【ギベリン】叙任権闘争【ゲルフ】

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28世界@名無史さん:2009/03/08(日) 13:08:15 0
以前ジェノヴァの通史読んだけど
ゲルフとギベリンの対立が多くてどうにかならんのかという感じだったな
29世界@名無史さん:2009/03/08(日) 19:23:43 0
ゲルフ派=教皇派の筆頭がゲルフ家で、ドイツの大諸侯だけど
女衒の家系なんだろ?さすが黒い貴族と同化しただけの大物だw
30世界@名無史さん:2009/03/08(日) 23:43:10 O
>>27
本当の理由は財政問題じゃない?
修道院の財産没収して、だいぶ懐があったかくなったんだろ、ヘンリー8世は。
31世界@名無史さん:2009/03/09(月) 00:19:22 0
カノッサの屈辱は聖女マティルダについて書かれた本を見れば一発
32世界@名無史さん:2009/03/09(月) 00:41:36 0
>>30
まあ何か一つに原因を絞るのはアレだが、
財政問題も大きな要因だろうな。
33世界@名無史さん:2009/03/09(月) 09:43:44 0
>>30
その没収した財産を時代遅れの要塞とか建てて使い果たしたんだよな・・・>ヘンリー[世
34世界@名無史さん:2009/03/09(月) 21:40:30 0
「黒い貴族」に関しては、別の人が別の本で詳しく書いていますが、
中世・近世ヨーロッパがギベリン派(皇帝派)とゲルフ派(教皇派)
という2大陣営で争っている間、カナン人の末裔はゲルフ派と同化していったそうです。
現在のイギリス王室(ウィンザー家)は純粋なアングロ・サクソンではないそうです。
ウィンザーという名称は1917年にイギリス王ジョージ5世によって採用されたものですが、
「ウィンザー」とは実は、ベニスの「黒い貴族」の最古の王朝の一つであるゲルフ家のことだそうです。
更に、20世紀初頭まで在位したヴィクトリア女王の血筋は、直接にゲルフ家にさかのぼることが可能だそうです。 

35世界@名無史さん:2009/03/09(月) 21:43:30 0
105 :世界@名無史さん:2008/05/30(金) 00:48:40 0
ハノーヴァー朝のヴィクトリア女王(イングランド女王・インド女帝)の
母方の血筋である、ゲルフ家について教えてください。
イギリス王室は純粋なアングロサクソンではないとどっかで知りました。
ベニスの黒い貴族って何ですか?


106 :世界@名無史さん:2008/05/30(金) 01:09:33 0
>>105
ゲルフ家は由緒ある女衒のでです。
有名な女衒第13代ムァンクォ・ゲルフはヴィクトリア女王の母方の祖父に当たります。
36世界@名無史さん:2009/03/14(土) 12:44:44 0
保守
37世界@名無史さん:2009/03/15(日) 01:03:09 O
叙任権闘争の話しなら、クリュニーの教会改革運動のあたりから話さないとじゃないか?
38世界@名無史さん:2009/03/15(日) 01:43:07 0
個人的にはカロリング朝の崩壊からかなあと
39勇者トンヌラ ◆CSZ6G0yP9Q :2009/03/25(水) 00:45:14 0
オットー大帝がドイツ諸侯の牽制に教会組織を利用したのが
そもそもの始まりでは無いでしょうか?
ザクセン朝〜ザリエル朝を経て、帝国教会が組織的に運用されていく中で
権威付けの為に行ったローマへの介入が仇となったかな、という印象です。

帝国教会の叙任権を完全に掌握している限り、原始的な官僚制はその後も
続いたでしょうから、ひょっとするとドイツが他国に先駆けて中世を脱し得たかも
知れませんね。
40世界@名無史さん:2009/03/26(木) 19:41:50 0
ヴェルフ家がイギリス王室と婚姻関係を結んで、その後1714年に
ハノーヴァー朝が成立したんだろ。

ヴェルフ家=黒い貴族
黒い貴族=カナン人
イギリス王室=ベニスの黒い貴族、ヴェルフ家の直系
41世界@名無史さん:2009/03/28(土) 19:57:16 0
42世界@名無史さん:2009/03/29(日) 02:03:57 0
↑工作員?
43世界@名無史さん:2009/03/30(月) 05:50:32 0
>>12
中世ヨーロッパにおいて、教会の建物や敷地や付属物などが俗人領主
の私的所有権の下にある私有教会があった。俗人所有権下にある修道院ことは私有修道院と言う。

私有教会制は、ゲルマン人の家父祭司制を起源とし、
古代のケルトやゲルマンの世界では、ゲルマン神話の司祭やケルト神話の
ドルイドの社会的役割は単に宗教的指導者にとどまらず、政治的な指導を
したり、公私を問わず争い事を調停したりと、ケルト社会におけるさまざ
まな局面で重要な役割を果たしていたとされる。
遺物や文献から、ドルイドの実態がおぼろげながら読み取れる。

カエサルの『ガリア戦記』によれば、ドルイドの社会的影響力はかなり
大きなものだったようである。
争い事を調停あるいは裁決し、必要があれば人々に賠償や罰金を課した。
ドルイドの裁決を不服とした者は、社会的地位や信用を失った。
ドルイドはこのような大きな権力を持っていたほか、兵役や納税を免除される等、特権的地位にあった。

キリスト教の神父や教会が裁判権や末端の行政権を担ったのはこの流れを汲んでのこと。
キリスト教が浸透すると、ゲルマン人の家父祭司やケルトのドルイドの代わりを神父が行った。
44勇者トンヌラ ◆CSZ6G0yP9Q :2009/03/31(火) 00:17:46 0
>>12
中世ヨーロッパにおいて、教皇権を伸張させた最も大きな要因のひとつは
教会組織を帝国の統治に活用していた皇帝の後押しによるものです。
ザクセン朝〜ザリエル朝の皇帝達は、強固なピラミッド式組織を持ち
かつ世襲の恐れがない教会組織を、広すぎる帝国の要地の代官として
設置して、諸侯に対する抑止力としました。

この抑止力を強化、安定させる為に、皇帝は自身のキリスト教的権威を
強化し始めます。丁度、ザリエル朝の頃より、皇帝はシャルルマーニュの
ローマでの戴冠の故事を強調し始め、同時に北イタリア、特にローマへの
介入を強めます。
果てにはローマ教皇の人事に介入して、腐敗していた教会組織の建て直しを
目指します。

ローマ司教座の安定が、ドイツ統治に寄与すると考えられて行われたであろう
この諸政策は、ローマ教皇の権威を大いに高めますが、高められた教皇の権威は
皇帝の介入自体に反発を始めます。
この反発が皇帝の聖職者の任命権の是非を火種にして、燃え上がったのが叙任権闘争であるのですが
そもそもが教皇の権威が皇帝の後押しによって確立されたものであっただけに
この闘争によって皇帝の権威が失われていくと、教皇の強力な指導力も分散していく結果となりました。
45世界@名無史さん:2009/03/31(火) 02:49:03 0
問題は教皇派のゲルフ家の家柄。女衒の家系なんだろ?
ドイツの大諸侯なのにマジ?って思う。
46世界@名無史さん:2009/03/31(火) 07:47:01 0
皇帝に娘嫁がせただけじゃん。
どんな与太本読んだんだか。

というか、現在のヨーロッパ貴族で10世紀まで
確実な系譜を辿れる家って、ほとんど無いんだよね。
47世界@名無史さん:2009/04/02(木) 18:58:28 0
ヴェルフ家はドイツの大諸侯であり女衒の家系。
だからこそ黒い貴族と同化した。
48世界@名無史さん:2009/04/08(水) 03:58:19 0
要は教皇と皇帝が権力争いをしてそれに便乗してた
貴族(諸侯)や都市商人、有力市民のいざこざだろ?
バカらしいw
49世界@名無史さん:2009/04/11(土) 00:47:42 0
>>48
そうだなぁ
一連の最終的な勝者は、諸侯だろうな
50世界@名無史さん:2009/04/25(土) 20:34:52 0
女衒?
51世界@名無史さん:2009/05/05(火) 02:55:46 0
保守
52世界@名無史さん:2009/05/06(水) 18:52:56 0
>>10
53世界@名無史さん:2009/05/25(月) 18:33:55 0
保守
54世界@名無史さん:2009/05/26(火) 00:45:18 0
最近の「チェーザレ」でなぜかカノッサの屈辱の話やってますね。
55世界@名無史さん:2009/05/26(火) 02:10:04 0
たぶんあそこで出てきた女の人がトスカーナのマティルデだと思うんだけどなんか扱いが悪いな
カノッサの址も戦い続けたのはマティルデだけなのにな
56世界@名無史さん:2009/06/06(土) 16:08:07 0
保守
57世界@名無史さん:2009/06/07(日) 01:04:48 O
皇帝が謝罪に来た時もカノッサで本来はローマにいなければならない教皇と人妻であるマティルダが不倫の真っ最中

それよりずっと以前からマティルダは夫君がいるにも関わらず、教皇を自分の城に招くと
夫君を追い出し、何日間も教皇と二人だけで寝室に閉じこもる
夫君は自分の妻と教皇の不貞に気づくが
抗議しようにも中世ヨーロッパで絶大な権力を持つ教皇を相手にできず
哀れな夫君は郷里に追放され
その上、不貞事実をこれ以上公にされたくない教皇の刺客に謀殺される
希代の悪女と破戒僧でしょマティルダと教皇は
58世界@名無史さん:2009/06/13(土) 17:01:26 0
>>16
専門家の書いた中世ヨーロッパ史の本を一冊くらいは紹介してもらわないと
59世界@名無史さん:2009/06/13(土) 17:14:43 0

>>1

一橋大の解答よめ

60世界@名無史さん:2009/07/11(土) 03:09:15 0
叙任権闘争で、ゲルフ派が勝利した事で今の欧州になってしまった。
欧州と世界に取って、黒い貴族とヴァチカンはいらない。
61世界@名無史さん:2009/07/18(土) 22:18:48 0
>>57
はて、マティルデの夫君ゴドフロワ4世は「カノッサの屈辱」の
前年に亡くなっていますが。この昼メロみたいなプロットは?
62世界@名無史さん:2009/07/19(日) 05:23:05 0
叙任権闘争と呼ぶかグレゴリウス改革と呼ぶか教皇改革と呼ぶか。
まずそこらへんから考えんとね。
63世界@名無史さん:2009/07/24(金) 01:41:49 0
叙任権闘争で、ヴェルフ派(教皇派)が勝利した事でヨーロッパは暗黒時代に
なってしまった・・・

黒い貴族、メディチ家(銀行家)=ベネチアの黒い貴族のせいだ。
64世界@名無史さん:2009/07/24(金) 06:40:54 P
メディチ家はベネチアの貴族なのか。初めて知った。このスレは勉強になるなあ。
65世界@名無史さん:2009/07/24(金) 10:29:40 0
>>62
グレゴリウス改革に一票
66世界@名無史さん:2009/07/24(金) 19:49:40 0
ベネチアの黒い貴族=メディチ家。
ローマ教皇にメディチ家の人が2人くらいいたはず。
教皇派はヴェルフ(ドイツの大諸侯ゲルフ)、皇帝派はギベリン(城の名前)

イギリス王室は黒い貴族の末裔
メディチ家とヴェルフ家の同化 ヴェルフ家の分家の分家がハノーヴァー家
ハノーヴァー家は1714年にイギリス王室を継承
ウィンザー家はそのハノーヴァー家の直系
67世界@名無史さん:2009/07/31(金) 11:21:26 0
>>66
それなんの資料の丸写し?
68世界@名無史さん:2009/08/24(月) 21:24:48 0
保守
69世界@名無史さん:2009/08/31(月) 19:34:21 0
マチルダ女伯に萌えるスレはここですか?
70世界@名無史さん:2009/09/04(金) 20:01:22 0
ヴェルフ家はヨーロッパ最強の大諸侯
71世界@名無史さん:2009/09/04(金) 21:49:04 O
>>70
俺はアンジュー家だと思うが
72世界@名無史さん:2009/09/05(土) 22:56:13 0
女衒!女衒!女衒!手配師!手配師!手配師!
73世界@名無史さん:2009/09/25(金) 21:50:50 0
ハノーヴァー家=ゲルフ家。
74世界@名無史さん:2009/10/22(木) 10:14:00 0
良スレ、保守。
75世界@名無史さん:2009/12/20(日) 14:41:00 0
「コンスタンティヌスの寄進状」について誰か簡単に教えてくれませんか
もしくはいい本などあったら紹介お願いします
(wikiは見ましたがどう活用されたのかよく分かりません)
76世界@名無史さん:2009/12/20(日) 19:39:59 O
>>71
何番目のアンジュー家?
77世界@名無史さん
南北朝の争いに似ているところがある