>>926 スキタイ人は風呂に入る習慣が無く水に入る事を嫌う、という記述と
お水大好き、湿地帯や沼沢地での戦いが得意なスラブ人じゃ
先祖と子孫に認定するには矛盾し過ぎてるんだよ
>>934 江戸時代以降、世界有数の風呂好き日本人も、平安時代の貴族は
風呂になんてめったに入らなかったけど、何か?
>>934 数千年のスパンの話なのに風呂の習慣で反論とかw
さすがに笑っちゃいます
>>935 ジョチ汗国の部族も北へ帰った元の部族も、風呂に入る習慣も水を好む性質も無いよね
あと、読解力不足みたいだけど「水に入る事を嫌う」は入浴したがらないって意味じゃないからw
川や湖を含めたありとあらゆる水域のこと
それに、平安時代の日本人は普通に沐浴してるよw
遊牧民のモンゴル人も沐浴なら好きなんだが?遊牧スキタイだって同じだろう
ただ単に遊牧に出るとそう簡単に沐浴できる場所がなかったから沐浴しなかっただけで
それは現代のモンゴルでも同じ
歴史には、スキタイ人は水が嫌いで沐浴をせず、布を濡らして体を洗うと書かれてるし
現代のモンゴルもゲルに住むような人達はあまり風呂に入らないし沐浴もしない
それに引き換えスラブ人は水辺に住み、泳ぎが得意とある、いくら何でも真逆の習俗にはならん
基本的には水の有無、気温、湿度によるのかな
水があっても寒過ぎるとダメだろうし
乾燥していると、少々暑くてもそれほど必要を感じないだろうし
>>939 むしろ宗教的な理由だろう
モンゴルのヤサでは水を汚すと神の怒りを買うという理由で沐浴も禁止されていた。
チャガタイが西方の征服地でそれを厳格に施行したために
ムスリムが困ったってのは有名な話。
>>934 騎馬を獲得したのはスラヴ人だけかよ、って突っ込みたくなる
>>926と同レベルだな。
昔どっかのスレで「日本は刀伊の入寇を撃退したからヌルハチにも余裕で勝てるよ」
といってた人がいたのを思い出す。
>>942 そう言う教えができるのも、それだけ水が貴重だからだろうね。
やはり環境要因が一番大きい。
文化は理由や必要があって興廃するんですよ。
同じくスキタイ人がスラブ人のようにわざわざ進んで水辺に居を構え
漁労を以て生活し、小舟や水泳を多用する侵略方法を採りはしなかっただろうね
キプチャク平原に住んでいた様な民族は特に。というか話す言語が全然違うか、スキタイとスラブじゃ
946 :
世界@名無史さん:2010/07/31(土) 10:42:25 0
当時スラヴ人は存在せず、原スラヴ人となる言語的に共通性があると思われる複数の集団が存在した
そこへスキタイやサルマートが入ってきて社会変化が起こりスラヴ人が完成した
947 :
世界@名無史さん:2010/07/31(土) 10:45:38 0
スキタイの言語は確定していないがイラン系のサテム語と言われる
スラヴ語も元はゲルマンと同様の欧州北方系と推定され本来はケントゥム語であったとされているが、
後にイラン系の影響を色濃く受けて現在はサテム語となっている
結論としてスキタイの言語がイラン系であるというのが本当ならば、
原スラヴ語を全体的にサテム語化したのはスキタイが同化した証拠になりえる
スキタイがスラヴ化したのは確実
スキタイ=スラブ否定厨のプロパガンダスレ
漁労民と農耕民と牧畜民が統合して一民族になった例なんか世のなかにいくらでもある。
世界的にはむしろ漁労民だけ、農耕民だけ、牧畜民だけといった民族のほうが珍しい。
>原スラヴ語を全体的にサテム語化したのはスキタイが同化した証拠になりえる
同化でなくともスキタイとの共存、または支配下で変化が起こった可能性は?
大いにあるわな。
そしてやがて政治勢力を保てなくなったスキタイは離散し、一部はスラブに吸収されたのだろう。
スラ部活動
/ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
∧_∧ < ねぎまわし
( ´∀`) \_____
"甩葱歌"でggrると面白いよ
やたらとスラブ人に拘ってるのがいるけど、なんなの?
どう考えても蓋然性低いけど、ただの思いつきにしちゃしつこいし
その手の書籍が出版されてんの?
蓋然性劇高。
近代の歴史学はゲルマン=ロマン主義イデオロギーによる
有無を言わさぬスラブ完全否定が伝統。
何よりもまずスラブ否定から仮説を立て、その仮説に都合のよい資料を積み上げる。
現在もその政治的歴史学の残滓が多量に見られる。
>>951-952 まずは各地域の部族集団ごとに共存あるいは支配・被支配の関係があって
密接な交流をしていたことは明らかだから、その時代に
原スラブ人のうちスキタイなどといったステップ遊牧民と交流の深い集団から
徐々にスキタイの語彙や発音を取り入れていき、
そのうち離散したスキタイが一部原スラブに同化していく過程で
言葉の変化が加速したと考えるのが、ごく自然ではないかと
>>955 ヘロドトスが言うように一部スキタイが原スラブなのに彼らと遊牧スキタイ関係の蓋然性が低い訳なかろう
君が政治的なだけだ
ゲロノイはスラブだったのだろうか?
>>956 >近代の歴史学はゲルマン=ロマン主義イデオロギーによる
>有無を言わさぬスラブ完全否定が伝統。
スラブとスキタイが関係あったらゲルマン派に何の不都合があるの?
>>957-958 つか遊牧スキタイが「一部」じゃなくて「大部分」スラブ化、農耕民化したと主張してるから突っ込まれてるんじゃないの?
割合なんかわかるはずないが、かなり多数であったのは間違いないだろう
というのも言語考古学で言われる、スキタイ接触時代に起きたとみられる
(原)スラヴ語の大規模な発音変化(ケントゥム→サテム)から
これはあくまで遊牧スキタイが言語的にイラン系であったというのが前提だが、
いまスキタイがイラン系でないと言い張る学者の方が珍しい
人狼民族ネウロイはスラヴやバルトの先祖の一部だろう
>割合なんかわかるはずないが、かなり多数であったのは間違いないだろう
>というのも言語考古学で言われる、スキタイ接触時代に起きたとみられる
>(原)スラヴ語の大規模な発音変化(ケントゥム→サテム)から
>>951
支配下にあった時代に言語変化が起きたのだろうが、その後スキタイが瓦解した際には
散り散りに他の遊牧民に吸収された者が一番多いんじゃないか?普通に考えて。
生活形態も違う現スラヴに入ったのは一部だけだろ。
既に言葉が通じていたら言葉の通じるほうに同化するだろう
というよりも、それ以前の時代から通婚等による同化過程が既に長い年月あって、
一部の語彙は共通化が進んで、
最後にスキタイの諸部族が崩壊した際は適当にバラバラになってあちこちに吸収されたんだろう
スラブ語のボーク(意味は「神」)などといった主要語彙はどうかんがえてもイラン系の単語だが、
あの地域で原スラブに親密に接触したイラン系言語はスキタイかサルマートしかいない
(スキタイ語がイラン系言語だとして)
近代の国民教育のようなものが行われていない時代に
自民族の基本語彙までが言語系統の異なる他文化の語彙と置き換わるというのは、
これを被支配の結果だとするのは考えにくく、
語彙が置き換わる元となった文化を持つ他民族の同化の結果と考えるのが自然だろう
しかもその、自民族に同化した他民族系の家系が自民族の中心的集団(貴族層)に
より色濃く混血した場合では、この傾向が顕著になる
原スラブ人が農耕民であったにかかわらず父称を使う古いスラブの習慣は
遊牧民の習慣から来たものだろう
たとえばスラブ語にはイラン系語彙とともにゴート系語彙も見られるが、
語彙を確立していった古い時代のスラブ人がゴートと接触した時代のゴート人は、
そこまで深くあるいは大量にスラブに同化していかなかったと思われる
というのも、ゴート語由来のスラブ語彙は言語的には辺縁的な価値の単語に多く含まれ、
名詞においては、原スラブ人があまり知らなかった地理的に遠方の
海の知識に関するものが非常に多いからである
ゴートは4世紀に西欧に行った集団も大きいが、
ウクライナに残った集団も大きい
彼ら居残りゴートの血筋を現代まで追うならば彼らの子孫もウクライナ人やロシア人になったと
考えるのが妥当だが、既にスラブ人は自らの語彙を確立していたので、
中世以後にスラブがゴートから取り入れた語彙は寡聞にして知らない
>>966 当然ステップの遊牧民の方がより言葉が通じるうえに文化も習俗も似通ってるわけで
そっちへ同化なり集合なりする割合が大きいでしょ
>>967 スラブ語にスキタイ語と類似する単語が多いのは
被支配者の側が支配側の使う言語から影響を受けた結果だろうし
ウクライナ地方にしても、テュルク系国家が西へ伸びてくる以前は
ずっとスキタイ系の遊牧集団が割拠していたのだから、その影響と考えるのが自然でしょ
>そっちへ同化なり集合なりする割合が大きいでしょ
しかし実際しなかった
スキタイ消滅後に印欧語族系の遊牧民は
後にサルマートが勢力を拡大するまでしばらくあの地域では痕跡を消す
>被支配者の側が支配側の使う言語から影響を受けた結果だろうし
そういう関係では基本単語でそういうことは言語学的には滅多にない
そういう場合外来語は受け入れる側にとって新しいものや概念を表す辺縁語彙におこる現象
ま、要するに君のはただのイデオロギーによる偏見だ
どうしようもないな
>>970 痕跡が消えたんじゃなく、農耕民が記述しなくなっただけなw
キプチャク平原はテュルク化するまでいつの時代もイラン系遊牧民の割拠した場所
被支配者側の公に使用されない言葉が、平民層でも徐々に支配者側の公用語へ置き換わるのは
エジプト、中央アジア、イスラム圏、欧州、ロシアなどなど、歴史的にもよくあること
>スキタイ消滅後に印欧語族系の遊牧民は
>後にサルマートが勢力を拡大するまでしばらくあの地域では痕跡を消す
というよりサルマタイが侵入してきて滅ぼされたんじゃなかったっけ?
973 :
世界@名無史さん:2010/08/05(木) 18:17:13 0
>>967 大ハズレ。
ロシア人の人名で父称があるのは、第三のローマだから。
ブルガリア人の場合も同じで、ブルガリア帝国が、名目上、東ローマ帝国の廷臣となったから。
遡れば、ヘレニズム時代のギリシャや共和政時代のローマに由来を持つ。
ぶっちゃけて言うと、アラビア人の名宣で、個人名 家父長名 大祖名/部族名 というふうに、
二番目に家父長名が来るのも、ローマ起源。
ゲルマン人の侵攻を激しく受け、ガリア人を祖とする人の割合も多い西欧の場合、家父長名が
名宣から落ちて、門地名/屋号名が正式の名宣に必須となるが、この習慣は西欧の影響の強い
クロアチアやポーランドで当たり前になって、名宣は、個人名 家名となる。
うげ、屋号を苗字にしているうちの家系って、clan名が不明なんやね
>ゲルマン人の侵攻を激しく受け、ガリア人を祖とする人の割合も多い西欧の場合、家父長名が
>名宣から落ちて、門地名/屋号名が正式の名宣に必須となるが
アイルランドやスコットランドの「マク〜」「フィッツ〜」
北欧の「〜セン」は?
976 :
世界@名無史さん:2010/08/05(木) 19:48:26 0
ここはスラヴスレですか?
スラ部活動
/ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
∧_∧ < はい
( ´∀`) \_____
ローマ起源、すなわちエトルリア起源か
979 :
世界@名無史さん:2010/08/06(金) 07:27:23 0
スラブ否定活動に邁進します。
980 :
世界@名無史さん:2010/08/06(金) 07:29:12 0
>>971 じゃあスキタイは徐々にスラブに支配されて衰退して消滅したんだね
主従関係が逆転したんだ
ブルガリアやロシアがスラブ化した事と同じ事なのではないだろうか?
>>980 知識無いのに粘着質とか最悪だな
スキタイやその他サカ人系の遊牧民はテュルク化して消えた
スラブは何の関係もない
>>982 あーあ、とうとう言っちゃったね反スラヴ主義者
反スラヴのイデオロギーよるプロパガンダが確定
これで完全に君の書き込みの信頼性ゼロになったよ