受胎可能日の計算なんて古代でもできるだろうし、
生まれてもそれはそれで気にしないんじゃないかな。
養子とかも普通に自分の子供扱いしてた訳だし。
子供が生き延びる可能性の低い時代だから生まれても育つ保証もないし。
養子云々は話が違いませんか?
っつか、仮に妊娠して出産したとしても、それが自分の子供かどうかって確認する手段が無いからどうしようもないんでない
>>934 遺伝的な親子関係より、生活上の親子関係を重んじるから
仮に親が結婚相手じゃなくても気にしないだろうって意味。
937 :
世界@名無史さん:2010/04/10(土) 12:32:54 0
hosyu
938 :
世界@名無史さん:2010/05/04(火) 23:32:36 0
お城で働く人々ってどうやってそこで働く様になったんでしょう
そして城の中ではどのような仕事があるのでしょうか。
ググっても細かく書いてなくてどうやって調べりゃいいのか分からなくて
つ 『中世ヨーロッパの城の生活 (講談社学術文庫)』
940 :
匿名:2010/05/05(水) 23:40:35 0
一般庶民の生活でいえば中世のイメージは17世紀らしい
この時代庶民の生活が一番貧しかった
17世紀って小氷河期のさなかじゃねい?
長く暗い冬、凍りついた森や山々、遠くに狼の遠吠えが響く、こんなイメージ。
火山の噴煙で実際暗かったんだよ
寒冷化、凶作、飢饉、ペスト、増えすぎた人口に足りない物資
物価の停滞、貿易の停滞、長期的不況、溢れる失業者
三十年戦争、清教徒革命、北方戦争
傭兵の略奪と王侯の重税、農民の暴動や貴族の反乱
魔女狩りの横行、悪魔や魔術、錬金術
叫ばれる終末の予言、偽メシアの登場…
そうだね。ビザンチンは別として
ペスト発生前までは、飛躍的に農業生産が増えて余剰生産物で
市が栄えたり、都市で貨幣経済が盛んになったり、建築技術が発達したりして
そんなに暗いとは思えないな。
暗いのは、宗教改革以降、特に30年戦争のころのドイツとかかな。
第二次大戦中のドイツの方がよっぽど暗くて恐ろしそうだ
中世盛期には公衆浴場も盛んだったらしいね
がペストの流行で下火になり
17世紀になるとサウナすらなくなる
948 :
匿名:2010/05/07(金) 13:36:07 0
>944
今の世の中と大して変わらないな。
つまり現代人のもつ暗黒中世のイメージは17世紀ってことだな
おそろしい拷問器具で死に至らしめるダークな異端審問のイメージも直接的には中世じゃなく
ルネサンス期スペインの異端審問からきてるし
啓蒙主義で前時代のダークな部分を封建的と批判したら
それがいつまにか中世のイメージにすりかわったのかね
まあ「ベルセルク」なんかも16世紀欧州がモデルだしなあ
だよねベルセルクって中世のイメージっていわれるけど
あれは完全にルネサンス
服装、鎧、城壁にしても
中世はもっと大雑把だよな 人間も
>>942 ポーランドがリトアニアを併合してロシア征服に乗り出したのも
スウェーデンがポーランドに侵攻したのもそれが原因
近世欧州の中世趣味も日本人の中世ヨーロッパ観に影響与えてるよね。
ノイシュバンシュタイン城みたいなファンタジーじみた建築とか。
957 :
世界@名無史さん:2010/05/11(火) 05:44:50 0
でも貴族なんかはもっと優雅で騎士は気高く高潔みたいなイメージあるよな。
手づかみで食ってたとか十字軍や騎士修道会の非道っぷりを知った時は驚いた。
ルネサンスが陰湿だとすると中世は荒っぽいな
騎士=優雅なイメージは実際は中世末期からルネンサンスだと思う
豪華なブルゴーニュ宮廷がモデルになってんじゃないかな
実際あの頃の鎧は綺麗だし格好良い
騎士道も後になってからの理想化が激しいからな。
ゲッツ・フォン・ベルリヒンゲンとか。
サムライはみんなハラキリするみたいなものか
そもそも中世ヨーロッパに騎士団に騎士なんて居なかっただろ。
聖騎士団に聖騎士はいたかもしれんが。
失礼、戦闘組織としての騎士団に騎士は居なかった、と修正します。
ttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%A8%8E%E5%A3%AB%E5%9B%A3 騎士修道会 [編集]
12世紀に十字軍が得た聖地エルサレムを守備するために、修道士を兼ねた
騎士の集団(宗教騎士団)としてテンプル騎士団が創設され、それに準じた
騎士修道会が次々作られた。しかし、エルサレムが失われ十字軍運動が
失敗すると、騎士修道会の存在意義も薄れていった。
聖ヨハネ騎士団 テンプル騎士団 ドイツ騎士団 リヴォニア帯剣騎士団 聖ラザロ騎士団 サンティアゴ騎士団
世俗騎士団 [編集]
14世紀にはいると軍事方式も変わり、長弓、弩弓を持つ歩兵の重要度が高まり、
騎士の重要性は薄れていった。しかし、騎士の軍事的実用性が失われると、
却って名誉としての騎士の意識が高まり(騎士道精神)、アーサー王伝説の
円卓の騎士や騎士修道会への憧れが強まった。そこで、力のある王や貴族が
名誉システムとして、あるいは友愛組織として騎士修道会を模した騎士団
(世俗騎士団)を設立するようになった。
ガーター騎士団 金羊毛(ゴールデン・フリース)騎士団 ドラゴン騎士団
実体の無い騎士団 [編集]
16世紀以降になると騎士は過去のものとなり、完全な名誉の勲章システム
として実体の無い騎士団が創設されるようになった。勲章参照。
バス騎士団(イギリス)
大英帝国騎士団 レジオンドヌール騎士団(フランス) ブール・ル・メリット騎士団(プロイセン)
現代でも、中世の騎士団の精神を模した民間の団体や秘密結社などが存在する。
964 :
世界@名無史さん:2010/05/12(水) 22:12:29 0
>>961 武士道も戦国時代の職業戦士としての武士というより
攻勢に官僚化した武士達のための道徳って感じだもんな。
965 :
世界@名無史さん:2010/05/13(木) 10:21:17 0
>>963 そういうのってやってることの方も騎士道の理想化されてイメージとはかけ離れてるしな。
騎士組合って感じだな
967 :
世界@名無史さん:2010/05/13(木) 12:20:02 0
もともと不労所得を得ている利権を守りたいだけだからな
守りたいわけではない。
増やしたいのだ。
民主党みたいなものだ
いくらなんでも騎士団に失礼だぞ。
971 :
世界@名無史さん:2010/05/20(木) 22:42:44 0
次期王の弟とかって普段何してんの?
トップには立てないけどなんか影響力持ってるの?
中世は人が死に易いからそれなりに大切にされた。
長兄が継ぐことが当たり前だから、当然のようにスペアは段々扱いが悪い。戦争に借り出されたり、
内務の実務をやったり、外交使節としてあちこち走らされたり。
宮廷官僚やら大貴族やら外国やら相手に、下手こくと殺されかねない状況下で丁々発止のやりとりを
経てきているものだから、殺されないよう護られてぬくぬくと育った長兄よりも、手腕に長け人望も
篤かったりして、ときどきお家騒動になったりもした。
長兄が早世したり、王様が居なくなったヨソの国の王様に請われたりすることも頻繁にあったので、
それはそれで無駄にはならないというか、むしろ、長男として生まれていない王様の代には国が発展
していることが多い。
兄の寝首を掻くこともあるからな
大司教候補の坊主になるってのもあるな。
フィリップ・オーギュストの父王のように。
ジョンなんて四男で王位に就いたんだから、上の理屈だともう少し(ry
ジョンゆえ致し方なし
>>973>>972 まあ王様(兄)の弟への情や猜疑心の強さにもよるな。
弟を信頼して情があるならそれなりに重用してくれることもあるし、
逆に疑り深かったら冷遇や最悪暗殺されるかもしれない。
もっともそういう場合は弟も弟でなんかやってる場合もあるけど。
過去に謀反に加担したとか。
ほしゅ?
しゅしゅしゅ
スレチかもしれませんが質問させて下さい。
夢で中世ヨーロッパの見て、とても気になりどの辺りなのか探しています。
水平線まで続く平原。そこに風車小屋、羊の群れ。
登場人物は金髪か茶髪。自分は酪農をしていて赤色のスカートの民族衣装。
馬に乗った身分の高い人物。金髪でボブカット。少年〜青年位の男。緑を特徴とした服。
その身分の高い人の住む所にはピアノかオルガンのような鍵盤楽器がありました。
こんな感じなのですが、これらのキーワードでここっぽい、という所がありましたら教えて下さい。
オランダ?
>水平線まで続く平原。そこに風車小屋、羊の群れ。
ヨーロッパに限定するならスペインかオランダですが、
オランダは大航海時代以前はまだ森が多く、現代の干拓された平野も存在しないので、
地平線まで平原が続くならスペインの可能性が高いでしょう。
しかしスペインの平原は乾燥した平原です。
緑の大平原ならフランスですが、風車はありません。
風車はイスラム>スペイン(元イスラム領)>オランダ(スペイン領)と伝播したものです。
>登場人物は金髪か茶髪。自分は酪農をしていて赤色のスカートの民族衣装。
金髪が多いのはバルト海沿岸で、離れるほど減ってゆきます。
ttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%87%91%E9%AB%AA 割合はどのくらいなのかでもある程度限定されます。
酪農というのは羊を飼っているという事でしょうか。
中世には現代で言う酪農は発達しておらず、
特に牛の乳を使って乳製品を作るようになったのは15、6世紀以降です。
>馬に乗った身分の高い人物。金髪でボブカット。少年〜青年位の男。緑を特徴とした服。
中世ヨーロッパで緑の服というのはとても微妙なもので、
基本的に5月の服であり、他の時期には着ません。
一方で緑は一種類の染料で染めるのではなく、黄色と青を交互に染める為、
むら無く染めるのは非常に高度な技術を要します。
その為染めの丁寧さで身分がわかります。
しかし近世に近付くと色の価値が変化し、特に上流階層では黒や地味な色が流行り始めます。
近世の人物像を見ると、男性は殆ど黒か灰色のような地味な色しか着ていないのが判ります。
>その身分の高い人の住む所にはピアノかオルガンのような鍵盤楽器がありました。
鍵盤楽器の歴史は浅く、パイプオルガンが15世紀、チェンバロが16世紀、ピアノが18世紀に生まれています。
初期のパイプオルガンは家に置けるような物では有りません。家に置けるような現代のオルガンは19世紀の物です。
従って中世というよりも近世に入っていると考えるべきでしょう。