も少し続けよう・・・・
>>1 乙
まったりで良いから続けよう。
このスレがあったほうが世界史版が楽しい。
5 :
世界@名無史さん:2009/01/06(火) 20:48:55 0
前スレで出てきた人たちは
天才ではなく秀才どまり
あと生前から一定の栄光はあった人ばかりだったな
前スレで名前のあがった人達…
エヴァリスト・ガロア (数学者)
ウェルキンゲトリクス (武将)
ニコラ・テスラ (発明家)
マックス・フォン・バーデン(趣味人)
C・E・ツィオルコフスキー (ロケットの父)
村山聖 (棋士)チャールズ・R・マッキントッシュ (建築家)
バド・パウエル(ジャズピアニスト)シド・バレット(ミュージシャン)ロバート・ジョンソン(ブルース歌手)
ニルス・ヘンリック・アーベル (数学者)
ツトム・シモムラ(ハッカー捜査官)
フェルナン・レドンド(サッカー選手)
夏目雅子(俳優)
アラン・チューリング(数学者)
リチャード・ブローティガン(詩人)
平賀源内(発明家)
イサアク・レヴィタン(画家)
松本良順 (医者)
双羽黒(力士)
アボガドロ(数学者)
フランツ・カフカ(小説家)
フォスター(作曲家)
エリシャ=グレイ (発明家)
ジャッキー・ウィルソン (ミュージシャン)
アメデオ・モディリアーニ (画家)
前田 智徳(野球選手)
クリフォード・ブラウン(ミュージシャン)
中原中也(詩人)
漢の哀帝 (皇帝)
ジャンフランコ・ゾラ (サッカー選手)
加藤大治郎(ライダー)
アフマド・シャー・マスード (軍人)
小倉隆史(サッカー選手)
李膺 (政治家・軍人)
トマス・ニューコメン(発明家)
橋本左内 (志士)
ジェームス・ジェマーソン (ミュージシャン)
本間雅晴 (日本軍人)
チャーリー・パーカー(ジャズ・ミュージシャン)
ジェラルド・マクラレン(ボクサー)
ドゥーエ将軍 (イタリア軍人)
バロン西(馬術の金メダリスト)
ギュスターヴ・モロー (画家)
森寅雄(剣士)
メンデル (学者)
アントーン・V・ヴェーベルン(画家)
ジャック・マイヨールとエンヅォ・マイヨルカ (ダイバー)
石田三成(武将)
山中鹿之助(武将)
李陵(武将)
ブライアン・ジョーンズ(ミュージシャン)
ジャック・ジョンソン(ボクサー)
ジュゼップ・マリア・ジュジョール (建築家)
滝廉太郎(作曲家)
トマス・チャタートン(詩人)
グレン・グールド(ピアニスト・作曲家)
フェデリコ・ガルシア・ロルカ(詩人・劇作家)
ハンス・フォン・ビューロー(指揮者)
サッフォー(詩人)
たこ八郎(ボクサー)
ロートレアモン伯爵(詩人)
オットー・ヴァイニンガー(作家)
金城哲夫(脚本家)
宮崎繁三郎(軍人)
ショーナ・グラント(ポルノ女優)
パーネル“スウィートピー”ウィテカー (ボクサー)
サントス・デュモン(パイロット)
スコット・ジョップリン (作曲家)
所郁太郎(医者?)
今中慎二(野球選手)
アルバン・ベルク(作曲家)
リッチー・ジェームス(ミュージシャン)
田中英光 (作家)
メイエルホリド(舞台演出家)
知里幸恵(郷土史研究家?)
ケン・ノートン(ボクサー)
ジネット・ヌヴー (バイオリニスト)
FCスタート(サッカーチーム)
ジョージ・リーヴス (俳優)
ノルベルト・ブルクミュラー(作曲家)
エゴン・シーレ(画家)
黒沢俊夫(野球選手)
MR.MACK (ミュージシャン)
アルトゥール・シュナーベル(ピアニスト)
貴志康一(バイオリニスト、指揮者、作曲家)
ジョヴァンニ・バティスタ・ペルゴレージ(作曲家)
渡辺茂夫(バイオリニスト)
ラリー・ホームズ (ボクサー)
杉田庄一(パイロット)
ルース・スレンチェンカワ(ピアニスト)
岡井真(ジャズ・ミュージシャン)
荒木幸雄(パイロット)
ブッチ・キャシディ(アウトロー)
イサドラ・ダンカン(舞踏家)
オーブリー・ビアズレー(画家)
アンリ・フィリップ・ペタン(軍人・政治家)
ロバート・ファルコン・スコット(探検家)
福永洋一 (騎手 )
高橋徹 (レーサー)
大雅アキラ (ボクサー)
支援
マーヴィン・ゲイ (ミュージシャン)
サム・クック(ミュージシャン)
オーティス・レディング(ミュージシャン)
ボブ・マーリー(ミュージシャン)
ジミ・ヘンドリックス(ミュージシャン)
フロイド・パターソン (ボクサー)
ポール・モーフィー (チェス王者)
木崎ひろすけ (漫画家)
磯貝洋光(サッカー選手)
曽祢まさこ (漫画家 )
ヴァルター・カーデン (エンジニア )
エチエンヌ・モンゴルフィエ(発明家)
H.P.ラヴクラフト(作家)
山際勝三郎(学者)
アウグスト・マッケとフランツ・マルク (ドイツ表現主義の画家)
ジャック・デュシャン=ヴィョン (彫刻家)
ルディ・シュテファン (ドイツ表現主義の作曲家)
ウンベルト・ボッチォーニ (イタリア未来派の画家・彫刻家)
アントニオ・サンテーリア (イタリア未来派の建築家)
ゲオルク・トラークル (オーストリアの詩人)
ギョーム・アポリネール (フランスのアヴァンギャルド詩人、作家)
テリー・キャス(ミュージシャン)
長浜忠夫(アニメ監督)
カイソウ (競走馬)
ウイリアム・ハミルトン (数学者)
金子直吉(実業家)
山中貞雄(映画監督)
アントワーヌ・サン=テクジュペリ (作家)
グレン・ミラー (アメリカのスウィングジャズの巨匠)
アーニー・パイル (アメリカのジャーナリスト)
イシュトヴァン・ケルテス (指揮者)
ジョン・リード (アメリカの左翼ジャーナリスト)
フランソワ・セヴェール(F−1レーサー)
ジェフ・バックリィ(ミュージシャン)
ブランドン・リー(俳優)
エリック・ドルフィ(ミュージシャン)
楠木正成 (武将)
二宮忠八 (発明家)
浮谷東次郎(レーサー)
ジミー・バリー(ボクサー)
松田優作 (俳優)
沖雅也(俳優)
小柳徹(俳優)
赤木圭一郎(俳優)
ヴィック・モロー(俳優)
バトリング・シキ(ボクサー)
岡田有希子 (アイドル)
菊原志郎(サッカー選手)
三代目三遊亭歌笑(落語家)
林家小染 (落語家)
ジェーン・マンスフィールド(女優)
ジョルジュ・ブラック(画家)
近藤真一 (野球選手)
ジル・ヴィルヌーヴ(F−1レーサー)
ティベリウス(ローマ皇帝)
ベリサリウス(ローマ武将)
イアン・スチュアート(ミュージシャン)
大正天皇(天皇)
リッチー・ヴァレンス(ミュージシャン)
エディ・コクラン(ミュージシャン)
吉村禎章(野球選手)
村田英次郎(ボクサー)
豊田喜一郎(実業家)
久保寺雄二(野球選手)
エウメネス(武将)
レニー・ブルース (コメディアン)
ロザリンド・フランクリン (遺伝子研究学者)
エリ・デ・ランダウ(物理学者)
東善作(パイロット)
ホーレス・ド・ヴィヤー・コール(趣味人)
サルバドール・アジェンデ(医師・政治家)
ゼンメルワイス(医師)
川村カネト (測量士?)
鈴木梅太郎(農化学者)
ヤーノ・サーリネン(ライダー)
アウグスト・マッケ(画家)
アルフォンソ10世(聖王)
キッド・マッコイ(ボクサー)
エーリッヒ・フォン・マンシュタイン(軍人)
エルウィン・ロンメル(軍人)
アルフレート・ヨーゼフ・ヨードル(軍人)
モーパッサン (作家)
レイモン・ラディゲ (作家)
アルフレッド・ジャリ (作家)
長野泰一 (化学者)
ジム・ケリー (アメフトプレーヤー
シャルンホルスト(軍人)
イワン・カペリ(F−1レーサー)
ジョン・ケイ (発明家)
マルキ=ド=サド(作家)
ヨハネス・ケプラー(物理学者)
ジョー・ジャクソン(野球選手)
顔回(思想家)
グナイゼナウ(軍人)
カントール(数学者)
ソースタイン・ウェブレン (社会経済学者)
こんなにいたっけ?
アントワーヌ・ラボアジエ (科学者)
フィンセント・ファン・ゴッホ(画家)
アンリ4世 (フランス王)
シャルル豪胆公(フランス貴族)
エンヴェル・ホッジャ(アルバニアの独裁者)
シュガー・レイ・ロビンソン(ボクサー)
リーゼ・マイトナー(物理学者)
ステファン・ベロフ(F−1レーサー)
堀井元紀・堀井新治朗 (発明家)
ゲーリー・シェロン (ヴォーカリスト)
アンドレア・デ・チェザリス(F−1レーサー)
フェルディナント・ラッサール (政治学者)
クヌート・ハムスン (劇作家)
ペイン・スチュアート(ゴルファー)
龐涓 (武将)
内田信也(船成金)
ジャック・ビルヌーブ (F−1レーサー)
ヘティ・グリーン (投機家)
ハリー・グレブ (ボクサー)
フレッド・ホイル(物理学者)
マイケル・ヴェントリス (建築家)
ルグロ夫人 (篤志家)
フリッツ・ハーバー (化学者)
ナサニエル・リー (劇作家)
滝善三郎正信(武士)
ジャック・ジョンソン (ボクサー)
ジュール・ブールデ(建築家)
ポール・ゴーギャン (画家)
松浦静山(随筆家)
ニコ・ピロスマニ(画家)
ヘンリー・ダーガー(アーティスト)
青木繁 (画家)
ニック・ドレイク(ミュージシャン)
レフ・セルゲイヴィッチ・テルミン (発明家)
エリック・ドルフィー(ミュージシャン)
プロフェッサー・ロングヘア (ミュージシャン)
飯田覚兵衛(武将)
甘粕正彦(軍人)
榊原蕉園(画家)
アルフレッド・ウォレス(博物学者)
ジョルジュ・ビゼー(作曲家)
シュリーニヴァーサ・ラマヌジャン (数学者)
谷山豊(数学者)
ニコライ・アレクサンドル・キバリチッチ (革命家)
グラーフ・ツェッペリン (ドイツ空母)
マックス・シュメリングとジョー・ルイス (ボクサー)
ジェイク・ラモッタ(ボクサー)
ロニーピーターソン(F−1レーサー)
チャーリー・クリスチャン (ジャズギタリスト)
大塚耕二(画家)
浅原 清隆(画家)
岡部 敏也(画家)
カミーユ・クローデル(彫刻家)
ルイ=アレクサンドル・ベルティエ (ナポレオンの武将)
ジョゼフ=アントワーヌ・ポニャトフスキ (ナポレオンの武将)
栗林忠通(陸軍大将)
松岡洋右(外交官)
片山 哲 (政治家)
ヴェゲナー (学者)
コペルニクス(天文学者)
八木秀次 (発明家)
長岡半太郎 (物理学者)
成毛滋 (ギタリスト)
奥村喜和男 (情報管)
フィロ・ファーンズワース(テレビの発明者)
ニコライ・パブロビッチ・コロレフ (ロケット技術者)
ミハイル・ニコラエヴィッチ・トハチェフスキー (ソ連軍人)
ピエロ・パオロ・パゾリーニ (映画監督)
宇田新太郎 (発明家)
ファッツ・ナバロ (トランペッター)
ティエリー・ブーツェン (F−1レーサー)
河石達吾 (水泳選手)
ヘンリ トイボネン (ラリードライバー)
一力長五郎安好 (力士)
ハンス・ピーチ (棋士)
中村魁車 (歌舞伎役者)
ルートヴィッヒ・ボルツマン (物理学者)
ティトゥス・ラビエヌス(ローマ武将)
モサデク首相 (イランの首相)
山上伊太郎 (脚本家)
佐野栄太郎 (プログラマー)
ペルゴレージ(作曲家)
フアン・クリソストモ・デ・アリアーガ(作曲家)
武田信虎(武将)
ヒャルマー・シャハト (政治家)
坂本敏美 (騎手)
谷幸雄 (柔道家)
フィリップ・ライス(発明家)
ヘルマン・グラーフ (パイロット)
ハインリヒ・エールラー (パイロット)
方虎山(軍人)
小森保三郎(エアバッグの開発者)
志賀友吉(軍人)
佐藤次郎 (テニスプレーヤー)
キャロライン・ハーシェル(天文学者の妹)
マジかよ。
バリオス・マンゴレ(作曲家)
多田雄幸(タクシー運転手)
田形竹尾(パイロット)
中村浩 (化学者)
ジム・フィックス (ジョギング健康法提唱者)
金栗四三(マラソン選手)
エミリー・ディキンソン(詩人・ひきこもり)
奥村左近太 (剣士)
エドウィン・ハワード・アームストロング(FMラジオの開祖)
ヨーゼフ・マティアス・ハウアー(作曲家)
ルキウス・リキニウス・ルクルス(ローマ武将)
ウェンディ・オーレン・ウィリアムズ(ヴォーカリスト)
黒河内伝五郎 (武術家)
須田房吉 (剣士)
市川雷蔵(歌舞伎役者)
エパメイノンダス(武将)
ヴァシリー・カリンニコフ(作曲家)
中島敦(作家)
山本武夫 (イラストレーター)
セガの社員(栄光ないらしい)
シャルル=アンリ・サンソン(処刑人)
以上
「栄光なき」とは言いかねる人もかなり混じってるな。
語られてこなかった、或いは忘れられてしまった人を語ってもいいんじゃないですかね。
知らないエピソードを聞くのは興味深いものですし。
>>37 同意。あんまり厳密にルールを適用しなくてもいいんじゃないか。
1乙
ありがとう
ネタ提供の皆様に感謝!!
本スレよ永遠に!!
このスレのファンです
40 :
世界@名無史さん:2009/01/07(水) 17:41:46 O
>>34 乙だけど、
多田雄幸(タクシー運転手)ってww
確かに職業でタクシー運転手もしてたけど、名を残したのはヨットの航海でしょw
あれ?エアバッグ発明した人のことは前スレで語られてなかったっけ?
42 :
世界@名無史さん:2009/01/08(木) 12:06:04 O
>>41 小森保三郎?語られてたよ。
認められないまま自殺したんだっけか。
43 :
戦後日本を揺るがした大事件:2009/01/08(木) 12:45:39 O
山口二矢と森田必勝
浅沼稲次郎刺殺事件と三島事件の当事者の割には世間の関心が薄い。
44 :
世界@名無史さん:2009/01/08(木) 16:29:04 0
ロバート・ハッチングス・ゴダード
世界初の液体燃料ロケットを打ちあげた人。
月に行くことを最終目標にしていた。
打ち上げ後に高高度に達する方法の論文を発表するも誰も認めず
ニューヨークタイムズに「皆が知っている当たり前のことを言っている。
彼は高校で習う知識を持っていないようですww」と書かれ皆に笑われる。
また実験の時に消防署に通報され以後の実験を禁じられる
(しばらくしたあとリンドバーグが評価してくれて別の場所で実験を続けることはできるようになる)
米国は彼も実験をほぼすべて評価せず、最も評価したのはドイツのフォン・ブラウンで
彼のV2ロケットの製作にはゴダードの理論が使用されている。
アポロ11号の月着陸時にタイムズは前述の記事を撤回し49年ぶりに謝罪する。
しかしゴダードは1945年にすでにガンで死去していた
さまざまなものや理論を発明考案し200をこえる特許を持つが
そのほぼすべては生前ではなく死去後に与えられたものであり
生前に脚光を浴びることはなかった。控え目で内気な人物だったという
プーラン・ディヴィ
インドの「盗賊の女王」。
被差別カースト階級に生まれ、ほとんど犬以下の扱いを受けながら育ち、11歳で親の取り決めで親子ほど歳の違う男性と結婚させられる。
嫁いだ先でも、ありとあらゆる虐待を受けたあげく婚家を追い出されるが、その後盗賊団に入ると頭角を顕し、他の盗賊団との抗争をきっかけに頭目まで昇りつめる。
彼女の盗賊団はインド北部を荒らしまわり、懸賞金つきのお尋ね者になるが、義賊的な行為が多かったため、貧民を中心にカリスマ的人気を集めた。
だが殺人も躊躇わないその苛烈さは、一方で恐れられもした。彼女は1981年にかつて自分を輪姦した領主階級の男性22人を一度に殺害するという「ベヘムイ村虐殺事件」を起こしている。
この事件に関して、後に彼女は「人は犯罪と呼ぶかもしれない。だが私に言わせれば正義なのだ」と断言している。
(続く)
(続き)
手を焼いたインド司法当局は、彼女と敵対する盗賊団を捕縛しようと試みたが、彼女は容易に捕まらなかった。
だが1983年に、インディラ・ガンディー政権及びインド警察当局と彼女の間で、彼女自身と彼女の率いる盗賊団員を死刑から免ずるという司法取引が成立し、ようやくプーラン・ディヴィは10,000人が見守る舞台の上で投降した。
彼女は裁判を受けることなく11年間投獄されていたが、1994年にウッタル・プラデーシュ州の首相の働きかけで釈放された。当時盛り上がっていたカースト層の公民権運動に配慮したためといわれる。
その後、1996年の総選挙に立候補し、貧民層の圧倒的支持を受け当選。国会議員となって人権運動などに尽力し、二度の来日も果たしている。
だが、2001年にニューデリーの自宅前で暴漢に射殺され、38歳でこの世を去った。
かつて彼女が殺した人間の遺族による犯行とされるが、真相は不明である。
余談になるが、刑務所からの出所後、彼女はインドにおける仏教再生運動に感銘を受け、仏教に帰依している。
だがヒンドゥー教の女神カーリーだけは、帰依後も熱心に崇拝していたという。
血と酒と殺戮を好む戦いの女神と、己の生き様を重ね合わせていたのかもしれない。
凄い人生だとは思うが天才ではないな
>>44 アイザック・アシモフが、アポロ11号が月に到達した時、
「ゴダードよ、我々は月にいる」という言葉を送ったらしいね。
49 :
世界@名無史さん:2009/01/08(木) 22:36:40 0
>>44 早すぎた人の悲劇ってかんじかね
死んだあとに評価ってのは全く評価されないよりはましなんだろうけど
本人はどうなんだろう・・・
でもこういう人好きだわ
リンドバーグとかブラウンはちゃんとわかってたのが救いだろうか
あと謝ったマスコミ。遅すぎる気がするけど。
相変わらずこのスレ面白いね。
>>48の台詞は泣きそうになる。
パトリック・ファーガソン
18世紀のアメリカ愛国派(独立派)の軍人。少佐。
一応、元込めライフルを世界で初めて作った人物で、ワシントンを狙撃しかけたこともあるが、あまり知られていない。
おまけに独立戦争におけるキングスマウンテンの戦いで無理な戦闘指揮が祟って、王党派のライフルで狙撃されて戦死。
ニコライ・フョードロフ 1829−1903
ロシアの思想家。「聖人フョードロフ」とあだ名されるほどの思想的巨人だが、一般には長い間評価されなかった。
フョードロフは図書館の司書として一生を送り、生前は自分の著述を出版することもなく、自分の名前が世に出ることも嫌っていた。
だが、同時代を生きた多くの知識人、文化人に多大な影響を与え、その深い思想と生き方から「モスクワのソクラテス」とも呼ばれた。
彼は「全ての本に通じている」といわれるほどの博学な知識を元に、ロシア・コスミズムと呼ばれる独特の思想体系を作りあげた。その思想はロシア文学や宇宙開発にも影響を与えている。
彼の思想の影響を受けた人物の中にはトルストイ、ドストエフスキー、ゴーリキ、マヤコフスキーなどの文人や科学者のツィオルコフスキーなどがいた。
19世紀を通じて、フョードロフは、昼間は図書館の開館前から一度も座らないほど働き続け、夕方に帰宅してからは私的な著述や読書に没頭する毎日を送った。
常に規則正しい生活を送り、娯楽や衣食住には一切関心をもたなかった。物質的な満足はなにひとつ求めず、なけなしの給料も貧しい人々に分け与えていた。
図書の閲覧者がアドバイスを求めれば、分け隔てなく自分の知識を与えた。やがて閉館後には彼との会話を求めてモスクワの知識人が集まるようになった。
彼の部屋は高度に知的な談話サロンと化したが、彼はそれに溺れることもなくすぐに帰宅したという。彼は死ぬまでそういう生活を続けた。
彼の死後、弟子達が彼の私に書いていたものを集めて著作集を編纂するが、すぐにロシア革命が勃発し、ソビエト政府は彼の書物を禁書扱いとした。
彼の本をもっているとわかっただけで収容所送りになる時代もあったので、一般に知られることなく不遇の時代が長く続いた。
冷戦が終ってからようやく著作集が世に出回り始め、彼について書かれた評伝の邦訳が出版されたのも割と最近のことである。
岡崎 令治 (1930-1945)
日本の分子生物学者。中学生のときに広島で被爆。
妻で共同研究者の恒子とともにDNAラギング鎖の非連続合成の仕組みを解明した。
研究者として脂の乗り切った44歳のときに白血病で急死。少年時の被爆が原因だった。
生きていればノーベル賞は確実だったと言われ、ラギング鎖合成の際にできる
DNAの小断片は彼の名をとって「オカザキ・フラグメント」と呼ばれている。
分子生物学を学んだ人間なら知らない者はいない名前だが、一般には全く無名である。
恒子夫人は存命であるが、今も「オカザキ・フラグメント」という語を使用せず、
亡夫の命名した「新生短鎖」という名称を使い続けているという。
赤ア 勇 (1929〜)
日本の工学者。元名古屋大学教授で現名城大学教授。
窒化ガリウム結晶化の技術を開発し、世界初の高輝度青色発行ダイオードを発明。
しかし、中村修二氏が製法特許の報酬を巡って起こした訴訟が有名になり、、
世間では中村氏が青色ダイオードの開発者であるかのようなイメージが広まってしまった。
名古屋大学は、彼の発明によって得られた特許収入で、まず工学部のトイレを改修し、
次いで講堂の時計の文字盤の発光を赤から青に変えたが、これはかえって見にくくなり
学生からは不評であった。
ヤロスラフ・ハシェク (1894-1923)
チェコの作家。当時のチェコはオーストリア帝国の支配下にあった。
若い頃から放浪無頼の生活を送りながら、ジャーナリスト、作家として活動。
当局からはマークされ、結婚生活もうまくいかず、不幸で破滅的な私生活を送った。
第一次世界大戦が始まり徴兵されるとオーストリアのために戦うことを潔しとせず、ロシア軍に投降。
ロシア革命が勃発すると赤軍に加わり活動したが、1919年、チェコスロバキアが独立すると帰国した。
この戦争体験をもとに、病気と貧窮に苦しみながら生涯唯一の長編小説「兵士シュヴェイクの冒険」を執筆。
未完のままこの小説が刊行された一ヵ月後に結核で死亡した。
この「兵士シュヴェイクの冒険」は二十世紀を代表するユーモア文学、反戦文学となり、
彼の名前を不朽のものとした。日本では岩波文庫から刊行されている。
ユリウス・フチーク (1903-1943
チェコのジャーナリスト、共産党活動家。
1938年、ミュンヘン協定によって、チェコスロバキアはドイツにズデーテンを割譲。
翌年にはチェコ全土が併合された。彼はレジスタンスとして地下出版に携わっていたが、
1942年に逮捕され、パンクラーツ刑務所に投獄。1943年に刑死した。
彼はこの獄中で、ひそかに煙草の巻紙に、刑務所内の人間や尋問について書き留め、
看守の協力を得て外部に持ち出すことに成功。
「絞首台からのレポート」と題されたこの文章は世界各国で翻訳された。
1948年にチェコスロバキアで共産党が政権を握ると、フチークは反ナチスの英雄として
まつりあげられ、大々的に宣伝に利用されたが、東欧革命後、共産主義政権と
結びついた彼のイメージは低下。遺族が「レポート」の中から英雄のイメージにふさわしくないと
考えた部分を削除していたのが公になったことが拍車をかけた。
しかし、極限状態における人間の勇気と精神の高貴さを示した彼の文章の真価は
変わるものではなく、近い将来、再評価される日が来るものと思う。
山ノ井愛太郎
チェコ語、エスペラント語、英語などをよくした語学の天才だったが、誇大妄想狂のため
一生を精神病院で送った。ある日脱走して北欧文学者の山室静を訪ね、
酒をふるまわれて帰る途中急死した。大江健三郎の「同時代ゲーム」の
登場人物のモデルとなったことで知られる。
本当の「栄光なき天才」とはこういう人物のことをいうのではないか。
スゲーな、このスレ。
クオリティが高い。
59 :
世界@名無史さん:2009/01/10(土) 12:58:24 0
前スレで出尽くしたと思ったがるもんだな
ゴダードとかもなんででなかったのかってレベル
正当な評価される奴がどんだけ少ないかってことだな
60 :
世界@名無史さん:2009/01/10(土) 14:02:21 0
谷山豊(1927−58)
現代数学の父
31歳で自殺。半年後婚約者が自殺し、葬婚式が行われた。
61 :
世界@名無史さん:2009/01/10(土) 19:04:05 0
【山崎保代】
山梨県出身。陸軍大佐。1940年にアッツに着任
5月よりはじまる功略戦に備え高所へ敵を引きこむ戦術をとるための陣地を作成
この後の硫黄島戦と同じ戦法によりこの小島の攻略は屈指の激戦となった
5月29日生存兵300とともに突撃し戦死。兵士も後に続き守備隊での生存者は30人に満たなかった
戦後の遺骨収集でこの突撃時の遺骨の中でもっとも先頭に倒れていたのは山崎のものだったので
指揮官先頭の範となり山崎が文字通り戦闘を駆けて突っ込んだことが証明されている
62 :
世界@名無史さん:2009/01/10(土) 19:04:42 0
【木村昌福】
静岡県出身。海軍中将。ハンモックナンバー下位だったので全く期待されていなかったが
現場で高評価を得て昇進を繰り返した。現場のみで中央勤務の経験はない。
部下に優しかったので下からの信頼は厚かった。
通商破壊作戦時は敵の民間船や輸送船を攻撃するのは乗員が退去しきるまで待った上で撃沈させ
(ボートへ射撃しようとする部下を艦橋から身を乗り出し大声で止めたこともあるという)
ミッドウェーでは「機関が壊れました」と全速で戦線離脱する栗田戦隊司令の命令を無視
戦場に残り大破した遼艦の三隈の乗員の救助を行った。
また機銃掃射により重傷を負った時も「兵が心配する」とすでに上がっていた「指揮官重傷」の信号を撤回させ
最後まで指揮を執り続けた等配慮と勇猛さももつ。
司令部からの激しい非難を受けながらも時期を見誤らずキスカ守備隊をわずか55分で全員回収
全員は乗せるのに困難が生じたため枠を作るため小型輸送艇を独断で廃棄し人を連れ帰った
(この時期すでに資源が尽きかけていた日本海軍にとってこれは暴挙だった)
米軍はもぬけの殻となったキスカへ上陸後同志討ちを行いまた守備隊がいたずらで描き残した
「ペスト患者収容施設」の看板にパニックとなった。
その後日本海軍最後の勝利となったミンドロ沖海戦の指揮をとる。
その際も沈んだ清霜の乗員救助を座乗する霞の機関を停止させ自ら行い
各艦に撤退命令を出したのちも戦場にとどまりしんがりを務めている
(この行動に感銘を受けた他艦もとどまり防戦と救助活動を行ったため
清霜以外の犠牲は出さずに全艦無事に帰還している)
戦後は海軍時代の彼を慕う元部下たちとともに製塩業を行っていた
米軍からの評価は高かったが戦時下の日本国内での評価は芳しくなかった
63 :
世界@名無史さん:2009/01/10(土) 19:10:01 O
【訃報】靖国神社宮司、南部利昭(73歳)さんが死去…過去に「A級戦犯は東京裁判で連合国が決めたもので、分祀はあり得ない」発言も
14:名無しさん@九周年 01/08(木) 12:50 PLgTUbjYO
『歴史的事実なんだ』三島由紀夫
Q:あの戦争をどう呼ぶのが適切だと思ふか。
三島由紀夫:大東亜戦争でいいぢゃないか。歴史的事実なんだから。
太平洋戦争といふ人もあるが、私はゼッタイとらないね。日本の歴史にとつては大東亜戦争だよ。
戦争の名前くらゐ自分の国がつけたものを使つていいぢゃないか。
Q:あの戦争をどう意味づけてゐるか。
三島由紀夫:あの戦争の評価は、百年たたないとできないね。
いま侵略戦争だつたとかなんとかガチャガチャいつてもどうにもならん。
イグナーツ・ゼンメルワイス
院内感染予防の父。医務における手の消毒という概念が19世紀には
受け入れられず、勤務先の大学、病院からことごとく追われ
精神崩壊を起こして1865年精神病棟で死去。47歳。
彼の思想が受け入れられたのは死後のことだった
65 :
世界@名無史さん:2009/01/11(日) 12:45:43 0
ロジャー・フェデラー
八原博通
沖縄守備軍の第三十二軍作戦参謀。徹底した塹壕戦術と効果的な火砲利用によって
絶望的な戦力差で健闘した沖縄戦の立役者。
第三十二軍玉砕時に本土への脱出を指示されて果たせず、米軍捕虜となる。
このことから国内では不当な評価を受けているが、米軍での評価は極めて高い。
戦後は自衛隊高級士官への勧誘を断り、生き残った家族とともに行商人として生きる。
沖縄で多くの民間人を巻き添えにしたことを深く悔やみ、生涯沖縄の地を踏むことはなかった。
でも
後生への影響と生前の栄光のなさっぷりの王者は
メンデルだよなあ
あまりにも有名すぎて誰も名前を挙げないほどw
ルートヴィヒ2世
いわずと知れた城作りの天才w
ワーグナーといい数々の城といい、生前は国費の無駄遣いとボロクソに言われた
彼の嗜好は、今も希代の音楽家だったり、バイエルン州の貴重な観光資源だったり
高く評価されてます。
結局彼の作った借金も、確か国費による部分はドイツ帝国に丸投げにしたはずw
69 :
世界@名無史さん:2009/01/15(木) 17:33:11 O
個人的にはモディリアーニ、ガロア、ウォーレスが栄光なき天才の典型かな。
ルートヴィヒ2世が天才というのはどうかな
たとえばベルサイユ宮殿を建てたルイ14世やタージマハルを建てた
シャー・ジャハーンが天才かと言われると、ちょっと違うわけで、
彼の特異性は時代と国力を省みず趣味に邁進した狂気にあると思う。
モディリアーニも、夭折したために過大評価されているきらいがあると思う。
芸術作品の価値なんてものに客観的な指標は無いわけで、もし彼が
平穏な人生を送り、長生きしていたらこれほどの評価を受けていたかどうか。
自分はモジリアーニは長生きしててもたぶん芸術と思うと思う
当時他にああいった絵柄や筆使いで描いてた人いないし
パイオニアはやっぱすごいと思うよ
ルートヴィヒは金遣いの荒さが天才
72 :
世界@名無史さん:2009/01/17(土) 21:34:41 O
■佐伯祐三
僅か30年生涯、通算滞在期間1年弱にして、
パリの街頭風景をあれほど見事に芸術的に昇華させた画家はいない。
73 :
世界@名無史さん:2009/01/20(火) 20:15:56 O
∧__∧
( *´∀) 渡仏初期の藤田嗣治はモディリアーニから影響を受けていたな♪
.ノ^ yヽ、
ヽ,,ノ==l ノ
/ l |
"""~""""""~"""~"""~"
74 :
今日は新宿で:2009/01/22(木) 22:03:32 O
佐伯祐三の落合風景『テニス』を見て来たお♪
50号の大作でビク〜リしたゾ!
栄光なき天才なら今年が生誕100年の♪貴志康一なんかそうだな♪
【卍】 ≦予 ̄>
G\(^■^ ラ フルトヴェングラーに指揮を学んだ天才だゾ♪
\ <!>+\
∠ ̄∬ゝ ∠ ̄∬ゝ ∠ ̄∬ゝ
G\(^∀^ G\(^∀^ G\(^∀^ ク ナチスの時代だから戦後は忘れられていたね♪
ニルス・カタヤイネン
ついてないカタヤイネンとして有名なフィンランド空軍パイロット。
死にそうな目に何度も合いながら天寿をまっとうしたのは、ある意味幸運だったのかw
現役時代は出撃するたびに不運にも乗機を壊すので、地上要員に嫌われて転属される。
また事故による負傷で戦線離脱も多く、出撃機会に恵まれなかった。
出撃回数196回、累計撃墜35.5機
高名なエースと比較して撃墜数は多くないが、1出撃当たりの撃墜数はフィンランド空軍のトップエースに
迫るほど優秀なもので、彼が非凡なパイロットだったことを証明している。
乗機が壊れるのはモルテンが嫉妬してたからですね
77 :
1958年:2009/02/03(火) 23:55:55 O
2/3は、お馴染み
3スターズの御命日なり〜!
バディ☆ホリー
リッチー☆ヴァレンス
ビッグ☆ボッパー
翌年には、エディ☆コクランも
昔は飛行機事故で夭折するスターとかアーティストが多かったよな。
リッチーって17歳には見えないな
80 :
今年が50周年ですた(^_^;):2009/02/04(水) 21:02:26 O
∧∧ ピコッ ☆
( ^o^)っ―[] /
[R&R] (^_^;)1959年の間違いですた!
>>75 戦闘機隊から爆撃機隊へ異動させられた。
それが嫌で何回も元の戦闘機隊への復帰を願い出たものだから上司の不興を買ってしまい、
爆撃機からも下され毎日格納庫の履き掃除をする羽目に・・・
その後、紆余曲折を経て戦闘機隊に復帰する。
不時着する事12回。
数多くの負傷をするも生き延びた。
82 :
海軍大尉☆金指 勲:2009/02/16(月) 22:07:57 O
昭和20年3月18日、日本南方海域において陸上爆撃機《銀河》により80番を命中させ、
米正規空母フランクリンを沈没寸前に追い込む。
しかし間もなく撃墜され敢え無く戦死を遂げたため、
その殊勲は顧みられることはなかった。
83 :
枢軸最強イタリア潜水艦:2009/02/21(土) 09:50:46 O
英海軍本部が発表した公式の損害表によると枢軸国の潜水艦作戦によって連合軍は2,775隻、計14,573千tを失った。
このうち14,000千tは枢軸国の海洋潜水艦の攻撃によるものであって、残りは地中海戦、または日本軍の攻撃によるものである。
広範囲の研究を行った後に、イタリアの海洋航行潜水艦が135隻、計842千tを撃沈したと決定した。
これは高い比率であって、次のような興味ある比較をすることができる。
大西洋の作戦に従事したイタリア潜水艦30隻はすべて比較的旧式であって、
その多くが1回しか海洋任務についていないのに対して、大西洋のドイツ潜水艦800隻は最新式であった。
実際には、ドイツ海軍は1,175隻の潜水艦を使った。
潜水艦1隻当りの撃沈トン数を見ると、30隻の大西洋イタリア潜水艦は1隻について平均28千tの敵船舶を撃沈し、
800隻のドイツ潜水艦は1隻について16.7千tを撃沈した。
この数字で見れば、イタリアの海洋航行潜水艦の1隻当りの戦果は、撃沈トン数に関する限りドイツ潜水艦より大きい。
多田野数人
85 :
世界@名無史さん:2009/02/22(日) 04:26:38 O
>>84 どんな偉人?
ガチで無知な俺に教えろよ。
早くしろよ。
86 :
世界@名無史さん:2009/02/24(火) 22:11:27 0
エルネスト・ショーソン(1855〜1899)
フランスの作曲家。パリ音楽院でマスネーやフランクらの薫陶を受ける。管弦楽曲・室内楽曲など多くの分野で佳作を書いたが、交通事故によりその創作活動に終止符が打たれた。
44歳の若さだった。
坪井航三
日清戦争時の第一遊撃隊司令長官。
当時としては先進的な単縦陣戦法を日本海軍に導入し黄海海戦を勝利に導いた戦術家であり
黄海海戦では第一遊撃隊を率いて、ほとんど攻撃力を発揮できなかった主力隊に代わって
清国海軍北洋艦隊を痛撃し、指揮官としても高い能力を発揮した。
1898年に死去したが、彼が生きていれば日露戦争時の連合艦隊司令長官に補されただろうと言われる。
88 :
世界@名無史さん:2009/03/06(金) 23:40:32 O
瀧川氏の「東京裁判を裁く」を読むと、東京裁判を見守り、日本のために戦った先人の無念が、
心臓の鼓動を聞くかのように伝わってくる。まさに日本人必読の書だと、私は思う。
だが、驚くことに、昭和27年に「東京裁判を裁く」が出版されたとき、新聞はこれを「悪書紹介」として批判し、
出版元の東和社は倒産に追い込まれたという。結果として、同書が広く読まれることはなかった。ということです。
こうしてみると、既にこの時点で日本のメディア、ひいては日本国民はGHQの洗脳に染まっていたのです。
つまり、今日の田母神問題は既にこのときに根付いていたわけです。関連ですが、
・林房雄氏の「大東亜戦争肯定論」に関して、西尾先生の「GHQ焚書図書開封2」の後書きからです。
私は戦争の歴史を短い尺度で考える日本の近現代史のものの見方にいつの間にか染まっていたのでした。
高校生まで受けた教育で、満州事変以後の日本の暴走という観点を植え付けられていて
ー恐らく私以外にもかなりの人がそうでしょうがー
戦争の淵源史を短い時間尺度に収める習慣に何となく馴らされて来たのでした。
89 :
○栄光あるか?:2009/03/14(土) 08:30:57 O
◆3月14日 シナ大使館をチベット国旗で包囲せよ!!
チベット独立蜂起50周年!(第二次独立蜂起1周年)に集合を
<チベットは独立するぞ!シナによるチベット人虐殺糾弾>
1959年、シナに圧政を強いられていたチベット人は流血をものともせず、ラサ市において民族独立の蜂起を行った。
今年はその記念すべき50周年にあたる。
それ以降シナ人による血の弾圧は約13万人及び、宗教、文化、民族そのものの抹殺を推進している。
そうした過酷な状況下においてもチベット人は昨年3月14、僧侶を中心にした独立を求める平和デモ行進を決行、
これに対してシナは武力でこれを弾圧し、130人のチベット人を殺戮した。
民族の尊厳をかけ、死をも恐れずにシナと戦うチベット人へ、日本国民は最大限の敬意を表すると共に、
他民族の侵略になりふり構わぬシナ人の横暴を決して許さない。
シナからの民族独立を戦うチベット人は、同じくシナからの侵略に直面している日本人にとって戦友、同士である。
日時:3月14日(土)11時半集合
場所:六本木ヒルズ前
※シナ大使館へ抗議行動並びに抗議文の提出、雨天決行
90 :
栄光あるか?:2009/03/21(土) 14:57:57 O
ゾンマーフェルトなんてどうよ
「栄光なき」かと言われると微妙だが、量子力学の建設に功績があって、
弟子が次々とノーベル賞貰ってたのに、自分じゃ貰えなかった
92 :
世界@名無史さん:2009/03/23(月) 15:40:23 0
石原莞爾(1889〜1949)
山形県出身
陸軍大学校を次席で卒業。
ヨーロッパ戦史の研究と法華信仰を基に最終戦争論を構築。
満州事変を立案、実行。
アジア主義者でもあり、東亜連盟を構想、この構想は戦後の右翼思想にも影響し、
中国人や朝鮮人からも支持者があった。
1910年の時点で都市が消える位の兵器(大量破壊兵器)が近い将来生まれることを示唆、
東条英機との対立により左遷され、予備役編入。立命館大学に講師として在学するも、
講義の内容が特高警察に睨まれ辞職。晩年は故郷で畑を耕し、ひっそりと死去。
93 :
世界@名無史さん:2009/03/23(月) 15:46:21 0
タッカー
94 :
世界@名無史さん:2009/04/13(月) 20:25:23 0
アゲシラオス2世
古代スパルタの王。複雑な政争の末に40歳を過ぎてから即位した後、ペルシア遠征やコリントス戦争で兵を率いて活躍、ほぼ不敗を誇った。
小アジアにおける対ペルシアとの戦争では数倍の敵も打ち破るなど天才的な用兵を見せた。
功績や将としての才能からすれば、アレキサンダーの先駆けともいうべき人物。
だがスパルタが覇権を失う時期の王ということもあってか存在感が薄い。
95 :
世界@名無史さん:2009/04/26(日) 21:43:12 O
フョードル・アプラフコフ
二次大戦中に活躍したソ連の天才スナイパー。赤軍の歴史上でも屈指の狙撃兵と言われる。
フョードルは極寒のシベリアで猟師として生活していたが、1939年ソ連のフィンランド侵攻(冬戦争)にともない徴兵され最前線に配属された。
赤軍はフィンランド兵の頑強な抵抗と−40℃の寒さに大苦戦をしいられたがシベリア出身のフョードルは寒さをものともせずに狙撃兵として活躍。天性の狙撃センスでフィンランド将兵を次々に射殺した。
その活躍ぶりから現在ではフィンランド側の天才スナイパー、シモ・ヘイヘと並んで史上最高レベルの狙撃兵とも評されている。
その後の独ソ戦においても最前線で活躍し、兄を失い度重なる戦傷を負いながらも、実に数百人のドイツ将兵を射殺した。
二次大戦を通じての彼の狙撃スコアは射殺429名以上。これは同じ赤軍のスナイパーで、映画化もされた英雄ザイツェフを上回るスコアである。
しかし戦後は出自がヤクート(テュルク系民族)ということで差別され、貧しさと戦傷に苦しみながら長い不遇の時代を送った。
1965年に体制の交替によってようやくソ連邦英雄賞を授賞したが、そのわずか二年後に60歳で病没した。
96 :
世界@名無史さん:2009/05/05(火) 13:22:13 0
人を殺した殺人鬼を英雄視するのは違和感ありまくりだ
ゴルゴ13は劇画だから読者は拍手喝采を送るワケで
実際に狙撃された被害者の家族にしてみれば心中複雑だろう
それが戦争というものだ
98 :
世界@名無史さん:2009/05/05(火) 21:24:59 0
ちょっと違うパターンで法医学者の古畑種基とかどう?
法医学者として戦後日本を代表する権威でその道では神様的存在。
彼の鑑定で死刑になった人間も多いが、彼の死後、その鑑定のずさんさや一部捏造などが暴露されて名声が地に落ちた。
古畑は生きてる間は栄光あって死後に失墜したパターンだが、こういうのもあり?
そもそも天才なの?
100 :
世界@名無史さん:2009/05/05(火) 21:41:22 0
残した業績の大きさは文句なしでしょ。血液型の研究とかでも。
死後に司法解剖の権威に大きく味噌がついた。下山事件をはじめ大きな事件を取り扱ってたし。
まあ、泥沼になるから天才とはなにかという議論はしたくない。
塙保己一(1746〜1821)
武州の百姓の子。7歳の時失明し、ほどなく母を失って江戸へ出る。
この時、「『太平記』を暗誦することで生計を立てている人が江戸にいると
いうが、それくらいなら自分でも何とかなるかもしれない」と述べたという
逸話が残されている。
この後、検校の下で当時盲人の職業であった按摩・音曲を学ぶが、目が出ず、
一時は自害も考えたほどであった。
後、『平家物語』を暗誦出来るようになったことを手始めに、諸書を暗記。
他人に読んでもらった書籍の内容を全て記憶することで自分の学問を構築し、
最終的には蔵書6万冊、その全てを記憶していたという。
夜中に灯火の下で講義をしていたところ、火が消えたので講義が一時中断に
なったが、テキストの内容を全て暗記していた講師の保己一だけは困らなか
ったため、「目明きの人は不自由なものだ」と笑っていたとは、後年の話。
CD−ROM版も出ている国書の集大成『群書類従』や、現在も刊行されて
いる『大日本史料』の原型である『史料』を編纂。
前者は版木の字を20字×20字にしたもので、後の400字詰め原稿用紙
の原型になったとされる。
晩年、出席した歌会で詠まれた50首中、3首を帰宅してから思い出せなく
なっていたことに嘆き、自らの死期が近いことを悟ったという逸話がある。
(しかし、普通は47首も憶えていられまい)
ヘレン・ケラーは子供の頃、母から保己一の話を聞かされたというが、どこ
をどうやって伝わったものかは不明。
栄光なきとは言えないでしょうが、偉い人の割に無名なので。
蔵書6万冊暗記ってあり得ないw
ほとんど病気のレベル。現代だったら間違いなく天才症とか診断されてる。
103 :
世界@名無史さん:2009/05/06(水) 10:33:47 0
>>101 凄す! 南方熊楠先生は大英博物館に出入りして英国留学当時、英字で書かれた文献を
読み漁り且つ抜き書き 書き切れない部分は暗誦し帰宅後に清書
10数か国語を操り一度読んだ件りは必ず記憶したとも
熊楠先生は言わずもがなの天才鬼才で今日の粘菌研究の泰斗と言われている
晩年は高野の山林田畑に籠り、祭祀、森林の保全運動に挺身
ことごとに政府機関と対立 柳田邦男をして「篤実にして稀有の天才である」と言わしめた才人
同年代の夏目漱石が脚光を浴びるが熊楠氏にももっと光を当てるべき
>>103 南方熊楠も柳田國男も、10歳になる前には蔵にあった漢文で書かれた蔵書
をあらかた読んでしまうということをやっていたそうですね。
夏目漱石がロンドンを出た後、同じ部屋に入ってきた下村観山も、栄光なき
天才と言えるかもしれません。
>同じ部屋に入ってきた下村観山も
恥ずかしながら初耳です 下村観山氏ですか
google,wiki,WEB2.0時代に生きる我々は手軽に安易にネットで調べ物をする恩恵に与って生きています
が、吉田松陰先生の時代のように幼い頃から四経五書を読み書きし正坐をしながら父親なり先生なりから𠮟咤激励、打摘されながら
文字通り身体に覚えこませるように勉学に励むという、厳しい緊張感と背中合わせの学習とは現代の我々は無縁ですね。
体に覚えこませるような素読、暗照、渉録(抜き書き)という地道な作業も現代人には縁遠い作業ですね。
林安夫
愛知県出身の野球選手で守備位置は投手。
一宮中(現・一宮高)時代はスピードのある直球と抜群の制球力を駆使し、1941年の選抜大会で、
後に戦後1950年代巨人黄金時代の主力別所や青田がいた滝川中に勝った岐阜商に12-2で勝つなどして、準優勝。
因みに夏連覇中だった海草中は緒戦で、一宮中と同じ愛知の東邦商に1-3で負け。
しかし、優勝候補になるはずだった夏の大会は、主催朝日新聞の都合で中止(翌年は文部省主催で開催)。
1942年に朝日軍に入団。プロでは変化球と制球力で勝負し、1年目に32勝22敗、防御率1.01で、
巨人軍の須田博(スタルヒン)を抑えて最優秀防御率。
この年のシーズン投球回数541回1/3、51先発、新人でシーズン最多登板71など、
これらの日本プロ野球記録は、現在も破られていない。
1936年に大東京軍として結成以来、41年までBクラスだった朝日軍を、42、43年とAクラスにする原動力となる。
しかし応召し、1944年に22歳の若さで戦死。
球歴
1941年:一宮中学で選抜準優勝
1942年:NPB朝日軍で32勝22敗、防御率1.01 投球回数541回1/3、44完投 12完封
1943年:NPB朝日軍で20勝11敗 防御率0.89 投球回数294回 27完投 12完封
1944年:応召
同い年のNPB通算310勝投手、別所昭(毅彦)の同時期の成績
1941年:滝川中学で選抜ベスト8
1942年:NPB南海軍で0勝1敗、防御率2.08 投球回数13回、1完投 0完封
1943年:NPB南海軍で14勝23敗 防御率2.25 投球回数319回1/3 28完投 8完封
1944年:応召
1945年:応召
1946年:NPB大軌で19勝13敗 防御率2.46 投球回数325回 28完投 5完封
107 :
世界@名無史さん:2009/05/17(日) 01:02:14 O
>>105 漢文学の某先生など、小学校時代に漢文の成績が悪く、お父上から「昔は五
歳児でも『十八史略』ぐらいは読めたものだ」と叱責され、家庭でみっちり
としこまれたということです。
大体、天保年間生まれで、江戸時代の内に社会的地位を築いていた老人たち
が泉下の人となった、大正時代前期頃が境目となったと言われています。
名実共に、日本人の教育が前近代のものと離れていくようになる。
>恥ずかしながら初耳です 下村観山氏ですか
下村観山(1873〜1930)
江戸時代には紀州徳川家のお抱えであった能楽師の家に生まれたが、当時は
能楽に限らず、あらゆる文化・宗教関係者が、旧来の伝統や権利を否定され
た受難の時代であり、その父も象牙彫刻の役人に転身していた。
2人の兄も彫刻を学んでいたが、三男晴三郎は、幼児より絵を好んでいた為、
父は狩野派の画家、藤島常興に絵を学ばせようと考えた。
しかし、当時は伝統絵画も受難の時代であり、常興も絵を止めて教材の製造
販売業者になっていたので、代わりの人物を紹介されることになる。
それが、「現在は」非常な高名を博している狩野芳崖であった。
もっとも、当時は評価されず、50幅の絵を芝公園の売店に出してみたが、
1円かそこいらの軸は、半年経っても1幅も売れず、とうとう田舎の業者
に、50幅全部を3円の損きりで売り払ったという有様であった。
(今なら1幅200万円はするところ)
彼もまた、生前の一時期を栄光なしに過ごした天才であった。
その後、橋本雅邦について学ぶ。
こちらも一時は製図業者をしていた人で、当時は1枚8厘の絵を描いて生
活の足しにしていたというから、やはり一時期は栄光なき人であったが、
2人の優れた師を得たことで、観山は10代前半にして堂々たる作品を物
にしている。
その後、17歳で東京美術学校に入学。
当時、幹事を務めていた岡倉天心が、観山の生涯3人目の師となる。
同窓に、生涯の友人、ライバルとなる横山大観がいた。
後に高名を博することになる大観であるが、東京英語学校を卒業した後、
丁度設立された東京美術学校に興味が湧き、それまでは英語学校在学中
に鉛筆画を学んだのと、入学前年に絵筆をとって学び始めたばかりとい
う経歴をひっさげて入学して来たという、変り種であった。
その後は、画家として順風満帆な生活を送るが、菱田春草・横山大観と
共に起こした洋風の非線描画(朦朧体と呼ばれた)が非難を呼び、独立
独歩の気風があった天心の行動に、観山が教師の職を投げ打ってまでつ
きあったこともあって、生活は今ひとつであった。
もっとも、古典的描法を好んで線描画に立ち返った観山はともかく、朦朧
体に専念していた春草・大観の如きは、海辺にいながら魚を買う金がなく、
自ら釣りに行って菜となす、という有様であったが。
その後、観山は仏教や能楽の伝統的世界を題材にした、精神性の深い絵を
相次いで発表。分けても「弱法師」は、当時来日中であったインドの詩人
タゴールに絶賛され、タゴールは模写を持ち帰る程であった。
しかし、昭和に入ってからは、観山も振るわなくなっていた。
大観から「技術では勝てぬから、他のことで工夫せねばならない」と言われ
ていた技巧の持ち主であった彼も、こと美術界の政治力とあっては、大観に
は及ばなかったのである。
その上、芸術家的な変り種というか、神経質なところがあり、大観ほど上手
く立ち回れないこともあって、次第に孤立していった。
一事は大和の山中に隠棲する計画も立てたが、なしえぬまま病死する。
享年58歳。
最後まで朦朧体を貫いた春草。線描の妙を見せた観山。
両者共に優れた画家ではあったが、現在知られているのは、昭和33年(1
958)まで生き、89歳で没するまでに文化勲章を受け、正三位を贈られ
るなどの栄光を受けた横山大観のみである。
ぶっちゃけた話、大観より前二者の方が巧いと思うのですが。
米田哲也(1938〜)
プロ野球投手 阪急→阪神→近鉄
日本球界で金田正一に次ぐ350勝を挙げながら、影が薄いような…。
栄光なかりきとは言えないが。
真藤恒(1910〜 2003年)
日本造船界に革命をもたらし造船王国日本を作り上げた造船の父。
戦前の熟練職人による手作り造船を改め、ブロック製法と溶接の積極的な導入によって
船舶の量産化に成功し、コストダウンと納期短縮を達成した。
造船業は高度経済成長前期の牽引役になり、外貨準備が苦しかった時代の日本に大いに寄与する。
合理化手腕を買われNTT初代社長に就任したが、リクルート事件で収賄罪で起訴され有罪判決が確定。
一躍落ちた偶像となったが、功績は功績として認めるべきだろう。
晩節を汚す人達?
115 :
世界@名無史さん:2009/05/24(日) 05:22:48 0
>>110 とりあえず、芳崖、春草、雅邦、大観、観山は日本史の教科書には載ってるが。
116 :
世界@名無史さん:2009/05/24(日) 08:29:19 0
しかし、とりあえず
>>105氏には憶えてもらえていないのであった。
まあでも誰でも名前くらいは知ってるレベルなのは大観だからな
118 :
鳩山鳴かす飛ばず……:2009/06/12(金) 22:11:03 O
1976 新自由クラブ
1979 落選
1980 自民党
1993 無所属
1994 新進党
1996 民主党
1999 都知事選(落選)
2000- 自民党
あちこち動く人だから信念がない人なんでしょう。おそらく。
今回は、やたら「正義」の言葉を繰り返していたけど、
「正義」を語るなら、NHKに対しても語れとw 佐藤国家公安委員長が総務相兼務になったということは・・・
NHKに捜査のメスが入ったりしてw
NHKチェックメイトかっ!!w
佐藤国家公安委員長、並びに新総務大臣に期待
正義が聞いて呆れるな!
万寿棋(1603〜1652)
字は介石。崇禎3年(1630)に郷試に及第して明朝に仕えたが、程無く
明朝は滅亡。陳子竜に従って抗戦に身を投じたが、陳の入水後は僧形をとり、
南方を漫遊。遂に明朝に仕えることなく、その生涯を終えた。
博覧強記で、詩や琴棋書画は勿論のこと、印章や墨については著作を物にす
るほど造詣深く、剣器に通じ、手芸や皮細工もこなしたという。
現在、その詩や著作、山水などの画が現存する(書は存じませんが)。
同時代の毛奇齢は成功した天才ですが、こちらも面白い人物です。
↑人名は「万寿祺」の誤りでした。江蘇省の人。
李贄(1527〜1602)
字もしくは号は卓吾。福建省の人。陽明学者。あまりにも個性的過ぎる性格
とそこから生じた学問により、最後は獄中で自殺した。
その後、草稿・著作・版木は焼却され、清朝になっても禁書になっている。
自らを評して
その性は偏狭、その色は矜高、その語は卑俗、その心は狂癡、その行いは
軽率、交際は少ないが、会えば熱情的に親しむ。人の与するや、好んでそ
の過を求めて長所を悦ばず、人を悪むや、すでにその人と絶ちたるうえ、
また終身その人を害せんと欲す。(以下略)
著作の一節
人みな孔子をもって大聖となす。余もまた大聖となす。人みな老・仏をもっ
て異端となす。余もまた異端となす。ひとびと真に異端と大聖とを知るにあ
らざるなり。父師の教に聞くところのもの熟するを以てなり。父師も真に大
聖と異端とを知るにあらざるなり。儒先の教に聞くところのもの熟するを以
てなり。儒先もまた真に大聖と異端とを知るにあらざるなり。孔子にその言
有りしをもってなり。(以下略)
>>119 ×遂に明朝に仕えることなく
○遂に清朝に仕えることなく
すみません。
122 :
世界@名無史さん:2009/06/20(土) 22:24:35 O
津田出なんかはどう?
実質的には明治維新の先駆けのような藩制改革を命がけでしたのに廃藩置県でパー。
その後、その近代的な改革が明治政府のモデルにもなって、西郷にも絶賛されたのに、西郷が失脚したせいもあって評価や栄光が充分とは言えないのでは。
123 :
世界@名無史さん:2009/06/20(土) 22:40:16 0
小池重明 アマ最強の天才棋士
吉田松陰もここに入るんだろうな。
既出かも知らんが。
125 :
世界@名無史さん:2009/06/23(火) 08:35:32 O
リンドバーグって実は世界初の人工心臓の発案者でもあるんだよね。
そっちの功績はあんまり知られてないよね。
反ユダヤ主義者でもあったけど。
126 :
世界@名無史さん:2009/06/27(土) 06:55:36 O
三国志で言えば田豊とか。
楊修はどうでしょう。策士策に溺れると言われそうですが。
『世説新語』にある逸話、とりわけ「絶妙好辞」の話は怪しいですが、火の
ない所になんとやらとも言いますし。
文人で逸話が面白いといえば、慶滋保胤も面白い。
バードやジミヘンがいてジャコやリー・モーガンがいないのはおかしい
エルヴィン・ニレジハジ ホームレスの天才ピアニスト
130 :
世界@名無史さん:2009/07/09(木) 23:51:03 0
三国志といえばやはり不出世の大天才諸葛孔明。天才軍師ではなく天才政治家。彼のような万能であり博学
しかも優れた人格をそなえた政治家は五百年に一度くらいしか出ない。
131 :
世界@名無史さん:2009/07/10(金) 06:53:16 0
今日はニコラ・テスラの誕生日
ペロニスキー
>>130 500年に一度?
彼のような人物はおそらくあとにもさきにも出ないよ。
栄光なき天才とはいえないけれども…。
134 :
☆栄光となるか?:2009/08/13(木) 19:35:52 O
『台湾で最も愛された日本人』の一人である八田與一氏(明治壱拾九年弐月弐拾壱日生〜昭和壱拾七年五月八日没、
金沢市今町生まれ、石川県尋常中学・第四高等学校・東京帝国大學工学部卒)が、台湾に建設した『鳥山頭ダム』
(事業主体/台湾総督府・皇紀弐千五百八拾年着工/皇紀弐千五百九拾年竣工・所在/台湾台南県官田郷)の
『世界遺産』への『登録申請運動』が台湾で進行しております。
現在、台湾は『国連』にも『ユネスコ』にも加盟していない為、台湾単独での『世界遺産』の『登録申請』は出来ません。
日本國が、八田與一氏建設の『鳥山頭ダム世界遺産登録申請運動』を手助けしなければ『世界遺産登録申請』は極めて困難です。
135 :
世界@名無史さん:2009/08/15(土) 09:12:09 0
長井 長義。
日本史はおろか人類史にのこる功績の大きさにくらべて語られることが少なすぎる。
覚醒剤の発見者だからだろうか。
ヘラクレイオス帝
ササン朝との死闘を制してあんだけ頑張ったのに報われん
>135
kwsk
138 :
嗚呼八月十五日。:2009/08/15(土) 14:16:55 O
139 :
世界@名無史さん:2009/08/15(土) 23:43:19 0
>>137 幕末生まれで阿波藩の典医の家系に生まれ、ドイツ留学を経て明治期の日本の医学・薬学に絶大な貢献をした。
日本薬学会の初代会頭、帝国大学医学部薬学科教授などを歴任して日本薬局方の整備にも尽力し、それまで「質が悪い」と敬遠されてきた日本製医薬品の大幅な品質向上に寄与した。
さらに、日本各地の薬剤師に直接指導も行い、医薬分業と薬専(薬学専門学校)の官立化にも大きく貢献している。
1885年にマオウ(麻黄)からのエフェドリン抽出に成功し、のちに大量合成が可能であることを証明した。これは、全世界の多くの喘息患者の苦痛を取り除くことになった。エフェドリンは、現在でも市販の感冒薬(風邪薬)にも配合されている。
1893年ににはこのエフェドリンからメタンフェタミンを生み出す。この二つの化学物質がいわゆる覚醒剤である。この発見は人類の歴史を変えたといってもいいかもしれない。(長井の本意とは関係なくだが)
ちなみに長井はドイツ留学時代、テレーゼ・シューマッハという旧家の娘と結ばれている。
テレーゼは長井の帰国とともに日本に移住し、日本女子大学でドイツ語や栄養学を教えるなどして新時代の女子教育に大きく貢献した。
そのムダな改行はF1につなげるための助走かとオモタよ (´・ω・`)
保守
142 :
世界@名無史さん:2009/11/26(木) 23:17:06 0
あげとく
143 :
世界@名無史さん:2009/11/30(月) 12:46:10 O
三島億二郎
長岡藩士。幕末の動乱期に頭角を顕し、河井継之助らと共に藩政改革に奔走した。
時勢を見る確かな目を持ち、ペリー来航の検分役を命じられた時には外国の脅威をありのまま伝えて上役に嫌われたため免職されたり、
河井が率いる長岡藩と官軍との武力衝突に反対するなど冷静な判断を下せる人物であった。(最終的には河井の説得により北越戦争を最後まで戦った)
北越戦争によって長岡藩が壊滅した後は小林虎三郎など共に復興に尽力し、長岡藩知事や柏崎県参事などを歴任。経済、医療、交通など幅広い分野でその後の北越の礎を築いた。
藩を潰した戦犯である河井は司馬遼太郎の小説によりヒーローに祭り上げられ、同僚の小林は「米百俵」のエピソードで有名になったが、三島の活躍はあまり知られていない。
144 :
世界@名無史さん:2009/12/01(火) 19:59:52 O
このシンポに、「沖縄人から見た日韓併合」も加えて見てはどうでしょう?
皆様こういう史実ご存じですか
大正13年、沖縄経済は第一次大戦景気バブルの崩壊でクラッシュしたことがありました。
この時県民はあろうことか、日本政府に対し植民地的特恵処置を要請しております。
当時、帝国政府は、朝鮮、台湾に帝大を建設し、内地の優秀官吏、教員を招聘すべく内地待遇の2倍の給与待遇を与えました。
タダシ沖縄は本土の一県でしたので給与待遇は内地と同水準、県内最高学府は県立師範学校でした。
そこで県民の多くは台北や京城帝大進学を目指しました(小生の叔父は台北医専卒)。
また帝大を卒業するとどうでしよう、沖縄のエリート達は、厚遇されチャンスのある朝鮮、台湾に赴任し、沖縄はまさに人材真空状態に陥ったのです。
小生は、朝鮮の方に会うとき、この史実を極力話すようにしております。時間がある
ときは、「日露戦争で帝国陸軍が、ロスケをシベリアまで追っ払わねば貴民族は、中央ア
ジアに集団移住させらられていましたね・・」とやんわりと、はっきり発言します。
反論できる朝鮮人は今のところ見たことがありません。
韓国陸軍の一将校は、小生を兄のように慕ってくれます。
(以上)
145 :
1939年8月○平和の使者ニッポン:2009/12/24(木) 21:41:52 O
∧_∧ ♪
(´・ω・`) ♪国をうずめた日の丸の
( つ●つ
(( (⌒ __) ))
し' っ
♪
♪ ∧_∧
∩´・ω・`) ♪歓喜の中に羽ばたいて
ヽ ●⊂ノ
(( ( ⌒) ))
c し'
∧_∧ ♪
(´・ω・`) ♪わがニッポンはまっしぐら
( つ●つ
(( (⌒ __) ))
し' っ
♪
♪ ∧_∧
∩´・ω・`) ♪六万キロの空を飛ぶ空を飛ぶ
ヽ ●⊂ノ
(( ( ⌒) ))
c し'
146 :
世界@名無史さん:2009/12/25(金) 08:38:56 O
>145
「ニッポン號」は━≡≡≡≡≡⊂`⌒m9^Д^)⊃変態新聞の遣欧飛行機な━ !!!!!
147 :
世界@名無史さん:2009/12/25(金) 09:01:33 0
ジョン・コシンスキー(オートバイレーサー)
250cc時代はガチ
148 :
世界@名無史さん:2009/12/25(金) 09:26:54 O
>145-146
世界一周から帰ってきたら
世界大戦が始まっていたよ
それでも翌年にも大日本航空の「大和號」がローマに行ってる。
さすがに戦中の「A‐26」は行方不明になったけど
149 :
世界@名無史さん:2009/12/25(金) 16:25:43 0
ケルテスは思いっきり過大評価
栄光なき天才といえばやはりトマス・ビーチャムの名を挙げなくてはならんよ。
それから日本でのみ栄光がないのがヴィクトール・デ・サバタかな
150 :
世界@名無史さん:2009/12/25(金) 17:29:18 0
アドルフ・ヒトラー
151 :
世界@名無史さん:2009/12/25(金) 17:34:13 O
/)
///)
/,.=゙''"/
/ i f ,.r='"-‐'つ____ こまけぇこたぁいいんだよ!!
/ / _,.-‐'~/⌒ ⌒\
/ ,i ,二ニ⊃( ●). (●)\
/ ノ il゙フ::::::⌒(__人__)⌒::::: \
,イ「ト、 ,!,!| |r┬-| |
/ iトヾヽ_/ィ"\ `ー'´ /
152 :
栄光なき日本のサヨク:2010/01/20(水) 21:13:46 O
昨夕のチャンネル桜に、『週刊金曜日』の編集長が出演していました。
キャスターの三輪さんとの対話が大変興味深いものでした。この編集長氏曰く、
自分が接触した記者の中で、政治的主張や手法はともかく個人的に、「小沢氏が
好きだ」と言う人は一人もいなかった」「その点では田中角栄氏と全く違うと思います」
(彼は元毎日新聞記者)。
また、自分は社民党の考えに賛同する者ですから、小沢氏の独裁的な政治手法には
賛成できません。近隣諸国と仲良くやっていくためにも、「永住外国人地方参政権付与」
には賛成です。
などと語っていました。しかし、
「自分は社民党の考えに同調するから、小沢の独裁的手法には反対だ」
には仰天ですね。福島や辻本が理想的国家として仰ぎ、憧れるのは北朝鮮であり中国です。
そして、彼らが憎悪して止まないのは自由主義国家の日本やアメリカ、欧米諸国などです。
もちろん、『週刊金曜日』に群れる連中も同様です。この辺が彼らの不可解なところです。
自由な日本で、自由、人権、平等などを口にしながら、共産独裁国家を賛美して止みません。
そして中国が今も行っている、チベットやウイグルに対する非道な圧政を、全く批判しません。
中国では、「08憲章」で一党独裁体制の変更を求めた劉暁波氏が、「政府転覆を煽動した」
として懲役11年の実刑判決が下されています。これにも沈黙です。
グーグルの行動は面白いですね。もっとも、日本のメディアは殆んど報道しませんが・・・。
「中国が世界に失業を輸出」しているのは事実です。巨額の貿易黒字にも拘らず、人民元の
対ドル為替相場を固定しています。自由貿易体制では、貿易不均衡を調整する手段は為替
相場の変更しかありません。それを、中国は大規模な市場介入を行って対ドル相場を無理やりに
維持しています。つまり、「失業の輸出」を行っているのです。
その上に、知的財産権を侵害しています。人民の自由を奪うことで低賃金を維持しています。
そのため、中国の格差は途方もないものです。6百万人とも言われる政治犯の低賃金労働もあり
ます。党の支配は絶対であり、腐敗と汚職は救い難いものです。法治精神など皆無です。
こうした中国が世界に大きな影響力を広げているのです。
153 :
栄光の彼方:2010/01/23(土) 14:38:13 O
どんなにくるしくても
がけからとびおりれば
みんなおわるよ!
ハ_ハ _
∩゚∀゚)ノ おわるよ!
) /
(_ノ_ノ
彡
.
_,,..-―'"⌒"~ ̄"~⌒゙゙"'''ョ
゙~,,,....-=-‐√"゙゙T"~ ̄Y"゙=ミ
T | l,_,,/\ ,,/l |
,.-r '"l\,,j / |/ L,,,/
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_V\ ,,/\,| ,,∧,,|_/
藤原弘平
元は西洋画家であったが、昭和初期の頃にふとしたきっかけから日本古来の固有種の犬が
実は外来種によって絶滅の危機に瀕していたことをしり、画家の道を捨てて日本犬種の保存と繁殖に打ち込むようになった。
世間的な関心がほとんどない中、日本全国をめぐり日本犬の犬籍簿の制作や血統の確保にほぼ独力で尽力した。
「柴犬」という犬種の命名や忠犬ハチ公のエピソードを世間に知らしめたのも彼の功績である。
彼がいなければ立て耳、巻き尾の日本犬はとっくの昔に絶えていただろう。
だがその名前はよほどの犬好き以外にはまったくといっていいほど知られていない。
155 :
世界@名無史さん:2010/01/27(水) 22:45:44 0
根岸重一
1967年、人類の歴史に残るであろう発明品が、日本の町工場のオヤジの手によってひっそりと生み出されていた。
その人、根岸重一がマイクとミキサーと8トラックテープ再生機をラインで繋いで作ったもの。それはカラオケであった。
社員との雑談からふと思いついてカラオケを作った根岸は、これで戦前の流行歌の「無情の夢」(歌・児玉好雄)を歌ってみたところ、その気持ちよさに大興奮。
これは流行るかもしれない!と思ったものの、零細企業の経営者である根岸には特許取得にかかる費用が捻出できなかった。
その後カラオケは爆発的に流通した。KARAOKEは世界の共通語になり、国内でも数兆円の産業になったが、当然根岸の元には一銭も入ってこなかった。
後発ながらカラオケを商品化した井上大祐も、特許を取得していなかったため金にはならなかったが、事実上のカラオケの発明者として有名になり、タイムの選ぶ「20世紀の100人」に選ばれたり、イグノーベル平和賞を受賞したりと一応栄光はあった。
だが、根岸はほとんど世間に知られることもなく、最後まで町工場のオヤジで終わった。
糸川英夫と宇宙探査機ハヤブサ
地球と火星の間を周る小惑星、イトカワは日本の宇宙開発の父である糸川英夫の名前をとって名づけられた。
彼は戦後の貧相な開発環境の中でロケット開発全精力を傾け、宇宙開発に理解の無かった国家や企業を必死で口説き落として、
やっとのことで開発の援助の約束を取り付けた。決して十分とは言えない予算で七転八倒しながら
時には旧社会党の左翼連中からの妨害に会いながら、 苦難の末、日本初の人工衛星打ち上げを成功させた。
それも世界で4番目に、純民生技術のみでの快挙であった。
彼は戦前、航空機の技術者だった。彼の携わった一番の代表作こそ、戦闘機「隼」であった。
この隼は当時、国民の間で圧倒的人気のあった航空機であり、これからの日本の航空技術の飛躍を感じさせる傑作機だった。
しかし敗戦と占領政策による航空機開発の禁止によって、日本の空の技術は壊滅的打撃を受けた。
多くの航空機技術者達は空への夢を捨てざるえず、ある者は新幹線を、ある者は自動車開発へと向かって行った。
しかし最後まで 糸川は空への夢を捨てずロケットと衛星に自らの思いを託し、日本宇宙技術の 基礎を固めた。
(つづく)
(つづき)
敗戦の時、自分たちが作り出した航空機の多くが焼かれ壊され破棄され、技術開発禁止され技術者の多くは涙し絶望した。
しかしそこから立ちあがり、日本の空の技術の復権と発展を掛けた、技術者達の血と涙、執念、夢と努力の歴史とその結晶を背負い
半世紀以上の時を経て、もう一度「隼」は宇宙(そら)で「糸川」に出会った。
1945年、多くの特攻機が空に舞っていた、その中に多く名機「隼」の姿があった
多くの特攻機、そして隼が敵艦の前で多くの悲しみと共に燃え尽きていった。
あの夏、敗戦の時、多くの人々が涙した、技術者も涙した。
あれから65年後、2010年6月、イトカワのサンプルの入ったカプセルを地球に届けたハヤブサは大気圏に突入し、地球の空で燃え尽きる。
もしそれを目にして涙する者があったとしても、その涙はあの夏に流れた涙とは違う。
158 :
世界@名無史さん:2010/01/31(日) 11:32:18 O
知られてない色んな人物がいるもんだな。
個人的には、この手の人物では画家のモディリアーニと科学者のメンデルくらいしか思いつかないが。
糸川英夫って「と学会」関係者の間では非常に有名だな。
160 :
世界@名無史さん:2010/02/05(金) 16:14:18 0
西村博之(実業家、PG、SE)
池田大作(宗教家)
ウサマ・ビンラディン(テロリスト)
文鮮明(宗教家)
ビル・ゲイツ(実業家)
スティーブ・ジョブス(実業家)
モハメド・アリ(プロボクサー)
エドウィン・ハッブル(天文学者)
タイソン・ゲイ(陸上競技選手)
堀江貴文(実業家)
ウォーレン・バフェット(投資家、実業家)
ガリレオ・ガリレイ(物理学者、天文学者)
佐藤勝彦(物理学者)
二ール・アームストロング(軍人、宇宙飛行士)
バラク・オバマ(政治家)
タモリ(MC、タレント、俳優)
BNF(投資家)
木村拓哉(アイドル、歌手、タレント、俳優)
金正日(政治家)
ヨシフ・スターリン(政治家)
ジョン・フォン・ノイマン(数学者)
アルベルト・アインシュタイン(物理学者)
ソクラテス(哲学者)
アドルフ・ヒトラー(政治家)
つ黒澤年雄
ルーカス☆スピルバーグ☆スコセッシの名前を無断で使用
國のために命を捧げたこれほど多くの国民をもつ国家は、何を堅持すべきか。それは、戦いに勝っても負けても、
「我が国家は命をかけて護るべき誇りある国家である」という国体への信念である。
この信念を国家が放棄すれば、國のために命を捧げた人々は何の為に死んだか分からなくなる。
そして、今まさに「國のために命を捧げた人々」が、永遠に何のために死んだか分からなくなる方向に、我が国が落ち込んでいくのか、
それとも命に替えても護るべき国家に命を捧げた英霊として讃える方向に向かうのかの分岐に差し掛かっていると全身で感じる。
これが即ち、我が国家の衰亡か再興かの岐路なのだ。
私自身、硫黄島を訪れたとき、沖縄を訪れたとき、いつも尊い御國のために命を捧げた人々の御霊に感謝と慰霊の気持ちを込めて天地に手を合わす。
その上で、現在の沖縄戦における沖縄県民の戦死者を、日本軍によって護られなかった犠牲者だとみなす風潮に対して、そうではないだろうと強く違和感を感じる。
現在の、普天間基地移転問題に象徴される沖縄の課題は、総理大臣が驚くほど無能であり、かつ、沖縄戦とそこで命を捧げた人々の死の意味を理解できないでいることの結果として、混迷しているのではないか。
飛ばないような気がする。
というかエンジンに力があれば浮き上がった後で急に失速するか
空中分解するかのどちらかと見た。
全翼機か。
いまだに成功例がほとんど無いね。
当時だったらまず成功しないだろう。
166 :
コピペ:2010/04/29(木) 11:49:22 0
世界初の電子式テレビを考案したBoris RosingとVladimir Zworykinの師弟はロシア人である。
1911年、ロシア革命の真っ只中で、世界初のブラウン管へのイメージ受像に成功したが、
レーニンに背いてアメリカへの亡命をこころみる。しかしRosingは捕らえられ
その後の消息は諸説ある。収容所で死亡した説もあるし、亡命先で死んだ説もある。
その弟子のZworykinがアメリカへの亡命に成功しテレビ放送の実用化に成功している。
RosingとZworykinの師弟こそ、真の「テレビの父」の称号が贈られるべきなのだ。
だが、2人はレーニンの共産体制に背いた反逆者の汚名を着せられソ連では歴史から抹殺。
冷戦の悪化でアメリカからも英雄視されず、歴史の闇に消えていくことになるのだ。
シューベルトってどうだったの?
梅毒持ちだった
林忠正(1853?〜1906)
在仏27年ぐらいの美術商。日本美術を海外(おもにパリ)に紹介した。
パリの日本美術愛好者には商売の枠を超えて信頼され慕われた。
エドモン・ド・ゴンクールの著作『歌麿』『北斎』執筆時には資料の収集・翻訳
などに尽力した。
1900年のパリ万博では日本の事務官長となる。通常、役人がつくポストに
商人である林がついたためか国内の新聞にバッシングされる。しかも国からの
報酬はなかったようだ。
林への批判には「浮世絵を流出させた国賊」があるが、むしろその危険性を
林は説いていた。
印象派を日本へ紹介した最初の人でもある。
1905年帰国し発病。1906年死去。
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林は「9世紀の日本美術サイコー!日本美術は9世紀からは下り坂」って
意見だったとか。
…美術はわからんのだが、そんなに前がピークなんて悲しすぎる。
林忠正の不遇っぷりを書き忘れた。
・フランス政府から勲章(日仏文化交流のため…みたいな理由)貰ってるのに
日本政府からはスルー
・無報酬(だったようだ)で神経使う万博の仕事したのに新聞にあることないことかかれる
・帰国してホテル事業を始めるために準備してたら発病
・日本での西洋美術館構想もあったため集めていたコレクションは、自身の死亡後散逸
>林は「9世紀の日本美術サイコー!日本美術は9世紀からは下り坂」って
絵巻・彫刻は13世紀、水墨画は15世紀じゃないかと思いますけどね。
絵画は藤原時代の仏画が一番という意見も昔の数寄物の間ではよく聞かれましたが、
9世紀までだと碌な遺品もない。
仏像で評価する声は今でも聞かれますが、それにしても厳しいですね。
>「浮世絵を流出させた国賊」
現在メトロポリタン美術館に所蔵されている『吉備大臣入唐絵巻』は、日本
国内にあれば確実に国宝に指定されていたものですが、仲介役の日本人も
国賊と言われていましたね。
両者の行為はさておき、未だにアメリカや中国・台湾に流出する文化財は数多い。
中国並みに厳しくしてもいいですよ。
木下逸雲(1800〜1866)
江戸末期の長崎の人。町役人の家に生まれ、後役を退いて医師として修道。
西洋医学を学び、いち早く種痘法を広めた。
清人やオランダ人との交流深く、日本人画家のみならず複数の清人にも学んで
南画(中国由来の南宗画、多くは詩を伴う。文人画として日本では職業画家以
外に得意とする人が多かった)家としても大成。
長崎では禅僧の鉄翁と共に南画の大家として知られた。
遅筆で気難しかった鉄翁とは異なり、接しやすい性格で、速筆であったという。
門人も多く、頼山陽(南画もよくした)や南画家田能村竹田を始めとした交友
関係も幅広かった。
文人画とも呼ばれた南画の名手としては当然ながら詩や書もよくしたが、篆刻
家としても知られ、琵琶の演奏も好み、自ら琵琶の製作も行っている。
歌人や煎茶家(これも文人の趣味で、南画が掛けられる)としても活躍した。
地元の窯では陶器の絵付けも行っている。
江戸で数多くの名士と交流し、アメリカ船に乗って帰還する途中、船ごと失踪。
弟子の長井雲坪は病で船に乗れず、師と運命を共に出来なかったことを悔やんだ。
雲坪は生前認められず、本人も「栄光なき天才」であり、生前から一部の華族や
南画家の間で知られながらも、茶を入れる缶に蘭を描く内職をして過ごした。
帰泉した後、東京でその絵を目にした夏目漱石が「誰かは知らないが只者ではない」
と激賞したこともあり、脚光を浴びる様になった。
(漱石や荷風、龍之介など明治生まれの作家には美術を論じられた人が多い)
余白を活かした簡素な絵柄に込められた気韻は例を見ず、現在彼の描いた屏風が複
数東京国立博物館に収蔵されている。
最後が失踪(玄界灘沖で沈没したと見られている)なので、漫画『ドリフターズ』に
出られそうですが、知名度からして無理ですね。
山野さんこんにちわ(・∀・)
174 :
はやぶさ還る☆:2010/06/13(日) 09:47:30 O
【宇宙】探査機”はやぶさ”、13日夜に大気圏突入 7年ぶりの地球帰還 インターネットでも生中継へ (´・ω・`)
【探査機はやぶさ】 「イトカワをねらえ!」第二話【MMD】
http://www.nicovideo.jp/watch/sm10301677 この動画は5回もみた。 何回みても凄い。未見の人は必見です。
見た後に幸福感に包まれるなんて人生でもそうない経験ですよ。
作った人才能あるよね。 嫌なことが一杯だった失われた10年の日本。
それでもこんな素晴らしい仕事をしたJAXAには心から拍手。
栄光なき天才たち連載再会 イグノーベル賞がテーマ ドクター中松なんか出そうだな 日本人受賞者はバウリンガル発明者など多いのだそうだ
>>108 観山の作品は京都大原三千院で見れる
虹の間と呼ばれる部屋がそう