世界史に於ける秀吉の朝鮮征伐の考察その7

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237世界@名無史さん
417 :世界@名無史さん:2008/02/14(木) 10:12:15 0
日本などすぐにひとひねりだと豪語した李如松が明軍来援したのは
1593年の正月
そこから各地で日本軍は敗戦を重ねて1593年 3月
漢城付近まで追いつめられる

漢城で連署された報告書には
小西・宗 18700→6692人
加藤   10000→6629人
鍋島   12000→7644人
大友   6000→2052人


文禄で初期の動員20万から半数60%死亡って目付の報告資料があるから
日本軍の犠牲だけは当面不動な気もする
238世界@名無史さん:2008/05/10(土) 12:49:31 0
>>236
いや、やっぱり西軍大名の兵力目減りは隠せないよ。痛々しい程
朝鮮役で軽く何十万動員して、当時あれだけ栄えていた西国大名が
関ヶ原では各々数千動員が線税。

大名はともかく家臣クラスの病死や討ち死も結構多いよ。

そういえばロシア戦役も何十万動員して、帰ってこれたの僅か数千って惨敗だったが
ナポレオン以下、将校に関していえばほとんど生還で、討ち死に関してはまるで皆無だったな
239世界@名無史さん:2008/05/10(土) 12:51:33 0
明智光秀は晩年1万石で6百人動員を主張しているし、耳川の合戦(1578年)
では島津家だけで4万〜5万も兵を出してる。
それぞれの大名の事情によるが、無理をかければ人口の1割近くは動員可能
240世界@名無史さん:2008/05/10(土) 12:59:22 0
裸足、草履の無謀な装備で冬の満州まで到達した上で冬の敗走だからね。
むしろ半分の犠牲で済んだのは少なかった方と見るべきかもしれない。
241世界@名無史さん:2008/05/10(土) 13:17:59 0
明軍ってそんなに強かったのか。驚き。
いや、むしろ日本が弱かったのか?
戦国時代で鍛えに鍛えられたといっても、所詮は辺境の小島で
内乱してただけの田舎戦士って事か・・・。
しかし、日本軍を圧倒した強い明を打ち破った清は更に精強だと言う事になるな。
そしてその清に完勝した明治日本軍は更に上と。
やはり旧日本軍最強。
242世界@名無史さん:2008/05/10(土) 14:10:53 0
>>239
無理をかければって、武士は大名が主君といって勝手に徴兵できる制度じゃなく
あくまでも相互の契約関係で成り立ってる、主が無能なら見限ってもいいのが当時の時代

>>238
西国諸藩はにらみ合いで牽制しあってたからで清正も九州で待機だっただけ
ナポレオンはロシアでの大敗でナポレオンの時代が終わったが、朝鮮との戦いの厭戦気分はあっても豊臣政権は全然ピンピンしてる
243世界@名無史さん:2008/05/10(土) 14:13:06 0
結局、家康を朝鮮に送れなかった時点で、豊臣政権の命運は尽きていた。
結果論だが。
244世界@名無史さん:2008/05/10(土) 14:19:57 0
>>242 意味がわからない!
あくまでも関が原での動員力の参考に行っているんだ。
つまり動員兵力を軽々しく100万石でも2万〜3万と決め付けるな
という意味でいったんだ!
245世界@名無史さん:2008/05/10(土) 14:27:03 0
340 :公共放送名無しさん:2008/05/10(土) 14:15:38.47 ID:HB0Bs+O0
大河ドラマ「森脇健児」

森脇健児:北村一輝
山田雅人:堤真一
森口博子:黒木瞳
中山秀征:佐藤浩市
ヒロミ:宇崎竜童
中居正広:中村勘三郎
木村拓哉:北大路欣也   ・・・
246世界@名無史さん:2008/05/10(土) 14:44:31 0
340 :公共放送名無しさん:2008/05/10(土) 14:15:38.47 ID:HB0Bs+O0
大河ドラマ「森脇健児」

森脇健児:北村一輝
山田雅人:堤真一
森口博子:黒木瞳
中山秀征:佐藤浩市
ヒロミ:宇崎竜童
中居正広:中村勘三郎
木村拓哉:北大路欣也   ・・・
247世界@名無史さん:2008/05/10(土) 14:45:53 0
>>244
100万石で2万〜3万は定説でしょ、当時の兵隊は給料で雇う形式なんだから無料で兵になれなんてできないし

関ヶ原で九州勢が中央に多くを動員できなかったのは九州の情勢の為で
島津は中央に1000人程度しか送ってないが九州では黒田と抗戦してる
248世界@名無史さん:2008/05/10(土) 15:37:02 0
当時の日本には兵を給料で雇う方法は決してポピュラーなものじゃ
ないだろ!
まだまだ当時は租庸調の伝統による労役(庸)としても性格も強かった
故に、城普請に人足を動員するのも合戦に兵士を動員するのも同じよう
に考えられていただろう。
例えば秀吉は征明の為に33万の兵を動員したといわれているが、
(内訳:朝鮮出兵に20万、名護屋城周辺に10万、京・大阪に3万)
それと同時期に大阪城の第3期工事(総構え)を始めているし、
また1594年1月から伏見築城工事も一説には25万もの人足を動員
している。
また、文禄検地では多くの大名領において田畑の測量に多くの人足
を動員しているので、当時日本の人口(1200万±200万)においては
相当多くの動員(たぶん5〜6%)している。

249世界@名無史さん:2008/05/10(土) 15:37:31 0
当時の日本には兵を給料で雇う方法は決してポピュラーなものじゃ
ないだろ!
まだまだ当時は租庸調の伝統による労役(庸)としても性格も強かった
故に、城普請に人足を動員するのも合戦に兵士を動員するのも同じよう
に考えられていただろう。
例えば秀吉は征明の為に33万の兵を動員したといわれているが、
(内訳:朝鮮出兵に20万、名護屋城周辺に10万、京・大阪に3万)
それと同時期に大阪城の第3期工事(総構え)を始めているし、
また1594年1月から伏見築城工事も一説には25万もの人足を動員
している。
また、文禄検地では多くの大名領において田畑の測量に多くの人足
を動員しているので、当時日本の人口(1200万±200万)においては
相当多くの動員(たぶん5〜6%)している。

250世界@名無史さん:2008/05/10(土) 15:37:52 0
当時の日本には兵を給料で雇う方法は決してポピュラーなものじゃ
ないだろ!
まだまだ当時は租庸調の伝統による労役(庸)としても性格も強かった
故に、城普請に人足を動員するのも合戦に兵士を動員するのも同じよう
に考えられていただろう。
例えば秀吉は征明の為に33万の兵を動員したといわれているが、
(内訳:朝鮮出兵に20万、名護屋城周辺に10万、京・大阪に3万)
それと同時期に大阪城の第3期工事(総構え)を始めているし、
また1594年1月から伏見築城工事も一説には25万もの人足を動員
している。
また、文禄検地では多くの大名領において田畑の測量に多くの人足
を動員しているので、当時日本の人口(1200万±200万)においては
相当多くの動員(たぶん5〜6%)している。

251世界@名無史さん:2008/05/10(土) 15:38:18 0
当時の日本には兵を給料で雇う方法は決してポピュラーなものじゃ
ないだろ!
まだまだ当時は租庸調の伝統による労役(庸)としても性格も強かった
故に、城普請に人足を動員するのも合戦に兵士を動員するのも同じよう
に考えられていただろう。
例えば秀吉は征明の為に33万の兵を動員したといわれているが、
(内訳:朝鮮出兵に20万、名護屋城周辺に10万、京・大阪に3万)
それと同時期に大阪城の第3期工事(総構え)を始めているし、
また1594年1月から伏見築城工事も一説には25万もの人足を動員
している。
また、文禄検地では多くの大名領において田畑の測量に多くの人足
を動員しているので、当時日本の人口(1200万±200万)においては
相当多くの動員(たぶん5〜6%)している。

252世界@名無史さん:2008/05/10(土) 18:07:22 0
>>237
その消耗は脱走兵とかも含んでいるでしょう。
14万戦死は全くありえないよ。
まあ、被害が大きいってことに違いはないわけだが。
253世界@名無史さん:2008/05/10(土) 19:08:19 0
降倭って有名だもんな。
降伏、脱走、病死、戦死、飢え死に、凍死、全てひっくるめての数字だろ。
北朝鮮の冬は満州よりも冷えるというし、西国武将には厳しい土地だったんだろうな。
254世界@名無史さん:2008/05/10(土) 22:26:35 0
>>252
日本国内でならともかく敵地で脱走or本隊からはぐれた場合
よほど敵地の治安ーが良くない限り助からないよ

ナポレオンのロシア遠征で
30万の軍隊が数千になってパリ戻った時
もちろんその中で、本隊見限って脱走した兵も沢山居たが
ほとんど生きて帰れなかった。

本隊からはぐれた兵の殆どは、怒り狂った農民やコサックに殺され、あるいはロシア軍の残党狩りで
捕らえられるか殺されるかして、脱走兵はほとんど故郷の土を再び踏む事は無かった。

朝鮮には義兵なんつー
盗賊まがいの集団がゴロゴロしてた以上、ロシアのそれより状況が不味かったかもしれない
本隊からはぐれた兵の生還は絶望的だよ
255世界@名無史さん:2008/05/10(土) 22:36:16 0
>>247
黒田は農民や浮浪者をかき集めて九州の空城落としまくったんだよ
つまり関ヶ原の数千が西国の全力
島津だけは内部分裂とかもあって義宏500以外は本国にいたお陰で唯一対抗できた勢力だったけどな