【三韓から】古代朝鮮【後三国時代】

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1世界@名無史さん
じつはかなり面白いことに気づいた。
2世界@名無史さん:2009/01/06(火) 17:51:29 0
三韓から見れば高句麗は侵略者
3世界@名無史さん:2009/01/06(火) 17:54:53 0
扶余、高句麗、渤海は別で語ればいいと思う。
4世界@名無史さん:2009/01/06(火) 17:56:55 0
でも今の韓国は高句麗も渤海も自国の歴史とみなしている
5世界@名無史さん:2009/01/06(火) 17:58:39 0
渤海の旧領土も(東満州)本当の自国領土と見なしていそうだ
6世界@名無史さん:2009/01/06(火) 18:26:59 0
7世界@名無史さん:2009/01/06(火) 20:50:20 0
金と朴は祖先の伝承から作られた姓だが、姓名地名が中国化したことにより、
朝鮮史の面白さは激減。
8世界@名無史さん:2009/01/06(火) 23:07:19 0
藤原仲麻呂が新羅を攻めようとしたみたいだけど
もし攻めていたらどうなっていたんだろう
9世界@名無史さん:2009/01/06(火) 23:15:36 0
古代の大和朝廷および藤原氏は
とにかく新羅を嫌っていた感じがする
10世界@名無史さん:2009/01/06(火) 23:57:21 0
古代大朝鮮帝国は世界全体を支配していた
11世界@名無史さん:2009/01/08(木) 00:24:33 0
ただ、高句麗滅亡後新羅は高句麗人を新しく組み込んでいることは明らかだからな。
まあ、渤海領にいたよりはだいぶ少ないだろうが。
12世界@名無史さん:2009/01/08(木) 18:28:11 0
日本も高句麗人を多数受け入れて
組み込んでいるよね
13世界@名無史さん:2009/01/08(木) 18:40:27 0
遣新羅使を派遣していたことは
案外知られていない
14世界@名無史さん:2009/01/09(金) 19:54:15 0
>>11-12
祖国滅亡後の高句麗人の身の振り
・王族貴族の多く→日本へ亡命
・王族貴族の一部→靺鞨人と組んで渤海を建国
・王族貴族の裏切り者→新羅の臣下に
・庶民の大部分→靺鞨人と混血して渤海人に
・庶民のごく一部(南部の住民)→新羅人に編入
15世界@名無史さん:2009/01/09(金) 22:55:28 0
唐に連行された庶民も相当多かったと聞いたが
16世界@名無史さん:2009/01/10(土) 01:00:06 0
>>12
関東に移住させたりした。
高麗神社、高麗川はその名残。
17世界@名無史さん:2009/01/10(土) 01:33:01 0
高麗を建てた王建の先祖は高句麗人なんだよね
18世界@名無史さん:2009/01/10(土) 04:10:08 0
>>17
いや。ぜんぜんちがうよ。
高麗はもともと高麗(高句麗)の跡地(の南部のごく一部)に建国したから
高麗という名前にしただけ。
19世界@名無史さん:2009/01/10(土) 16:55:29 0
>>13
新羅に何か教えてもらったか
20世界@名無史さん:2009/01/11(日) 00:06:22 0
>>19
技術の優劣無しに、他国それも近くの国がどんなものなのかを知るのは重要な事。
21世界@名無史さん:2009/01/11(日) 03:33:42 0
江戸時代の朝鮮通信使はシナの事情を知れたのだろうか
22世界@名無史さん:2009/01/11(日) 12:24:19 0
_>>藤原仲麻呂が新羅を攻めようとしたみたいだけど

勝算があっての事だったんだろうか
23世界@名無史さん:2009/01/11(日) 20:10:32 0
白村江の大敗以後も
新羅とはいろいろあった
24世界@名無史さん:2009/01/12(月) 14:11:43 0
もし韓国に訓読みが残っていたら、と思うが、今以上に
韓国語がわかりにくくなっていただろうな。
金がソナラだろ、確か。
25世界@名無史さん:2009/01/13(火) 18:26:03 0
水なら音読みでス、訓読みでムルとかか
26世界@名無史さん:2009/01/15(木) 00:02:58 0
>>24
「ソ」は「金」だけど黄金goldじゃなく金属metal全般の意味。
金銀も青銅も含むけど主に鉄をさすことが多かった。
「ソナラ」は「金の国」。
「金官国」と漢字をあてる。今の釜山のあたり。
27世界@名無史さん:2009/01/16(金) 18:37:20 0
韓国人は自国の3国史をなぜか語らないと聞いた
28世界@名無史さん:2009/01/16(金) 23:12:35 0
>>27
それは歪んだ情報です。
29世界@名無史さん:2009/01/16(金) 23:16:56 0
オナラ

オが馬鹿で、ナラは国
だから、チャングムの主題歌は、馬鹿集団のこと、
たしか。
30世界@名無史さん:2009/01/31(土) 22:21:01 0
おそらく、朝鮮だと思うのですが、圧政下、意地悪な役人が
細い曲がりくねった管を持ってきて、
「この管に糸を通せ、通せなければ殺す」と命令し、
民が困り果てているところ、
賢者が現れ、蟻の体に糸を縛り、管の一方に蜂蜜を塗って蟻に中を通させることで
糸を通して見せたという話があったと思います。

この話を知っている方はこの話の名前と時代、その後この役人が所属していた国家が
どのように滅亡したかを教えてください。
31世界@名無史さん:2009/01/31(土) 22:49:32 0
世界に冠たる古代大朝鮮帝国から
釈迦・孔子・キリストが生まれた
32世界@名無史さん:2009/02/01(日) 00:34:29 0
>>30
それただの民話。
しかもイソップかなんかのパクリ。
33世界@名無史さん:2009/02/01(日) 18:57:09 0
>>32
長野の民話「姨捨山」でした。民話というキーワードからでてきました。
スレ違いすみません。
34世界@名無史さん:2009/02/17(火) 12:14:18 0
「新羅国史の研究」という本があってよかった。
35世界@名無史さん:2009/02/17(火) 18:07:04 0
楽浪郡があったから
かなりの漢人も朝鮮半島に住んでいた?
36世界@名無史さん:2009/02/17(火) 20:01:36 0
古代の東アジアは漢民族の漢と朝鮮民族の楽浪が二分していた
3732:2009/02/17(火) 23:10:30 0
>>33
いや、べつに謝るほどのこととも思えないが。

>>35
そりゃそう。
でも楽浪郡が滅亡した時、かなりの漢人は遼東方面に集団脱出したんだよ。
問題は、それが当時の楽浪郡人口の何%だったのかがわからない。
ところがこれが問題でない。
なぜなら高句麗の人口が少なく、楽浪郡の人口は多かった。
かなりの漢人が亡命移民したとしても
それでもなおかつ楽浪郡併合後の高句麗では
純粋の高句麗人(夫餘系の高句麗人)は
上流階級ではともかく全人口でいえば少数派だったろう。
38世界@名無史さん:2009/02/17(火) 23:29:15 0
楽浪漢人はほとんど中国からわたってきた人間の子孫なの?
39世界@名無史さん:2009/02/17(火) 23:43:45 0
>>38

yes
40世界@名無史さん:2009/02/19(木) 23:23:11 0
海を渡ってきた瓢公。天から下ったニニギ。
さかのぼれば同じ民族なのかも。
41世界@名無史さん:2009/02/20(金) 00:57:03 0
チャンホゴくらいしか知らんな。
42世界@名無史さん:2009/02/20(金) 21:19:17 0
>>41
なにか?
43世界@名無史さん:2009/02/20(金) 21:24:19 0
新羅と渤海の冷戦状態について
44世界@名無史さん:2009/02/27(金) 03:47:34 0
>>43
そりゃそうだろ、もともと仇敵同士なんだから。
同一民族でもないし、唐の朝廷で席次を争ってたし。
45世界@名無史さん:2009/03/01(日) 18:51:07 0
この年の唐朝の正月の拝賀式における玄宗皇帝との謁見式の場面で席順争いが惹起された。
すなわち諸外国の使節が列席する席次は首位が大食(アラビア)、次席が吐蕃(チベット)、
つづいて新羅(韓国)そして第四番目が日本という序列になっていた。
これを見た大作古麻呂は色をなして憤激し、新羅はずっと昔から大日本国へ朝貢している国である。
どうして新羅の下位に立つ筋があろうかと抗議した。そこで日本の使節は改めて新羅の上席にランクされだというのである。
ttp://www2.dokidoki.ne.jp/racket/isuramu_shi_01_01.html

新羅が朝貢っていつの時のこと?
雄略の時まで?
46世界@名無史さん:2009/03/01(日) 20:12:05 0
>>45
新羅の朝貢は天平の頃まで。
そのころから新羅が勝手に国号を改めたとか
調(貢物の意)を土毛(おみやげ)に改称したとかで
両国関係は悪化。朝貢から貿易へとシフトしていく。
47世界@名無史さん:2009/03/04(水) 18:42:44 0
なぜ新羅からローマのガラスが出土する?
48世界@名無史さん:2009/03/04(水) 20:26:17 0
中国からの搬入品。
49世界@名無史さん:2009/03/05(木) 00:30:54 0
クソどうでもいい話
50世界@名無史さん:2009/03/05(木) 01:55:26 0
>>47,>>48
恐らく草原ルート⇒高句麗⇒新羅といった感じか。
当時は中国との縁が薄かった。
51世界@名無史さん:2009/03/05(木) 16:43:15 0
言語は違ったらしいが、影響は結構あったはず。官職名とか文体とか。
高句麗→新羅
52世界@名無史さん:2009/03/10(火) 23:46:05 0
>>47
日本の正倉院にもグラスが…

もちろん羅馬の物ではないし、半島の物も羅馬製ではない。
53世界@名無史さん:2009/03/13(金) 00:30:55 0
関東武士は高句麗の移民が子孫だって聞いたことあるな
54世界@名無史さん:2009/03/13(金) 06:25:51 0
全部がそうだとでも?
55世界@名無史さん:2009/03/13(金) 15:18:28 0
>>53
「味噌も糞もなんでも全部ウリナラ起源説」は
うんざりだっちゅーの。
他にネタないなら無理に書かなくていいよ。
56世界@名無史さん:2009/03/13(金) 19:03:46 0
あー白馬青牛がそんなこといってたな
57世界@名無史さん:2009/03/13(金) 20:18:09 0
今度はこっちに来たのかよ。
根拠薄弱の妄想吐き続けて良く生きてられんな。

俺なら恥ずかしくて耐えられんよ。
58世界@名無史さん:2009/03/13(金) 20:39:51 0
いいじゃないか、隋唐の侵攻を幾度も撃退した高句麗だぞ
朝鮮の祖である三韓とは違う満州の異民族の高句麗だぞ
誇らしいことじゃないか

本当に先祖かどうかしらんけど
59世界@名無史さん:2009/03/13(金) 21:11:26 0
↓何事も無かったように元の流れへ
60世界@名無史さん:2009/03/13(金) 22:00:23 0
564 :白馬青牛 ◆B3h9hvY9bA :2009/02/19(木) 01:59:33 ID:jgM80LJn
>>560
続き。長野県は高句麗系移民が多い土地ゆえ、戦国期の信濃村上氏も
高句麗灌奴部の子孫ゆえ、高句麗の故地、満州移民の産地になった
わけでもないでしょうが、逆に満州族の川島芳子さんは、長野県で
少女時代を過ごしました。
長野県も昔は女工哀史の時代もあり、豊かな土地柄でも無かった
でしょう。
61世界@名無史さん:2009/03/13(金) 22:02:06 0
576 :白馬青牛 ◆B3h9hvY9bA :2009/02/21(土) 23:27:11 ID:+xRSmbt0
>>570
朝鮮人慰安婦が、日本人に騙されて強制連行されたんは事実じゃけんのう。
「女を乗せない輸送船」に慰安婦を乗せて戦地へ送ったんは昭和の
帝国陸軍ど。もう一遍>>552に挙げた91才のホームページでも読んで
みいや。低脳な軍上層部の代弁者のつもりか?業者の責任に転嫁し
責任回避する愚かな連中が上層部で威張っとったんが日本軍じゃ。
じゃけぇ、無責任体質(政財官界も含め現在進行形)の上層部で戦争に
勝てるわけあるまい。
源氏云うて、司馬遼太郎氏が徳川家の先祖は、「あれは要するに当時の
賤民です。」と、出自をばらしておられたが、新田源氏の子孫と後世偽系図
で造られたもんを信じるは馬鹿しかおるまい。徳川氏は賀茂氏、藤原氏、
源氏と御都合主義で先祖を変えて、近衛前久や吉田兼右に頼んでのう、
慶長七年近衛前久書状に「只今は源家に又氏をかえられ候(中略)
義国よりの系図を吉良家より渡され候ての事」征夷大将軍ともなれば
氏を源氏に改姓せにゃあのう。ご苦労なことじゃ。
司馬遼太郎氏の先祖は宇多天皇御裔佐々木源氏で「セルバンデスが聞けば
爆笑してドン・ササキという滑稽日本騎士物語を書いただろう。佐々木源氏
ならば氏神は近江の沙々貴神社である。その祭神の小名彦名命は『古事記』
『日本書紀』によれば、海を渡って出雲へ来、大国主命の国造りに協力
したという。この論法でゆけば佐々木源氏も旧新羅人ということになる」
まあ、司馬氏は、関東の平氏の千葉氏は百済系とされるが、千葉氏の分家、
「馬加氏」も夫餘の部族「馬加」高句麗じゃあ「灌奴部」となるけぇ、
信濃の源氏を名乗った村上氏とは同部族になる。ほいで、平氏を名乗った
武蔵の金子氏の高麗氏から分かれた高句麗系じゃのう。
62世界@名無史さん:2009/03/14(土) 06:09:07 0
なにこの白痴な文章
63世界@名無史さん:2009/03/14(土) 10:08:03 0
あのー他所でやってくれませんかね?
64世界@名無史さん:2009/03/14(土) 10:39:52 0
新説!?日本ミステリーで
新羅はローマ人が作った国
てやっててふいた
65世界@名無史さん:2009/03/14(土) 10:53:42 0
高句麗はモンゴルや清と同じく
朝鮮半島に侵入した異民族なので
別のところでやって
66世界@名無史さん:2009/03/14(土) 14:06:31 0
本来は元、清、日本と同様に。
異民族、敵対者と見なされていてもおかしくない高句麗が
(新羅と敵対してたし、言語も違っていたか異民族だから)
なぜ後世朝鮮人国家と見なされたんだろうか
67世界@名無史さん:2009/03/14(土) 14:55:10 0
あまりにも深く長く入り込み(全盛時で大韓民国の半分以上、
滅亡時でも北朝鮮全域、そして200年以上)、首都を半島に
移すなどしたもんだから遂に半島の一部と認識されるに
至ったのでしょう。

新羅も膨張の際には元高句麗を取り込まざるをえず、さらに
新羅に対抗して高麗が起こり新羅を滅ぼしてしまったことで
新羅の対高句麗意識も霧散してしまったのかもね。
68世界@名無史さん:2009/03/14(土) 15:50:59 0
三韓というくらいだから高句麗含めて語ってもいいんじゃない。
ただし電波以外。
69世界@名無史さん:2009/03/14(土) 16:04:50 0
馬韓、辰韓、弁韓の事だったんだけど
70世界@名無史さん:2009/03/14(土) 16:35:20 0
でも日本書紀の三韓征伐は新羅、百済、高句麗の意味だった。
71世界@名無史さん:2009/03/14(土) 18:05:25 0
古事記には神功皇后の事跡はない
日本書紀では新羅に行って帰ってきただけ
三韓征伐は明治の学者が作った用語
72世界@名無史さん:2009/03/14(土) 18:31:47 0
古事記にも新羅征伐の記述はあるよ
日本書紀でも古事記でも新羅を従えたことになってる
日本書紀に三韓征伐の文字はなくとも、三韓の文字はある

嘘を書くのはいくない
73世界@名無史さん:2009/03/14(土) 19:46:36 0
韓をイコール朝鮮民族と考えるからおかしくなる
三韓は単純に地名
のちに高句麗がそれに加わったのは前例に習っただけで深い意味はない
魏志韓伝で、三韓それぞれを別種族として捉えてる
74世界@名無史さん:2009/03/14(土) 19:51:07 0
別にいいだろ、高句麗も語って
だいたい満州なんて地域区分は当時は無い
異民族が侵入して建てた国というが、そもそも当時は「朝鮮人」など存在しない
高句麗が起こった地域も現在で言う満州だが限りなく朝鮮に近い地域だし
後には現朝鮮の平壌を首都にしている
もちろん俺は高句麗は朝鮮民族の建てた国であるなどという電波に組みするものではない
75世界@名無史さん:2009/03/14(土) 20:52:01 0
楽浪郡は高句麗より前に200年間朝鮮半島にあった
漢も朝鮮人の国だと韓国人は主張しないんだろうか
76世界@名無史さん:2009/03/14(土) 20:54:14 0
漢は朝鮮半島に首都を置いていないからか
77世界@名無史さん:2009/03/14(土) 21:12:41 0
>>75
楽浪郡は遼東半島にあった!と電波飛ばしてますわよ
78世界@名無史さん:2009/03/14(土) 21:27:40 0
当時は今でいう満洲・朝鮮という地域は存在しない
高句麗は高句麗であり、満洲でも朝鮮でもない
楽浪郡はあきらかに漢の「属領」だが
今でいう満洲南部から朝鮮北部にかけての地域は高句麗の「本国」であり
同列の問題として扱うのはおかしい
79世界@名無史さん:2009/03/14(土) 21:58:41 0
当時の朝鮮人は新羅人でしょ
80世界@名無史さん:2009/03/14(土) 22:16:41 0
韓国は新羅が現在の韓国につながる国としているが
それなら高句麗を朝鮮人国家とみなすのはおかしいよね
81世界@名無史さん:2009/03/14(土) 22:24:14 0
高句麗が滅びた後高句麗人はどうなったんですか?
82世界@名無史さん:2009/03/14(土) 22:26:35 0
「満洲」は地名ではなく民族名なのだが。
83世界@名無史さん:2009/03/14(土) 22:44:28 0
>>81
唐につれさられた
韃靼と渤海を建てた
新羅に吸収された
日本に亡命した
のいずれか
84世界@名無史さん:2009/03/14(土) 22:50:07 0
サンクス
でも韃靼じゃなくて靺鞨じゃ
85世界@名無史さん:2009/03/15(日) 01:36:35 0
>>80
百済と高句麗もつながる国としてるように見えるけど。
あと、扶余とか渤海も。
86世界@名無史さん:2009/03/15(日) 03:04:18 0
日本でいうなら大和朝廷と敵対したアイヌ人を
日本とつながりある、または日本人扱いするようなものか?
87世界@名無史さん:2009/03/15(日) 03:39:02 0
アイヌの歴史を日本史で語ってよいか否か。
日本民族あるいは大和民族なる概念を是とするか非とするか。
88世界@名無史さん:2009/03/15(日) 03:44:22 0
百済や高句麗は新羅が滅ぼされかねなかったほどの大勢力なので
この場合は戦国の秦以外の諸国を中国史と認めるか否かといった
感じかもね。
あとウェセックス以外のアングロサクソン諸国やスコットランドや
ウェールズの諸国をイギリス史と認めるか否かとか。
89世界@名無史さん:2009/03/15(日) 08:45:27 0
インカ帝国はチリ史か?
アステカはメキシコ史か?
ヒッタイトはトルコ史か?
ローマ帝国はイタリア史か?
アケメネス朝はイラン史か?
カルタゴはチュニジニア史か?
メソポタミアはイラク史か?
90世界@名無史さん:2009/03/15(日) 12:54:57 0
別にそれでいいと思うよ
問題は一つの国が独占することだろ
91世界@名無史さん:2009/03/18(水) 17:51:35 0
もし新羅が滅んでいなければ
高句麗は外国人と扱われていたんだろうか
92世界@名無史さん:2009/03/19(木) 16:34:33 0
>>89
チュニジニア史はないだろ
チュニジア史ではあるかもしれないが
93世界@名無史さん:2009/03/19(木) 18:02:25 0
うぜえええええ
94世界@名無史さん:2009/03/19(木) 19:05:42 0
2chで五時脱字の指摘は無意味
95世界@名無史さん:2009/03/20(金) 23:48:28 0
王建はなぜあんなにもアンチ契丹なのか
96世界@名無史さん:2009/03/24(火) 01:14:50 0
>>95
満州を取り合ってたから。
97世界@名無史さん:2009/03/30(月) 17:58:40 0
大内が百済の王族の末裔自称してたな
どうせ詐称だろうけど
98世界@名無史さん:2009/03/31(火) 01:53:26 0
チョンは、現在に至るまで〜漢の時代から2000年以上、
他国の奴隷国家ですよ。
ところで韓国て何処の国?
日本の島?中国の省?
99世界@名無史さん:2009/04/10(金) 00:05:51 O
百済王の末裔を称するのは有力氏族ではない人。
桓武天皇の生母、伊賀服部氏(含む世阿彌)
、大内氏等。
100世界@名無史さん:2009/04/11(土) 00:00:51 0
百済王は扶余人であって朝鮮人ではない
101世界@名無史さん:2009/04/28(火) 19:29:31 0
>>97
あのあたりは百済系の帰化人「多々良氏」が土着して繁栄してたところで
その子孫も多かったろう。
詐称と決めつけなければならない理由はないね。
102世界@名無史さん:2009/04/28(火) 22:14:04 0
魏志東夷伝 ?婁

穴居生活、豚の飼育、住民は不潔で家の真ん中に便所を作りそれを囲むように暮らしている。

・・・、これは明治時代の日本人の朝鮮観察とほとんど同じだ。

 射撃が上手・・・これも同じだ。

 漢の時代から夫余の家来となっていた。夫余が重い税を課したので黄初年間(220年〜226年)には反乱を起こした。

 掟や習わしにはもっともルールが欠けている民族である。

・・・これは朝鮮人の先祖に間違いない。
103世界@名無史さん:2009/05/01(金) 09:08:32 0
>>102はユウ婁である。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A6%E3%82%A6%E5%A9%81
ユウ婁は扶余や北沃沮より更に北、沿海州やアムール以北にいたと推定される。
先祖は粛慎と思われる。
後にユウ婁は勿吉となり、さらに靺鞨になったと考えられる。
最終的には女真、高句麗・渤海に合流していったとみられる。
104世界@名無史さん:2009/06/06(土) 01:31:20 0
高麗の軍隊と李朝の軍隊が戦ったら
高麗が勝ちそうだ
105世界@名無史さん:2009/06/06(土) 03:52:37 0
魏志東夷伝 邑婁 >>古代韓民族成りすまし邑婁人(現在韓国人)発見<<

穴居生活、豚の飼育、住民は不潔で家の真ん中に便所を作りそれを囲むように暮らしている。
・・・、これは明治時代の日本人の朝鮮観察とほとんど同じだ。

射撃が上手・・・これも同じだ。
漢の時代から夫余の家来となっていた。夫余が重い税を課したので黄初年間(220年〜226年)には反乱を起こした。

掟や習わしにはもっともルールが欠けている民族である。
・・・これは朝鮮人の先祖に間違いない。

>>204 『晋書』粛真・邑婁伝には下記も載ってるよ!

坐るときは両脚を投げ出して座り、足を脇に挟んで(猿が坐って物を食べる姿勢)肉を食べる

風俗は皆、髪を編み、布で丈の短い上着(チョゴリの事か?)を作る。

880 :日本@名無史さん:2009/05/17(日) 04:57:51
       晋書  『粛慎、?婁伝』
井戸も釜戸もない、?(むしき)を作り、四、五升は食べる。坐るときは両脚を投げ出して座り、
{{足を脇に挟んで(猿が坐って物を食べる姿勢)肉を食べる。}} 凍った肉はその上に坐って暖める。
土には塩も鉄もない(前漢代の塩鉄なら専売制度を意味するが)。木を焼いて灰を作り、その灰汁
を注いで、これを食す(意味不明)。

 風俗は皆、{{髪を編み、布で丈の短い上着(チョゴリの事か?)を作る}}、径は尺余、これで前後
を覆う。嫁を娶るときは、男が毛羽を女性の頭に挿し、女性を連れて帰る。その後に婚礼をする。
妻は貞淑だが(未婚)女性は淫乱、若尊老卑。死者はその日に野原で葬儀を行ない、木組みの小さな
槨(ひつぎ)を作り、豚を殺して、その上に積み、死者の糧(かて)となす。
106世界@名無史さん:2009/06/06(土) 03:54:48 0

       晋書  『粛慎、?婁伝』
井戸も釜戸もない、?(むしき)を作り、四、五升は食べる。坐るときは両脚を投げ出して座り、
{{足を脇に挟んで(猿が坐って物を食べる姿勢)肉を食べる。}} 凍った肉はその上に坐って暖める。
土には塩も鉄もない(前漢代の塩鉄なら専売制度を意味するが)。木を焼いて灰を作り、その灰汁
を注いで、これを食す(意味不明)。

 風俗は皆、{{髪を編み、布で丈の短い上着(チョゴリの事か?)を作る}}、径は尺余、これで前後
を覆う。嫁を娶るときは、男が毛羽を女性の頭に挿し、女性を連れて帰る。その後に婚礼をする。
妻は貞淑だが(未婚)女性は淫乱、若尊老卑。死者はその日に野原で葬儀を行ない、木組みの小さな
槨(ひつぎ)を作り、豚を殺して、その上に積み、死者の糧(かて)となす。
107世界@名無史さん:2009/06/25(木) 00:46:20 0
高句麗が半島の新羅と百済を滅ぼして
半島と満州を有する国になっていれば面白かったのに
朝鮮半島の言葉もモンゴルかツングースににた言葉になっていただろう
108世界@名無史さん:2009/06/25(木) 01:14:39 O
高句麗語はツングとは関係ないよ
109世界@名無史さん:2009/06/25(木) 10:45:28 0
>>107
日本語と似た言葉という可能性があるわけだが。
110世界@名無史さん:2009/06/26(金) 17:58:37 0
扶余は遊牧民か
111世界@名無史さん:2009/06/27(土) 01:34:30 0
ハーブ二つおいしいです
112世界@名無史さん:2009/06/30(火) 18:59:10 0
新羅がいつの間に強大になったのかわからない
113世界@名無史さん:2009/07/11(土) 19:29:01 0
>>106
じゃあ朝鮮語ってツングースと関係あるの
114世界@名無史さん:2009/07/17(金) 23:12:40 0
韓国では高句麗の事を
モンゴルや日本のように
侵略者と見なす動きはないの?
115世界@名無史さん:2009/07/17(金) 23:20:04 0
もしそんな奴がいれば中国の工作員。
116世界@名無史さん:2009/07/17(金) 23:45:08 0
朝鮮人は当時、ナニ人と呼ばれてたんだろうな
117世界@名無史さん:2009/07/18(土) 00:18:11 0
新羅人だろ
118世界@名無史さん:2009/07/18(土) 01:05:05 O
「ヤマト」と「新羅」は一地方を指す民族語、「倭」と「韓」は中国人が呼ぶ民族名、「日本」と「朝鮮」は中国の東を意味する漢語
119世界@名無史さん:2009/07/18(土) 01:12:23 0
リア厨? なんか知恵熱でてそうだな。w
120世界@名無史さん:2009/07/18(土) 08:18:33 O
>>112
新羅もヤマト朝廷と同じくカラの鉄器手に入れたから統一できたんだろ
121世界@名無史さん:2009/07/18(土) 15:24:07 0
後漢時代は楽浪郡に属していたが、
桓帝・霊帝の頃(147〜188)、韓とワイが非常に強盛で
郡では制御できない状態になった。
楽浪郡民で流れて韓やワイに行く者が多くなったので、
魏の明帝は以前に滅ぼした公孫氏が置いた帯方郡を掌握し、
そこを拠点にして韓とワイとを討伐した(景初年間=237〜239)
122世界@名無史さん:2009/07/25(土) 22:02:49 0
新羅=大和
百済=出雲
高句麗=蝦夷、韃靼、隼人、といった異民族

三国と日本の勢力のたとえ
123世界@名無史さん:2009/07/27(月) 06:30:56 0
もうバレてますよ。
このスレまで来るとは思ってなかったでしょ?
もうさキミの調べはついてるんだ。
車種板にキミの事、書かれてファビョったみたいだけどさ。
124世界@名無史さん:2009/07/27(月) 20:14:13 0
age
125世界@名無史さん:2009/07/27(月) 20:53:53 0
age
126世界@名無史さん:2009/07/27(月) 23:51:51 O
まあよ、チョンなんて盛りのついたハムスターみたいなもんた゛
127世界@名無史さん:2009/07/29(水) 09:00:09 0
百済と日本の関係が深く、倭人が多数住んでいたようですが
百済を通して中国との往来があったことを考えると、
住民のほとんどは倭人と中国人だったのですか?
百済の中の民族構成はどんなだったのでしょうか?
どなたか教えていただけませんか?
128世界@名無史さん:2009/07/29(水) 13:35:23 0
おおまかに言えば満州族と倭人と漢人です
王族は満州人と倭人の混血でした
129世界@名無史さん:2009/07/30(木) 01:01:35 0
満州族ってw
脳味噌沸いてるの?
130世界@名無史さん:2009/07/30(木) 07:15:14 0
百済=扶余+倭+漢
131127:2009/07/30(木) 07:59:20 0
>>128>>130
ありがとうございました。

>>129
満州族に属する扶余族と理解しています。
132世界@名無史さん:2009/07/30(木) 10:52:01 0
倭国より朝鮮三国の文明が優れていたのを
なぜここの板住人たちは認めないのか
133世界@名無史さん:2009/07/30(木) 18:30:21 0
新羅=韓+漢+倭?
134世界@名無史さん:2009/07/30(木) 21:03:18 O
扶余語はツングース語じゃないんだろ?いわゆる「アルタイ語の」一種ではあるのか?
135世界@名無史さん:2009/07/30(木) 22:24:00 0
表音文字が無いと言語を調べるのは大変じゃのう。
おまけに大半が漢文ときては。
136世界@名無史さん:2009/07/31(金) 21:54:02 O
扶余語と高句麗語で「扶余語族」な
137世界@名無史さん:2009/08/03(月) 20:50:16 0
夫餘語と高句麗語と沃沮語と穢語で「穢語族」な
138世界@名無史さん:2009/08/22(土) 13:12:54 O
百済王族・貴族と馬韓人の融合はあったのかな
139世界@名無史さん:2009/08/25(火) 21:30:52 O
馬韓人が貴族になった例ならあったような
140世界@名無史さん:2009/08/26(水) 20:53:28 0
朝鮮半島真実の歴史
Cool, KOREA!! 독도 Dokdo 는 우리의 땅이다 Fucki'n Japan

http://www.youtube.com/watch?v=6-zgLG6BhdI

↑    ↑    ↑    ↑
youtubeで韓国人に見てもらえるよう再生回数を増やしていきましょう!
事実を広めるために、どんどん拡散してください!
141世界@名無史さん:2009/09/05(土) 13:49:41 O
「摩震」と「泰封」の意味がわからん
142世界@名無史さん:2009/09/05(土) 17:43:34 O
三国時代にハングルが発明されていれば…まぁ、先駆する文字を参考にして生まれたものだが
143世界@名無史さん:2009/09/07(月) 23:33:44 0
■朝鮮語

上が文字の読めない韓国(朝鮮)の人達の教育に使いだして、
1913年、日本統治下の韓国(朝鮮)において本格的に小倉昇平、金沢昇一郎博士によるハングル教育が始まりました。
韓国(朝鮮)のハングルの普及は、日本人言語学者と教育学者を中心とする専門家の努力によるものです。

そもそも、朝鮮語は、東北、西北、中都、西南、東方、済州島の六つの大方言区分に分かれ、
李朝時代には、言語的にはけっして統一されてはいなかったものを、日本の朝鮮総督府が体系化したものなのです。
144世界@名無史さん:2009/09/09(水) 23:15:47 O
>135
朝鮮語・高句麗語は音の数が多いので表音文字はやりにくいらしいが、残すだけでも残して欲しかった!!
145世界@名無史さん:2009/09/15(火) 04:35:41 0
↓の書き込みがあったけど、 斉の遺民が百済を建国したって本当?

222 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/09/15(火) 02:30:09 ID:+iw8YZdg0
始皇帝が中国を統一したとき最後まで抵抗したのが山東半島の斉。
斉が滅んだとき多くが海に逃げて対岸の朝鮮半島に逃れた。
朝鮮はこの後しばらく楽浪帯方郡の支配を受けたが後漢が滅んだ後、現地の支配層であった斉の遺民が建国したのが百済だ。
斉と済は基本的に同じ。歴史用語としては紛らわしいので斉に統一しているだけ。現在の山東省の省都は済南と表記。
百済の仏教文化は斉に由来するもの。
その後高句麗南部以下が日本の支配に入った。このとき全ての支配階級は倭人になった。
征服された土地で非征服者がそのまま支配者として残った例は世界史に例がない。
エジプトプトレマイオス朝のクレオパトラがギリシア系というのは世界の常識である。
これが白村江への援軍と百済王族日本亡命の理由だ。
つまり百済は朝鮮族とは無関係。
146世界@名無史さん:2009/09/15(火) 05:26:25 0
衛氏朝鮮の支配層や民衆は燕や斉の亡命者だからな
147世界@名無史さん:2009/09/15(火) 18:46:00 0

韓国人=朝鮮人の先祖は、古代半島の東北部、 いわゆる中国領・楽浪郡の東部地方(日本海沿岸地方)に 住んでいたワイ族。
百済人、高句麗人は古代の満州地方に住んでいた遊牧民族=フヨ族。

ウィキペディア-朝鮮民族
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%9D%E9%AE%AE%E6%B0%91%E6%97%8F

歴史
朝鮮半島では4世紀頃までに高句麗、新羅、百済の三国が興り三国時代と呼ばれるが、7世紀に中国の唐が新羅と結んで高句麗、百済を相次いで滅ぼし、さらに新羅が唐の勢力を追放して朝鮮半島を統一した。
高句麗や百済の支配層は扶余系とみられ、韓系である新羅人とは別系統の言語を話した。
一般的に現在の朝鮮語の祖語は新羅語とされている。このことから言語をもって民族の基準とすると、朝鮮民族を形成していった主流は新羅人であると考えられる。

ウィキペディア-新羅
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%96%B0%E7%BE%85

脚註
^ なお韓国では、高句麗の滅亡後にその遺民が靺鞨族と共同して満州に建国した渤海を高句麗の後継国家と見なし、新羅・渤海をあわせて南北国時代と呼び、朝鮮民族史の及ぶ地理的範囲を朝鮮半島から満洲・沿海州を含めた領域としている。
しかしながら、言語的観点から現代の韓国・北朝鮮の祖とされる新羅と、高句麗・渤海とでは、民族的・言語的に隔たりがあり(金芳漢著・大林直樹訳『韓国語の系統』)、
高句麗・渤海を現在の韓国・北朝鮮へ連続する国家と見なす十全な根拠がないため、高句麗・渤海の故地を領土に含み、また高句麗・渤海と民族的に同系である満州族を国民として多数抱える中国との間に軋轢が生じている(→東北工程)。
148世界@名無史さん:2009/09/15(火) 18:47:10 0
高句麗=扶余系=満州系なんだわな。
高句麗の発祥地は中国の東北地方で、高句麗の数百年の歴史のうちの最初からの半分以上が中国東北地方にしか版図がなく、朝鮮半島には存在はしてなかった。
そして、彼らが滅亡した後は、ほとんど満州の部族に移行している。つまり、どう考えても、高句麗は中国東北系の国なんだわな。

高句麗と朝鮮の関係って大日本帝国の朝鮮と似たようなもんでしょ。
朝鮮に日本家屋があることを理由に、朝鮮人が江戸文明を作ったとかぬかすくらいあつかましい主張でしょ。
何しろ、文明が継承されてないんだもの。
満州人はきっちり高句麗文明を継承してるけど朝鮮は100年前は土人文明だもの。
高句麗はシナと新羅(朝鮮)が連合して消滅させた異民族の古代国家にすぎない。
百済も、高句麗の後継国家、渤海も同じ。
149世界@名無史さん:2009/09/15(火) 18:47:56 0
朝鮮人は高句麗とは関係ないポキール族です。

■朝鮮民族の故郷はシベリア・ヤクーツク地方

 朝鮮人は、アムール河流域に住んでいるツングース系諸民族と同種のようである。
アムール河流域の民族には、熊や虎を「山の主」「森の主」として崇拝する信仰があるらしい。
どうやら、朝鮮民族(ワイ族)は、アムール河の以北のシベリア地方から南下してきたようだ。
 朝鮮人の先祖は、狩猟民族のワイ族であるが、このワイ族はロシア領=シベリア・ヤクーツク地方に
住んでいるヤクート族やエベンキ族、エベン族と同種の民族である。
 ワイ族は紀元前の時代、シベリア地方でトナカイやカモシカ、猪などの狩猟をしながら生活していたらしいが、
獲物であるカモシカや猪を求めて南下していき、やがて古代カラ半島の東北部(現在の江原道地方)に
辿りついたようである。南下のルートは下記のような流れであろう。

 シベリア=ヤクーツク地方→ アムール河中流域→ アムール河下流域→ カラ半島東北部

【ヤクーツク地方】
http://www.khabarovsk.ru.emb-japan.go.jp/j/shinai/ykt.htm

【アムール河】
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%A0%E3%83%BC%E3%83%AB%E5%B7%9D

 朝鮮・韓国人は、「自分たちの先祖は満州地方からやって来た高句麗人(フヨ族)だ」と、
主張しているが、これは誤りなのである。
 朝鮮・韓国人とフヨ族はまったく無関係であり、別種である。朝鮮民族はシベリアから南下してきた
狩猟民族=ワイ族の子孫なのである。
 朝鮮人の土着文化がヤクート族やエベンキ族の文化に似ているのは、そのためなのだ。

★朝鮮民族とエベンキ族
http://bbs.enjoykorea.jp/tbbs/read.php?board_id=thistory&nid=1553866
150世界@名無史さん:2009/09/15(火) 18:48:57 0
朝鮮人(高麗族、コリョ族)は中国東北部起源の北の蛮族
「楽浪半島、もしくは東シナ半島」の歴史(中国と日本の歴史)
前1000年頃 殷の廷臣、箕氏(中国人)が周の武王から楽浪(半島北部)に封じられる?(周の属国)その後、周の凋落で王を称す?
戦国期 編纂されはじめていた地理書「山海経」に「楽浪の南に、燕に朝貢する倭がある」旨、記される。 辰国(半島南部、百越人の国)は倭そのものか? 百越人(弥生人)とは、失われた長江文明の担い手。現在そのDNAは半島、日本、ベトナム以南にしか残されていない。
前195年 秦に滅ぼされた燕からの亡命武将、衛満(中国人)が箕氏楽浪を乗っ取る。 このころから辰国は三韓に分かれはじめる。 馬韓(後の百済)は百越人の国。秦韓(辰韓、後の新羅)は始皇帝から逃れてきた秦民の国。弁韓(後の任那)も秦韓に似る。
前108年 中国皇帝の武帝が衛氏を滅ぼし楽浪郡を設置、植民地とする。
前37年 東胡を祖とするコリョ族(高麗族)が中国東北部に高句麗(前高麗)を建国。
2世紀 遼東太守、公孫度が扶余族(穢族からコリョ族と分岐)の王、尉仇台に嫁を与え馬韓(後の百済) の王とする。先から三韓の王族は全て扶余族となっていた? 倭王も同族? 新羅三王家のふたつに倭出自伝説が残されている。
3世紀初 公孫康 、曹操の許可を得て楽浪郡南部を帯方郡(後の百済)として設置。
4世紀 晋の八王の乱の混乱に乗じて、高句麗が楽浪郡を不当占拠。百済、新羅が建国。日本を大国と崇め、人質を送る。任那も併せ三韓は日本の勢力下にあった。
7世紀 任那、百済と順に滅亡、遣隋使と合わせて日本は半島から手を引く。新羅、高句麗を征伐。統一新羅は中国の属国となり、独自の名前と年号を捨て、中国式の名前と年号を使い出す。
918年 新羅滅亡、高麗(後高麗)建国。新羅内に雌伏していたコリョ族が国を乗っ取った。

ここまでは、朝鮮人の歴史ではない。
151世界@名無史さん:2009/09/15(火) 18:50:37 0
朝鮮人とは朝鮮半島の南側に住んでた原住民で、三韓(馬韓、弁韓、辰韓)人

それに対して高句麗(※)も百済も朝鮮人を支配してた扶余(ツングース)民族だな


広辞苑より
【扶余】前一世紀から五世紀まで、中国東北地方北部に活動した民族。
また、その建てた国。ツングース族の一。一〜三世紀中頃が全盛期、もと百済の別称。
【高句麗】紀元前後、ツングース族の扶余の朱蒙(東明王)の建国という。
中国東北地方の南東部から朝鮮北部にわたり、四世紀広開土王の時に全盛。
都は二○九年より丸都城、四二七年以来平壌。唐の高宗に滅ぼされた。高麗(コマ)。
【渤海】八〜一○世紀、中国東北地方の東部および朝鮮半島北部のあたりに起った国。
靺鞨(マツカツ)族の首長大祚栄が建国。唐の文化を模倣し高句麗(コウクリ)の旧領地を
併せて栄え、七二七年以来しばしばわが国と通交。一五代で契丹に滅ぼされた。
【靺鞨】(マツカツ)ツングース族の一。有力な部族が七部あり、その一である
粟末(ゾクマツ)靺鞨の首長大祚栄は渤海国を起し、また黒水靺鞨は後に女真と称した。
【女真】中国東北地方の東北部から沿海州方面に住したツングース系の民族。
五代の頃より女真と称し1115年完顔(ワンヤン)部の首長阿骨打(アクダ)が金を
建国し宋に対抗。後に清朝を興した満州族も同一民族である。

一方朝鮮人は、朝鮮半島の原住民の事です。
馬韓、弁韓、辰韓の民族ですね。
なので

百済≒高句麗≒渤海  ≠  三韓=朝鮮民族
152世界@名無史さん:2009/09/15(火) 18:51:38 0
なぜ朝鮮人は嘘をつくのか Why does the Korean tell a lie?
http://www.youtube.com/watch?v=9ATZG6pyY88
http://www.youtube.com/watch?v=jbgbbXk0n1k
http://www.youtube.com/watch?v=KR7z_-jagCE

■朝鮮人が認められない歴史的事実一覧

・弥生人が長江流域からやってきた百越系民族であること
・半島南部の先住民が倭人(=弥生人=百越系民族)であること
・新羅の建国時の宰相が倭人であり、王家の一つ昔氏が倭人系統であること、また始祖の朴赫居世についても倭人説があること
・百済、新羅が大和朝廷に対し従属的地位にあったこと
・大和朝廷による伽耶地域の支配(半島南部における多数の前方後円墳の存在)
・半島における文化的独自性の欠落(あらゆる分野での古典の不在)
・常に某かの国の属国として歩んできた歴史
・姓が漢族のものであること
・朝鮮征伐が日本と明との戦争であったこと(李朝の軍は明の将の指揮下に入り、和平交渉も日本と明の間で行われている)
・朝鮮通信使が実質的に朝貢使節であったこと(琉球の江戸上りと同じ)
・オンモン(朝鮮文字)がパスパ文字、契丹小字をもとにしたものであり、しかもカナより600年遅れて作られたものであること
153世界@名無史さん:2009/09/15(火) 18:52:37 0
長い歴史の中で数多くの国や王朝に朝貢し冊封され支配、統治され
朝鮮人は混血も重ねています(大きいところでは中国諸民族、縄文人、倭人、蒙古人、満州人、大日本帝国)

近年韓国で医学界等の遺伝子や血液の分析で朝鮮のルーツは北方である事
南部からの流入(日本の縄文人や倭人、倭人王については完全にスルーしてますが)との
混血である事も徐々に指摘、新聞でも報道されはじめました

血液分析により民族の移動経路を判明する 東亜日報
韓国 台湾 日本、もっとも単一民族に近いのは日本人
http://japan.donga.com/srv/service.php3?biid=2001010317828

"韓民族は単一民族ではない!" 韓国 朝鮮日報
http://news.chosun.com/site/data/html_dir/2009/01/09/2009010901296.html

韓国人、違う民族の血40%位まじっている 韓国 朝鮮日報
http://www.chosun.com/national/news/200604/200604050360.html

顔で見た韓国人、すでに他民族血統…“80%が北方系” 日本版 中央日報
http://japanese.joins.com/article/article.php?aid=90507&servcode=400

もし日本人、韓国人が似てると感じれば、それは激しく混血を重ねた朝鮮人が似てるのであって
日本人が似ているのではないのです

朝鮮はこの通り朝鮮民族だけの物ではありません、
今後は友愛の精神で朝鮮半島は異民族を多く受け入れ多民族多人種社会となり
それぞれの民族の国籍を認め韓国朝鮮人と同じ権利を持ってもらい共生すべきです

国連、「韓国の単一民族強調」人権侵害の恐れ 日本版 中央日報
http://japanese.joins.com/article/article.php?aid=90362&servcode=400

韓国の民族主義を告発、スタンフォード大シン教授(上)
http://www.chosunonline.com/news/20090623000056
154世界@名無史さん:2009/09/15(火) 18:53:53 0
【質問】『「我々韓国人は高句麗人(フヨ族)の子孫だ。高句麗は韓国人が建国した国だ」と主張していますが、 これは事実でしょうか?』

【回答】 完全なウソです。韓国人の作り話です。韓国人と高句麗人はまったく別種の民族です。高句麗人は
古代の満州地方に住んでいた 遊牧民族=フヨ族の一派ですが、韓国人=朝鮮人の先祖は、古代半島の東北部、
いわゆる中国領・楽浪郡の東部地方(日本海沿岸地方)に 住んでいたユウロウ族です。狩猟民族=ユウロウ族の子孫が
現在の韓国人です。このユウロウ族はシベリア奥地の山岳部から半島東北部に移住してきた民族です。
 満州地方に住んでいた遊牧民である高句麗人(フヨ族)とは何の関係もありません。強いて関連付けるならば、
一時期、フヨ族がワイ族を 支配化に置いていたこと、くらいです。
 では、高句麗人の子孫にあたる民族とはどのような民族なのか。それは女真族(満州族)です。
高句麗が唐によって滅ぼされた後、高句麗人(フヨ族)は彼らの故郷である『満州』に逃げました。
 高句麗人はこの地において契丹族や鮮卑族、モンゴル族と混血しました。それによって誕生したのが
女真族(満州族)なのです。 この女真族が、1115年に満州地方から中国北部にまで版図を有する
『金国』を建国しました。金国が滅びた後、1616年に、 同じく女真族の国である第2次金国=後金国が建てられ、
この『後金国』が清国へと発展していきます。
155世界@名無史さん:2009/09/15(火) 18:55:04 0
高句麗人(フヨ族)の歴史を図にすると、下記のような流れになります。

〔フヨ国→ 高句麗→ 金国→ 後金国=清国 (高句麗滅亡後に建国された渤海国も『高句麗人の国』という説がある) 〕

 見ての通り、高句麗と韓国人は何の関係もありません。高句麗人の末裔と呼ぶべき民族は満州族であり、
韓国人=朝鮮人ではないのです。 韓国人は高句麗人の子孫ではないだけでなく、高句麗人の歴史を受け継ぐ
満州族(女真族)のことを『オランケ』と呼び、蔑んでいました。 オランケとは韓国語で「野蛮人」の意味です。
 韓国人は、「我々は高句麗人の子孫だ」と自称する一方で、本物の『高句麗人の子孫』である満州族のことを、
野蛮人呼ばわりして 見下しているのです。
 ところが最近の韓国人は、時と場所によって「満州族と韓国人は兄弟民族だ」と言ったり、「満州族はオランケであり、
韓国人と違う民族だ」と、 言ったりしています。まさに『ご都合主義』です。自分たちの都合により、歴史を捏造し
歪曲しているのです。 日本人は倭人の子孫である。一方、朝鮮人はユウロウ族の子孫である。この2つの民族は
最初から別種なのだ。
156世界@名無史さん:2009/09/15(火) 18:55:47 0

          /\
        / 大\
      / / ̄\ \
    /清|へノ⌒|国/\
    \  \_//  .\
      \属 . /      \
       \/         \
             ∧∧∧∧ \
            <  `/)  >ヽ∧
            /   /  / `∀> ∧∧
          ◇(   イ◇  (   ,つ`∀´>
          /ヽ  )) ヽ  )ヽ )と  , イ
          (_/(_/(_/(_/ノ(_/⊂ノ> )J
      / ̄Y ̄`|/ ̄^Y ̄ヽ/ ̄ ̄Y `´ ̄\
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
見ろチョッパリ! これがウリ達の誇らしい国旗ニダ!


昔の韓国の国旗は、清(中国)の属国と書かれていた

最古の太極旗の絵が発見
http://www.chosunonline.com/article/20040126000072
http://file.chosunonline.com//article/2004/01/26/096308444610326967.jpg

韓国の国旗自体が、中国の清の属国国旗だと言ってるじゃないか

157世界@名無史さん:2009/09/15(火) 18:56:58 0
中央日報 2004.09.27 スペイン紙「韓国4228年間、中国の属国」

スペインの有力紙「エル・ムンド」のウェブ版(www.elmundo.es)が
「韓国は4228年間にわたって中国の植民地だった」と紹介した。
「エル・ムンド」は「韓半島は長い歴史のなかで数多くの侵略を受けてきた。中国に1895年まで属していた(略)
「▽韓国が元々中国植民地だったと伝えた米CNNテレビ▽平壌を中国植民地だと紹介したヒストリーチャンネル−−などのケースと同じ脈絡のもの」(略)
http://japanese.joins.com/article/article.php?aid=56213

http://blog.goo.ne.jp/think_pod/e/0b306f901f4daf3e42a18ba5e2664129
世界の教科書
◎ ドイツの教科書
「日本が大陸に最初の足がかりを築いたのは4世紀の事だった。その後300年、
日本は朝鮮半島を支配する地位にあったが、唐との戦争に敗れ、17世紀になるまで待たなくてはならなかった」
◎ フィリピンの教科書
「朝鮮は、その歴史の大部分中国の属国であり、その支配は19世紀に日本に引き継がれた。
日本は自由な新しい秩序を樹立する事によって、朝鮮に平和と安全をもたらそうとした」
◎ インドネシアの教科書
朝鮮を中国の属国として記した。
「朝鮮の文化と芸術は中国・モンゴル・日本文化の影響を受けた」
「朝鮮は言論・宗教の自由が制約を受ける国」
「北部はロシアが、南部はアメリカが占領している」
◎ タイの教科書
「朝鮮は中国の支配下に入り、これが19世紀まで続いた」
◎ ポーランドの教科書
「AD1世紀以来、日本と中国は朝鮮半島の領有権を巡って衝突した」
◎ アメリカの教科書
「朝鮮は中国の従属国」
◎ カナダの教科書
「朝鮮は、数百年間中国の属国」
「日本は<中略>朝鮮に鉄道・道路・港を建設し、産業を発達させて教育の機会を拡大させようと努力した」
◎ イギリスの教科書
「西暦366年から562年まで、日本が朝鮮半島を支配した」
158世界@名無史さん:2009/09/15(火) 18:58:30 0
朝鮮の歴史は半万年ではなく千百年弱

「朝鮮、属国史」の始まり
918年 高麗建国
10世紀 宋に朝貢、契丹(東胡の末)に朝貢。
12世紀 金(女真族、東胡の末)に朝貢。
13世紀 高麗はモンゴルの属国となる。劣等感から、一然という僧が檀君神話を捏造し、忠烈王がモンゴルに日本侵略を唆す。(コリョ族もモンゴル族も同祖、東胡が匈奴に破れ四散したのは2200年前、ゆえに彼らの歴史も最長2200年)
14世紀 高麗滅亡、李朝建国。李朝は最初から明の冊封国で、国名も中国に決めてもらった。
17世紀 清(女真満州族)に服属、三跪九叩頭の礼に甘んじる。
19世紀 日本が日清戦争で中国を破り、属国の李朝は独立させてもらう。(日本の保護国)
1910年 李完用の要請により日本に併合してもらう。李氏朝鮮(大韓帝国)滅亡。
1948年 戦後アメリカ軍政庁の統治下にあったが、アメリカの後押しで大韓民国が成立。
1950年 アメリカとソ連の代理戦争である朝鮮戦争が起き分断国家となる。
1991年 ようやく国連加盟、史上初めて世界から独立国家として認められる。 
1993年 韓国、軍事独裁制を脱し、史上初めて独立民主政体となる。
現在 いまだ言論、学問の自由もなく民主主義とは程遠い国である。北は論外。
159世界@名無史さん:2009/09/15(火) 18:59:55 0
百済→王族は扶余族、倭人との混血で大和朝廷と親戚 、民衆は長江文明の遺臣の弥生人(百越人ともいう)
新羅→王族は扶余族、三王家のふたつに大和出自伝説あり、民衆は弥生人と、始皇帝から逃げてきた秦人(漢族)
高句麗→ツングース系女真人
高麗→ツングース系女真人
渤海→ツングース系女真人

渤海と高句麗の民族的人種的なつながりははっきりとはわからないが、
新羅に滅ぼされた高句麗の遺民が建国した国ではないか、とは言われている。
何度も日本に朝貢している。
渤海が滅んだのち、今度はその遺民が高麗を建国した、というのがだいたいの流れ。
中国東北部にいた人々が一時期朝鮮半島に国を作ったとも言えるし、それが朝鮮人であるとも言える。
朝鮮半島は漢族、倭人、中国東北部族、モンゴル人等々、種々雑多な人種が入り乱れている。
日本と違って、半島というのはどこでもそういうもの。いわば人種民族の通り道的な存在。
160世界@名無史さん:2009/09/15(火) 19:02:01 0

高句麗は、夫餘から出た別種である。(『旧唐書』高麗伝 :「高麗者、出自扶餘之別種也。」)
高句麗は本来夫餘の別種である。(『新唐書』高麗伝 :「高麗、本夫餘別種也。」)
という記述にもあるように、高句麗族はその起源伝説の類似点から、ツングース系と考えられる
扶余と同じ民族と見られることが多い[2]。史上でも扶余の流民を受け容れていることが記されているが、
民族を同一とするにたる明証はなく、墓制の違いを見る限りは扶余と高句麗との差は歴然としている[3]。
但し、『魏書』百済伝の百済王蓋鹵王の上表文には、「臣と高句麗は源は夫余より出る」
(臣與高句麗源出夫餘)とあり、当時の百済人は高句麗人を同種の夫余とみていたことになる。
なお、扶余族は他に、沃沮(東沃沮・北沃沮)・?・百済(王族)など朝鮮半島に広く分布していた。

wiki より

上記からも、高句麗はツングース系と確定している。当然、朝鮮民族ではない。

161世界@名無史さん:2009/09/15(火) 19:03:35 0
======== 偉大な韓国の歴史 ==========
10世紀 長白山が過去2000年間で世界最大級とも言われる巨大噴火を起こす(リセット)

1010年 「契丹」に侵略される。首都開城が陥落。(キタン人化)
1013年から1019年まで継続して侵略される。   (キタン人化)
12世紀 「女真」の侵入。侵略。「金」に朝貢。   (満洲人化)
1231年 「蒙古」に侵略される。首都開城が陥落。国王江華島に逃亡
    長い間、無抵抗の半島はモンゴル軍に蹂躙される。(モンゴル人化)
1247年 「蒙古」に再侵略される。しばらく蹂躙が続く。 (モンゴル人化)
1258年 雙城総管府を置かれる。翌年、王子を人質に降伏。(モンゴル人化)
    国内には多くの蒙古軍人が駐留。        (モンゴル人化)
1270年 東寧府を置かれる。              (モンゴル人化)
    反対派が済州島に移って徹底抗戦。1273年に鎮圧 (モンゴル人化)
1274年と1281年「元寇」(半島人主力で日本侵略。が、全滅(モンゴル人化)
1356年から1362年までの紅巾賊侵入により首都開京が陥落 (シナ人化)
1419年 「応永の外寇」 17000人で対馬を襲撃。船、家を焼き、住民を虐殺する。
    しかし、少数の対馬軍に撃退される。
1592年 と1598年秀吉の「唐入り」 首都漢城が陥落(短期でヤマト化は無理)
1627年 「後金」に侵略される。平壌を超え、侵略されるが漢城までは来なかった。
    しかし、国王は江華島に逃亡(満洲人化)
1636年 「清」に侵略される。首都漢城が陥落。清軍が、す早く江華島への道を遮断。
    泥濘の中、朝鮮王仁祖は清の太宗に降伏、大清国属国となる。(満洲人化)

「屈辱の象徴」三田渡碑の移転決定
http://tosi.iza.ne.jp/blog/entry/610163/
韓国マイナー観光
http://www.geocities.co.jp/HeartLand-Kikyo/1239/w-18.htm

162世界@名無史さん:2009/09/15(火) 19:06:22 0
宗主国をかさに、高麗や朝鮮国王にゆすりたかりを働き、一族の利益を図るのが、
朝鮮 半島の鉄則のようなものだ。千余年来、たいてい同じようなことを繰り返したのであった。
だから千年進入され、千回とも敵を撃退したのではなく、属国になると誓ってから宗主国が
兵を引いたという歴史事実が繰り返されている。
 ではなぜ戦後になると韓国知識人の歴史歪曲が、日を追ってますます神話まがいのものまでに
変化していったかというと、それはどの民族も自存自衛のために欠かせない民族の自尊心にある。

韓国は壬辰倭乱(豊臣秀吉公の朝鮮征伐のこと)で焦土と化した。だから三百年もへても立ち
直れなかった。いやがうえにも倭乱のひどさを強調した いという気持ちはわからないでもない。
しかし、考えてもみると、一回の大乱だけで三百年も立ち直れない民族は、世界中のどこにいるのか。
もしあるとす れば、もっと恥を知るべきであろう。戦後、焦土化した日本は半世紀もたたずに
再び経済大国になったではないか。千回も侵略され、すべての侵略者を撃退 したという自慢話と、
三百年も立ち直れないでいるという論理を矛盾することもなく主張することに自己撞着はないのであろうか。
 韓国知識人はつねにこのような歴史歪曲で「反日」を正当化する。

              韓国人の反日台湾人の親日  黄文雄 光文社

163世界@名無史さん:2009/09/15(火) 19:08:24 0
日本人「日本書紀に『391年に神宮皇后が百済と新羅を征服したと書いてある。』」
韓国人「捏造だ。」
日本人「三国史記「新羅本記」にも慶州を倭兵に包囲されたと言う記録がある。」
「新羅は何回も王子を人質に差し出している。百済の武寧王は人質の子として日本で生まれた。」
韓国人「捏造だ。」
中国人「満州にある碑文にも倭国が海を渡って百済と新羅を臣下にしたと書いてある。」
韓国人「捏造だ。」
中国人「中国の歴史書の宋書にも倭国が朝鮮半島南部を支配した記録がある。」
韓国人「捏造だ。」
中国人「中国の歴史書の魏志倭人伝には既に3世紀から倭国では鉄の鏃を使ったと書いてある。」
韓国人「捏造だ。」
中国人「中国の歴史書の随書にも倭国は産物も豊かで鉄の鏃で武装した軍隊を持つ。百済と新羅は倭国を大国として敬ったと書いてある。」
韓国人「捏造だ。」
日本人「日本や中国の歴史書や発掘品は全て捏造なのか?」
韓国人「そうだ!韓国に都合の悪い歴史書は全て捏造だ。」
中国人「中国の歴史書まで捏造か?」
韓国人「捏造だ!」
日本人「三国史記に「670年の十二月に、倭国が国号を日本と改名した。日の出る 所に近いから、これをもって「日本国」としたとの事である。」とあるが?」
韓国人「捏造だ!
中国人「中国政府も外交部のホームページ(www.fmprc.gov.cn)で「5世紀はじめ、大和国が隆盛した時期に、日本の支配が朝鮮半島の南部にまで拡大した。」 と公式に認めている。」
韓国人「中国人の捏造だ!!」
英国人「イギリスのオックスフォード大学の出版社(www.oup.com/ca)の教科書が、「5世紀の日本の勢力は朝鮮半島南部まで支配した。」と書いている。それを世界50か国の学校に発行している。」
韓国人「オックスフォード大学の捏造だ!!」
韓国人以外の一同「ではそれらの捏造を裏付ける証拠は?」
韓国人「・・・・・・韓国に対する愛はないのか!!ー!!」
164世界@名無史さん:2009/09/15(火) 19:13:45 0
わが国の中・高等学校教科書を見ると、百済・高句麗・新羅三国の文化が日本に
伝えられた話が出てきますが、その内容は日本古代史書である 「日本書紀」を
土台にしているもので、わが国の史書にはありません。(そもそも韓国に古代の
文献はほとんどない)ところが、日本の学者が 「日本書紀」を土台にして、古代日本が
二百年余り朝鮮半島南部の伽耶(日本名任那)地域を支配したという「任那日本府説」を
主張すると、 韓国の学界ではそれは信じることができないと主張しています。
これは明白な矛盾であり、こうした姿勢ゆえに日本の学界が韓国の学界を軽く見るのでは
ありませんか、という身の程を知らぬ質問をした。そしたらL教授は黙り込んで答えず、
横に居られたC教授が「自信がないんだよ」とおっしゃった。「日本書紀」 には日本が
「任那日本府」という機構を置いて朝鮮半島南部を支配しつつ、三国文化を運んでいった
ようになっている。しかし、韓国の中・高等学校 では三国文化が日本に伝播される国際
関係に関しては何の説明もされず、ただ高句麗・新羅・百済の三国が日本に文化を伝えた
事実だけを教えている。
そこで学生達は日本を客観的に理解できずに、無条件、対日優越意識だけを 助長する結果を
もたらせた。外国に出かけたわが国の学生が「任那日本説」に接して戸惑うのも無理はない。
高麗大学教授 金鉉球

鄭大均 「日本のイメージ」より
165世界@名無史さん:2009/09/15(火) 23:11:57 0
朝鮮人は、シベリアから南下してきた原始的狩猟民族の子孫だよ。
少なくとも新羅とは赤の他人。高麗とも、なぜか縁が薄い。
だから、新羅や高麗の言葉が、朝鮮語では全く解読できない。
この「全く」というのがミソ。 少しつながりがあるのなら、民族の混交や変化があっても、少しは解読できる。
また、山野の木々の乱伐、灌漑の知識・技術の欠如、車輪や水車・染色など基礎的な
テクノロジーの欠如は、朝鮮人がまだ定住民として完成されていない証拠。

もしかすると、
古代末期に起きた長白山の大噴火というより、高麗王朝の末期に何か半島で自然災害(疫病、旱魃、洪水他)が起こり、
民族の絶滅(もしくは大幅減少)が起こり、シベリア狩猟民族の南下を招いたのでは?
新羅や高麗の時代までは高かった女性の地位が、李氏朝鮮の時代に入ると異様に低くなる。
家族制度という人間の基本的部分で、こんな急激な変化が起こるのは奇怪すぎる。

10世紀の有史2000年来の最大の噴火を起こした白頭山・中国名長伯山の大噴火(M7.4)で
古代在住朝鮮人は絶滅か僅少残っても後に南下在住した新朝鮮人に飲み込まれて消滅
しただろう。文献的、実証的記録すら絶無で、日本や中国は文献的、実証的記録を持ってる。
166世界@名無史さん:2009/09/15(火) 23:13:13 0
日本海をはさんで10世紀に相次いで起こった二つの大噴火
http://www.edu.gunma-u.ac.jp/~hayakawa/paper/946/

火山爆発指数(英:Volcanic Explosivity Index, VEI)とは1982年にアメリカ地質調査所の
クリス・ニューホール (Christopher G. Newhall) とハワイ大学マノア校 (University of Hawaiiat Manoa) の
ステフェン・セルフ (Steve Self) が提案した火山の爆発の大きさを示す区分。
火山そのものの大きさではなく、その時々の爆発の大きさの指標である。区分は、噴出物の量で
なされる[1]。0から8に区分され、8が最大規模である。VEI=0はテフラの量が104立方メートル未満の
状況を指す。VEI=8はテフラの量が1012立方メートル以上の爆発を指す。
それぞれの区分には噴火の状況を示す名称(「小規模(gentle)」など)が付けられている。

5 ヴェスヴィオ (ポンペイ eruption) 79年 セント・ヘレンズ山 (1980年の噴火) 1980年
樽前山 1739年
6 白頭山 (Tianchi eruption) 969 ± 20 年
7 Kurile 紀元前6440 ± 25 年
8 トバ湖 73,000 BP
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%81%AB%E5%B1%B1%E7%88%86%E7%99%BA%E6%8C%87%E6%95%B0
167世界@名無史さん:2009/09/15(火) 23:15:22 0
朝鮮民族とツングース系の代表民族であるエベンキ、エベン族とは共通風習、歌、言葉などから、
「朝鮮民族」とは同じ流れと分かる。馬を持たなかったエベンキ族の代表的な歌は、
遠くの人々を懐かしむ「アリラン(迎える)・スーリ(感じとる)」。
朝鮮のアリランには「アーリアリラン、スールスーリラン」とそっくりな言葉が続く。節回しも酷似している。
アリランという言葉、スーリも意味不明と言ってるが、エベンキの言葉では意味はハッキリしているw
朝鮮とエベンキ、ワイ族には、棒を立てたソッテ、トーテムポールのチャンスンが共通。
朝鮮の神社にあたるものであるソッテって、こんなものなんだよねw
いずれにしても、森を大事にする神社とは似ても似つかぬもの。
http://www.flet.keio.ac.jp/~shnomura/mura/contents/mid/Img2046m.jpg
http://www.flet.keio.ac.jp/~shnomura/mura/contents/mid/Img2052m.jpg
http://www.flet.keio.ac.jp/~shnomura/mura/contents/mid/Img2051m.jpg

これも、エベンキなどと同じ風習。中国や日本にはない。
チャンソンと呼ばれるトーテムポールの様な木像と同じで、エベンキ族と朝鮮でだけ見られる。
チャンソン
http://zaiwakan.hp.infoseek.co.jp/hanguku0311.files/image043.jpg
http://busan.nekonote.jp/korea/old/life/kokoro/chn.jpg
http://www.flet.keio.ac.jp/~shnomura/mura/contents/mid/Img2075m.jpg
http://www.flet.keio.ac.jp/~shnomura/mura/contents/mid/Img2073m.jpg
http://www.flet.keio.ac.jp/~shnomura/mura/contents/mid/Img2049m.jpg
168世界@名無史さん:2009/09/16(水) 13:45:26 0
169世界@名無史さん:2009/09/17(木) 23:05:43 0
高句麗はどんな動物をトーテムにしていたのか
170世界@名無史さん:2009/09/17(木) 23:54:45 O
高句麗とエヴェンキの関係は?
171世界@名無史さん:2009/09/20(日) 00:39:58 0
ウィキを見ると
高句麗を構成をした扶余は
モンゴル系じゃないかと思える
172世界@名無史さん:2009/09/20(日) 23:02:10 0
高句麗が倭や百済を圧倒できたのも
騎馬のおかげだろうか
173世界@名無史さん:2009/09/21(月) 10:20:03 0
高句麗は燕やら扶餘やら契丹と境を接していたから
戦慣れしてたんだろう。百済はおそらく高句麗と
ルーツを共にしながらも袂を別った勢力が中核だった
と思われるけど、やはり戦力は劣っていたんだろう。

倭については言われているほど騎馬戦力は充実して
いなかったように思う。5世紀あたりは、騎兵甲などの
出土数の少なさから考えても、歩兵主体の編成だった
はず。広開土王碑によると、新羅城を占領していた倭軍
が歩騎五万の高句麗軍に駆逐されたとあるが、おそらく
倭は高句麗の歩騎組み合わせた巧みな戦術の前に
敗れ去ったんだろうね。
174世界@名無史さん:2009/09/21(月) 12:09:38 0
圧倒してたら長いこと三国鼎立の状態は続かなかったろうが
175世界@名無史さん:2009/09/21(月) 13:19:24 0
満州国家の高句麗は
半島ばかりに目を向けていなかったから
契丹や燕という敵もいたから
176世界@名無史さん:2009/09/21(月) 13:22:52 O
高句麗と百済は南下してきたわけだが、その課程で支配層の文化も相当変わったことだろう。
177世界@名無史さん:2009/09/21(月) 15:54:23 0
漢化してたんだろうなぁ
178世界@名無史さん:2009/09/21(月) 15:58:40 0
商代以前に関しての実証研究が楽しみですよ
179世界@名無史さん:2009/09/21(月) 16:26:15 O
卵生神話を持ってることから、被支配者の韓人の文化を受け入れたことが想像つくかな?
180世界@名無史さん:2009/09/22(火) 22:31:04 0
>>175
そういう理由で圧倒できなかったわけだから、要するに圧倒できなかったわけだよ。
181世界@名無史さん:2009/09/23(水) 03:19:11 0
戦略的にはともかく局地的な戦いでは優勢だった
182世界@名無史さん:2009/09/23(水) 21:10:07 0
古代史なんぞ所詮神話のつまみ食い
都合のいいとこだけ「こういう意味だ」と解釈し
都合が悪ければ「時の支配者の捏造」「神話的な誇張」と切り捨てる

酷いのになるとそれを何の疑問もなしに「ロマンだ」とか言う
183世界@名無史さん:2009/10/05(月) 12:27:55 0
朝鮮古代の史書について調べています。「三国遺事」や「三国史記」などは、
「三韓古記」「本国古記」「新羅古記」など、三国時代の史書を史料として用いたと
されています。高句麗については「留記」「新集」、百済については、「日本書紀」
に引用されている「百済本記」、「百済記」、「百済新撰」などがあったとされています。
しかし、いづれも散逸して残っていないとのことです。
そこで質問があるのですが、日本、中国では、比較的史書が残っている方だと思います。
日本は、天皇家がずっと存続していた為、正史が宮中で保存される確立が高かったと思いますが、
度々王朝交代のあった中国でも、正規軍による都攻撃時には図書や文化遺産の保存がなされ、
比較的古来の文物が残される傾向があったかと思います。

 朝鮮史を考えますと、高句麗・百済は征服されたので、その過程で史書が散逸するのは
納得できるのですが、新羅は、高麗に武力征服されたのではなく、最後の王が降伏し、
側近ともども高麗に下っています。このようなそう考えますと、新羅時代の政府管理の
史書が現存していても良いように思うのですが、何故散逸してしまったのでしょうか?
「三国遺事」や「三国史記」の成立で十分と思われたから、廃棄されてしまったのでしょうか?
中国の史書は、正史以外でも、他の図書に引用されるなどして、一部復元されているものも
結構あります。古代朝鮮の史書でそのようにならなかったのは何故なのでしょうか?
(本件高麗時代にも関係するので、高麗・李朝スレにもマルチポストしています)
184世界@名無史さん:2009/10/05(月) 21:00:43 0
>>183
高麗朝はともかく次の李朝が本場中国以上に朱子学が盛んだったから
「本来そうであるべき歴史」とは大きく逸脱する記録書が処分されたとか
または三国時代では各国とも仏教が国教の国々だったから目の敵にされて処分されたのかも
実際高麗時代の貴重な仏典が多く毀損されたし
185世界@名無史さん:2009/10/05(月) 21:19:07 0
伝統的に朝鮮人は、前王朝・前支配者の事績を全否定し、痕跡を跡形もなく
消し去る傾向があるんじゃないかなぁ。

現代南ウリナラ人がなにかにつけてホルホルする百済文化や高句麗文化にしたところで、
実のところ発掘品を以外の伝世のものは皆無だしね。

その点、宗主国様は故宮宝物が象徴するように、前王朝の文化遺産を引き継いでこそ
正統という意識があるのとはずいぶん大きな隔たりがあるような気がする。

186世界@名無史さん:2009/10/05(月) 22:11:46 0
それもあるだろうけど三国時代の痕跡が全く残ってないのは
やっぱり朝鮮半島のリセットボタンこと長白山が大噴火したのが影響してるんじゃない?
187世界@名無史さん:2009/10/06(火) 00:38:10 0
三国史記や三国遺事は高麗の半ば成立であり、同じ高麗の初期や前半に
成立したであろう史書は伝わらない。
となると王朝交代ばかりが散逸の原因というわけでも無いってことか。
188世界@名無史さん:2009/10/06(火) 16:09:35 0
183です。
皆様貴重なご意見ありがとうございます。王朝交代以外にも、王朝思想・社会思想、
更にその他の要因など、様々な要因が考えられそうなことがわかり、
大変参考になりました。日本では、王権の正統性は、天皇の抱きこみだったり、
源氏の棟梁だったりと、中華皇帝同様、正統性の根拠があるものですが、朝鮮では
どうだったのでしょうか。また新たな疑問が出てまいりました。
一貫した正統の不在は、史書を引き継がない体質を生むのはわかりますが、
実際どうだったのでしょうか?
189世界@名無史さん:2009/10/06(火) 22:27:27 0
あくまで儒教や朱子学の言う正統は「中華」だからね
「中華」に登場しない自国の歴史がどうであろうと彼等にとってはどうでも良かったわけで
まあ「小中華」気取るようになってから箕子朝鮮の系譜作りとか正当性を主張し始めるけどw
190世界@名無史さん:2009/10/06(火) 22:33:28 0
>>187
たかだか建国から半世紀も経つか経たないかで憲法原本やら国璽やらが
相次いで行方不明になるお国柄のミンジョクだもの。
191世界@名無史さん:2009/10/07(水) 21:01:40 O
日本でも文書持ってるのは寺が多いしなあ。その上金城も首都じゃなくなったし
192世界@名無史さん:2009/10/07(水) 22:37:13 0
渤海が滅んでいなかったら
高句麗論争は韓国と渤海の間で繰り広げられていただろう
193世界@名無史さん:2009/10/07(水) 23:40:55 0
国が行う正史編纂とは別にそれに入らない野史ってのがあるもんだが
李朝の儒教・中央集権化・長期王権が激しくて
在野の史家が育たない(政争に負けて流された類は古代史には見向きしない)
国内が均一化されたせいで郷土史なんぞが残ってない
ってのはどうだ
194世界@名無史さん:2009/10/08(木) 00:29:07 O
書物の歴史においては保存、生産の両面においてモンゴル支配は相当なダメージだったろうな。倭乱、胡乱もだけど
195世界@名無史さん:2009/10/08(木) 17:35:36 0
>>193
あったとしてもそれを読める人がいない ってのはどうだ
196世界@名無史さん:2009/10/08(木) 20:02:56 O
モンゴル支配=ローマ帝国へのゲルマン人侵入
封建制への流れもここでストップしたし。
197世界@名無史さん:2009/10/09(金) 00:15:08 0
もうすぐ「善徳女王」始まるよー
http://www.bsfuji.tv/top/pub/sondoku_sp.html
198世界@名無史さん:2009/10/09(金) 07:30:56 0
最後には「悪徳女王」と変わってるのかな?
199世界@名無史さん:2009/10/09(金) 23:45:00 0
それたしか「花郎世紀」を元にしたっていうファンタジーだろ?歴史?え?
200世界@名無史さん:2009/10/10(土) 09:17:10 O
日本でも廃仏で文化財に大きなダメージ受けたなあ。李氏朝鮮でもやはりそうか?
201世界@名無史さん:2009/10/10(土) 09:18:54 0
ダメージもダメージ、滅亡の淵に立ったわけで
202世界@名無史さん:2009/10/10(土) 10:02:01 O
島国で政治的な関わりがあまりない日本にしてからが中国へのあの傾倒ぶり。
203世界@名無史さん:2009/10/10(土) 14:17:19 O
なぜ日本は資料が比較的多く残ったんだ?
204世界@名無史さん:2009/10/10(土) 14:45:30 O
平家から始まる武家政権と武臣政権だけでなく、光仁天皇と宣徳王、平将門と高麗もダブってるような気がする
205世界@名無史さん:2009/10/10(土) 16:48:37 0
韓国には「桓壇古記」「壇奇古史」「揆園史話」
という世界最古の歴史書が揃っている
206世界@名無史さん:2009/10/11(日) 07:13:55 0
ジョークはジョークスレで
207世界@名無史さん:2009/10/11(日) 08:22:50 0
>>203
少なくとも継体帝以降王朝が断絶していない事
藤原摂関家始め旧支配者層が形骸化したといえ今に至るまで生き残っている事
また復古運動が時代ごとに行われその運動の最も活発であったのが江戸〜明治期と近世・近代であったこと
208世界@名無史さん:2009/10/11(日) 09:54:17 O
昔は新羅を滅ぼした王建を憎んでいたが、実際には宣徳王の時代に滅んでいたんだな。コイツがいなければもうちょっと権威として長続きしたかもなあ
209世界@名無史さん:2009/10/11(日) 10:51:28 O
王朝交代ってどのくらいの影響があるんだろうか。たとえば、藤原氏の仲麻呂なり良房なりが禅譲して王になったらそれまでの資料は焼かれるのか?
210世界@名無史さん:2009/10/11(日) 12:24:15 0
史料は焼くもしれないが資料は無くなったら政治ができなくなるので焼かない。
211世界@名無史さん:2009/10/11(日) 12:33:14 O
まあ、仲麻呂はともかく、良房が即位しても天皇家を皆殺しにはしないだろうが(葛城、三輪王朝の子孫を優遇したみたい?に)。
212世界@名無史さん:2009/10/11(日) 14:39:54 0
神話関係は確実に書き換え
213世界@名無史さん:2009/10/11(日) 17:35:20 O
イワレヒコが付き人になってる。
214世界@名無史さん:2009/10/14(水) 06:00:11 0


東北工程:百済・新羅の歴史も「中国史の一部」=中国社科院
http://www.chosunonline.com/article/20070604000018

公式研究書に百済と新羅の歴史も「中国史の一部」と記述していたことが3日、分かった。
百済に対しては「(高句麗と)同様に古代中国の辺境にいた少数民族である夫余人の一部が興した政権」
とし、新羅については「唐は(百済が滅亡した)660年以前には羈縻政策を、それ以降には直接統治を行った」
と記述した。また、新羅は「中国の秦の亡命者が樹立した政権」であり、
「中国の藩属国として唐が管轄権を持っていた」とした。


「王建は決して<朝鮮>半島の新羅人の子孫ではなく、
中国・淮河流域から来た漢人の末裔・・」と主張し、933年に後唐の明宗が
太祖・王建に送った冊封詔書などをその根拠として提示した。
冊封詔書には太祖・王建を「長淮の茂族」と呼んでいる部分があり、
この論文は「長淮は淮河流域を意味する言葉で、
太祖・王建の本籍地が中国であるため、高麗は中国人が建国した国」と主張している。
215世界@名無史さん:2009/10/14(水) 20:23:07 O
>211
アマテラスがサブキャラになってる
216世界@名無史さん:2009/11/07(土) 22:16:40 0
>>183
というか、簡単な話なんだよ。
「新羅は、少なくとも奈良時代の大和に比肩するような国ではなかった」
ということ。大和と新羅を並び立つようにイメージしてしまうこと、
これこそが、反皇国史観の反動で形成された、
戦後のウリナラマンセー史観の最たるもの。
こんなことは、複雑な資料を研究しなくても
慶州に行って、半月城の跡を簡単に観光するだけですぐ分かる。
日本では、すでに藤原京時代には形成されていて、
古代のうちに、摂津難波や筑紫大宰府のような「地方都市」にさえ作れたような
隋唐王朝式の都城をきちんと作るだけの国家権力が、明らかに存在していなかった。
結局、朝鮮は「隋唐式のグリッド都城の雛型」を知らない。
日本の場合、この雛型が、17世紀に作られた名古屋や、
19世紀に作られた札幌まで影響を及ぼしているが。

だから、記紀や万葉集のようなものを新羅に期待するのも、実は筋違い。
217世界@名無史さん:2009/11/08(日) 03:02:28 0
>>216
平壌と慶州からはグリッドが発掘されてるけど。
218世界@名無史さん:2009/11/17(火) 06:33:48 0
三韓の一つで後の百済の馬韓は山東半島にいた住民が建国したって本当?

219世界@名無史さん:2009/12/05(土) 22:10:05 O
ほんとうに 日本から朝鮮半島に幾度も外征したのかな?
平担能力ありえたのだろうか。弁韓の日本と同族の倭人の事ではないのかな?
220世界@名無史さん:2009/12/05(土) 23:18:04 O
韓人と倭人って区別はどうやってするの?どっちとも稲作しに江南から来たんでしょ?行き来も激しいし?
221世界@名無史さん:2009/12/06(日) 00:13:55 O
倭人は 騎馬民族で満州からきたんじゃないかな。
認識間違ってたらごめんね。
222世界@名無史さん:2009/12/06(日) 17:05:19 0
高句麗の主要民族は満州族の一種であって、漢族とは縁もゆかりもない。
韓国・朝鮮人はこんにちでも高句麗の末裔を以って任じている。
さらに、現在の東北地方に住む朝鮮族たちはみずから渤海の後裔を任じ、朝鮮・韓国との関係のほうを重く見ている。
             〜(略)〜
高句麗人と共に渤海建国の民族である靺鞨はツングース系で、現在の中国の少数民族の一つ、満州族の祖先である。
             〜(略)〜
渤海は、唐の高宗の代に高句麗が唐・新羅の連合軍に討滅された後、唐の玄宗から渤海郡王に封ぜられた大祚栄氏がつくったツングース系の国であった。


黄文雄『満州国は日本の植民地ではなかった』
223世界@名無史さん:2009/12/06(日) 17:38:46 0
高句麗のあった頃は満洲族も女真族も無かったし、それらの母体となった諸集団の
主力はユウ婁、勿吉、そして黒水部などの北部靺鞨。
高句麗や粟末部などの南部靺鞨が前者と同系かどうかははっきりしない。
そして高句麗や粟末部、渤海やその後継国家は、は母国が滅亡すると漢、朝鮮、女真に
取り込まれていったようである。
224世界@名無史さん:2009/12/06(日) 22:09:55 O
倭人は フヨの一派と聞いた事があるが。
百済や任那の支配層で北九州の倭人と同族。
だから、兵担 補給が難しい渡海外征が可能だったとか。
むしろ南朝鮮が本家。良鉄の産地、任那が一時勢力を誇ってたのではないか。
邪馬台国も任那にあったりして!
225世界@名無史さん:2009/12/06(日) 22:22:39 0
魏志の記述が正しいとするならそれは有り得ない
なぜならその頃の朝鮮半島は麦が主流で寒冷に弱い稲作には向かない
また風俗習慣も春秋時代の呉越や楚の記述に近いので
「存在」するのなら中国南方の百越もしくはそれに関連した南方の民族の可能性が高い
ちなみにこいつらの末裔に当たる連中の言葉で「邪馬台」はヤマトゥと言うんだと
226世界@名無史さん:2009/12/06(日) 22:26:49 0
少し前犬HKのBS番組で、朝鮮の歴史シリーズみたいのがあって(番組名の記憶
不確か)、渤海というテーマで、女子タレントだかを船で日本海を横断させ渤海の
遺跡まで旅をさせていた。

その遺跡では、ロシアと韓国の考古学チームが調度、発掘調査をしていた。
日本の女子タレントは、脳天気に韓国の発掘チームのメンバーに話しかけていたが、
やつらの発掘調査は、渤海が韓国人の祖先であるという証拠を必死になって探して
いる姿なんだと、俺は思った。
そして犬HKは、韓国の主張のままに渤海は朝鮮系という考えにしたようだな。
227世界@名無史さん:2009/12/07(月) 07:26:45 0
あの番組は朝鮮政府肝いりのプロパガンダ組織が全面協力(工作)してるから。
228世界@名無史さん:2009/12/15(火) 07:34:48 0
中国では戦国時代から漢代にかけて、東北アジアの諸民族の存在や居住地をかなりよく知っていましたが、
倭人のほうが韓人よりも四、五世紀も早くから知られていたのです。
もし陸路、朝鮮半島経由で倭人が中国に知られたとすれば、
途中の韓人がそんなに遅くまで知られなかったはずがないでしょう。
ところが韓人が中国に知られるようになったのは、やっと後漢に入ってからです。

事実、楽浪郡経由ではあるでしょうが、倭人が前漢と交渉をもち、
中国文化を受け入れていたことは、北九州の弥生式遺跡の出土品からもわかる。
弥生前期のころから、どんどん中国製品を輸入していた。
ところが、そのころの南朝鮮の遺跡からは、ほとんど出てこない。
それで中国との関係は、韓人よりも倭人のほうが早くからもっていたことは確かです。
楽浪郡時代には、おそらく、すでに北九州に倭人がいましたが、
それ以前にも江南かどこかから河北のほうまで行って活躍していたと考えられます
229世界@名無史さん:2009/12/16(水) 00:34:48 0
前漢から後漢にかけて生きた楊雄(揚雄)が書いたとされる『方言』という書物には
漢語の「方言」として「朝鮮」の言葉がいくつも記載されている。
「朝鮮」はそもそも漢人世界における地方の名称だったのだ。
230世界@名無史さん:2009/12/16(水) 03:06:11 0
各民族を描いた絵を見ても、倭人はかなり遅れた文化だったと思えるが
231世界@名無史さん:2009/12/16(水) 03:18:11 0
そんな事わからないだろ
232世界@名無史さん:2009/12/26(土) 23:18:36 0
古代朝鮮は中国の一部だったらしい。


「中国がまだ統一される前、都市国家から発展した諸国が各地で覇権を争っていた時代の紀元前三三四年、「燕は東に朝鮮、遼東がある」と司馬遷著『史記』は記した。
つまり、戦国七雄の一つで、いまの北京を中心とした燕国が、遼河下流域から朝鮮半島北部までを、このとき独占的商業圏に入れたのである。
これより百年ほどあとの前三世紀、全盛時代の燕国は朝鮮半島の大同江から漢江にかけての先住民「朝鮮」と、洛東江渓谷の先住民「真番」を支配下に入れ、要地には砦を築いて官吏を駐在させ、商人の権益を保護していた。
 (略) 秦の始皇帝は、燕国をほろぼし中国を統一したあと天下を三六郡に分けた。『史記』「朝鮮列伝」によると、朝鮮と真番は「遼東の外徼に属した」。
つまり、朝鮮半島は三六郡の一つの遼東郡の、直接統治ではなく保護下にあった。
 (略) このとき燕人の満(衛満)が、1000余人の仲間とともに先住民の服装をして朝鮮に亡命し、真番、朝鮮の先住民と、燕や斉(山東)加羅の亡命者を従えて王となり、王険(平壌)に都を置いた。
これが朝鮮半島におけるはじめての政権「朝鮮王国」である。漢にはこれを討伐する力がなかったため、遼東太守は満と契約を結んで外臣とし、皇帝の許可を得た。


宮脇淳子著「世界史のなかの満州帝国(PHP新書)」
233フレスベルグ:2009/12/27(日) 21:11:47 0
「ローマ文化王国新羅」4200yen
まだ買って全部読んでない……
234世界@名無史さん:2010/01/12(火) 18:42:34 0
↓これ本当?

367 :日本@名無史さん:2009/10/08(木) 22:19:52
韓民族って戦国七雄の韓が移民した国って意味だったな
朝鮮人ではないね


369 :日本@名無史さん:2009/10/08(木) 22:19:52
春秋戦国の「韓」と朝鮮半島の「韓」は、
西周時代の成王がペキンに「燕」を建てる以前に武王が建てていた「韓」が元。
燕と入れ替わりで河南省へ移転したのが後にでかくなって戦国の「韓」に。
(張良はこの出身)一方ペキンの住民も韓という姓をなのったので
燕(河北)には韓氏が多かった。かれらが後世、楽浪郡経由で移民して馬韓・弁韓・辰韓ができた。

235世界@名無史さん:2010/01/12(火) 23:35:23 0
さあ?何にせよ言語とか伝説とか残らなかったところを見ると
先住民に同化されたんかねー
236世界@名無史さん:2010/01/13(水) 01:01:54 0
>>234
それはおかしいだろ。
百済(馬韓)は高句麗と同じく扶余を祖とするんだから、戦国の韓ではないはず。
新羅(辰韓)は秦の移民が流れ着いた国だから、戦国の韓ではないのではないか。

ていうか馬韓も弁韓も辰韓も風俗が違うんだから、元が同じではないだろ。
237世界@名無史さん:2010/01/13(水) 01:47:26 0
辰韓と弁韓は人種・風俗・言語が酷似してるって中国の史書には書いてあるよ。
ただし、馬韓と辰韓・弁韓は人種・風俗・言語が異なっていたらしい。
だから弁韓も秦の移民の国なのかね。
238世界@名無史さん:2010/01/14(木) 03:21:23 0
だいたい馬韓辰韓弁韓は言語そのほか異なるってのに
韓というグループにひとまとめにされたのはなぜなんだろう
239文責O2bさん:2010/01/16(土) 09:01:01 0
紀元前から朝鮮南部に住んでいた原住民「中国の言う倭人」は、
日本から水稲を携え渡ってきた長江文明人の末裔(いわゆる弥生人)であることがわかってきました。
古代朝鮮南部は「中国の言う倭人の国」すなわち「弥生人の国」だったのです。

<文化的社会>
・楽浪郡以前の北朝鮮は中国起源。
・辰国→三韓→任那・百済・新羅は全て日本起源。日本と血脈を交わし文化も交流。
(朝鮮人のいない素晴らしい文明社会)

10C後半、長白山大噴火(明らかな文明断裂)

<朝鮮人支配による千年の暗黒社会>
・異民族高麗(穢系高麗族「コリョ族、東胡ツングース系」)の侵略、王氏高麗建国。
・北の蛮族高麗の不徳の証、「大噴火・大凶作・社会混乱の記憶」を抹消するために大民衆弾圧が行われたのではないか?
・この高麗から新羅以前の素晴らしい文化、民衆文化が失われている。焚書坑儒、文革のようなものが延々と行われたと考えればいいだろう。
・李氏朝鮮建国(同族同士の身内争い、貴族武将のクーデター)、仏教、寺、経典、墓、信者を抹殺。全国民の9割を奴隷化、文盲化。
(日本が清を破り朝鮮に入ってみると、半島には原始時代のような暗黒社会が広がっていた)

この説が実証されると「日本人は誇りを取り戻し、うるさい朝鮮人とサヨナラできる」んだけどなあ〜。
240世界@名無史さん:2010/01/16(土) 10:12:40 0
日本人はるかな旅展(国立科学博物館)

赤色 縄文系の人々
黄色 渡来系の人々(朝鮮半島周辺)

(図1)縄文時代
http://www.kahaku.go.jp/special/past/japanese/ipix/5/img/5_17_01.jpg
(図2)弥生〜古墳時代
http://www.kahaku.go.jp/special/past/japanese/ipix/5/img/5_17_02.jpg
(図3)歴史時代
http://www.kahaku.go.jp/special/past/japanese/ipix/5/img/5_17_03.jpg


赤色→北海道、沖縄、北東北、鹿児島
中間→南東北、関東、新潟、九州
黄色→近畿
241世界@名無史さん:2010/01/23(土) 14:38:00 0
渡来系弥生人は大陸のどこからやって来たのでしょうか。
最近の調査により、水稲耕作の発祥の地ともいわれている中国南部が有力視されています。
(国立科学博物館)

黄河下流と長江下流に挟まれた地域の漢代の遺跡から、渡来系弥生人によく似た人骨があいついで見つかっています。
渡来系弥生人によく似た頭骨が発見されている中国の遺跡
http://www.kahaku.go.jp/special/past/japanese/ipix/5/img/5_14_02.jpg
242世界@名無史さん:2010/01/27(水) 01:57:01 0
アメリカの教科書には任那日本府が書いてあるらしい。

【新刊】李吉相(イ・ギルサン)著『世界の教科書・韓国を語る』(青い森)

「4−5世紀に日本人は韓半島南海岸に小さな植民地を所有していた」「1640年代に韓国は中国・清王朝の属国になった」
米国の「世界史」の教科書に堂々と記載されている韓国の歴史だ。われわれは「教科書の歪曲」といえばすぐさま日本を思い浮かべるが、
これは日本だけの問題ではない。あらゆる大陸と文化圏で、多くの国家が韓国について誤った情報を教科書で学んでいる。
本書は、韓国学中央研究院の李吉相教授が2003年から40カ国余りの教科書500種類以上を一つ一つ分析し、
見つけ出した歪曲と誤りの事例を取り上げている。それには首を傾げるほどにとんでもない内容が多い。
イタリアの『1900年代の世界史』は、「韓国はヤミ市場を通じ材料と技術を導入しさえすれば、核爆弾を作ることができる国」と紹介している。
アルゼンチンの『一般地理』では、韓国がマラリア感染地域に分類されており、パラグアイの『歴史と地理』では、韓国をかつてポルトガルの植民地だったと表示している。
米国の教科書のあちらこちらには、オリエンタリズムと日本の植民史観が反映されている。
プレンティスホール社が2004年に出版した『世界文化』には、「西暦400年ごろ、(日本は)幾つかの氏族が連合して日本の大半を統一し、韓国南部の地域を統治するまでに至った」という、あきれるような文章がある。
韓半島南部を植民地にしていたとする「任那日本府説」が、米国の教科書では健在だというわけだ。
カナダやオーストラリアの教科書もまた、日本の植民史観を盛り込んでいる。
243世界@名無史さん:2010/01/27(水) 01:59:40 0
続き

日本の教科書の中には、「高句麗や渤海といった古代国家を現在どの国の歴史と見なすかは、複雑な問題だ」という、中国の東北工程(高句麗・渤海の歴史を中国の歴史に編入しようとする企図)を後押しするような内容もある。
なぜこうしたことが起こるのか。李教授は「大多数の教科書の執筆に参加するアジア学者が、日本史と中国史を中心に研究活動を展開してきたからだ」と語った。
不確実で充実性に欠ける資料によって生じる「誤り」というわけだ。より大きな問題は、日本のように意図的に「歪曲」する行為だ。
日本は歪曲された歴史を世界に知らせることにたゆみなく投資し、世界各国の教科書に大きな影響を及ぼした。
ならば、どのように解決すべきか。こうした問題が持ち上がるたびに「無能な政府」のせいにされるが、李教授は「民間レベルの学術的な努力と文化交流が解決法」だと主張する。
政府の役割は、そうした努力を後押しする支援と粘り強い国家広報、というのが著者の考えだ。
多くの国家が間違いだらけの教科書を量産している、という事実は同書を読みながら決して気分のいいものではないが、さまざまな事例と共に誤りを修正するための著者の足跡がスピード感ある展開を見せ、興味深い。
ページをめくる度に、これまで知らなかった韓国史の知識まで学ぶことができる。「世界トップ10に入る経済大国」のことを知ってもらえないと人のせいにする前に、まずは自らを振り返ってみよう。
われわれは果たして、われわれの歴史をどれくらい知っているだろうか。

ホ・ユンヒ記者
朝鮮日報/朝鮮日報日本語版

http://www.chosunonline.com/article/20090215000001
244世界@名無史さん:2010/02/05(金) 16:16:45 0
↓コレ本当?

142 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/08/29(土) 07:15:46 ID:bQli9TMU0
始皇帝が七国を統一したとき最後まで抵抗したのが山東半島の斉。
そのとき大量の斉人が山東半島から海へ逃げ出し対岸の朝鮮半島に逃げ延びた。
楽浪帯方郡が滅んだ後この地にいた斉人が中心となって築いたのが馬韓後の百済だ。
馬韓弁韓辰韓は当時の中国の呼び名で当事者が名乗ったのではない。倭も同じ。
自らはもろもろの斉人の国と名乗り後に中国で百済と記載された。
百済の生活文化が斉のそれと一致しているのはこのため。
その昔、百越と呼ばれた民族集団が、秦の始皇帝に滅ぼされて、その一部が日本に渡来したように、
山東省付近で「斎」と呼ばれる国を形成していた百にも及ぶ民族集団が呉に滅ぼされ海を渡って
百斉=百済という国を造った。
245世界@名無史さん:2010/02/06(土) 03:16:19 0
>>244 それっぽい説やね。
246世界@名無史さん:2010/02/06(土) 14:30:29 0
電波混じりの現代版地名説話みたいなモンだな。

247世界@名無史さん:2010/02/07(日) 06:10:32 0
高麗王朝がツングース系女真人国家って本当?
どういう理論なんだろ?
248世界@名無史さん:2010/02/07(日) 14:39:21 0
演繹法的に、高麗が女真なら、清はウリミンジョク国家で
現在の中国東北地方もウリナラ領土と主張できるから。
249世界@名無史さん:2010/02/11(木) 17:44:28 0
中国の教科書には任那日本府が書いてあるらしい。


現在、中国全域の大学などが採択している歴史教材のうち、相当数が「古朝鮮・高句麗・扶余・渤海は中国史の一部」という
東北工程(高句麗・渤海の歴史を自国の歴史への編入を図ること)の内容をそのまま掲載しているという調査結果が出た。
これは高句麗史歪曲に関連する内容を、教科書をはじめとした中国側出版物に掲載しないことで合意した2004年8月の「韓中5項目の口頭了解」とは相反するものだ。
こうした事実は、高句麗研究財団研究委員の金賢淑博士が発表を予定している論文「中国大学教材に記述された3国関連内容の検討」によって明らかになった。
金博士は「2000年以降に改訂版が出たり、新たに書かれたりした中国の大学教材などは以前と異なり、大体において高句麗を韓国史に属さないものとして記述している」と分析した。
その例として、福建人民出版社の『中国古代史』2004年新版では、扶余・高句麗・沃沮・穢貊は中国・漢代の東北地区の少数民族であり、高句麗の先祖は中国の昔の民族である高夷だと記述している。
最近、東北工程に関連する学者らが提起した学説をそのまま受け入れた『中国古代史』は、中国の100余りの大学で教材として使われていることが分かっている。
また、高等教育出版社の『世界古代史』は、韓国史の始まりは統一新羅からであるかのように記述して、古朝鮮・高句麗・扶余は韓国の歴史ではないと見ており、
注釈で「高句麗は当時、中国東北部に存在した少数民族政権であった」と明記している。
同出版社の『中国歴史隋唐遼宋金巻』では、「高句麗は漢代以降、中国の領域であると見なされた」と記している。
250続き:2010/02/11(木) 17:48:17 0
さらに、一部の教材などでは「古代日本が韓半島(朝鮮半島)南部を支配していた」という日本学界の一部で主張されている「任那日本府説」を事実であるかのように記述するなど、韓国史記述の深刻な歪曲を見せている。
例えば、上海人民出版社の『世界史講』の場合、「新羅は、半島南方で早くから長期間にわたって倭人の基盤となっていた任那地区を回復した」と記述している。
金博士は「今のところ、中国の中高校教科書には高句麗史を歪曲する内容は反映されていないが、こうした内容が大学の教材に記述された後には、東北工程の歴史観がそっくりそのまま教育されることになるだろう」と語った。

http://japanese.chosun.com/site/data/html_dir/2006/08/09/20060809000036.html


251世界@名無史さん:2010/02/13(土) 02:59:13 0
>>244
そんな記録はどこにもないから嘘
記録には百済の王は高句麗と同じく扶余だとある。
252世界@名無史さん:2010/02/14(日) 08:23:44 0
中国東北部人ってことか
253世界@名無史さん:2010/02/16(火) 15:07:16 0
じゃー↓コレ本当?

82 :天之御名無主:2009/11/16(月) 06:43:42
三国志東夷伝には「辰王不得自立為王」、辰王は自ら王となることができない、という奇妙な一節があります。
王族ではあるが外来者のために、その地では先住者の賛同がなければ王にはなれなかった・・という意味と解釈しておきます。
http://www.asahi-net.or.jp/~vm3s-kwkm/kodai/kf09.html

百済辰王家≠韓民族

百済王家は中国亡国の民の建国だ、百済八姓はいずれも中国亡国の民、百済王家の姓は余氏、百済扶餘氏ともいう。
もともとは夫慨の子が名乗った。呉人である。呉王家の姫氏、百済の木氏、倭の紀氏はいずれも同族。
いまの朝鮮人のルーツである新羅の土着人は半島から出ていないだろう。
254世界@名無史さん:2010/02/16(火) 22:47:55 0
>>244>>251
鳥越憲三郎著「古代朝鮮と倭族(中公新書)」には、
呉の遺民が山東半島経由でやって来たのが馬韓人って書いてある。

255世界@名無史さん:2010/02/19(金) 14:46:55 0
石碑はあるのに韓国の教科書に載らない三跪九叩頭(さんききゅうこうとう)

「屈辱の象徴」三田渡碑の移転決定 朝鮮日報2008年6月15日
http://www.chosunonline.com/article/20080615000008
 
1. 「跪(ホイ)」
   ∧∧
  / 中\
 (  `ハ´)  
 ( ~__))__~)   ∧ ∧ ,.,、,、ノ )) 
 | | |    <`Д´ >(⌒,) 
 (__)_)  と入__とノ`、」 

2. 「一叩頭(イーコートゥ)再叩頭(ツァイコートゥ)三叩頭(サンコートゥ)」
   ∧∧
  / 中\
 (  `ハ´)   ∧ ∧
 ( ~__))__~)  <`Д´ >,.,、,、ノ )) 
 | | |   (( l|lll|lll| (⌒,) 
 (__)_)  と(   とノ`、」 
          ∨ ∨ Σ ガンガンガン

3. 「起!(チー)」
   ∧∧
  / 中\    ∧_∧
 (  `ハ´)   <`Д´ >
 ( ~__))__~)   (    )
 | | |     | |  |
 (__)_)    <__<__>
256世界@名無史さん:2010/02/19(金) 14:50:00 0
1. 「跪(ホイ)」
   ∧∧
  / 中\
 (  `ハ´)  
 ( ~__))__~)   ∧ ∧ ,.,、,、ノ )) 
 | | |    <`Д´ >(⌒,) 
 (__)_)  と入__とノ`、」 

2. 「一叩頭(イーコートゥ)再叩頭(ツァイコートゥ)三叩頭(サンコートゥ)」
   ∧∧
  / 中\
 (  `ハ´)   ∧ ∧
 ( ~__))__~)  <`Д´ >,.,、,、ノ )) 
 | | |   (( l|lll|lll| (⌒,) 
 (__)_)  と(   とノ`、」 
          ∨ ∨ Σ ガンガンガン

3. 「起!(チー)」
   ∧∧
  / 中\    ∧_∧
 (  `ハ´)   <`Д´ >
 ( ~__))__~)   (    )
 | | |     | |  |
 (__)_)    <__<__>
257世界@名無史さん:2010/02/19(金) 14:53:47 0
1. 「跪(ホイ)」
   ∧∧
  / 中\
 (  `ハ´)  
 ( ~__))__~)   ∧ ∧ ,.,、,、ノ )) 
 | | |    <`Д´ >(⌒,) 
 (__)_)  と入__とノ`、」 

2. 「一叩頭(イーコートゥ)再叩頭(ツァイコートゥ)三叩頭(サンコートゥ)」
   ∧∧
  / 中\
 (  `ハ´)   ∧ ∧
 ( ~__))__~)  <`Д´ >,.,、,、ノ )) 
 | | |   (( l|lll|lll| (⌒,) 
 (__)_)  と(   とノ`、」 
          ∨ ∨ Σ ガンガンガン

3. 「起!(チー)」
   ∧∧
  / 中\    ∧_∧
 (  `ハ´)   <`Д´ > やっと3回終わったニダ
 ( ~__))__~)   (    )
 | | |     | |  |
 (__)_)    <__<__>
258世界@名無史さん:2010/02/19(金) 19:15:26 O
>>204
時期も出来事もかなり似ている。
259世界@名無史さん:2010/02/19(金) 19:15:37 0
だから跪はホイじゃなくてグイだと何度言えば
260世界@名無史さん:2010/02/21(日) 17:43:57 0
半島は逃亡者の国だとはっきり書かれてるんだよなw

【三国志魏書 辰韓伝】
辰韓在馬韓之東、其耆老傳世、自言古之亡人避秦役來適韓國、馬韓割其東界地與之。有城柵。
(辰韓は馬韓の東、そこの古老の伝承では、秦の苦役を避けて韓国にやって来た昔の逃亡者で、馬韓が東界の地を彼らに割譲したのだと自称している。城柵あり。)


【後漢書』辰韓伝】
辰韓、耆老自言秦之亡人、避苦役、適韓國、馬韓割東界地與之。
(辰韓、古老は秦の逃亡者で、苦役を避けて韓国に往き、馬韓は東界の地を彼らに割譲したのだと自称する。)


【唐会要 百済伝 】
百濟者、本扶餘之別種、當馬韓之故地。其後有仇台者、為高麗所破、以百家濟海。
因號百濟焉。大海之北、小海之南、東北至新羅、西至越州、南渡海至倭國、北渡至高麗。
(百済とは、本は扶余の別種で、(所在は)馬韓の故地にあたる。その後裔に仇台なる者がおり、高句麗に国を破られ、百家で海を渡った。因って百済と号する。)
(大海(黄海)の北、小海(楽浪湾)の南、東北は新羅に至り、西は越州に至り、南に海を渡れば倭国に至り、北に渡れば高句麗に至る。)


この後漢書の一節は、馬韓が辰(秦)韓より古いことも意味してる。
更に、弁韓人は先に南下(温暖地域を先取してたわけだから馬韓人、辰韓人より古い移民集団だったことを意味する。
http://members3.jcom.home.ne.jp/sadabe/kanbun/sankan-sinkan.htm
261世界@名無史さん:2010/02/24(水) 01:15:43 0
誰か助けてください。
多分在日朝鮮人だろうと思いますが、思いっきり朝鮮寄りな視点で編集して朝鮮に不都合な記述を削除していきます。


利用者の投稿記録
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%89%B9%E5%88%A5:%E6%8A%95%E7%A8%BF%E8%A8%98%E9%8C%B2/121.109.122.152

ウィキ-東北工程
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%B1%E5%8C%97%E5%B7%A5%E7%A8%8B


262世界@名無史さん:2010/03/07(日) 06:21:29 0
韓国人は、日本人の99%は韓国からきた喰いっぱぐれだの、日本人には80%以上韓国人の血が流れているだのと主張する。
また、天皇家も韓国人であり、そのことからも韓民族の優秀さがわかるとも言う。
「反日」を叫ぶ韓国人民族主義者の主張を聞くと、どうも矛盾だらけで、言っていることが支離滅裂である。
もしそうならば、日本と韓国人は同祖である。それならば、日韓合邦は同一民族の民族統一国家であり、正当性がさらに増すことになる。
だが彼らは、日韓同祖論は否定しているのである。なんという矛盾で、いい加減な態度だろうか。
結局、日本人の99%以上は韓半島からの渡来人、流民、喰いっぱぐれだと主張し続けるのも、
日本人の祖先は両班ではなく、賤民や白丁などの卑しい者であると言いたいのだろう。
韓国人のナショナリズムが高揚するにつれて、日本人の韓国起源説がどんどん強くなってきた。
そして、「神功皇后は新羅人皇女だ」「素戔嗚尊は古朝鮮人で、日本を征服して出雲王朝の祖となった」
「天照大神は百済人で、近肖古王(在位346〜375年)のふたりの王女のひとりであった」などといったさまざまな荒唐無稽な説が出てきた。
そのためのこじつけとして、奈良は韓国語で「国」の意味だとか、その「ナラ」に天神が降臨したという神話があるとか、
珍説奇説やら屁理屈をまくしたてる。また、こういった日韓同祖・同種の話は、韓国人の著書にいやというほど出てくる。


黄文雄著 『韓国は日本人がつくった』
263世界@名無史さん:2010/03/10(水) 02:28:54 0
これまで清国の伝統的な属国であったベトナムはフランスに横取されてしまったが、
残る伝統的属国の朝鮮は、もう誰にも渡すわけにはいかない。
(略)そこで、新疆や台湾のように、朝鮮も中国の属領から正式な領土にするため「朝鮮省」を設立し、
郡県制とする断行案を検討した。そうする事で、列強諸国に対して朝鮮は清国の絶対不可分で永久割譲の固有領土だとアピールした。
(略)なかでも有名なのは、科挙状元出身のエリートで、呉長慶の幕下に身を投じて、
積極的な対外政策を論じてきた張謇の「朝鮮善後六策」である。
1.漢の四郡建置の例に従ひ、朝鮮国王を廃し、其地を清の一省とする。
2.朝鮮国王を存置するとしても、周の例に従ひ、監国を置く。
3.有力なる軍隊を派遣して。其海港を清の監理の下に置く。
4.朝鮮の内政革新を断行する。
これ以外にも、張謇は「六策」で次のようなことを言っている。
「あるいは内政の自己改革と新軍の訓練を、我が東三省とつらねて、一気と為す」。
清国の東三省から朝鮮省をも含めて「東四省」とし、(略)張謇が提案した、清国が李朝国王を廃して監国にする、
つまり、属藩扱いにするという政策は、清朝以前の早い時期にもあった。
明の太祖朱元璋が、李氏朝鮮をつくった李成桂に対して監国の地位だけを下賜あい、国王の地位を与えなかったのもそのためだ。
中国人からすれば、朝鮮は漢の時代から中国の一部なのだ。
そもそも、朝鮮をつくったのは中国の箕子だと、中国人は主張するほどなのだから。
そのため、張謇の「朝鮮善後六策」のような考え方は、中国人の一般的な伝統的朝鮮属国観なのだ。
中国が中華民国になった近現代でも、この中国人の朝鮮版図観はたいして変わっていない。
たとえば、蒋介石は、太平洋戦争後の対日処理を協議した1943年11月のカイロ会議に出席した当時、
船上にてルーズベルト大統領に高麗の返還を要求している。もちろん、ルーズベルト大統領は、このとんでもない要求を拒んでいる。
朝鮮人も属国であることにマヒしているため、「朝鮮省」の設置をむしろ、「小中華」から「大中華」への昇格だと喜び、
中国を恨むどころか、恩恵と謝恩を感じるべきだと思っていた。

黄文雄著 『韓国は日本人がつくった』
264世界@名無史さん:2010/03/11(木) 04:53:54 0
黄文雄「WiLL-2006年11月号」韓国・北朝鮮を永久に黙らせる100問100答
http://homepage3.nifty.com/t_mizuho/Chaina07.htm
Q.日本の天皇は韓国人だ
A.「応神天皇は韓国人だった」説、「允恭天皇も天武天皇も、さらには卑弥呼も韓国人だった」説まであります。
これは韓国人の民族主義や自尊心を満足させるようです。
しかしほとんどの天皇韓国人説は資料の厳密な検証の欠陥と支離滅裂な論証、
そして恣意的な資料を引用したもので成り立っています。
Q.韓国はユーラシア大陸にまたがった大帝国だった
A.大モンゴル帝国以外には、突厥も匈奴、鮮卑もユーラシア大陸にまたがった帝国を作ることはできませんでした。
長城外の夷狄だけでなく、西南のチベット系民族吐蕃でさえ中華世界を一度は征服するか、
都を占領し脅威を与えているのに、朝鮮だけは中華の脅威になったことすらありません。
朝鮮は大中華に君臣の礼、君父に忠のみだったのです。
「四夷八蛮が皆中原に入ったのにただただ朝鮮だけできずにいる。こんな情けない国に長生きしていてもどうにもならない」
と嘆きつつ亡くなった林白湖という儒者がいるほどです。
Q.侍は百済人のサウラビ(韓国武士)の魂を日本がまねしたものだ
A.日本の武士は古代韓国の花郎(ファラン:新羅の青年組織)でもサウラビでもありません。
侍の歴史は上古からですが、確立したのは平将門の頃からで、源平、室町、江戸から明治時代まで、
その時代時代の独自の精神史がありました。韓国は武士道だけでなく、天皇、神道、相撲、剣道、茶道、歌舞伎、俳句、
和歌、芸者、忍者、日本建築、神代文字、扇子、折り紙、寿司、刺身、納豆、錦鯉や秋田犬に至るまで、
あらゆるものを韓国起源だと主張してきましたが、理論は飛躍していて牽強付会、話になりません。
中国との間でも漢字、石碑、印刷技術、針灸の起源をめぐった争いがあり、
しまいには孔子や秦の始皇帝まで韓国人だと言い出すので、中国人学者と韓国人学生の間で乱闘騒ぎまで起きたほどです。
265世界@名無史さん:2010/03/30(火) 20:28:42 0
スレ違いかもしれないけど羅唐戦争ってあったの?
どんな戦いだったの?
266世界@名無史さん:2010/03/31(水) 08:56:39 0
六七四年ついに劉仁軌を総大将とし李謹行を副大将とした唐の
侵略軍は新羅地方に侵入しはじめた。こうして新羅は歴史上は
じめて大兵を迎え戦うようになった。新羅軍は六七五年に泉城
地方の最初の戦闘で侵略軍を撃破し、四〇余隻の艦船と一千余
匹の軍馬を鹵獲し、買肖城で二〇万の侵略軍を撃破、三万余匹
の軍馬を鹵獲するなど決定的な打撃を与えたのであった。新羅
軍隊はまた継続して各所で大小一八回にわたる戦闘を行ない、
敵兵六千余名を倒し軍馬二〇〇余匹を鹵獲した。翌六七六年に
敵は最後的な攻撃を加え、所夫里州附近の海上から上陸しよう
としたが、新羅の施得が率いる水兵によってまた撃退された。
このとき大小二二回にわたる戦闘で新羅軍はまた四千余名の侵
略軍を倒し、決定的な打撃を与えた。このように朝鮮侵略を号
語した唐の高宗の軍隊は、六七五−六七六年の二年間にかえっ
て殲滅的な打撃をうけて朝鮮から撤退せざるを得なかった。
267世界@名無史さん:2010/03/31(水) 12:41:10 0
栄光のウリナラ最強伝説だな〜
268世界@名無史さん:2010/04/09(金) 23:15:39 0
新羅・百済・高句麗って、通訳は必要だったの?
269世界@名無史さん:2010/04/10(土) 03:21:13 0
さぁ?
漢語を共通語にするって手もアリか。
あれだけ長くひっつきあってるとクレオールとか発生したかも。
270世界@名無史さん:2010/04/10(土) 03:51:24 O
今の朝鮮語はクレオールかな?それとも南部の新羅やカラの言語か
271世界@名無史さん:2010/04/10(土) 12:22:22 0
ある程度の混交はあったと見るほうが自然だろうね。
ただ、基本的に現代韓国語は(韓系である)新羅語の流れを汲んでると見られてるみたい。

それから、百済の北方系貴族階層で使われてたと見られる扶余系百済語はともかく、
韓系百済語と新羅語は元々かなり近かったんじゃないかな。
新羅の「三代文」ていう散逸してしまった郷歌集がいつかどこかで発掘されれば、古代語の研究が相当に進みそうなんだけどね。
272世界@名無史さん:2010/04/10(土) 18:33:50 0
>韓系百済語と新羅語は元々かなり近かったんじゃないかな

こういうこと言っている人もいる。
http://wiki.livedoor.jp/crescent_castle/d/%B4%DA%B9%F1%A4%C7%A1%D6%C6%FC%CB%DC%B8%EC%B5%AF%B8%BB%A4%CF%C9%B4%BA%D1%B8%EC%A1%D7%C0%E2
>百済語Aは百済語Bと全く別の言語で、百済語Bと新羅語も似て居らず、
>新羅語と伽耶諸語がわりと似ていると言う感じの様です。
273世界@名無史さん:2010/04/11(日) 00:32:41 O
新羅は金官王族を優遇してますな
274世界@名無史さん:2010/04/13(火) 00:00:46 O
いわゆる矢的民族のなかには言語の違いはあったのかな?吉備とか大和とか筑紫とか。
275世界@名無史さん:2010/04/13(火) 07:37:48 O
百済では韓系と扶余系の融合はどのくらいあったんだろ
276世界@名無史さん:2010/04/13(火) 11:09:19 0
>>275
扶余系・韓系の両言語の普及度の明確な指標になるような史料は残ってないようだけど、
中〜後期百済では、王族と八大豪族の合計九つの家門が力を持ってた。

王族はおそらく扶余系で(姓も「扶余氏」を名乗った)、八大豪族の中では「解氏」と「真氏」が扶余系であった可能性が高い。
歴史上の百済は、首都の位置に応じて漢城時代・熊津時代・[シ四][シ比](しひ)時代の三時代に分けられるけど、
扶余氏と解氏と真氏は、漢城時代から深い姻戚関係にあったようだ。
(漢城・熊津・[シ四][シ比]は、それぞれ現在のソウル江南地区・忠清南道公州・忠清南道扶余に当たる)

475年に高句麗軍の侵攻で漢城が陥落した直後、
百済は首都をそれまでの漢江流域の漢城からより南の錦江流域の熊津に遷した。
この熊津遷都の頃から、漢城時代以来の有力貴族である解氏・真氏に加えて、
錦江流域周辺の豪族が大幅に政府の中枢に加わるようになったらしい。
地域的に見て、新興豪族側はおそらく韓系だったと考えられる。
277世界@名無史さん:2010/04/13(火) 12:12:15 O
都をコムナリとかいう所に移したことは知ってたけどそんな大きな意味があったんだな。
278世界@名無史さん:2010/04/14(水) 00:26:46 0
>>276
その韓系というのは一体どういう民族なんだろう?

韓というのは、言ってみれば日本では日本の縄文人に相当するような位置づけだと
思うんだが、遺骨の形質やら遺伝子解析とかで考古学的に民族系統がある程度
判ったりしてないもんなんだろうか。
ネットで拾えるのは、ウリミンジョクは有史以前からの単一ミンジョクみたいなヨタばっかで 、
韓国ではまともな研究がされているのかどうかもわからんのだけどさ。

個人的には、そもそも半島南部は雑居地で、韓なんていう人種・民族なんてものは
存在しなかったんじゃないだろうか、扶余系南下以前に馬韓に居住してたのは、
南方海洋系の倭人に近いあるいは倭人そのものだったのではないかと思ってたりする。
279世界@名無史さん:2010/04/14(水) 01:11:30 0
>>278
古人骨については、研究されていると思います。韓国のハングルや英語の文献をあたりましよう。
日本語Webの情報は、とんでものが多く捨ててしまってもno problemです。まともなものが検索上位にこない。
mtDNAやY-DNAでツングースだと思っていたのが、実は古住民の子孫である可能性あるのですよ。

北朝鮮の人骨も遺伝子解析もそんなに行われていないでしよう。空白ですよ。

それから、中国朝鮮族は、本当のこというと、韓国側の本貫を持つ人が多いの知ってますか?
280世界@名無史さん:2010/04/14(水) 01:34:55 0
>>278
まあ、ネット上だけでその手の話を探せば、極論がやたらと目立ったりするのは、日本であれ韓国であれどこの国でもあり得ることだろうし。
「韓国でまともな研究がされているかどうか分からない」というのは、
(ちょっときつい表現に見えたら申し訳ないけど、)「韓国の学術関係者が著した正式な学術論文を読んだことはまだ無い」という意味だろうか? 
でも、しっかりした史料批判や考古学的裏付けを取ってる研究は多いし、もちろんそういう研究スタイルが本流と言っていいと思うよ。

古代の遺骨が、現在見つかってるものの範囲ではどの程度までDNA解析できるのかというのは、自分自身も門外漢なんで、詳しいところはまだよく知らない。
ただ、古代馬韓と日本列島との間に何らかの行き来があったのだろうというのは、
最近、全羅南道あたりで前方後円墳である可能性が高い遺跡がいろいろ見つかってることからも、ある程度の推測は可能だと思う。
でも、それが具体的にどのような民族であったのかは、実際のところまだ定説が無いという状態だね。
だから逆に言えば、いわゆる韓系の部族が「倭人そのものであった」と決定的に言うこともできないわけだよ。

言語面の史料研究から、ある程度研究されているところでは、
韓系部族の言葉と考えられてる単語で、日本語の古語と微妙に共通性を持つものもいくつか無くは無い。
ただ、決定的に「同一言語」だとも言い切れるほどの共通性を示す史料は見つかってない。
それこそ、上の議論にあったような、「混交」の可能性もあるし。
まだまだこれからの研究分野だね。
281世界@名無史さん:2010/04/14(水) 02:35:57 0
>>279-280
レスども〜

とりあえず、韓国ではまだ日本のようには古人骨の解析は進んでないと考えていいようですな。

まぁ、韓国では在野民族系でない学者は以外とまともとも聞くものの、といって実際表に出てくるのを
見ると、歴史共同研究の連中はむちゃくちゃらしいし、昨年NHKの朝鮮半島2000年にでてきたのも
大半が電波ゆんゆんでしたしね。歴史教科書でもそのあたり華麗にスルーしてるし、考古学的成果が
山とある漢四郡さえ否定してるしで、どうなんかいな、と。

ちなみに、南西部の前方後円墳群も興味深い話ではあるけど、先のカキコで倭人としたのは日本系という
意味ではなく、かつて中国江南に居住していた民族の系統という意味ですわ。時代的には日本で言えば
前期渡来の弥生人相当。



>それから、中国朝鮮族は、本当のこというと、韓国側の本貫を持つ人が多いの知ってますか?

日本統治時代に南朝鮮から移住したした子孫という話でしたっけ?


282世界@名無史さん:2010/04/14(水) 03:06:40 0
>>281
ちょっと待って。
どんな資料を読んでそう書いたのかは分からないけど、
漢の四郡の存在を否定する研究というのは、さすがに見たことが無いよ。

四郡それぞれが具体的にどの辺りを指しているのか、という意味でなら、
学界でいろいろ見解に相違があるのが事実だ、と言えるだろうけど、
存在自体を根底からひっくり返す話というのは、一般的な研究論文では、まず見掛けない。

それと、或る程度直接的に漢が行政を行なった郡というのは、
楽浪郡(後にその一部は帯方郡になる)までだっただろうと考えられるよ。
少なくとも、漢江流域(例えば今のソウルなど)辺りは、漢の統治下にあった形跡は無いようだ。
283世界@名無史さん:2010/04/14(水) 03:20:47 0
>>282
「それと、或る程度直接的に・・・」の部分は、
「その一方で、或る程度直接的に・・・」と書いたほうが文意が通りやすいかな。修正しとく。
284世界@名無史さん:2010/04/14(水) 04:28:54 0
>>282
漢四群を否定ってのは研究論文じゃなくて歴史教科書の話ですよ。
まぁ、正確には否定と言うより正しく教えていないと言う方が正しいけど。

以前エンコリで韓国人と対話した限りでは、実際に漢四郡が半島ではなく
遼西あたりにあったと信じているのが多かったですな。

教科書にあるのはこの程度↓で、

>古朝鮮が滅亡すると、漢は古朝鮮の一部地域に郡県を設置して支配したが、
 土着民の強力な反発に遭遇した。そしてその勢力は次第に弱くなって、
 ついに高句麗の攻撃をうけて消滅した(313年)。
ttp://members.tripod.com/textbook_korea/2_2.html#2_2_2_1

さらに遼西は古朝鮮領だったと教えているので脳内でつじつまは合ってるらしい。
で、平壌近辺の出土品は”遼西の漢四郡”からの略奪品だとか主張してましたね。(笑)
285世界@名無史さん:2010/04/14(水) 21:38:01 0
>>281
山海経で江南にいたとする倭人は、習俗から類推するとおそらくチャンパとかクメールだといわれてますね。
中国・タイ・ラオス・ベトナム・ミャンマーの大陸系5カ国から、主力は全部追い出されてしまいました。
286世界@名無史さん:2010/04/15(木) 01:07:54 0
占城稲という赤い米が、チャンパの農業の特徴です。
これが趙氏宋朝より前で、中国で栽培されていた地域は、限られています。
北朝鮮と日本に古代より赤飯があるといわれるのは、
チャンパと何らかの交易関係があったのかもしれません。
稲は種籾の状態ならば、保存性が高く発芽率も低下しません。

ただ、占城稲は趙氏宋朝より平安時代末期〜鎌倉時代にもう一度伝わって
かなりの地域に普及しているはずです。
ただ、これはベトナムに残っているものがインディカ種であることから
もう日本では雑草化しているかもしれません。
287世界@名無史さん:2010/04/15(木) 16:07:32 0
占城w
288世界@名無史さん:2010/04/15(木) 21:07:20 0
北朝鮮、日本、チャンパ、カンボジア きっと共通の遺伝子が見つかるニダw
289世界@名無史さん:2010/04/15(木) 21:09:34 0
ハルヒという名前は、祖国の英雄・安重根が伊藤博文を暗殺した
ハルビンの地を彷彿させる響きがある。
そして唯我独尊で負けず嫌いな性格もまた、気の強い韓国人女性を彷彿とさせている。
涼宮という姓は日本には存在しない架空の姓であるが、涼宮の「宮」は天皇に
ゆかりがある字である。日本の象徴であり、ある意味では日本の主人公のような
存在である天皇は一見すると日本人だがそのルーツは韓国にある。この物語の主人公も
一見すると日本人だが実は韓国人であることを作者が暗に示すために苗字に
「宮」という字を加えたとも考えられる。

主人公である青年の本名が明かされずに、キョンという通名が使われているのは
本名を明かさずに通名を使って日本で生活している在日外国人を暗に示している
からであるだと思われる。
物語の舞台である関西地方には韓国系の人々が多いため、
在日外国人とは具体的には在日韓国人を指していると推測する事ができる。

また、ヒロインである朝比奈みくると朝倉涼子の苗字の最初に
「朝」という文字がきている。「朝」とは勿論朝鮮を指している。
ヒロインである2人の名前の最初に「朝」の文字がきている
のをただの偶然と考えることが果たしてできるのだろうか?

また未来人の姓が朝比奈なのは、未来おいては親韓派である朝日新聞が
日本の世論を形成していてほしいという作者の願望の表れであるとも考えられる。
姓を「朝日」とせずそれに近い「朝比奈」にしたのは露骨さを和らげるためであろう。
ちなみにアニメ版の二期製作決定の際に、デカデカと1面広告を載せた新聞こそ
まさに朝日新聞だったのだ。(2007年7月7日付の朝刊参照)

古泉の極端に細い目は、北方系モンゴロイドの特徴であり
彼がユーラシア大陸の北方民族(韓国人か?)の血を強く受け継いでいることの証明といえる。
韓国人が日本人よりも背が高いことは統計的に分かっており、古泉が高身長なのも朝鮮の血を
受け継いでいるからだと思われる。
290世界@名無史さん:2010/04/15(木) 21:10:15 0
長門という苗字はおそらく戦艦長門に由来するものであり、
戦艦長門という名は長門国(現在の山口県)に由来をもつ。
長門国は朝鮮と向かい合っていることから作者が朝鮮半島を意識しているという
ことは明白である。

また作中に出てきたカマドウマは、日本列島と朝鮮半島にしか生息しておらず
キョンの実家が朝鮮半島にある可能性を示唆していると思われる。

脇役であり主人公の友人である谷口、国木田の苗字がほぼ左右対称になっているの
にも注目してもらいたい。俗説だが、在日韓国人の苗字は左右対称が多いと言われ
ている。必ずしも苗字が左右対称=在日であるとは限らないが、主人公のSOS団
団員以外の主な友人二人の苗字が左右対称であるのを単なる偶然として片づけるこ
とができるだろうか?
ちなみに作者の谷川という苗字もほぼ左右対称になっているのだが、これらは作者
が意図的に在日であることを示すためにつけた可能性が高いと思われる。

ハルヒたちの通う北高の「北」は、どことなく北朝鮮の「北」であるようにも感じられ
作者の祖国統一を願う気持ちが込められているような気がしなくもない。
また、ハルヒが通っていた東中の「東」と合わせると「北東」になり、
ハルヒの出自がユーラシア大陸北東の朝鮮半島であることを暗示していると思われる。

作中ではハルヒが宇宙の起源であり、彼女が願えば全てその通りになるのだが、
これは「万物の起源は韓国である」というウリナラファンタジーや、
朝鮮に伝わる虚偽と思われる歴史を事実のものにしたいという作者自身の欲求の表れであると思われる。
291世界@名無史さん:2010/04/15(木) 23:27:55 O
王族には
292世界@名無史さん:2010/04/15(木) 23:30:02 O
王族には韓人の血は入っていただろうか?いずれにしろ、韓国は先進国になって日が浅い国。これから発掘や研究が進むだろうから楽しみ。
293世界@名無史さん:2010/04/16(金) 00:01:18 O
吉川弘文舘の「新羅国史の研究」くらいか。日本ででてるマトモな歴史本は
294世界@名無史さん:2010/04/16(金) 00:08:37 O
>>276
詳しい人が来てくれて良かった
295世界@名無史さん:2010/04/16(金) 00:55:13 0
296世界@名無史さん:2010/04/16(金) 19:04:49 O
韓国で出てる歴史書翻訳されんかな?
297世界@名無史さん:2010/04/16(金) 19:29:20 0
韓国歴史書翻訳ファンドを作れば?
あとは文部科学省がパトロンになるように働きかけるか
298世界@名無史さん:2010/04/16(金) 19:40:44 O
岩波書店か吉川弘文にでもリクエストしとくか
299世界@名無史さん:2010/04/17(土) 14:00:34 0
韓国人自体が百済王族に興味を持っているのか?否か?
300世界@名無史さん:2010/04/17(土) 15:34:35 O
学者は持ってるかも
301世界@名無史さん:2010/04/17(土) 15:46:54 O
日本に来た百済王室は韓系の「コニキシ」を名乗ってる?
302世界@名無史さん:2010/04/17(土) 16:20:26 0
百済王ってそんなに魅力的テーマじゃないんだよな。
『太王四神記』だと、高句麗にやたら絡んでくる存在だけど
百済の領民の心が離れて、現地の民兵が高句麗側についてしまう。

新羅は潔い存在で、敵ながらあっぱれみたいに描かれていた。
談徳王は、ファビョン会を敵に回しているが
そのファビョン会が、百済王を操っているような場面が出てくる。
303世界@名無史さん:2010/04/17(土) 17:14:04 O
新羅は高句麗から文明を受け入れたらしいからな
304世界@名無史さん:2010/04/17(土) 18:18:57 0
そして倭国に文明をさずけてくれた在日コリアンに感謝しよう。
305世界@名無史さん:2010/04/17(土) 19:25:58 0
日韓歴史共同研究で韓国側は史料的に主張されると「韓国に愛は無いニカー!」だからなぁ…
主流がコレじゃまともな研究結果があったとしても事実は闇に葬り去られてるんじゃないか?
日本の近代史みたいに

>>304
何で在日が古代朝鮮スレで出てくるか解らないんだが…
そもそも文化と財を奪うばっかで文明を食いつぶしてるだけじゃないか
306世界@名無史さん:2010/04/18(日) 01:16:51 O
百済の韓化は必然として、高句麗はどうかな?
307世界@名無史さん:2010/04/18(日) 19:27:57 0
高句麗語が残ってないので、みんな新羅語になりました。

( ´ー` ) oOO 北朝鮮で聞き取り調査すると、
隠語として高句麗語が残ってたりしないのかなぁ。
新彊の艾努(エイヌ)語みたいにさ
308世界@名無史さん:2010/04/18(日) 22:09:44 O
北朝鮮で方言調査ができればいいんだけど。
309世界@名無史さん:2010/05/01(土) 18:00:06 0
日本は、新羅を「シラギ」と言うが、

「シ・ラ・ギ(キ)」と漢字一音づつ当ててる例も有るんだね。

新羅奇(万葉集)
志羅紀(出雲風土記)
志羅妓(樽井藤吉・大東合邦論・国号釈義)
310世界@名無史さん:2010/05/03(月) 15:17:19 0
百済種族を中心に、馬韓地域の各種族――氏族は統合された。
百済国家は、百済種族の中心部であった今の京畿道広州地方を
中心に形成され、首都は肥沃な漢江下流地方の漢城(広州)に
おかれた。
311世界@名無史さん:2010/05/03(月) 15:39:38 0
この地方は、気候が温かく土地が肥沃であるので農業発展に有利であった。こ
のような有利な自然条件は、早くから水田耕作を発展せしめ、二−三世紀には
湖南地方(全羅道地方)に広範囲な水田開拓事業が行なわれた。これいらい河川
に対する堤防工事と水利工事は、統治者の重要な事業の一つであった。
312世界@名無史さん:2010/05/04(火) 20:12:31 0
>>310
初期百済の首都が京畿道広州周辺だったという説は、あまり有力じゃないんじゃない?
やっぱり、ソウルのオリンピック公園の近所周りだったんじゃないかな。
風納土城や夢村山城(通称は夢村土城)が都城だった可能性は、規模や出土品から見てかなり高いでしょ。
313世界@名無史さん:2010/05/08(土) 04:52:31 0
ソウルは元々京畿道だよ。
314312:2010/05/08(土) 09:01:24 0
>>313
それはもちろんそうだよ。
李氏朝鮮王朝の「みやこ(ソウル)」周辺だったからこそ、「京畿道」の名が付いたからね。

史書に残る百済首都としての漢城がどこだったかということについて、昔からいろいろ学説はあったけど、
京畿道内の広州であるとする説は、現在は余り有力ではないようだ。
風納土城や夢村土城は、ソウル市内の江南地区にある。
315世界@名無史さん:2010/05/08(土) 20:06:59 0
>>314
すまぬ。俺の持ってる資料が古かった。
1962年以前は京畿道広州"郡"だったらしい。
316世界@名無史さん:2010/05/10(月) 12:33:38 0
ウィキペディア-
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%8E%E6%88%90%E6%A1%82

女真人説 [編集]
池内宏[8]や山内弘一[4]らは李成桂が女真人或いは女真人の血を引いている可能性を指摘している。

状況証拠としては次のことが挙げられる。

李一族の出身地の咸鏡道は15世紀までは女真人の地だったこと。

李一族は女真人の配下を多数抱え李一族が頭角を現したのはかれらの助けが大きかったこと。

のちに15世紀になって編纂された王朝創建の偉業を称えた『龍飛御天歌』によると、李一族は全羅道の全州出身で古くは新羅に仕えたがやがて咸鏡道に移住した、と書かれているが、後世に潤色されて書かれているため信憑性が疑わしいこと。

モンゴル語で書かれた李家の家系図から、李一族の女直名は完全に記載されているが朝鮮名は不完全にしか書かれいないこと。

ダルガチは原則としてモンゴル人であり、稀に女真人や色目人が任命される事があるが、被支配民族の漢人、ましてや漢人の子分の高麗人が任命されることは非常に不自然であること。

千戸として女真人の統治を行っていたこと。

姓を李氏と言ってはいるが、祖先が元朝の家来で、元の開元路出身であることは明らかであり、モンゴル名を持っていること。(ただし、当時は高麗人貴族もモンゴル名を持っているから、これだけでは女真人とはいえない)
317世界@名無史さん:2010/05/10(月) 12:37:02 0
岡田英弘と宮脇淳子は13世紀モンゴル時代の朝鮮半島と大陸の関係と李氏朝鮮勃興を概説し、
朝鮮の太祖李成桂女真人説について次のように論証している[9]。
その上で史料証拠として『李朝実録』の冒頭『太祖実録』の内容[10]を用いて次のことを挙げている[9]。

『李朝太祖実録』冒頭には「太祖康獻至仁啓運聖文神武大王、姓李氏、諱旦、字君晋、古諱成桂、號松軒、全州大姓也」とあり、本貫が全州李氏であること、新羅の司空李翰を始祖として、以下21代を経て李成桂に至ったとするが、
第16代まではほとんど名だけが知られるにすぎず、第17代(李成桂4代の祖)からやや詳しい伝記がある。その第17代以後の祖先の活動舞台と居住地を通観すると、
前16代につなげるために全羅北道全州(完山)を出発点として、東海岸の三陟から豆満江畔にわたり、
そのほぼ中央に位置する咸興をもって活動の根拠地としたように書いてある。すなわち、全州李氏の出身だというのは後世の捏造で、その証拠に、李氏朝鮮王室で、全州李氏の誰一人として祖先として祀られた人はいない[9]。

『李朝太祖実録』巻一、九頁下、には次のような記事がある。「初三海陽(今吉州)達魯花赤金方卦、娶度祖女、生三善三介、於太祖、為外兄弟也。生長女真、膂力過人、善騎射、聚悪少、横行北邊、畏太祖、不敢肆。」
これを訳すると、「三海陽(咸鏡北道の吉州)にいた元のダルガチだった金方卦(女真人と思われる)が、度祖(モンゴル名ブヤンテムル、三頁下、李子春の父)の娘を娶って生まれたのが三善三介で、太祖の外兄弟(姓が違う兄弟)である。
彼は女真で育ち(女真の族長になった)、腕の力が人並み外れて強く、騎射をよくし、悪い奴らを集めて、北辺に横行したが、太祖を畏れて、敢えてほしいままにしなかった」というのである。
これによると、太祖も女真族としか考えられない。なぜなら、遊牧民や狩猟民は族外婚制をとり、姓の違う集団と結婚関係を結ぶのを習慣とする。
女真族の族長である三善三介が太祖李成桂の外兄弟であるというならば、太祖自身も女真族であったと考えるのが自然である。
『李朝実録』は、朝鮮時代になってからの正史であるから、朝鮮王の家系について、なるべく高麗との関係を重んじるような書き方をしているが、どうしても書き残さざるを得なかったのが、この「三善三介」についての記事である[9]。
318世界@名無史さん:2010/05/10(月) 16:59:26 0
2000年前の高句麗の直系が300年前の女真というわけではないがなw
同系であっても枝別れしたのは2000年よりもっと前っぽい
そこが韓国と中国満州族の『東北工程』の争点
319世界@名無史さん:2010/05/10(月) 22:12:35 0
何百年もほぼ完全に隠し尽くされたルーツなんてものがあったとして
意味があるんやろうか。
320世界@名無史さん:2010/05/11(火) 20:37:27 0
てか、そもそもここ古代史スレだから、
李氏朝鮮王朝の話はほぼ完全にスレ違いなんだが。
321世界@名無史さん:2010/05/11(火) 21:05:52 0
まぁ、社会の発達レベルは同じだけどね。
322世界@名無史さん:2010/05/12(水) 00:03:47 0
>>316>>317>>321
ハン板逝け
323世界@名無史さん:2010/06/05(土) 12:07:49 O
中国史でいうなら百済の熊津時代は北朝の漢化政策の時代、扶余時代は鮮卑揺り戻しの時代に相当?
324世界@名無史さん:2010/06/06(日) 12:00:03 0
>>323
おそらくその質問は、
「しひ時代の百済の豪族間の力関係が、漢城時代の有力豪族のもとへ戻ってきたのか?」
という意味だろうと思うけど、もしその意味で問うとするなら、
民族的な力関係の振り子が大きく揺れた、とまで言えるほどの状況ではないだろう。

基本的に、漢城時代は漢江周辺の豪族が有力で、
熊津時代以降、錦江周辺の豪族が政権中枢に加わるようになったという意味が大きい。
熊津周辺に勢力を持っていた豪族、しひ周辺に勢力を持っていた豪族と、それぞれいろいろあったようで、
それぞれの地域への遷都そのものが、豪族間の力関係の変動の指標の一つにもなるようだ。

しひ時代初期に、国名を「南扶余」と名乗りもしたという記録はあるけれども、
この「南扶余」の国名が完全に定着したといえるほどの記録が無いところから観て、
政権の民族的な様相が大変動した、というよりは、
「国が力を取り戻したことを象徴する意味だった」というほうが近いだろう。
325世界@名無史さん:2010/06/06(日) 12:16:33 0
ところで、熊津と しひ は、そこの地図を見比べてみればすぐ分かるけれども、地形がかなり違う。

熊津は、475年の遷都の理由が理由だった(高句麗軍に漢城を陥され、蓋鹵王を含め王族が極めて大勢亡くなった)だけに、
一目瞭然の天然の要塞の地形になってる。
かなり大きな山脈が北にあり、
また、目の前に東から西へ錦江が流れていて、
(同時にその錦江が外部への主要交通路の一つにもなり)、
さらに南にも山が迫っていて、
簡単には外部から入り込めなくなっているかわりに、平地が狭くて都市の拡充がしづらかった。

しひは、熊津から錦江を下っていったところにあって、
その辺りでは南向きに流れている錦江の流れが、やや西に湾曲しているところにできた、氾濫原の地域に当たる。
だから、平地が熊津よりもかなり広いうえに肥沃で、都市や農地を開発しやすかった。
全体としてはその辺りの錦江はそのまま南に流れるので、しひ は錦江の東岸になる。
やや離れた位置には山地もあるので、完全に無防備な地形というわけでもなく、
また、人工的にも、都市の東側周縁部を広く守るかたちになる城壁「羅城」が造られた。
それから重要なこととして、熊津よりも川下に当たる地域なので、
水路(川や海)を通じた外部とのアクセス面でも、熊津より便利なところだった。

聖王(聖明王)が しひ に遷都したのは538年。
この538年が日本への仏教文化本格渡来の年であったことからもわかるように、
聖王が内政的にも外交的にも一気に積極策を採り始めた時期の、
個々の政策が非常に有機的に結び付けられた一貫事業の中心かつ最大のプロジェクトが、
しひ遷都だったとも言えるだろう。

(切迫感漂う熊津遷都開始時期のBGMには「地上の星」、
 高揚感漂う しひ遷都完成時期のBGMには「ヘッドライト・テールライト」が似合うかな?)
326世界@名無史さん:2010/06/06(日) 12:24:14 0
>>325
「都市の東側周縁部を」→「錦江の西寄り湾曲部分の東側を」
327世界@名無史さん:2010/06/06(日) 15:28:59 O
なるほど。百済躍進の時代だったわけか。
民族的な問題を言うなら宮廷の韓化はむしろ進んでいたかもね。
日本に来た王の称号がコキシだったのもそのせいかな?
328世界@名無史さん:2010/06/07(月) 16:53:02 0
古朝鮮のことを調べれば調べるほど
広大な領土を持つ世界帝国であったことが明らかとなり
日本の支配階層が古朝鮮から派遣された下級官吏に過ぎぬことが明白となり
支配を根底から揺るがすこととなるので日本では古朝鮮研究は禁止されたいるが
大韓 中国 欧米においては近年飛躍的に研究が進んでいるという
329世界@名無史さん:2010/06/07(月) 20:30:01 O
>>324
詳しい説明に感謝。
しかし日本では良い朝鮮史の本が無い。
330世界@名無史さん:2010/06/07(月) 20:46:04 0
>>327
もういいから消えろよ
331世界@名無史さん:2010/06/07(月) 20:48:56 0
>>328
もういいから消えろよ
332世界@名無史さん:2010/06/07(月) 22:17:05 0
実際、百済の絶頂期って百済滅亡ちょっと前なんだよねえ…
新羅の武烈王とその義兄ちゃんがいないか唐が中唐以降だったら
あるいは百済が半島統一できたのかな?
333世界@名無史さん:2010/06/08(火) 00:30:03 O
で後に「後新羅」ができると。
334世界@名無史さん:2010/06/08(火) 23:16:06 0
んで差別対象が西から東にシフトして後は変化なし
なんか戦国自衛隊みたいだな
335世界@名無史さん:2010/06/09(水) 02:26:31 0
7世紀後半に新羅が最終的に百済や高句麗をおさえ込んで天下を取るに至る、
その歴史的・戦略的なターニングポイントがどこだったかと言えば、
実は、553年だったんではないだろうか?
つまり、真興王率いる新羅が、聖王率いる百済から漢江流域を取った、そのとき。

漢江流域そのものが、水資源としても交通路としても軍事的障壁としても農地としても非常に重要であるうえに、
このとき新羅が黄海への直接の出口を初めて得た、ということは、
言い換えれば、外交的にも極めて重要な、直接に中国と向き合うための回廊を得た、ということでもあるから。

これが、後々、ものすごく大きな戦略的意味を持ったんではなかろうか?

実際、このときを境に、それまで120年続いていた新羅と百済の同盟関係が無くなって、
外交的な情勢が一気に流動化したのでもあるし。
336世界@名無史さん:2010/06/11(金) 23:42:23 0
http://www.youtube.com/watch?v=q43uR1gYRJU
"I am saying the first records of Japanese espionage use appeared circa 600 AD,
just after losing a war with what was then the 3 Kingdoms (which became Korea eventually) .
Eventually, 600-700 years later (1100-1200 ADish),
they became the Ninja, but no, not immediately in 600 AD."

この外人の、西暦600年の前にコリアに負けた戦ってのがなんのことだか分からない。
これのこと言っているのかな?
http://www5b.biglobe.ne.jp/~yoropara/mretu/mretu00198.htm
>この時、編成された新羅征伐軍は数万にも及び、
>編成後ただちに渡海し任那に布陣する。
>任那へ到着後、布陣し、軍の態勢を整えた雄摩侶らは、作戦会議を開き、
>新羅討伐のための具体的な作戦行動を決めるが、
>新羅が任那から引き上げたために、軍事衝突は回避された。

韓国人の偽歴史を聞かされて勘違いしているとか?
実際、白村江の戦いの以前に、日本と新羅が大きな軍事衝突をした記録ってあるの?
例の日本が百済・新羅を支配したっていう碑文しか知らないんだけど。
337世界@名無史さん:2010/06/12(土) 00:06:25 0
コリアに負けた云々じゃなくて、600年頃に忍者の起源があると言ってんじゃないの?
338世界@名無史さん:2010/06/12(土) 00:22:02 0
>>337
忍者の起源はそうなんだけど、
>just after losing a war with what was then the 3 Kingdoms
コリアに負けた、それによってスパイ組織が日本にもたらされた、って言ってるんだよね。
そのコリアの組織は支那からもたらされた、だから忍者の起源は支那だ、って。

その時代に負けたような事実はない、って答えられれば一番なんだけど。
339世界@名無史さん:2010/06/12(土) 00:28:21 0
あと、
"China had a well developed espionage system which was most certainly
influencing on the 3 Kingdoms during their wars."
支那がコリアに「戦時に」諜報システムをもたらしたって言うんだけど、
三国と隋・唐ってそんな軍事衝突あったの?
340世界@名無史さん:2010/06/12(土) 00:28:26 0
circaはおよそ、なんだから600年代に日本が負けたつったら白村江じゃねーの?
341世界@名無史さん:2010/06/12(土) 00:39:41 0
>>339
>三国と隋・唐ってそんな軍事衝突あったの?

隋が高句麗攻めたけど失敗したとか、新羅が唐と組んで他二国滅ぼしたとかは中学レベルだろw
つうかduring their warsは「三国が」戦争してたから、その間により優れたシナの諜報技術が
(その時々で同盟してた三国のうちの国に伝授されて)影響を与えたってとこだろ
342世界@名無史さん:2010/06/12(土) 00:43:36 0
>>340
そいつはそうは言っていない。600年ころに日本の最古の文書にスパイが現れる、
それがコリアに負けた後だ、って言っているんだよ。
それって聖徳太子の大伴細人を志能便として使ったって話だから、白村江ではないんだよ。

>>341
>新羅が唐と組んで他二国滅ぼしたとかは
その前の話。
343337:2010/06/12(土) 00:50:00 0
>>338
すまん読み誤ってた。

たぶん、その負けた戦いというのは日本が朝鮮南部の地歩を失った(任那を失った)ことを
指しているような気がする。さらには、その辺と白村江とがごっちゃになって”war"と言ってるんでは
ないかな。
344世界@名無史さん:2010/06/12(土) 01:12:19 0
>>343
かもしれない。524年とか537年ならその可能性はあるかも。
外国人の読む東アジアの歴史って、韓国人が書いたものが多いから、
妄想が入っている可能性があるのがややこしいんだよね。
聖明王の経典献上も、ネットでは日本が百済に朝貢したことになっていて、ドイツ人が鵜呑みにしていたし。
仏教も、日本が併合後に弾圧したとか真逆なことを書いているし。

>>341
支那→コリアのところは、高句麗が隋に攻撃したっていう598年を指している可能性はあるかなあ。

まあそれはいいとして、問題はコリア→日本なんだよね。
>>343の言う任那の話か、または>>336に書いた雄摩侶の新羅征伐軍が負けたことに改変されちゃったか、
ってところかな。
345344:2010/06/12(土) 03:47:06 0
"Additionally we learn more when we lose and Japan was expelled from Korea in 591 AD
just before the first records of Ninja appear."

こんなことも言ってた。591年てなんだ?
http://cgi.members.interq.or.jp/asia/showashi/cgi-bin/trees.cgi?tw=&log=&search=&mode=&v=1524&e=res&lp=1563&st=0
見当たんないんだけど。
346世界@名無史さん:2010/06/12(土) 03:58:19 0
>外国人の読む東アジアの歴史って、韓国人が書いたものが多い

ジャレドダイアモンドあたりも、少なからず影響を受けているかもね。
347世界@名無史さん:2010/06/12(土) 09:53:24 0
各地の古墳時代男性頭骨の弥生・縄文判別関数値(+は弥生側、−は縄文側)

畿 内 +2.12
南近畿 +1.47
四 国 +1.08
東中国・西近畿 +0.76
東北九州・西中国 +0.70
関東・東北南部 +0.51
北陸 +0.40
西南九州 −0.87
348世界@名無史さん:2010/06/12(土) 11:05:16 0
>>344
横から失礼。
はたからみてると、君の記述も、ちょっと感情的になってるところがあるように見えるよ。
冷静で客観的に書こうとするなら、修辞的表現をもっと削り込んで、分析のみ淡々と書くことができるはず。

また、文脈が二つの意味に解釈される部分がある。
「ネットでは日本が百済に朝貢したことになっていて」という記述は、
「ネットでは日本が百済に朝貢(して仏教を百済へ西伝)したことになっていて」という意味なのか、
「ネットでは日本が百済に朝貢したことになっていて(百済が日本に臣従したことになっておらず)」という意味なのか、
どちらとも解釈できる。
もし前者の意味ならば、それは確かに記述者の誤認だろう。百済側の人物である聖明王が、日本側の人物ということになる。
もし後者の意味ならば、少なくともそれはもっと厳密で客観的・多面的な史料の比較と分析が必要だ。この場でいきなり結論的に言うのは無理がある。
なぜなら、冷静な第三者の立場からそう観察している史料(隋以前の中国の史書など)が事実上無いから。
(たとえば広開土王碑の場合、碑を立てた高句麗は直接的な対百済交戦国であるうえ、
 碑文の内容が、広開土王の息子である長寿王による、父王を礼賛するものなので、冷静で客観的な立場からの記述とは言いにくい)
349世界@名無史さん:2010/06/12(土) 12:55:28 0
>>345
591年てお前さんが自分自身で>>336で言ってることしかないだろ?
自分が反論したいことの裏付け、あるいはこのスレから「援軍」を呼ぶ為に
ageながらネタ振りし続けてるのか?愉快犯の目に留まりやすいように?
つべだろうがwikiだろうが、反論したいなら自分だけの力でやれ
気に入らないから熱湯浴にでも荒らしてもらおう、とか思ってるなら帰りな
350344:2010/06/12(土) 17:30:23 0
ごめんね、荒らす気はなかったんだけど、ここの人たちが一番詳しいと思って。
もう来ないけど、とりあえず俺が挙げたネットにある英文を参考までに書いておく。
西洋人から、この歴史的事実をどう思う、って突きつけられたやつ。

552 AD., Paid tribute to the Korean king Pakche the Japanese rulers,
his respect by Buddhist monks equipped with? various fonts, and sent for the time avant-garde ideas, to Japan.

訳:552年、日本の王は韓国の百済王に貢物をしました。彼は多くの漢字を知っている仏教僧を崇拝していました。
そこでしばらくの間、先進的アイディアは日本に送られたのです。

The History of Korean Buddhism
http://www.international-zen-temple.de/en/zen/history.htm
351世界@名無史さん:2010/06/17(木) 23:06:03 0
>>260
三韓は中国人か・・・

三国志の韓伝にいろいろ国名が載っているけど、これで何かわかることないのかな
352世界@名無史さん:2010/06/17(木) 23:12:03 0
百済の中国人は漢民族の可能性があるわな。
東漢 駒(やまとのあや の こま)とか、百済から日本に来たのか?
353世界@名無史さん:2010/06/18(金) 11:06:48 0
>>351
>>352
でも、(扶余系)高句麗語・扶余系百済語・韓系百済語・(韓系)新羅語は、
いずれにしてもアルタイ系言語に間違いないとみられるから、
中国系(漢系)言語とは根本的に異なる言語だよ。
構文の面でも、固有語彙の面でもね。

百済そのほかの国に、中国系の人たちが少しいたとしても、
その人たちは伝説上の古代中国系移住者の直系子孫というわけでは特にはなく、
百済そのほかの国に地理的に近接した、楽浪郡や帯方郡などからの、
比較的新しい移住者または招聘された知識人とみるほうが妥当だろう。
354世界@名無史さん:2010/06/18(金) 11:15:24 0
百済の時代の匈奴や鮮卑なら、中国人だろう。
前趙は匈奴、西秦は鮮卑の政権だ。
中国という言い方は、北魏隋唐から現れているわけだし。
355世界@名無史さん:2010/06/18(金) 11:59:21 0
いや、だから、言語面でみれば、百済語や新羅語は漢系言語ではないんだってば。

それに、匈奴や鮮卑が(アルタイ系ではあっても)百済や新羅の地に征服王朝を建てたなんて話は、
それこそ中国の史書にすら出てこない。

いくらなんでも、百済が中国北朝系王朝だなんて主張は、どこにも見たことがないが。
356世界@名無史さん:2010/06/18(金) 12:08:33 0
誰も征服王朝なんて言ってないだろう。
357世界@名無史さん:2010/06/18(金) 16:54:50 0
新羅ぐらいまでは、断片でも言語資料あるのか?
高句麗も百済も思いっきり少ないよね。
特に百済は、殆どないんじゃね?

まして260の言う三韓の場合は、皆目わかってないんじゃね?
358世界@名無史さん:2010/06/18(金) 17:58:06 0
体系的な文章としての百済語の史料は実質的に残ってないようだけど、
(新羅語の場合は、郷歌などが少し残ってるけど、)
ただそれでも、
百済語の場合にも、たとえば、人名・地名・尊称といった言葉は、断片的ながら残ってるね。
これは、三国史記・三国遺事・日本書紀そのほかの史料で確認できる。
特に、地名の史料が多いようだ。
そして、この地名関連の史料には、意訳ではなく音写とみられるものも多いので、
そこから史料を分析して原音を再建し、
さらに、後世に意訳された地名として残っているものと照合するといった手法の研究等が、
かなり本格的に行なわれてるらしいよ。

だから、そうした史料でみるところ、百済語(・新羅語・高句麗語)が漢系言語ではないということは、
いずれにせよ確実に分かってる。
359世界@名無史さん:2010/06/18(金) 19:44:05 0
門外漢でよくワカランのだが、三国史記地理志の地名って、音(三国漢字音)訓(三国語読み)まざっててわかりにくー。
しかもその漢字音も言語もよく解らんのだろ?

大変そうだね・・・

あと三韓の話だけれど、みてると繋がりもありそうだね。
そのあたりで言語断絶してるわけでもなさそうだね。

360世界@名無史さん:2010/06/18(金) 22:33:33 0
伽耶百済新羅高句麗については通訳が必要だよ説と必要なかったよ説が
未だに論争中だからな…
361世界@名無史さん:2010/06/18(金) 23:00:52 0
百済は常に高句麗の脅威に晒されてたわけで倭へ軍事同盟の継続を求める理由があるが、
遠い海の向こうの倭にとって百済にへりくだる理由がない
百済がなくなると緩衝地帯を失うことになり、高句麗の脅威が増えるからしかたなく同盟は継続しただろうが
百済の仏教は今の日米関係における「おもいやり予算」みたいなものだろうと思う
362世界@名無史さん:2010/06/22(火) 19:40:48 0
ググっててみつけたけど、三韓って結構複雑だったの?

ttp://www.geocities.jp/pikupopodemi/rekisi/ronbun/kandenkokumei.htm
363世界@名無史さん:2010/06/24(木) 12:52:28 0
最近の考古学を見ても、馬韓の領域ってめちゃめちゃ多様だったようだな。
ただ、あんまり2chにリンク貼るのは良くない。

とか言いながら貼ったりして・・・

ttp://blog.goo.ne.jp/thetaoh/s/%CC%B5%CA%B8%C5%DA%B4%EF

364世界@名無史さん:2010/07/01(木) 10:15:50 0
>>357
地名と人名くらいに、しかも、日本か支那の資料にだけ残ってる。
とても正確に再建するのは無理。

そもそも、モンゴルにガッチガチに支配された高麗、明・清の間接統治時代の李朝の時代にも、
全く支配国の言語に導入された単語が無い。
モンゴル語に入ってるsolongosという朝鮮半島を指し示す単語一つだけ、おそらく「新羅」が語源
の単語くらいか。スラブ語、ペルシャ語、アラビア語、チベット語なんかからは中世の大帝国時代に
沢山の単語を導入しているから、被支配地からの単語は使わないというようなことはなさそうだし。
365世界@名無史さん:2010/07/01(木) 14:11:02 0
風納土城っていつ頃できたことになってるの?
366世界@名無史さん:2010/07/01(木) 22:01:02 0
>>364
古代の地名・人名の出典として、いくらなんでも三国史記と三国遺事を省くべきではないと思うが。
それら自体の編纂時期は高麗期だったとしても、編纂時の参考文献があったのは確実と推定されてるし。
367世界@名無史さん:2010/07/02(金) 11:04:45 0
日本語は支配国の米語にどれくらい取り込まれてるかね。
「すし」とか「つなみ」とか?
368世界@名無史さん:2010/07/02(金) 11:36:57 0
>>366
え? 逆だろ。
三国史記・三国遺事の引用元資料そのものが残っていないし、
編纂方針が、既に残っていない資料を優先しているとあるし。
そもそも、孫引き資料を想像で補完したようなものは、資料とは言わないし。
精々、この時期の高麗人の妄想がどの程度のものであったか、ということを知る
資料くらいにしかならんわない。物語としては面白いかもしれんよ。
369世界@名無史さん:2010/07/02(金) 12:04:29 0
>>361

いきなり船を乗り付けて「仲良くしてください。文物の交換をしましょう。面白いものとか役に立つ制度とか
技術とか教えてください。珍しい産品があったら売買しましょう。」とか言うのもありっちゃあありだけれども、
警戒されるわなあ。相手方の都合の悪いタイミングとか、先に接触しては駄目にところに先に話を持って
行ったりとか、相手方の嫌な作法でやっちゃうと、話がこじれたりする。
相互に開明度の高い段階にきていた時代でも、黒船来航とか、こじれたろ。

慎重を期すなら既に付き合いがあって相手方の事情に明るいところに、話を繋いでもらうということを考える。
その時代なら、隋に話をもっていくに手っ取り早くは、百済に仲介をさせる。国力では日本が相当に勝って
いて属藩扱いしているから、やりやすい。資料の沢山残っている後の時代でいうと、モンゴル帝国が高麗を
通じて接触してきたり、、幕藩時代に江戸・薩摩が琉球に明国や清国との中継ぎをさせたのと同じ構造だ。

隋や唐との接触が上手くいって、直接渡航も可能になった、どうも百済経由で入ってくる資料や技術には
摩滅があるということに気づく。そうなると、政情不安で、産品の乏しい百済は、日本からすると価値が乏しい。
手放してしまうのも抵抗がなくなる。
370世界@名無史さん:2010/07/02(金) 18:40:30 0
中国史をダシにして煽るようなスレじゃないんだが。
原典の引用も無しに思いつきだけ書くんなら、よそでやってくれ。
371世界@名無史さん:2010/07/02(金) 19:17:03 0
>>368
「編纂方針が、既に残っていない資料を優先しているとある」って、
三国史記や三国遺事のどこにそんな記述があると言うの。
それに、一次史料そのものが現代にまで残っていなければ絶対に史料とは認めないと言うのなら、
ギリシア史もローマ史も中国史も、写本しか残ってない記録は全て駄目ってことになる。
それはいかにも暴論だろう。

例えば「ガリア戦記」の写本の多彩さは非常に有名だが、
(もちろんカエサル本人の原本は見付かってない。)
だからと言って「『ガリア戦記』の史料価値は皆無だ」なんて主張するローマ史家はいないでしょうに。
372世界@名無史さん:2010/07/05(月) 14:01:23 0
>>371
支那や日本の史書の現存するものとの内容の矛盾がある場合に、
朝鮮半島でその時点で現存せず民間に“○○古記に載っていた”というふうに伝わっているだけのものでも、
朝鮮半島で内容を史実とする、というふうに序文に編集方針が書かれている。

で、民間に伝わってるというのが、古今東西あまり正確だったためしが無い。
例えば日本なら、朝鮮半島に関わりの深い人のことなら、たとえば神功皇后が新羅攻略の際に通った場所や
陣営を張ったなんか無数にあるし、凱旋後に応神天皇を産み落とした場所として伝わっている場所なんて壱岐
から北部九州に何十箇所もある。
時代が半分でも、菅原道真が大宰府に下る間に泊まった場所というのも、無数にあるし、どう考えても道順から
無理のあるようなところにまで泊まったことになっている。
西洋でも、シーザーが布陣したとかナントカ族の降伏を受諾したとかハンニバルとの戦闘があったとかいう場所
も矛盾する場所にいくつも伝わっている。正史に近いものでも民間からの伝承をあつめたものでは年代までずれ
てたりする。アングロ年代記のシーザーの渡航年が1200年の間に6年か7年ずれてる。
百年経っていないようなものでも、すぐ近くの支那では毛沢東が泊まった場所とか、朝鮮パルチザンとして
金日成が戦った戦功とか、矛盾だらけに伝わってるだろ。
373世界@名無史さん:2010/07/05(月) 22:50:06 0
>>372
それはさすがに言い過ぎだろ伝承に出鱈目が多いのは事実だけど

例えば司馬遷が史記に記録してた殷王朝なんかも元は伝承だったわけだし
カナダでのバイキング居住跡の発見でバイキングの北米大陸到達の伝承は事実と証明された
変質してるかも知れないが何かしらの真実を含んでいる場合があるから一概に不要と断じるのは拙速
ついでに三国遺事は僧が書いたものだから朱子学的な「〜あるべき」思想に染まりきってない
ある意味資料としては三国史記よりも重要かも

まあ日本&歴代中華王朝の資料が一致してるのに全然違うこと書いてあるものとか
檀君云々はウリナラファンタジーとして処理していいと思うけど
374世界@名無史さん:2010/07/06(火) 20:18:56 0
>>373
殷は遺跡から「商王朝で王様は誰それのときに何を記念してこの銅鼎を造った」とか
「何とかいう王様の命令で卜師ナントカが何々ついて占う」とかいうことの書いたものが
出てきて初めて史実であることが判った。

“ヴィンランド”にヴァイキングが渡航して居住したことがあるのは史実だろう。が、それが
エリクセンのものかどうか判らないし。
対して、メイフラワー号に乗ってプリマスから出航しし新プリマスを造った人たちはそれぞれ
名前まで判っている。
グリーンランド島が南米大陸より大きく描かれているメルカトル図で距離感狂ってるんだろが、
大体、地球は球体なので、北極圏ら辺は距離は短い。17世紀には、もう、ニューファンドランド
近海の漁場をめぐって北欧諸国とアメリカ側とで争いが生じている。
ちなみに、実際の面積では、南米大陸はグリーンランド島の8倍もある
375世界@名無史さん:2010/07/06(火) 20:31:41 0
>>374
ヴァイキング行で誰がヴィンランドに来たのか、別に>>373さんは触れてないだろう?
サガに描写されてる赤毛のエリクだったのかどうかは、そりゃ分からないさ。
てか374さん、「エリクセン」と書くと「エリクの息子」になっちゃわないか?
376世界@名無史さん:2010/07/06(火) 21:50:08 0
>>372

>支那や日本の史書の現存するものとの内容の矛盾がある場合に、
>朝鮮半島でその時点で現存せず民間に“○○古記に載っていた”というふうに伝わっているだけのものでも、
>朝鮮半島で内容を史実とする、というふうに序文に編集方針が書かれている。

三国史記の序文「進三国史記表」には、そんなことは書かれてない。
関連部分を抜粋して引用すると、

・・・況惟新羅氏高句麗氏百済氏 開基鼎時 能以礼通於中国 
故范曄漢書 宋祁唐書 皆有列伝 而詳内略外 不以具載
又其古記 文字蕪拙 事迹闕亡・・・

・・・三国時代に中国との通交があったため、漢書や唐書に列伝としての記録はあるが、
それらは中国の内部事情については詳しくても、外国事情については概略しか無い。
またそれら中国史書に載っている古記は、文言が拙く、事象にも欠落がある・・・

という内容なんだけど。
ここから後の記述を追ってみても、「民間伝承の内容を史実とする」と直接解釈できるような文言は無いよ。


多様な史料の照合による厳密な分析(いわゆる「史料批判」)が必要であることは当然だし、
だからこそ、三国史記や三国遺事を無視すべきではないよ。
日本や中国の史料に載ってる関連事項だって、どこまでが本当でどこからが本当でないか、よく分析してみないと分からないでしょう。
それこそ外国事情の内容になるんだから、一般的には又聞きや孫引きの話に頼らざるを得ない内容が大半になるんだし。
377世界@名無史さん:2010/07/07(水) 10:28:11 0
>>375
ハァ?
高麗の時代に、年代を物理的に測定するような技法があったのかい?
三国史記で、高麗の民間の伝承と、支那や日本の書物とで衝突がある場合には、
民間の伝承を優先したというのは、誰々が何々した、というようなところだで?
378世界@名無史さん:2010/07/07(水) 10:33:53 0
>>376
三国史記の編纂は、百済・高句麗の滅亡から500年近く後ののことなんだけれど……
379世界@名無史さん:2010/07/07(水) 11:12:28 0
>>377
これアンカー間違い? 話が咬み合ってないけど。
380世界@名無史さん:2010/07/07(水) 12:34:22 0
>>375
アイスランドを追われてグリーンランドに到達したのが、赤毛のエリク。
グリーンランドを発って見つけた温暖な土地にヴィンランドと名づけたのは、レフ。
レフは赤毛のエリクの息子。
間違ってないじゃん。
381世界@名無史さん:2010/07/07(水) 20:23:48 0
376を書いたの、俺だけど、
後でもう少しいろいろ確かめてみたら、
「進三国史記表」は、三国史記の原典の序文そのものではないんだそうだ。
「東文選」に掲載されている文章で、筆者は三国史記の編者の金富軾。
内容的には三国史記を君主に献上するに当たっての紹介文そのものではあるが、
三国史記に直接掲載されなかった理由は不明だそうだ。
382世界@名無史さん:2010/07/07(水) 20:50:30 0
>>378
高麗期の文人政治家で、李奎報という人がいる。
この人が書いた文章の中に、
「(新羅・高句麗・百済三国の史書としての)旧三国史を読んだ」という話があって、
さらに、同じ文章の中には、「金富軾が国史を重撰した」という文言も出てくる。
文章全体の内容としては、「重撰のものには、旧三国史から削られた部分も多い」という話になってる。
こうしたことから、現在に伝わる三国史記に先立って、「旧三国史」と呼ばれる史書があったことがほぼ確実と考えられる。

「三国史記」に引用が明記されているものとしての、「旧三国史」ほかの様々な史書は、
新羅・・・・・固有史料54種類、中国史料36種類
高句麗・・・固有史料10種類、中国史料17種類
百済・・・・・固有史料6種類、中国史料11種類
が挙がってる。
もちろん、現代では散逸した史料が多いのは確かだが。

ところで、この中には「三韓古記」「新羅古記」ほか、 古記 の名が付く史料がいくつか挙がってる。
「進三国史記表」の中に、「其古記(その古記)」という文言が出てくる部分があるが、
こうしたことから、「其(その)」の文言が指すものは、
「漢書や唐書」だという解釈とともに、
「新羅・高句麗・百済」だという解釈も可能とされてるそうだ。
383世界@名無史さん:2010/07/07(水) 20:55:05 0
>>382
ただし、「三国史記」そのものには、「旧三国史」を引用したことは明記されてない。
384世界@名無史さん:2010/07/08(木) 00:05:39 0
>>382を一部書き直し

文章全体の内容としては、「重撰のものには、旧三国史から削られた部分も多い」という話になってる。

文章全体の内容としては、
「旧三国史には、重撰のものでは大幅に削られた(高句麗初代)東明王の神異に関する文言も、多く載っている」
という話になってる。
385世界@名無史さん:2010/07/08(木) 00:49:11 0
>>377
アンカーの本当の繋ぎ先がどこなのか、
よく分からないことになってるみたいだけど、
いちおう聞きたいのは、
(高麗期に放射性炭素の測定法が無いのは当たり前の話として)

>三国史記で、高麗の民間の伝承と、支那や日本の書物とで衝突がある場合には、
>民間の伝承を優先したというのは、誰々が何々した、というようなところだで?

貴方は、具体的にどの記述の部分がどういう優先順位で書かれてると見て、
また、三国史記全体での、参考史料の優先度の比率がどうなってると見て、
こう主張したの?
386世界@名無史さん:2010/07/08(木) 13:22:05 0
>>382
重撰 の意味、わかってる?
重要視して撰り出した、という意味ではないよ。
重訳とかの重と同じ、撰った中からもう一回選ったという意味だよ。
387世界@名無史さん:2010/07/08(木) 17:39:28 0
>>386
もちろん分かってる。
だからこそ李奎報の記述の話を>>382で書いた。
現在残る三国史記は金富軾とそのスタッフだけによってある時期いきなり編纂されたのではなく、
その前段階に当たる史書が(編者・編纂時期は不明ながら)既に存在していたっていうことが示されてるからね。
その史書をもとに三国史記が重撰として編纂されたこそ、
李奎報は「『旧』三国史」という用語を使ってるわけだから。
388世界@名無史さん:2010/07/08(木) 17:43:35 0
>>387
その史書をもとに三国史記が重撰として編纂されたこそ、

その史書をもとに三国史記が重撰として編纂されたからこそ、
389世界@名無史さん:2010/07/08(木) 23:36:21 0
>>365
1990年代後半から2000年代前半に掛けて、
風納土城の各地点の本格的な発掘調査とそれに基づく研究が相次いで行なわれたそうだ。
これによって、「風納土城が、百済首都の漢城であった」とする説が急速に有力視されるようになった。

この発掘調査に基づいた研究成果によれば、
風納土城は、或る時期一気に造り上げられたのではなく、
長い年月を掛けて徐々に出来上がっていったとみられてる。

(少数の出土品に基づいた或る見解によれば「紀元前200年前後から城壁の築造が始まった」とする説もあるけれども、これはかなり極論に近いようだ。)
一般的な出土品や遺構などの様々な状況や年代測定から観ると、「紀元元年前後から城壁の築造が始まった」とみるのが妥当なところらしい。
ただ、城壁が造り始められた時点ですでにこの場所に人が或る程度集住していたこと自体は、確実とされてる。
そして長年掛けての築城の末、「紀元200年前後に、城壁の築造が最終的に完成した」とみるのが妥当なところらしい。

なお、風納土城の完成時期を、「紀元3世紀中期〜後期」とする暫定的な見解もあるそうだが、
これは、土城内部の或る区域の、居住地址の関連遺跡の発掘状況から観た見解であるらしいので、
「土城」そのものの完成時期とは異なると考える必要があるようだ。

ところで、「風納土城のすぐ近くに夢村山城(紀元3世紀末あたりから築城開始)が築かれている」ということは、
言い換えれば「平地の都城と、その背後を守る山城」という配置として捉えることができるようだ。
後年の熊津遷都や しひ遷都に当たっても、これと同様の構想が採用されたと考えることができるらしい。
390世界@名無史さん:2010/07/09(金) 01:39:59 0
しかし、三世紀後半以降に百済の首都であった(かもしれない)というのと、
だからといって築城したのも百済ニダ、三国史記の正しさが証明されたニダと
いうのは全く別の話だな。
391世界@名無史さん:2010/07/09(金) 11:28:34 0
政治的・軍事的支配拠点とか通商の中継地点とかいうものは、適する立地というものが
地勢から自ずと決まってくるものだ。
人が通るところ、人が集るところ、この一点を押さえておけば周囲のかなり広い地域を
支配できるところ、という地点は、そんなに沢山はない。
その立地も、一旦、拠点となってしまえば、海面の上下でもなければ、あまり移動しなし、
無理な立地の都市や支配拠点は100年もたない。。
実際に、19世紀末までに都市か城砦が形成されて現在国家の首都になっている都市は、
一つの例外を除いて、すべて、そういう立地にある。
差し渡し300キロとか500キロとかの広さでの支配や通商の拠点になりそうな地点は、
朝鮮半島では、地形からみて、たった二つ。見事に、現在の国家の首都になっている、
ソウルと平壌の位置だし、百済がこの地を含む朝鮮半島の5分の1〜4分の1程度の面積を
長期間保持したことからみても、相応に説得力があるんだがなあ。
392世界@名無史さん:2010/07/09(金) 11:41:38 0
>>389
有難うございます。

またまたググってたら、ソウルが真番郡治に比定されてました。

http://baike.baidu.com/view/897929.htm

何か関係有るんでしょうか。
393世界@名無史さん:2010/07/25(日) 02:10:36 O
>>391
金城と開城はちがうのか。まあ二つとも王朝の始祖が出身地をそのまま首都にしたわけだし。
394世界@名無史さん:2010/07/25(日) 02:13:44 O
>>382
そのモト資料というのは文書?それとも歴史書?意外に数多いなあ。
395世界@名無史さん:2010/07/25(日) 18:04:12 0
>>391
漢水(漢江)を制するものは半島を制す、でしたからな
396世界@名無史さん:2010/07/25(日) 20:15:46 0
韓国人ほど不毛な生き物は存在しない。
397世界@名無史さん:2010/07/25(日) 22:05:56 O
三国史記と三国遺事より古い史書は本当に残ってないのだろうか?気になる。
398世界@名無史さん:2010/07/26(月) 10:21:57 0
べつにハゲばっかじゃないと思うが。
399世界@名無史さん:2010/07/26(月) 15:38:46 0
後漢書に「帯方故地に建国した」とある通り。(故地は故城の誤写だろう)
帯方県城はそのまま百済第一首都になったんだから
考古学だけで漢城か帯方県かと二択な言い方は間違ってる。
400世界@名無史さん:2010/07/26(月) 15:46:46 0
>>392
それ李丙濤の説。
真番郡は京畿道にあった説で、廃止になってから楽浪郡に併合された説。
日本だと井上秀雄が近かったかな。通説ではない。
中国では共産党政権下での公式学説がこれに近いような。
401世界@名無史さん:2010/07/27(火) 16:10:23 0
>400

有難うございます。

通説ではどうなのでしょうか。
わけわかですいません。
402世界@名無史さん:2010/07/27(火) 16:20:54 0
>>399

それは隋書でしょ。
403世界@名無史さん:2010/07/27(火) 20:18:03 0
>>394
数えられてるもとの史料は、みな史書の名前として出てるもの。
ただし、固有史料については事実上全て散逸してしまっているようで、
一部「発見された」という主張が挙がってるものもあるけど、それについては真贋論争が続いてる。
中国史料については、散逸していないものもいろいろある。
404世界@名無史さん:2010/07/27(火) 20:20:12 0
>>391さん

>>389を書いた者です。
地理的視点からのとても詳しい補足説明、ありがとうございます。
お礼が遅くなってすみません。
405世界@名無史さん:2010/07/27(火) 20:40:48 0
中国の湖北・湖南・江西から出土する竹簡は
8割が年代的に合わないといわれる。
C14測定をすると南宋時代に埋蔵したものといわれている。
南朝系の史料はダウトなものが多い。
406世界@名無史さん:2010/07/27(火) 20:59:39 0
>>405
一応書いときますと、
現在残ってる三国史記は、南宋の時代よりも前に編纂されたものですよ。
407世界@名無史さん:2010/08/01(日) 07:22:03 0
現在の三国史記の編纂時期、よく確かめてみると、
中国江南では南宋初期に当たってたね。
李奎報が著作の中で触れている旧三国史のほうは、現存してないので編纂時期不明。
408世界@名無史さん:2010/08/01(日) 17:02:09 0
>>401
その問題(真番郡の位置)についてのみだけど
国際的な通説はなく、国による。

北朝鮮や中国には定説がある。この両国では通説と定説の違いがあまりない。(中国の通説は>>400に近いが異説も認められてるっぽいので絶対的な定説というほどの扱いかどうかは知らない)

韓国には民間と学界が乖離していて、民間に流布してる通説は北朝鮮に近い。
学界は建前は民間と似たような話、本音での通説は>>400に近いが、この説を唱えた李炳涛は立派な偉い先生として尊敬される時と、日本帝国主義の御用学者として排撃される時があり、韓国の学者も裏表の使い分けがたいへんそう。

日本は真番郡の位置について通説も定説もないと思う。が、通説「っぽいもの」を挙げるとすれば
帝国書院その他から出てる高校世界史の歴史地図に
もう何十年も錦江流域を中心とした韓国の西半分が真番郡として出てる。
これ今西龍の説でむちゃくちゃ古い上に最近の有力説とも思えないので、出版社が惰性でやってるんだろうけども、
それにしても世間に流布してるという意味ではこれが通説といわざるをえない。

真番郡の位置については李朝時代の朝鮮から戦前の日本にかけて、長い論争史・学説史の実績があるが、日本の学者は地雷ふむ恐れがあり功績にもならないので触れたがらない。

ちなみに俺が支持するのは
慶尚道説。「真・番」は後世の「弁・辰」(辰韓弁韓)に当たる。(このことを指摘したのは意外にも韓国の学者だったけど本人は案の定真番郡否定派だった)
409世界@名無史さん:2010/08/01(日) 21:25:50 0
>真番郡の位置については李朝時代の朝鮮から戦前の日本にかけて、長い論争史・学説史の実績があるが、日本の学者は地雷ふむ恐れがあり功績にもならないので触れたがらない。

ワロタ っつーか笑っちゃいかんのだが・・・

漢四郡の半島内の存在すら頑として認めない民間の民族主義史観が
幅を利かせる南朝鮮は異世界だし。
410世界@名無史さん:2010/08/03(火) 14:28:16 0
>408

有難うございます。
よく分かりました。
私は基礎知識無くて、ただぐぐるだけですので、なにも分かってないんです。
411世界@名無史さん:2010/08/04(水) 06:58:06 0
>>410
じゃ何でも聞いて下されなよ。
412世界@名無史さん:2010/08/05(木) 02:09:55 0
> ちなみに俺が支持するのは
> 慶尚道説。「真・番」は後世の「弁・辰」

目からウロコ落ちた
413世界@名無史さん:2010/08/05(木) 10:35:57 0
すごいですよね。
真と辰はおんなじ読み、番と弁も似てるし。
中国語も同じなのかなー。
414世界@名無史さん:2010/08/05(木) 10:42:55 0
番と弁は違う母音だと思うよ。
日本語読みでも母音が違うから上古音でも違うはず。
二重母音の弁のほうが本当の音で、番のほうが言いやすい音なんだと思う。
415世界@名無史さん:2010/08/06(金) 13:30:36 0
いや、番の方が本来の音。なぜかというと理由は二つ。
第一には真番の方は史記から出てる古い名だが弁韓は三国志にならないと登場しない新しい名。
第二の理由はややこしいんだけど弁韓の語源説から説明しないといけない。「弁韓」の語源については古くは
白鳥庫吉だったかの十二支方角説や李炳涛の弁帽説などのイマイチな説しかなかったが
十二支説ってのは楽浪郡からみて馬韓は南だから「午」で馬、辰韓は東南東だから「辰」、弁韓は南南東だから「巳」で蛇なんだが
韓国語で蛇のことをカラというんだが弁(かぶりもの)のことも韓国語でカラというから、弁というのはカラの訓を利用して蛇を表わしたものという説。
これは午韓・辰韓・巳韓か馬韓・龍韓・蛇韓のどっちかで統一されてるならともかく、かなり苦しい説。後世の韓国語までもちだしてこじつけっぽい。でも当て字する漢字が同音の選択肢の中からえらばれた理由ぐらいにはなるかも知れない。
弁帽説は弁帽(慶尚道から出土する金細工で飾られた冠)が特徴的な地域だったので「弁韓」と呼ばれたというのだが、それは弁韓と辰韓にほぼ共通なんだよね
(もっとも李炳涛は通説の辰韓地域も弁韓に含めちゃって辰韓をまったく無関係な場所にあてはめる珍説を唱えてるから彼の中では矛盾はないが)。
それに李炳涛の説では馬韓は「乾馬国」を中心とする諸韓国、辰韓は「斯蘆国」を中心とする諸韓国としていて、馬韓辰韓の語源説明と弁韓の語源説明に一貫性がない(続く)
(ちなみに斯蘆は現代韓国語ではサロだが上古音[si-lo]、古代朝鮮語と現代朝鮮語とで仮に単語や文法は違ったとしても音韻的にはLとNが入れ替わる傾向が古くからあったと仮定すれば頭音を「辰」[sin]で表わしたと推測できる)。
416世界@名無史さん:2010/08/06(金) 13:34:10 0
(>>415から続き)今は「半路国(路は跛の誤写で「半跛」が正しい)を中心とする諸韓国」の意味という説が最有力じゃないかな。
そうすれば三韓すべての語源説明が中心的な国の名からきてることになる。
弁韓の中心たる三国志の半路国ってのは日本書紀では「伴跛」(はへ)と書いてる。
大加羅と伴跛は同一とする説と別の国とする説があったが今は同一国とみるのが通説。
つまり「半=弁」。
魏略には辰韓とならんで「牟韓」というのが出てくる。これを「む」と「ま」が通音だとして馬韓のこととする説もあるが
通説では弁韓の誤りとされている。これは王莽の地皇年間のことだから三国志よりずいぶん古い。
三国史記だか三国遺事だがでは「卞韓」とも書いてる。「下」の上に点のある珍しい字だがこれもベンと読む、
どっから出てきたのか?これも朝鮮側史料には珍しく古い記録の断片と思う。
で、もしかしたら古くは「半韓」だったんじゃないのかな。
「弁」は「牟」と似てるが「卞」とは似てない。しかし「半」はどっちとも似てるから
中国では「半」→「牟」→「弁」と誤写されてきた流れがあり朝鮮ではと「半」→「卞」と誤写されたのではないか。
誤写が名称として定着してしまった例は「夫祖」(ふそ)→「沃沮」(よくそ)ってのもある。
番はツクリになって「は(播)」や「はん(幡)」と読む字になるから「半」と「番」は近い。
…とここまで書いてきてなんだが、仮に「牟韓」や「卞韓」の例が使えないとしても、弁と番は確かに同音ではないがアバウトに類似音といっていいと思う。
417世界@名無史さん:2010/08/11(水) 06:29:55 0
>>416
訂正

×夫祖→沃沮

○夫租→沃沮
418世界@名無史さん:2010/08/15(日) 18:10:51 O
>>382
戦前に日本人が朝鮮から歴史書を持ってきたが、関東大震災で焼けたということがあった。
まさかいくつかを日本人が…
419世界@名無史さん:2010/08/15(日) 19:20:42 O
420世界@名無史さん:2010/08/15(日) 19:31:47 O
「弁」の訓読みは「カラ」なんだろ。
421世界@名無史さん:2010/08/16(月) 22:51:26 O
>>416
置きっぱなしにして忘れ去られたものもありそうだな。探してみる価値はある。

それにしても、統一新羅の話とか全く出てこないな。
422世界@名無史さん:2010/08/17(火) 12:34:22 0
>>418-420
で?
423世界@名無史さん:2010/08/19(木) 11:52:10 0
>>393
三韓時代どころか、李朝の末期まで、朝鮮半島は部族制だぞ。
この時代は首都もへったくれもない、都の実態なんかなくて、一番強い部族の首領が
単に王様の称号かぶっているだけ。街でもなんでもないわけだ。
まぁ、しばしば、他の部族の親分やら遣いやらを呼びつけるから、自然とそこに街の
ようなものはできてくるが。
424世界@名無史さん:2010/08/22(日) 03:04:15 0
【“朝鮮半島の2000年史”の歴史は朝鮮人の歴史ではなかった!!】
1  檀君朝鮮はまったくの神話、中国のどの歴史書にも登場しない
2  箕子朝鮮は伝説上の国、中国人の箕子が建国した中国人の国家。『史記』巻38宋微子世家「武王既克殷、
訪問箕子、於是武王乃封箕子於朝鮮」
3  衛氏朝鮮は考古学的に証明できる朝鮮の最初の国家で、燕王盧綰の部将であった、衛満が朝鮮に亡命し建てた亡命政権
4  もちろん衛氏朝鮮の王も朝鮮人ではない『史記』朝鮮列伝「朝鮮王滿者、故燕人也(朝鮮王、満は燕国人である)」
5  衛氏朝鮮もBC108年に前漢の武帝に滅ぼされ、故地に楽浪郡・真番郡・臨屯郡・玄菟郡の漢四郡が設置され朝鮮半島中北部は400年間中国の植民地
6  『後漢書』に「初、朝鮮王準為衛滿所破、乃將其餘衆數千人走入海、攻馬韓、破之、自立為韓王。」とあり、
箕子朝鮮の最後の王、準王が馬韓で韓王となり馬韓を支配し、その馬韓が百済になった
7  百済は扶余系民族だから言語的にも民族的にも今の韓国人は殆ど関係ない
8  新羅は古くは辰韓=秦韓と呼ばれ、秦の始皇帝の労役から逃亡してきた秦人の国
9  『北史』新羅伝「新羅者、其先本辰韓種也。地在高麗東南、居漢時樂浪地。辰韓亦曰秦韓。相傳言秦世亡人避役來適、
馬韓割其東界居之、以秦人、故名之曰秦韓。其言語名物、有似中國人。」「新羅とは、その先は元の辰韓の苗裔なり。領地
は高麗の東南に在り、前漢時代の楽浪郡の故地に居を置く。辰韓または秦韓ともいう。相伝では、秦時代に苦役を避けて到来
した逃亡者であり、馬韓が東界を割譲し、ここに秦人を居住させた故に名を秦韓と言う。その言語や名称は中国人に似ている」
10 『後漢書』辰韓伝 「辰韓、耆老自言秦之亡人、避苦役、適韓國、馬韓割東界地與之。其名國為邦、弓為弧、賊為寇、
行酒為行觴、相呼為徒、有似秦語、故或名之為秦韓。」「辰韓、古老は秦の逃亡者で、苦役を避けて韓国に往き、馬韓は東界
の地を彼らに割譲したのだと自称する。そこでは国を邦、弓を弧、賊を寇、行酒を行觴(酒杯を廻すこと)と称し、互いを徒と
呼び、秦語に相似している故に、これを秦韓とも呼んでいる。」
425世界@名無史さん:2010/08/22(日) 03:05:56 0
11 高句麗と渤海はツングース民族で、同じツングース民族の満州族系 「高句麗→金国→後金国=清国(女真族のご先祖)」
12 濱田耕策「夫余、高句麗、沃沮を構成したツングース系の諸族(Yahoo!百科事典)」、黄文雄「遼東や北満の地は、か
つて高句麗人、渤海人などの(中略)ツングース系諸民族が活躍した地である(黄文雄著『韓国は日本人がつくった』)」
「高句麗の主要民族は満州族の一種(中略)高句麗人と共に渤海建国の民族である靺鞨はツングース系で、現在の中国の少数
民族の一つ、満州族の祖先である(黄文雄著『満州国は日本の植民地ではなかった』)」、鳥越憲三郎「高句麗は紀元前1世
紀末、ツングース系の?族によって建国(鳥越憲三郎著『古代朝鮮と倭族』)」、山川出版社『世界史用語集』「【高句麗】
中国東北地方東部のツングース系貊族の夫余族の国」、護雅夫「高句麗は東北アジア、満州にいたツングース系民族であり、
4世紀から6世紀の初めにかけての最盛期には朝鮮半島の大半と南満州とを勢力圏に収めた(Yahoo!百科事典)」、森安孝夫
「【渤海】現在の中国東北地方、ロシア連邦の沿海州、北朝鮮の北部にまたがる広い範囲を領有して栄えた満州ツングース系
の民族国家(Yahoo!百科事典)」、藤本和貴夫「7〜10世紀には極東地方から満州、朝鮮北部にツングース系の渤海国が建て
られた(Yahoo!百科事典)」、広辞苑「【高句麗】紀元前後、ツングース族の扶余の朱蒙の建国という」、
大辞泉「【高句麗】紀元前後にツングース系の扶余族の朱蒙が建国」「【渤海】698年、ツングース系靺鞨族の首長大祚栄が建国」
13 唐が高句麗・百済を滅ぼし、旧高句麗領を安東都護府、旧百済領を熊津都督府、新羅を鶏林大都督府とした為、朝鮮半島全域が一時期中国領となった
14 ちなみに弥生人は朝鮮人ではない1999年3月18日に、すでに江南人骨日中共同調査団が
「長江下流域の古人骨と北部九州・山口の渡来系弥生人骨のミトコンドリアDNAが一致した」と発表している。
426世界@名無史さん:2010/08/22(日) 03:07:31 0
15 結論として朝鮮民族は新羅が直接のご先祖。でも・・・悲しいことに
16 その新羅も王は朝鮮人ではありません、日本人でした。
金氏王統の始祖瓠公は日本人
(瓠公は新羅の3王統の始祖の全てに関わる、新羅の建国時代の重要人物)
『三国史記』新羅本紀「瓠公者、未詳其族姓。本倭人。初以瓠繋腰、度海而来。故称瓠公。」
(瓠公は、その族と姓は未詳。本は倭人。初めは腰に瓢箪をぶらさげて海を渡って来たことから、瓠公と称される。)

昔氏初代の昔脱解(第4代脱解尼師今)は日本人
『三国史記』新羅本紀「脱解本多婆那國所生也。其國在倭國東北一千里。」
(脱解、本来は多婆那国で生まれた。その国は倭国の東北一千里に在る。)
17 それもそのはず古代において半島南部は日本の属国でした
『隋書倭人伝』新羅 百濟皆以倭為大國 多珎物 並敬仰之 恒通使往來
(新羅と百済は倭国を大国で珍しい物が多い国だとしており、ともに倭国を大国として敬い仰ぎ、つねに使いを送り、往来している。)

『広開土王碑文』
百殘新羅舊是屬民由来朝貢而倭以耒卯年来渡海破百殘■■新羅以爲臣民
(そもそも新羅・百残は(高句麗の)属民であり、朝貢していた。
しかし、倭が辛卯の年(391年)に海を渡り、百残・■■新羅を破り、臣民となしてしまった。)
18 高麗を征服した元は朝鮮半島北西部に東寧府、双城総管府の植民地を設置
19 1259年、高麗の太子(のちの元宗王)がフビライに降り、その息子忠烈王は、1260年に大ハーンに即位したフビライ
の娘婿となった。これ以来、代々の高麗王の世子(世継ぎの太子)はモンゴル皇族の婿となって元朝の宮廷で暮らし、
父の死後、高麗王の位を継ぐのが習慣となった。高麗王の母は、みなモンゴル人になったの
20 李氏朝鮮も実は、朝鮮人王朝では無く、女真族王朝だったの。なのに女真族ををオランケと呼び差別していた
21 15世紀の李氏朝鮮の世宗の時代に侵略して併合し、朝鮮の領土に組み込むまでは、李成桂の出身地の咸鏡道を含む
朝鮮半島北部(咸鏡道、平安道)は女真族居住地域であり、女真族の領土だったの
22 李成桂は女真族の酋長の李之蘭と義兄弟の契りを結ぶなど、李一族は女真族の配下を多数抱えていたの
427世界@名無史さん:2010/08/22(日) 03:10:28 0
23 女真族はモンゴル名を持っており、父李子春は吾魯思不花というモンゴル名を持っており、さらに祖父李椿は孛顔帖木兒、
李子春の同母兄李子興は塔思不花、李子春の兄弟も完者不花、那海などモンゴル名を持っており、モンゴル語で書かれた
一族の家系図から、李一族のモンゴル名は完全に記載されているが朝鮮名は不完全にしか書かれていないの
24 元に仕える行政長官ダルガチは、原則としてモンゴル人か色目人が任用されたが、元初期には一部の南人や契丹人、
女真族が、モンゴル名を持つことでモンゴル人とみなされ任用されたが、李成桂の四代前の高祖父李安社はダルガチだったの
25 千戸長として女真族の統治を行っていたの
26 『李朝太祖実録』巻一、九頁下、には「初三海陽(今吉州)達魯花赤金方卦、娶度祖女、生三善三介、於太祖、為外兄弟也。
生長女真、膂力過人、善騎射、聚悪少、横行北邊、畏太祖、不敢肆。(三海陽にいた元のダルガチだった金方卦(女真人と思われる)が、
度祖(李子春の父)の娘を娶って生まれたのが三善三介で、太祖の外兄弟である。彼は女真で育ち(女真の族長になった)、
腕の力が人並み外れて強く、騎射をよくし、悪い奴らを集めて、北辺に横行したが、太祖を畏れて、敢えてほしいままにしなかった)」
という記事があり、女真族の族長である三善三介が太祖李成桂の外兄弟であるならば、太祖自身も女真族であったと考えるのが自然なの

※朝鮮民族が建てた朝鮮民族による朝鮮民族の為の国家は有史以来存在しません。
箕子朝鮮は中国の殷の中国人箕子の国で、衛氏朝鮮は中国の燕の中国人衛満の国で、
箕子朝鮮の準王が馬韓で韓王となり馬韓を支配し、馬韓が百済となり、その後は楽浪郡・真番郡・臨屯郡・玄菟郡の漢四郡が設置され、
朝鮮半島中北部は400年間中国の植民地で、高句麗と渤海はツングース民族で同じツングース民族の満州族と同系で、
新羅は『後漢書』『三国志』『晋書』『北史』によると、秦の始皇帝の労役から逃亡してきた秦人の国で、
その後、唐が旧高句麗領を安東都護府、旧百済領を熊津都督府、新羅を鶏林大都督府として朝鮮半島全域を支配して、
高麗王朝時代には朝鮮半島北西部は東寧府、双城総管府の植民地となり、忠烈王以後のの高麗王はモンゴル人で、
李氏朝鮮の創始者で朝鮮王の李成桂は女真族。
428世界@名無史さん:2010/08/22(日) 03:12:08 0
ウィキペディア-WikiScanner
http://ja.wikipedia.org/wiki/WikiScanner

駐日アメリカ合衆国大使館から接続のIPユーザーが朝鮮の歴史の朝鮮近代史の項目を削除し、「朝鮮に歴史なし 昔から中国、日本、偏狭蛮族の属国」と書き込む

ウィキペディア-朝鮮半島を中国とみなす記述
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%9D%E9%AE%AE%E5%8D%8A%E5%B3%B6%E3%82%92%E4%B8%AD%E5%9B%BD%E3%81%A8%E3%81%BF%E3%81%AA%E3%81%99%E8%A8%98%E8%BF%B0

スペインの有力紙『エル・ムンド』(El mundo) は、朝鮮は建国時点である紀元前2333年から日清戦争の1895年までの4228年
間にわたって中国の植民地だったと紹介した。『エル・ムンド』は「韓半島は長い歴史のなかで数多くの侵略を受けてきた。中国に
1895年まで属していたが、1910年の韓国併合までの15年間にわたって独立を味わったりもした」と報じた。

CNNは韓国が元々中国植民地だったと報道し、ヒストリーチャンネルは平壌を中国植民地だと報道した。

台湾政府の外郭団体である中国語ネットワーク教育センターは、ホームページ上に「歴史的に、韓国は中国の植民地だった」と
掲載している。

ヒストリーチャンネルはウェブサイトで韓国の全体の歴史が「日本と中国の従属国」だったと紹介し、「韓国は韓国の全ての歴史
をひっくるめて中国と日本から強力な影響を受けた国家(Chinese and Japanese influences have been strong throughout
Korean history)」と叙述し、また「韓国を最初に建国したのは中国の学者箕子で、韓国は中国の植民地から最初の国家が始ま
った中国の植民地国家だった」と叙述した。また、丙子胡乱以後は中国の植民地になり、外国との接触を絶って「隠遁の王国」
に転落したと紹介した。

1478年から現在まで、アメリカをはじめ、日本、カナダ、中国など世界約50か国で教科書を出版しているオックスフォード大学の
出版社が制作している中学校課程教科書は、古代中国の領土を表記した「古代の世界」の1ページで、朝鮮半島全体を中国領
土に含ませている。
429世界@名無史さん:2010/08/22(日) 03:13:19 0
外国教育機関、百科事典、博物館、図書館などで中国の漢、元、清などの歴史を紹介する世界地図が朝鮮半島全体を中国領
と表記している。例えば、中国の国営放送CCTVのサイトは元の時期の世界地図に朝鮮半島全体を中国の土地として紹介し、
米国のミネアポリス美術館のサイトも元の時代の朝鮮半島を中国の領土と表記している。また百科事典「グロリア」と歴史サイト
「ハウ・ツー・フットワーク」、図書館サイト「アイビブリオ」は清の時代に朝鮮半島を中国の土地と同じ色で塗り、百科事典「ニュ
ー・ワールド・エンサイクロペディア」をはじめとして学術機関「カルチャー・チャイナ」「ピッツバーグ大学」「ミネソタ州立大学」等
のサイトは漢江北側を、中国紹介サイト「スーパートレース」と「NEN」などは全羅北道北側地域まで中国領としている。

世界銀行、イギリス公共放送局チャンネル4を含めた外国教育機関、教科書出版社、ポータルサイト、百科事典など34の機関
の世界地図で韓国を中国領として表記している。例えば世界的なファーストフード会社のバーガーキングは自社のホームペー
ジで朝鮮半島を中国領として表記している他、アメリカの有名旅行情報サイトのゲート1トラベルは北朝鮮を中国領として表記し
ている。また、ニュージーランドの茶販売会社ベル・ティー・カンパニーは、自社サイトで韓国を中国領としている。

バロンズ社が発行しているアメリカの大学進学適性試験の教材は、新羅を朝鮮半島で初の国家と表記している。

Yahoo!シンガポールはアジア地図で韓国を中国の領土と表記していた。

2006年にCIAが国家情報報告において、「韓国は1000年間独立国家だったが、日露戦争により日本が占領した」と紹介した。
これに対してVANKは、「これは西暦1000年以前は独立国家ではなかったという意味だ」と批判している。

世界の1億人を対象にした教科書を出版しているピアソン・エデュケーションは、韓国を中国の属国に定義付ける世界史の試験
問題を出題している。

アメリカの世界史教科書では万里の長城が鴨緑江近隣までのびている地図が掲載され、「1640年代に韓国は中国・清王朝の
属国になった」と記述されている。
430世界@名無史さん:2010/08/22(日) 03:16:23 0
アルゼンチンの教科書には「韓国は中国語使用地域」と書かれている。

「朝鮮は近代に至るまで、その国内での抵抗にかかわらず、中国と日本の属国だった」(オーストラリアの教科書)

「朝鮮は、その歴史の大部分で中国の属国であり、その支配は19世紀に日本に引き継がれた。日本は自由な新しい秩序を樹
立することによって、朝鮮に平和と安全をもたらそうとした」(フィリピンの教科書)

「朝鮮は中国の支配下に入り、これが19世紀まで続いた」(タイの教科書)

「朝鮮は中国の従属国」(アメリカの教科書)

「朝鮮は、数百年間中国の属国」(カナダの教科書)

「朝鮮は永らく中国の属国だった」(インドの教科書)

「紀元1世紀以来、日本と中国は朝鮮半島の領有権を巡って衝突した」(ポーランドの教科書)

「日本が大陸に最初の足がかりを築いたのは4世紀のことだった。その後300年、日本は朝鮮半島を支配する地位にあったが、
唐との戦争に敗れ、17世紀になるまで待たなくてはならなかった」 (ドイツの教科書)

「朝鮮を中国の属国」と記し、「朝鮮の文化と芸術は中国・モンゴル・日本文化の影響を受けた」「朝鮮は言論・宗教の自由が制
約を受ける国」「北部はロシアが、南部はアメリカが占領している」(インドネシアの教科書)

「(日清戦争で)日本の勝利となり、下関条約が結ばれ朝鮮の独立が認められた」(『中等世界史』 韓国・英志文化社 1959年)

「朝鮮は清の半属国だった(『高等世界史』 韓国・教友社 1962年)」
431世界@名無史さん:2010/08/22(日) 03:18:44 0
黄文雄は、著書で「これまで清国の伝統的な属国であったベトナムはフランスに横取されてしまったが、残る伝統的属国の朝
鮮は、もう誰にも渡すわけにはいかない。(略)そこで、新疆や台湾のように、朝鮮も中国の属領から正式な領土にするため「朝
鮮省」を設立し、郡県制とする断行案を検討した。そうすることで、列強諸国に対して朝鮮は清国の絶対不可分で永久割譲の固
有領土だとアピールした。(略)呉長慶は、この反乱をうまく鎮圧できれば、「遼東三省と左堤右挈し、実に東方の一大塀障」、つ
まり中国の遼東三省と朝鮮半島で守りを固めれば怖いものなし、と考えていたのである。(略)なかでも有名なのは、科挙状元
出身のエリートで、呉長慶の幕下に身を投じて積極的な対外政策を論じてきた張謇の『朝鮮善後六策』である。それについて
は、田保橋潔氏(京城帝国大学教授)が大要をまとめているので、ここで引用したい。『1.漢四郡建置の例に従ひ、朝鮮国王を
廃し、其地を清の一省とする。2.朝鮮国王を存置するとしても、周の例に従ひ、監国を置く。3.有力なる軍隊を派遣して。其海港
を清の監理の下に置く。4.朝鮮の内政革新を断行する』これ以外にも、張謇は『六策』で次のようなことを言っている。「あるいは
内政の自己改革と新軍の訓練を、我が東三省とつらねて、一気と為す」。清国の東三省から朝鮮省をも含めて「東四省」とし、
(略)張謇が提案した、清国が李朝国王を廃して監国にする、つまり、属藩扱いにするという政策は、清朝以前の早い時期にも
あった。明の太祖朱元璋が、李氏朝鮮をつくった李成桂に対して監国の地位だけを下賜あい、国王の地位を与えなかったのも
そのためだ。中国人からすれば、朝鮮は漢の時代から中国の一部なのだ。中国の歴代王朝の封国といえば、漢時代の「呉楚
七国の乱」で知られる呉や楚が挙げられるが、それよりもさらに一段下の外藩、つまり外様大名ていどしか見なされていなかっ
た。そもそも、朝鮮をつくったのは中国の箕子だと、中国人は主張するほどなのだから。そのため、張謇の『朝鮮善後六策』のよ
うな考え方は、中国人の一般的な伝統的朝鮮属国観なのだ。中国が中華民国になった近現代でも、この中国人の朝鮮版図観

432世界@名無史さん:2010/08/22(日) 03:20:35 0
はたいして変わっていない。たとえば、蒋介石は、太平洋戦争後の対日処理を協議した1943年11月のカイロ会談に出席した当
時、船上にてルーズベルト大統領に高麗の返還を要求している。もちろん、ルーズベルト大統領は、このとんでもない要求を拒
んでいる。朝鮮人も属国であることにマヒしているため、「朝鮮省」の設置をむしろ、「小中華」から「大中華」への昇格だと喜び、
中国を恨むどころか、恩恵と謝恩を感じるべきだと思っていた。とくに、これまで大中国人やら大中華人になりたくてもなれなか
った支那人かぶれの両班にとっては、願ってもない恩寵なのである」「モンゴル人が明によって万里の長城の外まで追われ
ると、朝鮮朝の太祖である李成桂は高麗朝から政権を奪い、モンゴル人を叩いて事大の対象を元から明へと鞍替えした。明が
遼東半島に進出していたころ、朝鮮人は明の先頭を切って満州人を征伐したため満州人から恨まれた。そのため、満州人の朝
鮮人に対する大規模な逆襲である丁卯胡乱と丙子胡乱が起こり、朝鮮は清の属国となった。明から清に主人を替えた後の朝
鮮人はじつにおとなしく、清の軍隊召集に馳せ参じ、2回の羅禅遠征と明の征伐に従軍した。父として明を敬っていたはずなの
に、新しい父を迎えた途端、明に対して残酷無情な態度を取った。(略)満州八旗軍はかなり軍紀正しい軍隊であったが、盟友
のモンゴル八旗軍の朝鮮蹂躙には、かなり悩まされていた。しかし、朝鮮軍が満州人の軍門に下り清軍に召集されると、今度
は朝鮮軍が旧宗主国の明征伐を通して漢人への凄まじい虐殺と略奪を行ったのだ。(略)明は300年近く朝鮮を保護し、李氏朝
鮮は宗主国である明から国号を下賜された。しかし、いざ明が弱勢になると、朝鮮はすぐさま清に乗り換えて逆に明を逆襲し、
明人を虐殺した」「長城外の夷狄だけでなく、西南のチベット系民族吐蕃でさえ中華世界を一度は征服するか、都を占領し
脅威を与えているのに、朝鮮だけは中華の脅威になったことすらありません。朝鮮は大中華に君臣の礼、君父に忠のみだった
のです。『四夷八蛮が皆中原に入ったのにただただ朝鮮だけできずにいる。こんな情けない国に長生きしていてもどうにもなら
ない』と嘆きつつ亡くなった林白湖という儒者がいるほどです」と書いている。

433世界@名無史さん:2010/08/22(日) 13:42:04 0
ここは古代史スレですので
近現代史の話とか政治の話とかは他スレでやってください。
434世界@名無史さん
>>430
三別抄とか、丙子胡乱での抵抗とか、第二次世界大戦での敗戦が伝わってからの暴動とか、
その程度だしなあ。