1 :
世界@名無史さん :
2008/11/05(水) 18:31:13 0 「ブラック・アテナ」マーティン・バナール著 について話そう。 古代ギリシャ文明のルーツはアフロ・アジア?黒人文明か?!
2 :
世界@名無史さん :2008/11/05(水) 20:56:43 0
3 :
世界@名無史さん :2008/11/06(木) 08:42:16 0
アジアアフロ語族・エジプト人=黒人って意味分からん アフリカ人でも黒人Blackじゃないだろ
4 :
世界@名無史さん :2008/11/06(木) 14:11:18 0
カドモスはフェニキア人
5 :
世界@名無史さん :2008/11/06(木) 18:22:39 0
>>3 そうなんですよ。エジプト人って黒人じゃないですよね。?
そりゃ少しは肌の色浅黒いけど。
古代のエジプト人と現代のエジプト人って骨格とか見る限り、ほとんど
変化してないってTVでやってたと思うんですな。
ぼくはまだ1巻を読み始めたとこです。
いろいろ読んだ人から教えて貰えると助かると思い、このスレッドを作らせて
貰いました。
このシリーズは第2巻から出てたみたいですね、私は遅かったために第1巻から
読み始めることができて、返って良かったかもと思ってます。
6 :
世界@名無史さん :2008/11/07(金) 07:27:46 0
7 :
世界@名無史さん :2008/11/07(金) 11:51:14 0
グルジアに黒人の土着民が今もいるというのは本当なのだろうか?
8 :
世界@名無史さん :2008/11/07(金) 21:30:00 0
9 :
世界@名無史さん :2008/11/08(土) 05:17:00 0
クレオパトラは純血マケドニア・ギリシャ人?
10 :
世界@名無史さん :2008/11/08(土) 05:55:18 0
11 :
世界@名無史さん :2008/11/08(土) 06:43:57 0
歴史家プルタルコスは、クレオパトラ7世を、複数の外国語(メディア語・エチオピア語・シリア語・パルティア語・アラビア語・ヘブライ語など)に通じた、知的な女性と伝えている。 ギリシャ人の関心はエチオピア>>>西欧だな
12 :
世界@名無史さん :2008/11/08(土) 13:36:14 0
何が黒人か合理的な定義はできない
13 :
世界@名無史さん :2008/11/08(土) 13:52:52 0
オバマ氏を白人と呼んでも間違いではない
14 :
世界@名無史さん :2008/11/08(土) 14:43:35 0
ジダンは黒人
15 :
世界@名無史さん :2008/11/09(日) 11:40:58 0
今やっと第5章まで読みました。 いや〜ルネッサンス以来、古代モデル(エジプト派)はいろんな派から攻撃されたり、または 時に揚げられたり、紆余曲折激しすぎwいや〜おもろいっす。 古代モデル・ロマン主義・アーリアモデル・啓蒙主義・ユダヤキリスト教保守派などなど、 4つ巴、5つ巴の葛藤と鬩ぎ合い。 この本を読んでいて今の所気がついた所は、歴史学って歴史学者たちの歴史を研究することに あるのかしら?って思ったです。 とりあえず未だ第一巻読みきってないけど、途中age
16 :
世界@名無史さん :2008/11/09(日) 12:52:26 0
ポセイドンはエチオピア
たしかイタリア人の映画監督でホメロスのオデッセイアか何かを全員中東系の役者を使って撮った人がいるよw 影響受けたのか知らんけど。
18 :
世界@名無史さん :2008/11/09(日) 14:37:48 0
近代に主要な科学者を量産しているユダヤ人(アシュケナジム)も現代でも遺伝的に見れば中東に近い アインシュタインもアシュケナジム・ユダヤ人
19 :
世界@名無史さん :2008/11/09(日) 15:39:34 0
>>13 フランスの作家大デュマの親父のデュマ将軍も白黒のハーフだったな。
オバマは黒人というよりムラートの範疇だろう。
20 :
世界@名無史さん :2008/11/09(日) 16:34:19 0
人種差別の緊張が恐ろしいUSA的には「一滴でも黒人=黒人。中間は無い。」
21 :
世界@名無史さん :2008/11/09(日) 16:53:13 0
黒人なんて人種は存在しない
22 :
世界@名無史さん :2008/11/09(日) 22:02:05 0
人類みな兄弟
23 :
世界@名無史さん :2008/11/09(日) 22:09:54 0
コーカソイドとされてきた北アフリカ人はY染色体で見るとE系統が多く いわゆるサハラ以南の黒人と近い 逆に見た目では近いヨーロッパ人(R系統が多い)とは近似しない 見た目で人種を分けるにしても肌が黒ければ黒人というわけではなく(インド人・アボリジニ) 鼻が潰れてればインド人というわけでもなく何か客観的な定義があるわけじゃない 黒人とか白人とか意味不明な言葉つかうのやめるべき
24 :
世界@名無史さん :2008/11/09(日) 22:10:30 0
鼻が潰れてればインド人→鼻が潰れてれば黒人
25 :
世界@名無史さん :2008/11/11(火) 13:18:17 0
第9章まで読みました。 古代ギリシアへのフェニキア人の影響がロマン主義やインド・アーリアモデル、この時の反ユダヤ主義や 植民地主義から完全に葬り去られてしまった物語・・・いと悲しすぎ。(TT しかし、この第8、9章を読んでいて、素朴な疑問に突き当たります。 それは、そもそもフェニキア人ってそのルーツは?っという。 旧約聖書では出エジプト記より後なんですよね?フェニキア人が誕生したのって。 そうだとすると出エジプトが紀元前13世紀ごろですから、フェニキア人が活躍し始めたのが 紀元前12世紀ごろ、フェニキア文字が出てきたのは紀元前10世紀ごろということに。 ほか通説・学説でも当時のカナン人が征服したユダヤ人よりヘブライ語を学んだとなってますが。 バナールのいう様に古代の伝承、ダナオスやカドモスがギリシャにフェニキア文字を伝えたとなると 紀元前15世紀ごろってことになります。 古代ヘブライ語とフェニキア語は方言くらいの違いしかなく、それでいてフェニキア人はバール神を中心とする 多神教であり、ユダヤ人の一神教とは真反対だし、文化もかなり違っている。 どうも史実は逆でフェニキア人のほうが歴史が古く、ユダヤ人がフェニキア人から分かれたと するほうがシックリきそうな気がしてまいります。 一神教はやはりアケナテンのアテン神信仰であり、元フェニキア人の古代エジプト奴隷が でアテン神信者がその元だったなどという妄想が沸き起こってまする。ww まだ第T巻の途中ですがage
26 :
世界@名無史さん :2008/11/12(水) 17:22:56 0
第T巻読み終わりました。 簡単にレジュメと行きたいとこですが2chでは書ききれないっすね。w なので第T巻の簡単な結論だけ書いておきます。 この第T巻の云わんとしていることは、19世紀初頭までに古代ギリシャ文明と古代ギリシャ人が 西洋文明の源泉であり、自らその文明を発明し、古代エジプトやレヴァントの文明の影響はまったく なかった、ということであり、ギリシャ人はエジプト人よりも優れた哲学者、哲学の創始者であり、 ましてやそこに黒人文明の影響があったなどと夢にも考えてはならない。という アーリア・モデルの白人至上主義、反ユダヤ主義は19世紀のアジア・アフリカのイスラム教徒に対して 全ヨーロッパが団結していたギリシャ独立戦争の時代であった。 つまりアーリア・モデルとはその時代が生み出した正当性の無い怪しげな政治状況が生み出したものであり、 正当な古代モデルを破壊に導いたのは間違いであった。 ということである。 という事らしいのですが、ちょっと端折りすぎたかな。w
27 :
世界@名無史さん :2008/11/12(水) 17:33:57 0
この本がなぜ欧米の学会・マスコミ、一般社会にまで大論争を引き起こしたか。 それは解説の中にある通り、 ・・・・ヨーロッパ文明の始まりが。人種的に黒人に属すと見られるエジプト人とユダヤ系の フェニキア人の貢献によって形成されたとする、本書それ自体の主張の中にある。 この主張が、アメリカをはじめ、現在の西洋世界に根強く残る人種差別論争に火を注ぐ ことになったからである。・・・・・・ につきますね。 しかし何で日本では論争にも話題にもならなかったんでしょうかね。? 所詮、日本から見れば西洋の源流がエジプトだろうが黒人文明だろうが 関係ないってことでしょか。 それとこの本の翻訳がものすごく遅れているっということもあるでしょう。 第T巻はEUでは1987年の出版、第U巻が1991年。 日本への翻訳版は第U巻がTより先で2004年。第T巻が2007年という 変則でしかも十数年遅れというなんとも・・・・
>>25 旧約聖書を史料として使うのは危険ですよ。
とくに出エジプトのくだりは。
古代イスラエルが厳格な一神教だったというのも大きな誤解です。
29 :
世界@名無史さん :2008/11/12(水) 17:54:55 0
>>28 わーいレスだ〜〜!感謝です。
いや〜あんまレス付かないから、もうこのスレはこのまま眠らせようかな的な
書き込みしようかと考えてたとこです。(^^;汗
>旧約聖書を史料として使うのは危険ですよ。
私は古代ギリシャやローマに関する本を30冊くらい読んだくらいの
言わば歴史ファンでしかも初心者に近いんです。
それでもホメロス、ヘロドトス、ツキュディデス、クセノポンを読んでいた
おかげで「ブラック・アテナ」はわりかし楽に読めた気がします。
地名や人名をいちいち索引見なくてもすみましたし。
旧約聖書の物語はなんか怪しいですね、ほんと。
どうもこの本にも書いてあったりしますが古代イスラエルがバール神信仰が
あったとは、驚きました。多神教もあったんですね。
もっといろんな文献当たらねば。
ここにもっとあなたのような知識のある人が来てくれると嬉しいです。
これからもいろいろ教えて頂けると助かります。
これから第U巻を読むのですが、このスレはもう少しカキコを続けていこう
と思います。
30 :
KG ◆XK9DTM1U/. :2008/11/12(水) 18:05:57 0
>>29 ギリシア文明の独自性に疑問を挟んでいる学者は珍しくありません。
たとえば、C・ゴードンという学者は『聖書以前』(1967)という本の中で、
「ウガリットの遺跡のような考古学的発見を見れば、
ギリシャについて、これを密封されたオリンピアの奇蹟であるとか
・・・いうのは、間違いであるということが分かる」と言っています。
そしてギリシャとレヴァントの文化は、
東地中海世界という一つの枠組みの中で解釈されるべきだと主張しています。
彼は、古代イスラエルと古代ギリシャが
相互に全く隔絶されたものであるという伝統的な歴史観を批判し、
前者がセム系で後者が印欧系、
あるいは、前者がアジア・東洋的で後者が西洋的である分類の仕方を
過度に重視するべきではないと訴えています。
31 :
世界@名無史さん :2008/11/12(水) 18:18:09 0
>>30 サライス・ゴードンは何度もこの本に登場しますね。バナールがこの本を書こうと思った
鍵になる人物の一人だと、本人も述べてますな。
あとそのゴードンとアストゥアに影響されたルーズ・エドワーズの項、p510〜などにも。
32 :
KG ◆XK9DTM1U/. :2008/11/12(水) 18:24:58 0
>>31 やっぱりそうでしたか。
C・ゴードンは、東地中海が一つのまとまりとして存在できた要因として
「飛び地」(enclave)―いわゆる植民地―を挙げています。
軍事的・商業的利益を求めて自分たちの国を飛び出した者たちが作った
遠隔の地の共同体が、文化伝達の回路としての役割を果たし、
こうして東地中海世界の中で文化交流が盛んに行われたと考えています。
バナールもこの点を強調し、おそらくは
ギリシア地方がエジプト帝国の植民地であったと言いたいのでしょう。
ギリシアへのエジプトの影響を最大限に勘定するのが
バナールの独自性といったところでしょうか?
33 :
KG ◆XK9DTM1U/. :2008/11/12(水) 18:45:49 0
バナールは、ギリシアでの歴史的出来事には つねにエジプトが絡んでいると考えているようですね。 「クレタ島に最初に宮殿が建設された時期は、 エジプトでは第十一王朝が支配していた時代であった可能性がきわめて高く、 クレタ島の変容はこれによって説明できるかもしれない」と言っています。 その根拠としてバナールが挙げているのは、 @エジプトは第11王朝の後の中王国のもとで軍事力を増強し、レヴァントに遠征したから、 Aまた、第11王朝がアテネの南部から銀を輸入していたから、 Bクレタ島での牡牛崇拝が第11王朝起源だと考えられるから、だそうで。 しかしバナールはここに人種問題を絡め、 第11王朝の開祖が「黒人」であったと書き加える。 これがバナールの問題提起であり、物議を醸す部分なのでしょう。
34 :
KG ◆XK9DTM1U/. :2008/11/12(水) 18:54:35 0
35 :
《20世紀の神話》 :2008/11/12(水) 19:04:06 O
古代ギリシャ文明の担い手は、ゲルマン民族だって? < ̄予≧ ピコッ ☆ ( ^■^)っ―[] / [【卍】] (^o^) ローゼンベルクが言ってたぉ♪
ふと思ったんですけど、 このスレッドを立てたのは、 まさか『黒いアテナ』の出版社の方じゃありませんよね?
>>9 もしプトレマイオス1世が
金髪に青い目をした生粋のギリシア人だったのなら、
クレオパトラ7世も、金髪に青い目をした生粋のギリシア人です。
38 :
世界@名無史さん :2008/11/12(水) 21:15:15 0
マケドニア人だから、所謂ギリシャ人よりも金髪碧眼が多いでしょうな。
39 :
世界@名無史さん :2008/11/12(水) 21:39:38 0
>>36 違いますよ。w笑
最近図書館でこの本を借りて読み始めたただの読者です。
29に書いたとおり。
それより、36と37さんは32、33さんとは別人さん?
40 :
世界@名無史さん :2008/11/12(水) 22:00:54 0
エジプトは外部にはあまり かかわらないというのが定説なのでは?
42 :
《20世紀の神話》より :2008/11/12(水) 22:20:54 O
北方人種の原始郷土は何処であるかは、未決定のままであるかも知れない。 それにしても、南部アトランティス人はアフリカ、 南部アジアの方へ群れをなして移動したが、 北部アトランティス人は太陽神をヨーロッパから北部アジアの方へ、 ズメレール民族―彼等の紀元はその昔、 冬至の日とともに始まったのである! ―の方へ運び来たったということである!
43 :
世界@名無史さん :2008/11/12(水) 22:25:44 0
>>33 古代エジプト第11王国時代から中王国時代、青銅器時代に入りますね。
ちょうどクレタ文明の時代に符号します。
この時代から文学も盛んになり、『イプエルの訓戒』や『生活に疲れた者と魂との対話』、
『メリカラー王への教訓』など後世に残ったようですな。
「イプエルの訓戒」では、第11王朝の前のエジプト第1中間期の混乱の様子が描写され、
・・・・・門番や職人や洗濯屋が自らの仕事をせず掠奪に出かけており、
海上の支配権はクレタ人に奪われ、下エジプトには蛮族が侵入してエジプト人となった・・・
この「海上の支配権はクレタ人に奪われ・・・」ってのは結構重要かもですね。
これが史実だとすると第11王朝の前の第1中間期には、バナールが主張している
エジプトの植民地がクレタやアルゴリスにあったどころか、エジプトはクレタに押され
ていてとても彼らを支配するどころか、逆にエジプトの地中海沿岸部はクレタ人に支配
されていた可能性が強くなります。
実際第1中間期は内乱の時代ですからこうなりますな。なんら不振な点はありません。
問題はこの勢力の図式が第11王朝のエジプト統一により逆転がありえたのか?
ということになろうかと。
>・・・しかしバナールはここに人種問題を絡め、
第11王朝の開祖が「黒人」であったと書き加える・・・・
しかし第11王朝の初代王メンチュヘテプ2世は黒人だったのでしょうかね?
私はそのソースを知りませんが。
テーベの政権だったのでボイオティアのテーバイに関係してるとは思いますが。
44 :
世界@名無史さん :2008/11/12(水) 22:50:12 0
>>40 確かにこの第11王朝の時代は外部に遠征などはありませんでした、というのが
通説ですね。エジプト第2中間期(第13〜第17王朝)までは外部に遠征は無かった
とするのが通説です。
しかし新王国時代にはシリアやヌビアを支配下に治めるほど遠征がありました。
と言う通説をバナールは破る説を唱えたわけでもありますな。
45 :
世界@名無史さん :2008/11/12(水) 22:52:38 0
人類の起源は、アフリカに発生した「黒人種」。この黒人種の中に、 白子(アルビノ)が発生し、白子は白子で固まり、「白人種」が成立する。 黒人種の中に生まれた白人種は、毛色が違っていたため、黒人種から 差別され、1万年ぐらい前、北の寒冷地ヨーロッパへと追い払われる。 エジプトに人類最初の大帝国が成立するが、エジプト人は黒人。 このエジプト帝国は、征服地より奴隷を連れてくるが、この奴隷は白人 であった。紀元前13世紀に、この白人奴隷がモーセという指導者に 率いられてエジプトから逃亡する。この逃亡奴隷たちが、カナンの地へ 到達し、ユダヤ教を創設する。 その後、ローマ帝国に、ユダヤ人は二度に渡って反乱するが鎮圧され、 離散する。ユダヤ教から別グループとなり、イエスをキリストと仰ぐグル ープは、ローマ帝国の下層民の間で猛烈に布教することに成功する。 ローマ帝国は、キリスト教を植民地のヨーロッパに押しつけた結果、 固有の民族宗教(北欧神話、ケルト神話、ゲルマン神話・・)を捨てさせ られる。このキリスト教への不満が、さまざまな異端となって噴出・・ 16世紀にプロテスタント(文句屋)となって出現する。 このプロテスタントの一派、ピューリタンが迫害され、17世紀に新天地 アメリカ大陸へ逃亡、アメリカ合衆国が成立する。 要は、「アメリカ人は、黒人に差別された白人の中でさらに奴隷にされて 差別されたユダヤ人に差別されたキリスト教徒に差別されたピューリタン」 の末裔であり、4重の被差別の民族なのだ。 このルサンチマンが、「抜群の軍事力で気に入らない他民族を攻撃し、 虐殺し、現代世界を支配しようとしているらしいアメリカという国の思想と 行動を説明するのではないかと」考えている。
47 :
KG ◆XK9DTM1U/. :2008/11/12(水) 23:04:30 0
>>43 わたしはバナール説の支持者ではありませんが、
とりあえず、彼の立場を紹介してみます。
すでに
>>33 で述べたように、
バナールは、まずクレタ島の遺物に見られるエジプトの影響を強調します。
さらに彼は、第11王朝がエーゲ海域に進出していた証拠を挙げます。
メンチュホテプ二世の部将たちがヌビア、シナイ半島、ビュブロスにまで進出していたそうです。
なぜそう言えるのか、それは
@第11王朝の箱や棺にはシリア産の木材が使用されており、
Aビュブロス出土の「モンテトの壺」は前21世紀のエジプト製であり、
Bエジプトの二つの彫像がアッティカ地方産の銀で作られている、からだそうです。
さらに、「ミト・ラヒーナ碑文」を証拠に挙げ、
メンチュホテプには、北方への遠征への十分な動機があったと主張します。
そして次のように結論します。
「紀元前21世紀のクレタ島の社会的・文化的変容は、
第11王朝下のエジプト再統一と、レヴァントおよびおそらくはレヴァント以遠への
エジプト影響拡大と同時期に起きている。
クレタ島がエジプト王朝の祭儀を採用したことは明らかであり、
これはこの決定的時期にエジプトの直接的影響があったことを示していると思われる。
ヘレニズム時代の記録しかないが、当時、クレタ島とその島々はエジプトに支配され、
属国であったという伝説もある。
しかしそれは後世の記録であり、記録されているのは間接的記述であることを考えると、
このような示唆は推論の域を出ない。
しかし、紀元前21世紀にクレタ島がエジプトの大きな影響を受けていたことは疑いない」。
48 :
ホルポン :2008/11/12(水) 23:29:34 0
KGさんはじめHNをお使いになる人が多いので、私も 「ホルポン」というあんまぱっとしませんがHNにします。 ホルス神とクセノポンをくっつけた安易なHNですが。w
49 :
世界@名無史さん :2008/11/12(水) 23:32:07 0
エーゲ海族がエジプト人を奴隷として強制連行していたのでは?文化の伝播の原因。
50 :
世界@名無史さん :2008/11/12(水) 23:32:51 0
神官と神像もかっぱらってギリシャの宗教にしてしまった。
51 :
世界@名無史さん :2008/11/12(水) 23:34:03 0
旧約聖書には神像を神官ごとかっぱらう話がある。
52 :
ホルポン :2008/11/12(水) 23:54:07 0
>>47 >・・・わたしはバナール説の支持者ではありませんが・・
にも拘らず早速のバナールの結論をありがとうございます。
これらの説はおそらく 「第U巻考古学と文書にみる証拠 」の物だと思います。
私はこれからですので、あまりレスできませんが、それでも気がつくことなどを
書いてみます。
>@第11王朝の箱や棺にはシリア産の木材が使用されており、
Aビュブロス出土の「モンテトの壺」は前21世紀のエジプト製であり
ビュブロス人は確かにエジプトと交易し、レバノン杉をエジプトに売ってたと記憶してますが、
エジプト人はナイル航行用の船しか持っていなかったので、交易はビュブロスの船で
行われていた。っと記憶しています。
交易しはしていたので、エジプトの箱や棺にレバノン杉が、ビュブロスにはエジプトの
坪があるのは普通のことですよね。
それでなぜエジプトの遠征の証拠になるんでしょうか。疑問ですなぁ・・・
>Bエジプトの二つの彫像がアッティカ地方産の銀で作られている、からだそうです。
これもクレタ人を通じて交易していたので、アッティカ産の銀がエジプトにあっても
当然ですよね。
当然、クレタやギリシャ本土への交易もクレタ人の船で行われていたでしょうな。
彼らがクレタやビュブロスの船を真似て建造した可能性はありますが。
53 :
ホルポン :2008/11/12(水) 23:54:59 0
>>52 の続き
>紀元前21世紀のクレタ島の社会的・文化的変容は、
第11王朝下のエジプト再統一と、レヴァントおよびおそらくはレヴァント以遠への
エジプト影響拡大と同時期に起きている。
う〜〜ん。第1中間期の混乱期には外部にはタジタジとしていたのに、統一なった
第11王朝がいきなりロケットのように、そんな所まで行ってしまう物なのでしょうか?w
確かに歴史的に見ればペルシャ戦争後のマケドニアやポエニ戦争時のローマのような
例は無いことはないですけど・・・
>紀元前21世紀にクレタ島がエジプトの大きな影響を受けていたことは疑いない
これだけなら、そんなに一説としては無問題だと思いますが。
なんにしてもバナールの説はちょっと論理と思考が飛躍しすぎという感が無きに
しもあらずですな。
明日から私も第U巻を読み始めます。第U巻は長い(上下巻あり)ので
そのつど気がついたことがあったら、ここに書いて見ようと思っています。
KGさん非常に勉強になり、また助かりました。
またお願いします。
54 :
KG ◆XK9DTM1U/. :2008/11/13(木) 00:19:00 0
>>52-53 彼に言わせると、
>>47 の@〜Bは
第11王朝がエーゲ海域に進出する“動機”を説明するものだそうです。
彼自身も、エジプトがビュブロスに軍事遠征した直接的証拠がないことを認めています。
結局、彼の説明は
「軍事遠征していてもおかしくない」
という可能性を示しているにとどまっているだけで、
「軍事遠征していた」という証明にはなっていない。
従来、クレタ島の発展には、エジプト以外からの影響を唱える説もありますが、
バナールはそれを論破できておらず、
やはり「それだけじゃなくエジプトからの影響もあり得る」にとどまっています。
細かく見ていくと、どうもバナールの説は弱い。
55 :
世界@名無史さん :2008/11/13(木) 11:47:46 0
クレタ側からエジプトに接触してきたみたいだな。 ロシア人がビザンツからキリスト教を、モンゴル人 がチベットからラマ教を導入した例もあるからな。
56 :
ホルポン :2008/11/14(金) 16:14:54 0
「東部地中海世界の古代史を取り上げたものの中で聖書以来もっとも議論された書物」マリオ・リベラニ と言われた本書の歴史を少し紹介しときます。 ●1987年 「グラック・アテナ 古代ギリシャ文明のアフロ・アジア的ルーツーT.古代ギリシャの捏造 1785-1985」出版 ●「ブラック・アテナ」出版後、欧米でセンセーショナルな物議を巻き起こし、専門家だけでなく一般の読者からも 大きな反響を呼ぶ。バナール自身もコミュニティセンターでの講義、大衆雑誌からのシンタビュー、テレビ・ラジオの トーク・ショーなどを利用し自らの見解の普及に積極的に取り組む。 ●1990年 「ブラック・アテナ」第T巻に対する批判への反論 出版 これを機に、「ブラック・アテナ」をめぐる著者バナールと多くの学者の間での論争が始まる。 ●1991年 「ブラック・アテナ 古代ギリシャ文明のアフロ・アジア的ルーツーU.考古学と文書に見る証拠」出版 邦訳 藤原書店(上2004.下2005) ●1996年 19人の欧米学者による500ページを超える徹底的なバナール批判論集 「ブラック・アテナ再考 Black Athena Revisited」刊行 ノースラロライナ大学出版 ●「ブラック・アテナ論争」の意義をのべた「大学における異端」J・バーリナブラウ著 出版 ●2001年 「ブラック・アテナの反論」500ページを超える大作 出版 ●2006年 「ブラック・アテナ 古代ギリシャ文明のアジア・アフロ的ルーツ−V.言語学的証明 出版
57 :
世界@名無史さん :2008/11/16(日) 09:52:18 0
ホメーロスの作とされる『イーリアス』の中には、つぎのような章句がある。 「ゼウスさまは、ちょうど昨日、オーケアノスへ、立派なアイティオプスたちのところへお出かけになって、神様がたもみな、それについておいででした」(『イーリアス』、1巻、p.422〜423)
岩波ブックレット「東地中海世界のなかの古代ギリシア」から 古典文献から再構成された「古代ギリシア」に目に見える骨肉を与えたのは、 ヴィンケルマンを始祖とする「新古典主義」運動である。 彼は、彫刻と建築に代表される古代ギリシアの造形美術に、理想の美の姿をみたのだった。 ところが、ヴィンケルマンは一度もギリシアに行ったことがなかった。 彼が目にしたのは、ローマ人がイタリアヘ輸入したギリシア美術、 つまりローマというフィルターをとおしてすでに「純化」された古代ギリシアだったのである。
こうして「純化」され理想化された古代ギリシアは、ルネサンス以来の古典文献学と新古典主義の重厚な伝統のもとに、 ヨーロッパ文明の源流として位置づけられ、欧米の学界のなかで絶対的な価値をおびることになった。 そこでは、古代ギリシア文明を相対的にとらえる視点、例えば他の古代文明と比較するような視点は抜け落ちていったのである。
その顕著な現れの一つが、いわゆる「地中海分断モデル」である。 これは、地中海をはさんで東西に位置するギリシア・ローマ文明と古代オリエント文明とをまったく異質なものとしてとらえる考え方で、 代表的な論客としてマルクス、ウェーバー、フィンレイなどの巨人を擁して、古代ギリシア研究に大きな影響力をふるってきた。 バナールが批判の矛先を向けたのは、まさにこの地中海分断モデルだったのである。
61 :
世界@名無史さん :2008/11/17(月) 10:06:15 0
ブラックという言い方は語弊があった
62 :
世界@名無史さん :2008/11/17(月) 10:28:20 0
ギリシャのことは西洋人が一番よく知っているよ。
言うまでもないが、ギリシアのことはギリシア人が一番よく知っている。 ギリシア人を西洋人と呼ぶかどうかは、西洋人という言葉の定義次第だ。 ちなみにドイツ人は現実のギリシアも古代のギリシアも大して分かっていないのかも知れない。
64 :
世界@名無史さん :2008/11/17(月) 19:50:20 0
ギリシャのことはトルコ人が一番よく知っているよ。
65 :
世界@名無史さん :2008/11/17(月) 22:43:43 0
>>62 アイルランド人なのに黒髪黒目の人をBlack-irishって普通に言うから
Black=肌は白くても黒髪黒目の中東人(北アフリカ人・ユダヤ人) という意味でも使えるんじゃね
強引かもしれんが
66 :
世界@名無史さん :2008/11/18(火) 15:24:01 0
ギリシャ人とエジプト人。 同じ服装をして同じ会場にいたら100パーセント区別つくのか?
67 :
世界@名無史さん :2008/11/18(火) 15:25:01 0
現代ギリシャ人がそれほどホワイトともいえないが。
現代ギリシア人はほぼトルコ系だろ? 文化的背景として「古代以来のギリシア文化」を意識的に背負ってるだけで。 古典期くらいのギリシア人の血統はとっくに絶滅してるんじゃ?
69 :
世界@名無史さん :2008/11/19(水) 09:38:06 0
イタリア南部辺りの人間が古典期くらいのギリシア人の血統
>>68 ローマ帝国やオスマン帝国は別にギリシャ人根絶とかやったわけじゃないんだけど。
71 :
世界@名無史さん :2008/11/20(木) 16:51:49 0
スラブ人が移住してきて、地元ギリシャ人は一部沿岸都市、島嶼に避難。その後、一時ビサンチンが盛り返してきたとき、スラブ人がギリシャ化した。
72 :
世界@名無史さん :2008/11/23(日) 21:15:24 0
クレタ文明人=ぺラスゴイ?
73 :
世界@名無史さん :2008/11/23(日) 21:28:46 0
ペラスゴイ人=ペラスギ人=カリア人 キクラデス文明 クレタ・ミノア文明=エジプト・レヴァント=エジプト人+フェニキア人+リビア人
75 :
世界@名無史さん :2008/11/25(火) 14:56:55 0
76 :
世界@名無史さん :2008/11/25(火) 23:16:07 0
紀元前1212〜1181古代エジプトに描かれた、メレネプタ王墓の 四大人種壁画について、白人学者の解説は以下のようなものだ。 「第1群はエジプト人で、赤い皮膚、鼻筋は真っ直ぐか、わずかに鷲鼻で、 黒髪をもち、優雅な姿勢をしている。第2群はアジア人かアッシリア、ユダヤ、 ペルシャ人であろう。黄色い皮膚、短頭、隆鼻、黒髪、低身長である。 第3群は黒人で、髪は縮れ、広鼻、厚唇、突顎を示す。第4群はリビア人と 思われるが、白い皮膚、ブロンド、赤髭、狭い鷲鼻、青眼で、活動的にみえる」 しかしメレネプタ王墓を最初に調査したシャンポリオンの書簡の記載は以下だ。 「わたしは、これと共通する絵を、他の王墓で探すのが嫌になった。 私はこれを言うのが恥かしい。なぜなら、そのどれもがヨーロッパ人を 最後の第4群に入れており、われわれの人種は、序列のなかでも、 もっとも野蛮なものだからだ。ヨーロッパ人は、この時代には末席にあり、 それは正当な扱いであり、世間的には見よい姿をしていたとは言えない」 『黒色人国家と文化』pp52-54 この書簡と白人学者の説は、大きく違っている。白人学者は、今では誰もが 探して目にすることが出来る原図の第2群と第3群を入れ替えている。黒人を 低く見せたいのだろう。またこの絵が描かれた当時はユダヤもペルシャも まだ歴史上に出現していないし、第4群の「リビア人」とはアフリカ人を指し、 黒人を意味していたのだ。間違いだと知りながら書いているのだろう。 科学も文明も、白人種のものにしておきたい人々にとっては、最近の有色 人種の活躍には我慢できないものがあるのではなかろうか。
77 :
ホルポン :2008/11/30(日) 17:01:57 0
今やっと10章まで読んだところです。ずいぶん時間かかっちゃった。 ちゃんとした感想は読み終わってから書こうとは思いますが、ちょっとした雑感といたしましては、 バナールって発想が自由というか、自由にものが言えてるなぁ、って感じですね。 例えば、第12王朝のセンウセルト3世のことを「エジプトでもっとも偉大なファラオ」 なんて日本で言ったら、「お前は軍国主義者だ!」と言われそうだし、 エジプトは黒人文化とか全体的な意見は、「お前はリベラル過ぎる」っと言われそうだ。 日本に比べるとイギリスって自由にものが言えていいですなぁ。 もっともそれで欧米で大コンフリクトを巻き起こしたわけだけど、それは学者としての 言いたいことを言った結果だし、これはまさに学者冥利に尽きるんではないだろうか。
> 日本に比べるとイギリスって自由にものが言えていいですなぁ。 それは学会の中の話かな。 ともかく、欧米だから論争を巻き起こすのであって、日本で同じことを言っても「ふうん、それで?」ということになりかねないな。 ただ、日本の学者からこういう発想が出にくいってのはあるかもね。 社会科学は欧米追従っていう権威主義的なところが強いし、特に西洋史なんか当然あっちが本家だしね。
79 :
世界@名無史さん :2008/12/02(火) 01:22:51 0
「黒人」「ブラック」という言い方は誤解を招く。 エジプト・フェニキア征服説。
80 :
世界@名無史さん :2008/12/03(水) 06:59:33 0
極左政党であるはずのトロツキストがバナール説を攻撃したらしい。
81 :
世界@名無史さん :2008/12/12(金) 03:48:48 0
ギリシャ人という意識はトロヤ戦争によって生まれた
82 :
ホルポン :2008/12/21(日) 06:40:07 0
とっくに読み終えてはいるんですが、2chで何を書けば良いやら。(^^; とりあえずageときます。
>>76 白い皮膚の人間がベルベル人かヨーロッパ人か…
メレネプタはMerneptah?新王国時代か。
当時のエジプトにとってヨーロッパはナイル上流や中東に
続けて描かれるほどの存在だったのだろうか。
シャンポリオンのほうが自意識過剰気味だったかもしれない…
84 :
世界@名無史さん :2009/01/28(水) 11:03:21 0
(´・ω・)ダレモイナーイ……
85 :
世界@名無史さん :2009/01/29(木) 09:46:56 0
* * * うそです + n ∧_∧ n + (ヨ(* ´∀`)E) Y Y *
>>25 >一神教はやはりアケナテンのアテン神信仰であり、元フェニキア人の古代エジプト奴隷が
>でアテン神信者がその元だったなどという妄想が沸き起こってまする。ww
最初の一神教祭司アクエンアテン=アブラハムなんて説もあるとか。
もしかするとアフリカ大陸の文明だから黒人の文明のはず、という単純な思いつきから 生まれた説なのか?
この本はセソストリスの大遠征という大暴挙(本人曰く)だけじゃなくって、 テラ島の噴火(紀元前1628年)とヘクラ第3噴火が地中海世界だけではなく、 中国の夏王朝と商(殷)王朝の崩壊につながった説など、読む価値盛りだくさんの 本だと思う。
89 :
世界@名無史さん :2009/04/05(日) 18:19:06 0
90 :
世界@名無史さん :2009/04/05(日) 19:42:23 0
歴史を持たないゲルマン系が生み出した幻想が古代ギリシャ
>86 >最初の一神教祭司アクエンアテン=アブラハムなんて説もあるとか。 それは アクエンアテン=モーセ だろう? 実際アクエンアテンはファラオになる予定じゃなかったんだよ。お兄さんがファラオになる 世継ぎで、実際アクエンナテンは神官になった。でも兄貴が若死にしたのでアクエンアテンが ファラオになったわけだ。 なのでマネトの言うモーセはエジプトの神官であり、その神官によってユダヤの民を率いた 。というのはあながち嘘でもないのだよ。 それがアケンアテンだというのはありえないけどね。アクエンテンのミイラも王家の谷で 見つかっているから。
>>91 > それがアケンアテンだというのはありえないけどね。アクエンテンのミイラも王家の谷で
> 見つかっているから。
>
だったら無理にアクエンアテンをモーセにすることはないんじゃなかろうか?
アクエンアテンの一神教をエジプト国外に持ち出したカナン人一派の指導者格の人物が
モーセの原型とされるべきだと思うが。
>>92 >だったら無理にアクエンアテンをモーセにすることはないんじゃなかろうか?
だれもしてない。そんな説もあることはあるらしいが。
アケンアテン=アブラハムはいるらなんでも時代が違うだろうし、おかしいからそう
言ったまでさ。
ユダヤの一神教の出自はよくわからないらしい。ユダヤ人のカナンに移住して最初の
うちはバール神も信仰してたようだし。
おそらくエジプトの保護国だったのが、ショシェンク2世に神殿や宝物を略奪されてから
その反動で反エジプトになった結果ではないか?という気もする。
94 :
世界@名無史さん :2009/04/08(水) 22:38:06 0
age
さっきのNHKスペシャル『サハラ砂漠 謎の岩絵〜エジプト文明の起源に迫る〜』はひどかったぞ。スーダンとリビアの 国境付近にある1万年前の壁画の泳ぐ人と大きな動物が、エジプトの壁画に描かれる死者や怪物のアメミトに似てるとか 主張するんだけど、正直別に似てないんだよ。 「こんな壁画を描いた人たちが歴史から消えてしまったとは思えない」とかの主観で結んでいたけど この本寄りの結論に誘導したかったのか?
再放送やるよ 試してガッテンみたいに前振りが長すぎて寝てしまった。 こっちは壁画が見たいのに、日比野克彦とか得体の知れない連中の顔ばかりアップで撮ってるのなw
97 :
世界@名無史さん :2009/07/23(木) 21:23:13 0
なぜに古代エジプトと言うと中王国時代は軽視されるだろうか? 今度のNHKの「エジプト発掘」3回シリーズでも、 1.ピラミッド。 2.ツタンカーメン 3.クレオパトラ だもんなぁ・・・・いい加減に飽きないのかね? それより、中王国時代のセソストリス、センウスレト三世の大遠征の伝説、 ノモス州や、ファイユームの干拓、官僚制度の整備、共同統治機構の王政制度、 数え上げたらきりがないほど、中王国が古代エジプト史において非常に重要な 時代だと思うんだけど・・・・・なぜかマスコミでは取り上げられない・・・
98 :
世界@名無史さん :2009/07/23(木) 22:37:56 0
黒人てコーカソイドの文化・文明のお世話になりながら起源主張するなんて朝鮮人みたい
>>97 そういうのでないと視聴率が集まらないんだよ
>>98 起源主張は当事者というより自称黒人の味方が積極的にやってるんじゃないかな?
101 :
世界@名無史さん :2009/07/29(水) 14:30:41 0
しかし今回のNHK「エジプト発掘」第2回ツタンカーメンはつまらんかった。 アンケセアメンのミイラついに発見か〜!と引っ張っておいてあれかい。(^^;汗
この次はクレオパトラの死の意外な真実だっけ?これも期待しないで待つかw
>>95 この本より?
何か変な概説でも読んだ?
時々歪曲された形で紹介されんだよこの本。
もともと歪んだ説だから多少歪曲されても問題なし。
105 :
世界@名無史さん :2009/08/01(土) 20:49:03 0
>>103 >>104 この本がコーリン・レンフリューなどの歪曲アーリアモデル学者によって歪曲されているので
あって、この本は別に歪曲された本ではない。
106 :
世界@名無史さん :2009/08/02(日) 21:34:40 0
107 :
世界@名無史さん :2009/08/02(日) 21:55:33 0
今日NHK「エジプト発掘」でやってたアルシノエ(クレオパトラの妹」の 復元された顔だけど、今まで想像されてたクレオパトラの顔とは似てもにつかない 顔だったな。 白人と古代エジプト人(黒人)の混血だとか。 これまでのイメージを一新するものがあった。
そういうのってどのくらい信用できるんだろうか 日本に戦前の皇国史観の反動として韓国起源説とかあるのと同様に、 西洋にも西洋中心史観の反動として行き過ぎたブラックナショナリズムとかあるようだし
109 :
世界@名無史さん :2009/08/02(日) 22:00:55 0
同母妹なのか? というか古代エジプト人って黒人確定かよ?
黒っぽい人=黒人とかかなり大雑把にとらえてそう
112 :
世界@名無史さん :2009/08/02(日) 22:24:09 0
白人も結構頭長くないか? それに、半々くらいの混血でも、色の付け方で白人にも黒人にも見えるでよ。
そもそもエチオピア人、ソマリア人の大半、エジプト人の半分が持ってるEの遺伝子は 俺ら黒人をイメージする西アフリカ、南アフリカ人がもっているEの遺伝子とは 3万年以上前に分かれていて肌が黒いといってもかなり違う ヨーロッパに多いRと極東に多いOの遺伝子もだいたい3万年前ぐらい前に分かれてるからな ほとんど別人種といっていい
黒人の血が入っている根拠って頭が長いから??? NHKは時々トンデモに加担するからな。軍馬として訓練されていない日本在来馬に重りを載せたらすぐへばったから こんな馬に鎧武者を乗せて戦闘できるはずがない。だから騎馬武者はいなかった、とか。 日本在来馬は蒙古馬の系統なのに。
蒙古馬の血統というだけでは不足ならば、少なくとも鎌倉武士が重武装で騎乗戦闘を行っていたのは 騎射に向いた武装や文献・絵画史料から確定的、とでも書けばいいかな?
116 :
世界@名無史さん :2009/08/02(日) 23:35:55 0
日本人には黒人=西アフリカ人(アメリカ黒人)っていう偏見があるからね 鼻筋の通ったソマリア人やエチオピア人、古代エジプト人の絵画を見ると不自然に見えて、 「肌は黒いけど鼻筋は通ってるから日焼けした白人だろう」と思う人も多いんじゃないかな
それは東アフリカ系をコーカソイド認定するか、黒人認定するかによってかわってくるし 実際東アフリカ系は西部、南部アフリカ人より 中東人の方が遺伝子近いぐらいだしな
帝国書院の古い地図帳が手元にあるけど スーダンの東半分以上とエチオピアやソマリア、ケニヤの大半は コーカソイド・ネグロイド混血で塗られてますね。 おかげで皆フリーダムに認定してるというわけかな。
アフリカ大陸の人種すべてを黒人で大雑把に総括するのは 「アジア人」くらいムチャな定義ってことだな。
120 :
世界@名無史さん :2009/08/03(月) 12:43:40 0
アメリカ政府の定義によると北アフリカ人はcaucasianだが東アフリカ人はblack, africanだ
フェニキア人もコーカソイドになるのかね?
123 :
世界@名無史さん :2009/08/03(月) 15:38:48 0
なんでいまさら人種論争なんてしてるんだ。 バナールが議論しているブラックというのは、非アーリア人程度の意味だぞ
じゃあセム人もエーゲ諸島先住民もエトルリア人もカフカス諸族もブラック?
ヒッタイトは白人。
ヒクソスは?
読まずに議論できる。 それが2chのよいところw
全くその通りだよ。
>>105 とか知ったかぶってるだけで明らかに読んでないもんなあ。
いい加減にしてほしいよ。
129 :
世界@名無史さん :2009/08/04(火) 14:35:47 0
>>128 ちゃんと読んだぞ?お前こそどういう根拠で読んでないなんて言えるのか
わからん。
いい加減にしてほしいのはこっちだな。
130 :
世界@名無史さん :2009/08/04(火) 19:39:17 0
>>124 ,126
いわゆるアーリア系だろうが、当時の民族移動のデータ見たら多かれ少なかれ、
まっしろけーな白人様じゃないだろうとは思うな。
多分バナールはイベリア人とかもブラック扱い。
131 :
124 :2009/08/04(火) 20:08:18 0
>>130 おいおいしっかりしてくれよ……
おれは敢えて非印欧語族の民族や語族を列挙したんだぞ…
セム語族が印欧語族なんて珍説を唱える奴始めて見たよ…
132 :
世界@名無史さん :2009/08/04(火) 20:40:11 0
非アーリア=ブラックならフィンランド人もブラックだぞ
俺らもブラックか バナールってバカだろ ブラックの定義が広すぎるわ
134 :
世界@名無史さん :2009/08/12(水) 01:09:02 0
古代エジプト人は今のソマリア人に近いとは、知らなかったな。 バナールももう少し人類学的なアプローチもしていたら、この本はもっと 説得力があったと思う。
135 :
世界@名無史さん :2009/09/13(日) 22:13:32 0
古代エジプト人は白人と黒人の両方の特徴をそなえた原始的な種族で、貴重な 民族であり、その文明は世界一古い可能性が出てくる。 メソポタミヤよりエジプトのほうが古いとなると、いろいろ世界史も塗り替えられること になろう。
136 :
世界@名無史さん :2009/09/13(日) 22:16:19 0
地中海人種とヌビア人だろ そしてその混血 ヌビア人がファラオになった時代もある
137 :
世界@名無史さん :2009/09/14(月) 21:27:42 0
>>136 いや、ちがう、古代エジプト人は今のソマリア人に近い。
それが白人と黒人の特徴を残している原始的種族であるということ。
つまり白人と黒人に別れる前のホモ・サピエンスの原種に近い種族であるということ。
おそらく中王朝まではほぼそれの純血種。
新王朝は、少しヒクソスのセム系が入り、その後はアッカド人、ペルシア人、ギリシア人
が入る。
古代が終わると、イスラムに支配されアラブ人が入るけどね。
>>137 いや、ちがう、農耕民は数が多いから征服者が入ってきたって遺伝子構成は大きく変化しない。
トルコ系の王朝になって言葉もトルコ系になったアナトリア半島の遺伝子に、本来のトルコ系種族の遺伝子はほんの少ししか入っていないのと同じことだよ。
139 :
世界@名無史さん :2009/09/16(水) 23:05:05 0
140 :
世界@名無史さん :2009/09/18(金) 18:34:46 0
カイロ博物館でミイラみてきたけど ラムセス2世はじめ大半は鼻が高いホワイトアフリカ系ミイラ ヌビア系は解説にそう書いてあった
141 :
世界@名無史さん :2009/09/19(土) 03:17:01 0
ソマリア人もホワイトだしね・・・
142 :
世界@名無史さん :2009/09/19(土) 03:19:43 0
ソマリア人なんて見るからに黒人なんだが。
144 :
世界@名無史さん :2009/09/19(土) 13:04:11 0
>>140 白人たちって、どうしても少しでも白人的要素があれば、
「この骨格は白人である。」っと断定してしまい、他の要素はノイズであると
切り捨ててしまう傾向がある。
少し前にアメリカで発見された先住民族の骨格も「白人」であると断定したが、
後の調査では実は一番近いのは日本のアイヌ民族であったことがわかった。
でも、通常、アイヌを「白人」とは見なさないよね?
したがって、そのカイロ博物館の解説は間違いと断定して良かろう。
私個人的には、古代エジプト人は今のソマリア人とほぼ同じだとの認識でも
良いとは思っているが、ソマリア人より実際はもう少しだけ白人の要素が強
い民族であった可能性もあると思う。
しかし何れにしても人種のカテゴリーは黒人に分類されるのは間違いない。
145 :
世界@名無史さん :2009/09/19(土) 18:24:55 0
イスラム化・アラブ化以前に地中海人、とくにシリア人奴隷と混血した可能性は、高いだろう
146 :
世界@名無史さん :2009/09/20(日) 15:28:59 0
>>145 第1中間期(紀元前2180年頃 - 紀元前2040年頃)にクレタ人やカナン人(らしき)遊牧民が勝手に下エジプトに移住してきて、
「俺たちはエジプト人だ〜!!」と名乗って居座ってしまったと「イプエルの訓戒」という書物に出てくる。
つまり少なくとも古王国時代まではほぼ100%純血種の古代エジプト人だったと思われる。
第1中間期でもクレタ人やカナン人との混血は微々たる物だったと推測できる。
第2中間期でヒクソス(ヘカ・カウスト)が下エジプトを占領する。
ここでは無視できないほどの混血がなされた可能性はあるが、これも人口全体
からするとどれほどかは定かではない。
どの道ヒクソスは第18王朝によって追放されシャルヘンでほぼ殲滅されてしまうので
それほど血は混ざらなかったかもしれない。
なんにしても古代エジプト人が大規模な混血を始めるのは第3中間期以降と思われる。
147 :
世界@名無史さん :2009/09/27(日) 18:01:17 0
148 :
世界@名無史さん :2009/10/05(月) 18:24:42 0
ブラック・アテナはヤスパースの「文明の起源とその目標」に出てくる 「枢軸時代」とジュリアン・ジェインズ「神々の沈黙」と 合わせて読むと面白いかも。
149 :
世界@名無史さん :2009/11/09(月) 12:51:51 0
ハムナプトラ2やそのスピンオフの「スコーピオンキング」では、スコーピオンキングこと 蠍王がシュメールからやって来たことになってるが、あれはまったくのデタラメだから 信じちゃダメですよん、アゲ。w
150 :
世界@名無史さん :2009/12/07(月) 20:10:30 0
あげときます。
151 :
世界@名無史さん :2009/12/10(木) 17:30:03 0
ニケはアテナの化身だと思うよ。 どんな戦いでも勝利するためには知恵が必要。 知恵がなければ勝てないから。
152 :
世界@名無史さん :2009/12/10(木) 18:46:44 0
アテナとニケは同一だと思うよ。
153 :
ホルポン :2010/01/05(火) 15:43:54 0
明けましてあめでとうございます。 今年もこのスレをよろしくお願いします〜〜〜。 <(__)>
154 :
世界@名無史さん :2010/01/10(日) 21:19:44 0
まあここの連中には大変申し訳ないが、 ビザンツ帝国と神聖ローマ帝国の共通性からして怪しい。 ハプスブルク家がカエサルの一門を主張していたらしいがかなり時間的ブランクがある。 かつて19世紀のイギリス貴族に「日本人は漢人とは異なる人種」 という認識の人がいたり他の西洋人も、ユダヤの血をひく日本人とか カルト的な認識を持った人物がいた。ちょうどその頃のオーストリア人で 現代ギリシャと、古代ギリシャ非継続説を主張した人がいる。 いずれの場合にせよ、古代エーゲ海世界と現在の欧米の関係性はかなり小さいはず。 それは特に言語学的にそう言える。
155 :
世界@名無史さん :2010/01/10(日) 22:50:41 0
エジプト人は白人系と黒人系両方いる。(例:ナセルは白人系、サダトは黒人系) 問題は古代エジプトの支配層がどっちだったかということだろ。 支配層が黒人で被支配層が白人だったら「黒人が白人を従えていた時代もあった」ということでアメリカ黒人は満足なんだろ。
>>144 かなり強引な論法だな ここ学問板なんだから先入観で勝手に断定するなよ・・・・
>白人たちって、どうしても少しでも白人的要素があれば、
「この骨格は白人である。」っと断定してしまい、他の要素はノイズであると
切り捨ててしまう傾向がある。
少し前にアメリカで発見された先住民族の骨格も「白人」であると断定したが、
後の調査では実は一番近いのは日本のアイヌ民族であったことがわかった。
でも、通常、アイヌを「白人」とは見なさないよね?
したがって、そのカイロ博物館の解説は間違いと断定して良かろう。
157 :
世界@名無史さん :2010/01/11(月) 12:43:51 0
158 :
世界@名無史さん :2010/01/13(水) 01:07:35 0
それは長年のイタリア政府の失策だろう。 しかし今日本屋でさっそく国際プロパガンダを見たわけだw 子供向け歴史漫画雑誌で「古代ギリシャはヨーロッパのルーツです。」 という文言。でも関係性はわかりませんてかw
アジアに対してヨーロッパ(エウロパ)と言う概念を作ったのは古代ギリシア人なんだから、 古代ギリシアがヨーロッパのルーツと言うのは、その意味で間違ってないぞ?
でも、古代ギリシャはローマに屈服し、そのローマもゲルマン人の新入で文明が断絶して大暗黒期迎えていて 彼らがヨーロッパのルーツというのは幻想に過ぎないんだよね。
161 :
ホルポン :2010/01/13(水) 18:37:44 0
>>156 古代エジプト人は今のソマリア人に近いとしたら、
>>144 の言ってることは
間違って無いように僕は思ったけどねぇ。
むしろ140さんのカイロ博物館の表示のほうが先入観でラムセス2世はじめ、
古代エジプト人は白人だと決め付けてるように思える。
アメリカで発見されたアイヌに近い骨の断定と同じ思考パターンってわけだね。
あのなあ、カイロ博物館の説明は最低でも学芸員レベルの精査通っていると思われるが、
どこの馬の骨ともしれない輩にすぎない
>>144 が匿名で主観で決めつけた意見と同じ土俵に
たてる道理がないだろう・・・・
ま、どうせ
>>161 =
>>144 と中の人が同一人物なんだろうがね。
163 :
世界@名無史さん :2010/01/15(金) 01:34:59 0
>>159 仮に概念があったとしても、全く当時の領土範囲と異なる。
アリストテレスがアジア人の事を蛮人だと言っていた話も
あたかも現代の主観で取ってつけたような話だ。
神聖ローマ帝国(第3のローマ)がビザンツ帝国とどう関係しているのか。
164 :
世界@名無史さん :2010/01/17(日) 16:27:20 0
>>162 博物館の説明なんてwikiレベルの信憑性しかないよ、日本の博物館見りゃ解るでしょ
白人の文系学者にはインド人や匈奴人まで白人認定する捏造魔も多いしなw
インド人や匈奴の人種を問題にするときに「白人」なんていう 殆ど俗語に近い言葉を平然と使うのと互角の信憑性だな
バナールの定義に従えば日本人も黒人だしな
>>158 途中にローマやらイスラムやらが介在するというだけで、源流を辿ればギリシャに行き着くのは間違いない。何か問題でも?
>>160 ローマがギリシャから多大な文化的影響を受けたのは常識
ローマ帝国がゲルマン人の侵入で滅びたといっても原始時代に戻ったわけではない。
ビザンツや西アジアから見たら野蛮だが、国家も文化も存在した。当たり前だが
そしてそこにはやはりローマの影響が多大に見られる。
>>167 いや、源流はオリエント(エジプトやメソポタミア)に行き着くよ。
だいたい、イスラム圏が文化的影響を受けたのはギリシアだけじゃないしね。
ギリシアが介在しないオリエントの影響も大いに受けてるよ。
ピタゴラスやプラトンはエジプト・カルデア・ペルシアの宗教からかなり影響を受けてるぞ。
170 :
世界@名無史さん :2010/01/17(日) 18:41:40 0
そもそも、ギリシャの宗教は大半がエジプト宗教を取り込んで出来上がったものだし
古代ギリシャの源流がオリエントにあるなんて誰でも知ってるだろ 源流たどってけば原始人、チンパンジー、アメーバまで行くわ ようするに古代ギリシャの時代、それ以前に比べて学問、思想が飛躍的に発展して その影響がヨーロッパだけでなく西ユーラシア全体に及んだってことだ
それと西ユーラシアではヘブライ発の宗教が古代ギリシャ同様に 大きな影響与えてるよな
173 :
世界@名無史さん :2010/01/17(日) 19:34:29 0
古代ギリシャ以前、エジプトやバビロニアでそれ以前と比べて学問、思想が飛躍的に発展しているし 後代のイスラム世界でも発展している、ギリシャを殊更特別視する理由は何も無い
枢軸時代で愚グレカス
エジプトやバビロニアも十分特別視されてると思うがな ことあるごとにピラミッド特集やるし それにギリシャに比べて時代が広すぎるわ
その論理でいうとバビロニアやエジプトも殊更特別視する理由は何も無い な
エジプト学は西洋文化の源流としてシノロジー(中国学)やジャパノロジーといった東洋学とは区別されてるよ。 日本人のシュメール研究者が西洋人のアッシリア学(=楔形文字時代学)者に 「なんで日本人がシュメール研究するのか?我々にとっては聖書などの関係で、自分達のルーツと言えるが 日本人にとっては何のゆかりもない世界じゃないか?」と言われて閉口したって話もある。 (中公の世界の歴史シリーズの対談に入ってる)
>>165 白人厨が現実社会で相手にされない鬱憤を2chで原しているだけだろう
>>164 のような
馬の骨は枯死するまで放置プレイしとけ。
179 :
世界@名無史さん :2010/01/18(月) 01:00:34 0
>>178 ムチ男君がどれだけ煽っても
白人学者がインド人や匈奴人まで白人認定してた事実は無くならないんだよね〜w
>>176 西欧が殊更特別視するのは常にギリシャだから何の関係も無いな
イスラムがアラブを殊更特別視してるのはおかしいよな ルーツはユダヤ教にあるんだから
182 :
世界@名無史さん :2010/01/18(月) 13:27:28 0
>>178 >>179 スレ主でございます。なんの仲裁力も無い無力な者でございますが。
ほどほどにお願いしますぞ。
まぁ私もエジプトの学芸員以上だから信用するべきってのは、わからんでも
ないですが、それ以外はダメと決め付けるのも如何なものかと。
ちなみに144さんと私は別人ですよん。(^^
183 :
ホルポン :2010/01/18(月) 13:32:48 0
>>174 カール・ヤスパースの「枢軸時代」ですが、これには古代エジプトがかなり
絡んでいるのではないか?と仮説をたててみたい気もしてます。
以上スレ主でした。皆様、なるべく仲良くお話してくださいね。
というか
>>179 の
白人学者がインド人や匈奴人まで白人認定してた事実は無くならないんだよね〜w
との主張をみているとコイツの底も知れたものだがな。
インドといってもドラヴィダ系は兎も角も、インダス文明を滅ぼしたアーリア系は
明らかにコーカソイドだしな
匈奴にしても地中海世界における海の民同様に混成集団だったはずだが。
そもそもこいつのいう「白人」のイメージってコーカソイドのそれではなく
おそらくは西欧人をイメージしているんだろうがな。
こんなバカが
>>144 のような主張をしても論じる価値も無い。
放置して枯死させておけばいい。
どうせその辺の兄ちゃんレベルの厨房が白人へのコンプレックスから2chで自説を
認めさせようと必死になっているだけなのだから。
185 :
世界@名無史さん :2010/01/18(月) 18:44:52 0
>>184 匈奴はモンゴロイドの混成集団な、イラン系はアルタイ以東にはほとんど痕跡が無い
「海の民同様に混成集団だったはずだが」(キリッ)とか頭悪過ぎw
インダス文明を築いた国家は自己都合で崩壊、イラン系は関係無い
しかもイラン系と推定される系統の割合は北西部ですら10%強しか居ないし
有史以降に中央アジアから南下したイラン系やチュルク化した遊牧民が占める割合も高い
イラン系の話になぜすり替えているんだこの馬鹿
187 :
世界@名無史さん :2010/01/18(月) 20:59:20 0
186 :世界@名無史さん [↓] :2010/01/18(月) 19:41:53 0 [PC] イラン系の話になぜすり替えているんだこの馬鹿
188 :
世界@名無史さん :2010/04/20(火) 16:12:49 0
189 :
世界@名無史さん :2010/07/01(木) 21:24:18 0
ほしゅ
ミケーネを征服したドーリア人に限れば黒海沿岸を遊牧民にどつき出されてきた群で、 黒人とは考えにくい。
ドーリア人って誰だよw
ドーリア人(正しくは「ドーリス人」、ドリス人)は、 アイオリス人、イオニア人と並ぶ古代ギリシア、ギリシア人を構成した 主要な3大集団のひとつ。紀元前1100年頃ギリシャに侵入し、 ペロポネソス半島に定住した。ギリシア語のドリス方言を話し、 代表的な都市はスパルタ、マケドニアである。
スパルタはドーリス系だけど、マケドニアはドーリス人と何の関係も無い
194 :
世界@名無史さん :2010/07/12(月) 18:19:13 0
195 :
世界@名無史さん :2010/07/15(木) 11:15:03 0
ドーリス人は、南下したマケドニア人じゃなかったの?
ドーリス人はドーリス人、マケドニア人がドーリス人と何かしらの関係があったかどうかは不明
197 :
世界@名無史さん :2010/07/21(水) 02:41:13 0
ドーリス人はギリシャ語を話していなかったの?
ドーリス人はギリシャ語を話していなかったよ ギリシャ語が土着のギリシャ語って意味なら
199 :
世界@名無史さん :
2010/07/25(日) 06:01:55 0 ドーリス人はもともとスキタイの類の蛮族だったの?