1 :
世界@名無史さん :
2008/02/27(水) 21:14:59 0 18-19世紀のイギリスはもっとも自由主義思想が発達した国であったのにも関わらず、 フランス革命・1848年の諸革命では一貫して守旧派に与していたし、 それどころかナポレオンに反対し、ウィーン体制期には大陸の革命勢力を弾圧したりもしている。 なぜか。
2 :
世界@名無史さん :2008/02/27(水) 21:18:27 0
イギリスは伝統と名誉を重んじる国だから。
自由の意味が違うから。
4 :
世界@名無史さん :2008/02/27(水) 22:49:59 0
アメリカは民主主義の信奉者として世界中の民主運動を応援しているのに、 ナポレオンだって革命の成果をヨーロッパに拡大しようとした。 何故イギリスは立憲王政の拡大を支援しなかったのだろう?
イギリスは不思議なことにネーデルランドの中立が侵犯されると その相手国に宣戦する
6 :
世界@名無史さん :2008/02/27(水) 22:57:10 0
保守主義の父・バークがホイッグ党の国会議員というところで分かるだろ。 大陸の革命≒共和化だったから反対だったんだよ。
地政学的理由からじゃない? 仏独国境が安定化すると、自国が侵攻のターゲットになるのを嫌ったからとか
8 :
世界@名無史さん :2008/02/27(水) 23:14:41 0
アメリカが世界中の民主運動を応援・・・内戦になり迷惑 ナポレオンが革命を輸出・・・内実は侵略なので超迷惑 何故イギリスは立憲王政の拡大を支援しなかったのだろう・・・イギリス有り難う
>>1 オゲレツ帝国が「民主主義側」となったのは第一次大戦前。
なぜか?理由のない欧州での大戦争に「口実」がほしかったから。
これだけ。今も昔もオゲレツアヘン帝国が「自由主義」で
あったことなど一度もない。
10 :
世界@名無史さん :2008/02/27(水) 23:25:53 0
ナポレオンの圧制からヨーロッパを開放するのに寄与している。 さすがは紳士の国。
19世紀の自由主義は欧州限定 亜細亜阿弗利加などの後進国は、感化・搾取・貢献の対象でしかなかった
混血児が立てたスレは本当にわかりやすいなw
13 :
世界@名無史さん :2008/02/27(水) 23:51:32 0
なぜ日本は大陸の文化革命を支援しなかったのか?
辛亥革命は支援したけど
15 :
世界@名無史さん :2008/02/28(木) 00:39:34 0
イギリスは自国の制度が先進的だとは考えていなかったからだろ。 それに立憲王政はイギリスだから成立した制度で、 他の国は他のやり方があっていると思っていたのだ。
16 :
世界@名無史さん :2008/02/28(木) 00:45:57 0
>>5 日本は不思議なことに朝鮮半島の中立が侵犯されると
その相手国に宣戦する
朝鮮半島は庭みたいなもんなんだよ。ここに軍事施設を作られたら 日本ののど笛に刃物を突きつけられるのと同じ。だから半島は荒らされたく ないんだよ。
イギリスの政界は基本的に貴族やブルジョワジーで占められてるから 飛び火したらたまったもんじゃないからな。 個人レベルだと結構フランス革命に賛同している人間はいる。
メアリー・ウスルトンクラフトだっけか、聞いたことあるな
もしイギリスが神の使いとかだったら積極的に
革命思想を広めて行ってあげてただろうにな。
おかしいね
>>1
21 :
世界@名無史さん :2008/02/28(木) 08:17:49 0
>>17 と思うならイギリスがネーデルランドについてもそう思うのは不思議でも
なんでもないよな。
22 :
世界@名無史さん :2008/02/28(木) 09:12:33 0
大陸の市民革命が進んで貿易の自由化が進んだ方がイギリスに都合良かったんじゃないのか?
大陸の革命は民衆が君主イラネっていう革命じゃなかったっけ。 イギリス人の求めた自由貿易は、関税なし(または低関税)という意味 だったような。
24 :
世界@名無史さん :2008/02/28(木) 17:43:17 0
大名会議で選ばれた大名の長が征夷大将軍を名乗って、 名目上の君主である天皇に仕えるような政治体制を想像してみれば、 近世の英国の制度に近いものとなる。
貴族の亡命先はイギリスが一番多かったのか?
26 :
世界@名無史さん :2008/03/02(日) 22:26:22 0
自由主義が広まってもイギリスは得をしないから。
ライバル フランスをけっ飛ばす絶好のチャンス
28 :
世界@名無史さん :2008/03/03(月) 07:10:42 0
イギリスがどれだけ自国の制度に自信を持っていたのかは興味深いな。 立憲君主制に自信があって、他の国に真似をさせないように抑えていたのか、 単に守旧的感覚で抑えていたのか どっちだろう。
>>25 やはり外交戦略上の重要な駒として受け入れたかと。
別に貴族がどういう信条だろうが、帰国する機会を得て
重要な地位を得たら、少なくとも英国の不利益と
なるような行動は採らない
古い制度を「アンシャン・レジーム」として打破するものと捉えていたフランス革命と、 イギリスで起きた名誉革命はまったく性格が違う…とイギリス人は考えていたから、に一票 名誉革命は『イングランドの伝統を危機から守った』革命で、フランス革命は イギリス人からすれば民衆の狂気が「フランス池沼ww」に見えたらしい フランス史はよくわからないので、詳しい人いたらよろ
31 :
世界@名無史さん :2008/03/03(月) 15:22:06 0
>>1 自由主義と民主制はまったくの別物でしょ。
この時代のイギリスはまだ貴族制(寡頭制)だから、ルソー流の共和思想など
受け入れられないと思う。
32 :
世界@名無史さん :2008/03/03(月) 18:16:16 0
そもそも18世紀の議会政治は、地主層による寡頭政治だもんな。 世襲貴族の上院はもちろん、選挙制の下院ですらジェントリの独占状態。 資本家層が政界に進出するのは1830年代以降だし。
33 :
世界@名無史さん :2008/03/04(火) 09:25:21 0
なぜ日本が幕藩体制を朝鮮や東南アジアに広めようとしなかったのと同じ理由だろう。
>>30 名誉革命ってイングランドのカトリックの王をプロテスタントの
王に取り替えたんだぜ。しかもその後スコットランドなんかで反対派の
虐殺。とても名誉などといえたものじゃない。しかも軍隊に占領まで
されてるし。
よその国からは,革命と言うより国王を殺すほどの恐るべき集団発狂にしか見えなかったとなんかの本で読んだ
↑誤爆w
39 :
世界@名無史さん :2008/03/05(水) 13:17:52 0
仮に日本の戦国時代に絶対王政的な天皇が現れて圧政を始めたとしよう。 日本の戦国武将なら団結して天皇を討っただろうな。 現代の感覚からすれば天皇殺しは恐るべきものであるが、 ピューリタン革命はそんなものだ。新しい体制を作るような意識など 当のイギリス人も全く考えていない。
ガイ・フォークスが国会議事堂爆破に成功してたらもうちょっとカトリックの勢力も伸びてたかな?
42 :
世界@名無史さん :2008/03/05(水) 20:18:39 0
>>1 そもそも他国の革命を何故支援せねばならぬのか?
キミは他国の革命を支援する気はあるか?
>>39 いや、戦国期は、各大名とも天皇からの官位を求め自らの
正統性を誇示したよ。
後醍醐帝の様なのが現れれば、南北朝時代が再来しただけ。
清教徒は英国教会にとっては迫害の対象(所謂、プリグリム・
ファーザーズね)。国王と議会の対決という側面だけでなく、
宗教上の観点も無視できないな。
>>42 例えば、フランスがアメリカ独立を支援したのは
別に革命の理念に共感したからじゃなく、イギリスが
植民地を喪って貰いたかったから。国益の為なら
専制国家を支援する事も在るし、その逆もあり得る
>>44 それは自国から遠ければの話だろ
隣国に共和革命が起きたら潰すしかない
46 :
世界@名無史さん :2008/03/07(金) 22:14:34 0
現在において、民主国家の拡大はアメリカの同盟国の拡大に繋がるが、 18世紀において、立憲国家の拡大がイギリスの同盟の拡大に繋がることはなかった。
>>1 1、イギリスにとってフランスの革命は「行き過ぎ」だった
2、単純に国益を考えて
「フランス革命の省察」(みすず書房)読めってこった
49 :
世界@名無史さん :2008/03/10(月) 00:23:29 0
エミグレの亡命先で最も多かったのはイギリス?
51 :
世界@名無史さん :2008/03/23(日) 08:50:19 0
革命の性質がフランス革命以後と以前で変わってしまったから。 イギリスの革命はただの内乱。
もっとも、さらに民主主義や自由主義を標榜している現米国でも 名前だけの民主主義や反米的な政府よりは 王制の方を支持することが多いけどね。
アメリカは冷戦期には「反共なら何でもいい」的な感じか
54 :
世界@名無史さん :2008/03/23(日) 10:47:52 0
>>52 でもアフガンの王政復古には賛成しなかったわけだが。
>>51 内乱って清教徒のこと?
それはトーリー史観てやつじゃないかな
すくなくとももう古い気はする
海の国が大陸に深入りしすぎるとろくなことにならんと自覚していたから
地政学は侮れない
イギリスが介入することで、革命英府ががっちり体制が固まってしまう おそれがあったのだろうか
というか支援なんてするわけないだろと思うのだが
62 :
217 :2008/10/31(金) 23:04:33 0
あげ
63 :
世界@名無史さん :2008/11/01(土) 21:32:51 0
イギリス人はフランス革命の本質を理解していたからだよ。 狂気の群衆が虐殺テロを引き起こし最後は軍事独裁が始まって周辺国に侵略すると考察していた。 革命の支援なんてするわけないだろう。
64 :
世界@名無史さん :2008/11/01(土) 21:48:59 0
19世紀のイギリスの歴史家の著作ではピューリタン革命、共和制の時代は大反乱時代という記述が大多数 むしろ現代(当時)への出発点は名誉革命という意見が多数派 ソースは挙げないが調べれば分かる
65 :
世界@名無史さん :2008/11/01(土) 22:57:19 0
名誉革命から議院内閣制の成立が重要だからね。 その成立は国王の守護がなければ実現しないよ。 民主主義というのは国王との対立で生まれたのではない、社会の発展によって生まれたんだよ。
66 :
世界@名無史さん :2008/11/01(土) 23:46:58 0
イギリスの外交方針は常に自国の利益追求であって、アメリカのようにいわば善意で他国に思想を広めようなんてことは無い 常に徹底した商人国で利害得失しかない 植民地政策もインドを取ったのも香味料、シナは茶で明らかに利益が目的で相手国の体制が悪かろうが自国が得なら目をつぶる 日本が列強の三国干渉受けた時も伊藤博文はイギリスのいわば善意を頼り、なんとか仲介を頼んだらどうかと陸奥宗光に聞いたが陸奥は「英人は他人の憂いを自分の憂いとするドンキホーテでは無い」とイギリスの本質を見抜いている チャーチルも「わが国以外は全て仮想敵国」と言い切ってる
67 :
世界@名無史さん :2008/11/02(日) 00:49:08 0
>善意で他国に思想を広めようなんてことは無い むしろ逆 善意でフランス革命を阻止しようとしていたんだよ。 分かってないね。
68 :
世界@名無史さん :2008/11/02(日) 23:50:06 0
>>66 >>67 まず利益追求で凝り固まった国とか
善意を最重要視する国とか 妄想の中の産物を現実に当てはめるなよ
69 :
大西郷 :2008/11/03(月) 00:06:49 0
国家はまず利益追求が基本だが、不純物としてあらゆる感情や体面や威信とか純利益以外も入る 英国はその点純利益目的で動くことが多い用に思える
議会制で、外交の意思決定主体が適度に広かったからね。 「町人」階級の利害が比較的素直に政策決定に反映されやすい。 ヴェネツィアやオランダ共和国なんかと同じ。 対して絶対主義の王朝国家だと、宮廷内党派の狭い利害や、 「栄光」「威信」といった君主の個人的な動機によって外交が左右されやすくなる。 また19世紀後半以降になると、「大衆」が政治過程に参入してくることから、 ナショナリズムやジンゴイズムといった情動的な要素が無視できなくなる。 ブーア戦争なんかじゃイギリス外交もこれに振りまわされるようになった。 アメリカ外交が過度に理想主語的・道義主義的と言われるのも一因はこれだな。 大衆民主主義が極めて早期に実現していたため、 もっともらしいお題目唱えて国民の支持取り付けなければ、 まともな外交政策一つ実現できない。
71 :
世界@名無史さん :2008/12/23(火) 17:13:11 0
イギリスは基本的には大陸の問題に介入しない姿勢ですよね
介入しないわけではないが 大陸に領土を拡大しようってのは百年戦争に負けてからあきらめたな
73 :
世界@名無史さん :2008/12/23(火) 18:25:45 0
イギリスの帝国主義はきれいな帝国主義 日本の帝国主義はきたない帝国主義 イギリスの歴史修正主義は正統な修正 日本の歴史修正主義は汚れた右翼の正当化 女王陛下への忠誠はきれいな忠誠 天皇陛下への忠誠はファシズム イギリスの投資家は市場を活性化するきれいな投資 日本の投資家は文化侵略による不公平な投資 イギリスの言葉は世界で普遍的に通用する英語 日本の言葉は意味の分からない複雑怪奇なジャップ語 イギリス人のアイルランド人差別ジョークはユーモアの証 日本人の朝鮮人差別用語はレイシズム イギリス人がタイで裸の幼女と遊ぶのはただの観光 日本人の幼女買春は闇の子供たち イギリスの植民地支配は文明をもたらしたきれいな支配 日本の植民地支配は文明を破壊したきたない支配 イギリス兵のための売春宿はきれいな合法サロン 日本の慰安婦は性奴隷 イギリスの戦争は民主主義と平和のための闘い 日本の戦争は侵略と破壊のための闘い
こんなスレで何ファビョってんだか
75 :
世界@名無史さん :2008/12/23(火) 18:34:44 0
有名なバークの『フランス革命の省察』が保守主義のバイブル(爆)とか言われてるけどどこが凄いんすか?w いかにもアングロサクソン的な、相手を貶めることで自分を高める中身のない主張じゃん それとも保守主義者ってのはみんなそうなの?w
クロムウェルの独裁でこりごりだったから
革命はもうこりごりでござる
支援する余裕がなかったわけではないか
80 :
豚 ◆4Ng82hm20A :2008/12/31(水) 00:36:42 0
アゲ忘れた
81 :
世界@名無史さん :2009/01/10(土) 22:06:42 0
同等の力を持った国が出現してはいかんと思うだろう
82 :
世界@名無史さん :2009/01/11(日) 02:53:47 0
★ タスマニア人 皆殺し 19世紀の初頭までタスマニア民族が、暮らしていたタスマニア。 しかし、今はいない。 タスマニア人は一人残らず、イギリス人によって殺された。 アフリカを植民地にしたイギリス人は「猛獣狩り」の楽しみを覚えた。 イギリスの貴族は、今でもキツネ狩りをやってるように、ハンティングが大好きだ。 そんなイギリス人が、オーストラリア、タスマニアにやってきた。 しかし、ここには、コアラとか、カンガルーしか住んでない。 退屈した彼らは、タスマニア人を狩るようになった。 まるでスポーツみたいにタスマニア人狩りを楽しんだ。 女も、子供も狩の対象になった。 そのあげく、一人もいなくなった。 ひとつの民族が皆殺しにされたという例はほかにない。 ヒトラーは、ユダヤ人殲滅をやろうとしたけど、未遂だった。 しかし、イギリス人はタスマニア民族を滅ぼした。
作文はいらない
逆に自ら反革命派になる必要性もなかったと思うんだけども。 表面上は中立を維持しつつ、ハノーヴァー辺りを使って反革命派を側面支援 (フランスと戦ってるオーストリアを支援するとか) という方策は取れなかったんだろうか?
ピットさんがキチガイだったし仕方がない
逆にフランス側はイギリスのことをどう見てたの? 条件次第では妥協する気があったの? 英仏が妥協するには、フランス側がネーデルラントの支配を諦めるのが 条件に入ると思うんだが。
87 :
世界@名無史さん :2009/02/07(土) 18:00:43 0
>>50 長らく貴族の支配する国だったからな イギリスは
王政云々よりそっちの方が大きいかも
88 :
世界@名無史さん :2009/02/07(土) 18:13:00 0
どのスレも上がっているうちはネタスレもしくは糞スレ化する。
89 :
世界@名無史さん :2009/02/07(土) 21:21:21 0
シナで文化革命が始まったとき、何が起こっているのか理解しないまま賞賛報道していたマスコミやシナ学者も多かったな。 さすがに天安門事件では本質が分かっていたようだ。
イギリスに限らず言えることなんだけどさ、なんでヨーロッパの国ってさ 海外とかから呼んできてでも自国に王様据えようとするの? イギリスなんか内乱して王様追い出してそれを呼び戻してまた追い出して 今度は海外からつれてくるなんてことしてるよね 王様がいないといけないという固定観念でもあるのだろうか? 王様追い出したことだし、郷士と市民で共和制にしよう。ってことになんでならないんだ?
91 :
世界@名無史さん :2009/02/08(日) 11:04:09 0
>>90 それはヨーロッパだけでなくて日本、タイ、カンボジアがアジアにも残っているな。
日本も天皇は実権がないまま、京都に閉じこもっていたり、明治維新で再び担ぎだされたりしている。
ヨーロッパでは北欧、英国、オランダというゲルマン系が多い。あとはスペインくらいか。
外国人?の王様を据えようとするのもあるな。 ブルボン家のスペイン王やホーエンツォレルン家のルーマニア王とか、 ナショナリズムに反しないか?
そりゃ王党派は国をネーションじゃなくて領地として考えてるし。 未だに頭の中が近世だもん
>>91 天皇は「官位を与える権威として存在したから担ぎ出された」んであって
仮に誰かが天皇制廃止してたら、わざわざ外国から持ってきたりはしなかったと思う。
幕府が中国の歴代王朝みたいになっていた可能性は高い。
>>90 あの頃の共和制は過激な危険思想と思われてたから。共和制にすべきと考えた人もいたけど少なすぎた
それよりは王位継承権を持つ人がいいじゃんということでは。
あと、アンジュー帝国やローマみたいに、外国人の君主を戴いた過去があったというのも
影響したかも。
このあたりは日本人的には考えられないことだけど、日本人の思考が普遍的な訳ではないという好例かもしれないね
>>90 クロムウェルが清教徒革命で王制をやめて共和制にしたが、
結局クロムウェルが独裁者になり反対派を弾圧したよね。
それで必ずしも共和制が良いとイギリス人は思えないんじゃない。
大陸の問題はあまり気にしてなくて それよりアメリカやインドの植民地のほうに関わろうとした
>>1 既出だろうけれど、イギリスは民主主義だ反革命だ以前に、
基本的には国益が損なわれない限り欧州大陸の問題に介入しなかったんだよ
フランス革命の際に反仏大同盟の盟主的存在になったけれど、
それもアントワープがフランス軍に占領されて国益が損なわれたことが大きな要因
ルイ16世処刑ももちろん要因だけど、その2つが起きるまでピットは動かなかった
バークと同じく反フランス革命の考えでも、
首相たるピットは自分の思想だけでは動けなかったからね
欧州大陸で特定の国が強大化しない限り介入しなかった、 と言った方が良いかな? イギリスとしてみればナポレオンなんつったら許せるわけがない
101 :
世界@名無史さん :2009/05/05(火) 19:14:17 0
アングロ・サクソンってドイツの一地方民族がブリテン島を支配してアングロ・サクソン になったのだろう。
なにをいまさら
103 :
世界@名無史さん :2009/05/19(火) 14:25:50 0
へっ (^。^)
104 :
世界@名無史さん :2009/05/19(火) 15:17:24 0
20世紀に入るまでイギリスはフランスなどの欧州各国と仲悪かったろ。 対アメリカでも険悪だっただろ。何処も植民地利権で対立してた。 イギリスはカナダでフランスと対立してたし。 イギリスとオランダの関係は、オランダがフランスに侵略された際に、 オランダ王がイギリスに亡命してイギリスと協力してフランスを撃退してる関係。
バーク読め
恩田陸さんの小説も面白い
107 :
世界@名無史さん :2009/07/21(火) 19:09:18 0
アメリカ独立戦争を経てイギリス帝国はインドへと重心を移し始める。
また1760年代より進行した産業革命により、イギリス経済は次第に保護を必要としなくなり、自由貿易へと方向転換していった。
19世紀前半のイギリス帝国は自由貿易さえ保証されれば植民地獲得を必ずしも必要とはせず、経済的従属下に置くものの必ずしも政治的支配をおこなわない非公式帝国を拡大していった。
このイギリス帝国の方針は自由貿易帝国主義と呼ばれる。
19世紀に入るとイギリスは再度、植民地獲得を伴う公式帝国の拡大を本格化した。
インド帝国の成立を以て完成する新帝国はイギリス第二帝国とも呼ばれる。
帝国主義の時代とも言われるこの時期ではあるが、イギリスは自由貿易の方針を堅持していた。
ドイツなどの保護関税政策に対し、イギリスにも同様の政策が求められなかった訳ではない。
19世紀末から20世紀初頭にかけて、イギリス帝国内での特恵的関税の導入を求める運動がイギリス産業界から起こされ、1887年に始まる植民地代表を集めた帝国会議でも度々議題にあがったが
結局この種の保護政策は第二次世界大戦前のブロック経済の時期まで導入されることはなかった。
第一次世界大戦はイギリス帝国再々編の転機となった。
大戦前より、各植民地特に白人自治植民地の経済力は向上し、発言権も増していたが、大戦中の総力戦体制は植民地からの一層の協力を必要とするとともに、その影響力をより大きなものとした。
1926年の帝国会議では自治植民地に本国と対等の地位が認められ、1931年のウェストミンスター憲章に盛り込まれた。
これ以降、イギリス帝国は「イギリス連邦」の名で呼ばれることが多くなるが、「帝国会議」の名称はそのままであった。
その後、この名称は第二次世界大戦後まで続き、1947年に「イギリス連邦会議」へと変更される。
またインド独立を期に、イギリス連邦加盟国家に「王冠への忠誠」が要求されなくなるなど、第二次大戦後まもなく、イギリス帝国は名実ともにイギリス連邦へと姿を変えた。
参考:イギリス帝国
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A4%E3%82%AE%E3%83%AA%E3%82%B9%E5%B8%9D%E5%9B%BD
>>92 王様が分かりやすい制度だからじゃね?
共和制だと誰がえらくて権力持ってるかは実力次第だから、できたての制度が整ってない新興国だと内乱になりやすいってのがある。
一番の理由は、独立を支援なりした国が君主制ばかりだったってのがあるんだろうけど
109 :
世界@名無史さん :2009/07/21(火) 23:29:53 O
そもそも欧米では今や「ピューリタン革命」なんてものは存在しなかったてのが常識で、17世紀半ばの空位期前後は「三王国戦争」と呼ぶのが常識になってるよね。 でも日本語版ウィキではなぜか「清教徒革命」のまま… あの内戦を「革命」と呼んでるのはイギリスじゃ左翼だけなのに、日本ではそれが通称なのが恐ろしい!
別に良いじゃん 左翼はお嫌い?
111 :
世界@名無史さん :2009/07/22(水) 00:01:30 O
いや、右翼ってわけじゃないけど… 17世紀イングランドを研究してる日本人が共産主義者のクリストファー・ヒルを崇拝してるのがあまり好きじゃないんだ 歴史修正主義の実証研究を成果を鼻で笑うかんじ?
まず言っておくと Puritan Revolution って言い出したのは19世紀のガーディナーだよ。 ホイッグ史観の。 まあ「左翼」と言えない事もないかもしれんが全然マルクス主義者じゃない。 対してヒルが言ってたのはEnglish Revolution 。 確かに彼は「共産主義者」ではあったが、英国の健全な大学人として 「実証的」な歴史家でもあったから、本国でも尊敬されてます。 >「三王国戦争」と呼ぶのが常識になってるよね これも微妙だな。 最近ではそう呼ばれることも多くなってきてます、程度じゃないの? かつても今も、もっともニュートラルで一般的な呼称は Civil Wars, English Civil Wars, だったんだが、 ただし、それじゃイングランド中心主義的だ、という批判が出てきて the Wars of the Three Kingdoms という呼称が登場したわけだな。 だから「三王国戦争」はベターな呼称だが、 その登場の契機は「革命史観」批判ではなくてあくまで「イングランド中心史観」批判にあるということになる。
あと、 >17世紀イングランドを研究してる日本人が共産主義者のクリストファー・ヒルを崇拝してるのがあまり好きじゃないんだ 歴史修正主義の実証研究を成果を鼻で笑うかんじ これはもう日本でもせいぜい二世代ぐらい前の研究者だろ。 ガチガチの「革命史観」でやってたのは。
114 :
世界@名無史さん :2009/07/22(水) 01:38:50 O
なるほど〜 でも未だにああいう関連の研究書多くない?ピューリタン革命に民主主義の源流を見る!みたいなかんじの本 とりあえず市民革命と言えないのは確実だと思うんだよ、あの内戦を むしろ、カトリックの国際的脅威を必死に叫んだピューリタンが、国教会にカトリックのレッテル貼って敵視、無駄な内戦を引き起こしただけっていう意見を支持してるんだよね、個人的には 三王国戦争の話は確かに別軸だったね…ごめん。ただ、清教徒革命のままにしとくのは問題だと言いたいんだよ
けどあの革命で王の権力なんて大したことないと思わせたのはでかいな 無駄だとは思わないね それにクロムエルはイギリスをかなり強化したしな
ギリシャのポリスは民主化する前に僭主が活躍したし クロムウェルにもそういった役割があったのかもしれん もっとも時代も政治体制もかなり違うから単純比較はできないが
王の権威が落ちたことや、チャールズ2世以降の王が「やり過ぎると反乱・処刑もある」 と思わせたのは大きいね ヘンリー8世からの王領地売却等で経済的に議会頼みの王になったのもあるけど 逆に「共和派」といったら危険分子と見られるようになったし(それ以前もそうか) 権限がどうであれ一番上には王がいるべきと再確認もされた イングランドが大統領制とかの共和国にならなかった理由の一つ・・・じゃないかなあ
結果論だが一時的にも共和国になったという先例を作ったのは アメリカ合衆国や後の革命後のフランスを勇気づけたかもな
119 :
世界@名無史さん :2009/07/22(水) 18:20:23 O
クロムウェル人気だなあ(笑)アイルランドやスコットランドの征服者だし、まあイングランドを強くしたとは言えるか…あの島々全体を支配したもんな でもイングランド共和国は近代以後の共和制のモデルになったわけじゃないでしょ?アメリカやフランスがこの国を見習ったわけじゃないし、19世紀になるまで内戦を「革命」として高く評価した奴はあまりいない 王殺しはでかいけど、千年王国みたいな宗教的妄想とアンチ絶対主義のイデオロギーからやったなら、基地外もいいとこって感じがする それこそボリシェヴィキとあんま変わらないと思うし… 結局リベラルが捏造した虚像って感じがするんだよね、俺の国にも「革命」があったんだぜ、みたいな…修正主義に毒されてるとか言われそうだけども
>>119 〜と思うとか
〜って感じがする
じゃあ説得力ないぜ
クロムウェルはむしろイギリス本国では人気がないよ けど業績はすごいと思うぜ アイルランド、スコットランドは反乱ばっかしてたけど クロムウェルが徹底的に屈服させたから国内が安定した イギリス海軍を増強して、オランダを叩いたし 国中に軍を送って軍事独裁やったから結果的に国がまとまった 国の発展段階で独裁者が必要なのは他の国みてもわかること イギリスの場合それがクロムウェルだったってだけ 嫌いなタイプだからって業績を否定するのはダメだろ
122 :
世界@名無史さん :2009/07/22(水) 21:50:37 O
その人間がやったこと自体は否定しないが、見方が変われば評価も変わるだろ 「三王国戦争」的な観点、「イギリス帝国主義の起源」という観点から見たら、クロムウェルは元凶だよ それに独裁者の出現も本末転倒じゃないか チャールズ1世の「絶対主義」が嫌でラウンドヘッドは反乱を起こしたわけだが、王殺しの後にクロムウェルに王冠を差し出している 結局イングランド一国史の観点から見ても、国王とロードの率いる国教会をカトリックの手先とか言い出したピューリタンのデマゴーグが、議会を抱き込んで起こしたのが「ピューリタン革命」の実像だよ 大体「ピューリタン革命」なんて言葉、英米の研究者はフェミニストでさえ使ってないよ、中立を期すために「内戦」「空位期」と呼んでる
絶対主義=独裁ではない 絶対主義は貴族と市民階級のバランスに成り立ってた そもそも絶対主義の王は絶対的忠誠を誓う国軍がいないから傭兵やとってたわけで 絶対主義の王に独裁やれるだけの権力はないね クロムウェルの場合は完全に軍事独裁だからな
クロムウェルの行動が偽善的だと言いたいんだろうか その言い分もわかるが 歴史に倫理持ち出してもしょうがないだろう クロムウェルはまぁ自分の信じたことをやってただけだと思うぜ それを後世でどう評価されようが知ったことかって感じじゃね
125 :
世界@名無史さん :2009/07/22(水) 22:32:50 O
絶対主義も独裁権力の発現形態の一つだよ それに絶対主義というのは、社団と呼ばれる国内に散在していた小規模な特権集団の自治的な特権を、央が一つにまとめて握る、一種の中央集権でもあるだろ?明確なビジョンがある 一方で長続きしない非常時の軍事独裁は、国家の統治方針を定められない無能な政権がとる暫定的な措置で、正統性の無かったクロムウェルはこの方法しかとれなかっただけだ それに貴族階級と市民階級に支えられ〜云々も、山川辺りの社会主義系書籍がよく使う「階級史観」型の見方で、絶対主義の理解として適切とは思えないよ
126 :
世界@名無史さん :2009/07/22(水) 22:39:33 O
>>124 いや、つまりクロムウェルの指導した「ピューリタン革命」とやらの実態は、
社会的な革新をほとんどもたらさず、狂信的なピューリタンたちが千年王国の妄想で頭が一杯になって暴走しただけで、
とても「市民革命」なんて評価を与えられるもんじゃない、ただの宗教内戦だと言いたいんだよね
じゃ秀吉も家康も信長も軍事独裁したから無能なのか? そもそも西ヨーロッパの絶対主義の権力はそれ程強力ではない ナポレオンとかクロムウェルは軍の統率者で征服者だからあれほど強力な軍事力を握れたんだよ それと階級史観とかいってバカにしてるが今の歴史学でも階級史は最も重要な要素であることに変わりは無い 歴史語る際、貴族、農民、市民、兵士といったクラスを考えないと分析ができないだろう 今の時代はそれだけじゃなく、地理や文化やいろいろな要素を複合し見てるわけで 階級抜いたらまともに歴史分析できないね
それと歴史を思想で考えすぎ だいたいどんな独裁者でも権力の感覚に鋭敏で 思想で突っ走るようなアホだったら権力にたどり着く前に殺されてる
あれだけの事件で社会が変化してないとかありえないしな 市民革命じゃないのは同意だけど 王権が衰退して、市民がクロムウェル側についたし 権力のバランスが変わったとはいえるな
130 :
世界@名無史さん :2009/07/22(水) 23:08:10 O
>>127 >>128 先に断っとくけど、クロムウェルの軍事的才能にケチをつけてはいないし、無能だとも言ってないから
軍人として有能なことは間違いない
でも軍事独裁という政治面では、この方法しか採れなかったことは日本人の歴史書も認めている
また、クロムウェルを中心にした共和国政権の正統性が厳格なピューリタン信仰に拠っていたことは間違いないだろう、それ以外に王殺しの理由もない(絶対主義非難は建前)
さらに言えば、イングランド及び他の2王国には騎士党の貴族・ジェントリや彼等に加勢する人々が大勢いて、軍事独裁以外に安定した共和国政権を維持する道が無かった
そして何より、俺がしたいのはクロムウェル叩きじゃなくて、「ピューリタン革命」が市民革命だと信じてる輩に反論することだ
131 :
世界@名無史さん :2009/07/22(水) 23:13:31 O
>>129 確かに王権は弱体化したが、最高権力を獲得したのは議会で、貴族共和体制に近いものがしかれた
基本的な社会構造は何も変わってない、元々それらを変えるために反乱したわけじゃないから
市民が味方した、というのは暴徒と化したロンドンの群衆のことかな?
>>130 >そして何より、俺がしたいのはクロムウェル叩きじゃなくて、「ピューリタン革命」が市民革命だと信じてる輩に反論することだ
ちょっと何かルサンチマンが先行してんじゃないの?
同じ人だと思うけど
>>126 >狂信的なピューリタンたちが千年王国の妄想で頭が一杯になって暴走しただけで
あたりとか、市民革命論憎しの余り事態を矮小化しすぎてるきらいが。
せっかく、絶対主義と軍事独裁の質的差異とか、共和制の正統性の問題とか
いろいろ面白い論点が出てるんだから、
一個一個話し合ってみた方がいいんじゃない?
>>130-131 が憎しとする論調が、いつ発表の研究かは気になる
80年代以前にトレンドだった研究を今叩いてる感はあるのだが
おじいさん教授の本とかなら、もうちょっと後でも有り得るかも?
135 :
世界@名無史さん :2009/07/25(土) 01:12:42 O
結局これからも「ピューリタン革命」って言葉が高校の教科書に載っていくんだろうな まあ「文化大革命」って言う皮肉な用法に近いってことにいつか皆が気付くといいんだが
反乱起こして王様を生き残らせるってのは考えにくい罠。 わざわざ将来の反乱なり粛清なりの種をまくような行為だから、建前はどうあれ生かしておくってのは考えにくい
137 :
世界@名無史さん :2009/07/25(土) 21:07:03 0
100年戦争で、イギリスが、フランスのオルレアン、今の南フランスのアルル地方まで 支配していた時期があった。ちょうど、日本が朝鮮半島と、南シナ南京まで支配して居た 時期と対比・類推すると分かる。だから、日本の大東亜戦争を15年戦争と呼ぶのだ。 それは、イギリスとフランスの100年戦争と対比するために歴史家が名付けた。 イギリスとフランスは、言語・民族が違う。フランス自体も、フランス革命当時の実際に 喋られていた言語が100以上あって、そんな国同士が、統一できるはずもない。また、 異民族の支配階級同士がお互いに同盟をすることがあっても、下克上の最中の実際に出 来あがりつつある支配階級の勃興を、『敵の敵は味方』と考えて助けることはしない。 日本の間諜の明石大佐が、レーニンの樺太返還を鵜呑みにして革命資金を出したのであ るが、革命後のソ連の制度を日本に持ち込むことはしなかったのと同じである。もっと も、法華経カルトの石原莞爾・里見岸雄などは、一時期ボルシェビキに興味を持ていた ようであるが、法華経カルトが神道天皇制軍国主義と並存できるはずもない。 イギリスにとっての、フランス革命は対岸の火事であり、名誉革命における貴族階級と、 ブルジョア階級はイギリス国教会の盟主である国王の無際限の権力を抑えるの目的を遥 かに超えた革命は、無謀な混乱と考えたのであろう。植民地支配で潤っていたイギリス では、科学技術は発展するが、ドイツなどのような後進国と違って、革命を訴える必要 はなかった。フランスもインドネシア、アフリカのアルジェリアなどの植民地を持って いたが、イギリスとは植民地争奪戦で敵味方であって、大陸の革命はイギリスには遠く 及ばないものだった。つまり、日本が、中国の革命と無関係なのも、15年戦争という 異民族同士の反発があって、大東亜共栄圏とか、コミンテルンの世界赤化政策とかいっ た、イデオロギー上のヘゲモニー(覇権争い)そのものであって、そのようなものが統 一されるのであれば、人類は遠の昔に統一されているよ。
最後まで読まないと何を言いたいか分からない文章を悪文というのだよ
139 :
世界@名無史さん :2009/07/25(土) 22:08:51 0
>138 結論は、ゲダンケンガングの中にあるのだ。プロセスが分からないやつは、 それを池沼という。
ところで時系列がめちゃくちゃなのは仕様なのか?
時空管理局も多忙なのでな
おお、コミンテルン教の宣教師様のお出ましか