1 :
世界@名無史さん:
大航海時代の前でも後でもOK。地球儀の空白を埋めた探検の歴史について。
シボラの七都市、金銀島、エルドラドなど、伝説の土地がどのように生まれ、
実際の探検でどのように消えていったのかも興味深いところです。
くっそぉ日本も鎖国さえしなければ参加できたものを。
2 :
世界@名無史さん:2009/04/19(日) 16:29:20 0
鄭和は神
川口浩は神
藤岡弘、も神
4 :
世界@名無史さん:2009/04/19(日) 16:40:42 0
フィリピン史上最高の英雄ラプ・ラプ様マンセー
5 :
世界@名無史さん:2009/04/19(日) 16:57:57 0
たしかラプラプはキリスト教徒が西回りで地球を一周
してきて初めて出くわしたイスラム教徒だったんだな。
東に進んだイスラム教と西に進んだキリスト教が、
地球の裏側でがっちんこ。まさに文明の衝突。
6 :
世界@名無史さん:2009/04/19(日) 19:58:03 0
レコンキスタの場外乱闘?
7 :
世界@名無史さん:2009/04/23(木) 23:44:03 0
キャプテン・クックは本当に神
8 :
世界@名無史さん:2009/04/25(土) 08:16:35 0
9 :
世界@名無史さん:2009/04/25(土) 16:04:32 0
探検なんて、探検「される」側の原住民にとっては迷惑なものだろうな。
入ってきた連中が新種の疫病をもたらすことだってあるし。
それと、宣教師も探険家の一種と見てもいいかもしれない。
典型的なのがリヴィングストン。
10 :
世界@名無史さん:2009/04/26(日) 12:38:22 0
大部分の現地人にとっては迷惑の方が多かっただろうけど、得した人間も少しはいた。
ハワイのカメハメハ大王なんか、どんどん銃器をくれるイギリス船(クックの部下だった
バンクーバー船長)のおかげでハワイ統一できたわけだし。
キリスト教布教もマイナス面を見ればきりがないけど、現地の食人や人身御供を止め
させる役割も果たしてるね。
11 :
世界@名無史さん:2009/04/27(月) 23:31:57 0
>>10 嘘つきのキリスト教徒よりも正直な人食い人種
12 :
世界@名無史さん:2009/04/28(火) 00:00:45 0
>>11 人食い人種に捕まってとろ火で炙られだしたら前言撤回ですか
ノルウェーの赤毛のレイリークだっけ?
あれなんかどうなん。
>>12 確か18c-19cブラジルのドイツ人探検家の話だったと思うけど、
あれもインディオの中じゃ取り立てて勇猛果敢な部族に単身乗り込んでったからああなったわけで(自信ないけど)、
食人習慣がある人達も変に刺激しなければそう力で勝る人達に襲いかかってはこないよ
「野蛮な食人」って図式そのものが都合悪い奴等への攻撃のために持ち出されたレッテルだったりするし
15 :
世界@名無史さん:2009/04/28(火) 01:38:18 0
>>12 チミは「食人」目的の人食い人種が本当に存在したとでも思うとるのかね?w
アフリカについて、現地にいる宣教師がいくら事実に即した報告書を
送ったとしても、本国の布教本部や修道会によって、野蛮性を強調した
修辞的表現に書き改められることが多かったとか。
アフリカ人、アジア人、アメリカ大陸の先住民のイメージをつくりあげるに
あたって、キリスト教会と宣教師の果たした役割がもっと知られても
いいと思うんだけど。
田川建三氏も、良い悪いは別にして、アフリカを最もよく知っている外国人は
宣教師である、と書いている。
17 :
世界@名無史さん:2009/04/28(火) 19:58:07 0
>>14 「野蛮な食人」ではなく、食人にもそれなりの文化的背景があるわけだから、
まずはそれを尊重して、いたずらに見下すのは避けるべきじゃね?
あと、ヨーロッパ人が初めての土地で現地人とファーストコンタクトって時は、
現地人は鉄砲の威力なんか知らないから、けっこう気安く襲ってきているよ。
ヘンリー・モートン・スタンリーの、第四次アフリカ探検の総勢は約700人、
武器としてレミントン・ライフル銃510挺、火薬2トン、雷管35万個、レミントン用
弾薬10万発、ウィンチェスター連発銃50挺、5万個の弾薬筒、発明者から進呈された
マキシム機関銃一挺、アフリカ人との交易用として2万7262ヤードの布地、
3600万ポンド分のビーズ、さらに石鹸や浴槽等の身の回り品からスタンリーの
愛用のフォートナム・メイスン社製の紅茶・コーヒーの嗜好品、およびこれらの
運搬用の驢馬40頭。
これだけの規模の武装集団がやってくれば、現地人のほうも警戒心や恐怖心を
抱くのでは。
19 :
世界@名無史さん:2009/04/28(火) 23:39:05 0
それは探検隊というより侵略軍w
20 :
世界@名無史さん:2009/04/29(水) 00:18:52 0
アメリカ大陸そしてアフリカの奥地やオーストラリアやシベリアなど・・・・当時の西洋人の好奇心とか行動力は異常
人類の楽しみである探検というファンタジーを全部独り占めしやがった
ったく日本もチマチマ鎖国何かせずに間宮林蔵のような人物をどんどん支援しておけばな
>>17 あ、すいません。「インディオは捕虜を食べる風習(アントロポファジーア
)があるから野蛮人どもへの正戦なのだ!」って論理を使い、
そういう文化背景を踏まえてない側からの用法って意味で、
鉤括弧付きとしたのです。誤解を招く表現でサーセン。
インディオに釜茹でにされかけたドイツ人探検家(スターデン)の話は16世紀の話でした。申し訳ありません。
鉄砲の話は確かにそうです。実は探検史には全然詳しくないので、これを機に勉強させてもらいますお
22 :
世界@名無史さん:2009/04/29(水) 05:33:08 0
いいじゃねえか。おまえらは白人に何をやってもかまわないんだから。
23 :
世界@名無史さん:2009/04/29(水) 11:57:56 0
カルタゴのハンノがヴァスコ・ダ・ガマより早く
喜望峰に到達した件。
シベリア単騎横断を行った福島安正は?
25 :
世界@名無史さん:2009/04/29(水) 18:59:29 0
>>21 けどまあ、食人とかの現地の風習を「文化の違い」ってことで全て理解してしまう
聖人君子?より、それを口実に侵略を始めたがる人間の方がはるかに多いのが現実かなと。
住人は捕虜を食べたり人の物を勝手に取っていく連中だが、その土地は豊かで天然の資源に
恵まれており、ライバル国もその土地を狙っているというような状況で、出兵の正当化に
「原住民は野蛮だから」というレッテルを貼りたくなる誘惑は非常に強いものがあると
思うんだ。日本の台湾出兵もおおむねそういうもんだしね。
スタンリーのおかげで、ベルギー国王レオポルド1世はコンゴを手に入れることができた。
そしてその「コンゴ自由国」では、アフリカ人でノルマを果たせない者は
手首を切り落とされた。
どっちが野蛮なんだかわからんw
27 :
世界@名無史さん:2009/04/29(水) 21:15:43 0
ttp://blog.livedoor.jp/negi_sato616/archives/50117884.html 19世紀前半の人間の仕事とは、いまだ手つかずの領域を探しだして人の手に
よって加工することでもあった。空白が忌み嫌われ、そのすべてに人間が手を
突っ込んだ。地理的には未開の地や処女地が切り開かれ、都市の劣悪な居住環境は
改良され、教育施設が充実されて民衆の啓蒙が促進された。これらはすべて悪辣な
文化的空白地であった。だから、人の手で改良してやらなければならない。
それこそ人間という種、あるいは文明化された西欧人、選ばれた存在に課せられた
英雄的な行為なのである。
このような行動の裏側には、未踏の地に踏み込みたい、未だ見ぬ宝を手にしたい
という欲望が渦巻いている。そのメンタリティはまさしくロマン主義のものだ。
(中略)
誰も見ぬ土地には誰も見ぬ宝があり、誰も見ぬものを初めて見たというのは、
まさに英雄であった。しかし、この「未だ見ぬ宝」とは、フィヒテにとっては、
未来において現出されるべき理想国家であっただろう。進歩と成長の果てに
辿りつく至上の世界、いつかそれを手にするために不断の努力を積み重ねる。
これはまさに「資本主義の精神」そのものではないか。
(中略)
分裂と調和、困難と超克、そして、進歩、遠くにあるものを近くへ−この枠組みこそ、
ロマンチック・ラヴと、冒険物語と、そして、資本主義とを結合するものなのだ。
人類未踏の地が「処女地」と名づけられているのは、きわめて当然のことなのだ。
>>20 >当時の西洋人の好奇心とか行動力は異常
それは単に好奇心だけではなく、キリスト教や啓蒙思想が絡んでいると思われ。
ついでに言うと、日本人も西洋人からみれば探検「される」側、あるいは「啓蒙」
してやらねばならない対象。
マシュー・ペリー提督の日本開国から始まって、現在でも日本は外国人を
受入れろだの、天皇制を廃止しろだの、お節介な要求をつきつけてくる。
31 :
世界@名無史さん:2009/04/30(木) 14:23:24 0
>>30 アイヌ人や琉球人や台湾人から見たニホン人も同類と思われ。
勝手に探検され勝手に教化され勝手に植民され勝手に産業を興され etc.
西洋の帝国主義列強にくらべれば地理的スケールはちっちゃいが。
>>31 チベット人やウイグル人から見た中国人も同類と思われ。
33 :
世界@名無史さん:2009/04/30(木) 15:38:38 0
>>13 レイリークでなくてエイリークでっしゃろ。息子がレイフ・エリクソン。
彼が探検した場所を海図にでも描いてちゃんと残しておけば、
アメリカ大陸はいまごろエリクソン大陸とでも呼ばれてたかな。
このスレはsageで進行したほうがいいと思うんだが。
>>33 アメリカがウ゛ェスプッチの名前を女性形化して名付けられたことを考えれば、レイファリアとなってたのでは
ちなみにポストコロニアル系の人たちには、「新大陸」を女性名詞化することで、男性による征服を印象付けたとする人たちもいるけど、
コンキスタドーレスの頭の中ではアフリカ、ヨーロッパ、アジアとそれまでの三大陸が全て女性名詞だったことに倣ってのことだったようです。
もっとも三大陸を女性名詞で呼んだギリシャ人の頭の中まで遡ればこの指摘も妥当なのかもしれませんが。
>>31 叩かれることは前提として、以下は多分に政治的な主張となります。
日本が明治以降1.5流の開発と帝国主義を志向したのは事実として、
未解決の問題として残ってるそれを今どうしようかってことの具体的なところにほとんど目が向かわず、
些末な議論の繰り返しにしかならないのはなんでなんでしょうね。
ポストアパルトヘイトの南アフリカや今のボリビアのように、
アイヌ人がアイヌのメンタリティを保持したまま、日本国の首相であれるような、
あるいは
>>32の指摘においては、チベット人やウイグルが中華人民共和国の首席になれるような体制の追求が望ましいと思っておりますし、
そのために少数民族や地方語(日本語の方言を含めて)の存在の認定や、公用語規定が必要だと思うのですが、
保守には元々何も期待してないとはいえども、護憲一本槍でこういう代替案を政治的主張をする左派が存在しない日本の左翼はなんなんでしょうね。
ちょっと前にあったチリで、アイマラ人とマプーチェ人が民族としてチリ軍のパレードに参加したってニュースを覚えてるんですが、
軍事パレードに限らずとも日本でそういう話は聞かないし、日本人からのまともな提案ともならない。
あたかも日本は脆弱なnationだから、少数民族の存在を認めればたちどころに崩壊するとの自国への過小評価が共通してるかのようにさえ思える。
征服した民を忘れ去ろうとしたアルゼンチンがどんな心理外傷を患ったかを思えば、決して放置できないことなのに。
何もしてない僕が偉そうに言えることではないんですけどね。
36 :
世界@名無史さん:2009/05/04(月) 15:36:35 0
マックス・ブートは"The Savage Wars of Peace,2002"で、キプリングのいうように、
過去の植民地支配は表向き感謝されることは稀であったが、「キューバ人、
ハイチ人、ドミニカ人などの多くは秘かにアメリカ合衆国の支配を歓迎していた
はずである」と主張している。
英米人の考え方というのは、19世紀に、「暗黒大陸アフリカに文明の光を
もたらす」といっていたころと、基本的には変わっていないんだなあ。
37 :
世界@名無史さん:2009/05/20(水) 11:03:25 0
38 :
世界@名無史さん:2009/05/24(日) 17:47:05 0
大航海時代の船乗りって、よく生きて帰れるかどうかもわからない航海に出れたと思う。
マゼランの船隊なんか生き残りは10人に1人ぐらい。
いくら香辛料や金銀財宝が手に入ったって、割りにあわない賭けじゃないかなあ。
39 :
世界@名無史さん:2009/05/25(月) 02:07:52 0
ラピタ人とかポリネシア人の大航海の方が超探検という感じする
>38
香港人なんかひそかに感謝してそう。イギリスに。
再度中国に属すの方が嫌そうだった。
41 :
世界@名無史さん:2009/05/29(金) 16:09:24 0
>>39 ラピタ人・ポリネシア人の場合、範囲はひろいけど何千年もかけてだから、
大航海というより小航海×たくさん、だな。
たぶん本人たちにはそれほど探検という意識はなくて、
漁師が潮に流されて無人島に漂着 → 現地でカヌーを造って元の島に戻る →
家族を連れて見つけたマイ無人島に移住・・・の繰り返しみたいな感じかな。
ポリネシア人は、昔の方が大型の船作ってたみたいだけど。
アウトリッガーに帆を張ったタイプの奴。
>>41 周りに目印がないときはどうやってその無人島にリターンしたんだろう?
目視による天測だけでなんとかなるもんなの?
44 :
世界@名無史さん:2009/06/01(月) 18:45:20 0
>>41 >漁師が潮に流されて無人島に漂着 → 現地でカヌーを造って元の島に戻る →
ポリネシアの海流はなべて東から西に流れているんだが
45 :
世界@名無史さん:2009/06/08(月) 01:07:54 0
海の水が片寄っちゃう!
46 :
世界@名無史さん:2009/06/13(土) 02:17:16 0
マルコポーロだって西洋人から見れば冒険だろう。
でもモンゴル帝国から見れば単なる商売人、通商路に沿って
歩いただけだろう。
47 :
世界@名無史さん:2009/06/14(日) 10:33:35 0
北西航路の探検は超探検
48 :
世界@名無史さん:2009/06/14(日) 14:08:10 0
八重山列島の歴史から考えたんだが
「島」で養える人口は決まっている
増えすぎたら殺すか船に乗せてどっかに行ってもらうしかない。
当然、南洋の島々でも同じ問題があったはず。
冒険心が人類の居住空間を広めたというのはロマンチックだが
実際は「生きる」必然性に元づいて世界中に散らばっていったという方が
理にかなっているような気がする。
49 :
世界@名無史さん:2009/06/14(日) 23:53:52 0
オーストラリアの鰐の話で、普段は河口近くの川に棲んでいるが、繁殖期が来ると
若い雄はもっと大きい雄の縄張りから追い出され海や川の上流にまで進出する
という。乱獲で数が減った近年はこのような行動が見られなかったが、数が回復した
現在このような行動が見られるようになったとのこと。
50 :
世界@名無史さん:2009/06/16(火) 04:38:39 0
アメリゴ・ヴェスプッチに興味がある
在世の頃は航海術や地誌に詳しいインテリだと尊重されたが
死後評価はがた落ち
彼が名づけたわけで無いのに新大陸の名が”アメリカ”として早い時期から定着してしまったからなのか?
最近はそうでも無いけど(事実に則して評価されてる)
ちょっと古い本(70年代でも)でも低い評価が散見される
51 :
世界@名無史さん:2009/06/16(火) 22:02:09 0
冒険家になりたいけど
今の時代じゃ無理ですよね
52 :
世界@名無史さん:2009/06/17(水) 00:34:18 0
博打を嗜好する感覚が経済発展の原動力であると
藤堂高虎が言ってました。
54 :
世界@名無史さん:2009/06/17(水) 22:35:49 0
>>41 実はイースター島やハワイ諸島、そしてニュージーランドなど最果ての島に移住した
ポリネシア人は帆の付いた大型アウトリガーの大船団で、それこそ何週間もかけて
目的地に航海をしている。
一族郎党を大勢率い、家畜(豚・犬・鶏)や作物など生活に必要な物を全部乗せて航海に出たのだ。
とてもじゃないが、偶然にもカヌーが漂流して住み着いたとかいうレベルの話ではない。
55 :
世界@名無史さん:2009/06/17(水) 22:49:54 0
太平洋の海底は、目指す陸地にたどり着けなかった
勇敢なポリネシア人の骸で満ちているのだろうな。
56 :
世界@名無史さん:2009/06/18(木) 02:32:06 0
太平洋に拡散したポリネシア人も凄いが、紀元前後にボルネオ島からマダガスカル島まで
8000キロも殆ど補給なしに航海してきたボルネオ系マレー人も凄い。
中間地点のインド洋周辺の島嶼に何ら痕跡を残さず、直接マダガスカルに入植を果たしたらしい。
航海技術はポリネシア由来の双胴帆船のアウトリガーと伝統的な海図であるスターナビゲーションのみ。
57 :
世界@名無史さん:2009/06/18(木) 19:55:42 0
>中間地点のインド洋周辺の島嶼に何ら痕跡を残さず
つまりガセネタってことじゃね?
58 :
世界@名無史さん:2009/06/18(木) 21:09:09 0
>>52 そんな風に読める?
南米に到着して最初に新大陸と言ったからでは?
59 :
世界@名無史さん:2009/06/18(木) 21:52:33 0
>>57 昔は様々な推論があったが、DNA解析によりマダガスカル人の故地は証明されている。
だが、中間地点のジャワ、スマトラ、プーケット、スリランカ、モルディブなどに
それらの人々が短期間でも生活した痕跡が考古学的にも生物学的にも見つかっていないのがミステリー。
太平洋上を移動したポリネシア人にしても、イースター島やハワイなど最も直近のマルケサス諸島から
実に2000キロ近い海原を航海して最終的に辿りついているようだ。
60 :
世界@名無史さん:2009/06/18(木) 21:59:22 0
インド洋にレムリア大陸があれば、その隔離分布が科学的に説明できるとも言われてたな。
途中に痕跡が無いってことは、確実にアフリカ大陸(あるいはマダガスカル)の
存在を知っていて、そこを目指してたってことだよな。
今から2000年以上前に、ボルネオ人にそんな情報もたらしたのは誰だろう?
そんな情報があったとしても、見知らぬ土地に向かって数ヶ月以上も航海するとか、
無謀としか言いようが無いんだが…
第一、大航海時代の航海者ですら壊血病やら内紛で長期間の航海など不可能だったのに。
食料とか真水とか、どうやって維持したのだろうか?
>>62 生活はしなくても、寄航ぐらいはしたんじゃないの?
64 :
世界@名無史さん:2009/06/19(金) 09:55:23 0
Wikipediaでは平均5ノット、30日間でボルネオからマダガスカルに着くとあるから、
それくらいの日数なら無寄港もあり得そう。
謎なのはやはりどんな目処があってそんな遠距離航海に出たかだよ。
ボルネオ人がマダガスカルのことを知っているほど、インド洋を頻繁に往き来した
時代があったなら、インド洋沿岸にもっとその痕跡があると思うんだけどな。
65 :
世界@名無史さん:2009/06/20(土) 00:03:03 0
>>58 ヴェスプッチの1497年の南米への航海は、今でも資料的には立証されていないんじゃね?
1499年の航海はいろいろ証拠があって確かなのと対照的に、1497年の航海は不明点だらけ。
一方でコロンブスは1498年の第3回航海で現在のベネズエラあたりに上陸して、確実に南米に
達しているわけで。
ヴェスプッチへの評価は、彼が言う1497年の航海がウソかホントかってところが分かれ目だな。
探検じゃないけど、江戸時代の漂流民の話とか面白いです。
鎖国中に欧米や赤道直下、北極圏や南極圏を見てきた人たち。
光太夫、津太夫、中浜万次郎など。
その漂流先で先に来ていた別の日本人にあった話とか。
67 :
世界@名無史さん:2009/06/23(火) 22:28:18 0
>>65 それとその1497年に新大陸を発見したっていう「手紙」を
本当にヴェスプッチ本人が書いたのかどうかって点も問題。
68 :
世界@名無史さん:2009/06/24(水) 03:04:42 0
ヴェスプッチの事を余り知らない人が多いみたいだな
彼の航海は全て船団(スペイン、ポルトガル)の指揮者でなく航海術の専門スタッフとしてのもの
当時はまだフィレンツェの市民(当然何か新発見があっても彼には属さない、彼も主張してない)
その内容が分かるのは当時のフィレンツェの指導者に宛てた書簡による
生前に出版され大きな反響を呼び各国語に翻訳された
200年以上経ってから自筆(?)、写しと称する書簡が発見されたけど一次史料とまではいえない
晩年はスペインに帰化し死ぬまで航海総監を勤めた
彼の不幸(?)はその後コロンブスの名声が高くなったにも関わらず結果的にアメリカという名前が定着したことか?
69 :
世界@名無史さん:2009/06/24(水) 18:00:06 0
大航海時代で面白い本はありますか?
北西航路の死屍累々ぶりは興味深い。みんな山師のDQN。
一方、北東航路はスウェーデン王立科学アカデミーの教授だったノルデンショルドが
悠々と発見して日本で大々的に祝賀会。
やっぱり天才は違う。
北西航路の探検て結局意味はあったの?
73 :
世界@名無史さん:2009/06/24(水) 21:11:52 0
北西航路は商業的に使い物にならないという有益な情報をゲットした。
ただし近年は地球温暖化で氷が薄くなって実用航路になるカモって話があるよね。
韓国は砕氷タンカーをたくさん受注しているようだし。
74 :
世界@名無史さん:2009/06/25(木) 07:30:19 0
>>70 おいおいJ.クックやJ.フランクリンのどこがDQN?
意味が分かっていないんじゃないかw
75 :
世界@名無史さん:2009/06/25(木) 20:24:43 0
あれだけの散々な犠牲を払って得られた成果が「商業的に使い物にならないという情報」ってのもなんか微妙だな・・・。
しかし、クックをもってしても踏破できなかった北西航路の話は、冒険談としては心躍らされる。
76 :
世界@名無史さん:2009/06/29(月) 19:16:17 0
北西航路は氷に閉ざされて使えねーという事が判ったおかげで、
パナマ運河を建設する踏ん切りがついたと思う。
77 :
世界@名無史さん:2009/07/02(木) 05:20:00 0
大航海時代に戻すと
先覚者は大変だな、コロンブスが典型だけど間違った計算で陸地にたどり着けただけでも運がいい(全然東アジアとは別、当初の目的に適わなかったのに)
マジェランもコロンブスより緻密な航海者だが地球の大きさについては余り変わらない認識、よく太平洋を横断できたと思う
目的としたマラッカには着けなかったがやはり偉業(この航海に関しては世界一周をなしとげたデルカノよりもマジェランの方が歴史的には有名)
北東、北西航路開拓は当時の船、技術(特に砕氷)では無理
現在では楽勝だろうが経済的に無意味だから誰もしない
>>38 むしろ自分の国でうまく生きていけない
から航海に出たんじゃないのかな
79 :
世界@名無史さん:2009/07/04(土) 17:19:39 0
イギリスが18〜19世紀になっても北西航路の発見に熱心だったのは、経済的動機だけでは
なく軍事上の動機が大きかった。
ロシアの活動領域がシベリアを東へ広がっていき、ベーリング探検隊が1741年ついに海を
越えてアラスカへ到達。イギリスはこれに強い警戒心を抱くとともに、ベーリング海峡が
北西航路の西側の入り口である可能性に注目したのだ。
八丈島にも縄文時代から定住遺跡あるんだよな
翡翠とか黒曜石とか装飾用の貝素材とか縄文人も生活のためというよりは
お宝目当てで長距離移動したっぽい気が・・・
果てはミクロネシア特有の円筒型石斧が小笠原を経て八丈島まで分布出土している…
いったい誰がどうやって…
82 :
世界@名無史さん:2009/07/05(日) 01:18:35 0
>>66 亀だが
それは探検というより冒険だね。
異国の漂流も面白いが、無人島生活の物語もそのへんに匹敵するよ。
近世日本の探検なら間宮林蔵しか思い浮かばない。
>近世日本の探検なら間宮林蔵しか思い浮かばない。
日本人は基本的に米作れない土地には興味無いからなあ
そいや戦時中満州の特務機関で上司からおまえチベットの情勢探ってこい歩きで
って命令された人の体験記読んだことあるんだが
終戦後インド・チベット間の針の行商で生き延びて
カルカッタあたりで日本船の日の丸見て号泣してイギリスの出先機関に投降して帰国とか
なんか探検とか冒険というよりは無茶な上司に泣かされる下っ端の悲哀って感じだったなあ
>>77 コロンブスは新大陸(本人はインド近辺と思ってたにしろ)の位置を事前に知ってた説もあるね
85 :
世界@名無史さん:2009/07/05(日) 22:44:33 0
>>84 当時でも緯度の観測はそこそこ正確
従って地球が球であれば大きさは分かってる
ただトレミー以来東アジアの経度の推算が甘いのに加え
カトリック両王の説得のため自分が考えてたよりもことさら誇張したのではないか?
でも最後には自分もそれを信じていたように思えるが(自分が間違っているのを認めることは他人の前ではなかなか出来ない)
それでも先覚者としての名声(現在でも)有るのだから・・・
86 :
世界@名無史さん:2009/07/08(水) 21:50:36 0
>間宮林蔵しか思い浮かばない。
それだけじゃ飲み会で歴女を感心させることはできないにょ。
最上徳内や近藤重蔵も思い浮かべて欲しいにょ。
女に歴史が人気のようだが、若い女に人気が出だすとそのジャンルは
女に媚び初めて駄目になる気がする。
88 :
世界@名無史さん:2009/07/09(木) 19:49:06 0
>>87 同感だな、ゲーセンが駄目になったものUFOキャッチャーで
女どもが入ってからだ
左翼臭を我慢しながらもNHKのそのとき歴史が動いたを見続けていたが、
女に媚びた糞後継番組ヒストリアは我慢ならなかったので一回だけで見るの辞めた。
もうテレビはできるだけ見ないようにしている。
90 :
世界@名無史さん:2009/07/09(木) 22:38:59 0
ピンソンの手柄を横取りしたコロンブス
92 :
世界@名無史さん:2009/07/09(木) 23:12:52 0
初めて島(バハマ諸島のうちのどれか)を発見したのはピンソンの水夫。
93 :
世界@名無史さん:2009/07/10(金) 01:03:23 0
艦隊の指揮官がコロンブスなら、
それに所属する船の仕事はコロンブスの功績になるだろう
そういう関係を無視するなら、
手柄は「ピンソンの水夫」のものだ
おそ松くんであったな
「アメリカ大陸を発見したのは誰ザンスか?」「見はりの水夫でーす」
>>94 その小話がポーランドに実在する。
「アメリカ大陸を発見したのは誰?」「見張りのポーランド人水夫でーす」
96 :
世界@名無史さん:2009/07/11(土) 18:47:27 0
97 :
世界@名無史さん:2009/07/20(月) 10:14:18 0
コロンブスは筋金入りのケチ
98 :
世界@名無史さん:2009/07/31(金) 07:45:40 0
99 :
世界@名無史さん:2009/08/04(火) 22:58:17 0
100 :
世界@名無史さん:2009/08/08(土) 17:01:38 0
アメリカ大陸の発見はよく話題になるけど、
オーストラリア大陸や南極大陸を誰が発見したかなんて、
ほとんど知られていないんだよな・・・
アメリカ大陸と違って、まったく想定外の未知大陸ではなかったからだよ。
オーストラリア大陸→イスラム商人や中国商人に古くからすでに知られていた
南極大陸→仮説として南方大陸の存在は古くから想定されていた
102 :
世界@名無史さん:2009/08/08(土) 22:27:51 0
オーストラリアを発見したのって、イスラム商人と中国商人だったの?
発見てアボリジニは・・・
104 :
世界@名無史さん:2009/08/09(日) 04:19:51 0
>>100 難しい問題だな
>>101の話は初耳だ
ヨーロッパ人の話に限定しても
オーストラリアの話は今のヨーク半島とか西海岸(ニューオランダ)の発見はあるが
クックの名付けたニューサウスウェールズ(東海岸)が陸続きの大陸と認識した人は誰なのか?
総合的に考えて名無しさんというべきか?(個人どうこうの話ではなくなってる)
南極も同じ
>仮説として南方大陸の存在は古くから想定されていた
トレミーの頃からある伝説
クックの航海もその存在を確かめる事が任務の一つ、結果は否定
その名は現在のオーストラリアそのもの
105 :
世界@名無史さん:2009/08/09(日) 16:20:18 0
>>104 東南アジアの華僑はナマコ漁でオーストラリア北辺を訪れていたし
イスラム商人は香辛料や香木を求めてモルッカ諸島やニューギアニア近辺まで来ていた。
ニューギニアとオーストラリアは目と鼻の先。
上記の商船は<アフリカ東岸⇔インド洋⇔東南アジア⇔中国・日本>までの広範な海域を
ヨーロッパ人が進出してくる1000年以上前から行き来していた。
海流の関係で喜望峰以西とフィリピン以東には行けなかったけど。
106 :
世界@名無史さん:2009/08/10(月) 13:18:22 0
中国人がオーストラリア北岸でナマコを獲っていたことが「ナマコの眼」って
本に書いてあるらしいね。でも何世紀にオーストラリアに達したんだろう。
そういえば中国人がアメリカを発見したって本もあったな。
ニューギニア原住民と豪州北部のアボリジニは中間地点にある島を通じて交流があったらしい。
ニューギニア等から大規模な移住が起こらなかったのは、オーストラリアの環境が余りに過酷だったからとか。
だから上陸しても一時的な滞在に留まり、時期が来たらさっさと元の土地へ帰ってた。
アボリジニの文化的孤立はこれが原因かな。
108 :
世界@名無史さん:2009/08/11(火) 16:18:46 0
>>106 ググってみると1426年にオーストラリアの北岸を中国人ナマコ獲りが訪れて
地図に残したとあるけど、当時の中国って海禁政策とってなかったっけ。
ナマコ獲りって密漁者?
>>107 オーストラリアも北側の一部は熱帯雨林気候で、ニューギニアとそんなに違い
はなさそうな気もするけど。
>>103 そうだよなw
中国が「発見」されたのはいつか?と言ってるようなもん。
もう自分らの思考が近代西欧的発想に犯されてるのを自覚してない。
このスレにもあるけど、なんで大航海時代の西欧人みたいに世界の秘境とか
探索して回らなかったんだ、とか過去を嘆く心情も同じだな。
>>108 当時は密漁とかいう概念はなかったのでは。未開の新天地だし。
中国人といっても明から直接きた人じゃなくて
インドネシア付近に半永住していた華僑とかでは。
>>109 そりゃそうだね。
ただ、このスレで言うところの探検とか発見ていうのは
世界史の表舞台に登場した時点を指しているんだろうね。
日本も数万年前から人間が居たけど、中国史に登場するのは後漢時代の倭の奴国からだし
西欧史に登場するのはマルコポーロの東方見聞録後だからね。
つまり、人類の記録上に記された最初の年代が発見と定義して良いと思う。
>人類の記録上に記された
だから「人類」とするなら、最初の年代とかの話もおかしいわけ。
わかる?
112 :
世界@名無史さん:2009/08/11(火) 20:10:14 0
世界地図の中に適切に位置づけられたことを以て「発見」というと思う。
だからそこに現地人が昔から居ても発見とは関係ないし、
外部の人間がぼんやりとした風聞で知っていても発見とは言わない。
まぁね。
発見された方からみたら。世界のはっけんだからね。
>>112 君の言ってるのは近代の、特に西欧の一部の例にすぎないわけ。
「人類」というならインド人からみた「中国」の発見、モンゴル帝国における
「西欧」の発見とかいろいろ変わってくる。
当然距離が離れている地方は、こっちは何百年も昔から身近でも他方で未知の「発見されてない」
地域という視点になってしまう。
「地図」というなら不十分でも互いに作りあってたんだし、せいぜいが君の例は
近代の科学的に正確な位置に収まった時期程度の意味合いにすぎない。
わかる?あっちの遅れてる意識で「発見」みたいな意識をひきずるのは仕方ないが、
史学板の現代人なんだし、君は意識が西欧的主観に歪められてるのを自覚すべき。
西欧的主観=近代的価値観
現代の学問の多くがそういう近代的価値観を基準に回ってるいる。
つまり、緯度経度方位の明確な地図を作り上げ、そこの習俗や地理を正確に模写記録してこそ
人類の歴史の1ページにつながるんじゃないかな。
バイキングの一派がコロンブス以前に北米大陸へ到達したことは周知だけども
コロンブスを以って西欧人の到達と定義づけられている由縁はそこにある。
正確な記録は本国に報告され、新天地への野心を掻き立て、新たな船団の派遣と奥地への更なる探検を促す。
だが、中国と日本ですでに知られていた事実について「発見」というのは無理があると思う。
例えば1時期サハリン島が2つになってしまったのは、西欧人の間抜けな「世界」観によるものだ。
「世界史」をひとつの共同幻想として認めるにしても、価値観まで共有する必要はない。
>>115 欧米の保守的な学者だって古色蒼然たる「発見」とか、
時代錯誤なコロンブス式の歴史観をそのまま踏襲しにくくなってるし、
急進リベラル派なら西暦とか世界に通用してるものでさえ意義を唱えてる。
ここ世界史板で言う発見とは何だろうか?
ひとつに、それは世界史に対してどれだけ影響を与えた出来事であるかという事。
西欧人より先に日本人や中国人がどんなにサハリンの地理を詳細に知っていたとしても
それが世界史にどんな影響を与えたかが重要。
事実、サハリンを探検した間宮林蔵の記録と地図は出版は愚か、口外すらされず
幕府の重要機密事項として明治維新まで秘匿された(だからこそシーボルトは盗み出したのだが)。
そもそも、間宮林蔵自体が幕府隠密であり、西欧の探検家と同列に扱えないのである。
いや、西欧の探検も大抵は政府や軍の依頼で当時は機密扱いじゃねえ?
クックだって海軍士官で軍命で探検したんでしょ。
>>118 だからその感覚が偏ってるんだってば。
「世界史」と言って近代僅か二、三世紀程度しか思い浮かばないのが。
例えばモンゴル帝国の最盛期ならもっとも「世界史」にふさわしいのは
ヨーロッパじゃないよね。
そして世界史である以上はあくまでも近代史に偏った見方でっていうのを
自覚した上でなければならないだろうね。仮にその見方を受け入れるにしても。
無批判的、自分の偏りに気付かない、疑問を抱かないのは世界史板の態度と言えない。
最初は機密扱いでも西欧の場合、地図や地理誌は探検からどのくら後に世に出回ったんだろう?
>>120 偏るというか、世界史という大きな物を俯瞰する場合
一定基準の物差しで見ないと見えてこないと思いますよ。
例えば西暦という物差し、古代・中世・近代・現代という物差し
旧石器、新石器、青銅器、鉄器時代という物差し。
それは別に近代以降の話じゃなくて、古代文明から言えることですよ。
モンゴル帝国の時代だって見方を変えれば、単なるユーラシアの1時代に過ぎず
同時並行でアフリカにもアメリカ大陸にもそれぞれ壮大な歴史があった訳です。
それら同時並行する歴史の興亡を大きなひとつのテーブルで見ようとする試みが
近代的価値観に基づく世界史論ではないでしょうか?
>>122 その程度なら別に異議は無い。
だが上で問題にしてるのは、一定基準のものさしと言い難い、
むしろ古い偏見に根ざした地域史に属するものだろ。
>>119 今だって地図や地形は機密情報であることも多い。軍事上重要だから。
そんなことは忘れてしまっているのは世界でも日本だけ。
中国の潜水艦が日本近海を嗅ぎまわっているのも海底地形情報を収集するため。
外国人が入れなかったチベットネパールあたりの地形調査をイギリスは
現地人を工作員にして徹底的に調査させ地図を完成させた。
機密に触れない情報はその後王立地理学会で報告される。
126 :
世界@名無史さん:2009/08/12(水) 14:23:34 0
まあオーストラリアの発見者は、タスマンとクックという見方が普通かな。
>>122 いやいや、それならば世界史を作ったのはモンゴル帝国だ、という岡田エイコウのほうがマシだ。
ここ2百年を特権的に扱うのはいい加減やめにしたいものだ。
普遍性を追求した西欧は偉いが、それもほんの一瞬の出来事に過ぎない。
彼らがいう「世界史」なんてものは存在しない。
彼らがギリシア→西欧などという連続性を詐称するのをみるとうんざりしてくる。
128 :
世界@名無史さん:2009/08/12(水) 20:39:48 0
>>127 別に西洋人とてモンゴル帝国の最盛期は認めているでしょうし
それ以前のイスラームや唐などアジア世界の興隆は大いに研究対象でしょう。
ただそれぞれの最盛期に固執してしまうと、それはもう世界史というマクロ視点ではなく
地域史という単体カテゴリーになってしまいます。
>ギリシア→西欧などという連続性を詐称する
それは東アジアに言い換えれば<中国→日本>となるかもしれませんね。
異論はごもっともですが、これもひとつの見方です。
すべての連続性は無いものの、文明を構成する大きな要素になったのは事実でしょう。
世界史の定義の議論はそろそろ御開きで。
スレの趣旨とも大きくずれてきた事だし。
130 :
世界@名無史さん:2009/08/13(木) 13:01:03 0
賛成
131 :
世界@名無史さん:2009/08/13(木) 13:19:09 0
モンゴル帝国は歴史の恥。
その獲得領土はたしかに大きいが、獲得時には無人の野に馬糞を捲いて「ここは俺たちの土地ィ!」などといい、
実際その領土のほとんどはヨーロピアンに奪われてしまい、モンゴル人は永遠に駆逐された。
むしろ、ヨーロピアンにやられまくったという、その喪失の規模こそがモンゴルの意味。
ずっと奥地の平原で馬のちんちんをいじっていればよかったのに、ヨーロッパなどにアクセスしたがために、
モンゴル人は根絶やしにされることとなったわけで。
オーストラリア大陸を発見したのはアボリジニ
アメリカ大陸を発見したのはアメリカ先住民
ハワイを発見したのはポリネシア人
日本列島を発見したのは日本人
異論は認めない
「日本人」なんて生まれる前から日本列島には人が住んでいたんですけど
ジャワ島を発見したのはジャワ原人とかね
原人まで含めるの?
天孫降臨以前に日本人っていたのか。
つ明石原人
基本的に文字記録が可能な時代かつ、その民族による発見に限ります。
発見してもなーんも記録されてなければ見つけてないのと一緒。
どこぞの未開土人が見つけて何千年住んでても意味なし。
じゃあ日本列島の発見者は中国人と言うことになっちゃうのかね?
140 :
世界@名無史さん:2009/08/14(金) 02:51:59 0
位置的にみて韓人の可能性が高い
南アメリカにはベーリング回り以前の、海からの移住跡らしい遺跡も発見されているよね。
つまり、オーストロネシアンあたりが発見してもいたってことだ。
142 :
世界@名無史さん:2009/08/14(金) 03:58:07 0
ベーリング海峡の両岸の住人ははるか昔からいったりきたりしていた。
エスキモー系諸民族は少なくともアメリカ大陸かユーラシア大陸の発見者というべきだろう。
>>143 北米大陸北部には最終氷期の終わりまで巨大なローレンタイド氷床が
アラスカおよびカナダ全域〜合衆国の北半分まで覆っていたので
草木も動物もいない不毛の氷原しかなかったのでは?
なのでモンゴロイドは少なくとも12000年前までユーラシア極東に
足止めを食らっていたと思われます。
145 :
世界@名無史さん:2009/09/08(火) 23:43:59 0
146 :
世界@名無史さん:2009/09/12(土) 19:09:44 0
アラスカに住むクリンギット族やハイダ族の伝説では、
その先祖はカヌーに乗って海からやって来た姉妹だったという。
147 :
世界@名無史さん:2009/09/13(日) 14:36:55 0
なんとなくナコルル&リムルルみたいなのを連想したが
アイヌ人の祖先と何か関係あったかなその姉妹
148 :
世界@名無史さん:2009/09/13(日) 15:02:54 0
>>5 イスラム教徒だからこそ抵抗できたのかもね
なにもしらなかったら改修しちゃう
149 :
世界@名無史さん:2009/09/25(金) 00:08:20 0
キリスト教国であるフィリピンで、
イスラム教徒ラプラプが英雄で、キリスト教徒マゼランが侵略者っていう
図式になってるのが面白い。
150 :
世界@名無史さん:2009/09/27(日) 12:15:49 0
>>148 英語版Wikipedeiaを見ると、マゼランが最初にキリスト教に改宗させた
セブ島の族長ラジャ・フマボンも、イスラム教徒だった可能性がありそう。
ラジャ・フマボンの側にも、キリスト教徒を味方につけて、周辺の族長より
優位に立とうという打算があったのだろう。
151 :
世界@名無史さん:2009/10/01(木) 00:32:25 0
スールー王国を建国したのはアラブ人だったというし
ある意味、イスラム勢も南からフィリピンを征服しにかかってたね
152 :
世界@名無史さん:2009/10/01(木) 14:54:56 0
南米の探索の話や逸話はあまり知られてないんじゃ?
153 :
世界@名無史さん:2009/10/05(月) 18:46:01 0
2016年オリンピック開催で話題のリオデジャネイロ。
その名は「一月の川」の意味。
カブラル艦隊の一船長であるガスパール・デ・レモスが、
グワナバラ湾を川と誤認して名付けたという。
やっぱ大航海時代だろうね
日本人もメキシコとかで商売をしてたらしいが
あとアルゼンチンに奴隷としていった記録もあるそうで
155 :
世界@名無史さん:2009/10/08(木) 15:05:08 0
今後は探検=我慢大会の様相になるのだろうか
深海にしても、宇宙にしてもまず人間の居住空間を確保するのが先決
みたいだし
157 :
世界@名無史さん:2009/10/10(土) 18:59:41 0
スペイン人・ポルトガル人が、がむしゃらに南米を探検したのは
金銀を求めてのことだったけど、もしぜんぜん金銀が見つからなければ、
その後の南米の植民地化の歴史は200年くらい遅れた気がする。
逆にスペイン・ポルトガルの国力が衰えてない16世紀のうちに
カリフォルニアで金が見つかっていれば、アメリカ西海岸は
いまごろラテン系の国かメキシコの一部になっているだろうし。
その時々で重要な資源が見つかるかどうか、探査活動が成功
するかどうかで、歴史の流れは随分と左右されそうだ。
アメリカが月に探査機をぶつけて水を探しているけど、これも
アメリカが覇権国の間に水が見つかるか見つからないかで、
その後の歴史の流れはかなり変わりそうだ。
158 :
世界@名無史さん:2009/10/19(月) 19:04:24 0
南米といえば、南方大陸の一部と思われた時代もあったな
159 :
世界@名無史さん:2009/10/23(金) 08:56:05 0
>>155 昔から探検航海はガマン大会だよ。
飢え、渇き、暑さ、寒さ、嵐にもまれ、病気にもがき、
居住空間は小さく、プライバシーもなく、娯楽も乏しい。
でも何か新しい発見をしたら、そんな苦労も報われたと思う。
160 :
世界@名無史さん:2009/10/23(金) 09:40:25 O
日本が大航海時代に参加できなかったことが悔しいです。
162 :
世界@名無史さん:2009/10/23(金) 18:21:55 O
欧州の国々が海外に植民地を増やしてる頃、日本を含め東アジアの国々は対抗しようと思わなかったのかね。
まさかその事実さえ知らなかったとか。
163 :
世界@名無史さん:2009/10/26(月) 19:58:43 0
他人が住んでいる土地をムリヤリ併合したり植民地にするのは罪。
アイヌには可哀想なことをしたが、それでも日本は欧米に較べて比較的罪を重ねずに済んだ。
徳川幕府の鎖国政策のおかげだ感謝しよう。
164 :
世界@名無史さん:2009/10/27(火) 08:47:07 O
その多大な罪を犯した欧米が世界を支配している事実。
とにかくどこに行っても欧米人優位な現状を見ると
過去に罪を犯してでも勢力を広げてればって思うのは自然だよ。
それが俗に言う「ミイラ取りがミイラになる」
アレクサンドロス大王が黒海が海とつながってる仮説を信じて
探検隊を出した話があった
>黒海が海とつながってる仮説を信じて
そりゃ調べるまでもなく当たり前だw 黒海とカスピ海との間違いだな。
当時カスピ海は、内海なのかそれとも黒海かあるいは東の外洋が注いでいる湾なのか分からなかった。
ただしアッリアノスは大王がどの説を信じていたか記してないし、その探検は大王の死によって一時頓挫し、
セレウコス1世によって内海であることが確かめられたのだが
>167
勘違いしてすまんw
そっか、セウレコスで確かめられたんだ
何の本を読めば分かるんですか?
>>168 とりあえず今読んでいるのは岩波版のアッリアノス「アレクサンドロス大王東征記」
でもこの件は本書の筋にあまり絡んでない一エピソードに過ぎないから、詳しい書は他に求めるべきだろうと思う
170 :
世界@名無史さん:2009/11/02(月) 15:08:46 O
日本人は未知の国からやってきた南蛮人を見て自分達も未知の土地に行きたいと思わなかったのだろうか。
当時の日本人の好奇心のなさが残念でならない。
もう少し好奇心があれば今頃新大陸に日本系民族の国家がいくつかあったかもしれないのに。
そもそも当時の日本人が「南蛮人」がインドよりもペルシアよりもずっと西の地域からはるばるやってきた人たちだということを認識していたかどうかが疑問
「南蛮」って東南アジア方面のことだし
172 :
世界@名無史さん:2009/11/02(月) 17:59:32 O
南蛮人から地球儀もらってるし。
故地との繋がりを失った植民地など東南アジアの日本人街のごとく滅びるしかない
シナから観た南蛮は確かに東南アジア。
南のほうから種子島にのぼってきたポルトガル人らを南蛮と呼んだのは自然。
あと世界認識だが、天正の少年使節を実際にヨーロッパに送ってるし。
上で誰か書いてるように彼らは地球儀や世界地図を見せたり積極的に教えようと試みた。
また日本人も南蛮の城郭や町の様子なども聞き込んで活かしている。
のちにやってきたオランダ人やイギリス人は南蛮ではなく紅毛と呼んだ。
>171
南蛮人は世界地図を持ってたので
インドより遠い地域ということは知識ある人なら理解できるんじゃ
176 :
いえやす:2010/01/10(日) 21:11:51 0
スペイン人とオランダ人とイギリス人の商館長を江戸城に呼んで、
『いい地理情報を持ってきた方に今後3年の独占通商を許してつかわすw』
って言えば労せずして大航海時代の最新地理知識を得られたかな。
177 :
世界@名無史さん:2010/04/10(土) 23:52:07 0
支倉常長や南蛮貿易に関係した日本人船長とか
海外のことをもっと本に書き残してくれればよかったのに
人間は知識がないと発想が内向きになり
ますます新知識を求めなくなる悪循環に陥る
178 :
世界@名無史さん:2010/04/11(日) 09:29:14 O
>>170 エルサレム巡礼したペドロ岐部はその中に入んないの?
179 :
世界@名無史さん:2010/04/11(日) 22:39:07 0
>ペドロ岐部
世界を巡ってマルコポーロなみの大冒険をしてきた男をあっさり殺してしまうなんて
江戸幕府バカすぎ。本人も殉教なんかしてる暇があるなら、旅行記でも執筆してくれ
りゃいいのに。
180 :
世界@名無史さん:2010/04/18(日) 17:00:13 0
>>176 >スペイン人とオランダ人とイギリス人の商館長を江戸城に呼んで、
>『いい地理情報を持ってきた方に今後3年の独占通商を許してつかわすw』
>って言えば労せずして大航海時代の最新地理知識を得られたかな。
それやっても、地理情報と言うのは当時の国家機密のはずだから情報渡して
もらえんかったと思う。それかもしくは、偽の地理情報を渡されて日本が
騙されてたかもな。
>>179 >本人も殉教なんかしてる暇があるなら、旅行記でも執筆してくれ
りゃいいのに。
本当だよなあ。日本人初の中東旅行者として教科書か資料集に載ること間違いなしだった。
鄭和も特に何も書いてないよね?
似たようなもんか
>>183 確か、明の派閥対立で死後燃やされていたはず
185 :
パオさん:2010/04/25(日) 04:38:37 0
鄭和で思い出したが、以前TVの某歴史系クイズ番組で
当時航海に使った西洋大宝船にはスクリュー状の構造体が付いていたので
逆風状態でも真っ直ぐ航行できたらしいな。(風車の回転力をスクリューに使ったらしい)
でも永楽帝の死後起こった派閥争いで宦官派が一掃された際に鄭和の業績と共に
宝船の設計図も宝船工廠も破棄されて、殆ど分からなくなってしまったらしい。
凄い胡散臭い気がしてならないす
スクリューそのものはまあ人力でも廻せるでしょうが
果たしてそれが受けた逆風を前進出来るほどの推力に変換できるものでしょうか?
風車による回転を推力に換えきれずに壊れてしまうのではなかろうかと
>>183 鄭和については『鄭和史詩』『瀛涯勝覧』とかで航海の内容はかなり分かるし
正史の『明史』にも言及があるほか『鄭和碑文』なども残ってる。
ぜんぜん比較にならないよ。
ペドロ岐部ほんとすごいな
陸路でインドからエルサレムって各地の教会を頼りに旅したのかな
189 :
パオさん:2010/04/25(日) 16:40:06 0
ペドロ岐部以前にも日本人でユーラシア巡礼を夢見た大旅行家が居た。
平安時代にインド巡礼を企画した皇族「高岳親王」という人だ。
当初は陸路で中国各地の仏教寺院を巡り、玉門関〜敦煌〜パミール高原〜バーミアンと
中央アジアの仏教史跡経由でインド北部の聖跡ブッタガヤを目指そうとしたらしいが
当時の唐王朝は折りしも仏教弾圧の時代に突入していて、各地の寺院の衰退も激しく陸路での旅を断念。
代替案として船で広州からマラッカ経由〜インドを目指したが、マラッカで襲われて亡くなってしまった。
もしインド巡礼が実現していたら興味深い旅行記が記されたかもしれない。
逆風状態に関係なく航行できるようになるのは
蒸気船以降じゃねーの
人力じゃ無理だろ
車輪やらスクリューやらつけたりする発想は古代ギリシャからあったけど
結局一般的にはならなかった
やっぱし人力だと労力半端ないし技術的にもまだ未熟だったんだろう
帆船でも風に逆行することは可能なわけだが
斜め横の逆風なら可能だよね
真正面は無理でしょ
俺がここで説明するよりググった方がはやいと思う
まぁ真正面に逆行するのはかなりうっとおしいが…
196 :
世界@名無史さん:2010/04/27(火) 01:19:52 0
真正面の逆行ってジグザグ走行だよね
それって結局斜め横の逆風じゃないか
198 :
世界@名無史さん:2010/04/27(火) 20:46:16 0
季節風に逆らって航海するときは
まともに向かい風にぶつからないように
大回りな航路を取ることもあったにょ
199 :
世界@名無史さん:2010/04/30(金) 11:09:25 0
>>185 実際には鄭和の航海記録を見れば、モンスーンが順風になるまで風待ちしている。
逆風に向かって進むスクリュー船なんてのがあれば、全世界が明帝国の朝貢国になっちゃうよ。
あったとしても人力じゃたいして効果ないだろ
201 :
世界@名無史さん:2010/05/04(火) 20:31:04 0
車輪船ならローマ時代にもある
結局蒸気船がでるまでスクリュー系の船は一般化しなかった
人力だと帆船の方が便利なんだろ
203 :
世界@名無史さん:2010/05/22(土) 15:03:27 0
ローマ人ってあまり探検しなかったのかな。
征服ならけっこうしたのに。
ローマ人は海が凍ることを知らなかった。だからスカンジナビア方面には
到達していない。
しかし、ブリテン島まで配下に収めているんだから、バルト海まではすぐだろう。
不思議だ。
205 :
世界@名無史さん:2010/05/22(土) 17:26:55 0
そのままアメリカ大陸にローマ兵が到達していたらどうなっただろうw
帝政時代のローマ人が北に行ける限界は
おそらく半ズボンで寒さを我慢できるところまで
半ズボンだけは譲れなかったのかw
208 :
世界@名無史さん:2010/05/27(木) 00:09:14 0
スパルタ兵なんてブリーフ一枚しか軍服持ってなかったし。
ブリーフ一枚で行ける北限はヴァルカン半島北辺まで。
209 :
世界@名無史さん:2010/06/28(月) 21:43:02 0
プリニウスの博物誌には、ブリテンよりずっと北の土地で見られる
白夜についての言及があり、スカンジナビアという地名も出ている。
ローマ人が直接行ったのかどうかはわからないが知識はあった。
210 :
世界@名無史さん:2010/06/29(火) 11:26:15 0
みんな、大事な事を忘れているぞ、「スポンサー」の存在だ。
スポンサーなくして探検なし
ヘロドトスしかりマルコポーロしかり
だからスポンサーが金を出してくれる探検を論じてみないか?
例えば、新薬開発の為の探検とか未開村落に潜む使える技術の発掘、例えば
伝染病に対する有効的な予防的な風習とか
211 :
世界@名無史さん:2010/06/29(火) 12:30:27 O
>>210 映画ライトスタッフを思い出した。
「カネが英雄をつくる」と新聞記者が語るシーン。
コロンブスもスポンサー探しに必死だったしね。
日本で言うと植村直己もそうかな。
スポンサーなくして探検ないというのは至当。
212 :
世界@名無史さん:2010/06/30(水) 23:16:36 0
スポンサーが金を出してくれるのはいいが、それなりに見返りを期待されるからなー。
コロンブスがインディオを拉致したり、血も涙も無い征服に明け暮れたのは、
何か実績をあげてスペインに帰らなければという強迫観念があったからではないだろうか。
213 :
世界@名無史さん:2010/07/01(木) 07:39:50 0
黄金あふれる土地が見つかったとか、
広大な南方大陸が見つかったとか、
伝説の便利な航路が見つかったとか、
史上、誇大な報告をする探険家が多いのは
背後にいるスポンサーの期待という
プレッシャーが大きいからなのかも。
なるほどー、そこで黄金の国ジパング伝説ですね。
スポンサー金出してくれそうですね。
あと、プレスタージョン伝説(伝説のキリスト教王国)みたいなのもありましたよね。
軍事的な観点(外交的?)でもいいらしかった。
216 :
世界@名無史さん:2010/07/02(金) 12:24:17 O
>>214 …1492年の初め、局面が変わった。
ムーア人が降伏したのだ。
コロンブスに大きな機会がめぐってきた。
しかし、その直後、委員会は否定的な最終結論を出し、コロンブスは両王から
その旨を通告された。
…ところが、突然イサベルの気が変わった。
これは、宮廷内の有力者ルイス・デ・サンタンヘルが、心からコロンブスを支持
して女王に働きかけてくれたおかげだった。
サンタンヘルは、コロンブスを呼び戻した上で、少なくとも航海に必要な費用の
半分は工面することを約束するように、女王を説得した。
サンタンヘルは費用の一部を、自分が経理をあずかっていた警察組織から借り、
一部を自分の個人財産から出した。
そして、コロンブスも、おそらくイタリアの投資家たちから借りて資金を調達した。
資金問題が片付いたので、女王は承諾した。
女王は大胆で創意に富む女性であった。
コロンブスの語る非常に劇的な計画に強くひかれるとともに、コロンブスの
魅力的な人柄にも引き付けられた。
女王が望んたため、フェルナンド王もしぶしぶ賛成した。
ミルトン・メルツァー著『コロンブスは何をもたらしたか』ほるぷ出版 p.97-98
おお、当時の臨場感が伝わってきました。乙であります。
218 :
世界@名無史さん:2010/07/04(日) 09:50:53 0
スペインを出て行こうとしてたコロンブスを使者が見つけられなければ
コロンブスは言葉も通じないフランスやイギリスの王宮に行って
何年も虚しく新航路プレゼンを続けながら窮死していたかもしれない
そうなればよかったのに
219 :
世界@名無史さん:2010/07/04(日) 21:52:52 O
あの大航海時代の黎明期にたとえコロンブスが失敗
しても、他の誰かが新大陸へ向かっただろうね。
ただ、余人をもっては代えがたいのが時代の偉人と
いうもの。とは言うもののコロンブスのifを想像
するのも一興だね。
コロンブスはジェノバ人
資金の助成をジェノバの政府にも頼んでいるんだよね。断られたけど
もし、ジェノバやヴェネツィアのような、
貿易立国の海洋都市国家が新大陸を先に「発見」していたら
スペインのようなめちゃくちゃな現地での収奪や破壊は行われなかったんじゃないか?
というifを塩婆か誰かが言ってたな
>>220 キリスト教徒の子供たちを誘拐して新大陸で奴隷にするとか?
人種や宗教の縛りがない分、一味違ったエグイことをしてくれそうだが。
コロンブスが見つけなかったらバイキングかイングランドが見つけるんじゃないの?
ただし、現在のカナダやニューヨーク辺りが先に見つかるが。
223 :
世界@名無史さん:2010/07/06(火) 22:04:28 0
コロンブスのライバルといえば、同じイタリア出身のジョン・カボット。
イギリス王に雇われた彼は、北米大陸にコロンブスより先に着いたって説もあるし。
でもスペインが先に地歩を築いていなければ、イギリスももっと南の
暖かいところに入植しようとしただろうな。
>>199 スクリュー船があっても歴代中国は北伐すら完遂できず、
長城築いて内に引きこもったり、服属して朝貢国となったり領土割譲で安全を図る程度しか
できなかったんだから、北の覇権国家の従属国が増えるだけか、
中国からの貢物が増大して更に向こうの国力が増す位じゃね。
清のおかげでチベットその他版図と主張できるのと似たようなもんだな。
225 :
世界@名無史さん:2010/07/23(金) 20:46:04 0
そういえばカボットが新大陸を発見した流れの歴史改変SFがあったっけ
226 :
世界@名無史さん:2010/07/23(金) 21:28:18 O
>>223 ジョン・カボート?
ジョヴァンニ・カボートの間違いでは?
大航海時代が一番夢があっただろうね
それよりロシア人のシベリア征服の方が興味ある
あの凍てつく様な大地に不気味な風貌した先住民との抗争
どっかで見つけたマニアックな外国の資料集にシビル・ハン国の兵士が描かれてたが本当に不気味だったww
二刀流で頭に枝みたいなもの刺してたり素っ裸で足にスキー板付けてたり釣り竿みたいな武器持った奴とか面白かった
今度見つけたらうpしてやりたいな・・・
229 :
世界@名無史さん:2010/07/24(土) 13:50:17 O
>>1 日本が鎖国しなければ探検に参加出来たかどうか、
大いに疑問。西欧の探検にはキリスト教布教と征服
事業がセット。非キリスト教国の日本がどんな口実
で探検に乗り出すのだろう?肝心の大義名分がない。
230 :
世界@名無史さん:2010/07/24(土) 22:46:33 0
探検に必要なのは、動機、金(スポンサー)、技術(知識含む)の3つが必要
だと思う。で、各要素の重要性を並べたら
動機>金>>>>>>>技術 かな?
大航海時代の帆船の航海技術とやらが、かなり怪しいものだったということは最近
よく論じられるようになった。コロンブスの航海ではアストロラーベはほとんど飾りだったとか・・・
でも、彼らには動機があったから大航海時代となった。大抵のことは現場の智恵とか、素朴な船乗りの勘とか、運と度胸で何とかなるもの。
一方、日本には当時探検に乗り出すべきモチベーションが何もないと思う。
逆に言えば、たとえ技術があっても(あったかは知らない)動機がなくては何にもならないということ。
231 :
世界@名無史さん:2010/07/24(土) 22:55:46 0
日本人の大航海
この世の浄土を求めて・・・補陀洛渡海
日本ならどうしても中国あたりの近辺か、天竺だろうな。
秀吉の侵攻ルートと似るだろう。
仏教の経典とかなら欲しいだろうし、釈迦の居た所ならなって。
朝鮮は中国の文物が流れついて旨みあったし、中国なら直接支配すれば
美味しいと思うだろうが、白人は野蛮人って馬鹿にしてたし東洋が上だと思ってたから
わざわざ僻地まで行こうとも思わんだろうな。
漢の西域探検が軍事的な理由だったように、その動機でならあるだろう。
国内浪人取り潰し大名のはけ口、新規領土で。島原藩もルソン侵攻を企図してたし。
1600年ごろのインドには日本から来た浪人が用兵としていたけど
オランダかイギリスとの戦争に負けて全員処刑されたらしい
あ
235 :
世界@名無史さん:2010/07/25(日) 15:42:30 0
逆に言えば大航海時代の白人たちのモチベーションは何なんだろうな?
色々悲惨な話が伝わっているのにかまわず世界進出し続けたあのエネルギーは一体?と思うよ。
新大陸征服なんて、日本人が一番やりそうにない気がする。
異民族の真ん中に植民都市を造るというのはギリシャ時代からおなじみだけど、東南アジアの
日本人町で似たようなもんは一切なかった。政治的には常に在地権力に従属し続けていた。
日本人だけでなくて華僑もあまり土地の首長に反抗しなかったような感じがあるし。
なんどもいってるとおり宗教。
カトリックは宣教。プロテスタントというか清教徒は神の国の建設。
今でもブラジルには巨大なキリスト像が建ってるし、アメリカの大統領は聖書に宣誓してる。
キリスト教徒の目的は達せられたのさ。
日本の場合近場の朝鮮中国をほっぽって他を探すと言うのはないわな
まずそこを支配してからだ
238 :
世界@名無史さん:2010/07/25(日) 22:23:12 0
ではイスラム教徒はなぜ世界中に出なかったのだろう。
いや、彼らは彼らで大探検しているのは知ってるんだが。
でも、基本的には商売相手がいそうな所にしか行かなかったし、異国まで出張って
自分たちの国を作ることもしなかったと思うんだけど。
だからあまり地理上の発見というイメージではない。旅行家はいても探検家にはならない。
ほかにエチオピアはキリスト教国だったけど、自国に引きこもってばかりだった。
千島列島からカムチャッカ半島を経てベーリング海峡を渡って
コロンブスよりも早く・・・なんてことがあればどうなっていたかな
240 :
世界@名無史さん:2010/07/25(日) 22:48:01 O
イスラムは商人のイメージが非常に強い。
大旅行家も輩出したけど、大方は商人でしょう。
イスラムで有名な宣教師を全然知らない…。
>>238 当初、ヨーロッパは東方への航路(貿易路)を求めてアフリカや大西洋に乗り出した
西方と東方の中間を抑えていたムスリム国家は、それだけで莫大な富を得ることができた
ヨーロッパから中東への輸出品は何?
まさか金銀が一方的に流出していたとも思えないが、輸出品が思い浮かばない。
奴隷?
時代によっても変わってくるが黒海やドイツの木材
亜麻や羊毛などの繊維とそれを素材とした織物
奴隷はやはり黒海付近の白人系がハレム等で重宝された
もちろんドイツ辺りが産地だった銀なんかも扱われてる
なぜ秀吉やら江戸幕府は、北海道や樺太方面に進出しなかったのですか?
朝鮮出兵より確実に領土が取れそうな気がするのですが
寒いし
それに当時はまだ朝鮮に夢を見てた時期だろ
中国は言わずもがなだしそれに比べれば蝦夷地なぞ未開の辺土でしょ
246 :
世界@名無史さん:2010/07/27(火) 07:23:10 0
当時はただ領土が取れればよいという時代じゃない。
金になる領土じゃなけりゃ無意味。むしろ余計コストが嵩むだけ。
当時の北海道は米すら取れなかったんだけど。それに和人の生活技術(家とか服装とか)
では冬が寒すぎてやばい所。
ヨーロッパの場合、十字軍の結果商業革命が起きて
海運業が非常に盛んになった
そういった活動の中で大西洋に面しているポルトガルがイタリア商人と協力して
西アフリカの金や香辛料獲得のために進出したのが契機
唐に負けたとか
元寇で攻められたとか
そういうのも潜在にありそう
249 :
世界@名無史さん:2010/08/01(日) 23:27:08 0
>>230 ルネサンス3大発明(実は中国という突っ込みはナシね)の一つ、アストロラーベが
飾りだったとは初耳だ。
詳しく。
カラベル船、アストロラーベ、コンパス、クロノメーター、それに地球球体説が相まって
初めて大航海が可能になったと思っていたけど。
250 :
世界@名無史さん:2010/08/10(火) 11:39:53 0
ttp://www.47news.jp/CN/201008/CN2010081001000184.html アマゾン川を初の「踏破」 英国人男性、2年4カ月かけ
【リオデジャネイロ共同】南米アマゾン川(全長6516キロ)の水源の
ペルー奥地から河口のブラジル大西洋まで、川に沿って全行程を歩く
初の「踏破」に英国人男性(34)が挑み、9日午前、約2年4カ月をかけてブラジル・パラ州の海岸に到達した。
AP通信などによると、この男性は元英軍人のエド・スタフォードさんで、
2008年4月に友人とともにペルー南部を出発した。
友人は3カ月後に脱落したが、途中で出会ったペルー人の森林作業員が最後まで同行した。
「踏破」は859日に及んだ。
川で釣ったピラニアや、コメ、豆などを食べ、時には川の水につかりながら歩き、ワニや大蛇にも遭遇した。
「5万回も蚊に刺された」といい、熱帯性の病気にかかったこともあった。
スタフォードさんは軍退役後、株の仲買人などを経て今回の「踏破」を計画。
総費用は10万ドル(約860万円)で、スポンサーの支援を仰いだ。
衛星電話を携行し、旅先からブログで旅行記を報告、
APに「私の行動がアマゾン熱帯雨林の破壊への世論喚起になれば」と話した。
2010/08/10 10:04 【共同通信】
251 :
世界@名無史さん:2010/08/15(日) 00:18:43 O
age
252 :
チパング島:2010/08/19(木) 15:40:35 0
チパング〔日本国〕は、東のかた、大陸から千五百マイルの大洋中にある、とても大きな島である。
住民は皮膚の色が白く、礼節の正しい優雅な偶像教徒であって、独立国をなし、自己の国王をいただいている。
この国ではいたる所に黄金が見つかるものだから、国人は誰でも莫大な黄金を所有している。
この国へは大陸から誰も行った者がない。
商人でさえ訪れないから、豊富なこの黄金はかつて一度も国外へ持ち出されなかった。
上のような莫大な黄金がその国に現存するのは、全くかかってこの理由による。
引き続いてこの島国の国王が持っている一宮殿の偉観について述べてみよう。
この国王の一大宮殿は、それこそ黄金ずくめで出来ているのですぞ。
我々ヨーロッパ人が家屋や教会堂の屋根を鉛板でふくように、この宮殿の屋根はすべて純金でふかれている。
したがって、その値打ちはとても評価できるようなものではない。
宮殿内に数ある各部屋の床も、全部が指二本幅の厚さをもつ純金で敷き詰められている。
このほか広間といわず窓といわず、いっさいがすべて黄金造りである。
げにこの宮殿はかくも計り知れない豪奢ぶりであるから、たとえ誰かがその正しい評価を報告しようとも、
とても信用されえないに違いない。
マルコ・ポーロ『東方見聞録(2)』 東洋文庫 183 平凡社 1970年 p.130
253 :
世界@名無史さん:2010/08/26(木) 21:05:24 0
黄金郷ジパングと現実のビンボー日本との落差に吃驚した西洋人は
あんなのジパングじゃないやいとばかりに
日本の東はるかかなたに新たなる夢の島「金銀島」を想像し、
その発見のために次々と探検隊を繰り出した。
254 :
世界@名無史さん:2010/08/28(土) 23:17:01 0
オランダ東インド会社は金銀島を探していた途中に
現在の択捉島と得撫島を見つけて
それぞれ国家島と会社島と名づけた
なんちゅうネーミングセンスや
255 :
世界@名無史さん: