1 :
世界@名無史さん:
ローマ帝国、オリエント、中華に至るまで、
古代の民衆の生活について語るスレッド。
政治史の話題は別スレで。
2 :
ホットカルピス(;´Д`)ハアハア ◆cYCJOU0VTA :2009/03/23(月) 05:46:15 O
(;´Д`)ハアハア 動物の毛皮を加工して布にする技術はいつから存在したのだろうか?
3 :
重複です:2009/03/23(月) 06:02:23 0
4 :
世界@名無史さん:2009/03/23(月) 06:13:12 0
>>3 落ちてないのに立てちゃったかと思って、びっくりしたじゃんか。
5 :
ホットカルピス(;´Д`)ハアハア ◆cYCJOU0VTA :2009/03/23(月) 06:43:32 O
(;´Д`)ハアハア 古代→中世→近世→近代(産業革命=ずっと白人のターン)
近代以前は白人と言えども大したことはない
それを知ることは精神の安定につながる
古代に白人という観念はあったの?
少なくとも黒人差別はすでにあったろうな
8 :
ホットカルピス(;´Д`)ハアハア ◆cYCJOU0VTA :2009/03/23(月) 07:21:23 O
(;´Д`)ハアハア ギリシャ人は真っ裸(たまに腰に布きれ)で日光浴しながら雑談してた
戦争になると鉄の鎧を着て槍を持って敵を刺した
そして勝ったやつらを奴隷にして農業をやらせた
その繰り返しがギリシャ人の日常
以下ステレオタイプで古代に生きた人々を
想像するスレのはじまりはじまり
ではステレオタイプから外れてみよう
実は自然と調和したスラブ人の暮らしがおもしろい
そして基本的なスラブ人の古代生活に近いやりかたで生活している人々が
現代でも見られる地域がある
11 :
ホットカルピス(;´Д`)ハアハア ◆cYCJOU0VTA :2009/03/23(月) 09:50:19 O
(;´Д`)ハアハア 外れてみよう とか言ってる割りには具体的な生活にはまったく触れてないわけだが
12 :
世界@名無史さん:2009/03/23(月) 10:36:13 0
輸送は陸運ではなく海運が主流だった。
沿岸の地域には全土から物資が豊富に集まる一方で、
内陸の地域は遊牧や農耕によって自給自足の生活を営んだ。
旅行も徒歩ではなく船旅が基本であり、
自宅を出発した旅人が向かうのは決まって最寄の港町であった。
13 :
世界@名無史さん:2009/03/23(月) 15:52:37 0
中世ヨーロッパよりも古代ギリシア・ローマの方が優れていたというのは常識だ。
ついでに同時代のアラビアと中国。おそらくインドも?
14 :
世界@名無史さん:2009/03/23(月) 20:52:42 O
古代が優れていたのはヨーロッパだけ。
他の地域は停滞が続いていただけ
15 :
世界@名無史さん:2009/03/23(月) 20:57:03 O
海岸部の地域は発展していくが内陸部のゲルマンは未開な蛮族だったわけか
16 :
世界@名無史さん:2009/03/25(水) 07:23:53 P
____
/ \
/ ─ ─\
/ (●) (●) \
| (__人__) | 古代人は常に裸だったそうだお
\ ` ⌒´ /
/、. ` ⌒´ ヽ 王家の人達だけ服を着たんだお
/ , |
| ・ ・ ,| /
ヽ_| |丿
| |
| x |
17 :
世界@名無史さん:2009/03/26(木) 06:55:26 0
中国人とローマ人は服を着たんじゃないの?
エジプト人は全裸だったらしいけど。
18 :
世界@名無史さん:2009/03/26(木) 11:43:16 0
スパルタでは男子は生まれてすぐに両親から離されて集団生活をさせられた。
成人してからもそれは同じで食事はみんなでし寝る場所も同じ部屋だった。
結婚してからも夜は寮に帰らねばならなかった。
逆に女は比較的自由な生活を満喫していた。
19 :
世界@名無史さん:2009/03/26(木) 11:59:34 0
>>17 古代エジプト人だって服は着ていたよ
夜は気温が下がるんだから裸だったら風引くだろw
ピラミッド作ったり農作業やったりするときは半裸、
王侯貴族の正装も半裸、
というだけ
20 :
世界@名無史さん:2009/03/26(木) 12:00:19 0
>>10 ネットで論文読んでから興味持ったぞ<古代スラブ人
21 :
世界@名無史さん:2009/03/26(木) 12:04:34 0
>>18 アリストテレスは著書でスパルタを女尊男卑の悪政国家だと非難したらしいな。
孫引きだから具体的にどんな感じだったか解らないが。
22 :
世界@名無史さん:2009/03/26(木) 12:18:35 0
>>21 スパルタはガチムチ体育会系の社会だったから実質的には女が優遇されてる女尊男卑
な社会だったんだろう。
だから文化が何も発展しなかった。
そして当時最強だったローマには遠く及ばなかった。
結果消滅した。
23 :
世界@名無史さん:2009/03/26(木) 13:39:18 P
/ ̄ ̄ ̄\
/ ─ ─ \
/ (●) (●) \
| (__人__) | スパルタ市民は産まれながらの兵隊だお
\ ` ⌒´ / アテネ市民は産まれながらのニート(哲学者)だお
/ \
>>22 アリストテレスの頃のローマが最強って・・・
日本の弥生・古墳時代の服装も古代ギリシアやエジプトに通じるモノを感じる
26 :
世界@名無史さん:2009/04/01(水) 08:36:39 0
27 :
世界@名無史さん:2009/04/03(金) 19:26:02 0
頭蓋骨をわざわざ変形させるようなシャーマニズム的発想は、
古代世界に普遍的な現象だったのかな
アッシリアやバビロニアを破壊し尽くし、それらの高度な建築物を再利用せずに、自分達の文化度の低い未熟な町をつくった海の民の生活が気になります。
29 :
世界@名無史さん:2009/08/09(日) 16:41:49 0
海の民の町って遺跡で残ってるの?
32 :
世界@名無史さん:2009/08/28(金) 06:07:03 0
砂糖がなかったから甘いものは他のもので代用していた
服というよりは布といった方がイメージしやすい。
古代ギリシアとか布をからだに巻きつけてピンかなんかで留めるだけ。
つか結構どこもそんな感じじゃなかったっけか。
33 :
世界@名無史さん:2009/08/28(金) 06:09:34 0
シュメールでは先生がよく叱るので家に招いて贈り物をしたら次の日から叱らなくなった
みたいな話があるそうだ
ある程度のシステムが整ったとこであれば、基本あんまかわんないだろうなあ。
34 :
世界@名無史さん:2009/08/28(金) 06:11:51 0
>>2 なめし皮となるとここより考古学版をお勧めするくらい古いよ。
それとも毛織物の話かな?
35 :
世界@名無史さん:2009/09/08(火) 16:10:03 0
>>31 いつごろも何も2005年の書き込みだぞ。
36 :
世界@名無史さん:2009/11/23(月) 17:32:35 0
見栄えがよいので学者や作家からは都市民の豪華な生活が強調されるが、
農村の民は原始人と変わらない野蛮な生活を営んでいたのだろう。
>>29 海の民がそもそも特定できないから、もしかしたらすでに発掘中なのかもしれないぜ。
実際にレバノンかイスラエルじゃ、これって実は海の民じゃね?っていう遺跡もあるようだし
38 :
世界@名無史さん:2010/02/05(金) 00:14:24 0
古代人でも裕福な都市民は火の起こし方を知らなかった。
街の火種屋から蝋燭や松明を買っていたから。
>>33 古代シュメール面白いよな
楔形文字を習う為の学校があるんだが、
『学校の勉強ツマンネ』とか
『○○君、君は何故昨日学校をサボったのですか!』とか
学校跡から粘土板が見つかってる。
似たようなのはピラミッドの建築労働者の日記も残ってる
『あーかったりい、今日は作業に行くのやめよ』
『サボって飲むビール うめえ!』
『まじぃ監督怒ってるかな?(ドキドキ)まだ具合が悪いフリしてやりすごそう』
とか
マジ面白い
40 :
世界@名無史さん:2010/04/20(火) 20:04:10 0
>>39 古代エジプトの識字率って実は高かったの?
41 :
世界@名無史さん:2010/04/20(火) 21:31:30 0
>>39 古代エジプトのナンだったかに
「最近の若いもんはまったく・・・」とか愚痴が書いてあったとか
いつの世もかわらねー
それシュメールだったように記憶してた
>>40 古代にはいわゆる『国民』を対象とした学校が無かったから総じて識字率は低かった思います。
(古代ギリシャで、都市『市民』を対象としアカデメイアと言われる機関が学校の始まり』
シュメールでは主に商取引に関する記述を記録する為に楔形文字が発展したと言われていて、
楔形文字を記述する方法を学ぶ為の専門機関が有りました。
これは有力師弟などの一部の人間が通ってたようなので全体の識字率は低かった思います。
古代エジプトですが、いわゆる学校というものは無く、神官や各行政機関ごとに教育する部門が
有った程度でした。こちらもエリート階級や富裕層などの一部の人間しか学ぶ機会がなかった為
全体の識字率は低かった思います。
欧州に近代的な『学校』が出来てからの識字率の目安がだいたい10%以下ぐらい、
江戸時代中期を過ぎた頃の江戸での識字率が約80%ぐらい(これは江戸は武士が多かったから)
同時代の日本の全国平均が約20%ぐらいだったらしいです。
肝心な事書き忘れた
古代の識字率はおそらく1%前後いくかいかないかぐらいで、
一般の民衆はほとんど読み書きは出来なかったと思います。
古代では総じて識字率は低かったので、
読み書きの出来ないひとは必要に応じて出来るひとに頼みに行くのが普通でした。
上記のシュメールですと、
『○○日に牛5頭をxx氏からzzが金500で購入』こういう取引内容を書記が出来るひとに頼む訳です。
これを粘土板に彫り込んでお互いの署名を捺印して、筒状の封泥に収めて、
「確かに封印しました」との意味を込めて筒状の封泥にさらに印鑑を押しました。
後日、取引上のトラブルが発生した時に裁判の証拠として正規の取引内容がどうだったのか、
封泥を割って取り出して内容を確認しました。(後日の為に用意してた)
封泥を割らないと中身を改竄する事が出来ない為この契約習慣は広く一般化し、
契約内容を文章で記述出来る書記のひとの地位は高かったそうです。
(その為、有力師弟は高い金出して養成機関に通わせました)
>古代では総じて識字率は低かったので、
>読み書きの出来ないひとは必要に応じて出来るひとに頼みに行くのが普通でした。
>>39みたいのは?
>>45 39の上側は書記になる為の養成学校、一般の民衆って言うか金持ちのボンボンとか
貴族やらエリート階級の子息とかが通わされたものだと思います。
読み書き単語作文とか習っていましたので、
当時使われていた粘土板(ノートみたいなもの)偶然大量に発掘されました。
一般の人とはちょっと違う階級のひとでしょう。
39の下側は一般労働者ですから民衆側ですね、
全体の識字率が低かったとは言っても都市部ですとそれなりに集約しますから、
ある程度の教養人が居たのではないでしょうか?
日記を書いた人は一般の労働者ですが普通の労働者にしては教養があった方なのではないでしょうか。