>>261 いや、そもそもプラノ・カルピニとかマルコ・ポーロみたいな実際にモンゴル兵を間近に見た
西欧の旅行者の話だと、戦闘時にモンゴル兵が毒矢を使っているというような話は出ていない。
プラノ・カルピニによると一般的なモンゴル兵(もちろん騎馬兵)が携行する矢の矢尻は諸刃の剣の
切っ先みたいに鋭く、モンゴル兵はやすりも普段から携帯してこれを研ぎすませて殺傷力を高めた
ものを使用している、とは報告しているけど、毒についてはまったく書かれていない。
モンゴル帝国に滅ぼされたホラズム・シャー朝のスルターン・ジャラールッディーンに仕えて
彼の伝記『ジャラールッディーン伝』を著したシハーブッディーン・ムハンマド・ナサウィーは
モンゴル帝国の中央アジア・イラン侵攻については(当然ながら)モンゴル軍の行動を割と
悪し様に書いてはいるけど、毒についてはやはり書いていないようだ。
他にもバトゥの欧州遠征で、ルーシ諸国や、ポーランド、ハンガリー王国が侵攻を受けたが、
例えば現在のチェコ東部にあたるシレジアのオロモウツがモンゴル軍に包囲された時、城壁に
登った者はことごとく射殺されるので籠城側はモンゴル軍の弓術の正確さに度胆を抜かれ、
城壁の上に人形を並べて矢が何本も命中するのを楽しんだ、という話が伝わるそうだ。
ともかく籠城戦になるとモンゴル軍から矢が雨のように降り注ぐという話は良く出て来るが
やはり毒矢については見られない。
『八幡愚童訓』の文永の役の件に出て来る毒矢の話が実際にあったことに基づいたものだと
しても、恐らくこれを使用した「蒙古兵」とは、中央アジアやモンゴル高原で活躍したテュルク・
モンゴル系の騎馬兵から喚起されるようなものではなくて、文永の役の要員の過半を占めて
居たらしい女直兵や高麗兵などが使用したものなんじゃないか、という話は別のスレか前スレ
あたりに出ていたと思う。