1 :
世界@名無史さん:
旧ユーゴスラビアの歴史について語ろう
2 :
世界@名無史さん:2008/08/30(土) 17:54:35 0
遊牧民に荒らされる→ハンガリーの植民地→トルコの前線基地化→オーストリアに併合
古代にはイリュリア王国が栄えていた
イリュリア人は海賊行為でローマを悩ました
5 :
世界@名無史さん:2008/08/31(日) 19:24:45 0
サラエボの花って映画で生まれて初めてボスニア映画見たんだけど
ボスニアって治安がいいの?
6 :
世界@名無史さん:2008/09/01(月) 09:05:50 0
素晴しいところだよ。
裸で歩いても大丈夫
7 :
世界@名無史さん:2008/09/01(月) 10:36:08 0
セルビア人は凶暴なイメージが・・・。ミルコとか
のイメージのせいかな。
どの人種も似たり寄ったりの蛮行をしているけどね
9 :
世界@名無史さん:2008/09/06(土) 16:40:06 0
民族浄化
>>2 >遊牧民に荒らされる
それはセルボイとかクロアトのことかね
13 :
世界@名無史さん:2008/09/17(水) 16:04:46 0
カラジッチだっけ民族浄化で有名なのは
14 :
世界@名無史さん:2008/09/18(木) 01:13:22 0
チトーあってのユーゴだったな
輸入した奴隷がはびこって勝手に国になったの?
16 :
世界@名無史さん:2008/09/21(日) 16:27:44 0
なんでユーゴは人口が少ないのに一つの国としてまとまれなかったんだろう。
>>15 スラブ人ってアヴァール人にくっついて南下してきたんじゃなかったっけ
★トルコ −花嫁姿でヒッチハイク旅行中のイタリア人女性、乱暴され殺される
ヒッチハイクで「平和の旅」をするためイタリアを出発したイタリア人芸術家、ピッパ・バッカさんの
遺体がゲブゼで、裸で埋められた状態で発見された。
花嫁衣裳を身につけ、頭にはベールをかぶり一カ月前にイタリアを出発し、ベイルートまで
ヒッチハイクで「平和」の旅をすることを計画した33歳のイタリア人芸術家、ピッパ・バッカさんの
遺体が、コジャエリ県のゲブゼ郡にあるタヴシャンル村の近くで、土に埋められ、裸の状態で
見つかった。
バッカさんはプロジェクトのために、女友達ひとりと一緒にミラノを出発し、クロアチア、
ボスニア・ ヘルツェゴビナ、ハンガリー、そしてブルガリアを通った後、
先週の月曜日にイスタンブルへ 何の問題もなく到着した。
最後にゲブゼへ向かっていたというバッカさんは、4月5日に「母であること、兄弟であること」を
テーマとするプロジェクトに関する用務のため、ベイルートにいるはずだった。
バッカさんは、最後にイスタンブルからゲブゼに向かう道で、「ヒッチハイクがやりにくい」と家族に
メッセージを送っていた。
ttp://www.el.tufs.ac.jp/prmeis/html/pc/News20080412_170803.html
19 :
世界@名無史さん:2008/09/22(月) 22:17:52 0
サラエボって今は治安がいいよね
20 :
世界@名無史さん:2008/10/19(日) 14:24:53 0
そもそもなんでユーゴスラビアって国ができたわけ?
それぞれの民族で考え方も宗教も違うのに。
南スラヴ人という括り。
オーストリア=ハンガリー帝国やらオスマントルコ帝国やらの大国に支配されていた時代のこと。
22 :
カラジチ ◆mWYugocC.c :2008/10/22(水) 14:16:45 0
それぞれの民族の違いというのが確定したのはもっと後の話。
セルビアから見ればクロアチアやスロヴェニアはカトリック化したセルビア人だったし、
クロアチアから見れば、セルビアは正教会を信じる南スラヴ人だった。
ただ、セルビア政府側からはそれほど「南スラヴ」というくくりに興味はなかったようだ。
彼らの関心はアルバニアやマケドニアに向いていた。オーストリアとことを構えて得することないし、
独立を達成しているのにクロアチア人と仲良く「南スラヴ」の国を作るメリットも薄い。
ところがセルビアは第一次世界大戦でブルガリアに占領されて、コルフ島に亡命政権を作るという憂き目にあう。
こうなるとクロアチア人主体の南スラヴ国家構想を無視できなくなった。
それまで基本無視だったセルビア政府が、ユーゴスラヴ委員会と協定を結ぶのは、やっぱ大戦中苦しかったから。
頼みのロシアは革命でポシャったし。
今から考えると信じがたいが、ユーゴ思想は第一次大戦前はクロアチア側の一方的な片思いに近かった。
クロアチアはオーストリア・ハンガリー内で権利を拡大したい。そのためには帝国内のセルビア人、スロヴェニア人を巻き込んで「南スラヴ」を主張するのがいい。
といっても、この「南スラヴ」思想でも、戦後のユーゴ建国よりも二重帝国を「オーストリア=ハンガリー=南スラヴ」の三重帝国に改組する考えの方が主流だった。
大戦でオーストリアの負けが込んできたこと、ユーゴスラヴ委員会がセルビア王国を巻き込んだユーゴスラヴという思想をうち立てたこと、
ユーゴスラヴ委員会がロンドンで効果的なロビー活動をしたこと。
そして独墺の敗北が決定的となったのに、ロシア革命でスラヴ地域に空白が生まれることが懸念されたこと。
そういう事情が絡み合った結果。
>>22 さすが、お詳しい!
ってかこんなところで書き込みしてて大丈夫なんですか?
24 :
世界@名無史さん:2008/10/25(土) 11:55:09 0
マケドニアっていまいちわからない。
ボスニア、セルビア、クロアチア、モンテネグロは独自の王朝を
作った歴史があるけどマケドニアはどういういきさつででてきたの?
スロベニアはクセジュであるから読んだけどマケドニアは日本語でも
いい文献が無いからな。
民族のバランスをとるために、ティトー時代に定義されたというのが強いと思う
>>25 バランスじゃなくて民族自決に対する抑圧だろ
スロベニアやクロアチアの連邦政府に対する不満は既にチトー時代でも両共和国政府でも燻っていた
それを力で抑えつけていただけの話
これはバランスではない
現に両共和国の意思を無視して両共和国からの資金はセルビアなど他の共和国へ流していたのだから
スロベニア、クロアチアの工業製品といっても、西側でそんなに通用する物ではなく、南部の共和国に買ってもらうことで成り立っている部分も大きかった。
一方的に搾取されてるわけじゃないと思うのだが。
>>27 別に競争力のない商品を先進国には無理に売っていないけど
むしろ売ってもらわないと困るのはセルビア以南の共和国だろ
所得の低いこれらの共和国の人々にとっては西側の商品は高嶺の花だし
かといってコメコンからの商品はさらに品質が悪く、未加盟国には付加価値をつけた
結局はその利潤の一部は中央に吸い上げられた上にスロベニアやクロアチアの人々には
さらに税としてまた吸い上げられ、その多くはセルビアなどに送られる
スロベニアやクロアチアの人々が理由もなしに不満を蓄積するはずがないだろう
30 :
世界@名無史さん:2008/11/02(日) 00:35:29 0
とにかく74年憲法が諸悪の根源、
あれでユーゴ経済が分断され滅茶苦茶に。
セルビア共和国もボイボディナやコソボに強大な自治権を与え3分割してしまった。
チトーの最大の失敗と言われている。
ミロシェビッチは、セルビア民族主義を利用してボイボディナやコソボの自治権を廃止し
セルビアを統一し市場を拡大させ経済改革に乗り出す目論見を1987年から開始する。
ちょうどコソボでセルビア人とアルバニア人との衝突が始まっていたのでセルビア民族主義の勃興のために利用する。
31 :
世界@名無史さん:2008/11/02(日) 19:26:22 0
セルビア人は、チトーにとって頭痛の種であった。
チトーは、スターリンと対立した為、ソ連はユーゴ共産党内部でチトー追落し
を企んだ。
スターリンが当てにしていたのは、セルビア人のアンドリヤ・ヘブランクとスレテン・ジュヨヴィチだった。
スターリンは彼らにセルビア人の権益拡大を約束し、チトー打倒を実現しようとした。
しかし。彼らはユーゴ共産党内で孤立し、チトーに追放・逮捕された。
1966年7月、中央集権的保守派で実はセルビア主導派の中心的存在だったランコヴィチ政治局員が失脚した。
内務省、秘密警察・情報機関担当の政治局員であったランコヴィチは、担当の
機構の悪用によって連邦政府の改革の試みを失敗に導き、そして同僚たちの電
話を盗聴していたことがあきらかになったためである。
これによりチトーは、軍や情報機関に多いユーゴ共産党のセルビア人勢力の
勢力を削ごうとし、その代表者であるランコヴィチを解任した。
このためユーゴ共産党内のセルビア人の力はそがれ、74年憲法での
セルビア共和国の3分割に道を開くことになる。
要は
第二次大戦終結時に米英軍がスロベニア、クロアチアを占領下に置き
ソ連軍がセルビア、モンテネグロ、マケドニア、アルバニアを占領下に置いて
ボスニアは中間点で分割して各々独立させ前者は資本主義国、後者は社会主義国とすれば文句はなかっただろう
その際、チトーの存在は一切無視
33 :
世界@名無史さん:2008/11/02(日) 23:18:39 0
>米英軍がスロベニア、クロアチアを占領下に置き
これだとウスタシャの勢力が残るかもしれないが、それはともかく
他は、チトーのパルチザンが強かったからね〜
下手すると、戦後もチェトニックのゲリラ活動が残りそう。
米英のナチスアレルギーやソ連の反ソ非社会主義勢力の徹底排除ぶりを見れば
ウスタシャもチェトニクも生き残れない
チトーも海外支援を完全に断たれたら自主生産がほぼ不可能な分、継戦能力を喪失して制圧されるだろう
※例 マラヤ動乱、戦後のウクライナ・リトアニアの反ソ・ゲリラの武力抵抗
35 :
世界@名無史さん:2008/11/03(月) 10:46:49 0
>戦後のウクライナ・リトアニアの反ソ・ゲリラの武力抵抗
フルシチョフ時代まで続いたらしいが、何でCIAは支援しなかったのだろう?
チトー治世下でも、ユーゴ共産党内のセルビア人勢力の拡大は続いていた。
だから66年にランコヴィチ治安担当政治局員は解任され、74年憲法でも
セルビアからボイボディナとコソボの2つの自治州が分離された。
強制的にセルビア人勢力を弾圧・分離しない事には、チトー死後にセルビア人
の党と政府の幹部会議長が誕生し、ユーゴが自動的に大セルビア主義国家に
なる可能性を排除出来なかったのではないか?
すでにチトー政権後期には、ユーゴ軍の将校の4割がセルビア人であったと言う。
>>35 ・ウクライナでの反ソ抵抗運動
1920年代からあった反ソ組織はウクライナ民族主義者組織(OUN)
独ソ戦開始前にステファン・バンデラとアンドレイ・メルニクの派閥に分裂
独ソ戦当初、独陸軍にはウクライナ民族組織を支援すべきとの意見具申があったが
ナチ上層部は戦争後期まで冷淡な対応をした
バンデラ派は43年初期にウクライナ蜂起軍(UPA)を結成、兵力は3〜4万
44年3月にはソ連第1ウクライナ方面軍司令部を攻撃し司令官バトゥーティン将軍に重傷を負わせた(後、死亡。後任ジューコフ元帥)
大戦終結後、バンデラと一部のUPA部隊がまだ共産国でなかったチェコから独へ脱出
英SIS、米OSO、そして旧ドイツ陸軍東方外国課長ゲーレン将軍が米支援下結成されたゲーレン機関(後、西独BND)が支援
独にいたUPA兵士を再訓練し陸路、決死の空路潜入で現地の残留UPAと連絡
46年7月ジューコフ元帥自らポーランド軍を含むUPA討伐軍を指揮
しかしUPAの抵抗は激しく、47年3月にはUPAはポーランド国防副大臣を殺害
だがUPA側の損害大きくUPA現地司令官シュクヘイエヴィッチは部隊を解体、地下活動移行を命じた
英SIS内にいたソ連側の二重スパイ、キム・フィルビーがUPA内の詳細な情報を流し
ソ連MGBにより西側からの連絡、救援を阻止、UPA内にスパイを潜入させた
53年ソ連MVDのフェドルチューク将軍率いる保安軍が掃討作戦開始し54年には完了
(フェドルチュークは後、アンドロポフ書記長時代に内相就任)
59年10月バンデラはミュンヘンでKGB第1総局第13局(暗殺専任部局)により暗殺された
・リトアニアにおける反ソ抵抗運動
40年11月リトアニア行動戦線(LAF)が結成され、
41年6月22日カウナスで一斉蜂起し、赤軍を駆逐、放送局を占領、独立回復を放送
無血入場した独軍と合流
24日ヴィルニュスでも独軍とともに戦い、赤軍を駆逐し奪回した
しかしラトビア、エストニアと違い正規軍編成はされず独立もナチに黙殺された
リトアニアでは40個警察(シューマ)大隊が編成されたのみである
リトアニアの抵抗運動で特徴的なのは敵はソ連だけでなく、ポーランドの反共ゲリラ(国内軍=AK)も敵である
AKはヴィルニュス地域に度々侵入、食糧調達のため略奪を行いLAFと交戦した
AKは44年7月5600人の兵力でヴィルニュスへ侵攻する嵐作戦を開始
しかしLAFに阻止されたが、間もなくソ連軍が侵攻開始した
戦後もリトアニアは抵抗を継続、兵力は3万で僅かだがリトアニアに残留した旧独国防軍のドイツ将兵が加わっていた
ソ連軍、保安軍との戦いは激化し、56年までにソ連側は将帥クラス3名を含む1万名が戦死したと言われる
LAF側には英SIS、米OSS、スウェーデンの軍事情報局SMTが支援
危険な空路、陸路連絡とは別に英海軍諜報局(DNI)は旧独海軍Eボート艦長に指揮させた高速Eボートでバルト海越えに連絡補給させた
しかしソ連側はジマンタスという幹部を二重スパイ化することに成功
ジマンタスはLAF内にUDRMという別組織を作り分断に成功、徹底抗戦派と対立させた
西側にはフランス軍事情報部第ニ局も参画するが、キム・フィルビーの情報漏洩などで弱体化免れず
西側情報機関によるジマンタス暗殺にも失敗し、53年までには組織的抵抗は掃討された
38 :
世界@名無史さん:2008/11/03(月) 22:34:00 0
詳しい情報ありがとうございます。
まさかゲーレン機関や旧ドイツ国防軍将兵が反ソゲリラに参加しているとは知りませんでした。
第2次大戦と冷戦をまたいで東欧・ソ連国境地帯では、知られざる内戦があったようですね。
>>38 そうですね
なぜ知られていないか
それは西側の諸機関が莫大な費用と時間を費やして結局何も得られなかったを秘匿したかったことと
ソ連がその事実を国内の他地域や東欧圏に知られ反乱が伝播することを極力避けたかったからでしょう
追加でリトアニアにおいて
48年2月にLAF側が大規模な攻勢を仕掛けますが、9月には反撃を開始され
同年末までにLAF側は3分の2の兵力を失います
リトアニアの反ソ抵抗組織は森の人々と言われました
どうにか追撃を逃れた指揮官ヨーザス・ルクシス、クレメンサス・シルヴィス、ベネディクタス・トルンピスの3人が西側を経て
アメリカに渡りジマンタスとUDRMがソ連側に通じていることを伝えます
ルクシスらはCIAに再訓練され50年10月在西独米軍基地から無標識のC―47輸送機に乗り込み
超低空で敵レーダーをかいくぐり再びリトアニアへパラシュート降下しゲリラ側と合流しました
ヨーザス・ルクシスは後に回想録を出しています
独立後のリトアニアの高校歴史教科書では多くのページを反ソ抵抗ゲリラの事に割いています
ウクライナ、リトアニア以外にポーランド、アルバニアに対し西側機関は抵抗組織に支援しました
特に後者は政府転覆まで企図しますが、キム・フィルビーの情報漏洩でどちらも潰されました
40 :
世界@名無史さん:2009/01/05(月) 01:17:28 O
解体しない方が欧州は平和だった!
41 :
世界@名無史さん:2009/01/12(月) 00:29:38 0
ぶっちゃけ日本、韓国、中国と比較にならないぐらい中悪いんだろ
>>24 ペルシャを倒しエジプトやバビロニアを征服してインドら辺にまで攻め込もうとした。
↑そのマケドニアとは別物
>>42 俺もそのマケドニアが頭に浮かんだし、関連があるのかな?とも思った。w
地縁
46 :
世界@名無史さん:2009/01/20(火) 22:09:59 0
分かりやすい参考文献ないかな?
47 :
世界@名無史さん:2009/02/15(日) 23:20:12 0
ユーゴ紛争の文献でセルビア人が一方的に悪者にされる風潮が何か気味悪いわ…
単に、危ない周辺国に囲まれているだけだよ
そのコピペを見たあとに、旧ユーゴ紛争についての本を何冊か読んで
俺は強く思った。
「この国は古来から地理的にも宗教的にも人種的にもアジアとヨーロッパの板挟みで
それら外部の人間が衝突を繰り返してきた歴史があるのか、なんてリングな土地なんだ」
と。
残念だが、そのコピペを貼る全ての人達には
普遍的な認識や正義が感じられない。
そこにあったのは、自分の「煽り」のことだけを考えた利己的な姿勢のみ。
俺は本当に、2ちゃんねらーであることを感謝している。
それと同時に、ネット情報の信憑性を、毎日jpにも見出している。
今はセルビアは弱ってるが、ボスニアにもモンテネグロにもセルビア人は多いし、
またいつか大セルビア主義とか出て揉めそうな希ガス
50 :
世界@名無史さん:2009/06/14(日) 21:15:55 0
今週、BSドキュメンタリーでユーゴ崩壊をやってるんだけど、
なぜセルビア(ミロシェビッチ)が、あんなに民族主義を推し進めたのか?
同じBSドキュメンタリーで東欧革命もやってるんだけど、ポーランドやチェコ、ルーマニアとは違って、
ソ連支配の時も、ユーゴは、一線を置いてて、結構いい国だったんでしょ?
いい国つーか、チトー指導のユーゴは南スラブの統一を目指してソ連と対立して
いたわけで、ソ連はもとより南スラブ以外の国とは違う主義主張がある
これに対してミロシェビッチはチトーと違ってユーゴ国内のセルビア民族主義で、
のしあがった人だから
チトー時代には懐柔策でかわしていた民族主義が、ミロシェビッチの政策で紛争
にまで拡大したということだろうか
53 :
世界@名無史さん:2009/06/17(水) 13:58:38 0
民族紛争なら、グルジアもモルドバも酷かったけどな。
ユーゴ紛争の影に隠れて、あまり注目されなかった。
この二国の場合、今だに解決してないしな。
>>52 ちょっと質問させてください。
@チェコや東独みたいに自由を求めて、被支配層のセルビアが民族主義を掲げたというのなら、納得なんだけど、
そこそこの自治権を持ちつつ、うまく連邦としてまとまっていたのに、・・・
中心となっていたセルビアがなぜいきなり民族主義を振りかざし始めたんだろう?
ミロシェビッチは、自分の出世のために民衆を煽るという手法を取って、
セルビア人もうまく乗せられた、みたいな感じ?
Aチトー路線はユーゴ連邦の市民は皆、堅持したくなかったの?
グルジアVSロシアみたいに圧倒的な武力の差が背景にあれば、軍事力を抑えることも可能かもしれないけど、
セルビアは、連邦内で他の共和国や自治州の強力なバックアップがあったわけじゃないでしょ?
ミロシェビッチは上に立つ人なのに勝算とか計算せず、あと、禍根とか考えたら、結構無謀だな、と思ってさ。
>>54 私は
>>52氏ではないが、その点に関しては、月村太郎先生の本を読むといいよ。
貴方の質問に答えるためには間違いなく論文が書けるんで、一応簡単に答えると、
@に関しては、要因の一つではあるね。ただ、セルビア人は「被支配層」ではなく、
どちらかというと「支配層」に入ると思う。
民族主義的傾向になった要因の一つには、1984年のメモランダム事件があげられるかな。
「セルビアは搾取されている!」みたいなのを知識人を中心として書いて、それにミロシェビッチが
うまいこと乗った、という形になるかな。当時は既にユーゴの自主管理体制も行き詰まりを見せていて、
経済的にも不振の時期。その不満のはけ口に対して、知識人がうまいこと理屈をつけた、と。
56 :
54:2009/06/18(木) 15:54:27 0
>>55 ありがとうございます。
メモランダム事件は、ググッてもよくわからなかったのですが、
少し記載がありました。
http://www.h3.dion.ne.jp/~jtpage/cy/yugo-art/theendof.htm セルビアは一応支配層だけど、スロベニア、クロアチアと比べると2級品扱いで、
セルビアの被差別な部分を(本当は偉大なのにと)煽ったと、に理解しました。
「地球の歩き方」にボスニアでは、民族名を軽々しく聞いちゃいけない、とあったのですが、
自分が「これからベオグラードに行く」というと「オエ、最悪、何もないのに。サラエボの方がいいよ」(モスリムかな?)という人、
同じことを言っても「ベオグラードはいい所だ」(セルビアかな)とか、分かって、不謹慎と思いつつ、こういう見分け方もあるのか、と思いました。
>>54 >>55がいってるように国民がどう思ったかというのは難しい話なんだけど
歴史の見ればバルカン半島はロシア、ハプスブルク帝國 、オスマン帝国による
争奪戦の舞台で最初に独立をはたしたセルビア王国が、スロヴェニア、クロアチア
、ボスニアヘツェゴビナを吸収してユーゴ王国を創設した
以後かいつまんで見てみる(概要なんでそんなの知ってるよって人はスルーで)
ユーゴ王国はあくまでセルビア人主導で「大セルビア主義」なるものを氾濫しだした
ところがクロアチアは独立思考が強くテロが横行しユーゴ王国は混乱していた
そんな中、ユーゴ王国はWWUの戦乱に巻込まれセルビア人とクロアチア人は互いを虐殺する
という悲劇を経験する
ここでユーゴ共産主義同盟パルチザンを指導しゲリラ戦によりナチを自ら排除したのが
ユーゴ全域の英雄チトー!!!
このチトーはクロアチア人で大セルビア主義なるぬ、南スラブ連合構想でユーゴをまとめて
ゆくこになる
チトーはクロアチア人でありながらクロアチア人の民族主義を排除するとともに経済的に
裕福なスロヴェニア、クロアチアの利益を南スラブ(セルビア他}の復興に傾けた
これはユーゴのパルチザンを組織しユーゴからナチを排除したという実績とカリスマ性から
くるもので、チトーのセルビア復興と各共和国の権限拡大は説得力をもって進められた
これがチトーの死語にセルビアのユーゴを指導する立場の住民と複雑な政治的、経済的な
対立を産むことになり、スロヴェニア、クロアチアではユーゴが経済的重荷になり、クロアチアは
過去のセルビアとの対立を持ち返すことにもなり、コソボでは権限が拡大したムスリムのアル
バニア人がセルビア人を弾圧することにつながり、ボスニア・ヘルツェゴビナでもムスリムのボス
ニャク人とセルビア人が対立することになる
ミロシェビッチも当初ユーゴの伝統的に立場で分裂反対であったが、コソボでのセルビア人の声を
聞いてセルビア民族主義に走り、セルビア人の指示を得てセルビア民族主義を指導していくこにな
った
>>52だけど、こんな感じでいいかな
>>54 セルビアがユーゴ人民軍(ユーゴの強大な軍隊)を動かせば
各共和国の武装警察に毛が生えたような防衛軍との差は圧倒的
結果的にクロアチアのゲリラ戦、首都防衛戦は善戦したが、戦力
を比較すれば、ユーゴ人民軍が圧倒的優位だった
うーん、読返すと
>>57-58は理解しにくい文章だ、日本語がへたですまぬ
ありがとうございました。
少しずつわかってきた気がします。
>>56 ユーゴだけじゃなくて、ヨーロッパ全域で気軽に「なに人?」って聞くのは
まずいよね。
以前、チェコにある国際機関で研究してたんだけど、そこで働いてるおじさんで
ブラティスラヴァ生まれの人がいて、「あなたはスロヴァキア人?」てきいたら、
「とんでもない。俺はチェコ人。両親もチェコ人だよ」といわれたことがあった。
>>57-58 後は経済的なパイの配分の問題もあるだろうね。以前、これをネタに分析して学会報告
したんだけど、自主管理が曲りなりにもうまく言っていて、経済的なパイが拡大傾向に
あるときには、多民族社会でも別に皆がパイの配分にありつけるから、特に問題にならない。
でも、オイルショック以降、パイが縮小傾向になっていくと、どの民族も「剥奪感」が生じる。
で、連邦構成共和国間もそうだけど、一定数以上の少数民族のいるクロアチア・ボスニアなんかでは
内戦につながった、と考えることも出来ると思う。
63 :
62:2009/06/24(水) 01:07:32 0
後、調べててびっくりしたんだけど、1989年のクロアチア、国勢調査の
人口で30〜40台が見事に減ってた。どうもドイツあたりに出稼ぎに出てた
みたいなんだけど、国内に残る若者が、経済的な不況による職の減少
によって、過激化したのも背景にあるかもね。
長文且つスレチ気味で申し訳ない。
65 :
世界@名無史さん:2009/08/21(金) 21:17:29 0
クロアチア人は、戦後大勢西ドイツに移住した。
ドイツとクロアチアの仲が良い一因かと。
66 :
世界@名無史さん:2009/10/13(火) 12:34:04 0
最初にクロアチア軍つくったの、うすたしゃ、とも縁のあるギャングだったという
セルビア側のカラジッチも元犯罪者
67 :
世界@名無史さん:2009/10/14(水) 13:53:49 0
この俺が一言でまとめてやろう
・・・いや二言、三言、いやもう少しくらいで。
>セルビアがなぜいきなり民族主義を振りかざし始め たか
経済格差。西側経済圏に入るクロアチアはセルビアより金持ち。
人口差。複合国家ユーゴ内で人口比は完全にセルビア。
内部国境やその他セルビアが一歩譲る形で連邦は成り立っていた。
ソ連崩壊のなんだかんだで経済格差は激しくなり、
同時にクロアチア側が従来の格差是正を嫌がり始めた。
>チトー路線はユーゴ連邦の市民は皆、堅持したくなかったの?
ソ連という怪物がいてこその団結力だったわけで、
不安要素が消えれば羽が伸びる。
>>65 サッカーのプロシネチキなんかはクロアチアとセルビアのハーフで
ドイツ出稼ぎ組だね。
連邦崩壊時は両方の民族主義者から向こうの代表に行くなと脅されたが
結局ザグレブ在住だったことでクロアチア代表入り。
彼や同じくハーフで新ユーゴ代表になったミハイロビッチなんかは
オシム氏と共にやりきれない心境のコメントを残しているが、ボバンはゴリゴリの
クロアチア民族主義に固まっていたようだ。
付け加えるなら、ドイツへの出稼ぎはクロアチアに限った話ではなく
セルビアはじめユーゴ全体からかなり流入していた。
70 :
世界@名無史さん:2009/12/29(火) 16:20:58 0
今じゃドイツって黒い髪が多いね
旧ユーゴ諸国の歴史。バルカン史だが、ユーゴ以前は正直いってよく判らない。
話題も20世紀ばかりだし。
チトーに息子とか娘とかいなかったの?
…いや、いたからといって、あの地域が簡単に纏まるとかは思わないけどさ。
いたらいたで、まだマシな状況を保てたのかもと。
何勝手に居ない事にしてんだよ
>>73 いるよ。けどチトーは世襲制を望まなかったので
集団指導体制に移行したが、十年で機能不全に陥った。
息子いたのか。
あの纏まりにくい地域だから、政治には関わらない方が安全度は 高そうだけど…。
チトーが世襲を望まなかったのか…そうか…。
せめて親父のカリスマを生か○て…いや、何でもない。
77 :
世界@名無史さん:2010/04/07(水) 18:40:46 0
東大の柴宣弘教授は停年か?
そのあとはどこへ?
78 :
世界@名無史さん:2010/04/08(木) 17:10:34 0
ひどく過疎っているスレなんだな。
クロアチア在住の記者・長束恭行さんが、現地のファンが書き込む掲示板の中から、
セルビア視点で見た「日本vs.セルビア」の反響を自身のブログでまとめています。
「我々は三軍で日本の一軍を3-0で下したんだ!」
「我々のリーグをコケにし、日本のリーグを賞賛してきたストイコヴィッチや
ジュロフスキの言葉を今、聞いてみたいよ」
今回のセルビア代表チームは国内組の選手たち。セルビアのサッカーファンにとっては、
国内リーグの評価を見直す良い機会になったのかもしれません。また、日本代表の
岡田武史監督がベスト4を目標に掲げていることは現地の中継でもしっかり伝えられたそうです。
「日本代表監督はワールドカップ準決勝進出が目標って言っているんだって。ハハハハハハ」
彼らの目には、こんな不甲斐ない試合にも最後まで声援を送る
日本のファンが印象的に移ったようです。
「ベオグラードでこの試合をやったならば、5000人も集まらないだろう。
僕達はもう少し国内リーグを評価し、敬意を払うべきじゃないか。
またホームで0-3となったのにもかかわらず、日本人の誰もスタジアムから
帰ろうとしなかった。もしセルビアでやったならば、半分以上が帰ってしまうかも。
日本人は文化を持った人々だよ。彼らが応援の仕方を知らないのは確かだ。
しかし、壊された椅子を一つも見ることはなかった…」
http://supportista.jp/2010/04/news08103934.html セルビアって反日国家じゃねえか。
80 :
世界@名無史さん:2010/04/09(金) 13:43:12 0
どこが反日なんだよ。
ふつうだよ。
81 :
世界@名無史さん:2010/04/09(金) 13:45:35 0
だが、サッカークラブとサポーターは犯罪者集団だよ。
当局も手を出せないで来たこわーい存在。
サッカーじゃ民族主義が行き過ぎて排外的になるファンが多いからな。
中米じゃそれが原因で戦争が起きる位だ。
83 :
世界@名無史さん:2010/05/03(月) 21:34:55 O
チトーはスターリンにたてついて、命を狙われながらもユーゴを維持してたのは凄いわ。
良い悪いは別としてミロシェビッチ夫妻とは人間の質が違う。
86 :
世界@名無史さん:2010/06/08(火) 16:13:44 0
日本が米国から独立したら、中国と韓国と北朝鮮の奴らが一斉蜂起して日本人を殺しに来るということか・・・。
民族融和や友愛はありえない話、やつらは敵であり、子供や老人でも平気で襲ってくるということだな。
民家防衛の生きた教科書としてハン板で宣伝してくるわ。
89 :
世界@名無史さん:2010/06/10(木) 05:37:46 0
スラブって何だ?
西と東と南で別れてるみたいだけど
スラブ地域って使い方で合ってる?
性暴力サバイバーが過度の表現規制を推しまくる件でも思ったんだけど。
やっぱり安全、安心をネタに煽ると、もうね。
いわゆる「自然状態」に逆戻りっすよ。
「なぜ今ここで殺しあわずに、今居てる社会が保ててるか」とか、そんなの全部放り出しちゃう。
社会を捨ててパンツ脱いでケモノの理性でウホウホですよ。。
「やらなきゃ、やられる」「伝統を守らないと、隣人が国を滅ぼす」でね。
日本の裁判官が、扇動を表現の自由の例外に位置づけたのも分かるわ。
人間不信のループって社会をmess upしやがるね。
夏目漱石の「私の個人主義」でも読んで、耐性付けとかにゃね。
今こそ、戦争論を日本人はよむべきだな。 ボスニアのように支那朝鮮が独立宣言したら、
あなたの大切な人を奴らが殺しにくるという現実を直視すべき。
>>91 だから右傾化しろということか?
お前はあの体験談から何を得たんだ。
核武装すればゲリラなんて核攻撃で一撃だよ。
クロアチア独立国とセルビア救国政府の関係って、どんな感じだったの?
95 :
世界@名無史さん:2010/07/23(金) 23:07:28 0
〜コソボ独立宣言「合法」 国際司法裁判所初判断〜
これが最後の旧ユーゴ分裂になる…かな?
ユーゴとか民族浄化とかには、さほど興味はなかったが、
「戦争広告代理店」という本を読んで興味を持つようになった
ところで、ユーゴというか南スラブの専門家から見て、この本の評価はどうなんだろうか?
>>88 独立というか、米軍が撤退したらといういうことだろうな
そうなる頃には、多分、米国にとって、日本が経済的に利用価値がない可能性が高い
となると、日本人の多くは困窮し、失業者もあふれるという状態だろうな
その中でも、在日韓国・中国人さらには帰化人で社会的・経済的に成功している人が相当数いるだろう
民族紛争のきっかけになりそうだな
97 :
世界@名無史さん: