1 :
世界@名無史さん:
漢字ではなくブラーフミー文字
漢文ではなくサンスクリット
儒教ではなくヒンドゥー教
中国とインドに隣接しておきながら中国に直接支配されたベトナムを除いて
大陸部も島嶼部もみんなインド化したのはなぜ?あとチベットも
2 :
世界@名無史さん:2008/02/02(土) 08:38:43 0
インドと中東の交易が古くから発達していたから、インド商人が
東南アジアへも足を延ばしていたのではないか。
漢字が難しすぎるし種類が多すぎるから。
東南アジア人はめんどくさがり屋が多いから、同じめんどくさがり屋が
作り出したインド人の文字のほうが取り入れやすかったんだろう
黄巣の乱で虐殺されるまでは海上貿易はアラブ商人とかが仕切ってたし
5 :
世界@名無史さん:2008/02/02(土) 09:59:29 0
中国なんて野蛮なところの文化を受け入れる必要がない
日本は中国しか選べなかったが東南アジアは中国とインドを天秤にかけれた
6 :
世界@名無史さん:2008/02/02(土) 10:03:29 0
東南アジアがインド化し始めたのは5世紀ごろからだが、
その時代、中国は既に仏教を受け入れ、聖道(仏教)>真道(道教・儒教)というヒエラルキーが完成していた
中華思想を持つ中国の知識人が、四苦八苦してインドへ旅したり、インドに対する羨望は増すばかりだった
中国までもインドへ傾倒する中で、いちいち両方に挟まれている東南アジアが中国へ傾倒する必要なんて何もない
7 :
世界@名無史さん:2008/02/02(土) 10:24:50 0
>>4 時代が違う
中国〜東南アジア〜インドへの交易ルートは地理誌にも記されており、
マレー半島を横断してベンガル湾を航海して南インドへ到達したという記録がある
実際に扶南やヤーヴァやチャンパは中国に朝貢して外交関係を持っていたが中国文化は受け入れていない
すべてインド化している
暑かったから。
中国南部インド東南アジアは暑いせいで伝染病がはびこり、これが中国北部のような
統一的発展を阻害したという話もある。
10 :
世界@名無史さん:2008/02/02(土) 10:50:42 0
部族社会から統一社会が形成される過程で、有力者は他の部族や地域を服従させるわけだが、
それには普遍的・恒久的(に見せかけた)なイデオロギーが必要で、それがヒンドゥー王権の概念だったり儒教に基づいた律令だったりする。
その時代に、より物事・事象を高度に知識化していたのは中国よりインドだったし、何より権威があったのも中国よりインドだ。
他の部族・地域を服従させるには、権威があったインド文化が有利だった。
ちょうど東南アジアでインド化が進んでいた頃は東アジア諸国でも仏教政治(仏教治国)が行われていた。
地理的にインドから離れている中国や日本ですらインドの宗教による統治が行われていたのに、
インドと隣接していた東南アジアがいちいちインド文化ではなく、中国文化を受け入れるはずがない。
要するに中国の文化力が低いから。
>>1の問題提起ってなかなかセンスあるね
学者の素質持ってるよ
最近クソスレばっか立ってたからな
近代は華僑の影響で中国化が進んだと言えるんじゃないかな
一番東南アジアに近い広東人が大人しいからだろ
大人しいというかアングロサクソン的な支配をするからね
インドは意外とアグレッシブだったというだけだな
まあ顔つきもあるだろうよ
シンガポールも華僑の国だけどホントインド人が多い
アメリカが中南米にあまり手を伸ばさずに英語やプロテスタントを広めなかった
理由と似ているんだろ
第2次世界大戦やその前後はアルゼンチンやらブラジルの経済成長や拡大主義も脅威だったはずなのにね
これが北方民族だった手出しまくってただろうな
14 :
世界@名無史さん:2008/02/02(土) 12:37:40 0
華僑・印僑と東南アジアのインド化はまったく時代が違うぞ
タガログ語も昔はインド系文字つかってたんだよな
タイ族による仏教支配より前に東南アジアを支配していたのはクメール王国
クメール人がヒンドゥー教やヒンドゥー寺院を受け入れてたのは分かるが
インドとの間にある地域、ミャンマー、バングラあたりはどうなってたんだ?
ちなみに俺のマフィアというのは最近の麻薬とかやるひとだけじゃなくてもっと広義なもの
福建人、広東人というとどうしてもマフィアを連想する
俺から言わせればフランシスコ・ザビエルのような宣教師ですら宗教マファアといえるのだ(おまけにザビエルはバスク人だしね)
CIAやKGBなんか諜報マフィアだな
当然イスラム原理主義者や宣教師もね
そしておれからいわせれば東南アジアのマフィアが手強過ぎて
だからあまり影響力を行使できなかった
あと中国人は意外と頑固だしね
漢字しか使っちゃいけないとか中華料理しか駄目とか多様性も認められなかったんだろ
向こうはインドと同じように香辛料を使った料理が主なのにね
アメリカでも実はベトナム系やカンボジア系のマフィアは凶暴すぎてチュイニーズマファア以上に恐れられてるからな
ポル=ポトも生んだくらいだからね
ラオスやタイあたりにも非常に野蛮というかまた日本で言えば生理が始まったばかり小学生のような少女を人さらいして結婚して子供を生ませるとか少女の首を強引に長くさせるとか
中共もビックリの野蛮な民族でしかも攻撃的で保守的な民族もいる
しかし台湾は完全に中国化しミャンマーやベトナムの一部地域あたりは実際いってみるといろいろと中国とあまり変わらんようだな
それらの国々いくとここは中国じゃないかと錯覚するくらいだよ
要はカンボジアやベトナムあたりが防波堤になって中国の影響をかなり抑えていたわけだろうね
インドは地理的や民族的な寛容さもありうまく影響力を行使できた
いくら知識を駆使して議論してもマフィア抜きで語るとこの質問の答えの出口はいつまでたってもみえんと思う
18 :
世界@名無史さん:2008/02/02(土) 13:19:49 0
>>16 インド文化は南インドからの海路によって伝わったわけで、ミャンマーとか関係ない
だから東南アジアで使われている文字はすべて南インド系のブラーフミー文字
ミャンマーも南インド系の文字
チベットは北インド系文字だけど
19 :
世界@名無史さん:2008/02/02(土) 13:26:58 0
中国の影響を受けるなら、社会として成り立ってないと無理じゃね?
中国なんかインドや中東に比べれば圧倒的に野蛮だからな
21 :
世界@名無史さん:2008/02/02(土) 13:43:13 0
パッラヴァ文字(南インド)
クメール文字
タイ文字
ラーオ文字
古代カウィ文字
ジャワ文字
バリ文字
モン文字
ビルマ文字
東南アジアはクメール系だけでない
クメール文字も古代カウィ文字もモン文字も5世紀〜8世紀ごろに形作られている
5世紀〜8世紀は文字だけでなく宗教や言語でも急速なインド化が進んでいたころ
確か、仏教の伝来もスリランカ経由の気がした
しかし、仏教よりも先にヒンドゥー広まったのはなぜなんでしょう
23 :
世界@名無史さん:2008/02/02(土) 14:24:53 0
インドで仏教より先にヒンドゥーが広まっていたからでしょ。
>>17 バスク人ってスペインから独立したいだけでマフィアだったとは初耳
>>17 >アメリカでも実はベトナム系やカンボジア系のマフィアは凶暴すぎてチュイニーズマファア以上に恐れられてる
これは華僑ではないベトナム人やカンボジア人ってこと?
ベトナムを脱出したかなりの部分が華僑だと聞いたけど。
蛇頭などで世界中に密入国しているのはほとんど福建人だよ。
福建省は産業もなく昔から貧しい地域だから海外に出る。
日本統治時代は整然と規律の整っていた台湾は、国民党軍が上陸すると同時に、
窓に鉄格子はめないといけないくらい治安が悪化したそうだよ。
26 :
世界@名無史さん:2008/02/02(土) 15:07:16 0
>えっ 釈迦入滅て紀元前543年じゃなかったか?
ヒンドゥーの影響受け始めたのが5から8世紀でしょう
仏教の影響もあって然るべきでは?
27 :
世界@名無史さん:2008/02/02(土) 15:37:00 0
南インドに仏教徒っていたの?大乗仏教の竜樹は南インド出身らしいけど
28 :
世界@名無史さん:2008/02/02(土) 15:43:17 0
5世紀〜8世紀ごろの話ね
29 :
世界@名無史さん:2008/02/02(土) 15:50:28 0
>27
スリランカは今も仏教
30 :
世界@名無史さん:2008/02/02(土) 16:18:17 0
南インドといっても東南アジアに影響を持っていたのはパッラヴァ朝でスリランカは影響力を持っていなかった
仏教はヒンズー教から多少遅れて東南アジアに影響を与えている(クメール・シュリーヴィジャヤなどが大乗仏教の影響を受けている)
仏教といっても大乗仏教で、スリランカの上座部仏教ではない
一説にはグプタ朝が崩壊したからインドの僧侶が東南アジアに亡命したらしい
東南アジアに上座部仏教が広がるのは13世紀以降だ
31 :
世界@名無史さん:2008/02/02(土) 16:29:48 0
現在のインドなんか見ても、インフラ普及や生活様式は非常に遅れてる。
中国の影響を受けたり取り入れたりするには、既に国として社会が成り立った地域じゃないと不可能だろう。
32 :
世界@名無史さん:2008/02/02(土) 16:32:12 0
野蛮な中国ヲタは黙っといて
>>20 中国は常にインドより1000年遅れていた
現代にはその中国より1000年遅れていた日本や韓国が先進国になり中国やインドが途上国という異常事態が起きている
34 :
世界@名無史さん:2008/02/02(土) 16:36:54 0
古代や昔の中国は世界の大国で先進地帯。
東南アジアはそもそもベトナムやタイなんか除くと国と言う概念すらなかった地域。
中国の国家体制や社会体制を取り入れるにはまず自国に国家や社会がないと不可能だと思われる。
35 :
世界@名無史さん:2008/02/02(土) 16:38:39 0
その自称先進国がインドを奉じるようになりましたとさ
基本的にインド以東のアジアは東にいくほど国家形成が遅れて野蛮になる
37 :
世界@名無史さん:2008/02/02(土) 16:41:41 0
>>35 いつインドを奉じた?仏教を取り入れただけだろ。
社会システムや他は取り入れてないだろ。
38 :
世界@名無史さん:2008/02/02(土) 16:42:43 0
仏教治国とか聖道真道とか知らないんだ・・・うわぁ・・・
39 :
世界@名無史さん:2008/02/02(土) 16:46:56 0
40 :
世界@名無史さん:2008/02/02(土) 16:47:25 0
本物か・・・
41 :
世界@名無史さん:2008/02/02(土) 16:54:50 0
日本は仏教国といわれるがインドの影響はほぼないからな
42 :
世界@名無史さん:2008/02/02(土) 16:55:47 0
インド→中国→朝鮮→日本だから直接影響あるのは朝鮮だよ
43 :
世界@名無史さん:2008/02/02(土) 16:56:45 0
日本も中世の三国観では天竺(インド)>唐(中華)>本朝(日本)>その他っていうヒエラルキーがあったよ
東南アジア人に言わせればインド>中華=その他なんだろうけど
44 :
世界@名無史さん:2008/02/02(土) 17:00:28 0
>>43 ないない日本は中国と同格と思ってたし、天下や帝が日本にあるのもそのため。
インドってイギリスが無理矢理作った国のイメージがある
46 :
世界@名無史さん:2008/02/02(土) 17:49:41 0
>>45 パキスタン、アフガニスタン、スリランカ、バングラデシュも昔はインドだった。
47 :
世界@名無史さん:2008/02/02(土) 17:53:56 0
世界最古の大学は BC700年にインドのタクシラで設立された。
世界中から10, 500人以上の学生が60以上の科目を勉強した。
BC400年に建てられたナランダ大学はその時代、教育の分野において最も貢献した大学である
48 :
世界@名無史さん:2008/02/02(土) 19:25:00 0
タクシラにあった大学ってヒンドゥー教なのかな
ナランダはなんか釈迦の弟子にいたようなのでこっちは仏教か
49 :
世界@名無史さん:2008/02/03(日) 02:30:34 0
なぜインド数学やカレーライスは日本まで来なかった?
50 :
世界@名無史さん:2008/02/03(日) 08:05:24 0
“朝鮮語に語源をもつ地名”としてもっとも有名になったのが奈良であろう。
2奈良は朝鮮語の「国(くに)あるいは都(みやこ)」を意味する「ナラ」に由来するというのは、現在では多くの日本人が信用するほどに浸透している。
今では完全に過去の人となってしまった感のある作家小田実氏もベトナム反戦運動の最盛期にそう主張していたことを全共闘世代の筆者はよく覚えている。
今日の奈良には多くの韓国人観光客が訪れるが、彼らに対するリップサービスというのだろうか、
「奈良は韓国語起原」と喧伝さえしており、日本の修学旅行生もそれを信用し切ってしまっている。
しかし、冷静に考えれば、「なら」の名をもつ地名は奈良だけではなく、
奈良原、楢原、奈良岡、楢岡、奈良山、楢山など日本各地にあり、
それぞれが「国」や「都」という一般名詞に結びつけるのはどう見ても無理があり、
まだ、全国津々浦々どこにでもあるブナ科植物ナラ(楢)との関連性を考える方が信憑性が高い。
また、しばしば言語学者からの批判があるように、
日本の地名に結び付ける朝鮮語は現代朝鮮語であったりすることがほとんどといわれ、
その論拠が如何に薄弱かついい加減なものであるかわかるだろう。
そもそも古代朝鮮語はほとんど現在に伝えられていないとされているのである。
朝鮮語の「ナラ(narah)」が国を意味するようになったのは高麗末期あるいは李氏朝鮮の初期といわれているし、
また、朝鮮語に詳しい人によれば、朝鮮語が日本語に借用されるときは、終声(narahのhのこと)を落とすのではなく、
むしろ後ろに母音をつけた可能性の方が大きいそうである。
例えば、畑(fataと発音する)は朝鮮語からの借用語とされ、bat(畑の朝鮮語音)がbata、fataと転じたのだそうである。
3したがって、narahは、言語学的に日本語への音韻変化では「ナラハ」または「ナラカ」となるのが自然であって「ナラ」の音にはならないことになる。
すなわち言語学、国語学から「奈良の朝鮮語起源説」は根拠に乏しく、韓国の言語学者も認めているそうだ。
つまり金氏の説は完全な「語源俗解」の典型例といってよいのである。
http://www2.odn.ne.jp/~had26900/topics_&_items2/on_jinja.htm
>>46 アフガンをインドとするのは無理がねーか?
個人的には、パンジャーブ人の土地とパシュトゥン人の土地の境界線が
インドと中央アジアの境目だと思うが。
逆に、極東インドは東南アジアだね
52 :
世界@名無史さん:2008/02/03(日) 08:57:57 0
>>50 >例えば、畑(fataと発音する)は朝鮮語からの借用語とされ、bat(畑の朝鮮語音)がbata、fataと転じたのだそうである。
「畑」も朝鮮語からの借用語ではないとリンク先に訂正がされています。
53 :
世界@名無史さん:2008/02/03(日) 09:54:34 0
54 :
世界@名無史さん:2008/02/03(日) 10:08:14 0
カナ文字は漢字の形状にインドの音韻論を折衷した中印折衷文字
55 :
世界@名無史さん:2008/02/03(日) 15:05:04 0
成均館大学歴史学系が報じたところによると、紀元前700年頃、朝鮮半島の最南端、今でいう済州島付近で暮らしていた朝鮮人の一部は、この時代すでに遠洋への航海術に長けており、
ここから日本に渡った者が日本文化の一角を形成、東南アジアに渡った者が仏教文化の礎をつくったとのことだそうです。
くわえて東南アジアの考古発掘調査から、この地に渡った朝鮮人がその後、紀元前650年にはマラッカ海峡まで達したことを示す資料も見つかったそうです。
マラッカ海峡にたどり着いた朝鮮人は、ここで世界で初めて「季節風」の存在を発見、それを利用してインド洋を横切り、現在のバングラディシュに到着しました。
韓国の考古学者の発掘調査より、バングラディシュで発見された器物には、いずれも朝鮮文化の影響が色濃く残されていることもわかったといいます。
いっぽうネパールでの調査から釈迦族の生活様式にはインドの文化よりも東アジアの影響が顕著で、梵字の原型は朝鮮文字が異体化したものと考えられるものも多いところから、
釈迦牟尼の起源は韓国の血統をもつと充分に推測できるとしています。
朝鮮日報紙では、この重大な発見をシリーズ化で報道の予定。また今年の年末までには釈迦ならびに仏教の起源の真相と題して出版、ドキュメンタリーも製作予定とのことです。
http://bbs3.news.163.com/bbs/photo/46076315.html http://chiquita.blog17.fc2.com/blog-entry-2988.html
56 :
世界@名無史さん:2008/02/03(日) 15:14:58 0
57 :
世界@名無史さん:2008/02/03(日) 15:19:41 0
中国では偽典が作られた
学問と呼べる水準の知的活動が一切なかった中国では高度な思想を理解できなかったから中国風に歪曲したわけだ
ヨーロッパ人によって地球が丸いという説を持ち込まれたとき、
中国人は中国風の考え(人の間に上下があるように地球にも上下がある)で地球が丸いことを否定したのと似ている
朝鮮人の妄想、反中華主義でスレを埋め尽くすのではなく、もう少し冷静に議論を進めませんか。
インド世界は8〜9世紀くらいまでには中世にまで発展した。
支那世界は8世紀に古代の絶頂、途中で蒙古支配期に中世に入ったけれども、14世紀中盤には
支配層が支那化してしまい社会が後退、明時代には完全に古代に逆戻りし、19世紀末まで古代。
60 :
世界@名無史さん:2008/02/03(日) 15:39:10 0
単純に海路の距離の問題だろ。
インドから東南アジアはベンガル湾を渡るだけ。
中国と東南アジアは華南とベトナムだけなら同じようなものだけど、
タイやマレーに行こうとすればベトナム沿岸を迂回しなきゃならず大分遠い。
しかも、古代中国の先進地域の華中の比較的内陸部からであれば、長江を下って中国大陸沿岸に出て
さらにそれを迂回しなければならないため、より遠くなる。
じゃあ陸路はどうなんだ?と聞かれれば、たしかにインドの北部や南部から東南アジアまでと、洛陽や西安から
東南アジアまでの直線距離はマレー半島以西でもほぼ同程度、マレー以東ならば中国からのほうが近い。
ただし、華南の沼地と崑崙周辺の山岳地帯を越え、北ベトナムにやっとたどり着いたとしても北ベトナムからタイや
ミャンマーの平野部に行くにはジャングルを突っ切るか、沿岸の平野部を迂回するしかないわけで、沿岸部を通るなら
海路のほうがよっぽど効率がいい。
というわけで地形を考えてみるとインドから東南アジアまでの距離と、中国から東南アジアまでの距離は大分、
差が出てくるわけで、単純にこれが要因だといえると思うよ。
実際に、中国から近いベトナムは東南アジアでも中国的な文化だし、東南アジアの主要都市は全て沿岸部か
少し川を上った、船を使った交易ができる位置にあるわけだし。
距離はあるだろうなあ
中国人は中原に目が向いてて隙があると北伐してるしね
シャム湾やメコンデルタに到るにはマレー半島という巨大な半島をどうにかせんならんのだが。
それに、古代っていつよ? 孔子は今で言う山東半島の生まれだよ、おもくそ海辺じゃん。
呉越同舟の呉は今の上海とか無錫とか蘇州とかのあたり、越は紹興とか杭州とかのあたり。
春秋時代は大昔過ぎて古代にもなっていない?
漢から唐まで、越南は中原王朝の一地方だよ。遠いもクソも本土じゃん。
中原は黄河流域だろ
楚ですら外人扱いだし
中華は黄河より北の支配者が多いじゃん
インダス川よりはるかに遠い
65 :
世界@名無史さん:2008/02/03(日) 20:00:16 0
インド東北部の上座部仏教も面白いよな。
北インドからそまま東に進んだんじゃなくて、スリランカから東南アジアに渡って、
インドに舞い戻ってきたとか。
逆輸入宗教ってかなり珍しいんじゃ?
イクナトン → カナン → ユダヤ → ローマ → コプト
>>61 基本的にはそんなところだと思う。
ただ、一つ気になるのは前漢の張騫が西域で見た竹。
「蜀→ビルマ北部→インド→西域」のルート(全て陸路)だったと考えられてる。
このルートで東南アジアに中国文化が伝わらなかったのは何故だろう?
>>67 繋がっているところには必ず伝わるという発想の方が不思議だ。
69 :
世界@名無史さん:2008/02/04(月) 02:10:32 0
インド系&カ字というところに重要なヒントがあるな。
東南アジアの言語を表記するために使われたのは、
シッダマートリカー文字やデーヴァナーガリー文字ではなく、
そういった文字から構成原理を借りた新造文字だということ。
漢字文化圏で対応するのは、日本や朝鮮や越南における漢字ではなく、
漢字から構成原理を借りて新造された西夏文字や契丹文字だろう。
表音文字の体系を新造するとは数十個の文字を考えることだが、
表意文字の体系を新造するとは数千個の文字を考えることだ。
この二つの行為は難易度のレベルが全く異なる。
漢字文化圏で周辺的な文字体系が派生しにくかったのは、
それを考えれば単に当然だろう。
これは不便な点ばかりでもなく、利点もあった。
支那大陸において文語の統一性が保たれたのは、
要するに表意文字を新造するのが難しかったからである。
仮に支那人が表音文字を使っていたら、
客家語や広東語や福建語……は、それぞれ別の言語として発達し、
支那系の諸言語を話すそれぞれの集団は、
イタリア人やスペイン人やフランス人のように、
自分たちを独自の民族と見なすようになっていたはずだ。
その意味で、漢民族とは漢字の賜物なのである。
>>64 黄河と長江間違えた・・・。ハズカシス。
>>63 マレー半島は細いからね。
クラ地峡みたいなところもあるし、スエズ地峡が地中海の海路と航海の海路を繋いでたように、
こういう地峡は海路を断絶するものじゃないよ。
商人の管轄などはかわるだろうけどね。
古代の中国の先進地域ってくだりについては中国の文化には浅学なもので、とりあえず
殷の時代から漢の時代まで頻繁に都がおかれた黄河中流域を想定してた。
山東からでも黄河をくだらなくていいだけで、中国大陸沿岸を延々航海することには変わりないよ。
また呉や越といっても精々長江流域かそのやや南が版図なわけで、地図見て見れば解るけど、
上海や南京は中国の国土の南北のちょうど真ん中程度でベトナムが近いわけじゃない。
上海からハノイまで単純に沿岸沿いに航海するだけで約2400キロもあるし、さらにハノイから沿岸沿いに
シャム湾にいたるには約2000キロと大分距離がある。
つまり、中国文化圏の南方からですらシャム湾入り口まで4400キロあるわけだ。
対して、サータヴァーハナ朝なんかの有力王朝を生んだデカン高原のあるインド亜大陸中部沿岸から、
現在のヤンゴンまでは2100キロ程度、もっともマレー半島を横断しやすいクラ地峡まででも2800キロ、
ここから陸路で数十キロも行けば既にシャム湾なわけで、もしもどこも100キロの幅もないマレー半島の北部に
東西でまともな交易がないなんて事がないならば、呉からシャム湾へ向かうよりはインドからシャム湾に向かう
方がはるかに容易といえると思うよ。
あともう一つの要素として、気候の変動が大きい南北の移動よりも、それが小さい東西の移動のほうが
容易であることも関係していると思う。
特に文化の伝播については、その文化の根底の各種作物や家畜にもろに影響することからこの傾向は
顕著だよ。
南宋あたりから中国の経済的文化的中心は南に移ったとかいわれるけど
南京からでもそれほど遠いならマルコポーロのいう「キンザイ」や
「ザイトゥン」からでも事情は同じですかね?
>>69 昔の漢文って話し言葉を言語化できない世界でも珍しい記述体系ですけど
話し言葉が別でも書き言葉が共通だから漢民族であるという枠を作ったのは
非常に興味深いですね。
ちょっと他の民族の言語は知らないが、タイ語(タイ族、ラーオ族)は
支那、チベット語系で文字はクメール文字(インド系)から発達した表音文字です。
専門家じゃないけど
抽象的で哲学的な概念や王権、法律に関係する単語はインドから
入ってきた言葉をそのまま使っていることが多いです。
インドシナ半島とは言い得て妙ですね。
雲南にいたタイ族はかなり古代から徐々に南下し
クメールが衰退すると、タイ族の王国を作り
逆にクメールも支配しました。だいたい13世紀ごろです。
74 :
世界@名無史さん:2008/02/04(月) 18:53:47 0
こういうのはだいたい交易のルートと重なっている。
現在でもインド洋とシナ海の中継を担う華僑とマレーの世界は
インドと中国と半々の要素が共存している。
ほぼ61の言うような海路の問題で説明できるのでは。
75 :
世界@名無史さん:2008/02/04(月) 19:55:57 0
>>74
クメールやバリに残ってるヒンドゥー寺院
の様式って東南アジア独特のものですか?
教義や思想だけじゃなく寺院の様式まで伝わったのなら
交易だけじゃなく かなり人の移動も伴ってるはずだわな
ルートは南インドからインドシナ半島への海路ということでほぼ確実だが
いんどから人の移動があったとしたら原因はなんだったんだろう?
人種が近いからじゃね?インド南部と東南アジアの連中って兄弟みたいなもんだろ。
>>75 それこそ交易じゃない?
交易はかならず人の移動を伴うし、双方向で行われるものでしょ。
それに例えインドからインドシナに渡った人が少なかったとしても、インドシナからインドに交易に行っている人や
インドシナとインドの交易を仲介している集団がいるだけで、インドの文化がインドシナ伝わるには十分条件でいえると思う。
大体、東南アジアに住む人間にとって海って普通に道なんじゃないか?
マレー人にしろポリネシア人にしろマダガスカルやら太平洋の果てまでいっちゃう連中だし。
中世のヴェトナムで南部にチャンパ王朝、北部に「大越国」があった頃は
南ではヒンドゥー寺院が各地に建ち、北にいくほど中国風の建物が増えてくるとか
そういう感じだったのかね
79 :
世界@名無史さん:2008/02/05(火) 12:57:29 0
現代も交易の多い国には日本人もそれだけ住んでるだろう
アメリカやブラジル、オージー、中国、東南アジアなど
逆に日本文化が入り込むのはそれだけ交易があるということ
80 :
世界@名無史さん:2008/02/05(火) 16:01:19 0
インド商人が香辛料を東南アジアで仕入れてアラブ人とうして
ヨーロッパに売る このパターンですな
そういえば、ローマ銀貨がヴェトナムの遺跡から出てきたところを
NHKでやってたな〜
81 :
梵阿弥:2008/02/05(火) 19:14:16 0
そもそも華南の「中国」内化がどのように進展したかが問題でしょうね
より豊かなはずの華南が華北に征服され続けたのはなぜか?
このスレも立ててくれ。
>>82 農耕民族が遊牧民に戦争で勝てる訳無いかと。
>>83 その遊牧民は馬が入れない東南アジアまで行けなかったと。
シナは元犬戎西戎の秦から遊牧民だもんな。
>>84 中国は昔から海戦は下手だしね。
北の遊牧民が華北に流入して先住民を華南に追い出して政権を作った後南下して
全国統一というパターンを繰り返してます。
86 :
世界@名無史さん:2008/02/06(水) 15:29:09 0
>85
その南下統一戦略の根底には、人口増加と食料確保があったんだろうね。
明はどうなんだ?
>>71 泉州は地理的に考えて台湾やハノイとの交易がメインだろうね。
結局インドシナが中国から東南アジアにいくための最大の障壁だし。
>>87 南の政権が北上して天下を取ったのは明の朱元障しかいませんよね。
>>70 クラ地峡ったら、険しい山岳地帯で、山が海まで迫っているところ、とても二つの海を
繋ぐような交易路ではない。
野生動物すら、クラ地峡の東西南北で分布が分かたれているくらいだ。
91 :
世界@名無史さん:2008/02/06(水) 20:38:04 0
>>85 それもポイントだな。
中国は軍事力に優れてたのは騎馬文化の集団で、
南方の海民はほとんどが商業集団。
だから北方から蹂躙され沿海は倭冦に荒らされた。
東南アジアや東南シナ海海域はどっちかっていうと海賊のシマだから、
インド洋のように商人が勢力をのばさなかった。
>>91 海賊というより武装商人かな。
普段は商人だけど、商売上のトラブルが起きると海賊行為もするという。
91自身は分かっているだろうけど念のため。
そういえば鄭和の艦隊が東南アジアで漢人の海賊と遭遇して戦闘になってたような
パレンバンの話ね。
95 :
世界@名無史さん:2008/02/12(火) 21:20:34 0
>>6と
>>10が正論。
この2つであっさりこのスレッドの結論が出ている。
2chの世界史板ってすごいな
96 :
世界@名無史さん:2008/02/12(火) 21:25:47 0
>>72 >話し言葉が別でも書き言葉が共通だから漢民族であるという枠を作ったのは
ソースは?
漢文が共通なのが漢民族の枠であるなら、日本人も漢民族じゃん。
97 :
世界@名無史さん:2008/02/12(火) 22:09:01 0
98 :
世界@名無史さん:2008/02/12(火) 22:29:47 0
>>70 が正解だと思う。気候の問題は無視できないよ。
アメリカ大陸文明がユーラシア文明に遅れをとったのは、アメリカが南北に長い大陸で
文化が相互に影響しにくかったのが原因、って説があったよね。
東南アジアはインドの真東にあるから、気候は亜熱帯〜熱帯で近い。
だからインドの農業技術を移転させやすく、そのついでにインド文化も伝わったんだろう。
日本も最初に中国大陸から受け入れた文化は青銅器でも文字でも仏教でもなく、
稲作だったしな。
南北より東西ってのはそのとおりだな
日本も北海道にはなかなか行けなかったし
100 :
世界@名無史さん:2008/02/13(水) 06:03:10 0
100年程度ではとてもとても、だな
>>96 かな文字を作った時点で日本人をその枠に入れるのは無理。
漢字は「表意文字」であり、かな文字は「表音文字」だから
日本人は話し言葉と書き言葉を直結できた訳で。
中国では話し言葉を書き言葉で表現する事は魯迅たちの言文一致体運動が
起こるまで存在しませんでした。
中国では「筆談としてのツール」と漢文が使用され、言語が判らない
各々の地方の人々はそれを使ってコミュニケーションを取りました。
102 :
世界@名無史さん:2008/02/13(水) 17:37:53 0
日本は微妙だけど、近代以前の朝鮮・越南は、意識として漢民族だな。
漢民族(≒東亜文明人)と異なる民族という意識を持つようになったのは、
近代になって西洋文明を知った後のこと。
中国だけじゃなくインドも北方民族が強いというか
影響力が高い
104 :
世界@名無史さん:2008/02/13(水) 20:19:25 0
古代のロシアでは、国教を選ぶために、
カトリック・ギリシャ正教・イスラムの聖職者を呼び、
彼らの説く教えを比較検討して、ギリシャ正教を選んだという。
東南アジアでも、そういう象徴的イベントがあったのかな?
古代の日本では空海が三教指帰を著して
仏教儒教道教の比較をしてますね
>>105 日本に来た外来思想で一番日本にマッチしたのは仏教だしね。
儒教・道教が根付かなかった理由を考えると色々見えてくるかも。
キリスト教が根付かない理由にも通じるでしょうか?
>>107 儒教やキリスト教は「善悪」が重要な評価理由だけど、日本人は行動・発言の「美醜」が
評価の基準だからマッチしないのだと思います。善悪で議論すると自分を善・相手を悪と
決め付けて殲滅する所に行き着きますが、美醜が基準だと相手の立場も理解できるという
所に落ち着きますから。
日本の仏教は葬式するから定着したんだと思ってたが
>>108 「善悪」と「美醜」は微妙に違いますかねえ。
>>109 いや、葬式を重視するのは儒教だよ。
本来、仏教は解脱しないかぎり死んだら輪廻の輪に戻るだけだから、葬式は重要ではない。
歴史書が編纂されるより前の段階で
道教と儒教が入って神道に影響を与えたんじゃなかったっけ?
>>110 「微妙に」じゃなくて「全く」違います。
善悪には妥協が存在しない訳で。
116 :
世界@名無史さん:2008/03/04(火) 09:52:25 0
倫理よりも美学を優先すると言えばナチスだってそうだけど、
寛容とは程遠いイデオロギーだったよ。
>>116 ナチスの根っこにあるのはニーチェの超人思想の読み替えでしょ。
118 :
梵阿弥:
>>90 横断陸路在りましたよ。学者により増減しますが5から10本