メフメト2世は何故ビザンツ帝国を滅ぼしたのか?

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1世界@名無史さん
メフメト以前のオスマン帝国スルタン(バヤジド1世、ムラト2世ら)は
ビザンツを服属させるだけで満足していたはず。
2世界@名無史さん:2008/08/16(土) 17:41:57 0
とれるものはとれるときにとれるかぎりぶんとる、というのが国際標準なんだが。
3世界@名無史さん:2008/08/16(土) 17:47:09 0
コンスタンチノープルの文物や、ギリシャ人官僚といった人材がほしくなったから

その後、オスマン・トルコに官僚制度やイェニチェリが定着した
4世界@名無史さん:2008/08/16(土) 19:34:25 0
メフメット2世はコンスタンティノープルを陥落させる前に、ビザンツ皇帝に対しては一応、
モレアス専制公領に移れ、そしたら命だけは助けてやる、という通告出してたんじゃなかったっけ?

コンスタンティヌス11世がそれを飲んでたら、あるいは
ビザンツ帝国はペロポネソス半島で細々と続いていたかも知れん。
5世界@名無史さん:2008/08/16(土) 19:38:58 0
パレオロゴス朝始祖のミカエル8世の悪事を考えると、コンスタンティノス11世ザマーミロ
って感じだな。
6世界@名無史さん:2008/08/16(土) 19:39:17 0
オスマン=ビザンツ2重帝国
7世界@名無史さん:2008/08/16(土) 20:25:51 0
オスマン帝国はトルコ人の王朝ではないと思うんだがな
8世界@名無史さん:2008/08/17(日) 00:06:42 0
それじゃあ何人の王朝?
9世界@名無史さん:2008/08/17(日) 01:09:16 0
そこにコンスタンチノポリスがあるから。
10世界@名無史さん:2008/08/17(日) 03:22:06 O
つかイスラム教徒にとってマホメット以来の攻略目標だからな。
イスラム教徒にとって政治的な意味の「ローマ」はローマでもミラノでもなく、
コンスタンティノープルだった。
11世界@名無史さん:2008/08/17(日) 17:21:51 0
コンスタンティノープルを明け渡したら、ビザンツ皇室はいきのびたんでしょ
そこから十字軍とかやったらよかったのに
いちばん悪いのはジェノバ人だよな
12世界@名無史さん:2008/08/17(日) 17:24:35 0
トルコが宿願のEU加盟する方法。

1 イスタンブールをコンスタンティノープルに名前を戻す。
2 国名を東ローマ共和国に変更。
3 正教を国教とする。

これでOK。西欧は泣いて喜ぶ。
13世界@名無史さん:2008/08/17(日) 17:45:26 0
ヒッポロドームを復活させて戦車競走やったら観光客2倍になるな
14世界@名無史さん:2008/08/17(日) 19:39:27 0
>>12

> 1 イスタンブールをコンスタンティノープルに名前を戻す。
オスマン帝国時代ですら公式には、コンスタンティニエだったんだから、
あまり抵抗はないだろう。

> 2 国名を東ローマ共和国に変更。
アタテュルクは、トルコ民族の国家に変えたから、これは無理だろう。

> 3 正教を国教とする。
政教分離政策は、どの宗教に対しても同じだそうだから、これも無理だろう。
15世界@名無史さん:2008/08/18(月) 05:27:45 0
仮に出来ても、イスラム原理主義者によってテロの嵐が吹き荒れそうだなw
16世界@名無史さん:2008/08/18(月) 20:19:50 0
>>3
カプ・クル制度はそれ以前からあったが?
17世界@名無史さん:2008/08/19(火) 01:51:20 0
メフメト2世は幼い頃からアレキサンダーなど英雄の伝説を読んで育ったから、
征服者として名を残すことを切望していた、との話を読んだことがある。
18世界@名無史さん:2008/08/19(火) 08:52:58 0
>>17
しかしそれはアリアノス等の描くアレクサンドロスではなく
ペルシアの「王書」等に取り込まれたイスカンダル・ズルカルナインの像なんだろうな。

そういやイルハン朝期に描かれた「イスカンダルの書」のミニアチュールでは
「マケドニア兵」を表現するのに思いっきりトルコ・モンゴル風の甲冑を着て
盾だけビザンツ風の騎馬戦士が描かれてるそうだw
19世界@名無史さん:2008/08/20(水) 16:14:17 0
コンスタンティノープルだけでなく、ローマ(ヴァチカン)も征服して
いればどうなっていたのか?
もうちょっと長生きしていれば、そうなっていたはず。
20世界@名無史さん:2008/08/20(水) 17:00:32 0
日本ではイスタンブルの略記は君府だったとか
21世界@名無史さん:2008/08/20(水) 19:06:57 0
スラヴ人はツァーリグラードと呼んでたそうですね。
多分ビザンツ時代から引き続いて使われていた呼称か。
22世界@名無史さん:2008/08/20(水) 23:43:21 0
コンスタンティノープルの戦いは世界史史上屈指の名勝負だな。
23世界@名無史さん:2008/08/21(木) 01:27:17 0
どの辺が?
24世界@名無史さん:2008/08/21(木) 10:15:39 0
一つの国、一つの文明が滅びる壮絶な最期の記録が
詳細に残されているからだろう。「名勝負」というのは
戦力が互角でないと言えないと思うが、「世界史史上
屈指の戦い」であることは間違いない。イスラム対正教の
戦いであり、カトリックまで絡んでいるからな。
そしてあのローマ帝国の最後のわけだから。1453年のあの
日を上回るほどの重要な日は他にはないのでは?
25世界@名無史さん:2008/08/21(木) 18:21:24 0
>>19
法王はすでに逃げ出す準備をしていたそうだ。
そうなっていれば、ヴァチカンの礼拝堂あたりはモスクに造りかえられて
いただろう。ルネッサンスの美術品がどうなっていたかは、考えただけで
も恐ろしいな。
26世界@名無史さん:2008/08/21(木) 20:33:28 0
メフメット2世から見てローマに魅力はあったのかな?
27世界@名無史さん:2008/08/22(金) 01:15:16 0
>ルネッサンスの美術品がどうなっていたかは、考えただけで
>も恐ろしいな。

メフメト2世はイタリアから画家や彫刻家を宮廷に招いていたし
自分のコレクションの中の聖母マリアのイコンに灯明を捧げていたという証言まである。
とりあえず彼の生きてる間は無事だろう。
ただ息子が敬虔なムスリムで親父の集めた異教徒の美術品を
死後に全部破却させちゃうんだけどね・・・
28世界@名無史さん:2008/08/22(金) 04:25:06 0
タリバンみたいだな。
29世界@名無史さん:2008/08/23(土) 13:39:03 0
メフメト2世がベルトルド・ディ・ジョヴァンニに作らせたメダル
ttp://www.artfund.org/artwork/347/enlarged/1/mehmed-ii-sultan-of-turkey

裏面では軍神マルスに先導されたメフメトが
「アジア」「トラブゾン」「ギリシャ」の3人の乙女を乗せて戦車を駆っている
30世界@名無史さん:2008/08/23(土) 14:37:29 0
んま当時ヨーロッパは産業革命でうはうはだったし
メフストなんて地方領主感覚で見ていてたと思うが
31世界@名無史さん:2008/08/23(土) 14:53:51 0
メフメト2世 15世紀
産業革命 18〜19世紀
32世界@名無史さん:2008/08/23(土) 15:04:25 0
産業革命じゃなくて正しくは大航海時代だな
まあ似たようなもんだが
33世界@名無史さん:2008/08/23(土) 15:42:15 0
日本で言えば、中世の大内氏みたいなもんかね?
経済的文化的には優れているけど、所詮地方領主
34世界@名無史さん:2008/08/23(土) 15:48:03 0
大航海時代といっても新大陸とか手に入れてウハウハになったのは16世紀になってからで
しかもスペインとか一部

レパントの海戦なんかもキリスト教諸国軍とオスマン朝軍でだいたい互角の戦力だったり
35世界@名無史さん:2008/08/23(土) 21:54:59 0
そもそも、大航海の理由も陸路をイスラム教徒に抑えられていたからだし。
アメリカ大陸を見つけたのは、偶然だし
こう言うのを犬も歩けば棒に当たると言うのかね
36世界@名無史さん:2008/08/23(土) 23:42:19 0
メフィスト2世
37世界@名無史さん:2008/08/24(日) 00:41:40 0
バヤズィト1世(12万) vs ティムール(20万)
アンカラの戦いこそ世界史史上屈指の名勝負、間違いない
ここでオスマン帝国にトドメをさしておけばローマ帝国も現代まできのこったのに
詰めが甘いというか
38世界@名無史さん:2008/08/24(日) 05:07:59 0
ティムールがですね。分かります。
39世界@名無史さん:2008/08/24(日) 10:46:53 0
>ここでオスマン帝国にトドメをさしておけばローマ帝国も現代まできのこったのに

もしオスマン朝の基盤を本気で潰そうとすればバルカン半島まで進むしかない。
バルカン側でオスマン朝の有力者が全員倒されたとしても、すでに各地を占領している
オスマン・トルコ人たちが新たな支配者となったチャガタイ・トルコ人の元で再編されるだろう。
つまりビザンツ帝国にとって状況はまったく変わっていない。
その上、なんだかんだいって数百年間キリスト教徒と隣接して生きてきたアナトリアの
トルコ人よりチャガタイ人が異教徒に寛容だという保障はどこにもない。
40世界@名無史さん:2008/08/25(月) 17:21:43 0
メフメト2世がもうちょっと長生きしてたら、スレイマンがウィーンを
制圧していたら、レパントの海戦でトルコが勝っていたら・・・。

                     今頃どうなっていた?
41世界@名無史さん:2008/08/25(月) 18:17:42 0
サンピエトロ大聖堂がそのまま巨大モスクになってたんじゃね
42世界@名無史さん:2008/08/26(火) 01:16:40 0
結局中欧ではウィーンあたりが攻勢限界なんじゃない?
43世界@名無史さん:2008/08/26(火) 14:39:08 0
ウィーンを一時的に陥としたとしても、どっちみち大帝国の維持は無理
だったんじゃないか?いまアナトリアを支配し、イスタンブールも確保
し、トルコという国が残っているだけでもかなり凄いことだと思う。
44世界@名無史さん:2008/09/01(月) 19:35:45 0
ケマルの力の賜物だよ
45世界@名無史さん:2008/09/06(土) 09:36:30 0
ティムールは明を落とせれば後はどうでもいい人だったからね。
所詮対トルコ戦はストレス解消の一環に過ぎない。
肝心の明と戦う前に氏ぬんだけどな。

つーか、ココでティムールが本気を出しても結局コンスタンティノープルはティムール帝国に編入されて
イスラム化する流れは止められなかったんじゃないのかな?
46世界@名無史さん:2008/09/06(土) 13:00:13 0
>>45
というより中核地域のマー・ワラー・アンナフル周辺が繁栄すれば後はどうでもいい人。
たぶん死後は元からいたトルコ人勢力が独立するんじゃないか。
47世界@名無史さん:2008/09/08(月) 01:38:06 0
ティムールのストレス解消の戦いでボロ負けするオスマン軍ヨワス!。
本気モードの戦いとなる明朝永楽帝との決戦が見たかった。
48名無的発言者:2008/09/27(土) 00:38:22 0
>>19
>コンスタンティノープルだけでなく、ローマ(ヴァチカン)も征服して
いればどうなっていたのか?
もうちょっと長生きしていれば、そうなっていたはず。

これはとってもおもしろい想像だ。
かつてキリスト教は西のバチカン、東のコンスタンティノープルに二分され
それぞれ法王と総主教を頂点としてまとまっていた。
しかし東がオスマン帝国に滅ぼされた結果、東方正教会は分裂
今では民族ごとまたは国ごとに組織を作っている。
オスマン帝国がローマも征服していたらカトリックも分裂したことだろう。
少なくてもそうなる可能性はある。
49世界@名無史さん:2008/09/27(土) 12:43:39 0
分裂ってもともとちーっともまとまってなかったぞこの時代のカトリックは
信仰でもって十字軍を編成したのも今は昔だ
50世界@名無史さん:2008/09/27(土) 13:40:09 0
>>1
そこにコンスタンチノープルがあるからさ。
51エビちゃんファン:2008/09/28(日) 09:53:39 0
>>48
正教というのは元々国ごとに正教があるのは、
カトリックとは組織が違うから。
エチオピアやロシアは直接は東ローマ、オスマン両方とも支配を受けた訳ではない。
また、正教が国ごとに分かれているからと言って、
コンスタンティノープルから独立している事を意味してはいない。
独立した部分も神学論争との絡みによるもの。征服が分裂を起こす訳ではない。
プロテスタントは個々に独立した新興宗教の側面があるが、
これがカトリックから分裂した原因は新大陸の利権をバチカンから奪う為だったと思う。

話は変わるがバチカンにとってコンスタンティノープルが
イスラムに陥落させられたのは相当ショックだったと思う。
ラテン王国を拡大させて地中海にローマ帝国領を復活させ、
東ローマ皇帝を屈服させて分裂したキリスト教を再統一し、
ローマが再び地中海を支配する事はかなわなかった。
新大陸から巨大な利権があがると、今度は北方のキリスト教徒が反抗し、
英蘭独米が中心となる中でバチカンは世界の中心から離れていった。
この動きを阻止する事はスペイン人やポルトガル人、イタリア人には出来なかった。
ポルトガルはエチオピアを支配下に置こうとしたが、皇帝から警戒され失敗した。
ロシア正教もコプト教会もバチカンに警戒はしても、現時点で支配に入るつもりはない。
しかし、バチカンにとっては未だに東西・新旧に分かれたキリスト教を再統一する夢は捨てていない。
これは前法王も現法王も同じである。
52世界@名無史さん:2008/09/28(日) 12:30:56 0
>>51
時系列めちゃくちゃ…
5351:2008/09/28(日) 15:12:22 0
あ?そこまでクレームつけるなら、どこがおかしいか指摘してみろよw
54世界@名無史さん:2008/09/29(月) 03:50:40 0
いちいち喧嘩腰になるなお( ^ω^)
55世界@名無史さん:2008/09/29(月) 10:01:56 0
正教とカトリックってどう違うの?帽子の形?
56世界@名無史さん:2008/09/29(月) 20:18:17 0
正教はかなり電波
けっこー電波
57世界@名無史さん:2008/10/25(土) 15:26:15 0
>>55
フィリオクェ
58世界@名無史さん:2008/10/25(土) 18:28:55 0
カトリックはキチガイ
59世界@名無史さん:2008/10/25(土) 23:15:20 0
>>12
コンスタンティノープルの政府が「東」ローマなんて名乗ったことは一度もないが
60世界@名無史さん:2008/10/26(日) 00:32:05 0
正教とカトリックの分裂ってよー分からんのよね。
分裂当初の東ローマは西に同調してアリウス派を弾圧してるし。
いつのまにやら東は正教になってて、聖像破壊で完全分裂
61世界@名無史さん:2008/10/26(日) 01:56:00 0
>>59
あの連中が名乗ったのは「新ローマ」だな。
62世界@名無史さん:2008/10/26(日) 02:11:58 0
正教は電波
カトリックはキチガイ
イスラムは野蛮
やっぱ宗教って害悪にしかならんな
63世界@名無史さん:2008/10/27(月) 21:50:14 0
>>62
しかし、何らかの教育の基盤となるべきものがないと
日本みたいになっちまう。
64世界@名無史さん:2008/10/27(月) 21:59:56 0
>>62
なんじゃそりゃ
一面しか見ていない一方的偏見
65世界@名無史さん:2008/10/27(月) 22:44:06 0
>>63
その辺の宗教やってる地域に教育の基盤があるとでもw
66世界@名無史さん:2008/10/27(月) 23:06:03 O
>>62
1人で粘着基地外乙
67世界@名無史さん:2009/01/18(日) 18:46:50 0
新兵器の大砲の威力を測りたかったんじゃない。
68世界@名無史さん:2009/01/20(火) 13:04:23 0
トルコ軍は15世紀初頭にはすでに大砲を導入してたそうだが
69世界@名無史さん:2009/01/30(金) 23:27:47 0
なるほど
70世界@名無史さん:2009/02/04(水) 17:42:01 0
イスラム勢力がもっと前の時代にコンスタンティノープルを抜いていれば
今頃ヨーロッパはどうなっていたのやら
71世界@名無史さん:2009/02/05(木) 00:12:26 0
イスラム側の方も大量に異教徒を抱え込みすぎると、変質を余儀なくされた事であろうな。
イスラム教は、アラブ貴族らのみの信仰として、インド仏教がヒンズー教の駆逐された様に、
異教に駆逐されてしまったかもしれん。
72世界@名無史さん:2009/02/05(木) 02:23:29 0
>>71
実際にペルシア人やトルコ人を大量に抱え込んで変質したじゃないか
73世界@名無史さん:2009/02/05(木) 05:34:27 0
欧州でシーア派とかよりも過激な異端が生まれて、アラブの脅威となったかもしれないね。
74世界@名無史さん:2009/02/17(火) 08:42:01 0
>>1
イスラームの指導者のみならずキリスト正教の保護者たるローマ皇帝を兼ねたかったから
75世界@名無史さん:2009/02/17(火) 08:56:14 0
>>55
カトリックがアイドルマスターSP パーフェクトサン
プロテスタントがアイドルマスターSP ワンダリングスター
正教がアイドルマスターSP ミッシングムーン
仏教がアーケードアイマス
イスラームがXBOX360版
はた目からしたら大差ない
76世界@名無史さん
>>60
政治と宗教が一致してなかっただけじゃん
>>70
アメリカ人が驚いた時にオーマイゴッドじゃなくオーマイアラーと言うようになるだけさ