【栄光の】ビザンツ帝国総合スレ9【東ローマ】

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1世界@名無史さん
一千年に及ぶ繁栄・衰退を誇ったビザンツ帝国史について語りましょう。
基本はsage進行。バルバロイ、「古本屋」による荒し、煽りは適当に無視して下さい。
現代トルコ・ギリシャの話はできるだけ他所でやってください。

前スレ
【栄光の】ビザンツ帝国総合スレ8【東ローマ】
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/whis/1248045590/
2世界@名無史さん:2010/02/18(木) 00:56:15 0
過去スレ
★ビザンツ・周辺諸民族関係史★
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/whis/1119615156/
【栄光の】ビザンツ帝国総合スレ【東ローマ】
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/whis/1179751435/
【栄光の】ビザンツ帝国総合スレ2【東ローマ】
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/whis/1188705323/
【栄光の】ビザンツ帝国総合スレ3【東ローマ】
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/whis/1204468315/
【栄光の】ビザンツ帝国総合スレ4【東ローマ】
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/whis/1224337747/
【栄光の】ビザンツ帝国総合スレ5【東ローマ】
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/whis/1227965628/
【栄光の】ビザンツ帝国総合スレ6【東ローマ】
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/whis/1232727250/
【栄光の】ビザンツ帝国総合スレ7【東ローマ】
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/whis/1240350908/
3世界@名無史さん:2010/02/18(木) 00:59:13 0
□関連サイト
Wikipedia「東ローマ帝国」
ttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%B1%E3%83%AD%E3%83%BC%E3%83%9E%E5%B8%9D%E5%9B%BD

日本ビザンツ学会
ttp://homepage.mac.com/nikephoros/

Byzantine Study on Internet
ttp://www.fordham.edu/halsall/byzantium/

Byzantium1200
ttp://www.byzantium1200.com/index.html


□初心者向けにお勧めの本

井上浩一『生き残った帝国ビザンティン』(講談社学術文庫)
井上浩一ほか『ビザンツとスラヴ』(中央公論新社 世界の歴史シリーズ)
根津由喜夫『ビザンツの国家と社会』(山川出版社)
4世界@名無史さん:2010/02/18(木) 10:17:18 0
>>1
一時検索しても見つからなくて焦った。
5世界@名無史さん:2010/02/20(土) 20:59:48 O
やはりビザンツスレがないとな
6エビちゃん親衛隊:2010/02/20(土) 22:37:10 0
ビザンツ帝国はコンスタンティノープル、
旧名ビザンティニウムという都市を首都にしたからビザンツ帝国と言われたわけだが、
あそこをいかに「難攻不落」にしても周辺民族には攻められやすいし、
いつか「難攻不落」の大阪城のように陥落するのは目に見えている。
日本で言えば、下関か小倉を首都にしているようなものだからだ。
海に近すぎる地は商業には良いかも知れないが、首都には向いていない。
何故あんなに周辺民族に攻められながら、ビザンツの地にこだわったのか
疑問に残る。
7世界@名無史さん:2010/02/21(日) 06:07:22 0
たしかにビザンティニウムは、コンスタンティヌス1世が遷都するまでは大都市
ではなく、ローマ帝国全盛期において重要拠点ではなかったようだ。
ポリス時代にもエフェソスやシラクサのように大都市に成長しなかったし、
アケメネス朝の諸王やディアドコイらもここに、サトラップや宮廷を置こうとは
しなかった。ビザンティウムはアレクサンドリアのひとつに選ばれなかった。
8エビちゃん親衛隊:2010/02/21(日) 11:42:45 0
>>7
ふーむ。ビザンツは田舎だった訳ですね。
確かに黒海北岸との交易がさかんでなければ、あまり重要な街ではないでしょうね。
ギリシャ世界は古代こそペロポネソス戦争とか言って長い内ゲバをするゆとりがあったけど、
ゲルマン民族の大移動以後は異民族の侵入があまりにも激しいので、
東ローマ帝国の勢力圏が古代ギリシャ世界の中心地だけにとどまるゆとりはなかったと思います。
ビザンツは黒海と地中海を結ぶ貿易都市かつ重要防衛拠点として一応司令官は置いても、
首都は攻略がいかに難しくても南イタリア以西を制圧して、
そこに置く事を考えないとどの道滅亡は必至に思います。
よくあそこまで長持ち出来たものですね。
私から見ると西ローマ帝国滅亡後、あまり間を置かずに滅んでも不思議ではない国に見えます。
9世界@名無史さん:2010/02/21(日) 14:12:29 0
ビザンティウムがパルミラのように発展しなかったのは、ローマ帝国全盛期には
黒海北岸との交易がさほど盛んではなかったからかもしれないね。
所謂西ローマ帝国滅亡時、すでにアッチラもおらず、むしろ東ローマ帝国の全盛期、
ユスティニアヌス1世のゴート戦争さえなければ、東ローマ帝国は磐石であった。
10世界@名無史さん:2010/02/22(月) 03:42:21 0
このような主張があるのですが
ビザオタの皆様の見解はいかがでしょうか

388 名前:イラストに騙された名無しさん 投稿日:2010/02/22(月) 00:20:28 ID:l+LCXvm4
その状況でオスマン帝国はなんでローマ帝国を消滅させたんだろう?
記念に取っておけばよかったのに。

異教徒の国だから?

390 名前:イラストに騙された名無しさん 投稿日:2010/02/22(月) 01:05:00 ID:YyATRA4M
>>388
消滅させてないよ
メフメト2世は「ルームカエサリ」(ローマのカエサル)という称号を使ってローマの後継者を名乗ってる
それとオスマン帝国はキリスト教に非常に寛容だった
異教徒の国だから滅ぼす、とかそういう事ではなく、単純に軍事上、経済上の事由での征服でしょ
11世界@名無史さん:2010/02/22(月) 03:44:03 0
391 名前:イラストに騙された名無しさん 投稿日:2010/02/22(月) 01:07:40 ID:VEJhIE2h
>>390
そういうのは「消滅させてない」とは言わない。どういう基準に照らしても。


392 名前:イラストに騙された名無しさん 投稿日:2010/02/22(月) 01:14:22 ID:YyATRA4M
>>391
「ローマ帝国」はメフメト2世は消滅させてない
強引にビザンツから帝位を奪いローマを名乗ったことによってオスマン帝国がローマ帝国となったのだよ

ただしビザンツ帝国は滅んだ
>>388は「ローマ帝国」と言ったので滅んでないと返したまでだ
12世界@名無史さん:2010/02/22(月) 07:55:00 0
モスクワ大公国=帝政ロシアをローマ帝国の後継者とする史観
(当のロシア人しか信じてないが)もあるし
13世界@名無史さん:2010/02/22(月) 12:25:24 0
生意気なユスティニアヌスをシめてやるッ!

書記官であるプロコピオスが見守る中、制裁は行われた。
既にユスティニアヌスの口中ではナルセスの赤黒い怒張が暴れている。
「ベリサリウス将軍、陛下お尻がおねだりしているようですよ」
プロコピオスの声に応じて、ベリサリウスのブリーフから屹立した一物が顔を覗かせた。
ゆうに一尺はあろうかという業物に、恐怖に顔を歪めるユスティニアヌス。
しかし、その恐怖心とは裏腹に、ユスティニアヌスの肉棒は硬度を増していく。
−ユスティニアヌスにとっては、その恐怖こそが色欲そのものだったかもしれない…。
天を仰いだユスティニアヌスの頭皮を、プロコピオスが絶妙な舌技で剥いていく。
サーモンピンクの亀頭が徐々に姿を現すのと平行して、
ベリサリウスの淫槍がユスティニアヌスの菊門にねじり込まれていく…。

東ローマ帝国政府男性陣によるド迫力の4Pファック!
だが、長い夜は幕を開けたばかりだ…。
14世界@名無史さん:2010/02/22(月) 14:29:28 0
遅まきながらビザンツ皇妃列伝を注文購入。
ヘレナ・パライオロギナの項が一番興味深く読めた。
滅亡寸前の帝国とマヌエル2世には前々から興味あったので。
15世界@名無史さん:2010/02/22(月) 19:27:51 0
>>9
エジプトやシリアみたいな市場と競合するとどうしてもね…
16世界@名無史さん:2010/02/22(月) 20:56:03 0
>>8の意味不明なレス見て思ったんだが、ビザンツ帝国は約千年間「持ちこたえた」とか「存続した」
とかいう風に言われるばかりで、ろくな扱いされないのが不快だ。
17世界@名無史さん:2010/02/23(火) 12:22:06 0
マケドニア朝期(ニケフォロス2世・ヨハネス・バシレイオス2世の三代)はまさに
ビザンツのターン!!って感じだけど
後は、持ちこたえてたり存続してた感じなのは違いないだろ。
18世界@名無史さん:2010/02/23(火) 15:58:53 0
>>6
ビザンティニウムは、バルカンとアナトリアに隣接していて、騎兵の調達に
適していただろう。著しく文明化していたイタリア本国のローマやエジプトの
アレキサンドリアなどよりもこの点では圧倒的に有利だったはず。さらに、
ドーバー海峡で隔たれたブリタニアとガリアがともにケルト民族であるように、
イリリア・トラキアとボスポロス海峡彼岸のビチニア、パフラゴニア、フリギア
は同じ民族であったとされる。コンスタンティヌス1世ら軍人皇帝の多くは、
この民族の出身者であり、ビザンティウムはまさに彼らの分布域のド真ん中だ。
19世界@名無史さん:2010/02/23(火) 20:39:10 0
>>16
当たり前だろ
ビザンツ帝国がどれだけ
多くの人間を殺してきたか知ってるのか?
おそらく億人は突破してるだろう
常識的に考えたら
眉を顰めるものだろ
20世界@名無史さん:2010/02/24(水) 05:26:18 0
>>8
所謂西ローマ帝国滅亡時には、既にアッチラもこの世になく、東ローマ帝国は磐石、
ユスティニアヌス1世即位当時、東ローマ帝国はまさに全盛期であった。
21世界@名無史さん:2010/02/24(水) 12:17:50 0
テマアナトリコンの長官ってタグマの司令官より序列上なのね。
つーか、タグマもトップのスコライ軍団と他の軍団の序列差が激しすぐる。
22世界@名無史さん:2010/02/26(金) 00:58:52 0
>>8
所謂西ローマ帝国滅亡時には、既にアッチラもこの世になく、ササン朝はエフタルと抗争中、
ユスティニアヌス1世即位当時、東ローマ帝国の基盤はまだ充分に磐石であった。
後年、ササン朝のホスロー2世による東ローマ帝国への大攻勢が実現したのは、既にエフタル
帝国が滅亡していたからであろう。
この事はローマ帝国成立期の場合も同様で、大月氏とサカが妨害しなければ、パルチアはインダス河
から地中海東岸にいたる旧アケメネス朝領を再統一していたとされる。
ローマとパルチアの境界は、ユーフラテス河ではなくボスポロス海峡となり、ビザンティウムは、
国境の大要塞として、史実よりも早く発展していたのかもしれない。
この場合、キリスト教は、パルチア領内に広まり易く、欧州には伝播しにくくなった事であろう。
大月氏とサカが、パルチアの隣国にならない可能性は、月氏が漢と同盟して匈奴を挟撃、月氏が
匈奴に協力して漢を侵略する、月氏が東胡のように匈奴に降伏する、月氏が黒海北岸の方へ移住
などいろいろあったようだ。もし月氏が黒海北岸に侵入したのならば、アラン族やサウロマタイ
らも移動して、共和制ローマは彼らと戦う事になったであろう。
23世界@名無史さん:2010/02/27(土) 00:47:50 0
何となくコンスタンティノープル陥落について
ググってたら泣けた。
一国の滅亡っていうのは儚いな
24世界@名無史さん:2010/03/03(水) 00:12:04 0
>>21
(中期以降の)帝国の基盤である小アジアの中心だったけど
アモリオンの規模はそんなに大きくないよね
25世界@名無史さん:2010/03/04(木) 02:07:45 O
>>19
まずは殺すことの定義を教えてくれよ
26世界@名無史さん:2010/03/04(木) 07:35:46 0
東ローマ帝国の人たちって、
アッティラや十字軍やトルコによるコンスタンティノープル陥落の時代になっても、、
シーザーやアントニーみたいな半裸に布を巻き付けたような格好だったの?
ベンハーとかに出てくるローマ兵みたいな軍装だったの?
27世界@名無史さん:2010/03/04(木) 07:51:34 0
ユスティニアヌス帝の時代までは所謂古代ローマ人の格好(トガにサンダル)でほぼ間違いない。
ヘラクレイオス〜レオーン三世までは戦乱で歴史が消えててよく分からない。
レオーン三世以降は完全に別物の格好してる。
28世界@名無史さん:2010/03/05(金) 05:29:44 0
>>26
ローマ帝国は多民族国家だから、元来それぞれ異なっていた。
言うまでもなく、東ローマ帝国の人達はイタリア人ではない。
29世界@名無史さん:2010/03/06(土) 00:15:45 0
コンスタンティノープルはローマよりも寒いだろうな
30世界@名無史さん:2010/03/06(土) 06:28:16 O
>>16
場所があまりにもマゾすぎるからな
31世界@名無史さん:2010/03/06(土) 13:44:16 0
どうみても、辺境の地にある筈なのに周囲の国からの圧力が絶えない島国もあるからな。
32世界@名無史さん:2010/03/06(土) 16:11:06 0
アメリカが出来たから、日本は世界の果てではなくなった。
今や、ローマとペルシャの戦場となったアルメニアや
仏独の戦場となったベルギーの様になりつつあるな。
33世界@名無史さん:2010/03/07(日) 21:05:41 0
イスタンブル行ってみたいなー
34世界@名無史さん:2010/03/07(日) 21:45:14 0
イスタンブールじゃダメだ。
コンスタンティノポリスに行きたいんだ。
まずはハギアソフィアのミナレットを撤去することから始めよう。
35世界@名無史さん:2010/03/07(日) 21:54:06 0
おら、ビュザンティオンに行きたいだ
36世界@名無史さん:2010/03/07(日) 21:56:47 0
ハギア・ソフィアが今日残ってるのもある意味奇蹟だけどな。
大宮殿・ヒポドローム・聖使徒教会etc
滅亡と共に帝国の栄華の証とも言える建築物は悉く消滅した。
やっぱりここはギリシャに頑張って貰わなきゃならないハズなのに
財政問題で(ry
37世界@名無史さん:2010/03/08(月) 00:00:22 O
ローマ帝国の後継を自称する暗黒社会の元首都が放蕩国家ギリシャの手に渡らず、
ユリウス・カエサルに匹敵する指導者ケマル・アタチェルクの建設したトルコに渡ったのは
まさに天のお導きだな。
ギリシャの手に渡ってたら、今頃フランク人の抵当に入れられてたはず。
38世界@名無史さん:2010/03/08(月) 02:23:17 0
>>34
元帝都を旅行していた友人に、ミナレットが入らないようにハギア・ソフィアの
写真を撮ってくるよう頼んで困らせたのはいい思い出
39世界@名無史さん:2010/03/08(月) 12:12:38 0
ウィキペにハギアソフィアからミナレットを取り除いた加工写真があったハズ。
40世界@名無史さん:2010/03/10(水) 21:04:37 0
夕刻、ボスフォラス海峡から旧市街を眺める。
赤い空に街のシルエットが浮かび上がる光景は、
街の支配者が移り変わっても昔と変わらず美しい。
41世界@名無史さん:2010/03/18(木) 17:47:46 0
トルコ政府に
「EU入れてほしかったらハギア・ソフィアのミナレットとモザイク画を
 覆っている漆喰、全部撤去しろ」
と言えば応じてくれるかな?
42世界@名無史さん:2010/03/19(金) 12:14:29 0
更に、ハギアソフィアの総主教庁への返還とハルキ神学校の再開も
要求してるんだけど、応じる気配は無い。
43世界@名無史さん:2010/03/21(日) 09:43:45 0
史実でもこうだったら良かったのに。

ttp://imagepot.net/image/126913217624.jpg
44世界@名無史さん:2010/03/25(木) 21:47:57 0
ビザンツの遺跡(特にコンスタンチノープル)を紹介する動画ありませんか?
DVDで「千年帝国ビザンチン」と「永遠の語らい」は見ました。
45世界@名無史さん:2010/03/31(水) 21:45:23 0
44です。
動画はほとんど無いってことですね。
残念です。
「千年帝国ビザンチン」は見ている方が多いと思うんですけど、
「永遠の語らい」は映画ですけどなかなか良いですよ。
機会があったらぜひどうぞ。
46世界@名無史さん:2010/04/01(木) 21:30:15 0
>>26
マヌエル2世を彫ったメダルではトルコ騎兵みたいな格好してるらしい
47世界@名無史さん:2010/04/02(金) 06:35:31 0
ビザンツ帝国で皇帝主催の馬上槍試合が結構行われてたらしいけど
ビザンツに騎士っていたのかな
48世界@名無史さん:2010/04/02(金) 08:35:55 0
>>47
パレオロゴス朝あたりだと、プロノイアの収入で装備や従者を整えて出征する
騎馬戦士はストラディオテスと呼ばれていたが、西欧的ないわゆる騎士は
カヴァラリオスと呼んで区別していた。結局単なる名誉称号になったみたいだけど。
49世界@名無史さん:2010/04/10(土) 16:43:46 O
ローマ帝国の後継を自称する暗黒社会
ローマや民から奪い取るだけ奪い、敵には媚びへつらって貢ぎ物を渡し、
自分達では何一つ発展させることもできなかったクズ政府
ヴェネツィアに清風が吹くのを僻んでその商人を襲撃した
ユリウス=カエサルの後継者を僭称する土侯にも劣るギリシャ人指導者。
トルコ人に一つとして勝つことができなかったクズ軍隊
これがこの国の全て
50世界@名無史さん:2010/04/10(土) 20:40:21 0
よく分からんけど某半万年属国に勝るウンコも無いよな
51世界@名無史さん:2010/04/20(火) 02:46:38 0
貧富の格差が拡大し、一部の資産持ちが力を持つとろくでもないことになるという典型ではあった
今の日本がまんまこの状態だと思うお
52世界@名無史さん:2010/04/20(火) 12:19:32 0
つーか、日本は今ビザンツに例えたら十字軍前夜だお
ポッポなんかアレクシオス3世と行動が被りまくり。
だからって麻生がアンドロニコスだったとは思えないけどね。
小泉はマヌエル的ではあったが。
53世界@名無史さん:2010/04/20(火) 16:33:47 0
アナトリアがトルコ・イスラム化したように、日本は今世紀中に中国化してしまうのだろうか
日本=アナトリアならば、沖縄=クレタ、台湾=キプロス、韓国=アルメニア、朝鮮=クルド、中国=トルコかな
54世界@名無史さん:2010/04/20(火) 20:31:14 0
中国=トルコならば、日本=アナトリア、沖縄=クレタ、台湾=キプロス、韓国=アルメニア、朝鮮=クルド、アメリカ=西欧諸国
55世界@名無史さん:2010/04/20(火) 20:39:49 0
中国がセルジューク朝なら、中国本土は内乱と外国の侵略で滅茶苦茶だな
56世界@名無史さん:2010/04/20(火) 20:58:30 0
中国本土は、モンゴルに殲滅されたホラサンのように、核戦争で焦土と化す可能性があるな
57世界@名無史さん:2010/04/29(木) 13:52:10 0
無理やり現代の日本に例えるのやめろよ。時代背景も文化も何もかも違うだろ。
今の政治もあと100年たたんと評価できない。

転勤で旧ビザンツ領に行くことになったわ。そこはビザンツ時代の遺跡は残ってないが、近隣の遺跡見に行きたいな。
58世界@名無史さん:2010/04/30(金) 03:05:35 0
>>57
同感。世界史板ではよくあることだけどこういうのは嫌い



59世界@名無史さん:2010/05/02(日) 11:49:20 0
>>57
転勤はどこ?
色々問題抱えているところが多いだろうから生活大変じゃないかとは思うんだが、
やっぱり少しうらやましいな。
60世界@名無史さん:2010/05/04(火) 01:34:12 0
>>59
半世紀くらいしか支配できずに、すぐ西ゴートに取り返されたとこです。
古代ローマの遺跡はあるけどね。多少遠いけどギリシャ・トルコも行きやすい。
苦労も多いだろうが楽しんでくるよ。
61世界@名無史さん:2010/05/04(火) 02:20:52 0
また治安悪そうなところだなぁ
気をつけろよ。たとえ身内が殺されてるの発見しても警察に通報しちゃいけない国とかもあるからな
62世界@名無史さん:2010/05/04(火) 19:24:04 0
忠告ありがとう。だが、そこまで危険じゃないよw
ブラジルに滞在してたことがあるが、あっちの方がよほど危険だ。
地中海を見るのが夢だったから楽しみだ。海の風景はビザンツ時代からなんら変わらないだろう。
63世界@名無史さん:2010/05/05(水) 21:40:42 0
>>60
59です。レスありがとう。
治安良い方だろうね。
そこ以外の旧ビザンツ領(イタリアを除く)の方が治安悪そうに思える。
何はともあれ、お気をつけて!
64世界@名無史さん:2010/05/09(日) 13:37:13 0
塩野さんのコンスタンティノープルの陥落片手に旅行今度行ってきます。
今復元工事してんだっけ?城壁
65世界@名無史さん:2010/05/09(日) 14:14:37 0
>>31
ブリテン島は不思議だ。大して豊かでもないのに、デーン人やノルマン人がやってくる。
これがシチリア島なら重要拠点なので不思議じゃない。
66世界@名無史さん:2010/05/11(火) 02:13:36 0
ブリテン島は、メキシコ湾流のおかげで、ユトランド半島やスカンジナビア半島よりも温暖だ。
67世界@名無史さん:2010/05/11(火) 18:40:47 0
質問です。コンスタンティノープルのパンの配給はいつごろから開始
されたのでしょうか?停止されたのはヘラクレイオスの時代と明確なのですが、
開始された時期がわかりません。ご存知の方おられましたらお教えください。
68世界@名無史さん:2010/05/11(火) 22:01:56 0
今日はコンスタンティノープル遷都1680年ですね。
69世界@名無史さん:2010/05/12(水) 19:18:34 0
新聞のテレビ欄に、BS-TBSで少し前まで毎朝5:00に「東ローマ」という題名の
番組をやっていたけど、これって何?見た人いる?
70世界@名無史さん:2010/05/15(土) 00:18:30 0
71世界@名無史さん:2010/05/15(土) 00:48:25 0
ありがとうございます。きっとこれなんでしょうね。
結構よさそうな番組ですね。知らなかった。結構前に放映されていたんですね。
72世界@名無史さん:2010/05/15(土) 00:49:52 0
>>67 自己レスです。
どうやら、紀元332年とのことです。パンの配給って、帝国全土で行われていた
のではなく、首都だけだったようですね。
73世界@名無史さん:2010/05/15(土) 22:39:10 0
そりゃ、帝国全土なんか賄えるわけないべ。
小麦をどっから調達すんのって話になるよ。
74世界@名無史さん:2010/05/15(土) 23:24:57 0
まあそうなんだけど、「パンとサーカス」と良くいうじゃないですか。
この言葉だと、パンは首都だけで、サーカスは帝国全土、というニュアンスは
伝わらず、誤解しやすいですよね。。。
75世界@名無史さん:2010/05/16(日) 20:38:53 0
てんす兄弟
76世界@名無史さん:2010/05/18(火) 01:16:28 0
残酷な天使(アンゲロス)のテーゼ
77世界@名無史さん:2010/05/18(火) 20:29:54 0
>>65
確かにブリテンは不思議だ
あんな小さな島国なのに、ローマやらゲルマンやらヴァイキングは来るし
いつの間にか世界史上最大の帝国になっちゃったし
ゆすてぃーもブリテンまで征服したら面白かったのに
78世界@名無史さん:2010/05/18(火) 20:46:03 0
ギリシャの火にロマンを感じないか?
79世界@名無史さん:2010/05/18(火) 20:56:47 0
>>47 ラティンコンって騎士が居たよ。アンナ・コムネノスの著書に書かれてるはず。
80世界@名無史さん:2010/05/19(水) 02:17:42 0
某ゲームじゃ大して強くないくせに
部隊選択時の呼び出しと紹介分だけ異様にかっこいいあいつか

アーコントポウライもあまりに戦える男が減ったから
貴族や役人の19歳未満の子供を寄せ集めただけのアレだったようだな
信仰心だけで経験不足という
81世界@名無史さん:2010/05/19(水) 12:17:13 0
ビザンツには所謂騎士って居なかったんじゃないの?
というか、ローマの騎士階級だったエクィテスってビザンツでどんな変質を遂げたんだ?
82世界@名無史さん:2010/05/19(水) 20:59:42 0
騎士階級はすでに帝政中期で消滅してんじゃね
83世界@名無史さん:2010/05/19(水) 22:28:57 0
貴族が東欧で活動してる連中を個人で抱えて
皇帝がそれをトーナメントに呼んだというのならあるかもしれん
84世界@名無史さん:2010/05/20(木) 18:37:58 0
>>82
帝政中期にはむしろ興隆していたと思うが。
ウァレリアヌス帝期ごろから騎士階級が盛んに帝国統治の重要役職に任命されだして、ガリエヌス帝の後には事実上国政の中心にあった
(各地の機動軍や皇帝と共に移動する中央機動軍という形で)けど、
コンスタンティヌスが元老院議員階級の再登用を進めてから騎士階級はその固有の性質を失っていった
って井上先生の本にあった
85世界@名無史さん:2010/05/25(火) 20:10:51 0
86世界@名無史さん:2010/06/02(水) 19:11:37 O
ローマ帝国の後継を詐称するルーピー社会。
西欧人の前では宗主国面するくせに、トルコ人には手も足も出ずに滅ぼされた超腐敗国家。
21世紀に至るまで汚泥を垂れ流す放蕩人種。
カエサルやアウグストゥスが見たら一番に滅ぼされてるよな。
87世界@名無史さん:2010/06/02(水) 23:05:07 0
まあイスラム国家はキリスト国家相手に自分たちのホームで数の暴力をもってなんとか追い払ってたんだけどね(´・ω・`)
88世界@名無史さん:2010/06/02(水) 23:32:56 0
>>87って何番へのレス?
89世界@名無史さん:2010/06/07(月) 16:33:19 0
文化史の本を出して欲しいな。
料理とかゲームなんかの詳しい記述が欲しい。
もう海水入りワインは飽きたんじゃー。
90世界@名無史さん:2010/06/11(金) 23:00:20 O
ビザンツ帝国の爵位名の由来に興味があるんですが、日本語に訳せるサイトとかってあるんでしょうか。
いかんせんギリシャ語は全く分からないので皆目見当もつきません。
91世界@名無史さん:2010/06/12(土) 19:33:40 0
トルコ料理ってかなりがビザンツ料理なんかな
92世界@名無史さん:2010/06/13(日) 06:08:17 0
今度、京都大学学術出版会から出版された『西洋古典学事典』には、東ローマ時代の性風俗まで
洩れなく記載されているという。
名高い皇后テオドラの項目だけではなく、ローマ帝国初の女帝エイレーネーの記事もあるし、
スーダとかフォティオスなどといった項目まで豊富に揃ってるらしい。
巻末系図も充実してるから、これは購入するべきだと思った。
93世界@名無史さん:2010/06/13(日) 11:28:47 0
そもそもトルコ料理って世界四大料理だかなんだかって言う割には
ほとんど日本で見ないけどどんなんだろ
94世界@名無史さん:2010/06/13(日) 15:10:54 0
95世界@名無史さん:2010/06/13(日) 15:50:29 0
トルコ料理は良く食いにいくが(東京では結構みかける)、どこが四大料理
なのだろうか?誰か理由を教えて。
96世界@名無史さん:2010/06/14(月) 12:22:09 0
トマトだのジャガイモだのは新大陸の産物であり
新大陸が発見された頃には帝国は無くなっているワケで・・・。
今日のギリシア料理がビザンツ料理だったとはあまりにも考えにくい。
97世界@名無史さん:2010/06/14(月) 15:39:22 O
ビザンツについて勉強すればするほどトルコ人の野蛮さが分かって嫌いになるわ
現代ですらキプロスで街全体を有刺鉄線で囲ってチェルノブイリみたいな廃墟つくったとかキチガイもいいところ
滅べよこんな国
98世界@名無史さん:2010/06/14(月) 16:29:40 0
>ビザンツについて勉強すればするほどトルコ人の野蛮さが分かって嫌いになるわ

なんで?
99世界@名無史さん:2010/06/14(月) 17:19:09 0
相手にしちゃいけません
100世界@名無史さん:2010/06/14(月) 17:43:50 0
まぁ、トルコ人が野蛮なのは間違いないけどな。
101世界@名無史さん:2010/06/14(月) 18:50:52 0
ビザンツもテュルク系もフランクもルースもアラブも皆野蛮ですよ、所詮
102世界@名無史さん:2010/06/14(月) 20:10:57 0
イタリア料理だって古代のロマイオイのそれとは違うんだし
103世界@名無史さん:2010/06/15(火) 12:33:40 0
そりゃ、今時クジャクなんか喰わないよな。
104世界@名無史さん:2010/06/16(水) 01:19:29 0
古代ローマはレシピや詳しい食事文化も残ってるからな。
家で再現できるし、そういうレストランもある。
105世界@名無史さん:2010/06/18(金) 17:52:21 O
アルメニア、キプロス、クルド

現代トルコがやらかしてることで思い付くのはこれだけ
106世界@名無史さん:2010/06/18(金) 23:39:09 0
システム障害のひとつにビザンチン将軍問題ってのがあるらしいけど
これって実際に元になった故事とかあるの?
107世界@名無史さん:2010/06/18(金) 23:49:11 0
ビザンツの官僚の仕組みがとにかくややこしくて形式にこだわるということから
今でもぐちゃぐちゃでこんがらがった様子をByzantineという
世界の歴史ビザンツとスラヴより。辞書にもこのまんまのスペルで載ってあるな
108世界@名無史さん:2010/06/19(土) 00:37:47 0
なるほど、形容詞からくる言葉遊びみたいなものだったのか
109世界@名無史さん:2010/06/19(土) 10:26:34 0
パレオロゴス朝なんかについて読んでると
制度の複雑さよりむしろ史料の少なさのほうがよっぽど問題
110世界@名無史さん:2010/06/23(水) 17:53:47 0
>>108
気になって原典にあたってみたけど
「ビザンツ帝国の将軍達が…」って書いてあるだけで
故事への言及があったりはしなかったよ
111世界@名無史さん:2010/06/25(金) 06:40:48 0
モデルはなくても似たような状況になった事は何度もありそうだけどね
112世界@名無史さん:2010/06/29(火) 02:33:25 0
Byzantine armyでググると面白そうな本とか動画がたくさん出てくるな
113世界@名無史さん:2010/07/05(月) 21:40:19 0
ヨアニス2世がアンティオキア候国に遠征したときに
現地の騎士とコンスタンティノープルの宮廷貴族が馬上槍試合をやったらしいが
どんな感じだったんだろうな
マヌイル1世が騎士のスタイルを持ち込む前だけど
114世界@名無史さん:2010/08/13(金) 02:48:05 O
十字軍は帝国の寿命を縮めたが十字軍が無ければ帝国の寿命は更に縮んだだろう
115世界@名無史さん:2010/08/13(金) 11:38:50 0
民族性から考えて、トルコに滅ぼされなくても
自称ではなく、他称もローマ帝国と呼べるほどの繁栄は近代には無理だと思う。
この国は存続しても近代では後進国になる。
トルコ・アラブのイスラム教徒から帝国とギリシャ人・アルメニア人を防衛するとの名目で
英仏独墺露の軍が出兵し、いずれかの属国になるだろう。
コンスタンティノープルにはこれらの国の租界が出来るかも知れない。
20世紀まで持っても、案外エチオピアにように親ソ派・共産主義者によって
あっけなく帝制が崩壊する可能性もあり。
これに反発したアメリカに亡命政権が出来、「今のローマ帝国はアメリカにある」
といわれるようになるかもな。
ローマ帝国→ビザンツ帝国→デトロイト帝国
116世界@名無史さん:2010/08/13(金) 12:18:44 0
ビザンツなんて単語を使うのやめろよ
東ローマでいいだろ
何が古代と違うからだ
西欧人どもめ
時代がかわってきてんだから
制度も変わって当然だろうが
西欧人は自分たちがローマの後継を
つぶして敵対した事実を打ち消したかったんだろう
117世界@名無史さん:2010/08/13(金) 15:12:04 0
>>116
>ビザンツなんて単語を使うのやめろよ
>東ローマでいいだろ
>西欧人は自分たちがローマの後継を
>つぶして敵対した事実を打ち消したかったんだろう

確かにビザンツとはコンスタンティノープルの旧名であって、
帝国の名称としてはふさわしくない。
西欧人からすれば「この国はローマが首都でない。かつてビザンツと呼ばれた所が首都だ」と言って、
コンスタンティノープルの帝の格を下げたい訳だ。
西ローマ帝国は476年に滅亡したが、フランク王国の国王が西ローマ皇帝の称号を頂いた。
また、フランク王国から分裂したドイツの皇帝も神聖ローマ皇帝を名乗った。
ドイツとオーストリアのカイゼルもロシアのツァーもシーザーが由来な訳で、
いわばそれぞれがローマ帝国の継承者を自称してるもんな。
118世界@名無史さん:2010/08/13(金) 18:13:38 0
ツァーリってどっちかっつーと「帝王」のニュアンスで
ロシア語で皇帝を意味する言葉はイムピラータルだったような。
119世界@名無史さん:2010/08/13(金) 23:30:09 0
>>118
それはピョートル大帝の西欧化政策に伴い輸入された言葉でないの?
120世界@名無史さん:2010/08/13(金) 23:35:25 0
>確かにビザンツとはコンスタンティノープルの旧名であって、
>帝国の名称としてはふさわしくない。
>西欧人からすれば「この国はローマが首都でない。かつてビザンツと呼ばれた所が首都だ」と言って、
>コンスタンティノープルの帝の格を下げたい訳だ。

コンスタンティノポリスと呼ぼうがヴヅァンディオンと呼ぼうが
ローマ市でないことに変わりはないと思うが
121世界@名無史さん:2010/08/21(土) 01:58:09 O
確実に誰からも反対されない客観的な名称は“中世ローマ帝国”

しかし書物でこの名称を見ることはめったに無い

それと東ローマ帝国って名前は、『“ローマ帝国”とはただひとつ、新ローマ=コンスタンティノープルの帝国』、っていう当時の“ローマ人”ことギリシャ人の主張にそぐわない。
122世界@名無史さん:2010/08/22(日) 16:23:52 0
ローマ帝国という名称は元々ローマという1都市から発達したからであって、
それがそのまま国家の名前になった。
べつに帝政ローマ時代にも首都は何回か移してるし、首都の名前がそのまま
国名にする法律があるわけでもない。
東西分裂後の西帝国も首都をラベンナに置いてもいたし。
正当なローマ帝国の伝統を正しく継承しているんだから首都がローマでなくても
ローマ帝国を称するのは正しいと思う。
でも特に、ヘラクレイオス後は古代ローマとは違う国家なんだよなあ。
便宜的に違う名称あってもいいとは思う。
123世界@名無史さん:2010/08/23(月) 04:06:37 0
古代ローマ 紀元前753年から紀元後546年

トラキア帝国 紀元後235年から610年

アナトリア帝国 紀元後582年から1071年

ギリシャ帝国 紀元後1071年から1282年

コンスタンティノープル 紀元後330年から1453年
124世界@名無史さん:2010/08/23(月) 06:39:47 0
先ずは『西洋古典学事典』という大傑作を読むことだ。
決して後悔しないから。
125世界@名無史さん:2010/08/24(火) 03:56:08 0
>>116
むしろ東ローマ帝国が古代ローマを滅ぼした感じ
126世界@名無史さん:2010/08/24(火) 21:54:33 0
逆に聞きたいけど、西ローマ末期の美術とかって古代ローマ的か?
古代ローマそのものがキリスト教の勝利とゲルマン人の侵入であぼんしてる気がするんだけど?
127世界@名無史さん
山川のフランス史曰く
「西ローマ帝国の崩壊(四七六年)とフランク人による支配は、ガリアの文化環境にそれほど大きな変動をもたらさなかったといいきってよいであろう。もしローマ文化の変化をいうならば、それは帝国の瓦解の一世紀も前から始まっていたのである。」