俺ら極悪非道のアンゲロスブラザーズ!
今日も未来はないのに帝位争いしてやるからな
 ̄ ̄∨ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
∧_∧ ∧_∧
(・∀・∩)(∩・∀・)
(つ 丿 ( ⊂)
( ヽノ ヽ/ ノ
し(_) (_)
3 :
世界@名無史さん:2008/10/18(土) 22:50:55 0
メフメト2世万歳!!!!!!!!!!!!!!!!
初心者向けにお勧めの本
井上浩一『生き残った帝国ビザンティン』(講談社現代新書)
井上浩一ほか『ビザンツとスラヴ』(中央公論新社 世界の歴史シリーズ)
根津由喜夫『ビザンツの国家と社会』(山川出版社)
今更だけど生き残った帝国ビザンティンはマジで良書だよなぁ
ビザンツに対する著者の愛が行間から感じられるし、読んでて面白い
>>5 井上先生は、国内では第一級の研究者だけど、文章も読み易いんだよね。
岩波の『ビザンツ帝国』なんかと比べると、啓蒙書らしく噛み砕いて書いてい
るのが分かる。
根津先生の山川のブックレットも薄くて読みやすい割りに、内容が濃い。
少なくともビザンツ一千年をダイジェスト的に抑えるのには最適だよ。値段も安いし。
7 :
世界@名無史さん:2008/10/18(土) 23:06:32 0
黄金のビザンチン帝国もいいよ
>>4 『生き残った…』は、いまは講談社学術文庫で再版だな。
もはや
>>1に乙する一人のビザンツヲタもおらんのか
ヘラクレイオスってどう考えても全力で戦う敵を間違えたとしか思えない。
ササンなど邪教徒と潰し合わせてれば良かったのだ。
>>12 そのあとイスラムが来ることなんて予想できなかったんだから、仕方がないべ
短期間であんな事になるなんて
誰が予想できるよ?
たしか、ムハンマドって生前東ローマ&ササンに布教に来て
どっちも無下に追い返されてるんだよね。
>>16 普通いきなり素性の分からない奴が「喪前ら間違ってるから俺の教えに従え」って言いに
来て「jはい、そうですか」なんて言う訳ない罠。
ギリシア人帝国のどこがいいのかさっぱりわからん
最後の方はもう何人の国なのかわからないけどな。
古代ローマを妄信的に絶対視してる人間には、まあ理解不能だろうな
複雑なところに魅力を感じられない人間、単純で分かりやすいものしか好まない人間にも無理。
まだビザンツヲタになりきれてはいないけど■■■■■■
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■
■■■□■□■■■■□□■■■■■□□□□□□■■■
■■■■□■□■■■■□■■■■■■■■■□■■■■
■■■■■□■□■■■□■■■■■■■□□■■■■■
■■■■■■□■□■■□■■■■■■□■■■■■■■
■■■■■□■□■■■□■■■■■□■■■■■■■■
■■■■□■□■■■■□■■■■■□■■■■■□■■
■■■□■□■■■■■□■■■■■■□□□□□■■■
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■
ギリシア人がかっこいいのは、ピュロスとかエパミノンダスとか他ディアドコイの面々で、
東ローマに血の騒ぐ人物はいるか?
いたら教えてくれ。
レオーンIIIとかバシレイオスII
もしかしてビザンツ帝国もオスマン帝国も好きな自分は異端?
まぁ6世紀以降の地中海世界が好きなんだがな
26 :
世界@名無史さん:2008/10/19(日) 08:39:27 0
オスマン帝国はイスラム化したローマ帝国だと思うんだが
ローマ帝国というより、イスラム化したビザンツだな>オスマン
>>23-24 ヘラクレイオスやバシレイオス2世に比べれば、ピュロスなんて小物だね
>>25 いや異端でもなんでもないだろ
ビザンツの専門家でさえ、オスマンは「しかし偉大な敵であった」(尚樹啓太郎)って書いてるくらいだし
29 :
世界@名無史さん:2008/10/19(日) 09:46:14 0
国の滅亡って普通はグダグダなのに散り際が素晴らしいな
西ローマの滅亡は全然興味わかない
このスレ的には、
ビザンツ帝国
東ローマ帝国
どちらがより良い言い方?
>>29 西ローマは植物状態だった患者の生命維持装置外しただけ、ってな感じがする。
>>30 優劣はないでしょ。
もっと正確に〜と言い出すと、古代のローマと見分けがつかなくなっちゃう
まあなんだかんでローマ帝国を滅ぼしたのが、オスマン帝国でよかった。
わけのわからん略奪者集団とか、帝位争いで自滅するよりも。
その後かつてのローマのように地中海をぐるりと囲む大帝国になったし、
首都もコンスタンティノープルのままだ。
ビザンツが滅びないでいれば一番よかったが。
たまにいるよな、オスマンはイスラム化しらローマとかほざくアホが。
どう贔屓目に見たってトルコ人のイスラム帝国ジャマイカ。
そもそも、ローマ皇帝を自称したのはメフメトIIとかスレイマンくらいのものだろ。
どっちも次代のスルタンがソレに拒絶反応を示してる。
36 :
世界@名無史さん:2008/10/19(日) 14:01:24 O
まあ、後継国家だし制度上は参考にした部分もあるだろう
しかし系譜で言えばどう考えてもセルジュク朝の子孫になるだろうなぁ
ローマは滅んだんだよ。完全に。
正統な後継者は我らがドゥーチェ、ムッソリーニ閣下だ!
>>36 官僚制度とか、スルタンの権威付けの仕方とかは参考にしたんだろう
でもローマ法を継承してない時点で、もう別物だな
古代ローマのレシピはよく公開されてるし、それを再現したレストランもあるが、
ビザンチンの料理の再現してくれる所ねえかな。
イスタンブール旧市街あたりに出せば、結構評判になるんじゃないか。
>>37 ゲルマン人に臣従するローマ帝国(笑)
ギリシャに攻め込んでは追い返され、マッシリアに攻め込んでは撃退され、
エジプトに攻め込んでは壊走するけどいつかはきっとローマ帝国。
オスマンはなんか遊牧民臭さが抜けきらない感じ
あれでローマ名乗られてもね
そこでロマノフ朝ですよ
西の滅亡って良く分からない。ロムルスは東に承認されなかったし
ネポスは暫く生きてたし、帝位を主張してた。
当時の東は西側なんかどうでも良かったとすら思えてくる。
>>43 思えるどころかそのとおりでしょ>西側なんかどうでもいい
45 :
世界@名無史さん:2008/10/19(日) 17:39:17 O
実際、そこまで重大には受けとめなかっただろうな。
すでにコンスタンティノープルが新ローマだったし、領土的にもイタリアとガリアの一部、さらにダルマティアの一部の損失にしかならなかったし(しかも経済絶賛崩壊中)
いつか領土を取り戻してやらあぐらいは思ったろうけど
メフメト2世とスレイマン1世がローマ皇帝を名乗ったって話の出所って何なの?
>>46 講談社選書メチエ『オスマンとヨーロッパ』も参照のこと
これか、95ページの。
「復興されるべきローマの皇帝とも意識することになった」
>>49 もっと明確に書いてあるところがあるっしょ
教皇に対抗して四重冠作ってみたりとか
そういやそうだな。
スレイマンのほうはもっとはっきりした記述だ。
ヴェネツィアの史料かぁ。
ロシアもビザンツ滅亡後ローマ皇帝名乗ってなかったか
トルコが名乗ったのはビザンツ旧領の領有権主張のためだろうな
>>52 ロシアの場合ジョチ・ウルスの「ハーン」も「ツァーリ」って呼んでたからあやしい
元老院作ってそこに推される形態で「インペラートル」を名乗ったピョートル辺りからは
明確にローマの継承者意識があるだろうけど。
54 :
世界@名無史さん:2008/10/19(日) 19:21:15 0
>>34 アッバース朝滅ぼしたモンゴルみたいなのだったら最悪だよ
アヤソフィアも全て完全消滅だと思う
55 :
世界@名無史さん:2008/10/19(日) 19:23:38 0
個人的にはアッバース朝とビザンツ帝国とサーサーン朝は後世まで存続してほしかった
56 :
世界@名無史さん:2008/10/19(日) 19:24:27 0
まあせめてオスマン帝国が存続していたらなあ
スルタン制度なくしたのは非常にもったいない
スルタン存在したらイスラムの盟主たりえたのに
アッバース朝とサーサーン朝が同時に存在するのは無理だろうがな
サーサーン朝滅亡でゾロアスター教徒は今日まで邪教徒に苦しめられてるんだからなぁ。
>>52 メフメトとスレイマンあたりは確かギリシャ、ローマ古典にかなり精通してて、本人達もギリシャ語ラテン語ペラペラとかじゃなかったっけ。
だからかな、ローマを非常に意識したのは。
ロシアに関しては、ツァーリ自体はスラヴ系言語における皇帝、って意味になるようだ
ブルガリアやセルビアあたりも皇帝はツァーリだったとかなんとか
60 :
世界@名無史さん:2008/10/19(日) 20:05:12 0
地中海世界の繋ぎ役として面白いんだけどな。
ビザンチンだけ見ていてもあまり面白いものじゃないな。
スルタン存在したらイスラムの盟主たりえたのにってちょっと理屈が分からんな
62 :
世界@名無史さん:2008/10/19(日) 20:21:36 0
オスマン帝国のスルタンは末期はカリフを称していたんだろ
>>60 複雑さが理解できない人には面白くないだろうな
>>62 そりゃ知ってるけど
そもそも大した国力もないし、オスマン朝末期だって列強の半植民地みたいなもんなのに
盟主だなんだなんて言ってられるのかな?
現代まで続いてたって大した存在にはならんのじゃないの?
65 :
世界@名無史さん:2008/10/19(日) 20:34:43 0
最後のスルタンはへたれすぎるから他のオスマン家のやつをたてりゃあ
認めるんじゃないか
しっかしイスラムの盟主って・・・
ゴミ山の上に立ってどうなるの?
オイルマネーでウハウハですが何か?
ビザンツはムダに複雑な気がする
複雑である必然性はないし、なによりそれほどの事をしてもいないような。
69 :
世界@名無史さん:2008/10/19(日) 21:12:00 0
ケマルがスルタンを廃さずに立憲君主制にしてなおかつアラブもオスマン帝国領だったら
なかなか面白いことになっていたな
70 :
世界@名無史さん:2008/10/19(日) 21:12:34 0
なんだろうなあ西には全く興味わかないし
ローマよりもコンスタンティノープルのほうがもえるんですよ
コンスタンティノープル時代の西はローマじゃなくてラヴェンナじゃないか。
西末期のローマなんか蛮族に荒らされ尽くした廃墟だし。
世界初の有人ロケットを飛ばしたのはオスマントルコ。
王女の誕生日に飛ばしたもの。
>>68 帝国の官僚制は中期のテマ制が機能していた時代までは非常に効率的で世界でもトップクラス。
同時期の西欧の王様は首都を持てずに国内を巡回していた時代だからな。
荘厳な儀礼・儀式だって一見無駄かもしれないが、権威という重要な要素を外交に生かせる。
>>75 >>68みたいに単純なものしか理解できない人には、言っても無理なような気がする
中期の文官の数は意外と少なくて、軍事職の方が多いんだよね。実は。
ビザンツが何もしてない、なんてのは無知なだけだしな
第4回十字軍ごろまで(もう少し早いかもしれんが)は世界史的に主要な勢力はビザンツ、イスラム、中国、遊牧民だったわけで
なぜかビザンツが抜けてここに西の辺境だった時代のヨーロッパが入る不思議
まあ現代史の兼ね合いとかあるから西洋重点にやるしかないというのは仕方ないのかもしれないけど
>>77 知ってて「つまらない」とか「好きじゃない」って言うのは、個人の好みだから別に良いけど、
この板の場合、知りもしないで思い込みとか先入観だけでアンチ書き込みする奴が多過ぎるな。
バシレイオス二世の偉大さはわかった。
西欧最高、東とかヨーロッパの恥。
ヨーロッパ最高、イスラムとか蛮族。
西欧にも東欧にもイスラムにも優れた文化があるのに
一部しか知らないでそれが最高って考えるのは気が早いって事だな。
ウラジーミル「娘さんを僕にください」
>>79 > バシレイオス二世は言われるほど偉大ではない。システムの面から言うと彼は時代を逆行させた。
後継者をしっかり決めなかったのがなあ…。アレクシオス1世が良かれ悪しかれ帝国を立て直すまでgdgdになっちゃったし。
ビザンツの名君候補ってどっかでポカやってるのがなぁ。
ヘラクレイオス→さらばシリアよ
レオーン三世→聖像破壊
バシレイオス二世はユスティニアヌスより大帝と呼ぶに相応しいとは思う。
バシレイオスは評価が難しい気がする
軍人として、専制君主として有能ではあったが、ビザンツの君主としては、といわれると微妙。
その昔のオリエント的な専制君主ではあったが、ビザンツ帝国としての有能な皇帝にはなれなかった感じが
ビザンツの重要な点は、誰が皇帝になってもある程度は帝国が運営できるシステムを長年改良しつつも維持し続けてきたことだと思う。
根元がローマで、西洋と東洋の中間を行ってたビザンツにおいて、片方のタイプに偏った皇帝が出ると在位期間中はいい結果を残すが、退位後がだめな気が・・・
俺ら極悪非道のアンゲロスブラザーズ!
名君候補なら俺らのことを忘れてもらっちゃ困る!
 ̄ ̄∨ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
∧_∧ ∧_∧
(・∀・∩)(∩・∀・)
(つ 丿 ( ⊂)
( ヽノ ヽ/ ノ
し(_) (_)
エンリコ=ダンドロですが、帝位争いと聞いてヴェネツィアから来ました。
ヴィルアルドゥアンですがこの争いの顛末について色々書かせてもらいますね
warotas
>>82 あの時点で大土地所有を拡大させたら、そのまま崩壊
>>83 弟にも息子いなかったんだから、もうちょい考えときゃ良いのに
>>85 どうでも良いけど読みづらい
>>86 お前らは迷君だろ
ビザンツ文化に惚れてから東欧好きになった私が通りますよ
欧州、アラブ、ギリシアの文明を混ぜこんだあのエキゾチックさは西欧には真似出来ないだろうな…
>>94 それこそが魅力の一つだからね
美術、建築が分かると特に。
>>69 西欧に憧れてる政教分離の新しい国にするということで
完全解体を勘弁してもらったんだから無理
クリミア戦争に帝政ロシアが勝ってイスタンブルを獲得したらビザンツ復活って事になるんだろうか…?
ねーよw
.
>>99 そういう主張はするだろうな。ロシアは
>>100 まあ、いずれにせよ現代トルコはスレ違いだな
>>101 それで旧ローマ帝国領の領有権を主張する、とかか。
ユダヤ共産革命が先か、統一が先か、ゲームの仮想シナリオとかでありそうだな
さあ今日もクレタ産のワイン飲んで寝るか。
つまみはピクルスだ。
ギリシャがバルカン側をトルコから奪い取って「ビザンツ共和国」と改名
…何かがおかしい!
ギリシアが後継国家ってわけじゃないだろう
総主教庁がギリシャにあるだろう
でもやっぱり帝国じゃないとロマンが…
もしコンスタンティノポリスを奪還出来たらギリシア・ローマ共和国になりそ
>>105 まぁどの国が一番ビザンツの後継を名乗ってもおかしく無いかと言ったらギリシャじゃない?
つい最近までギリシャもそのつもりだったんだし
意外にもギリシャ人のアイデンティティは古代ギリシャ世界よりもビザンツ帝国にあるらしいよ
だったらアテネオリンピックもビザンツ様式でやれよ…
そもそも古代オリンピックって東西分裂直前に廃止になったんじゃないの?
ローマ帝国の娯楽としての戦車競走は十字軍前くらいまでやってたらしいけど。
ギリシャ正教は1833年にコンスタンティノープル総主教庁から独立した
独立教会になってる。
宗教的にはギリシャはむしろ末端。
1830年にトルコから独立した後にも国王はバイエルンから連れてきた。
皇統も宗教も繋がってなければ首都だった土地も持ってない。
これで後継を名乗るのは韓国が妄想古代帝国の後継を言い出すのと変わりないだろう。
もう一つの拠点と言えるモレアス専制公領は奪還できたものの
あんな事になっちゃったからねぇ。
ギリシャは何で独立時にローマの国旗を採用しなかったんだ?
>>113 オソン1世はうっすらだが、コムネノス朝の血を引いていた。
あと、独立正教会だからって全くの別物扱いは言い過ぎ。教義は同じだし。
>>117 さすがにみっともなかったからだろ
首都がアテネじゃなあ
>>117 >>119 そういう問題で無く、西欧諸国からの支援を受けるには「欧州の文明の故郷古代ギリシャの復活」で
なければならなかった。独立戦争の直前まで「神聖ローマ帝国」は一応あったわけだし、後継者面し
てるロシア帝国もあるから、支援が必要なときに変な波風立てるようなことは出来なかったんだろう。
もっとも、古代ギリシャの文化を中世末期まで保持していたのは西欧ではなくビザンツだったんだが。
今思えば国章ぐらい双頭の鷲にしておいても良かったけどな。セルビアやアルバニアよりはギリシャ
のほうが、まだ双頭の鷲を国章とするに相応しいだろ。
今のマケドニアって国は、スラブ人の国で、
古代マケドニアとは全く関係がないってほんとですか?
アカイア人のヒステリーなんでしょうか
>>121 ないよ。今のマケドニア語はブルガリア語と近い。
>アカイア人のヒステリーなんでしょうか
どういう頭をしているとそういうレスが出来るんだ
なんだ?ビザンツが復活するにはどうすればいいかって話か?
トルコのヨーロッパ側買い取ってその土地をビザンツにすればいい
そうすりゃEUにトルコが加わるなんて悪夢もないし
帝政は厳しそうだが…
何でそんなにギリシャを否定したがるのか良く分からんな
じゃあどこがビザンツの後継を名乗るに相応しいんだ?
どう考えてもギリシャが一番相応しいだろ
東ローマって言うと双頭の鷲派が圧倒的なんだろうけど漏れは十字旗派だ。
>>125 そもそも双頭の鷲はパレオロゴス朝時代になってからだからな
そもそも東ローマの後継を名乗りたがる国があるのか・・・?
現代的な観点から見たら、
不合理で非合理で、無情で残酷で狂信と宮中殺人に酔いしれた国で最後には
首都だけになってるのに傲慢にも「ローマ帝国」と名乗り続けた統合失調症の
国だろw
これはひどい
>>128 >>78 中世のイングランドも不合理で非合理で、無情で残酷で狂信と宮中殺人に酔いしれた国ですが何か?
ギリシャは名乗れない事も無いだろう
イタリアがローマ帝国の後継を名乗るより首都がない分劣るが
でも名乗ったらムッソリーニ以下のDQNだと思うがな
公用語…ギリシア語、国教…正教会、主な民族…ギリシア人。これだけでも東ローマの後継だろう
ちゃんとした君主がいないとやっぱりきつくないか?
共和制でビザンツとかいわれてもなあ
>>134 じゃあフランス共和国は、中世以来のフランス王国の後継ではないと?
ギリシャはビザンツの一つではあるだろう。
あっちは主要領域はそのまま保持してるし、断絶期間もないし…。
なんか移行してから妙な流れになっているな
別にビザンツ帝国の後継国家なんて別に・・・・
近代以降の枠組みで無理やり定義しようとするのもバカらしいわ
それにビザンツの影響は広く様々な面に及んでいるんだし、そっちの方が面白いだわさ
ところでビザンツ帝国が衰亡するターニングポイントなったのは、やはり第四回十字軍かね?
だろうな
ほぼ内紛による首都陥落、という擁護しようのない不祥事に加え
ラテン帝国時での首都の資産、人的流出が致命的だった
なんだかんだいって、東ローマ=コンスタンティノープルだったからな
首都が衰退するとき、国も滅ぶのは自明の理だった。
そこら辺はやっぱ、ギリシャ、ローマの直系だけあって、都市国家的なんだよなぁ
あそこで十字軍が来ずにアンゲロス朝が続いたらどうなったんだろう
>>138 やっぱりそうなるか・・・
マヌエル1世の時に恨みを買いすぎたかな?
もっとも経済的には崩壊しつつあったって話もあるけど
マヌエル1世が漢の武帝や清の乾隆帝とイメージ被るなぁ
141 :
世界@名無史さん:2008/10/24(金) 12:19:35 0
ローマだって王制→共和制→帝制と移行した。
共和制ローマが復興したって別におかしくはない。
>>139 どっちにしろそのうちに、内乱でも起こって王朝交代はする気が・・・
ただ、それでもビザンツ帝国が分割されるよりも遥かに被害が少なかっただろうし
フレグウルスとジョチウルスの間で四苦八苦しそうなのが何とも言えないけどw
ここで、あのブラザーズから一言↓
俺ら極悪非道のアンゲロスブラザーズ!
首都が無事でも帝位争いしてやるからな!
 ̄ ̄∨ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
∧_∧ ∧_∧
(・∀・∩)(∩・∀・)
(つ 丿 ( ⊂)
( ヽノ ヽ/ ノ
し(_) (_)
145 :
世界@名無史さん:2008/10/24(金) 16:00:32 0
>>137 マンジケルトの会戦じゃないか?バルカンをスラブ人に放棄して以来、
ヘラクレイオス1世の頃から、アナトリアこそが帝国本土だったから、
マンジケルトの敗北はやはり致命的だろうな。
確かマンジケルトとその後の敗走でテマ軍が完全消滅したんだっけか
フン族もどきの蛮族にアナトリアの支配権を譲ってしまう事になるとは悲しいねぇ
148 :
世界@名無史さん:2008/10/25(土) 01:01:33 0
最悪の敵にアナトリアの支配権を譲ってしまったと言えましょうな。
ペルシャ人かアラブ人ならば、アナトリアが牧草地化され荒廃する事も
避けられたであろうな。
ヘラクレイオス1世が、予定通りにカルタゴに遷都すればよかったね。
150 :
世界@名無史さん:2008/10/25(土) 01:20:17 0
>>148 カルタゴを本拠地に、マグリブからトリポリに領土を持つ海軍国家ビザンツ帝国
こんな落ちになりそう
いや、結構面白いかも試練が
>>152 それじゃビザンティオンを領土に入れてないからビザンツとは呼ばないだろ
カルタゴ帝国とか呼ばれそう・・・・
第三のローマ、カルタゴ
アナトリアやバルカン半島、のきなみイスラーム化しているかも
実際、ギリシア火が現役だった頃の東ローマ海軍は最強だったんだろ?
アラブ海軍に敗れたりもしていた気がするがね
それに十字軍の頃になると弱体化していた気もするし
ビザンツの海軍についての資料とか文献なんてワカンネ
>>156 最強かどうかはともかく、それなりの力はあった。
だから、陸ではコンスタンティノポリスノの近くまでブルガリアに取られても、
シチリアや南イタリア、ダルマチアの沿岸といった拠点を維持できた。
なんでギリシア火って衰退したの?
火薬がなくなったの?
>>160 アラブも使ってたし。
あと軍船が大砲詰む様になったらもうかなわないからね。
カルタゴじゃ第四回十字軍の前にノルマン人に侵攻されそうだな。
イスラム以前でさえモール人の圧力が厳しいのに
>>157 ギリシア火やらなんやらでアラブの大海軍を打ち破ったのがマケドニア朝下でのビザンツの
大繁栄期の始まりだとなんかの本で読んだぜ
>>160 衰退はしてないよ
それどころか他の地域でも使用されるようになった
オスマン・トルコがマルタに大規模な侵略したが、敗北した
その時、マルタ騎士団ら西欧軍側がギリシア火を使用しかなりの効果があった
無論、その時はトルコ側もギリシア火の存在を知っていたが
11世紀には既にカフカスの小国でもギリシア火が使用されていたらしい
俺ら極悪非道のアンゲロスブラザーズ!
海軍を弱体化させたのはイサキオス2世だからな!
 ̄ ̄∨ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
∧_∧ ∧_∧
(・∀・∩)(∩・∀・)
(つ 丿 ( ⊂)
( ヽノ ヽ/ ノ
し(_) (_)
>>156 海上でのギリシア火防御法を編み出したのはヴェネツィア人
ビザンツのマヌエル1世が突如国内のヴェネツィア人を捕縛するよう命じ
かなり荒っぽく次々無実のヴェネツィア人を投獄した
辛うじて僅かながらのヴェネツィア人が1隻の船で帝都を脱出するのに成功するが
マヌエル1世は執拗に海軍に命じ追跡させた
ビザンツ海軍はギリシア火を躊躇なく使用したが
ヴェネツィア人は予めビザンツ側がギリシア火を使用すること予想して
船体に酢に浸した毛皮で覆い、それによりビザンツ側の攻撃を逃れ本国帰還を果たす
余談だが、ヴェネツィアはこの事件を深く恨んだ
その当時の在ビザンツ大使はダンドロでこの事件で失明したといわれる
そのダンドロは後にヴェネツィア総督に就任し事件から約20年後報復に成功する
それが第4回十字軍
167 :
世界@名無史さん:2008/10/25(土) 10:35:34 0
>>155 ホスロー2世とその軍勢が健在であるならば、ササン朝、ビザンツ、アラブ、
ハザール、アヴァールのいずれが天下?を取るかわからんだろうな。
ビザンツとアラブが同盟してササン朝を挟撃したかもしれんし、ササン朝が
アラブを抑え込んでしまう事もありえなくはない。
イスラム教が、アラブ人だけの民族宗教に、止まる事もありえたであろう。
アラブの興隆期にビザンツとササン朝がガチの殴り合いをやってたのがタイミング的に悪すぎたな
普通に考えて勃興当初のイスラム勢力がガチで2国に勝てるわけはなかった。
ヘラクレイオス帝なんて、死力を尽くして失地を奪回して、ペルシャもフルボッコにしたと思ったら体勢を立て直す暇も無く新興勢力が怒涛の勢いでやって来たわけだし。
ササン朝はササン朝で、首都まで攻められた上その後の内紛で元からやばかった国力が地に落ちてたし。
このイレギュラーが無ければ、かつてのローマとパルティアのような感じになっていただろうに
歴史ってのはこういう幸運があるからマジで分からん
169 :
世界@名無史さん:2008/10/25(土) 11:31:20 0
日本も信長が朝鮮銃を使って武田軍を破ったよな
朝鮮依存症患者って、何処にでも湧いてくるのな
何でこんな所にまで…
ホントゴキブリとか蛆虫みたいだな
172 :
世界@名無史さん:2008/10/25(土) 12:14:00 0
>>166 まるでビザンツ版オトラル事件みたいでありますな。
ヴェネツィア自体元来ビザンツ起源の国家だったのに、
誠に不運でありますな。
>>166 > その当時の在ビザンツ大使はダンドロでこの事件で失明したといわれる
その説は明確に否定されてる。この事件以降にダンドロの目がちゃんと見えてた記録が残ってる。
174 :
世界@名無史さん:2008/10/25(土) 12:57:12 0
>>146 ロマノス4世デォゲネス=パルメニオン
エウドキア・マクレンボリティサ=オリンピュアス
ロマノス4世も、自ら第二のアレクサンドロス大王にならんとしたそうだが、
アンドロニカス・ドゥーカスら皇族に対する配慮が不足していたようですな。
アンドニロカスも裏切らなければ、ロマノス4世らを東方に厄介払いに出来て、
帝都に君臨出来たかもしれんですな。
175 :
世界@名無史さん:2008/10/25(土) 16:12:55 0
>>168 アラブの興隆期にビザンツとササン朝は、何故同盟を結ばなかったのだろうかな?
ヘラクレイオス帝とヤスデギルド3世が共闘出来なかったのは何故だろうか?
逆にビザンツとササン朝が、それぞれアラブ軍ともにを宿敵に再戦しなかった事、
アラブの武力を利用しようとしなかった事も、不思議と言えば不思議だな。
>>175 そりゃ、アラブ勃興期はビザンツにとって最大の敵はササン朝。
イスラム勢力は「敵の敵」でしかない。しかもアラビア半島のローカル勢力。
イスラームがあんな急拡大するなんて誰が予測できるものか。
イスラムがあれほど迅速に征服と統治を成し遂げる事ができたのは、
東ローマの政治が最悪で、それから逃れるためなら誰でも良い、
という気に住民がなっていたからさ
ローマの占領政策はガリア人と遊んでいた時から
変わらず搾り取るということ
ローマの寛容?そんなん塩の美化
イスラムも言うほど寛容じゃないけどな。宗教に関しても西欧十字軍よりゃマシって程度だし。
むしろローマ時代の統治が安定しすぎていたからこそ情勢の悪化で税を引き上げざるを得なかった東ローマ時代に不満が集中したんだろう
政治が悪いんじゃなくて既得権益を失いたくなかったって感じ
結局それで目新しい新宗教に眼がいっちゃったんだろうね
イスラム教は勃興時が最盛期で
あとは年々退化して行くだけだからな
やっぱり東はローマじゃなかったってことだ。
苛斂誅求極悪非道、これこそビザンツの魅力だ
税云々もあるが、その地域で強いキリスト教会が軒並み単正論なのが痛かった
その昔だし、土地の有力者=教会ってのが痛かったな
迫害してくるキリスト教国に支配されるくらいなら、税を払えばある程度信仰を補償してくれる異教徒の国を選ぶ、ってこった。
いつも疑問なんだが、中東からヨーロッパにかけては、なんであんなに、
宗教ごときに求心力があるのだろうか?
キリスト教以前はそうでもなかったはずなのだが。
まあまさにそのキリスト教が原因だろうな
日本は求心力となる核が金しかねえからなあ
金や権力に求心力があったほうが健全だろ。
健全の内容も、国や民族や時代によって違いそうだ
皇帝と総主教が喧嘩していることが多いし
布教にも積極的ではなかったのに
キリスト原理主義なんてイメージがあるのはなぜだ
異民族と支配地域の重税は共和制のころからの伝統だぞ
>>189 そりゃ十字軍の時代に西欧と険悪になったからだ
十字軍との仲がよければ
今頃「ビザンツ帝国」なんて呼び名も存在してないだろうし
ギボンの衰亡史でももう少しよく書かれていただろうよ
ローマ帝国の「安定」って、寛容な支配云々なんてのは大嘘で、
要は支配地の人間が反乱する気力も起こせないほど搾取されただけの話らしいな。
コンスタンティノス5世
「坊主ってぶっちゃけごくつぶしだろ?
だから土地は没収して高そうな銅像は売りはらうために
強奪することにするから」
ビザンツ文化の後継者、というか一番近いのがあの露助だからなあ。
テマ制とか独自文化もあるけど、生き残るのだけで必死というイメージは拭えないな。
皇帝
「とにかくでかい公共の箱もの立てるからケルト人から搾り取れ
え?やつらが不満に思って反乱おこしたらどうするのかって?知らねーよそんなの
時が流れて
皇帝
「パンとサーカスやって愚民共をおだてないといけないからシリア人から搾り取れ
え?やつらが不満に思って離反したらどうするのかって?知らねーよそんなの
時が流れて
皇帝
「馬鹿な貴族共を喜ばせないといけないからとにかくブルガリア人から搾り取れ
え?やつらが独立したらどうするのかって?知らねーよそんなの
時が流れて1453年
皇帝「ウボァー」
ロシアが近いか?
あれはフランスのほうが近いでしょ
本当のビザンツ帝国とは
コムネノス朝から始まる
やたらと宗教にこだわり
とりあえずやばくなったら金を払う
敵が来たら他の第三勢力をぶつける
遠征すればたいてい負ける
上記のステレオタイプが当てはまるのはコムネノス朝
それ以前はローマ帝国と呼んでいい
>>192 そもそも、その昔と現在の平和、繁栄というのは基準が違う
その昔は、国の上流層と国自体が繁栄してればそれでよかったんだよね
搾取される下層民については搾取されて貧しいのがデフォなんだから関係なし
今みたいに、少しの貧民層がいるだけでも問題扱いになるのとはわけが違う
しょっちゅう人は死ぬモンだったし
「初代皇帝」のカエサルだってケルト人を虐殺したり
クーデターで権力握ったやつだからな
圧政と権力闘争が末代まで続いたのもうなずける
古代にあれだけでかくなれたのは周りの異民族が遅れていたからだ
>>186 日本だって古くは物部と曽我の宗教戦争、鎌倉期の仏教論争、戦国の一向一揆、島原の乱
宗教関係の争いも色々ある。
なんかただのアンチローマが居るな
むしろローマビザンツヲタを煽ってるだけな気がするけどね
冷静に考えりゃ圧制であれだけの期間あれだけの国を維持できる訳が無いってわかりそうなもんだけどな
そもそも今の日本だって創価学会に9条教、真宗勢力、立正佼正会、顕正会…
…なんか表が騒がしいな。
何が何でもローマ/ビザンツを鬼畜国家としたい奴がいるようで。
207 :
世界@名無史さん:2008/10/25(土) 19:25:15 O
ビザンツのテマ制の州都というか根拠地って明らかになってるのってあるの?
>>197 信仰という柱で国の安定を保ち
見事な外交手腕で危機的状況を幾度も乗り切り
一度や二度の敗戦では綻びない強固な国力を持つ
まぁローマの名を冠して1000年の命脈を保っただけのことはあるな
帝国の立地から考えても流石と言うほか無い
つーかある意味、強敵との戦いに明け暮れた帝国だよなぁ。
分裂初期、蛮族・ササン朝
中期、邪教徒・ブルガリア
没落期、西側世界(蛮族の子孫)
末期、邪教徒(トルコ)
ものは言い様だよな
しかしサンドイッチ状態でホント良くあれだけの間国を保てたと思うよ
ビザンツがほんとにテンプレみたいな国だったら間違いなくさっさと滅びてる
>>210 古代馬鹿はその辺りの凄さが分かってないからな
ヴァンダル族を破った。
ゴート族を苦戦の末にアルプスの北へ追いやった。
次いでササン王朝は滅びた。
アラブ人は門前まで迫ってきたがこれを撃退した。
厄介なブルガリア帝国も去った。
最盛期を、それもコンスタンティヌス、ユスティニアヌスと数えて三度目の大繁栄を誇った。
狂信者の野蛮人どもが帝国を通過していったが、これも事なきを得た。
フランス人とヴェネツィア人に帝都を占領されたが、この不名誉も90年後に雪いだ。
国際政治の妙技を駆使して憎きシャルル・ダンジューをシチリアで破滅させた。
以後、敗北に次ぐ敗北。
そしてやってきた最後の時。
たちの悪い遊牧崩れの民族に土地を奪われたのが運の尽き
マヌエル2世はティムールに敗れたオスマン朝の後継争いに介入して
一時的に友好国にしたんじゃなかったか?
90年も経ってよく奪回しようなんて気が起きるな
>>214 そうだよ。
だから滅亡が半世紀先送りされた
そういえば、このスレ的にはユスティニアヌスは良い皇帝なの?
このスレ的にも何もアレは駄目な人だろう。
建築事業はともかく征服事業は東ローマにとって後々いい結果をもたらさなかった。
>>215 まぁ日本だってもう60年にもなるが辺境の小さな島をあきらめてないしな
それが首都、しかも聖地とくりゃ未来永劫あきらめられんだろう
>>217 大帝(笑)
いくらなんでも無茶しすぎだもんなー。
>>219 じゃあギリシア人はまだ聖都奪回をあきらめてないのかも
222 :
世界@名無史さん:2008/10/26(日) 13:41:52 0
アテネが京都ならば、コンスタンチノープルは東京だろうからな
>>221 少なくとも右翼は未だに奪還せよって主張してるよ>ギリシア
シリアはアンティオキアをあきらめてないし
アルメニアはアララトをあきらめてない
クルドは独立をあきらめてない
領土問題をあきらめるのって無理なんじゃないかな
誰かはあきらめない。マイナーな政治勢力に留まるかもしれないが。
226 :
世界@名無史さん:2008/10/26(日) 14:32:56 0
ダマスカスが洛陽ならば、アンティオキアは長安だろうからな
もうトルコは解体しちゃえよ
んで住民はトルキスタンにでも移住させれば良い
元の住人がいきなり少数派になってしまうがな。
いくら言語系統が同じだからって我慢できるもんじゃなかろうて。
>>224 イスラムは世界を諦めない。
それはともかく、アテネなんて西ローマが滅亡してからは
忘れ去られた辺境の地だろうに。
京都が視野の狭い田舎者の閉じた町だからって比較はできまい。
>>229 いちおう大主教座所在地ではあったものの、ユスティニアヌス時代のアカデメイア閉鎖後は
学問の中心地としての地位も無くなったしね
パルテノンは教会として使用してて、バシレイオス2世がブルガリア平定記念のミサ(って書く
と正教の人は怒るけど)をやってる。
231 :
世界@名無史さん:2008/10/26(日) 15:08:39 0
>>227 人口急増中のパキスタン、イランの両国は、旧ソ連領トルキスタンの
再アーリア化を狙っているらしい。
そういえばイスラム過激派はスペインの奪還を目標の一つにしているらしいな。
ギリシャは遺跡をちゃんと保存しないから駄目だ
>>234 トルコみたいに解体しない分まだましじゃないか
先祖の栄光で食っていくのはいいとして、心がけがなっちゃいないな
もっとビザンツネタで観光客を呼び込めばいいのに
>>236 イタリアじゃないが遺跡多すぎて保存しきらないんじゃない?
あれでも予算相当多いほうだよ
あと観光客は今でも飽和しそうなくらいだよ
238 :
世界@名無史さん:2008/10/26(日) 15:39:54 0
>>217 ユスティニアヌスは、ニカの乱でそのまま退位してしまえばよかったな。
ササン朝のホスロー2世同様に厄病神と言わざるえないであろうな。
ユスティニアヌス帝がいなかったら、地中海世界はどうなっていたんだろうかね
イスラームはもとより、ヴァンダル王国や東ゴート王国も存続
特にゴート戦争が無いために、荒廃しなかったイタリアを有する東ゴートとか、非常に気になる
いや、『闇よ落ちるなかれ』を久々に読み返したせいもあるんだけど
カルタゴが帝国領じゃないからヘラクレイオスが皇帝になることもなくなる…でも7〜8Cの危機も来なかったかもしれんし、
どうなってたかは全く予想もできないねえw
ササン朝辺りがシリアまで切り取っていそうな気もするがなぁ
まぁササン朝とビザンツ帝国が激しく戦闘して疲弊していなければ、イスラームの台頭は無さそうだし
東ゴート・ビザンツ・フランク・西ゴートの並存体制が確立されていれば面白いかも
つかニカの乱でユスティニアヌス帝が退位したとて、それ以降のビザンツ帝国は、ビザンツ帝国と呼べるのだろうか?
より悲惨なことになっていたってことか
テオドラ皇后もよけいなこと言ったねw
ユスティニアヌスは逃げ出す気だったんだから
皇帝としては微妙だけど、ローマ帝国としての建前を名実ともに一度でも実現した、ってのは大きかったと思うなぁ
実際、ユスティニアヌスがいなかったらビザンツはここまで長くなかったかもしれないし
やったことは正直微妙なんだが、だからといっていなかったら困るという非常に困るタイプの君主だなw
245 :
世界@名無史さん:2008/10/26(日) 19:56:04 0
>>239 ヴァンダル王国は、6世紀中にゴート族らに滅ぼされていただろうな。
フランク王国も東西からゴート族らに攻撃されただろうな。
ゴート族により西ローマ帝国みたいなものが再建出来たかもしれんな。
フランク王国も滅んだ場合、ロンバルト族らがドイツを制圧しただろうな。
ビザンツのみならず、東ゴートにとっても、アヴァール族は脅威となった
だろうな。東ゴートがアヴァールに敗れた場合、イタリアがスラブ化した
かもしれんな。
名声って結構大事だもんね
そしてその名声の重圧に押しつぶされて、
最後の皇帝が討ち死になんて凄まじいことになる
が、物語としてはここまでドラマチックなものもない
名声にとらわれすぎる事もなく
良く柔軟に国を動かしたと思うけどな
251 :
世界@名無史さん:2008/10/26(日) 22:46:38 0
>>240 ヘラクレイオスは、マウリキオス、ニケフォロス2世、ロマノス4世らと同じく
カッパドキア出身の愛国的皇帝、たとえ父がカルタゴ総督とならなくても、
武将として活躍され、機会があれば皇帝となった事でありましょう。
まぁ、個人的にはヘラクレイオスこそ微妙な皇帝なんだがな。
フォカスから帝位を簒奪してまでやった事は
シリアの喪失、それに伴う市民への配給停止だ。
よく、当時の市民は怒らなかったよな。
>>252 軍才に恵まれていたヘラクレイオスだからこそシリアの失陥程度で済んだんだろう
イスラム帝国とビザンツ帝国との国力差は16対1だったそうだ
配給の停止は仕方ないというかあの状況で配給なんてやってるほうがアホだと思うよ
根本的な問題として、
なんでビザンツは国力が低いの?
>>252 穀倉地帯エジプトをサーサーン朝に取られていた状態でパンの配給なんて出来る訳がない。
井上先生の言葉を借りれば、「国家に寄生するのは許されなくなったのである」。
古代ローマを理想化しすぎる奴は、あまり言わないが、パンの無料配給なんて属州からの収奪で
賄ってたわけで、そんなのがいつまでも持つ訳が無いんだよな
>>254 いつの時代を、いつの時代のどこと比べて言ってるんだ?千年あるんだぞ。
12世紀までは地中海では屈指の大国だし。
257 :
世界@名無史さん:2008/10/26(日) 23:24:12 0
>>254 ユスティニアヌスの遠征で財政火の車そしてその結果軍事力の低下
↓
そのうえササン朝にアナトリアも含めオリエント全部取られる
↓
ササン朝と死闘を繰り広げてた結果、失地を全て回復するも戦争で荒廃、出費もかさんだ
↓
ようやく立て直せるかと思ったらアラブやってきて立て直すまもなく\(^o^)/
もはやヘラクレイオスはマジで不幸だったとしか言いようがない・・・
258 :
世界@名無史さん:2008/10/26(日) 23:26:06 0
>>252 >イスラム帝国とビザンツ帝国との国力差は16対1だったそうだ
ウマイヤ朝とアッバース朝の最大領土の頃の事だろうか?
260 :
世界@名無史さん:2008/10/26(日) 23:28:30 0
>>253 >イスラム帝国とビザンツ帝国との国力差は16対1だったそうだ
ウマイヤ朝とアッバース朝の最大領土の頃の事だろうか?
あ、ごめん
sage忘れた・・・
ヘラクレイオスと二番目の妻の間には障害児ばかりというのも悲惨だ・・・
つーか、そこまで国力差のある大国が東方からジリジリ迫ってるのに
ササン朝も東ローマも何の警戒もしてないってのがなぁ・・・。
>>263 国力的には当初はたいしたことなかったんじゃないか
ほとんど漁夫の利的に侵攻された感じだったし、かなり予想外だったんじゃないかと
それ以前にアラブ方面から来る、ってのはベドウィンの略奪か、アラブとの国境近辺のよく知ってるぐらいだったし。
さすがにアラビア半島だけだったときのアラブとビザンツの国力比がいくら衰えてるとはいえ、16:1とは思えないし
たぶん、シリアエジプト失陥、ササン朝滅亡後の話じゃねーかな
>>262 二番目の妻は姪だからね
近親結婚だから障害を持つ子が多くなるのは当然といえば当然
>>263 だーかーらー、上のほうでも書いてあるけど当時イスラムがそんな
急激に膨張するなんて誰も予想してない
>>263 もうその質問三回目だよ
いい加減確認くらいしようよ
別にいいんじゃねえの?
つーかつーちゃんねる如きで偉そうな態度とるな
>>267 まだ300程度なのに、ロクに過去レスも読まないのはアホ
269 :
世界@名無史さん:2008/10/27(月) 21:27:30 0
>>241 東ゴートとゲピードが温存される事で、ビザンツの対スラブの負担がかなり
軽減されたであろうな。
当時バルカンの西半分は東ゴート領であったから、ビザンツはモエシアに
戦力を集中するだけで済んだであろうな。
一方、対ササン朝やアラブに、より多くの兵力を投入出来たであろうな。
ヴァンダル族が単性論やゾロアスター教やイスラムに改宗したら
厄介なことになりそう。
しかし、暴動に怯えて逃げる気満々だったチキン野郎をけしかけ
その後、征服事業に駆り立てさせた娼婦は恐ろしいな。
>>270 アリウス派のままでも充分面白そうだ。
キリスト教は3派に分裂してイタリアは南北で宗派が違ってたかも。
>>271 あれがなかったら、ユスティニアヌスの治世は間違いなくあそこで終ってたろうからな
女が政治に絡むとろくなことがない
>>274 それは日記に書いとけ
死後に公表されるようにな
>>271 優柔不断な男はああいう逞しくて図々しい女が好きなもんだ
…もしかしてそういう情けない男は俺だけ?
>>276 割れ鍋に閉じ蓋、というか、SとMというか何というか
テオドラにアナル掘削されて悶えるユスティニアヌスを指を咥えて見詰めながら悔しがるベリサリウス萌え
>>271 そう本質的には ユスティニアヌス=チキン野郎 なんだよね
弱さの裏返しで極端なことしちゃうだけで
ニカの乱鎮圧だってさっきまで逃げる気満々だったやつがそこまでするか?だしw
280 :
世界@名無史さん:2008/10/28(火) 17:54:46 0
ユスティニアヌスとヘラクレイオスが、ともに一度は逃げ出そうとした事は、
興味深いですよな。
ユスティニアヌスはどこへ亡命しようとしていたのだろうか?
ラヴェンナかカルタゴであろうか?
後にササン朝のホスロー2世をマウリキオスが援助したように、ゴート族らは
頼りになりそうだったのだろうかな。
マウリキオスが援助しなければ、あの時点でササン朝は滅亡して、
ミフラーン朝によりパルチアが復興したそうだね。
ゴート族らは、ユスティニアヌス一行を殺害しそうだな。
あの時代の皇帝としてはアナスタシウス帝の空気っぷりがかわいそすぎる
ユスティニアヌス帝がキャラ立ち過ぎだから仕方ないんだろうけどさ
でも、ディアゴスティーニ系の雑誌で思いっきりユスティニアヌス帝と混同されてたのはあまりにひどいと思った
西暦1000年くらいのアナトリアの人口分布ってどうなってたんだろう
ギリシャ人が最大多数?
>>281 アナスタシウスの治世があったからこそのユスティニアヌスなんだけどねぇ
>>282 誰も統計取って無いからわからない
ビザンツ野郎どもはチェンススはしなかったのwww
これだけでもうローマ人よりも低レベルだと確言できるね
>>284 何この「知ってる単語使ってみたかった」感濃厚な低レベルレスはwww
自分低レベルでもいいっすw
自分がいいたいのは、ローマ帝国に比べると、ビザンツは後進的で退廃的でろくなもんじゃないってことだけっす。
むしろ必死に発言者を貶めて話をすりかえようとしている
>>285に感涙。
ビザンツオタってこの程度なんだなあ・・・とw
レベル低いなあ・・・ってw
同じ国に優劣などあるものか
>>286 また古代妄信厨か。
確かに技術や生産力が古代に比べれば下ってるのは否定しないけどね。
西欧はもっと下まで落ちてるけど。
今どき「退廃」だってさ(笑)
古代馬鹿は、属州からの収奪で「パンとサーカス」を維持していたのが健全な社
会だったとでも思ってるのかね。
>>289 後生産の大半が奴隷労働力に頼っていたこともね。
ネタにマジレスいくない
といいつつ、ちょっと言わせてもらうと、古代と中世の国家に同じ価値判断で評価を下すから叩かれる
ビザンツ帝国は中世における数多の文明国の渦中にあっての千年の歴史がある
そこに歴史としての面白さがあるからここの住人はビザンツ帝国が好きなんだろ
もちろん古代ローマもあれはあれで好きだけど、比較の対象が全く違う
>>289 健全かどうかはともかく有り余る国力は知れる
しかし国税調査なんてやってる国のほうが珍しいよな
特に西欧ではほとんどやってないんじゃないのか?
11世紀前半のビザンツといったら世界最大規模の帝国なんじゃないか?
比肩できるのは宋帝国かファティマ朝くらいのもんで
>>292 不確かな記憶だとマケドニア朝あたりで1200万くらいだった希ガス。
フランスのが人口では上だが、王領と王の親族・近臣領じゃたかが知れてるし。
中世初期・盛期の西欧なんて王様が各地巡行して食いつないでたりする程度だからなあ。
都市の人口さえいくつかの統計数値から推測するって程度だし。
>>291 中世の地中海世界でゲルマン・スラヴ・アラブetc.によって古代ギリシャ・ローマの遺産が消えていく
中で、唯一それを守り抜いてたのがビザンツだからな。科学や哲学はイスラムにも行ったけど。
>>292 あの時代に、課税台帳を作って首都に税がきちんと上がるようにしていた国自体が少ないからな。
>>293 結構あるもんだな
20世紀初頭のアナトリアとバルカンの人口の合計が2000万余りとかどっかで読んだけど
どんだけ荒廃したんだ
オスマン帝国は体育会系の戦争狂
ビザンツ帝国は文科系の軟弱者
足して二で割りゃ文武両道になれるな
>>296 また中途半端なネタが
中期ビザンツの国家財政とか知ってれば、絶対出てこない妄言
まあどんな物でも極端な対象化は、先ず間違いなく間違っている。
>中世の地中海世界でゲルマン・スラヴ・アラブetc.によって古代ギリシャ・ローマの遺産が消えていく
>中で、唯一それを守り抜いてたのがビザンツだからな。科学や哲学はイスラムにも行ったけど。
しかしアッバース朝ルネサンス後ではムスリム知識人のビザンツ観もこんな感じになってるね。
もしかしたら古典文献をイスラム圏から取り入れる過程で西欧にも引き継がれたのかもしれない。
アル・マスウーディー著『黄金の牧場と宝石の鉱山』より
「古代ギリシア人の時代とビザンツ[この場合ローマ]帝国のしばらくの間に、哲学的諸学問が
発展し続け、学者と哲学者は尊敬され、栄誉を授けられた。彼らは自然学(身体、知性、魂に
関する)や四科、すなわち数の学「アリストメーティケー」、面積と幾何の学「ゲオーメトリケー」、
星の学「アストロノミア」、そして旋律の調和的創作の学「ムースィケー」に関する諸理論を
発展させた。キリスト教がビザンツ人の間に現れるまで、諸学問はかなりの需要が続き、大いに
洗練された。その後彼らは哲学の証拠を削除し、その痕跡を消し去り、その道程を破壊した。
また彼らは古代ギリシア人が明確な説明で展開したものを変化させ改悪したのである」
>>288 それもきょくろ(ry
いずれにせよ、年間の歳出の8割が軍事費だったということを知っていれば
>>296は絶対
出てこない
>>299 ビザンツでは異端扱いされないために、どうしてもキリスト教にこじつけないといけなかったからね。
んでもって、ムスリムはキリスト教の影響が強くなったものに良い評価をする訳が無い。
「マケドニア朝ルネサンス」の時代になると、古代sギリシャ神話をモチーフにした装飾品とか作っちゃう
んだけど。
301 :
300:2008/10/29(水) 07:13:54 0
302 :
世界@名無史さん:2008/10/29(水) 22:17:32 0
>>295 後ウマイヤ朝のアンダルス、ザイリー朝のマグレブ、そして、
ドゥーカス朝のアナトリア、11世紀は中世地中海世界の危機
パライオロゴス朝ってホントごたごた多いな
周り中敵だらけなのに
ミカエル8世以外で、能力のある皇帝っていたっけ?
最後の方は…
マテリアルが無かったから手の打ちようも無かったが。
最後の三人はそれなりに頑張ってるし、無能じゃないんだけど、
もう誰がなってもダメ状態だからなぁ
もうパレオロゴス朝のときには相当体力を使い果たしてたしなあ…。
>>2の連中がいたころの帝国にミカエル8世クラスの君主がいればまた違ったんだろうけども。
パレオロゴス朝だとマヌエル君とか好きだな
しょせんギリシア人の王国じゃな・・・
よっぽど批判されるのが嫌なようだなw
こんな未熟者に大人のための学問を楽しむ資格があるのか。
>>311 批判は専門家が書いた本まで読んだ奴が出来ること
>>309みたいなのは、ただのいちゃもん
知識の無い奴の言うことは評価に値しない
ビザンツヲタ的なベネチア観ってどうなん?
やっぱ、馬返せとかテトラルキアのシンボル返せとか思うわけ?
ギリシアはエルギンマーブル返せとは言っているけれど・・・。
>>313 ヴェネチアは,残念だけどマヌエル1世のせいでもあるからな
あまり印象が良くないのは確かだが
馬とかテトルキアの像をギリシャに返してもらっても、置かれてた場所が
自国じゃなくなってるからなぁ。
むしろそっちの街を取り返したい気持ちのほうが強いんじゃないか?
>>313 ヴェネツィアも好き。別にローマ市民じゃないから恨みとか何だとかはないw
あの国みたいな貿易と国際政治の妙で国家のかじ取りを行う国が大好きだし。
>>315 >貿易と国際政治の妙で国家のかじ取りを行う国
それ何てビザンツ?
というか、元々ビザンツの自治領扱いだったんだから当たり前か
考えてみれば元帝国の一自治都市如きに国家を転覆されたんだよな・・・
>>2はいったい、なにをしてたの?頭わるいの?
俺ら極悪非道のアンゲロスブラザーズ!
ヴェネチアも巻き込んで帝位争いしてやるからな
 ̄ ̄∨ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
∧_∧ ∧_∧
(・∀・∩)(∩・∀・)
(つ 丿 ( ⊂)
( ヽノ ヽ/ ノ
し(_) (_)
だったんだな。
>>317 帝国軍はそれなりにいたし、さすがに騎士道国家フランスの重騎兵とガチ勝負じゃきつかろうが、
城壁で防衛する分にはそうそう負けなかったんだろうけど、当の皇帝が逃げたり殺されて代変わりしたりと
もうgdgdの極みだったから…。
320 :
世界@名無史さん:2008/10/31(金) 02:24:26 0
敵はフランク人だけではなく、ブルガリアやセルジュークに備えねばならなかったからな。
当時帝都に兵力を集中したのならば、アナトリア等を完全放棄する事となったであろう。
強大な重騎兵を誇ったマケドニア朝時代にも、帝都はしばしばロシアに海から脅かされた。
>>319 「騎士道国家フランスの重騎兵」といったって十字軍の頃はストラディオタイなんかとあまり装備も違わないと思うが
つか13C初頭にストラディオトって名称あったのか忘れたんで詳しい人は突っ込んでくれ。
>>321 装備というか、中身じゃね?あんな蛮勇さを発揮する連中には正攻法じゃ圧倒されちゃう。
実際、城壁前での小競り合いだとビザンツ側が苦戦してたみたいだし。
十字軍には国内のDQNに海外で氏んでもらおうっていう西欧各国の思惑もあったしね。
蛮勇さなら世界一。
1211年のアンティオキアの戦いではニケーア帝国軍の800人いたフランク人騎兵が
緒戦のセルジューク軍の攻撃でほとんど全滅したらしいが、これはトルコ騎兵に負けてたのか
それとも圧倒的な敵勢の前に踏みとどまって戦ったというべきなのか。
それはともかく、ビザンツ史料では西欧の騎士を「カヴァラリオス」と呼んで区別してたようだね。
カヴァラリオイを指揮するのが「メガス・コノスタヴロス」でその初代があのミカエル・パレオロゴスだったっていう。
325 :
世界@名無史さん:2008/10/31(金) 21:09:36 0
ミカエル八世ってルーム・セルジューク朝に亡命してた頃は何やってたの?
327 :
世界@名無史さん:2008/10/31(金) 21:20:45 0
でもセルジュク朝だったどうだったか思い出せんなぁ
どこかのハン国だったような・・・
ルームセルジュク朝だから普通に大セルジューク朝の後継地方国家の一つじゃね?
普通にスルタンじゃん
本屋でヴァリャーギ ビザンツの北欧人親衛隊
をちょっと立ち読みしたんだけど、これ面白そうだな
最初の1、2章しか読めなかったけど。
ってすまん読み違えた\(^o^)/
まじでごめん
>>330 ルーン文字で落書きとかしてたらしいねヴァイキング親衛隊
>>332 あの本の後半はルーン文字の碑文ばっかり
コストパフォーマンス合わなそうと思ってスルーしちゃったんだが、もったいないことしたかなあ。
ミカエル[世ってビザンツ人のテンプレなイメージだけど
なんというか、魅力的だね
乱世の姦雄って感じで
つーか、ミカエル8世くらいだろ。ここまで狡猾だったのは。
ゼノンやレオ3世もそれなりの策士ではあったけど。
>>337 「最も狡猾なギリシャ人」だからな
あそこまで徹底してるとある意味立派だ
339 :
世界@名無史さん:2008/11/01(土) 11:51:51 0
ミカエル[世タイプの英雄って意外といないんだよね
文明の十字路ならではの英雄かも
俺ら極悪非道のアンゲロスブラザーズ!
ミカエル8世はアレクシオス3世の娘婿だからな!
 ̄ ̄∨ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
∧_∧ ∧_∧
(・∀・∩)(∩・∀・)
(つ 丿 ( ⊂)
( ヽノ ヽ/ ノ
し(_) (_)
娘婿はミカエルの母方の祖父じゃなかったっけ?
いずれにせよ、アンゲロスの血が少しは入ってる訳だ。
342 :
世界@名無史さん:2008/11/01(土) 14:42:06 O
アレクシオス3世の娘婿ってテオドロス1世じゃね?
たまにはエピロス専制公国も思い出して下さい…
>>343 貼った奴もそうだが、そのスレを知っているあんたもw
>>344 いや、「アンゲロスブラザース」でググってみたんだ
まぁロクデモない、もとい面白いブラザーズではあるな
>>346 2ちゃんねる的にはスターの要素十分だがな
当時に2ちゃんあったら、「アンゲロスブラザースを見守るスレ」とかあったり
>>348 「アレクシオスの簒奪キタ━━━━━━(゚∀゚)━━━━━━ !!!!!」とかなるんですね、わかります
トレビゾンドの者ですがおまいら帝位をコムネノス家に返せよ。
こうですか。
アンゲロスアンチスレとか擁護スレとかあるんだろうな・・・・
なんで俺の引くクジがねえんだよ馬鹿野郎。
【テッサロニキ】帝国の第二都市を決めるスレ【ニカイア】
>>351 1.【ローマの】アンゲロスブラザーズは氏ね【恥部】(451) 2.で、誰が皇帝になれば良いの?(51) 3.【高貴な】アンゲロス家マンセー【血筋】(670)
4.アンゲロスブラザーズを見守るスレ Part 65(254) 5.ヴェネツィアですが、おまいら氏んで下さい(174) 5.イサキオス2世ですが何か?(14)
6..コムネノス朝フカーツを目指すスレ 17(156) 7.【蛮族】アンチフランク人スレ 854【ウザイ】(985) 8.パレオロゴス一族ってどうよ?(671)
多分ビザンツオタうざい
ビザンツネタとフランクネタはスレ違いだゴルァ
と言う風になる
メデタク、隔離板「ビザンツ速報板」設置
言いたかったのは、一行目だけじゃないの?どうせ
ビザンツは後世の(ry
359 :
世界@名無史さん:2008/11/02(日) 01:49:27 0
このスレの住民なら、コンスタンティノポリスと発音するべきだ
スレの住民ならホメロスの詩は暗記できてるよな?
中世ギリシャ語読みで書かれると有名な皇帝でも一瞬気づかなかったりする…
イラクリオスって誰?みたいなね
>>343 遂に、兄弟が勢力拡大のため外征に乗り出しましたね
ウィキペとかで「中世ギリシャ語の発音では〜」とか書いてる人って
中世ギリシャ語の発音何をテキストに習ったん?
>>367 尚樹啓太郎『ビザンツ帝国史』は中世ギリシャ語記述
だから東海大学系の人は中世ギリシャ語使用、ただ学会の他の学者には
殆ど受け入れられていない。
東海大の尚樹啓太郎先生とかかねえ。著書を中世読みで書いてたし。
でも個人的にはややこしくなるから一般的な読みも併記するとかしてほしかった…。
「東海大学系の人は〜」ってのは聞いた事ある。
「ビザンツ帝国の政治制度」って本でもプロノイアをプロニャとか書いてたし・・・
日本語か英語の一般向けの本で現代と中世の発音の違いとか詳しいのないですかね?
>>370 ないだろう
英語ではほとんど英語読みにしちゃうし
ビザンツを批判するやつは、
ビザンツ帝国がローマ以来ずっと続いているってことをちゃんと理解してほしいね。
ローマ帝国末期からユスティニアヌス時代まで、まるで軍隊を組織できなかったのに、
テマ制・プロノイア制その他諸々を駆使して再び興隆した。
これがどれほど凄い事か、批判している連中はわかっているんだろうか・・・
>>371 だとするとウィキペで「テッサリア(中世の発音ではセサリア)」とか書いてたりする人達は
そういう規則を何を読んで覚えたんですか
>>78 それは他の板でも同じだよ
っていうかこの板より酷い板はいくらでもあるよ
所詮2chですから・・・
まあ、2ちゃんねるだからね…
学問系とは思えないような低レベルなのも多いし…
ビザンツ帝国という呼び方が誤解を招いてるよな
中世ローマ帝国という呼び方が一番しっくり来るんだが
神聖ローマ帝国はどうすんねん
つ「ドイツ王国」
神聖ローマ帝国は実際古代のローマ帝国とほとんどつながりがない
ローマと名乗れば箔がつくからそう名乗ってるだけだろ
正統はペテロの築いたローマ教会。
ローマ教皇が戴冠した皇帝こそがローマ皇帝。
東方教会は異端に過ぎない。
って教皇様が言ってた。
当時の教皇が勝手にそう決めただけ
ん、なんで神聖ローマ好きとビザンツ好きが対立、みたいな流れになってんの?
両方好きな自分はどうすればいいんだ。
>>374 中世〜現代の音韻の変化について参考になる専門書等があるということですか?
>>375 「ビザンツ帝国史」や「ビザンツ帝国の政治制度」あたりの固有名詞表記をそのまま写していると?
「ギリシア人のローマ帝国」でいいやん>ビザンツ
んなこと言ってると帰りに絹製品没収するぞ!
クソッタレのギリシア人めが!?
391 :
世界@名無史さん:2008/11/03(月) 18:44:53 O
さあおまいら
蒼き狼4でアンゲロスファミリーでサラディンと戦う作業に戻るんだ
アルメニア出身のビザンツ皇帝だっているぞ
>>387 そういうこと。
他に参考にするような文献ないし。
一部は東海大の人が記事作ってるのもあるらしいが。
>>390 バルバロイはカエレ!
本人たちは滅亡するその日までローマと言い張っていたのだから
ローマと呼んであげるのが一番いい。つーか政体は途切れてないし。
古代ローマと全然違うって?日本だって1000年前と今じゃ全然違うやん。
しかしまあ、滅びるまでの100年くらいは、ローマと言うより、ビザンティウム都市国家と呼ぶのが
ぴったりなのは間違いないだろうな。
ローマ帝国と呼ぼうよ。
現代の視点から過去を裁くのは良くないと、誰かがいってた。
もちろんその反対のことも誰かがいってたけど、
おれはコンスタンティノス11世が好きだからローマ帝国とよぼう。
アンゲロスブラザーズはともかく、
テオドロス朝やマヌエル2世からコンスタンティヌス11世は普通に賢明だからな。
ビザンツでいいんでないかな
過去の視点から見ても現代の視点から見てもローマとビザンツは別物だと思うよ
南宋が宋と呼んで貰えるかどうかみたいな話だな。
末期はもう台湾が中国を名乗るようなもの。
確かにヤルタ会談に出たのは中華民国だし、中華民国は台湾だ。
ローマ帝国の中でも、時代や政体によって、
古代ローマ・共和制ローマ・元首政ローマ・君主政ローマなどなど便宜上呼び分けるだろ。
長いローマの歴史のうちで、特に中世期のキリスト教とギリシア化した時代がビザンツ。
しかし知らない人が見るとビザンツ帝国という別国家に見えるので、
ローマとは入っていたほうがいいと思う。
ビザンツ期ローマ?
ローマ・ビザンツ政権?
>>401 で、そういう見地から開発されたのが「中世ローマ帝国」だと。
ビザンツよりも古代ローマ帝国から遠い「神聖ローマ帝国」が、何でまかり通るんだって話で。
その辺りが「西欧偏重」って言われる所以だよね。
確かに、あれをローマと呼んでいいなら、ビザンツもローマと呼んでいいだろうとは思う。
>>399 けなしてるわけじゃないんだぜ
ローマの伝統を継承しつつ時代の変遷に合わせて変化していったビザンツは
もう立派に古代ローマから進歩したビザンツ文明として誇ってといっていいんじゃないかと
405 :
世界@名無史さん:2008/11/04(火) 01:10:54 0
>>392 アルメニア人とギリシャ人の民族対立は、やはり致命的だったみたいだな。
カッパドキア出身のロマノス4世らにとっては、ユーフラテス河の向こう側も同胞
なのだろうが、ニケフォロス・ブリュエンニオスやアンドロニカス・ドゥーカスらに
とっては、マンジケルトへの遠征は迷惑な話だったみたいだな。
ああ、ローマからビザンツへの変化をどう評価するかによるのかね?(あるいは「変化」とやらを捉えるか否か?)
>>405 ひどい話だな
マンジケルトがなけりゃあビザンツだってどう転がってたか分からないのに
俺はマンジケルトの裏切り者が一番嫌いだよ
あれとその後の内紛の間に小アジアのほぼすべてを失ったわけだしな。
後の禍根となる十字軍を操ってある程度回復はしたけど、毒を以て毒を制する的なものだし…。
むしろ十字軍イベントが無くなる方が興味深いかも>マンジケルトでビザンツ勝利
もっともエルサレムの代わりに、何処かで十字軍を起こすとも考えられるが・・・
でもテマ軍がすでにボロボロだったマンジケルトの戦いで勝利できたとしても、
ロマノスがさらに奥地へ進軍してどっかで破綻してたかも。そしてヘラクレイオスの悲劇再び。
411 :
世界@名無史さん:2008/11/04(火) 06:34:50 0
>>409 当初アルプ・アルスラーンは、シーア派ファーティマ朝をブワイフ朝の様に滅ぼし、
シリアとエジプトを征服する事を最優先としていたらしいので、エルサレムを巡る
騒乱はいずれにせよ必至であったようである。
ロマノス4世のおかげで、ファーティマ朝はさらに100年生き延びたようである。
>>409 実際どこでもよかったわけだし
北方十字軍とかアルビジョワ十字軍とか第4回十字軍とか
住人には大迷惑だったのは共通してるw
413 :
世界@名無史さん:2008/11/04(火) 22:16:28 0
>>412 スペインのレコンキスタが1492年よりも早期に完了したのだろうな。
しかしながら、スペイン土着の諸侯と十字軍ら外来の諸侯らの対立で
スペインの統一は阻害されそうだな。
アンダルス辺りに十字軍国家でも出きるのかw
415 :
世界@名無史さん:2008/11/04(火) 22:41:57 0
米国ではもうすぐ民主党から黒人初の大統領が誕生しそうですが、
大昔、南北戦争のころは、共和党に黒人奴隷解放論者が多く、
民主党は南部の保守層が支持基盤だったはず。
それが今は反対になっているわけで、
これはいつ頃逆転したのでしょうか。またその理由は?
教えて、詳しい方。
>>415 荒らしにしても誤爆にしても、わざわざこことうのが馬鹿過ぎる
米国こそ現代のローマ帝国だかr
593年にアヴァール,ゲピデをローマのプリスクスという人物が破り、
600年にアヴァールを大敗させ壊滅的打撃を与え、アヴァールは支配下の諸族が離散し
602年にはローマ軍がスラブ人を破ったそうですが
領内に入ってきたブルガール人が第一次ブルガリアを建設するまでは
ワラキアもローマ帝国(東)の影響下だったと考えてよいのでしょうか?
Wikipediaにそのような事が記述してありました。
ビザンツをアメリカに例えれば、今のアメリカが首都をロサンゼルスに移して、ロッキー以東を
放棄したようなものだな。
423 :
世界@名無史さん:2008/11/05(水) 16:54:29 O
「1日でわかるローマ帝国」とかいう本を立ち読みしたら、
ゲルマン国家に分断されたヨーロッパの地図が描かれてる西ローマ帝国滅亡
の次のページがメフメト2世の肖像画つきのコンスタンティノープル陥落のページで吹きそうになった。
ビザンツの扱いとしてはよくあること。
「(ここまで延々と帝政ローマの細々とした政争・戦争が書かれる)…476年、西ローマ帝国が滅亡、
東ローマ帝国はその後約1000年続いたのち1453年に滅亡した。」
マルチは死ね
427 :
世界@名無史さん:2008/11/05(水) 21:13:00 0
>>421 かの軍人皇帝時代以来帝国そのものであったドナウ軍団最後の栄光でありますな。
せっかくの勝ち戦であったにもかかわらず、軍団が反乱を起こした理由の一つに、
マウリキウスがアルメニア人でフォカスがトラキア人だった事もありそうですな。
ゴート戦争時のユスティニアヌスとベリサリオスの場合は、ともにバルカン出身で、
苦戦していたのにもかかわらず、ベリサリオスらは反乱を起こさなかったですな。
ユスティニアヌスやフォーカスらによってバルカンがスラブ化した結果、
ドナウ軍団が消滅、アルメニア人らが表に立たざるえなくなったようですな。
428 :
世界@名無史さん:2008/11/05(水) 22:08:44 0
>>424 ビザンツっていっつもその扱いだよな
納得いかねー
>>427 では600年頃のワラキアは…東ローマの色を塗ってもいいんですよね…
>>422 経済力は
当時のローマもアメリカも 西方<<東方だからその例だと適切じゃない。
むしろ日本が東西に分裂したってほうが例としてしっくり来る。
431 :
世界@名無史さん:2008/11/05(水) 23:20:52 0
>>429 当時アヴァールはパンノニア、ゲピデはトランシルバニアにいたので、
バルカン西部イリリア方面で、東ローマ軍は勝利したのでは?
ワラキアとモルダビアは、現在スラブ化していないので、ロンバルド族の
イタリア移住後、アヴァール配下のスクラヴェンニ人が、パンノニアから
イリリア、トラキアへと西方からバルカンへ入植したとされる。
一方、東北からバルカンに侵入しようとしていたアント人は、アヴァールに
撃破され、残党は東へ向かいロシア人の祖となったとされる。
>>428 中国で言えば五胡十六国から明までを、「その後千年間様々な王朝が興亡した」
と書くくらいの暴挙なんだよな、実は。
つーか、ビザンツのみならず、東欧、小アジアの歴史自体が軽視されてるからなあ。
434 :
世界@名無史さん:2008/11/06(木) 00:57:28 O BE:430379227-2BP(601)
>>431 Wikipediaによると6世紀に東ローマの影響がワラキアに及んでいたことは明かであるそうです。その為、気になっていました。
また、東ローマ軍勝利の件はイリリュアではなくワラキアの項目に執筆されております。
Wikipediaを信用すると、ワラキア方面に移動したスクラヴェンニ人はスラヴやブルガリア人勃興頃までは東ローマの影響下に置かれていたのでしょうか?
435 :
世界@名無史さん:2008/11/06(木) 02:03:02 0
>>434 6世紀に東ローマの影響がワラキアに及んでいたのならば、ウクライナに隣接している
モルダビアとワラキアが、なぜスラブ化を免れたのかをうまく説明できそうですな。
東ゴート王国が滅亡した結果イリリュアは無防備となり、スロバキア方面から南下
したスクラヴェンニ人らが入植開始、ヘラクレイオスによりクロアチアとセルビア
の建国容認、その後さらにスクラヴェンニ人はバルカン各地をスラブ化していった。
ワラキアでは、ラテン化したサルマチア人らが生き延び続けたようですな。
じゃあヴラフはどういう経緯で構成されたの?
彼等もスラブではないよね
437 :
世界@名無史さん:2008/11/06(木) 07:21:25 0
>>436 とりあえずラテン系なのでローマ属州人の末裔でありましょう。
ダルダニア出身のユスティニアヌス帝もラテン系であったそうな。
>>437 ユスティニアヌスはラテン化したイリュリア人でそ
昔風に古代ローマ共和国・帝国と中世ローマ帝国(=ビザンティン)に区分された方が
区切りは遷都されたコンスタンティヌス大帝治世からにするか
文化言語がギリシア化された時代にするか意見は別れると思いますが
帝都コンスタンティノポリス
専制君主制
ギリシア化
が条件なら後者でしょうね
帝国内では徐々にギリシア語が主流になっていくが
引き続きラテン語を第一言語としたローマ人もいたらしい
>>439 専門家が「明確に区切れない」と言ってるものを、素人がどうこう言っても無駄。
442 :
世界@名無史さん:2008/11/06(木) 18:28:06 O BE:768533055-2BP(601)
>>436 ヴラフは東ローマ(の初期?)においてラテン系の言語に固執し続けた者を指しているようで
二つのパターンがあるそうです。
一つはバルカン半島南部にてギリシア化せず
少数派になろうともラテン系言語に拘っていたローマ人(現在のおおよそアルーマニア人)。
もうひとつはバルカン半島北部で東ローマの影響を受けたためなのか何故かスラヴ化を拒みラテン系言語を第一言語としたローマ人。
バルカン半島南部のローマ人ラテン語話者はヴラフを自称し、
北部の者の住む土地もヴラヒアやヴァラヒアと呼ばれ後に英語でワラキアと呼ばれる由来となっているそうです。
443 :
世界@名無史さん:2008/11/06(木) 18:28:41 O
井上先生あたりに「1日でわかるビザンツ帝国」執筆してほしい
>>443 生き残った帝国、一日あれば読破できるからそれで足りる。
ビザンツの場合、その開始年度なるものがないから最初から厄介なんだよなw
コンスタンティヌス帝ってのから果てはヘラクレイオス帝あたりまで各種乱れてるし。
1日で分かる的な簡便さならテオドシウス帝死後の分裂あたりだろうけども。
パンとサーカスが消滅して所謂ローマ帝国としての体裁を保てなくなる辺りからじゃね?
つーか、その後穀倉地帯を確保した邪教徒連中は何で配給やらなかったんだろう?
>>445 さすがにテオドシウス帝までは遡り過ぎじゃないかな
やはりビザンティンの名がある以上は帝都はコンスタンティノポリスだろう
これは外せないよ
あとそれとは別にキリスト教国教化も外せないファクターの一つ
ユスティニアヌスも古典ローマの幻影を見ずに自己の実力を再評価して
バルカン、小アジアに限定した地域大国を目指せば
後のイスラム・アヴァールクライシスは多少なりとも和らいだかも知れないと思うのですが
>>447 補足訂正
唯一の帝都はコンスタンティノポリスだけだろう
→ローマと両立分権体制ではビザンティンとは言えないのでは
だって分裂後の西の帝都はラヴェンナだもん。
ローマなんて飾りです。
450 :
世界@名無史さん:2008/11/06(木) 21:14:41 0
>>438 マクシミヌス・トラクスは、トラキア出身だがトラキア人ではなかったそうな。
バルカン半島は、ローマ征服以前にケルト人の大規模な侵入があったりしたので、
民族分布は紀元前にカオスであったそうな。ユスティニアヌスがギリシャ語地域
ではなくてラテン語地域出身であった以上の事はわからない。
>>447 ?ユスティニアヌスの即位時はシリアもエジプトも失われてなかったよ?
そっからバルカン・小アジア限定を目指すとか意味が分からん。
まぁ、ユスティニアヌスは対ササン政策をもうちょっと重視すべきだったとは思う。
西側はカルタゴやイタリア半島やガリアくらいで妥協すべきだった。
2chでもこれだけ意見が分かれるのだ。
学者どもの議論の中でも一致をみないのは致し方なし
454 :
世界@名無史さん:2008/11/06(木) 23:18:59 0
>>447 ユスティニアヌスが、もっと単純に生まれ故郷の防衛を重視したのならば、ドナウ軍団が
消滅する事はなかったであろうな。
ドナウ軍団が健在ならば、ササン朝やアラブの軍勢らを、苦もなく撃退できたであろうな。
ドナウ軍団なら飢え死に間際のゴート族に蹂躙されてたよ
>>447 どっちが良かったのは分からない
井上先生の言うように、一度でもローマ帝国を再生できたことが、その後の精神的支柱になった面もあるのだ
457 :
世界@名無史さん:2008/11/07(金) 00:27:40 0
ゴート族やアラン族、フン族ら騎馬民族は傭兵に適していたが、
スラブ人は貨幣経済が未発達な自給自足農民だったそうで、
騎兵に適しておらず金で雇う事も困難なので、スラブ人で
ドナウ軍団を再編成出来なかったらしい。
ビザンツが存続してWW1やナポレオン戦役に参戦する仮想戦記とか読んでみたいなぁ
ギリシャとかにはあったりして
459 :
世界@名無史さん:2008/11/07(金) 00:47:14 O BE:830016239-2BP(601)
西ローマ帝国滅亡前の勢力地図を見てみるとローマ帝国の故地の後継国家らしきものにEastern Roman,Western Roman,Soissons to WRE,Roman Moor King.(Altava),Kingdom of Mauriとありまして
Eastern Romanはバルカン南東部に基盤を置く東ローマ、Western Romanはイタリアを基盤にし476年にはオドアケルに帝位を追われることになる西ローマ、
Soissons to WREはガリア・ルグドゥネンシスを基盤にし486年にフランクに滅ぼされる西ローマ臣下アエギディウス,シアグリウスの領地だとは知っているのですが
マウレタニア・ティンギタナ州を基盤にするKingdom of Mauriことマウレタニア王国と
マウレタニア・カエサリエンシス州付近を基盤にするRoman Moorは東ローマ帝国とどのような関係を持っており、
またRoman Moorは旧ローマ帝国の同胞とでも見倣され再征服の対象にはならなかったのでしょうか?
ヴァンダル族に抵抗していた現地のローマ人勢力です
>>460 その勢力を、コンスタンティノポリスは援助したのだろうか?
どうなんでしょう
個人的には地方の地主階級が独自で踏ん張ってたんだろうとおもいますけど
戦史になら詳しくのってるんですかね、もしくは衰亡史とか
勝利と栄光に彩られたローマ帝国は476年に死んだ。
以後は、えせローマ帝国があったらしいが誰もそんなことに気を止めはしなかったというわけさ
>>463 いまどき、そんな見方してる奴は素人だけ
わざと釣りに来てるだけだろうからほっとけばいい。
マウレタニアのローマ系勢力は確かに気になる。
7世紀ごろには既に消えていたが、いつまで勢力を維持していたんだろうか。
それと、バレアレス諸島とサルデーニャ島の喪失時期も。
イスラム勃興後もしばらく支配できていたみたいだが・・。
466 :
世界@名無史さん:2008/11/07(金) 02:39:52 O BE:1229652858-2BP(601)
6世紀中葉ですとRoman Moorは回復した領地(ジブラルタル海峡両岸と旧ヴァンダル支配地)に挟まれる形となっていますが
この場所を回復するためにはカルタゴからは海路にしても陸路にしても
マウレタニア・カエサリエンシス近辺をどうしても通過しなくてはならないので
遣わしたローマ軍はRoman Moorと関係を持っており通行を認めさせているか
認めさせていないのなら途中で敵の勢力圏を素通りしてまで危険な再征服事業に取り組んだかのどちらかが推測出来ますよね。
日本語でRoman Moorは何て表すんだろう?
マウレタニア・ローマ王国?アフリカローマ朝?アルタバ王国?
>>463 あ?教科書嫁。と釣られてみる
468 :
世界@名無史さん:2008/11/07(金) 02:56:02 O BE:307413252-2BP(601)
469 :
世界@名無史さん:2008/11/07(金) 03:01:38 O BE:983721784-2BP(601)
【ビザンツ帝国の盛衰】
要塞で固められたコンスタンティノープル
を都とするビザンツ帝国(東ローマ帝国)395〜1453は、
西ローマ帝国の滅亡(476)後、1000年近く存続した。
470 :
世界@名無史さん:2008/11/07(金) 03:29:50 O BE:307413252-2BP(601)
追記しておくと
>>466のこの場所を回復するためにはという文章のこの場所とは
ジブラルタル海峡地域やイスパニア等のこと
素晴らしき日本の歴史教育だな・・・orz
どこが変なの? 三行で千年間どう書けばいいの? おしえてーエロイ人
>>473 そもそも三行しかないのが問題なんだろ、と釣られてみる
手元に山川の世界史研究があったからちょっと見てみると、ローマは16ページ、
ビザンツは4ページ半って感じだった。双方とも文化史込み。
興味がない人も多いだろうけど、出てくる皇帝名(太字ゴシック)はユスティニアヌス1世、ヘラクレイオス
バシレイオス2世、アレクシオス1世。
時代分類は初期がアドリアノープルの敗戦からヘラクレイオスのあたり。
中期はイサウリア朝〜マケドニア朝、後期はコムネノス以降。
>>466 そのままローマン・ムーアじゃない
同じようなやつらでローマン・ブリテンとかいるし
あと英語wikiによれば533年にヴェリサリウスのヴァンダル戦争で東ローマ領に復帰
って書いてあった
>>475 初期→古典ローマ的思想の延長
中期→テマ制、タグマの発生、発達
後期→テマ制の衰退、貴族中心社会への移行、イタリア海洋都市による商業覇権
ってとこか
478 :
世界@名無史さん:2008/11/07(金) 15:20:22 O BE:245931124-2BP(601)
ヴァンダル族に抵抗していた旧ローマ帝国圏の他の勢力(マウレタニア・ティンギタナのほうのマウレタニア,ローマン・ムーアの東のアウラシウム,カプサ,トリポリタニアのカバオン等)も
ヴァンダル征伐時に東ローマに復帰したのでしょうか?
ローマがイスラムに北アフリカの支配権を奪われた際にキリスト教を信奉しラテン系言語を解した現地人は暫くイスラムに抵抗したようです。
>>476 多くの資料では東ローマ領と記載されていないことが多いものの、
ボスポロス王国やエグリシやガッサーン朝らと同様に東ローマ帝国には属していたんですね。情報ありがとうございます。
ローマン・ブリテンと違い英語圏とは縁の少ない地域ですので英語のムーア以外の呼称を意識して求めていました。
コンスタンティノープルをコンスタンティノポリスと呼んでみるように…
>>478 いや英語wikiでも1行でちょこっと書かれてただけなんで多くの資料に東ローマ領と記載されてないなら信用しないほうがいいですよ
所詮、誰でも好き勝手に編集できるのがwikiですし
オスマンスレからおもしろいもの見つけてきたぜ
異教徒の旗、デジタル処理によってカイセリ要塞に掲げられることに
2008年09月20日付 Hurriyet紙
アナトリア文明を取り上げた「アナトリア」というドキュメンタリー制作中に、カイセリ要塞に掲げられ、
一部のカイセリ住民を激昂させたビザンツの旗が、再びデジタル処理によってカイセリ要塞に
掲げられることになった。
ドキュメンタリー撮影は四日ぶりに再開された。歴史的な時計塔の前での撮影を多くの人々が見物していた。
しかしカイセリ要塞の城壁には、十字架の描かれたビザンツの旗の代わりに、トルコ国旗とアタテュルクの
ポスターが掲げられた。監督のタンヨラチュ・テュルクベンは、カイセリ要塞での撮影は取りやめて、旗を
デジタル処理し、合成する予定であると語った。
http://www.el.tufs.ac.jp/prmeis/html/pc/News20080920_152438.html
481 :
世界@名無史さん:2008/11/07(金) 17:53:48 O BE:1075946257-2BP(601)
変なもん貼ってんじゃねえよバルバロイが!
484 :
世界@名無史さん:2008/11/07(金) 18:26:42 O BE:276672233-2BP(601)
>>480 カエサリアは蛮族にゃもったいない町だぜ
テマ制のテマって結局何なの?
自給自足可能な防衛共同体ってところ?
487 :
世界@名無史さん:2008/11/07(金) 20:49:15 0
節度使とかサトラップとか州牧とか
そういうのの親戚じゃないの
>>486 テマとは何かと言ったら軍管区みたいなもん、テマ兵とは何かと言われたら屯田兵みたいなもんってのが手っ取り早いかと。
ちょっと前に東ローマの始まりはいつからだみたいな話があったけど
あえて、テオドシウス2世を推したい。
従来の慣習でいけば、アルカディウスがあぼーんした時点で
ホノリウスが統一された帝国の皇帝になるべきだった。
尤もそうなってたら、ローマ領全てが蛮族に蹂躙されたろうけどね。
>ホノリウスが統一された帝国の皇帝になるべきだった
西ローマ臣下「・・・・・・」
じゃあ俺はアルカディウスからが東ローマと思う
494 :
世界@名無史さん:2008/11/07(金) 23:47:22 0
フォカスはローマに柱を建設しているから、ここまでは正真正銘ローマ帝国だろう!
ヘラクレイオス「下劣漢!お前が帝国を統治したのはこのざまか!」
フォカス 「ではお前はもっと立派に統治するというか!」
実話です。
フォカスはもっと評価されていいとおもふ
497 :
世界@名無史さん:2008/11/08(土) 00:08:13 0
ユスティニアヌス、フォカス、マヌエル・コムノネス、イタリアにこだわる奴はビザンツの癌だな
>>497 俺ら極悪非道のアンゲロスブラザーズ!
俺達はイタリアにはこだわってないからな!
 ̄ ̄∨ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
∧_∧ ∧_∧
(・∀・∩)(∩・∀・)
(つ 丿 ( ⊂)
( ヽノ ヽ/ ノ
し(_) (_)
499 :
世界@名無史さん:2008/11/08(土) 00:13:26 0
>>498 つまりだ。
ローマ皇帝は、最後までイタリアに拘った。夢想派、郷愁派。
ビザンツ皇帝は、そうではなかった。現実路線派、妥協派。
というわけでアンゲロス兄弟は正真正銘の現実主義者であったといえる。
>>499 アンゲロス朝がまともに見えちゃうだろwww
>ローマ皇帝は、最後までイタリアに拘った。夢想派、郷愁派。
はい?
ユスティニアヌスは一概にダメとは言えないだろ。
後世に残したものも大きいし・・・。
マヌエルもいくつかの手痛い敗戦や、国力を消耗させまくったが、
軍事的な成功も多いし、周辺国に覇権を確立した。
つまり、アンゲロスブラザーズなんかと一緒にするなということだw
>>502 井上先生が著書でそういう評価してたね>ユスティニアヌス
アンゲロスブラザーズは後世2chで笑い物にされるという不名誉だけw
イタリアを奪還したユスティニアヌス
イタリアを脅かしたマヌエル1世
イタリアの都市国家に国を奪われる原因を作ったアンゲロスブラザース
アンゲロスブラザースって長いから
暗部
って略そう
506 :
世界@名無史さん:2008/11/08(土) 02:02:06 0
スラブにバルカンを奪われる原因を作ったユスティニアヌス
バルカンのスラブ化を決定的にしたフォカス
トルコにアナトリアを奪われる原因を作ったアンドロニカス・ドゥーカス
アナトリアのトルコ化を決定的にしたアンドロニコス2世パレオロゴス
エジプト小麦のパンを頬張り
カフカスの女を抱いて
聖体礼儀で福音を記憶し
競馬場で戦車競争に熱中し
地中海の夕焼けを見ながら一日を終える
こんな幸せな帝国は他にはないぜ?
>アナトリアのトルコ化を決定的にしたアンドロニコス2世パレオロゴス
あの時点でニカイアの旧版図ならともかく小アジアの諸君候国をどうしろと
>>507 それが出来てたはずのユスティニアヌスの治世ですら
暴動が起きたしなぁ。案外幸せじゃなかったのかもしれん。
中国産の食べ物を頬張り
オリエント工業の女を抱いて
ゆとり教育で歴史を記憶し
2CHで歴史論争に熱中し
今日も太陽を拝まずに一日を終える
こんな幸せな国は他にはないぜ?
>オリエント工業の女を抱いて
金持ってていいね
514 :
世界@名無史さん:2008/11/08(土) 13:16:53 0
>>509 ニカイア旧版図でのオスマン建国を阻止できたのならば、帝国再建への長い道のりを
スタート出来たでしょうな。
スペインのレコンキスタは、後ウマイヤ朝滅亡の1031年からグラナダ陥落の1492年まで、
461年間もかかったそうだが、ルーム・セルジューク朝滅亡の1308年から461年後だと
なんと1769年になってしまいますな。
ギリシャ人の事だからスペイン人よりももっと時間がかかりそうですな。
おそらく、イタリア統一と同じ頃でライバル同士になっただろうね。
515 :
世界@名無史さん:2008/11/08(土) 13:34:46 O BE:2213374098-2BP(601)
古今東西を問わず多くの人々にとって幸せは失ってから気付くものなのかも。
後のコンスタンティノポリスの人々は少なからずコンスタンティヌスやユスティニアヌスの業績を讃えていたようだし
>>511 \(^o^)/ゆとりマンセー/(^o^)\日本とアメリカって戦争したことあるの?\(^o^)/宮城は九州/(^o^)\ビザンツ産業
コムネノス朝の最初二代は立派だけど
マヌエル・コムネノスは過大評価だよな
>>516 その後の某兄弟とかが酷かったから、相対的にマシにみえるという
心優しきヨハネスさんが毒矢を誤って突き刺しさえしなければ…
コンスタンティヌス『剣闘士試合は残酷だから禁止な、コンスタンティノープルにも闘技場は作らないからね』
テオドシウス『キリスト教の祭典じゃないからオリンピックは禁止な』
ヘラクレイオス『シリアとエジプト無くなったから配給止めるわ、あトガの着用も駄目だし寝そべって飯喰うのも禁止な』
ミカエル8世『競技場壊されちゃったから戦車競走禁止な』
>>520 こんな連中が作った都市が面白いはずがない!
キリスト教徒どもはそれでもいいんだろうけどよぉー
古代末期の危機、ユスティニアヌスの外征の疲弊とペルシアの圧迫、
ヘラクレイオス以降のアラブの圧迫、次々とバルカンに現れては国境を侵犯する蛮族、
国内の格差による国力の衰退、帝国の危機を尻目に西から富を求めて武力で進出する
フランク人とヴェネチア・シチリア、
そしてアナトリアを奪取して帝都に迫り、ついに包囲にかかるトルコの騎馬軍団と歩兵隊…
↑正直こんな状況でよくあそこまで繁栄したわ。
西欧はともかくアラブや東欧の正教信者の諸民族からは間違いなく「ローマ帝国」扱いだし。
パルティア時代含めてローマがはっきりペルシアを圧倒したのは
ヘラクレイオス帝一人だけだし
皮肉なことにビザンツの文化が一番輝いたのは滅亡寸前のビザンツ晩期
しかも帝都でなくモレアに
>パルティア時代含めてローマがはっきりペルシアを圧倒したのは
ヘラクレイオス帝一人だけだし
帝政期からずっと国力はローマ帝国>パルティアだろ
>>522 ペルシャがイスラム帝国に滅ぼされたときに、ビザンツも一緒に滅びててもおかしくはないよなあ。
皇帝の記録さえあいまいで年代記にも1年で1行のみなんつー時代からよく蘇ったものだ。
トラヤヌス「・・・・・・」
>>524 「はっきり」ってことじゃね?ローマ時代でも押してる時期は多いが、ペルシャを圧倒ってのはないかと。
パルティアならトラヤヌスなんかは圧倒してたと言っていいかも。
>>520 >>521 実はマケドニア朝の時代でも、寝そべって食べる宴会を宮廷ではやっていて、そ
れ専用の建物もあった。釣りや煽るにしても、もう少し勉強しろ。
哲人皇帝も忘れないでください
マウリキウスはサーサーンに対してかなり優位だったし
フォカスだって言われるほどには悪くなかった。
ヘラクレイオスをやたらと持ち上げる奴はこの辺を無視するから困る。
>>530 フォカスは実際以上に悪く書かれてるみたいだからな
クーデターや革命で倒された方は、どうしても悪く書かれるんだよな
それに生まれが下賎だから、当時の帝都の市民からは嫌われたに違いない
俺ら極悪非道のアンゲロスブラザーズ!
俺らも実際以上に悪く評価されているんだぜ!
 ̄ ̄∨ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
∧_∧ ∧_∧
(・∀・∩)(∩・∀・)
(つ 丿 ( ⊂)
( ヽノ ヽ/ ノ
し(_) (_)
>>533 お前らの評価は実力どおりだろw
>>532とは逆にアレクシオス1世の血を引いてるからというだけで市民が
イサキオス・アンゲロスなんか担ぎ出すからあんなことに…
ビザンツ帝国っていろんな王朝が起こっては絶えてるけど、
なにかをした王朝は、その当時の最も有力な勢力から発してるのかな?
ユスティニアヌスとか、ヘラクレイオスは最前線の軍人家系出身だし。
なんでフォカスはだめだったんだろう
>>535 フォカスみたいに元が下士官じゃ、勢力基盤が全然無いもん。あとは個人の資質の問題。
コムネノス朝以降はコムネノス・ドゥーカス家一門じゃないとダメだし
537 :
世界@名無史さん:2008/11/09(日) 02:24:00 0
>>535 ヘラクレイオスは、アルサケス朝の末裔とされるイラン系アルメニア貴族の
名門だったそうな。
マウリキオスはおそらく彼らの親類であり、フォカスに対してはストレートに
復讐だろうな。
538 :
世界@名無史さん:2008/11/09(日) 03:19:05 0
マクシミヌス・トラクス 対 カルタゴのゴルディアヌス父子(フリギア出身)
フォカス(トラキア出身) 対 カルタゴのヘラクレイオス父子(カッパドキア出身)
■ おすすめ2ちゃんねる 開発中。。。 by FOX ★
このスレを見ている人はこんなスレも見ています。(ver 0.20)
Victoria/ヴィクトリア太陽の沈まない帝国 43世 [PCゲーム]
【HoI2】第百二十八次 Hearts of Iron【Paradox】 [PCゲーム]
【EU2】 ヨーロッパユニバーサリス 25 【EU3 EUR】 [PCゲーム]
ふむふむ
【綺麗なお姉さん】シュラク隊スレ8【健気な子】 [旧シャア専用]
ん?
>>527 パルティア時代も含めるなら、トラヤヌスに限らずセヴェルスなども首都を占領してる。
ローマの度重なる侵攻は衰退要因の一つと言ってもいいぐらいにパルティアを疲弊させた。
ヘラクレイオスは確かにすごいが、彼が就く以前は逆に東部の大部分をペルシアに占領されてたんだよな。
アケメネス朝時代の版図を再現したホスロー二世時代ササン朝のペルシアは、少なくとも領土的には空前絶後の全盛期だった
>>539 へぇ。パラドゲーやる連中にも専ブラ入れてないの居るんだ。
>>540 ヘラクレイオスは征服したというより、盗られた領土奪い返しに言っただけだからな
544 :
世界@名無史さん:2008/11/09(日) 15:19:05 O
>>539 むしろクルセイダーキングスやシヴィライゼーション、トータルウォー系は
ないのかと小一時間(ry
CKは最初にやったら国内領主が離反しまくりでワロタが。
TotalWarはギリシャ火の汚物消毒スゴス
>>544 CKは英語版Ver1.05で1066年シナリオやるとビザンティンが悲惨すぎて笑える。
M2TWの方はギリシャ火だけで防衛戦は勝つる
546 :
世界@名無史さん:2008/11/09(日) 20:16:36 0
>>537 ヘラクレイオスがパルティア王家の末裔であるとすれば、
ビザンツ帝国も、まるでローマ帝国時代のように開放的な時期があったということか。
>>546 いや、ローマ帝国ですが何か?
少なくともコムネノス朝の前までは開放的
マケドニア朝の開祖バシレイオス1世もアルサケス朝の末裔と称していたし(本当かどうかはともかく)
だがちょっと待って欲しい。
東ローマが存続しえたのは蛮族を排除し西側に誘導した結果。
つまりは西滅亡に一役買ったのは他ならない東ローマと言える。
こんな帝国が開放的と言えるだろうか?
551 :
世界@名無史さん:2008/11/09(日) 22:57:56 0
デビ夫人がチャリティーパーティーの主賓として招いている
ビザンチン皇室の皇太子パレオロゴ殿下とかいうのは本物なのか?
ビザンツがトルコを撃滅して存続してたら、コムネノス系の一族がハプスブルグ家や
ブルボン家みたいな扱いになってたかも。
新大陸に正教の国ができたり、ナポレオンの攻撃対象になってたのかもしれん。
アンゲロスブラザーズの時代にパレオロゴス朝最末期のレベルの皇帝が出てれば…。
あれ以降はトルコを撃滅(というか撤退させるくらいか)してももう反撃さえできない有様だし。
>>554 テオドロス・ラスカリスあたりにさっさと帝位が回れば違ったのかもしれないけど、
いかんせん
俺ら極悪非道のアンゲロスブラザーズ!
今日も未来はないのに帝位争いしてやるからな
 ̄ ̄∨ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
∧_∧ ∧_∧
(・∀・∩)(∩・∀・)
(つ 丿 ( ⊂)
( ヽノ ヽ/ ノ
し(_) (_)
だったしなぁ。
マヌエル・コムネノスがトルコに勝っていればなんとかなったかも…
マヌエルはなんか乾隆帝や足利義満に通じるものがあるな。
不安要素がある中での絶頂。
第四回十字軍によるビザンツの衰亡とモンゴル軍によるトルコ衰退が重なってたのが
不運といえば不運なのかな。
あのとき攻めていけばトルコは殲滅できたはず。
>>554 というよりも、最期の皇帝達は尻に火がついていたから
火事場の力を出せたのだろう。
アンゲロスブラザーズの敵がヴェネツィアではなくトルコであったとしたら、
彼らの勇名は歴史に燦然と輝いていたにちがいない
この国の外交力はハンパないけど、
外交力を支えた国力の源ってやっぱり黒海沿岸〜地中海+
アナトリア〜バルカンの中継貿易?
絹織物だけでマケドニア・コムネノス朝の繁栄は支えられないでしょ
>>559 東西交易の利益もあったよ
もちろん国庫収入の大半は農地へ土地税と世帯税だけど
561 :
世界@名無史さん:2008/11/10(月) 03:07:20 0
>>548 あのまま西ゴートが後のブルガリアみたいに定着してまい、東ローマが都を
ニコメディアに戻さざるえなくなる事もありえただろうね。
マンジケルトの時は、敵を誘導するのに失敗してしまったようだ。
セルジュークの本隊は、エジプトを征服する予定だったらしい。
>新大陸に正教の国ができたり
何でまた。一応北アフリカを押さえて東南アジアまで艦隊派遣していた
オスマン・トルコ人ですら大西洋渡ろうとしなかったのに。
中東を押さえていると西へ行く動機がないよね
昨日エルサレムのキリスト教会でギリシア正教とアルメニア正教の聖職者たち同士が殴り合いの大乱闘になったらしいね
良くも悪くも、大航海は地中海が邪教徒の手に落ちてやむなく始めた事だからな。
>>565 その「邪教徒」というのはローマ・カトリック教徒のことを指すのかいな?
スペインやポルトガルが海上進出を始めた頃はオスマン朝やマムルーク朝といった回教勢力は
レヴァントですら制海権を握るには程遠い状態だったけど。
オスマン朝やアイディン君候国といったガージー国家は14世紀頃からすでに船団を組織して
エーゲ海とか襲ってたけど、その頃はまだ小舟がメインで海上ではヴェネチア船やジェノヴァ船に勝つ力はなく
ゲリラ的にキリスト教徒を襲うだけしかできなかったらしい。
パレオロゴス朝はアンドロニコス2世の海軍放棄のせいでそのトルコ船すら自力で防げなくなってしまったが・・・
このスレでは、正教会以外は全部邪教です
なんでローマ・カトリックがでてくるんだ?
イスラム教じゃねえの
邪教っていったらイスラムか創価だろjk
なんで゙創価依存症患者は、どんなスレでも構わず暴れるのかな?
>>568 だから大航海時代が始まった頃はレヴァントにムスリムの強国があっても
海上ではまだヴェネチア人やジェノヴァ人やホスピタル騎士団が幅を利かせてたって話
jk
>>571 そりゃ正規軍相手に海賊はかなわねえだろw
ムスリム海賊が横行してたってことが重要なわけで
ヴェネチアが海上では幅を利かせてたって言ってるけどそれもオスマンへの譲歩があってこそ
全体的に見て制海権はイスラム側にあったとみるべき
じゃあビザンツが制海権握ってたころのはなしでも
↓
黒海は我らの内海です
よく蛮族に制海権とられなかったよな。
ヴァンダルなんか船使ってたのに。
地上では都の近くまでブルガリアに領土取られてるのに、シチリア維持してたり
するからな
たしかヴァンダルと東は東の領土は襲わないって条約結んでたはず
>>578 レオ1世の時代に、西を援けるために海戦やって負けてるんだよね
じゃあその後か、前かどっちかかな
俺の記憶もおぼろげだから断言はできないけど
ヴァンダル興亡史かもう一冊はタイトル失念したが
東西ゴート、スエビ、ヴァンダル、アレマン、ランゴバルド、ロンバルディアすべて網羅した本(こっちは研究書、日本語)
にのってるはず
かなりいいよ、日本で暗黒時代扱ってる本だと一番充実してる思う
タイトルなんだったかなあ
暗黒時代、民族移動、文学こんな感じだったような気が・・・
>>582 それでググったけど出てこなかった・・・
「地中海世界史」シリーズも、なかなか良いんだよな。ビザンツの戦艦のこととか書いてあって。
戦国最強は武田信玄。信長は運が良かっただけwww
http://dubai.2ch.net/test/read.cgi/news/1226310563/435 435 名前: ヒジキ(岡山県)[] 投稿日:2008/11/11(火) 01:24:10.27 ID:08xNc0Tb
そんなことより東ローマ帝国最強の皇帝を決めようぜ!
俺はバシレイオス2世ブルガロクトノスだと思う!
437 名前: うり(大阪府)[sage] 投稿日:2008/11/11(火) 01:26:51.07 ID:70HgPxU0
>>435 無茶振りしすぎw
ミカエル8世に決まってる
絶対このスレの住人だろw
>>584 このスレの住民なら、あの兄弟を推さないとw
アンゲロスブラザースに(ある意味)勝てる戦国武将なんていないだろうなあw
587 :
世界@名無史さん:2008/11/11(火) 02:20:36 0
>>564 このような紛争は古より頻発していたとされる。アルメニア本国はアルメニア正教
であるのは当然として、カッパドキア等ビザンツ領内のアルメニア人は、皇帝に
即位出来るくらいギリシャ正教徒が多く、アルメニア人同士でも流血騒ぎとなった
事であろう。
このアルメニア人同士の宗派対立は、ササン朝やイスラム勢力等近隣列強の介入を
招き易く、ビザンツ帝国の構造的欠陥のひとつとされる。
マンジケルトの会戦では、アルメニア本国人らはトルコ側に加勢したとされる。
ミカエル8世って戦上手だったのは確実だろうけど
腕っ節はどうだったんだろうね。
ミカエル8世は松永久秀、宇喜多直家みたいなタイプに見える
シャルル・ダンジューを破滅させたあの腕前は当時の国際政治の芸術だな
確かにあの外交術は当代最高峰だな。帝国が国際的影響力を発揮できた最後の事例かも…。
そのわりには、あまり名前が知られていないよな。
そこはかとなく謎が多い
あんな事をしておいて
『朕はシチリア人に自由を与える神の道具である』
とかサラッと言ってのける腹黒さは凄まじい。
しかし、西方教会に譲歩しまくる姿勢はどうだったのかね?
将来の従属の原因を作ったのはミカエルか!
ゆ、ゆるせん・・・
表に出て教皇やヴェネチア、ジェノヴァを刺激したらマズい。
それにあれはむしろアラゴンの方がやる気だったんじゃね?
この後はアンカラの戦い後のオスマンに対する介入が最後の成功例だな。
コンスタンティノス11世も頑張ってモレア拡大したらしいけど、
蟷螂の斧だったな。
ウルバンの大砲売り込み失敗もやっぱり金がなかったのかな。
まぁ、そもそもシャルル・ダンジューのやり口に相当な批判があったしねぇ。
コンラーディン処刑とか。
>>591 俺ら極悪非道のアンゲロスブラザーズ!
俺達だって外交手段駆使してたんだからな
 ̄ ̄∨ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
∧_∧ ∧_∧
(・∀・∩)(∩・∀・)
(つ 丿 ( ⊂)
( ヽノ ヽ/ ノ
し(_) (_)
全部逆効果だったけどw
>>598 ヴェネチア敵に回して、十字軍の情報洩らして、金なんかないのに報酬を約束して十字軍を帝都に呼び込み…なんで無能ばっかりなの?
600 :
世界@名無史さん:2008/11/12(水) 00:22:53 O
弟なんか娘婿の足引っ張るためにセルジュークと組んだし、
このブラザーズはイスラムの回し者じゃねーのかw?
>>600 ミカエル8世も手段を選ばなかったが、アレクシオス3世の場合はどうしようもないダメ野郎だよね
ビザンツ皇帝のワーストを挙げたら、この兄弟が間違いなくトップ3に入るな
602 :
世界@名無史さん:2008/11/12(水) 00:40:31 O
>>601 むしろローマまで含んでもここまではいないな。
こいつらに比肩できるのはせいぜいがアントニウスくらいじゃねーか?
ネロもカリグラもコンモドゥスもこのブラザーズに比べれば…
>>602 国をいったん滅ぼしたからな、全ローマ皇帝でも最悪の部類かもな
ホノリウスとかヴァレンティニアヌス3世もひどいが
どっかにわかりやすいビザンツ通史はないものかな。
塩野七生レベルのものでもいい。とりあえずユスティニアヌスから落城までの通史を世みたい。
>>603 ホノリウスにはスティリコ、ヴァレンティニアヌス3世にはアエティウスが一応いたからなあ…。
ブラザーズの周囲には…
>>604 講談社学術文庫の「生き残った帝国ビザンティン(井上浩一)」なんてどうかね。
入手しやすさで言ったらこれが一番じゃないかと。
生き残った〜が一番簡単じゃないかな
東西分裂から落城まで語ってるし
>>609 根津先生の「ビザンツの国家と社会」も、安い、薄い、内容濃めでオヌヌメ
しかし、流石のブラザーズもコンスタンティノープルが落ちて
『何?朕の鶏が死んだ?』ではなかったろうからホノたんには勝てると思う。
612 :
世界@名無史さん:2008/11/12(水) 12:54:54 O
>>611 >>602参照
兄貴は帝都陥落時に息子ごとくたばったが、
弟はニケーアで帝都から逃げ延びた人達を必死に収容してた娘婿テオドロスの帝位を
奪おうとセルジュークトルコと組んでる。
テオドロスに敗れてやっと隠遁したらしいが、
ホノリウスと比べると悪い意味で行動力旺盛すぎ。
ラスカリスブラザーズの尻拭いの必死さももっと評価されるべき。
テオドロス一世がいなかったらニケーア帝国なんてすぐに崩壊しただろうからな。
1453年
モレアス専制公領「俺がローマ帝国だ!」
トレビゾンド帝国「俺が…俺達がローマ帝国だ!」
トリビゾンドがローマなら〜♪
白羊朝ペルシアもローマのうち〜♪
会社でAI作ってたらあっという間に一日が終わるね
617 :
616:2008/11/12(水) 20:29:24 0
誤爆です
EU2・3辺り?
619 :
616:2008/11/12(水) 21:00:08 0
HOI2でビザンツMODとな!?
偽ローマ撃滅と正教諸民族解放、最後の審判まで地上の人々を統一する帝国の建設か。
>>619 HOI2か
サンクス
VICで無いかネェw
>>621 いや、
激化する領内の諸民族のナショナリズムと、じわりと浸透していく共産主義の脅威に
いらだつ帝国が暴走して・・・
な感じ
最後はオーストリアみたいな末路だね
やはりどう考えても、アンゲロスブラザーズが帝国衰退の決定打だな。
やることなすこと全てが裏目に出た上に、
コンスタンティノープル陥落はとてつもない痛手だ。
名君候補
アナスタシウス
レオーン3世
コンスタンティノス5世
バシレイオス2世
アレクシオス1世
ヨハネス2世
テオドロス1世
ヨハネス3世
微妙
ユスティニアヌス1世
ヘラクレイオス
レオーン6世
マヌエル1世
ミカエル8世
迷君候補
ゼノン
コンスタンティノス8世
ロマノス3世
コンスタンティノス9世
アンゲロスブラザーズ
アンドロニコス2世
ヨハネス5世
こんなもんか?
無視するなコンスタンティノス11世ヲヲヲヲヲヲヲヲヲ!!!
>>627 最後の三人は微妙だな
頑張ってるけど結果は出しようが無かったし
モレアで臥薪嘗胆すれば良かったのに。
「スパルタ専制公国」みたいな感じで。
630 :
世界@名無史さん:2008/11/13(木) 09:11:13 O
マジャール人職人が売り込んできた巨大砲をお断りしたのはやっぱり
金がなかったからなの?
ゼノンって迷君なの?
まぁ、確かに一回簒奪されたし駄目人間だったみたいだけど
蛮族への処置は結構的確だったと思うのだが。
>>629 ちょうどスパルタ教育発祥の地だからうってつけなのでは(笑)
ヘラス回帰嗜好の時代でもあったし。
戸○ヨットばりの国家教育で
国民皆兵制度のネオ・ビザンツとして再生へ。
>>632 棺の中で息吹き返したのに、そのまま埋葬された位の人望のなさ
人気取りのためにばらまき財政やって、財政難。
お世辞にも誉められたものではない
>>633 柘植先生が仮想戦記で「オレが指揮官ならコンスタンチノープル皆兵で
勝てる」って言ってたの思い出したわ。
まあ、それができるならニケーアをトルコに取られたりはしないわな…
636 :
世界@名無史さん:2008/11/13(木) 20:53:42 0
最近よくアパッチに乗ってマンジケルトの戦場に乱入する夢を見るよ
ギリシャびいきが行き過ぎて現代の地図見ると頭がおかしくなりそうだ
ギリシャ共和国(王国)って正式にビザンツ帝国の後継と自国を位置づけてるの?
ヴェニゼロスみたいな奴は抜きにして
>>637 ギリシア正教的な意味ではそうなんじゃ無い?
ビザンツ時代からの中東にある正教会は、ギリシアが人と金出して管理保護しているようだし。
639 :
世界@名無史さん:2008/11/13(木) 21:33:53 0
>>637 そらそうだろ
自他共に認める後継国家だろう
640 :
世界@名無史さん:2008/11/13(木) 21:39:04 0
笑わせんな
ビザンツは滅びた、後継国などない
現ギリシアはモレアは奪還したわけだが、当時の都市は廃墟になってるんだよな。
642 :
世界@名無史さん:2008/11/13(木) 22:43:53 0
>>641 ベネチアの支援を受けたギリシャ人の反乱が相次いだので、ペロポネソス半島はオスマン帝国
によって徹底的に破壊されたらしい
>>642 そうやってなんでもヴェネツィアのせいにすれば良いニダ
>>635 仮想ならなんとでも言える罠
俺ら極悪非道のアンゲロスブラザーズ!
仮想戦記だったら俺達でも勝てるからな
 ̄ ̄∨ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
∧_∧ ∧_∧
(・∀・∩)(∩・∀・)
(つ 丿 ( ⊂)
( ヽノ ヽ/ ノ
し(_) (_)
ヤムルークの戦い
マンジケルトの戦い
ミリオケファロンの戦い
ってな感じで負け戦はやたら有名だけど勝ち戦って有名なのあったっけ?
特にイスラム以後でコンスタンチノープル防衛は抜きで
>>647 レオーン3世のアクロイノンの戦い
バシレイオス2世のクレディオン峠の戦い
なんかフツーの専制君主国だよなあ・・・あんまりおもろくないなあ
>>649みたいな、ロクに知識もないくせに先入観だけで書くやつが一番つまらな
い
>>647 特定の会戦名でないならアレクシオス1世やヨハネス2世がクマン族を破ったり、パツィナク族を滅ぼしたりはしているね。
あとベリサリウスとナルセスはペルシャ戦や東ゴートとの戦争での活躍(ダラスの戦い)とか。
ただ、負け戦の方が有名なのは確かかなあw
重税と徴兵で国土は疲弊してるのに帝都だけは輝いていたというあれか。
むしろ今の日本国も首都に集中しすぎ…
ただビザンツ時代のテッサロニキやニケーア、トレビゾンド、コリントなどの
地方都市の様子についての資料も特に日本語だとあまりない
>>652 古代ローマ時代も帝政以降は、外敵に負けた戦の方が有名じゃないか?
トイトブルクとか、アドリアノープルとか
っカタラウヌムの戦い
>>659 ていうか日本で知られてるのがそういうでかい負け戦だけなんじゃね
常勝のローマ軍が珍しく負けたから取り上げられてるんだと思うけど
古代ローマは負けても負けても大量の兵隊を動員できる膨大なマンパワーが特色だったような
戦闘に負けても戦争に勝つタイプ?
>>656 日本じゃギリシャ好きは肩身が狭いから
思春期の青年みたく過敏に反応しちゃうようになってしまうんだよ
なんで肩身が狭いんだ?
ローマ時代以降のギリシアはヨーロッパのできそこないだからか?
単にマイナーだからじゃね
今日セスタス立ち読みしてたらアンゲロスブラザーズが見えて吹いた
なんでマイナーなの?
>>663 マイナーなのと
トルコ好きのギリシャ嫌いが多いからじゃないかな
親日無罪!
生意気なユスティニアヌスをシめてやるッ!
書記官であるプロコピオスが見守る中、制裁は行われた。
既にユスティニアヌスの口中ではナルセスの赤黒い怒張が暴れている。
「ベリサリウス将軍、陛下お尻がおねだりしているようですよ」
プロコピオスの声に応じて、ベリサリウスのブリーフから屹立した一物が顔を覗かせた。
ゆうに一尺はあろうかという業物に、恐怖に顔を歪めるユスティニアヌス。
しかし、その恐怖心とは裏腹に、ユスティニアヌスの肉棒は硬度を増していく。
−ユスティニアヌスにとっては、その恐怖こそが色欲そのものだったかもしれない…。
天を仰いだユスティニアヌスの頭皮を、プロコピオスが絶妙な舌技で剥いていく。
サーモンピンクの亀頭が徐々に姿を現すのと平行して、
ベリサリウスの淫槍がユスティニアヌスの菊門にねじり込まれていく…。
東ローマ帝国政府男性陣によるド迫力の4Pファック!
だが、長い夜は幕を開けたばかりだ…。
せっかくローマのものなんだから、
一尺ではなく、1スタディオンとかにするべきだった。
それにナルセスは宦官だろ?
どうせならアンゲロス兄弟で作品作ってくれ
ナルセスにはチンコないよな
くじ引き兄貴のコンスタンティノス・ラスカリスなら
ブラザーズに十字軍にイスラムに登場者がいっぱいw
アンゲロスもイサキオスはまだただの迷君なんだよ。
アレクシオス3世がひどすぎる。
奴こそコプロニュモスの渾名がふさわしい。
「い、イサキは?イサキは吊れたの?」
十字架をしごく。
「ああ、でっかいイサキをその息子と一緒に吊ったよ。」
「息子と一緒にっ!イサキぃぃ!!ムルツフロスかっこいいいいぃぃぃい ぃくううううう!」
>>675 人物の関係が合ってない。しかも、つまらない。
宦官って棒が無いのと玉が無いのと2種類あるって聞いたことあるんだけど
ナルセスは棒が無かったのか?
>>677 確かタマなしが一般的だったはず。
ただ棒はあってもそういうのに使えるような大きさにはならないでしょ。基本ガキの縮んだサイズのまんまだし。
ナルセスはイタリアの司令官として職相応に儲けたみたいだけど、
中国の趙高や十常侍みたいな滅茶苦茶な宦官はいないな。
ラスプーチンみたいな怪僧が実権握るみたいなこともなかったし。
皇帝がある意味怪僧
>>679 ヨハネス・オルファノトロフォスとか、悪い宦官もいたことはあるけどな
>>680 いつのだ、誰だがだよ
682 :
世界@名無史さん:2008/11/15(土) 07:57:36 0
だいたい宦官なんて入れている時点でローマではない。
もっとおぞましい別の専制国家だ。つまんねーなおいビザンツは。
つまんねー釣り方だな
勉強不足過ぎワロタ
ちんこ切るなんて漫画の中だけだろwww
党錮の禁?ないないwwwww
あとビザンツで多いのは、目潰しとかして先帝を不具にするやりかただな。
残虐趣味と偽善と狂信と乱交と不具者がとびかうこの帝都に
人間的な美しいものがあるとは思えないね。
ビザンツがマイナーなのは、魑魅魍魎の1000年の中に普遍的なモデルが
あまりにも少ないからだろうな。そりゃ山川の教科書的な扱いになるわなw
だがそれがいい
アンチはアンチでいいんだが、勉強不足なのがすぐ分かってしまう
のだけは何とかならないのかね
狂信者も、アンチのどこが勉強不足なのかを
提示するべきだ。
なんなら箇条書きでもいいぞ。
宦官はローマにもいたし、乱交はお前が言うな。普遍的って何が普遍的だよ。
>>690 単なる箇条書きは、ただのメモ。いらない。
学問なら出典を出せ。もちろん専門家が書いた本か、(ないとは思うが)
史料の原典ね。
>>690 単なる箇条書きは、ただのメモ。いらない。
学問なら出典を出せ。もちろん専門家が書いた本か、(ないとは思うが)
史料の原典ね。
>>690 単なる箇条書きは、ただのメモ。いらない。個人の感想文は日記にでも書いてろ。
学問なら出典を出せ。もちろん専門家が書いた本か、(ないとは思うが)
史料の原典ね。
やべ、そう言っておいて無駄な重複レスを
はずかしー
一人ジェットストリームアタック
しかも3発目だけちょっと煽り追加でワロタ
>>697 いやー、携帯からだとダメだねー。みんなゴメン。
笑いたいだけ笑ってくれ
で、学術的な批判はマダー?
俺ら極悪非道のアンゲロスブラザーズ!
今日も不毛な言い争いしてやるからな
 ̄ ̄∨ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
∧_∧ ∧_∧
(・∀・∩)(∩・∀・)
(つ 丿 ( ⊂)
( ヽノ ヽ/ ノ
し(_) (_)
701 :
世界@名無史さん:2008/11/15(土) 15:01:38 0
つまりアンチも狂信者もアンゲロス的であるということで一致をみたのです
アンチもビザンツ人だったとはなんという皮肉
狂信って言われるほど、別に好きでもないんだけど、どの分野の学問においても、
学術的な根拠のない批判は、ただの感想文と同じだ、と言いたかったわけ。
感想文なら小学生でも毎年書けるからな
>>702 さすが、内紛のビザンツは伊達じゃありませんな。
東ローマ的内紛は朝鮮民族的なところが多々見受けられる。
特に、1204年前後の大騒動などその典型である。
〜ジョン・ハルドン〜
てめえ、アンゲロスさんをディスったな!?
なんという良スレ
709 :
世界@名無史さん:2008/11/16(日) 02:52:05 0
マヌエル2世ですら、即位記念に帝都市民に銀貨を配ったのに
この国の天皇ときたら・・・。
テンコさんは国民の皆様に扶助されることで生きられる保護指定の生物ですからね
もうちょっと仕事があるか、金を食わなかったら許せる
710 名前:世界@名無史さん 投稿日:2008/11/16(日) 03:27:36 0
711 名前:世界@名無史さん 投稿日:2008/11/16(日) 03:38:18 0
天皇は文化財みたいなものだろ
714 :
世界@名無史さん:2008/11/16(日) 08:44:48 0
トキやコウノトリみたいなもんだな。
完全にスレ違い
今に残るバレオロゴス王家の人々も文化財みたいなもんか
11世ドラガゼスが必死に首都で防戦してたときもモレアス専制公は何もしなかったもんな。
まあできなかったんだろうけど
どうしてパとバを間違えることができるんだ
アテネ公国とか援軍派遣しなかったんかな
>>719 そこは、コンスタンティノス11世がモレアスにいた時に戦った相手だろ。
>>720 まぁそれにしたってね
ビザンティンが滅亡すれば次は自分達・・・
って考えるでしょ
フランスはハプスブルクが滅べば次は自分たちだとは思わなかったから
スレイマンに尻尾振ったんだろ。
ま、結果的に紙一重でウィーンは堕ちなかったけど。
>>722 とはいえオスマン領と国を接するアテネ公国なら危機感はフランスの比じゃないと思うんだけどねぇ
724 :
世界@名無史さん:2008/11/17(月) 00:17:42 0
そこは盛りを過ぎたギリシア人
あたま腐ってたんだろw
アテネ公国はコンスタンティノス11世が滅ぼしてモレアに編入したんじゃなかったか?
>>717 その頃モレアスではトマスとデメトリオスが、
俺ら極悪非道のパレオロゴスブラザーズ!
帝都が陥落しそうでも専制公位争いしてやるからな
 ̄ ̄∨ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
∧_∧ ∧_∧
(・∀・∩)(∩・∀・)
(つ 丿 ( ⊂)
( ヽノ ヽ/ ノ
し(_) (_)
だったw
>>725 いや、服属はさせたが完全に併合したわけじゃなかったみたい。
>>724 アテネ公国は十字軍国家ですが何か?
頭腐ってるんじゃないの?
>>724 アテネ公国ってフランスかアラゴン系あたりの国でしょ?
>>728 支配層は、フランス人→カタルーニャ人→フィレンツェ人
例の白人嫌いが流れて来ている様だ
相手にしない方がいいよ
>>729 最初の支配者はどんどんギリシア化していってる
やっぱりミカエルがカトリックに譲歩しすぎたから
最後の三代が西欧から思った以上の支援を得られなかったんだよ。
まぁ、ジェノヴァはよくやってくれたのか。
734 :
世界@名無史さん:2008/11/17(月) 23:37:19 0
ジェノヴァと帝国が仲良かったのは極悪非道のヴェネツィアのおかげだな
ま、ジェノヴァも負けず劣らず外道だが、ビザンツ帝国に限定すれば雲泥か
そもそも教皇の意向によってはミカエルに対する十字軍もあり得たからなあ。
パライオロゴス朝は内紛大杉なんだって。
ラスカリス朝はあんなにまとまってたのに。
コンスタンチノープルよりも先にモレアやその他地域を押さえ、
ニケーアを守り抜く姿勢が必要だったのかな。
ラスカリス朝は目立たないけど良い仕事してる
ニケーア帝国時代から農業以外の産業は低迷してたし、帝都非奪還を仮定してもやはり厳しいことになっていたかもしれんね。
ビザンツ史は雌伏→攻勢→疲弊→崩壊のサイクルが回ってる感じ。
ユスティニアヌス、バシレイオス、マヌエル・コムネノスは攻勢期の最後の皇帝。
>>736 パレオロゴス朝は、一族内部でもめすぎ。
ビザンツの帝位争いは古代からだが、マケドニア朝までは支配層の新陳代謝(農民が皇帝になれたりする)に
なってたのに対し、コムネノス朝以降はただの一族の内輪もめになったからな。あのブラザースしかり、パレオ
ロゴス朝しかり、外国の介入を招いて悲惨な状態に。
>>739 大抵、どこの国でもそうなんだけど。
ビザンツの場合、崩壊=滅亡にならずに、また体制を変えて出直してるところが違うんだけどね。
ユスティニアヌスやマヌエルとバシレイオスを同列にして欲しくないなぁ。
前二者は虚栄に駆られて帝国を疲弊させただけだけど
バシレイオスの場合は後任が馬鹿過ぎただけだ。
>>741 確かにそうだが、自分は独身で弟にも息子がいないのに、ちゃんと後継者を考え
ておかなかったという点ではバシレイオス二世にも責任がある。
>>741 しかしまだ有能な将軍マニアケスが残っていたけどな
彼の功績でバシレイオス2世死後も小アジア、南イタリアの国土は守れたし
ただ名声を恐れた皇帝に謀反の嫌疑かけられ謀殺されたが
彼が皇帝になっていればまだマシになっていたかも知れん
なんだそんな逸材がいたのか。
ぜんぜんしらんかった
ゾエがキングメーカー的な立場になってしまったのがなぁ
彼女がいなかったら、それだけでだいぶマシになってたろ
>>745 彼女が若いうちに、まともな将軍でも婿にしておけばよかったんだろうが…
WIKI
モノマコスの項
>また、首都の有力商人を元老院議員とした。
>これは支配層に新しい血を導入することになったが、
>後に商人達が国家に寄生する階層となってしまうことになった
これはビザンツ商人がイタリアの商人とぐるになって帝国を売ったってことかな。
だれかおしえて
その点、獅子→糞は上手くいった。
ビザンツはろくな女帝おらんね。
まあブラザーズよりはマシだけど
>>744 同時期、マニアケスの部下でヴァリャーグ親衛隊長は後のノルウェー王となるハラルド3世苛烈王
ノルウェー王ハラルド3世は王位即位後イングランドへ侵攻するが
スタンフォードブリッジの戦いでイングランド王ハロルドに敗れる
疲弊したハロルド軍は次いで襲来したノルマンディー公ウィリアムに敗れイングランドにノルマン朝が成立する
ハラルド3世は最後のヴァイキングとも呼ばれている
なぜ北欧には正教が伝わらなかったのか…
野蛮人に正教のなんたるかがわかるはずがない
>>747 官職を売る→元老院身分になる→俸給がもらえる
その数が増えた結果、商人は国家の俸給に頼るようになってしまい、
財政は火の車。井上浩一先生は「国債を発行し過ぎて、利払いだけで財
政を圧迫するようになったようなもの」みたいに例えてた。
なんと。
ビザンツ帝国は売官をしていたのですか。
そしてそこで得た金も、修道院と皇宮の贅沢に消えていったのですね。
こんな国は滅びてよかった。
>>752 大聖堂とか機械仕掛けの玉座を見ればきっとデーン人にだって!
フランス王「売る爵位がない…」
神聖ローマ皇帝「首都さえない…」
>>756 そうだルーシの奴らでさえ理解できたんだから!・・・って、そうか?
>>757 官職売買なんて中国でも日本でも、フランスでもやってるんだよね。
フランスは絶対王政時代になってからだけど。
スカンジナビア大主教とか萌える
>>759 フィンランドは、一時期ロシア領だったから正教会あるけどね。
でもフィンランドはノルマン系ではない罠
ハーラル、ヴァリャーグ親衛隊に勤めとったんか・・・
あの時期のイングランドはすごいんだよなあ
ウェールズにはグリフィスがいるし、ウィリアムも攻めてくるし
ハロルド最高だぜ!ウィリアムは死ね!
で、東ローマの面々はどれだけ人類の歴史に貢献したのですか?
泥をぬっただけではないですか?
人類の歴史への貢献ってどういう基準で図るんだ
近代西欧基準か?イスラム原理主義基準か?
>>762みたいな主観的、抽象的なのは、学問とは呼べんな
>>761 ウィリアムはハーラルに比べる武勇もなくドジだったらしい
ウィリアムはイングランドに上陸する第一歩でつんのめって大の字にすっ倒れた
周囲は一瞬にして凍り付いたが
ウィリアムはこの手でイングランドの土を掴んだと叫んだそうな
>>761 ハーラル王はまさにヴァイキングの王道だよなあ。壮絶な最期もヴァイキング時代の終焉を飾るものだし。
いっそのことハーラルが帝位につけば…
むしろハーラルさんにはヴィンランドにでも行って、ヴァイキング王国を北米に・・・・・
ハーラルが帝国から去った理由には帝国の金を横領したとかの説もあるが
一説によると中年オバサンになった皇女ゾエがハーラルに片想いし
その攻勢をハーラルが嫌って去ったという
ハーラルは帝国に雇われる前にキエフ・ルーシで客将として雇われていて
当地の王女エリザベータと恋仲になっていてハーラルが帝国を立ち去りキエフへ立ち寄り
エリザベータと婚姻しノルウェーへ戻り王位に即位した
エリザベータはスタンフォードブリッジの戦いにもついて来た
ハロルド、ハーラルが英雄気質だからウィリアムがセコく見えるんだよなw
あと
>>580を見つけてきた、暗黒時代に興味ある人は読んでみるといい
個人的にはゲルマンとローマの方がオススメ
文学に現れたゲルマン大侵入 ピエール・クルセル
ゲルマンとローマ 長友 栄三郎
でも上陸直後にコケた男が上手い具合に勝利者になるってのも歴史に時折あるハプニングだよなあ。
しかもハーラルとハロルドっつーイングランドに影響力がある二者がほぼ同時に消えたせいで
権力の空白が生まれ、ウィリアムの行く手を阻む大領主がほとんどいなかったってのも。
権力の空白といえばアンゲロs
>>767 要領いいなぁw
結局最後に天下取るのはのはこんなのだったりするwww
776 :
世界@名無史さん:2008/11/19(水) 19:32:40 0
1453年にタイムスリップして滅亡を止めたい
Κωνσταντινο ύπολις上空に突如現れた現代兵器の前に
メフメト2世唖然
ローマと漢
ビザンツと宋がなんとなくダブる
東西両横綱って感じだね
ぶっちゃけそんなことするより、ブラザーズを暗殺しといた方がいい。
>>778 トルコ人とブラザーズ
両方滅ぼせばいいじゃないか
780 :
世界@名無史さん:2008/11/19(水) 21:29:34 0
>>777 共和制ローマと秦、帝政ローマと漢みたいだな。
マンジケルトの会戦と靖康の変、ロマノス4世と岳飛は悲劇的だね。
まあ、ビザンツは宋ほど軍事軽視しゃなかったけどな
>>776 誰しも一度は封鎖を突っ切って金角湾に突入する戦艦ジュリオ・チェザーレを夢想したことがあるはず……っ!
しかしそこに山越えで現れる巡洋戦艦ヤウズ・スルタン・セリム!
ええ、どうみても俺だけですね
トルコ人は素晴らしい!
それなら幻のド級戦艦サラミスでも突入させようぜ
ビザンツ帝国の弩級戦艦・・・
「ユスティニアヌス1世」とか「コンスタンティノープル」とかいう名前なのか・・・
皇帝も一杯いるから名前には困らないかも
うっかり「アレクシオス3世」とか暗君の名前つけた戦艦だと、乗員もやる気出ないだろうな
>>786 とりあえず敵艦隊が来てても、艦長の座争いだなw
>>785 ゲームネタだけど
つい最近その作業やったよ
最初は戦艦バシリサ・ゾエU世だー!とか史実に則してコイツはエリだな!
とかノリノリでやってたんだけど巡洋艦位になるとめんどくてめんどくて
最後らへんはそこらへんに転がってた聖闘士大図鑑から適当に引っ張って決めた
またHoI2か
エイレーネーになり損ねたのが小アグリッピーナだな。
ネロの出来が良すぎたからだな
>>793 あれは良かったのか?
ビザンツ時代になると、ああいう分かりやすい暴君タイプっていないよな。
権力欲だけの香具師が実権握ったって碌なコトにはならんだろ。
現にエイレーネーはグタグタ。
ネロのママンがネロを排除出来たところでどれだけのコトが出来たのか疑問。
ハバネロは暴君なのは確かだよな
ネロも無能ではなかったんだろうけど、
あれはセネカとブルスの守役二人のおかげなんじゃなかったっけ?
セネカが亜愚リっぴーな抹殺の計画を立てたんだよね。
エイレーネーはネロママになるのがいやで、息子に家庭教師をつけなかったんだろ
まあ小アグリッピナが権力を握ってgdgdになったところで、
脅威はせいぜいアルメニアと一部の東方に対するパルティアだけで済んだだろうが、
エイレーネーの時代にはアラブ人、アヴァール人、スラブ人に帝都を含む国土が脅かされ、
シャルルマーニュの皇帝即位でローマ皇帝としての正当性が脅かされる
事態になってたから、一概には言えないものもある。
799 :
世界@名無史さん:2008/11/20(木) 23:51:27 0
中世は暗黒ではなかった。
なぜならコンスタンティノープルが光り輝いていたからである。
中世は暗黒だった。
コンスタンティノープルが実力不相応に光り輝いていたからである。
モザイク壁画で真実を隠す必要があった
つか中世とか暗黒とか西ヨーロッパの話だろ
>>802 つまらん
というか美術の知識無さ過ぎ
>>803 いや、7-8世紀の、後退を余儀なくされた時代のビザンツは暗黒だろ。
その頃西欧はもっと下に行ってたが。
>>802 やっぱりそうだよね。
あの陰鬱で沈痛なモザイク画見てると人類が進歩する生き物だなんて信じられなくなる。
ほんと、ビザンツってクソ以下のくせに悪運にのって1453年まで持つんだもんなあ。
人類に対する朝鮮としか思えない。
>>804 おまえはカロリングルネッサンスを知らんのか。
知識なさすぎや
>>805 カロリングルネサンスは9世紀に入ってからだろ。
しかもアーヘン大聖堂はビザンツの建築様式が一部入ってる。
知りもしないくせに偉そうに
アンチは無知の法則
モザイク壁画の話はギャグだろ?
>>805 まだまだ終わらんさ
ツァーリがおられるのだよ
つまりプーチン
>>808 まあかなり痛いギャグだけどな
実際には世俗画のモザイクは写実的だったし、そもそもモザイク画は
かなりの技術と資金を必要とする。
こんなところでも蔑ろにされてるコリアン哀れ
世界史板にヘンケン・ベッケナーがいるとはな
>>811 >人類に対する朝鮮としか思えない。
ああ、なるほどw
こんなところにガンヲタがいるのか。
気持ちわりいw
もうこのスレも危ういな・・・
暗黒時代の西欧だってイタリア半島の極一部は光り輝いていたジャマイカ。
819 :
世界@名無史さん:2008/11/21(金) 17:47:22 0
>>815 俺ら極悪非道のアンゲロスブラザーズ!
今日も不毛な言い争いしてやるからな
 ̄ ̄∨ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
∧_∧ ∧_∧
(・∀・∩)(∩・∀・)
(つ 丿 ( ⊂)
( ヽノ ヽ/ ノ
し(_) (_)
820 :
世界@名無史さん:2008/11/21(金) 21:50:50 0
>>777 >ビザンツと宋がなんとなくダブる
セルジュークと金もやはりダブりますな。
ともに当初はビザンツや宋への大攻勢を意図していなかったとされる。
セルジュークはエジプトを征服してイスラム世界の再統一を目指し、
金は遼の滅亡が目的で長城以南に野心はなかったとされる。
ともに想定外の領土得とくが最終的に命取りになったようである。
セルジュークは、アナトリアに多くのトルコマンが移住したので、
ホラズム時代に兵力増強の為にカンクリ族らを受け入れたが、
トルコ人同士の激しい部族対立が生じ、モンゴルに敗れ去った。
金は、著しく長大な国境を維持しなければならなくなり、
モンゴル高原が統一されと、ひとたまりも無く滅亡した。
>>820 後にその遺民からオスマン、清という大帝国が生まれたところ、その大帝国が
自分が滅ぼしたローマ、中華の正統を継ぐと(オスマンは一時的だが)と標榜し
たことなんかも似てるかもね。
>>818 それもこれもバカなギリシア人どもから巻き上げたお金による。
というか、不当に帝都(w)に収奪された財産を、
イタリア人があるべき場所に取り返した聖戦なのですよ、ルネッサーンスは。
824 :
世界@名無史さん:2008/11/21(金) 23:39:12 0
アンゲロスさんはイタリア人を恨んでるはずだろ・・・・
フランス人を利用して帝位簒奪を図ろうとしたらヴェネツィア人に利用されただけという結果に…。
827 :
世界@名無史さん:2008/11/22(土) 07:19:31 0
中世が暗黒だったのは今のイスラム諸国を見れば明らかだろう、
今のイスラム諸国が暗く見えるのなら相対的にキリスト諸国は
完全に闇の中だった、中国はそれらと比べれば光輝いていた。
>>827 中国wwww
というか、そういう主観に基づく感想文はいらない。
暗い云々を客観的・学術的に図る基準などないだろう。
そんなのは学問でもなんでもない。
>>828 君の言いたい事も良くわかる。
でも学問をしたいのなら、2chは不適当な場所だ。
それでも2chでやりたいのなら、
自分で研究論文つくって、
それを万人受けするよう単行本にして
組版して製版して印刷して店頭に並べてからにしてほしい
ここでそんなのは学問でない!なんて絶叫されても、
みんなそんなことは承知してますよ。
キミ一人空気が読めていないんだ
俺ら極悪非道のアンゲロスブラザーズ!
今日も不毛な言い争いしてやるからな
 ̄ ̄∨ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
∧_∧ ∧_∧
(・∀・∩)(∩・∀・)
(つ 丿 ( ⊂)
( ヽノ ヽ/ ノ
し(_) (_)
一ヶ月ちょっとで1スレ消化できそうだな
いったい何が起こったんだろう
このスレにも最盛期がやってきたのか
いや、アンゲロスブラザーズの不毛な争いが延々と
学問として正しくない上に、ネタとしてもおもしろくない
>>827みたい
なのはスルーすればいいだけ
>>829も無駄に必死で気持ち悪い
前はアンチがいい加減な書き込みしても「またバルバロイか」で終わら
せてたし
無知な馬鹿は相手にしなきゃいいのよ
ありがとうございます!
>>833 >またバルバロイか
そう言えばそうだったなw
このスレを見ている人はこんなスレも見ています。(ver 0.20)
【海外シェアRPG】Mount&Blade 7馬力【戦闘はFPS】 [PCゲーム]
Victoria/ヴィクトリア太陽の沈まない帝国 43世 [PCゲーム]
【HoI2】第百二十九次 Hearts of Iron【Paradox】 [PCゲーム]
【HoI2】第百三十次 Hearts of Iron【Paradox】 [PCゲーム]
【綺麗なお姉さん】シュラク隊スレ8【健気な子】 [旧シャア専用]
まあそういうスレだ、ここは。
しかし最後のはどう繋がるんだろう。
>>836 またガノタか
最近このスレにも蛮族がふえたなー
>>836 ワロタ
でもこれって専ブラ入らんよな?確か
>>838 わざわざ「スレをブラウザで表示する」してみた。
ついでに相手側から何が見られているのかと見てみると
【栄光の】ビザンツ帝国総合スレ4【東ローマ】 [世界史] が5つ中4つに入って、
【ヨーロッパの】ナポレオンボナパルト【諸王の王】 [世界史] が2つ、
古代ギリシャ文明って胡散臭くね?U [世界史] が1つ、世界史版から入ってた。
感想は言わない。
ガンダムイサキオスU、ガンダムアレクシオスV、出る!
アンゲロスガンダムってだけで吐き気がするな
もうガンダムネタやめてくれ・・・
全くついていけない・・・
こんなことなら、罵りあいの方がまだマシだ。
844 :
世界@名無史さん:2008/11/22(土) 23:56:13 0
>>821 ビザンツとオスマンは、ともに本国が滅亡した結果成立したとされる。
ローマの本拠がイタリアであったように、トルコ・イスラム帝国の本拠は、
アナトリアではなくホラサーンであった。
ビザンツとオスマンは、ともにより盛大な文明の生きた化石であったようだ。
興味深くも不可解な事は、コンスタンティヌス大帝の遷都以前において、
ビザンティオンが、アケメネス朝時代からローマ帝国全盛期にいたるまで、
大都市に成長しなかった事である。
何故、シラクサやアレクサンドリアのように、発展しなかったのだろうか?
単純に経済的要因が無かったからでは?
海運が盛んではなく、陸路が重要だった頃はトロイが栄え、
海運が盛んになって貿易拠点としての重要性が落ちた。
黒海沿岸の発展により異なるルートが開拓されると再び発展した。
ベリサリウス先生が無視されているスレはここですか
>>847 というか専用スレあったろ、確か
あと、ビザンツ好きな人は中期が好きな人が多いのもある
849 :
世界@名無史さん:2008/11/23(日) 01:57:17 0
>>846 コンスタンティノープル遷都が、通商ルートの変化を招き、フン族の侵入を
を誘発したのであろうか?
かつて、匈奴が月氏を追い払った時に、月氏とサカらは、黒海沿岸方面には
向かわず、インド方面へと向かったとされる。
皇帝名がギリシャ読みになったり、テマ制が確立したりする頃から、って感じがする>ビザンツ
>>850 古代後期の体制から転換したヘラクレイオス朝以降を、特に「ビザンツ」と呼ぶことは多いな
>>849 他に気候の変動とか色々要素はあるからわからん
>>849 帝国の首都として人口を備えたコンスタンティノープルが、需要を生み出し、
後背地として周辺を発展させたというのはあるだろうね。
フン族の侵入の原因にどこまで影響したかはわからないが。
月氏はその西がパルティア、北が大宛、東が漢で南に移動する方が楽だった。
フン族は南に向かおうとすればカフカスを越えてササン朝とぶつかるか、
南東に向かってエフタルとぶつかるか、南西に向かってローマとぶつかるか。
その方向を南西に向けたのは単に西へ向かい続けた流れだったのか、
それとも東ローマが誘惑したのか。
854 :
世界@名無史さん:2008/11/23(日) 04:26:08 0
>>853 >月氏はその西がパルティア、北が大宛、東が漢で南に移動する方が楽だった。
西ゴート族がスペインからヴァンダル族らをアフリカへ追い出したように、
月氏がサカ族らをバクトリアからシースタン等へ追い払った頃の事なのでは?
マケドニア朝、コムネノス朝の初代・二代目の有能さ、頑張り方がハンパないね。
上で宋とビザンツはなんかダブるって書いたけど
人口は全然違うのね
ビザンツが1500万くらいで宋は5000万人いたらしい
ビザンツがテュルク人を同化しきれなかったのは人口のせいなのかなぁ
それとも二つの宗教のせいかな?
中国は宗教の影響が欧州と比べると多少弱そうな気がする
>>855 俺ら極悪非道のアンゲロスブラザーズ!
俺たちが全部ぶち壊しにしたやったからな
 ̄ ̄∨ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
∧_∧ ∧_∧
(・∀・∩)(∩・∀・)
(つ 丿 ( ⊂)
( ヽノ ヽ/ ノ
し(_) (_)
>>856 そもそも面積が違う
>>856 ビザンツの1500万(俺が見た資料では1200万)ってのはバシレイオス2世の頃の人口だったはずだから、
コムネノス朝時代なんかはその半分くらいかも。そう考えるとなおさらしんどい。
ニカイア帝国〜パレオロゴス朝時代はもっと…。
1250年頃の西欧はフランスがダントツの人口(2000万オーバー)だったそうで。
たんに、勤勉なトルコ人に比べて、ギリシア人がだらしなかっただけだろ・・・
勤勉だと人口が増える・・・
なるほど
確かにトルコは勤勉すぎて人口が爆発してるね
またテキトーなことしか書けない蛮族か
しかし、夷を以って夷を討つ、っていうスタイルはやっぱり最終的に破綻するのかな。
近代のイギリスも似たようなやり方をしてたけど、結局帝國を解体されちゃったし…
日本は勤勉だと言われる割に人口増えないよね
というか、勤勉さと人口増加には因果関係ないだろ
>>862 千年も持てば良いほうだろ
何でも自分で出て行くタイプの方が長続きしないだろうし
865 :
世界@名無史さん:2008/11/25(火) 00:27:22 0
>>856 トルコ人もイランやアラブをトルコ化していないから、異教徒に対する憎悪
こそがトルコ化の原動力であろうな。
>>863 トルコ人の勤勉さは日本で言う所の勤勉さとは違った方向に発揮されるんだよ
出生率を高める実技の勉強みたいな・・・ね
>>865 面白い事に、近代トルコ人が西洋の学問を取り入れる際、たとえば、「経済」とか「社会」のような
概念を表す用語を訳す時に、自国語のトルコ語ではなく、アラビア語の語彙を使った。
(ちょうど、幕末・明治期の日本で、漢文の「経世済民」から「経済」という言葉を作って「エコノミー」
の訳語に使ったように)
そして、その訳語を、やがてアラブ諸国が逆輸入して使うようになった。
(ちょうど、日本で「エコノミー」の訳語に当てられた「経済」のような言葉が、その意味で中国で
使われたように)
868 :
世界@名無史さん:2008/11/25(火) 01:33:17 0
>>862 分断統治政策は、古代ローマ以来のお家芸だしなぁ。
あれが無いと淋しい気がするから、事の正否はともかく、やっといて良かったんじゃね?
なんだこのkskは
>>868 やっといて良かったというより、やらないと生存不能だったろう
日本人が勤勉って本当か
19世紀後半から一人あたりの時間生産性は常に列国を下回っているけど
>>872 流通サービス業のマジックだな。
地形が複雑で小規模商店が多いことを「非効率」と見る不思議な計算。
>>872 長時間勤務ってのが「勤勉」と見られているんじゃないかと。
数年前不況のどん底だったドイツなんかじゃ「日本見習ってもっと長時間働こうぜお前ら」みたいな記事があったし。
でも無能な働き者は(ry
>>874 よせばいいのにブルガリアに二度も親征して負けた、あの兄弟の片方のことです
ね、わかります。
あれ?スレまちがえたかな・・・
20世紀初頭のオスマン帝国+バルカン諸国で人口2000万だったらしいから
マケドニア朝の1500万って結構すごいね
でもその内にいったい何人が帝国のために身を賭したのか。
市民が従わない帝国など、なんの役にもたたない。
アッラーは偉大なり
>>.878
池沼の観念論は飽きた
>>875 俺ら極悪非道のアンゲロスブラザーズ!
俺たちが勤勉に帝位争いしてやるからな
 ̄ ̄∨ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
∧_∧ ∧_∧
(・∀・∩)(∩・∀・)
(つ 丿 ( ⊂)
( ヽノ ヽ/ ノ
し(_) (_)
たまにはラスカリスブラザーズのことも思い出して下さい…
>>882 彼らはまともなので、2ちゃん的にはネタにしづらい
小胸ノスシスターズ
AAカップ
885 :
世界@名無史さん:2008/11/26(水) 02:29:56 0
>>856 北宋は一億人以上、南宋は6千万人以上いたとされる。
>>877 ユスティニアヌス1世即位当時、ペストの大流行以前、
東ローマ領には3千5百万人がいたとされる。
後漢時代で5千万いたな。
帝政ローマの五賢帝時代に全土で5〜6000万だというから東半分+αで3500万は納得の数字かな。
888 :
世界@名無史さん:2008/11/26(水) 16:01:51 O
アウグスツースの末裔達、ローマ帝国の滅亡は、1453年ですよね?西の476年滅亡は、単に必要無い行政府が消滅した事ですよね、コンスタンチノープルにとっては。
889 :
世界@名無史さん:2008/11/26(水) 16:10:37 O
しかし、ローマ帝国の最後の皇帝名は因縁めいているね。西ローマの最後の皇帝はロムルス・アウグスツース。ローマの建設者と初代皇帝のミックス。東ローマの最後の皇帝はコンスタンティヌス11世or12世。奇しくも首都の建設者&初代皇帝。首都建設者と初代最期の皇帝名は共通。
890 :
世界@名無史さん:2008/11/26(水) 18:14:25 0
西暦476年は、奇しくも376年西ゴート族侵入から百年後ですな。
帝国再統一のアウレリアヌスの治世から百年後は375年ですな。
西の最後の正帝はユリウス・ネポスだろ。
>>889 首都を創設したコンスタンティヌスの同名の皇帝のときに
帝国は滅亡する、という噂が流れていたな。
>>885 ギリシャやアナトリアの生産性ってどんくらいのものだったんだろう
あんまり肥沃な土地とは思えないけど・・・
やっぱ貿易で国を維持してたのかねぇ
アナトリアは元々は豊かな土地。
古くはパンもアナトリアからギリシャに伝わった。
他にも色々とれるが、有名どころでは全世界のヘーゼルナッツ生産の75%が
現代でもトルコ産。
小麦だけならエジプトなどには劣るものの、総合的にはかなりの生産力だった。
しかし、中世初期はローマ以来の農業技術で農業先進国だったが、
西ヨーロッパやイスラムで農業改革が進んでも東ローマは変わらず、
やがて西ヨーロッパにも抜かれる。
気候変化もあり、ウクライナからの小麦が重要になるが、
黒海貿易はジェノバ人にかなり食い込まれて、ヴェネチア人にとどめを刺される。
ニケーア帝国は農業生産のおかげで亡命政権No.1になれたしな。
895 :
世界@名無史さん:2008/11/26(水) 21:58:19 0
>>893 マンジケルトの会戦後、アナトリアにはトルコマンが殺到して、アナトリア内陸部が
放牧地化したとされる。
アナトリアの農業生産は激減して人口も激減したとされ、アナトリアは十字軍らに
とって征服する価値のない不毛の荒野と化していたとされる。
897 :
世界@名無史さん:2008/11/26(水) 22:50:02 O
十字軍はビザンツ帝国の寿命を縮めたと言われるが、アレクシオスが西欧に援軍を要請しなければ、もっと早く滅亡した可能性が高い様な気がする。小胸野巣家の繁栄は十字軍がイスラムと戦った漁夫の利だし。
>>891 ロムルスなんか蛮族が勝手に皇帝だと言い張っていただけで
帝位を返した(つもりの)オドアケルがゼノンに『誰?』とか言われる有様だからな。
しかし、結果的には蛮族の下年金でニート暮らしが出来たんだから勝ち組だよなぁ。
タベルナでバカヤローを食べる
>>898 ユリウス・ネポスはぬっ殺されたんだっけか。正統皇帝の方がよほど悲惨という…。
アレってオドアケルの差し金じゃなかったか?
つい最近、東方正教のミサを見物する機会があり
その際に使われた白パンのせいか、パンを見るたび
ビザンツ帝国(特にアンゲロスブラザーズ)を連想するようになった。
>>903 アンゲロスブラザーズって…もうちょいマシなのを意識しろよ
>>904 このスレの影響が如何に大きいかといういい見本だな。
現在のコンスタンティノポリス大主教ってえらく優しそうな顔立ちだね
ローマやカルタゴ、テサロニキやコリントスにも
テオドシウスの城壁みたいなもの作っておけば良かったんや。
あの城壁を計画した奴はマジ天才。
苦しみが先延ばしにされるだけだろw
それも長引けば長引くほど、攻める側のストレスも溜まるし。
ビザンツ帝国の1000年なんてローマの1200年の前にはクソ以下の掃き溜めだなw
>>907 あれの設計者って誰なんだろう
テオドシウス自身じゃないよね?
ローマにはアウレリアヌスの城壁があったけど
ゴート族もヴァンダル族も防げなかったぞ。
つーか、あの時代の西帝国にテオドシウスの城壁の様な物を作る
技術力や財力があったのかと・・・。
>>910 アウレリアヌスがもっと立派な城壁を築けば…とはいえローマの地形上、やむを得ない気がする。
コンスタンチノープルの防衛面での立地はまさに最強。一方だけ重防御すればやすやすとは破られないし。
…ただし指揮官がバカなとき、鍵のかけ忘れをしたときを除く。
912 :
世界@名無史さん:2008/11/27(木) 22:05:11 0
>>910 ローマはとにもかくも過剰人口、包囲されるとたちまち飢えてギブアップ
但し書きまで読もうな
城壁がこれほど役に立った礼って珍しいような
917 :
世界@名無史さん:2008/11/28(金) 00:23:39 0
コンスタンチノープルの大城壁は、帝都の防壁であると同時にオリエントの防壁
でもあったとされる。
ヨーロッパからアナトリアへの上陸を阻止する為の要であった。
すなわち大城壁以東が帝国本土とみなされていたようである。
>>917 ハア?
といいたいところだが、作った当時はフンやゲルマンが、穀倉地帯のアナトリア、シリア、エジプトに入るのを
避けたかったであろうことは想像できる
>>916 あとは聖ヨハネ騎士団関連(クラク・デ・ショヴァリエ、ロードス&マルタ)とかかねえ。
ウィーン包囲は1回目は運良く、2回目は強力な救援軍に救われただけという印象。
ショヴァリエ…シュヴァリエだった
城壁は十字軍国家が人数の不足を補うのにかなり堅いのを建設してたはず。
ビサンツ関係では、アンティオキアも第一回十字軍での攻略でかなり手間取ってた。
マヌエル・コムネノスの偉大さが全然わからん。
トルコには勝てず、イタリアに侵攻して西欧を不用意に怒らせ、
領地を下賜して後の反逆の種を蒔いた暗君に見える。
ブッシュジュニアみたいなもんか?
>>922 マヌエル一世を語るのは「ビザンツ 幻影の世界帝国」を読んでからにしろ
924 :
世界@名無史さん:2008/11/28(金) 18:03:40 0
>>922 マヌエル一世は、ユスティニアヌス一世に憧れていて、イタリアに派兵したそうだが、
バシレイオス二世に憧れて、「トルコ人殺し」と呼ばれるぐらいになればよかったね。
マヌエル1世はミディーバル2トータルウォーの拡張パックに
ビザンツ側の英雄としてサラディンや獅子心王と一緒に出てくるからな…
>>925 ゲームは別に史実関係無くても成立するし…
作ろうと思えば、あの兄弟を英雄に仕立てることだって出来る
928 :
世界@名無史さん:2008/11/28(金) 19:17:14 O
マヌエル大帝、帝国の力を温存、自重すれば帝国は長続きしただろう。しかし世界帝国を標榜しない帝国はもはやローマ帝国に非ず。滅亡と同じ意味だ、というのが、幻影の世界帝国の内容ですよね?
ゲームといえばCrusader Kingsではビザンティン帝国となってたのが拡張版ではローマ帝国に変更されてたなー。
ま、1066年シナリオだとセルジュークに食われまくるけど。
アンティオキア公国を屈服させたヨハネス帝は本当に名君だったのに、
マヌエル帝は遺産を食いつぶしちゃったな
真の意味での名君は、東ローマにはいないだろ・・・
歴史を飛びぬけるような人物は一人もいない。
スキピオ、ハンニバル、キケロ、カエサル、リヴィウス、五賢帝、アウレリアヌス・・・
ローマにはたくさんたくさん偉人英雄がいるのに、
ビザンツにはいなーい・・・
ふっ
真の意味での名君(笑)
毎回針が大きいな
蛮族は抽象的な概念しか書けないからな
専門的、具体的な知識という大城壁を突破出来ない
きっと「いや、ビザンツには○○がいる!」みたいなレスを期待してたんだろうね
>>934 で、そこで「イサキオス二世がいるじゃないか」とか答えるんですね、わかります。
ウンコというあだ名の名君がいるのはビザンツくらいだろう。
アレクシオス3世の売国度は世界一イイイィィィィッ!
中国の宦官も、キムフィルビーもかなわないこのクオリティ。
まさかこんなところにジョジョ第2部ファンがいようとは……
城壁とギリシア火薬による帝都の守りの鉄壁さは世界一ィィィ!
古代ローマほどの国じゃないっていうのは、支配した領域からも当然で、
そうじゃない東ローマの姿を見て欲しいね
東ヨーロッパ世界はビザンツが作ったような物だな
ビザンツ帝国を貶すなら、その前史であるローマ帝国よりも
同じように古代帝国から出発して蛮族の侵攻や内紛に常に脅かされながら
20世紀まで生き延びてしまった中華帝国システムと比較した方が
説得力があるのではなかろうか。
少なくともまだ「同じ土俵」という感じはする。
>>941 それはないだろw
どう考えても、トルコとロシアとドイツのせい。
>>944 正教圏という背景だけは、ビザンツの影響だけどな
ただ、東欧は正教だけ引き継いでいて、古代ギリシャ・ローマの文化的伝統は
ビザンツの滅亡後は西欧に行ってしまった。
>>931 どうでもいい重箱の隅の話かもしれないが、
ハンニバルもローマの偉人に含むのか。
>>945 バルカン半島の大部分ならそうかもしれないが
ドナウ以北では正教圏はルーシ系諸国とルーマニアだけなので
東欧が正教圏と言い切ってしまうのには違和感を覚える。
>>948 カトリックのハンガリー、ポーランド、チェコ、スロバキアは中央ヨーロッパで
しよ。
>>943他
あんま相手にすんなよ
馬鹿と同じ土俵で戦って勝っても誉れにはならんぞ
捨て置こうぜ
東ローマ帝国は穀倉のエジプトと交易のシリアを勢力化においていたわけだろ?最初の頃は。
それが無くなっても何百年と生きていけたってのはすごいよな
代わりはやっぱり首都が一手に引き受けたんだろうか
その分養う人口が減ってスリム化した部分もないわけではないかと。
あとは食料の無料配給を打ち切ってそれに寄生してた市民を追放したり、官営絹工場が活躍したり。
つまり引篭ったってわけですかw
なるほど・
文学が無いビザンツらしい歴史現象ですねw
だいたいほとんどギリシア人だけのくせして帝国をなのるとことかがアワレw
王国とかにしてりゃもうちょっと長生きできたかもな。
>>949 その意味でのミッテルオイローパと東欧は重複してるけど
少なくとも「東欧」と言った場合にはハンガリーやポーランドを含めない例のほうが少ないだろう。
ローマ(というかカエサル)大好きっ子の塩婆のことだ、全体的にネガティブな描き方するだろうなー。
>>955見る限りじゃ、東ローマの歴史というか、
キリスト教世界VSイスラム教世界って感じだな。
どこまで、それこそ正統にコンスタンティノポリスに言及するかは微妙かな
ビザンツ以降はローマじゃないとか言ってる品。
ビザンツすっ飛ばして近代以降の地中海世界を書いて欲しい。
>>958 婆さんはルネサンスもの書いてりゃいいんだよ
>>953 馬鹿につける薬はないんだな、やっぱ
第三回十字軍の時、フリードリヒ1世バルバロッサの後をこそこそ領土回復しながらついていけばよかったのに何故やらなかったと調べたら
皇帝が彼でした…
仕事ができねえビザンツ人は歴史からクビにされただけです
塩婆がビザンツ書いたところで和田先生や井上先生に勝てると思えないし、
またヴェネチアマンセージェノヴァマンセー本になるんじゃないの?
>>963 当たり前じゃん。ギリシャ語、ラテン語の原史料が読める専門家と、ただのイタ
リアかぶれの婆さんじゃ優劣は明らか。
イスラムからの圧迫を受けた東ローマを経済的に支えたのは
黒海に貿易網を作り上げたジェノバであった。
このジェノバ=東ローマ同盟に対しヴェネチアは時にはトルコとも手を組み、
東地中海に貿易網を張り巡らしていった。
云わば東ローマはジェノバとヴェネチアの戦場であり、
東ローマはジェノバから見れば手のかかる図体ばかり大きな間抜けな子分、
ヴェネチアから見れば時代錯誤の道化師に過ぎなかった。
そこでヴェネチアはもう一人の間抜けな道化、十字軍を利用する事にした。
こんな感じだったりして。
>>964 でもなんで井上先生や和田先生の本よりも塩婆のほんの方が売れるんだろう・・・
くやしいっ
塩婆の本読む層って一昔前なら司馬遼太郎や大江健三郎の本読んでた層でしょ?
塩婆の話は塩婆のスレでやってくれ
>>955 塩婆が最近表に出すようになった主張にあわせて
ローマ帝国の栄光はギリシア人に乗っとられた的に書くのかもね
実際外から見るだけならそう言えないこともないし
漏れには例えばユスティニアヌスとかの後始末させられたようにも思えるけど
東ローマにだってカエサルに匹敵する人物はいるだろう
ブルガロクトンとか、マヌエル二世とか、ミカエル八世とか。
イサキオス2世とかアレクシオス3世とかがこのスレでは大人気だな。
ちょっとムリがあるな
まあ、所詮はイタリアババアだからな
アンゲロスブラザーズ(の暗君度は)世界最強ッ!
じゃあ、あの兄弟以下の無能な君主って誰かいる?
そろそろ次スレかな
次すれいらねえだろ
984 :
世界@名無史さん:2008/11/29(土) 23:16:17 0
>>946 ハンニバルのイタリア侵攻がなければ、ローマはイタリア統一でエジプトみたいに
自給自足安定していたのかもしれんな。
始皇帝の攻撃が匈奴を刺激した様に、ハンニバルの攻撃がローマを刺激したようだ。
985 :
世界@名無史さん:2008/11/30(日) 02:17:13 O
イ、イサキオス厨は釣れたの!?
《新刊情報》
ttp://www.shinchosha.co.jp/book/309630/ ローマ亡き後の地中海世界(上)
塩野七生/著
西ローマ帝国が滅んだ後、地中海の国々を震駭させたのは、イスラム教を信奉
する海賊の台頭だった。「右手に剣、左手にコーラン」を掲げ拉致・略奪を
繰り返す海賊たちの蛮行に、キリスト教国の人々は戦慄する。『ローマ人の
物語』の続編ともいうべき待望の歴史巨編。
発売日:2008/12/24
988 :
世界@名無史さん:2008/11/30(日) 08:54:34 O
ソルトババア
ふん、
この世は売れた方が正しいんだ
塩婆の売上げに勝てるビザンツ史家がいるとは思えないがなー
まあ、婆は無知蒙昧な輩を騙して金を取るのが上手いからな
>>989 ローマ史だっていなくね?ギボンとかモムゼンだって国内じゃ塩婆に勝ててるかどうか…
>>991 そりゃ、どこの歴史だって通俗的なものの方が、一般ウケするだろ。
三国志だって、陳寿のを読んだことある奴なんて少ないだろうし。
993 :
世界@名無史さん:2008/11/30(日) 14:47:07 O
シチリアの晩鐘事件ってミカエルが黒幕なの?あと、事件が無ければビザンツは再度、滅亡してたかな?
>>991 つまり日本人は、バカ!ってことだな。
はっきりいって民族的に歴史を探求する素質に欠けている
塩婆にだまされるようじゃなあ
>>996 本が売れない学者はきっと立派な文明人なんですねwww
とっとと餓死して歴史の闇に消え去ってくださいww
うめ
よいしょ
1000なら蛮族全滅
1001 :
1001:
このスレッドは1000を超えました。
もう書けないので、新しいスレッドを立ててくださいです。。。