3 :
マスコット:2009/07/20(月) 08:21:26 0
俺ら極悪非道のアンゲロスブラザーズ!
今日も未来はないのに帝位争いしてやるからな
 ̄ ̄∨ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
∧_∧ ∧_∧
(・∀・∩)(∩・∀・)
(つ 丿 ( ⊂)
( ヽノ ヽ/ ノ
し(_) (_)
やっと井上先生の本購入
6なら前スレ1000は無効・・・
おお神々よ!野蛮で無教養なパレスチナ生まれの宗教によってゆがめられた帝国を
過大評価するキチガイどもから私をお守りください。
帰依するぞ!帰依するぞ!帰依するぞ!
徹底的に帰依するぞ!
迷信におののく愚か者w
やってることは中世西欧のキリスト教徒みたいだなw
相変わらず爆釣れだなぁ
放っておけばいいのに
イチイチ反応する奴がウザい。
バカで遊びたいなら他所でやれ
まぁこの板はIDも出ないから全部自演だったりしても驚かないが
>>6 外来宗教の流入で国が変質することを「ゆがめられる」と否定するのなら、日本だって
神道があったのに仏教を受け入れ、自ら出家した上皇なども多い
おまえは、ビザンツを貶めてるつもりかもしれないが、それは同時に、日本や皇室を
貶めているに等しいんだぞ
そもそもこんな過疎板のこんなマイナーなテーマなスレでこの速度はありえない
一人の馬鹿が一人何役もこなして一日辺り5,6回程度レスの応酬をしているのは確定的に明らか
>>14 IDなしだからな。疑いだしたら切りが無い
生意気なユスティニアヌスをシめてやるッ!
書記官であるプロコピオスが見守る中、制裁は行われた。
既にユスティニアヌスの口中ではナルセスの赤黒い怒張が暴れている。
「ベリサリウス将軍、陛下お尻がおねだりしているようですよ」
プロコピオスの声に応じて、ベリサリウスのブリーフから屹立した一物が顔を覗かせた。
ゆうに一尺はあろうかという業物に、恐怖に顔を歪めるユスティニアヌス。
しかし、その恐怖心とは裏腹に、ユスティニアヌスの肉棒は硬度を増していく。
−ユスティニアヌスにとっては、その恐怖こそが色欲そのものだったかもしれない…。
天を仰いだユスティニアヌスの頭皮を、プロコピオスが絶妙な舌技で剥いていく。
サーモンピンクの亀頭が徐々に姿を現すのと平行して、
ベリサリウスの淫槍がユスティニアヌスの菊門にねじり込まれていく…。
東ローマ帝国政府男性陣によるド迫力の4Pファック!
だが、長い夜は幕を開けたばかりだ…。
19 :
世界@名無史さん:2009/07/22(水) 14:26:05 0
世界史のレポートで、最善のローマ皇帝について書かなければなりません。
単位のためにとっている授業なので超初心者です。
「この皇帝がいい奴だぜ!」などありましたら教えてください。
20 :
世界@名無史さん:2009/07/22(水) 15:23:38 0
ビザンツ史は最高に面白い。
華やかな大文明、進んだ学問、陰謀に次ぐ陰謀、そしてど派手な滅亡。
暗君によって国家の基盤が危うくなり崩壊の危機に直面するが、
名君によって何度も立ち直る。
21 :
世界@名無史さん:2009/07/22(水) 15:52:36 0
ビザンツてイスラムに抵抗して結構粘っている印象がある。
それと中世までイタリア諸都市と結構密接に
関わっている。そのわりに日本じゃマイナーだな。
>>19 そりゃアウグストゥスか五賢帝の辺りになるだろう
多少後世で美化されてるきらいはあるけど
東ローマになってからはヨハネス二世か
23 :
世界@名無史さん:2009/07/22(水) 16:19:46 0
ビザンツ史を見ると段々衰退する日本が参考にすべき
話がいっぱいあるような気がする。
>>23 しかも日本も周囲は友好的ではない連中ばっかりだしな
25 :
世界@名無史さん:2009/07/22(水) 17:35:11 0
≫22
ありがとうございます
授業ではビザンツ帝国をよく扱っていたので
文人皇帝とされていたマヌエル2世を調べていました。
数人挙げてもよいようなので、是非参考にさせていただきます。
>>19 アンゲロス兄弟というグラックス兄弟に勝るとも劣らない兄弟がいるので
調べてみるといい。
27 :
世界@名無史さん:2009/07/22(水) 17:50:40 0
≫26
ありがとうございます
調べてみます!
29 :
世界@名無史さん:2009/07/22(水) 17:56:42 0
≫28
調べてみたら血筋だけの後継でとくに優れた政策もないように書いてあったので
あれー?って思ってたんですがw
ご忠告ありがとうございます
やっぱりユスティニアヌス以降で一番となるとバシレイオス2世だェ!
31 :
世界@名無史さん:2009/07/22(水) 18:23:17 0
≫30
ありがとうございます
異名とその由来の行動はちょっとやりすぎかな・・・って思うところもありますが
功績は素晴らしい皇帝のようですね
バシレイオス2世の時が頂点ともありますし
質問なのですが、アレレギュオン制度って要は日本の村八分と同じなんでしょうか?
722 名前:世界@名無史さん:2009/07/07(火) 22:25:56 0
マケドニア腸で復活したとはいっても、その実情はどうですか。
厳しい税に搾りたてられて、将来のビジョンを提示することができなかった。
だからこそ、すぐにイスラムに小アジア東部を奪われるはめになる。
これは井上も言っていることだ。
ほんと、こんな国もっと早く滅びるべきだった。
こんなろくでなしの国が長々と残るなんて犯罪的と言える。
728 名前:世界@名無史さん:2009/07/07(火) 22:59:23 0
コンスタンティノープルは、支配領域の全ての可能性を摘み取って生き残ってきた吸血都市だ。
重税、重税、重税・・・続く宗教的粛清、無責任、無意味な神学議論。
ギリシア人の悪い面ばかりが目立つ帝国として世界史上に悪名をとどろかせましたね。
738 名前:世界@名無史さん:2009/07/07(火) 23:43:10 0
井上本の何が物足りないかって、ビザンツの良い所ばかり不当に光をあてて見ているところだな。
だから上の批判的な例は非常に珍しい、それでもビザンツの致命的な犯罪を喝破している点で
参考程度にはなるだろう
744 名前:世界@名無史さん:2009/07/07(火) 23:59:21 0
俺がネタを振らないと、このスレは停滞するばかり。
話題の無いスレッドこそ、学生のオナニー以下だな。
ギリシア哲学も試行錯誤的オナニーから発展をしていった。
そんなことより、根拠は古本屋だよ。人に聞くよりも自分でも探してみようぜ。
コンスタンティノポリスの皇帝とフィラデルフィアの遊女との会話
皇帝「端女よ、なぜそう、いつも違った人と交わるのか」
端女「皇帝よ、私はそのお言葉通りとしても、あなたはそうでないとでも言うのですか」
〜フォティオス・イグナティオスの「年代記」より〜
これがビザンツ帝国の本髄です。
毒をもって毒を征することに失敗した典型的な破綻国家の姿が見えてくるでしょう。
フィラデルフィアって現アメリカ領ですね
ビザンツはそんなところまで領土広げてたんですね
凄いですね
小アジア
36 :
世界@名無史さん:2009/07/22(水) 20:10:57 O
フィラデルフィアってアメリカじゃ「兄弟愛」ってことでつけたが、遥か昔のプトレマイオス2世の異称「フィラデルフィオス」は「近親相姦者」なんだよな…
年代記の作者からして嘘
というか古本屋に成り済ますのイラネ
いや
>>33は古本屋だェ…前スレでも年代記でっち上げ見たェ
いや、古本屋はもっと支離滅裂で意味不明のはずだ
古本屋なんかに構うなよ・・・
>>41 ビザンツの重装騎兵だけで一冊作っちまったのか、オスプレイはすごいなぁ
ビザンツ重装騎兵w
戦績は?
聞いてやるから応えろ、ビザヲタどもw
>>42 というかその前に出た歩兵編が1年前に話題になってたけど
836 名前: 世界@名無史さん 投稿日: 2008/06/20(金) 14:19:04 0
オスプレイのByzantine Infantrymanって本を読んでるけど
ビザンツの歩兵は十字軍の頃でも長槍を装備して
ファランクス組んで戦う訓練してたんですね。
亀甲隊形も訓練してたらしい。
盾はノルマン人みたいなカイトシールドになってたけど。
あの時代に長槍戦術を使ってたんなら、もうちょっと戦績良さそうなもんだけどな。
どんだけ、兵士の練度が低かったんだ。
欧州で長槍戦術が復活するのが、近世初めからなんだから。
長槍戦術は兵士の団決力が必要だから
スイスみたいに
そうでもないよ、寄せ集めのDQN集団(ランツクネヒト)にだって使えるんだし。
>>45 「あの時代」って漠然とし過ぎだろ。
ことビザンツの場合、1000年もあるのに最初から最後まで一緒くたにする奴大杉
団決力、ってどう入れて変換すると出てくるんだ?
軍事力で比較すると
ニケフォロス2世・ヨハネス1世・バシレイオス2世>>越えられない壁>パライオロゴス朝
正直ニカイアの頃の方が強かった気さえする
まあ首都を回復するまでで消耗したとも取れるが
ミカエル以後ろくな皇帝が出なかったのが大きいな
ニカイアの時はテオドロス1世とヨハネス3世が光っていたな。
ルームセルジュークやブルガリアに勝っているし。
パライオロゴス朝でミカエル8世以外にやる気あったのは
せいぜいアンドロニコス3世くらいだしね。
>>52 最後の三人もやる気はあっただろう。もはや取り返しはつかなくなってたが。
カンタクゼノスがオルハンに援軍頼んだ時点で×
ランツクネヒトが寄せ集めのDQN集団とかねえよw
>>54 カンタクゼノスは無能じゃなかったけど、やったことはことごとく裏目に出たよな
ビザンツ帝国は皇帝と聖職者以外顔がない。
市民の顔がみえない。
なんで?
古本屋でもっと探せば見えてくると思うェ!
>>57 時代の変化じゃないの
市民の顔が見えるって古代の事でしょ?
ウィキペのコンスタンティノス7世の象牙像みてると隣のキリスト像の方が
ローマっぽい服装なのはなぁ。
>>57 元首制時代と専制君主制時代で違うからじゃないの?
古代ローマでも、ディオクレティアヌスからはそうなってる
>>36 チスレだけど、「兄弟仲良し」とかそんなじゃなかったっけ?
この場合は姉弟だろうけど、そんな陰惨な印象は無かったような気がするギリシア的に
>>51 むしろミカエル8世のせいでニケアの国力で防衛できる限界以上に領土が広がって
それ以降の皇帝の能力ではどうにもならなかったように見えるが
小アジア側でトルコ人と戦っていた山岳民に課税して防衛ラインが崩壊したらしいし
救いようが無い・・・
ビザンツ皇妃列伝、図書館にリクエストしてきました
66 :
世界@名無史さん:2009/07/27(月) 07:24:39 0
末期ビザンツはどうしてあんな小さな防衛ラインすら守れなかったんだろう?
フランスもスペインもイギリスも民族国家として発展を遂げていたのに、
ビザンツはなぜそれができなかったんだ?
かつての蛮族の国々には出来た事が、文明の最先端であったはずのビザンツにはできなかった。
それもトルコという脅威がありながら出来なかった。
ふしぎ!
蛮族の国々が封建制から絶対制に移行しつつあるなか
ビザンツは封建制の絶頂期だったから。
帝都陥落後も暫くはモレアとか残ってたし。
西欧はある程度同じ民族・文化を共有してるし、
そもそもカトリックという同じ宗教圏に属してるからな。
だが末期ビザンツはギリシャ人、スラブ人、フランク人、トルコ人と雑多な人種と接していたし、
宗教的にも正教会、カトリック、イスラムと多様。
死ぬか生きるかのガチバトルだからな。
69 :
世界@名無史さん:2009/07/27(月) 22:10:39 0
単に宮廷の陰謀とかが好きなだけの趣味者です。
父子兄弟夫婦が帝位を巡って相食むどろどろの宮廷物語を満喫したくて
ビザンツのことを少しづつ調べています。
ビザンツの入門書読んだら帝国末期の宰相ノタラスは
「枢機卿の帽子よりイスラムのターバンのほうがまし」
とか言ってたらしいけど
結局そのカトリックの傭兵に帝都防衛を頼っていて
最後はムスリム主体のオスマン軍に滅ぼされたんだよね。
なんでその宰相はそんな馬鹿なこと言ってたんですか?
馬鹿なことなんて、それはあんたが結末を知ってるからそう言えるんだろ
どこのスレでもおかしな書き込みは大抵ageなんだが
これはどういうことだろうか
>>66 「あんな小さな防衛ライン」がまずどっち方面の国境のことを言いたいのか分からんのだが
パレオロゴス朝の最大版図の頃だと小アジア側の国境線でも
(当時はカスティリャとアラゴンだった)スペイン―グラナダ国境線や
イングランド―スコットランド国境線より長いぞ。
(イングランドは百年戦争中でさえ海上では優勢だったので海岸線はほとんど考慮に値しない)
その上バルカン側の全防衛ライン(14世紀にはトルコ系海賊の襲撃が頻発していたので
海岸線も含む)を合わせると百年戦争中のフランスの戦線より長くなると思う。
>>67 それは封建制という言葉の使い方がオストロゴルスキー並に適当では。
ビザンツの「封建化」の象徴みたいに言われるプロニャルにしたって皆皇帝から
直接プロニャを与えられていて、西欧の封建制のように君主の封臣がさらに下位の騎士などに
封土を与えて主君となるようなネットワークではない。
モレアスの専制公だってアルホンたちと封建契約で結ばれていた訳ではないだろう。
実際は、世襲・売買etc何でもアリだったみたいだけどな。
74 :
世界@名無史さん:2009/07/28(火) 21:39:58 0
プロニャルってプロノイアのギリシャ語読み?
75 :
世界@名無史さん:2009/07/28(火) 23:14:18 0
>>73 国家としてすでに解体していたってことか。
バレオロゴス家の復興程度ではどうにもならなかったくらいに、
暗黒自称帝国は闇に沈んでいたワけだ
古(ry
>>74 プロノイアが古典ギリシャ語読みで、プロニャが中世ギリシャ語読み
>>77 なるほど
しかしビザンツに関する資料は少ないね
井上先生の本は何冊か持ってるけど
>>72の人は詳しい知識はどこで手に入れたんだろうか
そういえば文庫クセジュで大月先生が訳したベルナール・フリューザンの「ビザンツ文明」
が出たけど、全然話題に出てきてないな。
>>79 どんな内容?
ビザンツ名家・貴族列伝とかあったらいいのに
>>78 洋書なら文献は山ほどあるからな。アメリカにはビザンツの研究所もあるし。
>>81 井上教授の行ってたダンバートン・オークスの研究所とかね。
ギリシア人の最盛期は大帝ユステイニアヌスの時代かな、バシレイオス二世の時代かな?
あくまで博物館扱いか。総主教庁に返還しろよ。
変換したら公開されなくなる危険性も
イスラムに占領されたから聖堂や修道院のモザイク画が塗り込められて
結果的に保存状態がいいってのも皮肉な話だよな
そんな事を言えば、十字軍に占領されたから
茨の冠とかは今日まで(フランスに)残ってるんだぜ
>>89 イスラム圏が植民地にならなかったらそのまま塗りこめられて忘れ去られてたかもしれんから
微妙な所だな
>>83は、隣にモザイクの本人光臨の図かと思ったぜ
www
僕たち純真無垢なアンゲロスブラザーズ!
人目につかないように亡国してあげるよ!
 ̄ ̄∨ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
∧_∧ ∧_∧ Άγγελος
(・∀・ ) ( ・∀・) Άγγελος
/ \ / \ Άγγελος
⊂( ヽノ つ ⊂ヽ/ ) つ Άγγελος
し(_) (_)J
古代ギリシャでは歯の痛みを止めるために幼児の尿で口をうがいしたという記録が残っているけど
ビザンツ時代でも続けられたのかな?
ローマ時代には現代のポルトガル地域の少年少女の尿が珍重されたそうで
尿が濃いらしい
>>84 ユステイニアヌス一世からバシレイオス二世の頃までの時代は、ギリシャ本土はまさにスラブ人の天下
バシレイオスの時代もそうなんだ。
スラブ人の帝国軍人が多かったとかあるんだろな
まるで西帝国のゲルマン人、イリュリア人ですね
102 :
梵阿弥:2009/08/03(月) 15:28:50 0
>>79 ルメルルの『ビザンツ帝国史』も全く取上げられませんね。
文庫クセジュは関心低いんでしょうか
>>102 ルメルルのって、特に新しい発見ないからなぁ。
伝統的な学問としとのビザンツの本、って感じだし。
まあ原著が書かれたのが1943年だし、あとがきにあるように概説書、入門書として出された本だからね。
しかしあの本がきっかけでビザンツ史専攻となった自分にとっては良いものだと思う。
106 :
世界@名無史さん:2009/08/03(月) 21:03:22 0
バシレイオス2世時代がビザンツの全盛期?
ユスティニアヌス大帝時代は違う?
相対的にはユスティニアヌス、絶対的にはバシレイオス2世。
大帝の時代は、重税に喘ぐ市民が暴動起こしたりしたけど
ソレでも、連日戦車競技が開催され市民にはパンが配給され
大浴場もあった黄金時代。
一方、バシレイオス2世の時代ともなると配給などなく精々皇帝の即位記念で
市民に定額給付金が配られる程度で、戦車競争も開都記念日や皇帝の誕生日等に開催される程度
大浴場は消滅し跡地は絹織物の国営工場になってしまっている。
何をもって全盛期というかだな
国の経済力を基準にするなら、相次ぐ外征と建築で国庫を空にしていたユスティニアヌス1世時代よりも
戦争をしていてもなお国庫に余裕のあったバシレイオス2世時代の方が全盛期だろう
バシレイオス2世ってビザンツ史ではイロハのイくらいの存在なのに
世間じゃ全然知られてないよな。
テオドラの方がまだ有名ちゃうか?
世間レベルで言ったらビザンツ皇帝なんて一人も知らないのが普通。
世界史やった人でかろうじてユスティニアヌスを覚えているか、というレベル。
そもそもローマ皇帝がカエサル(皇帝ではないが)とネロくらいしか知られてない。
あとはせいぜい、夏目漱石読んでる人が「オタンチン・パレオロガス」を知ってるぐらいだな
そもそもユスティニアヌスがいわゆる「ビザンツ」なのか「古代ローマ末期」な
のかによっても見解別れるからな。
まあ、あんまり意味がある議論ではない気がするが。
ユスティニアヌスが作らせたハギアソフィアは
ビザンツ建築の傑作と言われるワケだが。
>>114 あれも古代の建築技術の最後の華と言われる場合がある訳で
ユスティニアヌスは中学校の教科書でも習うくらいだからまだ知名度あるほうなんじゃないの
多分サラディンやピョートル大帝より知名度あるよ
仕事の関係で最近の中学の歴史の教科書見たことあるが、ユスティニアヌスなんて載ってないぞ。
ビザンツ自体はいくつかの歴史地図に載っていたが。
山川の教科書にはユスティニアヌスとコンスタンティノープルの紹介がのってたな
俺は習ったけどな
コンスタンティノープル遷都
ユスティニアヌス1世時代の遠征とローマ法大全の編纂、聖ソフィア大聖堂の建設ぐらいだけど
あとは十字軍関連で名前だけ出てくるぐらいか
まあ世界史なんて四川文明とルネッサンスと大航海時代に
産業革命で世界大戦ぐらいしか真面目に扱わないからな
正直サラセン帝国とかだって似たようなもん日本で言う世界の歴史なんて7割は西洋史でできてる
逆に、古代ローマは5賢帝くらいまでは細かくやるのに
その後いきなり東西に分裂してよく分かんない間に西が消えてる。
(その後、自分で調べてみたけどやっぱり西の最期ってよくわかんない。)
そして蛮族王国を全て省略して(別に興味も無いけど)中世へ。
コレの何処が西洋史やねん。
「ローマ時代より続くヨーロッパ文明」という妄想が、先進国(≒西洋)の教養層に根深いからな。
中学の歴史で五賢帝なんて習った記憶がない
西ローマもそうだが東ローマもいつの間にか消えた
神聖ローマ帝国なんて触れもしなかった
ちなみに一応ルネサンスを外すとか言い出す前の教科書な
コンスタンティノープルのコもなかった気がする
少しずつ思い出してきたぞ
類人猿がどうとか
↓
四大文明
↓
ポリスがどうとか、アレクサンドロスの遠征
↓
カエサル、オクタヴィアヌス、ローマ帝国
↓
ゲルマン民族大移動、ローマ滅亡
↓
フランク王国
↓
セルジュクトルコ、十字軍
↓
オスマントルコ、ルネサンス、大航海時代
↓
絶対王政
↓
フランス革命、アメリカ独立戦争、産業革命
↓
帝国主義、第一次世界大戦
↓
第二次世界大戦
↓
冷戦
こんな流れだったはず・・・
>>125 中学の歴史でローマ帝国とかセルジュクトルコを扱った覚えがないな
漏れなど、むしろ古代ローマの後は
歴代厨化王朝を細かくやりますた。
で、清が終わってからフランス革命etc
神聖ローマは滅ぶときに出てくる
ナポレオンの引き立て役みたいな感じで
東ローマの滅亡は年表ぐらいか
てかこうして見たら学校ごと世代ごとに相当ばらつきがありそうだな
未履修とかあるぐらいだし世界史の教える範囲なんていい加減なのかな
129 :
世界@名無史さん:2009/08/05(水) 21:03:22 0
中学までは先生の趣味も反映されるんだろうね。
ディオクレティアヌス、コンスタンティヌス、ユリアヌス、テオドシウス、ユスティニアヌスは授業にでてきた記憶がある
以外にビザンツ好きは多いから、ビザンツ周辺史妙に詳しくやる教師いるかもなw
中国の後漢末から現れる蛮族の名前を覚えるように、
ヴァンダル族、オストロゴート族、アラブ族、ブルガール族、アラニ族、スラブ族、トルコ族を覚えろ、とかなw
132 :
世界@名無史さん:2009/08/05(水) 23:03:39 0
バシレイオス2世は、少年時代は放蕩の限りを尽くしたのに
ある時から修道士さながらの禁欲生活を貫くようになったんだよな。
全くの小説的想像だけど、ヨハネス1世に逆切れした
母后テオファノがバシレイオスにも八つ当たりして
自分の子のくせに私生児云々と怒鳴ったことがあったよね。
それを気に病み続けて、「不義の子かもしれない自分の血統は断ち切ろう」
と決意した、とか。
にしても誰か別の優秀な軍人を養子にするとかすればよかったのに
弟がいなければそうなってたんじゃね?
なまじ無能な弟とその娘たちがいたばかりに……
バシレイオス2世が豹変するのは、バルダス・フォカスの反乱以降。
馬鹿弟はフォカスを討ち取っている。
>>136 プセルロスのを読むと弟は無能ではないが、遊ぶことしか興味がないって感じだよな。
兄弟仲は悪くなかったんなら順当な継承か
バシレイオスの後がしっかりしていたなら、とビザンツ史読んだやつなら誰もが思うだろうなー。
バシレイオス2世の後をコンスタンティノス8世が継いだように、
コンスタンティノス10世の後をヨアニス・ドゥーカスが継げば、
皇位をめぐる内戦が避けられたのかもしれん。
>>138 バシレイオス2世は弟にも娘しかいない上に全員未婚、これで自分が死んだ後ど
うなるのか考えてなかったのかなぁ、という疑問は間違いなく出るよな。
うむ。むしろコンスタンティノス8世はやる気がないくらいで丁度いい。
下手に意欲があるやつだとアンゲロス兄弟みたいな争いに発展する。
むしろ後継者問題をあまり考えてなかったバシレイオスが悪い。
多分、本人はシチリア征服が終わるまで死なないと思ってたんだろうね。
>>141 曾祖父のレオーン6世なんか、自分で作った法律破って4回結婚してまで後継ぎ
作ろうとしてたのに、バシレイオス、コンスタンティノス兄弟は後継ぎに関して
淡白過ぎだよなぁ。なんで全然対策取らなかったんだろ。
>>140 弟の娘らを結婚させると、その婿らが皇位を狙う恐れがあったからだろうね。
イギリスを見習って代議制を導入すれば、後継者問題は気にせずとも議会が政治をやってくれたんだよ
その、議会たりうる元老院はただの飾りになってたからねぇ。
実際は貴族たちの連合政権で一応落ち着いた
ビザンツ帝国の元老院ってなんのためにあったの?
SPQRの建前のため
アレクシオス3世とのりぴーに学ぶ逃走術
>>151 最初の頃の皇帝は元老院からもでてたんだっけ
>>153 それは無いが、アナスタシウスみたいに後継ぎを指名しないで崩御した場合は元
老院が次期皇帝を指名した。7世紀にヘラクロナスを廃位したのも元老院。
アナスタシウス1世の経済改革って具体的にはどんなのか、判明してるの?
ビザンツの音楽に詳しい人いますか
俗謡でも、帝国外の各地の東方正教の音楽でも構いませんが、
何かお勧め教えてください
グルジアやブルガリアのポリフォニーなど凄くいいですね
マケドニア朝をモチーフにしたエロゲを作ったとして
その場合お姫様の髪と肌の色がどうなるか…想像したらなんか萎えた。
>>155 俺も知りたい。一般書では、「すぐれた経済政策を行って財政状況を好転させた」とか言う風に抽象的にしか述べられないよな。
まあ年代記が読めれば分かるんだろうがな
>>158 尚樹先生の「ビザンツ帝国史」に割と細かく書いてあるが、経費節減、公金横領
の防止徹底、税制改革が柱だったみたい。細かいことは自分で読んでくれ。
>>159 ありがとうございます。明日図書館で借りてきます。
いつの時代も財政再建の方法は月並みで代わり映えしないものなんだな
なのになんでできないのか
なまじ月並みでない方法をとると、ろくなことにならないぞ
売官とか、貨幣の質を落とすとか、外国(ヴェネツィア、ジェノヴァ)資本を頼るとか
(いや、それはそれで月並みなのか?)
貨幣の質を落とすのは月並みだと思う
日本でも中国でもやってるし
しかし、今の日本は斜め上の増税(消費税引き上げ)を狙ってるからなぁ。
共産党じゃないけど取れる所から取るなら法人税上げて議員の給料下げろよ。
>>164 法人税上げる→資金繰りがつかなくなって給与に回す金が減る→貧困層拡大、ですね、わかります。
とりあえず周辺国に支払う歳費などを見直したらいい
中世はそれで戦争になったりするがさすがに現代でそれはないだろう
法人税を下げるっつーことはプロノイア初期に似たり
尚樹本によれば、アナスタシウスは増税をせず、むしろ貧しい商工業者や農民に
は減税をしている。また、ただ歳出を削減した訳ではなく防衛には金を投じている。
それで財政再建をしたんだから、なかなか大したもんだ。
いままで無かった比較的額面が大きい銅貨の発行が好評で、その鋳造益もあった
みたいだが。
>>157 イスタンブールを舞台にしたエロゲならあるがな
たしか奴隷市場とかいう大して面白くないエロゲがあった
主役目線はヴェネツィア人だったけど。
マヌエル小泉
↓
アレクシオス2世安倍
↓
アンドロニコス福田
↓
イサキオス2世麻生
↓
いよいよ・・・
ぽっぽブラザーズか
なるほど
十字軍は人民解放軍ですね わかります
なぁに
そのうちテオドルス1世やヨハネス3世が現れて日本を救ってくれるさ
ニカイア京都
↓
スミルナ大阪
↓
テッサロニキ名古屋
↓
ハドリアノポリス横浜
↓
コンスタンティノポリス東京
↓
ミストラ函館
トレビゾンドは?
訂正:
ミストラ会津若松
↓
トレビゾンド函館
テサロニケは帝国第二の都市じゃないの?
もはや日本国には予算が無いので、各自治体は各々を己で守られたし。
ビザンツと現代日本の共通点:
首都への一極集中
異民族の軍に防衛を頼る
他にあればヨロ
>>182 いつの時代のビザンツかはっきりさせろ。
ビザンツには分権化した時期も、自前の軍事力でイスラムと対峙していた時代もある
>>183 もちろんアンゲロスブラザースやパレオロゴス朝ですよ
この手の例えは大抵うまくいかない
どこか違うんだよな。当たり前の事なんだけど。
この場合はそれこそがビザンツの特質だと思うんだ
彼らが現代日本に居たならば
南北朝鮮みたいな「態度のでかい雑魚」を付け上がらせるようなマネはせんと思うが。
189 :
世界@名無史さん:2009/08/12(水) 13:12:46 0
雑魚と侮ってブルガリアにめった打ちにされる、みたいな
>>189 でもブルガリアも贅沢品はコンスタンティノープルから買うから、貢納金は実は
キャッシュバックしてたりさて
191 :
世界@名無史さん:2009/08/12(水) 18:18:09 0
ある程度は戻ってくるけど全てが帰ってくるわけじゃないんだから
別に歓迎すべき事でもないんだけどな
>>192 そうなんだが、貢納金は取られっぱなしではなかったということでもある。
戦争よりは金も人的資源も無駄にしないで済む。日本人には理解されにくいがね。
>>168 >尚樹本によれば、アナスタシウスは増税をせず、むしろ貧しい商工業者や農民に
>は減税をしている。
一見奇妙に思われるかもしれないが、財政再建には庶民を富ませる事が不可欠なんだろう。
高度成長期の日本のように、金持ちから搾り取れればさらに最高なんだが、
世界史を眺めると大抵強烈な抵抗にあって失敗してる。
そういや井上先生の新刊にビザンツの税制は基本的に逆累進制(貧乏人ほど搾り取られる)
だったと書いてあったな。
この辺もビザンツが行き詰まった原因の一つではあるまいか。
ていうか戦後の日本が究極の南宋ビザンチン戦略だろ
ハンニバル後のカルタゴってのが正確だと思うが
富裕層優遇しても無駄に勢力伸ばして政治への干渉を招くだけなのにね
>>194 だいたいどこの国でも、近代以前はそんなもんだけどな。
身分の高い奴は、権力使って課税逃れ。
>>196 冷遇して支持を失えばもっとひどいことになる
これは全ての国に言えることだけど
バシレイオス2世でさえ地主階級抑えられなかったもんな・・・
でも抑えようとしただけ偉いと思うよ。下々の生活に配慮してるってポーズ見せただけでも。
優遇されてる富裕層が驕り高ぶって下層をバカにすれば、国は腐るよ。
>>199 ある程度抑えつけには成功してただろ。近隣の貧乏人が払えなかった分の負担強制とか。
自から不当に土地買い占めた奴の屋敷へ乗り込んで、屋敷壊して土地没収とか。
世界史上でも、そこまでやった君主は珍しいよな。
景気が良ければ財政再建は容易、景気が悪いときに財政再建をやろうとするとますます景気を悪化させて財政もより悪化する
というのが経済の世界では一応の常識とされている
景気がいつまでも良くならなければどうするんだ
パレオロゴス朝みたいに
204 :
世界@名無史さん:2009/08/14(金) 18:21:28 0
ビザンツ帝国って、皇位継承において血統はあまり重視されなかった?
なんかいつも他所の軍人とか有力貴族が皇位に就いてる印象あるけど・・
ローマ皇帝が元々「第一の市民」だったことと関係あるのかな?
基本的にはその流れだけど、時代にもよるよ
マケドニア朝の末期になると逆に血統が重視されたために、ろくでもないことになったし
206 :
世界@名無史さん:2009/08/14(金) 19:50:20 0
たとえば中国史だと、種族が同じでも血統が他所に移ると、
西魏→北周→隋→唐
と王朝名が変わるけど、これを「鮮卑帝国」で一括して、
鮮卑帝国拓跋朝→同宇文朝→同楊朝→同李朝と称してるという理解でいいのかな>ビザンツ帝国
ビザンチンは種族がギリシャ系だろうとアルメニア系だろうと
ローマ帝国のまま。
208 :
世界@名無史さん:2009/08/14(金) 20:04:42 0
ひょっとしてビザンツ帝国(東ローマ帝国)1000年て、
「皇帝による専制体制」が共通してるっていうことで、
中国史を2000年にわたる「中華帝国」みたいに言う乱暴なくくりなのかな・・・
>>206 東洋と西洋じゃ王朝の概念違うし。
ビザンツは後半になるまで血統はさほど重要視されてない。これは古代ローマが
元は共和制だったからだが。
>>208 そりゃあ乱暴なくくりだわな
5世紀頃と14世紀じゃかなり違うし
210 :
世界@名無史さん:2009/08/14(金) 22:24:10 0
同じ王朝だと基本血縁関係は続いてる?
ユスティニアヌス王朝(518年 - 602年)
ヘラクレイオス王朝(610年 - 711年。695年 - 705年は一時中断)
イサウリア朝(717年 - 802年)
マケドニア王朝(867年 - 1057年)
コムネノス王朝(1081年 - 1185年)
アンゲロス王朝(1185年 - 1204年)※ラテン帝国により一時壊滅
パレオロゴス王朝(1261年 - 1453年)
中華とビザンツを比較したがるヤツが粘着しとるで
>>209 Wikipediaに各王朝の記事もあれば、歴代王朝の系図載せたサイトもあるのに、
そんなのここで聞くなよな…
中国歴代王朝では姓を重視するのでたとえ同じ漢民族であろうとも姓が変われば国号も変わる
もちろん例外もあるけど
対してビザンツ含む欧州では国家と宗教が先にありきなので王や皇帝がどんな民族であっても
国号は変わらない
ビザンツ皇帝の継承等については最近出た
「ビザンツ 文明の継承と変容」
という本に詳細があるのでおすすめ
>>214 井上先生のあの本は、ローマ・ビザンツ史の基礎知識がないと難しいんじゃないか?
そもそも古代ローマから民族云々っていうのは皇帝の条件と関係ないしね
SPQRに承認されれば属州出身だろうが黒人だろうがなれる役職
217 :
世界@名無史さん:2009/08/15(土) 00:45:13 O
血統の重要度は中国王朝と現在の自民党の中間くらいか?
時期にもよると何度言えば
それこそ初期なんか大統領制みたいなもんだし
219 :
世界@名無史さん:2009/08/15(土) 01:03:54 0
ビザンツ
国によって様々だと思うがどこの国の大統領制?
アメリカじゃないの
多民族だしパクスアメリカーナなんていう言葉もあるし
エジプトのマムルーク朝も王朝とは言い難いですよな。
エジプトのマムルーク軍団は、ローマの元老院みたいですな。
>>222 しかしパクス・ビザンチーナなんてあったっけ?
昨日から夏休みらしい幼稚なレスが多いな。
まあ荒らしじゃないから良いけど。
ビザンツとオスマン足してパクスアナトリカ、もしくはオスマンだけでパクスオスマニカ
なんてのがあるらしい
もっともトルコ人の自称だけで誰も使ってないそうだが
パクスといったらパクス尻穴
一般的なのは、パックス・ロマーナ、パックス・イスラミカ、パックス・モンゴリカ、
パックス・ブリタニカ、パックス・アメリカーナってとこかな
ローマ帝国の土台にただ乗っかって千数百年の間民から搾取し、
敵には賄賂を贈って媚び続けた自称帝国の暗黒愚劣の存在を
パクス・ビュザンティナなどと詐称するとは腹が痛い
きもいきもい
でも否定できないのがビザヲタからしたら苦しい
ビザンツ文明が人類の発展に寄与したか、と言われたら・・・困るよな。
そうじゃないんだよ、ビザンツの魅力は。
>>232 全然わかってない。古本しか読んでないんだろ?
古代ギリシャ・ローマの文化や法体系が、現代に残ったのはどこのおかげだと思ってるんだ?
ビザンツはイスラムに対する防波堤として、また東欧・ロシア文明の旗手として
十分すぎるほどの役割を果たしたと思うよ
また蛮族・古本屋が動き出したかw
ただロシア文明はともかく、東欧の母体はどっちかっていうと神聖ローマ帝国じゃないの?
なんでいちいちバカに反応するんだよ
いい加減にしろ
237 :
世界@名無史さん:2009/08/16(日) 09:48:38 O
>>233 西欧ルネサンスも、ビザンツの影響があったらしいね、プレトンとか
>>235 正教会のところはビザンツの影響だろ
グルジアとかいろいろ
>>232 たしかに、イギリスドイツフランスイタリアには負けるけど、イスラムより上だな
238 :
世界@名無史さん:2009/08/16(日) 11:00:04 0
衰勢を止めることは出来なかったのかな。
古代ローマにならい、サラセン人やトルコ人を傭兵に雇ってやがては市民権を与え、ローマ化させて取り込むとかして。
キリスト教を国教にしている以上それは無理な話だったのかな。
>>237 らしいも何も古代ギリシャの文献を保持してたのはギリシャ語圏のビザンツと、
そこから伝播したイスラムだからなぁ。
>>238 トルコ人を傭兵に雇うのはパライオロゴス朝の内紛の頃に思いっきりやってるだろ
そして、そのせいでトルコ人に領土を大きく侵食されちまったんだが
241 :
世界@名無史さん:2009/08/16(日) 13:51:17 0
ゲルマン人を雇って帝国が滅びたのに、また異民族を雇うってのはほんと文明化した民族の悪習だよな。
なにかうまい方法は無いものか。
>>238 マヌエル1世の頃からトルコ人の改宗とかも試みたが、トルコ人は先にイスラム
化してたから上手くいかなかった。
>>238 十字軍を残らずエルサレムへ誘導せずに、アナトリア東部等にも誘導すれば、
イスラムに対する防波堤となっただろうな。
イコニウム公国とかカエサレア伯爵領が出来れば、異教徒で遊牧民のトルコ人
よりもはるかに無害であったろうな。
>>243 ビザンツにとって十字軍はトルコ人よりたちが悪いだろ
>>244 どうかな
十字軍は使い方さえ誤らなければ帝国の防衛にもっと役立てることが出来たと思うけど
異教徒のトルコ人じゃ厳しいんじゃないかな
>>241 蛮族を招き入れて国をのっとられるってのはどこも一緒だからねぇ
中国然り、インド然り
アナトリアがトルコ・イスラム化せず、ギリシャ語とキリスト教がアナトリアで
存続した思われる。
アナトリアに十字軍国家建設か・・・
結構面白そうなifではあるな
イスラームのみならず、グルジアやアルメニアとの関わりも出るだろうし
ただ、ビザンツ的には劇薬な気が凄いするが・・・・
トルコ族の代わりに、十字軍に滅ぼされるビザンツ帝国
>>247 というか、実際に十字軍にいったん滅ぼされたし
もし十字軍に滅ぼされたとしても正教信仰とギリシャ語が残ればいずれビザンツ再興しそう
>>248 書き込んだ後に、第四回十字軍を思い出したのは秘密
>>247は、ラテン帝国みたいな即席国家では無く、トルコ勢力のように、じっくりとビザンツ帝国を侵食して併合しそう、という意味合いという事で
(最も、オスマン帝国はアナトリアよりもバルカン半島で力を蓄えた面が強いんだけど)
ま、ビザンツ帝国を滅ぼす前に、モンゴルやティムールの攻撃でグダグダになりそうだけどね〜>アナトリアの十字軍国家
どっちにしろ、アナトリアに十字軍国家があったら、第4回十字軍の時点で
ニケーアに亡命政権作ることができないから、その時点でビザンツ滅亡だよ
自分達で戦って勝つ、という選択肢がないのがビザンツ的だな
>>251 セルジュク朝領やコーカサスに十字軍国家があればいいんじゃないの
そういう小説が欧州にあると聞いたな
アルメニアで取れる貴金属を確保する為に第二回十字軍がコーカサスに派遣されて云々とか
ビザンツ領に十字軍国家が定着したのならば、ビザンツの欧州化がかなり促進
しただろうね。アナトリアでフランス系諸侯とドイツ系諸侯が対立したりする
事もあっただろうね。ビザンツ帝位をハプスブルグ家とかが会得する事もあり
えただろうね。
>>252 後半の傾向を全体に適用しようとする無謀さ
十字軍国家は慢性てきな兵員不足が続いてたんで、仮に建国したとしても長く持たないと思うのだが・・・
さらにビザンツが十字軍国家と争うことになると、フランスや神聖ローマが直接ビザンツに攻めてくると思う。
そしてその時の皇帝はやっぱりイサキオス2世に違いない
つーか、目と鼻の先にメフメトを退けスレイマンにも半年は耐えた
ロードス島のヨハネ騎士団があるワケだが。
>>256 フランスのカペー朝がプランタジネット家との抗争中だったから、そんな余裕ないだろ。
>>254 なにその超御都合主義的でサイテーな展開www
>>259 まあ妄想と古本は支離滅裂なのがデフォだから
ドナウ河防衛ラインが突破されました。
小アジア防衛ラインが突破されました。
ラヴェンナが包囲されています。
今月のご命令を。
内政 外交 軍事 文化 賞罰 情報 その他
増税 貢物 戦争 打毀 神明 TO図 ⇒帝都脱走
徴発 諜略 共同 教会 賄賂 祈り ゲームスピード
祈り 縁婚 呼寄 弾圧 逮捕 Q&A
下賜 要求 撤退 暗殺
実行しますか?Y/N_
実行しますか?Y/N_
実行しますか?Y/N_
実行しますか?Y/N_
>>261 ユスティニアヌス「よし、小アジアには派兵、ドナウ河の蛮族には適当に貢物ね、
ラヴェンナは…ナルセスなら何とかしてくれるだろ」
ヘラクレイオス「ひぃ、帝都脱走…いや、小アジアの敵を討つ!」
バシレイオス2世「全部ぶっ潰す!」
アレクシオス3世「そんなことはいいから、兄貴から帝位を奪おうぜ」
ビザンツもTO図使ってたの?
>>243 聖地奪還が十字軍の大義名分だったし、
アナトリア東部はそもそもキリスト教圏で名目的に臣従している
アルメニアの領土だったし。
267 :
世界@名無史さん:2009/08/21(金) 07:53:58 0
東ローマ皇帝で誰よりも男色好きだったのは誰ですか?
バシレイオス二世
>>268 独身だっただけで、そういう記録はない
というかビザンツって、そういうの聞かないよな
270 :
世界@名無史さん:2009/08/21(金) 22:38:54 0
男色家の王や皇帝ってどんなのがいるっけ
ヘラガバルスとか?
271 :
世界@名無史さん:2009/08/22(土) 00:05:31 0
フランス国王では、ルイ13世、アンリ3世
272 :
世界@名無史さん:2009/08/22(土) 00:14:28 0
ギリシア人の帝国のくせして、めくるめくホモの世界を知らないとはね・・・
ホモ文化が席巻した後の国々はなぜか大いなる繁栄を遂げることは歴史学会では知られた法則です。
>>272 誰の何ていう論文に書いてあるの?
学会の法則ってことは、ちゃんと論文や研究発表の形で残ってるんだろ?
>>270 時代は遡るが、ハドリアヌスは割りと有名だろう。コンスタンティヌス朝以後については、すぐには思いつかないなあ。
>>273 狂ったバルバロスの相手をするな
>>274 放っておきなよ
相手してる奴もどうせ自演かなんかでしょ
てかオスマンスレでも同じ主旨の質問してるクズだよソイツ。
もう相手にすんな。
決め付け乙
だから相手にすんなって
280 :
世界@名無史さん:2009/08/22(土) 23:25:43 0
前回の衆院選挙から今回の衆院戦の流れを見ると、
小泉=ユスティニアヌスか?
それとも、後継者のグダグダ加減をみると
小泉=バシレイオス2世か?
小泉=ユスティニアヌスならば、麻生=マウリキオス、鳩山=フォーカスかな
小泉=バシレイオス2世ならば、安部=イサキオス1世、福田=コンスタンティノス10世、
麻生=ロマノス4世、そして鳩山=アンドロニカス・ドゥーカスだろうか?
ビザンツ皇帝の帝衣は、皇帝個人の趣向によって変わるもの?
マヌエル2世のように白衣を好んで着た皇帝もいたから気になった
>>283 基本的には緋色
マヌエル2世は異例中の異例だから記録されているのであって
小泉がバシレイオスとか言われてもピンと来ないな・・・
だって中興してないもの
しょせんはローマ帝国の土台にかまけて千何百年間も技術を停滞させ続け
民からは搾取の限りを尽くし、敵には金品を送ってひたすら媚び諂い続けた
自称帝国の暗黒社会の支持者といったところであろうか。
>>286 そういう評価も一般にあるが、
このスレ的には容認できない
古い書物の知識に頼るだけで、毎回言うことは同じ
全然進歩がない
>>286は保守的なビザンツ文化の体現者だねww
>民からは搾取の限りを尽くし
中世に民から搾取の限りを尽くしてない国家があったら教えてほしいわ
中世は逆に国家は大して絞りとることができなかった。
地方の領主とか地主が勝手なことやってるからな。
搾り取れるのは徴税システムが確立された近代以降。
ビザンツは当時としては例外的に徴税機構のしっかりした国だったが・・・。
>>290 だから領主や地主が好き勝手に重税課してたっていうことにはなるんだけどね
そして重税を課して市民を苦しめなかった国がヴェネツィア・・・
ビザンツ帝国の命脈を絶たしめた黄金文化と勝利に彩られた海洋国家・・・
やはりビザンツの欠点は重税重税の帝国だったことだな。
重税ばかりとって、帝国の意味ないじゃん
特に絞り上げた税でくだらねえなんの役にも立たない教会とかたてすぎ。
聖職者は蛮族退治にはなんの役にもたたないのに。
ちゃんとその分の金を軍団に投資していればもうちょっとなんとかなったろうな
>重税ばかりとって、帝国の意味ないじゃん
意味が分かりません
>>292 そのヴェネツィアの主聖堂はビザンツ様式w
黄金文化の黄金もビザンツから職人呼んだモザイクw
>>293-294 重税重税って他に語彙がねーのかよw
「バカの一つ覚え」の典型例だわw
ビザンツ文化より進歩がねーな
>>296 所詮は古本屋ですから
>>293の支離滅裂ぶりといい、使い回しの妄言といい、全く進歩がない
>>295 重税ばかりとって、王国の意味ないじゃん
重税ばかりとって、戦国大名の意味ないじゃん
重税ばかりとって、幕府の意味ないじゃん
何にでも使える古本用語ですw
伸びてると思ったらまた古本か。
相手してる奴も放っておけばいいのに
>>296 ビザンツの文化を引き合いに出さないでください
>>302 ニヤニヤは甘え。
言いたい事があるのなら、適切な言葉を使いましょう。
どうでもいいが、ギリシャにはアンゲロスなる名のサッカー選手がいるんだな。
あのアンゲロスと関係あんのか?
>>306 元々の意味が「天使」(英語でいうAngel)だから、あの無能王家と関係無しに
いそうな気がする。
無能王家言うのやめろ!
彼らにはただちょっと、運が足りなかっただけだ!
歴史では、運も実力のうちだ
そんなことよりそろそろトレビゾンド帝国について語りましょうよ
あれも一応ローマを称していたのだろうか
そもそも、ビザンツの皇室で今日まで残ってる家系ってあるの?
パレオロゴスは詐称らしいし。
パレオロゴス朝側に住んでる人間はあそこもロマニアとして認識してたんでしょうか
>>313 パレオロゴスも何系統かに別れてるからなぁ。イギリスにも末裔がいるし。
そういうのを「ぱれおろがすのおたんちん」というのだ
トレビゾンド皇帝ってニケーア勢と手打ち後は
「黒海以東の皇帝」みたいなニュアンスの帝号を名乗ったそうな。
ヤバい
皇妃列伝読んで最後のあたりで涙出てきた。
>>313 直系ではないというだけであってパライオロゴス家ではあるらしいよ
>>280 アナスタシウス1世=クリントン、ユスティニアヌス1世=ブッシュ、マウリキオス=オバマ?
ルーマニアあたりで一度支配者になったとかいうカンタクゼノス氏の子孫とかいないのだろうか
政略結婚とか多かったんだから
血を引いてるだけなら幾らでもいるだろう
>>324 近代ギリシャの初代国王オソン1世も、かなり薄いながらコムネノス朝の
血を引いていたらしいからな
>>323 アメリカ=ビザンツならば、日本=属州エジプト、日本の中国化=エジプトのアラブ・ムスリム化でぴったり
小泉はそんないいもんじゃないだろう
あれはただ単に人気があっただけでマヌエル帝みたいなもん
日本が属州エジプトなんて評価しすぎだろう。
日本が滅んだところで西ゴート王国の滅亡みたいなもんだ。
その気になればヴェネチアぐらいの立ち回りは出来そうなんだが
政治家と国民のスペックが低すぎて困る
スレチになるが、以外にアメリカにとって日本は重要だよ。
経済を抜きにしても、太平洋の西端、ロシア・中国の抑えとして防衛上必須。
だから(アメリカにとっては損な)日米安保で同盟くんでる。
ビザンツにはなかったタイプの同盟国だろう。
経済・文化も肩を並べれる同盟・属国は中期までなかったし。
アメリカの同盟国の中じゃ英仏独に次ぐくらい重要なんじゃないか?
日本は
それよりビザンツ海軍の話をしようぜ
テマ・カラビシアノイとかキュビライオタイとか
ビザンツ海軍ってギリシャ語でなんて言うんだろう
テマの行政府所在地みたいなのってあんの?
おお、麗しいバシレイオス二世時代の帝国の領域・・・・
これを見りゃテマの区域と首府がわかるわな
もしビザンツが現代も残っていたらどんな風になってるのかね。
文明後進国になってたと思うよ。マジで。
皇帝が海外を訪問する際はローマ法皇や天皇陛下なみの扱いを受けるのは想像できる。
現代まで続いていれば皇帝が残っていたとしても立憲君主制になってるだろうけど。
皇帝が軍団を率いてトルコ青年党とか赤軍とかアルバニア・ゲリラとかと戦うのか・・・シビれるね
第二次大戦では「ローマ帝国の再興」を掲げるイタリアにローマ帝国が侵攻されるわけかw
>>346 こういう感じになるんだろうな。
ムッソリーニ「ビザンツはギリシャ人とスラブ人の国家であり、ローマ人とはなんの関係もない。われらこそがローマ帝国の末裔である」
↓
ビザンツ「途絶える事なくローマ皇帝位を受け継いできた我らは末裔どころかローマ帝国その物である。まだ存在している物を再興するなど笑止」
戦後はそのままNATOに加わりソ連と中東への防波堤に……
マヌエル12世ぐらいの皇帝が、援軍を求めて渡米
大歓迎を受けるものの、その時点ではアメリカには参戦の意志はなく
危機の故国にむなしく帰国するのだった
外交的にはローマ、イタリアとは不和だろうなあ。
ただ東ローマが生き残っているということはまた、第3のローマもありえないっつーことか。
今のロシアの興隆はないのかもね
どういう規模で残るかにもよるけど
オスマンの地中海制覇やルネサンスに大航海時代云々も怪しくなるな
まあ逆に言えば東ローマ滅亡はそれだけ大きい転換点って事なんだろうけど
東ローマ滅亡は、後のあらゆる国家にとって糧となった。
それはなにゆえだろうか?これを探求する前段階として、
どうしてもバシレイオス二世やらアンゲロス王朝の偉業について
論を極めなければならない。
言ってみれば西ローマ滅亡よりも、東ローマ滅亡は人類に与えた影響が大きい。
>>352 中世から近世への転換点だね
ビザンツの存在なくしてイタリア・ルネサンスも、ロシアもオスマンも語れない
>>351 第3のローマ云々は箔付けだからロシア自体は変わらないんじゃないかな
精々帝国が王国になるとかその程度なんじゃないの
>>355 その箔付けがあるとないとでは違ったかもよ
まあ、専制君主制国家には変わりはなかったろうが
ロシア人は専制国家大好きだからな
モンゴル支配から今に至るまでほとんど専制国家
>>357 いったん民主化しても結局専制国家にしちゃうし
強権体制じゃないと広大な領土と多民族をまとめられないし、周囲の多数の敵から国を守れない、
とロシア人は考えているからな
過去ロシアが調子良かったときはいつも恐怖政治だったというのもある
>過去ロシアが調子良かったときはいつも恐怖政治だったというのもある
ウラジーミル大公やモノマフ公やイヴァン銭袋公、イヴァン3世、ピョートル1世、エカチェリーナ2世あたりは
恐怖政治といっていいんでしょうか
第3のローマが無くてもハーンがあるじゃない。
ピョートル一世の時代って民衆がそう幸せだったとも思えない。
貴族や聖職者はもっとだったろうが。
ビザンツの最盛期もニケフォロス2世からバシレイオス2世までの専制皇帝
ビザンツは国号をローマ帝国と称していたのは解るけど、一般人レベルでも「私はローマ人だ」っていう自意識を持っていたの?
>>362 ビザンツは、あまりに酷いと帝位から引きずり降ろされるか、あの世に送られる
かしたが、ロシアはそういう抑止力もあまりない。
>>363 少なくとも首都市民は持ってたみたい
まあローマといっても当時の人間が意識してたのは
共和制期のローマじゃなくて帝政移行後のローマだったらしいが
じゃあ帝都の人間は、カミルスやスキピオのことはしらんかったのかな?
19世紀のギリシャ独立戦争の頃になっても、田舎の農村ではまだロマイオイという呼称が使われていたと聞いた事がある。
共和制時代のローマはあくまでも都市としてのローマの意味合いが強いだろう。
都市ローマを支配領域に置かないビザンツがねぇ・・・。
何しろビザンツ的にはローマ=世界
ローマ市民権を持ったギリシャ人・アナトリア人・アルメニア人って感じじゃね?
そもそもコンスタンティヌスが東に遷都した理由に
皇帝専制のキリスト教ローマ帝国を新しく作るってのがあるから
過去のローマの神々とか元老院だとかの歴史が重視されないのは当然
むしろそれより前の時代だと古代ギリシャの方を自分たちのルーツと考えていたっぽい
>>370 そのくせコンスタンティノス7世みたいにラテン語を「父祖の言葉」とか書くからややこしい
もっとも、古代ローマよりも古代ギリシャの方が文化的には先だし、古代ローマ時代の
教養人にとっても古代ギリシャの文学作品や哲学は当然身につけておくべきものだった
から、別に「ローマ人」が古代ギリシャ文化を重視すること自体には矛盾は感じてなかっ
たのかもし
れんが。
>>363 民衆叙事詩の「ディゲニス・アクリタス」なんかでも「ローマの、ローマ人の」というときは
ビザンツのって意味で使ってますね。
もちろん口承の叙事詩だから中世そのままの形で伝わってる訳ではないですが。
ディオクレティアヌスのキャベツをムシャリと、ゆきたい
よくマヌエル一世が死んだ時には帝国の経済は破綻寸前だったと聞くけど、この辺りの問題を詳しく解説した書籍ってある?
>>374 とりあえず、何を読んだことがあるかが分からないと答えようが無い
>>375 なんだその態度!
傲慢なんだよビザンツ豚が!
見事な難癖だと関心はするがどこもおかしくはない
>>370 ソレでも暫くは、貨幣の裏は過去の神を刻んでるんだけどね。
個人的に傑作なのはユスティニアノス2世がPAXなんて刻んだ貨幣を発行してるコトかな。
もうこの時代はPAXじゃなくてリアル北斗の拳な時代だったハズなのに。
>>379 ヘラクレイオスの時代から「平和をもたらす皇帝」が称号に入ってくるからね
もちろん実態はその逆だったのだが
まあそれを目指していたって事で
>>381 まあ、外敵の侵入に耐える時期だからこそ生まれた称号だな
その語も続く称号だけど
そこでいう皇帝を表す単語は何?バシレウス?
>>383 そこで使うのはバシレウスだね。
後の時代になると、「アウトクラトール(ラテン語のインペラートル)、カイサル、アウグストス」とかって
伝統的な称号も復活するけど
ローマの帝位はあくまでも軍が推挙し元老院が指名し市民が支持した者のものだ。
ローマ軍も元老院もローマ市民も無くなったこの世界にローマ皇帝などいない。
コムネノス朝以降の皇帝がコムネノス家の血を引いた者だけなのは
あくまでアレクシオス一世が政略結婚を使いまくった結果に過ぎない。
当時は政略結婚なんかしまくってたんだから
単に血縁ってだけなら西欧の王侯貴族にもいくらでもいるんじゃないのか
>>386 そういうのは時代と共に変わっていく物なんじゃ
他の国のそれと違って共和制から誕生したローマ皇帝の正統性は血統じゃないからな
中国やトルコのように皇帝があって国家があるんじゃなくて国家の為に皇帝がいるって認識
だから往々にして市民の不興を買えば皇帝の首もすぐすげ代わる
>>387 ギリシャ王国のオソン一世もコムネノスとラスカリスの血を引いていたし、末裔は今でも普通にいるだろうね。
391 :
世界@名無史さん:2009/09/09(水) 00:55:21 0
>>390 ということは、ヴィッテルスバッハ家も末裔なわけだ。
いや、確かデヴィ夫人の知り合いにパレオロゴス家の末裔がいなかったか?
話題がないね
Byzantine Cavalryman今読んでるけど、著者がカタフラクトの装備一式を自作して、自分で着て、
馬に乗って取った写真を参考資料として載せている本はオスプレイでもなかなかないと思ったw
ヨーロッパやアメリカにはこういうの趣味で作っちゃう猛者が多い
この装備を当時の自作農民に自負担させてたのか・・・。
そりゃ、最終的にはテマは崩壊してくって。
>>398 全自作農民じゃないけどな
結局負担できずに没落するか、大土地所有者になるかの二極化
装備を自分達で調達させるのって、古代ギリシアの都市国家も同じ事やってたよな。
やっぱりつながってるんだなあ
逆に一時期はこれを自前で負担できる農民が万単位で存在してたってことなんだよな
全ての装備がそうじゃないとはいえ大したもんだ
>>402 しょぼいのかしょぼくないのかよく分からんな
>>402 コスプレ?
それとも本当にこんな防具も盾しか無いような装備で戦ってたの?
カタフラクトって馬も前面は装甲なかったっけ?
>>404 ニケフォロス・フォカスのプラエケプタ・ミリターリアにある歩兵装備をそのまま再現したと書いてある。
ただし、レオーン六世のタクティカでは歩兵もメイルやラメラーを着ていたとも。
詰め物鎧か
軽いし防刃性はそれなりだがな・・・。
ビザンツの軍隊って今だにイメージ湧かないなぁ
まぁ1000年も続いてるんだから時期によって大分違うんだろうけど
テマ制って、農民が農作業の片手間に訓練をやっていた……ってわけじゃないんでしょ?そんなのが大して役に立つとは思えないし。
そこが良く解らないんだよな。
>>411 訓練の片手間に農作業やってたんじゃないの
農閑期に戦に出たり訓練したりしてるんじゃね?
信長・秀吉によって兵農分離される前の日本の武士はそんな感じだ
ヨハネス1世が東方にいい感じに快進撃を続ける傍ら
農地が荒れ果てて中小自作農は次々土地を手放していったそうだが。
テマ制って節度使みたいなもんかね
>>414 また極端な見方が
実際そういう側面はあったけどね
バシレイオス以降の衰退が惜しいなあ
バシレイオス二世が生きていれば、マンジケルトの敗戦はなかったろうに
さすがにそれは期待しすぎだろw
だったらいつまで生き続けて統治していればよかったんだよ
再三言われてるように、まともな後継者を用意しておけば、っていうのはあるけどな
下手に子供を作ってその後で自分が殺されて
悲しい思いをされたくなかったのかもしれん
とか逝ってみる
専制君主は基本身勝手だからなあ
>>421 帝位継承者を置くと、それが自分に対抗する勢力になるからな
>>417 バシレイオス二世と言えども、合戦中に裏切られてはお手上げだろうね。
かのアレクサンドロス大王も、もしパルメニオン隊が勝手に撤退したら、
ダレイオス三世に完敗したであろうな。
バシレイオスだって、キエフの使者が来てなきゃ、あぼーんなハズだけど。
バシレイオスやマヌエルを見ると、専制国家の指導者が後継者を残さずに死ぬのは国家に対する罪という風に思える。
>>409 トラキア、フリギア、カッパドキア等内陸の牧畜地域が基盤なので、騎馬民族国家的でもあるよね。
>>427 そのイメージはなかったなぁ
個人的に文化大国と遊牧国家ってあんま重ならないんだよね
>>427 実は牧畜地域化したのはトルコ人が来たあと、とかそういうオチじゃないだろうな、まさか
トルコ人やスラブ人らに内陸部を奪われた結果、ビザンツは、軍馬と騎兵を
確保する事が、困難になったとされる。
ビザンツ軍の主力が、パルチア・サルマチア由来の騎兵なので、内陸部の喪失
はビザンツ軍にとって致命的であったとされる。
牧畜と遊牧って全然違うだろ・・・
農耕民と遊牧民の抗争はビザンツに限らず世界史全体のテーマだな。
ビザンツの場合、黒海北岸の遊牧民との付き合いがフン族の時代からあるね
>>433 ケルソンはそういう遊牧民との交易拠点だしな
>>429 オスマン朝がある地域を占領すると、まず城塞をほとんど取り壊して
残ったものに駐屯兵を置き、支配者が戦死するか逃げるかした農地を
戦功者の采邑地に割り当てる。降伏したプロノイア保有者も
このシステムに組み込まれて、数世代でトルコ化したらしい。
農地を牧地化するメリットはあまりなかったのではないか。
ムンドゥスみたく遊牧民から帰化した奴らもいたんだろうね。
ヴァリャーギ親衛隊にはノルマンコンクエストからのアングロサクソン人亡命者もいたし
>>ヴァリャーギ親衛隊にはノルマンコンクエストからのアングロサクソン人亡命者もいたし
というかコムネノスの時代にはもう大部分がイギリス出身じゃなかった?
コムネノスの時代には、もうロシアの支配層らはかなりスラブ化土着化が進んでいて、
傭兵にふさわしい勇猛さが失われていただろうね。
439 :
世界@名無史さん:2009/09/20(日) 00:45:16 O
十字軍はビザンツの寿命を縮めたと言われるけど
十字軍が来なければ滅亡は早まった気がするが…
初期の十字軍がパレスチナ国家を建国しイスラムとの緩衝地帯を作ったのが帝国の寿命を伸ばしたのでは?
>>438 とりあえず言っておくと、ヴァリャーギはルーシから来た者だけを指すのではなく、スカンディナヴィア出身の者たちも含まれる。
コムネノス朝期にも親衛隊には北方から来た者たちが多数いた。ロベール・ギスカールに占領されたドゥラキオンを奪回する戦い
にも参加しており、かなりの被害が出たとされる。また、マヌエル1世治世下、誰だったか忘れたが、ノルウェーの王族(後に王位
に就いた)が部下と艦隊を率いて北海〜大西洋〜地中海をまわって聖地巡礼を行ったのちに帝都に向かった。華々しい歓待を受けたのち
彼らはヴァリャーグ親衛隊として勤務した。彼は指揮官としても有能で帝国西方での軍務に就き、結構な軍功をあげたらしい。勤務期間終了後
彼は自身の船と帝都滞在を希望する部下を残し、ルーシ経由で本国に戻り王位に就いた、と言う話もある。
この時代にも帝都(ミヒクラガルズル)は周辺の人々を惹きつける魅力ある場所だった。
>>440 ノルウェー王ハーラル3世だな
「ヴァリャーギ ビザンツの北欧人親衛隊」というちょうどいい本が出てる
442 :
世界@名無史さん:2009/09/22(火) 19:06:48 0
コーエーのジンギスカンで結構好きだったアレクシオスがろくでもない
ヤツと知って軽くショック。
>>442 それって、アレクシオス何世のことだ?
3世、4世、5世は確かにろくでもないけど
1世なら、ビザンツ帝国中興の名君だぞ
(ヴェネツィアへの譲歩など後の時代に禍根を残してはいるけど)
2世は14歳で死んでるから評価不能
ゲームの話なら3&4だね
年齢が50台で、しかも親族武将に「イサキオス」ってのが居たから、
おそらく3世で間違いない。
ちなみに結構男前の顔グラフィックだった。
蒼き狼と白き雌鹿4のブラザーズ&アンドロニコス4世は過大評価も良いところだろ。
史実の帝国の苦難をゲームで少しでも味わいたいのなら、
メディーバル2トータルウォーやナイツオブオナーやった方が良いぞ。
廃人覚悟ならヨーロッパユニバーサリス2でオスマン相手に戦ってこい。
>>446 全盛期のマケドニア朝でプレーできるゲームは出来ないものかね
ギリシア系の人名は響きがかっこいいのが多いから、ゲーム向きだよな
アレクシオスとか、アンドロニコスとか
アンゲロスとか怪獣みたいだが
アンギラスみたい
452 :
世界@名無史さん:2009/09/23(水) 20:20:37 0
コンスタンティヌス・ユスティニアヌスって言ってたのが
いつの間にかコンスタンティノス・ユスティニアノスになってる・・・
えっ
ムスリムの皇帝が公用語をギリシア語に変えたからだよと、マジレス。
つーか、じゃあレオーンがいきなり3世なコトには何の疑問も感じなかったのかと。
>>455 ムスリムの皇帝なんかいねーよw
どうやったらそんな出鱈目思い付くんだよ
ヘラクレイオス以降は公用語がギリシャ語、っていうのは入門書レベルの知識だ
から余程のバカじゃなきゃわかるよ
>>457は
>>456のどこに対して「マジで!?」と驚いているのだろう?
ムスリムの皇帝がいないことか、ヘラクレイオス以降公用語がギリシャ語であることか、
それが入門書レベルの知識だってことか
459 :
世界@名無史さん:2009/09/24(木) 21:36:43 0
余程のバカじゃなきゃわかるよ
ってトコじゃね?
「ムスリム五皇帝」=形式上、ムスリム改宗してオスマン朝の侵略行為を牽制し、
その不法性をアラブ圏にアピールしたビザンツ歴代皇帝。
ギリシア語を公用語に導入したのもアリストテレス、ガレノス等ギリシア文献が
重要視されたアラブ圏へのアピールであった。
ムスリム皇帝たちの改宗はあくまでも形式的なものに過ぎず、
は実際にキリスト教の信仰を捨てたわけではないとされている
※ビザンツ帝国におけるムスリム皇帝たちの存在
→キリスト教工作員による歴史改竄、ビザンツ史の暗部
0点
>>280 今や、鳩山 由紀夫=ユスティニアヌス1世、鳩山 幸=テオドラじゃまいか?
>>462 ネタにしてももうちょっと上手く捏造出来ないか?普通
あえて
>>462にツッコミ入れてみようぜw
それで、ソースは?w
まさかソースは古本屋じゃないよな?www
ムスリム皇帝の存在を隠蔽しようとするキリスト教絶対史観工作員ども 乙
古本さんはむしろ西欧よりだから違うだろうな
民明書房だろ
>>467 ま、こんなもんか↓w
>>468 アホが
嘘つくならもう少しマシなもん考えろ
>>462はネタにしても突っ込みどころが多すぎる。
ギリシャ語が公用語化した7世紀からオスマン朝が出来るまで何百年あると思ってるんだ?
しかもヘラクレイオスがギリシャ語を公用語化したのは、ムハンマドがヒジュラした直後でまだサーサーン朝も滅びる前だ。
そもそもヘレニズム時代から、東地中海ではラテン語がギリシャ語優勢だったこととの整合性ゼロ。
しかも五皇帝とか言うくせに、名前も在位年代も挙げられない、ソースも出せない時点でくだらない妄想確定。下らな過ぎ。
西欧やアラブの記録とも全然整合性が無いしな
イスラムに改宗なんかしたら間違いなくローマ教会側から噛み付かれたはずだ
邪宗キリシタン工作員どもが必死だな
つーか一々相手してやるなよ・・・
世界史板全体に言えることだけど沸点低すぎ
こっちの方が呆れる
なんだ、またバカノス・フルフォノスか
>>468 帝政ローマにアラブ人皇帝ならいるけど、そいつと勘違いしてない?
ま、そいつはムスリムじゃないけど。
↑
ごめん、変なこと言ってるわ、俺。
480 :
古本屋:2009/09/27(日) 19:59:38 0
481 :
世界@名無史さん:2009/09/27(日) 23:55:26 0
オスマンスレでやれや〜。
メール欄では?
まぁ、ホスローが毅然とムハンマドの目の前で命令書を破り捨てたのに対して
ビザンツ側の対応は余りにお粗末。
485 :
世界@名無史さん:2009/09/28(月) 17:01:27 0
エルトゥールル・オスマンの父母は誰ですか?
なんか荒されてるな
例の胡散臭いスレの人かねぇ・・・
白人嫌いは結構だが他のスレまで荒さないで欲しいもんだ
話題変えに
井上先生の本以外でビザンツ関連のいい本ってないかな?
ヴァリャーギ ビザンツの北欧人親衛隊って本は持ってるんだけど
テマの分布とかビザンツの著名人とかもっと知りたい
>>489 根津由喜夫『ビザンツの国家と社会』
あと、文庫クセジュで大月先生が出してる翻訳本3冊
>>490 おお、まだ全部書店で売ってる!
ありがとう!
これはかなり嬉しいよ
じゃあオストロゴルスキーもどうぞ。
John Julius Norwichのビザンツ三部作ってどう?
495 :
世界@名無史さん:2009/09/30(水) 10:10:10 0
ビザンツ皇妃列伝が欲しいが絶版だぜ。
まああと数年したら講談社学術文庫あたりで復刻されるんだろうが
>>495 皇妃列伝は俺も欲しいなぁ・・・
中国の列伝みたいに個々の人物を詳しく説明した本はないのかねぇ
俺アマゾンのマーケットプレイスで皇妃列伝買ったことあるけど、いま見たら\21,000になってるのな。
買った当時はもっとお手ごろで買えた記憶があるのだが・・・
生き残ったビザンティンは結構みるけど皇妃列伝は中々見ないねぇ
だいぶ前に買っておいてよかった
皇妃列伝は、それぞれの皇妃の人生がかいま見えて、
読み物としてもけっこう面白いよね
500 :
世界@名無史さん:2009/10/01(木) 22:17:02 0
私も皇妃列伝持っている。そんなに高価な値段が付いているとは
びっくり。井上先生の暖かい眼差しがいいよね。
ベルバラ風の4コマ解説漫画つけて新版出してくれないかな。
意外と当たりそうな気がする。
>>500 マルティナの所なんかは、原史料の読み解き方も書いてあるし、あれは良い本だ。
>>501 マンガとかいらん
それより、書き下ろしで別の人物を付け加えてくれた方が嬉しい
外伝でアンナ・コムネナとかも読みたいぞ。
このスレ見て図書館で皇妃列伝借りようと思ったら借りられてた。
このスレ見て借りたな…
2ヶ月ほど前に読んだけど、とても面白かったです、皇妃列伝
507 :
世界@名無史さん:2009/10/04(日) 21:33:05 0
ギリシア火について色々教えて。
>>507 はじめてこの兵器を使用したのはウマイヤ朝による1回目の帝都攻囲の際のアラブ側であるらしいことが最近の研究でわかっている。
>>509 ただそれを効果的に使用できるまでだったのかは微妙だけどね
マジ?
じゃあ、カリニコスは、アラブ側の技術をビザンツにもたらした人物ってこと?
すまないが、日本語で読めるソースがあったら教えてほしい
>>512 結局手に入れても維持したり、大量に製造したりするには技術がいるからね
おそらく7世紀のアラブじゃそこまでは到達してなかったのかもしれない。
ブルガリアなどはなおのこと
俺の読んだE・メイヤー著「驚異の戦争」や
アーネスト・ヴォルクマン著「戦争の科学」だと
可燃性物質を使った兵器自体は古代からあったらしいとあったな
結局火炎を使った兵器自体は昔からあったけど、それを最も大量かつ効果的に使用したのが
ビザンツ軍だったということだね
>>511 実際の所最初に使ったのは誰かとか詳しい所は良く分かってないんだよ
ただ最も効果的且つ大規模に使ったのがビザンツだからギリシャの火と呼ばれているだけで
ギリシャ火で画期的なのはポンプと火炎兵器の組み合わせ。
一応当時の中東一帯で火炎兵器は使われていたようだ。
例えばアッバース朝にはそれ専用の部隊がいたようだし、十字軍も(恐らく鹵獲したもの)を使用した記録がある。
と言っても、中東では一般的には焼夷弾のようなものが主流だったが、
ビザンツのそれは現在の火炎放射器に近いもので、現在も製法はわからない。
使い方は上にもあるように、ポンプで液状のものを相手に発射する。空気に触れると炎が上がり、水では消せない。
海上で相手に使われるのが多かったが、1453年のコンスタンティノープル防衛戦のように、籠城で使うこともあった。
ちなみに11世紀後半のマヌエル帝のヴェネチア人一斉検挙のとき、都を脱出したヴェネチアの船は、
酢に浸した獣皮(確か)で船体を覆って、追手のビザンツ海軍のギリシャ火を防いだようだ。
ビザンツの場合
ギリシア火を海上戦闘用に船載させるよう小型化改良したことに意義がある
当時の船は全て木造船だから絶大な効果がある
ただ攻撃対象の相手の船がヴェネツィアのように賢いと封殺されてしまう場合もある
マヌイル1世が一方的にヴェネツィア人の一斉捕縛しようとした際
それを逃れ辛うじて逃げた1隻のヴェネツィア船に対してビザンツ海軍は執拗に追跡しギリシア火で攻撃を仕掛けたが
事前にギリシア火攻撃を予想していたヴェネツィア人達は毛皮を酢に浸し船体の回りに貼りつけて
ギリシア火攻撃をかわし、ヴェネツィアに帰還できた
ビザンツの文化発展とイスラム帝国を比較すると文明レベルでは互角ですか?
時代にもよるでしょ
ウマイヤ朝の初期なんてまだ蛮族みたいなもんだ
イスラムの初期はビザンツの金貨そのまま流通させてるし、ダマスカスのウマイ
ヤモスクなんかバシリカ式の教会を転用しただけだしね。
いわゆるアラビア・ルネサンスってのはアッバース朝成立後の話だね。
その頃になるとアラブ人に「非合理的なキリスト教のせいでギリシアでは学問が死に絶えた」
などと書かれたりする。
アラビア語文献の導入を通じて西欧のビザンツ観に影響をおよぼしたか?とも思うが
その辺はよく分からない。
>>524 イスラム教も大して合理的でもないのによく言うよ、って感じだけどな
アッバース朝の頃は、イコノクラスムのゴタゴタとかで、ビザンツの方は文化が
低迷してたからな。アモリア朝の後半から盛り返して来るけど。
ウマイヤ朝時代はアラビア半島出身者のみがムスリムであったとされ、アッバース朝時代に
なってもムスリムは帝国総人口の10%ぐらいであったとされる。
全盛期のイスラム帝国は、ビザンツ帝国よりもローマ帝国に近い、多宗教帝国だったとされる。
されるとされる
そりゃ、非ムスリムからの人頭税で賄っていた国だし
我らが全地総主教座は消滅の危機ですが。
>>530 政教分離なんて掲げてても内実はそこらのイスラム国家と変わらないって事かねぇ
まあ16世紀頃のロシア人でも「異教徒のツァーリの支配下の総主教など
もはや普遍的なキリスト教的ローマ帝国と関係ないから必要ない」
と主張してたりした。
ボリス・ゴドゥノフなんかはモスクワに招聘しようとしたらしいが。
>>529 人頭税で、賄えるほどの金額を得られるか?
ビザンツ帝国の元はギリシア文明と考えていいんですか?
ローマは西欧として少し違うと思いますが
釣り…なのか…
古代ローマ+古代ギリシャ+キリスト教(正教)→ビザンツ
古代ローマ+ゲルマン+キリスト教(カトリック)→西欧
無論下は場所によってアラブ人の比率が高かったり、新教があったり細かい違いあり。
プロテスタントって…宗教改革が何世紀に起こったと思ってるんだ
ビザンツ軍の衣装はたまに話題になるけどビザンツ帝国内の貴族の普段着とか民衆の普段着とかってどんなのだったんだろう
英語だと本あるね。
尼で「Byzantine Costume」で検索すればそれっぽいのが出てくる。
ヘタレの俺にはチョット。。。
>>542 そのキーワードでGoogleの画像検索かけると何か出てくるぞ
>>544 なんか民衆っぽくないね
これは貴族かな?
ちなみに表紙はコンスタンティヌス大帝とお母さんのヘレナです。
トガの面影すら無いのがすげぇ。
550 :
547:2009/10/14(水) 08:15:21 0
よくよく見てみたら塗り絵本だったorz
白黒しかないの当たり前!
説明文には材質とか明るい色、暗い色などと書いてあった。
表紙を含めてカラーは4ページで塗り方のサンプルのようなモンですね。
日本でもそういうの出版してほしいなあ
>>550 海外ってこんな塗り絵やるんだ・・・
すごいなぁ
対象年齢: 4 - 8歳って書いてあるけど買ってみようかな・・・
海外の塗り絵ハイクオリティすぎワロタ
餓鬼の頃からこういうので教育してたらそりゃ知識つくわ…
きっと世界の皇帝シリーズとかあるんだろうな
555 :
547:2009/10/14(水) 20:34:26 0
英語圏ではプロコピオスやアンナ・コムネナの著作がペーパーバックで読めるしな
こういう時英語が堪能な人は羨ましいな
>>552-553 欧米人は、日本の幼稚園児が折り紙で鶴とか折るの見て、すごいと驚くらしい
>>558 でも鶴が折れても知識にはならないんだよなぁ
まあどっちが良い悪いじゃないけどね
日本語訳して大きい子供向けに発売キボン
何となく本来のゆとり教育ってのはこういう遊びながら覚えるみたいなものなんじゃないか
なんて一瞬思ったり
>>552 対象年齢の割りには子供っぽくないですよ。
しかし絵はちょっと怪しいですね。
「皇帝ロマノス2世と皇妃エウドキア」という絵がありました。
エウドキアじゃなくてテオファノだろうと思って調べたら、
テオファノの前にイタリア王の娘ベルタ・エウドキアと結婚している。
おお、子供向けと割には記述はしっかりしてるなと感心したのですが
エウドキアはロマノス2世が10歳のときに他界していた。
でも絵を見るととても10歳以下には見えないw
564 :
世界@名無史さん:2009/10/15(木) 10:46:35 0
井上先生あたりがプロコピオスの秘史や戦史を邦訳出版してくれると
実に有難いんだが・・・
>>564 井上先生の本来の専門は中期ビザンツだからなぁ。
いくら先生が一般人への普及に熱心だからといって、そこまで期待してはいかん
原語翻訳だとラテン語?
それとも古代ギリシア語かな?
どちらにしろ俺等のレベルじゃ手が届かん。
誰か物好きな人が講談社学術文庫あたりで出してくれないかな・・・
歴史十書や原初年代記、サガの邦訳は出版されたのになんでビザンツの著作物
は…
>>568 まあ、中国の二十四史でさえ邦訳されきってませんから
言い出したらキリがないもんな
英訳の邦訳ってのはまた大変なのかもね
571 :
世界@名無史さん:2009/10/20(火) 19:46:18 0
コスマス・インディコプレウステスの『キリスト教地誌』は邦訳ある?
572 :
世界@名無史さん:2009/10/20(火) 20:23:53 0
そんなもん読んでいる暇があったら
国政そっちのけで兄弟喧嘩に興じる
俺らの偉大さをたたえろ
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄∨ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
∧_∧ .∧_∧
(・∀・∩)(∩・∀・)
(つ 丿 ( ⊂)
( ヽノ ヽ/ )
し(_) (_)J
573 :
世界@名無史さん:2009/10/20(火) 20:54:15 0
574 :
世界@名無史さん:2009/10/20(火) 21:36:29 0
C.W.C.Oman『中世における戦争術 378〜1515』(4/8) My
ニケフォロス・フォカスによれば、「6,000の重騎兵と神の加護以外には、何も必要としなかった。」
哲人帝レオンも同様に考えており、『Tactica』の中で、フランクとロンバルドの騎士を除いては、
世界のどこにもビザンツのcataphracti と同等の兵力で対抗できる騎兵は存在しないと語っている。
スラブ人、トルコ人、アラブ人は突撃で踏み破れば追い返すことが可能であり、
西方の諸族と対するときに限って突撃による勝利が保証されなかった。
ttp://www.geocities.jp/trushbasket/data/my/oman3.html
575 :
世界@名無史さん:2009/10/20(火) 21:39:49 0
>>ビザンツが偉大であった時代は1071年のマンツィケルトの戦いで終わりを迎える。
軍隊が傭兵だらけになった時点で終わったと思う。
オマーンって調べたら100年前の人間だ。
いくらなんでも古すぎないか?
577 :
世界@名無史さん:2009/10/20(火) 22:06:49 0
カタフラクトの維持と編成は膨大な金がかかっただろう
そういう訳で兵力は周辺諸国に比べて少なかったと思われる
579 :
世界@名無史さん:2009/10/20(火) 22:27:21 0
しかしね、200年ぐらい前のギボンの記述がいまだ
大きな影響力を持っていることを考えていると
時間の経過はあまり気にしなくてもいいんではないか
>>578 そりゃそうだが
カタフラクトがある分
金がかかっているだろ
他より
>>577 そりゃ超大国のイスラム諸勢力にくらべればな
さらばシリアよと言って手放したシリアだが
今は見る影もないな、ただでくれてやってもいいという感じだ
>>579 今となっては電波受信しまくりなんだけどな、ギボンも
>>579 でも現代でギボンが古代史の学術的な研究に使われる事はまず無いでしょ。
そもそも中世の軍事に関するまともな研究が始まったのは精々ここ三十年程度の話だし。
>>584 いま使ってる奴がいたら余程のインチキ学者だろうなぁ
原史料やその英語・仏語訳くらいはが読める環境になってきてるわけだし
>>577 この重騎兵は、おそらく人馬とも鎧で覆われたクリバナリウスの事ではないだろうか?
騎兵のみを鎧で覆ったカタフラクテスが、ヘタイロイの末裔であるとすれば、楔形の
密集隊形で運用されたクリバナリウスは、ファランクスの役目を担っていたようである。
588 :
世界@名無史さん:2009/10/21(水) 01:02:13 O
>>582 今ではっつーか
ニケフォロス2世のアンティオキア回復とは何だったのか…
589 :
世界@名無史さん:2009/10/21(水) 01:08:28 0
「指揮官は」ニケフォロス・フォカスによれば、
>>「6,000の重騎兵と神の加護以外には、何も必要としなかった。」
>>哲人帝レオンも同様に考えており、『Tactica』の中で、フランクとロンバルドの騎士を除いては、
>>世界のどこにもビザンツのcataphractiと同等の兵力で対抗できる騎兵は存在しないと語っている。
レオン6世ねぇ シメオンには数で押し切られたのか?
>>587 6,000の重騎兵とはクリバナリウスの事で、カタフラクテスはもっと多数存在したのでは?
クリバナリウスは、1071年のマンツィケルトの戦いで失われた後、再編されなかったとされます。
591 :
世界@名無史さん:2009/10/21(水) 01:16:10 0
え?マンツィケルトはほとんど外国からの傭兵だったんじゃないの?
テマの地方軍はかなり形骸化していたとされますが、クリバナリウスなど中央軍は、
当時はまだなんとか健在だったとされます。
595 :
世界@名無史さん:2009/10/21(水) 01:47:43 0
古代のプラエトリアニ=中世のタグマ
カタフラクトはペルシャ発祥でそれが西に渡って
クリナバリウス(パン焼き窯の番人の意味)の原型になったらしいね。
タグマ自体は、ウンコ皇帝が改めて作った物だけどな。
∧∧
/帝 \ . . . .: : : ::: : :: ::::::::: :::::::::::::::::::::::::::::
/:彡ミ゛ヽ;)ー、
/ :::/ハヽ、ヽ、 ::i . .:: :.: ::: . :::::::::::::::::::::::::::::::::::::::
/ :::/;;: ヽ ヽ ::l . :. :. .:: : :: :: :::::::: : ::::::::::::::::::
 ̄ ̄ ̄(_,ノ  ̄ ̄ ̄ヽ、_ノ ̄
テオドロス1世
「舅とセルジュークが攻め込んできたんだけどどうすればいい?」
599 :
世界@名無史さん:2009/10/21(水) 18:04:34 0
西ローマ帝国の末期はゲルマン人の傭兵だらけで
イベリアやカルタゴの人間はヴァンダル族やスエビ族を
ローマの長年の搾取からの解放者として歓迎した
東ローマ帝国も軍隊は傭兵だらけであり
十字軍の侵攻によって崩壊した
末期はどこもにたようなものだな
>>599 ビザンツが傭兵頼みになったのは終わりの300年位だけどな
それをビザンツ1000年すべてに当てはめるバカが未だにいるけど
>>599 ヘラクレイオス帝の治世から1204年の帝都陥落までは「中期ビザンツ」っていうんだよ
ヴェストファーレンが神聖ローマの死亡診断書なら
第4回十字軍は東ローマが死にいたる致命傷だった。
というかあれで実質的に死んだものといえるかも
ニカイア帝国の勝利であるペラゴニアの戦いも
兵は外国の傭兵だらけでしかもハンガリーの援軍がいたそうな
>>602 だから井上先生は最初の著作「ビザンツ帝国」をあえて1204年で終わりにした。
ローマ帝国最期の地、トレビゾンドのことも少しは思い出してあげてください…
歴史地図上のなんだかよくわからないとても小さな帝国、
それがトレビゾンド帝国の第一印象だった。
クルセイド・ウォーズ〜帝国の逆襲〜
イタリア人に征服されたエピロスはビザンツ帝国史的にはどう扱うべきか。
オルシーニもバルバロイっつーことでいいの?
>>608 確かあいつら正教なんだよなぁ。そうなると微妙。
>>604 そのころの井上先生はまだトルコ語やイタリア語を習得していなかった。
だからパライオロゴス朝の研究が遅れていたのでキリのいい1204年で
止めたんだよ。
イタリア語はあまり必要ないと思うけどなあ
>>613 いや、それは他でも無い井上先生が『生き残った帝国ビザンティン』でパレオロゴス朝時代について
「イタリアやトルコの影響を強く受けていたから、研究をするためにはギリシア語・ラテン語の他にイ
タリア語やトルコ語も勉強しなければ(以下略)」(講談社学術文庫版P240-241)って書いてる。
ただ、『ビザンツ帝国』には
>>611みたいなことは書いて無いから、直接ご本人から聞いたのでなけれ
ば、
>>611はこの『生き残った帝国ビザンティン』の記述から勝手に創作した出鱈目。
615 :
世界@名無史さん:2009/10/24(土) 02:14:44 0
この時レオポルド五世は白い上着を着ていたのだが、
戦いが終わった後にはその服が血で真っ赤に染まっていた。
ただ刀を下げるための幅広のベルト下の部分だけが白く残っていたため、
これ以後赤白赤の色がオーストリア国旗として、
あるいはオーストリアの紋章の背景として使われるようになったと言う。
(だがこのエピソードはもちろん伝説であり、実際はレオポルド五世の
十字軍遠征以前すでにこの赤白赤の旗は使用されていたらしい。
元来赤と白の二色は東ローマのビザンチン皇帝の色であり、
レオポルド五世の母方の血筋はビザンチン帝国に帰することなどを
考え合わせると、オーストリア国旗の起源はどうやらビザンチン帝国にあったらしい。)
ttp://members.aon.at/hwien/rekishi/wien1.html
616 :
世界@名無史さん:2009/10/24(土) 02:45:03 O
>>586 カタフラクトも人馬両方に鎧付けてただろ
ルーツとされるサルマチアとパルチアのカタフラクトは、人馬両方に鎧を付けた最も重装備の騎兵
618 :
世界@名無史さん:2009/10/24(土) 13:45:50 0
馬にも防備させることは
結構世界各地で見られることだけどね
一方金は重装騎兵を鎖でつなぎ合わせた連環馬という離れ業をやってのけた
621 :
世界@名無史さん:2009/10/24(土) 23:34:23 0
622 :
世界@名無史さん:2009/10/24(土) 23:45:09 0
ベーラ3世の頃のハンガリーを見ると
東ローマと神聖ローマに挟まれて
苦労している国に見える
623 :
世界@名無史さん:2009/10/24(土) 23:45:57 0
ベーラ3世の頃の→ベーラ3世が即位するまでの
当時、現在でいう中東欧あたりにあった国々ってそれぞれ安定した国家基盤を形成している途上だったんだよね。
彼自身は有能な君主だったようだね。マヌエルは本気で後継者にしようとしていたと思う。
625 :
世界@名無史さん:2009/10/25(日) 00:44:19 0
ハンガリーは、後に二重帝国となるが
最後はオーストリア領になるからな
626 :
世界@名無史さん:2009/10/25(日) 00:58:14 0
>>615 レオポルド5世の母はマヌエルの姪だけど
父親のハインリヒ2世は東ローマに侵略された
ハンガリーに援軍を送っているんだけどね
>>621 イシュトヴァーン2世の叔父アールモシュは、ハンガリーの内紛でコンスタンテ
ィノープルへ逃亡していた。イシュトヴァーンは引き渡しを求めたが、当時の皇
帝ヨハネス2世はこれを拒否。一方、ヨハネス2世の皇后はハンガリー王女だっ
たため、ヨハネスは妻の実家に度々内政干渉をしていた。
イシュトヴァーンは1127年にビザンツに宣戦、侵攻したが、ビザンツ軍の方が優
勢だったので退却して和議を結んだ。
以上ソースは主に尚樹啓太郎『ビザンツ帝国史』
628 :
世界@名無史さん:2009/10/25(日) 01:39:56 0
サンクス
嫁の実家に介入か
629 :
世界@名無史さん:2009/10/25(日) 02:24:40 O
プロコピウスの戦史を翻訳した本って無いの?
大学の図書館にも無かったけど
>>629 和訳はないよ。英訳なら
Procopius, History of the Wars, trans. H.P.Dewing (Cambridge, MA: Harvard University Press, 1916)
が定番かと。
631 :
世界@名無史さん:2009/10/25(日) 06:11:33 O
なるほどありがとう
英語なら辞書使えば読めるかもしれんな
632 :
世界@名無史さん:2009/10/25(日) 15:09:07 0
ヨハネス2世の三男でマヌエル1世の兄であるイサキオス・コムネノスは
廃嫡されたあとはどうしてたの?
でかいイサキが取れたよ。今年一番の大漁だ。
634 :
世界@名無史さん:2009/10/25(日) 18:54:52 O
ソイヤソイヤ
635 :
世界@名無史さん:2009/10/26(月) 00:24:13 0
コムネノス朝の軍事貴族は西欧の封建領主や
日本の守護大名みたいだな
>>635 そういう例えをすることが多かったんだが、近年の研究では果たしてどうなのか
疑わしくなってきてるみたいだ
ヴァリャーグ親衛隊を輩出したスウェーデンやノルウェーの
人間が書いた東ローマ史の本を読んでみたいな。
まあ親衛隊の武勇を強調したようなものになってそうだが。
>>620 クリバナリウスは、金や西夏の連環馬と同様に、馬の加速度ではなく、
象部隊のように重量で敵を押しつぶす戦術だったらしい。
>>635 ビザンツ封建制論ね。40〜50年前くらいまではそういう議論が盛んだったみたい。オストロゴルスキーとか。
ビザンツが封建化したので、集団戦用のクリバナリウスは運用出来なくなり、
カタフラクテスが西欧式に運用されていく事になったと言う事なのかな?
>>639 今はそれに対する批判・反証が主だからな
まあ、逆にそれゆえにオストロゴルスキーは無視し難いのだが
>>640 西欧式といっても西欧こそ重騎兵の突撃一辺倒では
西欧の騎士は俗に一騎打ちが基本だとされるが、
クリバナリウスや連環馬は騎兵版ファランクス
>>西欧の騎士は俗に一騎打ちが基本だとされるが、
西欧騎士の戦術は馬同士が触れ合うほど密集したコンロイ隊形での突撃だけど。
西欧騎士は、フェーデや槍試合などで、単独で戦う事も可能だったのでは?
クリバナリウスや連環馬は、密集隊形専用なのだろうが、カタフラクテスは、
西欧騎士と同じかそれ以上に、戦術に融通性があったと想像される。
馬で突撃するのに、結局ランスは開発されなかったり
ご先祖様はガストラフェテスを作ったのに
十字軍が持ち込んだクロスボウを見て驚いたりするのがねぇ。
フェーデや槍試合を戦場といっしょにされても…
苦しすぎといわざるをえない
中世の槍試合は数百騎の騎士同士が行う実戦さながらの演習だぞ。
一対一の馬上試合がポピュラーになるのはルネッサンス期からだ。
>>647 西欧騎士はトルコマーン自由戦士に、ビザンツのヴァリャーグ親衛隊とクリバナリウスは、
マムルークに近い存在だったのでは?
領地争いなどで、騎士と騎士、トルコマーンとトルコマーンは、私闘を日常とせねばならな
かったとされるが、マムルーク同様にビザンツ中央軍の兵士は、その必要はなかったのでは?
で、その実戦さながらの演習で西欧騎士は一騎打ちを基本としていたのかね
一般に常備軍として訓練されているビザンツやイスラム側に比べて、
西欧騎士軍は集団戦に不慣れであったとされる。
12C アイルランド、ウォーターフォードの戦いで
アングロノルマンのストロングボウことフィッツジェラルドは
たった10人のアングロノルマンの騎士と70人のサクソン人の弓兵で
3000人のアイルランド軍を破った
その後ストロングボウは後続部隊を上陸させ容易にアイルランドを征服した
対応策のない軍に対しては少数でも重装騎兵は威力を発揮する例
653 :
世界@名無史さん:2009/10/27(火) 23:59:46 0
654 :
世界@名無史さん:2009/10/28(水) 16:19:46 0
西欧重騎士の突撃戦法も
ブルガリアには通用しなかった訳で
第4回十字軍の後にできた
十字軍国家でブルガリアに勝った国はない
>>654 そりゃまあ、ブルガリアと交戦する十字軍国家なんて1つしかないだろ
656 :
世界@名無史さん:2009/10/28(水) 18:01:05 0
ラテン帝国の主要メンバーはフランスの騎士だよな
>>654 第四回十字軍からモンゴルにズタズタにされるまでわずか40年もないぞ
その間にブルガリアと戦った十字軍国家ってアホ皇帝支配下のラテン帝国しかねぇじゃん
658 :
世界@名無史さん:2009/10/28(水) 21:30:26 0
あれテッサロニキ王国もじゃなかったか
659 :
世界@名無史さん:2009/10/28(水) 23:00:12 0
モンゴルが来なかったらブルガリア様がバルカン半島統一してたんだろうな
660 :
世界@名無史さん:2009/10/29(木) 00:42:39 0
アレクシオス・アンゲロスとカリギュラ
どっちの方が最悪だと思う?
それはアンゲロスブラザーズ弟のこと?
カリギュラは別に国は滅ぼしてないが、ブラザーズ弟は余計なことをして国滅ぼ
した。どっちが酷いかは言わずもがなだろ。
662 :
世界@名無史さん:2009/10/29(木) 01:45:27 0
英語のウィキペディアでも
暗愚だとか書かれているアンゲロス
ちなみにアンゲロスとは天使という意味だそうな
663 :
662:2009/10/29(木) 02:06:35 0
何もしないで国を滅ぼしたホノリウスってやつがいてだな・・・。
カリグラの“悪行”の殆どは富の再分配を行おうとし、上流階級を蔑ろにして元老院と敵対した彼を貶めるために捏造、曲解、誇張された物。
アンゲロスのような連中とは比べ物にならない。
>>664 スティリコを処刑しちまったじゃん。
何もしないでスティリコに任せて鶏と遊んでいれば良かったのに。。。
>>659 そうなると、ニカイア帝国もアナトリアの国土保全に専念してゆく事になったかもね。
大コムネノス
大テオドロス
大アンゲロス
英語版ウィキペの皇帝一覧見てて疑問なんだけど
フラヴィオスって名前なの?称号なの?
コンスタンティノス4世までの皇帝は全名に入ってるけど。
カエサルやアウグストゥスやマルクス・アウレリウスみたいに名前(先帝の姓名)が皇帝号になったようなもんかな
コンスタンティヌス大帝から、というかその父親(西の正帝)以後はフラウィウスが入るようになっている
ウェスパシアヌスのフラウィウス朝との関係はわからんが
レオーン6世の時代になってもギリシャ語形の「フラヴィオス」が正式称号には
出てくるんだよなぁ
ヴェスパシアヌス乙
ベリサリウスの名字ってフラヴィウスだっけ?
>>673 フラヴィウス・ベリサリウスなんだから、フラヴィウスは名前じゃないのか?
そもそも当時のギリシャ人って名字あるんだっけ?
ベリサリウスってギリシャ人だっけ?
プロコピオスは家名無かったみたいだが。
ヘラクレイオスだってフラヴィウスだし、最初の妻はファビアが付いてる。
なのに以降、忽然と家名が無くなるんだよな。
>>654 十字軍国家じゃないが、ハンガリーのラヨシュ1世が14世紀半ばにブルガリアに攻め込んで
ヴィディンの皇帝イヴァン・ストラツィミル以下数千人のブルガリア人がカトリックに
改宗させられるという事件があったそうだ。
まあタルノヴォじゃなくてハンガリーに近いヴィディンの皇帝だが。
>>676 トラキアあたりの出身だったかな
当時はまだスラヴ民族は南下してないから、たぶんギリシャ系じゃないか?
>>678 ラヨシュ1世の騎兵は、後のウィングド・フッサーの原型のようなもので、
仏独など西欧騎士とは戦術や装備が異なっていたのではないだろうか?
>>677 ギリシャ人は古代から家名がなかった
だから古代ギリシャの著名人も地名+名前とかで呼ばれてる
ちなみにユスティニアヌスはラテン化したイリュリア人、ヘラクレイオスはアルメニア系
キーワード【 ローマ帝国 ローマ 帝国 ギリシャ 十字軍 皇帝 ビザンツ 】
>>680 ハンガリーは西欧型の重騎兵と軽騎兵の混成。
プロコピオスの著書の翻訳版とか出る予定無いのかな
英語版を買おうか迷ってるんだけど
688 :
世界@名無史さん:2009/11/20(金) 22:21:21 O
「一日でわかるローマ帝国」という本読んだら
ユスティニアヌスの遠征で国力が疲弊して…という次のページで
いきなりメフメト2世の肖像画つきで滅亡してた…
世間一般でローマ帝国って言う場合はたいてい、西ローマの滅亡までだからな
690 :
世界@名無史さん:2009/11/21(土) 03:15:44 0
>>689 それは日本だけの話で西洋では東ローマ帝国こそ本流の意識
どこの西洋だ。
仕方ないだろ。
ローマ帝国と比べればビザンツが世界史に与えた影響なんて小さな物だし。
694 :
世界@名無史さん:2009/11/21(土) 20:12:52 O
ローマ帝国の後継を僭称する自称帝国の暗愚社会
高い税金を課してひたすら民を苦しめ、
敵には媚びて勇気を見せることもなく
三重城壁の中でガクブル震えているだけの存在
権力闘争のために平気で外敵と手を結び、
騎士道精神を見せることも民の利益を振興することも皆無のカス政治体
そりゃローマに比べりゃ劣るかも知れんがオスマン辺りに比べりゃ遥かに上だよなぁ
オスマンや神聖ローマなんかそれこそ何ちゃってローマ帝国だからな
オスマンはイスラム王朝としては立派な大帝国だが
>民の利益を振興
コレに限って言えば、当時は全世界の最先端を行ってた気がするが。
>>698 古本にマジレスイクナイ
惚けた爺ちゃん何度も同じこと言ってるようなもんなんだから
700 :
世界@名無史さん:2009/11/24(火) 10:24:29 0
西ローマは何処がどう終わったのかが分からないってのが凄い。
ヴェネツィアだってもっとまともな形で滅亡してるのに。
546年のローマ陥落は、名実ともに西ローマの滅亡だろうね。
オドアケル王国って彼が皇帝を名乗ったならば普通に…
実質的にスティリコとアエチウスらは西の副帝、
オドアケルとテオドリックらは西の正帝みたいだよね。
>>704 オドアケルがあえて東の皇帝ゼノンの臣下を称した理由って、そういえばあまり
出てこないよな。
オドアケル王国って、ビザンツ帝国と同じく歴史用語だよね。
当時はともローマ国家内の出来事と考えられいたのだろうね。
オドアケルはヴァンダルや西ゴートの王と同じ称号を自称してるから
やっぱりローマではない。
ビザンツもインペラトールからバシレイオスに代わってるから
やっぱりローマではない。
ビザンツ帝国の一千年って結局北朝鮮のような治世。
そんな一千年に見習うべき点などあるはずがない。
それよりもやはりパックスロマーナの二百年を見習うべきだ。
そういえば、ビザンツ帝国にはパックス〜が無い。
どのような帝国wだったかこれだけでも察しがつくだろう
>>709 お爺ちゃん、お昼ご飯はさっき食べたでしょw
パックス・ロマーナ
パックス・イスラミカ
パックス・モンゴリカ
パックス・ブリタニカ
パックス・アメリカーナ
他にパックスがつくのってなんかあったっけ?
>>710にとっての帝国ってたったこれだけか
>>711 ローマじゃないっていうのは言いすぎだけど、
これは一考の価値はあるんじゃないか?
アウグストゥス→バシレイオスに変わった事が非ローマ化の象徴だという・・・
>>712 日本史限定だけど、パックス・トクガワーナがある。
でも、これを歴史用語として用いている学者は少数だがね。
そんなことより『ビザンツ皇妃列伝』の復刻はまだか?
>>714 よくギリシャ化を示す事象の一つとして挙げられはするよね
ただし、後になるとアウグストス、カイサルって称号も付くようになるが。
パクス・シュメリカ
パクス・アッシリアカ
パクス・タンギア(唐)
パクス・シニカ(中華帝国)
パクス・オトマニカ
パクス・ヒスパニカ
パクス・ロシアーナ(ロシア帝国〜ソ連)
パクス・ゲルマニカ(ドイツ帝国)
パクス・アトミカ(冷戦下の核による平和)
パクス・アングロ=アメリカーナ(英米)
パクス・エウロパエア(EU)
パクス・シリアナ(シリアによるレバノンの安定)
パクス・プラエトリアーナ(南アフリカ共和国)
ちくま学芸文庫の衰亡史も絶版と言われてショック。
なぜ日本の出版界はビザンツに薄情なのか・・・
>>718 まあ衰亡史は読んでも役には立たないけどな
720 :
世界@名無史さん:2009/11/25(水) 15:39:59 0
マヌエル2世とヨハネス8世の悲壮感あふれる晩餐のシーンは面白かったけどね。
12月。ビザンツ皇妃列伝、白水社より復刊ですよ
>>721 マジで?
白水社ってクラシック音楽関係の本出してるイメージなんだけど
皇妃列伝復刊か、そりゃ朗報だ
バシレイオス2世に関して性格は陰湿で根暗、疑り深い
というような感じでしかどの概説にも載ってないのだけれど、これってデフォ?
>>727 プセルロスの年代記にそう書いてあるからな
ちなみに最初からそういう性格だった訳じゃなくて、即位当初に貴族の反乱に遇った
せいでそうなった
元々は愛の悦びに浸ってた男だからな。
ユスティニアノス2世やコンスタンティノス5世も性格が相当アレだったらしいが。
730 :
世界@名無史さん:2009/11/27(金) 12:52:37 O
十字軍はヒザンツの寿命を縮めたが十字軍が無ければ滅亡は早まった。
十字軍=抗ガン剤かよ!
統一ローマからの問題だがおよそ1000年もの期間がありながら
ついに元老院と市民と軍隊の推戴とかいう建前以外
確固たる帝位の継承法や皇帝弾劾のシステムが確立されなかったのが
相次ぐ内乱や謀反を引き起こし国家の寿命を縮めた原因だろう
まあ専制に移行して元老院も有名無実化してゆく中で
そういったシステムの構築は現実的ではないだろうけど
むしろ内乱や謀反があったからこそ
政権が腐敗せずに1000年持ったんじゃないのか。
寿命が縮んで1000年持ったんだからすげえな
ほとんどクーデターや暗殺以外政権交代の方法がないのは
中世だからしょうがないしそれがいい方に作用すればいいんだが
泥沼化したり外国の干渉を招いたりした時は目も当てられないな、特に末期は
中期までは、クーデターが農民から皇帝になるような、支配階層の新陳代謝をもたらした
コムネノス朝以降は、同じ一門の内輪揉めで、どっちが勝とうが支配階層は変わらなかった
この違いは大きい
特に、パライオロゴス朝はひどいな
クーデターというより、長期にわたる内戦になって国力は疲弊するわ
傭兵としてトルコ人を使うからどんどんトルコ人が進出してくるわ
カスティリアから傭兵集団アルモバルカスを借りて
小アジアの領土をオスマンから次々奪回したのはいいものの
アルモバルカスに支払う代金がなく、アルモバルカスが暴走し代金を現地のビザンツ都市から強制徴収
ビザンツ側は愚かにもアルモバルカスの頭目を謀殺し、激怒した残党にさらに前にも増して国土を荒らされるという悪循環
しかもとばっちり受けたアケーア候国は滅ぼされる始末
もともとカスティリアもアルモバルカスの暴走に手を焼いて厄介払いも含めてビザンツに貸したんだが
>>738 しもうた
アルモバルカスじゃねぇ
アルモガバルスだったわ
wwwww
>>716 正直な話学問以外へのギリシャ語の進出と
学問へのラテン語の進出のどちらが非ローマ化かと言われると悩むところだな
>>738 カタルーニャ軍団の出身地はアラゴンでは。
アルモガヴァレスはカスティリャにもいたようだけど。
>>741 両国ともにいた
厄介な事しなきゃ歩兵としても騎乗しても戦える使い勝手のいい傭兵だからね
昨日HNKでクレムリンの特集やってたけど、正教の教会や儀式とかやってて
面白かった。
が、「ローマ皇帝の正当な後継者」とかのナレーションや「その後継者の証
の双頭の鷲の紋章」とかの紹介で、
「そんなの全て自称」「後継者と思ってるのはロシア人だけだろ」とか思って
しまった俺は変でしょうか?
まぁ、ムスリムやオーストリアよりは余程説得力があるわけで。
アメリカが元老院の後継者、ロシアがドミナートゥスの後継者
そもそも「ローマの後継者」とやらの定義があいまいだから、なんとでも言えるわな
皇女が来たから後継者というなら、他にもパライオロゴスやコムネノスの皇女が嫁いだ国は
あるわけだし
だれか「地上にいるのか天国にいるのかわからない」状態をCGで再現してくんないかなあ。
辺境の蛮族そのものであった千年前のルーシが、
コンスタンティノポリスやハギア・ソフィアを見たら、そりゃ驚くしかないわな
>皇女が来たから後継者というなら
それは第三のローマ論とまったく関係ない。
>>749 文明社会だったアラブ人でさえ、それなりに評価してるくらいだから都市らしい
都市がロクになかったルーシや西欧の奴らが見れば…
>>750 まあ「第三のローマ」自体がね…
西欧には都市ローマとかがあってイタリア半島はあの時代にしては
それなりなはずだけど。
ヨハネス・ツィミスケスなんかがルーシがローマの後継者を自称しているのを知ったら(゚Д゚)ハァ?と思うんだろうな。
それどころか帝国が突厥もどきの蛮族に追い詰められて滅ぼされたなんて知った日にゃ・・・
しかもその蛮族がローマを自称したなんてね
>>569 漢文なんて機械的に加点して読むだけだから、訳す必要ないし。
>>754 ニケフォロス2世やバシレイオス2世あたりは意外と納得しそうだから困る
ローマとかフィレンツェはルネサンスの最盛期で人口5-7万、コンスタンティノープルは
滅亡寸前の1400年でさえ7万だからな、全然ケタが違う。
ローマとかフィレンツェはルネサンスの最盛期で人口5-7万、コンスタンティノープルは
滅亡寸前の1400年でさえ7万だからな、
>>752はその辺分かってるのか疑問
ナポレオンはロシアのアレクサンドル1世をして
帝政末期の東ローマ人のようだと評してたけどね
もちろん、悪い意味でだろうな
そりゃ末期じゃな
まあ生き残ったのはアレクサンドルの方だが
>>755 その突厥ってのは蔑称として使ってるの? 何か違和感がある。
カガンなど出したことのない遊牧時代のオグズ族が聞いたら喜ぶだろう。
フランス革命の頃といったらなんせギボンがまだ生きてる時代だしなぁ
一番ビザンツの評価が悲惨な頃だ
ナポレオンのアレクサンドル評は
狡猾で油断ならない人物って意味で低い評価って訳でもないような
形容詞のbyzantineですね。
ナポレオンもギボンの衰亡史をセントヘレナ流刑時代に愛読していたそうだ。
読書目録に書いてある。
ナポレオンはカエサルを範としている節があるからな
当時のフランスの政情も共和制末期のローマの状況に似ているし
仮に、オスマンの脅威をビザンツが凌いで存続したとしても
ナポレオンに滅ぼされただろうね。むしろ、皇帝の即位式を
コンスタンティノープルでやるくらいの事はしたかもしれん。
>>769 そこいらへんは…パラドックスのゲームみたいな展開だったら
逆にナポレオン滅ぼすような大国に返り咲いたかもしれんしな…
ありそうなのだとイヴァン4世に帝都侵攻されてたかもしれんし
ナポレオンがフランス皇帝になれるか否かは、永年ジェノバ領だったコルシカが
フランス領とならねばならないので、ナポレオン対ビザンツは想像つかないな。
コルシカ生まれの男がイタリアの英雄になるのは、誰でも夢想出来そうだけど・・・
772 :
世界@名無史さん:2009/12/07(月) 19:34:58 O
絶対カール大帝も意識してたと思うけどな。あと神聖ローマ帝国の後継者も自認してるんでしょ?
どれぐらいの規模で存続するかにもよるけどいずれにせよ
まずナポレオンが相手にしないといけないのは王政を戴く西欧諸国で
ほぼ版図を継承したオスマンがそうであったように
辺境にちょっかい出される程度で直接大規模な戦いとかはないだろう
まあ革命による影響でその後の政体の変動はあるかもしれないが
ところで皇妃列伝の詳細な発売時期はまだきまっとらんのかな?
今日書店に行ってみたが12月中としか分からないといわれたよ
ナポレオンが、モスクワ遠征ではなく、イスタンブル遠征をすれば成功したであろうか?
ポーランド分割のように、フランスとオーストリアとロシアで、オスマン帝国を解体すれば、
成功したように思われる。
>>775 エジプト遠征ですらイギリスに制海権握られてフルボッコにされてるのに
イスタンブール占領なんてやっても
ボードワン帝みたいになるだけだろ
>>775 ロシア遠征は英国に対する大陸封鎖という戦略のためにやったんだから、
その代わりにイスタンブル遠征なんてする意味がない
オスマン帝国の領土を切売りする事により、ロシアやオーストリア等を手懐ける
事が出来たのではではないだろうか?
オスマン領をフランスが独占しようとすれば、まさにフルボッコだろうね。
ナポレオンはオーストリアにプロイセン領シュレージェンという餌をぶら下げたのに、
オーストリアは食いつかなかったんですが…
というかそろそろスレ違いだろ
税収以上の国債を乱発するポッポ兄はガチでアンゲロス兄並だな。
やる気があって無能な所はアンゲロス弟に通じるものがあるけど。
アンゲロス兄は単体ならジョン様よりも地味な、普通の暗君レベルですから…
ジョンとか蜀漢の劉禅はまだ再評価のしようもあるけど
これは全く駄目ですね
アンゲロス兄も市民が選び出したという点では確かに似てはいる
民主主義って言えば聞こえは良いけど古今東西移り気で無責任なのが民衆で
帝政とか王朝っていっても他と違いあくまで共和制の延長だから
そういうのに左右されないといけないのがローマ皇帝の辛い所
まあ例えるならまだマンジケルトの戦い前夜といったとこだろ。
これからもっと酷いことが起きる可能性もあるし
麻生=イサキオス・コムネノス、鳩山=コンスタンティノス・ドゥーカス、民主党=ドゥーカス家、マスコミ=プセルロス?
アンドロニコスがやろうとしてた事は方向性としては間違ってなかったのに
最期は市民になぶり殺されるとかね
まだ戦争が強かったら違ってたんだろうか
イサキオス2世と鳩山、これだけある共通点。
・無能
・祖父が偉大
・市民によって選ばれる
・弟がいる
・サラディンとの友好を重視しすぎて西欧激怒→東アジアの友好を重視しすぎてアメリカ激怒
・十字軍の進路を妨害→普天間移転問題をこじらせる
・官売で財源確保→赤字国債で財源確保
まあ鳩山はともかく民主政権はあと4年続くし、
仮に鳩山=イサキオスだとしてもテオドロス役いないし仕方ないね。
>>788 麻生でも大差ないけどな
無能だし、祖父は偉大だし、基地問題も別に解決できないし、どうせ補正予算も
赤字国債しか財源なかったし
ここ十数年日本の首相がまともだった時期のほうが珍しいよ
西側陣営に安全保障依頼した岸信介がさしずめアレクシオス1世か
マケドニア朝の皇帝の伝記とかはないの?
最盛期なのに史料少ないよね
795 :
名無し募集中。。。:2009/12/12(土) 08:37:13 0
>>769 ナポレオンがローマ皇帝なったとしたら面白すぎるな
796 :
世界@名無史さん:2009/12/12(土) 12:19:06 O
ナポレオン的には東は別物ではないの?
西欧にとっての皇帝の称号は西ローマ→神聖ローマ皇帝の系統のみだから
東の帝爵はロシアのそれみたいなもんだね
ちゃんとその手の本読めば
ナポレオンに東ローマ皇帝の後継とか期待できる訳ないとわかるだろ…
>>770 >ありそうなのだとイヴァン4世に帝都侵攻されてたかもしれんし
当時のロシアはクリミア・タタールにモスクワ焼き払われたりしてるんだが
どうやってボスポラスまでたどり着くんだと
マケドニア朝時代のスヴャトスラフより無謀じゃん
>>795 史実でナポレオンは、イタリアも支配下にしていたのだから、西ローマ皇帝みたいなもんだろう。
アマゾンで皇妃列伝15日発売だってさ
>>802 書こうと思ってきたら、もう出てたか
いずれにせよ、あの名著が1365円で買えるのは朗報だ
>>801 実際最後の西ローマ皇帝はナポレオンという説があるらしいよ
そろそろ別のスレでやって下さい
皇妃列伝発売待機age
で、ビザンツでは皇帝に面会する手続き上の慣例ってあったの?
808 :
世界@名無史さん:2009/12/15(火) 17:48:56 O
具体的には知らないけどあったとは思うよ。『儀式の書』?みたいな著作もあったし
、リウトプラントあたりが愚痴ってそう
810 :
世界@名無史さん:2009/12/15(火) 21:40:45 O
>804
“なぜシャルルマーニュは”のスレがいいかと。
取り敢えず、『ギリシア人』は死亡フラグだろ。
フリードリヒ1世「ギリシャ人の王m9(^Д^)プギャー 」
>>813 マヌエル1世「おまえこそドイツ人じゃねーか!」
816 :
世界@名無史さん:2009/12/17(木) 18:14:24 O
>>815 いや、こうでしょ?
マヌエル「ゴートだかフランクだかわからぬ蛮族の酋長乙」
別にギリシャならギリシャで恥じる事でもないんだけどな
戦争やったらローマの方が強いけど文明としたら終始ギリシャが上回ってたし
最末期は古代ギリシャの文化の再評価が進んでたのもそういうことだろう
国家としては建前上はあくまでもローマ帝国なのに、「ギリシャ人の帝国」扱いされることがまずいんじゃないの?
たとえば(って、喩えとしてあんまり適切じゃないんだけど)、もしも仮に、古代日本が朝鮮半島から渡来した民族に
征服されたって説が正しいと仮定しても、日本を「朝鮮人の国」って呼んだなら、これ、大問題でしょ
経緯から言って統一ローマと同じ政体の継続であり国家なのは間違いないけど
当時の市民が継承したと思ってるローマは帝政からで
それ以前のルーツは共和制ローマではなくアレクサンダー大王辺りに求めてたから複雑だな
>>819 知識人層はともかく、一般市民の感覚はかなり違うからな
823 :
世界@名無史さん:2009/12/19(土) 02:56:51 O
古代ギリシア→帝政ローマ→東ローマ という認識なのか?
共和制ローマの時代はほとんどこの辺りはローマの統治圏外だったからね
だから最期まで元老院が強かった西ローマに比べて専制体制への移行が容易だった
825 :
世界@名無史さん:2009/12/19(土) 12:11:20 O
その割にはあまり「古代ギリシア」要素は強調されないような
「ヘレネス」という言葉を異教徒という意味で使う例はビザンツ末期まであったそうだ。
アレクシオス・コムネノスやアレクシオス・アンゲロス(弟も兄の子も)
は本当に精力的に人生で立ち回ったんだな。
まるでルノー・ド・シャティオンみたいだな
あんなモヒカンと一緒にされては…
アレクシオス1世は20代で将軍になったエリート。
アンゲロス弟如きとは比べものにならない。
830 :
827:2009/12/23(水) 13:35:50 O
>>829 いやすまんがアレクシオスじゃなくてアンドロニコスの方だった
このスレ的には、
「ティムール、マジGJ!!!」なんでしょうか?
日本衰退スレで井上先生のこと話してるぞ
>>831 GJというかどうかは微妙だが、おかげで国の滅亡が半世紀ほど先送りされたのは確かだな
834 :
名無し募集中。。。:2009/12/24(木) 01:47:26 0
ビザンツの敵はローマカトリックなのです
ビザンツの末裔であるトルコ国民の敵はEU
>>831 >>833 ティムール侵攻の混乱をうまく利用してアナトリアの領土を幾らかでも取り返すのは無理だったのかな?
1353年から1453年、ちょうど100年間だけど、なんとか立て直す機会はあったのだろうか?
837 :
世界@名無史さん:2009/12/24(木) 12:39:52 O
>>835 アナトリアどころか当時の領土が既に
コンスタンティノープル・テッサロニカ・モレア専制公領だけしかなかったんだから、
史実に加算するとしてせいぜいメフメト1世にアテネ公国の支配権譲ってもらう
くらいしかできねーだろ。
EU2とかEU3とかはティムールのアナトリア侵攻に乗じてオスマン潰す手があるのは知ってるけど。
お茶の水のニコライ堂遠巻きに見てるけど、
クリスマスイブだから正教会信者の方でごった返しになってると思いきや、
皆中に入られたのか、入り口閑散としてて入れなかったお…
しかしなんかこう、まるで現世の建物とは思えない風格があるね
正教のクリスマスはグレゴリウス暦の1月7日じゃなかったか
すべての正教会がユリウス暦を使っているわけではないよ
日本の正教会はロシア正教会から伝道されたからユリウス暦かな
>>836 残念ながらダメでしょ、あまりに手遅れ
財力がない、海軍力、海運力がない、他力本願の海外交易、タグマ以外はボロボロで傭兵頼みの帝国軍、硬直化し儀礼本位の官僚体制
以前はヴェネツィアは蚕繭を求め、ジェノヴァは明礬を求めて来て帝国は莫大な富を得た
しかしマヌエルの外交改悪で帝国の海軍力の一翼を担っていたヴェネツィアと仲たがいして
ヴェネツィアは蚕繭の供給元を帝国からシチリアに転換し
小アジアの喪失で明礬産地を失い、ジェノヴァ人がトルコの小アジアの一地方軍司令官に就任してしまう始末
でもこと文化に関してはミストラを中心に建国以来一番輝いていた時期だが
同じマヌエルでもパレオロゴスの方がコムネノスのタイミングで即位してりゃ良かったのにね
>>836 コンスタンティノープルを譲り渡してオスマン朝に臣従してれば、
立て直すことも出来たかもしれん
>>843 ていうか
末期はオスマンに臣従しているに等しいよ
まぁ、マヌエル2世はメフメト1世を立てるという形で
帝国の小康状態を保ったけど、あの時点で動乱状態だったオスマンに
複数のスルタンを擁立させて分裂させようと思った奴もいたかもね。
つーか、息子共はそう思ったからどう見ても無理ゲーな事をやったんだろう。
846 :
名無し募集中。。。:2009/12/26(土) 20:21:49 0
コンス単ティのープル明け渡した時点で
後世の歴史家からはローマ滅亡ととらえられそうだな
モレア公国とかって名前にでもなってるんじゃない
イスラムに改宗し、帝号を廃してベイ(侯)を名乗るのも、
一つの手だよな
アッバース朝とかのように帝国=パレオロゴス王朝ではないから、
パレオロゴス家が存続出来たとしても、やはり帝国滅亡でしょうな。
せっかくニカイアで再建したラスカリス朝をあんな形で簒奪しておいて
滅ぼしちまったのがもったいねえなあ
今回のNHKゆく年くる年では、
北海道中標津町の上武佐ハリストス正教会の祈祷が中継されます。
まずはお知らせまで。
皇妃列伝面白いなぁ
ヘラクレイオス格好良すぎ
>>841 >ジェノヴァ人がトルコの小アジアの一地方軍司令官に就任してしまう始末
詳しく
855 :
世界@名無史さん:2010/01/04(月) 21:31:16 0
ビザンツに興味があって
ビザンツ文明の継承と変容という本を読んだのですが
ビザンツの戦史の本でオススメの本はありますか?
ついでにローマ人の物語とローマ帝国衰亡史他ローマの本はいろいろ読んでます
洋書ならByzantium at Warというモロな本が出てます・・・
857 :
世界@名無史さん:2010/01/06(水) 01:19:01 0
古代ギリシャ板が僕の書き込みのせいで大停滞を起こしたんだが、
やはりローマやギリシャの歴史的継承者やまたその国家の通称は
ここでもある程度問題なのかい?
>>857 古代ギリシャ板ってどこ?
まさか胡散くせのスレじゃないよな?
ローマ人と比べてギリシア人のネクラ引篭り性癖は世界に多大な悪影響を与えたといわざるを得ない。
860 :
世界@名無史さん:2010/01/06(水) 23:10:28 0
>>858 あの板自体はなんか陰謀臭がするが
「黒いアテナ」はまあダーウィンの種の起源に相当するわw
Mバナールは尊敬に値するだろうw
学識者から毛沢東主義者扱い。
861 :
世界@名無史さん:2010/01/06(水) 23:13:36 0
dfg
>>855 * 井上浩一 『生き残った帝国 ビザンティン』 〈講談社学術文庫〉で2008年に刊行(ISBN 978-4-06-159866-9)。
* 井上浩一 『ビザンツ皇妃列伝』 〈白水Uブックス〉
* 井上浩一・粟生沢猛夫 『ビザンツとスラヴ』 中央公論新社〈中公文庫〉
* 根津由喜夫 『ビザンツの国家と社会』 山川出版社〈世界史リブレット〉*
>>859 >ネクラ引篭り性癖
自己紹介ですね、わかります。
古代ギリシャ語すら読めない門外漢がどうかしたのか?
864 :
世界@名無史さん:2010/01/07(木) 20:45:32 0
>>863 古代ギリシャ語っていつ確立したんですか?
それが現在の欧州とどう関係してるんですか。
実の所、古代ギリシャは結構帝国主義的で引篭りっぽくは無いような。
ビザンツは長く一進一退を続けたが、こちらも引篭りっぽくは無いような。
頼むから別のスレにまで出張って来て荒さないでくれよ・・・
何で自分専用のスレでじっとしてられないんだ
868 :
世界@名無史さん:2010/01/07(木) 23:28:19 0
世界史の癌と化したビザンツ帝国は世界の回転を阻害していた。
だがそれも偉大なる新進気鋭のオスマン帝国によってようやく舞台を去る。
こうして風通しがよくなったバルカン半島に、ようやく文明の東風が注がれた。
1000年かかってバルカンに対して何事も為せなかった悪魔の癌細胞は肉体と共に死んだのである。
869 :
世界@名無史さん:2010/01/08(金) 00:27:46 0
名前がイイね。名前が。
「ビザンツ」
かっこよすぎ
当時は自称でも他称でもなかったけどな
ローマ帝国の最盛期とビザンツ帝国の最盛期、
どちらが優れているのだろうか?
>>872 後者の方が優れているということは論理的に不可能。
ビザンツ帝国の最盛期が最も優れてるとしたら、
それがローマ帝国の最盛期ということになるから。
>>873 ヘラクレイオス朝期で帝国の歴史を区切って考えてみるってことでしょ?
それでも難しいけど。
875 :
名無し募集中。。。:2010/01/09(土) 08:55:09 0
古代ローマを美化してるけどさ
人権の無い奴隷がいっぱいいて
しかも闘技場で人殺しを見世物にしてた時代なんだけど
いいじゃん、勝ち組なら
古代ローマ観は時代や著者で振れ幅デカイからいろいろ嫁。
今だって人権の無い派遣奴隷がいっぱい居て
しかもTVでイラクやアフガニスタンでの殺し合いを見せ物にしてますが?
近現代の概念でもって歴史を裁くっていうのはどうかと思うが。
歴史を裁くとか大層なことじゃなくて
お前が生きるならどっちを生きたい?
ってことなんじゃないの
人権なんて概念自体精々200年くらいの歴史しかないだろ。
>>881 もういい加減スレ違いだということに気が付け
>>884 代表して打ってるんじゃないの?
いちいち些細な事に拘る蛮族めが
そんなこと言ってあんたもこれが好きなんだろう?
今、蛮族の攻勢と内乱で総合スレは危機に瀕している。
そろそろアンゲロス王朝の時代だな。
2000年前のローマの市民階級と、現代のアフリカやインドの貧困家庭とどっちに産まれたいか聞かれたら、迷わず前者だな
っていうか奴隷や剣闘士でもローマのほうがマシだわ
いい加減下らない事でスレ消費させるのやめろ
>>901 それがこのスレのレベル・・・
蛮族もギリシア側もバカさ加減ではまったく同じですな
>>902 ここはビザンツ好きな人間が集まってるんだからさ
ネガキャンしたってあんま効果ないと思うよ
905 :
世界@名無史さん:2010/01/11(月) 17:39:22 0
一般人だがビザンツ史を学びたいので図書館へ行ったら
通史がやたら分厚いので手を出しかねている。
広辞苑なみじゃないか。借りて自宅へ持ち帰るのも一苦労だ。
そりゃまあ千年以上続いてるからな
自分も含め大抵の人はいきなりオストロゴルスキーや尚樹先生のあれを読む気にはなれないって。
自分はルメルルの『ビザンツ帝国史』から入った。
わしゃ講談社現代新書『生き残った帝国』から
909 :
名無し募集中。。。:2010/01/11(月) 20:32:23 0
>>907 押すとロゴるスキーってamazonだと8万円もするのかよ
時代は長いのに世界史的に見て特筆足ることは滅亡美くらいというギリシア人の帝国。
なぜ世界史の教科書で全く触れられていないか、世界史的価値の無さが良く知られている。
>>907 まあ普通は井上先生とかからだな
>.910
さすが痴呆老人。日本語の文章もまともに書けないw
玉砕美は感動は与えても所詮自己満足なんだよな
それだけが教科書に取り上げられるってことは、ビザンツ史にはカミカゼ特攻隊並みの価値しかないということさ
>>912 ニヤニヤ
教科書読んだことないのがバレバレ
いい加減下らない事でスレ消費させるのやめろ
流れを変えようともせずに荒らしに律儀にレスしてるPさんかっこいいです
今更皇妃列伝読み終えたよ
かっこいいなヘラクレイオス
918 :
世界@名無史さん:2010/01/15(金) 00:18:38 0
全盛期が2回もある、すごいね
こういう国はほかにはないだろ
全盛期?周辺国が弱っただけでギリシア人の帝国が強化されていたわけではない。
政治制度になんら改善が加えられたわけでもなく、キリスト狂狂信による非合理が排除されたわけでもない。
相変わらず灰色の空、それがビザンツクオリティ
>>918 土俵際に追い込まれてからのビザンツの粘りには定評があるからね
ヘラクレイオスなんかまさにそうだな
922 :
世界@名無史さん:2010/01/15(金) 07:47:44 0
×ヘラクレイオス
○アレクシオス
間違えた。
>>922 いや、ヘラクレイオスもある意味そうだろ
「ギリシャは信用できず」=統計修正で異例の批判−欧州委
1月16日15時38分配信 時事通信
【ブリュッセル時事】ギリシャが財政赤字など重要な統計を大幅に
下方修正したのを受け、欧州連合(EU)の執行機関である欧州委員会が、
同国は「信用できない」と異例の批判を展開した。財政事情の悪化を背景に、
格付け会社から信用格付けを 相次いで引き下げられた同国だが、
身内も不信感を募らせている。
ギリシャは昨年10月、財政赤字の国内総生産(GDP)比率について、
2008年の実績を5.0%から7.7%に、09年の見通しに至っては3.7%から12.5%へと、
大幅に改定した。重要統計がこれほどの規模で修正されるのは、先進国では極めてまれだ。
欧州委はこのほどまとめた報告で、ギリシャの対応について「統計の質が欠如していることの表れだ」と厳しく批判。
統計手法だけでなく、関係当局のずさんな体質にも問題があると指摘した。
今も昔も・・・wwwww
>>919 ササン朝やウマイヤ朝ら大帝国の攻勢に持ち応えた事は、驚異的と言えよう。
久々に皇帝自ら本格的な陣頭指揮を行なったんだよな。マウリキウスも
短期間アンキアロス辺りまで行っただけだったけど
国土防衛という点で抜群の成果を出したのはレオーン3世が圧倒的だろう。
彼以降、パレオロゴス朝になるまで海上から帝都を包囲される事は無かったんだから。
>>928 実に後ろ向きだな。
カイロやバグダッドを征服しようという気概がギリシア人の帝国にはないな
>>928 余裕のない時に遠くの国を征服しても、かえって逆に国力を疲弊させるだけ
事実、ユスティニアヌス1世の征服地も長くは維持できなかったし、ヘラクレイオスのペルシア遠征の
直後にシリアやエジプトを失陥してる
>>930 痴呆老人にまともなレスしなくても良いよ
>>928 遠征へのイスラーム側の姿勢が変わったのもあるよな
帝国への大々的な遠征よりも、帝国南岸部への襲撃や
スグールからアナトリアへの定期的な略奪業が主になっていたし
>>930 ギリシア人の帝国はいっつも余裕がなかったよな。
なぜ余裕が無いのか、悪政に次ぐ悪政、狂信聖職者の跋扈、容赦ない専制政治
こんな魅力の無い国、教科書で取り扱われるわけがないな。
人類の恥部だ
>>930 ギリシア人の帝国はいっつも余裕がなかったよな。
なぜ余裕が無いのか、悪政に次ぐ悪政、狂信聖職者の跋扈、容赦ない専制政治
こんな魅力の無い国、教科書で取り扱われるわけがないな。
人類の恥部だ
大事な事だから二回言いましたw
ヨハネス1世やバシレイオス2世の頃にいかに余裕があったかは、井上浩一の初心者向けの本にも
書いてあることなのにな
次はどんなトンチンカンなことを書いて笑わせてくれるのかね、ボケ老人
板違いかも知れませんが質問させてください。
EU3と言うゲームでローマ帝国ローマ共和国の政体の統治者の称号
について調べていますが、以下の称号であっていますか?
feudal_monarchy(封建君主制) インペラートル(命令権保持者)
merchant_republic(商業共和制) トゥリブヌス・プレビス(護民官)
despotic_monarchy(専制君主制) ドミヌス(専制者)
noble_republic(貴族共和制) プリンケプス・セナトゥス(第一人者)
administrative_monarchy(官僚君主制) レックス(王)
administrative_republic(官僚共和制) プラエフェクトゥス(長官)
absolute_monarchy(絶対君主制) アウグストゥス(尊厳者)
republican_dictatorship(独裁共和制) ディクタトル(独裁官)
constitutional_monarchy(立憲君主制) レックス(王)
enlightened_despotism(啓蒙専制) レックス(王)
constitutional_republic(立憲共和制) コンスル(執政官)
bureaucratic_despotism(官僚専制) レックス(王)
theocracy(神権政治) ポンティフェクス(神祇官)
papacy(教皇) ポンティフェクス・マクシムス(最高神祇官)
revolutionary_republic(革命共和制) コンスル(執政官)
revolutionary_empire(革命帝政) アウグストゥス(尊厳者)
ラテン語とローマ帝国に詳しい方助言ください。
概説書くらい読もうね
書き方が悪かったです。板違いかも知れませんが再度質問させてください。
EU3と言うゲームでローマ帝国ローマ共和国という勢力を追加したいのですが
(ローマ帝国ローマ共和国共に通常はありませんので説明書にも記載無しです)
下の政体の統治者の称号について調べていますが、以下の称号をあてはめようと
思っていますがで以下の称号であっていると思いますか?
feudal_monarchy(封建君主制) インペラートル(命令権保持者)
merchant_republic(商業共和制) トゥリブヌス・プレビス(護民官)
despotic_monarchy(専制君主制) ドミヌス(専制者)
noble_republic(貴族共和制) プリンケプス・セナトゥス(第一人者)
administrative_monarchy(官僚君主制) レックス(王)
administrative_republic(官僚共和制) プラエフェクトゥス(長官)
absolute_monarchy(絶対君主制) アウグストゥス(尊厳者)
republican_dictatorship(独裁共和制) ディクタトル(独裁官)
constitutional_monarchy(立憲君主制) レックス(王)
enlightened_despotism(啓蒙専制) レックス(王)
constitutional_republic(立憲共和制) コンスル(執政官)
bureaucratic_despotism(官僚専制) レックス(王)
theocracy(神権政治) ポンティフェクス(神祇官)
papacy(教皇) ポンティフェクス・マクシムス(最高神祇官)
revolutionary_republic(革命共和制) コンスル(執政官)
revolutionary_empire(革命帝政) アウグストゥス(尊厳者)
ラテン語とローマ帝国に詳しい方、助言ください。
何度もスイマセン
カタカナで書いてある称号について助言が欲しいんです。
feudal_monarchy(封建君主制) インペラートル(命令権保持者)
の称号はインペラトールでなくてレックスがふさわしいとか
despotic_monarchy(専制君主制) ドミヌス(専制者)
の称号はドミヌスでなくてアウグストゥスがふさわしいとか
と言う感じの助言が欲しいんです。
決して、インペラートル(命令権保持者)の日本語訳が
あっているか助言を求めているわけではありません。
本当に何度もスイマセン。
どうせビザンツ皇帝はヴァシレフスやアウトクラトールでしたよ、と。
>>938 専門書を読んでるであろうこのスレの住民に、すぐに嘘と分かる書き込みを繰り返すからな、ボケ老人はw
EU3なら政治体制を共和制か帝国だけにしたほうが無理矢理称号あてはめるよりいいんじゃないかな。
領土を蛮族に奪われてもぜんぜん奪回できなかったり住民の強力を得られなかったり、
いかにビザンツの悪政が嫌われていたかが良く分かるな。
もっと節制に努めていればよかったのにそのような改革が不可能なギリシア的デカダンスには
学ぶべきものはなにもないといってよい。
>>946 お爺ちゃん、晩御飯はもう食べたでしょww
おじいちゃん最近誤字脱字が激しいな
住民の強力ってなんだよ
期待通りホントに笑わせてくれるぜ
せめて初心者向けの本くらい読んでから書こうな、お爺ちゃん
領土を奪回したことも、改革をしたこともあるのは、ボケた頭でも理解できるはずだからさ
>>938 ヨハネス1世の治世の末期は財政的にかなりまずい事になってなかったっけ?
軍事的には絶好調だったけど、自作農が没落してたし。
>>951 あれ?じゃあその後バシレイオス2世は、なんで宮殿の倉庫拡張しなきゃいけない位に財宝たっぷりだったんだ?
>>951 あれ?じゃあその後バシレイオス2世は、なんで宮殿の倉庫拡張しなきゃいけない位に財宝たっぷりだったんだ?
>>261
すまん、重かったせいで二重になった。これじゃ呆け老人レベルだ。
おまいら、国家の余裕と国民の余裕をごっちゃにしているぞ
>>955 それを言ったら中世は余裕がない方が多いだろ。古代も大抵そうだ
古代エジプト(やる事無くてピラミッド造ってた)とか
古代ローマ(パンとサーカス)辺りは国民は余裕ありそうなイメージあるが。
ビザンツもフォカスまでは頑張ってたんだけどねぇ。
ピラミッド時代には、中東ではまだラクダが普及していなくて、ロバが一般的
だったので、エジプトは砂漠に守られていて余裕があったのだろうね。
古代ローマとビザンツは、まさに一に国防、二に国防だろうね。
国防よりも外征を優先した時に、ローマ・ビザンツに破局が訪れたわけだね。
ギリシア人は戦争がヘタクソだったから連中の外征が国家に危機を齎した事はわかるが
ローマは外征のたびに豊かになって行ったんじゃないの?
まあ、ローマ帝国の称号はキリスト狂信のギリシア人たちには荷が重すぎたともいえる。
醜悪な1000年を続けたビザンツ帝国の弊害は今でもギリシアを苦しめているからな。
つまり経理の才能がゼロだ。
んで次はPさんの出番、と
ほんと名コンビだよねえ
>>959 ボケ老人は相変わらず笑わせてくれる
このスレで最高のお笑い芸人だな
ローマが外征のたびに豊かになった?
五賢帝時代以降のローマは知らないとみえる
よくそれでビザンツを語れるものだ
ところで、「豊かになって行った」って、豊かになったローマは、どこに「行った」の?w
単純化すると、ローマは西から攻撃されていたのに東に派兵し、ビザンツは
東から攻撃されていたのに西に派兵したりしていたわけだ。
ローマ皇帝らはアレクサンドロス大王に憧れ、ビザンツ皇帝らはローマ皇帝
に憧れていたとされ、自らがどこの何者であるかを見失いがちだった。
ローマ人はギリシャ人ではなく、ビザンツ人はイタリア人ではないと自覚した
皇帝ばかりならば、ローマ・ビザンツは滅亡しなかったのだろう。
鏡を見ろと言う事なのだろう。ローマ皇帝らの多くは、鏡ではなくアレクサン
ドロス大王の肖像画を、ビザンツ皇帝らは鏡ではなくローマ皇帝の肖像画を
見つめているかのようだったと言えよう。
他ならぬアレクサンドロス大王自身が、マケドニア国王である事よりも、
アケメネス朝の婿となる事を優先したとされる。
アレクサンドロスは、家臣に毒殺されたそうだが、マケドニア人らから
すれば当然の事であろう。
後の軍人皇帝らの多くも、ペルシャ遠征直前または遠征中に殺されている。
かのカエサルもクラッススの敵討ちのパルティア遠征直前に暗殺された。
この事は、第二次大戦後の所謂先進諸国にもあてはまる事であろう。
日本人は日本人であって、中国人でもなく、朝鮮人でもなく、インド人でもなく、
イスラム教徒でもなく、黒人でもなく、白人でもない。
欧米人は欧米人であって、中国人でもなく、インド人でもなく、アフリカ人でもなく、
イスラム教徒でもない。
>>960 自演だろ
叩き役と叩かれ役を一人で演じてるんだよ
メナンドロスを少しずつ読んでいるんだが、当時のバルカン半島の情勢ってローマ側
にとってかなり悪化していたんだね。
Wikipediaにミリオケファロンの戦いのページが出来てるよ
>>959 全く同意。
モンゴルの搾取に苦しむロシアの大公が正教会のためにと贈った金を
トルコ兵を雇うために使うような、
全く経理がなってない軟弱暗愚の国家が
ローマの後継者を自称するとはまさに夜郎自大。
共和政ヴェネツィアこそ偉大なローマの後継者に相応しい。
今年は塩野先生が軟弱暗愚なコムネノスどもをぶった斬ってくれると
元旦の新聞にあったから楽しみだぜ!
このスレで、いや、この世界史板で、「塩野先生」なんて、それだけで笑い者
>>967 ヴェネツィア共和国はビザンツ領が起源であり、ヴェネツィア人もビザンツ人
であり、第4回十字軍の帝都遠征はまさに同士討ちと言えよう。
かのマンジケルトの会戦では、ロマノス4世ら帝国側のアルメニア人に対して、
アルメニア正教の信者らは信仰の為にトルコ軍に参加して戦ったとされる。
一時は賑わってたのに荒らしのおかげで随分過疎化したな
どうにかならんもんかね
>>971 お爺ちゃんの頭は未だに何十年も前なんだぜ?
たかだか二十数日なんて誤差なんだよww
ボケ爺さんには妄言婆さんがお似合いだw
>>975 マジレスすると、どんどん新しい情報が入ってきて移り変わりの早い今の時代に、
元旦の話題を27日頃にわざわざ持ち出すのが、笑うところでないのなら、じゃあ
何なのかむしろ教えてほしいのだが
今度はその「マジレスすると」ってのが笑うところ?
いつまでバカの相手すれば気が済むの?
みんなが荒し化していくな・・・
我らがアイドルPさんのおかげですよ
まあ、今さら特にこれといった話題もないから、バカな荒らしをいじるぐらいしか
することがないってのはあるな
じゃあもう次スレ要らんのじゃないか
986 :
世界@名無史さん:2010/01/29(金) 19:49:05 O
Wiki見たけどマヌエル1世ってとんだ暗君じゃねーか
アンゲロス兄よりひでえ
マヌエル1世のことは「ビザンツ 幻影の世界帝国」で詳しいよ。
実は俺もアイツさえいなければって思ってるんだけどねw
988 :
世界@名無史さん:2010/01/29(金) 21:06:56 O
バルバロッサにギリシャ王と馬鹿にされたくだりは
塩婆の新刊にも出てくるとみた。
あっこのスレのマヌエル1世Pさんお疲れ様です
頭の回転は速いが、長期的な思考が出来ない軽率な才人ってイメージ<マヌエル1世
でも、それを言ったら、長期的な思考ができた皇帝なんて、そんなに多くはないだろう
英雄や名君とされる皇帝たちでも、だいたい思考は短期的、せいぜい中期的程度で
長期的な考えのもとに政策を実行した皇帝は、ニケフォロス1世など、ほんのわずかだ
これだけだとなんか批判してるみたいで、ボケ老人のバカと勘違いされて攻撃されそう
なので付け加えておくと、長期的思考のできた権力者なんて、同時代の他の国にも
ほとんどいないから、これでもビザンティン帝国はまだいい方だ
そう、たとえ帝国を支持していようとも
その旗幟を鮮明にしない者はすべて
Pさんの勘違い攻撃を受けるのだ
>>853 遅レスですまない
ソース元は
『ルネサンスのイタリア』
E=R・ラバンド著
要約すると
ジェノヴァ人ボニファッチョ・ディ・カステッロは小アジアのコニエフでトルコ軍を指揮した
この町で明礬の商売を独占した
>>993 というか今の政治家だって数十年先の事を考えて行動する人間なんてほんの一握りだろうな。
10年20年ならまだしもそれ以上先となると予測すら難しいな。
30年前、誰も中国がここまで経済成長すると思わなかった。
というか冷戦が10年後終わると思ってた奴も殆どいなかったが。
米国の「唯一の超大国」状態も最低30年は続くと思っていたらこの有様だ。
2060年にソマリアが豊かな工業国になっていてもおかしくない。
50年先の話をする奴は詐欺師だ。(つまりゴールドマンサックスは詐欺師だw)
>>992 マヌエル1世は、ユスティニアヌス1世に憧れていたとされるねw
蛮族と見れば決してスルーできず誰彼かまわず攻撃し、
帝国支持者であっても少しでも気に入らなければ蛮族と
勘違いして延々攻撃(合言葉は「ボケ老人」)を続ける
マヌエル1世ことPさんに率いられた帝国スレは荒れ果て、
やがて
>>995のニカイアの地へと逃れていった。
帝国は滅びず再びこの地へと帰ってくることになるが
それは次スレのことである。
1001 :
1001:
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もう書けないので、新しいスレッドを立ててくださいです。。。