ヤルタからマルタへ
北大西洋条約機構vsワルシャワ条約機構
ステッテンからトリエステまでの鉄のカーテン
ICBMの傘による核抑止力
フォン・ブラウンとコロリョフ・宇宙競争
ハンガリー動乱とフランス五月革命
革命する中国、独立するインド
朝鮮、ベトナム、イエメン、ドイツなどの分断国家
イスラエルvsアラブ連合「中東戦争」
部族国家、失敗国家、陰謀と内戦の大陸、アフリカ
キューバ、ボリビア、チリ、ニカラグアなどの革命家たち
ホメイニvsフセイン イラン革命と湾岸戦争
泥沼化する戦争--ベトナム戦争とアフガン内戦
ペレストロイカとグラスノチ
東西のパワーゲームについて知られていない事実、素朴な疑問、ありえたかもしれない選択肢について語れ。
日本がずっと富裕で安定した民主主義の西側国家だったことはかなり重要なポイントだと思う。
田中角栄みたいなのがたまに胡散臭い動きを見せながらも、
基本的には経済力に見合わない程の対米追従。
第三世界の西側国家の雄ということで、軍政期のブラジルの西側に占めるプレゼンスは
(主に周辺国の親西側軍事クーデター支援という形で現れる)大きかったけど、
ブラジルでさえここまで西側になびいてはなかった。
世界革命の成否は日本に革命が起こるか否かできまるって、
スターリンだかレーニンだかも言ってたね
冷戦初期は経済規模でも合衆国の次はソ連だったのに、
いつのまにか合衆国と日本でツートップじゃ東側の面目も丸潰れですからね
いくらソ連が第三世界のベトナム、カンボジア、ペルー、チリ(ここだけ第三世界じゃ比較的金持ち)、
ジャマイカ(マイケル・マンリー)、アンゴラ、モザンビーク、エチオピアと仲間やシンパを増やしても
富裕国引き込まなきゃ勝てない罠
全く関係無いけど東側が資本主義的な文化に対抗できる文化を産み出せなかったのが最大の敗因なのではとも思える。
7 :
世界@名無史さん:2008/07/16(水) 15:46:55 0
>東側が資本主義的な文化に対抗できる文化を産み出せなかった
やっぱり全体主義的・抑圧的な体制の下では文化の花は開かないのかな。
核兵器がなけりゃもっと速く決着ついてそうだけどな
9 :
世界@名無史さん:2008/07/16(水) 23:35:39 0
このスレの住人はチェ・ゲバラをどう評価している?
10 :
世界@名無史さん:2008/07/17(木) 00:09:45 0
>>9 かつてはゲバラ単独のスレが立ち、
ゲバラAAが世界史板のマスコットになるぐらい
愛されてたんだが……あれとっくに落ちたのかな。
中南米に詳しいウーゴさんに質問っす。
次の三つの疑問に分かる範囲でいいのでお答えくだされば嬉しいです。
1,
チリのアジェンデ大統領がやった銅産業の国有化は、アメリカの銅放出などもあって、
アジェンテ政権が倒れる原因の一つとなったことで有名ですが、
のちの軍事政権は国有化された銅産業でかなり儲けたって本当?
「チリは市場経済であると言われていますがそれは全くあやまりです。
チリの主要な輸出はアジェンデのもとで国有化された非常に効率的な製銅会社によるものです。」(チョムスキー)
2,
最近読んだゲバラ日記の解説に、「当時ボリビアの都市部ではゲリラに呼応したストなどがおこり、
ボリビアには実際に革命前夜の状況があった」という意味のことがかかれていましたが、
この話はどれだけ信じられるんですかね? 日記を読んだ印象では農民はあきらかに体制側にまわっていたんですが・・・。
3,
最近国際欄にたびたび載るコロンビアのFARCですが、もうそろそろコロンビアの内戦も終結しそうです。
FARCは結局敗北しそうなわけですが、彼らはなぜ勝てなかったんでしょうか?勝つためには何が必要だったんでしょうか。
答えれる範囲で答えてみます。
1.本当と言って差し支えないかと思います。
有名な話ですが1973年から1981年までの「原理主義的な新自由主義」の時代において
1973年9月の時点で400社近かった国営企業は45社にまで減りましたが(480社が27社になったとする資料もある)、
それでもアジェンデ政権が国有化したチリ銅公社CODELCOや、鉄道といった基幹産業は民営化されず、
結果として軍政時代の高成長の原動力の一つとなりました。
1987年の5.6%、1988年の7.3%、1989年の10.6%という実質GDPの高成長には、
1988年に行われた軍政体制維持のための選挙対策のために、
ポプリスモ的な需要喚起政策が行われたことが背景にあった(つまり新自由主義の原則を無視している)んですが
87〜89年には国際的な銅価格が上昇したこともこれに拍車をかけました。
というわけで一応儲けてたとは言えるんじゃないかなと思います。
軍政は結果的には言われるほどの高成長を遂げたわけではないのですが、キリがないので省略します。
2.これは難しいです。
というのも、ゲバラ日記の解説も
>>1さんの感想もどちらも正しいからです。
ラテンアメリカの国ではどこも都市(ヨーロッパ文明)と農村(野蛮、未開)の大きな差があるわけですが、
ペルーやボリビアの場合、それはスペイン文化の支配する都市と、
ケチュア=アイマラ文化の支配する農村の対立という形になったところに他のラテンアメリカ諸国との大きな差異があります。
どういうことかというと、例えばアルゼンチンやブラジルといったような国では
農村部の混血の住民はガウチョやカボクロといった表象によって表され、
都市の住民から後進性のレッテルを貼られはするものの(逆説的にその後進ゆえに19世紀に国民性の根源的表象にもなったわけです)、
一応スペイン、ポルトガルの文化を共有してもいたのに対し、
ペルー、ボリビアの場合は農村はインカ帝国以来の社会が続き、
文化的にスペイン化した都市とは言葉も文化も違う異世界なわけです。
同様の現象は独立後のアフリカにも起きましたが、
このような対立を反映してペルー、ボリビアの都市と農村には初めから
革命的な運動への大きな温度差がありました。
ボリビアでは1964年に国民革命運動(MNR)政権がクーデターで崩壊した後、
すぐに軍部右派のレネ・バリエントス将軍が政権を掌握したのですが、
バリエントスはケチュア語を解したがゆえに、インカ的な農村部の支持を得ることに成功しました。
一方で新興鉱山主、官僚と結びついて労働運動を弾圧したため、
都市の労働者(特に鉱山労働者)や軍部、政党(MNR等)の左派は抑圧的なバリエントスに対しては批判的でした。
1966年にゲバラが潜入した際、このようにボリビアの都市と農村にはゲバラに対する温度差があったわけですが、
都市の労働者はゲバラに好意的であり、実際にカタビ鉱山ではゲバラに同調した鉱山労働者が蜂起し、
解放区の建設を宣言したために軍によってサン・フアンの虐殺を以て弾圧され、
都市でもゲバラに同調した学生や労働者はストライキでバリエントス政権に臨みますが、
一方で白人だったゲバラは農村のインディオとの接触に失敗し、
ボリビア革命による土地分配でただでさえ保守化していた農村民の支持を得ることはできず、
そのためにキューバ革命で行ったような農村内での解放区の建設も出来ませんでした。
というわけで、問いに答えるのは正直難しいです。
>>1さんの印象のように都市や鉱山を見るか、農村を見るかによって変わります。
ただ、ボリビアで都市化が進まず大多数が農村民だったことを考えるなら、
やはり「革命寸前」とまで言うことは難しいのではないでしょうか。
余談になりますが、ゲバラが戦死した後バリエントスは「謎の」(メイン号爆沈と同じぐらいの謎)飛行機事故で
死亡し、その後にかつてゲバラを追い詰めたホセ・トーレス将軍が政権を握ったのですが、
トーレス政権は革命的民族主義を掲げ、かつてゲリラが要求していた政策を採りました。
その思想的変遷のきっかけになったのはゲバラのゲリラと戦いであり、
戦いの中で農村部の悲惨な状況を知り、感化されたそうです。
ペルー革命のベラスコ将軍達も1966年のシエラの共産ゲリラとの戦いの中で、
自らの革命的民族主義を形成していったらしいですが、まさにラテンアメリカは複雑怪奇といったところでしょうか。
3.これも難しいです。何故勝てなかったを問うなら、
1986年にFARCを中心にゲリラが一つにまとまってシモン・ボリーバルゲリラ連絡会議を結成した時に、
1989年1月に兵器輸入に失敗して総攻撃が行えず、そのまますぐにソ連が崩壊して
イデオロギー基盤だった社会主義がジリ貧になったから、と答えたいですが、
個人的には何故コロンビアのゲリラが勝てなかったのかよりも、
何故こんなに長い間に負けずに済んだのかを考えた方が良いような気がします。
訂正
>>14 >同様の現象は独立後のアフリカにも起きましたが、
嘘です。こんなの起きてません。一応アフリカでも都市と農村では公用語の普及度が違うんだよ的なことを
書きたかったんですが、引用部は真実ではないので無視してください。
うおおおお ありがとうございます!
ブラジルとかとは別の、ペルーボリビアの都市と農村の文化の違いを説明するところなどは、脳細胞がかなり刺激されました。
チリも、詳しい数字を示して教えてくださって感謝です! FARCについても知らない事実が・・・。
めちゃくちゃ勉強になりました。どうもです!
ああ、役に立てたみたいで良かった。一応こんなもんです。
ラテンアメリカは追々語ってけば良いとして、誰か中東とアフリカを語って欲しい。
アフリカは西アフリカとアンゴラだけなら何となく語れるけど、どうにも理解が足りないので。
社会主義ギニア、資本主義コートジボワール、軍事大国ナイジェリア、
偉大な田舎マリとキャラは立ってるけど、もっと理解が必要だなあと。
中東もイラクが軍事国家になってく様子や、アサド1世の生涯は全く知らないけど興味ある
20 :
世界@名無史さん:2008/07/18(金) 16:24:26 0
タンザニアのウラマー社会主義だったら昔読んだ本の中でちょっとでてきたので、
興味あれば軽くまとめて発表しますわ。
どうでもいいけど俺的ラテンアメリカゲリラ四天王(カストロ除く)
1、ニカラグアのオルテガ
2、コロンビアのマルランダ
3、ボリビアのゲバラ
4、ブラジルのプラステス
異論は認める。
22 :
世界@名無史さん:2008/07/19(土) 00:31:04 0
ウラマー社会主義・・・!ビクビクしちゃうわあ!
ポルポトといい、ザイールのモブツといい、第三世界の指導者が
形だけでも社会主義を名乗りたがったのは、
一般人の間にも資本主義=旧宗主国のイメージがあったから、
社会主義って言ってるだけで人気取りになったってのも大きかったみたいね
キューバの文化やヌエバ・カンシオンなんて左翼的な割には
音楽聴いてると歌詞の内容はニカラグア支援!とかそんなんだったりするけど、
>>7のいうような抑圧的な社会主義っぽくはない。
レゲエのアフリカ解放ってメッセージも左翼的なのに東側=抑圧ってイメージではないし
23 :
世界@名無史さん:2008/07/19(土) 00:48:36 O
24 :
世界@名無史さん:2008/07/19(土) 00:51:03 O
>>6 ソ連崩壊までは経済も ソ連>日本 崩壊後世界2位になった
「米ソの興亡」より
モブツって社会主義なんか名乗ってたっけ?
27 :
22:2008/07/19(土) 11:34:33 0
>>26 クーデター起こした当初は鉱山国有化したり
コンゴ人民共和国に改称したりしてるじゃない
実際はアメリカに援助もらってた反共国家だけど、口だけは社会主義とか
いってたような希ガス
>>24出典は忘れたので聞き流して欲しいのだけど、
冷戦時代のGNPだったかなんだかの割合を示して、
一位アンクルサム、二位EU、三位横綱(日本をさす)をかいた風刺があった。
ソ連ははいっていなかった。
これ見たとき、ああ、西側に経済力ではまったくかなわなかったんだなあ、と思った
30 :
世界@名無史さん:2008/07/19(土) 23:18:22 0
カナダって冷戦中でも影薄いよね
しかし何気にカストロと親交をむすんでアメリカに対抗してたりする。
ケベック問題もなかなか熱いZE
32 :
世界@名無史さん:2008/07/20(日) 09:18:38 O
インドネシアって国連脱退までやってのけた割には存在感薄い
しかしあの地域はオランダの植民地ということで統一国家ができただけだったりする。
インドシナやアフリカみたいに複数の独立国家がうまれ、東側と西側で角逐があったかもしれないと妄想すればなかなか熱いZE
アフリカだってフランス領西アフリカがそのまま独立してれば、
インドネシアみたいな統一国家になったかもしれないわけだからねえ
ギニアが一人で先に独立したのがいけなかったのか?
なんにせよインドネシアは第ニのユーゴになる可能性ありまくりんぐで怖い
需要がなさすぎて全俺が泣いた
36 :
ウーゴ ◆eaYqa3SeLE :2008/07/22(火) 13:55:06 0
泣かないで下さい。俺もいます。
でも確かになんでこんなに需要がないのかは不思議だったり。
面白いテーマなのに
37 :
世界@名無史さん:2008/07/22(火) 15:25:14 0
アフリカのポルトガル植民地は独立がだいぶ遅れたよね。
モザンビークとか。
まあ本国がアレだから。
知識も興味もない一人として存念を。
>>36 > でも確かになんでこんなに需要がないのかは不思議だったり。
> 面白いテーマなのに
挑発じゃなくて、素直に願いたいことだが、面白い理由を教えて欲しい。
面白くなさそうな理由ならある。
・直に触れた時代なのでみんなわかった気になってる
・東側が社会主義を方便に稚拙な政治をした結果こうなるのは当然の既決で、振り返る間でもないとの見方が一般的
・この期間の各国の政治を暴き立てても醜いだけの内情しか見えず、中世古代のような心踊るやり取りはなさそう=つまらないと思われがち
ニカラグアとかザイールの醜い内情が大好きな俺は異端なんですね
>>38 理由をそのままひっくり返せばいいんでね?
・直に触れた時代なので興味がある
・なぜ社会主義という理想主義が稚拙な独裁政治になってしまったのかが皮肉で面白い。
稚拙な独裁政治といったが、十八世紀以前の専制政治は皆あんなもん。なぜ二十世紀になって専制がつうじなかったのか、時代の変化が面白い。
・醜い内情を知るイケナイ野次馬根性が刺激されてヴィクヴィク
資料が豊富なため政治家や文化人たちのナマのやりとりが知れてビクビク
41 :
世界@名無史さん:2008/07/23(水) 15:51:22 0
>>40 それだと歴史学じゃなくて
社会学や政治学にならないか?
どこをさして「それ」なのか知らないけど、
歴史性(時間軸における特殊性)があれば歴史だろう。
たとえば二番目の論点をとると、
十八世紀ではつうじたものが、なぜ二十世紀ではつうじなかったのか、という視点があれば歴史学。
_ _ _ _
+ + | | | | | | | | +
| | Π| | | | Π| | +
/ ̄ ̄ ̄ ̄/三三三三// ̄ ̄ ̄ ̄l ̄ ̄ ̄ ̄l +
/ ̄ ̄ ̄ ̄ /三三三三// ̄ ̄ ̄ ̄ ̄i、 ̄ ̄ ̄ i、
/ ̄ ̄ ̄ ̄ _/三三三三// ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄', ̄ ̄ ̄ ̄l
/ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄/三三三三// ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄',三二二ニl +
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄/三三三三// ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
古代都市ワクテカ
45 :
世界@名無史さん:2008/08/16(土) 20:01:32 0
age
>>30 PKOを始めたピアソン時代の存在感はなかなか。
>>32 インドネシアは図体がでかいから、客体としても存在感はある。
スカルノ時代のインドネシアをめぐる東西陣営の綱引きは結構面白い
なんだかんだで東南アジア最大の国家だから。
宮城大蔵の『戦後アジア秩序の模索と日本』『海洋国家日本の戦後史』
あたりを読むと吉。
このスレがなかなか面白くならない理由は他には
「冷戦」てタームがでかすぎて、どこから手をつけるべきかわからんてのもあるのかなーと。
47 :
世界@名無史さん:2008/08/17(日) 17:08:33 0
冷戦の落とし子ともいえる北朝鮮とキューバは存続
ロシア・中国を中心と発展途上国とアメリカを中心とする先進国の対立→新冷戦へ…
まだ、あの冷戦は終わってはいない
冷戦の終結後アメリカの裏庭に左派政権がポコポコできたのは皮肉だな
CIAとかつかってまで必死に潰さなくなったからな
50 :
世界@名無史さん:2008/08/20(水) 05:32:55 0
冷戦時代に頑張って押さえつけてた、ってことがよう分かる
51 :
世界@名無史さん:2008/08/20(水) 06:45:53 0
だが、ベネズエラを除いては天下を取ると左翼政権はわりと
まともな政権運営をしているからなぁ
アメリカ打倒とか特にわめいているわけでもないからなぁ
権力者が皇帝みたいに威張り散らして、何万人も粛清したり餓死者を出す
アジアや東欧の社会主義政権が異常なだけ
アメリカ大陸の体制は比較的まとも
★華国鋒・元中国主席が死去 毛沢東の後継者、「4人組」逮捕主導
中国共産党の華国鋒元主席が20日、北京で死去した。87歳だった。湖南省党委
第一書記、公安相、副首相を経て、1976年2月に死去した周恩来氏の後任として
首相に就任。毛沢東主席の死去後の同年10月、毛主席の後継者として党主席と
党中央軍事委主席に選ばれた。「4人組」逮捕を主導し、66年から始まった文化大
革命を終わらせた。
77年には毛氏の決定・指示を忠実に実行する「二つのすべて」を決定。小学校など
には毛氏と並んで自らの肖像画を掲げさせるなど、毛氏の威光を借りなければ権力
を発揮できず、政治基盤はもろかった。一方、78年1月に米国と国交を樹立、78年
8月に日中平和友好条約を締結するなど西側との関係改善で実績を上げた。
しかし、復活したトウ小平氏らに追い込まれ、80年に首相、81年に主席を解任され、
事実上失脚した。副主席と中央委員にとどまったが、2002年の第16回党大会で引退。
昨年10月の第17回党大会には特別招待代表として姿を見せた。
ttp://www.nikkei.co.jp/news/main/20080820AT2M2002T20082008.html
ソモサ家(特に3代目)より酷い体制が果たしてアメリカ大陸にあっただろうか
55 :
世界@名無史さん:2008/08/21(木) 20:12:45 0
>>52 やはり寒いところと、暖かくて飯が食えるところとの違いかな
ポルポトという例外があるが、
56 :
世界@名無史さん:2008/08/22(金) 08:11:33 0
と、ここでアメリカが第六艦隊を再建してラ米を威嚇!
ロシアのグルジア出兵、アメリカのポーランドへのMD設置
まさに「あのとき」の再現
,,____
/三彡ミ三,,,,、___,ヾ、
/彡´:: ::´ ヾ、
,'ソリ:::::: :; ミi;
|ソ::::... :; :::... ヾ;i
i:::;:::::::: :;__ :::... :;ハ
,、_;リ_,;乍三ヾハ _ :|リ
!ハ、ト ̄`Y´tテヾ`Y⌒Yソ三ヾ ;リ_
Yt |::::..´ V `..::::ノ:: {`ゞ'`:::Yrハ
{Y;:::::::: ` - ',,..::::〉 ;ヽ、___ノ::レ'
>!::::::::.. ..:::::ヾ、___,,ヾ.. ..::,' 我らがUSAが冷戦の勝利者だ。
∧ 、::::::::::〈 _::::、,,,:::.. :::i
/::::!ハ:::::::.. `  ̄ ̄´;, ::,'
/:::::::::ヽ、\_::::::... ` ̄ ::/
,...<´::::::::::::::::::::ヽ `ト-ェ、__,,,... イ
:::::::::::::::|::::::::::::::::::::ヽ \::ヽ:: /|:::::::::::\
:::::::::::::::|::::::::::::::::::::::ハ `>=く |:::::::::::::::::\
:::::::::::::::|:::::::::::::::::::::::::::! /:::V::| :|:::::::::::::::::::::::`:-..、
まぁアメリカが冷戦に勝ったのは西ドイツと日本が西側だったからだろ。
>>59 なんだかんだで東側陣営の方が狭かった、というのもWW2後のアメリカの功績だべ
スターリンはドイツと日本には強かった。何故ならアメリカが叩いてくれると分かっていたから。
反対にアメリカには大事なところで弱かった。トルーマンの拒否を聞いて北海道侵攻を簡単に諦めた。
しかし、アメリカと必要以上の摩擦を避けたこの弱さがソヴィエト体制の礎を築いたとも言える。
スターリンも馬鹿じゃないから真正面からアメリカとぶつかり合ったら負けることに気づいていたんだろ
>>62 スターリンの賢いとこは弱いやつには強く、
強いやつには弱いとこ
世界史板で話のは余り適切でないテーマだと思われるんだが、
冷戦の最大の嘘といえば、自由主義と社会主義が戦った、という構図そのものだろう。
例えば、自由主義諸国とされる西側だが、英国も含む欧州は社会主義が優勢だった。
欧州の社会主義政党は、産業の国有化を唱えたり、自主管理社会主義を標榜したりと、
マルクス主義でないというだけで、あれらはれっきとした社会主義政党だった。
そして欧州自体、資本主義でも社会主義でもない、両者の折衷型であり、第三の選択肢である、
社会的資本主義を導入し、社会主義的な資本主義という特色ある経済を確立した。
市場経済下において社会主義を確立した、と言い換えても過言でない。
イギリスに至っては労働党の奮戦もあり英国型の社会主義国建国の一歩手前まで行っている。
つまり冷戦の本質というのはマルクス・レーニン主義vs反マルクス・レーニン主義であり、
自由主義と社会主義が戦ったという構図は虚構でしかなかった。
この虚構性に気づけば、今起きている現象が鮮明に違った形で見えてくるはずだ。
冷戦崩壊後に盛んに喧伝された社会主義の敗北というものが悪質なプロパガンダに過ぎず、
自由主義の完全復権に向けた政治的策動であった、というのが本当の姿だ。
そして、案の定、自由主義は再び過ちを犯し、世界に多大なる被害と混乱を与えた。
65 :
市民:2008/10/28(火) 19:23:32 0
>>64 欧州の社会主義政党の大部分は第二インターナショナルのお陰で設立できたから
修正主義
冷戦はソ連(ロシア)の帝国以来の膨張政策とイギリスに変わってそれを阻止しようとするアメリカ
という対立構造であって
社会主義だの資本主義だののイデオロギー対立なんかは後付けにしかすぎんだろ
68 :
世界@名無史さん:2009/01/02(金) 02:08:59 0
69 :
世界@名無史さん:2009/01/04(日) 11:44:04 O
ミッテランは西側初の社会主義政権?
70 :
1=21:2009/01/04(日) 16:30:57 0
>>19 すいません、半年ほど遅れました。
タンザニアでなくって仏領西アフリカについてなんですが、
たしかに国毎にキャラがたっていますよね。
ギニアのセク・トゥーレとかコートジボワールのウフェ・ボワニとかいった西アフリカの指導者は
皆、セネガルにあったウィリアム・ポンティ校っていう官吏養成学校の出身者だそうです。
西アフリカが連邦制じゃなくって別々の国々として独立したのは、たぶんフランスの分割統治の思惑が働いていたと思います。
それと同時に、セク・トゥーレは、前世紀の民族指導者サモリ・トゥーレの子孫で郵便労働者、
ウフェ・ボワニは裕福なコートジヴォワールのカカオ農園の大領主であったとか、そういう背景の違いが、
一九五〇年代末から六〇年代はじめにかけてのアフリカ分離独立の主体的原因の方になったんじゃないかと思いました。
なぜ、アフリカ民主連合が目指していたようなマリ連邦による統一された独立ではなくって、
分離独立になったかということについてアフリカ独立運動家の面白い意見がありましたので載せておきます。
「ウィリアム・ポンティという唯一の連邦学校出身の教員、アフリカ人医師、官吏、その他「使い走り」と言われた事務員の闘争は、
きわめて狭い世界で展開した。たしかに(・・・)この世代の人々は、私たちの国の解放に大きな貢献をした。
しかし、また彼ら自身、閉ざされた密室で展開する一つのシステムの奴隷ともなっていたのだ。」(勝俣誠『現代アフリカ入門』)
なんで東南アジアのインドネシアは統一されて独立できたのか、
西アフリカはいま「一つのシステムの奴隷」であることから脱せれているのか、
とか、疑問はたくさんあるのですが、よくわからないのでこれで。
71 :
世界@名無史さん:2009/01/07(水) 14:16:17 0
人間の習性はなかなか変わらないなぁ
おいらなんかいまだにロシアのことをついソ連といってしまうもんなぁww
それでもユーゴスラヴィアとか東ドイツとかチェコスロバキアとかといった国が
あった事はすっかり忘れているのになぁww
72 :
世界@名無史さん:2009/01/25(日) 02:04:54 0
>>1 いや、俺、頭おかしいから良くわからねえけど
冷戦って奴は日本の凄さゴマかす為にアメリカとソ連とヨーロッパが
ツルんだヤラセだったんだと思う。
kwsk
ソ連はロシア内戦、大粛清、独ソ戦のせいでアメリカの半分ぐらいの国力しか無かったんだよ
ガチンコで遣り合えば被害を受けるがアメリカが100%勝っていた
ただ「共産主義者どもから守ってやるお( ^ω^)」という名目で色々介入できるから放置しておいた