1 :
世界@名無史さん :
2008/05/05(月) 00:47:56 0 中世ヨーロッパの暮らしを、日常生活中心でいろいろ話しましょう。
時期は、スタンダードには西ローマ帝国滅亡(476年)からコンスタンティノープル陥落(1453年)までを目安に。
話題に関係あれば、末期ローマ帝国とか、ルネッサンスとか、大航海時代とか、前後にはみ出してもOK。
地域も、西欧、南欧、東欧、北欧くらいは平気でOK。話題に関係あれば、シチリアとか、レコンキスタ前のイベリアと
ギリシア(ビザンツ)とかもOK。
庶民の暮らしでなくとも、王侯貴族の暮らしでも、聖職者の暮らしでも、商人の暮らしでもOK。農村の暮らし、都市の暮らし、なんて切り口もありますよね。
時代や地域が目安からはみ出した話題がメインになって、あまり続くようだとちょっと、くらいの感じでマターリと。
研究者によって、また、研究の主題によっていろいろな区分があるようですが、スタンダードと思えるところを参照用目安として。
中世西欧:西ローマ帝国の滅亡(476年)〜コンスタンティノープル陥落(1453年)
前史:ゲルマン系東ゴート族、東ローマ領に進出(376年)
ゲルマン系諸族、ライン川を渡川し西ローマ領へ侵入開始(406年〜)
東ゴートのイタリア併合(476年)
西ローマ最後の皇帝廃位(476年)
東ローマのイタリア半島再征服(533〜534年)
ロンバルド族イタリア半島制圧(568年)
初期中世:大まかに5〜10世紀
盛期中世(高期中世とも):大まかに10〜13世紀。
900〜1250年とされることが多いが、1150〜1309年とされることも、11〜12世紀頃に限定されることも。
末期中世:大まかに13世紀後半〜15世紀
【過去スレ】
中世ヨーロッパの暮らし (7)
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/whis/1201099192/ 中世ヨーロッパの暮らし (6)
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/whis/1190868693/
2 :
世界@名無史さん :2008/05/05(月) 01:07:33 0
中世ヨーロッパの不潔ネタ・うんこネタ禁止
江戸時代だと、五公五民とかだったりするけど、 中世ヨーロッパだと、どのくらいの割合なの?
中世の封建領主の特権には、農民(というか農奴)の腹をかっさばいて、 その中に足を入れて暖を取る権利なんてあったそうな。 もちろん、フランス革命勃発の頃までには形骸化していただろうが。
6 :
世界@名無史さん :2008/05/05(月) 01:46:18 0
前スレでポーランドのネタが出てきて、スレに勢いが付いた。 おかげで中世ポーランドに興味を持つようになった。
十分の一税が施行される前は、教会の経費は誰が払っていたの? 1.教会自身の収入 2.ローマ教皇やより上位の教会組織から 3.領主が払っていた 4.寄付や遺産の贈与
9 :
世界@名無史さん :2008/05/05(月) 05:01:31 0
>>4 五公五民は軍事負担が多い戦国時代、江戸時代は大体四公六民
幕府直属の地はさらに緩やかだった模様、酷い藩はもっととってた藩もあるだろう
>>6 あまり取り上げられることのないポーランドネタが書き込まれるのは
嬉しいんだが、出典が明確でないのがちょっと気にかかる。前スレでも
ザモイスキ家の当主が一般向けに書いた本しか紹介されなかったし、
早大の井内敏夫の著作のリンクは読めなかったしwww
>>5 それは権威付けの意味ではなくてほんとにやってたんだろうか?
日本の無礼討ちは実際やるとやった方も家が潰されたらしいが
>>5 みたいなのマジでやるような領主だったら
農奴は逃げ出すんじゃね?農奴、つか小作人の労働力提供で
荘園経営してるのに、そこまでやるかな?
中世の領主は無礼打ちと同じように出来なかったのか
それともちょくちょく農民の腹裂いてたのかどっちなの?
革命前の封建貴族の特権だという農奴の腹で暖をとる権利だが、 こんなもの本当に行使した酔狂な領主はいたのかね? お湯持ってくるほうが早いからなあ。 それに、そこら辺の動物の腹で暖取ったほうがいいな。 そのあと食べられるし。
封建領主の権威はキリスト教によって裏打ちされていた
15 :
世界@名無史さん :2008/05/05(月) 11:21:52 0
中世の封建領主といえば、ある領主が城の堀の蛙が鳴いてウルサイからってんで、 一晩中領民に蛙取りをさせたとかいう話なら聞いたことがあるが……。 あと領民の娘の処女をいただく初夜権とか。
>>9 >酷い藩はもっととってた藩もあるだろう
有名なところでは紀州藩で一時期八公二民でしたね
17 :
世界@名無史さん :2008/05/05(月) 11:37:45 0
生き物の腹裂いて暖を取るなんてよっぽどの悪趣味かよっぽどの極限状態だろ。 普通に考えたら血まみれの足を洗う手間の方がよっぽど面倒だ。 それでもやるのが酔狂ってやつか?
中世の農民でも、ワインの為の葡萄作っている連中は一種の特権階層だった。
有名無実なトンデモ慣習なんていくらでも残ってた希ガス いつどの程度機能してたのかもセットで聞かないと 領主がきつね狩りよろしく農奴狩りしてたのと、 誰も引っ張り出してみることすら思いつかなかった法だった ちうのとではどえりゃー違いがあると思うが
20 :
世界@名無史さん :2008/05/05(月) 14:56:34 0
21 :
世界@名無史さん :2008/05/05(月) 14:57:41 0
北アメリカにイギリス植民地が形成されてからでも ドイツ人領主が領民を北米のプランテーション向けに奴隷として売り飛ばすとかあったそうだからな
23 :
世界@名無史さん :2008/05/05(月) 15:14:19 0
北米にドイツ系が多いのはそのためか?
英語さえ覚えれば逃亡して白人社会に紛れ込むことはそう難しくなかったそうだけど 現在のドイツ系アメリカ人の大半は19世紀以降中西部開拓の頃に入った移民だろ でもSF作家のハインラインの御先祖なんか独立戦争に参加したそうだから 名前からしてドイツ系だしもっと古くからの家系もいるんだろうけどね
まあアメリカは独立した時、公用語を英語にするかドイツ語にするかでもめたくらいだからな。
大半はその時代の奴隷の子孫だろ?<ドイツ系
バドワイザー、クアーズ、ミラー アメリカのビールはすべてドイツ系
28 :
世界@名無史さん :2008/05/05(月) 21:29:54 0
>>15 以前、日本でも団地の住民が同じ理由で駆除させたニュースがあった。
今の日本は中世の領主なみだな
ん
年貢は、聖マルタンの日に納めたといった感じで、年一回、秋頃? 納めているような気がするけど、卵とか日持ちがしないものも年 一回なのか?
31 :
世界@名無史さん :2008/05/06(火) 01:40:32 0
穀物だけだろ
そんなこと言い出すならアメリカはほとんど・・・ 全部がそうじゃないが、農奴や食い詰めた奴、一旗あげようって奴が多いのは 自然の成り行きだろうな。 大統領なんかじゃドイツ系やユダヤ系はいるが、スラブ系はいないな。
狩のときって貴族でもやっぱりお出かけ用の良い服着るのかな
>>30 卵もあるけど、鶏ごと治めたりしてたみたいだよ。
>>22 さすがに「奴隷」はないだろ。奴隷同然の条件の悪い年季奉公人ならあったろうが。
>>24 北ドイツ系の移民は17世紀末あたりから入ってる。ペンシルヴァニアの領主
ウィリアム・ペンをはじめとして、各植民地で新教徒の移民受け入れを奨励してた。
・・・まあこの辺の話ってもう中世じゃないんだがな
アメリカやメキシコに、文明生活を一切拒否して電気すらない生活を続けている ドイツ系移民のキリスト教原理主義者?の人たちがいるようだが、自分たちだけで 子孫残してきた結果近親交配が進み遺伝病が蔓延していたり、生活難で中米あたりに 移民迫られたりしているらしい。
37 :
世界@名無史さん :2008/05/06(火) 12:54:38 0
>>32 スラブ系はポーランド人貴族たちが独立戦争に参加していてその時代からの古い移民もいるが、
その後本格的にアメリカに移住したのが19世紀半ば以降なので、民族集団としては
ヨーロッパ系の間ではまだ新入りだから。
>>36 アーミッシュのことなだおまえ以外の住民はだれでも知ってたよ
マッキンリーを暗殺した犯人はポーランド系だったな。
鶏にしろ卵にしろ、年間の生産量は不明だから課税も定量なのか?
漁師なんかもどうするんだろ。定期的に納められなくても、 貨幣で納めればいい気もするが
42 :
世界@名無史さん :2008/05/06(火) 21:55:32 0
網そのものに課税するとか
43 :
世界@名無史さん :2008/05/06(火) 22:30:32 0
昔の生活って今より不便だったの?
>>43 今から電気とガスと電話と通貨使わないで生活してみ?
45 :
世界@名無史さん :2008/05/06(火) 22:39:40 0
中世って通貨も無いの?
貨幣経済の浸透は中世後期から
47 :
世界@名無史さん :2008/05/06(火) 23:09:52 0
じゃあ物々交換したらどう?
48 :
世界@名無史さん :2008/05/06(火) 23:10:23 0
>>45 通貨はあっても100年前まで世界中どこでも地金の価値で通用していた
お上の威光で刻印された価値がそのまま通貨価値になったのは日本くらい
日本も貨幣十分な量流通させられずに大陸から輸入してたくらいだし 建武の新政でも紙幣の導入に当然のように失敗してる 近代化以降はともかく中世にそんなご大層な信用与えられたとは思えない
50 :
世界@名無史さん :2008/05/06(火) 23:37:49 0
ローマ帝国崩壊後に文明が後退したとか言うけど、 具体的にどんな風か詳しく教えてください。 例えば魚のムニエルのレシピが失われたから生で食べるようになったとか。
貨幣経済の滲透は遅いが、納税のため貨幣使用はやかったはずだが。
今すぐに 自分だけ電気とガスと電話と通貨がなくなるとヤバいけど 皆が同時にそうなれば、意外と楽しい人生を送れそうだ
もうお前らとクソみたいな煽りあいをすることもないしな。
崩壊後=初期中世って史料がないんだろ とくに具体的な人々の暮らしの史料なんぞ
>>40 自分が見た資料では、収穫量の何割じゃなくて、定量制だったよ。
ちなみに鶏2羽、卵10個だった。
その他に穀物、豆などの食品から、布、農作業用具とか道具類もあった。
手工業の人は自分の作ってるものを納めてたんだろうね。
56 :
世界@名無史さん :2008/05/07(水) 02:20:00 0
>>50 ローマ時代の絵画と中世初期の絵画を比べれば理解できると思う。
57 :
世界@名無史さん :2008/05/07(水) 05:18:56 0
プリュム修道院なんか、全部、物納されてもあまりまくり だから金にしてたんじゃないのか?だから貨幣制度が ある程度あったんだよ。という主張がどっかにあったな
59 :
世界@名無史さん :2008/05/07(水) 10:19:07 0
なんでローマは崩壊したの?
>>59 崩壊したのはヨーロッパ部分だけな。
基本的には金がなくなって、収益性の低いヨーロッパを維持できなくなったから。
端的に言えば、不採算部門をリストラしたのだ。
61 :
世界@名無史さん :2008/05/07(水) 10:52:24 0
イベリアにあった銀山の銀が枯渇して軍団の兵士に給料が払えなくなったんだよ それで終わり 軍隊が崩壊してたからゲルマン人に簡単に侵入された
ローマはインドとの貿易で慢性的な超貿易赤字だったから金が帝国内にループしなかった、 それで銀山が枯渇した途端その影響をモロに受けた、らしいね。
63 :
世界@名無史さん :2008/05/07(水) 11:51:53 0
test
64 :
世界@名無史さん :2008/05/07(水) 11:53:32 0
ルーマニアの銀なんて採掘費用が採掘利益を上回ってたけど、 日本の公共事業と同じで、余りにも中央集権になりすぎて止められず、 帝国の財政をひたすら圧迫する要因になったって
65 :
世界@名無史さん :2008/05/07(水) 11:56:08 0
アメリカ式資本主義が崩壊したらアメリカもカナダに侵略されるよ
そしたらインドが超金持ちということになるんだが
インド人ウソつかない
68 :
世界@名無史さん :2008/05/07(水) 22:01:52 0
南インドはイギリスに植民地化されるまでは、平均して世界の富の3〜4割がこの地域のものだった、って説があるな。 歴史的には中国全体よりもずっと金持ちだった。
70 :
世界@名無史さん :2008/05/07(水) 23:03:47 0
何でだろう?宝石と香辛料のせい?
71 :
世界@名無史さん :2008/05/07(水) 23:05:04 0
>南インドはイギリスに植民地化されるまでは、平均して世界の富の3〜4割がこの地域のものだった、 植民地化以前のインドは豊かだったとは聞くけど、そこまでいくとほんとかよ?という気がせんでもない。 その富の淵源は何だろうな。香辛料?宝石?
香辛料やら宝石やら織物やら象牙やら、まあ近代以前のインドにはなんぼでも世界に売るものがあるな。
ユーラシア東西貿易の中間地点であり、綿織物や冶金など工業技術に優れ、 農業生産力は極めて高く・・・足りないものは馬ぐらいのものだな。
他の国が欲しがる香辛料や宝石には恵まれてたけど、 食糧生産力は乏しくそれ故外部からの侵入に弱かったし、 各王朝の支配力も弱かった。
75 :
世界@名無史さん :2008/05/07(水) 23:56:03 0
セイロンなんかは真珠の産地だっけ
76 :
世界@名無史さん :2008/05/08(木) 00:38:43 0
インドは統一しにくい地形にも問題が……ってこれ中世ヨーロッパスレだっけ!?
77 :
世界@名無史さん :2008/05/08(木) 01:10:55 0
このスレは中世ヨーロッパの話題はトンデモで、それ以外の話題になると生き生きする。
78 :
世界@名無史さん :2008/05/08(木) 01:18:25 0
中世的には、インド方面はトンデモ世界 耳でか人とか犬頭人とか
・他国・他地域との貿易で利益は上がるが、自国内ではとぼしいという ことか? ・象牙で思いついたんだが、インド象っていつ頃激減したんだ?
80 :
世界@名無史さん :2008/05/08(木) 22:53:25 0
各地のマハラジャが独占してたんでしょ
インドは病気も多い方だったからな。 カースト制度ができたのも侵入者であるアーリア人にとって、 原住民であるドラヴィダ人から病気をうつされない為に隔離する必要があった。 そして病気が多くて食料に乏しい環境が仏教を生み出す。 インド外との交易が始まるとその香辛料や宝石が価値をもってくるが。
82 :
世界@名無史さん :2008/05/09(金) 01:25:25 0
そしてそこからさまよい出た一団がヨーロッパに現れ、ジプシーとなる
それにしてはアーリア人はトラヴィダ人とよく混血してんだな
84 :
世界@名無史さん :2008/05/09(金) 08:27:04 0
混血ってかそもそも純血主義というかそういうのって概念としてないだろ
つーか、「民族の純潔」なんて空想に過ぎないって事がまだわからない馬鹿がいるとは。 アーリア人種なんて物は存在しない。自分をアーリア人だと信じ込んでいる混血人種が言っているだけの話。 他の民族だってそうだ。
「民族の純潔」云々の最初のモデルはユダヤ人か? もっと前にもあったのかも知れんが。
ただの選民思想じゃない?
432 名前:名無し募集中。。。 投稿日:2008/05/08(木) 00:08:34.21 0 あと1時間後に関東(と東北)で長い群発地震が来るよ 震度は2〜3かな?埼玉や北関東が一番揺れると思う 大学の授業で作った地震予知機が初めて活躍するかもしれんw ちなみにこれが当たったら3日後に震度7の地震が北関東に来るデータがwww まあ当たらないだろうけどね おやすみ ノシ 245 名前:本当にあった怖い名無し[] 投稿日:2008/05/03(土) 03:59:15 ID:MOh8tks0 予言します。 関東で数日以内に大地震が起きる。 大地震前夜に小規模の断続的な地震が繰り返される。 大地震はその朝方〜翌日までに発生する。 震度は最大7、マグニチュードは7後半〜8前半。
毎日毎日予言してりゃ、そりゃいつかは当たるわな。
>>87 「神に選ばれた民族」なんだから「民族としての純潔」が必要ってことさ。
あきらかに人が選んでるんだけどね
民族と言えば、国際評論化気取りや陰謀論者が好んで使う「アングロサクソン」と言うキーワードがあるが、 実際の問題として「アングロ=サクソン人」と言うのは中世に既に消滅している。 確かにかつてアングロ=サクソン系の民族がイングランドを支配した事はあったが、ノルマンコンクエストにより ほぼ駆逐された。以後のインクランドの歴史を作るのはこのとき生まれた「フランス系貴族」であって、アングロ系も サクソン系も歴史の表舞台には出てこない。 イングランドでアングロサクソンというキーワードが注目されだすのは、近世以後、ナショナリズムの高揚が おこってから。
93 :
世界@名無史さん :2008/05/11(日) 12:55:28 0
>>92 ノルマンコンクエスト以降でも、ソークマンみたいな土着領主とか
庶民出身の傭兵隊長なんかは「俺はサクソン人」みたいなプライドがあったんじゃなかったっけ
94 :
世界@名無史さん :2008/05/11(日) 13:10:02 0
サクソン系の守護聖人と、ノルマン系の守護聖人があって、それぞれの信奉で争ってたんだっけ?
日常使用するようなものではなく、祭りや祝いのための準備として 必要なものを納めさせているというのが念頭にあるのだろう。 卵はイースターの前などだけなど一定のタイミングのみなのだろう。
ヨーロッパって大きな地震が少ないよね ずるいよ
そーか?
火山もあるしね
ヨーロッパって大きな川が少ないよね ずるいよ
(・c_・`)?
1923年2月 カムチャッカ地震-M8.5 1923年3月24日 四川地震-M7.3 1923年5月〜6月 茨城県群発地震 1923年9月1日 関東大震災-M7.9 2006年4月23日 カムチャッカ地震-M7.9 2008年5月8日 茨城県沖地震-M7.0 2008年5月12日 四川地震-M7.8 ←今ココ
104 :
世界@名無史さん :2008/05/15(木) 10:50:50 0
大きな川は普通にあるけど?
川の流れがきつくないから比較的水運が発展してたな。
106 :
世界@名無史さん :2008/05/16(金) 23:02:20 0
中世と現代それぞれで経済を大きく支配している物品 【中世】金、銀、鉄、宝石、オリーブ、ブドウ、茶、コーヒー、タバコ、砂糖、香辛料、染料 絹、綿花、毛皮、家畜、奴隷 【現代】石炭、石油、ウラン、金、鉄、銅、スズ、アルミニウム、ゴム、ガラス、小麦、綿花
>>106 現代も奴隷多いよ。世界史上もっとも奴隷の多い時代とも指摘されている。
俺達の身の回りにも奴隷が作った(作らされた)ものが結構あるよ。 たいていは少年少女だったりするわけだが。 性奴隷なら飛行機に乗って買いに行くヤツもいるし。 今回のミャンマーの孤児も売買されることが懸念されてるくらいだしね。
サトウキビの時代が来る! というか最近ラム酒が売ってない・・・
見てないけど、昼寝してる隊員の写真?
昼寝じゃなくて不眠不休のところをやっととれた仮眠ってとこだろ
113 :
世界@名無史さん :2008/05/17(土) 23:56:37 0
>>106 【中世】小麦、塩、木材
【現代】大豆、米、トウモロコシ、塩、木材
も入るだろ。
正に疲れきって泥のように眠る、ということだな
講談社学術文庫の『中世ヨーロッパの農村の生活』は、なかなかよかった。 対象が平均的な農村というよりも、大規模である点がおしいが。
116 :
世界@名無史さん :2008/05/27(火) 09:14:58 0
スレがしばらく止まった後、動き出すためのネタは うんこかエロである 中世ヨーロッパスレの伝統ですね
>>113 中世は塩が一番重要だな
岩塩
ボフニア&ヴィエリチカ塩坑
前者は世界最古の塩坑、後者は世界最長操業の塩坑
ヨーロッパで海水から塩を採ってたところはあるの? 岩塩が一般的?
>>118 古代にエルトリアの、ティベレ河畔の塩田がローマに取られた、って記録が残ってるな。
地中海沿岸諸国は普通に海水から塩作っていたんじゃね?
>>118 こないだなんとなくテレビつけてたら確かデンマークで海水から塩作ってたよ
よく見てなかったんだけどなんか藻潮汲みみたいな古風なやり方だったような・・・
121 :
118 :2008/05/27(火) 18:32:22 0
塩といえば、1544−62年に価格が高騰。エリザベス朝時代に 製塩業が発展するまえは、イングランドは、フランスから輸入していた。
>>118 海塩の産地としてはフランス西海岸の「湾の塩」なんかが有名だね。
でも中世ヨーロッパでは岩塩より海塩より何より、塩泉(塩辛い地下水)が重大だった。
内陸部では言うに及ばず、海の近くでは海水より塩分濃度が高かった。
岩塩も大抵は水に溶かして、地上に運びやすくすると同時に純度を高めていた。
ギリシャ神話でも、ポセイドン神が都市アテネに塩泉の贈り物をしている。
(結局市民はアテナ女神の贈ったオリーブを選び、アテナを都市の守護神としたのだが)
>>122 それ以前、14世紀ごろまでイングランドはハンザ都市などに塩を輸出していた。
>>123 > それ以前、14世紀ごろまでイングランドはハンザ都市などに塩を輸出していた。
なんでそれが輸入国になったんだろ?気候変動かなんかでもあったのかね?
>>124 織物産業の発展による労働力不足や、塩水を煮詰めるための燃料(木材・泥炭)の枯渇などが考えられる。
そしてその復興の糸口は交易船のバラストとしてだったとか。
ニシンの塩漬けなど保存用として利用が多いのか?
ベーコンというか塩漬け肉その他の食肉加工品用とかもな 塩で肉類保存しておかないと冬が越せなかったから命に関わる必需品だっただろうな
他に、北ヨーロッパでは塩がほとんど採れなかったという事情もある。 スコットランドでは岩塩層も煮詰めるための燃料も豊富だったけど、 北ドイツではハンブルクの近くのリューネブルク、スカンジナビアでは オスロ近くのヴァルレーぐらいしか産地が無かった。
砂糖が無くても人は生きられるが塩が無いと生きられないからな。 塩利権は凄いものがあっただろうな。
塩も、輸送ルート次第では産地の60倍もの値がつくこともあったという。
関税取られまくりって感じ?
132 :
世界@名無史さん :2008/05/29(木) 22:45:06 0
中世ヨーロッパの都市での税金てどういう形で徴収されていたのだろう。 つまり、その都市に住む市民から直接金をとるのか、ということなのだが。 市で売るものには色々と税金がかかっていたらしいが、 市民レベルのモノの売り買いの際にも掛けられていたのかな? 消費税みたく? 十分の一税ってものもあったらしいが、これの査定は誰がどういう風にしていたんだ? 自己申告ってことはないと思うのだが、個人の収入に関して綿密に調べられたとも思えないし。 実際には職業ごとに固定の金額が課せられていたのだろうか? 市民権のない人間とかはどうなっていたんだろう?
入市税は、税金を回収しやすい。 牛は6ドゥニエ、ブタは2ドゥニエとか。 このため、都市の門の前に、入市税がかからないので 店ができることもあった。戦いが予想されると、壊されて しまうのだが。
>>133 その場合、牛を一頭もちこんだ人間が税を払っているわけだが、
売る場合はその税金を見越した金額で売るわけだよね?
そうなると、それが都市の中で売り買いされた場合、
新たな税金はかからないということになるのかな?
つまり、牛にかかる税金は入市税として全て払われていて、
その後のやりとりに関してはあくまで個人間の金のやりとりになり、
そこから税金として徴収されることはない?
どうも市民の税金てのが実際にどういう形で徴収されていたのかがわからないんだよね。
一軒一軒徴税に回っていたわけではないだろうし、
かといって自主申告で真面目に払っていたとも思えないし。
以下は17世紀後半のロンドンでの話だが、一軒一軒周りに来る システムであることがわかる。 「今日の午後、二人の男がそれぞれ帳簿を手に、人頭税を 徴収に来た。帳簿を覗いてみると、わたしのことは、 『サミュエル・ピープス、ジェントルマン、税額本人 一〇シリング、召使二シリング』と書いてあった。 わたしは早速文句も言わずにそれを払った。」 臼田昭『ピープス氏の秘められた日記』岩波新書、1982年、p.28
>>135 おお、なるほど。やっぱり職業別に決まってたのかな。
都市民の戸籍的なものもけっこうしっかりまとまっていたのだろうか。
少なくとも税を徴収できる範囲ではきちんとしてたのか。
家賃てものもあったんだろうか。
中世ヨーロッパだと、土地はすべて都市が管理していたような印象があるのだけど。
それも税収に含まれていたのかな。
どうも税の種類は多種あったという記述はけっこう見かけるけど、
具体的にどう徴収したかがあいまいというか調べてもわからないというか。
ドイツだと、市の帳簿に個人が納めた税額が載ってる。 市民だと、所有財産によって税金を納めていて、 相続税とか贈与税とかもあったはず。 ユダヤ人には13世紀には人頭税があったはず。 ペストが流行ったあたりには、ユダヤ人を追放して財産没収とかやってたから それも税収といえば税収かw 売り買いにかかる税金では、例えば市の周辺の村から食料品を売りに来る農民には 納税を免除するが、その代わりに市までの道路を整備せよとかもあったよ。
138 :
世界@名無史さん :2008/05/30(金) 08:06:26 0
ブリューゲルの作品に、税を物納しに来た農民の絵があるね。税吏がみんな意地悪そうな顔w
>>118 ヨーロッパでももともと塩は海水から取っていた
中世になってボフニアで大規模に岩塩が発見されて、それからあちこちで岩塩を取るようになった
140 :
世界@名無史さん :2008/05/30(金) 08:44:18 0
141 :
世界@名無史さん :2008/05/30(金) 10:40:26 0
近代以前の一般人(王侯貴族じゃない人たち)って国家の帰属意識って どんなものだったんですか? 王朝変わったり国が滅んだとかなにか関係あったんですか? そんなの関係なしに今日も畑耕すベ、ってかんじだったんですか? すると教科書でいう何が何に滅ぼされてどこそこの領主が交代してってのは 一般人にとって激動でも何でもなくて蚊帳の外でふーん、それがなにか?そんなことより今日のスープに豆が入ってないんだけどとか そんなだったんですかね? 帰属意識ってどこにあったんだろう?国教とかの概念も。 昨日までフランスだったけど今日から神聖ローマね?とか言われても そんなことより革靴用の皮の仕入れが滞って(ryってかんじ? ドラクエの街みたいな感覚?ここどこの領土か知らねー、山の向こうには山があるだよみたいな
>>141 そんなの関係なしに今日も畑耕すベ、ってかんじだったんですか?
すると教科書でいう何が何に滅ぼされてどこそこの領主が交代してってのは
一般人にとって激動でも何でもなくて蚊帳の外でふーん、それがなにか?そんなことより今日のスープに豆が入ってないんだけどとか
そんなだったんですかね?
↑百姓はこれ
町民でも百姓でもコミュニティーを超えた帰属意識はもってない
町民なら都市の組織
百姓ならせいぜい地方の教区
町民くらいなら国に対する帰属意識はほとんどなくても どこに属するかっていう知識というか認識はあったかな? 国境(といっても目印はないだろうけど)付近の農村とかなら、 「村長に聞いてみねえとわかんねえだよ」みたいな?
>>143 国境はともかく、「村境」に関してはものすごい認識されてた。
時代はかなり違うけれど、フランス革命時のブルターニュ辺りの農民による「オラがご領主様を余所者たちから守れ」的な反乱もあったわけだから、単純に割りきれる語りきれるものではないだろうね。 普段はあーだこーだと文句や悪口を言いながらも、赤の他人に悪口言われるのは許せないっていう「身内の感情」に近いものはあったと思う。
100年戦争や30年戦争なんかで「自分たちと違う言葉を話す傭兵ども」を敵視することはあった。 言葉が違う=地元の住民に気を使わないと言う事が多い。 傭兵=略奪者、山賊まがいだから、戦争なんかが民衆に無関係とは言えない。 逆に近代になって、軍隊が王の高価な玩具だった時代には戦争を地元の民衆がピクニック気分で観戦してた。 そしてフランス革命・ナポレオン以降は国民戦争の時代へ。
町の教会の鐘が鳴ったら、武器を取って教会の前の広場に集まらなければ ならなかったり。射撃大会が開かれたりしているから民衆の武装化率が 高い気がする。
農村部の税ってのは現物で徴収されたのかな? 対象は麦か? それとも金に換えてからか? 定量? 定率? どれぐらい? 国や時代によっても違うんだろうけど、 参考にできるデータがあればソースこみで教えてほしいです。
村境って呪術的にも重要なんじゃない?
150 :
世界@名無史さん :2008/05/31(土) 08:13:34 0
>>148 農村部はほとんど物納。 穀物のほかニワトリやブタを持ってくる人もいた
>>141 村人の心性は、ル・ロワ・ラデュリの「モンタイユー」に詳しい。
14世紀初頭、ピレネー山脈近郊の寒村モンタイユーでも、
自分たちがフランスで、フランス王がいることは知っている。
ただし、あまり意識もしていない。
十分の一税の導入に抵抗して導入させなかった領主だけが名君として
強く村人に記憶される。
スペインへ行く羊飼い以外は、近郊の村・町のみ認識される。
羊飼いが羊小屋で過ごす際に、イスラム教徒と一緒になったりしているが
特に異教徒とも意識もしない。
ある羊飼いが、おまえさんのような話し方をする人がいるという情報
を教えてもらって、同じ郷の人間と思ってわざわざ会いに行くこともあった。
結局、違っていたが、おそらく人口1000人ぐらいの圏内で共通意識を持っている。
村の生活は平淡なので、旅人や何か新しい情報に飢えている。
書籍や文字情報に絶対的な信用をおいている。聖母マリアが処女懐妊
したという教えを納得しなかったが、聖書に書かれているということを
知って、本当のことだと信じてしまう(記載ミスなどや偽の情報を
記載することが可能ということまで思い浮かばない)。
「中世ヨーロッパの農村の生活」によれば、 13世紀イングランドの荘園では、半分物納・半分現金だな。
「中世農民の世界―甦るプリュム修道院所領明細帳」によると、 初期中世においては租庸調のごとく労役も税の一形態として 大きなウェイトを占めていて、さらにその中には商品作物や産物を 都市に売りに行くという仕事があり、それが都市や貨幣経済と 農村を結び付けていた―つまり、中世初期はワリと農村の経済は 開かれていて、閉鎖的・完結的になるのは時代が下ってからだという。
賦役そのものの貨幣代納もけっこうある。労働する対象がない場合も 金ならば融通が利く。また、支払う方も都合がいい方を選択できる。 また、貨幣代納を認めていない地域でも、賦役そのものをさぼって、その 罰金の支払いを命じられている令もある。しかも、何年も前の罰金の支払い 命令もあるため、強制的に取り立ててもいない。むしろ、罰金という形を とって、賦役の金納化を図っていたという説もある。
>>151 ピレネーあたりでもイスラム教徒と出会うことがあったんだ・・・
14世紀初頭というとアラゴン王国にでも住んでたんでしょうか?
イタリアのカタストは、自己申告で自分で報告しに行く。 家族の人数と、財産はこれこれと。
なるほど、賦役って形の税もあったんだ。忘れてたな。 でもこういう風に並べてもらうと納得できる流れだ。 始めは労働や穀物、食料といった直接的なものだったのが、 次第に貨幣という交換価値のあるものに推移していったわけだね。 色んなもので納められるよりは単一の金で納められたほうが楽だもんな。 食品の保存が利かなかった時代、家畜で払われた税はどうしていたんだろう。 燻製とか塩漬けで一年ぐらいはもったのか、 あるいは潰さずに飼育? それはどうもイメージできないな。 麦や米なんかは収穫期がわかりやすいけど、時期ごとの野菜なんかもあっただろうが、 そういうものはどのタイミングで税の支払いとしたのだろう。 自己申告で払えば帳簿みたいなものにその都度記載されたりしたのかね。 小さな村だと納める先まで行くのも苦労しそうなんだけど。 どうもこの中世ごろの税ってーと無理矢理ぶんどられていたようなイメージがあるんだけど、 不作の時でもない限りはみんな自主的に払っていたのだろうか?
中世初期は荘園が多かった。 賦役で集められた農民が領主の土地を耕す。当然年間を通しての作業になる。 領主自体も最初は農民と同じ時期に作物などを入手し、農民と同様に1年間やりくりする。 更に税金ではないが、水車小屋を独占していて、その使用料を取ったりするのも領主の収入になる。 作物などで物納される地代は当然作物の取れた時期になる。 貨幣で収められる地代は払う側に貨幣収入のもたらされる時期になる事が多いが、 それでも領主の色々な手間を省いてくれるので楽である。 領主が十字軍だの戦争だので長期間領地を離れるようになると、 荘園を経営するより土地を農民に貸して貨幣収入を得る方が有り難くなる。 だから地代を貨幣で契約する事になる。 契約は非常に長期であり、たいていの場合1世代以上の期間に亘った。 これは次の世代も農民をその土地に縛るものであり、領主にとっても安定収入を意味した。 価格革命が起きた時、騎士階級の領主たちは数世代にわたる地代契約を貨幣で行っていた。 貨幣の価値が下がり、農作物の値段は倍以上になっても、地代は数世代分も一定額で契約済み。 商業や工業といった新しい産業への課税ができない小領主は領地を維持する手段は残されていなかった。
>>157 布とか農機具とか、日用品もあったよ。
10世紀くらいの話だったと思うが。
荘園の土地は、 領主直営地と農民所有地からなる。 領主直営地は、領主の隷属農民と、土地の持たない農民が耕し・収穫する。 農民所有地は、自由保有農が耕す。自由保有農は、収穫と種まきの時だけ領主直営地を手伝う。 家畜や卵は、復活祭や降誕祭などにまとめて支払われる。 日常使用するは、領主直営地で生産する。不足ならば、市場から購入する。あくまでも大量消費に 合わせて納めさえている。臨時で徴収していたものが慣習的になり定着したのではないかと思われる。 また、実際には、貨幣だったのではないかという説も多い。 秋に確保できた干し草の量で越冬させる家畜の量が決まるため、干し草をめぐり、奪い合い・喧嘩 が発生する。荘園裁判でも、領主の倉庫に干し草を収める際に胸元に一束いれて、ばれたケースが 結構ある。 「モンタイユー」の羊飼いは、基本的に雇用認可賃金労働者で、しばしば主人の家に泊めてもらえる ぐらいに親しい。賃金の一部が現物か食料(羊飼いのため重いものはもてない)。
都市の場合、有力ギルドの長が、実質市長で、有力ギルドが市民から 税を集めていたと思ったが、違ったけか?
『帝国都市フランクフルト証書集』による1234年9月11日 のハインリヒ4世がオッペンハイム全市民に与えた証書から 市共同体が市民から自主的に回収して、国王へ一括納入していた と思われる内容がある。 帝国租税表に、都市ごとに金額が記載されているから定額だったの だろう(金額の改定はあるにせよ)
>>161 時期と場所にもよると思うが、ギルドと、有力商人が仕切ってる市の評議会が対立してて
殺し合いとかもあったよ。
職種によって収める額が違うだの何だの、評議会に入れないだの何だの。
>>162 戦争があれば、兵器や人員を提供したりってのもあるだろうね。
ギルドとツンフトってよく聞くんだけど、 ギルドが親方の組合で、ツンフトが職人・徒弟の組合と考えていいんだよね? 商人・商家はギルドと繋がることもあるが、商人ギルドというものはない? というのも、商人ってのは単一の商品ではなく複数の商品を扱う事によって利益を得るわけだから、 それが単一製品を扱う親方のギルドと直結しているのはなんか奇妙な感じがしたもので。 商人同士が協力するための組織もギルドと呼ばれるなら納得できるんだけど。
ツンフトが職人組合だと思ってたが、違うのか?
英語Guild ドイツ語Zunft 商人ギルドも手工業ギルドも存在する。 市政を独占した商人ギルドに対抗して、手工業者達による手工業ギルドが市政参加を要求した ツンフト闘争の件がなんかごっちゃになってね?
ギルドは英語、ツンフトはドイツ語 中世中期には商人ギルドが栄えた。 都市単位で作られ、生産から販売までの全てを押さえる集団が商人ギルドで、元は隊商を意味する。 ドイツではハンザと言う。 商人ギルドメンバーは都市参事会会員である事が多いから、都市として商業活動を支援するようになる。 更に諸都市のハンザが協力し合い同盟を結び、バルト海を中心に大きな影響力を振るう時代が商人ギルドの最盛期。 一方で大商人だけが都市を牛耳るのに反対する中小の商人や職人によってツンフト闘争が起きる。 同職ギルドの発生により商人ギルドは衰退し、パン屋ギルド、肉屋ギルドなどの個別の集団が中心になる。 英語ではこの同職の集団もギルドと呼ぶが、ドイツ語ではハンザではなくツンフトと呼ぶ。 中世後期に大商人が消えたわけではないが、大商人同士が手を組んで職人達を含む都市全体を牛耳るという商人ギルドは、 大商人の搾取から身を守る手段としての同職ギルドによって衰退する。 そして更に後に、親方の独占を徒弟たちにも分配する為にヨーマンギルドという形態が生まれ、後に労働組合に繋がる。 ギルドによる商品の独占は資本主義に破れる。
ギルドとかツンフトとか世界史で習ったわけだが 社会に出て役だった記憶がない
>>167 諸都市が同盟したものがハンザじゃなくて?
ちなみに商人ギルド(に近いもの?)では、
例えばノルウェーのベルゲンと取引をしている商人が集まって
ベルゲンファーラーと呼ばれてた。
共同で教会に祭壇を寄付したりしてたよ。
>>169 ハンザの同盟であって、ハンザという名の同盟という意味ではない。
ただ、いわゆるハンザ同盟は、商人組織のハンザ(団体)同士が手を結んで行った組織と、
都市同士が手を結んだハンザ(同盟)という別々の組織を、商人の方の組織が都市の組織を飲み込む形で
纏まる事でドイツハンザ同盟と呼ばれる組織が生まれて、構成員に商人ギルドであるハンザと都市が
どちらも構成員になるという複雑な構造の組織が生まれている。
これが日本で一般的なハンザ同盟。
ファーラーは貿易先ごとに纏まった分科会のようなもの。
例えばリューベックのハンザの中には北欧と主に交易する商人も居れば、フランドル地方と交易する商人も居る。
北欧と交易する商人たちがノルド・ファーラーを組織し、フランドルと交易する商人たちがフランドル・ファーラーを作る。
だから同じ街の同じ教会に、複数のファーラーが競争して祭壇を寄贈したりする。
逆にハンザは各都市に一つ。リューベックのハンザは一つ、ハンブルグのハンザも一つ。
しかしハンザ同盟が大きくなり、リューベックハンザの商人でもリューベックだけでは活動が収まらなくなる。
フランドルで仕入れた毛織物をリューベックでも売るし、ハンブルグでも売る。
そうなると別の都市のファーラー同士の繋がりができる。そしてどこの街のハンザに属しているかよりも
どのファーラーに属しているかの方が重要になる事もある。
そうなると単純に下部組織とも言えないようになる。
出身都市で集まったのがハンザ、貿易相手で集まったのがファーラー。
ただしハンザ同盟はハンザの同盟だからファーラーは構成要素ではない。
>>170 訂正
× ドイツハンザ同盟
○ ドイツハンザ(Deutsche Hanse)
>>170 同盟というより「一揆」って言葉のほうが正しい気もするな。日本語的には。
なにがややこしいのかがわかった。 時代ごとにギルドの示す範囲と内容が異なっているわけだ。 ギルドもツンフトも互助組合であることには違わないが、 時代と場所によって示す範囲と内容が異なっているわけだね。 最初は商人の機構であったものが、 時代が進むに従って細分化されていったというところか。
兄弟団もあるしややっこしいよね。 商人ギルドも レスターの布地商人の倒産記録から、布地商人なのに、小間物売り、 宝石商、食料雑貨商、鉄器商、馬具商でもあったりと、何でも 屋に近いし、 職人ギルドも 一世帯一業種のはずが、14世紀のロンドンの陶工が拍車や燭台、 真鍮製ポットを作っていたりするし。
>>170 ロンドンとリューベックで交易しているとして、
ロンドンではリューベックの商人が「リューベックのハンザの人」と呼ばれていて
リューベックではロンドンと交易している商人が集まって「イングランドファーラー」と
呼ばれている、と考えればいいんでしょうか?
>>172 それはどういう意味で?
一揆は結ぶものだからな
ホーミング鎌で忍者を狩りながら小判集めですね
そういえば後北条氏の領国では、農民の一揆が行政単位だったりしたらしいな。 これはコミューンとでも言うべきか。
>>175 間違いとは言わないけど正解でもないと言うか・・・
例えばロンドンである商人をわざわざ「リューベックのハンザの人」と
限定しなければいけない場合はそう言うだろうけど、
単に顔見知りの商人の誰某で済む時に所属するハンザを気にしない。
今の日本で「○○商店の社長さんが来たよ。」という場面で
「○○商工会議所に所属する人が来たよ。」とは言わないのと同じ。
ベルント・ノトケという人物が居る。
彼は個人として有名でWikipediaでも(Wikipediaではバーント・ノトケ)
「バーント・ノトケ( Bernt Notke(ヘルプ・ファイル), 1435年頃
ポメラニア、ラッサン - 1508年/1509年冬 リューベック)は、
当時の北ヨーロッパで最も重要なドイツの画家・彫刻家。」
と書かれている。
しかし彼は同時に大きな工房の親方であり、レヴァル(現タリン)のハンザに属し、
フランドル・ファーラーの家系でもある。(Wikipediaには書いてないけど)
そんな彼を、どんな人がどんな称号・役職・人物として呼びかけるかという問題。
ちなみにこの時代の工房の親方であると言うのは、作品の監督であると同時に、
できた作品を扱う商人でもあるという事で、現代の個人で作品を作る芸術家のイメージではない。
アルテという単語の意味が象徴的に示しているよね
>>175 っす。
>>179 自分が持ってる参考書では、「12世紀のロンドンで
ケルン出身(Koelner)のイングランドファーラーのハンザに
特権が与えられた」と書かれていたので、
ある程度は「彼らはケルンのハンザの人だよ」って認識されていたのかと思いまして。
確かに商人で親方って存在は当たり前に考えられるよな、冷静に考えれば。 上の人間ほど色んな肩書き持っているのも当然だし。 この手の身分は、なにか示すモノがあったのだろうか? 例えば教会なり街なりが発行する証明書的なものが。 上のような特権があったのなら、身分詐称なんてものもありそうだし。
テンプル騎士団に入団したかったわ・・・
あんな盗賊団に入りたいなんて
185 :
世界@名無史さん :2008/06/06(金) 17:45:06 0
テンプル騎士団、男色が盛んだったとかで
186 :
世界@名無史さん :2008/06/06(金) 19:03:40 O
中世と今の日常生活における最大の違いは 衛生観念だろうね。 端的にいうとウンコと死体の処理がいいかげんすぎる。 特殊な例外を除けば街中ウンコだらけでしょ。 あと腐ってきた肉に香辛料振りかけて食う(しかもそれができたのすら王侯だけだし)とか、 マジでありえん(笑)
肉なんて食わん方が衛生的には豊か 貴族ほど不衛生な食事をしてたのは日本でも同じ
貴族は日本でもヨーロッパでも、新鮮な食材使っていましたがな。 保存するまでもなく、毎日家畜をさばいておりました。
189 :
世界@名無史さん :2008/06/06(金) 21:37:24 0
いやいや、市場でも肉や魚はもちろん品質管理は徹底してたよ。 古い肉やごまかしがあったら、市によってきつい罰則が科せられてた
パン屋とかは定額のパンの重量に随分気を使ってたみたいだしね。 売るときにはしっかりしてたんじゃないかな。 評判が下がると自分が死活問題になるんだから。 まぁ時代と場所にもよるんだろうけど。 食品の状態としては買われた後の問題じゃない? 保存法が塩漬けか燻製ぐらいしかなかったようだし。
つーか、腐りかけの肉に香辛料ってのも、とっくに否定された都市伝説の類だし。 中世暗黒史観の産物。
192 :
世界@名無史さん :2008/06/06(金) 23:11:52 0
古い肉を新しい肉に混ぜたり、ソーセージに異物を入れたり、ごまかしについては こと細かい規定があって、違反をした親方は市によってさらし者にされたし、 ギルドからも場合によっては追放されたからな。 刑罰としては、親方を高いところに吊るした檻に入れ、下に肥桶を置いた。 空腹に耐えかねてうんこのなかへ飛び降りるまでさらしものになるわけ。 中世ヨーロッパが衛生観念がないというのは一方的な見方。
ただ、中世ヨーロッパ人が「臭かった」というのは事実だったようだ。 あの、日本人の基準からすると相当体臭のきついアラブ人が臭いと思うほどにw それは不潔にした結果というより、食生活の問題だったようだが。
パイの手の込んだヤツはまだなかったの?
195 :
世界@名無史さん :2008/06/06(金) 23:26:13 0
にんにくの臭いもきつかったらしいね。でも中世都市部は公衆浴場が盛んで、ほぼ毎日入浴してた。
中世ヨーロッパの都市 「建物のほとんどは立ち小便や汚水で根腐れを起こして傾き、泥道はいつもぬかるんで」 (アラン・コルパン「においの歴史)
古代ローマは聞いたことあるが、 中世ヨーロッパ都市に公衆浴場が一般的にあったのか? 構造的にも風俗的にもなんかイメージできないんだが。
北欧の歴史はおもしろい
>>197 基本的にローマの伝統を受け継いで、浴場の建設と使用は都市の基本的インフラであり都市民の権利、と
考えられていた。
ヨーロッパの都市から公衆浴場が消えたのは、黒死病などが猛威を振るった時期に、入浴が
その原因のひとつだとされたため、とか言われてる。
200 :
世界@名無史さん :2008/06/06(金) 23:58:41 0
201 :
世界@名無史さん :2008/06/06(金) 23:59:34 0
> 燃料資源の枯渇も でもヨーロッパよりよほど燃料資源のなさそうなイスラム地域じゃ、今に至るまで公共浴場は 存続しているんだよね。そこは不思議。
いつもの衛生ネタだぜ。 市ねヨーロッパ。
ヨーロッパ、がどこを指しているのかわからんが フランス文学には貸し風呂屋という、桶を持って歩く商人が出てくるな。 でもフランス人は体臭好きだから、基本的に風呂に入らん。 中世以後の時代ですら、「もうすぐ帰るから風呂に入らずに待っているように」 という変態としか思えないナポレオンの手紙が残ってるし。
きたねえw
急に質が下がったなこのスレ
>>206 中世の生活の質が低いからしょうがない。
騎士物語のようなファンタジー世界とは違うからね。
208 :
世界@名無史さん :2008/06/07(土) 08:28:10 0
衣服が重たい皮革製だったからな。軽い生地が出回るようになって、少しはましになった。 農村では女性は川で顔や腕を洗ってた
なるほど、思っていたより入浴習慣はあったんだ。 不衛生ってイメージが強かったからどうも印象が一致しなかったんだが。 ペストの流行前後で風俗が一変してしまったとも考えにくい。 匂いに関しては相当現代と感覚が違ったのかね。 浮浪者みたいな匂いで充満していたんじゃないかという気がする。 俺ならとても耐えられん。
中世欧州の装飾品や建物はどれもメルヘンチックで好きだな
211 :
世界@名無史さん :2008/06/07(土) 09:27:33 0
蒸し風呂も人気だった。香草で身体を叩いて汗を流し、肌着を着替えてさっぱりする。
ただ、
>>200 の絵のように、かなり誇張はされているがしばしば売春の場とされ、
当局が干渉するようになったのも衰退の一因
212 :
世界@名無史さん :2008/06/07(土) 09:46:01 0
若い男女がお互いしらみの取り合いをしていちゃついてた ってなんかの書物に書いてあった・・・ おさるのグルーミングじゃん。
213 :
世界@名無史さん :2008/06/07(土) 10:19:36 0
日本も戦前まではそんなふうだったんだろ
214 :
世界@名無史さん :2008/06/07(土) 10:31:09 0
だからペストが起きたんだしな 唯一ポーランド王国だけはペストの大流行はなかった もともと中世前期まで湿地帯に住んでいた民族で、 伝統的に清潔に異常に気を使う習性があったと読んだ
戦前じゃもう女風呂と男風呂が分かれてるってw
216 :
世界@名無史さん :2008/06/07(土) 10:55:46 0
>>214 むしろ穀物の貯蔵法に問題があったのでは? ネズミ避けとかないから荒らされまくり
>214、ららら・・・にゃんこを魔女の手下じゃあといって殺すからじゃ・・・くやしいのうくやしいのう・・・
218 :
世界@名無史さん :2008/06/07(土) 11:29:03 0
>>217 が正解
ポーランドは猫を大事にする習慣があったそうでペスト禍を何度も免れている
猫を殺してペスト禍にあったドイツではユダヤ人が井戸に毒を入れたのが病気の原因だとされ、
迫害されたユダヤ人が大量にポーランドに逃げてきた
ポーランド王カジミェシュ3世「大王」がそれらユダヤ人移民を寛大に受け入れたのが、
以後ポーランド独特の中世文化を形作った
219 :
世界@名無史さん :2008/06/07(土) 12:44:19 0
ロンドン大火災ではネズミが焼け死んだおかげでペストが沈静化したそうな
歴史的に見てもなぜ中世欧州の文化だけ魅力的なんだろうか
>>220 君のゆがんだ性癖と育った環境がそう思わせるのだろう。
そんなポーランド、 魔女狩りはすごかったんだよね
223 :
世界@名無史さん :2008/06/07(土) 13:00:04 0
ポーランドはドイツに次いで二位、約1万人が処刑されてる。
224 :
世界@名無史さん :2008/06/07(土) 13:01:23 0
当時の人は 人 (__) (__) (,,・∀・,,) ィェ-ィ ウンコ- ( つ(\ (\_ノ(___)⌒ ⌒ヽ_ ) ____ ・_つ (/ (/ 。 ゚ 。 した時ってどこにどんな風にして捨ててたんだろーね(´・ω・`)
>>209 「疫病の社会史」(ノ−マン・F・カンター)によると、
当時は疫病は沼沢地から立ち上る瘴気と同じように空気伝染すると考えられ、
衣服を脱ぐことで、空気伝染する疫病に毛穴をさらす事になるので
入浴は危険であると考えられた。
また、窓を閉め切って覆いを掛けなければならないとされ、
裕福な人たちは分厚いタペストリーを買い求めた。
タペストリーが14世紀に急に発展した原因。
ペストはひどい地方だと人口の3分の2が死んだんだから、風俗が変わるくらい不思議でもない。
現代だって牛肉が原因で病気になると言われただけで消費量が3分の1になる。
目の前で人が次々死んでいき、原因が風呂だと言われて風呂に入る人間がいるとは思えない。
風俗どころか社会が激変した。
1.宗教権威の失墜(デカメロン)
2.人口減少による農民の地位向上(農奴解放)
3.人口減少による陸上輸送から海上輸送への変更(シャンパーニュの大市から大西洋ルートへ)
世界史的にもシルクロードに代表される陸上の交易が崩壊した。
226 :
世界@名無史さん :2008/06/07(土) 13:14:59 0
日本の中世は何時代にあたる?
228 :
世界@名無史さん :2008/06/07(土) 13:40:20 0
平安
>>228 一応平安から安土桃山時代まで中世ってことになってますな。日本の歴史では。
んで、江戸幕府の成立からが近世。
まあ、乱暴にもほどがある時代区分だと思うがw
230 :
世界@名無史さん :2008/06/07(土) 13:56:08 0
平安は上古で、鎌倉から中世では?
上古は奈良までだと思ってたが
最近は時代分けはあまり言われなくなってるしね。
あえて言うなら程度で、こういう分け方も有ると言われたら、そうだねで済んじゃう程度。
>>226 皮をなめすのに使ってたのは犬とかの糞で人間のは使わないんじゃ無いっけ?
地方にも寄るのかもしれないけど。
233 :
世界@名無史さん :2008/06/07(土) 15:23:19 0
>>232 いや、屎尿の処理も皮剥ぎ人の仕事だったってこと
ペストのせいで入浴習慣が廃れたのは納得できた。 でも糞尿の処理はどうなんだろう? 底辺ばかりでなく貴族階級まで、随分と後期まで気にされていなかったような。 そういう文化だったのか?
235 :
世界@名無史さん :2008/06/07(土) 15:39:04 0
いいや、ウンコを汚いと思う感覚は民衆本なんかでも描かれてるし、 手が汚れたらちゃんと水で洗ってる。 ウンコや小便臭い横丁・裏通りなんて 世界中にあるじゃん
236 :
世界@名無史さん :2008/06/07(土) 18:19:09 O
源氏物語とかの平安文学を中世文学と呼んでる研究者はいるな。 何をもって中世とするかによるけど いわゆる封建制時代と定義するなら、荘の発生した平安から 君主による領地安堵が行われていた江戸の終わりまでじゃね? その後の外圧による西欧化により、ルネサンス(文芸復興)期をすっ飛ばして 産業時代に突入した。
>>236 西欧の時代区分と無理矢理合わせてどうする。おまえはふた昔前のマルクス史学か。
江戸時代を中世にしてしまうと、日本が遅れているように思われるから 都合が悪い。近世とすべし。
農家では、人糞は豚に食べさせていたと聞いたけど、都市ではどうだったんでしょうかね?
住居から通りにぶちまけていたとかなんかの資料に書いてあったが、 居住区だけの話なのかね。 肥料にしようとかって考えはなかったのだろうか。
都市も豚を放し飼いにしていたはずだから、人糞は豚のえさだったんだろう。 人間が豚に食われたという話もあったそうだが。
・_・)エッ?
>>239 ,240
夜にくみ出して、近隣の農村で肥料に利用されていた。
このため夜の親方などと呼ばれた。
第二次大戦前なら、西日本だと、入浴は、月数回だもんな。
246 :
世界@名無史さん :2008/06/08(日) 09:02:03 0
シラミと人間は縁が深いからな。東京じゃまたアタマジラミが地下鉄なんかを媒介に増えてるとか? ドイツの法典にもシラミを例えにした法文が多い
247 :
世界@名無史さん :2008/06/08(日) 10:44:26 0
>>241 家の中に入り込んだ豚が赤ちゃんを食い殺し、
裁判にかけられて死刑になった、とかいう話もあったな。
動物裁判で検索したら、豚が乳幼児を蹴り殺したり噛み付いて負傷させたりして被告になるケースが
結構見つかった。豚は裁判所の常連だったらしい。
248 :
世界@名無史さん :2008/06/08(日) 15:43:59 0
>>247 豚がらみで死んだというフランスの王子様もいたわけだしw
日本でも欧州でも、「中世の人間の異常な暴力性」って言うものがよく語られたりするが、 今のイスラームの人たちを見ていると、あんな感じだったのかな?って想像してみたりする。
251 :
世界@名無史さん :2008/06/08(日) 20:23:08 0
ブッシュさんとかアメリカの人たちを見ても、あんな感じだったんだろうなって思うな
色々考えてみたけど、「中世の人間の異常な暴力性」の具体例が思い浮かばなかった。 例えば戦争や反乱での虐殺なんて古代から現代までずっとあったし、その暴力性に差があると思えない。 記録の量から考えると近世・現代の記録の方がずっと多い。 十字軍のエルサレムでの行為と、バルカン戦争でのトルコ軍やドイツ軍、インドシナ戦争でのフランス軍、 広告代理店やマスコミまでが参加して生み出した旧ユーゴスラビア内戦での民族浄化やツチ族とフツ族の対立、 これらに暴力性の差異があるだろうか? では個人の犯罪は?エリザベート・バートリーやジル・ド・レイの犯罪は規模はやや小さくなっても 内容はほとんど代わらないものが現在でも起きている。 処刑方法?確かに表面上現代は死刑において死刑囚の苦痛を最小限にという傾向にはあるが、 古代から近代までのなかで中世に特異性は認められないし、現代だって表面だけでない事は新聞にも載る事だ。 中世だけに認められる暴力性と言うものが存在するとは思えない。
魔女狩りとかは? まぁ歴史の中で異常かと言われると大したことないとか言われそうだが、 現代人の感覚から見れば十分異常だと思う。 そもそも法自体が人のためではなく街や国が優先されていたんだろうし、 残酷な処刑方法にも見せしめということで意味があった。 それらの背景なく処罰の方法だけを見れば、そりゃ暴力的にも見えるわな。
憎しみのあまり、その(人間の)肉を食らったとか、十字軍のイスラム教徒鍋とか。 ムスリム煮て食ったというのがムスリム側の記録なら信憑性が問われるかも知れんが、十字軍の坊さんの記録ってところがw まあどれもこれも「中国史」ではありふれたごく普通の出来事なんだけどさ。
255 :
世界@名無史さん :2008/06/08(日) 23:05:44 0
やっぱ「異端審問」じゃないの? あの数々の拷問具、拷問法を見てみろよ
魔女狩りって近世では?
魔女狩りは中世と近世の境目だから中世固有かという点で疑問なのと、 魔女裁判自体が異端審問、新旧両派による殺戮の一部でしかないという観点から、特異という印象が無い。 実際に魔女として処刑された場合より、新教徒・旧教徒だからという理由で処刑された場合の方が残酷なケースが多い。 また、古代のヴェスパシアヌスの拷問より中世の方が残酷かというとそうでもない。 つまり古代から近代までの宗教的理由による拷問・虐殺の中で中世だけが特異かというとそうは思えない。 十字軍の食人はヨーロッパ側イスラム側双方に残ってて、ヨーロッパ側は神懸った理由だが、 アラブ側から見ると十字軍の補給の失敗のせいで食人に到っている。 そう考えるとむしろ「補給計画失敗したから人間食べました」と書けなくて、 神の栄光云々で理由を神に押し付けたとも考えられる。 一方ドイツ騎士団のバルト海への十字軍活動は、原住民であるスラブ人が キリスト教徒を食べた事が原因となっている。 これらは中世だから起きた、ではなくて、たまたま事件が起きたのが中世だったと見るべきだと思う。
258 :
世界@名無史さん :2008/06/08(日) 23:33:24 0
始まりは15世紀だな
異端審問といっても大部分は改宗を説くといったものだったし 過激なところだけしか見ないのも問題でないかい
260 :
世界@名無史さん :2008/06/08(日) 23:42:11 0
改修を迫るためにどんだけ拷問具を用意したの しかもそれ、裁判官の目の前で事務的に行われるんだぞ
261 :
世界@名無史さん :2008/06/08(日) 23:43:52 0
訂正: 改修→改宗 ていうかキリスト教への復帰だな
だから、拷問とかは一部だっての。 ちょっとは本読めよ。
Long live the third reich!!
>>259 その通りではあるんだけど、今の場合「異常な暴力性」の現れとしての話だから、
大部分の異端は実際に拷問まで到りませんでした、という部分は無視するところじゃないかと。
265 :
世界@名無史さん :2008/06/08(日) 23:59:23 0
up
266 :
世界@名無史さん :2008/06/09(月) 00:03:23 0
up
異常な暴力性というと、異端審問とかの制度的なものより、中世の騎士とかの連中の 野蛮で大仕掛けな決闘大好きな部分とか、名誉のためにがんがん人殺しするところとか、 模擬戦と変わらない槍試合とか、そういう部分じゃないの?教会が禁止令を出しても出しても とめられなかったし。
拷問なんてそれこそ世界中にあるだろ 日本でも江戸時代までさまざまな種類の拷問があったし 現代でも取調室でも行われていると言われてる
>>260 すごい事務的で驚くよね。
何とかを何回 XXX
何とかを何回 XXX
自白により、罪を軽減し斬首刑
時代によって常識が異なっていた、ということだよな、ようするに。 現代人から見たら異常でも、当時の常識から見れば納得できるだけの理由があったのだと。 こういう異常がまかり通っていた、ではなく、こういう行為を認めるどういった背景があった、と示さないといかんわけだ。 事象の一面だけを取り上げて議論すべきではない、ということだね。 個人的には戦争さながらの競技も拷問ありの異端審問も異常に思えるけど、 現代だって過去や未来からみたら異常だろうしな。 人間の本質なんて昔からそう変わっていないし変わらないんだろう。
271 :
世界@名無史さん :2008/06/09(月) 03:59:15 0
自動車ひとつとっても、1トンもある物体が住居のすぐ側を昼夜問わず、時速60Kで走り回り、 年間1万人も死んでいると中世の人が話だけで聞いたら、 現代人はすべて地獄に住んでいるんだろうかと思うだろうね。
272 :
世界@名無史さん :2008/06/09(月) 07:07:58 O
宗教弾圧の時代を中世と定義するなら、やっぱり江戸期までじゃね? 島原の乱とか、実情はおいといても 名目はキリスト教の弾圧を大義名分としていたし。
273 :
世界@名無史さん :2008/06/09(月) 09:29:35 0
>>269 しかも全てに処刑人に払う料金表がついてて、
費用は被告の家族に請求されたんだよな
最近まで中国がこの形式をとってたらしい
>>264 >大部分の異端は実際に拷問まで到りませんでした
この審問記録が嘘だらけなのは有名
274 :
世界@名無史さん :2008/06/09(月) 10:24:35 0
>>257 >一方ドイツ騎士団のバルト海への十字軍活動は、原住民であるスラブ人が
>キリスト教徒を食べた事が原因となっている。
ちょwwwその原住民ってスラブ人じゃないよ
バルト人
スラブ人とはまた違う民族だ
ただ古代には、ヘロドトスはフィン・ウゴル系民族の食人の習慣を記録している
>>272 ならイギリスも19世紀まで中世だな。カトリック禁止法。
凄惨な暴力なら現代だってある。 道徳や価値観が時代によって変わるってだけで。
277 :
世界@名無史さん :2008/06/09(月) 18:24:13 0
それじゃスレが進まねえだろ
15世紀のスコットランドでも食人一族の話があったよな まああくまで異常な一家の犯罪行為として理解されているようだが
近親交配しまくっていた一族だっけか。
ソニー・ビーン一家か
中世欧州の街並みが好きだ ゼルダに出てきそうな街並みがいい
283 :
世界@名無史さん :2008/06/09(月) 21:41:17 0
表通りしか歩かなければ大丈夫
284 :
世界@名無史さん :2008/06/09(月) 21:46:22 0
鳥の糞ね ハトポッポ
中世欧州の街並みが現代に残る街なら俺も行きたい。 中世それ自体には行きたくない。 特に食事してベットで寝るとか勘弁して欲しい。 現代人は寄生虫と一緒には生きられない。
ヨーロッパは大戦で破壊された町を戦災前の中世のままで再現してるところが多いよね
中世都市ってのは、建物の密集のため暗くてじめじめしてて細い路地だらけで、その奥には狭い部屋の中に 10人も20人も住んでいる光の届かない集合住宅があって、市民は汚染された川の水を汲んで飲食に使う。 舗装されていない道には家畜の糞や汚水、もしくは死体などが異様なにおいを放っている。 一部の貴族や金持ち以外には、こんな感じの場所だ。
ペスト前の一時期の状態だな。
正直、一体何が楽しくて都市に住んでるんだって感じだな。 ちなみに三代家系が続かないそうだ。
よーく考えよう。 どうして人口増加できたのか?
292 :
世界@名無史さん :2008/06/10(火) 00:08:11 0
>市民は汚染された川の水を汲んで飲食に使う。 こんなこと市参事会が面子にかけて許すと思うのか
妙に中世ヨーロッパを暗く見る奴がいついてんな
>>289 パリなんてナポレオン3世の大改造までこんな感じだが?
>>291 人間は汚染された環境でもけっこう生き延びられるから。
296 :
世界@名無史さん :2008/06/10(火) 00:28:23 0
そこらに家畜の死体が転がってるってのもダウトだ。 家畜の飼い主が責任持って皮剥ぎ人を呼ばないといけない。 自分で処理したら、賎民に落とされる。
建物が密集しだしたのはいつ頃? 汚染され始めたのはいつ頃?
>>297 そんなものはそれぞれの都市によって異なるだろ。
同じ内容の繰り返しだな 風呂と衛生ネタは?
都市によって汚かったり汚くなかったり異なるということだね。
再放送みたく同じ話題を繰り返しながら、 新しい話題もボチボチ入れるってな感じの のんびりムードでいいじゃん
どうせ貶すしか能の無い奴が出てくるから嫌だ
中世都市といえば守護聖人。 西欧の都市は大体中世くらいに守護聖人が固まってきているな。
守護聖人の像とかを掲げて、練り歩くんだよね。
>>304 政治的姿勢を守護聖人で表明したりするな。
ヴェネチアがビザンツから独立する時、守護聖人を変更したよね。
中世は不潔、って話だとがんがん食いついてくるのに、ちょっとほかの話題をふられると ほとんどついてこられないのが、このスレの住人のレベルをよくあらわしているな。
農村で生活できなくて都市へ出て行ったら、そこは村よりも過酷な世界だった。 って古今東西よくあることだしな。 特に流通が十分に整備できない時代・地域の都市部は食糧供給が十分でないから餓死者が出やすいしね。
>>307 都市周辺の農村から供給されていたし、
何より早い時期なら都市内に畑があったり、豚飼ってたりは当たり前じゃない?
>農村で生活できなくて都市へ出て行ったら、そこは村よりも過酷な世界だった。
>って古今東西よくあることだしな。
そんな簡単に農村から都市に出て行けたの?
>>308 > そんな簡単に農村から都市に出て行けたの?
おまえは「生活できない」が簡単なことなのか。
ゴシック建築はいつ頃生まれたんだろうか
>>309 中世の時代(つっても範囲が広すぎだが)に
「農村じゃ生活できない」→「じゃあ都市へ出るべ」という選択肢が、
農民にあったのかということ。
大多数は餓死するしかなかったんじゃないかと。
一応農村の農民は農奴という奴隷だからねぇ 結婚とある程度の財産所有は認められるけど、職業の選択と移動は制限を受ける それに都市に居住するには市民権が必要だし 行き所のない人間が都市の城壁の外にスラムを形成する例はあったけどなぁ
313 :
世界@名無史さん :2008/06/10(火) 20:25:42 0
中世初期は農民が都市に流入して市民権を得るってのはあったけど、 時代が下ると、先に市民になったやつらが貴族化して、 後進者はどんどん締め出されていったよね
314 :
世界@名無史さん :2008/06/10(火) 20:32:37 0
>>310 一応12世紀半ばに完成したパリ郊外のサンドニ大聖堂をゴシック建築のスタートと見るのが一般的。
・尖頭アーチ
・交差リヴヴォールト
・フライングバットレス
の3要素がサンドニにおいて初めて体系的に使われたから。
実際にはそれぞれの技術はサンドニ以前に各地でバラバラに用いられていた。
315 :
世界@名無史さん :2008/06/10(火) 21:02:37 0
守護聖人がかぶっていると何かあるのだろうか? 友好 姉妹都市 敵対 おまえの方は偽物だろ
聖遺物の由来を持ちだしての議論闘争とかあったらしいじゃない。 そのあたりでも教会がいい金とってったんだろうな。 友好的ってのは聞いたことないな。そういう例もあるんだろうか。 基本的に都市同士ってあんまり仲よさそうな感じがしない。 商業的な繋がりがあるってんならともかく。
イタリアで言えばフィレンツェとジェンオヴァとトリノ、アナカプリとパドヴァあたりはかぶってるな。 まあ、守護聖人も複数持ってる都市も多いし。それぞれの都市の階層ごとの一揆のシンボル、みたいな面も 大きいのだろうな。
イタリアの場合、守護聖人の日は祝日なんだね
現代様式と呼ばれ、13世紀のドイツの年代記作家が「フランス様式」 と呼び、ルネサンス期にゴシック様式と呼ばれ今日に至るってやつだ
西ヨーロッパでは中世末期には農奴制は廃止される。 東ヨーロッパではそのまま維持、もしくは強化する方向へ向かった。 それが再版農奴制。 再版農奴制は近代のものだが、農奴制は中世のものだよ。
奴隷制度自体は19世紀まで残ってたわけで。 (厳密に言えば、農奴制とは違うんだろうけど、見た目と中身は・・・。)
中国は今でも農奴だよ 転職や移動の自由はない
というかあの国の住人ははヒト科の類人猿でしょ?
中世ヨーロッパのお城が好きだ
家臣は大広間で飲み食いしてザコ寝>中世の城
327 :
世界@名無史さん :2008/06/11(水) 23:00:22 0
風邪ひかんかったんかな?
中世でも農奴が自由民だったりもするし、自分で財産を売買し、 遺言で相続してたりするから、単純な理解はできないね
都市同盟の会合を、守護聖人の日にしている例があるけど、 アジールと関係しているのか
330 :
世界@名無史さん :2008/06/12(木) 14:29:47 0
>>321 東欧、というか、プロイセン王国とロシア本体な<再版農奴制
331 :
世界@名無史さん :2008/06/12(木) 14:30:32 0
>>325 バイエルンのノイシュバインシュタイン城は言語を絶する美しさだな
さすが中世といわざるを得ない
ベルサイユ宮殿豪華すぎてやばい、ルイ16世になってペストで苦しむ市民を肴にワインを飲んでみたいお
腹をw
まあルートヴィヒU世の脳内中世だからそりゃ美しいだろう
>>330 プロイセン、ポーランド、ハンガリー、ルーマニアあたりでは>再版農奴制
ロシアの農奴制は再版といっていいのかどうか
ヨーロッパはユーラシアから突出した存在
突出して遅れた存在か
>>307 都市は周辺の農村と契約を結んでいて、優先的に食料が入手できる。
一方、農村人々は、都市へ逃げ込むことができた。
都市の問題点は繰り返す疫病だな。 細菌などはある程度の人口が居ないといずれは消滅する。 都市はその保管所として常に疫病の小流行を重ね、 田舎に免疫を持つ人間が減った時に周囲も含めての大流行を起こす。 その為都市では病気による死者が多かった。
じゃあ、都市がなければよかったのか
>>343 ブリテン島北方にあるファレオ諸島では1846年にはしかが流行し、
7800人弱の住民の内約6000人が罹患し、102人が死亡した。
ファレオ諸島ではその前にはしかが襲ったのは1781年だった。
これが病原菌の保持拠点としての都市が無い場合のケースだ。
都市は疫病を常時保持する事で、抗体を持たない新規構成員にのみ感染する病気、
すなわち小児病へと変化させた。これが都市の長期的効果と言える。
都市が無ければおたふく風邪やはしかは数世代置きに発生する危険な疫病のままだったろう。
都市の発展した中世は、人類と疫病との長い戦争の期間という見方もできる。
以下はイングランドの人口だ。
年代 人口(単位百万)
1086 1.1
1348 3.7
1377 2.2
1430 2.1
1603 3.8
1690 4.1
イングランドでの黒死病の最初の流行は1349年。
その後約100年にわたって人口が回復していないのがわかる。
それと同時に、黒死病以前のイングランドの人口が、エリザベス1世の時代と同じであった事にも驚かされる。
イングランドでは、黒死病の大流行は 1348,49,61,68年に猛威をふるった。 なぜ、こんな短期間に繰り返し大流行したのかが説明できない。
11世紀に人口百万人?うそぉ
人口密度が高く、衛生状態のより悪い都市の方で犠牲者が多いとされてきた。 しかしカブリリャーナの分析によれば、都市よりも農村の方が犠牲者の数が 多く。そういうケースもあり、謎は多いな。
農村の犠牲者が多いときはたいてい、飢饉によって農村での栄養状態が極端に悪い時に (逆にそう言う時だからこそ)疫病が流行った場合だ。
都市部 人の出入りが多いので、外から病原菌が入ってきやすい、人口密度が高く流行しやすい。 農村部 人の出入りが都市部ほどはないが、栄養状態が悪いので一旦流行すると全滅。 って感じか? ドイツだと、ペスト=ユダヤ人が毒を盛った!!っつってユダヤ迫害があったけど イングランドはどうだったの?
>>351 イングランドは1290年にエドワード1世がユダヤ人を、財産没収の上追放しとる。
そもそもユダヤ人は13世紀末にイングランドから追放されて 以後、公式にはいないことになっていたからねえ。
飢饉で真っ先に食い物が無くなるのは都市部じゃないの
>>354 ヒント:中世の飢饉は各地で散発的に起こるもの。
最初の大流行、1384年の被害は意外と少ないという見方が最近では多い。 流行後の議会などでも一切取り上げられていないことなどがわかってきた。
中世ヨーロッパは夢があるよな
360 :
世界@名無史さん :2008/06/14(土) 10:06:58 0
全部が全部黒死病でもなかったと言う説もあるね
361 :
世界@名無史さん :2008/06/14(土) 13:51:22 0
【〜ヨーロッパっぽい食事の材料〜】 【野菜】チコリー、パセリ、クレソン、ロケットサラダ、レタス、バジリコ チャービル、ズッキーニ、ニンニク、セロリ、エシャロット、チャイブ、ロマネスク コールラビ、キャベツ、トレビス、西洋カボチャ、カリフラワー、ジャガイモ 【果物】ブドウ、レーズン、リンゴ、洋ナシ、フサスグリ、スグリ、ラズベリー、 フランボワーズ、サクランボ、イチゴ、レモン、オリーブ、クルミ、イチジク、アンズ 【肉類】シカ、イノシシ、キジ、ウズラ、ウサギ、ガチョウ 【魚介類】カキ、ムール貝、テナガエビ、オマール、エスカルゴ、サケ、マス、タラ、コイ 【その他】ワイン、オリーブ油、ワインビネガー、バルサミコ酢、ハチミツ、バター ナチュラルチーズ
362 :
世界@名無史さん :2008/06/14(土) 14:07:51 0
>>361 これって全て中世にはあった食材?
あったとして誰もが口にできる物だったんだろうか?
364 :
世界@名無史さん :2008/06/14(土) 14:14:51 0
>>363 ジャガイモと書いてある時点でネタだと気づけよ・・・
>>360 病名をきちんと同定できるのは微生物学が進歩した19世紀後半からだろう。
新種の病気は大抵強毒性で流行し、時代が経るにしたがって落ち着いてくる。
過去の記録の症状と現代観察できる症状が異なる場合もあるわけ。
ガンをきちんと診断できるのも20世紀になってからだな。
中世ヨーロッパの暮らしだね。それが何か?
飯マズ島国で使える調味料って塩、酢、ハチミツ熊さん?
植民地からは無限にサトウキビを巻き上げます
疫病全般が、黒死病だったからね
世界地図見てもわかるが欧州だけ地形が複雑で特別だよね
どの辺が?
三陸海岸とどっちが複雑だ?
三陸とノルウェーならノルウェーかもしれない。
フィヨルドに行くときは食糧を多めに持っていけとオーディンも言っている。
マディラのサトウキビっていつから始まったんだっけ?
アフリカやアジアはのっぺりした地形 欧州と日本は複雑な地形 複雑な地形ほど文明が発展する
世界地図しか見てないから言ってるんじゃない? そりゃ大陸をマッスで観ればのっぺりだけど、 その中にどれだけ複雑で多様な文化があるか知らないんだろ。
地中海、バルト海、黒海、ブリテン島、イタリア半島、シチリア、イベリア・・・ これほど地形に富んだ地域が他にあろうか 気候も年間通して温暖、平野も多い 発展するにはそれなりの理由がある
でも近世までは発展し損ねてるように思う
っエーゲ文明 古代ギリシャ、ローマ ビザンツ フランク
>>383 > エーゲ文明 古代ギリシャ、ローマ ビザンツ フランク
笑うところかこれは?
少なくともローマ以外はとてもとても…
フランクにいたっては野蛮人王国。
>>383 そのなかで純然と「ヨーロッパ」って言えるのはフランクだけじゃん。
西洋人はビザンツをローマ帝国の継承国には認めないからな 地理上ヨーロッパにあるだけ
387 :
世界@名無史さん :2008/06/16(月) 17:05:47 0
>アフリカやアジアはのっぺりした地形 >欧州と日本は複雑な地形 >複雑な地形ほど文明が発展する エジプト、イラン、中国。 時代は違えど、反証としてはこれで十分だろw
コンプレックスな地形コンプレックスだな
複雑な地形ではむしろ人々の交流が阻害されていい結果にならないだろ
複雑な地形で発展するのなら東南アジアは今頃超先進地域だ。
391 :
世界@名無史さん :2008/06/16(月) 18:18:26 0
世界で最も複雑な海岸線は韓半島南部
地形云々以前に、農耕に適した亜熱帯〜亜寒帯で非乾燥地域の陸地ってだけで概ね説明がつくだろ
ジャレド・ダイアモンドの「銃、病原菌、鉄」はここの住人的にはどうなのよ
なぜヨーロッパが発展したのか系のスレと同じ展開
確かにヨーロッパはハッテンしてるな
396 :
世界@名無史さん :2008/06/17(火) 00:11:08 0
いや、ハッテンは火焙りだから
ヴァルド派
401 :
世界@名無史さん :2008/06/17(火) 07:12:13 0
テンプル騎士団って一度火あぶりにされてそのまま?
ヨーロッパはアジアよりずっと小さいのに いろいろな出来事が起こるし発展するのも早いよな 世界の中心って感じ
>いろいろな出来事が起こるし 今時ヘーゲル史観かよ >発展するのも早い 比較的発展が遅れていた地域によくあること
白人マンセー君は巣に引っ込んでるか、悪い事言わないからカウンセリングに行ってきな? そのままだと世間を恨んできっと犯罪起こすぞ。自分をもっと心配しなさい。
>>401 テンプル騎士団→フリーメイソン というのが欧州で定説化しつつあるような感じ。
(割と微妙な問題。)
>定説化しつつある マジですか?
やっぱ欧州か日本が好き
>>406 ヒストリーチャンネルとかディスカバリーチャンネルなんかのTV番組でもやってたw
トンデモ含む内容なのか、真面目な研究なのかは分からないけれど、符号はそれなりに一致している・・・らしい。
自分で調べて自分で判断してくれとしか言いようが無い。
クレメンス5世はテンプル騎士団の解散を命じた後、 財産は聖ヨハネ騎士団に移管するという決定をしてるな。 クレメンス5世はフランスの言いなりだったという書き方をする人が多いが、 テンプル騎士団を異端と認定する事だけは拒み続けた。 テンプル騎士団解散の理由は、「その悪評ゆえに」というものだった。
「キングダムオブへブン」を観てテンプル騎士団って悪いやっちゃなあと思った
フーコーの振り子読んでテンプル騎士団ウホッ!なイメージがつき ダヴィンチコード読んで誤解しててごめんねwwwwと反省した
>フーコーの振り子 あれ読むとテンプラーについてざっと分かるよな。
天ぷらは美味いって話か?
天麩羅はてんつゆで食うべきか塩で食うべきか
塩だろ。アフリカには醤油なんてものはないw
俺は何も付けずに食うよ 油が充分調味料の役を果たしている 後は素材の味を楽しむ
白人に生まれたかった・・・
つまりスラブ人の少年になってムスリムにアッー!されたいのですねw
白人かハーフに生まれて日本でチヤホヤされたかった それかオランダで白人として生まれてアムステルダムの街並みを満喫したかった・・・
なんだそりゃ? もっとマシな日本人に生まれたかったって言えよ むしろそんな腐った考えの日本人は要らん オマエなんかマイケルになってしまえ
どうせ俺は不細工、負け組だよ
日本人に生まれても限界がある 白人に生まれてこそ新境地を見れるというものだ
なんだそりゃ? 単にチンコが大きくなりたいだけと違うのか
白人といっても、 どの年代のどの地域の どのクラスに生まれるかだよな。
中世に生まれてもムスリムにボコボコだしな どうせなら大英帝国が世界を支配してた18世紀辺りがいいよな それも支配階級で
427 :
世界@名無史さん :2008/06/21(土) 10:34:29 0
白人の中でもヴェンド人とかなんとか人とか差別されまくりだったろ
生まれつきの人種以外偉ぶる理由が見出せない存在になりたいってだけで どんな世界に生まれても最後は惨めな人生になってると思うぞ。 たとえ皇帝に生まれても「粗暴で暗愚な為反乱がおき、トイレに逃げ込んだところを親衛隊によって殺される」 とか書かれるだけになる。
白人は手足も長いし肌も白いし金髪もいるし目も碧いしイケメンだし優れた文明や文化持っててうらやましいぜ
また気持ち悪い白人厨が荒らしてるのか。巣に帰れよ。
金髪はバカしかいません!
東洋人の外観は醜い 西洋人の外観は多種多様で美しい
なんか、加藤みたいな甘ったれた気持ちの悪い馬鹿がいるな どうせ白人に生まれても、イケメンに生まれても、その性格じゃもてっこないな
くだらない煽りする奴もいらないから消えろよ
戦国時代に来日した白人の宣教師を見た日本人は、そのひどく醜いことに驚いたそうだが 奴隷として連れてこられた黒人に対しては逞しくハンサムと褒めている。人の美醜なんて 時代・環境で簡単に変わるものだから
映画だったかな 差別されてる黒人が 「オマエラ白人と言うけどピンク色のキモイ顔じゃないか」 と言い返していた
中世のフランクフルトの税制が面白い。 政府から任命された徴税官が、対象者リストを作成して、 対象者が自己申告にくる。 当初は、何とかがいくつなら税金はこれこれという個別 後に、一定の人頭税が加算、 最後には総合課税となり、資産総額から納税額が算出される。 申告者は、自分の財産の総額を低く申告することは可能であるが、 徴税官はその人の財産総額の値段で、強制的に買い取ることができる。
>435、ソース出さないとバカだと思われるぞ。
440 :
世界@名無史さん :2008/06/21(土) 20:34:32 0
18世紀頃まではムーア人も、絵画でキリスト降臨時の三賢者としてかっこよく描かれてるからな。 奴隷としての存在になってから描かれ方もひどくなっていった。 キリスト教で「悪魔は黒人の姿で現れる」なんて教えたもんだから余計ひどいことになっていった。
18世紀にキリストの教え???
443 :
442 :2008/06/22(日) 00:47:16 0
ありゃ、勘違い。
444 :
世界@名無史さん :2008/06/22(日) 01:35:08 0
ところで貞操帯って、ほんとにあったの?
>>444 大昔に作られた実物が博物館にあるらしいよ。
拷問具として使われることもしばしばだったらしい。
現代ではSMプレイ用のアイテムとして販売されてるそうだ。
446 :
世界@名無史さん :2008/06/22(日) 02:07:39 0
へえ。鉄の処女ってのは嘘だったらしいから、貞操帯もそうかと思ってね。
白人がよかったよ
448 :
世界@名無史さん :2008/06/22(日) 02:33:28 0
貞操帯って股間すっげー臭くなりそうだな
449 :
世界@名無史さん :2008/06/22(日) 03:00:44 0
つーか、下半身が冷えてゲリしそう
>>437 政府って、神聖ローマ帝国皇帝を指してるの?市の評議会を指してるの?
前者だったらビクーリだな
実はフランクフルト・アン・デア・オーダーの方でブランデンブルク辺境伯の〜とかでもびっくりできるな。 フランクフルト・アム・マインは自由都市だが。
>448、問題はアソコの匂いと体臭のくべつがつくかどうかだがw
今頃気がついたのですが・・・ 貯金箱って何の意味があるのでしょうか? 財産が増えるわけではないですよね 財布のお金が箱の中に移動するだけ
455 :
世界@名無史さん :2008/06/22(日) 11:46:32 0
貨幣が呪術的な意味を持ってた名残りでは。 教会の力が強くなり、「喜捨」のアイテムとして単なる通貨になっていった
>>454 先ずはこれを
ttp://www.amashin.co.jp/sekai/p1.htm ttp://www.chokin-bako.com/20/ ぶたの貯金箱(piggy bank)について補足。
豚は元々貧乏人の金入れと言われていた。
春に子豚を買って、食べ残し(や排泄物)を豚に食べさせると、冬の前には立派な食肉として肉屋に売れる。
同じ様に買い物などで余った小銭を貯めて置くと、成長した(一杯になった)暁には箱を潰して成長した中身を回収できる。
そうした事から豚を貯金箱にするという発想が生まれたと考えられる。
別の話として、こんな話もある。
15世紀に小銭を貯める容器として、pyggと呼ばれる安い粘土の陶器の壷を使っていた。
それをpygg-bankと呼んでいたものが、pyggの由来が忘れられ、piggy-bankと呼ばれるようになった。
19世紀にイギリスで、ある陶芸家がpiggy-bankを作るよう依頼され、pyggで壷を作る代わりに、豚型の陶器を作った。
これが豚型貯金箱の始まり。
しかしヨーロッパ製としては15、6世紀に作られた豚型貯金箱が存在し、
アムステルダムの貯金箱博物館にはバリ島(インドネシア)産の6世紀頃の豚型貯金箱もあるらしい。
457 :
世界@名無史さん :2008/06/23(月) 09:58:40 0
そのうち貯金魚もなんで金魚なん?と思われるようになるだろうな
金魚は縁起物だしな
レコンキスタの過程でムーア人をじわじわ追い詰めていくのがいいw
中世ヨーロッパ都市の火事はどうやって消火したのだろう? 周囲の家屋を破壊したり、水場からバケツリレーしたり? 手動にしたってポンプなんてなさそうだしな。 基本的には燃え尽きるまで成す術なしだったのだろうか?
>>460 水は使っていたらしい。
先日読んだ資料が製塩業に関してのものだったが、
製塩に使う鉱泉(塩分を含んでいる)は厳格に管理されていたが
消火に使うのは許されていた、という記述があったと記憶している。
消火ポンプは、16世紀初頭のバイエルンに存在したな
中世ヨーロッパの家って木製じゃないから壊さなくても大丈夫じゃね? と思ったけどよく考えたら中世ヨーロッパの家がなにでできてたのかよく知らなかった なんかイメージ的には小火が起こったりしても大火事はあんまり起こらないような気がする
>>463 ロンドンは木造。なのでロンドン大火で85%が焼失した。
それ以後、家屋はレンガ造りが石造りに規制された。
>>463 石造りの建物は、最初は城とか教会くらいしかなかったよ。
商人は教会を「高価な商品の保管場所」としても使っていた。
それから徐々に(大火などがあって)、市庁舎だとか有力者の家なんかが石造りになって
石造りの街並みが完成したのって、中世後期じゃないかな。
466 :
世界@名無史さん :2008/06/25(水) 19:26:28 0
農村は茅葺だったしな
やっぱり焼き討ちで絵になるのは茅葺きかな
周りの材料を使うから、スレートが手にはいるところはスレートを使用する。
>>463 江戸と比べれば、ヨーロッパの大火は遙かに少ないからね。
ロンドンなんか1回ぐらいしか有名なのはないし。
>>469 中世ヨーロッパはろくな都市がなかったというのも大きい罠。
江戸は空っ風で乾いてるんだよ ロンドンは霧で湿気てるんだよ
日本と違い欧州には森があって 森の存在が社会構成や生活風習風俗伝承に大きく影響を与えたと 聞きかじったことがるのですが森ごときがそこまで影響与えるでしょうか? また森が社会構成や生活風習風俗伝承に与えた影響て具体的になんですかね?
>>472 > 日本と違い欧州には森があって
日本に森がないとでも
日本にあるのは林いらしい
森と林とジャングルの違いって何よ
森←木の上にまた木がある、まるで山みたいな形してるだろ 林←横に並んでいて平だろ つまり平地にたくさん木が生えていたら林で山に生えていたら森になるんだよ ジャングルはアマゾンみたいな熱帯雨林のことだよ
477 :
世界@名無史さん :2008/06/26(木) 17:34:19 0
中世ヨーロッパの森は日本でいうところの「山」みたいな感覚と役割なんじゃない? ・木材や燃料の源 ・社会生活の場としての共同体を隔てる境界 ・開拓可能性のある土地 資源として万人に不可欠であり、権力者にとっては政治・経済的に大きな意味を持つと同時に、 狼だの熊だの野生動物、あるいは山賊とか移民とか隠遁者とか様々なアウトローがいる場所 として想像力を掻きたてるし、実際に危険な場所でもあった。 ま、日本でいうところの「山」ってのがどんなものなのかあまり知らないんだけど。予想で並置してみた。
478 :
世界@名無史さん :2008/06/26(木) 18:27:47 0
古代にすでにヨーロッパの森はずいぶん減ってるぞ。 日本の森(山)は復元力が強い、空からみるとまだ日本列島は森だらけだ。
ここでいう森って、人の手の入っていない原始林のことじゃないの? 日本は山林は多いけど殆ど人の手が入ってる。 近年林業の不振で放置された結果危機的な所も多いみたいね
日本とヨーロッパの森の差は置いておいても、 「森ごとき」って発想は中々出ないんじゃない?
妖怪とか魔物とかは森に影響してるじゃない?森に魔女住んでるがなとか 狼男とか吸血鬼の城があったりとか童話とかにもよく出てくるから やっぱり当時の人から見たら森は人じゃないものがすまうなんか違う世界だったんじゃね? 実際日本でも山の森とかはいると割と狭いところでも迷って遭難するから 欧州の森だたら当時はあんまりルートや道もないだろうしうっかり迷いこんだら 出てこれなさそう。迷い森とかの話もよくあるし。木の実取りに行った女の子が〜とかもよく聞く 実際そういう事例があったから伝承として残ったんじゃない? 日本の山姥とサンカや姥捨て山の関係と一緒なように 伝承や童話や魔物の生態から当時の生活や慣習すいそくするのも面白いかもね
つーか、ヨーロッパでも森林地帯はその一部だろ。全体が森で覆われていたわけじゃない。
484 :
世界@名無史さん :2008/06/26(木) 20:47:04 0
疫病で町や村が全滅すると、見る間に森に覆われていったらしいね
>>483 誰も「全体が森で覆われていた」とは言っていないような
>>485 だから「森の文化への影響ってのもヨーロッパの地域によって違う」って事だろ。
ってもまあ、単に「中世ヨーロッパ」って言った場合、ドイツとフランス、あとはせいぜいイタリア北部ぐらいしか指さないんじゃね。 北欧諸国やポーランド、ハンガリーあたりはもちろん、スペインやイギリスあたりでも無視されがちな気がする
488 :
世界@名無史さん :2008/06/26(木) 21:56:39 0
ロンドンは人口比でも別格じゃないの
欧州=森ってイメージもあるけど、 建築学の教授の話では 欧州で木の建築というのは非常な憧れの対象だったんだとさ。
石の建築は風通しが悪く基本的に不便だからな。 フランスで昔からの建物に住んでたお年寄りが熱波でバタバタと亡くなったのも記憶に新しい。
対照的に日本の家は風通しがいいというか、すきま風いっぱいだから、 アルミサッシが登場したらバタバタと亡くなったよな。
492 :
世界@名無史さん :2008/06/27(金) 00:39:58 0
日本の家は基本的に対夏用だよな。夏の間、涼しいように作ってある。 欧州のは対冬用
つーか風通し以前にヨーロッパの石造りの建築は、窓を開けても熱が逃げない。
ヨーロッパっつったって南北でだいぶ違うが
石造だから熱波で死ぬじゃ。 フランスだけ被害が偏っている説明にならないよな。
冬は厚着するなりで対処できるが暑さはどうにもならんもんな
建築学の教授の話の続きだけど、 そんな冬の寒さをしのぐために犬やら抱いて寝たんだとさ。 そんで欧州人は犬大好きとか。 家の造り様は夏をむねとすべし。冬はいかなる処にも住まる。(徒然草)
兼好がヨーロッパの冬の寒さを体験していたら逆のことを書いたよ
>>495 何年か前の熱波のとき、イタリアでも被害が出ていたにもかかわらず
全く話題にならなかった。
それを「イタリアと違って、フランスは真面目に被害を調査しているから
こういう結果が出るのであって、わが国に被害が偏っているわけではない」と
フランス人が怒ってた気がする。
500 :
世界@名無史さん :2008/06/27(金) 10:21:27 0
仏伊は昔から仲が悪いなw
単に現在でも住環境が悪いって事じゃないの? エアコンとか普通になさそう
世界地図みると分かるんだけどな。 フランス南部とかイタリア北部と北海道の緯度がおんなじぐらいなんだわ。
緯度が同じでも気候は違うっしょ
単純に緯度で比べられないけどな 海流や季節風の影響もあるし
その話何度も昔のこのスレに出たけどw、理科年表で見ると 札幌の一月の平均気温(-4.6)<ストックホルムのそれ(-2.9)、だよ。 ついでに一月の平均気温を比較すると、 旭川(−8.4)<オスロ(-7.2) 盛岡(−2.5)、松本(−1.0)<ベルリン(-0.5) 水戸(2.4)、金沢(2.9)<パリ(3.5) 名古屋(3.7)<ロンドン(3.8) 東京(5.2)<ナント(5.3) 大阪(5.5)<マルセイユ(6.4) 鹿児島(7.2)<ローマ(8.0) 八丈島(10.2)<ジブラルタル(13.4)<名瀬(14.2)<那覇(16.0) 504の言うように、特に冬場の気温は海流と季節風の影響が大きい。
それって小学校か中学校で習った記憶が・・・
507 :
世界@名無史さん :2008/06/27(金) 16:05:57 0
そう。 ヨーロッパが北にあるのに暖かいのは、メキシコ湾流のおかげってのは地理の基礎の基礎。 ふつうにテストによく出た問題。 世界史板で議論する話でもないだろ。 ゆとり世代って、大卒でやっと昔の中卒レベルなんかな?
中世っていまよりあったかかったいうけど 同じような時代のほかの地域(東アジアとか)だと寒かったとかいわれてよくわからん
この前街中で白人女性とその娘を見かけたが やっぱ金髪女性は最高だぉ(*´д`*)
>>507 は、
自分の発言がゆとりとは気付いてないんだろうなあ
>>508 ん? 日本でいう鎌倉時代、13世紀頃が結構温暖だったのは確か。
中世の都市でも入るときに売り物とする品々に税を掛けていたはずだが、 これは都市を通るたびに荷物を全て調べていたのだろうか? それとも目録のようなものを作成し、数をチェックする程度で通れたのだろうか? それだって遠距離を行く大商人とかでなければ信用なさそうだけど。 宝石のような小さなものなら、身包み剥がれでもしなければ隠し通すことができそうなのだが。 そういうのには鑑定書的なものがあったのかな?
つ袖の下
パリは19世紀まで城壁内に入る商品への物品税があったな
>>510 は、
自分の頭の悪さに一生気づかないんだろうなあ
まあ、それはそれで幸せだよ、猿といっしょでw
516 :
世界@名無史さん :2008/06/28(土) 01:01:54 0
値段が上がりすぎて灯油が買えず、東北のお年寄り達が室温零下のなかで過ごしてるってのを この春にTVでやってたけど、もうヨーロッパもびっくり! だよな。 いつまでもお年寄りにあんな仕打ちを続けてるんじゃ中世以下だぞ・・・
ヨーロッパは西から東にいくほど寒くなる
国王がユダヤ人保護のため(と称した)ユダヤ人税も面白い。 暴徒がユダヤ人の家屋を破壊した後、ユダヤ人がユダヤ人税 の返還を求めて、国王が(しぶしぶ?)半額を返還する例 などがある。
メキシコ湾の暖流のおかげ
徴発も人気がなかったね、 価格と負担者が一定でなく不公平感が強かったのだろうけど
今ほど暖かかった時代ってあるの?
白亜紀とかすごかったらしいぜ
誤爆
白人がいいよな
526 :
世界@名無史さん :2008/06/29(日) 10:44:49 0
中世は今より暖かかったから、ドイツでもワイン製造が盛んだった
今はドイツで盛んじゃないの?
エゲレスの間違いか? それでも酸っぱくて敵わんからボルドーからの輸入品が好まれたらしいが。
ドイツってもライン川流域あたりなら今でもワイン作ってるわな。 名目上の神聖ローマ帝国領域って話ならブルゴーニュあたりまでそうだし。
最近気温が高いのでイギリスでもワインができて それが評価も高いと知人のソムリエの談
その分今までのワイン産地がどんどん駄目になるだろうな。気温高すぎて。
ワイン産地が北に移動するだけだな
高温に強い品種に変えるだけだよ 北上は無い
ヨーロッパ史が他の地域と違って特殊に見えるのはなぜ? やはり狭い地域にいろんな民族がいるからかな?
ヨーロッパと「他の地域」について掘り下げて調べてないからそう見えるのではないでしょうか
536 :
世界@名無史さん :2008/06/30(月) 13:58:47 0
ペストが出た村は軍隊が取り囲んで焼き払うんだよな。 ああ鬼畜鬼畜(((((゚Д゚;)))))
ヨーロッパは外観は綺麗 街並みも人々も美しい しかし内面は汚い、糞尿撒き散らすし人々も腹黒い
中世ヨーロッパの拷問歴史みたいなもん読んだけど 中国に負けず劣らず残酷だな 今のヨーロッパ人からは残酷な臭いがしないと思っていたけど オーストラリアのオランダ兵が日本兵に対して異常ないじめを行っていたとか ロシアのネオナチがアジア人とか黒人に集団暴行加えて半身不随にさせたとか シーシェパードの暴挙とか、白人女達による集団リンチ映像とか、牛を切り殺す映像とか 見たり知ったりした時に何だ人間なんて1000年前も今も変わらず醜い生き物なんだと思ったね
ここを自分の日記と勘違いしている馬鹿がいるな。
おかしいのは日本語じゃなくて頭だよね
ただの嫌白厨だろ
そんなこといったら、江戸時代の拷問が人道的だったとでも
>>536 ペストが出て軍隊が焼き払った村の名前を教えて
この時代に常備軍があったとは思えないのだが、 「ペスト焼き払い部隊」でも作ったの?
21:|∀゚) :2006/09/12(火) 22:30:04 ID:V/BuURwz [|∀゚)] ペストが出た村は軍隊が取り囲んで焼き払うんだよな。 ああ鬼畜鬼畜(((((゚Д゚;)))))
中世ヨーロッパで最も快適な暮らしが出来たのはどこだろうか? この場合の快適とは、インフラや安全性が整っていて、経済的にも豊かであるということ。 ポーランド?シチリア? それともやはりビザンツかな?
>>544 江戸時代の拷問なんてヨーロッパの変態拷問専用器具に比べたらおもちゃみたいなもん
それに江戸時代の拷問は政治犯と火付け盗賊にしか使えなかったしな
551 :
世界@名無史さん :2008/07/01(火) 11:36:06 0
ペストが出て、軍隊に焼き打ちされた村は知らんが、 ペストが出たのはユダヤ人が毒を撒いたからと噂がながれ、民衆に ユダヤ人集落が焼き打ちや略奪の対象になったがそれを>536 は勘違いしているのか?
やっぱり、ビザンツがガチ。
>>551 その時教会はけっこうユダヤ人をかくまってるんだよな。
ワインとかビールとかって年齢制限は中世のとき無かったのかな?
555 :
世界@名無史さん :2008/07/01(火) 22:17:46 0
今でもない
556 :
世界@名無史さん :2008/07/01(火) 22:40:34 0
☆【毎日新聞が英語版で、「日本人は変態ですよ、性獣ですよ、日本文化は卑猥ですよ」と 世界に向けて9年間も宣伝吹聴していた事件について、毎日が実際に世界に発信していた記事↓】☆ ■少女嗜好が発達した日本では、小学校に通うごく普通の少女たちが放課後、売春婦として働いている。 ■20才から35才の間の日本人の4分の3がセックスの写真やビデオを撮ったことがある ■思春期の受験生の集中力を増すために母親はフェラチオで息子の性的欲望を解消する。 ■日本の看護婦たちは通常、病院内にバイブを持参し、仕事柄、アナル開発に興じている。 ■六本木のあるレストランでは、コックは食事の前にその材料となる動物と獣姦する ■福岡の米祭りは、顔にベトベトの白い液体を塗るため、AV業界が「顔射」と呼ぶものによく似ている ■日本人の若い女性はファーストフードを食べると性的狂乱状態になる ■日本人主婦は皆コインランドリーに附属のコインシャワーで売春している ■日本のティーン(10代)たちはバイアグラを使ってウサギのようにセックスをする ■日本の最新の流行 : 70歳の売春婦 ■老人の売春婦の人気にもかかわらず、日本では小学生の売春婦にも仕事がある ■ほとんどすべての漁師は海でマンタとSEXしている ■日本人女性の55%は、出会ったその日に男と寝る ●毎日新聞の悪行容認企業 (不買推奨) 【 サントリー 】 「広告を今後続けることについて何の問題もない」 【 NHK 】 「だれも信じないような出鱈目は報道しない」 【 マクドナルド 】 「お客様の判断ですので一向に構わない」 【 am/pmジャパン 】 「毎日新聞は最大限の努力をしている」 【 大塚製薬 】 「今後この件が社会的問題になるようだったら、その時点で考える」 【 サッポロ 】 「現状通り、方針変更はない。」 【 日刊現代 】 「そんなに目クジラ立てるなよ」
>>553 ホントに?
ちなみに、いつぐらいにどこで?
>>557 何でも良いからヨーロッパ中世史の専門書読め。
その手の逸話はいくらでも出てくるから。
>>558 中世史の専門書ではないが、ペストについての本があったので読んでみた。
1350年前後についてだけど、アヴィニョンの教皇が
アヴィニョンのユダヤ人は保護したという記述があった。
あと、一応ユダヤ人は皇帝の庇護にある前提だから、代官のところにかくまわれたとか。
レーゲンスブルクの聖職者が当時「ユダヤ人が井戸に毒を投げ入れているといって
多くのユダヤ人が迫害されているが、本当にユダヤ人がやったのか?
ウィーンを見ろ。ユダヤ人もたくさん死んで、新たに2箇所の墓所を買わなきゃならないほどだ。
自分で毒を盛って、自分たちが死んでるんだから、こんなに馬鹿な話はないが、どうなんだ?」
みたいな話をしていて面白い。
ところで、アヴィニョンの教皇がユダヤ人を守ってるってことで、
もしかして当時のシスマが関係してるのかなと思ったけど、自分ではそこまで調べきれず。
どなたか詳しい方がいたら教えて欲しいです。
カルロ・ギンズブルク「闇の歴史」ではレプラ患者たちがペストをまいた犯人にされた例が載ってたね。 「イベリアのイスラム教徒の王から指令を受けてやった」とか自供までさせられてる。
561 :
世界@名無史さん :2008/07/03(木) 09:30:15 0
現代でもアメリカがイラク関連で同じことをしていることに慄然とさせられるな。
562 :
世界@名無史さん :2008/07/03(木) 10:07:10 0
>>479 原始林なんてEUではポーランドのビャウォヴィェジャの森だけだ。
あとはみんな人の手が入った結果植生が変わってる。
>>487 それだとつまらない。
中世後期にはウエイトが東や北に移る。
565 :
世界@名無史さん :2008/07/03(木) 10:12:29 0
>>534 記録がたくさんあって調べやすいから
アフリカだって中南米だっていろいろあっただろうが、記録がないから調べようがない
>564、ムスリムもネコ好き
大型犬の方が暖を取るのにはいいだろうなあ サザエさんに兄妹が冬の夜に抱いて寝るのにタマを取り合うという話があった。 けっこうネコ抱いて寝てる人多いのかな。
犬よりも幼女のほうがいいなww
子供も体温高いな
ほしゅ。
572 :
世界@名無史さん :2008/07/18(金) 22:50:55 0
それにしても急に寂れましたなあ
白人に生まれたかった やっぱ白人の美しさには敵わないょ・・・
574 :
世界@名無史さん :2008/07/19(土) 10:18:03 0
ドリトル先生に顔の白くなる薬を作ってもらえ
まぁ確かに碧眼や金髪は羨ましかったりする 白人だけの特権だもんな 日本人はみんな黒髪、黒眼 つまらん
色んな民族が入り混じった状態になりたいのか じゃあもっと外国人受け入れなくちゃね
アフリカ人の人種差は大きいからアフリカ各地の人を受け入れるだけでも多様性は増すな。
日本なんざ所詮モンゴロイド
このスレって中世の話に興味ない人が多いな
次スレは近世に統合することに決定しました。
勝手に決めるなバチカンめ!
次スレはネストリウス派と統合する事に決定しました。
はいはい白人白人 神聖ブリタニア帝国に生まれたかったょ・・・
白人っていうと十字軍でイスラム教徒を殺して食ってた奴らだろ?
そりゃフランク人だろ。 当時世界最低レベルの野蛮人だったのに、 今じゃ白豪主義なんて差別する側だもんな。
白人なんていうバーバリアンが調子付いたせいで世界中が野蛮の被害を受けたよな。
まーたはじまった
ああ、真実の指摘が始まったな
そういう中身のないレスも嫌白厨くんの特徴だな すぐわかるw
あんまり構うなよ
>まーたはじまった >そういう中身のないレスも嫌白厨くんの特徴だな >すぐわかるw >あんまり構うなよ こういうのを中身のないレスというんだよ 自覚がないのは恐ろしいね
でましたお得意の鸚鵡返しw
おうむ返しで反論になるということは自爆してるってことなんだよ そんなこともわからないんだなあ
反論になってると思える脳みそが逆に凄いw
>>595 ねえ、リアルに精神病になると回りってどんな反応するの?
>>596 君を見てる人の様な反応。
>おうむ返しで反論になるということは自爆してるってことなんだよ
に適合してるね
599 :
世界@名無史さん :2008/07/21(月) 10:59:59 0
ところで精神病の患者って、中世的にはどんな扱い? そんな病院施設ないだろうし、やっぱり魔女扱い?
>>599 悪魔つきにされたり逆に聖人扱いされたり、色々だったみたいだね。
オスマン朝ではデルヴィーシュ(修行僧)が半分気違いみたいにふるまって 政権批判をしたり民衆を扇動することがあったみたいだね。 コンスタンティノープルの征服者メフメト2世に仕えていた画家のベッリーニは ある日ひとりのデルヴィーシュの肖像を描くように命じられた。 その者は最近市場でスルタンの功業をたたえる演説をすることを禁じられていた。 画が完成すると、スルタンはこのデルヴィーシュをどう思うかと訊いた。 ベッリーニは「狂人に違いないと思われます」と言った。 スルタンは「だが余は狂人に褒め殺しにされたくはない」 「なら彼をデルヴィーシュの長にすればいかがです」というとスルタンはそうした・・・
602 :
世界@名無史さん :2008/07/21(月) 22:27:11 0
鞭打ち苦行者も狂人といえば狂人だよな。
民衆をそそのかしてペストはユダヤ人の毒によるものとして、ユダヤ人街 を攻撃、市政府は急遽、市民を招集し撃退。破壊されたユダヤ人街は、 ユダヤ人税で再建というケースが多く。国王のユダヤ人税の権利を市が 買い取ってたりするから都市民自体はユダヤ人保護に回る。
>>597 反論になってると思える脳みそが逆に凄いw
>>603 市民も一緒になって追放してたけど。
特にユダヤ人から借金してた奴らは、債権者が追放されてウマーだし
ユダヤ人の家財道具は市が没収でウマー。
没収しようとしたら、ユダヤ人が自宅に立てこもり、
やけになって建物・家財道具ごと焼身自殺をはかったってこともあった。
ユダヤ人の中から子どもや美人を選んで、キリスト教に改宗させて助けたりもしてたけど
結局「復讐されたら困る」ってことで追放。
さすがにユダヤ人がいなくなりすぎて、やべってことで
追放の波がおさまった後、ユダヤ人保護にはしった都市は多いみたいだけどね。
>>605 追放されたユダヤ人はみんなカジミェシュ大王のポーランドに移住した。
ポーランドではユダヤ人のための住宅地を城塞都市の外側の新興開墾地に用意してユダヤ人を住まわせ、大幅な自治を認めた。
代表的なユダヤ人住宅地は大王にちなんて名づけられたクラクフのカジミェシュ地区や、カジミェシュ・ドルヌィなど。
>>606 1367年にポズナニで最初(ポーランドで)のポグロムが起きたらしいが
やはりそれと関係しているのだろうか。
ユダヤ人税の税収権を王から購入している市が追放するメリットがない
609 :
世界@名無史さん :2008/07/23(水) 12:09:41 0
ttp://sankei.jp.msn.com/affairs/crime/080723/crm0807231116013-n1.htm 【八王子通り魔事件】殺害の斉木さん 「大学ゼミのまとめ役」と教授
2008.7.23 11:16
殺害された斉木愛さん(22)は中央大に通っていた。
大学では文学部に在籍し、西洋史学を専攻、主にヨーロッパ中世史を学んでいたという。
来春に卒業を控え、専攻責任者の見市(みいち)雅俊教授(61)は
「ゼミでは15人くらいが学んでいたが、斉木さんはまとめ役の一人でもあった。
こんなことになるなんて…」と言葉を詰まらせた。
大学側は事件を報道で知り、斉木さんの家族と連絡を取ったという。
その際、斉木さんの母親は大学側の気遣いに感謝を述べるなど取り乱すことなく、気丈に振る舞っていたという。
事件は、東京・秋葉原の無差別殺傷事件から2カ月も経過しないうちに発生。
見市教授は「秋葉原の事件は、どこか他人事のようだった。身近に起きるなんて思いもしなかった」と話していた。
>>607 1189年にロンドンとヨークで、ドイツやフランス全土では1196年に大規模なポグロムが起きている。
ポグロムを怖れてドイツから逃げてきたユダヤ人が大挙ポーランドに住み着いたためポーランド市民と軋轢がおき、
1367年にポズナニでの暴動に発展した。1407年にはクラクフでも暴動が起きた。
1367年にはカジミェシュ大王が、ユダヤ人を保護する法令を発布している。
それでも対立が続いたため、ヤン1世は都市城壁の外の土地を開墾して新たに住宅地を作り、
1493年にはユダヤ人を移住させ、そこにおける自治を認めている。
>>608 金の卵を生むガチョウの腹をさいちまったんだろ。
>>609 中世史を学ぶ人だったのか…
ご冥福をお祈りします。
612 :
世界@名無史さん :2008/07/23(水) 22:39:45 0
ユダヤ人街って、市壁の脇にあったんだっけ? かなり環境悪かったんだよな
西欧ではそうだが、ポーランドでは優遇とまでは行かないがどの街も比較的立地のいい所にある クラクフのカジミェシュ地区は王宮のすぐ東側の高台だし、 ワルシャワやヴィルノの旧ユダヤ人街も市街の高台の一等地、 自治権を認められた田舎街もある
都市から追い出されても、財政上の理由から、中小の貴族が農村で 受け入れている。だからこそ、回復も早い。
バケツと斧を持って、火事場で火を消したが、火の粉が隣の教会の屋根 の銅板の隙間に入り込んで、気がついたときには手の打ちようがなくなり 延焼した例があるな。斧は、救助兼建物破壊用だろうけど。
破壊消防は江戸の火消しと同じじゃろ
617 :
世界@名無史さん :2008/07/26(土) 23:09:20 0
消防ポンプはすでにあったんだよな?
教会が関わったケースがあるにせよ、実際に調べると保護してたり、 蒙昧な民衆のスケープゴートにされる方が多いのもあるよな。 この手の事は。部落の問題も似てる。 天皇制を中心にした明治政府が平民に組み込もうとしたのに、 逆に民衆一般が政府に反発して征伐とか言って弾圧したり。 近代の天皇制と国民国家システムは負の側面から誤解されがちだが、 あの手の中世的な身分制度の破壊する糸口になった。 少なくとも建前上は一国民となり、水平社結成して表立って活動できるようになったのも 天皇制の下でだし、江戸時代とは比較にならないぐらいましになってる。 国民化できてないインドは今でもあの状況だし、中世ヨーロッパは身分制度の 根本的なもの考える上でいいサンプルだな。
619 :
世界@名無史さん :2008/07/27(日) 02:05:46 0
人民が被差別民を弾圧し、権力者が被差別民を保護したなんて話は サヨクには理解できません。
別に保護でもないだろ
621 :
世界@名無史さん :2008/07/27(日) 08:59:07 0
ようするに富国強兵のためだろ。
結果オーライ
>>618 鎌倉〜室町辺りの天皇と悪党の関係もおもろいね。
>>623 当時の悪党ってのは尊氏のことじゃねーの?
悪党とは体制に逆らう者の総称 海にいるのは海賊という
626 :
世界@名無史さん :2008/07/27(日) 22:26:12 0
中世ヨーロッパでは?
デンマークとメックレンブルクが戦争したときに、 バルト海あたりの海賊に「敵国の船は襲ってOK」って許可を与えてた。 海賊っていっても、下級貴族出身の人もいたみたいだけど。 とばっちりを受けたハンブルクの商人が一掃作戦に出て、 捕まえた海賊は斬首、首は見せしめにエルベ川の川岸に並べてたそうな。 海賊を味方につけて戦争ってギリシャあたりでもあった気がする。
628 :
世界@名無史さん :2008/07/28(月) 00:55:56 0
>621 どんな理由であれ、日本の全歴史を通して、 強固な天皇制を中心とする明治政府以上にいわゆる公的「身分」としての部落を 建前を含む公的かつ組織的に解消させた政府は無かった。それは事実。 「いや個人的、秘められた差別はあったぞ」とか言っても、そんなのは 世界どこでもあるし、人間社会である以上無い所はないだろう。 改革以降はただの移行可能な「職業の一つ」と化し、「身分」的なものではなくなった。 職業や生業の内容に関わる毀誉褒貶や、中には蔑視したり嫌ったりする人間がいるのは、どんな仕事に対しても同じだし、 それは公的な「身分差別」の話ではない(3k、薄給、あんなきつい肉体労働、あいつらは押売りだ、嫌な奴にもヘコヘコしなくちゃいけない等々) 部落だろうが将校や帝国議会の議員にも なれるし、公式に部落解消の政治活動を堂々と市井でやるのも可能になった。 もうあとは時代が下るにつれ偏見は薄らいでいく一方で、近代の天皇制国家日本はその途をつけたわけだ。 中世のユダヤも同じだろう。どれだけ受け入れようが、個人的寛容見せても、 どこにでもある外国人への異端視や差別ではなく「ユダヤである事」「ユダヤ性」が 理由になっててそれで税金まで取られるなら一種の擬似「身分」だろ。 単に○○系とか扱いだけであり、中には個人的に偏見持ってる奴がいる程度で真に「身分」は無くなったと言えるだろう。
>バルト海あたりの海賊 ヴィターリエンブルーダー?
>>629 小熊英二の「『日本人』の境界」おすすめ。
>>630 それそれ。
戦争が終わってからも、海賊行為をやめなかったので成敗されたと読んだんだが、
ロビン・フッドとか、はたまた強奪した物品を分け与えたので「ねずみ小僧」みたいに
ヒーロー扱いされてるとも聞いたことがある。どっかに文献ないかな。
>>628 モンスターだな・・・
こんなのは口減らしで真っ先に殺されるか
見世物小屋でさらし者じゃね?
日本も欧州もユーラシアの末端だから文明国になれた
634 :
世界@名無史さん :2008/08/01(金) 00:13:22 0
それにしても暑いな。中世ヨーロッパじゃ暑気逃れの海水浴はしたんかな
そもそも日本と違って蒸し暑くないような
>>635 ヨーロッパも大西洋岸は海流の影響で蒸し暑いぞ
湿度は格段に低いよ
仕方がない、じゃないだろ 湿度とか書けよw
仕方が無いワロタw
イギリスってあんまし寒暖の差がないんだよな
糞尿の処理どうやってたんだか知らないけど 夏場のニオイは酷かったんじゃない?
匂いなんて慣れれば気にならなくなるんじゃない?
646 :
世界@名無史さん :2008/08/02(土) 08:49:30 0
肥溜めの習慣はなかったみたいだな
みんな道に撒いてたんだろ?
じゃあ、昔のシャンゼリゼ通りは、 道端に人糞がてんこもりで、皆鼻をつまんで我慢して通行していた?
そうだよ
裏に回れば今も犬のうんこだらけですが何か?>シャンゼリゼ
外人さんって臭いを気にしなさそうだよね 食べ物の臭いなんかはその国々の特徴があるけど
まあ街並みは綺麗なんだがな>欧州
ハイヒールも路上のウンコで足が汚れないように高くしたものだったんだってな
ハイヒール・ウンコ
またウンコネタに戻ってる。同じこと何度も書いて楽しいのか
そして655も繰り返されてきた。 655が楽しそうに繰り返してるなら他もそうなんだろう。
>>648 人糞を道にばらまいていた中世はシャンゼリゼ通りなんてありませんでしたが。
ケルン大聖堂は何度見ても美しい
>>657 中世に道端に人糞がてんこもりで
現代も存在して、著名な通りおしえて
そいやパリは大改造してるからな
巴里の古名はなんだったっけ?
ルテティア
Parisの名はケルトの神話で海の向こうにあるという大都Isのような都市、 という意味で付けられた すなわちParisはPar-Is
じゃあ、「パリス」って発音しなきゃ駄目なのかな。
それは伝説。 Parisii(パリシー族)から来てる。 Parisiiは「田舎者」、「乱暴者」という意味も持つ。 Lutetia Parisiorum (パリシーたちのルテティア)という呼び方もある。
西洋の街並みは独特で美しい
西洋で一括りにできるような美的感覚で美しいと言われてもな 東洋の街並みは独特で美しいならどこを思い浮かべるんだ?
俺は666じゃないけど、 「みなそれぞれのよさがあり、、、、」 「ローマです!」
スモーキマウンテンがあるけどな。まあゴミの山があるってことはそれなりの富があるってことなんだがw
背高で重圧感がある家が並んでるのは確かにいい眺めだわな。 うんこくさくなければ。
672 :
世界@名無史さん :2008/08/04(月) 22:39:15 0
中世はせいぜい二階建てまでじゃないの?
おまえらロマンチック街道とかいう言葉だけで想像してるだろ
俺は中世の泥臭い雰囲気こそが好きなんだが
石を積んで藁で葺いた家並みが好き
地震で崩れそうな家々の壮大な眺めが好き
ヨーロッパにロマンなどない ただウンコがあるのみ
ローマにロマンがなければどこにあると言うのだ
ローマにロマンなどない ただ生ゴミが散らばるのみ
>>657 ナポレオン3世の頃まで糞撒いてたんだが
たしかナポレオン3世が禁止したんだろ
>>659 マレ地区のユダヤ人街はナポレオン3世のパリ改造より前からある
>>661 パリの古名はパリシー族のシテ
カエサルと戦ったパリシー族時代のパリはシテ島だけ
この土人の神殿の上に後にローマ神殿が建てられ、その後に教会が立てられて、後にノートルダム大聖堂が建てられた
>>667 中国の街には美しいところがたくさんある
周荘とか、大きいところでは大連とか無錫とか
東洋もいいけど西洋のメルヘンチックな街並みが好きだ
日本で中世の街並みってどこだろ。 民家の瓦屋根は普及してないよね。 幕末の江戸の街並みとか写真を見ると整然としてすごいけどね。
>>686 以前テレビで見た最古の古民家が室町時代だから町並みとなると江戸時代以降になるんじゃね。
それで良ければ世界遺産の白川郷とか会津の大内宿とか幾つかある。
もとい。建物は新しくなっても区画は古いままってことはよくあるな。京都の裏の方とか。
ナポレオン三世は細く入り組みバリケードで封鎖できたパリを整理した そのため普仏戦争ではパリで市街戦は望むべくもなかった
694 :
世界@名無史さん :2008/08/11(月) 23:02:14 0
でも二次大戦では下水道を利用できたんだっけ
695 :
世界@名無史さん :2008/08/11(月) 23:16:11 0
>>694 それポーランドじゃないか?アンジェイワイダの地下水道
確かに道を入り組ませて、侵入兵士を惑わすのは 築城技術とかでもあったしな。 でも市街戦になってる時点で敗北寸前じゃね?
まぼろしの市街戦
無駄に犠牲が出なくてよかった ベルリンみたいになると悲惨
>>696 ナポレオン三世は、革命期にバリケードを張って暴動やら反乱を起こされることが多々あったので、
それを防ぐために市街を整理したという話しだね
まあ普仏戦争もパリの外で決着がついてたみたいだけど
やはり欧州は文明がすばらしいよな
中世ヨーロッパがよかった・・・
702 :
世界@名無史さん :2008/08/16(土) 10:52:31 0
それは思い出なのか?
今でも北朝鮮辺りに行けばだいたい中世ヨーロッパと同じだぞ
704 :
世界@名無史さん :2008/08/16(土) 18:47:36 0
(♯^ω^) ビキビキ
イギリスにホームステイすれば中世ヨーロッパの人達と同じようなものが食えるぞ。
ぶつ切りにして茹でて冷やし固めたウナギのゼリーとか?
ドイツの城なんか好き メルヘンチックで絵本に出てきそう 日本のゲームでも中世ヨーロッパがモチーフとなった作品が多い
中世ヨーロッパの城がモチーフの絵本なんてそんなマニアックなものがあるのか
たぶん「ほら、シンデレラ城のモデルになった。」「それは中世じゃないだろ」ってオチだな。
710 :
世界@名無史さん :2008/08/16(土) 22:37:50 0
地下牢があって、鎖をジャラジャラ鳴らす幽霊がいるんだな
おまいら中世に暗いイメージ持ちすぎw
全く暗くなんかないと思うが・・・・。 西洋中世史じゃ普通のことだし。
メルヘンチックなの探すならフランスは? ベリー公の時祷書に描かれてるソーミュール城とか
糞尿は城壁の小窓からぶちまけてたんだよな
716 :
世界@名無史さん :2008/08/16(土) 23:44:42 0
城の中のベッドで 愛人と髪についたシラミをとりっこしながら愛し合ったとか
みんな和製ファンタジーの妙なイメージについつい反発しちゃうんだろう。 時代も風土もごちゃ混ぜでありながら豊かで清潔すぎる現実感の無さとか。
得々と語るとイタいな。
719 :
世界@名無史さん :2008/08/17(日) 00:24:48 0
城主も農作業に追われて、農民と変わらん生活だった場合も多かったそうだな。
1粒の麦を植えて4粒の麦が収穫できれば豊作な時代だからね。 1粒の米を植えて100粒の米が収穫できる現代日本とは色々感覚も違うでしょう。 でも松平元康は農民と変らない生活をしてた気も・・・
>>707 何がメルヘンチックだ
人の快適に住めるようなところじゃないぞ城は
近代になって貴族とかが中世城郭風の別荘とか建てるの流行ったがそういうのは除く
メルヘンチックな事と人が快適に住めない事とは矛盾しない気がするが
日本人が描くと蹴りの一撃で崩れそうな薄っぺらい壁になるのが困る
蹴っては崩れないが 引っ張ったら崩れるケースは結構あったような
ヨーロッパの城壁って薄い印象があるね 中国のは分厚い
中国の城は壁
727 :
世界@名無史さん :2008/08/17(日) 09:32:55 0
城壁の内側には農家があり、ニワトリや家畜たちの鳴き声がうるさかったそうだ。
728 :
世界@名無史さん :2008/08/17(日) 11:04:57 0
>>714 中世の城で最高なのはポーランドだべ
・北部はチュートン騎士団のたくさんの城
・南部は旧ハンガリー国境「鷲の巣街道」の中世ポーランド王国のたくさんの城
たくさんありすぎて何度行っても見きれないね
しかし高級ホテルなみの内装に改造した城だと、メルヘンチックじゃないな。 中にいればふつうのホテルにいるのとかわらんし。 やはり当時の暮らしのまま不便を味わいつつ、中世に思いを馳せるのがメルヘンだろう。
トイレはおまる 風呂は手桶一つだな
寒く薄暗い石造りの城内の、ワラのベッドでシラミと戦いながら寝る というのも風流だなw
料理も当時の材料を使って当時の作り方で作り当時の食べ方で・・・ 食中毒起きそうだが
日本の城よりヨーロッパの城んほうが好きだ 鎧も西洋の甲冑がカコイイ
日本の城でも戦国時代のは実用本位でいいぞ 計算された縄張りはいい
そういや食事は手づかみだな 日本じゃ既に食事が礼法として扱われているが
736 :
世界@名無史さん :2008/08/17(日) 22:09:44 0
ベッドは藁じゃないだろ。天蓋から寒さ避けの分厚いカーテンが下がった巨大な寝台。
監獄は中世風にすべき。
738 :
世界@名無史さん :2008/08/17(日) 22:51:09 0
ネズミが足元を這い、窓はなく真っ暗。冬は極寒の堅牢な石造り
中世で良いな〜っていわれてるのなんて超上流階級の一部だろ 現代の格差社会の1パーセントにも満たない勝ち組み的存在 その他はそりゃあもう酷い生活してたわけだ 日本もそう、小作人なんて実質的な奴隷だったわけで 日本の城も〜なんていったって一般人からすれば恐怖の象徴だったろうに
740 :
世界@名無史さん :2008/08/17(日) 23:42:25 0
あちらの領主さんは、日本のお武家さんほど怖くはなかったかな?
江戸時代の農民は地獄だもんなw
742 :
世界@名無史さん :2008/08/18(月) 01:16:35 0
>>725 屋根の落ちたまんまの古城の空撮映像見たら、壁むちゃくちゃ薄いな。
震度2ぐらいの地震で半壊しそうなぐらい薄い
>>733 ザビエルヘアーの宣教師どもが日本の城に腰ぬかしてたが
>>740 死亡税とか飯炊き税とか初夜権なんてもんは日本にはなかったが
もちろん地方単位だが、死亡税に近いものなら穴銭とか 他にも生まれたときの頭銭とか
天蓋って十字軍以降だっけ?
>>696 都市は街道が交錯する場所だから
都市の攻略だけ考えれば市街戦で終わりかも知れんが、
さらに進撃続けるつもりなら都市攻略しておかないと大変
守る側はそれを阻止するために必死になる
市街戦は重要
>>740 そもそも治安もくそもなかったので部族・集落で集まり、さらに武装権のある貴族に守ってもらうしかなかった。
怖いとかそういうのは相対的レベル。
>>745 キリシタン弾圧のための税みたいだな
一般的なものではないようだ
キリシタン弾圧のためってのは領主の主張じゃないか? 実際には農民の不満とキリシタンの不満が結びついたんだろ
天草以外例はないようだけど
752 :
世界@名無史さん :2008/08/18(月) 10:33:09 0
中世ヨーロッパでも国によってだいぶ違うからな 住みづらいのは古代ゲルマン人の系統の連中が住んでた国だろ イギリス、フランス、ドイツあたり
753 :
世界@名無史さん :2008/08/18(月) 10:41:49 0
地中海沿岸は古代ローマ文化の影響を受けて 生活水準も高く、生活環境も(当時としては)快適だったかもね。 そういえば寝そべりながら食事する文化って、 ローマ滅亡後もヨーロッパに残ってたんだろうか。
中世も10世紀以降になるとポーランドが黄金時代を迎えるな 岩塩の採掘で潤って諸民族の自由の国になっていく
セルビアなんかも中世後期になると鉄鉱などが開発されて豊かになり コンスタンティノープルを脅かしオスマン帝国と事を構えるような リージョナル・パワーになってしまった。
>>747 攻城戦の不文律として、攻め手が城壁に穴を開けた時点で降伏の最後のチャンス
突入後は皆殺しにされても文句はいえない、というのがあったらしいですね。
突入してきた敵を皆殺しにすればいいじゃん
城を落とすのって攻撃側が数倍の兵力を必要とするんじゃなかったっけ? 時代によって違うだろうけど
イベリア半島に行きたい
760 :
世界@名無史さん :2008/08/18(月) 18:19:20 0
>>758 時間かければ問題ないよ
春先に攻囲してそのまま秋までずっとやってると城のやつらはそのうち飢えてくる
まずうんこが処理できなくなる
会津の鶴ヶ城はこれで簡単に落ちた
>>760 そんだけの長期間兵士雇って飯食わせるだけの財力があればね。
徴発するっても限界はあるからな
進撃を続けてる間は現地調達でなんとかなるが攻囲戦は難しい 近場のもの食い尽くして遠くまで略奪する必要が出てくれば城内から突破されるかもしれない 敵対的な地域での城攻めは困難 共和政ローマのように街道と強固な陣地を築くか ハンニバルみたいに都市は素通りして野戦で敵戦力の撃破を狙うか
>>761 薩長は錦の御旗の威力で徴発しまくりだから可能だったわけですね。
>会津の鶴ヶ城はこれで簡単に落ちた 簡単?
どうにも、「ゲーム脳」って言葉を信じたくなるような奴が書き込んでいるな。
子供たちはまだ夏休み
767 :
世界@名無史さん :2008/08/18(月) 22:23:36 0
映画「サラエボの花」
1995年、サラエボ。
2万人以上の女が強制収容所に送られ、
毎日何人もの兵士からレイプされる日々。
妊娠してお腹がふくらんでも、容赦なくレイプは続く。
輪姦と妊娠と強制出産という女の生き地獄がそこにあった。
−−−−−−−−−−−−−
民族浄化という無味乾燥な言葉ではイメージできないがその内容はもうムチャクチャだ。
要は相手の民族を辱めるサイテーな手段である。村を襲ったとき、まずは男性を皆殺しにする。
老人だろうが赤ん坊だろうが容赦しない。そして女性は全員収容所送り。ここからが恐ろしい。
即刻処刑される男性の方がマシだ。
女性たちは収容所で兵士たちに毎日毎日何度も何度もレイプされ続ける。
やがて彼女たちは妊娠する。妊娠中だってレイプされる。
そして今度はその子供をなかば強制的に出産させられるのだ。
その子供は兵士たちの血の混じった人種である。そうやって相手の民族を辱めるのだ。
それが混乱に乗じて犯した一部の不届き者の蛮行ではなく正式な作戦として行われたことなのだ。
中には出産した子供を自らの手で殺してしまう母親もいた。
しかしそれができない女性もいる。どんな状況であれ自分の子供なのだ。
そして自分は母親。
http://cinemacell.cocolog-nifty.com/photos/uncategorized/2008/06/09/saraebo_no_hana_1.jpg 日本も韓国に、負けるといいよ
ゲーム脳ってゲームとの類比で現実捉えちゃうことではなく ゲームのやりすぎによって脳波が〜とかいうやつだろ
>760 >会津の鶴ヶ城はこれで簡単に落ちた TV番組のクイズの答えにされて、会津の方々が それ違う〜!ってマジ泣きで抗議してたよ
>>769 だってあれじゃ、それが主な要因みたいだったじゃん。それが無かったらまだ戦えますみたいな。
実際は天守に大砲何発も打ち込まれて、淀殿でも「停戦じゃ!」って叫んでる頃合いだよ。
やっぱヨーロッパといったら城だよな
やはりローマ帝国がカストゥルムとか建ててなければ モットー&ベイリーとかスラヴ系のゴロドみたいなしょぼいのばっかりだったんだろうか>欧州の城
773 :
世界@名無史さん :2008/08/19(火) 10:26:57 0
>>772 狩猟採集や焼畑農業から、定住性の農業にかわってきてから堅固な城が必要になったのであって
それまでは簡易な砦で充分だった
スラブは欧州じゃないだろw
何が
トルコがエジプト攻めた時、 カタパルトにぬこ積んで城内にバンバン飛ばしたら、あっという間に降伏したらしいな ...ぬこ...
なぜか和んだ
カタパルトは欧州発祥
ぬこのかわいさは洋の東西を問わない
>>778 "The Origin of Greek and Roman Artillery"って論文によると
アッシリアの壁画にもカタパルトらしきものが描かれてるらしい。
ギリシャ発
>>772 でもキエフの木造城壁とか規模や造りが結構壮観だぞ
というかそこまでして石や煉瓦を使わないか?っていう
783 :
世界@名無史さん :2008/08/19(火) 18:14:33 0
それは言いすぎ
夏至の洗礼者・聖ヨハネ祭には黒猫12匹だか13匹が火焙りにされてたんだよな。 地域によっては黒山羊。 そういや、猫が嫌われ殺されまくっていたから鼠が増えてペストが流行って説もあったね。
788 :
世界@名無史さん :2008/08/19(火) 22:56:59 0
建材となる石材ってヨーロッパではどのあたりでも産出してたの?
ちょっと前まで衛生面の話題ばかりだったこのスレが…成長したものよ…
790 :
世界@名無史さん :2008/08/20(水) 00:08:30 0
ウニの化石って、小人が魔法で石に変えたパンだと思われてたんだってね
>>788 ある程度どこでもありそうな気はするけど、質の問題とかもあったんじゃないかな。
あと加工とか輸送とかで高くつきそうだから金持ってないと使えなそう。
村で唯一の石材建築は教会〜みたいな表現を何かで見たような。
関係ないけどローマ時代の石材建築とかは
中世以降にはちょこちょこ壊されて、他の建築用に転用されてたとか。
建物も中は煉瓦で、外見だけ高級そうに石材で、ってのが多かったみたいだね。
いや、煉瓦も焼くのにかかる薪代でかなり高級品じゃなかったか。
いやレンガの方がやすかったって何かで読んだな 石は整形すんのがめんどいんじゃね?
だから石工がいるんだろ
うん、だから石工を雇わないとならないんで高かったとか 煉瓦は積み上げて野焼きで焼いてたらしい
797 :
世界@名無史さん :2008/08/20(水) 08:27:39 0
野焼きなら、藁で焼いてたんじゃないの。薪代はあんまりかからんかも
と言うことは脆い煉瓦だな
>>779 エジプトではぬこが神聖視されてて、エジプト人がぬこの死に耐えきれなかったと言う事らしい
...決して、城内ぬこだらけになって、もふもふで萌え死んだワケじゃないぞ
ヨーロッパの武装って他地域に比べてなんであんなに重装備なんだ?
>>800 中世盛期までは最高の防具が鎖帷子だったからむしろ装備が貧相な地域だったかもしれない。
十字軍騎士なんかは防御力を増すためにメイル・ホウバークを二重に着てたり。
その後プレートアーマーが出てくるまでは皮革や金属の小札を裏張りした
ブリガンディンやコート・オブ・プレーツなんかを鎖帷子の上から着ていたけど
それらはモンゴルのハタング・デヘルの影響だという説もある。
まあたいていのものはイスラム経由でアジアから伝わってるからな。
トルコがエジプト攻めたときってもうイスラムじゃねえの? まだネコ信仰なんかしてたの?
元々重装騎兵はパルティア、ペルシャからローマに入った。 ビザンチン帝国ではローマの重装騎兵が受け継がれる。 イスラムでは初期はペルシャの重装騎兵が受け継がれるが、後に軽騎兵中心に移行。 西ヨーロッパではイスラムの重装騎兵に対抗する為フランク王国が作る。 封建制&王に部下の武装を整えるほどのお金が無いので軍団兵としての重装騎兵ではなく 騎士という形になる。 王が部下の装備を揃えるビザンチンやイスラム式の重装騎兵に比べて 個人が装備を整える西欧の騎士の方が、個人差が大きかっただろうが、 金の掛かった良い物も作りやすかっただろう。 そして後世に残るのは良い物が残る。 別の点として、馬の差がある。 東洋(日本含む)では馬はあまり大型化しなかった。 アラブ種は現在の競走馬のような大きいが細身の速さを重視した馬に育てられた。 ヨーロッパ種は現在では輓用馬になっているような大型でごつい馬に育てられた。 だから重さに耐えるという意味ではヨーロッパの馬は他の地域より有利。
>>776 道端に落ちてたら避けるし、まかり間違って踏んでしまうと、日一日欝じゃん。
それが頭の方から飛んでくるっちゃあ、どれだけイヤなことか。
トルコ人は遊牧民だから干して茶を沸かす燃料にしたりしているけれども、そうで
ない人からすると、んなもの飛んできたら発狂するわな。
俺が読んだことあるのは盾に猫はっつけて戦ったらエジプト人は手が出せなかったって話だな 相手がどこだったかは忘れた
>>803 ファラオがいてバテストとか信仰されてた頃のエジプトvsアケメネス朝ペルシアでは?その話
>>804 ペルシア帝国にニサ種とかいう大型軍馬がいなかったっけ?
カリフ朝の頃にはすでに失われてたのか
金属の加工技術が高かったり、鉄鉱石が多くとれたりしたのだろうか?
騎士の国といえばフランク王国
金属精錬、とくに製鉄は基本的にアジアのほうが上だった。中国とかインドとか。 近代的製鉄がはじまって以降は量で圧倒するようになるが、そのころにはもう中世じゃねーしなあ
13世紀ごろの中国の製鉄量は全ヨーロッパの何十倍とかとかだったはず。 その頃はヨーロッパは石炭もろくに知らない時代でマルコポーロが燃える石があると言ったのを嘘扱いしてた。 イギリスは露天掘りができる程の石炭大国だが、使われ始めたのは14世紀ごろから。 中世の間はそんなレベルだった。
人力がすごく安かったからか、送風が機械化されずずっと精度が低いままだったとか。 一方日本は砂鉄を使った。
粗悪な砂鉄メインっで精錬ってのは他に例があるのかな?
中国は人口が多いからだろw
>>809 いや、アハルテケではない。絶滅種。
ニサ種はPhilip Sidnell "Warhorse"によると考古学的遺物等による推定体高16ハンド、
筋肉質で重装備の重さを担うことができたという。
818 :
世界@名無史さん :2008/08/21(木) 06:00:32 0
松風ってデカイよな
美しいなぁ汗血馬
俺はアラブ種がいいな。 ポニーテイルの話だが。
>>821 少なくともフランク王国の同時代から中世末期まで「騎士の国」と呼ぶほどのものであったかどうか。
David Nicolle "Medieval Warfare Source Book"より引用
650-1100年
p73
「10世紀までにポーランド王もまた小規模なエリート部隊をもち、Druzynaと呼ばれるそれは
西方の同様な国王軍と同じく、より大きな軍勢の中核となることができた。しかし、12世紀に
入ってもなおポーランド軍は装甲をつけない歩兵が大半を占めたままであった。騎兵の間でさえ
11世紀まで装甲をつけた部隊はまれであった」
p77
「さらに南のポーランドにおいては、考古学的記録は10世紀まで戦争は槍で武装した歩兵が
中心となって行われていたことを示唆している。その後弓射の重要性が急に高まったようである。
とはいえ騎乗した兵は比較的少数であり、ドイツとの境界線上の西スラヴ人の間でも事情は
同様であった」
1100-1275年
p123
「この数世紀間のポーランド軍の、いくつかの明らかに時代遅れな特徴は、ローカルな軍事的
条件とともに、王国の相対的な貧しさも反映している。ポーランドの軍事力は国王の臣下の騎兵、
それに加えて自由農民の非常に大きな、しかし非常時にしか召集されない歩兵部隊からなって
いたようだ。12世紀にはポーランドの騎士の大半はいまだに従者をもっていなかった。他方で
西欧式の鎧具足一式を用いる騎士が比較的まれであったのは、多数の軽騎兵を要するバルト海
地方の森林戦での戦術的必要性からだったのかもしれない」
ウィキペディアの「鉄砲伝来」の記述で、 「室町時代以降も日本の武器製造技術は高度となり、 16世紀後半には鉄鋼生産量でも鉄砲生産量でも鉄砲の性能でも世界一 [要出典]と言えるほどだった。 そして、その主要輸出先はオスマントルコであった(後に徳川家康による覇権の成立後、日本は武器輸出を禁止した)。」 って記述があるけど、 日本製火縄銃がオスマントルコに輸出されてたってのは出典あるのかな?
銃・火砲スレの誤爆・・・?
輸出するほどなら残ってるんじゃない?
和銃は頬付けで西洋銃は肩付けだったと思うがイスラムはよく知らん
>>825 誤爆
>>826 日本になら火縄銃は幾らでも残ってるけど、トルコに日本製の実物が残ってるのか、
はたまた書類が残ってるのか、どうなんだろうという事ね。
ヨーロッパがイスラムへの輸出を(公式には)禁じてたので、
わざわざ日本から輸入してたのか、そうだとしても日本商人はインド洋までは行かないから誰が運んでたのか。
本当なら面白い。
インドシナ経由でアラブの商人に引渡しでしょうね。
>>823 うん、フランク王国と時代を一緒にしたら騎士階級は明確に成立していなかったが、
13世紀以降になると塩坑の創業と共に急速に豊かになり、
14世紀からは欧州一の騎士の国になるんだよ>ポーランド
普通ヨーロッパで騎士の国と言ったらポーランドのこと
14世紀ったらコルトレイクで負けモルガンテンで負け騎士の時代が終わろうとしてる頃だな。 つまりポーランドは時代遅れの国だったと。
832 :
世界@名無史さん :2008/08/21(木) 20:38:00 0
時代遅れかどうかはともかく騎士の国だった その騎士道精神は今のポーランドにも生きている ついにロシアと戦うことを決断した
>>812-813 P.ケネディ『大国の興亡』 によれば、北宋の鉄の年間生産量は約五万トン。
これは産業革命初期、19世紀初頭のイギリスのそれとほぼ同じ、ということらしい。
宋の時代には鉄は知らんが石炭は一般家庭でも使用してた 貧民対策にために国が安く売ってたし コークスも結構普及してた様だし
滄州の鉄獅子も北宋だったよね
>>835 だからP.ケネディはどこからそのネタを持ってきたんだ?ってことだろ?
著名な学者なら何を言ってもいいってわけじゃないな
読めばいいだろJK
『大国の興亡』に引用されているソースをコピーすればいいのではないか
コピーってなんだよw 読んだ事ないけど巻末の参考文献全部書き出せってことか? 自分で読むべきだろ。
夏休みだと自分で本も読めないようなのが湧くんだな こんなのが大人になると何でも聞こうとして相手にされないゴミ新人になるんだ
ビザンツに生まれたかった・・・
>>843 西欧的には微妙な発言だなあ
日本で中国に生まれたかったと言うような感じか
オルハンの治世のオスマン朝に生まれて地震で崩壊したガリポリからギリシャ女をお持ち帰りしたい
かっこよすぎるんだが・・・
俺敵にはこういう西洋の兜とかはなんか形からしてダサいんだが
850 :
世界@名無史さん :2008/08/23(土) 10:52:45 0
ぶ、不気味な・・・! まあ敵をびびらす意味もあったからな。
851 :
世界@名無史さん :2008/08/23(土) 11:03:07 0
中世の封建領主の特権には、農民(というか農奴)の腹をかっさばいて、 その中に足を入れて暖を取る権利なんてあったそうな。 もちろん、フランス革命勃発の頃までには形骸化していただろうが。
852 :
世界@名無史さん :2008/08/23(土) 11:07:16 0
>>843 日本で言うなら平安京に生まれたかったということか
>>846 一番上なんかいかにも中世って感じだな!
>>849 西欧諸国に比べると少しアジアチックだな
>>841 参考文献が羅列されていても該当の箇所がその参考文献のなかにあるとは限らない
P.ケネディが嘘をついている可能性があるため信用できない
>>854 ポーランドも東のマゾフシェ公国あたりの図像史料ではアジア風の小札鎧を
身につけた戦士が描かれている。
ロシアの西の端でのちにポーランドに編入されるガリチ・ヴォルイニ公国あたりでも
早くも13世紀後半にはタタール式の甲冑を取り入れていたという記録があるようだ。
>>855 小札を綴った袖が付いてるだけでも親近感がわくから不思議だ。
>>857 マゾフシェのマゾフ族は
ポーランドの基幹部族であるポラン族(レフ族)やゴプラン族の系統とは違うから
マゾフ族も民族的にはポラン族やゴプラン族と同じ西スラヴの系統だが
リトヴァ人(リトアニア人)やルーシ人と頻繁に接触していたから
東方の諸民族の影響を受けている
ヨーロッパの騎士はなんでこんなにもかっこいいんだぜ?
>>864 ひのきのぼうだの仕込み竹箒だの売ってる店だな。
>>862 その絵でドイツ騎士団長に襲い掛かってる連中は知ってる限りでは
オリエントの細密画などに描かれるトルコ・モンゴル人とも
後世のリプカ・タタール人を描いた西洋画とも似ていないと思う。
むしろヴィタウタスの横で角笛吹いてる奴の方がタタール人といっても
違和感ないような。
ドイツに武田信玄のファンクラブがあるし、ポーランドに織田信長のファンクラブがある とはいえこれは近世か
>>886 中央左?
その皮の服着てる半裸の2人はポーランド農民じゃないか?
記録によると騎士団グランドマスターはポーランド農民が仕留めたことになっていたと思うが
あんまりポーランド史詳しくないから自信ないけど
角笛というのはヴィトルドの右奥にいる緑色の服の人物?
やっぱ現代ヨーロッパ人たちは当時の騎士とかにあこがれたりするんだろうな
蒙古襲来絵詞に描かれてるのもタタール風かな
>>868 いやあポーランド人じゃなくて、リトアニア人だよ
リトアニアのタタール人かもしれないしリトアニア農民かもしれないが、
リトアニア人は異教徒なので半裸
キリスト教徒は肌が隠れるような服を着る
ポーランド人はキリスト教徒だから、半裸にならない
ふうん、現代日本人のおれは今全裸だが、東ヨーロッパ人は文明が遅れているな。
肉の保存用に胡椒が重宝されたそうだけど、塩漬けで代用できなかったの?
塩漬けっていっても完全に防腐できるわけじゃないんじゃ? それと保存用ってよりは食べるときの匂い消しじゃないかな。
塩漬けだとやっぱり味がオエッらしいし
大航海時代の船の食事は、塩漬け肉とビスケット、チーズ、ビールだが 塩漬け肉には蛆が涌きまくってたらしいな 肉の樽の上に魚を置いて、蛆がそちらに移った後に魚を取りのぞいてたらしいが... ビスケットも「ゴマ入りか?」って思うぐらい虫でプチプチしてたらしいし チーズに至っては「船のチーズは足がある」って言われるくらい蛆でモゾモゾ動いてたらしいし ...それでも腹一杯食えるってんで、水夫の希望者は多かったそうだから、当時の貧民の生活が偲ばれるよな...
胡椒は保存用で無く調味用だよね。
ナポレオン戦争の帆船小説にあった表現だと、 「東インド諸島と本国を3往復した塩漬け牛肉」とか、 「長期任務の軍艦はネズミがいなくなる。 なぜなら士官候補生や水兵が捕まえて食べてしまうからだ」 みたいな感じだった。
882 :
881 :2008/08/23(土) 22:02:12 0
船の話で書いちゃったけど普通に中世じゃなかった。スンマセン。
>>870 >>ヴァリャーグがこんなに規律正しいわけないべw
ビザンツ皇帝の護衛兵を務めたぐらいだから、行進ぐらいは出来るべ(w
所詮は海賊、生まれの卑しさは隠せないが(w
彼奴らにも戦士の誇りがある。
>>875 保存用じゃなくて風味づけでは?
保存用なら塩漬けや燻製でしょ普通
胡椒は中世の時代なら(当時)ポーランドのルヴフ(現ウクライナのリヴィウ)が
欧州最大の胡椒市場で、アルメニア商人が東方で買い付けて持ってきて取引していた
>>878 そういえばリトアニアは中世の時代から黒衣民族と呼ばれてるな
胡椒が保存用は俗説 金と胡椒が等価値だった時代だからね わざわざ高価な胡椒使って保存するわけがない
酢でつける肉ってあったっけ?
魚肉なら。羊とかだと不味そうだな……
あと単純に干すという保存方法もある 肉だけでなく果物なんかりんごでもイチゴでも何でも干す
果物を干す方法は日本にも古くからあるな。 フロイスは信長から干し柿をもらったとか。
寿司の原型・・・欧州で材料あったっけ?
酢漬けニシンとかサーモンぐらいしか知らないな。
北欧の方ではタラの塩漬けがメインだったね。
缶詰にすればいいのに
缶詰はナポレオン時代のフランスで発明されたんだっけ?
最初は長期保存用の瓶詰でしょ
砂糖漬けだったっけか
☆肉じゃなかったっけ?
901 :
世界@名無史さん :2008/08/30(土) 10:11:31 0
82 名前:名無しさん@九周年[] 投稿日:2008/08/28(木) 15:24:25 ID:qlseBVix0
当時ヨーロッパでは拷問は特権階級の隠微な遊びだったとか
拷問器具職人という職種があって、次々に新奇な苦痛用具を発明して
喜ばれていたらしい。狩りで村娘を拉致って・・とか日常茶飯事
いったん罪人認定されれば民衆にとってもそれを見るのが娯楽の一種
その器具の数々を実際に見たんだが、それで楽しむなど
日本人の通常感覚ではとても理解できなかった
91 名前:名無しさん@九周年[sage] 投稿日:2008/08/28(木) 15:33:20 ID:tAIskx5t0
>>82 それとなくネットで調べたら娯楽が少ない庶民にとって公開処刑が刺激的な娯楽で、
公開処刑前に罪人が自ら命を絶ったら村人らで激怒してその罪人の遺体をみんなで
ぐちゃぐちゃに引き裂いたという記述があった。
コワ過ぎる。
【国際】「最後の魔女」、226年ぶりに名誉回復…スイス
http://mamono.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1219900038/
>>903 それは、ポーランド映画なのにポーランドの敵ウクライナ・コサックを悪者に描いていない
非常に公平で、いい映画だ
ただしまだその時代はポーランド騎兵による突撃の方が優位
当時のマスケット銃は、そこで描写されるほどの威力はなかったので、実際はそんなに撃たれない
長篠の戦も言われているほど鉄砲が活躍したわけではないそうで
>>904 動乱時代の1601年にDobrinichi村の戦いでモスクワの銃兵隊がポーランド騎兵の突撃を破った例がある。
"Armies of Ivan the Terrible: Russian Armies 1505-1700"によると
「目撃者の証言によれば、ストレリツィ(銃兵隊)が一斉射撃を行ったときポーランド騎兵は彼らの戦列から
まだ遠く離れていたが、それに続けて二度目の斉射をくわえ、敵の隊列を完全に崩壊させた。多くの騎兵は
恐怖に駆られて逃げ出し、他の反乱軍兵もその後を追って退却をはじめた。政府軍の騎兵がこれを追撃し、
敵の砲をすべて鹵獲した。この勝利は限定的な重要性しかもたなかったが、マスケット銃で武装した歩兵
戦列の有効性を示すものだった。これ以降ロシアのストレリツィやコサックは、地面に掘ったタコ壺、塹壕、
壕の背後、また野戦陣地を通過する敵部隊の背後から攻撃するための隠れ穴、などから射撃する訓練を
行うようになった」
>>905 いくら騎兵有利だとしても、
谷合いで、しかも一度に1万から1万2千丁もの銃を使われたのだからいくらなんでも無理
さらに300門もの大砲も使われたと言われている
これは地形と圧倒的な物量差を利用した例外的な事例だと解釈すべきでは?
あと1601年ではなく1605年
薩摩にも「ひえもんとり」がありもそ。
>>906 数字、サバ読んでね?(特に大砲、野砲)
その戦いについては全然しらないが、 「17世紀」に 片方の勢力だけで「300門の大砲」を 「谷合い」の戦いで使った。 ってのはかなりすごい戦いなんだろうな。 19世紀のナポレオン戦争レベルの大砲数だよね。 ちなみに両軍の兵数どのくらいだったのか知りたい。
ブライテンフェルトの戦い(1631)で、皇帝側のティリー軍(兵約30000)で36門、グスタフ・アドルフの軍(兵約40000)が100門といわれているから、その両軍の合計の倍以上の大砲なんて・・・と思っちゃうわけですよ。 スレ違いだからあんまり深くつっこむのもなんだけどw
>>906 その300門の「大砲」というのはWilliam M. Reget IVが"European Mercenary Officers and the
Reception of Military Reform in the Seventeenth-Century Russian Army"で書いているとおり
比較的小型の「連隊砲」。ナリアード(砲兵隊)が扱うような大砲は14門あった。
(ちなみに偽帝の側は13門の砲を持っていた)
↓はソ連時代の研究者ラージンによるストレリツィと連隊砲の配置の再現画だが
ttp://www.xenophon-mil.org/rushistory/battles/strelbat.jpg 砲ごとの間隔からアバウトに計算しただけでわかるが、連隊砲300門のスペースで1万人以上が
斉射するのは不可能。
基本的に斉射の効果を高めるには一定のスペースにできるだけ多くの銃手を配置し鉛玉の密度を
濃くする必要があるが、ストレリツィの場合バルドゥイシ(半月矛)を銃架にする射法上数列が一斉に
射撃することは難しかっただろう。
連隊砲を割り引いてもたとえばグスタフ・アドルフの歩兵がやっていたような6列の銃兵を3列にまとめて
斉射する超高密度射撃より破壊力がそれほど優っていたといえるだろうか。
ちなみにDobrinichi村周辺の地勢は谷間というより小丘に囲まれた平地だったらしい。
銃兵隊に突撃する前の騎兵戦のフェーズではむしろ偽帝の側が丘の陰に伏兵を隠すなどして
地形を利用している。
>>911 "Armies of Ivan the Terrible: Russian Armies 1505-1700"によるとムスチスラフスキー公率いる政府軍は
兵数1万5千〜2万強で、銃兵隊が5〜6千。寄せ集めの銃手も同じ位いたらしい。
偽ドミートリーの軍勢は1万3千〜5千で、突撃してきた騎兵は6千ほどだったよう。
モスクワ大公国の兵器生産についての論文があったと思うので見つかったら調べてみる。
そういえば"Armies of Ivan the Terrible"ではDobrinichi村の戦いが 本文中では1601年となっていたが、年表では1605年と正しく記載されているので 単純なミスだろう。
916 :
911 :2008/08/31(日) 23:50:54 0
>>914 ググったらそれらしき本の画像あったわ。
でも両軍「13guns」とか「14guns」とかなんだよね。
300門はどこから湧いたんだろうなw
>>916 Isaak Massaという当時の人の記録に書かれているそうだ。
>>913 小さい丘に囲まれた地域も充分に谷間
実際にそういう場所に行けばどんなだか実感できるぞ
谷あいだからその平原の図とは条件がちがうんじゃないか?
>>914 モスクワ大公国は兵器はほとんど自製してないんじゃないか?
オランダあたりのを買うんだろ
その戦いでオランダ人とドイツ人の歩兵の傭兵を使っていたし
>>917 Isaak Massaで検索したら20世紀の研究者らしいぞ
300門はこの研究者が1937年に表した論文に載っていると書いてある
ソ連時代の学者って意外と帝政ロシアマンセーなんだよねw まあ当時だとスターリンの趣味かも知れないが・・・。
>>920 独ソ戦にあたって、大ロシアナショナリズムを利用したからな>スターリン
雷帝好きって聞いたことあるけど
>>918 Thomas Esper "Military Self-Sufficiency and Weapons Technology in Muscovite Russia"によると
イヴァン3世の頃から西欧の技術者(当初はイタリア人等)を招聘して自国民の技術者を養成しており
モスクワやノヴゴロド、トゥーラに兵器廠が設立されていた。
動乱時代ぐらいまでは火器を扱う兵科が大公国軍の中でわずかな割合しか占めていなかったこともあり
銃・砲の大規模な輸入はみられない。
英国大使のジャイルズ・フレッチャーによると例えばロシア製の銃は「マスケットというより猟銃に近い。
銃身の仕上げは粗く、やたらと重い割に口径は小さい」とのことで、西欧で出回っているものの水準には
明らかに達していなかったようだが。
十七世紀半ばから本格的に西欧式の軍制を取り入れるようになると、従来の設備ではとても生産量が
追いつかず、また西欧でも新技術が現れていたこともあり、オランダ等から千単位、万単位で銃・砲を
輸入するようになる。重要な生産拠点であるトゥーラでも年間数千挺の銃しか製造できなかったらしい。
大北方戦争の頃は銃の不足のせいで一部では弩まで使ってたそうだw
ピョートル大帝の治世の後期にやっと国内生産が需要に追いつくようになったとのこと。
>>919 Chester S. L. Dunning "Russia's First Civil War"って本に"According to Issac Massa, a Dutch merchant
who lived in Russia during the Time of Troubles,"と書いてたので当時の人かと思っていた。
924 :
世界@名無史さん :2008/09/02(火) 18:53:03 0
??
時代によって輸入量も国内生産量もまちまちだし
簡単に言い切れないから
>>923 のように長文で説明したんだが?
無駄な長文だったんじゃね?
無駄というと、例えば銃・火砲スレに書けば良かったとか?
伝わらなければどこで書いてもいっしょじゃない?
とりあえず俺には意図は読み取れたし内容は参考になった。
ま、
>>924 が読む気が無いなら何書いても一緒じゃない?
そんなことはない というかこのスレにはドイツ・ポーランド・ロシアしか詳しい人おらんの?w
>930 義務教育はちゃんと満了したの?
1)技術者を呼んで自国生産を目指していた 2)でも量産できずに輸入していた 3)わずかに出来たものも質がよくなかったようだ 4)量産できるようになったのは18世紀に入ってからである
>>923 長文を書くなら、最初に結論を書くべきだと思う。
それはともかく、乙。
大北方戦争時に弩とはw
おいおい、
>>923 が長文扱いかよ。
ふつうに情報量のあるコンパクトな良レスとしか思えないんだが。
それを「無駄な長文」だの「伝わらない」なんて、どういうゆとりよ。
つーか、ここの過去スレとか読んだら、世界史板で「長文」っていうのが
どんなもんだかわかると思うが。
改行の仕方がまずかったんだと思う
中世都市に出入りする人数って、一日あたりどれぐらいだったんだろう? 周辺からモノ売りに来る農民は除いて、旅人や商人のみの数。 時勢や土地によっても違うとは思うのだが、具体例がどうにも見つからない。 時代や国を含めて、そういった情報はありませんかね。
都市の規模によるんじゃない? 都じゃないなら日々の暮らしは城内とその近郊で間に合うだろうし、 外来0でも不思議じゃない。
人口千人以下の「都市」もあったくらいだからなぁ・・・。 ローマみたいに元々の人口もそれなりに多く、巡礼地になっていたりするとそういった出入りはかなり多そうだけど。 「中世イタリア商人の世界」(清水広一郎著)には、西暦1300年の聖年祭でのローマの巡礼者数に関する年代記の記述があったけど。 都市の人口から類推するのもひとつの手段だけど、そもそも都市の人口自体資料によってかなりバラツキがあるからなんとも・・・。
昔「将軍」というアメリカのドラマで、 流れ着いた外人の兄ちゃんが案内された村で、 「300人(うろ覚え)の小さな村です」と説明されて、 「小さな村だって?うちじゃ300人と言えば都会だぜ!」 てな会話があったのを思い出した。 設定は江戸初期、家康の頃じゃなかったかな。 突然現れた異人に村の人は微笑んで丁寧にお辞儀をしたり、 世話係の下男がちょっとした不手際で斬首(しかも彼は粛々とそれを受け入れ)とか、 テンプレ的カルチャーショック紹介の導入部でした。 17世紀初頭でも都市人口はそんなものだったのかな。
>突然現れた異人に村の人は微笑んで丁寧にお辞儀をしたり 戦国時代に来た宣教師よりかなりましな対応受けてるな
ttp://www.ku-rpg.org/column/population.html によると、
>史料が不足しているため、中世ヨーロッパの総人口と同じく、その都市人口も明確な数字としては分かっていません。
と前置きした上で
>11世紀中頃にはドイツには約120の都市があり、1150年ごろのドイツ帝国には
>200ほどの都市が存在していました。1200年頃にはその数は3倍になり、
>13世紀に入ると東方の植民都市を加えて2000近くになり、
>中世末期には約3000に増えました
>ここで中世ドイツの都市総数から人口1000人を越す約200の都市を引くと、
>人口1000人を下回る都市が約2800残ります。そのうち、人口1000〜500人の
>都市は約350ぐらいですから、中世ドイツ都市の約80%(2400)が
>人口500人以下、つまりは市壁を巡らせた村落の域を出なかったということになりますね。
とある。いやあ、小さい都市が多かったんだねえ。
これも興味深い。
ttp://www.ku-rpg.org/column/castle/castle2.html >中世のドイツ語圏(ドイツ・オーストリア・スイスの一部など)だけでも、
>約10000の城が存在したと推定され、今日までかなりよく保存されている城塞は
>国有・私有あわせて約3000をくだらないとされています。
>城の廃墟まで含めると、6500ほど残されています。
(歴史上は、ドイツには19000の城があったとされています。
>そのうち5900は完全に消滅し、3000が廃墟となり、6000が部分的・全体的に
>破壊され、残った3000ほどが今なお姿を残していることになります。)
>13世紀には、西南ドイツの行政区(ラントクライス)ゲッピンゲン・ニュルティンゲンをみると、
>1000平方kmに約1000の城塞があり、10平方kmごとの地区に
>3〜4kmの間隔をおいて一つの城塞が分布している計算になります。
村ごとに城が一つ、ってことか!?
どの程度の規模で城つーかにもよるけど、騎士貴族の居館は概ね城だったとするとそんなもんじゃね
城壁というか、木柵で囲っても都市は都市かな。
戦争のための防御柵というより、日常の狼除けという感じもするけどw
と言うか、山賊除け
947 :
世界@名無史さん :2008/09/07(日) 08:26:54 0
野武士じゃないの。七人の侍の世界
>>942 その一つ一つが堅牢な城だったわけでもないし、全部にそれぞれ領主が住んでいたわけでもない
>>946 当時の城塞のほとんどは基本的にそれ
町自体が城で、山賊がこわいから夕方になると門を閉めてしまう
951 :
世界@名無史さん :2008/09/07(日) 21:12:09 0
日本の中世みたいに、悪霊を怖がって閉めるってのは無かったのかな
地方によってはあったんじゃね
>>936 宿屋や居酒屋(小さい町では宿屋もかねてる)なんかの数を調べてみたら参考になるかも。
定期的に泊まりに来る人がいて商売が成り立つから宿屋があるんだろうし。
近郊の農民は多分使わない類の施設だと思うから。
どうだろ。お布施したら修道院に一泊できたみたいだし、ふつうの農家も旅人泊めて銭稼いでたみたいだけど
宿屋があるのはある程度の町かなあ
宿屋ギルドの記録とかあるんじゃない?
小さな村なら
>>954 だろうね
教会の帳簿を見れば住民の数はわかるがな 出入りはいちいち人数まで管理してないだろ
957 :
世界@名無史さん :2008/09/08(月) 23:04:05 0
貴族が村の豪農の屋敷に一泊してのオカルト談ってかなり残ってるしな。 けっこう大きな屋敷だと提供させられてたみたいだな。
>貴族が村の豪農の屋敷に一泊してのオカルト談 どういう感じのものでしょうか?
959 :
世界@名無史さん :2008/09/08(月) 23:59:28 0
そのまんま、幽霊とかの怪現象に遭ったって話。人名や地名が実名で出てた。 「ドイツ怪異集」とかいうような本で昔読んだんだけど。
なるほど。そういう本を見かけたら読んでみます。
このあたりはポーランドだ
中世ポーランド人の考えていた事がわかる
『ポーランドのむかしばなし 吸血鬼王女』本編
『ポーランドのむかしばなし 吸血鬼王女』制作にあたって
20. 吉上昭三ほか編・訳『ポーランドの民話』恒文社、1980
21. 栗原成郎『スラヴ吸血鬼伝説考』河出書房新社1980
22. 栗原成郎「<ポーランドの怪異譚D>吸血鬼」ポロニカ編集室・編、
吉上昭三責任編集『ポロニカ‘94No5』恒文社、1995
http://ropopon.blog110.fc2.com/blog-entry-16.html
弟がヨーロッパの田舎で泊まった処が貴族の古城で 古い肖像画が掛かってるだけの何もないだだっ広い暗い広間で寝たと言ってた。 何も出なかったらしいけど。 そのあたりはまともなホテルがなくて宿泊施設はそんな処しかなかったらしい。 日本でも領主が宿を取るなら豪農(名主、村役)の屋敷だな。 宿場本陣とかもそうだし。 近代の天皇行幸の際もそういう旧家を利用してるね。
なくなる話ばかりをよく聞く村だが、生まれるときはどういう風にはじまるのだろう? 領主が何人かを特定の場所に派遣して、そこを開墾して〜みたいな感じか? 他のパターンとかもいっぱいありそうだな。
ローマ殖民都市になる前やキリスト教受容以前の古代から村や町だったところ (アルプス以北でもロンドンのシティー、バース、パリのシテ、ドイツのケルンやベルリン、ポーランドのクラクフやカリシュなど) もあるし、中世に開墾してできた村もあるし
災害で村が無くなる>流れていって開墾 蛮族・他国が攻めて来る>流れていって開墾
流れて開墾と簡単にいうが、実際はそんな生易しくはないだろ。 いずれの場合もほとんど身ひとつ、道具はおろか食うものすらない状況だ。 悠長に土地たがやして、食い物つくろうなどと考えるか? 俺なら近場の町にでも逃げる。 同じ境遇の連中と山賊でもやって、そっから村の再興、というのならわからんではない。 生産目的とした集落を構成するなら、それなりの調査や準備は必要だったはず。 流民が再び村を作るにしろ、どこかしらの街に流れた後に、救済処置だか厄介払いで 場所と道具を提供される、ぐらいの配慮はないと難しいと思うのだがな。 まあこの件は俺の勝手な想像にすぎないのだが、実際の例として参考にできる情報はないかね。 流民が勝手に作ったというのが事実なら、それが納得できるソースがほしいのだが。
ヴェネチアがどうやってできたか知らないのか
969がヴェネチア開拓史を講釈してくれるそうです。謹聴、謹聴!
知らなかったので軽く調べてみた。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%B4%E3%82%A7%E3%83%8D%E3%83%84%E3%82%A3%E3%82%A2 歴史
ヴェネツィアの土地は、大陸からの川の流れに乗ってくる土砂、
そしてアドリア海の波と風の力によって作られた湿地帯である。
古代、ヴェネツィア周辺の地域にはウェネティ人が住んでいた。
伝説では、アクイレイア、パドヴァなどの北イタリアの都市の住民が、
5世紀のゲルマン人のイタリア侵略からのこの湿地帯へと避難してくることから、
452年にヴェネツィアの歴史が始まる。この時避難してきた先が現在の「トルッチェロ島」である。
足場が悪い湿地帯のため、侵入者は追ってくることが出来ず、避難した人々はここに暮らし続けるようになる。
干潟に住むメリットを保つため、干潟を荒らしたり干拓したものを極刑にする、という法を作ったり、
普段は船が通れる道を杭で示していたが非常時にはその杭を抜く、など、干潟を守り、かつ、有効に利用していた。
なるほど。自分たちで再興したケースではあるようだ。
ただ、避難というからには相応の準備はあったのだろう。
集落がなくなったから流れて開墾、というわけではないんだな。
具体的な生活基盤が知りたいところだ。
今度図書館にでも行って調べてみるわ。
同じような出自の町、他にないかね。
敵に追われて湿地に逃げ込んできてそこに落ち着いたんだよ。 そりゃ泥沼の中で怯えて暮らしはじめたんだ、 艱難辛苦は察するに余りある。
ヴェネツィアといえば塩婆
ヒント:ゲルマン民族大移動、二圃制、三圃制、気候変動
975 :
世界@名無史さん :2008/09/11(木) 12:07:45 0
>>965 すいません、村が無い状態って良く想像できないんですが、都市と荘園だけだったということでしょうか?
村落だけで村は無かったと言う事だろうjk 日本だけじゃなくてヨーロッパでも村が増えるのは中世中期じゃないか
氏族単位の集落が人口増加や共同体として村となりより大きな町を形成していった。 気候がよい、土地が豊か、工業産地、交通の要衝… などの条件がそろえば更に人口も増えて都市化していく。 当然経済活動の活性化によるものが大きい。 中世は気候温暖化で生活水準が上がっていったとも言うな。
村は村落と違って農民(漁師でもいいが)以外の人間、例えば鍛冶屋が存在する。 村落はそうした農民以外が存在しない状態を意味する。 流しの鋳掛け屋が廻ってきて鍋を修理する。 小売商が廻ってきて小物を売る。 そういうのが村落。 ところでヨーロッパの農民は流動性が高い。 コロヌスとか農奴とかあるが、あれは農民の移動を禁じる為のもの。 逆に言えばそれが無い農民は簡単に移動する。 ローマ法では小作農の契約は5年が基本で、 その期限が過ぎれば自由に移動できる。 そしてコロヌスのように縛られた不自由民でなければ簡単に移動した。 中世初期の自由民か不自由民かというのはその事。 不自由民の騎士なんて存在もあり、身分的には自由民の農民の方が上になる。 常に農民より騎士が偉いというのは、身分が固定化し、移動が不自由になった相当後の話。 1000年ごろから温暖化して耕作可能地が増えるとどこも農民を欲しがる。 耕せば畑になる土地は幾らでもある。 しかも水田のようなアジアと違って、ヨーロッパの畑は大して手が掛からない。 森は豊かで作物ができるまで養ってくれる。 そんな時代が13世紀まで続く。
流れぶった切ってすいません。 最近、大航海時代のお話を書いているのですが、 その時代の町並みや生活、できれば船での生活などが 書いてあるおすすめの本を教えてもらえませんか。 ぐぐったりしたのですがいまいちで…… お願いします。
ごめんなさい。 おすすめの本を紹介するスレがありました。 そっちで聞いてみます。
>>979 船の生活...食生活に踏み込んでしまい、グロ話にならない事を祈る
じゃあ埋め
うめ
うめ
埋めついでに。 西暦1000年の世界に行かなければいけないとしたらどこに行く? 私だったらコンスタンティノープルかね。 西欧に比べて清潔そうだから。
東京開封府かクルトゥバ(コルドバ)。・・・はおいといて、 コンスタンティノープルはバシレイオス2世の治世で、殺伐としてそう。 西欧では、ヴェネツィアかブルージュが賑やかそうでいいな。運河があるから、 汚物のにおいも比較的抑制されてそうだ。
1000年の日本じゃ京都以外はフリーダム!な国だからなw シチリアなんかはマシじゃないか?
>>988 1000年前の日本は、かなり法秩序がきちんと整備されてるよ。
女だけで京から伊勢や熊野に参った話とかちゃんと残ってるだろ。
それぢゃあ、巡礼者が往来していた中世ヨーロッパもずいぶん整備されていたことになるな。
ミレニアムだからやっぱりイタリア〜南仏あたりが楽しいかな。 ヴェニスあたりなんてどうだろう。
992 :
世界@名無史さん :2008/09/14(日) 00:01:15 0
age
993 :
世界@名無史さん :2008/09/14(日) 01:31:45 0
西欧は山賊が跋扈していた北斗の拳の世界でした
うめ
995 :
世界@名無史さん :2008/09/14(日) 10:52:38 0
>>975 そもそもヨーロッパ史を語っているところに、
>>965 がいきなり日本史用語としての「村」(おそらく惣村または集村を意図していると思われる)を唐突に使ってるのが悪い。
996 :
世界@名無史さん :2008/09/14(日) 23:13:22 0
997 :
世界@名無史さん :2008/09/14(日) 23:49:42 0
うめ
998 :
世界@名無史さん :2008/09/14(日) 23:51:08 0
うめ
999 :
世界@名無史さん :2008/09/14(日) 23:53:32 0
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