世界史に於ける秀吉の朝鮮征伐の考察その8

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318世界@名無史さん
釜山に上陸した日本軍に対し、朝鮮軍はあっという間に敗北。
釜山鎮の戦い(鄭撥戦死)、東莱城の戦い(宋象賢戦死)、尚州の戦い(李鎰敗走)、弾琴台の戦い(申立戦死)
などで日本軍は勝利を重ねた。
日本軍は第1軍(小西行長、他)、第2軍(加藤清正、他)、第3軍(黒田長政、他)を先鋒に
三路に分かれて急進し、翌5月には首都漢城(現在のソウル)を占領。

朝鮮国王の宣祖は平壌へ遷都して避難、
さらに日本の進撃が迫ると遼東との国境である北端の平安道義州へと逃亡し、
冊封に基づいて明に救援を要請するが、
その間にさらに北上した日本の第1軍と第2軍は平壌を占領して進撃を停止した。

あまりに容易に李氏朝鮮の王都である漢城が陥落したため、
日本の諸将は5月に漢城にて軍議を行い、
各方面軍による八道国割と呼ばれる制圧目標を決めた

平安道 第1軍小西行長他、 
咸鏡道 第2軍加藤清正他、 
黄海道 第3軍黒田長政他、 
江原道 第4軍毛利吉成他、 
忠清道 第5軍福島正則他、 
全羅道 第6軍小早川隆景他、 
慶尚道 第7軍毛利輝元他、 
京畿道 第8軍宇喜多秀家他、

日本軍は北西部の平安道と全羅道を除く朝鮮全土を制圧し、
加藤清正の一隊は威力偵察のため国境を越えて明領オランカイへ攻め入った。