(中)国境の話であって、モンゴルと満州の境界に適用するのがそもそもの間違い。
モンゴルと満州の境界は1732年に清朝によって決定されている。
モンゴルの独立後もその境界は踏襲されている。

>ソ連側が自己都合で勝手に国境線を変更したため問題が生じた。
自己都合じゃない。モンゴルがソ連に間違っていると抗議したから、ソ連は訂正しただけ。
そもそも国境線を主張、決定する権利は、モンゴルのもので、ソ連がどう認識していようと関係ない。
満州事変のドサクサに、境界を勝手に変更したのは日本の方。

どうも、日本は当初はシベリア出兵の際に入手したソ連の地図を鵜呑みにしていたらしい。
(モンゴルに確認しない時点で外交的にはアウトだけど。)
それで、満州建国の際にハルハ河を国境としたわけだが、いきなり、ハルハ河を国境だと言われたモンゴルは、当然日本に抗議し、境界画定交渉は1932-36年にかけて断続的に行われていたが、やがて途絶した。
その後、1937年に清朝時代の境界線を満州国が調査し、境界を示すオボの存在を確認しているのだが、
日本側はそれを無視して、自己の主張を続けている。
よって、
> 日本軍がそれを知らされたのは、ノモンハン事件が起こってから敵の20万分の1の地図を
> 手に入れたときであった。
> それまでハルハ河東岸に国境が変わっているなど考えても見なかった。
は大間違い。日本の隠蔽体質で下が本当に知らなかった可能性はあるけどね。
51世界@名無史さん:2010/04/07(水) 10:39:07 0
>>47
>領土を侵害されたので反撃し撃退しようとした
国境の主張はモンゴル側に理があるし、日本は撃退しろとは命令してない。
越境軍は急襲殲滅しろ、そのためには逆越境も可とか(撃退なら、相手が国境の向こうに引けばそれで終わりだが、この命令では追いかけて逆越境してでも皆殺しにしろと言っている)、
国境が係争になっているところでは、軍司令官の判断で国境線を認定して事に当たれとか、滅茶苦茶な命令を出している。
(辻政信参謀の起案による「満ソ国境処理要綱」)
52世界@名無史さん:2010/04/07(水) 21:12:03 0
この時点ではまだ英国に外交ルートがあったから紛争で済んだ。
しかし、紛争で済んでしまったことで陸軍が何も反省せず、
偉い人たちの責任追及もなく終わってしまったと思える。
53世界@名無史さん:2010/04/08(木) 00:35:37 0
>>49
>国境紛争とはそもそもそういうものだよ。

いやソ連側が勝手に国境線を、相手国の了承も得ずに都合よく変えたたら
問題が生じ戦争が起きるのは当たり前。
「そういうものだよ」で済む問題じゃないから。

>例えば禁止されていた越境

それとソ連軍が遠慮なく国境線を越えて攻撃してくるのに、日本側からの
越境攻撃は、現地の実状をろくに知らない東京から禁止され、非常に不利な
戦いを強いられていたのは事実。
54世界@名無史さん:2010/04/08(木) 01:19:52 0
>>50
> モンゴルと満州の境界は1732年に清朝によって決定されている。

その当時は清国の領土だったから当然だが、しかし単に自国内の行政区分に過ぎない。
他国との国境線の話しとは関係ない。

> 自己都合じゃない。> ソ連は訂正しただけ。
> 境界画定交渉は1932-36年にかけて断続的に行われていたが、やがて途絶した。

これが最大の問題。と言うかソ連側の自己都合以外の何ものでもない。そもそもモンゴルと日本が直接交渉することを
ソ連はひどく嫌った。
当時モンゴルはソ連に事実上支配され圧制を強いられていた。伝統的なラマ教を弾圧し、ソビエト化を強要
するソビエト・コミンテルンの政策。それに対し五族共和を旗印に自由で豊かな社会を築き上げつつあった満州国は
圧政に苦しんでいたモンゴルからは楽園に見えたと伝えられている。

そしてモンゴル指導者達は日本との交流を渇望していた。しかし、そんな事はコミンテルンの指示に反し
「コミンテルンの指示からの逸脱は死をもってあがなわなければならないソ連への裏切り行為であった」
さらには
「満州国との国境策定会議に臨んで平和を模索した(モンゴル)人達の”すべて”がノモンハン戦争の開始までに生存を許されず処刑された。」
田中克彦 ノモンハン戦争 

それどころか、ノモンハン戦争の最中、(モンゴル軍)司令官ロブサンドノイが逮捕され「消された」ほど。
「権利は、モンゴルのもので」ってw 笑い話にもならない。平和的に国境策定交渉する権利すらソ連はモンゴル人に与えていないのに。
55世界@名無史さん:2010/04/08(木) 01:37:02 0
>>51
> 日本は撃退しろとは命令してない。

いや他国からの侵略があったら自衛のために撃退するのが軍隊の仕事ですよ。そもそも。
あと、これも一般論だが、国境線が不明瞭なところでは現地部隊の判断で適正に処理するしかないのは
やむを得ない話し。明確とは言えないから、と言って侵略され放題で良いはず無いのだから。

そして国境線を明確にするための日本とモンゴルとの平和的交渉はソ連が徹底的に潰し、関係者した
モンゴル人をソ連は次々に処刑して行った。当時のソ連は現代の北○鮮に劣らない話しにならない圧制国家。
56世界@名無史さん:2010/04/08(木) 02:05:59 0
>>48
>ジューコフの失策とは何のことかな?

つまり失策などしない不敗の将軍様とw 冗談はともかくとして、要するに愚かな作戦指導を行い
自分の失策は無かったことにし、部下の手柄は横取りし、スターリンに取り入るのだけは巧いジューコフと言う男が居たと言う話し。

例えばジューコフは通信技術など全く知らず無視し、一々連絡のために士官を呼びつけ使っていた。無論、時間ばかりかかる
非常に不合理な方式。このジューコフと言う男は愚かな作戦指導ばかり行っていた。

シュテルン司令官などがジューコフ将軍に色々と説明し理解してもらえるように頑張っていたのだが無視され、スターリンには
ジューコフにとって都合の良い報告ばかりが送られた。シュテルン司令官は後に消される。

「われわれが日本人に勝つことができたのは、シュテルン司令官の功績によるものだ。」
「より正確に言えば、私たちが日本人に勝ったのは、兵力と武器類の面で優位に立っていたからであり、戦闘能力で勝利したのではない。」
元参謀本部士官、ノボブラネツ大佐

こうして”ノモンハン事変でソ連軍は完璧な作戦指導を行い失策など無かった”ことにされていった。日本人にも「ソ連は完璧。無謬の存在」w
というプロパを真に受けている人がいるかも。

後でノモンハンの戦訓を纏めようとしたシェフチェンコ大佐などの人物が居たがジューコフ将軍サマに譴責され戦訓など無かったことにされた。
そして何の戦訓も持たないままフィンランドとの戦いが始まり多大な犠牲を出し、加えて独ソ戦が始まるとソ連は夥しい犠牲を出す羽目になる。
57世界@名無史さん:2010/04/08(木) 22:02:31 0
むちゃくちゃだな。
まず、越境攻撃に関してだが、ソ連はモンゴル主張の国境線を越えた攻撃は
していないのに対し、日本軍ははるか奥地の基地を、禁止命令を無視して爆
撃した。だから、中央が激怒したんだよ。
現場を知らない云々と知ったようなことを書いているが、小競り合いですむはず
だった紛争を、無駄に拡大した挙句、歩兵一個師団半、野戦重砲兵三個連隊、
戦車一個連隊半が文字通りに全滅し、航空部隊も重大な打撃を受けるという
惨状になるというのは、愚の骨頂だ。
目先の小利にとらわれて中立国に侵入した挙句、もともと中立だった大国まで
敵に回すというのと、同レベルの愚行だよ。

それから、
> モンゴルの独立後もその境界は踏襲されている。
自分に不利な部分はわざと無視するんだな。
それに、ソ連の誤認でモンゴルの国境が変わるわけがなかろうが。
お前の論法だと、たとえばアメリカ占領時代にアメリカが「対馬の手前に国境
線を引いた地図」を出したら、「日本は対馬を放棄した」という、ナンセンスな
結論になるんだが。
58世界@名無史さん:2010/04/08(木) 22:22:10 0
>>56
> 例えばジューコフは通信技術など全く知らず無視し、一々連絡のために士官を呼びつけ使っていた。無論、時間ばかりかかる
> 非常に不合理な方式。このジューコフと言う男は愚かな作戦指導ばかり行っていた。
そういうレベルの「お話」ですか。馬鹿馬鹿しい。
まあ、>>56の脳内では
> こうして”ノモンハン事変でソ連軍は完璧な作戦指導を行い失策など無かった”ことにされていった。日本人にも「ソ連は完璧。無謬の存在」w
> というプロパを真に受けている人がいるかも。
なんていう人間もいることになっているようだが、クックス本のような古典にすら出ている
話をしたり顔で書かれてもね。
後、ジューコフとシュテルンの関係は確かに指摘のような面があるが、戦後にはジューコ
フと同様「ソ連邦英雄」の称号を得ているし、戦訓について報告もしている。
で、その後、冬戦争の初期に、第8軍司令官としてフィンランドで戦っているよ。
最終的には粛清されているが、それまでは順調に昇進して要職についている。
59世界@名無史さん:2010/04/08(木) 23:12:19 0
>あと、これも一般論だが、国境線が不明瞭なところでは現地部隊の判断で適正に処理するしかないのは
やむを得ない話し。

どさくさにまぎれて適当なこといってない?現地部隊の独断で許されるのは自衛のための
防戦くらいだと思う。
60世界@名無史さん:2010/04/08(木) 23:23:13 0
航空戦の戦場が地上側の戦場より広くなるのは当然ありうる
ことだが、それにも限度がある。
関東軍自体、「許可されないだろう」とわかっていたから、
秘密裏に行動しようとしたわけだし。
61世界@名無史さん:2010/04/09(金) 00:11:52 0
そんな事はない。賞賛されると思って喜んで東京に空襲を報告してるから
62世界@名無史さん:2010/04/09(金) 00:24:15 0
>>57
>現場を知らない云々と知ったようなことを書いているが、小競り合いですむはず
>だった紛争を、無駄に拡大した挙句、

とんでもない。状況を知らないにも程がある。ソ連蒙古側は例の「田中上奏文」に基づき
日本軍がソ蒙側に侵略戦争を仕掛けてきたと見なし、本格的な戦争とし戦力を集め
大規模な戦闘を開始してる。
それなのに小競り合いで済むわけがない。事実を無視した甘い発想もほどほどに。

>たとえばアメリカ占領時代にアメリカが

竹島問題ね。アメリカのいい加減な戦後処理のつけ。

> 「連合国軍最高司令官総司令部覚書」1033号SCAPIN1033「日本の漁業及び捕鯨業に認可された区域に関する覚書」によって決められた
> 日本漁船の活動可能領域(これを「マッカーサー・ライン」という)からも竹島は除外されている
> 韓国はこれらを根拠に、李承晩ラインを制定して日本漁船を排除する線を引き、ライン内部に立ち入った日本漁船に対して拿捕・銃撃を行った。
63世界@名無史さん:2010/04/09(金) 00:28:59 0
>>59
だから自衛のための防戦をしてる。ちなみに戦後日本みたいに
自国領から一歩も外に出ません、では自衛戦闘は不可能です。
反撃は米軍頼みだが、これは戦後日本の特殊状況なので、世界史として一般化してはいけません。
64世界@名無史さん:2010/04/09(金) 00:33:08 0
>>62
> それなのに小競り合いで済むわけがない。事実を無視した甘い発想もほどほどに。
実際に、最初の小競り合いが、双方が徐々に投入兵力を増やしていくということの
積み重ねでエスカレートしていったんだが。実態を無視するのはいい加減にしろ。
それから、
>>61だが、東京から事前に禁止を言い渡されたとき、誰が漏らしたかという犯人
探しが関東軍内部で行われたという事実は無視か?

後、李承晩ラインは、アメリカは承認していないぞ。
65世界@名無史さん:2010/04/09(金) 00:47:18 0
>>64
> 実際に、最初の小競り合いが、双方が徐々に投入兵力を増やしていくということの
> 積み重ねでエスカレートしていったんだが。実態を無視するのはいい加減にしろ。

小競り合い? 自国の領土を侵略されて黙ってるのは戦後日本くらいなモノ。自衛のために
侵略軍を撃退するのはごく普通の当たり前の話し。
純粋にソ連が悪いんだよ。日本とモンゴル人との平和的な国境策定交渉すら禁止するソ連が。

そして大兵力を投入してきて本格戦闘を開始したのもソ連側。日本は兵力を小出しにした
と言うが、そもそも本格戦闘をする気がなかった。
始め小規模な国境紛争と考えた日本と、始めから相当の準備をし本格的戦争を始めたソ蒙側。

> 李承晩ラインは

本スレとは関係ない話し。誰かがアメリカの話しを持ち出したからレスしたに過ぎない。
いずれにしても旧ソ連や北朝鮮のような圧制と虐殺の国々と、こちら側は全然別世界。
そもそも比較は無理。
66世界@名無史さん:2010/04/09(金) 00:58:28 0
それにしても今でも、双方が徐々に兵力を増やし、紛争がエスカレートして行った、と
思ってるのが居るとは困ったモノ。「徐々に」は日本だけに当てはまる。
ソ連は始めから可能な限り大軍をノモンハンに集め総攻撃に出るプランを立て
そして実行に移しただけ。

そうした平凡な事実を日本人が理解しないと、何回でもノモンハンの悲劇を繰り返す。
相手が悪意を持って侵略して来るという発想が無い。
67世界@名無史さん:2010/04/09(金) 01:00:17 0
悪意があったら、最初から国境線を突破して知らん顔しているはずだろ。

対して日本軍は、日本が主張していた国境線すら突破して、敵国に侵入するありさま。
68世界@名無史さん:2010/04/09(金) 01:02:06 0
>>65
大兵力の定義がわからんが、連隊規模の戦力投入は、どちらも似たような
時期だ。兵力を小出しにしていたのは、どちらも同じだよ。
で、その規模の兵力を投入するというのは、すでに小競り合いの段階を過ぎ
て本格的な戦闘状態に突入したということだ。
連隊に対して旅団、師団規模を敵が投入してきたからといって、敵が先に
云々は、言うだけ無駄だよ。

ところで、
> 日本とモンゴル人との平和的な国境策定交渉すら禁止するソ連が。
満蒙の国境なのに、なぜ「日本とモンゴルの交渉」なのか、自分で言っ
ていておかしいと思わんのか?
69世界@名無史さん:2010/04/09(金) 01:07:38 0
>>66
> 「徐々に」は日本だけに当てはまる。
> ソ連は始めから可能な限り大軍をノモンハンに集め総攻撃に出るプランを立て
> そして実行に移しただけ。
そう思い込んでいるのは、渡辺昇一か小林よしのり辺りの与太を鵜呑みにして
いる能無しだけだ。
元々、単なる小競り合いだったということも、ソ蒙軍が、彼らの主張する国境を越
えてこないことも、は当時の関東軍は承知していたんだが。
ソ連側が欧州で問題を抱えていて、モンゴルでは大規模な攻勢に出ることは
ないだろうと承知していたから、服部だ辻だといった連中が火遊びに走っただけ
のことだよ。
実際、ノモンハンで二十三師団が全滅した後でも、ソ蒙主張の国境を越えての
追撃は行われていない。ヒトラーとの泥棒同士の密約の果実摘み取りが急務
で、極東にかまっていられなかったからだけどね。
70世界@名無史さん:2010/04/09(金) 06:21:36 0
日本側の不拡大方針が本気なのはゾルゲ情報で裏が取れてたわけだが、
それでもソ連側が戦闘を続けたってのは、どういう意図だったのかね?
一発局地的な勝利を収めて、以後の日本側の対ソ戦略決定を消極的にしたかったのかしら。
それとも明確な意図は無くて、とりあえず始まった戦闘は勝って終わりにしようと言うだけだったのか。

>>59
どこを基準に自衛するのさ、という話なのですよ。
その基準線=国境が不明確な場合、そのまま放っておいて相手に任せて無制約に動くんじゃなく、
自主的、すなわちこちらの判断で暫定基準線を定めてねというのが、例の処理要綱の読み方。
71世界@名無史さん:2010/04/09(金) 07:05:49 0
孫子の兵法
故用兵之法、十則圍之、五則攻之、倍則分之、敵則能戰之、不若則能避之。故小敵之堅、大敵之擒也

ソ連はこの通りにしたんだろ。関東軍に一撃を加えるという目的としては普通の兵力だと思うよ。

72世界@名無史さん:2010/04/09(金) 09:45:02 0
>>54
> 単に自国内の行政区分に過ぎない
>他国との国境線の話しとは関係ない。
その中国(清)内の行政区分が独立してそれぞれモンゴルと満州国になったんだろうが。
関係大有りだ。

>ソ連側の自己都合以外の何ものでもない
だから、ソ連が勝手に変更したわけじゃない。もともと、ソ連の作った地図が間違っていて、それをモンゴルの指摘により、訂正しただけの事。
モンゴルがハルハ河を国境と主張した事は無いのだから。
そしてモンゴル側の主張に歴史的根拠があり、物証がある事は、ノモンハンより1年以上前に日本側も認識していた。

モンゴルへのソ連の圧迫もまたこの問題には無関係。
(日本側も満州里会談の満州国側参加者を処刑してる事は、田中克彦のノモンハン戦争にあるが、それは無視かい?)

>>55
>他国からの侵略があったら自衛のために撃退するのが軍隊の仕事ですよ。
撃退の範疇を越えた、攻撃的で挑発的な殲滅命令を出していると言ってるんだが。

>国境線が不明瞭なところ
別に不明瞭なわけではない。両者の主張する境界線はそれぞれはっきりしている。
そもそも、国境画定問題は外交の仕事。日本側の主張する境界をも勝手に越境する
権限を現地司令官の判断に委ねるなど、軍部による天皇の外交権の侵犯だよ。

>そして国境線を明確にするための日本とモンゴルとの平和的交渉はソ連が徹底的に潰し
ソ連だけじゃなく、日本も潰す側に回っていたんだが。
73世界@名無史さん:2010/04/09(金) 09:53:25 0
>>70
>日本側の不拡大方針が本気
日本政府の不拡大方針が、軍部に徹底されないのは何度も実例のある話。

>それでもソ連側が戦闘を続けたってのは、どういう意図だったのかね?
モンゴルが主張する正当なモンゴル領を防衛するためでしょ。

>どこを基準に自衛するのさ、
日本側もモンゴル側も、それぞれの基準は明確だよ。
モンゴル側は守っていたが、日本側は自分の基準すら越えて攻撃している。
74世界@名無史さん:2010/04/10(土) 01:57:12 0
>>73
ソ連側も自分の主観的国境線超えて行動してるだろ。
6月中旬からソ連側がアルシャン、アムクロあたりまで爆撃してたから、
日本側もじゃあこっちも超えてやると、6月末にタムスク叩いたわけで。
75世界@名無史さん:2010/04/10(土) 01:59:44 0
つけたしとくと、5月下旬に日本側が先に越境爆撃してはいるので、どっちが先とかの議論はともかくだが。
76世界@名無史さん:2010/04/10(土) 02:14:48 0
>>73
>日本政府の不拡大方針が、軍部に徹底されないのは何度も実例のある話。

ノモンハンの場合は、日本軍が事実としてきっちりと撤兵してるわけだが。
それにもかかわらず、ソ連側はわざわざ軍団規模の赤軍部隊を前線に集結させてる。
いつもの小競り合いで終わらせようとした日本側に対して、ソ連側が積極的に戦闘を求めたのは明白。

辻ら主戦派は、ソ連側の挑発にうまうま乗ってきたに過ぎない。
半月待っても、ソ連側がどんどん前線へ兵力を並べて陣地作って越境爆撃繰り返してるから、
自重しておけばじきに収まると言っていた慎重派が、説得力を無くした。

いわば、ソ連側と辻らの利害が、戦闘拡大したいって点で一致してたわけさ。
77世界@名無史さん:2010/04/10(土) 10:16:38 0
>>68-69
ソ連軍が圧倒的大兵力を投じてきたことも知らないとは、歴史無知もほどほどに。
連中の国家の方針も「戦争」なのに、不拡大方針で穏便に解決しようした日本政府
の対応とは大差がある。

現地の関東軍も危機と判断して、ソ連軍に全力で反撃しようとし、平和ボケしてた東京から止められて。
78世界@名無史さん:2010/04/10(土) 10:29:40 0
>>72
>関係大有りだ
別に。某国の国内行政区分なんか、ある独立国の国境線とは何の関係もない。

もちろん石を積み上げた粗末な道標らしきモノが有ったからと言って、国境線を規定する
何の根拠にもならないことは国際法上確か。

> モンゴルへのソ連の圧迫もまたこの問題には無関係。

関係大あり、交渉相手のモンゴル人が一人残らず虐殺されているのに、日蒙間で国境線交渉なんて出きるわけがない。
日本が一人の関係者を死刑にしたからといって、モンゴル政府首脳陣のほとんどを虐殺するソ連側と一緒にするのは
”今の日本にも死刑囚が居るから大量の政治犯を処刑している北朝鮮と同じだ!!”と言う主張と同じく馬鹿げた言いがかり。

また某国と戦闘が起きたら可能な限り効果的な戦い方をするのは軍隊として当然。軍事常識の無知が戦後日本人の
特徴ではあるけど。

> 両者の主張する境界線はそれぞれはっきりしている。

全然。ソ連側が勝手に国境線を変更していたと日本側が知ったのはノモンハン事変が始まってから。

コピペ
日本陸軍がハルハ河を国境と認定したのは、1727年に帝政ロシアと清国との間で締結された
キャフタ条約の境界設定基準を準用したため

> ソ連軍は1932年から34年にかけて、兵要図を作成するとき、ハルハ河東岸に国境線を変更した。
> 日本軍がそれを知らされたのは、ノモンハン事件が起こってから敵の20万分の1の地図を
> 手に入れたときであった。
> それまでハルハ河東岸に国境が変わっているなど考えても見なかった。
> 
> 「ノモンハンの夏」P66  半藤一利 文春文庫
79世界@名無史さん:2010/04/10(土) 11:40:37 0
>>77
日本軍が相当の兵力を投入するのと同時にだからな。
こっちが一個師団なのに、向こうが一個軍団を投入したからどうこうなんてのは、
泣き言にすらならない。

後、
>>78
> 某国の国内行政区分なんか、ある独立国の国境線とは何の関係もない。
国内行政区分が、そのまま独立国の国境線になったと散々書いてあるのに
読めないのか?
お前は本物の文盲だな。
80世界@名無史さん:2010/04/10(土) 11:47:53 0
>>77
無知な文盲で常識も知らないお前には理解できないんだろうが、
連隊規模の兵力を投入した時点で、すでに「小競り合い」を越えて
いるんだよ。で、それは両者ともほとんど同じ時期にやっている。
そこまでエスカレートしたときに、こっちの投入兵力より向こうの
投入兵力の方が大きかったなんてのは、単に関東軍参謀の能力
不足に過ぎない。
一個師団投入というのも、日本側の補給能力の制限や、それだ
けで十分だという敵兵力見積もりの失敗に起因するものだし。
「策源地からはるかに離れたところに、大兵力を展開する能力は
無いだろう」と舐めてかかっていただけの話だよ。
81世界@名無史さん:2010/04/10(土) 12:12:14 0
>>79-80
> 日本軍が相当の兵力を投入するのと同時にだからな。
> それは両者ともほとんど同じ時期にやっている。

ああ全く問題外。軍事常識の基本に無知なレス。子どもの喧嘩レベルの発想しかない。

実際には衝突が始まった翌日に、軍の大部隊が戦場に現れるわけがない。大兵力を投入するには
相当の準備期間が必要。そして国家として戦争を決断するかどうか、それが問題。

日本は国境紛争と見なして対応しようとした。準備もそれ相応のモノ。
ソ連は国家間の戦争と見なして対応した。準備もそれ相応のモノ。

始めは両軍双方ともそれなりの小規模な部隊で対処してるように見えるだろうが、時間を経るに
連れて大兵力が集中し始めるのは、国境紛争と思って対応してる側ではなく、戦争を決断してる側。
言うまでもなく戦争を決断してるのはソ連側。

そしてその論拠となる、日本が世界を侵略しようとした、とするのが例の”田中上奏文”。
コレはソ連側のプロパガンダとする説が有力だが、だとすれば正にソ連のマッチポンプ。
82世界@名無史さん:2010/04/10(土) 12:17:41 0
>>81
> 軍事常識の基本に無知なレス
そのまま返すよ。小林よりのりだの渡辺昇一だの駄文読んでないで、少しは勉強してから出直してきな。
83世界@名無史さん:2010/04/10(土) 12:17:45 0
>>79
> 某国の国内行政区分なんか、ある独立国の国境線とは何の関係もない。
> 国内行政区分が、そのまま独立国の国境線になったと散々書いてあるのに

誰かが勝手にそんな事を言いだしてるらしいが何の関係もない。
国境線とは関係する両国が協議し策定されるもの。協議も何もせず片方だけが
勝手に線引きしてよいモノではない。
こんな基本常識を一々説明する必要が有るのも問題だが。幾ら平和ボケ日本とは言え
国境紛争なんて世界各国で起きているのに世界史板の恥
84世界@名無史さん:2010/04/10(土) 12:19:19 0
>>82
田中克彦とか出ててるのに、全然関係ない誰かの名前を自分の脳内から引っぱり出すとは
会話の出来ないタイプかな?
85世界@名無史さん:2010/04/10(土) 12:31:13 0
>>83
だから、モンゴルが独立するときの国境線が独立前の行政
区分に従ったものだった、と書いてあるだろうが。
その時点では、両方の当事者で協議して策定した国境だっ
たんだよ。
それを、ソ連地図等を根拠に、日本が一方的に変更しようとした
という話だ。

後、
>>84 内容のレベルの低さ、主張の内容があの連中の与太と同レベル
だからだよ。
そもそも、連隊規模の兵力を投入する時点で、
> 日本は国境紛争と見なして対応しようとした。準備もそれ相応のモノ。
のレベルは既に超えているというのは常識だ。気軽に投入したら、相手は
もっと大兵力で云々というのは、単なる見積もり能力不足に過ぎない。
師団という戦略単位投入については、言わずもがなだがな。
86世界@名無史さん:2010/04/10(土) 12:56:47 0
>>85
> だから、モンゴルが独立するときの国境線が

1915年にキャフタ条約で外モンゴル自治区が中露に承認されたが、その国境線の根拠は「キャフタ条約」。
そのキャフタ条約に基づいて日本は国境線をハルハ河と正当に策定したのだが。
そもそもモンゴル人に発言権を与えず、後になって都合が悪いからとソ連は自分勝手に国境線を書き換えた。
どう見てもソ連が悪い。問題の根本原因。ここは世界史板なんだから関係各国の実状を公正に観るように。

>内容が

無いから。キミのは。ソ連や蒙古側の内情を少しでも調べ検討したことがあるのかい?
ソ連崩壊後、資料が公開され、コミンテルンの策動に関しても最近は研究が進んできてる
87世界@名無史さん:2010/04/10(土) 13:02:58 O
世界史で一番面白いのは誰が勝者で誰が敗者か定義すること。

直感的に捉えれば中国人・朝鮮人・モンゴル人あたりはとてつもない敗者に終わり、
勝者の経済・政治システムに完全に併呑されて現代に至っているが、
これは結局は、世界的に必要とされる商品や思想の供給力の高い民族だったか、
或いは誰からも欲されないサラ金業者みたいな民族だったかによる。

中国、朝鮮、モンゴルがまさにサラ金業者型の民族で、貧困地域への高利貸しで潤い、
貸付先で人口や土地や主要産品が変わる度に、自分たちの事業が破綻し政体が完全に消え去り、
何の哲学も思想も製品技術も堆積されず、民は強力国の奴隷として消え去り、
また一からサラ金業者の歴史をやり直している。

モンゴルなどが面白いのは、たまたま地表の温暖化で人口も移動距離も飛躍的に拡大したが、
富の源泉は高利のカネ貸しくらいしか無かったため、最貧国に侵入してカネで占領した。
オゴタイ=ハンなどと虚構のスポンサーをでっち上げて、いかにも巨大な資産を保有していると見せかけた。
88世界@名無史さん:2010/04/10(土) 13:04:28 0
やれやれ、「こみんてるんのいんぼう」か。
89世界@名無史さん:2010/04/10(土) 13:07:26 0
>>86
満蒙の国境線策定なのに、なぜ
> 日本は国境線をハルハ河と正当に策定した
なんだ。で、満州国で無く日本が国境線を策定するのは正当で、
モンゴル人で無くソ連が国境線の話をするのは不当だという
ダブルスタンダード、自分で書いて恥ずかしくないのか?
90世界@名無史さん:2010/04/10(土) 13:41:33 0
>>88
近代世界史を知る上で、コミンテルンすら知らないのはどうかな。煽りにしてもショボイ。

>>89
そもそも話し合いに応じないんだから論外。日本との話し合いに応じるモンゴル人は虐殺される。
文句は虐殺しまくりのソビエト共産党とコミンテルンに言うんだな。
91世界@名無史さん:2010/04/10(土) 15:10:57 0
ところでソ連軍と日本軍の戦力の格差だが、日本側の「(戦争)不拡大方針」と言うモノがあった。

事変の大規模戦争への発展を望まず、できるだけ平和理に収束させたいと言う日本側の意図。

それをスパイ活動でソ連側にリークした人物が居る。共産主義者である尾崎秀美で、彼はスパイ・ゾルゲを
通じてソ連側に日本政府の意図を通報した。

日本側に全面戦争に訴えでる意図もなく、投入戦力に制限が有ることを事を知ったソ連は、逆に大兵力を
ノモンハンに集結させ総攻撃を仕掛けてきた。

ノモンハンに派遣された小兵力の日本軍は、当然の結果として戦線を支えきれずソ連軍に大損害を
与えたものの後退する結果となった。

情報・諜報戦の重要性と共に、尾崎秀美を熱狂的な共産者に変貌させた共産イデオロギーと宣伝戦の威力。
92世界@名無史さん:2010/04/10(土) 15:28:33 0
収まり方を見ればソ連の日本に対する陰謀というのは言い過ぎだろう。
勝ち戦だと思えば遠慮なく攻めかかってくるはずの野蛮な輩が
国境線画定させただけで大人しく引いたんだから別の意図があったと思うよ。

欧州外交を見据えたパフォーマンスと言っている人もいた。
93世界@名無史さん:2010/04/10(土) 15:29:47 0
>>91
日本の兵力は、二十三師団に七師団から増強されてきた一個連隊強
を加えた部隊に、内地から増援された虎の子の野戦重砲兵二個連隊
(最新の重砲を装備した野戦重砲兵第一連隊と、野戦重砲兵第七連隊
からなる野戦重砲兵第三旅団)と関東軍のムーリン重砲兵連隊、野砲兵
二個連隊等々の、相当有力な砲兵団が主体。
それに加えて、飛行集団(損害の補充は本土から)や、これまた虎の子
の戦車二個連隊等も加わっている。

到底、
> ノモンハンに派遣された小兵力の日本軍
などといえるようなものじゃない。
だからこそ、結果が上手くいかなかったことに当時の陸軍が衝撃を受けた
んだよ。
94世界@名無史さん:2010/04/10(土) 15:59:23 0
>>86
お前さん、1915年のキャフタ条約と1727年のキャフタ条約を混同してるんだ。
1727年のキャフタ条約は清露の境界を決めた条約であり、当時清の領土であるモンゴルと満州の境界については全く無関係。
このキャフタ条約に基づいているのは、ソ(露)蒙の国境であり、ノモンハン周辺の蒙満境界ではない。

中国とモンゴルの国境は、中国の行政区分に従って決められている。
中国の行政区分である外モンゴルが中国主権下での自治を認められ(それが1915年のキャフタ条約)、
その外モンゴル自治領が独立してモンゴルが建国されたのだから。
95世界@名無史さん:2010/04/10(土) 16:06:42 0
5月末に両軍とも後退した後、日本側は現地軍も事態を鎮静化させようと努めてる。
日本軍は前線に送らずに、平時通りの満軍だけの警備体制に戻し、
航空部隊も6月10日には警戒態勢を解いて、あえて迎撃行動も取らせず平時の訓練に戻した。
参謀本部は、不拡大方針徹底のため、秩父宮を満州に視察に行かせた。
皇族をだしに使ってまで、鎮静化に努めたわけだ。
もちろん、本国政府も不拡大方針を宣言してるし、スパイ情報でも裏が取れてる。

ところが、ソ連側は、6月冒頭から戦う気満々である。
ジューコフが前線指揮のためノモンハンに行くよう命じられるのは、6月2日。
同日午後、再びハルハ川を渡って係争地域にソ連軍が布陣。陣地構築を始める。
歩兵1個師団と戦車1個旅団、装甲車3個旅団が動員され、予備兵力として3個師団を準備。
6月11日にはハルハ川に新たな架橋作業も始めてる。
6月17日にはカンジュル廟(ソ連側認識でも満州領)などに対して地上攻撃と空襲が始まる。
18日には、アルシャン(ソ連側認識でも満州領)が空襲を受ける。
19日には、アムクロ(ソ連側認識でも満州領)の日本軍物資集積所が空襲で大破炎上。

日本側の第23師団司令部が、関東軍に再出動許可を求めるのは、6月19日。
それでもすぐに関東軍は許可を出さずに、半日は議論を続けてる。
第7師団出撃などが裁可されたのは6月20日になってから。
96世界@名無史さん:2010/04/10(土) 16:09:07 0
>>78
>全然。ソ連側が勝手に国境線を変更していたと日本側が知ったのはノモンハン事変が始まってから。
それが大間違いだって。既に1932年から国境交渉してるし、モンゴル側の主張が正しい事を1937年に調査済みなんだから。
97世界@名無史さん:2010/04/10(土) 16:09:11 0
>>94
中国も日本も外蒙古の独立を承認してないけどね
98世界@名無史さん:2010/04/10(土) 16:17:01 0
日本側の部隊がようやくホロンボイルに出始めると、さっそくソ連側は越境して攻撃を加えてる。
例えば、ソ連側認識でも満州領の将軍廟付近で、大隊規模の戦闘が起きてる。

7月には、ハルハ川を北から渡河して将軍廟付近まで越境包囲作戦をやる計画だったし。
戦況が日本軍優勢で、実行不能で中止になったけど。
99世界@名無史さん:2010/04/10(土) 17:48:02 0
>>92
> 国境線画定させただけで大人しく引いたんだから
これに関しては、ポーランド侵攻の都合だろうね。
100世界@名無史さん:2010/04/10(土) 17:56:24 0
関東軍も日中戦争の都合考えろよな。
蒋介石と戦ってるときにソ連と全面戦争になったらどう責任とんだよ。
101世界@名無史さん:2010/04/10(土) 18:00:04 0
>>100
あいつらは蒋介石相手に楽しんでるのに、俺たちがのけ者なのは
ずるいってのが、血の気の多い連中の基本的発想だからね。
まあ、そうやって好き勝手やった連中も、上に上がったときには
下の奴らを抑えるのに四苦八苦することになるんだけどね。
武藤章に鼻であしらわれた石原莞爾しかり、「お前らはそんなに
戦争が好きか」とどなる羽目になった武藤章しかりで。
102世界@名無史さん:2010/04/11(日) 00:44:30 0
>>78
>もちろん石を積み上げた粗末な道標らしきモノが有ったからと言って、国境線を規定する
>何の根拠にもならないことは国際法上確か。
アホか。国際慣習法上有力な証拠だ。それらのオボが外蒙古と満州の境界を示す事は、
清朝の公式記録にも古地図にも有る。
関東軍はそれらの存在を知りながら、それらの資料を差し押さえ、公表を禁じている。

>交渉相手のモンゴル人が一人残らず虐殺されているのに、日蒙間で国境線交渉なんて出きるわけがない。
>日本が一人の関係者を死刑
交渉相手のモンゴル(系満州国人)を殺したのは日本の方が先だが。それも一人じゃなく。
また、モンゴル側の代表者はノモンハン後まで生きているのもいるが。
ttp://d.hatena.ne.jp/mmpolo/20090630/1246310260

それに、交渉が出来るか否かは論点ではない。
論点は、ノモンハン以前に日本が既にモンゴルの主張する国境線を知っていたと言う事であり、
>連側が勝手に国境線を変更していたと日本側が知ったのはノモンハン事変が始まってから。
が大嘘だと言う事だ。

>軍事常識の無知が戦後日本人の特徴
深追いしてでも殲滅しろなんて命令が効果的だと思うのは、まさに軍事常識の無知のなせる業だな。
103世界@名無史さん:2010/04/11(日) 01:02:09 0
>>83
>協議も何もせず片方だけが勝手に線引きしてよいモノではない。
それをしたのは日本側だろうが。
モンゴルの方が先に独立しているし、1915年のキャフタ条約で外蒙古が自治権を得た時に
モンゴル-中国(満州)国境は事実上確定された。

満州国は東3省が中華民国から独立して建国した事に表向きはなっている。
その独立宣言は権限は黒龍江省の行政範囲にしか有効じゃないんだよ。

モンゴルも満州も、元からあった境界に沿って独立したんだ。

従来の満蒙境界を変更する主張をした、日本側こそが、片方が勝手に線引きしたんだよ。
104世界@名無史さん:2010/04/11(日) 01:05:36 0
>>95
どう見てもソ蒙が挑発してるな
105世界@名無史さん:2010/04/11(日) 01:54:02 0
ソ連は有利だから挑発してんだろ。謀略で傀儡国つくった関東軍が
相手になんの誠意を期待してんだ。
挑発にのって少ない兵力で攻勢に出てぼろ負けした関東軍ってなんなの。
106世界@名無史さん:2010/04/11(日) 12:30:47 0
関東軍がんばれ。
107世界@名無史さん:2010/04/11(日) 21:41:47 O
戦後に服部卓四郎がクーデターを計画して
辻がそれを諌めたという話があるが本当なんだろうか。
108世界@名無史さん:2010/04/12(月) 18:25:53 0
>>93
日本が国境紛争のためと一個師団程度の最小限の部隊を派遣したのに対し
(紛争が拡大したため、急遽、増援を送ったものの)
事変勃発当初から全力で対日戦争を仕掛けるつもりだったソ連軍の大軍に
対応しきれなかったんだな。
109世界@名無史さん:2010/04/12(月) 18:39:37 0
>>94
> キャフタ条約を混同してるんだ。

いや同じこと。帝政ロシアは古いキャフタ条約の国境画定の基準で国境線を画定したから全く同じ。
新しい条約でもハルハ河を国境線として確定している。
清国内でしか通用しない行政区分は国境線とは関係無し。もちろんロシア人はモンゴル人の意見など聞かない。

>>96
> 大間違いだって

ウソウソ。1935年にハルハ廟事件が起きたときに満州国とモンゴルとの間で文書の交換があり交渉が始まり
その後、満州里会議が開かれた。国境交渉はそれから。
日本が関係し直接調査を開始したのは1937年になってから。で、三ヶ月かけて実地調査を行い粗末な石が積んである
”オボ”も一応写真にとっては見たが、普通は誰も気がつかないほどのもの。

それに日本側の認識も清国時代の行政区分としてであって、条約上の国境などとは認めていない。
加えて国境確認のために満州里会議を開いて協議してる間にも、ソ蒙側の侵入事件が起きたり、測量中の日本人技師を
逮捕したりする。更に交渉相手のモンゴル人がどんどん虐殺されていく。協議どころの状況ではなく話しにならない。
110世界@名無史さん:2010/04/12(月) 18:47:36 0
>>102-103
> オボが
そんなのは清国内の行政区分に過ぎない、県境は国境線にはならないんだよ。

>関東軍はそれらの存在を知りながら

しらんよ。たわごと。もちろん戦後の東京裁判でソ連側は「関東軍は正確な国境線を知っていた」「証拠の地図もある」
などと平気でウソと捏造を繰り返していたが、東京裁判のような茶番を真に受けるのは居ないだろう。
ウエッブ裁判長でさえ見え見えのウソを語るロシア側に呆れるほど。”ロシア人てアホや”と思っただろう。

> 深追いしてでも殲滅しろなんて命令が効果的だと思うのは、まさに軍事常識の無知のなせる業だな。

侵略してきた敵を親切にも見逃して上げた方が良いなんて思うのは、まさに軍事常識の無知のなせる業。

>>103
> モンゴルの方が先に独立しているし、1915年のキャフタ条約で外蒙古が自治権を得た時に
> モンゴル-中国(満州)国境は事実上確定された。

そうだよ。ハルハ河にね。文句はキャフタ条約に基づいて国境線を確定したロシアに言うんだな。
おまけに後になって勝手に地図を書き換えて紛争の種を作った。
111世界@名無史さん:2010/04/12(月) 23:08:37 0
師団という戦略単位を投入する時点で、「最小限の部隊に抑えた」なんていう
話は有り得ない。大体規模の警備部隊とは本質的に意味が違うよ。
当然、関東軍もソ蒙軍を撃滅するのに十分な兵力のつもりで投入兵力を決め
ている。その際、「補給困難で大部隊の投入は困難だろう」と敵兵力の見積も
りを過小にしたため、「これだけで十分」という結論に至ったわけで、単に「敵
兵力見積もりの誤り」でしかない。
そもそも、当初の計画では攻撃主体は第七師団に二個戦車連隊、一個飛行集
団、増強された砲兵部隊という大部隊で、第二十三師団からも一個大隊が参加
する予定(残りは予備として後置)だった。
それが第二十三師団主体となったのは、単に人情論的な話で軍事的判断では
ないし、第七師団から増援された歩兵一個連隊や工兵一個連隊等々、頭数は
むしろ増えている。
関東軍は、最小限どころか、「鎧袖一触」「鶏を裂くに牛刀」のつもりで、モンゴル
領内に進入して退路を断ち撃滅するために兵力を用意している。
なにしろ、敵はせいぜい一個連隊程度だと想定していたわけだからね。
112世界@名無史さん:2010/04/12(月) 23:16:07 0
なんで、ノモンハンで日本軍を過剰に非難する人は、都合のいい部分だけ辻の話を鵜呑みにするんだろうか。
113世界@名無史さん:2010/04/12(月) 23:18:30 0
>>112
辻以下がそういうつもりで作戦を立てた、という話なんだから、
辻の感想がそのまま出てくるのは当たり前だろうが。
114世界@名無史さん:2010/04/12(月) 23:33:30 0
敵が一個連隊と想定ってのは、まず間違い。
日本側は、6月中旬にはタムスク付近に後詰がいるのはちゃんと掴んでる。

そうでなくてノモンハン付近に前進してた敵兵力が1個連隊程度という意味なら、
これは正確にソ連側の状況をつかんでたってことになる。
第149狙撃連隊基幹の戦闘団しかいなかったからね。
115世界@名無史さん:2010/04/13(火) 00:15:33 0
>>114
配備を考えた時点でいた部隊がその程度だったというだけで、
実際に攻撃を始めたときには「後詰」のはずの部隊ともろに
衝突している訳だけどね。
もちろん、一部威勢のいい参謀がぶち上げたような「鎧袖一触」
なんて話にはならなかった。
鉄道もないようなところで、兵站基地から数百キロも離れた所
に大軍を迅速に展開し維持できるとは考えていなかった、と
いうことだろうが。
ジューコフと並んで、既出のシュテルンがソ連邦英雄の称号
を得たのはその件でだというから、相手にたまたま想定外に
有能な士がいたという事になるのかも知れんが。
116世界@名無史さん:2010/04/13(火) 00:56:20 0
機械化軍団ソ連に対し、歩兵ばかりの日本軍と評判が悪いけど、
ノモンハンの場合、根本的に国家の軍備を切り替えろという話は別にして、
戦場で日本側に不足してたのは歩兵の頭数なんだよなあ。
歩兵が足りてないから、重砲兵が戦車に零距離射撃なんてことになる。

ま、兵站能力の問題で人数増やすのは厳しかったようだが。
117世界@名無史さん:2010/04/13(火) 11:40:22 0
>>109
>帝政ロシアは古いキャフタ条約の国境画定の基準で国境線を画定したから全く同じ。
だから、それは露清国境についての基準で、それを中(満)蒙境界に適用する事が間違い。
そもそも帝政ロシアに中(満)蒙境界を画定する権利も権限も無いし、実際は画定もしていない。
ロシアの勘違いは1915年に始まるものではない。ロシア軍が日露戦争直後に測量して地図を作ったが、その際、満蒙境界をハルハ河としてしまった。
満州に侵入して5年しか経っておらず、負け戦の直後に、大急ぎで作った地図だから間違いがあっても不思議ではない。
ロシアの地図がこの時の錯誤をそのまま引き継いでいただけ。

>新しい条約でもハルハ河を国境線として確定している。
してないよ。1915年のキャフタ条約は外蒙古の自治を認めたもので、境界について変更はしていない。
外蒙古の行政区画の境界が、モンゴル自治領の境界だ。

>清国内でしか通用しない行政区分
その行政区分に従って、モンゴルは独立を宣言し自治権を獲得、満州は独立と建国を宣言しているんだ。
両国自身が自国の版図の基準として採用しているんだよ。

>国境交渉はそれから。
だから、少なくともその時点でお互いの国境についての認識は知ってるでしょうが。
それでどうして、ノモンハン事件で初めて知ったなんて言えるんだ?

>普通は誰も気がつかないほどのもの。
存在が確認されたのだから、そんな事は関係ない。

>ソ蒙側の侵入事件が起きたり、
モンゴル側の主張する領土内の話。

>測量中の日本人技師を逮捕したりする。
向こうからすれば国境侵犯。係争中のところで測量なんかするのは挑発行為だよ。

>更に交渉相手のモンゴル人がどんどん虐殺されていく。
日本も当初の交渉担当のモンゴル系満州国人を処刑して、日本人官僚に担当者を入れ替えているのだが。
どうも、バルガ族のモンゴルへの合流の話まで出てきたためらしい。
118世界@名無史さん:2010/04/13(火) 11:43:40 0
>>110
>県境は国境線にはならないんだよ。
その県が独立したんだから、県境が国境になるんだよ。

>侵略してきた敵を親切にも見逃して上げた方が良い
殲滅の意味も、命令の意味も解ってないとしか思えん言い草だ。まさに軍事常識のry)

>そうだよ。ハルハ河にね。
キャフタ条約にハルハ河を中蒙境界にするなんて条項は存在しない。
あるのは、中国にとっても行政区分である外蒙古に自治権を認めると言う内容だ。

>文句はキャフタ条約に基づいて国境線を確定したロシアに言うんだな。
ロシアに中蒙境界を画定する権利なんか無いし、そもそも画定もしていない。
地図の間違いに気付いた、モンゴルが文句を言って、ソ連がそれに応じて訂正しているのだが。

>後になって勝手に地図を書き換えて
そりゃ、間違えてるんだから訂正するのが当然。それ以前に、問題の地図はロシアが勝手に作ったものだ。
他所の国が勝手に作って間違えていた地図を根拠に、国境を主張するほうがおかしい。
しかもその地図は、ロシア(ソ連)の内部資料(軍用地図)であって、公刊されたものでもない。(シベリア出兵時の鹵獲品) 
それを入手するまでは、関東軍も満鉄も満蒙境界は、ハルハ河の東20kmほどのラインと認識していた。
都合のいい(だけど何の権限も無い国が作った)資料を入手したので、勝手に地図を書き換えたのは日本の方なんだよ。
119世界@名無史さん:2010/04/13(火) 22:23:42 0
>>116
兵站がしょぼくても頭数ふやすだけなら物資を蓄積させていきゃできなくはない。
ジューコフもあれだけの兵力を一挙におくることは無理なので二ヶ月くらいかけて徐
々に前線の兵力や物資を増やしてる。
日本の陸軍は火力の少なさを速攻で補うため兵站にかける時間的余裕もない。
まあノモンハンでは防御にまわって様子をみてりゃよかったと思うんだが・・・
120世界@名無史さん:2010/04/14(水) 04:57:48 0
中国で総力戦してた日本軍にとって満州というの後方地域なんだよ。
ソ連は日本が戦争のため満州に集中出来ないという状況を見越し
大量の車両を動員して物資集積を行なった上で計画的に攻勢をかけてきている。

物資は優先的に支那派遣軍に回さなければならなかった日本軍が
ソ連に対し物資面で劣勢になるのはごく自然の成り行きでしかない。
121世界@名無史さん:2010/04/14(水) 07:45:14 0
>>110
ノモンハン事件で日ソの武力衝突にまで至った原因は
どちらの領土主張が正当かとかそんな瑣末な理由では無いんだよ。

ソ連は前年のハーサン湖事件で、満州領に侵攻して勝手に軍事占領してしまっている。
それを深刻に受け止めた関東軍がソ連の領土侵食に対抗するために策定したのが
「満ソ国境紛争処理要綱」で、次々と係争地をソ連に取られてしまわないよう
相手の軍事行動には断固とした反撃を行なうという方針が定められた。
それを過激視する見方もあるが、国境防衛を担う立場上、国境紛争に必勝を期するのは特に異質なことではない。

そういう背景があったため
何処で衝突がおこっても大規模な軍事行動に発展しえたのであって
必ずしもノモンハンなくてはならないというわけではなかった。

当時のソ連はハーサン湖やノモンハンのような極東だけでなく
欧州部でもカレリア地方の割譲要求やらベッサラビア占領やらバルト三国への圧力やらと
要求が正当性とか関係なく手当たり次第に脅迫や侵攻を行なって
緩衝地帯を伸張させる政策だったわけで。

従ってノモンハンに限って主張の正当性を云々してもあまり意味はないし
どちらがの主張が正しいかという話と
日ソの極局地的な衝突が本格的な軍事衝突にまで発展した背景とは分けて考える必要がある。
122世界@名無史さん:2010/04/15(木) 07:37:19 0
>>118
> 関東軍も満鉄も満蒙境界は、ハルハ河の東20kmほどのラインと認識していた。 略 勝手に地図を書き換えたのは日本の方なんだよ。

それはウソ。勝手に地図を書き換えたのはソ連の方。

コピペ
> 戦後、東京裁判 略 ソ連の検察官は、モンゴル人民共和国の国境についてソ連の主張を裏付けるために、数葉の日本製地図を
> 提出して検証した。地図は真正なものであったが、ロシア人たちはハルハ河中に引かれていた線よりも、
> もっと目立つように、ハルハ河の満州国側に勝手に国境線を引いてしまった。
> だが地図に記された日本語の原注記は、境界線が”ハルハ河沿いに”引かれている事を示していた。
> ソ連側の問題提起に対して反論が試みられたが、無駄に終わった。
> 
> 「ノモンハン1」P37 クックス 朝日文庫
123世界@名無史さん:2010/04/15(木) 07:37:55 0
日本側の主張も

> (日本側は)自分たちの便宜に合わせて国境線を移動させるつもりは無かった。 略
> 
>  日本はその主張の支えとなる証拠の地図には事欠かなかった。外務省の指示を受けて
> 行われた1935年の研究は、河北省唐山で製作された地図、ロシアで編集された各種の地図、
> イギリスで発行された地図、陸地測量部が製作した別種の地図をそれぞれ例に挙げているが、
> これらはいずれも満州事変以前に発行された物であった。
> 1939年、ノモンハン事変以後に開かれたチタ会議に、日本側はハルハ河を国境線として
> 図示してる十八種もの地図を提出したが、それらは1918年作成の参謀本部地図に準拠した物であった。
> 
>  矢野少佐は1937年から38年にかけて手に入る限りの地図資料を調べてみたが、
> 六種のロシアと中国の古記録のうち、ボイル湖を蒙古内部に図示した物はひとつだけで、それは
> 1884年作製のものであった、矢野は1734年まで遡って協定、条約を調べ、清国がハルハ河を
> 境界と考えていた形跡が有る事を知った。
> 
> 「ノモンハン1」P38 クックス 朝日文庫
124世界@名無史さん:2010/04/15(木) 07:57:18 0
>>118
> >ハルハ河にね。
>キャフタ条約にハルハ河を中蒙境界にするなんて条項は存在しない。
>ロシアに中蒙境界を画定する権利なんか >モンゴルが文句を言って

いや、ロシアがハルハ河を境界とした理由はキャフタ条約の「河が有れば河をもって国境とする」という
国境画定の基準を元にしてる。測量し直したからと言ってハルハ河の位置が変わるわけがない。
またモンゴルはソ連の属国で、国境線策定にしてもソ連の都合で決められている。
だから国境線を変えてくれとソ連にお願いしている。
モンゴルは独立国との建前かも知れないが、建前なんか現実の国際政治には関係ない。決めたのはソ連。

>>117
> モンゴル人がどんどん虐殺されていく。

これは当時の外蒙古人に強い反ソ感情があり日本・満州国に好意的だったことが関係している。
ノモハン事件の前の1937年にソ連・コミンテルンの意を受けて2万8千人のモンゴル人が処刑された。
モンゴル親日派の徹底的な弾圧。
処刑されたのはゲンデン首相・外相・参謀総長・商務相・保険相・司法相・教育相・他、
外蒙古の全人口の約3.5パーセントもの人間がソ連によって処刑された。
また国防相デミドはモスクワに召還されたが、その列車内で殴り殺されている。
(遺体に全身打撲の跡だらけ 同夫人談)
モンゴル政府首脳にしてから虐殺され放題。ロシア人はモンゴル人を全く人間扱いしていない。
その上で外に敵を作りモンゴルをまとめる、つまり日本を敵としてモンゴル人をまとめようとしたらしい。

「スターリンにとっては国境線を数キロ前進させると言うケチな問題ではなく、外蒙全体を
失うか否かの問題だった。」牛島康充氏 (「蒙古50年の夢」)
125世界@名無史さん:2010/04/15(木) 09:28:55 0
>>111
>(一個)師団という戦略単位を投入する時点で、「最小限の部隊に抑えた」なんていう

たった一個師団なんて最小限ですよ。ソ連側が何個師団投じたのか御存知?
126世界@名無史さん:2010/04/15(木) 10:38:15 0
>>122
はあ? ノモンハン以前の満蒙境界の修正の話が、なんで東京裁判の話になる?
1932-34年ごろにソ連自身の地図を修正した話と、東京裁判の際に日本の地図を書き換えたのとは全く別の話。
悪質な論のすり替えだ。

>>124
>キャフタ条約の「河が有れば河をもって国境とする」という国境画定の基準を元にしてる。
だから、清露の国境を定めたキャフタ条約が、なんで無関係な満蒙境界の根拠になるの?
ロシアが勝手に満蒙境界はハルハ河と思い込んでいただけの事。

>国境線策定にしてもソ連の都合で決められている。
ソ蒙国境はな。満蒙境界は中国とモンゴルの問題であり、外蒙古が自治権を得た事で、中国の行政区画がそのまま境界になっている。

>だから国境線を変えてくれとソ連にお願いしている。
訂正を要求したんだ。当時モンゴルとソ連は防衛協定を結んでいるから、国境の認識が一致して無いと困るから。

>モンゴルは独立国との建前かも知れないが、建前なんか現実の国際政治には関係ない。
ソ連は、モンゴルに強要できたというだけの話。
それに、その事と、モンゴルの主張する国境線の正当性とはなんの関係もない。

>決めたのはソ連。
ハルハ河を国境にしろと、ソ連がモンゴルに強要した事実はないし、ソ連にしたところで、ハルハ河が満蒙境界であると、国際的に主張した事などないよ。

>これは当時の外蒙古人に強い反ソ感情があり日本・満州国に好意的だったことが関係している。
いや、ソ連から自立し、大モンゴル主義に基づき内蒙古や満州のモンゴル族を統合しようとしていただけで、
別に日本・満州国に好意的だったわけではない。
満州のモンゴル族を取り込んで、満州国領の切り取りも画策していたわけで、だから日本側も、モンゴル系の代表者を処刑したりしているんだよ。
127世界@名無史さん:2010/04/15(木) 10:39:49 0
>>123
そのコピペに示されている地図は、多くはロシアが勘違いしたものを元にしているから、数を出してきても無意味。

>矢野は1734年まで遡って協定、条約を調べ、清国がハルハ河を境界と考えていた形跡が有る事を知った。
一時的にそう見なしたように見える形跡だけ。行政文書にはしっかりとハルハ河ではなく、ノモンハンを通る線が国境である事が示されている。

そして、当のノックスが、
扇(第二十三師団参謀) ソ連が、領土欲だけで、ノモンハン事件や張鼓峰事件を起こしたという見方も
ありますが、私はノモンハンに関する限り、ソ連側は本来の領土の線を確保したかったんじゃないかと
思います。というのは、ハルハ河の約十五キロ東にノモンハンがあります。そしてそこを通る南北の線が、
歴史的に見て正当な国境だったんですね。北川四郎さんの『証言ノモンハン』によりますと、国境線は
歴史的に決まっていた。それを関東軍がハルハ河の線としたのは、関東軍参謀が歴史的国境線を
知らなかったからだとされている。しかし私は、知らなかったというのは嘘だと思います。大正中期の
シベリア出兵で、ロシア軍の将校から、ノモンハン付近の国境線の入った地図を押収したんですね。
それにはハルハ河の線が国境線になっていた。これ幸いと関東軍は、それから数年後に国境線を
ノモンハンからハルハ河の線まで前進させたんです。事件当時の関東軍参謀長、磯谷廉介中将が、
陸軍省にノモンハン正面の国境線は正確なところはどこだと問い合わせているんですね。ところが、
陸軍省でもはっきりした回答を出せずにうやむやにしてしまいました。そこで国境線は、関東軍の都合の
いいようになってしまったんです。

クックス 国境線の問題については、扇さんのご意見に全く賛成です

(『歴史と人物』昭和61年冬号)
と言っている。
128世界@名無史さん:2010/04/15(木) 11:09:53 0
>>127
>ノモンハンを通る線が国境である事が示されている。

それはウソ。行政区画に過ぎない。当時は清国領土だった
ノモンハンに国境線が引かれてるわけがない

>知らなかったというのは嘘だと思います。

思いますと言われても、資料無しでは思いこみってヤツでしょう
129世界@名無史さん:2010/04/15(木) 11:16:30 0
>>126
>だから日本側も、モンゴル系の

何らかの容疑で死刑になったらしいけど、たった一人の死刑囚と、モンゴル中の有力者・要人を
殺しまくるソ連とを一緒にするとは、北朝鮮と日本を死刑囚が居るの一点だけで一緒にするも同然。
話しにならない。

>ソ連にしたところで、ハルハ河が満蒙境界であると、国際的に主張した事などないよ。

当たり前。この場合の国際的な相手とは満州国と日本。その日本・満州国とモンゴルとの
平和的な国境線策定交渉すらソ連側の無法な干渉で不可能な状況。

>ロシアが勝手に満蒙境界はハルハ河と思い込んでいただけの事。

モンゴルとの話し合いで解決したかも知れないのに、それを妨害した悪質な共産国家ソ連が諸悪の根元。
130世界@名無史さん:2010/04/15(木) 21:44:33 0
>>125
「師団」を投じるという事の意味をご存じない?
それでよく「軍事的知識がどうこう」なんてたわ言をほざけるもんだね。
恥知らずにも程があるぞ。
それに、実際に投入されたのが「たった一個師団」とは到底言いがた
いほど増強された部隊だったということも無視しているようだし。
それとも、>>111に書いてあることも読めないのかな?
131世界@名無史さん:2010/04/15(木) 21:58:27 0
師団と言っても、応急派兵にすぎないことを御存じ?
日本の師団は戦時編制に移行すると2万人規模まで膨れ上がるわけだが、
第23師団は、補充要員を含めた全期間での動員兵力が1万3千人程度にすぎない。
ピーク時でも、戦場にいた兵力はせいぜい9千人にしかならない。

予備役召集までかけてるソ連側とはまるでやる気が違う。
132世界@名無史さん:2010/04/15(木) 22:06:42 0
>>131
第七師団からも一個連隊半が来ているだろ?それに、本土からわざわざ
野戦重砲兵一個旅団や戦車二個連隊も送っているし、飛行集団の補充
は当然本土から来ている。
大体、ソ連側より動員兵力が小さかったというのは「恥」でこそあれ自慢す
るようなことでは全く無い。少なくとも、軍事的見地からはね。
いずれにせよ、関東軍があの規模の動員をしたのは、兵站の制約や、
相手が大した兵力だと思っていなかったという理由によるものだよ。
一撃で撃滅して終わらせられるつもりで甘く見ていたら、敵の展開能力が
見くびっていたものよりはるかに高かった、というだけのことだ。
133世界@名無史さん:2010/04/15(木) 22:19:47 0
>>132
戦車はもともと満州にいた奴だろ。
134世界@名無史さん:2010/04/15(木) 22:29:44 0
失礼。両連隊は公主嶺からですね。
135世界@名無史さん:2010/04/16(金) 01:55:56 0
>>130
結局、日本はソ連軍に比べ遙かに少ない戦力しか派遣してないのだから
「たった一個師団」(少々増強)と呼ぶしかないけど。
136世界@名無史さん:2010/04/16(金) 10:18:17 0
>>128
>行政区画に過ぎない。
ああ、はいはい、正確には満蒙の行政区画の境界な。
で、その行政区画が独立してモンゴルと満州国になっている事について何か反論は?

>思いますと言われても、資料無しでは思いこみってヤツでしょう
直接の関係者の印象だし、資料を調べまくったはずのクックスもそれに同意しているのだが。
論点は、クックスの同意にあるんだが。

>>129
>何らかの容疑で
満州里会談中にモンゴルに内通したと言う容疑だが。

>たった一人の死刑囚
興安北省長で満州側の主席代表だぞ。さらに処刑されたのは凌陛一人ではない。興安北省の要人が合わせて6人処刑されている。

>モンゴル中の有力者・要人を殺しまくる
その粛清は満州里会談とは直接関係無いが。

>当たり前。
はあ? 国境画定や領有宣言は国際的に行わないと意味がないのだが。

>この場合の国際的な相手とは満州国と日本。
いいや、モンゴルの独立時には満州国は存在しないし、日本は全く無関係。
モンゴルが自治権を得た時、中華民国は外蒙古を版図として認めていた。

>モンゴルとの話し合いで解決したかも知れないのに、それを妨害した悪質な共産国家ソ連が諸悪の根元。
話し合いを潰したのは日本も同じ。日本側は境界の画定より、満州国承認につながる国交樹立を交渉の主眼に置き、境界線の検討作業に入ろうとしなかった。
また、最後にモンゴル側の第5次会議開催の申し出を拒否したのも日本。

それに、正当な満蒙境界を無視して領有権を主張した日本のごり押しがそもそもの原因。
それがなければ、最初から国境紛争など発生していない。
137世界@名無史さん:2010/04/16(金) 18:48:24 0
>国境画定や領有宣言は国際的に行わないと意味がないのだが

まさにその通りで、そもそも国家として認めて無いモンゴルとではお話にならん。
逆もまたしかりで、満州里会議を機に国交樹立をめざしたのはおかしくない。
相互の連絡機関受け入れという日本側提案も、自然だろ。
138世界@名無史さん:2010/04/16(金) 22:29:31 0
>>135
二個戦車連隊、一個飛行集団、野戦重砲兵三個連隊が「少々増強」ねー。
まあ、お前さんがどうしようもなく無知なことはわかったよ。
一個師団半というのは、単に歩兵の頭数だけの話だよ。
で、「たった一個師団」というのは、単に関東軍の敵情見積もり能力の
低さを意味しているだけだぞ。
139世界@名無史さん:2010/04/16(金) 22:32:55 0
>単に関東軍の敵情見積もり能力の低さを意味しているだけだぞ。

関東軍の戦力の小ささじゃない?
戦略予備が第7師団しかなく、東正面を考えるとうかつに投入できない。
140世界@名無史さん:2010/04/16(金) 22:37:51 0
>>139
最初は第七師団投入の予定だろ?小松原師団長に泣きつかれて
顔を立てる形をとってはいるけど、第七師団から須見連隊が増援
で行っているし。
141世界@名無史さん:2010/04/17(土) 00:28:42 O
つまり関東軍の一個師団壊滅というのは計り知れない損害だったんですね
142世界@名無史さん:2010/04/17(土) 03:15:06 0
ソ連に比べて投入した戦力が少なすぎたんだな。関東軍、控え目杉
143世界@名無史さん:2010/04/17(土) 22:12:05 O
必要な兵力なんて相手によって決まるもんなのにね
144世界@名無史さん:2010/04/18(日) 08:09:20 0
独ソ間の不可侵条約の交渉が進展するに伴い、ソ連はヨーロッパ方面の精鋭を
ノモンハンに投入してきた。その影響はノモンハンの戦場で顕著に現れ、
それまで優勢だった日本軍は一挙に苦戦するようになった。
関東軍首脳はソ連軍に押されている中、独ソ不可侵条約の知らせに泣き面に蜂という状況だった
145世界@名無史さん:2010/04/18(日) 08:19:21 0
やっぱり侵略を意図して大規模な戦争を仕掛けてくる側と、
国境紛争と遠慮して一個師団少々しか送らない方との違いなんだろう
146世界@名無史さん:2010/04/18(日) 09:12:24 0
>>136
>境界

ハルハ河を国境線とすることにモンゴル人が不満を持っていたのは事実だろう。
しかし実際にはモンゴルは属国でロシア・ソ連と清国・中国の意向に左右される。
そのソ連と中国政府が作成した地図でもハルハ河が国境線となっているのだから
やむを得ない。日本は中ソ側の策定した国境線を援用したにすぎない。

>日本側は境界の画定より、満州国承認につながる国交樹立を交渉の主眼に置き

そんなのは当たり前。満州国との交渉相手国が満州国を承認して
なかったら国境線策定なんて有り得ない。

満州国との国境線をソ蒙側が日満側と協議して策定すると言うことは
モンゴルとソ連が満州国の存在を承認すると言うこと



>また、最後にモンゴル側の第5次会議開催の申し出を拒否したのも日本。

??
147世界@名無史さん:2010/04/18(日) 09:54:52 0
>>146
> 話し合いを潰したのは

もちろんソ連。

(満蒙会議)「こうして、満蒙間で合意が成立しかけていた時期に、会議の指導者達が相次いで逮捕された」
「モンゴルは遺憾ながらスターリニズムに侵され...狂気の暴虐のせいで、政府、軍の上級指導者達は一斉に「日本のスパイ、手先」として逮捕された。」(後に処刑)
ゴンボスレン大佐 モンゴル人民共和国戦史研究所戦史部長 訳 田中克彦

そもそもモンゴル政府首脳や軍幹部ら要人が大量に処刑される理由というか口実は「満州里会議」。
この会議を開くことでモンゴル政府が日本と関係・つながりを持とうとしたとされた。それで粛正・大量虐殺へ

次の満州里会議を開くどころの騒ぎではない。君は歴史を知らな過ぎる。
148世界@名無史さん:2010/04/18(日) 10:48:20 0
上は >>136 あて
149世界@名無史さん:2010/04/19(月) 13:18:56 0
>>146
>しかし実際にはモンゴルは属国でロシア・ソ連と清国・中国の意向に左右される。
それでも、国境を主張するのはモンゴルにしか出来ないんだよ。属国である事は、支配国にこうしろと指示された事に逆らえないだけの事。
中国も、ソ連もハルハ河を国境にしろなんてモンゴルに要求も指示もしてない。
ロシアが勝手に勘違いした地図を作っていただけの事。その件はソ蒙2国間の問題であって、モンゴルがソ連に抗議し、ソ連がそれを受け入れて訂正して終わってる。

>そのソ連と中国政府が作成した地図でもハルハ河が国境線となっているのだから
官製の中国地図で明確にハルハ河が国境になっている地図は無いが。
1933年に黒龍江省が出した地図でも、ノモンハンの線が国境になっている。
つまりは、満州国自身が、ノモンハンが国境だと認識していた。
1915年の関東軍監修の地図でも境界はノモンハン。
そこに、事変で満州の支配権を手に入れた関東軍が出張ってきて、シベリア出兵で入手した、まだモンゴルを属国化する前のロシアの地図を根拠に、勝手に国境線を書き換えたんだよ。

>そんなのは当たり前。満州国との交渉相手国が満州国を承認して
>なかったら国境線策定なんて有り得ない。
あり得るよ。国家として承認して無くても、支配勢力と見なして境界を交渉、画定するのは世界史的にはよくある話。
タンクー協定もそうだし、ソ連も満州国を承認してないが、国境交渉はしている。
150世界@名無史さん:2010/04/19(月) 13:30:05 0
>>147
確かにソ連はモンゴルを支配下に置くため、内政に介入し、粛清をした。
だが、目的は会議を潰すためではなく、モンゴルをソ連が完全にコントロールしたかったがため。
最初から日本が建て、日本人官僚が支配している満州国と違い、モンゴルはモンゴル人により独立建国された。その過程でロシアやソ連を後ろ盾にし、結局は支配下に置かれる事になった。粛清はその過程で0ある。
日本はソ連に、満蒙間の問題であるので口出しするな、と要求した。一方で事実上満州を直接支配している日本は、代表団に日本人を加え、実質的な代表として会議をリードしようとしていた。
ソ連は、それに対し、自分の選んだメンバーで満州里会議を行うとしただけの事。
それは、日本のやった事と何の変わりも無い。

確かに、モンゴル河の政情不安は、会議を拒否する理由にはなる。しかし、日本も同じような事をしている以上、
拒否を100%ソ連側の責任にする事は出来ない。
151世界@名無史さん:2010/04/19(月) 18:37:08 0
ソ連は最初からまじめに会議をやる気は無かったようだよ。
ただの時間稼ぎだったと。

それなりに意義を見出してた日本、モンゴルとは事情が違う。
満州でもモンゴル系の人は独自に結構期待してたようだ。
152世界@名無史さん:2010/04/20(火) 15:00:05 0
ソ連:モンゴルの完全属国化が優先。モンゴルは境界線の交渉だけやってろ。他に何もするな。
日本:これを機に、満州国をモンゴルに承認させよう。モンゴルに足がかりを作ってモンゴル経由でソ連の情報を取ろう。
モンゴル:境界は昔からノモンハンで決まってるのに、後から来た余所者(ソ連、日本)が何を勘違いしてるんだか。
それより、これを機に、バルガ族を引き入れて、モンゴル民族の大統一に向けての一歩とし、ソ連からも自立しよう。
  →日本:俺んとこの国民と領地を引き抜こうってか。こちら側のモンゴル族代表を処刑して動きを潰してやる。
  →ソ連:自立なぞ誰が許すかゴラァ 粛清じゃ。

全員、国境画定なんか二の次。

そして、関東軍:面倒くせえ、俺が決める。何、調査したらモンゴルの言い分が正しい? 無視だ無視。俺の決めた国境をモンゴルが越境してきたら皆殺しにして、力づくで認めさせてやる。

モンゴル・ソ連:そっちがその気なら受けて立ってやらあ。

そしてノモンハン戦が始まった。
153世界@名無史さん:2010/04/20(火) 16:08:44 0
>モンゴル・ソ連:そっちがその気なら受けて立ってやらあ。

いや、どうみてもソ連は挑発して局地戦起こすつもりだろ。
で、日本側が受けて立った。(挑発にうまうま乗せられたとも言う)
154世界@名無史さん:2010/04/20(火) 17:21:35 0
>>153
>ソ連は挑発して局地戦起こすつもりだろ。
ソ連やモンゴルの挑発って具体的には?

日本はモンゴル主張のノモンハン国境線に歴史的根拠があるのを知りながら、無視してハルハ河国境を主張。
さらに、ハルハ河国境を越えての攻撃も可とし、実際に渡河攻撃をやっている。
その裏には、越境してきたら追い返すのではなく皆殺しにしろなんて凶悪な、満ソ国境紛争処理要綱があったわけだ。
155世界@名無史さん:2010/04/20(火) 17:54:56 0
156世界@名無史さん:2010/04/21(水) 06:24:36 0
独ソ不可侵条約の交渉が進んでいたソ連は極東に兵力を向けることができた一方で、
日中戦争の長期化で兵力を中国戦線にとられていた日本は大規模な紛争を行う余裕は無かった。
157世界@名無史さん:2010/04/21(水) 08:17:55 0
>>149
> ロシアが勝手に勘違いした地図を作っていただけの事。その件はソ蒙2国間の問題であって、モンゴルがソ連に抗議し、ソ連がそれを受け入れて訂正して終わってる。
> 官製の中国地図で明確にハルハ河が国境になっている地図は無い

勝手に満蒙の間の国境線を書き換えておきながら「終わってる」も無いもんだ。問題が生じるのは当たり前。
日本はロシアの地図だけでなく民国(中華民国)参謀本部の七年版(大正七年)の十万分の一の地図も
調べ、外蒙境界の国境線がハルハ河であると確認している。
中ソ双方の資料でクロスチェック済み。戦史叢書・関東軍1より

日本軍も大正元年(1912年)からノモンハン方面を測量して、ハルハ河を国境線とした地図を作製している。
当然、その後に作成された地図もハルハ河を国境線としている(戦史叢書)

> 1915年の関東軍監修の地図でも境界はノモンハン。

それはソ連側の嘘かプロパか、そう言うのを元にした記事か何かだろう。あるいは後になってソ連が捏造した地図か?
158世界@名無史さん:2010/04/21(水) 08:36:14 0
>>150
> 拒否を100%ソ連側の責任にする事は出来ない。

99.9%位かな。ソ連の責任は。ゴンボスレン大佐の言うように満蒙間で合意が成立しかけていたところで会議関係者の虐殺を始めたソ連。
日本・満州国側も別にノモンハンの荒野を、どうしても欲しいと言うわけではない。モンゴルに恩を売って満蒙間で協力関係を持てたら理想的。

>満州国と違い、モンゴルは

コミンテルンに支配され気に入らなければ政府首脳以下片っ端から虐殺されると言う
今の北朝鮮以下の悲惨な境遇だった当時のモンゴル。
治安が安定し経済も豊かに発展していった満州国に比べたら雲泥の差。少々日本人が威張ってるくらい大したことではない。
159世界@名無史さん:2010/04/21(水) 08:46:39 0
> モンゴルに恩を売って満蒙間で協力関係を持てたら理想的。

参考図書
帝国陸軍 見果てぬ「防共回廊」 (単行本)  関岡英之 (著)

> 内容紹介
> 「防共回廊」とは、旧帝国陸軍が極秘で推進していた世界戦略。満州、モンゴル、ウィグルの独立運動を支援することで「反共・親日国家群」を
> ユーラシア大陸に林立させ、ソ連共産主義勢力の南下を遮断、東アジアの赤化を阻止して日本の國體の安寧を図るという壮大な計画だった。
> 
> 日本の敗戦により頓挫するが、本書はこの構想に関わった林銑十郎大将(元首相)、板垣征四郎大将らの軍人や、歴史に埋もれた外交官、諜報員、現地関係者などの事跡を発掘し、戦前日本の世界戦略を再現する。
160世界@名無史さん:2010/04/21(水) 15:25:32 0
つまり関東軍はモンゴル相手なら彼らのいう国境線を認めるけど、
ソ連がバックにいたら認めない方針だったということ?
意味わかんないです
161世界@名無史さん:2010/04/21(水) 20:16:34 0
ま、コミンテルンの支配下では無理でしょうね。平和的交渉は。
162世界@名無史さん:2010/04/21(水) 23:51:20 0
>>161
また「コミンテルン」か。くだらないね。田母神とか言う頭の足りない奴の
「論文」は知らんが、あの出来レース懸賞以外の場で出てくるとはね。
ノモンハンの話に「こみんてるん」が出てくる余地なんてないだろう?

それとも、お前さんの脳内では「コミンテルンが本質で、ソ連が傀儡」
なのかね?世間的には逆の認識だと思うんだが。
163世界@名無史さん:2010/04/22(木) 12:21:18 0
>>154
満ソ国境紛争処理要綱は一つには
前年に満州領の張鼓峰がソ連軍に侵攻されて
奪われてしまった事件など、ソ連軍の諸々の軍事行動が原因となって策定されたもの。

何も関東軍はノモンハン一つがそんなに欲しくてそんな要領を作ったわけじゃない。
ソ連軍が越境侵攻してきた場合は断固として撃退する方針を定めないと
ソ連との領土係争地は次々に侵攻されて切り取られ放題になってしまうという危機感が淵源にあった。
164世界@名無史さん:2010/04/22(木) 16:24:24 0
>>162
コミンテルンがモンゴルを牛耳っていたことも
知らずに世界史板にいて恥ずかしくない?
165世界@名無史さん:2010/04/22(木) 21:52:14 0
>>164
ソ連とモンゴルの関係が、
> コミンテルンがモンゴルを牛耳っていた
なんて生易しい代物だと思っているとはおめでたいね。
お前の脳内ではコミンテルンはソ連すら支配する悪の
結社なのかも知れないが。
166世界@名無史さん:2010/04/22(木) 23:33:05 0
モンゴルはソ連の厳然たる属国だろ。
悪の結社も何も日本の満州だってそうだしアメリカだって属国なんか幾らでも作ってたが。
167世界@名無史さん:2010/04/22(木) 23:39:51 0
>>166
そう言っているんだが?
コミンテルン云々は、ソ連が勢力を広げるためのてことして
の話であって、当時のモンゴルみたいな衛星国は、コミン
テルンの支配がどうこうなんていう段階はとっくに過ぎて
いる。
168世界@名無史さん:2010/04/23(金) 05:26:21 0
当時のモンゴルは完全にコミンテルンの支配下にあるから?

まあコミンテルンから気に食わないと見なされたら
首相以下政府閣僚らが皆殺しになるんだから・・・
169世界@名無史さん:2010/04/23(金) 06:38:36 0
まあ実際、コミンテルンは資本主義陣営からみたら
「世界征服を企む悪の結社」と認識してそんなに間違ってはいないと思うよ
そういう仕事するためにできてるんだからね
170世界@名無史さん:2010/04/23(金) 06:41:38 0
> ノモンハン事件前の国際情勢は「コミンテルン」と言う共産主義革命とモンゴルとどうしても重なってくる。
> 外国にはソ連政府として、コミンテルンは関係ないふりをしながら実際にはソ連共産党が世界を革命指導体制なのである。
> 
> コミンテルン結成(1919年)の2年後に赤軍がモンゴルに侵入して人民政府を樹立させてソ連型の国家形成の
> 圧力をかけていた。ノモンハン事件はここから始まった!

「ノモンハン事件」      パルル7階午後2時〜
      自衛隊 防衛大学教授  中山 隆志
http://park15.wakwak.com/~hoshi-kuzu/HOSIKUZU/nomonnhann.htm
171世界@名無史さん:2010/04/23(金) 06:43:26 0
ソ連側が「田中上奏文」をわりかし本気に受け取ったのと同様、
実体はどうあれコミンテルンの脅威が、日本側の思考を決定づけたのも事実ってことだな。
172世界@名無史さん:2010/04/23(金) 07:12:23 0
実際にコミンテルンってかなりえげつない事してるんだけどね。
革命支援といってコミンテルンの援助によってテロやクーデターが各地で起きた。
173世界@名無史さん:2010/04/23(金) 07:17:07 0
大陸国で国境紛争になれたソ連と島国の違いか。
ソ連が単なる国境紛争と考えていたのに関東軍は
コミンテルンに侵略されると考えていたわけね。
でも負けてソ連の主張を認めたら逆効果だよな.
174世界@名無史さん:2010/04/23(金) 07:24:27 0
日本は日独伊防共協定をいざという時の保険にしていたが
ドイツが無断で独ソ不可侵条約を結んでしまい
日本だけでは引き下がるしかなくなってしまった
175世界@名無史さん:2010/04/23(金) 07:26:29 0
> 田中メモランダムとノモンハン事件
> 
> 1931年、ソ連は満州事変が始まると田中メモランダムを大々的に広め、満州国が出現するとノモンハンを通る戦での国境を引きなおします。
> 1939年のノモンハン事件ではソ連側はこの田中メモランダムが実行されたとうたい、ソ連兵士に対して(単なる国境紛争ではなく)「日本の侵略」
> として・・・・(大規模な戦争を始めるための大義名分を作った)


> 私(田中)はノモンハン戦争に発展する一連の国境衝突は、満洲国とモンゴル人民共和国の間に分断された
> モンゴル諸族が、統一を回復するための試みから発展したものであろうと推定している。
>  
> そしてかれらがマンチューリ会議という絶好のチャンスにたどりついたところで、今度はコミンテルンが
> それを察知し、この動きを阻止するために大胆な方策に出たものと考える


> 打ち続く摘発は、ノモンハン戦争勃発の1938年5月までに、反ソ、反革命、
> 日本の手先との罪状で、2万5824人が有罪とされ、うち2万474人が銃殺・・・・( ウルズィーバートル294)
> 
> 当時のモンゴルの人口を約70万人と見積もれば、これは恐るべき数字である。・・・・・・】

参考文献 「ノモンハン戦争」田中克彦著
176世界@名無史さん:2010/04/23(金) 07:36:21 0
国境紛争というか、ソ連は満州だけでなくルーマニアやフィンランドや
エストニア、ラトビア、リトアニアにも次々と領土要求や軍事圧力を繰り返しかけていたが
相手が拒否すればフィンランドのように全面戦争に持ち込むし
相手が要求を呑んだとしても圧力を強めて、結局は国全体を占領してしまったり
単なる国境紛争だと軽く捉えられるような国でもなかった。
177世界@名無史さん:2010/04/23(金) 08:05:19 0
つ4国同盟
178世界@名無史さん:2010/04/23(金) 10:01:03 0
>>163
>ソ連軍が越境侵攻してきた場合は断固として撃退する方針を定めないと
断固として撃退はある意味当たり前。問答無用で越境してでも皆殺しにしろ、だから異常だと言われてる。

>ソ連との領土係争地は次々に侵攻されて切り取られ放題になってしまうという危機感が淵源にあった。
国家としての方針ならまだしも、一方面軍(それも左官参謀)が勝手に決めていい内容じゃないよ。
しかも、陸軍省は認可していない。
179世界@名無史さん:2010/04/23(金) 10:40:07 0
>>178
>断固として撃退はある意味当たり前。問答無用で越境してでも皆殺しにしろ、だから異常だと言われてる。

侵攻軍を撃退するため必要であれば、
一時的に国境をこえて作戦することも仕方がないと記してあるだけ。
「国境こえてでも追撃していって皆殺しにする」なんて極端な解釈を聞いたのは初めてだ。

要領は敵が越境攻撃してきた状況を想定しているわけだから
国境線に制約されていない敵と交戦するには国境線に制約された軍事行動を取るだけでは不利だという
作戦要務上のただの一般論の範囲でしかない。


>国家としての方針ならまだしも、一方面軍(それも左官参謀)が勝手に決めていい内容じゃないよ。
>しかも、陸軍省は認可していない。

関東軍は満州の国境防衛を任務としており
ハーサン湖事件のように自国の主張する領域を占領されてしまうのは明らかな失態だった。
要領は防衛のための方針であって、関東軍の責任の範囲で策定されたもの。
正式に参謀本部にも報告されているし拒否されることはなかった。
180世界@名無史さん:2010/04/23(金) 13:30:13 0
>>179
>侵攻軍を撃退するため必要であれば
だから、撃退が目的なら撃退と書きます。
しかし、満ソ国境紛争処理要綱で出されているのは急襲殲滅命令です。

>極端な解釈
殲滅と言う言葉の意味を考えて下さい。

>敵が越境攻撃してきた状況
いいえ。単に「彼の越境を認めたる時」としか書いておらず、攻撃までは入っていません。
越境と、越境攻撃は厳密には異なります。

>国境線に制約されていない敵と交戦するには国境線に制約された軍事行動を取るだけでは不利
その制限を外すのは国家=政府の領分です。

>関東軍の責任の範囲で策定されたもの。
国境線の認定がいつから一方面軍の責任範囲になったというのでしょうか。

>正式に参謀本部にも報告されているし拒否されることはなかった。
認可も得てません。つまりは検討中と言う扱いです。認可の得られない命令は無効ですよ。
181世界@名無史さん:2010/04/23(金) 13:39:38 0
あんまり軍事論に深入りするのは板違いかと。戦争板か軍事板向けの話しになるから
182世界@名無史さん:2010/04/23(金) 14:31:51 0
>>180
3項と4項をごっちゃにしないで、よくお読み。

急襲殲滅するのは、3項の国境が明確な地点で越境があった時だよ。
「一時的に『ソ』領に侵入し又は『ソ』兵を満領内に誘致滞留せしむることを得」、
というのも、つまり、相手がわざわざ侵入してきた悪意がはっきりしてる時なわけ。

他方、4項の国境が不明確な地点では、「必要以外の行動を為さざる」のが基本で、
「万一衝突せば兵力の多寡ならびに国境の如何に拘わらず必勝を期す」となってる。
急襲殲滅とは書いてない。
「自主的に国境線を認定」というのも、「之を第一線部隊に明示し、無用の紛糾惹起を防止する」ため。
183世界@名無史さん:2010/04/23(金) 14:34:21 0
有名な辻参謀について

前々から満州国とソ蒙との国境での小競り合いは続いていたが、しかしソ連側の戦争準備の物凄い規模が判明したのは昭和一三年。
ソ連からの不法偵察機が満州国上空を領空侵犯し、一方的に偵察を行う状況が続いていた。
反面、関東軍は中央から越境活動を厳重に禁止され対応手段を何も持てない状態だった。

しかしソ連側の無法に対し関東軍だけが信義を守るのも限度がある。日本側も偵察機を派遣する事になった。
辻参謀を乗せた司令部偵察機が出撃したのは五月一五日。低酸素・低温の高空を飛び、命懸けの偵察飛行を行う。

辻参謀が目撃したところ地図に現れない新しい自動車道が驚くほど発達していた。満領内とは大人と子供ほどの格差があると言う。
道路の発達は、そのまま軍事施設の強化を意味する。国境だけの単純なトーチカ陣地だけでなく縦深約三〇キロに渡ると思われた。
大規模な近代軍事基地ウオロシロフも偵察する。貧弱な満州の飛行場とは雲泥の差だった。おびただしい戦闘機が上昇してくるなかで退避

参考 「ノモンハン秘史」 辻政信著 毎日ワンズ 
184世界@名無史さん:2010/04/23(金) 14:35:23 0
辻参謀について

海を隔てている島国日本の現代日本人は理解しにくい所だが、国境線と言っても広大な大陸の土地に
浅く埋めた粗末な境界石を置いているだけの案外いい加減なモノ。その指標をソ連兵が勝手に移動
させてしまう場合も多かった。無論、その後の国境紛争の元になる。

辻参謀は視察に際して、ソ連兵が勝手に移動させた境界石を発見する。肩に担いで約200m先の元の位置に移動して
埋め戻す。これは辻参謀によって、日ソ間で紛争を起こすことなく終結した「国境問題解決事例」とも言える。

> 「僅か二百メートルの土地を」と人は笑うであろう。しかし、この二百メートルを戦争で取り戻すためには
> 数十人の犠牲を出さねばならぬ。(辻政信)
> 「ノモンハン秘史」 辻政信著 毎日ワンズ 

ロシア人の拡張主義(侵略)は歴史が証明している
元満州国外交官 北川四郎氏談
185世界@名無史さん:2010/04/23(金) 14:47:25 0
昭和十三年の夏に、張鼓峰事件が勃発する。死傷者、ソ連兵5,500、日本兵1,440
この事件は日本側が譲歩して終結した。この不徹底な張鼓峰事件処理がノモンハン事変の遠因と
言われている。

「鉄道要点をソ連機に爆撃せられながらも、我が飛行隊の行動は、厳しく制限されて戦わねばならぬ。」
「足を縛られて喧嘩するような戦いに勝ち目のあるはずはない。」

「(張鼓峰事件)あのときに徹底的に膺懲し、実力を持って主張を貫徹していたら、恐らくは
ノモンハンの戦闘を惹き起こさなかったのでは無かろうか。」

「ノモンハン秘史」辻政信

辻参謀が、ソ連兵の越境には断固として対処すべきと言う方針を打ち出したのは、こうした経験からと思われる。
186世界@名無史さん:2010/04/23(金) 15:14:36 0
なにせ、張鼓峰事件では、停戦協定まで日本側が占領してた場所を、
協定で非武装地帯と決めて撤収したら、とたんにソ連軍が展開して占領しちまったもんな。
まともに交渉する気にはなれんわ。
187世界@名無史さん:2010/04/23(金) 16:05:18 0
>>182
別にごっちゃにはしてませんよ。3項と4項の問題は、それぞれ別のものです。

むしろ実際にごっちゃにしてるのはノモンハンの関東軍です。
5月の時点でハルハ河を越えて爆撃してますし、ハルハ河東岸に進出したソ蒙軍を包囲殲滅し、その後
西岸への渡河攻撃、と言う計画を立てています。
188世界@名無史さん:2010/04/23(金) 16:31:17 0
問題すり変えんなよw
まずは要綱自体はおかしくないことを認めろ
確定した国境線をわざわざ超えて進軍してきた場合なんだから、徹底的に叩くのはおかしくないんだろ
189世界@名無史さん:2010/04/23(金) 17:42:31 0
徹底的に叩くには相手より大兵力投入せねばならずお互いに兵力を
増強していくと紛争がどんどん拡大していきソ連との全面戦争を
ひきおこしかねない。当時日中戦争に手一杯で外交的に不利な状況
だったから陸軍は関東軍に自粛しろっていってたんだろ。
190世界@名無史さん:2010/04/23(金) 20:30:58 0
>>180
>殲滅と言う言葉の意味を考えて下さい。

殲滅なんて言い回し一つにこだわっている時点で
軍事の知識が不足している証拠だよ。
旧軍は作戦要務令でも戦闘の目的とは「敵を殲滅し迅速に勝利を得ること」と表現しているように
「敵を殲滅する」なんて言葉は一種の定型句みたいなもの。
戦闘になればそれくらい圧倒的に勝つことが目標だというだけの意味で
目標を命令と履き違えている。

>いいえ。単に「彼の越境を認めたる時」としか書いておらず、攻撃までは入っていません。
>越境と、越境攻撃は厳密には異なります。

普通に考えたら常識だが
軍が越境し進入してくることは領土侵害であって、侵攻であり攻撃以外のなにものでもない。
その場合迎撃することはごく普通のことでしかない。

>その制限を外すのは国家=政府の領分です。
>国境線の認定がいつから一方面軍の責任範囲になったというのでしょうか。
>認可も得てません。つまりは検討中と言う扱いです。認可の得られない命令は無効ですよ。

国境線が不明瞭な地域だから行動できないなんて事になれば
敵の係争地への侵入に対して何の防止行動も取れないことになる。
不明瞭な地域に敵が侵入している以上、
敵の方は自主的に国境線を決めてしまっているという前提であり
こちらも同様に便宜的な国境線を定めないと迎撃行動が取れないという
作戦要務上の一般論の範囲でしかない。

また、拒否されていない以上は認められていると判断するのは特別なことではない。
下位司令部の要請に対し参謀本部が認められなければ、拒否あるいは
認められない行動の範囲を示達されるのが通常の慣例。
191世界@名無史さん:2010/04/23(金) 22:03:52 0
太平洋戦争期間中はソ連を刺激しないように、さすがの関東軍も挑発されても
攻撃しないようにしてたから、やっぱどこまでやるかは中央の政治的判断だと
思う。国境紛争って一分一秒を争うものじゃないし・・・。
192世界@名無史さん:2010/04/24(土) 03:58:48 0
対ソ静謐確保という大本営陸軍部からの命令に従っていたからな。
米英との総力戦を行なうんだからソ連との国境紛争どころじゃない。
193世界@名無史さん:2010/04/24(土) 07:25:28 0
それより国境紛争は一分一秒を争わないなんて発想がでてくること自体が異常だな。
194世界@名無史さん:2010/04/24(土) 15:56:29 0
もっとも必死だったのはソ連の方
195世界@名無史さん:2010/04/27(火) 02:32:42 0
衝突の部隊となったノモンハン付近の境界は、
1 もともと清朝が、清朝に臣属していたハルハ族とバルガ族の境界として1732年に制定した。
  →この時の境界は、ハルハ河の東方20キロ付近を走る分水嶺上におかれた。
  →のちにモンゴル人民共和国が主張する国境は、この境界である。

2 辛亥革命で清朝が滅亡し、モンゴルが独立したとき、ハルハ族は独立国側に、バルガ族は中華民国の支配下にはいった。
  →このときハルハ族とバルガ族の遊牧地の境界が、そのままモンゴルと中国の国境
となった。

3 日本が満洲国を樹立した際、ホロンバイル地方(バルガ族の遊牧地の全域)も満洲国の一部となった。
→この結果、ハルハ族とバルガ族の遊牧地の境界は、モンゴルと満洲国の国境となった。

以上、当事件の紛争地域においては、1732年以来、ハルハ族とバルガ族の遊牧地の境界としてきわめて明瞭に境界が設定されていた。紛争の原因は、「」


おり、まったく「不明瞭」などではない。

4 日本側がかってに国境をハルハ河に移動しようとした結果、ハルハ族とバルガ族の遊牧地の境界は「国境紛争地域」と化した。

、ノモンハン事件の原因となった。


日本のごり押しが通じなかっただけである。
196世界@名無史さん:2010/04/27(火) 04:13:25 0
>>195
条約でいえば張鼓峰は清国領であって
満州領だと主張する正当な根拠があった。
それを一方的に侵攻して占領してしまったのがソ連軍。

領土問題というのはそんなもので
双方に言い分があるのは当然だが、その正当性の議論とは別に
係争地は武力で確保するという行動に問題の本質があった。
197世界@名無史さん:2010/04/27(火) 17:05:34 0
>>195
特定の民族同士の境界線がそうなのは判るが、国境線を論じる論拠には
残念ながら、全然ならない。
アイヌ民族にとっての生活圏は、本来、サハリン、北方領土(4島)、北海道まで
連続していた。しかし日本とソ連・ロシアによって分断されてしまっている。

モンゴル民族にとっての境界線と、国家間の国境線とは必ずしも一致しない。
そして国境線を決めるのは弱小民族・弱小国家ではなく、往々にして彼らを支配する大国の方。
198世界@名無史さん:2010/04/27(火) 17:28:32 0
> 満ソ国境紛争処理要綱

これを作成した理由は第一線に明確な指針が無かったため。
(イラクに派遣された自衛隊も交戦規定があやふやで苦労していた)

国境付近で戦闘が起きた場合、何の基準もなくては部隊は行動できない。
やりすぎたら処罰され、弱気でもクビ。現場ではどう行動して良いか判らない。

そこで満ソ国境紛争処理要綱が作成され関東軍に与えられた。

「ノモンハン秘史」辻政信 P69 より
199世界@名無史さん:2010/04/27(火) 19:12:38 0
>>197
>特定の民族同士の境界線がそうなのは判るが、国境線を論じる論拠には
>残念ながら、全然ならない。
なるよ。
ハルハ族がモンゴルに属すのだから、ハルハ族の版図はモンゴルの版図。
バルガ族が満州国に属すのだから、バルガ族の版図は満州国の版図。
当然、ハルハ、バルガの境界が両国の国境となる。

清朝においてハルハ族は外蒙古、バルガ族は黒龍江省に編入された。
ここで、これは民族の境界であるだけでなく、清の行政区画の境界にもなった。
そして、モンゴルが外蒙古を、満州国が黒龍江省を版図としてそれぞれ独立した。
この時点で国境は決まっている。

日本側も、ハルハ河が国境と主張するのに、ハルハ河までが満州=黒龍江省であると言う地図を探し回っている。
こういう境界が国境線を論じる根拠にならないのなら、そんな真似をするはずがない。
200世界@名無史さん:2010/04/28(水) 15:28:01 0
戦史叢書によればソ連だけ無く中国の地図でもハルハ河が国境線になってるんだから
幾ら言い訳してもダメでしょ。
201世界@名無史さん:2010/04/29(木) 11:16:48 0
その前にソ連軍は歴史的にも満州側の領土だった張鼓峰を
武力行使して奪ってしまった前科があるんだから

ノモンハンがどちらの領土かなんて話がどうであろうと
結局欲しい土地であれば実力で奪い取る方針だったのは明白だよな
202世界@名無史さん:2010/05/03(月) 07:42:46 0
>>199
>なるよ。
>ハルハ族がモンゴルに属すのだから、ハルハ族の版図はモンゴルの版図。

なんないよw アイヌ民族が日本国に属すのだから、北方領土・樺太、他は
日本の版図、と言っても通用しないだろうに。
203世界@名無史さん:2010/05/03(月) 10:47:56 0
地図でいえばそこに満州国という国が存在すんのがおかしくね?
204世界@名無史さん:2010/06/04(金) 15:14:29 0
ソ連は外交の上で事実上満州国を認めていたんだからしょうがないだろ。
205世界@名無史さん:2010/06/05(土) 18:36:41 O
事実上承認ってどういうこと?そもそも承認て行為自体が形式を整えることじゃないの?
206世界@名無史さん:2010/06/05(土) 18:55:14 0
じゃあ何で満州国との国境線確定交渉を日本相手に行なってるんだよ。
日ソ不可侵条約でも「満州帝国」の領土を保全すると明記しているし。
常識で考えて小学生でもわかりそうなもの。
207世界@名無史さん:2010/06/05(土) 20:44:50 O
たんに満州を日本の植民地として認めただけだろ。もちろん歴史的な背景とも関係ない。
208世界@名無史さん:2010/06/05(土) 20:58:23 0
何をいいたいのかわけわからんな。
満州を日本の植民地と認めて、清国の歴史に基いた国境線画定交渉をやってるならそれが全てだろ。
209世界@名無史さん:2010/06/05(土) 21:54:53 O
いやそれが全てじゃないですよ。植民地の境界線に一番影響を与えるのはパワーバランス。関東軍も武力で満州を手に入れたんだよ。軍事力を投入する価値のない土地は古い国境などを参考にして決めるだけ。
210世界@名無史さん:2010/06/06(日) 02:51:44 0
国境線なんてパワーバランスだけだから、領土主張の正否なんて無関係だと主張したいのか?
211世界@名無史さん:2010/06/06(日) 02:53:42 0
これはまた極論がでてきたもんだな。
212世界@名無史さん:2010/06/06(日) 02:59:28 0
いずれにせよ、ソ連にとっては植民地とか独立国とか関係無しだけどな。
カレリアの割譲要求もバルト三国の併合も露骨な軍事恫喝によって為された。
213世界@名無史さん:2010/06/06(日) 07:11:11 O
>>210
いや全ての国境線じゃなくて満州ように武力で奪って国際的に認められてない国に限った話ね。
214世界@名無史さん:2010/06/06(日) 08:16:09 0
根拠のない妄想はどうでもいいんだけどな。
満州国を認めなかったところで、それは中国の領域という立場になるだけでソ連の領土なんて話にはならない。
それにソ連は外交上満州国の存在を文書中にも認めているし
資料に基いた国境線画定交渉を行なってもいる。

少なくとも満州国は認めないから侵攻は正当だなんてスタンスはとっていない。
215世界@名無史さん:2010/06/06(日) 11:46:33 0
まあ日本にとっては冷戦があと2〜30年は続いててくれたほうが都合がよかったかもしれないけどな。
216世界@名無史さん:2010/06/06(日) 13:54:13 O
>>214
中国は別に日本とソ連が勝手に決めた国境に従う義務はない。満州を取り返した後のソ連と中国の問題。
実際1945年にソ連が満州に侵攻しても満州をソ連領にはできないからあなたの言うことは正しい。
ただ武力で外国の領土を分捕ってできた国が国境紛争程度で相手を侵略者とは言えないってこと。
217世界@名無史さん:2010/06/06(日) 15:20:45 0
>>216
いい加減なこというなよ。
ソ連が満州を返還したのは元々そういう約束で対日参戦することを認めてもらっていたから。
しかし国境問題は満州国時代からそのまま引き継がれ
冷戦時代には同じ社会主義陣営でありならノモンハンのような国境紛争まで起こしている。
218世界@名無史さん:2010/06/06(日) 18:12:29 0
>>217
???
別に君の言い分と>>216氏の言い分が矛盾しているようには見えないんだが?
どこに論点の相違があるんだ??
>>216氏がいい加減なら君もいい加減、君がいい加減でないなら>>216氏もいい加減でない。
219世界@名無史さん:2010/06/06(日) 18:35:59 0
話の流れを考えろよ。
ソ連は相手が満州国でも中華人民共和国でも国境紛争に色なんかつけてない。本土とか植民地とか関係ない。
従って満州国だけ領土主張の正否は無関係なんて>>213のような論理は
当時のソ連にだってどこにも成立してないということ。

まずその認識の誤りを認めていかないと対話にもならないという話。
220世界@名無史さん:2010/06/06(日) 22:03:50 O
>>219
そういう論理は存在しないっていうなら、当時ソ連と日本の国境紛争でどこかの国が日本を支持してくれたんですか?
221世界@名無史さん:2010/06/06(日) 23:10:54 0
領土問題を何だと心得てるのか
尖閣問題でどこの国が日本を支持してくれてるんだよ
222世界@名無史さん:2010/06/06(日) 23:15:51 0
まあフィンランド、ルーマニア、エストニア、ラトビア、リトアニアとか
ソ連の軍事的脅迫によって国土を奪われる瀬戸際だった国々は日本の味方だろうな
223世界@名無史さん:2010/06/06(日) 23:18:26 0
現に東欧でソ連と国境を接していた国々はほとんどが満州国を承認しているしな。
224世界@名無史さん:2010/06/06(日) 23:39:03 O
例えて言えばポーランドを分割したドイツとソ連が境界線をめぐって紛争起こすようなもんだな。どっちもどっち。
225世界@名無史さん:2010/06/07(月) 04:08:40 0
まあ少なくともケ小平時代には
ソ連「尖閣諸島は日本のものだ」
中国「北方四島は日本のものだ」
っていう状態だったんだけどな
どちらも公式にそう言っていたし、
今でもそれを引っ込めるもっともらしい理由も無い
226世界@名無史さん:2010/06/09(水) 08:52:03 0
日本の外務省がノモンハンでのソ連の侵略行為を
国際社会に訴えたとき、諸外国はどう反応したの?
227世界@名無史さん:2010/06/09(水) 10:05:44 0
>>226
訴えてなどいませんよ。
訴えようにも誰も相手にしてくるような状況じゃありませんから。
228世界@名無史さん:2010/06/09(水) 12:26:01 0
>>224
それはドイツとソ連によるポーランド侵略だろう。満州国とノモンハン事変の場合は
日本による独立支援および防衛協力の側面が有る
229世界@名無史さん:2010/06/09(水) 12:50:10 0
>>228
>独立支援および防衛協力の側面が有る
ソ連とモンゴルの関係でなら成り立つと言えるが、
日本と満州国では成り立たんよ。満州国は制度的にも日本に従属している。

そもそもモンゴル側の主張の方が歴史的にも根拠があったわけだし。
230世界@名無史さん:2010/06/09(水) 13:42:38 0
>>229
モンゴルは純然たるソ連の属国で、ソビエト連邦16番目の共和国と称されていたほどだがな。
231世界@名無史さん:2010/06/09(水) 14:13:01 0
外蒙古独立は周到な準備の元に成功した。
日本は準備不足すぎた。
232世界@名無史さん:2010/06/09(水) 14:30:02 0
内紛のドサクサに紛れて軍事占領しただけなのが「周到な準備」かよ。
233世界@名無史さん:2010/06/09(水) 15:20:34 0
>ソ連とモンゴルの関係でなら成り立つと言えるが、

コミンテルンがモンゴル人を虐殺しまくってるのに、成り立つってナニが?
234世界@名無史さん:2010/06/09(水) 16:11:57 0
>>230
それでも、政府はモンゴル人で構成され、ソ連人は顧問として外部から「協力」していると言う体裁は保っていた。
外国籍の日本人に、官僚の半分以上、高級官僚に至っては8割以上を占有され、構造レベルで支配されていた満州国とは違うんだよ。

>>233
モンゴル人はそれなりに自立する力を持っていたから、抵抗を封じるのに殺してしまう必要もあった。
モンゴル人は自力で蜂起し独立宣言を出している。
満州国の場合、満人にも漢人にも自立する力が無かったから、虐殺する必要すらなかったんだよ。
235世界@名無史さん:2010/06/09(水) 16:28:49 0
>>234
軍事も外交もソ連に従属し、人事権ですらソ連の統制下にあった政府に体裁もクソもない。
そんなものを根拠に「モンゴルは制度的にはソ連に従属していない」なんて強弁を繰り出すのはあまりにも異常。

>モンゴル人はそれなりに自立する力を持っていたから、抵抗を封じるのに殺してしまう必要もあった。

それのどこが他民族に対する弾圧・粛清を擁護する根拠になるのか全く謎。
236世界@名無史さん:2010/06/09(水) 16:32:51 0
普通の常識では
自立する力のあるとこを虐殺して支配してしまうほうが
虐殺のない支配よりさらに悪いことにしか思えないんだが
何をいいたいのか理解に苦しむよ
237世界@名無史さん:2010/06/09(水) 17:17:46 0
>>235
擁護なんかしてないよ。
モンゴルの傀儡性と満州国の傀儡性の比較において、虐殺の有無はモンゴルの傀儡性の高さの根拠にはならんといってるだけで。

>>236
虐殺をやらないと支配し切れなかったモンゴル、虐殺の必要も無いほど完全に日本が支配していた満州、と言う話。
238世界@名無史さん:2010/06/09(水) 17:35:16 0
>>235
>軍事も外交もソ連に従属し、人事権ですらソ連の統制下にあった政府に体裁もクソもない。
それは確かにその通り。そのモンゴル以上の傀儡国家が満州国だったと言ってるだけ。

人事権は、モンゴルの場合はあくまで外圧。満州国の場合協定で関東軍が権限を持っていた。
外交、軍事のみならず、内政まで制度的に日本の統制下。

>「モンゴルは制度的にはソ連に従属していない」なんて強弁を繰り出すのはあまりにも異常。
あくまで、満州国との比較においての話だよ。
>>228が、「日本による独立支援および防衛協力の側面が有る」なんて強弁を繰り出すからさ。
239世界@名無史さん:2010/06/09(水) 21:55:05 0
そもそも日本は満州に限らず統治の手段に大粛清なんてやったことないだろ。
モンゴル人だから虐殺が必要だとまでソ連の肩を持つのは正気の沙汰ではない。
240世界@名無史さん:2010/06/09(水) 22:23:50 0
ノモンハンの領土主張はモンゴルが正当だったとすれば
事変により、正当な領土であるアルシャン地区などを
満州側に奪取されてしまったことになる。

日本・満州側は不当に領有権を主張した結果として
領土が増えたとすれば戦略的勝利といえるよな。
241世界@名無史さん:2010/06/10(木) 07:53:00 0
>234
> モンゴル人はそれなりに自立する力を持っていたから、抵抗を封じるのに殺してしまう必要もあった。

は? 

> >(満州国とノモンハン事変は日本による満州)独立支援および防衛協力の側面が有る
> ソ連とモンゴルの関係でなら成り立つと言えるが

に対して、それは真反対の意見ですよ。ソ連はモンゴルの独立を、モンゴル指導者層の大量虐殺によって
徹底的に弾圧してるだけ。どこがソ連のモンゴル独立支援に見えるんですか?
242世界@名無史さん:2010/06/10(木) 07:59:38 0
>>238
 >>228が、「日本による独立支援および防衛協力の側面が有る」なんて強弁を繰り出すから

確かに一石を投じて見たけれど、とんでも無い強弁を言いだしてるのは彼方の方。
243世界@名無史さん:2010/06/10(木) 10:21:14 0
>>234
ソ連にとってのモンゴルのように軍事的な従属辺陬として支配するだけなら
弾圧して従わせるだけのほうがコスト面での効率がいいが

日本は満州を重工業地帯に発展させるために大規模な資本投下をしているから
行政サイドにも近代的な施策を行ないえる高度な教育を受けた官僚・閣僚が要求された。
中国国民党ですら有力な官僚・政治家は軒並み日本留学組という時代背景を考えないと。
244世界@名無史さん:2010/06/10(木) 13:52:08 0
>>241
矛盾してませんよ。時系列が違うだけ。
当初の関係は、独立支援だった。モンゴルは自力で独立しようとし、中国に対抗するためにロシアやソ連の援助を得、その後、ソ連に乗っ取られた。
乗っ取りの過程で、指導者層の排除、虐殺が行われた。
それも、チョイバルサンら、モンゴル人の要請に基づく形式を維持しています。

ソ連のモンゴル指導者層の虐殺は、満州国においては満州事変に相当します。
張学良や馬占山には逃げ出す先があり、逃げ出す事にも成功したが、ゲンデンらに逃げ場はなかった。
満州国でも、日本の意に沿わない指導者層は排除されたり、処刑されたりしています。

>>242
同レベルですよ。
満州国と日本の関係が「独立支援および防衛協力」と言えるなら、ソ連とモンゴルの関係はより説得力を持って「独立支援および防衛協力」と言うことになると言ってるのです。

モンゴルでは、モンゴル人が独立国を作った後、支援者であったソ連が一部モンゴル人指導者と手を組んで、乗っ取り傀儡化をはかった。
満州では、日本が乗っ取り、傀儡化をはかって、指導者層を排除して満州国を作った。
モンゴル人自身による独立、建国があるので、「独立支援および防衛協力」と言う名目は、満州国より成立しやすいのですよ。
245世界@名無史さん:2010/06/10(木) 15:28:00 0
>>244
え? 日本は満州人の指導者は擁護してますよ。虐殺していったソ連とは対極に位置する
246世界@名無史さん:2010/06/10(木) 16:25:48 0
満州国の高官で公然と日本を非難した人物もいたぞ。
それで立場を悪くするくらいはあっても、さすがに殺されてはいない。
247世界@名無史さん:2010/06/10(木) 16:37:03 0
つ凌陞
248世界@名無史さん:2010/06/10(木) 16:46:26 0
凌陞って日本を非難したから処刑されたんじゃなくて
ソ連に日本軍の情報を流していたことがバレて極刑判決になったんだろ
249世界@名無史さん:2010/06/10(木) 16:59:36 0
そんなにソ連が話の分かる国なら、まず北方四島返せっての。
あれこそソ連が奪う歴史的正当性の欠片もないんだが。
250世界@名無史さん:2010/06/10(木) 17:08:55 0
>>246
初代総理の鄭孝胥か?
首になったぞ。

>>248
大本営発表だろ。
モンゴルでの虐殺も、「日本のスパイ」容疑でやってたのだから同じ事。

凌陞 は満州国内のモンゴル族の実力者で、モンゴルと大モンゴル主義で連携しようとしたから殺された。
251世界@名無史さん:2010/06/10(木) 17:11:39 0
>>245
張学良とか、馬占山とか、逃げられて殺し損ねただけだよ。
252世界@名無史さん:2010/06/10(木) 17:20:30 0
>>250
全然違う。
凌陞事件は密告などで証拠がでてきて、制式な裁判のもと判決が定まった。
ソ連側のはあらかじめ用意した書類に拷問でサイン書かせたりして自白扱いしただけ。

法手続きからいっても明らかに異なるこの二つの例を
糞味噌に同列に扱っている点でいかに酷いバイアスがかかっているか推して知れるな。
253世界@名無史さん:2010/06/10(木) 17:25:17 0
凌陞の例は情報リークしたのはソ連側だったんだろ
254世界@名無史さん:2010/06/10(木) 17:37:22 0
>>250
モンゴルには日本のスパイが4万人もいたんだからな。
どんだけ親日国なんだよw
255世界@名無史さん:2010/06/11(金) 13:40:30 0
一件の通謀事件と数万人の粛清を同じ事とまで強弁しだす奴なんだから
論理性なんかどうでもいいんだろ
256世界@名無史さん:2010/06/13(日) 08:06:22 0
モンゴルはロシア時代に独立しその後ロシア革命が起こったから
親ロシアのモンゴル政府要人が共産党に粛清された。
関東軍は単に満州の反日勢力を武力で討伐し、現地人には期待せず
日本人移民をおくりこんだ。
やり方がちがうだけでやっぱどっちもどっちだなあ。
257世界@名無史さん:2010/06/15(火) 17:59:55 0
>モンゴルはロシア時代に独立しその後ロシア革命が起こったから
>親ロシアのモンゴル政府要人が共産党に粛清された。

ロシア革命が起こったから他国のモンゴル人が虐殺される〜って論理的に
つながりが無い様な気がするけど、で、要するにソ連のモンゴル侵略だと?
258世界@名無史さん:2010/06/23(水) 03:59:09 0
ボドー、ダンザン、ゲンデン等、総理大臣や国会議長、国軍司令官など国家の最高指導者がぞろぞろころされたねい。
259世界@名無史さん:2010/06/23(水) 11:22:01 0
満州には親日勢力ってなかったんだろうか?
満州族の民族主義を鼓舞し、日本の動きに呼応するような。
あと、旗人を優遇して八旗制度を形だけでも残し、
満州国に「プチ清国」としての形式を整え
新たなナショナリズムを育てるという発想はなかったのだろうか。
見たところ、溥儀を皇帝に据える以外にそういう演出はほとんどやってないようなんだが。
260世界@名無史さん:2010/06/23(水) 14:02:10 0
満州には今でも日本統治時代を懐かしがる親日派が多いとか。
261世界@名無史さん:2010/06/24(木) 16:17:39 0
関連スレ

WW2独軍勝利の可能性〜ノモンハンが全面戦争になったら
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/history2/1277338500/l50
262世界@名無史さん:2010/06/27(日) 19:13:27 0
>>259
今のイラクと同じで長大な国境線からソ連の反日ゲリラへの支援を
とめることは絶対不可能という状況。
関東軍の満州への宥和政策はゲリラを活動しやすくするだけなので
まず失敗するだろ。外見で中国人を反日と親日か見分けられないから、
信用できる日本人移民を送り込むのに勝るものはない。
263世界@名無史さん:2010/06/29(火) 15:11:00 0
>>5
被害ならソ連は日本軍以上、係争していた領土は折半、
痛みわけ以外の結論はでないよ。
別に日本軍は止めなど指されていない、一部の突出した部隊が壊滅しただけ。
そしてその部隊は粘り強く戦い、同数以上のソ連軍を葬った。
>>7
係争した領土はほぼ綺麗に折半されている。
>>11
拡張はしていない。
264世界@名無史さん:2010/06/29(火) 15:53:21 0
というか>>7の地図はソ連が主張した国境ラインを間違っているな。
ハンダガヤハロンアルシャン地区、その地図でいえば南部の大半もソ連は国境線として主張していた。
265世界@名無史さん:2010/06/29(火) 19:14:45 0
なんで、モンゴル国と満州国の国境線をソ連が云々できるんだよ。
266世界@名無史さん:2010/06/29(火) 20:58:34 0
>>265
当時のソ連軍が情弱だったからじゃねえか?
267世界@名無史さん:2010/06/30(水) 22:15:12 0
ハルハ河が全部モンゴル側になってる・・・。大陸では土地より水の方が貴重なのに。
268世界@名無史さん:2010/07/01(木) 05:50:17 0
>>262
日本人を送り込むのと形だけの宥和政策と両方やったらいいんじゃね?
漢人も満人も一緒くたに満人と呼ぶ、皇族の墓にも文書にも使われてて
満州族の統合の象徴でありながら絶滅寸前の満州語を保護もしないで無視し
北京官話の方を満語と呼ぶ、「五族」が皇帝に忠誠を誓う儀式すらしない、
清朝の栄光を称えもしない、ではハリボテ感増大。別に日本人移民や関東軍は
そのままでも、満州国なりの国家イデオロギーを捏造でもいいからもう少し
演出できなかったものか、ってこと。ゲリラに口実を与えないための宣伝工作ってこと。
269世界@名無史さん:2010/07/01(木) 06:45:59 0
独ソ不可侵条約の締結による平沼内閣総辞職という事実からして、
軍事的には負けていないとは言い張れても政治的には明らかに失敗。
当時の外務省はこの情報を察知できていなかったのだろうか。
270世界@名無史さん:2010/07/01(木) 07:09:24 0
>>642-643
防衛力を削減すると、逆に戦争の危機が近づくというのは軍事の基本常識だよね?
271世界@名無史さん:2010/07/01(木) 07:10:00 0
誤爆 失礼
272世界@名無史さん:2010/07/01(木) 10:28:43 0
日中戦争のさなかにこのような衝突を起こしたのは明らかな政治的失敗。
273世界@名無史さん:2010/07/01(木) 11:11:50 0
軍事的にみても戦闘が終わった時点でソ連には戦車がたくさん
あったけど関東軍にはほとんど無かったんでしょ?戦えたのか?
274世界@名無史さん:2010/07/01(木) 13:40:57 0
ノモハンは歴史を変えた大事件で、結論から言うとソ連は勝ったとは
思ってなくて、むしろ日本の装備の悪い最弱師団の見せた抵抗に驚い
たのと航空戦での大敗を受け、その後も強力な部隊を日本の三倍の規
模で極東に配備し続けました。そのことが後、歴史を変えることにな
りました。

時系列で、経緯を述べます。
1,ロシア革命
2,ドイツと新生ソビエトが停戦。ソビエトにとって屈辱的内容。
3,第一次大戦終了。ベルサイユ条約でドイツの軍備が制限。
4,ここに第一次大戦後のドイツと、新生ソビエトとの奇妙な利害の一致が生まれる。
5,独ソの国交樹立、ラパロ条約締結。そこに秘密軍事協定。
6,ドイツ軍将校がソビエト国内で、ソビエト軍の訓練や秘密兵器の開発をする。

続く
275世界@名無史さん:2010/07/01(木) 13:48:02 0
>>274の続き

7,ゴロツキ革命軍から、正規のドイツ将校に訓練された赤軍誕生。
8,スターリンはソのエリートを憎み、大粛清。
9,日露戦争で負けた影響か、極東にはドイツ仕込みの精鋭赤軍を温存していた
10,その司令官は、ドイツ将校に教育されたジェーコフ司令官。
11,ノモハン事件。日本の立場は別として、ソ連は日本の強さに仰天。
12,停戦後もジェーコフ司令官のも、精鋭赤軍を極東に配置
13,独ソ開戦。ドイツ軍がモスクワに迫る。
14,東京からのゾルゲの情報で、日本は北進せずに南進だと。
15,ジェーコフの極東軍、モスクワ防衛に到着!
16,ソ連は独ソ戦に勝利し、ジェーコフは国民的英雄に。

こんな感じ
276世界@名無史さん:2010/07/01(木) 18:40:49 0
モスクワ防衛時に派遣された極東軍は日本軍と直接対峙しているトコではないとか。
277世界@名無史さん:2010/07/01(木) 20:49:04 0
>>273
戦車といっても当時の戦車はチハより装甲が薄いのがデフォ。
ソ連の主力であるBTは最大装甲厚でチハの背面装甲と同程度。
側面・背面となると10mmちょっとで、チハの側面・背面の半分程度の装甲だった。

従って日本の37mm速射砲でも次々貫通炎上する有様だったし
対戦車ライフルでも正撃なら500メートル以上から正面装甲が抜かれた。
278世界@名無史さん:2010/07/01(木) 21:05:13 0
ソ連軍の装甲車両は壊れに壊れて400両。
100万のポーランド軍を相手にしたドイツと変わらない数の全損車両を
数万の歩兵相手の局地戦で出してしまった。
279世界@名無史さん:2010/07/01(木) 21:36:28 0
ノモンハンでの戦闘は最初は極東方面の部隊で戦っており、
地上部隊,航空部隊も稚拙で日本軍が優勢だったが、
独ソ間の交渉が進展するに伴い,ヨーロッパ方面から続々と精鋭部隊が増援され,
優勢だった日本軍も次第に苦戦するようになり,独ソ不可侵条約調印で万事休すとなった。
これらの部隊はフィンランドでの苦戦に際して切り札として投入され,
活躍し指揮官のシュテルンは上級大将に昇進している。
しかしドイツ軍の侵攻に際してシュテルンは敗戦し銃殺された。
280世界@名無史さん:2010/07/01(木) 23:37:59 0
極東に精鋭部隊を温存しヨーロッパには2線級の部隊しかいなかったというわけではなく、
機械化においてはウクライナ方面軍が最も充実していて戦車は6000両以上も装備していた。
また白ロシアの機械化軍団はT34やKV1を優先的に交付されている。
ロシアは日露戦争の敗北よりも第一次大戦でのドイツ軍に対する敗退、
ポーランドとの戦いにおける敗退の経験からウクライナ・白ロシアの軍備を最重点においている。
281世界@名無史さん:2010/07/01(木) 23:53:17 0
>>274
いつの時代の与太話だか。
ソ連が航空戦で大敗ってのは、日本軍が考えていた戦果の話で、向こうは
大勝したと考えていたんだが。
それに、
>日本の装備の悪い最弱師団
歩兵の頭数と師団固有の装備は確かに劣ってはいたが、「最弱」では全く
ないし、増強された重砲兵や航空部隊、戦車部隊は当時の日本軍としては
最強レベルだぞ。
野戦重砲兵一個旅団半、歩兵一個連隊(最強師団の一つである、七師団
からの増援)、航空団、二個戦車連隊という贅沢な増強を受けて戦いながら
敗北したから、軍があれほどの衝撃を受けたんだが。
282世界@名無史さん:2010/07/01(木) 23:56:43 0
>>263
> 別に日本軍は止めなど指されていない、一部の突出した部隊が壊滅しただけ。
> そしてその部隊は粘り強く戦い、同数以上のソ連軍を葬った。

壊滅したのは投入された全部隊であり、「一部の突出した部隊」なぞではない。
二十三師団(+増援された一個連隊半)、野戦重砲兵三個連隊、戦車二個連隊
が壊滅し、航空部隊も損耗が二次大戦期にまで影響するほどの打撃を受けて
いるのに、
>一部の突出した部隊が壊滅しただけ。
とは、頭が相当足りないね。
283世界@名無史さん:2010/07/02(金) 02:01:09 0
>>281
>ソ連が航空戦で大敗ってのは、日本軍が考えていた戦果の話で、向こうは
>大勝したと考えていたんだが。

最終的に大敗とは思って無かったろうけど、
極東にいた戦力では歯が立たないという判定がされたのは事実だぜ。
ソ連側史料によっても、空の戦況が盛り返したのはスペイン内戦帰りの連中などが到着した中盤以降。
284世界@名無史さん:2010/07/02(金) 03:57:26 0
全損機数では日本が60機少々に比べ
ソ連側は200機以上失っているんだから
ソ連の勝ちだなんてお世辞にもいえないだろ
285世界@名無史さん:2010/07/02(金) 04:04:27 0
>>281
関東軍としてはそれなりの部隊を送ってはいたが
そもそも戦場は中国であって満州は後方地域。
優良部隊や装備、物資、車両などは優先して支那派遣軍に送られる中
2線級並の後方部隊としては勇戦したという話。
286世界@名無史さん:2010/07/02(金) 04:11:00 0
欧州からも優良部隊を掻き集めて投入できたソ連と比べると
後方警備の駐留兵力で向かえうつしかなかったのは厳しすぎるな
287世界@名無史さん:2010/07/02(金) 16:39:54 0
兵は最強レベルだが高級将校が無能だったんだろ
288世界@名無史さん:2010/07/02(金) 18:13:25 0
損害の数値はいろいろ説があるが航空機と兵員は両軍同程度の損害みたい。
ソ連は戦車の損失は多いが戦場から戦車を撤退させた関東軍と比べようがない。
戦車や航空機に目がいきやすいがそれ以上に重要な野砲を関東軍は全て失った。
もともと日ソの兵力に格差があるとこから始まって戦闘が終わった時にはその
差がより拡大しソ連有利の状況。
そしてこれらは関東軍が一時後退して増援を待つだけで避け得れたこと。
289世界@名無史さん:2010/07/02(金) 18:49:11 0
>>286
あと>欧州からも優良部隊を掻き集めて投入、というのは
兵力の一挙大量投入という戦術の理にあったこと。
むしろ>後方警備の駐留兵力、でソ連の精鋭部隊を迎え撃
つというのは戦術の非常識。戦闘の結果以前に戦術で負け
ていることになる。
まあ実際にはノモンハンで戦った部隊は精鋭だったと思うぞ。
290世界@名無史さん:2010/07/02(金) 19:16:29 0
ソ連側も、航空部隊はべつとして、基本的に極東の部隊だけで戦ってるよ。
戦車旅団・装甲車旅団は全部そうだし、
歩兵師団も未訓練兵を動員した1個師団除いては、そんなに遠くからは来てない。

ところで、関東軍の逐次投入って非難されるけど、
大兵力を動かさないよう手綱を締めてたのは、本国の参謀本部とか陸軍省でしょ。
関東軍だけで言うと、あれ以上の兵力は動かしようが無いと思うんだが。
291世界@名無史さん:2010/07/02(金) 19:38:33 0
自動車化した部隊を大量に白ロシア軍管区から動員して
大規模な輸送を行っており、その影響かポーランド侵攻に際しては
ドイツ軍相手に主力が戦っている状態のポーランド軍相手に大苦戦したというが。
ブレスト要塞すら落とせず、陥落させたのはドイツ軍で、
その後、協定によってドイツがソ連に引き渡したという。
292世界@名無史さん:2010/07/02(金) 20:21:04 0
>>290
中国大陸に展開していた兵力を引き抜く。

そうなると、早期に中国政府との和平交渉が必要。頭痛の種であった、泥沼の中国戦線が平和に…そうなるとアメリカが日本に
圧力を加える必要性はなくなり、対米開戦も回避される。

すばらしい。
293世界@名無史さん:2010/07/02(金) 21:57:50 0
>>285
投入部隊の中で二線級といえるのは第二十三師団だけだ。
それも、本来なら最精鋭で四単位師団でもある第七師団を
投入するはずのところを、情実で二十三師団にしただけだ
し、第七師団からは一個連隊半が二十三師団に増派されている。
増援は、本土から虎の子の野戦重砲兵第3旅団(野戦重砲兵
第一、第七連隊)を送っているほか、投入された戦車二個連隊
も、当時としては精鋭部隊だ。第三連隊が最新鋭の九七中戦
車を装備していたことからも明らかなようにね。
航空部隊にしても、本土から人、機材が補充されている。それ
こそ、さんざん既出のとおり、二次大戦にまで禍根を残すほど
にね。
辻だの富永だのといった売国軍人の負け惜しみを真に受けても
しかたないぞ。
294世界@名無史さん:2010/07/02(金) 22:35:16 0
二線級ってのもあるが、応急動員で額面半分の戦力しかないってのは考慮した方がいい。
経戦能力が非常に低くなる。
例えば野戦重砲や独立野砲兵は最初から定数の半分しか無い。
日本の1個師団というと戦時には2万人くらいあるもんだが、
ノモンハン時の第23師団は多くて1万人くらい。

まあ、それだって補給で四苦八苦してたわけだから、
同時に日本軍の限界を示してるとは言えるんだが。
295世界@名無史さん:2010/07/02(金) 22:40:22 0
>>294
だから、「二線級」はごく一部の話だ。それも、「最精鋭」を動員できたのに
敢えてしなかっただけのことで、言い訳にならない。
296世界@名無史さん:2010/07/02(金) 22:49:54 0
>>293
主力を成した弟23師団ですら警備師団でしかなく
国境守備隊も予備師団扱いでお世辞にも精鋭とはいえないな。

連隊単位の増援なんて戦力比を考えれば焼け石に水にもならない。
とくに大隊未満の規模の戦車連隊を持ち出して精鋭の根拠にされてもな。
297世界@名無史さん:2010/07/02(金) 23:05:08 0
>>296
第七師団を使う予定だったのを、「敢えて」第二十三師団に
しただけのことだと、何回言えば理解できるのかな?
実際、第七師団から一個連隊半が増強されているんだけど、
そのことも無視しているようだし。
後、戦車連隊が当時どれだけあったんだね?それに、
本土からわざわざ動員された野戦重砲兵連隊が「二線級」
というのも、文盲の負け惜しみでしかない。

で、焼け石に水云々は、敵戦力の見積もりを誤って、「鎧袖
一触」「過大な動員」とほざいた関東軍の連中に言うべきだよ。
北支那方面軍からの四個師団増援の申し出に対し、「そんな
余った師団があるなら、匪賊討伐でもやったらどうですか」
とほざいたという、辻某あたりにね。
298世界@名無史さん:2010/07/02(金) 23:06:53 0
> とくに大隊未満の規模の戦車連隊を持ち出して精鋭の根拠にされてもな。
とにかく、「結果的には数が不足だった」というのは、「精鋭でなかった」
という根拠にはならんよ。
戦車にせよ野戦重砲兵にせよ航空部隊の補充にせよ、本土から送られた
増援は文字通り「貴重な虎の子」だったんだからな。
299世界@名無史さん:2010/07/02(金) 23:13:42 0
本土から増援された部隊は10個師団にも上ったらしいが本格的に戦闘に入る前に
独ソ不可侵条約の締結、平沼内閣総辞職で停戦を余儀なくされている。
300世界@名無史さん:2010/07/02(金) 23:29:40 0
>>296
実際の根幹部隊が第23師団だったにも関わらず
第7師団を使う予定だったから2線級が戦ったことにはならないとか、
常軌を逸した論理展開だな。

そもそも師団が独立した戦闘単位として実戦できるのは
数個の歩兵連隊に砲兵連隊、偵察連隊、工兵連隊、補給連隊その他
各種の支援部隊が連合して戦力を発揮することができる。

それが一線級師団から一部の連隊のみ抽出したから
根幹部隊が第23師団や国境守備隊にも関わらず「2線級は一部だけ」など牽強付会にもほどがある。
301世界@名無史さん:2010/07/02(金) 23:32:28 0
そもそも本土から砲兵連隊が派遣されたのは第23師団など投入部隊の砲兵能力が不十分だったからだろ。
302世界@名無史さん:2010/07/02(金) 23:37:22 0
>>300
根幹部隊が第二十三師団だったというが、第七師団からの増援
はほぼ一個連隊半であり、「根幹部隊」の半分にあたる規模だ。
二十三師団は三単位師団だからね。
それに、お前さんがほざくところの「二線級部隊」ほど贅沢な
増強をされた「精鋭部隊」が日本にどれほどあったかね?
最新鋭の戦車、最新鋭、最精鋭の自動車化野戦重砲兵連隊、
これまた最新鋭の戦闘機を主体とする航空部隊。
相手の兵力を軽く見た辻政信あたりが、有頂天になって「鎧袖
一触」と騒いだのには、根拠が無いわけじゃないよ。
303世界@名無史さん:2010/07/02(金) 23:42:50 0
>>301
> 第23師団など投入部隊の砲兵能力が不十分だったからだろ。
投入予定部隊固有の砲兵部隊だけでは不十分だった、という
なら正しいだろうけどね。
本土から動員された野戦重砲兵二個連隊や、関東軍から追加
で動員された穆稜重砲兵連隊も、当然ながら「投入部隊」だから
ね。
304世界@名無史さん:2010/07/02(金) 23:51:41 0
最精鋭ってチハは4両だけだろ?
305世界@名無史さん:2010/07/02(金) 23:54:13 0
>>300
師団が状況に応じて火力が足りなければ砲兵連隊、戦車が必要なら戦車連隊と
増強されるのはどこの国でも日常的にやることだと思ってました・・・。
306世界@名無史さん:2010/07/02(金) 23:57:46 0
>根幹部隊が第二十三師団だったというが、第七師団からの増援
>はほぼ一個連隊半であり、「根幹部隊」の半分にあたる規模だ。

師団は歩兵連隊だけで編成されているわけではないんだよ。
307世界@名無史さん:2010/07/03(土) 00:00:33 0
>>305
どこの国でもというか、日本でも支那戦線で普通に行なっている。
だから連隊単位の増援をさも特別視して、わざわざ精鋭を送ったんだと強調するのはどうかしてるよな。
308世界@名無史さん:2010/07/03(土) 00:23:23 0
>>306
もちろん。で、重砲兵三個連隊や工兵一個連隊も増援されているね。
第二十三師団の固有兵力だけであれば「二線級」といえるだろうが、
最終的に師団長指揮下(途中からは第六軍になっているが)におか
れた動員兵力は、二線級どころか最精鋭師団に十分匹敵する規模
になっている。

そこを敢えて無視して、「二線級、二線級」というのは、単なる負け惜
しみでしかないぞ。
309世界@名無史さん:2010/07/03(土) 00:27:31 0
>>305
動員兵力のごく一部を構成しているにすぎない
「二線級部隊」が全てであるかのように強調す
るのは、詭弁だろ?
そもそもが、
>>274
> 日本の装備の悪い最弱師団
とか
>>263
> 一部の突出した部隊が壊滅しただけ。
という寝言を受けての話だからね。
「一部の突出した部隊」というのが、実際にはノモンハンの
戦場で戦ったほぼ全部隊を指しているんだから、詭弁に
もほどがあるよ。
310世界@名無史さん:2010/07/03(土) 01:00:11 0
不思議なのが緊張状態の満蒙国境に配備された23師団でも2線級だったの?
311世界@名無史さん:2010/07/03(土) 01:04:23 0
>>310
調子に乗って全面戦争する気にならなければ、特に問題になるような
状況じゃなかったからだろうね。
それに、編成当初が二線級だったからといって、永遠に二線級のまま
というわけでもないし。
312世界@名無史さん:2010/07/03(土) 01:15:59 0
いやノモンハン事件前から小競り合いは何度も起こってるし反日武装勢力の討伐も
あるだろ。1938年に編成されたらしいが全部が新兵だったの?
そんなんで精鋭部隊と共同で戦車や航空機の支援をうけた作戦ができるの?
313世界@名無史さん:2010/07/03(土) 03:52:27 0
>>310
小競り合いは頻発してても、補給困難な地域なんで大規模侵攻は起きないと見られてた。
対ソ全面戦争になった場合でも、ハイラル要塞を軸に持久戦をする地区で、
日本側から積極作戦をするのは、満州東部と想定されてた。

実際にはソ連側の補給能力は日本側の想定以上で、
数個師団規模の兵力を動かせたわけだが、まあそれは結果論。
314世界@名無史さん:2010/07/03(土) 03:59:47 0
>>312
もちろん全部が新兵ではない。
ただ、個々人は多少経験があっても、新設部隊は共同生活の歴史が浅く、
極限状況での団結心、意思疎通などの面では弱くなる。
特に、精神面での強靭性・団結の強さに頼る部分が大きい日本軍では、欠点として目立つ。

23師団の場合、装備面でも、日本軍基準で見てすらだいぶ劣ってる点があった。
歩兵が最前線で使う軽機関銃が足りてないとか、砲兵の野砲が旧式だとか。
315世界@名無史さん:2010/07/03(土) 09:32:10 0
精鋭>一線>二線とあれば23師団は一線級かな
316世界@名無史さん:2010/07/04(日) 00:00:06 0
7〜8月になると赤軍は独ソ間の交渉の進展に伴い機械化・自動車化された
戦力をノモンハンに回してきた。その規模はジューコフが望んだ以上であったという。
317世界@名無史さん:2010/07/04(日) 00:10:13 0
送ってきたのは機械化自動車化された部隊って言うか、補給用のトラックとタンクローリー。
戦闘部隊は、日本軍と同じく長距離徒歩行軍してきてる。

ソ連軍が勝ったのは、兵力、特に歩兵で優勢だったから。
日本軍の数倍の歩兵で、犠牲を無視して力技で包囲しただけ。

なんで兵力で上回れたかといえば、日本側が自重してたのと、
日本側が自重するのをソ連側が知ってたから。
全面戦争の心配が無いとわかってれば、安心して大部隊を突っ込める。
あと、補給用自動車が短期決戦には間に合うだけの数があったから。
弾薬と燃料に輸送を集中したから、前線の食糧事情は日本軍に比べても貧しかった。
318世界@名無史さん:2010/07/04(日) 00:19:57 0
独ソ不可侵条約でソ連は強気、日本は弱気になるのは当然。
319世界@名無史さん:2010/07/04(日) 09:20:08 0
>>281
だから航空戦では日本優位だろ。数が圧倒的に少ないのにな。
そして歩兵は新規で作られた師団で最弱といって差し支え名レベル。
そもそも敗北なんぞしていないんだが?
>>282
そもそも日本軍が全面戦争を避けており、追加で軍を逐次投入していただけ。
そして壊滅したのはせいぜいその追加投入された連隊なんだが?
数千規模の連隊が壊滅しただけ、突出した一部隊が壊滅しただけだよ。

航空部隊の損耗もソ連のほうが多く、とても日本の敗北とはいえないな。
実際その後の戦況にもなんら影響は与えていない。
そもそも日本は航空部隊もろくに援軍を送ってないからな。
320世界@名無史さん:2010/07/04(日) 09:31:38 0
>>288
違うな、最終的には日本軍を本腰をあげて増援を送っている。
つまり終盤は兵力で劣っていたが、最終的には日本軍は同等の戦力を整えている、
そのまま続けていれば、ソ連軍が壊滅しただろうな。
小勢の日本軍に同等以上の被害をだしていたわけだからな。
>>293
戦車部隊は戦線が膠着したら必要性がないからさっさと撤退してんじゃん。
そして太平洋戦線で日本軍が用いた航空機数を見る限り、
戦況に影響を与えるような機数は投入されていない。実際禍根など残していない。
321世界@名無史さん:2010/07/04(日) 09:56:47 0
>>297
だから23師団は三連隊をあわせた新規連隊で最弱の部隊で間違いないよ。
そして補強は追加だろ。
そして内地からわざわざとか言っているが、これは前線には回していない部隊から、
無理やりかき集めていただけで、とても君が言うような「最新鋭」部隊ではないよ。
後方部隊の配備されていた二線級のものを投入しただけだ。
新規の部隊ではあるがな。最新鋭の九六式十五糎榴弾砲は16門だけ、大半は口径の小さく射程も短い旧式のだ。
半分は射程が十分ではなく、攻勢には使えない代物だったんだがな。
それも砲兵部隊が壊滅したのは、日本軍の作戦ミスだろ。砲兵部隊の防御部隊を前線に回して、
がら空きになったところを急襲されて壊滅したんだし。
322世界@名無史さん:2010/07/04(日) 10:03:39 0
>>302
そもそも最新鋭最新鋭というが、最新鋭の戦車はその中で何両だ?
最新鋭の重砲はその中で何門だ?
最新鋭の航空機はその(以下略
それが分かっていて印象操作しているのか、全く知らないパーなのかわからんが、
お前さんの言っている事は、事実に即していない。
ゲームみたいに全部が最新鋭になるとでも思っているのか?

当時のこのノモンハンの投入されているのは、大半が旧式装備なんだよ。
最新鋭のものがいくつか少数配備されているだけでな。
一番最新鋭が多かった航空機でも、旧式機も当然配備されており、運用されているしな。
323世界@名無史さん:2010/07/04(日) 12:52:27 0
>>319
当初はな。結局、航空部隊は補充が追いつかず、苦しい戦いに
なっているし、このときの損耗が、二次大戦のときにまで響いて
いる。
中核となるべき操縦者が不足してしまったからね。

後、壊滅したのが追加投入された連隊って、どれだけでたらめ
な情報源なんだね?
第二十三師団を構成していた三個連隊(歩64、歩71、歩72)や捜
索隊、工兵23連隊といった部隊や、第七師団からの増援で当初
から戦闘に参加していた歩26、野戦重砲兵第三旅団(第1、第7)、
穆稜重砲兵連隊といった部隊は、全て全滅状態になったんだが、
これらはお前さんの脳内では
> せいぜいその追加投入された連隊なんだが?
になっているわけか。
どうやら、現実の世界とは全く無関係な妄想の世界に生きている
ようだね。
324世界@名無史さん:2010/07/04(日) 13:02:54 0
>>321
補強は追加というが、攻勢に出る前に当初から増強されているんであり、
お前が妄想しているように逐次的に送り込まれてきたものではない。
それに、野戦重砲兵第三旅団が
> 後方部隊の配備されていた二線級のものを投入しただけだ。
だとしたら、日本には「一線級の野戦重砲兵」は存在しなかったという
ことになる。
> 最新鋭の九六式十五糎榴弾砲は16門だけ、大半は口径の小さく射程も短い旧式のだ。
九六式十五糎榴弾砲を装備していた部隊はほかに無いし、数少ない完全自動車化重砲
兵連隊だぞ?第七連隊の方も、備砲こそ九二式十センチ加農だが、同じく自動車化部隊
であり、どちらも虎の子中の虎の子だ。
当時、日本軍でこの旅団以上の装備を持っていた野戦重砲兵部隊を挙げてくれよ。もし
> 後方部隊の配備されていた二線級のものを投入しただけだ。
と言い張るならね。
旧式砲だったのは二十三師団固有の野砲兵連隊の話だよ。
野戦重砲兵に関しては、射程等々の砲の諸元そのものはソ連のものに特に劣ってはい
ない。砲兵戦の結果は、ソ連側の方が高地だったというような地勢的なものの影響が大
なんだよ。
325世界@名無史さん:2010/07/04(日) 13:15:00 0
>>322
最新鋭の戦車は四両だ云々というが、そもそもチハを配備された部隊
そのものが希少だという点を、意図的に無視しているな。
戦車連隊自体が、日本軍の中ではまだまだ希少だったという点もね。
重砲もしかりだし、砲兵団の主力が実際に野戦重砲兵第三旅団だっ
たという点も無視しているようだ。
本来なら言うまでも無い話だが、ノモンハンで戦った部隊が最弱かど
うかなんていう評価は、「他の日本軍部隊との比較」という視点でする
外は無い。
例えば、当初予定されていたように第七師団が投入されていれば
勝っていた、というようにいえるのでなければ、全く意味の無い負け惜し
みだよ。
しかし、「投入兵力が最弱だから云々」という寝言は、負けをごまかすた
めに、勇戦した将兵を冷遇し、生き残った連隊長以下の諸級指揮官を自
殺させたゴミどもの論理そのままだな。
326世界@名無史さん:2010/07/04(日) 13:28:11 0
>>322
要するに、日本軍には旧式装備をもった二線級部隊以外は
存在しなかった、といいたいわけだな。
実際にノモンハンで戦った、増強後の第二十三師団、第六軍
以上の装備を持っていた部隊なんて、ほぼ皆無なんだから。

それに、二十三師団が最弱というが、熊本の師団であり、
兵員の質的には弱兵というような部類ではない。
実際、ノモンハンでも壊走するような醜態にはなっていないし。
質的に劣るとみなされていたのは、三単位師団で兵力的に
劣っていたこと、装備が追いつかず師団固有の装備が旧式
だったこと、後はなによりも>>314で指摘されているような事が
ある。
で、これらを補うために第七師団から歩兵一個連隊強を送っ
て四個連隊で戦わせているし、砲兵力の弱さに対しても手を
打っており、最終的には他の師団と同等以上の戦力で戦って
いる。
327世界@名無史さん:2010/07/04(日) 13:30:26 0
ところで、
>>319
> そして壊滅したのはせいぜいその追加投入された連隊なんだが?
> 数千規模の連隊が壊滅しただけ、突出した一部隊が壊滅しただけだよ。
第二十三師団そのものが壊滅しているんだが、あれも「追加投入された
連隊」「突出した一部隊」なのかね?
お前さんが想定している、「追加投入で『無い』連隊」「突出した一部隊で
『無い』部隊」を教えてくれないか?具体的に、部隊名でね。
328世界@名無史さん:2010/07/05(月) 09:32:54 0
>>323
戦死したパイロットは50人程度だが?これが後に影響を与えるほどの事か?
お前は言っている事がいちいち大げさなんだよ。
そして壊滅といえるのは26と71連隊くらいのもんだ。
>>324
7月攻勢に合わせて増やしただけだろ、だから逐次投入というんだよ。
ソ連側の規模にある程度合わせて少し増やしただけ、それも兵力ではなくて、
戦車や砲兵を投入しただけ、そして戦車はすぐ返した。
最初から8月末期のようにソ連軍と同等の軍を投入していればよかった話、
三分の一の兵力では勝てん。

そして最新鋭の虎の子部隊といいながら、最新鋭の砲はたったの16門
記述するなら最新鋭の虎の子の砲門が少数配備された部隊だろ。
実際には7,5センチのかなりの旧砲も混じっているし、
だから前線ではなくて、内地に放置されていた予備部隊なんだよ。
これじゃきついからって、最新鋭の砲を少数つけてノモンハンに回しただけだ。
いちいち書き方が印象操作臭いんだよ、小説家かお前は。
329世界@名無史さん:2010/07/05(月) 09:42:42 0
>>325
たった四両の最新鋭戦車でどうやったら戦況が覆るんだよ。
最新鋭の戦車部隊じゃないだろ、最新鋭の戦車が四両配備された戦車部隊っていうんだよ。
戦車自体が少ないから、そりゃ「最新鋭」だろうが、んナ事いったら当時の、
すべての国の戦車部隊は「最新鋭」だなw最新鋭の戦車が一両でも配備されていたら、
最新鋭の戦車部隊にお前さんの理屈ならなるんだろ?

>>326
そしてな、それでも23師団が最弱の師団であるのはかわらんのだよ、
旧式の砲を数門もっただけの旧式装備で、兵力も少なく新たにかき集めて編成された師団。
これを最弱といわずどこを言うんだ?八連隊と九連隊かい?

お前さんが要っているのは、追加で兵力を増やしたり、追加で戦車部隊や砲兵を追加したから、
全部あわせれば、そこそこの能力を持つというものでしかなく、23師団そのものの脆弱性を否定する根拠にはならん。
>>327
壊滅しているのは、特に正面から特攻して孤立した71連隊と、後方に回り込まれて、
前線に孤立した26連隊。あと教えてくんはケーレ
330世界@名無史さん:2010/07/05(月) 09:51:49 0
>>325
最弱であるのは別に彼らの責任ではなかろう。
まだ調練の最中である最弱の軍を前線に送ったのがおかしいだけ。
装備も駄目だしな。

つか最初から後期みたいに5,6万の大軍送っていればよかっただけ。
補給の問題もあるが、これくらいは実際に投入できているのだから、別に無理な話ではない。
331世界@名無史さん:2010/07/05(月) 12:47:58 0
旧式装備って当事の日本のほとんどの師団がそうだろ。
332世界@名無史さん:2010/07/05(月) 13:11:20 0
突出というのをどういう意味で使ってんのかな。国境紛争なんだから
関東軍の主張する国境線まで前進しなきゃそもそも戦争にならん。
333世界@名無史さん:2010/07/05(月) 13:59:24 0
第一次事変の捜索隊と、第二次事変の末期の第7師団の1個大隊除けば、
こちらから突出なんかしてないわな。
陣地に籠っていたのを、ソ連側が回りこんだり、食い込んだりしただけ。
334世界@名無史さん:2010/07/05(月) 22:02:44 0
>>329
なるほど、恥知らずな>>329の脳内では、歩64、歩72といった、
将校がほぼ全滅、連隊長、大隊長は戦死ないし自決に追い込まれる
といった連隊の損害はなかったことになっているんだな。
歩兵団の司令部そのものが戦車に蹂躙され、歩兵団長の少将が戦車
にひき潰されて瀕死の重態となったり、師団長自身が戦死を覚悟する
ほどの状態になった、二十三師団の中枢そのものもね。

恥知らずの>>329は、十回死んで来い。クズが。
335世界@名無史さん:2010/07/05(月) 22:07:49 0
>>329
だから、「追加」でなく、攻勢作戦立案時点から、増強されているんだよ。
お前が妄想しているように、
> 追加で兵力を増やしたり、追加で戦車部隊や砲兵を追加したから、
という問題ではない。最初から「脆弱」だという前提で、脆弱でなくなる
ように手を打っているんだよ。
国賊辻政信でも、お前とは比較にならないほど頭は良いわけであり、
攻勢に出る前にちゃんと手を打っているんだよ。
問題は、敵が打った手がこちらの上を行っていたという点なんだが。

何度言ってもお前の貧弱で恥知らずな脳みそ、四個連隊以上の壊滅
を、どの部隊がどの程度の被害を受けたかすら知らずに
> 壊滅しているのは、特に正面から特攻して孤立した71連隊と、後方に回り込まれて、
> 前線に孤立した26連隊。あと教えてくんはケーレ
なんて言い切ってしまう、蒙昧無知、厚顔無恥な輩には理解できない
だろうけどね。
336世界@名無史さん:2010/07/05(月) 22:16:03 0
>>331
なにしろ、当時の野戦重砲兵の中で最新の装備を誇る、野戦重砲兵第三旅団
が、彼奴の脳内では
> 後方部隊の配備されていた二線級のものを投入しただけだ。
になるらしいからね。
あいつの脳内では、日本にはまともな装備をした師団なんて存在しないんだよ。

西部だの藤岡だの小堀だの小林だのといった馬鹿に煽られて「自虐、自虐」と
ほざいている馬鹿がちょくちょく沸いているけど、あの連中が実際に主張している
のは、「戦前の日本は、詐欺師集団の欧米の手のひらで良い様に踊らされて
いた、馬鹿の集団だ」「だから被害者なんだ」ということなんだよな。
>>329が、当時の日本軍、関東軍が最大限の努力で増強した部隊を、「最弱」と
切り捨てて、戦術や敵兵力見積もりの甘さを誤魔化そうとしているようにね。
337世界@名無史さん:2010/07/05(月) 22:24:55 0
>>329
馬鹿だな。
> 戦車自体が少ないから、そりゃ「最新鋭」だろうが、んナ事いったら当時の、
> すべての国の戦車部隊は「最新鋭」だなw
ソ連みたいにうん百両の戦車が配備されているなら別だが、当時の編成中の日本では、
戦車連隊そのものが極めて希少な存在なんだよ。
当然、その中で「最新の戦車を試験的に配備される部隊」というのは、最重視された部隊
だ。
後、無知蒙昧なお前には理解できないんだろうが、必要な場合には必要な戦力を増強し
た上で、「増強兵力も含めた投入兵力」として戦力を評価するものだ。
二十三師団は、実際に戦場に投入された諸兵科連合部隊の一部でしかない。評価すべき
対象は、「諸兵科連合として、あの戦場にいた日本軍の総合的兵力」だというのは、常識
だよ。
後、お前は知らないようだが、軍事的には将兵の三割の死傷や将校の全滅という状態は、
「壊滅」として評価されるんだよ。
338世界@名無史さん:2010/07/05(月) 22:32:59 0
>>329
そもそも、実際に壊滅しているのは他の二個歩兵連隊や、野戦重砲兵二個連隊、
重砲兵一個連隊、野砲兵連隊、捜索連隊等々枚挙に暇が無いし、戦車二個連隊に
しても、単に「戦線が膠着したから」ではなく、「ほぼ半数の戦車を失って著しく戦力が低下
しており、これ以上戦闘に参加させれば関東軍虎の子の戦車部隊を行動不能にするだけ
である(服部卓四郎、辻政信の所見:クックス「ノモンハン」より)」という被害を受けていた
からだ。
それを敢えておいたとして、実際の損害とは程遠い
> 壊滅しているのは、特に正面から特攻して孤立した71連隊と、後方に回り込まれて、
> 前線に孤立した26連隊。
ということだとしても、投入された四個連隊の半数が壊滅したというのは、投入兵力その
もの、二十三師団そのものが「壊滅」して戦力を失ったと看做されるレベルの損害だよ。
339世界@名無史さん:2010/07/05(月) 22:53:37 0
>>274だの>>319だの>>321だのといった愚者の脳内では、
投入兵力が最弱だったというのはなにか言い訳になる事柄
のようだが、軍事だの国際政治の世界では、
・狡猾な相手に外交で良いように手玉にとられた
とか、
・装備不良で兵員の質も低く兵力も不足な最弱部隊を投入したら、
 敵の大部隊に押しつぶされた
とかというのは、「愚者」の一言で切って捨てられるレベルの
話であり、やられたほうは「恥」と感じる話だよ。
340世界@名無史さん:2010/07/06(火) 00:16:39 0
>>339
なんか議論をごちゃ混ぜにしてないか?
日本の戦略対応が誤っていたかという議論では確かにそうだが、
戦術的に見て日本軍の質は低かったかという議論では、評価が変わってくるだろ。
341世界@名無史さん:2010/07/06(火) 00:54:22 0
質の低い部隊を投入すんのが戦術的におかしいんだろ。
本土から増援もらうくらい時間の余裕あるならなおさら。
342世界@名無史さん:2010/07/06(火) 00:58:16 0
ああ、じゃあさらに言い方を変える。
日本陸軍の部隊の質が低かったかどうか。
343世界@名無史さん:2010/07/06(火) 02:12:06 0
部隊の質くらい俺たちより関東軍参謀の方が知ってる。
わざわざ弱い部隊を投入したのか?
344世界@名無史さん:2010/07/06(火) 19:35:38 0
煽りだけで中身が全くねえなあ。あとは曲解しかねえ。
>>334
お前はまず翻訳機が必要なようだなw(苦笑
お前には壊滅していないと俺が言ったら、なぜか「損害がなかった」事になるんだなw
すげえすげえ、お前ほんとに日本人なのかどうか気になったよ。
>>335
だからそれが戦力の逐次投入というんだよ、停戦前に最終的に日本軍が戦場に投入した兵力は三個師団、
ソ連と変わらん。つまり日本軍はソ連軍と同等の軍を集結し、運用することが当時可能だったわけだ。
だが、七月の時は最弱の23師団におまけつけた程度なんだよ。
辻ーんももっと投入しろしろ言ってただろ。これだから国語が駄目な奴は。

>という問題ではない。最初から「脆弱」だという前提で、脆弱でなくなる

それではどれだけ抗弁しても、23師団が最弱であるというのは変わらんのだが(ゲラゲラ
戦場におまけをつけて、平均的な一個師団レベルにしても、23師団が最弱であることとは矛盾せん。
なにを言っているんだおまいは329を何度も声に出して読め低能。23師団の機関銃の数と山砲の数しってんのかよ。
野砲第13連隊なんか、三八式十二糎榴弾砲だぞ。何年前のだと思ってんだ?
日露戦争でも始めるつもりかってレベルだ。
345世界@名無史さん:2010/07/06(火) 19:53:10 0
>>336
なんら否定する事にはなっておらんな。実際前線には出せない装備だったから、
後方待機だったんだよ。だがノモンハンに送るってんで、流石にこれじゃ不味いので、
新たに実践投入されることが決まった、最新鋭の砲も少数配備しただけ。
この連隊の砲門全体の数から言えば2割にも満たない。ましてや戦場に投入された砲門からすればもっと比率は下がる。
そもそも半分は相手の陣地まで届かなかったというのが悲しい現状なんだよ。

そしてまともな装備をしていたのは中国戦線に送られているんだなこれが。

>「最弱」と 切り捨てて、戦術や敵兵力見積もりの甘さを誤魔化そうとしているようにね。
330を声にだして読みましょうwwww
すぐ下のレスを読めないとは致命的だな、脳内妄想と戦っているプロ市民ですか君は。
俺が言っているのは、逐次投入などせずに、もっと大軍送っていれば、楽勝だった。
というだけの話。日本軍の戦術と敵兵力の見積もりの甘さを指摘しているんだよ?
日本語が理解できないとしか思えませんな。
何故なら装備劣悪で最弱の師団が兵力三倍で右辺の満州国軍が早期に撤退して、
さらに反撃するってんで、少ない兵力を攻勢に回した結果、
右辺から後方に回られ反包囲状態で突出していた部隊が孤立して、
26と71が壊滅したのに被害が同等だからな。
作戦的にも駄目駄目ですよ。まあ作戦というより兵力ですがね。つか俺これ言っているよね?
そもそも最弱師団を投入するのが根本的に間違っているわけだが。
346世界@名無史さん:2010/07/06(火) 20:19:03 0
>>337
なら最初からそういえばいい、最新鋭の戦車が数両ほど試験的に配備された部隊とね。
なら俺は別に突っ込みなどせんかったよ。
お前が言っていたのは最新鋭の戦車部隊だ。だが最新鋭の戦車など数両程度でとても戦況に影響があるレベルではない。
お前さんの理屈だと、最新鋭の戦車が数両配備されれば、それがすべて最新鋭の戦車部隊となってしまう。
大半が旧式装備なのにねえ。俺には印象操作にしかみえん。

そして実際戦線が膠着したからだよ。戦車の仕事は敵陣営の突破で当時の日本軍は、
七月攻勢が失敗におわり渡河を半ばあきらめており、だから戦車おいといても意味ねえってんで返しただけ。
勿論半数がやられて、これ以上やられたらもったいないから変えそうってのもあるが。
そして夜襲が攻勢の基本の日本軍ではあまり作戦にかみ合わなかったのもある。
戦車で夜襲もして一応成功はしているが、基本的に作戦行動があわない。だから返すことになった。

>二十三師団は、実際に戦場に投入された諸兵科連合部隊の一部でしかない。評価すべき
主力である師団を一部とか面白い事いうなw師団は一部なので計算に入れなくていいらしいw
そしておろかなお前は、どれだけいいっても23師団が最弱師団であることと、
それが矛盾しないのを理解できないらしいw

>後、お前は知らないようだが、軍事的には将兵の三割の死傷や将校の全滅という状態は、「壊滅」
こういう屁理屈はよく聞くな。だから?としか言いようがない。
ちなみにソ連軍の被害はおおよそ二万前後、投入兵力は六万
つまり三割の被害がでておりソ連軍も「壊滅」していたことになるんですよ、これがw
ちなみに日本軍はその後追加で援軍を送って六万前後の兵力にしているから、
最終的な損耗率はソ連と同じくだいたい三割になるな。一部の連隊が壊滅しただけの話。
数字のトリックに過ぎない。
347世界@名無史さん:2010/07/06(火) 20:33:27 0
>>339
だから俺はそれ否定していないよ?つか最初から言っているよね?
新規の連隊を平常より少ない三つかき集めた最弱の師団に、
さらに戦場に送るにしてもあちこちから連隊を寄せ集めた数だけそろえた軍だよ。
んなのを送り込んだのがいかんと。

最初から三個師団を送り込んでおけばよかったんだよ、兵力の逐次投入が駄目と、」
最初から何度も言っているわけだが?お前国語の成績いくつ?
日本人だよねえ?文脈が読み取れないパアにしか見えないんだけど?
俺は軍の上層部を避難しているんだよ?あんな最弱の師団に寄せ集め部隊を突っ込ませんなと。

日中戦争でも同じだな。最初から第二次上海事変のときに数十万の軍を軍を投入して、
鎧袖一触で撃破すればよかったんだよ。兵力を逐次投入して戦争が長引いた。
蒋介石が本気なのに、軍内部で一撃派と回避派が対立して兵力の逐次投入・・・
日本から仕掛けたのではないから仕方ないが、最初から計画的に動員をかけて、
兵員の輸送にも都合をつけて、大軍を一気に投入してればよかった。
中国の暗号や電文なんか陸軍には筒抜けだったんだから、蒋介石が動員かけていたのは知っていただろうに。

日本は勝つ為の十分なポテンシャルはあったんだよ。
それを生かせなかったのがなんとも駄目だといっているんだ。
348世界@名無史さん:2010/07/06(火) 21:47:51 0
>>344
> お前には壊滅していないと俺が言ったら、なぜか「損害がなかった」事になるんだなw
損害の有無というレベルではなく、他の二個連隊もお前が「壊滅」と表現した
二個連隊と同等以上の損害を受けて「壊滅」しているんだよ。
その程度のことも知らないくせに、よく吠えられるな、恥知らずが。
349世界@名無史さん:2010/07/06(火) 22:14:34 0
恥知らずの脳内でだけは壊滅していないことになっている歩64、歩72だが、
歩64は連隊長は休戦後に自決、三個大隊の長も、代理を含む九人のうち
二人が戦死、三人が戦傷で交代している。
中隊長にいたっては、代理や転出者も含めた31人ほどのうち、8人が戦死、
11人が戦傷。小隊長はさらに悲惨な状況となる。
歩72は、連隊長自身が重傷を負って後送(後自決)しているくらいで、
将校の損害は歩64よりさらに酷い。
将校の死傷者、特に大隊長、連隊長クラスが戦死、戦傷する状況だから、
兵員の損害はいわずもがな。
「壊滅した」としている他の二個連隊と比較しても、決して軽い損害では
ないし、実際に戦後の処理でも「壊滅」として扱われているよ。
350世界@名無史さん:2010/07/06(火) 22:20:46 0
>>345
前線に出せない装備だったから後方待機?
馬鹿か。
最新鋭の砲も少数装備云々って、そもそも十五榴はあの連隊にしか
まだ配備されていなかったんだが。
お前さんの脳内では
> そしてまともな装備をしていたのは中国戦線に送られているんだなこれが。
中国戦線に送られていたことになっていたようだけど。

>>346
> 七月攻勢が失敗におわり渡河を半ばあきらめており、だから戦車おいといても意味ねえってんで返しただけ。
> 勿論半数がやられて、これ以上やられたらもったいないから変えそうってのもあるが。
辻、服部という当事者が、「これ以上やられたら、これからの兵力整備に悪影響が大きい
から返した」と言っているんだが。

しかし、「壊滅」の定義も知らない、「諸兵科連合」の意味も知らない癖に、態度だけはえらそうだな。
ご託並べたりゴミ本読んだりする暇があったら、一冊くらいまともな本読め。
351世界@名無史さん:2010/07/06(火) 22:45:43 0
チハはノモンハンが実戦初投入らしいね。中国戦線に送られてたの?
352世界@名無史さん:2010/07/06(火) 22:45:48 0
壊滅の定義ねえ。根拠資料とともに提示せよ。
353世界@名無史さん:2010/07/06(火) 22:53:42 0
大砲を全て失った野砲連隊なんかは壊滅でいいじゃん。
354世界@名無史さん:2010/07/06(火) 22:57:00 0
ああ、まじめな話、壊滅の定義って気になるな
3割で全滅だなんだとかって俗に言うんで、前に軍板で話題になったんだが、
みんな話として聞いたことはあっても、まともな参考文献を示せる奴はひとりもおらなんだ
出てきたのは、仮想戦記とかゲームの説明書レベルで
355世界@名無史さん:2010/07/06(火) 23:03:07 0
まあ歩兵は一番厳しく考えれば完全に包囲されて最後の
一兵まで死ぬか捕虜になるのが壊滅だが、大砲を全て失
った野砲連隊なんかは壊滅でいいじゃん。
356世界@名無史さん:2010/07/06(火) 23:06:23 0
諸兵科連合なんて普通使うか?戦闘団とかいわねえ?
つかこいつ見てると、自分が今やっと知った知識を、
みなが実は知らないと思って、威張っているにわかに見えてしょうがないんだが。
357世界@名無史さん:2010/07/06(火) 23:10:02 0
>>356
戦闘団というと、普通はもっと規模が小さいね。連隊相当のはずだし。
358世界@名無史さん:2010/07/06(火) 23:10:19 0
>>348
俺が示した連隊の損耗率は9割、それ以外の連隊は五割から7割。
それ以上の損害とはとてもいえんな。
>>353
これが大隊で砲を分散してて、一大隊は丸々残っていたかな?
確か砲兵の損耗率は五割程度。
359世界@名無史さん:2010/07/06(火) 23:19:00 0
>>350
あの九六式十五糎榴弾砲はすでに中国の前線には実戦配備されているんだが?
それで効果なども認められて、量産に移っている。
それが出兵するってんで回されただけ。あの部隊以外配備されたことがないというのはありえん。

そして壊滅の定義ってなんだろ?三割ならソ連軍も壊滅になるんだけどw
で諸兵科連合?意味はわかるけど?なんか関係あるの?
23師団が最弱なのはかわらんよ。
>>356−357
それ旅団じゃないの?
360世界@名無史さん:2010/07/06(火) 23:30:12 0
>>358
クックス「ノモンハン」では、歩64が戦死・戦傷・戦病等の計で7割、
歩71が9割、歩72が約8割(78%)、歩26が9割という具合になって
いるな。普通に「全滅」しているが。

>>359
クックス本のほか、佐山二郎「大砲入門」でも、野戦重砲兵第一
連隊は、「国軍砲兵の中でただ一つの九六式十五榴の部隊」と
なっているぞ。
その前の仮制式の段階で、完成していた八門が実用試験を兼ね
て北支に送られたとあるが、正式に支給されたのは第一連隊が
最初だね。
361世界@名無史さん:2010/07/06(火) 23:33:26 0
>>359
ソ連軍も、当然ながら壊滅した部隊は大量にあったろうね。
問題なのは、最終的に戦場に残っていた部隊が戦力を
保っていたかどうかだよ。

後、
>>359
旅団ではないね。規模や指揮官の階級が違う。
旅団規模の戦闘団(旅団戦闘団)もあるらしいけど、
普通単に「戦闘団」といった場合は「連隊戦闘団」
だと思う。
362世界@名無史さん:2010/07/06(火) 23:47:14 0
>>346
89式戦車は当時の陸軍の主力戦車だから旧式じゃない。
旧式戦車の中に最新が4両じゃなくて、主力戦車部隊に4両の
最新型が他に先駆けて配備されたの。当然ながら精鋭だ。
印象操作してんのはどっちだよ・・・。
363世界@名無史さん:2010/07/06(火) 23:58:33 0
軍事用語としては
戦力の3割損失が全滅
戦力の5割損失が壊滅
全損失が殲滅
364世界@名無史さん:2010/07/07(水) 00:02:04 0
89式戦車が旧式でないなら、日本軍の旧式戦車ってなに?
国産で量産化されている中では一番古いんだが。
後は試作か外国から輸入した奴くらいしか俺の記憶にはないな。
365世界@名無史さん:2010/07/07(水) 00:07:27 0
>>364
旧式も何も、日本軍の中戦車としては、八九式以外には生産が始まった
ばかりの九七式しかないだろ?
366世界@名無史さん:2010/07/07(水) 00:12:58 0
95式は?ノモンハンでも97式よりは活躍してたとおもうが?
367世界@名無史さん:2010/07/07(水) 00:22:03 0
>>366
典型的軽戦車でしょ?中戦車とは目的が違う。
で、中戦車部隊である三連隊には八九式と九七式の両中戦車、軽戦車部隊である四連隊
には九五式軽戦車が主力として配備されているね。
368世界@名無史さん:2010/07/07(水) 00:42:58 0
お、よくみたら365では中戦車と但し書きが加わっているな。
どっちにしろ89式は旧式だろ。スペックとしては95式と大差ないぞ。
369世界@名無史さん:2010/07/07(水) 00:48:53 0
>>363
ということをよく見るが、まともな根拠資料はあるのかと聞いてんのさ。
370世界@名無史さん:2010/07/07(水) 00:52:05 0
>>368
まず主砲が違う。そもそも、使用目的が全然違うんだから当然
だけど。装甲も、八九式の方がなにがしかましだね。
こっちは気休めかもしれんが。
371世界@名無史さん:2010/07/07(水) 10:23:10 0
中戦車が2線級で軽戦車が主力とかあるか。
89式はノモンハン時でも生産中で太平洋でも主戦場で戦った。
372世界@名無史さん:2010/07/07(水) 19:33:29 0
だが89式が旧式なのはかわらんだろ・・・
ノモンハンでも95式のほうが活躍してんぞ。BT戦車だからソ連軍の装甲も紙だからな。
373世界@名無史さん:2010/07/08(木) 22:43:50 0
>だが89式が旧式なのはかわらんだろ
かわるよ。第一線現役主力戦車を旧式と呼ぶ軍隊は存在しない。
世界レベルでみればともかく、今は日本陸軍内での役わりについ
て語ってんだろ?
攻撃力も89式は97式と同じ57ミリ砲でそう変わらないぞ。
374世界@名無史さん:2010/07/08(木) 23:10:27 0
とりあえず、戦車第5連隊は九七式中戦車で更新済み。
375世界@名無史さん:2010/07/09(金) 14:15:30 0
三八式歩兵銃って旧式の銃だとずっと思っていたんだが違ったのか?
376世界@名無史さん:2010/07/09(金) 20:04:15 0
九七式中戦車はノモンハンが実戦初投入だが中国ではなにで戦ってたんだ。もはやどうでもいいが。
当時の戦車連隊そのものが八個だけ。全部かき集めても数はノモンハンのソ連軍戦車なみ。
太平洋戦争にむけて戦車連隊数は2〜3倍にふくらんだがこの八個が中核になった。全部精鋭。
似たことは23歩兵師団にもいえる。・・・こっちは壊滅したが。
377名無しさん@そうだ選挙に行こう:2010/07/11(日) 13:33:08 0
378名無しさん@そうだ選挙に行こう:2010/07/11(日) 13:35:20 0
В мае-сентябре 1939 г.
на берегу маленькой реки Халха (Халхин-Гол,
«гол» — по-монгольски «река») на восточном выступе
Монголии полыхали боевые действия между частями Красной и Квантунской армий,
усиленных, соответственно,
монгольскими и баргутскими (баргуты — жители Внутренней Монголии,
входившей в состав Маньчжоу-го) частями.
По советским официальным источникам,
ко времени заключительной боевой операции 57-тысячной советской армии противостояла 75-тысячная,
хорошо оснащенная японская.
С каждой стороны были задействованы сотни самолетов,
танков и орудий.
И хотя дипломатические отношения между СССР и Японией не были разорваны,
это была настоящая война с многочисленными для обеих сторон потерями.
В фильме использовано большое количество хроники,
а также комментарии ветеранов-участников тех событий и историков.
379名無しさん@そうだ選挙に行こう:2010/07/11(日) 13:37:07 0
380名無しさん@そうだ選挙に行こう:2010/07/11(日) 15:19:50 0
>>378
1939年5月、ハルハ川という小さな川の岸辺で、赤軍と関東軍の局地戦が起きた。
モンゴルの東部と内蒙古の境界を巡って、日ソ双方が介入した紛争だった。
ソ連側の公式発表によると、最終局面において日本軍は7万5千人、
ソ連軍は5万7千人の優秀な装備の部隊が交戦した。
数百機の航空機や戦車などの装備を双方が投入していた。
外交関係こそ断絶しなかったものの、双方に多数の死傷者が出た事実上の戦争状態であった。
この映像は、多数の記録映像に、参戦兵士などの関係者や歴史家のコメントを交えて制作された。
381名無しさん@そうだ選挙に行こう:2010/07/11(日) 16:21:09 0
>>380>>377の動画ね。
382名無しさん@そうだ選挙に行こう:2010/07/11(日) 17:18:29 0
モンハンて検索したらここが出てきた
383世界@名無史さん:2010/07/18(日) 11:13:50 0
徴兵で厳しい選抜があったし、むしろ日本陸軍史上で兵士の質が最高な時かもしれんね。
384世界@名無史さん
>>375
ふつうに違う