1 :
世界@名無史さん:
どちらも時には冷酷な方法も使い内乱状態にある国を統一しようとし、
最後は非業の死を遂げたがどっちが凄い?
2 :
武士:2009/01/24(土) 00:31:56 0
武士のほうが凄いのは基本
この比較なら明らかに信長だろ。
チェザレは教皇のバックがなくなった途端にゴミと化して
ナバラでのたれ死にしたんだから
でもさ、
>>1市ね
4 :
世界@名無史さん:2009/01/24(土) 01:35:16 O
チェーザレって何故か有名だよね
漫画化されてるし
5 :
世界@名無史さん:2009/01/24(土) 01:41:03 0
塩野の影響か
>>3 チェーザレの没落の原因は教皇の死じゃなくて
教皇が死んだ時に自分もちょうど瀕死の重病でなにも手を打てないまま
敵対勢力に拘束されてしまったところなんだけどな。
チェーザレって誰?
俺が知らないので、よって信長の勝ち。ダンゲン!
8 :
世界@名無史さん:2009/01/24(土) 10:57:49 O
信長の圧勝
世界の名著、マキャベリの君主論のモデルとして世界的知名度があるのが強みだな>チェーザレ
信長はマキャベリほどの国際的筆名のある著者に恵まれていないのがハンデ
チェーザレの方がハンデでかいやろ。
朝廷と教皇。
伝統的権威を利用しつつ手なずけていくていう課題はどっちも共通だが、
教皇庁の方が後々めんどくさいやろ。
フィレンツェ、ヴェネツィア>>>>>>堺
障害となる中世的自治都市の強さが段違い。
信長には外部の列強の介入ていう要因がない。
対してチェーザレは、スペイン、フランス・・・・
こういう大勢力をむこうぶちにしてイタリア統一しようてのは並大抵のことやないで。
15 :
世界@名無史さん:2009/01/25(日) 00:00:48 O
戦国時代みたいに諸国が分裂してたのって当時はイタリアくらい?
分裂しているが一定のまとまりがあるのはHRE
17 :
世界@名無史さん:2009/01/25(日) 00:51:17 0
中ザレってどんな有名な戦争あるの?
18 :
世界@名無史さん:2009/01/28(水) 19:07:37 0
マジョーネの乱
19 :
世界@名無史さん:2009/01/30(金) 22:45:32 0
信長の圧勝
チェーザレの判定勝ち
サゲ
22 :
世界@名無史さん:2009/01/31(土) 11:45:56 O
この二人は似ているね
>>9 近くにマキャベリのような奴がいても、信長を理想の君主だと評価するようなことはなかったろう
24 :
世界@名無史さん:2009/01/31(土) 16:51:21 O
当時のイタリアに信長がいたら統一に成功していただろう
当時の日本にチェーザレがいても桶狭間で戦死していただろう
信長にマジョーネの乱を乗り切れるんだろうか?
あせって動いて滅ぼされる気がせんでもない。
26 :
世界@名無史さん:2009/01/31(土) 17:43:36 0
信長があせったのは朝倉攻めの時くらいか
桶狭間なんかもあるが、たいてい慎重の上にも慎重で動く時一気に動く
自軍の5倍の兵力を持つ海道一の弓取りに、チェーザレごときが太刀打ちできるわけがない。
桶狭間は、信長だからこそ成し遂げられた奇跡である。
確かに奇跡だよなー。
先陣と思って突っ込んだら今川本陣だし大雨もふるし。
「天下布武」と「Aut Caesar, aut nihil」どっちが凄い?
まあ、両方とも目標達成に失敗しちゃったという点は似たり寄ったりなわけだが
美人の妹がいて、近親相姦疑惑があるところも似たり寄ったり。
32 :
世界@名無史さん:2009/02/05(木) 21:46:33 O
信長とお市にそんな疑惑あったっけ
33 :
世界@名無史さん:2009/02/05(木) 23:04:06 0
妄想だろw
どちらも「疑惑」だからゴシップレベルだが、そういう説はある。
あくまでゴシップ、くだらないという但し書きがつくことをお忘れなく。
『信長公記』には信長を描写する際に「うつけ」「たわけ」という言葉を用いている。
(「うつけ」は二度、「たわけ」は六度使われている)
で、「たわけ」は斉藤道三の家臣からの評価として使われているんだね。織田家家臣や
尾張の領民は「うつけ」とは言うが、「たわけ」とは言ってない。『信長公記』中ではね。
この「たわけ」にはもともと「みだらな行為をする者」という意味があった。
『古事記』の時代からね。調べればすぐにわかるよ。
用例をみると、アブノーマルなセックスに使われているケースが多い。近親相姦とか
獣姦とかのね。
つまり斉藤の家臣は信長はアブノーマルなスケベだと非難してるわけ。
信長の好色は昔は有名で、だから近親相姦疑惑もあった。
今のようにばかげた虚像もなく、「天下人になりそこねた武将」という評価だったから、
このようなマイナスイメージも語られていたんだよ。
それから俺は信長とお市に近親相姦疑惑があるとは一言も述べてないよ
信長には沢山の姉妹がいたことをお忘れなく
信長でもチェーザレ以上に勢力伸ばすのは無理があったろうな
教皇領の僭主連中は兎も角、そこから先のフランス・スペイン・ヴェネツィアの相手は物理的に難しい
チェーザレの腹案としてはスペイン・ヴェネツィアを味方につけ、
それまでチェーザレの味方だったフランスをたたき出して
フランスの影響下にあったイタリア領を手に入れる算段だったとか。
結局実現の前に事件が起きるわけだけど。
もしこれが成功したら今度はスペインと組んで相対的に力の弱いヴェネツィアを従え
最後にスペインをたたき出すつもりだったのかな?
曲芸みたいな戦略案だよなあ。危ない綱渡りだ。
スペイン・ヴェネツィアを血祭りにあげるはいいが、奇跡的成功後に両国が抑えていた
神聖ローマ帝国やオスマンさんと愉快な海賊たちが雪崩れ込んで来そうw
そう考えると、閉じた日本列島で地方政権を相手していればよかった信長はまだ救われてたな
スタートはチェーザレの方が信長より圧倒的に有利なんだよな
ダディが教皇だし、おっかねえフランスさんが後ろ盾になってくれるし
ただ勢力がある程度大きくなると、行動の自由がある信長の方がやりやすかったろうな
>>39 そうでもないよ。
教皇がバックにあると言っても軍事力はたいしたことない。教皇領はばらばら。
しかも政治軍事は兄ホアンの役目で、チェーザレははじめは聖職のコースだったよ。
はじめから武家の嫡男だった信長に比べ、ハンディは大きいぞ。
無理矢理当て嵌めるなら熱田大宮司の千秋家の庶子が尾張を統一しようとするものだ。
千秋家はそこそこの軍事力はあったけどね。
お互いマイナス要素を並べればキリがないが、すくなくともチェーザレが圧倒的有利とは言えない。
毛利水軍とヴェネチア海軍はどっちが強いの?
辺境の島国の地方政権の雇われ海賊と比べたら可哀想だろ、ヴェネツィアがw
別に辺境=弱いというわけではないと思う。
イギリスだって西の辺境の島国だけど、産業革命起こして世界の大部分を征服したしな。
文明の十字路の中央アジアなんて辺境の異民族に蹂躙されてばかり。
辺境ゆえに強大になることもあるしな。
マケドニア、秦、楚など。
ローマだって当初はギリシアやカルタゴから見れば田舎者だった。
46 :
世界@名無史さん:2009/02/11(水) 10:39:45 0
重商主義とか残酷な割に兵の規律を重視するとか
似通ってる面は確かにあるけど
その人間の先と後どのように時代が変わったかを考えると
チェーザレは信長の足元にも及ばないと思うが
秀吉と家康の手柄を臆面もなく吸い上げる信長儲の厚顔無恥には足元にも及びそうにない
48 :
世界@名無史さん:2009/02/11(水) 11:11:26 0
>>47 手柄を吸い上げるって、オマイ...
指揮官が人参と鞭で駆り立てた成果をもとに、さらに死ぬまでこき使うことのどこが「吸い上げる」になるんだよ...
>>48 そういう意味じゃないだろ。
>>47がいいたいのは
信長は本能寺で死んで天下崩壊してるんだから
その後秀吉や家康が天下を統一して新しい時代を作ったのを
信長の手柄にするのはおかしいといってるんだろ。
実際秀吉も家康も信長に譲ってもらったわけじゃなかったし
秀吉がいなかったら旧織田領が内部分裂して泥沼になってた可能性高いし。
50 :
世界@名無史さん:2009/02/11(水) 11:33:49 0
>>49 そりゃあ、時系列が逆じゃないかねぇ。w
秀吉と家康が、信長後の権力を奪取して継承し、その後の社会を作ったことで、
なんで信長が厚顔無恥と言われなきゃいけないんだよ。w
そもそも秀吉は信長の権力をもとに自分の方法で「秀吉時代」を作った訳だし、
信長の理想を継承してなどいない。家康など言わずもがな。
結果から見てあたかも
信長 → 秀吉 → 家康
と言う方向に時代の流れが収斂したように見えるが、実際は偶然そうなっただけ。
先駆者があとから来たヤツの手柄を取るなんて理屈は変だろ?w
>>50 だから勘違いしてるよ。
>>46いわく信長が時代を変えたんだそうだ。
だが結局のところそれは後に秀吉や家康が出たからそうなっただけ。
>>47の人もも言ってるけど、秀吉や家康の手柄を吸い上げて信長の手柄にしようとする
信長信者が厚顔無恥、って事だろうよ。
加えて信長が秀吉の主君、家康の「主君」だった、というだけで無条件に信長を彼らより上に考えてるしな。
実のところ信長の軍事政策は他の戦国大名とそんなに差異はないし、
秀吉の政策と信長のそれはそんなに連続性はない。
53 :
世界@名無史さん:2009/02/11(水) 12:40:21 0
信長が世の中を変える契機になったというのは間違いない。
しかしそれで必要にして十分だ。
むしろ信長がそのまま進んだ方が良かったのか、あの時点で
秀吉や家康に代わって行った方が良かったのかが検証のポイント。
少なくとも当時の流れでは「代わった方が良い」という選択だった。
そして信長を必要以上に評価しないのと同様、それを実際に
行った明智光秀の行為も、それだけで必要十分だったということになる。
>信長の軍事政策は他の戦国大名とそんなに差異はない
>秀吉の政策と信長のそれはそんなに連続性はない。
世界史板で日本史の議論をする気は全く無いが↑って何を読んでそう思ったのかソースを教えて欲しい。
一連の書き込みがトンデモ論なのか、俺が社会人に成ってから十年経った現在こういう流れに成っているのか判断できないので、面倒な手間を取らせて申しわけないが教えてもらえないだろうか。
>>54 別人だが答えてみようか。
今まで信長の革新的政策といわれたものの多くが他の有力戦国大名が
既に先に行っているものだった事、もしくは虚像だった事が明らかになっている。
楽市楽座、宗教政策、兵農分離、鉄砲の使用、中央集権などなど。
これらにおいて信長の傾向は他の有力大名たちと同様の傾向を示しており、
部分では後退的なところもみられるほど。
これらについて大きな変化というか影響が見られるのは秀吉から。
まあ秀吉は天下を取ったからよりダイナミックな政策を全国規模で行えるのは
自明な事だけど。
>>54追記
ああ、資料を知りたかったのか。
手近な所では「日本の時代史13 天下統一と朝鮮侵略」を見るといい。
信長の政策と他の大名の比較、そして秀吉の政策について述べられている。
>55
早速の回答ありがとう。
でも私が知りたいのは、信長・秀吉の行った政策の全体像が誰にも把握できていないという閉塞状況が打破される革新的な論があったのかという専門的な話であって、
その程度の認識にコメントする気は無い。邪魔はしないから続けてくれ。
>>57 なにやらいきなり高圧的だな。
知りたければ答えられるものなら答えてあげるけど。
>>55にあるもので何かしりたかったらあげてみて。
てか最近は織田の書状数が異常に少ない事から
小田原北条のほうを代表的戦国大名と見る見解が多いな。
今まで信長が革新的な政策を行った、とされてきたけど
それは虚像だったわけで、新たな資料もろくになく当時の状況から見ても
信長が特に不可解な政策を行った形跡がまるで無い事から
全体像が把握できてないも何もないんじゃないかと思うが。
全体像もなにもなあ…。
ムー大陸とかアトランティスみたいなもんだよね。
何か巨大なものがあったという事が前提にあるから
その想像や前提と比べて酷く地味な現実の信長の資料から導き出される結論に
目を背けてる。いくら探しても見つからない信長の革新性とやらを探そうと躍起になり
結局見つからない事で、まだ全体が把握されてないんだと、いつか解明されるのだと
結論を後に送る。
60 :
世界@名無史さん:2009/02/11(水) 14:14:30 0
全体像というならやはり「南蛮人の来航」ジャマイカ?
日本という国は他国から離れているから外圧がないといつまでも中でグータラグータラしている。
信長のやったことは既に他の大名がやっていることが多いが、かつこれも最初ではないが
南蛮文化の流入は当時の多くに意識されたことだろう。
加えて「キリスト教」の伝来。
これは日本にとって古代に仏教が伝来したのと同様のショックだったはず。
時代が急速に動いたのはそういうことだろう。
逆にいえば、グータラしていても本質的な意味で引っぱたけばシャキっとして動く国民性だとも言える。
61 :
54:2009/02/11(水) 14:15:45 0
>なにやらいきなり高圧的だな
つー鏡
>知りたければ答えられるものなら答えてあげるけど
55?だったら必要ない
>最近は織田の書状数が異常に少ない事から小田原北条のほうを代表的戦国大名と見る見解が多いな。
代表的戦国大名の意は不明だが二、三十年前でもそれは基本
私の知りたいソースは出てきそうにないので、もうけっこう。
スレ汚しスマソ
>>61 なんか随分ぴりぴりしてるみたいだね。
>>56見てみたら?信長と他の戦国大名の政策の比較、そして秀吉の政策について
わかりやすく述べられてる本を紹介しといたから。
編者は池享氏。
であれば、出された書籍でもこの間に読んだとでもいうのだろうか。
ただのわがままだった訳だ。
本当にスレ汚しだったなw
教えて君のくせに、情報を提供されても感謝せずに、
その程度だの、必要ないだの高慢に悪態をつくばかりで笑える。
そいつのような信長儲を俺は厚顔無恥と言った。
間違っても信長本人ではない。
学生時代にこの時代を専門にしてたのかもしれませんね。
僕は二三十年前から「歴史読本」などの雑誌や教養書を読んでるけど、
すくなくとも一般教養レベルでは、後北条の支配体制は古い、というのがその頃からの主流でしたから。
専門家と一般教養レベルでは十年二十年の差はつくこともありますからね。
もしかしたら彼の周囲では二三十年前から既に今のような解釈をしていたのかも知れません。
そんなばかな。
しかし革新的な論だとか、全体像がつかめてないとか、閉塞状況だとか
かなりおかしいんだよな。
>>54の人の主張。
文化・芸術史からすると、後世への影響度は信長の方がチェーザレより上かな?
ダ・ヴィンチにさせようとした仕事が形になっていたらいい勝負だったんだろうが
70 :
世界@名無史さん:2009/02/20(金) 14:58:30 0
54は馬鹿な信長厨なんだろ
死ね
>>69 > 文化・芸術史からすると、後世への影響度は信長の方がチェーザレより上かな?
なんで?
72 :
世界@名無史さん:2009/02/22(日) 23:49:06 0
結局、チェーザレのことを知らない方ばかりで、議論になっていないと
いうのが結論だな。残念。
信長の「国取り」とチェーザレの「国取り」ではやってることが違う
西欧の、とくに内外多数の国の思惑が絡み合った複雑極まる情勢のイタリアでは、
とにかく大義名分がなければなにもできない
王国を作りたければ王権をどこからか仕入れてこなければならないし、
他国に攻めこむにもなにかしら挙げ足を取らなければならない
攻めこんで倒して君主の座につきましたとなっても、民衆の評判が悪いと
それだけですぐさま外国が連合して干渉する口実になる
あの時代のイタリアでの戦争とは、8割方は政治だ
事前の政治的根回しであらかた事は決する
だから、チェーザレが実際に武力で相手を凌駕して攻め落としたケースは多くない
陰謀策謀で相手を孤立させたり、政略結婚を利用して併合したりと
そういう国際情勢を読み、コントロールする能力に誰より優れていたからこそ、
いまだそうなっていないにも関わらず、
イタリアはチェーザレの支配下に陥ると誰もが確信したんだ
74 :
世界@名無史さん:2009/02/23(月) 07:05:16 O
チェーザレの成功なんてほとんど親父の七光りじゃん
教皇の力でイタリアを制覇できるなら、それ以前の教皇がとっくにやってる
アレクサンデル6世以前の教皇庁というものがどれだけ
イタリア各国の勢力均衡策の下で抑圧されてたかを知らなければ話にならない
無論、ロドリーゴボルジアの政治能力は優れていた
だからボルジア父子は常に1セットで語られるんだ
ただし、チェーザレは父親の死後に軸足を移動する方策は立てていた
チェーザレが没落したのは、父親の死に際に
自分も瀕死で立てていた方策を実行に移す前に実権を失ったからだ
76 :
世界@名無史さん:2009/02/24(火) 07:37:35 0
>>73 んなもん戦国も同じだよ、信長もはじめ将軍を擁して大儀にしたし(後で捨てたけど)
信長や秀吉の戦い方は謀略外交の工作が8割方で
全然違うんだが、これをイタリア情勢と歴史背景をまったくしらない人間に説明するのは無理だな・・・
武力と政治の関係そのものが日本と違うというか
日本は海に囲まれてるから、内乱に介入してくる外国がない。
これだけでも随分違う。
そもそもイタリアは傭兵を使った戦争ゴッコの歴史が長い
戦争はあくまで「金があるほうが勝つ」ゲームであって、
重要なのはあくまで政略、ヨーロッパで最も政治的と言われる
イタリアの都市国家群が、蛇蝎魔蝎の如く政争を繰り広げるのが
15〜16世紀イタリアの「戦国」なんだ
中心に陣取るローマの存在が、関係をいっそう複雑にしている
ボルジアの時代にはさらに、シャルル8世の侵入に始まり
フランス、スペイン、神聖ローマのイタリアに対する領土的野心も
露骨になってきてもう滅茶苦茶
この中で、利用できるものはすべて利用して
どの国どの勢力をも黙らせる政治主導権を握ったことがチェーザレの業績
チェーザレを語る場合、教皇庁と時代背景も
説明しないといけないんだよな。
時代背景は
>>79の通りでイタリアは傭兵集団を駆使した
政治の為のゲームのような戦争が主だった。
そして教皇庁も一見すると領土が大きくてそれなりの軍事力がありそうではあるが、
実際はその中で地方をおさめてる諸侯たちが己の好きなように振る舞い潜主といわれ
教皇庁の武力は無いに等しかった。政治的影響力と権威はあったが。その意味で日本では戦国時代の
天皇や足利将軍に近いか。
自前の大兵力を持つフランス軍にローマまで蹂躙されて以降、当時の教皇であるボルジアは
この状況の打開を模索するようになる。
これがチェーザレが動き始める背景となる。
チェーザレは自前の武力をもたない教皇庁を背景にしていた為、まずは自前の武力を調達する所から
はじめなければならなかった。そこで大兵力を持つフランス王を籠絡し、そこから兵力を借り、
金で集めた傭兵とあわせて教皇庁の重要地域にして僭主達が横領支配するロマーニャ地方の攻略に乗り出した。
チェーザレ自身が教皇の私生児であった事もあいまって周囲の反発は強く、
チェーザレの征服活動は激しい抵抗にあちこちで遭遇する。
チェーザレがろくに兵を持ってなかった状態で配下の諸侯達が大軍で離反したマジョーネの乱は信長で言えば本能寺みたいなものか?
チェーザレはこれを様々な詐術を使ってだまし切り抜け、最終的に裏切った諸侯達を皆殺しにし
教皇領を完全に掌握することに成功した。そこからチェーザレはイタリア全土の統一に乗り出し着々とその実現に向けて動くのだが
そこで流行のマラリヤに父ともどもかかってしまった事で転落が起きるわけだが。
チェーザレのやった事は日本戦国時代でいえば足利将軍や天皇の庶子がどこからか武力を調達し
日本の中枢部を支配したのに等しい。
そもそもイタリア情勢も知らないやつがここにいるほうがおかしいだろ
世界史板だぞここ
日本厨に懇切丁寧に説明してやるこたあない
>>78 それ、海に囲まれてるからじゃないだろ。
イギリスは海に囲まれてるけど、内乱に外国が介入してくることなんて普通。
イタリアだってスペインとかは海を越えて介入してるわけだし。
アジアでもインドネシアは海に囲まれてるにもかかわらず、内乱に中国の介入を許してるし。
イギリスの場合は大陸との海岸がとにかく近いからな。
ドーバー海峡とかテレビタレントが泳いで渡ってるくらいだし。
日本の場合は遣唐使も命懸けだったよ。
インドネシアは島伝いにいけるし、イングランドは他の人が指摘した通り。
スペインからイタリアへの海路は、昔から航路が開発された地中海だからね。
カエサルがブリタニア攻略をした時潮の満ち干に驚いたくらい。つまり地中海には満ち干がほとんどないんだな。
日本が外国の介入を招いたのは、古代は不明だが、外海を渡航できる産業革命後だ。
やはり海に守られていたんだよ。
>>82 海に囲まれてるからじゃない、とするなら、他に何が要因だったと考えてるのか教えてくれまいか。
イギリスの場合、大陸からスコットランドとかにも介入されてるんだから、距離は理由にならない
それに、日本の方は海越えて新羅、高句麗、百済の朝鮮半島の内乱に介入してるだろ
>>85 日本の内乱に中国や朝鮮を引き込もうとする日本人がいなかったからだろ
日本海を渡るのとドーバーや地中海を渡るのを同じに考えてる奴がいるのか?
勘弁してくれよ…
>>88 世界史板の住人なのに、イギリスに介入した国は全部ドーバー渡ったと思ってるの?
距離じゃなくて海流の問題なんですけど…
英仏海峡はもとより、ノルウェースコットランド間も海流の死角になっていて
地中海ほどではないにせよ渡航は日本海より段違いに楽なんだよ
ま、渡りやすい海には必ず航路ができるからな
商用ならなんとしても渡れさえすればひとまずはいいけど、
軍団を渡すには相当に太い航路が必要だ
なにせ数%が沈んで上陸地点もバラバラじゃ戦争にならないし、
荒れる航海は兵士の体調を崩す
病人さえ出て著しく戦意を削ぐ
じゃあ、古代の日本が白村江まで数世紀にわたって朝鮮半島へ介入し続けたの何なの?
物凄く高度な航海技術を持っていたってこと?
何百年も継続して軍勢を送り続けたなんて事実はないが?
なんの話してんだ?
英仏間ほど容易に日本海を渡れたら、
日本と大陸の間では数倍の頻度で戦争が起きたろうな
何百年も継続して軍勢を送り続けたなんて事実はないが?
何度言わせるんだ
あれは軍事遠征ではなく植民に近いな
それも日本からの進出と言うより、
環日本海的な活動領域を持つ地方豪族が存在したという雰囲気だ
話がずれてる
そもそもイギリスが島国であるにもかかわらず大陸から無防備かと言えば
そんなわけもなく、当然渡海には相応の困難が伴い海岸線での防衛も相応に可能だ
水というのは海にしろ川にしろこの上ない軍事境界になる
日本とイギリスの差は程度問題に過ぎない
ただの一説(しかも有力ではない)を必死にググってきて
「現実」とか言っちゃう子って…
議論で不利になったとたん相手の人格攻撃しだすのは良くないよ
日本側が5〜7世紀にかけて艦隊を編成して遠征を行ったのは2度か3度だな
それも5世紀のものについては統一的に確立された
いわゆる大和政権によるものであるかどうかは不明、というかまず違う
これについては日韓の言い争いがあるからこれ以上の追及はここでは禁止
ネトウヨが寄ってきてウザイ
日本海を渡るのが「困難」だと言ってるのを
「不可能」と取ってわめいてるのがそもそも間違い
渡ろうと思えばそりゃ渡れる、けど英仏海峡ほど気楽には渡れない
それだけの話なのになにかが気に入らなかったんだねこの子は
>>103 渡ろうと思えばそりゃ渡れるだから、日本の内乱に外国が介入しなかったのは海のお陰じゃないだろ?
抵抗にならないとでも思ってんの?
>>104 地続きだったら間違いなく介入されてるだろアホですかアホなんですね
中華王朝がゴビ砂漠越えたり、スリランカにまで介入してること考えれば、
日本の周囲の海なんか何の抵抗にもならないよ。
支那にしろ日本にしろそうなんだが、海軍力が大したことない
つまり海を挟んで継続的に戦争を行えるだけの能力がない
これは歴史が証明する真実なんだが、海上戦力と言うのは
平時にも積極的に海に出ていく習慣がないと育たない
海に出ていくというのは漁業のことではなく交易と、交易船を狙う海賊のことだ
もちろん日本海をまたいだ交易というのもあるし、倭寇なんてものも存在したが、
ヨーロッパ周辺の海の活気は日本海の比じゃない
日本海周辺の人類の海上進出の度合いというのは、ほとんど無いに等しいんだ
その大きな原因となったのが、航海が困難な日本海の性質にあるのは間違いない
海が抵抗にならないとか言ってる奴は軍事的に無知すぎるからとりあえず黙れ
どれだけ強大な国だろうと海を渡るのは大変なんだよ
現代の船を基準に考えてるんじゃないの
動力があれば問題の大部分は距離に帰すことができるけど、
風任せ波任せの船では、海流と天候が荒い海を隔てた先はもう異世界なんだよ
日本海も春から夏にかけては穏やかになるから、この季節なら渡れる
けど秋には台風、冬は季節風で渡航は正気の沙汰ではなくなる
遠征には、この長すぎるオフシーズンが大変なデメリットになる
船の数は無限ではなく、渡ってしまえば補給は現地頼みになるからだ
白村江のときも3年に分けてようやく4万弱の兵員を渡したな
それも半島側に足がかりがあったからできたことで、
全くの敵地への遠征ではこうはいかなかった
元軍の苦労がどれだけのものかもわかるってもんだ
秀吉もよく16万も送ったもんだ
それだけ戦国期の日本全体に資金が有り余ってたってことだなあ
それも朝鮮行でかなり使い果たしたけど
>>110 前近代の戦争では、補給は基本現地頼みだよ。
特に陸路侵攻した場合わね。
海を渡って侵攻した場合は、陸運をは比較にならない船の輸送力を利用できるけど。
秀吉の朝鮮出兵では最大10万以上の大軍が海を渡り、7年間も半島に居座り続けてる。
同時代のオスマン帝国もこのくらいの動員力があったけど、陸路の侵攻では糧量不足からもっと短い期間で
作戦を切り上げて帰還しないといけなかった。
>>113 陸路を行った遠征での現地頼みとはわけが違うぞ
背後には渡航不能の海しかないんだから、
万一兵糧尽きても撤退できない
というか、水軍の充実した秀吉の時代には既に、
季節外の渡航もある程度は可能になってたからな
冬季に補給船を渡すくらいならなんとかなったし
116 :
世界@名無史さん:2009/02/27(金) 20:26:21 0
117 :
世界@名無史さん:2009/03/11(水) 00:29:12 0
age
118 :
世界@名無史さん:2009/03/11(水) 01:03:53 0
チェーザレなんて信長とは比べ物にならない、親の七光り
119 :
世界@名無史さん:2009/03/11(水) 01:13:39 0
わざわざクソスレageて同じ話題をくりかえすなよクソ
>>1
アドリア王国で我慢しとけばよかったのに、チェーザレ
乱世に生まれて、謀略でのし上がった者は現状に満足するってことを知ることはない。
パパの勧め通り、
ロマーニャ地方とその周辺合わせたアドリア王国作って
その王になっとけば
パパが死んだ後にユリウス2世が即位しても
手出しはされないで安泰だったと思うんだけど、どうだろ?
124 :
世界@名無史さん:2009/06/02(火) 21:25:29 0
125 :
世界@名無史さん:2009/06/02(火) 22:57:22 0
信長厨は戦国板にお帰り
>>123 教皇領の目の上のたんこぶには違いないし、なによりそこって教皇領とされてる部分もけっこう含まれてるからどのみち手出しされるんじゃね?
中伊だから北伊と南伊の両方を抑えようとする勢力にも狙われるし
5歳年下の19歳お姫様と結婚
12歳年上の37歳女傑を強姦
パパの病気はしょうがないだろ
運がなかったってことで
家来に舐められなかったチェーザレに一票
ho
sh
131 :
世界@名無史さん:2009/09/01(火) 11:36:43 0
■■織田信成が織田信長の子孫って本当?■■
1 :氷上の名無しさん@実況厳禁:2009/08/29(土) 17:48:08 ID:Du7ELlvd0
めちゃくちゃ胡散臭いんだけど
だいたい何百年も前の人間の子孫だってどうやって証明するんだよ
家系図もいくらでも捏造できるし、織田という苗字だっていくらでもいるし
その苗字も後で名乗ったものかもしれないしな
天皇家や徳川家なら時代が近い分まだ信用できるけどな
織田家なんてちゃんと存続してるかどうかも怪しいってのに
あと親戚中『信〜』って名前をつけるとか
いやらしいにもほどがあるw
本人達もことあるごとに『織田の子孫』って自慢するし
どんだけ面の皮が厚いんだか
俺には詐欺師にしか見えない
皇族の名をかたる詐欺師によく似てるわ
http://hideyoshi.2ch.net/test/read.cgi/skate/1251535688/
132 :
世界@名無史さん:2009/10/31(土) 00:55:26 0
133 :
世界@名無史さん:2009/10/31(土) 10:55:21 O
チェーザレは塩野
信長はKOEI
彼等がマンセー美化し過ぎ
134 :
世界@名無史さん:2009/10/31(土) 15:59:46 O
塩野は信長も天才だとしてるね
それとやはり井沢だろーな。コーエーが火をつけて井沢が広めた。
政教分離、兵農分離など、
ネットでの信長天才論は殆ど井沢の縮小再生だ。
135 :
世界@名無史さん:2009/11/01(日) 00:30:59 0
1
136 :
世界@名無史さん:2009/11/01(日) 21:50:35 O
>>134 井沢なんかのとっくの昔に司馬やら藤本やら歴史小説家、学者みんな言ってるよ。
>>136 ああ、そうだな。
しかし今ネット上を席巻してる信長厨は井沢モドキばかりだ。
138 :
世界@名無史さん:2009/11/10(火) 07:51:09 0
坂口安吾とか言っても最近の若いヤツらは知らんだろうな
>>136 学者の場合、兵農分離とか政教分離とかが語られると
「と巷ではこのような事がいわれているが、これを裏付ける資料的根拠は皆無でありry」
と続くんだけどな。
十九世紀から二十世紀初頭の内外文学独特の文体を普通に読める俺だが安吾の『信長』は読むのが苦痛だった
全共闘世代のバイブルかもしれんが何が良いのかさっぱり分からん
なのに文学や歴史になんの興味も無い若い奴が読んでいたりするんだよな
わけわからん
さてと桜の木の下でも掘り返しにいくか
141 :
テレビと繋がる男:2009/11/12(木) 15:04:27 0
チェーザレ?
ああカエサル様のことね
飼え猿
部下が無名なのはチューザレ
有名なのは、信長
145 :
世界@名無史さん:2010/06/20(日) 14:07:54 0
信長なんて日本限定のローカル英雄にすぎない。
146 :
世界@名無史さん:2010/06/20(日) 15:34:31 0
チェーザレなんてイタリア限定のローカル英雄にすぎない。
ハゲ頭より白人の方がかっこいい☆