【世界史】あなたが思う悲劇の偉人とは?【日本史】

このエントリーをはてなブックマークに追加
1ハトドメ キヨシ
ヤフー知恵袋で質問しましたが、
色々やりとりができない不便さを感じましたので
スレを立ててみました! どうかヨロシク!

さぁ、ここで
あなたの心を『振るわせ』『熱くさせ』そして『切なく』させた
人物を挙げ、その想いを語ってみませんか?

では、本題
【ジャジャン!】

あなたが思う『悲劇』の偉人とは?

歴史には華やかに人生を終えた偉人もいれば
涙なくしては語れない悲劇の偉人がいますね

@あなたの中で一番だと思う人物は?
Aそう思う理由は?

>>2以降へ続く
2世界@名無史さん:2008/06/05(木) 23:27:45 0
私的には色々思い浮かびます

日本史なら 源義経 斉藤道三 真田幸村 平賀源内 坂本龍馬 野口英世でしょうか
世界史なら ロアール・アムンゼン フローレンス・ナイチンゲール ガリレオ・ガリレイ フランシス・ドレーク

等、色々います
その中でもナポレオン・ボナパルトでしょうか

彼の活躍時期と没落振りと無念さが特にそれを引き立たせます



私自身、そんなに詳しくもないです
みなさんの挙げた人物を勉強させていただきつつ
その感動も味わってみたいです!

>>3以降へ続く
3世界@名無史さん:2008/06/05(木) 23:29:49 0
※ 守 っ て 下 さ い ※

@
ここは主に『悲劇の偉人』がテーマです、なのでそれオンリーでお願いします

A
読みやすくレスして下さい

B
理由をできるだけ細かくお願いします

C【重要!】
基本的に『相手の意見に否定的な事のみのレス』はご遠慮下さい ←煽り・荒しと、みなします

肯定する部分があっての指摘はいいのですが
全くの否定なら、わざわざ指摘はせずに自分の意見のみをレスして下さい

D
間違いを指摘する時は、社会人らしく
素っ気無い言い方・吐き捨てる言い方はせずに指摘しましょう

E【当然ですが】
荒し・煽りは禁止です
スルーしましょう

出ればここへ報告しましょう!
http://qb5.2ch.net/saku/

>>4以降へ続く
4ハトドメ キヨシ:2008/06/05(木) 23:30:30 0
【 つ い で に 】
それ以外の偉人に関するテーマが欲しい方は
レス内にて『目立つ様に』リクエストして下されば
見つけ次第、早いうちに立てようと思います



では、存分に語って下さい!!!
5世界@名無史さん:2008/06/05(木) 23:37:54 O
戦艦大和
国民には秘匿され
大和ホテルとやゆされ
沖縄に特攻して航空機にフルボッコ
6ウーゴ ◆eaYqa3SeLE :2008/06/05(木) 23:52:10 0
・シモン・ボリーバル

全イスパノアメリカの統一、アメリカの連合を目標にスペイン軍と戦い、
15年余りの歳月をかけて南アメリカからスペインの勢力を一掃するが、
その思想のほとんどの部分が誰にも理解されず、
気まぐれな大衆、かつての部下、外国勢力の干渉、地域主義、階級対立、人種対立、宗教対立等々により
1830年にグラン・コロンビアは崩壊し、解放した地域は五つの共和国に分裂した。
絶望したボリーバルはヨーロッパに亡命しようとしたが、
病状が悪化したため、ヌエバ・グラナダ内に留まり失意の内にサンタマルタで死去。
臨終の言葉は「ここの人たちは私に冷たい・・・行こう・・・もっと遠くへ・・・もっと・・・」
だったという。

解放戦争のために家財を処分して得た400万ペソの支出により、
南北アメリカ大陸有数の大富豪だったボリーバル家は没落し、
代わりにかつてボリーバルの部下だったパエス、サンタンデル、ラ・マルといった将軍達は
新たに成立した共和国で、スペイン人や民衆から新たに奪った富により各国の寡頭支配層を形成し、現在に至っている。

死後も多くの人々からは、特にカール・マルクスの著書によって酷くけなされたことにより、
世界の左翼知識人からもマルクスのバイアスを通した冷たい目で見られることになった。

・ホセ・デ・サン・マルティン

リオ・デ・ラ・ラプラタ連合州の独立後、最高執政官プエイレドンに任命されて
アンデス軍の司令官としてチリを解放した後、
ブエノスアイレスの裏切りにあって司令官旗を手放すことになった。
その後チリの客分としてペルーを解放するも、解放したペルーでは内紛が多発。
丁度南下してきたボリーバルの部下にしてくれとの要請も、
リマの寡頭支配層とのペルー共和国政府との関係から断られ、
ペルー護国卿を辞してリオ・デ・ラ・プラタに帰国した直後に妻が病死し、
引退してメンドーサで絵描きになろうとする夢も叶わずに、内戦を避けてヨーロッパに渡り、
一度帰国するも罵倒されて再びヨーロッパに戻り、失意の内に死去。
7ハトドメ キヨシ:2008/06/06(金) 00:57:49 0
>>6
シモン・ボリーバル

結構渋い人ですね
妻の急死と再婚をしない誓いって漢ですね

また、資材を投げうって気が付けば無一文で死去・・・ってのも切ないですね

ホセ・デ・サン・マルティン

根っからの軍人気質ですね

2人のとって、ナポレオンの影響も絡んでいる所もポイントですね
8山野野衾 ◆jBrGNc9rBQ :2008/06/06(金) 01:34:36 0
・車胤
 晋の人。貧しい中で蛍を袋に入れて勉強したという故事で知られる。
 後に念願かなって出世したが、勉学以外に世俗の交際にも長けており、彼
がいなければ酒宴も盛り上がらぬと言われた。
 最後は政治的に失敗し、自殺を強要されている。

・潘岳
 晋の人。幼い頃から秀才として知られ、また美男子でもあった。
 才能を活かし、とんとん拍子に出世する。
 しかし、性格に軽薄で落ち着きがなく、世俗の利に親しむところがあった
ので、母からはしばしば「知足を心得、眼前の利益よりも後のことを考えな
さい」と言われていた。
 後に彼の父の部下で、彼がその卑劣な性格を嫌ってしばしば鞭打っていた
孫秀が大臣となる。
 「やはり私の昔したことを憶えておいででしょうか。」
 こう尋ねたところ、孫秀は『詩経』の一節を引いて「中心これを蔵す、何
れの日にかこれを忘れん」と歌ったので、彼も覚悟を決めた。
 その後、孫秀の誣告により、彼は一族や友人たちと共に捕えられた。
 刑場に引かれていく時、彼は言った。
 「母君に背いてしまいました。」
 その場を逃れた彼の兄の子と、抱き合って泣いている間に恩赦を受けるこ
との出来た弟の妻と娘を除き、彼の一族は母から子に至るまで殺された。

・沈約
 梁の人。祖父は宋で将軍を、父は太守を務めていたが、父は約が幼い頃に
誅殺されてしまい、それが為に妻子は逃げ隠れすることとなった。
 後に家族は赦免されたが、流浪の中で貧しい生活を続けていた。
 約は貧しい中で勉学に励んでいたが、夜になると「体をこわしはしないか」と
心配した母が明かりを消したので、昼間に暗記し、夜に暗誦した。
 文名高く、最後は宰相にまでなったが、やはり文人として卓越した才能を
持っていた梁の武帝に妬まれることが多く、彼自身の行動も誤解を招くこと
があったため、最後は使者に譴責され、心労で亡くなった。
9山野野衾 ◆jBrGNc9rBQ :2008/06/06(金) 01:52:30 0
・伊賀光季

 伊賀家は藤原氏(の中で文道を家職とした中級の家柄)の後裔であり、大
江や三善、同じ文人系藤原氏の二階堂などと共に鎌倉幕府に「文士」として
仕え、儀礼や折衝などに携わっていた。

 承久の乱の時、彼は大江広元の息子の親広と共に京都につめていたが、親
広とは異なり、後鳥羽院の召喚に応じることなく、院が倒幕の意志を鮮明に
した後も、下ることがなかった。

 周囲は東国へ落ち延びることを勧めたが、彼は「それでは鎌倉が私にこの
お役目を任せてくれたのに、期待を裏切ることになる。持ち場は離れられな
い。」と言い、逃げるものは逃げるに任せ、重代の従者と父に「お前は逃れ
よ」と言われたが逃れなかった10代の息子と共に館に立て籠もった。

 やがて、院の大軍が館を包囲し、数十名の伊賀方を攻撃して来る。
 衆寡敵せず門が打ち破られそうになると光季は言った。
 「破らせてやるは業腹じゃ。開けてやれい。」
 どっと侵入して来る敵の前で、従者たちは次々と斃れて行く。
 光季も矢を放っていたが覚悟を決め、息子に早く腹を切るようにうながす
が、なかなか切れずにいたので、目をつぶって息子を刺し殺すと、館に放っ
た火の中に遺骸を放り込み、自らも腹をかき切ると、炎の中に身を躍らせて
死んだ。
10山野野衾 ◆jBrGNc9rBQ :2008/06/06(金) 02:13:19 0
>斉藤道三
斎藤ですね。それと、道三は法名ですから本来であれば俗姓・名字はつけな
いものです。この頃から俗に名字+法名も広まっていますが。
姓と名字は異なりますが、姓に関してはかつては師僧の姓を名乗ったもので
したが、4世紀には釈を姓とする説が採用されるようになりました。
源内も号ですね。諱は国倫です。
坂本龍馬の龍馬は通称(諸葛亮でいえば孔明に相当する)です。
義経が九郎ではなく義経と書かれていますから、直柔とされるのが宜しいで
しょう。
真田幸村は、正しくは真田信繁になります。信繁も義経と同じ諱。
11世界@名無史さん:2008/06/06(金) 03:42:46 0
>>6
ラテンアメリカ史だとウォーカー戦争元凶の
こいつが悲劇の人というか面白杉

ウィリアム・ウォーカー
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A6%E3%82%A3%E3%83%AA%E3%82%A2%E3%83%A0%E3%83%BB%E3%82%A6%E3%82%A9%E3%83%BC%E3%82%AB%E3%83%BC
>ウィリアム・ウォーカー(William Walker,1824年5月8日 - 1860年9月12日)は、
アメリカ人の傭兵、冒険家。ニカラグア大統領(在任期間1856年)
12世界@名無史さん:2008/06/14(土) 22:56:53 0
>>1は消えたの?
13世界@名無史さん:2008/06/24(火) 17:34:00 0
>>1は?
14世界@名無史さん:2008/06/24(火) 17:47:09 0
真田幸村、毛利勝永
この二人はまさにラストサムライ
15世界@名無史さん:2008/06/24(火) 18:21:02 0
>>11
アレックス・コックスの手にかかるとコメディ映画の主人公になってたな。
16ウーゴ ◆eaYqa3SeLE :2008/06/25(水) 09:43:53 O
あのエド・ハリスの役作りは凄い。あのストラマー氏の音楽も良いし、何気に途中ちょっと出てくるのにも感動
17ウーゴ ◆eaYqa3SeLE :2008/07/12(土) 13:35:32 0
ホーエンシュタウフェン朝のマンフレーディ
18世界@名無史さん:2008/08/10(日) 02:57:36 0
30年戦争のワレンシュタイン

活躍するも皇帝に疑われて最後は暗殺されたから。
19世界@名無史さん:2008/11/19(水) 04:34:08 0
和田アキ子だと思います
20世界@名無史さん:2009/01/18(日) 12:22:25 O
トロツキー
21世界@名無史さん:2009/01/18(日) 12:39:37 0
悲劇の基準は?
22世界@名無史さん:2009/03/08(日) 18:32:29 O
近藤勇
幕府のために仕え最後は幕府に見捨てられる。なんとも悲しい
23世界@名無史さん:2009/03/08(日) 22:57:31 0
カール12世
24世界@名無史さん:2009/03/09(月) 01:14:59 O
クレオパトラ七世
他国の男の子供を孕んでまで国の維持に勤めた
25世界@名無史さん:2009/04/10(金) 22:06:46 0
フランツ・ヨーゼフ
長生きしたゆえにあらゆる不幸を経験することになった。
唯一、帝国の滅亡にだけ立ち会わなかったが。
26世界@名無史さん:2009/07/03(金) 23:57:53 0
エレキテルの平賀源内は悲劇
完全に環境か時代のどちらかが合ってない

当時の日本には科学を追及するというロマンや
将来性の事は必要なかったからね
一番寒々しく思うのは
コイルの効率化のトコで
研究しないと大きな電力はだせないんだけど
世間は『今すぐやってみろ』的な感覚・・・

結局小さな明かりでお芝居に使われただけで終わった事と
当時有名だった杉田玄白も、その姿を哀れんでいた
27世界@名無史さん:2009/07/05(日) 18:43:09 O
グラックス兄弟
ジャンヌ=ダルク
フス
28世界@名無史さん:2009/07/05(日) 18:54:25 0
木村多江
29世界@名無史さん:2009/07/05(日) 20:41:33 O
中田英寿
30世界@名無史さん:2009/07/05(日) 20:51:40 0
>>14
>真田幸村、毛利勝永
>この二人はまさにラストサムライ

この二人の生きた時代は、サムライのラストの時代になるまであと300年近くあるんだが?
この二人以後はサムライがいない訳じゃないでしょう?
31世界@名無史さん:2009/07/05(日) 21:07:29 0
真田は素浪人じゃなく、自ら志願して大阪行ってるし悲劇ではない罠
32世界@名無史さん:2009/07/07(火) 18:17:13 0
むしろ秀頼のほうが悲劇だと思う
33世界@名無史さん:2009/07/11(土) 01:15:42 0
エルウィン・ロンメルは本当に悲劇・・・
あの騎士道精神があるからこそ
しかも狂気のヒトラーに堂々と意見したのも大きい
34世界@名無史さん:2009/07/17(金) 04:18:40 O
騎士道精神って、武士道精神なるカルトをたちあげた日本が
欧米との共通項を作って欧米に振り向いてもらえるようにでっちあげたネタだろ?
35豚松 ◆4FfyOtW0fiF5 :2009/07/17(金) 04:46:59 O
ロベスピエールは数多の人々を断頭台に送ったが−
しかも1794年春には対外戦も好転し、内乱も鎮定された
から恐怖政治を緩和せねばならなかったのに、
逆にプレリアル法で強化する愚をやらかした−、
高邁な理想主義者で清廉潔白だった。
また、恐怖政治の責任は彼1人にあるわけではないし、
特に1794年春からの恐怖政治強化は保安委員会の責任も大。
敗者たる彼は歴史で全責任をおわされている。
政治は結果だし、敗者がそうなるのは仕方ないが、
俺には悲劇に思えなくもない。
また、あれだけ窮地に立たされると強かった彼が、
クーデターの前日には国民公会で弾劾リストを
作成したと言いながらリストアップした
人たちの名前を何故言わなかったのか?誰もが自分も含まれて
いると思って、ロベスピエール打倒に消極的
だった人たちをも党派の違いを超えて大団結させてしまった。
また、一旦コミューンによって解放され、
パリ市庁舎にいた時もコミューンに蜂起を
呼びかける書類へのサインをなかなかしなかった。
洞察力とそういう時の決断力に長けた彼だったが、
メッキが落ちてきていたのかな?
人はそれなりの役割を終えるとそんなものなのかもしれん。
36豚松 ◆4FfyOtW0fiF5 :2009/07/17(金) 05:04:40 O
補足すると、ロベスピエールの粛清リストに
あったのはフーシェ、バラス、タリアン、
フレロン、カリエといった超恐怖政治家たちと
アマールら保安委員会の人たち、さらにビヨーとコロー。
平原党もジロンド党残党も敵対者カルノーを
含めた山岳党右派も含まれていなかった。
カルノーは既にロベスピエール打倒の主要人物に
なっていたから読み上げられて自分の名が
無くても関係なかっただろうが、他の山岳党・平原党・ジロンド党残党の
人たちはリスクも考えてクーデターの呼びかけに乗らなかった
かもしれないのに、馬鹿やらかしたもんだ。
あと、俺はロベスピエールを別に偉人とは
思っていないから、このスレには当てはまらないかもしれん。
それと、コミューン及び各セクションも
アンラージェやエベール派といった指導者たちが
ロベスピエールに粛清されてしまっていたから、
例え蜂起令に早く署名したとしても、
バラス率いる国民公会軍の攻撃の前に迅速に
蜂起の準備を出来なかったかもしれない。
37豚松 ◆4FfyOtW0fiF5 :2009/07/22(水) 05:47:59 O
ジョン・ブラウン。
そもそも決死だったし、死して南北対決を決定付けたから
悲劇とはいえないかもしれんが。
勇気と行動力のある偉大な理想主義者。
38世界@名無史さん:2009/07/22(水) 09:57:08 0
お前はドン・キホーテを怒らせた
39世界@名無史さん:2009/08/04(火) 11:18:14 O
カエサル
40世界@名無史さん:2009/09/08(火) 12:44:14 0
ペリーさん。よくペルー(国)と間違えて覚えられるから。
41世界@名無史さん
【数学】同性愛を理由に自殺に追い込まれた天才数学者アラン・チューリング、55年ぶり名誉回復 英首相謝罪
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/scienceplus/1252880325/