2 :
マスコット :2008/11/29(土) 22:34:22 0
俺ら極悪非道のアンゲロスブラザーズ! 今日も未来はないのに帝位争いしてやるからな  ̄ ̄∨ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ∧_∧ ∧_∧ (・∀・∩)(∩・∀・) (つ 丿 ( ⊂) ( ヽノ ヽ/ ノ し(_) (_)
初心者向けにお勧めの本 井上浩一『生き残った帝国ビザンティン』(講談社現代新書) 井上浩一ほか『ビザンツとスラヴ』(中央公論新社 世界の歴史シリーズ) 根津由喜夫『ビザンツの国家と社会』(山川出版社)
4 :
世界@名無史さん :2008/11/29(土) 22:35:09 0
テスト
生意気なユスティニアヌスをシめてやるッ! 書記官であるプロコピオスが見守る中、制裁は行われた。 既にユスティニアヌスの口中ではナルセスの赤黒い怒張が暴れている。 「ベリサリウス将軍、陛下お尻がおねだりしているようですよ」 プロコピオスの声に応じて、ベリサリウスのブリーフから屹立した一物が顔を覗かせた。 ゆうに一尺はあろうかという業物に、恐怖に顔を歪めるユスティニアヌス。 しかし、その恐怖心とは裏腹に、ユスティニアヌスの肉棒は硬度を増していく。 −ユスティニアヌスにとっては、その恐怖こそが色欲そのものだったかもしれない…。 天を仰いだユスティニアヌスの頭皮を、プロコピオスが絶妙な舌技で剥いていく。 サーモンピンクの亀頭が徐々に姿を現すのと平行して、 ベリサリウスの淫槍がユスティニアヌスの菊門にねじり込まれていく…。 東ローマ帝国政府男性陣によるド迫力の4Pファック! だが、長い夜は幕を開けたばかりだ…。
だからナルセスは(ry
宦官がいるなんてやっぱりビ(ry
古代ローマに比べてビ(ry
ローマにはスキピオ、ハン(ry
やっぱり次スレいらなかったんじゃないかw?
アンゲロスネタはちょっと食傷気味だなぁ
>>13 俺ら極悪非道のアンゲロスブラザーズ!
食傷気味でも帝位争いしてやるからな
 ̄ ̄∨ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
∧_∧ ∧_∧
(・∀・∩)(∩・∀・)
(つ 丿 ( ⊂)
( ヽノ ヽ/ ノ
し(_) (_)
>>14 そんなことしてると、スレに人が居なくなる=帝国滅亡
>>15 俺ら極悪非道のアンゲロスブラザーズ!
スレが建たなくなっても帝位争いしてやるからな
 ̄ ̄∨ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
∧_∧ ∧_∧
(・∀・∩)(∩・∀・)
(つ 丿 ( ⊂)
( ヽノ ヽ/ ノ
し(_) (_)
エンリコ・ダンドロ「帝位争いと聞いて(ry」
イサキは?
ヴィルアルドゥアン「ちょっと記録させてもらいますね」
もはやネタすれと化しているなw
バシレイオス2世がベネチアに自治の金印勅書さえ与えなきゃ こんなことには… と思ったんだけど、彼も内戦ではキエフ・ルーシの援助を貰ってんだよな。
>>23 そう。ただ内戦に外国の兵力を借りても、その後介入させなかった点がこの後の
アンゲロスブラザーズやパレオロゴス朝とは違うんだよね。
キプロス入港拒否してボコられたイサキオス・ドゥーカス・コムネノス(´;ω;`)
ケルマーンやらハンガリーと何連携して滅亡を防ぐことは出来なかったんかなぁ
オスマンがティムールに敗れたときのマヌエル2世のスルタン擁立策は 久々の大ヒットだったような気がする。 次代のヨハネス8世・コンスタンティノス11世は同じ手法を試みて (後世から見れば当然ながら)失敗して前者の時はテッサロニキ、後者の時はコンスタンティノープルを 奪われて滅亡に至ってる。
対立皇帝の擁立はリスキーだよねぇ
ここまでのキーワード【 帝位 争い 栄光 ベリサリウス 帝国 ナルセス ビザンツ 】
さあ?
アンドロニコス・コムネノスから専制公パライオロゴスブラザーズまで の親族間の争いは外国の力を借りまくったりしてgdgdすぎる。 末期だってトレビゾンドのメガスコムネノスが救いの手を差し伸べたりって話は 全然聞かないし。 セルビアかブルガリアかルーシの君主が成り代わっても 正直良かったかも知れん…
クリスマスは塩野新刊祭ということでおk?
36 :
世界@名無史さん :2008/12/02(火) 13:41:53 O
このスレはビザンツそのものだな 絶え間なく襲い来る外敵、それに対抗するために外敵を蔑称で呼び高慢、排他的頑固になる住民 長寿化するスレッド・・
そして時がたてばたつほどジリ貧に
どこぞの島か山にでも落ち延びて存続してたら文字通りロマン国家として観光産業の国になってたのかねぇ
というか舌技で頭皮を剥いていけちゃうのは絶妙杉るだろと思た
ギリシャ今大変らしいね 海越えてやってくる難民やら不法入国者やらが都市にスラム作ってどんどん拡大してるんだと 送還作業がおっつかんそうだ
47 :
世界@名無史さん :2008/12/02(火) 21:20:41 O
ビザンツ関係の資料で男色の話が出て来るのはある?
>>40 モレアを死守しきれたら或いは・・・まぁ、無理だが、事実無理だったんだし。
で、この中で実際にモレアの廃墟とか旧コンスタンティノープルを
実際に見に行ったコトある香具師いるの?
コンスタンティノープル(部屋)でアラブ軍(親)の攻撃を凌いでます。
エロネタホモネタは良くてギリシャネタはNGなのか
これぞ帝国末期の御姿
>>48 イスタンブールに行く予定はあったんだが、ちょっと前にあったテロでお流れに。
ドウデモヨス
さあ、城壁の上に登って敵の数を数える作業に戻るんだ。
今日もM2TWでローマ帝国を再興する仕事を始めるか
>>56 あのゲームくらいギリシャの火が強かったらねえ
ミカエル二世からコンスタンティノス七世までの時代が最も美しい この時代のビザンツ史は安心して読んでいられる
>>58 結構レオーン6世の頃とか大変だぞ。
コンスタンティノス7世の幼年期には強敵シメオンもいるし。
シメオンはそれほどの君主でもない気がする 彼の後はブルガリアはぜんぜんふるわなかったし
>>60 というよりシメオンの時代に頑張りすぎて国力使い果たした
62 :
世界@名無史さん :2008/12/03(水) 01:42:44 0
カスチラとアラゴン、ポーランドとリトワニアみたいに、ビザンツとブルガリアが 合併すればよかったのだろうな。
スラブ人やブルガリア人、セルビア人の皇帝が出なかったところがこの帝国の限界か。 アルメニア人が皇帝だった頃が最盛期ってのも皮肉だな。
レオーン6とかコンスタンティヌス7は文人皇帝だからなぁ。 つーか、コンスタンティヌス7世は帝都市民にたいそう慕われてたそうだが 一体何処がどう凄かったのかと。
>>64 コンスタンティノス7世は皇帝の嫡子を示す「ポルフュロゲネトス」という名前
が彼だけのあだ名になってるから、皇帝の正統な嫡男なのに前半生が不遇だった
ことへの同情があったんじゃないか?
コンスタンティヌス7世はそれほどひどくないと思うけど ブルガリア関係以外では結構な実績残してるし
実績残したというより、妻や有能な将軍や官僚に任せて、自分は学問に没頭 してたけどね。ただ、無能ではなかったことは確かだ。比較的平和な治世だったし。
塩婆にどんだけ酷評されるか楽しみ^^
>>57 本編の方は普通に弱いけどね。
ギリシャの火とか鉄砲隊とかは拡張パックのキャンペーンだけ。
まああのゲームって火縄銃より弓隊の方が強かったりするから…
M2TW長くやってる人はグランドキャンペーンでキングダムユニット雇用可能なMOD入れてるっしょ。SSとか。 ゲームというとCrusader Kings Deus Vultのビザンティン帝国領域の称号名がテマ名(アナトリコンとか)に変更されてたなあ。 国家名もビザンティン帝国からローマ帝国に変更されてたし、全体的に変更されてて良かった。 1066年シナリオでセルジュークにボコされるのは相変わらずだが。
正直ゲームオタには消えてほしい 妄想戦記はどう考えてもすれ違いだろう だれがセルジュークにぼこられようがそんなことは知らんよ PCソフト版へ池
気分害させちゃってごめんね
うるせうるせうるせ! とっととでていけ野蛮人め!
気分害させちゃってごめんね
いえいえ
内紛するなよ。 そのうち全員オスマン帝国民になるんだから。
観光ツアーでコーラ修道院のモザイク画見てきた。 内外ともにグダグダだったアンドロニコス二世の頃にあんな見事な芸術文化が あxたと思うと感動した。
オットーマン帝国でいいじゃん、なんでオスマンなんすか
オスマンでいいじゃん(ry
>>78 国がgdgdになるほど文化が栄えるんだよ
オーストリアもオスマンも同じだ
コンスタンティノープルへの往復運賃100万か。 一度行ってみたいな。
輝かしき栄光に包まれたビザンツ帝国を語る上で、
その帝国をトルコ騎士道に沿って華麗に滅ぼしたトルコ帝国の名称を質す。
これは重要な事かもしれない。
>>79 のスレから、コンスタンティノス11世への愛を強く感じる。
とうとうこのスレもホンモノになったな
>>84 ブルガリア辺りの田舎者の勘違いだと思うんだけど
セルビア人やブルガリア人やルーシ人でゲルマン人のリキメルみたく 高官になった奴はいるのか?
>>86 OSPREYの
“ROMANO-BYZANTINE ARMIES 4TH-9TH CENTURIES”
“BYZANTIUM AT WAR AD600-1453”
にはその系統の民族出自の将帥確認できず
パレオロゴス朝の時代の東ローマ=今の日本…か。 オスマンになるべき国家は中国かアメリカか…
89 :
世界@名無史さん :2008/12/05(金) 20:15:30 0
中国=オスマン、アメリカ=チムール?
ピザンツって本当にどうなってしまったんだ? ピザンツの末裔として 近代ギリシャ説、トルコ説、ロシア説があるが どれが本当なんだ?
どれもウソ。
92 :
世界@名無史さん :2008/12/05(金) 20:30:20 0
>>86 ルセール・ド・バイユールはルーシー人だな。
青森県三戸郡新郷村戸来村にキリストの墓があるんだが、 実はここに最後のビザンツ皇帝の(ry
>セルビア人やブルガリア人やルーシ人でゲルマン人のリキメルみたく >高官になった奴はいるのか? 今ジョン・V・A・ファインの中世後期バルカン史読んでるが、パレオロゴス朝がgdgdになった頃には セルビア人やブルガリア人の地方有力者でコンスタンティノープルの宗主権を認める代わりに セバストクラトールやらデスポテースやらカイサルの称号をもらう例が結構あるね。 宮廷高官とは違うが。
>ピザンツって本当にどうなってしまったんだ? ローマと同じように消えた
>>92 何をした人?
ビザンツの外国人出身の高官ってムンドゥス、ハーラル、
ジュスティニアーニしか知らない。
特に正教圏の出身者は。
>>96 他にもテオフォボス(クルド人)とかいるけどな。
ちなみに聞くけど、アルメニア系は外国人には含んでないよな?
>>97 マケドニア朝の皇帝は確かアルメニア人出身だな。
むしろビザンツが努力して正教圏に組み込んだ異民族が
どこまで活躍したのかが知りたかったんだ。
…ブルガリア人はバシレイウスの征服後はテマ・ブルガリアに税金物納で払ってたらしいけどw
>>97 キリキア人(アルメニア人)は古くから帝国支配層じゃなかったか?
>>99 だから「含んでないよね」って聞いたんだろう。
ちなみに、アルメニア人がキリキアに行ったのって12世紀とかだよな
イリュリア人の皇帝ってローマだっけ? ビザンツにもいたような
ユスティニアヌスをビザンツに含めるのは正直、抵抗がある。 自分としてはシリア・エジプト失陥後の東ローマがビザンツ帝国と呼ぶに 相応しいと思っているので。
104 :
世界@名無史さん :2008/12/06(土) 12:03:32 0
>>99 マウリキオス以降、アルメニア系の皇帝が多くなったようだね。
アルメニア人が優秀であるというよりは、単純にイリュリア人やトラキア人ら
が死に絶えてしまったからだろうね。
105 :
世界@名無史さん :2008/12/06(土) 12:32:32 0
>>100 アルメニア人には、アルメニア王国とビザンツ領カッパドキア、
さらにそれらからマケドニア等への移民も含まれる。
アルメニア王国出身者は、やはり外国人であると言えよう。
>>103 まあ、研究者でも通説と呼べるほどの統一見解はないっぽいからねえ。
コンスタンティヌスからって人からヘラクレイオスからって人までいるようだし。
>>106 そもそもローマ帝国の後半期を便宜的に呼び分けてるだけだからな
歴史に親しむのに通説なんかむしろ邪魔 自分がそうだと考える所を己の見解とすりゃええねん
個人で楽しむ分にはな。 その「私説」を他人に押し付けてこられると、はなはだしくむかつくが。
正しい知識を持つことは大事だよ 特にこういう場で語り合う場合には
正しいw
割と正しそうな知識 広く知られている知識 とでも言い換えれば満足?
「通説」を嫌う人間ほど、まともに勉強していないという真実。
通説の中身を知った上で嫌ってる奴と頭から嫌いな奴とだったら全然違うだろうな。 ただ俗説を通説のように語る奴は迷惑。
割と正しそうな知識www誰が『割と?』と判断するんだ? 広く知られている知識wwwそれじゃあ塩婆の天下になっちまうぞ きっと史学部の教授がこのスレにいたら、満足の行く答えを出してくれるだろうが、 ここには自分達の考えが天下だと思い込んでいるビザンツ人しかいねえんだw クソスレ認定してやんよ
117 :
世界@名無史さん :2008/12/06(土) 20:52:07 O
>>92 で、ルセール・ド・バイユールって何した人なの?
頼むからベリサリウスの戦史本出してくれ。 8000円までなら出すから。
>>115 そういう知識を持つ事は大事とは言ってるけど、そういう思想でいろとは言ってないじゃないか
これだから田舎者のフランク人は
いずれトルコ人に征服されてしまったようにビザンツ人の考えははかない。 それに比べればパリは花の都だ。フランク人と呼ばれる事が誇らしいなあ
花の都なんて静岡にだってあるぜ
歴史其儘と歴史離れ
>>122 コメントが面白いな
いや、もっともなことをいってるんだが
>>117 11世紀後半のノルマン人傭兵隊長。マンツィケルトの戦いにも参加していた。
1074年に反乱を起して捕まったが、ニケフォロス・ボタネイアテスとニケフォロス・ブリュエンニオスの
反乱が起きたために釈放されて、アレクシオス・コムネノス(後のアレクシオス1世)と共に帝国に仕え
ることになる。
(以上、尚樹啓太郎『ビザンツ帝国史』P544-548 他より)
>>119 そういうのに構っちゃ駄目っす
>>123 あ、それどこかで聞いたことがある
なんだっけ?教えてくれよ
鷗外
シルギアネス・パレオロゴスの父親(一説には祖父)もクマン人亡命者で たしかミカエル[世の治世にメガス・ドメスティコス(軍司令官)だったけか・・・
最盛期でも最大兵力は12万程度だったビザンツ帝国。 こんな少ない兵力で長命を得た理由を探るべきではあるまいか。 確かに古代ローマ帝国ほど人々を魅了することはないかもしれない。 だが、1453年まで続いたのである。最期の100年間がまるで実体がなかったことはおいておいても。 これほど少ない兵力でよくぞ・・・という真っ当な歴史家はいないものかな。
>>129 12万で必要充分どころか、国家の規模から言えば過大だったわけだし。
軍隊は数が多けりゃいいってもんじゃ無い。
最大兵力12万って何世紀のことか知らないが オスマン帝国でも最盛期の兵力はまずティマールル・スィパーヒー (プロノイア騎兵みたいなもの)が10万ちょっとで 宮廷軍団を含めても20万は越えなかったかと。 遠征軍には兵士以外にも色々な連中が付いてくるから20万超えたりしてるけど。
「兵士以外」というか傭兵や属国軍もいるから 基本的なスィパーヒーとカプクル軍団以外ってことで
あと自分の知ってる例ではモンゴル軍を何度も撃退したマムルーク朝でも バイバルスの治世には総兵力は多いときで4万ぐらいだったらしい。
マンツィケルトでロマノス4世が動員した兵力が10万だっけか(輸送兵その他込み)。 あの戦いの結果少し残ってたテマ兵も壊滅したんだっけか。
135 :
世界@名無史さん :2008/12/07(日) 06:46:15 0
>>129 チンギス・ハンのホラズム遠征時の兵力が、一般に20万であったとされ、
ホラズムは40万もあったとされるが、一般にアケメネス朝の兵力が60万
とされる事を信ずるのならば、ありえない事ではないと言えよう。
一方、コンスタンティヌス大帝の帝国総兵力が75軍団90万名とされる。
単純に半分以上とすると、50万近い兵力が東ローマ領に配備されていた
と考えられる。
136 :
世界@名無史さん :2008/12/07(日) 07:12:55 0
>>133 アイン・ジャールートの会戦で、12万のマムルーク軍が、キト・ブカ隊1万を
包囲殲滅したとされる。
>アイン・ジャールートの会戦で、12万のマムルーク軍が、キト・ブカ隊1万を >包囲殲滅したとされる。 アミタイ=プレイスによるとアイン・ジャールートの戦いについての諸史料のなかで マムルーク朝軍の兵数に言及があるのは「ヴァッサーフ史」だけで 1万2千だったとされているようだが。 H・H・ホワースのThe History of the Mongolsではその記述のケタを読み違えて マムルーク朝軍を12万としているそうだから、その話はそこら辺が出所なのでは? アイユーブ朝末期でも騎兵総数が1万ぐらいだったらしいから その後のクーデター等のごたごたの中で、歩兵を合わせたとしても その10倍以上に兵力を拡大できたとも思えないけど。
ここまでのキーワード【 ユスティニアヌス ローマ 帝位 ギリシャ ブルガリア ビザンツ オスマン 】
さあ?
141 :
世界@名無史さん :2008/12/07(日) 20:44:51 0
>>137 僅か1万2千でモンゴル軍1万を撃破したのであるならば、
まさにバイバルスはスブタイ級の名将でありますな。
マムルークはキプチャクのトルコ系騎馬軍団だから、モンゴルともけっこう互角に戦えたんじゃないかね …ここ、ビザンツスレだよな?
ビザンツ史なら、アンドロニコス2世に雇われてわずか3500人でトルコ軍を撃破し その後給料不払いに腹を立ててバルカン側に渡ってトラキア、マケドニア、テッサリアを荒らしまわり 最後にはペロポネソスに南下してアテネ公国を乗っ取ってしまったカタルーニャ傭兵団のような 化物というかほとんどマンガみたいな連中も出てくるな。
144 :
世界@名無史さん :2008/12/07(日) 23:33:53 0
古代ローマのマメルティニみたいなやつらだな
>>143 それってたんにパレオロゴス朝が弱体(ry
てめぇ!バレオロゴスさんをディスったな!
救世主アンゲロスブラザーズは何処に
ビザンツとかハプスブルグ朝とか、ビックリするくらい金払いが悪いよなw しかも支払いの段階になって「無い物は無い払えない〜♪」って開き直るし。 あの図太さが王朝を長く続ける秘策だな。
ビザンツはむしろ金払いが良かったのでは? 金がなきゃ蛮族止められないだろ。 末期なんかヴェネチアに皇帝抑留までされて涙目になりながら金集めてるし。 むしろ金払いが良くない時の方が悲惨。 第四回十字軍やハンガリー人ウルバンへのあれとか。
ユスティニアヌスなんか東方の平和は金で買ってたしなw でも蛮族は西を餌にして誘導してた印象しかないな。
万年二正面作戦だもんなぁ あっちが片付きゃこっち、こっちが片付きゃあっち 金なんていくらあっても足りんよな
対フン族の時は、そうしたら その金を領内で落としてくれたので 結果公共投資になったそうな…。
対フン族くらいか、東西ローマと他の蛮族が協力関係にあったのって。 ヴァンダルも東西共に脅威だったはずなのにその対策は足並みが揃ってないイメージがある。 まぁ、蛮族は蛮族で西側の方が魅力的な獲物に映ったのだろうけど。
ビザンツ帝国になってからはハザールと組んでササン朝と戦ったり、 (中略) ニコポリス十字軍と組んでオスマンと戦ったりしたけどな。
>>152 ブルガリアなんかも、金もらったら贅沢品は結局コンスタンティノープルから買
うからキャッシュバックになったらしい。
今でいう給付金かw
この政策のおかげで帝国の西の防衛線は活気付いた事を考えれば、 日本も給付金を断行するべきなのかもしれない 麻生のあほも、かつてのコンスタンティノス4世はこうこうこういうことをやったと説明すればいいのに
どっちかといえば紐付きODAじゃないのか
つーか、当時の地中海世界で繁栄してたのって コンスタンティノープル以外だとイタリア諸都市くらいだろ。 東ローマ周辺の国の香具師が金手に入っても使う場所が コンスタンティノープル以外選択肢無いじゃん。
ローマ帝国なんか国会の場で引き合いに出したら、内外から袋叩きだと思うが名。 一般人のイメージはやっぱり侵略と収奪の覇権国家なんだろうから。 まぁ、国籍法改悪とかはカラカラのやったコトの弊害を見れば明らかなのだが。
>>157 給付金は今回の危機で他の国でもやってるよ
ヨーロッパでもやるところがあるし、
オーストラリアはクリスマス商戦にあわせて配るという記事を見た
でも日本のマスゴミは日本がやるときだけバラマキと批判しているいるんだよなぁ
162 :
世界@名無史さん :2008/12/09(火) 16:45:43 0
>>160 超多民族国家のローマと日本を一緒にされても・・・w
8世紀ごろの日本は倭・百済・高句麗・漢・秦などの多民族国家だったが
ってほどでもないっしょ
ってか麻生がビザンツのことなんか持ち出したらまた塩(ry
>>163 それで多民族国家なら
今の日本もアジア系や中東系や南米系のいる多民族国家じゃ
そういやギリシャで暴動が発生してたな
ギリシア国旗に火つけてるらしいな>暴徒
無政府主義者とか言ってるが・・・
この暴動も後世「○○の乱」みたいな呼ばれ方をするのだろうか。
フランスとおなじでスラムの移民だったりして
あんまり現代の話をすると文句たれるやつがいるかもしれんが、 今回の暴動は、極左と極右が同時に乱を起こしたらしい
ギリシャ人もロマイオイを自称するなら国旗をローマ時代の十字旗に戻せばいいのに。
死者はでとらんな 不幸中の幸いか 射殺された少年てやっぱ移民かな?
ギリシアって移民がくるほど豊かなんかいな トルコ人は居場所ないだろうし、スラブ系が多いのかな
アルバニア人も移民してくると聞いた ビザンツ帝国で有名なアルバニア人っていない?
>>176 一人当たりのGDPで確か25番目くらいだったからかなり豊かな方なんじゃない?
ちなみにトルコは50だか60番くらい
ギリシャに移民(不法移民だけど)してくるのはトルコ人とクルド人が殆どだってさ
>>159 宝飾品とかの技術者もコンスタンティノープルに居たからな。結局、貢納金払っ
ても都に金が集まってくる。
弱腰扱いされやすいが、人命や金を無駄に使うよりは賢いやり方。
バシレイオス2世はヴェネチアに金印勅書なんか与えなきゃ良かったのに。
アレクシオス1世?
俺ら極悪非道のアンゲロスブラザーズ! 今日も未来はないのに適当な知識を披露してやるからな!  ̄ ̄∨ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ∧_∧ ∧_∧ (・∀・∩)(∩・∀・) (つ 丿 ( ⊂) ( ヽノ ヽ/ ノ し(_) (_)
185 :
世界@名無史さん :2008/12/10(水) 08:24:04 0
ニケフォロス1世がヴェネチアの独立を認めてなければこんなことには…
ビザンツの属領ヴェネツィアじゃあ、あの独特の商人共和国にはなってないだろうな
>>78 > 観光ツアー
詳しく教えてくれ
つか、ツアーでコーラ修道院なんてマニアックすぎしゃないか!
別に!
じゃあドイツツアーにしようぜ ペルガモン博物館あるし
>>191 ゲルマニアはスレ違い
ベルリンの博物館島には、ビザンツ美術も結構あるみたいだけどな
今東京三鷹の中近東文化センターでペルガモン博やってるよ
このスレの連中なら、個人旅行じゃないと無理だろ。 ツアーだと一日でイスタンブール終了とかだし。 ツアーで思い出したが、ヴェネツィアってツアー旅行やってたよな。 エジプトやエルサレムへの巡礼ツアーとか。
>>194 十字軍という名前の、強盗殺人ツアーのスポンサーとかもやってたしね
4回目のツアーは行き先がコンスタンティノープルだったな。
京浜急行の非常時よろしく途中で行き先がガンガン変わる恐ろしいツアー
アレはマヌエルの所業を恨んでてずっと復讐の機会を窺ってたから。 で、丁度皇帝がアンゲ(ry
アンゲロス兄弟ってどっちが有能なのだろうか、 という問題について電車内で悩んだ挙句目的地を通り過ぎてしまった
最後の皇帝がアンゲロス弟だったら陥落した帝都からモレアに逃げて、 モレアの後もセルビアとかワラキアとか転戦してたのかな。 で、その度に味方の足を引っ張ると
皇帝がセルビアへ逃げ込んでセルビア帝国に・・・ なんか厨臭くってステッキーな響き・・・
どんどん移動していっていつの間にかローマに戻って来てしまったり 現代の名称が「モレアおよびセルビア・ワラキア・ダルマチアならびにローマにおけるコンスタンティノポリスのローマ帝国」
>>188 トルコ観光ツアーでイスタンブールに一泊で自由行動時間あったので
それ利用してカーリエ=ジャーミーまでタクシーで行ったのよ。
ちなみにイスタンブールでの見物コースに入っていたのは
アヤ=ソフィアとトプカプ宮殿。
後の予定はアナトリアのローマ遺跡やプルサやアンカラなどの都市。
うざかったのは朝のアザーン。ホテルがモスクの近くだったので
音量最大のスピーカーで叫ぶから嫌でも早起きになる。
まあこれはトルコを含むイスラーム圏全体に言える事だが。
アザーンの音量に「うるせえ!静かにしろ!」って近所から抗議が来るようになれば、 イスラムの世俗化の完了だろうなw
日本だって除夜の鐘に抗議が来るか? 世俗化しても習慣として根付いたら抗議も来ないだろう。
除夜の鐘は一年に一度だけどアザーンは毎日だからな。 異教徒の観光目当ての人間にとっては大問題だ。 あ、あとラマダーン月(断食)にぶつかるのも避けたいな。
13世紀にシチリアのフェデリーコ皇帝がパレスチナへ来た時は、気を利かせてアザーンやめさせてたそうじゃないの そしたら皇帝が「ムスリムがうちへ来たらキリスト教寺院の鐘が鳴らせなくなるじゃないか、構わないからやっていいよ」って言ったし
>>207 フリードリヒ二世はシチリアでアザーンに慣れていたからいいけど
他のキリスト教君主相手じゃ嫌がらせになるよ。
ビザンツ滅亡後のギリシャってあんまり聞かないんだけど どんな感じなの? 調べてみてもコンスタンティノープル陥落→ギリシャ独立戦争みたいな内容ばっかり モレアとかトレビゾンドがどうやって滅びたのかいまいち良く分からない
『玉座についた最初の近代人』 『300年早いルネサンス君主』
「アンチ・キリスト」も追加で
>>211-212 まあ過剰評価だわな。あの人はイスラムより教皇との戦いを優先したに過ぎない。
べつに近代的な意識でイスラームと対話したわけじゃ無い。
ある意味、イスラームもキリスト教も相対化して認識した人物かな?>フリードリヒ2世
無神論者と一言で片付けるには色々と魅力があるのよね、この人。
>>210 モレアはお得意の内部分裂にオスマンが介入して消滅。
トレビゾンドは白羊朝と協力してたが、白羊朝がオスマンに敗れたことで降伏。
トレビゾンド帝国こそ最後のローマ帝国
コンスタンティノープル陥落の当時、コンスタンティノス11世(12世?)の叔父ソマスと、彼の甥ディミトリオスが公領を分割統治しており、 ソマスは北西部のパトラ、ディミトリオスは南東部のミストラスを支配。 ディミトリオスはすでにオスマン帝国に通じており、ソマスはローマ教皇に十字軍の派遣を求めるも実現せず。 メフメト2世は自ら遠征を行い、1460年5月29日ミストラスを占領。 ディミトリオスはスルタンに服属して所領を受け取り、ソマスはコルフ島を経てイタリアに亡命、ローマ教皇の庇護を受ける。 同年夏までにほぼ全土がオスマン帝国に併合され、モレアス専制公領は滅亡した。 ソマスは1462年、パトラの守護聖人である聖使徒アンドレアス(アンデレ)の頭蓋骨を携えてケルキラからイタリアに渡った。 彼はその聖遺物を教皇ピウス2世に引き渡し、彼からローマ在住の保証と月額300ドゥカートの手当を受け取る事になった。 またカトリックに改宗し、その後も十字軍の結成を訴えたが実らず、1465年5月12日にヴァティカン近くのサン・スピリト病院で死去した。 子供たちはローマやオスマン帝国に仕えたが、娘の一人ゾイーは1472年にソフィアと改名してモスクワ大公イヴァン3世と結婚し、 モスクワが「第3のローマ」となるきっかけを与えた。
モレアはなんか一時期アテネ公国を従える所まで行ったけど 大軍で侵攻して来たオスマンにぶっ潰されたとか聞いた その際拠点として二度と活用出来ない様に都市という都市が徹底的に破壊されて 住民も殆どいなくなったとか
17世紀末から18世紀初頭にかけては、ヴェネツィアがちょろっとギリシャの一部を奪還したが、 すぐオスマン帝国に敗れて奪い返されたそうな。
ギリシアに利用されるのを恐れてトルコ側が廃墟にして撤退したんだよね>モレア いまは廃墟の一部にかつての面影を見ることが出来るそうだが。 邪教臭のしないビザンツの遺産ってアトス山とかその辺りか? あとは皮肉にもヴェネツィアとか、略奪品がいくつかあるしサンマルコ寺院なんかは正に。 それにしても、ギリシアの暴動を見てるとコイツらの祖先はニカの乱で暴れたコトに納得がいく。
テッサロニキのは熱心党の再来ってところか
青党・緑党って、フーリガンの元祖だよな
wwwwww ビザンツ将軍の無能っぷりが現代でも哂われているとわ!
229 :
世界@名無史さん :2008/12/13(土) 16:46:01 0
アンチのくせになんで「ビザンツ人」が嫌われてたかわかってないのかよwwww 記事を読んだかどうかも怪しいなwwww
大土地所有→貴族化は本当にビザンツの力を削いだよな。 共和制末期から帝政初期のローマと比べると ニケフォロス・フォカス=マリウスとかそんな感じか?
>>231 そーゆー決め付けもどうかと思う・・・
私のような東ローママニアからしたらどっちもバルバロイですよ
ギリシャ語でおk
このスレの人ってビザンツ関連の本どれくらい読んでる? 俺は日本語の本しか読んでないけど。 研究者でないのに洋書まで読んでるって人はいるのかな。
洋書なら"a short history of Byzantium"と"1453"をこれから読もうとしてる。
>>234 さすがに洋書は無理だな
オストロゴルスキーも和訳でしか持ってないし
>>231 そうやってアンチの相手する奴も同レベルだと思うぜ
その言い方はおかしいな。 わざわざアンチの巣に乗り込んで…とかならそうかもしれんが。
>研究者でないのに洋書まで読んでるって人はいるのかな。 別に専門家でなくても読めて充実した内容の本が向こうでは結構出てるけど・・・英語以外は知らんけど 家にあるやつだと Byzantine Armies Ad 1118-1461 Byzantine Infantryman: Eastern Roman Empire C.900-1204 Hungary and the Fall of Eastern Europe, 1000-1568 Nicopolis 1396: The Last Crusade Byzantine Fashions The Early Medieval Balkans: A Critical Survey from the Sixth to the Late Twelfth Century The Late Medieval Balkans: A Critical Survey from the Late Twelfth Century to the Ottoman Conquest The Reluctant Emperor: A Biography of John Cantacuzene, Byzantine Emperor and Monk, C. 1295-1383 Byzantine Fashionsは最初の1ページ以降ほとんどまったく文章がなく服装の再現イラストばかりなので 英語が苦手でもビザンツに興味があれば買って損はしないだろう。たしか千円しないし。 似たようなタイトルのByzantine Dressはハードな内容でクソ高いので注意。
↑読み直してみたが「ほとんどまったく文章がなく」ってのは言い過ぎだった。 一応各ページの下の方に短い解説文はある。
おめえらには華が無い。 ビザンツ野郎
そういやビザンツと、というかキリスト教圏と協力してた君候国があったよな 確かケルマーン朝だったっけ?アレは最後どうやってオスマンに滅ぼされたか、誰か知ってる?
カラマン君候国? たしかメフメト2世の頃に平和的に併合されてたかと。 オスマン朝やアイディン君候国、アクコユンルあたりと違って あまりこのスレに関連した話題はない国だったと思うが。
そんなことよりナルセスに組みひしがれるトティラを指を咥えてみているベリサリウスっていいよね
って書いたけどもう一人忘れてたよ高級官僚! ロンギヌス閣下について詳しく知ってる人いるか?
>>244 そうなの?
ビザンツと誼を通じていたとかどこかで読んだ記憶があるんだけど
生意気なユスティニアヌスをシめてやるッ! 書記官であるプロコピオスが見守る中、制裁は行われた。 既にユスティニアヌスの口中ではナルセスの赤黒い怒張が暴れている。 「ベリサリウス将軍、陛下お尻がおねだりしているようですよ」 プロコピオスの声に応じて、ベリサリウスのブリーフから屹立した一物が顔を覗かせた。 ゆうに一尺はあろうかという業物に、恐怖に顔を歪めるユスティニアヌス。 しかし、その恐怖心とは裏腹に、ユスティニアヌスの肉棒は硬度を増していく。 −ユスティニアヌスにとっては、その恐怖こそが色欲そのものだったかもしれない…。 天を仰いだユスティニアヌスの頭皮を、プロコピオスが絶妙な舌技で剥いていく。 サーモンピンクの亀頭が徐々に姿を現すのと平行して、 ベリサリウスの淫槍がユスティニアヌスの菊門にねじり込まれていく…。 東ローマ帝国政府男性陣によるド迫力の4Pファック! だが、長い夜は幕を開けたばかりだ…。
↑これ、面白いと思ってるのかね
面白いかどうかはともかくとして同じものを何回も貼るのはどうかと。
何度も言うが舌で頭皮を剥いでしまうプロコピオス凄杉
ビザンツクオリティだな
>>250 面白いと思ってるんなら重症だな
頭に蛆でも涌いてんじゃないの
すっごぉ〜いッ! 何回も失策しながらも皇帝をやめないッ、イサキオスーッ! なんという低脳 なんという浅知恵 まるで猿ですッ! 飛び出したのは…アレクシオス! ぬけたァーッ、単独走ですッ! 華麗だ、相変わらず華麗な裏切りっぷりッ! 滅亡! やったァー、コンスタンティノポリスを滅亡させましたァーッ!! アレクシオス「やったなイサキオス、またまた僕らのコンビで勝負を決めたな!」 イサキオス「うん! アレクシオス、見事だったよ、君の謀反は!!」 アレクシオス「ありがとう! だがイサキオス、君の愚策あっての滅亡さ!!」 イサキオスはアレクシオス5世によって殺される予定! かたやアレクシオスは依然として生き続け娘婿の足をひっぱり続けます! この東ローマ帝国崩壊ももこの二人あっての快挙! まさに我が国の汚点!! カリギュラより最悪です!!
もういいから。
同じものばっかり
繰り返されるコピペ、それを非難する住民… まさに塩野新刊前夜のスレはそんな状況であった…
まったく馬鹿の一つ覚えとは良く言ったもんだ
ただの荒らしでしょ
>塩野新刊前夜のスレ 噴いたw
新刊最後の主人公はウルグアリなんだろうか
ギリシャの暴動、ようやく収まってきたみたいだね 今回のはひどかったな
>>262 ババアの本などどうでも良い。読む価値もない。
でもビザンツ話ちょっとでるよ?
どうせロクなもんじゃない
ビザンツガン無視でペルシアマンセーアラブマンセーヨハネ騎士団マンセー ヴェネチアマンセーシチリアマンセートルコマンセーという本だったら それはそれである意味賞賛に値する。
ヴェネチアはビザンツの自治領だろうが。 末期には反逆され、最末期には見捨てられたが。
俺がビザンツ皇帝ならトルコ如きフルボッコだった。
【ギリシャ】アテネで黒覆面の一団が暴徒化、ギリシャ各地で暴動
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/news5plus/1228651498/ 70 名前:七つの海の名無しさん[] 投稿日:2008/12/16(火) 10:39:10 ID:E3xLhfOY
ニカの乱を思い出した。
こういう都市の暴動で政権交替を促すのは、1700年前から続くヒザンチンの伝統だな。
71 名前:七つの海の名無しさん[] 投稿日:2008/12/16(火) 10:57:02 ID:d9JfshYV
>>70 Στάση του Νίκαか、たしかにそうかもw『帝衣は最高の死装束である』
>>269 一番よくて目ん玉刳り貫かれて修道院にぶち込まれるのがオチ。
ローマはあんなに話題に充実しているのに、 ビザンツときたらスカスカ!
あー、バルバロイの言葉はわからんなあ。
ビザンツが結局たいした歴史的意義も持たずに消えていったのは、 あいも変わらず、アテネ・スパルタ式の部外者を排除するやり方をつづけたからなんだって そう塩婆がいってた
まず。アテネ・スパルタ式が部外者を排除するやり方だったのかと言う所から 議論を始めるべきだな。
所詮塩婆だし
>>272 >話題に充実している
まず、日本語の勉強をしましょう
>>274 どうせ史料で裏を取ったわけでも何でもないだろう
思い込みで偉そうに書いちゃうあたりは、もう2ちゃんレベルだな
ブルガリア人・セルビア人、あとはグルジア人とかで帝国高官になった奴いないの?
ギリシャ暴動について言えば、ニカの乱の後でも 単性論派vs正統派 イコン追放派vsイコン容認派 中央官僚vs地方貴族 末期の東西協会統一派vs反ラテン派 と抗争が続いてるね。 イサキオス・コムネノスやアンゲロス兄親子を殺害したのも帝都の民衆だし。
ここは随分と沸点が低いな
>>279 そういえば、いないな。
ブルガリア人に関して言えば、バシレイオス2世はブルガリアの将軍達に高い地位を与えて
サムイルから寝返らせたりしてるけど
むしろトルコ人とかノルマン人の方が高位に就いたの多いよな。
>>280 どこの国でも内乱くらいあるだろ
イングランドの歴史とか最初からちゃんと読み返してみ、抗争ばっかりだから
フランスも南仏の異端派と延々抗争を繰り広げていたし、神聖ローマはいわずもがな。
>>279 グルジアの王家がアルメニアと同じバグラトゥニ家だったりするので、民族は
この時代は難しいですな。ロシア人と言っても、ワリヤーグなのかスラブ人
の事なのかと同じですな。
イタリアなんて・・・
イタリアなんてと言うけれども、乱立した都市国家のどれもが それなりの強国だった件について。
サボワてもともとフランス王族だったよな イタリアの王になんなよと
フランス王族はブルゴーニュ公だった しかもブ公は家系が統一されてないわ サボア家の来歴てどこなんだろ
ヘラクレスの末裔
シメオンやステファンがビザンツ皇帝になっていれば… むしろ帝都市民にリンチされてたかね。イサキ(ryみたく。
291 :
世界@名無史さん :2008/12/18(木) 00:12:51 0
>>288 はドイツ系の神聖ローマ帝国封臣なんだそうだ
ミス サヴォイア家の事ね
ギリシャ暴動テレビ局占拠とか。 長引くな。
また現代か
親父のアレクシオス1世や子のマヌエル1世と比べて知名度の低いヨハネス2世だけど この人、ビザンツ歴代皇帝の中でも五指に入る名君だと思うが皆はどう思う?
ビザンツの正当な後継者たるギリシア共和国の現代史こそ重要。 歴史は現代と未来の為にある。 まあ本当はここパラドスレだけどな。
ビザンツの正統な後継者がギリシア? ご冗談を! ビザンツの悪徳なら全て継承してるだろうがな。 悪政、暴動、統治階級の固定化、愛の無い政治・・・
金沢大志望の受験生ですが、ビザンツ帝国史を学ぶのに他に良い大学ありませんか?
まず史学を受験することを、もう一度考えろ この経済情勢下でそんな暢気な事をやっていいのか?と
>>298 大阪市立大学の井上浩一先生もその道では有名な方だからチェックしてみては?
学部で教えておられるかは知らないけど。
ただまあ
>>299 の言うとおりな部分もあるわけで、本当に史学で学びたいか、単なる歴史好き程度で
志望しようとしていないかもっかい考えてみるのもよろし。
どうせ大学で学んだことなんて会社じゃ役に立たないんだから 歴史が好きという動機で史学を志すのは全然アリだと思うよ。
そうなんだが、社会への入り口である就職活動の段階でヒドイ目に遭う可能性が高い
社会人なんだけど、史学学ぶ為に大学入りなおそうか。考え中…
>>300 井上先生は意外とフツーの教養課程とかでも教えてたりする
どんな先生か知らないで受講してて、後でビザンツに興味を持って驚いたという人を知っている。
>>302 このご時勢じゃどの学部出ても大差ないだろ
とは言え、他にもやりたいことがあるなら考えた方が良い。
立命館には小林功准教授がいるね。
史学部はつぶしが利かないっていうが、 自殺をしないっていう強みがある。 そういう意味では究極のつぶしが利く学部である。 だいたいビザンツ人のようなクソを見るように気分が悪くなる歴史を好き好んでみるんだ。 魂が鍛えられるだろうな
まぁ史学科でも、一定以上の大学に入学すればいい、何とかなるとは思うが ただ例え東大といえでも、院は行くな
なんかの役には立つもんだな。
>>306 本気で研究者になるなら話は別だろうけどな。
ビザンツは大変だろうなぁ。原史料読むにはギリシャ語・ラテン語は必須だし。
来年行く法学研究科に中世フランス語の知識が前提とかいう科目があった…誰が行くんだよ…。
>>295 地味に活躍してるよなー。姉の反乱に寛大な対応をしたり、ペチェネグ族撃破したりと硬軟両面で実績があるし。
崩壊寸前の帝国(byアンナ)を受け継いで地域大国レベルまで回復させた父と、
良くも悪くも目立つ息子の間だから目立たないのも仕方ないか。
>>309 >中世フランス語の知識が前提
ただのフランス語ではないところがまた
ヨハネス2世は井上先生が名君に挙げてたな。
じっさい良くやったと思うし。
ヨハネス2世が事故死せず、もう少し生きていればね…
マヌエル2世に男子が生まれず、ハンガリー王子ペラが継いでいたら・・・ 帝国ももう少し保ったんじゃね?
マヌエル1があのザマなのに、廃嫡にされたマヌエルの兄貴ってどんだけ駄目人間だったんだろう。 某兄弟を上回るのかな。
その兄貴の名前は「イサキオス」 なんかあるのか、この名前は。
しかも違った意味で2chの笑いものだし。
一応まともだったイサ1コムネノスにしても、改革が行き詰まって プセルロスに引導渡されて退位してるし。 いいイメージはないね。
塩野の新刊が出てたのでさらっと立ち読みした。 感想は… ビザ脂肪wビザ脂肪wほすほすほすwwwwwwww 西ローマ世界を侮蔑してたくせにイタリアの安全保障義務も果たさず、 ヴェネチア任せにしてサラセン人海賊に完全屈服した糞ビザンチン超哀れwwwwwwww
糞ビザンチン晒し上げじゃあ!
>>315 まあ、あの時代にバシレイオス2世の真似してもねぇ
バシレイオス2世の場合は、正統皇室の嫡男かつ軍人皇帝だったから出来たことであって。
ビザンツ=地中海の韓国
仮にも東地中海を一時支配し、人口60万に達する世界有数の都市を持ち、 その発行する金貨は欧州と中東の基軸通貨になったほどの帝国をつかまえて何をほざく。
>>320 構ってちゃんのバルバロイは相手しちゃダメ
イタリアをサラセン海賊のなすがままにさせて屈服した糞ビザンチンが 帝国とか呼ばれること自体が帝国への冒涜w
神聖でもなければローマでもなく、帝国ですらない国がゲルマニアにあったと聞くがまことかや?
>>323 うん、ただの諸侯の寄り合いを「帝国」と名付けてた国があったそうな。
>>318 すでにセルジュークの脅威が迫っていたそうだから、憎まれようが誰かが
「第2のバシレイオス2世」とならねばならかっただろうな。
イサキオス1世の後、そのままコムノネス朝となっておれば、マンツィケルト
のような事は避けられたであろうに、惜しい事ですな。
00:26:15 O 00:27:38 O 01:13:59 O 01:30:07 O 大変だな、親指一本打ちか?
おまいら、中世ギリシャ語の東海大学をわざとスルーしてるだろ。
>>298 富山と筑波と一橋、にも教授はいるぞ。
関係ないけど、今年の回顧と展望をこの前やっと読んだ。
批判的過ぎて引いてしまった。
>>327 というか金沢を第一にしてる時点で、関東は除いた
>>324 個人的には(政体は関係無く)そういうのこそまさに「帝国」だとは思うけどね。
ただ、一般人が帝国に抱くイメージ=コワモテのイメージは無いわな。
>>329 確かに諸国の王や公の上に皇帝が立つという形態は帝国なんだが…。
神聖ローマの場合は、いくら何でもバラバラすぎ。
帝国と言っても ビザンツ帝国や中国の歴代王朝みたいな「固い」イメージはは無いね (もっともビザンツや中国の諸王朝も、時期や王朝により差があるけど) どちかというと、遊牧国家のハンみたいな諸部族長の中の第一人者的イメージががが キリスト教とかで飾り付けているけど
>>331 まあ、中国諸王朝とか中期までのビザンツの行政機構が例外的に整ってたっていうのもあるけどね
>>327 史学の教授一覧見たらビザンツの専門家が見当たらなかった。シラバスまではチェックしてないが。
>>330 首都ってのがないからねえ…ウィーンがそれっぽくなったのは神聖ローマが完全に名ばかりになった後だし。
>>333 一橋は大月准教授、筑波は学会代表の和田教授、富山にいた小林准教授はいまは立命館
東海は今誰がいるんだ?尚樹教授はもう高齢だし
ウィーンが首都っぽくなったといっても、あれは「ハプスブルク家の領土」の首都だからなぁ。
>>330 結果的にばらばらになったけど、神聖ローマ帝国の初期ってフランスあたりよりは
よっぽど中央集権化されてたような
>>335 ばらばらになったのは大空位時代のあとだな>神聖ローマ帝国
>>336 まあ、ここはゲルマニアの偽物どもを語るスレではないので
このスレ変な人が常駐してないか? バルバロイがやってくるのとは別におかしなビザンツ原理主義者が居るような・・・
339 :
世界@名無史さん :2008/12/20(土) 18:29:33 O
サラセン人海賊に屈服した偽ローマ帝国 またの名を地中海の韓国ビザンツという。
>>338 お前が変なこと言いだすからさらに別の奴が出てきたではないか。
お前のスパタリオスの称号剥奪な。
ピザッツなら知ってるんだが
340きも
塩婆の新刊よんだ。 正直言ってビザンツ帝国に失望したね・・・ 海賊如きに負けてばっかりじゃねーか 戦術とか戦略とか、古代ローマの凄さを一ミリでも発揮してほしかったね これじゃあ偽ローマと言われてもしょうがないよ 何が栄光の東ローマだ、うそばっかし
新刊はローマ人の物語まんまだし、 ローマの後継者がヴェネチア、ジェノヴァ、ピサほかであることが確定したな。 コンスタンティノープル涙目www
やっぱノルマン人最強だろ
現代のギリシャ人はなんちゃってギリシャ人だからな。 東ローマから受け継いだものなんて何も無い。
そりゃそうよ、東ローマは古代ローマから何一つ受け継いでいないんだから
このスレも末期ですね^^
ここに中興の祖と呼ばれるアンゲロスブラザーズが降臨し、帝国はますます混迷の度合いを深めていくのであった。 ∧_∧ ∧_∧ (・∀・∩)(∩・∀・) (つ 丿 ( ⊂) ( ヽノ ヽ/ ノ し(_) (_) 【完】
塩婆の本を読んだ連中がこのスレを荒らしまわっている 本人は義憤にかられているつもりなのだろうけど、 塩婆に踊らされてるだけだよ
学術的でも何でもない婆さんの本を真に受けてるアホは、スルーするに限る 自分が無知で愚かであることを誇示させておけばいい。
i / ,,,,;;::::::::::::::: __ ヽ ヽ | | " __ :::: '"ゞ'-' | | | |. - '"-ゞ'-' ::::::.. |. | 小説を小説と見抜けないと(世界史板を使うのは)難しい | ;:| ::::::: | :| | ヽ. ( ,-、 ,:‐、 | | ヒロユキウス・ニシムラウス・カンリニヌス
>>352 まさにその通りだなw
小説家の書いた本なんて学問的に何の価値もない
最初から小説だって言ってんのに史料と思う奴がおかしい
>>354 でもいるんだよねぇ、そういうダメ人間が。上のほうを見るとw
もちつけ、ここID出ない板だぞ どう考えたって一匹の中二病が面白がって煽ってるだけだろ。 アンチとさえ呼べんレベル。
学問的に価値があるということは、どれだけの意味があるんだ? ほとんどの人には省みられないし、それほど尊い意味があるとは思えないが。 いつかビザンツ史に詳しい権力者でも現れてくれるのを首を長くしてまってるのか? 口だけの学者なんて所詮惑星のような存在でちっとも魅力がない やっぱ男なら輝いていないと。
相変わらず池沼の言うことは抽象的な精神論だな 学問板の意味すら分かってない
お前はまぶしく輝き杉で正視に堪えんわ
>>359 そりゃ病人だからねw
スルーが一番。専ブラなら消せるし。
学問に意味づけなんていらんよ。 人間に知識欲がある限り、学問は学問であるだけで意味がある。 そもそも「惑星に魅力がない」ってどんなたとえだ。意味わからん。 地球には魅力ないんか。
>>362 病人にまともなレスしちゃいけません
およそ高等教育を受けた人間ではない、頭の中お花畑の奴の言うことなんか放っておけ
スルーが一番と言いつつ必死にならざるを得ない。 それがビザンツクオリティ。
帝国滅亡も近いみたいだな
腐りかけが一番美味しいと申します なに、そのまま醗酵してしまってもそれはそれで酒になったり納豆になったりで良いものです
でも食うのはバルバロイだろ?
>>334 小林先生は立命館にいったのか、ありがとう。
富山大学のホームページ面白かったのに…
どうなるのだろう…
後任が東海大学には居ないのか…
中世ギリシャ語論争も過去の話となるのか
確か本を翻訳してた先生がいたはずたが…
にしても、研究者の方が増えたね。
昔は両手で数えられるくらいだったのに
369 :
世界@名無史さん :2008/12/21(日) 08:32:30 0
バルバロイが大挙して押し寄せてきているというのに、 今日も内紛を繰り返す…まさにビザンツスレですね。
>>368 小林先生のサイト自体はそのままやってるよ
あれは私設だから
随分荒らされてるなぁ・・・
卑怯者のキムチ帝国のキムチが何かいってます
>>371 なんか一人住み着いてるからな
使う語彙がワンパターンなんですぐに分かるけど
374 :
世界@名無史さん :2008/12/21(日) 09:59:27 0
>>373 ギリシャ人胡散臭いとかいうスレ立ててた奴と似てる気がする
そんなことより帝位争いしようぜ!
>>375 だが断る!
 ̄ ̄∨ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
∧_∧ ∧_∧
(・∀・∩)(∩・∀・)
(つ 丿 ( ⊂)
( ヽノ ヽ/ ノ
し(_) (_)
塩野が書いていることって間違いだらけなの?
>>377 解釈に私情が入りまくる所さえわきまえればそんなには悪くない。
間違いだらけって訳じゃない。 ただ充分な検証をしてなかったり、見方が偏ってたりするだけ。
>>379 同じことに対する記事でも、朝日と産経で全然違ったりするのと同じだな。
少なくとも検証不十分だったり、先入観や偏見で物を見るのは、学問としては文系理系問わずどのジャンルでも論外。
あたし男だけど小説を学問とか言っちゃう男の人って…
>>381 そんなら学者の学問と塩婆の小説ってそんなに差がないじゃん
学者だって完全に先入観を排除することなんてできっこないんだから
問題は検証不十分のところだろうけど、
塩婆が学者の資料を素材にしている以上、これだってギリギリセーフじゃないの?
実際、イスラムの海賊に勝ったってことあったのか? ムアーウィヤの攻撃軍を三重城壁、ギリシャの火、テマ軍による 陸路封鎖で破った帝都防衛戦は有名だけど、 テッサロニキあたりは海賊に陥落させられてるじゃん。
塩婆曰く ニケフォロス2世フォカスが西地中海でイスラム艦隊に負けてから 帝国としては二度とイスラム艦隊に戦いを挑むことは無くなったみたいな事かいてる でもその次の次にブルガリアだけじゃなく南イタリアでも戦った バシレイオス二世の時代が来るんだよな・・・ 検証不足っぽいな
,、、--‐.'∠,__ __,,,、-‐‐───-- 、、, ,,、‐'":::::::::::::::::::::Z゙´ _,、-'''''"::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::ヽf゙:::::::::::::::::::::::::∠´,,_ 、ゞr ...:::::,、/:::://:::/i::::::::N:::::::..... ::::: :: :::::::::::::::,、-'''゙ ̄ /'"/.::::/ /::::/ /:::/ l:::::| l:::::::: ::: ::::: ::::::::∠ --───-- 、 / , ::::/ /|:::/ |::i ,、r '|゙:| |:::::ハ::::: :: .: :. : ::/ \ /::::::/,_. |/ 、f'゙ .,,,,、、リ、、 .|::::| |::::::::..:: ..:::::| 何 | //|/i ゙゙゙'ヽ ‘゙';;;;;;;;;;;;;゙l |:::| |::::::::::..:::::::.| 好 で | / /,,、-‐ =i'' ゙'、 , ,..ノ |/ .||r-- 、:::::| き そ | / ,';;;;;;;;;ノ .|:|゙ヽゝ、ヽ::| な. ん │ . ,' ゙ "´ |::| (ii l |::| ん な │ i |::| )i:lソ |::l. で に │ . i 、-‐ ''''' ‐ , |::| ト |::|ノ:∠ す 塩 | /,.、 ," ヽ .|::|__,,、-''|::|::::/| か. 婆 │ /:/ \ !,, _ ,,、 ' i::ノ:::::::::::::|:::|" | が / /::/ //ヘ、  ̄ ン'::::::::::::ノ|::::| ヽ,______ /
おぎちんかわいいよおぎちん
>>385 まあ御婆ちゃんですから
海軍力がなければ、南イタリア遠征なんか出来ないんだけどね。
>>383 学者は一次資料(年代記等)が読める。原典を読めるか読めないかは違う。
学者の本が素材で良いなら、学生のレポートレベル。
さあ、塩野蛮族に対するコンスタンティノポリスの反撃がはじまりました
やんややんや
わーわー
ワァー ワァ ワァー (ジャーン ジャーン ジャーン) 【横山光輝風】
ヨーロッパユニバーサリスってゲームで、トラキア一国にまで落ちぶれて、 オスマントルコに首都陥落直前のビザンツでプレイして、東ローマ領全て奪還した俺様が来ましたよ。 やっぱりビザンツの真の敵はイスラムではなく、ベネツィアとオーストリアだな。 国力さえ回復すれば、技術力の差でイスラムなんか敵じゃねぇしな。
しるか
やっぱ光栄のチンギスハーン4でしょ
小説を本気にする次はゲームの設定を本気にするのか。
ダメダメですな ちゃんとしたものを読んでないのが如実に分かる
イスラムからマルタやロードス、キプロスを奪回したのって ロマノス・レカペノス提督のときだっけ?
401 :
世界@名無史さん :2008/12/21(日) 17:40:30 0
2 名前:マスコット:2008/11/29(土) 22:34:22 0 俺ら極悪非道のアンゲロスブラザーズ! 小説だろうがゲームだろうが帝位争いしてやるからな  ̄ ̄∨ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ∧_∧ ∧_∧ (・∀・∩)(∩・∀・) (つ 丿 ( ⊂) ( ヽノ ヽ/ ノ し(_) (_)
あのゲームはタイトルどおりヨーロッパが主役で トルコなんかは過小評価されてると聞いたが
基本的にプレイヤーが君主としてプレイし続けるから、バシレイオス2世等の有能な皇帝が永遠に統治するようなもの。
>>399 マルタはしてない
キプロスはロマノス・レカペノスだな
405 :
世界@名無史さん :2008/12/21(日) 18:31:00 O
>>405 クレタだと、帝位に就く前のニケフォロス・フォカスだな
陸も海もいつイスラムに打通されるかわからん時代に イタリア救援を怠ったニダ! と言われても困るわ塩婆 ただビザンツは海軍国と言うよりは陸軍国だったようだな。
そもそもゴート戦争をきっかけにイタリアに過剰にかかわった事が、 ビザンツの命取りとなった。ビザンツが存続する唯一の選択肢は、 アナトリアとバルカン以外は黙殺する事だったと言えよう。
だが南イタリアをノルマン人に譲り渡した後は、 彼らの度重なる侵攻を食い止めなければならなかった。 その後のシャルル・ダンジューなんかも。 それにバルカンや小アジアがやばいときは放置してる>イタリア ローマ元老院が救援求めても、援助金渡して終わり、とか。
無様だな
当時の地中海世界においてどっちが重要かって言ったら蛮族の侵攻やなんかで 荒れた西より東側なんだよね。ローマ元老院が救援求めても、援助金渡して終わり はユスティニアヌスの2代後のティベリウス2世だけど、当時は東の大国サーサー ン朝の方が脅威だったわけで、どっちを優先するかといえば答えは明らか。 強いて言うなら、東西分割以降は基本的に経済力が低くて役に立たない西側を切り 捨てる戦略だったのを、西にまで関与せざるを得なくしたユスティニアヌスがいけない。
塩は、 蛮族にまだ荒らされていない相対的に豊かなシチリア・南イタリアについて、 ビザンツ側は徴税のためのエザルカはせっせと派遣していたけど 敵を追い払う軍団については消極的だった って書いてる ビザンツ貴族にとって西方は守る価値の無いATMだということか、なんてひどい・・・ やっぱりビザンツはクソだな
だがそこがいい
>>412 戦争による被害が、西方と東方では違ったとされる。
ロンバルト族は、イタリアを支配しようとしたが、スラブ人は、バルカンを
支配しようとせず、バルカンで自ら耕作する為に、先住民を皆殺しにしていた。
そもそ中期にビザンツが支配した南イタリア・シチリアはギリシャ系住民が多い地域だったし、 スラヴ人の侵入から逃げたギリシャ人も多かった地域だからなぁ。マケドニア朝の初期には 宗教的にも正教会の管轄だった地域だし。いまのイタリア基準で語ること自体、無理というか 無駄。
>>544 ビザンツのあとも、ノルマン、フランスのアンジューやスペイン系の支配下に
あった地域だし。基本的に中世シチリア王国の一時期以外は、どこかの属領なん
だよな。
属領は植民地より格上だからいいじゃないか
>>414 ロンゴバルドの統治っつったって最初の公爵達の時代なんて
領地に軍隊差し向けて略奪なんての平気でやってたぜ。
スラブと大して変わらん。
酷いよなあビザンツは
幸せなイタリア・ゴート王国を滅ぼして勝手に再復しておいて、
あとはほとんどなしのつぶて。
二正面作戦する実力もないくせにでしゃばりやがって。
マケドニア朝のバリ軍管区ってそんなに搾取オンリーの酷い地域だったの? そういや第二次大戦のときはシチリア・南伊は アングロサクソン族の属領でもあったな。
ウマイヤもたおせよ
>>420 時期にもよるよな。7世紀あたりと11世紀を同じ視点で語るのは無理だし。
塩婆の新刊はローマ滅亡後のイタリア史ならともかく 地中海世界史としては型落ちでそ。 イタリアだけが地中海じゃねえんだ… コンスタンティノープルや西ゴートから後ウマイヤが支配したイベリア、 十字軍に撫斬りにあった南仏カタリ派の支配地域までひっくるめて 地中海世界と言うんやぞ塩婆… みんながみんなローマのあるイタリアマンセーと思ったら大間違いやぞ… …それでもユスティニアヌスのイタリア征服のgdgdが免罪されるわけではないが。
>>423 イタリア婆はイタリアのことしか頭にないからなw
東からイスラムが来るのを食い止めてたのはどこだったのかとか、そういう視点ゼロだもん
まあユスティニアヌスのやったことが余計だったことは、否定しないがね
そんなに婆婆うるさい子は婆の子になっちゃいなさい!
おいおい、下巻があるんやで。 1月30日発売の下巻にちゃんとかかれとるんやろ
ああ、なるほど。塩婆は「イタリア萌えの腐女子」か。 そう考えると、中世イタリア諸都市のグダグダは許せるのに、 中世ローマ帝国のグダグダが許せないという、謎の思考形態も納得できる。 似たようなもんだろどう考えても。 限られた状況の中で精一杯頑張ったんだから。
司馬遼太郎「明治の軍人は頭良かったのに昭和の軍人は馬鹿ばっかだった」 塩野七海「ローマの皇帝は賢かったのにビザンチンの皇帝は無責任ばっかだった」
430 :
世界@名無史さん :2008/12/22(月) 00:54:21 0
>>428 塩婆は頑張ってないって言ってる
責任を放棄して権利ばかり主張していち早く逃げ出すのがビザンチンだって。
【審議中】
∧,,∧ ∧,,∧ ∧,,∧ ∧,,∧
∧ (´・ω・) (・ω・`) ∧∧ ∧ (´・ω・) (・ω・`) ∧∧
( ´・ω) U) ( つと ノ(ω・` )( ´・ω) U) ( つと ノ(ω・` )
| U ( ´・) (・` ) と ノ | U ( ´・) (・` ) と ノ
u-u (l ∧,,∧ ∧,,∧ u-u (l ) (∧,,∧ ∧,,∧
`u-∧ (´・ω・) (・ω・`) ∧∧`u-∧ (´・ω・) (・ω・`) ∧∧
( ´・ω) U) ( つと ノ(ω・` )( ´・ω) U) ( つと ノ(ω・` )
| U ( ´・) (・` ) と ノ| U ( ´・) (・` ) と ノ
u-u (l ) ( ノu-u u-u (l ) ( ノu-u
`u-u'. `u-u' `u-u'. `u-u'
>>430 だから小説家の言う事を真に受けてる時点で(ry
またイタリア製の粗悪な釣竿持ってきて遊んでる奴がいるなw
頑張ってないwww どこの誰のために頑張ってやる必要があるんだよ どこの国も自国の利益最優先するんだから当たり前だろww と、いちおう釣られてみた。
ヴァンダルはともかくイタリアはビザンツにとって (米国にとっての)ベトナム戦争みたいなもんになったからな。 逆に言えば米国だって南ベトナムを守る責任を放棄したわけだ。 ソ連もイスラム原理主義からアフガニスタンを守る責任を放棄したのが911につながってるし。
>>428 ルネサンス時代のイタリアも陰謀・内乱だらけだし、聖職者が贅沢に耽って子供まで作ってる状態なのに、
むしろ肯定しまくりだからな。あの婆さんの思考なんてそんなもん。
>>434 実益的には価値の低い当時のイタリアなんか放っておいて、東方の守りを固めた
方が良かったんだろうけどね。あくまでも結果論でしか無いが。
外交として見ると衛星国として操縦するというのがいかに難しいか ビザンツ史は教えてくれるな。 東ゴートやヴァンダルに ブルガリアやアルメニア… 成功したのはヨハネス1世のアンティオキア公国介入くらいか
>>437 それはヨハネス2世
ヨハネス1世がやったのはイスラムのハムダーン朝の衛星国化
>>414 スラヴ人がバルカン半島の先住民を行く先々で皆殺しにしたという話kwsk
何かの史料に書いてあるの?
>>436 東方の守りを固める?
アンティオキアまで失ってかw
>ソ連もイスラム原理主義からアフガニスタンを守る責任を放棄したのが911につながってるし。 911でソ連に被害あったか?
そういえば、イタリアもナチスのオーストリア併合の時最初は反対してて権利 主張してたくせに、最後は見殺しにしたよなw
僕らのドゥーチェはギリシャ南仏エジプトにも権利主張したくせに 守るどころかいつも逆に攻め込まれてたんだからそれ以前だな。
>>447 防衛力でなくて金力がなくなった
特に小アジアの大半占領されてから
西欧からの需要が多かった明礬がそれにより採れなくなったため
>>429 > 塩野七海「ローマの皇帝は賢かったのにビザンチンの皇帝は無責任ばっかだった」
さすがに馬鹿ばっかりとは言えないのな
広大な領土から人と金をかき集めて首都が1000年もったってだけだろ コンスタンティノポリスが落城するとき、 遠いイタリア人とかは助けにきたけれど、 ギリシア人やアナトリア人が兵を送ってきたか? 一人から10人程度の義勇兵程度でそんなに送ってきてない 近くの人間に恨まれてる ここがこのギリシア人帝国の希少価値が小さなトコだな
ヘタリアに帰れ、蛮人ども。
そもそもゴート王国で幸せだったのは、蛮族だけであって ローマ人は酷い目に遭いまくりだったわけだが。
>>455 釣り人は夢の世界に生きているんだよ。きっと。
>>451 1353年以降の百年間は、カルタゴやエルサレムの最期と同じく、
もはやコンスタンティノープル市に過ぎないからな・・・
たまにはモレアとトレビゾンドのことも思い出してあげてください
で、ビザンチンはサラセン人海賊に屈服しなかったの? 結局、ずっと勝てずにワイロばっか送って見逃してもらってたんだろ。
賄賂の一つも贈らずして何がビザンツか
荒らしにマジレスしないのと同じだよ。
>>460 武力だけでしか考えられない単純脳乙
って、あ、これ釣りだった?
清く正しく美しいバルバロイに不潔で不正で醜いビザンツがかなうわけあるまいよ
やけにスレの消費が早いと思ったら、またバルバロイか。 何が楽しくてこんなマイナーなスレに来てんのか。 パレオロゴス朝時代に2chあったらこんな感じかもなw
沸点低いからなこのスレは 荒らしは楽しいだろうなぁ
この荒れ模様で知識のある人たちがここから出て行ってしまったら嫌だなぁ
別に荒れてはいない 中身の無い雑談ではあるけど
>>464 >不潔で不正で醜い
中世フランスのことですね、わかります。
>>466 まあ荒らしの無知ぶりをニヤニヤして眺めるのも楽しいんだけどな
荒らす方も沸点低いから、すぐムキになるしw
ミ 、 ,. -─‐- 、 /./ ⌒,>'´ ィ /i /ヽ、ヽヽヽ‐┐_ / /rナl/ l/ メ卞トヽ く _,' ,' ./l/r'ィΞ、` ,ニ.ヽNヽ/l ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄l ! l / ,' 弋ン 弋ツ',./ l l lrニ' ./. l ゾエ l ', l、'、 ;. /.⌒/ l l ねんがんのローマこうていいをてにいれたぞ ヽ二 i .| l l / ` ヽ、 `ー-| l___________l ┐ /^ ‐r - _|/:),.、 / / ' .1/ ./:::`ー- /. /' /∠、 / ,'::::::::/^ー,' '´ .‐っ_____________(ヽ}^、/ ,'::::::::::'、./ ,r‐'"'、::::::ヽ、 / 、 ゝ`.,' l:::::::::::::/ / '、:::::/^ヽ、_,. -‐ '" ,/ l:::::r"y' }r`./ ',:::>、 }r` _, - '´ `rヽ、. ,/ / Y ヽ、. -‐ ´ l i ヽ ‐' ,イ i ! /,' .i
じゃあ双頭の鷲は私がいただく 何、ソヴィエトになんざやられはせんよ
★1400年前の金貨260枚、エルサレムで出土
エルサレム(CNN)
イスラエルのエルサレム国立公園付近で21日、7世紀初頭に鋳造された
金貨264枚が出土した。同国考古学庁が明らかにした。ユダヤ教の祭り
「ハヌカ」に合わせた発見に、地元の考古学者らは沸いている。
金貨が発見された場所は「ダビデの町」内の駐車場で、これまでにも真珠や
宝石をちりばめた金のイヤリングなどが出土した。金貨の表面には、東ローマ
帝国のヘラクレイオス皇帝(在位610─641年)とみられる肖像があしら
われている。発掘調査を監督している関係者は、エルサレム市内の古銭出土と
しては過去最大規模だとコメントした。
出土場所は7世紀に倒壊した建物跡の遺跡。関係者は、発掘調査がまだ初期
段階だとしており、今後は建物の詳細や所有者、倒壊の状況を解明する方針だ。
今年のハヌカは、21日の日没時から8日間行われる。子どもたちにコインを
配るハヌカの風習を踏まえ、考古学者らは今回発見された金貨を「ハヌカマネー」
と呼んでいる。
2008.12.23 Web posted at: 13:32 JST Updated - CNN
http://www.cnn.co.jp/world/CNN200812230003.html エルサレムで大量に出土した7世紀の金貨。イスラエル考古学庁提供画像
http://www.cnn.co.jp/world/images/CNN200812230002.jpg
パックス・コンスタンティノポリアーナは健在だったというわけです
>>472 アラブに攻め込まれて、逃げる時に埋めていったのかな
ちょっと今からハワイに10円玉うめてくる
じゃあおれはシベリア!
>>467 はラーゲリ送りだ。よかったな!
ってここビザンツスレだし
477 名前:存在しません[NKBD] 投稿日:存在しません
モグリだな
ローマ帝国は共和政の政治哲学と責任感を持って地中海世界全域を統治したのに、 ビザンツ専制君主国と来たら堕落した皇帝の専制支配国でしかなかった。 ゴート人とローマ人が軍事と農業を分担してた東ゴート王国を破壊し、 イスラムに無様に負けてキリスト教徒を護る責任も放棄し、海賊には賄賂送ってひたすら媚び、 西側で立ち上がったカール大帝やオットー大帝には難癖つけることしかしなかった。 ローマ帝国の正統な後継者、それはアマルフィ、ピサ、ジェノヴァ、ヴェネツィアと言えよう。
だんだん褒め言葉に見えてきたんだが
まあ所詮西欧からの評判をなぞったものでしかないしなw
483 :
世界@名無史さん :2008/12/23(火) 19:35:18 0
まぁ特に話題もないし、放っておくと過疎るかもしれないから、荒らしでもいないよりはましかもね
明日はクリスマスか… 帝国にとってもお祭りだな。
正教会のクリスマスって1月の中旬までぶっ通しでやるんだろ?
>>482 しかも19世紀くらいのなw
陳腐の極みだね。考古学や文献の研究が進んだ21世紀の内容じゃない。
今じゃイタリアでせっせとビザンツ時代のモザイク画の修復やってたりするんだ
な、これが。
イタリアビザンツランド村
そう言えば、ハイビジョンのビザンチン帝国の番組見た香具師いる?
>>486 のモザイクの話で思い出したんだけど。
ユスティニアヌスマンセーな内容が微妙に時代錯誤だと思った。
ブラック企業に勤めるのが忌避されるように、みんなビザンツを避けるだけ。 当時のギリシア人には最低最悪のビザンツしかなかったけどね。 重税、兵役、侵略、内乱、食糧危機、教義論争、敗北に次ぐ敗北。 まるで北朝鮮だなw
そう褒めるなよwwwww
ビザンツ帝国史 尚樹啓太郎 近所の図書館で見つけちゃった。なんなんだこの厚さ。
492 :
世界@名無史さん :2008/12/23(火) 21:21:41 0
>>489 いつもの抽象論ですね、わかります。
国名をフランスとかイングランドに入れ替えても、十分通用するレベル
楽しいね
清廉潔白で誇り高く正々堂々としてるビザンツなんてビザンツじゃないやい
>>494 というか、そんな国が歴史上存在したのかと
>>493 いくらなんでも喰いつき過ぎだって・・・
シカトしとけよ・・・
>>496 いや、ホラわざわざこんなマイナースレに来て恥ずかしい文章書いてるってこと
は、他に相手にしてくれる人がいないんじゃないかと思ってさあ。
かわいそうじゃんw
煽りにマジレスしてさらに内乱を誘発させるのがビザンツクオリティ だから全力で釣られるべき
ホラ、
>>498 が寂しいから相手にして欲しい、って言ってるよ
俺にまで食いつく必要は無いぞ
マイナスイオンでまくり
.: : : : : : : : :: :::: :: :: : :::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::☆:::::::+:::::::::::::: . . : : : ::::/⌒ヽ: ::: :: : :::: :: ::: ::: :::::::::::::::::::::::::..,,::。:+::::::::::::::::::::::: . .... ..::::/ <`O:: :: ::: :::::: :::::::::::: : :::::::::::::::::::+,::o;;::・;,::::::::::::::::::::: ⊂ニニニ⊃. . .: : : ::: : :: ::::::::: ::::::::::::::::..<;;::・,,::;ゞ;;o;*::.::::::::::: /:彡ミ゛ヽ;)ー、. . .: : : :::::: ::::::::::::::::,,;;;<;+::;;;´;*::o*:,,;;ゞ;;:::::::: ./ /ヽ/ヽ、ヽ i. . .: : : :::::::: :::::::::::;;;*;;;〇;ゞ;*::;;:<;;;*;:;ゞ;;o; / / 。 ヽ ヽ l :. :. .:: : :: ::<;;;;〇;ゞ;*::o,ゞ ;*;;;;*ゞ;*:o  ̄(_,ノ  ̄ ̄ ̄ヽ、_ノ ̄ ̄ ;;;*;;;〇;ゞ;*::;;;;;*ゞ;*::o, 〇;;; * : : : : : : llllllll : : : : : : 田田田
اَللهُ أَكْبَرُ .: : : : : : : : :: :::: :: :: : :::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::☆:::::::+:::::::::::::: . . : : : ::::/⌒ヽ: ::: :: : :::: :: ::: ::: :::::::::::::::::::::::::..,,::。:+::::::::::::::::::::::: . .... ..::::/ <`O:: :: ::: :::::: :::::::::::: : :::::::::::::::::::+,::o;;::・;,::::::::::::::::::::: ⊂ニニニ⊃. . .: : : ::: : :: ::::::::: ::::::::::::::::..<;;::・,,::;ゞ;;o;*::.::::::::::: /:彡ミ゛ヽ;)ー、. . .: : : :::::: ::::::::::::::::,,;;;<;+::;;;´;*::o*:,,;;ゞ;;:::::::: ./ /ヽ/ヽ、ヽ i. . .: : : :::::::: :::::::::::;;;*;;;〇;ゞ;*::;;:<;;;*;:;ゞ;;o; / / 。 ヽ ヽ l :. :. .:: : :: ::<;;;;〇;ゞ;*::o,ゞ ;*;;;;*ゞ;*:o  ̄(_,ノ  ̄ ̄ ̄ヽ、_ノ ̄ ̄ ;;;*;;;〇;ゞ;*::;;;;;*ゞ;*::o, 〇;;; * : : : : : : llllllll : : : : : : 田田田
サラセン人が来たらしい
サンタクロースの赤白帽を見るくらいならムスリムのターバンの方が良い…
>>497 言いたかないが同レベルにしか見えんぜ・・・
馬鹿につられて自分まで馬鹿になる必要はないだろ?
509 :
世界@名無史さん :2008/12/23(火) 23:53:01 0
ところで、昔デヴィ夫人が「ビザンツ皇帝の末裔」ということでパレオロゴス家の人を連れてきてたけど、 あの人は本当にパレオロゴス家の出身なの? というか、パレオロゴス家って今でも続いてるの? ・・・確かコンスタンティノス11世の弟がイタリアに亡命したから、続いてても不思議は無いのかな。
wikipeくらいみようぜ
511 :
世界@名無史さん :2008/12/23(火) 23:56:46 0
>>404 キプロスもロマノス・レカペノスじゃなくて
ニケフォロス・フォカスの時代。
バシレイオス1世の時代、7年間だけビザンツ領になっているが。
512 :
世界@名無史さん :2008/12/24(水) 00:00:00 0
>>510 サンクス。見た。
ということは、あの人本物なのね。凄いわ。
おまいら、明日はバシレイオス2世の命日だぞ! ちょっと、お祈りを捧げてくる。 もちろん一人で…
>>513 彼があそこで倒れずにシチリア遠征に成功していたら、どうなっていたか・・・
もっとも後継者があの弟じゃ結果は同じか
塩婆に「今頃になって、このビザンチン皇帝はシチリアにまた混乱を 蒔いたのである」と叩かれるだけ。
>>515 耄碌婆さんの評価はどうでも良い
おそらくシチリア、南イタリアにギリシャ系住民が多かったことも頭に入ってないんだろうから
シチリアには同じギリシア系の市民達が残されていたのに、 ビザンチン帝国は彼らに重税をかけることしかしらなかった。 とでも言うのではないかな?
ていうかもう書いてるよ。 新刊ではシラクサ防衛戦の司令官と現場の隊長だけは評価された書かれ方だったけど。
>>518 まあ、イタリア婆ちゃんは局所的にしか物見てないからな
常に局地的な戦略しか立てられなかったコンスタンティノポリスのギリシア人相手なら塩婆もやる気にならんのだろう
だからなんで君たちはそんなに塩婆小説が好きなんだ
ぶっちゃけビザンツ帝国について教科書以上の知識がある人間<<塩婆ファンだろうしな。
>>514 シチリア遠征に成功しても、アナトリア本国の防衛には、なんら寄与しない。
おそらくユスティニアヌスのゴート戦争の様な事が、再現されるきっかけと
なったであろう。
日本人はまともな歴史家の書いた歴史より、 小説家の書いた歴史をワンパターンに受け入れやすい。 まあビザンツ史なら生き残った帝国くらいは読んでほしいわな。
>>522 「悪貨は良貨を駆逐する」って言うしな。
低俗な方がウケるし
まともな歴史家とやらは、売れる本ださないからなあ 売れない本をちょこちょこっと出して後はなしのつぶて。 日本人全体を相手にする気があるのか、と思っちゃうね。 それでいて自分達は立派だ、光輝だと思い込んでいるから困る
>>523 それには俺も同意。
だが、バシレイオスは軍事貴族への警戒感からかそうじてアナトリア方面への出兵には消極的だった。
したがって、その有り余る兵力は西方に向けられたのでは。
まぁイギリスあたりの歴史家は本が売れるような努力はしているか・・・
程度の差ってものがあってだな
>>530 「イギリス人はシェイクスピアを史実だと思っている」
外国人がこの点を良く指摘するな。
>>530 ランシマンのシチリアの晩鐘は面白かったなー
おまいら、1人でニコライ堂にバシレイオス二世の冥福を祈りに行ってきたぞ… すげーミサが長かった…
536 :
世界@名無史さん :2008/12/24(水) 21:53:56 O
ササン朝との死闘をわざとスルーする塩婆に脱帽。 そこまでして中世ローマを貶めマスかー あれ例えて言うと、遊星爆弾で地球を焦土にされながらも、宇宙戦艦ヤマトがガミラス本星を衝いたおかげで奇跡的に勝利した状態だろ
ぶっちゃけ、ササン朝とは死闘を繰り広げなかった方が 後のビザンツの為だった気がする。 そもそも、ササンとの決定的な対立の原因となった フォカスから帝位を簒奪したヘラクレイオスにはササンと和解するという道もあったはず。 邪教徒の動向なんか予測できないとかそういうの抜きで。
>>537 そんな事言ったって、当時大穀倉地帯のエジプト、シリアどころかアナトリアま
で取られたらそりゃ取り返しにいくだろ。
ちなみに、一度ヘラクレイオスがカルタゴへ逃げようとした時には、元老院が和
議の使者を立てたんだが、断られてる。
>>537 そもそもマウリキオス帝が、ホスロー2世を助けなければよかったね。
バフラムは突厥と戦っていた将軍だから、西方よりも東方に関心が
強く、ビザンツにとって得策であったはずだ。
ヘラクレイオスといえば、やる夫スレにヘラクレイオスを主人公にしているのがあったな。
>>536 死闘といったって歴史的には双方潰れてイスラムのためになったってことしかないからなあ。
それこそ局地的で退屈な歴史作品になるからじゃない?
>局地的で退屈な歴史作品 塩野の作品ですね、わかります。
いい加減反応するのをやめろよ 反応含めて自演なのか?
このスレには普段ギリシャ厨、オスマン厨、パラド厨、ガンオタの4人しか居ないが、 今一時的に塩婆厨が参加して5人で書き込んでる。 これ以外の人間が書いてると思ったらそれは全て自演レスだ。
ここまで俺の自演
∩ ←ホスローのアーチ
さすがビザンツスレ 批判は一切受け付けない 全て自演です そっすかwwwwwwww
信じられるか?これも自演なんだぜ・・・
まあ色々意見はあるだろうけど、ササン朝にボコられたというか、 ほとんど滅亡寸前まで追い込まれたあの状態から、 不死鳥のように甦ったローマ帝国はマジで凄すぎ。 コンスタンティノポリスが包囲されてるのに、皇帝自ら軍勢率いて敵首都へ侵攻とかカエサルでもやらんぞ。 しかも連戦でイスラムだろー。 この辺の極限状態を語らずして、やれビザンツは堕落しただの重税でけしからんだの。 塩婆はアホかと
まあ歴史なんて異なる見解がその内淘汰されていくもんさ。 あと百年くらいまちなよ
>オスマン厨 例えばどのレス?
>>551 百年後にもそういうこと言う人がいそうだなw
一神教への狂信を嫌う塩婆からすれば… 「あそこでヘラクレイオスが余計なことをしなければ ホスローの下でローマとペルシアの和解が成立したのかもしれないのである」 くらいは書きそうwww
ほんとに君は塩塩大好きなんだな
>>553 そして、百年前にもそういう奴がいたに違いない
マヌエル・コムネノスのイタリア指向はなんで? トルコにまともに勝ったのってテオドロス1世帝くらいしかいないじゃん。 歴代、アナトリア軽視が酷くないか?
>>557 何でって、それはローマ帝国だからだよ。
559 :
世界@名無史さん :2008/12/25(木) 23:16:04 O
貴様等!今日はヨハネス四世が目を潰された日であるぞ!
バシレイオス2世のブルガリア人目潰しはなあ… あの頃のブルガリア人大多数が正教徒でしょ? ヨハネス1世がまだ異教徒だったスヴャトスラフを、ヨハネス2世がアンティオキア公国を懲らしめたのとは 全然別物じゃん。
>>561 逆にあの時以外は極力兵力使わないように、敵方を懐柔したりしてるし、
併合してからの統治は穏健だったりするんだよね。あの時だけ過酷な手を
使ったのは、何か理由があったんだろうか。
563 :
世界@名無史さん :2008/12/26(金) 00:01:57 0
最初にガツンとやってナメられないように威圧しておき、 その後は寛大に扱って、潜在する敵対感情を徐々に和らげ、懐柔していく という政治的意図があったのではないかな。
>>563 ああ、なるほどね。なんか説得力あるな。
だったら殺すべきだった。 あんな残虐な仕打ちをしておいて生かしたまま。 そんなんだから後継者達がすぐにバルカンを失う事になる バシレイオス二世も所詮くだらない男だった コイツシチリアに行ってりゃ悪帝の仲間入りだったのになあ
>>565 >すぐに
失うのに150年くらいかかってますが、何か?
ローマ2200年の歴史で言えばすぐさ 多分
>509 アンリ・コンスタンチン・パレオロゴ殿下の先祖は、最後のビザンツ皇帝コンスタンティノス11世の兄ミストラ専制公テオドロスに遡ることが出来ます。 このテオドロスの子孫は16世紀に入りピエトロ・デメトリオの子供たちの代に2流に分かれ、兄のジェロラモの子孫はおそらくローマに、 弟のジョバンニ・ジョルジオの子孫はマルタ島に栄えます。 マルタの貴族 San-Giovanni男爵家や Ciantar-Paleologo伯爵家などはジョバンニ・ジョルジオの女系の子孫にあたります。 ローマのパレオロゴ家は、1874年に男子の跡取りが絶えたので、女子を介して、別系統のパレオロゴ家が家督を継承します。 このパレオロゴ家はビザンツ皇帝の皇統とは全く別系統で、ネロ皇帝の直系の子孫であると称しています。 しかし、直接の先祖は、皇帝ロマノス1世レカペヌスの娘ゾエと結婚したジョバンニ・パレオロゴという人物で、 彼の後裔はビザンツ皇帝の一門やモンフェラート侯爵家、セルビア王家など、有力な王侯貴族と婚姻関係を結んでいます。 したがって名門であることに違いはないのですが、それほど有力な一門であったかどうか定かではありません。 こうした2つのパレオロゴ家の血統を引いているのが件のアンリ・コンスタンチン・パレオロゴ殿下なのです。 なおアンリ・コンスタンチン・パレオロゴ殿下は、もともとイタリアの出身で、王制が廃止されてから、 ヨーロッパやアメリカなどいろんな国を転々として、現在はフランス在住だそうです。 名前が「アンリ・コンスタンチン」とフランス語読みになっているのは、そういった理由からです。
エルサレムでヘラクレイオス時代の金貨が発掘されたな
しかし、なら何でギリシア王国の国王には ビザンツ皇室からは遠縁も遠縁なオットーなんか引っ張り出したんだろ。
近現代ギリシャはビザンツというより都市国家アテネの後継者の方を優先させてきただろ。 国王自体が列強の押しつけだし。 まあ正教色を前面に出してたらあんなに支援が集まることはなかっただろうね。
ギリシャ独立戦争が民族主義の流れで生まれたものだからな。 多民族国家になる東ローマじゃオスマントルコに置き換える正統性が無い。 列強はウィーン体制の維持もあって大規模な独立運動も望まないから、 独立の範囲が拡大するようなビザンツ皇帝の復活は望まないし、 ビザンツ帝国の復活と言うよりはその一属国であるギリシャ地方を独立させたから 傍系を王に据えたという感覚だろう。
それに軍隊主導が中心だったからな。 お飾りの王様が本気で統治をしだしたりしたら困るからな 結果末裔は追放されてしまった
574 :
世界@名無史さん :2008/12/26(金) 22:39:29 0
それでもコンスタンティノープル奪還していれば面白かっただろうな モスク全部破壊してビザンツ時代を再現してるだろうな
まあその後に大戦でドゥーチェがハギアソフィアに乗り込んできたり するんだろうけどな
>>574 結局文化破壊じゃねえか。
それにその後のロシアの汎スラブ主義にギリシャがどう対抗するんだよ。
ギリシャ人じゃ滅びかけのオスマントルコより役に立たないだろう。
あっさりロシアに取られて東ローマの正統後継者はロシアでFAになってる。
メガリイデア成功→第二次大戦で枢軸から共産党支配→阿片の象徴ハギアソフィア爆破
文化復興
ギリシャの文化だけが文化ニダ 他の文化は認めないニダ
ある意味トルコ共和国の独特な体制もビザンツの遺産なのかもな。 大昔は他人の土地だったから安易にアラブやイランには同調しないというか。
>>583 というより、それは欧州との近さの問題じゃないか?
あと、古代からいるアラブ、ペルシャと違って後から来た連中だというのもあるし
つーか、世俗主義国家として立国したんだから、イスラーム色が濃厚な アラブやイランと温度差があって当然。>トルコ共和国
結局、コンスタンティノス11世と一緒に消えて無くなったのがビザンツ帝国。 後継者などいない
モレア専制公がいろんな意味でもちっと頑張れば 少なくとも名目上は後継者足りえたのに。
ロシア(セルビア・ブルガリアも)はマケドニア朝の専制君主が代表してた専制政治に憧れすぎ。 そのくせ代々の皇帝が腐心してた農民保護とかはあまり真似しないし。
ローマと違ってロシアには共和制や農業政策の伝統が無いからな。
ディオクレティアヌス帝からコンスタンティノス大帝、バシレイオス2世を経て イヴァン4世、スターリン、プーチンへと続く道
>>591 ピョートル大帝とエカテリーナ二世が抜けてるぞ。
ロシアはギリシャ文化とローマ法を、ほとんど継承してないので後継者除外
やっぱ現代ギリシャでしょ
595 :
世界@名無史さん :2008/12/27(土) 21:47:14 0
現代ギリシアよりはトルコのほうがまだローマの後継者だと思う
ビザンツでもユダヤ人追放とかあったらしいけど なんでなの?
ローマの後継国家はない トルコは論外 「かつてローマがあった場所にできた新しい国」 にすぎない
599 :
世界@名無史さん :2008/12/27(土) 22:32:34 0
トルコ共和国はローマじゃないがオスマン帝国はローマ メフメト2世はローマ皇帝を自称したが ロシアよりはオスマン帝国のほうがローマだよ
601 :
世界@名無史さん :2008/12/27(土) 22:33:32 0
イスタンブールはテオドシウスの城壁にオスマン帝国旗が掲げられているから 複雑な気分になるな
602 :
世界@名無史さん :2008/12/27(土) 22:34:43 0
西欧国家もかつてローマが有った場所に新しい国ができたに過ぎません
12世紀ぐらいに東からやってきた民族の国が ローマの後継国家のわけがない かつてローマがあった場所に国を建てたぐらいの関係にすぎない
ちなみに現代トルコでは匈奴や唐やスキタイは トルコ民族の国とみなされている
605 :
世界@名無史さん :2008/12/27(土) 22:40:06 0
トルコ民族主義はローマじゃないよ オスマン帝国がローマ的
606 :
世界@名無史さん :2008/12/27(土) 22:41:10 0
オスマン帝国の全盛期はローマ的だろ 民族差別も宗教差別もほとんど無くて 元老院がウラマーに変わっただけだ
>>民族差別も宗教差別もほとんど無くて 古代の一時期の話か
608 :
世界@名無史さん :2008/12/27(土) 22:46:37 0
キリスト教がイスラム教に変わっただけだろ 皇帝がスルタンに変わっただけだろ 元老院がウラマーに変わっただけだろ
609 :
世界@名無史さん :2008/12/27(土) 22:47:31 0
カタフラクトがイェニチェリに変わっただけだろ
ローマを意識したスルタンやメフメトやスレイマンぐらいでは
ローマ法使ってないからアウト 法的に継承してる部分ゼロ
>>609 それよりはタグマの方が近い気がする
カタフラクトもタグマもコムネノス朝のあたりから
崩壊していったが
ローマ教皇様に認められた神聖ローマの方がまだ 近いだろ フリードリヒ2世までは皇帝も権力あったし
東ローマもコムネノス朝のあたりから大きく様変わりしたよね ここのあたりがしっかりしていたら西欧人の歴史書に悪く書かれることもなかったかも
616 :
世界@名無史さん :2008/12/27(土) 22:56:29 0
民主党の公約・政策です。 1.定住外国人参政権の付与 2.従軍慰安婦問題の即時完全解決(韓国の主張丸呑み・国家、個人賠償) 3.所得控除の廃止 4.証券税制40%(のちに30%に訂正…菅の主張、最近優遇延長を言い出した) 5.各省庁への議員の派遣(外務省アジア局へ慰安婦問題の議員、文科省教科書検定部署に日教組議員) 6.社会保険庁の職員をすべて国税庁で丸抱え 7.外貨保有高の半分を切り崩し。 8.竹島問題に沈黙(現在進行形:注[共産党は韓国の不正占拠として批判]) 目玉公約 1.こども手当て→そのかわり所得控除を廃止します。 2.高速道路無料化→ただし、一部分。 3.消えた年金被害者→申し出た人を基本的に信じて、払います。
ポーランドやスウェーデンって国王とは別に元老院というか議会あったよな。
618 :
世界@名無史さん :2008/12/27(土) 22:59:24 0
イスラム法学ってローマの影響無いの?
>>615 西欧の記述はリュートプラントを除くとコムネノス朝やグダグダブラザーズの
頃からだからな。
620 :
世界@名無史さん :2008/12/27(土) 22:59:58 0
メフメト2世は正教会を保護しましたが
公用語はラテン語 多民族国家 多宗教国家 であるシチリア王国が最強
623 :
世界@名無史さん :2008/12/27(土) 23:01:06 0
イスラムってローマとペルシアの影響を多大に受けているだろ
>>623 民法とかの分野で、イスラム法とローマ法のつながりとかあるのか?
>>620 反対にコンスタンティノス5世は宗教界を弾圧した
よくギリシャ化したローマ帝国と聞くが 言語以外は古代ギリシャと似ても似つかない件 中央集権な政治体制はペルシャ化していったように思う
628 :
世界@名無史さん :2008/12/27(土) 23:08:54 0
良い中央集権はヨーロッパ帝国主義 悪い中央集権はペルシア的ですか
一方コムネノス朝は地方分権に傾いていった
>>628 スパルタやマケドニアは違うが
古代ギリシャって民主主義でしょ
共和制ローマも古代ギリシャの影響大だし
ペルシャ化が悪いことだとは言っていないように思う
俺的ローマ史ターニングポイント カエサルのクーデター ゲルマン人の侵入 アラブ人によりシリア・エジプト喪失 セルジュークによる東部アナトリア喪失 第四回十字軍
コムネノス朝のころはもう 軍隊は傭兵だらけだったんだよね?
>>627 文化的な継続性に目が行ってない。失格。
イェニチェリの話がちらっと出てたが、パレオロゴス朝の軍隊にも「イアニツァライ」 って兵種があったんだよね。べつにエリート歩兵じゃなくただの軽騎兵だったが。
>>イアニツァライ 中身はクマン人やブラフ人傭兵ですか?
>>636 民族構成はよくわからんがオスプレイ社のThe Janissariesによると
カタルーニャ語のGinetari(中世ラテン語ではJanizzeri)が語源とのこと。
アルモガヴァレスとかに影響受けてたりするんかね?
そもそも、西側のカトリックと東の正教会で教義に差異が出てきたのってどの辺からなんだ? 東だって当初は西と同調してアリウス派の弾圧をやってるし 西帝国滅亡後でもローマ教皇が東帝国に逮捕・連行されたりしとるのに。
イコノクラスムからじゃない
>>638 古くは5世紀の「アカキオスの分離」から。
コンスタンス2世がローマ教皇を逮捕したことも。東西の乖離が大きくなったことの表れ
それでも皇帝権力が西にも及んでいた時代はよかったが、ビザンツがイスラムとの戦いで
防戦一方になり、西への影響力が無くなって行って、さらに差が大きくなった。決定的に
なったのはイコノクラスムだろうけど。
ヴェネツィア共和国こそローマ・ビザンツの真の後継者
>>635 西洋の花形の重騎士も、ビザンツにかかれば
カタフラクトという一兵種になってしまう。
そもそもカタフラクトって騎士より前からいただろ。 パルティアとかゼノビアとかの頃から。
古代ローマと東ローマのそれぞれ最盛期の軍隊ってどのぐらい違ってたの? 素人の目には、古代は歩兵主体で、中世は騎兵主体(というか真のメインは外交?)って感じがするけど
>>609 カタフラクタイ → シパーヒー
マムルーク → イェニチェリ
最終進化でローマはテュルク・イスラーム化したんだよ
>>647 どうしてもそこに持って行きたいんだなw
強引に
>>637 イェニチェリはカタロニア語起源ですが、シパーヒーはマケドニアのスパヒスタイ、
ティマール制はビザンツのテマ制が語源でしょうか?
オスマン皇帝でカエサルを自称したのは メフメト征服者とスレイマン立法者だけだろうに。 二人とも後継がそう名乗るのを嫌がった。
真の後継者はグルジア
最近、自分から戦争を仕掛けてまけたとこなんかも似てるな
>>651 バヤズィト2はガチンコの邪教狂信者だしセリム2は馬鹿だったからな。
でもぶっちゃけ、スレイマンの4重冠は痛い。凄まじく厨2病入ってる。
親父がこんなんじゃセリムだって嫌になるだろう。
>>古代は歩兵主体で、中世は騎兵主体(というか真のメインは外交?) 軍隊が傭兵ぞろいで外交がメインになるのは(失敗ばかりだが) コムネノス朝から
シチリア王国こそローマの後継者だろ
カタフラクトってのは一兵種にすぎない 遊牧民のように騎馬が主体というわけではない
フランス帝国こそローマ帝国の後継者
EUこそ(ry
後継国家なんてないんだよ 一部のモノ好きが自称しただけで
クシャン朝の王もカイサラと号したな
カエサルってすげえな・・・
農業生産力を伸ばせず、大土地所有を防げなかったのが運の尽き。 これにイタリア諸都市への商業特権付与で財政のとどめが刺された。 むしろマンジケルトからあれだけ延命させた皇帝たちの涙ぐましい努力こそ賞賛に値する。
前にも書いたような気がするが中世ギリシア語で西欧の「騎士」に対応するのは
カタフラクトでなくてカヴァラリオスでは?
>>650 イェニチェリは普通にトルコ語で「新しい兵士」では?
>>635 で出したのは何かこういう紛らわしい名前の連中がいましたって話で。
ティマール制はむしろプロノイアとの類似が指摘されてたような。
俺ら極悪非道のアンゲロスブラザーズ! 今日も未来はないのに帝位争いしてやるからな  ̄ ̄∨ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ Άγε ∧_∧ ∧_∧ Άγε (・∀・∩)(∩・∀・) Άγε (つ 丿 ( ⊂) ( ヽノ ヽ/ ノ Άγε し(_) (_)
667 :
世界@名無史さん :2008/12/28(日) 20:08:36 0
カエサルも来なかったアイルランドは差別されても仕方がない。 あと上に誰かも書いてるようにフランスこそ、ローマ帝国の後継というのはガチ。
ゲルマニアもちょびっとだけカエサル来たぜ 東半分はどっしょもないが、ライン川流域にはそこそこローマ都市もある
みんななんだかんだ言って塩婆大好きなんだなw
ハァ?なんでここで塩婆がでてくんだ? バルバロイはだまってオナニーしてろ
塩婆萌えの俺が来ましたよ カエサル、チェザーレ大好き♡
つまり、遅れてやってきた西欧の中世社会(プロノイア)がビザンツの癌になったでおk?
ギリシャは民族的にも文化的にも古代ギリシャとは何の繋がりも無いぞ。 言ってみれば古い家にわいたシロアリみたいなものだ。
まあ英語でgreekと言ったら詐欺師って意味だからな。
>>674 お前は19世紀のドイツ人か
言うことが古いんだよ
>>675 同性愛者、ホモセクシャルという意味も強いよな。
現在のギリシア人が受け継いでいるのはこの性質だけだったりする
今のギリシアなんてヨーロッパの中でも、同性愛への不寛容さはトップクラスだと思うが、 何故かヨーロッパの人間はギリシアをホモ天国だと思ってるよな。
実際今の似非ギリシャ人はスラブだしな。 文化的にもトルコ+ロシアだ。
レスボス島の女達は文化を残したが、 今のギリシア人たちは何を残すのかな。
スパルタ人はトルコに征服されてもDNA的純粋さは守ったなんて自慢してた記事をどっかでみた
>>680 そうでもない。ギリシアの再征服後に地域のスラヴ化→離反を恐れた帝国によって
無理やり小アジア側のギリシア人が移住させられて住民構成を変えられている。
パレオロゴス朝期にはアルバニア人の大量移住があったけど、そっちの方が
現代まで影響をおよぼす出来事だったのでは?
685 :
世界@名無史さん :2008/12/29(月) 02:28:36 0
スラヴってプーチンやコマネチみたいな顔だろ ギリシャに行ってみろよ、全然違うぞ 完璧に地中海人種だ
>>684 正教徒=ギリシア人、ムスリム=トルコ人みたいな
区別で移住させただけで、民族なんて関係ないでしょ。
ビザンツ帝国時代の小アジアの正教徒がみんなギリシア人
だったわけないし。
血の混合なんてバルカンじゃ珍しくもないし ギリシャ人にスラヴの血が混ざってるから古代ギリシャ人の末裔ではないなんて アホらしいと思うね
>>687 ビザンツがギリシャ人の国家になったのは、マンジケルトの会戦以降だろうな。
トラキア、フリギア、カッパドキアなど半農半牧地域の出身者か、ゴート人や
トルコ人など外人傭兵らが騎兵となり、その将軍らがクーデターで皇帝になり
続けていたとされる。騎兵が軍主力であり権力基盤であった以上、ギリシャ系
の都市民や農民らが皇帝になれる機会は、極めて稀であった事は当然であった。
>>687 古代のギリシア人は混血を嫌ってたから
昔のギリシア人なら今のギリシア人を自分達の後裔とはみとめないかもね。
今の時代純潔の○○民族なんて中々無いだろうな。 アフリカやアジアの少数民族だってかなり怪しいし。 征服されて同化された場合もあれば、移民が流入して混血する場合もある。 現代のイタリアがローマ人の末裔とか、ギリシャ人が古代ギリシャの末裔とか 黒髪ちょび髭のゲルマン人とか、もうお笑いレベルだよな。
大規模な混血があった時点で歴史がリセットされるとするなら 殆どの集団は長くて数百年の寿命しか持たないことになる。 ローマ-ビザンティンなぞ細切れの歴史の集まりにしかならない。 日本は…有史以来大規模と言えるほどの混血は無いか。 すると上記の考えでは世界最大最長の歴史的集団となるのか? 日本の一部、特にインターネット上なんかで人気のでそうな イデオロギーですなーはっはっは。
>>689 するとヘロドトスもギリシャ人では無いってことかー。
ヘロドトスは功績のお陰で認められるだろう
アリストテレスはマケドニア人だろ
695 :
世界@名無史さん :2008/12/29(月) 19:30:12 0
なんか古代ギリシャってアーリア人思想にそっくりなんだが
ほしゅ
ギリシャ第一帝国ーアテネ海上帝国 ギリシャ第二帝国ーアレキサンドロスのマケドニア帝国〜プトレマイオス朝エジプト帝国 ギリシャ第三帝国ービザンツ帝国 ギリシャ第四帝国ー絶賛準備中
ローマ帝国 前45年〜192年 シリア帝国 193年〜272年 イリリア帝国 249年〜582年 アナトリア帝国 582年〜1282年 ギリシャ王国 1282年〜1461年
ローマ帝国 前45年〜192年 シリア帝国 193年〜272年 イリリア帝国 249年〜582年 アナトリア帝国 582年〜1071年 ギリシャ諸侯国 1071年〜1461年
>>689 ヘレニズム時代あたりで、もうそんなの通用しなくなってるかと
いずれにせよ、今どき純粋な血統云々なんて言う奴は古い罠
問題は古い血統への忠誠、尊厳を保持するかだな それによって国家領域を相続する正当性が認められる でなければ個人の所有品を血族が相続するという概念自体が失われ まるっきりの赤の他人が奪ったとしてもそれをとりかえすはずの個人が死んでしまっている以上 とりかえす権利も認められない。
だから、日本という国が存在する正当性の問題だよ ある日、日本が征服されたときに 古来から同じ血族がここを受け継いできたからここは我々の土地だって 言っても、おまらは同じ血族ではないと言われれば日本はなくなるわけだ ちょうど朝鮮半島と台湾を失ったようにね
現代ギリシア人は古代ギリシア人の子孫か? という話題からえらく遠くに来たような。
特ア板へお帰りなさいバルバロイ
>>703 それが世界史の、しかも東ローマと何が関係あるのかね。
日本語のスレタイもロクに読めない蛮族は失せろ
ギリシア人のメンタリティの問題だ
池沼お得意の人格攻撃
ここまで自演
ヴェネチア共和国はローマ帝国を簒奪したビザンツの専制君主どもに 鉄槌を下したローマ帝国の真の後継者。 ヴェネチア十人委員会はローマ元老院の後継者。 第四回十字軍はユリウス・カエサルのポンペイウス討伐に匹敵する快挙。
要するに古代ギリシャの民族的末裔はどこにも居ない。 ビザンチン帝国だとそもそもビザンツ民族みたいなのが居たわけでも無いし、 ローマ人やギリシャ人だったわけでも無いから民族的後裔なんて初めから無い。 それでよくない?
>>713 言語的に継承されてるのに、それは暴論。
文字を流用しただけだろう。 日本語を中国語と言うのと同程度だ。
>>715 これはひどい釣竿
口語がヘレニズム時代のコイネーから継承されていることを知っていたら
絶対出てこないレスだな。
717 :
世界@名無史さん :2008/12/31(水) 05:31:54 0
民族で言えば713だろうな。 言語や文化面でも古代から連綿と続いてると言うわけでも無いし。 ぶっちゃけスラブとか色々混じった上に一度イスラムで上書きされたのを 近代になって独自色を出そうと古代ギリシャ参考にしましたって感じだろう。 ギリシャだけじゃなくバルカン半島は大抵そんな感じ。
言語的にギリシャ語はオスマン時代には、むしろバルカン半島の正教会への影響 力を取り戻してるから、何とも言えないが文化的にはビザンツ滅亡で古代からの 知識の継承は切れてるだろうね。古代文化の知識を持った人はイタリアとかへ亡 命しちゃってるし。
アルバニア人とアルメニア人はビザンツの末裔としてはどうなのだろうか? 元来ギリシャ系の都市民らは、イリリアやカッパドキア出身の将兵らに 守られる立場、支配される存在であったとされる。 ギリシャ人が自ら武器を取っていたのは、ローマ征服以前とコムノネス朝以降 だったとされる。
>>720 コムネノス朝「以降」じゃなくて、コムネノス朝「以前」だろ。
だいたいコムネノス朝以降だって、別にギリシャ系住民が戦わなかった訳でもな
いし。
ビザンツがギリシャ人の国家だったかどうか、色々疑問ではあるかも
ギリシャ語が公用語だし、古代ギリシャ文化の継承者であったことは確かだけど 基本的に多民族国家だからねぇ。だいたい、今の民族の概念を当てはめること自 体に無理がある。
>>721 単純にアナトリアがトルコ領となってしまったから、もはやカッパドキア人や
フリギア人を頼りに出来なくなったと言う事であります。
そもそも、アナトリアの人々が帝国の屋台骨を支えるようになったのも、
バルカンがスラブ化してしまい、トラキア人らに守ってもらえなくなった
からとされる。
>>722 アルメニア系の皇帝とか色々いるのにギリシャ系じゃないだろう。
>>725 だから今の民族概念に当てはめちゃダメなんだって
ビザンツ皇帝は、ポントスのミトリダテスやカッパドキアのアリアラステスとかの 後継者でもあるのだろうな。
BS hiでキリスト教会の特集やってるな
テオドシウス三世以降、テオドシウスと名がついた皇族っていなかったの? コンスタンティノスは沢山いるのに。
>>722 でも俺の知ってる例ではセルビアのステファン・ドゥシャンがトラキアあたりまで進出して
皇帝を称したとき、スラヴ語文書では「セルビア人とギリシア人の皇帝」と名乗ったが
ギリシア語文書では「セルビア人とローマ人の皇帝」になってるらしいんだよね。
>>727 そうそう。君はそうやって人の言うことを聞いとくべきだよ。
六年生とは思えないほど稚拙な文章だったけど、面白かったよ。
↑何と戦ってるんだおまいは?
誤爆じゃないの?
ユリウス暦だとまだ年が明けないのだろうか
ユリウス暦は13日くらいズレてるからな
学術文庫の生き残ったビザンティンでイサキ2が弟って書いてあるんだけど誤植?
今更だが塩婆の本はちょっとアレだったな。 ビザンチンはイタリアやシチリアに戦火の種をばらまき、 イスラムの海軍に海を奪われた、支配者としての資格のない国みたいな書き方。 通貨も、イタリア諸都市がドュカート金貨を発行されるまでは イスラムの通貨が地中海の唯一の通貨、とノミスマ金貨はガン無視。 まあ地中海史を知らない人がとっかかりにするにはいいが、 歴史書としては微妙。中世はイスラムとイタリアしかなかったみたいに思えるし。
塩婆がコンスタンティノープルの陥落を書いたのはホモが書きたかったからなのだろうか
ロードス島のもすごいホモでしたなぁ 興奮した
10代:腐女子(ふじょし) 20代:腐淑女(ふれでぃ) 30代:貴腐人(きふじん) 40代:汚超腐人(おちょうふじん) 50代:麻婆豆腐(まーぼーどうふ) 60代:腐婆婆(ふばーば) 70代:腐師長(ふしちょう) 80代:最高神腐官(ぽんちふじょし・まくしむす)
744 :
世界@名無史さん :2009/01/02(金) 00:07:34 0
でもさ。 オスマン皇帝って、帝国崩壊まで「ローマ皇帝(ルーム・カイセリ)」を名乗り続けたんだよ。 メフメットやスレイマンの座興、というわけじゃないのでは。
>>730 >ノミスマ金貨はガン無視。
「$」マーク涙目w
>>744 スレイマンの次で既に否定されてなかったっけ?
だいたい名乗るだけなら、「ゲルマン人」や「スキタイ人」にもいたわけで
〜11世紀:ノミスマ(ソリドゥス)金貨、ドゥニエ(ペニヒ)銀貨 13〜16世紀:デュカート金貨、フィオリーノ(フロリン)金貨、エキュ(エスクード)金貨 16〜19世紀:ターレル銀貨(ギルダー、ピアストル、ペソ、ダラー、ドル)、ポンド
>>745 「$」マークってノミスマ由来じゃないだろ?
>>744 スレイマンやメフメトみたいなのは変わり者。
基本的に異教徒の君主号を名乗ることには否定的だった。
749 :
世界@名無史さん :2009/01/02(金) 04:46:19 O
ラテン帝国の崩壊は、たまたま留守だった首都を、ニカイアの警備挺に乗っ取られたって言ってた。 呆気ないものだな…
ギリシア人には世界を治める才能がない
>>749 警備艇が乗っ取ったんじゃなくて、ニカイアの将軍が近郊を通りかかったら
守備が手薄だったことを発見して、夜に城壁を乗り越えて侵入成功。
近郊の住民はギリシャ人だから、色々手引きしたらしい。
警備艇ってどこの電波情報だよ
それは半ば創作らしいな。 実際は決死隊みたいのが城門を中から開けたらしい。 とどっかのスレに書かれてた。
>>752 どっかのスレ情報じゃあなぁ。
まだ尚樹、井上本の記載の方を信用するしかないなぁ。
いずれにせよ、相手が出払ってる隙に占領したことだけは確かだけど。
コンスタンチノープルの陥落は、城門の鍵をうっかりしめ忘れたから
756 :
世界@名無史さん :2009/01/02(金) 13:23:00 O
どっちにしても都の警備はガタガタだったのか。 それならシチリアの晩鐘事件が無く、本気で西欧が攻撃すればビザンツを滅亡に出来たわけだ。
ビザンツは何でウルバンの購入を拒否したんだろうな? まさか、大砲を買う金すら無かったのか? おかげで城壁破壊兵器は邪教徒の手に渡ってしまった。
ウルバンの巨砲は攻城用だからじゃね? でもなんで牢獄送りにしたんだろうな
なんで投獄したのかは分からんけど ランシマンの本によるとビザンツ側は金も払えず資材も準備できなかったらしい
>>756 西欧が一枚岩だった訳ではないし、最後の最後をパレオロゴス朝200年全体の傾
向と考えるのは早計。
>>756 みたいに考えた奴は多くいたが、
西欧の諸侯同士の対立や、ビザンツ側の工作活動なんかで失敗したんだよなあ。
>>757 どっちにしろ、防衛側に大砲があっても大したメリットないしな。
中途半端に投獄するくらいなら、殺したほうがよかったかもしれん。
買っていたところで負けない戦ができたとは思えん。 なんせギリシア人には見捨てられて、 利権を捨てられないイタリア人と狂信者だけしか助けに来なかったんだからな!
764 :
世界@名無史さん :2009/01/02(金) 20:40:46 0
ビザンツは我が誇り。 腐り果てたとて我が専攻。 これを痛罵することはできない。 それに後世の人間が賢しげに裁くのを見てると吐き気がしてくる かかってこい塩婆蛮人ども
>>757 >おかげで城壁破壊兵器は邪教徒の手に渡ってしまった。
オスマン朝は遅くとも15世紀初頭にはすでに大砲を使っていたらしい。
カルコンディラスによるとコンスタンティノープルの城壁にも大砲が配備されてたが
発射の衝撃のせいで敵よりも城壁により多くのダメージを与えてたそうだ。
まあ別な意味で城壁破壊兵器だな。
>>765 まあ、5世紀に作った城壁だから大砲の使用なんて想定してないからねぇ
テオドシウスの城壁って完全な煉瓦組みなんだっけ? 中華系の城壁は土壁を煉瓦でコーティングしただけだから 砲弾がめり込むだけで崩れないと聞いた事がある。
シャルル・ダンジューの時以外にもバルバロッサの第三回十字軍が危なかった。 ビザンツ側からの露骨な妨害に加えて、ブルガリアやハンガリー辺りからコンスタンティノプール共同攻撃の提案があったらしいし、バルバロッサから息子ハインリヒ6世への書簡で 陸上から攻撃可能になる時に会おうとまで書かれてた。
>>768 サラディンに十字軍の動向を密告してたのもバレちゃったしな…
むしろ無断でビザンツ領に侵入したり、現地人攻撃してきたから
ビザンツが妨害工作したんだよな。
なのに、効果をあげないわ、無駄に敵つくるわ、という結果になったのはさすがあの皇帝w
>>768 バルバロッサが真剣にコンスタンティノープル攻略しようとしてたか疑問だな。
そのまま行っても落とせるとは思えないし、脅して金でも巻き上げるのが目的だったのではないか。
どなたかエジプト、シリア陥落後の帝国の食糧事情について 詳しい資料について教えてくれませんか?
>>767 表面が石とレンガで内側が瓦礫を混ぜたモルタルでは?
取り敢えず、逆切れしたヘラクレイオスが生活保護制度を廃止したのしか知らない。
俺ら極悪非道のアンゲロスブラザーズ! 今年も未来はないのに帝位争いしてやるからな  ̄ ̄∨ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ Άγε ∧_∧ ∧_∧ Άγε (・∀・∩)(∩・∀・) Άγε (つ 丿 ( ⊂) ( ヽノ ヽ/ ノ Άγε し(_) (_)
>>772 当時バルカンはスラブ人のフロンティアと化しており、テオドシウスの城壁以西は
無政府状態だったらしいので、アナトリアの農業で自給自足だろうね。
>>777 東トラキアは維持してなかったっけ。アドリアノープルとか。
ペルシャとの戦争中、何度もアヴァールとスラブが、コンスタンティノープル城下に迫ったとされる。
東トラキア維持してたなら、近隣の農民から食糧を調達出来ていたかもしれないですね。 調達できた規模を推測するのは難しいですが・・・
>>778 その辺までは維持してたはず。
あと、なぜかシチリア
ドナウ河流域って穀倉地帯だっけ?
末期のコンスタンチノープルの人口が少なかったのって食料確保の都合もあるのかね
末期のコンスタンティノープルは人口が少ないから、城壁内の街の西部も
農地にしていたらしい。
>>781 強力な海軍のおかげで、シチリア、サルデーニャ、バルカンの沿岸部は維持していた。
ビザンツって中華とはどの程度関わりがあったの? 向こうは古代ローマを引き継いだ大秦と認識していたらしいけど。
学説ってなんだ
大秦景教はビザンツ的には異端なハズだから 帝国の聖職者が布教に逝ったとは思えんが。
791 :
世界@名無史さん :2009/01/06(火) 16:09:19 O
コンスタンティヌス11世の子孫もしくは男系の血縁者もしくはパレオロゴス朝の末裔って今でもいるの?
>>791 コンスタンティノス11世には子供はいない
スレの上のほうに書いてあったと思うけどパレオロゴス家は今もいる
794 :
世界@名無史さん :2009/01/06(火) 19:57:17 0
『吾輩は猫である』に出てくる 「オタンチン・パレオロガス」ってのは ビザンチン皇帝と関係あるんだな
今でも、紋章は双頭の鷲なのか?>パレオロゴス家
796 :
世界@名無史さん :2009/01/08(木) 18:54:01 0
世界遺産に指定されているシナイ半島の聖エカテリナ修道院では 今でも双頭の鷲の旗立ててるぞ。
797 :
世界@名無史さん :2009/01/08(木) 20:28:09 0
何で双頭なんて考えられたんだろうか?
東西ローマの象徴じゃないの?>双頭 古代ローマの象徴が鷲だし。
チンポが二本あれば男としてうれしいだろが!
>>796 コンスタンティノープル総主教座とかもそう
>>798 双頭の鷲自体は古代ヒッタイト時代からある
ヨーロッパとアジアの象徴、とう説もあるが使ってたのは実は末期のパレオロゴス朝だけ
このスレの双頭と言えば我々の事だな  ̄ ̄∨ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ∧_∧ ∧_∧ (・∀・∩)(∩・∀・) (つ 丿 ( ⊂) ( ヽノ ヽ/ ノ し(_) (_)
アレクシオス3世は(・∀・)カエレ!
>>801 お前らの2つのオツムのせいで帝国は四苦八苦だ。
801……ゴクリ
一番要らんのはアレクシオス4世だろ
>>806 確かに、能力も無いのに困難な時に家柄だけで皇帝に祭り上げられ、弟に裏切られ、最後は殺され…だからな。
弟は全く同情の余地が無いが。
エイレーネーがアッバース朝に支払った貢納金が30万ディナール。 現代の額だと、約380億円。 アレクシオス4世が十字軍に約束した報酬20万マルク。 現代の額で、約1200億円。 ちなみに元々ヴェネチアが十字軍に要求した移送費は、8.5万マルク(600億円)。 明らかに払えない額だろ。十字軍も気づけよ。
810 :
世界@名無史さん :2009/01/10(土) 17:41:59 O
マケドニア朝の頃は凄かったのに…
コンスタンティノス8はどう考えても不要だったが。
知ったふうな口をきくなー!
ビザンツなんてこんな程度
>>811 まあ、50年も実際の政務から遠ざけられてて、兄貴が死んだからって
いきなり正帝になっても何も出来なかったっていうのは、あるだろ。
兄貴は独身で、自分には娘しかいないのに後のこと考えてなかったのは
さすがにどうかと思うが。
>>810 シリア朝だって初期はヘラクレイオス朝の負の遺産を清算して
帝国を立て直した。
古代ローマの文明様式によりかかりインフラや信用が何ら発展しなかったビザンツ専制君主国 信用を大切にしたヴェネツィアこそ真のローマの後継者だな。
ビザンチン文明という偽文明をでっち上げ、西欧文明の発展を阻害した ビザンチウム・スルタン国
>>817 その偽文明ごときに邪魔されて独力で発展することもできない西欧って・・・
819 :
スパルタクス(エビちゃんファン) :2009/01/12(月) 00:54:56 0
ビザンツは周辺の強盗強姦殺人鬼の暴力から身を守るのに必死だったんだろうな。 ローマ時代はまだ蛮族の勢いがそれほどでもなかったから、 ローマ皇帝には余裕があった。 ローマへの蛮族からの攻撃が激化するに及んで、よりにもよって帝国とキリスト教会を 分裂させて、いよいよ帝国は末期状態になった。 コンスタンティノープルは蛮族に近すぎる。 アラブもルスもトルコもブルガールもビザンツに攻め込んでくる。 やはり帝国の首都はイタリア辺りにしないと、防戦し切れない。 バチカンやベネチア、フィレンツェもヤバい時期はあったが、 ビザンツほどは強盗に攻め込まれず、ある程度余裕を持った対応が出来た。 とにかくビザンツ時代は周辺の民族移動・強盗の動きが凄まじかったので、 ビザンツを首都にする限り世界帝国になる事は不可能だろう。 蛮族から適度に離れたイタリアで教会統一をし、ベネチアを首都にでもせん限り、 帝国の悲惨な運命は免れない。 あの当時ビザンツの地は北上するアラブ、トルコと 南下するブルガール、ルスの激突地でしかない。 何故よりにもよってビザンツを首都にした続けたのか疑問である。 シリア、エジプト、メソポタミアを奪われ、小アジアまで侵略されたら、 ギリシャにとどまるのは危険であり、北イタリアかスイス、フランスに移転するのは当然と思う。 ビザンツは日本なら対馬の厳原か壱岐みたいなものだ。 そんな所に皇居があったら危険だと思うが。
ローマは建国以来ずっと蛮族と戦って、多くの局面で破ってきたのだ そしてビザンツも長らく蛮族と戦って、多くの局面で敗北を喫したものの、命永らえてきた。 お前ら蛮族は長生きした老人をバカにするのか。 その老人が最後まで勇敢に戦い大地に沈んだその姿を嗤うのか。 俺にはできない。ビザンツの偉大さをこそ―
蛮人は戦闘ができる若者を尊び、弱った老人を卑しむ 口減らしに棍棒で打ち殺したり崖から突き落としたり、甚だしくは煮て食べるという
蛮族にとっては戦場で勇敢に戦い抜き死ぬことこそ至高 老いさらばえて死ぬなど侮辱であるぞ
つまりヴァリヤーギだな
さすが連休だなw
>>818 というより、その偽文明とやらに教えられるまでギリシャ・ローマの古典文化を知らなかった西欧って・・w
ちなみにヴェネツィアの聖マルコ寺院自体は、コンスタンティノポリスの聖諸使徒聖堂のコピー
もともとヴェネツィアはビザンツ宗主権下の自治領だから、おかしくはないんだけど、蛮族は知らないんだろうなw
おかしくはないんなら黙ってりゃいいものを、黙っていられないビザンツヲタww 塩野七生『ルネサンスとは何であったのか』(新潮文庫) 対談 塩野七生×三浦雅士(文芸評論家) 三浦 啓蒙主義というのも、結局はキリスト教なんですね。『ルネサンスとは何であったのか』で書いて おられるように、ルネサンスの精神は、大航海時代という形につながっていったのであって、宗教改革や 反動宗教改革の方へつながっているのではない。というのも、宗教改革も反動宗教改革も、基本的に 理想主義です。現実主義のフィレンツェやヴェネツィアからは、生まれてくるはずはない。これまでの 議論ではそこが混同されている。そこはむしろ截然と分けて、根本的な葛藤として描かれるべきだ。 そういう理想主義はギボンにもあって、本人もちらりと書いているけれども、ビザンチンに対する偏見が ありますね。 塩野 それはあります。ただ私は、ビザンチンはあの程度のものだったんではないかと思っていますが。 三浦 今回、僕も塩野さんの作品を呼んで、初めてそういうところまで分かってきました。以前は、 アラビア文化の勃興やビザンチンに関して、隠れていてあまりよくみえなかったので、過大評価していた ところがあります。 塩野 ビザンチンの美術史といったところばかりを研究するから、そういうことになってしまう。ビザンチン 美術が素晴らしいことは事実ですが、歴史研究って、美術史に少し偏っているんです。ギリシア史でも 同様のことがある。
実際そうじゃない。 何一人だけ煽ったつもりになってんの?
専門家でも何でもない婆の言うことなんか引っ張り出して、煽った気になってるのね
美術史偏重なんてありえんわ。 政治偏重だろ。 ビザンチンの絵描きなんて誰が知ってるんだよ。 まとめてイコンが〜程度だろう。
>>829 経済史とか、技術史、文化史はまだまだ不明な点が多いし。
皇帝を中心とする政治史だけが記録が残ってるので、むしろそれに偏ってしまってる
という認識の方が専門家の間では常識だよな
イコン以外の世俗絵画が殆ど残ってないからな大宮殿の床モザイクとか、年代記の
挿絵くらいしかない。イコンは基本的に作者名を入れないので分かるわけがない。
いずれにせよイタリア婆ちゃんが何もわかってないとうことは、改めて分かったw
なのになんで何も分かっていない塩婆の言う事をみんな聞くんだ? 俺達東ローマ派の言う事をみんな無視しやがる
>>831-832 w
wwwwwww
なんつー見事な傲慢コンボwww
そんな風に一般の読者を馬鹿にしてるからお前らは相手にされないのにねw
ほら、草を生やすような低俗な蛮族がまた釣れた。
塩婆は馬鹿にしてても読者は馬鹿にしてなさそうだな。 脊髄反射はやめてちょっと考えてからレスすればいいのに。
>>835 そうか・・・低俗なものを読む人間も低俗なんだと思ってたけど、
ごめん、間違いだったよ。
でも、また低俗なもの読んでんな、とか言って馬鹿にされたら普通怒ると思うよ。
なんだか読んでる人間もバカにしている気がするぜ
君たちビザンツヲタにも、低俗なものを書いてくれる人は現れるのだろうか・・・
生き残ったビザンティンとか読むと塩婆に劣らず生き生きとした調子の描写があったりするが… 塩婆はイスラムとかビザンツとか馬鹿にしすぎなんだが、 こういう馬鹿にした本の方がウケるんだよねやっぱり。 司馬遼太郎とか山岡荘八もそういうところあるけど。
まあ塩婆だって別にビザンツを馬鹿にするために書いたわけじゃないだろうけどなんだかなあ…
>>838 まあ小説家だから、話として面白ければおkなんでしょうよ
問題はそれを鵜呑みにして、史実と誤認する奴がいること
イギリスでもシェイクスピア鵜呑みにして、百年戦争はイングランドが
勝ったと思ってる人が結構いるらしいね。
都合の悪い事は書かないのか、それともそもそも知らないのか、 偏りが激しいのは確かだな。
だから、学問としてみる場合はあの手のものは考慮外にしないと 当時の原史料も、どういう立場の人間が書いたか考慮しないと誤解 することになるし
そうなると、学問は永遠に閉ざされた世界での一部の人間のみの所有物でとどまるな
>>843 事実を知りたい場合は、小説家の書いたことは鵜呑みにするな、
というだけのこと。
845 :
世界@名無史さん :2009/01/12(月) 18:34:57 O
つか鵜呑みにしても良いんだが他の学者が書いた本も読まないと …ってことでしょ。 そもそもヴェネチアはある意味恵まれすぎだろ。 ナポレオンが来るまで、陸軍でヴェネチア市を攻め落とそうなんて 奴ほとんど現れなかったし。 コンスタンティノープルはゴート族やフン族、アヴァール族やササン朝、 アラブ軍やブルガリア軍、ロシア軍、トルコ軍に攻囲を 何度も受けてるような状態なのに、信用取引とか発展するわけねえよ。
>>843 > そうなると、学問は永遠に閉ざされた世界での一部の人間のみの所有物でとどまるな
と言う人たちが別の閉ざされた世界へ誘うもんだからねー
>>846 小説家の本を読んで分かった気になってるだけ、というのも閉じた世界だよな
開かれた世界…つまりイスラーム・テュルク・ユーラシア世界だな
テオドシウス城壁殴っちまった・・・・・・・いらいらするな・・・どいつもこいつも・・・・・・・・・ もう我慢の限界・・・なんだこのスレ・・・
何というバルバロイ・・・
塩婆新刊の後編が早ければ今週末くらいに書店に並ぶんだよな。 ククク…
ただでさえ、ブラックなのに社員の水増し合戦が始まったから会社辞めた。 小銭もあるし、ビザンツゆかりの地にでも旅行しようと思うんだけど どこがいいかなー2週間ほど
コンスタンチノープルとその周辺まわれば1週間ぐらいじゃないかな あとはペロポネソスとかエーゲ海の島々 危険が好きならバルカン半島諸国めぐり
>>852 で、また鵜呑みにした愚かな蛮族が来ると
856 :
sage :2009/01/13(火) 05:20:48 0
858 :
世界@名無史さん :2009/01/13(火) 09:40:56 0
>>856 めちゃ感動した!。゜。゜(ノД`)゜。゜。
ただ、絶対不可能を実現してしまう現実無視の理想主義者も考えもの
>>856 ビザンツ勉強始めたばかりの私にとってはわかりやすくて良かったけど、このスレの先輩方から見るとどうなのでしょうか?
美化しすぎ 妄想多すぎ ベリ厨うぜぇ
すごい軍人だったとは思うけど五本の指には入らんだろうな まぁ違う時代の人物を比較するってのはセンス無いと思うけど
そういやギリシャの暴動は治まったんかねぇ
ベリ厨にはカエサル厨と同じ臭いがする。 つまり塩(略)
864 :
世界@名無史さん :2009/01/13(火) 21:49:31 0
ビザンツ帝国にはもっと凄い軍人がいたのか!!?
>>861 おしえておしえて!
「ビザンツの」五本の指って意味じゃなくて、 「世界の」五本の指ってことじゃね?
ドンドンドン! アレクシオス「誰だ?」 イサキオス「あんちゃんだよ。お前のあんちゃんだよ」 アレクシオス「ほんとに私のあんちゃんか?」 イサキオス「ほんとにあんちゃんだよ」 アレクシオス「それじゃあ、私の質問に答えてみろ。 あんちゃんは結局誰のせいで殺された?」 イサキオス「ヴェネツィア共和国とお前!!」 アレクシオス「やっぱり、あんちゃんだ!」
867 :
世界@名無史さん :2009/01/13(火) 22:34:01 0
>>856 わかりやすくていいんじゃね
美化しすぎたとは思うがオススメだよ
>>854 ,857
ありらとう
やっぱ地中海か・・・この辺はこの時代に限らず
名所のオンパレードだなぁ(`∀´)
ホテルもグレード高めに設定できる・・・・ユーロ安すぎ万歳
>>868 古代の遺跡も見逃せないからな
ビザンツ美術・建築ならテッサロニキも基本スポット
ベリばっか美化されるけど、レオーン3とかコンスタンティノス5とか ニケフォロス2とかヨハネス1とかバシレイオス2の様に 軍略に優れた奴は幾らでも居たわけで。
>>870 ベリサリウスは、プロコピオスという良い記録者がいたから、というのも大きい。
裏では悪口書かれてたけど。
ビザンツで優秀な軍事指揮官は、皇帝自身であるか、後に皇帝になってるかだから 「皇帝」としての印象が強くて「軍人」としての印象が薄い ベリサリウスは皇帝になってないからってのもあるだろうな
ユスティヌス1世って何か軍功を立てて出世したわけか?
基本的に先代のコネがものを言った。 つうか知らないのかよw
>>856 東ローマを一般的にしようという姿勢があるね
そういうのはどうなん?
>>873 功績よりも立ち回りが上手くて出世したって印象ではあるけど、先代皇帝が死んだ時点で
軍人として高位にいたわけだから、まったく軍功がなかったってわけでもなかろう
ベリサリウスの戦術は立派だったろうが、それを指揮するユスティニアヌスの戦略自体が 誉められたもんじゃねえからな(絹の蚕を手に入れたくらいか?)。 国力疲弊してヘラクレイオスの悲劇を生んだし、 塩婆みたく、イタリアの安全保障を破壊したみたいな切り口すらある。
俺ら極悪非道のレカペノスブラザーズ! 長兄が死んだからクーデター起こしてやるからな  ̄ ̄∨ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ∧_∧ ∧_∧ (・∀・∩)(∩・∀・) (つ 丿 ( ⊂) ( ヽノ ヽ/ ノ し(_) (_)
これは新鮮だ!
ビザンツはホント面白いな
これだからビザンツはたいした事がないっていわれるのがまだわからないのか
>>879 普通はバカでも自分の子供がかわいいだろうに、ロマノス1世があえて正統皇室に帝位を戻す
選択をしたってことは、二人はよほどダメだったんだろうなw
「俺ら極悪非道のカンタクゼノスブラザーズ!(マタイオス、マヌエル)」 ってのを出来ないか考えてみたが別に極悪なことしてないのでやめた。
>>886 まあアンゲロスブラザーズも極悪だった訳じゃないけどね。兄は。
単に無能だっただけで
無能の方が極悪よりもよけい始末が悪いわ 皇帝とか権力者とかとしては
無能なだけなら周りに優秀な人材がいればまだなんとかなる。 極悪だとそういう人材まで殺してしまうからなあ・・・
>>886 俺ら極悪非道のカンタクゼノスブラザーズ!
親父が退位したからモレアスに引きこもってやるからな
 ̄ ̄∨ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
∧_∧ ∧_∧
(・∀・∩)(∩・∀・)
(つ 丿 ( ⊂)
( ヽノ ヽ/ ノ
し(_) (_)
マタイオスはしばらくトラキアで抵抗を続けてたらしいが セルビア人に捕まってコンスタンティノープルに送還されちゃうってのがまた何とも。 というかマタイオスが共同皇帝になったときは ヨハネス5世、6世、マタイオス、ブルガリアのイヴァン・アレクサンダル、 セルビアのステファン・ドゥシャンと、バルカン半島に皇帝を称する人間が 5人もいたことになるのかw
>>887 ,
>>888 アンゲロス弟は無能と悪とやる気を兼ね備えた逸材だったようですな。
なおかつ皇帝になれるだけの政治力はあるという。
>>893 無駄にやる気だけあるという、かなり困ったタイプだよな
働き者の馬鹿ほどやっかいなものはないってやつか
.| ヽ / ヽ ./ ヽ / | |: V V V .| .|: .| |________.|. / \ / ヽ l:::::::::. | |:::::::::: (●) (●) | 呼んだ? |::::::::::::::::: \___/ | ヽ:::::::::::::::::::. \/ ノ
ジョン、ハウス
ジョン短珍矛
ああ、イギリスのジョン失地王か
ビザンツ風に読めばヨハネスだな
ビザンツ美術っていうとドーム建築とモザイクって感じだけど エナメルも凄かったらしいが、どんなのがあんの?
イギリスはついに国民国家になれた。 それゆえ世界帝国へ発展したのだ! なんでビザンツは国民国家になれなかったの? 帝国から格下げギリシア人連合王国になったのになー
>>899 失地王じゃなくて欠地王
わざとかも知れんがw
>>904 どう違うんだ?
このペダンティコス野郎!!
>>903-905 その大英帝国は遠からずギリシャ王家に継承されると言うのにのんきなものだな。
907 :
世界@名無史さん :2009/01/18(日) 10:20:00 0
女王の旦那はギリシア王だったか
>>905 この板来ててそれは釣りっぽいが
Lacklandは
百年戦争で大陸領土を失ったから失地王と思われがちだが
もともとは父ヘンリー2世から領土を与えられなかったので欠地王
>>903 マンジケルトの会戦前に、アルメニア系のロマノス4世と
ギリシャ系のニケフォロス・ブリュエンニオスらとの間で、
アルメニアを放棄してトルコと講和するか否かで、論争が
あったとされるね。
>>902 派手だな。ローマ教皇だってこんなの身につけないんジャマイカ?
┏━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ ┃ ○ンチタイム ┃ ┃ 左から読むと○には「ラ」か「ウ」を挿れますが ┃ 人 ┃ ゥ,、 <。 > ┃ ゥ,、 (⌒─⌒) /Vミ バシ!! ┗━━ ((´^ω^)) / ミ <右から読むと、違う文字を入れたくなるのです! /) y )つ |~ ̄] ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
ビザンツ時代のギリシャ人って何食ってたんだろう
915 :
世界@名無史さん :2009/01/18(日) 20:03:20 O
ヨーグルトはアナトリアからバルカンが発祥らしい
916 :
世界@名無史さん :2009/01/18(日) 21:17:05 O
>>912 右から読むと、「コ」もしくは「ポ」を入れたくなるね。
ヨーグルトなんて、遊牧民族はたいてい食ってたんじゃないの? 東アジアにだって酪は古くからあったし
ワインの水割りは古代ローマから引き継いだ数少ない伝統のひとつだ罠
ローマ人がやったっていうワインの海水割りだけはどうにも理解しづらい。
>>919 他に寝そべって食う宴会とかも宮廷ではやってたけどな
トガ着ない、剣闘士試合やんない、食料配給無し、彫像技術消滅 硬貨の顔はみんな同じ顔、末期には戦車競争も消滅。SPQR?何ソレ? やっぱ失った物の方が多いな。
>>918 本格的に流行したのはブルガリアかららしい
>>922 トガとかは彼らが元々ローマ人ではないだろうからな。トラキアとかフリギア、
リディア、カッパドキア、イサウリア等の伝統はかなり存続していたのでは?
>>922 無くなった方が良いものばかりじゃないか
なんでローマとかビザンツ帝国とかは蛮族にやられたの? はるか昔はギリシア人が蛮族狩りとかやってたんでしょ?
>>926 オスマンやヴェネツィアは蛮族じゃないよ
なんというバルバロイ・・・
野蛮なローマがギリシャを征服し、文化的には征服された。 洋の東西を問わず蛮族が軍事的に征服し、文化的には逆に取り込まれる例は幾らでもある。 オスマンはビザンツ征服後、文化的にも征服した。 これはオスマンの文化がビザンツと対等以上だったから。
オスマンの文化が、というよりも、当時のイスラム文化が、だけどな
>>928 蛮族の意味がわかってない蛮族
まあ、ヴェネチアは帝国の自治領だから扱いは多少違うだろうが
酒を飲んで酔い潰れたりするのは蛮族の嗜み。 ローマ人がワインを割ったのは、酔わないため。 ビールがローマで流行らなかったのは、ビールを飲んで酔って暴れる蛮族を見たから。 だったらぶどうジュース飲めよと突っ込みたくはなるが・・・。
西はブルガリア、東からはトルコ、海からは野蛮なイタリア人どもが、 そしてフランク族が帝都を狙っているのに、皇帝ときたら我らがブラザーズだ。 酒でも飲んで酔っ払ってなけりゃ、やってられんかったろうなあ
アンゲロス朝に酒といえばニケタス・コニアテスの兄のミカエルの著作に まるで吉幾三のように当時のアテネのダメっぷりを書き連ねた部分があるそうだが 「アテネのワインはシャープで苦くて飲めたもんじゃない」 とか書いてるそうだ。 現代の学者が「それってもしかして松脂を入れたレツィナじゃね?」と突っ込んでいた。
>まるで吉幾三のように当時のアテネのダメっぷりを書き連ねた部分があるそうだが kwsk
ど田舎の村だったって事か。
古今アテネが駄目じゃなかった時期があったのかと。 都市国家アテネの時代からかなりグダグダで 今もギリシアの首都として絶賛グダグダしとる。
>>936 ・住民はもはや古典アッティカ語を話さず、粗野な方言を話している。
・もはや哲学者はおらず、聖職者は無教養である。
・住民はたまにしか教会に行かず、行ったとしても仲間内で無駄口をたたくのが目当てである。
・街は廃墟と化し、道には雑草が生い茂り、動物がそこで草を食んでいる。
・女子供は飢えてろくに着るものもない。
・まともな職人はほとんどいない。刀鍛冶も製鉄工も銅細工師もいない。
・駕籠すらアテネに造れるものはおらず、コリントス地方の町から取り寄せなければならなかった。
・土地はやせており、百姓はろくな農具ももっていない。
・小麦がしょっちゅう不足する。パンはまずい。
一番目は当たり前のような気もするが
中世そのままののどかな風景ですね。
アカデメイア閉鎖で衰退は決定的だったからな。 後々、アテネの遺物をありがたがったのはルネサンスにかぶれた蛮族だったというのは何と言う皮肉。
アテネ公の称号も、こんな片田舎が現状じゃなあ・・・ 蛮族フィレンツェ人も一年で蛮族フランス人を追い出すわけだ。
コニアテス兄は、古代の文献を読んでアテネを想像してて、行ったらがっかり、 だったんじゃないかと予想。
>>939 >・もはや哲学者はおらず、聖職者は無教養である。
ユリアヌスもそんな事言ってたな。
まるで、現在の外国人が日本に来て 日本にはサムライやニンジャがいないって嘆く様なもんだな。
>>945 コニアテスの時代から見て、古代ギリシャは1300年以上前、アカデメイアが閉鎖
されたユスティニアヌス時代でさえ700年前だからな。
今から700年前って言うと日本だと鎌倉時代後期。 今の鎌倉には尚武の気風も無く観光ばっかりだと言うようなものか。
でも、その時代だとパルテノン神殿が無事に残ってたはずだよね。 その事については書いてないのかな?
>>948 ビザンツ〜アテネ公国時代は教会になってたはず
で、ミカエル・コニアテスはアテネの大主教だったそうだが・・・
テッサロニキはずーっと大都市だったのに地味だよなあ。
>>950 破壊運動前のイコンが残ってたりして、ビザンツ史的には重要なんだけどね。
テッサロニキはビザンツでもギリシャ共和国でも第二の都市
今のテッサロニキは邪教徒にレイプされまくった成れの果てだからな。
954 :
世界@名無史さん :2009/01/22(木) 22:50:50 O
ダニイル郁夫あげ
テッサロニキはカンタクゼノスにはあれだけ抵抗した割にトルコ軍には結構あっさり降伏してる。
テッサロニキは第二の都市の割に結構陥落させられてるよな。 アラブの海賊やシチリア王国軍にも陥落させられてる。 ここの城壁柔かったん?
ていうかビザンツはいつもコンスタンティノポリスで持ちこたえるって感じだったのでは?
テオドシウスの城壁のおかげだな。 つーか、コレクラスの城壁を他の都市にも作っておけと・・・。
アドリアノープルとか帝位争いの際には結構役に立ってたようだが(反乱側に)
ヴァルダル河流域にあったプロサコンという城塞は河を見下ろす断崖の上にあって かなり難攻の地だったらしい。 対ブルガリア戦争のどさくさでドブロミルというヴラフ人の首領の手に落ちていたので 1197年にアレクシオス3世がみずから遠征軍を率いて奪回しようとしたが わずか500人の守備兵しかいなかったのに攻略できず、ドブロミルに名門貴族の 娘を与えて和解するはめになっている。
まぁ堅牢な城塞があれば500人でもけっこう防げるだろ
そもそも何人で攻めたのかにもよる
965 :
世界@名無史さん :2009/01/23(金) 19:33:42 0
世界遺産のドゥブロブニクってあれ、もともとローマ系の築城だっけ
蛮族が勝手なスレをたてるまえに、 そろそろ次スレをたてておかなくちゃな
968 :
世界@名無史さん :2009/01/24(土) 16:44:17 O
さあてそろそろ塩野氏の新刊か 愛と義に生きたヴェネツィア共和国の足を引っ張ることしかしなかった 糞ビザンチン帝国晒し上げ
969 :
世界@名無史さん :2009/01/24(土) 17:46:32 0
>>968 あのエンリコ・ダンドロが愛と義の男とな?
直江兼続かw
このスレにもそろそろメフメト二世がやってきそうだ
メフィスト二世?
アルプアルスラーンがやってくるのか
ヨハネス・クルクアス John Kurkuas (ビザンツの軍事的な全盛期を生み出した名将。ベリサリウスの再来と評される。)
>>976 クルクアスは本当に埋もれちゃってるよね、ベリサリウスにとってのプロコピオスにあたる
人物が居なかったのは残念
978 :
世界@名無史さん :2009/01/26(月) 23:59:09 O
クルクアスって初めて聞いたんだけど、なにやった人? 参考文献とか和書であったら紹介してくだせえ。
ヨハネス・クルクアス(中世ギリシャ語:ヨアニス・クルクアス)は10世紀にロマノス1世に登用され た将軍。 当代の人からは「第二のトラヤヌス」「第二のベリサリウス」と讃えられた。 北方のルーシの侵入を撃退し、東方ではアラブ軍に打ち勝って国境線を東方へ拡大させた。 日本語だと尚樹啓太郎『ビザンツ帝国史』がP468-469を「ヨアニス=クルクアスの戦い」に充ててる。
>>979 ー980
ありがとうございます。
尚樹先生の本を探して読むところから始めてみます。
982 :
世界@名無史さん :2009/01/27(火) 01:35:00 0
「ギリシャの火」の秘密は帝国滅亡まで守られたのか?
983 :
世界@名無史さん :2009/01/27(火) 02:28:59 0
確かにイスラム教徒もギリシャの火に類似した兵器を使ってはいたが、 ビザンツ帝国のそれとは少し違うものであったらしい。 イスラム教徒のものは、今で言う焼夷弾のようなもので、 ギリシャの火は火炎放射器、ナパーム弾に例えられる。
ナパーム弾は油脂焼夷弾の一種では・・・
wikipediaにはギリシアの火のそっくりさんとしてナパーム弾の事が書かれているね
13世紀の聖王ルイ伝に出てくる「ギリシャ火」と呼ばれるものは 「イスラム教徒が投石器で発射してくる火の玉」のことになっていた。
西欧のはなぁ しかも13世紀はもうビザンツが一度瓦解した後だし
>>985 別に間違いでもないんじゃないの
そもそもギリシアの火自体がどういうものか詳しくは分かってないんだし
よくギリシアの火の説明する時に一種の液体ナパームって説明を見るしね
>しかも13世紀はもうビザンツが一度瓦解した後だし それはこの際関係ないかと
たぶん、当時、火で攻撃する兵器は、なんでもかんでもまとめて「ギリシアの火」って 呼ばれたんじゃないかな たとえば、兵器の知識のない人は、手榴弾もナパーム弾も「爆弾」っていう そんな感覚で
挿絵とかだと焼夷弾より火炎放射器みたいな感じだよね。
993 :
世界@名無史さん :2009/01/29(木) 23:41:43 O
塩婆新刊警報あげ
ビザンツガレッガ
ビュザンティオン
996 :
世界@名無史さん :2009/01/30(金) 19:49:07 O
マンジケルトage
997 :
世界@名無史さん :2009/01/30(金) 20:41:31 O
第4回十字軍age
998 :
世界@名無史さん :2009/01/30(金) 20:44:08 O
あと1だ!age
999 :
世界@名無史さん :2009/01/30(金) 20:45:07 0
コンスタンティノス11世age
1000 :
世界@名無史さん :2009/01/30(金) 20:45:38 0
1000ならビザンツ復興
1001 :
1001 :
Over 1000 Thread このスレッドは1000を超えました。 もう書けないので、新しいスレッドを立ててくださいです。。。